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●戦争と罪責07Ⅱ から ●戦争と罪責08Ⅰ へ 1227 「集団自決」に「軍の関与」復活 検定意見を実質修正 [朝日] 1226 沖縄戦の集団自決、検定意見を事実上修正 渡海文科相 [朝日] 1225 沖縄戦資料をネット公開へ 教科書問題で沖縄担当相 [共同] 1222 フジモリ氏、対テロ作戦の犠牲者に謝罪 遺族は反発 [朝日] 1221 朝鮮人遺骨来月に返還 101人分 日韓合意 [朝日] 1219 原爆症審査、原因確率を事実上廃止 与党PT案 [朝日] 1213 中国残留孤児、国相手の訴訟取り下げ 改正支援法成立で [朝日] 1211 犠牲者「30万人」の表示継続 南京大虐殺記念館再開へ [朝日] 1205 首相、中国残留孤児訴訟原告団に謝罪 [朝日] 1128 中国残留邦人支援法改正案が成立 孤児側、訴訟終結方針 [朝日] 1125 南京大虐殺めぐり日中研究者がシンポ [朝日] 1121 戦争犯罪の過去とどう向きあう 独・日・韓の研究者交流 東京でシンポ [赤旗] 1111 日本政府相手に提訴検討 サハリン残留韓国人が会見 [朝日] 1106 教科書訂正、沖縄差別の歴史も記載 [琉球新報] 1101 フランコ独裁下の犠牲者、名誉回復法成立へ スペイン [朝日] 1008 「軍関与」証言する動き 自治体も調査 沖縄戦集団自決 [朝日] 1009 沖縄教科書検定決議、採択困難に [朝日] 1007 靖国神社分祀、改めて主張 古賀遺族会会長 [朝日] 1002 検定撤回の国会決議提出へ 野党4党が一致 [朝日] 1001 「集団自決」検定、文科省が対応検討 沖縄県民大会受け [朝日] 0929 沖縄、11万人が訴え 教科書検定「撤回を」 [朝日] 0927 検定撤回求める議決、沖縄以外でも 集団自決教科書削除 [朝日] 0919 日の丸燃やす 満州事変76周年 中国・瀋陽 [朝日] 0917 平頂山事件75周年 約2千人が追悼 中国・撫順 [朝日] ●戦争と罪責07Ⅱ より続く 名前 コメント ↑ご自由にコメントをお書き下さい。 1227 「集団自決」に「軍の関与」復活 検定意見を実質修正 [朝日] 2007年12月27日06時47分 沖縄戦の「集団自決」をめぐり、来春から使われる高校日本史の教科書検定で「日本軍の強制」が削除された問題で、渡海文部科学相は26日、教科書会社6社から出されていた訂正申請を承認した。「日本軍が強制した」という直接的な記述は避けつつ、「軍の関与」や「戦中の軍の教育」などによって住民が自決に追い込まれたと記しており、「集団自決が起きたのは、日本軍の行為が主たる原因」と読める内容になった。 一度検定に合格した教科書の記述に沖縄側が激しく反発したことをきっかけに異例の再審議となった。6社中5社は文科省側とやりとりしながら、訂正申請を一度取り下げたうえで、修正して再申請し承認された。文科省は、「軍の強制」を認めなかった検定意見を撤回しなかったものの、内容を事実上修正する結果となった。 渡海氏はこの日の会見で「審議経過も明らかにしており、沖縄の理解をいただきたいと思っている」と語った。一方、9月末に開かれた沖縄県民大会の実行委員長を務めた仲里利信・県議会議長も会見し、「記述の回復がほぼなされ、これまでの検定意見は自動的に消滅したと考えている」と表明した。ただし、県民大会で決議した「検定意見の撤回」が実現しなかったことには不満の声も根強く、28日に実行委員会を開いて、正式な態度表明をするという。 渡海氏は県民大会の直後、「訂正申請があれば真摯(しんし)に対応する」と表明。11月に各社から申請が出されたことを受けて、諮問機関の教科用図書検定調査審議会(検定審)に検討を要請。検定審日本史小委員会は25日に訂正申請を承認する報告をまとめた。 今回の再審議では、「日本軍が強制した」と記した訂正を認めるかどうかが焦点だった。日本史小委は、沖縄戦や軍事史の専門家9人に意見を求めたうえで、(1)集団自決が起きた状況をつくった要因として、軍の関与は主要なもの(2)軍命令で行われたことを示す根拠は確認できていない(3)住民側から見れば、自決せざるを得ないような状況に追い込まれたとも考えられる――という「基本的とらえ方」をまとめた。この方針に沿って、教科書会社に訂正申請の根拠となる資料の提出や説明を求めた。 その結果、三省堂、実教出版、清水書院、第一学習社、東京書籍の5社は訂正申請にあった「自決を強要された」「集団自害と殺し合いを強制した」といった直接的な表現を取り下げ、「日本軍の関与」「米軍の捕虜となることを許さないなど指導」との表現に変えて再申請した。山川出版社は事実関係だけで、背景や要因には触れなかった。 「強制的な状況のもとで」「『強制集団死』とする見方が出されている」といった記述も承認された。文科省は「『強制』や『強要』があれば即不合格になるのではなく、全体の文脈の中で小委が判断した」と説明している。 URL http //www.asahi.com/politics/update/1226/TKY200712260329.html 1226 沖縄戦の集団自決、検定意見を事実上修正 渡海文科相 [朝日] 2007年12月26日15時06分 沖縄戦の「集団自決」をめぐり、高校日本史の教科書検定で「日本軍の強制」が削除された問題で、渡海文部科学相は26日、教科書会社6社から出されていた訂正申請を承認することを明らかにした。日本軍の命令が直接の原因だったという記述は避けつつ、「日本軍の関与」や「戦中の軍の教育」などによって住民が自決に追い込まれたと記しており、「集団自決が起きたのは、日本軍の行為が主たる原因」と読める内容になった。 今回の訂正申請は、今春公表された検定意見に沖縄側が激しく反発したこともあり、渡海氏が「申請があれば真摯(しんし)に対応する」と表明していた。「日本軍の強制性」を認めるかどうかが焦点だった。文科省は検定意見の撤回はしないものの、内容的には事実上、修正した結果となった。 渡海氏は訂正申請が11月初めに出されたことを受けて、諮問機関の教科用図書検定調査審議会(検定審)に検討を要請。検定審日本史小委員会は25日に訂正申請を承認する報告をまとめた。 日本史小委は、沖縄戦や軍事史の専門家9人に意見を求めたうえで、(1)集団自決が起きた要因として、軍の関与は主要なもの(2)軍命令で行われたことを示す根拠は確認できていない(3)住民側から見れば、自決せざるを得ないような状況に追い込まれたとも考えられる――という「基本的とらえ方」をまとめた。 この「とらえ方」に沿って、教科書会社に訂正申請の根拠となる資料の提出や説明を求めた。その結果、三省堂、実教出版、清水書院、第一学習社、東京書籍の5社が「自決を強要された」「集団自害と殺し合いを強制した」といった直接的な表現を取り下げ、「日本軍の関与」や「米軍の捕虜となることを許さないなど指導」「(住民の側からみて)集団自決に追い込まれた」との表現に変えて再申請した。山川出版社だけは、集団自決の事実関係について修正したが、背景や要因には触れなかった。 URL http //www.asahi.com/national/update/1226/TKY200712260209.html 1225 沖縄戦資料をネット公開へ 教科書問題で沖縄担当相 [共同] 沖縄戦をめぐる高校歴史教科書の検定問題に絡み、岸田文雄沖縄担当相は25日、内閣府の「沖縄戦関係資料閲覧室」(東京都港区)を、より利便性の高い場所へ移転し、所蔵資料をインターネットで閲覧可能とするための経費を2008年度予算に計上する方針を明らかにした。 教科書問題で「日本軍による強制」の記述を回復するよう要請に訪れた沖縄県議会の仲里利信議長らに語った。閲覧室は02年にオープン、防衛省や外務省などが保管していた沖縄戦に関する公文書の写しや書籍を収集、公開している。 内閣府によると、予算規模は約1900万円。国立国会図書館に隣接する建物に移設予定で、施設面積も約2倍になる。 岸田担当相は「教科書記述については所管外なので発言できないが、閲覧室をより多くの方々に有効活用してもらうことで、できるだけこの(教科書)問題に資するよう努力したい」と述べた。 2007/12/25 17 07 【共同通信】 URL http //www.47news.jp/CN/200712/CN2007122501000446.html 1222 フジモリ氏、対テロ作戦の犠牲者に謝罪 遺族は反発 [朝日] 2007年12月22日19時08分 軍特殊部隊による民間人殺害で殺人などの罪に問われたペルーのフジモリ元大統領(69)が21日、最高裁特別法廷の公判で、軍の対テロ作戦による犠牲者に謝罪した。遺族は「遅すぎるし、不十分。裁判の戦術だ」などと反発している。 ロイター通信などによると、フジモリ被告は検察側の質問に答え、「すべての犠牲者に謝罪する。何千もの死者に胸を痛めた」などと述べた。 ペルーでは80~90年代に左翼ゲリラのテロや、軍による掃討作戦で約2万5000人が死亡したとされる。このうち1万人が市民、1万人がゲリラといわれる。 この謝罪に対し、犠牲者遺族のヒセラ・オルティスさんは「謝罪する機会は今まで15年以上もあった」と批判した。 URL http //www.asahi.com/international/update/1222/TKY200712220208.html 1221 朝鮮人遺骨来月に返還 101人分 日韓合意 [朝日] 2007年12月21日21時43分 戦時中に日本軍人・軍属として徴用されて死亡し、東京・祐天寺に保管されている朝鮮半島出身者101人の遺骨を来年1月22日、韓国の遺族に返還することで日韓が正式合意した。日本政府は、返還の際に同寺で開く慰霊祭に、遺族約50人を招くことも決めた。 21日にソウルで開いた日韓の実務協議で決まった。さらに日本側は、徴用された軍人・軍属ら約11万人分の情報を韓国側に提供。韓国は徴用された本人や遺族に対する独自の補償制度を設けており、この確認作業などを支援する狙いがある。 また、日韓は企業に徴用された朝鮮人の遺骨についても協議。日本側は、企業や自治体、宗教団体から得た計1909人の情報をすでに韓国に提供しているが、韓国側は遺族の特定作業が難航しているとして、さらに詳細な情報を提供してほしいと日本側に求めた。 URL http //www.asahi.com/international/update/1221/TKY200712210351.html 1219 原爆症審査、原因確率を事実上廃止 与党PT案 [朝日] 2007年12月19日22時07分 原爆症の認定基準について議論していた与党プロジェクトチーム(PT、河村建夫座長)は19日、見直し案を決めた。広島・長崎の爆心地から約3.5キロ以内で直接被爆、原爆投下から約100時間以内に爆心地付近に入るなどした被爆者が、がんなど特定の病気を発症した場合、自動的に認定。あてはまらない場合は急性症状などを加味して個別審査する「二段階方式」とする。現行の審査の柱となる原因確率を事実上廃止するもので、被爆者らは評価している。 見直しをめぐっては厚生労働省の検討会が17日、原因確率を維持する見直し案をまとめている。政府・与党は年明けにも、隔たりのある両案を検討して新基準を決める。 決定されたPT案は、爆心地から約3.5キロ以内で直接被爆▽原爆投下から約100時間以内に爆心地付近(約2キロ以内)に入市▽100時間を多少過ぎていても爆心地付近(同)に1週間程度滞在――のいずれかに該当する被爆者が特定の病気を発症した場合に原爆症と自動認定。特定の病気には、がん、白血病、白内障、副甲状腺機能高進症のほか、心筋梗塞(こうそく)などを含めた。 原因確率についてPT案では、「現実的救済につながっていない」として「今の原因確率論を改める」と言明。一方で、自動認定の条件にあてはまらない被爆者を個別審査する中で、原因確率を使えば救済できる場合もあるとし、「使用も排除しない」と余地を残した。 日本原水爆被害者団体協議会(被団協)や集団訴訟の原告らは19日、東京・霞が関で会見。全国弁護団の宮原哲朗・事務局長は「被爆者救済の方向に大きくかじを切っており、裁判の全面解決に向けた第一歩にしたい」とPT案を高く評価。福田首相に採用を要望する予定だ。 URL http //www.asahi.com/politics/update/1219/TKY200712190339.html 1213 中国残留孤児、国相手の訴訟取り下げ 改正支援法成立で [朝日] 2007年12月13日12時52分 中国から永住帰国した残留孤児40人が、国の誤った政策で人間らしく生きる権利を侵害されているとして、国に1人3300万円(総額13億2000万円)の賠償を求めた訴訟の控訴審第1回口頭弁論が13日午前、東京高裁であり、原告は訴訟を取り下げた。国民年金の満額支給などを盛り込んだ改正中国残留邦人支援法が成立したのを受けたもの。孤児の9割近い約2200人が全国15カ所で提訴中で、ほかの裁判も終結の見通し。 訴訟取り下げの理由について、原告側は意見陳述で「国の責任をあいまいにしたままで終結させるのは無念だが、法改正で老後生活の保障が大きく前進した」と述べた。 国側は5日の福田首相の謝罪の言葉を引用し、「新たな支援策を誠実に実行する」という厚生労働省社会・援護局長名の異例のコメントを出した。 原告の一人で、原告団全国連絡会代表の清水宏夫さん(70)は「今後、制度がきちんと運用されるか見届けるため原告団は解散しない」とした。 改正法では残留孤児・婦人約6000人を対象に、国民年金が満額(月額6万6000円)支給され、最高8万円の給付金制度が創設される。孤児の約6割を占める生活保護受給者は、支給額が8万円から14万6000円(夫婦は18万6000円)に増える。 ただ、給付を受けるには収入を申告するため、「生活監視につながる」と新しい給付制度に不安の声もある。 残留婦人が国を相手に起こした訴訟もさいたま地裁で7日に終結した。 URL http //www.asahi.com/national/update/1213/TKY200712130103.html 1211 犠牲者「30万人」の表示継続 南京大虐殺記念館再開へ [朝日] 2007年12月11日21時10分 13日の南京事件70周年にあわせて大規模な拡張工事を進めてきた南京大虐殺記念館の朱成山館長が11日、記者会見を開き、展示面積が従来の約12倍になるなどの概要を説明した。日本側や中国の一部研究者に異論がある犠牲者数「30万人」の表示については「当時の軍事法廷などで実証済み」として引き続き掲示するとした。開館式は13日に行われる。 記念館は第2次大戦終結40周年を記念して85年に開館。新たな資料が約1万点にのぼり、展示スペースが足りなくなったため、05年から工事を始めた。総工費は約3億3000万元(約50億円)。敷地面積は約2ヘクタールから約7ヘクタールと3倍以上、展示面積は約800平方メートルから約9800平方メートルになる。写真3500枚、被害者や日本軍の遺留品など約3000点を展示し、日本軍が6週間にわたって行った虐殺の現場を詳しく再現するという。参観は無料。 「30万人」の犠牲者数は、旧館時代からのモニュメントのほか、新築された展示館ホールの天井などにも表示。一方、日本に関するコーナーを設け、中国に対する政府の途上国援助(ODA)などについても説明するという。 URL http //www.asahi.com/international/update/1211/TKY200712110364.html 1205 首相、中国残留孤児訴訟原告団に謝罪 [朝日] 2007年12月05日13時21分 福田首相は5日午前、首相官邸で中国残留孤児訴訟の原告団と面会し、「(孤児問題に)気づくのが遅くなって申し訳ない」と述べ、これまでの政府の対応を謝罪した。首相は面会後、記者団に「皆さん日本語があまりお上手じゃなかった。日本語教育をいままでやってこなかったのかと反省している。十分な対応をしてきたか行政上の問題もあった。法律で十分とは言えないが、状況が変わると思う」と語った。 面会は、先月28日に孤児への支援を充実させる「改正中国残留邦人支援法」が成立したことを受けて実現した。 首相は涙ぐむ原告団を前に、声を詰まらせながら「皆さん方は日本の国民なんですね。ほかの日本の国民と同じような幸せになる権利を持っています。年金の特別措置や日本語教育が十分な成果を上げていない。誠に残念なことだ」と語った。 面会後に記者会見した原告団全国連絡会代表の池田澄江さん(63)は「総理からの謝罪とねぎらいの言葉を誠心誠意、受け取って、さわやかな気持ちになりました。今日、晴れて日本人になれた」と首相の対応を評価。高知訴訟の原告代表の石川千代さん(73)は「本当に日本へ帰ってきた気がする。これから日中友好のために頑張っていきたい」と語った。 URL http //www.asahi.com/politics/update/1205/TKY200712050145.html 1128 中国残留邦人支援法改正案が成立 孤児側、訴訟終結方針 [朝日] 2007年11月28日12時06分 国民年金の満額支給など、中国残留孤児に対する支援を充実させる改正中国残留邦人支援法が28日午前、参院本会議で全会一致で可決、成立した。孤児側は孤児約2200人が国を相手に全国15カ所で起こした訴訟を終結させる方針。国も孤児側に訴訟費用の支払いは求めないことにしている。 改正法の対象になるのは、終戦後の混乱で旧満州にとり残され、その後、日本に永住帰国した残留孤児・婦人約6000人。国民年金の満額支給(月額6万6000円)と、単身世帯で最高8万円の給付金制度の創設が改正の柱。国民年金については、残留孤児・婦人は日本にいなかったため、満額支給に必要な期間、保険料を納付していない。このため、国が不足分を肩代わりする。厚生労働省は来年度予算の概算要求で総額355億円の対策費を盛り込んでいる。 生活保護受給者の場合、支給される生活費は現在の8万円から14万6000円に増える。これまで生活保護制度で支給されてきた住宅や医療、介護の費用は「支援給付」と名前を変更して引き続き国が負担する。孤児本人が死亡した後は、配偶者に支給を続ける。 給付金の支給は貯金や保険加入などの調査が前提で、収入に応じて給付は減額される見通し。これに対し、孤児らは「日常生活を監視される生活保護からの脱却」を求めている。 URL http //www.asahi.com/politics/update/1128/TKY200711280119.html 1125 南京大虐殺めぐり日中研究者がシンポ [朝日] 2007年11月25日18時51分 12月の南京事件70周年にあわせて、日中の研究者が新たな研究成果を発表する「南京大虐殺史料学術シンポジウム」(南京大学南京大虐殺史研究所主催)が24、25の両日、中国江蘇省の南京市内で開かれた。 日本から大学教授や市民団体代表ら約30人が参加。都留文科大学の笠原十九司教授は、旧日本兵の遺族から新たに入手した当時の日記や写真を紹介し、虐殺の実態を解説した。中国側研究者の一人は、事件直後に埋葬された死体数の計算にかなりの重複がある点を指摘、「従来の認識よりも少なくなる可能性がある」と話した。 URL http //www.asahi.com/international/update/1125/TKY200711250125.html 1121 戦争犯罪の過去とどう向きあう 独・日・韓の研究者交流 東京でシンポ [赤旗] 自国がおこなってきた戦争犯罪や侵略、植民地支配などの過去とどう向き合い、克服していくのか―をテーマに十六、十七の両日、東京都内で想起の文化と政策シンポジウムが開催されました。東京ドイツ文化センターが主催したもの。ドイツ、日本、韓国の歴史研究者が参加しドイツと東アジアの比較など、熱心に議論を交わしました。 「想起(エリンナルング)」はドイツ語で過去を記憶、想起することで、ナチスや旧日本軍の戦争犯罪に向き合い、伝えていくことを意味しています。 ドイツのイエナ大学のノルベルト・フライ氏は、ドイツの過去の克服も一朝一夕ではなく長い時間とたたかいが必要だったと述べました。第二次大戦直後や一九五〇年代には、ナチス犯罪人を恩赦したり、戦争犯罪をすべてナチスの責任にしてナチス政権下のドイツ軍の戦争犯罪を免除したりする流れが強かったと指摘。六〇年代に青年たちが親の世代の「まだ生き続けているナチス」とぶつかる中で、ナチスの犯罪を堂々と批判したことを振り返りました。 一方で、今日も「ナチスにもいいところがあった」とする意見や連合軍による空爆などドイツ人の戦争被害を主張してナチス被害を相対化しようとする動きがあることを「批判的にナチスの過去と取り組む態度が頂点を過ぎ、下り坂になっている」と警告しました。 韓国・高麗大学のハン・ウンスク氏は、ドイツでも強制収容所の慰安婦問題を最近まで軽視する事例があるなど、ドイツの「過去との取り組み」を理想化することはできないと表明。一方、韓日間では、日本の植民地支配という深い溝があり、植民地支配が朝鮮分断を招き、今日の南北の冷戦状態につながっているということを日本人はわかっていないと指摘しました。同氏は「植民地支配を日本が深く理解し克服することなしに、歴史的和解は考えられない」と語りました。 大阪経済法科大学の内海愛子氏は、日本の戦争犯罪を裁いた東京裁判では朝鮮、台湾などの植民地支配については責任を問われなかったという問題を指摘。東京裁判によってA級戦犯となった人物もその後の日本政府の政策で「戦犯は国内的犯罪者ではない」とされるなど戦争当時の指導者の復権がはかられたと述べました。 また、日本は韓国などとも経済協力方式で国交を回復し、侵略・占領の過去をあいまいにしたまま決着をしてきたと言明。現在、九〇年代から相次いだ韓国人や中国人の戦後補償裁判が過去の日本の侵略戦争と向き合い、問い直す場になっていると語りました。 シンポでは、加害者側にも被害者側にも戦争体験者が少なくなっていく今、どう教訓を若い世代に伝えていくかについても議論が交わされました。(片岡正明) URL http //www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-11-21/2007112106_01_0.html 1111 日本政府相手に提訴検討 サハリン残留韓国人が会見 [朝日] 2007年11月11日00時08分 日本統治下の朝鮮半島から徴用などでサハリンに渡った朝鮮人の2、3世計6人が10日、大阪市内で会見を開き、日本政府の対応が不適切だったため韓国に長年帰国できず苦痛を受けたなどとして、1世を含めた約120人規模の賠償訴訟を日本で起こすことを検討していると明らかにした。 会見したのは、サハリン州正義復権財団のキム・ボクコン理事長(60)ら6人。 外務省などによると、サハリンには終戦時、朝鮮半島の出身者が約4万人いた。 キムさんは、日本政府は、52年のサンフランシスコ平和条約の発効で日本国籍を失ったとして、韓国へ帰国するために適切な対策を取らなかったと説明。「残留韓国人を62年間放置した結果様々な問題が生じており、責任がないというのはおかしい」と訴えた。 URL http //www.asahi.com/national/update/1110/OSK200711100097.html 1106 教科書訂正、沖縄差別の歴史も記載 [琉球新報] 今後の取り組みなどについて確認した教科書出版社の執筆者懇談会=5日夜、東京都千代田区の社会教育会館 【東京】高校歴史教科書の「集団自決」(強制集団死)検定問題で、社会科教科書の執筆者らは5日夜、東京都千代田区の社会教育会館で3回目の懇談会を開いた。教科書出版社2社の執筆者が文部科学省に訂正申請する記述内容について、日本軍の強制を具体化することを説明。うち1社は「集団自決」だけでなく、琉球処分など近現代の沖縄に対する本土の差別・偏見についても記述内容を充実させる方針を明らかにした。「集団自決」問題に直接関係しない個所での訂正は初めて。 同社の執筆者は「沖縄戦だけ具体的に書くと、生徒の理解が不十分になってしまう。歴史の流れとして理解を深めるため、近現代の沖縄に対する差別や偏見に関する記述も充実させた」と理由を述べ、明治期や沖縄の自由民権運動の時期などで数カ所を訂正する考えを説明した。 別の1社の執筆者は、参考資料の写真説明を検定前より詳細に記述することを明らかにした。 懇談会では、沖縄戦に関する今回の問題が落ち着いた後、検定制度全体について議論することを確認した。次回会合は12月に開く予定。 訂正申請は5日までに、検定意見が付された5社のうち4社が届け出ている。残る1社は6日にも申請する。 訂正申請の記述方針については、すでに2社の執筆者が方針を公表している。「集団自決」について、4社6冊が日本軍強制を明記する記述に訂正申請することになる。 (11/6 9 39) 1101 フランコ独裁下の犠牲者、名誉回復法成立へ スペイン [朝日] 2007年11月01日21時49分 スペイン下院は31日、1930年代の内戦とその後のフランコ独裁政権下の犠牲者の名誉回復などを盛り込んだ「歴史の記憶法案」を与党社会労働党などの賛成多数で可決した。年内には上院でも可決、成立する見通しだ。 法案は、共和国時代の36年にフランコ将軍派が蜂起した内戦後、75年まで続いた独裁体制下で、共和国派の人々が受けた当時の裁判を「非合法」としている。また、犠牲者の遺族に対する年金の拡充、犠牲者の遺骨探しや身元確認の措置などが盛り込まれた。蜂起や独裁をたたえるシンボルを公共の場から取り除くことや、当時の文書の保存なども定められた。 ただ、こうした「負の歴史」の清算は、75年のフランコ氏死去後の民主化の過程で棚上げされた経緯があり、「過去を政治利用するもの」と最大野党の国民党が猛反発。サパテロ社会労働党政権は修正を重ねて少数政党の支持を取りつけた。 論争の背景には、内戦の責任をめぐって共和国側の責任も指摘する右派の反発がある。親類内でも敵味方に分かれたという内戦のしこりが社会に残り、「古傷に触れられたくない」という国民感情も根強い。 URL http //www.asahi.com/international/update/1101/TKY200711010357.html 1008 「軍関与」証言する動き 自治体も調査 沖縄戦集団自決 [朝日] 2007年10月08日17時34分 沖縄戦での「集団自決」をめぐる教科書問題で、「軍の強制」を示す記述が検定で削除されて以降、地元住民の間で当時の状況を証言する動きが出ている。沖縄県議会も現地で聞き取り調査をした。文部科学省は、教科書会社から訂正申請が出次第、教科用図書検定調査審議会を開く方針。審議では、こうした住民証言もふまえられるとみられる。 1945年3月に米軍が上陸した慶良間(けらま)諸島の座間味(ざまみ)島では、約130人が「自決」したとされる。同島在住の女性は、自決が行われる前、村助役だった兄が「軍からの命令」があると言っていたと語った。また別の証言では、数十人が犠牲になった慶留間(げるま)島でも前月に部隊長が自決の訓示をしていたという。 県議会は7月、文教厚生委員会のメンバーが慶良間諸島に渡り、聞き取りで住民から証言を集めた。これとは別に座間味村教委は「平和学習ガイドブック」の編集を昨年12月に始め、11月末に完成予定だ。 沖縄県教育委員会は、新たな県史の編集に向けて、証言を集約する。 一方、渡海文科相は5日の記者会見で、訂正申請があった場合、「判断は、もう一度検定審議会にお任せすることになると思う」と述べた。 検定意見は通常、審議会の総会を経て決定されるが、部会の開催をもって総会に代えられる規定もある。今回は、社会科系の教科書を扱う「第2部会」と「日本史小委員会」の審議結果で、訂正申請の採否が決まることになりそうだ。 「軍の強制」を削除するよう求めた検定意見を審議会は承認しているが、渡海氏は「新たな事実、証言が出てきているということもある。新しい事実が少し、増えてきているという状況のもとで、どのようにこの問題を考えていくかということではないか」と、審議会が今後開かれれば、違う結論が出る可能性を示唆している。 URL http //www.asahi.com/politics/update/1006/TKY200710060274.html 1009 沖縄教科書検定決議、採択困難に [朝日] 2007年10月09日20時01分 沖縄戦での集団自決を日本軍が強制したとの記述が削られた教科書検定の「再度検討」を求める国会決議が、野党が多数を占める参院でも採択が困難な見通しとなった。これまで「決議になじまない」としてきた自民党に加え、提案した民主党でも9日、参院側が「全会一致が原則」との方針を確認したためだ。 決議の提出は、民主党の菅直人代表代行が9月末の沖縄県民大会の際に記者団に表明。社民党と決議案をまとめ、5日の参院議院運営委員会で与党側に示した。検定制度への政治介入との批判を避けるため、県民大会が採択した「検定意見の撤回と集団自決の記述回復」の文言は入れなかった。 ただ、決議について、民主党の西岡武夫参院議運委員長は5日、「国会が歴史の認定に踏み込むことは両刃の剣になる可能性がある」と採択に難色を示し、9日の同党参院役員会でも「全会一致が原則」との方針を確認。同党の平田健二参院幹事長は同日の記者会見で、「多数決ではできない」と明言した。 URL http //www.asahi.com/politics/update/1009/TKY200710090448.html 1007 靖国神社分祀、改めて主張 古賀遺族会会長 [朝日] 2007年10月07日01時24分 日本遺族会会長である自民党の古賀誠選対委員長は6日、津市で講演し、「靖国神社が戦没者追悼の唯一の施設ということを基本に、国民すべてが、天皇陛下を含み、英霊の御霊(みたま)にお参りできる施設として残すべきだ」と述べ、改めて「A級戦犯分祀(ぶんし)論」を唱えた。古賀氏は「A級戦犯だけに責任があるとは決して言わないが、多くの戦没者の遺族を出してしまった。時の指導者の中で責任を取ってもらうのは一つの考え方だ」と強調した。 この問題をめぐり、日本遺族会は古賀氏の提案を受け、今年5月から合祀(ごうし)の経緯を検証する勉強会を開いている。 URL http //www.asahi.com/politics/update/1007/TKY200710060283.html 1002 検定撤回の国会決議提出へ 野党4党が一致 [朝日] 2007年10月02日19時44分 野党4党は2日、衆参国会対策委員長会談を開き、沖縄戦で日本軍が集団自決を強制したとの記述が教科書検定で削除された問題について、検定撤回の国会決議を衆参両院に提出することで合意した。4党で案文を早期にとりまとめるとともに、衆参の議会運営委員会で与党側にも賛同を呼びかける。与野党で一致できるよう、先月29日の沖縄県民大会での決議に沿った案文が検討されるとみられる。 民主党の山岡賢次国会対策委員長は会談後の記者会見で「沖縄の現状をよく把握し、歴史的事実に基づいた教科書にしていくように求めていきたい」と語った。国会決議については、県民大会に出席した同党の菅直人代表代行が「国会の意思を問う。与党でも良識的な皆さんの協力を得たい」と語っていた。 この記事の関連情報をアサヒ・コム内から検索する URL http //www.asahi.com/politics/update/1002/TKY200710020494.html 1001 「集団自決」検定、文科省が対応検討 沖縄県民大会受け [朝日] 2007年10月01日23時08分 沖縄戦で日本軍が住民に「集団自決」を強制したとの記述が教科書検定で削除された問題で、文部科学省は、記述の修正が可能か、検討を始めた。検定意見の撤回を求めて9月29日に開かれた沖縄県民大会に11万人が参加したことから、町村官房長官が1日、渡海文科相に対応を指示。渡海氏も、検定制度の枠内で可能な対応を検討するよう省内に指示した。 既に複数の教科書会社が訂正申請を出す検討を進めており、集団自決に日本軍が関与したことを明記する記述が復活する可能性が出てきた。 町村氏は1日の記者会見で「沖縄の皆さんの気持ちを何らかの方法で受け止め、修正できるかどうか、関係者の工夫と努力と知恵がありうる」と述べた。渡海氏も記者団に「(検定に)政治的介入があってはいけない。しかし、沖縄県民の気持ちを考えると、両方ともものすごく重い。そのなかで何ができるか考えたい」と述べた。 渡海氏は、県民大会を受けて検討を始めたことを認め、仲井真弘多知事が上京すれば直接会うとの考えも明らかにした。教科書会社から訂正申請があった場合、「真摯(しんし)に対応したい」と語った。 文科省は「検定の撤回はできない」との立場だが、過去に事実上、方針を転換した例がある。記述を復活させるために、こうした方法を今回適用できないか検討する。 方針転換の例としては、沖縄戦に関する81年度の検定がある。日本軍による住民殺害の記述が削除された後、沖縄県民は激しく反発。小川平二文部相(当時)が国会で「次の機会に県民の方々のお気持ちに十分配慮して検定を行う」と答弁、83年度の検定で事実上復活した。 80年度には高校の現代社会の教科書に水俣病の関連で「チッソ」の企業名が記されたのに対し、文部省(当時)は「特定の営利企業の非難になるおそれがある」と意見を付け、削除された。しかし、批判が高まり、同省は事実上撤回。81年秋に6社が訂正申請し、承認された。 このほか、過去に例はないが、文科省は教科書会社に訂正申請の勧告をすることもできる。 沖縄県民大会で実行委員長を務めた仲里利信・県議会議長(自民党)は「11万人の気持ちをくんでいただいた大変な配慮だと思う。どういう形で結論が出されるのか、ぬか喜びすることなく、大きな期待を持って見守っていきたい」と話した。 《教科書検定》 民間の教科書会社が申請した本を検定基準に基づいて文部科学省が合否判定する仕組み。文科省が検定意見を付した場合、教科書会社は意見に従って修正した本を再度提出して合否判定を受ける。 検定は大学教授などで構成される「教科用図書検定調査審議会」の検討を経ている。このため、一度決まった検定意見を政治の意向で変えることについては「介入につながる」との理由で、政府は否定的な立場を貫いている。 URL http //www.asahi.com/politics/update/1001/TKY200710010382.html 0929 沖縄、11万人が訴え 教科書検定「撤回を」 [朝日] 2007年09月29日21時33分 沖縄戦で日本軍が住民に「集団自決」を強制したとの記述が教科書検定で削除された問題で、検定意見の撤回を求める超党派の沖縄県民大会が29日、宜野湾市の海浜公園で開かれた。参加者は主催者発表で11万人。米兵による少女暴行事件を機に8万5000人が基地の整理・縮小などを訴えた95年10月の大会を大きく上回る「島ぐるみ」の集会となった。参加者は検定意見の撤回と記述の回復を求める決議を採択した。 大会は県議会各派や県PTA連合会など22団体で作る実行委員会が主催。壇上には、独自に大会を開いた先島諸島の自治体を除く全36市町村の首長や議長らが並んだ。 沖縄戦体験者で実行委員長を務める仲里利信・県議会議長は「歴史的事実がねじ曲げられることは絶対に許すことはできない。県民大会は、住民を巻き込んだ悲惨な地上戦の惨禍に見舞われた沖縄が全国に発信する警鐘だ」とあいさつ。仲井真弘多知事も「文部科学省は県民の度重なる要請行動を真摯(しんし)に受け止めることなく、撤回要求に応じていない。強く抗議し、遺憾の意を表明する」と述べた。 沖縄戦の際、渡嘉敷島(とかしきじま)で「集団自決」の現場にいた吉川嘉勝さん(68)は、集団自決が起きたのは日本軍がいた島だけだった、と指摘。そのうえで、「日本軍の関与がなければあのような惨事は起こらなかった、と結論づける事実は山積している」と訴えた。 教科書を使う立場から読谷(よみたん)高校3年の津嘉山拡大(つかやま・こうだい)さん(18)と照屋奈津美さん(18)も意見を述べた。 採択された決議では、「事実を正しく伝えることは我々に課せられた重大な責務」とし、文科省に検定意見の撤回を求めている。 大会後、仲井真知事は記者団に「ある種のマグマというかエネルギーが爆発寸前にあるのではないかと予感させるような大会だった」と述べた。 29日には宮古島と石垣島でも郡民大会が同時開催され、計6000人(主催者発表)が集まった。 文科省はこの教科書検定問題について「専門的な調査審議に基づいて実施された」として、検定意見は変更しないとの立場を貫いている。しかし、複数の教科書執筆者から訂正申請をめざす動きが出始めている。 URL http //www.asahi.com/national/update/0929/SEB200709290015.html 0927 検定撤回求める議決、沖縄以外でも 集団自決教科書削除 [朝日] 2007年09月27日14時05分 沖縄戦で起きた住民の「集団自決」に、軍の指示や強制があったとする記述が高校教科書の検定で削除された問題で、検定意見の撤回を求める意見書が沖縄以外の各議会で相次いで可決されている。一方、沖縄では、検定結果の公表から半年たっても検定への反発は高まるばかりで、29日には撤回を求める県民大会が、党派を超えた各団体の主催で開かれる。仲井真弘多知事も出席予定で、95年の米兵による少女暴行事件の時のような全県のうねりとなりそうだ。 「日本軍の関与が無ければ起こり得ず、多数の証人証言があるからこそ教科書にも記述され続けてきた」――東京都国立市議会は21日の本会議で、こんな意見書を賛成多数で可決した。 市民からの陳情を受けて提出者となった小川宏美市議(国立・生活者ネットワーク)は、大学の卒論のテーマが沖縄の戦後史。「過去の事実をきちんと伝えていきたい」という思いだった。 沖縄県議会は同じ趣旨の意見書を2度可決した。その1回目と同じ6月22日、米軍キャンプ座間を抱える神奈川県座間市議会でも、従来の教科書記述の復活を求める意見書が可決された。 キャンプ座間は世界規模の米軍の変革・再編の中で機能強化が計画されている。提出者の沖永明久市議(市民の党)は「基地問題でも沖縄と本土の温度差は大きい。むしろ『ヤマト』から声を上げなくては」と話す。 首都圏では千葉県船橋市議会の文教委員会でも可決されたが、27日の本会議での結論は微妙だという。 高知県内では、2市1町の議会で可決。高知市議会も27日の本会議で可決の見通しだ。 このうち、全会一致だった香南市は、旧野市町だった93年から、沖縄県具志頭(ぐしかみ)村(現・八重瀬(やえせ)町)と姉妹都市だ。提出者である保守系会派の野村正夫市議は「何度も沖縄を訪れ、多くの人に話を聞いたが矛盾は無く、今回の文部科学省の対応はおかしい」と話す。 宮崎県の美郷町議会は28日の本会議で全会一致で可決する見込みだ。 美郷町には戦時中、沖縄県豊見城村(現・豊見城市)から児童53人が疎開した。88年に姉妹村提携を結び、以来、子どもたちが毎年相互訪問している。今回の決議は、豊見城市側の要請を受け、甲斐保男町議(無所属)が「沖縄の力になれれば」と提案したという。 こうした動きに、沖縄県民大会の実行委員長を務める仲里利信・県議会議長(自民党)は「大変ありがたい。本土では、この問題の関心はまだ低い。うねりがもっと広がり、国を動かす力になることを願いたい」と話す。 URL http //www.asahi.com/national/update/0927/TKY200709260421.html 0919 日の丸燃やす 満州事変76周年 中国・瀋陽 [朝日] 2007年09月19日01時23分 満州事変勃発(ぼっぱつ)のきっかけとなった柳条湖事件から76周年を迎えた18日夜、中国遼寧省瀋陽で記念式典が開かれた。式典後、約200人の市民が集まる中、十数人の若者たちが「小日本(日本への蔑称(べっしょう))をやっつけろ」「日本製品を買うな」などと叫び、2枚の「日の丸」を燃やす騒ぎがあった。 日中関係は4月の温家宝(ウェン・チアパオ)首相の訪日などで改善が進んでいるが、一部の市民の間で反日感情が根強いことを示した形だ。 式典では地元政府幹部らが「国辱を忘れるな」などと演説。市内では午後9時18分に合わせて一斉に警報が響き、タクシーなどがクラクションを鳴らした。 URL http //www.asahi.com/international/update/0919/TKY200709180408.html 0917 平頂山事件75周年 約2千人が追悼 中国・撫順 [朝日] 2007年09月17日06時46分 旧日本軍が中国東北部の撫順近郊で多数の住民を虐殺したとされる「平頂山事件」から75周年を迎えた16日、事件現場に建てられた記念碑前に両国の市民ら約2000人が集まり、追悼式典が開かれた。中国共産党の周忠軒・撫順市委員会書記は式典で「歴史を忘れないのは憎しみを維持するためではない。今の幸せな生活の大切さを深く感じるためだ」と訴えた。 事件は撫順近郊の平頂山村で1932年に起きた。犠牲者は3千人とも800人とも言われる。中国側は記念館を開設して事件の悲惨さを訴えてきた。この日の式典には、中国側から事件の生存者の親族らも出席。日本側からは阿部孝哉・在瀋陽日本総領事や、日本での損害賠償請求訴訟の弁護団関係者ら計約200人が出席した。 URL http //www.asahi.com/international/update/0917/TKY200709170002.html ●戦争と罪責07Ⅱ より続く
https://w.atwiki.jp/kolia/pages/2237.html
改行ズレ/画像ヌケ等で読み辛い場合は、ミラーWIKI または図解WIKI をご利用ください <目次> ■はじめに ■ステップ1■国史を通して日本の保守思想のアウトラインを掴む ■ステップ2■保守思想を貶める捏造・歪曲を一掃する《1》歴史分野以上に酷い思想分野でのリベラル左翼の歪曲・捏造 《2》「天皇制ファシズム論」の嘘を見破る 《3》「保守」と「右翼」を区別し正しい認識を得る ■ステップ3■更に深く知るために《1》皇室に関する正しい知識を得る 《2》日本の保守思想の核心に触れる ■まとめ■日本の保守思想の再評価の動き ■はじめに 先日、最速!理論派保守☆養成プログラムを作成したところ 西洋思想ばかりで肝心の日本の思想がない(西洋カブレだ)というご批判や 逆に日本の保守思想もちゃんと知りたい|というご要望をいただきました。 実のところ、西洋思想は、所詮は外国の思想だという割り切りもあって、大胆に「これだ」という風に提示できる一種の気軽さがあったのですが、日本の保守思想については、私達の幾多の先達が大切に守り育て、私達に伝えられた価値観に関することであり、西洋思想のように躊躇なく論じるのは憚る気持ちが強くあります。 しかしながら、不要な誤解も受けたくなく、かつ、これを参考に知識を増やしていただける方が現れるのならば、という気持ちで、浅薄ながら日本の保守思想について、簡便なまとめページを作成しました。 願わくば、このサイトを訪問される有識者の方々、あるいは同学の士の方々からの有意義なコメントを通じて、このページがより適切かつ充実した内容にならんことを。 ■ステップ1■国史を通して日本の保守思想のアウトラインを掴む 名画にみる國史の歩み 小堀 桂一郎 (監修), 所 功 (編集)昭和8年(1933年)今上陛下ご生誕を記念して当代最高の日本画家達により10年の歳月をかけて製作された国史(日本の歴史)を辿る78点の名画集に、平成11年(1999年)今上陛下ご即位満10年の佳節を期して、小堀桂一郎・平泉隆房・新田均各氏を初めとする現代の一流史学者・研究家による解説を付した名品。amazonでページの一部を拝見できる。 物語日本史(上) (中) (下) 平泉澄(著) 講談社学術文庫『物語日本史』の序文(抜粋)(全文は「人権擁護法案マガジン・ブログ版」物語日本史(平泉澄)を読む 第1回 、第2回 、第3回 )(略)昭和二十七年四月、占領は解除せられ、日本は独立しました。長い間、口を封ぜられ、きびしく監視せられていた私も、ようやく追放解除になりました。一年たって昭和二十八年五月二日、先賢の八十年祭に福井へ参りましたところ、出て来たついでに成和中学校で講話を頼まれました。その中学校を私は知らず、中学生は私を知らず、知らぬ者と知らぬ者とが、予期せざる対面で、いわば遭遇戦でありました。講話は極めて短時間で、要旨は簡単明瞭でありました。「皆さん!皆さんはお気の毒に、長くアメリカの占領下に在って、事実を事実として教えられることが許されていなかった。今や占領は終わった。重要な史実は、正しくこれを知らねばならぬ。」と説き起して、二、三の重要なる歴史事実を説きました。その時の生徒の顔、感動に輝く瞳、それを私は永久に忘れないでしょう。生徒一千、瞳は二千、その二千の瞳は、私が壇上に在れば壇上の私に集中し、話し終って壇を下りれば壇下の私に集中しました。見るというようなものではなく、射るという感じでした。帰ろうとして外へ出た時、生徒は一斉に外へ出て私を取巻き、私がタクシーに乗れば、タクシーを取巻いて、タクシーの屋根の上へまで這い上って釆ました。彼らは黙って何一ついわず、何一つ乱暴はしない。ただ私を見つめ、私から離れまいとするようでした。ようやくにして別れて帰った私は、二、三日後、その生徒たちから、真情流露する手紙を、男の子からも、女の子からも、数通もらいました。私の一生を通じて、最も感動の深い講演でありました。成和中学の感動の忘れがたさに、それより十数年後の昭和四十五年、時事通信社より一貫せる日本歴史を書くよう求められた時、純真なる少年に呼び掛ける形を取りました。当時すでに七十六歳の私は、余命計り知るべからず、これを児孫への最後の贈り物、つまり遺書として書こうとし、したがって学者らしく事実を羅列して博学を誇るがごとき形式を好まず、ただ歴史の精粋を抜いて、誠実に父祖の辛苦と功業とを子孫に伝え、子孫もまたこの精神を継承して進むことを期待しつつ、しみじみと誠実に語ろうとして筆を執ったのでありました。(中略)願わくはこの小さき贈り物を満載せる帆船の行手、風穏やかにして波静かなれ。昭和五十三年十二月十日朝 白山寒林の中にて 平泉 澄----上中下3巻本。著者 故・平泉澄博士は、昭和5-6年(1930-31年)欧州に留学しマイネッケのドイツ歴史哲学とフランス革命の思想及びこれに反対するエドマンド・バークの保守思想等を研究、帰国後に抜擢されて秩父宮殿下(昭和天皇の弟君)の日本政治史の侍講を務め、更に昭和13-20年(1938-45年)に渡って東大国史学科にて国体学講座・日本思想史を教授した一代の碩学であり、終戦直後に辞官、その後GHQにより昭和27年(1952年)春まで公職追放され、追放解除後も、左翼マスコミやマルクス主義学者から「平泉史学=狂信的な皇国史観」として異常な誹謗中傷を受けながらも、戦後長くに渡って在野の国史家として保守陣営において重きを為した。この「物語日本史」は、晩年の平泉博士が、日本の未来を担う少年達のために精魂込めて書き記した名著「少年日本史 」の文庫版である。 ※(参考)千早鍛錬会パンフレット ↑「物語日本史」の事前読破を推薦していることに注目。 ■ステップ2■保守思想を貶める捏造・歪曲を一掃する 《1》歴史分野以上に酷い思想分野でのリベラル左翼の歪曲・捏造 ~丸山眞男の絶大な影響、「皇国史観」の歪曲 戦後日本の政治思想は、“戦後民主主義の代表”、“岩波文化人のエース”と称され、「国民主権を貫徹するために天皇制廃棄・共和制樹立を最大の政治目標とした」“日本を代表する政治学者・思想家”、故・丸山眞男 の絶大な影響下にあり、今も丸山を絶賛する政治学者・思想家たちによって、ほぼ占拠されていることを最初に知っておこう。 丸山眞男の政治思想の中核は、明治以降~戦前・戦中の日本を「天皇制ファシズム」と捉え、昭和20年8月15日をもって、日本の国体は「国民主権」の民主主義国家に変更された、とする所謂「八月革命」論にあり、彼及び彼の信奉者は、この架空の「八月革命」を未来において実現すべく(つまり天皇の廃止による日本の共和国化を究極の目標として)戦後長くプロパガンダ活動を続けてきた。 「理論派保守」を目指す者は、この丸山眞男に代表されるリベラル左翼の思想的欺瞞を正しく見抜き、これを論破する理論的根拠を確立しなければいけない。 丸山眞男と平泉澄昭和期日本の政治主義 植村 和秀 (著) 柏書房 (2004/10)単行本この本は、最速!理論派保守☆養成プログラムでも「西洋の保守思想に留まらず、日本の保守思想の扉を開く貴重な一冊」として紹介したが、丸山眞男の政治思想の欺瞞を打ち破る理論武装のツールとしてやはり最重要である。なお著者 植村和秀氏は、「筆者には丸山眞男も平泉澄も、その支持者の多くのように、無条件に支持することはできない。 丸山には心情的には共感できるが、しかし論理的には納得できない。平泉に論理的には共感できるが、しかし心情的には納得できない。 それにもかかわらず、丸山と平泉の思想史的な意義の重さと、人間的な偉大さとは、素直に承認したい。」と総括しており、厳密な実証的研究を通じて丸山・平泉両者に代表される戦前から戦後にかけての日本の思想対立を対比している為に、返って一層本書の価値が高まっていると思われる。また植村氏が「丸山には心情的には共感できる」「平泉に・・・心情的には納得できない 」としていること自体は、その思想的感化を受けた年代を考慮すれば止むを得ないことである。 (参考)歴史問題の基礎知識 ↑「皇国史観」について正しい認識を得る上で重要 ※一部引用 「皇国史観」(赤旗 )という用語は、「早くても昭和17(1942)年6月頃から、大体は昭和18(1943)年頃から文部省周辺の人々によって使われだしたもの」(昆野伸幸『近代日本の国体論』より引用)であり、戦前/戦中の史学者自身が使った用語ではない(戦後にマルクス主義史家が「レッテル」として普及させた用語である)。 そして、その内容としては、 1.国史学者・平泉澄博士に代表される「あくまで歴史の範囲で思考する」流れと、2.アジア主義者/国家改造運動家・大川周明に代表される「日本を盟主とするアジア解放を主張する」流れ(昆野氏論文 ) の2つがあったが、戦後に史学界を占拠したマルクス主義史家は、皇室や日本国を貶めんがために、日本の伝統的な歴史観/国家観に根ざした1.と、大東亜共栄圏を包摂せんとする新しい思想を示した2.をワザと混用して「戦前/戦中の史学=皇国史観=軍国主義、アジア侵略、全体主義」という刷り込みを行った。 これに関して平泉澄博士門下の田中卓博士は、「一概に皇国史観といってもそれは、・・・1.平泉史学による「皇国護持史観」と、2.戦争末期という時代に迎合して浅薄な国体賛美に努めた「皇国美化史観」と呼ばれるべきもの(の2つ)がある と述べ、平泉博士や自らの史観は、日本の伝統を正しく受け継ぐ「正統史観」であると述べている。 なお、ソ連が崩壊した1991年以降は、史学界(主流は、未だ隠れマルクス主義者と思われる)も、従来のように(彼らの言う)「皇国史観」に対して実証研究もせずレッテルだけ貼って一方的に批判することは許されなくなってきており、リンク先にある赤旗や長谷川氏・昆野氏のように戦前/戦中の資料を実際に読んで「実は皇国史観にも多様な内容があった」「実は皇国史観は1940年代に作られた用語だった」などと軌道修正を図っているが、そんな姑息な事をする位ならば、 1 彼らが戦後一貫して貶めようとしてきた1.平泉博士・田中博士らの史観(皇室や日本国を常に善いものと見る正統史観)は実は全体主義とも侵略思想とも無関係だった、 2 国家改造とアジア解放を唱えた2.は実はマルクス主義(具体的にはコミンテルン)の脅威への対抗イデオロギーとして生まれた(実際に、全体主義であり侵略思想であったのはマルクス主義の方だった)、と素直に認めればよいのである。 《2》「天皇制ファシズム論」の嘘を見破る ~明治維新の歪曲、「現人神」「国家神道」という幻想 「皇国史観」(上記)「現人神」「国家神道」といったキーワードで、戦後にマルクス主義歴史家・思想家によって不当に歪曲された諸概念の実際を知り、自虐史観から完全に脱却する。 「現人神」「国家神道」という幻想 新田 均 (著) amazonで一部ページを拝見できます。豊富な実証的研究により、「明治以降の日本は北朝鮮のような異常な絶対主義君主国家だった」という立花隆など左翼の大嘘を完全に打ち破る名著※amazonの内容紹介より一部引用「現人神」「国家神道」??これらの言葉から、現代の日本人はどんなイメージを連想するだろうか。おそらく、狂信的な「天皇崇拝思想」と、それを支えた「国教制度」といったとこだろう。そして、この「日本国民を狂信的な戦争へと導いた思想と制度」は「明治政府が日本の近代化のために考え出した」などとされている。だが著者は、「そのような認識は思い込みに基づく幻想にすぎない」と喝破する。それは最近の実証的歴史研究の成果に照らしても明らかなのだが、これが意外と世間では知られておらず、歴史の専門家でさえ、少し分野が違っただけで知らない者が大多数なのだという。世間で知られていないことがそれほど大きな意味を持たないなら、それでもかまわないのかもしれないが、この「幻想」はわが国の首相の靖国神社参拝問題や政教関係訴訟、さらには教科書問題や外交関係にまで影を落としている。“虚像”が誰によって、いかにして創られたかを検証する。「「現人神」「国家神道」とは、日本国民を狂信的な戦争へと導いた思想と制度である」との嘘八百の言説に異議あり! こういったイメージが幻想に過ぎないことを、実証的歴史研究の成果に照らして明かす。 (参考)右翼・左翼の歴史 ※一部引用 宗教系(仏教系)右翼の登場~右翼思想の過激化 (1) 井上日召(日蓮宗僧侶)と血盟団事件(1932) 群馬県出身の日蓮宗の僧侶。血盟団を組織し、国家革新(昭和維新)実現のため「一人一殺」を合言葉に1932年、井上準之助(前蔵相)・団琢磨(三井財閥重鎮)を暗殺。無期懲役となるが後に特赦を受けた。なお後の日本赤軍のリーダー重信房子の父親は血盟団員であり、井上日召は赤ん坊の重信を膝に抱いたことがあるといわれる。 (2) 田中智学(日蓮宗系新興教団)と「八紘一宇」論 田中は日蓮宗の在家信者組織として国柱会を組織し、日蓮主義と国家主義の統合を目指した。1903年には、日蓮を中心にして「日本國はまさしく宇内を靈的に統一すべき天職を有す」という意味の「八紘一宇」なる新語『日本書紀』巻第三神武天皇の条の「掩八紘而爲宇」の記述から造り、日本は世界を道義的に統一する使命がある、とする思想を唱えた。のちにこの言葉が人口に膾炙して大東亜戦争のスローガンにまでなった。 (3) 加藤玄智(浄土真宗在家信者)と天皇絶対神論・国家的神道論 加藤は新仏教同志会の創立者の一人であり、東京帝国大学で宗教学を教えた浄土真宗の信者であるが、同僚の外国人教授の天皇論に刺激を受けて、1912年に『我が国体思想の本義』を刊行し、古来からある天皇「神裔」論を超えて天皇「現人神」論を提唱して「日本に於いては臣民は天皇に絶対服従する」とする天皇絶対神論を主張した。1925年には更に「国家的神道(State Shinto)」なる新語を造り外国に日本人の信仰の在り方として積極的に紹介したために、欧米諸国に、この天皇絶対神論と国家神道論が日本の宗教の実態だと誤解され、後にGHQによる神道指令と天皇の所謂人間宣言を招き、今に至るまで戦前の宗教的制度についての広範な誤解を招いている。 http //d.hatena.ne.jp/jinkenvip/20070312/1173709974 《3》「保守」と「右翼」を区別し正しい認識を得る ~戦前・戦中(昭和10年代)の「右翼」は実は2種類あることを知る。 「革新右翼(アジア主義を志向し、国家改造を目指した国家社会主義者)」と「観念右翼(アジア問題への介入に慎重または無関心の伝統保守・日本主義者)」を区別する。 日本主義と東京大学―昭和期学生思想運動の系譜 井上 義和 (著) こちらも豊富な資料に基づく実証的研究により、戦後にマルクス主義者やリベラル左翼によって「右翼」と一括して糾弾され貶められてきた保守思想の実際を教えてくれる一冊。※革新右翼と観念右翼の理念型(一部内容を引用)1.革新右翼…国家改造/高度国防国家/解釈改憲/指導者原理/統制経済/親ソ・親独/世界史的な使命/陸軍統制派/革新官僚/無産政党/国家社会主義2.観念右翼…国体明徴/国民精神総動員/護憲(不磨の大典)/臣道実践/資本制擁護/反共・反独裁/日本史的な道統/陸軍皇道派/財界/既成政党(現状維持派)/自由主義者 (参考)日本会議ホームページ ↑「観念右翼(伝統保守)」の代表として上記の本で紹介されている故・小田村寅二郎氏の弟・小田村四郎氏(元拓殖大学学長、日本李登輝友の会会長) が副会長を務めている、日本最大の保守系団体。チャンネル桜と共同で保守活動を行うことも多い。 なお日本会議の前身の一つである「日本を守る会」は、建国記念の日(旧紀元節)実現運動、元号法制化運動、教育正常化運動などに地道に取り組み成果を上げてきた。 このうち建国記念の日を旧紀元節(2月11日)とすることに理論的根拠を与えたのが、平泉澄博士の高弟である田中卓博士である。 ■ステップ3■更に深く知るために 《1》皇室に関する正しい知識を得る 宮中見聞録―昭和天皇にお仕えして 木下 道雄 (著) 皇太子時代から終戦前後、更に戦後にかけて昭和天皇に近侍し、侍従次官を勤めた木下道雄氏による著作。親しみやすく読みやすいだけでなく、皇統無私の伝統の背景や、昭和21年元旦の所謂「人間宣言」の実際の持つ意味まで解説してくれる好著。 《2》日本の保守思想の核心に触れる 先哲を仰ぐ 平泉 澄 (著) 大正15年(1926年)から昭和42年(1967年)までに発表された平泉博士の数多くの著作から15編を抜粋したアンソロジーであり、戦前・戦中・戦後を通じて、平泉博士の思想に全くといっていいほどブレがなく一貫していることに注意したい。昭和7年(1932年)のエドマンド・バーク批評、昭和29年(1954年)に吉田茂(首相)・岸信介(憲法調査会会長)に招聘されて首相官邸で行った「国体と憲法」講義(マッカーサー憲法の廃棄と明治憲法の復活を自由党議員に訴えた内容です)、更に吉田松陰・橋本景岳・真木和泉守・山崎闇斎・山鹿素行など日本史上の重要思想家についての論述を含み、平泉博士の解説を通じて日本の保守思想の最重要部分に触れることができる一冊。※ステップ1の物語日本史の内容を更に詳しく、本格的に説明している。 ■まとめ■日本の保守思想の再評価の動き 以上、日本の保守思想を論じる上は、その本命である平泉澄博士の所謂「皇国史観」(正しくは皇国護持史観)および、その国体論の再評価を避けることは出来ない(ここを避けているような解説は解説の用を成さない)。 マルクス主義者やリベラル左翼が長く主流を占める戦後日本の言論界・教育界においては、一代の碩学である平泉博士の業績は不当に貶められ、また無視されてきたが、ソ連崩壊を経て、西暦2000年代に入って漸く、東大閥の強い関東ではなく、京大閥が主流の関西で主に再評価の動きが顕在化してきた。 またそれと軌を一にして、平泉博士もその一翼を担った戦前・戦中の日本主義者(当時の用語で「観念右翼」と呼ばれた伝統保守)の再評価も始まっている。 上で紹介した植村和秀氏の『丸山眞男と平泉澄』、井上義和氏の『日本主義と東京大学』はその主要な成果である。 しかしながら、こうした再評価に対して、旧来のリベラル左翼やマルクス主義者の側からヒステリックで感情的な反発が噴出しており、日本思想の一般的な解説書は、近刊のものでも相変わらず「皇国史観=軍国主義」という刷り込みに終始しているものが見受けられるので注意したい(例えば日本思想史ハンドブック(苅部直・片岡龍) ・・・苅部氏は丸山眞男の直弟子)。 ※参考:2009年5月に放映されたNHK特集JAPANデビュー第二回「天皇と憲法」 “神風特攻隊や一億玉砕を扇動した極悪非道な人物”として平泉澄博士を糾弾しているNHK※なお動画に大きく出てくる立花 隆(たちばな たかし、本名:橘 隆志 1940年5月28日 - )は、2002年秋に拉致事件が大きく報道されるまでは「戦前の日本は今の北朝鮮のような異常な国家だった」とする持論を盛んに展開していた代表的な左翼言論人であるが、実は戦前に右翼団体愛郷塾を率いて五・一五事件の襲撃犯となった橘孝三郎を父のいとこに持つ人物である。橘孝三郎は、一家一族のほとんどを率いて兄弟村農場を経営し、愛郷塾という集団農業を実践する社会主義的結社を創設、血盟団の井上日召と思想的に共鳴し、更に大川周明の影響を受けた海軍下士官と組んで、5.15事件では塾生7人を率いて東京の変電所を襲撃 した。→つまり今は左翼言論人の代表格の立花隆のルーツは、戦前の右翼過激派であることに注目。 (詳しくはNHKの正体・上級編へ) いずれにせよその抜群の学問的実績、そして戦前~戦後を通じて保守陣営に対して保持した影響力の大きさから考えて平泉博士の保守思想の一層の再評価は不可避であり、今後に注目したい。 ここでの再評価の進展が、日本の保守思想全体の再評価に直結するはずである。 (参考図書) 『昭和の思想』(植村和秀:著) ★評価2010年11月に出版された好著。戦前から戦後及ぶ昭和期日本の思想状況が、要点を絞って明瞭かつ簡潔にまとめられている。非常にお勧め。(以下amazonより引用)・内容説明昭和の思想を総体的に俯瞰する画期的論考。思想弾圧と戦争の暗さ。世界に挑戦する日本という明るさ。奇妙な時代=戦前昭和期を中心に、丸山眞男・平泉澄・西田幾多郎・簑田胸喜の思想から時代の本質を剔る・内容(「BOOK」データベースより)「戦前=戦後」だけでなく、昭和はつねに「二つの貌」を持っていた。皇国史観から安保・学生運動まで、相反する気分が対立しつつ同居する昭和の奇妙な精神風土の本質を、丸山眞男・平泉澄・西田幾多郎・蓑田胸喜らの思想を元に解読する。・目次第1章 日本思想は二つ以上ある第2章 思想史からの靖国神社問題―松平永芳・平泉澄第3章 思想史からの安保闘争・学生反乱―丸山眞男第4章 思想史からの終戦と昭和天皇―阿南惟幾・平泉澄第5章 思想史からの世界新秩序構想―西田幾多郎・京都学派6章 思想史からの言論迫害―蓑田胸喜第7章 二〇世紀思想史としての昭和思想史 【このページの続き】 日本主義とは何か ~ 日本型保守主義とナショナリズムの関係を考える ■左翼や売国奴を論破する!セットで読む政治理論・解説ページ 政治の基礎知識 政治学の概念整理と、政治思想の対立軸 政治思想(用語集) リベラル・デモクラシー、国民主権、法の支配 デモクラシーと衆愚制 ~ 「民主主義」信仰を打ち破る ※別題「デモクラシーの真実」 リベラリズムと自由主義 ~ 自由の理論の二つの異なった系譜 ※別題「リベラリズムの真実」 保守主義とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ ナショナリズムとは何か ケインズvs.ハイエクから考える経済政策 国家解体思想(世界政府・地球市民)の正体 左派・左翼とは何か 右派・右翼とは何か 中間派に何を含めるか 「個人主義」と「集産主義」 ~ ハイエク『隷従への道』読解の手引き 最速!理論派保守☆養成プログラム 「皇国史観」と国体論~日本の保守思想を考える 日本主義とは何か ~ 日本型保守主義とナショナリズムの関係を考える 右翼・左翼の歴史 靖國神社と英霊の御心 マルクス主義と天皇制ファシズム論 丸山眞男「天皇制ファシズム論」、村上重良「国家神道論」の検証 国体とは何か① ~ 『国体の本義』と『臣民の道』(2つの公定「国体」解説書) 国体とは何か② ~ その他の論点 国体法(不文憲法)と憲法典(成文憲法) 歴史問題の基礎知識 戦後レジームの正体 「法の支配(rule of law)」とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ 立憲主義とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ 「正義」とは何か ~ 法価値論まとめ+「法の支配」との関係 正統性とは何か ~ legitimacy ・ orthodoxy の区別と、憲法の正統性問題 自然法と人権思想の関係、国体法との区別 「国民の権利・自由」と「人権」の区別 ~ 人権イデオロギー打破のために 日本国憲法改正問題(上級編) ※別題「憲法問題の基礎知識」 学者別《憲法理論-比較表》 政治的スタンス毎の「国民主権」論比較・評価 よくわかる現代左翼の憲法論Ⅰ(芦部信喜・撃墜編) よくわかる現代左翼の憲法論Ⅱ(長谷部恭男・追討編) ブログランキング応援クリックをお願いいたします(一日一回有効)。 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『【浄瑠璃】未出・迷宮入りCM捜索スレ20【僕の名前】』にて書き込みがあり、捜索依頼が出されたCMの一覧です。 各項目前の数字は初出のレス番号を示しております。カッコ内は年代・地域・出演者等の情報の概要です。 個別ページがあるCMは該当リンクをクリックすると移動できます。 情報をお持ちであれば一番下のコメント欄にお願いします。 詳細は、スレにてご覧ください。 捜索中 21 黄色いi型ロゴ(ヒト・コミュニケーションズ?) 61 着物を着た女の子が鞠をついている?(1990年代?、女の子がだんだん大人になっていく、福岡で目撃) 62 こどもちゃれんじ?(1995頃、子どもがトイレのウォシュレットを覗く) 73 花王ピュオーラ(2007頃、春の小川の替え歌) 88 政府広報(2000頃、九州沖縄サミット、CMソングが安室奈美恵のnever end) ※映像のみ発掘 98 パイロット替芯(2000年代、シャーペンで描いた絵のアニメーション) 122 BGMがこの広い野原いっぱい?(2000年代後半~2010年代前半?) 129 創価学会(2000年代、水のバレリーナ) 141 外国人の若い女性が外国人の若い男性の頬にキスをする?(1970年代後半?) 166 ミドリ安全(2000年代後半、陰毛をバリカンで刈る) 171 ランウェイ上でうさぎやくまの着ぐるみが踊る?(2000年代?) 187 スリムビューティハウス?(1999頃、木の実ナナがフラメンコのような踊り?) 206 お寺の天井に描かれた鳳凰が飛び出す?(2017~18頃) 208 クボタ?(1990、父子Ver) 211 マクドナルド(1992~93頃、フライキッズ達とドナルドと子ども達が追いかけっこ) 226 GMO(2000年代前半、日本語入れてクイッククイック) 263 子ども向けイベント?(1997頃、横向いてる顔の頭が開いてその中から何かが出てくる?、関東ローカル) 274 日本火災(1990年代後半、ピアノを弾こうとした瞬間鍵盤蓋が閉まり指を挟まれる) 276 NTTドコモ(2000年代前半、子どもがこども?と言ってドコモと言い返す) 286 まだまだ食べちゃいや~ん?(1985頃、ちょんまげのお殿様?) 308 テレ朝特番?(2000年代後半、大事なところがマークで隠れる?) 318 F1の音と青い光が画面を横切る?(2005~08頃?) 319 日テレの関連施設?(2005頃、キースヘリングが描きそうな人間がびっしりとうごめく) 319 イエローハット(2002~03頃、黄色いおじさんのキャラクターがスクラッチ) 323 電気事業連合会?(1990年代後半~2000年代前半、地球を冷やす方法を絵に描いた3人の子どもが発表?) 324 インフラ関係?(2010年代後半、なんのCMかわからないから無駄だと苦情、長野で目撃) 343 旭天竜鯉のぼり(1981~83頃) 362 明治ブルガリアヨーグルトケーキ(1990年代後半) ※一度発見されたが削除 365 ズゥーンという不気味な重低音の繰り返し?(2000頃、女性が俯いたり腕が4つになる?) 370 コロナストーブ(1980年代後半~1990年代前半、あいちゃーん、田中邦衛) 391 ネスカフェプレジデント(1999頃、CMソングがちあきなおみの黄昏のビギン) ※一度発見されたが削除 398 ダルマ薬局(1980年代後半、着ぐるみのだるまが歩く音だけ、東北ローカル) 413 ヴィーナスフォート(2000~03、オブジェの静止画を流してるだけ) 426 日本ハムグリーンラベル(草原で男女が踊る) 430 薬物乱用防止?(CMソングがTM NETWORKのMAJOE TURN-ROUND) 445 小学館コロコロコミック(1981、ゲームセンターあらし) 447 カルピス(2010頃、 BGMが子どものコーラス) 450 崎陽軒(2000年代前半、生まれ育った横浜で心をうつした焼売の~) 469 製薬会社?(おじいちゃんが寝てるときに体内時計の乱れのナレーション) 471 温暖化防止?(2004頃、ペンギンが出る?、BSフジのポンキッキで目撃?) 494 岩場で女性が船を漕ぐ?(1990年代後半、CMソングが洋楽?) 498 トヨタスパシオ(1998~99頃、視力検査、爆笑問題がナレーション) 504 さくらスマイル引越しセンター(きっとあなたはいい人ね~、北海道ローカル) 520 玉姫殿マリアージュ(2005頃、外国人女性4人が踊る、関西ローカル) 521 スマホ?(2010年代前半、非常識の文字が夜景をバックに) 533 オルビス(2005頃、女性2人が英語の歌を歌う) 630 ワコールLOVEブラ(2006、塚本高史が女の子の谷間に挟まる) 631 黄金糖(2000年代前半、子どもが遊ぶ、全編モノクロ) 643 緑のモップみたいなキャラが跳ねる?(2000~01頃、北海道で目撃) 661 第一製薬?(これからも感染症と闘っていきます?) 697 小学館プレシャス(2005頃、女性の歩く音をバックに顔がアップに映る) ※一度発見されたが削除 703 ホラー映画?(2011~12頃、赤ちゃんを見つけたら投げてください) 708 学研(1993~94頃、BGMがくるみ割り人形行進曲) 727 ハウスうまかっちゃん(1999頃、なすび) 789 三洋電機(1987頃、空から海を映す?、ロゴ変更直後) ※音声のみ発掘 809 THE ALFEE AUBE 2008?(桜の背景の中で春の嵐を歌う) 817 ジブラルタ生命(2001~02頃、CMソングがひとりじゃないの) 826 外国人男性がノンノンノン?(1990年代後半) 827 東芝カーナビ(1997~98頃、うさぎorひよこのキャラが乗った車が並木道を走る) 858 クボタ(1999頃、ホーミーの独唱) 878 KBCテレビ(2003~06頃、テレビは残さず食べなさい、福岡ローカル) 925 家族が何かを箸でかき混ぜながら話をする?(2014頃) 950 コードギアス反逆のルルーシュ(2007頃、2期告知?) 957 日本生命(1999~2000頃、CMソングが矢野顕子?) 960 後藤散かぜ薬(1990年代前半、CMソングが南こうせつ) 960 いすゞジェミニ(1990年代前半、クーペ登場編30秒版) 963 ミズノ(1990、ルマン24時間レースで8位入賞) 965 ハトのマークの引越センター(2005~06頃、いざ立て戦人よの替え歌の男声コーラス) ※一度発見されたが削除 捜索完了済 22 オフィス24(修正液が顔に噴射) 37 DION by KDDI おまかせADSL(モデム音が流れてスローモーション) 42 東京新聞(コサックダンス、カリンカの替え歌) 43 モバゲー農園ホッコリーナ(耕す種まき水やり収穫) 44 小学館マミイ(おたまじゃくしがかえるを探す、CMソングがクイーン) 45 日立ワードパル(東海道線の駅名を入力) 50 アパマンショップ(狭くて入らねぇだろと親子喧嘩) 51 湖池屋スコーン(社交ダンス) 57 東京新聞(外国人にバスの発音を直される) 67 東芝(21世紀はもっと面白くなる、21世紀へ○○日) 73 ツーカーS(簡単じゃないか、小林桂樹) 74 ナショナル(サウンドロゴが明るいナショナルの一節、浅野ゆう子) 77 ムヒデリケア(どこかお痒いところは?) 82 コカコーラ(Coke is it!、新作CMの予告) 96 ファミリーマートアジアごはん 96 am/pmおこめサンド(お嫁サンバの替え歌) 117 アピタ初売り(BGMがアイーダ) 118 ロート製薬新Vロートプラス&抗菌目薬G(モアイ像が眼帯) 118 アース製薬バポナ(ニュース番組風、志垣太郎) 119 グリコ巻きスフレ(うふふふの替え歌) 136 ピープルWho?ちゃん 160 サンスターVO5ヘアスプレー(紙コップで髪を巻いて1つ取り忘れる) 167 リーバイス501(最後にブブーと効果音) 169 ダイドーブレンドコーヒー(山口智充がバスケや卓球の音真似) 175 永昌源杏露酒サワー(チューをしてー、水沢螢) 184 ネピアティッシュスリム(シルクハットをかぶった手のキャラクター) 196 妙高サンシャインランド(サウンドロゴ付き) 204 山之内製薬ミノン(足を洗ってほしいか、佐藤浩市) 216 龍角散(家と家の間に顔) 230 カルビーピザポテト(ピザポテトの袋が並ぶところに顔) 241 JR東日本踏切事故0運動(人間にはブレーキがある) 261 日清ラ王しょうゆ(将棋編、松岡昌宏) 264 富士火災(CMソングがそれが大事の替え歌) 266 カマヤスーパー25(世のため人のため) 274 日本生命ヤングリーグi ne(むさくるピクニック、中居正広) 275 スーパーもちづき(のぞみカード編と同じCMソングで別の歌詞) 296 石丸電気(日本東京秋葉原) 301 ロッテクーリッシュ(飲んだら雪崩、永井大) 305 ローソンロッピー(6年P組ロッピー先生、カモンカモン注文) 339 明治マクビティ(ビスケット食べながら鼻歌でCMソング) 340 石川島播磨重工(新型IHI新発売) 346 愛知小型エレベーター(じいちゃんばあちゃんら~くらく) 350 日清めん八珍(涙のめん八珍、小松政夫) 352 ヒューマンアカデミー(アットヒューマンドットコム) 361 離れて見て下さい(アニメビデオ) 367 中部電力でんきの科学館(子供が直列と並列で駄々をこねる) 371 楽天KC(大量の赤い球体が降る) 374 トヨタノア(ユニバーサルスタジオジャパン) 380 KDD(奥貫薫が涙、CMソングが中島みゆきのあした) 393 ジョンソンカビキラー(静岡でインタビュー) 393 ジョンソンカビキラー 393 カビキラーカビを防ぐミスト 396 ポンズ基礎化粧品(CMソングがアディエマスのHymn(静寂)) 408 日興コーディアル証券(コーディアルで国債、イチローが書道) 408 日興コーディアル証券(コーディアルで国債、イチローが陶芸) 425 ツムラ(漢方を科学するちから、小谷実可子) 435 文部省(薬物はI say No!、デーモン閣下) 451 リクルートじゃらん(バスタオルをマントのように広げる) 465 ダイドーmiu(プチストレスたまったら、釈由美子&坂田利夫) 472 トヨタアイシス(紙飛行機編、持田香織) 500 DDIポケット0円メール(ただでメールができちゃう) 506 三菱重工ビーバーエアコン(咲けセントポーリア) 549 JAみなべ南高梅(干してしゃぶってどうにでも) 562 読売新聞(教育ルネサンス、あんな漢字こんな感じ) 568 トヨタオーリス(リスが道路を走る) 576 春華堂うなぎパイ(お元気ですか) 580 日東紅茶フレバリーティー(中原淳一のイラスト) 620 Xbox Live(エレベーターで振り向くなよ、浅野忠信) 627 マクセルダイナミック乾電池(デージデジタルタル) 647 富士通ゼネラルノクリア(外国人3人) 664 ナショナルエオリア(全員並とサラダだけ) 666 九州電力レインボーシステム(九州の橋、BGMがモルダウ) 669 ユニマット(女性が足を組み替えながら紙を踏む、CMソングが高橋真梨子) 697 サントリースーパーチューハイ(山も適正価格) 706 キリン日本茶玄米(坂口憲二が男の子と立たされる) 707 サントリーモルツ(缶が川を泳ぐ、BGMが王様のレストランの序曲) 752 横浜元町チャーミングセール(スノードーム) 744 ネピアウエットティッシュ(外国人の女性がオーノー) 753 ソニードデカホーンCD(涅槃仏) 765 エポック社エキサイトボウリング(ボウリングやっほーい) 769 日本通運(新幹線車両の輸送) 770 JA自動車共済(ゲームのキャラクターに怒られる、仲間由紀恵) 773 大蔵省関東財務局(国有宅地の第7回定価売払、空き地とその横の道の朝・昼・夕方の風景を映す) 780 ナイキ(緑色のサッカーボールが破裂) 782 ニキビ治療薬 785 トンキンハウスイースⅢ(実写で中世風の街並み) 786 AC(国境なき医師団) 796 フマキラーサザン(歩道橋で彼氏にすごく臭い、田中美佐子) 803 JTルーツ(コピー機を階段から投げ壊す、ブラッドピット) 807 ジョンソンシャット(臭い匂いは元から絶たなきゃだめ) 812 ロッテコアラのマーチ(動物にインタビュー) 813 バンダイ機動戦士ガンダム 連邦vsジオンDX(ボールを勧められる) 816 大阪ガス(酸性雨啓発) 822 東亜プラン鮫!鮫!鮫!(メガドライブ版) 827 キョーリン製薬(終わりのない道) 845 東京ディズニーランド(幼稚園児の女の子がごきげんよう) 846 アサヒ十六茶(十六茶体操春編、坂下千里子) 848 VanaH(バナの泉、チェジウ) 862 白寿生化学研究所(ヘルストローン) 865 パナソニック3CCD愛情サイズ(思い出のアルバム) 865 旭化成ヘーベルハウス(緑のそよ風) 866 AGCヌレナール(赤ちゃんがごめんなさい) 871 JT(日本のひととき銭湯編) 873 ダイドーデミタスコーヒー(黒木瞳&オダギリジョー) 892 森永チョコボール(キョロちゃん語講座クォッ編、リサステッグマイヤー) 893 マクドナルドてりやきマックバーガー(ピットイン中にドライバーが食べる) 905 ディスコナイツ(モヤイ像が口パク) 910 セキスイツーユーホームNewA-Ⅱ(若い頃の浅丘ルリ子の白黒映像) 911 フジッコおかず畑(故郷の空の替え歌) 917 富士急ハイランドドドンパ(2体のロボット) 930 大正海上(最初に傘をさした男) 931 マスターカード(ちょっと進んだ生活、片桐仁) 934 日清フーズママー和風パスタソース(CMソングがTARAKO) 937 幸福実現党(世直し政党) 941 ナショナル(花咲けるあかりたち) 954 NIKKOスーパーマリオカート(ピーチ姫もよろしく) 957 大塚製薬ポカリスエット(砂漠の虫とサボテン、一色紗英) 964 花王キッチン泡ハイター(バイキンだらけのまな板) 978 スバルエクシーガ(蹴ったボールが車になる、中村俊輔) 979 コナミ実況パワフルプロ野球98開幕版(ピッチャーがブラウン管のテレビを投げる) コメント 57 東京新聞 https //youtu.be/QdxawzwGmb8 -- 名無しさん (2018-10-16 13 55 28) かいとりくんの着ぐるみが大量に飛んでいて女性が歌っているcm「いつでもどこでも(なんとか)の買い取り♪買い取り♪買い取り♪高山の買い取り♪」うろ覚えです。 -- 高山質店 (2018-10-27 00 36 29) 301 うpろだにUPしました。http //u11.getuploader.com/nekoroku/download/129 -- 名無しさん (2019-02-03 14 48 10) 50 アパマンショップのCM、http //www.youtube.com/watch?v=DTdN4EQoslQの22 10から。その次のCMは同じ太った親子が出ていますが、息子の言葉に対して笑い飛ばしていました。 -- 名無しさん (2019-02-05 13 37 21) 408 うpろだにUPしました。 408 書道編うpろだにアップしました。 http //u11.getuploader.com/nekoroku/download/130 -- 名無しさん (2019-02-11 22 22 41) 580 うpろだにアップしました。http //u11.getuploader.com/nekoroku/download/132 -- 名無しさん (2019-02-15 00 17 26) 22 うpろだにアップしました。 https //u11.getuploader.com/nekoroku/download/144 -- 名無しさん (2019-02-21 22 32 46) 391 うpろだにアップしました。 https //u11.getuploader.com/nekoroku/download/147 -- 名無しさん (2019-03-23 13 35 47) 216 うpろだにアップしました。 https //u11.getuploader.com/nekoroku/download/148 -- 名無しさん (2019-03-24 16 40 18) 204 うpろだにアップしました。 https //u11.getuploader.com/nekoroku/download/149 -- 名無しさん (2019-04-01 16 24 52) 創価の水のバレリーナのCMはTVKの天気予報でよく見たな -- 名無しさん (2019-05-30 10 42 31) 396 https //m.youtube.com/watch?v=U1CpyrcZ2w0 -- 名無しさん (2019-06-22 10 46 44) 979 https //www.youtube.com/watch?v=wYhkO9YYDzQ 3 14〜 -- 名無しさん (2019-07-23 07 34 01) 206のCMってこんな感じですか? -- 名無しさん (2019-09-18 10 10 00) ↑の名無しです。 https //www.youtube.com/watch?v=hynM3Gf8b24 -- 名無しさん (2019-09-18 10 10 28) 978、2010年ごろじゃないし車体色赤だけどサッカーボールが車になるって2代目のスイフト...? -- 名無しさん (2019-12-03 15 46 20) https //m.youtube.com/watch?v=CwCHkna5sZ8 498はこれかな。 -- 名無しさん (2019-12-06 23 27 13) 119 https //youtu.be/w4n5-a-q7d4(7 11~) -- 名無しさん (2020-01-06 11 50 07) 318 自分が昔から気になったのと似てる。もし同じならNTTコミュニケーションズのcmだと思う(最後にサウンドロゴ入ってた)青い光の中でスイッチいくつか操作する場面があった。ワールドビジネスサテライトのcm中で見て時期は2000年代前半と記憶してます。別物なら申し訳ないです。 -- 名無しさん (2020-02-17 17 50 28) 892 https //youtu.be/H97T198tfGw -- 名無しさん (2020-05-21 17 31 08) 50 アパマンショップ(再) 21 25~ https //www.youtube.com/watch?v=ROpt05jnF54 -- 名無しさん (2020-07-21 18 34 25) 500、697、965の動画削除を確認しました -- 名無しさん (2020-07-22 02 51 22) 866 あぷろだにUPしました http //u11.getuploader.com/nekoroku/download/210 -- 名無しさん (2020-07-22 20 10 12) (20-669 ユニマット、11 55~)https //www.youtube.com/watch?v=1c3CrGRD-n8 -- 名無しさん (2020-08-08 00 38 39) 816 うpろだにアップ https //u11.getuploader.com/nekoroku/download/220 -- 名無しさん (2020-08-19 21 31 45) 822 -- 名無しさん (2020-09-10 09 47 44) ミス 822 https //youtu.be/7woKf_Zoac0 -- 名無しさん (2020-09-10 09 48 36) 978の片方削除されました -- 名無しさん (2020-09-29 00 26 10) 片方ってその依頼1つだけだが -- 名無しさん (2020-09-29 02 14 37) 978はこれかな https //youtu.be/PO6PWz5O7dY -- 名無しさん (2020-09-29 02 21 10) 362はコレ? https //m.youtube.com/watch?v=M9aszQ8TK_k -- 名無しさん (2020-10-28 02 07 40) 845(東京ディズニーランド)はこれの6 15からでしょうか?https //www.youtube.com/watch?v=lIeFQx7Fa70 -- 名無しさん (2020-11-03 07 47 47) 812 https //youtu.be/VjpptuHWan4?t=2767 -- 名無しさん (2020-12-06 00 35 19) 67 https //youtu.be/IpQHAS0eqZ0?t=559 (9 19~) -- 名無しさん (2020-12-18 22 20 30) 871「JT日本のひととき・銭湯編」と思われるものを発見しました。https //youtu.be/Bmb3hgVeUVk -- 名無しさん (2021-01-07 16 26 05) 118(ピタクール) https //youtu.be/mkpCw_lk1FQ?t=495 -- 名無しさん (2021-02-06 23 22 14) 275(もちづき) 他にもあるかもしれませんが。 https //youtu.be/iESnXajiaWw?t=65 -- 名無しさん (2021-02-06 23 22 36) 425(ツムラ) https //youtu.be/m1WEvV7ANhE?t=239 -- 名無しさん (2021-02-06 23 39 37) 118はこれではないような -- 名無しさん (2021-02-07 00 29 28) 930(大正海上) https //youtu.be/YMLDmfdeWAM?t=90 -- 名無しさん (2021-02-14 16 51 37) 380 https //youtu.be/nY20WAQi2L4 -- 名無しさん (2021-02-15 09 42 14) 20-393(カビを防ぐミスト) https //nico.ms/sm37058712 -- 名無しさん (2021-02-19 10 12 32) 917 https //youtu.be/3FH-CwG2a9U -- 名無しさん (2021-04-24 15 36 05) 941 https //youtu.be/Yfg-IR4TYH8 -- 名無しさん (2021-04-26 11 09 47) 911 これですね。 (12 09~12 24) https //www.youtube.com/watch?v=DRzcFwNHB4w -- 名無しさん (2021-05-15 23 03 03) 500 https //youtu.be/3D086180uHk -- 名無しさん (2021-06-10 01 24 09) 374 https //ux.getuploader.com/newcm/download/21 -- 名無しさん (2021-06-20 21 30 24) 43 https //youtu.be/H052efnREqc -- 名無しさん (2021-06-21 07 52 43) 96(アジアごはん) https //youtu.be/DsxWXwbb29k -- 名無しさん (2021-09-15 19 25 28) 773 https //www.youtube.com/watch?v=VEePmUi91Q8?t=705 依頼内容にかなり記憶違いはあるけどこれで間違いありません -- 名無しさん (2022-01-29 23 17 21) 789(三洋電機)の音声は出てきた、この曲だね https //youtu.be/pk0d6KqxbnM -- 名無しさん (2022-01-30 10 30 17) 451(じゃらん)は中国四国九州ローカル?岡山で見たけど関西では見ないってブログがあった、私は宮崎で見た -- 名無しさん (2022-02-23 11 55 58) 169 https //www.youtube.com/watch?v=bQjNspYo7bI 0 15~ -- 名無しさん (2022-03-13 22 48 10) 451 https //youtu.be/V1yEk1WPdys?t=344 -- 名無しさん (2022-03-13 22 49 10) 533 https //www.youtube.com/watch?v=s4ijL_B6ICI 7 14~ -- 名無しさん (2022-03-26 21 25 53) これ違くない? -- 名無しさん (2022-03-27 11 23 04) オルビスは別のバージョンですね -- 名無しさん (2022-03-27 11 32 39) 393 https //www.nicovideo.jp/watch/sm40276050 43 47 -- 名無しさん (2022-04-06 23 36 00) 129の創価学会のCMは2005年頃までフォーカス徳島(徳島の日テレ系列のニュース番組)流れてた。つべに上がってた2001年のフォーカス徳島の動画にそのCMが入ってたけど1年前ぐらいに消されてた -- 名無しさん (2022-04-07 16 05 38) 744 https //www.youtube.com/watch?v=ra3tcQ8Ptb0 5 02~ -- 名無しさん (2022-04-25 22 23 07) 119 https //www.youtube.com/watch?v=nCCebaetl08 -- 名無しさん (2022-04-30 00 20 41) 118(モアイ像が眼帯、30秒CMのラストの部分がこれ) https //youtu.be/RurzJb5Tuh0?t=720 -- 名無しさん (2022-06-05 19 32 01) 934(ママーパスタソース)はこれ? 9 00~ https //youtu.be/sCmhtbL_Vms?t=540 -- 名無しさん (2022-07-20 17 59 33) 196(妙高サンシャインランド) 昔のロゴは→https //www.youtube.com/watch?v=3MCOZksAnK0 現在のロゴは→https //www.youtube.com/watch?v=OMywFTAmfVo -- 名無しさん (2022-07-23 01 35 20) 352 http //youtu.be/qYb9a-rrW44?t=838 -- 名無しさん (2022-07-25 14 24 51) 770 https //youtu.be/ZY3KOAaw4cg?t=414 -- 名無しさん (2022-08-12 23 55 41) 865 http //ia601006.us.archive.org/26/items/youtube_UCq6P_nkcX9459JozZeWGkWg_part_0017/%E3%80%90CM%E3%80%91%E3%83%98%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%8F%E3%82%A6%E3%82%B9%EF%BC%882006%E5%B9%B4%EF%BC%89-DE3W_jJSs_Q.webm -- 名無しさん (2022-09-27 02 18 28) 88 https //youtu.be/nLfVEbPpz-4?t=3音なし音なし -- 名無しさん (2022-11-26 00 43 18) 88 http //youtu.be/nLfVEbPpz-4?t=344 音なし -- 名無しさん (2022-11-26 00 44 22) 827は記憶違いもあるが多分これ(最初のCM) http //www.youtube.com/watch?v=3Qp0ockUHio -- 名無しさん (2023-01-09 22 57 12) 274(日本生命) https //youtu.be/ojTsZcRDbZ8?t=118 -- 名無しさん (2023-05-07 23 59 08) 727(うまかっちゃん) https //youtu.be/RyJLIK4JYw0?t=4462 -- 名無しさん (2023-05-18 00 44 47) ↑727URL間違えた https //youtu.be/RyJLIK4JYw0?t=4702 -- 名無しさん (2023-05-18 00 47 47) ↑番組内で紹介されてた映像なので発掘とは少し違うかと思われます -- 名無しさん (2023-05-18 02 08 43) 20-367(でんきの科学館) https //youtu.be/6W6Wh86bEhk?si=-VzrqINpjbxzLlZA -- 名無しさん (2023-08-29 18 59 37) 350 https //youtu.be/DBjmRsIuhKk?si=RzcIquF4V1Vou_k_ amp;t=77 (1 17~) -- 名無しさん (2023-11-05 21 13 54) 305 https //youtu.be/c0PY7eVE5fM?feature=shared -- 名無しさん (2024-03-13 23 48 46) 名前 コメント ←捜索CM一覧(19スレ目) 捜索CM一覧(スレッド別) 捜索CM一覧(21スレ目)→
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改行ズレ/画像ヌケ等で読み辛い場合は、ミラーWIKI または図解WIKI をご利用ください 更に思ふ。我等は紛れもなき日本人として、桜咲く日本の国土の上に、幾千年の歴史の中より、生まれ出で、生ひ立ち来った。我等のあるは、日本あるによる。日本の歴史は、その幾千年養ひ来った力を以て今や我等を打出した。我等の人格は、日本の歴史の中に初めて可能である。同時に、日本の歴史は、我等日本の歴史より生れ出て、日本の歴史を相嗣せる日本人によって初めて成立する。・・・求むれば即ち之を得、捨つれば即ち之を失ふ。信ずれば影向し、疑へば消散する。日本の歴史を求め、信じ、復活せしむるものは即ち我等日本人でなければならない。 平泉澄(文学博士)『國史学の骨髄』(1927年(昭和2年)8月) 戦前の我が国で、マルクス主義の思想侵略の脅威への対抗思想の役割を担った「日本主義」解説ページ <目次> ■1.初めに ■2.日本主義とは何か◆1.辞書による説明1:「日本主義」 ◆2.辞書による説明2:「明治期の日本主義」 ◆3.辞書による説明3:「昭和期の日本主義」 ◆4.「昭和期の日本主義」参考図書 ◆5.革新右翼(国家社会主義者)と観念右翼(伝統保守) ◆6.辞書による説明4:「超国家主義」 ◆7.辞書による説明5:「アジア主義」 ◆8.まとめ ◆9.辞書による説明6:「京都学派」と「近代の超克」 ■3.近代日本の思想状況◆1.右翼・左翼学生運動関連年表(日本主義と東京大学―昭和期学生思想運動の系譜より引用) ◆2.近代日本の思想状況(まとめ) ■4.戦前日本の思想を考える様々な参考図書 ■5.ご意見、情報提供 ■1.初めに 明治以降~戦前の日本は「天皇制ファシズム」と呼ばれる異常な専制国家であり、特に戦前は暗黒の軍部独裁国家だったとする自虐史観は、GHQの占領期に実施されたW.G.I.P.(War Guilt Information Program,戦争贖罪洗脳計画)によって日本人に刷り込まれたものであると多くのサイトが指摘しています。 実際にW.G.I.P.という名称のプログラムが存在したか否かは別として、公職追放やGHQ焚書を通して米国の都合による一方的な情報工作が行われたことは事実でしょう。 しかし、GHQの占領期間終了から現在に至るまで、ジャーナリズム・思想・史学・法学を初めとする各分野でかくも強く自虐的論説が大勢を占め続けているという状況から、 ① 自虐的論説が蔓延している原因を、単にGHQの占領政策にだけ求めるのではなく、 ② 戦前期日本の思想状況の中にそれを受け入れる要因が内在していたのではないか、 と一度考えてみる必要があります。 このページでは「日本主義」という隠蔽されてきたキーワードを中心に戦前期日本の思想状況を概括し、 (1) GHQの占領政策・洗脳工作に呼応して戦後長く日本の言論界・思想界を汚染し続けているものの正体へと更に一歩深く迫ると共に (2) 日本型保守主義とナショナリズムの関係について考察します。 ■2.日本主義とは何か ◆1.辞書による説明1:「日本主義」 現時点で、wikipedia・広辞苑・デジタル大辞泉では「日本主義」の定義は以下の通り。 wikipedia 日本主義(にほんしゅぎ) 1.日本独自の伝統、文化、精神を基礎として国家の繁栄を目指すという主義。明治時代以降に急激に押し寄せてきた西洋化に対抗する事を目的として高山樗牛や井上哲次郎らによって主張された。2.白陽社から出版されている雑誌。 広辞苑(岩波書店) にほんしゅぎ【日本主義】 国粋主義思想の流れの一。日清戦争後、高山樗牛や井上哲次郎らが提唱。高山が個人主義に転じて以降、衰退。 デジタル大辞泉(小学館) 日本主義【ニホンシュギ】 明治中期、政府の欧化政策に対する反動として起こった国家主義思想。高山樗牛(たかやまちょぎゅう)・井上哲次郎らが雑誌「日本主義」を刊行、日本古来の伝統的精神を重視しようとしたもの。 ブリタニカ国際百科事典(ブリタニカ・ジャパン社)には、もう少しまともな説明があります。 ブリタニカ国際百科事典 にほんしゅぎ【日本主義】 明治から第二次世界大戦敗戦までにおける欧化主義・民主主義・社会主義などに反対し、日本古来の伝統や国粋を擁護しようとした思想や運動をいう。一定の思想体系をなしていたとはいえず、論者により内容が相違する。明治の支配層が推し進めた欧化主義への反発として三宅雪嶺や高山樗牛らによって唱えられ、政治的には欧米協調主義への反対、国権や対外的強硬策の強調となって現れた。大正や昭和になって日本の資本主義の高度化が階級対立を激化させ、社会主義やマルクス主義が流入すると、これら諸思想の対抗イデオロギーとして機能し、天皇を中心とする皇道や国体思想を強調した。(cf.神国思想) つまり日本主義には歴史的に見て以下の二段階があるが、広辞苑などメジャーな辞書は①だけを記述している(意図的に②を隠蔽している)。 ① 明治期の日本主義 政府の欧化主義に反発し、国粋主義/国権主義(特に政府の欧米協調路線に反対する攘夷主義)を主張した言論活動(政論的ジャーナリズム) 他国の侵略から自国・自民族を守る(解放的ナショナリズム)⇒即ち「右翼」思想 ② 昭和期の日本主義 皇道・国体思想を強調して、社会主義やマルクス主義の思想侵略の脅威への対抗イデオロギーとして機能した思想活動 全体主義の脅威から自国の歴史・伝統に根差した自由を守る(日本型保守主義)⇒即ち「保守」思想 ※「保守」と「右翼」の違いは ナショナリズムとは何か 参照 ◆2.辞書による説明2:「明治期の日本主義」 以下ブリタニカ国際百科事典より「明治期の日本主義」に関連する人名等の説明を引用します。 【高山樗牛】 たかやま・ちょぎゅう(1871-1902) 明治の評論家,思想家。本名は林次郎…(中略)…日清戦争後、井上哲次郎らとともに日本主義を唱え『日本主義』を『太陽』に掲載。ニーチェの死に際し大いに感化を受けニーチェ主義を主張した。1902年文学博士となり晩年は日蓮に傾倒。…(以下省略) 【井上哲次郎】 いのうえ・てつじろう(1855-1944) 哲学者。号は巽軒(そんけん)。東京大学教授。ドイツ観念論の移入に努めるとともに現象即実在論を説き、東西思想を包括する体系の樹立に努力。『勅語衍義』『教育と宗教の衝突』を発表。国民道徳を唱導しキリスト教を国体に反するものとして攻撃するなど国家主義を鼓吹した。多年、哲学界の大御所として君臨した。…(以下省略) 【三宅雪嶺】 みやけ・せつれい(1860-1945) ジャーナリスト。哲学者。本名雄二郎。1883年東京大学哲学科卒業。1888年井上円了・杉浦重剛・志賀重昂らの支持を得て政教社を組織し、雑誌『日本人』を発行。徳富蘇峰らの欧化主義に反対して日本主義を提唱した。1889年陸羯南が創刊した新聞『日本』にも主筆格で参加して国粋主義の立場から反政府的な評論活動を展開。1906年『日本』を退社し『日本人』を『日本及日本人』に改題。1923年その他の編集者と対立して同誌を去り、個人雑誌『我観』を創刊。1943年文化勲章受章。…(以下省略) 【陸羯南】 くが・かつなん(1857-1907) ジャーナリスト。本名は実。東奥義塾、司法省法学校を経て太政官の官吏となったが、伊藤博文らの皮相的な欧化主義に反対して辞任。1888年から『東京電報』(それまでの『東京商業電報』を改題した新聞)を主宰した。翌1889年2月11日帝国憲法発布の日に政論新聞『日本』を創刊。激しい弾圧を受けながらも日本主義と称した近代的ナショナリズムを勇敢に主張し続けた。★注釈:後述のように陸羯南は丸山眞男が自己の思想的源流の一人として高評価した人物のため、ブリタニカ百科事典でも異例に好意的な説明になっていると思われる。 【日本】にっぽん(1889創刊-1914廃刊) 陸羯南が1889年2月11日の帝国憲法発布の日に東京で創刊した政論新聞。『日本新聞』ともいう。国家主義的な中立系といわれた。谷干城・三浦悟桜らが資金的に援助し、記者には福本日南・三宅雪嶺・古島一雄・池辺三山・長谷川如是閑・丸山幹治 ・正岡子規らを集め、近代的ナショナリズムの立場から政府の欧化政策を厳しく批判。創刊後の8年間に30回も発行停止処分を受けた。日清戦争後は次第に経営困難となり、羯南も病に倒れ、1906年6月伊藤欽亮に譲渡された。やがて如是閑らの有力記者もこぞって退社し、政友会系の平凡な新聞に転落。14年末社屋の火災もあって廃刊。 【日本及日本人】にっぽんおよびにほんじん(1907改題-1923休刊) 1907年1月『日本人』を改題して発行された政教社の総合雑誌。陸羯南時代の『日本』新聞で活躍していた三宅雪嶺ら政教社の有力メンバーは伊藤欽亮に譲渡されたあとの『日本』の編集方針に不満で、こぞって退社し、1888年の創刊以来、機関誌的役割を持っていた『日本人』に『日本』の伝統を担わせるという意味で『日本及日本人』と改題した。1923年の関東大震災で政教社が焼失したことなどから休刊。 【池辺三山】 いけべ・さんざん(1864-1912) ジャーナリスト。本名吉太郎。陸羯南の『日本』を経て、1896年『大阪朝日新聞』に入社。主筆となり、すぐ転じて『東京朝日新聞』の主筆。彼に私淑していた鳥居素川が『大阪朝日新聞』の主筆を務めており、相呼応して『朝日新聞』の声価を高めた。 【長谷川如是閑】 はせがわ・にょぜかん(1875-1969) ジャーナリスト。文学者。思想家。幼名は万次郎。1898年東京法学院(中央大学の前身)を卒業し、1902年日本新聞社に入社。06年社長の陸羯南が隠退し、新社長が三宅雪嶺と古島一雄の退社を命じたので、如是閑ら十数人も抗議して退社。07年雪嶺のもとで『日本及日本人』の創刊に参加。08年鳥居素川のすすめで大阪朝日新聞社に入社。やがて小説や紀行文も発表しはじめた。14年社会部長になったが、18年の白虹事件で鳥居ら盟友とともに退社。19年大山郁夫らと雑誌『我等』を創刊した(軍国主義の波が強まった1930年に『批判』と改題し、34年廃刊)。第二次世界大戦中は沈黙がちであったが、戦後の46年貴族院議員、47年日本芸術院会員となり、48年文化勲章を受けた。『長谷川如是閑選集』(全7巻,69-70)に代表著作が収められている。 【大山郁夫】 おおやま・いくお(1880-1955) 社会運動家。早稲田大学卒業後、シカゴ大学に留学。早大教授。『朝日新聞』論説委員、労働農民党および労農党委員長を歴任。1932年より47年までアメリカに政治亡命。47年凱旋将軍のような歓迎を受けて帰国。50年参議院議員に当選。51年スターリン平和賞を受けた。主著『政治の社会的基礎』『現代日本の政治過程』。 【白虹事件】 はっこうじけん(1918年) 1918年『大阪朝日新聞』が政府権力と対立して存亡の危機に追い込まれた日本の新聞史上最大の筆禍事件。当時『大阪朝日』はシベリア出兵、米騒動などに関連して寺内内閣を弾劾する言論の一大拠点であった。8月26日付け夕刊の記事に兵乱の前兆をいう「白虹日を貫けり」の一句があったことが、新聞紙法第41条(安寧秩序紊乱)に違反するとして『大阪朝日』は告訴され、村山竜平社長は退陣、次いで鳥居素川、長谷川如是閑をはじめ大山郁夫、丸山幹治 、花田大五郎らも社を去った。同紙がこの事件で「不偏不党公平穏健」に反する傾向があったと自己批判したことは、その後の日本の新聞のあり方に象徴的な影を落としている。 【丸山眞男】 まるやま・まさお(1914-1996) 政治学者。日本思想史家。東京大学法学部卒業後、同大助教授を経て1950年教授に就任し、71年退官。46年発表の「超国家主義の論理と心理」で、軍国主義日本の指導者の没主体性を鋭く指摘し、天皇制国家の無責任構造を批判する新視点を提起して論壇に一大衝撃を与えた。『日本政治思想史研究』(52)では、江戸期にさかのぼって日本の政治思想を検証し、政治思想史研究の方法論を確立した。第二次世界大戦直後の代表的論文をまとめた『増補版・現代政治の思想と行動』(64)は、「丸山政治学」のバイブルと呼ばれ、英訳されて海外でも評価を得ている。また、60年安保闘争(cf.安保改定問題)などを通じ、戦後民主主義運動の精神的支柱となったが、後年は日本思想の研究に専念した。日本思想の根本的な構造を明らかにした『日本の思想』(57)は思想界に大きな影響を与えた。そのほか『丸山眞男座談』9巻(96)がある。 ※要約すると「明治期の日本主義」には更に次の二系列があり、両者は余り関係がないと思われる。 (1) 高山樗牛・井上哲次郎らの刊行した文芸雑誌『日本主義』(1897年創刊) 広辞苑・大辞泉・wikipediaは、こちらの「日本主義」のみ記載している。 (2) 陸羯南が創刊し、三宅雪嶺・池辺三山・長谷川如是閑・丸山幹治らが執筆した政論新聞『日本』(1889-1906)→三宅が創刊した『日本人』を改題し、池辺・長谷川・丸山などが執筆した総合雑誌『日本及日本人』(1907-23)→更に、池辺・長谷川・丸山は白虹事件で退社するまで『大阪朝日新聞』に政論を執筆(1908-18) 近代的ナショナリズムの立場から政府の欧化政策を厳しく批判 ※戦後民主主義の代表的論者・丸山眞男は丸山幹治の二男であり、長谷川如是閑を叔父同様に慕い、また戦後に陸羯南について次のような評価を書いていることに注目。 羯南の日本主義は上述のように、ナショナリズムとデモクラシーの総合を意図した。それがいかに不徹底なものであったとはいえ、これは日本の近代化の方向に対する本質的に正しい見通しである。国際的な立遅れのために植民地ないし半植民地化の危機に曝されている民族の活路はいつもこの方向以外にない。不幸にして日本は過去においてその総合に失敗した。福沢諭吉から陸羯南へと連なる国民主義の最初からにひ弱い動向は、やがて国家主義の強力な支配の裡に吸いこまれていった。そのために下からの運動はむしろ国際主義いな世界市民的色彩をすら帯びざるをえなかった。長きにわたるウルトラ・ナショナリズムの支配を脱した現在こそ、正しい意味でのナショナリズム、正しい国民主義運動が民主主義革命と結合しなければならない。それは羯南の課題を継承しつつ、その中道にして止まった不徹底を排除することにほかならぬ。新聞『日本』は明治憲法発布の日に誕生した。…日本国民は羯南の警告にもかかわらず明治憲法に与えられた程度の貧弱な自由すら現実にまもり抜くことができなかった。改正憲法の公布にあたり、われわれは、国民に与えられた諸権利を現実に働くものたらしめ、進んでヨリ高度の自由を獲得するために、よほどの覚悟をもって、これまでに数倍する険峻をのりこえて進まなければならぬであろう。まさしく憲法祭に酔っているときではないのである。 丸山眞男「陸羯南-人と思想」(1947年) ⇒つまり戦後左翼の代表的思想家丸山眞男は、実は政府の欧化主義に抗して近代ナショナリズムを唱えた「明治期の日本主義」の直系の継承者である。 その丸山が、戦後に「ウルトラ・ナショナリズム(超国家主義…後述の「革新右翼」)」と勝手に同一視して糾弾したのが下記の「昭和の日本主義」であり、そのために広辞苑・大辞泉・wikipediaなどでは無視されたままになっていると考えられる。 ◆3.辞書による説明3:「昭和期の日本主義」 ブリタニカ国際百科事典より関連する項目の説明を引用します。 【安岡正篤】 やすおか・まさひろ(1898-1983) 陽明学者。思想家。幼少から漢籍に親しむ。東京大学法学部在学中に大正デモクラシーに抗して日本主義を唱え、早くから政・官・軍関係者にその名を知られる。1927年私塾・金鶏学院を設立して東洋思想の普及に努め、31年財界首脳をスポンサーに日本農士学校を設立する。第二次世界大戦中は小磯内閣の大東亜省顧問を務めたが終戦の詔勅の起草者の一人でもあった。49年全国師友協会を設立。指導者の教化に力を注ぐ。多くの政・財界人、文化人が師と仰ぎ、安岡の訓話を受けることが指導者の条件とまでいわれた。吉田茂・佐藤栄作・池田隼人ら官僚出身の歴代首相の求めに応じて指南役として助言したが、自らは生涯政治の表舞台に立つことはなかった。陽明学、東洋思想、人生論に関する多数の著書がある。 【紀平正美】 きひら・ただよし(1874-1947) 哲学者。帝国大学文化大学卒業。国学院大学・東洋大学講師を経て、1919年学習院大学教授。37年精神文化研究所の設立とともに所員となったが、研究所が43年教学錬成所に併合されたのちまもなく退職した。哲学思想としては、初めドイツ観念論を中心とした西欧哲学、特にヘーゲルの影響が強かったが、のち仏教思想を入れ、国民精神文化研究所時代は国家主義思想に傾斜していった。主著『行の哲学』(1931)、『知と行』(38)、『なるほどの哲学』(41)、『なるほどの論理学』(42)。 【国民精神文化研究所】 こくみんせいしんぶんか・けんきゅうじょ(1932年設置-1943年改組) 1932年「国民精神文化ニ関スル研究、指導及普及ヲ掌ル」(同官制1条)目的のもとに設置された文部大臣の直轄機関。前年に設けられた学生思想問題調査会の「我が国体、国民精神の原理を闡明し、国民文化を発揚し、外来思想を批判し、マルキシズムに対抗するに足る理論体系の建設を目的とする有力な研究機関」設置を求める答申を受けて設けられた。研究部、事業部、編集部、調査部、庶務部から成り、33年品川区上大崎に庁舎を新築した。『国民精神文化』(隔月刊)『国民精神文化研究』(半年刊)『国民精神文化月報』などの刊行、各種講習会・講演会などの開催を通じて国民思想政策の推進に寄与した。43年国民錬成所(1942設置)と統合して教学錬成所に改組された。 【国体の本義】 こくたいのほんぎ(1937年刊) 文部省編。1937年5月刊行。35年頃から高まった「国体明徴」「教学刷新」の意義を明らかにし、その精神を国民に徹底させることを企図した。神話と古典に依拠して、国史の諸過程を「肇国の精神の顕現」としてとらえるとともに、西洋近代思想を激しく排撃している。45年占領軍により『臣民の道』とともに発売禁止となったが、49年にはアメリカでJ.ガントレットの英訳が刊行され、今日にいたるまで研究材料とされている。 ※広辞苑・大辞泉などよりマシとはいえ、ブリタニカ百科事典でも「昭和期の日本主義」に関しては未だに肝心なこと(例として原理日本社 、蓑田胸喜 、平泉澄 など)が記載されていません。 ※なお東欧民主化・ソ連邦解体(冷戦終結)後、既に20年が経過した現在では、戦後に左翼言論人によって激しく糾弾され、もしくは無視された蓑田胸喜など原理日本社同人や平泉澄など「昭和期の日本主義者」のマルクス主義批判・左翼容共思想批判は、論理的には、実に的を射た批判であったことが判明しています。 ◆4.「昭和期の日本主義」参考図書 ※西暦2000年代に入って漸く、戦後長く無視されてきた「昭和期の日本主義」に関する実証的な研究が本格化しました。 日本主義的教養の時代―大学批判の古層 竹内 洋 (編集), 佐藤 卓己 (編集) 2006.2刊内容(「BOOK」データベースより)戦前「護憲」の降魔剣“日本主義”を解明。「右翼」「反動」のレッテル貼りで忌避されてきた一九三〇年代“日本主義”の大学批判。マルクス主義的教養の機能的代替となった日本主義的教養の担い手たち。来るべき時代を読み解く画期的論集。目次第1章 帝大粛正運動の誕生・猛攻・蹉跌第2章 天皇機関説批判の「論理」―「官僚」批判者蓑田胸喜第3章 写生・随順・拝誦―三井甲之の思想圏第4章 英語学の日本主義―松田福松の戦前と戦後第5章 戦時期の右翼学生運動―東大小田村事件と日本学生協会第6章 日本主義的社会学の提唱―赤神良譲の学術論第7章 日本主義ジャーナリズムの曳光弾―『新聞と社会』の軌跡★未だに自虐史観どっぷりの東大・岩波系とは距離を置く京大系の学者達による昭和10年代日本の思想状況の共同研究プロジェクト全体のガイドライン的な位置づけの本。 日本主義と東京大学―昭和期学生思想運動の系譜 井上 義和 (著) 2008.6刊内容(「BOOK」データベースより)国家的危機の時代における大学の使命とは何か。欧化一辺倒の東京帝国大学に学風改革を迫り、高度国防国家を標傍する政府とも命がけの思想戦を繰り広げた東大生たち。戦時体制下で宿命的に挫折した“日本主義的教養”の逆説を読み解き、日本型保守主義の可能性を探る。目次第1章 「右翼」は頭が悪かったのか―文部省データの統計的分析第2章 政治学講義と国体論の出会い―『矢部貞治日記』を中心に第3章 学風改革か自治破壊か―東大小田村事件の衝撃第4章 若き日本主義者たちの登場―一高昭信会の系譜第5章 学生思想運動の全国展開―日本学生協会の設立第6章 逆風下の思想戦―精神科学研究所の設立第7章 「観念右翼」の逆説―戦時体制下の護憲運動第8章 昭和十六年の短期戦論―違勅論と軍政批判第9章 「観念右翼」は狂信的だったのか―日本型保守主義の可能性★現代の日本会議に繋がる国民文化研究会の母体となった昭和10年代の右翼学生運動の系譜を追い、左翼が壊滅した後、国家改造を進める革新右翼(国家社会主義者・アジア主義者)と激しく対立した観念右翼(伝統保守・日本主義者)の論理と実情を具体的に論証する好著 丸山眞男と平泉澄 昭和期日本の政治主義 植村 和秀 (著) 2004.10刊内容(「MARC」データベースより)理性の民主派=丸山と、東大国史の歴史神学者=平泉。ともにマイネッケに感銘を受け、危機の時代に対峙した両者の思惟様式に論理的な共通性を見出し、戦前・戦後を貫通する日本ナショナリズムを再定位する。目次第1章 政論記者丸山眞男第2章 歴史神学者平泉澄第3章 正統の争い―平泉澄と丸山眞男第4章 平泉澄における忠誠と反逆第5章 丸山眞男にとっての忠誠と反逆第6章 昭和期日本の政治主義★昭和期日本主義を代表する歴史神学者・平泉澄と戦後民主主義の旗手・丸山眞男、昭和史を貫く両者の思想対立を鋭く分析した名著。 「日本」への問いをめぐる闘争―京都学派と原理日本社 植村 和秀 (著) 2007.12刊内容(「BOOK」データベースより)日本の危機を超克するための哲学は可能か。新世界秩序の創造を目指す、西田幾多郎ら京都学派。それを執拗に否定する、蓑田胸喜ら原理日本社。激しい思想戦から描き出す、斬新な近代日本思想史。目次第1章 西田幾多郎の哲学的挑戦―自己からの創造(西田幾多郎の「論理」、国家理由の問題―マイネッケへの苛立ち ほか)第2章 京都学派の世界史的挑戦―近代の超克(ヨーロッパ中心主義からの跳躍―鈴木成高、近代国家との訣別―西谷啓治 ほか)第3章 蓑田胸喜の西田幾多郎批判―禁忌としての日本(蓑田胸喜の執念、偶像を刻んではならない―カントとマルクスの「共通宿命」 ほか)第4章 蓑田胸喜の天皇機関説批判―原理日本社の公論(自我意識の極大化と絶対への欲求、「コトノハノミチ」という論理 ほか)第5章 京都学派対原理日本社―日本をめぐる闘争(絶対的なるものへの欲求、自己の責務 ほか)★東西文明の総合(止揚)としての「近代の超克」を説く西田幾多郎ら京都学派と、それを押しとどめ、あくまで日本の独自性に拘る蓑田胸喜ら原理日本社を対比して戦前・戦中期日本のもう一つの思想的可能性を描く。上3冊を読んだあとの+αとして。 ◆5.革新右翼(国家社会主義者)と観念右翼(伝統保守) 上記の日本主義と東京大学―昭和期学生思想運動の系譜 によれば、左翼が一掃された昭和10年代の日本には、①革新右翼と②観念右翼の二大勢力があり、国内・国外の政策を巡って激しく対立したとされます。 ※ブリタニカ国際百科事典には「観念右翼」のみ項目があり、その中に「(国家社会主義者(組織右翼)」の説明があります(革新右翼を組織右翼とも呼んだ)。 【観念右翼】かんねん・うよく 特定の右翼党派ではなく、純粋な日本精神主義を思想や行動の原理とする諸団体。上杉慎吉をその源流とする。第二次世界大戦前の右翼運動を思想形態から分類すると、国家社会主義派(組織右翼)と日本精神主義派(観念右翼)に大別される。上杉の組織した桐花学園(1913創立)、蓑田胸喜、天野辰夫、菊池利房による興国同志会(19)、平沼騏一郎の国本社、興国同志会の流れをくむ七生社(25)などが観念右翼としてあげられる。 ※革新右翼と観念右翼の理念型(日本主義と東京大学―昭和期学生思想運動の系譜 より引用) ①革新右翼 ②観念右翼 国家改造 国体明徴 高度国防国家 国民精神総動員 解釈改憲 護憲(不磨の大典) 指導者原理 臣道実践 統制経済 資本制擁護 親ソ・親独 反共・反独裁 世界史的な使命 日本史的な道統 陸軍統制派 陸軍皇道派 革新官僚 財界 無産政党 既成政党(現状維持派) 国家社会主義者 自由主義者 結論から言うと、この①革新右翼(国家社会主義+アジア主義)が日本を支那事変~大東亜戦争へと誘い込んだのであり、②観念右翼(伝統保守=昭和期の日本主義者)はそれに激しく抵抗したのだが、丸山眞男を始めとする所謂「戦後民主主義者(戦後市民派)」は、①・②を故意に同一視して「超国家主義者」「右翼」として貶め続けてきた(さらに言えば、橘孝三郎の一族の立花隆に典型的に見られるように①革新右翼が敗戦後たちまち「戦後市民派」に転向して②観念右翼を糾弾する側に回っている例が多々ある)。 ※以上の経緯は 右翼・左翼の歴史 を参照。 ※以下に、①革新右翼すなわち国家社会主義者の項目をブリタニカ百科事典より引用します。 ◆6.辞書による説明4:「超国家主義」 【北一輝】 きた・いっき(1893-1937) 国家社会主義運動の理論的指導者。本名輝次郎。1919年に執筆した『日本改造法案大綱』は陸軍青年将校の革命のバイブルとされた。1937年刑死。その他の著作『支那革命外史』(1915) 【大川周明】 おおかわ・しゅうめい(1886-1957) 日本国家主義運動の指導者。東京大学卒業後、満鉄入社。のち軍中央部と手を握り1931年の陸軍部内の一部青年将校が計画した三月事件、同年6月の満州事変を推進した。32年の五・一五事件に連座。第二次世界大戦後、極東国際裁判で連合軍によってA級戦犯として起訴されたが精神錯乱のため釈放された。 【橘孝三郎】 たちばな・こうさぶろう(1893-1974) 農本主義的国家主義者。第一高等学校を中退。郷里に帰って農耕のかたわら思索の生活を続け、大地主義、兄弟主義、勤労主義を三位一体とする農本主義精神に到達した。また長兄、次兄をはじめ一家一族のほとんどがともに同じ農場で働くことになり、兄弟村農場として世間の注目を集めた。1929年愛郷会を創設、31年には私塾愛郷塾を開いて農本主義的な運動を進め、血盟団の井上日召らと関係を結んで極右的・暴力的傾向を強めた。32年の五・一五事件では、愛郷塾生の多数が農民決死隊として参加、橘もこれに連座して無期懲役に処せられた。40年に出獄後、第二次世界大戦の敗戦を経て愛郷塾は「報本農場」として復活し、橘は再び農場経営を営むかたわら農民運動に関係した。 【井上日召】 いのうえ・にっしょう(1886-1967) 国家主義者。本名昭。血盟団を組織。一人一殺のテロを指導。血盟団事件により、1934年無期懲役確定。1940年恩赦で出獄。 ※以下に、①革新右翼すなわち国家社会主義者と親和的な「アジア主義」の関連項目をブリタニカ百科事典より引用します。 ◆7.辞書による説明5:「アジア主義」 【大アジア主義】 だい・アジア・しゅぎPan-Asianism 欧米列強のアジア侵略に抵抗するため、アジア諸民族は日本を盟主として団結すべきであるという考え方。明治初期以来、種々の視角から展開された。植木枝盛は自由平等の原理に基づきアジア諸民族が全く平等な立場で連帯すべきことを説き、樽井藤吉や大井健太郎は、アジア諸国が欧米列強に対抗するために連合する必要があり、日本はアジア諸国の民主化を援助すべき使命があると説いた。明治20年代になると、大アジア主義は明治政府の大陸侵略政策を隠蔽する役割をもつようになった。1901年に設立された黒龍会の綱領にもみられるように、その後の大アジア主義は天皇主義とともに、多くの右翼団体の主要なスローガンとされ、これに基づいて満蒙獲得を企図する政府・軍部の政策が推進された。日本人の大アジア主義的発想は、第二次世界大戦前・戦中の「大東亜共栄圏」構想を支えた。 【大東亜共栄圏】 第二次世界大戦を背景に1940年第二次近衛内閣以降45年敗戦まで唱えられた日本の対アジア政策構想。その建設は「大東亜戦争」の目的とされた。東条英機の表現によれば、大東亜共栄圏建設の根本方針は、「帝国を核心とする道義に基づく共存共栄の秩序を確立」しようとすることにあった。しかし実際は、東アジアにおける日本の軍事的・政治的・経済的支配の正当化を試みたものに他ならなかったといえる。第一次近衛内閣当時の「東亜新秩序」は日本・満州・中国を含むものに過ぎなかったが、南進論が強まるにつれて、インド・オセアニアにいたる大東亜共栄圏構想に拡大された。大東亜省の設置と大東亜会議の開催は、このような方針の具体化に他ならない。 ◆8.まとめ 運動の性格 ① 明治期の日本主義 政府の欧化主義に反発し、国粋主義/国権主義(特に政府の欧米協調路線に反対する攘夷主義)を主張した言論活動(政論的ジャーナリズム) 他国の侵略から自国・自民族を守る(解放的ナショナリズム) 右翼思想 当初は国粋主義的だった在野言論人の活動は、明治末・大正期に日本が大国化したのちも反骨精神は全く変わらず、今度は次第に左翼思想に理解を示す者が出てきた(左右等価気分説(※1))。更に彼らは、戦後は進歩派・市民派左翼文化人として活発に活動した(長谷川如是閑・丸山眞男etc.)。 ② 昭和期の日本主義 皇道・国体思想を強調して、社会主義やマルクス主義の思想侵略の脅威への対抗イデオロギーとして機能した思想活動 全体主義の脅威から自国の歴史・伝統に根差した自由を守る(日本型保守主義) 保守思想 日本精神主義派(観念右翼)。日本主義的教養を武器に学生・知識人の左傾化を防止し日本精神に目覚めさせると共に、革新右翼の狙う国家改造・解釈改憲・国家経済の社会主義化、更には戦争の長期化を「護憲」の立場から制止・抑制するために奔走。いざ戦争が激化すると国防のために生死を厭わず護国のために尽くした者が多い。 ③ アジア主義 アジア諸民族を白人支配から解放するという大義を掲げ、実際にも明治期の孫文を初めインドのB.ボース、フィリピンのアギナルドらの独立運動と連動しつつ遂行された日本の勢力拡張運動。 アジア諸民族の独立を支援する(排白人主義)(拡張的ナショナリズム) 極右思想 国家社会主義派(組織右翼=革新右翼)と重なる。代表的イデオローグとして5.15事件に関与した大川周明、2.26事件に連座した北一輝。革新右翼は2.26事件暴発後に勢力を急拡大し三木清など転向左翼の多数が近衛内閣のブレーン集団を形成して国策を左右した。※詳しくは 右翼・左翼の歴史 参照 ※「保守」「右翼」「極右」の違いは ナショナリズムとは何か 参照 ※1:左右等価気分説…右傾化も左傾化も既成勢力に対する反抗という意味で基本的に同じ心情に基づくものであり、状況が変化すれば左・右転換は容易とする説。 ◆9.辞書による説明6:「京都学派」と「近代の超克」 ※この他に、④として大東亜戦争開始後に「近代の超克」を唱えた西田幾多郎門下の「京都学派」があるのでブリタニカ百科事典から簡単に引用する。 【京都学派】きょうと・がくは 西田幾多郎および田辺元の哲学探究の伝統を引継いだ京都大学哲学科出身の哲学者たちのグループの総称。1919年田辺が西田によって京大に招聘されて以来両者はともに自己の哲学を創造し、「固体存在の論理」としての西田哲学に対し「社会存在の論理」としての田辺哲学は決定的に対立するようになるが、その真摯な相互批判を通して京大哲学科には活気に満ちた独自の学風が形成され三木清・戸坂潤らをはじめとする多くの哲学徒が参集した。三木・戸坂らはやがてマルクス主義に傾斜しこの学派から離れるが、次いで高坂正顕、西谷啓治、高山岩男、鈴木成高らのグループが現れ、第二次世界大戦期において世界新秩序論としての「世界史の哲学」を提唱し同戦争の合理化を行いこの学派の旗幟を鮮明にした。普通この高坂・西谷・高山・鈴木らのグループを指して狭義の京都学派と呼ぶことが多い。 【近代の超克】きんだいの・ちょうこく 太平洋戦争勃発直後の1942年、雑誌『中央公論』および『文学界』において論じられたテーマ。川上徹太郎、亀井勝一郎、小林秀雄、林房雄、吉満義彦らの文芸評論家が欧米文化の克服を論じたものである。西欧近代からのアジアの解放を標榜した大東亜戦争を肯定的に受け止めようとする知識人がそこに根拠を求めようとした。思想的には深められないまま終わったが、第二次世界大戦後竹内好がその意義をあらためて主張した。またソ連を頂点とした共産圏崩壊後、新しい国際関係が模索されるなかで、再びその意味を問う声もある。 ※以上で、「日本主義」および関連する「アジア主義」「近代の超克」など諸用語の辞書的な説明を終わります。 ※以下より、戦前日本の思想状況、特に左翼・右翼の両翼の思想運動についてまとめます。 ■3.近代日本の思想状況 ◆1.右翼・左翼学生運動関連年表(日本主義と東京大学―昭和期学生思想運動の系譜 より引用) 和暦 西暦 出来事 藤島利郎による区分 丸山眞男による区分 右翼学生運動 左翼学生運動 日本ファシズム運動 明治元~ 1868~ 明治維新 第1期:萌芽期 大正7 1918~ 第一次世界大戦終結 第2期:台頭期(後半) 台頭期(前半)~全盛期(後半) 第1期:準備期 昭和5 1930 ロンドン海軍軍縮条約 第3期(第1小期):勃興期 潜行期 (民間における右翼運動の時代) 昭和6 1931 満州事変 第3期(第2小期):興隆期 凋落期 第2期:成熟期 昭和7 1932 五・一五事件 ↓ ↓ (急進ファシズムの全盛時代) 昭和8 1933 京大滝川事件 ↓ ↓ ↓ 昭和9 1934 ↓ ↓ ↓ 昭和10 1935 天皇機関説事件 ↓ ↓ ↓ 昭和11 1936 ニ・ニ六事件 ↓ ↓ 第3期:完成期 昭和12 1937 支那事変 第3期(第3小期):全盛期 準壊滅期 (日本ファシズムの完成時代) 昭和13 1938 ↓ ↓ ↓ 昭和14 1939 ↓ ↓ ↓ ¦ ↓ ↓ ↓ 昭和20 1945 第二次世界大戦終結 右翼学生団体創立ブーム 左翼学生運動台頭~全盛期 ※つまり戦前期の実証的な学生思想運動の研究によれば、大正期から昭和初期にかけて(1910年代の終わりから1920年代)の日本の大学は非常に自由な知的環境にあり、上の図の赤塗部分の通り左翼学生運動が隆盛していた(ロシア革命の影響→後期は経済恐慌の影響)。それが当局により問題視され弾圧を受け始めるのは1928年の三・一五事件以降である。 ※満州事変が勃発する1930年代になると今度は、右翼学生運動が盛んになり、天皇機関説事件からニ・ニ六事件の頃に、一時的に下火になるものの支那事変勃発でブームが再開した(その後、第二次近衛内閣の新体制運動による統制の強化により、学生右翼運動も下火になる)。 嘗て左翼学生運動の華やかなりし時代或人は謂った。学生には四種ある、①最も頭脳明晰な学生は社会科学を研究して結局左翼運動に奔り、②次に位する者は専心に学校の過程を勉強し、③次に位する者は映画演劇麻雀撞球等の享楽に奔り、④最も下級に在る者のみが右翼運動に参加するに至ると、然し是は今日の右翼運動に関する限りは当を得て居ない。 藤嶋利郎(司法官僚)『最近に於ける右翼学生運動について』(1940年(昭和15年)司法省刑事局刊) ※上は、大正期に大学時代を過ごした元左翼学生の司法官僚の昭和15年の回想である。これはまるで最近の団塊世代の言いそうな感想であり、戦前の日本が思想的に暗黒時代だった、という戦後左翼の刷り込みは全く根拠がないことが、これだけでも分かると思う。 ◆2.近代日本の思想状況(まとめ) 区分 時期 内容 (1) 復古主義v.s.文明開化の時代 明治維新~西南戦争終結(1867-1877) 復古主義的文教政策を推進する勢力(主に公家・薩摩閥)と開明政策を推進する勢力(主に長州閥)が拮抗したが、西南戦争の結果、開明派が勝利した。 (2) 欧化主義v.s.政論的ジャーナリズムの時代 鹿鳴館時代~日露戦争開始(1878-1904) 「殖産興業」「富国強兵」「和魂洋才」等をスローガンに政府による強力な欧化政策が遂行された。その一方で在野の不平士族などを中心に「有司専制」に反対する政論的ジャーナリズムが登場。自由民権運動として知られる初期の立憲デモクラシー要求や、欧化主義に反対する「(明治期の)日本主義」と呼ばれる国粋主義運動も勃興し一定の影響を及ぼした。明治憲法制定(1889)・帝国議会開設(1890)などはそれらのせめぎ合いの成果である。 (3) 大正教養主義の時代 ポーツマス条約締結~第一次大戦による好景気(1905-1917) 明治期の悲願であったロシアの脅威の排除と不平等条約改正という大目標を達成したこの時期の日本では、政治よりも(西欧産の)哲学・文学など文化的教養に重きをおく風潮が顕著になり(大正教養主義)、それが政治面にも作用して議会制デモクラシーの確立を目指す動きが強まった(大正デモクラシー)。第一次大戦によって日本の富強化は一段と進展した。 (4) マルクス主義的教養の時代 ロシア革命~4.16事件(共産党員の大量検挙)(1918-1930) 1917年10月にロシアで共産主義革命が起こり、また第一次大戦の敗戦の結果ドイツ・オーストリア・トルコなどの帝国が倒れて共和国化した影響で、「歴史の必然的な発展法則」を説くマルクス主義思想が折柄の大正期の自由な知的環境の中で急速に知識人・学生層に影響力を拡大した(1918年東大新人会発足・・・当初は吉野作造の民本思想などの研究が中心だったが急速にマルクス主義思想に傾斜。1928年解散)。「革命の輸出(世界革命)」を目論むロシア共産党は1919年コミンテルン(国際共産党組織)を作り、その下部組織として日本共産党が結党され27年テーゼ(綱領)では公然と「天皇制打倒」を掲げるに至ったため、3.15事件(1928年)・4.16事件(1929年)で治安維持法に基づく共産党員の一斉検挙が実施された。このとき将来の国家を担うべき東大京大を初めとする全国32大学148名の現役学生が検挙された事実は政府当局を震撼させ「思想国難」と認識されるようになった。この共産党員の一斉検挙後も東大・京大など有力大学にマルクス主義に染まった多数の教授が大正期以来の「学問の自由」「大学の自治」を盾に居座り続け、それが排除されるのはコム・アカデミー事件(1936年)・人民戦線事件(1938-39年)に至ってからであった。 (5) 日本主義的教養の時代 満州事変勃発~ポツダム宣言受諾(1931-1945) マルクス主義への対抗イデオロギーとしての役割が、日本主義(日本の歴史・伝統に則った精神的姿勢の追求)に担わされた。その一方で、実際の国策指導・戦争指導は、特に近衛文麿内閣の成立後は、日本主義を奉じる観念右翼(伝統保守)ではなく革新右翼(国家社会主義者・アジア主義者)によって実施される場合が多く、観念保守はその動きに「護憲」の立場から歯止めをかけるのに精一杯だった。 (6) 戦後民主主義(教養主義の没落)期 GHQの占領~冷戦終結(1945-1990) (4)マルクス主義的教養の時代に思想形成し、それゆえに(5)日本主義的教養の時代には思想弾圧を受けたと感じているアカデミズムやジャーナリズムの人士が、GHQの占領政策に乗じて、そうした恨みを存分に晴らす機会を得て跳梁跋扈し、その影響が現在も続いている。 (7) ポスト冷戦期 ソ連邦崩壊~現在まで(1991-) 上記の通り、西暦2000年代に入ってようやく戦前の政治思想の状況を実証的に見直す動きが顕在化してきた。 ■4.戦前日本の思想を考える様々な参考図書 歴史学 (ヒューマニティーズ) 佐藤 卓己 (著) 2009.5刊内容(「BOOK」データベースより)情報化、グローバル化が加速するメディア社会。公議輿論の足場として、歴史的教養の重要性はますます高まっている。しかし、こうした現実の課題に対して、「大きな物語」が失われたあと、これまでの歴史学は充分に応えてきただろうか。公共性の歴史学という視点から、理性的な討議を可能にする枠組みとして二一世紀歴史学を展望する。★評価著者は日本主義的教養の時代―大学批判の古層 の中心的編集者で良くも悪くも現在の歴史学の水準を体現している人物。ヒューマニティ・シリーズの一冊として、敢えて従来の「(ゴリゴリの)自虐史観」からは距離を置くこのような著者の本が、あの(戦後一貫して自虐史観で真っ黒だった)岩波書店から出版されたこと(出版せざるを得なくなったこと?)は非常に意義深いことである。但し現在の歴史学の限界をも露呈する一冊とも読める。果たして次の世代は、この限界をどれだけ乗り越えられるのかに注目したい。 日本の思想 丸山眞男 (著) 1961.11刊内容(「BOOK」データベースより)現代日本の思想が当面する問題は何か。その日本的特質はどこにあり、何に由来するものなのか。日本人の内面生活における思想の入りこみかた、それらの相互関係を構造的な視角から追究していくことによって、新しい時代の思想を創造するために、いかなる方法意識が必要であるかを問う。日本の思想のありかたを浮き彫りにした文明論的考察。★評価その思想の偏り、事実関係の歪曲・捏造ぶりが散々に指摘される丸山眞男の代表的著作。よく読むと丸山と同時代人である蓑田胸喜や平泉博士や京都学派の高山岩男といった今では世間一般では忘れられた思想家、さらには「日本主義」「近代の超克」からエドマンド・バークやカール・ポパーにまで言及している箇所があり、そうした意味でも興味深い。 現代政治の思想と行動 増補版 丸山眞男 (著) 1964刊 1974増補出版社 / 著者からの内容紹介戦後日本を代表する政治学者・丸山眞男の『日本政治思想史研究』(東京大学出版会)にならぶ主著。「戦後日本社会科学の精神的起点の一つ」(道場親信)と評され、「丸山学派」とよばれる多くの学者に影響を与えた。三部に分けられ20本の論文が収録されている。各論文は、講演調、書簡体、対話体と、ヴァラエティにとんだ歯切れのよい文体でつづられており大変読みやすく、また著者自身による詳細な「追記および補註」も読者の理解を助けてくれる。第一部には「日本ファシズム」をめぐる論考がおさめられている。特に「超国家主義の論理と心理」の与えたインパクトは大きく、その後の天皇制分析の出発点となった。「軍国支配者の精神形態」では「無責任の体系」というキーワードで日本の支配機構を分析、戦争責任問題の分析への道をひらいた。第二部にはファシズムと同時に共産主義の問題も論じている。第三部では政治学の基本的な概念を整理した文章がならんでおり、著者自身の時代状況への対応も見ることができる。「現代における人間と政治」では、『独裁者』などチャップリンの映画からときおこし、知識人の役割についての考察を深めている。半世紀たった今も、全く色あせるどころかますます輝きをます政治学的考察の宝庫。★評価中共と毛沢東を激賞しスターリンの「功績」をも懸命に擁護して、日本とアメリカの「ファシズム化」に警鐘を鳴らし続けて「本物の知識人」たちを“啓蒙”した丸山眞男の主要論文集。怪番組NHK JAPANデビュー第二回:天皇と憲法の思想的な源流もここにある! 丸山眞男の時代 竹内 洋 (著) 2005.11刊内容(「BOOK」データベースより)戦後の市民による政治参加に圧倒的な支配力を及ぼした丸山眞男。そのカリスマ的な存在感の背景には、意外なことに、戦前、東大法学部の助手時代に体験した、右翼によるヒステリックな恫喝というトラウマがあった。本書は、六〇年安保を思想的に指導したものの、六〇年代後半には学生から一斉に背を向けられる栄光と挫折の遍歴をたどり、丸山がその後のアカデミズムとジャーナリズムに与えた影響を検証する。★評価『日本主義的教養の時代―大学批判の古層』のもう一人の中心的編集者。1942年生まれの著者はまさしく学生時代に丸山眞男の強い影響を受けた世代だが、それだけに鋭く丸山氏の矛盾点・問題点を突いている。戦前から続く丸山と蓑田胸喜の浅からぬ因縁、戦後の学生運動への共産党の干渉、1960年の安保闘争、その後の全共闘など「丸山眞男の時代」を簡潔に描き出しており、読み易い。 自虐史観もうやめたい!―反日的日本人への告発状 谷沢永一 (著) 2005/06 内容もう中国・韓国に謝るな! いかにも禍々しい日本罪悪論をはじめて言い出した発頭人は誰なのか。日本の世論をミスリードしてきた「進歩的文化人」、日本罪悪論の火元12人を徹底批判。 <目次> こんな国家に誰がした ― 今も続く、スターリンの呪縛 「日本は第二次大戦の主犯」と言う歴史の偽造家 ― 戦後の学界、言論界の大ボス・大内兵衛への告発状 「ソ連はすべて善、日本はすべて悪」の煽動者 ― 日本罪悪論の海外宣伝マン・鶴見俊輔への告発状 国民を冷酷に二分する差別意識の権化 ― 戦後民主主義の理論的指導者・丸山眞男への告発状 栄達のため、法の精神を蹂躙した男 ― 反日的日本人の第一号・横田喜三郎への告発状 金日成に無条件降伏の似非出版人 ― 進歩的文化人の差配人・安江良介への告発状 恫喝が得意な権力意識の化身 ― 「進歩的インテリ」を自称する道化・久野収への告発状 祖国をソ連に売り渡す“A級戦犯” ― 進歩的文化人の麻酔担当医・加藤周一への告発状 その正体は、北京政府の忠実な代理人 ― 日本の伝統の徹底的な否定論者・竹内好への告発状 最も無責任な左翼・教条主義者 ― マスコミを左傾化させた放言家・向坂逸郎への告発状 日本を経済的侵略国家と断定する詭弁家 ― 現代の魔女狩り裁判人・坂本義和への告発状 国家間の原理を弁えない謝罪補償論者 ― ユスリ、タカリの共犯者・大江健三郎への告発状 近代日本を全否定した国賊 ― 進歩的文化人の原型・大塚久雄への告発状 ★評価書誌学者 故・谷沢永一氏による好著。青年時代に一時共産党員だった経歴を持つ著者だけに12人の国賊文化人たちへの批判が実に的確。目次だけでも読む価値あり。 日本とドイツ 二つの全体主義 「戦前思想」を書く 仲正 昌樹 (著) 2006.7刊出版社/著者からの内容紹介「戦後思想」があるとすれば、「戦前思想」もあっておかしくないような気がするが、あまり聞かない。しかし「日本とドイツ」に限って言えば、一八七〇年前後から、第二次大戦が本格化する一九四〇年前後までの約七十年間を取ると、結構、意味のある比較をすることができる。何故かというと、両国とも一八七〇年頃に、西欧的な意味での近代国家を形成し、(英国やフランスに比べて)遅ればせながら、[国民国家としての統合→帝国主義的拡張]のプロジェクトに乗り出し、最終的に「(西欧)近代の超克」を目指して全体主義体制を構築し、戦争へと突入していったからである。(「プロローグ」より) ★評価戦前日本の思想状況について通史的な図書が他に見当たらないため内容にはかなり問題があるもののこの本を薦めざるを得ない。著者は元統一教会信者であり、皇室に対する本質的敬意に欠け、かつ安倍元首相に対する敵意を剥き出しにする人物だが、これが現在の思想界の水準(および限界)と考えてよいと思う。次の世代がこれをどれだけ乗り越えられるか。 『昭和の思想』 植村和秀(著) 2011.11刊・内容説明昭和の思想を総体的に俯瞰する画期的論考。思想弾圧と戦争の暗さ。世界に挑戦する日本という明るさ。奇妙な時代=戦前昭和期を中心に、丸山眞男・平泉澄・西田幾多郎・簑田胸喜の思想から時代の本質を剔る・内容(「BOOK」データベースより)「戦前=戦後」だけでなく、昭和はつねに「二つの貌」を持っていた。皇国史観から安保・学生運動まで、相反する気分が対立しつつ同居する昭和の奇妙な精神風土の本質を、丸山眞男・平泉澄・西田幾多郎・蓑田胸喜らの思想を元に解読する。・目次第1章 日本思想は二つ以上ある第2章 思想史からの靖国神社問題―松平永芳・平泉澄第3章 思想史からの安保闘争・学生反乱―丸山眞男第4章 思想史からの終戦と昭和天皇―阿南惟幾・平泉澄第5章 思想史からの世界新秩序構想―西田幾多郎・京都学派6章 思想史からの言論迫害―蓑田胸喜第7章 二〇世紀思想史としての昭和思想史★評価2010年11月に出版された好著。戦前から戦後及ぶ昭和期日本の思想状況が、要点を絞って明瞭かつ簡潔にまとめられている。非常にお勧め。 ■5.ご意見、情報提供 ↓これまでの全コメントを表示する場合はここをクリック +... 日本主義・・・?なんか反欧米的な臭いがしますが。反欧米・アジア主義なんか掲げていると特亜と同類になるぞ。アジアの中でも西欧的で合理的な日本は愛するべきだが、アジア主義(そもそもアジアというものは地理的概念以上の意味などないのだが)に染まった日本などたまらんな。 -- 名無しさん (2011-06-27 03 59 33) ↑◆5.革新右翼(国家社会主義者)と観念右翼(伝統保守) の図表を見てください。昭和期の日本主義者はアジア主義や国家社会主義と対立的です。 -- 名無しさん (2011-06-28 21 48 21) 一時期、反抗期と記載するのを禁止された事がありましたが、誰が禁止したのでしょうか。 -- 定塚甫 (2011-10-23 01 48 32) 昭和期の日本主義の思想に英米保守主義を混ぜて大成したらすごい物ができる気がします -- 名無しさん (2012-03-03 00 33 39) 自律思想・・・日本主義+α、他律思想・・・武士道、経済思想・・・無し -- 日本人の核となる思想 (2014-12-21 23 28 26) ・・・ W.G.I.P.に洗脳された人々 ・・・ -- 月光(A.H.) (2016-01-31 10 42 31) 以下は最新コメント表示 日本主義・・・?なんか反欧米的な臭いがしますが。反欧米・アジア主義なんか掲げていると特亜と同類になるぞ。アジアの中でも西欧的で合理的な日本は愛するべきだが、アジア主義(そもそもアジアというものは地理的概念以上の意味などないのだが)に染まった日本などたまらんな。 -- 名無しさん (2011-06-27 03 59 33) ↑◆5.革新右翼(国家社会主義者)と観念右翼(伝統保守) の図表を見てください。昭和期の日本主義者はアジア主義や国家社会主義と対立的です。 -- 名無しさん (2011-06-28 21 48 21) 一時期、反抗期と記載するのを禁止された事がありましたが、誰が禁止したのでしょうか。 -- 定塚甫 (2011-10-23 01 48 32) 昭和期の日本主義の思想に英米保守主義を混ぜて大成したらすごい物ができる気がします -- 名無しさん (2012-03-03 00 33 39) 自律思想・・・日本主義+α、他律思想・・・武士道、経済思想・・・無し -- 日本人の核となる思想 (2014-12-21 23 28 26) ・・・ W.G.I.P.に洗脳された人々 ・・・ -- 月光(A.H.) (2016-01-31 10 42 31) 名前 ラジオボタン(各コメントの前についている○)をクリックすることで、そのコメントにレスできます。 ■左翼や売国奴を論破する!セットで読む政治理論・解説ページ 政治の基礎知識 政治学の概念整理と、政治思想の対立軸 政治思想(用語集) リベラル・デモクラシー、国民主権、法の支配 デモクラシーと衆愚制 ~ 「民主主義」信仰を打ち破る ※別題「デモクラシーの真実」 リベラリズムと自由主義 ~ 自由の理論の二つの異なった系譜 ※別題「リベラリズムの真実」 保守主義とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ ナショナリズムとは何か ケインズvs.ハイエクから考える経済政策 国家解体思想(世界政府・地球市民)の正体 左派・左翼とは何か 右派・右翼とは何か 中間派に何を含めるか 「個人主義」と「集産主義」 ~ ハイエク『隷従への道』読解の手引き 最速!理論派保守☆養成プログラム 「皇国史観」と国体論~日本の保守思想を考える 日本主義とは何か ~ 日本型保守主義とナショナリズムの関係を考える 右翼・左翼の歴史 靖國神社と英霊の御心 マルクス主義と天皇制ファシズム論 丸山眞男「天皇制ファシズム論」、村上重良「国家神道論」の検証 国体とは何か① ~ 『国体の本義』と『臣民の道』(2つの公定「国体」解説書) 国体とは何か② ~ その他の論点 国体法(不文憲法)と憲法典(成文憲法) 歴史問題の基礎知識 戦後レジームの正体 「法の支配(rule of law)」とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ 立憲主義とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ 「正義」とは何か ~ 法価値論まとめ+「法の支配」との関係 正統性とは何か ~ legitimacy ・ orthodoxy の区別と、憲法の正統性問題 自然法と人権思想の関係、国体法との区別 「国民の権利・自由」と「人権」の区別 ~ 人権イデオロギー打破のために 日本国憲法改正問題(上級編) ※別題「憲法問題の基礎知識」 学者別《憲法理論-比較表》 政治的スタンス毎の「国民主権」論比較・評価 よくわかる現代左翼の憲法論Ⅰ(芦部信喜・撃墜編) よくわかる現代左翼の憲法論Ⅱ(長谷部恭男・追討編) ブログランキング応援クリックをお願いいたします(一日一回有効)。 人気ブログランキングへ
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更に思ふ。我等は紛れもなき日本人として、桜咲く日本の国土の上に、幾千年の歴史の中より、生まれ出で、生ひ立ち来った。我等のあるは、日本あるによる。日本の歴史は、その幾千年養ひ来った力を以て今や我等を打出した。我等の人格は、日本の歴史の中に初めて可能である。同時に、日本の歴史は、我等日本の歴史より生れ出て、日本の歴史を相嗣せる日本人によって初めて成立する。・・・求むれば即ち之を得、捨つれば即ち之を失ふ。信ずれば影向し、疑へば消散する。日本の歴史を求め、信じ、復活せしむるものは即ち我等日本人でなければならない。 平泉澄(文学博士)『國史学の骨髄』(1927年(昭和2年)8月) 戦前の我が国で、マルクス主義の思想侵略の脅威への対抗思想の役割を担った「日本主義」解説ページ <目次> ■1.初めに ■2.日本主義とは何か◆1.辞書による説明1:「日本主義」 ◆2.辞書による説明2:「明治期の日本主義」 ◆3.辞書による説明3:「昭和期の日本主義」 ◆4.「昭和期の日本主義」参考図書 ◆5.革新右翼(国家社会主義者)と観念右翼(伝統保守) ◆6.辞書による説明4:「超国家主義」 ◆7.辞書による説明5:「アジア主義」 ◆8.まとめ ◆9.辞書による説明6:「京都学派」と「近代の超克」 ■3.近代日本の思想状況◆1.右翼・左翼学生運動関連年表(日本主義と東京大学―昭和期学生思想運動の系譜より引用) ◆2.近代日本の思想状況(まとめ) ■4.戦前日本の思想を考える様々な参考図書 ■5.ご意見、情報提供 ■1.初めに 明治以降~戦前の日本は「天皇制ファシズム」と呼ばれる異常な専制国家であり、特に戦前は暗黒の軍部独裁国家だったとする自虐史観は、GHQの占領期に実施されたW.G.I.P.(War Guilt Information Program,戦争贖罪洗脳計画)によって日本人に刷り込まれたものであると多くのサイトが指摘しています。 実際にW.G.I.P.という名称のプログラムが存在したか否かは別として、公職追放やGHQ焚書を通して米国の都合による一方的な情報工作が行われたことは事実でしょう。 しかし、GHQの占領期間終了から現在に至るまで、ジャーナリズム・思想・史学・法学を初めとする各分野でかくも強く自虐的論説が大勢を占め続けているという状況から、 ① 自虐的論説が蔓延している原因を、単にGHQの占領政策にだけ求めるのではなく、 ② 戦前期日本の思想状況の中にそれを受け入れる要因が内在していたのではないか、 と一度考えてみる必要があります。 このページでは「日本主義」という隠蔽されてきたキーワードを中心に戦前期日本の思想状況を概括し、 (1) GHQの占領政策・洗脳工作に呼応して戦後長く日本の言論界・思想界を汚染し続けているものの正体へと更に一歩深く迫ると共に (2) 日本型保守主義とナショナリズムの関係について考察します。 ■2.日本主義とは何か ◆1.辞書による説明1:「日本主義」 現時点で、wikipedia・広辞苑・デジタル大辞泉では「日本主義」の定義は以下の通り。 wikipedia 日本主義(にほんしゅぎ) 1.日本独自の伝統、文化、精神を基礎として国家の繁栄を目指すという主義。明治時代以降に急激に押し寄せてきた西洋化に対抗する事を目的として高山樗牛や井上哲次郎らによって主張された。2.白陽社から出版されている雑誌。 広辞苑(岩波書店) にほんしゅぎ【日本主義】 国粋主義思想の流れの一。日清戦争後、高山樗牛や井上哲次郎らが提唱。高山が個人主義に転じて以降、衰退。 デジタル大辞泉(小学館) 日本主義【ニホンシュギ】 明治中期、政府の欧化政策に対する反動として起こった国家主義思想。高山樗牛(たかやまちょぎゅう)・井上哲次郎らが雑誌「日本主義」を刊行、日本古来の伝統的精神を重視しようとしたもの。 ブリタニカ国際百科事典(ブリタニカ・ジャパン社)には、もう少しまともな説明があります。 ブリタニカ国際百科事典 にほんしゅぎ【日本主義】 明治から第二次世界大戦敗戦までにおける欧化主義・民主主義・社会主義などに反対し、日本古来の伝統や国粋を擁護しようとした思想や運動をいう。一定の思想体系をなしていたとはいえず、論者により内容が相違する。明治の支配層が推し進めた欧化主義への反発として三宅雪嶺や高山樗牛らによって唱えられ、政治的には欧米協調主義への反対、国権や対外的強硬策の強調となって現れた。大正や昭和になって日本の資本主義の高度化が階級対立を激化させ、社会主義やマルクス主義が流入すると、これら諸思想の対抗イデオロギーとして機能し、天皇を中心とする皇道や国体思想を強調した。(cf.神国思想) つまり日本主義には歴史的に見て以下の二段階があるが、広辞苑などメジャーな辞書は①だけを記述している(意図的に②を隠蔽している)。 ① 明治期の日本主義 政府の欧化主義に反発し、国粋主義/国権主義(特に政府の欧米協調路線に反対する攘夷主義)を主張した言論活動(政論的ジャーナリズム) 他国の侵略から自国・自民族を守る(解放的ナショナリズム)⇒即ち「右翼」思想 ② 昭和期の日本主義 皇道・国体思想を強調して、社会主義やマルクス主義の思想侵略の脅威への対抗イデオロギーとして機能した思想活動 全体主義の脅威から自国の歴史・伝統に根差した自由を守る(日本型保守主義)⇒即ち「保守」思想 ※「保守」と「右翼」の違いは ナショナリズムとは何か 参照 ◆2.辞書による説明2:「明治期の日本主義」 以下ブリタニカ国際百科事典より「明治期の日本主義」に関連する人名等の説明を引用します。 【高山樗牛】 たかやま・ちょぎゅう(1871-1902) 明治の評論家,思想家。本名は林次郎…(中略)…日清戦争後、井上哲次郎らとともに日本主義を唱え『日本主義』を『太陽』に掲載。ニーチェの死に際し大いに感化を受けニーチェ主義を主張した。1902年文学博士となり晩年は日蓮に傾倒。…(以下省略) 【井上哲次郎】 いのうえ・てつじろう(1855-1944) 哲学者。号は巽軒(そんけん)。東京大学教授。ドイツ観念論の移入に努めるとともに現象即実在論を説き、東西思想を包括する体系の樹立に努力。『勅語衍義』『教育と宗教の衝突』を発表。国民道徳を唱導しキリスト教を国体に反するものとして攻撃するなど国家主義を鼓吹した。多年、哲学界の大御所として君臨した。…(以下省略) 【三宅雪嶺】 みやけ・せつれい(1860-1945) ジャーナリスト。哲学者。本名雄二郎。1883年東京大学哲学科卒業。1888年井上円了・杉浦重剛・志賀重昂らの支持を得て政教社を組織し、雑誌『日本人』を発行。徳富蘇峰らの欧化主義に反対して日本主義を提唱した。1889年陸羯南が創刊した新聞『日本』にも主筆格で参加して国粋主義の立場から反政府的な評論活動を展開。1906年『日本』を退社し『日本人』を『日本及日本人』に改題。1923年その他の編集者と対立して同誌を去り、個人雑誌『我観』を創刊。1943年文化勲章受章。…(以下省略) 【陸羯南】 くが・かつなん(1857-1907) ジャーナリスト。本名は実。東奥義塾、司法省法学校を経て太政官の官吏となったが、伊藤博文らの皮相的な欧化主義に反対して辞任。1888年から『東京電報』(それまでの『東京商業電報』を改題した新聞)を主宰した。翌1889年2月11日帝国憲法発布の日に政論新聞『日本』を創刊。激しい弾圧を受けながらも日本主義と称した近代的ナショナリズムを勇敢に主張し続けた。★注釈:後述のように陸羯南は丸山眞男が自己の思想的源流の一人として高評価した人物のため、ブリタニカ百科事典でも異例に好意的な説明になっていると思われる。 【日本】にっぽん(1889創刊-1914廃刊) 陸羯南が1889年2月11日の帝国憲法発布の日に東京で創刊した政論新聞。『日本新聞』ともいう。国家主義的な中立系といわれた。谷干城・三浦悟桜らが資金的に援助し、記者には福本日南・三宅雪嶺・古島一雄・池辺三山・長谷川如是閑・ 丸山幹治 ・正岡子規らを集め、近代的ナショナリズムの立場から政府の欧化政策を厳しく批判。創刊後の8年間に30回も発行停止処分を受けた。日清戦争後は次第に経営困難となり、羯南も病に倒れ、1906年6月伊藤欽亮に譲渡された。やがて如是閑らの有力記者もこぞって退社し、政友会系の平凡な新聞に転落。14年末社屋の火災もあって廃刊。 【日本及日本人】にっぽんおよびにほんじん(1907改題-1923休刊) 1907年1月『日本人』を改題して発行された政教社の総合雑誌。陸羯南時代の『日本』新聞で活躍していた三宅雪嶺ら政教社の有力メンバーは伊藤欽亮に譲渡されたあとの『日本』の編集方針に不満で、こぞって退社し、1888年の創刊以来、機関誌的役割を持っていた『日本人』に『日本』の伝統を担わせるという意味で『日本及日本人』と改題した。1923年の関東大震災で政教社が焼失したことなどから休刊。 【池辺三山】 いけべ・さんざん(1864-1912) ジャーナリスト。本名吉太郎。陸羯南の『日本』を経て、1896年『大阪朝日新聞』に入社。主筆となり、すぐ転じて『東京朝日新聞』の主筆。彼に私淑していた鳥居素川が『大阪朝日新聞』の主筆を務めており、相呼応して『朝日新聞』の声価を高めた。 【長谷川如是閑】 はせがわ・にょぜかん(1875-1969) ジャーナリスト。文学者。思想家。幼名は万次郎。1898年東京法学院(中央大学の前身)を卒業し、1902年日本新聞社に入社。06年社長の陸羯南が隠退し、新社長が三宅雪嶺と古島一雄の退社を命じたので、如是閑ら十数人も抗議して退社。07年雪嶺のもとで『日本及日本人』の創刊に参加。08年鳥居素川のすすめで大阪朝日新聞社に入社。やがて小説や紀行文も発表しはじめた。14年社会部長になったが、18年の白虹事件で鳥居ら盟友とともに退社。19年大山郁夫らと雑誌『我等』を創刊した(軍国主義の波が強まった1930年に『批判』と改題し、34年廃刊)。第二次世界大戦中は沈黙がちであったが、戦後の46年貴族院議員、47年日本芸術院会員となり、48年文化勲章を受けた。『長谷川如是閑選集』(全7巻,69-70)に代表著作が収められている。 【大山郁夫】 おおやま・いくお(1880-1955) 社会運動家。早稲田大学卒業後、シカゴ大学に留学。早大教授。『朝日新聞』論説委員、労働農民党および労農党委員長を歴任。1932年より47年までアメリカに政治亡命。47年凱旋将軍のような歓迎を受けて帰国。50年参議院議員に当選。51年スターリン平和賞を受けた。主著『政治の社会的基礎』『現代日本の政治過程』。 【白虹事件】 はっこうじけん(1918年) 1918年『大阪朝日新聞』が政府権力と対立して存亡の危機に追い込まれた日本の新聞史上最大の筆禍事件。当時『大阪朝日』はシベリア出兵、米騒動などに関連して寺内内閣を弾劾する言論の一大拠点であった。8月26日付け夕刊の記事に兵乱の前兆をいう「白虹日を貫けり」の一句があったことが、新聞紙法第41条(安寧秩序紊乱)に違反するとして『大阪朝日』は告訴され、村山竜平社長は退陣、次いで鳥居素川、長谷川如是閑をはじめ大山郁夫、 丸山幹治 、花田大五郎らも社を去った。同紙がこの事件で「不偏不党公平穏健」に反する傾向があったと自己批判したことは、その後の日本の新聞のあり方に象徴的な影を落としている。 【丸山眞男】 まるやま・まさお(1914-1996) 政治学者。日本思想史家。東京大学法学部卒業後、同大助教授を経て1950年教授に就任し、71年退官。46年発表の「超国家主義の論理と心理」で、軍国主義日本の指導者の没主体性を鋭く指摘し、天皇制国家の無責任構造を批判する新視点を提起して論壇に一大衝撃を与えた。『日本政治思想史研究』(52)では、江戸期にさかのぼって日本の政治思想を検証し、政治思想史研究の方法論を確立した。第二次世界大戦直後の代表的論文をまとめた『増補版・現代政治の思想と行動』(64)は、「丸山政治学」のバイブルと呼ばれ、英訳されて海外でも評価を得ている。また、60年安保闘争(cf.安保改定問題)などを通じ、戦後民主主義運動の精神的支柱となったが、後年は日本思想の研究に専念した。日本思想の根本的な構造を明らかにした『日本の思想』(57)は思想界に大きな影響を与えた。そのほか『丸山眞男座談』9巻(96)がある。 ※要約すると「明治期の日本主義」には更に次の二系列があり、両者は余り関係がないと思われる。 (1) 高山樗牛・井上哲次郎らの刊行した文芸雑誌『日本主義』(1897年創刊) 広辞苑・大辞泉・wikipediaは、こちらの「日本主義」のみ記載している。 (2) 陸羯南が創刊し、三宅雪嶺・池辺三山・長谷川如是閑・丸山幹治らが執筆した政論新聞『日本』(1889-1906)→三宅が創刊した『日本人』を改題し、池辺・長谷川・丸山などが執筆した総合雑誌『日本及日本人』(1907-23)→更に、池辺・長谷川・丸山は白虹事件で退社するまで『大阪朝日新聞』に政論を執筆(1908-18) 近代的ナショナリズムの立場から政府の欧化政策を厳しく批判 ※戦後民主主義の代表的論者・丸山眞男は丸山幹治の二男であり、長谷川如是閑を叔父同様に慕い、また戦後に陸羯南について次のような評価を書いていることに注目。 羯南の日本主義は上述のように、ナショナリズムとデモクラシーの総合を意図した。それがいかに不徹底なものであったとはいえ、これは日本の近代化の方向に対する本質的に正しい見通しである。国際的な立遅れのために植民地ないし半植民地化の危機に曝されている民族の活路はいつもこの方向以外にない。不幸にして日本は過去においてその総合に失敗した。福沢諭吉から陸羯南へと連なる国民主義の最初からにひ弱い動向は、やがて国家主義の強力な支配の裡に吸いこまれていった。そのために下からの運動はむしろ国際主義いな世界市民的色彩をすら帯びざるをえなかった。長きにわたるウルトラ・ナショナリズムの支配を脱した現在こそ、正しい意味でのナショナリズム、正しい国民主義運動が民主主義革命と結合しなければならない。それは羯南の課題を継承しつつ、その中道にして止まった不徹底を排除することにほかならぬ。新聞『日本』は明治憲法発布の日に誕生した。…日本国民は羯南の警告にもかかわらず明治憲法に与えられた程度の貧弱な自由すら現実にまもり抜くことができなかった。改正憲法の公布にあたり、われわれは、国民に与えられた諸権利を現実に働くものたらしめ、進んでヨリ高度の自由を獲得するために、よほどの覚悟をもって、これまでに数倍する険峻をのりこえて進まなければならぬであろう。まさしく憲法祭に酔っているときではないのである。 丸山眞男「陸羯南-人と思想」(1947年) ⇒つまり戦後左翼の代表的思想家丸山眞男は、実は政府の欧化主義に抗して近代ナショナリズムを唱えた「明治期の日本主義」の直系の継承者である。 その丸山が、戦後に「ウルトラ・ナショナリズム(超国家主義…後述の「革新右翼」)」と勝手に同一視して糾弾したのが下記の「昭和の日本主義」であり、そのために広辞苑・大辞泉・wikipediaなどでは無視されたままになっていると考えられる。 ◆3.辞書による説明3:「昭和期の日本主義」 ブリタニカ国際百科事典より関連する項目の説明を引用します。 【安岡正篤】 やすおか・まさひろ(1898-1983) 陽明学者。思想家。幼少から漢籍に親しむ。東京大学法学部在学中に大正デモクラシーに抗して日本主義を唱え、早くから政・官・軍関係者にその名を知られる。1927年私塾・金鶏学院を設立して東洋思想の普及に努め、31年財界首脳をスポンサーに日本農士学校を設立する。第二次世界大戦中は小磯内閣の大東亜省顧問を務めたが終戦の詔勅の起草者の一人でもあった。49年全国師友協会を設立。指導者の教化に力を注ぐ。多くの政・財界人、文化人が師と仰ぎ、安岡の訓話を受けることが指導者の条件とまでいわれた。吉田茂・佐藤栄作・池田隼人ら官僚出身の歴代首相の求めに応じて指南役として助言したが、自らは生涯政治の表舞台に立つことはなかった。陽明学、東洋思想、人生論に関する多数の著書がある。 【紀平正美】 きひら・ただよし(1874-1947) 哲学者。帝国大学文化大学卒業。国学院大学・東洋大学講師を経て、1919年学習院大学教授。37年精神文化研究所の設立とともに所員となったが、研究所が43年教学錬成所に併合されたのちまもなく退職した。哲学思想としては、初めドイツ観念論を中心とした西欧哲学、特にヘーゲルの影響が強かったが、のち仏教思想を入れ、国民精神文化研究所時代は国家主義思想に傾斜していった。主著『行の哲学』(1931)、『知と行』(38)、『なるほどの哲学』(41)、『なるほどの論理学』(42)。 【国民精神文化研究所】 こくみんせいしんぶんか・けんきゅうじょ(1932年設置-1943年改組) 1932年「国民精神文化ニ関スル研究、指導及普及ヲ掌ル」(同官制1条)目的のもとに設置された文部大臣の直轄機関。前年に設けられた学生思想問題調査会の「我が国体、国民精神の原理を闡明し、国民文化を発揚し、外来思想を批判し、マルキシズムに対抗するに足る理論体系の建設を目的とする有力な研究機関」設置を求める答申を受けて設けられた。研究部、事業部、編集部、調査部、庶務部から成り、33年品川区上大崎に庁舎を新築した。『国民精神文化』(隔月刊)『国民精神文化研究』(半年刊)『国民精神文化月報』などの刊行、各種講習会・講演会などの開催を通じて国民思想政策の推進に寄与した。43年国民錬成所(1942設置)と統合して教学錬成所に改組された。 【国体の本義】 こくたいのほんぎ(1937年刊) 文部省編。1937年5月刊行。35年頃から高まった「国体明徴」「教学刷新」の意義を明らかにし、その精神を国民に徹底させることを企図した。神話と古典に依拠して、国史の諸過程を「肇国の精神の顕現」としてとらえるとともに、西洋近代思想を激しく排撃している。45年占領軍により『臣民の道』とともに発売禁止となったが、49年にはアメリカでJ.ガントレットの英訳が刊行され、今日にいたるまで研究材料とされている。 ※広辞苑・大辞泉などよりマシとはいえ、ブリタニカ百科事典でも「昭和期の日本主義」に関しては未だに肝心なこと(例として 原理日本社 、 蓑田胸喜 、 平泉澄 など)が記載されていません。 ※なお東欧民主化・ソ連邦解体(冷戦終結)後、既に20年が経過した現在では、戦後に左翼言論人によって激しく糾弾され、もしくは無視された蓑田胸喜など原理日本社同人や平泉澄など「昭和期の日本主義者」のマルクス主義批判・左翼容共思想批判は、論理的には、実に的を射た批判であったことが判明しています。 ◆4.「昭和期の日本主義」参考図書 ※西暦2000年代に入って漸く、戦後長く無視されてきた「昭和期の日本主義」に関する実証的な研究が本格化しました。 日本主義的教養の時代―大学批判の古層 竹内 洋 (編集), 佐藤 卓己 (編集) 2006.2刊内容(「BOOK」データベースより)戦前「護憲」の降魔剣“日本主義”を解明。「右翼」「反動」のレッテル貼りで忌避されてきた一九三〇年代“日本主義”の大学批判。マルクス主義的教養の機能的代替となった日本主義的教養の担い手たち。来るべき時代を読み解く画期的論集。目次第1章 帝大粛正運動の誕生・猛攻・蹉跌第2章 天皇機関説批判の「論理」―「官僚」批判者蓑田胸喜第3章 写生・随順・拝誦―三井甲之の思想圏第4章 英語学の日本主義―松田福松の戦前と戦後第5章 戦時期の右翼学生運動―東大小田村事件と日本学生協会第6章 日本主義的社会学の提唱―赤神良譲の学術論第7章 日本主義ジャーナリズムの曳光弾―『新聞と社会』の軌跡★未だに自虐史観どっぷりの東大・岩波系とは距離を置く京大系の学者達による昭和10年代日本の思想状況の共同研究プロジェクト全体のガイドライン的な位置づけの本。 日本主義と東京大学―昭和期学生思想運動の系譜 井上 義和 (著) 2008.6刊内容(「BOOK」データベースより)国家的危機の時代における大学の使命とは何か。欧化一辺倒の東京帝国大学に学風改革を迫り、高度国防国家を標傍する政府とも命がけの思想戦を繰り広げた東大生たち。戦時体制下で宿命的に挫折した“日本主義的教養”の逆説を読み解き、日本型保守主義の可能性を探る。目次第1章 「右翼」は頭が悪かったのか―文部省データの統計的分析第2章 政治学講義と国体論の出会い―『矢部貞治日記』を中心に第3章 学風改革か自治破壊か―東大小田村事件の衝撃第4章 若き日本主義者たちの登場―一高昭信会の系譜第5章 学生思想運動の全国展開―日本学生協会の設立第6章 逆風下の思想戦―精神科学研究所の設立第7章 「観念右翼」の逆説―戦時体制下の護憲運動第8章 昭和十六年の短期戦論―違勅論と軍政批判第9章 「観念右翼」は狂信的だったのか―日本型保守主義の可能性★現代の日本会議に繋がる国民文化研究会の母体となった昭和10年代の右翼学生運動の系譜を追い、左翼が壊滅した後、国家改造を進める革新右翼(国家社会主義者・アジア主義者)と激しく対立した観念右翼(伝統保守・日本主義者)の論理と実情を具体的に論証する好著 丸山眞男と平泉澄昭和期日本の政治主義 植村 和秀 (著) 2004.10刊内容(「MARC」データベースより)理性の民主派=丸山と、東大国史の歴史神学者=平泉。ともにマイネッケに感銘を受け、危機の時代に対峙した両者の思惟様式に論理的な共通性を見出し、戦前・戦後を貫通する日本ナショナリズムを再定位する。目次第1章 政論記者丸山眞男第2章 歴史神学者平泉澄第3章 正統の争い―平泉澄と丸山眞男第4章 平泉澄における忠誠と反逆第5章 丸山眞男にとっての忠誠と反逆第6章 昭和期日本の政治主義★昭和期日本主義を代表する歴史神学者・平泉澄と戦後民主主義の旗手・丸山眞男、昭和史を貫く両者の思想対立を鋭く分析した名著。 「日本」への問いをめぐる闘争―京都学派と原理日本社 植村 和秀 (著) 2007.12刊内容(「BOOK」データベースより)日本の危機を超克するための哲学は可能か。新世界秩序の創造を目指す、西田幾多郎ら京都学派。それを執拗に否定する、蓑田胸喜ら原理日本社。激しい思想戦から描き出す、斬新な近代日本思想史。目次第1章 西田幾多郎の哲学的挑戦―自己からの創造(西田幾多郎の「論理」、国家理由の問題―マイネッケへの苛立ち ほか)第2章 京都学派の世界史的挑戦―近代の超克(ヨーロッパ中心主義からの跳躍―鈴木成高、近代国家との訣別―西谷啓治 ほか)第3章 蓑田胸喜の西田幾多郎批判―禁忌としての日本(蓑田胸喜の執念、偶像を刻んではならない―カントとマルクスの「共通宿命」 ほか)第4章 蓑田胸喜の天皇機関説批判―原理日本社の公論(自我意識の極大化と絶対への欲求、「コトノハノミチ」という論理 ほか)第5章 京都学派対原理日本社―日本をめぐる闘争(絶対的なるものへの欲求、自己の責務 ほか)★東西文明の総合(止揚)としての「近代の超克」を説く西田幾多郎ら京都学派と、それを押しとどめ、あくまで日本の独自性に拘る蓑田胸喜ら原理日本社を対比して戦前・戦中期日本のもう一つの思想的可能性を描く。上3冊を読んだあとの+αとして。 ◆5.革新右翼(国家社会主義者)と観念右翼(伝統保守) 上記の 日本主義と東京大学―昭和期学生思想運動の系譜 によれば、左翼が一掃された昭和10年代の日本には、①革新右翼と②観念右翼の二大勢力があり、国内・国外の政策を巡って激しく対立したとされます。 ※ブリタニカ国際百科事典には「観念右翼」のみ項目があり、その中に「(国家社会主義者(組織右翼)」の説明があります(革新右翼を組織右翼とも呼んだ)。 【観念右翼】かんねん・うよく 特定の右翼党派ではなく、純粋な日本精神主義を思想や行動の原理とする諸団体。上杉慎吉をその源流とする。第二次世界大戦前の右翼運動を思想形態から分類すると、国家社会主義派(組織右翼)と日本精神主義派(観念右翼)に大別される。上杉の組織した桐花学園(1913創立)、蓑田胸喜、天野辰夫、菊池利房による興国同志会(19)、平沼騏一郎の国本社、興国同志会の流れをくむ七生社(25)などが観念右翼としてあげられる。 ※革新右翼と観念右翼の理念型( 日本主義と東京大学―昭和期学生思想運動の系譜 より引用) ①革新右翼 ②観念右翼 国家改造 国体明徴 高度国防国家 国民精神総動員 解釈改憲 護憲(不磨の大典) 指導者原理 臣道実践 統制経済 資本制擁護 親ソ・親独 反共・反独裁 世界史的な使命 日本史的な道統 陸軍統制派 陸軍皇道派 革新官僚 財界 無産政党 既成政党(現状維持派) 国家社会主義者 自由主義者 結論から言うと、この①革新右翼(国家社会主義+アジア主義)が日本を支那事変~大東亜戦争へと誘い込んだのであり、②観念右翼(伝統保守=昭和期の日本主義者)はそれに激しく抵抗したのだが、丸山眞男を始めとする所謂「戦後民主主義者(戦後市民派)」は、①・②を故意に同一視して「超国家主義者」「右翼」として貶め続けてきた(さらに言えば、橘孝三郎の一族の立花隆に典型的に見られるように①革新右翼が敗戦後たちまち「戦後市民派」に転向して②観念右翼を糾弾する側に回っている例が多々ある)。 ※以上の経緯は 右翼・左翼の歴史 を参照。 ※以下に、①革新右翼すなわち国家社会主義者の項目をブリタニカ百科事典より引用します。 ◆6.辞書による説明4:「超国家主義」 【北一輝】 きた・いっき(1893-1937) 国家社会主義運動の理論的指導者。本名輝次郎。1919年に執筆した『日本改造法案大綱』は陸軍青年将校の革命のバイブルとされた。1937年刑死。その他の著作『支那革命外史』(1915) 【大川周明】 おおかわ・しゅうめい(1886-1957) 日本国家主義運動の指導者。東京大学卒業後、満鉄入社。のち軍中央部と手を握り1931年の陸軍部内の一部青年将校が計画した三月事件、同年6月の満州事変を推進した。32年の五・一五事件に連座。第二次世界大戦後、極東国際裁判で連合軍によってA級戦犯として起訴されたが精神錯乱のため釈放された。 【橘孝三郎】 たちばな・こうさぶろう(1893-1974) 農本主義的国家主義者。第一高等学校を中退。郷里に帰って農耕のかたわら思索の生活を続け、大地主義、兄弟主義、勤労主義を三位一体とする農本主義精神に到達した。また長兄、次兄をはじめ一家一族のほとんどがともに同じ農場で働くことになり、兄弟村農場として世間の注目を集めた。1929年愛郷会を創設、31年には私塾愛郷塾を開いて農本主義的な運動を進め、血盟団の井上日召らと関係を結んで極右的・暴力的傾向を強めた。32年の五・一五事件では、愛郷塾生の多数が農民決死隊として参加、橘もこれに連座して無期懲役に処せられた。40年に出獄後、第二次世界大戦の敗戦を経て愛郷塾は「報本農場」として復活し、橘は再び農場経営を営むかたわら農民運動に関係した。 【井上日召】 いのうえ・にっしょう(1886-1967) 国家主義者。本名昭。血盟団を組織。一人一殺のテロを指導。血盟団事件により、1934年無期懲役確定。1940年恩赦で出獄。 ※以下に、①革新右翼すなわち国家社会主義者と親和的な「アジア主義」の関連項目をブリタニカ百科事典より引用します。 ◆7.辞書による説明5:「アジア主義」 【大アジア主義】 だい・アジア・しゅぎPan-Asianism 欧米列強のアジア侵略に抵抗するため、アジア諸民族は日本を盟主として団結すべきであるという考え方。明治初期以来、種々の視角から展開された。植木枝盛は自由平等の原理に基づきアジア諸民族が全く平等な立場で連帯すべきことを説き、樽井藤吉や大井健太郎は、アジア諸国が欧米列強に対抗するために連合する必要があり、日本はアジア諸国の民主化を援助すべき使命があると説いた。明治20年代になると、大アジア主義は明治政府の大陸侵略政策を隠蔽する役割をもつようになった。1901年に設立された黒龍会の綱領にもみられるように、その後の大アジア主義は天皇主義とともに、多くの右翼団体の主要なスローガンとされ、これに基づいて満蒙獲得を企図する政府・軍部の政策が推進された。日本人の大アジア主義的発想は、第二次世界大戦前・戦中の「大東亜共栄圏」構想を支えた。 【大東亜共栄圏】? 第二次世界大戦を背景に1940年第二次近衛内閣以降45年敗戦まで唱えられた日本の対アジア政策構想。その建設は「大東亜戦争」の目的とされた。東条英機の表現によれば、大東亜共栄圏建設の根本方針は、「帝国を核心とする道義に基づく共存共栄の秩序を確立」しようとすることにあった。しかし実際は、東アジアにおける日本の軍事的・政治的・経済的支配の正当化を試みたものに他ならなかったといえる。第一次近衛内閣当時の「東亜新秩序」は日本・満州・中国を含むものに過ぎなかったが、南進論が強まるにつれて、インド・オセアニアにいたる大東亜共栄圏構想に拡大された。大東亜省の設置と大東亜会議の開催は、このような方針の具体化に他ならない。 ◆8.まとめ 運動の性格 ① 明治期の日本主義 政府の欧化主義に反発し、国粋主義/国権主義(特に政府の欧米協調路線に反対する攘夷主義)を主張した言論活動(政論的ジャーナリズム) 他国の侵略から自国・自民族を守る(解放的ナショナリズム) 右翼思想 当初は国粋主義的だった在野言論人の活動は、明治末・大正期に日本が大国化したのちも反骨精神は全く変わらず、今度は次第に左翼思想に理解を示す者が出てきた(左右等価気分説(※1))。更に彼らは、戦後は進歩派・市民派左翼文化人として活発に活動した(長谷川如是閑・丸山眞男etc.)。 ② 昭和期の日本主義 皇道・国体思想を強調して、社会主義やマルクス主義の思想侵略の脅威への対抗イデオロギーとして機能した思想活動 全体主義の脅威から自国の歴史・伝統に根差した自由を守る(日本型保守主義) 保守思想 日本精神主義派(観念右翼)。日本主義的教養を武器に学生・知識人の左傾化を防止し日本精神に目覚めさせると共に、革新右翼の狙う国家改造・解釈改憲・国家経済の社会主義化、更には戦争の長期化を「護憲」の立場から制止・抑制するために奔走。いざ戦争が激化すると国防のために生死を厭わず護国のために尽くした者が多い。 ③ アジア主義 アジア諸民族を白人支配から解放するという大義を掲げ、実際にも明治期の孫文を初めインドのB.ボース、フィリピンのアギナルドらの独立運動と連動しつつ遂行された日本の勢力拡張運動。 アジア諸民族の独立を支援する(排白人主義)(拡張的ナショナリズム) 極右思想 国家社会主義派(組織右翼=革新右翼)と重なる。代表的イデオローグとして5.15事件に関与した大川周明、2.26事件に連座した北一輝。革新右翼は2.26事件暴発後に勢力を急拡大し三木清など転向左翼の多数が近衛内閣のブレーン集団を形成して国策を左右した。※詳しくは 右翼・左翼の歴史 参照 ※「保守」「右翼」「極右」の違いは ナショナリズムとは何か 参照 ※1:左右等価気分説…右傾化も左傾化も既成勢力に対する反抗という意味で基本的に同じ心情に基づくものであり、状況が変化すれば左・右転換は容易とする説。 ◆9.辞書による説明6:「京都学派」と「近代の超克」 ※この他に、④として大東亜戦争開始後に「近代の超克」を唱えた西田幾多郎門下の「京都学派」があるのでブリタニカ百科事典から簡単に引用する。 【京都学派】きょうと・がくは 西田幾多郎および田辺元の哲学探究の伝統を引継いだ京都大学哲学科出身の哲学者たちのグループの総称。1919年田辺が西田によって京大に招聘されて以来両者はともに自己の哲学を創造し、「固体存在の論理」としての西田哲学に対し「社会存在の論理」としての田辺哲学は決定的に対立するようになるが、その真摯な相互批判を通して京大哲学科には活気に満ちた独自の学風が形成され三木清・戸坂潤らをはじめとする多くの哲学徒が参集した。三木・戸坂らはやがてマルクス主義に傾斜しこの学派から離れるが、次いで高坂正顕、西谷啓治、高山岩男、鈴木成高らのグループが現れ、第二次世界大戦期において世界新秩序論としての「世界史の哲学」を提唱し同戦争の合理化を行いこの学派の旗幟を鮮明にした。普通この高坂・西谷・高山・鈴木らのグループを指して狭義の京都学派と呼ぶことが多い。 【近代の超克】きんだいの・ちょうこく 太平洋戦争勃発直後の1942年、雑誌『中央公論』および『文学界』において論じられたテーマ。川上徹太郎、亀井勝一郎、小林秀雄、林房雄、吉満義彦らの文芸評論家が欧米文化の克服を論じたものである。西欧近代からのアジアの解放を標榜した大東亜戦争を肯定的に受け止めようとする知識人がそこに根拠を求めようとした。思想的には深められないまま終わったが、第二次世界大戦後竹内好がその意義をあらためて主張した。またソ連を頂点とした共産圏崩壊後、新しい国際関係が模索されるなかで、再びその意味を問う声もある。 ※以上で、「日本主義」および関連する「アジア主義」「近代の超克」など諸用語の辞書的な説明を終わります。 ※以下より、戦前日本の思想状況、特に左翼・右翼の両翼の思想運動についてまとめます。 ■3.近代日本の思想状況 ◆1.右翼・左翼学生運動関連年表( 日本主義と東京大学―昭和期学生思想運動の系譜 より引用) 和暦 西暦 出来事 藤島利郎による区分 丸山眞男による区分 右翼学生運動 左翼学生運動 日本ファシズム運動 明治元~ 1868~ 明治維新 第1期:萌芽期 大正7 1918~ 第一次世界大戦終結 第2期:台頭期(後半) 台頭期(前半)~全盛期(後半) 第1期:準備期 昭和5 1930 ロンドン海軍軍縮条約 第3期(第1小期):勃興期 潜行期 (民間における右翼運動の時代) 昭和6 1931 満州事変 第3期(第2小期):興隆期 凋落期 第2期:成熟期 昭和7 1932 五・一五事件 ↓ ↓ (急進ファシズムの全盛時代) 昭和8 1933 京大滝川事件 ↓ ↓ ↓ 昭和9 1934 ↓ ↓ ↓ 昭和10 1935 天皇機関説事件 ↓ ↓ ↓ 昭和11 1936 ニ・ニ六事件 ↓ ↓ 第3期:完成期 昭和12 1937 支那事変 第3期(第3小期):全盛期 準壊滅期 (日本ファシズムの完成時代) 昭和13 1938 ↓ ↓ ↓ 昭和14 1939 ↓ ↓ ↓ ¦ ↓ ↓ ↓ 昭和20 1945 第二次世界大戦終結 右翼学生団体創立ブーム 左翼学生運動台頭~全盛期 ※つまり戦前期の実証的な学生思想運動の研究によれば、大正期から昭和初期にかけて(1910年代の終わりから1920年代)の日本の大学は非常に自由な知的環境にあり、上の図の赤塗部分の通り左翼学生運動が隆盛していた(ロシア革命の影響→後期は経済恐慌の影響)。それが当局により問題視され弾圧を受け始めるのは1928年の三・一五事件以降である。 ※満州事変が勃発する1930年代になると今度は、右翼学生運動が盛んになり、天皇機関説事件からニ・ニ六事件の頃に、一時的に下火になるものの支那事変勃発でブームが再開した(その後、第二次近衛内閣の新体制運動による統制の強化により、学生右翼運動も下火になる)。 嘗て左翼学生運動の華やかなりし時代或人は謂った。学生には四種ある、①最も頭脳明晰な学生は社会科学を研究して結局左翼運動に奔り、②次に位する者は専心に学校の過程を勉強し、③次に位する者は映画演劇麻雀撞球等の享楽に奔り、④最も下級に在る者のみが右翼運動に参加するに至ると、然し是は今日の右翼運動に関する限りは当を得て居ない。 藤嶋利郎(司法官僚)『最近に於ける右翼学生運動について』(1940年(昭和15年)司法省刑事局刊) ※上は、大正期に大学時代を過ごした元左翼学生の司法官僚の昭和15年の回想である。これはまるで最近の団塊世代の言いそうな感想であり、戦前の日本が思想的に暗黒時代だった、という戦後左翼の刷り込みは全く根拠がないことが、これだけでも分かると思う。 ◆2.近代日本の思想状況(まとめ) 区分 時期 内容 (1) 復古主義v.s.文明開化の時代 明治維新~西南戦争終結(1867-1877) 復古主義的文教政策を推進する勢力(主に公家・薩摩閥)と開明政策を推進する勢力(主に長州閥)が拮抗したが、西南戦争の結果、開明派が勝利した。 (2) 欧化主義v.s.政論的ジャーナリズムの時代 鹿鳴館時代~日露戦争開始(1878-1904) 「殖産興業」「富国強兵」「和魂洋才」等をスローガンに政府による強力な欧化政策が遂行された。その一方で在野の不平士族などを中心に「有司専制」に反対する政論的ジャーナリズムが登場。自由民権運動として知られる初期の立憲デモクラシー要求や、欧化主義に反対する「(明治期の)日本主義」と呼ばれる国粋主義運動も勃興し一定の影響を及ぼした。明治憲法制定(1889)・帝国議会開設(1890)などはそれらのせめぎ合いの成果である。 (3) 大正教養主義の時代 ポーツマス条約締結~第一次大戦による好景気(1905-1917) 明治期の悲願であったロシアの脅威の排除と不平等条約改正という大目標を達成したこの時期の日本では、政治よりも(西欧産の)哲学・文学など文化的教養に重きをおく風潮が顕著になり(大正教養主義)、それが政治面にも作用して議会制デモクラシーの確立を目指す動きが強まった(大正デモクラシー)。第一次大戦によって日本の富強化は一段と進展した。 (4) マルクス主義的教養の時代 ロシア革命~4.16事件(共産党員の大量検挙)(1918-1930) 1917年10月にロシアで共産主義革命が起こり、また第一次大戦の敗戦の結果ドイツ・オーストリア・トルコなどの帝国が倒れて共和国化した影響で、「歴史の必然的な発展法則」を説くマルクス主義思想が折柄の大正期の自由な知的環境の中で急速に知識人・学生層に影響力を拡大した(1918年東大新人会発足・・・当初は吉野作造の民本思想などの研究が中心だったが急速にマルクス主義思想に傾斜。1928年解散)。「革命の輸出(世界革命)」を目論むロシア共産党は1919年コミンテルン(国際共産党組織)を作り、その下部組織として日本共産党が結党され27年テーゼ(綱領)では公然と「天皇制打倒」を掲げるに至ったため、3.15事件(1928年)・4.16事件(1929年)で治安維持法に基づく共産党員の一斉検挙が実施された。このとき将来の国家を担うべき東大京大を初めとする全国32大学148名の現役学生が検挙された事実は政府当局を震撼させ「思想国難」と認識されるようになった。この共産党員の一斉検挙後も東大・京大など有力大学にマルクス主義に染まった多数の教授が大正期以来の「学問の自由」「大学の自治」を盾に居座り続け、それが排除されるのはコム・アカデミー事件(1936年)・人民戦線事件(1938-39年)に至ってからであった。 (5) 日本主義的教養の時代 満州事変勃発~ポツダム宣言受諾(1931-1945) マルクス主義への対抗イデオロギーとしての役割が、日本主義(日本の歴史・伝統に則った精神的姿勢の追求)に担わされた。その一方で、実際の国策指導・戦争指導は、特に近衛文麿内閣の成立後は、日本主義を奉じる観念右翼(伝統保守)ではなく革新右翼(国家社会主義者・アジア主義者)によって実施される場合が多く、観念保守はその動きに「護憲」の立場から歯止めをかけるのに精一杯だった。 (6) 戦後民主主義(教養主義の没落)期 GHQの占領~冷戦終結(1945-1990) (4)マルクス主義的教養の時代に思想形成し、それゆえに(5)日本主義的教養の時代には思想弾圧を受けたと感じているアカデミズムやジャーナリズムの人士が、GHQの占領政策に乗じて、そうした恨みを存分に晴らす機会を得て跳梁跋扈し、その影響が現在も続いている。 (7) ポスト冷戦期 ソ連邦崩壊~現在まで(1991-) 上記の通り、西暦2000年代に入ってようやく戦前の政治思想の状況を実証的に見直す動きが顕在化してきた。 ■4.戦前日本の思想を考える様々な参考図書 歴史学 (ヒューマニティーズ) 佐藤 卓己 (著) 2009.5刊内容(「BOOK」データベースより)情報化、グローバル化が加速するメディア社会。公議輿論の足場として、歴史的教養の重要性はますます高まっている。しかし、こうした現実の課題に対して、「大きな物語」が失われたあと、これまでの歴史学は充分に応えてきただろうか。公共性の歴史学という視点から、理性的な討議を可能にする枠組みとして二一世紀歴史学を展望する。★評価著者は 日本主義的教養の時代―大学批判の古層 の中心的編集者で良くも悪くも現在の歴史学の水準を体現している人物。ヒューマニティ・シリーズの一冊として、敢えて従来の「(ゴリゴリの)自虐史観」からは距離を置くこのような著者の本が、あの(戦後一貫して自虐史観で真っ黒だった)岩波書店から出版されたこと(出版せざるを得なくなったこと?)は非常に意義深いことである。但し現在の歴史学の限界をも露呈する一冊とも読める。果たして次の世代は、この限界をどれだけ乗り越えられるのかに注目したい。 日本の思想 丸山眞男 (著) 1961.11刊内容(「BOOK」データベースより)現代日本の思想が当面する問題は何か。その日本的特質はどこにあり、何に由来するものなのか。日本人の内面生活における思想の入りこみかた、それらの相互関係を構造的な視角から追究していくことによって、新しい時代の思想を創造するために、いかなる方法意識が必要であるかを問う。日本の思想のありかたを浮き彫りにした文明論的考察。★評価その思想の偏り、事実関係の歪曲・捏造ぶりが散々に指摘される丸山眞男の代表的著作。よく読むと丸山と同時代人である蓑田胸喜や平泉博士や京都学派の高山岩男といった今では世間一般では忘れられた思想家、さらには「日本主義」「近代の超克」からエドマンド・バークやカール・ポパーにまで言及している箇所があり、そうした意味でも興味深い。 現代政治の思想と行動 増補版 丸山眞男 (著) 1964刊 1974増補出版社 / 著者からの内容紹介戦後日本を代表する政治学者・丸山眞男の『日本政治思想史研究』(東京大学出版会)にならぶ主著。「戦後日本社会科学の精神的起点の一つ」(道場親信)と評され、「丸山学派」とよばれる多くの学者に影響を与えた。三部に分けられ20本の論文が収録されている。各論文は、講演調、書簡体、対話体と、ヴァラエティにとんだ歯切れのよい文体でつづられており大変読みやすく、また著者自身による詳細な「追記および補註」も読者の理解を助けてくれる。第一部には「日本ファシズム」をめぐる論考がおさめられている。特に「超国家主義の論理と心理」の与えたインパクトは大きく、その後の天皇制分析の出発点となった。「軍国支配者の精神形態」では「無責任の体系」というキーワードで日本の支配機構を分析、戦争責任問題の分析への道をひらいた。第二部にはファシズムと同時に共産主義の問題も論じている。第三部では政治学の基本的な概念を整理した文章がならんでおり、著者自身の時代状況への対応も見ることができる。「現代における人間と政治」では、『独裁者』などチャップリンの映画からときおこし、知識人の役割についての考察を深めている。半世紀たった今も、全く色あせるどころかますます輝きをます政治学的考察の宝庫。★評価中共と毛沢東を激賞しスターリンの「功績」をも懸命に擁護して、日本とアメリカの「ファシズム化」に警鐘を鳴らし続けて「本物の知識人」たちを“啓蒙”した丸山眞男の主要論文集。怪番組NHK JAPANデビュー第二回:天皇と憲法の思想的な源流もここにある! 丸山眞男の時代 竹内 洋 (著) 2005.11刊内容(「BOOK」データベースより)戦後の市民による政治参加に圧倒的な支配力を及ぼした丸山眞男。そのカリスマ的な存在感の背景には、意外なことに、戦前、東大法学部の助手時代に体験した、右翼によるヒステリックな恫喝というトラウマがあった。本書は、六〇年安保を思想的に指導したものの、六〇年代後半には学生から一斉に背を向けられる栄光と挫折の遍歴をたどり、丸山がその後のアカデミズムとジャーナリズムに与えた影響を検証する。★評価『日本主義的教養の時代―大学批判の古層』のもう一人の中心的編集者。1942年生まれの著者はまさしく学生時代に丸山眞男の強い影響を受けた世代だが、それだけに鋭く丸山氏の矛盾点・問題点を突いている。戦前から続く丸山と蓑田胸喜の浅からぬ因縁、戦後の学生運動への共産党の干渉、1960年の安保闘争、その後の全共闘など「丸山眞男の時代」を簡潔に描き出しており、読み易い。 自虐史観もうやめたい!―反日的日本人への告発状 谷沢永一 (著) 2005/06 内容もう中国・韓国に謝るな! いかにも禍々しい日本罪悪論をはじめて言い出した発頭人は誰なのか。日本の世論をミスリードしてきた「進歩的文化人」、日本罪悪論の火元12人を徹底批判。 <目次> こんな国家に誰がした ― 今も続く、スターリンの呪縛 「日本は第二次大戦の主犯」と言う歴史の偽造家 ― 戦後の学界、言論界の大ボス・大内兵衛への告発状 「ソ連はすべて善、日本はすべて悪」の煽動者 ― 日本罪悪論の海外宣伝マン・鶴見俊輔への告発状 国民を冷酷に二分する差別意識の権化 ― 戦後民主主義の理論的指導者・丸山眞男への告発状 栄達のため、法の精神を蹂躙した男 ― 反日的日本人の第一号・横田喜三郎への告発状 金日成に無条件降伏の似非出版人 ― 進歩的文化人の差配人・安江良介への告発状 恫喝が得意な権力意識の化身 ― 「進歩的インテリ」を自称する道化・久野収への告発状 祖国をソ連に売り渡す“A級戦犯” ― 進歩的文化人の麻酔担当医・加藤周一への告発状 その正体は、北京政府の忠実な代理人 ― 日本の伝統の徹底的な否定論者・竹内好への告発状 最も無責任な左翼・教条主義者 ― マスコミを左傾化させた放言家・向坂逸郎への告発状 日本を経済的侵略国家と断定する詭弁家 ― 現代の魔女狩り裁判人・坂本義和への告発状 国家間の原理を弁えない謝罪補償論者 ― ユスリ、タカリの共犯者・大江健三郎への告発状 近代日本を全否定した国賊 ― 進歩的文化人の原型・大塚久雄への告発状 ★評価書誌学者 故・谷沢永一氏による好著。青年時代に一時共産党員だった経歴を持つ著者だけに12人の国賊文化人たちへの批判が実に的確。目次だけでも読む価値あり。 日本とドイツ 二つの全体主義 「戦前思想」を書く 仲正 昌樹 (著) 2006.7刊出版社/著者からの内容紹介「戦後思想」があるとすれば、「戦前思想」もあっておかしくないような気がするが、あまり聞かない。しかし「日本とドイツ」に限って言えば、一八七〇年前後から、第二次大戦が本格化する一九四〇年前後までの約七十年間を取ると、結構、意味のある比較をすることができる。何故かというと、両国とも一八七〇年頃に、西欧的な意味での近代国家を形成し、(英国やフランスに比べて)遅ればせながら、[国民国家としての統合→帝国主義的拡張]のプロジェクトに乗り出し、最終的に「(西欧)近代の超克」を目指して全体主義体制を構築し、戦争へと突入していったからである。(「プロローグ」より) ★評価戦前日本の思想状況について通史的な図書が他に見当たらないため内容にはかなり問題があるもののこの本を薦めざるを得ない。著者は元統一教会信者であり、皇室に対する本質的敬意に欠け、かつ安倍元首相に対する敵意を剥き出しにする人物だが、これが現在の思想界の水準(および限界)と考えてよいと思う。次の世代がこれをどれだけ乗り越えられるか。 『昭和の思想』 植村和秀(著) 2011.11刊・内容説明昭和の思想を総体的に俯瞰する画期的論考。思想弾圧と戦争の暗さ。世界に挑戦する日本という明るさ。奇妙な時代=戦前昭和期を中心に、丸山眞男・平泉澄・西田幾多郎・簑田胸喜の思想から時代の本質を剔る・内容(「BOOK」データベースより)「戦前=戦後」だけでなく、昭和はつねに「二つの貌」を持っていた。皇国史観から安保・学生運動まで、相反する気分が対立しつつ同居する昭和の奇妙な精神風土の本質を、丸山眞男・平泉澄・西田幾多郎・蓑田胸喜らの思想を元に解読する。・目次第1章 日本思想は二つ以上ある第2章 思想史からの靖国神社問題―松平永芳・平泉澄第3章 思想史からの安保闘争・学生反乱―丸山眞男第4章 思想史からの終戦と昭和天皇―阿南惟幾・平泉澄第5章 思想史からの世界新秩序構想―西田幾多郎・京都学派6章 思想史からの言論迫害―蓑田胸喜第7章 二〇世紀思想史としての昭和思想史★評価2010年11月に出版された好著。戦前から戦後及ぶ昭和期日本の思想状況が、要点を絞って明瞭かつ簡潔にまとめられている。非常にお勧め。 ■5.ご意見、情報提供 ↓これまでの全コメントを表示する場合はここをクリック +... 日本主義・・・?なんか反欧米的な臭いがしますが。反欧米・アジア主義なんか掲げていると特亜と同類になるぞ。アジアの中でも西欧的で合理的な日本は愛するべきだが、アジア主義(そもそもアジアというものは地理的概念以上の意味などないのだが)に染まった日本などたまらんな。 -- 名無しさん (2011-06-27 03 59 33) ↑◆5.革新右翼(国家社会主義者)と観念右翼(伝統保守) の図表を見てください。昭和期の日本主義者はアジア主義や国家社会主義と対立的です。 -- 名無しさん (2011-06-28 21 48 21) 一時期、反抗期と記載するのを禁止された事がありましたが、誰が禁止したのでしょうか。 -- 定塚甫 (2011-10-23 01 48 32) 昭和期の日本主義の思想に英米保守主義を混ぜて大成したらすごい物ができる気がします -- 名無しさん (2012-03-03 00 33 39) 自律思想・・・日本主義+α、他律思想・・・武士道、経済思想・・・無し -- 日本人の核となる思想 (2014-12-21 23 28 26) ・・・ W.G.I.P.に洗脳された人々 ・・・ -- 月光(A.H.) (2016-01-31 10 42 31) 以下は最新コメント表示 日本主義・・・?なんか反欧米的な臭いがしますが。反欧米・アジア主義なんか掲げていると特亜と同類になるぞ。アジアの中でも西欧的で合理的な日本は愛するべきだが、アジア主義(そもそもアジアというものは地理的概念以上の意味などないのだが)に染まった日本などたまらんな。 -- 名無しさん (2011-06-27 03 59 33) ↑◆5.革新右翼(国家社会主義者)と観念右翼(伝統保守) の図表を見てください。昭和期の日本主義者はアジア主義や国家社会主義と対立的です。 -- 名無しさん (2011-06-28 21 48 21) 一時期、反抗期と記載するのを禁止された事がありましたが、誰が禁止したのでしょうか。 -- 定塚甫 (2011-10-23 01 48 32) 昭和期の日本主義の思想に英米保守主義を混ぜて大成したらすごい物ができる気がします -- 名無しさん (2012-03-03 00 33 39) 自律思想・・・日本主義+α、他律思想・・・武士道、経済思想・・・無し -- 日本人の核となる思想 (2014-12-21 23 28 26) ・・・ W.G.I.P.に洗脳された人々 ・・・ -- 月光(A.H.) (2016-01-31 10 42 31) 名前 ラジオボタン(各コメントの前についている○)をクリックすることで、そのコメントにレスできます。 ■左翼や売国奴を論破する!セットで読む政治理論・解説ページ 政治の基礎知識 政治学の概念整理と、政治思想の対立軸 政治思想(用語集) リベラル・デモクラシー、国民主権、法の支配 デモクラシーと衆愚制 ~ 「民主主義」信仰を打ち破る ※別題「デモクラシーの真実」 リベラリズムと自由主義 ~ 自由の理論の二つの異なった系譜 ※別題「リベラリズムの真実」 保守主義とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ ナショナリズムとは何か ケインズvs.ハイエクから考える経済政策 国家解体思想(世界政府・地球市民)の正体 左派・左翼とは何か 右派・右翼とは何か 中間派に何を含めるか 「個人主義」と「集産主義」 ~ ハイエク『隷従への道』読解の手引き 最速!理論派保守☆養成プログラム 「皇国史観」と国体論~日本の保守思想を考える 日本主義とは何か ~ 日本型保守主義とナショナリズムの関係を考える 右翼・左翼の歴史 靖國神社と英霊の御心 マルクス主義と天皇制ファシズム論 丸山眞男「天皇制ファシズム論」、村上重良「国家神道論」の検証 国体とは何か① ~ 『国体の本義』と『臣民の道』(2つの公定「国体」解説書) 国体とは何か② ~ その他の論点 国体法(不文憲法)と憲法典(成文憲法) 歴史問題の基礎知識 戦後レジームの正体 「法の支配(rule of law)」とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ 立憲主義とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ 「正義」とは何か ~ 法価値論まとめ+「法の支配」との関係 正統性とは何か ~ legitimacy ・ orthodoxy の区別と、憲法の正統性問題 自然法と人権思想の関係、国体法との区別 「国民の権利・自由」と「人権」の区別 ~ 人権イデオロギー打破のために 日本国憲法改正問題(上級編) ※別題「憲法問題の基礎知識」 学者別《憲法理論-比較表》 政治的スタンス毎の「国民主権」論比較・評価 よくわかる現代左翼の憲法論Ⅰ(芦部信喜・撃墜編) よくわかる現代左翼の憲法論Ⅱ(長谷部恭男・追討編) ブログランキング応援クリックをお願いいたします(一日一回有効)。 人気ブログランキングへ
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原子力発電 ★ 泊原発廃炉訴訟:北電「絶対的安全は不可能」 初弁論で請求棄却求める 「毎日jp 大盛り北海道(2012.2.14)」より ・北電側は「原告は発電所の危険について具体的な主張をしていない」と反論。さらに「科学技術を応用した機器、装置、施設は、常にある程度の危険の可能性を持っている」との見解を示したうえで、泊原発は多重防護の考えに基づく事故防止対策で安全性が確保されていると主張した。 ■ 御用学者列伝番外編 大槻義彦名誉教授の勘違い 「逝きし世の面影(2012.2.13)」より ・それ自体には幾ら素晴らしい性能があるとしての、今のように制御する能力が無い者達は絶対に扱ってはならない。 『暴走を止めれない』し『そもそも止める技術も無い』なら、危険すぎて扱う資格自体が『現在は無い』との基本原則を忘れている。 これでは残念ながら『科学馬鹿』といわれて仕方ない大槻氏ですが、東電の事故対応に対しては科学的に冷静に観察している。 ■ 仏会計検査院が出してきた原発お会計 「onaironaironair(2012.2.1)」より ・フランスの会計検査院は、将来的にフランス国内に58基ある原子炉をすべて廃炉にした場合、およそ1兆8000億円の費用がかかるとする報告書を公表しました。 電力供給の80%近くを原子力に依存するフランスは、東京電力の福島第一原子力発電所の事故をきっかけに、原子力発電のコストの検証を進めてきました。フランスの会計検査院が先月31日に公表した報告書によりますと、将来的に58基ある原子炉をすべて廃炉にして解体した場合、電力会社の試算では180億ユーロ(日本円にしておよそ1兆8000億円)の費用がかかるということです。さらに、放射性廃棄物の最終処分にも、およそ2兆8000億円かかるとしています。 ・でもさ、コレに、「もしも・・・」とか、まぁ、色々既にウチらが想像つく限りの範囲でさ、あんな事や、こんな怖いことなど無理にでも予測というか、想像するとさ、はっきり言って、こんな仏会計検査院のお得意技で出してきてる報告書の「お会計」なんて一瞬にして吹き飛ぶと思うけどね。 ★ 仏“全原発の廃炉に1.8兆円” 「NHKニュース(2012.2.1)」より / 魚拓 ・また、日本でも放射性廃棄物の処分など原発にかかるコストを試算する作業が行われていて、フランスの報告書が参考になるという見方もあります。 【「フリーライター宮島理のプチ論壇」より】 ★★ ■ 「正義」を簡単に着替える日本人 (2011.6.25) ・日本人は何も変わっていない。無定見に「正義」を着替え、いかなる「正義」にも便乗しない者を絶えず感情的に攻撃する。 ・戦後になって、軍部や右翼に同調していた「世論」は、一転して軍部と右翼を叩き、「民主主義者」となり「平和主義者」となった。明治憲法は当然改正されるべきだということになり、天皇機関説により「リベラル」と思われていた美濃部は、反明治憲法陣営(およびGHQ)から、力強い味方として期待されていた。 しかし、美濃部は「軍国主義者」にも「平和主義者」にも阿らない。自分の憲法学を貫き、新憲法制定(明治憲法改正)は無効であると主張した。 ・戦前、津田左右吉は、その実証主義的な記紀研究が皇室の尊厳を犯しているとして、これまた軍部や右翼から批判されていた。戦後になり、「尊皇主義者」から「反天皇主義者」に「転向」した人々にとって、津田は反天皇運動の味方になると期待された。 ところが、津田は1946年に「建国の事情と万世一系の思想」という論文を発表し、天皇制廃止を否定した。そのため、反天皇運動からは激しく批判されることとなったのである。 ・積極的原発推進路線にも原発即時廃止路線にも阿らない人々は、現在、息を潜めてジッとしている。積極的原発推進路線から原発即時廃止路線に「転向」し、絶えず「正義」を振りかざす人々の感情が収まるまで、何も言わないのが得策だとあきらめているのだろう。 --------------- ■ 反原発は反普天間と同じ結末招く (2011.6.24) ・政府が感情的な運動を煽っておきながら、結局は最悪の意味での現状維持に終わる。民主党政権になってから繰り返されているのは、その場限りで感情を発散できればいいという「退行」である。 ・政府が感情的な反普天間運動を煽ったことによって、割を食ったのは、普天間基地周辺の住民である。民主党政権は選挙向けのリップサービスのつもりでしかなく、運動家は運動家でその場限りの感情を発散できればいいのかもしれないが、住民には生活がかかっている。民主党政権と反普天間運動の無責任なタッグが、最悪の意味での現状維持を招いてしまった。 ・同じことは「脱原発」についても言える。民主党政権と反原発運動の無責任なタッグが、おそらく最悪の意味での現状維持を招くことになるだろう。 ・私が民主党政権と反原発運動の無責任なタッグに批判的なのは、彼らが最優先で取り組むべき課題を結果的に妨害し、さらには中長期的なエネルギー政策までオモチャにしているからだ。原発事故を受けてまず取り組むべきことは、現場作業員の環境改善、原発周辺汚染地域の除染、避難民の生活である。それなのに、彼らは原発から遠く離れた都市部住民の「(過敏な)安全安心」を優先し、原発周辺住民を後回しにしている。 ■ 村上春樹氏「原発批判」演説ノーカット【2011.6.9 バルセロナ 「カタルーニア国際賞」受賞スピーチ】 「MONOSEPIA内ページ」 ■ 朝日ジャーナル「原発と人間」特集号 - 呆れた編集部 「世に倦む日日(2011.6.10)」より ・藤田祐幸は次のように書いている。「戦後の被曝影響評価の土台になったのは、占領軍が被爆地日本に設立したABCC(原爆障害調査委員会)の膨大な資料であった。彼らは、原爆被曝者たちを、治療するのではなく、放射線影響の観察の素材として扱った。(中略)80年には影響評価の基礎になっていた被曝者たちの被曝線量の見積もりに誤りがあったことが明らかとなり、なおいっそう被曝限度は切り下げられ、年間1ミリシーベルトを限度とするよう定められた。(中略)この広島・長崎の被曝者たちの命と引き換えに定められた基準を、緊急時であるという、ただそれだけの理由で打ち捨てる被爆国日本の政府の態度は、ヒロシマ・ナガサキの被曝者たちの痛恨の人生を裏切る、許されざる行為であると言わざるを得ない」 ■ フェアウィンズアソシエーツ・アーニー・ガンダーセン:「福島第1原発事故の教訓」 「EX-SKF-JP(2011.5.26)」より ・フェアウィンズ・アソシエーツのアーニー・ガンダーセン氏の最新(5月22日)のビデオの翻訳です。 ・福島第1原発の事故の教訓ということで、現在稼動中のアメリカの原発の福島同様の問題点、当局と事業者の馴れ合いを指摘しています。まあ、ご安心くださいというのもなんですが、東電と政府、規制担当のはずの保安院などとの馴れ合いは、日本に限ったことではありません。日本だけが特別ひどいわけではなく、たまたま事故になってしまったのでこれまでのいい加減な規制、馴れ合いがばれてしまった、というところでしょうか。 注:このビデオの日本語訳は、ブログにあります。 The Implications of the Fukushima Accident on the World s Operating Reactors from Fairewinds Associates on Vimeo. ■ 放射性物質の安全処理の切り札「オメガ計画」の行方 「浜田和幸オフィシャルブログ(2011.5.8)」より ・原子力関係者の間では知られているが、高レベル放射性廃棄物を安全に処理するための先進的な研究として、1989年にスタートしたもの。 文部科学省が主管庁となり、わが国の原子力研究機関が英知を結集して半減期の長い放射性物質を素早く安全に処理する技術を開発してきたはず。 このところ話題のセシウムやヨウ素などを核反応を利用して短寿命に変え、放射能を消滅させることを目指してきた。 実は、この日本発の研究がきっかけとなり、フランス、ロシア、アメリカでも放射性物質の分離、消滅処理に関する研究が進むようになったほど。 たとえば、「半減期が30年といわれるセシウムを45分で処理できるようになる」とまで言われた。 --------------- ■ 文科省はこれ早く探せよ 「nikaidou.com(2011.5.24)」より 〔Wikipedia【オメガ計画】より〕 ☆ 群分離・消滅処理技術研究開発長期計画 「原子力委員会-放射性廃棄物対策専門部会(昭和63.10.11)」より ☆ 原子力委員会バックエンド対策専門部会報告書「長寿命核種の分離変換技術に関する研究開発の 現状と今後の進め方」(平成12年3月31日)概要pdf. ☆ 長寿命核種の分離変換技術に関する研究開発の現状と今後の進め方pdf.(平成12.3.31) ■ 良心的な科学者や番組製作者が奮闘している! 「杉並からの情報発信です(2011.5.19)」より ・このドキュメンタリー番組は、福島第1原発第2号炉が水素爆発した3月15日に一人の科学者が原発事故によって飛散した放射線物質の汚染状態を調査するために現地入りした約2か月間の活動を記録したものです。 実地調査したのは木村真三さんという若い科学者で目的は詳細な「放射能汚染地図」を作成することでした。 ・京大原子力実験所の小出さんや今中さんにしろ今回の木村真三さんら「自己の信念に忠実に生きようとする」良心的な科学者が勤務先をやめたり劣悪な待遇に甘んじながらも黙々と真実を追及している姿が描かれています。 NHKにもまだ良心的な番組製作者が残っているのだということが良くわかる番組です。 --------------- ■ ETV特集 ネットワ―クで作る放射能汚染地図 「vimeo」より ETV特集 ネットワ―クで作る放射能汚染地図 from Egg Rice on Vimeo. ■ 【福島原発】5/16/月★東電すら事態の把握が出来ないのなら、なお深刻 「Youtube〔nyugankenshinさん〕」より ・福島原発事故の現状について 京都大学原子炉実験所小出裕章先生に聞く Youtubeのコメントより ・日本社会は原理原則が希薄で、何事も空気(nyu-ma)で決定すると分析した故小室直樹博士の言葉が、重く現在の我々の胸に突き刺さる。 浜岡原発停止決定以降、全てのTVから御用学者たちが退場した。テレ朝などは朝のワイドショーに小出先生のインタビュー映像を流しており、我が目を疑った。 この節操の無さに呆然とした人々が殆どではないだろうか。 連日コツコツとアップし続けてくれているnyugankenshinさんに恥ずかしくはないか、マスコミ人よ。我々はこの方の素性を知らない。しかし、隣人のように日常見ていた局アナやコメンテーターより、よほど信頼に足る人間だろうと想像するのだ。 nyugankenshinさん、本当にありがとう。感謝しています。 w0483 2 日前 72 ・アップありがとうございます。これを聞かないと 安心できません・・ snowing007 2 日前 35 ★ 平田オリザ参与、汚染水放出は「米政府の要請」 政府否定 「産経新聞」より ・劇作家の平田オリザ内閣官房参与が17日にソウル市内で講演し、東京電力福島第1原発事故の対応で汚染水を海に放出したことについて、米政府からの強い要請を受けたものだったと発言していたことが18日、分かった。 --------------- ★ 平田氏が官房長官に陳謝=「米要請で汚染水放出」発言 「WSJ日本版(2011.5.19)」より ・枝野幸男官房長官は19日午前の記者会見で、内閣官房参与の平田オリザ氏が、東京電力による放射能汚染水の海への放出は米国の要請によると発言したことに関し「(平田氏から)不用意に誤った発言をして申し訳なく思っている、という旨の連絡があった」と述べ、平田氏が発言を陳謝したことを明らかにした。 ■ 平田オリザの騒動 - 米国による汚染水放出強要事件 「世に倦む日日(2011.5.19)」より ・平田オリザの発言をめぐる騒動の件、テレビの報道番組は、NHKも報ステも朝ズバも一言も触れずじまいだった。米国問題はタブー。見事に報道管制が敷かれている。 ・それでは、平田オリザは、なぜ迂闊にも、重大な政治外交問題に発展するこの話をポロッと口に出してしまったのか。 それは、平田オリザが政治家でも官僚でもなく、一般人の感性を持っていたからだ。 --------------- ■ 汚染水を海に放出したのは米国の命令だったと暴露した平田オリザ 「 天木直人のブログ(2011.5.18)」より ・これが事実ならばそのこと一つをもって菅内閣はいますぐ総辞職しなければならない。国民に信を問わなければならない。 果たしてこの平田オリザ発言が波紋を拡げるだろうか。メディアがこれを追及するだろうか。野党が国会で菅内閣総辞職を迫るだろうか。 それによってこの国の政治のいかさまがわかる。与野党がこぞって対米従属であるかどうかがわかる。 --------------- ■ 平田オリザ参与は守秘義務違反に当たらないと枝野長官 「世事熟視~コソダチP(気分は冥王星)2011.5.19」より ・口がすべって真実をバラしちゃったと考える方が自然なんだけどなぁ・・・・。 --------------- ■ 平田オリザの問題発言 ~ 民主党政権ブレーンの危険度を知れ! 「私的憂国の書(2011.5.19)」より ・今回のオリザ発言の致命的な点は、ひとつには、日本が米国の言いなりの属国であり、主権国家としての立場を放棄しているということを、外国で言い触らしたことだ。 ・ふたつめは、内閣官房参与という立場にありながら、守秘義務などどこ吹く風といった体で、秘密・機密を守ることができないことを外国に知らしめてしまった点だ。 これは外交上、日本の信用度を極端に下げる。 ・米国の要請が事実かそうでないかの問題ではなく、内閣官房参与から国家の機密に値するような件が漏れるということがあれば、諸外国は日本に情報を渡さなくなるだろう。 --------------- ■ 平田オリザ参与「アメリカの要請」発言を撤回 「jmwjow38のAA日記(2011.5.19)」より ・韓国の皆さんの「いのち」を守りたい、守りたいが米国のせいで守りきれなかった、無力な日本を責めないで、ってことかねぇ。 以外と真相を知っていた鳩山の差し金か?でもウィキリークスの普天間密約並みの機密を漏らしたんだ、今後は日米の刺客から狙われるよね。「いのち」を大切にしてね。大好きな韓国への亡命マジお勧め ★ 原発事故作業へ、経験生かして=「リタイア組」130人志願―元技術者が呼び掛け 「livedoorニュース〔時事通信社〕」より ・「僕たちリタイア組がやるしかない」。福島第1原発の事故対応の長期化が予想される中、元技術者の山田恭暉さん(72)が発起人となって、収束作業に当たる「行動隊」結成を呼び掛けている。建屋での作業も念頭に置いているが、既に約130人が参加を表明しているという。 ☆ 爺△ 「若者じゃ被曝影響大きいし技術もねぇ。60歳以上のワシらリタイア組に高放射線量の作業任せろ!」 「2ちゃんねる瓦版(2011.5.19)」より ■ 仕事中に。。。。 「備忘録リアル(2011.5.19)」より ・記事読んでウルウル来てて、おエライ方に説教された(+_+) ・まぢで、今の子供たちにこの事を知って欲しい。 文部省は教科書に載せやがれ!!! --------------- ■ 心ある人が沢山いる! 東電幹部の態度には腹が立つ。。 「菊池の香り(2011.5.19)」より ・私も同感です、勇気に感謝! 政府の後押しを臨(注:ママ)みます。 ■ 被爆の危険を訴えるならば、何を置いても先ず「速やかなる幼児の疎開」を徹底的に主張しなければならない。 「真正保守政党を設立する(2011.5.15)」より ・「反原発」でも「脱原発」でもよいが、我々だけは、これが既に「イデオロギー対決」であり「思想戦」であることを認識しておかなければならない。 そもそも原発の有無とは、国内に有する核物質の有無でもある。 核物質の有無は、「核兵器所有可能性」の有無に直結する。こういった話は表の議論には出てこないとはいえ、我々はここまで熟慮しなければならない。 ・「反原発」「脱原発」を煽動しているのは、明らかに極左グループである。 これらを取り囲みいいように動かされているのが、見事にオルグされた「ノンポリ層」と「民族派末端」である。 そして彼らは既に「イカレテ」いる。 ■ アリバイ工程表を分析できず鵜呑みにするマスコミ報道 「世に倦む日日(2011.5.18)」より ・この工程表の策定と遂行は、東電にとってどのような意味があるのか。二つの意味がある。一つは、賠償を東電の思惑どおり進めるためのエクスキューズの仕掛けである。もう一つは、マスコミ用のネタ提供であり、情報工作の素材である。こうして、収束の目標を目指して尽力しているフリを見せれば、賠償での会社負担を軽減させ、賠償費用を政府(国民)に押しつけ、会社の資産(内部留保)を防衛することができる、とそう踏んでいるのだ。 ■ 東電の株主諸君、ご愁傷さま(笑) 「たかしズム!」より ・思えば、世界の国々の日本への評価が「気の毒な被災国」から「環境テロ国家」に変わったのは、全世界に断りもなく(尤もアメリカだけには知らせていた、という噂もあるが)、高濃度放射性物質を、海洋に垂れ流したことによる。 ・株主の中には、老後の蓄えで利殖をと考えた個人株主もいるだろう。しかし、資本主義のルールは厳格に守らなければならない。つまり「東電の株を買ったのが運の尽き」と、諦めるしかないのである。ひとたび事故が起これば破滅を招く「原子力」に投資をしてきた、そのことを「反省」するしかない。 ■ 全原発対象のストレステスト実施で原発仕分けを! 一歩先行くEUのストレステスト実施原案明らかに 「園田義明めも。(2011.5.8)」より ・福島第1原子力発電所の事故を受け、欧州連合(EU)が域内の原子力発電所の安全性を検査する「ストレステスト」の実施計画の原案が明らかになった。地震、洪水などの自然災害が起きる場合の耐久性能を点検。非常時に原発の冷却機能を確保できるかなどを重点的に調べる。 ★ 30年超の老朽炉原発も…「浜岡だけ」に疑問 逆風かわす狙いか 「産経新聞」より ・宇根崎教授は「国策の転換になるのに、原子力政策全体を見渡した説明がなされず、立地自治体は納得しない。『反原発』の逆風が他原発へ向かうことをそらすため、浜岡をスケープゴートにしたのではないか」と疑問を投げかけている。 ■ 全ての原子力発電所が脆弱なのだろうか?-大惨事は、いつも想定外 「マスコミに載らない海外記事(2011.4.12)」より ・NASAの科学者達は、太陽フレアが、世界中の多くの国で、恐らく何ヶ月も、大半の配電網を機能停止させるだろうと予想している。 ・原子力発電をしている電力会社は、経費を削減については、偉くしみったれていることで悪名が高い。もしも連中が、想定されている太陽フレアから守れるようにする為に、電機部品を強化しそこねれば、自業自得となる... 恐らく、福島原発災害がちっぽけに見える規模で。なぜなら、福島原発災害は、同じ発電所内の複数原子炉で事故が起きている初の原発事故だが、巨大な太陽風は、無数の国々、複数の発電所で、事故をひき起こしかねないからだ。 ■ 青森県六ヶ所村再処理工場で事故が発生した場合の被害拡大予測(2011.4.8) 「Infosecurity.jp」より ・原子力資料室が出した青森県六ヶ所村再処理事業所で想定外の事故が発生した場合の被害の拡大予測によると、放出量が1%でも280km離れた地点で被ばく量1シーベルトで急性障害・一部死亡、691km離れた地点で250ミリシーベルトで急性障害という健康被害が想定されるということです。 ★ 中国の原発、無謀とも見える大増設は大丈夫か(20113.14) 「朝日新聞社(WEBRONZA)」より ・向こう10年にわたって毎年6基ずつ増設する計画で「2020年には70基余りが稼働し、日本を上回る」「2年余り準備し、建設を始めれば5年以内に商業運転に入れる。 ■ 今年6月に向け日本終了へのカウントダウン開始@もんじゅ(2011.3.31) 「匿名党」より ・まあ糞みたいな連中を長年のさばらせた日本国民への天罰かもしれませんね・・・ 自業自得でしょう。 ■ 福島第一原子力発電所での負傷者(2011.3.20) 「Shinakosan is Okinawan」より 以下は記事中のリンク先 ・そして東電社員と言っても、9割以上は正社員じゃなくて、原発ジプシーと呼ばれる日雇い労働者だ。彼らの待遇はこうだ。 ・原発がどんなものか知ってほしい 平井憲夫 ・原発ジプシー 川上武志 ・日本の原発奴隷 エル・ムンド ・原発で働く人々 よく分かる原子力 ・映像の方がいい方はイギリスのch4が制作した「隠された被曝労働~日本の原発労働者」を見てほしい。 ・http //www.youtube.com/watch?v=92fP58sMYus ・http //www.youtube.com/watch?v=pJeiwVtRaQ8 NR=1 ・http //www.youtube.com/watch?v=mgLUTKxItt4 NR=1 ■ 原発の危険性(2011.3.23) 「カナダde日本語」より ・ちょっと身の毛がよだつような動画。 2010.12.16 ■ なぜ原子力が次世代エネルギーの条件を満たしていないか?【次々世代エネルギー戦略】 「流水成道」より ● 次世代のエネルギーは、シェールガスを使ったDEFC(直接メタノール型燃料電池)になります。 そして、次々世代エネルギーは、デカヒドロナフタレンを使った水素エネルギーウェブになります。 ● まずは、なぜ原子力が次世代エネルギーの条件を満たしていないか? ・第1に、輸送用エネルギーとして使えない。 ・第2に、廃棄物問題を解決できない。 ・第3に、採算が合わない。 ・第4に、危険が大きい。 ★★2010.12.15 ■ 九州〜関西の高レベル放射線 玄海原発事故 今後の展開 「流水成道blog」より ● 【緊急速報】九州から関西にかけて高レベル放射線を測定【G-watcher V2】(http //jyoudou.net/blog/2010/12/post-300.html)の記事に色々コメントを頂きまして、それにお答えしていきたいと思います。 ● 私のスタンスとしては、公式発表は過小評価や隠蔽ばかりなので信用してはいけない、というものです。 Gwatcherver2【Twitter】 ● 北朝鮮をはるかにしのぐ量のプルトニウムを持ち、世界でも高額な電気代を国 民に負担させ数十年前に約束した高速糧殖炉はまだめどもたたない。そして法 外な広告宣伝費でマスコミを黙らせる。これで良いのか日本の原子力政策【出演】河野太郎【ゲスト】飯田哲也(NPO法人環境エネルギー政策研究所所長) 鈴木達治郎(原子力委員会委員長代理) Recorded on 10/12/13 “ ” ---------- ■ 原子力トークライブとトリウム溶融塩炉 「河野太郎公式サイト」より ● 新宿のネイキッドロフトでのトークライブ5、鈴木達治郎原子力委員会委員長代理と飯田哲也氏の2人をお招きして、原子力政策について2時間40分。 USTREAMのアーカイブはこちらです。お時間のある人はどうぞ、じっくりとご覧ください。 ---------- 前半「これで良いのか日本の原子力政策」河野太郎トークライブ 後半「これで良いのか日本の原子力政策」河野太郎トークライブ(質疑応答) ★★★ - 2010.12.14 ★ 玄海原発3号機 原子炉を停止 「NHKニュース」より imageプラグインエラー ご指定のURLはサポートしていません。png, jpg, gif などの画像URLを指定してください。 ★ 玄海原発3号機停止 佐賀県「徹底調査を」 「佐賀新聞情報コミュニティ」より ● NPO法人原子力資料情報室(東京)の伴英幸共同代表は「過去の例でMOX燃料がウラン燃料よりピンホール(穴)などができやすいということは確認されていない。ただ、ウランとプルトニウムが均一に混じらず、損傷の原因になる可能性は指摘されている。 ■ 【そんな原発で大丈夫か?】展示会で一番良いガイガーカウンターを手に入れよう【プルサーマル停止】(2010年12月11日 04 06) 「流水成道」より ● 昨日のG-watcher V2の緊急速報のかいがあって、危険だと言われながら止めなかった九州佐賀県の玄海原子力発電所のプルサーマル発電を、停止させることに成功しました。 ● 濃度が4倍なので「大丈夫だ問題ない」という発表ですが、実際の測定値は4倍どころか、通常15cpmが8971cpmなので、約600倍です。 ------------ ■ 【緊急速報】九州から関西にかけて高レベル放射線を測定【G-watcher V2】(2010年12月11日 04 06) 「流水成道」より ● 九州から関西にかけて、8000〜2000cmpの放射線値を観測しました。 現在は60cpmくらいですが、通常15cpmくらいですので、十分高いです。 ■ 玄海原子力発電所、4号炉プルサーマルが事故を起こしてレベル5クラスの大規模な放射能漏洩を起こしたこと【MONOSEPIAサイト内コピペページ】 「東海アマ」より ● 報道による公表値は4倍になっているが、玄海から数百キロ以上離れた宇和島市などで500倍の値が観測されている。これで放射能漏出事故の実態を極端に隠蔽した事実が、民間の計測によって証明された。 ● なお原子炉内漏洩は安全基準値の4倍、宇和島の500倍は平常値より、離間距離300キロで、漏洩元での濃度が平常値の何倍になるかパラメータ不明のため分からないが、おそらく数千万倍のオーダーで完全にスリーマイリクラスの放出事故だろう。胎児乳幼児への影響は非常に深刻で、しかも数十年というオーダーで経過を見る必要がある。 ------------ ■ 【隠蔽か!?】玄海原発プルサーマル事故と日本の将来 「Crescendo」より ● 日本全国に配備しているガイガーウオッチャーV2がその本領を発揮したのです。想像以上に広範囲で、全国のカウンターが異常値をカウントしていました。 ■ 玄海原子力周辺で白血病が多い(2009年09月15日) 「こんにちは浦田関夫です」より ● 昨日の私の一般質問で、玄海原子力周辺で白血病が多いことを質問しました。 厚生労働省の「人口動態調査」によると、人口10万人に対し全国は6.0人、佐賀県は9.2人、唐津保健所管内は16.3人、玄海町は61.1人と全国より11倍も多いことが判ったからです。 ■ 福井県知事へメッセージを(高浜プルサーマル起動しないで) 「玄海原発プルサーマル裁判の会のブログ」より ● 美浜の会HPから、福井県知事にメッセージを送れるフォームを急きょ作りました。 簡単な説明もつけていますので、初めての人にも分かりやすくなっています。 是非、活用してください。 http //www.jca.apc.org/mihama/stop_pu/fukui_mail1012/fukui_mail1012_1.htm ■ 原発がどんなものか知ってほしい 「平井憲夫」 記事引用 ● 私は原発反対運動家ではありません。二十年間、原子力発電所の現場で働いていた者です。原発については賛成だとか、危険だとか、安全だとかいろんな論争がありますが、私は「原発とはこういうものですよ」と、ほとんどの人が知らない原発の中のお話をします。そして、最後まで読んでいただくと、原発がみなさんが思っていらっしゃるようなものではなく、毎日、被曝者を生み、大変な差別をつくっているものでもあることがよく分かると思います。 【日本の原子力発電所地図】 .
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内務省(明治7年) 省業務が始まったのが明治7年1月9日なんですが、大久保利通(薩摩系)が内務卿になったのは明治6年だって。 大雑把に政変のあとに作られたっていう認識になるのかな(<明治6年政変)。 メインとなるのは勧業寮と警保寮。 戸籍、駅逓、土木、地理の6寮。 明治10年1月に内局、図書局、庶務局、会計局の4事務局。 勧業、勧商、警視、戸籍、駅逓、土木、地理、寺社、衛生、博物の事業担当の10局体制になって寮は廃止。 ここちょっとややこしいんですが、そもそも大蔵省が民部省を合併したことに端を発するようです。 (大蔵省がざっくり支出、で、民部省は戸籍を持っているので税収を担当、ここを一緒にするのは合理的ではあったんですが権限が大きくなりすぎるとか支出のための租税になるとか問題ありそうよね…。) 土木と地理があるのは工部省の関係なのかなぁ、こっちも多分この流れの一つだよね。 民部・大蔵省の管轄 そのうち独立させたいんですけどね。 民部省が戸籍、租税、駅逓、鉱山、済貧、養老。 大蔵省が金殻・出納、秩禄、造幣、用度。
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<目次> ■はじめに ■ステップ1■国史を通して日本の保守思想のアウトラインを掴む ■ステップ2■保守思想を貶める捏造・歪曲を一掃する《1》歴史分野以上に酷い思想分野でのリベラル左翼の歪曲・捏造 《2》「天皇制ファシズム論」の嘘を見破る 《3》「保守」と「右翼」を区別し正しい認識を得る ■ステップ3■更に深く知るために《1》皇室に関する正しい知識を得る 《2》日本の保守思想の核心に触れる ■まとめ■日本の保守思想の再評価の動き ■はじめに 先日、最速!理論派保守☆養成プログラムを作成したところ 西洋思想ばかりで肝心の日本の思想がない(西洋カブレだ)というご批判や 逆に日本の保守思想もちゃんと知りたい|というご要望をいただきました。 実のところ、西洋思想は、所詮は外国の思想だという割り切りもあって、大胆に「これだ」という風に提示できる一種の気軽さがあったのですが、日本の保守思想については、私達の幾多の先達が大切に守り育て、私達に伝えられた価値観に関することであり、西洋思想のように躊躇なく論じるのは憚る気持ちが強くあります。 しかしながら、不要な誤解も受けたくなく、かつ、これを参考に知識を増やしていただける方が現れるのならば、という気持ちで、浅薄ながら日本の保守思想について、簡便なまとめページを作成しました。 願わくば、このサイトを訪問される有識者の方々、あるいは同学の士の方々からの有意義なコメントを通じて、このページがより適切かつ充実した内容にならんことを。 ■ステップ1■国史を通して日本の保守思想のアウトラインを掴む 名画にみる國史の歩み 小堀 桂一郎 (監修), 所 功 (編集)昭和8年(1933年)今上陛下ご生誕を記念して当代最高の日本画家達により10年の歳月をかけて製作された国史(日本の歴史)を辿る78点の名画集に、平成11年(1999年)今上陛下ご即位満10年の佳節を期して、小堀桂一郎・平泉隆房・新田均各氏を初めとする現代の一流史学者・研究家による解説を付した名品。amazonでページの一部を拝見できる。 物語日本史(上) (中) (下) 平泉澄(著) 講談社学術文庫『物語日本史』の序文(抜粋)(全文は「人権擁護法案マガジン・ブログ版」物語日本史(平泉澄)を読む 第1回、第2回、第3回)(略)昭和二十七年四月、占領は解除せられ、日本は独立しました。長い間、口を封ぜられ、きびしく監視せられていた私も、ようやく追放解除になりました。一年たって昭和二十八年五月二日、先賢の八十年祭に福井へ参りましたところ、出て来たついでに成和中学校で講話を頼まれました。その中学校を私は知らず、中学生は私を知らず、知らぬ者と知らぬ者とが、予期せざる対面で、いわば遭遇戦でありました。講話は極めて短時間で、要旨は簡単明瞭でありました。「皆さん!皆さんはお気の毒に、長くアメリカの占領下に在って、事実を事実として教えられることが許されていなかった。今や占領は終わった。重要な史実は、正しくこれを知らねばならぬ。」と説き起して、二、三の重要なる歴史事実を説きました。その時の生徒の顔、感動に輝く瞳、それを私は永久に忘れないでしょう。生徒一千、瞳は二千、その二千の瞳は、私が壇上に在れば壇上の私に集中し、話し終って壇を下りれば壇下の私に集中しました。見るというようなものではなく、射るという感じでした。帰ろうとして外へ出た時、生徒は一斉に外へ出て私を取巻き、私がタクシーに乗れば、タクシーを取巻いて、タクシーの屋根の上へまで這い上って釆ました。彼らは黙って何一ついわず、何一つ乱暴はしない。ただ私を見つめ、私から離れまいとするようでした。ようやくにして別れて帰った私は、二、三日後、その生徒たちから、真情流露する手紙を、男の子からも、女の子からも、数通もらいました。私の一生を通じて、最も感動の深い講演でありました。成和中学の感動の忘れがたさに、それより十数年後の昭和四十五年、時事通信社より一貫せる日本歴史を書くよう求められた時、純真なる少年に呼び掛ける形を取りました。当時すでに七十六歳の私は、余命計り知るべからず、これを児孫への最後の贈り物、つまり遺書として書こうとし、したがって学者らしく事実を羅列して博学を誇るがごとき形式を好まず、ただ歴史の精粋を抜いて、誠実に父祖の辛苦と功業とを子孫に伝え、子孫もまたこの精神を継承して進むことを期待しつつ、しみじみと誠実に語ろうとして筆を執ったのでありました。(中略)願わくはこの小さき贈り物を満載せる帆船の行手、風穏やかにして波静かなれ。昭和五十三年十二月十日朝 白山寒林の中にて 平泉 澄----上中下3巻本。著者 故・平泉澄博士は、昭和5-6年(1930-31年)欧州に留学しマイネッケのドイツ歴史哲学とフランス革命の思想及びこれに反対するエドマンド・バークの保守思想等を研究、帰国後に抜擢されて秩父宮殿下(昭和天皇の弟君)の日本政治史の侍講を務め、更に昭和13-20年(1938-45年)に渡って東大国史学科にて国体学講座・日本思想史を教授した一代の碩学であり、終戦直後に辞官、その後GHQにより昭和27年(1952年)春まで公職追放され、追放解除後も、左翼マスコミやマルクス主義学者から「平泉史学=狂信的な皇国史観」として異常な誹謗中傷を受けながらも、戦後長くに渡って在野の国史家として保守陣営において重きを為した。この「物語日本史」は、晩年の平泉博士が、日本の未来を担う少年達のために精魂込めて書き記した名著「少年日本史」の文庫版である。 ※(参考)千早鍛錬会パンフレット ↑「物語日本史」の事前読破を推薦していることに注目。 ■ステップ2■保守思想を貶める捏造・歪曲を一掃する 《1》歴史分野以上に酷い思想分野でのリベラル左翼の歪曲・捏造 ~丸山眞男の絶大な影響、「皇国史観」の歪曲 戦後日本の政治思想は、“戦後民主主義の代表”、“岩波文化人のエース”と称され、「国民主権を貫徹するために天皇制廃棄・共和制樹立を最大の政治目標とした」“日本を代表する政治学者・思想家”、故・丸山眞男の絶大な影響下にあり、今も丸山を絶賛する政治学者・思想家たちによって、ほぼ占拠されていることを最初に知っておこう。 丸山眞男の政治思想の中核は、明治以降~戦前・戦中の日本を「天皇制ファシズム」と捉え、昭和20年8月15日をもって、日本の国体は「国民主権」の民主主義国家に変更された、とする所謂「八月革命」論にあり、彼及び彼の信奉者は、この架空の「八月革命」を未来において実現すべく(つまり天皇の廃止による日本の共和国化を究極の目標として)戦後長くプロパガンダ活動を続けてきた。 「理論派保守」を目指す者は、この丸山眞男に代表されるリベラル左翼の思想的欺瞞を正しく見抜き、これを論破する理論的根拠を確立しなければいけない。 丸山眞男と平泉澄昭和期日本の政治主義 植村 和秀 (著) 柏書房 (2004/10)単行本この本は、最速!理論派保守☆養成プログラムでも「西洋の保守思想に留まらず、日本の保守思想の扉を開く貴重な一冊」として紹介したが、丸山眞男の政治思想の欺瞞を打ち破る理論武装のツールとしてやはり最重要である。なお著者 植村和秀氏は、「筆者には丸山眞男も平泉澄も、その支持者の多くのように、無条件に支持することはできない。 丸山には心情的には共感できるが、しかし論理的には納得できない。平泉に論理的には共感できるが、しかし心情的には納得できない。 それにもかかわらず、丸山と平泉の思想史的な意義の重さと、人間的な偉大さとは、素直に承認したい。」と総括しており、厳密な実証的研究を通じて丸山・平泉両者に代表される戦前から戦後にかけての日本の思想対立を対比している為に、返って一層本書の価値が高まっていると思われる。また植村氏が「丸山には心情的には共感できる」「平泉に・・・心情的には納得できない 」としていること自体は、その思想的感化を受けた年代を考慮すれば止むを得ないことである。 (参考)歴史問題の基礎知識 ↑「皇国史観」について正しい認識を得る上で重要 ※一部引用 「皇国史観」(赤旗)という用語は、「早くても昭和17(1942)年6月頃から、大体は昭和18(1943)年頃から文部省周辺の人々によって使われだしたもの」(昆野伸幸『近代日本の国体論』より引用)であり、戦前/戦中の史学者自身が使った用語ではない(戦後にマルクス主義史家が「レッテル」として普及させた用語である)。 そして、その内容としては、 1.国史学者・平泉澄博士に代表される「あくまで歴史の範囲で思考する」流れと、2.アジア主義者/国家改造運動家・大川周明に代表される「日本を盟主とするアジア解放を主張する」流れ(昆野氏論文) の2つがあったが、戦後に史学界を占拠したマルクス主義史家は、皇室や日本国を貶めんがために、日本の伝統的な歴史観/国家観に根ざした1.と、大東亜共栄圏を包摂せんとする新しい思想を示した2.をワザと混用して「戦前/戦中の史学=皇国史観=軍国主義、アジア侵略、全体主義」という刷り込みを行った。 これに関して平泉澄博士門下の田中卓博士は、「一概に皇国史観といってもそれは、・・・1.平泉史学による「皇国護持史観」と、2.戦争末期という時代に迎合して浅薄な国体賛美に努めた「皇国美化史観」と呼ばれるべきもの(の2つ)があると述べ、平泉博士や自らの史観は、日本の伝統を正しく受け継ぐ「正統史観」であると述べている。 なお、ソ連が崩壊した1991年以降は、史学界(主流は、未だ隠れマルクス主義者と思われる)も、従来のように(彼らの言う)「皇国史観」に対して実証研究もせずレッテルだけ貼って一方的に批判することは許されなくなってきており、リンク先にある赤旗や長谷川氏・昆野氏のように戦前/戦中の資料を実際に読んで「実は皇国史観にも多様な内容があった」「実は皇国史観は1940年代に作られた用語だった」などと軌道修正を図っているが、そんな姑息な事をする位ならば、 1 彼らが戦後一貫して貶めようとしてきた1.平泉博士・田中博士らの史観(皇室や日本国を常に善いものと見る正統史観)は実は全体主義とも侵略思想とも無関係だった、 2 国家改造とアジア解放を唱えた2.は実はマルクス主義(具体的にはコミンテルン)の脅威への対抗イデオロギーとして生まれた(実際に、全体主義であり侵略思想であったのはマルクス主義の方だった)、と素直に認めればよいのである。 《2》「天皇制ファシズム論」の嘘を見破る ~明治維新の歪曲、「現人神」「国家神道」という幻想 「皇国史観」(上記)「現人神」「国家神道」といったキーワードで、戦後にマルクス主義歴史家・思想家によって不当に歪曲された諸概念の実際を知り、自虐史観から完全に脱却する。 「現人神」「国家神道」という幻想 新田 均 (著) amazonで一部ページを拝見できます。豊富な実証的研究により、「明治以降の日本は北朝鮮のような異常な絶対主義君主国家だった」という立花隆など左翼の大嘘を完全に打ち破る名著※amazonの内容紹介より一部引用「現人神」「国家神道」??これらの言葉から、現代の日本人はどんなイメージを連想するだろうか。おそらく、狂信的な「天皇崇拝思想」と、それを支えた「国教制度」といったとこだろう。そして、この「日本国民を狂信的な戦争へと導いた思想と制度」は「明治政府が日本の近代化のために考え出した」などとされている。だが著者は、「そのような認識は思い込みに基づく幻想にすぎない」と喝破する。それは最近の実証的歴史研究の成果に照らしても明らかなのだが、これが意外と世間では知られておらず、歴史の専門家でさえ、少し分野が違っただけで知らない者が大多数なのだという。世間で知られていないことがそれほど大きな意味を持たないなら、それでもかまわないのかもしれないが、この「幻想」はわが国の首相の靖国神社参拝問題や政教関係訴訟、さらには教科書問題や外交関係にまで影を落としている。“虚像”が誰によって、いかにして創られたかを検証する。「「現人神」「国家神道」とは、日本国民を狂信的な戦争へと導いた思想と制度である」との嘘八百の言説に異議あり! こういったイメージが幻想に過ぎないことを、実証的歴史研究の成果に照らして明かす。 (参考)右翼・左翼の歴史 ※一部引用 宗教系(仏教系)右翼の登場~右翼思想の過激化 (1) 井上日召(日蓮宗僧侶)と血盟団事件(1932) 群馬県出身の日蓮宗の僧侶。血盟団を組織し、国家革新(昭和維新)実現のため「一人一殺」を合言葉に1932年、井上準之助(前蔵相)・団琢磨(三井財閥重鎮)を暗殺。無期懲役となるが後に特赦を受けた。なお後の日本赤軍のリーダー重信房子の父親は血盟団員であり、井上日召は赤ん坊の重信を膝に抱いたことがあるといわれる。 (2) 田中智学(日蓮宗系新興教団)と「八紘一宇」論 田中は日蓮宗の在家信者組織として国柱会を組織し、日蓮主義と国家主義の統合を目指した。1903年には、日蓮を中心にして「日本國はまさしく宇内を靈的に統一すべき天職を有す」という意味の「八紘一宇」なる新語『日本書紀』巻第三神武天皇の条の「掩八紘而爲宇」の記述から造り、日本は世界を道義的に統一する使命がある、とする思想を唱えた。のちにこの言葉が人口に膾炙して大東亜戦争のスローガンにまでなった。 (3) 加藤玄智(浄土真宗在家信者)と天皇絶対神論・国家的神道論 加藤は新仏教同志会の創立者の一人であり、東京帝国大学で宗教学を教えた浄土真宗の信者であるが、同僚の外国人教授の天皇論に刺激を受けて、1912年に『我が国体思想の本義』を刊行し、古来からある天皇「神裔」論を超えて天皇「現人神」論を提唱して「日本に於いては臣民は天皇に絶対服従する」とする天皇絶対神論を主張した。1925年には更に「国家的神道(State Shinto)」なる新語を造り外国に日本人の信仰の在り方として積極的に紹介したために、欧米諸国に、この天皇絶対神論と国家神道論が日本の宗教の実態だと誤解され、後にGHQによる神道指令と天皇の所謂人間宣言を招き、今に至るまで戦前の宗教的制度についての広範な誤解を招いている。 http //d.hatena.ne.jp/jinkenvip/20070312/1173709974 《3》「保守」と「右翼」を区別し正しい認識を得る ~戦前・戦中(昭和10年代)の「右翼」は実は2種類あることを知る。 「革新右翼(アジア主義を志向し、国家改造を目指した国家社会主義者)」と「観念右翼(アジア問題への介入に慎重または無関心の伝統保守・日本主義者)」を区別する。 日本主義と東京大学―昭和期学生思想運動の系譜 井上 義和 (著) こちらも豊富な資料に基づく実証的研究により、戦後にマルクス主義者やリベラル左翼によって「右翼」と一括して糾弾され貶められてきた保守思想の実際を教えてくれる一冊。※革新右翼と観念右翼の理念型(一部内容を引用)1.革新右翼…国家改造/高度国防国家/解釈改憲/指導者原理/統制経済/親ソ・親独/世界史的な使命/陸軍統制派/革新官僚/無産政党/国家社会主義2.観念右翼…国体明徴/国民精神総動員/護憲(不磨の大典)/臣道実践/資本制擁護/反共・反独裁/日本史的な道統/陸軍皇道派/財界/既成政党(現状維持派)/自由主義者 (参考)日本会議ホームページ ↑「観念右翼(伝統保守)」の代表として上記の本で紹介されている故・小田村寅二郎氏の弟・小田村四郎氏(元拓殖大学学長、日本李登輝友の会会長)が副会長を務めている、日本最大の保守系団体。チャンネル桜と共同で保守活動を行うことも多い。 なお日本会議の前身の一つである「日本を守る会」は、建国記念の日(旧紀元節)実現運動、元号法制化運動、教育正常化運動などに地道に取り組み成果を上げてきた。 このうち建国記念の日を旧紀元節(2月11日)とすることに理論的根拠を与えたのが、平泉澄博士の高弟である田中卓博士である。 ■ステップ3■更に深く知るために 《1》皇室に関する正しい知識を得る 宮中見聞録―昭和天皇にお仕えして 木下 道雄 (著) 皇太子時代から終戦前後、更に戦後にかけて昭和天皇に近侍し、侍従次官を勤めた木下道雄氏による著作。親しみやすく読みやすいだけでなく、皇統無私の伝統の背景や、昭和21年元旦の所謂「人間宣言」の実際の持つ意味まで解説してくれる好著。 《2》日本の保守思想の核心に触れる 先哲を仰ぐ 平泉 澄 (著) 大正15年(1926年)から昭和42年(1967年)までに発表された平泉博士の数多くの著作から15編を抜粋したアンソロジーであり、戦前・戦中・戦後を通じて、平泉博士の思想に全くといっていいほどブレがなく一貫していることに注意したい。昭和7年(1932年)のエドマンド・バーク批評、昭和29年(1954年)に吉田茂(首相)・岸信介(憲法調査会会長)に招聘されて首相官邸で行った「国体と憲法」講義(マッカーサー憲法の廃棄と明治憲法の復活を自由党議員に訴えた内容です)、更に吉田松陰・橋本景岳・真木和泉守・山崎闇斎・山鹿素行など日本史上の重要思想家についての論述を含み、平泉博士の解説を通じて日本の保守思想の最重要部分に触れることができる一冊。※ステップ1の物語日本史の内容を更に詳しく、本格的に説明している。 ■まとめ■日本の保守思想の再評価の動き 以上、日本の保守思想を論じる上は、その本命である平泉澄博士の所謂「皇国史観」(正しくは皇国護持史観)および、その国体論の再評価を避けることは出来ない(ここを避けているような解説は解説の用を成さない)。 マルクス主義者やリベラル左翼が長く主流を占める戦後日本の言論界・教育界においては、一代の碩学である平泉博士の業績は不当に貶められ、また無視されてきたが、ソ連崩壊を経て、西暦2000年代に入って漸く、東大閥の強い関東ではなく、京大閥が主流の関西で主に再評価の動きが顕在化してきた。 またそれと軌を一にして、平泉博士もその一翼を担った戦前・戦中の日本主義者(当時の用語で「観念右翼」と呼ばれた伝統保守)の再評価も始まっている。 上で紹介した植村和秀氏の『丸山眞男と平泉澄』、井上義和氏の『日本主義と東京大学』はその主要な成果である。 しかしながら、こうした再評価に対して、旧来のリベラル左翼やマルクス主義者の側からヒステリックで感情的な反発が噴出しており、日本思想の一般的な解説書は、近刊のものでも相変わらず「皇国史観=軍国主義」という刷り込みに終始しているものが見受けられるので注意したい(例えば日本思想史ハンドブック(苅部直・片岡龍)・・・苅部氏は丸山眞男の直弟子)。 ※参考:2009年5月に放映されたNHK特集JAPANデビュー第二回「天皇と憲法」 “神風特攻隊や一億玉砕を扇動した極悪非道な人物”として平泉澄博士を糾弾しているNHK※なお動画に大きく出てくる立花 隆(たちばな たかし、本名:橘 隆志 1940年5月28日 - )は、2002年秋に拉致事件が大きく報道されるまでは「戦前の日本は今の北朝鮮のような異常な国家だった」とする持論を盛んに展開していた代表的な左翼言論人であるが、実は戦前に右翼団体愛郷塾を率いて五・一五事件の襲撃犯となった橘孝三郎を父のいとこに持つ人物である。橘孝三郎は、一家一族のほとんどを率いて兄弟村農場を経営し、愛郷塾という集団農業を実践する社会主義的結社を創設、血盟団の井上日召と思想的に共鳴し、更に大川周明の影響を受けた海軍下士官と組んで、5.15事件では塾生7人を率いて東京の変電所を襲撃 した。→つまり今は左翼言論人の代表格の立花隆のルーツは、戦前の右翼過激派であることに注目。 (詳しくはNHKの正体・上級編へ) いずれにせよその抜群の学問的実績、そして戦前~戦後を通じて保守陣営に対して保持した影響力の大きさから考えて平泉博士の保守思想の一層の再評価は不可避であり、今後に注目したい。 ここでの再評価の進展が、日本の保守思想全体の再評価に直結するはずである。 (参考図書) 『昭和の思想』(植村和秀:著)★評価2010年11月に出版された好著。戦前から戦後及ぶ昭和期日本の思想状況が、要点を絞って明瞭かつ簡潔にまとめられている。非常にお勧め。(以下amazonより引用)・内容説明昭和の思想を総体的に俯瞰する画期的論考。思想弾圧と戦争の暗さ。世界に挑戦する日本という明るさ。奇妙な時代=戦前昭和期を中心に、丸山眞男・平泉澄・西田幾多郎・簑田胸喜の思想から時代の本質を剔る・内容(「BOOK」データベースより)「戦前=戦後」だけでなく、昭和はつねに「二つの貌」を持っていた。皇国史観から安保・学生運動まで、相反する気分が対立しつつ同居する昭和の奇妙な精神風土の本質を、丸山眞男・平泉澄・西田幾多郎・蓑田胸喜らの思想を元に解読する。・目次第1章 日本思想は二つ以上ある第2章 思想史からの靖国神社問題―松平永芳・平泉澄第3章 思想史からの安保闘争・学生反乱―丸山眞男第4章 思想史からの終戦と昭和天皇―阿南惟幾・平泉澄第5章 思想史からの世界新秩序構想―西田幾多郎・京都学派6章 思想史からの言論迫害―蓑田胸喜第7章 二〇世紀思想史としての昭和思想史 【このページの続き】 日本主義とは何か ~ 日本型保守主義とナショナリズムの関係を考える ■左翼や売国奴を論破する!セットで読む政治理論・解説ページ 政治の基礎知識 政治学の概念整理と、政治思想の対立軸 政治思想(用語集) リベラル・デモクラシー、国民主権、法の支配 デモクラシーと衆愚制 ~ 「民主主義」信仰を打ち破る ※別題「デモクラシーの真実」 リベラリズムと自由主義 ~ 自由の理論の二つの異なった系譜 ※別題「リベラリズムの真実」 保守主義とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ ナショナリズムとは何か ケインズvs.ハイエクから考える経済政策 国家解体思想(世界政府・地球市民)の正体 左派・左翼とは何か 右派・右翼とは何か 中間派に何を含めるか 「個人主義」と「集産主義」 ~ ハイエク『隷従への道』読解の手引き 最速!理論派保守☆養成プログラム 「皇国史観」と国体論~日本の保守思想を考える 日本主義とは何か ~ 日本型保守主義とナショナリズムの関係を考える 右翼・左翼の歴史 靖國神社と英霊の御心 マルクス主義と天皇制ファシズム論 丸山眞男「天皇制ファシズム論」、村上重良「国家神道論」の検証 国体とは何か① ~ 『国体の本義』と『臣民の道』(2つの公定「国体」解説書) 国体とは何か② ~ その他の論点 国体法(不文憲法)と憲法典(成文憲法) 歴史問題の基礎知識 戦後レジームの正体 「法の支配(rule of law)」とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ 立憲主義とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ 「正義」とは何か ~ 法価値論まとめ+「法の支配」との関係 正統性とは何か ~ legitimacy ・ orthodoxy の区別と、憲法の正統性問題 自然法と人権思想の関係、国体法との区別 「国民の権利・自由」と「人権」の区別 ~ 人権イデオロギー打破のために 日本国憲法改正問題(上級編) ※別題「憲法問題の基礎知識」 学者別《憲法理論-比較表》 政治的スタンス毎の「国民主権」論比較・評価 よくわかる現代左翼の憲法論Ⅰ(芦部信喜・撃墜編) よくわかる現代左翼の憲法論Ⅱ(長谷部恭男・追討編) ブログランキング応援クリックをお願いいたします(一日一回有効)。 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新年会 日時2007年1月6日(土) 17 00- 場所横浜赤レンガ倉庫 BEER NEXT http //www.yokohama-akarenga.jp/access/ 参加者岡先生 有馬(18) 高田(20) 吉嶺(28) 難波(28) 高崎(33) コメント