約 1,978,109 件
https://w.atwiki.jp/soutoku/pages/104.html
<魏 232年> <蜀漢 232年> <呉 232年> 232年 太和六年(魏) 皇帝 曹叡(魏) 皇后 毛氏(明悼毛皇后・河內人) 三公 太傅:(空位) 太尉:(空位) 司徒:(空位)→董昭(前衛尉) 司空:陳群(前鎮軍大將軍) 九卿 衛尉:董昭→ その他の要職 大司馬:(空位) 大将軍:司馬懿(前驃騎將軍) 驃騎大將軍:→ 車騎將軍:公孫淵(遼東太守) 地方官 主な事件 六年春二月,詔曰:「古之帝王,封建諸侯,所以藩屏王室也.詩不云乎,『懷德維寧,宗子維城』.秦、漢繼周,或彊或弱,俱失厥中.大魏創業,諸王開國,隨時之宜,未有定制,非所以永為後法也.其改封諸侯王,皆以郡為國《三国志魏書明帝紀》 三月癸酉、東巡する。通り過ぎた地域で高年にあるもの、独り身のものを問い穀帛を賜う《三国志魏書明帝紀》 三月乙亥、月が軒轅大星を犯す《三国志魏書明帝紀》 夏四月壬寅、許昌宮に行幸する《三国志魏書明帝紀》 四月甲子、初進新果于廟《三国志魏書明帝紀》 五月、皇子曹殷が薨,追封して安平哀王と諡する《三国志魏書明帝紀》 秋七月、衛尉の董昭を司徒とする《三国志魏書明帝紀》 九月、摩陂に行幸する。許昌宮を治す。景福、承光殿を建てる《三国志魏書明帝紀》 冬十月、殄夷將軍の田豫の軍が吳の將である周賀を成山に討つ。周賀を殺す《三国志魏書明帝紀》 十一月丙寅、太白が昼見える。翼に流星があった。太微の近くに將星が上がる《三国志魏書明帝紀》 十一月庚寅、陳思王曹植が薨ず《三国志魏書明帝紀》 十二月、許昌宮に還る《三国志魏書明帝紀》 誕生者 死没者 曹植:陳思王
https://w.atwiki.jp/soutoku/pages/93.html
<魏 256年> <蜀漢 256年> <呉 256年> 256年 正元三年→甘露元年(魏) 皇帝 曹髦(魏高貴郷公) 皇后 卞氏(父は卞隆) 皇太子 三公(魏) 太傅:→司馬孚(前太尉) 太尉:司馬孚→高柔(前司徒) 司徒:高柔→鄭沖(前司空) 司空:鄭沖→盧毓(前尚書左僕射) その他の要職(魏) 錄尚書事:司馬昭(大将軍) 太常: 光禄勳: 衛尉:→ 太僕: 廷尉:→ 大鴻臚:→ 宗正:→ 大司農:→ 少府:→ 大将軍:司馬昭(大都督を加号) 驃騎将軍:王昶 車騎将軍:? 衛将軍:胡遵→(死去) 地方官 雍州刺史:王経 主な事件 甘露元年春正月辛丑、青龍が軹縣の井戸の中に見られた。《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》 正月乙巳、沛王の曹林が薨ず。《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》 二月丙辰、帝は太極東堂で宴を開き、侍中荀顗、尚書の崔贊、袁亮、鍾毓、給事中中書令の虞松等と禮典を講述し、帝王の優劣之差について問うた。帝は夏の少康を慕っていた。《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦に引く魏氏春秋》 二月丁巳、曹髦は講義が終わってから侍中荀顗、尚書の袁亮等と議した。《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦に引く魏氏春秋》 夏四月庚戌、大將軍の司馬昭は兗冕の服、赤舄の副を賜う。《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》 四月丙辰、帝は太學に詣で、諸儒に問うた。易博士の淳于俊が対して答えた。問答をし淳于俊が答えられないものもあった。易についての講義が終わって、また尚書に講義するよう命じて帝は問うた。博士の庾峻が答え、問答となった。また礼記についても質問がされ、博士の馬照が答えた。《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》。帝は常に中護軍の司馬望、侍中の王沈、散騎常侍の裴秀、黃門侍郎の鍾會等と東堂で講宴し文論を戦わせた。裴秀を儒林丈人、王沈を文籍先生と呼び、司馬望、鍾會もまた各々名號があった。帝はせっかちで、お召しの際は速くと急かした。裴秀等は內職で問題なかったが、時に司馬望は外にあり、特別に追鋒車を与えた。虎賁卒五人が集會のたびに走り回った。《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦に引く傅暢の晉諸公贊》 正元三年五月、鄴及び上谷、上洛で並んで甘露が降ったと上表があった。《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》 夏六月丙午、甘露と改元する《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》 六月乙丑、青龍が元城県の井戸の中に見られた《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》 秋七月己卯、衛将軍の胡遵が薨ず《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》 七月癸未,安西将軍の鄧艾が蜀の姜維を上邽に大いに破る。詔を出して大いに祝す《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》 八月庚午、大将軍の司馬昭に大都督の号を加え、奏事不名を許し、假黃鉞を与えた《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》 八月癸酉、太尉の司馬孚を太傅と為す《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》 九月、司徒の高柔を太尉と為す《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》 冬十月、司空の鄭沖を司徒、尚書左僕射の盧毓を司空と為す《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》 誕生者 死没者 胡遵(衛将軍)
https://w.atwiki.jp/gball/pages/1122.html
前へ|次へ クリア条件:EDを見る(シナリオ・君主は任意) 開始時間:2013/11/04(月) 15 14 15.17 終了時間:2013/11/08(金) 23 25 14.23 参加人数:1 前作発売から約7年後突如発売された続編 ゲームボーイカラーも出ているので当然カラー対応 前作はアレンジ移植だったのに対しこれは三国志IIの移植 基本的なシステムは変わりません 主1雑感 こいつはどえらい三国志です なにがすごいって戦場での寝返りっぷりがすごい 忠誠95とかでも寝返るヤツ続出 その中でもやはり別格だったのは呂布 寝返った次の瞬間敵の寝返り工作によってまた裏切るという 1戦闘2寝返りという奇跡のプレイに大爆笑でした まさに人中の呂布と言えるでしょう・・・ 最後の戦闘、顔良に裏切ってもらって袁紹を撃破 ようやく統一 エンディング メーカーロゴで終了
https://w.atwiki.jp/soutoku/pages/72.html
220年 建安二十五年→延康元年(漢)/黄初元年(魏) 皇帝 劉協(漢献帝)→廃位(山陽公) 曹丕(魏文帝) 皇后 曹節(曹操の娘)→廃位 三公(漢) 魏王:曹操→曹丕→(空位) 漢 魏 丞相:曹操→曹丕→(空位) 相國:華歆(前御史大夫) 御史大夫:華歆→王朗(前大理)/張音 太尉:賈[言羽](前大中大夫) その他の要職(漢) 太常: 光禄勳: 衛尉:→ 太僕: 廷尉:→ 大鴻臚:→ 宗正:→ 大司農:→ 少府:→ 大将軍:夏侯惇(前前将軍・220)→(死去) 驃騎将軍:? 車騎将軍:? 衛将軍:? 地方官 荊州牧:孫権 主な事件 建安二十五年春正月庚子(1月23日),魏王の曹操が薨去した。曹操の子の曹丕が御位を継いだ。《後漢書孝献帝紀》使持節御史大夫の華歆は丞相の印綬、魏王の璽紱を奉って曹丕に授けた。卞王后を尊んで王太后とした。《三国志魏書文帝紀》魏志に曰く曹操は享年66歳。 二月丁未朔(2月1日)、日食があった。《後漢書孝献帝紀》 二月已卯,前将軍の夏侯惇を大将軍と為す。濊貊、扶餘の単于、焉耆、于闐の王が皆奉獻の使者が来る《三国志魏書文帝紀》 二月丙戌、史官は重、黎、羲、和の職務を修め、欽若昊天、歷象日月星辰をもって天を奉る時、奏上するよう命じた。《三国志魏書文帝紀》 二月丁亥、故尚書僕射の毛玠、奉常の王脩、涼茂、郎中令の袁渙、少府の謝奐、万潜、中尉の徐奕、国淵等は、皆朝廷に忠直で仁義を踏履したが、早くに世を去った。子孫を愍み、その男子を皆郎中と為す《三国志魏書文帝紀》 二月壬戌(2月16日)、大中大夫の賈[言羽]を太尉に、御史大夫の華歆を相國に、大理の王朗を御史大夫とする。散騎常侍、侍郎を各四人置く。宦人は諸署令を過ぎる官を得られないとし、金策に著すよう令し、石室に蔵した《三国志魏書文帝紀》 三月、改元し、延康と為す。《後漢書孝献帝紀》 三月庚戌、魏書の庚戌の令に言う、関所、津は通商の為にあり、池苑は災荒から守るためにある。重税を設けるのを禁ずる。民の便にならないためである。また池に網を張るのを禁じるのを除く。関所、津の税を軽くし、皆10分の一に戻せ。《三国志魏書文帝紀》 三月辛亥、諸侯王、將相に粟萬斛、帛千匹を下賜する。金銀には各々格差があった。使者郡國に使者を循行させ、道理に反して暴虐を働く者のその罪を挙げよ《三国志魏書文帝紀》 夏四月丁巳、饒安県で白い雉を見たと言い伝わった。注に引く魏書に曰く饒安県は田租を、勃海郡の百戶に牛酒を賜り、大いに三日の間宴を催した。太常は宗廟に太牢を祀った《三国志魏書文帝紀》 四月庚午(4月25日)、大将軍夏侯惇が薨ず《三国志魏書文帝紀》王は素服を着て[業β]の東城門に御幸し、發哀した《三国志魏書文帝紀に引く魏書》 五月戊寅(5月3日)、献帝は王に皇祖の太尉(曹嵩)を太王とし、夫人の丁氏を太王后と追尊するよう命じた。王子の曹叡を武德侯に封じた。《三国志魏書文帝紀》侍中の鄭称を武德侯の傅と為す《三国志魏書文帝紀に引く魏略》曹叡はこのとき年十五《三国志魏書明帝紀》 五月、馮翊の山賊鄭甘と王照が降伏し、皆列侯に封じられた。《三国志魏書文帝紀》 酒泉の黃華、張掖の張進等が各々太守を殺し叛く。金城太守の蘇則が討伐し、張進を斬り、黃華(後に兌*州刺史となる)を降す。《三国志魏書文帝紀》 六月辛亥(6月7日)、東郊に兵を集合させる。《三国志魏書文帝紀》 六月庚午(6月26日)、遂に南征に動く。《三国志魏書文帝紀》王が出征の際、度支中郎將で新平の霍性が上疏して諫めた。上疏を見た曹丕は怒って之を殺す。しかし後で悔やんで追わせたが及ばなかった。《三国志魏書文帝紀に引く魏略》 秋七月庚辰(7月6日)、令して「百官有司はその職務に務め規範に則って諫め、将軍は陳軍法を詳らかにし、朝廷の士は制度を明らかにし、牧太守は政事について申し述べ、学者は六藝を考察せよ。私は兼覽するだろう」。《三国志魏書文帝紀》 孫権が奉獻の使者を遣わし、蜀の将軍の孟達は兵を率いて降伏してきたので新城太守を領させた。武都の氐の王の楊僕が人民を率いて内属し漢陽郡に居した。《三国志魏書文帝紀》 七月甲午(7月20日)、軍は[言焦]に宿営し、六軍及[言焦]の父老・百姓は邑の東で大いに饗宴する。令して[言焦]は霸王の邦にして真人を出だした。[言焦]の租稅を二年免じる。三老吏民は寿ぎ、日が暮れて止んだ。《三国志魏書文帝紀》 七月丙申(7月22日)、魏王は親しく[言焦]陵を祀った。《三国志魏書文帝紀》 八月、石邑県で鳳皇が集ったと報告があった。《三国志魏書文帝紀》 冬十月癸卯、令して曰く「諸將の征伐に従軍し士卒の死亡者でいまだ収容されていないのを甚だ哀しむ。よってその郡国に告げ、小棺を支給し収め弔い、家に送って官は祀りを設けるように。」《三国志魏書文帝紀》 丙午、行軍は曲リに至った。《三国志魏書文帝紀》 冬十月乙卯、皇帝の劉協は遜位し、魏王の曹丕が天子となった。劉協を奉って山陽公と為し、邑一万戸、位は諸侯王の上にあり、奏上の際には臣と称さずともよく、受詔の際の拝せずともよい、また天子の車服、天地を祀ることを許され,宗廟、祖、臘はすべて漢制の如くであった。都は山陽の濁鹿城である。王に封じられていた四皇子は、皆降って列侯と為す。《後漢書孝献帝紀》公卿士人を召して、高廟を祀って告げ、兼御史大夫張音に璽綬を奉らせ冊をもって禅位を告げさせた。繁陽に壇を築き、庚午、曹丕は壇に登って帝位を受けた。百官は陪席した。延康を黃初と改元した。大赦を下した。《三国志魏書文帝紀》特集:禅譲 誕生者 死没者 ▲PAGE TOP 219年<< >>221年
https://w.atwiki.jp/soutoku/pages/190.html
<魏 252年> <蜀漢 252年> <呉 252年> 252年 太元二年→神鳳元年→建興元年(呉) 皇帝 孫権(呉大帝)→(死亡)→孫亮 皇后 潘氏→(死亡)→ 皇太子 孫亮→(空位) 三公(呉) 太傅:→諸葛恪(大将軍) その他の要職(呉) 太常:滕胤 光禄勳:? 衛尉:? 太僕:? 廷尉:? 大鴻臚:? 宗正:? 大司農:? 少府:? 大司馬:呂岱(前上大將軍) 大将軍:諸葛恪(前威北將軍) 驃騎将軍:朱據? 車騎将軍:? 衛将軍:→滕胤 上大將軍:呂岱(前鎮南將軍)→? 主な事件 二年春正月、前の太子の孫和を立てて南陽王と為し、長沙に居住させる。子の孫奮を齊王と為して武昌に、子の孫休を瑯邪王と為し虎林にそれぞれ居住させる。《三国志呉書呉主権伝》 二月、大赦。改元して神鳳。《三国志呉書呉主権伝》 皇后の潘氏が薨ず。《三国志呉書呉主権伝》 諸將吏は幾度か王表を訪れ福を請う。王表は亡去する。《三国志呉書呉主権伝》 夏四月、孫權が薨ず。時に年七十一。諡して大皇帝。《三国志呉書呉主権伝》 四月、孫權が薨じ、太子の孫和が即ち帝位に着く。大赦。改年する。是歲は魏の嘉平四年である。《三国志呉書三嗣主伝孫亮》 秋七月、孫権を蔣陵に葬送する。《三国志呉書呉主権伝》 建興元年閏月、諸葛恪を太傅と為し、滕胤を衛將軍領尚書事と為す。上大將軍の呂岱を大司馬と為す。諸文武で官位にあるものは皆進爵班賞があった。《三国志呉書三嗣主伝孫亮》 冬十月、太傅の諸葛恪が軍を率いて巢湖を渡り、東興に城を築く。將軍の全端に西城を守らせ、都尉の留略に東城を守らせた《三国志呉書三嗣主伝孫亮》 十二月朔丙申、大風雷電《三国志呉書三嗣主伝孫亮》 十二月、魏は將軍の諸葛誕、胡遵等に步騎七萬を率いさせて東興を囲む。將軍の王昶が南郡を攻める。母*丘儉が武昌に向かう。《三国志呉書三嗣主伝孫亮》 十二月甲寅、諸葛恪は大兵をもって赴き、戊午、兵は東興に到着して交戰する。大いに魏軍を破り、將軍の韓綜、桓嘉等を殺す。《三国志呉書三嗣主伝孫亮》 是月、雷雨。天災で武昌の端門が壊れ、內殿も壊れる。これを裴松之によれば、孫權が赤烏十年に詔して武昌宮の材瓦を建康宮を修築する際に移したが猶端門內殿は残っていた。《三国志呉書三嗣主伝孫亮》諸葛恪は遷都の意志があり、更に武昌宮を起こした。今災いがあったのは恪が新たに作った所である《三国志呉書三嗣主伝孫亮に引く吳錄》 誕生者 死没者 孫権:大皇帝 注 ▲PAGE TOP 251年<< >>253年
https://w.atwiki.jp/soutoku/pages/108.html
<魏 236年> <蜀漢 236年> <呉 236年> 236年 青龍四年 (魏) 皇帝 曹叡(魏) 皇后 毛氏(明悼毛皇后・河內人) 三公 太傅:(空位) 太尉:司馬懿(前大将軍) 司徒:董昭(前衛尉)→(死亡) 司空:陳群(前鎮軍大將軍)→(死亡) 九卿 衛尉: その他の要職 大司馬:公孫淵(樂浪公・前車騎將軍) 大将軍: 驃騎大將軍:→ 車騎將軍:→ 地方官 主な事件 四年春二月、太白がまた昼に見え、月が太白を犯す。又軒轅を一星が犯し、太微に入り出た《三国志魏書明帝紀》 夏四月、崇文觀を置く。よく屬文の者を徴して之に充てる《三国志魏書明帝紀》 五月乙卯、司徒の董昭が薨ず《三国志魏書明帝紀》 五月丁巳、肅慎氏が楛矢を献上する《三国志魏書明帝紀》 六月壬申、詔して「有司は刑罰について議し獄での死を緩和せよ。務めて寬簡にするように。廷尉及び天下の獄官に令するに、死罪にあるものは獄に具えてから裁定せよ。謀反人及び殺人者にあらざれば、その親によく話して治めよ。恩を乞う者があれば情状の文書とともに提出せよ」《三国志魏書明帝紀》 秋七月、高句驪王の宮が孫權の使者である胡衛等の首を斬って、幽州に参上した《三国志魏書明帝紀》 甲寅,太白が軒轅大星を犯す《三国志魏書明帝紀》 冬十月己卯、洛陽宮に還る《三国志魏書明帝紀》 十月甲申、大辰に流星があった《三国志魏書明帝紀》 十月乙酉、又東方に流星《三国志魏書明帝紀》 十一月己亥、彗星が見られ、宦者天紀星を犯す《三国志魏書明帝紀》 十二月癸巳、司空陳群が薨ず《三国志魏書明帝紀》 誕生者 死没者 陳群:司空 董昭:司徒
https://w.atwiki.jp/si1215017eta/pages/18.html
現在、paint_bbsプラグインはご利用いただけません。
https://w.atwiki.jp/rings/pages/29.html
Zogtark Zogtarkはナルズ・ガシュの裂け目で出会う4番目のボスである。 彼は2匹の強力なドレイクと共に戦闘に入る。 台詞 「代償を支払うことになるぞ!」 「ペットよ、奴らを倒せ!」 概観 準備 FSごとに+4/+5トークン もしレイドがZogtark戦を経験済みである場合、トークンの代わりにCPTの希望の使者(トレイト強化版)、MNSの希望の歌/防衛の歌を使用することもできる。 Zogtarkは恐怖5なので、恐怖で立ちすくむことを回避するには希望1で充分である。 部屋内の雑魚を掃除する。2匹のエルダーファイアドレイクに接近しすぎない限り戦闘は始まらない。 MTを片方のドレイクに割り当てる 遠距離攻撃可能なサブタンクをもう片方のドレイクに割り当てる 戦闘 エルダーファイアドレイクに接近すると戦闘開始である。 タンクがエルダーファイアドレイクをレイドから離れた場所でキープする。 残りのレイドはpopするファイアワームを始末する。 どちらかのエルダーファイアドレイクの士気が20000以下になると空中に飛び立ってしまうので、ダメージを与えすぎないようにする。 ファイアワームを始末すると、レイドはMT担当のドレイクに可能な限りのDPSを指向する。 士気が20000を切るとドレイクは空中に飛び立つ。 BURの連携によりもう少し長く地面に押さえつけておくことも可能である。 士気が7000になるまで最初のドレイクにダメージを与えつづける。 この時点でドレイクは着地し、倒されるまで地上にいるだろう。 最初のドレイクが倒されている間も遠距離攻撃可能なタンク/HNTがもう一方のドレイクをキープしているため、ターゲットがランダム(大抵はMNS)に跳ねることを防げるだろう。 最初のドレイクが倒された時点でZogarkが戦闘に加入してくる。 MTは速やかにZogtarkのタンキングを開始する。 Zogtarkは残っているドレイクを回復できる範囲から遠ざけてキープする。 これは戦利品のチェストの横が良いであろう。 LRMはドレイク回復を妨害するためZogtarkから一時的に気力を吸収することができる。 ドレイクを倒し、その後Zogtarkを倒す。 Add ファイアワームが2方向から現れる。 散開して1匹ずつあるいはAoEで攻撃するなどでき、特に問題とはならない。 カイト 2匹のエルダーファイアドレイクは遠距離攻撃可能なのでカイトは困難/不可能である。 単純にレイドから遠ざけてタンク/キープすることがベストである。 Short MTが1匹のドレイクを受け持ち、サブタンクがもう片方を担当する レイドはファイアワームを始末する レイドはMTのドレイクにDPSを指向する ドレイクがZogtarkに向かい歩き始めたらBURの連携を入れる HNT・遠距離攻撃可能なクラスでサブタンクのドレイクを攻撃する MTのドレイクを倒したら、MTはチェストの横でZogtarkのタンキングを開始する レイドは残りのドレイクにDPSを指向する ドレイクを倒しZogtarkを攻撃する 能力 Zogtarkはエルダーファイアドレイクとファイアワーム(残っている場合)を回復する Zogtarkは気力を高速に回復する(永久的に気力を吸収することは不可能であるが、吸収によってドレイクの回復を阻止することは可能である) ドレイクは士気20000を切ると飛び立ち、2000火ダメージの火の玉を吐き始める Loot Zogtark自身は特定のDropを持たない チェストから GLINTING AMETHYST(常に) RING OF GEMS(時々)
https://w.atwiki.jp/soutoku/pages/12.html
<魏 263年> <蜀漢 263年> <呉 263年>? 263年 景元四年(魏) 皇帝 曹奐(字景明・魏常道鄉公) 皇后 (空位)→卞氏 皇太子 三公(魏) 晋公:→司馬昭(相国) 相国:→司馬昭(晋公) 太傅:司馬孚(前太尉) 太保:→鄭沖(前司徒) 太尉:高柔(前司徒) →(死亡) →鄧艾(前征西將軍) 司徒:鄭沖(前司空) →鍾会(前鎮西将軍) 司空:王祥(前司隸校尉) その他の要職(魏) 錄尚書事:司馬昭(大将軍)→ 太常: 光禄勳: 衛尉:→ 太僕: 廷尉:→ 大鴻臚:→ 宗正:→ 大司農:→ 少府:→ 大将軍:司馬昭(大都督を加号)→ 驃騎将軍:王昶 車騎将軍:孫壹 衛将軍:? 地方官 司隸校尉: 冀州牧: 幽州牧: 并州牧: 青州牧: 徐州牧: 兌*州牧: 揚州刺史:? 雍州刺史:諸葛緒 交州牧:孫壹? 梁州: 主な事件 四年春二月、また大將軍に爵位を進め九賜を具えるように命じた。前の詔と同様であった。しかしまた固辭して沙汰止みとなった《三国志魏書三少帝紀陳留王奐》 夏五月、詔に曰わく「蜀は小國で土地は狹く民は寡ない。しかし姜維は虐げてそれらを酷使し、止める気もない。先年破れた後、なお沓中に留まって耕作している。羌族を勞役し民は命を全うできない。人を致して人に致されずが兵家の上略だ。蜀が恃れ賴るのは唯姜維だけである。今、征西將軍の鄧艾に諸軍を督帥させ、甘松に赴き沓中で姜維と交戦せよ。雍州刺史の諸葛緒は諸軍を督して武都に赴き、高く樓を築き、首尾応じて討て。もし姜維を捕らえたならば、東西より並進して巴蜀を掃滅せよ」また鎮西將軍の鍾會に命じて駱谷経由で蜀を討たせた。《三国志魏書三少帝紀陳留王奐》秋、蜀征討の詔勅が下った《三国志魏書鄧艾伝》 秋九月、太尉の高柔が薨ず《三国志魏書三少帝紀陳留王奐》 冬十月甲寅、また大將軍に位爵を進め九賜を具えるよう命じた。前の詔と同様であった。《三国志魏書三少帝紀陳留王奐》 十月癸卯、皇后に卞氏を立てる《三国志魏書三少帝紀陳留王奐》 十一月、大赦《三国志魏書三少帝紀陳留王奐》 十一月、鄧艾、鍾會が率いる軍は蜀を征討し至る所で勝利する。《三国志魏書三少帝紀陳留王奐》 十一月、蜀主の劉禪が艾に降る。巴蜀は皆平定される。《三国志魏書三少帝紀陳留王奐》 十一月、魏帝は晉公の司馬昭に命じて相國と為し百揆を総攬させる。侍中、大都督、錄尚書は返した。《晋書帝紀太祖文帝昭》 十二月庚戌、司徒の鄭沖を太保と為す。《三国志魏書三少帝紀陳留王奐》 十二月壬子、益州を分けて梁州を置く。《三国志魏書三少帝紀陳留王奐》 十二月癸丑、特に益州の士民を赦し、また五年間租賦之半分を免除する。《三国志魏書三少帝紀陳留王奐》 十二月乙卯、征西將軍の鄧艾を太尉に、鎮西將軍の鍾會を司徒と為す。《三国志魏書三少帝紀陳留王奐》十二月、蜀征討の功績から詔勅によって鎮西将軍鍾会を司徒に任じ、県侯として領邑一万戸を加増した。二人の子を亭侯に取り立て領邑千戸を与えた。《三国志魏書鍾会伝》 皇太后が崩御する。《三国志魏書三少帝紀陳留王奐》十一月、明元郭皇后が崩御した《三国志魏書鍾会伝》 誕生者 死没者 諸葛瞻(蜀の丞相諸葛亮の子) 鍾イク(鍾会の兄・病死)
https://w.atwiki.jp/nicosangokushi/pages/211.html
リスト 【ニコニコ動画】もっとカオスな三国志クロニクル ストーリー Q.これってどんな話? A.主人公が女神に頼まれて、三国志の世界に突如現れた自称「神」を倒しに行く物語です。 登録武将 東方・遊戯王・クレしん・アイマス・らき☆すた・ハルヒ・リリカルなのは・ひぐらし・マリオ・その他ニコニコキャラなど 主人公として手書きキャラ ニコ子 設定 使用シナリオ 「英雄集結」改 難易度 上級 スタート位置 雲南 変更点 勢力配置の大幅な変更 各都市のパラメータ調整 曹操・孫堅・劉備軍の分割 井ランの弱体化 衝車の強化 陣形の機動力UP 港の強化 一部兵法の発動率増加 野戦兵法の若干の弱体化 射撃兵法の若干の強化 最終目標は「神」軍の打倒or中国統一 簡単な解説 悲惨なステータスをもつうp主の分身ともいえる人物を主人公に配したニートの系譜に連なるであろう三国志Ⅸプレイ動画。 女神に呼び出されたニコ子がニコニコで人気のキャラたちと力を合わせて「神」打倒を目指します。 最大の特徴として挙げられるのはやはり登録キャラの多彩さ。 まさにタイトルどおりのカオス。BGMもカオス。イベントもカオス。 同人の世界でしかできないクロスオーバーを極限まで求めている三国志である。 前作、カオスな三国志クロニクルはPCの故障によりデータそのほかまとめて消去されてしまった模様。 ほぼ一から作り直しになったため前作とはかなりの違いが見える。前作が途中で消えてしまったのは残念ではあるが 作り直したがんばりはすごい。今回はぜひとも完結までがんばってほしい。 はやて軍に魔王を見た。どーすんだあんなもんwww -- 名無しさん (2008-05-07 03 03 13) アニキかっこよかった。 -- 名無し (2008-06-04 23 36 10) またもPCが雷で逝ってしまったらしく、再び更新停止にorz。 -- 名無しさん (2008-08-14 18 03 52) 1年以上経ったが、やはりまだ戻ってはないか・・・ -- 名無しさん (2009-11-23 14 32 25) 名前 コメント