約 224,181 件
https://w.atwiki.jp/happy_physics/pages/64.html
→主観
https://w.atwiki.jp/mustnotsearch/pages/5263.html
登録タグ PV グロ フォビック ホラー 危険度2 古明地こいし 東方Project 音楽 森羅万象というサークルが投稿した「無意識レクイエム」という曲と、そのPVがヒットする。 曲はzun氏作曲のハルトマンの妖怪少女をアレンジして作られている。 その曲のPVの内容は、同人ゲーム「東方Project」に登場する「古明地こいし」と、都市伝説「メリーさん」を掛け合わせたものとなっていて、非常にホラー要素が強い。 ホラー要素だけではなく、人を刺したり、返り血を浴びるといったグロテスクな描写や、気持ち悪い目の集合体の映像もあるため、苦手な方は閲覧注意。 関連項目 こいしのへや、ドキドキ大冒険、あむにおてぃっくわあるど 分類:ホラー、フォビック、グロ 危険度:2 コメント かなり有名なやつですね…まさか掲載されるとは… -- 國圀 (2023-07-23 10 05 54) 結構怖い。 -- ゲーム太郎 (2023-07-23 10 24 42) 東方系久しぶりちゃう? -- かっき~ (2023-07-23 10 49 10) ついに出たよ -- おまハム (2023-07-23 11 32 50) この曲まさかの検いけに入ってるなんて以外 -- サラダバーぁぁ@フラン推し (2023-07-23 11 59 23) 記事の説明ですが、「アレンジされている」よりも「アレンジして作られている」の方が自然ではないかと思います。 -- 名無しさん (2023-07-23 12 11 01) ゴールドエクスペリエンスレクイエム -- あーもういいわ (2023-07-23 12 26 28) !?!?!? -- クリス (2023-07-23 16 48 56) 東方ってこういったワード多すぎひん? -- Yellow Guy (2023-07-23 21 02 57) まじか!ついに追加されてしまったか、、、昔から聞いてる曲だったからちょっと衝撃 -- きつねうどん (2023-07-24 18 14 32) 最近SDVX(音ゲー)にCosMoさんのRemixと共に収録されましたね……曲は普通にカッコいいので是非聴いて欲しいです -- KOBAEVIL (2023-07-25 07 07 31) うお追加されたか -- AS_Mugitya/え〜えすむぎちゃ (2023-07-25 13 32 32) PVの絶望感と曲のカッコよさのマッチが絶妙 -- ナイル (2023-07-25 23 20 59) 森羅万象自体は普通のサークルなんよなー -- るーこと推し (2023-07-27 19 11 52) 一回見たが、曲だけはかっこいい -- 名無しさん (2023-07-28 13 30 22) 東方神秘録のこいしが検索してはいけない言葉になるとは思わなかった。 -- スカービィ (2023-07-28 20 46 35) ミューズダッシュにもこの曲あるよね -- 名無しさん (2023-07-29 04 47 52) 有名な曲って検索してはいけないに入りやすいのだろうか… -- 名無しさん (2023-08-04 21 35 25) マジかー -- こいう (2023-08-06 01 57 52) 好きな歌なのにな -- 名無しさん (2023-08-21 18 25 15) 確かに大分怖いもんな… -- 名無しさん (2023-09-01 17 33 40) 怖いっちゃ怖いけど自分個人はこの曲すこ。 -- 名無しさん (2023-09-06 12 16 21) 個人差が大きい曲ですよね~...自分は好き -- 名無しさん (2023-09-06 20 37 51) PVなしなら行けるギリギリ -- 名無しさん (2023-09-11 21 03 01) 曲はむしろ検索すべき言葉 -- 名無しさん (2023-09-15 22 24 36) だろうね、結構怖い!検索してみたらめっちゃ怖いの出てきたもん! -- 名無し (2023-10-08 09 52 17) 東方の曲キタァ〜〜〜〜〜〜!!!! -- ー*ー (2023-10-08 09 54 03) 咲夜ーーw -- ○○ (2023-10-15 15 58 17) 怖くなるしねむくなる -- あああああああ (2023-10-17 19 19 17) ホラー要素があるところなぜかしらん -- 中西ほのか (2023-11-10 19 42 43) ミスりましたごめんなさいホラー要素があるところなぜか知らんけど何回も見ちゃうのナァゼナァゼw -- 中西ほのか (2023-11-10 19 44 05) 無意識レクイエムって、検イケだったの? -- 名無しさん (2023-11-15 01 21 41) 無意識レクイエムは怖いけど特別ヤバくはない。自分は平気普通にリズム好き -- こいし神 (2023-11-25 17 49 50) 大好き -- 名無しさん (2023-11-26 00 40 46) 無意識レクイエム普通に好き -- さとう可愛い。 (2023-12-03 14 18 45) でも東方pvの無意識レクイエムの方が好き理由 魔理沙だから⇦クソねby霊夢 -- さとう可愛い (2023-12-03 14 19 47) 無意識レクイエム -- みくみく (2023-12-09 23 03 50) 好き -- みくみく (2023-12-09 23 04 24) 無意識レクイエムきたあああああこのシリーズ結構好きだからうれC~ -- にゃんチル (2023-12-17 14 08 19) こいしかわいいよこいし -- 名無しさん (2024-01-13 18 04 57) 昔検いけに入る前はこの東方pv一番好きなやつだった。検いけに入ったと聞いてまた好きになった。ありがとうこいし -- 名無しさん (2024-01-20 15 31 00) 何故に検索ダメなん?俺、普通に聞いてたんだけど…学校で小声で歌ってたんだけど、ヤバくね? -- 名無しさん (2024-03-02 19 22 25) それに、こいしちゃん昔大好きだったんだけど… -- 名無しさん (2024-03-02 19 23 18) 別に検索してはいけないレベルか?こいドキの方があかんやろ -- 以下名無しがお送りします (2024-03-20 23 53 33) これ入ってるの意外 -- 名無し (2024-03-24 21 06 49) おそらく知名度による判断じゃない?割と大きめのサークルが出したってのがでかいと思う。 -- ↑↑への返信 (2024-03-24 21 30 04) たしかに初見のときめっちゃビビったな…こんな怖い公式PV出してたんだ -- 名無しさん (2024-05-06 18 46 13) ↑の続きって思ったわ… -- 名無しさん (2024-05-06 18 46 43) この曲大好き -- 魔理沙、フラン推し (2024-05-21 16 54 22) これが検索してはいけない言葉入りしてんの初めて知った -- 検索大好きニキ(咲夜さん推しです) (2024-05-26 14 32 23) PVに少しグロが入っているだけで曲自体は良い極夜で -- 名無し (2024-06-25 01 44 03) えー曲やー怖くもあらへんでー -- 最高 (2024-07-01 16 44 50) っぱ入ってるか… -- 名無しさん (2024-07-12 02 42 05) バリ怖いぞ曲はええかんじやねん -- 近鉄沿線民 (2024-07-19 21 22 19) 某東方二次創作ゲームのライブで、この曲をPVごと流すとは・・・ -- 名無しさん (2024-07-22 20 38 20) これ、普通にいい曲なんよね。人によってはあれかもだけど -- ぬ (2024-07-28 13 34 09) 少し怖く感じたけど曲が神曲すぎる... -- 春菊 (2024-08-05 22 48 00) Remix版出ててすごい嬉しかった -- たい焼き (2024-08-16 13 01 42) すごい好きな曲なのに。。。 -- こいフラ最高 (2024-08-16 16 21 41) 普通にかっこいい曲なのに、、、 -- 名無しさん (2024-09-21 15 13 33) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/vs-bomberman/pages/128.html
※回答者がプレーしているボンバーマンシリーズは、基本的にスマホアプリ「対戦!ボンバーマン」もしくは、Switch/PS4/Steam/XboxONE版「スーパーボンバーマンR」です。 回答日:2018/09/10 回答者:鼬 ①火力把握はできるか? 感覚で見極め ②プレー時に相手と自分のキャラを見る比重 相手2:自分8 ③自分と相手の位置関係をどれくらい意識しますか? 遠すぎず、近すぎずを意識 ④(タイマン)盤面全体を意識するか、それとも画面を分割・区切って見ているか とりあえず盤面全体は意識できていない ⑤自分が特殊アイテム不所持の時、受け身になるか、それともあえて攻めるか 敢えて攻める派 ⑥一番やりにくい相手のプレースタイルは?(攻め、受け、バランス、チキン) チキンスタイルが1番やりにくい ⑦操作ミスをする際、どんな時にどんな風にやらかすか ボム2個置き等で自分が行きたい進路を塞がれた時 ⑧自分が意識外(うっかり)になりやすい相手の攻めのパターンは? 相手が離れつつの蹴り誘爆、振り向きパンチ等 ⑨相手に合わせてプレースタイルやプレーの内容を変えるか、それとも自分を基本軸に、自分の形での戦い方に最善を求めるか 自分の形での戦い方に最善策を求める ⑩ここにこうくるからこうすると予測するタイプ、または割り切って相手のプレーに合わせて後手に回るタイプ、その他 前者になりたい後者
https://w.atwiki.jp/otomadstar/pages/791.html
▽タグ一覧 ステップ チャージマン研! 父 赤ちゃん 音MAD素材 ニコニコで【無意識ステップ】タグを検索する ニコニコで【奇形児父】タグを検索する 概要 チャージマン研!第36話「戦慄!悪魔の病院」に登場する奇形児父の動き。 産声を聞き何も知らずに無邪気に我が子の誕生を喜ぶ例の小躍り。 無意識の由来はいすぃさんの音MAD「チャージマンのキチ怪少女 【忌憚そぉ命曲 ~De゙eymon Tale Sonata】」 に登場した、東方Projectのキャラクター「古明地こいし」とのコラが人気になり定着した為。 奇形児を見たときの「ああーっ!!」という声もMAD素材として使われる事があり、若干人気。
https://w.atwiki.jp/akatonbowiki/pages/11691.html
このページはこちらに移転しました 象徴する意識 作詞/tta 皮肉を言うのを待ってる どうせすぐに変わるから 今もどこかを見ているけど どうせ今に変わるから せめて猶予をもらえれば 少しはマシなのかもしれない 空間が歪む 挫折した証拠 見返りを求め 探せない罪を 悠長な台詞に 壊れない根拠 二人目はない そこで終ったから
https://w.atwiki.jp/tetsunohikari/pages/28.html
概説 意識の作図学における意識のレベルの概観審美的領域 自伝的無意識(フロイト的無意識) BPM(ベイシック・ペリネイタル・マトリックス) トランスパーソナルな領域日常の時間と空間の範囲内における意識の拡大ないし拡張 日常の時間と空間の概念を超越した意識の拡大ないし拡張 プシコイド性の体験 概説 意識の作図学は、cartography of consciousnessと言われ、LSDセラピーにより得られたデータから人間の無意識には様々な領域があることに気づいたスタニスラフ・グロフが作ったトランスパーソナル心理学の意識の地図である。グロフは、自身が行ってきたLSDセラピーと、LSDの医学実験が法律で禁止された後のホロトロピック・ブレスワークという呼吸法によって得られた変性意識状態のデータがほとんど同じだという事を示している。また、人間の無意識の領域ははっきりとした境界は存在しないもののいくつかに分けられるとしており、その中には機械論的科学の基本的な仮定や原理のいくつかに抵触するものもあると指摘している。グロフは、ジークムント・フロイトの人間観を支持するのは、自伝的無意識や分娩前後の力学の特定の局面に直面するセラピーの初期段階のみであり、無意識への侵入を推し進めていくと、精神分析学で示されているような凶暴で地獄的な領域ではなく、宇宙的な超意識の領域に広がると捉えている。 なお、トランスパーソナル心理学の理論として、意識の作図学を見た場合、最大の特徴は、ケン・ウィルバーやロベルト・アサジオリなどといった他の人物の理論では欠けている分娩前後のレベルに重点を置いているところにあると考えられ(*1)、意識の作図学には過去生の体験や神秘体験、至高体験、臨死体験、覚醒体験などが網羅されているといった意見もある。また、グロフは、トランスパーソナルな領域を理解するためには、意識を新しい方法で捉え直す必要がある事を指摘し、意識が人間の脳の中で創り出される何かで、個人的な生の結果としてだけ存在するという信念を乗り越える必要性を説いている。 意識の作図学における意識のレベルの概観 審美的領域 まず、第1段階として、審美的領域というものがあり、この領域はセラピーの初期段階に感じるもので、虫の鳴き声や羽音、鈴の音を聞いたり、非常に美しい感覚を伴ったりするようである。しかし、この領域は無意識の中に突入していく際に、感覚器官の特定の生理学的特徴によって説明されるものに過ぎないとグロフは指摘している。 自伝的無意識(フロイト的無意識) 審美的領域に続いて、セラピーの被験者は、自伝的無意識、あるいはフロイト的無意識と言われる、生まれてから体験してきた事の中で、何らかの理由で忘れられて無意識に追いやられていたものを体験するという。この領域では、特定の核となるような感情体験を中心として、COEXシステム(凝縮体験系)と呼ばれる集合を形成し、人生の中での同じような体験が時間、空間という制約を超えて芋づる式に現れてくるようである。そして、グロフは、このような感情体験は、自伝的無意識の領域を超えたより深い無意識の領域でも働いていると考えた。 BPM(ベイシック・ペリネイタル・マトリックス) 自伝的無意識(フロイト的無意識)の次の第3段階の領域をグロフは、BPM(ベイシック・ペリネイタル・マトリックス)と言い、この領域は個人的な領域を超え、分娩前後の体験と密接に関わる領域のようである。また、この領域には、BPM1〜BPM4まで、4つのクラスターがあると言われている。なお、グロフは、この領域を個人的な精神(自伝的無意識)とユングが集合的無意識と呼んでいる領域との境界面を表していると述べている(*2)。また、この分娩前後の体験は、出生の臨床段階における解剖学的、生理学的、生化学的側面に関連した基本的諸特徴と密接に関わっていると言えるが、生物学を超えるもので、重要な心理学的、哲学的、霊的次元を含んでおり、機械論及び還元主義的な方法で解釈されるべきではないという。 BPM1では子宮に回帰し、子宮が1つの世界のような役割を果たし、幸福感と安心感に包まれているような領域である。しかし、母親が飲んだ有害物質など様々な要因によって、否定的な内容が見られる場合もあり、臨床的出産が始まる前の子宮内の状態に対応していると考えられる。 羊水的宇宙(『脳を超えて』p.150より) BPM1を超えると、閉塞状態や宇宙の暗闇に閉じ込められているような体験をすると言い、それはBPM2と言われ、子宮が閉じたままの状態で全方位的に締め付けられる状態に対応していると考えられる。この段階に特徴的な体験として、三次元の螺旋、漏斗、渦巻の体験といったことが挙げられる。また、強制収容所の住人や精神病院の入院患者などの体験や永遠の罪を象徴する元型的人物との体験同化と結びつくこともある。 BPM2の影響力の体験(『脳を超えて』p.155より) 続いて、胎児が産道を通過して生まれる出産時の体験と似ている体験をし、これはBPM3と言われる。BPM3では、胎児が出産の最終段階に糞などの生物学的物質に密接に接触する可能性があるという事実から、強烈な恐怖感を伴う地獄のような体験であるとも言われ、死の葛藤の領域とも言われる。 BPM3~BPM4への移行を表す(険しい山を登り光に到達しようとしているが、鳥がそれを妨害しようとしている)絵(『脳を超えて』p.171より) BPM3を超えると、死と再生の体験が訪れ、これはBPM4と言われる。この段階は、葛藤の終了と解決だが、あらゆるレベルの破滅感や敗北感が含まれるようである。カーリーやシヴァなどの破滅的神々とつながる自我の死の体験なども見られる。しかし、そのような破滅の体験は即座に超自然的な輝きと美を備えた眩い白光や黄金の光のビジョン(聖なる元型的存在、虹のスペクトル、精緻な孔雀の模様といった展開と結びつく場合もある)に取って代わられ、霊的解放、償い、救済の深い感覚を体験するといわれる。 第3段階の領域を抜けるとトランスパーソナルな領域に入っていくと言われている。トランスパーソナルな領域については、以下で触れる。 トランスパーソナルな領域 トランスパーソナルな体験の領域に入ると、日常生活で当然とみなしている障壁を突き抜け、様々な歴史的出来事や未来、私たちの意識の範囲外にあるとみなしている世界の諸要素が実際に体験したものと同じように本物であるかのように見え、それらを想像の産物とみなすことはもはや、不可能であるという。スタニスラフ・グロフは、トランスパーソナルな領域は、物質主義科学と機械論的世界観の基本的な仮定を揺るがすものであることを次のように述べている。 トランスパーソナルな体験には、物質主義科学と機械論的世界観のもっとも基本的な諸仮定を揺るがす数多くの奇妙な特徴がある。これらの体験は深層の個的自己探求のプロセスで起こるものであるが、それを伝統的な意味での精神内現象と解釈することはできない。それらは一方では自伝的体験や分娩前後の体験と一つの体験的連続体を形成し、他方では伝統的な個人の範囲の定義を明らかに超える情報源に、感覚器官の介入なしで直接ふれる。そこには他人、異種、植物、無機的要素、器具なしでは接近のできない微視的・天文学的領域、歴史と有史前、未来、遠隔地、他の存在の次元の意識体験が含まれる。(*3) トランスパーソナルな領域を理解するためには、全く新しい方法で意識を捉え直さなければならない。ここにおいてわれわれは、意識が人間の脳の内部で創り出される何かであって、頭がい骨と呼ばれる容器の中に収納されている、という先入観から解き放たれはじめる。意識が個人的な生の結果としてだけ存在するという信念を、われわれが乗り越えるのもここにおいてである。(*4) トランスパーソナルな意識は、有限ではなく無限であり、時間と空間の諸限界を超えて広がっている(時空を超越するような体験である)。グロフは、トランスパーソナルな領域を地図化するに際して、彼自身の研究と他の権威者によって語られてきたトランスパーソナルな体験から、(1)日常の時間と空間の範囲内における意識の拡大ないし拡張、(2)日常の時間と空間の概念を超越した意識の拡大ないし拡張、(3)プシコイド性の体験の3つの体験領域に分けて考察するのが有益であるとしている。(*5) 日常の時間と空間の範囲内における意識の拡大ないし拡張 物質的、空間的な境界が溶解し意識の拡大ないし拡張の例として二元的融合と呼ばれる他者との同一化が挙げられ、具体的には母親の感情と同化するといったことから、共通点を持つ人々の集団の意識との同化といった例もあり、極端な形態としては、人類全体への同一化といったこともある。さらに、動物の意識を体験するというケースもあり、珍しい例では、惑星上の全生命を包含する意識にまで意識が拡大する者もいる。また、植物や鉱物を体験したり、意識が地球全体を包含する惑星意識の体験にまで拡大したりするといった例もあり、このような体験から、心と意識が人類のみの特権ではなく、自然全体に浸透し、様々な形で存在していると言える。 時間の境界が消失する体験の例として、受胎の瞬間の体験や生命の進化を辿り生命の原点に辿り着いたり、両親の子ども時代の意識を体験したり、歴史的出来事や当人が全く知らなかった先祖の気持ちを体験したりするといったことがある。さらに、過去生の経験といったものも含まれ、グロフは、退行催眠ではなく、薬物の投与によって過去生の記憶を思い出させる事に成功したという。 日常の時間と空間の概念を超越した意識の拡大ないし拡張 さらに、トランスパーソナルな領域は、このような領域のさらに先に進むと日常で見慣れたリアリティとは似ても似つかない、神話的、超人間的存在の世界に参入する場合もある。トランスパーソナルな領域における有益な体験の1つとして、指導霊や超人間的存在との遭遇があり、彼らからの情報は五感とは異なる回路を通してテレパシー的に伝えられることが多い。そして、もっとも全包括的なトランスパーソナルな体験として、創造者と宇宙意識の体験といったものがあり、ヒンドゥー教のブラフマン、大乗仏教のダルマカーヤ(法身)、道教のタオなど宗教的伝統でしばしば言われる究極的な体験が訪れると言われる。また、トランスパーソナルな現象の中で最も不可解な体験として時間と空間を超越し、あらゆるものの源であるがそれ自体は何ものにも由来しないという空の体験を挙げている。 プシコイド性の体験 プシコイド性の体験は、プシコイドとは集合的無意識の元型との関連でユングが用いた言葉であり、プシコイドの領域の多くはUFO遭遇やヨガ行者の超自然的な離れ業など私たちが自然法則とみなしている事を侵犯するような出来事を含み、日常的なリアリティの知覚への最大の挑戦を表している。多くのUFO体験は、単なる幻覚でもなければ、通常の意味での現実でもないというプシコイドの特性をもっているようであり、これは、ケネス・リングがUFO遭遇や臨死体験について幻覚か現実化という2つの解釈の中間、あるいはそれらの外側にあるような第3の領域での解釈を検討した事にも通じているように思える。 参考文献 河合隼雄/吉福伸逸共編『宇宙意識への接近 伝統と科学の融和』春秋社 1986年 吉福伸逸『トランスパーソナルとは何か 自我の確立から超越へ』新泉社 2005年 スタニスラフ・グロフ『脳を超えて』吉田伸逸・星川淳・菅靖彦 訳 春秋社 1988年 スタニスラフ・グロフ/ハル・ジーナ・ベネット『深層からの回帰』菅靖彦・吉田豊 訳 青土社 1994年 ケネス・リング『オメガ・プロジェクト UFO遭遇と臨死体験の心理学』片山陽子 訳 春秋社 1997年
https://w.atwiki.jp/p_mind/pages/155.html
概説 人格の同一性問題との関連 意識の時間的統一の問題 概説 人間には五感がある。しかし同時に複数の感覚があった場合、それらは独立して存在しているのでなく統一された意識の内部にある。たとえば繁華街を歩いていると様々なものが見え、同時に様々な音が聞こえ、同時に様々な匂いがある。それらの感覚は統一的な意識の内部にあり、意識は全一的なものとして存在している。これが意識の統一性である。 ジョン・サールは次のように論じている。 いま私は、指先の感覚や首まわりのシャツの圧迫感、落葉の風景だけを経験しているわけではない。これらすべてを単一の統合された意識野の一部として経験している。病理的なところのない通常の意識は、統合された構造とともにある。カントはこの意識野の統合を「統覚の超越論的統一」と呼び、そこから多くのことを引き出した。そして彼は正しかった。これから見ていくように、それは非常に重要なことだからである。 私はかつて、質的であること、主観性、統合性という三つの特徴は、意識の個別の性質として説明できると考えていた。しかしいまやそう考えるのはまちがいであるよう思える。この三つはいずれも同一の意識の諸側面なのだ。意識はまさにその本性からして質的であり、主観的、統合的である。(ジョン・サール『MiND 心の哲学』pp.181-2) このサールの洞察は正鵠を得たものだと思える。意識とは一つのものとして統一され、それこそが「私」であると考えてよいだろう。そして、その「私」が人格の同一性問題における主体となるはずである。 人格の同一性問題との関連 デレク・パーフィットは論文「divided minds and the nature of persons」で、人格の同一性問題にかんして単一理論(Ego Theory)を強く否定している。単一理論は通時的に人格の数的同一性を成立させる単一の実体(デカルト的なエゴ)を想定する。この理論によれば未来の或る人物は「私」であるか「私」でないかのいずれかだということになる。これを全か無(all or nothing)の要件と呼ぶ。これは素朴心理学的な理論である。 単一理論と反対の立場が複合理論(Bundle Theory)である。これはヒュームのように「私」を複数の性質の束と考えるものである。ヒュームはどんなに高度で複雑な観念(複合観念)でも、それは構成要素としての個々の観念に分解できると考えた。パーフィットはヒュームの考えを継承しているのである。彼らによれば「私」とは「国家」のようなものであり、エゴという単一の実体ではなく複数の意識要素の集合だということになるので、全か無の要件は否定される。 意識の統一性の観点からすると、パーフィットとヒュームの理論は誤謬であると思える。個別の感覚は単に束のように集まっているだけでなく、サールが言うように一つの意識内にあり、私秘性を持ち、一つの主観的なものとして存在しているからだ。 ただし複合理論でも意識の統一性が説明できないわけでもない。意識はその内部に多様な感覚を含む場合があるが、パーフィットは「多様な感覚を意識する」という一つのものがあれば意識の統一性は説明できると考えている。たとえば鐘が三回鳴った場合、個別の鐘の音は異なる感覚だが、「鐘が三回鳴った」という一つの記憶があれば、その一つの記憶こそが人が感じている意識の統一性の実態だということである(Reasons and Persons, pp.250-1)。 しかしその「多様な感覚を意識する」というもの、あるいは「一つの記憶」が、まさに人格の数的同一性を問われる対象となる「私」であると考えることができ、全か無の要件が成立するので、パーフィットの説明には不足があるように思える。 意識の時間的統一の問題 意識の統一性の観点からすると単一理論は妥当だと思える。ただしこの場合の単一のものは必ずしもデカルト的なエゴである必要はなく、全か無の要件を成立させる単一の意識であれば十分である。すると、そこから意識というものは単に同時的な感覚が統一されたものではなく、時間的に乖離した感覚も統一されたものであると考えたくなる。仮に時間的な統一性がないとすると、「私」は意識内容(クオリア)が少しでも変化したら消滅してしまうからだ。 ところが時間的に乖離した感覚の統合には、大きな困難が伴うことになる。時間とは意識を「断絶」するものであるからだ。 意識には持続感がある。ベルクソンはメロディーを例に挙げ意識の持続的性質を論じている。確かにメロディーの個別の音がそれぞれ独立した感覚ならば、人はそれぞれの音が繊細に融合した(たとえばショパンのエチュード 10-3のような)メロディーを感じることはできないはずであり、持続が意識の本質的性格であるとみなしたベルクソンは正しいように思える。そして意識の統一性とは同時的な感覚の統一だけでなく時間的に離れた感覚の統一のことでもあり、人が感じる持続感とは単一意識の持続に由来すると思いたくなる。 しかし時間変化とは意識を断絶するものであることは事実である。たとえば私が交差点で「青→黄→赤」という信号変化を観察した場合、赤になった時点で青は完全に消えている。赤と青には完全な断絶があるので、その断絶によって意識の時間的統一性は成立しないと考えられる。赤になった時点で青が完全に消えているということは、赤と青が同一の存在者であることはできないということである。 意識の時間的統一の問題=人格の同一性問題において、単一理論と複合理論を図にすれば以下のようになる。 上図の単一理論の方では意識が持続的なものとして繋がり、時間を通じて数的に同一であることを表している。逆に複合理論の方ではヒュームやパーフィットが考えた通り、異なるクオリアは別の存在者だとして表している。 なお「変化」と書いている部分は、実際にクオリアが変化しているということではなく、「変化を感じている」というクオリアがあることを表している。たとえば「痛みが消えた」という変化の感覚があることと、実際に痛みが消えることは全く別のことである。前者の事実から後者が事実だと推論することは動的宇宙論という一種の形而上学になる。 人は自分の意識を持続的なものとして感じているので、一見単一理論の方が正しいように思える。しかし単一理論の図でも、赤の時点になれば青は完全に存在していないので、青と赤の間には断絶があることになる。断絶があるならば意識は時間を通じて単一であると考えることはできない。青を見る私と赤を見る私には数的同一性はないということである。 もちろんパーフィットが否定した単一の実体であるデカルト的エゴを認めるならば、それは身体からも精神からも離存するものなので、意識の断続にかかわりなく持続していると想定することはできる。 しかし時間の形而上学で静的宇宙論が妥当だとすると、各時点のエゴは永久的に、かつ対等に存在していることになるので、やはり青を見る私と赤を見る私には数的同一性はないということになる。 現在の物理学では宇宙を三次元の空間に時間を加えた四次元として扱っている。四次元時空は相対論を記述するための道具としかみなさない学者もいるが、四次元時空こそが実体であるみなす学者もいる。前者の世界観は変化の実在を肯定するので動的宇宙論と呼ばれ、後者の世界観は変化の実在を否定するので静的宇宙論と呼ばれる。静的宇宙論が実体とみなす四次元時空はブロック宇宙とも呼ばれる。時間は空間と融合して空間が消えないように時間も消えず、宇宙はコンクリートブロックのような塊として永久的に存在するとみなしているのである。 時間の形而上学と人格の同一性問題の組み合わせには以下の四つが考えられる。 ①: 動的宇宙論+単一理論 ②: 動的宇宙論+複合理論 ③: 静的宇宙論+単一理論 ④: 静的宇宙論+複合理論 ここでは時間の形而上学について詳述しないが、①を前提するならデカルトが信じた通り身体からも精神からも離存するエゴの存在によって、全人生を通じて同一の「私」が持続していると素朴心理学的に考えればよいことになる(「私」の死後にもそのエゴは存在するかという問題であるが、ここでは論じない) 人格の同一性が厄介な問題となるのは、②、③、④の三つのケースである。以降ではその三つのケースを前提に人格の同一性を論じることにする。 私は自らの意識を持続的なものとして感じているので、交差点で青を見る私が、次に黄や赤を見る私と数的同一性がない、つまり別人であるというのは信じ難いことである。 ここで「青が黄になり黄が赤になる」というものが単一のクオリアなのだと考える方法があるだろう。それならば静的宇宙論を前提にしても時間を通じた意識の数的同一性を説明できるように思える。だがよく考えるとこの考えにも欠点がある。赤の時点になればやはり青は完全に存在していないので、赤と青の間に断絶を認めるしかない。赤と青は単一のクオリアとして存在することはできないのだ。 ベルクソンの持続の哲学においては、現前する意識には過去の意識が浸透しているので完全な断絶はないと考えることもできる。これは魅力的な哲学であるが、過去の意識が現在に浸透するということを人は具体的にイメージすることはできない。潜在意識や無意識というものを想定することはできるが、それらによって上図で明らかにされた青と赤との断絶を回避できるだろうか? この断絶はあまりにも明白なので難しいように思える。ベルクソンの持続の哲学は未完成である。 複合理論では図解したように、青や、青が黄になるという変化の感覚や、赤をそれぞれ独立したクオリアとして考える。この考えでは「今この私」が仮に青のクオリアだとするならば、その他のクオリアは「他人」になる。これは反直観的な結論であるが、反直観的であることは不可能であることにはならない。私が感じている意識の持続感というのも特定の時点にある一つの独立したクオリアだと説明できるだろう。したがって複合理論は可能な理論であり、意識の時間的統一の問題において致命的な欠点がないのである。 要するに意識の統一性問題において、単一理論VS複合理論という枠組みで考えるなば、意識は確かに同時的感覚を統一しており単一理論が正しいように思えるのだが、意識は時間的に離れた感覚を統一できないので、時間的統一性の問題では複合理論が正しいように思えるのだ。即ち人格の同一性問題においては、現在の「私」から時間的に離れたクオリアは「他人」だと考えるのが妥当に思えるのである。 人は僅か1秒の間にも青→黄→赤という色の変化を認識することができるだろう。異なるクオリアは異なる存在者だとすると「今この私」は僅か1秒未満の存在だということになる。 私はそのような理論がどうしても信じ難い。 人の意識が脳の活動と相関していることは明らかである。その人の意識をripples of light in brain(脳内の光の波紋)と表現した人がいる。これは神経細胞の連続的・協働的な発火活動を上手くたとえたものだが、波紋とは空間的広がりを持つだけでなく時間的広がりを持つということが重要だ。人間の意識とは四次元時空に広がる複雑な光の波紋なのである。ところが波紋とは時間的に持続する滑らかな広がりなのに、複合理論によれば人の意識は僅か1秒弱で完全な断絶が生じることになる。ここに不整合があるように思える。 ただ個別のクオリアたちには数的同一性がなく全て異なる存在者だとし、それらクオリアが持続的な脳の活動と相関して断続(コンマ数秒間隔)的に存在すると考えることに厳密な不整合があるか否かは難しい問題である。これは心脳問題の難しさそのものでもあるからだ。おそらく二元論の立場ならば不整合はないだろう。 少なくとも脳内の光の波紋は純粋に持続的なものなのに、それと相関しているクオリアたちは完全に断絶してると言うならば、二つの事柄には認識上の大きなギャップがあると言うことができる。 そのギャップは以下のような図で表現できる。 脳波(あるいは神経細胞の複雑な光の波紋)は滑らかに持続し、人が感じる意識の持続感と一致している。しかし複合理論が正しければ脳の活動と相関する意識には瞬間ごとの完全な断絶がる。仮に青が「今この私」なら別の時点に存在する黄や赤には青の要素が全くないので「他人」である。脳の持続的な活動と意識の瞬間ごとの断絶に不自然なギャップがあるのは明らかだと思える。 先に論じたように静的宇宙論+単一理論には問題がある。しかし複合理論にも問題があるのだ。確かに複合理論は論理的にも形而上学的にも物理学的にも可能であり、それらの観点からは問題がない。しかしあまりに反直観すぎて信じられないので、問題がないということが問題なのだ。 あるいはどちらの理論も間違っているのかもしれない。しかし単一理論でも複合理論でもない別の理論があり得るのだろうか? 意識の時間的統一性問題の図を見直してみよう。意識の滑らかな持続を表している単一理論の図は直観的に正しいように思われるが、実際の意識経験は図のようにはなっていない。図では過去と現在の経験を一挙に表しているが、人はあくまで現在しか経験できない。図は過去の経験を想起によって再構成し、現在経験に加えたものだ。 人の意識の正体は図のようになっていないのかもしれない。 ベルクソンが観たように意識と時間は不可分である。しかし時間の正体はわからない。私は図で意識を空間的に描いたが、静的宇宙論が妥当なら実体的な四次元時空は空間的なものではない。 人は空間と時間が融合した四次元のブロック宇宙というものをイメージすることはできないのだ。人が認識できるのは空間的な三次元の対象と、それが変化することによって認識できる時間だけである。空間と時間が融合した永久的なブロック宇宙とは人の認識の枠組を超えた存在であり、イメージ不可能である。カントが言う通り人の認識はアプリオリな形式によって制限されている。その形式は「超越論的」なものである。ブロック宇宙とは「超越的」なものかも知れないということである。 ここで重要なのは、人の意識もまたブロック宇宙に含まれていることである。時空の正体がわからないならば意識の正体もわからない。人は自分の意識の正体をイメージすることも語ることもできないということになる。 だが「意識の正体がわからない」という言葉の意味がわからない人は多いだろう。一般に人は自分の意識ほど確実に理解できるものはないと信じているからだ。 経験主義という哲学は自分が経験できないものの確実性を否定する方法である。一見合理的なこの方法が、やがて原理的に経験不可能な物質的実在を否定する観念論へと到達したのは必然的だった。しかし経験主義者たちが見落としたのは「経験」そのものの確実性だった。 人は物事を合理的に考えて判断するが、感覚は判断とともに現れてしまうので、感覚による判断は合理的判断ではない。痛みは「痛い」という判断そのものなのであり、人は感覚それ自体を合理的思考で分析することができない。感覚は合理性の外部にある。カントも感覚の形式を抽出するに留まった。 静的宇宙論が正しければ意識そのものも合理性の外部にあるということになる。 私には、「今この私」を僅か1秒未満の存在だとみなす複合理論が信じ難い。しかし単一理論は不可能に思える。この解決不可能に思えるジレンマは、意識の正体を理解していないことに由来するのかもしれない。人間知性が到達し得ない時空の正体にこそ意識の真理はあり、その真理のみがジレンマを解決できるのかもしれない。 参考文献 ジョン・サール 著 山本貴光・吉川浩満 訳(2006)『MiND 心の哲学』朝日出版社 Derek Parfit(1986), 'Reasons and Persons', OXFORD UNIVERSITY PRESS Derek Parfit(1987), 'divided minds and the nature of persons'
https://w.atwiki.jp/gikai/pages/24.html
参加方法やして頂きたいこと 「意識革命」でなくともかまいません。 各TV放送でも他団体でもかまいません。 それを見て感じて「これからの社会」というものを考えて下さい。 もし意識革命の理念や活動に賛同・参加して頂ける場合 下記のいずれかをして頂ければ幸いです。 ・お気に入りに登録 ・twitterでフォローして頂く ・mixiコミュニティ意識革命に参加して頂く ・企画内容(リンク工事中)にアイデアを入れて戴く。 ・こちらの加盟者・団体に書いて頂くか、メール ・スカイプへ skypeへコンタクト! ・名前に@Loki.Re?と入れて頂く ・討論に参加して頂く ・そして何より何かを感じ、考え、行動して下さい。
https://w.atwiki.jp/tetsunohikari/pages/80.html
概説 思想とその影響 概説 集合的無意識(独語:kollektives Unbewusste, 英語:collective unconscious)は、分析心理学(ユング心理学)に於ける中心概念であり、個人的ではなく集合的なもので、無意識の深層に存在するという人類や動物にさえ普遍的な(共通し繋がっている)構造領域である。集合的無意識の層を考えるのもユングの特徴であり、この点もフロイトから袂別していく原因となった。ユングは『元型論』の中で集合的無意識について、以下のように記している。 集合的無意識とは心全体の中で、個人的体験に由来するものでなくしたがって個人的に獲得されたものではないという否定の形で、個人的無意識から区別されうる部分のことである。個人的無意識が、一度は意識されながら、忘れられたり抑圧されたために意識から消え去った内容から成り立っているのに対して、集合的無意識の内容は一度も意識されたことがなく、それゆえ決して個人的に獲得されたものではなく、もっぱら遺伝によって存在している。(*1) 無意識の階層 『ユング心理学入門』p.77より そして、意識を支配するものは言葉であると言えるが無意識に言葉はなく、ユングは集合的無意識の内容は、神話的なモチーフや形象から成り立っており、この内容は神話やおとぎ話、夢、精神病者の妄想、未開人の心性等にも共通に認められるという。更にその殆どは時代や地域を超えて、未開の部族あるいはギリシャ、エジプト、古代メキシコの神話、そして、そのような伝承を全く知らない現代の個人における夢、ヴィジョン、妄想にもそれらは同様に見出し得る。そして、集合的無意識の内容の表現の中に、共通した基本的な型を元型(*2)と呼んでいる。この層の存在が生まれ変わりや前世の記憶を人間が信仰する起源になっているとの指摘もある(*3)。因みに、1906年にユングは分裂病患者が「太陽のペニスが見える、さらに頭を左右に動かせば太陽のペニスも動くであろう、そしてそれこそが風の起源である」と述べたという事に注目しており、1910年に神話の研究に没頭している時に入手したミトラ信仰の祈禱書に書かれた内容と一致していたという。 思想とその影響 瑜伽行派の阿頼耶識(アーラヤ識)や近代神智学のアカシックレコード(阿迦奢年代記)など、現代にいたるまで、様々な分野でユングの仮説と類似した仮説や概念が提唱されている。ユングの考え方は様々な評価を受けていると言え、例えば神話の類型についての研究は、クロード・レヴィ=ストロースらの構造人類学、さらに記号論者の物語構造論等へも発展した。 レンマ的知性とユング的無意識(『レンマ学』p.185より) 中沢新一は、ユングの言う超大脳的な思考と知覚は確実に存在していると言い、集合的無意識とはのレンマ的知性の別名であると考えている(*4)。レンマ的知性とは、ギリシャ哲学において重視されたロゴス的論理に対し、大乗仏教が非ロゴス的で超大脳的な思考と知覚による知性作用を取り出したもので、縁起的論理によって世界を捉えようとするものであると言える。そして、シンクロニシティなる概念をレンマによる科学が拓く思考の中に置き直してみると、現代社会でひどく孤立しているように見えるユングの思考が、むしろ未来の科学の側にある有力な思考であるという事実が見えてくるという。(*5) また、1937年、フロイトの個人的に抑圧された無意識の層とユングの集合的無意識の層の中間にハンガリーの精神医学者であるレオポルド・ソンディによる運命分析(Schicksalsanalyse)という深層心理学的理論が出現してきた。その研究はフロイトの個人的無意識の層とユングの集合的無意識の層との間の断裂を先祖から遺伝する無意識とされる家族的無意識(familiäre Unbewusste)の層によって架橋するものであると言える。家系の中に伝わる無意識の傾向(趨性)が、恋愛、友情、職業、疾病、および死亡における無意識的選択行動によって運命を決定する事実を研究の対象としている。 さらに集合的無意識の概念は、宇宙に於ける情報が蓄えられているという何等かの記録層と関連付けられる事も多々ある。 ホログラフィー宇宙モデルと集合的無意識の仮説(『理想的な死に方』p.187より) 物理学者のデヴィッド・ボームが、素粒子の不可解な振る舞いを説明するために提示した「ホログラフィー宇宙モデル」に接した土井利忠は、ボームの定義した暗在系(implicate order)とユングの提唱した集合的無意識は、かけ離れた概念であるように見えるが、我々の知覚できない「もうひとつの世界」の存在、分割できないひとつの宇宙、時間の超越、「東洋哲学」との類似性等、驚く程の共通点がある事を指摘している。土井は、暗在系と集合的無意識の違いを、富士山を東から見て記述するか北から見て記述するかの違いにたとえている(*6)。そして、ボームが提唱した内蔵秩序という考えも、宇宙の各部分は、全宇宙に存在するすべての情報をその中に含んでいるというものであると言える。 世界賢人会議「ブタペストクラブ」創設者であるアーヴィン・ラズロは、量子真空は単にエネルギー場であるだけでなく宇宙の記憶である豊かな情報場であると考えており、人間の脳や心を結び付ける私たちが共有している情報のプールなのだと述べ、ユングの言う集合的無意識、テイヤール・ド・シャルダンの言う精神圏、そしてエルヴィン・シュレディンガー、デヴィッド・ボーム、ウィリアム・ジェームズ、ヘンリー・スタップなどにとっての根底的な集合的無意識との同一性を指摘している(*7)。田坂広志も量子真空の中のゼロ・ポイント・フィールドにこの宇宙の全ての出来事の全ての情報が記録されているというゼロ・ポイント・フィールド仮説を支持し、肉体の死後、我々の意識は集合的無意識、さらに地球意識へと広がっていく事を主張している。(*8) 生物学者のルパート・シェルドレイクは、記憶が個人に留まらず時間と空間を超えて他人とも同調する事を持ち出して、ユングの集合的無意識との類似性を指摘し、形態共鳴の考えは集合的無意識に対する革新的な再確認であると指摘している(*9)。一方で、シェルドレイクの仮説とユングの集合的無意識の大きな違いの一つとしては、集合的無意識は主として人間の経験や集合的記憶に適応されるのに対し、シェルドレイクの仮説は人間だけでなく宇宙全体に適応され得ることを挙げている。(*10) なお、集合的無意識の内容である神話的なモチーフや形象は、「形の共鳴」によって伝わると考えもある。ユング自身は、人間の頭脳が世界的に似通っている事を持ち出して、集合的無意識の生理学的根拠を脳の機能の類似性に求めていると言えるが、元型が遺伝情報に因って受け継がれるとは考え難いとも言える。しかし、この点について、シェルドレイクの仮説(形態形成場仮説)に基づくと、過去の多くの人々にとってありふれたものであり、共通であった考え方や経験は「形の場」をなしており、後から現れる人はその「形の場」に共鳴し、過去に於いてありふれた考えや、共通のイメージであったものが、恰も祖先からの遺伝のように、後の人に継承されるというものである(*11)。喰代栄一は、シンクロニシティは「形の場」の中で起こると指摘しており、無意識の奥には客観的外部である自然界と繋がる領域がある、そのような内部世界と外部世界との交差でシンクロニシティは起こると述べている。(*12) 参考文献 天外伺朗『理想的な死に方 「あの世」の科学が死・生・魂の概念を変えた! 』徳間書店 1996年 西平直『魂のライフサイクル ユング・ウィルバー・シュタイナー』東京大学出版会 1997年 山根はるみ『やさしくわかるユング心理学 あなたの深層心理を読み解く一歩』日本実業出版社1999年 喰代栄一『なぜそれは起こるのか 過去に共鳴する現在 シェルドレイクの仮説をめぐって』サンマーク出版 2001年 河合隼雄『ユング心理学入門』岩波書店 2009年 岸根卓郎『見えない世界を科学する』彩流社 2011年 湯浅泰雄『湯浅泰雄全集 第十七巻 ニューサエンス論』ビイング・ネット・プレス 2012年 中沢新一『レンマ学』講談社 2019年 田坂広志『死は存在しない 最先端量子科学が示す新たな仮説』光文社新書 2022年 カール・グスタフ・ユング著、アニエラ・ヤッフェ編『ユング自伝2』河合隼雄・藤繩昭・出井淑子 訳 みすず書房 1973年 C・G・ユング『自我と無意識の関係』野田倬 訳 人文書院 1982年 C・G・ユング『元型論』林道義 訳 紀伊國屋書店 1999年 アンソニー・ストー『エセンシャル・ユング ユングが語るユング心理学』山中康裕監修 菅野信夫・皆藤章・濱野清志・川嵜克哲 訳 創元社 2020年 アーヴィン・ラズロ『叡智の海・宇宙 物質・生命・意識の統合理論をもとめて』吉田三知世 訳 日本教文社 2006年 Rupert Sheldrake, “Mind, Memory, and Archetype Morphic Resonance and the Collective Unconscious - Part I” Psychological Perspectives (Spring 1987), 18(1) Rupert Sheldrake, “Society, Spirit Ritual Morphic Resonance and the Collective Unconscious - Part II” Psychological Perspectives (Fall 1987), 18(2) Rupert Sheldrake, “Extended Mind, Power, Prayer Morphic Resonance and the Collective Unconscious - Part III” Psychological Perspectives (Spring 1988), 19(1)
https://w.atwiki.jp/gikai/pages/23.html
意見交換会とは ルール兼意見交換会理念 いかなる主義主張も問わない。 いかなる所属団体、組織も問わない。 年齢や立場を問わない。 タブーを設けない ※Loki.Re1並びに意識革命以外への誹謗中傷は禁止 純粋な議論の場です。 開催日時は毎月第二土曜22時~24時頃の2時間ほど あらかじめ決めたテーマで賛成反対に分かれ討論をします。 毎回の意見交換会時に次回テーマの候補を設置。 これに加え上記の理念を踏まえ、「その場で決めたテーマで徹底雑談」として、 意見交換会と国民議会以外の毎週土曜の同時刻に「その場で決めたテーマで議論」をしています。 第14回以前の過去テーマはこちら(リンク先ができしだい) 第15回以降の過去放送はこちらから(リンク先ができしだい) 次回テーマはこちらの掲示板か「ニコニコ意識革命コミュニティ」に記載しています。 ※直接聞いて頂いてもかまいません。連絡先は下記へ 毎回様々な団体や主張を持っている方が6~10人程度 こちらより放送しています。 参加希望の方は E-mail loki.re1.11.5@gmail.com 又はSkypeID loki.re1 へご連絡下さい