約 1,978,085 件
https://w.atwiki.jp/warhis2009/pages/19.html
ここで初見さんにむけて、三国志・戦国板の特徴まとめ オタク系の板なのにIDがでないので釣り率が凄い ついでに釣られ率も凄い トラビアンと突破スレの連動率は異常 同人板と時々ノリが似ている 腐女子の身は狭い プロの絡み屋がいる プロの釣り氏もいる コテハンの情念と確執とただれた欲望にまみれたさわやかで胸キュンな板です。 参考文献 ごみ箱@三戦板その31 2009年3月2日
https://w.atwiki.jp/taisendoujin/pages/18.html
https://w.atwiki.jp/browsersangokusi/pages/41.html
●公式サイト ブラウザ三国志:ブラゲタイム http //sangoku.bg-time.jp/ ブラウザ三国志:AQI http //www.3gokushi.jp/ ●攻略サイト ブラウザ三国志 武将カード図鑑 http //3gokushi.zpee.net/ ●ブラウザ戦国BASARA wiki http //webbasara.wiki.fc2.com/
https://w.atwiki.jp/soutoku/pages/89.html
<魏 222年> <蜀漢 222年> <呉 222年> 222年 黄初三年(魏) 皇帝 曹丕(魏文帝) 皇后 →郭氏(文德郭皇后・安平広宗の人) 三公(魏) 呉王:孫権 太尉:賈詡 相國:華歆(前御史大夫) 御史大夫:王朗(前大理) その他の要職(魏) 太常:邢貞 光禄勳: 衛尉:→ 太僕: 廷尉:→ 大鴻臚:→ 宗正:→ 大司農:→ 少府:→ 大司馬:曹仁(前大將軍) 大将軍:孫権 驃騎将軍:? 車騎将軍:公孫恭(遼東太守) 衛将軍:? 地方官 郢州: 荊州牧:孫権 主な事件 黄初三年春正月丙寅朔、日食があった。《三国志魏書文帝紀》 正月庚午、許昌宮に行幸する。詔に曰く「十室の邑にも必ず忠信の士はいるものだ。もし年齢を限れば、是呂尚や周晋不顯はどうだ。郡国に令す。老幼に拘らず、儒経学に通じ、文・法に達者な士は到らば皆試用する」と。《三国志魏書文帝紀》 癸亥、孫権は上書して説明するに、「劉備が兵四万人、馬二三千匹をもって秭帰を出ました。行って殲滅しようと思います」《三国志魏書文帝紀に引く魏書》 二月、鄯善、亀茲、于闐王が各々使者を遣わし奉献してくる。この後西域は遂に通商し戊己校尉を置く《三国志魏書文帝紀》 三月乙丑、斉公の曹叡を平原王と為す。帝の弟の鄢陵公の曹彰等十一人を皆王と為す。初めて封建の制を定める。王の庶子は鄉公、嗣王の庶子は亭侯、公の庶子は亭伯。《三国志魏書文帝紀》 甲戌、皇子の曹霖を河東王と為す《三国志魏書文帝紀》 甲午、襄邑に行幸する《三国志魏書文帝紀》 夏四月戊申、鄄城侯の曹植を鄄城王と為す《三国志魏書文帝紀》 癸亥、許昌宮に戻る《三国志魏書文帝紀》 五月、荊州揚州をもって江表八郡を荊州と為す。孫權が牧を領していたためである。荊州の長江以北の諸郡を郢州と為す《三国志魏書文帝紀》 閏月、孫権が劉備を夷陵において破る。文帝は初め劉備が兵を東下させて孫権と交戦し、樹柵を連ね兵営七百余里と聞き孫権の勝利を予測した。《三国志魏書文帝紀》 秋七月、冀州で大いに蝗す。民飢え、尚書の杜畿に節を持たせ遣わし、倉を開き廩を振舞う。《三国志魏書文帝紀》 八月、蜀の大将の黃権が兵を率いて降る。《三国志魏書文帝紀》 孫権及び南郡太守を領する史郃等三百一十八人は、荊州刺史の下に参上し、仮の印綬、棨戟、幢麾、牙門、鼓車を奏上する。孫権等は行在所に参上し、帝は酒を置き楽を設けた。承光殿に引見する。孫権、史郃等は事の次第を披瀝し、帝は軍旅成敗の因果を論説する。諸将で喜悅しないものは無かった。孫権に金帛、車馬、衣裘、帷帳、妻妾を賜り、以下偏裨を下し皆有差があった。孫権を侍中鎮南將軍に拝し、列侯に封じ、即日召して騎乗させ、及び史郃等四十二人を皆列侯に封ず。為に將軍郎は將に百余人。《三国志魏書文帝紀に引く魏書》 九月甲午、詔して曰く、「婦人が政に参与するのは乱の本だ。今後、臣は太后の奏事を得てはならない。后族の家のものは輔政の任に当たっては為らない。また茅土の爵を得てはならない。この詔を後世に伝え、もし背違あれば天下は共に之を誅すべし。《三国志魏書文帝紀》 九月庚子、郭氏を皇后に立てる。天下の男子に爵二級を賜う。寡婦や篤実な者及び貧しくて自存できない者に穀を賜う《三国志魏書文帝紀》 冬十月甲子、首陽山の東を寿陵と為すと表明した。臨終の制度を定めて、漢文帝と光武帝の陵墓の違いを引いて薄葬にするよう戒めた。この詔を宗廟に蔵し、尚書、祕書、三府に送るよう命じた。《三国志魏書文帝紀》 冬十月、孫権がまた叛く。郢州を荊州と復す。帝は許昌から南征し、諸軍兵は進撃した。孫権は長江に臨んで守り拒んだ。《三国志魏書文帝紀》 十一月辛丑、宛に行幸する。《三国志魏書文帝紀》 庚申晦、日食あり《三国志魏書文帝紀》 この歲、靈芝池を掘る。《三国志魏書文帝紀》 誕生者 死没者
https://w.atwiki.jp/soutoku/pages/95.html
<魏 255年> <蜀漢 255年> <呉 255年> 255年 正元二年(魏) 皇帝 曹髦(魏高貴郷公) 皇后 →卞氏(父は卞隆) 三公(魏) 太傅:(空位) 太尉:司馬孚 司徒:高柔 司空:鄭沖 その他の要職(魏) 錄尚書事:司馬師→司馬昭(大将軍) 太常: 光禄勳: 衛尉:→ 太僕: 廷尉:→ 大鴻臚:→ 宗正:→ 大司農:→ 少府:→ 大将軍:司馬師→司馬昭(前衛将軍) 驃騎将軍:→王昶(前征南大將軍) 車騎将軍:郭淮→(死去) 衛将軍:司馬昭→胡遵(前征東大將軍) 地方官 揚州刺史:文欽→(逃走) 雍州刺史:王経 主な事件 正元二年春正月乙丑、鎮東将軍の毌丘倹、揚州刺史の文欽が叛く。《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》 正月戊寅、大将軍の司馬師は征伐に赴く。《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》 正月癸未、車騎將軍の郭淮が薨ず。《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》 閏月己亥、文欽を楽嘉に破り、文欽は遁走し遂に呉に奔る。《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》 閏月甲辰、安風津の都尉が毌丘倹を斬り、都に首を送ってきた。《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》 閏月壬子、また淮南の士民諸為毌丘倹﹑文欽の為にたぶらかされた者を特に赦した。鎮南将軍の諸葛誕を鎮東大將軍と為す。司馬師が許昌で薨ず。《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》 二月丁巳、衛將軍の司馬昭を大將軍と為し、錄尚書事とす。《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》 二月甲子、呉の大將孫峻等は兵十萬と号し寿春に至る。諸葛誕は之を打ち破る。呉の左將軍留贊を斬る。捕虜を京都に献上する。。《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》 三月、皇后に卞氏を立てる。大赦。《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》 夏四月甲寅、后の父卞隆を列侯に封じる。《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》 甲戌、征南大將軍の王昶を驃騎將軍と為す。《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》 秋七月、征東大將軍の胡遵を衛將軍に、鎮東大將軍の諸葛誕を征東大將軍と為す。《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》 八月辛亥、蜀の大將軍姜維が狄道を攻め、雍州刺史の王経が洮西で戦い、王経は大敗する。戻って狄道城を保つ。《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》 八月辛未、長水校尉鄧艾を以って行安西將軍と為し、征西將軍の陳泰と力を合わせて姜維を拒む。《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》 八月戊辰、太尉司馬孚を遣わして後ろに続かせた。《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》 九月庚子、帝は尚書の学業を終え、聴講し、親しく授けてくれる司空鄭沖﹑侍中鄭小同等に各々格差があって下賜した。《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》 九月甲辰、姜維は退却した《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》 冬十月、詔して「私の德が薄く、寇虐を滅ぼせない。蜀賊が陸路を侵入してきて洮西で戰ったが破れた。多くの將士が死亡し合せて千數を数える。私は深く痛み不憫で悼む。所在の郡の典農及び安撫夷二護軍の各部の大吏に令して門戶を回り慰撫させた。賦役を一年免除した。力戰して死んだ者は皆舊科の如くにし遺漏のないようにさせた《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》 十一月甲午、隴右四郡及金城は連年敵を受け、ある者は亡くなり、或る者は叛いて賊に投じたりして,その親戚で本土に留まっている者は不安として、皆特に之を赦した。《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》 十一月癸丑、詔して「洮西之戰に従軍し、將吏士民であるいは戦って死んだもの、あるいは洮水に溺れ沈んだ者は今だ骸骨も回収できず、原野に棄てられている。私は日頃から之を悼む。征西、安西將軍に告げる。戦没及び水死者の亡骸を求めて回収し、慰霊せよ《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》 誕生者 死没者 郭淮(車騎将軍) 司馬師(大将軍)
https://w.atwiki.jp/taisendoujin/pages/14.html
https://w.atwiki.jp/bokuserve/pages/731.html
セイバー: 陸遜 伯言 ランサー: 関羽 雲長 アーチャー: 祝融夫人 ライダー: 劉備 玄徳 アサシン: バーサーカー: キャスター: 賈詡 文和 エクストラ:
https://w.atwiki.jp/rings/pages/12.html
8/18(土)カルン・ドゥーム 20 30~4h 8/23(木)カルン・ドゥーム 20 30~4h 8/25(土)カルン・ドゥーム 20 30~4h 8/28(火)カルン・ドゥーム 20 30~4h 9/ 1(土)カルン・ドゥーム 20 30~4h ☆この回より土日開催となります。(希望が多かった為) 9/ 4(火)グララン 9/ 8(土)グララン 9/14(金)ヘレグロド1日目 21時から0時予定 9/15(土)ヘレグロド2日目 21時から0時予定 【キンシップ向け】カルン・ドゥーム攻略心得 ◆はじめに 紆余曲折があり、土日での開催で攻略を行なうこととなりました。皆さん宜しくお願いいたします。 ●攻略リーダー Dolriel(バーグ)さん/ヘイスト(ハンター)さん ※Dolrielさん不参加時にヘイストさんがリーダー。二人がいない場合は残りの人間での総意でリーダーを選定。 ◆攻略メンバー ヘイスト(ハンター)さん Oenus(ガード)さん/ラスティ(ガード)さん Finrandir(ミンス)さん/Oh(ミンス)さん Dolriel(バーグ)さん/リジ(バーグ)さん アルフェイト(チャン)さん ◆リザーブ(5人とかになった時用) バーン(キャプ) 現在高レベル帯にいるのはこの辺なので、とりあえずメンバーとしてはこんな感じ。 ◆攻略について 基本は全てのひとがクラスクエアイテムを取得するまで、毎週土日のいずれかあるいは2日を使って(念のためレイドロック解除日を要確認:/raid rocks)攻略を進行します。 予約を入れた上で、リアル用事が発生(当然リアルを優先してください)した場合などは事前に攻略リーダーにメッセージを送っておく事。可能な限りギリギリで連絡はしないでね。 調整が取れなかった場合(リザーブ入れても5人以下)は攻略リーダーの裁量のもと、延期か外部をいれるかの判断をしてもらいます。(原則延期) クラスクエアイテムをすでに取得したひと(いわゆるあがりのひと=お手伝いの方)は、1周につき希望のアイテム1個を取得できます。 ※攻略開催予定日はキンシップ掲示板(ソーシャルの「本日のメッセージ」のほう)に告知。出欠は同掲示板に参加不参加を追記してください。 ◆FAQ Q.もう自分の分のクラスクエアイテムとったんだけど、まだ参加したほうがいいの? A.お願いいたします。どうしてももうしんどい、という場合には関係各所(攻略リーダーや当方など)にご相談ください。 以上、いろいろ書きましたが、KSみなさんの良心に委ねる事大ですので、宜しくお願い申し上げます。 (上記文責バーン/改定2007.8.29)
https://w.atwiki.jp/soutoku/pages/19.html
<魏 251年> <蜀漢 251年> <呉 251年> 251年 嘉平三年(魏) 皇帝 曹芳(魏) 皇后 甄氏(文帝皇后の甄氏の兄甄儼の孫娘)→(崩御) 皇太子 三公 太傅:司馬懿(前太尉)→(死亡) 太尉:王淩 (前司空) →司馬孚(前司空) 司徒:高柔(前司空) 司空:(空位)→司馬孚(前尚書令)→鄭沖(前光祿勳) 九卿 録尚書事:→司馬師(撫軍大將軍) 光祿勳:鄭沖→ その他の要職 大将軍: 車騎將軍:郭淮(前征西將軍) 驃騎將軍:孫資(特進) →(死亡) 衛将軍: 地方官 主な事件 三年春正月、荊州刺史の王基、新城太守(陳泰)[州泰]が吳を攻める。勝利を収め、降伏者は數千人《三国志魏書三少帝紀》 二月,南郡に夷陵縣を置き、降伏者を居住させた《三国志魏書三少帝紀》 三月、尚書令の司馬孚を司空と為す《三国志魏書三少帝紀》 四月甲申、征南將軍の王昶を征南大將軍と為す《三国志魏書三少帝紀》 四月壬辰,大赦《三国志魏書三少帝紀》 四月丙午、太尉の王淩が帝を廃して楚王曹彪を立てようとしていると聞いて、太傅の司馬懿は王淩を討ちに東征する。《三国志魏書三少帝紀》四月、魏の司馬懿、太尉の王凌がクーデターを企てたため王凌を攻めて逮捕し、自殺させた。王淩は呉軍が徐水を堰き止めたのをきっかけに挙兵しようと賊討伐の上奏をしたが聴許を得られなかった。そのため将軍の楊弘を兌*州刺史の黄華に派遣し協力を要請したが、楊弘と黄華は司馬懿に密告したので司馬懿は大軍を百尺に進めた。その前に司馬懿は王淩を許すと宣言し、尚書の王広(王淩の子)に説諭の手紙を書かせた。王淩は追い詰められたことを悟り、司馬懿が丘頭に到着すると後ろ手に縛って一人出迎えた。司馬懿は王淩に六百の兵をつけて都に送還したが、王淩は項に着いたところで毒を飲んで自殺した《三国志王淩伝》 五月甲寅、王淩自殺《三国志魏書三少帝紀》 六月、曹彪は死を賜う《三国志魏書三少帝紀》 秋七月壬戌、皇后の甄氏が崩ず《三国志魏書三少帝紀》 七月辛未、司空の司馬孚を太尉と為す《三国志魏書三少帝紀》 七月戊寅、太傅の司馬懿が薨ず。衛將軍の司馬師を撫軍大將軍・錄尚書事と為す《三国志魏書三少帝紀》 七月乙未、懷甄后を太清陵に葬る《三国志魏書三少帝紀》 七月庚子、驃騎將軍の孫資が薨ず《三国志魏書三少帝紀》 十一月、有司が、諸功臣で太祖の廟に祀られている者を官位の順位をもって改めるようにと奏上し、太傅の司馬懿が功高く爵も尊いので、最上となった《三国志魏書三少帝紀》 十二月、光祿勳の鄭沖を司空と為す《三国志魏書三少帝紀》 誕生者 死没者 王淩(王允の甥・自殺) 司馬懿:太傅 孫資:驃騎將軍・特進
https://w.atwiki.jp/tsundereidayon/pages/522.html
孔明「おまえの処刑が決定したぞ」 馬謖「ああ」 孔明「馬鹿な事をしたな」 馬謖「いや。後悔はしていない」 孔明「心底、馬鹿野郎だな」 馬謖「おまえに比べればな」 孔明「・・なんであの時云うこと聞いてくんなかったんだよぅ!」 馬謖「間違った判断だったとは思わない」 孔明「ばか・・っ! ばかバカぁぁっ!」 馬謖「泣くなよ」 孔明「だ・・って・・」 馬謖「かわいい顔が台無しだぞ」 孔明「ば、ばかっ! 死んじゃえっ!」