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更に思ふ。我等は紛れもなき日本人として、桜咲く日本の国土の上に、幾千年の歴史の中より、生まれ出で、生ひ立ち来った。我等のあるは、日本あるによる。日本の歴史は、その幾千年養ひ来った力を以て今や我等を打出した。我等の人格は、日本の歴史の中に初めて可能である。同時に、日本の歴史は、我等日本の歴史より生れ出て、日本の歴史を相嗣せる日本人によって初めて成立する。・・・求むれば即ち之を得、捨つれば即ち之を失ふ。信ずれば影向し、疑へば消散する。日本の歴史を求め、信じ、復活せしむるものは即ち我等日本人でなければならない。 平泉澄(文学博士)『國史学の骨髄』(1927年(昭和2年)8月) 戦前「護憲」の降魔剣 ~ 「日本主義」 <目次> ■1.初めに ■2.日本主義とは何か◆1.辞書による説明1:「日本主義」 ◆2.辞書による説明2:「明治期の日本主義」 ◆3.辞書による説明3:「昭和期の日本主義」 ◆4.「昭和期の日本主義」参考図書 ◆5.革新右翼(国家社会主義者)と観念右翼(伝統保守) ◆6.辞書による説明4:「超国家主義」 ◆7.辞書による説明5:「アジア主義」 ◆8.まとめ ◆9.辞書による説明6:「京都学派」と「近代の超克」 ■3.近代日本の思想状況◆1.右翼・左翼学生運動関連年表(日本主義と東京大学―昭和期学生思想運動の系譜より引用) ◆2.近代日本の思想状況(まとめ) ■4.戦前日本の思想を考える様々な参考図書 ■5.ご意見、情報提供 ■1.初めに 明治以降~戦前の日本は「天皇制ファシズム」と呼ばれる異常な専制国家であり、特に戦前は暗黒の軍部独裁国家だったとする自虐史観は、GHQの占領期に実施されたW.G.I.P.(War Guilt Information Program,戦争贖罪洗脳計画)によって日本人に刷り込まれたものであると多くのサイトが指摘しています。 実際にW.G.I.P.という名称のプログラムが存在したか否かは別として、公職追放やGHQ焚書を通して米国の都合による一方的な情報工作が行われたことは事実でしょう。 しかし、GHQの占領期間終了から現在に至るまで、ジャーナリズム・思想・史学・法学を初めとする各分野でかくも強く自虐的論説が大勢を占め続けているという状況から、 ① 自虐的論説が蔓延している原因を、単にGHQの占領政策にだけ求めるのではなく、 ② 戦前期日本の思想状況の中にそれを受け入れる要因が内在していたのではないか、 と一度考えてみる必要があります。 このページでは「日本主義」という隠蔽されてきたキーワードを中心に戦前期日本の思想状況を概括し、 (1) GHQの占領政策・洗脳工作に呼応して戦後長く日本の言論界・思想界を汚染し続けているものの正体へと更に一歩深く迫ると共に (2) 日本型保守主義とナショナリズムの関係について考察します。 ■2.日本主義とは何か ◆1.辞書による説明1:「日本主義」 現時点で、wikipedia・広辞苑・デジタル大辞泉では「日本主義」の定義は以下の通り。 wikipedia 日本主義(にほんしゅぎ) 1.日本独自の伝統、文化、精神を基礎として国家の繁栄を目指すという主義。明治時代以降に急激に押し寄せてきた西洋化に対抗する事を目的として高山樗牛や井上哲次郎らによって主張された。2.白陽社から出版されている雑誌。 広辞苑(岩波書店) にほんしゅぎ【日本主義】 国粋主義思想の流れの一。日清戦争後、高山樗牛や井上哲次郎らが提唱。高山が個人主義に転じて以降、衰退。 デジタル大辞泉(小学館) 日本主義【ニホンシュギ】 明治中期、政府の欧化政策に対する反動として起こった国家主義思想。高山樗牛(たかやまちょぎゅう)・井上哲次郎らが雑誌「日本主義」を刊行、日本古来の伝統的精神を重視しようとしたもの。 ブリタニカ国際百科事典(ブリタニカ・ジャパン社)には、もう少しまともな説明があります。 ブリタニカ国際百科事典 にほんしゅぎ【日本主義】 明治から第二次世界大戦敗戦までにおける欧化主義・民主主義・社会主義などに反対し、日本古来の伝統や国粋を擁護しようとした思想や運動をいう。一定の思想体系をなしていたとはいえず、論者により内容が相違する。明治の支配層が推し進めた欧化主義への反発として三宅雪嶺や高山樗牛らによって唱えられ、政治的には欧米協調主義への反対、国権や対外的強硬策の強調となって現れた。大正や昭和になって日本の資本主義の高度化が階級対立を激化させ、社会主義やマルクス主義が流入すると、これら諸思想の対抗イデオロギーとして機能し、天皇を中心とする皇道や国体思想を強調した。(cf.神国思想) つまり日本主義には歴史的に見て以下の二段階があるが、広辞苑などメジャーな辞書は①だけを記述している(意図的に②を隠蔽している)。 ① 明治期の日本主義 政府の欧化主義に反発し、国粋主義/国権主義(特に政府の欧米協調路線に反対する攘夷主義)を主張した言論活動(政論的ジャーナリズム) 他国の侵略から自国・自民族を守る(解放的ナショナリズム)⇒即ち「右翼」思想 ② 昭和期の日本主義 皇道・国体思想を強調して、社会主義やマルクス主義の思想侵略の脅威への対抗イデオロギーとして機能した思想活動 全体主義の脅威から自国の歴史・伝統に根差した自由を守る(日本型保守主義)⇒即ち「保守」思想 ※「保守」と「右翼」の違いは ナショナリズムとは何か 参照 ◆2.辞書による説明2:「明治期の日本主義」 以下ブリタニカ国際百科事典より「明治期の日本主義」に関連する人名等の説明を引用します。 【高山樗牛】 たかやま・ちょぎゅう(1871-1902) 明治の評論家,思想家。本名は林次郎…(中略)…日清戦争後、井上哲次郎らとともに日本主義を唱え『日本主義』を『太陽』に掲載。ニーチェの死に際し大いに感化を受けニーチェ主義を主張した。1902年文学博士となり晩年は日蓮に傾倒。…(以下省略) 【井上哲次郎】 いのうえ・てつじろう(1855-1944) 哲学者。号は巽軒(そんけん)。東京大学教授。ドイツ観念論の移入に努めるとともに現象即実在論を説き、東西思想を包括する体系の樹立に努力。『勅語衍義』『教育と宗教の衝突』を発表。国民道徳を唱導しキリスト教を国体に反するものとして攻撃するなど国家主義を鼓吹した。多年、哲学界の大御所として君臨した。…(以下省略) 【三宅雪嶺】 みやけ・せつれい(1860-1945) ジャーナリスト。哲学者。本名雄二郎。1883年東京大学哲学科卒業。1888年井上円了・杉浦重剛・志賀重昂らの支持を得て政教社を組織し、雑誌『日本人』を発行。徳富蘇峰らの欧化主義に反対して日本主義を提唱した。1889年陸羯南が創刊した新聞『日本』にも主筆格で参加して国粋主義の立場から反政府的な評論活動を展開。1906年『日本』を退社し『日本人』を『日本及日本人』に改題。1923年その他の編集者と対立して同誌を去り、個人雑誌『我観』を創刊。1943年文化勲章受章。…(以下省略) 【陸羯南】 くが・かつなん(1857-1907) ジャーナリスト。本名は実。東奥義塾、司法省法学校を経て太政官の官吏となったが、伊藤博文らの皮相的な欧化主義に反対して辞任。1888年から『東京電報』(それまでの『東京商業電報』を改題した新聞)を主宰した。翌1889年2月11日帝国憲法発布の日に政論新聞『日本』を創刊。激しい弾圧を受けながらも日本主義と称した近代的ナショナリズムを勇敢に主張し続けた。★注釈:後述のように陸羯南は丸山眞男が自己の思想的源流の一人として高評価した人物のため、ブリタニカ百科事典でも異例に好意的な説明になっていると思われる。 【日本】にっぽん(1889創刊-1914廃刊) 陸羯南が1889年2月11日の帝国憲法発布の日に東京で創刊した政論新聞。『日本新聞』ともいう。国家主義的な中立系といわれた。谷干城・三浦悟桜らが資金的に援助し、記者には福本日南・三宅雪嶺・古島一雄・池辺三山・長谷川如是閑・ 丸山幹治 ・正岡子規らを集め、近代的ナショナリズムの立場から政府の欧化政策を厳しく批判。創刊後の8年間に30回も発行停止処分を受けた。日清戦争後は次第に経営困難となり、羯南も病に倒れ、1906年6月伊藤欽亮に譲渡された。やがて如是閑らの有力記者もこぞって退社し、政友会系の平凡な新聞に転落。14年末社屋の火災もあって廃刊。 【日本及日本人】にっぽんおよびにほんじん(1907改題-1923休刊) 1907年1月『日本人』を改題して発行された政教社の総合雑誌。陸羯南時代の『日本』新聞で活躍していた三宅雪嶺ら政教社の有力メンバーは伊藤欽亮に譲渡されたあとの『日本』の編集方針に不満で、こぞって退社し、1888年の創刊以来、機関誌的役割を持っていた『日本人』に『日本』の伝統を担わせるという意味で『日本及日本人』と改題した。1923年の関東大震災で政教社が焼失したことなどから休刊。 【池辺三山】 いけべ・さんざん(1864-1912) ジャーナリスト。本名吉太郎。陸羯南の『日本』を経て、1896年『大阪朝日新聞』に入社。主筆となり、すぐ転じて『東京朝日新聞』の主筆。彼に私淑していた鳥居素川が『大阪朝日新聞』の主筆を務めており、相呼応して『朝日新聞』の声価を高めた。 【長谷川如是閑】 はせがわ・にょぜかん(1875-1969) ジャーナリスト。文学者。思想家。幼名は万次郎。1898年東京法学院(中央大学の前身)を卒業し、1902年日本新聞社に入社。06年社長の陸羯南が隠退し、新社長が三宅雪嶺と古島一雄の退社を命じたので、如是閑ら十数人も抗議して退社。07年雪嶺のもとで『日本及日本人』の創刊に参加。08年鳥居素川のすすめで大阪朝日新聞社に入社。やがて小説や紀行文も発表しはじめた。14年社会部長になったが、18年の白虹事件で鳥居ら盟友とともに退社。19年大山郁夫らと雑誌『我等』を創刊した(軍国主義の波が強まった1930年に『批判』と改題し、34年廃刊)。第二次世界大戦中は沈黙がちであったが、戦後の46年貴族院議員、47年日本芸術院会員となり、48年文化勲章を受けた。『長谷川如是閑選集』(全7巻,69-70)に代表著作が収められている。 【大山郁夫】 おおやま・いくお(1880-1955) 社会運動家。早稲田大学卒業後、シカゴ大学に留学。早大教授。『朝日新聞』論説委員、労働農民党および労農党委員長を歴任。1932年より47年までアメリカに政治亡命。47年凱旋将軍のような歓迎を受けて帰国。50年参議院議員に当選。51年スターリン平和賞を受けた。主著『政治の社会的基礎』『現代日本の政治過程』。 【白虹事件】 はっこうじけん(1918年) 1918年『大阪朝日新聞』が政府権力と対立して存亡の危機に追い込まれた日本の新聞史上最大の筆禍事件。当時『大阪朝日』はシベリア出兵、米騒動などに関連して寺内内閣を弾劾する言論の一大拠点であった。8月26日付け夕刊の記事に兵乱の前兆をいう「白虹日を貫けり」の一句があったことが、新聞紙法第41条(安寧秩序紊乱)に違反するとして『大阪朝日』は告訴され、村山竜平社長は退陣、次いで鳥居素川、長谷川如是閑をはじめ大山郁夫、 丸山幹治 、花田大五郎らも社を去った。同紙がこの事件で「不偏不党公平穏健」に反する傾向があったと自己批判したことは、その後の日本の新聞のあり方に象徴的な影を落としている。 【丸山眞男】 まるやま・まさお(1914-1996) 政治学者。日本思想史家。東京大学法学部卒業後、同大助教授を経て1950年教授に就任し、71年退官。46年発表の「超国家主義の論理と心理」で、軍国主義日本の指導者の没主体性を鋭く指摘し、天皇制国家の無責任構造を批判する新視点を提起して論壇に一大衝撃を与えた。『日本政治思想史研究』(52)では、江戸期にさかのぼって日本の政治思想を検証し、政治思想史研究の方法論を確立した。第二次世界大戦直後の代表的論文をまとめた『増補版・現代政治の思想と行動』(64)は、「丸山政治学」のバイブルと呼ばれ、英訳されて海外でも評価を得ている。また、60年安保闘争(cf.安保改定問題)などを通じ、戦後民主主義運動の精神的支柱となったが、後年は日本思想の研究に専念した。日本思想の根本的な構造を明らかにした『日本の思想』(57)は思想界に大きな影響を与えた。そのほか『丸山眞男座談』9巻(96)がある。 ※要約すると「明治期の日本主義」には更に次の二系列があり、両者は余り関係がないと思われる。 (1) 高山樗牛・井上哲次郎らの刊行した文芸雑誌『日本主義』(1897年創刊) 広辞苑・大辞泉・wikipediaは、こちらの「日本主義」のみ記載している。 (2) 陸羯南が創刊し、三宅雪嶺・池辺三山・長谷川如是閑・丸山幹治らが執筆した政論新聞『日本』(1889-1906)→三宅が創刊した『日本人』を改題し、池辺・長谷川・丸山などが執筆した総合雑誌『日本及日本人』(1907-23)→更に、池辺・長谷川・丸山は白虹事件で退社するまで『大阪朝日新聞』に政論を執筆(1908-18) 近代的ナショナリズムの立場から政府の欧化政策を厳しく批判 ※戦後民主主義の代表的論者・丸山眞男は丸山幹治の二男であり、長谷川如是閑を叔父同様に慕い、また戦後に陸羯南について次のような評価を書いていることに注目。 羯南の日本主義は上述のように、ナショナリズムとデモクラシーの総合を意図した。それがいかに不徹底なものであったとはいえ、これは日本の近代化の方向に対する本質的に正しい見通しである。国際的な立遅れのために植民地ないし半植民地化の危機に曝されている民族の活路はいつもこの方向以外にない。不幸にして日本は過去においてその総合に失敗した。福沢諭吉から陸羯南へと連なる国民主義の最初からにひ弱い動向は、やがて国家主義の強力な支配の裡に吸いこまれていった。そのために下からの運動はむしろ国際主義いな世界市民的色彩をすら帯びざるをえなかった。長きにわたるウルトラ・ナショナリズムの支配を脱した現在こそ、正しい意味でのナショナリズム、正しい国民主義運動が民主主義革命と結合しなければならない。それは羯南の課題を継承しつつ、その中道にして止まった不徹底を排除することにほかならぬ。新聞『日本』は明治憲法発布の日に誕生した。…日本国民は羯南の警告にもかかわらず明治憲法に与えられた程度の貧弱な自由すら現実にまもり抜くことができなかった。改正憲法の公布にあたり、われわれは、国民に与えられた諸権利を現実に働くものたらしめ、進んでヨリ高度の自由を獲得するために、よほどの覚悟をもって、これまでに数倍する険峻をのりこえて進まなければならぬであろう。まさしく憲法祭に酔っているときではないのである。 丸山眞男「陸羯南-人と思想」(1947年) ⇒つまり戦後左翼の代表的思想家丸山眞男は、実は政府の欧化主義に抗して近代ナショナリズムを唱えた「明治期の日本主義」の直系の継承者である。 その丸山が、戦後に「ウルトラ・ナショナリズム(超国家主義…後述の「革新右翼」)」と勝手に同一視して糾弾したのが下記の「昭和の日本主義」であり、そのために広辞苑・大辞泉・wikipediaなどでは無視されたままになっていると考えられる。 ◆3.辞書による説明3:「昭和期の日本主義」 ブリタニカ国際百科事典より関連する項目の説明を引用します。 【安岡正篤】 やすおか・まさひろ(1898-1983) 陽明学者。思想家。幼少から漢籍に親しむ。東京大学法学部在学中に大正デモクラシーに抗して日本主義を唱え、早くから政・官・軍関係者にその名を知られる。1927年私塾・金鶏学院を設立して東洋思想の普及に努め、31年財界首脳をスポンサーに日本農士学校を設立する。第二次世界大戦中は小磯内閣の大東亜省顧問を務めたが終戦の詔勅の起草者の一人でもあった。49年全国師友協会を設立。指導者の教化に力を注ぐ。多くの政・財界人、文化人が師と仰ぎ、安岡の訓話を受けることが指導者の条件とまでいわれた。吉田茂・佐藤栄作・池田隼人ら官僚出身の歴代首相の求めに応じて指南役として助言したが、自らは生涯政治の表舞台に立つことはなかった。陽明学、東洋思想、人生論に関する多数の著書がある。 【紀平正美】 きひら・ただよし(1874-1947) 哲学者。帝国大学文化大学卒業。国学院大学・東洋大学講師を経て、1919年学習院大学教授。37年精神文化研究所の設立とともに所員となったが、研究所が43年教学錬成所に併合されたのちまもなく退職した。哲学思想としては、初めドイツ観念論を中心とした西欧哲学、特にヘーゲルの影響が強かったが、のち仏教思想を入れ、国民精神文化研究所時代は国家主義思想に傾斜していった。主著『行の哲学』(1931)、『知と行』(38)、『なるほどの哲学』(41)、『なるほどの論理学』(42)。 【国民精神文化研究所】 こくみんせいしんぶんか・けんきゅうじょ(1932年設置-1943年改組) 1932年「国民精神文化ニ関スル研究、指導及普及ヲ掌ル」(同官制1条)目的のもとに設置された文部大臣の直轄機関。前年に設けられた学生思想問題調査会の「我が国体、国民精神の原理を闡明し、国民文化を発揚し、外来思想を批判し、マルキシズムに対抗するに足る理論体系の建設を目的とする有力な研究機関」設置を求める答申を受けて設けられた。研究部、事業部、編集部、調査部、庶務部から成り、33年品川区上大崎に庁舎を新築した。『国民精神文化』(隔月刊)『国民精神文化研究』(半年刊)『国民精神文化月報』などの刊行、各種講習会・講演会などの開催を通じて国民思想政策の推進に寄与した。43年国民錬成所(1942設置)と統合して教学錬成所に改組された。 【国体の本義】 こくたいのほんぎ(1937年刊) 文部省編。1937年5月刊行。35年頃から高まった「国体明徴」「教学刷新」の意義を明らかにし、その精神を国民に徹底させることを企図した。神話と古典に依拠して、国史の諸過程を「肇国の精神の顕現」としてとらえるとともに、西洋近代思想を激しく排撃している。45年占領軍により『臣民の道』とともに発売禁止となったが、49年にはアメリカでJ.ガントレットの英訳が刊行され、今日にいたるまで研究材料とされている。 ※広辞苑・大辞泉などよりマシとはいえ、ブリタニカ百科事典でも「昭和期の日本主義」に関しては未だに肝心なこと(例として 原理日本社 、 蓑田胸喜 、 平泉澄 など)が記載されていません。 ※なお東欧民主化・ソ連邦解体(冷戦終結)後、既に20年が経過した現在では、戦後に左翼言論人によって激しく糾弾され、もしくは無視された蓑田胸喜など原理日本社同人や平泉澄など「昭和期の日本主義者」のマルクス主義批判・左翼容共思想批判は、論理的には、実に的を射た批判であったことが判明しています。 ◆4.「昭和期の日本主義」参考図書 ※西暦2000年代に入って漸く、戦後長く無視されてきた「昭和期の日本主義」に関する実証的な研究が本格化しました。 日本主義的教養の時代―大学批判の古層 竹内 洋 (編集), 佐藤 卓己 (編集) 2006.2刊内容(「BOOK」データベースより)戦前「護憲」の降魔剣“日本主義”を解明。「右翼」「反動」のレッテル貼りで忌避されてきた一九三〇年代“日本主義”の大学批判。マルクス主義的教養の機能的代替となった日本主義的教養の担い手たち。来るべき時代を読み解く画期的論集。目次第1章 帝大粛正運動の誕生・猛攻・蹉跌第2章 天皇機関説批判の「論理」―「官僚」批判者蓑田胸喜第3章 写生・随順・拝誦―三井甲之の思想圏第4章 英語学の日本主義―松田福松の戦前と戦後第5章 戦時期の右翼学生運動―東大小田村事件と日本学生協会第6章 日本主義的社会学の提唱―赤神良譲の学術論第7章 日本主義ジャーナリズムの曳光弾―『新聞と社会』の軌跡★未だに自虐史観どっぷりの東大・岩波系とは距離を置く京大系の学者達による昭和10年代日本の思想状況の共同研究プロジェクト全体のガイドライン的な位置づけの本。 日本主義と東京大学―昭和期学生思想運動の系譜 井上 義和 (著) 2008.6刊内容(「BOOK」データベースより)国家的危機の時代における大学の使命とは何か。欧化一辺倒の東京帝国大学に学風改革を迫り、高度国防国家を標傍する政府とも命がけの思想戦を繰り広げた東大生たち。戦時体制下で宿命的に挫折した“日本主義的教養”の逆説を読み解き、日本型保守主義の可能性を探る。目次第1章 「右翼」は頭が悪かったのか―文部省データの統計的分析第2章 政治学講義と国体論の出会い―『矢部貞治日記』を中心に第3章 学風改革か自治破壊か―東大小田村事件の衝撃第4章 若き日本主義者たちの登場―一高昭信会の系譜第5章 学生思想運動の全国展開―日本学生協会の設立第6章 逆風下の思想戦―精神科学研究所の設立第7章 「観念右翼」の逆説―戦時体制下の護憲運動第8章 昭和十六年の短期戦論―違勅論と軍政批判第9章 「観念右翼」は狂信的だったのか―日本型保守主義の可能性★現代の日本会議に繋がる国民文化研究会の母体となった昭和10年代の右翼学生運動の系譜を追い、左翼が壊滅した後、国家改造を進める革新右翼(国家社会主義者・アジア主義者)と激しく対立した観念右翼(伝統保守・日本主義者)の論理と実情を具体的に論証する好著 丸山眞男と平泉澄昭和期日本の政治主義 植村 和秀 (著) 2004.10刊内容(「MARC」データベースより)理性の民主派=丸山と、東大国史の歴史神学者=平泉。ともにマイネッケに感銘を受け、危機の時代に対峙した両者の思惟様式に論理的な共通性を見出し、戦前・戦後を貫通する日本ナショナリズムを再定位する。目次第1章 政論記者丸山眞男第2章 歴史神学者平泉澄第3章 正統の争い―平泉澄と丸山眞男第4章 平泉澄における忠誠と反逆第5章 丸山眞男にとっての忠誠と反逆第6章 昭和期日本の政治主義★昭和期日本主義を代表する歴史神学者・平泉澄と戦後民主主義の旗手・丸山眞男、昭和史を貫く両者の思想対立を鋭く分析した名著。 「日本」への問いをめぐる闘争―京都学派と原理日本社 植村 和秀 (著) 2007.12刊内容(「BOOK」データベースより)日本の危機を超克するための哲学は可能か。新世界秩序の創造を目指す、西田幾多郎ら京都学派。それを執拗に否定する、蓑田胸喜ら原理日本社。激しい思想戦から描き出す、斬新な近代日本思想史。目次第1章 西田幾多郎の哲学的挑戦―自己からの創造(西田幾多郎の「論理」、国家理由の問題―マイネッケへの苛立ち ほか)第2章 京都学派の世界史的挑戦―近代の超克(ヨーロッパ中心主義からの跳躍―鈴木成高、近代国家との訣別―西谷啓治 ほか)第3章 蓑田胸喜の西田幾多郎批判―禁忌としての日本(蓑田胸喜の執念、偶像を刻んではならない―カントとマルクスの「共通宿命」 ほか)第4章 蓑田胸喜の天皇機関説批判―原理日本社の公論(自我意識の極大化と絶対への欲求、「コトノハノミチ」という論理 ほか)第5章 京都学派対原理日本社―日本をめぐる闘争(絶対的なるものへの欲求、自己の責務 ほか)★東西文明の総合(止揚)としての「近代の超克」を説く西田幾多郎ら京都学派と、それを押しとどめ、あくまで日本の独自性に拘る蓑田胸喜ら原理日本社を対比して戦前・戦中期日本のもう一つの思想的可能性を描く。上3冊を読んだあとの+αとして。 ◆5.革新右翼(国家社会主義者)と観念右翼(伝統保守) 上記の 日本主義と東京大学―昭和期学生思想運動の系譜 によれば、左翼が一掃された昭和10年代の日本には、①革新右翼と②観念右翼の二大勢力があり、国内・国外の政策を巡って激しく対立したとされます。 ※ブリタニカ国際百科事典には「観念右翼」のみ項目があり、その中に「(国家社会主義者(組織右翼)」の説明があります(革新右翼を組織右翼とも呼んだ)。 【観念右翼】かんねん・うよく 特定の右翼党派ではなく、純粋な日本精神主義を思想や行動の原理とする諸団体。上杉慎吉をその源流とする。第二次世界大戦前の右翼運動を思想形態から分類すると、国家社会主義派(組織右翼)と日本精神主義派(観念右翼)に大別される。上杉の組織した桐花学園(1913創立)、蓑田胸喜、天野辰夫、菊池利房による興国同志会(19)、平沼騏一郎の国本社、興国同志会の流れをくむ七生社(25)などが観念右翼としてあげられる。 ※革新右翼と観念右翼の理念型( 日本主義と東京大学―昭和期学生思想運動の系譜 より引用) ①革新右翼 ②観念右翼 国家改造 国体明徴 高度国防国家 国民精神総動員 解釈改憲 護憲(不磨の大典) 指導者原理 臣道実践 統制経済 資本制擁護 親ソ・親独 反共・反独裁 世界史的な使命 日本史的な道統 陸軍統制派 陸軍皇道派 革新官僚 財界 無産政党 既成政党(現状維持派) 国家社会主義者 自由主義者 結論から言うと、この①革新右翼(国家社会主義+アジア主義)が日本を支那事変~大東亜戦争へと誘い込んだのであり、②観念右翼(伝統保守=昭和期の日本主義者)はそれに激しく抵抗したのだが、丸山眞男を始めとする所謂「戦後民主主義者(戦後市民派)」は、①・②を故意に同一視して「超国家主義者」「右翼」として貶め続けてきた(さらに言えば、橘孝三郎の一族の立花隆に典型的に見られるように①革新右翼が敗戦後たちまち「戦後市民派」に転向して②観念右翼を糾弾する側に回っている例が多々ある)。 ※以上の経緯は 右翼・左翼の歴史 を参照。 ※以下に、①革新右翼すなわち国家社会主義者の項目をブリタニカ百科事典より引用します。 ◆6.辞書による説明4:「超国家主義」 【北一輝】 きた・いっき(1893-1937) 国家社会主義運動の理論的指導者。本名輝次郎。1919年に執筆した『日本改造法案大綱』は陸軍青年将校の革命のバイブルとされた。1937年刑死。その他の著作『支那革命外史』(1915) 【大川周明】 おおかわ・しゅうめい(1886-1957) 日本国家主義運動の指導者。東京大学卒業後、満鉄入社。のち軍中央部と手を握り1931年の陸軍部内の一部青年将校が計画した三月事件、同年6月の満州事変を推進した。32年の五・一五事件に連座。第二次世界大戦後、極東国際裁判で連合軍によってA級戦犯として起訴されたが精神錯乱のため釈放された。 【橘孝三郎】 たちばな・こうさぶろう(1893-1974) 農本主義的国家主義者。第一高等学校を中退。郷里に帰って農耕のかたわら思索の生活を続け、大地主義、兄弟主義、勤労主義を三位一体とする農本主義精神に到達した。また長兄、次兄をはじめ一家一族のほとんどがともに同じ農場で働くことになり、兄弟村農場として世間の注目を集めた。1929年愛郷会を創設、31年には私塾愛郷塾を開いて農本主義的な運動を進め、血盟団の井上日召らと関係を結んで極右的・暴力的傾向を強めた。32年の五・一五事件では、愛郷塾生の多数が農民決死隊として参加、橘もこれに連座して無期懲役に処せられた。40年に出獄後、第二次世界大戦の敗戦を経て愛郷塾は「報本農場」として復活し、橘は再び農場経営を営むかたわら農民運動に関係した。 【井上日召】 いのうえ・にっしょう(1886-1967) 国家主義者。本名昭。血盟団を組織。一人一殺のテロを指導。血盟団事件により、1934年無期懲役確定。1940年恩赦で出獄。 ※以下に、①革新右翼すなわち国家社会主義者と親和的な「アジア主義」の関連項目をブリタニカ百科事典より引用します。 ◆7.辞書による説明5:「アジア主義」 【大アジア主義】 だい・アジア・しゅぎPan-Asianism 欧米列強のアジア侵略に抵抗するため、アジア諸民族は日本を盟主として団結すべきであるという考え方。明治初期以来、種々の視角から展開された。植木枝盛は自由平等の原理に基づきアジア諸民族が全く平等な立場で連帯すべきことを説き、樽井藤吉や大井健太郎は、アジア諸国が欧米列強に対抗するために連合する必要があり、日本はアジア諸国の民主化を援助すべき使命があると説いた。明治20年代になると、大アジア主義は明治政府の大陸侵略政策を隠蔽する役割をもつようになった。1901年に設立された黒龍会の綱領にもみられるように、その後の大アジア主義は天皇主義とともに、多くの右翼団体の主要なスローガンとされ、これに基づいて満蒙獲得を企図する政府・軍部の政策が推進された。日本人の大アジア主義的発想は、第二次世界大戦前・戦中の「大東亜共栄圏」構想を支えた。 【大東亜共栄圏】 第二次世界大戦を背景に1940年第二次近衛内閣以降45年敗戦まで唱えられた日本の対アジア政策構想。その建設は「大東亜戦争」の目的とされた。東条英機の表現によれば、大東亜共栄圏建設の根本方針は、「帝国を核心とする道義に基づく共存共栄の秩序を確立」しようとすることにあった。しかし実際は、東アジアにおける日本の軍事的・政治的・経済的支配の正当化を試みたものに他ならなかったといえる。第一次近衛内閣当時の「東亜新秩序」は日本・満州・中国を含むものに過ぎなかったが、南進論が強まるにつれて、インド・オセアニアにいたる大東亜共栄圏構想に拡大された。大東亜省の設置と大東亜会議の開催は、このような方針の具体化に他ならない。 ◆8.まとめ 運動の性格 ① 明治期の日本主義 政府の欧化主義に反発し、国粋主義/国権主義(特に政府の欧米協調路線に反対する攘夷主義)を主張した言論活動(政論的ジャーナリズム) 他国の侵略から自国・自民族を守る(解放的ナショナリズム) 右翼思想 当初は国粋主義的だった在野言論人の活動は、明治末・大正期に日本が大国化したのちも反骨精神は全く変わらず、今度は次第に左翼思想に理解を示す者が出てきた(左右等価気分説(※1))。更に彼らは、戦後は進歩派・市民派左翼文化人として活発に活動した(長谷川如是閑・丸山眞男etc.)。 ② 昭和期の日本主義 皇道・国体思想を強調して、社会主義やマルクス主義の思想侵略の脅威への対抗イデオロギーとして機能した思想活動 全体主義の脅威から自国の歴史・伝統に根差した自由を守る(日本型保守主義) 保守思想 日本精神主義派(観念右翼)。日本主義的教養を武器に学生・知識人の左傾化を防止し日本精神に目覚めさせると共に、革新右翼の狙う国家改造・解釈改憲・国家経済の社会主義化、更には戦争の長期化を「護憲」の立場から制止・抑制するために奔走。いざ戦争が激化すると国防のために生死を厭わず護国のために尽くした者が多い。 ③ アジア主義 アジア諸民族を白人支配から解放するという大義を掲げ、実際にも明治期の孫文を初めインドのB.ボース、フィリピンのアギナルドらの独立運動と連動しつつ遂行された日本の勢力拡張運動。 アジア諸民族の独立を支援する(排白人主義)(拡張的ナショナリズム) 極右思想 国家社会主義派(組織右翼=革新右翼)と重なる。代表的イデオローグとして5.15事件に関与した大川周明、2.26事件に連座した北一輝。革新右翼は2.26事件暴発後に勢力を急拡大し三木清など転向左翼の多数が近衛内閣のブレーン集団を形成して国策を左右した。※詳しくは 右翼・左翼の歴史 参照 ※「保守」「右翼」「極右」の違いは ナショナリズムとは何か 参照 ※1:左右等価気分説…右傾化も左傾化も既成勢力に対する反抗という意味で基本的に同じ心情に基づくものであり、状況が変化すれば左・右転換は容易とする説。 ◆9.辞書による説明6:「京都学派」と「近代の超克」 ※この他に、④として大東亜戦争開始後に「近代の超克」を唱えた西田幾多郎門下の「京都学派」があるのでブリタニカ百科事典から簡単に引用する。 【京都学派】きょうと・がくは 西田幾多郎および田辺元の哲学探究の伝統を引継いだ京都大学哲学科出身の哲学者たちのグループの総称。1919年田辺が西田によって京大に招聘されて以来両者はともに自己の哲学を創造し、「固体存在の論理」としての西田哲学に対し「社会存在の論理」としての田辺哲学は決定的に対立するようになるが、その真摯な相互批判を通して京大哲学科には活気に満ちた独自の学風が形成され三木清・戸坂潤らをはじめとする多くの哲学徒が参集した。三木・戸坂らはやがてマルクス主義に傾斜しこの学派から離れるが、次いで高坂正顕、西谷啓治、高山岩男、鈴木成高らのグループが現れ、第二次世界大戦期において世界新秩序論としての「世界史の哲学」を提唱し同戦争の合理化を行いこの学派の旗幟を鮮明にした。普通この高坂・西谷・高山・鈴木らのグループを指して狭義の京都学派と呼ぶことが多い。 【近代の超克】きんだいの・ちょうこく 太平洋戦争勃発直後の1942年、雑誌『中央公論』および『文学界』において論じられたテーマ。川上徹太郎、亀井勝一郎、小林秀雄、林房雄、吉満義彦らの文芸評論家が欧米文化の克服を論じたものである。西欧近代からのアジアの解放を標榜した大東亜戦争を肯定的に受け止めようとする知識人がそこに根拠を求めようとした。思想的には深められないまま終わったが、第二次世界大戦後竹内好がその意義をあらためて主張した。またソ連を頂点とした共産圏崩壊後、新しい国際関係が模索されるなかで、再びその意味を問う声もある。 ※以上で、「日本主義」および関連する「アジア主義」「近代の超克」など諸用語の辞書的な説明を終わります。 ※以下より、戦前日本の思想状況、特に左翼・右翼の両翼の思想運動についてまとめます。 ■3.近代日本の思想状況 ◆1.右翼・左翼学生運動関連年表( 日本主義と東京大学―昭和期学生思想運動の系譜 より引用) 和暦 西暦 出来事 藤島利郎による区分 丸山眞男による区分 右翼学生運動 左翼学生運動 日本ファシズム運動 明治元~ 1868~ 明治維新 第1期:萌芽期 大正7 1918~ 第一次世界大戦終結 第2期:台頭期(後半) 台頭期(前半)~全盛期(後半) 第1期:準備期 昭和5 1930 ロンドン海軍軍縮条約 第3期(第1小期):勃興期 潜行期 (民間における右翼運動の時代) 昭和6 1931 満州事変 第3期(第2小期):興隆期 凋落期 第2期:成熟期 昭和7 1932 五・一五事件 ↓ ↓ (急進ファシズムの全盛時代) 昭和8 1933 京大滝川事件 ↓ ↓ ↓ 昭和9 1934 ↓ ↓ ↓ 昭和10 1935 天皇機関説事件 ↓ ↓ ↓ 昭和11 1936 ニ・ニ六事件 ↓ ↓ 第3期:完成期 昭和12 1937 支那事変 第3期(第3小期):全盛期 準壊滅期 (日本ファシズムの完成時代) 昭和13 1938 ↓ ↓ ↓ 昭和14 1939 ↓ ↓ ↓ ¦ ↓ ↓ ↓ 昭和20 1945 第二次世界大戦終結 右翼学生団体創立ブーム 左翼学生運動台頭~全盛期 ※つまり戦前期の実証的な学生思想運動の研究によれば、大正期から昭和初期にかけて(1910年代の終わりから1920年代)の日本の大学は非常に自由な知的環境にあり、上の図の赤塗部分の通り左翼学生運動が隆盛していた(ロシア革命の影響→後期は経済恐慌の影響)。それが当局により問題視され弾圧を受け始めるのは1928年の三・一五事件以降である。 ※満州事変が勃発する1930年代になると今度は、右翼学生運動が盛んになり、天皇機関説事件からニ・ニ六事件の頃に、一時的に下火になるものの支那事変勃発でブームが再開した(その後、第二次近衛内閣の新体制運動による統制の強化により、学生右翼運動も下火になる)。 嘗て左翼学生運動の華やかなりし時代或人は謂った。学生には四種ある、①最も頭脳明晰な学生は社会科学を研究して結局左翼運動に奔り、②次に位する者は専心に学校の過程を勉強し、③次に位する者は映画演劇麻雀撞球等の享楽に奔り、④最も下級に在る者のみが右翼運動に参加するに至ると、然し是は今日の右翼運動に関する限りは当を得て居ない。 藤嶋利郎(司法官僚)『最近に於ける右翼学生運動について』(1940年(昭和15年)司法省刑事局刊) ※上は、大正期に大学時代を過ごした元左翼学生の司法官僚の昭和15年の回想である。これはまるで最近の団塊世代の言いそうな感想であり、戦前の日本が思想的に暗黒時代だった、という戦後左翼の刷り込みは全く根拠がないことが、これだけでも分かると思う。 ◆2.近代日本の思想状況(まとめ) 区分 時期 内容 (1) 復古主義v.s.文明開化の時代 明治維新~西南戦争終結(1867-1877) 復古主義的文教政策を推進する勢力(主に公家・薩摩閥)と開明政策を推進する勢力(主に長州閥)が拮抗したが、西南戦争の結果、開明派が勝利した。 (2) 欧化主義v.s.政論的ジャーナリズムの時代 鹿鳴館時代~日露戦争開始(1878-1904) 「殖産興業」「富国強兵」「和魂洋才」等をスローガンに政府による強力な欧化政策が遂行された。その一方で在野の不平士族などを中心に「有司専制」に反対する政論的ジャーナリズムが登場。自由民権運動として知られる初期の立憲デモクラシー要求や、欧化主義に反対する「(明治期の)日本主義」と呼ばれる国粋主義運動も勃興し一定の影響を及ぼした。明治憲法制定(1889)・帝国議会開設(1890)などはそれらのせめぎ合いの成果である。 (3) 大正教養主義の時代 ポーツマス条約締結~第一次大戦による好景気(1905-1917) 明治期の悲願であったロシアの脅威の排除と不平等条約改正という大目標を達成したこの時期の日本では、政治よりも(西欧産の)哲学・文学など文化的教養に重きをおく風潮が顕著になり(大正教養主義)、それが政治面にも作用して議会制デモクラシーの確立を目指す動きが強まった(大正デモクラシー)。第一次大戦によって日本の富強化は一段と進展した。 (4) マルクス主義的教養の時代 ロシア革命~4.16事件(共産党員の大量検挙)(1918-1930) 1917年10月にロシアで共産主義革命が起こり、また第一次大戦の敗戦の結果ドイツ・オーストリア・トルコなどの帝国が倒れて共和国化した影響で、「歴史の必然的な発展法則」を説くマルクス主義思想が折柄の大正期の自由な知的環境の中で急速に知識人・学生層に影響力を拡大した(1918年東大新人会発足・・・当初は吉野作造の民本思想などの研究が中心だったが急速にマルクス主義思想に傾斜。1928年解散)。「革命の輸出(世界革命)」を目論むロシア共産党は1919年コミンテルン(国際共産党組織)を作り、その下部組織として日本共産党が結党され27年テーゼ(綱領)では公然と「天皇制打倒」を掲げるに至ったため、3.15事件(1928年)・4.16事件(1929年)で治安維持法に基づく共産党員の一斉検挙が実施された。このとき将来の国家を担うべき東大京大を初めとする全国32大学148名の現役学生が検挙された事実は政府当局を震撼させ「思想国難」と認識されるようになった。この共産党員の一斉検挙後も東大・京大など有力大学にマルクス主義に染まった多数の教授が大正期以来の「学問の自由」「大学の自治」を盾に居座り続け、それが排除されるのはコム・アカデミー事件(1936年)・人民戦線事件(1938-39年)に至ってからであった。 (5) 日本主義的教養の時代 満州事変勃発~ポツダム宣言受諾(1931-1945) マルクス主義への対抗イデオロギーとしての役割が、日本主義(日本の歴史・伝統に則った精神的姿勢の追求)に担わされた。その一方で、実際の国策指導・戦争指導は、特に近衛文麿内閣の成立後は、日本主義を奉じる観念右翼(伝統保守)ではなく革新右翼(国家社会主義者・アジア主義者)によって実施される場合が多く、観念保守はその動きに「護憲」の立場から歯止めをかけるのに精一杯だった。 (6) 戦後民主主義(教養主義の没落)期 GHQの占領~冷戦終結(1945-1990) (4)マルクス主義的教養の時代に思想形成し、それゆえに(5)日本主義的教養の時代には思想弾圧を受けたと感じているアカデミズムやジャーナリズムの人士が、GHQの占領政策に乗じて、そうした恨みを存分に晴らす機会を得て跳梁跋扈し、その影響が現在も続いている。 (7) ポスト冷戦期 ソ連邦崩壊~現在まで(1991-) 上記の通り、西暦2000年代に入ってようやく戦前の政治思想の状況を実証的に見直す動きが顕在化してきた。 ■4.戦前日本の思想を考える様々な参考図書 #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (with) 歴史学 (ヒューマニティーズ) 佐藤 卓己 (著) 2009.5刊内容(「BOOK」データベースより)情報化、グローバル化が加速するメディア社会。公議輿論の足場として、歴史的教養の重要性はますます高まっている。しかし、こうした現実の課題に対して、「大きな物語」が失われたあと、これまでの歴史学は充分に応えてきただろうか。公共性の歴史学という視点から、理性的な討議を可能にする枠組みとして二一世紀歴史学を展望する。★評価著者は 日本主義的教養の時代―大学批判の古層 の中心的編集者で良くも悪くも現在の歴史学の水準を体現している人物。ヒューマニティ・シリーズの一冊として、敢えて従来の「(ゴリゴリの)自虐史観」からは距離を置くこのような著者の本が、あの(戦後一貫して自虐史観で真っ黒だった)岩波書店から出版されたこと(出版せざるを得なくなったこと?)は非常に意義深いことである。但し現在の歴史学の限界をも露呈する一冊とも読める。果たして次の世代は、この限界をどれだけ乗り越えられるのかに注目したい。 #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (with) 日本の思想 丸山眞男 (著) 1961.11刊内容(「BOOK」データベースより)現代日本の思想が当面する問題は何か。その日本的特質はどこにあり、何に由来するものなのか。日本人の内面生活における思想の入りこみかた、それらの相互関係を構造的な視角から追究していくことによって、新しい時代の思想を創造するために、いかなる方法意識が必要であるかを問う。日本の思想のありかたを浮き彫りにした文明論的考察。★評価その思想の偏り、事実関係の歪曲・捏造ぶりが散々に指摘される丸山眞男の代表的著作。よく読むと丸山と同時代人である蓑田胸喜や平泉博士や京都学派の高山岩男といった今では世間一般では忘れられた思想家、さらには「日本主義」「近代の超克」からエドマンド・バークやカール・ポパーにまで言及している箇所があり、そうした意味でも興味深い。 現代政治の思想と行動 増補版 丸山眞男 (著) 1964刊 1974増補出版社 / 著者からの内容紹介戦後日本を代表する政治学者・丸山眞男の『日本政治思想史研究』(東京大学出版会)にならぶ主著。「戦後日本社会科学の精神的起点の一つ」(道場親信)と評され、「丸山学派」とよばれる多くの学者に影響を与えた。三部に分けられ20本の論文が収録されている。各論文は、講演調、書簡体、対話体と、ヴァラエティにとんだ歯切れのよい文体でつづられており大変読みやすく、また著者自身による詳細な「追記および補註」も読者の理解を助けてくれる。第一部には「日本ファシズム」をめぐる論考がおさめられている。特に「超国家主義の論理と心理」の与えたインパクトは大きく、その後の天皇制分析の出発点となった。「軍国支配者の精神形態」では「無責任の体系」というキーワードで日本の支配機構を分析、戦争責任問題の分析への道をひらいた。第二部にはファシズムと同時に共産主義の問題も論じている。第三部では政治学の基本的な概念を整理した文章がならんでおり、著者自身の時代状況への対応も見ることができる。「現代における人間と政治」では、『独裁者』などチャップリンの映画からときおこし、知識人の役割についての考察を深めている。半世紀たった今も、全く色あせるどころかますます輝きをます政治学的考察の宝庫。★評価中共と毛沢東を激賞しスターリンの「功績」をも懸命に擁護して、日本とアメリカの「ファシズム化」に警鐘を鳴らし続けて「本物の知識人」たちを“啓蒙”した丸山眞男の主要論文集。怪番組NHK JAPANデビュー第二回:天皇と憲法の思想的な源流もここにある! 丸山眞男の時代 竹内 好 (著) 2005.11刊内容(「BOOK」データベースより)戦後の市民による政治参加に圧倒的な支配力を及ぼした丸山眞男。そのカリスマ的な存在感の背景には、意外なことに、戦前、東大法学部の助手時代に体験した、右翼によるヒステリックな恫喝というトラウマがあった。本書は、六〇年安保を思想的に指導したものの、六〇年代後半には学生から一斉に背を向けられる栄光と挫折の遍歴をたどり、丸山がその後のアカデミズムとジャーナリズムに与えた影響を検証する。★評価『日本主義的教養の時代―大学批判の古層』のもう一人の中心的編集者。1942年生まれの著者はまさしく学生時代に丸山眞男の強い影響を受けた世代だが、それだけに鋭く丸山氏の矛盾点・問題点を突いている。戦前から続く丸山と蓑田胸喜の浅からぬ因縁、戦後の学生運動への共産党の干渉、1960年の安保闘争、その後の全共闘など「丸山眞男の時代」を簡潔に描き出しており、読み易い。 自虐史観もうやめたい!―反日的日本人への告発状 谷沢永一 (著) 2005/06 内容もう中国・韓国に謝るな! いかにも禍々しい日本罪悪論をはじめて言い出した発頭人は誰なのか。日本の世論をミスリードしてきた「進歩的文化人」、日本罪悪論の火元12人を徹底批判。 <目次> こんな国家に誰がした ― 今も続く、スターリンの呪縛 「日本は第二次大戦の主犯」と言う歴史の偽造家 ― 戦後の学界、言論界の大ボス・大内兵衛への告発状 「ソ連はすべて善、日本はすべて悪」の煽動者 ― 日本罪悪論の海外宣伝マン・鶴見俊輔への告発状 国民を冷酷に二分する差別意識の権化 ― 戦後民主主義の理論的指導者・丸山眞男への告発状 栄達のため、法の精神を蹂躙した男 ― 反日的日本人の第一号・横田喜三郎への告発状 金日成に無条件降伏の似非出版人 ― 進歩的文化人の差配人・安江良介への告発状 恫喝が得意な権力意識の化身 ― 「進歩的インテリ」を自称する道化・久野収への告発状 祖国をソ連に売り渡す“A級戦犯” ― 進歩的文化人の麻酔担当医・加藤周一への告発状 その正体は、北京政府の忠実な代理人 ― 日本の伝統の徹底的な否定論者・竹内好への告発状 最も無責任な左翼・教条主義者 ― マスコミを左傾化させた放言家・向坂逸郎への告発状 日本を経済的侵略国家と断定する詭弁家 ― 現代の魔女狩り裁判人・坂本義和への告発状 国家間の原理を弁えない謝罪補償論者 ― ユスリ、タカリの共犯者・大江健三郎への告発状 近代日本を全否定した国賊 ― 進歩的文化人の原型・大塚久雄への告発状 ★評価書誌学者 故・谷沢永一氏による好著。青年時代に一時共産党員だった経歴を持つ著者だけに12人の国賊文化人たちへの批判が実に的確。目次だけでも読む価値あり。 #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (with) 日本とドイツ 二つの全体主義 「戦前思想」を書く 仲正 昌樹 (著) 2006.7刊出版社/著者からの内容紹介「戦後思想」があるとすれば、「戦前思想」もあっておかしくないような気がするが、あまり聞かない。しかし「日本とドイツ」に限って言えば、一八七〇年前後から、第二次大戦が本格化する一九四〇年前後までの約七十年間を取ると、結構、意味のある比較をすることができる。何故かというと、両国とも一八七〇年頃に、西欧的な意味での近代国家を形成し、(英国やフランスに比べて)遅ればせながら、[国民国家としての統合→帝国主義的拡張]のプロジェクトに乗り出し、最終的に「(西欧)近代の超克」を目指して全体主義体制を構築し、戦争へと突入していったからである。(「プロローグ」より) ★評価戦前日本の思想状況について通史的な図書が他に見当たらないため内容にはかなり問題があるもののこの本を薦めざるを得ない。著者は元統一教会信者であり、皇室に対する本質的敬意に欠け、かつ安倍元首相に対する敵意を剥き出しにする人物だが、これが現在の思想界の水準(および限界)と考えてよいと思う。次の世代がこれをどれだけ乗り越えられるか。 『昭和の思想』 植村和秀(著) 2011.11刊・内容説明昭和の思想を総体的に俯瞰する画期的論考。思想弾圧と戦争の暗さ。世界に挑戦する日本という明るさ。奇妙な時代=戦前昭和期を中心に、丸山眞男・平泉澄・西田幾多郎・簑田胸喜の思想から時代の本質を剔る・内容(「BOOK」データベースより)「戦前=戦後」だけでなく、昭和はつねに「二つの貌」を持っていた。皇国史観から安保・学生運動まで、相反する気分が対立しつつ同居する昭和の奇妙な精神風土の本質を、丸山眞男・平泉澄・西田幾多郎・蓑田胸喜らの思想を元に解読する。・目次第1章 日本思想は二つ以上ある第2章 思想史からの靖国神社問題―松平永芳・平泉澄第3章 思想史からの安保闘争・学生反乱―丸山眞男第4章 思想史からの終戦と昭和天皇―阿南惟幾・平泉澄第5章 思想史からの世界新秩序構想―西田幾多郎・京都学派6章 思想史からの言論迫害―蓑田胸喜第7章 二〇世紀思想史としての昭和思想史★評価2010年11月に出版された好著。戦前から戦後及ぶ昭和期日本の思想状況が、要点を絞って明瞭かつ簡潔にまとめられている。非常にお勧め。 ■5.ご意見、情報提供 日本主義・・・?なんか反欧米的な臭いがしますが。反欧米・アジア主義なんか掲げていると特亜と同類になるぞ。アジアの中でも西欧的で合理的な日本は愛するべきだが、アジア主義(そもそもアジアというものは地理的概念以上の意味などないのだが)に染まった日本などたまらんな。 -- 名無しさん (2011-06-27 03 59 33) ↑◆5.革新右翼(国家社会主義者)と観念右翼(伝統保守) の図表を見てください。昭和期の日本主義者はアジア主義や国家社会主義と対立的です。 -- 名無しさん (2011-06-28 21 48 21) 一時期、反抗期と記載するのを禁止された事がありましたが、誰が禁止したのでしょうか。 -- 定塚甫 (2011-10-23 01 48 32) 昭和期の日本主義の思想に英米保守主義を混ぜて大成したらすごい物ができる気がします -- 名無しさん (2012-03-03 00 33 39) 名前 コメント ■左翼や売国奴を論破する!セットで読む政治理論・解説ページ 政治の基礎知識 政治学の概念整理と、政治思想の対立軸 政治思想(用語集) リベラル・デモクラシー、国民主権、法の支配 デモクラシーと衆愚制 ~ 「民主主義」信仰を打ち破る ※別題「デモクラシーの真実」 リベラリズムと自由主義 ~ 自由の理論の二つの異なった系譜 ※別題「リベラリズムの真実」 保守主義とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ ナショナリズムとは何か ケインズvs.ハイエクから考える経済政策 国家解体思想(世界政府・地球市民)の正体 左派・左翼とは何か 右派・右翼とは何か 中間派に何を含めるか 「個人主義」と「集産主義」 ~ ハイエク『隷従への道』読解の手引き 最速!理論派保守☆養成プログラム 「皇国史観」と国体論~日本の保守思想を考える 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「慰安婦」問題 調査報告・1999 インドネシアにおける慰安婦調査報告 倉沢愛子 ソース:http //www.awf.or.jp/program/pdf/p089_105.pdf Ⅰ 戦後補償問題としての慰安婦問題 インドネシアにおける慰安婦調査報告Ⅰ 戦後補償問題としての慰安婦問題1 インドネシア社会における「慰安婦問題」認識 2 慰安婦問題に関するマスコミ報道の始まり 3 日弁連弁護士のインドネシア訪問 4 法律援護協会への登録 5 兵補協会による慰安婦の登録 6 アジア女性基金の償い金に関する情報 7 インドネシア政府の態度 1 インドネシア社会における「慰安婦問題」認識 第2次大戦中、日本軍占領下のインドネシアで、多くの女性(インドネシア人、華人、オランダ人)が、日本兵の性的犠牲になったことはインドネシア社会では周知の事実であった。たとえば、1959年4月3日付けのインドネシアの新聞(Mestika紙)には、日本の賠償支払いに関連した投書が掲載されているが、その中で、日本からの賠償を本当に受け取る権利があるのは、日本の兵士たちの横暴の犠牲者になった人々であるとして、「聖戦を戦う手伝いのための売春婦として連れていかれた少女たち」のことに触れている。 筆者自身1980年から1981年にかけてジャワ農村で実施した調査の中でも、そういう女性のことはしばしば耳にした。それは、この村の○○の娘が、「学校へ入れてやる」と騙されて日本軍に連れて行かれ日本兵の女にされた、というような話である。 また、そのような女性を題材とした小説や映画は早い時期から作られていた。たとえば、1982年には「カダルワティ──5つの名を持つ女──(Kadarwati Wanita dengan Lima Nama)」と題するパンディル・クラナの小説が出版され、のちに映画化もされた。さらに1986年には「欲望の奴隷(Nafsu Budak)」と題する映画が制作・上演された。この映画はあまりにも有名で、そのため今でもマスコミ等では、「慰安婦」を象徴する代名詞としてしばしばこの「欲望の奴隷」という表現が使われるほどである。 性的な犠牲になった女性という場合、かならずしもすべてが厳密な意味での従軍慰安婦を意味するわけではない。非常に多くの女性が、特定将校の「女中」あるいは「現地妻」のような形で、専属的に性的な奉仕をさせられていた。そしてそのようなケースの場合、必ずしも「強制」によるものではなく、そのことにより本人あるいは家族に対し保障されるさまざまな物質的な利益を考えて、ある程度納得のうえでその道を選んだ者もいる。あるいは時には純粋な恋愛に近いかたちで関係が始まった場合もあるだろう。インドネシア社会では、そういったさまざまなケースと、厳密な意味での従軍慰安婦を、ほとんどの人が区別して理解していない。またわれわれが、いくらその区別を説明してもなかなか納得してもらえない。それがこの国での慰安婦調査の場合の最大のネックである。 いずれにせよ、その頃の小説や映画、あるいは人々の記憶の中では、このような日本軍の性的犠牲になった人々は、かつては「イアンフ」という明確な用語で認識されていたわけではなかった。この言葉自体はインドネシア社会ではきわめて新しいもの、つまり、1991年12月に韓国で名乗りを上げた元従軍慰安婦が日本政府に補償金支払いを求める訴えを起こし、いわゆる従軍慰安婦問題が国際的にクローズアップされて以来のことである。 2 慰安婦問題に関するマスコミ報道の始まり その当時たまたまジャカルタに長期滞在していた筆者の記憶では、この問題が大きくインドネシアのマスコミを賑わせるようになったのは1992年7月以降のことだった。1992年7月6日付けの全国紙「コンパス」が、「読売新聞」の記事を紹介し「日本軍が第2次大戦中、アジア諸国の女性を慰安婦として募集するにあたって、軍が関与していたという事実を証明する文書127点が発見された」と伝えた。次いで、7月7日の各紙に、「日本政府が6日、朝鮮半島、中国、台湾、フィリピン、インドネシア出身の元慰安婦に対する謝罪の意を表明した」と報道された。 さらに「コンパス」紙は、日本大使館情報文化担当畠書記官の談として、インドネシアの従軍慰安婦に関する4つの資料が発見されたと述べている。その4点とは、(1)南スラウェシの民政部(インドネシアの海軍支配地域を統括した日本軍の行政機関)第2復員班長から第2軍高級副官あてに提出された「南部セレベス淫売施設調査」(1946年5月30日)、(2)台湾軍がカリマンタンより慰安婦50人の派遣を要請した手紙、および台湾軍参謀長陸軍大臣の副官あてに、南方総軍から要請をうけて「ボルネオ行き」「慰安土人」50名を派遣するに際して台湾在住の日本人(慰安所)経営者3名の渡航許可を求める電報、(3)同じく慰安婦20名を追加派遣したい旨了承を求める電報、(4)ジャワ島スマランにおける慰安所運営に関する報告(「終連報甲1588号」1947年1月9日付け)である。 この頃連日、社説も含めて各紙が、日本が慰安婦問題で軍の関与を認めたという報道で賑わった。しばらくすると、インドネシア人もまた慰安婦問題の犠牲者になっていたのだとして、インドネシア社会から名乗り出る人々の証言が報道されるようになった。 7月12日に「コンパス」紙が、「インドネシアにもあった従軍慰安婦問題」として、2人の男性の証言を載せた。1人はジャワ島ソロ市在住のウィナルソ(Winarso。退役軍人で証言当時は州議会議員)氏で、彼は「ソロで起こった悲劇の証人になる用意がある」と名乗り出て、彼が商業学校に通っていた頃(1944-45年)、その隣り合わせの敷地にあったフジ旅館(オランダ時代のHotelRusche Gladag、実は軍慰安所として使われていた)で見聞きしたことを語った。彼はかねてからそこに住む女性たちに興味があったが、ある夜、学校の火の見櫓に登って、ホテルの風呂場の窓越しに、1人の女性と話す機会があった。それによれば彼女は「学校へ入れてやる」といって騙されてここへ連れて来られ、日本兵の相手をさせられているということだった。ちなみにウィナルソ氏はのちに、「朝日新聞」、日本電波ニュースの取材を受け、日本のテレビでも8月15日にそのインタビューが放映された。 もう1人は、西カリマンタン州議会議長のアリフ氏で、彼は16歳の頃、スマトラ島リオーのタンジュンン・パウの日本軍の宿舎で働いていた時、鉄道建設に携わっていた渡辺少尉指揮下の日本軍部隊のもとに慰安所があったと証言した。 その数日後、1992年7月17日に、「元慰安婦だったと認めた女性」と題して、4段抜きの大きな記事が「コンパス」紙に載った。前述のウィナルソ氏の証言をもとに、「コンパス」の記者が、当時ソロ市のフジ旅館で働かされていた女性を探し出したのである。カランアニャル県在住のトゥミナさんという女性で、彼女は料理人として働かないかと誘われてソロの町に出たところ、フジ旅館に閉じ込められて、他の女性といっしょに日本軍将兵の相手をさせられたと証言したのである(トゥミナさんとのインタビュー記録もあるので参照されたい)。これ以後さらに何名かの女性が、マスコミの取材に応じて自分たちの体験を語った。 ちょうどこの頃、1944年にスマランの収容所から連れだされて慰安婦にされたオランダ女性がいたことを記した記録を「朝日新聞」の記者がオランダで発見し報道したが、これを7月22日付けの「ビジネス・インドネシア(Bisnis Indonesia)」紙が報道している。ほぼ同じ頃インドネシアの雑誌『テンポ(Tempo)』のオランダ特派員もこの資料をオランダで見つけて、1992年7月25日号で9頁にわたる特集記事を組んで大きく報じた。 さらに『テンポ』は、同年8月8日号でも、12ページにわたる慰安婦問題の特集を組み、ジャカルタ、トラジャ、ウジュンパンダン、スマラン、バンカ島で慰安婦にさせられた女性たちの体験を紹介した(後藤乾一「インドネシアにおける「従軍慰安婦」問題の政治学」『近代日本と東南アジア』岩波書店、1995年、237-240頁に詳細な証言が紹介されている)。またこの中で日本の海軍特警隊の禾(ノギ)晴道氏が書いた『海軍特別警察隊』という書物を紹介し、その中で著者がアンボン島で見聞した慰安所に関する記述を紹介している。 これらの一連の報道の中では、これらの女性を意味するものとして、「ジュウグン・イアンフ」、あるいはインドネシア語で「ワニタ・プンヒブル"Wanita Penghibur"」という新しい言葉が使われ、インドネシア社会に定着するようになった。従軍慰安婦自身、自分たちがこのような名称で定義されるものだということは、当時は知らず、報道によって初めて知ったのだった。 3 日弁連弁護士のインドネシア訪問 そのように、「従軍慰安婦」問題がインドネシアのマスコミに登場するようになると、人権問題でさまざまな闘争を展開していた法律援護協会(LBH)がこれに関心を示すようになってきた。そのような中で、1993年4月に村山アキラ氏を団長とする日弁連の弁護士5名(村山氏の他にイシダ・アキヨシ、ヨシ・マサアキ、ノガミ・カヨコ、岩城和代)が、「朝日新聞」の大村哲夫氏(個人の資格で)の案内で労務者ならびに慰安婦の調査に訪れた。彼らは訪問に先立って、法律援護協会と連絡をとり、調査の協力を依頼した。 この調査はあくまで、その年の10月に東京で開催予定であった戦後補償に関するセミナーのための事実関係調査を目的としたものであり、弁護士個人の資格で行われたものであった。しかしインドネシアのマスコミの中には、日本政府がいよいよ慰安婦の補償問題に乗り出してきたというニュアンスで報じるものや、あるいは日本の弁護士がインドネシアの元慰安婦の訴訟を援護するために来たという書き方をするものもあった。これに関しては、当事者から確認をとらず、法律援護協会関係者からの情報だけに基づいて書くというインドネシアの新聞記者の取材方法に大きな問題があったのであるが、いずれにせよ、この報道はいよいよ補償がもらえるのかという誤解を与え、その後何百人という元従軍慰安婦が相次いで名乗り出る契機となったのである。 こうして、日弁連の弁護士訪問時には、元労務者とならんで元従軍慰安婦と称する女性たちが法律援護協会に押しかけた。特にジャカルタと並んで一行の訪問先になっていたジョクジャカルタの支部ではそうであった。のちに慰安婦の補償獲得闘争の先頭に立つようになったマルディエム(日本名ももえ)さんも、この時(1993年4月26日)に名乗り出た1人である。一部の人には、日弁連の弁護士が直接面談したが、総数があまりに多く、全員に面会することができなかった。そこで法律援護協会ジョクジャカルタ支部は、名乗り出てきた人達にとりあえず名前、住所、日本時代の体験等を簡単に書いてもらっていったん引取りを願った。これが、法律援護協会によるいわゆる「登録」作業の始まりである。 ところが、この頃法律援護協会の本部は、日弁連の5人の弁護士の訪問中、彼らと直接話して、その調査目的が必ずしも訴訟の準備のためでなく、主として同年10月に行われる戦後補償のセミナーのための情報収集であったことを知り、警戒心を強めた。ブユン・ナスティオン氏は、4月23日、ソロで「日本人弁護士のグループは真剣に元慰安婦たちが日本政府に補償を要求するのを援助しようとしているのか、それとも自分たちの団体の利益だけを追求しているのか疑問である」として注意を喚起する発言をしている(「リプブリカ(Repbulika)」紙ならびに「ジャヤカルタ(Jayakarta)」紙、1993年4月23日付け)。 以下にみるようにこれ以後も登録を受け付けたのは法律援護協会のジョクジャカルタ支部だけであり、本部が関心をもたなかった背景にはこのような不信感もあったのかもしれない。 4 法律援護協会への登録 さて、ジョクジャカルタ支部では、その後も登録にくる女性が出現し、彼女たちへのマスコミの取材合戦が始まり、1993年度を通じて新聞紙上で女性たちの体験紹介が相次いだ。法律援護協会ジョクジャカルタ支部は1993年8月末で、とりあえず登録受付をいったん打ち切ったが、この時点で登録者は317人(ジョクジャカルタ特別州84名、中ジャワ州99名、東ジャワ州16名他)になっていた。それまでにこの事業に1150万ルピアの費用を費やしたという(「リプブリカ」紙、1994年2月28日付け)。ただしこの女性たちの登録は自己申告のみに基づくものであり、法律援護協会の側では特に認定作業や事実関係の調査を行ってはいない。しかも慰安所で働かされた厳密な意味での従軍慰安婦だけでなく、日本人の現地妻や日本軍将兵に強姦された被害者なども入っている。 法律援護協会ジョクジャカルタ支部のブディ・ハルトノ弁護士は、1993年9月に大統領、官房長官、外務大臣ならびに社会大臣あてに、労務者ならびに慰安婦の補償問題について政府の支持と助言を求める書簡を送った。 このように日弁連の弁護士のインドネシア訪問を契機に、慰安婦問題はいっそうマスコミの脚光を浴び報道が加熱したのであるが、このためにのちに、「それまでインドネシアでほとんど問題にされていなかった慰安婦問題が、日弁連の弁護士の訪イによってインドネシアにも持ち込まれた」という誤解が生じたほどであった。たとえば、すでにその前年7月に何度か慰安婦問題の報道をしていた「コンパス」紙までが、1996年11月16日の記事の中では、そのような認識を示しており、それに対して、ソロで最初に証言をしたウィナルソ氏が投書欄で反論する(「コンパス」紙、1996年11月28日付け)というようなこともあったほどである。また日本側でも現在一部にはそのような認識があり、慰安婦問題はインドネシア側から出てきたのでなく、日本側から「火をつけた」という誤解が強く残っている。 なお、この間(1993年8月)日本政府は慰安婦募集に際して「強制性」があったことを公式に認め、インドネシアの各紙もこれを報じた。 5 兵補協会による慰安婦の登録 法律援護協会ジョクジャカルタ支部による登録が、主としてジョクジャカルタや中ジャワ在住者を対象にして1993年から行われたのに対し、ジャカルタを含む西ジャワ方面における登録は、1995年になってから兵補協会によって行われた。兵補協会というのは、日本軍の補助兵として採用されたインドネシア兵(兵補)たちが、勤務期間中、軍事預金として強制的に給料の一部(おおむね給料の3分の1)を天引き貯金させられていたものを払い戻して欲しいという要求運動を展開するために1990年に結成された組織である。正式名を「元兵補連絡中央協議会」といい、最近までジャカルタ郊外のブカシ県ポンドック・グデ(PondokGede)にあるタスリップ・ラハルジョ会長の自宅を事務所にしていた。 兵補協会の説明によると、彼らが従軍慰安婦の登録をするようになったのは、かねてからこの問題に理解を示していた高木健一弁護士が、この協会の本部を訪れた時、「慰安婦の実態調査をしてみたらどうですか」と持ちかけたのがきっかけだという。そして、兵補協会の全国支部のネットワークを利用して1995年8月に登録受付が開始された。個人的データを書き込む特定の様式のフォームを協会側が用意し、そこに名前、生年月日、出生地、住所、日本時代の呼び名、1942-45年までの居住地の他、覚えている日本人の名を2名、日本人知人の名を1名記入させている。 ここでも厳密な意味の慰安婦だけでなく、日本軍将兵に強姦されたもの、特定の日本軍将校の現地妻にされたものなども含み、Wanita Selir(ジャワ語で妾の意)という広い定義のもとに登録を受け付けている。その結果現在、全国で19,573名が登録している(その地域別一覧は付録を参照)。同協会は1996年11月にこの全登録者名簿を2巻本に製本し、高木弁護士、インドネシアの内務大臣、政治・治安調整大臣(Men polkam)らへ送った。 兵補協会では、その中から一部の人々を抜き出し、日本軍政時代の体験に関する25項目の質問を記載した調査票を使ってより詳細な調査を行っている。これらの質問に対しては、aからdの4つの選択肢が用意されており、その中から選ぶという形式になっている。この調査は、バンドゥン支部のヘリ支部長が中心になって行われたため、データは西ジャワ地区のものがもっとも整っている。 6 アジア女性基金の償い金に関する情報 1995年7月にアジア女性基金が作られた当初、インドネシアのマスコミではこのことが大きくとりあげられることはなかった。また法律援護協会、兵補協会ともに、この基金の設立経緯や活動内容について正確な情報はほとんど入手していないようであった。1995年8月に筆者が法律援護協会の本部を訪れて、ブユン・ナスティオン理事長と会談した時、同氏は、要求項目としてa日本政府への謝罪要求、s日本の文部省に歴史の教科書の改定を要求、d慰安婦の記念碑建設、f本人ならびに遺族に対する補償の支払い要求の4点を出していた。しかし女性基金に関する言及はまったくなかった。 ジョクジャカルタ支部も同様であった。ブディ氏が女性基金のことを最初に知ったのは、1996年2月12日に彼の事務所を訪れたアジア・プレス・インターナショナルの虎松彩乃さんという日本女性の口からであったという(「コンパス」紙、1996年2月14日付け)。たまたま筆者は1996年2月から7月までジョクジャカルタに滞在しており、この間しばしば法律援護協会支部に足を運ぶ機会があったが、同協会の情報は、このようにここを訪れる日本の支援団体関係者の口から間接的に入るものに限られているという印象を受けた。 因みに同協会は、組織が一体となって慰安婦問題を扱っているのではなく、ジャカルタとジョクジャカルタとの間のコミュニケーションも限定されているようであったし、さらにジョクジャカルタ支部内でもスタッフの1人である弁護士のブディ・ハルトノ氏が、なかば個人的に元慰安婦の法的代理人となって活動をすすめていた。つまり法律援護協会は必ずしも一枚岩ではなく、ブディ氏が浮き上がっている様な傾向があり、ジャカルタの本部に届いている情報がかならずしもブディ氏に共有されていないというような状況がみられたのである。 ところで女性基金に関してブディ氏は当初「その資金は日本の市民によって、自発的ではない形で集められたものであるから、法律援護協会は政治的には拒否する。しかし人道的見地からみれば、すでに年老いている元慰安婦の人たちの状況に鑑み、受け取るだろう」と述べ、アジア女性基金の償い金を受け取るとも受け取らないとも態度を表明しなかった(「コンパス」紙 1996年2月14日付け)。 ところがブディ氏は、その後有光健氏らの招待でアジア太平洋の戦争犠牲者の集いに出席するため、1996年7月12日から22日にかけてマルディエムさんと共に日本を訪れた際、女性基金は政府が責任逃れをするために作った「まやかし」の組織であるという認識を持つに至り、これ以後償い金の受け取りを拒否する方針を明確にした。また、この時ブディ氏は、中国、韓国、台湾、フィリピンの従軍慰安婦たちとアジア女性基金の償い金は受け取らないと約束しあったという(「コンパス」紙、1996年11月16日付け)。 一方、兵補協会の態度は、これまでも法律援護協会に比べて、報道される機会が少なく、その主張は明確ではない。アジア女性基金の成立時期は、ちょうどこの協会が元慰安婦の登録を大規模に開始した時期とほぼ重なっているが、この頃女性基金についての情報をどの程度正確に関知していたかは不明である。彼らは現在なお補償金支払いを強く求めており、女性基金からの償い金も歓迎するという立場をとっている。しかしそれを公に発表する機会もあまりないうちに、後述のようにインドネシア政府が償い金の個人的受け取りを拒否するという方針に出たため、政府に逆らって何もできないというのが現状のようである。 7 インドネシア政府の態度 インドネシア政府は慰安婦問題に関し、日本国政府から何らかの公式発表があった時に、それに対する型通りのコメントをすることはあっても、それ以外には態度を明確に表明することも日本政府に要望を出すこともなかった。当初からインドネシア政府の態度が極めて"ソフト"であったことは後藤乾一も指摘している(前掲書、229-232頁)。1993年4月の日弁連の弁護士訪問時には、記者のインタビューを受けてインテン・スウェノ社会大臣は、「日本政府が補償をするなら、それは上手に実施しなければならない。不公平やお互いに損したというような形で行われてはならない」と答えている。しかも、その時大臣は、「元従軍慰安婦を探し出さねばならない」と語り、犠牲者たちが名乗り出ることを暗に奨励するような発言を行ったことがある。しかしそれ以外にはほとんど意見の表明はなく、そのことは結果的に、政府が積極的に慰安婦の補償獲得問題に対して、支持をしていないかのような印象を与えてきた。 たとえば、法律援護協会ジョクジャカルタ支部のブディ・ハルトノ氏は、この問題でしばしば大統領や社会大臣に書簡を送っているが、特に内容のある回答を受け取ったことはないという。また、慰安婦の代表としてジョクジャカルタのマルディエムさんら数人の女性が社会大臣に会見を求めてジャカルタへ行ったが、社会省ではBiro Hukum(法律問題)担当の職員に会えただけであった。これは政府が先頭にたって日本政府に要求をつきつけてきた韓国の態度とは対照的である。このような基本姿勢は、労務者問題、兵補の軍事貯金返済問題においても同様にみられる。 ひとつには、日イの友好関係に鑑みて政府がこの問題に正面から取り組むよりは、民間団体に任せた方が良いという考えがあったというが、しかし背後から法律援護協会や兵補協会の活動を支援するという姿勢さえもみられなかった。 筆者が1995年8月にブユン・ナスティオン氏から聞いたところによれば、この頃ジョクジャカルタで、インドネシア政府の社会省が代わって戦争の被害者に補償をせよという要求を出し、これに対して社会省は、(1)被害者たちの家を改装する、(2)被害者に年金を出す、という2点を約束したという。しかしこれらは今日に至るまで実施されていない。 そのような中で、1996年後半からアジア女性基金からの償い金の受け取りをめぐって、インドネシア政府は明確な方針を打ち出してきた。つまりインテン・スウェノ社会大臣が1996年11月に、「従軍慰安婦問題に関するインドネシア政府と日本政府の合意の結果として、3億8000万円(当時のレートで約90億ルピア)が10年間に支払われることになった。第1回目の支払いとして7億7500万ルピアが、ウンガラン(Ungaran、中ジャワ)、マゲタン(Magetan、中ジャワ)、ビンジャイ(Binjai、北スマトラ)、パレ・パレ(Pare-pare、スラウェシ)、クンダリ(Kendari、南スラウェシ)の6ケ所で、養老院など社会福祉施設の充実のために支出される」と発表したのである(「コンパス」紙、1996年11月15日付け)。 社会大臣によれば、インドネシア政府は当初から、補償金の支払いは要求しておらず、ただ日本政府が良い解決法を見つけてくれるよう求めていた。その背後にはインドネシア民族、とりわけ犠牲者たちの harkat(品質)とmartabat(尊厳、威信)を守るという意味があった、という。 この、個人に対する償い金は受け取らず、女性基金のお金は養老院建設のために使うという見解は、この段階ではまだ日本側の了解を得ておらず、社会大臣が一方的に発表した形だったので日本側を驚愕させた。しかしやがて、1996年12月22-25日にアジア女性基金は3人の代表をジャカルタに派遣し、社会省の担当者と話し合いを行なった結果、ほぼインドネシアの希望通りのかたちで両国間で決着をみることになった。そして、アジア女性基金の原文兵衛理事長は、1997年1月10日の記者会見で、インドネシアでは、個人に対する償い金は支払われず、養老院建設のために支払うという旨の発表を行った。 そして1997年3月26日に、橋本龍太郎首相が大統領にあてた謝罪の手紙が日本大使館を通じて届けられ、それを受けてアジア女性基金の山口達男と社会省のアスモロ次官の間でMOUが調印された。このMOUに基づいて、日本政府はアジア女性基金を通じて3億8000万円(約90億ルピア)を10年間にわたり拠出することになったのである。 インドネシアにおける慰安婦調査報告index
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モンゴル音楽研究事始(大学のレポート) 青木隆紘 はじめに モンゴル音楽はすっかり日本人にとって身近なものになりつつある。ユニクロのCMのBGMにフーミーが使われたし、NHK大河ドラマ《北条時宗》でも劇判音楽録音にオルティン・ドー歌手のノロブバンザドが参加し、それらは一般家庭のお茶の間に流れた。演奏旅行で日本を訪れるモンゴル人音楽家は多く、日本に在住するモンゴル人音楽家の中にはもはや馬頭琴奏者だけではなくリムベ(横笛)奏者やフーミーの歌い手もいる。日本人がモンゴル音楽を研究した最初は、1907年の鳥居龍蔵、鳥居きみ子の探検時のものである。それ以来100年たつがいまだに日本人によるモンゴル音楽の体系的な研究はほとんど試みられていないし、一般的なモンゴル音楽への理解はステレオタイプ的なモンゴルイメージを助長するもの、という範疇を出ていない。芝山によれば、このモンゴルに対するオリエンタリズムは、モンゴル人の生活世界の実態を無視した日本の自民族中心主義的な自己同一化を伴い、戦前から戦後に生き残って現在に至るという(芝山2008)。モンゴル音楽に対する言説も、音楽的類似を生活世界の文脈を無視して日本との同祖論に結び付ける傾向がある。その理由を考えるにあたって、この論考でモンゴル音楽の研究、紹介が戦前、戦時中の日本でどのように行われてきたか、背景にある社会の状況を含め見ていきたい。 「蒙古謡」との出会い 日本のモンゴル研究は1907年に出版された『元朝秘史』の那珂通世注訳書『成吉汗実録』から始まったとされる。この翻訳は日本が自らを中心とする帝国をアジアに打ち立てるにあたって、「西洋史」に対抗しうる「東洋史」成立の必要性が唱えられた中から生まれたといってよい(芝山2008)。日露戦争後、満洲の権益確保が最重要課題となったこの時期産声をあげたモンゴル研究は、国策との結び付きなしには語り得ない。このような時期、1907年に鳥居龍蔵、鳥居きみ子夫妻はモンゴル踏査を敢行する。まず1906年3月にハラチン王府のグンセンノロブが設立した女子学堂の教師としてきみ子が招かれて行き、1ヵ月後同じく男子学堂の教師として龍蔵もモンゴル入りしている。この後内モンゴル東部から当時の外蒙古東端までを踏破して考古学、民俗学的調査を行っている。龍蔵の主たる関心は遼時代の遺跡調査だったようだが、きみ子はモンゴル人の生活、習慣に関わる様々な記録を残しており、その中には音楽についても詳しく述べられている。幾つかの民謡の採譜と音階、また民謡の歌詞の訳と特徴、使われている楽器についてなどが主である。実はきみ子は東京音楽学校(現東京藝術大学)で学んだ経歴を持ち、王府でオルガンを弾きながら音楽教育も行ったという(服部1975 p.199)。音楽は非常に興味を引くテーマだったに違いない。服部龍太郎によればきみ子の採譜した曲は漢人音楽の影響を強く受けたものであった可能性があるというが、これは単純化した採譜であるため歌い方のニュアンスまで知ることができず、はっきりとしたことはわからない。この他、20世紀中盤にはほとんど見られなくなった楽器や、ハルハでは社会主義化の際に淘汰されてしまった王府の楽人たちの様子が描かれているのが興味深い。また「ムリントロガイヌホーレ」の名で馬頭琴を記録しているが、この「馬頭琴」という訳語を最初に考案したのは漢人ではなく鳥居きみ子であった可能性がある。これらは『土俗学上より観たる蒙古』に掲載されているが、これ以前にも音楽誌上で講演録や記事のかたちで発表されていた。この時代、海外、特に日本の勢力圏で行われた学術調査には、学問的な理由だけではなく、植民地統治に必要な現地人の社会構造を把握するという目的があった。しかし、鳥居竜蔵ときみ子の場合はこれに完全には当てはまらない。きみ子の植民地政策に対する意識は記述からは読み取れないし、龍蔵は保守的な政治思想の持ち主であったものの、学問を植民地政策実施に結び付けるような活動をすることよりも、日本の軍事行動拡大を最大限利用してでも自己の学問的営みを達成させるという、楽観的な一種の学問至上主義が彼の行動原理であったという(山路2006)。ただ時代の背景は日本の拡大主義と学問が結び付いていく傾向にあった。鳥居きみ子はモンゴルの古い部類の民謡(オルティン・ドーのこと)の緩慢な節回しと日本の追分のそれが似ていることを「発見」する(鳥居1927 p.1138)。きみ子はこの「事実」を指摘するだけに終わったが、これは後に戦後にも古代において日本とモンゴルが何らかのつながりを持っていた可能性を示す証拠として語られることになる。 東京に鳴り響くモンゴルの調べ 1930年代からモンゴル音楽について書かれたものが増え、一般にも認知される機会ももたれるようになる。1938年2月、読売新聞社主催のもと東京日本橋三越にてモンゴルおよび中国の展覧会が催されたが、この展覧会と連動して会期中の1ヶ月間、三越のホールでモンゴル人音楽家が一日二回の公演を行った(瀧1938b p.71)。彼らは総勢10名でスニットおよびアバガの王府の宮廷楽人だった。来日の経緯に関して詳しくは分からないが、日本でのモンゴル文化の周知を望む蒙彊自治政府の意図が働いていたようだ。等々力2005によれば三越以外でも各地でコンサートを行い、鳥居きみ子の著書とあいまって日本でもモンゴル音楽が認知されるようになってきたという。そういえば1940年に発表された東海林太郎ら作詞の歌謡曲《蒙古の町》には「馬頭琴」の言葉が登場する。この演奏会の記事を書いた瀧遼一は中国古典音楽の研究者だったのだが『蒙古学』誌上に「蒙古の音楽について」と題する記事を書いている。これが日本におけるモンゴル音楽の初めてのまとまった論考で、彼はこの他モンゴル関係では『史学雑誌』誌上に匈奴の軍楽について「匈奴の音楽としての鼓吹楽」などを書いている(当時元代の音楽と楽器についても発表する、としているが見つからない。結局発表しなかったのだろうか)。瀧はモンゴル音楽の古い時代資料をモンゴル人がほとんど残してこなかったことから、現在ある音楽文化の分析から歴史を研究する必要を説いた。瀧もそうだがモンゴル音楽の発展の重要な要素として漢人音楽文化以外に元朝時代に受けた西アジア、イスラム圏の音楽の要素が強調されていた、という点がこの時期の研究の特徴である。中国音楽研究者だった瀧がモンゴル音楽研究も行った動機は定かでないが、このような研究がどんな場で行われたのかは注目に値する。瀧の「蒙古の音楽について」、少しなりともモンゴル音楽に関係するものでいうと、ウラディミールツォフのモンゴル口承文芸論の翻訳やポッペの記事の翻訳、印南高一のツァムの記事、ブリヤート音楽についてソ連で出たものの翻訳など多くの記事が善隣協会の出版物に発表された。善隣協会は1934年設立の財団法人で、陸軍大将林銑十郎の肝煎りで財閥からの財政支援のもと生まれ、敗戦による解消まで「蒙彊」で活動した典型的な国策機関であった(原山2005 p.371)。善隣協会は『善隣協会調査月報』、『蒙古』、『蒙古学』などの定期刊行物、そのほかいくつかのモンゴル関係の著作物を出版していた。もちろん音楽研究の面からもアジア音楽研究の要請があったわけだが、出版界が「プロパガンダもの」の出版ラッシュであったこの時代(吉見2002 p.94)、モンゴル文化に関する研究の背後にも国策の影響が見え隠れするのである。 研究以外で、株式会社満洲弘報協会から『蒙古の民謡と伝説』という小冊子も発売されている。これはそれ以前に鳥居きみ子らが書いたものに基づいて、民謡の訳詞、楽譜や民話が載せられ、それに満洲で取材した写真や編者の解説などをつけたもので、観光案内書の一種のようなものであった。満州国の正当性、そこでの日本の貢献度をアピールするために「観光楽土」として旅行宣伝が盛んになされた時代の産物である。 大東亜の音楽文化 大東亜共栄圏はアジアを欧米列強の植民地から解放するという目標を掲げながらも、実態を見ると、独立は口約束に終わったか日本に都合のよい人事の政権の樹立しかなされず、日本のための収奪的経済ブロックとなっただけで、旧宗主国のより少しはましという程度のものだった。このような中で、政治と芸術という問題をみてみるならば、前衛的な技法が抑圧されていった絵画や、言論統制、思想統制の標的となった文学がある一方で、音楽創作に関しては政治の側は「ほとんどの音楽様式を排除せず、「帝国」を気どった無限抱擁以上のヴィジョンもなく、ただ雰囲気としては、日本的なもの・東洋的なもの・アジア的なものへ向かおうとしているうちに敗戦を迎え」たという(日本戦後音楽史研究会2007 p.59)。一方でプロレタリア音楽団体は弾圧の対象となり、ジャズ音楽が禁止され、占領地域懐柔のための「音楽工作」が行われた。中でも民族音楽研究は、音楽工作と分かちがたく結びついていたといってよい。 アジアへの興味の高まりの中で最も活躍した音楽学者の一人に田辺尚雄がいる。彼は東洋音楽学学会の設立者の一人である。彼の編纂したSPレコード『東亜の音楽』およびその解説をもとに彼が執筆した著書『大東亜の音楽』(文部省教学局の叢書の一冊として刊行)、東洋音楽学会編のSPレコード『大東亜音楽集成』にはモンゴル音楽が取り上げられている。これ著書『大東亜の音楽』などでは田辺独自の考察というものはほとんど見られず、上述の瀧の論考を踏襲した内容だっただが、モンゴル人民共和国における社会主義政権下で伝統音楽が欧風化と衰退していくことを推測・批判しつつ、内モンゴル音楽文化の日本の指導下での繁栄を主張している。そしてモンゴル音楽が大東亜文化建設の中で重要な役割を演じるよう期待している(田辺2003 pp.116-117)。田辺は音楽科学を打ち立てることで、日本の音楽学研究に大きな足跡を残した。しかし彼は戦時中の研究において、アジアの諸民族の音楽が太古において起源を一にすると主張しアジア内の紐帯を強調しつつ、また西洋の音楽を技術だけの音楽に堕したものとし、東洋の音楽を精神的豊かさを保った西洋音楽に優越するものだとした。一方でアジアの様々な音楽を吸収、日本固有の音楽と融合することで発展した雅楽を擁する日本音楽を、「一面に於ては東亜音楽の集大成であり、一面に於ては世界音楽の集成」(田辺1997)と位置づけた。田辺の「日本音楽の源泉をアジアに結びつけながらも、同時代のアジアと同等になろうとせず、アジアの代弁者たろうとした態度」は「屈折したオリエンタリズム」と指摘できるという(鈴木2005 p.47)。田辺のこの態度はしかし一定の支持を得ていた。コロムビアのレコード『東亜の音楽』は彼に共感した大政翼賛会、軍部の協力なしには刊行できなかった。 この時代アジア進出の時流に乗っかったかたちで作曲家たちが「アジア」を主題とした作品を数多く書いたが、この中にはモンゴルを主題とするものが含まれている。内田2008によれば、モンゴルをテーマにした歌謡曲が1933年ごろより増え始めるという。これは歌詞に現れる異国的なモチーフを除けば、歌詞全体の構造も旋律も日本的な叙情歌、あるいは旅情歌の系譜に属するもので、所謂「大陸メロディ」(古茂田ほか1995)と呼ばれる歌謡曲の一部である。これらの歌により「ゴビの砂漠」、「隊商」、「ラマ塔」などのモンゴルを想像させる、今聴くと《月の砂漠》的なオリエンタリズムに満ちたモチーフがレコード、ラジオなどで多くの人に聴かれた。その流れは所謂「クラシック音楽」の範疇にも及び深井史郎の《ビルマ祝典曲》や伊福部昭の《フィリッピン国民に贈る管弦楽序曲》のように、日本の支援の下の「独立」の祝賀行事のため内閣情報局が委嘱した作品から、西洋に比肩しうる東洋音楽をつくるという問題意識と、日本のアジア進出の時流への迎合が結び付いた早坂文雄の《讃頌祝典之樂》や台湾出身の江文也による《故都素描》のような作品まで様々ではあったが、モンゴルに関係する作品もいくつかある。1940年の紀元2600年奉祝行事は音楽界では、西洋の超克としての民族主義的な新しい音楽作品を広く発表する格好の機会と捉えられ、アジア・日本を主題とする力作が数多く生まれたが、その中には山田耕筰の音詩《神風》という蒙古襲来を描いた管弦楽作品をもあった。自らの意思で民族主義的な作品を模索していた多くの作曲家たちと、漫然とアジア主義を目指す国策が合致したのだった。特に新京音楽院は1944年から「闘ふ満洲」という統一テーマのもと満洲の国民主義的音楽作品の創作を作曲家たち、特に内地の作曲家に依頼した。満洲の首都新京の楽団を統制し、満州国の国策を音楽面から実現させる組織として設立し、途中から協和会も一枚かんでいて理事長は甘粕正彦だった。これら委嘱作品はただ作品を依頼しただけではなく、作曲家を実際に満洲に招いて視察旅行をさせた上で作品を書いてもらおうというものだった。諸作品のうち、モンゴルをテーマにしたものは大中寅二《成吉思汗廟に捧げる曲》、《蒙古青少年に贈る小組曲》、大木正夫《蒙古》、早坂文雄《民族絵巻(第2楽章が“蒙古の草原”、他に“娘々廟会”、“ラオスの子守歌”といった楽章をもつ「大東亜共栄圏」の音によるパノラマを意図した作品)》がある。さらに満州国がらみでは、日本における軽音楽の第一人者紙恭輔が自ら音楽を担当した満洲映画協会の文化映画《逞しき草原》の音楽を交響詩に仕立て直した《ホロンバイル》がある。また大連に住んでいた経験を持つ作曲家呉泰次郎は自らの交響曲第6番《亜細亜》の第3楽章を“蒙古の成吉思汗”とした。 そもそも満州国では、「闘ふ満洲」前段階として満州国各地の諸民族の音楽の蒐集を行っていた。ようするに「闘ふ満洲」の事業は日本本土でNHKが日本各地の民謡を蒐集し、そのアーカイブを作る一方で、作曲家に蒐集した民謡を素材とした日本国民のための管弦楽曲「国民詩曲」を作らせたことの満州国版であったわけだ。満州国の民謡蒐集事業には「今の金にして数億という予算」(岩野1999 p.274)がついたそうで、モンゴル系諸族のものも集められた。その成果として、新京で建国10周年を記念して行われた「建國十周年慶祝藝文祭」上で15の民族の芸能が披露された。これは「大東亜音楽確立のための重大な役割を持つ」(村松1943 p.42)とされ、調査の成果も採譜、レコード化の上、解説をつけて世界各国の音楽団体や放送局に寄贈する計画があったが、戦争の激化により中断、ソ連軍侵攻の際、レコードの原盤は放送局の庭に穴を掘って埋められてそれっきりだという(岩野1999 p.275)。 そのレコードを聴いた黒田清がモンゴルの民謡と日本の追分の類似性について、『音楽之友』誌上の「南方共栄圏の音楽工作」と題した座談会で、「大東亜共栄圏」内の音楽の普遍性を探るべき、という文脈の中で語っている(石井ほか1942)。田辺も上記の書の中で当然このことに触れている。このような音楽の類似性をアジア内の文化的結びつきにひきつけて語ることは、この時代大きな意味を持つようになっていた。ジャワ島にエス・リリンという民謡がある。この民謡は旋律の骨格だけで見れば日本民謡とそっくりである。もちろん歌い方や音の装飾がまったく違うので、田辺尚雄らは日本民謡とジャワ民謡の関係を否定した。しかしこの「事実」は雑誌などで一部の話題になり、しばしば日本・ジャワの古代の人種的結びつきにまで言及され、日本のインドネシアに対する影響力行使を正当化する言説のひとつとなったという(片山2005)。音楽の類似から同祖論、そして侵略の正当化の言説、という流れが起こりうる時代であった。 おわりに 戦後しばらくはモンゴルへの興味そのものへの低下から、モンゴル研究に戦前、戦時中のような隆盛は見られなくなった。モンゴル音楽について単発的にいくつかの著作物が出ている。東北民謡の研究者であり復興者であった武田忠一郎は内モンゴルからの留学生に民謡を歌ってもらい、それを採譜した。彼もまたオルティン・ドーと追分の類似性の「発見」に驚いている。服部龍太郎は『モンゴルの民謡』を著す際ハスルントらの蒐集、研究の成果に多くをよっていたが、彼自身父親が満洲の日本人貿易商で、幼少時代からその地で過ごしていた。戦後の民族音楽学のスターとなった小泉文夫もシルクロード音楽舞踊考察団団長としてモンゴル音楽の調査も行い、またノロブバンザドらモンゴル人音楽家の招聘も行い、モンゴル音楽を(もちろんそれだけではなくあらゆる民族音楽を、だが)広く日本に紹介した。しかし彼もまたオルティン・ドーと追分の類似性に着目し、それに江上波夫の「騎馬民族国家」論によって根拠を与えようとした。彼は日本民謡のうち明確な拍節を持たず母音を引き伸ばす歌唱法の追分節のような民謡を「追分様式」と名づけ(小泉1994)、この類似が中央アジアにもあるとして、馬文化の伝来と馬子唄であるこの民謡形式の起源を結び付けようとしていた。彼の研究はそのあまりの多忙さ(これは小泉が研究だけでなく諸民族の音楽を広く一般に紹介する役割をも担ったからだが)と早世さゆえ未完成で講演録などのかたちでしか残されていないものも多い。彼のモンゴル音楽に関する論考もその類であるので一般の日本人へのアピール度を上げるためかもれないが、小泉の論考もまた日本音楽のアイデンティティの探求、つまり日本音楽の起源を説明するためにアジアの音楽を研究するという枠内を出なかった。 繰り返されたオルティン・ドーと追分の類似性は結局ほとんどの研究においてモンゴル音楽は、特に民謡の旋律に関しては、日本音楽との音楽的類似性がその生活文化の文脈から理解するよりも重要視されて語られ続けた。そしてそれはしばしばモンゴル人と日本人の同祖論的言説に結び付けられた。その系譜は戦前のモンゴル音楽の研究から戦後まで長く続いたのである。 参考文献 G.Arkhincheev/小川信吉訳(1941)「ブリヤート蒙古演劇音楽学校」(『蒙古111』、善隣協会、pp.99-104) 石井文雄/笠間杲雄/枡源次郎/黒田清/箕輪三郎/堀内敬三(1942)「南方共栄圏の音楽工作 <座談会>」(『音楽之友 第2巻第4号』、pp.20-37) ルイク・イシドール/高橋勝之訳(1941)「ブリヤート蒙古の民族楽器」(『蒙古114』、善隣協会、pp.59-62) 印南高一(1940)「喇嘛舞踊見聞記」(『蒙古97』、善隣協会、pp.101-114) 岩野裕一(1999)『王道楽土の交響楽 満洲―知られざる音楽史』、音楽之友社 内田孝(2008)「戦前・戦中期におけるモンゴルを題材とした流行歌謡―日本人のモンゴル・イメージを探る―」(2008年度秋季日本モンゴル文学会研究発表会口頭発表) ベ・ウラヂミルツオフ著/宮崎眞道訳(1938)「蒙古・オイラート英雄詩史・序(1)-(3)」(『善隣協会調査月報69-71』、善隣協会) 岡田真紀(1995)『世界を聴いた男 小泉文夫と民族音楽』、平凡社 岸辺成雄(1943)「回教音楽東漸史考-元朝の回教楽器」(『回教圏7 4』、回教圏研究所、pp.31-46) 小泉文夫(1994)『日本の音 世界のなかの日本音楽』、平凡社 小島美子(1985)「モンゴル民謡は江差追分のルーツか?」(文化庁文化財保護部 監修『月刊文化財』、第一法規出版、pp.29-32) 古茂田信男他編著(1995)『新版 日本流行歌史 中=1938~1959』、社会思想社 子安宣邦(2003)『「アジア」はどう語られてきたか―近代日本のオリエンタリズム』、藤原書店 芝山豊(2008)「《蒼き狼》とオリエンタリズム」(清泉女学院大学人間学部研究紀要編集委員会『清泉女学院大学人間学部研究紀要(5)』、pp.29-41) 鈴木聖子(2005)「近代における雅楽概念の形成過程」(文化資源学会『文化資源学 第4号』、pp.41-49) 瀧遼一(1937)「匈奴の音楽としての鼓吹楽」(史学会『史学雑誌48 7』、pp.136-137) 瀧遼一(1938a)「蒙古の音楽について」(『蒙古学3』、善隣協会、pp.17-54) 瀧遼一(1938b)「蒙古音楽と其楽器」(『東洋音楽研究1 2』、東洋音楽学会、pp.71-75) 武田忠一郎(1951)「蒙古の唄--曲譜と解説」(『東洋音楽研究』東洋音楽学会、pp.147-154) 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片山杜秀解説(2005)『深井史郎・パロディ的な四楽章・ジャワの唄声他(日本作曲家選輯)』、Naxos/アイヴィ
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このページでは、崇学そのものについての説明はしませんが、崇学を聞いたことも見たことも食べたこと(eating)もないネガに忠告をします。 ただ、ここに書いてあるのは現実であり、決して事実ではありません。 まず言いますが、崇学は怪しい宗教でもなければ廃人仕様の文章でもありません。 「崇学」とは・・・成田総理が生み出した独自の世界観を説明しようとする学問(?)です。 成田総理が言うことはかなり滅茶苦茶で、それはどんどん大きくなり、最早一つの世界となっていました。 これを纏めたのが「崇学」です。 まあ要は・・・成田総理は愉快な奴ってことです。 実際、崇学という単語を知っているのはごく少数です。 でも、崇学という言葉自体を知らなくても、その存在を知っている人は結構いるみたいです。 ページによっては、崇学を知らなくても面白いところはある可能性も否定できなくなくないかもしれないかもと思う。 ただ、加筆しようと思った時は既にあるページを熟読して商品番号と価格(税込)を丸暗記して、管理人に申し込んでメンバー登録して下さい。 崇学についてもっと詳しく知りたい人はこちら(工事中)
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<目次> ■はじめに ■ステップ1■国史を通して日本の保守思想のアウトラインを掴む ■ステップ2■保守思想を貶める捏造・歪曲を一掃する《1》歴史分野以上に酷い思想分野でのリベラル左翼の歪曲・捏造 《2》「天皇制ファシズム論」の嘘を見破る 《3》「保守」と「右翼」を区別し正しい認識を得る ■ステップ3■更に深く知るために《1》皇室に関する正しい知識を得る 《2》日本の保守思想の核心に触れる ■まとめ■日本の保守思想の再評価の動き ■はじめに 先日、最速!理論派保守☆養成プログラムを作成したところ 西洋思想ばかりで肝心の日本の思想がない(西洋カブレだ)というご批判や 逆に日本の保守思想もちゃんと知りたい|というご要望をいただきました。 実のところ、西洋思想は、所詮は外国の思想だという割り切りもあって、大胆に「これだ」という風に提示できる一種の気軽さがあったのですが、日本の保守思想については、私達の幾多の先達が大切に守り育て、私達に伝えられた価値観に関することであり、西洋思想のように躊躇なく論じるのは憚る気持ちが強くあります。 しかしながら、不要な誤解も受けたくなく、かつ、これを参考に知識を増やしていただける方が現れるのならば、という気持ちで、浅薄ながら日本の保守思想について、簡便なまとめページを作成しました。 願わくば、このサイトを訪問される有識者の方々、あるいは同学の士の方々からの有意義なコメントを通じて、このページがより適切かつ充実した内容にならんことを。 ■ステップ1■国史を通して日本の保守思想のアウトラインを掴む 名画にみる國史の歩み 小堀 桂一郎 (監修), 所 功 (編集)昭和8年(1933年)今上陛下ご生誕を記念して当代最高の日本画家達により10年の歳月をかけて製作された国史(日本の歴史)を辿る78点の名画集に、平成11年(1999年)今上陛下ご即位満10年の佳節を期して、小堀桂一郎・平泉隆房・新田均各氏を初めとする現代の一流史学者・研究家による解説を付した名品。amazonでページの一部を拝見できる。 物語日本史(上) (中) (下) 平泉澄(著) 講談社学術文庫『物語日本史』の序文(抜粋)(全文は「人権擁護法案マガジン・ブログ版」物語日本史(平泉澄)を読む 第1回 、 第2回 、 第3回 )(略)昭和二十七年四月、占領は解除せられ、日本は独立しました。長い間、口を封ぜられ、きびしく監視せられていた私も、ようやく追放解除になりました。一年たって昭和二十八年五月二日、先賢の八十年祭に福井へ参りましたところ、出て来たついでに成和中学校で講話を頼まれました。その中学校を私は知らず、中学生は私を知らず、知らぬ者と知らぬ者とが、予期せざる対面で、いわば遭遇戦でありました。講話は極めて短時間で、要旨は簡単明瞭でありました。「皆さん!皆さんはお気の毒に、長くアメリカの占領下に在って、事実を事実として教えられることが許されていなかった。今や占領は終わった。重要な史実は、正しくこれを知らねばならぬ。」と説き起して、二、三の重要なる歴史事実を説きました。その時の生徒の顔、感動に輝く瞳、それを私は永久に忘れないでしょう。生徒一千、瞳は二千、その二千の瞳は、私が壇上に在れば壇上の私に集中し、話し終って壇を下りれば壇下の私に集中しました。見るというようなものではなく、射るという感じでした。帰ろうとして外へ出た時、生徒は一斉に外へ出て私を取巻き、私がタクシーに乗れば、タクシーを取巻いて、タクシーの屋根の上へまで這い上って釆ました。彼らは黙って何一ついわず、何一つ乱暴はしない。ただ私を見つめ、私から離れまいとするようでした。ようやくにして別れて帰った私は、二、三日後、その生徒たちから、真情流露する手紙を、男の子からも、女の子からも、数通もらいました。私の一生を通じて、最も感動の深い講演でありました。成和中学の感動の忘れがたさに、それより十数年後の昭和四十五年、時事通信社より一貫せる日本歴史を書くよう求められた時、純真なる少年に呼び掛ける形を取りました。当時すでに七十六歳の私は、余命計り知るべからず、これを児孫への最後の贈り物、つまり遺書として書こうとし、したがって学者らしく事実を羅列して博学を誇るがごとき形式を好まず、ただ歴史の精粋を抜いて、誠実に父祖の辛苦と功業とを子孫に伝え、子孫もまたこの精神を継承して進むことを期待しつつ、しみじみと誠実に語ろうとして筆を執ったのでありました。(中略)願わくはこの小さき贈り物を満載せる帆船の行手、風穏やかにして波静かなれ。昭和五十三年十二月十日朝 白山寒林の中にて 平泉 澄----上中下3巻本。著者 故・平泉澄博士は、昭和5-6年(1930-31年)欧州に留学しマイネッケのドイツ歴史哲学とフランス革命の思想及びこれに反対するエドマンド・バークの保守思想等を研究、帰国後に抜擢されて秩父宮殿下(昭和天皇の弟君)の日本政治史の侍講を務め、更に昭和13-20年(1938-45年)に渡って東大国史学科にて国体学講座・日本思想史を教授した一代の碩学であり、終戦直後に辞官、その後GHQにより昭和27年(1952年)春まで公職追放され、追放解除後も、左翼マスコミやマルクス主義学者から「平泉史学=狂信的な皇国史観」として異常な誹謗中傷を受けながらも、戦後長くに渡って在野の国史家として保守陣営において重きを為した。この「物語日本史」は、晩年の平泉博士が、日本の未来を担う少年達のために精魂込めて書き記した名著「 少年日本史 」の文庫版である。 ※(参考) 千早鍛錬会パンフレット ↑「物語日本史」の事前読破を推薦していることに注目。 ■ステップ2■保守思想を貶める捏造・歪曲を一掃する 《1》歴史分野以上に酷い思想分野でのリベラル左翼の歪曲・捏造 ~丸山眞男の絶大な影響、「皇国史観」の歪曲 戦後日本の政治思想は、“戦後民主主義の代表”、“岩波文化人のエース”と称され、「国民主権を貫徹するために天皇制廃棄・共和制樹立を最大の政治目標とした」“日本を代表する政治学者・思想家”、 故・丸山眞男 の絶大な影響下にあり、今も丸山を絶賛する政治学者・思想家たちによって、ほぼ占拠されていることを最初に知っておこう。 丸山眞男の政治思想の中核は、明治以降~戦前・戦中の日本を「天皇制ファシズム」と捉え、昭和20年8月15日をもって、日本の国体は「国民主権」の民主主義国家に変更された、とする所謂「八月革命」論にあり、彼及び彼の信奉者は、この架空の「八月革命」を未来において実現すべく(つまり天皇の廃止による日本の共和国化を究極の目標として)戦後長くプロパガンダ活動を続けてきた。 「理論派保守」を目指す者は、この丸山眞男に代表されるリベラル左翼の思想的欺瞞を正しく見抜き、これを論破する理論的根拠を確立しなければいけない。 丸山眞男と平泉澄昭和期日本の政治主義 植村 和秀 (著) 柏書房 (2004/10)単行本この本は、最速!理論派保守☆養成プログラムでも「西洋の保守思想に留まらず、日本の保守思想の扉を開く貴重な一冊」として紹介したが、丸山眞男の政治思想の欺瞞を打ち破る理論武装のツールとしてやはり最重要である。なお著者 植村和秀氏は、「筆者には丸山眞男も平泉澄も、その支持者の多くのように、無条件に支持することはできない。 丸山には心情的には共感できるが、しかし論理的には納得できない。平泉に論理的には共感できるが、しかし心情的には納得できない。 それにもかかわらず、丸山と平泉の思想史的な意義の重さと、人間的な偉大さとは、素直に承認したい。」と総括しており、厳密な実証的研究を通じて丸山・平泉両者に代表される戦前から戦後にかけての日本の思想対立を対比している為に、返って一層本書の価値が高まっていると思われる。また植村氏が「丸山には心情的には共感できる」「平泉に・・・心情的には納得できない 」としていること自体は、その思想的感化を受けた年代を考慮すれば止むを得ないことである。 (参考)歴史問題の基礎知識 ↑「皇国史観」について正しい認識を得る上で重要 ※一部引用 「皇国史観」( 赤旗 )という用語は、「早くても昭和17(1942)年6月頃から、大体は昭和18(1943)年頃から文部省周辺の人々によって使われだしたもの」(昆野伸幸『近代日本の国体論』より引用)であり、戦前/戦中の史学者自身が使った用語ではない(戦後にマルクス主義史家が「レッテル」として普及させた用語である)。 そして、その内容としては、 1.国史学者・平泉澄博士に代表される「あくまで歴史の範囲で思考する」流れと、2.アジア主義者/国家改造運動家・大川周明に代表される「日本を盟主とするアジア解放を主張する」流れ( 昆野氏論文 ) の2つがあったが、戦後に史学界を占拠したマルクス主義史家は、皇室や日本国を貶めんがために、日本の伝統的な歴史観/国家観に根ざした1.と、大東亜共栄圏を包摂せんとする新しい思想を示した2.をワザと混用して「戦前/戦中の史学=皇国史観=軍国主義、アジア侵略、全体主義」という刷り込みを行った。 これに関して平泉澄博士門下の田中卓博士は、「 一概に皇国史観といってもそれは、・・・1.平泉史学による「皇国護持史観」と、2.戦争末期という時代に迎合して浅薄な国体賛美に努めた「皇国美化史観」と呼ばれるべきもの(の2つ)がある と述べ、平泉博士や自らの史観は、日本の伝統を正しく受け継ぐ「正統史観」であると述べている。 なお、ソ連が崩壊した1991年以降は、史学界(主流は、未だ隠れマルクス主義者と思われる)も、従来のように(彼らの言う)「皇国史観」に対して実証研究もせずレッテルだけ貼って一方的に批判することは許されなくなってきており、リンク先にある赤旗や長谷川氏・昆野氏のように戦前/戦中の資料を実際に読んで「実は皇国史観にも多様な内容があった」「実は皇国史観は1940年代に作られた用語だった」などと軌道修正を図っているが、そんな姑息な事をする位ならば、 1 彼らが戦後一貫して貶めようとしてきた1.平泉博士・田中博士らの史観(皇室や日本国を常に善いものと見る正統史観)は実は全体主義とも侵略思想とも無関係だった、 2 国家改造とアジア解放を唱えた2.は実はマルクス主義(具体的にはコミンテルン)の脅威への対抗イデオロギーとして生まれた(実際に、全体主義であり侵略思想であったのはマルクス主義の方だった)、と素直に認めればよいのである。 《2》「天皇制ファシズム論」の嘘を見破る ~明治維新の歪曲、「現人神」「国家神道」という幻想 「皇国史観」(上記)「現人神」「国家神道」といったキーワードで、戦後にマルクス主義歴史家・思想家によって不当に歪曲された諸概念の実際を知り、自虐史観から完全に脱却する。 「現人神」「国家神道」という幻想 新田 均 (著) amazonで一部ページを拝見できます。豊富な実証的研究により、「明治以降の日本は北朝鮮のような異常な絶対主義君主国家だった」という立花隆など左翼の大嘘を完全に打ち破る名著※amazonの内容紹介より一部引用「現人神」「国家神道」??これらの言葉から、現代の日本人はどんなイメージを連想するだろうか。おそらく、狂信的な「天皇崇拝思想」と、それを支えた「国教制度」といったとこだろう。そして、この「日本国民を狂信的な戦争へと導いた思想と制度」は「明治政府が日本の近代化のために考え出した」などとされている。だが著者は、「そのような認識は思い込みに基づく幻想にすぎない」と喝破する。それは最近の実証的歴史研究の成果に照らしても明らかなのだが、これが意外と世間では知られておらず、歴史の専門家でさえ、少し分野が違っただけで知らない者が大多数なのだという。世間で知られていないことがそれほど大きな意味を持たないなら、それでもかまわないのかもしれないが、この「幻想」はわが国の首相の靖国神社参拝問題や政教関係訴訟、さらには教科書問題や外交関係にまで影を落としている。“虚像”が誰によって、いかにして創られたかを検証する。「「現人神」「国家神道」とは、日本国民を狂信的な戦争へと導いた思想と制度である」との嘘八百の言説に異議あり! こういったイメージが幻想に過ぎないことを、実証的歴史研究の成果に照らして明かす。 (参考)右翼・左翼の歴史 ※一部引用 宗教系(仏教系)右翼の登場~右翼思想の過激化 (1) 井上日召(日蓮宗僧侶)と血盟団事件(1932) 群馬県出身の日蓮宗の僧侶。血盟団を組織し、国家革新(昭和維新)実現のため「一人一殺」を合言葉に1932年、井上準之助(前蔵相)・団琢磨(三井財閥重鎮)を暗殺。無期懲役となるが後に特赦を受けた。なお後の日本赤軍のリーダー重信房子の父親は血盟団員であり、井上日召は赤ん坊の重信を膝に抱いたことがあるといわれる。 (2) 田中智学(日蓮宗系新興教団)と「八紘一宇」論 田中は日蓮宗の在家信者組織として国柱会を組織し、日蓮主義と国家主義の統合を目指した。1903年には、日蓮を中心にして「日本國はまさしく宇内を靈的に統一すべき天職を有す」という意味の「八紘一宇」なる新語『日本書紀』巻第三神武天皇の条の「掩八紘而爲宇」の記述から造り、日本は世界を道義的に統一する使命がある、とする思想を唱えた。のちにこの言葉が人口に膾炙して大東亜戦争のスローガンにまでなった。 (3) 加藤玄智(浄土真宗在家信者)と天皇絶対神論・国家的神道論 加藤は新仏教同志会の創立者の一人であり、東京帝国大学で宗教学を教えた浄土真宗の信者であるが、同僚の外国人教授の天皇論に刺激を受けて、1912年に『我が国体思想の本義』を刊行し、古来からある天皇「神裔」論を超えて天皇「現人神」論を提唱して「日本に於いては臣民は天皇に絶対服従する」とする天皇絶対神論を主張した。1925年には更に「国家的神道(State Shinto)」なる新語を造り外国に日本人の信仰の在り方として積極的に紹介したために、欧米諸国に、この天皇絶対神論と国家神道論が日本の宗教の実態だと誤解され、後にGHQによる神道指令と天皇の所謂人間宣言を招き、今に至るまで戦前の宗教的制度についての広範な誤解を招いている。 http //d.hatena.ne.jp/jinkenvip/20070312/1173709974 《3》「保守」と「右翼」を区別し正しい認識を得る ~戦前・戦中(昭和10年代)の「右翼」は実は2種類あることを知る。 「革新右翼(アジア主義を志向し、国家改造を目指した国家社会主義者)」と「観念右翼(アジア問題への介入に慎重または無関心の伝統保守・日本主義者)」を区別する。 日本主義と東京大学―昭和期学生思想運動の系譜 井上 義和 (著) こちらも豊富な資料に基づく実証的研究により、戦後にマルクス主義者やリベラル左翼によって「右翼」と一括して糾弾され貶められてきた保守思想の実際を教えてくれる一冊。※革新右翼と観念右翼の理念型(一部内容を引用)1.革新右翼…国家改造/高度国防国家/解釈改憲/指導者原理/統制経済/親ソ・親独/世界史的な使命/陸軍統制派/革新官僚/無産政党/国家社会主義2.観念右翼…国体明徴/国民精神総動員/護憲(不磨の大典)/臣道実践/資本制擁護/反共・反独裁/日本史的な道統/陸軍皇道派/財界/既成政党(現状維持派)/自由主義者 (参考) 日本会議ホームページ ↑「観念右翼(伝統保守)」の代表として上記の本で紹介されている故・小田村寅二郎氏の弟・ 小田村四郎氏(元拓殖大学学長、日本李登輝友の会会長) が副会長を務めている、日本最大の保守系団体。チャンネル桜と共同で保守活動を行うことも多い。 なお日本会議の前身の一つである「日本を守る会」は、建国記念の日(旧紀元節)実現運動、元号法制化運動、教育正常化運動などに地道に取り組み成果を上げてきた。 このうち建国記念の日を旧紀元節(2月11日)とすることに理論的根拠を与えたのが、平泉澄博士の高弟である田中卓博士である。 ■ステップ3■更に深く知るために 《1》皇室に関する正しい知識を得る 宮中見聞録―昭和天皇にお仕えして 木下 道雄 (著) 皇太子時代から終戦前後、更に戦後にかけて昭和天皇に近侍し、侍従次官を勤めた木下道雄氏による著作。親しみやすく読みやすいだけでなく、皇統無私の伝統の背景や、昭和21年元旦の所謂「人間宣言」の実際の持つ意味まで解説してくれる好著。 《2》日本の保守思想の核心に触れる 先哲を仰ぐ 平泉 澄 (著) 大正15年(1926年)から昭和42年(1967年)までに発表された平泉博士の数多くの著作から15編を抜粋したアンソロジーであり、戦前・戦中・戦後を通じて、平泉博士の思想に全くといっていいほどブレがなく一貫していることに注意したい。昭和7年(1932年)のエドマンド・バーク批評、昭和29年(1954年)に吉田茂(首相)・岸信介(憲法調査会会長)に招聘されて首相官邸で行った「国体と憲法」講義(マッカーサー憲法の廃棄と明治憲法の復活を自由党議員に訴えた内容です)、更に吉田松陰・橋本景岳・真木和泉守・山崎闇斎・山鹿素行など日本史上の重要思想家についての論述を含み、平泉博士の解説を通じて日本の保守思想の最重要部分に触れることができる一冊。※ステップ1の物語日本史の内容を更に詳しく、本格的に説明している。 ■まとめ■日本の保守思想の再評価の動き 以上、日本の保守思想を論じる上は、その本命である平泉澄博士の所謂「皇国史観」(正しくは皇国護持史観)および、その国体論の再評価を避けることは出来ない(ここを避けているような解説は解説の用を成さない)。 マルクス主義者やリベラル左翼が長く主流を占める戦後日本の言論界・教育界においては、一代の碩学である平泉博士の業績は不当に貶められ、また無視されてきたが、ソ連崩壊を経て、西暦2000年代に入って漸く、東大閥の強い関東ではなく、京大閥が主流の関西で主に再評価の動きが顕在化してきた。 またそれと軌を一にして、平泉博士もその一翼を担った戦前・戦中の日本主義者(当時の用語で「観念右翼」と呼ばれた伝統保守)の再評価も始まっている。 上で紹介した植村和秀氏の『丸山眞男と平泉澄』、井上義和氏の『日本主義と東京大学』はその主要な成果である。 しかしながら、こうした再評価に対して、旧来のリベラル左翼やマルクス主義者の側からヒステリックで感情的な反発が噴出しており、日本思想の一般的な解説書は、近刊のものでも相変わらず「皇国史観=軍国主義」という刷り込みに終始しているものが見受けられるので注意したい(例えば 日本思想史ハンドブック(苅部直・片岡龍) ・・・苅部氏は丸山眞男の直弟子)。 ※参考:2009年5月に放映されたNHK特集JAPANデビュー第二回「天皇と憲法」 “神風特攻隊や一億玉砕を扇動した極悪非道な人物”として平泉澄博士を糾弾しているNHK※なお動画に大きく出てくる立花 隆(たちばな たかし、本名:橘 隆志 1940年5月28日 - )は、2002年秋に拉致事件が大きく報道されるまでは「戦前の日本は今の北朝鮮のような異常な国家だった」とする持論を盛んに展開していた代表的な左翼言論人であるが、実は戦前に右翼団体愛郷塾を率いて五・一五事件の襲撃犯となった橘孝三郎を父のいとこに持つ人物である。橘孝三郎は、一家一族のほとんどを率いて兄弟村農場を経営し、愛郷塾という集団農業を実践する社会主義的結社を創設、血盟団の井上日召と思想的に共鳴し、更に大川周明の影響を受けた海軍下士官と組んで、5.15事件では塾生7人を率いて東京の変電所を襲撃 した。→つまり今は左翼言論人の代表格の立花隆のルーツは、戦前の右翼過激派であることに注目。 (詳しくはNHKの正体・上級編へ) いずれにせよその抜群の学問的実績、そして戦前~戦後を通じて保守陣営に対して保持した影響力の大きさから考えて平泉博士の保守思想の一層の再評価は不可避であり、今後に注目したい。 ここでの再評価の進展が、日本の保守思想全体の再評価に直結するはずである。 (参考図書) 『昭和の思想』(植村和秀:著) ★評価2010年11月に出版された好著。戦前から戦後及ぶ昭和期日本の思想状況が、要点を絞って明瞭かつ簡潔にまとめられている。非常にお勧め。(以下amazonより引用)・内容説明昭和の思想を総体的に俯瞰する画期的論考。思想弾圧と戦争の暗さ。世界に挑戦する日本という明るさ。奇妙な時代=戦前昭和期を中心に、丸山眞男・平泉澄・西田幾多郎・簑田胸喜の思想から時代の本質を剔る・内容(「BOOK」データベースより)「戦前=戦後」だけでなく、昭和はつねに「二つの貌」を持っていた。皇国史観から安保・学生運動まで、相反する気分が対立しつつ同居する昭和の奇妙な精神風土の本質を、丸山眞男・平泉澄・西田幾多郎・蓑田胸喜らの思想を元に解読する。・目次第1章 日本思想は二つ以上ある第2章 思想史からの靖国神社問題―松平永芳・平泉澄第3章 思想史からの安保闘争・学生反乱―丸山眞男第4章 思想史からの終戦と昭和天皇―阿南惟幾・平泉澄第5章 思想史からの世界新秩序構想―西田幾多郎・京都学派6章 思想史からの言論迫害―蓑田胸喜第7章 二〇世紀思想史としての昭和思想史 【このページの続き】 日本主義とは何か ~ 日本型保守主義とナショナリズムの関係を考える ■左翼や売国奴を論破する!セットで読む政治理論・解説ページ 政治の基礎知識 政治学の概念整理と、政治思想の対立軸 政治思想(用語集) リベラル・デモクラシー、国民主権、法の支配 デモクラシーと衆愚制 ~ 「民主主義」信仰を打ち破る ※別題「デモクラシーの真実」 リベラリズムと自由主義 ~ 自由の理論の二つの異なった系譜 ※別題「リベラリズムの真実」 保守主義とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ ナショナリズムとは何か ケインズvs.ハイエクから考える経済政策 国家解体思想(世界政府・地球市民)の正体 左派・左翼とは何か 右派・右翼とは何か 中間派に何を含めるか 「個人主義」と「集産主義」 ~ ハイエク『隷従への道』読解の手引き 最速!理論派保守☆養成プログラム 「皇国史観」と国体論~日本の保守思想を考える 日本主義とは何か ~ 日本型保守主義とナショナリズムの関係を考える 右翼・左翼の歴史 靖國神社と英霊の御心 マルクス主義と天皇制ファシズム論 丸山眞男「天皇制ファシズム論」、村上重良「国家神道論」の検証 国体とは何か① ~ 『国体の本義』と『臣民の道』(2つの公定「国体」解説書) 国体とは何か② ~ その他の論点 国体法(不文憲法)と憲法典(成文憲法) 歴史問題の基礎知識 戦後レジームの正体 「法の支配(rule of law)」とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ 立憲主義とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ 「正義」とは何か ~ 法価値論まとめ+「法の支配」との関係 正統性とは何か ~ legitimacy ・ orthodoxy の区別と、憲法の正統性問題 自然法と人権思想の関係、国体法との区別 「国民の権利・自由」と「人権」の区別 ~ 人権イデオロギー打破のために 日本国憲法改正問題(上級編) ※別題「憲法問題の基礎知識」 学者別《憲法理論-比較表》 政治的スタンス毎の「国民主権」論比較・評価 よくわかる現代左翼の憲法論Ⅰ(芦部信喜・撃墜編) よくわかる現代左翼の憲法論Ⅱ(長谷部恭男・追討編) ブログランキング応援クリックをお願いいたします(一日一回有効)。 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前へ / 次へ GM:ではテンコー 藤原:1 浦上:2 泉楼院:35 三井:俺は!? GM:34? 三井:貴様ぁぁぁぁ!! GM:さて。前回OPを一通り行った訳ですがここで皆さんシナリオロイスに対してロイスを設定しておいて下さいな。 GM:今宣言しておかないとログに埋もれそう。 泉楼院:あとPC間ロイスはどうするんです? GM:おっと 浦上:八重樫さんに○庇護/不安で GM:では今の天狐順で藤原さん>浦上さん>泉楼院さん>三井さん>藤原さんで 藤原:”キングダム・カム” すごい 脅威○ 三井:朝芽に好奇心 ○不安 で 藤原:三井母に 信頼○ 嫌気 泉楼院:む、そっちの方向ですか 三井:ん? 逆じゃね? GM:逆ですね 泉楼院:自分が三井母でおkだよね? 藤原:あれ 三井:んだね 藤原:浦上少年か 泉楼院:三井母に愉快(任意)○/不信感で 三井:坊主には、○有為 不安 藤原:感服○ 不安だな 浦上:泉楼院さんに○信頼/隔意で 泉楼院:信頼されてるけどまだ壁がある感じなのね 泉楼院:まああんまり仲良くなっても七海さんにマウントされちゃうし…… GM:前回の泉楼院さん>瀬名方さんがなんでしたっけね 浦上:知り合ってまだ間がないですし…… 泉楼院:同情/嫌気○でうs GM:了解です。 GM:前回のあらすじ。 GM:「なんで八重樫会長にエフェクト掛からないかシナリオにそもそも書いてないとか手抜きにも程があるよ公式」 浦上:なん……だと…… GM:メタりました 泉楼院:なん・・・だと・・・ 藤原:ひどい話だ 泉楼院:おいこら公式、明らかにそれがシナリオの核だと思うだろ、PC的には GM:後付で考えてますんでご了解下さい 泉楼院:どういうことだよ! GM:読み返した私(GM)が一番突っ込みたいさ…… GM:さて GM:OPから数日後。 GM:今日は全校集会と言う事で朝の朝礼のため、全校生徒がグラウンドに集められます。 泉楼院:ふむん 浦上:わー、やな予感がします GM:シーンプレイヤーは一応泉楼院さんですが、学校に所属している人は任意で登場可。 泉楼院:じゃあ登場しますね 泉楼院:1d10 (Dice_kin) Mimiru_S - 1D10 = [8] = 8 三井:自分も 泉楼院:流石平均値だ、なんとも無いぜ 浦上:同じく登場します 三井:1d10+36 (Dice_kin) Sakura_M - 1D10+36 = [2]+36 = 38 浦上:1d10 (Dice_kin) S_uragami - 1D10 = [8] = 8 三井:この方式、侵食値分かり易くていいわぁ GM:確かに。 泉楼院:おっと、自分は現在42です 泉楼院:足した方が良いですよね 泉楼院:あ、41だった GM:あ、基本浸食値変わってたんだ泉楼院さん 浦上:43です GM:直し直し 泉楼院:虚の黒を取ったので…… GM:と、有効なようなので採用>この方式 GM:さて、そんな訳で校長先生が壇上で咳払いを一つするとおもむろに。 GM:「えー、皆さんおはようございます。本日から本校の体制はおおきく変わることになりました」 GM:「前任の生徒会長、八重樫若菜さんが辞任したことを受け、瀬名方玲人君が新たに会長となることになります。学校の教育方針は、瀬名方君を中心とした新執行部に一任し、生徒の自主性を重んじた物になります。校内の風紀や生徒の指導にしたがって下さい」 浦上:「……は?」 泉楼院:「ねーよ!」 三井:「…………」 苦虫を噛み潰した様な表情 泉楼院:「って辞任したの、若菜!?」と八重樫会長に聞いてみよう GM:貴方方を含め一部ざわついている生徒も居ますが大半は賛同しているようです。 GM:そして泉楼院さん 泉楼院:うい GM:八重樫さんですが居ません。 藤原:すげーw 泉楼院:休みの連絡はあったんでしょうか 浦上:よし、空気読まず挙手しますよ GM:朝のHRはまだなので聞いてないこととします。 泉楼院:むむう、何かあったのかな、と気を揉んでいます GM:そして校長先生は浦上さんの挙手には反応せず「それでは皆さん、新しい体制の中で勉学に励んで下さい」と言ってそのまま壇上から降りていきます。 浦上:黙殺された…… 三井:ここで、浦上とみみるに、ジェスチャーサインを送っておく 泉楼院:「幾ら事なんでもこれは異常過ぎるわよねぇ」 浦上:ほほう 三井:大きく口を開けて、ひ・る・しょ・く・い・ん・し・つ 三井:と、指差しで校舎の位置を 浦上:そちらを見て頷きます 泉楼院:リョ・ウ・カ・イ・シ・タとサイン返し。具体的にはそげぶAA的な動きで 藤原:軍隊かよw GM:皆さんがそうして目を見合わせてる間に壇上には瀬名方玲人が上がり挨拶をしますね。 GM:「この度、新しく生徒会長になりました瀬名方玲人です。皆さん、一緒により良い学校生活を目指しましょう」 GM:拍手を持って迎えられた瀬名方さんは笑顔で挨拶をすると壇上から降りていくのでした。 三井:「…………」青筋を立てつつ、拍手 泉楼院:一応てきとーに拍手してあげよう 浦上:珍しく無表情で拍手しません 三井:浦上が怖いよぉ GM:皆さんの様々な反応を受けつつここで一度シーン終了。 三井:あーい 泉楼院:あ、購入判定しておきたい GM:どうぞー 泉楼院:アルティメイド服を購入挑戦、目標値20 泉楼院:1r10+5 (Dice_kin) Mimiru_S - 1R10+5 = [1] ファンブル +5 = 5 三井:www 泉楼院:神は言っている――今は買うべき時では無いと 泉楼院:次でおkですw 浦上:そんな装備で大丈夫か? 泉楼院:大丈夫じゃない、問題だ 浦上:瀬名方さんにロイスを結びます GM:はい 浦上:視界から消えろ/嫌悪○で 藤原:ポジが行方不明 泉楼院:ポジじゃねえw 三井:俺は校長に、使えねぇ/嫌気○で 藤原:ポジが行方不明すぎるwwww 浦上:あれにポジとかあり得ない…… GM:ポジ感情については出来れば観戦してる方々にあちらで説明して上げて下さい GM:誤解を招きそうなのでw 藤原:で、俺のシーン? 浦上:うーむ 浦上:仕方ない。執着/嫌悪○で GM:あ、いやその感情でも構わないのですが GM:ルールの説明はしてあげてー 三井:俺は変えない、変えないぞJOJOォォ 浦上:あい GM:それと次のシーンですが、予定では学校改革が実行された描写のシーン。その後藤原さんのシーンになります。 藤原:あいw GM:ごめんよ支部長はぶでw 三井:支部長呼ぶ手はずは俺も考えたよ GM:という訳で続いてのシーンですがー、引き続き泉楼院さんがシーンプレイヤーです。 GM:皆さんも任意で登場可。 浦上:はーい 泉楼院:なん・・・だと・・・ 泉楼院:侵食率がもりもり上がりそう 泉楼院:1d10+41 (Dice_kin) Mimiru_S - 1D10+41 = [4]+41 = 45 泉楼院:少なくて良かった 浦上:とりあえず様子見 GM:さて、瀬名方さんの校内改革案が採用されたことで校内の様子は一変します。 GM:クラスは実力ごとに分けられ、その頂点の“特別クラス”の20名ほどの生徒に強い権限が与えられます。 泉楼院:とても公立の高校とは思えない事に 三井:登場します 泉楼院:これ文部省が文句言って来るんじゃ? 三井:1d10+38 (Dice_kin) Sakura_M - 1D10+38 = [7]+38 = 45 GM:“特別クラス”の生徒達は各自の都合に合わせて授業の時間を指定でき、他の生徒達と別格として扱われますね。登下校にはなんと専用の送迎バスまで用意されます。 浦上:どこから予算が湧いて来たんだろう…… 三井:場所はどこなんだろう、そこに合わせて出てくるっていう感じで 泉楼院:「……ここ私立だっけ?」 泉楼院:もう( ゜д゜)ポカーン GM:廊下を彼等が歩いていく所を見ると言うことで。 三井:では、廊下で出席簿とか小脇に持って歩いてる所に、みみるを見かけたという感じで GM:彼等は「おら、俺たちの道を空けろよ、一般生徒共」と調子に乗って練り歩いていきますね。 三井:「や、泉楼院さん」 浦上:ポカーン 泉楼院:「三井先生、おはようございます。今日もとっても不愉快でブチキレそうな朝ですねオホホ」 泉楼院:「というかね、あれどう考えても異常だよね? 絶対FHだよあれ。支部長に話聞いてもらおうよ」と三井母に 三井:「あはは。私もちょっと頭に昇った血が勝手に吐き出されそうで困ってるのよねぇ。素敵な朝よ」 三井:ブチブチと血管を浮き立たせながら 三井:「うん、私もそう考えてた所」 泉楼院:「いやー初対面の時からこいつFHじゃないかなーと思ってたんだけど、冗談抜きにそれっぽい」 三井:「たかだか一生徒があそこまで妙な人心掌握するなんてありえないものね」 泉楼院:「あれが一般人なら世界征服出来んじゃないですかぁ?」 三井:「間違いないわねぇ。で、今から霧谷さんに連絡しようと思うの」 三井:「体育の剣道、臨時講師を一人呼んでもらえないかしらってね?」 泉楼院:「わあお、すんばらしい理屈付け」 泉楼院:「でも支部長呼ぶには良い手じゃないですか?」 三井:「フッジーは寺在住で剣道やってるのよ? そりゃ、もう呼ぶしかないじゃない」 泉楼院:でも白兵技能無いよね、確かw 藤原:6だよw>白兵 泉楼院:なん・・・だと・・・ 三井:十分すぎるw 泉楼院:いつの間にそんなレベルまで 三井:では、霧谷に電話したいんですがいいですか? GM:勿論構いません 藤原:経験点入れろって言われたので仕方なくやった 反省はしていない 三井:その場でぷるるーとかけますね GM:「はい、霧谷ですが」 三井:『霧谷さん、N市の三井です。お久しぶりで』 GM:「あぁこれは三井さん、つい先日話したばかりだというのに随分久しぶりな気がします」 GM:「ご用件は?」 三井:『ええ、今私の潜入している学校にですね。FHからの尖兵と思しき生徒がやってきているんです』 GM:「……“キングダム・カム”ですか?」 三井:『恐らくは』 GM:「しかしそれにしては確証が早いようですが、何かその生徒の周辺で変わった事件でも起きたのですか?」 三井:『学校内での不慮の事態に備え、支部長を呼び寄せたいと思うのです。彼、剣道の心得があったでしょう? 臨時の講師としてねじ込んでいただけないでしょうか』 三井:『たった数日で、校長まで含めて学校改革を成し遂げては、ぐぅの音も出ませんよ…』 三井:『私の挑発も、簡単に流していましたからね』 三井:泉楼院さんからもちょっと言ってあげて、と電話を差し出す GM:「それは……七海さんが『非常に』気にすると思いますので後で報告書を提出しておいて下さいませんか?」と頭を抱える霧谷 三井:「それは勿論、まとめておきますよ」と、大きく 泉楼院:「もうね、ちょー異常ですよ……」心底疲れた感じで GM:「貴方方二人がそういうとは相当な事態ですね……」 泉楼院:「とりあえずFHエージェントの工作の線が濃厚なんで、支部長の件は可及的速やかにお願いします」 GM:「藤原支部長の件については了解しました。元々“ダークムーン”が目をつけた対象はN市公立高校に送り込まれる傾向が強いようなのである程度手続きは進めてたのです。」 三井:流石霧谷! GM:「そのような緊急事態でしたら明日にでも赴任できるように働きかけを……あぁ、F市の件での一ノ瀬さんへの連絡もしな……胃薬、はどこでしたかね」 泉楼院:「そこまでバレてるのに露骨に行動起こすなんて……FH馬鹿なの?」 GM:「泉楼院さん、良い言葉があります」 GM:「仮に相手のトップが無能だったとしてもこちらのトップが更に無能ではどうにもならない」 泉楼院:「うわあ……」 GM:「正直誰かが最高評議会の存在を消し去ってくれませんかね……」 GM:「失礼」 泉楼院:霧谷さん……(ほろり 三井:霧谷の胃袋がストレスでマッハ… 浦上:悲しき中間管理職…… GM:「“とある”事情により遺憾ながらUGN日本支部の連絡網もあまり良い状態ではないのです」 GM:「現場に苦労を掛ける申し訳ないですが……」 泉楼院:「心中お察しします、いやマジで」 泉楼院:「裏さえ取れればさっさと片しちゃうんで、こっちはあんまり心配しなくてイイデスヨ?」 GM:「ありがとうございます。では藤原さんの件についての手続きに掛かりますので、これで」 泉楼院:「ありがとうございまーす」で、電話を三井母に返そう 三井:「はい、ありがと」と、電話を受け取る 泉楼院:「明日にはなんとかなりそうだって」 泉楼院:「明後日位にはあのトイレ野郎ぶっ飛ばせると良いなあ」 三井:「それはよかったわ。浦上君にも、朝言ったとおり、昼に職員室で伝えておかないといけないわね」 泉楼院:「彼真面目だからちゃんと来るでしょ」 三井:「そうねぇ。じゃ、馬鹿どもを適当にあしらいながら一日を過ごすとしますか」 泉楼院:「あいあいさー」 泉楼院:「……ところで、この状況でも授業でなきゃ駄目? すんごいキツいんですけど」 三井:「先生と一緒にサボる?」 泉楼院:「サボる!」即答 泉楼院:「あ、一応若菜の安否だけ確認しようかな」 泉楼院:「実はトイレが裏でなんかしてました、とかだとちょっと怖いし」 三井:「おっけー。じゃ、八重樫さんのお見舞い行って、帰り○ニーズでハンバーグ食いましょ。先生のおごりよ」 泉楼院:「やったー! 新鮮な肉だー!」 三井:こんなとこかな?w 泉楼院:あ、例の如く購入判定しておくw 泉楼院:先ほどと同じで 泉楼院:1r10+5 (Dice_kin) Mimiru_S - 1R10+5 = [6]+5 = 11 泉楼院:回らないと足りないんだよー! 三井:上手く廻らないね… 泉楼院:1が出るなら10も出るはず 泉楼院:そう思っていた頃が俺にも有りました GM:と言う事で藤原さん。霧谷の尽力により本日付で学校に出入りする許可が届きます、二人による学校のカオス連絡があったこととあわせて。 藤原:あい 藤原:1d10+31 (Dice_kin) S-Fujiwar - 1D10+31 = [3]+31 = 34 藤原:「体育教師さんが不慮の事故かなんかで入院でしたっけ、大変ですなぁ」 GM:と、言うあなたは今学校の体育教師準備室に居られますので他の方も登場可ー 三井:侵食値が欲しいので、折りを見て登場する 浦上:同じく 藤原:じゃあとりあえず誰もやってないリサーチをやろう 泉楼院:低すぎるのも不味いけど上がりすぎるのも不味いんだよな…… 藤原:キングダムガムさんについて GM:「全くです……所で彼が”キングダム・カム”だった場合一つ問題があります」 藤原:「問題が一つで済むなら上出来ですよ」 GM:「過去に”キングダム・カム”が関わったケースでは攻撃を焦った結果、操られた人々が暴走したという報告があります」 藤原:「ほー、解決策は?」 GM:「難しいですね。『ワーディング』で無力化しても、目覚めた後に自殺したとの報告があります」 浦上:登場します 浦上:1d10 (Dice_kin) S_uragami - 1D10 = [4] = 4 藤原:「王国どころか宗教の域ですか」 浦上:[ 浦上:「中々物騒なお話ですね」 GM:「はい。何らかの手段で”キングダム・カム”の支配から生徒達を解放しないと同じ事態が起きかねません」 藤原:「おお浦上少年、元気そうで何より」 藤原:「なんらか、ねぇ」 浦上:「はい、藤原さんもお変わりなく」 三井:その辺で追加登場 三井:1d10+45 (Dice_kin) Sakura_M - 1D10+45 = [9]+45 = 54 三井:ぎゃぼぁー 浦上:「……当面は、キングダム・カムの支配の解除方法を探ることになりそうですね」 GM:荒ぶってるね! 藤原:「そんなにひどいのかね、現状は」 三井:「当人をどうこうするっていうのが、簡単な解決方法だと、私は思うんだけどね」 泉楼院:自分も登場しておきますかー 三井:ドアにもたれて 泉楼院:1d10+45 (Dice_kin) Mimiru_S - 1D10+45 = [3]+45 = 48 泉楼院:ヒョー、低かった 泉楼院:「やっほー支部長。もう滅茶苦茶なんてもんじゃないよ?」 三井:「アレが転入してきたから、こっちは大変だったものねぇ」 浦上:「異変の中心が瀬名方さんであることは間違いないでしょうね」 泉楼院:「あのトイレ野郎……さっさと証拠固めしてボコボコにしてやる」 三井:「泉楼院さんも相当頭にきてるみたいねぇ。あははははは。先生もだけどっ」 三井:シャドウしながら 藤原:「楽しそうでいいな、君らは」 藤原:さて、じゃあキングダムガムについて調べたい 三井:「楽しいっていうか苛立ってるのよっ!!」 浦上:「いやぁ……実物に合えば藤原さんもわかると思いますよ」 GM:情報:UGNか裏社会でどうぞ 三井:「この、この、ハゲッ!!」 藤原:「感情が動くというのはいいことだ。まぁ、適度な発散も大事だぞ」 三井:シャドウの拳を平手に変えて、坊主の頭をペチペチ 藤原:UGNで 藤原:5r10+3 (Dice_kin) S-Fujiwar - 5R10+3 = [5,5,7,6,2]+3 = 10 浦上:「はぁ……」 GM:達成値は十分ですね。 泉楼院:「浦上君も大分つっかかってるみたいだけど、先方の方からなんかしてきたりとかは無いの?」 藤原:「個人的には君の感情が動いているのがうれしいよ、浦上少年」 三井:何かおかしな電波が動いてないか 三井:タッピング&オンエアで傍受体制はとっておこう 浦上:「今のところは特に。たまにクラスの視線が集まっている気がしますが」>泉楼院さん GM:では藤原さんの携帯に電話が入ります。「どうも支部長、磯野です」 泉楼院:「殆どの人がシンパになっちゃってるもんねぇ」>浦上君に 三井:マグロ… 藤原:「おおマグロ、何かわかったか」 GM:「”キングダム・カム”ですが従前の報告通り人心を操る能力に長けたオーヴァードらしいです。」 浦上:「ええ。多分、監視されているのでしょうね」>泉楼院さん GM:「三井さんみたいな呼び方止めて下さいよ!?で、奴ですがN市公立高校に潜入してレネゲイドウィルスに適正を持つ物を調べ上げると共に、学校内にいるUGN関係者を捜し出そうとしているようですね」 藤原:「面倒くさい事をしているな」 GM:「なんでもソラリスシンドロームとオルクスシンドロームの複合型らしいです。ヤクで洗脳してるんで本人が居なくなっても能力が発動するとか何とか、パネェですね」 泉楼院:(シンドロームまでバレてるとか、どんだけザルなのよ……) GM:書いてあるんだよこの馬鹿シナリオ!! 藤原:「だいたいわかった」 三井:「(ほんと、FHって欲望まみれで他考えてないのかしらー)」 GM:「また何か分かったことがあったら電話します」と言って切れますね。 藤原:「その・・・なんて名前だっけ。まぁいいや、その少年にごめんなさいしてもらうのが手っ取り早そうだな」 浦上:「しかし、本人がいなくなっても能力が発動するというのは面倒ですね」 三井:「吐かせるまでね」 三井:「能力の解除の条件を」 浦上:「素直に吐くかな?」 浦上:「もう少しリサーチした方がいいのではないでしょうか?」 三井:「まぁ、何とかなるんじゃない?」 三井:「丸裸にしてから、ボコっちゃいましょ」 三井:<情報的に 浦上:「そうですね」 藤原:「ついでに制服も隠してやれ、体育の時間に」 浦上:「それはちょっと……」 浦上:あ、GM、リサーチOKでしょうか? GM:どうぞどうぞ 浦上:瀬名方さんについて調べたいのですが 浦上:情報:噂話かな? GM:そうですねー 三井:「制服隠されて涙目になってる彼とかちょっと興味あるわねぇ」と、ふふっと笑いつつ 浦上:1r10+1 (Dice_kin) S_uragami - 1R10+1 = [8]+1 = 9 浦上:お、高め 泉楼院:ほほう 浦上:しまった。うわさ好きの友人使うの忘れてた…… 浦上:すいません、追加で振っても良いでしょうか? GM:あぁ、足りてますので。 GM:ではまず瀬名方玲人ですが、N市公立高校に転校してきた生徒で不思議なカリスマで通常では考えられない改革を推し進めています。 GM:と、先ほどまでの描写を改めて再確認した上でもう一つの判定ができるようになりますね。 浦上:を GM:知識:レネゲイド 浦上:精神高い方…… 泉楼院:技能無しでも振れますか? 藤原:みんな振ろうぜw GM:振れますよー 藤原:2r10 (Dice_kin) S-Fujiwar - 2R10 = [7,10][1] クリティカル = 11 泉楼院:じゃあ振るさ! 藤原:あれwww 泉楼院:8r10 (Dice_kin) Mimiru_S - 8R10 = [3,2,8,10,6,3,5,5][2] クリティカル = 12 泉楼院:ありゃあ 三井:2r10 (Dice_kin) Sakura_M - 2R10 = [5,6] = 6 泉楼院:二回目のダイス目が低い法則 浦上:2r10 三井:げぼはぁ (Dice_kin) S_uragami - 2R10 = [4,10][10][8] クリティカル = 28 浦上:ぶっ 三井:うひゃーw GM:ぶっ 泉楼院:さすが主人公 浦上:何でも聞いてください…… GM:怒りの浦上さんは一気に情報を突き止めますね! GM:まず彼の正体ですがなんとFHのエージェント、”キングダム・カム”です 浦上:「ちょっと幾らなんでも調子に乗り過ぎですよね、“瀬名方”さん」 浦上:GMGM、いまさら何を言ってるんですか? 三井:わかっちゃったww 三井:まぁ、分かり易すぎるけどさ…本気で GM:で、彼が人を支配する方法ですが、後催眠という手法を用いています。 三井:うぇ、性質悪い GM:”キングダム・カム”の支配から脱した後でも、”キングダム・カム”に危害が加えられたと判断されたときに、暴動と混乱を起こすよう命令がすり込まれているのですね。 GM:なので、ワーディングで無力化しても、後から命令を実行してしまう可能性がある、と。 浦上:なるほど……しかし、後催眠ならば、何か解除するキーがあるのではないでしょうか GM:後催眠状態ですが、”キングダム・カム”が居ない所で生徒達に影響力を持った人物による呼びかけがあれば解除は可能です。 浦上:……なるほど 浦上:「つまり、八重樫さんがこの事態のキーですか」 泉楼院:「若菜を確保した上で奴をぶったおせばおk、と」 藤原:「生徒会長さんだったか」 三井:「ここは、泉楼院さんにお願いしたいわね」 浦上:「はい。あの人ほど、この学校で影響力のある人はいないでしょうね」 泉楼院:「じゃあわたしはこの後若菜の様子見に行ってついでに保護してくる」 泉楼院:「絶対狙ってくるよねぇ」 浦上:「あ、僕も一緒に行っても良いですか?」 泉楼院:「うん、良いよ。やっぱり心配?」 三井:「そうね。ああ、二手に分かれたほうがいいかもだわ」 泉楼院:「綺麗に先生組と生徒組に別れたわねえ」 浦上:「そうですね……そうだな、はい、多分。八重樫さんに何かあったら、きっと、七海さんが悲しむので」 藤原:「じゃあ俺はこっちに残っておこう」 泉楼院:(七海さんに「浦上君が危ないです」って連絡したらこっち来てくれないかなあ) 藤原:「またなにかあったら連絡するから、携帯の電源は入れておいてくれ」 浦上:「了解です」 三井:「無茶だけはするんじゃないわよ」 泉楼院:「もっちろん心得てますって」 浦上:「はい」 GM:では今日はこの辺りで終了と言うことで。 泉楼院:あ、最後に購入判定! 泉楼院:でろー10でろー GM:おっと了解 泉楼院:1r10+5 (Dice_kin) Mimiru_S - 1R10+5 = [8]+5 = 13 泉楼院:やっぱ無理でしたー 泉楼院:乙でw 三井:乙w GM:乙ですw 浦上:お疲れ様です 前へ / 次へ
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●戦争と罪責07Ⅱ から ●戦争と罪責08Ⅰ へ 1227 「集団自決」に「軍の関与」復活 検定意見を実質修正 [朝日] 1226 沖縄戦の集団自決、検定意見を事実上修正 渡海文科相 [朝日] 1225 沖縄戦資料をネット公開へ 教科書問題で沖縄担当相 [共同] 1222 フジモリ氏、対テロ作戦の犠牲者に謝罪 遺族は反発 [朝日] 1221 朝鮮人遺骨来月に返還 101人分 日韓合意 [朝日] 1219 原爆症審査、原因確率を事実上廃止 与党PT案 [朝日] 1213 中国残留孤児、国相手の訴訟取り下げ 改正支援法成立で [朝日] 1211 犠牲者「30万人」の表示継続 南京大虐殺記念館再開へ [朝日] 1205 首相、中国残留孤児訴訟原告団に謝罪 [朝日] 1128 中国残留邦人支援法改正案が成立 孤児側、訴訟終結方針 [朝日] 1125 南京大虐殺めぐり日中研究者がシンポ [朝日] 1121 戦争犯罪の過去とどう向きあう 独・日・韓の研究者交流 東京でシンポ [赤旗] 1111 日本政府相手に提訴検討 サハリン残留韓国人が会見 [朝日] 1106 教科書訂正、沖縄差別の歴史も記載 [琉球新報] 1101 フランコ独裁下の犠牲者、名誉回復法成立へ スペイン [朝日] 1008 「軍関与」証言する動き 自治体も調査 沖縄戦集団自決 [朝日] 1009 沖縄教科書検定決議、採択困難に [朝日] 1007 靖国神社分祀、改めて主張 古賀遺族会会長 [朝日] 1002 検定撤回の国会決議提出へ 野党4党が一致 [朝日] 1001 「集団自決」検定、文科省が対応検討 沖縄県民大会受け [朝日] 0929 沖縄、11万人が訴え 教科書検定「撤回を」 [朝日] 0927 検定撤回求める議決、沖縄以外でも 集団自決教科書削除 [朝日] 0919 日の丸燃やす 満州事変76周年 中国・瀋陽 [朝日] 0917 平頂山事件75周年 約2千人が追悼 中国・撫順 [朝日] ●戦争と罪責07Ⅱ より続く 名前 コメント ↑ご自由にコメントをお書き下さい。 1227 「集団自決」に「軍の関与」復活 検定意見を実質修正 [朝日] 2007年12月27日06時47分 沖縄戦の「集団自決」をめぐり、来春から使われる高校日本史の教科書検定で「日本軍の強制」が削除された問題で、渡海文部科学相は26日、教科書会社6社から出されていた訂正申請を承認した。「日本軍が強制した」という直接的な記述は避けつつ、「軍の関与」や「戦中の軍の教育」などによって住民が自決に追い込まれたと記しており、「集団自決が起きたのは、日本軍の行為が主たる原因」と読める内容になった。 一度検定に合格した教科書の記述に沖縄側が激しく反発したことをきっかけに異例の再審議となった。6社中5社は文科省側とやりとりしながら、訂正申請を一度取り下げたうえで、修正して再申請し承認された。文科省は、「軍の強制」を認めなかった検定意見を撤回しなかったものの、内容を事実上修正する結果となった。 渡海氏はこの日の会見で「審議経過も明らかにしており、沖縄の理解をいただきたいと思っている」と語った。一方、9月末に開かれた沖縄県民大会の実行委員長を務めた仲里利信・県議会議長も会見し、「記述の回復がほぼなされ、これまでの検定意見は自動的に消滅したと考えている」と表明した。ただし、県民大会で決議した「検定意見の撤回」が実現しなかったことには不満の声も根強く、28日に実行委員会を開いて、正式な態度表明をするという。 渡海氏は県民大会の直後、「訂正申請があれば真摯(しんし)に対応する」と表明。11月に各社から申請が出されたことを受けて、諮問機関の教科用図書検定調査審議会(検定審)に検討を要請。検定審日本史小委員会は25日に訂正申請を承認する報告をまとめた。 今回の再審議では、「日本軍が強制した」と記した訂正を認めるかどうかが焦点だった。日本史小委は、沖縄戦や軍事史の専門家9人に意見を求めたうえで、(1)集団自決が起きた状況をつくった要因として、軍の関与は主要なもの(2)軍命令で行われたことを示す根拠は確認できていない(3)住民側から見れば、自決せざるを得ないような状況に追い込まれたとも考えられる――という「基本的とらえ方」をまとめた。この方針に沿って、教科書会社に訂正申請の根拠となる資料の提出や説明を求めた。 その結果、三省堂、実教出版、清水書院、第一学習社、東京書籍の5社は訂正申請にあった「自決を強要された」「集団自害と殺し合いを強制した」といった直接的な表現を取り下げ、「日本軍の関与」「米軍の捕虜となることを許さないなど指導」との表現に変えて再申請した。山川出版社は事実関係だけで、背景や要因には触れなかった。 「強制的な状況のもとで」「『強制集団死』とする見方が出されている」といった記述も承認された。文科省は「『強制』や『強要』があれば即不合格になるのではなく、全体の文脈の中で小委が判断した」と説明している。 URL http //www.asahi.com/politics/update/1226/TKY200712260329.html 1226 沖縄戦の集団自決、検定意見を事実上修正 渡海文科相 [朝日] 2007年12月26日15時06分 沖縄戦の「集団自決」をめぐり、高校日本史の教科書検定で「日本軍の強制」が削除された問題で、渡海文部科学相は26日、教科書会社6社から出されていた訂正申請を承認することを明らかにした。日本軍の命令が直接の原因だったという記述は避けつつ、「日本軍の関与」や「戦中の軍の教育」などによって住民が自決に追い込まれたと記しており、「集団自決が起きたのは、日本軍の行為が主たる原因」と読める内容になった。 今回の訂正申請は、今春公表された検定意見に沖縄側が激しく反発したこともあり、渡海氏が「申請があれば真摯(しんし)に対応する」と表明していた。「日本軍の強制性」を認めるかどうかが焦点だった。文科省は検定意見の撤回はしないものの、内容的には事実上、修正した結果となった。 渡海氏は訂正申請が11月初めに出されたことを受けて、諮問機関の教科用図書検定調査審議会(検定審)に検討を要請。検定審日本史小委員会は25日に訂正申請を承認する報告をまとめた。 日本史小委は、沖縄戦や軍事史の専門家9人に意見を求めたうえで、(1)集団自決が起きた要因として、軍の関与は主要なもの(2)軍命令で行われたことを示す根拠は確認できていない(3)住民側から見れば、自決せざるを得ないような状況に追い込まれたとも考えられる――という「基本的とらえ方」をまとめた。 この「とらえ方」に沿って、教科書会社に訂正申請の根拠となる資料の提出や説明を求めた。その結果、三省堂、実教出版、清水書院、第一学習社、東京書籍の5社が「自決を強要された」「集団自害と殺し合いを強制した」といった直接的な表現を取り下げ、「日本軍の関与」や「米軍の捕虜となることを許さないなど指導」「(住民の側からみて)集団自決に追い込まれた」との表現に変えて再申請した。山川出版社だけは、集団自決の事実関係について修正したが、背景や要因には触れなかった。 URL http //www.asahi.com/national/update/1226/TKY200712260209.html 1225 沖縄戦資料をネット公開へ 教科書問題で沖縄担当相 [共同] 沖縄戦をめぐる高校歴史教科書の検定問題に絡み、岸田文雄沖縄担当相は25日、内閣府の「沖縄戦関係資料閲覧室」(東京都港区)を、より利便性の高い場所へ移転し、所蔵資料をインターネットで閲覧可能とするための経費を2008年度予算に計上する方針を明らかにした。 教科書問題で「日本軍による強制」の記述を回復するよう要請に訪れた沖縄県議会の仲里利信議長らに語った。閲覧室は02年にオープン、防衛省や外務省などが保管していた沖縄戦に関する公文書の写しや書籍を収集、公開している。 内閣府によると、予算規模は約1900万円。国立国会図書館に隣接する建物に移設予定で、施設面積も約2倍になる。 岸田担当相は「教科書記述については所管外なので発言できないが、閲覧室をより多くの方々に有効活用してもらうことで、できるだけこの(教科書)問題に資するよう努力したい」と述べた。 2007/12/25 17 07 【共同通信】 URL http //www.47news.jp/CN/200712/CN2007122501000446.html 1222 フジモリ氏、対テロ作戦の犠牲者に謝罪 遺族は反発 [朝日] 2007年12月22日19時08分 軍特殊部隊による民間人殺害で殺人などの罪に問われたペルーのフジモリ元大統領(69)が21日、最高裁特別法廷の公判で、軍の対テロ作戦による犠牲者に謝罪した。遺族は「遅すぎるし、不十分。裁判の戦術だ」などと反発している。 ロイター通信などによると、フジモリ被告は検察側の質問に答え、「すべての犠牲者に謝罪する。何千もの死者に胸を痛めた」などと述べた。 ペルーでは80~90年代に左翼ゲリラのテロや、軍による掃討作戦で約2万5000人が死亡したとされる。このうち1万人が市民、1万人がゲリラといわれる。 この謝罪に対し、犠牲者遺族のヒセラ・オルティスさんは「謝罪する機会は今まで15年以上もあった」と批判した。 URL http //www.asahi.com/international/update/1222/TKY200712220208.html 1221 朝鮮人遺骨来月に返還 101人分 日韓合意 [朝日] 2007年12月21日21時43分 戦時中に日本軍人・軍属として徴用されて死亡し、東京・祐天寺に保管されている朝鮮半島出身者101人の遺骨を来年1月22日、韓国の遺族に返還することで日韓が正式合意した。日本政府は、返還の際に同寺で開く慰霊祭に、遺族約50人を招くことも決めた。 21日にソウルで開いた日韓の実務協議で決まった。さらに日本側は、徴用された軍人・軍属ら約11万人分の情報を韓国側に提供。韓国は徴用された本人や遺族に対する独自の補償制度を設けており、この確認作業などを支援する狙いがある。 また、日韓は企業に徴用された朝鮮人の遺骨についても協議。日本側は、企業や自治体、宗教団体から得た計1909人の情報をすでに韓国に提供しているが、韓国側は遺族の特定作業が難航しているとして、さらに詳細な情報を提供してほしいと日本側に求めた。 URL http //www.asahi.com/international/update/1221/TKY200712210351.html 1219 原爆症審査、原因確率を事実上廃止 与党PT案 [朝日] 2007年12月19日22時07分 原爆症の認定基準について議論していた与党プロジェクトチーム(PT、河村建夫座長)は19日、見直し案を決めた。広島・長崎の爆心地から約3.5キロ以内で直接被爆、原爆投下から約100時間以内に爆心地付近に入るなどした被爆者が、がんなど特定の病気を発症した場合、自動的に認定。あてはまらない場合は急性症状などを加味して個別審査する「二段階方式」とする。現行の審査の柱となる原因確率を事実上廃止するもので、被爆者らは評価している。 見直しをめぐっては厚生労働省の検討会が17日、原因確率を維持する見直し案をまとめている。政府・与党は年明けにも、隔たりのある両案を検討して新基準を決める。 決定されたPT案は、爆心地から約3.5キロ以内で直接被爆▽原爆投下から約100時間以内に爆心地付近(約2キロ以内)に入市▽100時間を多少過ぎていても爆心地付近(同)に1週間程度滞在――のいずれかに該当する被爆者が特定の病気を発症した場合に原爆症と自動認定。特定の病気には、がん、白血病、白内障、副甲状腺機能高進症のほか、心筋梗塞(こうそく)などを含めた。 原因確率についてPT案では、「現実的救済につながっていない」として「今の原因確率論を改める」と言明。一方で、自動認定の条件にあてはまらない被爆者を個別審査する中で、原因確率を使えば救済できる場合もあるとし、「使用も排除しない」と余地を残した。 日本原水爆被害者団体協議会(被団協)や集団訴訟の原告らは19日、東京・霞が関で会見。全国弁護団の宮原哲朗・事務局長は「被爆者救済の方向に大きくかじを切っており、裁判の全面解決に向けた第一歩にしたい」とPT案を高く評価。福田首相に採用を要望する予定だ。 URL http //www.asahi.com/politics/update/1219/TKY200712190339.html 1213 中国残留孤児、国相手の訴訟取り下げ 改正支援法成立で [朝日] 2007年12月13日12時52分 中国から永住帰国した残留孤児40人が、国の誤った政策で人間らしく生きる権利を侵害されているとして、国に1人3300万円(総額13億2000万円)の賠償を求めた訴訟の控訴審第1回口頭弁論が13日午前、東京高裁であり、原告は訴訟を取り下げた。国民年金の満額支給などを盛り込んだ改正中国残留邦人支援法が成立したのを受けたもの。孤児の9割近い約2200人が全国15カ所で提訴中で、ほかの裁判も終結の見通し。 訴訟取り下げの理由について、原告側は意見陳述で「国の責任をあいまいにしたままで終結させるのは無念だが、法改正で老後生活の保障が大きく前進した」と述べた。 国側は5日の福田首相の謝罪の言葉を引用し、「新たな支援策を誠実に実行する」という厚生労働省社会・援護局長名の異例のコメントを出した。 原告の一人で、原告団全国連絡会代表の清水宏夫さん(70)は「今後、制度がきちんと運用されるか見届けるため原告団は解散しない」とした。 改正法では残留孤児・婦人約6000人を対象に、国民年金が満額(月額6万6000円)支給され、最高8万円の給付金制度が創設される。孤児の約6割を占める生活保護受給者は、支給額が8万円から14万6000円(夫婦は18万6000円)に増える。 ただ、給付を受けるには収入を申告するため、「生活監視につながる」と新しい給付制度に不安の声もある。 残留婦人が国を相手に起こした訴訟もさいたま地裁で7日に終結した。 URL http //www.asahi.com/national/update/1213/TKY200712130103.html 1211 犠牲者「30万人」の表示継続 南京大虐殺記念館再開へ [朝日] 2007年12月11日21時10分 13日の南京事件70周年にあわせて大規模な拡張工事を進めてきた南京大虐殺記念館の朱成山館長が11日、記者会見を開き、展示面積が従来の約12倍になるなどの概要を説明した。日本側や中国の一部研究者に異論がある犠牲者数「30万人」の表示については「当時の軍事法廷などで実証済み」として引き続き掲示するとした。開館式は13日に行われる。 記念館は第2次大戦終結40周年を記念して85年に開館。新たな資料が約1万点にのぼり、展示スペースが足りなくなったため、05年から工事を始めた。総工費は約3億3000万元(約50億円)。敷地面積は約2ヘクタールから約7ヘクタールと3倍以上、展示面積は約800平方メートルから約9800平方メートルになる。写真3500枚、被害者や日本軍の遺留品など約3000点を展示し、日本軍が6週間にわたって行った虐殺の現場を詳しく再現するという。参観は無料。 「30万人」の犠牲者数は、旧館時代からのモニュメントのほか、新築された展示館ホールの天井などにも表示。一方、日本に関するコーナーを設け、中国に対する政府の途上国援助(ODA)などについても説明するという。 URL http //www.asahi.com/international/update/1211/TKY200712110364.html 1205 首相、中国残留孤児訴訟原告団に謝罪 [朝日] 2007年12月05日13時21分 福田首相は5日午前、首相官邸で中国残留孤児訴訟の原告団と面会し、「(孤児問題に)気づくのが遅くなって申し訳ない」と述べ、これまでの政府の対応を謝罪した。首相は面会後、記者団に「皆さん日本語があまりお上手じゃなかった。日本語教育をいままでやってこなかったのかと反省している。十分な対応をしてきたか行政上の問題もあった。法律で十分とは言えないが、状況が変わると思う」と語った。 面会は、先月28日に孤児への支援を充実させる「改正中国残留邦人支援法」が成立したことを受けて実現した。 首相は涙ぐむ原告団を前に、声を詰まらせながら「皆さん方は日本の国民なんですね。ほかの日本の国民と同じような幸せになる権利を持っています。年金の特別措置や日本語教育が十分な成果を上げていない。誠に残念なことだ」と語った。 面会後に記者会見した原告団全国連絡会代表の池田澄江さん(63)は「総理からの謝罪とねぎらいの言葉を誠心誠意、受け取って、さわやかな気持ちになりました。今日、晴れて日本人になれた」と首相の対応を評価。高知訴訟の原告代表の石川千代さん(73)は「本当に日本へ帰ってきた気がする。これから日中友好のために頑張っていきたい」と語った。 URL http //www.asahi.com/politics/update/1205/TKY200712050145.html 1128 中国残留邦人支援法改正案が成立 孤児側、訴訟終結方針 [朝日] 2007年11月28日12時06分 国民年金の満額支給など、中国残留孤児に対する支援を充実させる改正中国残留邦人支援法が28日午前、参院本会議で全会一致で可決、成立した。孤児側は孤児約2200人が国を相手に全国15カ所で起こした訴訟を終結させる方針。国も孤児側に訴訟費用の支払いは求めないことにしている。 改正法の対象になるのは、終戦後の混乱で旧満州にとり残され、その後、日本に永住帰国した残留孤児・婦人約6000人。国民年金の満額支給(月額6万6000円)と、単身世帯で最高8万円の給付金制度の創設が改正の柱。国民年金については、残留孤児・婦人は日本にいなかったため、満額支給に必要な期間、保険料を納付していない。このため、国が不足分を肩代わりする。厚生労働省は来年度予算の概算要求で総額355億円の対策費を盛り込んでいる。 生活保護受給者の場合、支給される生活費は現在の8万円から14万6000円に増える。これまで生活保護制度で支給されてきた住宅や医療、介護の費用は「支援給付」と名前を変更して引き続き国が負担する。孤児本人が死亡した後は、配偶者に支給を続ける。 給付金の支給は貯金や保険加入などの調査が前提で、収入に応じて給付は減額される見通し。これに対し、孤児らは「日常生活を監視される生活保護からの脱却」を求めている。 URL http //www.asahi.com/politics/update/1128/TKY200711280119.html 1125 南京大虐殺めぐり日中研究者がシンポ [朝日] 2007年11月25日18時51分 12月の南京事件70周年にあわせて、日中の研究者が新たな研究成果を発表する「南京大虐殺史料学術シンポジウム」(南京大学南京大虐殺史研究所主催)が24、25の両日、中国江蘇省の南京市内で開かれた。 日本から大学教授や市民団体代表ら約30人が参加。都留文科大学の笠原十九司教授は、旧日本兵の遺族から新たに入手した当時の日記や写真を紹介し、虐殺の実態を解説した。中国側研究者の一人は、事件直後に埋葬された死体数の計算にかなりの重複がある点を指摘、「従来の認識よりも少なくなる可能性がある」と話した。 URL http //www.asahi.com/international/update/1125/TKY200711250125.html 1121 戦争犯罪の過去とどう向きあう 独・日・韓の研究者交流 東京でシンポ [赤旗] 自国がおこなってきた戦争犯罪や侵略、植民地支配などの過去とどう向き合い、克服していくのか―をテーマに十六、十七の両日、東京都内で想起の文化と政策シンポジウムが開催されました。東京ドイツ文化センターが主催したもの。ドイツ、日本、韓国の歴史研究者が参加しドイツと東アジアの比較など、熱心に議論を交わしました。 「想起(エリンナルング)」はドイツ語で過去を記憶、想起することで、ナチスや旧日本軍の戦争犯罪に向き合い、伝えていくことを意味しています。 ドイツのイエナ大学のノルベルト・フライ氏は、ドイツの過去の克服も一朝一夕ではなく長い時間とたたかいが必要だったと述べました。第二次大戦直後や一九五〇年代には、ナチス犯罪人を恩赦したり、戦争犯罪をすべてナチスの責任にしてナチス政権下のドイツ軍の戦争犯罪を免除したりする流れが強かったと指摘。六〇年代に青年たちが親の世代の「まだ生き続けているナチス」とぶつかる中で、ナチスの犯罪を堂々と批判したことを振り返りました。 一方で、今日も「ナチスにもいいところがあった」とする意見や連合軍による空爆などドイツ人の戦争被害を主張してナチス被害を相対化しようとする動きがあることを「批判的にナチスの過去と取り組む態度が頂点を過ぎ、下り坂になっている」と警告しました。 韓国・高麗大学のハン・ウンスク氏は、ドイツでも強制収容所の慰安婦問題を最近まで軽視する事例があるなど、ドイツの「過去との取り組み」を理想化することはできないと表明。一方、韓日間では、日本の植民地支配という深い溝があり、植民地支配が朝鮮分断を招き、今日の南北の冷戦状態につながっているということを日本人はわかっていないと指摘しました。同氏は「植民地支配を日本が深く理解し克服することなしに、歴史的和解は考えられない」と語りました。 大阪経済法科大学の内海愛子氏は、日本の戦争犯罪を裁いた東京裁判では朝鮮、台湾などの植民地支配については責任を問われなかったという問題を指摘。東京裁判によってA級戦犯となった人物もその後の日本政府の政策で「戦犯は国内的犯罪者ではない」とされるなど戦争当時の指導者の復権がはかられたと述べました。 また、日本は韓国などとも経済協力方式で国交を回復し、侵略・占領の過去をあいまいにしたまま決着をしてきたと言明。現在、九〇年代から相次いだ韓国人や中国人の戦後補償裁判が過去の日本の侵略戦争と向き合い、問い直す場になっていると語りました。 シンポでは、加害者側にも被害者側にも戦争体験者が少なくなっていく今、どう教訓を若い世代に伝えていくかについても議論が交わされました。(片岡正明) URL http //www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-11-21/2007112106_01_0.html 1111 日本政府相手に提訴検討 サハリン残留韓国人が会見 [朝日] 2007年11月11日00時08分 日本統治下の朝鮮半島から徴用などでサハリンに渡った朝鮮人の2、3世計6人が10日、大阪市内で会見を開き、日本政府の対応が不適切だったため韓国に長年帰国できず苦痛を受けたなどとして、1世を含めた約120人規模の賠償訴訟を日本で起こすことを検討していると明らかにした。 会見したのは、サハリン州正義復権財団のキム・ボクコン理事長(60)ら6人。 外務省などによると、サハリンには終戦時、朝鮮半島の出身者が約4万人いた。 キムさんは、日本政府は、52年のサンフランシスコ平和条約の発効で日本国籍を失ったとして、韓国へ帰国するために適切な対策を取らなかったと説明。「残留韓国人を62年間放置した結果様々な問題が生じており、責任がないというのはおかしい」と訴えた。 URL http //www.asahi.com/national/update/1110/OSK200711100097.html 1106 教科書訂正、沖縄差別の歴史も記載 [琉球新報] 今後の取り組みなどについて確認した教科書出版社の執筆者懇談会=5日夜、東京都千代田区の社会教育会館 【東京】高校歴史教科書の「集団自決」(強制集団死)検定問題で、社会科教科書の執筆者らは5日夜、東京都千代田区の社会教育会館で3回目の懇談会を開いた。教科書出版社2社の執筆者が文部科学省に訂正申請する記述内容について、日本軍の強制を具体化することを説明。うち1社は「集団自決」だけでなく、琉球処分など近現代の沖縄に対する本土の差別・偏見についても記述内容を充実させる方針を明らかにした。「集団自決」問題に直接関係しない個所での訂正は初めて。 同社の執筆者は「沖縄戦だけ具体的に書くと、生徒の理解が不十分になってしまう。歴史の流れとして理解を深めるため、近現代の沖縄に対する差別や偏見に関する記述も充実させた」と理由を述べ、明治期や沖縄の自由民権運動の時期などで数カ所を訂正する考えを説明した。 別の1社の執筆者は、参考資料の写真説明を検定前より詳細に記述することを明らかにした。 懇談会では、沖縄戦に関する今回の問題が落ち着いた後、検定制度全体について議論することを確認した。次回会合は12月に開く予定。 訂正申請は5日までに、検定意見が付された5社のうち4社が届け出ている。残る1社は6日にも申請する。 訂正申請の記述方針については、すでに2社の執筆者が方針を公表している。「集団自決」について、4社6冊が日本軍強制を明記する記述に訂正申請することになる。 (11/6 9 39) 1101 フランコ独裁下の犠牲者、名誉回復法成立へ スペイン [朝日] 2007年11月01日21時49分 スペイン下院は31日、1930年代の内戦とその後のフランコ独裁政権下の犠牲者の名誉回復などを盛り込んだ「歴史の記憶法案」を与党社会労働党などの賛成多数で可決した。年内には上院でも可決、成立する見通しだ。 法案は、共和国時代の36年にフランコ将軍派が蜂起した内戦後、75年まで続いた独裁体制下で、共和国派の人々が受けた当時の裁判を「非合法」としている。また、犠牲者の遺族に対する年金の拡充、犠牲者の遺骨探しや身元確認の措置などが盛り込まれた。蜂起や独裁をたたえるシンボルを公共の場から取り除くことや、当時の文書の保存なども定められた。 ただ、こうした「負の歴史」の清算は、75年のフランコ氏死去後の民主化の過程で棚上げされた経緯があり、「過去を政治利用するもの」と最大野党の国民党が猛反発。サパテロ社会労働党政権は修正を重ねて少数政党の支持を取りつけた。 論争の背景には、内戦の責任をめぐって共和国側の責任も指摘する右派の反発がある。親類内でも敵味方に分かれたという内戦のしこりが社会に残り、「古傷に触れられたくない」という国民感情も根強い。 URL http //www.asahi.com/international/update/1101/TKY200711010357.html 1008 「軍関与」証言する動き 自治体も調査 沖縄戦集団自決 [朝日] 2007年10月08日17時34分 沖縄戦での「集団自決」をめぐる教科書問題で、「軍の強制」を示す記述が検定で削除されて以降、地元住民の間で当時の状況を証言する動きが出ている。沖縄県議会も現地で聞き取り調査をした。文部科学省は、教科書会社から訂正申請が出次第、教科用図書検定調査審議会を開く方針。審議では、こうした住民証言もふまえられるとみられる。 1945年3月に米軍が上陸した慶良間(けらま)諸島の座間味(ざまみ)島では、約130人が「自決」したとされる。同島在住の女性は、自決が行われる前、村助役だった兄が「軍からの命令」があると言っていたと語った。また別の証言では、数十人が犠牲になった慶留間(げるま)島でも前月に部隊長が自決の訓示をしていたという。 県議会は7月、文教厚生委員会のメンバーが慶良間諸島に渡り、聞き取りで住民から証言を集めた。これとは別に座間味村教委は「平和学習ガイドブック」の編集を昨年12月に始め、11月末に完成予定だ。 沖縄県教育委員会は、新たな県史の編集に向けて、証言を集約する。 一方、渡海文科相は5日の記者会見で、訂正申請があった場合、「判断は、もう一度検定審議会にお任せすることになると思う」と述べた。 検定意見は通常、審議会の総会を経て決定されるが、部会の開催をもって総会に代えられる規定もある。今回は、社会科系の教科書を扱う「第2部会」と「日本史小委員会」の審議結果で、訂正申請の採否が決まることになりそうだ。 「軍の強制」を削除するよう求めた検定意見を審議会は承認しているが、渡海氏は「新たな事実、証言が出てきているということもある。新しい事実が少し、増えてきているという状況のもとで、どのようにこの問題を考えていくかということではないか」と、審議会が今後開かれれば、違う結論が出る可能性を示唆している。 URL http //www.asahi.com/politics/update/1006/TKY200710060274.html 1009 沖縄教科書検定決議、採択困難に [朝日] 2007年10月09日20時01分 沖縄戦での集団自決を日本軍が強制したとの記述が削られた教科書検定の「再度検討」を求める国会決議が、野党が多数を占める参院でも採択が困難な見通しとなった。これまで「決議になじまない」としてきた自民党に加え、提案した民主党でも9日、参院側が「全会一致が原則」との方針を確認したためだ。 決議の提出は、民主党の菅直人代表代行が9月末の沖縄県民大会の際に記者団に表明。社民党と決議案をまとめ、5日の参院議院運営委員会で与党側に示した。検定制度への政治介入との批判を避けるため、県民大会が採択した「検定意見の撤回と集団自決の記述回復」の文言は入れなかった。 ただ、決議について、民主党の西岡武夫参院議運委員長は5日、「国会が歴史の認定に踏み込むことは両刃の剣になる可能性がある」と採択に難色を示し、9日の同党参院役員会でも「全会一致が原則」との方針を確認。同党の平田健二参院幹事長は同日の記者会見で、「多数決ではできない」と明言した。 URL http //www.asahi.com/politics/update/1009/TKY200710090448.html 1007 靖国神社分祀、改めて主張 古賀遺族会会長 [朝日] 2007年10月07日01時24分 日本遺族会会長である自民党の古賀誠選対委員長は6日、津市で講演し、「靖国神社が戦没者追悼の唯一の施設ということを基本に、国民すべてが、天皇陛下を含み、英霊の御霊(みたま)にお参りできる施設として残すべきだ」と述べ、改めて「A級戦犯分祀(ぶんし)論」を唱えた。古賀氏は「A級戦犯だけに責任があるとは決して言わないが、多くの戦没者の遺族を出してしまった。時の指導者の中で責任を取ってもらうのは一つの考え方だ」と強調した。 この問題をめぐり、日本遺族会は古賀氏の提案を受け、今年5月から合祀(ごうし)の経緯を検証する勉強会を開いている。 URL http //www.asahi.com/politics/update/1007/TKY200710060283.html 1002 検定撤回の国会決議提出へ 野党4党が一致 [朝日] 2007年10月02日19時44分 野党4党は2日、衆参国会対策委員長会談を開き、沖縄戦で日本軍が集団自決を強制したとの記述が教科書検定で削除された問題について、検定撤回の国会決議を衆参両院に提出することで合意した。4党で案文を早期にとりまとめるとともに、衆参の議会運営委員会で与党側にも賛同を呼びかける。与野党で一致できるよう、先月29日の沖縄県民大会での決議に沿った案文が検討されるとみられる。 民主党の山岡賢次国会対策委員長は会談後の記者会見で「沖縄の現状をよく把握し、歴史的事実に基づいた教科書にしていくように求めていきたい」と語った。国会決議については、県民大会に出席した同党の菅直人代表代行が「国会の意思を問う。与党でも良識的な皆さんの協力を得たい」と語っていた。 この記事の関連情報をアサヒ・コム内から検索する URL http //www.asahi.com/politics/update/1002/TKY200710020494.html 1001 「集団自決」検定、文科省が対応検討 沖縄県民大会受け [朝日] 2007年10月01日23時08分 沖縄戦で日本軍が住民に「集団自決」を強制したとの記述が教科書検定で削除された問題で、文部科学省は、記述の修正が可能か、検討を始めた。検定意見の撤回を求めて9月29日に開かれた沖縄県民大会に11万人が参加したことから、町村官房長官が1日、渡海文科相に対応を指示。渡海氏も、検定制度の枠内で可能な対応を検討するよう省内に指示した。 既に複数の教科書会社が訂正申請を出す検討を進めており、集団自決に日本軍が関与したことを明記する記述が復活する可能性が出てきた。 町村氏は1日の記者会見で「沖縄の皆さんの気持ちを何らかの方法で受け止め、修正できるかどうか、関係者の工夫と努力と知恵がありうる」と述べた。渡海氏も記者団に「(検定に)政治的介入があってはいけない。しかし、沖縄県民の気持ちを考えると、両方ともものすごく重い。そのなかで何ができるか考えたい」と述べた。 渡海氏は、県民大会を受けて検討を始めたことを認め、仲井真弘多知事が上京すれば直接会うとの考えも明らかにした。教科書会社から訂正申請があった場合、「真摯(しんし)に対応したい」と語った。 文科省は「検定の撤回はできない」との立場だが、過去に事実上、方針を転換した例がある。記述を復活させるために、こうした方法を今回適用できないか検討する。 方針転換の例としては、沖縄戦に関する81年度の検定がある。日本軍による住民殺害の記述が削除された後、沖縄県民は激しく反発。小川平二文部相(当時)が国会で「次の機会に県民の方々のお気持ちに十分配慮して検定を行う」と答弁、83年度の検定で事実上復活した。 80年度には高校の現代社会の教科書に水俣病の関連で「チッソ」の企業名が記されたのに対し、文部省(当時)は「特定の営利企業の非難になるおそれがある」と意見を付け、削除された。しかし、批判が高まり、同省は事実上撤回。81年秋に6社が訂正申請し、承認された。 このほか、過去に例はないが、文科省は教科書会社に訂正申請の勧告をすることもできる。 沖縄県民大会で実行委員長を務めた仲里利信・県議会議長(自民党)は「11万人の気持ちをくんでいただいた大変な配慮だと思う。どういう形で結論が出されるのか、ぬか喜びすることなく、大きな期待を持って見守っていきたい」と話した。 《教科書検定》 民間の教科書会社が申請した本を検定基準に基づいて文部科学省が合否判定する仕組み。文科省が検定意見を付した場合、教科書会社は意見に従って修正した本を再度提出して合否判定を受ける。 検定は大学教授などで構成される「教科用図書検定調査審議会」の検討を経ている。このため、一度決まった検定意見を政治の意向で変えることについては「介入につながる」との理由で、政府は否定的な立場を貫いている。 URL http //www.asahi.com/politics/update/1001/TKY200710010382.html 0929 沖縄、11万人が訴え 教科書検定「撤回を」 [朝日] 2007年09月29日21時33分 沖縄戦で日本軍が住民に「集団自決」を強制したとの記述が教科書検定で削除された問題で、検定意見の撤回を求める超党派の沖縄県民大会が29日、宜野湾市の海浜公園で開かれた。参加者は主催者発表で11万人。米兵による少女暴行事件を機に8万5000人が基地の整理・縮小などを訴えた95年10月の大会を大きく上回る「島ぐるみ」の集会となった。参加者は検定意見の撤回と記述の回復を求める決議を採択した。 大会は県議会各派や県PTA連合会など22団体で作る実行委員会が主催。壇上には、独自に大会を開いた先島諸島の自治体を除く全36市町村の首長や議長らが並んだ。 沖縄戦体験者で実行委員長を務める仲里利信・県議会議長は「歴史的事実がねじ曲げられることは絶対に許すことはできない。県民大会は、住民を巻き込んだ悲惨な地上戦の惨禍に見舞われた沖縄が全国に発信する警鐘だ」とあいさつ。仲井真弘多知事も「文部科学省は県民の度重なる要請行動を真摯(しんし)に受け止めることなく、撤回要求に応じていない。強く抗議し、遺憾の意を表明する」と述べた。 沖縄戦の際、渡嘉敷島(とかしきじま)で「集団自決」の現場にいた吉川嘉勝さん(68)は、集団自決が起きたのは日本軍がいた島だけだった、と指摘。そのうえで、「日本軍の関与がなければあのような惨事は起こらなかった、と結論づける事実は山積している」と訴えた。 教科書を使う立場から読谷(よみたん)高校3年の津嘉山拡大(つかやま・こうだい)さん(18)と照屋奈津美さん(18)も意見を述べた。 採択された決議では、「事実を正しく伝えることは我々に課せられた重大な責務」とし、文科省に検定意見の撤回を求めている。 大会後、仲井真知事は記者団に「ある種のマグマというかエネルギーが爆発寸前にあるのではないかと予感させるような大会だった」と述べた。 29日には宮古島と石垣島でも郡民大会が同時開催され、計6000人(主催者発表)が集まった。 文科省はこの教科書検定問題について「専門的な調査審議に基づいて実施された」として、検定意見は変更しないとの立場を貫いている。しかし、複数の教科書執筆者から訂正申請をめざす動きが出始めている。 URL http //www.asahi.com/national/update/0929/SEB200709290015.html 0927 検定撤回求める議決、沖縄以外でも 集団自決教科書削除 [朝日] 2007年09月27日14時05分 沖縄戦で起きた住民の「集団自決」に、軍の指示や強制があったとする記述が高校教科書の検定で削除された問題で、検定意見の撤回を求める意見書が沖縄以外の各議会で相次いで可決されている。一方、沖縄では、検定結果の公表から半年たっても検定への反発は高まるばかりで、29日には撤回を求める県民大会が、党派を超えた各団体の主催で開かれる。仲井真弘多知事も出席予定で、95年の米兵による少女暴行事件の時のような全県のうねりとなりそうだ。 「日本軍の関与が無ければ起こり得ず、多数の証人証言があるからこそ教科書にも記述され続けてきた」――東京都国立市議会は21日の本会議で、こんな意見書を賛成多数で可決した。 市民からの陳情を受けて提出者となった小川宏美市議(国立・生活者ネットワーク)は、大学の卒論のテーマが沖縄の戦後史。「過去の事実をきちんと伝えていきたい」という思いだった。 沖縄県議会は同じ趣旨の意見書を2度可決した。その1回目と同じ6月22日、米軍キャンプ座間を抱える神奈川県座間市議会でも、従来の教科書記述の復活を求める意見書が可決された。 キャンプ座間は世界規模の米軍の変革・再編の中で機能強化が計画されている。提出者の沖永明久市議(市民の党)は「基地問題でも沖縄と本土の温度差は大きい。むしろ『ヤマト』から声を上げなくては」と話す。 首都圏では千葉県船橋市議会の文教委員会でも可決されたが、27日の本会議での結論は微妙だという。 高知県内では、2市1町の議会で可決。高知市議会も27日の本会議で可決の見通しだ。 このうち、全会一致だった香南市は、旧野市町だった93年から、沖縄県具志頭(ぐしかみ)村(現・八重瀬(やえせ)町)と姉妹都市だ。提出者である保守系会派の野村正夫市議は「何度も沖縄を訪れ、多くの人に話を聞いたが矛盾は無く、今回の文部科学省の対応はおかしい」と話す。 宮崎県の美郷町議会は28日の本会議で全会一致で可決する見込みだ。 美郷町には戦時中、沖縄県豊見城村(現・豊見城市)から児童53人が疎開した。88年に姉妹村提携を結び、以来、子どもたちが毎年相互訪問している。今回の決議は、豊見城市側の要請を受け、甲斐保男町議(無所属)が「沖縄の力になれれば」と提案したという。 こうした動きに、沖縄県民大会の実行委員長を務める仲里利信・県議会議長(自民党)は「大変ありがたい。本土では、この問題の関心はまだ低い。うねりがもっと広がり、国を動かす力になることを願いたい」と話す。 URL http //www.asahi.com/national/update/0927/TKY200709260421.html 0919 日の丸燃やす 満州事変76周年 中国・瀋陽 [朝日] 2007年09月19日01時23分 満州事変勃発(ぼっぱつ)のきっかけとなった柳条湖事件から76周年を迎えた18日夜、中国遼寧省瀋陽で記念式典が開かれた。式典後、約200人の市民が集まる中、十数人の若者たちが「小日本(日本への蔑称(べっしょう))をやっつけろ」「日本製品を買うな」などと叫び、2枚の「日の丸」を燃やす騒ぎがあった。 日中関係は4月の温家宝(ウェン・チアパオ)首相の訪日などで改善が進んでいるが、一部の市民の間で反日感情が根強いことを示した形だ。 式典では地元政府幹部らが「国辱を忘れるな」などと演説。市内では午後9時18分に合わせて一斉に警報が響き、タクシーなどがクラクションを鳴らした。 URL http //www.asahi.com/international/update/0919/TKY200709180408.html 0917 平頂山事件75周年 約2千人が追悼 中国・撫順 [朝日] 2007年09月17日06時46分 旧日本軍が中国東北部の撫順近郊で多数の住民を虐殺したとされる「平頂山事件」から75周年を迎えた16日、事件現場に建てられた記念碑前に両国の市民ら約2000人が集まり、追悼式典が開かれた。中国共産党の周忠軒・撫順市委員会書記は式典で「歴史を忘れないのは憎しみを維持するためではない。今の幸せな生活の大切さを深く感じるためだ」と訴えた。 事件は撫順近郊の平頂山村で1932年に起きた。犠牲者は3千人とも800人とも言われる。中国側は記念館を開設して事件の悲惨さを訴えてきた。この日の式典には、中国側から事件の生存者の親族らも出席。日本側からは阿部孝哉・在瀋陽日本総領事や、日本での損害賠償請求訴訟の弁護団関係者ら計約200人が出席した。 URL http //www.asahi.com/international/update/0917/TKY200709170002.html ●戦争と罪責07Ⅱ より続く
https://w.atwiki.jp/qmarikei/pages/20.html
問題文 解答 WHOの世界インフルエンザ事前対策計画における警戒レベルで、「世界的大流行」を示すのは「フェーズ○」? ○を答えなさい 6 「オグロ」と「オジロ」に大別される、その体の特徴から和名をウシカモシカという動物は○○? ヌー 一般的にヒトの染色体は○○本? 46 クモは○対の脚を持っている? 4 ヒトでは二組ある 肩から背中にかけてある 逆三角形の骨は○○骨? ○の漢字をひらがなで答えなさい けんこう メダカの体には 胸びれと背びれは それぞれ○枚ある? ○を答えなさい 2 「てっぺんかけたか」と鳴く鳥は○○○○○? ○を答えなさい ホトトギス 「てっぺんかけたか」と鳴く鳥は「ホトトギス」ですが 「行々子(ぎょうぎょうし)」と鳴く鳥はオオ○○○○? ○を答えなさい ヨシキリ 「てっぺんかけたか」と鳴く鳥は「ホトトギス」ですが 「日一分、日一分、月二朱」と鳴く鳥は○○○? ○を答えなさい ヒバリ 「てっぺんかけたか」と鳴く鳥は「ホトトギス」ですが 「ぶっぽうそう」と鳴く鳥は○○○○○? ○を答えなさい コノハズク 「てっぺんかけたか」と鳴く鳥は「ホトトギス」ですが 「土食って虫食って口渋い」と鳴く鳥は○○○? ○を答えなさい ツバメ 「てっぺんかけたか」と鳴く鳥は「ホトトギス」ですが 「月日星ほいほい」と鳴く鳥は○○○○チョウ? ○を答えなさい サンコウ 「てっぺんかけたか」と鳴く鳥は「ホトトギス」ですが 「ちょっと来い」と鳴く鳥は○○○○○? ○を答えなさい コジュケイ 「てっぺんかけたか」と鳴く鳥は「ホトトギス」ですが 「焼酎一杯ぐいー」と鳴く鳥は○○○○ムシクイ? ○を答えなさい センダイ 「てっぺんかけたか」と鳴く鳥は「ホトトギス」ですが 「一筆啓上仕り候」と鳴く鳥は○○○○? ○を答えなさい ホオジロ すい臓にあるランゲルハンス島のA細胞から分泌されるホルモンはグルカゴンですが D細胞から分泌されるホルモンは? カタカナで答えなさい ソマトスタチン その自生地から「ナミブ砂漠の女王」と呼ばれる、サボテンに似たガガイモ科の植物は○○○○○? ○を答えなさい フーディア ペットとして飼育されるネズミでモルモットは○○○○ネズミ科の動物? ○を答えなさい テンジク 寛骨・仙骨・尾骨から構成させる腸や腎臓を守る働きをもつすり鉢状の骨を「○○」という? ○の漢字をひらがなで答えなさい こつばん 甲状腺から過剰に分泌されるとバセドー病を引き起こすホルモンは○○○○○? ○を答えなさい チロキシン 食物連鎖の関係にある生物を示した生態ピラミッドの別名は○○○○のピラミッド? エルトン フランスの産婦人科の名前がつけられた無痛分娩法といえば○○○○法? ラマーズ 赤血球や白血球、血小板をつくる骨の内部の柔らかい組織を「○○」という? ○の漢字をひらがなで答えなさい こつずい 節足動物において、体の側面にある空気を出し入れするための穴は「○○」? ○の漢字をひらがなで答えなさい きもん 腸や膀胱にたまった液体の排出や薬品などの注入に用いる、管状の医療器具は○○○○○? ○を答えなさい カテーテル 内耳の渦巻き管内部で蝸牛管と鼓室階を仕切っている膜は「○○膜」? ○の漢字をひらがなで答えなさい きてい 日本沿岸で繁殖する唯一のアザラシは○○○○アザラシ? ○を答えなさい ゼニガタ 鼻筋に白い線があることからその名がある、ジャコウネコ科の動物といえば○○○○○? ○を答えなさい ハクビシン 病院などにある肺活量を検査する装置は○○○○メーター? ○を答えなさい スパイロ 不完全変態する昆虫の幼虫を妖精にたとえて○○○という? ○を答えなさい ニンフ 別名を「オランダミツバ」という植物はセロリですが 別名を「オランダガラシ」という植物は○○○○? ○を答えなさい クレソン 別名を「オランダミツバ」という植物はセロリですが 別名を「オランダキジカクシ」という植物は○○○○○○? ○を答えなさい アスパラガス 別名を「オランダミツバ」という植物はセロリですが 別名を「オランダ石竹」という植物は○○○○○○○? ○を答えなさい カーネーション 別名を「オランダミツバ」という植物はセロリですが 別名を「オランダゼリ」という植物は○○○? ○を答えなさい パセリ 別名を「オランダミツバ」という植物はセロリですが 別名を「オランダカイウ」という植物は○○○? ○を答えなさい カラー ウシガエルを思わせる鳴き声を発する、世界最大のセミは○○○○ゼミ? テイオウ 両生類の胚の形成体を発見したドイツの動物学者はハンス・○○○○○○? ○を答えなさい シュペーマン 緑色植物で、呼吸と光合成による酸素と二酸化炭素との出入りが同じ時の照度を○○点という? ○の漢字をひらがなで答えなさい ほしょう 和名を「西洋ハコヤナギ」という植物は○○○? ポプラ 和名を「西洋ハコヤナギ」という植物はポプラですが 和名を「西洋ウスユキソウ」という植物は○○○○○○○? ○を答えなさい エ-デルワイス 和名を「西洋ハコヤナギ」という植物はポプラですが 和名を「西洋トチノキ」という植物は○○○○? ○を答えなさい マロニエ 和名を「西洋ハコヤナギ」という植物はポプラですが 和名を「西洋カラハナソウ」という植物は○○○? ○を答えなさい ポップ 和名を「西洋ハコヤナギ」という植物はポプラですが 和名を「西洋ウド」という植物は○○○○○○? ○を答えなさい アスパラガス 和名を「西洋ハコヤナギ」という植物はポプラですが 和名を「西洋サクラソウ」という植物は○○○○? ○を答えなさい プリムラ 和名を「西洋ハコヤナギ」という植物はポプラですが 和名を「西洋松露」という植物は○○○○? ○を答えなさい トリュフ 和名を「西洋ハコヤナギ」という植物はポプラですが 和名を「西洋ツツジ」という植物は○○○○? ○を答えなさい アザレア 和名を「西洋ハコヤナギ」という植物はポプラですが 和名を「西洋ワサビ」という植物は○○○ラディッシュ? ○を答えなさい ホース 哺乳類の「カワウソ」は○○○科の動物? イタチ 「山雀」と書く鳥は○○○○? ヤマガラ 「金雀花」と書く鳥は○○○○○? ムレスズメ 「金糸雀」と書く鳥は○○○○? カナリア 皮膚の色が赤や青、紫などに変わることからその名前があるキジ科の鳥は○○○○チョウ? シチメン 英語では「ゴールデンイーグル」という天然記念物の鳥は○○ワシ? イヌ 妊娠中の、お腹の中にいる胎児を包んでいる液体は「羊水」ですが 出産の際、卵膜が破れ、羊水が排出されてしまうことを「○水」という? ○の漢字をひらがなで答えなさい は 伝染病の発生地域から帰国後にその病気の症例が現れた人を「感染疑い患者」といいますが その中で、検診によって感染の疑いが高いと判断された人を特に「○○患者」という? ○の漢字をひらがなで答えなさい すいてい 「アレルギー」という医学用語を 命名したオーストリアの医学者は クレメンス・フォン・○○○? ○を答えなさい ピルケ ノミの足にあるタンパク質で高いジャンプ力の元になっているのは○○○○? レシリン 胃の幽門付近で作られ胃液の分泌を促進するホルモンは○○○○○? ガストリン その幼虫はシラガタロウやクリケムシとも呼ばれる漢字では「樟蚕」と書く虫は○○○○? ○を答えなさい クスサン 別名をツツイカやササイカともいう、ある武器から命名されたおなじみのイカは○○イカ? ヤリ 英語の「Ginkgo」は種子を「ギンナン」ということから来ている、有名な樹木は○○○○? イチョウ 別名を「バカザメ」というジンベエザメに次いで二番目に大きいとされるサメは○○ザメ? ウバ 「ナツヅタ」とも呼ばれるつる性植物、ツタは○○○科の植物? ブドウ 漢字の「忍冬」をそのまま読み「ニンドウ」とも呼ばれるツル性植物は○○○○○? スイカズラ アリとの共生で知られ別名を「アリマキ」という虫は○○○ムシ? アブラ 「相撲」が強いことで知られる別名を「サイカチムシ」という昆虫は○○○ムシ? カブト キク科の植物で英名を「デイジー」というのは○○ギク? ヒナ 英名を「タンジー」というのは○○○ギク? ヨモギ 漢字では「竹節虫」とも書く体が多くの節に分かれていることから名づけられた昆虫は○○○○? ナナフシ オーストラリアに生息するこの飛べない鳥は? エミュー サルの仲間で、野生でもっとも北に生息するのは○○○ザル? ニホン 昔は料理用の粉を採取した漢字では「片栗」と書くユリ科の植物は○○○○? カタクリ その繁殖力でも知られる貨幣を意味する言葉が名前になったコケ植物は○○ゴケ? ゼニ 細胞を構成する原形質のうち核を除いた部分のことを特に「細胞○」という? しつ ジャガイモは○○科? ナス イースターリリーは○○○○ユリ? テッポウ 昆虫の足は何本? 6 炎に由来し、ベニヅルという鳥は○○○○○? フラミンゴ 奄美大島に生息する特別天然記念物はアマミノ○○○○○? クロウサギ 植物の葉において、気孔を作っている一対の表皮細胞を「○○細胞」という? こうへん 血管や心臓は「○○器系?」 じゅんかん 世界最大のタコは○○ダコ? ミズ 医学用語で「ニキビ」のことを尋常性○瘡という? ざ 医学用語で「カミソリ負け」のことを尋常性○瘡という? もう 1936年、『生命の起源』を著したロシアの科学者は○○○○○? オパーリン 昆虫の脳の後方にある脱皮など多くの生理現象を支配する内分泌器官は○○○体? アラタ 日本語では「口吻(こうふん)」という、イヌなどの顔の突き出た部分を〇〇〇という? マズル 日本に生息する熊はヒグマと〇〇〇〇〇〇? ツキノワグマ 乳がんの早期発見などを働きかける啓発運動は「〇〇〇リボン運動」? ピンク 前立腺がんの早期発見などを働きかける啓発運動は「〇〇〇クローバーキャンペーン」? ブルー 医者が頭にはめるもの がくたいきょう(額帯鏡) ラテン語で「サジタリウス」という星座は〇〇座? いて 夜空に輝く88の星座の名前で唯一「ねこ」がつくのは〇〇〇〇座? やまねこ 「マリネズミ」という別名を持つ日本固有の動物はニホン〇〇〇? ヤマネ 見た目はダンゴムシに似ているある履物の名前が付いた虫は〇〇〇ムシ? ワラジ 昔から鳴き声の美しさで知られる、漢字で「河鹿」と書くカエルは〇〇〇ガエル? カジカ 昔は「鬼の子」と呼ばれたミノガの幼虫のことを一般に〇〇〇〇という? ミノムシ 毛細血管を強くし血液の流れをよくする作用がある、蕎麦(そば)に多く含まれるポリフェノールの一種は〇〇〇? ルチン 「森の哲学者」とも呼ばれる世界最大種のフクロウは〇〇フクロウ? シマ モンゴル語で「小さい」という意味の言葉が語源になっている長毛を持つ珍しいヤマネコは〇〇〇ネコ? マヌル 葉っぱの形に特徴があるヤツデは〇〇〇科の植物? ウゴキ ハンセン病、皮膚結核、ガンなどに有効な丸山ワクチンを作ったのは丸山〇〇? ちさと フランスの耳鼻科医の名が付いた耳鳴りや難聴を伴うめまいの発作が繰り返し起こる病気は〇〇〇〇〇病? メニエール タイコウチ科の水生昆虫でその姿が、ある別の昆虫を思わせることから名前があるのはミズ〇〇〇〇? カマキリ チョウの羽根は〇枚? 4 ノミの羽根は〇枚? 0 ハエの羽根は〇枚? 2 サルの仲間が棲む北限となっている青森県にある半島は〇〇半島? しもきた サツマイモは○○○○科? ヒルガオ 食用にされる貝の種類でカキは〇〇〇ガキ科の貝? イタボ ホタテガイは〇〇〇〇〇科の貝? イタヤガイ 「神経膠細胞」とも呼ばれる神経系のニューロンの間にある細胞は〇〇〇細胞? グリア 水晶体の調節力が年齢とともに衰え、近くのものが見えにくくなることを「〇〇」という? ろうがん スターリング・ノースの小説に登場する「ラスカル」が有名なエサを洗って食べる動物は〇〇〇〇〇? アライグマ 臓器移植手術において移植を受ける人は〇〇〇〇〇〇という? レシピエント 害虫の種類で蚊、ノミ、ダニなど病原体を媒介するのは〇〇害虫? えいせい クモ、ゲジゲジなど実害はないが気持ち悪さをもたらすのは〇〇害虫? ふかい シバンムシ、コクゾウムシなど保存してある米や小麦粉に付くのは〇〇害虫? ちょこく 街路樹としておなじみのケヤキは〇〇科の木? ニレ カニやエビは〇対の脚を持っている? 5 ウスバカゲロウの幼虫を〇〇〇〇〇という? アリジゴク 蚊のさなぎを〇〇ボウフラという? オニ 体の大きいメスの背中に小さいオスがくっついている姿から命名されたバッタは〇〇〇バッタ? オンブ 漢字では「鳩尾」と書く体の部分は「〇〇〇〇」? みぞおち 乾燥させた粉を吸うとクシャミが止まらなくなることから、別名を「ハクションクラゲ」というのは〇〇クラゲ? アカ 魚類のように水中を自由に泳ぎまわれる「遊泳生物」を何という? ネクトン 外的要因で受動的に細胞が死ぬのは〇〇〇〇〇〇? ネクローシス 筋肉が徐々に萎縮(いしゅく)してしまい運動障害が進行する遺伝性の病気は「筋〇〇〇〇〇〇〇」? ジストロフィー クワやカラマツなどの樹木の幹に病原菌が寄生し、そこから上が枯死する病気は「〇枯れ病」? どう 高温下での運動や労働が原因で発汗機構などに異常をきたして起こる病気を「〇〇症」という? ねっちゅう 酵素が、特定の基質に対してしか触媒作用を示さないことを「基質〇〇性」という? とくい アメリカの遺伝学者トーマス・モーガンが、組織体の研究に用いた昆虫は〇〇〇〇〇〇バエ? ショウジョウ 胃や十二指腸から出血した血液を吐き出すことを「〇血」という? と 気管支や肺から出血した血液を吐き出すことは「〇血」という? かっ 後ろ足で立ち上がる姿が特徴のマングースに似た哺乳類は〇〇〇キャット? ミーア 主に4歳以下の乳幼児に起こる「川崎病」を初めて報告した医師は川崎〇〇? とみさく アサリやハマグリは○○○○○○○科の貝? マルスダレガイ 「オリオンの帯」としても知られるオリオン座の三つ星を1つ答えなさい ミンタカ、アルニラム、アルニタク 高知県の県の鳥は? ヤイロチョウ 1936年、「生命の起源」を著したロシアの科学者は〇〇〇〇〇? オパーリン 2003年に亡くなった日本産の最後のトキの名前は〇〇? キン 眼球の網膜と強膜の間にある光を遮断して眼球内の暗さを一定に保つ膜は「○○膜」? みゃくらく その香りが、ある菓子を思わせることから命名されたキク科の植物は○○○○○○コスモス? チョコレート 別名を「エビコオロギ」や「イイギリ」という虫です「竈馬」 カマドウマ 見事な巣を作ることで知られるスズメのような鳥です「機織鳥」 ハタオリドリ 世界三大珍獣にも数えられるこの動物は? オカピ のどちんこと呼ばれる部分を医学用語では「○○垂」という? こうがい クモは○個の単眼を持っている? 8 その繁殖力でも知られる貨幣を意味する言葉が名前になったコケ植物は○○ゴケ? ゼニ サルの仲間で、野生でもっとも北に生息するのは○○○ザル? ニホン 白い大型犬で、アニメ「名犬ジョリィ」で有名になった犬種はグレート・○○○○○? ピレニーズ 2010年に話題となった、素粒子物理学に関する村山斉の著書は「○○は何でできているのか」? うちゅう 2010年に、タレントのさかなクン」らによって生息が確認された「クニマス」は、○○科の魚? サケ 「便所コオロギ」などと呼ばれることもあるバッタ目の昆虫は○○○○○? ○を答えなさい カマドウマ 『枕草子』に「ちちよ、ちちよとはかなげに鳴く」と書かれている虫は○○○○? ○を答えなさい ミノムシ アリが地中に巣を作る過程で出た土を捨てたものが山になったものを「○○」という? ○の漢字をひらがなで答えなさい ありづか 稲を食う害虫であることから「米食い虫」と呼ばれるゾウムシ科の昆虫は○○ゾウムシ? ○を答えなさい コク ウシガエルを思わせる泣き声を発する、世界最大のセミは○○○○ゼミ? ○を答えなさい テイオウ 「tiger beetle」といえばどんな昆虫のこと?カタカナ5文字で答えなさい ハンミョウ オスのサソリが、精子の入った精包をメスの口に入れようとする行動を俗に婚姻○○○という? ○を答えなさい ダンス 害虫の種類で蚊、ノミ、ダニなど病原体を媒介するのは○○害虫?○の漢字をひらがなで答えなさい えいせい シバンムシ、コクゾウムシなど保存してある米や小麦粉に付くのは○○害虫? ○の漢字をひらがなで答えなさい ちょこく クモ、ゲジゲジなど実害はないが気持ち悪さをもたらすのは○○害虫?○の漢字をひらがなで答えなさい ふかい カタツムリの天敵であるマイマイカブリは○○○○科の昆虫? ○を答えなさい オサムシ かつて日本で「機織虫」と呼ばれていた昆虫は○○○○○? ○を答えなさい キリギリス ウスバカゲロウの幼虫を○○○○○という? ○を答えなさい アリジゴク カブトムシの幼虫の餌になる広葉樹の落ち葉が朽ちて土のようになったものを○○○という? ○の漢字をひらがなで答えなさい ふようど(腐葉土) 体に28個の黒い斑点があることから命名されたテントウムシは○○○○○○○テントウ? ○を答えなさい ニジュウヤホシ 漢字では「花潜」と書く花に集まるコガネムシ科の昆虫はハナ○○○? ○を答えなさい ムグリ 寄生虫の中でも特に寄主を食い尽くすものを「○○寄生者」という? ○の漢字をひらがなで答えなさい ほしょく キリギリスのメスの腹の先から伸びている管を「○○管」という? ○の漢字をひらがなで答えなさい さんらん(産卵) クモの幼虫が糸を使って風に乗り、空を飛ぶことを英語で○○○○○○という?○を答えなさい バルーニング クモは○対の脚を持っている? ○を答えなさい 4 クモは○個の単眼を持っている? ○を答えなさい 8 黒地に赤の模様が亀の甲羅に似ていることから命名されたテントウ虫は○○○○テントウ? ○を答えなさい カメノコ 古生代のトンボに似ているため「生きている化石」と呼ばれる日本のトンボは○○○トンボ? ○を答えなさい ムカシ 昆虫の卵が幼虫になることを「○○」という? ○を答えなさい ふか 昆虫の脳の後方にある脱皮など多くの生理現象を支配する内分泌器官は○○○体? ○を答えなさい アラタ 昆虫の幼虫が、成虫またはさなぎになる直前の状態を○○幼虫という? ○の漢字をひらがなで答えなさい しゅうれい(終齢) 昆虫のシャクトリムシは○○○○の幼虫? ○を答えなさい シャクガ 昆虫は普通、頭部に○本の触角を持っている? ○を答えなさい 2 昆虫を標本にするため、羽を広げた状態で固定し、乾燥させることを「○○」という? ○の漢字をひらがなで答えなさい てんし 残雪地帯に現れることから「雪渓虫」とも呼ばれる昆虫はセッケイ○○○○? ○を答えなさい カワゲラ シオカラトンボのメスをその体の色から俗に○○○○トンボという? ○を答えなさい ムギワラ 斜面や崖面に扉のついた横穴の巣を作ることから名前がつけられたクモの一種は○○○グモ? ○を答えなさい トタテ 鋭いカマのような前肢で獲物を捕らえて食べる、日本最大の水生昆虫は○○○?○を答えなさい タガメ 世界最大のカブトムシであるヘラクレスオオカブトで最大の種類はヘラクレス・○○○○○? ○を答えなさい ヘラクレス 節足動物において、体の側面にある空気を出し入れするための穴は「○○」? ○の漢字をひらがなで答えなさい きもん 気門から入った空気を体内の各部に送る呼吸器官は「○○」? ○の漢字をひらがなで答えなさい きかん その鳴き声はかつてミミズの鳴き声と信じられていた地中で生活する昆虫は○○? ○を答えなさい けら 台風や季節風の影響で蝶が本来の生息地以外に出現することを○○という? ○の漢字をひらがなで答えなさい めいちょう(迷蝶) 卵が孵化するまでオスが背負うことから名がついたカメムシ目の水生昆虫は○○○ムシ? ○を答えなさい コオイ 蝶の一種、モンシロチョウの紋の色は○色? ○の漢字をひらがなで答えなさい くろ チョウの羽根は○枚?○を答えなさい 4 ハエの羽根は○枚? ○を答えなさい 2 ノミの羽根は○枚?○を答えなさい 0 敵に会うとここから臭い匂いを出す、アゲハチョウの幼虫の後頭部にある一対の角を○○という? しゅうかく(臭角) 動物の死骸を食べることからその名がつけられた、森や林に生息する昆虫は○○○○? ○を答えなさい シデムシ トンボのオスのお腹にある交尾の際に使うトゲのように出っ張った器官を○○○という? ○の漢字をひらがなで答えなさい ふくせいき 長野県で佃煮などにして食べるトビゲラやカワゲラなどの幼虫の総称は「○○むし」? ○を答えなさい ざざ 鳴き声がカネを叩く音に聞こえることからその名がついたバッタ目の昆虫は○○○○○? ○を答えなさい カネタタキ 南米に生息している世界最大のサイカブトは○○カブト? ○を答えなさい パン 日光でフランスの外交官により発見され、彼の名にちなんで命名された昆虫は○○○虫? ○を答えなさい ガロア 日本では「ハオリムシ」とも呼ばれる、深海に棲む管状の生物は○○○○ワーム? ○を答えなさい チューブ 日本では1995年に大阪府高石市で初めて発見された毒グモの一種は○○○ゴケグモ? ○を答えなさい セアカ 日本に生息するコオロギの中でもっとも大きいものは○○○コオロギ? ○を答えなさい エンマ 日本の国蝶であるタテハチョウ科の蝶は○○○○○○? ○を答えなさい オオムラサキ 日本では沖縄県に生息している世界最大の蛾の名前は○○○○○○? ○を答えなさい ヨナグニサン 花札の札の絵柄で蝶が描かれているのは何月の札? 数字で答えなさい 6 羽の模様が漢字の「八」を逆さまにしたように見えることから命名された蝶は○○○○チョウ?○を答えなさい サカハチ 「あれまつむしがないている」で始まる、作詞作曲者不明の文部省唱歌は『○○○』? ひらがな5文字で答えなさい むしのこえ 腹部の周りにある模様が化粧回しに見えることから名前がついた昆虫は○○○○サシガメ? ○を答えなさい ヨコヅナ 別名をタイワンカブトという短い角がある動物に似ていることから名がついたカブトムシは○○カブト? ○を答えなさい サイ 別名を「ツバキムシ」という泡の中に棲む習性で知られる昆虫は○○○○ムシ?○を答えなさい アワフキ 法隆寺が所蔵する工芸品にも使われている、緑色に光る体に2本の赤い筋が特徴の昆虫は○○○○? ○を答えなさい タマムシ 毎年5月頃に大量発生することから英語名を「Mayfly」という昆虫は○○○○? ○を答えなさい カゲロウ 前脚で太鼓を叩くように見えることから名がついた、カメムシ目の水生昆虫は○○○○○? ○を答えなさい タイコウチ 見た目はダンゴムシに似ているある履物の名前が付いた虫は○○○ムシ? ○を答えなさい ワラジ ミツバチの巣で、女王蜂の卵を産み付け、幼虫を育てる部屋のことを「○○」という? ○の漢字をひらがなで答えなさい おうだい 民間薬として使われたヘビトンボの幼虫のことを人名を冠して○○○虫という? ○の漢字をひらがなで答えなさい まごたろう 無毒の昆虫が、毒を持つ昆虫に似た形態をとることで自らを守る擬態を○○○型擬態という? ○を答えなさい ベーツ(ベイツ) 毒を持っていたり味が悪い昆虫同士の外見がよく似ているという擬態を○○○○型擬態という? ○を答えなさい ミュラー 幼虫の頃クロオオアリの巣の中でアリに育てられるという変わった生態をもつ蝶は○○シジミ? ○を答えなさい クロ 幼虫が成虫に変態するのを抑制し、幼虫の成長を促す昆虫のホルモンは○○ホルモン? ○の漢字をひらがなで答えなさい ようじゃく 若者たちのデートスポットにもなっている、東京にある寄生虫の博物館は○○寄生虫館? ○の漢字をひらがなで答えなさい めぐろ アサギマダラ オニヤンマ モノサシトンボ 別名を「オオグチ」という通り、区別がつきにくいカレイよりも口が大きい魚 ヒラメ 「ハクションクラゲ」とも呼ばれるクラゲは○○クラゲ? アカ 別名を「ハシブトペンギン」という、ニュージーランドに属する諸島の名前が付いたペンギンは○○○○○ペンギン? スネアーズ ノミの高いジャンプ力をもたらすタンパク質 レジリン(レシリン) 植物生態学で、森林の緑の小低木やツル植物からなる植物群落は○○○群落? マント 草が茂っている植物群落は○○群落? ソデ 周期的に脈動電波を発する天体パルサーを発見したイギリスの天文学者 ヒューイッシュ ポンポン咲き、コラレット咲きカクタス咲きという咲き方がある花 ダリア 世界保健機関が定める高血圧の基準では、最低血圧が95mmHg以上で最高血圧の基準は○○○mmHg? 160 スズメは○○○○○○科の鳥? ハタオリドリ 鋭いカマのような前肢で獲物を捕らえて食べる、日本最大の水生昆虫は〇〇〇? タガメ 世界最大のタコは〇〇ダコ? ミズ すべての細胞は、他の細胞から発生するという細胞学説で有名なドイツの病理学者はルドルフ・○○○○○○? ウィルヒョー 制ガン作用があるとして注目を集めているハラタケ科のキノコは? アガリスク ストレスや生活の乱れなどが原因で 腹痛 下痢 便秘などの症状が起こる過敏性腸症候群の略称は? IBS ガンツ、ワタリガニ、ガネなどの別名があるワタリガニ科の蟹は○○○? ガザミ
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原子力発電 ★ 泊原発廃炉訴訟:北電「絶対的安全は不可能」 初弁論で請求棄却求める 「毎日jp 大盛り北海道(2012.2.14)」より ・北電側は「原告は発電所の危険について具体的な主張をしていない」と反論。さらに「科学技術を応用した機器、装置、施設は、常にある程度の危険の可能性を持っている」との見解を示したうえで、泊原発は多重防護の考えに基づく事故防止対策で安全性が確保されていると主張した。 ■ 御用学者列伝番外編 大槻義彦名誉教授の勘違い 「逝きし世の面影(2012.2.13)」より ・それ自体には幾ら素晴らしい性能があるとしての、今のように制御する能力が無い者達は絶対に扱ってはならない。 『暴走を止めれない』し『そもそも止める技術も無い』なら、危険すぎて扱う資格自体が『現在は無い』との基本原則を忘れている。 これでは残念ながら『科学馬鹿』といわれて仕方ない大槻氏ですが、東電の事故対応に対しては科学的に冷静に観察している。 ■ 仏会計検査院が出してきた原発お会計 「onaironaironair(2012.2.1)」より ・フランスの会計検査院は、将来的にフランス国内に58基ある原子炉をすべて廃炉にした場合、およそ1兆8000億円の費用がかかるとする報告書を公表しました。 電力供給の80%近くを原子力に依存するフランスは、東京電力の福島第一原子力発電所の事故をきっかけに、原子力発電のコストの検証を進めてきました。フランスの会計検査院が先月31日に公表した報告書によりますと、将来的に58基ある原子炉をすべて廃炉にして解体した場合、電力会社の試算では180億ユーロ(日本円にしておよそ1兆8000億円)の費用がかかるということです。さらに、放射性廃棄物の最終処分にも、およそ2兆8000億円かかるとしています。 ・でもさ、コレに、「もしも・・・」とか、まぁ、色々既にウチらが想像つく限りの範囲でさ、あんな事や、こんな怖いことなど無理にでも予測というか、想像するとさ、はっきり言って、こんな仏会計検査院のお得意技で出してきてる報告書の「お会計」なんて一瞬にして吹き飛ぶと思うけどね。 ★ 仏“全原発の廃炉に1.8兆円” 「NHKニュース(2012.2.1)」より / 魚拓 ・また、日本でも放射性廃棄物の処分など原発にかかるコストを試算する作業が行われていて、フランスの報告書が参考になるという見方もあります。 【「フリーライター宮島理のプチ論壇」より】 ★★ ■ 「正義」を簡単に着替える日本人 (2011.6.25) ・日本人は何も変わっていない。無定見に「正義」を着替え、いかなる「正義」にも便乗しない者を絶えず感情的に攻撃する。 ・戦後になって、軍部や右翼に同調していた「世論」は、一転して軍部と右翼を叩き、「民主主義者」となり「平和主義者」となった。明治憲法は当然改正されるべきだということになり、天皇機関説により「リベラル」と思われていた美濃部は、反明治憲法陣営(およびGHQ)から、力強い味方として期待されていた。 しかし、美濃部は「軍国主義者」にも「平和主義者」にも阿らない。自分の憲法学を貫き、新憲法制定(明治憲法改正)は無効であると主張した。 ・戦前、津田左右吉は、その実証主義的な記紀研究が皇室の尊厳を犯しているとして、これまた軍部や右翼から批判されていた。戦後になり、「尊皇主義者」から「反天皇主義者」に「転向」した人々にとって、津田は反天皇運動の味方になると期待された。 ところが、津田は1946年に「建国の事情と万世一系の思想」という論文を発表し、天皇制廃止を否定した。そのため、反天皇運動からは激しく批判されることとなったのである。 ・積極的原発推進路線にも原発即時廃止路線にも阿らない人々は、現在、息を潜めてジッとしている。積極的原発推進路線から原発即時廃止路線に「転向」し、絶えず「正義」を振りかざす人々の感情が収まるまで、何も言わないのが得策だとあきらめているのだろう。 --------------- ■ 反原発は反普天間と同じ結末招く (2011.6.24) ・政府が感情的な運動を煽っておきながら、結局は最悪の意味での現状維持に終わる。民主党政権になってから繰り返されているのは、その場限りで感情を発散できればいいという「退行」である。 ・政府が感情的な反普天間運動を煽ったことによって、割を食ったのは、普天間基地周辺の住民である。民主党政権は選挙向けのリップサービスのつもりでしかなく、運動家は運動家でその場限りの感情を発散できればいいのかもしれないが、住民には生活がかかっている。民主党政権と反普天間運動の無責任なタッグが、最悪の意味での現状維持を招いてしまった。 ・同じことは「脱原発」についても言える。民主党政権と反原発運動の無責任なタッグが、おそらく最悪の意味での現状維持を招くことになるだろう。 ・私が民主党政権と反原発運動の無責任なタッグに批判的なのは、彼らが最優先で取り組むべき課題を結果的に妨害し、さらには中長期的なエネルギー政策までオモチャにしているからだ。原発事故を受けてまず取り組むべきことは、現場作業員の環境改善、原発周辺汚染地域の除染、避難民の生活である。それなのに、彼らは原発から遠く離れた都市部住民の「(過敏な)安全安心」を優先し、原発周辺住民を後回しにしている。 ■ 村上春樹氏「原発批判」演説ノーカット【2011.6.9 バルセロナ 「カタルーニア国際賞」受賞スピーチ】 「MONOSEPIA内ページ」 ■ 朝日ジャーナル「原発と人間」特集号 - 呆れた編集部 「世に倦む日日(2011.6.10)」より ・藤田祐幸は次のように書いている。「戦後の被曝影響評価の土台になったのは、占領軍が被爆地日本に設立したABCC(原爆障害調査委員会)の膨大な資料であった。彼らは、原爆被曝者たちを、治療するのではなく、放射線影響の観察の素材として扱った。(中略)80年には影響評価の基礎になっていた被曝者たちの被曝線量の見積もりに誤りがあったことが明らかとなり、なおいっそう被曝限度は切り下げられ、年間1ミリシーベルトを限度とするよう定められた。(中略)この広島・長崎の被曝者たちの命と引き換えに定められた基準を、緊急時であるという、ただそれだけの理由で打ち捨てる被爆国日本の政府の態度は、ヒロシマ・ナガサキの被曝者たちの痛恨の人生を裏切る、許されざる行為であると言わざるを得ない」 ■ フェアウィンズアソシエーツ・アーニー・ガンダーセン:「福島第1原発事故の教訓」 「EX-SKF-JP(2011.5.26)」より ・フェアウィンズ・アソシエーツのアーニー・ガンダーセン氏の最新(5月22日)のビデオの翻訳です。 ・福島第1原発の事故の教訓ということで、現在稼動中のアメリカの原発の福島同様の問題点、当局と事業者の馴れ合いを指摘しています。まあ、ご安心くださいというのもなんですが、東電と政府、規制担当のはずの保安院などとの馴れ合いは、日本に限ったことではありません。日本だけが特別ひどいわけではなく、たまたま事故になってしまったのでこれまでのいい加減な規制、馴れ合いがばれてしまった、というところでしょうか。 注:このビデオの日本語訳は、ブログにあります。 The Implications of the Fukushima Accident on the World s Operating Reactors from Fairewinds Associates on Vimeo. ■ 放射性物質の安全処理の切り札「オメガ計画」の行方 「浜田和幸オフィシャルブログ(2011.5.8)」より ・原子力関係者の間では知られているが、高レベル放射性廃棄物を安全に処理するための先進的な研究として、1989年にスタートしたもの。 文部科学省が主管庁となり、わが国の原子力研究機関が英知を結集して半減期の長い放射性物質を素早く安全に処理する技術を開発してきたはず。 このところ話題のセシウムやヨウ素などを核反応を利用して短寿命に変え、放射能を消滅させることを目指してきた。 実は、この日本発の研究がきっかけとなり、フランス、ロシア、アメリカでも放射性物質の分離、消滅処理に関する研究が進むようになったほど。 たとえば、「半減期が30年といわれるセシウムを45分で処理できるようになる」とまで言われた。 --------------- ■ 文科省はこれ早く探せよ 「nikaidou.com(2011.5.24)」より 〔Wikipedia【オメガ計画】より〕 ☆ 群分離・消滅処理技術研究開発長期計画 「原子力委員会-放射性廃棄物対策専門部会(昭和63.10.11)」より ☆ 原子力委員会バックエンド対策専門部会報告書「長寿命核種の分離変換技術に関する研究開発の 現状と今後の進め方」(平成12年3月31日)概要pdf. ☆ 長寿命核種の分離変換技術に関する研究開発の現状と今後の進め方pdf.(平成12.3.31) ■ 良心的な科学者や番組製作者が奮闘している! 「杉並からの情報発信です(2011.5.19)」より ・このドキュメンタリー番組は、福島第1原発第2号炉が水素爆発した3月15日に一人の科学者が原発事故によって飛散した放射線物質の汚染状態を調査するために現地入りした約2か月間の活動を記録したものです。 実地調査したのは木村真三さんという若い科学者で目的は詳細な「放射能汚染地図」を作成することでした。 ・京大原子力実験所の小出さんや今中さんにしろ今回の木村真三さんら「自己の信念に忠実に生きようとする」良心的な科学者が勤務先をやめたり劣悪な待遇に甘んじながらも黙々と真実を追及している姿が描かれています。 NHKにもまだ良心的な番組製作者が残っているのだということが良くわかる番組です。 --------------- ■ ETV特集 ネットワ―クで作る放射能汚染地図 「vimeo」より ETV特集 ネットワ―クで作る放射能汚染地図 from Egg Rice on Vimeo. ■ 【福島原発】5/16/月★東電すら事態の把握が出来ないのなら、なお深刻 「Youtube〔nyugankenshinさん〕」より ・福島原発事故の現状について 京都大学原子炉実験所小出裕章先生に聞く Youtubeのコメントより ・日本社会は原理原則が希薄で、何事も空気(nyu-ma)で決定すると分析した故小室直樹博士の言葉が、重く現在の我々の胸に突き刺さる。 浜岡原発停止決定以降、全てのTVから御用学者たちが退場した。テレ朝などは朝のワイドショーに小出先生のインタビュー映像を流しており、我が目を疑った。 この節操の無さに呆然とした人々が殆どではないだろうか。 連日コツコツとアップし続けてくれているnyugankenshinさんに恥ずかしくはないか、マスコミ人よ。我々はこの方の素性を知らない。しかし、隣人のように日常見ていた局アナやコメンテーターより、よほど信頼に足る人間だろうと想像するのだ。 nyugankenshinさん、本当にありがとう。感謝しています。 w0483 2 日前 72 ・アップありがとうございます。これを聞かないと 安心できません・・ snowing007 2 日前 35 ★ 平田オリザ参与、汚染水放出は「米政府の要請」 政府否定 「産経新聞」より ・劇作家の平田オリザ内閣官房参与が17日にソウル市内で講演し、東京電力福島第1原発事故の対応で汚染水を海に放出したことについて、米政府からの強い要請を受けたものだったと発言していたことが18日、分かった。 --------------- ★ 平田氏が官房長官に陳謝=「米要請で汚染水放出」発言 「WSJ日本版(2011.5.19)」より ・枝野幸男官房長官は19日午前の記者会見で、内閣官房参与の平田オリザ氏が、東京電力による放射能汚染水の海への放出は米国の要請によると発言したことに関し「(平田氏から)不用意に誤った発言をして申し訳なく思っている、という旨の連絡があった」と述べ、平田氏が発言を陳謝したことを明らかにした。 ■ 平田オリザの騒動 - 米国による汚染水放出強要事件 「世に倦む日日(2011.5.19)」より ・平田オリザの発言をめぐる騒動の件、テレビの報道番組は、NHKも報ステも朝ズバも一言も触れずじまいだった。米国問題はタブー。見事に報道管制が敷かれている。 ・それでは、平田オリザは、なぜ迂闊にも、重大な政治外交問題に発展するこの話をポロッと口に出してしまったのか。 それは、平田オリザが政治家でも官僚でもなく、一般人の感性を持っていたからだ。 --------------- ■ 汚染水を海に放出したのは米国の命令だったと暴露した平田オリザ 「 天木直人のブログ(2011.5.18)」より ・これが事実ならばそのこと一つをもって菅内閣はいますぐ総辞職しなければならない。国民に信を問わなければならない。 果たしてこの平田オリザ発言が波紋を拡げるだろうか。メディアがこれを追及するだろうか。野党が国会で菅内閣総辞職を迫るだろうか。 それによってこの国の政治のいかさまがわかる。与野党がこぞって対米従属であるかどうかがわかる。 --------------- ■ 平田オリザ参与は守秘義務違反に当たらないと枝野長官 「世事熟視~コソダチP(気分は冥王星)2011.5.19」より ・口がすべって真実をバラしちゃったと考える方が自然なんだけどなぁ・・・・。 --------------- ■ 平田オリザの問題発言 ~ 民主党政権ブレーンの危険度を知れ! 「私的憂国の書(2011.5.19)」より ・今回のオリザ発言の致命的な点は、ひとつには、日本が米国の言いなりの属国であり、主権国家としての立場を放棄しているということを、外国で言い触らしたことだ。 ・ふたつめは、内閣官房参与という立場にありながら、守秘義務などどこ吹く風といった体で、秘密・機密を守ることができないことを外国に知らしめてしまった点だ。 これは外交上、日本の信用度を極端に下げる。 ・米国の要請が事実かそうでないかの問題ではなく、内閣官房参与から国家の機密に値するような件が漏れるということがあれば、諸外国は日本に情報を渡さなくなるだろう。 --------------- ■ 平田オリザ参与「アメリカの要請」発言を撤回 「jmwjow38のAA日記(2011.5.19)」より ・韓国の皆さんの「いのち」を守りたい、守りたいが米国のせいで守りきれなかった、無力な日本を責めないで、ってことかねぇ。 以外と真相を知っていた鳩山の差し金か?でもウィキリークスの普天間密約並みの機密を漏らしたんだ、今後は日米の刺客から狙われるよね。「いのち」を大切にしてね。大好きな韓国への亡命マジお勧め ★ 原発事故作業へ、経験生かして=「リタイア組」130人志願―元技術者が呼び掛け 「livedoorニュース〔時事通信社〕」より ・「僕たちリタイア組がやるしかない」。福島第1原発の事故対応の長期化が予想される中、元技術者の山田恭暉さん(72)が発起人となって、収束作業に当たる「行動隊」結成を呼び掛けている。建屋での作業も念頭に置いているが、既に約130人が参加を表明しているという。 ☆ 爺△ 「若者じゃ被曝影響大きいし技術もねぇ。60歳以上のワシらリタイア組に高放射線量の作業任せろ!」 「2ちゃんねる瓦版(2011.5.19)」より ■ 仕事中に。。。。 「備忘録リアル(2011.5.19)」より ・記事読んでウルウル来てて、おエライ方に説教された(+_+) ・まぢで、今の子供たちにこの事を知って欲しい。 文部省は教科書に載せやがれ!!! --------------- ■ 心ある人が沢山いる! 東電幹部の態度には腹が立つ。。 「菊池の香り(2011.5.19)」より ・私も同感です、勇気に感謝! 政府の後押しを臨(注:ママ)みます。 ■ 被爆の危険を訴えるならば、何を置いても先ず「速やかなる幼児の疎開」を徹底的に主張しなければならない。 「真正保守政党を設立する(2011.5.15)」より ・「反原発」でも「脱原発」でもよいが、我々だけは、これが既に「イデオロギー対決」であり「思想戦」であることを認識しておかなければならない。 そもそも原発の有無とは、国内に有する核物質の有無でもある。 核物質の有無は、「核兵器所有可能性」の有無に直結する。こういった話は表の議論には出てこないとはいえ、我々はここまで熟慮しなければならない。 ・「反原発」「脱原発」を煽動しているのは、明らかに極左グループである。 これらを取り囲みいいように動かされているのが、見事にオルグされた「ノンポリ層」と「民族派末端」である。 そして彼らは既に「イカレテ」いる。 ■ アリバイ工程表を分析できず鵜呑みにするマスコミ報道 「世に倦む日日(2011.5.18)」より ・この工程表の策定と遂行は、東電にとってどのような意味があるのか。二つの意味がある。一つは、賠償を東電の思惑どおり進めるためのエクスキューズの仕掛けである。もう一つは、マスコミ用のネタ提供であり、情報工作の素材である。こうして、収束の目標を目指して尽力しているフリを見せれば、賠償での会社負担を軽減させ、賠償費用を政府(国民)に押しつけ、会社の資産(内部留保)を防衛することができる、とそう踏んでいるのだ。 ■ 東電の株主諸君、ご愁傷さま(笑) 「たかしズム!」より ・思えば、世界の国々の日本への評価が「気の毒な被災国」から「環境テロ国家」に変わったのは、全世界に断りもなく(尤もアメリカだけには知らせていた、という噂もあるが)、高濃度放射性物質を、海洋に垂れ流したことによる。 ・株主の中には、老後の蓄えで利殖をと考えた個人株主もいるだろう。しかし、資本主義のルールは厳格に守らなければならない。つまり「東電の株を買ったのが運の尽き」と、諦めるしかないのである。ひとたび事故が起これば破滅を招く「原子力」に投資をしてきた、そのことを「反省」するしかない。 ■ 全原発対象のストレステスト実施で原発仕分けを! 一歩先行くEUのストレステスト実施原案明らかに 「園田義明めも。(2011.5.8)」より ・福島第1原子力発電所の事故を受け、欧州連合(EU)が域内の原子力発電所の安全性を検査する「ストレステスト」の実施計画の原案が明らかになった。地震、洪水などの自然災害が起きる場合の耐久性能を点検。非常時に原発の冷却機能を確保できるかなどを重点的に調べる。 ★ 30年超の老朽炉原発も…「浜岡だけ」に疑問 逆風かわす狙いか 「産経新聞」より ・宇根崎教授は「国策の転換になるのに、原子力政策全体を見渡した説明がなされず、立地自治体は納得しない。『反原発』の逆風が他原発へ向かうことをそらすため、浜岡をスケープゴートにしたのではないか」と疑問を投げかけている。 ■ 全ての原子力発電所が脆弱なのだろうか?-大惨事は、いつも想定外 「マスコミに載らない海外記事(2011.4.12)」より ・NASAの科学者達は、太陽フレアが、世界中の多くの国で、恐らく何ヶ月も、大半の配電網を機能停止させるだろうと予想している。 ・原子力発電をしている電力会社は、経費を削減については、偉くしみったれていることで悪名が高い。もしも連中が、想定されている太陽フレアから守れるようにする為に、電機部品を強化しそこねれば、自業自得となる... 恐らく、福島原発災害がちっぽけに見える規模で。なぜなら、福島原発災害は、同じ発電所内の複数原子炉で事故が起きている初の原発事故だが、巨大な太陽風は、無数の国々、複数の発電所で、事故をひき起こしかねないからだ。 ■ 青森県六ヶ所村再処理工場で事故が発生した場合の被害拡大予測(2011.4.8) 「Infosecurity.jp」より ・原子力資料室が出した青森県六ヶ所村再処理事業所で想定外の事故が発生した場合の被害の拡大予測によると、放出量が1%でも280km離れた地点で被ばく量1シーベルトで急性障害・一部死亡、691km離れた地点で250ミリシーベルトで急性障害という健康被害が想定されるということです。 ★ 中国の原発、無謀とも見える大増設は大丈夫か(20113.14) 「朝日新聞社(WEBRONZA)」より ・向こう10年にわたって毎年6基ずつ増設する計画で「2020年には70基余りが稼働し、日本を上回る」「2年余り準備し、建設を始めれば5年以内に商業運転に入れる。 ■ 今年6月に向け日本終了へのカウントダウン開始@もんじゅ(2011.3.31) 「匿名党」より ・まあ糞みたいな連中を長年のさばらせた日本国民への天罰かもしれませんね・・・ 自業自得でしょう。 ■ 福島第一原子力発電所での負傷者(2011.3.20) 「Shinakosan is Okinawan」より 以下は記事中のリンク先 ・そして東電社員と言っても、9割以上は正社員じゃなくて、原発ジプシーと呼ばれる日雇い労働者だ。彼らの待遇はこうだ。 ・原発がどんなものか知ってほしい 平井憲夫 ・原発ジプシー 川上武志 ・日本の原発奴隷 エル・ムンド ・原発で働く人々 よく分かる原子力 ・映像の方がいい方はイギリスのch4が制作した「隠された被曝労働~日本の原発労働者」を見てほしい。 ・http //www.youtube.com/watch?v=92fP58sMYus ・http //www.youtube.com/watch?v=pJeiwVtRaQ8 NR=1 ・http //www.youtube.com/watch?v=mgLUTKxItt4 NR=1 ■ 原発の危険性(2011.3.23) 「カナダde日本語」より ・ちょっと身の毛がよだつような動画。 2010.12.16 ■ なぜ原子力が次世代エネルギーの条件を満たしていないか?【次々世代エネルギー戦略】 「流水成道」より ● 次世代のエネルギーは、シェールガスを使ったDEFC(直接メタノール型燃料電池)になります。 そして、次々世代エネルギーは、デカヒドロナフタレンを使った水素エネルギーウェブになります。 ● まずは、なぜ原子力が次世代エネルギーの条件を満たしていないか? ・第1に、輸送用エネルギーとして使えない。 ・第2に、廃棄物問題を解決できない。 ・第3に、採算が合わない。 ・第4に、危険が大きい。 ★★2010.12.15 ■ 九州〜関西の高レベル放射線 玄海原発事故 今後の展開 「流水成道blog」より ● 【緊急速報】九州から関西にかけて高レベル放射線を測定【G-watcher V2】(http //jyoudou.net/blog/2010/12/post-300.html)の記事に色々コメントを頂きまして、それにお答えしていきたいと思います。 ● 私のスタンスとしては、公式発表は過小評価や隠蔽ばかりなので信用してはいけない、というものです。 Gwatcherver2【Twitter】 ● 北朝鮮をはるかにしのぐ量のプルトニウムを持ち、世界でも高額な電気代を国 民に負担させ数十年前に約束した高速糧殖炉はまだめどもたたない。そして法 外な広告宣伝費でマスコミを黙らせる。これで良いのか日本の原子力政策【出演】河野太郎【ゲスト】飯田哲也(NPO法人環境エネルギー政策研究所所長) 鈴木達治郎(原子力委員会委員長代理) Recorded on 10/12/13 “ ” ---------- ■ 原子力トークライブとトリウム溶融塩炉 「河野太郎公式サイト」より ● 新宿のネイキッドロフトでのトークライブ5、鈴木達治郎原子力委員会委員長代理と飯田哲也氏の2人をお招きして、原子力政策について2時間40分。 USTREAMのアーカイブはこちらです。お時間のある人はどうぞ、じっくりとご覧ください。 ---------- 前半「これで良いのか日本の原子力政策」河野太郎トークライブ 後半「これで良いのか日本の原子力政策」河野太郎トークライブ(質疑応答) ★★★ - 2010.12.14 ★ 玄海原発3号機 原子炉を停止 「NHKニュース」より imageプラグインエラー ご指定のURLはサポートしていません。png, jpg, gif などの画像URLを指定してください。 ★ 玄海原発3号機停止 佐賀県「徹底調査を」 「佐賀新聞情報コミュニティ」より ● NPO法人原子力資料情報室(東京)の伴英幸共同代表は「過去の例でMOX燃料がウラン燃料よりピンホール(穴)などができやすいということは確認されていない。ただ、ウランとプルトニウムが均一に混じらず、損傷の原因になる可能性は指摘されている。 ■ 【そんな原発で大丈夫か?】展示会で一番良いガイガーカウンターを手に入れよう【プルサーマル停止】(2010年12月11日 04 06) 「流水成道」より ● 昨日のG-watcher V2の緊急速報のかいがあって、危険だと言われながら止めなかった九州佐賀県の玄海原子力発電所のプルサーマル発電を、停止させることに成功しました。 ● 濃度が4倍なので「大丈夫だ問題ない」という発表ですが、実際の測定値は4倍どころか、通常15cpmが8971cpmなので、約600倍です。 ------------ ■ 【緊急速報】九州から関西にかけて高レベル放射線を測定【G-watcher V2】(2010年12月11日 04 06) 「流水成道」より ● 九州から関西にかけて、8000〜2000cmpの放射線値を観測しました。 現在は60cpmくらいですが、通常15cpmくらいですので、十分高いです。 ■ 玄海原子力発電所、4号炉プルサーマルが事故を起こしてレベル5クラスの大規模な放射能漏洩を起こしたこと【MONOSEPIAサイト内コピペページ】 「東海アマ」より ● 報道による公表値は4倍になっているが、玄海から数百キロ以上離れた宇和島市などで500倍の値が観測されている。これで放射能漏出事故の実態を極端に隠蔽した事実が、民間の計測によって証明された。 ● なお原子炉内漏洩は安全基準値の4倍、宇和島の500倍は平常値より、離間距離300キロで、漏洩元での濃度が平常値の何倍になるかパラメータ不明のため分からないが、おそらく数千万倍のオーダーで完全にスリーマイリクラスの放出事故だろう。胎児乳幼児への影響は非常に深刻で、しかも数十年というオーダーで経過を見る必要がある。 ------------ ■ 【隠蔽か!?】玄海原発プルサーマル事故と日本の将来 「Crescendo」より ● 日本全国に配備しているガイガーウオッチャーV2がその本領を発揮したのです。想像以上に広範囲で、全国のカウンターが異常値をカウントしていました。 ■ 玄海原子力周辺で白血病が多い(2009年09月15日) 「こんにちは浦田関夫です」より ● 昨日の私の一般質問で、玄海原子力周辺で白血病が多いことを質問しました。 厚生労働省の「人口動態調査」によると、人口10万人に対し全国は6.0人、佐賀県は9.2人、唐津保健所管内は16.3人、玄海町は61.1人と全国より11倍も多いことが判ったからです。 ■ 福井県知事へメッセージを(高浜プルサーマル起動しないで) 「玄海原発プルサーマル裁判の会のブログ」より ● 美浜の会HPから、福井県知事にメッセージを送れるフォームを急きょ作りました。 簡単な説明もつけていますので、初めての人にも分かりやすくなっています。 是非、活用してください。 http //www.jca.apc.org/mihama/stop_pu/fukui_mail1012/fukui_mail1012_1.htm ■ 原発がどんなものか知ってほしい 「平井憲夫」 記事引用 ● 私は原発反対運動家ではありません。二十年間、原子力発電所の現場で働いていた者です。原発については賛成だとか、危険だとか、安全だとかいろんな論争がありますが、私は「原発とはこういうものですよ」と、ほとんどの人が知らない原発の中のお話をします。そして、最後まで読んでいただくと、原発がみなさんが思っていらっしゃるようなものではなく、毎日、被曝者を生み、大変な差別をつくっているものでもあることがよく分かると思います。 【日本の原子力発電所地図】 .
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