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日経イメージ気象観測 1987.7-1994.3 批評空間 第1期 1991.4-1994.1 批評空間 第2期 1994.4-2000.4 日経イメージ気象観測← 批評空間 第1期← →II-11-25 目次作成は柄谷行人書誌情報 ■KARATANI-B■を参考にした。 第2期『批評空間』II-1-25 『季刊思潮』(1988-1990 思潮社)、『批評空間』(1991-1994 福武書店)の後続季刊誌。 編集委員:浅田彰、柄谷行人、編集顧問:Paul Anderer(ポール・アンドラ)、Harry Harootunian(ハリー・ハルトゥーニアン)、市川浩、磯崎新、岩井克人、Frederic Jameson、Masao Miyoshi(マサオ・ミヨシ)、Edward Said、酒井直樹、鈴木忠志 編集人:山村武善(1-5号)、内藤裕治(6-25号)、発行人:高瀬幸途、発行所:株式会社太田出版 II-1-10, 1994.4-1996.6 II-1, 1994.4「共同討議 〈戦前〉の思考」 II-2, 1994.7「特集=ベンヤミンから出発して」 本号よりAndreas Huyssen、John Rajchmanが編集顧問に加わる II-3, 1994.10「特集=日本文化とジェンダー」 II-4, 1995.1 臨時増刊号, 1995.3「モダニズムのハードコア:現代美術批評の地平」 II-5, 1995.4「特集=マルクスの現在」 II-6, 1995.7「特集=政治的なもの 証言と記憶 京都学派」 II-7, 1995.10「特集=政治と歴史 モダニズムと美術批評」 II-8, 1996.1「特集=宗教と宗教批判 セックス/ジェンダー」 II-9, 1996.4「特集=ドゥルーズ」 II-10, 1996.6「共同討議 「批評」の場所をめぐって」 II-1, 1994.4「共同討議 〈戦前〉の思考」 ●小林康夫・絓秀実・西谷修・福田和也・山城むつみ・浅田彰・柄谷行人「共同討議 「〈戦前〉の思考」:1930年代的状況と現在」(1993.12.14.)〔→柄谷行人編『シンポジウムII』太田出版、1997.10〕 ●浅田彰「孤独の力:ジャン-リュック・ゴダール『新ドイツ零年』のために」(『新ドイツ零年』パンフレット(発行:広瀬プロダクション、1993.12)から再掲載)〔 →『映画の世紀末』新潮社、2000〕 ●磯崎新「私の目撃した戦後の日本美術」〔→序文、『反回想I』A.D.A.EDITA Tokyo Co., Ltd., 2001.5〕 ●柄谷行人「美術館としての日本」(1993.11.13.記、「戦後日本の前衛美術」展(1994、アメリカ)のための原稿)〔→改題「美術館としての歴史:岡倉天心とフェノロサ」、『定本柄谷行人集4 ネーションと美学』岩波書店、2004.5〕 英語版 ●Jacques Derrida「フロイトに公正であること:精神分析の時代における狂気の歴史」1(*1)(石田英敬訳)〔→『精神分析の抵抗:フロイト、ラカン、フーコー』青土社、2007、pp.137-222.〕 ●Frederic Jameson「異なる近代を鏡として:『日本近代文学の起源』英語版への序文」(*2)(田尻芳樹訳) ●Masao Miyoshi「国境なき世界?:植民地主義から多国籍主義への動きと国民国家の衰退」(*3)(関根政美訳) ●Susan Sontag「サラエヴォでゴドーを待ちながら」(*4)(木幡和枝訳)〔→木幡和枝編訳『この時代に想うテロへの眼差し』NTT出版、2002.2.〕 ●小林康夫「ヒステリー的投影:近代的プロジェクシオンの構造」〔→『表象の光学』未來社、2003〕 ●山城むつみ「コギトについて」 ●岩井克人「ボッグス氏の犯罪」〔→『二十一世紀の資本主義論』筑摩書房、2000.3→ちくま学芸文庫、2006.7〕 ●村井紀「起源と征服3:伊波普猷について」〔→第2部第3章「起源と征服:伊波普猷について」、『南島イデオロギーの発生:柳田国男と植民地主義』福武書店、1992.4、『増補・改訂 南島イデオロギーの発生:柳田国男と植民地主義』太田出版(批評空間叢書)、1995.1、『新版 南島イデオロギーの発生:柳田国男と植民地主義』岩波現代文庫、2004.5〕 ●田中純「虚のファルス:建築家ミース・ファン・デル・ローエの誕生」〔→第7章、『残像のなかの建築:モダニズムの〈終わり〉に』未來社、1995.7〕 ●多和田葉子「聖女伝説」1〔→『聖女伝説』太田出版、1996〕 ●水村美苗「日本近代文学:私小説 from left to right」7 ●柄谷行人「編集後記」(1994.2.記、ニューヨークにて) / 浅田彰「編集後記」 II-2, 1994.7「特集=ベンヤミンから出発して」 本号よりAndreas Huyssen、John Rajchmanが編集顧問に加わる ●柄谷行人・浅田彰・渡部直己・村井紀・安宇植「共同討議 〈差別〉と文学:『日本近代文学と〈差別〉』を出発点に」(1994.4.17.)〔→柄谷行人編『シンポジウムII』太田出版、1997.10〕 小特集 ベンヤミンから出発して ●「ベンヤミンからデジタル美学へ:ディスクール分析を通って ノルベルト・ボルツ氏に聞く」(聞き手・訳:石光泰夫) ●Norbert Bolz「ベンヤミンの美学」(石光泰夫訳) ●石光泰夫「ベンヤミンの「身体空間」」 ●Susan Buck-Morss「大衆文化の夢の世界:ヴァルター・ベンヤミンの近代理論と見ることの弁証法」(*5)(竹内孝宏訳) ●Samuel Weber「決定に異議を申し立てる ヴァルター・ベンヤミンとカール・シュミットの演劇:神学的政治学」(*6)(大久保譲訳) ●Jacob Taubes「カール・シュミット:反革命の黙示録を書く男」(杉橋陽一訳) ●杉橋陽一「ヤーコプ・タウベスについて」 ●Martin Jay「イデオロギーとしての「美学的イデオロギー」:政治の美学化とはどういうことか?」(田村斉敏訳) ●守中高明「灰の分有:パウル・ツェラン試論」〔→第1章、『存在と灰:ツェラン、そしてデリダ以後』人文書院、2004.6〕 ●井口時男「田舎者の桶:中野重治の「正名」」〔→第2章、改題「中野重治:愚者の正名」、『批評の誕生 批評の死』講談社、2001.6〕 ●藤井貞和「表現としての日本語:文法的時間の挑発」 ●Jacques Derrida「フロイトに公正であること:精神分析の時代における狂気の歴史」2(石田英敬訳) ●松浦寿輝「襲(カサネ)と褥(シトネ):折口信夫論1」〔→『折口信夫論』太田出版(批評空間叢書)、1995.6、『増補 折口信夫論』ちくま学芸文庫、2008.6.〕 ●多和田葉子「聖女伝説」2 ●水村美苗「日本近代文学:私小説 from left to right」8 ●柄谷行人「編集後記」(1994.5.22.記) / 浅田彰「編集後記」 II-3, 1994.10「特集=日本文化とジェンダー」 ●上野千鶴子・水田宗子・浅田彰・柄谷行人「共同討議 日本文化とジェンダー:〈家父長制とその批判〉から始めて」(1994.7.17.)〔→柄谷行人編『シンポジウムII』太田出版、1997.10〕 ●Gayatri Chakravorty Spivak「一言で言えば……:ガヤトリ・スピヴァックに聞く」(聞き手:エレン・ルーニィ)(*7)(長井香里訳) ●Andrea Dworkin「イスラエル:それは結局のところ、だれの国なのか?」(岡真理訳) ●René Schérer「二人の守護聖人」(*8)(安川慶治訳)〔→「二人の守護聖人:ジュネ『恋する虜』・フローベール『聖ジュリアン伝』」、『歓待のユートピア:歓待神礼讃』現代企画室、1996.10、pp.217-255.〕 ●安宇植「ハングルと〈法令〉と」 ●千葉一幹「中心の不在:あるいは殉死者芥川」〔→第4章、『クリニック・クリティック:私批評宣言』ミネルヴァ書房(ミネルヴァ評論叢書〈文学の在り処〉)、2004.6〕 ●Jean-Luc Nancy「共出現:「コミュニズム」の実存から「実存=脱自性」の共同体へ」(*9)(大西雅一郎訳)〔→大西雅一郎訳『共出現』松籟社、2002.6〕 ●絓秀実「「国民作家」の誕生:小説的モダニティの構造」7完 ●東浩紀「デリダ試論1 幽霊に憑かれる哲学」〔→加筆修正、『存在論的、郵便的』新潮社、1998〕 ●松浦寿輝「石(イシ)と忌(イミ):折口信夫論」2 ●Slavoj Žižek「否定的なもののもとへの滞留 第1部・コギト:主体と呼ばれる空虚」1(*10)(田崎英明訳)〔→『否定的なもののもとへの滞留:カント、ヘーゲル、イデオロギー批判』太田出版(批評空間叢書15)、1998、ちくま学芸文庫、2006.1〕 ●多和田葉子「聖女伝説」3 ●水村美苗「日本近代文学:私小説 from left to right」9 完 ●柄谷行人「編集後記」(1994.8.18.記) / 浅田彰「編集後記」 II-4, 1995.1 ●「特別インタヴュー 京都学派と30年代の思想:久野収氏に聞く」(聞き手:浅田彰・柄谷行人)〔→『シンポジウムII』太田出版、1997〕 ●野口武彦「車輪と糸巻き:『日本イデオロギー論』をめぐって」 ●酒井直樹「種的同一性と文化的差異:主体と基体をめぐって」1 ●クリストファー・L・ヒル「ファシズムと表象の主体:丸山、アドルノ、ユートピア」(竹内孝宏訳) ●山城むつみ「万葉集の「精神」について」〔→『文学のプログラム』太田出版(批評空間叢書)、1995.3〕 ●Geoffrey Hartman「破壊の書」(*11)(末廣幹訳) ●上村忠男「凍てついた記憶:ホロコーストの証言可能性をめぐって」〔→鵜飼哲・高橋哲哉編『「ショアー」の衝撃』未来社、1995〕 ●西成彦「プロスペリズムの終わり/宮澤賢治とカフカ」 ●久保田泰考「KIMURA avec LACAN:離人症をめぐる存在論的問題の形式化のために」 ●安宇植「ハングルと〈男〉と」1 ●Shosyana Felman「声の回帰 クロード・ランズマンの『ショアー』」1(*12)(上野成利・細見和之訳)〔→『声の回帰:クロード・ランズマンの『ショアー』』太田出版(批評空間叢書8)、1995〕 ●松浦寿輝「擬(モドキ)と移(ウツシ):折口信夫論3」 ●Slavoj Žižek「否定的なもののもとへの滞留 第1部・コギト:主体と呼ばれる空虚」2(田崎英明訳) ●小説:多和田葉子「聖女伝説」4 臨時増刊号, 1995.3「モダニズムのハードコア:現代美術批評の地平」 共同編集:浅田彰・岡崎乾二郎・松浦寿夫 I ●磯崎新・柄谷行人・浅田彰・岡崎乾二郎「共同討議 モダニズム再考」pp.8-42 II モダニズムの理論/グリーンバーグからクラウスまで ●Clement Greenberg「モダニズムの絵画」(*13)(川田都樹子・藤枝晃雄訳)pp.44-51 〔→「モダニズムの絵画」、藤枝晃雄編訳『グリーンバーグ批評選集』勁草書房、2005.4〕 ●Clement Greenberg「抽象表現主義以後」(*14)(川田都樹子・藤枝晃雄訳)pp.52-65 〔→「抽象表現主義以後」、藤枝晃雄編訳『グリーンバーグ批評選集』勁草書房、2005.4〕 ●Michael Fried「芸術と客体性」(川田都樹子・藤枝晃雄訳)pp.66-99 ※この三論文は神林恒道・藤枝晃雄監修『現代芸術論集(課題)』勁草書房に収録され、出版される予定だった。 critical exchange モダニズムの政治学 ●T. J. Clark「クレメント・グリーンバーグの芸術理論」(*15)(上田高弘訳)pp.101-121 ●Michael Fried「モダニズムはいかに作動するのか:T.J.クラークへの反論」(*16)(上田高弘訳)pp.122-141 ●T. J. Clark「モダニズムに関する論議:マイケル・フリードに答える」(*17)(上田高弘訳)pp.142-154 ●Michael Fried・Rosalind Krauss・Benjamin H.D.Buchloh「1967/1987 芸術・理論の系譜学:ミニマリズムとポップ以降の美術論」(*18)(杉山悦子訳)pp.156-177 ●Michael Fried・Rosalind Krauss・Benjamin H.D.Buchloh・ほか「ディスカッション:ミニマリズムとポップ以降の美術論」(*19)(杉山悦子訳)pp.172-191 ●Rosalind Krauss「視覚的無意識」(*20)(小俣出美・鈴木真理子・田崎英明訳)pp.193-223 III モダニズムの再検討 ●岡崎乾二郎「経験の条件」pp.246-261 〔→加筆修正、『ルネサンス:経験の条件』筑摩書房、2001〕 ●松浦寿夫「美術館のなかのひとつの場所」pp.262-275 ●田中純「美術史の曖昧な対象:衰退期について」pp.276-291→第1章、『残像のなかの建築:モダニズムの〈終わり〉に』未來社、1995.7〕 ●丸山洋志「「透明性」の内部」pp.292-301 ●「インタヴュー ジョゼフ・コスースに聞く:モダニズム以後」(聞き手:浅田彰、ファーレ立川アート計画のために来日した際に、1994年7月21日東京のアート・フロント・ギャラリーにて)pp.221-236 ●岡崎乾二郎・田中純・丸山洋志・浅田彰・松浦寿夫「セミナー モダニズムの再検討」:セッションI(1994.4.29.、pp.302-317)、セッションII(1994.11.11.、pp.318-346) II-5, 1995.4「特集=マルクスの現在」 特集:マルクスの現在 ●岩井克人・大黒弘慈・西部忠・浅田彰・柄谷行人「共同討議 貨幣と資本主義」(1995.1.17.) ●新田滋「恐慌と秩序」→第1章、『恐慌と秩序:マルクス資本論と現代思想』情況出版、2001.9〕 ●大黒弘慈「貨幣蓄蔵の哲学:柄谷、ジジェクによるマルクス」 ●Louis Althusser「唯物論のユニークな伝統1 スピノザ」(田崎英明・市田良彦訳) ●Antonio Negri「アルチュセールのために:アルチュセール晩年の思考の深化をめぐる覚書」(*21)(丹生谷貴志・市田良彦訳) ●市田良彦「Louis Althusserはどのように仕事をしたか」 ●高祖岩三郎「交通空間と翻訳」 ●岩崎稔「三木清における「技術」「動員」「空間」:東亜共同体論と構想力の論理」 ●山田広昭「天使に憑かれる:ふたたび危機の言説について」 ●Shosyana Felman「声の回帰 クロード・ランズマンの『ショアー』」2(上野成利・細見和之訳) ●Slavoj Žižek「否定的なもののもとへの滞留 第1部・コギト:主体と呼ばれる空虚」3(田崎英明訳) ●安宇植「ハングルと〈男〉と」2 ●松浦寿輝「死の贄:折口信夫論」4(完) ●多和田葉子「聖女伝説」5 ●柄谷行人「編集後記」(1995.2.13.記) / 浅田彰「編集後記」 II-6, 1995.7「特集=政治的なもの 証言と記憶 京都学派」 本号より内藤裕治氏が編集人に ●上村忠男・阪上孝・浅田彰・柄谷行人「共同討議 ボナパルティズムをめぐって」(1995.4.15.)〔→柄谷行人編『シンポジウムII』太田出版、1997.10〕 小特集 政治的なもの ●Joan Copjec「選挙権が定義する主体」(*22)(村山敏勝訳) ●Jean-Luc Nancy「政治」(守中高明訳) ●Etienne Balibar「市民主体:ジャン-リュック・ナンシーの質問「主体の後に誰がくるか」に答える」(松葉祥一訳) ●Louis Althusser「唯物論のユニークな伝統2 マキアヴェリ」(福井和美訳) 小特集 証言と記憶 ●Shosyana Felman「声の回帰:クロード・ランズマンの『ショアー』」3 完(上野成利・崎山政毅・細見和之訳) ●高木繁光「形の詩学:石原吉郎論」 小特集 京都学派 ●小林敏明「転倒する時間意識:キルケゴール、西田、レヴィナス」〔→『西田幾多郎:他性の文体』太田出版(批評空間叢書)、1997〕 ●酒井直樹「種的同一性と文化的差異:主体と基体をめぐって2」 ●大越愛子「フェミニズムからの「京都学派」批判」〔→第1章、『闘争するフェミニズムへ』未來社、1996.2〕 ●Jeffrey Mehlman「革命と反復:マルクス/ユゴー/バルザック」1(*23)(上村忠男・山本伸一訳)〔→『革命と反復:マルクス/ユゴー/バルザック』太田出版(批評空間叢書10)、1996〕 ●安宇植「ハングルと〈男〉と」3 ●Slavoj Žižek「否定的なもののもとへの滞留 第1部・コギト:主体と呼ばれる空虚」4(田崎英明訳) ●Richard Klein「煙草は崇高である」1(*24)(太田晋訳)〔→『煙草は崇高である』太田出版(批評空間叢書11)、1997〕 ●多和田葉子「聖女伝説」6 ●柄谷行人「編集後記」(1995.5.13.記) / 浅田彰「編集後記」 II-7, 1995.10「特集=政治と歴史 モダニズムと美術批評」 ●「共同インタヴュー 冷戦終結後の政治と文学:スーザン・ソンタグとの対話」(聞き手:浅田彰・柄谷行人、斎藤一訳、1995.6.1.)〔→柄谷行人編『シンポジウムIII』太田出版、1998.6〕 小特集 政治と歴史 ●柄谷行人「歴史における反復の問題」(1994.11.9-12 デューク大学での会議「Globalization and Culture」の口頭発表稿に加筆)英語版 ●Louis Althusser「『フォイエルバッハにかんするテーゼ』についての覚書」(安川慶治訳) 小特集 モダニズムと美術批評 ●磯崎新・岡崎乾二郎・高橋悠治・松浦寿夫・浅田彰・柄谷行人「共同討議 再びモダニズムをめぐって」(1995.6.29.) ●松浦寿夫「記憶の体制」 ●T. J. Clark「共和暦二年の絵画」1(松岡新一郎訳) ●Michael Fried「二つのレアリスムの間に:デリダからマネへ」(*25)(天野知香訳) ●リピット水田清爾「モダニズムにおけるグロテスクと小説の解体について」 ●Louis Althusser「唯物論のユニークな伝統3 政治情勢」(福井和美訳)(完) ●Jeffrey Mehlman「革命と反復:マルクス/ユゴー/バルザック」2(上村忠男・山本伸一訳) ●前田英樹「小林秀雄:存在への跳躍」1〔→『小林秀雄』河出書房新社、1998〕 ●東浩紀「デリダ試論2 二つの手紙、二つの脱構築」 ●Slavoj Žižek「否定的なもののもとへの滞留 第2部・ゆえに(エルゴ):弁証法的誤謬推理」5(田崎英明訳) ●Richard Klein「煙草は崇高である」2(太田晋訳) ●多和田葉子「聖女伝説」7 ●柄谷行人「編集後記」(1995.8.15.記) / 浅田彰「編集後記」 II-8, 1996.1「特集=宗教と宗教批判 セックス/ジェンダー」 共同討議:宗教と宗教批判 ●田川健三「基調報告1 三題噺:宗教の定義と聖書の解釈」pp.6-13 ●合田正人「基調報告2 門法のプリズム:スピノザとレヴィナスへ向けて」pp.14-21 ●合田正人・田川健三・浅田彰・柄谷行人「共同討議:宗教と宗教批判」(1995.9.29.)pp.22-47〔→柄谷行人編『シンポジウムIII』太田出版、1998.6〕 特集=セックス/ジェンダー ●Judith Butler「パフォーマンスとしてのジェンダー」(聞き手:Peter Osborne,、リン・シーガル、竹村和子訳)pp.48-63 ●Eve Kosofsky Sedgwick「クローゼットの認識論」(外岡尚美訳)pp.64-85 ●Joan Copjec「性と理性の安楽死」(鈴木英明訳)pp.86-114 ●Leo Bersani「直腸は墓場か?」(酒井隆史訳)pp.115-143 ●David M. Halperin「聖フーコー:ミシェル・フーコーのクイアー・ポリティクス」(村山敏勝訳)pp.144-159 ●J. Keith Vincent「正岡子規と病の意味:卯の花の散るまで鳴くか子規」(河口和也訳)pp.160-187 ●Indra Levy「リブ的現代フェミニズム、戦前女性主義、そして山川菊栄」pp.188-209 ●Jeffrey Mehlman「革命と反復:マルクス/ユゴー/バルザック」3(上村忠男・山本伸一)pp.210-231 ●T. J. Clark「共和暦2年の絵画」(完)(松岡新一郎訳)pp.232-250 ●Slavoj Žižek「否定的なもののもとへの滞留 第2部・ゆえに(エルゴ):弁証法的誤謬推理」6(田崎英明訳)pp.264-276 ●Richard Klein「煙草は崇高である」3(太田晋訳)pp.277-286 ●前田英樹「小林秀雄:存在への跳躍」2 pp.251-263 ●多和田葉子「聖女伝説」8 ●柄谷行人「編集後記」(1995.11.11.記) / 浅田彰「編集後記」 II-9, 1996.4「特集=ドゥルーズ」 小特集 ドゥルーズ ●Gilles Deleuze「思い出すこと」(聞き手:Didier Eribon)(*26)(鈴木秀亘訳)pp.6-12 ●前田英樹「基調報告1 悟性と感性の「性質の差異」について」pp.13-6 ●財津理「基調報告2 ドゥルーズの思想の生成変化」pp.17-21 ●財津理・蓮實重彦・前田英樹・浅田彰・柄谷行人「共同討議 ドゥルーズと哲学」(1996.1.19.)pp.22-54〔→柄谷行人編『シンポジウムIII』、1998.6〕 ●Paul Virilio・Sacha Goldman「文明問題としての核拡散について」(松葉祥一訳)pp.81-86 ●坂本龍一・浅田彰・柄谷行人「座談会:「悪い年」を超えて」(1995.12.11.)pp.87-106 ●岡崎乾二郎「拒絶と生産:追悼・岡本太郎」pp.120-122 ●松原弘典「フルシチョフの建築へ:ソ連建築に見るポスト・スターリニズム」pp.123-145 ●矢代梓「ハイナー・ミュラー追悼」pp.146-148 ●田尻芳樹「言語の消去を夢みて:ベケット論」pp.173-186 ●高木繁光「ボーボラナンキンの歌:中原中也論」pp.187-203 ●Slavoj Žižek「否定的なもののもとへの滞留 第2部・ゆえに(エルゴ):弁証法的誤謬推理」7(田崎英明訳)pp.217-236 ●Richard Klein「煙草は崇高である」4(太田晋訳)pp.237-256 ●前田英樹「小林秀雄:存在への跳躍」3 ●Jacques Derrida「政治と友愛と」1(聞き手:Michael Sprinker)(*27)(安川慶治訳)pp.55-80 ●Thierry de Duve「レディ・メイドと抽象」1(*28)(松浦寿夫訳)pp.107-119 ●太田晋「『ユリシーズ』を読む:第1挿話/第2挿話」pp.149-172 ●多和田葉子「聖女伝説」9(完) ●柄谷行人「編集後記」(1996.1.27.記) / 浅田彰「編集後記」(1996.2.12.記) II-10, 1996.6「共同討議 「批評」の場所をめぐって」 ●井口時男・大杉重男・福田和也・山城むつみ・柄谷行人「共同討議:「批評」の場所をめぐって」(1996.3.29.)pp.6-33 ●福田和也「アドルフ・ヒトラーとハイデガー哲学:テクネーによる「本来性」の喚起」1 pp.34-43 ●蓮實重彦「ジル・ドゥルーズと「恩寵」:あたかも、ギリシャ人のように」pp.44-54〔→『表象の奈落:フィクションと思考の動体視力』筑摩書房、2006.11〕 ●Michelle Loi「ルイのこと」(市田良彦訳)pp.73-87 ●市田良彦「ミシェルのこと、ルイのこと」pp.88-105 ●Darko Suvin, Marc Angenot「脱神秘化,あるいは宣言されたものの含意すること:「共産主義者宣言」から生じるマルクスの賞賛、その限界発見、そしてその使用について」(矢野久美子)pp.106-128 ●西部忠「レトリックとリアリズム:方法の復権」pp.129-145 ●Slavoj Žižek「否定的なもののもとへの滞留 第2部・ゆえに(エルゴ):弁証法的誤謬推理」8(田崎英明訳)pp.193-200 ●Richard Klein「煙草は崇高である」5(太田晋訳)pp.201-223 ●前田英樹「小林秀雄:存在への跳躍」4 pp.180-192 ●Jacques Derrida・Michael Sprinker「政治と友愛と」2完(安川慶治訳)pp55-72 ●Thierry de Duve「レディ・メイドと抽象」2完(松浦寿夫訳)pp.146-155 ●Livia Monnet「幽霊的な女たち、置き換えられた女性性、そして男性家族小説:中上健次の2つのテクストにおける暴力、ジェンダー、そしてセクシュアリティの政治学」1(竹内孝宏訳)pp.156-179 ●いとうせいこう「去勢訓練」1 ●柄谷行人「編集後記」(1996.5.12.記) / 浅田彰「編集後記」 日経イメージ気象観測← 批評空間 第1期← →II-11-25
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原題:Mr. Mrs. Smith IMDbリンク 目次 作品情報 投票 あらすじ 批評、コメント 作品情報 ジャンル:ラブロマンス映画?、アクション映画、 サスペンス映画、アメリカ映画 製作年:2005年? 監督:ダグ・リーマン? 原作: 脚本:サイモン・キンバーグ? 音楽:ジョン・パウエル? 上映時間:120分 出演:ブラッド・ピット?、アンジェリーナ・ジョリー?、ヴィンス・ヴォーン? 受賞歴:○○ 映像ソフト:国内版DVDが2006.4.5に発売 投票 この作品をあなたは支持する? 選択肢 投票 はい (4) いいえ (1) どちらともいえない (1) あらすじ あらすじ・解説:○○ ■ 内容詳細(ネタバレを含む可能性が高いので、未鑑賞の方は開かないこと!) ○○ 批評、コメント 名前: タイトル: 本文: 閲覧カウンター: -
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原題:Wild Orchid IMDbリンク 目次 作品情報 投票 あらすじ 批評、コメント 作品情報 ジャンル:ラブロマンス映画?、文芸映画?、成人向け映画?、アート作品?、アメリカ映画 製作年:1990年? 監督:ザルマン・キング? 原作: 脚本:パトリシア・ルイジアナ・ノップ? 音楽:ジェフ・マコーミック?、サイモン・ゴールデンバーグ? 上映時間:103分 出演:ミッキー・ローク?、ジャクリーン・ビセット?、キャリー・オーティス? 受賞歴:ミッキー・ロークとキャリー・オーティスがラジー賞ノミネート 映像ソフト:国内版DVDが入手可能 投票 この作品をあなたは支持する? 選択肢 投票 はい (2) いいえ (0) どちらともいえない (1) あらすじ あらすじ・解説:○○ ■ 内容詳細(ネタバレを含む可能性が高いので、未鑑賞の方は開かないこと!) ○○ 批評、コメント 名前: タイトル: 本文: 閲覧カウンター: -
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原題:Harry Potter and Philosopher s Stone IMDbリンク 目次 作品情報 投票 あらすじ 批評、コメント 作品情報 ジャンル:ファンタジー映画、文芸映画? 製作年:2001年? 監督:クリス・コロンバス 原作:J・K・ローリング? 脚本:スティーヴン・クローヴス? 音楽:ジョン・ウィリアムズ? 上映時間:152分 出演:ダニエル・ラドクリフ、エマ・ワトソン、ルパート・グリント、ロビー・コルトレーン、リチャード・ハリス、マギー・スミス、アラン・リックマン 投票 この作品をあなたは支持する? 選択肢 投票 はい (13) いいえ (0) どちらともいえない (0) あらすじ あらすじ・解説: 世界的ベストセラーとなった、イギリスの児童文学『ハリー・ポッター』シリーズの待望の映画化第1弾。10歳の誕生日を迎えたある夜、ハリーは自分が魔法使いであることを知らされる。ホグワーツ魔法魔術学校からの入学許可証が届き、夢のような生活が始まる。 ■ 内容詳細(ネタバレを含む可能性が高いので、未鑑賞の方は開かないこと!) 批評、コメント 名前: タイトル: 本文: 閲覧カウンター: -
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ヤコブの手紙 著者については、「主イエス・キリストの僕であるヤコブ」(1 1)と記されている。ヤコブと名のつく人物は、新約では4名おり、いずれを指すのかが問題となる(使徒ヨハネの兄弟でゼベダイの子ヤコブ、アルファイの子ヤコブ、使徒タダイの父ヤコブ、主イエスの兄弟ヤコブ)。ゼベダイの子ヤコブは紀元44年と早い時代に殉教しているので、考えにくい。他は知名度、実力が高くはない。そのため、古代教会時代の教父たちはこのヤコブを、イエスの兄弟ヤコブ(紀元62年頃没)と見なしてきた(パウロは彼を、「主の兄弟」「教会の主だった三人の一人」と呼んでいる。ガラテヤ1 19、2 9)。 ただし、研究者の多くは、別の人物が他の人物を名乗って執筆したと考え、実際の著者をいずれのヤコブとも見なさない立場を採っている。というのも、パウロから発展した信仰義認という、一種の怠惰的思想に反対したユダヤ人キリスト教徒の作と考えられるためであり、パウロ以降の人物と考えるのが妥当だからである。高等批評では一般的には西暦90年代の作と考えられている。(※ただし根拠は不明) しかし、この書簡は真筆性がまったくないとまでは言い切れず、近年ではヤコブ本人による作の可能性も指摘されている。2013年の機関誌の記事によれば、この書簡にみられる激しい歴史的な背景を調査し、この書簡が実際にイエスの弟ヤコブによって、紀元62年の殉教より以前に書かれたという提案を行った。西暦50年代には、ユダヤ人が大敗や不正義や貧困により失望し、パレスチナでの騒動や暴力が大きくなっていった。これは60年代、ヤコブが殺された年々の間にも続いた。戦争がローマで勃発し、エルサレムの破壊と人々の散在を招いた。この書簡は、貧困と闘い、貧しい人に実践的な方法を伝え(1 26–27; 2 1-4; 2 14-19; 5 1-6)、抑圧された人のために立ち上がり(2 1-4; 5 1-6)、そして世俗の邪悪さへ応答する方法で「世俗のように」ならないこと(1 26-27; 2 11; 3 13-18; 4 1-10)を奨励するために知られていた。世俗的な知恵は排除され、平和を作って公平と正義を追い求める天の知恵を包含することを人々は奨励されている(3 13-18)。(Wikipedia英語版、"Epistle of James"より) ペトロ書簡 ペトロの書簡という体裁をとっているが、現在では彼自身のものではないというのが通説になっている。アラム語を母語とする漁師出身のペトロが、書簡に現れる一定の水準をもったギリシア語をつづる能力があったと考えることは困難である。ただし第1書簡については、ギリシア語を話すペトロの同伴者のもので、比較的よくペトロの思想を反映している可能性を指摘する学者もいる。第2書簡は、2世紀以後の著作である可能性が指摘される。第2書簡が正典視されたのは4世紀半ば以後であり、シリア教会では6世紀まで第2書簡を正典には数えなかった。 ペトロの手紙一 近代以降の高等批評を受け入れる研究者たちの間では本書簡の著者はガリラヤ湖の漁師をしていたシモン・ペトロ本人とは思われないという見解で一致している。 理由は以下にまとめられる。 1.本書簡は洗練されたギリシア語で書かれており、アラム語話者であり通訳を用いていたペトロその人と結びつかない。アレクサンドリアのクレメンスなどはペトロのために書記として勤めたのがマルコであったという。 2.聖書の引用が35箇所あるが、4 8を除き、すべて七十人訳聖書を用いて行われている。ペトロはアラム語話者であり、先に示したように書記を必要としていたことなどを考えると、ギリシャ語の聖書を読んでいたとは考えにくい。 3.生前のイエスを知っていることを示す記述が一切ない。ペトロはイエスの直弟子であり、そのペトロがイエスの生前の言葉の引用をしないのは不自然といえる。(ただし、引用がないからと言ってペトロではない、と断言できるわけではない。例えばパウロは生前のイエスの言葉自体は知っていたが、書簡のなかで殆ど触れていない。)また、殉教を示唆する箇所(4 12以下)と、司牧者としての振る舞いを示す箇所(5 1以下)以外に、生前のペトロとすら結びつかない。 4.ペトロはパウロと緊張関係にあったはずだが、ペトロ書簡はパウロ書簡との共通点がある。これは不自然だと言わざるを得ない。(ただし、ペトロとパウロが最終的に和解した可能性を指摘する説もある。二人は最期を共にローマで過ごしている。) ロマ13 1-3,7 人は皆、上に立つ権威に従うべきです。神に由来しない権威はなく、今ある権威はすべて神によって立てられたものだからです。従って、権威に逆らう者は、神の定めに背くことになり、背く者は自分の身に裁きを招くでしょう。 実際、支配者は、善を行う者にはそうではないが、悪を行う者には恐ろしい存在です。あなたは権威者を恐れないことを願っている。それなら、善を行いなさい。そうすれば、権威者からほめられるでしょう。 (略) すべての人々に対して自分の義務を果たしなさい。貢を納めるべき人には貢を納め、税を納めるべき人には税を納め、恐るべき人は恐れ、敬うべき人は敬いなさい。 Ⅰペトロ2 13-15,17 主のために、すべて人間の立てた制度に従いなさい。それが、統治者としての皇帝であろうと、あるいは、悪を行う者を処罰し、善を行う者をほめるために、皇帝が派遣した総督であろうと、服従しなさい。 善を行って、愚かな者たちの無知な発言を封じることが、神の御心だからです。 (略) すべての人を敬い、兄弟を愛し、神を畏れ、皇帝を敬いなさい。 5.当時の社会制度まつわる具体的な勧告(2 13以下)や、書簡の成立背景に考えられる迫害の状況(4 12以下)も、生前のペトロと関連づけられない。一般的には、こうした迫害は、オミティアヌス帝治世末期(96年頃)の帝国内のキリスト教徒への迫害を示唆していると考えた方が自然だと考えられている。(ただし、ペトロの生前にもキリスト教徒がユダヤ人から迫害を受けていたことはもちろんあったので、そうした比較的小規模な迫害のことを指しているとも考えられる。) Ⅰペトロ4 12 愛する人たち、あなたがたを試みるために身にふりかかる火のような試練を、何か思いがけないことが生じたかのように、驚き怪しんではなりません。 本書の著者に関する仮説の一つは、書簡の終わりに現れる「シルワノ」なる人物が著者ではないかというものである。5章12節には「忠実な兄弟シルワノによってこの短い手紙を書いています」とある。つまり、パウロが口頭で伝えた内容を、ギリシャ語を書くことができるシルワノが書き記したという可能性は残っている。 しかし、それでも解決できない問題がある。 1つ目は、その場合、シルワノ自身が自分のことを「忠実な兄弟」と呼ぶことになり不自然という点である。(しかし、これはペトロの指示に基づいてペトロが書いた体裁をとったとみなすこともできる。) 2つ目は、小アジアに送られている点である。80年代以降ならば可能性が考えられるが、それ以前には考えにくい。(※これについて詳しい理由がわかりません) 3つ目はより深刻である。そのあとの部分で「バビロンにいる人々」とあるが、当時のキリスト教徒の間で「バビロン」といえばローマのことであった(「黙示録」より)。しかし、このような比喩が広がったのはエルサレム神殿崩壊以降であり、キリスト教との間で一般化したのは黙示録よりあと(90年~96年)である。こう考えると、ペトロの生前である60年代にこのような表現があったとは非常に考えにくい。本書簡の成立時期は明らかに黙示録よりあと(90年~96年)と考えるのが自然である。 したがって、一つの仮説としては、生前のパウロを知る人物(例えばシルワノなど)が、1世紀末のキリスト教徒への弾圧の際に、師の名を借りて書いた書簡である可能性がある。いずれにしても、ペトロ本人が書いたという可能性は極めて低い。 ただし、その成立時期については、高等批評では一般的に西暦90年代とされるが、クレメンスの第一の手紙には本書簡からの引用と思われる箇所があり、それを考えると本書簡はこれより早期に書かれていた可能性もある。その場合、ペトロの直弟子が代筆したという可能性はより高くなると思われる。 http //www.tohoku-gakuin.ac.jp/research/journal/bk2015/pdf/no07_02.pdf http //www.tohoku-gakuin.ac.jp/research/journal/bk2016/pdf/no08_04.pdf ペトロの手紙二 こちらについてはもはやペトロが書いたとは信じられていない。偽名書簡と見る場合、執筆時期の根拠とされる記述はいくつかある。その1つが、3章15節および16節でパウロの手紙が広く読まれているとされている箇所である。この箇所から本書が成立した時期には、すでにパウロの手紙がまとめられ、旧約聖書のような権威を獲得していたことがわかる。これがパウロの生前に起こっていたとは考えづらいのである。 2ペトロ3 15-16 また、わたしたちの主の寛容は救のためであると思いなさい。このことは、わたしたちの愛する兄弟パウロが、彼に与えられた知恵によって、あなたがたに書きおくったとおりである。彼は、どの手紙にもこれらのことを述べている。その手紙の中には、ところどころ、わかりにくい箇所もあって、無学で心の定まらない者たちは、ほかの聖書についてもしているように、無理な解釈をほどこして、自分の滅亡を招いている。 2つ目の点が、3章3・4節のくだりで、ここで語られる「先祖」は、イエスを直接知る第一世代のキリスト者を指していると理解される。ゆえに、その人々がすでに死んでかなり経ったものとして語られている以上、ペトロ自身が書いたものとは考えられず、より後の時代の人が書いたと考えられる。 Ⅱペトロ3 3-4 まず次のことを知るべきである。終りの時にあざける者たちが、あざけりながら出てきて、自分の欲情のままに生活し、「主の来臨の約束はどうなったのか。先祖たちが眠りについてから、すべてのものは天地創造の初めからそのままであって、変ってはいない」と言うであろう 3つ目の点は時制である。第二ペトロ書はペトロが生きていた時代よりも後に出現する偽教師について批判している。当然、それは未来形で語られ始めるが、次第に現在形になり、最後には完了形になっており、偽教師に直面している同時代人の不徹底な偽装を疑われている。 Ⅱペトロ2 1 かつて、民の中に偽預言者がいました。同じように、あなたがたの中にも偽教師が現れるにちがいありません。 Ⅱペトロ2 3 彼らは欲が深く、うそ偽りであなたがたを食い物にします。 Ⅱペトロ2 20-21 わたしたちの主、救い主イエス・キリストを深く知って世の汚れから逃れても、それに再び巻き込まれて打ち負かされるなら、そのような者たちの後の状態は、 前よりずっと悪くなります。義の道を知っていながら、自分たちに伝えられた聖なる掟から離れ去るよりは、義の道を知らなかった方が、彼らのためによかったであろうに。 また、第二ペトロ書はユダ書との関連がある。ユダ書の方が短いことなどからも、第二ペトロ書はユダ書を参考に書かれてたと考えられる。 ヨハネ書簡 ヨハネの手紙第一、第二、第三の三書簡は、『ヨハネによる福音書』と同一の作者による可能性は指摘されているが、高等批判の立場をとる岩波訳ヨハネ福音書の解説では、「現在では多くの人々が古い伝統の主張を史実とは認めない」と述べた上で、その理由として以下を上げている。 (1)ガリラヤの漁師であったヨハネがこのような文体の文書や思想の持ち主とは考えられないこと。 (2)2世紀には、新約の文書を十二使徒と結びつける傾向があったこと。 (3)ヨハネ福音書には資料が用いられていること。 (4)一人の人物が書いたと見るのは難しいこと。 〔『ヨハネ文書』新約聖書Ⅲ、岩波書店(1995年)解説141~42頁〕。 ただし、この見解は、ヨハネ福音書を1個人の作品と言うよりヨハネ共同体全体から産まれた作品と見て、最初の著者が遺したものにさらに手が加えられたと見る「増補改訂仮説」をとっている(ヨハネ福音書への高等批評を参照せよ)ため、ヨハネ福音書の成立それ自体に関して言えば、教父以来の伝承説、すなわち、使徒ヨハネによる伝承や口述をもとに弟子たちが福音書を書いたと考えれば矛盾はないのである。ただしこの場合、『ヨハネによる福音書』と作者が共通であることが指摘されているヨハネ書簡については、使徒ヨハネの作ではなく、ヨハネ共同体の作ということになる。 ユダの手紙 新約聖書に含まれ、「公同書簡」の一つとされている。本書簡において、著者は自らを「ヤコブの兄弟ユダ」(1 1)と述べている。この場合のヤコブの兄弟ユダとは、イエスの弟のユダを指している以外に考えにくい(参照、マルコ6 3「この人は、大工ではないか。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。」)。 しかし、グノーシス主義への論駁が認められる本書簡の成立は、1世紀末から2世紀初頭と考えられ、その真筆性は一般の学説においては認められていない。第2ペトロ書と思想的類似性が観察される。 https //sites.google.com/site/kenichioishiarchives/home/new-testament-theology/-petorono-shou-zhi-yi-xu-lun
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原題:King Kong IMDbリンク 目次 作品情報 投票 あらすじ 批評、コメント 作品情報 ジャンル:アクション映画、ファンタジー映画、パニック映画、超大作映画、アメリカ映画、リメイク作品? 製作年:2005年? 監督:ピーター・ジャクソン? 原作:メリアン・C・クーパー?、エドガー・ウォラス? 脚本:フラン・ウォルシュ?、フィリッパ・ボウエン?、ピーター・ジャクソン? 音楽:ハワード・ショア? 上映時間:187分 出演:ナオミ・ワッツ?、ジャック・ブラック?、エイドリアン・ブロディ? 受賞歴:○○ 映像ソフト:国内版DVDが2006.5.25に発売予定。ただし、後からディレクターズカット版が出る可能性大なので注意! 投票 この作品をあなたは支持する? 選択肢 投票 はい (5) いいえ (0) どちらともいえない (0) あらすじ あらすじ・解説:○○ ■ 内容詳細(ネタバレを含む可能性が高いので、未鑑賞の方は開かないこと!) ○○ 批評、コメント 名前: タイトル: 本文: 閲覧カウンター: -
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原題:Memoirs of a Geisha IMDbリンク 目次 作品情報 投票 あらすじ 批評、コメント 作品情報 |ジャンル:ヒューマンドラマ作品?、文芸映画?、アメリカ映画 製作年:2005年? 監督:ロブ・マーシャル? 原作:アーサー・ゴールデン?「Memoirs of a Geisha」 脚本:ロビン・スウィコード?、ダグ・ライト? 音楽:ジョン・ウィリアムズ? 上映時間:146分 出演:チャン・ツィイー?、渡辺謙?、ミシェル・ヨー?、役所広司? 受賞歴:○○ 映像ソフト:2006.7.6に3バージョンで国内版発売(下のリンクは通常版です) 投票 この作品をあなたは支持する? 選択肢 投票 はい (0) いいえ (0) どちらともいえない (1) あらすじ あらすじ・解説:○○ ■ 内容詳細(ネタバレを含む可能性が高いので、未鑑賞の方は開かないこと!) ○○ 批評、コメント 名前: タイトル: 本文: 閲覧カウンター: -
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原語表記:Robert Wise 目次 人物情報 投票 批評、コメント 人物情報 生没年:(生)1914年9月10日〜(没)2005年9月14日 代表的役職:監督?、プロデューサー?、編集者? 代表作:地球の静止する日?、深く静かに潜航せよ?、ウエストサイド物語?、サウンド・オブ・ミュージック?、アンドロメダ…(いずれも監督) 受賞歴:アカデミー賞?…監督賞・作品賞(サウンド・オブ・ミュージック?、ウエストサイド物語?)他多数 略歴:19歳で映画ビジネスの世界に入り、当初は音響の仕事をしていたが、市民ケーン?での編集の仕事がオーソン・ウェルズ?の目に留まり、映画監督への道を歩み出す。短いB級映画監督としての経歴を経て、ハリウッド黄金期に多数の名画を手掛け、老いてもなお映画の仕事を続けていたが、2005年9月に心不全で死去した。享年91歳。 その他情報:第3回ゆうばり国際ファンタスティック映画祭のヤング部門審査委員長を務めた。この時の特別賞にあたる「ロバート・ワイズ賞」を受賞したのは、塚本晋也監督の鉄男?。 投票 この人物をあなたは支持する? 選択肢 投票 はい (1) いいえ (0) どちらともいえない (0) 批評、コメント 名前: タイトル: 本文: 閲覧カウンター: -
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原題:Pirates of the Caribbean Dead Man s Chest IMDbリンク 目次 作品情報 投票 あらすじ 批評、コメント 作品情報 ジャンル:アクション映画、 コメディ映画、ファンタジー映画、モンスター映画、SFX主導映画?、超大作映画、アメリカ映画、タイアップ作品?、シリーズ映画 製作年:2006年? 監督:ゴア・ヴァービンスキー? 原作:ディズニーランドのアトラクション「カリブの海賊」 脚本:テッド・エリオット?、テリー・ロッソ?ほか 音楽:ハンス・ジマー? 上映時間:150分 出演:ジョニー・デップ?、オーランド・ブルーム?、キーラ・ナイトレイ? 映像ソフト:日本版DVDが発売中 投票 この作品をあなたは支持する? 選択肢 投票 はい (10) いいえ (2) どちらともいえない (0) あらすじ あらすじ・解説:海賊船ブラックパール号を取り戻したジャック・スパロウ船長に、新たな宿命的危機が襲いかかる。13年前、ブラックパール号の船長となるために彼が契約を交わした深海の悪霊ディヴィ・ジョーンズが、契約満了の対価として彼の魂を奪いに追ってきたのだ。ちょうどその頃、結婚を間近に控えたウィル・ターナーとエリザベス・スワンも、東インド会社のベケット卿の謀略によりジャックを追う羽目となる。かくして、持つ者は深海の悪霊を征し海の覇権を握るといわれる「死者の宝箱」をめぐる冒険が始まった…。 ■ 内容詳細(ネタバレを含む可能性が高いので、未鑑賞の方は開かないこと!) ○○ 批評、コメント 名前: タイトル: 本文: 閲覧カウンター: -
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原語表記:Robert Wise 目次 人物情報 投票 批評、コメント 人物情報 生没年:(生)1914年9月10日〜(没)2005年9月14日 代表的役職:監督?、プロデューサー?、編集者? 代表作:地球の静止する日?、深く静かに潜航せよ?、ウエストサイド物語?、サウンド・オブ・ミュージック?、アンドロメダ…(いずれも監督) 受賞歴:アカデミー賞?…監督賞・作品賞(サウンド・オブ・ミュージック?、ウエストサイド物語?)他多数 略歴:19歳で映画ビジネスの世界に入り、当初は音響の仕事をしていたが、市民ケーン?での編集の仕事がオーソン・ウェルズ?の目に留まり、映画監督への道を歩み出す。短いB級映画監督としての経歴を経て、ハリウッド黄金期に多数の名画を手掛け、老いてもなお映画の仕事を続けていたが、2005年9月に心不全で死去した。享年91歳。 その他情報:第3回ゆうばり国際ファンタスティック映画祭のヤング部門審査委員長を務めた。この時の特別賞にあたる「ロバート・ワイズ賞」を受賞したのは、塚本晋也監督の鉄男?。 投票 この人物をあなたは支持する? 選択肢 投票 はい (0) いいえ (0) どちらともいえない (0) 批評、コメント 名前: タイトル: 本文: 閲覧カウンター: -