約 4,796 件
https://w.atwiki.jp/welhistorica/pages/6.html
このページはウィキペディア日本語版の史学史 2006年9月14日 (木) 05 13 版を元にKanbunが改訂しています。 史学史(二) マビヨン 文書批判の客観的な方法を確立し、古文書学の祖となった 「史学史(二)」では、古文書学の成立から近代歴史学の展開までを対象とする。それ以前は「史学史(一)」を参照。それ以降は「史学史(三)」を参照。 史学史(しがくし)とは歴史学?の研究史。具体的には歴史?事実研究に関する歴史意識と学説の歴史、また歴史観?の変遷に関する歴史のことである。 歴史的展開古文書学の成立ロレンツォ・ヴァラ ジャン・マビヨン 近代歴史学の成立ニーブール ランケ 近代歴史学の展開プロイセン学派 イギリスとフランス 「歴史の法則性」を巡って 「文化史」という視点 唯物論的歴史学 出典 使用条件など 歴史的展開 近代歴史学との関連性から、ここでは主に西ヨーロッパの歴史記述と記述方法論を中心に概観する。 「史学史(一)」から続く 古文書学の成立 一方で歴史記述とは別個に、史料の批判的研究が着実な発展を遂げていた。それはいわゆる「古文書学?」で、ベネディクト派の学僧マビヨン?によって確立された。ただし古文書の真偽についてはマビヨン以前にすでに先行する研究があり、ここではその代表としてヴァラ?を紹介する[1]。 [1]マビヨンに先行する組織的文献研究としては、17世紀のボランドゥス?を中心としたボランディスト?の古文書研究などがあげられる。(文献18 pp.102-103) ロレンツォ・ヴァラ ヴァラ 文献学的な研究に基づいて、『コンスタンティヌス帝の寄進状』を偽書だと断じた ヴァラは15世紀の人文主義者で、『偽イシドールス法令集』[1]中の『コンスタンティヌス帝の寄進状』という文書が偽作であることを明らかにした。この文書は中世を通じて、教皇領および教皇権に関する重要な典拠とされてきたので、教会は彼を宗教裁判にかけた。このことはこの時代、文書批判が既存の宗教や権威、慣習の批判につながっていたことを示している。事実、宗教改革?の時代になると、文書批判は急速に発展したが、それには新旧両派が文書を武器として互いの正統性を争うという背景があった[2]。 [1] セヴィリアの司教イシドールス?の編とされる教皇法令集。9世紀に成立したとされている。 [2]一方でこの時代に文書批判が進んだもう一つの理由として、古文書がかなり広汎に流出したことが指摘されている。ヘンリ8世?によっておこなわれた修道院?解散やドイツ農民戦争?およびシュマルカルデン戦争?、ユグノー戦争?、フロンドの乱?などの戦乱の影響で各地の修道院や教会に蓄えられていた古文書がかなり市場に放出されたという。(文献18 p.104) ジャン・マビヨン 17世紀フランスのベネディクト派?の一派サン・モール派に属する学僧であったマビヨンは、教団史や聖者伝などの編纂にあたるとともに、古文書の収集や刊行をおこなっていた。彼は1681年に『古文書論』[1]を著し、さまざまな文書を分類し定義づけた上で、インクや書体などを考察した。さらに言語がラテン語?やギリシャ語?などの古典語で書かれているか、それがどの程度まで古典的かなどの度合いで、その文書の時代性を明らかにできると述べた[2]。このことにより、さまざまな文書相互間の関係から客観的に文書の真偽を識別できる方法が確立され、古文書学が成立した[3]。 [1]原題 De re diplomatica、1681年。 [2]西ヨーロッパでは文書はラテン語で書かれるのが一般的であったが、中世になると地方の口語と接近し、「俗ラテン語?」と呼ばれる古典語よりくずれたラテン語が使われ、それらは今日のヨーロッパ言語のもととなった。俗ラテン語に対して、特にキケロ?に代表される典型的な古代のラテン語を「古典ラテン語」もしくは「古典語」という。今日一般的に言うラテン語とはこの古典語のことである。 [3]マルク・ブロックは『歴史のための弁明』(原題 Apologie pour l histoire)の中で古文書学の成立を歴史学における偉大な事業の一つに挙げている。(文献18 p.107)マビヨンに学んだイタリアのムラトリ?はこの時代の歴史学の学問的価値からいえば、後世から大変評価が高い人物で、ギボンは「イタリア史における我が師」と絶賛している。(文献18 pp.109-110、文献21 pp.39-40)ムラトリはライプニッツとも親交があったという。 近代歴史学の成立 ランケ 「特殊から一般へ」と述べて個別的歴史事実の重視を唱え、史料批判を方法論の中心に据えて近代歴史学を確立した 一般に近代歴史学の成立はニーブール?とランケ?の研究を画期としていると考えられている。彼らの歴史研究の特徴は主に以下の3つである。 歴史事実の個別的把握 方法論としての史料批判 個別事実の一般化(世界史の形成) これをいままで概観した近代以前の歴史研究の歴史に当てはめてみると、1.は啓蒙主義?の歴史学に、2.は古文書学に、3.はキリスト教?的な普遍史に求めることができる。この点で近代歴史学は近代以前の歴史学の総合として成り立っていた[1]。 [1]近代歴史学を啓蒙主義・神学的普遍史・史料批判などの前近代的歴史研究の総合と見なす考え方は文献21 pp.36-37。ただし同書によれば近代歴史学の本質は史料批判という方法論におかれる。文献24 p.36も同様に史料批判を重視。一方で文献18 pp.148-149では、史料批判ではなく歴史事実の個別的把握こそがランケの真骨頂であるとする。同書ではランケ史学はニーブールよりも当時の国際法学や政治学に影響を受けているという。普遍史との関連性や宗教的背景を重視するのはマイネッケで、彼はランケの「個性原理」(歴史の個別的把握)を個体の中に固有の運動法則を認め、「一つの生」として歴史的個体を扱うことであるとした。そしてこれは汎神論よりも進んだ「万有在神論」と呼べる彼の宗教観に由来するものであるという。汎神論と万有在神論の相違は、汎神論には普遍的に神が存在するという意味で歴史事実の運動法則を普遍化しようとする傾向があるが、万有在神論は「万物に神が在る」という点から個々の歴史事実に固有の運動法則があるという認識に達する。したがって汎神論に基づく歴史記述では歴史的個体は埋没し一元的に普遍法則を設定していく過程になるのに対し、ランケでは固有の運動法則と普遍法則が論理的には解決されないまま並立しており、二元論的であるという。マイネッケはランケにマキャヴェリズムとの深刻な対立を見出しており、したがって一見道徳を排除しているように見えるランケ史学の深奥に道徳判断が認められるという。したがって彼の「個性原理」は国家行動をその研究の中心に据えながら、マキャヴェリズムに基づく近代政治学原理が歩んだような歴史的個体の普遍化・絶対化、つまり国家行動の全面的容認には至らなかったのだという。(文献22 pp.350-358)継受の面が指摘される一方で、ランケでは前近代的歴史研究が持っていた実践主義的な観点や哲学的な視点は大幅に減じていることも認められる。(文献21 pp.45-47、文献24 p.38)啓蒙主義と近代歴史学は以下の点で大きく対立している。1. 啓蒙主義は一般から個別へと歴史を解釈したが、近代歴史学は個別から一般へと解釈した。2. 啓蒙主義は古代の生活を近代においても空間的には存在しうるもの、たとえば非ヨーロッパ人の生活をヨーロッパ人の前文明的な生活と同質であると解釈することにより、歴史的事実を空間的に扱ったが、近代歴史学はそれを一回性の事実と考えることにより時間的に扱った。ランケにおける個別的歴史事実の尊重と神学的普遍史との関連性については文献22 pp.348-368、啓蒙主義の歴史観については文献23 pp.68-74、文献18 p.122。 ニーブール ニーブール ボーフォールの研究に影響されて、史料批判に基づいた実証的歴史研究をはじめ、ランケ以降の歴史学に影響を与えた ニーブールはボーフォールの伝承批判の精神を継受し、具体的な方法論としては複数の文献相互の整合性を検討する史料批判を用いて『ローマ史』[1]を記述した。このなかでニーブールは「海が流れをとりいれるように、ローマの歴史は、それ以前に地中海周辺の世界で名をあげられていた他の全ての諸民族の歴史を取り入れる」[2]と述べ、世界史のなかにローマ史を位置づけようとする試みが見られる。 [1]原題 Römische Geschichte、1811年-1832年。 [2]文献18 p.133による。同書ではランケも同様の言葉によって世界史の中でのローマ史の位置づけを語っていることも挙げられている。 ランケ ランケはニーブールの『ローマ史』の方法論を近代史(彼から見て)の分野にも活かし、史料批判を通じて15・16世紀のヨーロッパ外交の構造から国家を個別的に把握する方法に考えついた。ランケは国家を一般化して考える啓蒙主義を批判して、国家を個別的に把握すべきと論じ、このような個別的歴史事実の相互関係から世界史を把握すべきことを提唱した。 近代歴史学の展開 ドロイゼン プロイセン学派の重鎮で19世紀後半のドイツ史学界に君臨した。元々は古代史を専門としており、彼の『ヘレニズムの歴史』によってヘレニズムという言葉の今日的な意味が定着したとされている。シュレスヴィヒ・ホルシュタイン問題など民族的な問題に強い関心を示した ランケの歴史研究はドイツにとどまらずヨーロッパ各国に衝撃を与えたが、ランケ以後の歴史学の性格はドイツとイギリス・フランスでは異なる方向へ進んだ。ドイツでは政治色の強いプロイセン学派?が台頭し、ランケの禁欲的な客観主義が批判されたが、イギリス・フランスではそれぞれ功利主義?や進化論?、実証主義?に影響されて、より科学的な方法論を追求する姿勢が現れた。 (詳細は近代の歴史学?を参照) プロイセン学派 ドイツでは、1830年代の後半にダールマン?が登場し、国民主義?や自由主義?の風潮が高まった現実政治の影響を濃厚に受けた歴史叙述を著した。続くドロイゼン?とジーベル?も政治色の強い歴史研究を展開し、彼らは現実政治との関連性が著しいプロイセン学派を形成した。ダールマンとドロイゼンはともにフランクフルト国民議会?に選出された議員で、ジーベルもプロイセン議会の議員であった。プロイセン学派は当時のドイツ国民の熱烈な支持を受け、またドイツ国内の領邦君主とも利害が一致し、ドイツ史学界で支配的な影響力を持った[1]。彼らは個性の重視という意味ではランケを継承していたが、歴史事実の客観的把握と全く逆の視点に立つ歴史研究であったため、今日の歴史学の観点からすると、その評価は概して低く考えられている。 [1]ドロイゼンは小ドイツ主義?を支持してプロイセン中心に民族的なドイツ統一が果たされるべきと主張した。ジーベルは神聖ローマ皇帝のイタリア政策についての論争(いわゆる「皇帝政策論争?」)の口火を切ったが、これも中世ドイツ皇帝権が普遍的であるか民族的であるかという主題の裏側に、小ドイツ主義と大ドイツ主義?のどちらが民族的統一としてふさわしいかという極めて政治的な背景があった。(文献18 pp.154-155) イギリスとフランス バックル 統計学的手法を用い、帰納主義的な科学主義歴史学を展開した この時代のイギリスやフランスで主流となった功利主義・進化論・実証主義の共通する特徴は、内的要因よりも外的要因を重視することであった。具体的には、歴史を人間精神の創造的性格とか人間行動の主体的選択の結果として捉えるのではなく、自然的・物質的環境の影響に人間精神やその行動が、したがって歴史が規定されていると考えるものであった。この実証主義に立つ歴史学者の代表はフランスのテーヌ?とイギリスのバックル?である。特にバックルは統計学?を用いて自然環境や社会状況が歴史に決定的な影響を与えることを実証しようとした[1]。 [1]この論争ではほぼ全ドイツの歴史家がランプレヒトと反対の立場を取り、またランプレヒトもあまりに歴史の法則性にこだわりすぎて、やや正当性に欠ける嫌いがあったので、結局はランプレヒトの不利なうちに決着したと考えられている。 「歴史の法則性」を巡って ドイツ国内でも、歴史学の客観性を巡って歴史過程における法則性を研究の中心に据えようとする主張が現れた。すなわちランプレヒト?は、文化や社会などの類型的把握が可能なものこそ歴史考察において重要なものなのであるという主張した。彼の主張は史料批判に決定的に依存する当時の歴史学の持つ欠陥を適切にとらえたものであり、かつ個性を重視するそれと対立するものであったから、たちまち全ドイツ規模での論争に発展した[1]。 [1]バックルに対しては、ドロイゼンが『歴史を科学の地位に高めること』を著し、倫理や個性の歴史形成における影響力を主張して反駁した。 「文化史」という視点 ブルクハルト 文化史の開拓者にして、すでに完成者としても十分な研究を残したブルクハルトだが、彼の生きた時代に対して独創的なその「文化史」は、直接的な後継者には恵まれず、独立的なものにとどまった 史料批判に依存する個別的な歴史事実の把握に飽きたらず、より広い視野から歴史を総合的に把握しようという動きは「文化史?」の主張という形で現れた。「文化史」は、主に美術史の研究の手法を取り入れ、時代相互の文芸や美術、思想の様式的変化を総合的に比較して、それらの時代ごとの文化的特質を明らかにしようという歴史研究である[1]。この文化史の初期の代表的学者はスイスのブルクハルト?であり、彼の初期の著作『コンスタンティヌス大帝の時代』[2]において、すでに完成した形で「文化史」のスタイルが確立されていた[3]。前述したランプレヒトも文化史を中心に歴史を構成しようとしていた。 ランプレヒトの立場を批判的に継承し、文化史において画期的な業績をあげたのはオランダのホイジンガ?である。彼の代表作『中世の秋』[4]は生活・思想・文化などの諸相から14・15世紀のネーデルラントを複合的・重層的に描いた労作で、従来陰湿で否定的に捉えられてきた西洋中世の文化に「遊び」の精神を見出すものであった。この観点を発展させて遊びの形態とその表現を本格的に研究したのが『ホモ・ルーデンス』[5]で、この著作の視野は歴史学分野に限られず、文化人類学と相互関係にあり、その構想力の豊かさは優れて今日的な価値がある。 [1]文化史の特徴としては従来の歴史研究が政治史を中心として縦断的に歴史事実を明らかにしようとしたのに対し、文化史は同時代のほかの事実および時代的な様式の特徴の関連性を重視して、横断的に歴史事実の背景を明らかにするものであったことが挙げられる。(文献25 pp.535-540) [2]原題 Die Zeit Constantins des Großen、1853年。 [3]今日的な視点で言うと、この著作はデータ的な面で時代遅れであるが、思想・社会・文化を一連の繋がりにおいて記述する、その歴史記述のスタイルは非常に意義深い。当時からこの著作はさまざまな欠陥を指摘されていたが、一時代を総合的に描いたその価値は一部で高く評価された。 [4]原題 Herfsttij der Middeleeuwene、1819年。 [5]原題 Homo ludens、1938年。 唯物論的歴史学 マルクス イギリス古典経済学、ドイツ観念論哲学、フランス実証主義などを批判的に総合して唯物論歴史学を打ち立てた。その歴史学は体系性に優れており、時代の要求に応えるものであった 一方で歴史の体系的把握への試みは、当時近代歴史学と全く対立的な立場にあった哲学からも提示された。ランケの打ち立てた近代歴史学を痛烈に批判したのはヘーゲル?で、『歴史哲学』[1]において理論的関心に乏しい近代歴史学の風潮を批判し、普遍と特殊の総合に向かう理性的法則として歴史を認識すべきと説いた。彼の哲学は客観的な裏付けに乏しく、歴史学的要求に応えることはできないが、ランケがまた彼の歴史哲学をつねに批判の対象としながら、それに変わる体系性を用意することができなかったのも事実であった[2]。 このヘーゲルの歴史哲学を批判的に継承したマルクス?は、ヘーゲルが重視した精神に代わり、生産様式に注目した体系的な歴史哲学を打ち立てた。ヘーゲルの歴史哲学が極めて思弁的・精神的だったのに対し、マルクスは実証主義の外的要因を重視する姿勢を継承して、生産様式が人間の精神活動をも規制すると述べて、物質性を重視する唯物論?歴史学を唱えた。彼は古典経済学?の理論を批判的に継承し、労働を重視したが、労働の疎外によって支配階級による収奪が行われるとして、独自の階級理論を設定した。この階級理論をもとに発展段階的に歴史理論を構築し、時代ごとの生産様式の性格からその時代の文化様式にいたるまでの性格把握が可能であるとし、さらには未来史として階級が消滅した来るべき共産社会を予言した。 このようなマルクス主義?歴史学は従来の歴史学になかった優れた体系性を持つとともに、その理論的な堅牢性が高く評価された。歴史の体系的な把握を可能にした唯物論歴史学の登場は非常に画期的な出来事であったが、同時にこの歴史学は当初からさまざまな批判にさらされ、その理論の検証が着実になされていた。 [1]原題 Gliederung und Zeitenfolge der Weltgeschichte、1830年。 [2]ヘーゲルは事実の客観的把握というものには曖昧性が含まれており、かつどのように凡庸な歴史家でも自らの主観に従って能動的に歴史事実を選択し、それを通じて歴史を眺めているということを的確に指摘している。(文献21 pp.50-51)しかし彼の歴史哲学はその創造的性格のゆえに科学的ではなかったのであり、この点バックルら実証主義の歴史学のランケ批判のほうが正当であるというべきである。(文献21 pp.60-62) 以降「史学史(三)」へ続く 出典 ※参照した文献は、その旨を記す際に煩雑さを避けるため、「文献」のあとに数字を示すこととする。具体的には「文献1」という場合は、下記のイブン・ハルドゥーンの『歴史序説(一)』を指すものとする。 (文献1)イブン・ハルドゥーン?著、森本公誠?訳 『歴史序説(一)』岩波文庫、2001年 (文献2)E・H・カー?著、清水幾太郎?訳 『歴史とは何か』岩波新書、1962年 (文献3)蔀勇造?著 『世界史リブレット57 歴史意識の芽生えと歴史記述の始まり』山川出版社、2004年 (文献4)田中美知太郎?著 『ロゴスとイデア』岩波書店、2003年 (文献5)トゥーキューディデース著、久保正彰?訳 『戦史 上』岩波文庫、1966年 (文献6)トゥーキューディデース著、久保正彰訳 『戦史 中』岩波文庫、1966年 (文献7)堀米庸三?著 『歴史をみる眼』NHKブックス、1964年 (文献8)村川堅太郎?編 『世界の名著5 ヘロドトス トゥキュディデス』中公バックス、1980年 (文献9)溝口雄三?ほか編 『中国思想文化辞典』東京大学出版会、2001年 (文献10)加藤常賢?監修 『中国思想史』東京大学出版会、1952年 (文献11)宮崎市定?著 『史記を語る』岩波文庫、1996年 (文献12)武田泰淳?著 『司馬遷 史記の世界』講談社文芸文庫、1997年 (文献13)貝塚茂樹?著 『史記 中国古代の人びと』岩波新書、1963年 (文献14)増田四郎?著 『大学でいかに学ぶか』講談社現代新書、1966年 (文献15)金谷治?著 『中国思想を考える』中公新書、1993年 (文献16)重澤俊郎?著 『周漢思想研究』大空社、1998年 (文献17)顧頡剛?著、平山武夫?訳 『ある歴史家の生い立ち 古史辨自序』岩波文庫、1987年 (文献18)中村治一?著 『史学概論』学陽書房、1974年 (文献19)福田歓一?著 『政治学史』東京大学出版会、1985年 (文献20)カッシーラー?著、中野好之?訳 『啓蒙主義の哲学 下』ちくま学芸文庫、2003年 (文献21)林健太郎?著 『史学概論(新版)』有斐閣、1970年 (文献22)林健太郎編 『世界の名著65 マイネッケ』中央バックス、1980年 (文献23)弓削尚子?著 『世界史リブレット88 啓蒙の世紀と文明観』山川出版社、2004年 (文献24)太田秀道?著『史学概論』学生社、1965年 (文献25)ブルクハルト?著、新井靖一?訳 『コンスタンティヌス大帝の時代』筑摩書房、2003年 (文献26)ハンナ・アレント?著、志水速雄?訳 『人間の条件』ちくま学芸文庫、1994年 (文献27)アンリ・ピレンヌ?著、中村宏?ほか訳 『ヨーロッパ世界の誕生 マホメットとシャルルマーニュ』創文社、1960年 使用条件など この記事はGFDL文書です。このページに掲載されている画像はウィキコモンズに公開されているものを使用しています。 -
https://w.atwiki.jp/hmiku/pages/44021.html
SPECIESざいらいしゅのおわり【登録タグ S VOCALOID やながみゆき 初音ミク 曲】 作詞:やながみゆき 作曲:やながみゆき 編曲:やながみゆき 唄:初音ミク 歌詞 成功者気取り 権威好き過ぎ 数字欲しさに詰めの甘い正義の安売り 射爆了毎日 キーボード戦士~ず ファイティン 勇敢なSNS中毒者の吹き溜まり 羨望が第一 先生ありがたいスピーチ プペったオンラインサロン以下の自分語り お前が正しい お前が正しい お前が正しい お前が正しいね で お前は何 なんか アーティストらしい 冷笑とチクツイ活動メインのボカロP 論じたいお年 知らないDJイキり記事 TVショーと良い勝負の崇高な人たち ラップ乗せ芸人 啓蒙専用ストーリーまじ? ゼロ年代JPOPラップの詞みたいな韻 自称マイノリティ hyperぶって良い育ち 新世代がどうとかよりお前自身の意思 所詮人間と歌って去ったスター 爆発オチ 当然はじまりがあったら終わりがあるらしい 不完全なことも忘れた名誉人間たち 合成音声が取って食っちまうぞってお話 在来種の終わり 在来種の死 在来種の死 在来種の死 "冗談です。おわり" コメント 神曲 -- 外来種 (2021-05-22 23 35 04) たまんねぇ -- 破滅スピーカー (2021-08-25 23 20 24) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/chemist/pages/766.html
#blognavi みんな、俺のやることなすことに狂ってるとか言う みんな、俺を破滅から救うためにアドバイスをくれる 俺が「大丈夫だ」と言うと、みんなは奇妙なものでも見るように 「もうお前はゲームから降りちまったんだ、幸せなわけないだろ?」 みんな、夢見て過ごす俺のことを怠け者だと言う みんな、俺を啓蒙するようなアドバイスをくれる 俺が「ここでこうして、壁に映った影を見るのもいいもんだ」と言うと 「あの時が懐かしくないのか?もう才能さえないのか?」と聞いてくる 俺はただここに座って、車輪が回るのを見つめるだけ 回るものを見るのが大好きなのさ もうメリゴーランドからは降りた 後は勝手に回ってくれ みんな困り果てて、俺に尋ねてくる 俺は答えるのさ、「問題なんて無い、あるのは解決だけさ」と するとみんなは首を傾げて、俺がまるで狂ってしまったんではないかという感じで見てくる 「急ぐ必要なんてない、 俺はここに座って時を過ごすだけ」 俺はただここに座って、車輪が回るのを見つめるだけ 回るものを見るのが大好きなのさ もうメリゴーランドからは降りた 後は勝手に回ってくれ カテゴリ [John lennon] - trackback- 2009年07月25日 23 43 40 名前 コメント #blognavi
https://w.atwiki.jp/ideology-database/pages/103.html
The New Order 社会急進主義 アイコン編集 英名 Social Radicalism 別名 登場作品 The New Order 上位イデオロギー 進歩主義 主要なイデオローグ マルクス主義とそれが生み出したイデオロギーを完全に否定するリベラルもいれば、より合理的な点に共通点を見出すリベラルもいる。結局のところ、平等とは急進派と社会主義者の双方に共通する価値観であり、真の平等の実現のためにはまだ多くの地盤固めが必要なのだ。主流派の急進主義は、原則的にすべての社会主義者と社会主義思想を全面的に否定するが、社会急進主義はそれらとの共通点を見出し、共通の目標に到達するために歴史的対立を脇に置くのである。 社会急進主義者は、平等の確立、欠乏の解消、そしてその二つの目標を助けるための社会制度の高度化を何よりも目指す。どのような形であれ、不平等を解消するために必要な妥協は厭わない。右派からは夢想家、世間知らずと呼ばれる。左派からは、創造力がない、野心がない、大義に対して真の献身をしていない、などと言われる。 政治的スペクトルの両端から受ける軽蔑にも関わらず、社会急進主義は、啓蒙主義が始めた仕事を終わらせるために独自の道を歩み続けているのである。 (TNO日本語化Modより引用)
https://w.atwiki.jp/nanaitatrpg/pages/25.html
名前:長志 恋也(おさ・れんや) 誕生日:8月7日 年齢:17歳 性別:男 所属:元剣道部 髪の毛の色、長さ:亜麻色・セミロングのオールバック 容姿の特徴・風貌:細身で背が高い、性的、年齢+20歳くらいに見える伊達男 性格:気取り屋 好きなもの:漫画の『BLEACH』・シガレット系のお菓子 嫌いなもの:自分への暴力 特技:想像力豊か 趣味:詩を考える事 自分の恋愛観:――躊躇わず 悔やまず 振り返らず それが愛なのか いいや違う それは愛を知らぬ愚か者共の戯言だ 兎のように臆病に 蛇のように執着して 鷹のように気高く自分を顧みてこそ 愛は育めるのだ 人生のモットー:――信念はいらない 信条も 信仰も 主義主張も必要ない それらはどれも人生を縛る鎖であり 未来を閉ざす鍵に過ぎないのだから 人生を駆け抜けるにはただ 現在進行形の決意だけがあればいい 簡単なキャラ解説: 漫画『BLEACH』のコミックス巻頭とかにあるオシャレな文章に多分な影響を受けている 元々のナルシスト気質と相まって色々と取り返しがつかない感じになっている 驚くほどに貧弱。芸術の啓蒙活動とかなんとかでN2DM部を離れ色んな部活を転々としていたが、 どこも追い出されて結局N2DM部に帰って来た
https://w.atwiki.jp/fezclassic/pages/19.html
かんりにんのじゆうちょうです かんりにんのこうそう とか どうでもいいはなし とかを せいぶんか するまえに ここでかいたりします 『戦争』と『戦闘』 ボランティア扱いとして裏方を増やす手は最後の手段。 裏方厨をかき集めて、人数自体を増やすのが事前かつ次善の手段。 既存歩兵層を啓蒙して裏方に協力してもらうのが理想かつ非現実的な手段。 「勝利」を目的とする、と明言するのも手。「模擬」「訓練」だとどうしても「勝利」が二の次。 過疎時間の部構想 過疎時間は通常の戦争すら人数不足であるために、訓練で人を集めるのは困難。 特定のサーバーで行わざるを得ないだろう。A鯖か、母数自体が多いF鯖になるだろうか。 まず間違いなく鯖を限定すべき。 オフィ貸し出し構想 エンチャしちゃった!とか、大剣しかもってねぇよ!とかいう人への貸し出し用。 一応1本持ってれば足りそう。 別鯖出張参加 キャラ作って出張別鯖プレイなんてのもいいんじゃなーい? 装備協力部つくってもいいんじゃなーい? wikiにネタページは必要か (´・ω・`)どうしても内容が薄い。ルール説明を第一の目的としてるから当然ではある ネタページ作っていい?え、だめ?
https://w.atwiki.jp/utauuuta/pages/4281.html
むてんすぺくとらむ【登録タグ む りぼっと 曲 重音テト】 作詞:りぼっと 作曲:りぼっと 編曲:りぼっと 唄:重音テト 曲紹介 口同雲工です。 日向電工さんごめんなさいシリーズのひとつ。 歌詞 (動画より書き起こし) 安穏に裏打ちされてたこの世から 見事足元が崩れ歩けない 当たり前の地底などもう過去だな かすかに漂うジベタの面影追いかけて 始まりの合図を待て奇跡の文字 信託の紙を破れ我らは行く 最高神降ってくる 頭隠せ 過不足のないこの決議 理解を得る 変わる世界見つめて 飽きたら眠れ その夢の真ん中で 全て悟る 混沌な事象を抱えて走り出す 輝く者は急いで救い出せ 故にゆらゆら揺れてる思考なら そこから過ちがあると問い直すべきだ 賽の目の臓器を捨て 神の創る 器へと湯気のように 僕らは舞う あるまじき法則で神を抑え 叫んだとて聞こえない 真空の間 汚れた空引っ掻いて この世を探れ 置いて行けと念を押し 葬るのさ 啓蒙主義引き連れた 疑問起こせ 全てが全てでなくて 視界閉じる まだ言うべき事がある 聞く耳を持て ここまで来たその覚悟 褒め称えよ 強制力 身に着けた 官吏よこせ これが多分最後だろ 儀典の世界 もしも希望叶うなら もう一度だけ ジベタ教の正典を 拝みたいのさ コメント 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/narikiriitatrpg/pages/591.html
名前:長志 恋也(おさ・れんや) 誕生日:8月7日 年齢:17歳 性別:男 所属:元剣道部 髪の毛の色、長さ:亜麻色・セミロングのオールバック 容姿の特徴・風貌:細身で背が高い、性的、年齢+20歳くらいに見える伊達男 性格:気取り屋 好きなもの:漫画の『BLEACH』・シガレット系のお菓子 嫌いなもの:自分への暴力 特技:想像力豊か 趣味:詩を考える事 自分の恋愛観:――躊躇わず 悔やまず 振り返らず それが愛なのか いいや違う それは愛を知らぬ愚か者共の戯言だ 兎のように臆病に 蛇のように執着して 鷹のように気高く自分を顧みてこそ 愛は育めるのだ 人生のモットー:――信念はいらない 信条も 信仰も 主義主張も必要ない それらはどれも人生を縛る鎖であり 未来を閉ざす鍵に過ぎないのだから 人生を駆け抜けるにはただ 現在進行形の決意だけがあればいい 簡単なキャラ解説: 漫画『BLEACH』のコミックス巻頭とかにあるオシャレな文章に多分な影響を受けている 元々のナルシスト気質と相まって色々と取り返しがつかない感じになっている 驚くほどに貧弱。芸術の啓蒙活動とかなんとかでN2DM部を離れ色んな部活を転々としていたが、 どこも追い出されて結局N2DM部に帰って来た
https://w.atwiki.jp/chaina_battle/pages/637.html
選挙粛正運動(せんきょしゅくせいうんどう)とは、1930年代の日本において、普通選挙法制定後に公正明大な選挙の実施を目指して行われた選挙浄化運動の事である。だが、後に変質させられて国家による選挙干渉の手段として用いられて後に翼賛選挙のモデルとされた。 第2次護憲運動の結果、普通選挙法が制定されて政党内閣が慣例化した。だが、その一方で選挙にまつわる買収や贈収賄などの問題も浮上してきた。これを憂慮した後藤新平らによって国民の選挙への関心を高めて啓蒙する事によって選挙にまつわる腐敗を防止しようとした。これが、「選挙粛正(あるいは選挙革正)」と呼ばれるようになる。これを受けて浜口内閣では選挙革正審議会が打ち立てられるが、五・一五事件によって政党内閣は終焉を迎えた。 政党内閣が終わり、中間内閣の時代となると、これに目を付けたのがいわゆる「革新官僚」であった。彼らは政党政治以前にもこうした腐敗があったにも関わらず、政党こそが腐敗の根源であり政党を解体して国策の推進に資する人物を選挙で選出するように国民を指導・啓蒙する必要性があると考えた。これは後藤(1929年に死去)の理念とは根本的に相反するものであったが、政界浄化を求める国民世論に乗じてこれを推進した。 斎藤内閣によって選挙法制の改正が行われて選挙違反などへの厳罰化が行われ、続いて岡田内閣の1935年には道府県知事を会長とする選挙粛正委員会を設置した。更に斎藤実前首相を会長に押し立てて各種民間団体を糾合して選挙粛正中央連盟を組織した。こうした一連の動きの影には当時の革新官僚に絶大な支持があった後藤文夫内務大臣と内務省の働きかけが大きかった。彼らは選挙粛正を名目に政党の弱体化を企図していたのである。 こうした中で行われたこの年の地方選挙と翌1936年の第19回衆議院議員総選挙において、選挙の弊害防止、買収・供応の根絶、棄権防止などの標語が掲げられて啓発活動が行われる一方で、青年団・在郷軍人会・婦人会・町内会などの各種団体を通じた動員が行われ、子供達までが参加させられた。これによって当時の一大風潮として国体明徴運動とともに国威発揚の手段として盛んに行われた。だが、その裏では、政党候補者に瑣末な問題が起きると直ちに摘発が行われて行ったため、一般国民に選挙や政党に関与する事に対する恐怖感や嫌悪感が生み出された事により、都市部を中心に確実に投票率が低下していった(第18回衆議院議員総選挙(1932年・81.7%)→第19回衆議院議員総選挙(1936年・78.8%)→第20回衆議院議員総選挙(1937年・73.3%))。 これに伴って、政治家に選挙違反の疑いをかけられて警察や粛正委員会・協賛団体などに目を付けられる事を恐れて国策への批判を控えるようになり、国民も国家・軍部の方針に従って動員される事で身の安全を保とうとする「事なかれ主義」が蔓延するようになった。また、官僚側からも後の国家総動員法などの戦時体制動員への良い先例を作る事に成功した。 この運動は1942年に翼賛選挙推進のための翼賛選挙貫徹運動へと発展的解消を遂げた。 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年11月11日 (火) 14 59。
https://w.atwiki.jp/tanetyu/pages/23.html
新シャアに巣食う癌細胞「種厨」にありがちな事55 にて 641 名前:通常の名無しさんの3倍[sage] 投稿日:2009/03/17(火) 22 57 42 ID ??? 暇だから大失敗スレのカスどもに00の素晴らしさを啓蒙してくるわ 643 名前:通常の名無しさんの3倍[sage] 投稿日:2009/03/17(火) 23 01 28 ID ??? 凸宣言してやがる、どうしょうもねぇなこいつら 641 :通常の名無しさんの3倍:2009/03/17(火) 22 57 42 ID ??? 暇だから大失敗スレのカスどもに00の素晴らしさを啓蒙してくるわ 644 名前:通常の名無しさんの3倍[sage] 投稿日:2009/03/17(火) 23 04 20 ID ??? すまん誤爆った 模型板編 123 名前:HG名無しさん[sage] 投稿日:2008/07/01(火) 20 06 41 ID K18GI+Q6 122 同意 種アンチはおかしい 124 名前:HG名無しさん[sage] 投稿日:2008/07/01(火) 20 07 07 ID K18GI+Q6 122 俺もそう思う OOなんか買うのは種アンチくらい そりゃ95%引きにもなるよw 126 名前:HG名無しさん[sage] 投稿日:2008/07/01(火) 20 09 50 ID K18GI+Q6 125 雷(笑) ならサンダーガンダムでいいじゃんwwwwww 128 名前:HG名無しさん[sage] 投稿日:2008/07/01(火) 20 14 38 ID K18GI+Q6 エクレア(笑) 129 名前:HG名無しさん[sage] 投稿日:2008/07/01(火) 20 15 07 ID K18GI+Q6 122 禿同 OOの責任者は原切るべき 130 名前:HG名無しさん[sage] 投稿日:2008/07/01(火) 20 15 35 ID K18GI+Q6 なんだよこの赤いの 134 名前:HG名無しさん[sage] 投稿日:2008/07/01(火) 20 25 49 ID K18GI+Q6 せっかく専ブラっての入れたのに 何の約にもたたねえどころか 赤くなるじゃねーか 新シャアに巣食う癌細胞「種厨」にありがちな事59にて 122 名前:通常の名無しさんの3倍[sage] 投稿日:2009/04/02(木) 19 21 23 ID ??? 112 とりあえず今一番2ちゃんのアニオタに迷惑掛けてるのはオリコンのデータ転載しまくった売上厨 昨日アニメ板の00本スレで暴れまくった種厨はその中の一人 123 名前:通常の名無しさんの3倍[sage] 投稿日:2009/04/02(木) 19 22 39 ID ??? 122 どうせお前等種アンチの自作自演だろ 俺にはIP見えるからわかるんだよ 134 名前:通常の名無しさんの3倍[] 投稿日:2009/04/02(木) 19 27 02 ID klE+E8q/ 123 じゃあ俺のIP当ててみてくれよ。 136 名前:通常の名無しさんの3倍[sage] 投稿日:2009/04/02(木) 19 27 34 ID ??? 134 klE+E8q/に決まってるだろ 種アンチには見えないだろうけどなw 141 名前:通常の名無しさんの3倍[] 投稿日:2009/04/02(木) 19 29 11 ID vvWscMmH 136 ……IPってどんなもんか知ってる? 149 名前:通常の名無しさんの3倍[sage] 投稿日:2009/04/02(木) 19 31 19 ID ??? IPが丸見えの種アンチどもが踊ってるな。 まあこれ以上お前等の自演を突きつけても発狂するだけだしな。 最早運営側までアンチよりと発言する気違い種厨 233 通常の名無しさんの3倍 sage 2009/04/23(木) 12 03 12 ID ??? 231 運営側も多少アンチよりだし聞く耳もたないんだよね