約 9,831 件
https://w.atwiki.jp/javadsge/pages/5358.html
(1)表 漫画 アニメ さちプロジェクト (2)プログラム (3)グラフ (4)出所 (5)メモ (6)作業記録 6月27日 表追加 -
https://w.atwiki.jp/madeinore_friend/pages/17.html
ココは自分の作ったゲームの紹介や他人のゲームへのアドバイスなどをする場所です。 批評と言ってもあくまでココをこうするとよいなどのアドバイス中心です。 誹謗、中傷は絶対に禁止です。 総合コメント所に合併しました。
https://w.atwiki.jp/katsujich/pages/19.html
7/20 批評同人誌会議まとめ 会議の目的 1.顔合わせ 2.メンバー同士の自己紹介 参加人数 3年→2人 2年→5人 1年→10人 確認事項 ●活動の柱 1.活動報告 ┗現在は広報班発行の『スタジオ通信』以外に外部に活動を報告するツールがないため、ニュースレターのようなものを作る(検討中) 2.同人誌製作 3.毎回の議事録作成 ┗活動予定日:毎週火金 5限(17 00~) ●批評同人誌の設備について ・PC3台(内1台は大モニターのもの) ・書体データ(全機にインストール) ・DTP(全機にインストール) ・カラープリンタ1台 以上を10月を目途に加島先生に用意して頂く予定。 ●夏休み中の遠足実施について ┗紙の博物館や印刷博物館などを見学に行こう! 日程は後ほど調整。 以上の項目について確認しました。 会議内容 自己紹介 ・学年 ・名前 ・地元(出身地や現住所) ・今までやってきたこと ・好きな雑誌/嫌いな雑誌 ・このプロジェクトでどんなことをしたいか 以上の内容でメンバーそれぞれが自己紹介。 グループワーク *メンバーを1~3のグループに分けて15分ほどフリートーク。 1のグループ→同人音楽についてなど 2のグループ→家族構成・批評同人誌に入ったきっかけ・バイト経験など 3のグループ→自分の出身地や地元の地理・気候についてなど これからの進め方 ●グラフィックチーフを決める ┗グラフィック系に携わりたい人の中から2~3人をグラフィックチーフに選出し、優先的にPCやソフトの使い方を覚える。 他のメンバーはグラフィックチーフからPCやソフトの使い方を教わる形で機材の使い方については進める。 ●同人誌を製作するためのグループを決める ┗イメージ図のように1つのテーマで記事(特集ページ)を作る際、記事・写真・ページデザインの担当者3~4人程度を1つのグループとして確定し、その号が出来るまでは確定したグループを基本にして動く。 ┗可能な範囲内であれば2つ以上のグループで活動しても構わない。 宿題 ●企画書(やりたいことメモ)とキーワードカードを作る ┗次回会議までに、自分の興味のあるテーマで企画書(やりたいことメモ)を作ってくること。 以下の指定を守っていれば、幾つ持ってきてもOK。 ・企画のタイトルが付いていること ・1つの企画につき、キーワードを【3つ以上】挙げて紙に書いておくこと (キーワードを書く紙は、岡田研究室の扉に貼ってあるポケットにあります) ・どんなテーマを扱う企画で、何をやりたいのかなどを簡単に説明できるものであること これを元に、30日以降活動するグループを決めていく。 次回会議日程 曜日 7月30日(金) 時間 15:00~ 場所 加島研究室 持ってくる物 ・筆記用具 ・宿題
https://w.atwiki.jp/aryamatakoryamata/pages/651.html
書籍Link あ い う え お か き く け こ さ し す せ そ た ち つ て と な に ぬ ね の は ひ ふ へ ほ ま み む め も や ゐ ゆ ゑ よ ら り る れ ろ わ を ん 雑誌Link あ い う え お か き く け こ さ し す せ そ た ち つ て と な に ぬ ね の は ひ ふ へ ほ ま み む め も や ゐ ゆ ゑ よ ら り る れ ろ わ を ん ▲雑誌こ ▼ 広告批評(マドラ出版) 号数 発行日 頁 単行本 1989年8/9月号 1989.08.01 【特集】東京を広告する 【座談】『「東京」広告会議』(×糸井重里×いとうせいこう×木村恒久×陣内秀信) P8-P35 1990年1月号(NO.124) 1990.01.01 【対談】『広告はもともとは宗教だったという話』(×天野祐吉) P46 1994年4月号(NO.171) 1989.12.25 【特集】スキャンダリズムの開祖・まむしの周六 1999年6/7月号(NO.228) 1999 【特集】20世紀の広告は何をしたか 広告の20世紀(2) 『メディアと広告の関係について』 2002年3月号(NO.258) 2002.03.25 【特集】SEX ad 保存版 『SEX広告の読み方』 P124 2002年9月号(NO.263) 2002.09.25 【特集】海洋堂おまけ図鑑 『おまけ解体新書』 P117 広告批評(マドラ出版) 國文学(學燈社) 国文学 解釈と鑑賞(至文堂) こどもの本(日本児童図書出版協会) GORO(ゴロー)(小学館) こんにちは(三井不動産) ▲ ▼ 雑誌Link あ い う え お か き く け こ さ し す せ そ た ち つ て と な に ぬ ね の は ひ ふ へ ほ ま み む め も や ゐ ゆ ゑ よ ら り る れ ろ わ を ん 書籍Link あ い う え お か き く け こ さ し す せ そ た ち つ て と な に ぬ ね の は ひ ふ へ ほ ま み む め も や ゐ ゆ ゑ よ ら り る れ ろ わ を ん
https://w.atwiki.jp/tmsy/pages/43.html
オリジナルカード投稿&批評 検討中・・・
https://w.atwiki.jp/hanae/pages/26.html
批評は、演奏会や録音への定期的なレヴューとして理解され得るだろう(録音の項参照)。この種の批評活動は職業的ジャーナリズムの範疇に位置付けられるものであって、必ずしも一般的な音楽学の一部を成すとは限らない。しかしながら、比較と評価に基づいた判断が為される場として、広い意味の批評活動を考える事は可能である。この観点によれば、音楽学のいくらかの側面も、批評の一種として理解され得る。 もし現在、音楽批評と音楽学の間にある種の区別を知覚する事が出来るとしても、かつては必ずしもそうではなかった。音楽についての批評的な文章は、進行中の伝統の重要な一部を形作っている。18〜19世紀にかけての出版の興隆は、音楽についての論評の際立った発達が起こった背景を成しており、音楽研究に特化した新聞の出現は重要な進展の一つである。ライプツィヒで1798年に創刊された『Allgemeine Musikalische Zeitung(以下AMZ)』はしばしば、最初の音楽専門誌であると考えられており、ここには新作や演奏会のレヴューが含まれ、その後ヨーロッパ中で勃興する音楽専門誌のモデルとなった。また18世紀末には、日刊紙に音楽評論が出現するようになる。 新しく生まれる音楽への批評による反応や評価は、19世紀のロマン主義の中で、ベートーヴェンの音楽を最も明確な注意の対象として、繰り返し沸き起こった。この時代の最も興味深く刺激的な批評家はドイツの幻想小説家E.T.A. ホフマン(Hoffmann)で、音楽についての文章も残した。彼がAMZに1810年に発表したベートーヴェンの交響曲第五番(1807-8)のレヴューは、ドイツにおけるベートヴェン評論の伝統の端緒であり、この曲の受容史における中心的な典拠の一つである。ホフマンは作曲家とこの曲の重要性への言明からこの批評を始めるが、彼は自身の反応の個人的な性格を自ら明らかにしている(主体性の項参照): 「批評家の前には、誰もが器楽作曲家としての卓越に疑義を差し挟む事は無いであろう巨匠の最も重要な作品がある。彼は目の前の評論の主題に完全に一体化していて、もし彼が慣習的な価値判断を越して、この作品が彼の中に沸き起こした深い感覚の全てを言葉にしようと骨を折ったとしても、誰も悪く取ることはあるまい。(Charlton 1989, 236頁)」 この事は、ホフマンの反応の主体的な本質を暗示すると同時に、その時代性を暴きだしているが、この作品の評論が彼にとって、更に大きな主題についての熟考への挑戦であった事も明らかである。ここでは、器楽曲を純粋にロマン的な芸術の形式として描き出し、絶対音楽として称揚する事が、ホフマンの解釈を、音楽と意味を取り巻く尺度の大きい美学上の問題との関連の中に位置付けようとする(美学の項参照)。 このレヴューは、その他同様AMZのために書かれたものだが、そこに含まれる音楽的な詳述性の度合いにおいて、我々が一般に評論から思い浮かべるものと区別される。作品への叙述的だが細部に亘る記述は、分析の様な、後年の音楽学的発展との関連においてこの評論を捉えるように促す。分析とのこの共通性は、後にイギリスの作曲家・指揮者で評論家のドナルド・フランシス・トーヴィ(Donald Francis Tovey)の文章中に、叙述的記述の中に驚く程の音楽的ディティールを盛り込もうとした、しばしばプログラム・ノートの形で再現される(Tovey 2001)。 19世紀はまた、ロベルト・シューマンを筆頭として作曲家が評論家として出現してきた時代でもある。1834年、彼は今やAMZにおける保守性と理解されているものへの急進的オルターナティヴとして『Neue Zeitschrift für Musik』を創刊した。シューマンによって擁護された前衛的ロマン主義は、理論においても実践においても、音楽の自律性を信じるウィーンの評論家エドゥアルト・ハンスリック(Eduard Hanslick)の保守主義と対照を為すようになる。彼はヴァーグナーの影響に批判的に反応し、その楽劇における音楽外の含蓄と意味性に比し、自己充足的と解釈され得るブラームスの器楽曲の方を好んだ。 この様なオーストリア=ドイツ的文脈の上で、音楽評論は今や音楽の性質のイデオロギー的反映の焦点となった。批評とイデオロギーの結び付きは、例えば19世紀のロシアにおいて、音楽の国民的アイデンティティの探究が音楽評論へ反映されるという仕方で最も明確な形を取った(ナショナリズムの項参照)。 20世紀の音楽評論は、全盛期において既に活発だった要因の増大に特徴付けられる。作曲家たちが、もはやシューマンが新しい音楽に対して行った様な批評に関心を払わなくなったとしても、例えばシェーンベルクの様に大量の音楽論を書く事で、言葉による自己正当化を模索した(モダニズムの項参照)。しかし、ある種の文脈においては、音楽評論とその役割は音楽がより明白に政治的表現の源となるにつれ、増大するイデオロギー的圧力に従属した。 専門的でアカデミックな音楽学の更なる発展は、音楽学と批評との乖離の増大によってもたらされた。批評は、演奏会や新曲、新譜のレヴューを取り上げる新聞、雑誌、ラジオ、そしてテレビのような媒体の普及によって、より広汎に行き渡るようになった。しかし、近年の音楽学の進展は、新たな批評の方向性を指し示している。それは、批評活動ではなく、音楽への評価的なアプローチを示唆している。本書の多くの項目で言及されるアメリカの音楽学者ジョゼフ・カーマン(Joseph Kerman)は、より「包括的で『暖かみのある(humane)』実践的音楽批評(Kerman 1994, 30頁)」を、音楽分析の断定的客観性へのオルターナティヴとして示している。この提案は、批評的且つ評価的な前提に基づきつつ、ある種の厳格さと綿密な吟味を通じた音楽研究の見通しを開いている。また、考察対象となっている音楽と同様、それ自体に対しても批判的関係を企図する、音楽への批評的反応を思い浮かべる事も可能である(批判理論の項参照)。 ポップ・ミュージックとジャズもまた独自の批評的言説を有しているが(言説の項参照)、クラシック音楽での伝統とのある種の類似点を示してもいる。双方の分野における特定の雑誌(ジャズにおける『Downbeat』誌、ポップ・ミュージックにおける 『Rolling Stone』誌)の発展が、批評的反応が形作られる枠組みを提供し、リスナーの嗜好を形成するのを助けてきた。評論における批評的ディスカッションは、批判と比較の必要な新たなグループやレコーディングと共に、ある種の力を反映している。ポップ・ミュージックにおいては、ジャーナリスティックな批評とアカデミックな研究の間の区別が、例えばサイモン・フリス(Simon Frith)やグリール・マーカス(Greil Marcus)の双方の領域に跨がる重要な発言に見られる様に、しばしば適切にもぼやけている。 参照すべき項目:批判音楽学、新音楽学 更に詳しく:McColl 1996 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/o-rod/pages/42.html
解剖批評 ─森村泰昌 Seibun Satow Aug, 29. 2010 「模倣するより批評する方が容易だ」」。 ぜウクシス 森村泰昌は、名画と評価されている西洋絵画をその登場人物に扮してポートレートとしてカバーしている。その際、絵画の構成や背景、大道具、小道具を詳細に調べ、ライティングやメークアップに加え、合成やCGも利用して細部に至るまで再現を試みる。森村泰昌の『踏み外す美術史』によると、「芸術は見るものでなく、着るもの」であり、さらに「着こなす」ようでなければならない。「着る」から「着こなす」への移行は形式の内在化=身体化であり、その過程の意識化を意味する。 これはパフォーマンスと言うよりも、批評である。この作業を通じて、画家が意識していたことだけでなく、内在化されていたことや時代の雰囲気、風潮なども明らかにできる。 エドゥアール・マネの『フォリー・ベルジェールのバー』(1881~82)を例にとってみよう。この96×130cmの油彩作品はマネ最晩年の大作である。中心に、テーブルに手をついて正面を見ている女性バーテンダーがいる。背景には、判別し難い紳士淑女らしきお客が見える。画面の三分の一ほどに、彼女の後姿とそれに対峙しているシルクハットを被った口ひげをたくわえた男性が鏡に映っているシーンが描かれている。鏡の位置は不自然だが、そのカットによってこの女性が男性より小柄だということがわかる。実際に女性バーテンダーに扮してみると、テーブルに腕が十分に届かない。マネは腕の長さをデフォルメしている。彼女はテーブルに力強くついていなければならない。その理由は、彼女の断固たる意志を示すためだと森村は推測する。この絵の中の登場人物の中で彼女は最もさげすまされているような存在である。ろくに顔のない紳士淑女を背景に配置し、そんな女性を中心に据え、強固な意志を持った人物として描くとき、その世界の階序は転倒する。こう考えてくると、この作品が最期のときを知ったマネが愛するパリの風景への感傷的でメランコリックな思いを示唆しているという解釈は成り立たない。革命への期待がこめられていると言っても過言ではない。これは真似ることで、初めて、見出せた点である。 セルフ・ポートレートの際に、アジア系の男性である彼が主に西洋絵画の女性を被写体を選ぶことには理由がある。これは暗黙知の明示化である。そこに潜むジェンダーやオリエンタリズム、エスニシティを顕在化させる。マネの『オランピア』(1863)を扱ったとき、彼は白人の娼婦と黒人の召使の両方に扮している。同じ人がメークアップや衣装で演じ分けた異人種を一つの絵画に登場させると、植民地主義が露出する。 さらに、森村は忠実に再現するだけでない。その作品が体現しているものを敷衍すれば、このような批判が成り立つと提示する。『オランピア』では、絹の敷物の代わりに日本の着物、猫の代わりに招き猫を置いている。19世紀後半のフランスでジャポニズムが流行している。マネも『エミール・ゾラの肖像』(1868)の背景に日本の絵画をとり入れている。だとすれば、日本の文脈を無視したこんな使い方もあり得たろう。 現在、森村は西洋絵画の男性に扮したり、日本美術や20世紀の出来事、女優、現代のイコンなどにも進出したりもしている。チェ・ゲバラやアルベルト・アインシュタイン、マリリン・モンロー、三島由紀夫、マイケル・ジャクソンあたりはアンディ・ウォーホルの試みを「着る」に拡張したとも言える。 こうしたまねぶ芸術を実践した一人が贋作画家として人気を博すジョン・マイアット(John Myatt)である。彼については、2010年1月17日NHKハイビジョン放映の『ハイビジョン特集 贋作の迷宮 ~闇にひそむ”名画”~』は詳しい。 1985年、美術教師ジョン・マイアットは、突然、妻が家を出てしまい、残された二人の子を育てるために、辞職し、収入を得ようと、”Private Eye”誌に’GENUINE FAKES. Nineteenth twentieth century painting from 150 pounds(まごうことなき贋作、19~20世紀の絵を150ポンドから)’という広告を出す。 当初は合法的な仕事をするつもりだったが、詐欺師ジョン・ドルー(John Drewe)が彼に眼をつける。マイアットの描いたアルベール・グレーズの贋作をククリスティーズに持ちこむと、本物と鑑定され2万5000ポンドで売れ、大金が分け前として渡される。二人の子供のためと自分に言い聞かせ、彼は深みにはまっていく。 彼は模倣する絵画に関する情報を丹念にリサーチする。構成から背景、色調、タッチ、道具などを詳細に調べ上げる。さらに、年代測定をクリアするための古く見せる技法も編み出している。 その上で、何よりも重要なのは、描くときには、その画家になりきることである。今、カンバスに向かっているのはジョン・マイアットではない。フェルメールだ。その際、生前認められなかった画家の方が演じやすかったと述懐している。マイアットは対象となる画家は別人である。模倣する際に、彼らが自覚していない内在知を形式知として認識する必要がある。マイアットは、画家本人以上の彼をわかっていなければ、完璧な贋作が描けない。 演技と美術表現の相互作用は贋作に限ったことではない。NHKの連続テレビ小説『ゲゲゲの女房』で水木しげるを演じる向井理は、ヒロインの夫のマンガの描き方を研究して演技をつくったと告げている。NHK総合2010年6月18日放映の『あさイチ』において、向井がペンを走らせていると、水木しげるがそれを興味深そうに覗きこんできたと明かしている。 1995年、関係者の密告でマイアットのかかわる贋作ビジネスが発覚、逮捕され、懲役1年の判決を受ける。出所後、合法的な贋作画家として再出発する。話題性もあいまって評判を呼び、現在、高額で取引される人気画家の地位を獲得している。 森村の試みには模倣対象への解剖学的アプローチが見られる。森村はそれを自覚していて、自身の批評に「解剖学」を用いている。模倣を通じて暗黙知を明示知にするアプローチを「解剖批評」と呼ぶことにしよう。解剖批評は対象を自分に引き寄せるのではなく、寄り添ってその固有の声を聞く、対象を徹底的に解剖し、作者が意識していたことや内在化されていること、社会的・歴史的背景・事情を明らかにする。それは対象の固有な可能性を顕在化させる試みである。これは美術に限らない。あらゆる表現に適用できる。 〈了〉 参照文献 森村泰昌、『踏み外す美術史』、講談社現代新書、1998年 森村泰昌、『美術の解剖学講義』、ちくま学芸文庫、2001年 森村泰昌、『まねぶ美術史』、赤々舎、2010年 「森村泰昌」芸術研究所 http //www.morimura-ya.com/
https://w.atwiki.jp/trinity_kristo/pages/279.html
ここでは、パウロ書簡のうち、真筆性が高いとされる7書簡を除いた6書簡について検証する。 エフェソの信徒への手紙 高等批評では、パウロの手紙を第三者が編集したものとされているが、パウロ本人が編集した可能性もあるとされる。 エフェソの信徒への手紙は以下のような問題点がある。 現存する最初期の写本には「エフェソの」という言葉は見られず、単に「聖なる人々、イエス・キリストを信じる人々」があて先になっている。 文中にはエフェソの人々に関する言及や、パウロのエフェソでの体験が一切語られていない。 1 15にある「あなたたちの信仰をきいて」という表現は、著者が対象となった人々についてあまり知らないことを示している。これは『使徒書』の記述にあるようにパウロがエフェソの創立者であり、長期にわたって滞在したという記述と矛盾する。 これを考えると、著者がパウロである可能性は低い。一方で、エフェソ書は、コロサイ書と構成的、内容的に酷似しており、コロサイ書を読んだことがある人物がそれを参考にしてまとめた書簡とも考えられる。(エフェソ書とコロサイ書とでは、コロサイ書の著者がパウロであることを否定する根拠はエフェソ書よりも弱いので、一般的には著者は別としてコロサイ書が先に存在したと考えられている。) コロサイの信徒への手紙 高等批評では、パウロ本人ではないとされるが、パウロとテモテとの共著の可能性も指摘されている。 聖書学者レイモンド・ブラウンは『新約聖書概論』(1997年)の中で「現代の聖書学者の60%は本書がパウロ本人によって書かれたことを否定している。」という。確かに文体や言葉遣い、パウロらしい思想がみられないことなどから本書の著者がパウロ本人でないと考えるものは多い。 その一方で細かい違いを認めつつも、それでもパウロが書いたものであり、人間である以上著作の内容やスタイルにばらつきは起こりうるという立場を取る学者たちもいる。パウロであることを明確に否定する根拠はない。その点から、パウロが弟子テモテを介して送った手紙とも解釈される。 テサロニケの信徒への手紙二 高等批評では、パウロの仲間か弟子がパウロの死後に書いたとみなされる。 第二テサロニケ書には、第一テサロニケ書とほぼ一致する表現や文章がいくつも登場している。第1章1節が一言を除いて同じことがしばしば指摘されている。先に書かれた第一テニサロケ書は真筆性が非常に高いことからも、第二テニサロケはそれを真似ている可能性が高い。また、第二テサロニケ書は、第一テサロニケ書に比べると、パウロが受け手に対して示す親密な度合いが弱まっているということがしばしば指摘されている。 また、擬似パウロ書簡と見なしている田川建三は、擬似パウロ書簡に共通する傾向として、長文癖、類語反復、同義語好みを挙げており、実際、第1章3節から10節は(和訳では複数の文に区切られるのが普通だが)それで一文をなしている。ただし、田川も、そうした特色は他の擬似パウロ書簡に比べて、第二テサロニケ書ではかなり少ないことを認めている。 牧会書簡 テモテへの手紙位置、テモテへの手紙二、テトスへの手紙である。 高等批評では、パウロを知る人がパウロの死後に書いたとされる。 パウロの生前には、まだそれぞれの地で教会というものが大きな組織になっているはずがなく、それゆえ、この手紙のように、長老たちに向かって教会の運営のあり方などを指摘する必要性はまだ生じていない。したがって、パウロによる真筆性はほとんどないと考えられる。 テモテへの第一の手紙 本書に見られる文脈の乱れ、つながりのなさは自由主義神学の研究者たちに後世の挿入を疑わせることになる。たとえば6 20-21はシノペのマルキオンに言及しているともみえる内容であり、後代の付加と主張される。 テモテ、あなたにゆだねられているものを守り、俗悪な無駄話と、不当にも知識と呼ばれている反対論とを避けなさい。その知識を鼻にかけ、信仰の道を踏み外してしまった者もいます。恵みがあなたがたと共にあるように。 ただし、これだけでは後代の付加・挿入があったことの証明にはなれども、原文がパウロに依るものかどうかまでは判定できない。実際、西暦95-96年頃に書かれたとみられる『クレメンスの第一の手紙』には。『テモテへの第一の手紙』より引用が見られる。 テモテへの第二の手紙 この手紙は言語的、あるいは思想的に他の二つの牧会書簡(テモテ1、テトス)と異なり、まだ後期のパウロ書簡、特に獄中書簡に似ている。このことから、テモテ2は偽書だと考えられている。 テトスへの手紙 文体や思想、パウロ時代の教会組織の構造との食違い等から、近代聖書批評学の立場では2世紀初頭成立の偽作と考えられる。『第1テモテ書』に似る。
https://w.atwiki.jp/tmsy/pages/19.html
カード批評:第9版 白 Angel of Mercy / 慈悲の天使 Angelic Blessing / 天使の祝福? Aven Cloudchaser / 雲を追うエイヴン? 青 黒 赤 緑 ア行 カ行 サ行 タ行 ナ行 ハ行 マ行 ヤ行 ラ行 ワ行
https://w.atwiki.jp/tmsy/pages/23.html
カード批評:神河ブロック 白 [[]] 青 黒 赤 緑 ア行 カ行 サ行 タ行 ナ行 ハ行 マ行 ヤ行 ラ行 ワ行