約 1,661 件
https://w.atwiki.jp/busphoto/pages/2753.html
一般路線 ○2008年式 8-3912※未 8-3921※未 ○2009年式 9-3987※未 9-3988※未 9-3989 9-3990※未 9-3991※未 9-3992※未 9-3993 ○2010年式 0-1688※未 0-1701※未 0-1702 0-1703※未 0-1704※未 0-1705※未 0-1706※未 0-1713 0-1719※未 0-1720 0-1721※未 0-1724※未 0-3301※未 0-3302※未 0-3305 0-3306※未 ○2011年式 1-3316※未 1-3317 1-3318※未 1-3319※未 ○2012年式 2-3323※未 2-3324※未 2-3325※未 2-3373 2-3374※未 ○2013年式 3-1763※未 ○2014年式 4-3411※未 4-3412※未 ○2015年式 5-3436 ○2016年式 6-3446※未 6-3448※未 6-3483※未 ○2017年式 7-1850※未 7-1854※未 7-1855※未 ○2018年式 8-3507 8-3508※未 ○2019年式 9-3521※未 9-3522※未 ○2020年式 0-3535※未 0-3536※未 ○2021年式 1-3559※未 1-3560※未 ○2023年式 3-1950※未 3-1951※未 3-1952※未 3-1959※未 3-1960※未 3-1972 3-1973 3-1980※未 3-1981 3-1986※未 3-1987 貸切 ○2016年式 6-3444※未
https://w.atwiki.jp/konanrekishi/pages/79.html
八日僧 (港南台・野庭) bgsound むかしむかし,港南台が,まだ「宮ケ谷村」とよばれていたころのお話です。 下馬根というところに,山王社の祠がありました。 山王さんは,この村では熱病の神さまとして,おそれられていました。 その熱病というのは,いまでいう天然痘のことで,むかしはそうした病気でたくさんの子どもが死んだのです。大人たちは,その神様に子どもが近づいたり,いたずらしないように,妖怪の話を作って,おどしていたのです。 その妖怪は,小さくて,とても弱い妖怪なのですが,昔から暮の十二月八日の夜明け前に,どこからともなく村に来て,一軒一軒の家をのぞきこみ, 「悪い子どもは,いないかな」 と言いながら,子どものいる家をさがして歩き,いろいろなわざわいを,もたらすとされていました。 村の人たちは,その妖怪をそれはそれはおそれていました。妖怪が来た家の子どもは,熱が出たり,病気になったりしたからです。 そこで,村の人たちは,みんなで知恵を出し合い,妖怪が家の前を通る前の日の,十二月七日の夕方に,その妖怪より大きな目がたくさんある「ざる」や「背おいかご」を長い棒の先にかぶせて,家の軒先に目立つように,立てることにしました。 妖怪より,目のいっばいある妖怪がいるように見せかけて,おどかそうとしたのです。 ところが,なんと,野庭にやって来る妖怪は,帳面まで持っていて,「ざる」や「背おいかご」が出ていない家を,ちゃんと調べて帳面につけていったのです。 そして,年が明けた二月八日に,再び村にやって来て,暮に調べた帳面にのっている家を見て回り,またまた「ざる」や「背おいかご」が出ていないと,こんどはほんとうに,災難や病気などのわざわいを,おいて行ったのです。 そこで,村の大人たちは,「八日」を忘れないように,その妖怪のことを「八日僧」と呼ぶようにしました。 この風習は,今でも港南区のあちこちに,言い伝えられ,残されています。
https://w.atwiki.jp/konanrekishi/pages/270.html
*港南歴史協議会の活動報告 1.歴史講座 ☆ 児童向け港南の郷土史 港南の古写真スライドショ-「港南の昔にタイムスリップ~おじいさんが語る昭和~」を開催しました ○ 日 時:平成23年8月21日(日)午前10時~11時30分 ○ 会 場:港南図書館 会議室 ○ 語り部:港南歴史協議会のさん、 詳しくは下記の8月22日(月)神奈川新聞をご覧ください 写真で知る郷土 9月8日(木)タウンニュ-ス(港南区版)にも掲載されました 過去にタイムスリップ ☆「芹が谷の歴史」講座を開催しました。 ○ 日 時:平成23年6月25日(土)午後2時~4時 ○ 会 場:港南図書館 会議室 ○ 講 師:大平力蔵 平戸・永谷川水愛護会会長 ○ 語り部:平井忠八さん、森 喜八さん、山本邦法さん、 ☆「港南の近世を語る」歴史講座を開催しました。 ○ 日 時:平成23年2月26日(土)午後2時~4時 ○ 会 場:港南図書館 2階 会議室 『港南の先駆者と遺宝』刊行を記念し歴史講座を行いました。 (1)挨拶・刊行経緯説明・・・・・・・・・・ 馬 場 久 雄 会 長 (2) 「港南の先駆者と遺宝」について・・・・著者:伊 藤 武 (3) 久保村は昌平校の天領だった・・・・・ 山 本 邦 法 自性院住職 (4) 永野の高札・・・・・・・・・・・・ 亀 野 哲 也 貞昌院副住職 (5)『港南の近世を語る』座談会・・・ 司 会 北 見 繁 男 さん 森 喜 八 さん他平 井 忠 八 さん、 橋 下 賢 明 さん、寺 田 伊佐武 さん、山 本 邦 法 さん 詳しくは、下記の亀野さんのブログをご覧下さい。 「港南の近世を語る」歴史講座 ☆ 区民企画講座「こうなんの歴史:芹が谷の歴史」を開催致しました。 日 時:平成23年2月19日(土)10時~12時 会 場:港南台タウンカフェ 講 師:大平力蔵さん(平戸・永谷川水辺愛護会会長) 昔は武蔵の国、相模の国の国境で、現在は南区・戸塚区・港南区の区境のこの地には、神社・仏閣もなく、昔の字名「芹が谷」が昭和42年に町名として採用されました。 昭和4年に現在の神奈川県立精神医療センタ-「芹香園」が昭和11年には国立南横浜病院「浩風園」が開院し、昭和45年には県立こども医療センタ-と大規模医療施設が建てられています。 その芹が谷も昭和21年頃の写真では現在の景観とは程遠い、広々とした里山の風情でした。その国立南横浜病院「浩風園」は3年前に廃院となりました。 ☆ 日野ケ丘町内会で郷土日野の歴史出前講座を行いました。 ◇ 日 時:平成23年1月22日(土)10時~12時 ◇ 会 場:日野ケ丘住宅町内会館 ◇ プログラム:・郷土日野の歴史 : 遠 藤 吉 隆 さん : 1時間 ・日野小学校を中心とした保管古写真のスライドショ-:1時間 ☆ 区民企画講座「こうなんの歴史:日野の歴史」を開催致しました。 日 時:平成23年1月15日(土)10時~12時 会 場:港南台タウンカフェ 講 師:遠藤吉隆さん(港南歴史散策の会) ☆ 平成22年度、第5回「こうなんの歴史講座」を開催いたしました。 テ-マ:貞昌院に伝わる「天神おみくじの」 日 時:平成22年12月18日(土)10時~12時 場 所:貞昌院 客殿 講 師:亀野哲也 貞昌院副住職 さん 詳しくは、下記の 貞昌院亀野さんのHPをご覧下さい。 区民企画講座2010@貞昌院 天神おみくじ ☆「こうなんの大戦中の秘められた記憶を語る座談会」を開催しました。 ○ 日 時:平成22年11月27日(土)午後2時~4時 ○ 会 場:港南図書館 2階会議室 第一部:こうなんの大戦中の記憶を語る座談会 パネラ-:平 井 忠 八さん (永野地域)、武 内 文 衛さん (日下地区)、橋 下 賢 明さん (野庭地域) 司 会 : 北 見 繁 男さん (日下地区) の皆さんで行いました。 第二部:横浜刑務所にまつわる戦争秘話:長谷川敏雄さん ・横浜刑務所にある戦争秘話の碑 ・海軍から南方諸島に受刑者派遣要請 ・図南報告隊(青隊)悲劇のトラック島(春島)へ 詳しくは、下記のHPをご覧下さい。 横浜刑務所にまつわる戦争秘話 ☆『こうなん歴史散策』刊行記念講演を開催しました。 ○ 日 時:平成22年9月5日(日)午後2時~4時 ○ 会 場:港南図書館 2階 会議室 (1)挨拶・刊行経緯説明・・・・・・・・・・ 馬 場 会 長 (10分) 「港南歴史散策の会」の活動と案内書刊行の目的、意義 (2)散策で見つけた港南区の歴史標識・・・・ 深 谷 代 表 (60分) 歴史痕跡を示す標識から見た港南区の歴史 - 休 憩 - (3)『こうなん歴史散策』コラムについて・・・ 遠 藤 吉 隆 (30分) 神社から見た港南区の歴史物語 ☆「こうなんの昔を語る座談会」を開催しました。 港南歴史協議会では「こうなんの歴史アルバム」の発刊を記念して、 「こうなんの昔を語る」座談会を定員50名一杯の区民の皆さんをお迎えして行いました。 ○ 日 時:平成22年5月29日(土)午後2時~4時 ○ 会 場:港南図書館 2階会議室 パネラ-:平 井 忠 八さん (永野地域) 森 喜 八さん (下永谷地区) 橋 下 賢 明さん (野庭地域) 山野井 正郎さん (上大岡地区) 寺田 伊佐武さん (日野地区) 北 見 繁 男さん (日下地区) 司 会 : 馬 場 久 雄 の皆さんで行いました。 当日の模様は6月10日(木)「タウンニュ-ス」に詳しく掲載されました。 郷土史座談会 .pdf ☆ 第4回こうなん歴史講座「港南区に鉄道が走るまで」を開催いたしました。 ○ 日 時:平成22年2月27日(土)午後2時~4時 ○ 会 場:港南図書館 2階 会議室 ○ 講 師:長谷川 敏雄さん(地図編集工房) この講座の主な内容は下記のHPをご覧下さい。 東海道線は 当初、大岡川沿いに通る予定だった! 今回も、大勢の方々のご参加により、満員の盛況でした。 郷土史講座が定着してきた感があります。平成22年度も港南図書館のご理解により、3ケ月毎に、年4回の定期的な開催を計画をしています。 今後とも、皆様方のご参加を宣しくお願い致します。 ☆ 区民企画講座「こうなんの歴史:「明治創立の学舎のあゆみ」」を開催しました。 日 時:平成21年12月19日(土)午前10時~12時 会 場:上永谷 貞昌院 客殿 講 師:貞昌院 亀野哲也 副住職、平井忠八さん 「港南の歴史」を「学校の歴史」の観点から顧みた新鮮味ある講座でした。 永野の昔の景観を高浜虚子「武蔵野探勝」から見た事もリアリティさがありました。 永野の戦時中の様子を亀野寛量先生の日記・記録から見る事に加え、平井さんの体験談もあり、一層リアリティさが増しました。 今後、平井忠八さんの様な古老の方々の「記憶」を「記録」に残す活動に努めたいと思います。 講座について、詳しくは 下記の亀野さんのHPをご覧下さい。 明治創立の学舎のあゆみ 高浜虚子一行の永谷村探勝 上永谷地区に残る屋号 太平洋戦争空襲~終戦 ☆「こうなんの歴史アルバム」出版 へ向けて 今年は港南区誕生40周年を迎えました。 港南歴史協議会では、港南区内にある明治時代開校の4小学校に保管されている「古写真」をデジタル化し、現在このHPの上へ掲載をしていますが、これらの写真を元に、港南区内の歴史秘話を加えて、来年(平成22年)春頃「こうなん歴史アルバム」の発行へ向けて、現在編集作業を行っています。 その模様が、亀野さんの下記のHPの上で紹介をされましたので、ご報告いたします。 「こうなん歴史アルバム編集会議」 ☆第3回歴史講座「港南の街道の歴史」を開催しました 日 時:平成21年11月28日(土)午後2時~4時 会 場:港南図書館 2F 会議室 講 師:遠 藤 吉 隆さん(港南歴史散策の会) 講演の要旨は下記の資料をご参照下さい。 鎌倉道 ☆第2回目 日野小学校古写真のスライドショ-を行いました 日 時:平成21年12月1日(火)午後6時30分から 会 場:日野町内会館 日野町内会役員や日野小学校学援隊の皆さんに、第2回目の日野小学校古写真のスライドショ-を行いました。 明治6年開校の伝統ある小学校ですので、地域の皆さんとの間に強い絆があり、古写真の中にも地域の人達の生活の跡を感じます。 ☆第5回区民企画講座「大久保地域の歴史話」 を行いました 日 時:平成21年11月21日(土)10時~12時 場 所:港南台タウンカフェ 講 師:自性院 住職 山本邦法さん 大久保地区には50年前まで「久保池」があり、そこでは地域の子供達が泳いだり、釣りをして楽しみました。 この写真は昭和31年4月に久保池の畔の桜並木をバックに撮影をした写真で、当時小学3年と1年の姉妹の方には、この写真を公開した事がご縁で、自性院の山本住職さんのご紹介で、先日お会いをし、当時の大変懐かしいお話を伺いました。 ☆第1回:映像で見る港南の景観を開催しました 港南歴史協議会では区制40周年を祝って、懐かしい昔の写真をスライドとビデオで紹介する催しを下記の日時に開催しました。 ○日 時:第1回:平成21年10月11日(日)午後2時~4時:区内小学校4校の古写真のスライドショ- ○会 場:港南図書館 2F会議室 今回は明治時代に開校の日野、永野、日下、桜岡の4小学校に保管されている古写真約500枚の中より、約150枚を選んでのスライドショ-でした。 これらの写真は、このHPにも掲載されています。(右側のメニュ-欄の中で「古写真」の項目の中の各小学校のペ-ジの中に掲載されています。) ☆第2回:「お母さんが伝えるふるさと下野庭」のビデオ上映を行いました ○日 時:第2回:平成21年10月18日(日)午後2時~4時:「お母さんが伝えるふるさと下野庭」ビデオ上映 ○会 場:港南図書館 2F会議室 「お母さんが伝えるふるさと下野庭」は今から22年前に朝生靖子さん、二瓶三千枝さん、松本きよさん達が、街の古老の人達からの「ききがたり」として出版致しました。 それを元にビデオ作成をされた作品(60分+15分+15分)3本を上映致しました。 又、亀野さんが撮影をされた「丸山台住宅地開発以前の永野地域の景観と地域の人達の生活環境の様子」ビデオ(15分)も同時上映し、当日特別参加して頂きました大正生まれの永野地域の古老のお一人である平井忠八さんを囲んで、お話も伺いました。 ○当日の報告は亀野さんの下記のブログをご覧下さい。 「お母さんが伝えるふるさと下野庭」 ☆開港150周年記念講座「横浜港の七不思議」 テ-マ:「横浜港の七不思議」 日 時:平成21年8月29日(土)10時~12時 会 場:港南図書館 2階会議室 講 師:田中祥夫 氏 講座の詳細は、下記の亀野さんのブログをご参照願います。 横浜港の七不思議講演会 1894年に現在の大桟橋(旧称「メリケン波止場」「鉄桟橋」)が出来たのは、米国から下関事件(1864年)の賠償金が返還され、それが原資となったと言われていますが、その返還に至る過程で大変なキッカケとなり、尽くされた人がグラント将軍(後に米国大統領になられた)であったとの事です。 その間の経緯は下記の日本経済新聞の記事をご覧下さい。 2002.05.30.横浜港の父、グラント将軍 YD0018b7.pdf 今日の講義の中で「象の鼻」の名称は、横浜市立図書館所蔵の「横浜村井近傍之図」によると、既に横浜開港以前に「象が鼻」との名称で別の地名として、使われていたとの事です。 開港直前安政5年の横浜.pdf ☆第3回 区民企画講座「こうなんの歴史」を開催致しました。 テ-マ:東海道線は当初、鎌倉街道を通る計画だった! 日 時:平成21年9月19日(土)10時~12時 会 場:港南台タウンカフェ 東海道線開通に至る間の秘話をご紹介いたします。 何故、保土ヶ谷、戸塚ル-トへ変更になったのか? 当初は、何故、東海道線は開通当初、桜木町でスイチバックをしていたのか? その謎ついての歴史的な背景のお話しです。 東海道線は鎌倉街道を通る計画だった ☆第2回区民企画講座「こうなんの歴史」を開催しました。 テ-マ :永谷天満宮の昔ばなし 日 時 平成21年6月20日午前10時~12時 会 場 港南台タウンカフェ 講 師 永谷天満宮 松本正良宮司 永谷天満宮公式HP 丑年大天神祭 夏越の大祓い 2.歴史散策 ☆ 第5回「歩いて巡る港南の歴史」の街歩き案内を行いました。 ○ 日 時:平成23年8月16日(火)午前9時30分~12時 ○ 主 催:港南地区センタ- ○ 案内役:馬場久雄、深谷臣功、遠藤吉隆、 ○ 散策地域:日野中央公園から春日神社、徳恩寺、南稜高校 ☆ 第2回「歩いて見て学ぶ港南の歴史」散策の会の街歩き案内を行いました。 ○ 日 時:平成23年5月17日(火)午前9時30分~12時 ○ 主 催:港南地区センタ- ○ 案内役:馬場久雄、深谷臣功、遠藤吉隆、 今回は、港南地区センタ-を出発して、桜道から天照大神宮を経て、笹下川の川島の堰脇を通り、再び環状2号線の上の「笹下中央公園」「雑色・杉本遺跡」から、打越交叉点に至る笹下の丘陵地帯を巡りました。 ☆「歩いて見て学ぶ港南の歴史」散策の会の街歩き案内を行いました。 ○ 日 時:平成23年4月19日(火)午前10時~12時 ○ 主 催:港南地区センタ- ○ 案内役:馬場久雄、深谷臣功、遠藤吉隆、 ☆ 金沢区一期会(金沢文学散歩の会)の皆さんを上大岡地域の歴史散歩にご案内致しました。 ○ 日 時:平成23年4月8日(金)午前9時30分~12時30分 ○ コ-ス:・9時30分~10時30分:上大岡東地域の散策 ・10時30分~11時30分:上大岡コミュニティハウスにて、上大岡の今昔スライドショ-で上大岡の歴史を紹介: ・11時30分~12時30分:上大岡西地域の散策 丁度、桜が満開の時期でした。神奈川県戦没者慰霊堂にて記念撮影を致しました。 ☆平成22年度第4回「こうなんの歴史講座」を開催しました。 テ-マ:「松ヶ崎古墳とふじやま公園の見学」 日 時:平成22年11月20日(土)10時~12時 場 所:港南台タウンカフェ(集合)→松ケ崎古墳→ふじやま公園 案内ガイド:寺田宏子さん(歴史に学ぶ港南台の会) 特別ガイド:馬場久雄先生(港南歴史協議会会長) *「松ヶ崎古墳」については、下記のペ-ジをご覧下さい。 松ヶ崎横穴古墳群の現状 ☆平成22年度第2回「こうなんの歴史講座」を開催しました。 テ-マ:「日下小学校資料館見学と日下・打越地域の歴史散策」 日 時:平成22年9月18日(土)10時~12時 場 所:日下小学校 資料会(集合)→成就院(笹下城跡)→東福寺→笹下中央公園(北見掃部の墓)→川島の取水堰→久良岐郡役場跡 案内ガイド:北見繁男さん(日下小学校資料館長)他楽遊クラブの皆さん 3.写 真 展 ☆ (第6回)こうなんの昔 写真展を行いました。 ◇ 日 時:平成23年6月7日(火)~6月26日(日) ◇ 会 場:港南図書館2階会議室入口壁面 今回は区民の方々から寄せられました区内各地が開発される以前の貴重な景観写真の中より、10枚を掲載致しました。 ☆ (第5回)こうなんの昔 写真展を行いました。 ◇ 日 時:平成23年2月22日(火)~3月21日(月) ◇ 会 場:港南図書館2階会議室入口壁面 今回も、港南区内で明治時代に開校をした日野・永野・日下・桜岡の4小学校保管写真中より、区内各地域の写真10枚を掲載致しました。 ☆ (第4回)こうなんの昔 写真展を行っています。 ◇ 日 時:11月16日(火)~12月20日(月) ◇ 会 場:港南図書館2階会議室入口壁面 今回も、港南区内で明治時代に開校をした日野・永野・日下・桜岡の4小学校保管写真中より、区内各地域の写真10枚を掲載致しました。 ☆ (第3回)こうなんの昔 写真展を行いました。 ◇ 日 時:平成22年8月17日(火)~9月20日(月) ◇ 会 場:港南図書館2階会議室入口壁面 今回も、港南区内で明治時代に開校をした日野・永野・日下・桜岡の4小学校保管写真中より、区内各地域の写真10枚を掲載致しました。 ☆ こうなんの昔 写真展を行っています ◇ 日 時:平成22年5月7日(金)~5月31日(月) ◇ 会 場:港南図書館2階会議室入口壁面 昭和30年代の「港南区内の景観写真」を中心に10枚掲載致しました。 ☆「港南の昔、写真展」を行いました。 期 間:平成21年10月19日(月)~11月23日(月) 港南区作成「港南区誕生後の歴史」でした。 期 間 平成21年9月24日(木)~10月18日(日) 区内小学校の古写真の中から10点を選んでの写真展でした。 4.学校支援 ☆ 永谷小学校創立36周年記念式典に応援参加しました。 ◇ 日 時:平成23年5月2日(月)午前9時から9時30分 ・永谷天神囃子:午前9時~9時15分 昔は、この地域周辺は永谷天満宮の氏子で、毎年お正月には永谷天神囃子が各世帯を回っていました。この地に伝わる伝統郷土芸能を目の当たりにした大変楽しい一時でした。 ・永谷の昔、景観写真スライドショ-:午前9時15分~9時30分 今から40年前の永谷小学校建設予定地付近の下永谷周辺の景観写真です。 現在では、正面を環状2号線も通って、住宅地化してしまい、この里山の景観も懐かしい想いでになりました。 ☆上大岡小学校の郷土史授業をお手伝いいたしました 日 時:平成22年2月9日(火)午後1時30分~3時30分 場 所:上大岡小学校図書室 対 象:上大岡小学校 6年1組の皆さん 講 師:港南歴史協議会有志5名 上大岡小学校6年生の皆さんが上大岡の郷土史を調査する中で生まれた疑問について、5つのグル-プに分かれてお応えを致しました。 生徒の皆さんは街の中で見る事の出来る郷土の歴史の痕跡の中に、数多くの疑問点を探し出しておりました。参加した私達も身近な郷土史を改めて学ぶ機会を教えられました。 5.地域支援 ☆ 金井町内会で郷土史出前講座を開催いたしました。 ◇ 日 時:平成23年4月30日(土)午後1時30分~3時30分 ◇ 会 場:金井町内会館 ◇ プログラム:・わが郷土 日野の歴史 : 遠 藤 吉 隆 さん ・永谷天神囃子(動画):野 沢 耕 治 さん ☆ 大多良稲荷講が行われました。 ・日 時:平成23年2月6日(日)午前11時 ・場 所:日野南二丁目六番地 大多良稲荷の位置 .pdf ・由 緒:下記の日野第2町内会「郷土のしおり」(昭和51年3月刊)をご覧下さい。 大多良稲荷講チラシ改 .pdf 日野の大多良地域に昔から伝わるお稲荷さんです。この場所は昭和38年頃金井住宅地として、宅地造成がされました。その際に、当時の金井地域の人達が、僅かの土地(約5坪)を確保し、それ以降も毎年、正月には幟旗を立て、2月の初稲荷(初うま)の際もお祭りを継続して参りました。 今年は、2月の第一日曜日2月6日(日)、午前11時より春日神社より松本宮司を迎えて、神事を行いました。 日野地域の氏神様:春日神社に対して、永年の間「大多良稲荷」には氏子会の人達は、何か事ある毎にお参りをして、見守って頂いている金井地域の人達にとっての産土の神様です。 大多良稲荷タウンニュ-ス .pdf ☆ こうなんの昔スライドショーを行っています。 ◇ 日 時:平成22年4月21日(水)2時30分~3時30分 5月11日(火)2時30分~3時30分 6月 6日(日)2時30分~3時30分 ◇ 会 場:港南中央ケアプラザ ○地域ケアプラザ:デーサービスでの反響: ・高齢者の皆さんに大変好評です。 ・高齢者の皆さんが自分達の昔を思い出し、脳の活性化になります。 ・参加者同士で、会話が弾みます。お互いを知る機会作りになります。 ・新しい発見・出会いももあります。 (96歳の老人が林大学頭の「書」を持参されました。 その人のお婆さんが笹下の丘から黒船を見ていたとの事です。) ☆ 日下楽遊クラブの皆さんと交流会を行いました ◇ 日 時:平成22年5月18日(火)13時~15時 ◇ 会 場:日下地域ケアプラザ ◇ プログラム:・港南の景観スライドショー:45分 ・長谷川敏雄:「横浜・横須賀との狭間に揺れた笹下の歴史秘話」:1時間15分 -「関の栄枯盛衰」 -「刑務所と海軍との関係」 鉄道黎明期に於ける街道筋栄枯盛衰の話! ○地域出張・出前型スライドショー、郷土史講座の反響 ・地域出張型は、地域情報を得る為に効果的です。 ・港南区へ新たに居住された方々も、昔の写真を見ることにより、「こうなんの昔」へ関心が生まれます。 ☆ 日野住宅地自治会で郷土史出前講座を開催いたしました。 ◇ 日 時:平成22年4月25日(日)13時30分~16時 ◇ 会 場:日野住宅地自治会館 ◇ プログラム:・日野小学校を中心とした保管古写真のスライドショ-:1時間 ・東海道線は鎌倉街道を通る計画だった:長谷川 敏雄さん:約45分 ・港南区内の武相国境について:亀野 哲也さん:約30分 詳しくは、下記の亀野さんのHPをご覧下さい。 日野住宅自治会館で出張講座 ☆小学校古写真を活用してのスライドショ- 日 時 平成21年7月3日午後2時30分~3時30分 会 場 東永谷ケアプラザ 昔の「街の景観」写真が投影される毎に、ご自分の若かりし頃を思い出し、古の記憶が蘇り、昔を懐かしみ大変に喜んで頂きました。 これからも、港南区民協議会の皆さんと連携をして、各地域のシルバ-会や地域ケアプラザのご要望に合わせて、各地域の相応しい「古写真のスライドショ-」を行ってまいります。 6.出版活動 ☆「こうなんの歴史アルバム」を発売しました。 明治時代に開校した港南区内の4小学校(日野、永野、日下、桜岡)に保管されていた古写真を元に、港南区内の歴史秘話を盛り込んだ「こうなんの歴史アルバム」を発行しました。 お蔭様で完売をいたしました。有難うございました。 横濱No30Book Review .pdf 神奈川新聞こうなんの歴史アルバム.pdf 郷土史座談会 当日の模様は、下記の亀野さんのHPブログをご覧下さい。 歴史アルバム発行に向けて 7.調査・保存活動 ☆ 松ヶ崎古墳の調査を行いました。 ◇ 日 時:平成23年1月24日(月)9時30分~11時30分 ◇ 会 場:旧港南台高校南面崖下 (港南台9丁目,栄区若竹町隣接地) 埋蔵文化財センタ-の方々のご指導の下に「港南の歴史」記載の松ヶ崎古墳(南面横穴墓)に加えて、その後多くの方々から、西面にに存在をする横穴墓について、ご指摘を頂き、現況確認調査を行いました。 確かに、南面の他、西面にも横穴墓を確認致しました。 今後は、横穴墓の表記の頭に「南面」「西面」を付け、「南面1号墓」「西面2号墓」の様な呼称と致します。 今回確認できましたのは、西面4号墓、西面5号墓、南面1号墓、南面2号墓、南面5号墓でした。 当日の詳細報告は下記の亀野さんのHPブログをご覧下さい。 松ヶ崎古墳現地調査 松ヶ崎古墳について、詳しくは下記の亀野さんのHPブログをご覧下さい。 松ヶ崎横穴古墳群の現状 更に詳しい報告は、下記の亀野さんのHPブログをご覧下さい。 松ヶ崎横穴古墳群への私見 ☆横浜市地域文化財登録候補の推薦 ☆丸山台自治会所有の「横浜道の堅牢地神塔(道標)」が今年度の「横浜市地域文化財」に登録されました 平成21年度横浜市文化財指定・登録 明治4年に建立された横浜道の道標です。 左側は既に横浜市地域有形民俗文化財に登録されている「旧馬洗橋庚申塔道標石碑」です。今回で、丸山台自治会館の敷地内で保管されている石碑では2件目になります。 堅牢地神塔 丸山台のふるさと → 丸山台の石碑 → 堅牢地神塔 ☆ 港南歴史協議会は平成21年度の「横浜市地域文化財登録候補」として次の2件を推薦致しました。 1. 丸山台自治会所有の「横浜道の堅牢地神塔(道標)」 横浜道堅牢地神塔の保管.pdf 横浜市地域文化財登録候補推薦書横浜道の堅牢地神塔.pdf 堅牢地神塔 丸山台のふるさと → 丸山台の石碑 → 堅牢地神塔 2.「歴史に学ぶ港南台の会」から推薦、旧港南台高校の敷地内にある「松ケ崎古墳」 横浜市地域文化財登録候補推薦書松ヶ崎古墳.pdf 現在の松ケ崎古墳です。 8.そ の 他 ☆「埋蔵文化財展-地面の下にはナニかある」を開催しました。 -港南・南区の遺跡展- ○ 日 時:平成23年7月15日(金)~7月26日(火)午前10時~午後7時 ○ 会 場:港南区民文化センタ-「ひまわりの郷」ギャラリ-(ウイング上大岡4階) ○ 主 催:横浜市ふるさと歴史財団埋蔵文化財センタ- ○ 共 催:横浜市教育委員会 ○ 後 援:港南区役所・南区役所 ○ 協 力:神奈川県埋蔵文化財センタ-、NPO法人港南歴史協議会 ○ 入場 無 料 詳しくは、下記の亀野さんのブログをご覧下さい。 地面の下にナニかある 地面の下にナニかある-港南・南区の遺跡展 ☆ もう一つの「横浜刑務所南方派遣殉難者慰霊碑」を参拝いたしました。 日 時 平成22年7月1日 こうなんの歴史の中で、一般公開の陰に隠れた歴史として、横浜刑務所関係者が第2次大戦中にサイパン(テニアン)島やトラック島へ空港建設等に派遣され、戦火の中で亡くなられた記録がありました。 横浜刑務所の中にある2つの「顕彰碑」の他に日野公園墓地の中にもう一つの「横浜刑務所南方派遣殉難者慰霊碑」がある事を知り、参拝を致しました。 詳しくは、下記の亀野さんのHPをご覧下さい。 横浜刑務所南方派遣殉難者慰霊碑 横浜刑務所とテニアン北飛行場 この間の経緯については、下記の北海道新聞にも掲載されています。 合わせて、是非 ご覧下さい。 テニアン 平和の島を求めて 第2次世界大戦中に私達の身近で起こった歴史秘話(悲話)です。 ☆ 永野土曜塾の活動が表彰を受けました 永野土曜塾の活動-児童へ郷土の歴史・文化を伝達する体験学習の場の設営-が、日本生命財団より「生き生きシニア地域貢献活動」として、表彰を受けました。
https://w.atwiki.jp/konanrekishi/pages/25.html
中世の港南区 鎌倉に近い港南区には中世の歴史の痕跡が沢山残されています。 港南区の中世の歴史について、遠藤吉隆さんのまとめを下記に掲載いたします。 港南区の歴史中世.pdf 馬を洗った尼将軍 (上永谷) 首塚の亡霊 (下永谷) 野庭の「関城」と周辺 (上大岡・野庭) 貞昌院 経塚山の太子堂と東福寺 (笹下) 港南区の生い立ち 浄念寺の咳止め玄入坊 (野庭) 永野郷土誌 永谷天神と菅秀才 (上永谷) 永谷に住んだ宅間の殿様(上永谷) 武蔵・相模の国の古道 東樹院の文福茶釜 (笹下) 春日神社のおこり (日野) 日野にあった「風魔の里」(日野) 新田義貞の刀剣塚(日野・下永谷) 幕府隠密の村、松本 (港南) 塚の古址 (野庭) 和田義盛の関所跡(最戸) 十里木と政所 (野庭) 区内武相国境の詳細位置 北条実時とうなぎの井戸 (笹下) 勘九郎地蔵 (大久保) 元屋敷の「みどり姫」 (大久保) たたらの火とヤマトタケル (日野) さわげ婆 (日野) いわれのある橋と日野八景(日野・港南台) <タグに 中世 >を入力したページを新規に作成すると、ここに自動的にリストアップされます。
https://w.atwiki.jp/konanrekishi/pages/59.html
たたらの火とヤマトタケル (日野) 皆さんは、武相国境の話を聞いたことがありますか。武蔵の国と相模の国の境が、この港南区のまんなかを通っていたのですって。 横浜全区の中でも、国境が区の中にあったのは、港南区だけとのこと、びっくりしますね。 そして、この国境の道は、「たたら師」(鉄を作る人)の通った道でもあるといわれています。この道すじには、金の字のつく地名、鍛冶屋という屋号をもつ家、先祖が金物師だという家がとても多いのです。 その理由を、むかしむかしにタイムスリップして考えてみましょう。 むかし、西の方の大和という国にいた王族が、東の国を征服しようとくわだてて、その中の一人ヤマトタケルが、大ぜいの兵士をひきつれて、東へ東へとむかってきました。 この軍が通る道すじを治めるために、兵士以外にも、武器をつくる人や、食べ物を用意する人をつれてきました。 ちょうどいまの港南あたりに、ヤマトタケルがさしかかった時、急に天気が悪くなり、まっ黒な雲と稲妻、そしてゴロゴロと雷が鳴り、いくつもの雷が落ちました。 ヤマトタケルは、そうしたことで、この辺の地層がわかったのです。 どうわかったかというと、港南区、特にいまの港南区役所の近くには、「雷」という地名があったくらい雷が落ちやすいのです。そうした場所には厚い砂鉄の層があり、日野川にも砂鉄が、赤く川底に沈んでいたといわれています。そして、この砂鉄を使って、仕事をする人も住んでいました。 ヤマトタケルは、こうした鉄の文化を伝える役割もはたしていたのでした。 武相国境をはさんで、この辺には、金井、大たら、栄区側の鍛冶ケ谷、戸塚区の金井、金沢区の釜利谷、かねくそ沢、等にも金のつく地名が残されています。 ヤマトタケルの軍団は、三浦半島に出て、舟にのって、房総の金谷へ渡ったとされていますが、港南の昔の人たちは、日野を通って、三浦へぬけたと考えています。 武相国境には、たくさんの横穴墓があり、人骨や、さびた刀剣が掘り出されているのも、こうしたことを、裏づけるものといえます。またヤマトタケルをまつった神社もあります。日野川の下流から円海山のあたりに、夜、「たたらの火」が、あかあかと、あちらこちらで燃えていたなんて、歴史のロマンを感じますね。
https://w.atwiki.jp/konanrekishi/pages/181.html
武相国境は港南区を南北に縦断していました。 現在の位置、港南区内を通る「昔の街道(かまくら道、金沢道)」との関係も示しています。 港南区内の街道地図 文書2.pdf
https://w.atwiki.jp/konanrekishi/pages/24.html
古代の港南区エリア 港南区の古代の歴史について、遠藤吉隆さんのまとめを下記に掲載いたします。 港南区の歴史古代.pdf 貞昌院 永野郷土誌 武蔵・相模の国の古道 区内武相国境の詳細位置 雑色杉本遺跡.pdf 縄文・弥生時代の港南台地域の遺跡発掘の記録は、下記のペ-ジをご覧下さい。 緊縮財政に呑まれる埋蔵文化財 *「松ヶ崎古墳」については、下記のペ-ジをご覧下さい。 松ヶ崎横穴古墳群の現状 <タグに 古代 >を入力したページを新規に作成すると、ここに自動的にリストアップされます。
https://w.atwiki.jp/konanrekishi/pages/103.html
たたらの火とヤマトタケル (日野) bgsound(tatara.wma) 皆さんは、武相国境の話を聞いたことがありますか。武蔵の国と相模の国の境が、この港南区のまんなかを通っていたのですって。横浜全区の中でも、国境が区の中にあったのは、港南区だけとのこと、びっくりしますね。 そして、この国境の道は、「たたら師」(鉄を作る人)の通った道でもあるといわれています。この道すじには、金の字のつく地名、鍛冶屋という屋号をもつ家、先祖が金物師だという家がとても多いのです。その理由を、むかしむかしにタイムスリップして考えてみましょう。 むかし、西の方の大和という国にいた王族が、東の国を征服しようとくわだてて、その中の一人ヤマトタケルが、大ぜいの兵士をひきつれて、東へ東へとむかってきました。 この軍が通る道すじを治めるために、兵士以外にも、武器をつくる人や、食べ物を用意する人をつれてきました。 ちょうどいまの港南あたりに、ヤマトタケルがさしかかった時、急に天気が悪くなり、まっ黒な雲と稲妻、そしてゴロゴロと雷が鳴り、いくつもの雷が落ちました。 ヤマトタケルは、そうしたことで、この辺の地層がわかったのです。どうわかったかというと、港南区、特にいまの港南区役所の近くには、「雷」という地名があったくらい雷が落ちやすいのです。そうした場所には厚い砂鉄の層があり、日野川にも砂鉄が、赤く川底に沈んでいたといわれています。そして、この砂鉄を使って、仕事をする人も住んでいました。ヤマトタケルは、こうした鉄の文化を伝える役割もはたしていたのでした。 武相国境をはさんで、この辺には、金井、大たら、栄区側の鍛冶ケ谷、戸塚区の金井、金沢区の釜利谷、かねくそ沢、等にも金のつく地名が残されています。 ヤマトタケルの軍団は、三浦半島に出て、舟にのって、房総の金谷へ渡ったとされていますが、港南の昔の人たちは、日野を通って、三浦へぬけたと考えています。 武相国境には、たくさんの横穴墓があり、人骨や、さびた刀剣が掘り出されているのも、こうしたことを、裏づけるものといえます。またヤマトタケルをまつった神社もあります。日野川の下流から円海山のあたりに、夜、「たたらの火」が、あかあかと、あちらこちらで燃えていたなんて、歴史のロマンを感じますね。
https://w.atwiki.jp/konanrekishi/pages/286.html
・こうなんの石造物の数 ・「港南の歴史」:460基、内 石仏:285基 ・「ふるさと港南の石仏たち」:278基、内 石仏:205基(60%が武蔵国)
https://w.atwiki.jp/konanrekishi/pages/28.html
戦前の港南区エリア 関東大震災により、横浜中心部は大被害を受けました。 昭和2年に久良岐郡日下村(日野と笹下)と大岡川村が横浜市へ編入され、区制が施工され中区に編入しました。 昭和5年に湘南電気鉄道(現在の京浜急行電鉄)が「黄金町・浦賀間」が開通した際に上大岡駅が開設されました。 昭和11年に関東大震災で破壊をした横浜刑務所が根岸から、現在地の笹下に移転をしてきました。(刑務所の移転は関東大震災以前より計画が進められており、当時としては近代的な大規模刑務所が誕生いたしました。) 第2次世界大戦中は この横浜刑務所に米軍捕虜が収容されていた為に上大岡から日野に至る港南区地域一帯は米軍の爆撃から逃れる事が出来ました。 現在の港南区地域一帯は日本海軍の横須賀軍港の要塞地域なっていました。従って、戦時中の写真等の記録は殆ど残っておりません。 長谷川敏雄さん作 笹下は要塞地帯だった .pdf タウンニュ-ス(10.08.05.) 地図から消えた笹下 YD00263d.pdf 戦争中の この地域の様子については下記のページをご覧下さい。 松根油と戦時中の永谷 港南区の炭鉱と戦争の影 太平洋戦争空襲~終戦の日 鎮魂の句碑 (笹下) 港南区の歴史 永野小学校0024(昭和12年修学旅行の際の記念写真) 永野小学校0023(昭和11年の運動会の際の写真) 永野小学校0022(昭和11年入学式の記念写真) 永野小学校0020(昭和7年健康優良児童表彰式の際の記念写真) 桜岡小学校0070(大久保地域の歴史1) 桜岡小学校0061(上大岡地域の歴史) 桜岡小学校0060(上大岡地域の歴史) 桜岡小学校0050(上大岡地域の歴史) 桜岡小学校0040(上大岡駅の歴史1) 桜岡小学校0022(桜岡小学校の歴史3-3) 桜岡小学校0021(桜岡小学校の歴史3-2) 桜岡小学校0020(桜岡小学校の歴史3-1) 桜岡小学校0012(桜岡小学校の歴史2) 桜岡小学校0011(桜岡小学校の歴史1-1) 桜岡小学校0010(桜岡小学校の歴史1) 日野小学校00042(昭和時代の木造校舎の玄関) 日野小学校00031(日下村が横浜市中区へ編入された際の祝賀式の写真) 日野小学校0003(昭和時代の木造・2階建て校舎の上棟式の写真) 日下小学校005-1(金沢道(笹下・釜利谷街道)の様子) 日下小学校002(昭和8年の体操の様子) 日下小学校001-2(昭和4年の校舎) 日下小学校001-1(昭和4年の校舎) <タグに 戦前 >を入力したページを新規に作成すると、ここに自動的にリストアップされます。