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前へ / トップへ / 次へ 14話 トリステイン魔法学院は大混乱に陥っていた。 フーケが巨大化して分裂して完全武装集団になり略奪したというのはまだいいほうで、カクカク移動して至近距離で話しかけてくる 4人組がさいごのかぎというマジックアイテムで開けて無許可で持ち出しただとか、空に浮かぶ雲まで盗むという元公儀お庭番・伝 説の盗賊『雲盗り暫平』が盗んだであるとか、オーバーマン『ジンバ』が盗んだであるとか、噂が噂を呼んでどれが真実であるか全 く判断できぬというありさまであった。 さらにはそこに「幽霊を見た」「大塩平八郎が挙兵して大阪大炎上」「黒船に乗ってペリーが来た」「沈黙のコックが歩いていた」 「白面のものを見た」「身体が溶ける黒豹を見た」「沙耶かわいいよ沙耶」だのいうわけのわからぬ虚言妄言が飛び交い、現場はど んどん収拾がつかなくなっていっていた。 急遽収集された教師が揃っても混乱は収まらず、乳を揉まれるものや尻を触られるもの太股を舐められるもの襲われるものと、輪を かけて散々であった。というかこれは全部同一人物の仕業である。 しれっとした表情で、曖昧から覚醒し場を仕切るオールド・オスマンその人である。 彼の「とにかく実際に犯行を目撃した人間を呼んで来い!」という鶴の一声で、ルイズはじめキュルケ、タバサの3名が召喚された。 もっともバビル2世もいたのだが、使い魔ということで数には入れられていない。 「ふむ……、君たちか。」 興味深そうに、オスマンはバビル2世を見つめた。とても先ほどまで曖昧だったとは思えない。そんな老人にじろじろ見られ、バビ ル2世は困惑していた。困惑というか、迷惑であった。 『なぜぼくをじろじろ見ているのだろう?』 少年愛の気もあるのか!?偉い人は普通じゃ満足できなくなるって言うしなあ、と自衛のために心を読もうとすると、 「詳しく説明したまえ」 と抜群のタイミングで気を外された。 偶然だろうか?偶然でなければ、この老人は只者ではない。 ルイズが進み出て包み隠さず見たままを述べる。 現れたゴーレム。一撃で砕かれた塔。黒尽くめのメイジ。抱えていた何か。痕跡を残さず逃げたこと。 どよどよと教師がざわめく。それは盗みという行為にではなく、あの強固な魔法をかけた宝物庫の外壁を苦もなく破壊するようなゴーレ ムを操るメイジに対してのざわめきである。メイジであるからこそのざわめき、と言い換えてもよい。 「後を追おうにも、手がかりはナシというわけか…」 それからオスマンは気づいたようにコルベールに尋ねた。 「ときにミス・ロングビルはどうしたね?」 「それがその…、朝から姿が見えませんで」 「この非常時にどこへ行ったのじゃ?」 「どこなんでしょ?」 もっともオスマン以外のその場にいた人間は皆、あんたのセクハラから逃げるためにばっくれてんじゃないの?と思っていた。 正確には結構な人間がすでにいないことに気づいていたが不憫に思ってあえて触れていなかったのだ。 むしろ空気を読めジジイとさえ思っている人間すら居た。 そこに、まるで舞台袖で順番待ちをしていた若手漫才師のように、当のロング・ビルが現れた。 「ミス・ロングビル!どこに行ってたんですか!大変ですぞ!事件ですぞ!」 興奮した調子でまくし立てるコルベール。しかしロングビルは落ち着き払い、オスマンにこう告げた。 「遅れて申し訳ありません。急いで逃亡した土くれのフーケの調査をしていましたもので」 おお、とどよめく一同。 「仕事が早いの、ミス・ロングビル。」 「昼、突然ゴーレムが現れて宝物庫を破壊して悠々と逃げていくじゃありませんか。これはおそらく何者かが宝物庫から 何かを盗んだのと判断しまして、すぐに調査を開始しました。そして帰ってきてどうやら賊は土くれのフーケらしいと知ったのです。」 「で、結果は?」促すコルベール。声が裏返りそうだ。 「はい、フーケの居所が解りました」 「「「な、なんだってー!?」」」 並んで座る3人の教師が素っ頓狂な声を上げて驚く。ちなみに名前は…言う必要はないだろう。イニシャルはN、I、Tである。 「誰に聞いたんじゃね? ミス・ロングビル」 「はい。近在の農民に聞き込んだところ、近くの森の廃屋に入っていった黒ずくめのローブの男を見たそうです。恐らく彼はフーケで 廃屋はフーケの隠れ家ではないかと。」 ルイズが叫んだ。 「黒ずくめのローブ? それはフーケです! 間違いありません。」 オスマンが目を鋭くして、ロングビルに問うた。 「そこは近いのかね?」 「はい。徒歩で半日。馬で四時間といったところでしょうか」 「すぐに王宮に報告しましょう!」 コルベールが叫ぶ。それにオスマンが首を横に振ろうとしたところで…… 「待ってください。」 と、バビル2世が手を挙げた。テレパシーと声を併用した、思わず振り返るような声であった。 「なにかの?」 と首を横に振りかけたオスマンが止まり、尋ねる。教師たちもバビル2世がおまけでついてきているということを忘れているようだ。 「先ほどから皆さんの意見を伺っていると、どうもフーケが単独犯だという前提で話を進められているように思うのですが。 もしも複数犯であったとしたらどうされるのでしょうか?」 あっと息を呑む一同。 「た、たしかに……」 「男か女かもわかっていない上、顔を隠しているのだ。入れ替わっていても見分けはつかない…」 「おまけに今までの犯行は、あるときは白昼堂々押し入ったり、またあるときはひそかに盗み出したりと一環性がないと言えばない。」 「もし、複数人がチームを組んで行っているとすれば、そのチームのカラーが犯行内容に影響を与えているとも考えられる。」 「ゴーレムにしてもそうだ。我々はヴァリエール嬢の証言を鵜呑みにし、上に乗っていた黒ローブこそがフーケだと考えていたが、 それは囮であり、ゴーレムの術者自体は別にいて、盗む人間と破壊する人間というように役割分担をしていたとも考えられる。」 「そして複数ならば、学院に潜入して何食わぬ顔で情報を収集できる。その後実行犯が行動に移ればよいのだからな。」 「となりますと……」ロングビルが続ける。 「わたくしが手に入れた情報も怪しくなりますわね?」 ロングビル、すなわちフーケは内心ほくそ笑んでいた。会議はあの少年のおかげで思わぬ方向に転がっている。 このまま複数犯説が通れば逆に警戒を突破しやすくなる。突破すれば気づいたところで後の祭りだ。 ただ、心残りはあの少年である。バビル2世、とあの白仮面は呼んでいたが、いったい何者なのだろうか? 最後のボーナスは儲けそこなったが元々金はそんなに目的としていない。破壊の杖を手に入れただけでよしとしよう。 ほくそ笑むフーケは気づいていなかった。バビル2世の瞳が、燃えるように光っていたことに。 「その通りじゃな。近在の農民とやらがフーケ一味でないとは言い切れぬ。情報かく乱の可能性が高い。我々がそちらへ捜索隊を送 りでもすれば逆方向から逃げられかねん。」 「もう一つ、憂慮すべきことがあります。」 「なんじゃね?」 素直にバビル2世の言葉に反応するオスマン。他の教師も誰一人として「使い魔のくせに口を出すな」などと言わない。 バビル2世が使い魔であるということなど皆忘れてしまったかのようであった。 「フーケが、本当にただの盗賊なのか――ということです。」 「な、なんじゃと!?」 素っ頓狂な声を上げるオスマン。全く想像していなかった台詞だったのだろう。他の教師も、ルイズやキュルケもざわざわと声をあげ る。 それを制し、今度は落ち着いた声で問うオスマン。 「どういうことじゃな?」 「フーケの行動が、盗賊としてはあまりに腑に落ちない点があるということです。最後に挑戦的なメッセージを残していくのもそうで すが、ゴーレムを使うことといい、まるで世間に自分を誇示しているような…。もっと言えばわざと世間の注目を集めようとしている ような感じがするのです。盗賊にとって、目立つということにメリットなどないでしょう。掴まえてくれと言っているようなもので す。」 ジッとバビル2世を見ているフーケ。こいつ、いったい何が言いたいのだ。 「逆に言えば、そうやって目立つということにメリットがあるということです。」 「うむ、そうとも考えられるの。では、そのメリットとは?」 「それについては、まず僕の質問に答えていただきたいんですが。オスマン院長、小耳に挟んだことですが、アンエリッタ姫殿下が この学院に行幸されるというのは本当でしょうか?」 うっ、と息を呑むオスマン。なぜそのことを知っているのだ!? 「……たしかに、まだ予定も予定だが、ゲルマニアご訪問の岐路、光栄にも我が学院を見学されたい、という姫殿下の意思がある と、内密にだが宮内庁から話があった。まあ、未定も未定、どうなるかまあったく、さあっぱりわかっていない、というやつじゃな。 うわっはっはっはっはっはっ。まあ、もし本決まりになれば、大変名誉なことじゃ。学院の全精力をもってこれに当たらねばならんだ ろう。」 豪快に笑ってごまかしながら、オスマンは激しい衝撃を受けていた。この話は朝早く、顔見知りのメイジからこっそり打診があった ことで知るものはオスマンのほか数名もいない。そんな話をいつのまに得ていたのか。これもガンダールヴの力だというのか。 ざわつきどよめく教師たち。当然だろう、まだ仮の仮段階とはいえ、この国の姫が来訪するかもしれないのだ。浮き足立つなと言う ほうが無理である。ある意味でフーケの件よりもショックは大きい。 そしてその中でひときわ大きなショックを受けている少女がいた。 ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールであった。 姫様が来るんだ。姫様が、姫様が……。浮かんでは消える懐かしい思い出と、姫様の顔。 もはや他のことなど完全に頭から飛んでしまっていた。フーケのことなど消えて片隅にもない。 全員が正気に戻されたのはオスマンの咳払いと、「この件は超極秘事項なので、他言は無用。誰かにしゃべると厳罰処分じゃ。」 という一言であった。 「―――で、それがどうしたというのじゃな?フーケとなんの関係が?」 「わかりませんか?もしぼくがフーケならば、この機会に間違いなく暗殺を企みます。」 思わず立ち上がるオスマン。椅子から転げ落ちそうなショックを受けている教師多数。ルイズに至っては……腰が抜けていた。 「考えてもみてください。フーケはわざと目立つ行動をとっている。警察や軍隊は威信にかけてもフーケを捕まえようとするでしょう。 となればフーケ捜索や逮捕のために人員を割く必要が出てきます。その分、王族への警備は薄くなります。」 真っ青になっている教師が数名。神に祈るような格好をしている教師が数名。キュルケは……いつもに似合わず神妙にしていた。 「仮に複数犯だとすれば、さらに犯行は容易になるでしょう。窃盗で目を引くチームと、暗殺チームに分かれておけばいいのです。 暗殺決行日前後に派手に暴れまわればそちらに嫌でも人間の目が向きます。その隙を突いて暗殺をする……。」 呆然と宙を見つめる教師がいる。タバサは……暗殺、という言葉に思うところがあるのか、いつにない表情をしていた。 「ひょっとすればフーケ一味の窃盗は全て今回の破壊の杖を盗むためにあったのかもしれません。破壊の杖だけを盗めばそれを 使って暗殺や大規模テロを企んでいるのではないかと怪しまれるでしょう。 しかし、マジックアイテム狙いの盗賊という印象を世間に植えつけておけばよもや暗殺こそが真の目的であるとは誰も行き当た らないはず。 そう考えて今までの犯行をしていたとすれば恐るべき知能犯であると同時に、背後に大規模な組織が控えている可能性も指摘で きます。」 「なんというやつらだ…」「カモフラージュのためにそこまでやるか」「お、恐ろしい…」という声が沸きあがる。 顔から血の気が完全に引き、土気色になったオスマンが苦しげに呟く。 「我が学院から盗まれたマジックアイテムで暗殺などされては、教員はおろか生徒すら存在が抹消されるかも知れん…」 場の空気が凍りつく。 「なんとしても破壊の杖を取り戻さねば!」 「いや、フーケ一味の誰か一人でもを捕らえて、拷問にかけ全貌を白状させるべきです!」 「なにはともあれ王宮に連絡を!」 怒号にも似た声が飛び交う中、フーケ本人は……半分死んでいた。 なぜ気づいたらこんなことに。いつのまにかただの盗賊が王族暗殺を画策するテロ組織の一員にされ、国家の大重犯罪人にされて しまっているじゃないか。 自分は暗殺などノミの足の先ほども企んだことがないのに、今にも縛り首が当然な扱い。 なんて理不尽なんだ。いや縛り首ですめばいいほうだ。この勢いだとのこぎり首にされてもおかしくない。それも拷問にかけられ たあげくのことだ。 ああ、今すぐフーケはそんな大物じゃないですあくまでけちな小物の盗人に過ぎませんよ、と言ってやりたい。 しかしそんなことを言えば「……ング…」どうしてそんなことが言えるんだどうしてわ「……ロ…グビ……」かるんだと言われて即 座にフーケとばれ「るだろうそうなったらあっとい「…ス…ロ…グビ……?」うまに捕まって弁解などで「ミス…ング…ル!…」 きずに拷問の末無理矢理白状させられて殺されるんだろう嫌だ死ぬのは嫌だ死ぬのは嫌だ考えなければいけない考えるんだ 目で考える耳で考える鼻で考えるってこれは餓狼伝じゃないかなにをやっているんだ私は落ち着け落ち着くんだ落ち着かない といけ 「ミス・ロングビル!?」 「ああ、はい!丹波文七が脱糞しました!!」「な、何を言ってるんだ!?大丈夫ですか?ずいぶん苦しそうだっでしたが…」 フーケことロングビルが気づくと、全員の視線が集中してきていた。コルベールなど心配そうに下から覗き込んでいる。 「ずいぶん苦しそうでしたが、大丈夫ですか?」 「は、はい……あまりの事態に気が動転して……なんという恐ろしいことでしょう。」 よよよ、と崩れ落ちるロングビル。他人事ではなく恐ろしい。 コルベールがここぞとばかり近寄り、「大丈夫です!暗殺犯はかならず捕らえて見せます!」と息巻く。いや、捕まってしまうほう が恐ろしくてたまらない。 捕まえて欲しくない。つーか暗殺犯って、まだ何もして無いのにすでに実行したことになっているのはどういうことだ。 このハゲが、死ね!死んであの世でわび続けろ!毛を毟ってやろうかハゲ田ハゲ蔵が! 「……それで、ビッグ・ファイアくんと言ったね。きみはどうすべきだと思うかね。」 糞ジジイがこの現状の元凶に問いかけている。もうしゃべるな!というかしゃべらないでください!おねがい、何も言わないで! 「そうですね。フーケが学院内部に潜入していると仮定すれば、生徒や職員、教員の中に潜んでいる可能性が高いでしょう。」 ギョッとお互いの顔を見合わせる。フーケは泣きたくなった。 「ですから、この学園の内部を徹底的に洗いなおすことが先決ではないかと。それに、ぼくはフーケなら破壊の杖を学院内に隠す でしょう。警戒の目がなくなって悠々と運び出せばよいのですから。それにターゲットがやってくるかもしれない。 学院内はせまい通路もありますから、警備の数はさらに限定されます。持ち込む必要がなく事前に隠せる、さらに暗殺しやすい。 ならば逆に持ち出す前に破壊の杖を見つけ出し、その上で王宮にこのことを連絡すべきでしょう。」 「破壊の杖捜索は常に数名が固まって行うべきでしょうな。」 「それなら万一フーケが混ざっていても対処できるだろう。それで行こう。」 「王宮への使いはどうする?」 「定期連絡に伝えればよかろう。」 わいわいと今後の対策が練られていく。フーケは右から左に、上の空である。 「ところで――近くの森の廃屋とやらはどうする?」 誰かが思い出し呟いた。 全員が一斉にバビル2世を見る。促されるように、 「最少人数で偵察に行ってはどうでしょう?かならずしも欺瞞とは限らないですから。」 「誰か立候補は?我と思うものは杖を……と言うても、誰がフーケ一味かわからぬ現時点では、下手に外に出して杖を持ち出され でもすれば一大事…。ここは一つ、諸君に頼まれてくれるかの?」 オスマンが立ち上がり、ルイズたちの元へ寄って肩をたたく。 「で、ですが…その3名は生徒―――」 「じゃが事件発生時に学院外にいて、かつ事件を目撃というアリバイがあるのはこの3名のみ。心配ならば誰かが補佐についてい けばよい。その上、ミス・タバサは若くしてシュヴァリエの称号を持つ騎士だと聞いているが?」 タバサは返事もせずにぼけっと突っ立っている。 教師達は驚いたようにタバサを見つめた。 「本当なの?タバサ」 キュルケも驚いている。爵位としては最下級であるが、タバサの年で与えられたというのはただごとではない。おまけにシュヴァリ エは他の爵位と異なり、純粋な業績に対してのみ与えられる、いわば実力の称号なのだ。 「ミス・ツェルプストーはゲルマニアの優秀な軍人を数多く輩出した家系の出で、彼女自身の炎の魔法も、かなり強力と聞いてい るが?」 キュルケは得意げに髪をかき上げた。 さて次はルイズが自分の番だとばかりにかわいらしく胸を張る。オスマンは必死に褒める場所を探した。 こほん、と咳払いをし、目を合わさず、 「その……、ミス・ヴァリエールは数々の優秀なメイジを輩出したヴァリエール公爵家の息女で、その、うむ、なんだ、将来有望な メイジと聞いておる。 しかもその使い魔は!」 ここではたと気がつき、固まった。この会議を実質振り回し、決定してきたのは他でもないこの使い魔ではないか。 本当にガンダールヴなのだろうか?むしろ孔明の間違いじゃないのか? 「…もはやなにもいうことはなかろう。諸君らも納得だと思うが。」 頷く一同。異論を唱えるものなどいなかった。一名を除いて。 「お待ちください、オールド・オスマン!」 ロングビルが立ち上がって叫んだ。 「ならば私が補佐として行きましょう。最初にこの話を持ってきたのは私です。最後まで責任を果たす必要があります!」 こうなってはあの小屋に隠してある破壊の杖をどうにかしなければ。ただ消滅させては延々捜査は続き気の休まる暇もないだろう。 ここは元に戻すのが最善策。どうせフーケ一味など存在しないのだ。自分は逃げられるに決まっている。 それに……。フーケはバビル2世を睨む。 あの男のせいでちびりそうになってしまったのだ。このお礼は必ずしてやる。そうだ、あの小屋に誘い込んでヴァリエールともども 踏み潰してやれば良い。他の二人はかわいそうだが道連れだ。シュヴァリエだというがビッグ・ゴールドに勝てるはずがない。 私をここまで怖がらせた罰だ。散々苦しんで死ぬが良い。 すっかり悪役な思考を放つようになったロングビルことフーケを、バビル2世は黙って見つめていた。 前へ / トップへ / 次へ
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No.4067 商鞅 前のサーヴァント:寺生まれのTさん 次のサーヴァント:范蠡(TS) データ 関連項目 登場歴 データ ┏━━━━━━━━━━━━━━━┓ ≪クラス≫:キャスター ┣━━━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━┓ 【真名】:商鞅 【属性】:秩序/混沌・悪 ┣━━━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┳━┻━━━━━┳━━━━━━━┳━━━━━━━┓ 【筋力】:E 【耐久】:E 【敏捷】:B 【魔力】:B 【幸運】:E 【宝具】:C ┣━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┫ -‐━━‐- / \ / / \ 、 / / .| ` / / | i l jI斗| ┼‐- | l | ´ .从 i ∧ 从 | l | | 厶ニミ∨\从| 厶ニミ Y l | | ハ/ J⌒i J⌒i ㌧ | | .从 乂.ツ 乂.ツ ノ| | | | | ' | | | | ハ | | | i 込 マ ¨フ 仏| .| | i | ゝ イ | | i ∨ > < リ 八 , ∨ 〕 - 〔 厶人 / \{\ \ 〕 〔 \ / \___/\ /∨}/)___/ /`''┐ / .)冖K \ _,. ┐ /゙Y | i | | ̄ ̄ ̄\___/ ̄ ̄ ̄| / | /Y j ∨ .| レ ┐ __/l 冂 |`ー―- | | | / .j〉 . 八 i . ┴┷━ ┴i / /∨ /⌒ヘ、 / \ ┌ y′| | / ∥ 冫´ | /ア゚ |___/ / ∨\__| ハ__ r┴┴ ―┴= 《 . 〈 ∨{ |/ / | | \ y / }_Ⅵ 〉 . } |_八 . , ゙ く | | 冫 `、 /ニニl { . | / ̄ ̄ ゙̄Yニ∧ У ⌒\__.リ 八___/⌒ `、 /ニニニ| | r┴==彡ニニ/ ̄ ̄|ニニニ∨ | | 〈ニニニ./ ̄ ̄\___止 |__/ ̄ |ニニニ/ ⌒'〕 | ∨/l ̄ ̄\ニニニニニニ二| |__/ ̄ニニニニニ.|\_ψ | i⌒ /〔二| ̄\  ̄ ̄ ̄| 代理AA:新条アカネ(SSSS.GRIDMAN) ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ 【クラススキル】 ◆陣地作成:B 法家・呪術師としての工房作成能力と、将軍としての戦陣作成能力を兼ねる。 ◆道具作成:A 魔力を帯びた器具を作成できる。 第一宝具の発動を補助する呪法端末“三丈樹根(さんじょうじゅこん)”を作成可能。 ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ 【保有スキル】 ◆大良造の指揮:B 軍師系サーヴァントに与えられるスキル「軍師の指揮」が変化したもの。 商鞅は宰相であると同時に、秦軍の最高司令官を務めた軍事的才能を持ち、 明確な証拠こそない(ネームバリューを利用した名義の拝借説が濃厚)ものの、兵法書の著者であるともされている。 将としての商鞅の戦い方は、意外かもしれないがオーソドックスな戦法に終始する。 ただしそこには、死にゆく兵士へは何の感慨も抱かない、冷徹な指揮があるのみ。 ◆商君の友誼:A+ 軍師系サーヴァントに与えられるスキル「軍師の忠言」に、「友誼の証明」が組み合わさったもの。 敵であれ味方であれ、軍師として、そして友として親身になって接することで、 どのような無謀な法策にも主君を乗せられ、またどのような罠にも相手を誘いだせる、局所的な暗示・洗脳に近い技能。 その特性上、効かない者には徹底的に効かず、逆に殺意にさえ昇華するほどの悪心証を与える。 ◆万欺の人格(秩序):A 本来は混沌属性の持ち主ながら、自分自身の心さえ偽って秩序属性を“完璧に”演じることができる。 自身の絶頂と熱意を注ぐ対象の絶頂、これが合致する限りは秩序の人として振る舞えるが、 その均衡が一度でも崩れれば、手前勝手な本来の性質が顕われ出る。 ◆疑の何たるかを識る人:A 周囲の人物が少しでも抱いた逡巡の感情を、商鞅は絶対に見逃さない。 ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ \ \ \ ヽ / \ \ \/ / } ___ \ \ / . / \ \ \ / __ -=ニ>`` \ \ . ′ ′ / \ \ _/ 。s≦>``__ ./( \ \/ / / ′ | . , ', \  ̄ // ̄ // /{// s。._ \ / / . │ | | .∧ ∨ ヽ //== // / / < ≧s∥ . | │ | | . ∧ ∨ | .// // | { /( `''<∥ l | 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┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ 【宝具】 ◆『変法二陣(ろんぱにじん)』 ランク:C 種別:対衆宝具 レンジ:1~99 最大捕捉:1000人 商鞅の変法に関する逸話などを複合状態で象徴する第一宝具。 周囲に守るべき法を制定し、特定の心理状態に陥った者の心に、判定なし且つ確定で“三丈樹根”を植え付ける。 特定の心理状態とは、“商鞅と対談し、論破される”、“商鞅の法を賞賛し、阿諛追従を行う”の二つである。 また、その対象が三丈樹根によって心身に負うダメージは通常よりも多い数値となる。 ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ 》》》》》》》》》》》》》》》》》》》》》》》》》》》| | 八 〕ト _ ィ〔 | 八 |《《《《《《《《《《《《《《《《《《《《《《《《《《| 》》》》》》》》》》》》》》》》》》》》》》》)》》)人ノイ》》/ { } ∨イ《《〉 ノ《《《《《《《{《《《《《{《《《《《(《《《《(《《《| 》》》》》》》》》》》》》》》》》》》》》》》》》}》》》》》》》/ \__,/ ∨《《《《《《《《《《《《《《《《《《(《《《《《(《《《《《《《(| 》》》》》》》》》》》》》》》》》》》》》》㌍ミ》》>'  ̄\_,△△,_/ ̄"'<《《《(《《《《《《《《《《《《《《《《《《《《《{《《| 》》》》》》》》》》》》》》》》》,れ㌻`,.ィ㌻” / ─{__}─ \ `'く《《《《《《《《《《《《《《《《{《《《(《《《《| 》》》》》》》》》》》》》》》》7/ 'ニニつ / | x个x | ゚。 ∨《《《《《《(《《《《《《《《《《《《(《《《| 》》》》》》》》》》》》》》》》'゜ 二ニつ// \/ |i \/ ∨ ∨`'く《《《《《《《《《《《《《《《《《《《| 》》》》》》》》》》》》》》)】 二つ、./ .|___八___| \__ノ |ヘ《《《《《《《《《《《《(《《{《《《| 》》)》)》)》》}》)》》)》)】 ___ノ 冫 | ┌…''"⌒ヤ / |《《《《(《《《(《《《(《《《《《《| 》》)》}》》》》))》》}》》】 {》ハ\ ,′ .|| | |// キ《《《《《《《《《《《《《《{《《《| 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T/ハ _,ゝ//ハ /////、 ,ゝ/`ーァ `ヾ///> ///// _  ̄}// }/// /////イ イ//T ノ///、> ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ 【Weapon】 ◆『三丈樹根(さんじょうじゅこん)』 サーヴァントとしての商鞅が作成する、木の根型の呪法端末。 相手の精神に根を張って心を侵し、商鞅が定めた法に対する遵守を徹底させ、 定められた法を相手が破れば、その心と肉体を破壊し始める。 精神に深く根を張るほど心理状態にも大きく干渉し、そうなった人物は意識はあるが意志はない、 そのような状況に陥り、商鞅の法を守ることに何の躊躇いも抱かなくなる。 サーヴァントであれば、対魔力などで根の侵食を阻止、また根の侵食速度を遅らせることが可能。 ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ ,,. ≠''゜ ̄ ̄ 7>x。, ,。 '" ° ., ,ィ o k 、 .。 ´ ,λ `、 ,.' i ,/ Y 、 % 。イ i / ヘ, .、 ,,' ,,' ,イ i / x≠ミ jハ_yト . ' ° i y i,イ ゜ "~ ゛、 . u. i ,,' ! 。 〉 j i . ' i f ニニニう j , ゙ i゜ ゙マ ソ i| , ゙ i °  ̄^i i| u i i .! i| i ; | i } i| | i ; | i≧ .。.. ___ィ i| | i ; | i ,ィ ~゜ 1 i| | 。! イ i k / .! i j| i 。 | y リハ .jハ. { / λ ;i ハ i j ,/ ,ィ⌒1/ ヘ {i ∧ ,ィハ リ ゜、 i ,ィ ;i / レj゛  ̄メ′ ̄ヽト。/ j/ j_,メ ゝ、 kヘИハ从,/,ィ ⌒ヽ . . . \ ^ヽ 。゜ `゚ , ゙. . . .` .、 . . メ、 」\ / . . . . ゙メ、__, /`゙マ⌒ヽ) .. '゜ . . . . . . . . . / ; ; ; ; ; ; 1^ヾ ,ィ -‐- . . ... . γ ; ; ; ; ; ; ; ; ; ;1 ; ; ; ;\ , ゙ .. ` .、 . . . ゞ ; ; ; ; ; ; ; ; ; ; |ヾh、 ; ; ;.、 ,,' .. .. `、 . .. . ≧s。,.____K ; ;\、_.;〉 /. .. . .. ... -_. . . . } ; ; ; ; ; ; ; ; ; ;〉. \ ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ 【来歴】 のちに春秋戦国時代を終結させ、史上初の皇帝が治める中原の国家となる秦。 その秦が強国になる前、孝公の時代に仕えた法家、武将であり、法治国家・秦の礎を築いた人物。 生まれは魏の属国 衛の公族系であり、商の地に封ぜられる以前は、公孫鞅(衛鞅)と呼ばれていた。 強国であったころの魏の宰相 公叔痤に食客として仕え、叔痤からの覚えは目出度いものだったが、 魏王からは軽んじられ、出世の目がなく、尚且つ魏王が暗愚であることも見抜いたために魏から出奔、 秦に流れ着いた商鞅は、若き日の孝公と三度にわたって対談し信任を得る。 孝公の信任を得た商鞅は、すぐに孝公自身の逡巡と群臣の猛反対を押し切り、二度にわたる変法を強行。 最初のうち法は非難の的となったものの、十年後には秦人は法に馴染み、国土や兵も強化されていった。 且つて仕えた魏が斉に敗れて凋落の一途をたどることとなると、自身もしばしば将として魏を攻め、 魏公子を捕虜とする大功さえ打ち立てる活躍ぶりを見せた。 だが、孝公在位時代より秦の公子にさえ酷刑を適応させ、多くの者に恨みを買っていたことが仇となり、 孝公薨去後にその子の恵文君 駟(のちの恵文王)が即位すると、彼の後見人であった公族は挙って商鞅を讒し、 恵文君自身にもまた商鞅を恨まれていたために、商鞅は都を脱出するが、自身の定めた法がもとで宿屋に匿ってもらうことができず、 封地である商で挙兵するも討伐軍との戦闘で戦死。 死体は車裂きにされ晒されたが、恵文君は法を改めることはなかった。 【能力】 公叔痤のもとで様々なことを学んだ法家・兵法家にして呪術師。 用兵に関しては小手先の知識に過ぎないため、サーヴァントとしての性能は呪術師としての能力に重きを置いている。 法を対象に適応させる条件は大まかに二つあり、 ・聖杯戦争参加陣営のうち、最低でも三陣営に法制定の事実を認知させる。 ・呪法端末“三丈樹根”が対象に侵食を開始している。 法家としてのプライドがあるのか、法制定の際に「無辜の民を傷つけない」や「無辜の財産を濫りに奪わない」等と言った、 “普通の法”じみた文言をほぼ確実に制定し、犯罪に手を染める者を目の当たりにすれば、 それが聖杯戦争と無関係な無辜の民であっても、根を植え付けて法の虜とすることも厭わない。 なお、「商鞅に〇〇をしてはいけない」などの、制定すれば勝ち確定の法は、 サーヴァントとして現界した時点で制定不可能な制限をかけられている。 論破されないためにはとにかく即答で返すのが正しい。 よく考えずの反射返答であっても、論破されていないと宝具はみなすため有効である。 つまり、賢者よりも愚者の方が商鞅の魔手から逃れられる可能性が高い。 また、このサーヴァントにできるのは「会話を続けさせなければまずい状況と空間」を形成することだけなので、 樹根を植えられ、肉体を突き破られても生きていられるような耐久力の持ち主には当然弱い。 【性格】 史実においては男性として語られるが、その正体は女性で、自身の容貌の美しさを大いに鼻にかける性悪女。 単なる性悪女で済めばよほど可愛いらしいが、史実通りの冷酷非道な人でなしでもある。 民草の苦しみを知ろうとしない政治屋であり、兵卒の苦しみを知ろうとしない大軍師。 自分が嫌われていると自覚しても、それを自発的に直そうとはしないし、何なら「消される前に消す」くらいのイケイケ思想。 彼女がその性格を改善しようとする瞬間があるとすれば、聖人の説得でも現実への直面でもなく、熱意を向ける対象が近くに存在する瞬間である。 生前には、彼女にはそれがあった。それは中原の中央より遠ざけられた野蛮国、秦の“先進国化”であった。 【行動方針】 宝具を十全に運用するには、まず他陣営との会話が必要となるため、表面上の同盟を積極的に結ぶ。 面従腹背の姿勢で、サポートを行いつつ悟られぬようにマスターなどに根を仕込んではその陣営から逃げ、また次の陣営に、そのくり返し。 【聖杯への願い】 自身にとって“唯一にして絶対的な理解者”、渠梁(秦の孝公)よりも自分が先に死ぬように、歴史を改変する。 そして、自身がなぜ秦の法改革にこれほどの情熱を傾けることができたのか、その感情の正体を知りたい。 【TS理由】 魏王がなぜ、あれほどまでに商鞅を軽視していたかというところから逆算してのTS。 商鞅を軽んじた魏王は無能であることが史実において証明されているが、原因はそれだけではない、という妄想。 公叔痤や公子卬の覚えが目出度かったのは、「相手が自分に色欲を抱いていたから」という妄想も自分の中ではある。 【一人称/二人称】 一人称:私 二人称:キミ、〇〇(下の名前呼び捨て) 二人称:丁寧な呼称法(自分を嫌っている、或いは色欲を抱いている相手に対して) 【コンセプト】 FGO的に言えば呪いと呪厄状態をめちゃくちゃな数相手に付与してゆっくりと死ぬのを眺めるタイプのキャスター。 【使用・参考にしたステータスの出所(僕鯖・皆鯖などあれば)】 FGOの始皇帝の宝具のみを参考に。 【推薦したいその他の代理AA】 秋雲(艦隊これくしょん~艦これ~) 月乃瀬=ヴィネット=エイプリル(ガヴリールドロップアウト) 【代理AAを選んだ理由】 「真の理解者を求めた」キャラ。 ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ 関連項目 登場歴 【R-18Gあんこ安価】傭兵たちは聖杯戦争のついでに独裁者を始末するようです【Fate】 1
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◆アジア・大洋州◆ 日本 安倍晴明日本[921~1005]◎妖の出自晴明の母親は信太の森の狐・葛の葉とされる。稲荷大明神の神使である狐を母に持つことから強い霊力を持って生まれたとされる。◎陰陽術土御門流陰陽術の祖。星を読み吉凶を占い、式神を使役し、反魂の法も扱ったとされる。 蘆屋道満日本[????~????(11世紀)]◎陰陽術九字を格子状に切った「九字切り」の紋はドーマンと呼ばれ、魔除けに用いられる。◎播磨法師安倍晴明と式神対決をしたり、藤原顕光に仕え藤原道長に呪詛をかけた。後に播磨国に追放され在野の陰陽術となった。 藤原道長日本[966~1028]◎藤原氏の栄華娘の彰子、嬉子を一条天皇に嫁がせ、後一条天皇、後朱雀天皇、後冷泉天皇の外祖父として権力を握り、藤原氏の絶頂期を作った。◎望月の歌天皇の摂政、太政大臣、内覧となり、満月が欠けるもののないように満足に揃っていると我が世の春を謳歌する様を歌った。 武蔵坊弁慶日本[????~1189]◎五条大橋の刀狩り武者と決闘して999本の太刀を集め、京の五条大橋で牛若丸(源義経)と戦ったが返り討ちに遭い、以降は義経の家来となった。◎弁慶の立往生奥州平泉の衣川の戦いで、義経を守り雨のような矢を受けて立ったまま絶命した。 源頼朝日本[1147~1199]◎挙兵河内源氏の源義朝の三男で伊豆に流されていたが、坂東武士らと共に平家打倒の兵を挙げ、鎌倉を中心に関東を制圧し、平家を滅ぼした。◎征夷大将軍平家に続き奥州の藤原氏も滅ぼし、後鳥羽天皇に征夷大将軍に任じられ、鎌倉幕府を開いた。 平徳子日本[1155~1214]◎国母平清盛の娘で、高倉天皇に入内して後の安徳天皇の母となる。院号は建礼門院。◎壇ノ浦の入水壇ノ浦の戦いで平家の敗北が決定的になると母の時子、子の安徳天皇と入水自殺を図ったが、救助され生き残る。その後は京都で出家し一門の菩提を弔った。◎大原御幸『平家物語』で語られる大原寂光院の徳子を後白河法皇が訪問した場面。徳子は自らの人生を振り返り、仏教の六道になぞらえて語った。 北畠顕家日本[1318~1338]◎鎮守府将軍名門貴族の出で北畠親房の長男。建武の新政で鎮守府将軍として陸奥国に下向し、東北地方の統治に当たった。◎神速の行軍足利尊氏が乱を起こすと、陸奥国から京に西上して豊島河原の合戦で尊氏の軍を敗走させた。 一休宗純日本[1394~1481]◎反骨の破戒僧後小松天皇の落胤ともいわれる臨済宗大徳寺派の僧。仏教で禁じられる飲酒、肉食、性交などを行なう一方で権威や名声を嫌った。◎髑髏杖正月に杖の先に髑髏を付けて「御用心、御用心」と練り歩いた。正月を迎えることは死に一歩近づくものだとの皮肉とされる。 北宋 司馬光北宋[1019~1086]◎旧法派の領袖英宗、神宗、哲宗に仕え宰相を務めた。あまりに性急な王安石の政治改革に対して対立し、新法の全面廃止を断行しようとした。◎資治通鑑英宗の詔によって司馬光が編纂した歴史書。戦国時代から北宋の成立までおよそ1300年が収録されている。 王安石北宋[1021~1086]◎新法青苗法や均輸法、市易法など多くの新たな法律を定め、中小の農民や商人を保護した。農業、経済、軍事だけでなく科挙の改革も行い、この改革は新法・旧法の争いと呼ばれる。◎唐宋八大家優れた文学者で、『仁宗皇帝に上りて事を言うの書(万言の書)』は名文として称えられ、唐宋八大家の一人に数えられる。 徽宗北宋[1082~1135]◎北宋皇帝北宋第8代皇帝。神宗の第十一子で哲宗の弟。兄の死後皇帝となる。◎風流天子政治よりも芸術の方面に秀でていた。『痩金体』という書体を作り、写実的な院体画を開き、『桃鳩図』などの名画を残した。◎靖康の変金に首都の開封を陥とされ捕虜となり、北宋はそのまま滅亡してしまった。 明 鄭和明[1371~1434]◎三保太監永楽帝に仕えたイスラム教徒の宦官。◎大船団ヨーロッパの大航海時代に先んじて東南アジアからアラビア半島を経てアフリカまで到達した。麒麟などの珍しい動物を本国に持ち帰った。 モンゴル帝国 チンギス・ハーンモンゴル帝国[1162~1227]◎モンゴル皇帝モンゴル部の首長イェスゲイの子で、モンゴル高原の諸部族を統一して一大帝国を築き上げ初代ハーンに即位した。◎大征服金朝をはじめ西遼、クチュルク、ホラズム・シャー朝など西方に版図を広げていった。 ジョチ・ウルス(モンゴル帝国) バトゥジョチ・ウルス(モンゴル帝国)[1207~1256]◎タタールの軛モンゴル皇帝オゴデイの命を受けてヨーロッパ遠征軍の総司令官を務める。その後ポーランドまで侵攻しヨーロッパ中を恐怖に陥れた。◎黄金のオルドジョチ・ウルス(キプチャク・ハン国)の実質的な創設者となる。国家の安定を図り、宗教においても融和的な政策を採り、『偉大なる賢君』とも呼ばれた。 ティムール朝 ティムールティムール朝[1336~1405]◎ティムール朝アミールチャガタイ・ハン国の軍事指導者だったが、ティムール朝を建国して初代アミールとなった。◎苛烈な征服降伏勧告に応じない都市には虐殺や略奪を許可した。反抗を恐怖で抑えるためにヘラート、イスファハーン、デリーなどで大量虐殺が行われた。◎サマルカンドの発展首都のサマルカンドにはモスクやマドラサ、武器工房などが多く建てられ水路も整備された。さらにバザールや隊商宿も置かれ交易の中継地点となった。 ◆ヨーロッパ◆ イングランド エドワード懺悔王イングランド[1003~1066]◎イングランド国王ウェセックス朝イングランド国王。エゼルレッド2世の子で、エドマンド2世の異母弟。◎懺悔王敬虔なカトリック教徒でウェストミンスター寺院を建立した。聖人視され『証聖王』とも表記される。 ウィリアム1世イングランド[1027~1087]◎イングランド国王ノルマン朝イングランドの初代国王。フランス貴族のノルマンディー公でもあった。◎征服王ノルマンディーからイングランドに侵攻し、『ノルマン・コンクエスト』と呼ばれる。国王裁判所を設置し、世界初の土地台帳ドゥームズデイ・ブックを作った。 スティーブンイングランド[1096~1154]◎イングランド国王ブロワ朝初代イングランド国王。フランス貴族であるブロワ伯エティエンヌ2世の子で、母方の祖父はイングランド国王ウィリアム1世。◎サリカ法ヘンリー1世の死後、ヘンリー1世の娘であるマティルダと王位を争ったが、「女性は君主に就けない」というサリカ法を根拠に王座を手に入れた。 リチャード1世イングランド[1157~1199]◎イングランド国王プランタジネット朝第2代イングランド国王。ヘンリー2世とアリエノール・ダキテーヌの三男。◎獅子心王生涯のほとんどを戦場で過ごし、騎士の鑑と謳われた。アーサー王伝説に憧れ、自分の剣にエクスカリバーと名付けた。◎十字軍第3回十字軍に参加しアッコンを征服する。その後サラディンと休戦協定を結んで帰国した。 ジョンイングランド[1166~1216]◎イングランド国王プランタジネット朝第3代イングランド国王。ヘンリー2世とアリエノール・ダキテーヌの末子で、兄に若ヘンリー王、リチャード1世らがいる。◎欠地王フランスとの戦いで大陸の領土を失ったため『失地王』とも呼ばれる。元々は、出生時に領地を与えられなかった事に由来する。◎マグナ・カルタの承認失政を重ね、王権を制限するマグナ・カルタの承認を余儀なくされた。 シモン・ド・モンフォールイングランド[1208~1265]◎レスター伯第6代レスター伯。前半生はヘンリー3世の寵愛を受けた。◎第二次バロン戦争国王ヘンリー3世と対立すると諸侯と共に王権に抵抗した。一時は国王を拘束したが、最終的には鎮圧された。◎オックスフォード条項王権を制限する条項で、大臣任命、地方行政、王城の監督を15人委員会に委ねる取り決め。この委員会は議会の監視下に置かれた。 エドワード黒太子イングランド[1330~1376]◎イングランド王太子イングランド国王エドワード3世とフィリッパ・オブ・エノーの長男。◎長弓隊長弓(ロングボウ)を用いて戦う部隊。弩(クロスボウ)に比べて連射が利く分、弓兵の熟練が必要となる。◎ポワティエの戦い英仏百年戦争においてフランス西部で行われた戦い。イングランドの長弓部隊がフランス騎兵を狙い撃ち、フランス王ジャン2世を捕虜とする大勝利を収めた。 ジョン・ウィクリフイングランド[1324~1384]◎ウィクリフ聖書ラテン語で書かれた聖書を史上初めて英訳し、新約聖書、旧約聖書を出版した。◎ロラード派ウィクリフの思想から発展した考え方。聖職者の権威はカトリックのヒエラルキーではなく聖書に基くと強調する。教皇に清貧と教会財産への課税を求めた。 ジョン・タルボットイングランド[????~1453]◎シュールズベリー伯初代シュールズベリー伯爵で、短い期間ながらアイルランド総督も務めた。◎イングランドのアキレス英仏百年戦争の主要な指揮官で、勇猛果敢で知られた。ヴェルヌイユの戦いでは勝利を収めるが、オルレアン包囲戦、パテーの戦いで敗れ、カスティヨンの戦いで敗死した。 オウエン・テューダーイングランド[1400頃~1461]◎テューダー家の祖元々ウェールズの貴族で、ヘンリー5世に仕え百年戦争のアジャンクールの戦いで戦功を挙げる。ヘンリー5世が没するとその未亡人キャサリン妃との間に子をもうけ、孫のヘンリー7世が薔薇戦争を制してテューダー朝を開いた。 フランス 隠者ピエールフランス[????~1115]◎扇動十字軍が提唱されると各地で説法を説いて十字軍への参加を呼び掛けた。◎民衆十字軍十字軍の本隊到着まで待てなかった民衆は次々と出発するが先々で略奪を行い、挙句ドラコンの戦いで壊滅した。 ユーグ・ド・パイヤンフランス[1070~1136]◎テンプル騎士団総長第1回十字軍終了後、エルサレム巡礼者を保護するために設立された騎士修道会の初代総長。騎士団はほかにも寄進された財産を運用して国際的な財務システムを発達させた。 ルイ7世フランス[1120~1180]◎フランス国王カペー朝第6代フランス国王。ルイ6世の子で『若王』と呼ばれた。◎修道士の振る舞いサン=ドニ修道院で育ち、第2回十字軍にも参加し、ヘンリー2世に迫害されたトマス・ベケットを保護した。しかし、結婚したアリエノール・ダキテーヌからは「王と結婚したと思っていたら修道士だった」と言われた。 アリエノール・ダキテーヌフランス[1122~1204]◎アキテーヌ女公アキテーヌ公ギヨーム10世の娘で、広大なアキテーヌ公領、ガスコーニュ公領、ポワチエ伯領などを相続した。◎ヨーロッパの祖母フランス王ルイ7世、イングランド王ヘンリー2世と結婚しており、広大な領土は英仏の百年戦争の遠因となったといわれる。 フィリップ2世フランス[1165~1223]◎フランス国王カペー朝第7代フランス国王。ルイ7世の子。◎尊厳王(オーギュスト)第3回十字軍に参加し、イングランド王ジョンから大陸領土の大半を回収した。内政においてもパリを整備するなど、偉大な王として評価される。 ルイ9世フランス[1214~1270]◎フランス国王カペー朝第9代フランス国王。◎聖王高潔で敬虔な人物で、教会の対立を調停したり、国内の裁判制度を整備した。◎十字軍第7回、第8回十字軍を主導して遠征したが、ことごとく失敗に終わった。 ジャンヌ・ダルクフランス[1412~1431]◎ラ・ピュセル神からの啓示を受けてシャルル7世をフランス王位に就けた。◎オルレアンの乙女イングランド軍に包囲されたオルレアンを解放した。最前線で旗を振るジャンヌの姿は多くの兵が奮い立たせたという。◎異端審問ジャンヌを捕らえたイングランドはフランスの士気を挫くためにも無理やり魔女として火刑に処した。 ジル・ド・レフランス[1404~1440]◎大元帥フランス王国の地方貴族であり、ジャンヌ・ダルクと共に英仏百年戦争を戦い『救国の英雄』とまで呼ばれた。◎黒魔術ジャンヌ・ダルクの死後はオカルトに傾倒し、少年誘拐などの黒い噂も立った。◎青ひげシャルル・ペローの童話に登場する青ひげのモデルとなった。 ラ・イールフランス[1390頃~1443]◎ジャンヌの戦友百年戦争時のフランス軍の指揮官。ジャンヌ・ダルクと共にオルレアン包囲戦を勝利に導いた。ジャンヌがイングランドに捕らわれると奪還を主張した。◎癇癪持ち粗暴で怒りっぽい性格で、ラ・イール(憤怒)の異名で呼ばれた。 シャルル7世フランス[1403~1461]◎フランス国王ヴァロワ朝第5代フランス国王。◎勝利王ジャンヌ・ダルクを起用してランスで戴冠する。その後イングランドからノルマンディーやギュイエンヌを奪還してフランスの復興に尽くした。◎疑心暗鬼ジャンヌが謁見した際に別の者を立てて臣下に紛れていた話があり、ジャンヌが捕われた時も身代金を支払おうとしなかった。 神聖ローマ帝国 アルベルトゥス・マグヌス神聖ローマ帝国[1193頃~1280]◎普遍博士トマス・アクィナスの師であり、アリストテレス哲学と教会教義を融合させ、スコラ哲学の礎を築いた。◎錬金術神の教えに背くものではないとして錬金術を研究し、ヒ素を発見した。◎守護聖人医療技術者、自然科学、科学者、哲学者、学生などの守護聖人。 ヨハンネス・リヒテナウアー神聖ローマ帝国[????~????(14世紀)]◎ドイツ流剣術剣だけでなく盾、短剣、小刀、甲冑戦闘、平服戦闘、騎乗での組み討ちを含んだ剣術を確立した。◎リヒテナウアーの友数多くの弟子たちがおり、師の教えを受け継ぐ剣術家の集団が『リヒテナウアーの友』を名乗った。 ヤン・フス神聖ローマ帝国(ボヘミア)[1369~1415]◎フス派贖宥状を批判して聖書だけを信仰の根拠としたプロテスタントの先駆け。フスの支持者をフス派と称する。◎真実は勝つカトリックに破門され、コンスタンツ公会議の後に火刑に処されたフスが最後に残した言葉。この言葉は現在のチェコの国の標語になっている。 ヤン・ジシュカ神聖ローマ帝国(ボヘミア)[1347~1424]◎フス戦争『隻眼のジシュカ』と呼ばれ、フスが火刑に処されると皇帝ジギスムントに反旗を翻した。城塞都市ターボルを建設するとターボル派を結成し、カトリックの皇帝軍を圧倒した。◎新兵器フス戦争では携帯可能な銃火器であるマスケット銃や、荷車を改造した戦車などの新兵器が導入された。 ヨハネス・グーテンベルク神聖ローマ帝国[1390~1468]◎活版印刷技術金細工師で、金属活字を使った活版印刷術を発明した。印刷業・印刷物出版業を創設して本の大量生産を可能にした。印刷技術は羅針盤、火薬と共にルネサンス三大発明の一つに挙げられる。◎四十二行聖書グーテンベルクが初めて印刷した書物。42行で組まれた聖書で180部が羊皮紙に印刷された。 教皇領 ウルバヌス2世教皇領[1042~1099]◎ローマ教皇第159代ローマ教皇。クリュニー修道院長、オスティア司教、枢機卿などを歴任する。◎神がそれを望まれる(デウス・ウルト)クレルモン教会会議において第1回十字軍の派遣を訴える演説を行なった。 インノケンティウス3世教皇領[1161~1216]◎ローマ教皇第176代ローマ教皇。◎十字軍第4回十字軍を提唱するが、ヴェネツィアが主導して東ローマ帝国を略奪したため、全て破門した。◎教皇は太陽、皇帝は月第4ラテラン公会議でこう演説した通り、この時期にローマ教皇の権力が絶頂だった。 ボニファティウス8世教皇領[1235~1303]◎ローマ教皇第193代ローマ教皇。アナーニの名門の出でドミニコ会員でもあった。◎文化の保護学問への造詣が深くローマ大学を設立し、多くの芸術家のパトロンとなった。一方で華美を好む美食家で、教皇庁はカジノのようであったとされた。◎アナーニ事件フランス王フィリップ4世やコロンナ家と対立し、アナーニの離宮で襲撃され数日間監禁された事件。その後ボニファティウス8世は高齢と屈辱のため憤死した。 ヴェネツィア共和国 エンリコ・ダンドロヴェネツィア共和国[1107?~1205]◎ヴェネツィア元首皇ヴェネツィア共和国の第41代元首。ヴェネツィアで高名なダンドロ家の出身。◎第4回十字軍十字軍の資金援助をする代わりにザラを攻撃させ、ビザンツ帝国の皇位継承問題に介入するとコンスタンティノープルまでも攻撃させる。結果的にラテン帝国が成立し、一時ビザンツ帝国は滅亡した。 マルコ・ポーロヴェネツィア共和国[1254~1324]◎東方見聞録アジア諸国の見聞を口述したものをルスティケロ・ダ・ピサが記述した旅行記。マルコ・ポーロ自身が記したものではない。日本を黄金の国ジパングと表現し、東インド諸島の香辛料などを紹介したことで、後の大航海時代に大きな影響を与えた。 フィレンツェ共和国 ダンテ・アリギエーリフィレンツェ公国[1265~1321]◎神曲ダンテ自身がローマの詩人ウェルギリウスの案内で地獄・煉獄・天国を旅する物語。そこで再会したベアトリーチェに導かれて天へと至り、世界を動かすのは神の愛であると知る物語。ルネサンスの最高傑作の一つとされる。 ロレンツォ・デ・メディチフィレンツェ共和国[1449~1492]◎フィレンツェ僭主ルネサンス期のメディチ家の当主で、フィレンツェの実質的な統治者だった。◎豪華王優れた政治・外交能力を持ち、イタリア各国の利害調整に大きな影響を持った。◎芸術の庇護者美術のみならず、建築や彫刻などのパトロンとしても知られ、若きミケランジェロの才能を見出した。 ジローラモ・サヴォナローラフィレンツェ共和国[1452~1498]◎神権政治フィレンツェの僭主ピエロ・デ・メディチを追放して、共和国の政治顧問となった。◎虚栄の焼却市民にも清貧を求め、贅沢品として美術品や書籍などをシニョリーア広場に集めて焼却した。 ポルトガル エンリケ航海王子ポルトガル[1394~1460]◎航海王子ポルトガル王ジョアン1世の子で、大航海時代初期のパトロン。◎船酔い自らは船酔いがひどく、航海に出る事はなかった。 ハンガリー王国 ウルバンハンガリー王国[????~1453]◎技術者ビザンツ帝国の技術者だったが、オスマン帝国のメフメト2世の支援を受けて大砲の研究をした。◎ウルバン砲バシリカ砲という巨大な射石砲。オスマン帝国のコンスタンティノープルの包囲戦に用いられ、テオドシウスの城壁を破壊した。 グルジア王国 タマルグルジア王国[1160?~1213]◎グルジア女王バグラティオニ朝グルジア王国の女王。ギオルギ3世の娘。◎グルジアの最盛期セルジューク朝に対抗して勢力を拡大し、トレビゾンド帝国の成立にも力を貸した。 ワラキア公国 ヴラド3世ツェペシュワラキア公国[1431~1476]◎ワラキア公バサラブ朝ワラキア公国の君主。竜公(ドラクル)と呼ばれるヴラド2世の子。◎串刺し公(カズィクル・ベイ)反乱を起こした貴族を串刺し刑にして粛清し、攻めてきたオスマン朝の兵士も串刺しにして晒したため冷徹な君主として恐れられた。 ビザンツ帝国 バシレイオス2世ビザンツ帝国[958~1025]◎ビザンツ皇帝マケドニア朝ビザンツ帝国第9代皇帝。ロマノス2世の嫡男。◎ブルガリア人殺し(ブルガロクトノス)ブルガリアとのクレディオン峠の戦いで大勝してバルカン半島を制圧し、中世のビザンツ帝国の最盛期を築いた。征服地には寛容な政策を取り、禁欲的な生活を送った。 ◆中東・アフリカ◆ ザンギー朝 ヌールッディーンザンギー朝[1118~1174]◎ザンギー朝アミールザンギー朝第2代アミール。初代アミール・ザンギーの子。◎イナブの戦いアンティオキア公国を破り、ダマスカスなどシリアの大部分を支配下に収めた。以降も領土を広げてイスラム勢力を統一していった。◎信仰の保護光のモスクやヌーリーヤ学院などを創設し、信仰や学問を保護した。 アイユーブ朝 サラディンアイユーブ朝[1137~1193]◎信仰の救いザンギー朝、ファーティマ朝滅亡後、アイユーブ朝を創始する。◎シリアの稲妻エジプトを掌握し、エルサレム王国との戦いで聖地エルサレムを奪還した。第3回十字軍の進軍を受けたがリチャード1世と休戦協定を結んだ。◎寛容の精神降伏した兵を護衛を付けて解放し、公正な人格は十字軍君主の尊敬も集めた。 アル=アーディルアイユーブ朝[1145~1218]◎アイユーブ朝スルタンアイユーブ朝第4代スルタンで、サラディンの弟に当たる。◎公正なる者第3回十字軍でリチャード1世と交渉して和睦を成立させた。狡知と策略に長け、エジプトの平和を保った。 オスマン朝 メフメト2世オスマン朝[1432~1481]◎オスマン朝スルタンオスマン朝第7代スルタンでムラト2世の子。◎征服王コンスタンティノープルを陥落させビザンツ帝国を滅亡させた。さらにセルビア公国やトレビゾント帝国、ボスニア王国などを征服した。◎トプカプ宮殿征服したコンスタンティノープルに宮殿を建設し、スルタンの居住地とした。 ガリラヤ公国 タンクレードガリラヤ公国[1072~1112]◎ガリラヤ公第1回十字軍に参加してエルサレムの占領に成功する。エルサレム王国が成立するとガリラヤ公となった。◎アンティオキア公国摂政十字軍国家のひとつであるアンティオキア公国のボエモン1世の甥で、摂政として公国の留守を守った。軍略に長け、アンティオキア公国の領土拡大に大きく貢献した。 ◆南北アメリカ◆
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唐書巻八十四 列伝第九 李密 単雄信 祖君彦 李密は、字を玄邃といい、一字に法主ともいい、その先祖は遼東郡襄平の人である。曾祖父の李弼は、西魏の司徒となり、徒何氏の姓を賜り、北周に入って太師・魏国公となった。祖父の李曜は、邢国公となった。父の李寛は、隋の上柱国・蒲山郡公となった。そのまま長安に家を構えた。 密趣解雄遠、多策略、散家貲養客礼賢不愛藉。以蔭為左親衛府大都督・東宮千牛備身。額鋭角方、瞳子黒白明澈。煬帝見之、謂宇文述曰:「左仗下黒色小兒為誰?」曰:「蒲山公李寛子密。」帝曰:「此兒顧盼不常、無入衛。」它日、述諭密曰:「君世素貴、當以才學顯、何事三衛間哉!」密大喜、謝病去、感厲讀書。聞包愷在緱山、往従之。以蒲乘牛、挂漢書一帙角上、行且讀。越国公楊素適見于道、按轡躡其後、曰:「何書生勤如此?」密識素、下拜。問所讀、曰:「項羽伝。」因與語、奇之。帰謂子玄感曰:「吾観密識度、非若等輩。」玄感遂傾心結納。嘗私密曰:「上多忌、隋暦且不長、中原有一日警、公與我孰後先?」密曰:「決兩陣之勝、噫嗚咄嗟、足以讋敵、我不如公。天下英雄馭之、使遠近帰屬、公不如我。」 大業九年、玄感挙兵黎陽、遣人入関迎密。密至、謀曰:「今天子遠在遼左、去幽州尚千里、南限鉅海、北阻彊胡、号令所通、惟楡林一道爾。若鼓而入薊、直扼其喉、高麗抗其前、我乘其後、不旬月齎糧竭、挙麾召之、衆可盡取、然後伝檄而南、天下定矣、上計也。関中四塞之地、彼留守衛文昇、易人耳。若徑行勿留、直保長安、據函・崤、東制諸夏、是隋亡襟帶、我勢万全、中計也。若因近趣便、先取東都、頓兵堅城下、不可以勝負決、下計也。」玄感曰:「公之下計、乃吾上策。今百官家屬皆在洛、當先取之、以搖其心。且經城不拔、何以示武?」密計不行。玄感至東都、所戰必克、自謂功在旦暮。既獲内史舎人韋福嗣、遂任之、故謀不專密。福嗣恥見執、策議皆持兩端。密揣其貳、謂玄感曰:「福嗣窮、為我虜、志在観望。公初挙大事、姦人在側、事必敗、請斬以徇。」不従。密謂所親曰:「玄感好反而不圖勝、吾屬虜矣!」福嗣果遁去。会左武候大将軍李子雄得罪、伝送行在、道殺使者、奔玄感、勸挙大号。玄感問密、密曰:「昔張耳諫陳勝自王、荀彧止魏武求九錫、皆見疑外。今密将無類之乎?然阿諛順旨、非義士也。且公雖屢勝、而郡県未有応者、東都尚彊、救兵踵來、公當率精甲、身定関中、奈何亟自帝?」玄感笑而止。 及隋軍至、玄感曰:「策安決?」密曰:「元弘嗣方戍隴右、可陽言其反、使迎我、因引軍西。」従之。至陝、欲圍弘農宮、密曰:「今紿衆入関、機在速、而追兵踵我、若前不得據險、退無所守、何以共完!」玄感不聽。留攻三日、不能拔、引去、至閺郷、追及而敗。 密羸行入関、為邏所獲、與支党護送帝所。密謂衆曰:「吾等至行在、且葅醢、今尚可以計脱、何為安就鼎鑊?」衆然之。乃令出所有金示監使曰:「即死、幸報徳。」使者顧金、禁漸弛、益市酒、飲笑讙譁、守者懈、密等遂夜亡去。抵平原、賊郝孝徳不見礼、去之淮陽。歳饑、削木皮以食。変姓名為劉智遠、教授諸生自給、鬱鬱不得志、哀吟泣下。人有告太守趙佗者、佗捕之、遁免。往依媦婿雍丘令丘君明、転匿大侠王季才家、為吏捕、復亡去。 時東郡賊翟讓聚党万人、密因介其徒王伯當以策干讓曰:「今主昏於上、人怨於下、鋭兵盡之遼海、和親絶於突厥、南巡流連、空棄関輔、此實劉・項挺興之会。足下資豪桀、士馬精勇、指罪誅暴、為天下先、楊氏不足亡也。」讓由是加礼、遣説諸賊、至輒下。因為讓計曰:「今稟無見糧、難以持久、卒遇敵、其亡無時。不如取滎陽、休兵館穀、待士逸馬肥、乃可與人爭利。」讓聽之、遂破金隄関、徇滎陽諸県、皆下。滎陽太守楊慶・河南討捕大使張須合兵討讓、讓素憚須、欲引去。密曰:「須健而無謀、且驟勝易驕、吾為公破之。」讓不得已、陣而待。密率驍勇常何等二十人為游騎、伏千兵莽間。須素輕讓、引兵搏之、讓少、伏發、與游軍乘之、遂殺須。 十三年、讓分兵與密、別為牙帳、号蒲山公。密持軍嚴、雖盛夏号令、士皆若負霜雪、然戰得金寶、盡散之、繇是人為用。復説讓曰:「今群豪競興、公宜先天下攘除群凶、寧常剽奪草間求活哉?若直取興洛倉、發粟以賑窮乏、百万之衆一朝可附、霸王之業成矣。」讓曰:「僕起畎隴、志不及此、須君得倉、更議之。」 二月、密以千人出陽城北、踰方山、自羅口拔興洛倉、據之、獲県長柴孝和。開倉賑食、衆繈屬至数十万。隋越王侗遣将劉長恭・房崱討密、又令裴仁基統兵出成西。密乃為十隊、跨洛水、抗東・西二軍。令単雄信・徐世勣・王伯當騎為左右翼、自引麾下急撃長恭等、破之。東都震恐、衆保太微城、台寺倶満。 讓等乃推密為主、建号魏公。鞏南設壇場、即位、刑牲歃血、改元永平、大赦、其文移称行軍元帥魏公府。以讓為司徒、邴元真左長史、房彦藻右長史、楊徳方左司馬、鄭徳韜右司馬、単雄信左武候大将軍、徐世勣右武候大将軍、祖君彦記室。城洛口、周四十里、居之。命護軍将軍田茂広造雲旝三百具、以機發石、為攻城械、号「将軍」。進逼東都、燒上春門。 四月、隋虎牢将裴仁基・淮陽太守趙佗降、長白山賊孟讓以所部帰密。以仁基為上柱国、與讓率兵二万襲回洛倉、守之。入都城掠居人、火天津橋。隋出軍乘之、仁基等敗、還保鞏。司馬楊徳方戰死。密自督衆三万、破隋軍於故城、復得回洛倉。俄而徳韜死、乃以鄭頲為左司馬、鄭虔象右司馬。諸賊帥黎陽李文相・洹水張昇・清河趙君徳・平原郝孝徳皆帰密、因襲取黎陽倉。永安大族周法明挙江・黄地附之、斉郡賊徐圓朗・任城大侠徐師仁來帰。密令幕府移檄州県、列煬帝十罪、天下震動。 護軍柴孝和説密曰:「秦地阻山帶河、項背之亡、漢得之王。今公以仁基壁回洛、翟讓保洛口、公束鎧倍道趨長安、百姓誰不郊迎?是征而不戰也。衆附兵彊、然後東向、指撝豪桀、天下廓廓無事矣。今遲之、恐為人先。」密曰:「僕懐此久、顧我部皆山東人、今未下洛、安肯與我偕西?且諸将皆群盜、不相統一、敗則掃地矣。」遂止。是時、隋軍益出、密負鋭、急與之确、中流矢、臥営中、隋軍乘之、密衆潰、棄倉守洛口。 高祖起師太原、密自謂主盟、遣将軍張仁則致書于帝、呼為兄、請以歩騎会河内。帝覽書、笑曰:「密陸梁、不可折簡致之。吾方定京師、未能東略、若不與、是生一隋。密適為吾守成皋、拒東都兵、使不得西、更遣票将莫如密。吾寧推順、使驕其志、我得留撫関中、大事済矣。」令記室温大雅作報書、厚礼尊讓。密大喜、示其下、曰:「唐公見推、顧天下無可慮者。」遂專事隋。 九月、遣将李士才将兵十二万、攻隋鷹揚郎将張珣河陰、挙之。珣極罵不屈死。斉方士徐鴻客上書勸密因士氣趨江都、挾帝以令天下。密異其言、具幣邀之、已亡去。煬帝遣王世充選卒十万撃密、世充営洛西、戰不利、更陳洛北、登山以望洛口。密引度洛、與世充戰。密兵多騎與長槊、而北薄山、地隘騎迮不得騁。世充多短兵盾、蹙之、密軍卻、世充乘勝進攻密月城。密還洛南、引而西、突世充営、世充奔還。師徒多喪、孝和溺死洛水、密哭之慟。自是大小六十餘戰。 翟讓部将王儒信憚密威望、勸讓自為大宰、総秉衆務、収密權。讓兄寛亦曰:「天子當自取、何乃授人?」密聞之、與鄭頲陰圖讓。会世充兵又至、讓出拒、少退。密馳助之、戰石子河、世充走。明日、高会饗士、讓至密所、密令房彦藻引其左右就別帳飲。密出名弓示讓、讓挽満、遣劍士蔡建従後撃之、并殺其兄・姪及儒信。密馳入讓壁慰諭、士無敢動者、以徐世勣・単雄信・王伯當分統其兵。隋将楊慶守滎陽、因説下之。世充夜襲倉城、密伏甲殪其衆。 義寧二年、世充復営洛北、為浮梁、絶水以戰、密以千騎迎撃、不勝。世充進薄其壘、密提敢死士数百邀之、世充大潰、士爭橋溺死者数万、洛水為不流、殺大将六人、獨世充脱。会夜大雨雪、士卒僵死且盡。密乘鋭拔偃師、脩金墉城居之、有衆三十万。又與東都留守韋津戰上春門、執津於陣。将作大匠宇文愷子儒童・河南留守職方郎柳續・河陽都尉獨孤武都・河内郡丞柳燮皆降。於是海岱・江淮間爭響附、竇建徳・朱粲・楊士林・孟海公・徐圓朗・盧祖尚・周法明等悉上表勸進、府官屬亦請之。密曰:「東都未平、且勿議。」 五月、越王侗称帝。六月、宇文化及擁兵十餘万至黎陽。侗遣使授密太尉・尚書令・東南道大行台行軍元帥・魏国公、令平化及而後入輔、密受之。乃引兵東追化及黎陽。密知化及乏食、利速戰、乃持重以老其兵、使徐世勣保黎陽倉、化及攻不可下。密與隔水陣、遙謂化及曰:「公家本戎隸破野頭爾、父子兄弟受隋恩、至妻公主。上有失徳不能諫、又虐弑之、冒天下之惡、今安往?能即降、尚全後嗣。」化及默然良久、乃瞋目為鄙語辱密。密顧左右曰:「此庸人、圖為帝、吾當折箠驅之。」乃以輕騎五百焚其攻具、火終夜不滅。度化及糧盡、乃偽與和、化及喜、使軍恣食、既而密饋不至、乃寤。遂大戰童山下、密中矢、頓汲県堅壁。化及勢窮、掠汲郡、趣魏県。其将陳智略・張童仁等率所部兵帰密、前後相踵。 初、化及留輜重東郡、遣所署刑部尚書王軌守之。至是、軌挙郡降密。由是引而西、遣使朝東都、執弑逆人于弘達獻於侗。侗召密入朝、至温、聞世充殺元文都、乃止。遂帰金墉、拘侗使不遣。 初、密既殺翟讓、心稍驕、不卹士、素無府庫財、軍戰勝、無所賜與、又厚撫新集、人心始離。民食興洛倉者、給授無檢、至負取不勝、委於道、踐輮狼扈。密喜、自謂足食。司倉賈潤甫諫曰:「人、国本。食、人天。今百姓飢捐、暴骨道路。公雖受命、然賴人之天以固国本。而稟取不節、敖庾之蔵有時而儩、粟竭人散、胡仰而成功?」不聽。徐世勣数規其違、密内不、使出就屯、故下苟且無固志。初、世充乏食、密少帛、請交相易、難之。邴元真好利、陰勸密許焉。後世充士飽、降者益少、密悔而止。 武徳元年九月、世充悉衆決戰、先以騎数百度河、密遣迎戰、驍将十餘人皆被創返。明日、密留王伯當守金墉、自引精兵出偃師、北阻邙山待之。密議所便、裴仁基曰:「世充悉勁兵來、東都必虚、請選衆二万向洛、世充必自拔帰、我整軍徐還。兵法所謂彼帰我出、彼出我帰、以疲之也。」密眩於衆、不能用。仁基撃地嘆曰:「公後必悔!」遂出兵陣。世充陰索貌類密者、使縛之。既兩軍接、埃霧囂塞、世充軍、江淮士、出入若飛、密兵心動。世充督衆疾戰、使牽類密者過陣、譟曰:「獲密矣!」士皆呼万歳、密軍乱、遂潰。裴仁基・祖君彦皆為世充所禽、偃師劫鄭頲叛帰世充。密提衆万餘馳洛口、将入城、邴元真已輸款世充、潛導其軍。密知不發、期世充度兵半洛水、掩撃之。候騎不時覺、比出、世充絶河矣。即引騎遁武牢、元真遂降、衆稍散。 密将如黎陽、或曰:「向殺翟讓、世勣傷幾死、瘡猶未平、今可保乎?」時王伯當棄金墉屯河陽、密輕騎帰之、謂曰:「敗矣、久苦諸君、我今自刎以謝衆!」伯當抱密慟絶、衆皆泣、莫能仰視。密復曰:「幸不相棄、當共帰関中、密雖無功、諸君必富貴。」掾柳燮曰:「昔盆子帰漢、尚食均輸。公與唐同族、雖不共起、然遏隋帰路、使無西、故唐不戰而據京師、亦公功也。」密又謂伯當曰:「将軍族重、豈復與孤倶行哉?」伯當曰:「昔蕭何挙宗従漢、今不昆季盡行、以為媿。豈公一失利、輕去就哉?雖隕首穴胸、所甘已。」左右感動、遂來帰。 初、密建号登壇、疾風鼓其衣、幾仆。及即位、狐鳴於旁、惡之。及将敗、鞏数有回風發於地、激砂礫上屬天、白日為晦。屯営群鼠相銜尾西北度洛、經月不絶。 及入関、兵尚二万。高祖使迎勞、冠蓋相望、密大喜、謂其徒曰:「吾所挙雖不就、而恩結百姓、山東連城数百、以吾故、當盡帰国。功不減竇融、豈不以台司處我?」及至、拜光祿卿、封邢国公、殊怨望。帝嘗呼之弟、妻以表妹獨孤氏。後礼寖薄、執政者又求賄、滋不平。因朝会進食、謂王伯當曰:「往在洛口、嘗欲以崔君賢為光祿、不意身自為此。」 未幾、聞故所部将多不附世充者、高祖詔密以本兵就黎陽招撫故部曲、經略東都、伯當以左武衛将軍為密副。馳馹東至稠桑驛、有詔復召密、密大懼、謀叛。伯當止之、不従、乃曰:「士立義、不以存亡易慮。公顧伯當厚、願畢命以報。今可同往、死生以之、然無益也。」乃簡驍勇数十人、衣婦人服、戴冪、蔵刀裙下、詐為家婢妾者、入桃林伝舎、須臾変服出、據其城。掠畜産、趣南山而東、馳告張善相以兵応己。 熊州副将盛彦師率歩騎伏陸渾県南邢公峴之下、密兵度、橫出撃、斬之、年三十七、伯當倶死、伝首京師。時徐世勣尚為密保黎陽、帝遣使持密首往招世勣。世勣表請収葬、詔帰其尸、乃發喪、具威儀、三軍縞素、以君礼葬黎陽山西南五里、墳高七仞。密素得士、哭多歐血者。 邴元真之降也、世充以為行台僕射、鎮滑州。密故将杜才幹恨其背密、偽以兵帰之、斬取其首、祭密、已乃帰国。 単雄信は、曹州済陰の人である。翟讓と友好を結んだ。馬上で槍を用いるのをよくし、李密の軍中で「飛将」と号された。偃師で敗れると、王世充に降り、大将となった。秦王(李世民)が東都を包囲すると、単雄信は抵抗して戦い、槍が幾度か王におよんだので、徐世勣が「秦王であるぞ!」とかれに怒鳴っていうと、そのまま退いた。のちに東都が平定されると、洛渚の上で斬られた。 祖君彦は、北斉の僕射の祖孝徴の子である。博學彊記、屬辭贍速。薛道衡嘗薦之隋文帝、帝曰:「是非殺斛律明月人兒邪?朕無用之。」煬帝立、尤忌知名士、遂調東都書佐、檢校宿城令、世謂祖宿城。負其才、常鬱鬱思乱。及為密草檄、乃深斥主闕。密敗、世充見之、曰:「汝為賊罵国足未?」君彦曰:「跖客可使刺由、但愧不至耳!」世充令撲之。既困臥樹下、世充已自欲盜隋、中悔、命醫許惠照往視之、欲其蘇。郎将王拔柱曰:「弄筆生有餘罪。」乃蹙其心、即死、戮尸於偃師。 賛曰:或称密似項羽、非也。羽興五年霸天下、密連兵数十百戰不能取東都。始玄感乱、密首勸取関中。及自立、亦不能鼓而西、宜其亡也。然礼賢得士、乃田橫徒歟、賢陳渉遠矣!噫、使密不為叛、其才雄亦不可容於時云。 前巻 『新唐書』 次巻 巻八十三 列伝第八 『新唐書』巻八十四 列伝第九 巻八十五 列伝第十
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台詞の元ネタについて 織田家 『 で、あるか 』 (UC織田信長・SR織田信長(天下布武)・SR織田信長(三段撃ち) : 復活時・熟練度上昇時) 「信長公記」にも度々登場し、某大河ドラマなんかでも口癖のように織田信長が多用していた言葉。 実際の信長にとっても口癖だったかは不明だが、斎藤道三との会見をした際に道三の側近から、 「是ぞ山城殿にて御座候」と道三を紹介されると「で、あるか」と返したとの記録が残っている。 また、道三はこの会見(と場所へ向かう信長の様子)から信長の非凡さを見抜き、 「わしの子らは、あのうつけの門前に馬を繋ぐことになろう」と述べたと言われている。 (門前に馬を繋ぐ=家来になることを意味する) 現代口語訳では「そうか」という素っ気無い返事であり、不躾で面倒くさそうな印象を与える。 『 是非も無し 』 (SR織田信長(三段撃ち) : 撤退時) 本能寺の変において、本能寺から逃げるよう進言した森蘭丸に対しての織田信長の返答。 「是(良し)も非(悪い)を論じる意味は無い」、転じて「もはやどうしようもない」という意味になる。 信長が明智光秀を重用しており、その実力を誰よりも知っていた。 更には襲撃に対抗でき得る戦力が無かったため、「是非も無し」と発したと予想される。 信長自ら応戦した後、本能寺に火を放ち自刃した。 上記の『で、あるか』の様に主語を用いておらず、面倒な前置きや遠回しな言い方を嫌ったとされる信長ならではの言葉といえる。 尚、本能寺だけでなく金ヶ崎の戦いで浅井家が裏切ったという報告を受け、撤退するときにもこの言葉をつぶやいたという。 『 死ぬときゃ死ぬのさ 』 (SR前田慶次 : 撤退時) 晩年、米沢にて余生を過ごした前田慶次の記した「無苦庵記」の最後に、次のような一節が在る。 そもそもこの無苦庵は孝を勤むべき親もなければ憐むべき子も無し。 こころは墨に染ねども、髪結がむづかしさに、つむりを剃り、手のつかひ不奉公もせず、足の駕籠かき小揚やとはず。 七年の病なければ三年の蓬も用いず。 雲無心にして岫を出るもまたをかし。 詩歌に心なければ月花も苦にならず。 寝たき時は昼も寝、起きたき時は夜も起る。 九品蓮台に至らんと思う欲心なければ、八萬地獄に落つべき罪もなし。 生きるまで生きたらば、死ぬるでもあらうかとおもふ。 最後の一文を現代語に訳すと「生きられる分だけ生きたなら、あとは死ぬだけだろうと思っている」といったニュアンスであり、 この台詞もそれに因んだ物であると思われる。 『 む、報いを待て 』 (UC織田信孝 : 撤退時) 信孝の辞世の句より。 昔より 主を討つ身の 野間なれば 報いを待て や 羽柴筑前 羽柴筑前とは羽柴秀吉のことである。 信長の死後、総大将として秀吉軍と共に明智軍を討伐する。が、清洲会議において織田氏の後継者は(秀吉が推す)甥の三法師に決まる。 その三法師を後見役として預かる。が、秀吉が突然挙兵したため降伏、預かっていた三法師も引き渡す。 賤ヶ岳の戦いでは勝家側につくが敗戦し、岐阜城を開城して秀吉に降伏した。 その後自害をさせられた際に放った辞世がコレ。秀吉に対する深い恨みと激しい怒りが感じられる。 『 死のうは一定 』 (SR織田信長(是非に及ばず) : 撤退時) 信長が愛唱したと言われる小唄の一節。 死のうは一定 、しのび草には何をしよぞ、一定かたりをこすよの 「誰しもやがては死ぬものだ。死後に語り草になる為には何をしようか。きっと後の世の人が語り継いでくれるだろう」といった意味。 『 敵を知り己を知れば百戦危うからず 』 (EX竹中半兵衛 : 開幕時) 中国古代の兵法書『孫子』の謀攻篇の一節。 知彼知己者、百戦不殆 、不知彼而知己、一勝一負、不知彼不知己、毎戦必殆、 「敵の事も味方の事も把握していれば、何度戦っても危地に陥ることはない。 敵の事を把握していなければ味方の事を把握していても、勝ったり負けたりする。 敵の事も味方の事も把握していなければ、戦う度に必ず危地に陥る。」という意味。 武田家 『 我が死は伏せよ… 』 (UC武田信玄・SR武田信玄 : 撤退時) 後継者である武田勝頼を自身の最期に呼び出し言ったとされる遺言。 自身の死を三年間は秘匿にし遺骸は諏訪湖に沈めること、その三年間は戦をしないで内政に務めることなどがその詳細。 信玄死後の領内の動揺や他勢力からの侵攻を防ぐため、三年間は己の死を伏せるように遺言したとされる。 そもそも撤退なのだから死んではないという突っ込みは無用。 『 為せば成る 』 (UC武田信玄・SR武田信玄 : 熟練度上昇時)『 為さねば成らぬ 』 (UC武田信玄・SR武田信玄 : 復活時) 武田信玄が言ったとされる格言。 為せば成る 為さねば成らぬ 成る業(わざ)を 成らぬと捨つる 人の儚さ 意味は「やればできるし、やらなければできない。できることをできないといってやらないのは、愚かなことである。」となる。 後に第九代米沢藩主、上杉鷹山もよく似た意味の言葉を残しており、一般的にはこちらの方が知られていると思われる。 生せば生る 成さねば生らぬ 何事も 生らぬは人の 生さぬ生けり 発祥はいずれも中国の歴史書「書経」に書かれた「弗爲胡成(為さずんばなんぞ成らん)」であると考えられる。 「やれば出来る」という意味で使用されることが多いが、文章全体の意味としては「やらなければ出来ない」という意味合いのほうが強い。 「成せば成る 成さねば成らぬ」と書かれていることもあるが、これは間違いであるので注意。 (「為」は試す、「成」は成就する、という意味なので、成せば成るでは意味がおかしくなる) 『 徐かなること林の如く 』 (UC武田信玄・SR武田信玄 : 虎口攻め時)『 侵掠すること火の如く 』 (UC武田信玄・SR武田信玄 : 虎口攻め成功時)『 兵は拙速を尊ぶ 』 (SR山本勘助 : 虎口攻め時)『 動くこと雷霆の如し 』 (SR山本勘助 : 攻城時)『 戦いは正を以て合し、奇を以て勝つことにあり 』 (SR山本勘助 : 落城時)『 動かざること山の如しってな 』 (R馬場信春 : 計略使用時) これらの言葉は全て孫武が記した中国古代の兵法書『孫子』に記された言葉である。 「徐かなること林の如く」・「侵掠すること火の如く」・「動くこと雷霆の如し」・「動かざること山の如し」は、『孫子』軍争篇の一節。 其疾如風、 其徐如林 、 侵掠如火 、 不動如山 、難知如陰、 動如雷震 、 「風林火山」は本来「風林火山陰雷」と言う言葉で、「知り難きこと陰の如く」「動くこと雷霆の如し」が抜けている。 何故抜けたのかの真相は未だ不明である。 「兵は拙速を尊ぶ」は、『孫子』作戦篇の一節。 兵聞拙速 、未睹巧之久也、 「兵は拙速を聞くも、未だ巧の久しきを睹(み)ざるなり」と言う言葉である。 本当に簡単に訳すと「無作為にでも迅速に行動したほうがよく、長々と技巧をこらしていてはよくない。」と言う意味である。 ちなみにこの有名な「兵は拙速を尊ぶ」という言葉が日本で初めて使われたのは、八世紀末の桓武天皇の勅書だと言われている。 (この時は蝦夷討伐軍が一ヶ月以上戦果があがらないのを難じて「兵は~」の言葉を使用している。) 「戦いは正を以て~」は、『孫子』勢篇の一節。 凡戦者、以正合、以奇勝、 「戦いとは、正々堂々と敵に向き合い、相手の気を衒う策で勝つものだ」「正攻法と奇策を使い分けてこそ勝利できる」というような意味。 『 明日は瀬田に、旗を立てよ…! 』 (SR武田信玄(瀬田に旗を) : 計略使用時) こちらは重臣の山県昌景や馬場信春らに後事を託した際に遺したとされる言葉。 「源四郎、明日は瀬田に(我が武田の)旗を立てよ」 源四郎とは山県昌景の幼名。 瀬田とは近江国(現在の滋賀県)南部の地名で、特に瀬田川周辺を指すと思われる。 琵琶湖で唯一海(大阪湾)に繋がる河川で、東西交通の要所であった。 上杉家 『 運は天に、鎧は胸に、手柄は足にあり! 』 (UC上杉謙信・SR上杉謙信 : 出撃時) 謙信の居城・春日山城の壁に書かれた文章が元ネタ。 運は天に、鎧は胸に、手柄は足にあり 。 何時も敵を掌にして合戦すべし。疵つくことなし。 死なんと戦えば生き、生きんと戦えば必ず死するものなり。 家を出ずるより帰らじと思えばまた帰る。 帰ると思えば、ぜひ帰らぬものなり。不定とのみ思うに違わずといえば、 武士たる道は不定と思うべからず。 必ず一定と思うべし 謙信の信条を表した文章として知られている。 また、群雄伝でも川中島での信玄との決戦時に、この一部をフルボイスで聞くことができる。 本願寺 『 進めば極楽、退かば地獄ぞ! 』 (SR下間頼廉 : 計略使用時) 『 進めば極楽なり 』 (SR本願寺顕如 : 攻城時) 『 進めば極楽と申します 』 (R本願寺准如 : 攻城時) 『 退かば地獄と申します 』 (R本願寺准如 : 虎口攻め時) 「毛利氏黄旗組軍艦旗」と呼ばれる旗に使われている言葉が元ネタと思われる。 進者往生極楽 退者無間地獄 「戦に臨んで前進するならば(たとえ戦死してしまっても)極楽に往生し、 退いて逃げてしまえば(その場からは生き延びられてもいずれは)無間地獄に落ちる」という意味。 何千何万という一揆衆を統率し、進軍に際しての士気を鼓舞する文言であると解釈される。 「南無阿弥陀仏」と書かれた莚旗を掲げていたとも言われるが詳しい資料がないので良く分かっていない。 北条家 『 勝った、勝った! 』 (SR北条綱成 : 虎口攻め時) 地黄八幡こと北条綱成は、戦場において先陣を切り、「勝った、勝った!」と連呼しながら突撃していたと言われている。 厳島の戦い、桶狭間の戦いと並んで有名な奇襲戦である河越夜戦でも、この台詞を連呼して味方を鼓舞したという。 毛利家 『 謀多きは勝ち、少なきは負ける……それだけのことだ 』 (UC毛利元就・SR毛利元就 : 落城時) 嫡男隆元の家督相続の前後に、隆元に宛てた書状の一文が元ネタと思われる。 能や芸や慰め、何もかも要らず。ただ武略、計略、調略が肝要に候。 謀多きは勝ち、少なきは負け 候と申す 人質時代の主君大内義隆に厚遇されて影響を受け、文芸遊興に耽っていたことを叱責する内容である。 『 文をもって治め、武をもって守る。私の理想だ。 』 (SR毛利隆元 : 落城時) 隆元が生前に自戒として遺したとされる言葉の一部。 江戸時代中期の長州藩藩主・毛利重就はこれを抜粋して座右の銘とした。 文をもって治め、武をもって守る。 功あるを賞すれば、即ち忠ある者が増える。罪をもって罰すれば、即ち咎ある者は減る。賞を行うに躊躇せず 島津家 『 チェストー! 』 (島津家の武将全般) タッチアクションでよく使われている鹿児島方言である。 主に気合を入れる時や、掛け声に使われている。 実は語源が諸説ありしかも定まっていないのが現状である。 『 無勢とて敵をあなどることなかれ、多勢と見ても恐るべからず 』 (R島津日新斎 : 開幕時) 島津日新斎が5年余の歳月をかけ完成させたという47首のいろは歌が元ネタ。 薩摩武士、士道教育の教典となり、薩摩藩の郷中教育の基本の精神となったもいわれる。 +... い いにしえの道を聞きても唱えても 我が行いにせずばかいなし ろ 楼の上もはにふの小屋も住む人の 心にこそはたかきいやしき は はかなくもあすの命をたのむかな 今日も今日もと学びをばせで に 似たるこそ友としよければ交らば われにます人おとなしき人 ほ ほとけ神他にましまざず人よりも 心に恥じよ天地よく知る へ 下手ぞとて我とゆるすな稽古だに つもらばちりも山とことのは と 科ありて人をきるとも軽くすな いかす刀もただ一つなり ち 知恵能は身につきぬれど荷にならず 人はおもんじはずるものなり り 理も法もたたぬ世ぜとてひやすき 心の駒の行くにまかすな ぬ ぬす人はよそより入ると思うかや 耳目の門に戸ざしよくせよ る 流通すと貴人や君が物語り はじめて聞ける顔もちぞよき を 小車のわが悪業にひかされて つとむる道をうしと見るらむ わ 私を捨てて君にしむかわねば うらみも起こり述懐もあり か 学問はあしたの潮のひるまにも なみのよるこそなおしずかなれ よ 善きあしき人の上にて身をみがけ 友はかがみとなるものぞかし た 種となる心の水にまかせずば 道より外に名も流れまじ れ 礼するは人にするかは人をまた さぐるは人をさぐるものかは そ そしるにも二つあるべし大方は 主人のためになるものと知れ つ つらしとて恨みかえすな我れ人に 報い報いてはてしなき世ぞ ね ねがわずば隔てもあらじいつわりの 世にまことある伊勢の神垣 な 名を今にのこしおきける人も人も 心も心何かおとらん ら 楽も苦も時すぎぬれば跡もなし 世に残る名をただおもうべし む 昔より道ならずしておごる身の 天のせめにしおわざるはなし う 憂かりける今の身こそはさきの世の おもえばいまぞ後の世ならむ ゐ 亥にふして寅には起くと夕霧の 身をいたずらにあらせじがため の のがるまじ所をかねて思いきれ 時にいたりて涼しかるべし お 思ほえず違うものなり身の上の 欲をはなれて義をまもれひと く 苦しくとすぐ道をいけ九折の 末は鞍馬のさかさまの世ぞ や やわらぐと怒るをいわば弓と筆 鳥と二つのつばさとを知れ ま 万能も一心とあり事ふるに 身ばしたのむな思案堪忍 け 賢不肖用い捨るつという人も 必ずならば殊勝なるべし ふ 無勢とて敵をあなどることなかれ 多勢と見ても恐れずべからず こ 心こそ軍する身の命なれ そろゆれば生きそろわねば死ぬ え 回向には我と人とをへだつなよ 看経はよししてもせずとも て 敵となる人こそはわが師匠ぞと おもいかえして身をもたしなめ あ あきらけき目も呉竹のこの世より 迷わばいかに後のやみぢは さ 酒も水ながれも酒となるぞかし ただなさけあれ君がことの葉 き 聞くことも又見ることも心がら 皆まよいなりみな悟りなり ゆ 弓を得て失うことも大将の 心一つの手をばはなれず め めぐりては我身にこそは事えけれ 先祖のまつり忠孝の道 み 道にただ身をば捨てんと思いとれ かならず天のたすけあるべし し 舌だにも歯のこわきをば知るものを 人はこころのなからましやは ゑ 酔える世をさましもやらでさかずきに 無明の酒をかさむるはうし ひ ひとり身あわれと思え物毎に 民にはゆるすこころあるべし も もろもろの国や所の政道は 人にまずよく教えならわせ せ 善にうつり過れるをば改めよ 義不義は生まれつかぬものなり す 少しを足れりとも知れ満ちぬれば 月もほどなく十六夜の空 他家 『 人は一代、名は末代なり 』 (SR長野業正 : 計略使用時) 「人は一代、名は末代」という故事の一つ。 人の肉体は1代で滅びるが、その名や行いは善行であろうが悪行であろうが後世まで残り続けるという意味。 実際の業正も同じ事を言ったかは不明だが、彼の名や業績は今に至るまで語り継がれている。 『 わが恋は、三島の浦の 』 (BSS大祝鶴姫 : 撤退時) 鶴姫伝説で知られる鶴姫の辞世の句の上の句。 わが恋は 三島の浦の うつせ貝 むなしくなりて 名をぞわづらふ 16歳にして陣代として出陣し活躍、2年後の大内氏との戦いでも勝利を収めたが、 討死した兄・大祝安房や恋人・越智安成を想い、18歳の若さで入水自殺したと伝えられる。 『 月よ、俺に七難八苦を与えろ! 』 (SR山中鹿之助 : 裏テキスト、計略使用時) 講談などで有名な尼子家再興に燃える鹿之助が三日月に祈った内容の現代語アレンジである。 本人の言葉によると「自らの成長を苦難によって試したいのだ」という意味であるらしい。 なお、正確な原文は「 三日月よ、願わくば我に七難八苦を与えたまえ 」である。 『 今一度、最上の土を 』 (SR最上義光 : 撤退時) 秀吉の朝鮮出兵の際、義光は朝鮮出兵の駐屯地、名護屋(現在の佐賀県唐津市)での物資輸送の任に就いていた。 何時秀吉から異国の地への出兵の命が下されるか分からない不安の中、義光は望郷の思いを綴った手紙を家臣に送っている。 いのちのうちに 今一度、最上の土を 踏み申したく候。水を一杯飲みたく候 『 大将は扇の要……俺が崩れるわけにはいかん 』 (SR最上義光 : 落城時) 義光は常々、大将と部下の関係について以下のように例えていたという。 大将と士卒は扇のようなものであり、要は大将、骨は物頭、総勢は紙だ。どれが欠けていても用は為さないのだから、士卒とは我が子のようなものだ 編集が苦手な方はこちらへ訂正指摘・情報提供をお願いします。 ※雑談、質問はお控えください。雑談・質問等はこちらをご利用ください 名前 五右衛門の台詞は史実というか歌舞伎が元ネタなんだが、ここに書いていいものなのか… - 名無しさん 2013-03-11 01 29 10 是非長の撤退台詞、織田信孝の撤退台詞、快川の計略台詞なんかも史実絡みですね - 名無しさん 2013-02-02 06 24 48 ちなみに大坂夏の陣で豊臣家が滅亡するのは、奇しくも織田信孝の三十三回忌。信孝の怨みが完結したと言われています。 - 名無しさん 2013-10-15 20 19 59 台詞の元ネタと言っていいのかは知らんが、UC富永の台詞は史実を鑑みて「お前が言うな」と言いたくなるセリフがチラホラ・・・ - 名無しさん 2013-02-02 02 28 16 チェスト、は実際の示現流の掛け声でもあるからそこじゃない? - NoName 2012-05-04 21 49 20 示現流のかけ声は「猿叫」だから、人とは思えない絶叫になります - 名無しさん 2013-01-23 13 48 57 キェェェェェェェェ!とかキョェェェェェェ!とかそんな感じの声だよな、文字におこすと - 名無しさん 2013-01-23 19 18 44
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リューネ騎士団 S1 勢力解説 レオーム家の庶流であるリューネ家がリュッセル地方に入植して築かれた騎士団領。 戦乱が始まる前年のリューネ騎士団では公女アルティナが総長の座を継承するに伴い 家臣団も代替わりし若き力に満ちた騎士団として生まれ変わっていた。 ムクガイヤの謀反より始まった一連の動乱を憂いたアルティナは 大陸秩序の回復を目指して兵を挙げる事を決意する。 初期メンバー 名前 種族 クラス 身分 Lv 移動型 HP MP 攻撃 防御 魔力 魔抵抗 素早さ 技術 HP回復 MP回復 移動力 召喚数 備考 アルティナ 人間 ドラゴンマスター マスター 8 飛行 1275 156 164 164 164 164 80 164 0 17 200 1 全属性耐性のLSを持つ スヴェステェン 人間 ドラゴンマスター 宿将 10 飛行 1900 86 244 244 122 122 80 169 0 14 180 1 LS突撃持ち。スベスベーン オーティ 人間 ドラゴンマスター 宿将 10 飛行 1520 172 188 188 188 188 60 188 0 29 180 1 性別不詳 ルオンナル 人間 ドラゴンナイト 一般 5 飛行 980 99 128 128 82 114 100 114 0 14 240 1 ミシディシ 人間 ドラゴンナイト 一般 5 飛行 1120 99 128 146 114 128 80 128 0 14 180 1 ジャンクシャン 人間 ドラゴンナイト 一般 5 飛行 1120 0 128 128 82 82 60 164 0 0 180 1 LS長弓持ち 初期情勢 難易度:低 領地:リュッセル城 リュッセル北 リュッセル東 総収入:2200 軍資金:4000 ユニット数:48 外交: 「この勢力でリーダーに出来るユニット」 人間 ドラゴンナイト系 備考 パーサの民と領土が接すると永久同盟イベント(強制) グリーン・ウルスと領土が接すると永久同盟イベント(選択) レオーム家と領土が接すると永久同盟イベント(選択) * 考察 最初から人材が多く、初期領地からの収入も豊富で、複数の勢力と永久同盟を結ぶことで容易に共闘体制を取ることができ、 ミルフォース、セレン、アーシャ、ガルダームら優秀な人材が初期領地付近にいるため陣容の充実も早い。 その反面、魔王軍と穹廬奴という強力な敵がすぐ近くにおり、高確率で挟み撃ちに遭うため勢力を拡大しづらい。 この二正面状態を素早く解決出来るかどうかが勝負のカギである。というわけで、まず真っ先にどちらかを殴り倒してしまおう。 穹廬奴は接近戦が強いが火と風が弱点のため、ひたすら逃げ回りながらブレスを吐きまくればさほど苦戦はしない。 ジェイク先生はメチャクチャ硬くて強いので、スヴェステェン部隊の突撃でカタをつけよう。 沼地のリザードマンは足が速いため、一度リュッセル城を明け渡してしまうのもいい。城の周囲は荒地だらけのため、グルグル回っているだけで楽に倒せる。 大打撃を与えつつレベルを上げ、そのまま沼地に押し掛けて一気に滅亡させてやろう。 魔王軍は全体的に能力が高いうえ、ルーゼルとパルスザンは光以外の全属性に耐性がある。 この時点のリューネが光属性攻撃を用意するのは難しいし、属性のついているブレスではルーゼルには効きが悪い。ならばここでもスヴェステェンだ!! スヴェステェンのレベルが15を超えていれば自分と部下に突撃IIを付与でき、一発で大打撃を与えることが出来る。育っていればルーゼル様も楽勝だ。 ただしスヴェステェンは闇に弱く混乱に耐性がないのでタックルする前に死ぬこともある。この時点でアーシャが雇えていればいいが、そうでなければアルティナは回復に専念しよう。 魔王軍は基本的に金欠気味なので部下をあまり雇う余裕が無いことが多く、大部隊で攻め込めばそのまま押し潰せるだろう。 どちらを制圧しても近くに永久同盟が結べるグリーン・ウルスとパーサの民がいる。パーサは強制的に同盟を結ぶことになるが、 グリーン・ウルスは選択制。同盟を結べば西側勢力に対する壁になるし、同盟せずにそのまま攻め落としてカルラ、ポートニック、ピヨンを吸収してもいい。お好みで。 どちらかを制圧した時点でルートガルトがすぐ近くにいると思うが、もう一方を制圧するためには事を構えたくない。 一時的に同盟を組み、残ったもう一方の勢力を滅ぼしてから戦うようにしよう。 この辺まで来ればセレン、ミルフォース、ガルダームを雇えているはず。三人とも非常に優秀なので、あとはイージーモードみたいなものである。 コメント欄 ドラゴンナイトを雇うことが出来る。ゲルドはリザードマンの弱点である炎ブレスを使えば容易に駆逐できるが、真の脅威は魔王軍。マスターがエルフを雇えることもあり、ルーゼルさえ乗り切れば難易度は低い。 -- 名無しさん (2009-08-28 22 19 51) シナリオ5では初っ端から詰んだ状態で始まり、下手をすれば次のターンで攻め滅ぼされる。とくにガルダームの位置が不憫すぎる。 -- 名無しさん (2009-09-12 17 56 56) セレン達は一部隊にまとめてすぐ北上、ガルダームは火山に非難して魔王軍を回避し、リュッセルオーダーの片方の部隊を撃破して南下すれば運がからむが救出可能 -- 名無しさん (2009-09-12 22 48 32) 最近の更新により、CPU操作の場合フェリル党よりも早く滅亡する弱小国となる。 -- 名無しさん (2009-09-29 06 58 54) 序盤でトカゲたちを焼き払えばかなり楽になる。できることなら南部はエルフに任せ、魔王軍に対する備えと王都奪取に力を注ぎたい。初期領地のリュッセルはかなり収入が高いため、魔王軍に奪われないよう気をつけたい。 -- 名無しさん (2009-10-05 10 34 27) 自分で慎重に操作すれば非常に強い勢力だが、CPUだとドラゴンナイトをリザードマンに突っ込ませるので非常に弱い。 -- 名無しさん (2009-10-25 00 50 31) 悲惨な状況でスタートする事に定評のある騎士団 S1とS2はゲルドに殴り殺され、S3とS4はアルティマイトに焼き殺され、S5に至っては本拠地喪失 そしてS6で遂にそのマゾ人生を完成させた -- 名無しさん (2009-10-29 15 23 56) ヴァーレン界の時報担当と言っても過言ではない。 -- 名無しさん (2009-11-05 18 54 07) ルートガルドに任せておけばいいのにゲルドとガチで殴り合いする無能な国 -- 名無しさん (2009-11-12 17 08 00) ドラゴンナイトの自動操作が逃げ撃ち型になり、優秀な人材が揃った状態でも、不思議と滅ぶ敗北に愛された国。 -- 名無しさん (2009-11-12 19 45 16) S6ではセレン派の1ターン滅亡など日常茶飯事、ミシディシ派も3ターンくらいには滅びる -- 名無しさん (2009-11-12 21 42 59) 人材。一般共に相当恵まれているはずなのに、comだとやたら弱い。プレイヤーが操作することで真価を発揮する -- 名無しさん (2009-11-12 22 23 07) リュッセル城の強固な城壁により、攻城戦が不得意なゲルドに殺られる確率は低くなった。ただし、序盤の領地拡大を妨げられやすいのは変わりないので、死期が延びただけとも言える。ガルダームに会う前に滅亡することもたびたび。 -- 名無しさん (2009-12-15 17 43 14) S6のセレン派でやる時は海に出るしかない。 パーサ・パクハイトとはまず勝負にならないが、 死霊共ならオルジンとエルフィスのディスペル連打で運が良ければ倒せる。 ただし、リチムクに出張って来られると完全に詰む。 -- 名無しさん (2009-12-15 22 05 56) ≡≡//≡≡///≡≡≡≡≡三三三三 /////三三////三三三三///三三三三 ////二二/////二二二/////二二二二 //──///////──///////──── ミミ (彡 ミミミ (ミ [] ーミミミ ミミミ [ ] ∥[{iiiiiiiii}]∥ ~~ー ┌TTTTTTTT┐ |=======| | | | ───ーヽーーーーーー/ー───── 二ヘ // ミミミ ミミゝ ヘヘ ≡≡ ミミ ミ ミミミ≡ ヘヘ こうしてセレンたちの長い戦役・・・・・・ 竜の炎と破滅の光が交差する8ターン余が終わった 騎士団の生存者7名のうち5名がリュッセル奪還を選んだが 湖沼地帯でのリュッセル王国軍の執拗な攻撃に呑み込まれ消えた・・・・ 彼らの人間としての人生は閉じた ここから先は悲惨の一語 -- 名無しさん (2009-12-25 01 19 42) リューネ騎士団(セレン派)はドラゴンナイトをリーダーに出来ない。 名前こそ竜騎士団ではあるが、実のところパーサの民扱いである。 -- 名無しさん (2009-12-25 15 32 56) パーサに加えてグリーンとも同盟できるようになったが パーサとグリーンは非同盟であるため、両者が隣接した場合は盛大に潰し合う 止めなくていいのかアルティナ様 -- 名無しさん (2009-12-27 03 19 55) 最近のドラゴンナイト強化の恩恵を受けて、CPU操作でもちゃんと領土を拡大する強国になった。 表ではパーサ、グリーン・ウルスと手を結ぶ一方、裏では次々とエルフ系人材を吸収して、両国を圧迫する姿がよく見受けられる。 -- 名無しさん (2010-01-04 00 13 47) この前レオームと同盟してたの見たんだけど前から? -- 名無しさん (2010-01-12 23 00 17) 少し前からそうだった -- 名無しさん (2010-01-13 01 10 59) レオームとの同盟は、レオームが大きくなると、 レオームからの一方的な同盟打ち切りイベントが発生するよ -- 名無しさん (2010-01-13 07 21 58) バーサを滅ぼしてエルフォードあたりを吸収できれば、モンクが雇えるようになってだいぶ楽になる。 -- 名無しさん (2010-01-16 22 53 32) パーサに南を担当してもらうのと滅ぶの待ってエルフ軍団作るのどっちがいいのだろう・・・ -- 名無しさん (2010-01-20 20 58 06) 名曲ではあるが、まさかの歌付きBGMには吹いた -- 名無しさん (2010-02-05 00 44 34) VER2.32現在、大変なBGMを使用している。 -- 名無しさん (2010-02-05 10 30 47) あのBGMがかかった時点でミシディシとジャンクシャン解雇決定 -- 名無しさん (2010-02-05 20 45 57) あのBGMでは逆にミシディシたちを救わないといけないと思った。 -- 名無しさん (2010-02-08 03 34 15) イバラの道さえ突き進む~♪ イバラの道にもほどがあるだろリューネ騎士団 -- 名無しさん (2010-02-18 22 35 50) 追加シナリオでは躍進するか滅びるかの極端な勢力に。尚、正式にアルティナの座を受け継いでいる。 -- 名無しさん (2010-02-28 23 21 31) アルティナが生きていれば… -- 名無しさん (2010-02-28 23 34 23) \オトメターチー/ カチカチ____ // ̄ ̄7/丶 ( 'A) // | ( δニiニニノ_ -- 名無しさん (2010-02-28 23 44 12) プレイヤーが操作しないとアルティマイトに焼き殺されるorゲルドにぼこぼこにされるor魔王軍にリュッセル地方を奪われる。人材は優秀なのでプレイヤーが操作すれば強い。 -- 名無しさん (2010-04-13 00 46 49) S6セレン派だとエルフが超優秀で大助かりするが、人材不足で非常に苦労する。 雇えるキャラが殆ど全て相性最悪なので、ヨネアというキャラ以外エルフ以外の種族への窓がない。 オルジンが人間・魔法戦士キャラを雇えるが、魔法戦士はヨネアとカリンしかおらず、カリンはナルディアが居ないと雇えないので、ヨネアが唯一の窓となる。 -- 名無しさん (2010-09-08 22 33 22) S6セレン派はまずダークエルフは倒せないので、海に出て丁寧にセレンのレベルをあげよう。 セレンをなるべく前線に出し、大量の敵の前で青竜剣を使う。レベル上げのつもりで撃ちっぱなし退却しよう。 -- 名無しさん (2010-09-08 22 35 31) ↑↑ヨネアじゃなくてエルカ。 -- 名無しさん (2010-09-08 22 38 09) エルカだった。大間違いごめん -- 名無しさん (2010-09-09 23 34 33) いわれてるほど弱くない。セレン1人でほぼあらゆる相手を駆逐できる -- 名無しさん (2010-10-17 06 11 06) セレンばかりチヤホヤされているが… ジャンクシャンの長弓付与は、機動力のあるドラナイだからこそ、なかなか使える また、ミシディシにドラゴンを率いさせると、文句なしに強い。 更には、ルウェンダーのスフィンクスはLSにより魔力もUPされ、なかなか脅威。 脇役もなかなか有能な陣営。 -- 名無しさん (2010-10-17 20 57 25) ジャンクションは知られざる名将って感じですのぉ。 ミシディシ派は辛い辛いって言われているけど、ミシディシ結構いけてるよね。 -- 名無しさん (2010-10-17 22 27 40) ↑ミルフォースのスカイドラゴン雇用がなかなか生きてくる。 リュッセルを占領していなくても、スカイドラゴンを雇用できるというのは、ミシディシ派にしてみれば大きな力。 -- 名無しさん (2010-10-17 23 59 05) VT4.49の光と闇とで、元セレン派の人材がいないと驚いていたら、セレンの陪臣になってた(汗) -- 名無しさん (2010-12-16 01 38 36) VT4.51の追加テキストによれば、リューネ騎士団の再統合は史実(S7)としてはありえないどころの話ではないようだ。 -- 名無しさん (2010-12-26 03 31 02) 同じくVT4.51で、S1列伝見てたら、騎士団の何人かに黄文字で乗ってる竜の名前が! -- 名無しさん (2010-12-26 08 43 30) 騎士団中心人物が乗ってる名竜より、名も無きスカイドラゴンのがはるかに強い(特に高レベル)。 人(竜騎士)が扱えるのは小型竜なのかも。 -- 名無しさん (2010-12-26 14 09 45) 竜をひと括りにするからじゃね?哺乳類で例えるならサラブレッドの馬とライオンが勝負したらどっちが強いって感じ、つまり、そういうことだ -- 名無しさん (2010-12-27 16 37 08) とあるゲームの海外版だと、ドラゴンナイトのことをワイバーンナイトと言っていたりするな。一言で竜といっても色々いるということも。 -- 名無しさん (2010-12-27 16 55 00) ドラゴンとかワイバーンあたりは、概念自体がハッキリ定まってなくて、訳出する際のサジ加減でコロコロ変わる印象ががが。 -- 名無しさん (2010-12-27 22 22 10) 羽の生えたトカゲがドラゴン 前足がコウモリみたいに羽になったのがワイバーン 羽がなくてでかいトカゲがドレイク 違ったっけな -- 名無しさん (2010-12-27 23 31 49) ADVクリアしたいのに配下プレイだと魔王に勝てない・・ -- 名無しさん (2011-01-01 19 46 43) いつの間にかS1にほとんどの戦力が・・ -- 名無しさん (2011-01-09 18 03 57) ↑それでもCOM操作だと長くはもたない。 -- 名無しさん (2011-01-09 23 36 07) 流れる魂の勢力解説で誤字。 聖地グリンシャスが聖地ラグラントゥーになってます。 -- 名無しさん (2011-04-11 14 35 23) 聖地ラグラントゥーからアルティマイトが復活……どう考えても黒幕はイオナじゃないか……。 -- 名無しさん (2011-04-11 17 14 23) 犯人はイオナ -- 名無しさん (2011-05-29 05 20 09) リューネ騎士団完全消滅の憂き目に セレンは仮にもトップだったのにパーサの民になっちゃってるし ルオンナルはお貴族様なのに愛を取っちゃったし -- 名無しさん (2011-05-29 09 38 57) リューネ騎士団の名はきっと郷士達が継いでくれる -- 名無しさん (2011-05-30 09 35 21) 無いだろw あったとしてもリュッセル騎士団とかになるんじゃあないかな。 -- 名無しさん (2011-05-30 22 05 08) 聖地ラグラントゥー直ってねぇw -- 名無しさん (2011-06-01 23 24 22) やっとセレン派で序盤を乗り切った 海に逃げ込みオルジンホーリートーンとセレンをこき使いクリンク島を防衛しつつ隙を見てアルティマイト撃破 残りのダークエルフ達は召喚壁で凌ぎつつ青竜剣ぶっぱ、アンデッド?なにそれおいしいの?(経験値的な意味で) 死霊とアルティマイトの人外に包囲されたセレン派より地味人間人材相手にするミシディシ派の方が遥かに楽、アーシャいるし -- 名無しさん (2011-08-04 01 06 57) どうやっても、魔王軍に勝てない。どうすればいいんだよ… あと、人材で雇えないのが多い気がする。 -- 名無しさん (2011-08-05 14 10 34) アルティナの部隊にセレン入れれば闇耐性付いて楽になるよ。 -- 名無しさん (2011-08-05 15 34 45) リューネの最大の問題は魔王軍とゲルドという強敵に囲まれているのに、苦労して倒してもほとんど遺臣を吸収できないことが辛い。 特に魔王軍はヨネアのいるルートガルドに拾われ、魔王軍の次にほぼ開戦するだろうルートガルドを強化するだけなのがむなしい。 -- 名無しさん (2011-08-05 17 49 58) ザゾエートを雇用できればゲルド軍を丸々吸収可能 そういう意味では初期にザゾエートが所属するオーダーのいるシナリオの方がかえって簡単かもしれない しかし魔王軍に喧嘩を売り雪原地方で放浪するザゾエート・・・ -- 名無しさん (2011-08-05 17 59 42) 駄目だった序盤乗り切ってもミシディシと統合する頃には死霊が勢力拡大して取り返しのつかないことに(′A`) ネルザーンさえ押さえればドラゴンナイトでも死霊は撃退できるがリュッセルが死霊にちょっかい出すおかげで大抵死霊がネルザーン押さえてる ああなるとオルジン居ても奪還はほぼ不可でその間にラザムオステアをアルナスが潰しアルナスが死霊に潰され人類オワタ -- 名無しさん (2011-08-05 19 17 05) 攻略メモとしては ミシディシ派の場合 ・ハルト国と序盤から仲良くして共同戦線をひかないとまずい、一触即発状態になることもしばしば ・リュッセル地方を奪還するまではルートガルトは勿論パクハイトにも手を出してはいけない ・ネルザーンは中立のままだとルートガルトが侵攻して来ない場合もある、無理に少数で占領してルートガルトを刺激しないように ・リュッセル奪還後はすぐさま南進してパクハイト殲滅とセレン派回収、セレン派は滅亡していなければ海で細々と死霊を食い止めているはず ・雪原はハルトが頑張ってルートガルトを止めているはずなので海からオルジン中心に王都周辺へ、ネルザーンから出撃すると死ぬ -- 名無しさん (2011-08-05 19 18 11) セレン派 ・ロイースに貢物を送りまくりなんとか同盟までこぎつける、そうしないと背後とられて死ぬ ・中立拠点の制圧はセレン1人に任せその他はひたすら訓練 ・初回のクリンク島防衛戦でアルティマイトを撃破する、両翼どちらかの端にいるので意外と簡単 ・アルティマイト、マビドレのメドゥーサ部隊を撃破すれば後は雑魚ばかりなのでさっさと平定すべし ・リュッセル・オーダーが多方面に喧嘩を売るのでこちらに飛び火しないよう祈る ・統合後はミシディシ派と同じだが意外にもハルトが土下座外交してくるのでリュッセル地方がハルト国の支配下ならせめて城ぐらいは頂いておく ・あとはひたすらに死霊が勢力拡大しないよう祈る、稀にファルシスがアルナスを駆逐しその影響でラザムが繁栄するが期待はしない -- 名無しさん (2011-08-05 19 18 28) そもそも序盤が乗り切れないです。セレンの青竜剣でも敵はほとんど死にませんでした。 ゲルドにいたっては、火魔法飛ばしても、接近されてほとんどやられます。操作難しいです。 -- 名無しさん (2011-08-05 23 43 11) 魔軍相手には城だけとられないように陣地の取り合いで対処。勝てないときは開幕即逃走でおk。そのほうが相手にも経験値入らないし。 その間にアルティナ スヴェ 配下にセレン加えたオーティ部隊あたりの主力で全力でゲルド潰せばいい。 殴られてきついならオーティ部隊を後衛に設定するのも一つの手段。 あと、ガルダーム拾えたらかなり楽になります。 ゲルド潰せたころにはレベル差で魔軍にも勝てるでしょう。 ルートガルドは面倒なので同盟しちゃって終盤にまわすのもあり。 大抵水軍が北上してくるのでそれで弱っている時に一気に襲いましょう -- 名無しさん (2011-08-06 00 36 01) S1だとアーシャにつながる雇用がないからガルダームとアーシャのいるS2から始めるのも手 ただし魔王軍も勢力拡大してる -- 名無しさん (2011-08-06 02 25 43) それと人選も重要 対ゲルド戦はガチムチ前衛のスヴェ、魔法付与のオーティ、竜巻ブレス付与のルオンナル。 対魔軍戦は闇耐性とキュアオールのアルティナ、耐性付与のミシディシ。 その他の人材はどちらでもいける。ただセレンが育ってないうちはゲルドにまともなダメージが通らないので対魔軍戦線でレベル上げ。 育てばアルナスやルートガルトの一般兵をゴミの様に蹴散らしてくれる。 -- 名無しさん (2011-08-06 02 35 00) dkの強化がないと実質難易度高は変わらんと思う。 -- 名無しさん (2011-08-07 10 59 18) ちなみにセレン派プレイで統合するとドラナイとエルフの両方をリーダーにできる 遠近の物理スキルと回復攻撃召喚の魔法スキルを一般だけでまかなえる万能国家と化す セレン最高や!アルティナ様なんていらんかったんや! -- 名無しさん (2011-08-10 18 51 46) セレン派でパクハイトより行動順が後だと100%滅亡してゲームにならない。 -- 名無しさん (2011-09-11 23 49 10) ↑×5 ちょっと前のバージョンから、総長様にルウェンダーとアーシャの個別雇用が追加されてる -- 名無しさん (2011-09-12 23 01 03) 今、S1でプレイしてたら、リューネの資金が-10000いってるのを見た。 どんな金の使い方したんですかアルティナ様。 -- 名無しさん (2011-09-19 19 13 34) 悲劇の騎士団、ぶっちゃけていうとアルティマイトが復活した時点で組織としてはつんでいる。 たとえアルティナが死ななくてもエルフとの関係上、彼らが獲得しうる領土は蜥蜴の残党がうようよいる 沼地のみであり当然参戦した騎士たちを満足させうるものではない。 -- 名無しさん (2011-12-12 01 16 27) 初期配置を見ただけだと、リューネにはリュッセルと最前線以外の領地の保持という思想がない気がする 地面に縛られない竜騎士団らしい考え方でもあり、竜騎士団の限界でもある -- 名無しさん (2011-12-12 03 05 23) ↑2 この世界の騎士階級が封建制度で回ってるとは思えないが…… -- 名無しさん (2011-12-12 10 00 17) え、ちがうのかなあ。文明と社会制度的には封建制度以外ありえなさそうだけど -- 名無しさん (2011-12-14 00 07 16) comそんなに弱いか?S1しかやってないけどcom一辺倒しでクリアできたぞ・・・ 人材プレイだけどなww -- 名無しさん (2011-12-31 10 41 23) 沼地侵攻→魔王軍侵入→沼地2つくらいの破綻国家化 両面作戦→分断されて各個撃破→あっさり滅亡 主力なしで魔王軍を防ぎきったガルダームさんマジ軍師 -- 名無しさん (2011-12-31 16 50 35) むしろグリフォン率いた副軍師とノーム率いたガルダームこそリューネの主力 -- 名無しさん (2011-12-31 18 46 31) 確かにその二人は強いがドラナイもそこそこ何だぞ。CPUだと敵が悪いだけなんだ。 人材プレイなら他の戦線の心配は少ないよ -- 名無しさん (2011-12-31 22 02 23) ミシディシ派にパーサの抑えが必要だったなら、そのパーサの抑えにセレン派を使うという選択肢はなかったのか? ・・・と思ったが、列伝と正史が両立しているとは限らないのだった ついでに言うとセレン派の初期配置がひどいことになってただろうな、青竜剣撃ち放題の今ならどうとでもなるだろうけど -- 名無しさん (2012-01-28 17 41 52) 基本的にセレン派の方が制度上上位だから無理押すには離脱するしかあるまい -- 名無しさん (2012-01-29 16 15 55) 竜をアイテム化してステータス+したらDKもパワーアップ・・・ -- 名無しさん (2012-04-18 19 49 09) 中盤以降中立領ができると次々と人材が離反していって詰む。 -- 名無しさん (2012-07-15 11 51 55) 信用度と忠誠値の管理くらいしっかりしとけ -- 名無しさん (2012-07-15 13 08 19) 離反したのがミシディシとかジャンクシャンだったんだけど、 単に信用度の問題? -- 名無しさん (2012-07-21 00 54 17) 忠誠値は? 気にしてなかったんなら下がってただけだろう -- 名無しさん (2012-07-21 05 29 54) テクニック一切不要。スベスベ配下のセレン無双開始しました。d(´∀`*)♪ -- 名無しさん (2012-08-20 21 40 39) スヴェッテンADVはセレンを拾えるかどうかだったな。 同じS1のセレン単騎で後半は無双だったけど。 -- 名無しさん (2012-08-22 01 49 13) セレンADVでした -- 名無しさん (2012-08-22 01 51 22) スヴェADVかなりいいけどエンディング欲しいよなー。 -- 名無しさん (2012-08-22 02 42 35) s1でパーサ、グリーン、レオームとイベントで同盟して他を全部制圧したがなぜかクリアにならず、レオームがパーサを滅亡させた時点でやっとクリア。 同盟してる国同士が対立してたら駄目なのか? -- 名無しさん (2012-09-05 23 03 51) wikiのどっかにも同じことがあったけどそのとおり アルティナ様は同盟軍が共食いをはじめようと気にしない -- 名無しさん (2012-09-06 00 10 45) ちゃんとお心を痛めていらっしゃるよ。 何もしないけど -- 名無しさん (2012-09-06 14 47 22) まあ双方と同盟関係にあればどちらかに肩入れできないし、中立を守るしかない。 ゲームとしては表現できないけど裏ではオーティが講話に向けた活動をしていると脳内変換するんだ! -- 名無しさん (2012-09-07 10 13 01) s5は本国守備軍より遠征軍の方が滅びることも多い。 s6はパーサを開放するところまではcpuでも可能だが、雇用可能のユニットが高コストなこともあり最終的にリュッセル軍か死霊軍に滅ぼされる。 -- 名無しさん (2012-09-16 22 32 57) そこまで行ければ普通リューネ統合してない? -- 名無しさん (2012-09-17 10 36 25) ↑cpuミシディシ派はリュッセルとパサパクの挟撃で生き残る確率が限りなく低くなってる -- 名無しさん (2012-09-17 13 05 12) ルウェンダーのスフィンクス部隊がいるおかげで自分でやると負ける要素ゼロなのになミシミシ派 -- 名無しさん (2012-09-17 13 15 19) ふくぐんしは優秀だからな -- 名無しさん (2012-09-17 17 19 53) 最終決戦2で両派人材欠け無し隣接かつパーサ殲滅したのに統合しない 挙句ミシディシが攻めてくる始末。何か他に必要な条件ってあるの? -- 名無しさん (2012-09-21 12 12 15) 一度セレンの陣地にミシディシが訪れて不可侵条約を結ぶイベントを起こさないといけない。 確か、パサパク生存なおかつ人材欠けなしで隣接。 そのあとミシディシが提案してくるからそれを了承した後にパサパク滅亡で統合イベント。 -- 名無しさん (2012-09-21 13 58 45) 回答サンキュー。どれだけレアイベントなんや… あと、過去ログ調べてみたら、セレミシ派でプレイ時は同盟&統合発生しないそうな。何故。 むしろプレイヤー時こそあった方がいいと思うんだけどなー -- 名無しさん (2012-09-21 14 04 48) むしろそれでよくミッシー生き残れたな・・・。 現状だとセレンが海に逃亡した瞬間ミシ派死亡コースなのに。 隣接してパサパクとリュッセル双方と共闘結ぶのが定石だと思っていたが。 リュッセルからは経験値、ミシディシからは金がもらえて4ターンでパサパク滅亡も夢じゃない。 -- 名無しさん (2012-09-21 21 09 15) ミシディシ派でプレイして普通に同盟&統合発生したが・・・、ちなみにVer5.60 同盟後の最初の共同作業がリッチームクガイヤ倒し、セレンがなかなかパサパク倒さないので統合は時間かかった -- 名無しさん (2012-09-23 16 13 14) 献金しても受け取ってくれないし、むしろ同盟結ぶこと自体が無理なのでロードの嵐だった 自プレイではセレンでもミシディシでも隣接時の同盟すら起こらなかったんだがなー@ver5.60 能動的に隣接したら駄目なのか、友好度とかの条件が必要なのか、どうなんだべ? -- 名無しさん (2012-09-23 18 38 19) スクリプト見る限り隣接するだけで起きるはず セレン派・ミシディシ派で2ターン目に北パーサの森を落したら普通に同盟イベントは発生したけど これまで何回かプレイしたけど、発生しなかったことないんだけどなあ 発生しなかった人はそのセーブデータを小物入れにupしてみたら? 誰かわかる人が対処してくれるかもしれないよ -- 名無しさん (2012-09-23 19 10 26) ふりーむで落としたのでやってない? 前、自分も同盟発生しなくてなんでだろって思ってたんだけど、小物入れから最新VER落としたら発生する様になったよ -- 名無しさん (2012-09-23 19 26 42) なるほど確かに小物入れから落とした方だとあっさり発生した 情報サンクス&結局ver足らずだったわけで申し訳ない -- 名無しさん (2012-09-23 20 10 31) アルティナが生きてるときはみんな仲良しこよしだったのに彼女が死んでからはアルナス並みに内部がゴタついた アルティナも天国泣いてることだろう -- 名無しさん (2012-10-01 12 50 31) 原因はアルティナが残した直参と卿士の和解政策のせいだけどね -- 名無しさん (2012-10-01 19 24 08) 個人の魅力に依存した政権などそんなものよ -- 名無しさん (2012-10-01 20 12 13) アルティナ様ハァハァ -- 名無しさん (2012-10-01 20 17 25) なぜラクタイナがリュッセルよりも中央を優先する可能性を考えないのか・・・。 むしろ騎士団に共闘を持ちかけ、中央進出を提案するほうが可能性として高いと思うけど。 いくらなんでも2正面作戦を実施して死霊と騎士団双方同時に倒せないことはよーく知ってると思うし。 むろん同盟関係は一時的なものではあるがね。 -- 名無しさん (2012-10-04 03 03 20) ラクタイナの念願は生き物を全部アンデッドにすることだったはずだから 既に死んでる死霊とは争う理由がないんじゃないのかな -- 名無しさん (2012-10-25 18 58 29) ↑2の者だが、ラクタイナの狙いは魔導の素養がある人材以外を屍として使役し、魔導の才能を持つものを国民とする魔導絶対主義国家の設立じゃなかったか? -- 名無しさん (2012-10-26 11 08 42) アルティマイトのためにアルティナを失ったリューネ騎士団はラクタイナとの同盟だけはあり得ないと思う リューネからしたら不倶戴天の怨敵もいいとこだろう -- 名無しさん (2012-10-26 20 52 23) ↑パーサのエルフどもに援軍を送らなければ死んでない。あくまでパーサ救援を阻止した場合の仮定の話だ。 -- 名無しさん (2012-10-26 21 13 14) それでもないな。ラクタイナはブレッドを騙し討ちにし、 アルティマイトなんて大量破壊兵器を使って大量虐殺を行う最悪のテロリスト オルジンからスェレマでの所業も伝わるからそんな人間と手を組めるはずがない 死霊に対してはネルザーン以西にイオナ、ロイタスがあるからすぐに戦火交える心配はない なら危険すぎるラクタイナを排除する流れになるのは自然だ -- 名無しさん (2012-10-26 21 28 31) 危険すぎるラクタイナを放置してルートガルトに向かう王子・・・ -- 名無しさん (2012-10-26 21 46 01) S1でパーサと隣接すると起こる同盟は強制なため、パーサの中立地区保護政策→グリンシャスあたりで人材がひょっこり挙兵 の流れがよくある。そしてパーサはその新興勢力とも律儀に同盟を結ぶことが多いため、レオームさんに海から滅ぼしてもらわないと手も足も出ないという事態が起こりかねない レオームを滅ぼしていた場合、最大勢力のリューネを警戒して同盟を固持する新興と、友愛パーサのダブルパンチでとんでもないターン数がかかる -- 名無しさん (2012-12-31 14 07 20) 同盟国同士で潰しあえ!的な裏工作が出来る腹黒武将が必要なんだが、リューネ騎士団はみんなまっすぐすぎて誰も出来なそう・・・ -- 名無しさん (2013-01-01 06 53 11) パーサ、グリーン・ウルスが壁になって新興勢力が潰せず詰みというオチが最後に待っていた。 -- 名無しさん (2013-02-05 01 32 44) var5.84現在状態異常に弱すぎて魔王軍やトカゲにカモられやすくジリ貧になる -- 名無しさん (2013-02-15 03 29 44) ドラゴンナイトが高コストなのに脆かったり、極端に強いホームグラウンドが無かったり、崩れだすとあっという間。 CPUは一般を死なせがちなので、なんか勝手にやられている。 ドラゴンナイトは高レベルになると属性攻撃のバリエーションも増え、悪魔以外ならたいてい有利に戦えるので、丁寧に育てよう。 トカゲとの接近戦で割と簡単に落ちるドラゴンナイトだが、スヴェステェンとミシディシの部隊は結構頑丈。アーシャやアルティナで援護すればちゃんと壁になる。 彼らで第一波を止め、後の部隊は左右両翼からブレスであぶるなりすれば、だいたいの敵は何とかなる。 一般だけで戦う時はとにかく広く展開して引き撃ち。追い込まれたら退却。トカゲには経験値を与えてはならない。 -- 名無しさん (2013-02-15 14 12 53) ドラナイはなー。レベル30でクラスアップして焼け石に水でも耐久力アップしたらいいなー。 とか思っていたりする。 -- 名無しさん (2013-02-15 15 03 31) ↑まぁ30まで育った頃には勝ちゲーな気がする。S5以降は知らんが。 -- 名無しさん (2013-02-15 19 27 34) s1だとトカゲと悪魔に手を組まれ挟み撃ちにされ即座に滅ぼされたりする 人材プレイ時は運も必要 -- 名無しさん (2013-05-19 03 23 46) 一般は突っ込ませるとあっさり死ぬ。人材もセレンが来るまでは地味。周りは力押しでは勝てない勢力に囲まれている。難易度低とは言ってもルートガルトみたいに適当に無双できる感じではないな。 -- 名無しさん (2013-10-03 10 59 53) LS突撃持ちのスベスベは無双出来るだろ -- 名無しさん (2013-10-05 17 02 11) スベ突撃で魔王様も余裕でした -- 名無しさん (2013-10-05 18 34 10) セレン以外こそLS優秀だから部隊レベルでかなり強い でもまぁ確かにスキルや隊列考えずに突っ込むとトカゲや魔王には勝てないかも 自動だと低倍率のブレス逃げ打ちで後衛置いて下がってくし -- 名無しさん (2013-10-05 20 15 03) ミシディシ派はマゾ -- 名無しさん (2013-10-25 20 23 56) アルティナとスヴェステンがいるから難易度低いようなもん 基本的にこいつら二部隊ないしモンクでほとんどの敵を抹殺できる スヴェステンは言うなれば空飛ぶナイト あまりにも強い -- 名無しさん (2013-10-26 12 59 29) アルティナ健在のシナリオでは、序盤がきついがレベルが上がれば一般兵量産orモンクが居ればかなり楽。 しかしながら、他勢力との人材の繋がりが非常に希薄で、どの勢力を壊滅させてもほとんど人材が吸収できない。 ドラゴンナイトが近距離、中距離、指揮官によっては遠距離も可能と万能型であるため戦闘の操作に慣れるには良いが、人材収集癖があるプレイヤーにとってはかなり物足りない。 -- 名無しさん (2014-07-22 16 11 27) 最初に北方を平定。ガルガンダと同盟を結び領地を確保。イナゴを封印、沼地も平定し人材を待つ。 グリーンの3人加入後、20T目にホーリートーン加入。 …35Tでようやくチャンス到来、エルカ、デオフォーム、エルティア加入。 レオームのイオナのような、仕官イベントがもう少しあっても良いんじゃないかと思えてきた。 -- 名無しさん (2014-08-12 02 19 27) S1でパーサと隣接イベントが起きていない場合、通常の同盟を拒否するばかりか、共闘対象としてパーサに敵対してくる事もあるので、パーサプレイ時には注意。 また、S2のパーサの森返還イベントは、途中参加のホーリートーンまでパーサに移籍してしまうなどメリットが無いのでスルーして構わない。(あるのかもしれないが、目に見えるようなメリットは無い) ただ、ちょっと黒いエルフィスを見る事が出来るので、イベントが見たければセーブしてからにしよう。 -- 名無しさん (2014-08-23 00 20 34) 今起きた事 久しぶりにスヴェステェンADVでもやってお館様ときゃっきゃうふふするか ⇒よし、イベント回収完了。後はクリアだけか。でもEDがないのは締まらんな…… ⇒そうだ、静観→アルティナ再プレイでリューネ騎士団ED見れんじゃね?早速そうしよう。 ⇒オーティ「現在西に魔王軍・南に穹廬奴……」 ファッ!? OPがあるヤツって、途中参加でもちゃんとOP流れるんですね。現状と全然マッチしないけどwww -- 名無しさん (2014-09-07 12 04 31) s5でノームが役に立つと知らず、ドラナイデコイに防衛してました。 それにしても、s5からの人材難はきつい。ゴブリンしか雇えないじゃないか -- 名無しさん (2015-10-16 16 18 32) 魔王軍のレベル上昇早すぎて攻めきれん 泣ける -- 名無しさん (2016-01-22 00 30 30) 何年がごとにやっては諦めてを繰り返したけどやっと魔王軍他の国と協力して分断させて孤立した魔王フルボッコまでいった 魔王倒すとしばらく同盟さえしてりゃ楽だ…… -- 名無しさん (2023-03-09 20 40 50) そんな何年も攻略悩むような難しい勢力じゃないんだけどなあ -- 名無しさん (2023-03-12 02 37 57) S2が一番楽かな。ポイントは速攻する事、デビルにビビらない事。アーシャが居るから回復も気にしなくて良い。 突撃LS持ちのスベスベに人材、または高レベル兵士を詰め込んで突撃。ブレスに頼っていたらデビルは倒せない。 兵士が高い分、魔王軍は一度躓くと立て直せなくなる。逆に言うとルーゼルがベリアル雇うまで育っちゃうと相当きつくなる。 -- 名無しさん (2023-03-20 03 02 07) スヴェステェンの突撃を知ってるか知らないかで難易度が全然変わるね 引き撃ちという他陣営のセオリーがあまり通用しないせいでリューネ苦手なプレイヤーがいる気がする -- 名無しさん (2023-04-01 13 42 14) あとは邪道だがリロードで魔王軍より先手を取って 1ターン目で半島の西側に集結 2ターン目で雪原に2エリア先まで深く攻め込んでグリーンと同盟 で結構楽になると思う -- 名無しさん (2023-04-01 13 43 46) 元ネタはリューネブルク -- 名無しさん (2023-04-21 11 58 51) 元ネタ不明なんだよなあ ファーレントゥーガにはリューネという単語は全く出てこない -- 名無しさん (2023-05-25 18 20 58) セレンのシナリオ等やっていると運任せになるのでかなりきつい 大抵魔王軍とルートガルトにすり潰される -- 名無しさん (2023-07-22 14 23 38) ヴァーレン本家だけの特徴だけど、どのシナリオでも敵国の強キャラにメーヤなどの陪臣が付くと一気に辛くなる(時間切れ的に)。他国の戦略中は見張っているか、こまめにセーブ。 -- 名無しさん (2023-07-22 22 08 08) ↑リロードしちゃいかんでしょ -- 名無しさん (2023-07-25 18 08 26) 拡張シナリオから入門した自分。VT本家を初プレイ。 ルートガルトと迷い、リューネ騎士団をS1で選択。 結果、139ターンでエンディング。 長期化の原因はルートガルト幹部のLv30超+陪臣充実を放置したこと(猛省)。 ウルズが汗国に、パーサがレオームに打倒されたこと、レオームが同盟を破棄してきたことも痛かった。 というか、皆さん何ターンくらいでクリアするの?(勢力によりけりだろうけど)。 -- 名無しさん (2023-07-27 13 11 15) リロードマンだから50ターンもあれば十分だな 序盤にレベル上げまくって十数ターンで勝ちを決める めんどくさい勢力は律儀に正面から潰さずに首狩りすると早い リューネはスヴェをうまく使うと強い、セレンが敵に回らないのも助かる -- 名無しさん (2023-07-27 23 00 22) 久しぶりにノーリセットでS1リューネにチャレンジしてみたけど 非同盟最後のアルナスを滅ぼしたときにグリーンウルスに ラザム神殿への進路を塞がれてターンチャレンジが潰えたw やっぱりスヴェが強い、セレンは初期人材じゃなかったな 序盤は魔王軍のレベルが低いうちにレベル上げがてらゲルドを滅ぼして そこからレベル差で魔王軍に勝つ 縛りなしだと人間勢力ならそのままルートガルトを吸収した時点で勝ちが決まる ノーセーブだとファルシスが厄介だった -- 名無しさん (2023-07-28 11 51 27) 参考例に感謝。 開始10ターンで魔王の首狩りには成功した。ゲルドもほぼ同時に攻略。 雪原でアスナルと、ハルトでルートガルトと二正面作戦になってから 身動きが取れなくなった(ここでもう少し強気に出ていれば……)。 大陸南部を制圧していた水軍がルートガルトに首狩りされ、 王都で放浪中のゲルドが挙兵という事件も発生。 アスナルを倒した頃には、海賊とエルフを呑んだレオームと 王都のゲルド、ハルトのルートガルトがえげつない勢力に。 スヴェの突撃には何度も助けられた。 アルティナ本隊が全滅しがちだったのは、自分が諸将の指揮に気を取られすぎたから? ここのコメを見ていると後衛でも良いのか。 -- 名無しさん (2023-07-28 12 58 20) 確かに人材詰込みになってくるとジリ貧になるね 素早くクリアする場合は相手の準備が整っていないとこを突くのが最適だから 長期戦の方が大変かもしれない アルティナ隊は堅いはずなのに、自分もよくメンバー減らしてるイメージあるわw -- 名無しさん (2023-07-28 14 20 30) アルティナ隊は横陣なら外側、方陣なら中衛くらいにしとくとよい -- 名無しさん (2023-07-29 18 22 38) 名前 コメント
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「貴方が勝利と引き換えに失うもの。私はそれに興味がありますわ。」 列伝 基本スペック 基本能力値 コメント 列伝 出自・経歴の一切が謎に包まれた美女。 古くから魔物たちを率いる姿が度々目撃されており、大陸に伝わる「屍姫伝説」に登場する屍姫本人ではないかと噂される。 後世では、古代文明の遺跡から彼女によく似た人物の肖像や記録が発見されており、彼女と屍姫、古代文明の関係が歴史家の重要な研究テーマとなっている。 基本スペック 名前 デッドライト 性別 女性 肩書き ビーストテイマー S6→アルナス・ウルスの軍師 S7→旧支配者の使い 種族 アンデッド クラス ビーストテイマー 雇用種族 悪魔 死霊 モンスター(S7では死霊のみ) 雇用クラス グリフォン イエティ オーク アイスマン クラーケン サーペント マンティコア 深きもの 完全体 (S7では「深きもの」のみ) 特殊雇用 初期勢力 S1~S5→在野 S6→アルナス・ウルス S7→屍姫軍 初期階級 S6→上士 S7→マスター 初期レベル S1~2→13 S3→18 S4→21 S5→23 S6→26 S7→28 初期スキル ダークレイ 吸収攻撃Ⅲ 幻惑攻撃Ⅲ 吸血攻撃Ⅲ 習得スキル リーダースキル HPアップ HP回復力アップ MPアップ MP回復力アップ 攻撃アップ 防御アップ 魔力アップ 魔抵抗アップ 技術アップ 素早さアップ 移動力アップ 訓練効果アップ(5) 必殺スキル 神剣ラグラントゥー(S7のみ) 基本能力値 HP 500 MP 100 攻撃 40 防御 40 魔力 90 魔抵抗 90 素早さ 80 技術 90 HP回復 5 MP回復 20 移動力 130 移動型 浮遊 exp_mul 125 召喚可 1 初期耐性 火 毒 無敵 水 麻痺 無敵 風 幻覚 強い 土 混乱 強い 光 弱い 沈黙 強い 闇 強い 石化 強い 神聖 弱い 恐慌 強い 死霊 強い 即死 無敵 弓矢 吸血 無敵 城 魔吸 強い 解呪 強い ドレイン 強い 一般ユニット(人間ビーストテイマー)より高い能力値は青字で記載 コメント 原作では最強レベルのモンスター人材だったが今作ではビーストテイマーである。銀髪のお姉さん。 特筆した能力を持たないビーストテイマーの中において全てのモンスターを雇用可能で なおかつモンスターをリーダースキルで一段階強化する事が出来ると破格の能力を備えている。 強力なモンスターを育てて使役すればその辺の人材の部隊に遅れを取る事はないだろう -- 名無しさん (2009-09-25 19 33 53) 勢力配下となり、人材を集めて独立すれば最強の人材部隊を作れる。 人間であるため雇用の幅も広く、恐らく今作でも一二を争う優秀なリーダー。 -- 名無しさん (2009-10-04 21 50 30) 途中から仲間に入った場合、レベルの上がっている他のテイマーの部下の モンスターを奪って利用する鬼畜女子である 主にヤヌークやカルラのグリフォンあたりがターゲットになる -- 名無しさん (2009-11-04 06 33 38) ver1.75よりアンデッド族になり、雇用が難しくなった -- 名無しさん (2009-11-07 02 14 43) ラクタイナ、ヨネア、ニースルー、イオナを雇用できるようになった。 また最大MP上昇とMP回復力上昇を得たことで魔法使いとの相性が上昇した。 -- 名無しさん (2009-11-08 22 21 30) もはや獣使いの賢者とでもいうべき存在。 -- 名無しさん (2009-11-09 00 12 55) ダークレイが結構強い。 目からビームなのかしら。 -- 名無しさん (2009-11-23 01 41 15) ユニット-アンデッド族に引っ越さないのはなんで? -- 名無しさん (2009-11-30 18 27 29) デッドライトさんに限らずユニットの項目はほとんど更新されてないから。 疑問を感じた人が更新したらそれでおーけー。 ダークレイが消えた。 -- 名無しさん (2009-12-01 02 39 34) 唯一のアンデット人材。以前のverでは人間だったりtachi氏のフェイス画が美人だったりでその生い立ちが気になる人物。 現在は謎のアンデット麗人。 勢力頭プレイ時は弓人材であるガンターでしか雇えない。 さらにデッドライトで人材プレイをする時はニースルーとラクタイナしか雇えない。 スカイドラゴンを配下にすると手が着けられないほど強力無比。 ラクタイナとニースルーを配下にするチャンスもあるのでリューネ騎士団に士官するのがおすすめ。 ただ、強力だったダークレイが消えて人材統一プレイは苦労する。アンデットの属性として状態異常には無敵耐性があるため悪魔勢力を相手に弓を撃てばよいのだろうか。 光と神聖属性に弱く、解呪に対しては即死ではないものの、解呪スキルには普通耐性である。モンクを相手に喜んで弓を撃ちに迫ると痛い目を見せられてしまう… ラクタイナを配下にすることができれば戦闘はガンパレードモード。ネクロヒールまであるので快適に勲功がたまる。 独立すると全てのモンスターを一般として雇えるのが見所。ドラゴンは前衛を任せられるし、状態異常を起こすモンスターは人材の後衛に良い。 現行verではアンデットで独立すると全ての人材に相性100である。 -- 名無しさん (2010-01-18 05 40 54) 理想:リュッセル城にスカイドラゴン12部隊放置→防衛戦でレベル上げ(゚д゚)ウマー 現実:連射長弓→半壊、百烈斬→ほぼ全壊、青竜剣→(ry -- 名無しさん (2010-01-20 21 44 03) 陣営引き込みと陪審雇用で価値が大きく変わる稀有な姫様。 -- 名無しさん (2010-06-25 19 54 20) 通常雇用範囲は雇用できる側の顔の広さとして評価されるが、この人の場合は…相手の方が気にしない人達って事か… ラクタイナは納得。ニースルーも一見常識人っぽいのに思い切ったことをしたり、ちょっと価値観が超越しちゃった感が確かにある。 この雇用関係の裏設定が気になる。 -- 名無しさん (2010-06-25 20 34 22) デッドライトで人材プレイをすると陪臣が強化されまくるので強力。 ピヨンですらステがおかしい事になり、威力が跳ね上がる。 またラクタイナとニースルーからヨネアを拾えば、悪魔も拾えるので非常に強くなる。 その後独立すれば悪魔を前衛にできるのでかなり楽になるだろう。 -- 名無しさん (2010-07-11 10 31 19) 更新でデッドライトを雇える者が増加、s6ではアルナス・ウルスに軍師として参加している。 しかしデッドライト自身の雇用でラクタイナとニースルーを雇えなくなってしまった。 -- 名無しさん (2010-08-01 21 06 49) ラクタイナ雇用は復活。 ここ最近の更新で一般アンデッドも配下にできるようになったが、ラクタイナと違い解呪無効付与は無いのでディスペルが怖い。 -- 名無しさん (2010-08-02 04 58 48) アルナスのOPで謎めいた振る舞いをする。 ムクガイヤに転生術を教えたのは、もしかしたら彼女なのかも知れない。 -- 名無しさん (2010-08-22 14 00 56) デッドライト配下のホーリードラゴンがHP8000攻防抵800越えてた どれくらい耐久力あるのか試そうと思って、フィーザレス(ロード)・ムクガイヤ(ウィザード)・クレア(セイント)他が居るところに突っ込んで、攻撃禁止&固定にして放置してみたら、一体も倒されることなく戦闘終わってて焦った -- 名無しさん (2010-08-23 11 58 29) こいつの勢力は凄まじい勢いで戦力が増える。 リュッセルあたりで挙兵した時点で詰む -- 名無しさん (2010-11-13 16 32 13) デッドライトさんの腐敗度は何%ですか? -- 名無しさん (2010-11-14 18 37 04) 100%、腐女子でございます -- 名無しさん (2010-11-14 19 24 37) そんなこといって、デッドライトの列伝変わったらどうするんだww -- 名無しさん (2010-11-14 19 37 14) デッドライト「BL無しに生きる意味などありませんわ」 -- 名無しさん (2010-11-15 13 00 13) 止めろ!止めるんだ!! これ以上俺のデッドライトさんを腐らせるんじゃないッ!!! -- 名無しさん (2010-11-15 13 46 13) 次の更新辺りでモンスター雇用が無くなり、男人材全雇用が来るなこれは。 -- 名無しさん (2010-11-15 16 07 54) ルーネンが歓喜しているようです -- 名無しさん (2010-11-15 16 53 41) 【IF】結末へ向けて(アヒャと腐と) -- 名無しさん (2010-11-15 17 37 12) そろそろ自重 -- 名無しさん (2010-11-16 03 45 12) 見た目的にムサいスネア軍唯一の女子で、見た目はいいのに腐女子とは・・・orz -- 名無しさん (2010-11-27 00 52 14) どうせならBL系に走らせるのでなく、女王様系に…(ハァハァ -- 名無しさん (2010-11-27 02 53 31) ↑ドラスティーナとかぶるかもねw -- 名無しさん (2010-11-27 11 23 41) ぶっちゃけ飼われたいです -- 名無しさん (2010-12-29 15 37 55) 大人のお色気、ってやつがいいのでは? -- 名無しさん (2010-12-29 17 21 16) 更新で強化、というより前に戻った? -- 名無しさん (2011-02-21 01 10 11) いきなりリチスネ率いてるから違和感が。s2あたりからルートガルド国所属にして、ムクに取り入っていて、 ムクに転生の術式をかけた張本人とか、それを利用して大陸制覇しようとしたけどルーゼル来て逃げたとか そういう設定がほしいところ。 -- 名無しさん (2011-04-20 21 46 38) 強すぎるだろこれは・・・ -- 名無しさん (2011-05-06 12 21 37) うかつに殺しまくるとラグラントゥーの嵐が吹き荒れる。 -- 名無しさん (2011-05-06 13 18 45) 間違ってアルティマイトの集中砲火浴びせたら、デッドライトさんの顔グラが4つ一気にでた。 -- 名無しさん (2011-05-08 09 33 53) 倒し方が判らなくって詰んでしまった・・w やられたら死んでくれなきゃ困る。 -- 名無しさん (2011-05-22 00 11 59) ↑一定の手順を踏まないと倒せませんよ。s7開始時点で説明してあります -- 名無しさん (2011-05-22 00 29 41) 聖地に行っても古代文明の力なんか手に入らないでござるよ・・・ -- 名無しさん (2011-05-22 00 41 24) もしかしてリチムクが生きてないからかな、イベント起こらない倒せないw -- 名無しさん (2011-05-22 00 54 29) ↑聖地で「探索」コマンド。 -- 名無しさん (2011-05-22 07 30 04) 更新の結果か不明だが… 殺すも何もなくラグラントゥーの嵐が吹き荒れる。 しかも即死効果つきなんで… 止めを刺しに突っ込んだキーマンが即死して終わる(苦笑) -- 名無しさん (2011-07-05 03 20 24) S7においては、プレイヤーが一定の手順を踏まないと倒せない上に、強力な範囲攻撃を持つため、対CPU戦ではほぼ無敵。 しかし、ラグラントゥーに耐性を持つ相手でのタイマンでうっかり死んだりすると、面白いことになる。 -- 名無しさん (2011-09-06 22 27 38) あれ?ラクタイナってまた雇えなくなってるの? -- 名無しさん (2011-09-29 21 07 45) ラクタイナ雇用なくなってるね、これで人間系人材雇用の道が断たれた訳だが。 でも、アンデット自体は全種族と相性最高だからNPCなら陪臣雇用してくるんだろうか。 -- 名無しさん (2011-11-22 01 44 28) 結局この女史は今のverだと誰を雇えるのでしょう? -- 名無しさん (2011-12-14 20 54 15) ランシナで人材プレイ時はモンスター系人材以外は雇用できず NPC時は人間系を陪臣にしてるのを見かけますね -- 名無しさん (2011-12-14 21 07 30) リューネをリュッセルから追い出せばドラゴン軍団でかなり版図を拡大できますね。 ただレッドドラゴンは強いのにホーリードラゴンはパンチ力不足でイマイチですな。 -- 名無しさん (2011-12-16 15 57 10) S6ではラスボス勢力として、ヨグソトースを引き連れる・・・のだけど、ホルスが放浪していない状態で自勢力にシャイニング持ちがいれば、あっさり倒せてしまう ラグラントゥー持ってない屍姫軍はネタ勢力の域に入ってるような気がする -- 名無しさん (2012-05-15 10 08 21) ホーリーブレスは確かにバーナブレスより一発あたりの 火力下がるけど前身型じゃなくなってるうえ貫通だから引き撃ちがやばい -- 名無しさん (2012-06-07 00 49 44) 復活はラスボスだから許されるとしても ラグラントゥー無限使用+乱発はやりすぎ。 一人で援軍含め10万以上の軍勢を毎回のように消してくれる。 まともに食い止めることすらできん。 -- 名無しさん (2012-09-13 02 37 30) アルティマイトΩ「俺に任せろ!」 -- 名無しさん (2012-09-13 02 53 29) 最終Ⅲをルナで屍姫軍でやると、一回倒されただけで呆気なくゲームオーバーになってしまう ルナ以外は戦死じゃなくて負傷して退却扱いなのに、ルナでやると死亡するとは・・・ -- 名無しさん (2012-11-11 18 43 45) ランダムで放浪開始すると稀に人材と出会い仲間にできる それで最強部隊作るのが楽しい。 -- 名無しさん (2013-01-02 10 42 44) ver5.80の雇用表を見る限り、人材プレイしてもオワンとピヨンしか雇用できなさそうな感じ。読み方正しいかわからないが。 -- 名無しさん (2013-01-27 15 06 10) ランダムシナリオでナイアーラトテップを飼って登場してきた。やめてください本当に困ります。 -- 名無しさん (2013-01-28 06 01 46) 「旧支配者の使者」という肩書き、黒基調のキャラデザなど、クトゥルフ神話のニャルラトテップを思わせる。およそ当人。 ニャルラトテップの化身は複数同時存在しうるので、ユニットのナイアーラトテップも化身の一つと見てよいのだろう。 ヨグ=ソトースはクトゥルフ神話ではニャルラトテップよりも上位の神格とみられるが、ニャル様は神様だからそんなことは瑣末事。 -- 名無しさん (2013-02-20 05 39 57) こいつの真の強さは傭兵隊長で発揮される 全能力が強化されたホーリードラゴンを20体揃えられれば全ての敵は塵と化す -- 名無しさん (2013-05-01 22 49 41) 傭兵プレイで一般ドラゴン雇用20体ってできる? 俺のやってるバージョンだと人材しか雇えないんだが -- 名無しさん (2013-05-03 15 08 21) ver6.00の最終決戦3で死なないんだけど・・・。バグ? -- 名無しn (2013-11-07 13 17 33) ↑死なない仕様 -- 名無しさん (2013-11-07 20 09 07) とりあえずラスボスを倒したいって人ならミシディシイベントを使うのが一番楽な対処法だね 穴潜るのめんどいし -- 名無しさん (2013-12-02 04 29 51) (ミシディシイベントは)もうないじゃん・・・ -- 名無しさん (2013-12-02 14 21 20) 槍で突かれて死ぬ人 -- 名無しさん (2013-12-03 19 28 49) s5のイオナ国プレイだと呆気なく退場するよね -- 名無しさん (2013-12-26 06 05 29) シナリオ1でリグナム火山で旗上げ、バカなアルティナ様のおかげでクリアできました。 -- 名無しさん (2013-12-26 08 15 16) メデューサを雇うと石化地獄。スフィンクスでも状態異常祭り。イエティ系やスカイドラゴン系を引き連れられると単純にごっそり削られる。 何を配下にしていても相当な脅威。本シナで遭遇することはあまりないのが救い -- 名無しさん (2014-03-15 09 53 15) ワイがヴァーレンのプレイを辞めたきっかけのキャラ 勢力バランス壊すチートはキライじゃ -- 名無しさん (2014-03-27 09 53 16) ↑言うほど強くなくね?ぶっちゃけホルス(オルジン)とイオナ(光)と強化Ⅱ使えるキャラいれば足止めも楽だし 本人よりもヨグソトースのほうがよっぽど怖い(モンクがビームで焼かれる的な意味で) -- 名無しさん (2014-03-27 14 10 45) が、足止めにホルス(オルジン)とイオナ(光)と強化Ⅱ使えるキャラまで 駆り出すことになる時点で、相応のポテンシャルは持っていると言える 少なくとも状況次第では戦いたくないし、そういう状況は比較的多い方 -- 名無しさん (2014-03-27 22 27 30) てか強い弱い以前に一部の技でしか倒せないのが…… -- 名無しさん (2014-03-30 15 12 31) s7じゃLv60台のクトゥルフを32連射してくるようになった 接近戦はほぼ一撃で屠られる -- 名無しさん (2014-05-11 01 38 13) 特定の人材持ってなければ対処のしようがないという時点で面白くはないな -- 名無しさん (2014-08-23 21 03 43) 彼女の蛇部隊はルーゼル様も石化する だが旗揚げしてもアイスマンぐらいしか雇えない -- 名無しさん (2015-11-04 14 51 38) S1でリグナム火山で旗揚げ、現在絶賛奮闘中。アルティナ様クッソバカもう滅亡させたわ -- 名無しさん (2016-03-30 21 52 56) 今回の更新で綺麗な立ち絵が付いた。 ゲーム内だと細かいところが見れずに素早く表示されてしまうから残念に思える。 表示されているデカイ立ち絵を画像で見てみたいと思う。 -- なみなみ (2016-04-24 15 38 06) ラスボスなのに怖さも死霊感もないかわいいキャラになった -- 名無しさん (2016-04-26 22 25 55) かわいいってよりセクシーすぎる感じだな 怪しい雰囲気はちゃんと出てると思う -- 名無しさん (2016-04-29 23 14 28) なんか主要キャラの立ち絵デカ過ぎじゃね? デッドライトとかゴートとか上手いとは思うんだけど -- 名無しさん (2016-04-30 17 34 50) イベントでは立ち絵の全体が見られるみたいだ このタッチってロステクの立ち絵描いた人かな? -- 名無しさん (2016-05-01 23 25 38) ポポイロイトの鬼ごっこに耐えた「そらとんでるおばちゃん」は最初彼女だとおもった(不死+浮遊) いつもの表情だが内心ちょっと凹んでたり。 「……おば…」 -- 名無しさん (2016-11-21 23 55 40) スネアと同じくぽっと出のラスボス感が強い。 強いというよりもアルティマイトΩや名もなき神剣等の倒す有効手段が一定確率でしか倒せないのが面倒を感じる -- 名無しさん (2017-06-21 03 24 50) 黒幕のはずだが、極一部のイベント以外では全く動きがなく、2章~4章などはイベントも皆無。 ゲーム上もたまに陪臣やってる程度の出番しかないもんな。 -- 名無しさん (2017-06-21 19 08 53) むかしはグラフィックが銀髪だったらしい -- 名無しさん (2020-03-10 18 56 42) ftではポポやレトの仲間だったのにどうしてこうなった -- 名無しさん (2020-03-11 11 50 50) デッドライト本人というよりデッドライトが率いる軍団が異常に強い。ランシナなら完全体クウォードすら倒せる -- 名無しさん (2020-05-08 19 18 15) デッドライトとラングドスはデートできる -- 名無しさん (2020-05-09 15 14 28) 旗揚げしてドラゴン部隊作ったけどモンスターだけの部隊って戦闘時に操作できないの?勝手に突っ込むから損害多くてちょっと萎える -- 名無しさん (2020-06-12 12 54 01) そのためのビーストテイマーだぞ 昔は人材が率いていないユニットは能力低下までしていた(人間含む) -- 名無しさん (2020-06-12 20 50 15) ↑なるほど元々そういう仕様なのか、納得。それでもホーリードラゴン揃えるとほっとくだけで敵が蒸発してくから十分か… -- 名無しさん (2020-06-12 22 13 58) S1で旗揚げ制覇、特にエンディングも無く破滅する事もない 雪原で旗揚げしたかったがイエティ強すぎて無理だったので ホアタで旗揚げしてイカ(ラミア)軍団を作り海とフェリルを平定し 山脈をぶち抜き加えてアイスドラゴンと少量のオーク(ジャイアント)、ブリザードマンで大陸制覇 仲間にできたのはオワンとピヨンだけだったがレベルは上げやすかった 魔王軍もアイスドラゴン軍団ぶつけて難なく自害 リュッセルは即死すると思ってたけど試してみるか -- 名無しさん (2023-07-22 22 03 12) 立ち絵がでかすぎる -- 名無しさん (2023-07-25 18 09 14) S1プレイだと通常では雇用できず陪臣待ちになるのでかなり地味 -- 名無しさん (2023-08-05 02 23 56) 絵師さんわかる方いますか? -- 名無しさん (2024-02-03 07 36 53) 立ち絵は銃魔の村カルキさんじゃないかな 顔はファーレンでもおなじみのtachiさんだと思う -- 名無しさん (2024-02-03 16 13 10) 名前 コメント
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吾妻鏡なら竹宮恵子さんの漫画版がオススメ。愚管抄そのほかもまとめられているし分かりやすい。そしてなまじ絵が綺麗なだけに陰謀のえぐさも際立ってる。 -- 名無しさん (2022-07-11 00 43 51) 善児についてはこれまでの三谷幸喜作品では大河含めまず見当たらないかなり異質な役柄(そもそも人の死を描くのが好きじゃない人なので)。今までにはない異質なキャラだこそ東京サンシャインボーイズ時代からの盟友である梶原善に任せたように思う。役名も一部使ってるし -- 名無しさん (2022-07-11 01 37 20) 新選組といい、真田丸といい三谷氏の大河は入り口の明るさコミカルさから一転して斜陽に入った後の展開のエグさの落差が凄い -- 名無しさん (2022-07-11 07 31 11) 誰が呼んだか「鎌倉どうでしょう」 -- 名無しさん (2022-07-11 08 51 56) ジャイアンとスネ夫が出演してるから実質ドラえもんなのでは(錯乱 -- 名無しさん (2022-07-11 09 50 51) 千葉常胤の役者が佐藤浩市になってるぞ。 -- 名無しさん (2022-07-11 11 16 26) UberEatsで首デリバリーするんかい! -- 名無しさん (2022-07-11 11 39 29) 身勝手な都合で人の人生を弄ぶ権力者の醜悪さがこれでもかと描かれる。 主人公はゴッドファーザーのマイケルというよりスターウォーズのダースベイダー寄り。 -- 名無しさん (2022-07-11 13 11 59) 真田丸より先にできたか。誰か真田丸も作ってくれー(他力本願) -- 名無しさん (2022-07-11 13 33 54) 曇らせは続くよどこまでも -- 名無しさん (2022-07-11 14 28 33) この項目書いた人の本作と大河への理解度深いなあ -- 名無しさん (2022-07-11 16 28 29) 義経が追い込まれていく展開になったときに「モンゴル行こうぜ!」みたいなコールが連続発生したのは笑ったよ -- 名無しさん (2022-07-11 16 29 37) 三郎が将門公を持ち出して挙兵の説得しても時政パパが心底嫌そうな顔で「最後は首ちょんぱじゃねえか!」とか冗談みたいなこと言ってたのが懐かしい -- 名無しさん (2022-07-11 16 59 01) ↑後々の時政の最後と子孫からの扱いを考えると首チョンパになっても伝説として言い伝えられていた方がまだマシだったんじゃないかとも思う -- 名無しさん (2022-07-11 18 07 41) 「登場人物がガンガン退場するから、大河ドラマの難点だった『拘束時間の長さのせいで俳優にオファーを出しにくい』という問題が解決だぜHey」 …いや、そんなバナナw -- 名無しさん (2022-07-11 18 20 28) ばあちゃんが視てたのを横から見たけど、わりと登場人物の口調が砕けてて最初時代劇だと気付かなかった -- 名無しさん (2022-07-11 22 14 21) カメラマンがタイムスリップしたやつだっけ? -- 名無しさん (2022-07-12 04 29 35) 本当は怖い鎌倉幕府 -- 名無しさん (2022-07-12 06 50 53) なお、善児は後に転生して稲毛姓を名乗るパティシエになる模様 -- 名無しさん (2022-07-12 06 53 01) こう、北条義時という人物が「畠山重忠が死ぬまで、自発的に何かをやったという記録が一切存在しない人物」だからこそ穴埋め的にエピソードを盛れる、正しく「現代の『吾妻鏡』」なんだよな -- 名無しさん (2022-07-12 17 07 34) 影も形もない足利氏、この時代の当主の正妻って政子の妹の一人なのに -- 名無しさん (2022-07-12 20 34 52) 足利は八田知家みたいに前から居たような顔して出てきそうな気もする -- 名無しさん (2022-07-12 21 34 35) 承久の乱をどう描くのかねえ。アレ義時は煽るだけ煽って暢気に構えてるのを政子と足利が強行する流れだし -- 名無しさん (2022-07-12 22 36 29) 畠山重忠の所領の件もあるから足利氏は出てくるでしょう。 -- 名無しさん (2022-07-13 00 58 09) 足利義兼は目立たず騒がず空気化することで粛清から逃れつつパワーゲームに近寄らないという護身を完成させていたから現段階で出てこないのはしょうがない。足利氏が本格的に頭角を表すのは和田合戦の辺りからだし。 -- 名無しさん (2022-07-13 17 18 18) ↑俺も足利義兼・義氏はやる夫スレしか知らないけど、功績に比べてひたすら目立たないようにしてる印象がある。まあ猜疑心の塊な源氏一門じゃ仕方ないかな。和田合戦あたりから出始めるのかなあ -- 名無しさん (2022-07-15 01 24 50) 父上闇落ち回の間に逃げ上手の若君で時行が時政や義時を口上に名乗りを上げる展開が熱すぎる -- 名無しさん (2022-07-15 09 21 19) ああ夢枕コントの頃が懐かしい… -- 名無しさん (2022-07-15 12 54 55) 3年前の大河はアウトレイジの監督がレギュラーでグロ系劇作家やグロ系監督が脇で役者やってても普通だったのになあ…。 -- 名無しさん (2022-07-17 14 43 57) 長澤まさみのナレーションがこのアウトレイジ大河にしっくりくるのが意外だった -- 名無しさん (2022-07-18 23 45 40) 最新話でナレ死に続く新しい表現方法が出たけど(「もう死にました」「もうすぐ死にます」)、これは何死になるんだ? -- 名無しさん (2022-07-19 15 06 56) 木曽義高役の市川染五郎は役者市川染五郎としての大河出演は祖父白鷗から数えて3人目で、一家としての出演は曽祖父、祖父、父、叔母(松たか子)から5人目だとか -- 名無しさん (2022-07-20 22 40 18) ↑18 ほぼ出っ放しなのに月9にレギュラー出演する小池栄子。 しかも最初の敵が山本耕史……どこに月9に出る暇があるんだ。 -- 名無しさん (2022-07-22 16 25 33) 誰もが恐れるぜんじさんゲットだぜ -- 名無しさん (2022-07-24 20 57 45) まさか13人の合議制が開始された翌週にはすでに13人じゃなくなるとは思わんかった。 -- 名無しさん (2022-07-25 12 47 20) ↑4 松本一家は三谷さんとも馴染が深いね。 三代と松たか子はもちろん、松本紀保もメタな役で舞台に起用してる。 -- 名無しさん (2022-07-25 18 39 27) ↑2 「13人が鎌倉殿を支え、一丸となって困難に立ち向かっていくぜ!」みたいな話じゃないということがありありと分かったね… -- 名無しさん (2022-07-25 19 17 23) ※22のところ、義澄ではなく義村なのでは? -- 名無しさん (2022-08-01 17 15 43) この雰囲気の中義時全成頼家でコメディやるの凄いわ 知康の井戸落ちは史実回収だし -- 名無しさん (2022-08-01 21 09 48) この間から最新話の内容を反映させてる人がいるけどネタバレNG期間では? -- 名無しさん (2022-08-03 19 22 30) 最近の闇堕ち鬱展開を見た後で最初期のコメディ鎌倉殿見ると落差で泣けてくる -- 名無しさん (2022-08-15 19 10 52) 牧宗親は13人の宿老ではないのだが... -- 名無しさん (2022-08-16 16 35 50) 頼家がガチで無能だったからタイトルの十三人の合議制もじった13人の鎌倉殿なのか、実朝を御飾りの鎌倉殿にしたい北条が頼家を支持している比企や梶原追い落とす為に有力御家人の三浦氏誘ってじわじわと頼家追い詰めていったのか?(13人の合議制自体が発足してそこまで長く続かないまま終わって重しの取れた北条が徐々に侵略していく) -- 名無しさん (2022-08-16 20 46 53) 同じ三谷作品の王様のレストランをみるとレギュラー登場人物の名前はここからとったんだというのが分かって面白い -- 名無しさん (2022-08-19 10 09 04) 心なき暗殺者が、得てしまった心によって命を奪われることになるってとても好き。 -- 名無しさん (2022-08-29 00 09 04) このドッロドロの権謀術数の中ほぼ唯一の清涼剤の和田義盛が如何にしてあの結末に至るか今から辛いな… -- 名無しさん (2022-08-30 18 04 00) もはや泰時が最後の希望となりつつある -- 名無しさん (2022-08-30 18 53 41) 岡崎義実が曾我兄弟の敵討ちに関与していたので事件後失脚(出家)したのではないか、という説は「鎌倉殿の13人」オリジナルではなく、以前より永井路子(草燃える原作者)が唱えている説だよ -- 名無しさん (2022-09-20 05 10 27) 善児の項の頼家襲撃時のところ『頼家が件の幼子の実父だと知り、衝撃のあまり動きが鈍った』って書かれてるけどそんなに具体的だったかねぇ -- 名無しさん (2022-09-29 21 38 36) 善児は頼家が一幡の父親だって当然知ってたはず。あの場面は頼家も善児も一幡を思う者同士なのに小四郎の策略で殺し合う悲劇の場面。 -- 名無しさん (2022-09-30 01 41 02) だよね、知ってたよね 無難な記述に変えてみました -- 名無しさん (2022-09-30 09 50 57) 親父殿は、北条の安寧だけが望みだったはずなのに…今もそれは変わらないはずだが、悲しいな… -- 名無しさん (2022-09-30 14 18 23) ↑器ではなかったのだよ、すくなくとも鎌倉を取り仕切るだけの器では -- 名無しさん (2022-10-07 13 53 40) 泰時がすごろくをやると体調不良になるって聞いてやはりあの人物の生まれ変わりなんじゃないかと合ったなぁ。そういや畠山さんがなくなった頃に生まれた北条の子供って後々の………だよね -- 名無しさん (2022-10-10 20 03 52) 登場人物の紹介が追記されるタイミングって決まってる?人によって途中までの記載になってるのが気になる。 -- 名無しさん (2022-10-24 20 04 59) 「丸く収まりそうになるのがちょっと遅い」という展開、頼朝のときもあったけどかなりエグいな -- 名無しさん (2022-10-24 21 16 23) 基本的にネタバレ期間1週間超えたら最新話の内容反映可が原則かな。紹介が途中で止まってるのはそもそも登場人物が多過ぎるので… -- 名無しさん (2022-10-24 22 02 56) 義時はどんどん非情になっていくが、そもそも彼が足利尊氏みたいに甘い対応をとっていたら梶原景時も頼家も朝廷側に寝返っていた可能性があるし、単純に否定できない必要悪として描いているのが秀逸。 -- 名無しさん (2022-10-27 22 05 35) 信もなく仁もない、更に利も北条が独占するとなると御家人の反発抑えるのは恐怖政治無いんだよねぇ -- 名無しさん (2022-11-01 07 10 46) ↑2義時について最近の普通性分が火の粉振り払ってただけ擁護なんか変にいらんと思うわ。冷酷非情な人間味ある政治家であるからこそ素晴らしかったんだよな。尊氏みたいな欲なく気前良い逸話ありまくる人間こそ政治家としては弱点になったのがよく分かる -- 名無しさん (2022-11-07 12 22 07) 最期は腹切覚悟までしてた父上が伊豆で平和なナレ死できてよかったよ……息子はどうなるのやら -- 名無しさん (2022-11-09 15 24 00) 大河だしざまぁ無く無事天寿全うすんでしょ。病死だが -- 名無しさん (2022-11-09 15 32 24) 13人の合議制そのものは梶原景時が排斥された時点で終わってるし、御家人衆の中では、最大の長老である千葉常胤が亡くなり、三浦義澄、安達盛長が亡くなり、重石の取れた北条時政義時親子が比企氏(頼家のバックについていた御家人)排除に動き出していた時点で終わっていたんだから合議制も鎌倉殿もあるようでなかったものだと思うわ -- 名無しさん (2022-11-09 20 04 57) 如何に北条が権力を簒奪するかの物語だから -- 名無しさん (2022-11-09 20 45 22) 義村の嘘判別法(襟を直す癖)を念頭に置きつつ見てると中々面白いな、今週も義時の質問を否定したけど去り際ガッツリやってたし。そしてその判別法を義時が把握してるのも面白い -- 名無しさん (2022-11-27 20 56 18) 三浦に相談を持ちかける=死亡フラグ -- 名無しさん (2022-12-12 13 42 50) 「13人の合議制」って名前のせいで誤解されてるが、実態は「鎌倉殿に案件持ってく前に宿老の誰かに相談しろ」なんで13人という数字は「どこの勢力が何人いるか」でしかないんだ -- 名無しさん (2022-12-12 17 21 07) いよいよ最終回だがどう締めるのか…… 三谷のインタビュー的に通説の病死ではなさそう -- 名無しさん (2022-12-12 19 40 07) 全体で見ると豪華キャストなので俳優陣のギャラのコストがとんでもなくかかってそうだが、序盤からどんどん離脱していくので結果的にコスト安になっているという -- 名無しさん (2022-12-13 22 38 16) コメントのログ化を提案します。 -- 名無しさん (2022-12-13 22 57 12) 鎌倉のフィクサー三浦義村 -- 名無しさん (2022-12-13 23 46 35) 鎌倉御家人すぐ死ぬ -- 名無しさん (2022-12-14 01 10 06) ↑4 大河は出演料かなり安いらしい。 小栗旬とか民放なら1話300は行くのに大河は200切ってるって言われてる。 -- 名無しさん (2022-12-15 08 59 07) この作品の政子の視点からしたら、愛した人と結ばれ天下を獲ったら待っていたのは家庭崩壊でことくごとく身内が悲惨な死に方をして孫にいたってはあの死に方は何を呪えばいいのかわからなくなるくて自死を選びたくもなるよな(ただ、それが責任放棄になってしまうのもまた) -- 名無しさん (2022-12-17 00 58 03) ↑2 紅白とかも安いんだが、それを差し引いても「出た」ということはプラスになることが多いので出演依頼は光栄なことと取る人は多いのだとか。広い世代に名が売れる(人気役者でも世代が違うと知名度さっぱりとかある)、大河だと習った作法を見込まれて来年以降の年末特番ドラマに呼ばれる等々。 -- 名無しさん (2022-12-19 00 42 43) 最終回で明かされたタイトルの本当の意味… -- 名無しさん (2022-12-19 10 20 18) 鎌倉殿の(亡くなった後で義時に粛清された)13人って・・・。 -- 名無しさん (2022-12-19 23 37 27) 文覚再登場は一見荒唐無稽に見えて上皇が配流される隠岐には文覚上人のものと伝わる墓(…信州などにもあるらしい)があったりするのでもしかしたら…というロマンはある -- 名無しさん (2022-12-19 23 51 10) すげえ最終回だった、一生忘れねえよこんな悲しい最後… -- 名無しさん (2022-12-20 16 25 44) 主人公に報いと救いを同時に与えるとか最後の10分間が完璧すぎる。この手の話としては一番綺麗な終わり方というか見本みたいな完成形作ってきたなって感じ。 -- 名無しさん (2022-12-20 19 44 18) 大河ドラマに4年連続で出演したタヌキがいるらしい… -- 名無しさん (2022-12-20 20 01 20) ×The 13 Lords of the Shogun 〇The 13 Victims of the Shikken だったな… -- 名無しさん (2022-12-20 21 25 59) 主人公の息子が善性が強くて救いになりつつも、主人公の最期はあれだからな… -- 名無しさん (2022-12-20 21 56 05) 政子は本当に義時の死の翌年に死んだと知ってもう駄目だった・・・ -- 名無しさん (2022-12-21 21 21 00) 舞台っぽい感想をよく見る最後の暗転、完の一文字は、三谷幸喜の脚本にはなく、演出家によるアイデアとのこと。三谷幸喜本人も放心した締め方は、途中や次の番組にもCMを挟まないNHKだからこそ、三谷幸喜本人すら放心させた締め方ができたのだろう。 -- 名無しさん (2022-12-22 03 52 23) ↑削除ミスで、おかしな文章になってしまいました。 -- 名無しさん (2022-12-22 05 22 05) ↑3 のえこと伊賀の方もこのすぐ後に起こった伊賀氏の変で敗れ配流された先で(義時の死と同じ年に)亡くなってるのがなんとも…。政子によって潰された説もあるけど -- 名無しさん (2022-12-22 05 44 00) 前年の渋沢栄一とはまるで対極の最期と言われてたな -- 名無しさん (2022-12-22 10 57 08) 「誰しも一度は人の上に立ちたがるもの」というのがこの作品のコンセプトだったんだろう -- 名無しさん (2022-12-25 13 10 20) 最終話冒頭で松潤を出したのは小栗旬のアイディアらしい。 -- 名無しさん (2022-12-25 14 18 23) 足利氏の存在をひた隠しにするのは話のテーマが御成敗式目を着地点にする必要があるので次の秩序である室町幕府を想起させるものを出せなかったという解釈を見た -- 名無しさん (2022-12-26 02 11 07) 反対意見がなかったためコメントをログ化しました。 -- (名無しさん) 2022-12-26 20 36 38 三谷幸喜は歴史マニアなだけあって題材選びがまず面白い。 もちろん番組サイドとのすり合わせもあるんだろうけど、歴史物語は教科書レベルの偉人オールスター以上に新時代への過渡期の物語の方がドラマチックで魅力的なことを一般視聴者にも教えてくれる。 新選組も真田丸も時代の敗者だし、本作も時代の犠牲者と新時代と共に退場した主人公を描いている。 -- (名無しさん) 2022-12-29 21 51 00 信玄の先祖がいたり、毛利元就の先祖がいたり、歴史のつながりを感じさせるなぁ -- (名無しさん) 2022-12-30 21 56 03 物語の全体的な構成はミステリ畑の人だということを再認識する -- (名無しさん) 2023-01-01 19 39 57 最初に「しぬどんどん」って言い出した人天才だよなあ…元ネタ知らなくても「どんどん死ぬ」と普通に言うより「しぬどんどん」の語感の方が何となくシュールでおかしいし、元ネタに気づくと二度おいしい。 -- (名無しさん) 2023-04-13 23 00 13 人物の「鎌倉殿」の欄、三寅は加えなくていいのか? -- (名無しさん) 2023-05-20 12 51 41 昭和後期末期のバイオレンス物のラスボスで、戦時中に私腹肥やしの限りを尽くし戦後政財界の黒幕として君臨してきた老人というのが定番の一つで『鎌倉の御前』と呼ばれるパターンが多かった。なんで鎌倉?と謎だったが本作のおかげでわかったような気がする。 -- (名無しさん) 2023-07-12 13 04 01 のえのところ、あえて時間のかかる毒物を選んだってあるけど毒を用意したのは義村なのでは -- (名無しさん) 2023-08-14 21 57 47 義村は調達した側で希望したのはのえでしょ。 -- (名無しさん) 2023-12-01 05 46 02
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笠森お仙(かさもり おせん)日本(江戸)1751~1827統率:D 武力:D 政治:D 知力:D 文化:B 魅力:A--------------------------------------------------------------------------------江戸谷中の笠森稲荷門前の水茶屋『鍵屋』の看板娘。評判で『江戸の明和三美人』ともてはやされた。美人画のモデルとなり、手ぬぐいや絵草紙のグッズも販売された。 和宮親子(かずのみや ちかこ)、静寛院宮(せいかんいんのみや)日本1846~1877統率:D 武力:D 政治:C 知力:C 文化:B 魅力:B--------------------------------------------------------------------------------将軍・徳川家茂の正室。仁孝天皇の第八皇女で、母は観行院、孝明天皇の異母妹。初めて武家に降嫁し、関東下向した皇女。御所風の生活を好んだが、姑に当たる天璋院と対立する。後に和解して、徳川家の存続に尽力した。 勝海舟(かつ かいしゅう)、勝義邦、勝安芳日本(江戸)1823~1899統率:A 武力:A 政治:A 知力:A 文化:A 魅力:A--------------------------------------------------------------------------------幕末期の幕臣、政治家。『幕末の三舟』。訪米の後、海軍奉行となる。後に西郷隆盛との交渉で江戸城の無血開城を成した。維新後は、参議、海軍卿、その後伯爵となり、枢密顧問官となった。日清戦争には、終始反対していた。 葛飾栄(かつしか えい)、葛飾応為(かうしか おうい)日本(江戸)????~????(19世紀)統率:D 武力:D 政治:D 知力:C 文化:A 魅力:A--------------------------------------------------------------------------------浮世絵師。葛飾北斎の三女。春画・枕絵の作者としても活動し、特に美人画に優れ、北斎の肉筆美人画の代作をしたともされる。絵の技術だけでなく男のような任侠風な性格も父親譲りだった。現存する作品は少ないが『月下砧打ち美人図』、『吉原格子先図』などが残る。 葛飾北斎(かつしか ほくさい)日本(江戸本所割下水)1760~1849統率:D 武力:D 政治:C 知力:C 文化:A 魅力:A--------------------------------------------------------------------------------浮世絵師。あらゆるものを描き、生涯に3万点以上の作品を残し、西洋芸術にも多大な影響を与えた。葛飾派の祖となる。『富嶽三十六景』、『富嶽百景』、『北斎漫画』などを残す。 狩野芳崖(かのう ほうがい)日本(山口県)1828~1888統率:D 武力:D 政治:D 知力:C 文化:B 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------日本画家。フェノロサと出会い、西洋絵画の空間表現や色彩を取り入れ、日本画を革新した。『近代日本画の父』と呼ばれ、『悲母観音』、『不動明王』などが代表作。 唐衣橘洲(からころも きっしゅう)、小島恭日本(江戸)1744~1802統率:C 武力:D 政治:D 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------狂歌師。『狂歌三大家』の一人。四谷の屋敷で狂歌会を催し、狂歌ブームを生んだ。『若葉集』などを著す。 河井継之助(かわい つぐのすけ)、河井秋義日本(越後国長岡)1827~1868統率:A 武力:C 政治:A 知力:A 文化:B 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------長岡藩士。藩主・牧野忠恭に重用され、郡奉行、家老となる。藩士の知行を平均化し、軍制上の中央集権も目指した改革は「長岡藩の慶応改革」と呼ばれた。幕末期には名代を務め、小千谷談判で岩村高俊との交渉が決裂し、奥羽越列藩同盟に加わる。北越戦争では八丁沖渡沼作戦で一時、盛り返すが敗北する。 河上彦斎(かわかみ げんさい)日本(肥後国)1834~1872統率:D 武力:A 政治:C 知力:C 文化:B 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------幕末四大人斬りの一人。尊皇攘夷派の肥後藩士。『人斬り彦斎』と呼ばれる。佐久間象山の暗殺後は殺しをしていない。佐幕派が実権を握る肥後藩に帰藩すると投獄され、大政奉還、王政復古、鳥羽伏見の戦いの時期は獄中で過ごす。後に参議・広沢真臣暗殺の疑いをかけられ斬首される。 川路聖謨(かわじ としあきら)日本(豊後国日田)1801~1868統率:B 武力:C 政治:B 知力:B 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------旗本。佐渡奉行、奈良奉行、大坂東町奉行、公事方勘定奉行を歴任し、ロシアのプチャーチンが来航すると、日露和親条約に調印する。日米修好通商条約にも同行し、後に外国奉行に就く。江戸城開城が決定すると、割腹の後、ピストル自殺を図る。 川路利良(かわじ としなが)日本(薩摩国)1834~1879統率:A 武力:B 政治:A 知力:B 文化:B 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------薩摩藩士。西郷隆盛に従い幕末の多くの戦いに参加し、特に禁門の変で活躍した。明治維新後は警視庁大警視(後の警視総監)となり、警察制度の確立に努め『日本警察の父』と呼ばれた。フランスの警察制度を参考に警視庁を設立した。西南戦争では、陸軍少将として警察抜刀隊を指揮した。 来島又兵衛(きじま またべえ)、来島政久日本1817~1864統率:A 武力:A 政治:C 知力:C 文化:D 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------長州藩士。喜多村政倫の次男で、来島又兵衛政常の婿養子となる。手廻組に入隊し、藩の要職を歴任する。高杉晋作が奇兵隊を組織すると、その遊撃隊総督となる。禁門の変を戦うが、薩摩の川路利良の銃撃で重傷を負い自刃した。 喜多川歌麿(きたがわ うたまろ)日本1753~1806統率:E 武力:E 政治:E 知力:B 文化:A 魅力:A--------------------------------------------------------------------------------浮世絵師。女性の姿や表情の女性美を追求した美人画の大家。鳥山石燕のもとで学び、蔦屋重三郎の援助を受けた。有名な遊女・花魁から無名な茶屋の娘まで多くの女性を描いた。『寛政三美人』、『婦人相学十体』、『風流七小町』、『歌枕』、『針仕事』などの作品を残す。 木戸孝允(きど たかよし)、桂小五郎日本(山口県)1833~1877統率:A 武力:A 政治:A 知力:A 文化:A 魅力:A--------------------------------------------------------------------------------維新志士、政治家。『維新三傑』。尊皇攘夷派の中心人物で、長州藩の指導者。江戸練兵館塾頭。長州征討を経て薩長同盟を締結する。維新後は、明治政府で参議。五箇条の御誓文、廃藩置県、四民平等、憲法制定、三権分立の確立など数多くの政策に関わった。西南戦争の最中に病没する。 木戸松子(きど まつこ)、幾松日本(若狭国小浜)1843~1886統率:E 武力:E 政治:E 知力:C 文化:A 魅力:A--------------------------------------------------------------------------------木戸孝允の正妻。公家の九条家の養女となるが、金を稼ぐために芸者となり2代目「幾松」を名乗る。この頃、木戸孝允と知り合い、朝敵となって潜む孝允に握り飯などを差し入れた。後に孝允と結婚し、孝允が西南戦争中に没すると、尼になった。 清河八郎(きよかわ はちろう)日本(出羽国清川村)1830~1863統率:A 武力:C 政治:B 知力:B 文化:B 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------幕末の志士。桜田門外の変で倒幕・尊皇攘夷の思想を強める。幕府が浪士組を結成させると、盟主として京に向かう。しかし、京に到着すると、目的は将軍警護ではなく、尊皇攘夷の急先鋒であるとして、朝廷に建白書を奉じた。後に江戸に戻るが、幕府の刺客である佐々木只三郎らに暗殺される。 曲亭馬琴(きょくてい ばきん)、滝沢興邦(たきざわ おきくに)日本(江戸深川)1767~1848統率:B 武力:D 政治:D 知力:B 文化:A 魅力:B--------------------------------------------------------------------------------読本作者。版元・蔦屋重三郎に見込まれ創作活動を始める。源為朝の物語『椿説弓張月』や八犬士の活躍を描く戯曲『南総里見八犬伝』で人気を博した。 桐野利秋(きりの としあき)、中村半次郎日本(薩摩国鹿児島郡)1838~1877統率:B 武力:B 政治:C 知力:C 文化:D 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------薩摩藩士。明治初期の軍人、陸軍少将。軍学者・赤松小三郎を暗殺し『人斬り半次郎』と呼ばれた。西郷隆盛に従い、戊辰戦争を戦った。西郷隆盛が征韓論で下野すると、これに従い、西南戦争の実質的指揮を執った。幕末の四大人斬りの一人。 九鬼精隆(くき きよたか)日本(摂津国)1824~1859統率:D 武力:D 政治:D 知力:D 文化:D 魅力:D--------------------------------------------------------------------------------三田藩12代藩主。九鬼隆徳の長男。丹波守、長門守。 九鬼隆国(くき たかくに)日本(摂津国)1781~1853統率:C 武力:C 政治:D 知力:C 文化:B 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------三田藩10代藩主。和泉守。九鬼隆張の長男。勅使接待役や奏者番を務めたが、出費が多く藩財政を圧迫した。藩校の国光館を造士館として発展させた。 九鬼隆徳(くき たかのり)日本(摂津国)1800~1864統率:D 武力:D 政治:D 知力:C 文化:D 魅力:D--------------------------------------------------------------------------------三田藩11代藩主。九鬼隆国の長男。大和守、長門守。 九鬼隆張(くき たかはる)日本(摂津国)1747~1821統率:D 武力:D 政治:D 知力:D 文化:D 魅力:D--------------------------------------------------------------------------------三田藩9代藩主。九鬼隆邑の長男。長門守、加賀守。 九鬼隆邑(くき たかむら)日本(摂津国)1727~1820統率:D 武力:D 政治:D 知力:D 文化:D 魅力:D--------------------------------------------------------------------------------三田藩8代藩主。丹波国綾部藩主・九鬼隆寛の九男で、先代隆由の実弟。九鬼隆由の養子となり、家督を継ぐ。長門守。 九鬼隆義(くき たかよし)日本(摂津国)1837~1891統率:C 武力:C 政治:B 知力:B 文化:B 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------三田藩13代にして最後の藩主。長門守。丹波国綾部藩主の九鬼隆都の三男で、九鬼精隆の養子となり、家督を継ぐ。キリスト教を信仰し善政を敷いた。戊辰戦争では新政府軍に属した。輸入商社「志摩三商会」を創設し、神戸周辺の都市開発に尽力した。版籍奉還により知藩事となる。子爵。 久坂玄瑞(くさか げんずい)日本(長門国萩平安古)1840~1864統率:B 武力:B 政治:D 知力:C 文化:D 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------長州藩士。長州藩における尊皇攘夷派の中心人物。松下村塾に学び、高杉晋作と双璧を成し、『村塾の双璧』、『松門の四天王』などと呼ばれた。長州藩が「討薩賊会奸」を掲げて挙兵する(禁門の変)と従軍し、部隊を率いる。しかし、劣勢になり鷹司邸に逃れるが、寺島忠三郎と共に自刃する。 九条尚忠(くじょう ひさただ)日本1798~1871統率:C 武力:D 政治:C 知力:C 文化:B 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------従一位・関白。左大臣・二条治孝の子。幕府が日米修好通商条約の勅許を求めると協調路線を取るが、廷臣八十八卿列参事件で講義を受け、孝明天皇からも職権を一時停止させられた。しかしその後も幕府との協調路線を推進し、公武合体運動の一環である和宮降嫁を推し進めた。 久世広周(くぜ ひろちか)日本1819~1864統率:C 武力:D 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------関宿藩7代藩主。旗本・大草高好の次男で、前藩主・久世広運の養嗣子となる。大和守、侍従。寺社奉行を経て老中に就任する。安政の大獄に反対したため、一時、罷免されるが、桜田門外の変後、安藤信正と共に公武合体を進めた。しかし、坂下門外の変が起こると連座して失脚した。 国定忠治(くにさだ ちゅうじ)、長岡忠次郎日本(上野国佐位郡国定村)1810~1851統率:B 武力:A 政治:D 知力:D 文化:D 魅力:B--------------------------------------------------------------------------------博徒、侠客。赤城山南麓を実質支配した。対立する博徒や、役人を殺害したり、関所を破った。後に上野国吾妻郡で磔の刑に処された。天保の大飢饉で農民を救済したといわれ、その墓にはギャンブルのご利益があるとして墓石を削り取って持ち帰る人が多かった。 黒田清隆(くろだ きよたか)日本(薩摩国鹿児島)1840~1900統率:B 武力:B 政治:B 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------第2代総理大臣。元老。薩長同盟のために奔走し、戊辰戦争では北陸戦線と、箱館戦争で参謀として指揮をとった。維新後は北海道の開拓を指揮し、日朝修好条規を締結、西南戦争でも参謀を務める。 黒田長溥(くろだ ながひろ)日本1811~1887統率:C 武力:C 政治:A 知力:B 文化:A 魅力:B--------------------------------------------------------------------------------福岡藩11代藩主。薩摩藩主・島津重豪の九男で、先代藩主・黒田斉清の養子となる。蘭癖と呼ばれるほど西洋文化に傾倒し、幕府には、海防の必要性を建白した。幕府と過激な勤王志士との仲介を行なった。また、藩校・修猷館の再興を行なう。 月照(げっしょう)日本(大坂)1813~1858統率:C 武力:D 政治:B 知力:A 文化:A 魅力:B--------------------------------------------------------------------------------僧侶。清水寺成就院の住職を務めた。尊皇攘夷派として公家と関係を持ち、徳川家定の将軍継嗣問題では一橋派を推した。井伊直弼の安政の大獄で追われる身となり、西郷隆盛と共に薩摩に逃れるが、錦江湾に入水自殺した。 光格天皇(こうかくてんのう)、兼仁(ともひと)日本1771~1840統率:C 武力:D 政治:C 知力:A 文化:A 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------第119代天皇。東山天皇の曾孫で、傍系の閑院宮家出身。後に後桃園天皇の養子となり天皇に即位する。朝廷の権威の復権に努め、また、中世以来絶えていた朝廷の儀式の復興に尽力した。 広大院(こうだいいん)、近衛寔子日本1773~1844統率:C 武力:C 政治:B 知力:C 文化:B 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------徳川家斉の御台所。薩摩藩主・島津重豪の娘で近衛経煕の養女。歴代で初の外様大名家からの輿入れで、島津家の権勢拡大に繋がった。側室の子供も養育し、嫁いだ後も庇護した。 孝明天皇(こうめいてんのう)、統仁(おさひと)日本1831~1867統率:C 武力:C 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------第121代天皇。仁孝天皇の四男。学習院を創設した。ペリー来航より、幕府への発言力を強めた。攘夷の意思が激しく、公武合体運動を推進し、あくまで鎖国を望んだ。幕末動乱の中で崩御する。 後櫻町天皇(ごさくらまちてんのう)、智子(としこ)日本1740~1813統率:C 武力:D 政治:C 知力:B 文化:B 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------第117代女帝。桜町天皇の第二皇女。桃園天皇が若くして崩御したため、中継ぎとして即位、後に後桃園天皇に皇位を譲渡する。文筆にすぐれ、宸記・宸翰・御詠草ともに多数存するほか、『禁中年中の事』という著作を残した。 後藤象二郎(ごとう しょうじろう)、後藤元曄(もとはる)日本(土佐国)1838~1897統率:B 武力:B 政治:B 知力:B 文化:B 魅力:B--------------------------------------------------------------------------------土佐藩士。はじめ、公武合体を推し、土佐勤王党を実質解散に追い込んだ。坂本竜馬の船中八策に基づき、大政奉還などを実現させた。明治維新後、征韓論に敗れて一時、下野する。後に黒田・山縣(1次)・松方(1次)内閣の逓信大臣、伊藤(2次)内閣の農商務大臣、第2代大阪府知事を歴任する。伯爵。 近衛忠煕(このえ ただひろ)日本(京)1808~1898統率:C 武力:D 政治:A 知力:B 文化:A 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------公卿。左大臣。近衛基前の子。薩摩藩との関係が深く、島津斉宣の娘・島津興子を正室とし、天璋院を一度、養女として徳川家に輿入れした。将軍後継者争いで一橋派に属したため、安政の大獄で落飾謹慎となる。後に復帰して関白内覧となる。東京遷都の後も京に留まった。 小林一茶(こばやし いっさ)、小林弥太郎日本(信濃国)1763~1828統率:D 武力:D 政治:D 知力:B 文化:A 魅力:B--------------------------------------------------------------------------------俳諧師。修行のため、近畿・四国・九州を歴遊する。多くの俳句を残し、江戸の俳諧の中興を築いた。代表句集に『おらが春』。 小林虎三郎(こばやし とらさぶろう)日本(越後国長岡)1828~1877統率:C 武力:D 政治:C 知力:B 文化:B 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------長岡藩士。藩校の助教を務め、佐久間象山に学んだ。後に長岡藩大参事となる。戊辰戦争後、長岡藩に寄贈された百俵の米を売却して、その資金で学校を設立することを説いた。後にこの逸話は『米百俵』として戯曲となった。 小松清猷(こまつ きよもと、きよみち)日本(薩摩国吉利)1827~1855統率:C 武力:C 政治:B 知力:A 文化:B 魅力:B--------------------------------------------------------------------------------薩摩藩士。小松清穆の息子。薩摩国吉利の領主で、清水地頭職。藩の御軍役惣物頭取、御小姓、与番頭、奉番者などを兼任する。後に琉球に派遣されるが、同地で病没する。 小松帯刀(こまつ たてわき)、小松清廉、肝付尚五郎日本(薩摩国下原良村)1835~1870統率:A 武力:C 政治:B 知力:B 文化:B 魅力:A--------------------------------------------------------------------------------薩摩藩士。肝付兼善の三男。小松清猷の妹・千賀と結婚して小松家の家督を継ぐ。大久保利通らと共に薩摩藩の改革に努め、藩の家老を務める。京都で朝廷や幕府、諸藩との連絡・交渉役を担当した。明治新政府で参与や外国官副知事となったが、若くして亡くなった。 近藤勇(こんどう いさみ)、藤原昌宜(ふじわらの まさよし)日本(武蔵国多摩郡上石原村)1834~1868統率:A 武力:A 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:A--------------------------------------------------------------------------------幕末期の幕臣。新選組局長。天然理心流剣術道場・試衛館の宗家を継ぐ。浪士組に参加し、京の壬生村で新選組を結成していく。池田屋事件、禁門の変を戦うが、鳥羽・伏見の戦いには参加できなかった。後に新政府軍に捕らえられ、大久保を名乗るが、元隊士に看破され、処刑される。愛刀は虎徹。 近藤真琴(こんどう まこと)日本(江戸)1831~1886統率:B 武力:A 政治:C 知力:B 文化:A 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------鳥羽藩士。教育家、思想家。海軍中佐。攻玉社を創設し、航海術、測量学の基礎を確立して、数学、土木学の教育に力を注いだ。日本初のかな書き辞書『ことばのその』を著す。明治六大教育家の一人に数えられる。
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登録日:1221/05/14 Wed 12 21 03…ではなく、2022/12/27 Tue 02 24 24 更新日:2024/04/12 Fri 15 47 41NEW! 所要時間:約 50 分で読めます ▽タグ一覧 1221年 その時歴史が動いた ターニングポイント 中世 内乱 勉強になる項目 北条政子 北条義時 後鳥羽上皇 戦争 所要時間30分以上の項目 承久の乱 日本史 朝廷 武士 歴史 鎌倉幕府 鎌倉時代 鎌倉殿の13人 革命 1221年(ひとにふいうち) 承久(じょうきゅう)の乱 『承久の乱』とは、1221年(承久3年)に日本国で起きた騒乱の名称。 時の最高権力者・後鳥羽上皇が、当時東国一園を支配していた武家政権『鎌倉幕府』の執権・北条義時追討の命を下すも、 鎌倉幕府の初代将軍・頼朝の妻であった北条政子の演説によって結束した幕府軍の反撃を受け、敗れ去った事変である。 この勝利によって鎌倉幕府、ひいては武家がその権力を強め、以降朝廷に代わって約650年に亘り日本の政治を取り仕切っていく事となる。 なお歴史用語的には「身分が下の者が時の権力者に反乱を起こしたが、権力者側が勝った」(*1)事変を「乱」と呼ぶことが多く、 逆に、「下の者が反乱に勝ち、権力者が失墜した」戦乱を「変」と呼ぶことが多い。 「多い」という表現を多用したように例外な使い方をされることもあるが、 この戦乱の場合、敗者となった後鳥羽上皇の方が立場が上なのは言うまでもないので、 「『承久の乱』ではなく『承久の変』では?」という声もあり、実際そう書かれることもある。 歴史の解釈や呼称は日進月歩であり、今後この乱の呼び名が変わる可能性はあり得るがひとまずこの項目では承久の乱で統一する。 △メニュー 項目変更 -アニヲタWiki- そんな『承久の乱』であるが、日本史の教科書では数行ないし1ページ程度の扱いであることが多く、 大多数の学生にとっては「鎌倉幕府が権力地盤を固めた」というだけの出来事、 下手をすればテスト勉強に向けた年号の語呂合わせの方が印象に強い事件と言えるだろう。 だが実際は、当時の日本における既成概念・統治体制を大きく変容させる契機となった戦乱であり、後の歴史に絶大な影響をもたらした転換点である。 ◆当時の背景 ~武家政権と治天の君~ 1185年(所説あり)に創建された、日本史上初の単独武家政権「鎌倉幕府(*2)」。 創設者である源(みなもとの) 頼朝(よりとも)はその後、1192年に朝廷から「征夷大将軍」の任官を受け、統治機構の更なる拡充を図るのだが、 これは同時に「朝廷が直接介在しない政治・統治体制の誕生(*3)」という側面があった。 鎌倉幕府はその名の通り鎌倉、すなわち関東(当時は『坂東』と呼ばれていた)一帯を拠点とし、加えて東国(現在の中部および東北地方)を勢力圏に置いていたのだが、 「征夷大将軍」という役職の性質上(*4)、頼朝は日本全国の武将たちを統治する事が朝廷より認められた立場にあった。 加えて、1185年の時点で頼朝は朝廷から「守護・地頭(*5)」の全国設置を認められており、ここに「征夷大将軍」の役職・権限が合わさった事で、 頼朝は勢力圏内における軍事・警察権と土地の支配・行政権、そして徴税事務の権利を獲得。 こうして頼朝、そして「鎌倉」は関東及び東国における支配権を朝廷から認められるに至ったのだが、 その結果、勢力下にある武士・豪族こと「御家人」への軍事・政治的指示や各種褒章を出すのは鎌倉の将軍、通称「鎌倉殿」の役割となった。 当然と言えば当然の話なのだが、これは同時に従来の、 朝廷(天皇・上皇)・公家 ↓ 武士・豪族 という統治・指示の流れに、新たに「鎌倉殿」という存在が割って入る(*6)格好となり、 武士たちにとっては従来の朝廷よりも、直接的な統治者となる鎌倉殿の重要度が大きく増す形になっていった。 早い話、「朝廷に対して仕える」というより「鎌倉殿に対して仕える」という認識が、関東及び東国では強く広まる形になった。 一方京においては、従来の統治機構たる朝廷、そしてその最高位として天皇および上皇が君臨しており、 加えて物理的な距離の問題も手伝って、鎌倉殿の影響力も京周辺及び西国には届かず、引き続き朝廷の意向が重視される形にあった。 つまり、鎌倉殿の影響力が強まるにつれ、西と東で事実上統治機構が二つ存在する格好になっていったのだ。 この状況は、朝廷――特に当時の最高権力者たる「治天の君」(*7)後鳥羽(ごとば)上皇にとっては何とも芳しくない事態であった。 特に荘園に対して地頭が置かれて支配構造が変化した結果、朝廷の収入源たる年貢の徴収に支障をきたすようになるなど、地味に痛い問題が噴出するようになっていた。 そもそも「鎌倉殿」が成立したこの時代、朝廷の権威は武家の一門たる平家・源氏の隆盛に呼応するかの如く落ち始めており、後鳥羽上皇はその回復・復権に気炎を上げていた。 補足:朝廷、右肩下がりの四方山話 前提の話として、古代からこっち、日の本における社会構造は(めっさ大雑把に言うと) 「一番高い地位に天皇・上皇が立つ」 「その下で公家が『朝廷』という政治機構を取り仕切る」 「その朝廷の決定に従い、日本の各地を武士が管理し、必要に応じて軍事力を行使する」 という体制・固定観念が定着していた。 逆に言えば当時の武士階級、特に京から離れた地域に拠点を置く武士・豪族は、居住地域の管理を公家や朝廷から「命じられている」ないし「住む事を許されている」立場にすぎず、 その立ち位置は決して高くない……というかぶっちゃけ「下から数えた方が早い」序列にあった。 が、平安時代末期、「保元の乱」(*8)あたりから話が変わり出す。 「保元の乱」と続く「平治の乱」(*9)という二つの政変は、どちらも天皇・上皇や公家が武士階級の武力を借りることで解決した。 その結果平(たいらの) 清盛(きよもり)率いる平家一門が、「朝廷の政治」に武家として初めて食い込み出したのだ。 元々武家の中でも最上位クラスの格式を持っていた事を活かし、清盛は数々の権謀と闘争の末に朝廷を事実上掌握。 その勢いは当時の最高権力者・後(ご)白河(しらかわ)法皇(ほうおう)すら押さえ込む程だったが、朝廷や公家にとっては、自分達の権威を貶めるが如き所業。 それは各地の武士――特に平家の台頭によって割りを食う形になった源氏やその麾下にとっても同様だった。 結果、後白河法皇を始め、朝廷はあの手この手を使って平家を追いやるべく動き出し、反平家を標榜する各地の武士・豪族もこれに同調したのだが、 そうした「反平家勢力」たる武士達を最終的にまとめ上げたのが頼朝だった。 朝廷から見れば、厄介な平家を討つに足る器――「源氏の嫡流」という頼朝の出自は最適であり、 加えて清盛の様に朝廷の政治にそこまで首を突っ込めない立場(*10)と、正にうってつけ。 後白河法皇をはじめ、朝廷は頼朝に「朝廷を蔑ろにした平家を討伐せよ」という命令――大義名分を与え、平家を滅亡させるに至ったのだ。 が。 一方の頼朝も、ただ朝廷に利用されるだけの扱いに甘んじるワケがなかった。 頼朝は「平家討伐」という功績や朝廷からの各種要望に応えるのと引き換えに、様々な権限・権利を合法的に(●●●●)自身へ移譲・承認させていったのだ。 これは平家……というか平清盛の手法とは真逆に近いもの。 清盛は時に強権的とも取れる手法で朝廷の権力闘争に勝ち抜き、掌握してきた。 だがそれ故に反発も盛大であり、加えてそれらの強権発動が「清盛個人の意向・力」によるところが強すぎた結果、 彼が病没してしまったのをきっかけに、平家は一転して追い込まれる事になった。 しかし頼朝は、あくまで現行の制度を活用したり、一定の大義名分を背景にした上で自身に有利な方向へ権限が動くように事を図った。 しかも朝廷内部には深く関わらず、同時に朝廷から余計な介入がないよう絶妙に気を配りながら事を進めた事で、 頼朝は鎌倉という「京から離れた地」での「事実上朝廷から切り離された」独自政権を建てるに至った。 ……だが、朝廷の立場から見てみれば「難敵を追い出す為に連れて来た奴が、別の形を取って難敵になり出した」という皮肉な事態。 諸々の事態を打開可能な勢力が頼朝しかいないという、やむを得ない状況下での対処であったのだが、 結果として朝廷の復権には至らないばかりか、逆に新興の勢力が生まれるという新たな頭痛のタネが出来上がってしまったのだ。 そういった側面からも、鎌倉の影響力拡大は朝廷にとっては「無視しがたい目の上のタンコブ」みたいな話でもあった。 とは言え、朝廷も不満はありつつ軍事的・政治的影響力が強大な鎌倉を早々足蹴にするわけにはいかず、 他方鎌倉も自分たちの権威基盤は「朝廷の威光・認可に基づく」という事は充分理解していたため、両者の関係は若干の緊張感をはらみつつも穏当な状況を維持していた。 ◆騒乱の発端 ~将軍の死と後継問題~ 鎌倉の創建者にして初代将軍・頼朝没後より代を重ねた1203年。 三代目として頼朝の次男・源(みなもとの)実朝(さねとも)が新たな鎌倉殿に就任する。 実朝はその名付け親が他ならぬ後鳥羽上皇であり、妻にも上皇の姪御を迎えるなど、その立場は朝廷と浅からぬ繋がりがあった。 朝廷側も彼の存在は重要視していたらしく、彼に与える官職の昇格スピードはかなり早く、 最終的には実朝に「右大臣」という当時の武士階層としては初にして破格の地位を授けていた(*11)。 また実朝は、小倉百人一首の一人にも選ばれるように和歌を嗜んでいた事で有名なのだが、これも朝廷・宮中における重要文化の一つであり、 そういった意味でも彼の存在は朝廷と鎌倉における重要な橋渡し的側面を持っていた(*12)。 一方、実朝には当時子供がおらず(*13)、後継者に関する問題も付いて回っていた。 対処の一環、そして朝廷との更なる関係強化も兼ねて、後鳥羽上皇の皇子を次代の将軍に迎える案が内々に検討され始めた、その矢先。 1219年1月。 右大臣任官の催事として鶴岡八幡宮に参拝していた実朝が、先代将軍の遺児・公暁の襲撃を受け、暗殺されてしまう(*14)。 それは即ち、頼朝から続いた源氏将軍の血筋が絶たれた事を意味し、 同時に、それまで安定期にあった朝幕関係が一気に悪化する契機ともなった(*15) 実朝の死を受け、鎌倉は直ちに次代の将軍として後鳥羽上皇の皇子・雅成親王(まさなりしんのう)を鎌倉へ迎えたいと朝廷に要請を出す。 内々ではあるが相談はしている話なだけに、程なく了承される……と思いきや、上皇は対応を保留する。 理由は所説あり、 皇子を出すことでむしろ鎌倉と朝廷で日本の二分化が加速する事を懸念した 将軍が暗殺されるという前代未聞の事態により、鎌倉の治安の悪さを問題視した そもそも皇子を送る事自体は実朝が存命であるのが前提であった 等あるが、定かではない。 いずれにせよ、この反応に鎌倉は再三の要望を送るのだが、すると上皇、今度は 「親王を迎えたいなら、自分の寵姫・亀菊が持つ荘園の地頭廃止と、自分の部下である武将への処分を撤回せよ」 と、まさかの交換条件を突き出してきた。 だが、守護・地頭制は幕府による御家人たちへの所領安堵と事実上セット(*16)であり、 それを朝廷の都合で廃止するという行為は今後の幕府体制に悪影響が大きすぎる話であった。 もう一つの要求に至っては了承すれば「朝廷なら幕府の処罰を容易に覆せる」という前例を生むことになり、これまた後々に禍根を生み出しかねないモノ。 結果、将軍に次ぐ序列第二位、現時点での幕府最高権力者である執権・北条義時(ほうじょうよしとき)はこの要求を拒否。 対処及び交渉のため、弟の時房に兵千人を預けて京に向かわせるという強硬策に打って出る。 だが、武力を背景にしたこの対応にも朝廷は応じる事は無く、結局上皇が「摂関家(*17)の人間であれば鎌倉殿としても良い」と妥協案を示し、義時ら鎌倉側もこれを了承。 初代将軍・頼朝との血縁関係があった九条家の三男・三(み)寅(とら)(後の九条頼経(くじょうよりつね))(*18)を新たな鎌倉殿として迎える事になった。 しかし、当時三寅は2歳かそこらという幼児だったため、将軍職としての立場は頼朝の妻で実朝の母・政(まさ)子(こ)が代行し、実務は執権の義時が中心となって進める格好に落ち着いた。 だが、この一件は元々微妙だった朝廷と幕府に致命的な亀裂を生む一因となった。 朝廷にとって本件は「こちらの要望が通らない=朝廷の意向・権威を鎌倉側が無視した」形であり、結果的にこちらが妥協案を示す=折れる形になった。 加えて何より「武力を背景にした朝廷への要求」という行為は、後鳥羽上皇の祖父・後白河法皇がかつて平清盛より受けた事(通称「治承三年の政変(*19)」)と同じ所業。 朝廷及び自身の権威向上に腐心していた後鳥羽上皇にとって、それをを一度ならず二度までも、というのは腹立たしいにも程がある話であった。 一方、鎌倉側にとっても本件は業腹極まる話だった。 「鎌倉殿」の存在は、鎌倉幕府が成立する上では不可欠なんて言葉では言い表せないレベルの重要な存在。 それが欠落したとあっては、一歩間違えれば鎌倉が崩壊しかねない緊急事態である。 (その幕府が後継者になりうる人材を軒並み死なせたのは禁句。) にも拘らず、かねてから打診していた筈の後継者についての依頼をしたのに対応は遅く、せっつくと今度は無茶な要求を突きつけられ(*20)、 最終的には妥協案に乗らざるを得ない形になるなど、あからさまに非協力的な上皇及び朝廷への不信感は否応なく増幅していった。 加えて実朝の死は、こうして生じてしまった両者の亀裂を修復する役目を持つ「橋渡し役」の喪失も意味しており、関係改善がより一層困難な事態になってしまった。 そして同年。 京の大内裏が在京の武将による騒乱の果てに焼失した際、その再建費を全国に一律負担するよう上皇は命じたのだが、 これに各地の武将――要は鎌倉麾下の御家人たちが軒並み反発・拒絶するという事態が発生(*21)。 西と東、朝廷と鎌倉の対立は、半ば公然としたものへとなりつつあった。 ◆乱の勃発~敵の名は北条義時~ 先の一件含め、諸々積み重なった現状は、後鳥羽上皇にある策謀を抱かせるに至った。 朝廷相手に武力を背景にした恫喝も辞さない構えを見せたばかりか、源氏将軍が絶えた今、鎌倉で絶対的な権威を振るう執権・北条義時。 地方出身の豪族に過ぎない身でありながら、鎌倉の中心で政を差配するばかりか、あまつさえ朝廷すら蔑ろにする彼という存在を、上皇は遂に排除する事に決めたのだ(*22)。 この上皇の意思に当代の天皇・順徳天皇(じゅんとくてんのう)(*23)も同調。 当時4歳の息子に天皇の地位を譲り、自らも上皇となる事で自由な立場になり、協力することとした。 他方、順徳天皇の先代である土御門上皇(つちみかどじょうこう)(*24)は後鳥羽上皇の決定に反対し、一部の公卿(*25)らも異を唱えたが、 逆に後鳥羽上皇は彼らを要職から排除するといった措置を取るなど、その意思は変わらなかった。 そして、1221年(承久3年)5月14日。 後鳥羽上皇は「流鏑馬を行うので、近隣の武士たちは集まるように」という通達を出す。 無論そんな話は建前であり、その真意は自身に従う軍勢を集めるための招集であった。 集結した武将は上皇直属の北面・西面武士(*26)だけでなく、近隣諸国の兵、果ては在京していた鎌倉由縁の御家人まで加わり、その数は千を超えていた。 人員を集めた上皇は手始めとして、鎌倉から京都守護として派遣され、今回の招集に応じなかった武将・伊賀光季(*27)を討伐。 更に公卿の内、親鎌倉派として知られていた西園寺公経を幽閉。 これで周辺を自勢力で固め、造反勢力を抑え込んだ上皇は、翌15日に五畿内諸国(現在の奈良・京都及び大阪近隣)及び日本全国の御家人・守護地頭へと院宣(*28)を下した。 その内容は、 新たな将軍が幼い事を利用して、己の好き勝手に裁可を下し天下を乱す謀反人・北条義時を追討せよ。 逆らう者がいるのなら、速やかにこれを討ち取れ。 かつて平家追討の際に出された時と同様、朝廷の最高権力者「治天の君」による、北条義時討伐命令が全国の武将へと下されたのである。 院宣が下された直後、京側の士気は高かった。 それもその筈、上皇の院宣は文字通り最強の切札。どんな公家・武士であってもそれを前にしたのならば、絶対的に従わざるを得ない「錦の御旗」。 西国は勿論、鎌倉幕府勢力下の武士達とて、無下にすることなど到底考えられない代物であり、東国を含めた諸国の武将はこぞって上皇に味方すると確信していた。 加えて、鎌倉に在する有力御家人に対しては個別に院宣を送るなど、根回しも周到。 「義時の味方など千人も居ない」と言われるほどであった。 ……だが、彼らは勿論、後鳥羽上皇もある種読み違いをしていた。 京方に「上皇という最高権威」由来の院宣という絶対的な切札があるように、 鎌倉方にも「頼朝が築いた鎌倉」由来の、当代無比にして最強の鬼札がある事を。 そもそも、東国一帯に生きる武将――坂東武者たちが、何のために戦うのか、 そして、自分達が生きるこの時代が、今どういう流れに動きつつあるのか、という事を。 ◆鎌倉の対応 ~誤算、演説、そして蹶起~ さて、上皇は義時追討の命を下したのだが、その内容を記した通知は二種類に分けられる。 一つは、守護・地頭といった各地の御家人に送られた、いわば「全体向け」の内容の通知。 もう一つは、特定の御家人に対して格別の内容を記した通知である。 どちらも院宣が正式に下り次第、所定の者が各地、ないし特定の御家人の下へ通知を持参して事を伝える、という手筈であった。 だが、ここで(のっけから)誤算が生じ始める。 院宣を下す前、京一帯の地固めとして討伐された京都守護・伊賀光季。 実は彼、追討軍に応戦する一方で、家中の者を鎌倉への伝令として脱出させていたのだ。 同様に、上皇によって幽閉された西園寺公経も、事前に部下を鎌倉へ向かわせることに成功。 結果、院宣を携えた使者が来るよりも早く、鎌倉側は上皇の挙兵を始めとした変事を把握する事が出来た。 必然、鎌倉は警戒を強め、その結果後から来た京からの使者を捕える事に成功した。 そして更なる誤算は、個別に送った院宣である。 送られた通知は全部で8通で、いずれも在京経験があり、鎌倉幕府においては相応の勢力を誇る御家人達に宛てられたもので、 この院宣によって、上皇及は鎌倉内部の分断を図り、ひいては義時追討を果たそうとした。 で、その内の1通を(こっちは予定通りに)受け取ったのが、三浦(みうら)義村(よしむら)。 京側についた武将・三浦(みうら)胤義(たねよし)の兄であり、当時の鎌倉においては北条一族に次ぐ勢力を誇る有力御家人・三浦家の当主であった。 胤義は会議において「見返りとして相当の地位を約束すれば、兄は確実にこちらに味方する」と請け負っており、密使に持たせて送った院宣及び通知もその意見に準じたものだった。 のだが。 なんと義村、届いた文書をそのまま追討対象である義時並びに鎌倉首脳陣の下へ持って行ったのである。 曰く「京に住む弟から届いた書状を見てください」とか言って見せ、加えて「私は弟の反逆に加担する気はありません。鎌倉に味方して忠義をつくす所存です(キリッ」とか言ってのけたとか。 ……なんて事ない様に思うかもだが、この密書は(要約すれば)「『三浦一族は義時を討てという命令が上皇様からありました』by弟」と言う内容。 つまり、見る人が見れば「三浦一族は義時追討を目論んでいる」と認識されかねない代物である。 どれ程忠誠を口にしようと、腹の中が読めないのはいつの時代も同じな以上、一歩間違えれば忠義っぷりを褒められる前に返す刀で誅殺されかねない大劇物である。 そんなものをしれっと義時らに見せ、「自分に謀反するつもりはない」といけしゃあしゃあと宣える辺り、この男、只者ではない。(*29)。 ともあれ、挙兵の情報及び院宣は、かなり早い段階で鎌倉首脳陣の下へ伝わる格好になった。 とはいえ、事態が好転したわけではないのが実情。 何しろ義時はこの院宣が下された瞬間から、まごう事なき「朝敵」。 京からの使者こそ捕縛したが、あくまで鎌倉近辺に向けた使者一人であって、他の地域への使者まで全て止められる訳もなし。 遠からず事態は御家人全員が聞き及ぶ事となるだろう。 そうなれば、御家人の少なくない者は義時を討とうと動き出し、仮に成功すれば「鎌倉の中枢で政治を舵取りする人材の喪失・欠落」という政治的混乱必至の事態。 無論失敗もあり得るが、それは即ち義時側の応戦=鎌倉での武力衝突の発生。 そしてそれ即ち「上皇への反逆」と見なされ更なる朝敵扱いという、どう転んでも大混乱は確定事項。 下手をすれば「鎌倉殿」という統治体制が根底から崩壊しかねない、絶体絶命の危機と言えた。 が、そこで立ち上がったのが、当時「尼将軍」の異名で呼ばれていた、初代将軍の妻にして義時の姉・政子。 上皇の挙兵という一大事変に浮足立つ御家人たちに向けて、世に言う「北条政子の演説」をぶち上げたのである(*30)。 その内容を現代版に翻訳・意訳すると、 皆心して聞きなさい、これが私の最後の言葉です。 亡き将軍頼朝公が平家を討ち、坂東に鎌倉を創設して以降、保障してきた皆の地位、与えてきた褒賞、その全ての恩は山よりも高く、海よりもなお深いものの筈。 その恩に報いようという心は無いのですか! 今、逆臣の讒言に基づき、上皇は道理と正義を無視した命令を下しました。 坂東武者としての、そして己と一族の名誉を重んずるのなら、ただちに逆臣たちとその軍を打ち破り、源氏三代の将軍達が遺した、この鎌倉の地を護り通すのです! もし上皇に従おうという者がいるのなら、今この場で申し出るがいい!! ――頼朝が鎌倉に幕府を開いてから、およそ30年余り。 世代交代も進む中で、坂東・東国一帯の御家人にとって「鎌倉」という存在は「当たり前の統治機構」になりつつあった。 それ故に御家人たちにとって初代鎌倉殿・頼朝という人物は「自分たちの今を築き上げてくれた存在」であり、 故に「今日の自分達の立場と暮らしが守られているのは、他ならぬ頼朝公、そして彼が築いた『鎌倉殿』のお陰である」という共通意識が、 坂東を始めとした鎌倉勢力圏には広く浸透していたのだ。 そんな頼朝への恩義として、彼が築いた鎌倉の守護の勤めを果たすべし、という言葉を、他でもない頼朝の妻である政子から一喝された以上、御家人たちに応じない理由は無かった。 上皇の誤算、その二つ目は、「頼朝、そして『鎌倉殿』の偉功」という、御家人たちにとっては上皇へのそれをも凌ぐ、目に見えない力が鎌倉に深く根付いていた、という点である。 そもそも政子の言にある通り、鎌倉の武将達にとって、自分達に褒賞をもたらし領地安堵を保障してくれるのは「頼朝が築いた鎌倉殿」であり、 遠く離れた京に居座る、会った事も話した事もない「上皇様」に対して義理立てする理由がすっかり薄くなっていたのだ。 ……もっとも、この演説。 よく読むと、院宣にある討伐対象はあくまで「北条義時『個人』」なのに、話の中で頼朝の名前を出してその恩顧を説くことで、 あたかも討伐対象が「鎌倉全体である」ように印象づける格好になっている。 演説の中でさりげなく話題を頼朝やその恩義の話にもっていき、「義時を討てば丸く収まる」とか御家人が考えないように意識を逸らし、 「討つべき相手は上皇一派だ」と御家人たちに思わせる、ファインプレー感満載なトーク内容だったりする。 加えて、実のところ御家人たち全員が「頼朝への恩顧」や「鎌倉の守護」を理由に結集したかと言うと、そうでもなかったりする。 『承久記』に曰く、政子の演説を聞いて鎌倉側へ付く事を決めたとされる一人、甲斐国の武将・武田(たけだ)信光(のぶみつ)。ご存知「甲斐の虎」こと武田信玄の先祖である。 彼は後日出陣した際、帯同した武将との会話で「鎌倉が勝ったら鎌倉に、京が勝てば京につくのが武士ってもんだろ」と事も無げに言い放っているのだ(*31)。 しかもその後、鎌倉側から勝利した際の褒賞を約束する書面が届くや、水を得た魚の如く猛進軍を開始したという。 そもそも、鎌倉殿と御家人の関係は、忠誠心とか先祖からの恩顧とか、そういった物に基づく関係ではなく、互いが互いの利益となる行為を行い合う互恵的・双務的な関係。 現代風に言えば「派遣社員と派遣先企業」といったビジネスライク感満載な、利益と打算を双方が考えた上で結ばれた契約関係であった(*32)。 しかも当時、戦争などで相手を討ち滅ぼして武功を上げれば、相手側の土地が功績に応じて褒賞として分け当たられる都合上、 「勢力規模的に勝算が高く」かつ「勝ったら上皇軍の領地をゴッソリ貰える可能性がある」鎌倉側へつこうと考えるのは当然であったのだ。 (封建制も参照) 「自分に利をもたらしてくれるのはどちらか」。 上皇側の誤算の二つ目、その別側面は、坂東一帯及び多くの御家人にとっては「上皇直々の御達し」よりも「付いた結果得られる利得」の方がよっぽど重要だった。 つまりそれだけ「朝廷の威光・権威」は形式的な物として扱われ、実利面ではさしたる効力を持たない時代になりつつあった、という点を読み違えていた事でもあった。 身も蓋もない言い方をすれば、「京におわす上皇様の院宣」なんぞ「戦に勝った結果貰えるだろう褒賞」の前には紙切れ同然、 例えるなら「今じゃケツを拭く紙にもなりゃしねぇってのによぉ!」一歩手前状態だったのだ。 ……まあ、何はともあれ。 政子の演説内容と御家人の思惑が合致した結果、鎌倉側の御家人は「打倒上皇軍」へと纏まる事になった。 ◆進撃の鎌倉、失態の京方 ~「いざ鎌倉」もとい「いざ京へ」~ かくして方針は決定し、19日には具体的な対応策を首脳陣で協議する事となった。 当初は箱根近郊に勢力を結集し、上皇軍を迎え撃つ策が検討されたのだが、 鎌倉草創期からの重鎮・大江(おおえ)広元(ひろもと)は、「迎撃は時間が取られ、その間に御家人達の動揺と離反を招く」と指摘。 その上で、「勢力が集まり次第出撃させ、京へ向かわせる」という、積極的な対応を提案した。 これに同じく首脳陣の三善(みよし)康信(やすのぶ)、及び政子も同調し、義時を始めとする慎重論派とのせめぎ合いもあったが、 最終的には「最速での戦力出動・京への進撃」が決定された。 そして22日。 東海道・東山道・北陸道の三方面から、それぞれ北条(ほうじょう)泰時(やすとき)(*33)・武田信光・北条(ほうじょう)朝時(ともとき)(*34)が指揮官となり、京へ向けて進撃を開始した。 速度最優先の出撃の結果、出発時は極小数、泰時麾下に至っては僅か18騎程度だったという。 だが、数はどうあれ「上皇を誑かした逆臣を討ち、鎌倉を守護すべく京へ進軍する」という名目の積極策は、 様子見を決め込んでいたり、態度を決めかねていた御家人達には効果的面であった。 結果、道中で在地の豪族や御家人達は次々と鎌倉側に合流・帰順していき、その勢力はドンドン増大。 最終的には(所説あるが) 東海道軍:10万騎 東山道軍:5万騎 北陸道軍:4万騎 その総勢、およそ19万騎という、当時はおろか日本史上においても空前絶後の大軍勢となっていた(*35)。 参考までに…… 今回と同様、歴史上に大きく名を刻む戦乱と比較すると、戦国時代有数の大合戦「関ヶ原の戦い」において、 勝利した東軍(徳川家康側)でも約7万から10万程度、西軍(石田三成側)とあわせてようやく18万程、である。 単独陣営で19万という数値に並ぶものは、豊臣秀吉による小田原征伐がほぼ同数、超えるとなると同じく秀吉の九州平定時の勢力(約20万)が挙げられる。 ……逆に言えば、天下統一まであと一歩まで近づいていた秀吉レベルの勢力を、この時点で義時ら鎌倉は確保していた、ともいえる。 その一方、鎌倉に留まった「朝敵」義時は、先に捕縛した京の使者の一人・押松丸を、敢えて京へと送り返した。 京の御所に戻った押松丸を出迎えた京方首脳陣は、当初「義時が討伐されたのか、それとも逃げたのか」「首は誰が取ったのか」と、勝利した気満々の思考でいた。 だか、押松丸が持って来たのは結果報告などではなく、他ならぬ義時からの文書。 『北条九代記』に曰く、その文面は 私、北条義時は、今日に至るまで上皇様に忠義を尽くしてまいりました。 ですがこの度、上皇様は讒言を信じ、私を討伐すべしとの命を下されました。 ですので、弟の時房(*36)、子の泰時・朝時を始めとする19万の軍勢を京へ上洛させます。 もしそれでもお気持ちが変わらないようであれば、他の子らと私自らが、20万の兵を連れて参上いたします。 ――事実上の宣戦布告を記したものだった。 更に押松丸から、上皇の院宣を受けとった鎌倉が恭順するどころか蹶起を決めた事、文面の内容が虚偽でも脅しでもなく事実であり、 坂東武者が大挙して京へ向かっている事を告げられると、場にいた一同から浮かれ具合は霧散霧消した。 勝ったも同然の気で居たら一転、強者揃いの坂東武者が群れをなして京へなだれ込んでくるというのだから、それも必然であった。 とはいえ何もしないわけも無く、後鳥羽上皇は直ちに配下の武将・藤原(ふじわらの)秀康(ひでやす)を総大将とした迎撃軍を編制。 鎌倉方を迎え撃つべく準備に取り掛かった、 のだが。 京方が院宣の効力を絶対視し、勢力集めを京周辺地域でしか行っていなかった事に加え、 鎌倉側の対応及び進撃スピードが想定外過ぎた事もあって、集められた戦力はこの時点で1万数千騎余り(多く見ても2万以下)。 ……これでも当時で見ればよく集められた方なのだが、如何せん鎌倉方の総数19万と比べると、絶望という表現すら生ぬるいレベルの戦力差であった。 さらに京方は、搔き集めたこの手勢を迎撃のため木曽川沿いに布陣させるのだが、その際に、 「川沿いの各所に兵力を分散して配置・布陣する」という、彼我の戦力差が圧倒的な状況下で一番やってはいけない戦法を取ってしまう(*37)。 まあ平家追討を初め多くの戦を経験し場数を踏んでいた鎌倉に比べれば、京方にその辺りのノウハウがしっかりあったのか、と聞かれれば、甚だ疑問な話。 そもそも「鎌倉方の総数は19万です」という、ケタ外れにも程がある話を京方が本気で受け止めていたのかも怪しいところ。 「戦意を削ぐための虚仮威し」「多少のフカシ入ってるだろ」として兵力を少なく見積もる――というかそう思いたくなるのも無理からぬ話ではある。 しかし、現実は残酷なモノ。 案の定というか、木曾川の布陣における最上流地点・大井戸(現在の岐阜県可児市)でまず開かれた戦端において、 京方の軍勢2千騎が武田信光率いる5万の軍勢を前になすすべなく蹂躙された。 他の布陣箇所においても、同時期に泰時率いる10万の軍勢が合流していた事も手伝って劣勢……というか勝負になる訳がなかった。 なにせ「鎌倉側に何処かの地点が突破されたら、別の地点にその鎌倉の部隊が増援として向かう」格好になるのだから、 戦力差が歴然のこの情勢下ではジリ貧になるのは当たり前過ぎる話。 京方布陣の最後方・墨俣(現在の岐阜県大垣市付近)に鎌倉側が到達した際には、もはや交戦不可能と判断した京方が撤退していてもぬけの殻、という有り様であった。 もっとも、別に京方も諦めたわけではなかった。 墨俣からの撤退も、裏を返せば状況判断の上での迅速な対応の一環とも言えた。 後退した京方は、新たに宇治・瀬田(現在の京都府宇治市と滋賀県大津市。両府県の境地域)を絶対防衛ラインと定め、残存勢力を結集。 それと並行する形で、西国(京以西。中国・九州地方)の武士に対して出動を命じる事で戦力増強を図った。 (「いや遅ぇ」とか言うのは禁句。) 最初の戦闘で敗れこそしたが、それで戦自体に負けたつもりなど、京方には毛頭無かったのであった。 だが、如何せん遅すぎた。 鎌倉の進撃速度は迅速の一言に尽き、増援となる西国武将が駆けつける前に京に到達される可能性が高い状況だった。 (「ほらな」とか言わない。) そこで上皇が足を運んだのは、京の北東・比叡山にある天台宗総本山・延暦寺。 当時、延暦寺を始めとした寺社は「僧兵」と呼ばれる独自の武装勢力を保有しており、上皇はその協力を仰いで戦力を補おうとしたのだ。 が。 上皇直々のこの要望を、延暦寺側は拒絶した。 というのも、当時の寺社は保有する武力に加えて財力・地域への影響力などその権力は尋常ではなく、ある種の独立国家じみた勢力を誇っていた。 当然朝廷側からすれば甚だ鬱陶しい存在であったため、寺社の勢力を削ぐべく腐心する羽目になっており、それは後鳥羽上皇も例外ではなかった。(*38) 延暦寺側からすれば後鳥羽上皇は「自分達に難癖つけて力を削ごうとしてくる面倒な存在」でしかなく、 加えて一連の事態はあくまで「朝廷と鎌倉」の問題であり、自分たちとは(直接的には)無関係。 そんな事にわざわざ首を突っ込む理由も、半ば対立関係にあった上皇の窮地を救う義理も道理も、延暦寺側は微塵も持ち合わせていなかったのだ。 かくして(ある意味日頃の行いのツケが丸ごと回ってきた)上皇は、現有戦力のみでの応戦を余儀なくされるのだった(*39)。 ◆決着、そして始末の果て ~王法すでに尽ぬ~ 先に定めた絶対防衛ラインたる宇治・瀬田に残存勢力を結集させた京方。 一方順調に軍を進めた鎌倉側は、6月13日には宇治近郊へ到着。 ここに両軍は相対することになった。 京方としては絶望的にも程がある状況下だが、唯一の救いは、宇治・瀬田地域に流れる宇治川(淀川)の存在だった。 琵琶湖から出て大阪湾へと流れ至るこの川は、東国から京へまっすぐ向かうには絶対越えなければならない境界線。 源平合戦の際には、以仁王の乱で源頼政が平家軍を、また木曾義仲も源義経を宇治川で迎え撃ち、攻撃側を散々に困らせていた。 とはいえ、頼政も義仲も結局は守り切れずに敗れ去っており、絶対の要害などでは決してない。 しかし、京方にしてみれば、まさに天が味方した格好となる事態が起こる。 折しも宇治川は降雨に伴って増水しており、船による渡河は難易度が上がっていた。 京方は宇治川にかかる橋を落として相手の進軍を止め、更に対岸から矢を浴びせかけるという戦法を取った。 幕府軍としてみれば強引に出せない事もないが、そうすれば操船に手間取るうちに矢の雨を浴びせられ、針鼠と化すのは必至。 結果、鎌倉側も攻めあぐねる事態になった。 しかも、京方にはまだ希望がある。 ここで可能な限り時間を稼げれば、西国からの増援が来て状況を盛り返せる、せめて拮抗状態にまでは持ち直せる―― と、思った矢先の、翌14日。 坂東武者の「橋が無いなら、川の浅瀬を探して渡ればいいじゃない」の蛮族思考脳筋パワープレイ全開の論法に基づき、鎌倉側の一部が強引に渡河に成功(*40)。 防御陣が突き崩され、その隙に後続の軍勢が船で対岸へ到着した事で、京方は敗走。 その日の夜には鎌倉の軍勢が京の市街地へ到達し、勝敗は決する事となった。 かくして敗軍の将と化した後鳥羽上皇だが、この時点で鎌倉の軍へ使者を送っている。 要は事実上の敗北宣言であったのだが、その内容は(意訳すると) 「義時を討て」って院宣出したけど、アレは部下に嘘つかれたせいだから取り消すね 代わりに嘘ついて自分騙した藤原秀康や三浦胤義を捕まえるように院宣出すね 鎌倉に味方してたから解任した公卿達も復権させるし、今後朝廷が武士を召し抱えることもしないし、反省するからもう勘弁してね ……という、清々しいまでの責任丸投げ・保身全開の弁明連発であった。 しかも上皇、宇治川での戦いに敗れた後「せめて一矢報いるために再戦を」と考え御所にやって来た藤原秀康ら京方の武将に対し、 御所の門を閉ざして彼らを追い返す(=面会しようとすらしなかった)という所業に及んでいる。 その上での先の書面。 完全に上皇は彼らを生贄にして生き残ろうとしていたのだ。 見捨てられる格好になった秀康以下京方の武将は、京の東寺に立てこもって抗戦するも、三浦義村率いる鎌倉軍の前に敗北。 藤原秀康は逃走するも捕縛、三浦胤義は自刃して果て、ここに騒乱は決着するに至った。 余談:三浦胤義の最後 実の兄・三浦義村に攻められる形となった弟・胤義だが、『承久記』において、彼は兄と交戦前に対面を果たした、という記述がある。 兄と相対した胤義は、兄が自分と朝廷ではなく義時と鎌倉を選んだことを恨み、同時にそんな兄に上皇からの院宣を送ってしまった事を後悔していた。 もはや死以外に道はない事は理解しているが、せめて最後にそんな兄の顔を見てやろうと思っていた……と、積年の思いをぶちまけるが如き語りをしたという。 が、そんな弟に対して兄・義村は、「痴れ者にかけ合って無益なり(馬鹿の相手をするのは時間の無駄だ)」と告げ、相手にする事も無く立ち去ったという。 その後、胤義は攻めてくる義村の軍勢に奮戦するも、最終的に自害して果てる事になる。 一つの選択によって文字通り明暗分かれた兄弟だったが、どちらが正しく、また賢かったのかを推し量るのは簡単では無い。 なにせ、義村本人は天寿を全うしたが、彼の裔たる三浦一族は、後年になって北条一族――つまり義時の末裔によって滅ぼされる事になるのだから。 なお、一応フォローするなら、先述の上皇の対応は酷すぎるにしても程があるが、一方で「敗北確定時の対処」としては、あながち変でもない。 どうあがいても敗戦確定の状況下で、迂闊に抗戦体制でも取ろうものなら、情け容赦絶無の坂東武者が大挙して京一帯に攻め入り、都は文字通り灰燼に帰す事すら考えられる。 特に後鳥羽上皇は、いわゆる「源平合戦」の最中に天皇の座に就いたのだが、皇位継承における最重要の宝物「三種の神器」が手元に無い状況での即位を余儀なくされた事、 挙げ句その内一つが、源平合戦の最終戦「壇ノ浦の戦い」の末に行方知れずとなってしまった事(*41)もあって、 歴代朝廷所縁の備品保存には人一倍神経をとがらせていたと考えられている(*42)。 つまり上皇にとっては「最後まで戦う事」なんぞより、「自身と皇族の安全確保」及び「朝廷の施設・備品一式の保全」が絶対にして最優先課題であった。 となれば、「鎌倉側に『敵を討ち倒して勝利した』という印象を与えて戦乱を収束させる」ために、 なにかしらの生贄・スケープゴートを立ててそっちで鎌倉の鬱憤を晴らさせる、というのもあながち悪手ではない。 また、政子の演説内容や義時の返答(という名の喧嘩宣告)を見れば、鎌倉側は(一応は)「上皇が悪い」ではなく「上皇の臣下が謀略した(悪い)」と述べている。 つまり「上皇を討ち取る事」それ自体は目的にしていないとも解釈できる以上、「謀略を働いた臣下を討ち取った」時点で鎌倉側の戦闘理由は消滅、つまり事実上の終戦と相成るのだから、 そっちに鎌倉が舵を切るよう誘導し、事態を終息させるのも一つの手、と言える(生贄にされた側はたまったもんじゃないが)。 また、そもそもの話として、この「情け無さ全開の上皇の対応」自体、後世において創作ないし誇張されたモノであって、ホントかどうかは微妙という意見もある。 一説では上皇の通知はあくまで「義時追討命令の撤回」と「京に到着した鎌倉軍の掠奪行為の停止要請」であったという。 早い話、これ以上京の洛中で破壊行為が行われないよう、戦争の火種となった院宣の取り消しを行う事で事態の収拾を図った、という事。 藤原秀康らの追討命令や事実上の武装放棄といった話は、この通知と前後する形で彼らが討伐・捕縛されて抵抗可能な軍勢が事実上いなくなった事から、 「上皇の通知の結果そうなった」と拡大解釈され、それがそのまま後世の文献に記されたのでは、とも考えられている(*43)。 いずれにせよ、上皇もまた、敗北確定の中で何とか生存への道を見出そうと必死だった、というのは間違いない。 (はいそこ、「ある意味自業自得だろ」とか言わない) 戦後の沙汰は7月に確定した。 その結果、(先の弁明の効果も無く)首謀者である後鳥羽上皇は隠岐島へ、協力した順徳上皇は佐渡島へ配流(流罪)となった。 乱に反対していた土御門上皇も自ら望む形で土佐国へ配流となり、後鳥羽上皇の皇子たちも但馬国、備前国へと配流。 更に順徳上皇から天皇の座を譲位されたばかりの皇子・懐成親王(かねなりしんのう)は皇位を剥奪され、新たに後(ご)堀河(ほりかわ)天皇(てんのう)(当時10歳。後鳥羽上皇の甥御に当たる)が即位する事となった。 余談:天皇と称されなかった天皇・懐成親王 文中で述べた通り、乱に先駆けて当代の天皇・順徳天皇は譲位して自身の皇子・懐成親王(当時4歳)へ天皇の地位を譲った。 通常天皇に在位した場合、その人物に対しては「天皇として呼ぶべき名前(尊号・諡号)」が没後に贈られる。 本項目で出てきた「後鳥羽」「土御門」「順徳」といった名称も、そういった経緯で贈られた称号であり、それが今日に至るまで各種文献に記されている。 のだが、この懐成親王に限っては、そうはいかなかった。 というのも、天皇が即位(皇位継承)する際には「即位式」や「大嘗祭」といった所定の祭祀を行う事で初めて「即位・在位した」事を内外に知らしめる。 逆に言えば、こうした手続きが踏まれていないと「正式に即位した天皇」として認められない(というか認めようがない)という事になる。 そして懐成親王の場合「践祚(せんそ)」と呼ばれる「皇位継承における最初の手続き」は済んでいたが、そこから先の即位式・大嘗祭といった手続きは済んでいなかったのだ。 理由は至極単純で、順徳上皇の譲位から承久の乱の終結・戦後処理まで僅か78日足らずだったため。 要は「即位」に関する祭祀を行う時間が禄に無かったからである。 そもそも勝利した鎌倉側の戦後処理の一環で「皇位を廃する」事になるなど、当時の朝廷は全く想像できなかったのだ。 結果、先に触れた通り「所定の手順が踏まれていない=天皇として在位していたとは見なせない」形となり、乱から13年後の1234年に崩御した後も諡号がされる事は無かった。 以後は母の実家が摂関家の一つ・九条家であった事から「九条廃帝」、もしくは「承久の廃帝」などと称されるようになった。 懐成親王に「天皇としての尊号」がようやく定められるのは、時代が下って1870年。 時の明治政府によって「仲恭(ちゅうきょう)天皇(てんのう)」の諡号が贈られてからであった(*44)。 また、後鳥羽上皇の管理下にあった荘園はその全てが没収となり、表向きは後堀河天皇の父・守貞親王の管理下となったが、 「何かあったら鎌倉に返すように」という条件付きであり、実際の支配権は鎌倉のものであった。 加えて、朝廷内部の取り仕切りは、幽閉されていた西園寺公経が復帰して内大臣に任命された事で、以後鎌倉の意向が強く反映される事になった。 更に鎌倉は、以後の朝廷・京周辺及び西国の支配強化策として、京都守護に代わって新たに六波羅へ監視部門を設置(通称「六(ろく)波羅(はら)探題(たんだい)」)。 朝廷側と京以西への統制・監視体制の強化を進める事になる。 文章で書くと、なんともサラッとした印象を抱くかもだが、この処断は、当時の価値観においては前代未聞なんてレベルを遥か彼方に通り越した仰天処分だった。 過去において、天皇や上皇および皇族や公家が、内乱や権力闘争の果てに追放や処分を受けた、なんて話は枚挙に暇がない。 が、それらはあくまで「朝廷内部における騒動」の結果。 今回のように「朝廷VS外部勢力」という事態そのものがレアケースな上、 その「外部勢力」は鎌倉――つまり(くどいようだが)当時の価値観では明らかに下位に属する武士階級が主体。 おまけにその武士が文句なしの大勝利をおさめ、上皇を始めとした国の最高権力者たちをその座から引きずり降ろして島流しに処するなど、 もう空前絶後とか天地がひっくり返ったとか、そんな表現ですら足りない異常事態であった。 ついでに言うと、この処分に関する決定権を有していた執権・北条義時は、元を質せば伊豆出身の極小豪族の次男坊。 そんな彼が武家政権の最高責任者に上り詰めただけでも超絶級なのに、そこに加えて上皇を文字通り「裁く」なんて事は、もう当時の常識の埒外に過ぎる話であった。 とまあ、かくして乱の首謀者たる上皇とその関係者は、悉く京での地位と権力を失う形になった訳だが、大事な事がもう一つある。 文字通り当時の常識を逸脱したこの処断だが、実のところこれでもまだ彼らの地位を考慮した「ゆるい」処断であり、 彼らに付き従った者――つまり公家や武士たちへの罰は、もっと容赦が無く苛烈だった。 後鳥羽上皇に組した公卿の内、中心的存在とされた者は「合戦張本公卿」と称され、軒並み捕えられた上で鎌倉へ護送……の途中で全員処刑された。 それ以外でも、上皇の近臣はその多くが流罪・謹慎などの処罰を受けた。 また、藤原秀康はじめ、上皇についた御家人及び京方の武将も多数が処刑・追放。 そして彼らや京方の公家の所領は根こそぎ没収された上、鎌倉方の御家人へ褒章として分け与えられた。 厳しい表現をすれば、上皇に従った者たちはある意味「時勢を読み切れなかった」ともいえるが、それはあくまで後世から見たが故の話。 実際問題、朝廷に与した者たち全員が鎌倉へ不満や批判を抱いていたかといえば、そんな事は無い。 何度も触れているが、当時の価値観では「上皇の命令」への絶対性は決して無視できるものではなかった。 鎌倉方についた御家人たちは「政子の演説」という超級の鬼札を前に意思を決定したが、 それを知る余地もなかった京周辺の武将・御家人たちが、上皇が「かくあるべし」と意向を定めた以上、それに抗うという思考を抱けたかは疑問符がつく。 そうした面においては、彼らにも温情や情状酌量の余地は大いにあったと言えるだろう。 だが、鎌倉は、そして執権・北条義時は容赦しなかった。 詳細は彼の項目に譲るが、鎌倉において、正真正銘「血で血を洗う凄惨な権力闘争」を繰り広げてきた義時らは、 たとえ「上皇の命令」であったとしても、自分たちに敵対した勢力を放置したらどんな事態が先に待っているかという事を、嫌と言うほど思い知っていた。 それはイコール、騒乱を終結させ後顧の憂いを絶つためには、どんな「処分」が最適かという事を、骨の髄まで理解していた、という事でもあった。 加えて当時、土地は当人および一族にとって命といっても過言ではないものだった。 所領を失う事は生活基盤を失う事と同義であり、だからこそ武将や公家は自所領の権益確保・拡大に躍起になっていた。 「鎌倉殿」というシステム・統治機構が上手く普及したのも「御家人の所領安堵」という制度が見事に需要と噛み合っていたからである。 が、(当たり前の話だが)日本列島にある土地の数・量には一定の「限界」がある。 そして、武功を立てた者には恩賞として土地を与えるのが当時の習わし。 幕府としても、恩賞を与えなければ「幕府の危機に立ち上がった御家人に何の恩賞も出さなかった」という既成事実を作ってしまうことになり、存立基盤が危うくなる。 承久の乱における恩賞の出処は乱で上皇方についた者たちの土地しかない。 そして、その「敗れた者」は、後になって復権する事のないよう「排除」する―― そうした「当時においては当然」の理論の帰結に基づき、「新しい力」による旧来勢力の排除は、加減も温情も無く速やかに執行されていったのだった。 そして、元寇の際には敵が国外のために同じ手法が採れず、鎌倉幕府が一気に衰亡していくことになる… この敗北の結果、後鳥羽上皇の人物評価は劇的に下がった。 鎌倉幕府はおろか、公家からも「天が許さなかった」と冷ややかな評価ばかりが目立つことになった。 上皇の敗戦が以後の朝廷のあり方を劇的に変えてしまったという覆いがたい失態。 公家たちからすれば、鎌倉幕府に恭順的な姿勢を見せなければ処刑や追放の危険すらある状況。 最悪の場合「朝廷そのものが潰される」事態さえあり得る中では、「朝廷」でなく「上皇個人」に責任を押しつけて朝廷の存続をはからざるをえない。 こうして上皇は「徳も力もないのに無謀な戦いを挑んで案の定敗れ、いざ敗れると保身に走る、仕える価値もない愚かな上皇」と扱われることになったのである。 前記した京都に攻め込まれた時点での情けなさ全開の対応をはじめ、各種文献においてもその手のエピソードを生み出しやすい人物――要は「ダメ人間」扱いされやすい要因となった、とも言える。 ◆後世への影響 ~朝威の落陽、武士の暁天~ 乱の後、朝廷及び天皇の「日の本の頂点」という立ち位置自体は変わらなかったものの、その有り様は一変した。 完膚なきまでにその権力と威光をへし折られた朝廷は、事実上鎌倉に屈服する事になったのだ。 例えば後堀河天皇の後代・四条天皇が12歳の若さで急逝した際、その後継者選出で紛糾した朝廷内勢力が「鎌倉側の意向・賛同を求める」手紙を送るなど、 以後の朝廷の差配、特に天皇や摂政・関白といった重要人事については、原則「鎌倉の意向を確認・優先する」形が定着した。 これは即ち、鎌倉が事実上日本全域における政治の権限を掌握した事に他ならず、名実共に鎌倉幕府は「日本の統治者」としての地位を確立したのだ。 同時に鎌倉幕府の最高位たる征夷大将軍の意味も、それまでの「武家の棟梁」=「日本の武将達の統括者」から一歩進み、 以降江戸時代まで続く「事実上の日本の最高指導者」としての性質を有する事になった。 そしてそれは、当時定着つつあった「将軍は実質飾りで、実際の政治は側近たる執権が行う」政治体制――執権政治において、 その執権の座に就いた者が、この国を事実上統べる者になった、という事でもあった。 とはいえ、鎌倉側にとっては両手を上げて喜べる話ばかりではなかった。 何しろ支配領域が事実上日本全域に及んだのだから、これまで以上に各地に目を光らせ、反乱や騒乱に気を配る手間が増える事になった。 加えて前述の通り、西国の土地を東国の武士達に恩賞として与えた結果、現地住民と御家人の間でのトラブルも続発し、その対処に追われる羽目になったりもした。 オマケに先述の「朝廷からの意向確認」についても、公家の官位や皇位継承といった話は、それまで「朝廷があれやこれやと進め、決定してから通達が来る話」でしかなかったのに、 今後は鎌倉もある程度口を挟める――というか「口を挟まないといけない」状態に転じてしまった。 総括すれば「勝利と引き換えに『やらなきゃならない仕事』が異様に増えた」格好。 今まで以上に日の本全体の情勢に目と頭を巡らせる――要は「国政」を本格的に行う事を余儀なくされたのだった。 だが、そうした悲喜交々を差し引いても、この勝利はまさしく「歴史を変えた」一件だった。 実態はどうあれ、それまで日の本において朝廷、そして天皇及び上皇は「絶対的権威」であり、 皇族や公家が物申す事こそあれど、公然と反発したり、剰え刃を向ける事など考えられない存在だった。 だが承久の乱において、鎌倉殿とその配下たる御家人たちは、その固定観念に真っ向から喧嘩を売り、そして勝った。 勝ってしまった。 勝ててしまった。 それは「たとえ朝廷・上皇であっても、純然たる『武力』の前には屈する」という事の証明。 武力を持つ者、すなわち「武士」であれば、この日の本を意のままに動かす事も可能という事実の確立であった。 つまり、将軍とそれに仕える御家人――「武士」という階級の有り様が、それまでの「武力を保有するだけでそこまでの権益はない」状態から一転し、 「名実共に天下を差配しうる」存在になった事を意味していた。 それまでの「朝廷・公家>武士・豪族」という、絶対的な力関係・従来の固定観念が文字通りひっくり返ったのだ。 この「武士階級による日本の統治」は、1333年に後(ご)醍(だい)醐(ご)天皇(てんのう)及び足利(あしかが)尊氏(たかうじ)によって鎌倉幕府が滅亡に追い込まれるまで継続した。 その後、後醍醐天皇は再び朝廷を絶対とした政治機構の再構築「建武の新政」に着手するも最終的に失敗。 世にいう「南北朝時代」の混乱の末に、足利尊氏が征夷大将軍に任ぜられ「室町幕府」が開闢。再び「武家の棟梁」による日本統治が開始された。 この後、室町から戦国時代を経て創設された「江戸幕府」の終焉まで、武士階級による日本支配・統治は継続。 朝廷とは異なる形式による、天皇を頂点とした新たな政治統治機構の構築――「明治維新」に至るまでの、実に約600年の長きに渡って「武士階級による日本の実質的な統治」は続くことになった。 加えて、維新後の「日本国」黎明期において政治を差配したのは、いわゆる「薩長土肥」と称される、倒幕活動の中心を担った武士階級の人々が多数を占めていた。 その結果がどんな歴史を紡いできたかは、近現代史を学んだ人なら誰もが良く知る通り。 すなわち、この「承久の乱」における鎌倉側の勝利は、現代へと繋がる日本史を形成する上で欠かすことの出来ない事変。 我々が生きる「今」へと繋がる、歴史における大いなる節目。 知名度の高い「応仁の乱」や「関ヶ原の戦い」すら凌ぎうる、日本史上屈指の絶対的な分岐点と言えるのだ。 歴史に「もしも」はありはしない。ただ事実の積み重ねがあるのみであり、仮定の先を確かめる術もない。 それでも、例えば… 追討の院宣が漏洩する事無く、各地の御家人に適切に伝わっていたら? 命令を受けた御家人がそれに従い、「朝敵」義時を討っていたら? 政子ら鎌倉側が、上皇への反抗ではなく恭順を選択していたら? 後鳥羽上皇が手勢をより多く集め、鎌倉に抗しうる戦力を持っていたら? 戦いの場に後鳥羽上皇自らが出陣していたら(*45)? これらの内どれか一つでも、誰か一人でも違う選択や行動を取っていたならば、 鎌倉時代における「武士階級による日本統治の確立」という事態には至らず 武士という階級が歴史を動かす存在となる事も無く、今日我々が良く知る「この歴史」は、間違いなく成立することは無かったと言えるだろう。 追記・修正は、承久の乱の年号を「ひとにふいうち」か「ひっぷにいちげき」のどっちかで覚えた方がお願いします。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 登録日時が明らかに操作してあるけどこのくらいはいいんでなかろうか。出来事と鎌倉軍勝利は知ってたけど戦力差がここまで圧倒的だったとは知らなんだ。関ヶ原しかもその両軍合計分の兵が一気に… -- 名無しさん (2022-12-27 03 02 44) 「鎌倉の対応 ~誤算、演説、そして蹶起~」のある箇所、朝廷扱いって何?朝敵っしょ!直しときます。 -- 名無しさん (2022-12-27 10 20 30) 「ひっぷにいちげき」……『教科書っていうか!?』という漫画で覚えましたなぁ。 -- 名無しさん (2022-12-27 11 33 31) なんで今日できた項目なのに登録日2 -- 名無しさん (2022-12-27 11 55 36) ↑ミス 登録日21日なんだ、と思ったら年号に合わせたシャレなのね -- 名無しさん (2022-12-27 11 56 24) とても良い項目でした。北条義時の項目を書いたのと同じ人かな? -- 名無しさん (2022-12-27 12 07 58) 政子マジ強キャラ -- 名無しさん (2022-12-27 12 20 46) 年号の覚え方、『ワンツーツーワン』はダメですか。 -- 名無しさん (2022-12-27 12 38 16) ↑他にも色々、年号の語呂合わせが出来そうですなぁ。 -- 名無しさん (2022-12-27 13 27 10) QKの民おって草 -- 名無しさん (2022-12-27 13 32 35) ホント今年の大河を見るまでは北条政子、承久の乱というワードは習ったが義時とか細部は全くだったか勉強になったわ -- 名無しさん (2022-12-27 14 31 21) 鎌倉幕府の真の始まりは承久の乱からと言っても過言ではないかもしれない -- 名無しさん (2022-12-27 14 46 27) 正式な登録日時をきちんと書く形でネタ登録日時を復活させてみました。 -- 名無しさん (2022-12-27 15 37 13) 「三浦義村がわけわかんないことした」が武家政権成立の理由の1つだったとは…こいつ敵に回すと怖いけど味方にもしたくないなあ… -- 名無しさん (2022-12-27 17 03 53) ↑山本耕史の怪演も相まって、三浦義村が「鎌倉のロキ」にしか見えない。 -- 名無しさん (2022-12-27 19 37 41) 三浦義村がわけわかんなすぎる、歴史には時おりこういう怪人物が登場するから面白い -- 名無しさん (2022-12-27 20 01 28) 進研ゼミの教材にあった「いつ注いでもお言葉上級」、いつつい(1221)でもおことば(後鳥羽)じょうきゅう(承久)という語呂合わせが未だに印象に残ってる -- 名無しさん (2022-12-27 22 16 23) 漫画版「吾妻鏡」で予習済みの私にスキはなかった。漫画版だと老いで弱り病で視力も失った大江広元が「盲いた年寄りにも言わせてくだされ」と言いながら「持久戦を選べば敵を待つ間に仲間の心が乱れます。討って出たほうが良い」と一度も戦場に行ったこともないのに戦機を掴んでいたのが印象深かった。 -- 名無しさん (2022-12-27 23 10 52) ↑3 やっぱり外星人だったんじゃ…イミフな行動の数々も地球人類を進歩させるための工作だったのかもしれん -- 名無しさん (2022-12-28 07 44 59) この項目マジ受けるんだけど、超承久の変〜 -- 名無しさん (2022-12-28 07 56 59) 「上皇自ら出陣」という小さなことで勝敗が逆転してた可能性があるとは……歴史は恐ろしい。良項目ありがとうございました -- 名無しさん (2022-12-28 10 33 25) 北条朝時は義時の次男で三男は極楽寺重時だぞ。 -- 名無しさん (2022-12-28 21 51 32) 三浦一族の滅亡(宝治合戦)は大河ドラマの北条時宗の第一話で描かれていたな。義村の家督を継いだ三浦泰村を津嘉山正種さんが、泰村の弟の三浦光村を遠藤憲一さんがやってた。宝治合戦開始と共に流れるオープニングのメインテーマの雰囲気も相まって泰村殿が可哀想でならなかった(大体、安達と弟の光村のせい)。 -- 名無しさん (2022-12-28 21 58 37) 執権=過労死上等のスーパー激務化の始まり始まり -- 名無しさん (2022-12-29 08 42 20) 他の国の歴史ならこんな戦いがあれば天皇上皇という地位や朝廷という政権自体が滅びてもおかしくないんだけどそうはならないのが日本史 -- 名無しさん (2022-12-29 10 10 18) ↑5小さな事どころか上皇直々に戦場に向かうって相当だぞ。外国との殲滅戦争ならともかく田舎の派遣社員の反乱に最高権力者が直々に出向くのかと -- 名無しさん (2022-12-29 10 31 41) ↑2そうなんだよな。事実隣の中国とかでは何度も政権が滅びているし、「後に再び権力を握れるものを残さない」スタンスなら天皇上皇制もまとめて滅ぼしても良かったはず。高校で日本史の先生にそこを聞いても「天皇上皇を滅ぼすのは神を滅ぼしたのと同じだからそこまでやると今度は誰も鎌倉方についてこなくなる」というわかるようなわからんような解説しかもらえなかった。そこの辺もついでにこの項目で解決するかなと思いながら読んでたけど、天皇上皇が「象徴」となった現代に生きる自分にはやっぱりよくわからんかった。欲を言えばそこの辺の解説も欲しいな…非常に良項目だった。楽しませてもらいました。 -- 名無しさん (2022-12-30 01 27 25) ↑天皇家を滅ぼしたら今度は北条が天皇家に代わる正当な権威の構造作らないといけないから。要は御恩と奉公っていう実利だけでなく長期にわたる権利を保障できる機構を作らなきゃいけない。それにはもう何十年なんてレベルじゃないとんでもない時間がかかる。 -- 名無しさん (2022-12-30 02 58 01) ↑大雑把に言えば当時の武家は朝廷の貴族にルーツを持つ軍事貴族が主なので、「朝廷の否定=自らの出自や立場の否定」に繋がりかねん。ましてや源家将軍(河内源氏)は「清和源氏」の名の通り天皇家にルーツを持つ訳で -- 名無しさん (2022-12-30 03 08 17) ↑2北条氏にしても桓武平氏の直系を自称しているので、朝廷を滅ぼせば今度は自家の権威が危ない。 -- 名無しさん (2022-12-31 00 22 08) 別の切り口で語るなら、本文中にもある通り権力が集中するほど「やらねばならない職務」がどんどん増える。例えばこれまで朝廷の貴族が担ってきた学問、医療、宗教、暦、文化などなどの職務も武家がやらなきゃあかんくなる -- 名無しさん (2022-12-31 02 54 32) 日本の天皇はヨーロッパだと教皇に当たるとよく言われるけど、そういう点ではヨーロッパでも王様と教皇が対立したり、その結果負けた教皇が捕まったり挿げ替えられた事はあるけど、教皇制度やバチカン自体を滅ぼそうとした王様なんていないわけで。 -- 名無しさん (2023-01-01 09 25 37) 天皇自身が義時をではなく、天皇が部下の言葉を鵜呑みにして出したってのは。やっぱ本当に直接対峙はできない位のお人なのよね… -- 名無しさん (2023-01-03 15 56 40) ↑2日本人は本人も意識してないけど全員が神道(というか日本教)の信者だからな -- 名無しさん (2023-01-14 01 06 59) ↑8 逆に皇帝が殺される中国の方が特殊。あっちは早々に皇帝に権力が集中する仕組みが作られた 儒教の中に「国が天災などで乱れるのは君主の徳がないからである、故に国が乱れたら速やかに新しい君主にして国を護るべし(≒殺してもいい)」という思想があったから… -- 名無しさん (2023-02-02 09 24 21) 「逃げ上手の若君」の歴史解説の本郷氏は「幕府軍の合計兵力は多くても1万5千くらいだったのでは?」という説を出してるな。「死者負傷者の記録から計算した数字。総兵力の記録は盛られがち。」だそう。(11巻巻末より) -- 名無しさん (2023-07-22 20 05 58) 項目立てた方、編集に携わった方々マジで感謝。勉強になった。このまま教科書に乗せてしまった方が教育に貢献できると思うくらいありがたいです。 -- 名無しさん (2023-12-28 12 27 01) 名前 コメント