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内戦日程 第2回チームMT内戦 第3回チームMT内戦 第4回チームMT内戦 第5回チームMT内戦
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内戦とは VIPPER同士の殺し合いのこと 戦場の地にはSummoner s RiftかThe Proving Grounds(ARAM)が選ばれる ※Passはややこしいから基本統一で 開催時間 大体毎日19 00~深夜すぎまでの間に 突発的におこなわれる 内戦部屋におけるバランス調整について 新規と偽装新規を見分け Lv30の出来損ないとlolプロの人数を調整し 最適なマッチングを目指す これがうまくできていないと 新規は萎え ふるざんのこころは荒む そうならないためにも 今日も働く調整班 ARAM 最近VIP内で人気の1レーンマップ Champ性能に強烈に左右されるため、新規ちゃんでも古参共に余裕で勝てちゃったりする。 VIPではRandom Pickを推奨している(強キャラ厨で溢れかえるため。) てか、そもそも"ARAM"が、"All Random All Mid"の略称。 ARAM MAPと言うからにはRandomでやるしかないだろ?わかるだろ? +ARAMにおけるTierリスト God Tier - 無双が約束される Blitzcrank, Janna, Master Yi, Nidalee Tier 1 - Poke、射程、制圧力、キル能力などにおいて他と一線を画す Ashe, Amumu, Cassiopeia, Darius, Ezreal, Fiddlesticks, Gragas, Heimerdinger, Kog Maw, LeBlanc, Lux, Malphite, Mordekaiser, Tristana, Varus, Ziggs, Yorick, Zilean Tier 2 - 飛びぬけてこそいないがなかなか優秀 Alistar, Anivia, Annie, Brand, Caitlyn, Cho Gath, Corki, Fizz, Galio, Graves, Karthus, Kennen, Malzahar, Morgana, Rumble, Ryze, Shaco, Singed, Soraka, Swain, Teemo, Urgot, Vayne, Viktor, Vladimir, Warwick, Wukong, Xerath Tier 3 - うまく立ち回ればそこそこの活躍は見込める 平均的 Ahri, Akali, Dr.Mundo, Draven, Fiora, Jarvan IV, Jax, Karma, Kassadin, Katarina, Kayle, Lee Sin, Leona, Lulu, Maokai, Miss Fortune, Nautilus, Nunu, Olaf, Orianna, Pantheon, Poppy, Renekton, Riven, Sejuani, Sion, Sivir, Sona, Talon, Trundle, Twisted Fate, Twitch, Veigar, Volibear Tier 4 - 辛い戦いが予測される 味方とかみ合えば稀に活躍できることも Gangplank, Garen, Hecarim, Irelia, Shen, Shyvana, Skarner, Tryndamere, Udyr, Xin Zhao Hard to place - だまってうんこでもしてこい Evelynn, Nasus, Nocturne, Rammus, Taric よくある質問 Q.店に行ってもアイテムが買えないんだけど? A.死ね Q.初期アイテムは何買えばいいんだよ A.Mage系であればCatalyst the Protectorがだいたいド安定。 Meleeは靴となんかHPやHPreg上がるものでも買っておけばいんじゃね 靴+赤クリ+りぐろーすぺんだんと はワーモグにつなげやすいのでTankならなかなか Meleeなんて装備が無いとどうしようもないしどうせ長生きしないので赤エリクサー+POT大量なども悪くない Q.勝てばFirst Win Bonus貰える? A.もらえなくなっちゃいました 観戦について 観戦機能が付いたので部屋内の2つの観戦枠に入らなくても見れるよ ただし参加者のだれかとフレンド登録しておかないといけないから事前に済ませておこう 最後に 新規ちゃんでも気軽にこいよ ただしもまれるかはバランス調整班とLv30の良心にゆだねられる
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部内戦(S技の杯) 部内戦を実施します。 下記要項にて開催しますので奮ってご参加下さいますようご案内します。 1.日時 平成29年度月日(土) 2.会場 オムニコート 紀三井寺 3.種目 ・一般シングルス・初心者初級者女性 4.試合方法 1セットマッチ(6ゲーム先取5-5タイブレーク)、ノンアドバンテージ方式 5.審判 セルフジャッジ 6.使用球 ダンロッププラクティス 7.服装 自由 8.参加資格 黒潮会テニス部およびOB、OG 9.申込方法 社内メールにて応募 10.その他 ※一般か初心初級者かの判断は自己申告による。一般と初間のハンデは初1はサーブ3本-一般1本、初2はサーブ3本-一般通常。※フットフォールトあり。※大会ドローは当日抽選にてトーナメント・リーグ・シード含め決定する。※一般枠の申込者は4名を最低枠とする。※雨天時の開催の有無は、当日午前7時に決定する。 名前 コメント 2016年12月10日シングルス大会結果 V3達成 コート4面9名にて実施 予選 1番コート3人リーグ 2~4番コート 変則6人リーグ2戦抜け 決勝 Sg VS Kt VS Ys 2016年6月4日シングルス大会結果 16人トーナメント総順位決定方式にて実施。 途中時間打ち切りのため数試合実施なし。 #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (20160604シングルス部内戦.jpg) 2015年12月12日シングルス大会結果 #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (予選リーグ.jpg) 1試合目は1と2、2試合目は勝ちと3 3すくみ状態はないものとし、2試合目で順位が確定した場合はそこで試合を打ち切る。 #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (決勝リーグ.jpg) #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (優勝決定戦.jpg) 総 - 、今 - 、昨 - 最終更新日時 2017年03月11日14時41分35秒 2017/03/11 14 41 35(Sat)
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内戦 登場作品:狭間の物語シリーズ DH.E1333に発生した、ウイルスバスターズ全体を巻き込んだ大事件。 この世界の根幹、"MV"にウイルスの侵入を検知した伍騎士はシステム全体のスキャンと駆除を開始する。 次々とリストのウイルスを駆除するが、MVへのウイルス攻撃は一向に緩まない。 "MV"を攻撃していたウイルスは、リストにアップされていない、未知のウイルスだったためである。 規定上、バスターズはリストにあるウイルスしか駆除することができない。 だが、このままではMVはウイルスに侵され、この世界が破滅してしまうかもしれない。 白騎士と蒼騎士は、未知のウイルスの駆除を断念、帰投しようとするが 黒騎士と紅騎士は規則を無視し未知のウイルスの駆除を始める。 "規定:規則違反のバスターは駆除対象とする" 白騎士と蒼騎士はこの規則に則り、黒騎士・紅騎士と対峙。 一人、碧騎士は平和を訴え、戦闘の停止を叫び続けていた。 それぞれの騎士がフォビドゥンコードを発動した史上最悪の内戦は "蒼騎士の消去"と"黒騎士の離脱"、"紅騎士の離脱"、"既存のバスターの8割の消去"という多大な犠牲をもって終戦を迎えた。 白騎士と碧騎士はそのまま一等級粛清官を続投。 蒼騎士は規則違反のバスターを討伐中の殉死。 黒騎士と紅騎士は消息不明となった。 +蒼騎士の殉死 規則違反の黒騎士と紅騎士を追っていた蒼騎士。 二人の騎士をなんとか止めようとフォビドゥンコードを発動し挑むが 騎士の中でも上位である黒騎士にいなされ、紅騎士から反撃され逆に追い込まれてしまう。 それでもあきらめない蒼騎士はオーバークロックし、さらに力を注ぐが オーバークロックとフォビドゥンコードの大きな負荷に耐え切れず身体が崩壊、消滅した。
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内戦とは VIPPER同士の殺し合いのこと 戦場の地にはSummoner s RiftかThe Proving Grounds(ARAM)が選ばれる 開催時間 大体毎日19 00~深夜すぎまでの間に 突発的におこなわれる 内戦部屋におけるバランス調整について 新規と偽装新規を見分け Lv30の出来損ないとlolプロの人数を調整し 最適なマッチングを目指す これがうまくできていないと 新規は萎え ふるざんのこころは荒む そうならないためにも 今日も働く調整班 ARAM 最近VIP内で人気の1レーンマップ Champ性能に強烈に左右されるため、新規ちゃんでも古参共に余裕で勝てちゃったりする。 VIPではRandom Pickを推奨している(強キャラ厨で溢れかえるため。) てか、そもそも"ARAM"が、"All Random All Mid"の略称。 ARAM MAPと言うからにはRandomでやるしかないだろ?わかるだろ? +ARAMにおけるTierリスト God Tier - 無双が約束される Blitzcrank, Janna, Master Yi, Nidalee Tier 1 - Poke、射程、制圧力、キル能力などにおいて他と一線を画す Ashe, Amumu, Cassiopeia, Darius, Ezreal, Fiddlesticks, Gragas, Heimerdinger, Kog Maw, LeBlanc, Lux, Malphite, Mordekaiser, Tristana, Varus, Ziggs, Yorick, Zilean Tier 2 - 飛びぬけてこそいないがなかなか優秀 Alistar, Anivia, Annie, Brand, Caitlyn, Cho Gath, Corki, Fizz, Galio, Graves, Karthus, Kennen, Malzahar, Morgana, Rumble, Ryze, Shaco, Singed, Soraka, Swain, Teemo, Urgot, Vayne, Viktor, Vladimir, Warwick, Wukong, Xerath Tier 3 - うまく立ち回ればそこそこの活躍は見込める 平均的 Ahri, Akali, Dr.Mundo, Draven, Fiora, Jarvan IV, Jax, Karma, Kassadin, Katarina, Kayle, Lee Sin, Leona, Lulu, Maokai, Miss Fortune, Nautilus, Nunu, Olaf, Orianna, Pantheon, Poppy, Renekton, Riven, Sejuani, Sion, Sivir, Sona, Talon, Trundle, Twisted Fate, Twitch, Veigar, Volibear Tier 4 - 辛い戦いが予測される 味方とかみ合えば稀に活躍できることも Gangplank, Garen, Hecarim, Irelia, Shen, Shyvana, Skarner, Tryndamere, Udyr, Xin Zhao Hard to place - だまってうんこでもしてこい Evelynn, Nasus, Nocturne, Rammus, Taric よくある質問 Q.店に行ってもアイテムが買えないんだけど? A.死ね Q.初期アイテムは何買えばいいんだよ A.Mage系であればCatalyst the Protectorがだいたいド安定。 Meleeは靴となんかHPやHPreg上がるものでも買っておけばいんじゃね 靴+赤クリ+りぐろーすぺんだんと はワーモグにつなげやすいのでTankならなかなか Meleeなんて装備が無いとどうしようもないしどうせ長生きしないので赤エリクサー+POT大量なども悪くない Q.勝てばFirst Win Bonus貰える? A.もらえなくなっちゃいました 観戦について 観戦機能が付いたので部屋内の2つの観戦枠に入らなくても見れるよ ただし参加者のだれかとフレンド登録しておかないといけないから事前に済ませておこう 最後に 新規ちゃんでも気軽にこいよ ただしもまれるかはバランス調整班とLv30の良心にゆだねられる
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トップページ>韓国>韓国史学報 『韓国史学報』40、2010.8 論壇 尹京鎮「高麗太祖代鎮設置についての再検討:礼山鎮・神光鎮を中心に」 한기문「高麗時代僧侶出家の様相と思想的背景」 윤용혁「高麗都城としての江都の再問題」 申解淳「17世紀前後東班所属下級京衙前制度の変化:書吏を中心に」 홍기표「清陰金尚憲の『南槎録』所載記事の誤謬と争点」 金友哲「哲宗2年(1851)李明燮謀叛事件の性格」 鄭泰憲「朝鮮総督府の慶尚合同銀行経営権掌握過程と日本人銀行としての吸収」 特集:朝鮮前期高麗関係記録の分析を通じた高麗時代相の復元 金昌賢「高麗及び朝鮮前期道教の比較とそれを通じた高麗道教の復元:太一信仰を中心に」 이정란「高麗・朝鮮前期王室府の財政機構的面貌と運営方式の変化」 李正浩「麗末鮮初自然災害発生と高麗・朝鮮政府の対策」 金蘭玉「高麗・朝鮮前期雑類の構成と階層的異質性」 朴胤珍「高麗天台宗の宗派問題:朝鮮初天台宗の禅宗帰属の歴史的背景」 史料研究 校監訳註『破閑集』(3) 『韓国史学報』39、2010.5 김경복「古墳壁画に表れた高句麗の竈と食事の風習」 김병인・김도영「高麗前期金属貨幣と店舗」 李在勲「太宗代節制使・牌頭と中央軍の指揮」 裵亢燮「19世紀支配秩序の変化と政治文化の変容:仁政願望の向方を中心に」 金素伶「純宗皇帝の南・西巡幸と忠君愛国論」 김기승「朴殷植の民族と世界認識:競争と共生の二重奏」 崔在聖「日帝強占期植民地金融機関の活動と驪州・順天地域の変化」 김인식「制憲議会期安在鴻の大韓民国輔成強化論」 이창현「韓国の民間人虐殺事件裁判研究:慶州内南面虐殺事件裁判事例を中心に」 史料研究 校監訳註『破閑集』(2) 『韓国史学報』38、2010.2 論壇 홍영호「『三国史記』地理志溟州領県棟隄県の位置比定と意味」 김학수「朝鮮後期嶺南地域士族家門の学派・政派的分化とその存在様相:松堂門人久庵金就文(1509~1570)家門を中心に」 宋亮燮「均役法施行期雑役価の詳定と地方財政運営の変化:忠清道地域を中心に」 崔妵姫「19世紀在地士族層の親族結集努力と内的亀裂様相:湖南地域善山柳氏家の親族活動を中心に」 洪俊和「大韓帝国期日本借款交渉とその性格(1898~1904)」 平井一臣「世界恐慌と帝国日本」 許殷「朴正煕政権下社会開発戦略と争点」 이정은「1970年代初中盤二度の経済危機と朴正煕政府の対応」 特集:朝鮮後期~日帝時期農村地域の伝統と近代 김건태「朝鮮後期契の財政運営様相とその性格:全羅道長興郡龍山面上金里の書契を中心に」 李庸起「日帝時期模範部落の内面とその記憶:全南康津郡城田面秀陽里の事例を中心に」 박종린「日帝時期康津の再編と社会運動の地域的様相」 史料研究 校監訳註『破閑集』(1) 『韓国史学報』37、2009.11 論壇 김상현「百済武王代仏教界の動向と弥勒寺」 정재윤「弥勒寺舎利奉安記を通じて見た武王・義慈王代の政治的動向」 최의광「新羅元聖王の王位継承と国人」 金甲童「高麗前期王妃の称外姓問題」 邊東明「高麗末麗水の長生浦歌」 尹晶「粛宗代神徳王后本宮追祔議論と本宮認識の変化」 이정일「朝鮮後期箕子認識に表れた儒教文明と普遍性」 趙允旋「朝鮮後期英祖31年乙亥獄事の推移と政治的意味」 임경석「コミンテルン高麗総局会議録研究」 김재웅「北韓の論理を通じて再構成されたアメリカの像(1945~1950)」 박정수「『東北朝鮮人民報』を通じて見た延辺朝鮮族の6・25戦争」 特集:韓国上古時代の信仰と祭祀 崔光植「韓国青銅器時代岩刻画の起源についての試論:内蒙古赤峰一帯岩刻画との関係を中心に」 鄭雲龍「韓国上古時代の祭祀意識とその継承」 박승범「扶余国の神話的変動と東明神話の私・公間的推移」 朴大在「三韓の「臘日祭祀」と竈信仰」 『韓国史学報』36、2009.8 論壇 한형주「朝鮮前期宗廟「同堂異室制」の批判と重建論争」 김경태「壬辰倭乱後強化交渉期国書問題の再検討」 趙成山「朝鮮後期少論系の東音認識と訓民正音研究」 김만일「本庵金鍾厚尚書論の性格:既存註釈書の受容と批判を中心に」 朴銀淑「開港期(1876~1894)漢城府五部の差別的変化と資本主義的都市化」 特集Ⅰ:韓国史における辺境、辺境としての韓国 篠原啓方「北燕を巡る高句麗の政策と国際秩序認識:対北魏、対宋関係を中心に」 李美智「1231・1232年対蒙表文を通じて見た高麗の蒙古に対する外交的対応」 정다함「麗末鮮初の東アジア秩序と朝鮮における漢語、漢吏文、訓民正音」 説林 손춘일「豆満江以北における朝鮮人社会の形成」 特集Ⅱ:益山百済弥勒寺址の再発見 朴賢淑「百済武王の益山経営と弥勒寺」 梁正錫「弥勒寺址塔址の調査過程についての検討」 나경수「薯童説話と百済武王の弥勒寺」 批評論文 芮大烈「アメリカ歴史学界の北韓史認識批判:Charles Armstrongを中心に」 『韓国史学報』35、2009.5 論壇 정호섭「高句麗王陵級大型積石塚の型式と編年」 백영미「三国及び統一新羅の戸口関連資料の検討と帳簿の作成」 都賢喆「宗法の観点から見た高麗末王権の変動」 박진훈「麗末鮮初原州地域における通婚様態:原州元氏を中心に」 김윤주「朝鮮初功臣冊封と開国・靖社・佐命功臣の政治的動向」 류창규「太宗代河崙の楽章創作とその政治的意味」 김현숙「19・20世紀坡平尹氏門中の農地所有と農業経営:忠南論山市魯城面丙舍里を中心に」 朴性俊「甲午改革~大韓帝国期公文書の保存期間起算と策定基準」 金允嬉「露日戦争期日本軍協力韓人研究:日本政府の勲褒賞者を中心に」 김주용「満州地域の都市化と韓人移住の実態:奉天と安東を中心に」 廉仁鎬「中国桂林で展開された朝鮮義勇隊隊本部の抗日運動(1938.11-1940.3)」 『韓国史学報』34、2009.2 論壇 李康漢「恭愍王代財政運用の検討及び忠宣王代政策志向との比較」 姜制勲「朝鮮初期正至会礼意識の整備と運用」 이정철「朝鮮時代貢物分定方式の変化と大同の語義」 조형열「協同組合運動社の組織過程と主導層の現実認識(1926-1928)」 特集:日帝時期経済法令の植民地性とその遺産Ⅱ 許英蘭「生活市場関係法令の植民地性と脱植民地化:「市場規則」と「市場法」の比較」 曺銘根「朝鮮銀行法に内在した植民地中央銀行制度の矛盾:監督権の所在を巡る議論を中心に」 批評論文 朴元熇「「東アジア史としての韓国史」構想のための再論」 『韓国史学報』33、2008.11 論壇 朴大在「扶余の王権と王位継承:2-3世紀を中心に」 金徳原「元暁と義湘の女性観についての考察」 趙法鍾「高仙芝と高句麗紙「蠻紙」についての検討」 김종복「8-9世紀渤海と日本の外交的葛藤と解消」 金昌謙「高麗顕宗代東宮官の設置」 金昌賢「高麗時代西海道地域の位相と寺院」 韓基汶「高麗時代開京報恩寺の創建と太祖真殿」 金友哲「仁祖24年(1646)安益信謀叛事件とその意味」 呉恒寧「尤菴宋時烈文集の編纂と刊行」 권기중「朝鮮後期郷吏層の婚姻ネットワーク:『慶尚道丹城県戸籍大帳』を中心に」 裵亢燮「露館播遷時期(1896-1898)朝鮮人のロシア認識」 김명구「中日戦争期朝鮮における「内戦一致論」の受容と論理」 特集:遺物・遺跡を通じて見た百済社会 우재병「3-5世紀百済地域素環頭刀を通じて見た百済・加耶・倭の交易体系」 이남석「百済の冠帽・冠飾と地方統治体制」 윤용혁「公州松山里6号墳の使臣図壁画について」 史料研究 『三国遺事』點校(5) 書評 朴宰佑「高麗政治制度の構造と運営:李貞薫『高麗前期政治制度研究』, 혜안、2007年 」 『韓国史学報』32、2008.8 論壇 이동희「最近研究成果で見た漢江・臨津江流域積石塚の性格」 정요근「元干渉期駅利用受容の急増とその対策」 李益柱「『牧隠詩藁』を通じて見た高麗末李穡の日常:1379年(禑王5)の事例」 金日宇「高麗・朝鮮時代外部勢力の済州進入と済州女性」 차장섭「朝鮮後期女性の譜学教育」 宮嶋博史「朝鮮後期支配階層の再生産構造:比較研究のための初歩的な探究」 李成妊「朝鮮後期同姓村落構成員の婚姻関係:丹城県法勿也面商山金氏の事例を中心に」 최병택「日帝下戦時体制期(1937-1945)林業動員策と山林資源供出」 特集:日帝時期経済法令の植民地性とその遺産Ⅰ 문영주「朝鮮総督府の西欧協同組合模倣と植民地的変容:金融組合法令を中心に」 김명수「解放後韓国信託業の動向と信託法規の整備:1968年韓国信託銀行の設立まで」 宋圭振「日帝下「日本関税法」の朝鮮適用と変容」 이송순「植民地朝鮮の食料管理制度と解放後良穀管理制度の比較:食糧管理法令についての分析を中心に」 史料研究 『三国遺事』點校(4) 『韓国史学報』31、2008.5 論文 이동훈「高句麗遺民『高徳墓誌銘』」 박명호「神文王の教書を通じて見た金軍官の政治的性格:骨品貴族の官僚化の視角から」 尹京鎮「高麗末朝鮮初西海・南海僑郡事例の分析:全羅道・忠清道・西海道地域の事例」 정호훈「朝鮮後期『小学』刊行の推移とその性格」 한지희「粛宗初「紅袖の変」と明聖王后金氏の政治的役割」 成淑璟「大韓帝国期「怠け者の朝鮮人」談論と近代的労働者の創出」 이주철「1950年代北韓農業共同化の穀物生産成果研究」 『韓国史学報』30、2008.2 論壇 하문식「支石墓の特異型式についての研究:「変形卓子式支石墓」問題と関連して」 蔡美夏「中国大学歴史教材の「統一新羅」叙述とその内容分析」 이창섭「11世紀初東女真海賊に対する高麗の対応」 崔聖銀「13世紀高麗木造阿弥陀仏像と腹蔵墨書銘」 任松子「1950年代労働組織と李承晩・自由党権力との関係」 林鍾明「脱植民地時期(1945-1950)南韓の地理教育と国土表象」 崔光植「『孫晋泰遺稿集』の内容と性格」 特集:1907年ハーグ平和会議と大韓帝国、そして列強 崔徳寿「第2次ハーグ平和会議(1907)と大韓帝国言論の世界認識:『皇城新聞』と『大韓毎日申報』を中心に」 Koen De Ceuster「1907年ハーグ特使の成功と挫折」 최덕규「1907年ハーグ平和会議とロシアの対韓政策」 韓承勲「乙巳勒約を前後したイギリスの対韓政策」 최정수「第2次ハーグ平和会議とアメリカの「世界平和戦略」:「国際警察」と「弱い国家」処理問題を中心に」 『韓国史学報』29、2007.11 論壇 朴賛興「満鮮史観における韓国古代史認識研究」 김두진「『三国遺事』板本の校勘と訳註本」 李貞信「高麗時代瓦生産体制とその変化」 尹晶「在位前半期(1725-1746)英祖の君臣関係の理解:「君臣分義論」の適用と志向を中心に」 김경란「朝鮮後期良役政策の展開と匠人把握の変化」 金素伶「甲午改革期(1894-1895)教科書の中の「国民」」 高珽休「上海臨時政府の初期財政運営と借款交渉:臨時大統領李承晩の役割を中心に」 特集:補遺 趙明哲「独島の領有権についての戦略的考察:日本の対独島方針を中心に」 批評論文 김보광「高麗・モンゴル(元)関係研究における『元高麗紀事』の活用と価値」 『韓国史学報』28、2007.8 論壇 梁正錫「営繕令を通じて見た『三国史記』屋舎条」 洪俊和「雲南・大韓シンジケート借款と列強の介入(1901-1902)」 신용옥「右派勢力の軍政立法の試みと朝鮮臨時約憲制定の政治的性格」 김재웅「北韓の38線接境地域政策と接境社会の形成:1948-1949年江原道麟蹄郡を中心に」 전현수「解放直後北韓の国家予算(1945-1948)」 曺銘根「解放後韓国中央銀行制度改編の議論:朝鮮銀行案と財務部案を中心に」 批評特集:韓日両国の独島研究現況と課題 申東珪「近世時期(朝鮮後期・江戸時代)韓・日間独島研究の争点と問題点の考察」 엄찬호「開化期独島の研究成果と争点」 韓哲昊「明治時期日本の独島政策と認識についての研究の争点と課題」 具仙姫「解放後連合国の独島領土処理に関する韓・日独島研究の争点と今後の展望」 『韓国史学報』27、2007.5 論壇 邊東明「朝鮮時代突山島防踏鎮の設置とその構造」 姜制勲「朝鮮成宗代朝会儀式と朝会運営」 朴性淳「勉菴崔益鉉の心主理説研究:尤庵宋時烈の心説に対する彼の態度を中心に」 임경석「1922年ヴェルフネウジンスク大会の決裂」 류시현「解放後崔南善の活動と彼に関する「記憶」」 廉仁鎬「中国国共内戦期満州国民党地区韓人の動向(1948):瀋陽居住韓人の脱出と帰還を中心に」 特集:人的関係情報の活用方案と中世の社会構成原理 李正浩「高麗後期別墅の造成と機能」 金蘭玉「麗末鮮初政治変動と排他的家門意識:鄭道伝を中心に」 이정란「辛旽党与家門の祖上隠しと褒貶論」 육정임「宋代祖上祭祀と祭礼の再構想:階級の表象における宗族結集の手段から」 『韓国史学報』26、2007.2 論壇 金貞培「『三国史記』宝臧王紀史論に見える「柳公権小説」問題」 朴京哲「麗羅戦争史の再検討」 洪琦杓「高麗前期詔書現況と分類」 李鐵漢「高麗時代本品行頭制の運営と変化」 임용한「朝鮮後期首領善政碑の分析:安城・竹山・果川の事例を中心に」 宋亮燮「1896年智島郡創設と西南海島嶼支配構造の再編:呉宖黙の『智島郡叢瑣録』を中心に」 朴性俊「大韓帝国期海税管轄権を巡る葛藤と内蔵院の海税管轄権掌握」 崔善雄「1920年代初韓国共産主義運動の脱自由主義化過程:上海派高麗共産党国内支部を中心に」 『韓国史学報』25、2006.11 論壇 趙法鍾「中国学界の古朝鮮研究の検討:東北工程前後時期の研究を中心に」 李永植「加耶と高句麗の交流史研究」 辛善惠「新羅中古期仏教界の動向と僧政」 윤용혁「軽部慈恩の百済古墳調査と遺物」 李貞信「高麗時代銅の使用現況と銅所」 신수정「武臣政権期定安任氏任濡系の婚姻網」 박진철「朝鮮後期郷校の青衿儒生と在地士族の動向:羅州『青衿案』分析を中心に」 崔鎮旭「申櫶(1811-1884)の内修禦洋論研究」 李憲柱「第2次修信使の活動と『朝鮮策略』の導入」 金允嬉「露日対立期(1898-1904)『皇城新聞』の二重志向性と自強論:連帯と排除の接合」 김미정「東学・天道教の女性観の変化」 車美姫「3次教育過程期(1974-1981)中等国史科の独立背景と国史教育内容の特性」 特集:『輿地図書』を通じて見た朝鮮後期国家の地方体制 변주승「『輿地図書』の性格と道別特性」 이상식「『輿地図書』を通じて見た地方行政体系の構成及び運営原理:忠清道地域を中心に」 文勇植「『輿地図書』を通じて見た18世紀朝鮮の還穀運営の実態」 李哲成「『輿地図書』に表れた田結税項目のテキスト的理解」 徐鍾泰「『輿地図書』の物産条項研究」 金友哲「『輿地図書』「姓氏」条の検討」 批評論文 장경희「朝鮮後期王室工芸史研究の成果と課題」 『韓国史学報』24、2006.8 論壇 朴大在「弁韓の「王」と狗邪国:3世紀前半を中心に」 朴龍雲「儒州(始寧・文化)柳氏の事例を通じて見た高麗社会の一断面:「嘉靖譜」を参考にして」 尹薫杓「朝鮮初期附過法の施行」 정다함「朝鮮初期壮勇隊の設置背景と運営実態」 呉恒寧「朝鮮前期史禍の様相とその性格:制度と現実の相互規定についての小考」 鄭泰憲「京城府財政の歳入構成と時期別特徴」 尹海東「日帝時期面制の実施と近代的官僚・行政制度の導入」 特集:渤海の中央と地方 임상선「渤海の都城体制とその特徴」 金東宇「渤海の地方統治体制運営とその変化」 김은국「8-10世紀東アジアの中の渤海交通路」 『韓国史学報』23、2006.5 論壇 박선미「近代史学以後の古朝鮮史研究の現況と争点」 우재병「5-6世紀百済住居・暖房・墓制文化の倭国伝播とその背景」 李仁在「高麗前期弘慶寺創建と三教共存論」 李益柱「墓誌銘資料を通じて見た高麗後期官人の生涯:金賆(1248-1301)の事例」 金順南「朝鮮世祖代体察使韓明澮について」 裵亢燮「中・後期義兵戦争時期羅州地域郷吏層の動向」 河元鎬「韓末栄山江流域と木浦の商品流通」 이주철「1950年代朝鮮労働党の下部組織再編」 特集:8-10世紀東アジアの文物交流 윤재운「8-10世紀渤海の文物交流」 방병선「羅末麗初韓中陶瓷交流」 강봉룡「新羅末~高麗時代西南海地域の韓・中海上交通路と拠点浦口」 『韓国史学報』22、2006.2 論壇 邊東明「城隍神金忍訓孫兢訓と梁山・蜜陽」 金仁昊「高麗時代聖俗の境界と個人的な行き来」 朴晋勲「高麗人の贅沢・虚栄と倹約認識」 권내현「朝鮮初期奴婢宗族と均分の実状」 양홍준「統監府時期刑事警察制度と犯罪捜査」 류시현「植民地時期ラッセル(Bertrand Russell)の『社会改造の原理』の翻訳と受容」 特集:東アジア中世の族譜編纂と官人社会 陸貞任「宋元代族譜修撰とその社会的意義」 李鎮漢「『成化安東権氏世譜』に記載された高麗後期の官職」 車長燮「綾城具氏族譜の刊行とその特徴」 『韓国史学報』21、2005.11 論壇 琴京淑「高句麗古墳壁画に表れた人物像と身分」 李康来「『三国史記』と『三国遺事』の王代暦比較研究」 趙成山「17世紀中・後半ソウル・京畿地域西人の経世学と政策理念」 손병규「甲午時期財政改革の意味:朝鮮王朝財政システムの観点から」 韓哲昊「開港期日本の治外法権適用論理と韓国の対応」 特集:韓国中世の社会構成論理 金蘭玉「麗末鮮初墓誌銘の家系記録方式」 신수정「高麗時代慶源李氏家門の政治的変化における婚姻網:李資義・李資謙の乱と関連して」 이정란「政治都監活動に表れた家の中の個人とその行動方式」 李正浩「高麗後期安東権氏家門の経済的基盤:権仲時-権守平系列を中心に」 朴元熇「崔溥『漂海録』翻訳譯述評」 1-20 21-40 41-60
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内戦結果 第一回内戦 7/2 実施 第二回内戦 8/10 実施 第三回内戦 8/22 実施 第四回内戦 8/24 実施
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ようこそ!思想百科事典へ!📖 こちらは誰でも編集可能となっています!✒ ⚠️悪質な書き込みは当方で削除、場合によっては通報します!⚠️ 目次 目次 日本の思想日本仏教和の精神 日蓮宗 日本儒教朱子学 陽明学 古学 国学本居宣長 近代化佐久間象山 中江兆民 植木枝盛 夏目漱石 日本の社会主義幸徳秋水 片山潜(キリスト教人道主義から) 安部磯雄(キリスト教人道主義から) 木下尚江(キリスト教人道主義から) 堺利彦(自由民権論から) 河上肇(人道主義からマルクス主義にかたむく) 戸坂潤(マルクス主義) 小林多喜二(プロレタリア文学) 冬の時代 治安維持法 転向 片山哲内閣(初の社会主義政権) 日本社会党 日本共産党 レッド・パージ 革新自治体 60年安保闘争 55年体制の崩壊(保守革新の曖昧化) 村山富市内閣 現在の革新政党 源流思想 西洋の近現代思想ルネサンス、宗教改革前後 イギリス経験論系統 社会主義サン・シモン(原始社会主義、初期社会主義) フーリエ(原始社会主義、初期社会主義) オーウェン(原始社会主義、初期社会主義) カールマルクス(科学的社会主義) フリードリヒエンゲルス レーニン スターリン トロツキー 毛沢東(毛沢東主義・マオイズム) 社会民主主義 民主社会主義 共産主義 無政府主義(アナーキズム) 金日成・金正日主義(主体思想) ポル・ポト主義(原始共産主義・反知性主義) ローザルクセンブルク ホーチミン フィデルカストロ チェゲバラ モーリス・トレーズ アメリカ政治哲学リベラリズム(自由主義) ネオリベラリズム(新自由主義) リヴァ(バ)タリアニズム コミュニタリアニズム(共同体主義) 日本の思想 日本仏教 和の精神 十七条の憲法(憲法十七条、十七条憲法とも)に見られる。 「和を以て貴(たっと)しと為し、忤(さから)うことなきを宗(むね)とせよ」とある。 日蓮宗 日本仏教の一派。開祖は日蓮。法華教、仏立(ぶつりゅう)宗とも。法華経を根本としらその題目をとなえ、本尊、題目、戒壇と即身成仏を主とする。門下に妙法寺、本門寺、久遠寺、大石寺など。系統の在家教団に霊友会、創価学会、立正佼正会がある。 日本儒教 朱子学 儒教の一派。朱子の系統。主に君臣父子の上下関係の秩序を重んじたため、封建社会の骨髄となった。日本では藤原惺窩から林羅山に伝わり、江戸の官学になった。 陽明学 陽明が唱えた思想。聖人、凡人の良知の実現として知行合一を重んじ、その実践を大切にした。後、卓吾が朱子学を批判。 古学 江戸時代において、漢唐宋明の理学を退け、直接経書を研究しようとする立場。 国学 本居宣長 22歳に上京。医学の傍ら儒家堀景山に契沖を学ぶ。1763年には紫文要領でもののあはれの説を主題化。1762年に賀茂真淵に入門し、1763-1798年までに古事記伝全44巻を完成。儒家の「理」に真実の世界、「事」を対置した。また、係り結びの法則を発見。多くの研究書を遺し、後世の世やナショナリズムに大きな影響を与えた。 近代化 佐久間象山 幕末の思想家。「東洋道徳、西洋芸術」の観念提唱人。下級武士の家に生まれ、朱子学を奉じる。佐藤一斉の門下に入った後1839年に江戸に開塾。オランダ語や砲術を教え、勝海舟、吉田松陰、坂本龍馬を輩出。 中江兆民 明治期の政治家、思想家。1871年にフランスに留学。1874年に東京に塾を開く。1881年、東洋自由新聞主筆。1882年、ルソーの社会契約論を訳し、人権論を唱えた。1890年、第一回衆議院選挙当選。1898年、国民党結成。「東洋のルソー」などと呼ばれる。 植木枝盛 自由民権運動指導者。板垣退助に影響されて政治家をめざす。国会期成同盟の活動に精力をだす。東洋大日本国国憲按で人民の抵抗権、革命権を主張。1890年の第一回衆議院選挙で当選。立憲自由党に加わるも、脱党。復党直後、死去。 夏目漱石 明治期の作家。1905年から吾輩は猫である、坊ちゃんをホトトギスに寄稿。草枕などで自然主義文学と対立。1908年の朝日新聞入社後から三四郎などを発表。1910年の修善寺大患の後からエゴイズムを追求。晩年は則天去私の精神領域に到達。 日本の社会主義 幸徳秋水 明治期の社会主義者。中江兆民に師事したあと、社会主義に接近。1898年、社会主義研究会入り、1901年、安部磯雄と社会民主党結成に参加。日露開戦反対。勤め先の万朝報を内村鑑三、堺利彦らと退社し、平民社結成。平民新聞発行。日露戦争終了後にアメリカ旅行。急速にアナルコ・サンディカリスムに傾倒。直接行動を唱える。1910年の大逆事件の関係者として1911年に処刑。 片山潜(キリスト教人道主義から) 日本労働運動の先駆け。社会主義者。1884年から1886年までアメリカのイェール大で学ぶ。1901年、社会民主党結成に参加。1904年、第二インターナショナルアムステルダム大会出席、ロシア代表と反戦を共鳴。1907年の日本社会党大会で議会政策を唱え、幸徳秋水と対立。大逆事件後も東京市電争議を勝利に導く。1914年、再度渡米。1921年、モスクワのコミンテルン常任委員となり、同地で死去。 安部磯雄(キリスト教人道主義から) 社会運動家。同志社大卒業後、渡米。キリスト教社会主義者に。1898年、社会主義研究会結成。1901年、社会民主党結成に参加。大逆事件後一時期社会主義から距離をとるも、1926年に社会民衆党委員長。1934年社会大衆党党首。1940年、勤労国民党組織、禁止。戦後は社会党顧問。1899年以来な早大教授。野球部の創設者。 木下尚江(キリスト教人道主義から) 社会運動家。1897年、大規模普選運動で逮捕。1899年毎日新聞入社、廃娼運動、足尾鉱毒事件で活躍。1900年、社会主義研究会入。社会民主党結成に参加。日露戦争反戦を訴えながら作家活動もした。 堺利彦(自由民権論から) 社会運動家、政治家。1903年、平民社結成。共産党宣言を初めて訳す。1906年、日本社会党結成。1920年、日本社会主義者同盟結成。1922年、日本共産党委員長となる。その後、社会民主主義に転向した。 河上肇(人道主義からマルクス主義にかたむく) 経済学者、社会運動家。東大・学習院で講師を務めたが、資本主義の、矛盾解決を求め辞す。1908-1928年まで京大で経済学を講じる傍ら、マルクス経済学を探究。その後、労農党結成。1932年共産党に参加後逮捕。1937年出獄。戦後、志半ばで死した。 戸坂潤(マルクス主義) 哲学者、評論家。1931-1935年、法政大教授。三木清からマルクス主義の洗礼を受け、唯物論指導者となったが、1938年治安維持法違反で逮捕。1945年に獄死。 小林多喜二(プロレタリア文学) ドストエフスキーに心酔し、小説家を志す。社会主義に接近し、プロレタリア文学運動に参加。名作、蟹工船などを発表する中、1931年に共産党に入党し、コップなどで活躍するも、1933年に特別高等警察に逮捕、拷問され虐殺された。 冬の時代 日本の社会運動、社会主義運動は大正デモクラシー後、治安維持法の制定にもかかわらず興隆した。日本共産党については1922年の結党から1945年までは壊滅的な組織破壊をこうむった。戦争の激化とともに、社会主義者は次々と転向声明などをだす。日本共産党中央執行委員会委員長の佐野学、同中央委員の鍋山貞親の転向声明が大きな影響を及ぼし、社会主義、特にマルクス主義に大きな影をおとした。同時に自由主義者や民主主義者にも攻撃が開始された。 治安維持法 国体変革、私有財産否定を主義とする組織の加入、指導を禁止する法律。1928年に緊急勅令で最高刑が死刑になる。1941年以降、最も厳しいものとなった。 転向 日本共産党の幹部らが大量にマルクス主義を捨てた一連の流れ。日本共産党に壊滅的打撃を与える結果となった。 片山哲内閣(初の社会主義政権) 1947-1948年の短期内閣。二・一ストライキ後の総選挙で第一党となった社会党と日本民主党と国民協同党の連立内閣。賃金物価新体系と傾斜生産方式で資本の再建を助け、石炭国家管理も資本と保守勢力の反発で骨抜きになる。1948年予算審議で総辞職。 日本社会党 1945年に安部磯雄の呼びかけで無産政党が統一した政党。サンフランシスコ講和問題で右派左派に分裂。1955年、統一。1960年、安保問題で再分裂。飛鳥田委員長の時にマルクスレーニン主義を極力薄めた政策をとる。1994年の党大会で日米安保容認、自衛隊容認、日の丸容認、君が代容認した。1996年に社会民主党に党名変更後、党勢減退。現在の党員は1.1万人、2021年11月現在、衆議院議席1、参議院議席1。 日本共産党 1922年、山川均、堺利彦、徳田球一が中心となって結成。当初は天皇制廃止、民主主義革命を掲げる非合法活動。三・一五事件、四・一六事件と中央幹部の転向で壊滅的打撃。戦後徳田、志賀義雄、野坂参三らが再建。1950年のコミンフォルムの批判に党は動揺。1955年に、冒険主義を自己批判。後反帝国主義、独占、人民民主主義革命を目指す。1979年には最高の41議席獲得。その後は減退。2000年の党大会で前衛政党、社会主義革命の表現を党規約から削除。現在の党員は27万人、2021年11月現在、衆議院議席10、参議院議席13。 レッド・パージ アメリカ占領下の日本やアメリカ本国での共産主義者取締の風潮。冷戦の激化やマッカーシー議員の発言から広がる。ちなみに、チャップリンもこの流れでアメリカを追われた。 革新自治体 東京都で1967年に日本共産党、日本社会党などの推薦で当選した全国初の革新首長、美濃部亮吉が誕生した。美濃部は国に先駆け、福祉政策や公害対策を行った。 60年安保闘争 日米安保条約改定に反対する運動だったが、性格が変わり、岸信介の強硬な採決や東大女学生の死亡などに激怒する国民的運動に変わった。岸はこの運動後、退陣した。この一連の流れはベトナム反戦運動や学生運動につながった。 55年体制の崩壊(保守革新の曖昧化) 1955年の日本社会党右派左派統一、自民党の成立から1993年の自民党野党転落まで続いた55年体制が崩壊したこと。1993年、新生党、新党さきがけ、社会党、民社党、公明党、日本新党が反自民を掲げて細川護熙政権を発足させた。 村山富市内閣 1994年から1996年までの社会党、自民党、新党さきがけの連立内閣、社会党委員長でもあった村山は自衛隊容認、日米安保堅持を公表。その間、阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件が発生。また、戦後50年に際し、村山談話を発表した。突如、村山が退陣を表明し、総辞職。 現在の革新政党 日本共産党や社会民主党 源流思想 西洋の近現代思想 ルネサンス、宗教改革前後 イタリア発の文化革新運動。再生を意味するフランス語。宗教改革、地理の発見、近代科学から人文主義、世俗主義、合理主義、個人主義を包摂。中世の暗黒時代からの脱却をめざした。 イギリス経験論系統 ベーコン、ポップスの後継者のロックが確立し、バークリー、ヒュームが発展させる。イギリスの近代哲学系譜。神学イデオロギーに変わる市民社会の倫理形成に寄与。 社会主義 サン・シモン(原始社会主義、初期社会主義) 各人の自由な能力に基づく未来社会を構想したフランスの空想的社会主義者。 フーリエ(原始社会主義、初期社会主義) 空想的社会主義者。商業界での仕事の経験より、資本主義の批判を細かく展開。ファランジュ構想をうちたてて、ユートピアを構想した。 オーウェン(原始社会主義、初期社会主義) 人道主義的工場主。マルクスから空想的社会主義と批判される。労働者中心の経営に腐心し、イギリスでの工場法成立に貢献。1825年にアメリカに渡り、ニューハーモニーと称する共産社会の実現を目指したが、失敗した。1834年に帰国。生活協同組合の結成の呼びかけの他、全国労働組合大連合の結成に心血を注いだ。 カールマルクス(科学的社会主義) かの世界的に有名な「資本論」の著者。 独自の経済分析によって、搾取を伴う「資本主義社会」の限界を訴え、その克服の為に「共産主義」を提唱した。 芸術・文化面なども含めた全ての社会活動の源流は経済活動に根差すという「唯物史観的」視点で世界を捉え続けた。 社会主義思想の潮流としては「マルクス主義・科学的社会主義」に分類される。 第一インターナショナル(国際労働者協会)設立にも大きく貢献した。 すべての社会主義思想=マルクス主義ではないが、今日まで「社会主義・共産主義」思想が受け継がれてきたのは何より マルクスの存在があったからであることは疑いの余地がないであろう。 フリードリヒエンゲルス 紡績工場主の息子として生まれる。 その経済力によって生涯に渡ってマルクスを支え続けた。 マルクスとはその「唯物史観」な視点が完全に一致しており、1848年に共同で起草した「共産党宣言」を発表した。 マルクス亡き後、「資本論」をまとめ上げて完成させる。 レーニン ナーロドニキ思想から皇帝派暗殺を企てたかどで処刑された兄の死をきっかけに社会主義に開眼、ロシアの一連の革命運動を指導する。 当初は社会民主主義者として機関紙「イスクラ」の編集の中核を担いながら社会主義理論家としての地位を築き上げていった。ツァーリ政権に何度も流刑に処されるも、逃走や亡命を繰り返しながらロシア国内外の社会主義者を束ねながら先導する指導的な役割を演じた。1917年、第一次世界大戦時の厭戦気分を巧みに先導し「パンと平和と土地」をスローガンに都市部労働者を束ねてロシア革命を成功させる。海外からの干渉も受けた過酷な内戦期を乗り切った1922年、世界初の社会主義国家、ソビエト社会主義共和国連邦をつくることに成功する。 資本主義は戦争を伴う帝国主義に至るという「帝国主義論」 議会制民主主義はブルジョワの欺瞞だとし、プロレタリア(労働者階級)階級の先導によって直接民主制への移行は可能であるとした 「国家と革命」はともに世界的に有名な書籍である。 マルクス思想を絶対としており、マルクス主義の理論家というよりは実践家としての役割を果たしとも言える。 スターリン グルジア(ジョージア)出身の革命家。レーニン亡き後のソ連の指導者として世界的にも有名である。 農業の集団化・重工業の発展を最優先した五ヶ年計画などによって急速な近代化を成功させるものの、あまりに性急すぎる政策の過程では 膨大な餓死者を出すなど多くの犠牲を生み出した。 トロツキーと対立し、「一国社会主義」を唱え、反対派を「トロツキスト」とレッテル張りして弾圧した。 悪名高い「大粛清」によって反対派を壊滅させ、自身を頂点とする極度な中央集権化を行った。 死後、後継者のフルシチョフによってされた「スターリン非難」は社会主義諸国に衝撃を与えたことでも有名である。 一方で、第二次大戦を勝ち抜いたことから、ロシア国内でもいまだに一定の支持者がおり、世界的にも「スターリニズム」は存在し続けている。 トロツキー レーニン・スターリンと並ぶロシア革命の中心人物。 革命直後に瓦解した旧軍隊を新たに労働者・農民で再編成した「赤軍」を創設し、内戦の勝利に大貢献した。 話術に長け、カリスマ性があったことから時にレーニン以上の革命の立役者であった。 社会主義は一国では維持できず、最終的には全世界が共産化する必要があるとする「永続革命論」を唱えた。 レーニン亡き後、「一国社会主義」を掲げて中央集権を強行するスターリンと対立し、国外追放となる。 海外の亡命生活中も一貫してスターリン体制批判を続けるも、1940年、メキシコにて暗殺される。 文才があり、文学や芸術にも造詣が深かった。 毛沢東(毛沢東主義・マオイズム) 中国共産党の指導者。陳独秀らが結成した中国共産党に参加したあとに会議で指導者に。国共合作などを通して抗日運動を指揮する。戦後の国共内戦に勝利。中華人民共和国建国。大躍進や文化大革命で中国に混乱を招く。 社会民主主義 共産主義・暴力革命を否定し、平和な手段で漸進的に社会主義を実現する、民主主義を通して実現する思想。民主社会主義とは異なる。 民主社会主義 民主主義の基に社会主義を実現する思想。社会主義と民主主義は相互に依存しあうものであるとして、マルクス・レーニン主義の共産主義に強く反対する。 共産主義 社会主義の進んだ社会。共有物、公共物などの生産手段を労働者のものに、社会のものにし、不平等をなくそうとする思想。古くからあったものであったが、マルクスが共産党宣言の中で確実なものとし、資本論の中で科学的社会主義、所謂マルクス主義になった。 無政府主義(アナーキズム) 国家などの権力を全て廃して、完全に平等な社会を建設することを目指す思想。 アナルコ・サンディカリズム(労働者を中心とした自主的な共同体運営)思想でもある。 有名なのは、スペイン内戦によるCNT・FAIなどの労働組合に先導された革命運動である。 中心人物の一人として、ドゥルーティなどがいる。 (いずれもサンディカリストによる革命は圧殺され失敗に終わった) 金日成・金正日主義(主体思想) 国防や経済などあらゆる分野で自立していなければならないという思想。しかし、それには金日成など最高指導者の指導が絶対必要。 ポル・ポト主義(原始共産主義・反知性主義) 都市や知識・医療・教育など全ての現代要素を排除して、農村を主体とした原始的な社会を造ろうとする思想。ポル・ポトはそれを実現するため、都市解体、知識人の大虐殺を行い混乱を招いた。 ローザルクセンブルク ドイツの女性社会主義者 ロシア革命には肯定的であったものの、レーニン率いるボリシェヴィキの強権路線に反対する立場を取り続けた。 "ルクセンブルク主義"という社会主義思想の一つの潮流にもなっている。 ドイツ革命最中、リープクネヒト(ルクセンブルクと同立ち位置の指導者)らとスパルタクス団を結成。 右派国軍勢力と手を組み急進左派勢力の撲滅を目論む社会民主党政権(現ドイツSPD党)と対決し敗北する。 1919年、リープクネヒトと共に殺害される。 ホーチミン ベトナム社会主義共和国の間接の建国の父。ベトナム独立運動の頃から政治に携わり、その最中に社会主義に開眼。抗日運動の後はベトナム独立としてフランスに勝利。その後はベトナム戦争においてアメリカへの勝利に貢献する。 ベトナム社会主義共和国が正式に成立するのを待たずに死去した。 ホーチミンに関しては、彼自身の記録が少ないことからいまだに素性の知れない謎の多い人物ともされている。 北ベトナムでの早急な土地改革では多数の犠牲を伴うなどしたが、自己顕示欲や贅沢などとは無縁の質素な生活を貫いたとされ、汚職などとも 無縁であったとされている点から高く評価する声もいまだに多い。 フィデルカストロ 近現代の社会主義国指導者の中では世間的に評価の高い革命家。 かの有名なチェゲバラと友に、1959年に親米傀儡のバティスタ政権を武装蜂起で打倒し、キューバ革命を成功させた。 歴史上、社会主義革命家の中では珍しくカストロ自身も前線で一兵士として闘い続けた。 また、内戦期においても赤十字に捕虜を引き渡すなど人道的な精神を持ち続けた。 「ピッグス湾事件」など尋常ならざるアメリカからの執拗な暗殺、干渉行為を跳ね除け続けた。 学生時代から演説の練習をしていたと言われるほどの「演説好き」であり、数時間におよぶ演説を度々行っていたことで知られる。 2016年の死去の際には、世界中から追悼の言葉が贈られるなど、「独裁者」と非難される一方、国際的に一定数の評価を得ていたことも伺い知れる。 チェゲバラ 思想関係なくおそらく世界で一番有名な革命家。 元々はアルゼンチンの中産階級で医者になる予定だったが、20代で南米旅行をした際に「当たり前の治療」も受けられない貧困層の存在に衝撃を受け、以後社会主義革命に没頭していく。 キューバでカストロと出会い、意気投合した後は医師の技術を生かして軍医として自らも前線に立ってキューバ革命を成し遂げた。 戦闘中も潜伏先のジャングルで現地住民の診察にあたるなどの尽力から、革命勢力に対して住民は非常に協力的であった。 政権奪取後も、公務時間外はボランティアで労働に勤しむなど類まれなる利他精神を貫き続けた。 1967年、ボリビアで革命を起こすために戦闘中、CIAによって殺害される。 モーリス・トレーズ フランス共産党の指導者。ソ連の政策に忠実であった。そのため、彼の存命中のフランス共産党は特にスターリニズムの傾向が強く、トレーズが死去してからも1991年のソ連の崩壊までは特にフランス共産党は“モスクワの長女”と揶揄される。トレーズ自身はモスクワに向かう船上で急病死 アメリカ政治哲学 リベラリズム(自由主義) 個人の自由を重んずる思想。その個人の自由には国家は干渉してはならないとする。近代自然法思想を源とする。市民革命の原理となる。経済上では、古典派経済、重農主義から自由放任主義になった。その道は市民社会の発展と対応したが、産業革命による資本主義の本格的胎動とそれに相対的に続く社会主義の台頭により、主義としての自由のみならず、個々の人間の平等、実質的自由を重んずる個人主義の観点を持ち合わせるようになった。 ネオリベラリズム(新自由主義) 1980年代から急速に発達した経済思想。先進国の資本主義がオイルショックやドルショック、労働運動で揺さぶられる中、ケインズ主義に代わる新思考として現れた。主に規制緩和、福祉削減、緊縮財政、自己責任を掲げ、新保守勢力と結び、マイノリティの権利削減、排他的ナショナリズムになる傾向がある。一定の経済成長に貢献したものの、貧富格差の増大、弱肉強食イデオロギーの常態化といった負の影響を遺した。 リヴァ(バ)タリアニズム 福祉国家の集産主義に警鐘を鳴らし、国家の干渉に不可侵の権利を擁護する自由論者。 コミュニタリアニズム(共同体主義) 個人の属する共同体の価値観を大切にすべきだとする立場。自由と功利のみを追求する人を負荷なき個人と批判する。
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概要 中国共産党とは、中国の執政政党である。 1949年に中国革命に成功した。 関連記事 広東鉄 ウマ鉄 ラジオ新左派 防風こなた
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[CML 006458] Re 尖閣(釣魚)諸島の領有権と国際法 半月城 [CML 006441] 尖閣(釣魚)諸島の領有権と国際法 half-moon half-moon at muj.biglobe.ne.jp 2010年 11月 12日 (金) 22 07 33 JST 半月城です。 尖閣(釣魚)諸島沖の巡視船衝突事件は落ち着くどころか、新たに衝突映像の流出 事件をめぐって連日マスコミをにぎわしているようです。こういう時こそ、問題の根 本的な理解が必要ではないかと思います。 そこで今回は、尖閣(釣魚)諸島の領有権を国際法から考えることにします。ま た、最近になってロシア大統領のクナシリ訪問を機に北方領土問題も騒がしくなって きたので、それもからめて「都合の悪い話」なども織りまぜて書きたいと思います。 半月城です。 私の書き込みに一部誤りがありました。 「翌1968年、日本が尖閣(釣魚)諸島に標杭を建てた年に沖縄返還が決まり」の中 の、1968年を1969年に訂正します。 他へ転載されるときは、下記の文章をお使いください。 半月城です。 前田さん、コメントをありがとうございます。 おっしゃるとおりです。 石垣市が建てた標杭は、閣議決定とは何の関係もありません。 閣議決定の標杭は、台湾割譲を目前にして建設の必要性が無くなったのか建てられな いままでした。 該当部分を下記のように訂正します。 1.領土取得の経緯 前回書いた日本による領土取得の経緯を要約すると、下記のとおりです。 1)1885年、日本が尖閣(釣魚)諸島に国標を建てると清国からクレームがくる可能 性が強く、清国との協議が必要である、すなわち無主地でないかも知れない、こうし た判断から日本政府は国標建設を見送った。 2)その十年後、日清戦争で清国の降伏が確実になるや「当時と今日とは事情も相 異」したので、日本は同島を沖縄に組み込んで標杭を建てることを閣議決定し、沖縄 県へ伝えた。その際、清国との協議は眼中になかった。その間、同島が日本領である ことの証拠を探したが見つからなかった。またそれらしき伝説も見つからなかった。 3)閣議決定は何も実行されない(行政措置がとられない)うちに日清戦争の講和が 結ばれ、台湾は日本の植民地になった。そのため、尖閣(釣魚)諸島は日本の先占い かんにかかわらず、明確に日本領になった。同島が国内法で沖縄県に組み込まれたの は、それ以後である。 2.国際法上の無主地先占 尖閣(釣魚)諸島は、無主地先占による領土取得といえるのかどうか見ることにし ます。無主地先占が国際法で認められるのは次の三条件です。 (1)対象地が無主地 (2)国家が領有の意思を示す (3)継続的かつ平和的な主権の発現 この中で、(1)尖閣(釣魚)が無主地であったかどうか、これは非常な難問で す。同島は日本領の認識がなかったことだけは確かですが、さりとて中国領とするに 足る国際法上の充分な証拠はないようです。それゆえに日中間で領土論争が継続して いるわけですが、今後、研究次第ではその認識が大きく変わる可能性があります。 余談ですが、北方領土問題の場合、かつての北方領土担当であった佐藤優によれ ば、日ソ両国の外務省は歴史的、国際法的議論を徹底的に行った結果、皮肉なことに 日露両国の外交官は「自国の立場が正しい」という確信を一層深めることになったの でした(注1)。 特にエトロフに関していえば、同島は18世紀までは日本よりもロシアの影響力が強 かったとのことでした。アイヌモシリの問題を別にしても「固有領土」の根拠はあや しいもんです。 また、日本はクナシリ・エトロフをサンフランシスコ平和条約で放棄したことな ど、都合の悪い話は「見て見ぬふり」をしているとのことでした。しかし、これはう わべだけではないでしょうか。外務省は平和条約を充分検討したからこそ、この問題 では国際司法裁判所への提訴をおくびにも出さないものと思われます。ただ、それを 国民に説明しないだけではないでしょうか。 そうした外務省の情報操作を知ってか知らずか、多くの日本国民は国際法には無頓 着に、ロシアがクナシリ・エトロフを不法占拠していると信じているようです。しか し、戦時中の武力占拠は万国公法で合法とされることはいうまでもありません。蛇足 ですが、国際法上の終戦は日本の降伏調印日(9月2日)か、学者によっては講和条約 の調印日とされます。 一方、竹島=独島論争では1950年代に日本政府は圧倒的に有利でしたが、これは日 韓の情報格差および外務省による情報操作のためでした。ところが、1980年代から明 治政府の竹島=独島放棄が論証されたり、松島(竹島=独島)渡海免許が存在しな かった資料などが次々に明らかになり、日本政府は不利になるばかりでした。 市民団体「日韓会談文書・全面公開を求める会」によると、「竹島問題に関する文 献資料」は交渉上不利になるとして、一切不開示にされた」ままですが、今後も資料 の発掘が進めば進むほど日本政府はさらに不利になるかも知れません。 このように領土問題に関するかぎり、外務省は不利な情報を伏せているので、研究 次第では尖閣(釣魚)諸島問題でも竹島=独島と同じような事態が起きかねません。 さて(2)に戻りますが、国家が無主地領有の意思を示す方法には、関係国への通 告、官報などによる告示、法令の公布、行政措置や宣言などがあります。 なお、公表されない閣議決定を単に沖縄県へ伝えただけでは国際法にいう領有意思 の表明と見るのは困難です。一般に閣議決定の内容は後日になって変更されたり、 まったく実行されなかったり、とかく流動的なので、確実な行政措置がともなわなけ れば明確な領有の意思表示とはいえません。 尖閣(釣魚)諸島の場合、特異なことに上記のいずれの領有表明措置も取られない うちに日清講和条約が成立して台湾が日本領になり、尖閣(釣魚)諸島は先占いかん にかかわらず確実に日本領となりました。したがって、尖閣(釣魚)諸島については 領有意思の表明はなかったといえます。 最後の(3)平和的な主権の発現ですが、日本政府が民間人である古賀に対して 「官有地拝借御願」を許可したことなどがこれに相当します。しかし、この許可など の行政措置はすべて台湾割譲後のことでした。 また、閣議決定された標杭の建設は、台湾割譲を前にして建設の必要性がなくなっ たのか、結局は実行されませんでした。戦後になり、国連が石油資源の埋蔵可能性を 指摘し(1968)、尖閣(釣魚)諸島が国際的に注目を浴びて標杭を建設する必要性が 生じたのか、1969年に石垣市が市の標杭を建設しました。 結局、台湾割譲以前に日本政府による主権の発現はありませんでした。 このように、日本による無主地先占は必須要件の三項目すべてに問題があります。 そのためか、前回紹介したように芹田健太郎は、日本の実効支配は無主地先占をした 島嶼に対するものなのか、割譲された地域に含まれる島嶼に対するものなのか明確で ないので、日本の実効的占有は敗戦時まで凍結されるかも知れないと主張しました。 無主地先占による戦前の実効的占有が凍結される場合、日本の実効的占有は沖縄返 還時(1972)から始まることになりますが、これも後述のように問題があります。 3.尖閣(釣魚)諸島は台湾付属か 以上の論考からすれば、日本の尖閣(釣魚)諸島占有は無主地先占ではなく、台湾 割譲にともなうものであるという中国や台湾の主張は説得力を増します。ただし、尖 閣(釣魚)諸島が台湾に付属するのかどうかについては検討が必要です。それを簡単 に見ることにします。 当時、尖閣(釣魚)諸島が台湾に属するとした明確な文献資料はないようです。一 方、台湾の範囲に関する交渉が日清講和条約の批准直後にありました。両国は条約に したがって「台湾受渡に関する公文」を取り交わしましたが、その時に日清の担当者 間で台湾の範囲が話題になりました。 清国は、あるいは日本が台湾の範囲を拡大解釈して「福建省付近に散在する所の島 嶼を指して、台湾付属島嶼なりというが如き紛議の生ぜんことを懸念」したのです が、これに対して日本は当時の地図や海図にて台湾付属の島嶼は明らかであると回答 しました。 芹田はこれを取りあげて、「海図及び地図等で公認しある台湾所属島嶼」に尖閣 (釣魚)諸島が含まれないことは、日清双方の一致して認めるところであったと記す のでした(注2)。 しかし、清国が問題にしているのは福建省付近の島嶼であり、日本付近の島嶼は眼 中になかったので、地図に尖閣(釣魚)諸島が台湾に含まれるかどうかは検討対象外 でした。したがって、含まれないということを清国も認めたという芹田の主張は我田 引水の感があります。当然、台湾が日本領になったのなら、それより日本に近い尖閣 (釣魚)諸島も日本領になったと考えられます。 また、芹田は言及しないものの、地図は誤りや不明瞭な点が多いために国際法上の 価値は低く、地図が条約と一体あるいは付属するか、条約に引用された地図以外はほ とんど見向きもされません(注3)。ましてや会話に登場した程度の不特定の地図な どは国際法上の議論においてほとんど価値がありません。 ついでに地図に関していえば、中国や井上清らは江戸時代に林子平が作成した「三 国通覧図説」を根拠の一つとして自国の領有権を主張しています。たしかに、この地 図は色刷りであり、尖閣諸島は中国本土と同色で刷られています。 しかし、この地図は私人の立場で作成されたものであり、日本の国家意思を表明す るものではないし、公的に認定されたものでもありません。したがって、この地図が 日本を拘束することはないし、国際法上はほとんど無意味です。 ただし、国際法が適用される以前の前近代において地図や絵図がまったく無意味か というとそうでもありません。江戸時代のころは、ある国が公的な絵図や地誌、その 他の方法で島嶼などを自国領と認め、他国がそれを争わなければ領土として確立する とされます。そのため、尖閣(釣魚)の場合は明や清が同島を自国領とする認識が あったかどうかがカギになります。 4.戦後の尖閣(釣魚)諸島 尖閣(釣魚)諸島は日本が無主地先占によって獲得した領土であるという主張には 無理が多く、同島は台湾割譲にともなって獲得された領土とみるのが妥当なように思 えます。 そうなると、日本の敗戦にともなって尖閣(釣魚)諸島は台湾と共に中国領になる べきでしたが、戦後沖縄を統治した米国民政府は尖閣(釣魚)諸島が沖縄県に所属し た実状をそのまま引継いで自己の統治下におきました。 これに対して中国や台湾は、戦後の国共内戦や、建国時の混乱などでとても尖閣 (釣魚)諸島を気遣う余裕がなかったのですが、その後も沖縄の返還が決まるまで同 島が自国領であるとの主張をしなかったようです。ここに中国や台湾の弱点があるよ うです。 ただ、琉球列島の戦後処理には異論を唱えていましたが、その中で尖閣(釣魚)諸 島を特に熟慮した形跡はないようです。はたして、中国や台湾はアメリカの軍政府や 琉球列島米国民政府(USCAR)統治時代に尖閣(釣魚)諸島に明確な領有意識を持っ ていたのかどうか疑問です。 その疑問の一例として、台湾省で編修された文献をあげることができます。それら によると、台湾の範囲を台湾本島からやや北の彭佳嶼をもって台湾省最北端として尖 閣(釣魚)諸島をはずしているようです。 しかし、より重要なのは同島が資料上で台湾に含まれないということよりも、同島 を日本領と認めた公的な資料があるかどうかです。その一例として、1970年の台湾の 中学地理教科書『國民中學地理』をあげることができます。そこでは釣魚台列嶼が日 本領とされたようですが、翌年それは改定されて台湾領とされました。 このように地図は誤りが多く、国際法上はほとんど考慮されないので、こうした一 時的な地図の誤りは週刊誌のネタにはなっても、国際法上はさして問題にならないよ うです。 なお、地図の誤りについては日本もひけをとりません。1952年10月、すなわち平和 条約発効後、国土地理院の前身である地理調査所から出版された「日本全図 二百万 分一」には尖閣(釣魚)諸島はおろか、沖縄やエトロフ島さえ記述されず、クナシリ 島は描かれても外国同様に着色されました。 クナシリ・エトロフは佐藤優がいうように日本も当時は日本領外と認めたので当然 かも知れませんが(注4)、沖縄は単に施政権をアメリカに与えたことをもって、国 土管轄当局が日本の領土からはずしたのは領土放棄と受け取られかねません。しか し、この地図も国際法上はほとんど問題にならないようです。 なお、その地図で竹島=独島はどうかというと、島が小さいのでやや不明ですが、 やはり日本領とはされなかったようです。それら問題の島々は、李承晩ラインと竹島 =独島が問題化した後の1955年発行の地図にすべて日本領として明確に描かれまし た。 領土が問題化してから公的資料中の自国領を見直すのは中国、台湾のみならず日本 も似たりよったりです。 尖閣(釣魚)諸島が国際的に注目を浴びたのは1960年代末でした。1968年に日・ 韓・台の科学者を中心に東シナ海一帯にわたって行われた地球物理学的調査によっ て、台湾のほぼ北東の海底区域に石油資源か豊富に埋蔵されている可能性が指摘され たのでした。 翌1969年、日本が尖閣(釣魚)諸島に標杭を建てた年に沖縄返還が決まり、「核抜 き、本土なみ、72年返還」をうたった日米共同宣言が発表され、世界中から注目の的 になりました。やがて、その返還区域に尖閣(釣魚)諸島が含まれることが判明し、 中国や台湾がクレームをつけました。 1971年2月、台湾は「釣魚台に対する台湾の領土主権は、歴史、地理、使用、およ び法理からみて明白である」との声明を発表しました。同じく12月、中国も「釣魚島 などの島嶼は昔から中国の領土である」との声明を出しました。 こうした領土論争にアメリカは「板ばさみにならないように」賢くふるまいまし た。ニクソン政権は、沖縄と一緒に尖閣列島の施政権は日本に返還するが、主権問題 に関しては立場を表明しない方針をとりました。領土争いに巻き込まれるのを避けた のでした。 1972年、尖閣(釣魚)諸島を含んだ沖縄は予定どおり日本へ返還され、芹田のいう 凍結されたと思われる日本の尖閣(釣魚)諸島に対する実効的占有が始まりました。 しかし、これは国際法上で有効とは認められないようです。すでに中国や台湾が領有 権を主張しており、その時が国際法上の決定的期日とされる可能性が強く、その日以 後の行為は証拠として採用されないからです。 結局、日本の実効的占有は凍結される可能性があったり、決定的期日以後であった りするので、かならずしも有効ではないようです。 かつて日本は竹島=独島の領有権に関しては韓国政府と論争をおこない、北方領土 に関してはロシア政府と論争をおこないましたが、尖閣(釣魚)諸島問題では中国・ 台湾政府と本格的な歴史的・国際法的論争は望むべくもありません。日本が尖閣(釣 魚)諸島問題は存在しないとしているからです。 当分の間、両国民は限られた、時には操作された情報をもとにショービニスティッ クな非難合戦を繰りひろげるのでしょうか。さらには、日本が領土問題を棚上げする という了解に反してパンドラの箱を開けてしまっただけに、今回のような物理的衝突 が続出するのかも知れません。 (注1)佐藤優「中国帝国主義に対抗するには」『中央公論』2010.11 (注2)芹田健太郎『日本の領土』中央公論新社、2002 (注3)荒木教夫「領土・国境紛争における地図の機能」『早稲田法学』74巻3号、 1999 (注4)一例であるが、吉田茂首相はサンフランシスコ平和条約受諾演説の際、ハボ マイ・シコタンとは別にクナシリ・エトロフが千島南部であると認め「日本開国の当 時、千島南部の二島、択捉、国後両島が日本領であることについては、帝政ロシアも 何ら異議を挿さまなかつたのであります・・・日本の本土たる北海道の一部を構成す る色丹島・・・」と述べた。これは世界に向けて公表された日本政府の見解である。 http //www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/JPUS/19510907.S1J.htm l (半月城通信)http //www.han.org/a/half-moon/ その他の尖閣問題論考