約 223,725 件
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星期兄弟事件: 从位于26号道路的星期兄弟家中的笔记本上可以了解到一家子会于每天出现在不同地点赠送道具,具体如下: 星期天 37号道路 磁铁 星期一 40号道路 锐利的鸟喙 星期二 29号道路 粉红缎带 星期三 愤怒湖 黑带 星期四 36号道路 坚硬岩石 星期五 32号道路 毒针 星期六 烟墨市 诅咒护符 当从七人手中获得所有道具后,再和他们对话,排头精灵即可获得对应星期的缎带,每日只能回去一次 高速船事件: アサギシティ浅葱市出航:星期二,星期五 クチバシティ枯叶市出航:星期天,星期三 乘龙事件: 乘龙会在星期五于つながりのどうくつ山洞通路的三层出现 捕虫大会事件: 捕虫大会于每周的二四六的白天在捕虫公园举行 黄金市地下商店街: 黄金市著名的地下商店街,每天会有不同的店面营业,具体如下 星期天:中药店开放,不过吃苦药会下降PM的亲密度 星期天:美容店开放(弟) 星期一:便宜商店开放,可以买到便宜版本的9800道具 星期二:美容店开放(兄) 星期三:美容店开放(弟) 星期四:美容店开放(兄) 星期五:美容店开放(弟) 星期六:美容店开放(兄) 月亮山的皮皮: 星期一晚上(8点到12点)于月亮山顶会出现的皮皮跳舞事件,结束后可以在中间石头上得到月亮石 另:星期一的凌晨也能触发 夙敌的再战: 星期一星期三挑战四天王时会出现与玩家对战(龙穴和渡与伊吹组队战结束后触发)
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爆弾事件 開催期間 7月1日~9月9日(アフター期間含む) 7月1日~14日→事件1日目 15日~28日→事件2日目 29日~8月11日→事件3日目午前 12日~26日→事件3日目午後 27日~9月9日→事件解決祝賀会(アフター期間) 事件概要 はじまり 夏のある日、「Dビルから半径50km圏内の100箇所に大小威力さまざまな爆弾を一個ずつ、合計100個仕掛けた」と犯人から声明が届く。 そしてその日のちょうどお昼、この声明が単なるいたずらではないと主張するように、寮近くの公園のゴミ箱数個が爆発。 幸いにも怪我人は出なかったものの、これが暑い夏の大事件の幕開けとなったのだった。 声明によると、爆弾爆発までの猶予は3日。 声明には指紋などの犯人の情報は一切残されておらず、また爆弾についても、「50km圏内に100個ある」「威力はゴミ箱一つが飛ぶレベルから数十キロに被害をもたらすものまで」「処理の難易度や方法も様々」と署員の希望になりそうな情報は残されていなかった。 捜査メンバー 今回の事件を解決すべく、主に45名の捜査員を投入。 2名ずつ(一部3名)の合計22班体制での捜査を開始した。 1班→水谷睡蓮 &切坂鵜響 2班→春夏冬定 &狩野池秀派 3班→鬼鏡豪大 &瑠璃川環 4班→芥川雄嵩 &西村優人 5班→梵椎葉 &式部圭 6班→藤崎狂子 &波佐間泰一 7班→春夏秋冬一世 &四ッ坂史明 8班→直家藤吉 &鳥松圭吾 9班→成瀬常葉 &川畑徹平 10班→冷泉信也 &マット=クラインハインツ 11班→轟尊 &篝木鳴海 12班→三宮悠 &斎木瑠依 13班→三宮薫 &感応寺極 14班→成宮晴 &道下鵲 15班→十勝信司 &八野奏 16班→音無リコ &北条知和子 17班→名塚美鈴 &丹佐崎七日 18班→福和琴子 &佐貫佳 19班→天城飴梨 &躑躅明日香 20班→樽井柚子 &時雨由紀 21班→高山夏緒 &丹ノ屋雪 22班→不来方牙乃 &咲原瑛理 &水上鷹 捜査一日目 爆弾 85/100 犯人はD署をナメている様子で、挑発的な設置の仕方が目立つ。 しかしそれ以外の犯人の手掛かりがないのも事実、もっと積極的な調査が必要。 一日目の爆弾はほとんどがD署周辺、もしくは人の集まるところで発見されていることから、市民の安全を第一に考え、なるべく先に『人の集まる場所』の爆弾を処理していく方針を伝える。 捜査二日目 爆弾 76/100 犯人像 異常なまでの凝り性、勝気で自信家。その自信に伴う高い技術と知識を併せ持つ。 爆弾に添えられたメッセージ、仕掛け方やD署に送られてきた犯行声明からは犯人の、自分に対する絶対的自信と、D署に対する反抗的でバカにした気持ちとがおおいにあらわれている。 爆弾が仕掛けられていた場所や状況から考えるに、犯人は清掃業者の可能性が高い。 爆弾が仕掛けられていた場所には特定の人物しか出入りできない場所も多く含まれ、D署内、その周辺も対象となっている。 その特定の場所に出入りしている清掃業者を調べてみたところ、ほぼ同一の業者であることが判明。 それに加えて清掃業者から、数週間前に作業着が数着盗まれているという証言が出ている。 また、清掃業者という肩書きだけでは対応できない場所や状況からも爆弾が発見されているため、犯人は清掃業者と運搬業者の姿を使い分けている、もしくは複数犯の可能性も考えられている。 犯人の目的 100個もの手の込んだ爆弾を仕掛けた上、わざわざD署まで犯行声明を送りつけ爆弾処理を促していることから、単純なテロ目的ではないことが推測される。 もっとも単純に考えるならば、絶対的自信からくる愉快犯。 優秀と名高いD署への挑戦。 また今回の事件を解決できなかったときの被害の大きさなどから考えると、D署の評判を落とすというのも大きな目的の一つである可能性が高い。 評判を落としたいのはただの愉快犯的考えなのか、それともD署に対する何か特別な感情があるのか…。 狙いは民間人<D署という線が濃厚である。 爆弾の設置場所 人の集まる場所に多く設置されているにも関わらず、D署員のみが発見できるように調節がされていると推測できる場面が多々ある。 もし人が怪我をしなくても大きな騒ぎになりそうな場所を狙っている可能性が高い。 また、用意は最低でも数週間前から行われているはずだが、きっかけの爆発があるまでは一切不審物は発見されていないという奇妙な点がある。 そこから、爆弾は犯行声明が送られた時点ではまだすべて設置されておらず、犯人がD署の動きを見ながら徐々に100個に近付けていっているとも考えられる。 捜査三日目 爆弾 60/100 処理しては増えまた処理しては増える爆弾…。 いつまでもいたちごっこを続けて遊んでいるD署員ではなく、事件の中心で動くものが大規模カルト教団であることにたどりつく。 証拠を集め犯人とその共犯者たちに目星をつけたD署員たちはついに追いつめへと取りかかる。 D署半径60kmの範囲を封鎖、爆弾設置場所やカルト教団施設を特に厳重に警戒しつつ、この事件は終盤へと向かっていく。 主犯の男 勝ち気、自信家、凝り性。 爆弾の処理に奔走するD署員の様子を観察し楽しんでいるようなそぶりも見せていた。 D署へのダメージが目的なら、予告の最終日に派手な爆破を行いD署およびその周辺の解体をもくろんでもおかしくはない。 このことから音無&北条ペアは、犯人はD署もD寮も見渡せる○×運輸第三ビルに現れると推理。 斎木&三宮ペアとともに待ち伏せし逮捕へと向かう。 現れた女性署員の姿に勝利を確信した犯人であったが、4人の見事な連携プレーにより逮捕される。 共犯者たち 不来方&咲原&水上の22班は、爆弾に使われていた特殊なネジをヒントに犯人を特定する。 犯人の抵抗、発砲により一人が危機にさらされるが無事逮捕。 成宮&道下の14班は、共犯者内に必ず存在すると思われるハッカーの特定に踏み出す。 捜査の結果とある一室へと絞り込み、驚異的な視力によって犯人を確認。 ナイフによる抵抗があったが取り押さえ、手錠をかける。 梵&式部の5班は、爆弾設置に協力したという男から情報を入手。 人質にされていたという娘の姿が署員に似ていたため変装し囮作戦を決行。 取りだされた拳銃も難なく処理し逮捕へ。 名塚&丹佐崎の17班は、駅にて爆弾を発見したという駅員に不審な点を発見。 推理を展開し犯人を追いつめるが爆弾の爆破スイッチを押されそうになる。 あらかじめ待機し拳銃を構える罠が成功し、逮捕へといたる。 冷泉&クラインハインツの10班は、清掃員の男に目をつける。 監視カメラの映像を動かぬ証拠として犯人逮捕に踏み切るが犯人が鉄パイプで抵抗。 阻止し逮捕したのち隠し持っていたナイフで最後の抵抗を見せようとするがとっさの判断により阻止する。 以上の活躍により、この長い三日間は幕を閉じた。
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相馬事件(そうまじけん)とは、明治年間に起こった御家騒動の一つ。精神病患者への処遇や、新興新聞によるセンセーショナルな報道の是非を巡り、世間へ大きな影響を与えた。 経緯 旧中村藩主、相馬誠胤(そうまともたね)の統合失調症(推定)の症状が悪化。 1879年に家族が宮内省に自宅監禁を申し入れ、以後自宅で監禁、後に癲狂院(現在の精神病院に相当)へ入院。 1883年、旧藩士の錦織剛清(にしごりたけきよ)が主君の病状に疑いを持ち、家族による不当監禁であるとして家令・志賀直道(志賀直哉の祖父)ら関係者を告発したことから事件が表面化した。 告発を行った錦織に対し、世間からは忠義者として同情が集まった。 当時は精神病の診断も未熟であり、高名な大学教授等による精神病の診断がまちまちの結果となった。正常との判断を下す医師もおり、混乱の度合いが増すこととなった。 1887年、錦織が相馬誠胤が入院していた東京府癲狂院に侵入。相馬誠胤の身柄の奪取に一旦は成功するものの一週間で逮捕。錦織は、家宅侵入罪に問われ禁固処分を受けるとともに、偏執的な行動が批判を受ける。 1892年、相馬誠胤が病死。錦織はこれを毒殺によるものとし、1893年、再び相馬家の関係者を告訴、遺体を発掘して毒殺説を裏付けようとした。しかし最終的に、死因が毒殺とは判定できなかった。 1895年、錦織が相馬家側より誣告罪で訴えられ、後に有罪が確定。事件は収まりを見せた。 法制度への影響 相馬事件がきっかけとなり、精神病者の監護(監禁および保護)の手続きについて問題意識が高まり、1900年に精神病者監護法が制定された。これは精神病者の人権保護や治療を目的とするものではなく、精神病院(精神病室)および私宅(神社仏閣における参籠所や公私立の精神病者収容施設なども「私宅」のカテゴリーに含まれる場合もあった)における監置を法によって規定するといった隔離を主眼にするものであった。 関連項目 座敷牢 萬朝報(相馬事件を大きく取り上げた新聞) エルヴィン・フォン・ベルツ(相馬誠胤を精神病患者として診断した医師の一人) 後藤新平(錦織剛清の支援者の一人。この事件に関係して一時逮捕される) 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年11月23日 (日) 13 29。
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嫌な事件だったね・・・ 肛門事件とは、2010年4月に起こった事件である。 内容は、エール・カドラ氏がチャットで様々なバリエーションの屁をこいたため(実際は無論誤解釈)、七色の肛門を持つ男とされ、彼の生放送が肛門になってしまったというものである。 これがその時のコメントログである 彼が放った異色的な効果音を屁だと誤認してしまった影馬氏は、 「俺が全ての元凶です、本当にすいませんでしたwwwwwwwww」 と深く謝罪している。
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登録日:2016/12/20 (火) 18 35 00 更新日:2024/07/02 Tue 17 16 12NEW! 所要時間:約 20 分で読めます ▽タグ一覧 SPECIUM;BOYS UFO オカルト トラウマ ハイ・ストレンジネス事例 事件 奇跡体験!アンビリバボー 山梨県 恐怖体験 未知との遭遇? 未確認飛行物体 未解決事件 検索してはいけない 検索してはいけない言葉 甲府事件 甲府市 異星人 第三種接近遭遇 都市伝説 甲府事件とは、1975年2月23日に山梨県甲府市で発生した未確認飛行物体及び異星人の目撃事件である。 日本における、いわゆる「第三種接近遭遇」(*1)事例の代表例で、それだけでなく目撃者がかなり多いこと、物的証拠と見られるものも複数確認されていることなどから、研究者の間でも信憑性はある程度高いとされ、世界的にも著名な異星人目撃事件でもある。 概要 同じ1970年代に発生した介良事件・仁頃事件と共に「日本三大UFO事件」とも呼ばれていた。 このうち甲府事件と「72年に高知県高知市の介良地区で小型UFOを捕獲した」という介良事件は現在でもかなりメジャーな事件。 だが、仁頃事件は「UFOに乗せられて木星まで行ってそこの岩石を採取してきた(※木星に岩石は無い)」という荒唐無稽なもので、さらに証言者が後に「サモンコール宇宙連合のスポークスマン」と称し、「自分はUFOを三台持っていて更にテレポート能力で他の星に6分で行ける」などと言いだした(じゃあUFOいらないじゃん)ため、現在ではほとんど言及されない。 現在では甲府事件と介良事件に、農林水産省の調査船(当時)開洋丸が1984年12月18日と1986年12月21日にそれぞれ「フォークランド諸島沖で飛行する光る物体」「北緯26度の日付変更線付近で肉眼視できないレーダーの影」と遭遇した「開洋丸事件」で日本三大事件とするのが妥当だろうか。 事件の発生 この事件は上述のように目撃者が多いが、中核的な証言をしているのは当時小学校二年生のK君とY君の2人である。 (異星人らしき者を見たと言う証言をしているのはこの2人と、後述する女性の3人だけである) 同じ小学校に通い、親戚同士でもあった彼らはその日午後6時半頃まで一緒に集合住宅の敷地内で、ローラースケートで遊んでいた。 この日の甲府市での日没時間は午後5時5分で、すでにかなり暗くなっていた筈である。 その時、東のほうにある達沢山上空に光り輝く2つの物体を目撃(*2)。 1つは北のほうに遠ざかっていったが、もう1つは2人のほうに接近してきた。 それは2人の頭上で静止し、さらに底部から黒い筒のような物体を出した。 この時、「カチリ、カチリ」というカメラのシャッター音のような音が聞こえたという。 当然ながら2人は恐怖を感じ、K君の家に逃げようとしたが、UFOが頭上をついてきたため隣にある福王寺の墓地に逃げて身を隠した。 しばらくするとUFOはもう一体と同じく北に去っていった。 ほっとしてK君の家に帰宅しようとした2人だったが、途中でブドウ畑の中に発光体を目撃する。 火事だと思った2人が駆け寄ってみたところ、それは先ほどのUFOだった。 それは畑の中を横滑りするように移動していたという。 今度は恐怖よりも好奇心が勝った2人は、接近して2手に分かれて観察してみた。 証言によると直径5メートル(資料によっては2.5メートル)、高さ2メートル(資料によっては1.5メートル)程の円盤(*3)で(事件後に書かれた図では完全にアダムスキー型UFOそのものである)、 半透明の窓がいくつもあり、底部には着陸ギアらしきものが3個あり、銀色の機体には謎の文字が書かれていた。 これだけでも特異な体験談としか言いようがないが、この事件の白眉はこの後である。 K君の観察していた側で突然UFOの搭乗口らしきところが開き、中の様子と搭乗員(異星人?)の姿が露になったのである。 それは身長130センチほどで、深い皺の刻まれた茶色い顔をしており、3本の牙とウサギのような耳があった。 さらに銀色の服を着ていて、腰にはレーザー銃のようなものを付けていた。 K君によると機体の中にいたのは2人であり、そのうちの1人が少年たちのほうに向かって歩いてきた。 そして、その時である。 K君とは反対側で観察をしていたY君が、突然何者かに肩を2度叩かれた。 振り向いてみると―――そう、K君が目撃したのと同じ恐ろしい姿の搭乗員だったのである。 その搭乗員はテープレコーダーを早送りした時のようなキュルキュルという音を出していたという(*4)。 Y君は当然ながら腰を抜かし、その場にへたり込んでしまった。 死んだふりをしながら薄目を開けて観察を続けたところ(この少年たち、年の割には肝が据わっているように思われる)、 その搭乗員は周囲を観察しながら何かを計測している様子だったという。 やがてK君が走ってきて、歩けないY君を背負って一目散に逃げだした。 さて、ここまでであれば、正直言って子供の与太話だと笑い飛ばしてしまう人が大半だろう。 今時銀色のスーツとレーザー銃を持った異星人などB級SFぐらいにしか出てこないし、友人を背負った小学生をあっさり捕り逃がす異星人などお笑い草である。 だが、この事件が真に奇妙な展開を迎えるのは実はこの後なのだ。 2人はK君の家に駆けこみ、たった今目撃したものをK君の家族に話した。 この時、家にはY君の両親と兄(当時小学三年生)も来ていたという(なおここからの話は、資料によって細部が微妙に異なる)。 最初は相手にしなかった家族で会ったが、あまりに2人の話し方が真に迫っていたためか、 2人の母親(兄も一緒だったという資料もある)は半信半疑ながらも2人と一緒に現場に向かった。 そこで、今度はブドウ畑のUFOを4人(もしくは5人)が同時に目撃したのである。 それはオレンジ色に光る光球のように見えたという。 驚いた母親が、家にいる父親たちを呼びに行った。 父親たちは棒を持って(どうする気だったんだ父ちゃん……)現場に急行したが、その時には光は消えかかっていた。 そしてUFOは最後に強烈な光を発して、そのまま消滅したという。 なお、K君はこの体験によるショックのせいか、その晩はひどい夜泣きをしたという。 またY君もこれ以降夜出歩けなくなったという。 事件後の騒動 翌日、2人が学校で昨日の出来事を話すと当然大騒ぎとなる。 担任の教師が昼休みに2人と一緒に現場に行ってみると、畑の中央部に着陸跡のようなものがあったという(*5)。 やがて通報を受けた山梨日々新聞の記者まで駆けつけ、詳しい調査が開始された。 この時点で、畑にあったコンクリート製の柱が折れていること、金網が曲がっていることなどが確認された。 翌日にはこの事件の記事が山梨日々新聞に掲載された。 この記事を見て興味を持った県立機山工高電気科の教諭が、数日後に現場を訪れて放射線を測定した。 その結果、微量の放射線が確認された。 放射線は自然界からも検出されるが、さらに1か月にわたって継続調査をしたところ、 自然界では考えにくい急激な減退(つまり半減期がやけに短い)が見られたという。 その2週間程後にオカルト誌『UFOと宇宙人』の記者が2人を取材する。 そして3月下旬には、現在も活躍しているオカルトライター、南山宏氏(『SFマガジン』の2代目編集長としても知られる)も取材に訪れ、いよいよ大騒動となった。 他の目撃者 この事件が特異的なのは、家族以外にも2人と直接かかわりの無い複数の人物が、UFOや搭乗員らしきものを見たと証言している点だ。 以下は目撃した人物及びその内容である。 現場の東にある甲府市環境センター管理人のA氏:2人がUFOを目撃したのとほぼ同時刻に、2つの発光する飛行物体 2人の同級生のM君とその母親:同じく同時刻、現場の北にある道路を車で走行中に、南側の空に行ったり来たりする飛行物体 当時親の転勤で甲府市に住んでいた作家の景山民夫氏:やはり飛行物体 現場の南にある常光寺の住職:それから少し経過した午後7時頃、寺の南の空に発光物体が現れ、ジグザグ飛行をした後急降下する様子 そして最重要証言とも言えるのが保険外交員の女性Sさんの証言である。彼女は現場付近を走行中、道の真ん中に立ちふさがる背の低い2人組と遭遇。徐行してすれ違おうとしたところ、そのうちの一人がフロントガラスに手を付けて顔を寄せてきた。あまりに醜悪な姿だったために非常な恐怖を感じ、「仮装行列か何かだったのではないか」とも思ったという。その後、大騒ぎしている家族連れと遭遇し、「UFOを見なかったか」と尋ねられたという。あまりに恐ろしく異常な体験だったため誰にも話さなかったが、7年後にマスコミに証言した。 疑問点・検証 多数の目撃者、着陸痕や放射線などの物証と、この手のネタにしては異例なほど肯定的な材料が揃っており、信憑性が高いとされているのも頷ける事件である。 しかし、詳細に見ていくと疑問点もないではない。少なくとも、手放しで「UFOが実在する証拠だ!!」と言い切るのは疑問が残るのも事実である。 まず、この事件を考察する際に考慮しなければならない点が2つある。 ◆時代背景 事件が発生した70年代は、日本は空前のオカルトブームだった。 現在では甲府事件と介良事件くらいしか語り継がれていないが、当時のオカルト雑誌などには、UFOや異星人との遭遇事例はゴロゴロ載っていたのである。 2人の少年たちも当然この時代の空気に影響されていただろう。 特にK君は、担任教師によれば、なかなかのUFOマニアで、かつ想像力が豊かな子だったという。 ◆最初の取材者の問題 もう一点、この事件の証言内容に疑問を抱かせる要因になるのは、この事件を全国区にした最初の媒体が『UFOと宇宙人』誌であったことである。 タイトルからしていかにもオカルト系な雑誌という感じだが、実はこの雑誌、ただのオカルト雑誌ではない。 実は初代編集長は日本GAPの創設者なのである。 日本GAPというのは、当時にして一般人はもとより、UFO研究者らからすらも「信憑性は極めて低い」とされていたジョージ・アダムスキー(*6)を絶対視していた団体である。 アニヲタ的には、『さよなら絶望先生』のアニメ版のオープニング『林檎もぎれビーム!』の元ネタである「リンゴ送れ、C」事件を起こした団体と言えば通りがいいだろうか(*7)。 そんな人が編集長なので、『UFOと宇宙人』誌はあの『ムー』すらも裸足で逃げ出すトンデモ雑誌として現在まで語り継がれている。 UFOに乗せてもらって他の星を見てきたとか、異星人の頭を挿げ替えた(?)とかいった、信憑性も確認できない荒唐無稽な記事ばかりが載っていたのである。 となると、この雑誌の記者が2人に取材をした時に何らかの「入れ知恵」のようなことをしたことは十分考えられるし、同誌に掲載された記事の内容も全面的に信頼できるかどうか疑問に思える。 当時の日本にブルーブックやNICAPのようなしっかりしたUFO調査組織があり、客観的かつ迅速・詳細な調査をしていれば……と悔やまれるばかりである。 以上の2点を踏まえた上で、もう一度事件の詳細を考察してみよう。 ◆2人が目撃した異星人とUFO 上述したように、複数の牙・長い耳・銀のスーツ・レーザー銃といった2人が見た異星人のデザインは、今から見ると随分レトロなものである。 いかにも当時の特撮やSF番組に出てきそうなデザインで、そこから何からの影響を受けている可能性は無視できない。 そして実際、2人が書いたイラストは『帰ってきたウルトラマン』の最終回に登場したバット星人、またはウルトラセブンに登場したフック星人に酷似しているという指摘がある。 この2話はいずれも事件前に放送されている。 新しいほうの『帰ってきたウルトラマン』でも本放送当時は2人の少年は5歳であり、 見て記憶に残っていたかは微妙であるものの、再放送もされていた上に書籍やソフビ人形など、目に触れる機会はいくらでもあっただろう。 UFOについて言えば、至近距離で観察したという2人の証言およびイラストがどう見てもアダムスキー型円盤にしか見えない点が重大な問題である。 アダムスキー型円盤はジョージ・アダムスキーの証言及び写真・動画によって世に知られるようになったUFOだが、上述のようにアダムスキーの信憑性はUFO研究者の間ですら極めて低いとされている。 写真や動画も全てトリックが暴かれており、さらには元ネタとなったであろう他人の論文まで特定されている。 このため、UFO研究者の間ですら、UFOはいたとしても、アダムスキー型円盤なるものが実在するのかどうかは極めて怪しいとされているのである。 おまけに少年たちの証言によると、UFOの内部にはスクリーンのようなものと、それを操作する機械などがあったという。 ……随分とレトロなUFOに乗ってきたものだ。 2人以外に異星人を見たという女性が書いたイラストは、2人の証言とは似ても似つかないし、家族が目撃したものは「光球」であって円盤ではない。 こうして見ると、少なくとも2人の細部についての証言は、本などで得た知識を無意識のうちに引っ張り出したものであるという可能性が捨てきれない。 ◆他の目撃証言 Aさんの証言に出てくる2つの飛行物体のうち、最初に見たという物体については「流星のようだった」と証言しており、 同じものを見たと思われる別の証言者ははっきり「流星でしょう」と述べている。 Aさんの目撃した2つ目の物体、およびM君母子や影山民夫氏が見た物体については、方角と飛行経路、 そして目撃された時刻が当時甲府市上空を飛行していた旅客機YS-11とピッタリ一致する。 M君親子は物体が「行ったり来たり」したと証言しているが、この証言は事件直後には無く、一か月以上経過した後で聞きだされたものである。 大騒ぎになった事件と言うこともあり、一か月の間に記憶が変容した可能性は高いと言わざるを得ない。 更に言えば、M君が目撃者2人と同級生であったことも不安材料である。 なお、「旅客機は数千メートルの高度を高速で飛行するから、証言のように地上から長時間観察できる筈がない」という反論もあるが、YS-11は高度は三千メートル程度で、速度も旅客機としては低速であるため、十分見ることができたとされる。 常光寺の住職の証言には、さらに根本的な問題がある。 正体が何かとか言う前に、現場から南にある寺から見て「南」の方角に降りたという物体が、この事件と直接関係ある筈がない。(正体は不明) そもそもUFOの目撃例は毎日のように発生しており、その9割以上は何かの誤認であることがわかっている。 異星人目撃事件が起きた現場の近くでUFOが目撃されたからといって、すぐに結びつけるのは早計である。 一方、異星人らしき者を見たというSさんの証言は最重要であると言える。 同一個体と思われる異星人を、別々の場所で直接関係ない人物が別々に目撃したという例は、世界的にもかなり少ない。 だが、問題はこの証言が公になったのが事件発生から7年も経過した後ということである。 やはりこの証言にも、当然時間経過による記憶の変質の影響があることが予想される。 実際、Sさんの証言ではこの直後にK君・Y君の一家と遭遇したことになっているが、この件はK君・Y君側からは一切触れられていない。 この点からも、何らかの思い違いをしている可能性は拭えない。 もっと大きな問題は、Sさんが目撃した異星人が、上述のように2人の少年が証言したものとほとんど似ていないという点である。 土気色で皺の刻まれた顔、という点は確かに一致していなくもないが、 その前に牙や耳、銀のスーツといったわかりやすい特徴を見落とすとは考えにくい(*8)。 Sさんは「最初は中学生が土人の仮装でもしているのかと思った」と述べているが、上記のような連中を「土人の仮装」などと思うものだろうか。 付け加えれば、このSさんの証言する異星人は、上記の少年らによる目撃報告よりも、Sさんが告白する直前の時期に公開された映画『E.T』に出てくる異星人にそっくりである。 この点については、エイリアン・クラフト説を全面的に肯定している矢追純一氏からも疑義が出されているほどである。 さらに言えば、時間経過を考えると、この遭遇があったのは、K君・Y君やその家族がUFOを消え去るのを見た直前あたりであることだ。 そんなタイミングで、のこのこ徒歩でUFOから離れた場所を歩いていた異星人……集合時間に遅刻して置いて行かれたのではないか、と心配になってくる。 現在と違って街頭もあまりない道での短時間での目撃であり、何かの見間違いではなかったかとの疑問も拭えない。 なお「この時期は真冬で、夜に外を歩いている子供なんかいる筈がないから見間違えようがない」という意見もあるが、 そもそもK君とY君が直前まで外で遊んでいる。 以上のように、第三者による目撃報告は、 いずれも「見間違いと決めつけて捨てるには惜しいが、全面的に信頼するのも難しい」といったところである。 ◆物的証拠 ブドウ畑にあったという着陸痕や、柱や金網の破損などは、本当にUFOの出現によって生じたものなのかどうか確認が取れない。 そもそもコンクリの柱が折れたり曲がったりしてるのに、ブドウの木に全く被害が無いのも妙な話である。 また「ブドウ畑にUFOが着陸した」という点に関しては、この事件を最も詳細に検証した南山宏氏が疑問を呈している。 というのも、UFOの大きさが少年たちの証言通りだったとしたら、柱や金網に囲まれた畑に着陸することは物理的に不可能だからだ。 南山氏は基本的にはオカルト肯定派(ただし明白な虚偽や捏造を行う人物は批判している)であり、この甲府事件も大筋では信憑性が高いとしている。 そんな人物の目から見ても、上記の矛盾点は見過ごせなかったということである。 しかし一方、放射線の測定結果については、未だに疑問の余地のない解釈はできていないようである。 放射線自体は自然界にもあるので測定されること自体はそこまでおかしくないが、短期間で大幅に減退するという、自然界ではあまり見られない特徴を示したからである。 だが、近年超常現象研究者の加門正一氏が追跡調査を行ったところ、この放射線に関するデータは必ずしも信頼できるものではないことが明らかになった。 もともと工業高校の先生が、「生徒たちの現地実習のテーマにちょうどいいかも」というノリで行った調査で、調査者が必ずしも実地検査に精通していなかったというオチである。 より詳細な原因の特定には当時の測定方法を検証し、土壌の正確な採取場所を特定して分析する必要があるだろう。 ◆光球の正体 さて、実際のところこの事件の最大の謎は、上記の放射線と、少年たちの家族が目撃した光球である。 目撃者の数も多く、少年たちの一見荒唐無稽な異星人遭遇譚がここまで広まったのは、この一件が原因であると言っていいだろう。 とはいえ、家族が光球を目撃したのは「畑から50~100メートルほどの距離から」とのことで、 何らかの見間違いである可能性は完全には排除できないかもしれない(過去の事例では、複数の人物が、星などのありふれたものをUFOだと誤認していた事例もある)。 プラズマ現象の一種である「球電」がその正体ではないかという説もある。 この説では「カチリ、カチリ」「キュルキュル」といった音も説明できるとされており、 強い電磁波は幻覚を誘発するという説もあるなど、わりと事件と合致する点は多い。 ただし、球電は通常大雨の時に落雷に伴って現れるとされており、超高温の状態であるため金属を蒸発させることもあるとされる。 事件当時は快晴で、現場周辺に高温の痕跡が無かったことを考えると、この説にも疑問は残る。 結局、最初に少年たちの前に現れた発光体と、家族が目撃した発光体の正体は現時点では不明という他ない。 まとめ ここまで見てきたように、本事件は極めて特異な事件であり、多くの人の興味を惹きつけている。 細かく見ていくと疑問点も数多く浮上してくるものの、それでも解けない謎が残るのも確かである。 おそらく、少年たちが何らかの異常な体験をしたことはまず間違いないだろう。 だが、それが異星人やエイリアン・クラフトの存在を示す証拠になりうるかというと、疑問が残るというのが実際のところである。 今後も本件については、多くの考察や説が出されることだろう。 いつか真相が判明することを期待したい。 ……それにしても、少年たちの証言する異星人とUFOのチープさ、そして特撮・オカルトブームという時代背景から考えても、 「特撮マニアかUFOマニアがコスプレして遊んでいた」説も十分ありうる気がするのだが。(それでも、解けない謎はあるし、そうなると光球の正体は完全に不明となるが) 追記・修正は異星人に肩を叩かれてからお願いします。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] メイツ星人かな? -- 名無しさん (2016-12-20 18 56 33) そう言えば、ウルトラマンサーガに登場したバット星人(CV.東国原元知事)が各地の宇宙に侵入したり滅ぼしたりしてるんだよな…まさか… -- 名無しさん (2016-12-20 19 27 19) 正味なところ、知的生命体がいるであろうことが明白な地球にわざわざ降りてきてる連中がいちいち目撃者を処理してたらキリがないと思うのだがいかがか。侵略目的でも星間航行が出来てる時点で科学力の差は歴然なわけだし -- 名無しさん (2016-12-20 19 40 30) 子供向け学習マンガで読んだ気がするな、同じ話かな? -- 名無しさん (2016-12-20 19 42 31) ああ、SPECIUM;BOYSが本気でゲーム化しないかなぁ… -- 名無しさん (2016-12-20 22 42 17) 森林浴に来た人間がその森に住む生き物殺すこたぁないしね -- 名無しさん (2016-12-21 00 03 25) 何が怖いって少年たちより女性が見たっていう不審者だわ 宇宙人より怖い何かなんじゃないの? -- 名無しさん (2016-12-21 18 21 52) 確か「いつもUFOの事を考えていた」という書籍でも本件が語られてたのと、仮に事実ならこの宇宙人、肩を叩いて近づくなんて見かけによらず意外と謙虚な宇宙人だな(海外ならグレイタイプの宇宙人が問答無用で誘拐すると思う) -- 名無しさん (2016-12-21 18 56 20) 最後の説に笑ったがこれが事実なら一番丸く収まる気がした -- 名無しさん (2016-12-21 19 44 39) ↑ 和式全身鎧が届いて浮かれて着込み、夜の散歩に出掛けた結果「落武者伝説」を呼び起こしてしまったねらーを思い出した -- 名無しさん (2016-12-22 15 37 32) やっぱり皆フック星人に見えるよね、あれwww -- 名無しさん (2016-12-22 19 15 21) ※尚、畑の陰には宇宙人をぶちこrゲフンゲフン子供達を守るため、宇宙人をぶち殺sゲフフーンゲフフーン子供達を守るために某赤い通り魔が潜んでいた模様(大嘘) -- 名無しさん (2017-01-03 23 34 45) Sさんの奴らは常光寺南までお散歩して別のUFOに乗って帰ったんじゃない? -- 名無しさん (2017-01-05 15 06 03) 今日のなんだこれミステリーでこれ取り上げるみたいだね -- 名無しさん (2017-02-22 17 36 19) コスプレ説面白すぎだろ -- 名無しさん (2017-06-20 12 44 34) ↑10 一応まあ、その生き物が「こいつら、進入禁止の自然保護区でキャンプしてました」と証言する能力もってるんだったら殺すかも、くらいには…… -- 名無しさん (2023-03-02 12 36 31) 面白おかしい創作で人を楽しませようとしたら思ったより大事になったパターンというのもありそうだが… -- 名無しさん (2023-03-02 14 00 30) 何故か介良事件の方を思い浮かべて開いてしまったからあれ?てなった -- 名無しさん (2023-05-06 21 06 22) コスプレ説は、死んだふりした子どもたち無視して遊び続けてるのがちょっと苦しいかな(マジレス) -- 名無しさん (2023-11-10 07 35 01) ↑3 人死も出てネタで済まされなくなったパターンがセーラム魔女裁判事件だな -- 名無しさん (2024-04-20 07 41 11) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/dadata/pages/25.html
30年以上前、姫代学園初等部で起きた事件 つぶらとメアリの最初の確執を生んだ。 メアリが転校生召喚を行い、学園の乗っ取りを図った。 同級生のつぶらが仲間と協力し、転校生を殺害、メアリの計画を阻止した事件。 この事件の後遺症で、つぶらは白髪となる。
https://w.atwiki.jp/dfnaviwiki/pages/154.html
泉氏事件 2008/06/22 泉氏事件勃発 DF掲示板の常連『ファイア』さんの知り合いの『泉こなた』さんがDF掲示板にきた。 はじめは短文レスなどで注意をくらいまくり、 泉氏はDFを去った。 そしてその後『ルーツ』という名前ではじめましてを装って戻ってきた。 そのことで他の利用者に注意の連発をくらい、その後DF掲示板を荒らした。 ここまでならただの荒らし事件だが、 この集団注意に腹を立たせ『ファイア』さんがDF掲示板を去った。 さらにそのことに嫌気をさし常連『優衣』さんまでもがDF掲示板を去った。 結局数日後去った二人は復帰した。
https://w.atwiki.jp/ijimeohtu/pages/56.html
意見、要望に「寄付」についてのコメントが多数見られましたので、参考ページとして作成させていただきます。 ★寄付について 下記の原告弁護士団以外の支援受付窓口は、被害者と無関係な人物による事件の流れにのっとった詐欺の可能性もありえますので、あくまで自己責任で寄付をお願いいたします。} ★弁護士団解説ホームページ 大津中2いじめ自殺裁判支援 http //www.yoshihara-lo.jp/otsu-ijime/ (旧ホームページ:http //blogs.yahoo.co.jp/saibanshien) ★滋賀弁護士会のホームページに、上記のリンクが貼られています。 http //www.shigaben.or.jp/app/members/view/41998
https://w.atwiki.jp/neigesc/pages/63.html
【こうきょじけん】 2003年前期皇居マラソン時に起こった事件。 及びその様子をまとめたビデオのこと。 詳細はNEIGE HP内の部員専用ページにある皇居事件ビデオを参照。
https://w.atwiki.jp/maikuragunzibu/pages/817.html
大湊事件 この項目では大湊事件について説明しています。そのほかの企画については過去企画を参照してください。 この記事には参考文献や外部リンクの一覧が含まれていますが、脚注による参照が不十分であるため、情報源が依然不明確です。適切な位置に脚注を追加して、記事の信頼性向上にご協力ください。(141年9月) 大湊事件(おおみなとじけん、独:Die Ohminato-Affäre)は、津軽解放戦線による十洲・東北の統治反対デモにスミトラント軍人が接触し発生した事件である。「血の土曜日事件」とも呼ばれる。 目次 [非表示] 1. 背景 2. 概要 3. 各国の対応 4. 関連項目 5. 参考文献 大湊事件 ▲津軽解放戦線構成員と接触するスミトラント海軍軍人 交戦勢力 スミトラント王国 津軽解放戦線 東北連邦 十洲連合王国 指導者・指揮官 ハインリヒ9世 津軽解放戦線指導部 一色賢司 戦力 4,300 20,000~30,000 損害 死傷者104 死傷者3,000~4,000 背景 津軽解放戦線は日常的に十洲・東北の統治に対してデモを起こしていた。デモが求める内容はごく簡単で、先住民族「ネイティヴ・アオモリン」たちによる青森の統治を求めていたのである。反発は日に日に強まるばかりであったが、そこへ偶然スミトラント練習艦隊が大湊軍港に寄港し、本事件が発生した。 ▲大湊港に寄港したスミトラント海軍。東北連邦に輸出された同型艦との再会を果たすなどした。 概要 統一暦141年9月19日10時ごろから、大湊軍区を中心とした津軽解放戦線による大規模デモが発生した。軍警官隊による鎮圧もままならず、昼を過ぎても大規模デモは収まらなかったうえ、13時ごろにはデモの一部が歓楽街にまで広がり、店員や客と揉め事が発生し始めてしまった。その中に泥酔したスミトラント海軍フリゲート艦「クリスティアン・ヨハン・ハインリヒ・ハイネ」所属の数名が含まれ、これとデモ隊の一部が衝突して乱闘騒ぎとなった。その場は民間人によって落着したものの、「スミトラント軍人が我々を攻撃した」という噂は瞬く間に解放戦線内に広まり、解放戦線指導部はデモ隊に対しスミトラント艦隊が停泊する大湊軍港への「突貫」を指示。一気に殺到したデモ隊に港湾警備隊が抑えきれなくなったところ東北陸軍へ支援を要請し、東北陸軍上層部はこれを認可、大湊軍区には即時戒厳令が敷かれ軍政下におかれた。 16時ごろには大湊軍港周辺に集まるデモ隊が約2万人を超えるようになり、軍港を取り囲むフェンスの突破を図るようになった。16時27分、東北陸軍指揮下にあった青森特警第3部隊一色賢司隊長は部下に独断で発砲を許可、フェンスを突破しかけていたデモ隊は次々に銃弾に倒れた。これに呼応して、許可が出たと思い込んだ他の部隊も発砲を開始し、デモ隊に死傷者が多数発生、デモ隊は撤退し一応鎮圧される。津軽解放戦線側の最終的な死傷者数は今でも推計となるが3000~4000人と見られる。一方で鎮圧側の死傷者数は各国政府の発表によるとスミトラント海軍負傷者2名、青森特警死者8名・負傷者72名、東北陸軍死傷者22名であった。 ▲大湊軍港第三ゲートに押し寄せる津軽解放戦線構成員たち。この後同地で最初の発砲が起こった。 各国の対応 スミトラント連邦王国 スミトラント連邦王国はその日中に国防大臣、海軍司令長官、参謀長の連名で声明を発表した。本声明は事件発生の原因となった軍人に対する処分と、十洲連合王国・東北連邦に対する再発防止の要請に留まった。後日記者会見において大統領が内政干渉にあたるとして津軽解放戦線の不支持を正式に発表している。 十洲連合王国 連合王国政府は事件を受けて大使館を通じ瑞国に対し謝罪を行ったほか、国王平取宮が「青森管区統治議会議長」の一人として謝意を述べるなど異例の対応をとった。また、国内の津軽解放戦線などの青森系団体に対する風当たりは一層強くなり、国内でも幾つかの団体が解散命令の対象となった。 東北連邦 連邦政府、特に東北連邦戦略陸軍は、招かれた客人への襲撃に対し幹部が激怒した。政府は戦略軍情報戦略部隊への津軽開放戦線の監視を命令した。戦略陸軍は大湊軍区における警備部隊を増備を指示、戦略海軍に至っては基地警備の厳戒態勢と各出入り門の設備改修、および増備を実施。 両軍総司令官及び国王は、スミトラント連邦王国へ謝罪をした。 影響 影響は起こってるなうだよ 関連項目 ● スミトラント連邦王国 ● 東北連邦 ● 十洲連合王国 参考文献 ● 本間 煮阿点『大湊事件再考』2017年、鷽矢出版 ● 歳津世 羅馬「大湊事件と国際関係への影響」軍事部大学政治学部論文集『祀 Vol.65』所収、2018年7月、軍事部大学出版