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概要 4コマ漫画劇場後期に活動した、ある意味2chで最も有名な漫画家。 デビューした当時は、他に例を見ない「DQⅠネタ限定作家」として異彩を放っていたが、後に他作品のネタも書くようになる。 絵は全くの独学。一見【鳥山明】に近い上手な絵を描くものの、動きに乏しく、単なる模写に近い。 「公式画をよく参考にしているから鳥山風」なのではなく、DQ以外の4コマ劇場でも常に鳥山風である。 ネタの方では、DQとは関係ない他作品のネタを絡めることがあり、 【ダーマ神殿】の神官を「新世紀エヴァンゲリオン」に登場する碇ゲンドウそっくりに書くという大馬鹿をかましたこともあった。 現在も漫画家として現役であり、DQ4コマに描いていた当時とはビックリするほど画風が変わっている。 どう見ても同一人物が書いたようには見えないくらいに変化しているので必見。 なお、2chにおけるあれやこれやに関しては、説明するのも馬鹿馬鹿しいので然るべき場所を参照して欲しい。
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被告殴打事件 拝啓 十一日公判の[甲野]事件十日早朝本人態々出京候、貴殿に送候一点限の趣意書の控と到底駄目の意見書とは持参候、帰阪を勧候処帰らず候、翌朝又来候、花見を勧候処応ぜず候、裁判所へ同行候、面白い控訴院の刑事傍聴を勧候処聞かず候、折角故私も出廷候、[甲野]は傍聴候、長弁論の次が私の番で候、書面通りに候、直ぐ記録閲覧室に帰候、間もなく給仕が控室迄と呼に来候、参り候[甲野]が泣候、叫候、私に喰て掛り候、私も怒候、私の拳と[甲野]の頬とが衝突候、私は再び閲覧室へ戻候、聞けば[甲野]は私が法廷を退くや否傍聴席に突立上り、私が一言も弁論せぬと泣出し、猛り出し狂ひ出し、判事の命で廷丁が漸く廷外へ連出したとの事に候、廷外でも尚泣騒ぐ故給仕が私に賺かして貰ふ為め呼に来たとの事に候。 考へれば気の毒でした、面倒がらず上告の性質を説明すれば宜かつたのです、磯部博士の事として人口に噲灸してる如く、拇指で後方を指し、残の四指と目で裁判長に語り、弁論をすれば宜かつたのです、廷外に待たし、第一番に頭を下げ、見えぬ故弁論を済まして仕舞ふたと云ふ習慣法に倣へば宜かつたのです。此事実を見聞した大概の人は、私に対して之が一の気の毒の事実であつたかの如く思ふてます、此事の直後他の廷丁は私に、新潟の松井弁護士と共に出廷した時、趣意書も弁論も簡単明瞭でよいと部長が賞めていました、弁論には出ぬでもよいと云ひました、と語りました、裁判所も亦気の毒だつたと思ふてるのかも知れません、併し私は之を面白かつた愉快だつたとこそ思へ、自分が不名誉だつたとも厭な思をしたとも思ひません、只[甲野]が遂了解せずに終るかと其のみが気の毒でなりません、貴殿から何卒其辺を納得する様説明して頂き度いのです、何時か書かうと思ふてましたから、丁度此末節を利用して、之を書いたのです。 四月卅日 山崎 天野弁護士 殿 <[ ]内仮名> <山崎今朝弥著、弁護士大安売に収録>
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解放社発禁争議に就いて 山崎今朝彌 昨日の日曜を利用して詳報を十頁も書かせて貰ふ予定であつたが、無保証ときいては筆が否ペンが動かず罰金出させても御気の毒だから、詳報は「解放」十一月号に譲り感想?二三を左に 一、昨年の解放十月号の禁止に対しては、『忽再版忽禁止忽参版忽解禁』の広告で再版を出した。 二、本年六月の解放群書第三編『プロレ諸大家最近傑作選集』の発禁に対しては、『初版へ(解放新年号)絶対安全、再版(合本)突如禁止、参版発売(不穏箇所切取)但初版を添ふ』の広告。 三、七月号の絶対禁止に対しては八月号で、『不可抗力で幸か不幸か差押前に殆んど売切の盛況、併し流行歌つて曰く、解放潰すにや何んにも入らぬ、禁止の三度も呉れりやよい。』の減らず口。 四、八月号に対しては、左記広告。 解放及解放群書発行所解放社は東京芝区新桜田振替三六九四四 八月号解放読者に謹急合掌 解放由来穏健也 然るに発売禁止六七八 三回連続古来稀 近来検閲頗悪化 全誌壹面忽赤化 秩序紊乱幾十頁 風俗壊乱数百所 断然下る切取命令 何でも無のに過激派極まる 製本済ゆへ只申訳け 本の少々討取切取 危険を冒して本日壹斉 全国同時に配本発売 人感情人生意地 憎いさ余て余たに禁止? 御買損じは一生の後悔 半円投じて即刻即刻 壹刻千金此事也 四六解放創刊号 幸徳秋水文集号 極秘突然一昨真夜中 全国一斉配本済 ○○危険充分也 壹円投じて是亦即刻 南無妙法蓮華経霊注射頂門一針 群書各冊各壹円南無妙法蓮華経 五、九月号の発禁では参つて仕舞い、否無し応無しやる気なし金もなければする事もなしで、所々方々へ厭味の抗議歎願書提出 六、十月号から労資協調官民一致全部内検閲で妥協、其代り優に二十日に発行出来たのが二十九日発行となり、売行頗る悪いならんか、但し政府は勿論損害賠償の責に任ぜず(十月四日朝) <以上は、山崎今朝弥氏が著作者である。> <旧仮名遣いはそのままとし、旧漢字は適宜新漢字に直した。> <底本は、『複製版文芸市場』(日本近代文学館、1976年)、底本の親本は、『文芸市場』(文芸市場社)大正 15年(1926年)11月1日発行)>
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名誉回復請求の訴 京橋区尾張町新東京新聞社 原告 藤田貞二 右訴訟代理人 弁護士 山崎今朝彌 麹町区有楽町二丁目一番地 被告 帝国劇場株式会社 右法定代理人取締役社長 渋澤栄一 一定の申立 被告は原告に対し東京市内に於て発行する日刊新聞、日本、二六新聞、報知新聞、東京日々新聞、東京朝日新聞、東京毎日新聞、東京毎夕新聞、東京毎日電報、東洋新報、豊国新聞、中央新聞、中外商業新聞、萬朝報、読売新聞、やまと新聞、国民新聞、都新聞、時事新報、及び文芸倶楽部、演芸画報に初号活字を以て三回左の謝罪広告を為すべし 謝罪広告 抑当劇場二月狂言第二佐藤紅緑作『日の出』二幕の儀は貴社と同名なる東京新聞社の財政不如意及び同社長の家庭紊乱等を仕組みたる演劇に有之、就ては観覧を辱うしたる御得意様の中、貴社の御高名は聞及ばれながら未だ御内容の堅固を承知致されざる方々は、或は同劇こそ貴社の内幕を素破抜きたるものなりとの感想を御極められんも知れず、従つて同劇が貴社の名誉を毀損致し候は誠に理の当然に御座候、然るに貴下が穏かにも右狂言中の新聞社名変更方御交渉被下候にも係らずツイツイ大劇場の権威を笠に着て一言の御挨拶も仕らず二日の初日より二十六日の千秋楽迄其儘の興行相続け、猶其筋書をも発売仕候段誠に以て不届至極、慾に目も暗みて理も非も相見え不申、自分さへよければ他人は如何でも御構なしとの御多分に洩れぬ人面獣心の振舞ひと、御叱り相受候も今更一言の申訳も無之真に恐縮の至りに奉存候、さりながら此処何卒貴社独特の御任侠を以つて一回だけは是非御勘弁成下され相も変らず永当々々御贔負の程閉口頓首偏に奉懇願願候也 明治四十五年 月 日 帝国劇場代表者 男爵 渋澤栄一 東京新聞社長 長髪 藤田浪人 殿 訴訟費用は被告の負担とすとの御判決相抑度候 請求の原因 一、原告は東京新聞を出版する東京新聞社の社長にして其持主たり 二、被告は明治四十五年二月二日より二十六日迄其劇場に於て佐藤紅緑作『日の出』と題する二幕の演劇を興行せり 三、『日の出』二幕中には(一)東京新聞社長は馴染の芸妓を落籍し妻としたること(二)同社長は同居の先妻の妹とも情交ある事(三)従て前妻の妹と芸者上りの妻とは互に嫉妬の結果喧嘩口論絶へざること(四)同社長妻は夫に対して従順貞淑ならず社長も亦之を制御する能力なく両者の衝突看る人をして眉を顰しむるものある事(五)東京新聞社は従来弥縫策を以て経営し来りたること(六)今や同社は債権者より差押を受け破産の悲境は旦夕に迫り居ること(七)同社長の妻は債権者の一人なる前の情夫と待合に会し漸く同社の差押を解くを得たること(八)同社長の邸宅に多数の醜業婦闖入すること(九)新聞紙の記事により東京新聞社長は妻の貞操を前の情夫なる債権者に粥がしめ破産を免れたりとの風評あること(十)同社長は先妻の妹及び親戚の夫人等に迫られ妻の姦通を認めて之を離別すること(十一)同社長の妻は姦通を否認するも良家の夫人が前の情人と待合に会し其夜遂に帰宅せざりし故を以つて衆人の疑を解く能はざること(十二)同社長前妻の妹は恋敵なる社長妻の離別を喜び社長の妻は破鏡の嘆を悲み遂に自殺すること等の仕組あり 四、被告は又其劇場に於て前項記載の筋書を該狂言興行中発売配布せり 五、東京新聞の発行部数は三萬乃至五萬にして被告にも発行の都度其配達を為したり尚又該狂言興行前最近に於て東京新聞に関する記事数回市内発行の各日刊新聞に掲載せられたり 六、原告は明治四十五年二月七日被告に向て該狂言中の社名変更方を迫り翌八日内容証明郵便に依り同じく社名変更及び筋書配布差控方を請求し被告は翌九日返答なすべき旨を答へたる儘傲慢不遜今日に至るも何等一言の挨拶も為さず 七、被告劇場に於て該狂言『日の出』を観覧せし人は約五萬筋書発売数は約一萬部なり 以上の事実は被告が故意若くは過失を以つて原告の名誉権を侵害したるものなるに依り名誉回復を求むる為め本訴を提起したる次第なり 明治四十五年二月二十七日 右原告代理人 山崎今朝彌 東京地方裁判所 判事 鈴木喜三郎 殿 <山崎今朝弥著、弁護士大安売に収録>
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非論時局問題・局面の諸問題 非論時局問題(山崎) 除夜放談 ◇大晦日に於ける恒例の本家放談会の司会は、今年は総同盟、総連合、総連盟の有志から成る二十八日会の諸君中の誰かにやつて貰いたいと思つてる。忙しいので忘れて居つた、明日にもすぐ渉りを付て見る。顧れば--とくれば甚だ感傷的になるが、岩佐作太郎君、徳田球一君、平澤計七君等々と司会者を順次追憶すると転た懐旧の情に堪へない。慥かに僕も年を老つた。と同時に時勢の変遷も考へられる。 ◇山内君が月並だから謹賀新年をオミツトするといふゆへ、僕が云つてヤロウと思つて除夜会を持出して見たが、変にコジれて云ひ損ねたから僕も云はない。 借々又借 ◇随分借りのある処へ、又新年の感想と解放運動名簿とが借りになつた。借りだけで一二ケ月発行出来る。新年の感想は腐り物故二月には必らず出す。解放名簿への材料提供者には特謝す。--十八日会から高評する約束で天下の逸品と称する「全国労働団体一覧」を貰ふたか、総同盟と評議会の外は余り正確でなかつた。広告したくも定価がドコにも書いてない。予告の附録代りに尻絵を附けた。尻絵とは口絵の反対へ僕の付けたテクニカルタームだ。今に問題になつて値が盛んに出る筈だから其れまで保存を乞ふ。 原稿市場 ◇「文芸市場」発明の古原稿売買はヨイ発明だと思ふ。「解放」の原稿も別に異議反対の申出なき限り「文芸市場」へ交渉委託して一月から序に売つて貰いたいと思ふ。だが今日の新聞に出たように其売上高を「文芸市場」の名で他へ寄附する事には反対だ。売上から相当の費用を当然差引き「解放」には関係なく「文芸市場」から直接書主本人へ送つて貰ひたい。右ホントの真面目に執筆者並に「文芸市場」に御願する。 時局混乱 ◇(五八頁よりつづく<後掲>)時局と局面と正面衝突して愈混乱する。 之に反し、因つて喜んで弱つたのが農民組合、しかし農民組合の事は、中々判らない。遣り損つたが、官業の人。馬鹿を見たのが自治会、尤も損して得した点もある。危く助かつたが機械連合。茲を先途と大に馬力をかけるが、アナキストサンジスト、併し一時パツとしても、将師倒れて雑兵続かずの罫が出てる。訓令まだ出ず一時方向に迷ふが日蓮コンミニスト。ドウして此難関を切抜けるだらふ。時を得顔の右傾連盟。右傾連盟で思い出したが、右側の人達は何故日和見主義を標榜して、右傾連盟を高唱しないだらふ。右傾日和見を悪口と辟易する間は、まだ其人達はどうしても日蔭運動者だ。左側の人達も共産主義と云はれては迷惑だと憤る間は駄目。悪口も均一公平なら腹立ぬ。 <58頁> 局面の諸問題 山崎今朝彌 半段の埋草に乗じて刻下の諸問題を詳論する。勢誤迷文たらざるを得まい。無産党禁止理由中、団体加入の不当程理由のない理由はない。当局は団体加入とは其団体の政治無能力者が卒然政治能力を獲得する事だと思つてる。バカの話だ。尤も政府も追々気付いたか段々焦点の転換を試みてる。無産党の存在はどの道現代政府の得にならぬ。禁止に理由が要るものか。ブルジヨア進歩主義者への申訳なら、事実共産党が黒幕か否かで其当否が決せられる。其れにしても執行委員諸君が態々禁党承認の請書を出したは何のザ・・・・・残念だ。政府も余程反動がコワかつたと見へ今頃ヤツと安心したらしい。僕なら忠良の紳士振を見た其時スツカリ安心する。今度の儲け役は評議会一派、原則綱領に基いて最後迄噛り付て其れ禁止に成たらサゾ□ジメであつたらう。何と間が悪かつたは総同盟、僕は強ち策士策を誤つたとは云はない。あの時は行がかり上文殊でも脱退より外仕方がなかつたらふ。(目次の裏へ続く) <以上は、山崎今朝弥氏が著作者である。> <旧仮名遣いはそのままとし、踊り字は修正し、旧漢字は適宜新漢字に直した。> <底本は、『解放』(解放社)第5巻1号目次裏2頁、58頁(大正15年(1926年)1月1日発行)>
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平民法律並に平民法律所広告 ------ 平民法律は、平民大学直営の平民法律所が、無料専門我儘御免にて実地取扱たる、社会問題に関係ある法律事件を、通俗平凡面白可笑く解説したる平民法律所の研究月報誌なり ------ 無料専門、我儘御免、道楽半分にて社会問題に関係ある法律事件のみを取扱ふ。 本誌の種になる性質の事件は特に歓迎す。 東京市芝区新桜田町十九番地 平民大学直営 平民法律所 電話新橋特二〇七七番 振替東京三六九四四番 ------ <山崎今朝弥著、弁護士大安売に収録>
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免災財産共用(免災財産を収用せよ) ◇久しぶりに薬師寺教授一流の、共同海損理論を準用して都市免災家屋を国有にしろという思いきつた名論をよみ、教授に敬意を表する。 ◇が、この理は都市に限らず、町村免災家屋についても、家屋に限らず土地、山林、産業、債権その他全国の全資産についても同一であるから、君も免災財産国有論には毛頭異論なかろうと思う。 ◇問題は国有か公有か、共有か共用か、無償収用か補償収用か、私有または私用をどの程度に許すか、運営は社会党の社会主義と共産党の共産主義と無政府主義者の自由自治と何れを選ぶかにあるであろうが、君はどれをとるか。私はどれでも、またさきの民間経済学者石橋湛山君唱えたところの課税没収(後に寸解する)でもよい。要は一刻も早く実現可能とみた組につく。 ◇石橋湛山氏が昭和八年五月廿四日東京基督教青年会館での第三回自由懇談会(公然中秘密裏の平和運動結社、同八年九月廿八日第六回会合解散直後結社禁止)でいつたことを現状に当てはめての私の理解は、相当思いきつた措置も今は急激の変化とはならぬから勤労者には生活の余裕で貯蓄ができる程度に分配し、毎年の国費は財産税一本やりで最高額所有者より順次国民平均所有額まで全額賦課削り崩していく、毎年々々上から新しく何回でも削り崩すのだから分散隠匿敢て恐るるにたらずというにあつた。今の石橋蔵相のやり方、全額補償全額課税等でふいにその片りんを示してる所もあるが、勤労所得税の撤廃、戦争公債払の打切、財産税のつるべ打ち等に反対等の点は大いに変ぼうしてると思う、何とか考え直せぬものだろうか。【全国借地借家人同盟会長 山崎今朝彌】 <以上は、山崎今朝弥氏が著作者である。> <旧漢字は適宜新漢字に直した。> <底本は、『毎日新聞』(毎日新聞社)昭和22(1947年)年3月4日号2頁「建設」欄。なお、上記投稿は『平民新聞』(平民新聞編集局)第19号(昭和22年3月12日号)1頁にも転載されており、入力に際しては両記事を参照した。『平民新聞』の底本は、『戦後版・平民新聞(コピー版)』(黒色戦線社、1983年)によった。なお、上記タイトルは毎日新聞に掲載された際のものであり、括弧内は平民新聞に掲載された際のタイトルである。>
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露国討つ可し、日本べからず 露国飢饉救済金募集趣旨書 露西亜はいま未曾有の大飢饉に見舞はれて居る。豊僥なボルガ河畔の耕地は昨年の収穫期に一物をも産しなかつた。而して其地方の二千六百萬の住民が飢餓に曝されて居る。或者は木の根や雑草を食つて露命を繋ぎ、或者は麦藁や粘土を囓つて空腹を満して居る。否、それすら今は尽き果てて、全く絶望の裡に悶え死ぬもの数を知らぬ。死屍途にみちて葬る術もなく、萎びたる母の乳房に空しく乳を求めて泣く幼児は、狂へる母の手からボルガの懐に投ぜられて居る。而も最も痛ましいことは、一千萬の子供が餓死に瀕して居ることである。何といふ凄惨な物語であらう。之が人類史上空前の悲劇でなくて何であらう。 それは然しゆ飢る人の罪であらうか?否、断じて否。労農政府の秕政の結果であるといふ憶説は信を措くに足らぬ。主因は天災である。来る月も、来る月も一滴の雨も降らず、早魃は雑草まで焼き尽した。此の外に露西亜が列国の封鎖の中にあつて、外国の物資を仰ぐことが出来なかつたのも、亦重大なる一因である。 兎もあれ救ひは一刻を争ふ。飢えたる人々を救ふ-それは唯純人道上の立場から遅疑なく、無条件に為さるべき事である。救が世界に求められて、今や文明国といふ文明国は挙つて飢えたる露西亜の為め、或は醵金し、或は物資を供し、或は人を派して救済に協力して居る。而して日本は如何? 今日になつて救済の事が漸く世人の口に上つたに過ぎぬ。由来日本人は正義の民であると誇称する。人道の味方であると自任する。然り而して飢えたる人の為めパンの一片を割愛することを知らないであらうか。果して然らば正義は咽び、人道は泣かう。然し日本人は非人情ではない筈である。 されば敢て正義と人道の名に於て吾が君子君法曹界の諸賢に訴ふることを許せ。我等は道徳的に飽く迄強くありたい。我等は正しき事の為に、而して人類の福祉の為に率先し、且最後まで奮闘する意気と情熱の持主でありたい。吾人はそが正義であり、善であり、人情美であるの故を以て諸賢の賛同を得ることを信じて疑はぬ。額の大小の如き、元より問ふ所でない。吾人随所救済金募集の企てらるるを見て、茲に法曹界の諸賢に訴ふ。諸賢の同情の結晶が、一刻も早く又、一銭でも多く、遠隔の罹災者の上に潤はんこと、之れが吾人の切なる願望である。而して同情金は全部、米国若くは英国の法曹主催、露国飢饉救済会に委託し、寄附金の受領は賛成新聞紙上の報告を以て之れに代へる。 発企人 <山崎今朝弥著、山崎伯爵創作集に収録>
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告訴取下書 告訴人 日比谷洋服店々主 服部濱次 被告人 自由協会常任幹事 [甲野太郎] 右告訴人は男子の面目上止むを得ず右被告人に対し曩に殴打内傷休業二時間を要する旨の診断書相添へ告訴提起致し置候処、警察は之を機会に被告に対し干渉圧迫を加へ遂に被告を拘引留置、未決に投獄致し候由頗る同情に堪へざる次第、依て憤然茲に告訴取下候条被告に対し寛大の御処分相成度候也 大正八年十一月十七日 右告訴人 服部濱次 東京区裁判所検事局 御中 <[ ]内仮名> <山崎今朝弥著、弁護士大安売に収録>
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東京毎日法律相談の一日 東京毎日新聞社法律顧問弁護士 山崎今朝彌 昨夜の新聞には十二月廿一日午前八時より東京毎日無料法律相談日、主任記者山崎今朝彌とあり、時計はイツに八時を過ぎて今にも九時に迫らんとして居るが、八時が九時となり、九時が十時を過ぎて十一時となるを常として居る吾々裁判所の関係者が。ソウ時間通りに行つては估券が下る、と云つた様な気で九時に出掛ける。社はスグ其処だ、誰が待てるか知らんなどと考へて出した時はモウ事務室に来て居つた。控所にはストーブを囲んで五六人が待つてる。 特別イの一番で、と社の社会部の某君。問題はコウである。或職工が機械に腕を取られた、サテ大変と後をも見ず医者に駆け付ける、此切口なら取られた腕が元通りに附けられると医者は云ふ職工は元気を出して韋駄天走り、併し遅かりし由良之助、腕は不浄物とあつて火夫がトツクに焼棄して了ふた。早朝弁護士廻りをした記者は某氏の死体遺棄説(刑法一九〇条)某氏の身体傷害説(刑法二〇四条及び二〇九条)某氏の窃盗説(刑法二三五条)某氏の横領説(刑法二五二条及二五四条)某氏の無罪説を示して意見を求めた。私はドレにも反対して物品損壊罪説を主張した(刑法二六一条)。 一番と入替つた二番札には『家屋立退の件但家主』とある。サテ来たな、吾々が初より心配した通り、無産階級の為に設けた此法律部を利用せんとする強慾非道の資本家が続々現はれるに相違ない、吾々は之に対して如何なる処置を採り如何なる応答を為すべきか、兎に角此処が修養だ、怒らず怒鳴らず落着いて。と、俄に猫撫声を出し、ストーブの熱を増して事件はと問ふ。貧相なる資本家が良心の咎に依てかブルブル震へ乍ら語るを聞けば。二番は今でも工場通ひの職工である、一生にドウか家主になつて見度いが彼れ年来の大願であつた、時機と好運は一時に巡り来つて彼は今年の五月にトウトウ家主になり了はせた。十年来の貯金と女房の箪笥は空になつたが、彼の得意と家の円満は絶頂に達した。借り手はつく敷金は這入る、之れで家賃さに取れたら何も文句がない。処が其借家人は人の家を借りては造作を拵へ、家賃を払はずに其造作を高価に売付ける手段により立退料を取るを商売とする詐欺師であつた。家賃処か、毎日毎日叱られオドされるのが怖いから、少しの金で立退かせて貰へまいかと泣くのである。ヨシ其れなら明日屈強の壮士四五人をやつて片附けてやらふと元気付けて帰へす。 三番からは事務所を解放されたる社長室に移し、時間の無駄を省く為めに、順番に拘はらず同一性質の事件は差支なき限り皆同時に相談する事に極める。三番は或無尽会社の事務員が、専務の留守中専務代理から、期限中なるに拘はらず突然解雇され他に就職口もなく困つてる、損害は取れぬかと云ふのであつた。私の鑑定は、契約期間の給料は全部請求する事が出来る。四番になつたら昼飯になつた。受附はと聞けばモウ十二件ですよと。サア大変コレカラは端折る事にして食べ乍ら語る。端折り初めでも四番は中々込入つた事件で大に手間取れた、問題は出面請負の慣習に関する件である(下段訴状参照)此処で受附を締切る、時に午後一時半受附件数十六件人員五十二人。 五番七番十番十三番十四番は皆縁談事件である。最初は他人の事親類の事で談じて居る中に自分の事になるのが此事件の特色である。男に無理があつて女に無理のないのが此事件の特色である。新旧思想の衝突が多少なりと原因を為してるのが此事件の特色である。日本家族制度若くは結婚制度の欠点が大に原因をなしてるのが此事件の特色である。四番は、娘を通勤先の工場の事務員が連出し駆落したのに男の親が知らぬ顔の半兵衛だと、其娘の母親と姉とが不平言ひに来た事件。七番は、婿の放蕩を懲す為め、赤子を置かせて娘を連れ戻りたるに、婿の親兄弟が共謀して其赤子を置逃げし、娘は病気私共は乳が出ずドウしたらよいかと娘の親夫婦の哀訴。十番は、十年も前に写真結婚で北米在住の未見の人に妹を嫁つた処、其人は帰国もせず妹も引取らず金も送らず籍も返さず誠に困るとの事件。十三番は、女房が私の留守に私の親と子供を連れて帰国して仕舞ふたが離縁の方法はないかと曖昧なる申立。十四番は、婚姻予約不履行に基く損害事件で第一審で敗訴したが、勝てるものなら控訴したいドウかと云ふ男一生の頼み。 八番九番十一番十五番は流行の家屋明渡の店子側。家主に悪いのもあるが、差配の方が余計悪人の様だ。嘘の様だが五割十割三倍四倍の家賃値上もあつた。此住宅払底では店子のビクビク騒ぐも無理がない。併し本日の事件に依るも現今の住宅問題は家主が悪いでも差配が悪いでもない。勿論住宅の払底でもない。急に人間が殖へた訳でも火事計りあつた訳でもない。無暗にビクビク騒ぐからだ、矢鱈家賃値上げに応ずるからだ、何処迄も権利を主張して明渡さずに居ればソウ住宅は払底でない。弱き者よ強くあれ、只其れ強くあれ。吾法律部には愈々以て意義がある責任がある。 六番の高利借事件十二番の足尾銅山鉱毒事件最后十六番の扶養料請求事件を終つたは午後七時であつた。誌上でこそ端折りこそすれ、まこと飯くふヒマも小用達すスキもなかつた、が実に近年稀なる愉快極まる一日であつた。 ~~~~~~ 訴状 東京市本所区林町二丁目八十七番地 自由労働者組合本部方大工平民 原告 [甲野太郎]外十数名 右組合法律顧問代理弁護士 山崎今朝彌 東京市下谷区[某町某番地]請負業 被告 [乙川二郎]外二三名 出面金請求訴訟(註一) 請求の理由 被告[二郎]は[丙山五郎]より家屋の建築を請負ひ其大工出面を被告[三郎]に[三郎]は之を被告[四郎]に請負はせ、[四郎]は原告等を雇入れ、 原告等は大正八年九月一日より被告等指図の下に大工として同年十二月十六日迄其工事に従事し、其各自の出面金は各自が一定の申立に於て請求する額に達したり。 然るに被告等中[四郎]は他の被告等が請負金を払渡さざるを理由とし、他の被告等は出面は既に[四郎]に請負はせしものなることを理由として右出面金の支払を為さず。 然れども抑も出面請負なるものは、無資無産無徳無恥の請負人が、其出面の不払より工事従業の労働者に損害を蒙らしめ又は其工事の遅延若くは不完成等の為め、注文者に損害を与ふることあるべき危険を防止警戒せんが為め、請負人が出面人に支払ふべき出面金を順次に払渡す、注文者と請負人間若くは元請負人と下請負人間の契約にして、 此契約に在ては其出面金は注文者請負人及下請負人が連帯して之を支払ふべきを慣習とし、本件関係者は皆此慣習に従ふ意思を有したるものなり。(註二) 故に原告等は本訴に於て出面の注文者即ち請負人たる[二郎]第一の出面請負人たる[三郎]及び出面下請負人たる[四郎]を相手取りたり。 請求の目的及一定の申立 被告は連帯して金・・・・円に本訴状送達の翌日(註三)より本件完済迄年六分の利子を付し之を原告に支払ふべし。 大正九年一月十五日 右山崎今朝彌 東京区裁判所 御中 (註一)出面は「でづら」とも「でめん」とも読む。 (註二)少くも都市に於ては大工に限らず苟も出面請負なる以上皆此慣習あるが如し。 (註三)訴状到着の日より請求し得るものなれど普通到着の翌日より請求す。 <[ ]内は仮名・仮地名> <以上は、山崎今朝弥氏が著作者である。> <旧仮名遣いはそのままとし、踊り字は修正し、旧漢字は適宜新漢字に修正した。> <底本は、『平民法律』第9年1号21頁。大正9年(1920年)2月。>