約 3,071,719 件
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip/pages/5580.html
翌朝、俺はいつものように妹の強烈なボディーアタックを食らって目を覚ますという一部の人間にはうらやましがられそうな目覚めを演じた。しかしもちろん俺が自分をうらやむわけもなく、感慨もへったくれもないような目覚めでありよってまったく爽快な気分はしない。 爽快な気分がしないと言えば我が家の飼い猫シャミセンも完全にだらけモードで床に寝そべっている。夏の暑さにすっかり気怠くなったのだろう。 どうしてやろうかとシャミセンを見て思案する俺だったが、俺が起こしてやる前に妹によって抱きかかえられ、反抗の意思表示も軽く無視されて妹の『ごはんのうた(新バージョン)』とともに階下へと連行されていった。 朝起きたら世界が変わっていた――とかいう冗談みたいな事態になるのは絶対に避けたいものの、ならばそれをどう回避するかという問題であり、もしかすると俺は避けるよりも変わった世界を元に戻すほうが素質があるのではないかという結論に達するわけである。朝から何を言ってるんだ、俺は。 しかし、実を言うとそれは事実かもしれん。なにしろ十二月あたりに俺はそんなことを経験しているからな。 しかしまあ、そうそう世界も変わるもんじゃないだろうというのが俺の楽観的な考えである。この世界の神様だってそこまでこの世界に住んでいる人間(とりわけ俺)に理不尽な設定を押しつけるわけはないだろう、と。もっとも、あの時世界を変えたのは神様じゃなくて地球外生命体だったのだが。 朝食を食っている間、俺はそんなアホなことを考えていた。 一日の始まりというのは当然ながら自分の家にいるわけで、ということは学校の俺の後ろに誰が座っているのかは朝の時点では解らないのである。 無論、そこにいるのがカナダに転校したことになってるヤツだったらそれはもう悪夢以外の何者でもなく、今すぐ110通報してそいつを捕まえておくとか大量の保険に加入しておくとかしないとならないだろう。 ありがたいことに、あの日以来今のところそういうことにはなっていないが。 何と言っても俺が自分の教室に着いたとき、俺の後ろの席に我が団の団長が座っていてくれればそれほど安心できることもない。 そして、今日もそうだった。 谷口や国木田連中と一緒にひーこら言って坂を登り、二年五組の教室で不機嫌なオーラを放出して机に伏せているハルヒの姿を確認できたとき、俺はああ今日も無事らしいなということを悟った。 悟った、が。 俺はすぐに、今日が無事と言えるほど無事な状況ではないことを認識し直すはめになるのだった。 * 今日は特に暑かった。 昨日のように湿度を上げて嫌がらせ攻撃を仕掛けてくることはなかったが、今日は純粋に太陽光の威力が強い。誰かが太陽の表面にせっせとガソリンを注いでいるんじゃなかろうか。 「まーったく暑いわねっ!」 ハルヒの機嫌もさらに下方修正が施されているようだった。そのセリフも今日だけで三度目くらいである。朝のホームルーム前からこの状態では、午後には機関銃並の速度でグチをたれていることだろう。 「年々気温が上昇してるんだから、もっと早くから夏休みにすべきなのよ。いつまでも昔のまんまじゃ日本の社会は進歩していかないわ。これじゃあ予定が狂っちゃうわよ」 高校生の夏休みの長さに日本の社会を持ち出すのもどうかと思うが。 「その予定ってのは何だよ。俺はまだ聞かされてないぞ」 「夏休み前から文化祭映画の撮影をやるつもりだったの。去年みたいに秋に始めてると毎日すっごく忙しくなっちゃうからと思ってあたしなりに配慮したつもりだけど、でもこの暑さじゃ無理よ。外に出たら四秒で丸焼きになるわ」 むしろ好都合である。 「じゃあいっそのことやめちまおうぜ。この分だと文化祭までずっと酷暑だ。今年の文化祭は映画をやめてバンドだけで充分じゃねえか」 「ダメよ、そんなの。せっかくみくるちゃんで客寄せできるチャンスだもの。逃す手はないわ」 たとえ一年前に調子づいた拍子で言ったことでも、言ったことは必ずやり通すのが涼宮ハルヒ流である。早い話、メイワクだ。 そう、つまり今年も我がSOS団では去年に引き続き映画を撮ることになっているのである。 去年の映画のタイトルというのが『朝比奈ミクルの冒険 Episode 00』であって今年はその続編である。題名は確か、『長門ユキの逆襲Episode 00』だったっけ。作品名には長門の名前がクレジットされているものの内容は去年と同様に朝比奈さんのPVに相違なく、ハルヒは本気なのかもしれないがそこにストーリー性は皆無である。カメラマンの俺はまだいいが、高校三年生になってまでセクハラウェイトレスの扮装をさせられて幼稚園児のケンカよりもショボいと思われる戦闘シーンを演じなければならん朝比奈さんを思うと涙が出てくるね。 俺は二つ目の案を提示した。 「ならバンドのほうをやめようぜ。俺はギターなんか弾けないしボーカルなんてもっと無理だ。映画かバンドか、どっちかにしてくれ」 「ダメよ。去年は映画だけだったんだから今年は二つやるわ。来年はきっと三つやるわよ」 「来年のことはいい。しかし俺は本当に楽器なんて何もできないんだ。だからバンドはやめてくれ。あるいは、俺を除いた団員だけでやってろ」 この会話から解るとおり、呆れたことにSOS団は今度の文化祭で一般参加のバンドにまで出演する予定である。SOS団、というからにはその中には高確率で俺も入れられているのだろう。 映画のスクリーンならカメラマンである俺は映ってないからともかく、生のライブであるとうなら俺も否応なしに素顔を公表しなければならず、そうなったら最後校内だけでなく俺の近所にも俺がSOS団なる珍妙な団体に所属しているということが知れてしまう。それだけは阻止せねばならん。 しかしハルヒに意見を変えるつもりは蚊の針の先ほどもないようだった。この迷惑女は暑そうにセーラー服の胸元を手でパタつかせながら、 「何言ってるの。あんたにだってできるやつはゴマンとあるわよ。みくるちゃんと一緒にタンバリン叩いてたっていいけど、それよりもあんたには舞台の隅でカスタネットでも叩いてるほうがお似合いね」 嫌だね。なおさら嫌だ。 ――それは何の前触れもなく訪れた。 俺がどう反論の意を唱えようかと考えていると、ハルヒは次のように宣言したのだった。 「とにかく、あたしは一度言ったことをひっくり返すつもりはないわ。今年はバンドをやるし、映画も『朝比奈ミクルの初恋Episode 00』を上映させるからね!」 ハルヒは確かにそう言った。 お気づきだろうか。しごく当然のように言ってのけたため聞き流してしまいそうだったが、俺の耳及び危険レーダーはそれをしっかり察知していた。 一瞬聞き間違いかと思ったが、俺は自分の耳をそれなりに信用しているつもりである。 あれ? ハルヒは何と言った? 「こらキョン、せっかくあたしがカッコいいこと言ってるのに、あんたの今の顔はいつにも増してマヌケ面よ。写真に撮って収めておきたいくらいだわ」 いや、そんなことはいい。俺のマヌケ面写真を撮ってもせいぜい後世SOS団員の笑いのタネにさせられるだけだろう。それよりも、 「すまんハルヒ、もう一度映画のタイトルを言ってくれないか? ちょっと違ってたような気がしてな」 「『朝比奈ミクルの初恋Episode 00』よ。あんたまさか忘れたの?」 はあ? 『朝比奈ミクルの初恋Episode 00』だと? そんなもんは知らん。今年やるのは『長門ユキの逆襲Episode 00』だろうが。わざわざインチキな予告編まで作らされたんだから俺が間違えるはずはないぜ。それともハルヒが勝手に題名を変更したのか? 「はあ? って言いたいのはこっちのほうよ。『ナガトナントカのナントカ』なんて一度も聞いたことないわ。今年やるのは『朝比奈ミクルの初恋Episode 00』で、最初から変わってないわよ。予告編も作ったじゃない。寝ぼけてるようなら殴って起こしてあげるけど、どう?」 何を言うか、俺はしっかり起きている。 「起きてるわけないじゃないの。だいたいそのタイトル……何だっけ、もう一度言いなさい」 「『長門ユキの逆襲Episode 00』」 「それはどっから湧いて出たのよ。そもそもそのナガトユキとかいうのは何? 人の名前?」 ハルヒはしごく真面目な顔をしている。 おいおい、自分で考えた映画の題名を忘れたと思ったら今度は長門のことを忘れたとしらばっくれる気か。冗談なら冗談っぽく言わないと人には伝わらないぜ。だいたいそんな冗談はお前的に「笑えない」冗談に分類される気がするぞ。 「あたしは冗談を言った覚えなんかないわ。だってナガトユキなんて一度も聞いたことないもの。何、あんたの中学の時とかの同級生?」 そんなバカな。 「長門有希だ。知らないのか」 背中に若干冷たいものを感じる。まさかとは思うが……。 「知らない。あんたにそんな知り合いがいたの? どんな娘、そのナガトユキとかいう娘は。何か特殊能力があったりする?」 「うちゅ――」 う人とつなげようとして危うく思いとどまった。 「SOS団のメンバーだろうが。そして、たった一人の文芸部員だ」 一番最初に長門から受けた無機質な視線や機械的に動く指を俺は一生忘れない自信がある。そんなのは正体を知っていようがいまいがハルヒも同じはずだ。 さあハルヒ、俺の平常心をもてあそぶつもりで言った冗談ならそろそろやめにしてくれないか。そういう悪質な冗談は俺の過去の体験も手伝って見えざる第六感を刺激してくれるのでね。 しかしハルヒは心底呆れたような顔をしており、そしてとうとう、嫌な予感のしている俺にとどめを刺した。 「SOS団ってあんたねえ。本当にどうかしてるんじゃないの? SOS団は一年生の四月あたりからずっと四人だけでしょ」 俺の頭を強烈なショックがぶっ叩いた。 ありえん。 ハルヒ、俺、長門、朝比奈さん、古泉。どう考えたって五人だ。これが冗談だというならそれは長門に失礼だぜ。もし本気で言ってるなら、ハルヒの頭か世界が狂ったんだ。 「バンドは」 俺の出した声は心なしかかすれていた。 「去年、文化祭のENOZのバンドでギターをやってたのは誰だ」 「三年生の人、中西さんとか言ったかしら」 そんははずはない。 「映画はどうだ。去年、俺らが文化祭でやった映画で朝比奈さんの敵を演じたのは誰だ。黒衣纏って棒を持ってた奴だ」 「谷口」 あっさりと答えやがる。くそ谷口め。お前は脇役の脇役で水中ダイブでもしてればよかったんだ。お前に長門役を務められるほどの力量はないぞ。 などと言っていても仕方ない。 冗談であるという可能性を俺が信用できないのはハルヒの顔を見れば解る。こいつは友人が覚醒剤中毒者だったと知らされたばかりのような呆気にとられた顔をしてやがる。こんな顔は見たこともない。 「ハルヒ、お前は本当に長門を知らないのか?」 「知らないわよ、うるさいわね」 「お前、確か去年の三月にあった百人一首大会で二位だったよな」 「そうだけど、何の脈絡があるの?」 「脈絡なんかどうでもいい。それよりも、あの時一位になったのは誰だった?」 俺の記憶通りならそれは長門のはずである。読書好きのヒューマノイドインターフェース。 「さあ誰だったかしら。あたしの知ってる人じゃなかったわね。黒くて長い髪をした女子だったかしら」 長門はロングヘアではない。ハルヒは一時期髪の長かったときがあったが、長門は三年前に見たときも昨日見たときもショートカットだった。 「ねえ、あんたさっきから変だけど、どうかしたの?」 「どうもしてない」 俺は即答した。どうかしてるのはハルヒの頭か、それともこの世界か。 まさか――。 この感覚。ハルヒの病人を見るような目つき。当然いるはずの人間が突然いなくなった経験を、俺は過去にしている。 忘れもしない去年の十二月十八日。 目眩がして、世界がぐるぐる回転しているような感覚に襲われた。 あれをもう一度やらせようってんじゃねえだろうな。 断片断片が次々とフラッシュバックする。シャイな長門、髪の長いハルヒ、書道部の朝比奈さん、学生服を着た古泉。 「おいハルヒ、もう一度訊くが、お前は冗談を言っているのか? 言っているんだったらすぐにやめてくれ。土下座までならしてやる」 「もう一度言うわ。言ってない。あんた本当に頭がどうかしちゃったんでしょ」 ガラガラ。 教室の扉が開く音がして、俺は反射的にそちらを向いた。教室にいた男子が廊下に出ていっただけだった。間違ってもお前だけは出てくるなよ、殺人鬼朝倉。 俺はハルヒに向き直り、 「お前、光陽園学院にいたことはないか? というか、あそこは女子校だよな」 「そう、女子校。あんたが狂ってるものとして真面目に答えてあげるけど、あたしはあんな学校には一度もいたことがないわ。一年の最初からずっと北高生よ」 世界がおかしくなってるんだとしても、冬とまったく同じではないらしい。 「すまん。もう一つだけ訊いていいか?」 「いいけど」 「お前は一年の最初の自己紹介でこう言わなかったか? 『ただの人間には興味ありません。この中に宇宙人、未来人、異世界人、超能力者がいたら、あたしのところに来なさい』とな。そしてお前は俺と一緒にSOS団を設立した。合ってるか?」 ハルヒはやや複雑そうな顔をして俺を見ていたが、やがて答えた。 「ええ、 その通りよ」 * ホームルームが始まるまで、あと少ししか時間がない。 運のいいことに俺は今日普段よりも三分ほど早く学校に到着していた。それは妹の攻撃がいつにも増して強力だったからということに尽きるわけだが、そんなことはどうでもいい。 「ちょっと外に行って来る」 ハルヒにそう言って、俺は教室を飛び出した。 ハルヒは長門の存在を知らなかった。さまざまな出来事のうち長門の部分が消されて他の何かに書き換えられている。ハルヒがおかしいのか世界が変わっちまったのか。 瞬間、俺はまたしても強烈な目眩を覚えた。 デジャヴ。 三半規管がイカれたみたいに足許がぐらついてくる。 俺はこんな気持ちで、こんなふうに廊下を走ったことがあるのだ。ハルヒに引きずられて走らされたことならいくらでもあるが、自ら全力疾走なんてのはあの時と今くらいなもんだ。 そうだ。 あの時も、俺は朝倉から逃げて教室を飛び出した。そして長門はクラスにはおらず、古泉のいるはずの九組は吹き飛んでいた。 そして今、俺はまるで同じ道を辿っているではないか。 冗談じゃない。二度も同じことをやってたまるか。 長門のクラスにはすぐ着いた。朝のホームルーム前ということもあってクラスの中は雑然としており、この人混みの中で長門の小柄な姿を探すのは難しかった。目を皿にして教室のはじからはじまで走らせるが、長門らしき女子は見つからない。 「ふざけやがって」 俺は仕方なくクラスの中に足を踏み入れた。中学の級友とかで知っている顔を探しては次々と質問をぶつけていく。 長門有希という女子を知っているか。このクラスにはいないのか。この学年にはいないのか。 まるで申し合わせたかのような完璧さ。俺が声をかけた連中はそろいも揃ってトボけた顔をしやがり、当然のようにかぶりを振った。 つまり、そんな奴は知らない、と。 なんてこった……。長門を知らないのはハルヒだけではなかったのだ。 もう偶然などという言葉では片づけようがない。冗談説も通用しない。こいつらは集団で頭が爽やかなことになってるのか、まさかとは思うが世界改変があったのか。 俺はワケの解らんだろう愚問に答えてくれた連中に意識外で礼を述べると、くるりと回れ右をして絶望感を背負って廊下に出た。 何かが起こっているのだ。 ハルヒの次は長門が消える番ってか? ふざけんな。 俺は思い出す。この次、俺はいったいどこに向かったんだ。十二月十八日、長門がいないことを知った俺は誰に希望を託した? 言うまでもない、一年九組である。古泉のハンサム面がいるはずの理数クラス。そしてあの時、一年九組はなくなっていた――。 それを二年バージョンで起こす気か。大事な時だけ消えるってのはなしだぞ、古泉。 同時に朝比奈さんの顔も思い浮かんだが、いかんせん三年の教室は遠い。同学年であったのならどちらを選ぶかは微妙だが、それは今の問題ではない。 トラウマに押しつぶされそうになりながらも俺はフラフラの状態で二年八組に到着した。 その横には見間違いようもなくしっかりと教室があって二年九組というプレートが張り付けられている。突貫工事も今回は間に合わなかったらしいな。 俺は頭の隅で聞いたことがあるようなないような怪しい呪文を唱えながら、ホームルーム中なのも構わずに扉を開けた。 「どうしました?」 担任女性教師の声をバックに、教室内の全員がギョッと俺のほうを振り向く。 「古泉は、古泉一樹はいますか?」 「ああ」 くそ! 俺が見たところこの中には古泉の顔はない。そうでなくても、俺が尋常ではない表情を顔に張り付けて他教室に侵入すれば古泉は立ち上がって俺のところに来てくれるに違いない。 今度こそぶっ倒れるしかないかと思ったが、女性教師は何やら書類にさっと目を通すと俺に向かって、 「今日は休みですね。風邪だそうです」 そう言った。 九組の生徒も特に不審がった様子は見せない。クラスメイトが風邪を引いて休んだと聞かされたときのいたって普通の反応であり、そんな奴はうちのクラスにはいないという感じの反応を示している奴は一人もいない。加えて、俺の立っている入り口あたりの机が一つ空いていた。 「それで、彼に何か用だったんですか?」 「いや……別に」 俺は適当に返事をし、その空いていた椅子に古泉一樹と印字されているのを強烈に脳に複写してから九組を出た。 廊下の壁にもたれかかって、詰まっていた何かを吐き出すように深く息を吐いた。そうすると体中から力が抜けて、壁にもたれかかったままずるずると床に崩れ落ちた。 古泉はいるのだ。 確証はない。しかし、その可能性は高い。そうでなければあいつの椅子や机なんかが九組にあるわけがないのだ。 何ともいえない感情がこみ上げてきた。嬉しい、というやつだろうかね。 欠席というのが気にはかかるが、俺からすればそれも考え得る範囲である。 たぶん、あの教師が言ったような風邪というのはまずありえん。それはおそらく欠席理由にするだけの、表向きの理由だ。この非常時にマジで風邪でも引いていようものなら俺がすぐさまベッドから引きずり出してやる。 そうではなくて、古泉が欠席している理由は『機関』関連ではないかと思うのだ。長門が消えたのはほぼ確実であり何かが起こっているというのは間違いないから、その処理か何かに追われているのだろう。 気を利かして俺に電話一本もくれないような状態ってのはどんなもんかと思うが、俺は橘京子や周防九曜、敵対未来人を知っている。もしかするとあっちで大きな動きがあったのかもしれん。それがこの長門が消えているらしいという事態に直結している可能性は大いにある。 古泉の携帯電話にかけてやろうかと思ったが、ポケットにつっこんだ俺の手は虚しく布の感触に突き当たるだけだった。ちっ。教室の通学鞄の中だ。 仕方なく俺は立ち上がった。 しかし、いったい何が起こっているんだ。考えたところで解らないだろうが、考えずにはいられん。 長門がいなかった。そして誰も長門のことを知らない。知っているのは俺だけ。 シチュエーション的には冬の世界改変にそっくりである。しかしあの時、消えたと思っていたハルヒは光陽園学院にいたし、東中出身の谷口はハルヒのことを知っていた。 あいにく俺は長門の出身中学など知る由もないが、ということは今回もそういう感じの世界改変なのか。あいつも光陽園学院にいるとか、そういうオチなのか。 それとも本気でこの世界から消えちまったのか――。 長門のクラスを横切るとき、俺は廊下の窓からふと教室内を見渡してみた。 ホームルーム中で静まっているので確認しやすかったため、長門の机や椅子がないのはすぐに解った。古泉のように席が空いているということもなかった。 全員出席なのに長門はいない。 そして、恐ろしいことに誰もその矛盾に気づいていない。長門なんて女子は最初からいなかったかのように普通に振る舞っているのだ。 当然である。 最初からいなければ誰の記憶にも残らないし、いない奴の机や椅子があるわけがない。そういう理屈だ。 俺は目を背け、早足で二年五組へ戻った。
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip2/pages/3922.html
二 章 まあメランコリーはさておき、ハルヒの突拍子もない思いつきにどうしたものか考えあぐねていた。営利目的になれば高校や大学の同好会とは違う。金はからむし、顧客と出資者への責任も生じる。それに社員全員の生活もかかっている。社会的責任、ってやつだ。ハルヒの思いつきだけで会社がやっていける世の中なら、経営コンサルタントなんていらないだろう。なんというかこう、ハルヒも満足する、社員も顧客も満足する、すべてがうまくいく方法はないものか。 長門から晩飯を作ると電話があったので、俺は帰りにマンションに寄ることにした。俺も今回ばかりはうまく切り抜ける案がないので、長門の知恵を借りることにした。 「ハルヒを満足させられるだけの仕事で、四人を養っていくだけのネタがあればいいんだが」 「……事業内容を二つに分ければいい」 「とういと?」 「基本収入を得る事業、実験的な投資事業」 なるほどな。前者が仕事、後者が遊びってわけか。 「後者のタイムマシン云々はハルヒに好きにやらせるとして、前者の基本収入を得る事業だが、なにかいい方法はないか」 「……低コストでなら、ソフトウェアを売るのがいい」 「お前ならさくっと作れるだろうが、学生をやりながらはきついだろ」 「……大丈夫。時間の切り分けをうまく調整する」 「ハルヒのお守りのためにあんまり長門の手間をかけさせたくないんだがな」 「……いい。必要とされるのは、いいこと」 長門の顔に少しだけ微笑が浮かんだ。そう言ってくれるのは嬉しいんだが。 「じゃあ、俺も勉強して手伝うよ。ハルヒと古泉にも手伝わせるから」 とはいっても、ハルヒに今からプログラム言語を勉強しろと俺が言えるかどうか。 「それで、どんなソフトウェアを売るんだ?」 長門はごそごそと薄型ノートパソコンを出してきた。 「……アイデアはある」 長門テクノロジーから生まれた製品のアイデアはいくつかあった。すぐにでも実用化できそうなのは『自律思考型業務支援仮想人格』とか言うらしい。 「どういうもんなんだそれ?」 「……通俗的な用語を使用すれば、人工知能」 長門がとあるプログラムを起動すると、黄色いリボンをした3Dの人形っぽいキャラクタが画面に飛び跳ねた。 『ゆきりんおかえりぃ、元気ぃ?』 「ゆきりんってお前のことか」 「……そ、そう。たまにそう呼ばれる」 『その人だぁれ?ふふっ、もしかしてカレシぃ?』 このキャラクタ、知ってる誰かに非常によく似てるんだが。 「……この子は元はウィルスだった。北高のコンピ研に所属していた頃、コンピュータから抽出して育てた」 「ウィルスって、大丈夫なのか」 「……問題ない。増殖する機能は切ってある」 長門が言うには、この“涼宮ハルヒシミュレータ”は元々ハルヒの情報を栄養源とする人工知能の一種らしい。 「こいつ、自分で考えて喋るのか」 「……プログラムに考えるという機能はない。状況を示す情報に応じて反応しているだけ」 「どうやってこっちの様子が分かるんだ?」 「マイクとカメラからの情報を内部で解析している」 俺はCCDカメラに向かって話し掛けた。 「おいハルヒ、ちょっと見ないうちに小さくなったな」 『うるちゃいわね!でかいだけが能じゃないわょ』 この三頭身だか四頭身だかのミニハルヒはかわいい。パッケージ化しておまけにフィギュアをつけたら売れるぞ。 「……同じコアロジックを利用し、業務支援ソフトを作る」 長門が考えているのは、会社全体の情報から経営分析し、スケジュールとか文書管理などの仕事で必要な手間をすべてやってくれるマルチなプログラムらしい。簡単にいえば社員全員にAI秘書をつけて業務管理する、らしいが。 「これを店頭で売るのか」 「……店頭小売パッケージにはできない。ライセンス数で売る。グリッドコンピューティングの一種」 難しい名前が出てきたが、要は複数のパソコン上で連携して動くソフトウェアらしい。二十台以上のパソコンがある事業所なんかで稼動可能。だから個人用途では売れない。 「ほかにも、セキュリティ機能をオプションで付ける」 そっちのほうが人気出そうだな。近頃の管理職はセキュリティソフトが好きだから。とりあえず食うために、それをメインに事業をはじめてみるか。 翌日、今度は俺がハルヒを呼び出した。 「ということでだな、まず安定収入を得ることが先決だと思う」 「しょうがないわ。お金なんか目的じゃないんだけど、食っていけるだけの余裕がないと困るものね」 「まあ長門が作ったデモを見てくれ」 ノートパソコンの画面に冴子先生より美人なお姉さんが現れた。さすがにハルヒの格好をしたキャラクタなんか見せたら猛烈に怒り出すだろう。 『おはようございます、涼宮さん。三十分後にミーティングです。出席者は社長、事業部長、課長、担当者です。議題は四点、プリントアウトしている資料に目を通しておいてください。新着のメールは二十件。そのうち、一時間以内に返信が必要なものは四件です』 「なんか、仕事に管理されてるって感じね」 「無駄がなくていいじゃないか」 「無駄がないのはいいんだけど。なんか足りないのよね」 曖昧だな。なんかって何だ。俺も考え込んだ。 「萌えよ萌え!いわゆるひとつの萌え要素」 なにを言い出すかと思ったらまたそれか。 「この秘書、もっと若くしてメイド服着せて、眼鏡っ子にしたらどうかしら。きっと仕事もはかどるわ」 たまにスケジュールミスとか打ち合わせバッティングしそうな秘書だな。 「性格も選べるといいわねぇ。ツンデレとかお嬢様とか。女性向けにイケメン秘書も。ジョークなんか飛ばしてくれると和むわ」 「お前、別のゲームと勘違いしてんじゃないのか」 「ソフトウェアなんて所詮は道具よ。だったら、かわいかったりかっこいいほうがいいに決まってるじゃない」 朝比奈さんみたいな秘書だったら、まあ、一理あるな。 「もうちょっとキャラクタ性が欲しいのよね」 機能に関しちゃなにもなしかよ。 「……分かった」 長門はちょっとがっかりしたようだった。まあそうしょげるな、ハルヒは何も分かってない。いっそのことミニハルヒで売りに出すか、本人の営業付きで。 数日後、バージョンアップした秘書が現れた。 『ハーイ古泉くんげんきぃ?昨日はよく眠れた?もしかして彼女と一晩中ウフフだったのかしら。あら、眉間に皺なんか寄せちゃって、冗談よん』 画面には“メールを読む・今日の予定を聞く・昨日の彼女の話をする”の選択肢が現れた。業務が三択かよ、分かりやすすぎる。 「いい感じですね」 「俺もいいと思う。音声認識させたらキーボードもマウスもいらなさそうだな」 男は単純だ。 「古泉くんみたいなキャラはいないの?」 「……設定すれば、可能」 「じゃあキャラクタをオプションで売りましょう。渋めの中年が好きな人もいるし」 表向きは秘書ソフトなんだが、バックで超高度な人工知能とデータベースが動いてることには興味なさげだった。まあ顧客ってのはそういうもんだろうけどな。 「それでだな、これを主力商品にするのはいいんだが、長門ひとりに開発を任せるのは負担が大きすぎる。だから俺らも勉強して、せめてセールスエンジニアくらいの仕事はこなせるようになりたい」 「僕も多少なら手伝えますよ。専攻ではありませんが、情報工学も取っていましたから」 「プログラム書けるか?」 「ええ。たしなみ程度なら」 そうだったのか。思わぬ伏兵だな。 「ハルヒ、お前も勉強しろ」 「分かったわ。しのぎよね」 「長門、お前は大学院を優先させてくれていいから。無理なスケジュールで働くことはないからな」 ハルヒが趣味で作る会社のために長門の時間を潰させたくない。 「……分かった」 長門に気を使ってそうは言ったが、こいつがいないと会社が回らないかもしれない。思いのほか長門も、ハルヒとつるんでなにかはじめられることを喜んでいるようで、溜息をついているのは俺だけとなった。まあ、しばらくは付き合ってみるか。せめてハルヒが飽きるまでは。潰れたらそんときまた考えればいい。 残るは資金だが。これが最も重要な課題で、しかも難題だ。ハルヒの会社に投資してくれるような酔狂なやつは、たぶんこの世界にはひとりもいない。 「古泉、お前の機関の財政状態はどうなんだ?」 「最近は締め付けが厳しいですね。経費清算もやたら書類ばっかり書かされます」 どこぞもそうだよな。このご時世、金が余ってるなんてやつがいたらお目にかかりたいもんだ。 「機関ってどういう金で動いてるんだ?」 「世界を守るという、我々の目的に同調してくださる御仁が数名いらっしゃいまして。その方々のご支援によっています」 「その、御仁への見返りは?」 「いちおういくつかの会社法人を抱えていますから、その利益を少しでも還元していますね。多丸氏はそのへんの財務を担当しています」 なるほど。どの世界でもしのぎが必要なわけだ。 「出資者はどれくらいいるんだ?」 「片手で数えるくらいです。前にも言ったかもしれませんが、鶴屋さんはその御仁のご息女です」 そういえばそんなことを聞いた覚えがある。鶴屋さんか……。 「もしかして、鶴屋さんに出資を依頼しようとお考えですか」 「分からんが、ダメモトで当たってみる価値はあるな」 「では僕は顔を出さないことにしましょう。機関は鶴屋家には直接的には関わらないというルールがあるので」 「そうか。じゃあ俺は週末にでもハルヒを連れて鶴屋さんに会ってくる」 「なんであたしが鶴ちゃんにお金を借りないといけないのよ」 「金が天から降ってくるとでも思ってるのか」 「銀行に借りればいいじゃないの」 「銀行は借りる必要がないことを証明してはじめて融資してくれるんだよ」 「は?」 「つまりな、銀行は支払能力があることを認定しないと貸してくれないんだ。俺たちには担保物件になりそうなものもないだろ」 ハルヒが実家を抵当に入れると言い出さないかハラハラした。 「妙なことになってるのね金融って。しょうがないわ。ただし、」 「ただし、なんだ」 「タイムマシン開発がうちの主力事業だということははっきりさせておくわよ」 いくら鶴屋さんが物好きでも、それを言い終わらないうちに断られるぞ。 「わははっ。さすがはハルにゃんだねっ。で、タイムマシンはいつ完成するんだい?」 だから言うなっていったのに。鶴屋さんに会うのは卒業式以来か。相変わらずあっけらかんとしていた。大学を出てから親父さんが経営する会社をいくつか任されているらしい。 「ええと、そっちは研究事業ということにして、ソフトウェア開発を主体に考えているんです」 「ほ~う。キョンくんそっちに詳しいんだ?」 「詳しいのは長門のほうでして、あいつが開発担当になる予定です。俺たちはもっぱら営業ですね」 俺は年度ごとの事業展開と収支の見込みをまとめた事業計画書(外様向け)を見せた。 「な~るほど。出資してもいいけど、ひとつだけ条件があるんだけどねっ」 「なんでしょうか」 「タイムマシンができたら、あたしを乗っけて江戸時代に連れてっておくれよ」 「そりゃもちろん」 まかり間違って完成するようなことがあったらですが。江戸時代って、まさか山に埋まっていたアレを調べに行くんじゃ。 「いやぁ、うちにはいろいろと謎の言い伝えがあるんっさ。それを調べに行きたいね」 これだけのお屋敷を数百年も維持している一族だ、いくつものミステリーが眠っているに違いない。 「それで、一億くらいあればいいかい?」 「……は?」 俺もハルヒも、目が点になった。 鶴屋さんが言うには、会社経営じゃ一億なんてあっという間に消えてしまうものなのらしい。 「消えていくお金をどれだけ回収できるか。そこが社長の手腕よ、あはははっ」 なるほど、肝に銘じておきます。というかハルヒ、しばらく鶴屋さんのところで修行させてもらえ。 とはいえまだ収入の見通しも立っていないので、初年度分の人件費と設備費を借りるだけにしておいた。資本金が一千万を超えないほうが税金が安いらしいからな。それに、ハルヒに大金を持たせたらえらいことになりそうだし。 俺たちは三回くらい畳に頭をこすりつけて礼を述べ、鶴屋さんちを後にした。 「キョン、早速事務所を借りに行くわよ。まずは足場を作らないとね」 そんな、ビルの建設現場みたいに。 翌日、俺は古泉と長門を呼び出して開業資金が調達できたことを伝えた。 「さすがは鶴屋さんです。本当の投資家というのは、あのような方のことを言うんですね」 ただ無謀なだけかもしれんが。 「社屋はやっぱり駅に近いほうがいいわよねぇ」 「僕の知り合いに不動産を扱っている人がいましてね。彼ならいい物件を知っているかもしれません」 知り合いって機関の連中か。古泉にこっそり尋ねてみた。 「ええまあ。不動産も営んでいますから」 「ゆりかごから棺桶まで何でも揃いそうだな、お前の機関」 「ええ、墓石もあります。お安くしておきます」 いや、冗談だから。 古泉の案内で空き事務所を見に行った。さして古くはない雑居ビルの四階だった。これが北口駅から徒歩三分という、絶好のロケーションにあった。偶然じゃないだろこれ。 「明るくて広いし、いい物件ですね」 「ここにしましょう!ドリームも近いし。集合場所にも近いわ」 この歳になって市内不思議パトロールはいいかげんやめてもらいたいもんだが。 月曜日、俺は今の職場に辞表を出した。友達と会社を作ることになったのでと言うと、上司が呆然と俺を見た。自分がクビになったら雇ってくれと涙ながらに頼まれたが、まだ俺自身が食っていけるかすらも分からないので考えておきますとだけ答えておいた。残りの一ヶ月は引継ぎだけだ。少し気分がいい。 ハルヒは欠勤プラス有給消化でさっさとやめてしまっていた。通常は一ヶ月の余裕を見て辞表を出すもんなんだが、とても待てなかったらしい。 「キョン、次の土曜日に事務所開きをするわよ。SOS団のハッピを作ってくれるところ、探しといて」 事務所開きって……まるで涼宮組じゃないか。家紋入りの提灯も必要か。 忙しい人ばかりにもかかわらず、週末にはいろんな知り合いが集まってくれた。出資者の鶴屋さん、機関の森さんに新川さん、多丸兄弟。喜緑さんも差し入れを持ってきてくれた。他にもハルヒの大学時代の友達やら、俺の前の会社の知り合いやらで賑わった。ちなみに今年高校三年になる妹もいた。 まだ長テーブルとパイプ椅子しかないがらんとしたフロアで、団員四人と鶴屋さんがSOS団オリジナルハッピを着て酒樽のフタを割った。ハルヒは上戸だった。酒は一生飲まないとか言ってなかったか、おい。 宴が終わる頃、ハルヒがぼそりと言った。 「みくるちゃんがいたら……巫女衣装で出てもらったのにね」 それから一ヵ月後。俺は元の職場を無事退社し、今日が株式会社SOS団の初出社だ。昨日、やっと登記が済んだ。ハルヒは待てずにひとりで出社している。これまた殊勝なことに、机やらパーテーションやら内装やら、肉体労働を全部自分でやったらしい。 出社第一日目となる今日、朝メシを食いながら新聞を開いて、目が飛び出るくらいに仰天した。覚えていると思う、十年前に俺とハルヒが東中のグラウンドに描いた謎の地上絵を。全面広告にアレが出ていたのだ。絵文字がでかでかと載っているだけで、何の宣伝ともどこの会社とも書いていない。でかい絵文字の下にちょこっとホームページのURLが書かれてあった。こ……このURL、SOS団のじゃないか。妙な焦燥感が俺を包んだ。なにかまずいことが起るとき、この感じに襲われる。これは緊急召集だ。 俺は携帯を取り上げた。 「古泉、今朝の新聞見たか」 「ええ、見ました。涼宮さんが広告を出したんですね」 「そんなのん気なこと言ってていいのか。これの意味知ってるよな」 「ええ知ってます。載せるならSOS団のエンブレムでもよかった気がしますが。会社登記が済んだのでその記念でしょう」 「記念って。URLが書いてあるってことは集客するためだろう」 「涼宮さんがウェブに長門さんの秘書システムの紹介を載せたみたいですよ」 「全然聞いてないぞ。いったいいつだ」 「三日くらい前だったかと」 全国紙の全面広告だ、それでも十分すぎるくらいに宣伝効果はある。これでもし問い合わせが殺到したら。 「古泉、急ぎ出社してくれ。緊急事態だ」 俺は食いかけたメシもそのままに玄関へ走った。 「キョンくん、ご飯くらいちゃんと食べて行かないとだめよ」 妹が呼びかける声がしたが、そんなことを気にかけてる場合じゃない。俺は自転車を飛ばした。車なんかに乗ってる余裕はなかった。道々、長門に電話して事情を伝え大至急出社するよう頼んだ。順風満帆で起業できたと思ったら、いきなりこの暴風雨か。 「やっほー!早いじゃないのキョン」 やっほーじゃないよまったく。初日から飛ばしてくれるぜ。 「今朝の広告、お前の仕業か」 「そうよ~。なかなか派手な初広告でしょ」 「新聞広告って締め切りは最低でも一ヶ月前だろう。どうやって頼んだんだ」 「さあ。ちょうどキャンセルが入ったらしいからタイミングよかったんじゃないの」 そのタイミングとやらはきっとお前自身が作り出したんだな。ハルヒが鼻歌を歌いながら、近所で買い漁ったらしい新聞の広告ページを壁に貼り付けていた。 「全国紙で全面広告って、お前掲載にいくら払ったんだ?」 「三千万くらい、かな」 さ……さんぜんま……。眩暈がした。俺たちの給料の何年分なんだ。うちの資本金を軽く超えてんじゃないかよ。 俺は時計を見た。まだ八時半だな。 「ハルヒ、あのな、全国紙ってことは軽く八百万人が見てるってことなんだ。仮にそのうちの一パーセントが興味を持って問い合わせてきたらどうなると思う?」 「電話が鳴るわね」 鳴るだけじゃないよまったく。 「殺到だ殺到!下手すりゃ一週間くらい電話対応に追われるぞ。電話だけじゃない、メールもパンクする」 「いいことじゃないの。こっちで客を選べるんだから」 分かってない、お前はなにも分かってない。俺は頭を抱えた。 「遅くなりました。おはようございます」古泉が顔を出した。 「……出社した」続けて長門も現れた。 初出社がこんなでなけりゃ、長門のフォーマルスーツ姿をじっくり眺めて心安らぐ余裕もあったのだろうが、それどころではなかった。 「お前ら、全員電話の前に座れ。今日一日電話対応だ。長門、事業内容と製品概要を軽くまとめて人数分プリントアウトしてくれ」 「……了解した」 長門にも意味が分かったようだ。手早く作業に取り掛かった。 「俺は燃料を調達してくる」 近所のコンビニに走った。食えなかった朝飯の分と、栄養ドリンク、のど飴、人数分のおにぎり、その他カロリーメイトなどなどを調達した。 俺は時計を見た。もうすぐ九時を回る。そして今日が、SOS団のいちばん長い日の始まりである。 「お電話ありがとうございます、株式会社SOS団です!」 「どうもお世話になっております、SOS団です」 「……SOS団の、電話」 九時十分ごろから五つあった電話が一斉に鳴り始めた。新聞とホームページを見た客からの問い合わせに、事業内容とかろうじてひとつだけある製品の説明を繰り返し繰り返し伝えた。終業時間が来る頃には全員ノドが枯れていた。 長門にはメール対応も頼んだ。形態素解析とかなんとかいうプログラム技術で、メールの本文を分析し内容に応じて自動返答する仕組みを作り、さくさくと処理していた。余談だが、ホームページのアクセスカウンタが桁が足りなくてとうとう壊れたらしい。かつてのハルヒ自作のSOS団エンブレムを上回る集客効果だ。 電話は六時を過ぎても鳴り止まない。しょうがないので就業時刻を終えたメッセージを入れた留守電に切り替えた。 当然ながらこの日、休み時間は一切なかった。午後七時、全員がぐったりと椅子によりかかっていた。ある者は机に突っ伏していた。メーカーのサポートセンターってきっとこんな感じなんだろうなぁとかぼんやりと妄想していた。 「ハルヒ……明日もこんな感じだぞきっと」 「悪かったわよ……」 「……緊急会議を提案する」長門がぼそりと言った。 ふだんから無口な長門に電話対応をさせたのは、ちょっとかわいそうだったが。イライラした客から上司を出せと何度も言われたらしい。 「会議?なにか議題あるのか」 「……受注数が予定で二十件を超えた。外注したほうがいい」 なるほど。長門は電話対応しながらまめに営業してたのか。 「二十件の注文が取れたの?すごいじゃない」 ハルヒが突然元気を取り戻した。 「……まだ、営業担当を訪問させる約束を取り付けただけ」 「それでもすごいわ、二階級特進して昇進よ!」 やれやれ、二階級特進が好きだな。ハルヒが腕章を取り出して副社長と書き込んだ。そのストックまだあったんだ。 「……拝命する」 長門は両手で腕章を受け取った。気のせいかもしれんが、嬉しそうだな。 「長門さん、昇進おめでとうございます」 古泉が拍手した。俺もしょうがなしに拍手した。そういえばハルヒと知り合ってからずっと、俺だけが腕章をもらってない気がする。いや別にいいんだが。 「外注っていっても、やってくれそうなところがあればいいが」 「……心当たりは、ある」 長門がスクと立ち上がった。 「って、これから行くのか?」 「……そう。来て」 いくらアウトソースといっても、アポくらいしていったほうがいいんじゃないだろうか。この時間だし。 ぞろぞろと三人で長門の後をついていった。エレベータに乗ったが、長門は三階のボタンを押した。 「このビルか?」 「……そう」 偶然にしちゃえらく近くにあったもんだな。俺たちの部屋があるちょうど真下に、IT関係っぽいカタカナの名前の会社があった。規模はそれほどでかくなさそうだが。 俺はドアの前でインターホンを押した。 「すいません、営業担当の方、いらっしゃいますか」 「どちらさまでしょうか?」 「上の階に事務所を構えている株式会社SOS団と申しますが」 そこでインターホンの向こうから咳き込む声が聞こえた。 「な、なんですって!?」 「突然で申し訳ありません。お仕事をお願いできないかとご相談に上がった次第なんですが」 「ちょ、ちょっとお待ちを」なぜか慌てている。 ドアが開いてわらわらと人が出てきた。 「な、なんでキミタチがこんなところにいるんだ!」 誰かと思えば。見覚えがあるどころか、忘れもしない。朝比奈さんとの強制セクハラ写真を撮られた挙句、パソコン一式、いやそれ以外にノートパソコンまで取られたあのコンピ研部長氏だった。あのときの部員が全員いる。 「あら、あんた。コンピ研の部長じゃないの。お隣さんだったのね」 「部長じゃないよ!社長だよ社長」 「奇遇ね。あたしも社長なのよねぇ」 これはどう考えても奇遇じゃないだろ。俺はちらりと長門を見た。長門は我関せずの顔を決め込んでいた。 数年ぶりのご対面がこんなだったが、いちおう客として応接に通してくれた。 「で、なにしに来たのキミたち」 「新聞広告出したら注文が殺到しちゃってさあ。うちの仕事手伝ってよ。報酬はそうね、あんたんとこが三でうちが七でどう?」 まるでありがたく仕事をくれてやる態度だな。俺たちがやったのは電話対応だけじゃないか。ぼったくりにもほどがある。 「残念だけど、僕たちもう廃業するんでね」 「えっ、そうなんですか」 俺は驚いた。この人なら技術も経営ノウハウも十分ありそうなのに。 「この業界って仕事の取り合いでなかなか難しいよ。最近は人件費が安い海外の企業に流れることが多いし」 生半可な気持ちではじめた俺らとはえらい違いだ。うちもうかうかしてはいられない、明日はわが身かもしれん。 「一年前に意気揚々とはじめた会社だったのに、残ったのは債務の山だけ。このパソコンも全部抵当なんだ」 部長氏は愛する機材をなでなでしながら大きくため息をついた。 「じゃあ、あたしがあんたたちを買い取るわ。企業買収って一度やってみたかったのよねぇ」 「おいハルヒ、そんな金どこにあるんだ」 「なんとかなるわよ。うちの実家を担保にしてもいいわ」 お前の親父さんが汗水たらして二十年間ローンを払いつづけてる一戸建てをか。いくら一人娘とはいえそれは酷なんじゃ。 部長氏を見ると難しい顔をして呆然としていた。これが沈みかかった船への救助なのか、あるいは地獄の日々がはじまる予兆なのか考えているようだった。 「もう、好きにしてくれ……」 「じゃあ、あんたにはシステム開発部部長の肩書きをあげるわね」 「なんでもいいよもう」 「担当副社長は有希だから、この子に任せるわ。あんたたち、有希のこと好きでしょ」 「ええっ、ほんとかい?」 「有希、こいつらの面倒みてくれるわよね?」 「……たまになら」 部長氏は願ったり叶ったりといった感じで手を打って喜んだ。まあ、コンピュータが分かる者同士、長門とならうまくやっていけるだろう。 部長氏の会社は看板が変わっただけで、今日付けでうちのシステム開発部に吸収合併された。株式会社SOS団はメンツも増え九人になった。いよいよ大所帯だな。 部長氏の負債だが、出資者の鶴屋さんに頼むほかなく、結局全額引き受けてもらうことになった。実家を担保にしなくてよかったな、ハルヒ。まあこれだけ受注が来てるんだ、全部掃けたら保守費も取れてうまい具合に回るだろう。副社長の長門は三階と四階のフロアを往復する毎日だった。大学院の授業もあるだろうにご苦労だ。俺も営業に回れるだけの知識を得るべく、しばらくは長門に教えてもらいながら勉強の日々だ。 文中の“涼宮ハルヒシミュレータ”は◆eHA9wZFEww氏による作です「涼宮ハルヒの常駐」 3章へ
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip2/pages/3609.html
ここは部室。 いるのは長門と古泉と俺。 いつもよりちょっと笑顔が偽者臭い古泉と会話をしている俺は今日も深い溜息をついた。 「またかよ」 閉鎖空間。 3年に進級した今もそんなものが発生しようとは疑問しか湧いてこない。 その理由は古泉によると俺だけが知らない等と言いおった。イジメかよ。 最近じゃ2人きりの活動も少なくないからな。勉強とか勉強とか・・・ 周りは冷やかしたりするがハルヒは恋人じゃないっての。間違ってもそんな関係になるばずがない。 まぁとにかくハルヒと過ごす時間が一番多いのは俺だから最近のご機嫌なハルヒを見る限り大丈夫と思っていたのだが・・ 「では、よろしく頼みます」 「何をだよ」 「涼宮さんのこと です」 そう言って古泉は立ち去っていった。バイト乙。 ・・・って他人事じゃないんだけどな。 俺はまた溜息をついて椅子にぐにゃりと座る。 しばらくうなだれていると突然後ろから声がした 「これ」 「ぅおっ・・・長門!?」 「あなたに」 そういって差し出されたのは四角いケース。 「必要な時だけ、使って。」 「・・・これは?」 「性能は保証する。宇宙人と発明家の太鼓判付き」 そう言って長門は椅子に戻った。突っ込みぐらいさせてくれよな。 俺は恐る恐る箱を開けて中身を見る。 眼鏡だった。 かけてみようかと思った矢先にハルヒと朝比奈さんが戻ってきたので眼鏡ケースはバッグに入れた。 ハルヒはやっぱり朝比奈さんで遊んでいたようだ。やれやれ・・・ 卒業した後も律儀に部室に顔を覗かせる朝比奈さんには平伏するね。 活動が終わった後、俺はハルヒと共に帰り道を歩む。 厳密には帰り道ではない。これから俺の家に行って勉強するのだ。 テストの赤点対策から始まり、宿題、試験勉強、 そして今は受験勉強と、俺はハルヒと勉強するのは日常生活の1部になっていた。 今では毎日ハルヒと勉強している気がする。ハルヒ曰く「教える側の方が勉強になるのよっ」だそうだ。 まぁやる気が無い日というのも実は存在して、話をしたりゲームをしたりする日もあるんだがな。 勉強も一段落ついてハルヒの「ちょっと休憩!」の声がかかった。 ハルヒは俺の布団にもたれて寝てしまった。ちょっとは状況を考えてほしい。 俺の苦労や悩みを何も知らないんだろうな、こいつは。 お互い様か? そこで俺は鞄の中のケースに気が付いた。そういえば眼鏡貰ったんだったな。 ケースを開けて眼鏡をかけてみた。おお、結構見やすい。 視力は良い方だと思っていたが、そんな俺でも更に見やすくなったぞ。 ハルヒの寝顔もばっちり見える。教科書の文字も読みやすいな。 しばらく眼鏡で遊んでいると下に敷かれていた紙に目がいった。眼鏡拭きではないようだ。 紙を広げてみると、見覚えのある整った字が目に入った。 左 不快指数 右 愉快指数 ・・・なんだコレは。 どうみても普通の眼鏡ですよ長門さん。 それに不快指数って気温と湿度の組み合わせで決まる人体の感ずる不快の程度のことだよな? と思いながらはずしてもう一度見ると耳にかける部分にスイッチらしきものを見つけた。 カチリ、と押してみる。もう一度眼鏡をかけてみる。やっぱり何も変わらない。 まぁ勉強するには最適の眼鏡かもな。 「キョン。どうしたのその眼鏡」 げぇっ。ハルヒが起きよった。 「お前はもう少し寝て・・・ろ!?」 「なによその言い方!どういう意味よ!!」 正直俺はそれどころではなかった。 視界の隅に異変が起きたからだ。 73 49 左目のレンズに数字が出てきた。 しかもハルヒは気づいていない。と思ったら気づいたらハルヒが目の前にいた。近いって。 「キョン!聞いてるの!?」 いかん。とにかくハルヒをなだめなくては。そこで俺は思いついた。 あのわかりにくい10文字の説明文でもレンズに出てきた数字を見ればすぐに推理できる。 「ハルヒ。お前の寝顔はなかなか可愛かったぞ。」 「!?」 55 61 なるほどね。長門。いいものを用意してくれたな。 今ならわけのわからん太鼓判にも納得できるぜバーロー。 「はは、冗談だけどな」 「それであんたからかってるつもり!?しかも人の寝顔見るなんて趣味が悪いわよ。」 68 43 どうやら”からかい”はうまくいった様だ。 それにしてもこいつめ、人の部屋で勝手に寝顔晒しておいてなにを言うか。 ・・・しかしここはとりあえず謝っておこう。 俺はすごいもんを手に入れたのだからな。こいつの評価は530000だ。 「すまんな。なんか気分が穏やかになってみただけだ」 「なにそれ。気持ち悪い」 嫌そうな顔を見せるハルヒ。でも内心はそんなに嫌ではないらしいな。 今日は古泉にも苦労させちまったみたいだしな。 俺はその後かつてないほど真面目に勉強し、お茶を持ってきたり軽食を持ってきたり とにかく思いつく限りの気が利く行為をハルヒにしてやった。 ハルヒは「今日のあんた変!」等と言ったが、数字は嘘をつかなかった。 35 90 ああ、こいつももっと素直に喜べばいいのに。 内心はちゃんと嬉しいんじゃないか。何故隠す必要があるんだ。 こいつの感情表現は素直な方だと思っていたのに、今までもこうやって嬉しさを隠していた時があるのかと思うと実にもったいない。 でもいくらか不安になっているということはやっぱり俺を疑っているのは本当だということか・・? ・・・当然といえば当然かな。 そろそろ時間だな。ハルヒを送っていく時間だ。 俺達は自転車に乗って夜の道を進んでいる。 「なんか今日は時間がたつのが早いわね。あんたのせいよ」 「知らん。日によって気分はころころ変わるもんだ。 それはおまえが一番良く知ってるだろう。」 「じゃあ今日はどんな気分だったのよ」 ・・・・ここで俺は詰まった。ここで本当のことを言ったら当然地雷だろうな。 でもハルヒを本当に喜ばせてみたい。なんて言えばいいんだろう。 ハルヒを見ると言葉に詰まった俺を見てちょっと不安そうな顔をしている。 不安の数値がちょっとずつ上がっている。そんなに不安か?何故そんなに不安なんだ。 赤信号の前で止まり、もう一度ハルヒを見る。 「だから、そういう気分だったんだ。」 「そう」 71 50 ・・・・やっぱりはぐらかすのは損なんだな。でもこれは多分いつもの俺だ。 数字に惑わされちゃだめだよな。 自転車が進む音と風を切る音が聞こえる。 ちょっと心地よくなってきたところでハルヒの家に着いた 「明日遅刻しないでよ。」 「ああ。・・・あーハルヒ。今日も、あー、お疲れさん」 「なによそれ」 「だから、お疲れさん。明日も頼むぜ。」 「何よ改まって。当たり前でしょ。」 58 62 ちょっとはましになったか・・・。でもこれで俺も古泉も、他の2人もちょっとは安泰か。 今までの数値が気になるところだな。まぁ今更どうしようもないんだがな。 あれから数日経った。 俺は長門に貰ったハルヒのご機嫌測定器のおかげで順調な毎日を過ごしていた。 某新世界の神と某皇帝の息子も言っていたように、武器は知らねばならない。 俺なりに調べてみたところ、どうやらあの眼鏡はハルヒ専用らしい。 なので谷口を見ても長門を見ても何も起こらなかった。 あとハルヒが視界に入っていないと数字が出てこない。後姿はOKのようだ。 電池は長門曰く1年は持つらしい。流石というべきか。 そうして俺はこの眼鏡を、特にハルヒと勉強している時は絶対につけるようになった。 なんせ眼鏡としての本来の機能も抜群だからな。 次第に学校でも勉強中につけるようになり、そしてついに部室でも付けるようになった。 気が付けば殆ど1日つけている気がする。 ハルヒは思ったより不安を抱えているらしく、全体で見ると不安の数値の方が高い。 驚いたのは俺と会話している時のハルヒは数字が常に変動しているということだ。 古泉と会話している時も、朝比奈さんをいじくっている時も、愉快数値の方が上回っているのに俺だけはまるでシーソーのようにぐらぐらしている。 そんなに俺の反応が怖いのか? むしろどちらかといえば俺がお前の反応にいつもビクビクする側だと思っていたのに。 俺は若干の疑問を抱えつつ、ちょっと優越な日々を過ごしていた。 「長門。いいもんをありがとな。」 「そう」 そんなある日の昼休みの部室で、俺は改めて長門に礼を言った。 いつもなら返事をした後読書に戻るはずなのだが、長門は顔を上げて俺を見た。 「・・・」 見詰め合っているのも変なので俺が話を切り出す。 「どうした。俺の顔に何かついているのか?」 「眼鏡」 そうだな。何かついているとしたら眼鏡だな。流石長門 ・・・じゃなくて。 「ああ、今もつけさせて貰っている。なんせ便利なもんでな・・・」 「・・・」 「長門?」 「・・・使いすぎないほうがいい」 長門は表情を一切変えずに、要はいつもと同じ調子で言った。 そのはずなのにその一言は何故か俺のどこかを突き刺した感覚がした。 「あ、ああ。そりゃ他人の心を覗くなんてのぁあんまり良くないとは思ってるが・・」 「・・・そう」 「いやすまん。これからは気をつける。」 そう言って俺は眼鏡をはずした。 遠くの景色がほんのわずかにぼやけたが、やはり肉眼で見るのが一番いいな。 ここで予鈴のチャイムが鳴った。俺は教室に戻ろうと思ったが長門がまだこっちを見ている。 「長門?ひょっとしてまだ何かあったか。」 「・・・」 「無いなら教室戻ろうぜ」 「・・・情報の」 「・・・?」 「伝達に、齟齬が発生する。よって、伝えることは不可能。」 そう言って長門は本を閉じた。 それがジョークかどうかは最後までわからなかった。 俺は急いで教室に戻って授業を受ける。その次の休み時間のことである。 「キョン。今日はSOS団の活動は中止よ」 「おお、やっと休みになったか。流石団長様だ。団員の心疲れをわかっていらっしゃる。」 「何言ってんの?SOS団は休みだけどあんたは違うわよ。」 「は?」 「あんたには放課後ちょっと付き合ってもらうから。 ふふん、大丈夫よ。単純なあんたなら絶対に喜ぶことだから。」 そう言って不適な笑みを浮かべるハルヒ。なんて恐ろしい。 そういう誘い文句で地獄を見たことが何度あると思ってるんだ。 くそっ。眼鏡をかけて来ればよかったぜ。 「何で俺なんだ」 「だから喜びなさいって言ってるじゃないの。」 だめだこりゃ。 気が付いたら放課後になり、俺はハルヒに手を引っ張られて昇降口を出ていた。 手首ではなく手を掴むようになったのはいいんだがなんか周りの視線が痛い。また勘違いされるぞ。 そんな俺の焦りも知らず学校の裏に歩いていくハルヒに俺は何も言わず引きずられるのみであった。 連れてこられたのは人の気配の無い駐車場。 こんなところに俺を連れてきて何をしようというのだ。ちなみに俺は眼鏡をかけていない。 ハルヒを見ると鞄をごそごそ探っている。俺をちらりと見てはまたにやりと笑う。 「キョン、これ、なんだか分かる?」 ハルヒは鞄からそのブツを取り出して俺に質問をしてきた。 「分かる」 「そうじゃなくて、これは何って聞いてるの」 「だから見りゃ分かる。若葉マークだ。」 そう、初心者マークの通称だな。特に自動車免許の・・・ まさかな、と思う間もなくハルヒは目の前にあった車にそれを貼り付けた。 おいおいお前・・・ 「そう!驚いたでしょ。これ、あたしん家の車だから大丈夫よ。教師の目なんてちょろいちょろい。」 「いつのまに免許取ったんだ!?」 「取ってないわよ。まだ通ってる途中よ。」 「思いっきり違反じゃねーか!」 「事故んなきゃいーのよ。ゴタゴタ言わずにさっさと乗りなさい。」 そう言ってハルヒは車に乗り込みエンジンをかけた。 薄いベージュの軽車。車に乗り込みシートベルトをつけたりミラーを確認したりする姿が初々しい。 俺は仕方なく助手席に乗り込んだ。すごく変な気分だ。 「どこに行くつもりだ」 「そんなこと聞いてどうすんのよ。」 質問に質問で返された。この理不尽さには慣れつつあるがやはり虫の居所が変わるのは実感できるな。 「どこに行くかもわからん車に乗れるか。降りるぞ」 「ダメ! ・・・わかったわよ。車で30分ぐらいのとこ!これでいいでしょ!」 良くない と言いたいが、多分今日のためにハルヒはいろいろ準備をしたのかもしれない。 車を借りるのだってそれなりに苦労するんじゃないか。 そんなことをいろいろ考えてまたやれやれと言う余裕が出来た頃には車は学校から出発していた。 車の中での会話がちょっとぎこちなかったから昨日やったところの復習というということで、俺は車の中で昨日やった問題をハルヒに出題してみた。 ここで俺は鞄から問題集を出すついでに例の眼鏡をかけた。 ハルヒは運転中なわけで俺がいくらハルヒを見ても気づかれにくいので好都合だ。 62 75 ・・・・・・。 こいつは何がこんなに嬉しくて何がこんなに不満なんだ。これから行く場所にもよるが・・・ 正直ハルヒの様子を見てるともっと楽しいのかと思ったので意外だ。 もしかしたら俺が車に乗るときに言った言葉が突き刺さったのか? いやまさかな。 数字だけじゃ何も分からない。むしろ数字が分かるからこそ分からなくなる。なんという矛盾。 ハルヒを分かろうとすればするほど泥沼にはまっていく気がしてならない。 元々ハルヒを理解するなんて無理だって最初にあった日からわかっていたのにな。 こいつのおかげで高校生活における俺のテンプレートは皆無さ。 あえていうなら・・・ 「次の問題まだ?いつまでボーっとしてんのよ。」 俺は気づいたら自分の世界に浸っていたらしい。 信号待ちでこちらを見たハルヒはそれなりに心配してるような、呆れているような顔つきだ。 俺は慌ててページをパラパラとめくる。お前が即答できそうにも無い問題を探すのは結構苦労するんだよ。 そうやって車に乗って30分が経過した。ハルヒはまだ走り続けている。 俺は少し酔ってしまったので問題を出すのは一旦やめようと提案した。それよりもな・・・ 「おい、本当にどこにいくつもりなんだ。いつになったら着くんだ」 「もうちょっとなんだから辛抱しなさい。」 そう言いいながらも焦らずに運転するハルヒに苛立つ。 しかし苛立ちのなかにどこか心地よさを感じている気がして、俺は悶々とした気分になった。 ハルヒの運転が心地よかったせいもあるな。免許もとって無いのにどうしてお前は上手に車を操れるんだ。 ・・・ダメだ。今日も1日学校で疲れたせいだろう、リラックスした俺は寝てしまっていた。 オレンジ掛かった光と心地よい音楽に誘われて俺は目を覚ました。 ここはどこだ?日陰の駐車場か。それにしては周りに何も無いな・・。 時間を見たら学校を出発してから1時間半。これじゃ帰りは夜だな。 ハルヒは・・・と思って運転席を見ると椅子を倒して本をアイマスクにしているハルヒがいた。 この状況から察するに、着いたけど俺が起きないから音楽をかけてついでに本を読んでいるうちに眠くなって寝てしまった、か? いや待てそれはおかしい。・・・ってそういえば眼鏡かけてねぇ。寝るときは確かにかけていた筈なのに。 少し探した後、はっと気づいた。俺はハルヒの顔に乗っかっている本を奪い取った。 「やっぱりこいつは・・・」 ハルヒの顔には俺のメガネがまぁ見事にはまっていたというべきか。 ゆすって起こそうとしたが、俺は体が硬直する感じがした。ついでに唾を飲み込む音が聞こえた。 ・・・本当にこいつの寝顔はかわいいな。これだけは評価せねば。 本を取ったおかげで目を覚ましたハルヒは寝てしまったことを思い出すのに0,6秒の時間を費やしたのち、 「あんた授業中も寝てたくせに何で寝てんのよ!」 と叫んだ。おはようかそれに代わる挨拶なんて俺は期待してないからおkだ。 「俺の眼鏡を返せ。ハルヒ」 「あ、そうね。あんた眼鏡をかけたまま寝るんじゃないわよ。」 何でそれをお前に言われなくちゃならんのだ。 俺たちは車を降りて、ハルヒ先導による道案内で目的地に向かうことになった。歩くのかよ。 さりげなく確認したところ、当然ハルヒは眼鏡をかけても何も起こらなかったらしい。 ただ見やすかったのでそれをつけて本を読んでいるうちに寝てしまったと。なるほどね。 ちなみに車で50分くらいでここに着いたんだと。なにが車で30分だ。 ということは俺は着いてからも40分寝てたということになるな。 俺は最後までその疑問を口にすることはなかった。わざわざ聞くほど大した疑問じゃないからな。 何故40分も待っていてくれたのか、なんてね。 ハルヒも寝ていたのだから考えるだけ無駄だろう。 ちょっと歩いたらここがどこなのかはすぐに分かった。 いやすでに風の匂いでわかっていた。ここは海だ。 俺の手をひっぱるハルヒは散歩中に言うことを聞かない犬のようだった。 片手でなんとか俺は眼鏡をかけてハルヒの後姿を捉えた。 54 88 なんというか、俺はほっとした。 理由はどうであれ、ハルヒが本当に楽しそうにしている様子は俺にとっても救いだからな。 「ハルヒ。急ぎすぎだろ。もっとゆっくり歩け」 「あーもう、しょうがないわね」 海辺の茂みを俺たちは歩いていった。 太陽はもう水平線に届こうとしている ハルヒはどんどん先へ進み、道は岩場独自のゴツゴツとしたものへと代わる。 もうどれくらい歩いたんだろう。 無言で進んでいくうちに数メートル先を歩くハルヒが立ち止まった。 「ここよ」 ここって言われてもな・・・。 そこから見える風景はなんともいい難いものだった。 岩場と岩場の間にちょっと広い砂浜がある。僻地であまり人が来ないせいか聊か綺麗に見える。 「どう?なかなかでしょ。教習中に走った道があの道路でね、通った時にここがちょこっと見えたからもしやと思ったけど、 やっぱりあたしの勘はあたしを裏切らないわね。」 「俺はお前の勘によく裏切られているんだが」 俺の適切なツッコミをやはり無視してハルヒは手を広げた。 「ここ、素敵でしょ!」 そんな楽しそうに言ってくれるなよな。どんなに疲れてても首が縦に動いちまう。 34 82 「ここね、今度SOS団で来ようと思ってるの」 「どうやって来るんだ。お前の車は軽だろ」 「普通に詰めれば5人ぐらい乗れるわよ。ほんとにあんたは硬いわね。」 俺は常識に則った発言を心がけているはずなんだが。 ちょっと座りやすい場所を見つけてハルヒは腰を下ろした。 倣うように俺も隣に座り込む。丁度空がオレンジ掛かってきたようだ。 「・・・でね、夕焼けがこんな風に綺麗に見えるようになるまで皆で遊ぶのよ。 もちろん不思議探索も兼ねるわよ。ここの近隣は自然なままだからまだ人に知られざる謎が・・」 ハルヒのトークは止まらない。こいつとしゃべってるとネタが尽きない。これは一種の才能じゃないか? 俺の突っ込みだって負けちゃ居ないけどな。 実はもしハルヒがこんなことを言い出したらこう言ってやろう、みたいな予習はしているからな。教科書が無い予習なのに結構楽しい。 「ほら見て、キョン。水平線に夕日が映ってなかなか綺麗じゃない。」 そんなもん言われんでもわかっている。俺だってこんな光景滅多に見れんのだよ。 夕日が沈む様をしばらく無言で眺める。 ちょっと涼しくなったところでふと風が俺たちを強く吹きつけた。 ハルヒはスカートを押さえていたつもりのようだが残念だったね。白だ。 俺が鉄壁の表情を取り繕ってるのに安心したのか知らないが、ふっと息を吐く音が聞こえた。 「さっすがは海よね。この空気が違うわよね。」 ハルヒが独り言のように絶賛している。俺は・・・しょうがないので答えてやるとする。 「ハルヒ。空気を一番大事に使う時はどんな時かわかるか。」 「はぁ?」 「それは空気を吸う時じゃなくて読むときなんだぜ。」 「なにそれ。意味わかんない。あたしはいつだって空気読めてるわよ。」 空気の読めない奴に自覚なんてないのさ。多分だがな。それにしても・・・ 「そもそもどうして今日ここに来たんだ。」 気になっていた質問をぶつけてみた。 ちょっとは心境揺らぐかなと思ったがそうでもなかったのはちょっと残念だ。 「だから今度ここにSOS団で来るって言ったでしょ。その下見に決まってんじゃない。」 眼鏡をちらりと確認。いかん、イライラ値が増えている。 「お前が選んだにしてはいい場所なんじゃないのかここは。」 ハルヒを見る。映し出された数値の変化は俺の思い通りにはいかなかった。 何故? さらに目を細めたその瞬間に俺はハルヒに眼鏡をとられた。 「おい・・!」 「あんたに眼鏡は似合わないわよ。」 ハルヒはなんとも言いがたい表情になっていた。 「勢いにしても酷い言いようだな。」 「あんたが眼鏡をかける時は最低でも勉強する時だけでいいのよ。 こんな綺麗な景色は裸眼で見なきゃダメよ。」 俺にはわかる。これは口実だろう。 なんとなくだが、やっぱり俺の考えていることはハルヒに筒抜けなんだろうと俺は感じた。 「あんた最近、あたしのこと品定めするような目つきで見てない?」 ハルヒは前を見ている、と思う。俺も前を見ていてハルヒの顔がよく見えないからな。 おまけに眼鏡も取られてハルヒの数値もわからないときた。 「丁度あんたが眼鏡を使い始めた時期からよ。なんか目つきがやらしいのよ。 こそこそチラ見してるのばれてないとでも思ったの?」 「思った。」 ハルヒが今どれくらいの数値なのかが気になったが、わかっても無駄なんだろうと俺は思った。 結局俺にあれを上手く使いこなすのは無理なのだろう。 ハルヒのご機嫌メーターは最初を除いて一度だって俺の思い通りにはいかなかったのだからな。 すまんな長門。 ハルヒは顔を伏せて「ほんとに・・バカ・・・」とか呟いている。 俺は困るばかりである。 バカというのはいつもの聞きなれた罵倒だからいいとして、なぜハルヒは黙り込む必要があるのだろうか。 こいつらしくもない。疲れているわけでもなさそうだ。 眼鏡のことで気を悪くしたから?それもそうだがその前から閉鎖空間が出たといらない報告も受けている。最近はどうなのだろうか。 いやまずこの空気をどうにかしないと。空気は読むもんだぜとさっき俺自身で言っただろうに。 でもなんて言えばいいんだ。気まずい空気を一瞬で浄化できる魔法の言葉・・・ 俺に思いつくはずがない。だいたいそんな言葉は存在しない。そういうことにしておこう。 結局どうすることもできず溜息をつこうと思ったのだが、先に隣から溜息が聞こえた。 ハルヒがいつのまにか顔をあげてこっちを見ていた。ちょっと睨みが効いている。 「何考えてんのよ」 第3者から見れば挑発しているような言動のハルヒ。 しかし俺にとってはこの睨みは良い心のスパイスだったりする。 「別に、なーんも。」 いつぞと同じ返し方をしてしまった。多分ハルヒは怒るだろう。 お前のこと考えてた、なんて本当のことを言うわけにもいかないけどな。 「あっそう。あんたの相手するのも疲れたし、もう帰るわよ。」 そう言って俺の手を掴んで立ち上がるハルヒ。 怒ったというよりは呆れたような表情をしている気がして、俺は少し・・・ほんの少し動揺した。 だから俺はハルヒの手を逆に掴んで、もう一度座るように促した。 「せっかくだから太陽が完全に沈むまでいたらどうだ。」 って言ってももうほとんど沈んでいるんだがな。 それでもハルヒは 「しょうがないわね。」 と言ってまた腰を下ろした。手を掴んだままで。 いやこれは俺が掴んでいるのか?もうこの際どうでもいいか。 夕日が沈んだ後も、俺たちはしばらく手を繋いだまま海を見ていた。 軽く会話を交わしながら見た海は何故かは知らんがしばらく忘れそうにもない。 俺達が帰りの車に乗った頃にはもうすっかり暗くなっていた。 どうやらハルヒは俺の家まで送ってくれるようで、なんかムズ痒い気分だ。 「お前さ、最近いろいろと不安になってないか。」 隣で丁寧に運転するハルヒにそれとなく聞いてみる。聞くんなら今日だ、と心のどこかで俺が言ったからな。 「いきなり何よ。あたしが不安になるわけないでしょ。」 そう言うだろうと思ったさ。閉鎖空間を量産しておきながらよく真顔で言えるもんだ。 さっきだって憂鬱モードに入っていたくせに、もしかしたらこういうことを言われた時に返す言葉を用意しているのか。お前は。 俺みたいに。 「進路の事か?SOS団の事か?それとも今日の晩飯か?」 ひょっとしたら俺のことか?なんて心の中で呟いてみる。それはないよな。 そこで信号が都合よく赤になり、ハルヒは車を停止して俺を見て大きく溜息をついた。 「・・・そうね。ここら辺の通りにも結構レストランがあるみたいだし、今度来る時は晩御飯つきがいいわね。 その方が楽しいしね。来週までにここらでいいとこ調べておきなさいよ。キョン。」 「何で俺が」 「わかった?」 ハルヒはこちらを睨んでいる。きっとこの信号はハルヒの思い通りなんだろう。だから、 「・・へいへい、わかりましたよ。」 と俺が返事したとたんに青になるんだよな。 ほら、やっぱり。 ハルヒが俺の話をうまくかわしたとに気づいた時は俺の家が見えていた頃だった。 なんだかこのまま帰ってはいけない気がしてならない。 車がゆるやかに停止する。何故俺はこんなに不安になってるんだ。 「着いたわよ。運賃は取らないでおいてあげるから感謝しなさい。」 「何で無免許運転の共犯にさせられた俺が感謝しなきゃいけないんだ。」 「ごちゃごちゃ言わないの。じゃあね、明日遅刻しないでよ。」 そう言ってハルヒは手を振った。しかし車を降りようとドアに手を掛けたところでもう一声がかけられた。 「それと、あんたも早く免許とりなさいよ。」 暗くてハルヒの表情がよくわからない。 それでも、俺はこの一言にかなりの意味が込められているのではないかと思った。 いや、そうに違いない・・・ こちらをちらちらと見ているハルヒに俺は語りかけた。 「ああ、必ずとるから、それまで待っててくれないか。」 今日も借りができちまったからな。 「何それ。あと何年待てばいいのよ。」 お前はそんな笑い方もできるのかよ。こんな時に限ってそれは反則だ。 「さぁな、近いうち・・・かな。」 そういえば俺は何の話をしていたんだっけ 「ちゃんと保障してくれなきゃダメよ。」 そして俺は何をしようとしている。止まらないんだが。 ドアを開けようとしていた筈の手はハルヒの手に添えられ、俺は顔を近づけて・・・。ってマジか。 男のエスだがイドだかってのはこういう時に働くものなのかね。 これじゃまるで安いドラマの1シーンみたいじゃないか。 手の甲に接吻なんて柄じゃない筈なのにな。 ・・・ハルヒは黙ってしまった。 今頃湧いてきた羞恥心を必死に押さえつける。 保障印としては上出来だろう?なんて言葉が喉まで上がってきてはそのまま落下していった。 車のエンジン音が唸り続ける中で、やっとハルヒの声が耳に届いた。 「・・・待ってあげるから。」 俺はハルヒと恋人関係にない。間違ってもそうなるはずがない。 そうなる必要がないからだ。俺はそう思っていたし、ハルヒもそうだと思い込んでいた。 互いに分かり合いすぎた。時間を共有し過ぎた。 鈍感だと言われるたびに心の中で”鈍感なフリをしているだけだ”と不満を言っていた。 ハルヒの気持ちも、俺が惹かれていく先もわかっていたからだ。 でもここへきて、進路を考える時期になってハルヒが不安になっていた事に俺は気が付かなかった。 あいつが俺にわからないように隠していたとしても、気が付かなかった時点で結局俺は鈍感なのだ。 「免許、明日までに取るから。」 「勝手にしなさい。」 何かが割れる音が響いた。 そのときの俺は全く気が付かなかったらしい。 俺はハルヒが帰った後も、格好いい口説き文句をずっと考えていた。 あれから数日経った。 文芸部室ことSOS団の部室。 俺はしばらく考えた結果長門に眼鏡を返すことにした。 普通に眼鏡として使っても良かったのだがどうも気が進まない。 あの日家に帰った後机の引き出しに入れたままのご機嫌測定値だったが、今日になってやっと処分を決めたというわけだ。 ところが一つ問題が発生してしまった。 今日の朝になるまで気が付かなかったのかが悔やまれる。 「長門、眼鏡貸してくれてありがとうな。結局俺には使いこなせなかったよ。」 「そう」 「というより、必要なかったんだ。それに気づいただけでも十分だった。」 「・・・」 「で、眼鏡なんだが・・・その・・・壊れちまった。すまん。」 朝、ケースの違和感に気づいて開けてみたら見事に割れていた。 記憶を手繰り寄せて考えてみればすぐ分かるが、割れたのはあの時しかない。 「別にいい」 長門はそう言って俺から眼鏡を受け取った。俺は思わずまた謝ろうと頭を下げたが長門は 「大丈夫」 と言って例の高速呪文を唱えた。 薄々分かっていたが壊れた眼鏡を直すことなんて長門にとっては朝飯前なんだろうな。 「もう一度 使う?」 そう言って眼鏡を差し出してくる長門。 俺は断ろうかと思ったのだが長門の表情を見て踏みとどまった。 冗談をいう時の表情とはまた違う。俺が断るのをわかっていて聞いてる ・・って取っても大丈夫なんじゃないかと思わせる些細な視線。なにかを理解しているのは間違いなさそうだ。 なのでここはあえて乗ってみることにしよう。 「そうだな。もう一度だけ使わせてもらおうかな。」 長門は「そう」と言っただけだった。 俺はとりあえずかけてみようと思い、スイッチを入れて顔の高さまで持ってきたところで ばーん と勢い良く部室の扉が開いた。団長様がおいでなすったようだ。 途中で見つけたんだろうか、朝比奈さんも連れている。 いつものようにハルヒは団長席に座り朝比奈さんにお茶をせがむ。 俺はそのまま外に出ようとしたところでハルヒに呼び止められた。 「その眼鏡は何?」 「前のは度が合わなかったんでな。長門に頼んで新しいのを譲ってもらった。」 「ふーん、そう。」 本音を言えば数値が気になるから眼鏡をかけたい・・・が、やっぱりここは引くべきだろう。 「俺に眼鏡はお気に召さないんだっけ?」 「別にもういいわよ・・・」 やっぱりお気に召さなかったらしい。 いかんな。また古泉に苦労をさせてしまいそうだ。 いや、古泉がどうとかは関係ないんだ。 俺自身が・・・ 「ちょ・・っと・・・・。・・っ・・・ 何すんのよバカッ!」 椅子が派手な音をたてて俺は床に転げてしまった。 なんだよ。ちょっとキスしてやろうと思っただけなのに。 「そういう問題じゃないのよ!煩悩!ヘンタイ!」 なんか知らんがここ数日そういう衝動が襲ってくるのだよ。すまんね・・・ ああ、いかん。結構怒ってるな・・・ 俺はどさくさに紛れて眼鏡をかけることにした。 ところが・・・ 「おい・・・眼鏡、また壊れてるぞ。」 眼鏡は綺麗にヒビが入っていた。机の上にあったので俺が倒れこんだ時のものではない。 ちょっと考えれば理由はすぐに察せるな。長門もこうなるのがわかってたんだろう。 まったく、ハルヒは幸せもんだぜ。 そんな奴の想い人になっちまった俺もな。 「あんたに主導権を渡すのはまだ早いんだから!」 ああ、そりゃまだ仮免ということか。 こうして結局俺は免許をとりきっていない。 それが生涯続いたとしても俺はこんなに心地よい気分なのだろうか。 ---end---
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip/pages/4637.html
午前中。休み時間とは名ばかりの、次の授業への移行時間かつ執行猶予時間の際。 俺は……古泉は登校しているのだろうか、長門はどうしているだろうかなどを自分の席に着いたまま黙考していた。 「どうしたんだい? あまり元気がないみたいだけど。なにか悩みでもあるの?」 国木田はこちらへと近づきつつ俺に問いかけ、俺は背後にハルヒが居ないことを確認すると、 「……悩みが多すぎるのが悩みだな。正直まいってるよ」 「ふうん。てかさ、涼宮さんも何だか元気がないみたいだね。ひょっとしてケンカした?」 普通は聞きにくいようなことを飄々と聞いてきた。国木田よ、俺とハルヒはケンカするほど仲が良いわけじゃ……。 いや、あるのか。いつも俺がボッコボコにされてるが。国木田はなおも飄々と、 「聞きにくいって? もしかして、キョンと涼宮さんのケンカは犬も食わない感じになってるの? それなら、僕がそれを聞いちゃったのは野暮だね。ごめん、謝るよ」 謝られたが、考えてみれば野暮なことはないよな。そして、 「……勝手に俺たちを夫婦にするのはよしてくれ。それより、ハルヒが元気ないって?」 あいつが? ……俺には、息巻いて不思議探索に精を出そうとしていたようにしか見えなかったが。 「キョンは気付かなかったの?」 「……俺には世界を作り変えちまいそうなほど元気に見えたがな。もしハルヒがそうだってんなら、多分、俺がまだポエムを書いてないのが原因だろう」 「おいおい、いい加減早く書いちまえよな? お前なら、いままで恋愛経験がなくても関係ねえ。涼宮とのアレコレでも書いてりゃいいじゃねえか」 谷口がどこからか沸いてきた。谷口、俺はハルヒと、それこそ人に言えないようなもんしかしてないぜ。 「それは大胆だねキョン。ここは学校だし、そういった情事的な告白は自重した方がいいんじゃない?」 俺の言葉に国木田がひどい齟齬を発生させちまった。こいつが耳年増なことを言ってるのは、人畜無害そうなツラしてるのが原因だろうか。谷口は国木田に、 「バカ言え。こいつにそんな甲斐性があったら困るってよ。ムッツリな奴ってのはそんなんじゃねえ」 「誰がムッツリだ。おいお前たち、いや、アホその一とその二。妙な勘違いしてやがると俺の怒号より先に、ジェットエンジンを積んだ地対地ハルヒミサイルがアホを感知して飛んできちまうぞ。俺はそれの巻き添えを喰らいたかないね」 「勘違い、ねえ」と声を揃える二人。もといアホ供。そのなかでも特にアホな方が、 「……しかしもう一年になるんだな。お前と涼宮が、一緒に過ごすようになってから」 ――この谷口の台詞は、まんま俺が自分の部屋のカレンダーを見て思った言葉と一緒だった。 四月。ハルヒと出会った日付に、俺が記した印。 記憶をなくしちまった異世界の俺は……その印を見て、何を思っているのだろうか。 「俺はなキョン。涼宮とお前が出会ったのは良いことだったと思ってんだ。あいつが奇行をするのは変わっちゃおらんが、中学の頃のそれとはダンチだぜ」 右手を肩の位置ほどまで掲げながら、やれやれとばかりに話す谷口。 ――俺は話の内容より、谷口の姿を改めて見たことによって一つ思い浮かんだことがあった。すぐさまそれを聞こうと、 「……そういえば谷口。お前は、ハルヒとずっと一緒のクラスだったよな?」 「ん? ああ、中一の時から現在進行形でそうだろ。なにを今更言ってんだ?」 「聞きたいことがあるんだが」 もしかして、こいつはハルヒが異世界を作っちまったヒントを知ってるんじゃないだろうかと思った俺は、「あいつさ、中学の頃から宇宙人やら諸々を探し回って、不思議なものと会いたがってたんだろ? それでさ、なにか……他に変わったことしちゃいなかったか? もしくは、あいつの悩みでも願いでもなんでもいいんだ。教えてくれ」 そうだ。異世界じゃそういったハルヒの願いは叶ってる。その世界がそんなイレギュラーな事態になってるんなら、他に……何かがあるはずなんだ。若干の期待を込めつつ聞いた俺に谷口は、 「知るか」 という端的な答えを出した。冷たい言い方に俺がすこし傷ついていると、 「中学の涼宮の行動はオールラウンドに変わってたぜ。それこそ全部が変だったもんで、それがあいつの普通になってたくらいだ。……そりゃ今でも変わんねぇが、高校に入ってから変わったもんが一つあるな」 谷口は、話の後半部分になるとニヤニヤした顔を俺へと向けて話していた。やめとけ。マジモンのアホみたいだぞ。 とは言わず、それは何だと聞き返すと、 「高校に入ってから涼宮に告白したヤツがいたんだが……涼宮は断ったらしい。中学の頃じゃ考えられねーよ。でな、東中出身のヤツらの間じゃ眠り姫伝説ってのがあったんだ」 もちろん眠り姫ってのは涼宮だ。と続けて、 「眠り姫ってのはつまるところ、涼宮が寝ぼけたこと言いながら正気の沙汰とは思えん行動ばっかやってたからさ、皮肉で付けられたあだ名だよ。そんで、あいつが目を覚ますのは、あいつにちゃんとした男が出来たときだって言われてた」 また谷口は俺をアホ面で見ながら、 「涼宮が男をとっかえひっかえしてたのは、いつまでたっても現われやしない王子様を探してたんじゃねえかって噂が立っててさ。で、あいつは眠ったまんまで王子様が誰だかわからねーから、とりあえず全員オーケーしてたんだろって話だ」 「馬鹿言え。ハルヒが王子様を探してる? あいつが全員の申し入れを受けてたのは、単に断るのがメンドーだっただけだろ」 「それは違うんじゃないかな? そっちのほうが面倒じゃん。涼宮さんなら、斬り捨て御免でサヨナラすると思うけど」 「だが……」 ……と俺は言いかけて停止した。谷口の話を聞いて、一つ不安な考えが頭をよぎっちまった。こいつらとハルヒの恋愛観について侃々諤々としてる場合じゃない。 眠り姫。 スリーピング・ビューティ。 まさか……あの、閉鎖空間から抜け出たときの行動をやれなんて言わないよな? ……俺がなんとも言えない気持ちになっていると、 「でもさ、涼宮さんはその人の告白を断ったんでしょ? じゃあ、もう涼宮さんは王子様を見つけちゃったの?」 「――なっ!」 思わず驚嘆の声を発した俺に、 「何驚いてんだよキョン? いつになく素直な反応じゃねえか」 「うん。まるで好きな人に彼氏がいたのが発覚したみたいな反応だったね」 アホがアホなことを言ってきた。こいつらにアホ言うなとは無理かもしれないと思いつつ、 「お前等がアホらしいこと言ってるからだ。あいつに男なんかいやしないし、第一、今でもハルヒは天真爛漫な行動してるじゃねえか。谷口の予測も外れてるってことだ」 そう言うと、谷口は何故か盛大に嘆息した後に、 「噂は噂だ。与太話でしかねえよ。けどな、じゃあなんで涼宮はそいつの告白を断ったと思う? 俺が言うのは業腹だが、そいつは中々の良識人だったぜ。見た目だって悪かねえ」 「そりゃSOS団があるから……」 「ああ、わかった気がするよ。谷口の言いたいこと」 俺の言葉を途中で止めた国木田は、 「涼宮さんは、今度は王子様と一緒になってキテレツな行動をやり倒してるんだね」 「そういうこった」 俺の目の前に二つのアホ面が広がった。 つまり、こいつらは俺が王子様だと言いたいらしい。なんとアホな。谷口、国木田よ。俺が王子様に見えるんなら、俺が跨っている馬はハルヒだぞ。むしろ、俺がじゃじゃ馬に乗っかってるから王子様に見えるのか? 何処をどう見たら、無残に振り回されまくりの俺の格好がそう思えるんだろうね。 俺はそんなことを考えながら二人を追っ払い、少々残念な気持ちをそのまま溜息として吐き出していた。 実を言うと俺は、谷口がこの異世界問題の解決の糸口を持ってきてくれるんじゃないかと淡い期待を抱いていたのだ。 そう。長門が世界を改変し、俺以外のみんなの記憶が消えちまった時、あいつは俺とハルヒを引き合わせるキッカケをもたらしてくれた重要人物だったからだ。そして、この谷口は―― 残念以外のなにものでもなかった。 そして昼休みになる。俺はいつものトリオでの昼食会を辞退し、文芸部室へと足を運んでいた。 理由なら沢山ある。長門の様子だって気になるし、ポエムだって書かなきゃならない。教室じゃ恋のポエムなんぞ書けるはずもないため、どうせなら部室で長門と肩を並べながら頑張るのも良いかなと考えたのだ。長門にとっても、戦友がいたほうが退屈しないで済むだろうしさ。古泉は……まあ、気にならないわけではないが来てないとしても俺にはどうしようもないことだし、そもそもあいつが学校にまで来れない理由というのがわからん。よって、俺は数ある懸案事項の中で、ポエム作成と長門についての問題を優先して選択し対応することにしたのだ。 そんな雑多なことを考えながら部室へと到着し、扉を開いた俺は…… 「うお」 室内の長門の様子を目に入れて思わず声を漏らす。 「……今日は、本読んでないのか」 長門はこちらへと振り返ることもせず、顔を窓際へと向けたまま、自分の席に閑寂と着座していた。 「長門?」 俺が呼びかけてみても、一ミリの返答すら返ってこない。 「……機関誌借りていいか?」 「…………」 沈黙を了解の合図とした俺はかつての長門を見習い、ポエムの作成に温故知新的な希望をもって小説誌を開いた。 ……が、何故か俺は自分の小説ではなく、長門の小説を読み返したいと思いながらボンヤリとページを捲っていた。 「………ん?」 長門の小説を探していた俺は、機関紙が検索を終えてパラリと閉じられたことに違和感を感じた。なぜなら、俺はあいつの小説を見つけることが出来なかったのだ。 そして何度か再検索してみるものの、一向に長門の小説は姿を見せない。 というより、ない。 それが俺の勘違いでないというのは、目次として記されている作品掲載順序と実際の順番の不一致が証明してくれている。 そう。本来ならあるべきはずの場所に、あいつの小説がポッカリと消えてしまっているのだ。 「………?」 ――なにかがおかしい。嫌な予感がする。何か……とてつもなく大きなものが俺を待っている気配が、この部室内からですら漂っている。 「長門」 もちろん返事はない。しかし、それがもちろんのことになったのはつい先程のことだ。これも、本来なら変なんだ。 「……機関誌なんだが、お前の小説は何処へ行った?」 「…………」 無言で部室の隅を指差す。俺はまるで札を貼られたキョンシーの如く何も考えず諾々とその指示に従い、長門が指差す先へと歩き出した。 「………?」 壁に突き当たった俺は、またもや沈黙と疑問符を浮かべることとなった。 ここには、円筒状のゴミ箱しか置かれていない。 行動の選択肢が一つしかなかったため、俺は何を思うわけでもなく、ゴミを漁るというあまり宜しくない行動に出た。 ……そして思わぬ収穫物を手に入れた俺は、ここで、やっと意識を取り戻すこととなる。 「――誰が……こんなことしやがった」 俺が手にしているのは……長門の小説だ。見事なまでの手際で切り取られたであろう数枚の紙の姿に、俺はそれを認めることが出来ないでいた。 いや待て。待て待て。わからん。不愉快よりも、不可解さが先に来る。 何が起きてる? いつ始まった? どうしてこうなってる? 真っ白になった頭の中で数々の疑問がひしめく中……俺は思わぬ言葉を、紛れもない長門の声で耳にする。 「わたしがやった」 ……は? なにをだよ。 「それ」 俺は手元を見る。そこにあるのは、もちろん…… 「―――長門っ!?」 質問するには不明なことが多すぎた。俺は長門を一瞥し、そして普段とは違うこいつの雰囲気を認識するやいなやすぐさま駆け寄り、あいつの肩を掴みながらあいつの名前を叫ぶ。 「……なっ……お前、どうして……」 そして長門の双眸と目を合わせた俺は……そこにあるものを感じ、狼狽を隠せずにいた。 「今のわたしには、必要ないものだったから」 そう話す長門の瞳の中には…… 何も、存在していなかった。 今つくづく思う。昨日までのこいつには、いや、初めて出会ったときだってそうだ。無感動ながらも、確かに何かが存在していたのだ。 しかし、俺の目の前にいるこの長門には……何もない。あの黒い瞳はまるで乾いた氷のようにくすみ、光を失ってしまっている。初めて俺は……こいつの姿に虚無というものを見て、例えようのない戦慄を覚えた。 何かが起きてる。それは間違いない。この長門がおかしいってのも間違いない。 じゃあ、何で……長門はおかしくなっているんだ? 《あの日》を思い出したからといって、流石にこうまでなるとは考えにくい。ってことは、なにか他の原因でこうなっちまってるんだ。考えろ。どこかに……ヒントがあったはずなんだ。 昨日は何があった。なにかおかしかったところは?(帰り際にあったな)もしかして、長門は誰かに妙なことでもされたのか?(長門が?)じゃあ誰に?(あいつはどうだ)大体、長門をこんな風にして何の得がある?(ある。あいつには)今日何かおかしなところはあったか?(あいつは来ているか?)機関誌は……(最近あいつがずっと読んでたな)。 「……ふざけるな」 これは俺の馬鹿げた思考に対する言葉だ。くそ。何考えてんだ俺は。わかってるじゃないか。 古泉が……こんなことするわけねえだろうが!(機関はどうだ?) ――いい加減にしろ。そうだ、原因を考えたところでどうなるわけじゃない。今必要なのはトルストイ的思考方法だ。 まず、現在一番優先すべきことはなんだ?(そりゃもちろん長門を元に戻すことだ)それを果たすには?(思いつかないね)じゃあどうする。(何が出来る?)俺に出来るのは……(俺に出来ないなら……) 「喜緑さん……!」 あの人なら何か知っているはずだ。確証はないが、もとよりここで俺が無為に思考を巡らせるよりは彼女に何かしら聞いてみた方が上策というものだろう。 だが、ここの長門はどうする? 下手に校舎内を引っ張って連れて歩こうものなら、ハルヒが追尾してきたりだとか俺が破廉恥な輩だという無用の心配が生徒や教師間に蔓延ってしまうかも知れん。そんなもんに構ってる暇などありゃしない。 俺が行動を決めかねていると部室の扉がガチャリと音を立て、 「……おや」 立ち尽くす俺の姿に少々驚きつつ、見慣れたハンサム顔が進入してきた。 「いえ、長門さんが心配だったのでね。僭越ながらここへやってきたわけです。お邪魔なら引き返しますが」 何も聞いちゃいないのに訪れた理由をいつものスマイルで話す古泉に、 「古泉、これ頼む! あと、長門もだ! 俺は今から喜緑さんの所に行ってくる! 理由はすぐ解るはずだ!」 「……ど、どうしたんですか?」 俺は古泉の胸元に長門の小説を押しやり、されるがままにそれを受け取った古泉は当惑しながら俺に説明を求めた。 「何がどうなってるかは知らんが、事態は風雲急を告げまくりだ! よろしく頼……」 一目散に扉へと駆け出していた俺は途中で足と言葉を止め、唖然としている古泉を見ながら、 「……古泉。俺は、お前を信じてるぜ」 たとえ『機関』が――いや、誰が長門をこうしちまったとしても……古泉は、目の前の長門を守ってくれるはずだ。 俺はそれ以上足を部室に留めることなく、一路喜緑さんの元へと駆け出した。 とは言うものの、俺が目指したのは生徒会室だった。目的地に着いた俺はすぐさまドバン!と無作法にも勢いよく扉を開き、 「……なんだキミは。ここはそちらのイカガワシイ部室と違い、ひどく真面目に学内活動に取り組んでいる場所なのだ。無礼な入室の是非は推して測るべきだと思うがね」 突然の闖入者に呆れ顔の生徒会長。少しも怯んだ様子が見受けられないのは感嘆だ。 「そういえば、機関紙の上稿の件があったな。詩集は完成したのかね? もっとも……キミのその様から鑑みるに、期日の延長でも哀願しに来たと考えるのが妥当な判断だが」 肩で息をしている俺に、会長は訝しげに言い放つ。 「……それも頼んでおきますよ」 ちゃっかりしたことを言う俺に、 「ふん。その程度の用件でわざわざ参られては、こちらが困るというものだ。期日を設定したのはそちら側だろう。そもそも今の私は、奇怪な団体に付き合ってる暇など皆目持ち合わせてはいない。この度の生徒会からの要求も実の所、便宜上の活動内容が欲しかっただけなのだ。詩集とやらはあのお祭り女が勝手に決めたことだ。今回、生徒会側はキミたちに契約不履行の罰則を何も提示してはいない。勝手に四苦八苦でも七難八苦でも起こしていたまえ」 会長があまりにも正当なことを言っているのでちょっと逆らおうと思った俺は、 「……少しばかり要求を急ぎすぎだった感は否めませんがね。せめて二学期から活動を求められれば良かったんですが」 「ふん」 いわれのない非難を受けて呆れ返ったような息を吐き、 「キミは喜緑くんの、折角の厚意を無下にするつもりかね。当初の生徒会側の申し入れを提案したのは彼女だ。……理解したのなら、早く退出したまえ。こちらは昼食をロクに摂れぬ程忙しい身なのだ」 「待ってくれ。俺はそれで来たんじゃないんだ……いや、ないんです。喜緑さんはいないんですか?」 「ほう。キミが我が生徒会秘書と謁見したいというのは何故だ」 答えてるヒマはない。いるかいないかどっちかだけ答えてくれ……という俺の質問は愚問だった。清濁併せ持つというか本来黒い会長がこの喋り方だってのは……。 「会長。どうやら彼はわたしに火急の用があるみたいです。すみません、少し席を外していて頂けないでしょうか?」 「……む。私とてヒマではないのだが。キミも良く知って……」 会長にニッコリと微笑む喜緑さん。これ以上会長が話しを続けていたらどうなるかわかったものじゃない。 「……よかろう。だが、手短に済ませたまえ」 絵に描いたような渋々とした風情で歩き去る生徒会長。生徒会活動に精力的なあの人の邪魔をするのは少々気が引けるな。 「構いません。わたしたちはここで、お弁当を食べていただけでしたから」 一転して会長に越権行為疑惑が浮上した。ちくしょう。権力を傘にきて、喜緑さんにちょっかい出してやいないだろうな。 「いえ。会長は素晴しい殿方ですよ?」 明るく言い放っているが、この人は会長の本性を知っているのだろうか。知らないとは思えないが……。 ――って、そんなどうでもいいことを考えてる場合じゃない。 「喜緑さん! あなたに聞きたいことがあるんだ! 長門の様子なんですが……」 急に笑顔のトーンを落とし、喜緑さんは悲しむ口調で、 「……はい。彼女に異変が発生しているのは知っています……その原因も」 ――よし、ビンゴ。当たりだ。原因が判明すれば、後はなんとでも対策は講じられる。 「……あいつはどうしちまったんですか? 多分、誰かに干渉されて――」 喜緑さんはゆるやかに首を横に振り、 「そうではありません。彼女は……禁を破り、死を願ってしまったんです。そして情報統合思念体からの処分を受け、現在の状態に保持されています」 「な……。あいつらが、長門を――?」 ――待て。思念体にとって長門は……世界人仮説を解明するとかいう、進化の希望だったんじゃないのか? それがあいつらの最重要目標だったはずだ。なのに、禁を破っちまったからといってホイホイとあんな状態に変えちまうのか? いや……もしかして、解明の作業には影響しないのだろうか? だがな、だからといって長門をあんな風にしちまうのは許され――って、 「ちょっと待ってください。長門が……死を願っただって? 死にたいなんぞを思ったってことですか?」 喜緑さんは視線を落としながら軽い困惑の色を顔に貼りつけ、 「……はい。長門さんのパーソナルデータが消去されていることから、それは間違いありません」 「長門のパーソナルデータが消えた? ……何となく意味は掴めるんですが、どういうことなんです?」 俺の質問に、喜緑さんはまるでカマドウマ事件をもたらした際のたじろぎ気味な雰囲気で、 「言うなれば……彼女はもう長門さんではないんです。現在の彼女は、いままでの長門さんの行動形式を思念体から暫定的に付加された、素体が一緒なだけの別人なんです。そして……」 更に沈み込み、唇を噛み締めるような様子で…… 「――もう、わたしたちが知っている長門さんが帰ってくることはありません。……彼女の中に存在する思念体は長門さんのものですが、これからどうしようとも……あの長門さんと同一のパーソナルデータが形成されることはありませんから……」 「………うそだろ」 ……喜緑さん。頼むから、そんな顔をしないでくれ……。それじゃ……。 まるで、打つ手がないみたいじゃないか……。 ――打つ手が……ない? いや……あるのか……? 「…………」 俺は揺らめく意識とおぼろになった現実感の中で、懸命に思考を成り立たせようと煩悶していた。 ……大人の朝比奈さんは言っていた。今日、長門の為に《あの日》へ飛ばなければならない、と。 だが、行ってどうなる? ――そう、そこなんだ。この現在は過去の延長なんだから、過去の空白を埋めても今が変わるわけじゃないはずだろ。 つまり……それは、長門がこうなっちまう現在を変えろってことなのか? だが、それは危険なんだ。俺たちは、歴史がどう変わるかなんて予想出来やしない。大人の朝比奈さんにいいようにされちまう可能性があるんだ。それに……。 長門が復調することは、大人の朝比奈さんにとって不利益なんじゃないか? 思念体は俺に、世界の矛盾を消して元の姿に戻さないかと提案してきた。それは、大人の朝比奈さんが消えちまうってことだ。ああ。そうだよ。そもそもが宇宙人や未来人や超能力者の上の繋がりは、純粋な利害関係で目的が一致してたから互いに敬遠していただけだ。思念体が長門を見限った今、『機関』や朝比奈さんの『未来』があいつを助けようなど考えるわけがない。 ……だが、最も頼りになる奴らは、長門を助けることに微塵の躊躇もありはしないんだ。 ――俺たち、SOS団には。 そして、今は俺の判断が一番重要な意味を持っているんだ。長門や古泉、恐らくは朝比奈さんも背後の黒幕から行動を制限されている。俺の行動如何によって、事態はあらゆる方向に進行してしまうのだ。世界の分岐点とやらがあるのなら、今が一番大事なポイントだ。 よく考えろ。俺に何が出来る? 俺の朝比奈さんに大人バージョンの彼女の存在を打ち明けてみるか……もしくは、博打だがハルヒに俺がジョンスミスだと名乗り出るかだ。危険度を考慮すれば前者だが、効果を考えるなら後者だ。どっちに………。 「………くそ」 どちらを選んだとしても、あまり良い結果が出るとは思えない。 ……それに現在俺の中では、上の奴らに向けているものとは別の怒りが大きくなり、思考することを邪魔している。 ――長門。お前は今大変な状況だが、一つ……言わせてくれ。 なにやってんだ。お前は。 死を願っただって? んなもん、願い事でも何でもねえ。お前は、死ぬほど悩んでたんだろうが。それで死にたくなったんなら、なんでこうなっちまう前に俺に言わねえんだ。いや、俺じゃなくてもよかった。ハルヒでも、朝比奈さんでも……古泉でも。そうさ、お前は一人で抱え込み過ぎるから《あの日》を起こしちまったんだろうが。……いや、それは俺が気付くべきだったよな。お前は何も悪かない。 けどな、長門。俺は誓ったんだ。お前に二度と……あんな思いはさせないと。 それはSOS団のみんなだって一緒だ。だから、俺たちはお前の悩みでも何でも共に背負って行きたいんだよ。 だが、お前がそれを教えてくれなきゃ……俺たちは、寄り添いようがなだろうが……。 長門。お前に一番必要なのはさ、自分が抱えてる悩みを仲間に伝えること――――。 ――ドクン。 ……この瞬間、俺の心臓がまるで今始めて鼓動し、その存在を知らしめるかの如く高く鳴り響いた。 「まさか……」 頭の中では、一人の少女の……笑わない仮面が笑ったような笑顔の映像が勝手にフィールインされていた。 「――喜緑さん! あいつは……朝倉はいないんですか!? いや、とにかく聞きたいことがあるんだ!」 慌てふためく俺を見ることなく、喜緑さんは視線を落としたまま、 「朝倉さんは……現在、思念体内に存在していません。彼女のパーソナルデータのバックアップも、失われています……」 「…………」 ――決まった。 俺は、行かなければならない。二度と行きたくはなかった《あの日》に。 そして俺は……二度と会いたくはなかったヤツに、今一番会いたいと感じている。 そう。朝倉は……長門の願いを、あいつの悩みを聞いているんだ。 ……《あの日》はまだ、終わっちゃいなかった――。 第三楽章・臨
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip2/pages/502.html
放課後の教室。 谷口が慌てた様子で話し掛けてきた。 「キョ、キョン…ちょっと耳貸せ…!」 なんだコイツはいきなり。 俺は壷でも売りつけられるのか。 「……い、今、涼宮を出せってヤツが来て…」 俺の耳に近寄ると小声で谷口はそう言った。 何故、俺にその話をする。 俺はハルヒ宛の伝言板じゃないぞ。 「…本人に言え、直接」 「い、いや…それが…」 谷口が指差した方向を見やる。 …そこには明らかにガラの悪そうな二人組が居た。 ……あんな奴等、北高に居たんだな。 谷口が躊躇したのも分かる。 …ハルヒと会わせた日には、間違いなく問題が起こりそうだ。 俺がどうしたものかと迷っていると後ろからハルヒが声を掛けてきた。 「あんた達、なにヒソヒソと人の名前呼んでるのよ?」 「す…涼宮…!」 どうでもいいがビビりすぎだぞ、谷口。 「何? あたしに用事があったんじゃないの?」 「いや…そ、それが…」 谷口が二人組を見る。 「……ははーん…そういうコト」 それだけでハルヒにはどういう事か分かったらしい。 …妙に慣れてるなコイツ。 「いいわ、あたしを出せっていうんでしょ?」 それだけ言い残すとハルヒは教室を出て、二人組の方へ歩いていった。 …やれやれ。何か問題があるとマズイからな。 …一応、見といてやるか。 ハルヒと二人組が何やら話している。 …いや、ハルヒはほとんど口を開いていないか。 二人組の内の、特にガラの悪そうなヤツが一方的に喋っている感じだ。 ハルヒは黙って聞いている。 その内、話していた男がハルヒの肩に手をかけた。 …ずいぶんと積極的なヤツだな。 何か因縁事でもあるのかと思ったが、どうやらそっちの話では無いらしい。 ハルヒが男の手を払う。 かと思えば、ハルヒが何かをまくし立て始めた。 あれは十中八九、悪口だな。 その口がはっきり「バカ」と動いているのが見えた。 …可哀想に。あれだけ至近距離でマシンガン罵倒されたら立ち直れないかも知れん。 ガラの悪い男はぷるぷると震えている。 …よっぽどショックな事を言われたんだな。分かる、分かるぞ、その気持ち。 ハルヒは興味を無くしたのか、こちらを向き、教室に戻ろうとする。 「てめぇ! 待てよ涼宮ッ!」 そのハルヒの手を、震えていた男が捕まえた。 「なんなのよ、あんたっ!」 ハルヒが叫び、もがくも、男は完全にアタマに血が上っているようだ。 ハルヒの腕に男の爪が食い込んでいるのが見えた。 …いくら何でもやりすぎだ。 ……やれやれ。またか。また俺も巻き込まれるのか。 …まぁ、見た目にもあまりよろしく無いしな。 それに放って置けば、ハルヒがどんな逆襲に出るか分からん。 ……俺はハルヒを助けるんじゃないぞ? …男の方を心配してやってるんだ。 そう考え、俺が教室を出ようとしたその時、事件は起きた。 ハルヒが男の手に噛み付いた。 「痛ってぇッ! このクソ女ッ!」 男が痛みにハルヒを離す。 「ナメてんじゃねぇよ、てめぇッ!」 男が再びハルヒを捕まえようと手を伸ばした時、ハルヒが素早く体を屈めた。 男の手はハルヒの頭上を通過し、目標を失った男はバランスを崩す。 男がハルヒに覆いかぶさりそうになったかと思うと、ハルヒが凄まじいスピードで体を捻った。 ハルヒの上履きがキュッと小気味いい音を立てる。 そうして。 ハルヒは、男のアゴ目掛けて、伸び上がるようにその脚を振り抜いた。 「がふっ!」 蹴られた男が派手に吹き飛ぶ。 …後ろ回し蹴り。 ……あまり見れるもんじゃないな。 特に学校では。 「…あ。マズイ」 男が吹き飛ばされたその先、そこには窓ガラスがあった。 ガッシャーンッ!!! 男の背中が勢いよくぶつかったかと思うと、ガラスが派手な音を立てて砕け散った。 …おいおい。 ここは三年B組じゃないぞ。 「…また派手にやったな」 「あたしのせいじゃないわ。そこの男が勝手に吹き飛んだのよ」 俺がハルヒに話しかけた時、すでに彼女は涼しい顔をして、制服の乱れを直していた。 気付けばもう一人の男は逃げてしまったらしく、姿形も見えない。 ずいぶん薄情なお友達をお持ちだな。 吹き飛ばされた男を見れば、完全に伸びている。 その顔にはくっきりと靴跡が浮かんでいた。 ……ハルヒ、恐ろしい子…! 「…どうするんだこれ?」 「知らないわよ。ソイツが勝手に転んだコトにしとけばいいんじゃない?」 いくら何でも無理があるだろ。 「何をやっとるか貴様らーっ!!」 音を聞きつけたのか生活指導の木戸が飛んできた。 …マズイな。木戸は生徒を頭ごなしに叱り付けるので有名だ。 「なんだこれはっ!」 木戸は割れた窓、辺りに飛び散ったガラス、伸びたガラの悪い男を見るとそう叫んだ。 「やったのは貴様かッ!?」 木戸が俺の首根っこを掴む。 …コイツは本当に人の話を聞く気が無いな。 「ぐっ…いや…俺は…」 「…先生。違うわ。やったのはあたしよ」 俺が答えに窮しているとハルヒが木戸に進言した。 「何ぃ…? キサマか涼宮ッ! ちょっと生徒指導室まで来いッ!」 「…えぇ」 ハルヒは伸びた男を一瞥すると、大人しく木戸に付いて行く。 俺はその背中を見ながら、何だか胸がモヤモヤしていた。 ………なにか違う。 …ハルヒは…まぁ悪くないとは言えないが、ハルヒだけが悪者って訳でもないだろう。 …かと言って、木戸に何かを言った所で、変わりそうにない。 ………今思えば、俺もアタマに血が上っていたのかも知れない。 気付けば廊下の隅に置かれた消火器を手に取り、手近な窓ガラスに叩き付けていた。 ガッシャーンッ!!! 先程に負けず劣らずデカい音が校舎に響き渡り、窓ガラスは粉々に砕ける。 …手が痺れた。 「き、き、貴様ッ! 何を考えとるかッ!!!」 「…キョ…キョン…?」 派手な音に、木戸とハルヒが振り返り、俺を見ていた。 木戸は血管が浮くほどプルプルと震え、怒り心頭といったご様子だ。 ハルヒはと言えば、口が開くほどに驚いている。 「…いえ、そこに1メートルクラスの馬鹿デカい蚊が居たもんで」 「バ…馬鹿もんッ! お前も生徒指導室に来いッ!!!!」 そうして。 生徒指導室でたっぷりと絞られた後、俺とハルヒに下された判決は停学3日という、とてもありがたいものだった。 「…なんであんなコトしたのよ?」 生徒指導室から開放され、帰ろうとしていると、ハルヒが俺に聞いて来た。 「…別に。お前だけが悪いって訳でも無かったからな」 「…それとあんたがやったコトと、何の関係があるワケ?」 「…何の関係も無いな」 「………ぷっ…くっくっ……あははっ! あんた馬鹿じゃないのっ?」 ハルヒが笑い出したかと思うと、俺にそう言った。 …言うな。俺もそう思ってるんだ。 「ま、いいけどね。あたしも一人で停学なんて、つまんなかったし。いい道連れが出来たわ」 「…お前が何を考えているのか知らんが、俺はバイトだぞ」 「…バイト? あんた、バイトなんてしてたっけ?」 「ガラス代だ」 過失ならともかく、俺がやったのは間違いなく故意だ。 しっかりと学園からガラス代を請求されるだろう。 それを親に払わせるのは忍びない。 「…ふーん…そっか。バイトか。いいわね! 面白そう、あたしも一緒にやるっ!」 「…本気か?」 「あったりまえじゃない! 停学っていったって謹慎ってワケじゃないんだしっ!」 …普通、停学と謹慎はイコールだぞ。 …ま、いいけどな。 そうして俺とハルヒは何のバイトをするか相談しながら家路につきましたとさ。 めでた……くねぇな。ねぇよ。 完
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip2/pages/3652.html
・・俺はただあいつに、笑っていてほしかっただけなのかもしれない。 涼宮ハルヒの再会 (1) いろいろありすぎた一年を越え、俺の初々しく繊細だった精神は、図太くとてもタフなものになっていた。 今の俺ならば、隣の席に座っている女の子が、突然『私、実はこの世界とは違う世界からやって来ているんです』などと言いだしたとしても、決して驚かないだろう。 愛すべき未来人の先輩や無口で万能な宇宙人、そして限定的な爽やか超能力者たちとともにハルヒに振り回されて過ごしたこの一年間は、俺があと何十年生きようとも、生涯で最も濃密な一年になるはずだ。 と言うより、そうなってくれないと困るな。 これ以上のことは、さすがの俺も御免こうむりたい。 いくらなんでも毎年毎年、クラスメイトに殺されかけるような事態は起こらないはず・・・と、思いたいな、うん。 北高に入学してから丸一年がたち、SOS団の団長及び団員はみな、無事進級した。 まぁ、“無事”などという表現が必要なのはどうやら俺だけだったようだが。 もっとも、万が一俺が留年し、一年生をやり直すなどという事態になれば、ハルヒの雷が落ちるのは間違いなかったわけで、そうなれば古泉の機関も黙ってはいなかったであろう。 来年、俺が留年しそうになったら頼むぜ、古泉。 「申し訳ありませんが、あなたの学業のことに関しては、機関はノータッチを貫かせていただきますよ。」 冗談だ。俺もお前や、お前の機関にできるだけ借りなんて作りたくないからな。 「それは結構。では、とりあえず今度の中間テストの結果を楽しみにしておきますよ。」 ふん、誰がお前にテストの成績なぞ教えてやるものか。 「いえいえ、あなたの口から直接伺えるとは僕も思ってはいませんよ。あなたもご存知の通り、この学校には僕や生徒会長の彼以外にも、機関の息のかかった者はおりますので、ご心配なく。」 いやいや、逆に心配になるんだが。 一体お前の機関にどこまで俺のことを調べられているのやら。 「おや、興味がおありですか。では少しお話ししましょうか、あれはたしかあなたが中学2年生の6月・・・」 「おい、こらちょっと待て、誰が話せと言った。」 それは、この約3年間の月日をかけて、ようやく記憶の片隅に追いやった、二度と思い出したくないエピソードだ。 勝手に引っ張り出してくるな。 「そうですか、それは残念ですね。やはり記録として活字で上がってくるものを確認するのと、本人のリアクションを見ながら確認するのでは、だいぶ違いがあるのではと思ったのですが。」 「いいか、その話は二度とするな。特にハルヒの前では絶対にだ。」 「それはもちろん分かっていますよ。僕のほうとしましても、いたずらに涼宮さんの心をかき乱すようなまねは避けたいですしね。」 ハルヒだけではない、この場に朝比奈さんがいなくて本当によかった。 あんな恥ずかしい話を朝比奈さんに聞かれた日には・・・ ああ、いや、これ以上考えるのはやめにしよう。 軽く思い出すだけで、激しい自己嫌悪に襲われる。 とにかく、あの二人に聞かれなかっただけ良しとしよう。 俺が部室に着いた時にはもう、いつも通りのポジションで本を広げていた長門には、話の触りを聞かれてしまったが、あいつのことだ、とっくに承知のことなのだろうし、仮に知らなかったとしても何ともないだろう。 先ほど、古泉の野郎があの話をしそうになったときに、長門がこちらをジトっとした目で見ていたのはなにかの間違いだろう、うん、そうに違いない。 その後、いつもより少し遅れてやってきた朝比奈さんのいれてくれたお茶を飲みながら古泉とゲームをし(当然俺の全勝だったのだが)、同じく遅れてきたハルヒによって朝比奈さんがおもちゃと化すのをなんとか止め、長門が本を閉じるのを合図に帰宅する、というこの一年の間にすっかり定着したこの日常を、俺はいたく気に入っていた。 だってそうだろ。 未来人や宇宙人、自分の望み通りのことをおこせるトンデモ少女(古泉の機関に言わせると“神”か)なんていう、ありえない肩書きをもっているとは言え、学校でもトップクラスの美少女たちに囲まれて、毎日の暇な放課後に色を加えることができるのだ。 まぁ、リーダーである団長様がアレなので、今の俺のポジションを羨む野郎なんてのは、つい一月ほど前に入学してきたばかりの新一年生にしかいないだろうが、人って生き物は慣れてさえしまえば、あとはなんとでもなるものである。 最初にも言ったが、俺はハルヒ絡みのことではちょっとやそっとじゃ驚けない体質になってしまっている。 宇宙人、未来人、超能力者が揃い踏みのこの空間で普通に過ごしている俺にとってみれば、身の危険さえ迫らねば、あとのことはたいてい黙って見過ごすことができるだろう。 そう、それがハルヒ絡みのことであれば、だ。
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip/pages/2991.html
プロローグ 薬物乱用に溺れる奴等は、意志が金箔よりも薄いに違いない。 俺はそんな風に思っていた。しかしその考えが、 いかに的外れで愚かなものだったかと思い知らされた。身をもってな。 涼宮ハルヒのダメ、ゼッタイ 一章 俺は今日も強制ハイキングコースを、 目を半開きにしながらメランコリーに上っている。 なんで俺がこんな顔をしてるのかって? それは今が受験シーズン真っ直中で無謀にも、 俺がその激流の中に身を投じているからだ。 驚くことに俺は都内の某有名国立大学。つまり東大だ。 そいつを志望してしまっている。 いや、させられているというべきか。 あの崇高なるSOS団団長、涼宮ハルヒにな。 ちなみに別に俺はハルヒと付き合ってる訳じゃないぞ。 そりゃ、たまにいい雰囲気になったりもするが、 これといったきっかけがな。それに、今はそんなことより受験勉強である。 おい、そこ!誰だチキンとか言いやがった奴は!…正直俺もそう思う… とにかく、付き合ってもいないのに、 勝手に人の志望大学まで決め付けないでほしいものである。 お陰で昨夜もハルヒ特製受験対策問題集に打ちのめされ、こんな状態だ。 「よお!キョン!」 後ろから『朝っぱらから声を聞きたくない奴ベスト3』 にノミネートされている、谷口の声がした。 ちなみにあとの二人は古泉と妹である。 そのうちの片方は避けようがないがな。 「相変わらず眠そうだな、お前は。いいか? 親友として忠告してやる。お前が東大に合格するなんて不可能なんだ。 よく考えてみろ?俺が道行く女性にナンパして成功すると思うか?」 もしかしたらこいつは本気で心配してくれてるのかもしれないな。 自分をそこまで貶めることないのにな。 というか、お前は自分がモテナイ事にきづいてたのか。 「それはハルヒに言ってくれ。 それに俺だって東大一本に絞ってるわけじゃない。 あいつのお陰でちょっと名の通った私立大学くらいなら、 合格出来るだけの学力はついてるつもりだ」 まあその旨をハルヒに伝えたら猛反対されたがな。 しかし、そこまであいつの言われるがままになることもないだろう。 そんな会話をしてると後ろから女子の声が聞こえた。 「おはよ!キョンくん!谷口くん!」 そういったのは朝比奈さんではない。 あのお方は今はこの街にはいないからな。 その声の主は三年になってはじめて、同じクラスになった春日美那だった。 朝比奈さん同様、少し栗色のショートヘアーをアシンメトリーに束ねている。美人というよりは、健康的な可愛さがある女子だ。 「よう、春日」 俺はそいつに挨拶を返したが谷口は顔をしかめると、 そっぽを向いてしまった。やれやれ…またか。 クラス変え当初は、谷口のそんな態度をみて、 こいつも古泉と同じ道を歩みはじめてしまったのかと、 ひどく驚いたものだが11月の今となっては、 それは当たり前になっていた。谷口は、春日にだけはとてもそっけないのだ。 「じゃ、また学校でね!」 春日がその場を去ってから俺はいつものように、 谷口にその理由を聞いてみたが、谷口は 「あいつには絶対に、何があっても関わるな」 っと言ったきり一言も喋らなくなってしまった。 …やれやれ…そのセリフをきいたのも何度目かね… こいつは春日に、よっぽどひどいフラれ方でもしたのか? そんな事を考えながら俺達は学校についた。 この時、こいつの言葉の真意をもっと真剣に考えていたら、 俺はこのあとに待ちうける高校生活、 いや、人生の中で一番タチの悪い災難に会う事もなかったのかもしれない。 あのな、古泉。この世で一番怖いのは神様なんかじゃない、それは人間の欲望だ。 二章へ
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip/pages/3318.html
「あたしも、混ぜてよ。」 昼休み、部室で緊急会合を開いていた俺達の前に、ハルヒが現れた。 ハルヒの顔にいつもの無邪気な笑みは無く、静かに不敵な笑みを浮かべている。 おいおいハルヒ、それはどちらかというと古泉の笑い方だ。お前にそんな笑いは似合わねぇよ。 「いっつもそうやって、あたしを除け者にして面白いことしてたってワケね。」 「なんで朝比奈さんの未来を消した。」 「だって、未来があったらみくるちゃんいつか帰っちゃうじゃない。」 ハルヒはしれっと言ってのけた。そうだ、ハルヒは俺以外の三人の正体についても理解している。 朝比奈さんはいつか未来に帰ってしまうってことも。 でもだからってこれは……ねぇよ。 「涼宮さん、お願いします!未来を返してください!」 「ダーメよ。みくるちゃんは大事なSOS団のマスコットなんだから!未来に帰るなんて許さないわよ! でもみくるちゃんの未来人設定ってのはおいしいから、無くすのはもったいないじゃない? だから、帰る場所の方を消したのよ。」 「そんなの……そんなのあんまりですぅ!」 「嬉しくないの?これでもう未来に縛られることなく、ず~っとこの時代にいられるのよ?」 「涼宮さん、落ちついてください。向こうには朝比奈さんの両親もいるのです。 それを消してしまうのは、いささかやり過ぎかと。」 ハルヒと朝比奈さんの口論に古泉が割って入った。だがハルヒはまったく動じることは無い。 「そんなの関係ないわ。みくるちゃんの居場所はここしか無いはずよ。 あ、それと古泉くん、今までご苦労様。ずっとあたしのご機嫌取りしてくれてたんでしょ? でももうそんなことしなくていいわよ、あたしはもう閉鎖空間をコントロールできる。 自分のストレスぐらい自分で処理するわ。もうあたしのイエスマンを演じなくて済む。嬉しいでしょ?」 「……お言葉ですが涼宮さん、僕は別に自分を偽ってなど……」 「はいはいそれもあたしのご機嫌を取るための演技でしょ? ……有希もそうよね?あたしの監視のために仕方なくここにいるのよね。」 「違う。私がここにいるのは私自身の意思。」 「でもいいわ。いざとなったら全員留年させ……いえ、ずっと時間をループさせ続けるのもいいかもね! 去年の夏休みの時みたいに!我ながら名案だわ!そうすればずっとSOS団は不滅になるし!」 SOS団のメンバーに次々と絡んでいくハルヒを、俺は冷静な目で見ていた。 これでも一年間、ハルヒのことを見ていたんだ。 今ハルヒがどんなことを思っているか、なんとなくだが分かる。だから俺は言ってやるのさ。 「もう……無理すんな、ハルヒ。」 そうだ、コイツは明らかに無理している。そもそも古泉的な笑みをしている時点で気付くべきだったか。 もっともその笑みももう崩れかけているがな。 「……キョン?何言い出すのよ。あたしは別に無理なんか……」 そうは言っているが、ハルヒの笑みは更に崩れている。 お前に無理や我慢は向いてないんだよ。感情を100%表に出してこそのお前だろうが。 「ハルヒ、お前は自分の能力を知ってショックだったんだろ?今まで信じてたものが信じられなくなった。 下手したらSOS団のメンバーも偽りの仲間かもしれない。そう思った。 だから朝比奈さんを無理矢理繋ぎとめるような真似をしたり、 能力を持てて嬉しいんだと自分を偽っているんだ。違うか?」 「……ちが……」 「何が違うんだ?言ってみろ。 悪いが俺には攻める要素なんてまったくないぞ。俺はいたって普通の人間だからな。」 「……そうよ!その通りよ!悪い!?」 ハルヒが怒鳴った。ようやく、ハルヒらしい声が聞けたな。 「アンタに分かる!?自分がとんでもないことをしていたと気付いた時の気持ちが!! 自分の都合で8月を繰り返したり、自分の機嫌で変な空間を生んでたり! 1歩間違えればあたし世界を滅ぼしてたのよ!?」 大声で怒鳴りながらまくしたてるハルヒ。今まで我慢していたものが噴き出しているような感じだ。 「だから全てを知った時、あたしは真っ先に願ったわ!『こんな能力なくなりますように』って! でもそれだけは何度願っても叶わないのよ!こんな能力いらないのに!」 全ての感情を吐き出したハルヒは、その場に崩れ落ちてしまった。 床に水滴が落ちる。……泣いているのか。 「ハルヒ……」 今のコイツに、俺はなんて声をかけてやればいいのだろう。 俺が戸惑っていると、長門がハルヒの元へ歩みよった。 「有希……?」 ハルヒも顔をあげる。目元は真っ赤になっていた。 「あなたに、処置をほどこしたいと思う。」 「処置……?」 「そう。」 長門はハルヒの頭に手をかざした。 「あなたが昨日獲得した情報を、あなたの記憶から消去したいと思う。」 続く
https://w.atwiki.jp/haruhi_best/pages/32.html
涼宮ハルヒのSS 厳選名作集 長編 ループ・タイム 例えば、ひとりで留守番しているときだ。 一人きりの家で、ふと、何かの気配を感じて、不安になることってないか? 誰もいるはずもないのに、鏡を覗いていると、鏡の端を何かが横切ったような気がしたり、風呂に入っているときに、部屋で「ガタン」と音がして、「誰?」と間抜けな声を出してしまったり。 大抵の場合は、まず間違いなく気のせいで終わる。まあ、よくある事ってやつだ。 だが、SOS団の部室に、たまたま一人でいたとき、部屋のどこかから「ガタッ」と音がしたら、人はどうするだろう? 俺の場合は非常に簡単だ。 俺は読みかけの本を机に置き、そのままつかつかと部屋の隅にある掃除用具入れに近づき、バタンと扉を開けた。 「…………」 掃除用具入れの中には、制服を着たヒューマノイド・インターフェイスが、時期外れの贈り物のように、箒の間にちんまりと立っていた。 「…………」 俺と長門は三点リーダを共同作業で生み出しながら、完全に無言のまま向合う。 「…………何をやってるんだ、長門?」 俺の問いかけに、無言のままで掃除用具入れから出てきた長門有希は、裾のほこりをパタパタとはたいた。 「……時間のループによって、朝比奈みくるが時間遡行することはできない」 「それは知っている。何をやってるんだ、長門?」 「……だが、彼女がいる未来が実現するためには、いくつかのポイントでしなくてはならないことがある。例えば、空き缶の設置。亀の投下」 「それも知っている。何をやってるんだ、長門?」 「……そこで、朝比奈みくるのかわりに、私とあなたで行う」 「それは分かった。ところで、何をやってるんだ、長門?」 『ループ・タイム――涼宮ハルヒの陰謀――』 SOS団きっての読書愛好家であり、宇宙人の作ったインターフェイスであり、競馬をこよなく愛する馬主であり、ゲーム会社の学生社長でもある、長門有希の珍妙な行動に、最近さらに磨きがかかってきたようにも思える、二月のはじめ。 ハルヒがそのトンでもパワーをフルスロットルで全開にして、なぜだか分からんが起こしたSOS団の時間ループも、そろそろ一年になろうとしている。 このループの原因は何か? ハルヒはまたループを起こすのか? ループが解消されたとき、どうなるのか? 「分からないか、長門?」 「分からない」 今日、いきなり掃除用具入れから登場してくれた長門有希は、すでにいつものように、未来を見通す巫女さんスタイルに戻っている。 ちなみに、今日は長門以外にも、ハルヒ、朝比奈さん、朝倉の巫女さん姿が拝める予定だ。というのも、今日は節分で、豆まきのイベントを、SOS団の女子団員は、巫女さん衣装で行うからだ。 これを機会に、たっぷりと拝ませてもらおう。朝比奈さんや朝倉の巫女姿なら、ご利益は十分に期待できる。 まあ、ハルヒは古泉説なら神様なので、ご利益どころではないし、長門の場合は、出てくるのはご利益じゃなくて競馬の配当金だ。 などとくだらないことを考えていると、しばらく沈黙していた長門有希が言葉をついだ。 「涼宮ハルヒがループを行った意図は不明。涼宮ハルヒが時空改変を行ったと見られる時間には、私は図書館に居た」 たしか、春休みには入っていたはずだ。そこまでは、俺にも記憶があるからな。だが―― 「なぜか、最後のところの記憶が曖昧なんだよな……ハルヒの声を聞いた気もするし……」 「古泉一樹と、朝比奈みくるについては、記憶が消去されているので、確認のとりようがない。どちらかが涼宮ハルヒと行動を共にしていた可能性は否定できない」 確かにな。 「だが……私は一つの仮説を持っている。一年間、構築と検討を繰り返してきた結果、その仮説にたどり着いた」 仮説? 「その仮説が正しければ、このループは終わる。未来に接続がなされ、時間遡行が可能になるはず。ループが終わるため、私たちも二年生になる。おそらくは、このメンバーのままで」 「どんな仮説なんだ?教えてくれ、長門」 長門有希は、一瞬迷ったように言葉を切り、少し目を伏せた。 「……あくまでも仮説に過ぎない。だが、言語化するとあなたの精神に負荷をかけるかもしれない……でも、聞いて」 俺は頷いた。 「なんか、呆然とした顔じゃない。キョン、どっか体調でも悪いの?」 あ、いや、気にしないでくれ、ハルヒ。 すっかり巫女さんの衣装に着替えたハルヒが、心配そうに俺の顔を覗き込んでいた。 ハルヒは時間のループについてなにも知らない。こいつには、長門の仮説がショックだったとは言っても仕方がないことだろう。 「ほら、枡。みんなお待ちかねだぜ」 「うん!いくわよっ、みくるちゃん、有希、涼子!!それー!!福はーうちっ、福はーうちっ!」 核爆発のごとく眩しい光を放ちながら、満面の笑顔で豆をばら撒くハルヒ。うむ、ポニーテールに巫女さんコスチュームも非常に似合っているな。箒を持たせてみたい。 ただいま、恒例の豆まきの真っ最中である。朝比奈さん、朝倉涼子、ハルヒの三人も巫女さんになって、SOS団みんなで、渡り廊下に豆まきをしに進軍した。 「ええい、それー、福はうちですぅ」 朝比奈さんも実に楽しそうに豆をまき、下に溢れかえる男子どもは、必死で朝比奈さんの御手が放った豆をつかもうと、不毛な争いを繰り広げている。 「福はうちー、福はうちー、キョンくん……次の枡くれる?」 「ほれ、朝倉」 神々しいまでの巫女さん姿の朝倉涼子の投げる豆は、女子たちのターゲットになっているらしく、女子たちはキャーキャーいいながら朝倉の豆を受け取ろうとする。相変わらず、女子に大人気だ。 ビシッ ビシッ 「痛っ、痛えーっ!なんなんだ、さっきからよっ」 谷口はさっきから、そのデコが射撃のターゲットにされているようだ。いうまでもないが、こんなピンポイント射撃ができるのは―― 「ターゲット・ロックオン……発射。……標的谷口の額に命中を確認。次弾装填……」 長門有希は、手のひらにのせた豆を、デコピンのように中指で弾いて、すさまじい速さで撃ち出している。 「長門、谷口になんか恨みでもあるのか?」 長門は、ぴた、と手を止める。 「私のことを押し倒そうとした――」 な、なにいっ、ゆるさん、ゆるさんぞ谷口!! 「――私のことを押し倒そうとしたあなたに、私が口付けをしようとして、二人の関係が決定的になろうとした瞬間に、忘れ物を取りに教室のドアを開けて、人の恋路の邪魔をした」 バシュッと、空気を切り裂く音。長門が、また豆を発射した。 おい、長門、それは逆恨みってやつじゃないのか。 「うわああああんっ!」 谷口が泣きながら逃げ出した。なんて哀れなやつだ……心から同情するよ。 「ホーミング・モード……追撃せよ」 やれやれ。 「はい、なんとか頑張って作ってきたけど……味はどうかな」 朝倉涼子渾身の作である恵方巻を、六人それぞれが手にもって、いっせいに同じ方角を向いて食べる。思えば、奇妙な行事だ。 地球の文化に詳しくない宇宙人が、ふらりと日本に立ち寄って、いきなりこの光景を見たら、一体なんだと思うんだろう?今度長門にでも聞いてみるか。 もぐもぐ。うん、うまい。実にうまい。さすがに朝倉は料理が上手だ。 ふと、俺は手を止めて、古泉を見た。 「……古泉、なにやってんだ?」 古泉一樹は、いつものニヤケた面ではなく、かつてないほどの真剣な表情で恵方巻を見つめていたが、おもむろに、手で、ぐい、と恵方巻をくの字に曲げた。 「マッガーレ」 くだらないことやってないで食べろよ、もう。 む、ハルヒ、まじまじと太巻を見つめて、どうしたんだ? 「キョンのより大きい……」 こんのアホッ、なにと比べてるんだ!!朝比奈さんと朝倉が真っ赤になってうつむいているぞっ! 「ふえ、だめです……こんなの恥ずかしいです……」 「うん……これ無理……恥ずかしいよ……」 赤くなって顔を背けては、ちらりと太巻きを見て、また赤くなって顔を伏せる、という一連の動作を繰り返す朝倉涼子と朝比奈さん。 ハルヒの言葉で何を意識したのか知りませんが、それは恵方巻ですよ。ただの恵方巻です。断じてただの恵方巻です。なにを恥ずかしがっているんです? 「カプ」 ほら、長門を見ろ、一口でぱっくりと―― 「チュプ、ジュル……ジュプ……」 口があんぐりあくのが分かる。長門、お前…… 「練習」 やれやれ。 みんなアホばかりだ。 翌日。 俺は長門と一緒に、一年前、朝比奈さんと一緒に、空き缶のいたずらを仕掛けた場所に行った。 缶も釘も金槌も、長門がきちんと用意してくれた上に、仕掛ける場所も、寸分違わず、きっちりと長門が指定した。うーむ、楽だ。 「しかし、これを蹴って怪我する人が、可哀想だな、つくづく」 長門は、コクリと頷く。 まあ、自分たちがやっておいて、可哀想もないもんだが。俺は腕時計の時間を見た。 「そろそろか」 六時十四分。 ロングコートにショルダーバッグ。元気をなくした男性がとぼとぼと歩いてくる。間違いないな。 「はぁ……」 ため息、空き缶を見る、そして振り上げたトーキック。一年前と同じだ―― パパパパパパパパパパンッ!! いきなり破裂音が響いた。 「うおあっ!?ぐ、ぐあああああっ!!」 男性が驚いて尻餅をつく。苦痛に顔を歪めて足を押さえているところを見ると、しっかりと捻挫をしたようだが…… 俺はゆっくりと後ろを振りかえると、皮一枚下で、必死に笑いを堪えているような、無表情の宇宙人を睨む。 「長門……何をしたんだ……」 「空き缶に爆竹を仕掛けておいた……こういうことは、楽しまなくては、損」 損とか得とかねーだろ!!なにやってんだ! 「……あなたは、私の仮説を聞いて以来、落ち込んでいる」 ……そんなことはないさ。 「SOS団のメンバーは、みな心配している。……私も」 ありがとうよ、長門。その気持ちは嬉しいさ。だが―― 「あなたを笑わせてあげたかった……それだけ、ごめんなさい……」 そういって長門はまつげを伏せる。悲しそうな表情でうつむく長門有希。 ええい、こんな顔をした長門に、文句が言える人間が存在するか?いるなら手をあげろ。俺に代わって長門に説教の一つでもしてやってくれ。 俺は、溜息を一つつくと、長門の手を引いて暗がりから出た。そのまま、苦しそうに呻いている男性に声をかける。 「だいじょうぶですか?……手を貸しますよ」 「え、ああ、ありがとう……くそ、誰がこんないたずらを……」 「手がこんでますね……さ、肩につかまってください」 俺の肩を借りて、哀れな男性はケンケンしながら歩く。 「仕事が行き詰っていて……」 すたすたと後からついてくる長門。 「クサクサした気分を晴らそうと、缶を蹴ったのが悪かった――」 「……自業自得」 長門がボソッと呟く。 「…………」 俺と男性は、なんとも言えない表情で長門を見つめ、二人で同時にため息をついて、顔を見合わせた。 「……あの娘、キミの彼女か?」 「ええ、まあ」 嘘だけど。 「そうか……大変だな」 大変です、実際。これは嘘じゃない。 男性は痛みを堪える顔に戻り、俺は心の痛みを堪える顔に戻った。 空き缶の悪戯を仕掛けた翌日には、みんなで「鶴屋山」に宝探しに出かけた。 かなり急な坂を、ハイテンションになったハルヒは、野うさぎが飛び出したら轢き殺されるんじゃないか、と思わせるような猛スピードで駆け上がっていく。 一方、俺と古泉は登るだけで息も絶え絶え、HPは限界寸前だ。 「ひえっ」とか、「ひゃうっ」とか声をあげて、さっきからつるつると滑る朝比奈さんを、朝倉涼子が後ろから支えてやり、長門有希はマイペースにうろうろと歩く。 というのも、長門は、手にした装置で宝を探している、という設定だからだ。 「ふえ、これで宝物の場所が分かるんですか……?」 朝比奈さんが疑問に思うのも頷けるほど、長門が用意したダウジングの道具は、安っぽく、かつインチキくさい。 なんたって、二本の針金をLの字に曲げて、ボールペンの軸にさしただけの代物だからな。製作者が俺であることは秘密だ。昨日の晩にこっそり家で作った。 長門は気にせず、ひょうたん石のある開けたところに出ると、とことこと辺りをうろついて宝物を探すふりをして、ひょうたんの形をした石のところで、つい、と針金をハの字に開いて見せた。 「うわあ、そこに宝物があるんですかぁ?」 朝比奈さんが目をまん丸にする。 「よしっ、古泉くん、堀りなさいっ」 アドレナリンが過剰に供給されているのか、闘牛のごとく興奮したハルヒの命令の下、古泉はシャベルを振るって穴を掘る。 「あなたは手伝ってくれないんですか?」 「掘るのはお前の得意技だろうが……それとも掘られるほうか?」 まあ、掘るほうですが……と古泉はまた穴掘りに戻る。 古泉がえっちらおっちら掘って、ようやく出てきた奇妙なオーパーツに、俺と長門を除くSOS団メンバーは、仰天して目を丸くしていた。 考えてみれば、SOS団を結成して以来、団として経験した、初めての不思議現象に近いからな。 だが、結局それは、下山したのち鶴屋さんに献上した。それが一番いいさ。もともと鶴屋さんのご先祖が埋めたものだしな。ハルヒも、掘り出すので満足したらしく、案外素直に頷いた。 穴掘りで完全にHPを使い果たし、息絶えた古泉がピクニックシートに倒れこむのを、心配そうに横目で眺めながら、朝倉涼子が手製のお弁当を広げる。 朝比奈さんが自慢のお茶をポットに詰めてきており、昼食と相成った。 「うまいっ、めちゃくちゃうまいわっ、涼子!こんどお料理教えて欲しいぐらいよ!!」 「そ、そお?ありがと。……おいしい?キョンくん」 ああ、うまいよ。全身の細胞がその身を震わせ、美味いと絶叫しているのが分かる。 途端にハルヒが、ぷっとふくれっつらになる。 「こら、キョン!あたしがお弁当作ってきたときは、そんなに褒めてくれなかったじゃない!!」 「お前のはなあ、なんか、こう、力の抜きどころがないんだよ。全部がメインディッシュのフレンチみたいなもんだ……」 「ハンバーグと、から揚げと、とんかつだったら、もちろんとんかつがメインよ!当然だわっ!!」 やれやれ、昼飯でそれを全部食わされる俺の気持ちにもなれ。おかげで午後の授業は胃がもたれて仕方なかった。 胃もたれなどとは永久に無縁であろうハルヒと長門が、見る見るうちに弁当を平らげ、一同、お茶。 鶴屋山のピクニックは、こんな感じだった。また天気がいいときに行きたい。 土曜日。 SOS団の不思議探索を招集し、いつものように長門の呪文で、組み分けの爪楊枝を、俺と長門になるように操作した。俺と長門は、パンジーの花壇に向かう。 落ちている記憶媒体を、花壇から拾い上げ、一年前に朝比奈さん(大)の指定した住所に送る。 いや、ほんとにそれだけだ。それでおしまい。 というのも、あの未来人の野郎――便宜的に、パンジーさんと呼ぶことにしよう――が現れて、先に記憶媒体を拾ってひらひら見せびらかしたり、朝比奈さんと俺に向かって、「あんた」呼ばわりする、なんてことがなかったからな。 くそ、あの野郎の顔を思い出したら、なんだかむかむかしてきた。非常に腹立たしい。 だが、パンジーは、結局最後まで現れなかった。 「ループした時間は、未来との通路を遮断されている。去年の八月に経験した通り。だから、朝比奈みくるの時間同位体が現れることもない。別の未来人についても同様」 やれやれ、朝比奈さんも可哀想に。未来との通路を遮断されたってことは、まるで乗っていた船が難破し、無人島にたった一人で流れ着いたような気分だろうな。 長門は続ける。 「だが、今回のループが、既に未来に開いている可能性はある」 じゃあ、なぜ、朝比奈さん(大)やパンジー野郎は現れない? 「おそらく、まだ未来が不安定。特に、時間遡行に技術の確立は、明日の仕事に負うところが大きいと思われる」 それが、亀を川に投げることってんだからなぁ……。未来って意外と安っぽくできてる。 やれやれ。 日曜日、今日の仕事は、亀を川に投げ込んで、眼鏡くんに渡すこと。 まあ、これも特筆すべきことはほとんどないと言っていいな。 ちょうど、一年前に、俺と朝比奈さんと眼鏡くんでした会話をちょうどそのまま、俺と長門と眼鏡くんで行う。一度亀を川で水泳させてから、ざぶざぶ取りにいって眼鏡くんに渡すのも同じだ。 亀は長門が用意してきた。小さくて可愛い亀だ。 すべてが終わって、亀を大事そうに持ち帰る少年、見送る俺と長門。 「……彼は、ちゃんと育てると思う?」 ああ、間違いないさ。 「責任感が強そうだし、しっかりしているじゃないか。大丈夫だよ」 長門は、ゆっくりと頷いた。 「……そう。なら、いい」 二人でぶらぶらと帰る。と、いつかのペットショップに行き当たった。 「そうだ、長門、どの種類の亀をあげたんだ?」 長門は、数種類の亀のケースの前をうろうろしていたが、やがて一つのケースの前に立ち止まると、中の亀を指差した。 「これ」 俺の体が小刻みに震えだした。もしや長門、わざとやっているんじゃないだろうな……。 店員が、ベンガルトラをペットにしたいと娘に言われた父親のような表情で、困ったように言う。 「お嬢ちゃん、これは、ちょっと飼うのは……手にあまると思うね。大きくなると大変だから……」 水槽の前にはられた紙に、学名が書いてある。 Chelydra serpentina――カミツキガメである。 二月十四日、バレンタイン・デー。 それは、もてない男子が、自分の遺伝子を呪い、果ては両親までも呪わんとする日であり、また、妙にそわそわと机の中をかき回したり、空っぽの下駄箱を開け閉めしてみたり、物欲しそうにクラスの女子を見詰める日である。 以上の観察サンプルは全て谷口だがな。 「……キョン、お前はいいぜ。朝比奈さんに長門有希、涼宮に朝倉涼子のチョコをもらえることが確定しているんだからな……くそっ、四つのチョコ、しかも、そのすべてが限りなく本命チョコかよ!」 まあ、妹とミヨキチに貰う分は、勘定に入れまい。それと―― おそらくは、もう一つあてがあるのだが……まあ、これは谷口に言っても仕方ないことだ。 「SOS団でチョコ配布のイベントをやる。よかったら来てくれ」 そう言って、男泣きに涙に暮れる谷口を、そっと慰めた。こう見えても、心のなかでは、結構やましさを感じているんだ。 節分の時は、散々長門に狙撃されていたからな。額にでっかく貼っていた絆創膏が、とれてよかった。 屋上に続く階段には、ごたごたと美術部あたりのガラクタが置いてある。それをよけながら、俺は屋上に続くドアの前に立つ。 屋上に出るドアには、いつもしっかりと鍵がかかっていて、普段、生徒は出ることが出来ないのだが、俺はなんなくドアを開けた。 この繰り返す一年間の最初の頃、長門に合鍵を作ってもらっていたからな。 今頃、SOS団主催で、バレンタインチョコの福引が校庭で行われているはずだ。俺はこっそりと会場を抜け出て、こうして屋上に出てきた。 少しだけ、一人になりたかったのさ。 ごろりとコンクリートの地面に寝転がる。いい天気だ。澄み切った青空に、雲の流れが速い。 別に、SOS団のメンバーに不満があったりするわけじゃない。本当に、心の底から、最高の連中だと思っているし、毎日が楽しい。 だが。 最近――長門が、無理に明るく振舞ってくれているのがよく分かる。あいつらしくない、どうにも下らないイタズラを仕掛けては、ふと俺の表情を、確かめるように見る。 そんなに、俺は落ち込んだ顔をしていたのだろうか? ひょっとしたらそうかも知れない。原因はなんだろう――などと考えるまでもない。 長門の仮説を聞いたからだ。 そして、その仮説が正しければ、きっと、あの世界で、ハルヒは―― 俺は、ループが起きる前のハルヒの姿を思い出す。 天上天下唯我独尊で、滅茶苦茶な暴走を繰り返し、SOS団を引っ張っていったハルヒ。 喧嘩した後に、ポニーテールにしかけた髪を、俺が入っていくと慌てて解いたハルヒ。 気丈で、傍若無人、横暴で、いつも周りに迷惑ばっかりかける。 だが―― 今の俺の頭に浮かぶのは、お前の泣いている顔なんだよ。 黄色いカチューシャをつけた短い髪を揺らして、その意外に小さい肩を震わせて、その大きな目を真っ赤にして、子供のように泣きじゃくる姿。 一度も見たことがないはずの光景だが、妙にくっきりと頭に浮かぶ。 もし、俺が。 最期の最期で。 お前をそんなふうに泣かしてしまったのだとしたら―― バーン、と音がして、ドアが吹き飛ぶように開く。 「見つけたっ!!」 突然、ハルヒが現れた。 「キョン!!探したわよ!いきなり姿を消すんだから、もう、油断もすきもあったもんじゃないわっ!!」 俺はムクリと起き上がった。ポニーテールを揺らすハルヒを見る。 「なんでここにいるって分かった?」 「部室も行ってみたわ。そこにもいなくて、あんたが行きそうなところはどこだろうって考えたの。すぐにピンときたわ。覚えてる?ここ――」 ああ。俺が長門に電話してたら、いきなりお前が現れた。「とりゃー!」とか掛け声をかけて、俺に足払いを喰らわせた。 「もう一年近いのか……早いね」 ふとハルヒは微笑むと、俺の横に腰を下ろした。 「ね、キョン、チョコレート、持ってきたから。涼子も有希もみくるちゃんも、みんな作ってきてるよ……ほんとは、みんなで渡すはずだったけど、ふふ、抜け駆け!」 ハルヒは、巨大なハート型のチョコレートを取り出した。包みを開けると、これまた白いチョコで、文字が書いてある。 『キョン愛してる 私と結婚しな』 よくまあ、チョコレートで愛とか結婚とか器用に書いたもんだ。それに、この脅すような命令文はなんだ? 「『しないと死刑だから』って書こうと思ったんだけど、スペースが足りなくなったのよ」 いや、どっちにしろ脅迫だな。やれやれ。 「……ハルヒ、一緒に食べようか。今、ここで」 「え、う、うん。……でも、その前に、感謝の言葉とか――あと、返事を聞かせて欲しいな、キョン」 ハルヒが、日本刀のように切れ味鋭い真剣な表情で俺を見つめてくる。 ……まいったね。 まあいいや。返事なんて決まってるだろ? 俺はハルヒを抱き寄せると、そっとキスした。 ハルヒは、ほんやりと赤い顔になっていたが、やがて、その顔が、まぶしく輝く100万ワットの笑顔に変わった。 なあ、ハルヒ。 俺が、一年前、お前を泣かしてしまったとしたら―― こっちの世界のハルヒを、思いっきり笑顔にさせてやることが、俺のやるべきことだと思わないか? 部室に戻って、朝比奈さん、長門、朝倉の作ったチョコを受け取り、古泉のチョコを丁重に断り、その日のSOS団の活動はお開きになった。 ちなみに、朝比奈さんのチョコには、一言、『脇役』と、どうどうたる楷書体で書かれていた。 「うう、長門さんがぁ……こう書けって……ぐすっ」 泣かないでください、朝比奈さん。長門はああ見えて、執念深いほうなんですよ。 帰り道、そっと古泉に話しかける。 「今夜、長門のアパートに来て欲しい……ハルヒと朝倉、朝比奈さんには内緒でな」 古泉は、ゆっくりと長門の方をみて、長門がこっくりと頷くのを見ると、真剣な表情になって聞いた。 「……決着、ですか?」 そうだ。 『すべてが終わったとき、あの公園で』 これで、すべてが終わるはずだ。 俺と長門、古泉は、いつかの公園で、やってくるべき人物を待っていた。 「僕はお会いするのは、初めてになりますね……はて、どんな方なのか……」 「たぶん、それが最初で最後になるぜ」 長門の立てた仮説が正しければ。 「来た……銃を持っている」 長門がすっと身構える。 片手に銃を携えて、暗闇の中から、そいつはゆっくりと現れた。 「やっぱりお前か……待っていたよ」 片手に銃を構えた未来人は、不愉快そうに鼻を鳴らした。一年前、俺と朝比奈さんが、パンジーの花壇から記憶媒体を見つけようとしたときに会った野郎だ。 未来人は、じっと銃から目を離さない長門を見て、吐き棄てるように言う。 「その宇宙人も一緒か……ふん、気に入らないな。待っていたのは、あんたじゃなくて僕の方だ。どうせ、あんたは意味も分からずに未来に踊らされているだけだろう」 いーや、違うね。 「俺のほうでも、ようやく全部がつながったところだ……。俺の貧弱な脳ではさっぱりだったが。一年間、長門が仮説を作っては壊しを繰り返してきたのさ」 一瞬、はっと驚いた表情になった未来人の顔が、苦痛に歪む。 「くそ……あんた……分かっているのか?あんたは核ミサイルの発射スイッチを握っているようなもんだ。あんたの指の動き一つで、ものすごい数の人間に影響がでるんだ」 そのとおりだ。 「だが、誰一人死なないさ。そうだろ」 未来人は、俺をじっと睨んでそのまま貝のように黙り込む。 「それに引き換え、お前がやったことはなんだ?……殺人だよ」 被害者が言うんだから間違いない。 「ひとつだけ答えろ……あっちのハルヒは泣いていただろ?」 「ふん……そうだ、わんわん泣き喚いたあげくの時空改変だったよ」 ハルヒの泣き顔が頭に浮かんだ。ざわざわと腹の中が煮えくり返る。目の前の未来人を思いっきりぶん殴ってやりたい衝動を、俺は必死に堪えた。 「……もういい。お前の面を見ているのはたくさんだ。もといた時代に帰れよ」 未来人は、奇妙なものを見るように、じっと俺を見つめた。そして、ちらりと長門に視線を向け、諦めたように、手にした銃を、投げやりにポイと投げ出す。 「もうあんたに会うこともないだろう。向こうに戻った僕に時間遡行の手段は残されていないからな……ふん、さよならだ」 未来人の姿は、ふっとかき消すように消滅した。 「……現在時空から消滅した」 長門が呟いた。 「説明していただきたいですね……どういうことだったんです?」 解説はお前の役目だろう古泉。俺はごめんだ。まあ、どうしてもってなら…… この人に聞くのが一番いいだろう。 「出てきてください、朝比奈さん」 はい、と答えて、ゆっくりと現れたのは、もちろん、朝比奈さん(大)だ。 朝比奈さん(大)は、静かに俺の方を見る。 「どこから……話しますか?」 もちろん決まっている。 「一年前、俺が、殺されたところからお願いします」 朝比奈さん(大)は、緊張した面持ちで、コクンと頷いた。 「最初に、言っておかなければならないことがあるの……」 朝比奈さん(大)は、軽く目を伏せた。 「未来は、確定していません。複数の未来が存在していて、それぞれの未来が、過去に干渉することで、自分の未来を守るために争っているの。 ……既定事項とは、ある未来に進むために必要な、そう、チェックポイントのようなものなんです。 しかし、その争いにも決着がつきました。時間遡行の技術を、私たちの勢力が完全に独占したんです……。 さっき、ここにいた未来人は、私たちの時代で地下活動を行っていた勢力の派遣したエージェントです。 過去に干渉することで勢力を伸ばそうとする、彼らの試みは失敗しました……あなたのおかげで。 もう、この時代に干渉することはないでしょう。そして、彼らがこの時代に干渉しない以上、私たちの任務もほぼ終わりです」 細かい時空の揺らぎが残るから、過去の私には、まだここで頑張ってもらうけど、と朝比奈さん(大)は付け加える。 古泉が朝比奈さん(大)に問いかけた。 「彼が殺された、とは一体どういうことですか?」 「彼ら未来人の、最後の賭けでした……この時間平面での工作で、私たちに常に遅れをとっていた彼らは、最後の手段として未来からの干渉を断ち切ることを決断したんです。 涼宮さんの能力を利用することで、です」 そう。 「古泉、お前の記憶にはないだろうが、一年前の夏に、ハルヒが時間のループを作っちまったことがあった。そのとき、未来からの干渉は完全に不可能になっていたんだ」 古泉が、納得したように言った。 「なるほど……涼宮さんがループを起こせば、朝比奈みくるはこの時空で孤立し、未来からの指示を受け取れなくなる……。 そのため、あなたのいる未来につながるための、既定事項を実行できなくなる、というわけですか」 古泉の言葉に、朝比奈さん(大)は頷く。 「彼らの誤算は、キョンくんが記憶をそのまま維持してしまったことです。ちょうど、殺されたときの記憶はあいまいだったみたいだけど……。 キョンくんが、一年前と同じ行動をとろうと努めてくれたことで、全ての既定事項が満たされました。空き缶も、亀もそうです。 結果として、時間のループ状態から、未来への接続が行われたために、私も、あの未来人も、この時空に来ることが出来たんです」 古泉は、大きな溜息を一つつくと、やれやれといったようすで肩をすくめる。 「まるまる一年間のタイム・ループですか……さすが涼宮さんですね。あなたが記憶を維持したのも、涼宮さんの意思だったのでしょう。……それとも、愛の力でしょうか?」 さあな。 「私は、これでお別れです。もう、この時間平面にくることはないでしょう……。これからも、過去の私をよろしくね。……さよなら、長門さん。さよなら、古泉くん。」 朝比奈さんは、ゆっくりと俺の方を向き、すっと手を俺の肩に置くと、軽く俺の頬に口付けした。 そして、チョコレートの入った包みを取り出す。 「ハッピー・バレンタイン。さようなら、キョンくん。……ほんとうにありがとう」 俺は朝比奈さん(大)の差し出したチョコを受け取った。 「……さよなら、朝比奈さん」 朝比奈さん(大)は、すっと涙を拭くと、にっこりと笑って―― 次の瞬間、消えた。 「現在時空からの、消滅を確認、だな……」 長門がコックリと頷く。 終わった。 ああ、ホントに終わったんだな。これで――全部が。 そう、奇妙な繰り返しの一年間。 ループ・タイムが。 「やれやれ」 ……………… 胸が焼けるように熱い。 いてぇ、マジで痛い。撃たれるのって、こんなに痛いのか。 朝倉涼子にナイフをぶっ刺されたときみたいだ。 口の中がヌルヌルする。気持ち悪い。これなんだろ、あったかいけど。 あれ?俺の血か? 「キョン……どうしたの……?」 ハルヒだ。なんつーか、タイミングが悪いな。 俺が撃たれたところにばったり入ってくるなんてな。 こんなところ見せたくなかった。 自分が死ぬところなんて。 「キョンッ!!こ、これ血なのっ!?あ、あんた、どうしたのよっ!!」 やべ、目が霞んできた。 ハルヒ、泣くなよ。 だからタイミング悪いって言ったんだ。笑顔をつくる余裕がねえんだよ。 ああ、でも。 最期に――お前の顔を見れたのは、タイミングが良かったのかな? 「キョン、キョン、ダメ……死んじゃダメぇっ!!いや、いやよっ!!」 泣くなよ、ハルヒ、お前は笑顔が似合うんだからよ。 いつもみたいな、すっげえいい笑顔を見せてくれよ。 意識が飛びそうだ。やべえな。これまでか。 「……キョン……キョン……お願い……死なないで……」 なに言ってんだよ、死ぬわけないだろ。 SOS団もやっと二年目じゃねえか。 一緒に部室にいこうぜ。 朝比奈さんのおいしいお茶を飲みたい。よわっちい古泉とゲームしたい。長門が静かに本を読んでいる姿を眺めていたい。 それに―― ハルヒ、お前のむちゃな命令が聞きたいよ。 いまなら何でも言うことを聞いてやるよ。 どんな無茶でも。 お前のことが好きだから。 ああ、俺はハルヒのことが好きなんだ。 ハルヒが呼んでいる、ハルヒの声がする。 わかってるよ、今行くさ。 今行くから。 ……………… さて、ここからは、また後日談となる。後日談もこれで最後だ。 新学期がはじまり、二年生になって、俺たちは新しいクラスになった。 古泉は相変わらずの九組だ。ま、これは変わりようがないな。 「やれやれ、僕だけ仲間はずれですか?」 そうだ――と言いたいところだが、もちろんそんなことはないさ。お前は、SOS団に必要不可欠なホモ・エスパーだからな。 「光栄です。では、また部室で」 エスパーは爽やかな笑顔を浮かべ、おどけて肩をすくめてみせた。 「ふえ、羨ましいです……あたしは、あと一年しかないから……」 おもいっきりその一年を楽しみましょう、朝比奈さん。 朝比奈さんは、にっこりと微笑む。 「はぁい」 ……それにしても、クラス替えだってのに、知ってる面子ばかりだな。 谷口、国木田のコンビとも、相変わらず同じクラスだ。 朝倉涼子が、こっちを向いて微笑んでいる。俺の視線に気がつくと、ちょっと顔を赤くして、小さく手を振った。 長門、新学期の初日から分厚い本に没頭しているな。クラスメイトの自己紹介ぐらい聞いてやれ。 そして―― 「ちょっと、ちょっと、キョン、あんたの番よ!ボーっとしてるんじゃないわよ、まったく」 やれやれ、ハルヒ、シャーペンで突っつくなよ。分かってるさ。 ゆっくりと俺は立ち上がった。 もう俺たちは二年生で、ほとんど互いに顔見知りなんだ。自己紹介なんていまさらだ。 だが、まあ。 自己紹介といったら、このセリフしかないだろ? 「俺のことは、キョンとでも呼んでくれ。……さて、俺はただの人間には興味がない」 俺は教室を見渡した。 谷口と国木田があきれた顔でこっちを見ている。 朝倉涼子は、可笑しそうにくすくすと笑っている。 長門有希も、ゆっくりと本から目を上げた。いつもの無表情に、少しだけ笑顔が混じっているように見える……気のせいか? 「この中に、宇宙人、未来人、異世界人、超能力者がいたら……今すぐ俺のところに来い。そしたら――」 俺は、ゆっくりと後ろを振り返る。 満足そうに腕組みをした涼宮ハルヒの、100万ワットの笑顔。すごい、いい顔だ、可愛い。頭の後ろで、ポニーテールが気持ちよく揺れる。 後で――たぶん、ホームルームが終わったら、ハルヒの手を強引に引っ張って、いつかの屋上に続く階段に行こう。 長門の作ってくれた合鍵で屋上に出て、そこでハルヒに言おう。ハルヒのことを強く強く抱きしめながら。 ハルヒ、俺はお前のことが大好きだ、と。 本当に本当に、世界で一番好きだ。 お前に出会えてよかった。 これからも、ずっとずっとお前と一緒にいたい。 そう、言おう。 さて―― 俺は、すう、と息を吸い込んだ。 「SOS団に歓迎する!!以上」 おしまい 涼宮ハルヒのSS 厳選名作集 長編 ループ・タイム
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip2/pages/262.html
今日は週に1度の不思議探索の日。俺は普段通り集合時間の30分前には到着する予定で歩いている。 そのとき突然ハルヒからの電話があった ハ「今日は中止にして。あたし熱出しちゃったから。みんなにはあんたから言っておいて・・・」 集合場所に着くと、やはりみんなもう着いていた。 キ「今日はハルヒが熱出したから中止だ。さっき電話があった。」 長「・・・そう。」 朝「涼宮さんは平気なんでしょうか・・・」 キ「どうでしょう。元気の無い声してましたけど、電話できるくらいなら平気だと思いますよ。」 古「・・・わかりました。それではこのまま解散でよろしいですか?」 古泉はこういうときだけ副団長の役割をしていると思う。 キ「いいんじゃないか。長門も朝比奈さんもいいですよね?」 朝「あ、はい。」長「・・・いい。」 古「それでは解散ということで。」 朝「あ、キョン君。涼宮さんのお見舞いに行ってあげてくださいね。」 キ「はあ・・・でもそれならみんなで行った方が・・・」 朝「みんなで行ったら迷惑になりますから。」 長「・・・貴方一人の方がいい。」 おいおい長門まで・・・ 古「僕もそのほうがいいとおもいますよ。」 古泉、お前もか。 キ「ふぅ・・・行くだけ行ってみるか。」 俺一人が行こうがみんなで行こうが迷惑なのは変わらないようなきがするんだが。 そう思いつつもハルヒに電話をした。 キ「よう。元気か」 ハ「元気じゃないわね、熱が出たって言ったの聞いてなかったの?」 キ「聞いていたとも。今から見舞いにいくからおとなしくしてろよ。」 ハ「ちょっ、キョン!!こ、こなくて(ry」 俺はハルヒが何か言う前に電話を切っていた。ピンポーン。 キ「よう。ハルヒ。・・・何でそんな格好してるんだ?」 ハルヒはこれから出かけるのではないかというような格好をしていた。 それも額に冷却シートをはったまま。 ハ「だ、だって、急にキョンがくるなんていうから・・・///」 キ「それは・・・悪かった。そんなことより起きていていいのか?」 ハ「あんたがチャイムならしたからわざわざむかえにk・・・」 クラッとハルヒは倒れかかった。 俺はハルヒを両手で支え、 キ「おっと、そんな格好してるからだぞ。熱が出てるときぐらいパジャマで布団に寝てろ。」 ハ「わかったわよ・・・でも、起き上がれそうに無いの。」・・・ってことはこのまま運べと? キ「本当か?うそなんてこと無いか?」 ハ「本当に体が重いの。」俺は仕方なくお姫様抱っこのままハルヒの部屋まであがった。 そのときのハルヒの顔は終始真っ赤だった。 ハルヒに聞いてみると「熱だから仕方ないのよ。」 まぁ俺の顔も赤くなっていたことは秘密だ。 ハルヒの部屋は初めてではないが、女の子の部屋っていうのは入るたびに緊張するものだな。 ハルヒをベットに寝かせた後俺はその辺に腰掛けた。 キ「ハルヒ、大丈夫か。」 ハ「大丈夫じゃないわ。こんな格好してるし、さっき無駄に声出したから。」 キ「じゃあそのまま寝てろ、やって欲しいことがあるなら聞いてやるから。」 ハ「・・・ありがと。」 ハルヒは俺に聞こえるか聞こえないくらいの声でそういった。 だが俺にはちゃんと聞こえていた。こういうときのハルヒはものすごく可愛い しかし、可愛いと思えたのもつかの間。とんでもないことを言ってきた。 ハ「ねぇ、キョン。///」 キ「なんだ?」 ハ「この服着替えさせてくれない・・・//////」 キ「ぶふぅ!! やって欲しいことがあるならやってやるといったが、それはないだろ・・・///」 ハ「だ、だって・・・この格好じゃ寝にくいじゃない・・・/////」 キ「でもな、ハルヒ。俺がやるってことは ハ「じゃあいいわよ。」 そういってハルヒはそのまま俺に背中を向けて寝てしまった。 キ「・・・ハルヒ。悪かった。でも流石に俺にはそれはできない。他のことなら聞いてやれるから・・・機嫌直してくれ。」 そういうとハルヒはこっちを向き、 ハ「じゃぁ、しばらく手握ってていい・・・////」 キ「そ、それなら・・//////」 俺はそのままハルヒが寝付くまでずっと手を握っていた。 一生その手を離したくないと思いながら・・・ おわり