約 22,310 件
https://w.atwiki.jp/vocaloidchly/pages/1408.html
作詞:山下慎一狼 作曲:新井健史 編曲:新井健史 歌:初音ミク 翻譯:yanao Es~dirty aspiration~ 若是讓絕望 在此刻填滿其中的夢 那只是衝動偽裝的未來 被殘留下的 自我問著 那走向黑暗彼端的 愛的去向 何謂真實呢 難道是原創嗎 只有迷失了的 這顆心的所在之處 褐色的傷口 連真實感也沒有 朦朧的視線中 只追求著 炫麗的光芒 摩擦著乾渴無比的咽喉 紡出的話語盡頭上 有著尚未觸及到的 明日存在嗎? 獨自徬徨 身在無限的虛構中 就連碧色的天空也不知曉 雙眼所能見到的 就算那就是一切 也彷彿馬上就要崩潰一般 若是讓絕望 在此刻填滿其中的夢 那只是衝動偽裝的未來 被殘留下的 自我問著 那走向黑暗彼端的 愛的去向 玩弄著 罪孽與過錯的世界 低下頭的我 ah— 是被梅比斯環囚禁的人 已經誰都無法阻止了嗎? 那正加速的仿造之夢 歪曲的軌道 會直到何處?被壓抑的 無意識之中 虛幻願著的確切證據 為了成就 為了睜開雙眼的我的緣故 而投入醜陋的熱情 與深切的痛苦 在被封閉起的 孤獨的迷途中 就連抽噎哭泣的你我也看不見 重要之事的 那份意義也已潰爛 在虛假中逐漸污穢 這份現實到底是不是真的呢 緊抓著的只有我一人 要是不知道的話那就突破吧 將感情都解放 若是讓絕望 在此刻填滿其中的夢 那只是衝動偽裝的未來 被殘留下的 自我問著 那走向黑暗彼端的 愛的去向
https://w.atwiki.jp/vocaloidchly/pages/4290.html
作詞:いろなP 作曲:いろなP 編曲:いろなP 歌:初音ミク 翻譯:MIU Painful World 在令人心痛而又美麗的 這個世界中 說些什麼吧 每當看著這晴朗到令人可恨的天空 就想將這個自暴自棄的我撕碎丟棄 「自作自受啊」 裝作說著正論的樣子 列舉出一條條無聊的辯解 「喜歡」這個詞 就如利刃一般 連揮舞著它的我 都變得討厭起來 受過的傷的數量 即使數著看看 也只是顯得愚蠢 沒有什麼值得驕傲 從快要倒塌的崇高理想中逃離 忽略過的 許多束光在笑著 喜歡與討厭 還有正直的謊言 就用這顆心收下吧 不想從無力的我的自身 轉移開視線啊 對那消失不去的傷痕嘲笑也罷 站到最後就值得驕傲了 就在令人心痛而又美麗的 這個世界中 說些什麼吧 畏懼著現實 閉上的雙眼 畫出了什麼 那就是指引嗎 「能夠相信的 就只有自己啊」 但連嘲弄著的自己都無法相信著 許願著疼痛的悲傷消失的話就好了的話 那活著這件事都就會被忘記了吧 一定沒錯 看不見的路 與看見的景色 都烙印在這顆心中 逐漸變化的未來圖景 即使現在映現不出 飛不上天空 不需要翅膀 用受傷的手去繼續畫著吧 為將令人心痛而又美麗的 這個世界深愛著 (遠去的理想 天空的高度) (總令人有些莫名懷念) 我要去尋找我的新地圖啊 喜歡與討厭 還有正直的謊言 就用這顆心收下吧 無力的我從這裏 開始描畫出未來 對那消失不去的傷痕嘲笑也罷 在不曾消失的夢中遇見時 在令人心痛而又美麗的 這個世界中說些什麼吧 將未來 繼續畫出
https://w.atwiki.jp/vocaloidchly/pages/6635.html
作詞:PolyphonicBranch 作曲:PolyphonicBranch 編曲:PolyphonicBranch 歌:初音ミク 翻譯:kyroslee 黎明wonder resist 無力的抵抗 奄奄一息地 對大人們的反抗 其實全部 都是說謊的呢 我們愧疚垂首 蹲坐原地感情被子彈擊中 故而淌血的友情 想要被愛 乞求不存在之物 該怎麼辦才好呢 告訴我好嗎? 一起 奔跑 跌倒 秘密 有好好保守了吧 那時候令我們感到恐懼的事物什麼的 並不存在 若然我倆的羈絆不過是謊言的話 若然全部都是被神明的胡言亂語決定好的話 不論何時 亦要聲嘶力竭地呼喊 反抗着 緊握手中的事物 孤獨的wonder resist 掃蕩作戰game over 被踐踏的自尊心 在夢中所見的土壤中萌芽 那是誰亦無法觸碰的 只要投降了你就如願了 滿足了吧 被投出的石子 失去目的打中了誰呢? 被鎖鏈纏繞而被侵略了的未來 夜裏哀嘆着無能為力的淚水逐漸乾涸 永遠亦做着夢 這也是無可奈何的呢 反抗着 眼見的事物 無名的wonder resist 閉塞的世界殘酷的世界(小孩子的世界大人的世界) 吶,請回答我 若然想要毀滅世界的話 那就給予流淌的淚珠生命吧 悲嘆着無能為力 燃起回憶 將我倆拆散的是誰呢 即使怎樣轉移視絲 但若然只得一個的話那時候的秘密 就依然作為秘密閃耀 我們的wonder resist
https://w.atwiki.jp/vocaloidchly/pages/1472.html
作詞:はんにゃG 作曲:はんにゃG 編曲:はんにゃG 歌:初音ミク 翻譯:yanao(完全是電波作祟) 上海飴色光響曲 這裡是圓頂25-25 糖果店「極彩」 有何貴幹呀? 應徵打工的話請容我拒絕! 哎呀,是客人嗎? 「想知道受歡迎的秘密」? 還真是不錯的問題呢 不過果然還是請容我拒絕! 那個呀當然還是歷經過各式各樣的辛苦 但是跟那邊的糖果店累的方向可不一樣喔,懂嗎? 謎正因為是謎才會閃亮光鮮又美麗 一切皆憑機緣品味以及小小的運氣 好吃!好吃! 美味的CANDY♥ 讓心也溶化的 魅惑的水晶 好吃!好吃! 多彩的CANDY♥ 哭著的小孩也想要的 閃亮亮玻璃藝品 好吃!好吃! 奇妙的CANDY♥ 要是放進嘴裡就已是俘虜 好吃!好吃! 可愛的CANDY♥ 糖呀就算吃了也不會被吞下的 這裡是圓頂25-25 糖果店「極彩」 有何貴幹呀? 應徵打工的話請容我拒絕! 還來啊,客人你還真難纏… 「我想知道妳的祕密」? 這難道是打算追我嗎? 還早了四千年囉! 那個呀當然也是有很可愛的戀愛 不過跟那邊的女人的理由可不一樣喔,懂嗎? 謎正因為是謎才會閃亮鮮艷又美麗 一切皆憑機緣品味以及小小的運氣 城裡的小糖果店為何能到這等地步呢 就特別告訴你那個秘密吧! 好吃!好吃! 美味的CANDY♥ 連呼吸也溢出的 魔法的寶珠 好吃!好吃! 五彩的CANDY♥ 連人也發狂的 邪惡的玉琉璃 好吃!好吃! 奇妙的CANDY♥ 要是放進嘴裡就已是俘虜 好吃!好吃! 可愛的CANDY♥ 糖呀就算吃了也不會被吞下的 好吃!好吃! 美味的CANDY♥ 讓心也溶化的 魅惑的水晶 好吃!好吃! 多彩的CANDY♥ 哭著的小孩也想要的 閃亮亮玻璃藝品 好吃!好吃! 奇妙的CANDY 要是放進嘴裡就已是俘虜 好吃!好吃! 極彩之城如繁花一般燃燒起舞 自天空中 落下降雨 今宵 就在此刻開宴吧 沒錯在黑暗中 好吃!好吃! 美味的CANDY♥ 連呼吸也溢出的 魔法的寶珠 好吃!好吃! 多彩的CANDY♥ 連人也發狂的 邪惡的玉琉璃 好吃!好吃! 奇妙的CANDY♥ 要是放進嘴裡就已是俘虜 好吃!好吃! 可愛的CANDY♥ 糖呀就算吃了也不會被吞下的 好吃!好吃! 美味的CANDY♥ 讓心也溶化的 魅惑的水晶 好吃!好吃! 多彩的CANDY♥ 哭著的小孩也想要的 閃亮亮玻璃藝品 好吃!好吃! 奇妙的CANDY 要是放進嘴裡就已是俘虜 好吃!好吃! 極彩之城如繁花一般燃燒起舞
https://w.atwiki.jp/redstriker/pages/24.html
●「六芒星(Hexagram)」は、正三角形(△)と逆三角形(▽)を組み合わせた図形で、上向きの三角形は「能動的原理」を表し、下向きの三角形は「受動的原理」を表わします。 それは、陰と陽、光と闇、プラスとマイナス、上昇と下降、柔と剛、火と水、創造と破壊、拡張と収縮、右回転と左回転、顕在意識と潜在意識、男性性と女性性…、といった相対するエネルギーの象徴であり、 この2つの三角形(△と▽)が合体した「六芒星」は、「相対するエネルギーの調和」という意味合いを明確に表現しています。
https://w.atwiki.jp/vocaloidchly/pages/8021.html
作曲:ねじ式 作詞:ねじ式 繪圖&MV製作:ちょま VOCALOID調聲:ねじ式&ナナミル 歌:鏡音リン 翻譯:えこ (翻譯已經過原作者同意,並有跟原作者確認歌詞解釋,有錯歡迎指正) 散漫地活下去 包覆著內心繃帶的白色 就像是相似卻又有點不同的我們 朝向冬季星座談論的種種夢想 富含著繽紛的色彩一定會實現 過得太過舒服 不知何時起收集太多的寶物 多到弄髒的雙手無法全部抱起 此刻已看不見的光芒 或是無法施展的魔法 能不能偶爾像這樣懷舊 或是呼喊名字呢? 到底什麼是正解和錯誤 肯定沒人會知道答案呀 所以我所愛的人啊 請你散漫的活下去 圍在脖子上的圍巾與白色吐息 以○×決定優劣的惡夢也將結束 挑選顏色描繪的未來 無法選擇的痛楚也會等待著我啊 回頭一看你笑了 以稍微像個大人的臉 而我知道我們再也不能見面了 此刻已說不出的話語 和已經不能用的手機 能不能與天真爛漫的相片一起 收起來呢? 在失眠的夜裡會回想起呢 不過到早晨一定會忘記喔 所以我所愛的人啊 請你散漫的活下去 電車的鈴聲在一旁劃破空氣 愚蠢的我 知曉了充足的孤獨感 深愛過你活著的世界 明明只是那樣就能滿足我的全部了 此刻已看不見的光芒 或是無法施展的魔法 能不能偶爾像這樣懷舊 或是呼喊名字呢? 到底什麼是正解和錯誤 肯定沒人會知道答案呀 所以我所愛的人啊 請你散漫的活下去 請你散漫的活下去
https://w.atwiki.jp/vocaloidchly/pages/4670.html
作詞:こゆき 作曲:夏空P 編曲:夏空P 歌:神威がくぽ 翻譯:yanao 基於相互尊重,請取用翻譯者不要改動我的翻譯,感謝 Monolith World 醒來吧我心愛的人 捧起寒冷的臉頰 對墓碑獻上一吻 Get down! 在刺人的罵聲中靈前的花朵四散 是的 虛假事物的一切 黑色框中 妳的笑容 Deep sorrow 在悲傷盡頭 注至沙上的蓋亞之慈悲 滋潤了龜裂的傷痕 在不可視的軌道 與無法遵守的規則上 看得見糾纏的魔物們 任著迸出的苦澀飛沫灑在身上 oh kiss me 希望能拯救妳 醒來吧我心愛的人 捧起寒冷的臉頰 對墓碑獻上一吻 Get down! 將晴朗天空弄得汙濁的 黑鳥成群 是的 虛假的事物正啃食著 我的痛哭 無話 可說 Deep sorrow 在哀嘆時 飄落而下的蓋亞之慈悲 治癒了悲傷欲裂的心臟 因不可視的療癒 與不可遵守的草莎紙 而沉迷的愚人身影 任著迸出的苦澀飛沫沐浴全身 oh kiss me 希望能拯救妳 在絕望封閉視野 而被侵蝕之前 破壞這夜晚的死亡吧 Get up! 表與裡的秘密 將唯一變化為無限吧 改革的平行展開 世界是 屬於 妳的 醒來吧我心愛的人 捧起寒冷的臉頰 就此揭開救濟之幕 任著迸出的苦澀飛沫灑在身上 oh kiss me 希望能拯救妳 醒來的心愛之人 對已死去的 我的墓碑獻上一吻 敞開在天空的磁力龜裂 而被吸入的反烏托邦 墓碑就此解放 Get down! 世界是 屬於 妳的 由於夏空P現已停止了關於Vocaloid的活動 這則影片是由作詞者こゆき代為上傳的
https://w.atwiki.jp/sakura394/pages/700.html
概説 前史 方法論論理実証主義 批判と補足 概説 現象主義(英 Phenomenalism)とは、われわれの認識の対象は〈現象〉の範囲に限られるとし、現象外部の存在については不可知である、とする哲学上の方法論である。現象論ともいう。実在論と対極の思考法である。経験主義的な方法を徹底したものであり、英国経験論を代表するジョージ・バークリーに始まり、デイヴィッド・ヒュームにおいてひとつの哲学的立場として完成した。実在論が意識から超越した実在を認めるのに対し、現象主義は意識内在主義の立場を取り、世界および自我を「知覚現象の束」として説明する。近代における代表的な論者はエルンスト・マッハであり、マッハの思想はアインシュタインなどの科学者や、フッサールやウィーン学団の哲学者、論理実証主義者たちに影響を与えた。日本では大森荘蔵が現象主義の方法論を透徹し、〈立ち現われ一元論〉を主張した。 現象主義は、論理実証主義に代表される還元主義的な現象主義と、大森荘蔵に代表される非還元主義的な現象主義に大別される。還元主義的な立場では「感覚与件」という現象の「原子」のような存在を措定し、それらの組み合わせで知覚・観念・思惟など、全ての現象が構成されていると考える。対して非還元主義的立場では、それぞれの現象は他の何ものにも還元できない全一的な存在だと考える。 現象主義はしばしば観念論と同一視される。事実ジョージ・バークリーは現象主義者であり、観念論者でもあった。両者の違いは、現象主義とはあくまで哲学的思考の方法論であり、観念論とはその方法から出発して形而上学的な判断を行うものだということである。 現象学(英 Phenomenology)とは、基本的には現象主義を出発点として、人間の認識と思考作用の構造を考究する学であるが、学者によってその意味と内容は大いに異なっている。なお独我論とは、現象主義を出発点として、人間は〈現象〉外部の存在を知り得ない、とする認識論的立場をいうが、やはり学者によってその意味と内容は大いに異なっている。 前史 歴史的にはプラトンのイデア論に対するアリストテレスの批判から始まる。アリストテレスは、「初めに感覚の内になかったものは知性の内にない」という認識論の根本原則を主張し、これが現在にまで至る経験主義の基礎となる。中世の普遍論争においては、14世紀イギリスのスコラ学者オッカムによって、アリストテレスを経験主義の立場から解釈した唯名論が強く主張された。オッカムは人間活動の全般を〈習慣〉概念によって経験的に説明しようと試み、オッカムの剃刀によって形相のような形而上学的存在者を否定した。このオッカムの思想は近代の英国経験論、現代における道具主義、プラグマティズム、実証主義、論理実証主義といったさまざまな経験主義的理論への道を開いた。 近代の哲学者ルネ・デカルトは、方法的懐疑によって、絶対に疑えない精神(現象)の存在を出発点とし、身体・世界・神など、あらゆる存在の証明を試みた。このデカルトの方法はニコラ・ド・マルブランシェに引き継がれる。マルブランシェは、デカルトにおける精神と物質の峻別が、物質世界の認識不可能性を導いているとし、物質世界の実在性を否定できると考えた。このマルブランシェの懐疑主義は英国経験論のジョージ・バークリーに大きな影響を与えることになる。 英国経験論においては、感覚はあらゆる認識の究極の源泉として尊重され、その思想は前述のアリストテレスの原則に基づいている。ジョン・ロックは、われわれの心は白紙(タブラ・ラサ tabula rasa)のようなものであり、そこに感覚および内省の作用によってさまざまな観念が生じるとした。ジョージ・バークリーはロックとマルブランシェの思想を継承してラディカルに発展させ、「存在することは知覚されることである(ラテン語“Esse est percipi”エッセ・エスト・ペルキピ、英語“To be is to be perceived”)と主張した。これが現象主義の始まりである。デイヴィッド・ヒュームはバークリーの現象主義をさらに推し進め、自我さえも知覚の束であり、また因果関係さえも人間の習慣に依拠して規定されると考えた。そして19世紀の後半にはオーストリアのエルンスト・マッハが、経験主義的な認識論にオーギュスト・コントの実証主義を取り入れた〈感性的要素一元論〉を主張し、そしてその世界観を基に〈現象学的物理主義〉と呼ぶ自然科学の方法論を提唱した。 このような近代の経験主義の背景には、ガリレオやデカルトによってなされた科学革命に対する反動がある。アリストテレスの自然学においては、感覚や形相といったものもその範疇に含めていたが、近代の科学革命においては、感覚に与えられた対象の中で数学的に記述しうるもののみが着目され、運動における位置変化のみが記述される。ガリレオやデカルトにおいては、科学の対象とはわれわれの知覚する現象全体でなく、それらから切断された一面に過ぎなかったのである。 また現象主義は、唯物論の知覚理論に対する批判として広く受け入れられたという面もある。唯物論の知覚理論は知覚因果説であり、これは「カメラ・モデル」や「写し」と批判される。つまり人間の眼をカメラのレンズにたとえて、その眼が客観的事物の情報を受け取り、脳がその情報を処理する過程で知覚が生じるとするもので、知覚は客観的事物の「写し」というわけである。この知覚理論では、たとえば私がリンゴを見る場合、「実在のリンゴ」と「知覚像のリンゴ」という二つのものを認めており、二世界論ともいえる。しかし実在に対する主張は「物自体は認識できない」という、カントによって論証された人間の認識能力の限界を超えた形而上学的な主張を行っており、また後のデイヴィッド・チャーマーズが意識のハードプロブレムとして提起したような、解決困難な心身の相互作用の問題を生じさせるものである。しかし現象主義の立場を取る限り、相互作用、心的因果、随伴現象説などの問題は生じないのである。 方法論 マッハは伝統的な物心二元論を排し、感覚要素が世界を構成する究極の単位であると考えた。そして科学的認識からいっさいの形而上学的要素を排除しようとし、実体間の力の授受の関係を予想する原因・結果の概念――因果関係や、精神や物質という概念、つまり心的・物的の区別さえも排除し、ただ一つ経験に与えられる基本的事実である〈感覚要素〉の、その相互間の法則的連関の記述だけが科学的認識の目的であるべきだとした(現象学的物理主義)。 マッハの思想はウィーン学団によって論理実証主義として展開され、〈感覚与件理論〉として英米圏の哲学に浸透した。感覚与件(sense‐datum)の語はアメリカの哲学者 J. ロイスに由来し、いっさいの解釈や判断を排した瞬時的な直接経験を意味する。そのテーゼは「事物に関する命題はすべて感覚与件に関する命題に還元可能である」と要約され、このテーゼを忠実に展開したのがカルナップの『世界の論理的構築』である。ほかに G. E. ムーア、バートランド・ラッセル、分析哲学の流れに属する哲学者たちがこの〈言語的現象主義〉の立場を代表する。 日本では大森荘蔵が分析哲学の影響を受け、論理実証主義の還元主義的な感覚与件論は否定したものの、〈立ち現れ一元論〉を主張して現象主義の一つの到達点を示した。大森の考えでは個別の心的現象はすべて〈立ち現れ〉であり、唯物論や二元論が心的現象をもたらす原因とする物質的実在の存在については、語ることは無意味であるとする。また〈立ち現れ〉は感覚与件論のように原子的な要素に還元できず、全一的な存在だとした。 現れる意識現象そのものが世界であるとする現象主義の立場では、認識主観や認識主体というものを否定する。つまり人格の同一性問題において、「自己」や「自我」が通時的に人格の同一性を成り立たせているという考えを否定する。現象主義では、デカルトのコギトを単なる〈意識内容(コギタティオ)〉の告知とみなし、「I think, therefore I am」ではなく、「It thinks within me (ラッセル)」と言い換えようとする傾向がある。 論理実証主義 論理実証主義の思想は、現象主義の代表的な人物であるマッハの科学的世界観、感性的要素一元論と呼ばれる現代経験主義に基づいて起こった初期の科学哲学である。またラッセルとウィトゲンシュタインの論理哲学にも強く影響され、特にウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』は論理実証主義者にとって聖書のような扱いを受けており、「世界は事実の総体であり、ものの総体ではない」(「ものの総体」とは「物自体の総体」と解釈された)、また「語りえぬものには沈黙しなければならない」というウィトゲンシュタインの哲学は、人間が直接経験できない形而上学的なものについて語ることはナンセンスであるとする経験主義の立場を端的に表現している。 論理実証主義は、初期には感覚与件理論を採用し、「物理的事物は感覚与件からの論理的構成物である」と定義した。われわれが世界についてもつ知識は、科学的知識も含めて、究極的には全て知覚経験に還元されるというものである。この立場では、たとえば「茶色の机の上に青い本がある」という場合でも、「机」や「本」という語は一種の判断であるとし、ただ「茶色の広がりの上に青い小さな広がりがある」という、より根源的な知覚経験に還元する。この場合、「茶色」や「青い小さな広がり」とは懐疑可能な判断ではなく、懐疑するのが無意味な感覚与件であるとされる。つまり感覚与件論の目的は確実な知識と懐疑可能な知識を選別することである。なお直接に知覚できないニュートリノやクォーク、また法則や仮説などの理論は、「対応規則を通じて理論文は経験可能な観察文に翻訳できる(言語的還元)」として、科学は決して経験から乖離しないとする。 論理実証主義の思想内容はおよそ以下のようなものである。 (1)科学的世界把握 ウィーン学団の最初のテーゼは〈統一科学(Einheitswissenschaft)〉であった。過去の多くの形而上学的世界観とは異なる経験主義的・科学的世界把握を行おうとするものである。そのために、諸学を共通に基礎づけるものとして個人の経験のみを認めるという徹底的経験論を目ざした。 (2)物理主義へ 論理実証主義は初期、マッハとラッセルの強い影響の下に、現象主義の立場をとった。この視点はカルナップの初期の著作『世界の論理的構成』などに明瞭に現れている。しかし、この立場に立つかぎり、科学的真理の根拠は究極において私的なものとなることを不満として、オットー・ノイラートは科学の命題を検証しうるものは〈報告命題〉であり、そしてそれは、感覚言語ではなく、物言語(人名、物の名、場所、時刻など)によって構成されるべきであるという主張を展開し、その後の論理実証主義者の見解は、概してこれに傾いた。この新しい立場は〈物理主義(physicalism)〉と呼ばれる。 (3)論理主義 当時新しく構成された記号論理学を重視し、その発展に貢献した。さらにラッセル、ウィトゲンシュタインの影響の下に、〈論理的原子論(logical atomism)〉に近い立場をとり、現実の世界の構造が論理的であると考えた。しかし、やがて、数学の分野で広まった公理主義に接近し、数学のみならず、物理学をも含む広範な分野で公理主義的な規約主義へと移行した。 (4)形而上学の否定 論理実証主義は、形而上学を無意味な命題を論じているものとして否定した。そして命題の有意味性に対する厳しい規準を立てた。それは「命題の意味とはその検証の方法である」というものであり、これは〈検証原理〉と呼ばれる。しかしこの方法によると、形而上学の命題のみならず、多くの哲学的命題や倫理学的命題などが無意味となり、哲学問題の多くは擬似問題として退けられることになった。またこの規準によるならば、その規準を述べる当の命題そのものが無意味となるというような撞着を含むことが問題となり、この規準はしだいに緩められ、伝統的な哲学問題の多くは復活することになる。 現代においては論理実証主義そのものは衰退し、論理実証主義への反発として発展した科学的実在論や物理主義が、科学哲学上の主流といえる考え方になっている。しかし論理実証主義の議論を通じて行われた言語の論理的分析の手法は現代にも継承され、記号論理学その他の分析哲学各分野において、必須の方法として定着することになった。 クワインは、認識論的ホーリズムを提唱し、論理実証主義の要素主義的な感覚与件論を批判した(デュエム-クワイン・テーゼ)。また理論文と観察文の翻訳の不確定性も指摘しており、クワインの批判によって論理実証主義は衰退したとも評される。 批判と補足 現象主義はマッハを現代の起点として19世紀後半から20世紀前半の哲学者たちに大きな影響を与えた。しかしドイツにゲシュタルト心理学が興り、W.ブントに代表される要素主義を批判して、われわれの経験は要素的感覚の総和には還元できない有機的全体構造をもつことを明らかにした。モーリス・メルロー=ポンティはゲシュタルト心理学を基礎に知覚の現象学的分析を行い、要素的経験ではなく、一まとまりの意味を担った知覚こそがわれわれの経験の最も基本的な単位であることを提唱し、要素主義や連合主義を退けた。フッサールがマッハに対し、志向性の観点が欠けていると批判したのも類似の観点からである。また後期のウィトゲンシュタインは、言語分析を通じて視覚経験の中にある「~として見る(seeing as)」という解釈的契機を重視し、視覚経験を要素的感覚のモザイクとして説明する感覚与件理論を批判した。このように20世紀なかばの哲学においては、純粋な感覚なるものは分析の都合上抽象された仮説的存在にすぎないとし、意味をもった知覚こそがわれわれの〈経験〉であるとする考えが有力になった。また科学哲学の観点からは、物理的事物に関する命題が有限個の感覚与件命題には分析し尽くせないことなどが指摘されている。 ただし人間の心理は基本的な要素に還元できないとするゲシュタルト心理学は、マッハが著書『感覚の分析』において、音楽のメロディや、いわゆる〈反転図形〉にゲシュタルト質があることを指摘し、その着想に示唆されたエーレンフェルトから始まったものである。つまり現象主義といっても多様であり、批判者がイメージするような原子論的要素主義者ばかりではない。 なお唯物論を擁護するマルクス主義の立場からは、レーニンが『唯物論と経験批判論』において、マッハの現象主義を「バークリーの焼き直しの主観的観念論である」と厳しく批判している。このようなレーニンの批判は、現象主義が個人的経験を基にしているゆえ相対主義を含意しており、ヘーゲル的な世界の共通認識を前提としたマルクスとエンゲルスの弁証法的唯物論と相容れない思想であること、そしてマッハの思想がロシアのマルクス主義者たちにも浸透し、マッハとマルクスの思想を調和させようとしたボグダーノフなどが現われため、マルクス主義の分裂を危惧したことが理由だと考えられる。 マッハは現象主義の立場から原子の存在を否定し、ボルツマンと対立したが、後に原子の存在が確かめられ、原子物理学の発展によって現象主義は衰退することになった。 大森荘蔵は論理実証主義の感覚与件論は否定するが、〈立ち現われ一元論〉と〈重ね描き〉のアイデアによって、直接に知覚できない原子やクォーク、また法則や仮説などの理論を、「語り存在」として解釈して、現象主義的な方法を透徹した。つまりクォークなどの知覚できない理論的存在は、それを「語る」こと、つまり日常言語と繋がる科学用語で描写されることによって、存在の意味が見出されると考えた。 現代の心の哲学においては、持続的で志向的な意識と、要素的で必ずしも志向性を持つわけではないクオリアを区分するのが一般的である。そしてデイヴィッド・チャーマーズなどは汎心論的な立場から要素主義的な原意識の可能性を想定している。これらは初期の現象主義と類似点が多い。チャーマーズが原意識などを想定するのには相応の理由があり、それは意識現象の「由来」、つまり心的現象というものがどのように生成しているのかという、意識のハードプロブレムの核心問題が物理主義では説明困難だからである。従ってチャーマーズは、クオリアという心的性質を非物理的な何かに還元しようと考えたのである。また要素的な感覚を否定し、対象化されて意味をもった感覚こそが「経験」であるとするホーリズム的な立場では、動物の心の問題においてアポリアが生じるかもしれない。猫などの哺乳類は感覚を対象化できるかもしれない。しかしヘビなどの爬虫類、またバッタなどの昆虫、さらに微生物ならどうだろう。もしヘビに感覚を対象化する能力がないとしたら、ホーリズム的な立場では、ヘビが怪我をしてもがいていても、「ヘビは何も感じていない」と主張しているに等しいことになる。現代の心の哲学では、動物にも何らかの心やクオリアがあると仮定するのが一般的である。 なお、現代の科学哲学における実在論論争においては、経験主義的な傾向の哲学者は科学的実在論に対する批判として、現象主義を前提にした主張を行っている。(詳細は非実在論を参照のこと) 現象主義の最大の難点は、知覚因果説を否定するため、神経科学や物理学の成果を説明するのに困難があるという点である。そもそも知覚因果説は19世紀後半からの生物学や神経科学の発展を受けて主張されたもであり、自然科学との相性は良い。感覚器官や脳に損傷があれば知覚に傷害が生じることから、神経および脳と知覚との因果関係は明白だと思われる。従って人の感覚器官が外界の対象からの情報を受け取り、その情報が神経細胞を伝って脳に至り、脳が知覚を「生み出す」という、唯物論の知覚因果説は知覚の由来についての説明にある程度成功しているよう思われる。ただし「生み出す」という最後の点については大きな不合理があり、それが意識のハードプロブレムが主張される理由である。なお現象主義の立場から神経科学や物理学の成果を説明しようとした試みが、大森荘蔵の重ね描きである。 参考文献・論文 大森荘蔵『言語・知覚・世界』岩波書店 1971年 大森荘蔵『物と心』東京大学出版会 1976年 大森荘蔵『時間と存在』青土社 1994年 金子洋之『ダメットにたどりつくまで』勁草書房 2006年 木田元『マッハとニーチェ 世紀転換期思想史』新書館 2002年 小林道夫『科学哲学』産業図書 1996年 小林道夫『科学の世界と心の哲学』中公新書 2009年 種村完司『知覚のリアリズム』勁草書房 1994年 丹治信春『クワイン―ホーリズムの哲学』平凡社ライブラリー 2009年 戸田山和久『科学哲学の冒険』NHKブックス 2005年 神崎繁、熊野純彦、鈴木泉 編集『西洋哲学史4』講談社 2012年 ジョージ・バークリー『人知原理論』大槻春彦 訳 岩波書店 1958年 田村均「現象主義の検討」 http //repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/24461/1/0907.pdf 片桐 茂博「現象主義と主観性」 http //ci.nii.ac.jp/naid/110000486933 参考サイト http //ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%8C%E9%A8%93%E8%AB%96 http //kamiya0296.blog.so-net.ne.jp/2009-02-09 http //kamiya0296.blog.so-net.ne.jp/2009-02-09-1 http //kamiya0296.blog.so-net.ne.jp/2009-02-09-2
https://w.atwiki.jp/p_mind/pages/124.html
概説 前史 方法論論理実証主義 批判と補足 概説 現象主義(英 Phenomenalism)とは、われわれの認識の対象は〈現象〉の範囲に限られるとし、現象外部の存在については不可知である、とする哲学上の方法論である。現象論ともいう。実在論と対極の思考法である。経験主義的な方法を徹底したものであり、英国経験論を代表するジョージ・バークリーに始まり、デイヴィッド・ヒュームにおいてひとつの哲学的立場として完成した。実在論が意識から超越した実在を認めるのに対し、現象主義は意識内在主義の立場を取り、世界および自我を「知覚現象の束」として説明する。近代における代表的な論者はエルンスト・マッハであり、マッハの思想はアインシュタインなどの科学者や、フッサールやウィーン学団の哲学者、論理実証主義者たちに影響を与えた。日本では大森荘蔵が現象主義の方法論を透徹し、〈立ち現われ一元論〉を主張した。 現象主義は、論理実証主義に代表される還元主義的な現象主義と、大森荘蔵に代表される非還元主義的な現象主義に大別される。還元主義的な立場では「感覚与件」という現象の「原子」のような存在を措定し、それらの組み合わせで知覚・観念・思惟など、全ての現象が構成されていると考える。対して非還元主義的立場では、それぞれの現象は他の何ものにも還元できない全一的な存在だと考える。 現象主義はしばしば観念論と同一視される。事実ジョージ・バークリーは現象主義者であり、観念論者でもあった。両者の違いは、現象主義とはあくまで哲学的思考の方法論であり、観念論とはその方法から出発して形而上学的な判断を行うものだということである。 現象学(英 Phenomenology)とは、基本的には現象主義を出発点として、人間の認識と思考作用の構造を考究する学であるが、学者によってその意味と内容は大いに異なっている。なお独我論とは、現象主義を出発点として、人間は〈現象〉外部の存在を知り得ない、とする認識論的立場をいうが、やはり学者によってその意味と内容は大いに異なっている。 前史 歴史的にはプラトンのイデア論に対するアリストテレスの批判から始まる。アリストテレスは、「初めに感覚の内になかったものは知性の内にない」という認識論の根本原則を主張し、これが現在にまで至る経験主義の基礎となる。中世の普遍論争においては、14世紀イギリスのスコラ学者オッカムによって、アリストテレスを経験主義の立場から解釈した唯名論が強く主張された。オッカムは人間活動の全般を〈習慣〉概念によって経験的に説明しようと試み、オッカムの剃刀によって形相のような形而上学的存在者を否定した。このオッカムの思想は近代の英国経験論、現代における道具主義、プラグマティズム、実証主義、論理実証主義といったさまざまな経験主義的理論への道を開いた。 近代の哲学者ルネ・デカルトは、方法的懐疑によって、絶対に疑えない精神(現象)の存在を出発点とし、身体・世界・神など、あらゆる存在の証明を試みた。このデカルトの方法はニコラ・ド・マルブランシェに引き継がれる。マルブランシェは、デカルトにおける精神と物質の峻別が、物質世界の認識不可能性を導いているとし、物質世界の実在性を否定できると考えた。このマルブランシェの懐疑主義は英国経験論のジョージ・バークリーに大きな影響を与えることになる。 英国経験論においては、感覚はあらゆる認識の究極の源泉として尊重され、その思想は前述のアリストテレスの原則に基づいている。ジョン・ロックは、われわれの心は白紙(タブラ・ラサ tabula rasa)のようなものであり、そこに感覚および内省の作用によってさまざまな観念が生じるとした。ジョージ・バークリーはロックとマルブランシェの思想を継承してラディカルに発展させ、「存在することは知覚されることである(ラテン語“Esse est percipi”エッセ・エスト・ペルキピ、英語“To be is to be perceived”)と主張した。これが現象主義の始まりである。デイヴィッド・ヒュームはバークリーの現象主義をさらに推し進め、自我さえも知覚の束であり、また因果関係さえも人間の習慣に依拠して規定されると考えた。そして19世紀の後半にはオーストリアのエルンスト・マッハが、経験主義的な認識論にオーギュスト・コントの実証主義を取り入れた〈感性的要素一元論〉を主張し、そしてその世界観を基に〈現象学的物理主義〉と呼ぶ自然科学の方法論を提唱した。 このような近代の経験主義の背景には、ガリレオやデカルトによってなされた科学革命に対する反動がある。アリストテレスの自然学においては、感覚や形相といったものもその範疇に含めていたが、近代の科学革命においては、感覚に与えられた対象の中で数学的に記述しうるもののみが着目され、運動における位置変化のみが記述される。ガリレオやデカルトにおいては、科学の対象とはわれわれの知覚する現象全体でなく、それらから切断された一面に過ぎなかったのである。 また現象主義は、唯物論の知覚理論に対する批判として広く受け入れられたという面もある。唯物論の知覚理論は知覚因果説であり、これは「カメラ・モデル」や「写し」と批判される。つまり人間の眼をカメラのレンズにたとえて、その眼が客観的事物の情報を受け取り、脳がその情報を処理する過程で知覚が生じるとするもので、知覚は客観的事物の「写し」というわけである。この知覚理論では、たとえば私がリンゴを見る場合、「実在のリンゴ」と「知覚像のリンゴ」という二つのものを認めており、二世界論ともいえる。しかし実在に対する主張は「物自体は認識できない」という、カントによって論証された人間の認識能力の限界を超えた形而上学的な主張を行っており、また後のデイヴィッド・チャーマーズが意識のハードプロブレムとして提起したような、解決困難な心身の相互作用の問題を生じさせるものである。しかし現象主義の立場を取る限り、相互作用、心的因果、随伴現象説などの問題は生じないのである。 方法論 マッハは伝統的な物心二元論を排し、感覚要素が世界を構成する究極の単位であると考えた。そして科学的認識からいっさいの形而上学的要素を排除しようとし、実体間の力の授受の関係を予想する原因・結果の概念――因果関係や、精神や物質という概念、つまり心的・物的の区別さえも排除し、ただ一つ経験に与えられる基本的事実である〈感覚要素〉の、その相互間の法則的連関の記述だけが科学的認識の目的であるべきだとした(現象学的物理主義)。 マッハの思想はウィーン学団によって論理実証主義として展開され、〈感覚与件理論〉として英米圏の哲学に浸透した。感覚与件(sense‐datum)の語はアメリカの哲学者 J. ロイスに由来し、いっさいの解釈や判断を排した瞬時的な直接経験を意味する。そのテーゼは「事物に関する命題はすべて感覚与件に関する命題に還元可能である」と要約され、このテーゼを忠実に展開したのがカルナップの『世界の論理的構築』である。ほかに G. E. ムーア、バートランド・ラッセル、分析哲学の流れに属する哲学者たちがこの〈言語的現象主義〉の立場を代表する。 日本では大森荘蔵が分析哲学の影響を受け、論理実証主義の還元主義的な感覚与件論は否定したものの、〈立ち現れ一元論〉を主張して現象主義の一つの到達点を示した。大森の考えでは個別の心的現象はすべて〈立ち現れ〉であり、唯物論や二元論が心的現象をもたらす原因とする物質的実在の存在については、語ることは無意味であるとする。また〈立ち現れ〉は感覚与件論のように原子的な要素に還元できず、全一的な存在だとした。 現れる意識現象そのものが世界であるとする現象主義の立場では、認識主観や認識主体というものを否定する。つまり人格の同一性問題において、「自己」や「自我」が通時的に人格の同一性を成り立たせているという考えを否定する。現象主義では、デカルトのコギトを単なる〈意識内容(コギタティオ)〉の告知とみなし、「I think, therefore I am」ではなく、「It thinks within me (ラッセル)」と言い換えようとする傾向がある。 論理実証主義 論理実証主義の思想は、現象主義の代表的な人物であるマッハの科学的世界観、感性的要素一元論と呼ばれる現代経験主義に基づいて起こった初期の科学哲学である。またラッセルとウィトゲンシュタインの論理哲学にも強く影響され、特にウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』は論理実証主義者にとって聖書のような扱いを受けており、「世界は事実の総体であり、ものの総体ではない」(「ものの総体」とは「物自体の総体」と解釈された)、また「語りえぬものには沈黙しなければならない」というウィトゲンシュタインの哲学は、人間が直接経験できない形而上学的なものについて語ることはナンセンスであるとする経験主義の立場を端的に表現している。 論理実証主義は、初期には感覚与件理論を採用し、「物理的事物は感覚与件からの論理的構成物である」と定義した。われわれが世界についてもつ知識は、科学的知識も含めて、究極的には全て知覚経験に還元されるというものである。この立場では、たとえば「茶色の机の上に青い本がある」という場合でも、「机」や「本」という語は一種の判断であるとし、ただ「茶色の広がりの上に青い小さな広がりがある」という、より根源的な知覚経験に還元する。この場合、「茶色」や「青い小さな広がり」とは懐疑可能な判断ではなく、懐疑するのが無意味な感覚与件であるとされる。つまり感覚与件論の目的は確実な知識と懐疑可能な知識を選別することである。なお直接に知覚できないニュートリノやクォーク、また法則や仮説などの理論は、「対応規則を通じて理論文は経験可能な観察文に翻訳できる(言語的還元)」として、科学は決して経験から乖離しないとする。 論理実証主義の思想内容はおよそ以下のようなものである。 (1)科学的世界把握 ウィーン学団の最初のテーゼは〈統一科学(Einheitswissenschaft)〉であった。過去の多くの形而上学的世界観とは異なる経験主義的・科学的世界把握を行おうとするものである。そのために、諸学を共通に基礎づけるものとして個人の経験のみを認めるという徹底的経験論を目ざした。 (2)物理主義へ 論理実証主義は初期、マッハとラッセルの強い影響の下に、現象主義の立場をとった。この視点はカルナップの初期の著作『世界の論理的構成』などに明瞭に現れている。しかし、この立場に立つかぎり、科学的真理の根拠は究極において私的なものとなることを不満として、オットー・ノイラートは科学の命題を検証しうるものは〈報告命題〉であり、そしてそれは、感覚言語ではなく、物言語(人名、物の名、場所、時刻など)によって構成されるべきであるという主張を展開し、その後の論理実証主義者の見解は、概してこれに傾いた。この新しい立場は〈物理主義(physicalism)〉と呼ばれる。 (3)論理主義 当時新しく構成された記号論理学を重視し、その発展に貢献した。さらにラッセル、ウィトゲンシュタインの影響の下に、〈論理的原子論(logical atomism)〉に近い立場をとり、現実の世界の構造が論理的であると考えた。しかし、やがて、数学の分野で広まった公理主義に接近し、数学のみならず、物理学をも含む広範な分野で公理主義的な規約主義へと移行した。 (4)形而上学の否定 論理実証主義は、形而上学を無意味な命題を論じているものとして否定した。そして命題の有意味性に対する厳しい規準を立てた。それは「命題の意味とはその検証の方法である」というものであり、これは〈検証原理〉と呼ばれる。しかしこの方法によると、形而上学の命題のみならず、多くの哲学的命題や倫理学的命題などが無意味となり、哲学問題の多くは擬似問題として退けられることになった。またこの規準によるならば、その規準を述べる当の命題そのものが無意味となるというような撞着を含むことが問題となり、この規準はしだいに緩められ、伝統的な哲学問題の多くは復活することになる。 現代においては論理実証主義そのものは衰退し、論理実証主義への反発として発展した科学的実在論や物理主義が、科学哲学上の主流といえる考え方になっている。しかし論理実証主義の議論を通じて行われた言語の論理的分析の手法は現代にも継承され、記号論理学その他の分析哲学各分野において、必須の方法として定着することになった。 クワインは、認識論的ホーリズムを提唱し、論理実証主義の要素主義的な感覚与件論を批判した(デュエム-クワイン・テーゼ)。また理論文と観察文の翻訳の不確定性も指摘しており、クワインの批判によって論理実証主義は衰退したとも評される。 批判と補足 現象主義はマッハを現代の起点として19世紀後半から20世紀前半の哲学者たちに大きな影響を与えた。しかしドイツにゲシュタルト心理学が興り、W.ブントに代表される要素主義を批判して、われわれの経験は要素的感覚の総和には還元できない有機的全体構造をもつことを明らかにした。モーリス・メルロー=ポンティはゲシュタルト心理学を基礎に知覚の現象学的分析を行い、要素的経験ではなく、一まとまりの意味を担った知覚こそがわれわれの経験の最も基本的な単位であることを提唱し、要素主義や連合主義を退けた。フッサールがマッハに対し、志向性の観点が欠けていると批判したのも類似の観点からである。また後期のウィトゲンシュタインは、言語分析を通じて視覚経験の中にある「~として見る(seeing as)」という解釈的契機を重視し、視覚経験を要素的感覚のモザイクとして説明する感覚与件理論を批判した。このように20世紀なかばの哲学においては、純粋な感覚なるものは分析の都合上抽象された仮説的存在にすぎないとし、意味をもった知覚こそがわれわれの〈経験〉であるとする考えが有力になった。また科学哲学の観点からは、物理的事物に関する命題が有限個の感覚与件命題には分析し尽くせないことなどが指摘されている。 ただし人間の心理は基本的な要素に還元できないとするゲシュタルト心理学は、マッハが著書『感覚の分析』において、音楽のメロディや、いわゆる〈反転図形〉にゲシュタルト質があることを指摘し、その着想に示唆されたエーレンフェルトから始まったものである。つまり現象主義といっても多様であり、批判者がイメージするような原子論的要素主義者ばかりではない。 なお唯物論を擁護するマルクス主義の立場からは、レーニンが『唯物論と経験批判論』において、マッハの現象主義を「バークリーの焼き直しの主観的観念論である」と厳しく批判している。このようなレーニンの批判は、現象主義が個人的経験を基にしているゆえ相対主義を含意しており、ヘーゲル的な世界の共通認識を前提としたマルクスとエンゲルスの弁証法的唯物論と相容れない思想であること、そしてマッハの思想がロシアのマルクス主義者たちにも浸透し、マッハとマルクスの思想を調和させようとしたボグダーノフなどが現われため、マルクス主義の分裂を危惧したことが理由だと考えられる。 マッハは現象主義の立場から原子の存在を否定し、ボルツマンと対立したが、後に原子の存在が確かめられ、原子物理学の発展によって現象主義は衰退することになった。 大森荘蔵は論理実証主義の感覚与件論は否定するが、〈立ち現われ一元論〉と〈重ね描き〉のアイデアによって、直接に知覚できない原子やクォーク、また法則や仮説などの理論を、「語り存在」として解釈して、現象主義的な方法を透徹した。つまりクォークなどの知覚できない理論的存在は、それを「語る」こと、つまり日常言語と繋がる科学用語で描写されることによって、存在の意味が見出されると考えた。 現代の心の哲学においては、持続的で志向的な意識と、要素的で必ずしも志向性を持つわけではないクオリアを区分するのが一般的である。そしてデイヴィッド・チャーマーズなどは汎心論的な立場から要素主義的な原意識の可能性を想定している。これらは初期の現象主義と類似点が多い。チャーマーズが原意識などを想定するのには相応の理由があり、それは意識現象の「由来」、つまり心的現象というものがどのように生成しているのかという、意識のハードプロブレムの核心問題が物理主義では説明困難だからである。従ってチャーマーズは、クオリアという心的性質を非物理的な何かに還元しようと考えたのである。また要素的な感覚を否定し、対象化されて意味をもった感覚こそが「経験」であるとするホーリズム的な立場では、動物の心の問題においてアポリアが生じるかもしれない。猫などの哺乳類は感覚を対象化できるかもしれない。しかしヘビなどの爬虫類、またバッタなどの昆虫、さらに微生物ならどうだろう。もしヘビに感覚を対象化する能力がないとしたら、ホーリズム的な立場では、ヘビが怪我をしてもがいていても、「ヘビは何も感じていない」と主張しているに等しいことになる。現代の心の哲学では、動物にも何らかの心やクオリアがあると仮定するのが一般的である。 なお、現代の科学哲学における実在論論争においては、経験主義的な傾向の哲学者は科学的実在論に対する批判として、現象主義を前提にした主張を行っている。(詳細は非実在論を参照のこと) 現象主義の最大の難点は、知覚因果説を否定するため、神経科学や物理学の成果を説明するのに困難があるという点である。そもそも知覚因果説は19世紀後半からの生物学や神経科学の発展を受けて主張されたもであり、自然科学との相性は良い。感覚器官や脳に損傷があれば知覚に傷害が生じることから、神経および脳と知覚との因果関係は明白だと思われる。従って人の感覚器官が外界の対象からの情報を受け取り、その情報が神経細胞を伝って脳に至り、脳が知覚を「生み出す」という、唯物論の知覚因果説は知覚の由来についての説明にある程度成功しているよう思われる。ただし「生み出す」という最後の点については大きな不合理があり、それが意識のハードプロブレムが主張される理由である。なお現象主義の立場から神経科学や物理学の成果を説明しようとした試みが、大森荘蔵の重ね描きである。 参考文献・論文 大森荘蔵『言語・知覚・世界』岩波書店 1971年 大森荘蔵『物と心』東京大学出版会 1976年 大森荘蔵『時間と存在』青土社 1994年 金子洋之『ダメットにたどりつくまで』勁草書房 2006年 木田元『マッハとニーチェ 世紀転換期思想史』新書館 2002年 小林道夫『科学哲学』産業図書 1996年 小林道夫『科学の世界と心の哲学』中公新書 2009年 種村完司『知覚のリアリズム』勁草書房 1994年 丹治信春『クワイン―ホーリズムの哲学』平凡社ライブラリー 2009年 戸田山和久『科学哲学の冒険』NHKブックス 2005年 神崎繁、熊野純彦、鈴木泉 編集『西洋哲学史4』講談社 2012年 ジョージ・バークリー『人知原理論』大槻春彦 訳 岩波書店 1958年 田村均「現象主義の検討」 http //repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/24461/1/0907.pdf 片桐 茂博「現象主義と主観性」 http //ci.nii.ac.jp/naid/110000486933 参考サイト http //ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%8C%E9%A8%93%E8%AB%96 http //kamiya0296.blog.so-net.ne.jp/2009-02-09 http //kamiya0296.blog.so-net.ne.jp/2009-02-09-1 http //kamiya0296.blog.so-net.ne.jp/2009-02-09-2
https://w.atwiki.jp/vocaloidchly/pages/5019.html
作詞:daniwell 作曲:daniwell 歌:MAYU 翻譯:kyroslee (取用翻譯前請注意首頁的翻譯使用禮節, 並不要拿掉譯者的名字) Love Logic 要是能只將真相和 真正的感受 告訴你就好了呢 什麼的 雖然偶然 也會這樣想着之類的 對了對了 卻不如我所想的那般順利呢 就例如 對了 雖然模仿着那和藹可親地笑着的孩子之類的 大抵上 不過就是虛有其表 無論是 怎樣也 就算再怎樣 也是沒有用的呀 即使那樣 看吧 你在笑着呢 身邊一直都是世外桃園呢 當意想不到的 雙目交投起來時 就會變得慌張起來 都是你的錯啦 就戀愛的邏輯上 誇大妄想 集中砲火地 將你的說話逐一逐一地 擊穿的內心 無休止地 不安定地 心跳不已 雖然快要跌倒也好 你也會 悄悄地扶我一把 我就是喜歡你這一點呀 就連日常的事情和 普通的說話也 做不出來 令人感到內心混亂呢 說笑的啦 雖然也會感到煩惱之類的 對了對了 這樣是找不到答案的吧 就例如 對了 就街角轉彎時 偶然遇見了你的那瞬間 就只會慌亂起來 無論是 怎樣也 就算再怎樣 也是沒有用的呀 即使那樣 看吧 你在注視着我呢 身邊一直都是超自然呢 一切也都 看上去是這麼細小 在桌子上可沒有答案啦 就戀愛的科學上而言 是荒唐無稽 脫離現實也好 想待在你的身旁呢 就如說話什麼的也不需要那般的 無休止地 在你身邊 互相扶持 互相依靠 悄悄地 互相牽着手 想變成這樣的一對情侶呀 就戀愛的邏輯上而言 是充滿矛盾的 夢話 緊緊抓着你的左右手 決不放手那般的 無休止地 無意義地 心跳不已 雖然快要跌倒也好 你也會 悄悄地抱緊我 我就是喜歡你這一點呀 2012.12.31 修正一處漏字