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台湾 (※ 7ページに分割されているため読みづらいので1ページに纏めてみた。) 記事URL http //sankei.jp.msn.com/world/news/120825/chn12082507010001-n1.htm 沖縄県・尖閣諸島で、台湾の活動家らの遊漁船による領海侵犯に続き、香港の活動家らが中国国旗や台湾の旗を掲げて上陸するなど、東シナ海の荒波がクローズアップされるなか、台湾海軍艦隊による演習中の沖縄県・与那国島の接近問題が浮上した。艦隊司令への処分をめぐり軍内外で論議を呼び、台湾国防部(国防省に相当)の対応も二転三転。軍内の権力争いが指摘されるなど、台湾の軍当局がかかえる苦悩も浮き彫りになっている。(台北 吉村剛史) ■ “公海上”でも厳罰 「過去にはよくあったこと」「演習中のミスを過度に問題視するのは、日本にこびている」 軍内外で論議の的となった懲戒処分の対象者は第168艦隊の司令、張鳳強少将ら。問題は7月26日未明に発生した。 台湾東部海域での演習に臨んだ同艦隊のキッド級駆逐艦「蘇澳」など3隻は所定の演習海域を離脱して、日本の防空識別圏(ADIZ)内の公海に進入し、与那国に接近。日米双方が「疑問符付き」でレーダー追尾する事態となった。 公海のため日本側から抗議はなかったが、事態を重くみた海軍当局は27日、張少将の司令職を解くなど懲戒処分を決定した。一連の出来事は、8月に入って台湾メディアが報じたことで公になった。 こうした処分に対し、軍の一部や退役軍人らが「厳しすぎる」と問題視。また、海軍司令部の董翔龍司令長官(大将)は、「重大なミス」として、指揮・統率に直接関わる犯罪とされる抗命罪適用も「検討中」と応じ、騒ぎは拡大した。 □政治的配慮を否定 台湾では、東京都の尖閣購入案や日本政府による国有化方針が示される中、7月4日には台湾の活動家らが乗る遊漁船と、同行の海岸巡防署の巡視船などが尖閣諸島で日本の領海を侵犯するなどで、尖閣に対する意識がたかまっていた。 折しも8月5日には、馬英九総統が、この周辺海域での争いの棚上げや、関係各国・地域による行動規範の策定、資源共同開発のシステム構築など5項目からなる「東シナ海平和イニシアチブ」を提唱した。 馬総統は尖閣諸島の台湾の主権を主張しつつも、漁業協定締結などを念頭に現実問題をクリアしたいとのサインを発し、台湾の存在感を示そうとしたとみられる。だが、そのタイミングは軍の処分と時期が近かっただけに、「総統の顔に泥を塗ったために厳しい処分となった」との見方も出た。 こうした中、張少将が海域離脱前に2度にわたって演習監督部門に離脱針路を電文で報告した記録が確認され、監督部門が黙認した疑惑も浮上。さまざまな証言の食い違いの中で、結局は関連部署全てのミスが指摘され、董司令長官も自身を処分対象に加えるよう要請するなど、一転、処分を軍全体で見直すこととになった。 馬総統も「規定に沿った適切な処分を望む」と発言する中、軍では時系列を示し、総統提唱と処分との関連の否定に追われた。 ■ 複雑な“お家事情” 結局、当初の処分は識者を加えた13日の海軍司令部の審議で、10(識者)対6(軍)で覆され、張少将への懲戒処分は撤回された。 また国防部軍事法廷内検察当局も20日、張少将に問われた職責違反の罪は「嫌疑不十分」として不起訴処分を発表。海軍では21日、行政処分の適用を検討する旨、発表した。 こうした国防部、軍のダッチロールの中で、軍周辺では「陸海軍の反目が背景」「政治的配慮が絶対の国防部と、士気の維持に腐心する軍のせめぎあいが絡んでいる」などと「お家事情」を指摘する声も漏れている。「そもそもわが軍の“国軍”としての歴史は浅く、いまなお共産軍を仮想敵とする国民党軍のDNAが濃い」という周辺者も。 また、2008年の馬政権発足後の対中関係改善を受け、「事実上の“無敵”陸海空軍と化し、人員なども削減される中、士気を保つために、現場では軽度の挑発的行為も黙認されていた」ともいわれる。 さらには、こんな見方も。「軍内で問題山積の時期に尖閣騒動が起き、現場は士気をたかめるチャンスとみた。だが総統の腹は、一触即発の状態の中で『平和的解決』を提唱し、台湾の発言力を示したかった。9月人事の対象とされる高華柱国防部長(国防相=陸軍出身)はメンツを潰され、結局、一罰百戒で、陸軍閥による海軍への攻撃、あるいは海軍内での独断専行勢力への粛正、中枢の責任逃れが画策された」 ■ 多くの矛盾を抱える軍 事実、軍現場の独断専行は安全保障問題に直結するために、台湾当局としてはゆるがせにできない問題だが、支持率低下の渦中にある馬政権は政治問題化を避けたいため、「最終的には広く薄い処分となる」(軍関係者)と見通されている。 ただ、こうした軍の抱える動揺や矛盾の象徴として、騒動の中で、海軍の駆逐艦に採用されているコンピューターシステムが中国製だった、という事実も明らかになった。 与党・中国国民党寄りとされる有力紙、聯合報の系列の聯合晩報の8月20日付記事によると、168艦隊の「蘇澳」同様の、261戦隊のキッド級駆逐艦が、2008年にデル社の代理店を通じて導入した訓練用コンピューターシステムが中国での製造品だったことがわかった。 これには一般家電同様に、1年間の保証期間が設定されていたが、もし、この期間内に実際に故障が生じれば、機材はデル社を通じ、同システムの製造工場のある中国に運ばれることになっていた、という。 しかし、実際には軍の規定で備品の中国での修理はできず、また保証期間内は他社では修理を受け付けてもらえない、という規定もあった。 すでに期間を過ぎたため、他社への修理依頼も可能だが、同紙は「もし保証期間内に故障が起きていれば、修理にも出せないまま、期間が終了し、他社に修理依頼できる日がくるのをひたすら待たねばならなかった」と指摘している。 ーーーーーーーーーーーーーーー 台湾海軍艦隊の与那国接近で艦隊司令が演習海域離脱前に針路を演習監督部門に電文で報告していたことを報じる台湾有力紙、聯合報(吉村剛史撮影)
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650年キャエシンス帝国の政権をとった党 弱腰政治で700年から傾き始め770年クワイエ国を産出し今に至る
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軍閥「張作霖」の兵力や装備は如何程の物だったのでしょうか 中国兵は、戦争前半はモーゼル銃,戦争後半はM1を使ってたって感じですかね? なんで日本の同盟国のドイツの銃を中国人が使ってるんすか? 日中戦争時の中国兵って弱いイメージがあるけれど、実際どうなんですか? 蒋介石は北支での停戦が成った後も、第二次上海事変を仕掛けて挑発し、ゼークトラインで殲滅を図ったようだけど、何故こんな行動に出たの? 国民党軍は各国から援助を受けてたと聞きましたが、日本軍の装備の方が質,量ともに優れていたということなんでしょうか? 数で優勢な中国軍が日本軍相手に負け続け、日本軍が一方的に攻め込めた理由は? 日中戦争の初期、中国軍機が台湾の日本軍基地を空襲したと聞いたことがあるが、詳しいこと分かりませんか? 中国軍が日本本土を空襲したって本当ですか? 日華事変時の中国軍に空軍や海軍は存在したのですか? 日華事変時の、特に上海攻防戦での蒋介石軍の戦闘機と戦車について教えてください 大戦時の中国戦線の国民党の米軍式陸軍は強かったのでしょうか? 中国戦線で、共産党軍兵士が日本兵あるいは国民党軍兵士の人肉を嗜好品として食べたという逸話は事実ですか? 国民党軍の装備について教えて。 中国って日本との戦争中に独自の兵器を生産していたのですか? 中国ってちゃんと空襲警報があったんですか?日本の爆撃機が来ると警報してたんですか? 国民党軍が使っていた戦車は一号戦車以外にもありますか? 第1次世界大戦後の戦間期の頃、ドイツと国民党の間には深い繋がりがありますが 大戦中の中国側の兵器供給元は何所なのでしょうか? 蒋介石は重慶を落とされたら、次はどこに逃げるつもりだったのでしょうか? 軍閥「張作霖」の兵力や装備は如何程の物だったのでしょうか 海軍は河用砲艦くらいはあったかもしれませんが、英語の中国地名がよく判らんので割愛。 陸軍の戦車はルノーFTが1927年に配備されています。 他の装備は日本のモノを中心に雑多なものだったんじゃないか、と。 日本軍の輸出兵器スレにあったような気もしますが…。 航空兵力としては、これもフランス中心で、ポテ25A2"保貞"が少なくとも15機、 ドボアチーヌD.27C1戦闘機が数機、ユンカースK-53偵察機、K-43爆撃機が数機あったようです。 (34 眠い人 ◆ikaJHtf2) 中国兵は、戦争前半はモーゼル銃,戦争後半はM1を使ってたって感じですかね? モーゼル銃は日中戦争~太平洋戦争を通じて使われています。 米軍装備は供給されはしていますが、歴戦の師団は前線に出されることが 多く、それらはフォン=ゼークト将軍らの軍事顧問団によって育成されたため に、ドイツ式の武器体系から米軍式の武器体系に切り替えることが遅れました。 これら精鋭師団に関しては、戦争末期から戦後に掛けて改変が行われましたが、 米軍式装備への習熟度が足りず、為に国共内戦に戦力たり得ず、国民党軍が敗北した原因の一つとなっています。 米軍式装備を配備した師団は後方の師団でそれも精鋭ではありません。 (40 眠い人 ◆ikaJHtf2) なんで日本の同盟国のドイツの銃を中国人が使ってるんすか? 支那事変時にはまだ独は同盟国ぢゃないよ。 当時の国民党軍には独から軍事顧問が派遣されて居り、 独軍事顧問は独商社HAPROと癒着していたので、 HAPROは各種独製兵器を輸出して中国兵器市場に大きなシェアを誇っていた。 (40 402) 日中戦争時の中国兵って弱いイメージがあるけれど、実際どうなんですか? 士官学校が出来たてな上に、軍閥の跳梁跋扈や日本の侵略により、指揮官を急造せざるを得なかった。 その為、指揮官の能力の低さや損害からの回復能力に問題があったのが原因。 緒戦で一枚看板の精鋭部隊が壊滅した為、戦況が劣勢に陥っている間は、 訓練未了の弱兵、民兵を前線に出さざるを得なかった初期の状況が弱いイメージに繋がっているのだろう。 アメリカの支援の下、ちゃんと訓練をした米式軍隊は北部ビルマや末期の反攻に大いに活躍してる。 (350 658) 蒋介石は北支での停戦が成った後も、第二次上海事変を仕掛けて挑発し、ゼークトラインで殲滅を図ったようだけど、何故こんな行動に出たの? 大軍を動員して補給出来て、日本軍を釣り出せるから。 当時の国民政府は軍閥の連合政権なので、どこでも戦えるわけじゃありません。 補給も御粗末なもので、南京以外では日本軍に立ち向かうための、戦力の集中が不可能。 日本人居留民という人質も選定理由になったでしょう。 (339 73) 何故蒋介石はこの時期を選び、そして何を勝利条件としたのでしょうか? 37年頃と言うと、日独防共協定が結ばれ日本も満州の騒動がタンクー停戦協定で停戦され一息ついたところですよね。 中国国民党も西安事件で統一戦線が築かれたとは言え、共産党の脅威も軍閥の不穏な動きもありました。 また目標ですが、日本軍と対峙するのは必然と長江下流域か北支か満州になるのでこの地域から日本軍を追い出すのは無謀に思います。 蒋介石は最大のライバルだった張作霖がいなくなったおかげで棚ぼた的に 中華民国のトップになったが、内部を完全に統率できていたわけでもなければ 支配する実力もなく、カリスマとしての魅力にも欠けていた(というか、彼には カリスマの要素がほとんどない)。 その為常に張作霖の息子の張学良に粛清されて蹴落とされる恐怖に怯えていた。 西安事件に乗じて(というか利用して)張学良を逆に粛清し蹴落としたのはいいが、 やはり張学良とその一派に常に逆転される可能性があった。 そんな状況なので、何としても自分が主導した軍事攻勢で大勝利を挙げ、 「さすが蒋介石だ明日の指導者はこの人で決まりだな」 と思わせる必要があったわけ。 (339 184) 国民党軍は各国から援助を受けてたと聞きましたが、日本軍の装備の方が質,量ともに優れていたということなんでしょうか? 国府軍は開戦初頭の上海決戦で精鋭部隊と教導部隊が壊滅してしまいました。 この手の損害は後から大きく響くのが通例で事実、そこから戦力を回復するのに時間が掛かってしまったからです。 援助も越南ルートが潰され、開戦と共にビルマルートも潰された為、援助経路は効率、量共に 最悪の空路のヒマラヤルートのみになってしまいました。 反攻が可能になったのはインパール作戦の勝利で米式陸軍が支那戦線で使用可能になったのと、 日本軍の弱体化、そして援助のビルマルートが回復したからです。 (333 515) 数で優勢な中国軍が日本軍相手に負け続け、日本軍が一方的に攻め込めた理由は? 当時の中国は国民党と共産党で内戦中の上に、国民党は軍閥ごとに分かれて 全く統一勢力としての団結性がなかったので、「数の優位」がそもそも ほとんど成立してない。 更に兵隊はごく一部の部隊を除けばその辺から適当に集めたレベルの 烏合の衆だし、これで勝てなきゃウソだろう。 加えて、兵隊が烏合の衆なのに加えて下士官や将校も一部の人を除けば ちゃんとした軍人としての教育を受けてない素人ばっか。 外国人の軍事顧問がいないと最低限度の指揮統制も出来ないような軍閥の部隊も いたので正規軍である日本軍が勝てない理由はない。 マトモな部隊もいたけどね。 中華民国には士官学校があり、ちゃんと士官の養成は行なわれていた。 しかし Chiang Kai-shek s decision to pit all of his crack divisions to fight in Shanghai caused his elite units to suffer some sixty percent casualties in the three-month bloodbath. In one single blow, Chiang also lost some 10,000 of the 25,000 junior officers trained by the elite Central Military Academy between 1929 and 1937, in addition to some tens of thousands of potential military officers. Chiang Kai-shek s Central Army was never to recover from these devastating losses. 「国民党軍が失って苦しんだものは精鋭部隊の60%だけではなく ただ一度の戦闘により、 国民党軍がエリート養成のために、士官学校設立以来(1929~)教育してきた 25,000人の士官の内、実に約10,000人が失われることになり 蒋介石軍中核は、これら破滅的損害からけして立ち直ることはできなかった。」 ということなんだとか。 全軍の若手エリートの半数近い喪失なんて、ソ連の軍部粛清にも比肩する凄まじさ。 日本軍でいえば昭和20年8月15日に至るまで、ここまでの損害を受けた時期はないな。 第二次上海事変に全てをかけて、軍の中核戦力を悉く投じたのがあだになり たった一戦で蒋介石が建設してきた軍が実質的にほぼ壊滅したというのに均しかった。 (593 263-272) 日中戦争で日本と戦っていたのは主に蒋介石の率いる「中華民国」軍。 でも「中華民国」はほとんど近代国家としての体を為しておらず、実態は 「武装マフィアの集団」の寄り合い所帯だった(軍閥、というやつね)。 なので誰も蒋介石の元に団結して日本と戦いたいなんて思っておらず、 そんな軍閥を権謀術数で強制的に駆り集めてきて戦わせてたので、マトモな 軍事行動が不可能だった。 更に、蒋介石は実は張作霖(関東軍が暗殺した人ね)に比べて全然人望が無く、 中華民国の支配者という地位だって本来みんなが「正しい後継者」と思ってた 張作霖の息子を陰謀で蹴落として成り上がったにすぎない。 だから軍閥の支配者はみんな利権でなんとなく蒋介石を支持してただけで、 誰も真面目に戦いなどしなかった。 実際蒋介石は自分が立案した日本への「反攻作戦」を強引に通したのに実際の 攻勢主力に自分の軍を出し惜しみして他閥に押し付け、不利になったらさっさと 逃げたりしてる。 そんな為体なので日本への統合された徹底抗戦など望み様も無かった。 (321 574) 支那事変が始まる前、蒋介石はドイツの支援を受けて 多数のドイツ式装備を備えた師団や機械化部隊を含む直系軍を作り上げました。 さらに新しい軍隊建設の準備として教導総隊なる部隊も設立しました。 これは蒋介石の肝入りで、数千人すべてが新式のドイツ装備を与えられた、国府軍の最精鋭でした。 蒋介石はこの部隊を教導部隊とし、将来の下士官候補として各軍の標準化の基礎とするつもりでした。 ところが、この直系軍と教導総隊が上海から南京までの撤退、攻防戦でほぼ壊滅してしまいました。 日本軍も相応の打撃を受けているので、これらの部隊は実力は確かなものだったと思います。 この戦いで下士官や将校の人的資源が一気に消耗してしまいました。 更には日本がドイツと接近した為にドイツからの支援も途絶え、危機的状況になってしまいました。 その為、国府軍は米国の支援を受けるまで戦力を回復させる事が出来ず、ずるずると内陸に 撤退を繰り返す羽目になってしまいました。 そして日米戦が始まって米国の支援が本格化しましたが、 米軍にとっての支那戦線は日本軍を引き付けておけばそれでOKだったので援助の優先度は低くいものでした。 細々とした支援で戦線を維持するのがやっとで、日本軍が終盤に弱体化した頃にやっと攻勢が掛けられる様になるも、時既に遅しでした。 (321 599) 日中戦争の初期、中国軍機が台湾の日本軍基地を空襲したと聞いたことがあるが、詳しいこと分かりませんか? 中国軍所有のB-26爆撃機が、台北を爆撃しています。 (362 166) 中国的天空 という本に出ている可能性がある。 初期には上海事変などで、日本側が渡洋爆撃をしていたが、これに対して中国側は 迎撃を繰り返している。戦線が進むにつれて爆撃機、戦闘機ともに上海の飛行場などへ 進出していくのだけど。 (362 169) 昭和13年2月23日、台北近郊の松山・新竹の両飛行場に、1~2機の中国軍機による爆撃。 飛行場そのものには被害はなく、飛行場近郊の民家に数名の死傷者が出た。 中国軍の損害は無し。 (362 178) 中国軍が日本本土を空襲したって本当ですか? 昭和13年5月20日、中国空軍のマーチン139WC爆撃機(B-10の輸出型)が、熊本と宮崎一帯に大量の宣伝ビラをばらまいた。 5月30日にも熊本、宮崎、福岡上空に中国空軍機が侵入したらしいが、中国側には該当する記録が無く、日本側の誤認らしい。 (362 184) 日華事変時の中国軍に空軍や海軍は存在したのですか? 日華事変の中国海空軍はしっかり存在します。 日清戦争でやられても、辛亥革命で国が引っ繰り返っても海軍の再建は途上ですが、 行われており、旧式ですが巡洋艦も装備していました。 但し、武漢の戦闘までに主力艦艇が失われ、以後は河用砲艦だけの存在になってしまっ ています。 空軍は宋美齢を司令官として当初はドイツ、次いで米国、更にソ連の機材を使って整備 されていました。 上海、南京や重慶で日本の陸海軍爆撃機隊が中国空軍に迎撃されて苦戦していますし、 日本海軍の旗艦出雲に爆撃を掛けたり、あまつさえ、本土爆撃までされています。 (316 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 日華事変時の、特に上海攻防戦での蒋介石軍の戦闘機と戦車について教えてください あと、ドイツは参謀を派遣したりしてますが武器の供与などあったのでしょうか? 戦闘機は米国製Curtiss Hawkシリーズ(後のP-36ではなく、複葉戦闘機)が主力です。 爆撃機は、Curtiss A-12、Chance Vought O2U/V-92C。 戦車は、Vickers6t戦車Mk.EとCarden Loidでしょうが、イタリアのC.V.33も装備しています。 ドイツの関与ですが、清朝時代から関係は深く、小銃や拳銃はMoselが主力ですし、高射砲は 後に日本軍がコピーした88mm高射砲、航空機ではHe-111A爆撃機、Hs-123襲撃機、Fw-44 練習機が売却され、戦車は1号戦車、装甲車としてSdKfz.221を購入しています。 (309 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 大戦時の中国戦線の国民党の米軍式陸軍は強かったのでしょうか? 強かった。インパール作戦において北部ビルマで日本軍を壊滅に追い込んでいます。 装備は米軍のものだし、訓練は行き届いていて、武器弾薬は豊富だし、 衛生管理、兵站がしっかしている。そして何より給料がしっかり出るで(w ※通常の国府軍の場合は指揮官が給料をピンハネするので、雀の涙の給料でやる気無しだったそうです。 もっとも、最初のうちは蒋介石に自由な指揮権がない上に、 在中米軍司令官のスティルウェルと彼の仲が超絶に悪かったので、 1944年(昭和19年)10月にウェデマイヤーが後任にやって来るまで、 支那大陸では活躍させてもらえませんでした。 支那では自分の指揮下にない軍隊は敵とほぼ同意義なので。 (305 823) 中国戦線で、共産党軍兵士が日本兵あるいは国民党軍兵士の人肉を嗜好品として食べたという逸話は事実ですか? 中国のような東アジアの文化圏においては、仇の肉を食べることで 復讐の意思あるいは自己の野蛮さや強さを示す風習が伝統的にあります。 手近なところでは講談社発行 ユン・チアンの「ワイルド・スワン」において 国共内戦時に復讐のため敵の心臓を食べた兵士について短い記載はありますが これはあくまでも個人の復讐の意思としか解釈できません。 (296 202) 国民党軍の装備について教えて。 私が知ってる中にはドイツのKar98kやモーゼルC96、ZB26軽機関銃や青龍刀があるのですがこれ以外にもあったのでしょうか? 陸戦兵器なら、光人社から「もう一つの陸軍兵器史」と言う本が出ていますので、そちらに結構な著述があります。 絶版ですが、全体的にはデルタ出版の「中国大陸の機械化戦争と兵器」 航空機ならこれも絶版ですが、産経の「中国的天空」とか、民國の出版物で、「中国軍用飛机」シリーズとかを御覧 頂ければ宜しいか、と。 (296 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 中国って日本との戦争中に独自の兵器を生産していたのですか? 中国で建造された軍艦は存在します。寧海級軽巡洋艦の二番艦「平海」がそれです。 寧海級は中華民国海軍の艦艇として日本で設計が行われ、一番艦「寧海」は 播磨造船所で建造されましたが、「平海」は播磨造船所から派遣された行員の指導のもとに 江南(上海)造船廠で1931年7月起工され、32年9月に進水しました。 その後播磨造船所に回航され、儀装された後に36年6月竣工しています。 この後37年に揚子江沿岸で日本海軍航空隊機の爆撃を受けて浸水擱座しますが、 翌年日本軍が接収して浮揚し佐世保に回航し、しばらく放置された後に 43年末、呉工廠で海防艦への改造工事に着手して、44年11月に二等巡洋艦「八十島」として 再就役します。 その直後フィリピン方面に出動し、11月25日 ルソン島西岸にて米軍機の爆撃を受け沈没しました。 (101 名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE) 自国の陸軍で使用するモーゼル小銃など小火器は国産化していました。 また、150mmの中迫撃砲、240mmの重迫撃砲も確認されています。 陸軍では上海工部局で1915年には急造ながら装甲車の製作を行なっています。 なお、ヴィッカース6t戦車が「国産戦車」として内外に喧伝されたこともありますが、 こちらは国産ではありません。 また、艦船でも小艦艇なら、上海の造船所で建造しています。 船体だけなら、軽巡洋艦(寧海)も建造しています。 航空機も海軍航空廠が上海にあり、1918年以来数種類の水上偵察機を製造 しています。 軽巡洋艦搭載用の偵察機は国産機です。 空軍では広東省に飛行機工場があり、AP-1と言う軽爆撃機を製造しています。 第2次世界大戦中は、Curtiss Hawk75(P-36の輸出簡易型)の製造を企画したほか、 Curtiss WrightのCW-21戦闘機の製造を行なおうとしていました。 (101 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 中国ってちゃんと空襲警報があったんですか?日本の爆撃機が来ると警報してたんですか? 初期の漢口、周家口、上海では結構不意打ちを食ったようですが、空襲警報網は 重慶遷都後に初歩的なものが作られていました。 物資の集積状況、基地の整備状況もこういった便衣隊の活動で、一目瞭然であり、 次の空襲時期はいつか、目標はどこかが予め推測可能でした。 後は、その目標近くに迎撃隊を進出させ、早朝から夜間にかけて、数機の哨戒飛行 を行うだけです。 また、日本軍の出撃についても、漢口、運城の基地を日本機が離陸するやいなや、 昼間ならばその機数を電信で重慶に報知され、途中の山々の頂には見張り員がおり、 日本機を認めると、烽火を上げます。 そのリレーで、日本機の来る方角を知らせるわけです。 ちなみに、電信と烽火併用でも、中攻、重爆の巡航速度では十分に迎撃基地に通報が 間に合いました。 こうして、少なくとも空襲の40分から1時間前には爆撃機による空襲警報が発令されます。 防空壕も当然ありますが、重慶爆撃の初期には完成していません。 ただ、重慶だけでなく、広東などにも大規模防空施設がありました。 それも、蛸壺方式のような日本に見られた簡易なものではなく、コンクリートで、 入り口に頑丈な鉄の扉を持つ本格的なものです。 重慶のは、1938年から工事が開始され、こうした大規模防空壕(公共用大隧道)を 始め、会社・個人でも防空壕を整備し、1940年には公私あわせて1,865カ所、収容 人員44万余のものになっていました。 但し、初期の頃は当時の人々は都市空襲というものに慣れていないので、避難も せず、中国空軍の迎撃戦闘を見物しようと、街路、岸辺、丘の上などに出て、空を 見上げていました。 これによる死者が結構あったようです。 後に、重慶爆撃が本格化し、外交使節のいる周辺以外に全ての爆弾が降るようになって からは、市民も防空壕に避難することが多かったのですが、1941年6月5日の空襲では、 3万人の市民が避難した大防空壕が酸欠状態となり、ほぼ全員が死亡しました(実際の 死者は992人とも言われる)。 ついでに、蛇足ながら、重慶爆撃の回数は1938年12月から1941年9月まで、 まず、12月22日に陸軍が22機で爆撃をしたのを皮切りに、1月7日、10日、15日と 四回に渡って約30機ずつ、ここまで陸軍が担当しましたが、被害は、1月15日に 死者119名、負傷116名を出しただけに終わります。 次いで海軍に担当が変わり、第二連合航空隊の中攻45機が、1939年5月3日に市街 東部と東南部、4日に27機が北部を爆撃し、3日に死者673名、負傷1,023名、4日は 死者1,973名、負傷3,318名で、これはゲルニカ爆撃を上回るものです。 その後、5月、6月に各2回、7月4回、8月6回、9月4回の出撃を行い、1940年5月から 陸海軍共同で、百一号作戦という重慶爆撃作戦を展開します。 陸軍は山西省運城から重爆54機、海軍は漢口から中攻122機を出撃して9月まで 断続的に空襲を行います。 この空襲では、海軍が延出撃日数32日、陸軍が9日、延攻撃機数は海軍が2,128機、 陸軍が322機、投下爆弾数は海軍が14,228発、1,558t、陸軍は1,344発、142tであり、 これにより、死者4,232名、負傷者5,411名、損壊家屋6,955棟の被害を出しました。 更に41年夏季にも空爆が繰り返され(前述の防空壕での死亡はこの時期のもの)、 死者は前年の6割程度になっています(但し、3万人死亡説が正しければ、この数は もっと増える)。 最後は、1943年8月で、陸軍が行っていますが、これは在華米軍の補強により効果無く 終わっています。 最終的に、被害は、中国側資料でも死者11,800人、家屋損壊17,600棟となっています。 (138 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 国民党軍が使っていた戦車は一号戦車以外にもありますか? 国民党軍は、一号戦車(ドイツ)以外にも仏・伊・英から機甲車両を購入しています。 もっとも初期に購入したのは仏製ルノーFT軽戦車でした。その他の車両は以下の通り。 ルノーNC軽戦車(仏) ルノー1931年式軽戦車(仏) ヴィッカース12トン戦車(英) ヴィッカース6トン軽戦車(英) ヴィッカース水陸両用戦車(英) カーデンロイド豆戦車(英) フィアット アンサルド軽戦車(伊) また、ソ連より供与されたT-26軽戦車も若干保有していました。 大戦後半になると、米軍から供与されたM3/M5軽戦車やM4中戦車なども保有しています。 (146 名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE) 第1次世界大戦後の戦間期の頃、ドイツと国民党の間には深い繋がりがありますが 武器の販売、ライセンス生産、軍事顧問団の派遣etc…これはどういった経緯で出来上がったのでしょうか 第1次世界大戦前から清国とドイツ帝国との関係は非常に良好でした。 海軍の鎮遠とか…。 陸軍も精鋭軍の装備にはドイツの装備を導入していました(モーゼル小銃なんかもライセンス生産してたり)。 英国、フランス、ロシア、日本は領土的野心を剥き出しにしたのに対して、ドイツは比較的そう言った点では マシでしたし、ドイツは清国と同じく皇帝を頭に戴く帝政でしたので、関係をすんなり築き易かったところも ありました。 清帝国が倒れてからは、中華民国となった訳ですが、その軍は従来の軍閥を吸収した格好になっていました ので、ドイツとの繋がりが切れた訳ではありません。 また、第1次世界大戦後のドイツは市場を欲していました。 オスマントルコが倒れた後、一番市場的に進出しやすいのは中国ですし、Versailles体制の監視の目も届きに くいことから、中国との関係が強化されていった訳です。 (172 眠い人 ◆gQikaJHtf2) ハプロ条約 http //ww1.m78.com/topix-2/hapro%20treaty.html (172 12) 大戦中の中国側の兵器供給元は何所なのでしょうか? 中国軍の装備は種々雑多で、国民党軍にしても、米国一辺倒ではなく、ソ連、ドイツ、日本の兵器も 満遍なく使用しています。 そもそも、中国軍の軍閥同士の戦いでは、戦闘前に互いの装備を一覧表にして交換し、それを見て その傘下に入るか、戦うかを決めるものですし…。 それから、清の時代から主力の小銃はドイツのKar-98bと同等の国産品、機関銃はチェコのZB26国産品、手榴弾も ドイツ型です。 南京に装備されていた高射砲は、ドイツ製のクルップ88mm、スウェーデン製75mmボフォース、英国製76mmヴィッ カースが用いられています。 迫撃砲は、ラインメタル製の81mm迫撃砲を主軸に、150mm、240mmの国産品が確認されています。 第2次世界大戦末期で、蒋介石直属軍の装備にやっと米軍装備が行き渡り、M1ガーランド小銃、M2重機関銃、バズー カ砲などが配備されています。 共産党については、ソ連製も多かったですし、日本からの鹵獲品、蒋介石軍から供給されていたものなど も使用しています。 (178 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 蒋介石は重慶を落とされたら、次はどこに逃げるつもりだったのでしょうか? 蒋介石は雲南の昆明辺りまで退いて抗戦を続けるつもりだったらしい。 ただ雲南省政府主席の竜雲はどちらかと言うと和平派であり、汪兆銘のハノイ脱出を手助けしたりしている。 長期にわたって独立を維持してきた勢力なので、すんなりと蒋介石に協力するかは未知数。 1942年夏頃から重慶・成都を攻略する『五号作戦』が計画・準備されており、 南方での戦況の悪化がなければ、蒋介石の命運も危うかっただろう。 (229 294)
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中国第一汽车集团公司 中国第一汽車集団公司 企業HP 【主要業務】 自動車製造、販売、サービス 自動車技術研究、開発及びサービス 【所在地】 【歴史】 【提携先】 【傘下企業】 【業績・事件】
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中国海洋石油总公司 中国海洋石油総公司 企業HP 【主要業務】 原油・天然ガス探査開発、採掘 石油精製、石油化学工業及びその他化学工業製品の生産、輸送、備蓄、石油・天然ガスパイプライン輸送及び貿易 関連工事技術研究とサービス 【所在地】 【歴史】 【提携先】 【傘下企業】 【業績・事件】
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大東亞帝國(だいとうあ ていこく)とは、1932年に満洲に於いて建国され、今日に至るまで中華及びその周縁地域である東亞一帯を支配している統一国家。 首都は大京(ハルビン) 満州事変に於いて、旧日本軍の満洲駐留部隊である関東軍が旧清王朝の皇帝である溥儀を元首として擁立し建設された満洲國、後の満洲帝國を始祖とし、日本降伏後、関東軍が指揮下から外れると、満州国は日本とは異なるものとし、引き揚げ令を拒否。満洲帝國を統治する関東軍は、その後1945年のソ連侵攻から満洲を防衛し、国共内戦に於ける国民党側を支援し、中華一帯を支配するまでに発展。 ソ連への逆侵攻によって沿海州を獲得する(アムール講和条約)。50年代以降になると、余力を以て東亜に於ける覇権主義を唱えると越南侵攻、西蔵侵攻など侵略を繰り返し、かつて清王朝が最盛期に権勢を振るった国土領域を回復した。此の一連の動きの中で、蒋介石率いる国民党は関東軍による大東亜新秩序建設に協力する形となり、政府を南京から大京(ハルビン)へと遷した。 1963年には、中国奥地に潜む中共工作員完全駆逐を名目とし、討伐軍を派遣し、ウズベキスタン、タジキスタン、キルギス、トルクメニスタンなど中央アジア諸国を屈服させ、朝貢関係を締結する。 1975年、蒋介石が死去し、国民党は解体。関東軍の首謀たる東条英機大元帥が元首に就任し、対外声明に於ける「大東亞共榮の精神」を発表した。米英との講和、中共工作員の完全駆逐により、国家体制を揺るぎ無いものにすると、1979年(箱庭暦6期)に建国を正式に宣言し、国際連盟への加盟申請を行った。 ※国民党は1989年に再結成するも、翌年のソ連崩壊に伴い、満州國立憲帝政党と合体し、大東亞立憲帝政党に組み込まれることとなった。 国家情報 国名 (漢字):大東亞帝國 (英字):Chinese empire 略称:東亞 国旗:180px-China_Qing_Dynasty_Flag_1889.svg.png (龍は中国古来より崇められる架空の動物) 元首:東条英機大元帥 政体:軍国主義,帝国主義,ファシズム 経済:封建社会経済 人口:13億4千万人 首都:大京(ハルビン) 首都人口:503万人 国土面積:約1500万平方㎞ 領域:満洲,蒙古,沿海州,中華大陸(華北,華中,華南,西蔵,青梅,ウイグル),仏印半島(越南,泰,ビルマ) 主要民族:中華民族(漢民族,満州族,その他),日本民族,朝鮮民族,蒙古民族,白色ロシア系民族,蝦夷人,泰・ビルマ系人,越南人 宗教:神教,儒教,ロシア正教,キリスト教(カトリック,プロテスタント),ユダヤ教,大乗仏教,イスラム教,ヒンズー教,その他土着宗教 公用語:中国語,日本語 公式通貨:元 政権 軍人の最高責任者たる東条英機大元帥を内閣(行政府)の長とする内閣。また其れを構成する閣僚全てに現役軍人が任命されている。 東条英機大元帥は、絶大なる軍の統帥権(また軍人からの人望も厚い)を有していた為、軍大臣への兼任が望ましいとのことで兼任している。 軍事政権と揶揄される様な軍人のみの入閣に限った東条内閣だが、救貧法の提出、採決など貧民層にも救済の手を差し伸べているなど、社会福祉充実にも意欲がある。 閣僚一覧 内閣総理大臣:東条英機(大元帥) 陸軍大臣:上の者による兼任 海軍大臣:同上 空軍大臣:同上 外務大臣:陸奥宗光(陸軍大将) 逓信大臣:榎本武揚(海軍中将) 内務大臣:山県有朋(陸軍大将) 文部大臣:森有礼(陸軍中将) 農水商大臣:土方三造(陸軍少将) 司法大臣:来栖茂昌(空軍大佐) 大蔵大臣:田端辰郎(空軍中佐) 警視庁警視総監:高橋是清(陸軍大将) 帝國統治評議会 民主主義の実践と称して議会の設立が行われた。これを帝國統治評議会と称する。また衆議院、貴族院の二院制であり、衆議院決議が貴族院決議を優越する。 中国国民党と満州國立憲帝政党が合体し結党されたのが、大東亞立憲帝政党である。 大東亞立憲帝政党は立憲帝政党と改称し、議会の第一党与党に成長すると、他党を排除する一党優位制による議会支配体制を確立し、以来、立憲帝政党の議席の寡占状態が続いている。 また選挙も制限選挙の為、貴族、富裕市民や有力地権者以外は投票できない他、性差による差別も相俟って成年25歳以上の男子且つ一万元納税しなければ投票できない。 一般市民からの意見反映は不可能に近い。 地方行政区分 東北省:大京(ハルビン)、大連、旅順 華北省:北京、天津 華中省:南京、上海 華東省:青島、済南 華西省:西京、ウルムチ、成都 華南省:香港、澳門、海口 越南省:トンキン、ホーチミン 沿海州:ウラジオストック 南部省:バンコク、ヤンゴン 外交 我が国は隣国日本との対等条約を締結した。(日亜友好に関する条約) だが、中華大陸周縁諸国に対する卑下する見方は不変で、インド、インドネシア、マレーシア、パプアニューギニア地方を南蛮、北方ロシアを匈奴、朝鮮、日本を東夷、アイヌを蝦夷などという蔑称を付けている。 経済産業 我が国の産業は主に重工業偏向型。 造船を筆頭とし、自動車、鉄鋼、石油化学などが発展している。 大東亞重工、広東造船、澳門貿易、満州銀行、北京石油の五つの財閥が経済を牛耳っている。 資源も豊富で、整備された鉄道等のインフラを通じて供給される。 主な資源は原油、鉄鉱石、石炭、天然ガス、希少金属、パーム油など。 軍隊 我が帝國では徴兵制を確立し、18歳から5年間、入隊し訓練を重ねる。 更に成績優秀のものには軍人退役後、軍需産業企業への優先的就職や、官僚入りも約束される。 総兵力:208万 各兵力 (陸軍兵力):100万 (海軍兵力):80万 (空軍兵力):28万 潜在的に予備隊が存在するが具体的兵力は機密。 陸軍編成表 大東亞総軍 ∟満州軍団(第一) ∟華北軍団(第二) ∟華中軍団(第三) ∟華南軍団(第四) ∟西蔵軍団(第五) ∟南越軍団(第六) ∟南部軍団(第七) 海軍編成表 大東亞艦隊 戦艦大建造計画により、軍備は充実する。 大東亞共榮憲章 憲法に相当し、国家の標を示す最重要の法である。1982年に制定された此の憲章には、未だ封建的側面が色濃く残る。 前文 我ら東亞の国民は、共に集ゐて、共に手を取り、共に繁榮を齎さうと決意し、確固たる結束の下に東亜諸国は一つの国と成ることを此処に宣言する。また我らは東亞共榮の精神に基づき、相互平等を勝ちとり、相互協力を行ひ、そして圧殺を試みやうとする国家からの侵略から防衛しやうとするものであつて、怠らぬやうに努めるものであり、連携によつて、解決を図ることを誓ふ。我らはいにしえの国家として威厳を深め、名誉ある国際社会一員として師範を示すべきであり、平和社会の到来を確信し、その実践を行ふことを決し、此処に国際連盟への参加と常任理事への立候補を行ふ。かうした努力はきっと実を結び還元さると信じ、恒久的努力を惜しまぬことを誓ふ。
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中国长江三峡工程开发总公司 中国長江三峡工程開発総公司 企業HP 【主要業務】 水利工事建設及び管理 電力供給及び生産 関連専門技術サービス 【所在地】 【歴史】 【提携先】 【傘下企業】 【業績・事件】
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一なる龍【国王】 編集者であり、国王である私ですw 誤爆、勘違いが多いうっかりキャラ? でも国民の方々を一番に思ってます! 最強最後さん【戦神覇王】 戦略、人物の特徴、このゲームを知り尽くした国内、そして全国最強のプレイヤー この国に欠かせない人物である 一ノ瀬ことみさん【蝶蘭無比】 この国の最初の国民。なにかと失敗が多い国王を支えてくれる人物。 盛り上げてくれるはずw けろけろさん【天覇絶双】 この国一番の注目株!イン率はんぱないwもはや国王を追い抜かしそうw 未来の中枢を担う注目の人物。 焔竜さん【信義不倒】 登録時から国王と仲が良い(?)プレイヤー。イン率が安定しており安心して見れるw ひなきさん【列界武帝】 これまた国王と仲がよさげなプレイヤー。国内の盛り上げ役。最近イン率高し(´ω`*) このまま行けば未来の役職者かな? トランジェンさん【翔天絶界】 この国の乙女。いろいろ国内を盛り上げてくれる天使のような人 ひなきさんが嫁と自称しているとのうわさが・・・ Gabrielさん 元瑠璃色の国国王。ついこの間まで入院してた。だいじょうぶろうか 戦歴は8万戦突破しておりこの国の中枢。 zephyrさん 惜しくも引退したノリがいいプレイヤー 未来の中枢を担う人物であった 呂布さん 国王と同年代とのうわさが・・・ イン率、安定してねえぞこrrrr(ry!!(゚Д゚#) 銀閃さん 「大佐」と慕われる人物^^なんか最近インしてない・・・ ちゃちゃさん 酒を愛するお☆や☆じ☆ 早寝といううわさ・・・ 微風 国王に2度誘われ2度了承した優しい人♪ 全体的に優しい♪ Alfredさん インは夜に集中している。たぶんこの国でやべった人はあまりいないだろう この国の夜の帝王 Destinyさん 中2病大感激?の模様wこれまた夜にインしている事が多い イン率超安定してる^^成長に期待。 デルタさん 国王とのリア友かもw 最近三国志にはまりやがったwイン率下がってるぞこのやろぉぉぉぉぉ(ry 寿司さん うむ・・・最近インしてないなw でも優しいよ♪ リースさん これまたこの国の乙女♪盛り上げ役。 今後のインに期待。 みそーんさん 国王との接点がある模様。 忙しくてイン出来ない状況・・・ ドマさん イン率超安定してる期待人物^^ でも名声上げてくれw yukkeさん 最近インすることが多い人物。 今度に期待^^ 風紀委員ですのっ ひなきさんが誘ったらしい。 あれ以来インしてないなア・・・ ZIPSHINさん たまに出没するこの国のレアキャラw ノリがいい カントリーベアさん、練馬区さん。アルテマさん。 私と会ってないため不明。
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中国第二重型机械集团公司 中国第二重型機械集団公司 企業HP 【主要業務】 大型金属鋳・鍛加工 鉱山、冶金、化学工業、プレス、原子力発電等専用、ユニット設備製造及び技術研究 【所在地】 【歴史】 【提携先】 【傘下企業】 【業績・事件】
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中国电力投资集团公司 中国電力投資集団公司 企業HP 【主要業務】 電力供給及び生産 関連専門技術サービス 【所在地】 【歴史】 【提携先】 【傘下企業】 【業績・事件】