約 28,521 件
https://w.atwiki.jp/hmiku/pages/36905.html
くやしいのうあさひしんぶん【登録タグ く ほぼ日P 初音ミク 曲 結月ゆかり】 作詞:ほぼ日P 作曲:ほぼ日P 編曲:ほぼ日P 唄:初音ミク、結月ゆかり 曲紹介 選挙結果はどうやら間違っているらしいので曲にしてみました。 朝日新聞の世論調査の結果に従った選挙結果が出ていないのは秘密結社ムサシによる選挙不正のせいらしいですよ、奥さん。 目の前の世界が自分の認識と違う理由を世界の側に求めるようになったらそろそろお薬が必要になるんじゃないでしょうか。 (動画説明文より) 第391曲目『くやしいのう くやしいのう』のセルフカバー。というかほぼ使い回しであるがほぼ違和感がないのは題材ゆえか。 2017年衆議院総選挙後の朝日新聞の論説をネタにした曲。 歌詞 (動画より書き起こし) (※)くやしいのう くやしいのう くやしいのう くやしいのう くやしいのう くやしいのう くやしいのう 本当にくやしいのう ×2 「権力ゲーム」に勝ったとはいえ 民意とはズレがある へぇどこに? 「首相を続けてほしくない」人が51%もいる はぁ 自民だけが強い国会は「よくない」が73% そんなにか? 政権のおごりと緩みを正せ 今こそ多様な民意に目を向けよ (※)繰り返し 民主主義で選挙に勝ったことは フリーハンド意味しない そりゃそうだ 憲法と国会ないがしろにした 政争の果てに得た代物 はぁ 憲法論議に先立つべきは モリカケの真相究明 またそれか 「丁寧な説明」果たされてない 勝ったらリセットは問屋が卸さない (※)繰り返し 権力の横暴と陰謀論 戦争のできる普通の国 聞こえてくるファシズムの足音 全体主義へと引かれたレール 政府の圧力と治安維持 あからさまな言論弾圧 権力者への過剰な忖度 どうなってる? 責任者出て来い 自説に有利な誘導尋問で 結果の印象操作 どうやって? 前置きや極端な結果示し 「やっぱりそう思いますよね?」 はぁ バンドワゴン効果狙って立憲の大躍進喧伝 してやったり 自民の固定票削り取るはずが なぜか希望からの地滑り的乗り換え (※)繰り返し 政権の支持率下がったときは「解散で民意を問え!」 機を逃すな 狙いすました解散には「600億かける意味があるのか?」 はぁ 有権者が一票投じる選挙こそまさに「民意」そのもの そうでもない 大金かけた結果を前にして毀損するなんて まるでフェイクニュース (※)繰り返し 権力の横暴と陰謀論 戦争のできる普通の国 聞こえてくるファシズムの足音 全体主義へと引かれたレール 政府の圧力と治安維持 あからさまな言論弾圧 権力者への過剰な忖度 どうなってる? 責任者出て来い (※)繰り返し くやしいのう コメント 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/kbt16s/pages/257.html
「法の支配」が「立法者の支配」と化するとき、少なくとも原則として、人類史上先例のない「法の名において」の圧制への道が開かれる。 ~ G.サルトーリ(アメリカの政治学者) 『デモクラシーの理論』(1965年) 通常は「民主主義」と翻訳されるデモクラシー(democracy)の真実を考察するページ <目次> ■1.デモクラシーとは何か◆藤井厳喜(国際政治学者)WEBサイト 第01講「デモクラシーとは何だろう?」 ◆辞書による説明 ◆自由主義思想家による説明 ■2.政体分類と政体変遷論◆古代ギリシャ・ローマの政体論 ◆政体変遷の実例 ■3.立憲政体(“法の支配”の下にある混合政体)の確立◆混合政体の実例 ◆古代ローマの混合政体 ◆イギリスの立憲君主制の確立(権威と権力の分離型) ◆アメリカ合衆国の立憲政体の確立(厳格な三権分立型) ◆なぜ混合政体が安定するのか? ■4.立憲政体の普及◆欧州諸国における混乱~立憲政体確立までの経緯 ◆権威と権力の分離の伝統が確立していた日本 ◆日本の立憲政体の確立(五箇条ご誓文~明治憲法制定) ■5.大衆デモクラシーの発展と脅威◆真正デモクラシーと衆愚政治(モボクラシー)の比較 ◆無制限デモクラシーは全体主義に至る ◆なぜ我々は騙されるのか? ◆「国民主権」の誤用:「誰が支配するか」ではなく「いかに専制を防ぐか」 ■6.真正デモクラシーでは権力は“法の支配”の下にある◆真の憲法(国憲、国体)とは何か ◆真の憲法(国憲・国体)の再叙述=自主憲法制定 ■7.参考図書 ■8.ご意見、情報提供 ■1.デモクラシーとは何か ◆藤井厳喜(国際政治学者)WEBサイト 第01講「デモクラシーとは何だろう?」 http //www.nicovideo.jp/watch/sm9721169 藤井厳喜アカデミー【国民の為の政治学】第01講「デモクラシーとは何だろう?」(平成22年2月12日) (コメントを消す場合は、画面にカーソルを当て右隅のマークをクリックしてください。) http //www.nicovideo.jp/watch/sm9721520 藤井厳喜アカデミー【国民の為の政治学】第01講「デモクラシーとは何だろう?」特別補足篇 (コメントを消す場合は、画面にカーソルを当て右隅のマークをクリックしてください。) ◆辞書による説明 (1) ブリタニカ・コンサイス百科事典(democracyの項)より全文翻訳 最高権力が一般民衆(the people)に帰属しており、彼らが、 1 直接的に、または、 2 通常は定期的な自由選挙に係る代議制度を通して間接的に、最高権力を行使する政治形態(form of government)。 直接民主政体(direct democracy)においては、公衆(the public)は政治に直接参加する(例として、①古代ギリシャの幾つかの都市国家、②ニュー・イングランドの幾つかのタウン・ミーティング、③近代スイスのカントン)。 今日の殆どのデモクラシーは代議制である。代議制民主政体(representative democrasy)は、欧州中世期から啓蒙期を通して発展した理念と制度によって、そしてアメリカとフランスの革命において大きく興起した。 デモクラシーは今日では、①普通選挙、②公職を巡る競争、③言論と出版の自由、④法の支配、を当然に含意するものとなっている。 デモクラシー(民主政体) 1 直接デモクラシー 古代ギリシャの幾つかの都市国家(アテネなど)、スイスのカントン(小郡) の2つの形態 2 間接デモクラシー(代議制デモクラシー) 近代以降の殆どの国民国家(nation state)で採用されているデモクラシー (2) オックスフォード英語事典(democracyの項)より抜粋翻訳 ・全人口集団または一国家の全有資格者による政体(a system of government:政治形態)であって、典型的には選出された代議員を通して行われる。 語源(ギリシャ語) democratia ← demos(=the people:一般民衆) + -cratia(=power, rule 権力、支配)⇒「一般民衆による権力、支配」 (3) コウビルド英語事典(democracyの項)より全文翻訳 1 ・デモクラシー(democracy)とは、人々(people)が投票によって自身の支配者を選出する政体(a system of government)である。 2 ・デモクラシー(a democracy)とは、一般民衆(the people)が投票によって自身の政府を選出する国家(a country)である。 3 ・デモクラシー(democracy)とは、組織や企業やグループを運営する制度(a system)であって、各々のメンバーは投票と諸決定への参加の資格が付与されている。 ◆自由主義思想家による説明 (1) J.F.スティーブン(英国コモン・ロー学者、王座裁判所判事)『自由、平等、友愛』(1873) 「我々は、支配者を打倒する代わりに、頭数を数えることで力を試すことに同意している。…勝利を得るのは、最も賢明な人々の側ではなく、当分の間、優越的な力(疑いもなく、叡智がその中の一要素である)を、最大多数の積極的共感を支持に取り付ける事によって示す側にある。少数派は譲歩するが、それは、間違っていると確信するからではなく、少数派だと確信するからである。」 (2) K.R.ポパー(オーストリア出身でナチス支配期に英国に帰化した科学哲学者)『開かれた社会とその敵』(1945) 「・・・というのは二つの主要なタイプの政府が区別されるかも知れないからである 1 第一のタイプは、血を流すことなく-例えば総選挙によって-排除することの出来る政府から成る。即ち①社会制度は統治者が被統治者によって追い払われる手段を提供し、②社会的伝統はこれらの制度が権力を握っている人々によって容易に破棄されないことを保証する。 2 第二のタイプは、被統治者が革命の成功による以外-即ち大抵の場合、全く-排除することの出来ない政府から成る。 私は「民主政体(democracy)」という用語を第一のタイプの政府、また「専制政体(autocracy)」や「独裁政体(tyranny)」という用語を第二のタイプに対する速記表現として提案する。これは伝統的な語法に一致すると思われる。」 (3) L.ミーゼス(オーストリア出身でナチス支配期にアメリカに帰化した経済学者)『人間行為論』(1949) 「国内の平和のために、自由主義は民主政体的政府(democratic government)を目指す。それゆえ、民主政体(democracy)は革命的制度ではない。それどころか、それは革命や内乱を防ぐまさしく手段なのである。民主政体(democracy)は、政治を多数者の意思に平和的に適合させるための手段を提供する。」 (4) F.A.ハイエク(オーストリア出身でナチス支配期にイギリスに帰化した経済学者・法哲学者・政治思想家)『法と立法と自由(第3巻):自由人の政治的秩序』(1979) 「政治的理想を表現する大部分の用語の宿命であると思われるが、「デモクラシー」はその用語の本来の意味とはほとんど関係のない様々な事柄を記述するために使われてきたし、今でも、実際に意味されるものが「平等(equality)」であるところで、しばしば使われている。 1 厳密に言えば、それは、政府の裁決を決定するための方法、ないしは手続きに関係するのであって 2 政府の何らかの実質的な善、あるいは狙い(例えば一種の物質的平等)に関係するものでも、非政府組織(例えば教育・医療・軍事あるいは商業に関する組織)に合理的に適用できる方法でもない。これらの誤用はいずれも「デモクラシー」という言葉からあらゆる明確な意味を奪っている。」 「デモクラシーは、専制支配(autocracy)から我々を保護する唯一のもの(例え、その現行形態においては確かなものでないにしても)であるために、固守するに値する理想である、ということである。」「今までに発見された平和的な政権交代の唯一の方法として、それは消極的な価値ではあるが、最高の価値の一つである。それは疫病に対する予防策に匹敵する。」 (5) J.A.シュンペーター(オーストリア出身でナチス支配期にアメリカに帰化した経済学者、但し自由主義より社会主義的傾向が強い)『資本主義、社会主義、デモクラシー』(1942) 「デモクラシーは一つの政治的な方法である。即ちデモクラシーは、政治的-立法的・行政的な-決定に到達するためのある型の制度的装置であって、従って、一定の歴史的条件下で、それが生み出すどんな結果にも関係なく、それ自体では目的となり得ないものである。」 ■2.政体分類と政体変遷論 ◆古代ギリシャ・ローマの政体論 古代ギリシャ/ローマ世界において、プラトン/アリストテレス/ポリュビオスといった哲人・歴史家が様々な政体の分類と変転原因を研究しています。 (1)支配者の数、と、(2)統治の状態(良好か堕落しているか)の2つの基準に着目した彼らの分類は、近代以降の各国の政体変動の分析にも大いに参考になります。 ただし後述のように、これらの分類には、近代の国民国家が革命・内乱・戦争の末にようやく確立した(3)「権威と権力の分離」や「権力分立」という政体安定化のための重要要素の観点が欠落していることに留意して下さい。 支配者の数 一人 少数 構成員全員 良好な形態 ①君主政体(monarchy) ②貴族政体(aristocracy) ③民主政体(democracy) 堕落した形態 ⑥僭主政体(tyranny) ⑤寡頭政体(oligarchy) ④衆愚政体(mobocracy) ※僭主(せんしゅ)とは、武力や大衆扇動などの非合法的な手段で支配者に成り上がった者をいい、統治の正統性を持つ君主と区別されます。 これらの政体間の変遷について様々な順序が考えられました。 例えば、プラトンは『国家』において、①完全国家(君主政体)⇒②名誉政体(貴族政体)⇒⑤寡頭政体(富裕層の支配)⇒③民主政体(自由すなわち無法の支配)⇒⑥僭主政体 …という順序で国家は一直線に堕落していくと考えました。 また、ポリュビオスは『歴史』において、①君主政体⇒⑥世襲により僭主政体に堕落⇒②貴族政体⇒⑤寡頭政体に堕落⇒③民主政体⇒④衆愚政体に堕落⇒再度①君主政体に戻る ・・・という順序で政体が循環すると考えました(政体循環論)。 こうした古代ギリシャ及びローマ世界の実経験に学んだ哲人・歴史家たちの研究は、以下のようにまとめられ、この認識が近代に至るまで長く統治者や知識人にとって政治に関する常識とされました。 (1) 良臣や賢者に支えられて理想の名君が統治する①君主政体が最良の政体(政治形態)である。 (2) 無知・無責任・強欲な貧民が大勢を占める一般民衆が政治を取り仕切る③民主政体は早晩、④衆愚政治に堕落する。 (3) ④衆愚政治の混乱の中から、大衆扇動に長けた人物が出て権力を奪取し、最悪の⑥僭主政体が出現する。 ◆政体変遷の実例 上記の古代ギリシャ・ローマの政体分類と政体変遷論を実例に当て嵌めて考察します。 国家 ①君主政体(monarchy) ③民主政体(democracy) ④衆愚政体(mobocracy) ⑥僭主政体(tyranny) その後 (1) 古代アテネ 王国 共和国 ペロポネソス戦争敗戦後三十僭主制 民主政体回復するも弱体化→マケドニア王国に服属 (2) 古代ローマ 王国 共和国 第一回三頭政治→カエサル(シーザー)独裁→第二回三頭政治 オクタヴィアヌスの統一→元首制を採用した安定的な帝政へ (3) 17世紀イギリス 王国(前期スチュワート朝) 長期議会の支配(名目上は王国) 共和国(残部議会) 共和国(護国卿O.クロムウェル独裁) クロムウェル死後息子R.クロムウェルが後継するも無能のため無政府状態に陥る→王政復古(後期スチュワート朝)→名誉革命(立憲君主政体確立) (4) 18世紀フランス 王国(前期ブルボン朝) 国民議会の支配(名目上は王国) 第一共和政(国民公会の支配→ジャコバン独裁→総裁政府) ナポレオン独裁(統領政府→第一帝政へ) ナポレオン戦争で敗北→王政復古(後期ブルボン朝)→七月王政(オルレアン朝) (5) 19世紀フランス 王国(オルレアン朝) 第二共和政 ルイ・ナポレオン独裁(共和国大統領→第二帝政へ) 普仏戦争で敗北→第三共和政でようやく安定 (6) 20世紀ドイツ 第二帝国 ワイマール共和国 ナチス独裁(第三帝国) 第二次大戦で敗北→西側のみ連邦共和国となり安定 (7) 20世紀ロシア 帝国(ロマノフ朝) 臨時政府(ケレンスキー首班) ソヴィエト社会主義共和国連邦(ソ連)…共産党一党独裁(レーニン→スターリン) 第二次大戦で勢力拡大→国内の圧政と長期の米ソ冷戦で疲弊→解体 (8) 20世紀中国 帝国(清朝) 中華民国…袁世凱独裁→軍閥割拠→蒋介石(国民党政府)独裁→国共内戦 中華人民共和国…共産党一党独裁(毛沢東→鄧小平) 共産党独裁は現在も継続 ■3.立憲政体(“法の支配”の下にある混合政体)の確立 上記の政体分類のうち良好な形態である、①君主政体、②貴族政体、③民主政体、の3つの各々の長所を組み合わせることにより、安定的で有能な政体が生まれることが、次第に経験的に認識されるようになりました。(混合政体mixed government) こうした混合政体では、各機関の権力の妥当する範囲や相互関係を調整するための合意が、慣習あるいは成文として明示され、各機関がそれを遵守することによって政体の安定性が担保されます。 分立された各機関の権力が、不文あるいは成文の国憲に拘束され、相互に抑制することにより権力の独占や濫用が防止される政体を立憲政体(constitutional government)といいます。 ◆混合政体の実例 国家 ①君主政体の要素 ②貴族政体の要素 ③民主政体の要素 (1) 古代ローマ(共和政) ①´コンスル(執政官) ②´元老院 ③´平民会・・・護民官を選任 (2) 古代ローマ(帝政) ①皇帝 ②´元老院(名目的) ③´平民会(名目的)・・・護民官(名目的)を選任 (3) イギリス ①国王 ②貴族院(上院) ③庶民院(下院)・・・首相を事実上選任 (4) アメリカ ①´大統領 ②´元老院(上院) ③代議院(下院) (5) フランス ①´大統領 ②´元老院(上院) ③国民議会(下院)・・・首相を選任 (6) ドイツ ①´大統領(名目的) ②´連邦参議院 ③連邦議会(下院)・・・首相を選任 (7) 日本(明治憲法下) ①天皇 ②貴族院 ③衆議院…首相を選任(1924-32) (8) 日本(現憲法下) ①天皇 ②´参議院 ③衆議院・・・首相を選任 ※①´は擬似君主的な要素、②´は擬似貴族的な要素 説明 権威と権力を保持 権威のみ保持 権力のみ保持 ◆古代ローマの混合政体 ギリシャ出身で共和制ローマの将軍小スキピオの家庭教師を務めた歴史家ポリュビオスは、ローマの共和政体が、①2名のコンスル(執政官)+②貴族階級の元老院+③平民階級の平民会および彼らの代表である2名の護民官、という君主政体・貴族政体・民主政体の3要素を複合しており、カルタゴやマケドニアなどのライバル国に比較して、はるかに安定的かつ有効に機能していることを指摘しました。 共和制ローマは、その後の領域拡大と経済発展による社会の複雑化に対して、従来の任期1年・2名という弱体なコンスル制では対処できなくなり、元老院を中心とする閥族派(スゥラ)と平民派(マリウス)の抗争(衆愚制)、軍事力や財力を背景にした有力政治家による三頭政治(寡頭制)やカエサル独裁(僭主制)の時期を経て、カエサルの後継者であるオクタヴィアヌスによる武力統一に至ります。 オクタヴィアヌスはローマ市民の感情に配慮して元老院の権威を尊重し、元老院から「第一の市民」(プリンケプス=元首)という称号を授けられて実質的にローマに帝政を敷くことになります。この元老院に代表される共和制の精神を加味した専制的ではない帝政を元首制(プリンキパトス)といい、アメリカ合衆国の政体(大統領+元老院+代議院)はこれを模して設計されるなど近代の政治制度にも大きな影響を及ぼしています。 その後ローマでは、ネロ・カリギュラなどの暴君も一時出ましたが、元老院の権威を受けて帝国を統治する五賢帝と呼ばれる名君が輩出して帝国は大いに繁栄しました。 ◆イギリスの立憲君主制の確立(権威と権力の分離型) 16世紀後半のエリザベス女王の統治下で大いに国力の伸張したイングランドは、女王に後継者がいなかったため縁戚のスコットランド国王を新国王に迎え入れました。 ところがカトリック教徒(スコットランドはカトリック国)であった新国王側は、新教徒(イングランド国教会や清教徒)に宗教的圧迫を加えたので、国王と議会が衝突し、清教徒であるO.クロムウェル率いる鉄騎兵が勇戦した議会側が勝利を収めました(清教徒革命)。 O.クロムウェルは国内の混乱を武力収拾すると、国王を処刑し、共和政(コモンウェルス)を樹立しました(護国卿政権)。 彼の死後、後を継いだR.クロムウェルは政治的に無能で、一時的に無政府状態に陥ったために、貴族など有力者は、大陸に亡命政権を立てていた王室に帰還を求めました(王政復古(1660))。 しかしカトリック教徒の国王側が、宗教政策で再度国民を圧迫したため、議会のトーリー・ホイッグ両党が連名でオランダに嫁いでいた新教徒のメアリー王女と夫のオレンジ公オランダ総督ウィリアムに『権利章典』の承認と引き換えに王位を差し出して、旧教徒の国王一家を追放しました(名誉革命)。 その後、メアリー女王の妹であるアン女王が即位した時期に、フランスに亡命していたカトリックの旧王一族の復位を避けるため、王位継承者を新教徒に限定する『王位継承法』が定められ、その規定に従って、アン女王没後に、ドイツから新教徒のハノーバー公が王位に迎え入れられました。(なおアン女王の時代に、イングランドとスコットランドが統一して連合王国(U.K.=イギリス)が誕生しています。) ドイツ生まれの新国王ジョージ1世は、英語が話せず閣議を主催できなかったために、ホイッグ党の指導者であったウォルポールがこれを代行し、議会の有力党の党首が国政を執る責任内閣制が生まれました。 こうして、イギリスにおいて「国王は君臨すれども統治せず」という政治原則、つまり、①権威(Authority)を体現する国王と、②権力(Power)を保持する議会という「権威と権力の分離」が確立されました。 国王と議会は、ともに『マグナ・カルタ』『権利請願』『権利章典』『王位継承法』などの成文法典や慣習化された不文律を含む国憲(constitution)を遵守し、国王のみならず、議会もまた「絶対無制限の権力」を行使することは許されません。 国王・議会・司法官が共に“法”(制定法ではなくコモン・ロー(慣習法たる祖法))に拘束され、 議会といえども無制限の権力を行使しえない原則を『法の支配』(rule of law)といい、 このように『法の支配』の下にある制限された君主政体を『立憲君主政体』といいます。 18世紀のイギリス法学者ブラックストーンは大著『イギリス法釈義』を著わして、「法の支配」の原則を定式化しました。 また19世紀後半に活躍したジャーナリストのウォルター・バジョットは『イギリス憲政論』を著わして、「権威(政府の尊厳的部分)と権力(政府の実用的部分)」が分離され安定的に運用されているイギリス政体を明瞭な筆致で分析・描写しました。 ブラックストーンの著作は、アメリカ合衆国の建設者たちに大いに参考にされ、バジョットの著作は明治憲法の制定に関わる論議に参考にされました。 ところが、バジョットの後に出た憲法学者のA.V.ダイシーは、主著『憲法序説』で、イギリス憲法の特徴を、①法の支配、②議会主権、③憲法慣習律、の3つであると定式化し、本来は、①法の支配と両立しないはずの、②議会主権(議会が最高権力を持つ)という説が流布したまま現在に至っています。 ◆アメリカ合衆国の立憲政体の確立(厳格な三権分立型) 1783年にイギリスから正式に独立を承認されたアメリカ東部13邦では、法制度の整備・運用に当たって、前述したブラックストーンの『イギリス法釈義』が大いに参考にされましたが、実体が曖昧な不文憲法ではなく、明文憲法を採択して政府の権限を明確化することが、分立した各邦との権限の境界を明確にする必要から強く求められ、世界最初の近代的成文憲法である「アメリカ合衆国憲法」が起草されて、各邦が激論の末に順次これを批准して、1788年にアメリカ合衆国が建国されました。 イギリス国王の権威から離れたアメリカでは、イギリス式の厳格な「権威と権力の分離」方式は困難でしたが、ローマ帝国の元首制や、ルネサンス期イタリアの共和国の国政を参考に、①国家元首たる大統領(擬似国王的な存在)、②元老院(Senate:上院、各州等分の議席配分で擬似貴族院的な存在)、③代議院(House of Representatives:下院、人口に比例して各州に議席を割り当てる平民院的な存在)の3機関を分立させ、①大統領、②元老院に権力と共に一定の権威を付与する方式を採用しました。 それと共に、違憲立法審査権を持つ強力な、④司法裁判所を設置して、特に議会の立法権を制約する仕組みを設け、行政(大統領府)・立法(議会)・司法(裁判所)、の三権が互にチェック バランスを行う厳格な三権分立方式を採用しました。 アメリカ式の成文憲法によって国政を規律する方式を『立憲主義』(constitutionalism)といい、 立憲主義に基づく民主政体を『立憲民主政体』といいます。 このように厳密には、イギリスは立憲君主政体(constitutional monarchy)であり、アメリカ合衆国は立憲民主政体(constitutional democracy)なのですが、イギリスにおいても、政府(立法および行政)の実権は選挙を通して一般民衆に保持されていると見なしうるので、これを民主的政府あるいは民主的政治(democratic government)と呼ぶ今日の用例が発生しました。 ◆なぜ混合政体が安定するのか? アメリカ型の厳格な権力分立が機能している場合を除いて、一般に権威と権力が未分離な前近代的政体においては、権力者による専制支配に陥りやすく、これを取り除くには、革命やクーデターによるしか方法がない。これに対して、 権威と権力が分離されている政体では、権力の所在が移動しても、 権威が不動であるために、政治的混乱に陥る危険が回避される。 つまり不動の権威の存在が、伝統と相まって、暴力によらない民主的な(=頭数を数えて行う)権力の交代を保障する。 現代においても多くのアジア・アフリカの新興諸国、最近までのラテン-アメリカ諸国が政治的に不安定なのは、①国内に伝統的な政治的権威の担い手が存在せず、②権力者の専制支配に陥りがちで、③それゆえに、アメリカ型の厳格な権力分立制度の確立も不可能だからである。 ■4.立憲政体の普及 欧州諸国は、安定的で有能な立憲政体を確立するまでに、各々数十年単位の混乱を経験することになりました。 こうした混乱のあとで出現した立憲政体は、次の3パターンに分類できます。 (1)権威と権力が明確に分離されたイギリス型の立憲君主政体(権力分立は不徹底) (2)厳格な権力分立によりCHECK BALANCEを機能させるアメリカ型の立憲民主政体 (3)上記の折衷型で、名目的な大統領と責任内閣制を採用した立憲民主政体 ◆欧州諸国における混乱~立憲政体確立までの経緯 国家 混乱の開始 混乱のピーク 混乱の収束 混乱期間 混乱後に採用された政体 イギリス 清教徒革命(1640-49) クロムウェル独裁(1653-59) 名誉革命(1688) 49年間 イギリス型 フランス フランス大革命(1789-99) ジャコバン独裁(1793-94) 第三共和制発足(1871) 82年間 折衷型 ドイツ ドイツ革命・敗戦(1918) ナチス独裁(1933-45) ドイツ連邦共和国発足(1949) 32年間 折衷型 ロシア ロシア革命(1917) スターリン個人独裁(1924-53) ソ連邦崩壊・ロシア独立(1991) 74年間 アメリカ型 ◆権威と権力の分離の伝統が確立していた日本 欧州諸国は、近代において各々、数十年規模の国内の混乱や戦争の経験を通じて、ようやくイギリス型の「権威と権力の分離」やアメリカ型の「厳格な三権分立」に保障された安定した立憲政体にたどり着いたのであるが、日本においては既に古代から、権威(天皇)と権力(蘇我氏・藤原氏など)の分離の伝統が自生しており、ことに中世期以降は、天皇(および公家)は専ら権威のみを保持し、権力は武士階級が保有するという二重構造が定着した。 幕末に欧米列強の脅威が高まると、従来の幕藩体制では有効な対処が出来ず、折から高まっていた尊皇攘夷の思想潮流に押し流される形で、徳川政権は、専ら権威のみを保持していた朝廷に対して、政治権力の返還を願い出るに至った(大政奉還)。 朝廷は、これを受け入れて王政復古の大号令を発したが、その直後に朝廷の実権を握る倒幕派公家が長州・薩摩など西国雄藩と図って、徳川家に将軍職のみならずその広大な領地の返還と内大臣職の辞官をも要求する挙に出たため、倒幕派と佐幕派の武力抗争が勃発した(戊辰戦争)。 しかしながら、緒戦の鳥羽伏見の戦で敗北した徳川家は朝廷の権威に対して恭順の態度に出たために、戊辰戦争は幕府と朝廷および薩長など西国雄藩の全面戦争とはならず、なお薩長の政権奪取の方式に不満を覚える佐幕派と討伐軍との局所的な武力抗争に留まり、まもなく薩長と公家が中核を占める維新政権が確立された。 ◆日本の立憲政体の確立(五箇条ご誓文~明治憲法制定) 戊辰戦争で、江戸城開城の行われる1ヶ月前の1867年3月、京都において明治天皇が皇祖皇宗の神霊に誓う形式で、維新政権の基本方針を示した「五箇条のご誓文」が宣布された。 そのご誓文は第一条に「広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ」と明記されており、維新政権においては、従来の武士階級による権力の独占ではなく、広く国民から意見を集めて国家の方針を決定することが示された。 五箇条御誓文(慶応4年(明治元年)3月14日) 一、広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ 一、上下心ヲ一ニシテ盛ニ経綸ヲ行フヘシ 一、官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメンコトヲ要ス 一、旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クヘシ 一、智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スヘシ 以降、この第一条を根拠に、国民各層の意見を求める具体的な制度の導入が官民双方から熱心に検討されるようになり、板垣退助らの自由民権運動(1874年以降)、国会開設の詔勅(1881)を経て、大日本帝国憲法発布(1889)、大日本帝国憲法施行・第一回衆議院選挙(1890)に至って、日本にも混合政体と代議制デモクラシーを備えた立憲政体が確立された。 薩長藩閥は、憲法制定当初はなお超然内閣(議会の動向とは独立した内閣)を主張する者が多かったが、まもなく円滑な政治運営のために議会と協調し多数派を獲得する方針に転換し、のちには議会で多数を占める党派から首相を選出する英国型の政治運営方式(「憲政の常道」と呼ばれる)が導入されるに至った(1924-32まで)。 代議制に関しては、なお当初は財産による制限により国民の中に占める有権者の割合が低かったが、国力の上昇とともに有権者の範囲は徐々に拡大されていき、大正期に入ると第二次護憲運動の成果によりついに男子普通選挙権が実現する運びとなった(1925年以降)。 このように戦前の日本には、当時の欧米諸国と全く遜色のない議会制デモクラシーが営まれていたのである。 ■5.大衆デモクラシーの発展と脅威 上記のように欧米や日本では、近代の国民国家の政体は、①混合政体を、不文または成文憲法によって保障する立憲政体として徐々に確立されていった。 その中で、混合政体のうち特に権力を代表する部分である民主政体部分は、古代ギリシャにおけるような直接デモクラシーではなく、有資格者が投票により選任する代議制デモクラシー(間接デモクラシー)として発展してきた。 有権者の範囲は、当初はどの国家も一定の財産などを前提とした一般民衆の中の限られた部分に過ぎなかったが、近代化が進み一般国民の間に政治的権利を求める動きが高まるに従って、段階的に有権者の範囲が拡大され、やがて一定年齢以上の国民に一律に投票権を付与する制度(普通選挙制度)が普及していった。 こうして成立した民主政体部分が肥大化した政治体制を、俗に大衆デモクラシー(mass democracy)という。 大衆デモクラシーは、立憲政体を生み出した当初の思想家たちが危惧したように、デモクラシーのモボクラシー化(衆愚政体化)の危険をもたらした。 君主政体・貴族政体・民主政体の混合した安定した政体として確立された近代の立憲政体が、その民主政体部分の肥大化によって、古代ギリシャ・ローマ時代からのセオリー(理論)どおりに、衆愚政治に接近していってしまう事態に至ったのである。 ◆真正デモクラシーと衆愚政治(モボクラシー)の比較 真正デモクラシー 衆愚政治(モボクラシー) 権力の制限 多数者の同意を得た権力であっても“法”(一般ルール)に従う必要がある。⇒制限された政府権力(自由と共存) 多数者の賛同を得た権力は無制限である⇒全能の政府権力(自由を圧殺=全体主義化) 憲法との関係 成文憲法は、憲法自体の規定により改訂できる。しかしその場合でも、真の憲法(constitution:国憲、国体)に違反する内容を定めることは出来ない 憲法(成文憲法)は、その時々の多数派の意向により自由に改訂できる。なお民衆の意思が全てに優先するので、成文憲法を超える真の憲法(国憲、国体)といったものは認められない(人定法主義) 立法権との関係 立法府が定めた法律であっても、司法府によって違憲(“法”(一般ルール)違反)とされる場合がある(司法府による違憲立法審査権の行使) 立法府が定めたものが法である。多数派の同意を得た立法府は無制限に法を定めうる。 思想的背景 英米法の伝統、イギリス経験論の伝統 大陸法の伝統、大陸合理論の伝統 ◆無制限デモクラシーは全体主義に至る 「政府が行うことは全て、多数者の同意を必要とする」というデモクラシーの原則は、「多数者の賛同があれば政府は無制限に権力を行使しうる」ということを決して意味しない。この両者は完全に別物である。 しかし、近代の歴史の教える所によれば、ことに20世紀の歴史では、有力な扇動者が「権力はもはや人民の手中にあるのだから、人民の権力を制限する必要はない」と訴えて、この主張が現実に実行に移された事例が幾つもある(人民主権論)。 こうして、デモクラシーはモボクラシー(衆愚政治)を経て、全体主義(totalitarianism)という新たな専制支配(autocracy)・独裁政治(tyranny)に変容する。 ◆なぜ我々は騙されるのか? 我々が、扇動者の悪魔の囁きにだまされてしまうのは、一つには「デモクラシーが(その来歴から見て)単なる手段(制度)であって目的ではない事」を理解し損ねるからである。 例えば日本語においては、「民主主義」という訳語自体が一つの誤解の元、あるいはトリックとなっている。 democracy は -ism(主義・思想)ではなく -cracy(制度)である。 このページの一番上に示した辞書による説明を見ても明らかなとおり、democracy は a system of government(政治あるいは政府の一制度)に過ぎず、日本語に訳す場合は「民主政体」「民主政治」が正しい。「民主主義」という言葉は日本語として既に定着はしているが、明らかな誤訳である。 ※もし「民主主義」(国家の主権が人民にあり、人民が主体となって全体の幸福・利益を図ることを目的とする主義・思想)という訳語を使うならば、それは democratism という余り使われない単語に対して使うのが正しい。 デモクラシーという制度は、それ自体が何か目的を持っているわけではないが、それが平和的な権力交代を可能にするほぼ唯一の政治的方法であり、その効用が高いために近代以降に世界の国々に順次普及していった制度である。 上に述べたような全体主義者によって詐称されたデモクラシー(人民民主主義)ではなく、真正のデモクラシーを採用する国々は、国民の大部分が①意見の形成と、②形成された意見の実現に向けて自発的に参加する事が期待できるので、短期はそうでなくとも、中長期的に見ると、小数のエリートが大多数の無力の人民の指導をする体制の国々に比較して、明らかに良好な政治的・経済的また文化的な成果を達成することが可能となるのである。 但し、歴史に明らかなとおり、デモクラシー(民主政体)は、扇動に弱いという弱点を抱えている。特に外部からの強い意図(イデオロギー)を持った誘導工作に弱いことが実証されている。 これを克服するためには、国民一人一人の情報識別能力の向上が必須であるが、一般に何時の時代・どのような地域をとっても、それは困難なことのようである。 ◆「国民主権」の誤用:「誰が支配するか」ではなく「いかに専制を防ぐか」 「誰が支配するか」という主権論は、ブルボン朝フランス王国のような「君主主権」を主張する者に対抗する上で一定の意味はあったであろうが、現代では「国民主権」(あるいは「人民主権」)つまり「国民全員(人民全員)が主権者である」と声高に唱えることに、果たしてどれだけ意味があるのだろうか? 「国民全員が主権者である」という言葉が、全体主義者によって「国民が同意したことは無制限に実行されてよい」という誘導に利用されていないだろうか? 「国民全員が主権者である」という言葉は、国民へのご機嫌取り的な含意を取り除けば、実質的には「何も言っていない」のと同じではないだろうか? 政治において、まず第一に考えるべきことは、「悪い政治」(専制支配)が出現する可能性を あらかじめ取り除く制度的な仕組みを整えておくことである。(制度的抑制) 「デモクラシー」が「民主主義」と誤訳され、それが一種のスローガン化(価値・目的化)している所では、この大事な視点が見失われがちである。 我々はむしろ「デモクラシー」を、それが平和的な権力移動を可能にするほぼ唯一の方法として基本的には評価しながらも、常に「衆愚政治(モボクラシー)」に堕落し易いものとして警戒し、それを防止する制度的仕組みを真剣に考案する必要がある。 ■6.真正デモクラシーでは権力は“法の支配”の下にある ここで真正デモクラシーのあり方を再度確認しよう。 真正デモクラシーでは、権力は“法”(=一般ルール)によって制約される。 この原則を“法の支配”という。 なお、ここでいう“法”とは立法府の定める「法律」ではなくて、「真の憲法、国憲、国体」である。 ◆真の憲法(国憲、国体)とは何か 戦後教育を受けた我々にとって、憲法といえば成文憲法しか思い浮かばず、それが国家の唯一最高の法規だと多くの人が信じこんでいるが、戦前においては、そのようなことは決してなかったのである。 例えば、戦前において、「国体」という言葉の解釈を巡って激論が交わされたが、この「国体」という概念は、明治憲法の制定に先立って存在すると見なされ、明治憲法は国体を部分的に明文化したものである、という建前が取られていた。 戦後においても、例えば、日本国憲法第九条は、明確に軍隊の保有を禁止しているが、最高裁判所の憲法判断は「自衛隊は合憲」である。 最高裁判所の判決理由では、憲法の文言の一部を拡張解釈して「自衛隊は合憲」の結論を導出しているが、憲法がもし今ある成文憲法だけだとすれば、どう憲法を読んでも「自衛隊は明らかに武力を保有しているため違憲」という判断にしかならないはずである。 それでも自衛隊が合憲となるのは、成文憲法である日本国憲法より上位に“真の憲法=国憲・国体”が存在し、それが日本国民の当然の権利として、武力の保持を認めている(つまり現行憲法は、真の憲法=国憲・国体に違反している)と解釈するのが真っ当なあり方である。 こうした真の憲法=国憲・国体が、たとえ有権者の多数の賛同を得ても、立法府や行政府には、無制限の権力を行使して国民の自由を圧殺する権限は認められない、という一般ルールを定めている、と見なすのが、真正デモクラシーである。 真正デモクラシーは、“法”(一般ルール)に拘束され、無制限の権力を決して認めない。 この“法”を憲法(国憲・国体)という。この場合の憲法は成文憲法とは限らない。 ◆真の憲法(国憲・国体)の再叙述=自主憲法制定 明治憲法は、五箇条のご誓文(1867)宣布より23年の歳月をかけて、最終的に伊藤博文・井上馨・金子堅太郎・伊東巳代治の四名により編纂され1889年に発布された。 この間、国民各層から多様な民間試案が発表され、喧々諤々の激論が交わされた。 今の教科書では、明治憲法はプロイセン憲法を真似ただけの外見的立憲主義の非民主的憲法などと教わるが、これは全くの歪曲である。 上記4名の中で、伊藤博文はアメリカ憲法の注釈書『ザ・フェデラリスト』を終始参考にして憲法注釈に取り組んだことが知られており、金子堅太郎はイギリス保守思想の代表者エドマンド・バークの著作を部分訳ながら本邦初訳したことで知られる親英米派である。 伊藤博文が統一間もないドイツおよびオーストリアに憲法取調べに出向いて学んだのは、憲法の条文ではなくて、憲法を編纂する上での心構えである。すなわち「憲法は自国の歴史・伝統が体現されたものでなくてはならぬ」という歴史法学の方法論である。 こうして熟慮の末に日本の歴史・伝統を踏まえて編纂されたのが明治憲法であり、当時の日本は堂々の自主憲法を制定したのである。 もちろん明治憲法が、日本的な立憲体制と真正デモクラシーを制度的に保障する仕組みに欠けていたのは事実である。だが、それは明治憲法の欠陥というよりは時代的な制約であろうし、昭和初期の世界的な激動の中で立憲政体が機能不全に陥ったのは何も日本だけではないのである。 戦後まもなくに、GHQ作成原文を翻訳して作った日本国憲法には、当然ながら日本の歴史・伝統への考慮はない。日本の真の憲法(国憲・国体)を汲んでいないのである。(加えて、日本の安全保障への考慮すらない亡国憲法である。) 明治の先達に倣って、①日本の歴史・伝統を踏まえ、②真正デモクラシーの制度的保障を備えた、自主憲法を制定するために国民各層が目覚めることが必要である。 ■7.参考図書 『法と立法と自由』(全3巻)F.A.ハイエク著(1971-79)第一部:ルールと秩序第二部:社会正義の幻想第三部:自由人の政治的秩序 【関連】 リベラル・デモクラシー、国民主権、法の支配 リベラリズムと自由主義 ~ 自由の理論の二つの異なった系譜 保守主義とは何か 国家解体思想の正体 日本国憲法改正問題(上級編) 明治憲法の真実 ■8.ご意見、情報提供 ページ内容向上のためのご意見・情報提供を歓迎します。 ↓これまでの全コメントを表示する場合はここをクリック +... 今度の参院選は我が国の大衆デモクラシーの衆愚度合いが問われる選挙になるものと覚悟せざるを得ない。内容的にまだまだ粗いと思うが、そうした衆愚政治の問題を考えていくために当ページをとりあえず作成しました。 -- ページ作成者 (2010-06-14 21 54 07) 凄く良いページですね -- 名無しさん (2010-12-03 17 21 44) 「自衛隊は合憲」とはいつのどの判例でしょうか? 詳しく知りたいのですが……。 -- 名無しさん (2011-10-04 21 52 40) 「民主主義」や「人権」を -- 名無しさん (2012-01-01 01 48 29) 「民主主義」や「人権」を盲信せず、法の支配を真剣に考えることが大事だと思います。 -- 名無しさん (2012-01-01 01 49 58) 「民主主義」や「人権」を盲信せず、法の支配を真剣に考えることが大事だと思います。日本の現状は残念ながら「衆愚制」であると言わざるを得ないように思います。「法(Law)」 -- 名無しさん (2012-01-01 01 52 23) 「民主主義」や「人権」を盲信せず、法の支配を真剣に考えることが大事だと思います。日本の現状は残念ながら「衆愚制」であると言わざるを得ないように思います。「法(Law)」と「立法(Legislation )」を峻別し、立法権(国会)を法の支配に服せしめることが求められていると思います -- 政治家志望の一高校生 (2012-01-01 01 55 13) コメントが重複しました。申し訳ありません。 -- 政治家志望の一高校生 (2012-01-01 01 56 47) 民主主義への批判として全体主義を持ってくるのは適切ではないと思うなあ。 確かに民主主義は時として全体主義に堕する。しかしじゃあ民主主義以外の政体なら全体主義に陥らないかっつーとそんなことはないし。 例えば戦前の日本は明らかに「混合政体」であり「無制限のデモクラシー」ではなかったけど、全体主義に陥ったわけで。 後、民主主義を掣肘するものとして「国体」を持ってくるのもどうだろう? 成文憲法の方が内容が具体的で明確な分良いと思うけど。成文憲法に欠陥があるなら改正すればいいし。 -- 名無しさん (2013-10-14 17 07 55)朝鮮半島や中国大陸は、それで国家自体が何度も180度変化し、興亡が繰り返された歴史事実もあります。よい伝統を成分化するのが「憲法」の成り立ちであり、人定法主義に基づく成分憲法が日本国憲法なわけです(恐らく筆者自体は不文憲法がいいと言っている訳でなく、慣習法の成分化をすべきという点で成分憲法を評価しているのではないでしょうか?) - 名無しさん 2016-02-17 21 44 03 以下は最新コメント表示 今度の参院選は我が国の大衆デモクラシーの衆愚度合いが問われる選挙になるものと覚悟せざるを得ない。内容的にまだまだ粗いと思うが、そうした衆愚政治の問題を考えていくために当ページをとりあえず作成しました。 -- ページ作成者 (2010-06-14 21 54 07) 凄く良いページですね -- 名無しさん (2010-12-03 17 21 44) 「自衛隊は合憲」とはいつのどの判例でしょうか? 詳しく知りたいのですが……。 -- 名無しさん (2011-10-04 21 52 40) 「民主主義」や「人権」を -- 名無しさん (2012-01-01 01 48 29) 「民主主義」や「人権」を盲信せず、法の支配を真剣に考えることが大事だと思います。 -- 名無しさん (2012-01-01 01 49 58) 「民主主義」や「人権」を盲信せず、法の支配を真剣に考えることが大事だと思います。日本の現状は残念ながら「衆愚制」であると言わざるを得ないように思います。「法(Law)」 -- 名無しさん (2012-01-01 01 52 23) 「民主主義」や「人権」を盲信せず、法の支配を真剣に考えることが大事だと思います。日本の現状は残念ながら「衆愚制」であると言わざるを得ないように思います。「法(Law)」と「立法(Legislation )」を峻別し、立法権(国会)を法の支配に服せしめることが求められていると思います -- 政治家志望の一高校生 (2012-01-01 01 55 13) コメントが重複しました。申し訳ありません。 -- 政治家志望の一高校生 (2012-01-01 01 56 47) 民主主義への批判として全体主義を持ってくるのは適切ではないと思うなあ。 確かに民主主義は時として全体主義に堕する。しかしじゃあ民主主義以外の政体なら全体主義に陥らないかっつーとそんなことはないし。 例えば戦前の日本は明らかに「混合政体」であり「無制限のデモクラシー」ではなかったけど、全体主義に陥ったわけで。 後、民主主義を掣肘するものとして「国体」を持ってくるのもどうだろう? 成文憲法の方が内容が具体的で明確な分良いと思うけど。成文憲法に欠陥があるなら改正すればいいし。 -- 名無しさん (2013-10-14 17 07 55)朝鮮半島や中国大陸は、それで国家自体が何度も180度変化し、興亡が繰り返された歴史事実もあります。よい伝統を成分化するのが「憲法」の成り立ちであり、人定法主義に基づく成分憲法が日本国憲法なわけです(恐らく筆者自体は不文憲法がいいと言っている訳でなく、慣習法の成分化をすべきという点で成分憲法を評価しているのではないでしょうか?) - 名無しさん 2016-02-17 21 44 03 名前 ラジオボタン(各コメントの前についている○)をクリックすることで、そのコメントにレスできます。 ■左翼や売国奴を論破する!セットで読む政治理論・解説ページ 政治の基礎知識 政治学の概念整理と、政治思想の対立軸 政治思想(用語集) リベラル・デモクラシー、国民主権、法の支配 デモクラシーと衆愚制 ~ 「民主主義」信仰を打ち破る ※別題「デモクラシーの真実」 リベラリズムと自由主義 ~ 自由の理論の二つの異なった系譜 ※別題「リベラリズムの真実」 保守主義とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ ナショナリズムとは何か ケインズvs.ハイエクから考える経済政策 国家解体思想(世界政府・地球市民)の正体 左派・左翼とは何か 右派・右翼とは何か 中間派に何を含めるか 「個人主義」と「集産主義」 ~ ハイエク『隷従への道』読解の手引き 最速!理論派保守☆養成プログラム 「皇国史観」と国体論~日本の保守思想を考える 日本主義とは何か ~ 日本型保守主義とナショナリズムの関係を考える 右翼・左翼の歴史 靖國神社と英霊の御心 マルクス主義と天皇制ファシズム論 丸山眞男「天皇制ファシズム論」、村上重良「国家神道論」の検証 国体とは何か① ~ 『国体の本義』と『臣民の道』(2つの公定「国体」解説書) 国体とは何か② ~ その他の論点 国体法(不文憲法)と憲法典(成文憲法) 歴史問題の基礎知識 戦後レジームの正体 「法の支配(rule of law)」とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ 立憲主義とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ 「正義」とは何か ~ 法価値論まとめ+「法の支配」との関係 正統性とは何か ~ legitimacy ・ orthodoxy の区別と、憲法の正統性問題 自然法と人権思想の関係、国体法との区別 「国民の権利・自由」と「人権」の区別 ~ 人権イデオロギー打破のために 日本国憲法改正問題(上級編) ※別題「憲法問題の基礎知識」 学者別《憲法理論-比較表》 政治的スタンス毎の「国民主権」論比較・評価 よくわかる現代左翼の憲法論Ⅰ(芦部信喜・撃墜編) よくわかる現代左翼の憲法論Ⅱ(長谷部恭男・追討編) ブログランキング応援クリックをお願いいたします(一日一回有効)。 人気ブログランキングへ
https://w.atwiki.jp/talewiki/pages/10370.html
リアルタイム抽選イベント ■イベント名 リアルタイム抽選イベント ■実施期間 2011年11月9日(水)〜 2011年11月23日(水) イベント期間中にログインしている全キャラクターを対象として リアルタイムで抽選を行います。 当選者にはその場で賞品をプレゼントします。 抽選回数は1日7回。時間は以下の通りです。 第1回 18 30 第2回 19 30 第3回 20 30 第4回 21 30 第5回 22 30 第6回 23 30 第7回 24 30 ※初回抽選は11月9日(水)18:30、最終抽選は11月23日(水)24:30(11月24日0:30)と なります。 ※当選時にアイテムインベントリの空きが不足している場合は、 インベントリを整理して再ログインいただくことでアイテムを受け取ることができます。 ■賞品 †ダイダロスウイング †アルファウイング †真・絶対権力の玉璽 †荒々しい虎の魂 錬金術士の秘薬 †セティリアリュック †金斗雲 ハイアキュラシーカード 加護のインクリスクロール アンチマジックルーレットストーン 各サーバー抽選結果 アノマラド 日付 18:30 19:30 20:30 21:30 22:30 23:30 24:30 11/9 ハイアキュラシーカード †アルファウイング 加護のインクリスクロール †金斗雲 アンチマジックルーレットストーン †真・絶対権力の玉璽 アンチマジックルーレットストーン 11/10 加護のインクリスクロール 加護のインクリスクロール アンチマジックルーレットストーン †ダイダロスウイング アンチマジックルーレットストーン ハイアキュラシーカード 加護のインクリスクロール 11/11 加護のインクリスクロール 加護のインクリスクロール アンチマジックルーレットストーン †真・絶対権力の玉璽 ハイアキュラシーカード アンチマジックルーレットストーン 錬金術師の秘薬 11/12 †金斗雲 ハイアキュラシーカード †セティリアリュック ハイアキュラシーカード †セティリアリュック ハイアキュラシーカード †荒々しい虎の魂 11/13 †金斗雲 †金斗雲 アンチマジックルーレットストーン †金斗雲 加護のインクリスクロール アンチマジックルーレットストーン アンチマジックルーレットストーン 11/14 加護のインクリスクロール †荒々しい虎の魂 †金斗雲 ハイアキュラシーカード 加護のインクリスクロール 加護のインクリスクロール アンチマジックルーレットストーン 11/15 加護のインクリスクロール 加護のインクリスクロール アンチマジックルーレットストーン †セティリアリュック ハイアキュラシーカード ハイアキュラシーカード 加護インクリスクロール 11/16 加護のインクリスクロール アンチマジックルーレットストーン †セティリアリュック 加護のインクリスクロール †金斗雲 ハイアキュラシーカード †セティリアリュック 11/17 アンチマジックルーレットストーン 加護のインクリスクロール 加護のインクリスクロール 錬金術師の秘薬 †セティリアリュック 加護のインクリスクロール アンチマジックルーレットストーン 11/18 アンチマジックルーレットストーン †荒々しい虎の魂 アンチマジックルーレットストーン アンチマジックルーレットストーン アンチマジックルーレットストーン 加護のインクリスクロール アンチマジックルーレットストーン 11/19 加護のインクリスクロール アンチマジックルーレットストーン †荒々しい虎の魂 加護のインクリスクロール †金斗雲 アンチマジックルーレットストーン †荒々しい虎の魂 11/20 アンチマジックルーレットストーン 加護のインクリスクロール 加護のインクリスクロール アンチマジックルーレットストーン 加護のインクリスクロール アンチマジックルーレットストーン アンチマジックルーレットストーン 11/21 加護のインクリスクロール アンチマジックルーレットストーン アンチマジックルーレットストーン 錬金術師の秘薬 加護のインクリスクロール 加護のインクリスクロール アンチマジックルーレットストーン 11/22 錬金術師の秘薬 加護のインクリスクロール ハイアキュラシーカード アンチマジックルーレットストーン †金斗雲 アンチマジックルーレットストーン アンチマジックルーレットストーン 11/23 オルランヌ 日付 18:30 19:30 20:30 21:30 22:30 23:30 24:30 11/9 加護のインクリスクロール ハイアキュラシーカード 加護のインクリスクロール ハイアキュラシーカード アンチマジックルーレットストーン ハイアキュラシーカード †荒々しい虎の魂 11/10 加護のインクリスクロール 錬金術師の秘薬 アンチマジックルーレットストーン †真・絶対権力の玉璽 †セティリアリュック †セティリアリュック 錬金術師の秘薬 11/11 錬金術師の秘薬 ハイアキュラシーカード アンチマジックルーレットストーン †真・絶対権力の玉璽 加護のインクリスクロール 加護のインクリスクロール †アルファウイング 11/12 加護のインクリスクロール †金斗雲 加護のインクリスクロール †ダイダロスウイング ハイアキュラシーカード ハイアキュラシーカード アンチマジックルーレットストーン 11/13 加護のインクリスクロール 加護のインクリスクロール アンチマジックルーレットストーン アンチマジックルーレットストーン †金斗雲 加護のインクリスクロール †セティリアリュック 11/14 アンチマジックルーレットストーン 加護のインクリスクロール †金斗雲 †荒々しい虎の魂 アンチマジックルーレットストーン アンチマジックルーレットストーン ハイアキュラシーカード 11/15 アンチマジックルーレットストーン †荒々しい虎の魂 ハイアキュラシーカード †セティリアリュック 加護のインクリスクロール アンチマジックルーレットストーン †セティリアリュック 11/16 ハイアキュラシーカード 11/17 11/18 11/19 11/20 11/21 11/22 11/23 レコルダブル 日付 18:30 19:30 20:30 21:30 22:30 23:30 24:30 11/9 ハイアキュラシーカード †真・絶対権力の玉璽 錬金術士の秘薬 †セティリアリュック †金斗雲 ハイアキュラシーカード †セティリアリュック 11/10 †アルファウイング †ダイダロスウィング †真・絶対権力の玉璽 錬金術師の秘薬 †セティリアリュック 加護のインクリスクロール 加護のインクリスクロール 11/11 †セティリアリュック 加護のインクリスクロール 11/12 11/13 11/14 11/15 11/16 11/17 11/18 11/19 11/20 11/21 11/22 11/23 トラバチェス 日付 18:30 19:30 20:30 21:30 22:30 23:30 24:30 11/9 アンチマジックルーレットストーン †金斗雲 アンチマジックルーレットストーン †荒々しい虎の魂 加護のインクリスクロール ハイアキュラシーカード アンチマジックルーレットストーン 11/10 加護のインクリスクロール 11/11 錬金術師の秘薬 加護のインクリスクロール 11/12 ハイアキュラシーカード †ダイダロスウィング アンチマジックルーレットストーン ハイアキュラシーカード アンチマジックルーレットストーン 錬金術師の秘薬 11/13 11/14 11/15 †セティリアリュック †セティリアリュック 11/16 11/17 †金斗雲 アンチマジックルーレットストーン †セティリアリュック 11/18 アンチマジックルーレットストーン アンチマジックルーレットストーン 加護のインクリスクロール 加護のインクリスクロール 加護のインクリスクロール アンチマジックルーレットストーン 11/19 加護のインクリスクロール 加護のインクリスクロール 加護のインクリスクロール アンチマジックルーレットストーン 加護のインクリスクロール 11/20 加護のインクリスクロール 加護のインクリスクロール 加護のインクリスクロール アンチマジックルーレットストーン 11/21 11/22 アンチマジックルーレットストーン アンチマジックルーレットストーン アンチマジックルーレットストーン アンチマジックルーレットストーン アンチマジックルーレットストーン アンチマジックルーレットストーン 11/23 レンム 日付 18:30 19:30 20:30 21:30 22:30 23:30 24:30 11/9 †セティリアリュック アンチマジックルーレットストーン †荒々しい虎の魂 †荒々しい虎の魂 ハイアキュラシーカード アンチマジックルーレットストーン 加護のインクリスクロール 11/10 ハイアキュラシーカード †荒々しい虎の魂 ハイアキュラシーカード †真・絶対権力の玉璽 11/11 †アルファウイング アンチマジックルーレットストーン アンチマジックルーレットストーン †荒々しい虎の魂 †真・絶対権力の玉璽 11/12 アンチマジックルーレットストーン アンチマジックルーレットストーン †セティリアリュック 11/13 11/14 11/15 11/16 11/17 加護のインクリスクロール 加護のインクリスクロール アンチマジックルーレットストーン 11/18 11/19 11/20 アンチマジックルーレットストーン ハイアキュラシーカード 加護のインクリスクロール 加護のインクリスクロール 加護のインクリスクロール ハイアキュラシーカード アンチマジックルーレットストーン 11/21 アンチマジックルーレットストーン 錬金術師の秘薬 アンチマジックルーレットストーン 11/22 ハイアキュラシーカード 11/23 ガナポリー 日付 18:30 19:30 20:30 21:30 22:30 23:30 24:30 11/9 †アルファウイング アンチマジックルーレットストーン アンチマジックルーレットストーン ハイアキュラシーカード †セティリアリュック †真・絶対権力の玉璽 11/10 †金斗雲 アンチマジックルーレットストーン アンチマジックルーレットストーン ハイアキュラシーカード 加護のインクリスクロール †ダイダロスウィング †荒々しい虎の魂 11/11 †金斗雲 ハイアキュラシーカード ハイアキュラシーカード 加護のインクリスクロール †荒々しい虎の魂 加護のインクリスクロール †セティリアリュック 11/12 †金斗雲 加護のインクリスクロール ハイアキュラシーカード †荒々しい虎の魂 †真・絶対権力の玉璽 加護のインクリスクロール アンチマジックルーレットストーン 11/13 ハイアキュラシーカード †金斗雲 加護のインクリスクロール ハイアキュラシーカード アンチマジックルーレットストーン 加護のインクリスクロール アンチマジックルーレットストーン 11/14 †セティリアリュック ハイアキュラシーカード 加護のインクリスクロール アンチマジックルーレットストーン †金斗雲 アンチマジックルーレットストーン ハイアキュラシーカード 11/15 アンチマジックルーレットストーン アンチマジックルーレットストーン ハイアキュラシーカード 錬金術師の秘薬 †セティリアリュック 加護のインクリスクロール 加護のインクリスクロール 11/16 アンチマジックルーレットストーン 加護のインクリスクロール アンチマジックルーレットストーン 錬金術師の秘薬 †セティリアリュック †荒々しい虎の魂 加護のインクリスクロール 11/17 加護のインクリスクロール †金斗雲 †セティリアリュック アンチマジックルーレットストーン アンチマジックルーレットストーン 11/18 加護のインクリスクロール アンチマジックルーレットストーン アンチマジックルーレットストーン 加護のインクリスクロール 加護のインクリスクロール 錬金術師の秘薬 11/19 錬金術師の秘薬 加護のインクリスクロール アンチマジックルーレットストーン 加護のインクリスクロール 加護のインクリスクロール アンチマジックルーレットストーン 加護のインクリスクロール 11/20 加護のインクリスクロール アンチマジックルーレットストーン アンチマジックルーレットストーン アンチマジックルーレットストーン 加護のインクリスクロール アンチマジックルーレットストーン 11/21 錬金術師の秘薬 アンチマジックルーレットストーン 加護のインクリスクロール 加護のインクリスクロール アンチマジックルーレットストーン 加護のインクリスクロール †荒々しい虎の魂 11/22 †金斗雲 アンチマジックルーレットストーン アンチマジックルーレットストーン 加護のインクリスクロール 加護のインクリスクロール 加護のインクリスクロール アンチマジックルーレットストーン 11/23 ハイアカン 日付 18:30 19:30 20:30 21:30 22:30 23:30 24:30 11/9 ダイダロスウィング セティリアリュック †真・絶対権力の玉璽 加護のインクリスクロール 11/10 †金斗雲 ハイアキュラシーカード 11/11 †真・絶対権力の玉璽 †セティリアリュック 11/12 11/13 †セティリアリュック 加護のインクリスクロール †セティリアリュック 加護のインクリスクロール 加護のインクリスクロール アンチマジックルーレットストーン †セティリアリュック 11/14 †セティリアリュック †荒々しい虎の魂 アンチマジックルーレットストーン 錬金術士の秘薬 錬金術士の秘薬 加護のインクリスクロール †荒々しい虎の魂 11/15 11/16 アンチマジックルーレットストーン 11/17 †荒々しい虎の魂 †荒々しい虎の魂 アンチマジックルーレットストーン †金斗雲 アンチマジックルーレットストーン †真・絶対権力の玉璽 加護のインクリスクロール 11/18 加護のインクリスクロール アンチマジックルーレットストーン 加護のインクリスクロール アンチマジックルーレットストーン 加護のインクリスクロール アンチマジックルーレットストーン 加護のインクリスクロール 11/19 11/20 †金斗雲 アンチマジックルーレットストーン アンチマジックルーレットストーン †金斗雲 11/21 加護のインクリスクロール 加護のインクリスクロール アンチマジックルーレットストーン アンチマジックルーレットストーン ハイアキュラシーカード アンチマジックルーレットストーン ハイアキュラシーカード 11/22 11/23 サンスルリア 日付 18:30 19:30 20:30 21:30 22:30 23:30 24:30 11/9 †金斗雲 †ダイダロスウィング ハイアキュラシーカード ハイアキュラシーカード †金斗雲 アンチマジックルーレットストーン 加護のインクリスクロール 11/10 †荒々しい虎の魂 †アルファウィング †セティリアリュック 加護のインクリスクロール 加護のインクリスクロール アンチマジックルーレットストーン †金斗雲 11/11 ハイアキュラシーカード 加護のインクリスクロール 加護のインクリスクロール †金斗雲 加護のインクリスクロール アンチマジックルーレットストーン 加護のインクリスクロール 11/12 ハイアキュラシーカード 加護のインクリスクロール †セティリアリュック 加護のインクリスクロール ハイアキュラシーカード †金斗雲 加護のインクリスクロール 11/13 †セティリアリュック †金斗雲 加護のインクリスクロール 加護のインクリスクロール アンチマジックルーレットストーン 加護のインクリスクロール 加護のインクリスクロール 11/14 ハイアキュラシーカード 錬金術師の秘薬 錬金術師の秘薬 †金斗雲 †金斗雲 アンチマジックルーレットストーン †金斗雲 11/15 †真・絶対権力の玉璽 錬金術師の秘薬 †荒々しい虎の魂 錬金術師の秘薬 錬金術師の秘薬 †荒々しい虎の魂 ハイアキュラシーカード 11/16 アンチマジックルーレットストーン †セティリアリュック 加護のインクリスクロール アンチマジックルーレットストーン 加護のインクリスクロール 加護のインクリスクロール 加護のインクリスクロール 11/17 加護のインクリスクロール †セティリアリュック アンチマジックルーレットストーン 11/18 11/19 11/20 11/21 11/22 11/23 ドゥルネンサ 日付 18:30 19:30 20:30 21:30 22:30 23:30 24:30 11/9 ハイアキュラシーカード †真・絶対権力の玉璽 錬金術師の秘薬 †セティリアリュック †金斗雲 ハイアキュラシーカード †セティリアリュック 11/10 †アルファウイング †ダイダロスウイング †真・絶対権力の玉璽 錬金術師の秘薬 †セティリアリュック 加護のインクリスクロール 加護のインクリスクロール 11/11 †セティリアリュック アンチマジックルーレットストーン 加護のインクリスクロール 錬金術師の秘薬 アンチマジックルーレットストーン アンチマジックルーレットストーン アンチマジックルーレットストーン 11/12 †セティリアリュック 錬金術師の秘薬 †セティリアリュック アンチマジックルーレットストーン アンチマジックルーレットストーン アンチマジックルーレットストーン ハイアキュラシーカード 11/13 加護のインクリスクロール ハイアキュラシーカード アンチマジックルーレットストーン 加護のインクリスクロール アンチマジックルーレットストーン †荒々しい虎の魂 11/14 ハイアキュラシーカード 加護のインクリスクロール 加護のインクリスクロール アンチマジックルーレットストーン 錬金術師の秘薬 アンチマジックルーレットストーン ハイアキュラシーカード 11/15 11/16 加護のインクリスクロール 加護のインクリスクロール †真・絶対権力の玉璽 アンチマジックルーレットストーン アンチマジックルーレットストーン アンチマジックルーレットストーン 11/17 ハイアキュラシーカード アンチマジックルーレットストーン 加護のインクリスクロール 加護のインクリスクロール アンチマジックルーレットストーン アンチマジックルーレットストーン 11/18 11/19 11/20 11/21 11/22 11/23 トレビゾ 日付 18:30 19:30 20:30 21:30 22:30 23:30 24:30 11/9 ハイアキュラシーカード アンチマジックルーレットストーン 錬金術師の秘薬 †金斗雲 アンチマジックルーレットストーン †金斗雲 †セティリアリュック 11/10 †アルファウイング †真・絶対権力の玉璽 †真・絶対権力の玉璽 錬金術師の秘薬 荒々しい虎の魂 アンチマジックルーレットストーン 加護のインクリスクロール 11/11 †セティリアリュック 錬金術師の秘薬 加護のインクリスクロール 11/12 ハイアキュラシーカード 11/13 †セティリアリュック †真・絶対権力の玉璽 11/14 11/15 11/16 加護のインクリスクロール アンチマジックルーレットストーン 加護のインクリスクロール ハイアキュラシーカード アンチマジックルーレットストーン 11/17 ハイアキュラシーカード 加護のインクリスクロール 加護のインクリスクロール アンチマジックルーレットストーン ハイアキュラシーカード アンチマジックルーレットストーン ハイアキュラシーカード 11/18 加護のインクリスクロール 加護のインクリスクロール アンチマジックルーレットストーン アンチマジックルーレットストーン アンチマジックルーレットストーン 加護のインクリスクロール 加護のインクリスクロール 11/19 アンチマジックルーレットストーン 加護のインクリスクロール アンチマジックルーレットストーン アンチマジックルーレットストーン アンチマジックルーレットストーン 加護のインクリスクロール アンチマジックルーレットストーン 11/20 アンチマジックルーレットストーン アンチマジックルーレットストーン アンチマジックルーレットストーン 加護のインクリスクロール アンチマジックルーレットストーン †金斗雲 加護のインクリスクロール 11/21 †金斗雲 アンチマジックルーレットストーン アンチマジックルーレットストーン アンチマジックルーレットストーン アンチマジックルーレットストーン 加護のインクリスクロール 11/22 加護のインクリスクロール アンチマジックルーレットストーン 加護のインクリスクロール アンチマジックルーレットストーン 加護のインクリスクロール 11/25 加護のインクリスクロール 加護のインクリスクロール 加護のインクリスクロール アンチマジックルーレットストーン アンチマジックルーレットストーン パルシュ 日付 18:30 19:30 20:30 21:30 22:30 23:30 24:30 11/9 †金斗雲 アンチマジックルーレットストーン †アルファウイング †セティリアリュック †ダイダロスウィング アンチマジックルーレットストーン 錬金術師の秘薬 11/10 ハイアキュラシーカード †金斗雲 †セティリアリュック 錬金術師の秘薬 †真・絶対権力の玉璽 加護のインクリスクロール 11/11 †金斗雲 加護のインクリスクロール †金斗雲 †セティリアリュック †セティリアリュック 加護のインクリスクロール 11/12 ハイアキュラシーカード †金斗雲 †金斗雲 ハイアキュラシーカード 錬金術師の秘薬 †セティリアリュック 加護のインクリスクロール 11/13 †セティリアリュック †セティリアリュック †セティリアリュック 加護のインクリスクロール †荒々しい虎の魂 ハイアキュラシーカード †金斗雲 11/14 †セティリアリュック †真・絶対権力の玉璽 加護のインクリスクロール ハイアキュラシーカード †荒々しい虎の魂 加護のインクリスクロール ハイアキュラシーカード 11/15 アンチマジックルーレットストーン セティリアリュック 錬金術師の秘薬 ハイアキュラシーカード ハイアキュラシーカード 加護のインクリスクロール 加護のインクリスクロール 11/16 加護のインクリスクロール 加護のインクリスクロール アンチマジックルーレットストーン アンチマジックルーレットストーン 加護のインクリスクロール 加護のインクリスクロール 加護のインクリスクロール 11/17 アンチマジックルーレットストーン アンチマジックルーレットストーン ハイアキュラシーカード 加護のインクリスクロール 加護のインクリスクロール 加護のインクリスクロール アンチマジックルーレットストーン 11/18 アンチマジックルーレットストーン アンチマジックルーレットストーン 加護のインクリスクロール 加護のインクリスクロール 加護のインクリスクロール †金斗雲 加護のインクリスクロール 11/19 アンチマジックルーレットストーン アンチマジックルーレットストーン 加護のインクリスクロール 加護のインクリスクロール 加護のインクリスクロール アンチマジックルーレットストーン 加護のインクリスクロール 11/20 加護のインクリスクロール 加護のインクリスクロール 加護のインクリスクロール 加護のインクリスクロール 加護のインクリスクロール 加護のインクリスクロール アンチマジックルーレットストーン 11/21 加護のインクリスクロール アンチマジックルーレットストーン 加護のインクリスクロール アンチマジックルーレットストーン アンチマジックルーレットストーン †金斗雲 アンチマジックルーレットストーン 11/22 アンチマジックルーレットストーン †金斗雲 アンチマジックルーレットストーン アンチマジックルーレットストーン アンチマジックルーレットストーン †荒々しい虎の魂 †荒々しい虎の魂 11/23 ルグラン 日付 18:30 19:30 20:30 21:30 22:30 23:30 24:30 11/9 †金斗雲 †金斗雲 †ダイダロスウィング 加護のインクリスクロール †金斗雲 †真・絶対権力の玉璽 アンチマジックルーレットストーン 11/10 加護のインクリスクロール アンチマジックルーレットストーン アンチマジックルーレットストーン †セティリアリュック 錬金術士の秘薬 ハイアキュラシーカード 加護のインクリスクロール 11/11 錬金術士の秘薬 †荒々しい虎の魂 †セティリアリュック アンチマジックルーレットストーン †アルファウイング 加護のインクリスクロール アンチマジックルーレットストーン 11/12 †荒々しい虎の魂 錬金術士の秘薬 錬金術士の秘薬 アンチマジックルーレットストーン アンチマジックルーレットストーン †セティリアリュック 錬金術士の秘薬 11/13 アンチマジックルーレットストーン †荒々しい虎の魂 †セティリアリュック 加護のインクリスクロール アンチマジックルーレットストーン †荒々しい虎の魂 †金斗雲 11/14 アンチマジックルーレットストーン †荒々しい虎の魂 †荒々しい虎の魂 アンチマジックルーレットストーン 加護のインクリスクロール 加護のインクリスクロール †金斗雲 11/15 加護のインクリスクロール †真・絶対権力の玉璽 †金斗雲 加護のインクリスクロール アンチマジックルーレットストーン ハイアキュラシーカード 加護のインクリスクロール 11/16 加護のインクリスクロール アンチマジックルーレットストーン アンチマジックルーレットストーン †セティリアリュック †セティリアリュック 加護のインクリスクロール アンチマジックルーレットストーン 11/17 アンチマジックルーレットストーン 加護のインクリスクロール アンチマジックルーレットストーン ハイアキュラシーカード アンチマジックルーレットストーン アンチマジックルーレットストーン 加護のインクリスクロール 11/18 アンチマジックルーレットストーン 11/19 11/20 11/21 11/22 11/23 ペリウィンクル 日付 18:30 19:30 20:30 21:30 22:30 23:30 24:30 11/9 ダイダロスウィング †セティリアリュック アンチマジックルーレットストーン アンチマジックルーレットストーン †セティリアリュック †真・絶対権力の玉璽 11/10 加護のインクリスクロール †金斗雲 11/11 錬金術士の秘薬 アンチマジックルーレットストーン アンチマジックルーレットストーン ハイアキュラシーカード †荒々しい虎の魂 11/12 †金斗雲 †金斗雲 †荒々しい虎の魂 加護のインクリスクロール 11/13 11/14 11/15 11/16 11/17 11/18 11/19 11/20 11/21 11/22 11/23 ネニャフル 日付 18:30 19:30 20:30 21:30 22:30 23:30 24:30 11/9 †アルファウイング アンチマジックルーレットストーン †セティリアリュック アンチマジックルーレットストーン †金斗雲 ハイアキュラシーカード ハイアキュラシーカード 11/10 加護のインクリスクロール アンチマジックルーレットストーン 錬金術士の秘薬 †セティリアリュック †金斗雲 アンチマジックルーレットストーン ハイアキュラシーカード 11/11 †荒々しい虎の魂 †荒々しい虎の魂 アンチマジックルーレットストーン 錬金術士の秘薬 錬金術士の秘薬 †荒々しい虎の魂 アンチマジックルーレットストーン 11/12 アンチマジックルーレットストーン 錬金術士の秘薬 加護のインクリスクロール †金斗雲 †金斗雲 †金斗雲 加護のインクリスクロール 11/13 錬金術士の秘薬 加護のインクリスクロール †ダイダロスウイング 加護のインクリスクロール †セティリアリュック ハイアキュラシーカード アンチマジックルーレットストーン 11/14 †荒々しい虎の魂 加護のインクリスクロール †荒々しい虎の魂 加護のインクリスクロール アンチマジックルーレットストーン ハイアキュラシーカード †金斗雲 11/15 †金斗雲 †真・絶対権力の玉璽 加護のインクリスクロール アンチマジックルーレットストーン 加護のインクリスクロール †セティリアリュック ハイアキュラシーカード 11/16 加護のインクリスクロール 加護のインクリスクロール 加護のインクリスクロール 加護のインクリスクロール 加護のインクリスクロール 11/17 ハイアキュラシーカード 加護のインクリスクロール †セティリアリュック †セティリアリュック 加護のインクリスクロール アンチマジックルーレットストーン 加護のインクリスクロール 11/18 アンチマジックルーレットストーン 加護のインクリスクロール 加護のインクリスクロール ハイアキュラシーカード アンチマジックルーレットストーン 加護のインクリスクロール 加護のインクリスクロール 11/19 アンチマジックルーレットストーン アンチマジックルーレットストーン 加護のインクリスクロール アンチマジックルーレットストーン アンチマジックルーレットストーン アンチマジックルーレットストーン アンチマジックルーレットストーン 11/20 アンチマジックルーレットストーン アンチマジックルーレットストーン †金斗雲 加護のインクリスクロール アンチマジックルーレットストーン アンチマジックルーレットストーン 加護のインクリスクロール 11/21 11/22 11/23 イカボーン 日付 18:30 19:30 20:30 21:30 22:30 23:30 24:30 11/9 ハイアキュラシーカード †金斗雲 †真・絶対権力の玉璽 加護のインクリスクロール アンチマジックルーレットストーン †真・絶対権力の玉璽 錬金術師の秘薬 11/10 アンチマジックルーレットストーン †セティリアリュック †セティリアリュック †荒々しい虎の魂 アンチマジックルーレットストーン 錬金術士の秘薬 アンチマジックルーレットストーン 11/11 †セティリアリュック アンチマジックルーレットストーン †セティリアリュック †荒々しい虎の魂 †荒々しい虎の魂 †セティリアリュック †セティリアリュック 11/12 †アルファウイング ハイアキュラシーカード †セティリアリュック †金斗雲 加護のインクリスクロール †セティリアリュック 加護のインクリスクロール 11/13 アンチマジックルーレットストーン †セティリアリュック 加護のインクリスクロール アンチマジックルーレットストーン アンチマジックルーレットストーン †荒々しい虎の魂 †ダイダロスウイング 11/14 アンチマジックルーレットストーン 加護のインクリスクロール †真・絶対権力の玉璽 アンチマジックルーレットストーン 錬金術士の秘薬 アンチマジックルーレットストーン アンチマジックルーレットストーン 11/15 アンチマジックルーレットストーン †荒々しい虎の魂 アンチマジックルーレットストーン †セティリアリュック 錬金術師の秘薬 アンチマジックルーレットストーン †真・絶対権力の玉璽 11/16 加護のインクリスクロール 加護のインクリスクロール アンチマジックルーレットストーン 加護のインクリスクロール 加護のインクリスクロール ハイアキュラシーカード 加護のインクリスクロール 11/17 アンチマジックルーレットストーン アンチマジックルーレットストーン アンチマジックルーレットストーン アンチマジックルーレットストーン アンチマジックルーレットストーン アンチマジックルーレットストーン 加護のインクリスクロール 11/18 加護のインクリスクロール 加護のインクリスクロール 加護のインクリスクロール アンチマジックルーレットストーン ハイアキュラシーカード 錬金術士の秘薬 ハイアキュラシーカード 11/19 アンチマジックルーレットストーン アンチマジックルーレットストーン ハイアキュラシーカード アンチマジックルーレットストーン アンチマジックルーレットストーン 加護のインクリスクロール 加護のインクリスクロール 11/20 加護のインクリスクロール アンチマジックルーレットストーン アンチマジックルーレットストーン アンチマジックルーレットストーン ハイアキュラシーカード ハイアキュラシーカード アンチマジックルーレットストーン 11/21 加護のインクリスクロール アンチマジックルーレットストーン アンチマジックルーレットストーン アンチマジックルーレットストーン アンチマジックルーレットストーン 加護のインクリスクロール †金斗雲 11/22 加護のインクリスクロール 加護のインクリスクロール 加護のインクリスクロール 加護のインクリスクロール 加護のインクリスクロール 加護のインクリスクロール 加護のインクリスクロール 11/23 ティア 日付 18:30 19:30 20:30 21:30 22:30 23:30 24:30 11/9 アンチマジックルーレットストーン 加護のインクリスクロール アンチマジックルーレットストーン アンチマジックルーレットストーン †セティリアリュック †真・絶対権力の玉璽 †荒々しい虎の魂 11/10 †金斗雲 †セティリアリュック 錬金術士の秘薬 †荒々しい虎の魂 †セティリアリュック アンチマジックルーレットストーン †ダイダロスウイング 11/11 †荒々しい虎の魂 †金斗雲 錬金術士の秘薬 加護のインクリスクロール アンチマジックルーレットストーン †真・絶対権力の玉璽 加護のインクリスクロール 11/12 加護のインクリスクロール †セティリアリュック 加護のインクリスクロール ハイアキュラシーカード †アルファウイング 錬金術士の秘薬 †金斗雲 11/13 †荒々しい虎の魂 加護のインクリスクロール 錬金術士の秘薬 加護のインクリスクロール †セティリアリュック †金斗雲 アンチマジックルーレットストーン 11/14 加護のインクリスクロール 加護のインクリスクロール アンチマジックルーレットストーン 錬金術士の秘薬 アンチマジックルーレットストーン 加護のインクリスクロール 加護のインクリスクロール 11/15 アンチマジックルーレットストーン †金斗雲 加護のインクリスクロール アンチマジックルーレットストーン ハイアキュラシーカード アンチマジックルーレットストーン 加護のインクリスクロール 11/16 †金斗雲 †金斗雲 加護のインクリスクロール アンチマジックルーレットストーン アンチマジックルーレットストーン 11/17 アンチマジックルーレットストーン アンチマジックルーレットストーン 加護のインクリスクロール †金斗雲 ハイアキュラシーカード †金斗雲 加護のインクリスクロール 11/18 加護のインクリスクロール アンチマジックルーレットストーン アンチマジックルーレットストーン アンチマジックルーレットストーン †荒々しい虎の魂 †真・絶対権力の玉璽 加護のインクリスクロール 11/19 加護のインクリスクロール 加護のインクリスクロール アンチマジックルーレットストーン 加護のインクリスクロール ハイアキュラシーカード ハイアキュラシーカード 加護のインクリスクロール 11/20 †金斗雲 アンチマジックルーレットストーン 加護のインクリスクロール 加護のインクリスクロール 加護のインクリスクロール 加護のインクリスクロール 加護のインクリスクロール 11/21 加護のインクリスクロール アンチマジックルーレットストーン アンチマジックルーレットストーン ハイアキュラシーカード アンチマジックルーレットストーン アンチマジックルーレットストーン アンチマジックルーレットストーン 11/22 アンチマジックルーレットストーン アンチマジックルーレットストーン †セティリアリュック ハイアキュラシーカード アンチマジックルーレットストーン アンチマジックルーレットストーン アンチマジックルーレットストーン 11/23 ザン 日付 18:30 19:30 20:30 21:30 22:30 23:30 24:30 11/9 錬金術師の秘薬 †セティリアリュック 加護のインクリスクロール 錬金術師の秘薬 アンチマジックルーレットストーン アンチマジックルーレットストーン †荒々しい虎の魂 11/10 ハイアキュラシーカード †アルファウイング †荒々しい虎の魂 加護のインクリスクロール 加護のインクリスクロール †セティリアリュック 加護のインクリスクロール 11/11 アンチマジックルーレットストーン †ダイダロスウイング †金斗雲 †セティリアリュック 加護のインクリスクロール †真・絶対権力の玉璽 加護のインクリスクロール 11/12 †セティリアリュック 加護のインクリスクロール ハイアキュラシーカード アンチマジックルーレットストーン ハイアキュラシーカード †セティリアリュック アンチマジックルーレットストーン 11/13 †真・絶対権力の玉璽 加護のインクリスクロール †金斗雲 アンチマジックルーレットストーン アンチマジックルーレットストーン †荒々しい虎の魂 ハイアキュラシーカード 11/14 11/15 11/16 11/17 11/18 11/19 11/20 11/21 11/22 11/23 情報提供 名前 最終抽選は11月23日(水)24:30(11月24日0:30) -- 今日も抽選日のはずなのに抽選がない -- パル パルシュ昨日の23 30アンチ 24 30加護 本日一発目加護 -- 16日のメンテ以降、あからさまに当選賞品に残念賞が多くなった -- ああ てゆうか唯一初日しか書かれてないネニャフルはなんなんだろ・・・・ -- パルシュ23 30 金斗雲が、当たりましたw -- ナルビクフリマ パルシュ、11.17の19 30はアンチマジックでしたよ -- ログインするだけでいいんですよね? -- パルシュ 24:30 加護のインクリスクロールでした。 -- 当選時、言霊風のメッセージウィンドで あなたに当選しました。 「***」 というような表示があります -- ドゥルネンサ22 30 錬金術師の秘薬 -- オル20:30 金斗雲 -- どうやったら賞品を受け取れるんですか? -- オル19:30加護のインクリスクロール -- パルシュ22:30荒々しい 23:30ハイアキュラシーカード -- レコ 22 30 ハイアキュラシーカードでした -- 23:30 †真・絶対権力の玉璽でした -- ザン ティア 23 30 †真・絶対権力の玉璽 でした -- ルグラン22:30アルファウィング -- あ ハイアカン 18:30 †真・絶対権力の玉璽 19:30 †セティリアリュック -- サンスルリア 18:30 ハイアキュラシーカードでした -- トレビゾ 24 30 加護のインクリスクロール -- トラバチェス 20 30 加護のインクリスクロール -- 虎 ネニャフル 19:30 アンチマジック 20:30 錬金術士の秘薬 -- ハイアカン 19:30 ハイアキュラシーカード -- ハイアカン 11/10 18:30 金斗雲 -- ネニャフル 11-10 第1回 18 30 加護のインクリスクロール -- ネンチャフル18:30〜順に アルファウィング アンチマジック セティリアリュック アンチマジック 金斗雲 ハイアキュラシー ハイアキュラシー -- パルシュ 22 30 ダイダロスウイングでした -- ネニャ 21 30アンチ 22 30金斗雲 -- オル鯖21 30ハイアキュラシーカードでした -- パルシュ 21:30 †セティリアリュック -- ダイダロス→セティリア→アンチマジック -- ペリ トラバチェス19:30金斗雲 -- 19 30 †セティリアリュック -- ザン 18 30 錬金術師の秘薬 -- ザン 18 30 ハイアキュラシー -- $鯖 ダイダロス -- ペリ パルシュ18 30 きんと雲 -- サンスルリア 18 30 金斗雲でした --
https://w.atwiki.jp/sakura398/pages/264.html
<目次> ■1.憲法論と、政治的スタンス5分類・8分類 ■2.LEC(法律試験予備校大手)の「国民主権」論(リベラル左派~中間派) ■3.芦部信喜の「国民主権」論(リベラル左派) ■4.佐藤幸治の「国民主権」論(中間派) ■5.阪本昌成の「国民主権」論(リベラル右派) ◆1.阪本昌成『憲法理論Ⅰ 第三版』(1999年刊) 第一部 国家と憲法の基礎理論 ◇第七章 国民主権と憲法制定権力 ◇第八章 憲法の保障と憲法の変動 ◆2.阪本昌成『憲法1 国制クラシック 全訂第三版』(2011年刊) 第Ⅰ部 統治と憲法 ◇第8章 国民主権あるいは憲法制定権力 ◇第9章 憲法の改正 ◇第10章 憲法(国制)の変遷 ■6.中川八洋の「国民主権」論(保守主義) ■7.「国民主権」ないし「制憲権(憲法制定権力)」論まとめ ■8.関連ページ ■9.ご意見、情報提供 ■1.憲法論と、政治的スタンス5分類・8分類 日本の様々な憲法論を政治的スタンスに当て嵌めて概括すると下表のようになる。 ※サイズが画面に合わない場合は こちら をクリック願います。 政治的スタンス 代表的論者 ベースとなる思想家/思想 補足説明 詳細内容 (1) 極左 伊藤真など護憲論者 J.-J.ルソーの社会契約論からさらに、アトム的個人主義と集産主義の結合形態(=左翼的全体主義)※説明に接近 「人権」「平和」を過度に強調し絶対視する共産党・社民党・民主党左派系の法曹に多い憲法論でありイデオロギー色が濃く法理論というよりは左翼思想のプロパガンダである(左の全体主義) (2) 左翼 芦部信喜高橋和之 修正自然法論(法=主権者意思[命令]説に自然法を折衷)+J.-J.ルソーの社会契約論 宮沢俊義→芦部信喜と続く戦後日本の憲法学の最有力説であり通説※宮沢は有名なケルゼニアン(ケルゼン主義者)。芦部は自然法論者だが人権保障をア・プリオリ(先験的)な「根本規範」と位置づけており、その表面的な米国判例理論の紹介はポーズに過ぎず、実際には依然ケルゼン/ラートブルフ等ドイツ系法学の影響が強い よくわかる現代左翼の憲法論Ⅰ(芦部信喜・撃墜編) (3) リベラル左派 長谷部恭男 H.L.A.ハートの法概念論(法=社会的ルール説)を一部独自解釈※なお長谷部は社会契約論に依拠しているのか曖昧でハートの法概念論と辻褄が合うはずのハイエクの自由論は故意に無視している 近年の左派系憲法論(護憲論)をリードしている長谷部は芦部門下であるが、師のようなドイツ系法学パラダイムはもはや世界の憲法学の潮流からは通用しないことを認識しており、師の憲法論の中核である、①根本規範を頂点とした法段階説+②制憲権(憲法制定権力)説、を明確に否定して、英米系法学パラダイムへの接近を図っている。(※但しハートまでは受容しながらもハイエクを拒否している長谷部の憲法論は中途半端の誹りを免れず、これを一通り学んだ後は、より整合性のとれた阪本昌成の憲法論へと進むべきである) よくわかる現代左翼の憲法論Ⅱ(長谷部恭男・追討編) (4) 中間 佐藤幸治 人格的自律権に限定して自然法を認める独自説+J.ロックの社会契約論 芦部説の次に有力な憲法論であり、芦部説よりも現実妥当性が高いので重宝されるが(佐藤は佐々木惣一から大石義雄へと続く京都学派憲法学の系統)、法理論としては妥協的でチグハグと呼ばざるを得ない 佐藤幸治『憲法 第三版』抜粋 (5) リベラル右派 阪本昌成、※ H.L.A.ハートの法概念論(法=社会的ルール説)+F.A.ハイエクの自由論 20世紀後半以降の分析哲学の発展を反映した英米法理論に基礎を置く憲法論であり、法理論としての完成度/説得力が最も高いが、日本では残念ながら非常に少数派 阪本昌成『憲法1 国制クラシック』 (6) 保守主義 中川八洋日本会議 E.コークの「法の支配」論+E.バークの国体論 日本会議・チャンネル桜系の憲法論も基本的にこちらに該当する。法理論というより「国民の常識」論であり、心情面からの説得力が高いが、(5)の法理論を一通り押えた上でこの立場を取らないと、いつの間にか(7)に堕する危険があるので注意。 中川八洋『国民の憲法改正』抜粋 (7) 右翼・極右 いわゆる無効論者 ヘーゲルの法概念論・共同体論およびそれに類似した全体主義的論調 「伝統」「国体」などを過度に強調し絶対視して「右の全体主義」化した憲法論(左翼憲法論の裏返しであり、左翼からの転向者が嵌り易い。法理論というより右翼イデオロギーのプロパガンダ色が濃い) ※政治的スタンス5分類・8分類+円環図 -... ※サイズが合わない場合は こちら をクリック ⇒上図の詳しい説明は、政治の基礎知識、政治学の概念整理と、政治思想の対立軸 参照。 政治的スタンス毎の憲法論の違いは、①「人権」と②「国民主権」の捉え方に顕著に現れる。このうち、①「人権」に関しては、「国民の権利・自由」と「人権」の区別 ~ 人権イデオロギー打破のためにを参照。政治的スタンス毎の「国民主権」論比較・評価では、(2)~(6)の各々の政治的スタンスの代表的な②「国民主権」論を列記したのち、総括する。 ■2.LEC(法律試験予備校大手)の「国民主権」論(リベラル左派~中間派) ↓本文はここをクリックして表示/非表示切り替え +... <目次> 一 主権の意味 ニ 国民主権の意味《問題の所在》 《考え方の筋道》 《アドヴァンス》 《One Point》 《How To》 LEC『C-Book 憲法Ⅰ《総論・基本的人権》』 p.65~ 国民主権 一 主権の意味 ① 国家の統治権としての主権 統治権としての主権国家権力そのもの(国家の統治権)というときの主権 ex. 「日本国ノ主権ハ、本州、北海道、九州、及ビ四国並ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ」(ポツダム宣言8項) ② 最高独立性としての主権 国家への主権の集中(最高独立性)というときの主権 ex. 「政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。」(前文3段) ③ 国政の最終決定権としての主権 国家における主権の所在(国政の最終決定権)というときの主権 国の政治の在り方を最終的に決定する力または権威という意味であり、これが国民に存することを国民主権という。ex. 「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」(前文1段) ニ 国民主権の意味 《問題の所在》 日本国憲法は、前文第1段で「主権が国民に存する」、1条で「主権の存する日本国民」と規定し、国政の最終決定権が国民に属するという国民主権原理を採用している。 それでは、ここにいう「国民」を全国民と考えるべきか、それとも有権者の総体と考えるべきか。 国民主権の原理において、国の政治の在り方を最終的に決定する権力を国民自身が行使するという権力的契機と、国家の権力行使を正当づける究極的な権威は国民に存するという正当性の契機をどのように考えるかという点と関連して問題となる。 《考え方の筋道》 Step① 憲法は個人の尊厳を確保するため、政治は国民の自律的意思による政治でなければならず、国政の最終決定権が国民に属するという国民主権原理を採用した(前文1段、1条) ↓ この点 Step② 主権者たる国民を有権者の全体と捉え、「主権」の本質を憲法制定権力であるとして、有権者としての国民が国政の在り方を直接かつ最終的に決定すること(権力的契機)が国民主権であると考える見解もある。 ↓ しかし Step③ それでは、独裁を許す危険があり、また、国民が主権者たる国民とそうでない国民とに二分され、治者と被治者の自同性に反し、妥当でない。 ↓ そこで Step④ 基本的には、国民主権とは、主権者たる国民は一切の自然人である国民の総体と捉え、国民主権とは全国民が国家権力の源泉であり、国家権力の正当性を基礎づける究極の根拠であると解する。 ↓ ただ Step⑤ 憲法改正権の存在(96条)等から、国民(有権者)が国の政治の在り方を直接かつ最終的に決定するという権力的契機も不可分に結合していると解すべきである(折衷説)。 ↓ Step⑥ 以上のように解すると、原則として国民は直接には権利行使をなしえないから、代表民主制の採用が必然となり、代表者たる議員は「全て」の国民の代表者となる(43条Ⅰ参照)。 《アドヴァンス》 A 有権者主体説 「国民」を有権者の総体と考える見解。 a-1主権=憲法制定権とすることを根拠とする説(清宮) 主権を憲法制定権(力)、すなわち一定の資格を有する国民(選挙人団)の保持する権力(権能)とする。従って、憲法制定権の主体である国民には天皇を含まず、また権能を行使する能力のない、未成年者も除外されるとする。→権力的契機を重視するが、そこから導かれる具体的な制度上の帰結を示していない(批判)①全国民が主権を有する国民と主権を有しない国民とに二分されることになるが、主権を有しない国民の部分を認めることは民主主義の基本理念に背く。②選挙人の資格は法律で定めることとされているため(44)、国会が技術的その他の理由に基づいて年齢・住所要件・欠格事項等を法律で定めることによって主権を有する国民の範囲を決定することとなり、論理矛盾となる。③代表民主制を国政の原則とする前文の文言と、解釈上必ずしも適合的でない。 a-2フランスの議論を採り入れる説(杉原) 日本国憲法は、リコール制を認めたと理解しうる15条1項や、95条、96条1項のように人民(プープル)主権に適合する規定もあるが、基本的な性格としては、43条1項や51条に示されているように国民(ナシオン)主権を基礎とする憲法である。しかし、憲法の歴史を踏まえた将来を展望する解釈が必要であるから、日本国憲法の解釈は人民(プープル)主権の論理に基いてなされなければならない。従って、国民の意思と代表者の意思を一致させるために、43条の国民代表の概念や51条の議員の免責特権の再検討が要請される。→権力的契機の重視とともに、そこから導かれる具体的な制度上の帰結を示している。(批判)上記①から③の批判に加え、フランスの議論は必ずしも全ての国の憲法に法律的意味においてそのまま妥当する議論ではない、という批判がなされている。 B 全国民主体説(宮沢、橋本) 「国民」を、老若男女の区別や選挙権の有無を問わず、一切の自然人たる国民の総体をいうとする見解。→このような国民の総体は、現実に国家機関として活動することは不可能であるから、この説にいう国民主権は、天皇を除く国民全体が国家権力の源泉であり、国家権力の正当性を基礎づける究極の根拠だということを観念的に意味することに過ぎなくなる。(批判)国民に主権が存するということが、建前に過ぎなくなり、国民主権と代表制とは不可分に結びつくが、憲法改正の国民投票(96)のような、直接民主制の制度について説明が困難になる。 C 折衷説(芦部) 「国民」を、有権者(選挙人団)及び全国民の両者として理解する見解。→「国民」=全国民である限りにおいて、主権は権力の正当性の究極の根拠を示す原理であるが、同時にその原理には、国民自身(≒有権者の総体)が主権の最終的な行使者(憲法改正の決定権者)だという権力的契機が不可分の形で結合しているとする(ただし、あくまでも正当性の契機が本質) 【ナシオン(Nation)主権とプープル(peuple)主権】 フランスの主権論 ナシオン主権 ⇔ プープル主権 憲法 1791年憲法 ⇔ 1793年憲法 主権者 Nation 仏 (= Nation 英 ) ⇔ Peuple 仏 (= People 英 ) 国民 観念的統一体としての国民 →具体的人間の集合体という意味はない ⇔ 具体的に把握しうる諸個人の集合体としての国民 権力行使 授権によってのみその権力を行使しうる →専ら代表制(代表者としての立法府と君主を指定) ⇔ 国民が直接権力行使を行う →直接民主制が徹底した形 授権の内容 代表者意思に先行するナシオン自身の意思なし ⇔ 代表機関の意思のほかにプープル自身の意思あり 契機 国家権力の正当性の根拠が国民に存する ⇔ 主権の権力契機が前面に出て、最高権力を行使するのはプープル 諸制度 制限選挙・自由委任 ⇔ 普通選挙・命令委任 歴史的意義 絶対王政を否定すると同時に市民革命がより貫徹されること抑圧す機能をもつ(現状維持的) ⇔ 市民革命の課題をより貫徹する勢力のシンボルとして機能(現状変革的) 《One Point》 学説では、折衷説が近時の通説であり、全国民主体説はかつての通説、有権者主体説は少数説です。 なお、本論点は、憲法が明文で定めた場合(79Ⅱ、95、96)以外に国政において直接民主制の採用(ex. 一定の事項についての国民投票、有権者による衆議院解散請求の制度)が認められるかという論点と関連します。 この点に関しては、フランスの議論をとり入れる説に立てば当然に肯定説につながりますが、それ以外の説からは論理必然的に帰結が導かれるものではありません。 《How To》 近時の通説である折衷説に立つのがよいでしょう。 なお、折衷説を論じる際、論証が長くなりがちです。 直接民主制の採用に関する問題等、本論点が前提として問われた場合には、コンパクトに論じることが必要でしょう。 ■3.芦部信喜の「国民主権」論(リベラル左派) ↓本文はここをクリックして表示/非表示切り替え +... 芦部信喜『憲法 第五版』(2011年刊) 第三章 国民主権の原理 p.35以下 <目次> 一 日本国憲法の基本原理◆1.前文の内容 ◆2.基本原理相互の関係(一)人権と主権 (二)国内の民主と国際の平和 ◆3.前文の法的性質 ニ 国民主権◆1.主権の意味 ◆2.国民主権の意味(一)主体について (ニ)権力性と正当性の両契機 一 日本国憲法の基本原理 日本国憲法は、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義の三つを基本原理とする。 これらの原意がとりわけ明確に宣言されているのが憲法前文である。 ◆1.前文の内容 前文とは、法律の最初に付され、その法律の目的や精神を述べる文書であり、憲法前文の場合には、憲法制定の由来、目的ないし憲法制定者の決意などが表明される例が多い。 もっとも、その内容はそれぞれの国の憲法によって異なる。 日本国憲法前文は、国民が憲法制定権力の保持者であることを宣言しており、また、近代憲法に内在する価値・原理を確認している点で、きわめて重要な意義を有する。 前文は四つの部分から成っている。 ① 一項の前段は、 「主権が国民に存すること」、および日本国民が「この憲法を確定する」ものであること、つまり国民主権の原理および国民の憲法制定の意思(民定憲法性)を表明している。ついで、それと関連させながら、「自由のもたらす恵沢」の確保と「戦争の惨禍」からの解放という、人権と平和の二原理を謳い、そこに日本国憲法制定の目的があることを示している。 それを受けて、一項後段は、 「国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」と言い、国民主権とそれに基づく代表民主制の原理を宣言し、最後に、以上の諸原理を「人類普遍の原理」であると説き、「われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する」として、それらの原理が憲法改正によっても否定することができない旨を明らかにしている。 ② 二項は、 「日本国民は、恒久の平和を念願」するとして、平和主義への希求を述べ、そのための態度として、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信て、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と宣言する。 ③ 三項は、 国家の独善性の否定を「政治道徳の法則」として確認し、 ④ 四項は、 日本国憲法の「崇高な理想と目的を達成すること」を誓約している。 ◆2.基本原理相互の関係 前文に盛られた国民主権原理、人権尊重主義、平和主義の原理は、次のように相互に不可分に関連している。 (一)人権と主権 第一に、基本的人権の保障は、国民主権の原理と結びついている。 専制政治の下では、基本的人権の保障が完全なものと成り得ないことは当然であり、民主主義政治の下で初めて人権保障が成立する。 先に指摘した前文一項の文書は、明らかに、国民主権およびそれに基づく代表民主制の原理(狭義の民主主義)が基本的人権の尊重と確立を目的とし、それを達成するための手段として、不可分の関係にあることを示している。 自由(人権)は「人間の尊厳」の原理なしには認められないが、国民主権、すなわち国民が国の政治体制を決定する最終かつ最高の権威を有するという原理も、国民がすべて平等に人間として尊重されて初めて成立する。 このように、国民主権(民主の原理)も基本的人権(自由の原理)も、ともに「人間の尊厳」という最も基本的な原理に由来し、その二つが合して広義の民主主義を構成し、それが、「人類普遍の原理」とされているのである(第18章三3図表参照) (二)国内の民主と国際の平和 第二に、人間の自由と生存は平和なくして確保されないという意味で、平和主義の原理もまた、人権および国民主権の原理と密接に結びついている。 国内の民主主義と国際的平和の不可分性は、近代憲法の進化を推進してきた原理だと言ってもよい。 ◆3.前文の法的性質 以上のような基本原理を明らかにしている日本国憲法の前文は、憲法の一部をなし、本文と同じ法的性質をもつと解される。 従って、たとえば前文一項の、「人類普遍の原理・・・・・・に反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する」という規定は、憲法改正に対して法的限界を画し、憲法改正権を法的に拘束する規範であると解される(憲法改正権の限界については、第18章三3参照)。 しかしながら、これは前文に裁判規範としての性格まで認められることを意味しない。 裁判規範とは、広い意味では裁判所が具体的な訴訟を裁判する際に判断基準として用いることのできる法規範のことを言うが、狭い意味では、当該規範を直接根拠として裁判所に救済を求めることのできる法規範、すなわち裁判所の判決によって執行することのできる法規範のことを言う。 前文の規定は抽象的な原理の宣言にとどまるので、少なくとも狭い意味での裁判規範としての性格はもたず、裁判所に対して前文の執行を求めることまではできない、と一般に解されている。 この点に関して問題となるのが、前文二項の、「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有する」という文章に示されている「平和的生存権(*)」である。 学説では、右規定の(狭い意味での)裁判規範性を認めることは出来るとし、平和的生存権を新しい人権の一つとして認めるべきであるという見解も有力である。 しかし、平和的生存権は、その主体・内容・性質などの点でなお不明確であり、人権の基礎にあってそれを支える理念的権利ということは出来るが、裁判で争うことの出来る法的権利性を認めることは難しい、と一般に考えられている。 (*) 平和的生存権 平和的生存権という考えは、自衛隊違憲訴訟において、1960年代から主張されたものである。平和的生存権は、「平和を享受する権利」を意味し、憲法9条の戦争の放棄の原則との関連で、平和を人権として捉えるという意図に基づくものである。具体的には、基地付近の住民が基地の撤廃を裁判所に求める場合の「訴えの利益」を基礎づけるために主張された。しかし、判例においては、長沼事件(第四章三3*参照)一審判決は、平和的生存権を訴えの利益の一つの根拠として認めたが、二審判決はこれを否定し、最高裁判所でも前文二項の裁判規範性は実質的に認められなかった。 ニ 国民主権 国民主権の原理は、絶対主義時代の君主の専制的支配に対抗して、国民こそが政治の主役であると主張する場合に、その理論的支柱とされた観念で、近代市民革命の成立以後、国家統治の根本原理として近代立憲主義憲法において広く採用されている。 もっとも、その原理の内容を具体的にどのように理解するかについては様々な見方が示されてきており、現在もなお活発な議論が展開されている。 ◆1.主権の意味 主権の概念は多義的であるが、一般に、 ① 国家権力そのもの(国家の統治権)、 ② 国家権力の属性としての最高独立性(内にあっては最高、外に対しては独立ということ)、 ③ 国政についての最高の決定権、 という3つの異なる意味に用いられる。 これは歴史的な理由に基づく。 すなわち、主権という概念は、絶対主義君主が中央集権国家をつくりあげていく過程において、君主の権力が、封建領主に対しては最高であること、ローマ皇帝に対しては独立であることを基礎づける政治理論として主張された概念であった。 ところが、「朕は国家なり」の思想が支配していた専制君主制国家では、3つの主権概念は「君主の権力」という形で統一的に理解されていたが、その後、君主制の立憲主義化にともなって国家の概念も変化し、君主の権力と国家権力とは区別して考えられるようになり、主権の概念が3つに分解したのである。 (一) 統治権 ①の国家権力そのものを意味する主権とは、国家が有する支配権を包括的に示す言葉である。立法権・行政権・司法権を総称する統治権(Herrschaftsrechte, governmental power)とほぼ同じ意味で、日本国憲法(41条)に言う「国権」がそれにあたる。統治権という意味の主権の用例は、ポツダム宣言8項「日本国ノ主権ハ、本州、北海道、九州及四国並ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限サラルベシ」という規定にみられる。 (ニ) 最高独立性 ②の国家権力の最高独立性(国家権力の主権性とも言われる)を意味する主権は、主権概念の生成過程から言えば、本来の意味の主権の概念である。憲法前文3項で、「自国の主権を維持し」という場合の主権がその例であるが、そこでは国家の独立性に重点が置かれている。 (三) 最高決定権 ③の国政の最高の決定権としての主権とは、国の政治のあり方を最終的に決定する力または権威という意味であり、その力または権威が君主に存する場合が君主主権、国民に存する場合が国民主権と呼ばれる。憲法前文1項で「ここに主権が国民に存することを宣言し」という場合の主権、および1条で「主権の存する日本国民の総意」という場合の主権がこれにあたる。 ◆2.国民主権の意味 「国民主権」がいかなる意味・内容を有するかについては、さまざまの議論があるが、ここでは、次の2点を注意しておきたい。 (一)主体について 第一は、国民主権の観念は、本来、君主主権との対抗関係の下で生成し、主張されてきたもので、君主主権であることは国民主権ではなく、国民主権であることは君主主権ではない、という相反する関係にあることである。 従って、主権は君主にあるのでも国民にあるのでもなく、国家にあるとか、主権は天皇を含む国民全体にあるとか、という趣旨の説明は、戦後よく主張されたが、政治的な配慮に基づく考え方で、理論的には正当とは言い難い。 戦前のドイツで支配的な学説であった国家法人説は、先に触れたように(第二章一2*参照)、国家は法的に考えると法人、すなわち権利(統治権)主体であり、君主はその最高機関であると説き、君主主権か国民主権かは、国家の最高意思を決定する最高機関の地位に君主が就くか国民が就くかの違いにすぎない、と主張した。 そして、「主権」という概念は国家権力の最高独立性を示す本来の概念としてのみ用いるべきであるとし、君主主権か国民主権かという近代憲法が直面した本質的問題を回避しようとした。 それは、急激な民主化を好まない19世紀ドイツの立憲君主制に見合った理論であった。 この国家法人説は、明治憲法の下では天皇機関説に具体化され、憲法の神権主義的性格を緩和する役割を果たした。 しかし、国民主権の確立した日本国憲法の下では、もはやその理論的有用性をもたない。 (ニ)権力性と正当性の両契機 第二に注意を要するのは、国民主権の原理には、2つの要素が含まれていることである。 一つは、 国の政治のあり方を最終的に決定する権力を国民自身が行使するという権力的契機であり、 他の一つは、 国家の権力行使を正当づける究極的な権威は国民に存するという正当性の契機である。 もともと国民主権の原理は、国民の憲法制定権力(制憲権)の思想に由来する(第一章四2参照)。 国民の制憲権は、国民が直接に権力を行使する(具体的には、憲法を制定し国の統治のあり方を決定する)、という点にその本質的な特徴がある。 ところが、この制憲権は、近代立憲主義憲法が制定されたとき、合法性の原理に従って、自らを憲法典の中に制度化し、 ① 国家権力の正当性の究極の根拠は国民に存するという建前ないし理念としての性格をもつ国民主権の原理、および、 ② 法的拘束に服しつつ憲法(国の統治のあり方)を改める憲法改正権 に転化したのである(そのため改正権は、「制度化された制憲権」とも呼ばれる。この点につき、なお、第八章三3参照)。 以上のような国民主権の原理に含まれる2つの要素のうち、主権の権力性の側面においては、国民が自ら国の統治のあり方を最終的に決定するという要素が重視されるので、そこでの主権の主体としての「国民」は、実際に政治的意思表示を行うことのできる有権者(選挙人団とも言う)を意味する。また、それは、国民自身が直接に政治的意思を表明する制度である直接民主制と密接に結びつくことになる。もっとも、国民主権の概念に権力的契機が含まれていると言っても、憲法の明文上の根拠もなく、国の重要な施策についての決定を国民投票に付する法律がただちに是認されるという意味ではない(憲法上認められるのは、国民投票の結果がただちに国会を法的に拘束するものではない諮問的・助言的なものに限られよう)。主権の権力性とは、具体的には、憲法改正を決定する(これこそ国の政治のあり方を最終的に決定することである)権能を言う。 これに対して、主権の正当性の側面においては、国家権力を正当化し権威づける根拠は究極において国民であるという要素が重視されるので、そこでの主権の保持者としての「国民」は、有権者に限定されるべきではなく、全国民であるとされる。また、そのような国民主権の原理は代表民主制、とくに議会制と結びつくことになる。 日本国憲法における国民主権の観念には、このような2つの側面が並存しているのである。(*) 従って、国家権力の正当性の淵源としての国民は「全国民」であり、すべての「国家権力は国民から発する」、ということになる。 しかし同時に、国民(有権者)が国の政治のあり方を最終的に決定するという権力性の側面も看過してはならない。 そのように考えるならば、憲法96条において憲法改正の是非を最終的に決定する制度として定められている国民投票制(第十八章三2(ニ)参照)は、国民主権の原理と不可分に結合するものと解されよう。 (*) ナシオン主権とプープル主権 フランスでは、市民革命期に君主主権を否定して制定された新しい立憲主義憲法の主権原理として、ナシオン(nation)主権をとるかプープル(peuple)主権をとるか争われ、この2つの対立が第二次大戦後の憲法にまで及んでおり、日本でも「国民主権」をその概念を用いて説明する学説が少なくない。しかし、もしナシオンの意味を「国籍保持者の総体としての国民(全国民)」、プープルの意味を「社会契約参加者(普通選挙権者)の総体としての国民(人民)」と解すれば、2つの主権原理は、本文に説いた主権主体としての「全国民」と「有権者団」の区別に対応するが、ナシオンは、具体的に実存する国民とは別個の、観念的・抽象的な団体人格としての国民の意だと一般に解されており、またプープルも、「今日では性別・年齢別の差なく文字どおりの『みんな』」だと解する説が有力であることに、注意すべきである。しかも、同じプープル主権を説く場合でも、「主権」の意味について、「統治権」と解する説もあれば権力の正当性の究極的根拠と解する説もあるなど、見解に大きな相違がみられる。 (*) 憲法制定権力 憲法をつくり、憲法上の諸機関に権限を付与する権力([英] constituent power, [仏] pouvoir constituant, [独] verfassungsgebende Gewalt)。制憲権とも言われる。国民に憲法をつくる力があるという考え方は、十八世紀末の近代市民革命時、とくにアメリカ、フランスにおいて、国民主権を基礎づけ、近代立憲主義憲法を制定する推進力として大きな役割を演じた。フランスのシェイエス(Emmanuel J. Sieyes, 1748-1836)が『第三階級とは何か』(1789年)を中心に展開した見解がその代表である。制憲権と国民主権との関係につき、第三章二2(ニ)参照。 ■4.佐藤幸治の「国民主権」論(中間派) ↓本文はここをクリックして表示/非表示切り替え +... 佐藤幸治『憲法 第三版』(1995年刊) <目次> 第一編 憲法の基本観念と日本国憲法の展開第一章 憲法の基本観念第四節 憲法と国家と主権 p.54以下Ⅰ. 国家(1)国家の概念 (2)国家の法人格性(イ)国家の法人格性 (ロ)国家法人説 Ⅱ. 主権(1)主権観念の展開(イ)主権観念の登場 (ロ)国民主権・人民主権 (ハ)国家主権権 (ニ)実力としての憲法制定権力 (2)実定法上の主権観念 第二編 国民主権と政治制度第一章 国民第ニ節 主権者としての国民 p.92以下Ⅰ. 日本国憲法下の国民主権論(1)総説 (2)最高機関意思説 (3)憲法制定権力説(イ)総説 (4)ノモスの主権説 (5)人民主権説 Ⅱ. 国民主権の意義(1)総説 (2)憲法制定権力者としての国民主権 (3)実定憲法上の構成的原理としての国民主権(イ)統治制度の民主化の要請 (ロ)公開討論の場の確保の要請 第一編 憲法の基本観念と日本国憲法の展開第一章 憲法の基本観念第四節 憲法と国家と主権 p.54以下 Ⅰ. 国家 (1)国家の概念 上述のように、憲法は国家生活のあり方にかかわる法であることから、そのことの関係で国家とはそもそも何かについて若干論及しておく必要がある。 国家と呼ばれる社会団体の存在性格・様式は、時代によりまた所により一定しないが、近代国家は、一定の地域を基盤として、その所属員の包括的な共同目的の達成を目的に、固有の支配権によって統一された非限時的の団体であるという点で概ね共通している。 このように、国家の本質を、地域、所属員、固有の支配権の3要素に集約せしめて理解しようとする見解は、一般に国家3要素説と呼ばれる。 (中略) 第三の要素である固有の支配権は、「国権」とか「統治権」とかあるいは「主権」とか呼ばれる。 「国権」は、伝統的な見解にあっては、国家の法上の人格すなわち国家の意思力を指す観念とされ(ここから国権の唯一不可分性が帰結される)、それに対して「統治権」は国家が国際法および国内法上有する権利の総体である(従って統治権は可分となる)として国権と区別されることもあるが、今日では、国権と統治権は同義に使用されることが多い。 「統治権」の内容は国によって一様ではありえないことになるが、国家である以上次の3種の基本的能力、すなわち、①領土内にある人および物を支配する権利たる領土高権、②国家の所属員を支配する権利たる対人高権、③国家の組織・権限の有り様を自らの意思により定めることのできる権利たる自主組織権(権限高権)、を備えているものでなければならない、とされる。なお、また、「国権」または「統治権」は「国家において統治活動をなす権力」の意味で用いられることもある(日本国憲法41条にいう「国権」はその例であるとされる)。 「主権」の語も多義的で、国権あるいは統治権と同義に用いられることのほか、国権の属性としての最高独立性の意味で用いられたり、また国家の統治活動の有り方を最終的に決定する力ないし権威の意味で用いられたりすることがるが、この点については後述する。 国家の第三の要素としての支配権は、国際組織が発達し相互依存的な今日の国際社会にあっては、かつてと違って様々な制約を受けることが多くなる傾向にある。 (2)国家の法人格性 (イ)国家の法人格性 法的認識の問題としてみた場合、国家は一個の統一的法秩序を形成しているといえようが、この法秩序の統一性をもって擬人的に法人格と称されることがあり、この意味で国家は法人格を有する、つまり国家は法人であるとみることができる。 さらに、国家は、実定法の内容に照らして、人格を有するとみなされる、というように言われる。 我が国の現行法上、国家は、財産権の主体としての関係において「国庫」と呼ばれ(民法239条・959条)、「国債」を負担したり、「国有財産」を有することが認められ、また、対外的な国際法上の関係において法主体として登場する。 この意味における国家の法人格性の範囲は、専らそれぞれの国家の実定法の定めるところによって決まることになる。 (ロ)国家法人説 19世紀ドイツにおいて登場し、我が国に多大の影響を及ぼした国家法人説は、右に述べたような意味での国家の法人格性を超えて、独特の意義と背景をもつものであったことが注目される。 つまり、国家法人説は、国家をもって社会学的には社団であり、法学的には法人であるとするとともに、従来の主権観念をもって専らかかる国家自体の特性を示すものとして把握し、それ以外の主権の意味を回避しようとしたところに特徴をもつものであった。 国家自体が意思力をもち、本来の主権はその意思力の最高性を示す観念として把握される。 このように国家の統治の有り方を最終的に決めるのは人格としての国家であるとする(国家主権説。ここでの国家主権は、国家が対外的に独立しているという意味での国家主権と異なることに注意)背景には、一方では絶対主義的君主主義論を克服し、他方では国民自身による積極的・具体的な統治を追求する国民主権論を抑止しようとする政治的低意が働いていたことが指摘される。 アメリカ合衆国などのように国民主権の確立した国において、とりたてて国家法人説が主張され発展せしめられることのなかったのは、まさにこの説のもつかかるイデオロギー性を示しているといえる。 他方、神権的国体観念を払拭しきれなかった明治憲法下において、国家は法人にして天皇はその機関とする天皇機関説は、結局において、「民主共和の説」として排撃されるところとなる。 国家法人説は、このように法人たる国家に主権があるとしたが、いわゆる国家の自己制限ないし自己義務づけの理論によって、主権の最高独立性と国家の被法的拘束性とを両立せしめ、そのことによってまた個人の自由の観念とも調和せしめようとした。 しかし、個人の「自然権」を基礎とする徹底した立憲民主主義の観点からすれば、いわゆる国家法人説は、国家の統治の正当性の契機を回避するとともに(従来の君主主権か国民主権かの問題は、国家意思を供給する国家機関の組織のあり方の問題と化す)、結局において国家の絶対性を措定し、個人の自由の観念と調和困難な説(国家固有の統治権はしばしば無条件に団体員を支配しその意思を規律しうる力であると説かれる)として受け入れ難いものとみなされざるをえないことになる。 もっとも、政治社会には唯一の究極的で絶対的な権威ないし権力が存しなければならないという観念たる「主権」は、結局のところ抽象的人格性を備える国家に帰属すると考えるとしても(その意味では国家主権説)、そのような属性をもつ国家を誰の権威でどのように運営するかの問題は残り、その主体的・具体的意思・権威はどこにあるかの問題こそ君主主権か国民主権かの問題である、というように考えることはできる。 国家と人権との関係をめぐる問題は後述するので(とくに第四編)、次に国家と主権と憲法との関係をめぐる問題をもう少し立ち入って考察することにしたい。 Ⅱ. 主権 (1)主権観念の展開 (イ)主権観念の登場 主権観念は、まず、フランス王権について、対外的にはローマ皇帝およびカトリック法王の権威・権力からの独立性を、体内的には封建諸侯に対しての優越性を、示すものとして登場した。 この主権観念の確立に理論的指導性を発揮したのはバーダンで、彼は、主権は国家の絶対的かつ恒久的権力であって、最高、唯一、不可分のものであり、すべての国家にとって不可欠の要素であると説いた。 そしてかかる主権観念は、近代国家への移行過程において他のヨーロッパ諸国でも広く用いられるようになる。 この段階では、国家は君主と一体的に観念されていたから(「朕は国家なり」)、国家自体の主権とその国家内において最高意思はどこにあるかということ(国家内における最高権の問題)とは次元を異にする別個の問題であることは十分意識されていなかった。 しかるに、君権に対する市民層の不満を背景に、国民主権ないし人民主権が登場するに及んで、主権論の力点は国家内の最高権の所在の問題に向けられることになる(もっとも、この段階でも君主を人民に取って換えただけで、人民即国家と考える傾向がみられる)。 (ロ)国民主権・人民主権 (a) 国民主権論は、近代自然法論に依拠する社会契約説を根拠に登場した。社会契約説は、その理論構成如何によっては、なお君主主権を根拠づけるところともなるが(ホッブズ)、一般に、あくまでも各人の自然権の保全を基軸に考え、その保全に必要な限度での統治の権力の信託という構成をとることによって国民主権を帰結した(ロック)。つまり、国家権力を支えるのは国民であり、国民の支持がある限りにおいてのみその行使が正当化される。しかしこの見解は、国民主権の名にふさわしい実をあげる具体的方法・プロセスを明確にしていないきらいがあった。 (b) 同じく社会契約説に立脚しつつ、それを単に国家統治の正当性の根拠とするにとどまらず、国民による直接統治を帰結する説(ルソー)は、右の国民主権論に対する批判にして一つの解答であったとみることができる。そこでは、主権は子かを構成する全人民の、常に共同の利益を欲して誤ることのない一般意思として把握され、具体的には一般意思は立法意思と同一視され、それは全市民の参加によって行使されるものとみなされた。主権は絶対的なもので、不可分・不可譲・不可代表の性質をもつ。それは議会制を否定する徹底した直接民主主義的人民主権論であるが、従来の絶対主義的君主主権を端的に人民に取って換えたきらいがあり、現実の国家の実態に即した理論としては無理な性格のものであった。一般意思は常に共同の利益を欲する意思だとされるが、具体的な立法意思がそうであるという保障はなく、絶対的な一般意思の名における個人や少数者の抑圧という可能性は常に存する(ルソーの人民主権論が後世において人民独裁の国家論と評されることのある理由はここにある)。また、主権は不可分だとされるが、主権の主体としては具体的な個々人ないしその総体が想定されていて、理論的整合性の点でも問題を孕んでいた。 (c) このような国民主権論、人民主権論の問題性の文脈においてみると、国民主権を基本的に憲法制定権力として把握しようとする説(シェイエス)は注目すべき見解であったといわなければならない。そこでは、「憲法を制定する権力(pouvoir constituant)」と「憲法によってつくられた権力(pouvoirs constitues)」とが区別される。そして、前者は、自然法の下に、国民がこれを有し、単一不可分であり、それ自体いかなる形式にも服することのない、「意欲しさえすれば十分である」万能の存在であるとされ、他方後者は、憲法制定権力の制定した憲法によって組織されるところの立法権・執行権といった権力で、憲法による規制下に立つ存在であるとされた。ここではルソーの一般意思と同様主権の絶対性が措定されつつも、他方憲法制定権力と立法権との本質的区別がなされることによって、代議制や権力分立制と結合する途が開かれたのである。この憲法制定権力の観念は、右のシェイエスにみられるように徹底して理論化されるということはなかったが、アメリカにおいていち早く現実のものとなった。権力の根源である国民が人為的に制定した成文の憲法によって国家の統治構造と国民の権利を定め、国政の運営およびそれにまつわる問題の解決は全てこの成文の憲法に立ち返って行なうという行き方が定着した。アメリカの憲法制定権力は、ヨーロッパのそれのように激しく対立すべき“敵”(アンシャン・レジーム)をもたず、当初から民主的基盤の上に成立したことが関係してか、本質的に非実体的・非権力的で、憲法制定会議とその成案の承認を通じて、法律よりも高次の妥当性を根拠づけるという機能に基本的に集約される。それには、アメリカの立憲主義がイギリスの古典的立憲主義と必ずしも切断されず、むしろある面ではそれを引き継ぐ形で成立したものであること、第二に、アメリカの憲法制定権力は、革命初期の諸邦における立法権優位の経験に基づく反動として、個人の諸権利を確実なものとするという保守的な土台の上に構想されたものであること、などが関係していたと思われる。 (d) フランス革命期は、君主主権、国民主権、ルソー流人民主権、シェイエス流憲法制定権力など様々な観念が競い合った時代であった。1789年の「人および市民の権利宣言」にはルソー的思想の影響が指摘されているが、1791年の憲法は、君主主権を否定すると同時に、ルソー流人民主権をも斥けて、国民主権に与する姿勢を明確にした。そこでは、「主権は、単一、不可分、不可譲で時効にかかることがない。主権は国民に属する」とされるが、「権力の唯一の淵源である国民は、委任によってのみその権力を行使しうる。フランスの国家体制は代表制である」と明言されている。つまり、主権者たる「国民(nation)」は抽象的な観念的統一体としての国民であって、それ自体として具体的な意思・活動能力を備えた存在ではありえず、委任(包括的・集団的な代表委任)が不可避的に帰結されたのである。代表と被代表との間の選任関係を不可欠の要素とせず、制限選挙制が採用され、訓令委任が禁止されたことなどは、いずれも国民(nation)主権の帰結であった。他方、シェイエス流憲法制定権力は、憲法を制定し変更する権力として一括して把握されてものであったが、91年憲法においては、制定権力と改正権とに分離され、改正権は法的統制下におかれるとされる一方、制定権力は依然として法的統制を受けない存在であるものの、観念化され、憲法の妥当性を根拠づけるという機能に封じ込ようとする姿勢が示された。ところが、93年憲法は、国民主権を斥けて、むしろ人民主権の考え方に依拠することを明らかにする。ここでの「人民(peuple)」は、もはや抽象的な観念的統一体としての存在ではなく、それ自体活動能力を備えた具体的に把握できる存在である。かくして、憲法改正のイニシアティヴは第一次集会に組織された人民に帰属せしめられ、また「人民が法律につき表決する」ものとされた。そして、男子普通選挙制の下で直接選挙によって選出された立法府が統治機構の中で極めて高い地位を占めていることも見逃せない点である。 (e) 右にみたように、フランスにおいては国民主権と人民主権とは別個のものとして区別され、両者間の葛藤が歴史を彩ることとなるが、選挙権の拡大につれ次第に議会は実在する民意を忠実に反映すべきであると考えられるようになり(第一節Ⅲ(7頁)参照)、第三共和制憲法下においてそうした考え方が定着するに至る。理論上の曖昧さを残しながらも、実質的意味において人民主権への傾斜である。他方、憲法制定権力論は、この第三共和制憲法の下で立憲主義が定着するにつれて後退し、むしろ制定権力をもって法の世界の外の問題と解し、法的には改正権のみが問題とされるようになる。そして、さらには改正権と立法権との区別さえ曖昧化してしまう。この点は法実証主義の強い影響下にあった19世紀後半のドイツ憲法学において一層顕著で、憲法改正権は立法権と同一視されている。 (ハ)国家主権権 国家主権論については、既に触れた。 繰り返せば、右の君主主権と国民主権・人民主権を忌避して、法人たる国家に主権が帰属するとしたもので、当時のドイツの法実証主義憲法学にいかにも相応しい考え方であったということができよう。 ここでは、主権の主体は法人たる国家に属するということで主権の人格性は残存しているが、本来の主権論からすれば主権観念の非人格化である。 主権観念は歴史的にみて公法学の領域から追放することはできないが、それを限定的に用いようとする態度であって、主権とは、国家権力が法的な自己決定および自己拘束をなす排他的能力をそれによってもつことになる、国家権力の特性である、などと説かれた。 この点さらに押し進めて、主権の主体の問題を認めず、むしろ法秩序の効力の属性の意味、つまり法秩序の至高性・非伝来性の意味において主権観念を捉えようとする見解も登場してくる。 (ニ)実力としての憲法制定権力 シェイエスによって主張された憲法制定権力は、右に見たように、ヨーロッパにあっては、立憲主義の確立過程において、法実証主義的思考傾向の下に、法の世界の外に放擲されたが、ワイマール憲法下において、シュミットによって新たな装いの下に再び重要な観念として導入されることになった。 彼は、ワイマール憲法前文の「ドイツ国民は、・・・・・・この憲法を制定する」の文言および1条の「国権は、国民より発する」という規定に着目し、それは憲法制定権力が国民にあること、つまり同憲法が国民主権主義に立脚するものであることを明確にしたものであると捉えたのである。 それでは、彼のいう憲法制定権力とは何か。 彼によれば、それは「自己の政治的実存の態様と形式に関する具体的な全体決定を下すことのできる、すなわち、政治的統一体の実存を全体として規定することができる実力または権威をもった政治的意思」であるとされた(この「憲法」を前提にしてはじめて妥当する憲法規定の集合は「憲法律」と呼ばれる)。 この憲法制定権力は、シェイエスの場合と違って自然法の観念を払拭した、すべての規範の上に立つ実力であり、そのこととも関連して制定権力の担い手は国民であることを要しないとされている(君主や少数者の組織も担い手でありうる)点に特色がある。 制定権力は、「移付され、譲渡され、吸収され、使い果たされることはありえ」ない、「可能態として常に存続」するものであるが、シェイエスの場合とは違って、憲法改正権とは峻別されている。(第三節Ⅱ(34頁)参照)。 シュミットの制定権力論は、主権の権力的契機を純粋に追求した結果得られた観念であったと解することができよう。 しかし、その実態は何かという段になると、喝采であり、現代国家では世論であることが示唆されるのみで、著しく神秘的色彩を帯びるものとなっている。 (2)実定法上の主権観念 以上主権観念の史的展開を瞥見したのみで、その他にも種々の主権観念がある。 そして第二次大戦後、シュミット流の活性的な決断主義的憲法制定権力論を否認ないし克服しようとする傾向が顕著である点は指摘しておく必要があろう。 ここではその委細について論及する余裕はないので、以下実定法とりわけ日本国憲法との関係で重要と思われる主権観念を整理し、その意義を再確認するにとどめておく。 明治憲法は、「統治権」という語を用いつつも「主権」という語は使用しなかったが、日本国憲法は、「主権」という語を何箇所かで使用し、むしろ「統治権」という語を用いてはいない。 「主権」についての明治憲法以来の有力な伝統的説明によれば、 ① 最高権(自己の意思に反して他より制限を受けざる力)、 ② 統治権(人に命令し強制する権利)、 ③ 国家内における最高機関の地位、さらには、 ④ 国家の意思力そのもの、 を指すといわれた(美濃部達吉)。 これらの意味の中、まず、①は、国家の意思力の最高性、独立性ないし自主性に着眼しているもので、国家の意思力の属性を示すものである。 日本国憲法前文に「この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、・・・・・・」とあり、あるいは平和条約前文に「連合国及び日本国は、・・・・・・主権を有する対等のものとして・・・・・・」とあるのが、その例である。 それに対して、④は、国家の意思力そのものを指してのもので、「国権」とか「統治権」とか呼ばれるものである。 「主権」が唯一不可分であるという場合の主権はこの意味であると説かれる。 もっとも、既に見たように、「国権」あるいは「統治権」という語自体がまた一義的でなく、「国権」は国家の意思力そのものを指すのに対し、「統治権」は国家が有する権利の総体であるとして区別され、国家である以上3種の基本的権利、すなわち地域的統治権または領土高権、対人的統治権または対人高権、自主組織権(権限高権)を有するものでなければならない、などと説かれる。 ②は、このような「統治権」に対応するものということになる。 ポツダム宣言の8項に「日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国並ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ」とあるのがその例であるとされ、あるいは、領土主権といい、領土の割譲を主権の割譲というがごときもその例であるとされる。 問題は、③の「主権」観念である。 明治憲法時代、「唯一最高無限ニシテ独立」という「主権」概念により、その「主権」の所在如何によって君主国体と民主国体に分かつ説もあったが(穂積八束)、右の説(美濃部説)はそうした「主権」観念を排して最高の機関の地位について語ろうとするものである。 すなわち、美濃部は、明治憲法の「最も重要な根本主義」として「君主主権主義」に言及したが、それは、「統治を行ふ力が君主にその最高の源を発すること」、つまり君主が国家の「最高の機関」として「統治の最高の源泉たる地位に存ますこと」と解し、そして、「憲法制定権力」と「被制定権力」とを区別し、前者はその性質上何らの拘束も受けないというシェイエスの所説に触れて明確にそれを排撃した。 「国民が憲法以上に在って憲法の拘束を受けないものとすることは国民に不断の革命の権利を認むることであって、恰も専制主義の君主主権説に於て君主の権力が憲法以上に超越し、何時でも憲法を廃止変更することが出来るとする説と同様の誤に陥いって居る」というのがその理由である。 美濃部は、第二次大戦後も、国家法人説的見地に立って、統治の権利主体は常に国家それ自身であると捉え、日本国憲法前文に「ここに主権が国民に存することを宣言し」と明言し、本文1条に天皇の地位が「主権の存する日本国民の総意に基く」とあることをもって、「国家の統治権を行使する権能即ち国家の原始的直接機関として統治権を発動する力」が天皇から国民に移ったことを示すものと解した。 が、同時に、美濃部は、日本国憲法の成立に関し、いわゆる「八月革命」説に投じ、「憲法制定権」という言葉も使用したりして、「憲法制定権力」への傾斜を思わせる態度を示した。 この点、「国民主権」にいう「主権」とは、「国家の政治のあり方を最終的にきめる権力あるいは権威」であるとし、「シェイエス流に、『憲法制定権力』といってもいいかも知れない」と明言したのが宮沢俊義である。 そして、憲法にいう「国民主権」をそのような意味において理解する立場が支配的となったが、なおその具体的意味について解釈論上各種の考え方がありうるところで、その点については後に詳述する(第二編第一章第二節(92頁)参照)。 第二編 国民主権と政治制度第一章 国民第ニ節 主権者としての国民 p.92以下 Ⅰ. 日本国憲法下の国民主権論 (1)総説 日本国憲法は天皇主権を排して国民主権に立脚するが、その国民主権の意味ないし内容については必ずしも一義的に捉えきれないところがあり、実際様々な見解が存する。 以下主な諸見解に触れ、あわせてその問題点について述べる。 (2)最高機関意思説 いわゆる国家法人説的見地に立って、統治の権利主体は常に国家それ自身であるとの前提の下に、国民主権をもって、国家の意思力を構成する最高の機関意思、国家の原始的直接機関(ここに「直接機関」とは他の機関から委任されたのではなく、直接に国家の組織法によって国家機関たるものをいい、その中でも、他の直接機関を代表するものではなく、憲法上自己に固有のものとして認められる権能を有するものを「原始的直接機関」という)として統治権を発動する力が国民に属するとする主義であると解し、その国民とは参政権を与えられているものの全体であるとする見解がある。 この説によれば、理論上、主権の所在は憲法によって定まることになり、主権は憲法によって創設された最高権という意味合いをもつことになる(美濃部達吉は、国民主権は憲法の民定性を要求すると解しているようであるが、主権者をもって憲法・法律によって組織された国民と解する限り、憲法以前にそのような国民が存しうるのか疑問である。この点、佐々木惣一は、日本国憲法は欽定憲法であるとなし、ただ、日本国憲法の規定によれば、天皇の制定による欽定憲法というものは将来は存在しえないと説く)。 主権者たる国民からは一般に天皇は除かれる。 ただ、この国民は、雑然とした多数者であって常に直接国家意思を決定することはできないので、主権者たる国民の意思を現実に表示することを職分とする代表者が必要であり、日本国憲法上は国民の選挙によって選ばれる国会がそれにあたるとされる。 この見解は憲法発足当初有力に主張されたものであるが、次のような問題性が指摘されうる。 まず、 主権をもって機関意思と把握する以上行為能力が問題となり、そこでこの説は主権者を有権者とするのであるが、国民の中には主権者たるものと主権者でないものとがあることになって、国民主権の根本理念に反することにならないか。 第二に、 主権者たる国民は具体的には有権者とされるが、誰が有権者かは日本国憲法上基本的には法律で決まることになっていること(44条参照)、また、日本国憲法が国会をもって「国権の最高機関」としていること(41条)、との関係をどう考えるか。 第三に、 主権は憲法を生み出す力(憲法制定権力)と解すべきであって、憲法によって主権の所在が決まるというのは主権の本質を見誤るものではないか。 第四に、 論者によっては、国民主権をもって、国民が国権の源泉者または国権の「総攬者」であることの意味に解するが(佐々木惣一)、天皇が「総攬者」であると同じような意味において国民の「総攬者」を語りうるか否か。 第五に、 この説は、国民の選挙によって組織される国会が立法権を中心に国政を統括する地位に立つとすれば、国民主権の趣旨は満たされるとする傾きをもつが、国会の権能ももとより憲法による拘束下にあることをどう理解するか、また、選挙にそのような本質的契機を認めることは果たして妥当であろうか。 (3)憲法制定権力説 (イ)総説 最高機関意思説の右のような問題性を踏まえて、国民主権をもって憲法制定権力が国民にあるという趣旨に解そうとする見解が主張される。 もっとも、この点において基本的発想を共通にしつつも、仔細をみれば、さらに次のような諸説の分岐がみられる。 (ロ) 実力説 まず、憲法制定権力の本質を最高の実力に求める見解がある。これは、上述の(第一編第一章第四節Ⅱ(57頁))シュミットの憲法制定権力論に通ずる見解である。しかし、この見解に対しては、憲法制定権力が実力であるとして、その実態は何かという段になると一向に明らかにされないという批判、あるいは、最高の実力としての憲法制定権力にとって、憲法典の制定とはそもそも如何なる意味をもちうるのかという批判、が妥当する。制定権力の実態は明らかにされず、しかも制定権力はそれを制約づけるもののない全能の存在ということになると、誰もが制定権力の行使の名において憲法を変更することを正当化する途が開かれていることにならないか。そうなると、憲法はもはや法の世界ではなく、全く政治の世界そのものと化してしまわないか。 (ハ) 権限説 実力説の右の問題性を忌避して、実定的な「根本規範」の存在を想定し、憲法制定をもってかかる「根本規範」の授権に基づき(内容的制限を含めて)行われるところの機関としての行為として捉えようとする見解が登場する。つまり、憲法制定権力は、厳密には憲法制定権限となる。そしてここにいう「根本規範」とは、純粋法学流の仮設規範ないし法理論的意味における憲法ではなく、すべての成文憲法の前に妥当する、人間人格不可侵の原則を核とする価値体系にかかわる規範であるとされる。かかる考え方に依拠して、一般に、権限主体は、シェイエスの場合と同様国民でなければならないとされ、そして君主主権に対峙する意味で国民からは天皇は除かれ、かつ機関としての行為が問題となることから具体的には有権者が想定される。この見解に対しては、次のような問題性が指摘される。まず、憲法制定の権限主体、制定の手続、制定さるべき憲法の内容を定める実定的な「根本規範」といったものはそもそも存在するのか。第二に、人間人格不可侵の原則の実定性が承認されるとしても、その具体的内容および実現の方法は決して一様ではありえず、その違いが如何にして確定されるかはなお重大な問題として残るというべきではないか。第三に、国民の中に主権の担い手たるものとそうでないものとの区別が生じ、国民主権の根本理念に反することにならないか(未成年者などの非有権者は、何故に憲法に従わなければならないのであろうか)。第四に、有権者は日本国憲法上基本的には法律によって定められるが、憲法制定の権限主体が結局国会によって定められることになって不当ではないか。 (ニ) 監督権力説 主権者としての意思活動を憲法制定権力の発動と把握する立場に立ちつつ、国民主権の本質をもって、国民の代表の行なう統治に対して、同意を与えまたは与えない監督の権力たるところに求める見解が存する。つまり、国民主権は、具体的な積極的行動を行なう組織化された主体にかかわるのではなく、国家の統治作用に同意を与えまたは与えないという受動的な作用を本質とするところの、現に生活しているすべての国民全体の「一般意思」の力であるところにその眼目があると解するのである。国民主権国家にあっては、国権が国民の代表によって行われるにせよ、結局国民の同意が国政における決め手となることが力説される。この見解は、実力説および権限説のそれぞれ有する問題性を免れ、と同時に国民主権における討論の自由(表現の自由の保障)と自由なる選挙の不可欠性を提示している点で優れた説というべきである。が、そこでいう「一般意思」とは具体的に何であり、それは如何にして認定されるか、一時点における支配的意思が「一般意思」として絶対視される危険はないか、あるいは、国政は結局「一般意思」によって行われるということになって悪戯に現状肯定的な保守的説明手段に堕しないか、といった疑問がありえよう。また、国民の同意が国政における決め手であるということであるとすれば、およそ国民が政治的意思を持つ限り、憲法の定め如何に関わりなく国民が主権者ということになりはしまいか、という疑問が生ずる。それは、結局、いわゆる「事実の確認としての国民主権」論や後述のノモスの主権論に接近する。 (ホ) 最終的権威説 国民主権をもって、憲法制定権力が国民によって担われるという意味において把握するが、制定権力をもって実力とみたり権限とみたりせずに、統治を正当化すべき権威が国民に存するという意味において理解する見解が存する。ここにおける国民とは抽象的な観念的統一体としての国民であって、およそ日本国民であれば誰でも包含され、天皇も私人としてみる限りこの国民に含まれると解することが可能となる。この見解は、主権 = 憲法制定権力から権力的契機を徹底的に排除し、あくまでも権力の正当性の所在の問題として把握し、主権 = 憲法制定権力という実定法上の概念の名の下に憲法破壊ないし人権侵害が正当化されることを回避しようとする立場であると解することができる。そして、主権者たる国民は権威の源泉としての国民であって、国家機関としての国民とは異なり行為能力を問題とする必要はなく、最高機関意思説や権限説のように国民の範囲をめぐる問題にかかわる必要はないという長所をもつ。しかし他面、この説による国民主権はあまりにも無内容ではないか、国民主権はそこから一定の政治組織上の原則が帰納さるべき性質のものと捉えるべきではないか、の批判が加えられることになる。 (4)ノモスの主権説 主権をもって事実の世界から完全に切断し、純然たる法理念の問題として把握しようとする見解が存在する。 それによれば、いかなる権力も超えてはならない「正しい筋途」すなわちノモスがあるのであって、国の政治を最終的に決めるものが主権であるとすれば、主権はノモスにあるとみるべきであるとされる(因みに、ノモスは、古典古代のギリシャにおいて自然[ピュシス]の対立概念として考えられ、絶対的なものではなく破られやすいものではあるが、それに従うべきであるとされたものであるという)。 あるいは、この説は、法の効力根拠をノモスという道理・規範に求める説だとみる余地もある(*1)(そうだとすると、この説は、「根本規範」の存在を前提とする先の権限説に接近する)。 この説によれば、国民主権か君主主権かという問題は全く第二義的な問題と化してしまう。 事実、この説は、国民主権も君主(天皇)主権もすべてノモスという理念の支配であるから、明治憲法から日本国憲法に変っても「国体」は不変であると主張した。 しかし、仮にそのようなノモスが存在するとしても、具体的にどのような内容のノモスが、どのような方途を通じて支配するのか、という問題意識がこのノモスの主権説に欠落しており、天皇制の弁明としての性格をもつものであった。 ただ、国民主権の場合であっても、あるべき政治とは何かの課題は残るのであって、その限りでは、ノモスの主権説も考えるべき課題を提起しているといえよう。 (*1) 尾高朝雄はこのノモスの主権説の論者として知られるが、そのノモスの主権は結局のところ為政者への「心構え」の問題にとどまって、それに反する立法の無効の主張にまでは及ばなかった。そこには、法の効力をもって「法的規範意味が事実の世界に実現され得るという『可能性』である」と捉える考え方が作用していたようである。つまり、法の効力は当為のレヴェルではなく、事実のレヴェルにつなぎとめられていたからである。 (5)人民主権説 国民主権の主権をもって憲法制定権力と解することに反対し、主権を実定憲法秩序における国家権力の帰属の問題として捉えるべきであるとし、従って主権が国民にあるとされる場合の主権は、憲法秩序に取り込まれた構成的な規範原理として、国民をして実際の国政の上で最高権の存在に相応しい場を確保せしめるという民主化の作用を果たすべきものとみるみるべきであるとする見解が存する。 そして、国民主権をルソー流の人民主権の方向で把握するのがあるべき歴史的解釈であるとし、日本国憲法に即していえば、15条1項、79条2項・3項、96条1項などは人民主権に馴染む規定であると捉え、43条1項や51条の規定にかかわらず、命令的委任の採用は可能であると説く(命令的委任の意味は必ずしも明確ではないが、一般に、選挙で選ばれた代表者は選挙区の訓令によって行動する義務を負い、それに違反した場合には有権者によって罷免されうるという要求を内容とするようである)。 この見解は、まず、主権は法的権力であるが、憲法制定権力は法の外の世界に属する事象と捉えるところに特徴をもつ(この説によれば、主権 = 憲法制定権力という定式では、国民主権は建前と化し、結局現実の国政の場で国民を主権者たる地位から追放することになるという。) しかし、主権観念が国家統治のあり方に最も根源的にかかわり合う憲法の制定に無関係とすることは問題で、ドイツのように、「ドイツ国民は・・・・・・その憲法制定権力に基づき、この基本法を決定した」(前文)とうたって、憲法制定権力を実定化している例のあることが留意さるべきである。 そして、主権 = 憲法制定権力と基本的に把握することが、直ちに主権観念をして無内容のものとすると解するべきではなく、後述のように一定の構成的作用を果たすものであるとみるべきであろう。 なお、フランス的文脈でいえば、いわゆる「国民主権」から「人民主権」へという定式が成り立つとしても(1946年憲法も58年憲法も、国の主権は人民(peuple)に属するとしている)、そのことから、一般的に、あるいは日本国憲法上、命令的委任が当然に帰結されるといえるかは問題で、この点については後述する(第二章(13頁)参照)。 国民代表の観念が、現実でないものを現実であるかのごとく装うという「イデオロギー」的性格をもつとすれば、命令的委任も、そのような「イデオロギー」的性格を免れえているわけではない。 Ⅱ. 国民主権の意義 (1)総説 以上みてきたように、日本国憲法下の国民主権の意味について諸種の見解が存するところであるが、今日国民主権は単一の次元においてのみ捉えるべきではなく、複数の次元を包摂する全体像において把握されるべきものと思われる。 すなわち、国民主権には、大別して、憲法を定立し統治の正当性を根拠づけるという側面と、実定憲法の存在を前提としてその憲法上の構成的原理としての側面とがあり、後者はさらに、国家の統治制度の民主化に関する側面と公開討論の場(forum)の確保に関する側面とを包含するものと解すべきである。 (2)憲法制定権力者としての国民主権 国民主権は、まず、主権という属性をもった国家の統治のあり方の根源にかかわる憲法を制定しかつ支える権力ないし権威が国民にあることを意味する。 この場合の国民は、憲法を制定した世代の国民、現在の国民、さらには将来の国民をも包摂した統一体としての国民である。 従って、この場合の国民は、基本的には、それ自体として国家の具体的な意思決定を行ないうる存在ではない。 換言すれば、雑然とした国民の全体を一つの観念で把握し、そこに一つの意思があると想定し(あるいはこれを一般意思と呼んでもよい)、その意思に国家の合法性の体系を成立せしめる究極の正当性の根拠をみるのである。 もとより、国民主権を標榜する場合であっても、現実には、憲法は、ある歴史的時点において、その世代の人々により、ある方法をとって(憲法会議と国民投票という方法をとることもあれば、そうでない場合もある)制定される。 その意味では、国家の合法性の体系は具体的な意思ないし実力(権力)から生まれるものといわなければならない。 つまり、権限説やある種のノモスの主権説のように「根本規範」ないし自然法といったものを想定し、国家の実定法体系をその具体化・実現として捉える(法の根拠についての道理説)のではなく、法の根拠について意思ないし実力に求める立場である。(*1) しかし、その場合に問題となるのは、何のために、如何なる原理に基づく憲法を制定するかである。 主権者(憲法制定権者)たる国民が立憲主義憲法を制定する場合、そのときの国民は、個人の人格的自律が尊重される“良き社会”の形成発展という長期的視野に立って自己拘束をなし、また、後の世代の国民がそれぞれの時代の状況に柔軟に対応しつつ“良き社会”の形成発展に向けて自己統治を行なうことを容易にする政治システムを構築しようとするのである。 過去の国民(“死者”)は現在の国民(“生者”)を拘束することはできない。 立憲主義を支える道徳理論によるならば、過去の国民(“死者”)が現在の国民(“生者”)を拘束することが許されるのは、現在の国民(“生者”)が自由を保持しつつ自己統治をなすことを容易にする制度枠組を構築する、換言すれば、現在の国民(“生者”)が自由な主体として自己統治をなすことができる開かれた公正な統治過程を保障するという場合のみである。 国民をもって、憲法を実際に制定した世代の国民、現在の国民、さらに将来の国民を包摂した観念的統一体として把握し、そのような国民の意思に国家の合法性の体系の成立・存続の正当性の根拠を求めることが道徳理論上認容されうるのは、そのような条件が満たされる場合においてのみであろう。 このような意味において、国民がその担い手である憲法制定権力は基本的には端的な実力ではなく、一般的な意思ないし権威となる。 ただ、上述のように憲法改正権は制度化された憲法制定権力と解されるから(第一編第一章第三節(34頁)参照)、改正の場に登場する国民は具体的には一定の資格をもったもの(有権者)のみではあるが、主権者たる国民そのものに擬すべき存在と解するべきであろう。 これによって、主権者たる国民は、制度枠組自体をそれぞれの時代に制度的に適応せしめる途が開かれている。 (*1) 宮沢俊義は、尾高のノモスの主権説を批判するにあたって、意思ないし実力説的見地に立つことを示唆したが、他方では、「憲法の正邪曲直を判定する基準になる『名』」の存在、さらには憲法の効力さえ左右する自然法論のごとき立場に与することを示唆した。 (3)実定憲法上の構成的原理としての国民主権 (イ)統治制度の民主化の要請 国民主権は、憲法を成立せしめ支える意思ないし権威としてのみならず、その憲法を前提に、国家の統治制度が右の意思ないし権威を活かすよう組織されなければならないという要請を帰結するものと解される。 次節にみるように国民は有権者団という機関を構成するが、それは民意を忠実に反映するよう組織されなければならないとともに、統治制度全般、とりわけ国民を代表する機関の組織と活動のあり方が、憲法の定める基本的枠組の中で、民意を反映し活かすという角度から不断に問われなければならないというべきである。 国民主権のこの要請から例えば命令的委任が帰結されるかどうかは、日本国憲法の定める基本的枠組の解釈の問題であって、その点については後述する(本編第二章(136頁)参照)。 また、有権者団としての国民の意思、その意思に基づいて組織される国家機関の意思は、(2)の憲法制定権力者としての国民の意思そのものではないのであって、絶対性を主張することはできないことが留意さるべきである。 (ロ)公開討論の場の確保の要請 構成原理としての国民主権は、統治制度の民主化を要請するのみならず、かかる統治制度とその活動のあり方を不断に監視し問うことを可能ならしめる公開討論の場が国民の間に確保されることを要請する。 集会・結社の自由、いわゆる「知る権利」を包摂する表現の自由は、国家からの個人の自由ということをその本質としつつも、同時に、公開討論の場を維持発展させ、国民による政治の運営を実現する手段であるという意味において国民主権と直結する側面を有している。 ■5.阪本昌成の「国民主権」論(リベラル右派) 阪本説は、『憲法理論Ⅰ』と『憲法1・国制クラシック』の双方にそれぞれ詳述されており共に重要な理論的説明が展開されているため、両方を基本的に原文のママ表記する。 ◆1.阪本昌成『憲法理論Ⅰ 第三版』(1999年刊) 第一部 国家と憲法の基礎理論 ◇第七章 国民主権と憲法制定権力 ↓本文はここをクリックして表示/非表示切り替え +... ◇第八章 憲法の保障と憲法の変動 ↓本文はここをクリックして表示/非表示切り替え +... ◆2.阪本昌成『憲法1 国制クラシック 全訂第三版』(2011年刊) 第Ⅰ部 統治と憲法 ◇第8章 国民主権あるいは憲法制定権力 ↓本文はここをクリックして表示/非表示切り替え +... ◇第9章 憲法の改正 ↓本文はここをクリックして表示/非表示切り替え +... 阪本昌成『憲法1 国制クラシック 全訂第三版』(2011年刊) 第Ⅰ部 統治と憲法 第9章 憲法の改正 本文 p.62以下 <目次> ■1.改正条項の必要性[44] (1) 軟性憲法回避の理由 [44続き] (2) 憲法典の重み ■2.改正の意義と限界[45] (1) 憲法の改正 [46] (2) 憲法改正の限界 ■用語集、関連ページ ■要約・解説・研究ノート ■ご意見、情報提供 ■1.改正条項の必要性 [44] (1) 軟性憲法回避の理由 T. ジェファソン(1743~1826年)は、 “死者は生存者に対して一切権利を持ってはならない。憲法も世代ごとに - 具体的には19年ごとに - 検討し直し改正されていかなければならない”と述べた。これに対して、 J. マディソン(1751~1836年)は “毎年代わっていく世代をどこで区切るか容易なことではなく、ある年限をもって憲法が変更されると予め分かっていれば憲法への支持は弱まるだろう。法律と憲法とは性質が異なるのだ”と回答した。 ジェファソンが正しいのか、それとも、マディソンが正しいのか? 視点を換えていえば、軟性憲法が望ましいのか、それとも、硬性憲法が望ましいのか? ある世代が憲法を制定して、“この憲法は我等の子孫を永遠に拘束する”と決定してしまうことは、一世代の傲慢な選択だろう。 ある時点での決定が永久に妥当する、という命題自体妥当ではない。 そればかりか、時代とともに世論は変化するだけでなく、制定時には予想もしない事態が生ずることは必定である。 こう考えたとき、「ジェファソンが正しい」と感じられるだろう。 ところが、国家の根本構造を定めているはずの憲法が法律と同じ重みしか持たない、というのも納得のいかない考え方だろう。 マディソンは、そこを考えたようだ。 「マディソンが正しい」というためには、“法律と憲法とは性質が異なるのだ”という論拠が説得的でなければならない。 [44続き] (2) 憲法典の重み “憲法は法律とは重みが違う”、この命題を説得的に述べてみせたのが、先にふれたシュミットだった(⇒[41])。《憲法典は始源的な意思の所産であるのに対して、法律制定権は憲法典上の権限にとどまる》というわけである。 「始源的な意思の所産」という意思主義を好まない人のなかには、こういう者もある。《憲法は、我々の歴史を一種の物語として我々が共有し、これを基調としながら後世代に伝えていくための法文書である》。 「歴史という物語を語り継ぐ」、ああ、何と麗しいことか! これを聞いた我々は、思わず「そうなんだ!」と頷いてしまいそうになる。 が、「我々の歴史」という共通項がどこにあろうか。 それがあるとしても、「物語」とは一体何なのか? 意思主義に負けないくらいミステリアスだ。 H. ケルゼンならこういうだろう。《憲法と法律とでは、根本規範からの授権の距離が違う》。この解答は、意思主義ではないものの、シュミットと同じように、階梯的規範構造を持ち出したものだ。 かように解答の仕方が複数があるとはいえ、“マディソンが正しい”といわざるを得ないだろう。 ■2.改正の意義と限界 [45] (1) 憲法の改正 そこで、憲法典は、憲法(国制)上の社会的・政治的プラクティスの変化に対応させるべく、憲法(の一部)またはその条規に変更(削除、追加等)を加える手続を、法律の場合よりも厳格にしたうえで、組み込んでおくのが通例である。 これを「硬性憲法」と称することは、先の [10] でふれた。 憲法の定める正式の手続に従いながら、改正権者の明示的意思によって、憲法(の一部)またはその条規に変更(削除、追加等)を加えることを、「憲法の改正」という。 憲法全体の変更(全部改正)も改正といえるか、それとも、改正とは憲法中の個別的条規につき、削除、修正、追加または増補するという部分的変更(部分改正)をいうのか? この論争が「改正限界説/改正無限界説」の一面である。 “改正とは、全部改正を含まない”などと、同じ「改正」という言葉を使いながら定義を絞り込んで限界説にでる論理は、筋が悪い。 アメリカの州の憲法の中には、全部改正を revision、一部改正を amendment と使い分けるものがある(たとえば、カリフォルニア州。同州では、“amendment”とは「憲法規定の目的をよりよく実現するために特定の憲法規定を数行付加または変更すること」を、“revision”とは「憲法規定に対する包括的な変更」、「基本的な統治の設計の大幅な変更」をいう、とされている。そのうえで、「改正」手続に違いをもたせている。これは、全部改正も改正の一種であるという前提に立っているのだ)。 我が国の通説は、“改正とは全部改正を含まない”と考えている。 もとの憲法の内容との「同一性」を保持する変更だけが「改正」であり、 「全部改正」は新たな憲法典の制定だ、 というのである。 では、「同一性」はいかにして判断されるのか? その基準となるのが、憲法典の基礎にある constitution である。 この憲法をこの憲法として統一性をもって成立させている契機は、constitution にあるのだ。 [46] (2) 憲法改正の限界 上のように論じてくると、憲法論争としてお馴染みの「憲法改正に限界ありや」という問について、既に解答が出たようなものだ。 が、実は、その問に対する解答の仕方は、もう少し複雑なのだ。 複雑だ、というのは、改正権の法的性質を分析して初めて正答に至るからだ。 改正権の法的性質の見方には、複数ある。 見方の違いの根底には、“改正権は制憲権と如何なる関係にあるのか”という捉え方の違いが流れている。 改正権は、超法的な、事実の力としての制憲権と同質であるという理解がある。これに拠れば、改正権には限界がないことになろう。 これに対して、シュミットのように〔制憲権→憲法→憲法律→憲法律上の権能〕という階梯的公式を採用するとなると、改正権は「憲法律上の権能」にとどまることになり、限界が現れる。この階梯的見方は重要である。上の階梯的公式のもとで「憲法制定」と「憲法改正」(すなわち、個々の憲法律的規定の修正)といわれる場合、前者の「憲法」とは「全体決定としての憲法」を指し、後者の「憲法」とは「憲法律」を指し、質的に異なることに留意されなければならない。この立場によれば、改正規定はその母胎たる憲法からの派生物にとどまり、従って、“憲法律上の改正権でもって、全体としての憲法(国制)を変更できない”との結論に至る。 我が国の通説は、シュミットに倣って、改正権をもって、「法制度化された制憲権」と表現している。 「法制度化されている」という意味は、 ① それが発動されるためには、憲法典の改正手続規定に従わなければならないこと(手続的な制度化)、 ② 事実の万能の力ではなく、規範的に統制された権限であること(実体的な制度化) にあるのだろう。 この通説によるとき、いわゆる「改正限界説」以外の選択肢はない。 ところが、この改正限界説にいう実体的限界が、 改正権の母胎である制憲権自体の限界づけから必然的に出てくるものなのか、 それとも、憲法典上の権能としての改正権であることから出てくるものなのか、 そのロジックは曖昧である。 《改正権は法制度化された制憲権だ。だから、改正権には限界がある》というロジックを首尾一貫させるためには、《事実の力としての万能の制憲権が、憲法典上の権能となった(法制度化された)ために、その法的性質を激変させたのだ》と説くことだろう。 ※以上で、この章の本文終了。 ※全体目次は阪本昌成『憲法1 国制クラシック 全訂第三版』(2011年刊)へ。 ■用語集、関連ページ 阪本昌成『憲法理論Ⅰ 第三版』(1999年刊) 第一部 第八章 憲法の保障と憲法の変動 ■要約・解説・研究ノート ■ご意見、情報提供 名前 コメント ◇第10章 憲法(国制)の変遷 ↓本文はここをクリックして表示/非表示切り替え +... 阪本昌成『憲法1 国制クラシック 全訂第三版』(2011年刊) 第Ⅰ部 統治と憲法 第10章 憲法(国制)の変遷 本文 p.66以下 <目次> ■1.憲法変遷の意義と変遷の要件[47] (1) 憲法変遷の意義 [48] (2) 変遷の成立場面 ■2.憲法変遷の法的性質[49] (1) 後法は前法を破る? [50] (2) 学説の対立 ■用語集、関連ページ ■要約・解説・研究ノート ■ご意見、情報提供 ■1.憲法変遷の意義と変遷の要件 [47] (1) 憲法変遷の意義 成文憲法をもつ国家において、ある国家機関のプラクティス(反復継続される定型的行態)が不文の実質的憲法を生み出すことを、憲法の変遷という。 「憲法の変遷」にいう「憲法」とは、憲法典のことではない。 第9章でふれた憲法の改正が、 憲法に明文化された改正手続に従って、改正権者が幾つかの選択肢のなかから新しいルールを選び出す顕示的行為であるのに対して、 憲法変遷は、 国家機関が特定のプラクティスに従事していると、新しいルールが国制のなかに次第に生まれ出てくることをいう(新しいルールの法的性質については、すぐ後の[50]でふれる)。 実定憲法は、国家機関の統治活動を統制するために存在するにも拘わらず、そしてまた、実定憲法の内容が簡単に変更されないよう硬性憲法とされることも多いにも拘わらず、“憲法変遷が生ずる”と論じて良いものだろうか? この疑問に解答するためには、人のプラクティスがどのような条件を満たしたとき、“法となるか”という法哲学的な課題をまずクリアしなければならない。 変遷論を本格的に唱えたといわれるG. イェリネックは、この課題を次のように考えた。 ① 法は、実効性(efficacy)と妥当性(validity)というふたつの要素からなる。 ② 実効性とは「現に、ある規範が適用され遵守されていること」をいい、妥当性とは「規範として拘束力をもつこと」をいう。 ③ 実効性は、人々の継続反復する活動(プラクティス)のなかに現れ、そのパターンが人々の心理のなかに定着したとき、妥当性が生まれる(この考え方は、“慣習が人々の法的確信に支えられたとき、慣習法となる”と説明されるのと、よく似ている)。 ④ あるプラクティスが、妥当性をもつに至ったとき、それは法となる。 以上が、“事実の反復継続が規範を生む”という、いわゆる「事実の規範力説」である。 [48] (2) 変遷の成立場面 変遷の例を一、二挙げれば、変遷論の説くところが理解しやすくなろう。 例1: ある憲法典が「君主は、議会を一年に一度召集する」と規定しているとしよう。この明文規定にもかかわらず、統治に無関心な君主(または議会嫌いの君主)が、長年にわたって召集しなかった。そこで、業を煮やした議員たちは、期日を決めて自主的に議会に集合しえ活動し始め、今日に至っている。このプラクティスは、上の規定を凌駕する効力を持っている。 例2: ある憲法典は、内閣を国家機関のひとつであると定めておきながら、内閣における意思決定方法については何も規定していないとしよう。長年の閣議のなかで、“内閣が意思決定するためには、閣僚の全員一致を要し、そのことを確認するために閣僚の署名を要する”とされてきた。現在の内閣の構成員も、その慣行に拘束されるべきものと考えて、それに実際に従っている。この慣行は、閣議の議事ルールとして効力をもっており、憲法典の空白部分を補充している。 上の例1は、憲法典正文に意味の変化をもたらす変遷であり、例2は、憲法正文に欠ける部分を補充する変遷である。 我が国憲法学者の相当数は、9条と自衛隊との関係を念頭において、“憲法典の正文にもかかわらず、国家機関がそれに違反するプラクティスを為すとき、変遷は成立するか”という問の立て方をしている。 この問題設定は正しくない(その設定自体に“憲法正文である9条を破る変遷などあってはならない”という結論が私には透けてみえる)。 変遷論は、違憲事実の反復継続の場面だけに限って説かれているわけでもなければ、憲法典正文の意味変化だけを念頭に置いているわけでもないのだ。 憲法変遷には、 (ア) 憲法典正文の意味を補充・発展させるもの、 (イ) 憲法典の欠缺部分を埋めるもの、 (ウ) 憲法典の正文を凌駕するもの、 がある。 また、その成立の契機としては、 (a) 憲法典正文についての公権的解釈の変更、 (b) 国家機関による特定事実の反復、 (c) 国家機関による特定権能の相当期間の不行使 等が考えられる。 ■2.憲法変遷の法的性質 [49] (1) 後法は前法を破る? 変遷論が提唱された時代は、法実証主義の時代だった。 法実証主義によれば、憲法典は改正手続の加重された法形式である点だけに特徴をもつ。 法主体による意思の発動形式(手続)に着眼する法実証主義にとって、法形式の中に効力の軽重があると論ずることはもともと背理だったのだ。 そうなると、国家機関が憲法の予定せざる意思の発動形式を反復継続的に示していれば、その形式に着目して「それも法だ」という結論となる。 ここでは、ふたつの形式 - 憲法の予定していたものと予定せざるもの - が並存するわけだが、その競合関係は、「後法は前法を破る」という法の一般原則によって解決される。 憲法変遷論は、かような法実証主義の考えに従って提唱されたのである。 ところが、法実証主義の衰退した今、それも、憲法保障の具体的方策として形式的効力についてであれ最高法規性を憲法典中に宣明し、なおかつ、違憲審査制までをも導入してきた今日、上のごとき捉え方が従来と同じように成立することはないだろう。 なるほど、憲法の法源(*注1)には、不文のものも当然に存在するとはいえ([10]をみよ)、“ある国家行為の反復継続が最高法規である憲法典の条文と同じ地位を獲得する”と軽々に承認することは出来ない。 かといって、数世代前に制定された憲法典のすべての条規が、その後の経済・政治・文化等々の変化から超然として、そのままのかたちで妥当する、ということも前世代の専制である。 “その専制を避けるために改正規定があるのではないか”という反論も勿論あるだろう。 が、憲法変遷は、憲法を支える事実が徐々に徐々に変化するからこそ、生ずるのだ。 変遷は、改正権者が明示的な選択をしないところに生ずる、といってもよい。 (*注1)法源について法源とは、①法を法たらしめる論拠は何か、②何が法とされているか、を知る手掛かり、つまり、如何なるかたちで法が存在しているか、を指す。本文でいう「法源」とは②の意味である。この場合の「法源」には、「成文/不文」「法律/命令」といった区別がある。 [50] (2) 学説の対立 我が国の学説は、憲法変遷の法的性質をどのようにみているのか。 学説は次のような3つの対立を示している。 第一は、 “ある国家機関が一定の活動を反復継続し、さらに国民の法的(規範的)確信がそれを支えるに至ったとき、その部分について変遷が成立する”とみる立場である。この説にいう「成立する」とは、“実効性と妥当性が獲得されて憲法成文を凌駕することもある”ということを指している。これは、イェリネックさながらの全面的肯定説である。ところが、この説に対しては、 (ア) 改正権者の顕示的な選択よりも慣行の法力を優先させてよいか(何のための成文・成典・硬性憲法だったのか)、 (イ) 慣行が人々の確信を通して法となるという思考は正しいか、 (ウ) 憲法変遷論は、関係国家機関の法的確信を論じているはずで、「国民の確信」をここで持ち出すことは筋違いではないか、 等、疑問は絶えることがない。 第二は、 “国家機関によるプラクティスは習律(convention)を作る”とする見解である。これは、「限定的否定説または習律説」と呼ばれることがある。この説にいう「習律」とは、統治に携わる人々が義務的なものとして受け入れる行為規範ではあるものの、裁判所による裁定の論拠とはならないものをいう。これを「法以前 pre-legal のルール」と表現する論者もいる。この説によれば、変遷は国家機関を拘束する規範的力を生むが、憲法典の正文を破る法力までは持ち得ない。なぜなら、法以前のルールが、明文の法的ルールを破るほどの妥当性をもつことはあり得ないからである。この習律説は、変遷の問題領域を的確に捉えているばかりでなく、憲法と憲法典との区別を意識しつつ憲法の法源には不文のものもあることを指摘している点で、正当である。 第三は、 変遷とは、国家機関による違憲のプラクティス領域にかかわる問題であるとの限定的な変遷観を前提に、“違憲事実が幾ら集積されても、それはあくまで違憲事実の積み重ねに過ぎず、その種のプラクティスが憲法典正文を破るということはあり得ない”、とする見解である。「全面的否定説」と呼ばれることがある。この説の根底には、変遷を肯定するとなると恒常的に制憲権が発動される状態を容認することになって、硬性憲法典の論理からしても、その事態はあり得べくもない、との見方が横たわっている。政治的な事実の集積と法とは別種のはずだ、というわけだろう。この説に対しては、 (a) 変遷の概念が限定的過ぎる、 (b) 「違憲」事実の集積という場合、「違憲」であるとの評価は論者による結論の先取りに過ぎない、 (c) この説を徹底すれば、憲法の法源は憲法典正文のみということになる、 といった疑問が残る。 ※以上で、この章の本文終了。 ※全体目次は阪本昌成『憲法1 国制クラシック 全訂第三版』(2011年刊)へ。 ■用語集、関連ページ 阪本昌成『憲法理論Ⅰ 第三版』(1999年刊) 第一部 第八章 憲法の保障と憲法の変動 ■要約・解説・研究ノート ■ご意見、情報提供 名前 コメント ■6.中川八洋の「国民主権」論(保守主義) 保守主義の憲法学者としては百地章氏などが有名だが残念ながら体系的な著作が存在しない。中川八洋氏は憲法学者ではないが、政治思想の把握が確りしており、「右の全体主義(右翼イデオロギー)」に陥らない真っ当な保守主義的憲法論を展開しているため以下にその「国民主権」論を表記する。(⇒なお、中川氏の憲法論全体は、中川八洋『国民の憲法改正』抜粋 を参照) ↓本文はここをクリックして表示/非表示切り替え +... <目次> 第三部 国家簒奪・大量虐殺の思想を排除する - 根絶すべきフランス革命の教理第四章 「国民主権」は暴政・革命に至る - 「デモクラシーの制限と抑制」こそ憲法原理◇第一節 英米憲法は、なぜ「国民主権」を完全に排撃したか ◇第二節 「フランス革命の教理」を“憲法原理”だと詐言する学者たち 中川八洋『国民の憲法改正』(2004年刊) p.129以下 第三部 国家簒奪・大量虐殺の思想を排除する - 根絶すべきフランス革命の教理 フランス革命とは、・・・人民の政府でもなければ、人民による政府でもなく、・・・国民から絶対的に独立した地位に自らを置いた、国民の代表者を僭称する革命家たちの、「主権の簒奪」であった。(アーレント) 第四章 「国民主権」は暴政・革命に至る - 「デモクラシーの制限と抑制」こそ憲法原理 ◇第一節 英米憲法は、なぜ「国民主権」を完全に排撃したか 日本の憲法学では、授業でも教科書でも、米国憲法を事実上、全く触れない。避ける。 東京大学法学部ですら然りである。 この理由は明確で、米国憲法に言及した瞬間、日本の憲法学者の九割が虚偽とプロパガンダの常習者、つまり詐欺師と分かってしまうからである。 日本における憲法学者のほとんどは、人格的にも病いに冒されている。 例えば、米国憲法には「国民主権」などというものは匂いほども存在しない。 そんなものは積極的に排斥され否定されている。 とくに、米国は、その憲法制定によって「立憲主義(constitutionalism)」を憲法原理としたから、いかなる権力も制限される。 このため、「制限されない権力」の意である「主権」は、当然に憲法違反であり、完全に排撃される。 「立憲主義」と「国民主権」は水と油で両立しないから、米国は前者を採用して後者を追放した。 日本の憲法学者が「立憲主義」を是とし、「国民主権」を称賛しているのは分裂症的思考である。 バジョットは、米国憲法の起草者たちは「何処にも主権を置かないようにしたのである。それは、主権によって暴政が生じることを恐れたからである」と、米国憲法を正しく観察している(※注1:ウォルター・バジョット『英国憲政論』、中央公論社「世界の名著」第72巻、246頁)。 ハンナ・アーレントも次のように述べている。「政治それ自体における偉大な、そして長期的に見ればおそらく最大のアメリカ的革新は、共和国の政治体内部において主権を徹底的に廃止したということ、そして、人間事象の領域においては主権と暴政とは同一のものであると洞察したこと」(※注2:ハンナ・アーレント『革命について』、ちくま学芸文庫、239頁)統治に関する「主権」の廃止は、英国本国のコーク以来の伝統であって、「アメリカ的革新」ではない。また「主権」と“暴政”の同一視も、英国の常識であって、「米国の発明」とはいえない。このような小さなミスをしているけれど、アーレントは米国憲法の核心を正確に把握している。 ノーベル経済学賞受賞の政治哲学者ハイエクは、次のように「国民主権」のことを「迷信」という。その通りであって、政府の統治を受けている被治者を「主権者」などとは、酔っ払いの寝言か戯言かであろう。あるいは、迷信とか妄念上の幻覚としか言いようがない。「主権が何処にあるかと問われるなら、何処にもない・・・・・・というのがその答えである。立憲政治は(権力が)制限された政治であるので、もし主権が無制限の権力と定義されるなら、そこに主権の入り込む余地はあり得ない。・・・・・・無制限の究極的な権力が常に存在するに違いないという信念は、・・・・・・・迷信である(※注3:F. A. ハイエク『法と立法と自由』、『ハイエク全集』第10巻、春秋社、171頁)」 統治において「主権」を排除するのは、自由にとって最高の憲法原理である。 「法の支配」の下で憲法を成長させてきた英国においても同様である。 英国の「法の支配」の原理にあっては、ブラクトンの法諺のとおり、“法”は神よりも国王よりも上位にあって神や国王を支配するから、神や国王ですら主権者になり得ない。 かくして、「何にも支配されない権力」という意味である「主権」は、英国では“法”に支配される国王にすら適用されなかった。 むろん、英国にも、ボーダンの『国家論六書』(1576年)などによって、「主権」というフランス生まれの思想が上陸していたから、16世紀末からのイギリス国王も「主権」に並々ならぬ関心を寄せるし、その周辺の臣下のなかには国王に阿諛すべく「国王主権」を言い出すものは少なくなかった。 だが、ちょうどこの17世紀の初頭、英国は幸運なことに「法の支配」を死守せんとするエドワード・コーク卿というコモン・ローの大法曹家が存在していた。そして、不敬罪で牢に繋がれることを恐れず、「国王主権」論を断固排撃した。例えば、1608年10月、国王ジェームスⅠ世に向って、コークは直接ブラクトンの法諺「国王は、すべての臣民の上にあるが、“法”の下にある」を持ち出し諌言している(※注4:『コーク判例集12』、原著、63~5頁)。また、チャールスⅠ世時代の1628年の「権利請願」(Petition of Right)の草案に貴族院が「国王主権」の文字を挿入したとき、当時たまたま下院議員になっていたコーク卿は「主権は国会の用語ではない」と、ばっさりと削ってしまった(※注5:W. Holdworth, A History of English Law, Vol. 5, p.451)。現代風の表現では、「主権は憲法に背反する」である。 今日に至るも、英国に、憲法を含め国家の統治関係に「国民主権」という概念が全く存在しないのは、コークに代表される「法の支配」を守らんとした多くの英国の法曹家と政治家の汗の結晶による。 かくして、英国には、ブラックストーンの「“法”主権」や、ダイシーの『憲法序説』で日本でも有名になった「国会主権(※注6:中川八洋『保守主義の哲学』、PHP研究所、116~8頁)」の概念はあっても、「国民主権」も「人民主権」も存在しないのである。 英米の憲法が“正統な憲法”として世界的にもそのモデルになっている事実については、日本でも広く知られている。 この点からでも「国民主権」が存在しないか、否定されているのが“正しい憲法”であるのは自明であろう。 つまり、「国民主権」を美化し神格化している日本の憲法学の教科書はすべて、“狂った憲法学”である。 しかも、この狂気は度が過ぎ、オウム真理教よりも遥かに酷い。 米国社会から排除された“アメリカのはぐれ者”たちの巣窟であったGHQ民政局では、日本国憲法を書くに当たってスターリン憲法やワイマール憲法を参考にしたように、彼らは通常の“米国人”ではなかった。 そのことは、非英米的な「国民主権」が前文や第一条にあることですぐ分かる。 彼らは「英米の憲法が正統」であることに耐えられない、“アメリカの異分子”たちであった。 話を戻して、米国憲法が「国民主権」を排しているのは、米国がイギリス17世紀の法思想で建国されたからである。 独立戦争(1775~83年)とは、この17世紀という百年ほど昔の英国の法思想で武装したアメリカ植民地に住む“古い英国人”と、議会が強くなりすぎた18世紀後半の英本国に住む“新しい英国人”との闘いであった。 また、建国当時のアメリカのエリートたちとは主として大農園主であるが、コークの『英国法提要』とこのコークを継ぐブラックストーンの『イギリス法釈義』を座右の書とする、高い教養人であった。 コークとブラックストーンこそは「法の支配」の法曹家であるが、それらを血肉としたアメリカ「建国の父たち」は、主としてこの両名の法思想を学び、そこから「立憲主義」とか、「(立法に対する)司法審査」とかを「発明」した。 19世紀において、英本国では、「ベンサム→オースティン」らの命令法学に汚染され、「法の支配」が衰退していった。 しかし、米国は17世紀初頭のコークの思想を頑固に19世紀末までは継承し続けた。 20世紀に入って米国でも「法の支配」は衰退したが、しかし「国民主権」などという、暴力とテロルを生んだ革命フランスの、国民を暴君に仕立てあげてこの凶暴な暴君に自分たちの自由を侵害させる狂気のドグマは、全く芽すら出ることなく今日に至っている。 「国民主権」という言葉は、米国では今でも火星語のようなもので誰も理解できない。 一方、英国とは、マグナ・カルタに代表される中世封建時代からのコモン・ローと、それと不可分の関係にある自由擁護の憲法原理「“法”の支配」とを死守すべく、フランスから流入する「主権」思想を撃退するために血を流した歴史を持つ国家である。 革命フランスに宣戦し、22年戦争(1793~1815年)を戦ったのである。 英国にとって「国民主権」は、英国に上陸してはならない、根を張ってはならない、有害な教理として合意され現在に至っている。 「国民主権」が米国に存在もせず米国人の関心の対象にもならなかったことは、米国にルソーやその他のフランス啓蒙哲学(モンテスキュー1名のみ例外)がさっぱり流入しなかったことに通じている。 あるいは、米国の建国から数ヶ月後に発生した革命フランスの革命思想も簡単に排除され流入しなかったこととも関係していよう。 英国ではエドマンド・バークを先頭にして国を挙げて革命フランスの革命思想の流入の阻止に血眼にならざるを得なかったが、米国にはそんな苦労は全くなかった。 英米憲法の思想は、革命フランスの思想とは水と油のごとく対立的である。 共通する所がどこにもない。 フランスが、フランス革命の思想こそが“本当の憲法”を蹂躙すると悟って、英国系の憲法思想の正しさにやっと気づいたのは、1875年の第三共和国憲法からであった。 つまり、1789年から1875年までの86年間とは、フランスにとって無意味で有害な反憲法のドグマに熱狂した「狂愚の86年間」であった。 そして、このフランス第三共和国憲法が米国憲法(1788年)に似たものであることは、米国に遅れること87年もかかってフランスがようやく米国の足下に及んだということである。 話を米国憲法に戻せば、そこに「国民主権」がはっきりと不在になっているのは、憲法起草者が一致して民衆(demos)というものに「潜在的専制者(potential tyrant)」を透視し警戒したからである。 育ちも教養も高い君主ですら「専制君主」になると恐れるならば、その逆の、育ちも悪く教養もない民衆は主権を与えられれば直ちに“暴君”になるだろうことは、「米国の建国の父たち」にとって自明であった。 民衆が多数を恃(たの)んでその意志を強制力に転換したならば、それは必ず国民の自由を侵害するものになるのは、自明であった。 「建国の父」の一人で、米国憲法の起草者の一人でもあったマディソンは、この「多数者の専制」を次のように恐れている。 「民主政治(popular government、民選政府)の下で多数者が一つの党派を構成するときは、党派が、公共の善と他の市民の権利のいずれをも、その圧倒的な感情や利益の犠牲とすることが可能になる(※注7:A. ハミルトンほか『ザ・フェデラリスト』、福村出版、46頁)」 このようにデモクラシーへの警戒感は、“人間というものへの不信”という、正しい人間観を、アメリカの「建国の父」たちが持っていたからであった。 フランスの啓蒙哲学者や革命屋たちは、あろうことか、政治過程での人間が善性であり得ると逆さに妄想した。 マディソンの、次のような主張こそが不変の真理であろう。 「そもそも政府とはいったい何なのであろうか。それこそ、人間性に対する最大の不信の現れでなくして何であろう。万が一、人間が天使ででもあるというならば、政府などもとより必要としない(※注7:前掲『ザ・フェデラリスト』、254頁)」 「建国の父たち」の筆頭アレグザンダ・ハミルトンも、デイビット・ヒュームの影響もあるが、「全ての人間はごろつき(a knave)と見なすべきである」と、政治家が持つべき正しき人間観を持っていた。 ニューヨーク邦での米国憲法批准会議で、ハミルトンは次のように演説した。 「純粋デモクラシーは、歴史を紐解けば、これほどの政治における偽りは他に類をみない。古代デモクラシーでは市民(国民)自身が議会に参加するが決して良き政府をもったことがない。その性格は専制的であり、その姿は奇形である(※注8:Selected Writings and Speeches of Alexander Hamilton, AEI, p.207)」(1788年6月21日) 国民の自由の擁護は、民衆の政治参加を警戒し、その代表者の議会に対してすらさらに警戒し、デモクラシーを制限する「制度」をつくることであるが、これが「建国の父たち」の一致した意見であった。 マディソンは、民衆が選出した代議士たちの議会(立法府)に対して、この議会が国家権力を簒奪しないかとも恐れた。 「・・・・・・この立法部(国会)に対してこそ、冒険的な野心をもつことがないように、人民はその一切の猜疑心を注ぎ、警戒をおさおさ怠りないようにしなければならない(※注9:前掲『ザ・フェデラリスト』、242頁)」 実際に革命フランスでは、「議会」が権力を簒奪して、国民を好き放題にギロチンその他で殺害するに至った。 ジャコバン党独裁下の「国民公会」は、単なる“殺人許可書を発行する村役場”であった。 フランス革命は、米国憲法のあとに発生したが、またラファイエット侯爵のようなワシントン・マニアックもいたのに、米国憲法の思想から何かを学ぼうとした形跡が全くない。 日本の憲法学者のほぼ全ては、米国憲法の解説書『ザ・フェデラリスト』をその教科書でまともに取り上げていないが、それはフランス革命の凶暴なジャコバン・テロリストと日本の憲法学者とが「兄弟」だからである。 ◇第二節 「フランス革命の教理」を“憲法原理”だと詐言する学者たち 日本の憲法学者の多くは、一種の詐話師である。 いかに言論の自由があるとはいえ、何らかの刑法上の犯罪になるのではないかと思うほど、彼らが書き散らした教科書は嘘とトリックだらけである。 「国民主権」一つを例としよう。 英米憲法はそれを拒絶している。 現代フランスの第五共和国憲法(1958年)は“蝉の抜け殻”のようにその形骸を残してはいるが、憲法として何かの意味を持たせているわけではない。 つまり、フランスは、「国民主権」を実態上は死刑に処しているが、その屍を埋めたあとに立派な墓をたててあげた。 それが第五共和国憲法の第三条に当たる。 ところが、日本の憲法学は、プリンセス天功のマジック・ショーも顔負けに、まず現実の自由社会の世界地図から英国も米国も現代フランスも、主要三ヶ国を消してしまう。 次に、歴史の彼方にとっくの昔に葬られたほずの、1789年から1794年にかけての血塗られた革命フランスを「現在」に存在する、「世界に存在する唯一の憲法先進国である」という“大幻想”のスクリーンを映し出す。 杉原泰雄の『国民主権の研究』や辻村みよ子の『フランス革命の憲法原理』などは、彼らが1789年から1794年のジャコバン・テロリストになりきっており、彼らの思考も時間もこの18世紀末のフランスに止まっている、そして、この18世紀が、「20世紀後半である」「21世紀である」とのマジックに専念している。 彼らの本は、読むたびにゴースト・タウンの光景か、お化け屋敷が浮かんでくる。 異様な本である。 なお、フランス革命のフランスに憲法原理など全く存在しないから、『フランス革命の憲法原理』との、辻村の著作タイトルは、悪徳不動産屋の誇大広告と同じ虚偽広告に当たる。 なぜ日本の憲法学者の九割がこれほどまでに虚偽と欺瞞に狂奔するのであろうか。 理由の第一は、彼らはマルクス・レーニン主義者であり、日本を何としても社会主義化したい、共産主義国にしたいという執念にのみ生きている宗教信者であるからだろう。 そして、革命を排除する智恵が憲法の魂に沿っていなくてはならないのに、革命に誘導する革命の教理を、あろうことか憲法学だと詐言的に転倒する。 宮沢俊義、長谷川正安、杉原泰雄、小林直樹、横田耕一、渡辺浩、樋口陽一、辻村みよ子ら、名をあげると数十名にも及ぶ。 英米憲法を全面的に消してこの地球上には存在しないことにした「情報操作(トリック)の達人」辻村みよ子とは、フランス人権宣言(1789年)や1793年ジャコバン憲法に関して荒唐無稽かつ出鱈目なプロパガンダ(嘘宣伝)を平然となす人物でもある。 前述したその作品『フランス革命の憲法原理』で、辻村の嘘は「はしがき」の冒頭一行目から始まる。 そこでは「(フランス革命200年目にあたる今年)フランスをはじめ世界の国々で、大革命の偉業を讃え、その意義を考える記念行事・・・・・・(※注1:辻村みよ子『フランス革命の憲法原理』、日本評論社、i頁、ii頁)」、としているからだ。 だが実際には、フランスにおいてすらフランス革命離れは決定的である。 フランス政府は、革命記念日行事その他を今では可能な限りロー・キー化している。 フランスは、東欧の解放(1989年11月)とソ連邦の崩壊(1991年12月)をもって、フランス革命記念日の安楽死を模索している。 世界のどこにもフランス革命の「偉業を讃え」る、そんな国は実態としては一ヶ国もない。 辻村の虚偽記述は病気である。 さらに、人権宣言やジャコバン憲法についての、細々とした“屍体解剖”的な研究は散見されるが、「フランス憲法学界の最近の傾向、すなわち1789年宣言の憲法規範性を認め、・・・・・・(※注1:前掲『フランス革命の憲法原理』、i頁、ii頁)」などという研究動向は、ゴミほどのもので無視すべきレベルである。 人権宣言はフランス国家全体を宗教団体に改造する宣言で、“モーゼの十戎”などをモデルとしたカルト宗教の戒律もしくは呪文の性格をもつことは、今では定説であろう。 かくも憲法から程遠いものが、どうして「憲法規範性」を持ち得るというのだろうか。 辻村の言説が麻原彰晃のそれに重なるのは、辻村が殺人鬼ロベスピエールの崇拝者であることだけではない、 「近代市民憲法原理ないし近代立憲主義の基本原理を確立したのは、人権宣言かジャコバン憲法か、あるいは1791年憲法かジャコバン憲法か」などと言ったり、それが「<新しい問題>である」など、と述べているからである(※注1:前掲『フランス革命の憲法原理』、i頁、ii頁)。 「立憲主義」とは、「立憲君主」という概念でも簡単に分かるように、憲法に従っって如何なる権力も制限されることを指すから、「国民主権」という「主権」が高らかに謳いあげられた革命フランスに全く存在しなかったのは明々白々ではないか。 例えば、ジャコバン憲法は制定されたが施行されなかった。 そればかりか、この憲法に定められていない、“無法組織”たる公安委員会と革命裁判所をもって独裁とフランス国民の大量虐殺が実行された。 「立憲主義」とは対極的な“憲法破壊主義”がジャコバンの本性であった。 だから、自由、生命、財産への大々的な侵害という蛮行が実行されたのである。 フランスが米国生まれの「立憲主義」を初めて理解したのは、約百年後の1875年であった。 しかも、「フランス人権宣言」こそが、“憲法破壊主義”を牽引し正当化した。 その第三条が「国民主権」を定めたからである。 この「国民主権」によって、人間を無制限に殺戮したいという、国民の一部の“意志”が絶対化され神化されたからである。 これが大規模テロルに至った主要な理由の一つである。 このように、「国民主権」が反・憲法原理であることは、このフランス革命史が百パーセント以上に証明している。 「立憲主義」を史上初めて創造したアメリカの「建国の父たち」が、「国民主権」とそれに類する思想すべてを排撃したが、彼らが如何に優れた賢者であったかはこれだけでも充分に判明する。 樋口陽一は、東京大学教授として最も強い悪影響と深い傷跡とを日本に遺した憲法学者である。 この樋口もまた、時間がフランス革命でとまり、事実上、それから現在に至る二百年間の歴史が抹殺されている。 また、場所もパリに限って、英米を含めて世界各国の憲法を決して鳥瞰しようとしない。 ときたまタイム・マシーンに乗って、ホッブズとルソーを狂信する「ヒットラーの芸者学者」のカール・シュミット(ナチ党員)の所にお伺いに出かけるぐらいである。 これが樋口陽一の憲法学の全てである。 “知の貧困”もここまでくると絶句するほかない。 具体例を挙げる。 樋口陽一の主著『憲法Ⅰ』(※注2:樋口陽一『憲法Ⅰ』、青林書院)は、英国憲法は全面無視し歪曲する。 米国憲法は完全拒絶する、オランダ、ベルギー、北欧の立憲君主国憲法はないことに処理し、現代フランスの憲法は隠す、……。 マジック・ショーのトリック以外の記述が全くないという奇本、それが樋口著『憲法Ⅰ』である。 別の表現をすれば、憲法としてはとっくの昔に死んで白骨と化している革命フランスのそれと、カルト宗教の経典であったフランス人権宣言だけでもって、腐った枯れ枝を集めたような樋口流「憲法理論」を創る。 まずその第Ⅰ部では、主に「立憲主義」を取り上げる(第一章第三節、第四章その他)。 ところがそこでは、米国の「立憲主義」には全く言及しない。 「立憲主義」を全面破壊したい“反・立憲主義者”である樋口にとって、その内容について実質的に一行も言及しないことによって自分の狙う目的を果している。 しかし「立憲主義に言及しないとは何だ!」の批判を回避すべく「立憲主義」という四文字のみは選挙宣伝カーの連呼の如く書き散らす手法をとっている。 次に、近代憲法の基本構造が「主権」と「人権」だとする(第二章第一節)。 ここでも、樋口は卑劣なほどのトリックで論述していく。 なぜなら、そのタイトルは一般的な「近代憲法の基本構造」としているのに、実際には、「身分制秩序を否定する国家=国民主権原理によって、人権主体としての個人が成立した」(28頁)などと、革命フランスのみに限定してその「憲法」なるものを記述しているだけだからである。 羊頭狗肉である。 また、この第一節のタイトルを「主権と人権 - その近代性」としているのは、革命フランスのみに特殊であった「(国民、人民)主権」と「人権」が、当時の欧米に一般的にも存在し「近代的」であったかのように学生が誤解するよう誘導するためである。 近代の英米憲法には、「国民(人民)主権」も存在しない。 「人権」も存在しない。 が、この事実については樋口は一文字も書いていない。 英米憲法について正しく記述すれば、「人権」が近代とは無関係であるのが一瞬にしてバレるからである。 それを避けるための詐術としての「抹殺」である。 次に、ここまで米国憲法を抹殺するのは極端で拙いと思ったのか米国に言及する所がある。 が、この事実については樋口は一文字も書いていない。米国憲法とは何の関係もない、1835年のトクヴィルの作品を出して誤魔化すのである(30頁)。 英国については、17世紀の“主権潰し”のコークなどには一言も言及せず、それから200年以上もたった19世紀のダイシーの『憲法序説』のさわりにちょっと触れてオシマイにする(25頁)。 全体を通してみると、結局、革命フランスの部分だけで「全世界の憲法と近代以降2~400年間の全ての憲法の話をした」ことにしている。 レトリックというより、低級な詐言としか形容できない。 「立憲主義」に話を戻せば、ここまで真っ赤な嘘を吐ける人間がこの世にいるのかと、ただ驚愕するしかない。 例えば、樋口は次のように、出鱈目も度が過ぎた虚偽定義をするからである。 「近代立憲主義は、人権主体としての個人の尊厳という究極的価値を前提にして、権利保障と権力分立をその内容とする」(22頁) 「立憲主義」は、統治機構内の如何なる権力も憲法に従って制限されるという、1788年の米国憲法を嚆矢とするアメリカ的な憲法原理である。 が、決してこれには触れない。 また、マディソンらの「建国の父たち」が起草した米国憲法には「人権」は匂いすらなく、「個人の尊厳」もない。 当然、「権利の保障」とも無関係である。 いったい、「人権主体としての個人の尊厳」と「立憲主義」とがどう関係すると言うのだろう。 まるで、「フランスのケーキは我が日本国の伝統文化の象徴である」などと同じ言辞であり、酔っ払いでもこれほどの酔言は吐かない。 そして、米国憲法から100年も後の、しかも米国でない、19世紀ドイツの「立憲主義」などのマイナーな話にすり替えていく(22~3頁)。 次のような、もう一つの虚偽定義も全く意味不明である。 なぜなら、「立憲主義」は、「国民主権」や「絶対君主」を排撃するものであるが、単なる「個人」を対象としないからである。 樋口の「強い個人」の意味ははっきりしないけれど、それが“個々(アトム)主義”の「個人」を指すのであれば、ルソーの『人間不平等起源論』から生まれた「平等」と表裏一体をなす概念である。 つまり、樋口はフランス啓蒙思想をもって、水と油の関係にあるコーク系列の「立憲主義」とが混じり合えるという、マジック・ショー的にこの一文を書いている。 「近代立憲主義を想定する個人は、ひとことでいえば、強い個人である」(33頁) 樋口陽一の「憲法学」は“憲法学”ではない。 「法の支配」など、自由を擁護する憲法原理を完全に無視するか、歪曲している。 ひたすらフランス革命を日本に起こすことのみに執念を燃やす扇動のパンフレットになっている。 アジビラである。 附記読売憲法試案(2004年5月3日)は、樋口陽一や辻村みよ子の直系の、大量虐殺者ロベスピエールと同じイデオロギーというか、共産革命のロジックというか、それが冒頭に展開されている。「日本国憲法は、日本国の主権者であり、……」が、前文の最初に書かれているからである。その意は、日本人は「一億二千六百万分の一の絶対君主」になったとでも言いたいのだろうか。しかも、一般に日本人のほぼすべては被治者であるからこの主権者に絶対的な服従を強いられる「一人の奴隷」になったとの宣言である。そればかりか、わざわざ「第一章 国民主権」を新しく設け、それを現第一章「天皇」の直前にもってきている。天皇は、「主権者」たる国民の下にある、と言いたいのである。あのルイ16世の処刑の直前の血塗られた革命フランスを模倣している。読売憲法試案より、現GHQ憲法の方が日本国にとって何十倍もましである。 ■7.「国民主権」ないし「制憲権(憲法制定権力)」論まとめ まず「国民主権」および「憲法制定権力」という用語の辞書的定義を確認する。 こくみんしゅけん【国民主権】popular sovereignty 日本語版ブリタニカ 主権は国民にある、とする憲法原理。国家の統治のあり方を究極的に決定する、①権威、ないし、②力、が国民にあるとし、国民主権と全く同じ意味で、人民主権ということもあるが、後者には限定された特殊な用法もある。君主主権に相対する。日本国憲法前文1段および1条は、国民主権に立脚することを明らかにしている。 もっとも、国民主権の具体的意味の理解については一様ではなく、大別して、 (1) 国民主権とは、国家の意志力を構成する最高の機関意思が国民にあることを意味し、それは憲法によって定まる、と解する説(※注:最高機関意思説)と、 (2) 国民が憲法の制定者であることを意味する、とする説(憲法制定権力説)とに分れる。基本的には、(2)後者の立場に立つ場合であっても、さらに、 (2)-a 主権者たる国民は、観念的統一体としての国民で、主権がそのような国民にある、ということを意味する、というように解する説(※注:ナシオン主権説)と、 (2)-b 主権の権力的契機を重視し、主権は個々の人民が分有し、人民自らがそれを行使するところに本質がある、とする人民主権説(※注:プープル主権説)とに分れる。 けんぽうせいていけんりょく【憲法制定権力】pouvoir constituant;Die verfassungsgebende(※注:constituent power) 日本語版ブリタニカ 憲法を創出する権力であって、憲法はもちろん、如何なる実定法によっても拘束されない超法規的・実体的な根源的権力。既存の憲法を前提とし、それによって設けられるもの、とは区別される。 しかし、憲法制定の手続が実定法に拘束されるかどうかは、意見の分かれるところである。国民主権を建前とする近代国家における憲法制定権力は、国民自身である。この発想は、シェイエスの『第三身分とは何か』にみえ、国民を憲法制定権力の主体とする革命憲法制定の理論的主柱として、絶大な影響を及ぼした。20世紀になり、C. シュミットは、この観念を用い、①憲法改正手続のもつ合法性に、②国家形態を変更する主権者の正当性を対置した。 ※「主権」に関するその他の多様な用語については下記参照 関連用語集 【用語集】主権論・国民主権等 前述のとおり、芦部信喜説(左翼=通説)及び、佐藤幸治説(中間派=有力説)は、「国民主権」を「憲法制定権力」と解釈している。 ここで留意すべきは、その「憲法制定権力」にいう「憲法」が、①実質憲法(国制)を指すのか、それとも、②形式憲法(憲法典)を指すのか、である。 けんぽう【憲法】 constitution 日本語版ブリタニカ 憲法の語には、(1)およそ法ないし掟の意味と、(2)国の根本秩序に関する法規範の意味、の2義があり、聖徳太子の「十七条憲法」は(1)前者の例であるが、今日一般には(2)後者の意味で用いられる。 (2)後者の意味での憲法は、凡そ国家のあるところに存在するが(実質憲法)、近代国家の登場とともにかかる法規範を1つの法典(憲法典)として制定することが一般的となり(形式憲法)、しかもフランス人権宣言16条に謳われているように、①国民の権利を保障し、②権力分立制を定める憲法のみを憲法と観念する傾向が生まれた(近代的意味の憲法)。 1 17世紀以降この近代的憲法原理の確立過程は政治闘争の歴史であった。憲法の制定・変革という重大な憲法現象が政治そのものである。比較的安定した憲法体制にあっても、①社会的諸勢力の利害や、②階級の対立は、[1]重大な憲法解釈の対立とともに、[2]政治的・イデオロギー的対立を必然的に伴っている。 従って、 (a) 憲法は政治の基本的ルールを定めるものであるとともに、 (b) 社会的諸勢力の経済的・政治的・イデオロギー的闘争によって維持・発展・変革されていく、・・・という二重の構造を持っている。 2 憲法の改正が、通常の立法手続でできるか否かにより、軟性憲法と硬性憲法との区別が生まれるが、今日ではほとんどが硬性憲法である。 近代的意味での成文の硬性憲法は、 ① 国の法規範創設の最終的源である(授権規範性)とともに、 ② 法規範創設を内容的に枠づける(制限規範性)という特性を持ち、かつ ③ 一国の法規範秩序の中で最高の形式的効力を持つ(最高法規性)。 日本国憲法98条1項は、憲法の③最高法規性を明記するが、日本国憲法が硬性憲法である(96条参照)以上当然の帰結である。今日、③最高法規性を確保するため、何らかの形で違憲審査制を導入する国が増えてきている。 なお、憲法は、①制定の権威の所在如何により、欽定・民定・協約・条約(国約)憲法の区別が、②歴史的内容により、ブルジョア憲法と社会主義憲法、あるいは、近代憲法(自由権中心の憲法)と現代憲法(社会権を導入するに至った憲法)といった区別がなされる。 なお、下位規範による憲法規範の簒奪を防止し、憲法の最高法規性を確保することを、憲法の保障という。 (⇒憲法の変動、⇒成文憲法、⇒不文憲法) 実は、芦部『憲法(第五版)』や佐藤『憲法(第三版)』は、 憲法論の最初(憲法概念論)で、 「憲法(constitution)」という概念には、①実質的意味の憲法(国制)と、②形式的意味の憲法(憲法典)の区別があり、両者を混同してはいけないことを明記しておきながら、 肝心の国民主権論の段では、 「国民主権」=「憲法制定権力(制憲権)」の指す「憲法」が①なのか②なのか、が曖昧にしか説明されていない。(しかし、文脈から見て芦部・佐藤両説とも、憲法制定権力の「憲法」として、①実質憲法(国制)を想定していることが読み取れる) ここで、常識的な国民の政治への関わり方を考察すると 1 我々の世代の国民が、選挙などを通じて決定しているのは、あくまで「国政(national policy)」であって、その中の最も大きな決定事項として、「憲法典(constitutional code=②形式憲法)」の制定・改廃も含まれるが、 2 その一方で、「国制(constitutional law=①実質憲法)」すなわち、国家の継続的なあり方に関しては、我々の世代だけの「決定事項」とするのは、おそらく僭越に過ぎると思われる。 こうした政治感覚からすれば、 日本国憲法に「国民主権」という規定があり、それが具体的には、国民の「憲法制定権力(制憲権)」を指すとしても、その「憲法」とは、芦部説や佐藤説が暗示するような、①実質憲法(国制)ではなくて、あくまで②形式憲法(憲法典)に留まる、 すなわち、特定の世代の国民が決定できるのは、②形式憲法(憲法典)迄であって、①実質憲法(国制)自体は、幾世代にも渡って次第次第に形成されてきたもので一時の政治的決定によって任意に改廃できる類のものではない と結論づけるのが妥当である。 (=このように、①実質憲法(国制)を、特定世代の意思によって「制定・改廃」可能なものとしてではなく、あくまで幾世代にも渡る人々の営為の中から「自生(自然に成長)」するものと見る立場を、法の支配という) 芦部信喜説のように、「国民主権」=「憲法制定権力(制憲権)」とし、かつ、その対象たる「憲法」は、①実質憲法(国制)を指す、とする憲法理論とは、要するに「国民主権」の貫徹=「天皇制打倒」という《革命の成就》(彼らのいう「八月革命」の完遂)を密かなアジェンダに掲げた宮沢俊義以来の戦後憲法学(及び丸山政治学?)の悪しき遺物なのである。(※なお、佐藤幸治説(京大系憲法学)は八月革命説を肯定しているわけではないが、結論から見れば芦部説と同様である) ■8.関連ページ 「法の支配」と国民主権 「法の支配(rule of law)」とは何か 憲法論まとめ 憲法論まとめ 《2段階の憲法論の区別 ~ ①実質憲法(=法価値論)と、②形式憲法(=法解釈論)》 関連用語集 【用語集】主権論・国民主権等 阪本昌成『憲法理論Ⅰ 第三版』(1999年刊) 第一部 第七章 国民主権と憲法制定権力 阪本昌成『憲法1 国制クラシック 全訂第三版』(2011年刊) 第8章 国民主権あるいは憲法制定権力 ■9.ご意見、情報提供 名前 コメント ■左翼や売国奴を論破する!セットで読む政治理論・解説ページ 政治の基礎知識 政治学の概念整理と、政治思想の対立軸 政治思想(用語集) リベラル・デモクラシー、国民主権、法の支配 デモクラシーと衆愚制 ~ 「民主主義」信仰を打ち破る ※別題「デモクラシーの真実」 リベラリズムと自由主義 ~ 自由の理論の二つの異なった系譜 ※別題「リベラリズムの真実」 保守主義とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ ナショナリズムとは何か ケインズvs.ハイエクから考える経済政策 国家解体思想(世界政府・地球市民)の正体 左派・左翼とは何か 右派・右翼とは何か 中間派に何を含めるか 「個人主義」と「集産主義」 ~ ハイエク『隷従への道』読解の手引き 最速!理論派保守☆養成プログラム 「皇国史観」と国体論~日本の保守思想を考える 日本主義とは何か ~ 日本型保守主義とナショナリズムの関係を考える 右翼・左翼の歴史 靖國神社と英霊の御心 マルクス主義と天皇制ファシズム論 丸山眞男「天皇制ファシズム論」、村上重良「国家神道論」の検証 国体とは何か① ~ 『国体の本義』と『臣民の道』(2つの公定「国体」解説書) 国体とは何か② ~ その他の論点 国体法(不文憲法)と憲法典(成文憲法) 歴史問題の基礎知識 戦後レジームの正体 「法の支配(rule of law)」とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ 立憲主義とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ 「正義」とは何か ~ 法価値論まとめ+「法の支配」との関係 正統性とは何か ~ legitimacy ・ orthodoxy の区別と、憲法の正統性問題 自然法と人権思想の関係、国体法との区別 「国民の権利・自由」と「人権」の区別 ~ 人権イデオロギー打破のために 日本国憲法改正問題(上級編) ※別題「憲法問題の基礎知識」 学者別《憲法理論-比較表》 政治的スタンス毎の「国民主権」論比較・評価 よくわかる現代左翼の憲法論Ⅰ(芦部信喜・撃墜編) よくわかる現代左翼の憲法論Ⅱ(長谷部恭男・追討編) ブログランキング応援クリックをお願いいたします(一日一回有効)。 人気ブログランキングへ
https://w.atwiki.jp/pokemanofjoytoy/pages/138.html
《フランス革命/French Revolution》 フランス革命/French Revolution イベント コスト:1TT ローマ帝国、YAKATA 全ての権力系財政を破壊する。 世界銀行/The World Bank?をはじめとして、特殊財政に権力?系は多い。そういったカードを一掃できるという意味では、まあまあ貴重なカードである。
https://w.atwiki.jp/ideology-database/pages/143.html
The New Order 寡頭制 アイコン編集 英名 Oligarchy 別名 登場作品 The New Order 上位イデオロギー 父権主義 主要なイデオローグ 寡頭制(oligarchy)はギリシャ語の\oligos(少数)\と\arkho(支配する)\という二語に由来しており、権力が少人数のグループの手中にある政府のことを指す。政府は富や教育、軍民両方への支配力などにより大衆とは切り離された存在になっており、場合によっては少数派が多数派を支配していることもある。この種の政府は非常事態や暫定政権といった名目によって、または違法だったり秘密の手段を用いることで存在を裏付けされうる。一部の寡頭制国家は世襲制により権力継承が行われるが、すべての寡頭制国家に対して当てはまるわけではない。 寡頭制は様々な状況から発生する可能性がある。例えば、上流階級が徐々に特権階級に変貌することで権力が一部のエリートに集中し、最終的に富裕層が政府のすべてを表向き・裏向きの両方で支配する場合がある。またクーデターの後に勝利した将軍が一派や軍部の権力を世間に定着させようとする場合もある。 寡頭制国家は何の集団が権力を握っているかという点で他の形態とは大きく異なり、一般に政府は国民全員に対して広範な支配力を行使する。市民の自由は通常制限され、どのような程度の投票も同じように制限される。しかしながら、ある種の意図的ないし非意図的な見せかけの民主主義が存在する国家では例外も見受けられる。例え欺瞞的な選挙が民主主義の上辺を取り繕うことができるとしても、結局市民は自らの指導者を自らの手で支配することが出来ないのだ。 (TNO日本語化Modより引用) Red Flood 寡頭制 アイコン編集 英名 Oligarchy 別名 登場作品 Red Flood(Hoi4) 上位イデオロギー 多頭政体 主要なイデオローグ 人類の歴史上最も古い組織形態である寡頭制は血縁、地位、富、あるいは使命によって結ばれた特定の人間同士が結束するという、極めて単純な概念である。少数が多数を支配するというこの基本原理は必要なときに改良され、明確化されながら、いつの時代も不変であった。 この見かけ上の低俗さは多様性、形態、機能、そしてこの現象が現在の世代に到達するまでの複雑な発展のすべてにおいて豊かであることを隠している。ギリシャの哲学者たちは王制と民主主義の中間に位置する黄金律と考え、その美徳は国家を効果的に統治する能力と、法の適用における固有の制約にあると考えた。ギリシャやスペインの半島戦争の軍事政府がそうであったように大きな危機が迫ったとき、地方の有力者は自分の領地を守るために連合し、立法者が不在でも法の支配を継続できるようにした。これらの場合、統治の必要性に対する自然かつ地域的な対応であり、今日でも寡頭制は地域エリートとの強い結びつきがある。このような体制は現代世界では裕福なビジネスオーナーの派閥、準封建的なカシケのグループ、強力な党主義、あるいは権威主義的だが分権的な政権などに似ていることがある。 寡頭制は公然たるエリート主義であれ、暗黙の徒党で構成されているものであれ、関係者間で絶えず変化するニーズ、同盟、苦情、利害が複雑に絡み合って成り立っている。寡頭制は無数の可動部を持つ複雑な機械であり、そこにその弱点と強みがある。偉大な政治家は不安定なバランスを保ちながら、あるいは大きな目的のために破壊しながら、それらを自らの目的のために利用することができる。だがこれらの隠れた利害関係者は自分たちの権力に対する侵害に対して連合する可能性も非常に高く、支配の行き過ぎに対する公正な警告となる。 (RF日本語化Modより引用)
https://w.atwiki.jp/yaruomura/pages/14.html
プレイログ お勧めの村のログとか。 新規ページでログを書いて、ここにリンクをまとめる感じで一つよろしく! わかめてのログはこちら 流石鯖001~100までのログはこちら 流石鯖101~200までのログはこちら 流石鯖201~300までのログはこちら 流石鯖301~400までのログはこちら 流石鯖401~500までのログはこちら 流石鯖501~600までのログはこちら 流石鯖601~700までのログはこちら 薔薇鯖001~100までのログはこちら 薔薇鯖101~200までのログはこちら 流石鯖701~ 薔薇鯖101~ 水銀鯖001~ 翠星石鯖001~ [部分編集] 流石鯖701~ No タイトル 人数 役職(普通or闇鍋or特殊) 勝敗 備考 ログ 701 やる夫達の初回記念普通村 17 普通村決定者権力者 村人 弟者鯖第一弾!まだまだみんなでヒャッハーだ! プレイログ 702 やる夫達の普通村 17 普通決定者権力者 村人 弟者初GMはやっぱりゼットン プレイログ 703 やる夫達の普通村 10 普通 村人 -- プレイログ 704 やる夫達の普通村 13 普通 村人 -- プレイログ 705 やる夫たちのモーニング普通村 17 普通 村人 ナンバリング抜け。でも普通村。次から気をつけてね プレイログ 706 やる夫達の普通村 17 普通決定者権力者 人狼 -- プレイログ 707 やる夫達の普通村 17 普通決定者権力者 人狼 -- プレイログ 708 やる夫たちの普通人狼村 22 普通決定者権力者 妖狐 -- プレイログ 番外 劇場版 サムvs特撮vsでっていうvsなんでもあり村 30 決闘 人狼 -- プレイログ 709 やる夫達の普通村 17 普通決定者権力者 村人 -- プレイログ 710 やる夫たちの普通人狼村 12 普通 村人 -- プレイログ 711 -- -- -- -- -- プレイログ 712 -- -- -- -- -- プレイログ 713 -- -- -- -- -- プレイログ 714 -- -- -- -- -- プレイログ 715 -- -- -- -- -- プレイログ 716 -- -- -- -- -- プレイログ 717 -- -- -- -- -- プレイログ 718 -- -- -- -- -- プレイログ 番外 -- -- -- -- -- プレイログ 719 -- -- -- -- -- プレイログ 番外 -- -- -- -- -- プレイログ 720 -- -- -- -- -- プレイログ 721 -- -- -- -- -- プレイログ 722 -- -- -- -- -- プレイログ 723 -- -- -- -- -- プレイログ 724 -- -- -- -- -- プレイログ 725 -- -- -- -- -- プレイログ 726 -- -- -- -- -- プレイログ 727 -- -- -- -- -- プレイログ 728 -- -- -- -- -- プレイログ 729 -- -- -- -- -- プレイログ 730 -- -- -- -- -- プレイログ 731 -- -- -- -- -- プレイログ 732 -- -- -- -- -- プレイログ 733 -- -- -- -- -- プレイログ 734 -- -- -- -- -- プレイログ 735 -- -- -- -- -- プレイログ 736 -- -- -- -- -- プレイログ 737 -- -- -- -- -- プレイログ 738 -- -- -- -- -- プレイログ 739 -- -- -- -- -- プレイログ 740 -- -- -- -- -- プレイログ 薔薇鯖101~ No タイトル 人数 役職(普通or闇鍋or特殊) 勝敗 備考 ログ 151 やる夫達のQP村 16 普通村決定者権力者 QP 人狼 つかさはいつでも黒い プレイログ 152 やる夫達の少人数QP村村 6 普通村 QP 人狼 -- プレイログ 153 やる夫達の普通QP村 18 普通村決定者権力者 QP 妖狐 ジョルジュは貧乳でも容赦なかった プレイログ 154 やる夫達の普通QP村 18 普通村決定者権力者 QP 妖狐 再びかがこなが同陣営 プレイログ 155 やる夫達の普通QP 村村 20 普通村決定者権力者 埋毒者 QP 村人 しっと団員がQPで百合カップルを作成 プレイログ 156 やる夫達の普通QP村 2 --村 廃村 廃村なので次村は【薔薇156】でOK プレイログ 156 0 --村 -- -- プレイログ 157 0 --村 -- -- プレイログ 158 0 --村 -- -- プレイログ 159 0 --村 -- -- プレイログ 160 0 --村 -- -- プレイログ 水銀鯖001~ No タイトル 人数 役職(普通or闇鍋or特殊) 勝敗 備考 ログ 001 やる夫たちの闇鍋村 21 闇鍋村 配役通知 サブなし 村人 -- プレイログ 002 やる夫たちの真・闇鍋村 17 真闇鍋村 狼少年 紳士淑女 虚弱体質 人狼 -- プレイログ 003 やる夫たちの真・闇鍋村 32 真闇鍋村 狼少年 紳士淑女 虚弱体質 村人 32人満員御礼 プレイログ 004 やる夫たちの真・闇鍋村 21 真闇鍋村 サブなし -- -- プレイログ 005 やる夫たちの真・闇鍋村 20 真闇鍋村 狼少年 紳士淑女 虚弱体質 サブ非表示 人狼 -- プレイログ 006 やる夫たちの真・闇鍋村 20 真闇鍋村 サブなし 妖狐 -- プレイログ 007 やる夫たちの初・普通村村 10 普通村 権力者決定者 村人 -- プレイログ 008 やる夫たちの真・闇鍋村 15 真闇鍋村 サブなし 村人 -- プレイログ 009 やる夫たちの真・闇鍋村 15 真闇鍋村 紳士淑女 虚弱体質 村人 まさかの二日目終了 プレイログ 010 やる夫たちの真・闇鍋村 16 真闇鍋村 サブなし 恋人 水銀鯖初の恋人勝利は蟹と⑨ プレイログ 011 やる夫たちの真・闇鍋村 32 真闇鍋村 狼少年 紳士淑女 虚弱体質 恋人 紳士淑女の変換メッセージ追加権をめぐる戦い プレイログ 012 やる夫たちの人狼村 20 普通村 決定者権力者 埋毒者 白狼 毒狼 神話マニア 巫女 人狼 -- プレイログ 013 やる夫たちの人狼村村 12 普通村 人狼 -- プレイログ 番外 水銀鯖開鯖記念50人真闇鍋村 35 真闇鍋村 虚弱体質 配役通知 妖狐 -- プレイログ 014 やる夫たちの神話村 17 普通村 決定者権力者 神話マニア 人狼 -- プレイログ 015 やる夫たちの真・闇鍋テスト村 18 闇鍋村 配役通知 妖狐 -- プレイログ 016 やる夫たちの神話マニア村 22 神話マニア村 決定者権力者 埋毒者 人狼 恐怖の狩人ローラー・偽毒大量村 プレイログ 017 やる夫たちの神話マニア村 18 神話マニア村 決定者権力者 村人 炒飯の一言で芋ズル式に吊られた狼 プレイログ 018 やる夫とかの白昼の闇鍋村 17 闇鍋村 霊界配役非公開 役職通知 サブなし 村人 -- プレイログ 019 やる夫たちの真・闇鍋テスト村 17 真闇鍋 神話マニア村 人狼 -- プレイログ 021 -- 0 -- -- -- プレイログ 022 -- 0 -- -- -- プレイログ 023 -- 0 -- -- -- プレイログ 024 -- 0 -- -- -- プレイログ 025 -- 0 -- -- -- プレイログ 026 -- 0 -- -- -- プレイログ 027 -- 0 -- -- -- プレイログ 028 -- 0 -- -- -- プレイログ 029 -- 0 -- -- -- プレイログ 030 -- 0 -- -- -- プレイログ 031 -- 0 -- -- -- プレイログ 032 -- 0 -- -- -- プレイログ 033 -- 0 -- -- -- プレイログ 034 -- 0 -- -- -- プレイログ 035 -- 0 -- -- -- プレイログ 036 -- 0 -- -- -- プレイログ 037 -- 0 -- -- -- プレイログ 038 -- 0 -- -- -- プレイログ 039 -- 0 -- -- -- プレイログ 040 -- 0 -- -- -- プレイログ 041 -- 0 -- -- -- プレイログ 042 -- 0 -- -- -- プレイログ 043 -- 0 -- -- -- プレイログ 044 -- 0 -- -- -- プレイログ 045 -- 0 -- -- -- プレイログ 046 -- 0 -- -- -- プレイログ 047 -- 0 -- -- -- プレイログ 048 -- 0 -- -- -- プレイログ 049 -- 0 -- -- -- プレイログ 050 -- 0 -- -- -- プレイログ 051 -- 0 -- -- -- プレイログ 052 -- 0 -- -- -- プレイログ 053 -- 0 -- -- -- プレイログ 054 -- 0 -- -- -- プレイログ 055 -- 0 -- -- -- プレイログ 056 -- 0 -- -- -- プレイログ 057 -- 0 -- -- -- プレイログ 058 -- 0 -- -- -- プレイログ 059 -- 0 -- -- -- プレイログ 060 -- 0 -- -- -- プレイログ 061 -- 0 -- -- -- プレイログ 062 -- 0 -- -- -- プレイログ 063 -- 0 -- -- -- プレイログ 064 -- 0 -- -- -- プレイログ 065 -- 0 -- -- -- プレイログ 066 -- 0 -- -- -- プレイログ 067 -- 0 -- -- -- プレイログ 068 -- 0 -- -- -- プレイログ 069 -- 0 -- -- -- プレイログ 070 -- 0 -- -- -- プレイログ 071 -- 0 -- -- -- プレイログ 072 -- 0 -- -- -- プレイログ 073 -- 0 -- -- -- プレイログ 074 -- 0 -- -- -- プレイログ 075 -- 0 -- -- -- プレイログ 076 -- 0 -- -- -- プレイログ 077 -- 0 -- -- -- プレイログ 078 -- 0 -- -- -- プレイログ 079 -- 0 -- -- -- プレイログ 080 -- 0 -- -- -- プレイログ 081 -- 0 -- -- -- プレイログ 082 -- 0 -- -- -- プレイログ 083 -- 0 -- -- -- プレイログ 084 -- 0 -- -- -- プレイログ 085 -- 0 -- -- -- プレイログ 086 -- 0 -- -- -- プレイログ 087 -- 0 -- -- -- プレイログ 088 -- 0 -- -- -- プレイログ 089 -- 0 -- -- -- プレイログ 090 -- 0 -- -- -- プレイログ 091 -- 0 -- -- -- プレイログ 092 -- 0 -- -- -- プレイログ 093 -- 0 -- -- -- プレイログ 094 -- 0 -- -- -- プレイログ 095 -- 0 -- -- -- プレイログ 096 -- 0 -- -- -- プレイログ 097 -- 0 -- -- -- プレイログ 098 -- 0 -- -- -- プレイログ 099 -- 0 -- -- -- プレイログ 100 -- 0 -- -- -- プレイログ 翠星石鯖001~ No タイトル 人数 役職(普通or闇鍋or特殊) 勝敗 備考 ログ 001 -- 0 -- -- -- プレイログ 002 -- 0 -- -- -- プレイログ 003 -- 0 -- -- -- プレイログ 004 -- 0 -- -- -- プレイログ 005 -- 0 -- -- -- プレイログ
https://w.atwiki.jp/gangroad-i/pages/178.html
#ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (0.jpg) #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (1.jpg) #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (2.jpg) #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (3.jpg) レア レア レア ハイレア 徳川 康好 徳川 康好+ 徳川 康好++ [支配] 徳川 康好 攻撃力 1920 攻撃力 2304 攻撃力 2688 攻撃力 3456 防御力 2070 防御力 2484 防御力 2898 防御力 3726 必要戦力 17 必要戦力 17 必要戦力 17 必要戦力 17 富豪の父を持ち、その権力を背景にギャング社会の支配を目論んでいる。今まで潰したギャングチームは数知れず。誰も下手に手出しはできない男。 富豪の父を持ち、その権力を背景にギャング社会の支配を目論んでいる。チームを潰された者達の報復すらも、その勢力拡大に利用している。 富豪の父を持ち、その権力を背景にギャング社会の支配を目論んでいる。その体制は完成しつつあったが、唯一彼に屈しない勢力があった。 強大な権力を背景に、ギャングチームの支配を実行に移し始めた。あらゆるチームに傘下に加わるよう促し、拒む者たちは徹底的に叩き潰す。まさに『独裁』である。 「俺に手ェ出したら…分かるよな?」 「いいぜ。いくらでもかかってきなよ!」 「街のカリスマだと?気に入らねえな」 「支配者は誰だ?この俺だろ?」 売却価格 5850 売却価格 8775 売却価格 11700 売却価格 17550 スキル名:ペテン師の宴 効果:全属性の攻 中ダウン
https://w.atwiki.jp/amatuka/pages/45.html
基本概念 1 リベラリズムは、政府の介入および権力の侵害に抗して、個人の自由の領域を最大限に確保しようとする立場である。これは、デモクラシーとの両立は想定されていない。 × 19世紀前半、両者は対立関係に置かれていた。しかし、A.C.トクヴィルが両者の両立は可能だと主張し、後にリベラル・デモクラシーとして理論化された。 2 G.W.F.ヘーゲルにとって国家とは、家族、市民、社会とともに歴史的に想像された善の理念の客観化である「人論」を体系的に構成するものである。 ○ 3 行政国家は、20世紀において、行政活動が立法、司法の活動との相対的関係で拡大してきた現象である。この出現は、国民にとって政策決定への関与機会の増大を通じたデモクラシーを促進した。 × 国民が直接統制できる立法府ではなく、統制できない行政府に権力が集中するため、政策決定への関与は難しくなり、寡頭制的デモクラシーを促進した。 4 P.バラックとM.バラッツは、顕在化した争点を重視する多元主義的権力観を疑問視し、顕在化しなかった争点に着目した非決定権力論を展開した。 ○ 5 サイバネティクス理論は、指示および要求を環境からの入力として、政策を環境への出力として、環境との相互作用を繰り返す一つの体系であり、D.イーストンにより提唱された。 × 政治システム論に関する記述である。サイバネティクス理論は、政治組織が情報をどのように流し、制御するのかについての一般理論。 政治理論 6 C.W.ミルズは、現代のアメリカ社会では財界、官僚、産業界という3分野の少数者である「パワー・エリート」が、政策決定にほぼ独占的な影響力を持つとした。 × 官僚ではなく軍部の誤りである。 7 R.ダールは、R.ミヘルスやV.パレートらによるエリート論と論争し、エリートの権力はより分散的で、政策領域ごとに異なるものであるというネオ・コーポラティズムを展開した。 × 多元主義論に関する記述である。ネオ・コーポラティズムは、中・北欧で典型的に見られる、各領域を代表する団体と政府との協調的な政策決定の仕組みである。 8 R.パットナムは、イタリアの複数の地域の比較研究を通じて、その地方の構成員間の信頼性や社会的参加の程度を意味する公共財の蓄積が政治システムの業績に影響すると指摘した。 × 人間関係資本(ソーシャル・キャピタル)に関する記述である。公共財は、利用の減少・増加による競合が発生しない非競合制、対価を負担しないものを排除することが出来ない非排除制の両方あるいはいずれかの要素を備えた財を意味し、よって市場メカニズムによる供給が難しい。
https://w.atwiki.jp/kolia/pages/1795.html
<目次> ■1.「憲法学の権威」芦部信喜 ■2.芦部信喜『憲法 第五版』紹介と抜粋(内容チェック)▼第一章. 憲法と立憲主義 ▼第三章. 国民主権の原理 ▼第十八章. 憲法の保障 ■3.芦部憲法論の致命的欠陥▼1.芦部憲法論の依拠する法概念理解(半世紀前の法学パラダイム) ▼2.ハートの法概念理解(現代の世界標準の法学パラダイム) ▼3.(参考)長谷部恭男による芦部説の否定 ■4.参考図書 ■5.ご意見、情報提供 ■1.「憲法学の権威」芦部信喜 戦後左翼の言論支配は、様々な分野に及んでいるが、憲法学の分野では、宮沢俊義→芦部信喜と続くラインがその中心となっており、歴史学・政治思想・宗教史など他分野に比較しても、その勢力はなお強大である。 しかし結論から先にいうと、芦部憲法論の依拠する法概念理解は旧来のドイツ法学(ないし大陸法学)系の自然法論であって、理論上は既に半世紀以上前に破綻しており(1961年のH.L.A.ハート『法の概念』刊行)、その門下である長谷部恭男からも明白に否定されてしまっている。 このページでは、芦部憲法論のエッセンスを紹介するとともにその致命的欠陥を指摘する。 ■2.芦部信喜『憲法 第五版』紹介と抜粋(内容チェック) 『憲法 第五版』 (芦部信喜:著、高橋和之:補訂 (2011年)) 芦部信喜(故人) は、宮沢俊義に始まる東大憲法学(戦後左翼の通説的憲法学)の権威であり、本書は法律系資格受験者に最も参考にされている影響力の大きい基本書である。芦部の政治的スタンスはリベラル左派~かなり左翼よりと考えると理解しやすい(※参考ページ:政治的スタンス毎の「国民主権」論比較・評価)。 ▼第一章. 憲法と立憲主義 ↓本文はここをクリックして表示/非表示切り替え +... ※図が見づらい場合⇒こちら を参照 ※左記の他に実は、自然法または根本規範を認めず、憲法制定権力も認めない(特定時点の国民が保持するのはせいぜい「憲法典 constitutional code」(形式憲法)を制定ないし改廃する権力(つまり「国政 national policy」を決定する権力)であり、「国制 constitutional law」(国体法=実質憲法)を制定・改廃する権力ではない、とする見解もあり、そちらが妥当である。(→リベラル右派の「国民主権」論及び保守主義の「国民主権」批判 参照。この場合「国制」(実質憲法)は過去から現代に至る世代を重ねた国民の長年のプラクティスの中から徐々に形成されるものと理解される。すなわち法の支配) ※図が見づらい場合⇒こちら を参照 ※①宮澤俊義(ケルゼン主義者)・②芦部信喜(修正自然法論者)に代表される戦後日本の左翼的憲法学は「実定法を根拠づける“根本規範”あるいは“自然法”」を仮設ないし想定するところからその理論の総てが始まるが、そのようなア・プリオリ(先験的)な前提から始まる論説は、20世紀後半以降に英米圏で主流となった分析哲学(形而上学的な特定観念の刷り込みに終始するのではなく緻密な概念分析を重視する哲学潮流)を反映した法理学/法哲学(基礎法学)分野では、とっくの昔に排撃されており、日本でも“自然法”を想定する法理学者/法哲学者は最早、笹倉秀夫(丸山眞男門下)など一部の化石化した確信犯的な左翼しか残っていない。このように基礎法学(理論法学)分野でほぼ一掃された論説を、応用法学(実定法学)分野である憲法学で未だに前提として理論を展開し続けるのはナンセンスであるばかりか知的誠実さを疑われても仕方がない行いであり、日本の憲法学の早急な正常化が待たれる。(※なお、近年の左翼憲法論をリードし「護憲派最終防御ライン」と呼ばれている長谷部恭男は、芦部門下であるが、ハートの法概念論を正当と認めて、芦部説にある自然法・根本規範・制憲権といった超越的概念を明確に否定するに至っている。) ※以下、芦部憲法論の具体的内容をチェック。 芦部信喜『憲法 第五版』(2011年刊) 第一章 憲法と立憲主義 p.3以下 <目次> 一. 国家と法 二. 憲法の意味◆1. 形式的意味の憲法と実質的意味の憲法◇(一). 形式的意味 ◇(ニ). 実質的意味(1). 固有の意味 (2). 立憲的意味 ◆2. 立憲的憲法の特色◇(一). 淵源 ◇(ニ). 形式と性質(1). 成文憲法 (2). 硬性憲法 三. 憲法の分類◆1. 伝統的な分類◇(一). 憲法の形式・性質・制定主体による分類 ◇(ニ). 国家形態による分類 ◆2. 機能的な分類 四. 憲法規範の特質◆1. 自由の基礎法 ◆2. 制限規範 ◆3. 最高法規 五. 立憲主義と現代国家 - 法の支配◆1. 法の支配 ◆2. 「法の支配」と「法治国家」◇(一). 民主的な立法過程との関係 ◇(ニ). 「法」の意味 ◆3. 立憲主義の展開◇(一). 自由国家の時代 ◇(ニ). 社会国家の時代 ◆4. 立憲主義の現代的意義◇(一). 立憲主義と社会国家 ◇(ニ). 立憲主義と民主主義 一. 国家と法 一定の限定された地域(領土)を基礎として、その地域に定住する人間が、強制力をもつ統治権のもとに法的に組織されるようになった社会を国家と呼ぶ。 従って、領土と人と権力は、古くから国家の三要素と言われてきた。 この国家(*)という統治団体の存在を基礎づける基本法、それが通常、憲法と呼ばれてきた法である。 (*) 国家概念 国家の考え方は、立場の違いによっても、社会学的にみるか、政治学的にみるかによっても、著しく異なる。三要素から成り立つと言われる場合は、社会学的国家論である。これを法学的にみた国家論として著名なものが、国家法人説である(第二章一2*、第三章二2(一)参照)。もっとも、国家三要素説には有力な批判もある。なお、憲法学では、たとえば人権を「国家からの自由」と言う場合のように、国家権力ないし権力の組織体を国家と呼ぶことも多い。 二. 憲法の意味 憲法を勉強するには、まず、憲法とは何かを明らかにしなければならない。 研究の対象を正確に捉えることは、あらゆる学問の出発点である。 憲法の意味を本格的に解明しようとすると、憲法がどのようにしてつくられてきたのか、どのような思想に支えられて登場したのか、という憲法思想史の背景を研究しなければならないが、ここでは、憲法の意味とその法的特質に関する基本的な事柄について概説的に説明するにとどめる。 ◆1. 形式的意味の憲法と実質的意味の憲法 憲法の概念は多義的であるが、重要なものとして三つ挙げることができる。 ◇(一). 形式的意味 これは、憲法という名前で呼ばれる成文の法典(憲法典)を意味する場合である。 形式的意味の憲法と呼ばれる。 たとえば、現代日本においては「日本国憲法」がそれにあたる。 この意味の憲法は、その内容がどのようなものであるかには関わらない。 ◇(ニ). 実質的意味 これは、ある特定の内容をもった法を憲法と呼ぶ場合である。 成文であると不文であるとを問わない。 実質的意味の憲法と呼ばれる。 この実質的意味の憲法には二つのものがある。 (1). 固有の意味 国家の統治の基本を定めた法としての憲法であり、通常「固有の意味の憲法」と呼ばれる。 国家は、いかなる社会・経済構造をとる場合でも、必ず政治権力とそれを行使する機関が存在しなければならないが、この機関、権力の組織と作用および相互の関係を規律する規範が、固有の意味の憲法である。 この意味の憲法はいかなる時代のいかなる国家にも存在する。 (2). 立憲的意味 実質的意味の憲法の第二は、自由主義に基づいて定められた国家の基礎法である。 一般に「立憲的意味の憲法」あるいは「近代的意味の憲法」と言われる。 18世紀末の近代市民革命期に主張された、専断的な権力を制限して広く国民の権利を保障するという立憲主義の思想に基づく憲法である。 その趣旨は、「権利の保障が確保されず、権力の分立が定められていない社会は、すべて憲法をもつものではない」と規定する有名な1789年フランス人権宣言16条に示されている。 この意味の憲法は、固有の意味の憲法とは異なり、歴史的な観念であり、その最も重要な狙いは、政治権力の組織化というよりも権力を制限して人権を保障することにある。 以上の三つの憲法の観念のうち、憲法の最もすぐれた特徴は、その立憲的意味にあると考えるべきである。 従って、憲法学の対象とする憲法とは、近代に至って一定の政治的理念に基づいて制定された憲法であり、国家権力を制限して国民の権利・自由を守ることを目的とする憲法である。 そのような立憲的意味の憲法の特色を次に要説する。 ◆2. 立憲的憲法の特色 ◇(一). 淵源 立憲的意味の憲法の淵源は、思想史的には、中世にさかのぼる。 中世においては、国王が絶対的な権力を保持して臣民を支配したが、国王といえども従わなければならない高次の法(higher law)があると考えられ、根本法(fundamental law)とも呼ばれた。 この根本法の観念が近代立憲主義へと引きつがれるのである。 もっとも、中世の根本法は、貴族の特権の擁護を内容とする封建的性格の強いものであり、それが広く国民の権利・自由の保障とそのための統治の基本原則を内容とする近代的な憲法へ発展するためには、ロック(John Loche, 1632-1704)やルソー(Jean-Jacques Rousseau, 1712-78)などの説いた近代自然法ないし自然権(natural rights)の思想によって新たに基礎づけられる必要があった。 この思想によれば、 ① 人間は生まれながらに自由にして平等であり、生来の権利(自然権)をもっている、 ② その自然権を確実なものとするために社会契約(social contract)を結び、政府に権力の行使を委任する、そして、 ③ 政府が権力を恣意的に行使して人民の権利を不当に制限する場合には、人民は政府に抵抗する権利を有する。 このような思想に支えられて、1776年から89年にかけてのアメリカ諸州の憲法、1788年のアメリカ合衆国憲法、1789年のフランス人権宣言、91年のフランス第一共和制憲法などが制定された。 ◇(ニ). 形式と性質 立憲的憲法は、その形式の面では成文法であり、その性質においては硬性(通常の法律よりも難しい手続によらなければ改正できないこと)であるのが普通であるが、それはなぜであろうか。 (1). 成文憲法 まず、立憲的憲法が成文の形式をとる理由としては、成文法は慣習法に優るという近代合理主義、すなわち、国家の根本的制度についての定めは文章化しておくべきであるという思想を挙げることも出来るが、最も重要なのは近代自然法学の説いた社会契約説である。 それによれば、国家は自由な国民の社会契約によって組織され、その社会契約を具体化したものが根本契約たる憲法であるから、契約である以上それは文書の形にすることが必要であり、望ましいとされたのである。 (2). 硬性憲法 また、立憲的憲法が硬性(rigid)であることの理由も、近代自然法学の主張した自然権および社会契約説の思想の大きな影響による。 つまり、憲法は社会契約を具体化する根本契約であり、国民の不可侵の自然権を保障するものであるから、憲法によってつくられた権力である立法権は根本法たる憲法を改正する資格をもつことは出来ず(それは国民のみに許される)、立法権は憲法に拘束される、従って憲法の改正は特別の手続によって行わなければならない、と考えられたのである(*)。 (*) 軟性憲法 世界のほとんどすべての国の憲法は硬性である。しかしイギリスには憲法典が存在せず(その点で不文憲法の国と言われる)、種々の歴史的な理由から、実質的意味の憲法は憲法慣習を除き法律で定められているので、国会の単純多数決で改正することが出来る。このように通常の立法手続と同じ要件で改正できる憲法を軟性(flexible)憲法と言う。 三. 憲法の分類 ◆1. 伝統的な分類 憲法の意味の理解を助けるために、憲法はいろいろの観点から類別されてきた。 ◇(一). 憲法の形式・性質・制定主体による分類 まず、 ① 《形式》の点からして、 成典か不成典か、つまり成文の法典が存在するかどうか、 ② 《性質》の点からして、 硬性か軟性か、つまり、改正が単純多数決で成立する通常の立法の場合と同じか、それよりも難しく、特別多数決(三分のニ、ないし五分の三)、またはそれに加えて国民投票を要件としているかどうか、 ③ 憲法を制定する《主体》の点からして、 君主によって制定される欽定憲法か、国民によって制定される民定憲法か、君主と国民との合意によって制定される協約憲法か、 という区別などがある、と説かれてきた。 しかし、このような伝統的な分類は、必ずしも現実の憲法のあり方を実際に反映するものではないことに注意しなければならない。 たとえば、①については、イギリスのように単一の成文憲法典をもたない国もあるが、イギリスでも、実質的に憲法にあたる事項は多数の法律で定められており、基本的な事項は、実際には、容易に改正されない。 ところが、②にいう硬性の程度が強い憲法でも、実際にはしばしば改正される国は少なくない。 ◇(ニ). 国家形態による分類 また、憲法の定める国家形態ないし統治形態に関する分類として、 ① 君主が存在するかどうかによる 君主制(*)か共和制かという区分、 ② 議会と政府との関係に関して、 大統領制か議院内閣制かという区分、 ③ 国家内に支邦(州)が存在するかどうかによる 連邦国家か単一国家かという区分、 なども伝統的に説かれているが、これらも憲法の分類自体としてはそれほど大きな意味をもつものではない。 たとえば、君主制でも、イギリスのように民主政治が確立している国もあり、共和制でも、政治が非民主的な国は少なくない(従って、民主制か独裁制かという観点からの分類の方が意味がある)。 大統領制や議院内閣制にも、いろいろの形態がある(例えば、両者の混合形態もあるし、同じ大統領制でも、アメリカのような民主的なもの、南米ないし中近東の諸国のような独裁的なもの、の別がある)。 (*) 君主制 歴史的にみると、君主制は、絶対君主制から立憲君主制(君主の権限に制限が加えられる君主制。君主は単独では行為し得ず、大臣の助言に基づくことを要し、大臣は不完全ながら議会のコントロールに服する。明治憲法の天皇制はこの例である)、さらに議会君主制(君主に助言をする大臣が議会に政治責任を負う。現在のイギリス君主制はこの例である)へと発展してきている。 ◆2. 機能的な分類 このような形式的な分類に対して、戦後、憲法が現実の政治過程において実際にもつ機能に着目した分類が主張されるようになった。 たとえば、レーヴェンシュタイン(Karl Loewenstein, 1891-1973)という学者は、 ① 規範的憲法、 すなわち、政治権力が憲法規範に適応し、服従しており、憲法がそれに関係する者すべてによって遵守されている場合、 ② 名目的憲法、 すなわち、成文憲法典は存在するが、それが現実に規範性を発揮しないで名目的に過ぎない場合、 ③ 意味論的(semantic)憲法、 すなわち、独裁国家や開発途上国家によくみられるが、憲法そのものは完全に適用されても、実際には現実の権力保持者が自己の利益のためだけに既存の政治権力の配分を定式化したに過ぎない場合、 という三類型を提唱して注目されている。 このような存在論的(ontological)な分類は、主観的な判断が入る可能性がある点で問題もあるが、立憲的意味の憲法が、どの程度現実の国家生活において実際に妥当しているのかを測るうえで、有用なものであると言えよう。 四. 憲法規範の特質 以上述べてきたところのまとめを兼ねて、近代憲法の特質を箇条的に列挙すると、次のようになる。 ◆1. 自由の基礎法 近代憲法は、何よりもまず、自由の基礎法である。 それは、自由の法秩序であり、自由主義の所産である。 もちろん、憲法は国家の機関を定め、それぞれの機関に国家作用を授権する。 すなわち、通常は立法権、司法権、行政権、および憲法改正手続等についての規定が設けられる。 この国家権力の組織を定め、かつ授権する規範が憲法に不可欠なものであることは言うまでもない。 しかし、この組織規範・授権規範は憲法の中核をなすものではない。 それは、より基本的な規範、すなわち自由の規範である人権規範に奉仕するものとして存在する。 このような自由の観念は、自然権の思想に基づく。 この自然権を実定化した人権規定は、憲法の中核を構成する「根本規範(*)」であり、この根本規範を支える核心的価値が人間の人格不可侵の原則(個人の尊厳の原理)である。 (*) 根本規範 純粋法学の創唱者として著名なケルゼン(Hans Kelsen, 1881-1973)は、一切の実定法の最上位にあってその妥当性(通用力)の根拠となる、《思惟のうえで前提された》規範を根本規範と呼んだが、ここで言う根本規範はそれとは異なり、《実定法として定立された》法規範である。それは、「憲法が下位の法令の根拠となり、その内容を規律するのと同じように、憲法の根拠となり、またその内容を規律するものである」(清宮四郎)。 ◆2. 制限規範 憲法が自由の基礎法であるということは、同時に憲法が国家権力を制限する基礎法であることを意味する。 このことは、近代憲法の二つの構成要素である権利章典と統治機構の関係を考えるうえで、とくに重要である。 本来、近代憲法は、すべて個人は互いに平等な存在であり、生まれながら自然権を有するものであることを前提として、それを実定化するという形で制定された。 それは、すべての価値の根源は個人にあるという思想を基礎においている。 従って、政治権力の究極の根拠も個人(すなわち国民)に存しなくてはならないから、憲法を実定化する主体は国民であり、国民が憲法制定権力(*)の保持者であると考えられた。 このように、自然権思想と国民の憲法制定権力の思想とは不可分の関係にあるのである。 また、国民の憲法制定権力は、実定憲法においては「国民主権」として制度化されることになるので、人権規範は主権原理とも不可分の関係にあることになる(第18章三3図表参照)。 (*) 憲法制定権力 憲法をつくり、憲法上の諸機関に権限を付与する権力([英] constituent power, [仏] pouvoir constituant, [独] verfassungsgebende Gewalt)。制憲権とも言われる。国民に憲法をつくる力があるという考え方は、18世紀末の近代市民革命時、とくにアメリカ、フランスにおいて、国民主権を基礎づけ、近代立憲主義憲法を制定する推進力として大きな役割を演じた。フランスのシェイエス(Emmanuel J. Sieyes, 1748-1836)が『第三階級とは何か』(1789年)を中心に展開した見解がその代表である。制憲権と国民主権との関係につき、第三章二2(ニ)参照。 ◆3. 最高法規 憲法は最高法規であり、国法秩序において最も強い形式的効力をもつ。 日本国憲法98条が、「この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない」と定めているのは、その趣旨を明らかにしたものである(*)。 もっとも、憲法が最高法規であることは、憲法の改正に法律の改正の場合よりも困難な手続が要求されている硬性憲法であれば、論理上当然である。 従って、形式的効力の点で憲法が国法秩序において最上位にあることを「形式的最高法規性」と呼ぶならば、それは硬性憲法であることから派生するものであって、とくに憲法の本質的な特性として挙げるには及ばないということになろう。 最高法規としての憲法の本質は、むしろ、憲法が《実質的に法律と異なる》という点に求められなければならない。 つまり、憲法が最高法規であるのは、その内容が、人間の権利・自由をあらゆる国家権力から不可侵のものとして保障する規範を中心として構成されているからである。 これは、「自由の基礎法」であることが憲法の最高法規性の実質的根拠であること、この「実質的最高法規性」は、形式的最高法規性の基礎をなし、憲法の最高法規性を真に支えるものであること、を意味する。 日本国憲法第十章「最高法規」の冒頭にあって、基本的人権が永久不可侵であることを宣言する97条は、硬性憲法の建前(96条)、およびそこから当然に派生する憲法の形式的最高法規性(98条)の実質的な根拠を明らかにした規定である。 このように、憲法の実質的最高規範性を重視する立場は、憲法規範を一つの価値秩序と捉え、「個人の尊重」の原理とそれに基づく人権の体系を憲法の《根本規範》(basic norms)と考えるので、憲法規範の《価値序列》を当然に認めることになる。 この考えが、人権規定の解釈や憲法保障の問題においてどのような役割を果すかについては、後に述べることにする(第五章-第13章・第18章)。 (*) 国法秩序の段階構造 国法秩序は、形式的効力の点で、憲法を頂点とし、その下に法律→命令(政令、府省令等)→処分(判決を含む)という順序で、段階構造をなしているものと解することが出来る。この構造は、動態的には、上位の法は下位の法によって具体化され、静態的には、下位の法は上位の法に有効性の根拠をもつ、という関係として説明される(ケルゼンの法段階説)。 なお、憲法の最高法規性と関連して、憲法98条の列挙から「条約」が除外されていることが問題となるが、これは条約が憲法に優位することを意味するわけではない。 両者の効力の優劣関係については後述する(第18章ニ4(ニ)(1)参照)。 条約は公布されると原則としてただちに国内法としての効力をもつが、その効力は通説によれば、憲法と法律の中間にあるものと解されている。 実務の取扱いもそうである。 ただ、98条2項に言う「確立された国際法規」すなわち、一般に承認され実行されている慣習国際法を内容とする条約については、憲法に優位すると解する有力説がある。 地方公共団体の条例・規則は、「法律・命令」に準ずるものとみることが出来るので(第17章ニ3参照)、それに含まれると解される。 五. 立憲主義と現代国家 - 法の支配 近代立憲主義憲法は、個人の権利・自由を確保するために国家権力を制限することを目的とするが、この立憲主義思想は法の支配(rule of law)の原理と密接に関連する。 ◆1. 法の支配 法の支配の原理は、中世の法優位の思想から生まれ、英米法の根幹として発展してきた基本原理である。 それは、専制的な国家権力の支配(人の支配)を排斥し、権力を法で拘束することによって、国民の権利・自由を擁護することを目的とする原理である。 ジェイムズ一世の暴政を批判して、クック(Edward Coke, 1552-1634)が引用した「国王は何人の下にもあるべきでない。しかし神と法の下にあるべきである」というブラクトン(Henry de Bracton, ?-1268)の言葉は、法の支配の本質をよく表している。 法の支配の内容として重要なものは、現在、 ① 憲法の最高法規性の観念 ② 権力によって侵されない個人の人権 ③ 法の内容・手続の公正を要求する適正手続(due process of law) ④ 権力の恣意的行使をコントロールする裁判所の役割に対する尊重 などだと考えられている。 ◆2. 「法の支配」と「法治国家」 「法の支配」の原理に類似するものに、《戦前の》ドイツの「法治主義」ないしは「法治国家」の観念がある。 この観念は、法によって権力を制限しようとする点においては「法の支配」の原理と同じ意図を有するが、少なくとも、次の二点において両者は著しく異なる。 ◇(一). 民主的な立法過程との関係 第一に、「法の支配」は、立憲主義の進展とともに、市民階級が立法過程へ参加することによって自らの権利・自由の防衛を図ること、従って権利・自由を制約する法律の内容は国民自身が決定すること、を建前とする原理であることが明確となり、その点で民主主義と結合するものと考えられたことである。 これに対して、戦前のドイツの法治国家(Rechtsstaat)の観念は、そのような民主的な政治制度と結びついて構成されたものではない。 もっぱら、国家作用が行われる形式または手続を示すものに過ぎない。 従って、それは、如何なる政治体制とも結合し得る形式的な観念であった。 ◇(ニ). 「法」の意味 第二に、「法の支配」に言う「法」は、内容が合理的でなければならないという実質的要件を含む観念であり、ひいては人権の観念とも固く結びつくものであったことである。 これに対して、「法治国家」に言う「法」は、内容とは関係のない(その中に何でも入れることが出来る容器のような)形式的な法律に過ぎなかった。 そこでは、議会の制定する法律の中身の合理性は問題とされなかったのである。 もっとも、《戦後の》ドイツでは、ナチズムの苦い経験とその反省に基づいて、法律の内容の正当性を要求し、不当な内容の法律を憲法に照らして排除するという違憲審査制が採用されるに至った。 その意味で、現在のドイツは、戦前の形式的法治国家から《実質的法治国家》へと移行しており、法治主義は英米法に言う「法の支配」の原理とほぼ同じ意味をもつようになっている。 ◆3. 立憲主義の展開 ◇(一). 自由国家の時代 近代市民革命を経て近代憲法に実定化された立憲主義の思想は、19世紀の「自由国家」の下でさらに進展した。 そこでは、個人は自由かつ平等であり、個人の自由意思に基づく経済活動が広く容認された。 そして、自由・平等な個人の競争を通じて調和が実現されると考えられ、権力を独占する強大な国家は経済的干渉も政治的干渉も行わずに、社会の最小限度の秩序の維持と治安の確保という警察的任務のみを負うべきものとされた。 当時の国家を、自由国家・消極国家とか、または軽蔑的な意味を込めて夜警国家と呼ぶのは、その趣旨である。 ◇(ニ). 社会国家の時代 しかし、資本主義の高度化にともなって、富の偏在が起こり、労働条件は劣悪化し、独占的グループが登場した。 その結果、憲法の保障する自由は、社会的・経済的弱者にとっては、貧乏の自由、空腹の自由でしかなくなった。 そこで、そのような状況を克服し、人間の自由と生活を確保するためには、国家が、従来市民の自律に委ねられていた市民生活の領域に一定の限度まで積極的に介入し、社会的・経済的弱者の救済に向けて努力しなければならなくなった。 こうして、19世紀の自由国家は、国家的な干渉と計画とを必要とする社会国家(積極国家ないしは福祉国家(*)とも呼ばれる)へと変貌することになり、行政権の役割が飛躍的に増大した。 (*) 社会国家・福祉国家 社会国家(Sozialstaat)は主としてドイツで用いられる言葉であり、福祉国家(welfare state)は主としてイギリスで用いられる言葉である。その内容は必ずしも明確ではないが、おおよそ、国家が国民の福祉の増進を図ることを使命として、社会保障制度を整備し、完全雇用政策をはじめとする各種の経済政策を推進する国家であると言えよう。我が国では、かつて、福祉国家論は国家独占資本主義の矛盾を覆い隠すイデオロギー的理論であるという批判が学説の一部に強かった。そのような問題点があるとしても、現実の経済・社会に照らして、プラス面の実現を強化していくことが必要である。 ◆4. 立憲主義の現代的意義 ◇(一). 立憲主義と社会国家 立憲主義は、国家は国民生活にみだりに介入すべきでないという消極的な権力観を前提としている。 そこで、国家による社会への積極的な介入を認める社会国家思想が、立憲主義と矛盾しないかが問題となる。 しかし、立憲主義の本来の目的は、個人の権利・自由の保障にあるのであるから、その目的を現実の生活において実現しようとする社会国家の思想とは基本的に一致すると考えるべきである。 この意味において、社会国家思想と(実質的)法治国家思想とは《両立する》。 戦後ドイツで用いられてきた「社会的法治国家」という概念は、その趣旨である。 ◇(ニ). 立憲主義と民主主義 また、立憲主義は民主主義とも密接に結びついている。 すなわち、 ① 国民が権力の支配から自由であるためには、国民自らが能動的に統治に参加するという民主制度を必要とするから、自由の確保は、国民の国政への積極的な参加が確立している体制において初めて現実のものとなり、 ② 民主主義は、個人尊重の原理を基礎とするので、すべての国民の自由と平等が確保されて初めて開花する、 という関係にある。 民主主義は、単に多数者支配の政治を意味せず、実をともなった《立憲民主主義》でなければならないのである(*)。 このような《自由と民主の結合》は、まさに、近代憲法の発展と進化を支配する原則であると言うことができよう。 戦後の西欧型民主政国家が「民主的法治国家」とか「法治国家的民主政」と言われるには、そのことを示している。 (*) 自由主義と民主主義 戦前の憲法学 - とくにワイマール憲法時代のドイツ - では、自由主義を否定しても民主主義は成り立つという見解が有力であった。しかし、宮沢俊義が説いたとおり、「リベラルでない民主制は、民主制の否定であり、多かれ少なかれ独裁的性格を帯びる。民主制は人権の保障を本質とする」、と考えるのが正しい。 ▼第三章. 国民主権の原理 ↓本文はここをクリックして表示/非表示切り替え +... 芦部信喜『憲法 第五版』(2011年刊) 第三章 国民主権の原理 p.35以下 <目次> 一 日本国憲法の基本原理◆1.前文の内容 ◆2.基本原理相互の関係(一)人権と主権 (二)国内の民主と国際の平和 ◆3.前文の法的性質 ニ 国民主権◆1.主権の意味 ◆2.国民主権の意味(一)主体について (ニ)権力性と正当性の両契機 一 日本国憲法の基本原理 日本国憲法は、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義の三つを基本原理とする。 これらの原意がとりわけ明確に宣言されているのが憲法前文である。 ◆1.前文の内容 前文とは、法律の最初に付され、その法律の目的や精神を述べる文書であり、憲法前文の場合には、憲法制定の由来、目的ないし憲法制定者の決意などが表明される例が多い。 もっとも、その内容はそれぞれの国の憲法によって異なる。 日本国憲法前文は、国民が憲法制定権力の保持者であることを宣言しており、また、近代憲法に内在する価値・原理を確認している点で、きわめて重要な意義を有する。 前文は四つの部分から成っている。 ① 一項の前段は、 「主権が国民に存すること」、および日本国民が「この憲法を確定する」ものであること、つまり国民主権の原理および国民の憲法制定の意思(民定憲法性)を表明している。ついで、それと関連させながら、「自由のもたらす恵沢」の確保と「戦争の惨禍」からの解放という、人権と平和の二原理を謳い、そこに日本国憲法制定の目的があることを示している。 それを受けて、一項後段は、 「国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」と言い、国民主権とそれに基づく代表民主制の原理を宣言し、最後に、以上の諸原理を「人類普遍の原理」であると説き、「われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する」として、それらの原理が憲法改正によっても否定することができない旨を明らかにしている。 ② 二項は、 「日本国民は、恒久の平和を念願」するとして、平和主義への希求を述べ、そのための態度として、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信て、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と宣言する。 ③ 三項は、 国家の独善性の否定を「政治道徳の法則」として確認し、 ④ 四項は、 日本国憲法の「崇高な理想と目的を達成すること」を誓約している。 ◆2.基本原理相互の関係 前文に盛られた国民主権原理、人権尊重主義、平和主義の原理は、次のように相互に不可分に関連している。 (一)人権と主権 第一に、基本的人権の保障は、国民主権の原理と結びついている。 専制政治の下では、基本的人権の保障が完全なものと成り得ないことは当然であり、民主主義政治の下で初めて人権保障が成立する。 先に指摘した前文一項の文書は、明らかに、国民主権およびそれに基づく代表民主制の原理(狭義の民主主義)が基本的人権の尊重と確立を目的とし、それを達成するための手段として、不可分の関係にあることを示している。 自由(人権)は「人間の尊厳」の原理なしには認められないが、国民主権、すなわち国民が国の政治体制を決定する最終かつ最高の権威を有するという原理も、国民がすべて平等に人間として尊重されて初めて成立する。 このように、国民主権(民主の原理)も基本的人権(自由の原理)も、ともに「人間の尊厳」という最も基本的な原理に由来し、その二つが合して広義の民主主義を構成し、それが、「人類普遍の原理」とされているのである(第18章三3図表参照) (二)国内の民主と国際の平和 第二に、人間の自由と生存は平和なくして確保されないという意味で、平和主義の原理もまた、人権および国民主権の原理と密接に結びついている。 国内の民主主義と国際的平和の不可分性は、近代憲法の進化を推進してきた原理だと言ってもよい。 ◆3.前文の法的性質 以上のような基本原理を明らかにしている日本国憲法の前文は、憲法の一部をなし、本文と同じ法的性質をもつと解される。 従って、たとえば前文一項の、「人類普遍の原理・・・・・・に反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する」という規定は、憲法改正に対して法的限界を画し、憲法改正権を法的に拘束する規範であると解される(憲法改正権の限界については、第18章三3参照)。 しかしながら、これは前文に裁判規範としての性格まで認められることを意味しない。 裁判規範とは、広い意味では裁判所が具体的な訴訟を裁判する際に判断基準として用いることのできる法規範のことを言うが、狭い意味では、当該規範を直接根拠として裁判所に救済を求めることのできる法規範、すなわち裁判所の判決によって執行することのできる法規範のことを言う。 前文の規定は抽象的な原理の宣言にとどまるので、少なくとも狭い意味での裁判規範としての性格はもたず、裁判所に対して前文の執行を求めることまではできない、と一般に解されている。 この点に関して問題となるのが、前文二項の、「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有する」という文章に示されている「平和的生存権(*)」である。 学説では、右規定の(狭い意味での)裁判規範性を認めることは出来るとし、平和的生存権を新しい人権の一つとして認めるべきであるという見解も有力である。 しかし、平和的生存権は、その主体・内容・性質などの点でなお不明確であり、人権の基礎にあってそれを支える理念的権利ということは出来るが、裁判で争うことの出来る法的権利性を認めることは難しい、と一般に考えられている。 (*) 平和的生存権 平和的生存権という考えは、自衛隊違憲訴訟において、1960年代から主張されたものである。平和的生存権は、「平和を享受する権利」を意味し、憲法9条の戦争の放棄の原則との関連で、平和を人権として捉えるという意図に基づくものである。具体的には、基地付近の住民が基地の撤廃を裁判所に求める場合の「訴えの利益」を基礎づけるために主張された。しかし、判例においては、長沼事件(第四章三3*参照)一審判決は、平和的生存権を訴えの利益の一つの根拠として認めたが、二審判決はこれを否定し、最高裁判所でも前文二項の裁判規範性は実質的に認められなかった。 ニ 国民主権 国民主権の原理は、絶対主義時代の君主の専制的支配に対抗して、国民こそが政治の主役であると主張する場合に、その理論的支柱とされた観念で、近代市民革命の成立以後、国家統治の根本原理として近代立憲主義憲法において広く採用されている。 もっとも、その原理の内容を具体的にどのように理解するかについては様々な見方が示されてきており、現在もなお活発な議論が展開されている。 ◆1.主権の意味 主権の概念は多義的であるが、一般に、 ① 国家権力そのもの(国家の統治権)、 ② 国家権力の属性としての最高独立性(内にあっては最高、外に対しては独立ということ)、 ③ 国政についての最高の決定権、 という3つの異なる意味に用いられる。 これは歴史的な理由に基づく。 すなわち、主権という概念は、絶対主義君主が中央集権国家をつくりあげていく過程において、君主の権力が、封建領主に対しては最高であること、ローマ皇帝に対しては独立であることを基礎づける政治理論として主張された概念であった。 ところが、「朕は国家なり」の思想が支配していた専制君主制国家では、3つの主権概念は「君主の権力」という形で統一的に理解されていたが、その後、君主制の立憲主義化にともなって国家の概念も変化し、君主の権力と国家権力とは区別して考えられるようになり、主権の概念が3つに分解したのである。 (一) 統治権 ①の国家権力そのものを意味する主権とは、国家が有する支配権を包括的に示す言葉である。立法権・行政権・司法権を総称する統治権(Herrschaftsrechte, governmental power)とほぼ同じ意味で、日本国憲法(41条)に言う「国権」がそれにあたる。統治権という意味の主権の用例は、ポツダム宣言8項「日本国ノ主権ハ、本州、北海道、九州及四国並ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限サラルベシ」という規定にみられる。 (ニ) 最高独立性 ②の国家権力の最高独立性(国家権力の主権性とも言われる)を意味する主権は、主権概念の生成過程から言えば、本来の意味の主権の概念である。憲法前文3項で、「自国の主権を維持し」という場合の主権がその例であるが、そこでは国家の独立性に重点が置かれている。 (三) 最高決定権 ③の国政の最高の決定権としての主権とは、国の政治のあり方を最終的に決定する力または権威という意味であり、その力または権威が君主に存する場合が君主主権、国民に存する場合が国民主権と呼ばれる。憲法前文1項で「ここに主権が国民に存することを宣言し」という場合の主権、および1条で「主権の存する日本国民の総意」という場合の主権がこれにあたる。 ◆2.国民主権の意味 「国民主権」がいかなる意味・内容を有するかについては、さまざまの議論があるが、ここでは、次の2点を注意しておきたい。 (一)主体について 第一は、国民主権の観念は、本来、君主主権との対抗関係の下で生成し、主張されてきたもので、君主主権であることは国民主権ではなく、国民主権であることは君主主権ではない、という相反する関係にあることである。 従って、主権は君主にあるのでも国民にあるのでもなく、国家にあるとか、主権は天皇を含む国民全体にあるとか、という趣旨の説明は、戦後よく主張されたが、政治的な配慮に基づく考え方で、理論的には正当とは言い難い。 戦前のドイツで支配的な学説であった国家法人説は、先に触れたように(第二章一2*参照)、国家は法的に考えると法人、すなわち権利(統治権)主体であり、君主はその最高機関であると説き、君主主権か国民主権かは、国家の最高意思を決定する最高機関の地位に君主が就くか国民が就くかの違いにすぎない、と主張した。 そして、「主権」という概念は国家権力の最高独立性を示す本来の概念としてのみ用いるべきであるとし、君主主権か国民主権かという近代憲法が直面した本質的問題を回避しようとした。 それは、急激な民主化を好まない19世紀ドイツの立憲君主制に見合った理論であった。 この国家法人説は、明治憲法の下では天皇機関説に具体化され、憲法の神権主義的性格を緩和する役割を果たした。 しかし、国民主権の確立した日本国憲法の下では、もはやその理論的有用性をもたない。 (ニ)権力性と正当性の両契機 第二に注意を要するのは、国民主権の原理には、2つの要素が含まれていることである。 一つは、 国の政治のあり方を最終的に決定する権力を国民自身が行使するという権力的契機であり、 他の一つは、 国家の権力行使を正当づける究極的な権威は国民に存するという正当性の契機である。 もともと国民主権の原理は、国民の憲法制定権力(制憲権)の思想に由来する(第一章四2参照)。 国民の制憲権は、国民が直接に権力を行使する(具体的には、憲法を制定し国の統治のあり方を決定する)、という点にその本質的な特徴がある。 ところが、この制憲権は、近代立憲主義憲法が制定されたとき、合法性の原理に従って、自らを憲法典の中に制度化し、 ① 国家権力の正当性の究極の根拠は国民に存するという建前ないし理念としての性格をもつ国民主権の原理、および、 ② 法的拘束に服しつつ憲法(国の統治のあり方)を改める憲法改正権 に転化したのである(そのため改正権は、「制度化された制憲権」とも呼ばれる。この点につき、なお、第八章三3参照)。 以上のような国民主権の原理に含まれる2つの要素のうち、主権の権力性の側面においては、国民が自ら国の統治のあり方を最終的に決定するという要素が重視されるので、そこでの主権の主体としての「国民」は、実際に政治的意思表示を行うことのできる有権者(選挙人団とも言う)を意味する。また、それは、国民自身が直接に政治的意思を表明する制度である直接民主制と密接に結びつくことになる。もっとも、国民主権の概念に権力的契機が含まれていると言っても、憲法の明文上の根拠もなく、国の重要な施策についての決定を国民投票に付する法律がただちに是認されるという意味ではない(憲法上認められるのは、国民投票の結果がただちに国会を法的に拘束するものではない諮問的・助言的なものに限られよう)。主権の権力性とは、具体的には、憲法改正を決定する(これこそ国の政治のあり方を最終的に決定することである)権能を言う。 これに対して、主権の正当性の側面においては、国家権力を正当化し権威づける根拠は究極において国民であるという要素が重視されるので、そこでの主権の保持者としての「国民」は、有権者に限定されるべきではなく、全国民であるとされる。また、そのような国民主権の原理は代表民主制、とくに議会制と結びつくことになる。 日本国憲法における国民主権の観念には、このような2つの側面が並存しているのである。(*) 従って、国家権力の正当性の淵源としての国民は「全国民」であり、すべての「国家権力は国民から発する」、ということになる。 しかし同時に、国民(有権者)が国の政治のあり方を最終的に決定するという権力性の側面も看過してはならない。 そのように考えるならば、憲法96条において憲法改正の是非を最終的に決定する制度として定められている国民投票制(第十八章三2(ニ)参照)は、国民主権の原理と不可分に結合するものと解されよう。 (*) ナシオン主権とプープル主権 フランスでは、市民革命期に君主主権を否定して制定された新しい立憲主義憲法の主権原理として、ナシオン(nation)主権をとるかプープル(peuple)主権をとるか争われ、この2つの対立が第二次大戦後の憲法にまで及んでおり、日本でも「国民主権」をその概念を用いて説明する学説が少なくない。しかし、もしナシオンの意味を「国籍保持者の総体としての国民(全国民)」、プープルの意味を「社会契約参加者(普通選挙権者)の総体としての国民(人民)」と解すれば、2つの主権原理は、本文に説いた主権主体としての「全国民」と「有権者団」の区別に対応するが、ナシオンは、具体的に実存する国民とは別個の、観念的・抽象的な団体人格としての国民の意だと一般に解されており、またプープルも、「今日では性別・年齢別の差なく文字どおりの『みんな』」だと解する説が有力であることに、注意すべきである。しかも、同じプープル主権を説く場合でも、「主権」の意味について、「統治権」と解する説もあれば権力の正当性の究極的根拠と解する説もあるなど、見解に大きな相違がみられる。 (*) 憲法制定権力 憲法をつくり、憲法上の諸機関に権限を付与する権力([英] constituent power, [仏] pouvoir constituant, [独] verfassungsgebende Gewalt)。制憲権とも言われる。国民に憲法をつくる力があるという考え方は、十八世紀末の近代市民革命時、とくにアメリカ、フランスにおいて、国民主権を基礎づけ、近代立憲主義憲法を制定する推進力として大きな役割を演じた。フランスのシェイエス(Emmanuel J. Sieyes, 1748-1836)が『第三階級とは何か』(1789年)を中心に展開した見解がその代表である。制憲権と国民主権との関係につき、第三章二2(ニ)参照。 ▼第十八章. 憲法の保障 ↓本文はここをクリックして表示/非表示切り替え +... 芦部信喜『憲法 第五版』(2011年刊) 第18章 憲法の保障 p.363以下 <目次> 一 憲法保障の諸類型◆1 抵抗権 ◆2 国家緊急権 ニ 違憲審査制 三 憲法改正の手続と限界◆1 硬性憲法の意義 ◆2 憲法改正の手続(一) 国会の発議(1) 発案 (2) 審議 (3) 議決 (ニ) 国民の承認 (三) 天皇の公布 ◆3 憲法改正の限界(一) 権力の段階構造 (ニ) 人権の根本規範性 (三) 前文の趣旨 (四) 平和主義・憲法改正手続 ◆4 憲法の変遷 一 憲法保障の諸類型 憲法は、国の最高法規であるが、この憲法の最高法規性は、ときとして、法律等の下位の法規範や違憲的な権力行使によって脅かされ、歪められるという事態が生じる。 そこで、このような憲法の崩壊を招く政治の動きを事前に防止し、または、事後に是正するための装置を、あらかじめ憲法秩序の中に設けておく必要がある。 その装置を、通常、憲法保障制度と言う。 憲法保障制度を大別すると、 ① 憲法自身に定められている保障制度と、 ② 憲法には定められていないけれども超憲法的な根拠によって認められると考えられる制度 がある。 ①の例を日本国憲法で示すと、憲法の最高法規性の宣言(98条)、公務員に対する憲法尊重擁護の義務づけ(99条)、権力分立制の採用(41条・65条・76条)、硬性憲法の技術(96条)などのほか、事後的救済としての違憲審査制(81条)がある。 ②の例としては、抵抗権と国家緊急権が挙げられる。 その他に、法律レベルでも、刑法の内乱罪(77条)、破壊活動防止法等の規定により、憲法秩序の維持が図られている。 以下、まず②を概説し、①については、世界的に最も重要な憲法保障制度となった違憲審査制の意義と機能を検討し、憲法改正の問題を扱うことにしたい。 ◆1 抵抗権 国家権力が人間の尊厳を侵す重大な不法を行った場合に、国民が自らの権利・自由を守り人間の尊厳を確保するため、他に合法的な救済手段が不可能となったとき、実定法上の義務を拒否する抵抗行為を、一般に抵抗権と言う。 抵抗権の考えは古くからあり、人権思想の発達に大きな役割を演じたが、それが実際に重要な意味をもったのは近代市民革命の時代であった。 自然権の思想と結び合って、「圧制への抵抗」の権利が強調され、若干の人権宣言の中にも謳われた(1789年・1793年のフランス人権宣言参照)。 その後、近代立憲主義の進展とともに、憲法保障制度が整備され、抵抗権は人権宣言から姿を消してしまう。 それは、抵抗権が本来、個人の権利・自由として実定化されることに馴染まない性格をもっているからである。 確かに、第二次世界大戦時におけるファシズムの苦い経験を経て、戦後、抵抗権思想が復活し、それを再び人権宣言の中に規定する憲法も現れるようになったが、それは本来の抵抗権をすべてカバーするものではない。 抵抗権の本質は、それが非合法的であるところにあり、制度化に馴染まないと解される。 一定の内容の実定化が可能であるにとどまる。 日本国憲法が国民の抵抗権を認めているかどうかは、抵抗権の意味・性格をどのように理解するか、とくに抵抗権は自然法上の権利か実定法上の権利か、という難しい問題と関わるので、簡単に結論を出すことは出来ない。 基本的人権を国民は「不断の努力によつて」保持しなくてはならないこと(12条)から、ただちに実定法上の権利としての抵抗権を導き出すことは、きわめて困難であるが、憲法は自然権を実定化したと解されるので、人権保障規定の根底にあって人権の発展を支えてきた圧政に対する抵抗の権利の理念を読みとることは、十分に可能である。 ◆2 国家緊急権 戦争・内乱・恐慌・大規模な自然災害など、平時の統治機構をもっては対処できない非常事態において、国家の存立を維持するために、国家権力が、立憲的な憲法秩序を一時停止して非常措置をとる権限を、国家緊急権と言う。 この国家緊急権は、一方では、国家存亡の際に憲法の保持を図るものであるから、憲法保障の一形態と言えるが、他方では、立憲的な憲法秩序を一時的にせよ停止し、執行権への権力の集中と強化を図って危機を乗り切ろうとするものであるから、立憲主義を破壊する大きな危険性をもっている。 従って、実定法上の規定がないても、国家緊急権は国家の自然権として是認される、とする説は、緊急権の発動を事実上国家権力の恣意に委ねることを容認するもので、過去における緊急権の濫用の経験に徴しても、これをとることはできない。 超憲法的に行使される非常措置は、法の問題ではなく、事実ないし政治の問題である。 この点で、自然権思想を推進力として発展してきた人権、その根底にあってそれを支えてきた抵抗権と、性質を異にする。 そこで、19世紀から20世紀にかけての西欧諸国では、非常事態に対する措置をとる例外的権力を実定化し、その行使の要件等をあらかじめ決めておく憲法も現れるようになった。 それには、 ① 緊急権発動の条件・手続・効果などについて詳細に定めておく方式と、 ② その大綱を定めるにとどめ、特定の国家機関(例、大統領)に包括的な権限を授権する方式 の二つがある。 しかし、危険を最小限度に抑えるような法制化はきわめて困難であり、二つの方式のいずれも、多くの問題点と危険性を孕(はら)んでいる。 とくに②は、濫用の危険が大きい(例、ワイマール憲法48条の定める大統領の非常措置権)。 我が国では、明治憲法は緊急権に関する若干の規定を設けていたが(8条の緊急命令の権、14条の戒厳宣告の権、31条の非常大権など)、日本国憲法には、国家緊急権の規定はない。 ニ 違憲審査制 (省略) 三 憲法改正の手続と限界 ◆1 硬性憲法の意義 憲法には、高度の安定性が求められるが、反面において、政治・経済・社会の動きに適応する可変性も不可欠である。 この安定性と可変性という相互に矛盾する要請に応えるために考案されたのが、硬性憲法(rigid constitution)の技術、すなわち、憲法の改正手続を定めつつ、その改正の要件を厳格にするという方法である。 これは、最高法規たる憲法を保障する制度として、重要な意義を有する。 ただ、国家によって事情は異なるが、あまり改正を難しくすると、可変性がなくなり、憲法が違憲的に運用される恐れが大きくなるし、反対に、あまり改正を容易にすると、憲法を保障する機能が失われてしまう。 日本国憲法は、「この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない」とし、国民による承認は国民投票において、「その過半数の賛成を必要とする」と定める(96条)。 「各議院の総議員の三分の二以上の賛成」と、国民投票における「過半数の賛成」という要件は、他国に比べて、硬性の度合が強い。 ◆2 憲法改正の手続 憲法の改正は、国会の発議、国民の承認、天皇の公布という三つの手続を経て行われる。 (一) 国会の発議 ここに「発議」とは、通常の議案について国会法などで言われる発議(それは原案を提出することを意味する)とは異なり、国民に提案される憲法改正案を国会が決定することを言う。 (1) 発案 憲法改正を発議するには、改正案が提示されなければならない。 この原案を提出する権能(発案権)が各議員に属することは言うまでもないが(通常の議案の場合は、国会法56条1項により、衆議院では20人以上、参議院では10人以上の賛成を要するが、憲法改正案についてはとくに要件を加重することも考えられる〔2007年の国会法改正で68条の2が追加され、「衆議院においては議員100人以上、参議院においては議員50人以上の賛成を要する」ことになった〕、内閣にも存するか否かについては、争いがある。 肯定説は、「国会の発議」は発案権者が議員に限られることを当然には意味しないこと、内閣の発案権を認めても国会審議の自主性は損なわれず、またそれは、議院内閣制における国会と内閣との「協働」関係からみて不思議なことではないこと、などを理由とする。 これに対して否定説は、憲法改正は国民の憲法制定権力(制憲権とも言う)の作用であるから、国民の最終的決定の対象となる原案の内容を確定する行為(憲法で言う「発議」)を国会が行うのは、制憲権思想からいって当然の理であり、この理を貫けば、「発議」の手続の一部をなすとも考えられる「発案」すなわち原案提出権は、議員のみに属すると解するのが憲法の精神に合致すること、内閣に発案権を認めても国会の自主的審議権が害されることはないとはいえ、改正案の提出権を法律案の提出権と同じに考えるのは、憲法と法律との形式的・実質的な相違を曖昧にする解釈であること、などを理由とする。 いずれの解釈が妥当か、俄かに断じ難い。 そのため、「憲法の本旨は、内閣の発案を認めるかどうかは、国会の意思による法律に委ねるという程度のものと解する」説にも、一理ある。 ただし、仮に否定説が妥当だとしても(私見はそれに傾くが)、内閣は実際には議員たる資格をもつ国務大臣その他の議員を通じて原案を提出することができるので、内閣の発案権の有無を論議する実益は乏しい。 (2) 審議 憲法・国会法に特別の規定がないので、審議の手続は法律案の場合に準じて行うことができると解される〔(現在は、国会法が改正され、第六章の2「日本国憲法改正の発議」、第11章の2「憲法審査会」、86条の2「憲法改正原案に関する両院協議会」が追加されている)〕。 ただ、定数足については、慎重な審議を要する案件であることに鑑み、総議員の三分の二以上の出席が必要ないし望ましいとする説が有力である。 しかし、三分の一以上とするか三分の二以上とするかは、法律の定めるところに委ねられていると解されるので、特別の規定がない以上は三分の一以上で足りる。 審議にあたり、国会が原案を自由に修正できることは、言うまでもない。 (3) 議決 各議院において、それぞれ総議員の三分の二以上の賛成を必要とする「総議員」の意味については、法定議員数か現在議員数か二説あるが、定数から欠員を差し引いた数と解する後説が妥当であろう。 両議院で三分の二以上の賛成が得られたとき、国会の発議が成立する。 議決のほかに、発議および国民に対する提案という特別の行為は必要とされない。 (ニ) 国民の承認 憲法改正は、国民の承認によって成立する。 この承認は、「特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票」によって行われる。 承認の要件とされる「過半数」の意味については、争いがあるが、有効投票の過半数と解するのが妥当であろう。 法律により投票総数の過半数と定めることも可能と解される。 このような国民投票による憲法改正決定の方式は、国民主権の原理と最高法規としての憲法の国民意思による民主的正当化の要請とを確保する最も純粋な手段と言うことができる。 もっとも現在まだ憲法改正国民投票法は制定されていない(*)(†)。 (*) 国民投票法の問題点 第一は、投票方法である。同時に多くの改正案が発議される場合は、相互に不可分の関係にあるものを一括して記載することが必要であろう。第二は、承認の効力発生時期である。投票の効力を争う訴訟の出訴期間経過後、その間に訴訟があれば判決確定後、投票の結果が確定すると考えるのが妥当であろう。 (†) 国民投票法(正式名は「日本国憲法の改正手続に関する法律」)が2007年に制定され、3年後の2010年5月18日に施行された。それによると、国会による改正の発議がなされると、その後60日から180日の間に国民投票が行われる(同2条1項)。その間に国民への広報事務を担当する機関として国会に国民投票広報協議会が設置される(国会法102条の11、国民投票法11条以下)。改正案に対する賛成・反対の「国民投票運動」は、選挙運動と比較すると相当規制が緩和されており、文書図書の規制、運動費用の規制、戸別訪問やインターネット上の運動の禁止もないが、公務員による運動や放送広告による運動は規制される。改正原案の発議は「内容において関連する事項ごとに区分して行う」(国会法68条の3)ことになっており、区分された案につき個別的に国民投票を行うことになる。そして、投票総数の二分の一を超えたとき国民の承認があったとされる(国民投票法126条1項)が、その場合の投票総数とは「憲法改正案に対する賛成の投票の数及び反対の投票の数を合計した数」(同98条2項)とされている。承認の通知を受けると総理大臣は直ちに公布の手続きをとる(同126条2項)。公布を行うのは天皇である(憲法7条1号)。国民投票に関し異議のある投票人は30日以内に東京高裁に訴訟を提起できるが(国民投票法127条)、訴訟の提起があっても国民投票の効力は停止しない(同130条)。なお、投票権者は「年齢満18年以上の者」(同3条)とされているが、そのために必要な法制上の措置がとられないかぎり(現時点でまだとられていない)、20歳以上の者とされている(同附則3条)。 (三) 天皇の公布 公布は「国民の名」で行われる。 これは、改正権者である国民の意思による改正であることを明らかにする趣旨である。 また、「この憲法と一体を成すものとして」とは、改正条項が「日本国憲法と同じ基本原理のうえにたち、同じ形式的効力をもつもの」であることを示す、と解する説が妥当であろう。 アメリカ合衆国憲法と同じ増補の方式を要求する趣旨だという特別の意味は、そこには含まれていない。 全部改正も、憲法改正権の限界を逸脱するものでないかぎり、必ずしも排除されているわけではないと解される。 ◆3 憲法改正の限界 このような憲法改正手続に従えば、いかなる内容の改正を行うことも許されるかと言えば、けっしてそうではない。 この問題は、憲法、人権、国民主権等の本質をどのように考えるか、という憲法の基礎理論と密接に関連する。 我が国では、国民の主権は絶対的である(制憲権は全能であり、改正権はその制憲権と同じである)と考える理論、ないし憲法規範には上下の価値の序列を認めることは出来ないと考える理論に基づいて、憲法改正手続によりさえすれば、いかなる内容の改正も法的に許されると説く無限界説もある。 しかし、法的な限界が存するとする説が通説であり、かつ、それが妥当と解される。 この限界説の論拠として説かれている理由で重要なものは、次の二つである。 (一) 権力の段階構造 民主主義に基づく憲法は、国民の憲法制定権力(制憲権)によって制定される法である。 この制憲権は、憲法の外にあって憲法を作る力であるから、実定法上の権力ではない。 そこで、近代憲法では、法治主義や合理主義の思想の影響も受けて、制憲権を憲法典の中に取り込み、それを国民主権の原則として宣言するのが、だいたいの例となっている。 また、その思想は、憲法改正を決定する最終の権限を国民(有権者)に与える憲法改正手続規定にも、具体化されている(日本国憲法96条の定める国民投票制はその典型的な例である)。 憲法改正権が「制度化された憲法制定権力」とも呼ばれるのは、そのためである。 このように、改正権の生みの親は制憲権であるから、改正権が自己の存立の基盤とも言うべき制憲権の所在(国民主権)を変更することは、いわば自殺行為であって理論的には許されない、と言わなければならない。 (ニ) 人権の根本規範性 近代憲法は、本来、「人間は生まれながらにして自由であり、平等である」という自然権の思想を、国民に「憲法を作る力」(制憲権)が存するという考え方に基づいて、成文化した法である(第一章四2参照)。 この人権(自由の原理)と(一)にふれた国民主権(民主の原理)とが、ともに「個人の尊厳」の原理に支えられ不可分に結び合って共存の関係にあるのが、近代憲法の本質であり理念である(第三章一2参照)。 従って、憲法改正権は、このような憲法の中の「根本規範」とも言うべき人権宣言の基本原則を改変することは、許されない(前頁の図を参照)。 もっとも、基本原則が維持されるかぎり、個々の人権規定に補正を施すなど改正を加えることは、当然に認められる。 (三) 前文の趣旨 日本国憲法は、前文で、人権と国民主権を「人類普遍の原理」だとし、「これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する」と宣言している。 これは、ただ政治的希望を表明したものではなく、以上のような、憲法改正に法的な限界があるという理論を確認し、改正権に対して注意を促す意味をもっている。 ドイツ連邦共和国憲法が、国民主権と人権の基本原則に影響を及ぼす改正は許されないと定め(79条)、フランス第五共和制憲法が、共和政体を改正することはできないと定めている(89条)のも、同じ趣旨である。 (四) 平和主義・憲法改正手続 改正権に限界があるとすると、国内の民主主義(人権と国民主権)と不可分に結び合って近代公法の進化を支配してきた原則と言われる国際平和の原理も、改正権の範囲外にあると考えなくてはならない。 もっとも、それは、戦力不保持を定める9条2項の改正まで理論上不可能である、ということを意味するわけではない(現在の国際情勢で軍隊の保有はただちに平和主義の否定につながらないから)、と解するのが通説である。 なお、憲法96条の定める憲法改正国民投票制は、国民の制憲権の思想を端的に具体化したものであり、これを廃止することは国民主権の原理を揺るがす意味をもつので、改正は許されないと一般に考えられている。 ◆4 憲法の変遷 憲法の保障にとってきわめて重要な問題は、憲法規範は改正されないのに、その本来の意味が国家権力による運用によって変化することである。 もっとも、憲法も変転する社会の動態の下で「生ける法」であるから、憲法規範の本来の意味に変化が起こり、その趣旨・目的を拡充させるような憲法現実が存在すること、これは当然の現象で、とくに問題とする必要はない。 問題は、規範に真正面から反するような現実が生起し、それが、一定の段階に達したとき、規範を改正したのと同じような法的効果を生ずると解することができるかどうか、《そういう意味の》「憲法の変遷」が認められるか、ということである。 これについては、 ① 一定の要件(継続・反復および国民の同意等)が充たされた場合には、違憲の憲法現実が法的性格を帯び、憲法規範を改廃する効力をもつと解する説と、 ② 違憲の憲法現実は、あくまでも事実にしかすぎず、法的性格をもち得ないと解する説 とが、厳しく対立している。 基本的には②説の立場をとりながら、《政治的な》ルール(これをイギリス法に倣って憲法の習律〔convention〕と言ってもよい)として国家機関(議会・内閣)を拘束する一種の弱い法的性格をもつことを認める考え方もある、 およそ、法が法としての効力をもつには、国民を拘束し、国民に遵守を要求する「拘束性」の要素と、現実に守られていなければならないとする「実効性」の要素が必要である。 憲法変遷を肯定する説のうち問題であるのは、実効性が失われた憲法規範はもはや法とは言えない、という立場をとるものである。 しかし、いかなる段階で実効性が消滅したと解することができるのか、その時点を適切に捉えることは容易ではない。 また、実効性が大きく気傷つけられ、現実に遵守されていなくとも、法として拘束性の要素は消滅しないと解することは可能であり、将来、国民の意識の変化によって、仮死の状態にあった憲法規定が息を吹きかえすことはあり得る。 ①説の理論を安易に肯定することはできない。 ■3.芦部憲法論の致命的欠陥 ▼1.芦部憲法論の依拠する法概念理解(半世紀前の法学パラダイム) ※図が見づらい場合⇒こちら を参照 ※左記の他に実は、自然法または根本規範を認めず、憲法制定権力も認めない(特定時点の国民が保持するのはせいぜい「憲法典 constitutional code」(形式憲法)を制定ないし改廃する権力(つまり「国政 national policy」を決定する権力)であり、「国制 constitutional law」(国体法=実質憲法)を制定・改廃する権力ではない、とする見解もあり、そちらが妥当である。(→リベラル右派の「国民主権」論及び保守主義の「国民主権」批判 参照。この場合「国制」(実質憲法)は過去から現代に至る世代を重ねた国民の長年のプラクティスの中から徐々に形成されるものと理解される。すなわち法の支配) ※図が見づらい場合⇒こちら を参照 ※①宮澤俊義(ケルゼン主義者)・②芦部信喜(修正自然法論者)に代表される戦後日本の左翼的憲法学は「実定法を根拠づける“根本規範”あるいは“自然法”」を仮設ないし想定するところからその理論の総てが始まるが、そのようなア・プリオリ(先験的)な前提から始まる論説は、20世紀後半以降に英米圏で主流となった分析哲学(形而上学的な特定観念の刷り込みに終始するのではなく緻密な概念分析を重視する哲学潮流)を反映した法理学/法哲学(基礎法学)分野では、とっくの昔に排撃されており、日本でも“自然法”を想定する法理学者/法哲学者は最早、笹倉秀夫(丸山眞男門下)など一部の化石化した確信犯的な左翼しか残っていない。このように基礎法学(理論法学)分野でほぼ一掃された論説を、応用法学(実定法学)分野である憲法学で未だに前提として理論を展開し続けるのはナンセンスであるばかりか知的誠実さを疑われても仕方がない行いであり、日本の憲法学の早急な正常化が待たれる。(※なお、近年の左翼憲法論をリードし「護憲派最終防御ライン」と呼ばれている長谷部恭男は、芦部門下であるが、ハートの法概念論を正当と認めて、芦部説にある自然法・根本規範・制憲権といった超越的概念を明確に否定するに至っている。) ▼2.ハートの法概念理解(現代の世界標準の法学パラダイム) ※サイズが画面に合わない場合はこちら 及びこちら をクリック願います。 ※上記のように、ハートの法=社会的ルール説は、現実の法現象について詳細で明晰な分析モデルを提供しており、特定の価値観・政治的イデオロギーに基づく概念ピラミッドに過ぎない法=主権者意思[命令]説の法体系モデルを、その説得力において大幅に凌駕している。 ※上図について、詳細な解説は法と権利の本質に関する2つの考え方へ。 ▼3.(参考)長谷部恭男による芦部説の否定 自然法に基礎を置く根本規範・憲法制定権力が憲法典を授権する、とする芦部説は、その門下であり近年の左翼リベラル派の護憲論(憲法改正反対論)の中心的論者となっている長谷部恭男(東大法科大学院長)によってさえ以下のように明白に否定されている。 あえて憲法制定権力という概念を用いてこの問題-なぜわれわれは憲法を尊重すべきか-に答えようとするならば、より説得力のある途は、おそらく清宮四郎や芦部信喜がとった立場、つまり超実定的政治道徳たる根本規範によって拘束され、その授権を受けた憲法制定権力なるものを想定する途であろう。・・・(中略)・・・実定法体系を超える政治道徳に従い拘束されることによって正当化された憲法制定権力の行使の結果であるからこそ、現在の憲法典に従うべきことになる。しかし、そうであれば、むしろ憲法制定権力概念は無用の長物であって、直接に憲法典の道徳的妥当性、つまり超実定的政治道徳との整合性を論ずれば足りるのではないだろうか。憲法制定権力概念そのものには憲法典を正当化する力はなく、すべての正当化の力がその背後にある政治道徳に求められるのであれば、やはり憲法制定権力を持ち出す必要はないように思われる。それは不要な剰余ではないか。 憲法制定権力は、世界の存在を証明するために措定された人格神と同等の概念である。世界を創造する神という概念による世界の存在証明が筋の通ったものではありえないのと同様-(中略)-憲法制定権力は憲法の存在と妥当性について筋の通った説明を与えることはできない。 ※長谷部恭男『憲法の境界 』p.11およびp.22より抜粋 ■4.参考図書 『法学 (ヒューマニティーズ) 』 (中山竜一:著 (2009年))《目次》1. 法学はどのようにして生まれたか(なぜ法の歴史について学ぶ必要があるのか (西洋法の歴史 ほか)2. 生きられる空間を創る―法学はどんな意味で社会の役に立つのか(法に期待される役割と背景にある思想 (活動促進と紛争解決―民事法の役割 ほか)3. 制度知の担い手となる―法学を学ぶ意味とは何か(法学を学ぶ意味とは? (法的思考のいくつかの特徴―哲学との対比 ほか)4. 法学はいかにして新たな現実を創り出すのか―法学と未来 (法的思考で現実は変えられるか、難事案をどのように判断するか(一)―ドゥオーキンの構成的解釈 ほか)5. 法学を学ぶために何を読むべきか (BOOK GUIDE) ドイツ系(大陸系)哲学をベースにした従来の観念論的な「法哲学」ではなく20世紀後半以降に大発展した英米系分析哲学をベースとする「法理学」への扉を開く一冊。左右の全体主義に陥らない法学基礎理論の第一歩として非常にお勧め。なお、これとの対比で従来型の特定の観念・思想ゴリオシ型の「法哲学」の教科書として、笹倉秀夫『法哲学講義 』を挙げておくので、興味のある人はこの両者の法理論を比較してみられるとよい。(笹倉秀夫氏は丸山眞男の弟子で、同書も強度の左翼思想と自虐的史観に満ちており、現在の目で見ると明らかに特定思想のゴリオシが目立ち失笑ものである) 『二十世紀の法思想』 (中山竜一:著 (2000年))《目次》第1章 20世紀法理論の出発点―ケルゼンの純粋法学第2章 法理論における言語論的転回―ハートの『法の概念』補論 ハート理論における「法と道徳」第3章 解釈的実践としての法―ドゥオーキンの解釈的アプローチ第4章 ポストモダン法学―批判法学とシステム理論補論 脱構築と正義―デリダ「法の力」第5章 むすび 『法学(ヒューマニティーズ)』と併せて読んで欲しい。20世紀後半に起こった、ケルゼンに代表されるドイツ系(大陸哲学系)法学から、ハートに代表される英米系(分析哲学系)法学へのパラダイム・シフト(法理論における言語論的転回)に焦点を当てた好著。なお20世紀哲学の最大事件「言語論的転回」については『分析哲学講義』(青山拓央:著) が分かり易い。 『自由の条件』(全3巻) (F.A.ハイエク著(1960))《目次》第一部 自由の価値第二部 自由と法第三部 福祉国家における自由 自由主義の真髄を解き明かしてM.サッチャー(英元首相)のバイブルといわれた名著であり、自由と法の関係についてきちんとした知識を持つ上で必読の3巻本。続編の『法と立法と自由 』も3巻本で、一冊一冊が高価だが、図書館などで見つけて目を通して欲しい。論旨明快なため、内容はさほど難しくないはず。 『法の概念』 (H.L.A.ハート著(1961年)) 20世紀後半の法理論に大転回をもたらした記念碑的な一冊であり、現在の法を学ぶ者は避けては通れない名著。しかし一般向けにも興味深いテーマを多く扱っており、また用語も難解でないので読みやすい。法学徒は必読だろうが、そうでない普通の人にもオススメできる。《以下概要》本書では、まず「法は威嚇による命令である」という説を批判する。その上で、法を第一次的ルールと第二次的ルールとに分ける。第一次的ルールとは、制裁をもってして何らかの行動を強制するものである。第二私的ルールとは、法として有効である権能を与える(契約・立法・裁判など)ものである。法は不確定性をともなうので、法の周縁部においては常に解釈がともなう。他。 ■5.ご意見、情報提供 ↓これまでの全コメントを表示する場合はここをクリック +... 以下は最新コメント表示 名前 ラジオボタン(各コメントの前についている○)をクリックすることで、そのコメントにレスできます。 ■左翼や売国奴を論破する!セットで読む政治理論・解説ページ 政治の基礎知識 政治学の概念整理と、政治思想の対立軸 政治思想(用語集) リベラル・デモクラシー、国民主権、法の支配 デモクラシーと衆愚制 ~ 「民主主義」信仰を打ち破る ※別題「デモクラシーの真実」 リベラリズムと自由主義 ~ 自由の理論の二つの異なった系譜 ※別題「リベラリズムの真実」 保守主義とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ ナショナリズムとは何か ケインズvs.ハイエクから考える経済政策 国家解体思想(世界政府・地球市民)の正体 左派・左翼とは何か 右派・右翼とは何か 中間派に何を含めるか 「個人主義」と「集産主義」 ~ ハイエク『隷従への道』読解の手引き 最速!理論派保守☆養成プログラム 「皇国史観」と国体論~日本の保守思想を考える 日本主義とは何か ~ 日本型保守主義とナショナリズムの関係を考える 右翼・左翼の歴史 靖國神社と英霊の御心 マルクス主義と天皇制ファシズム論 丸山眞男「天皇制ファシズム論」、村上重良「国家神道論」の検証 国体とは何か① ~ 『国体の本義』と『臣民の道』(2つの公定「国体」解説書) 国体とは何か② ~ その他の論点 国体法(不文憲法)と憲法典(成文憲法) 歴史問題の基礎知識 戦後レジームの正体 「法の支配(rule of law)」とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ 立憲主義とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ 「正義」とは何か ~ 法価値論まとめ+「法の支配」との関係 正統性とは何か ~ legitimacy ・ orthodoxy の区別と、憲法の正統性問題 自然法と人権思想の関係、国体法との区別 「国民の権利・自由」と「人権」の区別 ~ 人権イデオロギー打破のために 日本国憲法改正問題(上級編) ※別題「憲法問題の基礎知識」 学者別《憲法理論-比較表》 政治的スタンス毎の「国民主権」論比較・評価 よくわかる現代左翼の憲法論Ⅰ(芦部信喜・撃墜編) よくわかる現代左翼の憲法論Ⅱ(長谷部恭男・追討編) ブログランキング応援クリックをお願いいたします(一日一回有効)。 人気ブログランキングへ