約 258,105 件
https://w.atwiki.jp/monosepia/pages/7788.html
世界遺産 / 日韓関係 +クチコミ検索〔明治日本の産業革命遺産〕 #bf +ブログサーチ〔明治日本の産業革命遺産〕 #blogsearch +ニュースサーチ〔明治日本の産業革命遺産〕 “日本初”の設備も…当時の「軍艦島」がこんなに“先進的な暮らし”をしていたって知っていますか?(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース マリオットホテルが2023年秋に長崎市に開業| - @DIME MBCニュース | 鹿児島市・異人館で機織り体験イベント - 南日本放送 藤井聡太竜王を祝う会@鹿児島・指宿 現地リポート - 読売新聞 長崎、海の街で 「軍艦少年」10日全国公開 まっすぐな心、親子の絆 アクションシーンに迫力 坂本海星役・佐藤寛太 - 毎日新聞 街とキャラ相乗効果?出川哲朗さんに萩市長賞 山口の写真コンテスト - 毎日新聞 - 毎日新聞 軍艦島30号棟「余命半年程度」 国内最古の鉄筋アパート 東大大学院、野口教授が予測(長崎新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 「佐渡島の金山」の世界遺産登録推進 韓国政府「動向を注視」(聯合ニュース) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 窓の明かりで「450」 三菱長崎造船所本館ビル 開港450年を記念(長崎新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース [特派員コラム]ユネスコの警告と軍艦島(ハンギョレ新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 旧グラバー住宅の展示一新 きょうから一般公開 資料を基に寝室も再現(長崎新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 夜の宮原坑跡、熱気球で見学 150人が空中散歩楽しむ 大牟田・旧三池炭鉱 /福岡 - 毎日新聞 大牟田市「光の航路」世界遺産の三池港から見えるこの時期だけの絶景!美しい夕日 - 久留米ファン 姉妹都市輪島市 市長ら萩市訪問 /山口 - 毎日新聞 公立学校でドメインを統一。県の旗振りに自治体が呼応した「オール鹿児島」小中高の教育基盤 - Microsoft 明治期の「産業革命」、ニッチを突いた戦略性の勝利だった 【連載】ビジネスに効く! 世界史最前線(第79回)(1/6) - JBpress 世界遺産「韮山反射炉」が復活、1857年完成当時のレンガ残す - 読売新聞 韓国に二度煮え湯を飲まされた岸田首相が韓国に対してすべきこと 慰安婦問題終結のための「河野談話」が悪用された歴史は繰り返す(1/4) - JBpress 「鉄の都のものがたり」開幕 北九州、釜石両市の資料展示 市立いのちのたび博物館 /福岡 - 毎日新聞 今日は何の日:10月4日(nippon.com) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース <博愛の里から>佐野常民と三重津海軍所跡の歴史館 - 佐賀新聞LiVE ユネスコ世界遺産委決議受け明治産業遺産の展示変更を要請 強制労働や軍事目的の明確化を(週刊金曜日) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 長崎・端島(軍艦島) 島の姿、延命の道 - 毎日新聞 軍艦島は世界文化遺跡になったのに、慰安婦記録物は?(WoW!Korea) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 長崎大学の土木学者が軍艦島3次元映像を更新 老朽化進む姿も - 長崎経済新聞 世界文化遺産・縄文遺跡群(上)増加する観光客 現地ガイド育成急務|秋田魁新報電子版 - 秋田魁新報 (社説)産業革命遺産 約束守り、展示改めよ:朝日新聞デジタル - 朝日新聞デジタル 3つの世界遺産がある鹿児島 奄美・屋久島・明治日本の産業革命遺産 観光業界、周遊活発化に期待高まる - 47NEWS 外務省「誠実に履行している」 軍艦島「遺憾」決議に - 産経ニュース 軍艦島 説明不十分「強い遺憾」決議採択|日テレNEWS24 - 日テレNEWS24 ユネスコ「軍艦島」決議案「これから議論」 加藤官房長官 - 産経ニュース 強制動員被害者の証言映像公開 ソウルの植民地歴史博物館で展示会 - 聯合ニュース 韓国、防衛白書の竹島記述で抗議 ユネスコ決議案を評価 - 時事通信ニュース 三重津海軍所跡が「ふね遺産」に認定されました! - PR TIMES 炭鉱施設、往時の面影残す 福岡県大牟田市の近代化産業遺産 - 日本経済新聞 「悲劇の世界遺産」書評 近代社会の矛盾に対峙する場所|好書好日 - 好書好日 世界遺産、実は〝影〟こそ見どころ 広がるダークツーリズムの視点から - 産経ニュース 佐渡金銀山 「金に焦点」評価 元ユネスコ事務局長松浦さんに聞く - 新潟日報 世界遺産「旧鹿児島紡績所技師館」 展望スペースが完成 鹿児島 /鹿児島 - 毎日新聞 【久保田るり子の朝鮮半島ウォッチ】産業遺産情報センターは韓国の「反日」と闘う情報基地 「軍艦島は地獄島ではない」 - 産経ニュース 三内丸山、世界遺産へ 北海道・北東北の縄文遺跡群、登録勧告 - 河北新報オンライン 旅猫ニャン吉が大牟田の世界遺産を動画で紹介 三池炭鉱専用鉄道敷跡などを巡る3編 - 福岡ふかぼりメディア ささっとー 石炭を掘るためだけに存在した軍艦島が語る未来 - JBpress 明治日本の産業革命遺産と朝鮮人強制労働/高麗博物館で講演 | 朝鮮新報 - 朝鮮新報 【科学この日なんの日】120年前の今日、官営八幡製鉄所が操業を開始しました(ブルーバックス編集部) - 現代ビジネス 明治産業遺産に対する日本の約束無視 韓国政府がSNSなどで広報 - 聯合ニュース 世界遺産「軍艦島」の劣化が加速…近代化を物語る遺構 後世に残すための道筋は - www.fnn.jp 軍艦島の魅力度「100%」 オンラインでPR お笑い芸人・アキラ100% - 47NEWS 300名に聞いた、「行ってみたい日本の世界遺産ランキング」の1位は? - マイナビニュース 「社会史・労働史」が欠落している産業遺産情報センター展示 | 週刊金曜日オンライン - 週刊金曜日 日本人労働者の血と汗、そして産業遺産を考える | オアシスのとんぼ | 澤田克己 - 毎日新聞 強制労働否定する日本政府を国際社会が批判 ソウルで討論会 - 聯合ニュース なぜ「残念」? 産業遺産情報センターに行ってみた | オアシスのとんぼ | 澤田克己 - 毎日新聞 軍艦島センター長が熱弁「韓国メディアの圧力に反論する」 - NEWSポストセブン 韓国が主張する「軍艦島の世界遺産取り消し」日韓対立がこじれたワケ - 現代ビジネス 韓国・文政権が軍艦島の世界遺産登録取り消しを求める「真の狙い」 - ダイヤモンド・オンライン 明治産業遺産 「世界文化遺産としての意味喪失」=韓国担当閣僚 - 聯合ニュース 韓国、世界遺産取り消し検討要請 軍艦島展示でユネスコに書簡 - 産経ニュース 韓国、軍艦島展示で世界遺産取り消し要求 ユネスコに(写真=共同) - 日本経済新聞 軍艦島とは?韓国が世界文化遺産の登録取り消しを求め、再び注目浴びる。ある「展示」も議論に - ハフポスト日本版 韓国が「明治日本の産業革命遺産」取り消し求める書簡を送付へ - 産経ニュース 【歴史戦】「産業遺産情報センター」一般公開 韓国の主張に反論 - 産経ニュース 政府の産業遺産情報センター 軍艦島元島民の証言紹介 15日から一般公開 - SankeiBiz 【外交安保取材】事なかれ外交の脱却を 徴用工の展示めぐり韓国側反発 - 産経ニュース 「明治産業遺産は歴史歪曲」 韓国市民団体が周知活動へ - 聯合ニュース 政府、31日に「産業遺産情報センター」設置 徴用工、差別なし説明 - 産経ニュース 明治日本の産業革命支えた鉱山鉄道、なんとか後世に残せないか - NEWSポストセブン [特派員コラム]「明治産業遺産」の陰 - hani.co.kr 明治日本の産業革命 - Nippon.com 【単刀直言】徴用工資料収集、待遇差なかった 加藤康子元内閣官房参与 - 産経ニュース 福岡県、夏休み期間に「明治日本の産業革命遺産」を巡るスタンプラリー実施。達成者に福岡県産品のカタログギフトなどプレゼント - トラベル Watch 明治日本の産業革命遺産に関するトピックス:朝日新聞デジタル - 朝日新聞デジタル 明治150年 日本の近代化支えた産業革命遺産 100歳超、いまだ現役で活躍 - 産経ニュース 軍艦島など産業革命遺産紹介の「情報センター」を再来年にも設置 東京都内に - 産経ニュース 早くも陰り…九州「産業革命遺産」の課題山積 - 東洋経済オンライン 日本の世界遺産登録問題で「勝負」に出た韓国政府の戦略を読む - nippon.com この夏「世界遺産の達人」になる!国内19件の見どころ早わかりガイド(上) - ダイヤモンド・オンライン 祝!世界遺産登録 JTBサン&サン「明治日本の産業革命遺産への行き方」 - PR TIMES 「明治日本の産業革命遺産」 世界遺産登録の意義と今後の課題 - nippon.com 「明治日本の産業革命遺産」目からうろこの四季報ツアー | 会社四季報オンライン - 会社四季報オンライン 「明治日本の産業革命遺産」山口県“萩の産業化初期の時代の遺産群”世界遺産登録決定!! - PR TIMES 「明治日本の産業革命遺産」、世界遺産に正式決定 - rbbtoday.com 「明治日本の産業革命遺産」のストリートビュー公開、松下村塾の屋根裏部屋までも - INTERNET Watch 三重津海軍所跡(佐賀県)を含む8県23資産 「明治日本の産業革命遺産」世界遺産に正式決定 | 佐賀県庁 - デジタルPRプラットフォーム 世界遺産になった「明治日本の産業革命遺産」、携帯各社のLTEも - ケータイ Watch 軍艦島ほか「明治日本の産業革命遺産」各地でKDDIの4G LTEが利用可能に - - ITmedia 「明治の産業革命」、世界遺産に登録決定 国内19件目(写真=共同) - 日本経済新聞 祝・世界遺産! 国内19番目の「明治日本の産業革命遺産」全23資産を一挙紹介 - マイナビニュース 軍艦島など、世界遺産に決定 「明治日本の産業革命遺産」めぐる日韓対立が終結 - ハフィントンポスト 韓国 世界遺産登録阻止外交 に理はあるか - 東洋経済オンライン 世界遺産登録へユネスコが勧告!九州・山口「明治日本の産業革命」|ニュースイッチ by 日刊工業新聞社 - 株式会社日刊工業新聞社 世界遺産の勧告を受けた「明治日本の産業革命遺産」の魅力・価値とは? - マイナビニュース 「明治日本の産業革命」に貢献した長崎のトーマス・グラバー - Nippon.com 「明治日本の産業革命遺産」世界遺産への登録を勧告 軍艦島や官営八幡製鐵所など23の資産で構成 - - ねとらぼ 世界遺産登録へ!「明治日本の産業革命遺産」(萩市編)大河ドラマもニンマリ?|ニュースイッチ by 日刊工業新聞社 - 株式会社日刊工業新聞社 明治期の産業施設、世界遺産登録へ 韓国は「強制労働」を理由に猛反対 - J-CASTニュース 近代日本の礎、世界遺産へ!明治日本の産業革命遺産 - テレビ朝日 軍艦島・八幡製鉄所などを世界遺産に推薦 - ハフィントンポスト 吉田外務報道官会見記録|外務省 - Ministry of Foreign Affairs of Japan 茂木外務大臣会見記録|外務省 - Ministry of Foreign Affairs of Japan ● 九州・山口の近代化産業遺産群〔Wikipedia〕 ■ 平和の灯を!ヤスクニの闇へキャンドル行動・韓国人が明治維新と靖国神社を冒涜する違法な政治活動 「正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現(2017.8.13)」より / <>平和の灯を!ヤスクニの闇へ 2017キャンドル行動 <>「東アジアの視点から『明治維新150年』とヤスクニを問い直す」 毎年8月15日前の週末の夜に韓国人や朝鮮人や反日糞左翼によって行われる【平和の灯を!ヤスクニの闇へ キャンドル行動】が今年も行われてしまった。 今年は、明治維新と靖国神社を冒涜する集会とキャンドルデモが行われた。 「軍艦島」など「明治日本の産業革命遺産」が世界遺産に登録されて以来、韓国では日本の明治維新を悪い事とするための歴史偽造・歴史捏造が続々と行われている。 / 平成27年(2015年)6月21日の日韓外相会談でお互いに遺産登録に協力し合うことで一致したが、登録直前の同年7月4日に一転、韓国が裏切って反対した! ↓ ↓ ↓ 最悪! 日本政府が、世界の公式の場において「朝鮮人の強制連行や強制労働」(英語で「against their will」や「forced to work」などを使用)を認めて「明治日本の産業革命遺産」が世界遺産に登録決定! / 佐藤地ユネスコ大使「1940年代に一部の施設で大勢の朝鮮半島の人々などが意に反して厳しい環境下で労働を強いられた」、「この犠牲者のことを忘れないようにする情報センターの設置など、適切な措置を取る用意がある」 最悪! / 岸田文雄外相「誠に喜ばしい」 最悪! / 安倍晋三首相「心からうれしく思う」 最悪! / 石破茂地方創生担当相「大変喜ばしく思う」 最悪! 日本政府が「朝鮮人の強制連行や強制労働」を認めて「軍艦島」など「明治日本の産業革命遺産」が世界遺産に登録された! 最悪! 岸田文雄は「『forced to work』との表現等は、『強制労働』を意味するものではない」などと言って売国行為を誤魔化しそうとしたが、諸外国にも日本国民にも全く通用しなかった。 東京大学大学院教授のロバート・ゲラー(アメリカ人)も、ツイッターで「本件の場合forced to workは強制労働の意味であることが明らかだ。外務省は英語を勉強しろ」と日本政府・外務省を非難した。 / 当然のことながら、韓国メディアは「大勝利一色」となった。 ▼海外の報道(海外の認識)▼ ●英紙ガーディアン http //www.theguardian.com/world/2015/jul/06/japan-sites-get-world-heritage-status-after-forced-labour-acknowledgement Japan sites get world heritage status after forced labour acknowledgement 日本の遺産は、強制労働の事実を認めた後に世界遺産登録を獲得! ●英紙テレグラフ blaqnklink Japan slave labour sites receive world heritage status 日本の奴隷労働者の跡地が世界遺産に登録される! ●米CNN http //ireport.cnn.com/docs/DOC-1244907 Scenes of the atrocities of war crimes - Japan s bid for industrial sites as World Heritage 戦争犯罪である残虐行為が行われた現場!産業遺産を世界遺産とするための日本の入札(推薦遺産) ●米ABC http //abcnews.go.com/International/wireStory/san-antonio-missions-receive-world-heritage-status-32230481 The unanimous vote in favor of Japan s bid was approved only after Tokyo and Seoul resolved a spat over whether to acknowledge the sites history of wartime forced labor, particularly that of Gunkanjima, or Battleship Island. 日本の推薦遺産は、それらの遺産、特に軍艦島での戦時強制労働者(forced labor)の歴史を日本が認めることで日韓が合意の後に、全会一致で承認された。 ●米誌フォーブス http //www.forbes.com/sites/donaldkirk/2015/07/06/japan-agrees-with-korea-on-world-heritage-sites-admitting-forced-labor-an-omen-for-future/ 日本と韓国が合意!日本はユネスコ世界遺産で朝鮮人強制労働を悔い改める! Japan, Korea Breakthrough Japanese Repenting Forced Korean Labor On UNESCO Heritage Sites 日本と韓国が合意!日本はユネスコ世界遺産で朝鮮人強制労働を悔い改める! ●米紙ワシントンポスト http //www.washingtonpost.com/world/europe/san-antonio-missions-receive-world-heritage-status-from-un/2015/07/05/6b968a8a-230c-11e5-b621-b55e495e9b78_story.html Tokyo and Seoul resolved a spat over whether to acknowledge the sites’ history of wartime forced labor, particularly that of Gunkanjima, or Battleship Island. 日本の産業遺産、特に軍艦島における戦時の強制労働の歴史を認めることでとで日韓が合意! (※mono....以下略、詳細はブログ記事で) ■ 売国奴 佐藤地と、無能岸田文雄を許すな!! 【拡散希望】 「BBの覚醒記録(2015.7.10)」より (※mono.--前後略、詳細はブログ記事で) / でも、海外ではいっせいに「劣悪な環境で、労働を強制した」と報道されてししまった後。 それに徴用工をVICIM犠牲者と言ってしまってるの、どうするの。 軍艦島の朝鮮人は、皆ほぼ応募した連中ですよ、徴用ですらなく。 調べました? 朝鮮人への徴用じたいが、1944年からわずか7ヶ月間です。 軍艦島に朝鮮人徴用工はほぼいません。 国際法にひっかからないといっても、forced to workという実態じたいが皆無だったのに佐藤大使も岸田外相も、取り返しのつかないこと言っちゃったんです。 佐藤さんは英語力貧弱、知識も無く、それ以前に相変わらずの外務省の自虐史観の酷さ!! まずそこから反省を。 根本から反省を。 そして、佐藤さんと岸田さん、会見してください。 経緯の説明と国民への謝罪を。 そして、両者罷免。 当然です。 直接のセクションに電話回さなかったり、出なかったり、 国民を舐めるな、愚弄するな!! 電話しても名乗りもせず。 最低外務省。 佐藤地、出て来い!! 国民に事情説明と謝罪せよ!! ーーーーーーーーーー ★■ 世界遺産「韓国の裏切り」報道は大嘘! 難癖をつけたのは日本政府と安倍首相だった 「LITERA(2015.7.8)」より / 日本が推薦した「明治日本の産業革命遺産」が、世界遺産に登録されることが5日の世界遺産会議で決定した。 本サイトでは、その直後、「明治日本の産業革命遺産」世界遺産推薦が、実は安倍首相の閨閥がからんだ政治的ゴリ押しだったことを指摘したが、テレビなどではほとんど報道されず、その代わりにもちきりだったのは、「韓国の裏切り」問題だ。 この「裏切り」というのは、4日の審議で、韓国側が日本の候補である「明治日本の産業革命遺産」で「朝鮮人の強制労働があった」とする主張をしようとしたため、審議がもち越しになったというもの。日韓外相会談では両国が登録に向けて協力することで合意しており、日本は韓国の候補である百済歴史遺産に賛成した、なのに、韓国が手のひら返しで裏切って難癖をつけてきた、とメディアが一斉に報道したのだ。 5日夜に、韓国含め全会一致で「明治の産業遺産」の登録が決まってからも、この問題一色だった。世界遺産決定を報じるニュースやワイドショーも、決定の喜びより、「後味の悪さ」を強調、なかでも「韓国が土壇場で裏切った」経緯の解説に時間をかけられ、韓国のロビー活動の様子などを執拗に報じていた。 5日夜、5日夜、速報で登録決定を報じた『Mr.サンデー』(フジテレビ系)で宮根誠司は「韓国は世論に弱すぎる」と韓国が大衆に迎合して不当な主張をしているかのように批判。さらに翌6日の『情報ライブ ミヤネ屋』(日本テレビ系)でも、解決スミの日韓請求権が蒸し返されるのでは、日韓関係に冷や水、などと韓国側の姿勢を非難した。 『ひるおび!』(TBS系)でも、八代英輝弁護士が、日本側が演説で、被害者を記憶にとどめるため「情報センター」の設置をするとしたことについて、「なぜ日本が韓国のために情報センターを自分たちの費用で作らなければならないのか」「後味の悪いものになった」などと、不満を口にした。 しかし「一度は協力を合意したのに、韓国が裏切って難癖をつけてきた」というのは、明らかに事実とは違う。 そもそも、韓国は明治の産業遺産の世界遺産登録に一切反対はしていない。韓国は逆に賛成の意見陳述をする予定だったのだ。ところが、日本がその陳述の予定稿に「forced labor」(強制労働)という表現があることを問題にし、“演説の表現を変えろ”と韓国に迫ったのだ。 +続き 改めて説明するまでもないが、1939年から1945年の間に70万もの朝鮮人が朝鮮半島から内地に送り込まれた。その多くは暴力を伴う明らかな強制連行で、調査に入った内務省が「拉致同然」という報告書を提出しているほどだった。 そして、今回、世界遺産に登録された炭坑や製鉄所に送り込まれた朝鮮人は劣悪な環境に閉じ込められ、長時間労働を強いられ、多くの死亡者を出した。 日本政府はこれを日本国民に対して行ったのと同じ「徴用」だと言っているが、まったくちがう。日本人には国民徴用令で家族への扶助制度があったが、この扶助制度は1944年まで韓国人には適用されていない。そういう意味では、韓国が「強制労働」の事実があったとするのは当然の主張なのだ。 いや、韓国だけではない。5月には、ユネスコ傘下の国際記念物遺跡会議(イコモス)が、日本に対して否定的な歴史も盛り込むよう勧告している。 また、日本は対象を1850年代から1910年までに限定。朝鮮人徴用とは「時代が違う」と主張しているが、これについても、ポルトガルのユネスコ大使から「遺産群は総体で一つであって、ある時代を切り取ることはできない。全参加国が満足できる結果を待っている」と批判されている。 実際、日韓外相会談では両国が意見陳述を行うこと、審議の場では日本が自主的に強制労働の事実を説明し、その後に韓国が発言することも合意されていた。 それがなぜ、突如、「強制労働」という言葉を使うな、と言い始めたのか。実はここでも、安倍首相のゴリ押しがあったという。 「官邸が突然、外務省の担当者に韓国の陳述内容を確かめろ、と言ってきて、事前協議をすることになったようです。そして、韓国が「forced labor」を使っていることが分かると、官邸はそんな言葉の使用は絶対に許さないの一点張り。現地の岸田外相と佐藤ユネスコ大使は完全に板挟み状態になっていた」 最終的には議長国のドイツが調整に動いて、日本も韓国も意見陳述の際に「forced labor」を「forced to work」表現に言い換えることで妥結したが、この言葉の選択については、審議の行われているドイツから、日本の安倍首相に一字一句相談し決められたという。 しかし、国際社会が官邸のゴリ押しを認めるはずもなく、「labor」(=労働)を「work」(=働く)に言い換えたのみ、「forced」(=強制された)の部分を言い換えることは許されず、意味はほとんど変わらなかった。 また、登録が決まった後、佐藤ユネスコ大使が「意思に反して連れて来られ、厳しい環境の下で働かされた多くの朝鮮半島出身者等がいた」というスピーチを行わざるをえなかった。 ところが、スピーチのなかで用いた「forced to work」という表現について、直後岸田外相は「強制労働を意味するものではない」と説明。義偉官房長官も6日午前の記者会見で、登録にあたり、日韓の間で焦点となった「徴用工」をめぐる表現について、「我が国代表団の発言は強制労働を意味するものではまったくない」と説明した。 これはおそらく、例の二枚舌作戦をやろうとしているのだろう。今年4月のワシントンポストのインタビューで、慰安婦について「human trafficking」という表現を使って、対外的には強制連行を認めるポーズをとり、国内向けには「人身売買」と訳して民間の商行為のような印象を与えようとしたのと同じやり方だ。 だが、この言い換えについても、マスコミはまったく真相を伝えていない。たとえば、『ひるおび!』の八代弁護士はこんな風に説明して、安倍政権をアシストしていた。 「検索で「forced labor」と入れると、奴隷のようなものが出てくるが、「forced to work」はブラック企業のようなもので、ニュアンスがまったくちがう」 ブラック企業ならたいしたことないというような言い草も弁護士としてどうかと思うが、試しに「forced labor」「forced to work」を、それぞれ画像検索してみたところ、広い農場や収容所のようなところで大量の人が働かされている画像や、子どもが働かされている画像など、「forced labor」の検索結果と同一の画像が「forced to work」のほうでも、いくつも出てきた。ようするに、彼らは黒を白と言いくるめてでも、安倍政権を守りたいのだろう。 もっとひどいのは、保守系メディアやネトウヨたちだ。「なぜ韓国に配慮するのか」「強制徴用を認めるくらいなら世界遺産なんていらない、席を蹴ってしまえ」「情報センターなんかつくって自虐史観をふりまくつもりか」「国交を断絶しろ」と、この問題でさらに嫌韓をエスカレートさせ、またぞろ強制労働の歴史を否定しにかかっているのだ。 そもそも世界遺産は、各国がそれぞれの国のすばらしいところをアピールするためのものではない。正の面、負の面あわせて世界の歴史に意味のあるものを保存しようという、人類共通の遺産だ。だから、アウシュビッツ強制収容所や、広島の原爆ドームも、また世界文化遺産に登録されている。 産業革命も、産業や経済が発展したという功績がある一方、搾取の構造や悲惨な労働を生んだという負の側面があることは、日本に限らず世界共通の認識だろう。そうした負の側面を認めることは、屈辱でも恥でもない。 国威の発揚や自慢大会しか許容できないというのは、日本がとことん下品で知性のない国になってしまったということだろう。 しかし、その下品で知性のない代表選手こそ、安倍晋三である。先日の記事でも指摘したように、安倍首相はナショナリズムをあおって、戦前の大日本帝国を肯定するために、自分の閨閥に連なる連中とともに、この“戦争犯罪遺産”の世界遺産登録を推し進めてきた。 そう考えると、「明治日本の産業革命遺産」の世界遺産登録は実現したものの、安倍首相が国際社会の求める「負の歴史」の説明をきちんと果たすかどうかは極めて怪しい。 前述したように、今回の世界遺産登録にあたっては、情報センターを設立して歴史をきちんと説明することが義務づけられるが、安倍首相は、それを使って歴史修正主義を喧伝しようともくろんでいる可能性も十分あるような気がするのだ。 (野尻民夫) ★ 民主、河野談話と混同させる意図? 安倍首相「強制労働を意味しない」と否定 「産経ニュース(2015.7.10)」より / 安倍晋三首相は10日午前の衆院平和安全法制特別委員会で、世界文化遺産への登録が決まった「明治日本の産業革命遺産」をめぐり、韓国側が一部施設で働いていた朝鮮半島出身者への「強制労働」と主張していることについて「強制労働を意味しない」と否定した。 首相は、世界遺産委員会における日本政府が述べた「forced to work(働かされた)」の意味について「対象者の意思に反して徴用されたこともあったという意味だ」と語り、戦時中に国民徴用令によって行われた朝鮮半島出身者の徴用が国際法上の強制労働には当たらないと主張した。民主党の細野豪志政調会長の質問に答えた。 細野氏は、慰安婦募集の強制性を認めた平成5年の河野洋平官房長官談話の英訳でも「forced」との表現が使われていないと指摘。今回日本側が「forced to work」との表現を使ったことについて「河野談話よりも踏み込んだのは非常に問題だ」と主張した。 これに対し、首相は「明確に違う」と述べ、慰安婦問題と徴用に関する問題は状況が異なると指摘。その上で「河野談話と混同させようという意図を感じる」と反論した ■ 今からでも「明治の産業革命遺産」の世界遺産登録申請を取り下げよ 「私的憂国の書(2015.7.7)」より (※mono.--前半のなでしこジャパン関連記事は略) / 一方、「どの面下げて帰ってくるのか」と言うべき面々もいる。佐藤地ユネスコ全権大使ほか、「明治の産業革命遺産」の世界遺産登録と引き換えに、「強制労役」という言葉を用いて南朝鮮への譲歩を示し、歴史に汚点を残した、ボン派遣組である。 ボン派遣組は、南鮮との妥協のために、「Koreans and others who were brought against their will and forced to work under harsh conditions」(「多くの朝鮮半島の出身者などが、その意思に反して連れて来られ、厳しい環境の下で働かされた」)と、南鮮に全面降伏し、「情報センターの設置など、適切な措置を取る」と公言した。この中の「forced to work」については、岸田外相が「強制労働を意味するものではない」と釈明しているが、この取り繕いが万国に理解されるかどうかは苦しい。forceとは強制を意味する英語の中で、compelやobligeよりも強い意味を持つ。失礼ながら岸田外相はそれほど英語力を備えた人物ではないだろうから、外務省の書いたものだろう。将来、子の言質がどのように利用されるのか、外交のプロであるべき外務官僚が想定していなかった筈はない。 日本側の苦しい釈明とは対照的に、南鮮側は勝利宣言一色だ。「韓国は日本が希望してきた遺産の登録に賛成する代わりに、日本から朝鮮人労働者の「強制動員」を事実上認める発言を引き出した」(ハンギョレ)に代表されるように、日本相手の条件闘争に勝利したことが喧伝される。青瓦台とて例外ではなく、「日本による植民地時代に本人の意思に反して労働させられたことを、日本政府が事実上初めて国際社会で公式に言及したことに大きな意味がある」と評価。それもそのはずだ。「強制労役」(もしくは労働)ということばは、あの河野談話にすら登場しない。このひとつをとっても、外務省は大失態のそしりを免れない。 (※mono.--中略、詳細はブログ記事で) / 地元の方々の切実な想いを無視しようとは思わないが、こんな条件を飲み、将来に禍根を残すくらいなら、「明治の産業革命遺産」の世界遺産登録は、今からでも取り下げてもらいたい。将来に渡って難癖をつけられる余地を与えず、日本人の誇りを維持することができれば、世界遺産登録を増やすことなど国益と呼べない。出直すことは恥ではない。それを証明したのが、安倍総理の再登板ではなかったのか。 ■ “強制性”は徴用の中で-世界遺産登録問題 「璧を完うす(2015.7.6)」より (※mono.--前略) / まず事実として、当時日本人(朝鮮人含む)は戦時徴用され、各地の工場や炭鉱などで働かされた。 賃金は出たがその労働に比して微々たるものだった。 実際日本人ですら、徴用に対する反発があったことを考えると、その待遇が分かろうというものだ。 それを踏まえて、 <>日本は、1940年代にいくつかの施設で多くの韓国人と他の国民が、本人の意思に反して動員され、過酷な条件下で強制的に労働し、第二次世界大戦当時、日本政府も徴用政策を実施したという事実を理解できるようにする措置を取る準備ができています。 この文章「過酷な条件下で強制的に労働し」の部分ばかりが注目されるが、この引用全体で一文である。 つまり、「過酷な条件下で強制的に労働し」たのは、第二次世界大戦当時、日本政府も徴用政策を実施したその徴用政策のためである、ということになる。 当然のことながら徴用政策というのは、国内法に基づき、賃金を支払って行われる政策であるからして、強制的な面はあるにせよ、合法的労働とみなされる。 さらに言えば、日本ばかりでなく世界的にも徴用政策を実施したところがあるでしょう、というニュアンスでもある。 韓国メディアからの報道でこの程度ということは、実際の表現はさらに抑えられているであろうから、さほど心配ない。 強制性の部分が徴用政策に内包される表現である限り、日本政府が今後責任を問われることはありえない。 おそらく韓国との交渉の中で、韓国が強く求める「強制」という言葉を入れる替わりに、「徴用政策」を入れ込んだのだろう。 そしてその日本の意図を、韓国は理解してはいまい。 これからは、言葉を切り取ってのネガティブキャンペーンに気をつけることだ。 徴用の一形態である「徴兵」のことを考えれば、その“強制性”は疑うべくもない。 戦争という緊急事態に対して、国家がとった戦時体制の一部が「徴用」であり、国家の浮沈と個人の尊厳との間でギリギリの措置がとられていたのだ。 強制性や待遇について、平時の価値観で計れものではない。 ただ、奴隷的な使役と、「徴用」は明らかに異なるものだ。 その意味でも徴用政策の中で行われたと、表現する必要があった。 とまれ、この「明治日本の産業革命遺産」は明治期をテーマにしたものだ。 全く関係のない昭和初期の話で、遺産の方向性がぼけてしまったのでは残念だ。 インフォメーションセンターとやらでは、明治期日本の躍進を大きく扱い、徴用の話は申し訳程度に掲載すればいい。 欧米以外で唯一、自力で産業革命を興した明治日本の輝きは、戦争によって翳るものではないのだから。 ■ だから韓国なんて信用するなって言ったんだ! 「依存症の独り言(2015.7.5)」より / 【ボン(ドイツ西部)=工藤武人】国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)の世界遺産委員会は4日、韓国政府が推薦した「百済歴史地区」の世界文化遺産への登録を、日本を含む21委員国の全会一致で決定した。 2015年07月04日 22時40分 讀賣新聞 で、韓国は? いったんは協力するとしていた韓国が土壇場で反対に転じた(ANN)―だって(怒) 政府関係者は「韓国の裏切りだと日本人には映るだろう。日韓関係への影響は計り知れない」と懸念している。 時事通信 2015年07月04日 21時13分配信 ほんとうにゲスと言うか、もう狂っていると言うしかないな。 裏切りなんてもんじゃない! 人間失格だよ! 韓国は!! ーーーーーーーーーー ■ 韓国、世界遺産登録で裏切る 「璧を完うす(2015.7.4)」より (※mono.--前略) / 世界遺産登録、日韓協力で一致 「徴用工」記載で調整 朝日新聞 外相同士で合意したというのに、その約束も守れない。 今回、韓国の百済地区と日本の明治日本が同時に審議になって、日本は百済に協力して正式登録になった後、これだからな。 (※mono.--写真略) / お前らは日本を貶めないと死ぬ病気にでもかかってんのか? まあ別に登録されなくてもいいわ。 むしろ、こういうことされた、ということが日本中にしっかりと認識されればいいことだ。 これからの為にはな。 ■ ユネスコ世界遺産委員会、土壇場で再び動いたゴールポスト 「私的憂国の書(2015.7.5)」より / だから南朝鮮など信用できないのだ。 ユネスコ世界遺産委員会で、南鮮が推薦していた「百済の歴史地区」は、日本代表が全面支持を表明したこともあり、世界遺産登録が決定した。しかし、日韓が登録に向けて相互協力するとされていた「明治日本の産業革命遺産」は、南鮮の反対によって工程が一日延期され、本日5日に再度審議されることとなった。日韓が合意できないのが、「戦時徴用」という表現だとされる。 まさにムービング・ゴールポストだ。岸田外相と尹炳世との外相会談では、「ともに協力し、両案件が登録できるよう協力することで一致した」とされていた。南鮮側の「戦時徴用」という主張は、外相会談前から声高に叫ばれていたことだから、それが一転して相互協力に落ち着いたということは、南鮮側が折れたか、日本側が譲歩したかしかない。 (※mono.--中略、詳細はブログ記事で) / 自分たちだけは「百済の歴史地区」世界遺産登録という果実を取り、その登録に協力した日本側の梯子を外すという、南鮮特有の行動様式だ。このような振る舞いは、過去の慰安婦問題と同じ。一度は「もう問題にしない」と約束しておきながら、世論の風向きが変わると、合意などなかったように、その合意を反故にする。 青瓦台は、文化財庁と外交部次官を共同代表とする代表団を現地に派遣し、せっせとロビー活動を展開している。次官級を派遣するということは、委員会等に自国の主張をこれでもかと刷り込むためだろう。少しうがった見方かもしれないが、南鮮としては、この展開は計算ずくだったのではないか。即ち、歩み寄るふりをしておいて日本を油断させ、土壇場で態度を変える ―― 自分たちだけは実を取り、日本の「明治日本の産業革命遺産」の登録を阻止するというシナリオだ。 いかなる理由があろうと、日本側は「強制徴用」の表現で南鮮に譲歩すべきではない。安易な譲歩をすれば、南鮮は間違いなく、それを未来永劫、政治利用するだろう。結果はどう出るか分からない。仮に「明治日本の産業革命遺産」の世界遺産登録が見送られれば、日本の嫌韓は火を吹く。それを受け止められるだけの国力があるなら、思う存分、反日活動をやればよい。その結果が南鮮側にもたらす弊害は、南鮮自身が全ての責任を負わなければならない。(※mono.--太字はmonosepiaによる) 【日韓関係】 ■ 案の定!韓国が約束を反故にして日本の世界遺産登録に反対!韓国人に何度だまされるの! 「なでしこりん(2015.7.4)」より / 韓国で「大和朝廷を作ったのは韓国人ニダ」と教えているの知ってた? 日本を劣等と教え込んでいる韓国人を日本国内に置いてはいけない! なでしこりんです。「韓国人を信用してはいけない」。これは基本ですよね! 日本の外務省の担当者は今頃どんな思いでいるのでしょうか? 岸田外務大臣、大丈夫ですか? 国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)の世界遺産委員会は4日、韓国政府が推薦した「百済歴史地区」の世界文化遺産への登録を、日本を含む21委員国の全会一致で決定した。 (読売新聞) http //news.yahoo.co.jp/pickup/6165912 一転、韓国が反対で、世界遺産正式登録に暗雲(07/04 17 30) 「明治日本の産業革命遺産」のを審議する世界遺産委員会が始まりました。 登録を巡っては、韓国は自国民が強制徴用された施設だとして反対していましたが、先月、外務大臣間で登録に向けて協力することで一致していました。しかし、ここにきて一転。韓国が反対の姿勢を示していることが分かりました。他の委員国も慎重な姿勢に転じていて、世界遺産への登録に暗雲が垂れ込めています。 (テレビ朝日) http //news.tv-asahi.co.jp/news_politics/articles/000054015.html (※mono.--以下略、詳細はブログ記事で) ーーーーー ★ 審査持ち越しに日本困惑=日韓首脳会談に影響も 「Yahoo!news - 時事通信(2015.7.4)」より / ドイツで開かれている世界遺産委員会で、日本が推薦した「明治日本の産業革命遺産」の審査が持ち越されたのを受け、政府内には戸惑いが広がっている。6月の日韓外相会談で尹炳世韓国外相が登録に協力を約束していただけに、韓国側の強硬な態度は予想外だったようだ。 外務省幹部は4日、「外相同士が協力で一致したのだから、まだその努力を続けている」と言葉少なに語った。 審査持ち越しは、戦時中の強制労働の歴史をめぐる日韓の調整が難航していることが原因とみられる。政府関係者によると、世界遺産委での韓国代表が行う発言内容などに関し、なお両国に隔たりがあるという。話し合いが付かない場合、委員国による投票に持ち込まれ、韓国は反対に回る可能性が高い。 政府は、安倍晋三首相と韓国の朴槿恵大統領による初の首脳会談を今年秋に行うことを目指している。世界遺産委での調整が決裂すれば、首脳会談開催に向けた動きに水を差すのは避けられない。政府関係者は「韓国の裏切りだと日本人には映るだろう。日韓関係への影響は計り知れない」と懸念している ■ 審査持ち越しに日本困惑=日韓首脳会談に影響も・・・ほらな、チョンだろ? 「日々のストレス溜まりまくり(2015.7.5)」より (※mono.--前後略、詳細はブログ記事で) / ほらなw 思った通りのチョンだろ?www あんな奴等を信用なんかしちゃイケネーんだよ 日本政府もまだまだ甘ちゃんだな ┐( ~`;)┌ .
https://w.atwiki.jp/minsutoumatome/pages/816.html
は行 は行 あ行 か行 さ行 た行 な行 は行 ま行 や行 わ行 その他バイブ 箱妻(はこつま) HSG(はしげ) ハニ垣(はにがき) 蛤(はまぐり) 東2323(ひがしフサフサ) 光の戦士(ひかりのせんし) 髭の隊長(ひげのたいちょう) ブサエ 2323(フサフサ) ぶって 不適切嫁(ふてきせつよめ) プリンセス 平成の屠殺王(へいせいのとさつおう) ぽっぽ(ぽっぽ) ポルナレフ(ぽるなれふ) [自]=自民党 [民]=民主党 [公]=公明党 [社]=社民党 [共]=共産党 [国]=国民新党 [新]=新党日本 [み]=みんなの党 [未]=日本未来の党 [維]=日本維新の会 [他]=その他 [韓]=韓国 [米]=米国 あ行 か行 さ行 た行 な行 は行 ま行 や行 わ行 その他 バイブ [部分編集] [民] 辻元清美氏のこと。 友人のフェミ活動家でアダルトグッズ販売店主の北原みのり主催のイベントでバイブにサインした様子を女性記者を潜入させていた週刊新潮にバラされたエピソードから。 鳩山内閣では国土交通副大臣。連立離脱後の社民に見切りをつけ民主入党。古巣の社民党を怒らせる。 上へ 箱妻(はこつま) [部分編集] [民] 長妻昭氏のこと。 厚労相時代に貨物用エレベータに乗って記者会見から逃亡した事件が、「メタルギア」シリーズの主人公ソリッド・スネークがダンボールを被って隠れている姿を連想させたことから。 上へ HSG(はしげ) [部分編集] [維] 現大阪市長で日本維新の会代表代行の橋下徹氏のこと。元タレント弁護士で、大阪知事から市長に転身。様々に各方面に喧嘩を売りまくりつつ日本維新の会を結成、「たちあがれ日本」などを吸収合併した。 上へ ハニ垣(はにがき) [部分編集] [自] 自民党、谷垣禎一氏のこと。某週刊誌にハニートラップに引っかかったと報道された事が由来。趣味は登山及び自転車、好物は蕎麦、合言葉は「いっしょにやろうぜ」。ハニートラップの報道については事実無根と報道した週刊誌側を訴え勝訴している。 上へ 蛤(はまぐり) [部分編集] [民] 中井洽氏のこと。「洽」の字がなかなか変換候補に出ないためか当て字が広まった。 国家公安委員長時には数々のスキャンダルや暴言で火達磨になったが、他が酷すぎるため無事逃げ切り2012年に引退。 上へ 東2323(ひがしフサフサ) [部分編集] [維] 元タレントそのまんま東の東国原英夫前宮崎県知事のこと。「2323」で彼を限定的に指すときにはこの呼び名。現在は維新の会に合流。 上へ 光の戦士(ひかりのせんし) [部分編集] [民] 原口一博氏のスレにおける通称。 2006年2月26日のテレビ番組『そこまで言って委員会』 でいわゆる永田メール問題やライブドア野口氏の怪死について、日本の政府もグルの「巨大な闇」の存在を主張したためこう呼ばれるようになった。 また氏は事務所がハッキングされファイルが消され、闇の組織は必ず黒い服を着ているとも主張している。 上へ 髭の隊長(ひげのたいちょう) [部分編集] [自] 佐藤正久氏のこと。髭が特徴。元自衛官でイラク派遣でも指揮官として活躍した人物。 2011年8月1日、新藤義孝、稲田朋美両議員と共に鬱陵島を視察するため韓国に行ったが、金浦空港で入国拒否され日本に引き返した。 上へ ブサエ [部分編集] [他] 元大阪府知事太田房江氏の事。日本初の女性知事だが、就任中は赤字隠しや自身の金銭問題等で叩かれ、ある意味橋下徹氏の当選下地を結果的に醸成してしまった人物である。「罰ゲーム」と称される大阪の選挙事情を語るときによく引き合いにされる。 上へ 2323(フサフサ) [部分編集] [他] 前厚生大臣、舛添要一氏のこと。由来は頭から。自民時代はかなりの人気だったが、新党結成後はめっきり影が薄くなった。 また、東国原英夫前宮崎県知事もこう呼ばれることがある。由来はもちろんあ(ry 上へ ぶって [部分編集] [未] 姫井由美子氏のこと。元愛人の男性が週刊誌上で暴露したプレイ中の台詞から。 党を出ようとしてやっぱやめた!と言ってみたり、党内ではお局にいびられたりしたあげく離党するも落選。 上へ 不適切嫁(ふてきせつよめ) [部分編集] [米] アメリカ67代国務長官ヒラリー・クリントン氏のこと。かつて氏の夫である42代米国大統領のビル氏が不倫の釈明で述べた台詞「不適切な関係」より。 主に普天間基地問題で煮え切らない鳩山内閣にピキピキさせられる不憫な人。 上へ プリンセス [部分編集] [民] 応援団として突如現れた漫画家、牧村しのぶ氏が自身のブログで小沢一郎に命名した名。 どうやら腐女子的な観点からの命名らしいが、氏のHPの作風の古臭さと一般的知名度に乏しい活動範囲(嫁姑もののレディースコミック)、あまりの小沢本人とのギャップに多方面に衝撃を与えた。 上へ 平成の屠殺王(へいせいのとさつおう) [部分編集] [民] 赤松広隆氏のこと。 別名:ニヤニヤ赤松 2010年4月頃に宮崎県に口蹄疫が発生した時の農水大臣。 その斜め上を行く対応と、ラ党政権時代に発生したときより被害が拡大した為 別名【赤松口蹄疫】ttp //dic.nicovideo.jp/a/%E8%B5%A4%E6%9D%BE%E5%8F%A3%E8%B9%84%E7%96%AB とも呼ばれる。 上へ ぽっぽ(ぽっぽ) [部分編集] [民] 鳩山由紀夫氏のスレにおける通称。由来は鳩から。 上へ ポルナレフ(ぽるなれふ) [部分編集] [他] 漫画「ジョジョの奇妙な冒険」の登場人物、ジャン・ピエール・ポルナレフのこと。 我が身に起こったことを驚きながらありのままを話すAAでおなじみ。 民主党政権の斜め上ぶりにツッコミを入れるのに多用されたせいで、「過労死した」「労災出してやれよ」「墓場から連れ戻してこい」といったネタがお約束に。 なお、ポポナレフなる偽物もいるらしい。 【ポルナレフAA】 やつを追う前に言っておくッ! おれは今やつのスタンドをほんのちょっぴりだが体験した い…いや…体験したというよりはまったく理解を超えていたのだが…… ,. -‐'''''""¨¨¨ヽ (.___,,,... -ァァフ| あ…ありのまま 今 起こった事を話すぜ! |i i| }! }} //| |l、{ j} /,,ィ//| 『おれは奴の前で階段を登っていたと i| !ヾ、_ノ/ u { }//ヘ 思ったらいつのまにか降りていた』 |リ u' } ,ノ _,!V,ハ | /´fト、_{ル{,ィ'eラ , タ人 な… 何を言ってるのか わからねーと思うが /' ヾ|宀| {´,)⌒`/ | ヽトiゝ おれも何をされたのかわからなかった… ,゙ / )ヽ iLレ u' | | ヾlトハ〉 |/_/ ハ !ニ⊇ '/ } V ヽ 頭がどうにかなりそうだった… // 二二二7'T'' /u' __ / /`ヽ /'´r -―一ァ‐゙T´ '"´ / /-‐ \ 催眠術だとか超スピードだとか / // 广¨´ /' / /´ ̄`ヽ ⌒ヽ そんなチャチなもんじゃあ 断じてねえ ノ ' / ノ `ー-、___/ // ヽ } _/`丶 /  ̄`ー-{ ... イ もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ… 上へ
https://w.atwiki.jp/teitoku_bbs/pages/90.html
581. ひゅうが 2011/11/16(水) 17 14 17 稚泊と青函〜北の鉄道網略史〜 1、前史 ――日本という国が北海道と樺太と呼ばれた大地に鉄道の建設をはじめたのは、明治維新の混乱がまだおさまりきっていない1872年のことだった。 新政府に置かれたばかりの北海道・樺太開拓使のもと、官営幌内鉄道と官営泊豊鉄道が建設されたのだ。 幌内炭鉱から産出される石炭を輸送するために設けられた前者はともかく、後者は樺太に土足で上がりこみつつあったロシアへの牽制という意味が込められていた。 ただし、日露和親条約において日露の雑居地とされた樺太であるだけにその運営には多大な配慮がなされ、駅名や案内図などは日本語とロシア語の二つが併記され、流刑を解かれたロシア人のスタッフを雇いいれて運営するなど、そのノウハウは後の満州鉄道に活かされることになる。 ともすれば北海道や一時期占領していた対馬でさえも自国の領土と主張してはばからないロシア内務省をおさえたのは、意外なことに当時のロシア皇太子であったニコライ2世だった。 幕末期以来、一貫して知日派であったニコライは、明治維新後も新政府の手厚い保護の上に成り立っていた公益法人「伊万里焼製造・開発」などに代表される幕末から明治にかけての江戸文化と西洋文化が融合したような美しい陶磁器や加賀友禅などの緻密な生地でできた手工業の精華をこよなく愛しており、それをもって「日露協商」を主張してはばからなかったのだ。ゆえに、樺太に関して日本側の先取権が事実上認められる形になった(開拓使という形で失業武士ら5万人あまりが送り込まれていたことも大きかった)のである。 そんな皇太子に皇帝アレクサンドル3世は一定の配慮を示し、日露合弁での持ち株会社「樺太鉄道」を設立し、実質的な運営は日本側に任せるという決断を下した。 同時に樺太を北緯50度線で南北に分割する代わりに択捉島以北の千島列島を日本側の領土とする「樺太・千島交換条約」が締結されることとなった。 こうして条約が発効した1875年には北方の国境は一応の安定を見、これをもって本格的な北方の開発と建設が実行に移されたのである。 2、発展 樺太開拓使と北海道開拓使が合同され、北方開発省(のちの拓務省)が設けられたのは、早くも1876年のことである。 同時に、同省の長をつとめていた黒田清輝は、進行中だった10年計画を改定し新たに20世紀の開始される1901年までに北方に300万人を移民させるといういわゆる「北方開発25年計画」をぶち上げる。 同時に、当時発見されたばかりの菱刈金山から産出される金でようやく一息ついていた明治政府の財源の15パーセントにも及ぶ巨費を用いて北方開発に投入するという提案まで行った。 さすがにこれは無理であったものの、陸海軍の提案からロシアのウラジオストクを警戒する意味での北方開発は承認され、20年以内に北海道の沿海部を網羅する鉄道を建設し、連絡船をもって大泊へと接続することが認められた。 この方針のもと道庁には「鉄道敷設局」が設けられ、本土においては欧州標準軌と狭軌が混在していた軌道はのちのシベリア鉄道との接続も視野に入れた広軌(1500ミリ)が採用された。 この決定に際して何が影響したのかは分からないが、少なくとも黒田はこれ以後北方専任の政治家としてその辣腕を振るい続け、大久保利通や伊藤博文らに中央における自らの地位を明け渡したとされている。 582. ひゅうが 2011/11/16(水) 17 15 00 1881年、黒田の腹心であった五代友厚のもとで「国営北海道鉄道株式会社(北鉄)」が誕生。 建設が進んでいた函館と札幌間を結ぶ函館本線が函館・小樽間で開業し、同時に青森と函館間を結ぶ青函連絡船の運航も開始された(東北本線との接続も考慮されていた)。 この頃は、札幌から日本海側を北上し、稚内に至る「宗谷本線」(当時は一括して宗谷本線と呼ばれていた)の建設が優先され、室蘭以東の路線については、北鉄が運航する連絡用客船を用いた「代替輸送」に頼っていた。 樺太においては、大泊から敷香までを結ぶ敷香線が建設途上にあり、沿海州沿岸の漁場へアクセスできる泊居との間の路線建設も計画されつつあった。 1894年の日清戦争以後は、ロシアとの緊張状態も手伝い、条約により鉄道警備隊以外の戦力を置いていない樺太に迅速に旭川の第7師団を輸送できるように建設が急がれ、 1896年には宗谷本線が開業。旭川から稚内までが結ばれた。 同時に、日露共用水路とされた宗谷海峡をにらむ形で港湾整備も進められた。 この年、ついに開業した東北本線と函館本線が接続され、また稚内と大泊間での鉄道輸送も開始された。青函連絡船に次ぐ北鉄のドル箱、稚泊連絡船の開業である。 1900年には、ついに念願であった道東部への展開も開始された。 すでに開業していた十勝線と釧路線が接続され、「釧路本線」と「根室本線」が開業したのである。 また、今までは手つかずだった日本海側の留萌以北とオホーツク海側の稚内・紋別・網走間においても鉄道建設が開始される。 これは、日英間で秘密裏の同盟交渉が開始されたこと、そして室蘭港に北海道としてははじめての「海軍警備府」設置と稚内港の「海軍要港部」化といった北方重視政策の一環であったとされる。 一方で、樺太鉄道は泊居と大泊間の連絡は完了したものの、肝心の北緯50度以北においてシベリア鉄道に加えて東清鉄道という鉄道建設が進行中であるためにまったく計画に着手されておらず、足踏み状態が続いていた。 そんな中、極東総督であったエヴゲーニイ・アレクセーエフは独断で北樺太への派兵を強行。 同時に、朝鮮半島北部への進駐を試み、日露戦争の引き金を引いた。 しかし、黒田ら北海道庁が心血を注いで整備していた鉄道網と船舶輸送路を用い、日本軍はロシア側がまったく想定外の速度でカムチャッカ半島を強襲。北樺太にはいきなり1個師団が出現し電撃的にこれを制圧するという成果を達成したのであった。 (なお、この時宗谷海峡の強行突破を図ったウラジオ艦隊は待ち受けていた上村中将率いる第3艦隊に迎撃され、見事な連携機雷戦により文字通り撃滅されることになる。このため、のちのバルチック艦隊は対馬海峡の強行突破を図らざるを得なくなってしまった。) 3、現状 日露戦争後、北方の鉄道網はほぼ北海道全土の沿海部を結び、旭川を拠点とした内陸ルートでの開業もあってほぼ完成の域に達している。 また、樺太鉄道に関しては日本側が賠償金の減額と引き換えに譲渡を受け、北樺太油田群との連絡ルートとしての「樺太本線」が1912年に開業。現在は間宮海峡側を走る間宮線(連絡船で尼港と連結)、そして尾波から神坂(カムチャッカ)の奥茶部(旧オクチャブリスキー)を結ぶ日本最長の鉄道連絡船経路が開業している。 現在は神坂(カムチャッカ)半島の南北を縦貫する「神坂本線」に加えて山岳地帯を横断する「神坂横断線(仮称)」の建設も計画されている。 択捉鉄道などへの連絡を担う鉄道連絡船は、海軍の砕氷艦の相次ぐ就役によって行動の容易さを増しており、自動車による交通網の構築が北方の環境により厳しい以上、今後も整備は継続されるだろう。 北海道の鉄路は、この地が北の要地であり樺太や千島へのターミナルである以上、これからも維持・整備されてゆくことになるだろう。 583. ひゅうが 2011/11/16(水) 17 20 34 【あとがき】――特定地方交通線なんて寝言を抜かすことをなくしてみたくて書いてみました。 あとついでに、広軌を採用した理由を「北海道は広いから狭軌なんていらないよ!」と理由づけ。 また時間犯罪の一環として宗谷海峡で蔚山沖海戦をやらかし、バルチック艦隊の針路を塞いでみましたw 説明文オンリーですが、楽しんでいただければ幸いです。 あと、宗谷本線のルートについてはいろいろ紆余曲折がありますのでその辺は突っ込まないでいただけると有り難く(汗) 584. ひゅうが 2011/11/16(水) 19 10 01 581 あくまでもearth閣下の二次創作である以上、ぼかすべきところはぼかすべきということで、勝手な表記をしたところをお詫びして訂正いたします。 同稿最後より3行目および4行目における修正としまして 「鉄道敷設局が設けられ」以後を「軌間を『広軌』に設定。最終的にはこの広軌が日本全土における標準的な軌間となった。」としたいと思います。
https://w.atwiki.jp/kolia/pages/1261.html
■はじめに ■ステップ1■国史を通して日本の保守思想のアウトラインを掴む ■ステップ2■保守思想を貶める捏造・歪曲を一掃する《1》歴史分野以上に酷い思想分野でのリベラル左翼の歪曲・捏造 《2》「天皇制ファシズム論」の嘘を見破る 《3》「保守」と「右翼」を区別し正しい認識を得る ■ステップ3■更に深く知るために《1》皇室に関する正しい知識を得る 《2》日本の保守思想の核心に触れる ■まとめ■日本の保守思想の再評価の動き ■はじめに 先日、理論派保守を目指そう!を作成したところ 西洋思想ばかりで肝心の日本の思想がない(西洋カブレだ)というご批判や 逆に日本の保守思想もちゃんと知りたい|というご要望をいただきました。 実のところ、西洋思想は、所詮は外国の思想だという割り切りもあって、大胆に「これだ」という風に提示できる一種の気軽さがあったのですが、日本の保守思想については、私達の幾多の先達が大切に守り育て、私達に伝えられた価値観に関することであり、西洋思想のように躊躇なく論じるのは憚る気持ちが強くあります。 しかしながら、不要な誤解も受けたくなく、かつ、これを参考に知識を増やしていただける方が現れるのならば、という気持ちで、浅薄ながら日本の保守思想について、簡便なまとめページを作成しました。 願わくば、このサイトを訪問される有識者の方々、あるいは同学の士の方々からの有意義なコメントを通じて、このページがより適切かつ充実した内容にならんことを。 ■ステップ1■国史を通して日本の保守思想のアウトラインを掴む 名画にみる國史の歩み 小堀 桂一郎 (監修), 所 功 (編集)昭和8年(1933年)今上陛下ご生誕を記念して当代最高の日本画家達により10年の歳月をかけて製作された国史(日本の歴史)を辿る78点の名画集に、平成11年(1999年)今上陛下ご即位満10年の佳節を期して、小堀桂一郎・平泉隆房・新田均各氏を初めとする現代の一流史学者・研究家による解説を付した名品。amazonでページの一部を拝見できる。 物語日本史(上) (中) (下) 平泉澄(著) 講談社学術文庫『物語日本史』の序文(抜粋)(全文は「人権擁護法案マガジン・ブログ版」物語日本史(平泉澄)を読む 第1回 、第2回 、第3回 )(略)昭和二十七年四月、占領は解除せられ、日本は独立しました。長い間、口を封ぜられ、きびしく監視せられていた私も、ようやく追放解除になりました。一年たって昭和二十八年五月二日、先賢の八十年祭に福井へ参りましたところ、出て来たついでに成和中学校で講話を頼まれました。その中学校を私は知らず、中学生は私を知らず、知らぬ者と知らぬ者とが、予期せざる対面で、いわば遭遇戦でありました。講話は極めて短時間で、要旨は簡単明瞭でありました。「皆さん!皆さんはお気の毒に、長くアメリカの占領下に在って、事実を事実として教えられることが許されていなかった。今や占領は終わった。重要な史実は、正しくこれを知らねばならぬ。」と説き起して、二、三の重要なる歴史事実を説きました。その時の生徒の顔、感動に輝く瞳、それを私は永久に忘れないでしょう。生徒一千、瞳は二千、その二千の瞳は、私が壇上に在れば壇上の私に集中し、話し終って壇を下りれば壇下の私に集中しました。見るというようなものではなく、射るという感じでした。帰ろうとして外へ出た時、生徒は一斉に外へ出て私を取巻き、私がタクシーに乗れば、タクシーを取巻いて、タクシーの屋根の上へまで這い上って釆ました。彼らは黙って何一ついわず、何一つ乱暴はしない。ただ私を見つめ、私から離れまいとするようでした。ようやくにして別れて帰った私は、二、三日後、その生徒たちから、真情流露する手紙を、男の子からも、女の子からも、数通もらいました。私の一生を通じて、最も感動の深い講演でありました。成和中学の感動の忘れがたさに、それより十数年後の昭和四十五年、時事通信社より一貫せる日本歴史を書くよう求められた時、純真なる少年に呼び掛ける形を取りました。当時すでに七十六歳の私は、余命計り知るべからず、これを児孫への最後の贈り物、つまり遺書として書こうとし、したがって学者らしく事実を羅列して博学を誇るがごとき形式を好まず、ただ歴史の精粋を抜いて、誠実に父祖の辛苦と功業とを子孫に伝え、子孫もまたこの精神を継承して進むことを期待しつつ、しみじみと誠実に語ろうとして筆を執ったのでありました。(中略)願わくはこの小さき贈り物を満載せる帆船の行手、風穏やかにして波静かなれ。昭和五十三年十二月十日朝 白山寒林の中にて 平泉 澄----上中下3巻本。著者 故・平泉澄博士は、昭和5-6年(1930-31年)欧州に留学しマイネッケのドイツ歴史哲学とフランス革命の思想及びこれに反対するエドマンド・バークの保守思想等を研究、帰国後に抜擢されて秩父宮殿下(昭和天皇の弟君)の日本政治史の侍講を務め、更に昭和13-20年(1938-45年)に渡って東大国史学科にて国体学講座・日本思想史を教授した一代の碩学であり、終戦直後に辞官、その後GHQにより昭和27年(1952年)春まで公職追放され、追放解除後も、左翼マスコミやマルクス主義学者から「平泉史学=狂信的な皇国史観」として異常な誹謗中傷を受けながらも、戦後長くに渡って在野の国史家として保守陣営において重きを為した。この「物語日本史」は、晩年の平泉博士が、日本の未来を担う少年達のために精魂込めて書き記した名著「少年日本史 」の文庫版である。 ※(参考)千早鍛錬会パンフレット ↑「物語日本史」の事前読破を推薦していることに注目。 ■ステップ2■保守思想を貶める捏造・歪曲を一掃する 《1》歴史分野以上に酷い思想分野でのリベラル左翼の歪曲・捏造 ~丸山眞男の絶大な影響、「皇国史観」の歪曲 戦後日本の政治思想は、“戦後民主主義の代表”、“岩波文化人のエース”と称され、「国民主権を貫徹するために天皇制廃棄・共和制樹立を最大の政治目標とした」“日本を代表する政治学者・思想家”、故・丸山眞男 の絶大な影響下にあり、今も丸山を絶賛する政治学者・思想家たちによって、ほぼ占拠されていることを最初に知っておこう。 丸山眞男の政治思想の中核は、明治以降~戦前・戦中の日本を「天皇制ファシズム」と捉え、昭和20年8月15日をもって、日本の国体は「国民主権」の民主主義国家に変更された、とする所謂「八月革命」論にあり、彼及び彼の信奉者は、この架空の「八月革命」を未来において実現すべく(つまり天皇の廃止による日本の共和国化を究極の目標として)戦後長くプロパガンダ活動を続けてきた。 「理論派保守」を目指す者は、この丸山眞男に代表されるリベラル左翼の思想的欺瞞を正しく見抜き、これを論破する理論的根拠を確立しなければいけない。 丸山眞男と平泉澄昭和期日本の政治主義 植村 和秀 (著) 柏書房 (2004/10)単行本この本は、理論派保守を目指そう!でも「西洋の保守思想に留まらず、日本の保守思想の扉を開く貴重な一冊」として紹介したが、丸山眞男の政治思想の欺瞞を打ち破る理論武装のツールとしてやはり最重要である。なお著者 植村和秀氏は、「筆者には丸山眞男も平泉澄も、その支持者の多くのように、無条件に支持することはできない。 丸山には心情的には共感できるが、しかし論理的には納得できない。平泉に論理的には共感できるが、しかし心情的には納得できない。 それにもかかわらず、丸山と平泉の思想史的な意義の重さと、人間的な偉大さとは、素直に承認したい。」と総括しており、厳密な実証的研究を通じて丸山・平泉両者に代表される戦前から戦後にかけての日本の思想対立を対比している為に、返って一層本書の価値が高まっていると思われる。また植村氏が「丸山には心情的には共感できる」「平泉に・・・心情的には納得できない 」としていること自体は、その思想的感化を受けた年代を考慮すれば止むを得ないことである。 (参考)歴史問題の基礎知識 ↑「皇国史観」について正しい認識を得る上で重要 ※一部引用 「皇国史観」(赤旗 )という用語は、「早くても昭和17(1942)年6月頃から、大体は昭和18(1943)年頃から文部省周辺の人々によって使われだしたもの」(昆野伸幸『近代日本の国体論』より引用)であり、戦前/戦中の史学者自身が使った用語ではない(戦後にマルクス主義史家が「レッテル」として普及させた用語である)。 そして、その内容としては、 1.国史学者・平泉澄博士に代表される「あくまで歴史の範囲で思考する」流れと、2.アジア主義者/国家改造運動家・大川周明に代表される「日本を盟主とするアジア解放を主張する」流れ(昆野氏論文 ) の2つがあったが、戦後に史学界を占拠したマルクス主義史家は、皇室や日本国を貶めんがために、日本の伝統的な歴史観/国家観に根ざした1.と、大東亜共栄圏を包摂せんとする新しい思想を示した2.をワザと混用して「戦前/戦中の史学=皇国史観=軍国主義、アジア侵略、全体主義」という刷り込みを行った。 これに関して平泉澄博士門下の田中卓博士は、「一概に皇国史観といってもそれは、・・・1.平泉史学による「皇国護持史観」と、2.戦争末期という時代に迎合して浅薄な国体賛美に努めた「皇国美化史観」と呼ばれるべきもの(の2つ)がある と述べ、平泉博士や自らの史観は、日本の伝統を正しく受け継ぐ「正統史観」であると述べている。 なお、ソ連が崩壊した1991年以降は、史学界(主流は、未だ隠れマルクス主義者と思われる)も、従来のように(彼らの言う)「皇国史観」に対して実証研究もせずレッテルだけ貼って一方的に批判することは許されなくなってきており、リンク先にある赤旗や長谷川氏・昆野氏のように戦前/戦中の資料を実際に読んで「実は皇国史観にも多様な内容があった」「実は皇国史観は1940年代に作られた用語だった」などと軌道修正を図っているが、そんな姑息な事をする位ならば、 1 彼らが戦後一貫して貶めようとしてきた1.平泉博士・田中博士らの史観(皇室や日本国を常に善いものと見る正統史観)は実は全体主義とも侵略思想とも無関係だった、 2 国家改造とアジア解放を唱えた2.は実はマルクス主義(具体的にはコミンテルン)の脅威への対抗イデオロギーとして生まれた(実際に、全体主義であり侵略思想であったのはマルクス主義の方だった)、と素直に認めればよいのである。 《2》「天皇制ファシズム論」の嘘を見破る ~明治維新の歪曲、「現人神」「国家神道」という幻想 「皇国史観」(上記)「現人神」「国家神道」といったキーワードで、戦後にマルクス主義歴史家・思想家によって不当に歪曲された諸概念の実際を知り、自虐史観から完全に脱却する。 「現人神」「国家神道」という幻想 新田 均 (著) amazonで一部ページを拝見できます。豊富な実証的研究により、「明治以降の日本は北朝鮮のような異常な絶対主義君主国家だった」という立花隆など左翼の大嘘を完全に打ち破る名著※amazonの内容紹介より一部引用「現人神」「国家神道」——これらの言葉から、現代の日本人はどんなイメージを連想するだろうか。おそらく、狂信的な「天皇崇拝思想」と、それを支えた「国教制度」といったとこだろう。そして、この「日本国民を狂信的な戦争へと導いた思想と制度」は「明治政府が日本の近代化のために考え出した」などとされている。だが著者は、「そのような認識は思い込みに基づく幻想にすぎない」と喝破する。それは最近の実証的歴史研究の成果に照らしても明らかなのだが、これが意外と世間では知られておらず、歴史の専門家でさえ、少し分野が違っただけで知らない者が大多数なのだという。世間で知られていないことがそれほど大きな意味を持たないなら、それでもかまわないのかもしれないが、この「幻想」はわが国の首相の靖国神社参拝問題や政教関係訴訟、さらには教科書問題や外交関係にまで影を落としている。“虚像”が誰によって、いかにして創られたかを検証する。「「現人神」「国家神道」とは、日本国民を狂信的な戦争へと導いた思想と制度である」との嘘八百の言説に異議あり! こういったイメージが幻想に過ぎないことを、実証的歴史研究の成果に照らして明かす。 (参考)右翼・左翼の歴史 ※一部引用 宗教系(仏教系)右翼の登場~右翼思想の過激化 (1) 井上日召(日蓮宗僧侶)と血盟団事件(1932) 群馬県出身の日蓮宗の僧侶。血盟団を組織し、国家革新(昭和維新)実現のため「一人一殺」を合言葉に1932年、井上準之助(前蔵相)・団琢磨(三井財閥重鎮)を暗殺。無期懲役となるが後に特赦を受けた。なお後の日本赤軍のリーダー重信房子の父親は血盟団員であり、井上日召は赤ん坊の重信を膝に抱いたことがあるといわれる。 (2) 田中智学(日蓮宗系新興教団)と「八紘一宇」論 田中は日蓮宗の在家信者組織として国柱会を組織し、日蓮主義と国家主義の統合を目指した。1903年には、日蓮を中心にして「日本國はまさしく宇内を靈的に統一すべき天職を有す」という意味の「八紘一宇」なる新語『日本書紀』巻第三神武天皇の条の「掩八紘而爲宇」の記述から造り、日本は世界を道義的に統一する使命がある、とする思想を唱えた。のちにこの言葉が人口に膾炙して大東亜戦争のスローガンにまでなった。 (3) 加藤玄智(浄土真宗在家信者)と天皇絶対神論・国家的神道論 加藤は新仏教同志会の創立者の一人であり、東京帝国大学で宗教学を教えた浄土真宗の信者であるが、同僚の外国人教授の天皇論に刺激を受けて、1912年に『我が国体思想の本義』を刊行し、古来からある天皇「神裔」論を超えて天皇「現人神」論を提唱して「日本に於いては臣民は天皇に絶対服従する」とする天皇絶対神論を主張した。1925年には更に「国家的神道(State Shinto)」なる新語を造り外国に日本人の信仰の在り方として積極的に紹介したために、欧米諸国に、この天皇絶対神論と国家神道論が日本の宗教の実態だと誤解され、後にGHQによる神道指令と天皇の所謂人間宣言を招き、今に至るまで戦前の宗教的制度についての広範な誤解を招いている。 http //d.hatena.ne.jp/jinkenvip/20070312/1173709974 《3》「保守」と「右翼」を区別し正しい認識を得る ~戦前・戦中(昭和10年代)の「右翼」は実は2種類あることを知る。 「革新右翼(アジア主義を志向し、国家改造を目指した国家社会主義者)」と「観念右翼(アジア問題への介入に慎重または無関心の伝統保守・日本主義者)」を区別する。 日本主義と東京大学―昭和期学生思想運動の系譜 井上 義和 (著) こちらも豊富な資料に基づく実証的研究により、戦後にマルクス主義者やリベラル左翼によって「右翼」と一括して糾弾され貶められてきた保守思想の実際を教えてくれる一冊。※革新右翼と観念右翼の理念型(一部内容を引用)1.革新右翼…国家改造/高度国防国家/解釈改憲/指導者原理/統制経済/親ソ・親独/世界史的な使命/陸軍統制派/革新官僚/無産政党/国家社会主義2.観念右翼…国体明徴/国民精神総動員/護憲(不磨の大典)/臣道実践/資本制擁護/反共・反独裁/日本史的な道統/陸軍皇道派/財界/既成政党(現状維持派)/自由主義者 (参考)日本会議ホームページ ↑「観念右翼(伝統保守)」の代表として上記の本で紹介されている故・小田村寅二郎氏の弟・小田村四郎氏(元拓殖大学学長、日本李登輝友の会会長) が副会長を務めている、日本最大の保守系団体。チャンネル桜と共同で保守活動を行うことも多い。 なお日本会議の前身の一つである「日本を守る会」は、建国記念の日(旧紀元節)実現運動、元号法制化運動、教育正常化運動などに地道に取り組み成果を上げてきた。 このうち建国記念の日を旧紀元節(2月11日)とすることに理論的根拠を与えたのが、平泉澄博士の高弟である田中卓博士である。 ■ステップ3■更に深く知るために 《1》皇室に関する正しい知識を得る 宮中見聞録―昭和天皇にお仕えして 木下 道雄 (著) 皇太子時代から終戦前後、更に戦後にかけて昭和天皇に近侍し、侍従次官を勤めた木下道雄氏による著作。親しみやすく読みやすいだけでなく、皇統無私の伝統の背景や、昭和21年元旦の所謂「人間宣言」の実際の持つ意味まで解説してくれる好著。 《2》日本の保守思想の核心に触れる 先哲を仰ぐ 平泉 澄 (著) 大正15年(1926年)から昭和42年(1967年)までに発表された平泉博士の数多くの著作から15編を抜粋したアンソロジーであり、戦前・戦中・戦後を通じて、平泉博士の思想に全くといっていいほどブレがなく一貫していることに注意したい。昭和7年(1932年)のエドマンド・バーク批評、昭和29年(1954年)に吉田茂(首相)・岸信介(憲法調査会会長)に招聘されて首相官邸で行った「国体と憲法」講義(マッカーサー憲法の廃棄と明治憲法の復活を自由党議員に訴えた内容です)、更に吉田松陰・橋本景岳・真木和泉守・山崎闇斎・山鹿素行など日本史上の重要思想家についての論述を含み、平泉博士の解説を通じて日本の保守思想の最重要部分に触れることができる一冊。※ステップ1の物語日本史の内容を更に詳しく、本格的に説明している。 ■まとめ■日本の保守思想の再評価の動き 以上、日本の保守思想を論じる上は、その本命である平泉澄博士の所謂「皇国史観」(正しくは皇国護持史観)および、その国体論の再評価を避けることは出来ない(ここを避けているような解説は解説の用を成さない)。 マルクス主義者やリベラル左翼が長く主流を占める戦後日本の言論界・教育界においては、一代の碩学である平泉博士の業績は不当に貶められ、また無視されてきたが、ソ連崩壊を経て、西暦2000年代に入って漸く、東大閥の強い関東ではなく、京大閥が主流の関西で主に再評価の動きが顕在化してきた。 またそれと軌を一にして、平泉博士もその一翼を担った戦前・戦中の日本主義者(当時の用語で「観念右翼」と呼ばれた伝統保守)の再評価も始まっている。 上で紹介した植村和秀氏の『丸山眞男と平泉澄』、井上義和氏の『日本主義と東京大学』はその主要な成果である。 しかしながら、こうした再評価に対して、旧来のリベラル左翼やマルクス主義者の側からヒステリックで感情的な反発が噴出しており、日本思想の一般的な解説書は、近刊のものでも相変わらず「皇国史観=軍国主義」という刷り込みに終始しているものが見受けられるので注意したい(例えば日本思想史ハンドブック(苅部直・片岡龍) ・・・苅部氏は丸山眞男の直弟子)。 ※参考:2009年5月に放映されたNHK特集JAPANデビュー第二回「天皇と憲法」 “神風特攻隊や一億玉砕を扇動した極悪非道な人物”として平泉澄博士を糾弾しているNHK※なお動画に大きく出てくる立花 隆(たちばな たかし、本名:橘 隆志 1940年5月28日 - )は、2002年秋に拉致事件が大きく報道されるまでは「戦前の日本は今の北朝鮮のような異常な国家だった」とする持論を盛んに展開していた代表的な左翼言論人であるが、実は戦前に右翼団体愛郷塾を率いて五・一五事件の襲撃犯となった橘孝三郎を父のいとこに持つ人物である。橘孝三郎は、一家一族のほとんどを率いて兄弟村農場を経営し、愛郷塾という集団農業を実践する社会主義的結社を創設、血盟団の井上日召と思想的に共鳴し、更に大川周明の影響を受けた海軍下士官と組んで、5.15事件では塾生7人を率いて東京の変電所を襲撃 した。→つまり今は左翼言論人の代表格の立花隆のルーツは、戦前の右翼過激派であることに注目。 (詳しくはNHKの正体・上級編へ) いずれにせよその抜群の学問的実績、そして戦前~戦後を通じて保守陣営に対して保持した影響力の大きさから考えて平泉博士の保守思想の一層の再評価は不可避であり、今後に注目したい。 ここでの再評価の進展が、日本の保守思想全体の再評価に直結するはずである。 (参考図書) 『昭和の思想』(植村和秀:著) ★評価2010年11月に出版された好著。戦前から戦後及ぶ昭和期日本の思想状況が、要点を絞って明瞭かつ簡潔にまとめられている。非常にお勧め。(以下amazonより引用)・内容説明昭和の思想を総体的に俯瞰する画期的論考。思想弾圧と戦争の暗さ。世界に挑戦する日本という明るさ。奇妙な時代=戦前昭和期を中心に、丸山眞男・平泉澄・西田幾多郎・簑田胸喜の思想から時代の本質を剔る・内容(「BOOK」データベースより)「戦前=戦後」だけでなく、昭和はつねに「二つの貌」を持っていた。皇国史観から安保・学生運動まで、相反する気分が対立しつつ同居する昭和の奇妙な精神風土の本質を、丸山眞男・平泉澄・西田幾多郎・蓑田胸喜らの思想を元に解読する。・目次第1章 日本思想は二つ以上ある第2章 思想史からの靖国神社問題―松平永芳・平泉澄第3章 思想史からの安保闘争・学生反乱―丸山眞男第4章 思想史からの終戦と昭和天皇―阿南惟幾・平泉澄第5章 思想史からの世界新秩序構想―西田幾多郎・京都学派6章 思想史からの言論迫害―蓑田胸喜第7章 二〇世紀思想史としての昭和思想史 『ハンドブック近代日本政治思想史』(長妻三佐雄・植村和秀・昆野伸幸・望月詩史 編著) 【内容説明】西洋の脅威に直面した日本人は、いかなる政治思想を生み出してきたのか。そしてその思想はどのような人々が担ってきたのか。本書では、幕末から昭和にかけての約150年間における思想と思想家について、それぞれの背景、思想、研究動向を詳述し、近代日本政治思想史の全貌を明らかにする。いわゆる「左」だけでなく「右」の政治思想も網羅した有用な一冊。【評価】近代以降の日本思想の概説書。従来型の左派政治思想の概説ではなく、右翼や保守とみなされる人物にも焦点が当たっている良書。 【このページの続き】 日本主義とは何か ■左翼や売国奴を論破する!セットで読む政治理論・解説ページ 政治の基礎知識 政治学の概念整理と、政治思想の対立軸 政治思想(用語集) リベラル・デモクラシー、国民主権、法の支配 デモクラシーと衆愚制 ~ 「民主主義」信仰を打ち破る ※別題「デモクラシーの真実」 リベラリズムと自由主義 ~ 自由の理論の二つの異なった系譜 ※別題「リベラリズムの真実」 保守主義とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ ナショナリズムとは何か ケインズvs.ハイエクから考える経済政策 国家解体思想(世界政府・地球市民)の正体 左派・左翼とは何か 右派・右翼とは何か 中間派に何を含めるか 「個人主義」と「集産主義」 ~ ハイエク『隷従への道』読解の手引き 最速!理論派保守☆養成プログラム 「皇国史観」と国体論~日本の保守思想を考える 日本主義とは何か ~ 日本型保守主義とナショナリズムの関係を考える 右翼・左翼の歴史 靖國神社と英霊の御心 マルクス主義と天皇制ファシズム論 丸山眞男「天皇制ファシズム論」、村上重良「国家神道論」の検証 国体とは何か① ~ 『国体の本義』と『臣民の道』(2つの公定「国体」解説書) 国体とは何か② ~ その他の論点 国体法(不文憲法)と憲法典(成文憲法) 歴史問題の基礎知識 戦後レジームの正体 「法の支配(rule of law)」とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ 立憲主義とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ 「正義」とは何か ~ 法価値論まとめ+「法の支配」との関係 正統性とは何か ~ legitimacy ・ orthodoxy の区別と、憲法の正統性問題 自然法と人権思想の関係、国体法との区別 「国民の権利・自由」と「人権」の区別 ~ 人権イデオロギー打破のために 日本国憲法改正問題(上級編) ※別題「憲法問題の基礎知識」 学者別《憲法理論-比較表》 政治的スタンス毎の「国民主権」論比較・評価 よくわかる現代左翼の憲法論Ⅰ(芦部信喜・撃墜編) よくわかる現代左翼の憲法論Ⅱ(長谷部恭男・追討編) ブログランキング応援クリックをお願いいたします(一日一回有効)。 人気ブログランキングへ
https://w.atwiki.jp/eirei/pages/502.html
柳生俊章(やぎゅう としあきら)日本(大和国)1809~1862統率:C 武力:C 政治:B 知力:C 文化:B 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------柳生藩10代藩主。柳生俊豊の子。日光祭礼奉行、大坂青屋口御加番、半蔵口御門番などを務めた。江戸城の普請にも功績を挙げた。但馬守、飛騨守。 柳生俊豊(やぎゅう としとよ)日本(大和国)1790~1820統率:C 武力:C 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------柳生藩9代藩主。大和国郡山藩主・柳沢保光の六男。柳生俊則の養子となり、家督を継ぐ。飛騨守。 柳生俊則(やぎゅう としのり)日本(大和国)1730~1816統率:B 武力:B 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------柳生藩8代藩主。蝦夷国松前藩主・松前邦広の次男。柳生俊峯の娘を娶り、婿養子として家督を継ぐ。将軍・徳川家斉の剣術指南役を務める。采女正、能登守、但馬守。 柳生俊順(やぎゅう としむね)日本(大和国)1836~1862統率:C 武力:D 政治:D 知力:C 文化:D 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------柳生藩12代藩主。高家旗本の武田信之の次男。柳生俊能の養子となり、家督を継ぐ。半蔵口御門番を務めた。但馬守。 柳生俊能(やぎゅう としよし)日本(大和国)1830~1850統率:C 武力:C 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------柳生藩11代藩主。遠江国相良藩主・田沼意正の子で、田沼意次の孫に当たる。柳生俊章の養子となり、家督を継ぐ。田安御門番役を務めた。飛騨守。 安富才助(やすとみ さいすけ)日本(備中国)1839~????統率:C 武力:C 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------新選組の副長。大坪流馬術の遣い手で新選組の馬術師範も務めた。戊辰戦争の甲州勝沼の戦い以後は土方と別行動を取ったが会津で合流、函館で土方の戦死を看取る。後に新政府軍に降伏して放免されるが、殺害される。 柳原前光(やなぎわら さきみつ)日本(京都)1850~1894統率:C 武力:C 政治:B 知力:B 文化:B 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------議奏、権大納言・柳原光愛の長男。伯爵。戊辰戦争では東海道鎮撫副総督を務め、甲府城に入ると甲府鎮撫使となる。明治維新後は外務大丞として大蔵卿・伊達宗城と共に日清修好条規を結んだ。その後、枢密顧問官として皇室典範の制定にも関与した。妹の愛子が大正天皇の生母であり、大正天皇の伯父に当たる。 山内豊惇(やまうち とよあつ)日本(土佐国)1824~1848統率:D 武力:D 政治:D 知力:D 文化:D 魅力:D--------------------------------------------------------------------------------土佐藩14代藩主。山内豊資の子で、山内豊熈の弟。兄の死により、藩主となるが、その2週間後に亡くなってしまう。 山内豊興(やまうち とよおき)日本(土佐国)1793~1809統率:D 武力:E 政治:D 知力:D 文化:D 魅力:D--------------------------------------------------------------------------------土佐藩11代藩主。山内豊策の長男。土佐守、侍従。父の隠居により藩主の座に就くが、若くして亡くなる。 山内豊策(やまうち とよかず)日本(土佐国)1773~1825統率:C 武力:C 政治:C 知力:C 文化:B 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------土佐藩10代藩主。山内豊雍の長男。藩校・教授館の拡大や文治の奨励、さらに塙保己一の『群書類従』編纂にも協力した。しかし、郷士の高村退吾殺害事件が起こり、土佐の身分制度が揺らぎ始めた。筑後守、兵部大輔、木工頭、侍従、土佐守。 山内豊資(やまうち とよすけ)日本(土佐国)1794~1872統率:C 武力:C 政治:B 知力:B 文化:B 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------土佐藩12代藩主。山内豊策の次男で、山内豊興の異母弟。専売制の強化、新田開発や銅山開発、藩校・教授館の拡大による文治の奨励、医学進歩の奨励などを行なった。侍従、少将、土佐守、兵部大輔。 山内豊熈(やまうち とよてる)日本(土佐国)1815~1848統率:C 武力:C 政治:C 知力:A 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------土佐藩13代藩主。山内豊資の長男。幼少より聡明で、佐藤一斎に学ぶ。西洋砲術の導入、倹約令による藩財政再建、身分を問わずの登用を行なった。対馬守、土佐守、侍従。 山内豊範(やまうち とよのり)日本(土佐国)1846~1886統率:C 武力:D 政治:C 知力:C 文化:B 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------土佐藩16代にして最後の藩主。12代藩主・山内豊資の六男。先代の山内容堂が安政の大獄で隠居処分となると、藩主に就く。薩摩藩、長州藩などと共に連名で版籍奉還を行ない、廃藩置県の後は、鉄道事業や銀行事業などの成立に寄与する。侯爵。 山内容堂(やまうち ようどう)、山内豊信日本(土佐国)1827~1872統率:C 武力:C 政治:C 知力:B 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------土佐藩15代藩主。12代藩主・山内豊資の弟・山内豊著の子。吉田東洋を起用し、藩政改革を断行した。将軍・徳川慶喜に働きかけ、大政奉還を実現した。維新後は内国事務総裁に就くが、すぐに辞任する。幕末の四賢侯の一人に数えられる。土佐守、侍従、権中納言、麝香間祇候。 山岡鉄舟(やまおか てっしゅう)日本(江戸)1836~1888統率:A 武力:A 政治:B 知力:C 文化:A 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------幕末期の幕臣。『幕末の三舟』。高橋泥舟の義弟。千葉周作門下の剣客で、江戸幕府剣術世話役。浪士組の取締役を務め、若年寄格幹事となる。江戸開城の会談にも立ち会う。維新後は、県政に携わった後、天皇の侍従となり、子爵となる。剣・禅・書の達人として知られ、一刀正伝無刀流(無刀流)を起こした。 山口直毅(やまぐち なおたけ)日本????~????(18世紀)統率:C 武力:D 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------目付、江戸町奉行、外国奉行を歴任。駿河守。アメリカ、イギリス、フランス、オランダの4カ国公使との交渉で神戸港を開港させた。鳥羽・伏見の戦いの後、徳川慶喜に従い、江戸に退去した。 山崎烝(やまざき すすむ)日本(山城国)1833頃~1868統率:C 武力:C 政治:C 知力:B 文化:B 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------新撰組隊士。諸士調役兼監察。京や大阪に土地勘があり、情報収集などの諜報活動で活躍した。禁門の変や長州征伐でも、その能力を発揮したが、鳥羽・伏見の戦いで重傷を負って死亡する。 山田顕義(やまだ あきよし)日本(長門国阿武郡)1844~1892統率:C 武力:C 政治:C 知力:B 文化:A 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------長州藩士。明治初期の政治家、陸軍中将。吉田松陰に学び、戊辰戦争を戦った。岩倉具視に従い欧米を視察し、東京鎮台司令官、清国公使、司法大輔などを歴任し、初代司法卿となった。伯爵。日本大学、國學院大學の学祖。 山南敬助(やまなみ けいすけ)、藤原知信(ふじわらの とものぶ)日本(陸奥国)1833~1865統率:B 武力:B 政治:B 知力:A 文化:A 魅力:A--------------------------------------------------------------------------------仙台を脱藩した後、江戸の北辰一刀流・千葉周作の門人となる。小野派一刀流の免許皆伝。近藤勇に感服し、試衛館に出入りし、近藤らと共に浪士組に参加、新選組の総長(副長)となる。しかし、隊の意見と対立し、脱走を試みるが捕捉され、覚悟を決め切腹する。温厚で面倒見が良かった。 山本覚馬(やまもと かくま)日本(陸奥国会津)1828~1892統率:C 武力:C 政治:A 知力:B 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------会津藩士。砲術師範・山本権八の長男、新島八重の兄。国家構想として『管見』を建白する。明治維新後は、京都府顧問として府政を行なう。新島襄に協力して同志社大学の設立にも尽力した。 横井小楠(よこい しょうなん)日本(肥後国熊本)1794~1851統率:C 武力:C 政治:A 知力:A 文化:A 魅力:B--------------------------------------------------------------------------------熊本藩士。儒学者。私塾「四時軒」を開き、福井藩主・松平春嶽の政治顧問も務めた。幕藩体制を批判し、「公共」や「公用」の視点で物事を考えた。明治維新後、新政府にも参与するが、「日本をキリスト教化しようとしている」、「国家転覆を狙っている」といったデマによって十津川郷士たちに暗殺された。 横山常忠(よこやま つねただ)日本(岩代国会津)1847~1868統率:B 武力:B 政治:C 知力:C 文化:B 魅力:B--------------------------------------------------------------------------------会津藩士。水戸藩主・徳川昭武のパリ万博出席に随行し、ヨーロッパを見聞してきた。会津戦争では、はじめ青龍隊の中隊頭を務めたが、後に若年寄を命じられ白河口の副総督として部隊を指揮するが戦死した。 吉田松陰(よしだ しょういん)日本(長門国萩松本村)1830~1859統率:B 武力:C 政治:A 知力:A 文化:A 魅力:A--------------------------------------------------------------------------------萩藩士。幕末期の思想家、教育者、兵学者。佐久間象山に学ぶ。叔父である玉木文之進が開いた松下村塾の講師となり、明治維新の指導者を多く輩出し、事実上の精神的理論者となる。黒船が来航すると密航して渡米しようとするも失敗する。安政の大獄において萩藩から江戸に送還され斬首刑に処された。 吉田東洋(よしだ とうよう)日本(土佐国)1816~1862統率:C 武力:D 政治:A 知力:A 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------土佐藩士。吉田正清の四男。船奉行、郡奉行を務め、土佐藩主・山内豊熈の改革に参加し、人事や法令改正、海防などの意見書をまとめた『時事五箇条』を上奏する。その後も藩主・山内容堂に仕え、参政として富国強兵の改革を行なうが、土佐勤皇党の那須信吾らに暗殺される。 吉田稔麿(よしだ としまろ)日本(周防国松本村)1841~1864統率:C 武力:A 政治:B 知力:A 文化:B 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------長州藩士。吉田松陰の門下で学び、高杉晋作、久坂玄瑞、入江九一と共に『松門の四天王』と呼ばれた。柳生新陰流剣術と宝蔵院流槍術を修め、謹直重厚な人物で知られた。高杉晋作の奇兵隊に参加、身分の低い者のみの屠勇隊を結成する。池田屋事件の際には一時席を外すが、その斬り合いで生命を落とした。 吉村寅太郎(よしむら とらたろう)、吉村重郷日本(土佐国高岡郡芳生野村)1837~1863統率:C 武力:C 政治:D 知力:D 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------土佐藩の庄屋の息子。尊攘思想に傾倒して土佐勤王党に参加するが、薩摩の挙兵(伏見義挙)を聞いて脱藩するが、寺田屋事件で捕縛される。後に公家の中山忠光を旗頭に天誅組を組織するが、八月十八日の政変で状況が一転したため、逆賊として十津川の郷士に討たれた。 良寛(りょうかん)、山本栄蔵日本(越後国)1758~1831統率:C 武力:E 政治:C 知力:B 文化:A 魅力:A--------------------------------------------------------------------------------曹洞宗の僧侶、歌人、漢詩人、書家。無欲で寺を持たなかった。難しい説法を行なわず、質素な生活を示して、格言などで人々に教えを説いた。和歌や書道に長け、『天上大風』の書などを残した。 渡辺崋山(わたなべ かざん)、渡辺定静日本(江戸・麹町)1793~1841統率:C 武力:D 政治:A 知力:A 文化:A 魅力:A--------------------------------------------------------------------------------画家。田原藩家老。画家として成功し、西洋画にも傾倒して蘭学への理解も深めた。蘭学者の支援者として『蘭学にて大施主』と呼ばれた。幕府の外国船排斥の動きを『慎機論』で批判すると、蛮社の獄で処罰された。
https://w.atwiki.jp/mydokusho/pages/63.html
著者:浅田次郎 発行所:中央公論新社 初版:2006年2月10日 感想(2012/2/12) 全然関係ないのだが、私は最近の文学界には少々納得がいかない。 門外漢の私が何を言っても無意味なのだが、読むに値しない本が大量に出版されていて面白い本に出会うことが出来ない。 基本的に私は効率的に物事を進めるのが嫌いで、いや苦手でブルドーザーのように本を読んでいたのですが、最近の本で感心できた本が無い。 これは文学界の問題ではなく、出版会の問題なのかもしれない。 本を出すということを商売と考えていたら、とりあえず出しておけば図書館に大量に収蔵されるだろうから最低水準以上の本を出しておこうという考えなのだろう。 しかし、読む人からしてみたらその程度の本を読むのは時間の無駄にしかならない。 本来、文学というのは時代の反映であり、先駆けであったものだ。 世界においては思想や発展とともに文学はあった。 日本においても、江戸時代は庶民の文化だった出版が明治維新とともに新しい考えを広めたり、口語と文語を統一したり、時代を進めたりしてきた。 その当時、文章を書いていた人たちの教養は、現在の作家のそれと比べると比較にならないだろう。 しかし問題はそこだけではないような気もする。 昔の作家はまだどんなものになるのか解らない日本の文章というものを手探りで、体当たりで作り上げてきた。 翻って、現在の作家は完成された日本の文章の中で新しい時代を描き出すことに挑戦していない。 最近取り上げられる現在の作家が書く時代小説というのは、もう箸にも棒にも引っかからない。 江戸時代の情緒を感じたいのなら落語でも聞いている方がよっぽどましだ。 まぁ、落語も最近はだらしない感じもするが。 二葉亭四迷や夏目漱石も文章の参考にして、口語と文語を結びつけた落語に昔日の勢いが無いのは当然だが、才能が古い世界に流れないのは残念だ。 ニフティで若手の落語を配信しているが、聞いて楽しめるレベルに達している若い人がいないというのは悲しいというか不思議だ。 文学のほうでは、50年代後半から70年代までのSF以降、時代を反映しているといえる文学があったのだろうか。 私は文学とは認めないが、80年代以降のライトノベル(笑)あたりが時代を反映しているというのなら、この時代はたいしたことの無い時代だという証明だ。 本当の問題は読者のほうにある。 大抵の問題は生産者じゃなく、消費者にある。 本来、教養を高め知識を深めるべき読者が買う本こそが良く買われる本になるべきだが、そのエネルギーをなくした読者は本を買うのをやめた。 現在、月に一万円以上本を買っている人は少ないだろう。 私もだいぶ前にそんな時期は過ぎてしまった。 そして実は図書館が敵だ。 便利な図書館でふらっと立ち寄ってかなり専門性の高い本を読むことが出来る。 どんな地方都市でも、文学の分野はかなり充実している。 長々とくだらないことを書き連ねてきたが、何が言いたかったかというと有象無象が文章を書き散らかしているおかげで読むべき本に行き当たるのが難しくなっているということと、文学が時代を反映したり増してや先駆けたりする力を失っているということを言いたかった。 もっとも現在という時代が時代の大きな変換点で、文章で表すのが難しい時代だとも思う。 さらには有形無形のタブーがあちこちに有り、名前を出すことも出来ないということもある。 山崎豊子さんの一連の作品のようなものは綿密な取材と編集陣の度量がないと出ないだろうし、似たようなものはもう出ないだろう。 政治批判や団体に対する分析の文章はリアルなものは出版するのも困難だろう。 逆に、出版されている政治批判や団体分析というのは、ある意味的外れで批判分析された側が許容できる範囲のものでしかない。 この行き詰った時代を切り開く道筋を文章が示せないのは残念だが、それなら俺がやるというにはあまりの力不足。 食うための文章をやっているやつらは全員、餓鬼道に落ちれば良いのに。 前置きが長くなったが、さてこの本は時代小説に見せかけて現在を切ろうと言うちょっとしたチャレンジです。 もちろん完全な成功とはいえないでしょうが、普段時代小説を書かないという割には時代の雰囲気も良く醸せ出せている。 おじいさんが生まれたときに明治維新が起こったという時代の近さが情景を描く手助けになっているのかもしれません。 しかし、携帯電話など新しい道具が出現したことで小説が書きにくくなったという人は努力が足りない。 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/kkrkki/pages/581.html
「松岡紘一」 出身地・千代田区 生年月日・平成6年1月20日 年齢・20歳 血液型・O型 身長・164Cm 体重・57kg 性格・天然 アホ 努力家 得意料理・卵焼き 好きな物・カメラ 好きな食べ物・シチュー 苦手な物・蛙 苦手な食べ物・イカの刺身 イメージ容姿・細田善彦似 髪型・金髪でオールバック 私服・黒のレザージャケット ズボン、緑色のスニーカー。 朝霧漣と城戸千幸とは中学時代からの親友。小学校は違う学校だった。 現在はフリーのカメラマンとして活動をしている。 学生時代のテストではほぼ毎回赤点で追試ばかりだったが、本気を出せばありえない成績を出す。 アホな性格でムードメーカー的存在。 幼馴染みに刑事とデザイナーとモデルの3人がいる。 AT限定普通自動二輪免許を取得している。 愛車・フォルツァZ 家族構成・元プロの写真家の父親、画家の母、フリーターの従兄。 現在家族は別の場所で写真展を経営している為アパートで一人暮らし。 μ`sのメンバー達には名前に「さん」付けで呼んでいる イメージCV・濱野大輝
https://w.atwiki.jp/kbt16s/pages/12.html
<目次> ■はじめに ■ステップ1■国史を通して日本の保守思想のアウトラインを掴む ■ステップ2■保守思想を貶める捏造・歪曲を一掃する《1》歴史分野以上に酷い思想分野でのリベラル左翼の歪曲・捏造 《2》「天皇制ファシズム論」の嘘を見破る 《3》「保守」と「右翼」を区別し正しい認識を得る ■ステップ3■更に深く知るために《1》皇室に関する正しい知識を得る 《2》日本の保守思想の核心に触れる ■まとめ■日本の保守思想の再評価の動き ■はじめに 先日、最速!理論派保守☆養成プログラムを作成したところ 西洋思想ばかりで肝心の日本の思想がない(西洋カブレだ)というご批判や 逆に日本の保守思想もちゃんと知りたい|というご要望をいただきました。 実のところ、西洋思想は、所詮は外国の思想だという割り切りもあって、大胆に「これだ」という風に提示できる一種の気軽さがあったのですが、日本の保守思想については、私達の幾多の先達が大切に守り育て、私達に伝えられた価値観に関することであり、西洋思想のように躊躇なく論じるのは憚る気持ちが強くあります。 しかしながら、不要な誤解も受けたくなく、かつ、これを参考に知識を増やしていただける方が現れるのならば、という気持ちで、浅薄ながら日本の保守思想について、簡便なまとめページを作成しました。 願わくば、このサイトを訪問される有識者の方々、あるいは同学の士の方々からの有意義なコメントを通じて、このページがより適切かつ充実した内容にならんことを。 ■ステップ1■国史を通して日本の保守思想のアウトラインを掴む 名画にみる國史の歩み 小堀 桂一郎 (監修), 所 功 (編集)昭和8年(1933年)今上陛下ご生誕を記念して当代最高の日本画家達により10年の歳月をかけて製作された国史(日本の歴史)を辿る78点の名画集に、平成11年(1999年)今上陛下ご即位満10年の佳節を期して、小堀桂一郎・平泉隆房・新田均各氏を初めとする現代の一流史学者・研究家による解説を付した名品。amazonでページの一部を拝見できる。 物語日本史(上) (中) (下) 平泉澄(著) 講談社学術文庫『物語日本史』の序文(抜粋)(全文は「人権擁護法案マガジン・ブログ版」物語日本史(平泉澄)を読む 第1回、第2回、第3回)(略)昭和二十七年四月、占領は解除せられ、日本は独立しました。長い間、口を封ぜられ、きびしく監視せられていた私も、ようやく追放解除になりました。一年たって昭和二十八年五月二日、先賢の八十年祭に福井へ参りましたところ、出て来たついでに成和中学校で講話を頼まれました。その中学校を私は知らず、中学生は私を知らず、知らぬ者と知らぬ者とが、予期せざる対面で、いわば遭遇戦でありました。講話は極めて短時間で、要旨は簡単明瞭でありました。「皆さん!皆さんはお気の毒に、長くアメリカの占領下に在って、事実を事実として教えられることが許されていなかった。今や占領は終わった。重要な史実は、正しくこれを知らねばならぬ。」と説き起して、二、三の重要なる歴史事実を説きました。その時の生徒の顔、感動に輝く瞳、それを私は永久に忘れないでしょう。生徒一千、瞳は二千、その二千の瞳は、私が壇上に在れば壇上の私に集中し、話し終って壇を下りれば壇下の私に集中しました。見るというようなものではなく、射るという感じでした。帰ろうとして外へ出た時、生徒は一斉に外へ出て私を取巻き、私がタクシーに乗れば、タクシーを取巻いて、タクシーの屋根の上へまで這い上って釆ました。彼らは黙って何一ついわず、何一つ乱暴はしない。ただ私を見つめ、私から離れまいとするようでした。ようやくにして別れて帰った私は、二、三日後、その生徒たちから、真情流露する手紙を、男の子からも、女の子からも、数通もらいました。私の一生を通じて、最も感動の深い講演でありました。成和中学の感動の忘れがたさに、それより十数年後の昭和四十五年、時事通信社より一貫せる日本歴史を書くよう求められた時、純真なる少年に呼び掛ける形を取りました。当時すでに七十六歳の私は、余命計り知るべからず、これを児孫への最後の贈り物、つまり遺書として書こうとし、したがって学者らしく事実を羅列して博学を誇るがごとき形式を好まず、ただ歴史の精粋を抜いて、誠実に父祖の辛苦と功業とを子孫に伝え、子孫もまたこの精神を継承して進むことを期待しつつ、しみじみと誠実に語ろうとして筆を執ったのでありました。(中略)願わくはこの小さき贈り物を満載せる帆船の行手、風穏やかにして波静かなれ。昭和五十三年十二月十日朝 白山寒林の中にて 平泉 澄----上中下3巻本。著者 故・平泉澄博士は、昭和5-6年(1930-31年)欧州に留学しマイネッケのドイツ歴史哲学とフランス革命の思想及びこれに反対するエドマンド・バークの保守思想等を研究、帰国後に抜擢されて秩父宮殿下(昭和天皇の弟君)の日本政治史の侍講を務め、更に昭和13-20年(1938-45年)に渡って東大国史学科にて国体学講座・日本思想史を教授した一代の碩学であり、終戦直後に辞官、その後GHQにより昭和27年(1952年)春まで公職追放され、追放解除後も、左翼マスコミやマルクス主義学者から「平泉史学=狂信的な皇国史観」として異常な誹謗中傷を受けながらも、戦後長くに渡って在野の国史家として保守陣営において重きを為した。この「物語日本史」は、晩年の平泉博士が、日本の未来を担う少年達のために精魂込めて書き記した名著「少年日本史」の文庫版である。 ※(参考)千早鍛錬会パンフレット ↑「物語日本史」の事前読破を推薦していることに注目。 ■ステップ2■保守思想を貶める捏造・歪曲を一掃する 《1》歴史分野以上に酷い思想分野でのリベラル左翼の歪曲・捏造 ~丸山眞男の絶大な影響、「皇国史観」の歪曲 戦後日本の政治思想は、“戦後民主主義の代表”、“岩波文化人のエース”と称され、「国民主権を貫徹するために天皇制廃棄・共和制樹立を最大の政治目標とした」“日本を代表する政治学者・思想家”、故・丸山眞男の絶大な影響下にあり、今も丸山を絶賛する政治学者・思想家たちによって、ほぼ占拠されていることを最初に知っておこう。 丸山眞男の政治思想の中核は、明治以降~戦前・戦中の日本を「天皇制ファシズム」と捉え、昭和20年8月15日をもって、日本の国体は「国民主権」の民主主義国家に変更された、とする所謂「八月革命」論にあり、彼及び彼の信奉者は、この架空の「八月革命」を未来において実現すべく(つまり天皇の廃止による日本の共和国化を究極の目標として)戦後長くプロパガンダ活動を続けてきた。 「理論派保守」を目指す者は、この丸山眞男に代表されるリベラル左翼の思想的欺瞞を正しく見抜き、これを論破する理論的根拠を確立しなければいけない。 丸山眞男と平泉澄昭和期日本の政治主義 植村 和秀 (著) 柏書房 (2004/10)単行本この本は、最速!理論派保守☆養成プログラムでも「西洋の保守思想に留まらず、日本の保守思想の扉を開く貴重な一冊」として紹介したが、丸山眞男の政治思想の欺瞞を打ち破る理論武装のツールとしてやはり最重要である。なお著者 植村和秀氏は、「筆者には丸山眞男も平泉澄も、その支持者の多くのように、無条件に支持することはできない。 丸山には心情的には共感できるが、しかし論理的には納得できない。平泉に論理的には共感できるが、しかし心情的には納得できない。 それにもかかわらず、丸山と平泉の思想史的な意義の重さと、人間的な偉大さとは、素直に承認したい。」と総括しており、厳密な実証的研究を通じて丸山・平泉両者に代表される戦前から戦後にかけての日本の思想対立を対比している為に、返って一層本書の価値が高まっていると思われる。また植村氏が「丸山には心情的には共感できる」「平泉に・・・心情的には納得できない 」としていること自体は、その思想的感化を受けた年代を考慮すれば止むを得ないことである。 (参考)歴史問題の基礎知識 ↑「皇国史観」について正しい認識を得る上で重要 ※一部引用 「皇国史観」(赤旗)という用語は、「早くても昭和17(1942)年6月頃から、大体は昭和18(1943)年頃から文部省周辺の人々によって使われだしたもの」(昆野伸幸『近代日本の国体論』より引用)であり、戦前/戦中の史学者自身が使った用語ではない(戦後にマルクス主義史家が「レッテル」として普及させた用語である)。 そして、その内容としては、 1.国史学者・平泉澄博士に代表される「あくまで歴史の範囲で思考する」流れと、2.アジア主義者/国家改造運動家・大川周明に代表される「日本を盟主とするアジア解放を主張する」流れ(昆野氏論文) の2つがあったが、戦後に史学界を占拠したマルクス主義史家は、皇室や日本国を貶めんがために、日本の伝統的な歴史観/国家観に根ざした1.と、大東亜共栄圏を包摂せんとする新しい思想を示した2.をワザと混用して「戦前/戦中の史学=皇国史観=軍国主義、アジア侵略、全体主義」という刷り込みを行った。 これに関して平泉澄博士門下の田中卓博士は、「一概に皇国史観といってもそれは、・・・1.平泉史学による「皇国護持史観」と、2.戦争末期という時代に迎合して浅薄な国体賛美に努めた「皇国美化史観」と呼ばれるべきもの(の2つ)があると述べ、平泉博士や自らの史観は、日本の伝統を正しく受け継ぐ「正統史観」であると述べている。 なお、ソ連が崩壊した1991年以降は、史学界(主流は、未だ隠れマルクス主義者と思われる)も、従来のように(彼らの言う)「皇国史観」に対して実証研究もせずレッテルだけ貼って一方的に批判することは許されなくなってきており、リンク先にある赤旗や長谷川氏・昆野氏のように戦前/戦中の資料を実際に読んで「実は皇国史観にも多様な内容があった」「実は皇国史観は1940年代に作られた用語だった」などと軌道修正を図っているが、そんな姑息な事をする位ならば、 1 彼らが戦後一貫して貶めようとしてきた1.平泉博士・田中博士らの史観(皇室や日本国を常に善いものと見る正統史観)は実は全体主義とも侵略思想とも無関係だった、 2 国家改造とアジア解放を唱えた2.は実はマルクス主義(具体的にはコミンテルン)の脅威への対抗イデオロギーとして生まれた(実際に、全体主義であり侵略思想であったのはマルクス主義の方だった)、と素直に認めればよいのである。 《2》「天皇制ファシズム論」の嘘を見破る ~明治維新の歪曲、「現人神」「国家神道」という幻想 「皇国史観」(上記)「現人神」「国家神道」といったキーワードで、戦後にマルクス主義歴史家・思想家によって不当に歪曲された諸概念の実際を知り、自虐史観から完全に脱却する。 「現人神」「国家神道」という幻想 新田 均 (著) amazonで一部ページを拝見できます。豊富な実証的研究により、「明治以降の日本は北朝鮮のような異常な絶対主義君主国家だった」という立花隆など左翼の大嘘を完全に打ち破る名著※amazonの内容紹介より一部引用「現人神」「国家神道」??これらの言葉から、現代の日本人はどんなイメージを連想するだろうか。おそらく、狂信的な「天皇崇拝思想」と、それを支えた「国教制度」といったとこだろう。そして、この「日本国民を狂信的な戦争へと導いた思想と制度」は「明治政府が日本の近代化のために考え出した」などとされている。だが著者は、「そのような認識は思い込みに基づく幻想にすぎない」と喝破する。それは最近の実証的歴史研究の成果に照らしても明らかなのだが、これが意外と世間では知られておらず、歴史の専門家でさえ、少し分野が違っただけで知らない者が大多数なのだという。世間で知られていないことがそれほど大きな意味を持たないなら、それでもかまわないのかもしれないが、この「幻想」はわが国の首相の靖国神社参拝問題や政教関係訴訟、さらには教科書問題や外交関係にまで影を落としている。“虚像”が誰によって、いかにして創られたかを検証する。「「現人神」「国家神道」とは、日本国民を狂信的な戦争へと導いた思想と制度である」との嘘八百の言説に異議あり! こういったイメージが幻想に過ぎないことを、実証的歴史研究の成果に照らして明かす。 (参考)右翼・左翼の歴史 ※一部引用 宗教系(仏教系)右翼の登場~右翼思想の過激化 (1) 井上日召(日蓮宗僧侶)と血盟団事件(1932) 群馬県出身の日蓮宗の僧侶。血盟団を組織し、国家革新(昭和維新)実現のため「一人一殺」を合言葉に1932年、井上準之助(前蔵相)・団琢磨(三井財閥重鎮)を暗殺。無期懲役となるが後に特赦を受けた。なお後の日本赤軍のリーダー重信房子の父親は血盟団員であり、井上日召は赤ん坊の重信を膝に抱いたことがあるといわれる。 (2) 田中智学(日蓮宗系新興教団)と「八紘一宇」論 田中は日蓮宗の在家信者組織として国柱会を組織し、日蓮主義と国家主義の統合を目指した。1903年には、日蓮を中心にして「日本國はまさしく宇内を靈的に統一すべき天職を有す」という意味の「八紘一宇」なる新語『日本書紀』巻第三神武天皇の条の「掩八紘而爲宇」の記述から造り、日本は世界を道義的に統一する使命がある、とする思想を唱えた。のちにこの言葉が人口に膾炙して大東亜戦争のスローガンにまでなった。 (3) 加藤玄智(浄土真宗在家信者)と天皇絶対神論・国家的神道論 加藤は新仏教同志会の創立者の一人であり、東京帝国大学で宗教学を教えた浄土真宗の信者であるが、同僚の外国人教授の天皇論に刺激を受けて、1912年に『我が国体思想の本義』を刊行し、古来からある天皇「神裔」論を超えて天皇「現人神」論を提唱して「日本に於いては臣民は天皇に絶対服従する」とする天皇絶対神論を主張した。1925年には更に「国家的神道(State Shinto)」なる新語を造り外国に日本人の信仰の在り方として積極的に紹介したために、欧米諸国に、この天皇絶対神論と国家神道論が日本の宗教の実態だと誤解され、後にGHQによる神道指令と天皇の所謂人間宣言を招き、今に至るまで戦前の宗教的制度についての広範な誤解を招いている。 http //d.hatena.ne.jp/jinkenvip/20070312/1173709974 《3》「保守」と「右翼」を区別し正しい認識を得る ~戦前・戦中(昭和10年代)の「右翼」は実は2種類あることを知る。 「革新右翼(アジア主義を志向し、国家改造を目指した国家社会主義者)」と「観念右翼(アジア問題への介入に慎重または無関心の伝統保守・日本主義者)」を区別する。 日本主義と東京大学―昭和期学生思想運動の系譜 井上 義和 (著) こちらも豊富な資料に基づく実証的研究により、戦後にマルクス主義者やリベラル左翼によって「右翼」と一括して糾弾され貶められてきた保守思想の実際を教えてくれる一冊。※革新右翼と観念右翼の理念型(一部内容を引用)1.革新右翼…国家改造/高度国防国家/解釈改憲/指導者原理/統制経済/親ソ・親独/世界史的な使命/陸軍統制派/革新官僚/無産政党/国家社会主義2.観念右翼…国体明徴/国民精神総動員/護憲(不磨の大典)/臣道実践/資本制擁護/反共・反独裁/日本史的な道統/陸軍皇道派/財界/既成政党(現状維持派)/自由主義者 (参考)日本会議ホームページ ↑「観念右翼(伝統保守)」の代表として上記の本で紹介されている故・小田村寅二郎氏の弟・小田村四郎氏(元拓殖大学学長、日本李登輝友の会会長)が副会長を務めている、日本最大の保守系団体。チャンネル桜と共同で保守活動を行うことも多い。 なお日本会議の前身の一つである「日本を守る会」は、建国記念の日(旧紀元節)実現運動、元号法制化運動、教育正常化運動などに地道に取り組み成果を上げてきた。 このうち建国記念の日を旧紀元節(2月11日)とすることに理論的根拠を与えたのが、平泉澄博士の高弟である田中卓博士である。 ■ステップ3■更に深く知るために 《1》皇室に関する正しい知識を得る 宮中見聞録―昭和天皇にお仕えして 木下 道雄 (著) 皇太子時代から終戦前後、更に戦後にかけて昭和天皇に近侍し、侍従次官を勤めた木下道雄氏による著作。親しみやすく読みやすいだけでなく、皇統無私の伝統の背景や、昭和21年元旦の所謂「人間宣言」の実際の持つ意味まで解説してくれる好著。 《2》日本の保守思想の核心に触れる 先哲を仰ぐ 平泉 澄 (著) 大正15年(1926年)から昭和42年(1967年)までに発表された平泉博士の数多くの著作から15編を抜粋したアンソロジーであり、戦前・戦中・戦後を通じて、平泉博士の思想に全くといっていいほどブレがなく一貫していることに注意したい。昭和7年(1932年)のエドマンド・バーク批評、昭和29年(1954年)に吉田茂(首相)・岸信介(憲法調査会会長)に招聘されて首相官邸で行った「国体と憲法」講義(マッカーサー憲法の廃棄と明治憲法の復活を自由党議員に訴えた内容です)、更に吉田松陰・橋本景岳・真木和泉守・山崎闇斎・山鹿素行など日本史上の重要思想家についての論述を含み、平泉博士の解説を通じて日本の保守思想の最重要部分に触れることができる一冊。※ステップ1の物語日本史の内容を更に詳しく、本格的に説明している。 ■まとめ■日本の保守思想の再評価の動き 以上、日本の保守思想を論じる上は、その本命である平泉澄博士の所謂「皇国史観」(正しくは皇国護持史観)および、その国体論の再評価を避けることは出来ない(ここを避けているような解説は解説の用を成さない)。 マルクス主義者やリベラル左翼が長く主流を占める戦後日本の言論界・教育界においては、一代の碩学である平泉博士の業績は不当に貶められ、また無視されてきたが、ソ連崩壊を経て、西暦2000年代に入って漸く、東大閥の強い関東ではなく、京大閥が主流の関西で主に再評価の動きが顕在化してきた。 またそれと軌を一にして、平泉博士もその一翼を担った戦前・戦中の日本主義者(当時の用語で「観念右翼」と呼ばれた伝統保守)の再評価も始まっている。 上で紹介した植村和秀氏の『丸山眞男と平泉澄』、井上義和氏の『日本主義と東京大学』はその主要な成果である。 しかしながら、こうした再評価に対して、旧来のリベラル左翼やマルクス主義者の側からヒステリックで感情的な反発が噴出しており、日本思想の一般的な解説書は、近刊のものでも相変わらず「皇国史観=軍国主義」という刷り込みに終始しているものが見受けられるので注意したい(例えば日本思想史ハンドブック(苅部直・片岡龍)・・・苅部氏は丸山眞男の直弟子)。 ※参考:2009年5月に放映されたNHK特集JAPANデビュー第二回「天皇と憲法」 “神風特攻隊や一億玉砕を扇動した極悪非道な人物”として平泉澄博士を糾弾しているNHK※なお動画に大きく出てくる立花 隆(たちばな たかし、本名:橘 隆志 1940年5月28日 - )は、2002年秋に拉致事件が大きく報道されるまでは「戦前の日本は今の北朝鮮のような異常な国家だった」とする持論を盛んに展開していた代表的な左翼言論人であるが、実は戦前に右翼団体愛郷塾を率いて五・一五事件の襲撃犯となった橘孝三郎を父のいとこに持つ人物である。橘孝三郎は、一家一族のほとんどを率いて兄弟村農場を経営し、愛郷塾という集団農業を実践する社会主義的結社を創設、血盟団の井上日召と思想的に共鳴し、更に大川周明の影響を受けた海軍下士官と組んで、5.15事件では塾生7人を率いて東京の変電所を襲撃 した。→つまり今は左翼言論人の代表格の立花隆のルーツは、戦前の右翼過激派であることに注目。 (詳しくはNHKの正体・上級編へ) いずれにせよその抜群の学問的実績、そして戦前~戦後を通じて保守陣営に対して保持した影響力の大きさから考えて平泉博士の保守思想の一層の再評価は不可避であり、今後に注目したい。 ここでの再評価の進展が、日本の保守思想全体の再評価に直結するはずである。 (参考図書) 『昭和の思想』(植村和秀:著)★評価2010年11月に出版された好著。戦前から戦後及ぶ昭和期日本の思想状況が、要点を絞って明瞭かつ簡潔にまとめられている。非常にお勧め。(以下amazonより引用)・内容説明昭和の思想を総体的に俯瞰する画期的論考。思想弾圧と戦争の暗さ。世界に挑戦する日本という明るさ。奇妙な時代=戦前昭和期を中心に、丸山眞男・平泉澄・西田幾多郎・簑田胸喜の思想から時代の本質を剔る・内容(「BOOK」データベースより)「戦前=戦後」だけでなく、昭和はつねに「二つの貌」を持っていた。皇国史観から安保・学生運動まで、相反する気分が対立しつつ同居する昭和の奇妙な精神風土の本質を、丸山眞男・平泉澄・西田幾多郎・蓑田胸喜らの思想を元に解読する。・目次第1章 日本思想は二つ以上ある第2章 思想史からの靖国神社問題―松平永芳・平泉澄第3章 思想史からの安保闘争・学生反乱―丸山眞男第4章 思想史からの終戦と昭和天皇―阿南惟幾・平泉澄第5章 思想史からの世界新秩序構想―西田幾多郎・京都学派6章 思想史からの言論迫害―蓑田胸喜第7章 二〇世紀思想史としての昭和思想史 【このページの続き】 日本主義とは何か ~ 日本型保守主義とナショナリズムの関係を考える ■左翼や売国奴を論破する!セットで読む政治理論・解説ページ 政治の基礎知識 政治学の概念整理と、政治思想の対立軸 政治思想(用語集) リベラル・デモクラシー、国民主権、法の支配 デモクラシーと衆愚制 ~ 「民主主義」信仰を打ち破る ※別題「デモクラシーの真実」 リベラリズムと自由主義 ~ 自由の理論の二つの異なった系譜 ※別題「リベラリズムの真実」 保守主義とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ ナショナリズムとは何か ケインズvs.ハイエクから考える経済政策 国家解体思想(世界政府・地球市民)の正体 左派・左翼とは何か 右派・右翼とは何か 中間派に何を含めるか 「個人主義」と「集産主義」 ~ ハイエク『隷従への道』読解の手引き 最速!理論派保守☆養成プログラム 「皇国史観」と国体論~日本の保守思想を考える 日本主義とは何か ~ 日本型保守主義とナショナリズムの関係を考える 右翼・左翼の歴史 靖國神社と英霊の御心 マルクス主義と天皇制ファシズム論 丸山眞男「天皇制ファシズム論」、村上重良「国家神道論」の検証 国体とは何か① ~ 『国体の本義』と『臣民の道』(2つの公定「国体」解説書) 国体とは何か② ~ その他の論点 国体法(不文憲法)と憲法典(成文憲法) 歴史問題の基礎知識 戦後レジームの正体 「法の支配(rule of law)」とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ 立憲主義とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ 「正義」とは何か ~ 法価値論まとめ+「法の支配」との関係 正統性とは何か ~ legitimacy ・ orthodoxy の区別と、憲法の正統性問題 自然法と人権思想の関係、国体法との区別 「国民の権利・自由」と「人権」の区別 ~ 人権イデオロギー打破のために 日本国憲法改正問題(上級編) ※別題「憲法問題の基礎知識」 学者別《憲法理論-比較表》 政治的スタンス毎の「国民主権」論比較・評価 よくわかる現代左翼の憲法論Ⅰ(芦部信喜・撃墜編) よくわかる現代左翼の憲法論Ⅱ(長谷部恭男・追討編) ブログランキング応援クリックをお願いいたします(一日一回有効)。 人気ブログランキングへ
https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/21592.html
登録日:2011/06/26(日) 21 32 43 更新日:2022/07/12 Tue 09 09 21 所要時間:約 6 分で読めます ▽タグ一覧 スラムダンク←は関係ない トヨタ 三井 三井グループ 企業 企業グループ 企業集団 大企業 東芝 財閥 社長会:二木会 銀行:三井銀行→さくら銀行→三井住友銀行 元は三井家によって形成された日本最大の財閥。 戦後も六大企業グループの一つとして現在も日本経済に多大なる影響を与えている。 ▽目次 ◇歴史 □主な所属企業○『三井』がつく企業 ○『三井』が付かない会社 ○準三井系企業 ○三井グループと親密な企業 ◇歴史 三井の根元は平安時代まで遡る。 出は(ぶっちゃけ誰もがそうだが)藤原氏の末裔と言われ、近畿佐々木家の家臣となる。 佐々木家没落の後伊勢の松坂に移住して質屋・酒屋を営んだ。 そして… 時は延宝の世… 全ては三井高利(名前が既にアレ)が1673年、京都・江戸に越後屋呉服店を開業したのに始まる。 みんなも小学校で勉強したはずだ。 『現銀(金じゃない)掛値なし』 これは『掛値(実際の売値より値段を高くつけること)をしないから今ここでナマで払え』 という意。 今までは売値を少し高くして貸付という形で代金を回収していた。 今では当たり前だが当時としては画期的で、この薄利多売戦略は大成功。 その後江戸・大坂(今の大阪)に両替商を開業。 幕府の御用商となる。 また営業政策も、分業制・賞与制を導入するなど積極的に新機軸を打ち出した。 彼は1694年に死去するが8万1000両とも言われる莫大な財産を残し、三井家繁栄の礎を築いた。 その後、明治維新を迎える。 政商として常に権力に密着。 商売敵である新興の三菱・古河を抑え、 また元老井上馨の援助を得、財閥を着々と形成していく。 しかし、WW2敗戦の後、GHQの財閥解体により三井系企業はバラバラに。 同時に三井家と企業も切り離された。 だが、GHQは去り、主権が日本に戻ると三井系企業は三井銀行を中心に再結集を図る。 政府は過度経済力排除法などにより防ごうとしたが、他の旧財閥系企業と共に政治家への献金などで骨抜きにし、 見事、三井グループとして再スタートを切った。 □主な所属企業 ○『三井』がつく企業 ◇三井住友銀行 三井銀行→さくら銀行(旧名 太陽神戸三井銀行)→三井住友銀行 実は三井銀行時代は旧財閥系の銀行の中では最弱の銀行だった。 そのため、さくら銀行発足初期は行内の三井派が主導権を取れずにいた。 三井住友銀行もどちらかといえば住友色の方が強い。 ここが発行する三井住友VISAカードはどえらいコピペが有るほど最強だとか。 気になる方はググってみては。 CMも結構しっくりくるよね。 ◇三井住友信託銀行 住友信託銀行と中央三井信託銀行・さくら信託銀行が合併。 信託銀行でも住友と一緒になった。 信託業務は邦銀第1位、銀行業務で邦銀第5位の規模を誇る。 三井住友銀行とは関わりが薄い...というかどちらかといえば不仲。 ◇三井物産 四大総合商社の一つ。 通称『物産』と呼ばれる。売上では『商事』に劣るが、人の三井と組織力の…と言われる。 同時に三井グループの中核企業の一つでもある。 ◇三井不動産 総合不動産会社。 財閥解体により清算中の三井本社を合併したので一応三井の本流。 日本初の超高層建築、霞が関ビルを所持。 ◇商船三井 海運会社。 日本郵船と並ぶ代表的定期船会社。ここも旧住友系の大阪商船と合併している。 基本は貨物船の運行主体だが、大阪商船由来のクルーズ船部門や商船三井由来の国内フェリー部門(さんふらわあ)もある。 ◇三井化学 総合化学会社。 国内二位。ちなみに一位は永遠のライバル、三菱化学。 ◇三井金属鉱業 総合非鉄金属会社。 液晶の普及によりガッポガッポ。 採掘から精製まで一貫生産している。 神岡鉱業所は東洋一。 ◇三井住友建設 家憲として建設業に参入しなかった三井家が、昭和になりやっと重要性に気が付き設立。 霞が関ビルの設計・施行に取り組む。 その後住友建設と合併。 ◇三井住友海上火災保険 元業界三位。 ここも住友海上火災保険と合併。 ◇三井生命保険 大手8社の一角。しかし日本生命傘下になったことで、三井グループには留まるも「三井」の名前を使い続けることができなくなり、2019年に社名変更した。 ◇三井倉庫 個人向けの引っ越し業もやっている。 ◇三井造船 船舶用ディーゼルで世界トップ。 船を造るノウハウを応用して家も造る。 ○『三井』が付かない会社 ◇IHI 旧称:石川島播磨重工業 名前変えたのは正解だったと思う。 石川島(ryはなんか田舎臭いし。 ジェットエンジン造ったりいすゞ自動車を生んだりしてる。 なのにいすゞ自動車は三井グループじゃない。 …気にするな。 同じグループの東芝と仲良し。 ◇王子製紙 国内最大売上高の総合製紙会社。 戦前は一時紙生産の80%を占めたこともある。 ◇三機工業 総合建築設備会社。 新大阪ホテルや虎ノ門病院造ったり。 ゴミ焼却処理施設も造れます。 ◇太平洋セメント 国内シェア40%で業界最大手。 ◇電気化学工業 昔から肥料造っているけど、最近はセラミックスとかも造っている。 ◇東芝 家電からミサイル、果ては原発まで手掛けたかつての総合電機メーカー。 ◇トヨタ自動車 自分でトヨタグループを形成するほど強大なので二木会ではオブザーバー。 元々は三井財閥とは無関係だったが、戦後すぐに経営危機に陥った際に三井銀行(当時は帝国銀行)と東海銀行が融資をして救済した。 これにより6大グループの中でも三井と特に親密になる。 ちなみに住友銀行(当時は大阪銀行)は貸し剥がしをして、トヨタは未だに恨んでいる(*1)。 後に、さくら銀行が危機に陥ったときには恩返しとしてトヨタグループが資金を融通している。 そのため、三井住友銀行の成立時にトヨタは悶々としたらしい。 ◇東レ 旧称東洋レーヨン。 合成繊維メーカー。 人工腎臓とかの医療にも強い。 ボーイング787用のカーボンファイバー材も作っている。 ◇日本製紙 紙、パルプの最大手メーカー。 ◇日本製粉 業界二位の製粉会社。 ◇三越 越後屋呉服店の進化形態。日本最初のデパートメントストアだった。 ちなみに日本橋本店は最初3階建てだった。 2008年に伊勢丹と合併し「三越伊勢丹ホールディングス」となった。 ○準三井系企業 ◇カネボウ 旧称:鐘紡 トイレタリー・薬品・ファッション・化粧品などの総合メーカー。 「ペンタゴン経営(*2)」を行い、一時は化粧品を筆頭にノリノリだった。 が、ちょっと前に産業再生機構に支援を要請するレベルに経営がヤバいことが発覚。 みんな大騒ぎになり、かつての法人は解散。 ◇トーメン 旧称:東洋綿花 総合商社。 元々綿花を扱っていたが経営の多角化により総合商社に進化。 ◇東燃ゼネラル石油 総合石油会社。 米エクソン系。 ○三井グループと親密な企業 系列ではないが三井グループと親密な企業。 ◇セブン アイグループ イトーヨーカドー、セブンイレブンなどで知られる流通グループ。 グループそのものは独立したものであるが、商品開発や流通ルートなどで三井グループと関係が深く、実質的な「三井グループの小売部門」的な存在。 ◇ソニー こちらも企業グループ自体は独立したものであるが、創業時からメインバンクが三井銀行(現・三井住友銀行)であり、歴代の三井銀行重役が取締役に就任しているなどで関係が深い。 ◇現在 上記の通り住友系と仲良しなようである。 銀行も三井住友銀行として両グループを橋渡ししているのでこの流れは止まらないと思われる。 三井系社員の方は追記・修正お願いします。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 白斑事件でカネボウマジでオワタ -- 名無しさん (2013-09-18 19 03 59) 明治維新の番頭三野村さんはマジ偉人 -- 松永さん (2013-11-04 19 57 26) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/sakura398/pages/269.html
昭和維新 1930年代初め頃から軍部革新派の青年将校や、超国家主義者が用いたスローガン。財閥・議会政治などを倒して、天皇と国民が「君民一体」となった国家へ改造することを内容とした。明治維新にならって昭和維新と自称したが、ニ・ニ六事件で皇道派が力を失い、軍上層部・政府が挙国一致の国家総動員を推し進めるようになると、このスローガンは使われなくなった。 錦旗革命 1930年代の右翼運動のスローガンであるが、具体的には1931年10月、荒木貞夫を担いで国家改造を企図した未発のクーデター計画を指す。十月事件ともいう。橋本欣五郎、長勇など陸軍将校を中心とし、民間からは大川周明らが参加した。軍首脳部の躊躇と分裂のために未発に終わったにせよ、これによって若槻内閣は退陣を余儀なくされた。この事件を契機として軍は政治的発言を強め、その後のクーデターを容易にする前例を作った。なおこの事件は軍内部に「統制派」と「皇道派」とを分化させるなど、軍閥暗闘史の上からも注目される事件であった。 上からの革命 一般に革命は下部の民衆の側から起こされるものであるが、まれに支配階級の側から起こされる場合がある。つまり支配階級は革命的情勢を予知して、自己防衛のため先手を取ろうとするのである。もちろんそれが単なる部分的改革に過ぎないことはいうまでもない。 クーデターcoup d Etat 一般に武力による奇襲攻撃によって政権を奪取することを言う。通常の政権交代方式と違って非合法であることに特徴がある。また革命は支配階級に対する大衆の蜂起とそれに続く既存の体制の転覆であるが、クーデターは支配階級内部の権力争奪である点で革命とも違っている。歴史上有名なのは1799年のブリュメール十八日のナポレオンのクーデターである。なお日本の二・二六事件はクーデターの失敗した例である。 国民革命(広辞苑より) ①1925~28年、国民革命軍の北伐による中華民国国民政府の中国統一運動。大革命ともいう。②1923年ミュンヘンに運動を発し、33年独裁権力を握るに至ったナチ党が、その過程で掲げたスローガン。