約 2,473,956 件
https://w.atwiki.jp/conan_livevip/pages/48.html
312 名前:以下、名無しにかわりましてVIPが実況します[sage] 投稿日:2011/11/15(火) 22 13 52.06 ID nG+kL0bM0 ミステリーツアー特集 第68話・第70話「闇の男爵殺人事件」 第236話・第237話「南紀白浜ミステリーツアー」 第255話・第256話「松江玉造連句14番勝負」 第299話・第300話「友情と殺意の関門海峡」 第342話「ハウステンボスの花嫁」 第377話・第378話「桃太郎謎解きツアー」 第419話・第420話「八岐大蛇の剣」 第518話・第519話「明治維新ミステリーツアー」 第554話・第555話「こうのとりミステリーツアー」 第594話・第595話「広島宮島七不思議ツアー」 第640話・第641話「8枚のスケッチ記憶の旅」 第678話・第679話「長崎ミステリー劇場」
https://w.atwiki.jp/asianmystery/pages/165.html
2011年11月15日 『韓国ミステリ史 第三章』では、1970年代を扱っている。 目次 第三章 1970年代: 後継者不在の時代に現れたキム・ソンジョン第一節 キム・ソンジョン(金聖鍾)登場 第二節 1970年代の翻訳ミステリ(1)1972年、韓国ミステリクラブの結成 (2)1970年代末の翻訳ミステリブーム 第三節 邦訳された1970年代の韓国推理小説 参考文献 第三章 1970年代: 後継者不在の時代に現れたキム・ソンジョン 韓国の最初の創作探偵小説は1908年から1909年にかけて新聞連載されたイ・ヘジョ(李海朝)の『双玉笛(そうぎょくてき)』だった。その後、欧米や日本の探偵小説の流入が続き、創作探偵小説もいくつか書かれるが、しばらくは探偵小説専門の作家は現れなかった。1930年代半ばになると、金来成(キム・ネソン)が初の探偵小説専門作家として登場し、「韓国の江戸川乱歩」【注1】とでもいうべき活躍で人気を博したが、しかし戦後は金来成は大衆文学作家に転向してしまう。その後の三十年ほどは、後世まで読み継がれるような推理作家はなかなか登場しなかったが、そんな後継者不在の時代に現れて一躍人気推理作家となったのがキム・ソンジョン(金聖鍾)である。キム・ソンジョンは1970年代半ばに発表した最初の長編推理小説『最後の証人』がベストセラーとなり、2011年現在まで韓国ミステリ界を代表する作家として推理小説を発表し続けている。最新作は、日本の福岡を舞台にしたサスペンス小説、『福岡殺人』(2011年10月刊)。 注1:『日本推理作家協会会報』1984年6月号の黄鐘灝(ファン・ジョンホ)「韓国推理小説の現状」に以下のようにある。「わが国の推理小説は金来成から始まったと言っても過言ではないでしょう。勿論古典小説や特に李朝時代のいわゆる「公案類」小説にも推理的要素の濃い作品がありますが、近代的意味において氏はいわば韓国の江戸川乱歩でした。」 第一節 キム・ソンジョン(金聖鍾)登場 ◆生い立ち~純文学作家としてのデビュー キム・ソンジョン(金聖鍾/김성종)は1941年、中国の山東(さんとう)省済南(さいなん)市に生まれた。父親は韓国の求礼(クレ)出身だったが、一時期中国に渡っており、キム・ソンジョンはそこで生まれたのである。終戦後はソウルで暮らし、1950年に朝鮮戦争が勃発すると韓国南部の求礼(クレ)に避難し、そこで少年時代を過ごした。 延世(ヨンセ)大学の政治外交学科に進学。大学時代はフランス文学を耽読したという。卒業後、新聞記者などを経て小説家デビュー。デビュー作は、1969年に『朝鮮日報』の新春文芸公募に入選した短編小説「警察官」である。キム・ソンジョンは当初は純文学作家として活動しており、この作品も警察官を主人公にしてはいるが推理小説ではなかった。その後、文芸誌に「我らが少年だったとき」(1970)、「十七年」(1971)、「悲しみ」(1972)、「ある娼婦の死」(1973)、「鎌」(1973)などの短編小説を発表。このうち、「ある娼婦の死」には『最後の証人』の探偵役である刑事のオ・ビョンホが登場している。 ◆推理作家としてのデビュー作『最後の証人』 1974年、『韓国日報』創刊20周年の長編小説公募に『最後の証人』(최후의 증인)(邦訳2009年)を投稿し、受賞。1974年6月から翌年6月まで同紙に連載。1977年には単行本が刊行され、ベストセラーになった。刑事のオ・ビョンホが捜査本部の方針に反抗し、単独行動で殺人事件の捜査をしていくうちに、その原因となった数十年前の悲劇が明らかになっていくというハードボイルド作品である。1980年には映画化されたが、検閲によって大幅にカットされた上、上映は10日間で打ち切られてしまった。映画の完全版は2009年になってやっとDVDとして一般に販売され日の目を見た。また2001年には『最後の証人』を原案とする映画『黒水仙』も公開されている。 キム・ソンジョンはその後もハードボイルドや国際謀略小説を中心とする長編推理小説を次々と発表。1974年の『最後の証人』以降、推理作家デビューから10年になる1984年までに発表した長編には、『七本の薔薇』、『Zの秘密』、『白色人間』、『霧の中に消える』、『私は生きたい』(邦訳2005年、邦題『ソウル 逃亡の果てに』)、『死を呼ぶ少女』、『第五の男』、『反撃の壁』、『迷路の彼岸』、『第三の情死』、『凍りついた時間』、『浮浪の河』などがある。2011年現在までで、発表した長編は約50編にのぼる。 ◆創作以外でのミステリ界への貢献 次々と長編推理小説を発表する一方、1988年には『季刊推理文学』(계간 추리문학)を創刊。さらに同誌上で長編推理小説を公募する金来成(キム・ネソン)推理文学賞を立ち上げた。(『季刊推理文学』は10号?で休刊、金来成推理文学賞は全4回で終了している。この雑誌と賞については第四章で紹介する) 1992年3月には、韓国有数のリゾート地である釜山(プサン)市海雲台(ヘウンデ)に、キム・ソンジョンが私費を投じて建設した推理小説図書館の推理文学館が開館している。同年6月にはここで日韓の推理作家協会の交流会が行われ、日本推理作家協会からは生島治郎、山村正夫、豊田有恒、麗羅、大沢在昌、西木正明が参加した。1993年5月には日本推理作家協会が韓国推理作家協会の推理作家らを日本に招待したが、その際にはキム・ソンジョンも来日している。(1990年代初頭には日本推理作家協会と韓国推理作家協会の交流があったが、1993年以降、交流は途絶えているようである) 推理文学館前での日韓推理作家集合写真(韓国側の参加者、推理作家のクォン・ギョンヒさんのブログ記事) - 1992年3月の開館式の写真と、1992年6月8日の日韓交流会の日の写真 ◆日本を舞台にした最新シリーズを執筆中 2011年10月には、3年半ぶりの新作長編『福岡殺人』を上梓した。タイトルから分かる通り、日本の福岡を舞台にしたサスペンス小説である。プサン日報に掲載されたインタビュー記事(2011年10月22日、韓国語)によれば、『福岡殺人』は日本を舞台にした全5作のシリーズの最初の1作であり、2012年以降に『大阪殺人』、『東京殺人』、『札幌殺人』、『名古屋殺人』を予定しているという。2012年には福岡にも住居を用意し、プサンの自宅と往復しながら執筆する予定だという。キム・ソンジョンの『福岡殺人』の刊行については、日本の新聞でも記事になっている。 韓流ミステリー 舞台は福岡 釜山(プサン)の巨匠・金聖鍾(キム・ソンジョン)さんが長編出版 (西日本新聞朝刊、2011年10月29日付) ◆中国でも刊行されているキム・ソンジョンの作品 キム・ソンジョンの作品は日本では『最後の証人』と『ソウル 逃亡の果てに』しか出版されていないが、中国では少なくとも7作品が出版されている。代表作の『最後の証人』の中国版は出ていないようだ。 中国版 『七本の薔薇』、『白色人間』、『ソウル 逃亡の果てに』、『迷路の彼岸』、『ピアノ殺人』、『国際列車殺人事件』、『燃える女』 第二節 1970年代の翻訳ミステリ (1)1972年、韓国ミステリクラブの結成 【2012年6月11日、加筆】 キム・ソンジョンが『最後の証人』によって推理作家デビューする少し前の1972年、韓国推理作家協会(1983年2月8日設立)の母体となった韓国ミステリクラブが結成されている。国外の推理小説に関心を持つ英文学の大学教授が中心となったもので、1972年1月5日に結成された【注2】。発起人はイ・ガヒョン(李佳炯)、イ・グンサム(李根三)、ファン・ジョンホ(黄鐘灝)ら。 黄鐘灝(ファン・ジョンホ)「韓国推理小説の現状」(『日本推理作家協会会報』1984年6月号、No.426、p.4) 【金来成が1957年に亡くなったのちには】追蹤者達のエログロ時代があり、良心的な一部の作家がありましたが、大体において一応低質視された推理小説の復興など絶望的な状態でした。一九七二年一月五日おもに大学英文学教授からなる「韓国ミステリクラブ」が鍾路(チョンノ)区清進(チョンジン)洞にある飲食店「雲情」の5号室で結成されたのはこういう時期でした。外国推理の飜訳が主な目的でしたが、新人作家の発掘も事業の一部でした。メンバーは十名に、スポンサーである「雲情」の女主人韓(ハン)女史といわば「テン・プラス・ワン」、李佳炯(イ・ガヒョン)会長と、黄鐘灝(ファン・ジョンホ)総務で始まりました。 会長のイ・ガヒョン(李佳炯)(이가형)(1921-2001)は英文学者。1942年、熊本の旧制第五高等学校卒業。その後東京帝大文学部に進学。1956年から1年間、アメリカのウィリアムズ大学に留学。その後、大学教授を務めながら多くのミステリの翻訳を手掛け、韓国におけるミステリの普及に尽力した。1983年、韓国ミステリクラブから発展して韓国推理作家協会が設立されるとその初代会長も務めた。1984年3月、東京で開催された国際ペン大会に韓国代表として参加し、日本推理作家協会の中島河太郎と面会した。この面会の様子は中島河太郎が『日本推理作家協会会報』1984年6月号(No.426)で伝えている。1990年と1992年の日韓両国の推理作家協会の交流会に参加(→詳細はこちらの記事)。1995年、自身の戦争体験を日本語で綴った『怒りの河 ビルマ戦線狼山砲第二大隊朝鮮人学徒志願兵の記録』(連合出版)を上梓した。 総務のファン・ジョンホ(黄鐘灝)(황종호)(????- ? )も英文学者。大学教授を務めながら多くのミステリを翻訳した。中島河太郎はファン・ジョンホとは何度か書簡のやり取りをし、1982年ごろには面会もしている。 なお、1966年2月28日付けの京郷(キョンヒャン)新聞に、イ・ガヒョンとイ・グンサムが中心となって仮称・ミステリ文学協会の設立を準備している――と報じる記事が載っている(情報提供:韓国推理作家協会クォン・イリョン氏)。ただ、韓国ミステリクラブの設立は前述の通り1972年なので、このときの計画はおそらく立ち消えになってしまったのだろう。 注2:韓国ミステリクラブ(あるいは単に「ミステリクラブ」)の結成年は、引用したファン・ジョンホの記事によれば1972年となっているが、パク・クァンギュ(2008a)では1971年、鄭泰原(チョン・テウォン)(2000)では1970年、金容権(キム・ヨングォン)(2001)では1960年代末とされている。ここでは、唯一日付まで示されているファン・ジョンホの記事の記述に従っておく。 (2)1970年代末の翻訳ミステリブーム キム・ソンジョンが『最後の証人』を連載しはじめた1974年、河西(ハソ)出版社が《世界推理文学全集》(全10巻)(ラインナップ紹介)を出版している。ドイルやクリスティと並んで、日本の推理作家では江戸川乱歩と松本清張の作品が収録された。そして1970年代後半になると、複数の出版社から翻訳ミステリの叢書の創刊が相次ぐ。主なものは以下の通りである。 《東西推理文庫》 1977年~1980年頃?、全128巻(一部、SF作品も含む。日本の作家の作品はなし) - 2003年以降、《東西ミステリブックス》で大部分が再刊された 《河西推理選書》 1977年~1978年、全36巻(ラインナップ紹介) - 日本の作家では江戸川乱歩、横溝正史、松本清張、森村誠一の作品を収録 《三中堂ミステリ名作》 1978年~1981年、全40巻(ラインナップ紹介) - 日本の作家では横溝正史、坂口安吾、高木彬光、森村誠一、水上勉、黒岩重吾、佐野洋の作品を収録 (これらの叢書でも上述のイ・ガヒョンとファン・ジョンホは多くの作品の翻訳を担当している) 日本の作家の中で、当時の韓国で特に人気を集めたのは松本清張と森村誠一だった【注3】【注4】。1970年代末には中国でも松本清張と森村誠一が人気を博していたし【注5】、また台湾でも1970年代末から松本清張作品が次々と翻訳刊行されていた【注6】。この時期、日本の社会派推理小説は日本国内だけでなく東アジアにまで広まり多くの読者を獲得していたのである。 注3:松本清張の韓国での人気については、南富鎭(なん ぶじん)「松本清張の朝鮮と韓国における受容」(2011)に以下のようにある。「松本清張の作品は韓国において幅広く受容されてきた。膨大な量の翻訳が無造作に行われるかたちで韓国の読者に提供されてきたのである。また韓国推理小説にも多大な影響を及ぼしていると言える。韓国を代表する推理小説家である金聖鍾への影響関係も強くうかがわれる。」(p.69)。 注4:森村誠一の韓国での人気については、李建志(り けんじ)「松本清張と金聖鐘(ママ) ――日韓の戦後探偵小説比較研究」(2006)に以下のようにある。「韓国でもっとも人気のある日本の推理小説作家は森村誠一だといわれている。」(p.11)、「一九七〇年代、金聖鐘(ママ)によって拡大されたミステリマーケットに、日本を代表する作家として森村誠一が参入し、高い評価を受けたのだ。」(p.12)。 注5:1998年の第1回北京偵探推理文芸協会賞では、1979年に中国語版が刊行された松本清張『点と線』と森村誠一『人間の証明』が翻訳作品賞を受賞している(1950年以降の約50年間に中国で出版された翻訳ミステリが対象になっており、松本・森村作品を含む計16作品が受賞している)。 注6:島崎博氏は台湾で松本清張『ゼロの焦点』が翻訳刊行された1977年を「実質的な台湾の推理小説元年」だとしている(『ファウスト』Vol.7(2008年8月)掲載の島崎博インタビュー、p.1110)。 第三節 邦訳された1970年代の韓国推理小説 金聖鍾(キム・ソンジョン)『最後の証人』(上下巻)(論創社、2009年2月)(原著 1974-1975年) 李文烈(イ・ムニョル)『ひとの子 ――神に挑む者――』(集英社、1996年4月)(原著刊行 1979年) また、キム・ソンジョンと同時代に日本では麗羅(れいら)(1924-2001)が推理作家として活躍していた。本名チョン・ジュンムン(鄭埈汶、정준문)。1924年12月20日、朝鮮に生まれる。1934年に来日。1973年、「ルバング島の幽霊」でサンデー毎日新人賞を受賞して日本で作家デビューした。ペンネームの「麗羅」は、下の東洋経済日報の記事によれば、高句麗(こうくり)と新羅(しらぎ)から一文字ずつとってつけたものである。1983年には『桜子は帰ってきたか』で第1回サントリーミステリー大賞読者賞を受賞している。1990年代初頭には、日本推理作家協会と韓国推理作家協会の交流に貢献した(詳細は「日本推理作家協会と韓国推理作家協会の交流」)。2001年8月4日逝去。76歳。(『日本ミステリー事典』新潮社、2000年 参照) 日本推理作家協会会報2001年8月号 作家・麗羅さんの思い出(東洋経済日報 2001年8月24日) - 無署名記事 ミステリ作家・評論家の野崎六助氏のサイトで著作の書影を見ることができる。 参考文献 韓国ミステリ史 参考文献 (新しいウィンドウで開きます) 『韓国ミステリ史 第一章』(20世紀初頭~1930年代) 『韓国ミステリ史 特別編 - 金来成(キム・ネソン)(1909-1957)【1】』 『韓国ミステリ史 特別編 - 金来成(キム・ネソン)(1909-1957)【2】』 『韓国ミステリ史 第二章』(1940年代~1960年代) 『韓国ミステリ史 第三章』(1970年代) ←今見ているページ 『韓国ミステリ史 第四章』(1980年代~20世紀末) 『韓国ミステリ史 第五章』(1990年代末~21世紀初頭)(未公開) 『読書案内』
https://w.atwiki.jp/asianmystery/pages/51.html
2010年4月3日 韓国推理作家協会が刊行している推理小説専門誌『季刊ミステリ』(계간 미스터리)で実施されている「季刊ミステリ新人賞」の受賞者リスト。 情報源・人名のカタカナ表記法など、注意点はページ下。 2007年~2009年 受賞作品リスト ■15号(2007年春号) 「酒に酔ったオートバイ」イ・デファン(1980年生) (「술 취한 오토바이」이대환) ■16号(2007年夏号) なし ■17号(2007年秋号) 「彼と私のジグダンス」シン・ジェヒョン(1982年生) (「그와 나의 지그춤」신재형) 「安楽死」クヮク・ジヨン (「안락사」곽지연) ■18号(2007年冬号) 「催眠」ソル・イニョ(1975年生) (「최면」설인효) ※『ミステリマガジン』2009年1月号に短編「そして誰もいなくなった」が掲載された際の名前の表記は「ソル・インヒョ」。名前の表記法についてはページ下参照。 ■19号(2008年春号)応募総数12編 「東城路」キム・ジュドン(1976年生) (「동성로」김주동) ※東城路(トンソンノ)は、韓国テグにある通りの名前。選評によれば、テグを舞台にした正統派ハードボイルドで、謎解き要素はないそうだ。この回で最終候補になっていたのが、ソン・ソニョン「誰が私のラーメンを食べたんだ?」。こちらは選評で、「90年代に日本で生まれた日常の謎ミステリに通じる」作品だと言われており、消えたラーメンを探す1人称話し手の推理過程を見せる作品だという(のちに2008年版『今年の推理小説』に掲載された)。 選評:http //editor.ijakga.com/post/view.asp?pno=87 ■20号(2008年夏号)応募総数15編 「Swallow s Nest castle殺人事件」ソン・ソニョン(1974年生) (「제비둥지 성의 살인사건」손선영) ※「Swallow s Nest castle」(ツバメの巣城)はウクライナに実在する城。検索して写真を見てみると、まさに推理小説の舞台にふさわしい場所に思える。この作品は選評によると、「ミスディレクションの妙味を非常によくいかした作品だ」とのこと。 選評:http //editor.ijakga.com/post/view.asp?pno=570 ■21号(2008年秋号)応募総数44編 「夏休み」キム・ジア(女性) (「여름휴가」김지아) 「画面の向こうの人間」パク・ハイク(女性、1981年生) (「화면 저편의 인간」박하익) ※「夏休み」は女性の1人称視点で語られる心理物。「画面の向こうの人間」は、偶然犯罪現場を目撃した青年の話。 選評:http //editor.ijakga.com/post/view.asp?pno=1899 ■22号(2008年冬号)応募総数31編 「良い友達」ソン・シウ(女性、1979年生) (「좋은 친구」송시우) ※人間の良い友達=「犬」と獣医師が出てくる話。キャラクターがよく生きている作品だとのこと。 選評:http //blog.daum.net/ilovemystery/27 ■23号(2009年春号) 「首のないインディアン」キム・ジェソン (「목 없는 인디언」김재성) 「戊寅年カトリック邪教記録」チェ・ジス (「무인년 천주교 사교 기록」최지수) ■24号(2009年夏号) 刊行が遅れて2009年秋号と同時刊行になったため、新人賞作品なし ■25号(2009年秋号) 「101」イム・テフン (「101」임태훈) ■26号(2009年冬号) 「死者のための祈祷」ジョンヒョク (「죽는 자를 위한 기도」정혁) 2007年以前の受賞者 ■2003年夏号(2003年7月) 第2回季刊ミステリ新人賞受賞作 「鏡の中にもう一つの鏡がある」キム・ヨン (「거울 속에 또 다른 거울이 있다」김연) ※ソン・ソニョン氏のブログによれば、季刊ミステリ新人賞は2007年から定期的に行われるようになったようで、それ以前のことは良く分からなかった。 情報源 すでに雑誌が品切れで入手不能のものも多く、タイトル・受賞者情報のほとんどは、韓国ネット書店での『季刊ミステリ』各号の内容紹介に頼っています。 ただし、ネット書店での内容紹介自体が完全なものではないので、このリストも完全なものではありません。 人名のカタカナ表記の際の方針 韓国の人の名前を日本語で書く場合、発音通りにカタカナで書く方法と、文字で区切ってカタカナで書く方法があります。 例:スケート選手の「金妍兒」 発音通り:キム・ヨナ 文字で区切って表記:それぞれの漢字の読みは「金(キム)・妍(ヨン)・兒(ア)」なので「キム・ヨンア」 例:梁石日 発音通り:ヤン・ソギル 文字で区切って表記:ヤン・ソクイル このページでは、発音通りの表記法を採用しています。 韓国ミステリ紹介 目次へ
https://w.atwiki.jp/asianmystery/pages/68.html
2010年4月17日 最終更新:2011年6月22日 どこかの出版社で邦訳してくれないかなあと個人的に思っている作品のタイトルをただ並べていくコーナー。 1.長編 すでに邦訳が出ている水天一色(すいてんいっしき、シュイティエンイースー)の長編と、上でもあげた杜撰の長編を挙げる(未読)。 水天一色 杜落寒シリーズ 『校园惨剧』(校園惨劇)(学校の惨劇) 内蒙古人民出版社、2008年 『盲人与狗』(盲人と犬) 内蒙古人民出版社、2008年 学生探偵の杜落寒(ドゥールオハン)が活躍するシリーズ。 作者の水天一色は1981年生まれ。 日本で『蝶の夢』が刊行されている「乱神館記シリーズ」は、中国でもまだ1作しか刊行されていない。 杜撰 『时之悲』(時之悲) 北京出版社、2010年9月 不可能犯罪ものの短編を書いていた杜撰の初の長編作品。 2.短編集 中国のミステリ雑誌『歳月・推理』で活躍する作家2人の作品集を挙げる。(一部のみ既読) 公式サイトで表紙や作品紹介が見られる(http //mysteryworld.cn/shownews.asp?news_id=220) (1) 御手洗熊猫 (ユーショウシー ションマオ、みたらい ぱんだ) 『御手洗浊的流浪 - 御手洗浊探案集 Mitarai Daku is Wandering』 (御手洗濁の流浪) 北京出版社、2009年4月 アジア本格リーグの水天一色『蝶の夢』巻末や『本格ミステリー・ワールド 2010』で紹介されていた、非常に気になる筆名の推理作家の短編集。現在までに、御手洗熊猫の作品で単行本として刊行されているのはこの1冊のみ(『蝶の夢』巻末で紹介されている長編ミステリ『島田流殺人事件』は未刊行)。 作者の御手洗熊猫は、この短編集が出た時には上海師範大学在学中。 収録作品(5編) 「二十角館の首なし死体」、「世俗辺縁的歌者」、「奇想天外の瞬間移動マジック」、「人体博物館謀殺案」、「消失的詭計不見了」 探偵役は御手洗濁(ユーショウシー ジュオ、みたらい だく)。 筆名や探偵役の名前から考えて、ふざけた感じのパロディなのかと思っていたらそんなことはなく、トリックやロジックを重視したしっかりとした本格だった(と思う。読解力の都合上、断言はできない)。 巻頭の作品「二十角館の首なし死体」では、脚注に高木彬光、島田荘司、綾辻行人、有栖川有栖、京極夏彦、森博嗣らたくさんの日本の推理作家の名前が登場する。 長編『島田流殺人事件』――紹介ページ(日本語) (2) 杜撰 (ずさん、ドゥージュアン) 『纯属杜撰』(純属杜撰) 内蒙古人民出版社(のちに台湾でも2分冊で刊行) 『纯属杜撰2』(純属杜撰2) 北京出版社、2009年4月 『第五元素』 北京出版社、2009年 各8編収録。「不可能犯罪」ものの短編を書き続けている作家だと、『本格ミステリー・ワールド 2010』では紹介されている。 作者の杜撰は1984年生まれ。 『純属杜撰2』に収録の「美人鱼之恋」(人魚の恋)では、ホテルの一室から女性が消える密室トリックを扱っている。 関連記事 中国ミステリ 読書案内 中国ミステリについて知るための資料リスト このアジアミステリを邦訳してほしい! 台湾ミステリ編 韓国ミステリ編 中国ミステリ紹介 目次へ
https://w.atwiki.jp/asianmystery/pages/111.html
2011年2月8日 『中国ミステリ史 第四章』では、1970年代末から1990年代までの中国の探偵小説(偵探小説)/推理小説/ミステリの歴史を紹介している。 目次 第四章 1970年代末~1990年代: 翻訳ブームと中国ミステリの多様化第一節 日本の社会派推理小説が中国でもブームに 第二節 中国ミステリの多様化 第三節 1990年代末の中国翻訳ミステリ事情 第四節 邦訳された1980年代~1990年代の中国推理小説 参考文献 第四章 1970年代末~1990年代: 翻訳ブームと中国ミステリの多様化 第一節 日本の社会派推理小説が中国でもブームに この「中国ミステリ史」では触れていないが、井波律子(2003)『中国ミステリー探訪 ― 千年の事件簿から』で詳しく述べられているように、中国には欧米ミステリ受容以前から、1000年を越える長いミステリ(的なもの)の伝統がそもそもあった(またそれは、日本が欧米ミステリを受け入れる以前から、日本の物語様式に影響を与えていた)。そして19世紀末からの中国ミステリの歴史は、国外から新たに入ってきたミステリ様式と、もともと持っていたミステリ様式との止揚の歴史であった。 中国に訪れた国外からの第一の波は、19世紀末にアジアで翻訳小説文化が花開くと同時に流入したホームズやルパンなどの欧米ミステリであり、それを受容した結果、程小青(てい しょうせい)と孫了紅(そん りょうこう)の青紅コンビを中心とする上海探偵小説の時代が幕を開けた。第二の波は、社会状況の変化によって突如大挙して押し寄せてきたソ連の反スパイ小説であり、それは中国では反特小説となり、文革下ではその変異形が"写本"の形で流通した。 そして、文化大革命終結後、中国に第三の波が訪れる。その中心となったのは、日本の社会派推理小説である。前掲の李長声(2002)「中国のミステリー事情」によれば、この頃には、こんなフレーズが流行したという。「若者の愛読書は、アメリカのラブ・ストーリーと日本の推理」。 1970年代末に文化大革命が終結すると、中国も次第に文化の鎖国状態を解き、翻訳小説も刊行されるようになる。1979年に刊行された雑誌『訳林』(译林)創刊号にはアガサ・クリスティ『ナイルに死す』(1937)が翻訳掲載されたが、これがこの種の作品に飢えていた民衆の需要に合致し、いくら刷っても売り切れ、最終的には100万部以上を売り上げたという。 この時期に訪れた翻訳ブームでは、すでに中華人民共和国成立の1949年以前から多く訳されていた欧米の黄金時代の探偵小説やその後流入したソ連の反スパイ小説のほか、日本の推理小説や欧米のハードボイルドなどが大量に刊行された。翻訳された日本の作品には江戸川乱歩の作品なども含まれていたが、社会性のあるミステリが特に受け、松本清張、森村誠一、水上勉らの作品が人気を集めた。 ソ連や東欧の作家では、ソ連のアナトーリィ・ベズーグロフ(阿纳托利·别祖格洛夫)、ユーリイ・クラロフ(尤利·克拉洛夫)、ロマン・キム(金罗曼)、ブルガリアのボゴミール・ライノフ(博戈米尔·拉伊诺夫)、アンドレイ・グリャシキ(安德烈·古利亚什基)、チェコのVáclav Folprecht(瓦茨拉夫·福尔普列特、Вацлав Фолпрехт)らの作品が翻訳刊行された。 1970年代末のアジアの動向 日本では1975年から1979年にかけて、島崎博が編集長を務める探偵小説専門誌『幻影城』が刊行されていた。 台湾では1977年4月、松本清張『ゼロの焦点』が翻訳刊行されている。日本ミステリの台湾での翻訳刊行はこれが最初だった。台湾ではこの7年後の1984年、傅博(ふはく/フーボー/=島崎博)の提案を受けて林仏児(りん ふつじ/リン フォー)が『推理雑誌』を創刊し、台湾ミステリの草創期が始まる。台湾についてはこのページではなく、後に別のページでまとめる。 韓国では1977年、翻訳ミステリの叢書である《東西推理文庫》全126巻(欧米ミステリの日本語からの重訳)と《河西推理選書》全36巻(江戸川乱歩『孤島の鬼』『陰獣』、横溝正史『本陣殺人事件』、松本清張『点と線』『ゼロの焦点』『砂の器』、森村誠一『高層の死角』『人間の証明』『野性の証明』などのほか、韓国オリジナルの作品も含まれる→ラインナップ)の刊行が始まり、韓国ミステリ中興の祖である金聖鍾(キム・ソンジョン)の活躍と相まって推理小説ブームが訪れた。(金聖鍾(キム・ソンジョン):邦訳に『最後の証人』(論創社、2009年)などがある) インドネシアは産油国であるため1970年代に「オイルブーム」(日本では「オイルショック」)が訪れ出版界が活況となり、ホームズ受容期以来の2度目の推理小説ブームが訪れた。1970年代末にはアガサ・クリスティなどの作品が刊行され、その翻訳をしていたS・マラ・Gd(エス・マラ・ゲーデー)が1985年に推理作家デビューする。(S・マラ・Gd(エス・マラ・ゲーデー):邦訳に『殺意の架け橋』(講談社、2010年)がある) 第二節 中国ミステリの多様化 【主要参考文献:老蔡(ラオツァイ)(2009)「百年華文推理簡史 八、“文革”後的偵探小説創作浪潮(上)」、「八、“文革”後的偵探小説創作浪潮(中)」、「八、“文革”後的偵探小説創作浪潮(下)」】 過去に中国語に翻訳された作品が再び読めるようになり、また新たに国外から大量のミステリが入ってきたことから、中国ミステリも社会派、サスペンス、SFミステリなど、多種多様な作品が生まれるようになる。 (以下、「推理之門」に掲載されている作品リストに作家名からリンクを貼っている(ただし、やや情報が古い)) 藍瑪(らん ば/ラン マー/Lan Ma/蓝玛)(1951 - )(ブログ)北京偵探推理文芸協会(第五章参照)副会長。現代中国の代表的な推理作家。北京生まれ。1987年に創作開始。1992年以降、英米ミステリの趣を持ったユーモアミステリ・探偵桑楚(サンチュー)シリーズを執筆している。老蔡(ラオツァイ)(2009)では、「(2009年)現在でも創作を続けている数少ない専業探偵小説作家の一人」と紹介されている。作品に、「天国は遠くない(天堂并不遥远)」、「地獄のドアを敲く音(地狱的敲门声)」、「アイドル失踪の夜(女明星失踪之夜)」など。2009年までに出版した長編ミステリは50作品、中短編は20作品で、現在までの中国のミステリ作家の中でも屈指の作品数である。中国国内では文学賞や推理小説賞を何度も受賞している。また、児童文学でも高い評価を受けている。 李迪(り てき/リー ディー/Li Di)(1950 - )北京生まれ。1970年に創作開始。1978年には自費で日本に留学し、帰国後、専業作家に。1984年に雑誌『啄木鳥』(啄木鸟)に掲載された短編「夕暮れにドアをノックする女(傍晚敲门的女人)」は社会に衝撃を与えた。同作品で翌年、第1回金盾賞受賞(この賞は、のちに啄木鳥文学賞に改称)。またこの作品は、1998年に実施された第1回北京偵探推理文芸協会賞(第五章参照)の旧作部門で佳作賞を受賞している。 王朔(おう さく/ワン シュオ/Wang Shuo)英訳された著書に『玩的就是心跳』(Playing for Thrills)や『千万別把我当人』(千万别把我当人、"Please Don't Call Me Human")などがある。このうち、"Playing for Thrills"は、桐野夏生や宮部みゆきなどの日本の作品と並んで、イギリスの推理作家キャサリン・サンプソンが選ぶアジアミステリーベスト10(2007年、イギリスの新聞「ガーディアン」に掲載)にも選ばれている。ほかにフランス語やドイツ語にも作品が訳されている。 鍾源(しょう げん/ジョン ユアン/Zhong Yuan/钟源)(1941 - )(ブログ) 1979年より作品の発表開始。80年代の推理小説界の人気作家。映画化も多くされた。短編「夕峰古刹」で第1回北京偵探推理文芸協会賞・旧作部門の佳作賞受賞。 湯保華(とう ほか/タン バオフア/Tang Baohua/汤保华)(1949 - ) 1977年より創作開始。文革の時期を背景とする作品を書いている。 莫懐戚(ぼ かいせき/モー ファイチー/Mo Huaiqi/莫怀戚)(1951 - ) 「東方のホームズ」シリーズ(东方福尔摩斯探案集)を執筆している。 師承燕(し しょうえん/シー チョンイエン/Shi Chengyan/师承燕) 1982年、青海師範学院中文系卒業。 劉侗(りゅう とう/リウ トン/Liu Tong/刘侗) 1984年、蘭州大学中文系卒業。 馮華(ふう か/フォン フア/Feng Hua/冯华)(1973 - ) フランス語訳に"Seul demeure son parfum"がある(原題未調査)。 創作とともにミステリ史の研究や理論研究などを行う作家に以下の3人がいる。 何家弘(か かこう/ホー ジアホン/He Jiahong)(1953 - )中国の現代推理作家で初めて、作品のフランス語訳、イタリア語訳が刊行された作家。北京生まれ。米国ノースウェスタン大学に留学し、法学博士号取得。「洪鈞(こうきん/ホンジュン)弁護士」シリーズを発表するほか、海外作品の翻訳も多く行う。『瘋女』(疯女)で第1回北京偵探推理文芸協会賞旧作部門ノミネート賞。この作品は2001年、"Crime de sang"(血の犯罪)というタイトルでフランスで、"La donna pazza"(英訳すると"The crazy woman")というタイトルでイタリアで刊行された。特にフランスでは好評をもって迎えられ、続いて"L'énigme de la pierre Oeil-de-Dragon"、"Le mystérieux tableau ancien"、"Crimes et délits à la Bourse de Pékin"などが訳されている(原題未調査)。また、"Crime de sang"(瘋女)は、前述のイギリスの推理作家キャサリン・サンプソンが選ぶアジアミステリーベスト10にも選ばれている。2010年には『瘋女』を『血之罪』と改題の上、改訂版を出している。ほかに、「人生狭路:黒蝙蝠·白蝙蝠」(人生狭路:黑蝙蝠·白蝙蝠)で第2回(2001年)北京偵探推理文芸協会賞ノミネート賞。北京偵探推理文芸協会理事。 曹正文(そう せいぶん/ツァオ ジョンウェン/Cao Zhengwen)(1950 - )上海生まれ。心理探偵小説を執筆。「紫色的誘惑」(紫色的诱惑)で第1回北京偵探推理文芸協会賞・旧作部門の佳作賞受賞。研究書に『世界偵探小説史略』(世界侦探小说史略、1998)がある。 陳翼浦(ちん よくほ/チェン イープー/Chen Yipu/陈翼浦)(1940 - )北京生まれ。1993年より探偵小説の創作を開始。「錯乱人生」(错乱人生)で第1回北京偵探推理文芸協会賞・新作部門の三等賞。「情死真相」で第2回同賞ノミネート賞。 理論研究ではほかに、1996年の黄沢新(こう たくしん/ファン ゾーシン)ほかによる『偵探小説学』(侦探小说学)、2001年の任翔(にん しょう/レン シャン)『偵探小説史論』(侦探小说史论)などが出ている。また、SF小説との結節点には以下のような作家がいる。 倪匡(げい きょう/ニー クアン/Ni Kuang)(1935 - )上海生まれ。香港で著作活動。邦訳に『猫 - NINE LIVES』(徳間文庫、1991年、「衛斯理」名義)がある。武田雅哉、林久之『中国科学幻想文学館』(大修館書店、2001年)に詳細あり。 葉永烈(よう えいれつ/イエ ヨンリエ/Ye Yonglie/叶永烈)(1940 - )(ブログ)1980年代に科学を取り入れた少年向けの探偵もので人気を博した。『中国科学幻想文学館』に詳細あり。 警察機構とのつながり 警察官 兼 小説家(中国では「公安作家」と呼ばれる)尹曙生(いん しょせい/イン シューション/Yin Shusheng)(1937 - ) 王建武(おう けんぶ/ワン ジエンウー/Wang Jianwu)(1953 - ) 1980年代初頭から創作を開始。「小橋疑案」(小桥疑案)で第2回北京偵探推理文芸協会賞優秀賞。 海岩(かい がん/ハイ イェン/Hai Yan)(1954 - )(ブログ) 短編「私服刑事」(便衣警察、1985)などがある。 彭祖貽(ぼう そい/ポン ズーイー/Peng Zuyi/彭祖贻)(1956 - ) 北京偵探推理文芸協会特別会員。1970年代に創作を開始し、80年代半ばから、警察を題材にした推理小説を書いている。「天国への夢旅行(天堂梦旅)」で第1回北京偵探推理文芸協会賞・新作部門の三等賞。 孫麗萌(そん れいもう/スン リーモン/Sun Limeng/孙丽萌)(1957 - ) 1984年より創作開始。「血象」で金盾文学賞および第1回北京偵探推理文芸協会賞・新作部門の二等賞受賞。 胡玥(こ げつ/フー ユエ/Hu Yue)(1964 - )(ブログ) 胡祖富(こ そふ/フー ズーフー/Hu Zufu) 「地火」など。 李長声(2002)によると、2002年当時、推理小説を掲載している雑誌としては『啄木鳥』(1985年創刊)、『警壇風雲』、『警方』、『警苑』、『藍盾』、『東方剣』、『金盾』、『警探』などがあった。ただし、これらはほとんどが警察機構のもとにある雑誌であり、必ずしも自由ではなかったという。老蔡(2009)によれば、文革終結後の20年間、推理小説専門雑誌はなく、単行本やアンソロジー以外では発表の場はこれらの警察機構のもとにある雑誌しかなかった。そのため、中国ミステリは確かに多様化はしつつあったが、公安法制小説がその大部分を占め、発展の方向も一方向的であったという。(公安法制小説=中国に私立探偵が存在できなくなった1949年以降の中国ミステリを称してこのように言う場合がある。警察官などの公的機関に属する主人公が、法律や制度に基づいて犯罪を捜査するタイプの小説のことである) 20世紀の中国ミステリの短編を集めた前述のアンソロジー『20世紀中国偵探小説精選』(2002年、全4巻)で、この時期を対象とする第3巻および第4巻の収録作は以下のとおりである。『20世纪中国侦探小说精选(1980-2000) 夕峰古刹』李迪「傍晚敲門的女人」(傍晚敲门的女人) 湯保華「紅色荘園」(红色庄园) 鍾源「夕峰古刹」 藍瑪「仏羅倫薩来客」(佛罗伦萨来客)(フィレンツェ来客) 彭祖貽「氷層下的火焔」(冰层下的火焰) 『20世纪中国侦探小说精选(1980-2000) 饮鸩情人节』(飲鴆情人節)余華(よ か/ユイ ホア/Yu Hua/余华)「河辺的錯誤」(河边的错误) ※ 余華 … 邦訳に『兄弟』(文春文庫、2010年)などがある。 葉兆言(よう ちょうげん/イエ ジャオイエン/Ye Zhaoyan/叶兆言)「危険女人」(危险女人) 刁斗(ちょう とう/ディアオ ドウ/Diao Dou)「六面骰子」 (香港)鄭炳南(てい へいなん/ジョン ビンナン/Zheng Bingnan/郑炳南)「不招人忌是庸才」 莫懐戚「飲鴆情人節」(饮鸩情人节) 張和平(ちょう わへい/ジャン ホーピン/Zhang Heping/张和平)「黒色憤怒」(黑色愤怒) 尹曙生「教授之死」 翼浦(=陳翼浦)「禍満五福楼」(祸满五福楼) 陳鉄軍(ちん てつぐん/チェン ティエジュン/Chen Tiejun/陈铁军)「激情殺人」(激情杀人) 張策(ちょう さく/ジャン ツォー/Zhang Ce/张策)「無悔最終」(无悔最终) 孫麗萌「月隕」(月陨) 王炳輝(おう へいき/ワン ビンフイ/Wang Binghui/王炳辉)「血色柔情」 王建武「最後的佳作」(最后的佳作) 第三節 1990年代末の中国翻訳ミステリ事情 上で述べたように、文革が終了すると、中国では過去に翻訳した作品の復刊も含め、翻訳ミステリの刊行ブームが起こった。しかし、1990年代初頭に中国が国際的な著作権条約に加盟すると、以降は翻訳は下火になる。古典的名作は刊行が続いたが、国外の新しいミステリはあまり翻訳されなくなってしまった。 李長声(2002)では、90年代末ごろの中国における日本ミステリの刊行状況が記されている。それによると、以前は翻訳ミステリといえば、警察機構に属する出版社・群衆出版社の独壇場だった。1996年には「日本推理小説文庫」の刊行を開始しており、2002年当時までに70冊程度が刊行されている。その後、日本ミステリの翻訳に新規参入したのが珠海出版社で、20世紀末から21世紀初頭にかけて、「日本優秀偵探小説叢書」、「乱歩偵探作品集」、「金田一探案集」、日本推理作家協会編のアンソロジーなどを翻訳刊行している(そのほとんどが無許可だったと推定されている)。ほかには、時事出版社が2001年に「小五郎探偵サスペンスシリーズ」を刊行している。 また、日本ミステリの紹介に熱心な翻訳者・編者として朱書民(しゅ しょみん/チュー シューミン)(朱书民)という人が挙げれられている。長編を何作品も訳したほか、アンソロジー『日本推理小説精選』を編んでいる。 このころには、日本の新本格ミステリはほとんど(まったく?)訳されていなかった。 第四節 邦訳された1980年代~1990年代の中国推理小説 【2011年7月31日、加筆】 艾国文(がい こくぶん)、黄偉英(こう いえい) 「人民公社殺人事件」 (『サンデー毎日』1981年6月14日号~7月19日号、全6回) 中国のSF小説の歴史を詳細に記述している『中国科学幻想文学館』(大修館書店、2001年)を読んでいて初めて知ったのだが、1981年6月から7月にかけて、毎日新聞社の雑誌『サンデー毎日』に、中国の推理小説「人民公社殺人事件」が連載されていたという。著者は艾国文(がい こくぶん/アイ グオウェン)と黄偉英(こう いえい/ファン ウェイイン/黄伟英)。翻訳者は伊藤克。『中国科学幻想文学館』では、連載の第1回が手元にないため原題及び翻訳者の経歴については不明とされている。 作者名で検索すると、1981年1月に刊行された短編集『中国民族風格的偵査小説:駆散渾濁的迷霧』(中国民族风格的侦查小说:驱散浑浊的迷雾)に収録された5編のうち、表題作の「駆散渾濁的迷霧」がこの2人の共著による短編だということが分かる。ほかにこの2人が共同執筆した作品は、少なくともネット上では見つからないので、とりあえず「人民公社殺人事件」は「駆散渾濁的迷霧」の翻訳だと推定していいかもしれない。また、翻訳者の伊藤克という人は、「中日の懸け橋となった日本女性 伊藤克の生涯」で取り上げられている方とおそらく同一人物だろう。 「人民公社殺人事件」が訳された時期にはほかにも中国ミステリが翻訳されたことがあったかもしれないが、どのように調べたらいいのか分からない。 近年では、張平(ジャンピン、1954 - )の『十面埋伏』(じゅうめんまいふく)が新風舎より2005年に刊行されており、自費出版系の出版社からの刊行ではあったが、ロシア文学者の米原万里が雑誌で書評を書いたこともあり話題になった(書評は現在は米原万里『打ちのめされるようなすごい本』に収録されている)。原著は同タイトルで、1999年の刊行。また2004年には、張平『凶犯』も同じ出版社から同じ翻訳者で邦訳が出ている。こちらは現実の事件に題材をとった小説である。原著は1992年。 参考文献 中国ミステリ史 参考文献 (新しいウィンドウで開きます) 『中国ミステリ史 第一章』(19世紀末~1910年代) 『中国ミステリ史 第二章』(1910年代~1940年代) 『中国ミステリ史 第三章』(1940年代末~1970年代) 『中国ミステリ史 第四章』(1970年代末~1990年代) ←今見ているページ 『中国ミステリ史 第五章』(1990年代末~21世紀初頭) 『中国ミステリ史 第六章』(現代)
https://w.atwiki.jp/90909/pages/283.html
トップページ>日本>六甲山カンツリーハウス 大きな地図で見る
https://w.atwiki.jp/asianmystery/pages/101.html
2011年1月16日 かつて西尾維新が「期待の新人推理作家」だったという、嘘のような本当の話。 すでに4か月も前の話題だが、Togetterでまとめられた「西尾維新がラノベ読みに広く知られるようになったのはいつ頃か」(2010年9月15日)を昨日たまたま目にした。ライトノベルレーベルから作品を出していない西尾維新が、いつ頃からライトノベルの読者に読まれるようになったのかという議論である。 西尾維新は、2002年2月に、当時「ミステリの賞」と見なされることの多かった講談社のメフィスト賞を受賞した『クビキリサイクル』(講談社ノベルス)でデビューしている。その後も、講談社ノベルスや講談社BOXなどで作品を刊行しており、文庫サイズの一般的なライトノベルレーベルから作品を刊行したことは一度もない。 さて、この議論を見たときに、 「某掲示板の「ミステリー板」と「ライトノベル板」のスレッドの消費速度を見れば、当時の読者の分布が目に見える形で分かるのではないか」 と思いいたった。今でこそミステリー板に西尾維新のスレッドはないようだが、以前は確かにあったのである。ミステリー板の西尾維新スレッドがいつ頃消えてしまったのかも気になる。という訳で、調べて以下の表にまとめた。 当時のメフィスト賞をめぐる環境 2000年3月 『2000 本格ミステリ・ベスト10』(東京創元社)で殊能将之『ハサミ男』(メフィスト賞受賞作)第2位。 2000年12月 『2001 本格ミステリ・ベスト10』(原書房)で古泉迦十『火蛾』(メフィスト賞受賞作)第2位、殊能将之『美濃牛』第5位、古処誠二『少年たちの密室』(のちに『フラグメント』に改題)第6位。 2001年3月 舞城王太郎デビュー 2001年4月 『メフィスト』巻末座談会にて、秋月涼介『月長石の魔犬』、佐藤友哉『フリッカー式』、津村巧『SURVIVOR』(=DOOMSDAY)、西尾維新『並んで歩く』(=クビキリサイクル)、北山猛邦『失われたきみ』(=『クロック城』殺人事件)がメフィスト賞に当確。 2001年7月 佐藤友哉デビュー 2001年11月 (米澤穂信デビュー、滝本竜彦デビュー) 2001年12月 『2002 本格ミステリ・ベスト10』(原書房)で古処誠二『未完成』(のちに『アンフィニッシュト』に改題)第4位、黒田研二『硝子細工のマトリョーシカ』第5位。『このミステリーがすごい! 2002年版』で舞城王太郎『煙か土か食い物』第8位。 2002年2月 西尾維新デビュー 2002年3月 北山猛邦デビュー 2002年7月 (乙一『GOTH リストカット事件』刊行(本格ミステリ大賞受賞)) メフィスト賞はミステリ専門の賞という訳ではなく、エンターテイメント全般を募集する賞だが、この時期は特に受賞者が「本格ミステリ」の分野で活躍しており、ミステリの賞だと見なされていたように思う。そんな中、2001年になってメフィスト賞から舞城王太郎・佐藤友哉がデビュー。そして翌2002年2月、西尾維新がデビューした。 米澤穂信・滝本竜彦・乙一(3人とも1978年生まれ)はメフィスト賞作家ではないが、この界隈で関連して触れられることが多いので、関連情報を示した。上記で挙げたその他の作家は、メフィスト賞作家である。 2002年2月の西尾維新デビューから、2006年12月の講談社BOX『化物語(下)』刊行までの約5年間 ★=ミステリ側の反応 ▼=サブカルチャー(?)側の反応 ◆=ライトノベル側の反応 ミステリー板(2000年2月8日開設) ライトノベル板(2000年1月24日開設) 出来事 2002年2月 『クビキリサイクル』(戯言シリーズ1作目) 3月 ガンバレ!戯言使いスレッド(03/14) 4月 5月 クビキリサイクル、クビシメロマンチスト(05/18) 『クビシメロマンチスト』(戯言シリーズ2作目) 6月 7月 8月 戯言遣い 西尾維新 Part2(08/16) 『クビツリハイルクール』(戯言シリーズ3作目) 9月 ★『本格ミステリ・クロニクル300』(原書房)で300冊のうちの1冊に『クビキリサイクル』 10月 西尾維新その2 クビキリシメツリ戯言遣い(10/02) 11月 戯言遣い 西尾維新 Part3(11/10) 同人誌『タンデムローターの方法論』/『サイコロジカル』(戯言シリーズ4作目) 12月 戯言遣い 西尾維新 Part4 「傑作だな」(12/03) 西尾維新その3 ロジカルマジカル戯言使い(12/19) 『零崎双識の人間試験』連載開始/★『2003 本格ミステリ・ベスト10』(後述) 2003年1月 ★2chが選ぶこのミステリーがすごい!2003年版で『クビシメロマンチスト』第4位 2月 戯言遣い 西尾維新 Part5(02/05) 3月 戯言遣い 西尾維新 Part6(03/28) 西尾維新その4<戯言シリーズ>(03/18) JDCトリビュート『ダブルダウン勘繰郎』 4月 『メフィスト』に『きみとぼくの壊れた世界』「もんだい編」掲載、解答を募集★『本格ミステリこれがベストだ!2003』(東京創元社)西尾維新インタビュー 5月 西尾維新その5<きみとぼくの戯言世界>(05/29) 6月 戯言遣い 西尾維新 Part7 『甘えるな』(06/05) 7月 戯言遣い 西尾維新 Part8 「師匠は」(07/14) 西尾維新その6<師匠の事、好きです>(07/08)西尾維新その7<魔女・七々見奈波>(07/24) 『ヒトクイマジカル』(戯言シリーズ5作目) 8月 戯言遣い 西尾維新 Part9 『俺とお前の因果』(08/12) 西尾維新その8<やさしい戯言は遣えない>(08/24) 9月 西尾維新玖<惜しまれる萌えキャラなのが子荻なの>(09/19) 『ファウスト』Vol.1 10月 戯言遣い 西尾維新 Part10 『戯言だけどね』(10/27) 西尾維新その十全ですわ<最萌潤優勝>(10/25) 11月 西尾維新 Part11 『犯人はメイドのゲートベル』(11/25) 西尾維新その11<戯言使いと破片拾い>(11/16) 『きみとぼくの壊れた世界』 12月 西尾維新その12<ぽわぽよブルマー>(12/11) ▼『波状言論』創刊準備号、1号(翌月)、2号(翌月)に西尾維新インタビュー 2004年1月 西尾維新 Part12 『戯言遣いの新しいステージ』(01/23) 西尾維新<13階段>(01/17) 2月 西尾維新 Part13 『豚野郎』(02/28) 西尾維新 紫木一姫中間試験 追試第十四回目(02/10) 『零崎双識の人間試験』/『ファウスト』Vol.2 3月 西尾維新 part14 『エアマスター』(03/18) 西尾維新 その15<お兄ちゃん助けに来たよ!>(03/06)西尾維新 その16 <答えよう。優しさで>(03/30) 4月 5月 西尾維新17 気分がいいので、西尾スレに行こう。(05/21) ◆『Quick Japan』掲載の「ライトノベル必読書一〇〇冊」に『クビシメロマンチスト』◆ネット上の有志による企画「このライトノベルがすごい!」で作家別ランキング第1位作品ランキングでは『きみとぼくの壊れた世界』第6位、『ヒトクイマジカル』第7位 6月 西尾維新その18<不幸中の災い>(06/20) 7月 西尾維新その19≪もっと牛乳、飲まなくちゃ≫(07/17) 『新本格魔法少女りすか』/『ファウスト』Vol.3◆『ライトノベル完全読本』のランキングで戯言シリーズ第5位 8月 西尾維新その20≪20番目の地獄≫(08/06)西尾維新lt;lt;21歳の処女作 gt;gt;(08/25) 9月 西尾維新<発売延期から22日目>(09/18)西尾維新その23<絶体絶命、戯言遣い!>(09/30) ▼『ユリイカ』臨時増刊号「総特集 西尾維新」 10月 戯言遣い 西尾維新 Part15 @ファウスト合宿中(10/13) 西尾維新<24OISIN>(10/13)西尾維新その25<ヒトクイマジカル絶賛発売中!>(10/28) 11月 西尾維新その26<西尾維新の読者殺し>(11/17) 『ファウスト』Vol.4 12月 西尾維新その27<曳かれ者の小唄>(12/03)西尾維新その28(12/22) ◆この年刊行が始まった『このラノ』で戯言シリーズが第2位男性キャラクター部門でいーちゃんが第1位 2005年1月 西尾維新その29<クビツリへの十三階段>(01/14) 2月 西尾維新その30<電波読者はネコソギの夢をみるか>(02/01)西尾維新その31<行けるとこまで>(02/09)西尾維新その32<続きがないから、終わり>(02/12)西尾維新lt;泳いだのっ!?gt;(02/15)西尾維新その34<それでも物語は存在するのだから>(02/22) 『ネコソギラジカル(上)』(戯言シリーズ6作目) 3月 西尾維新その35<「……わん」>(03/07)西尾維新その36<「にゃるろ!」>(03/21) 『新本格魔法少女りすか(2)』 4月 西尾維新その37<終わりへの加速は発売日への加速>(04/05)西尾維新その38<シメキリスギテル 富樫義博と戯言遣い>(04/28) 5月 西尾維新その39<FOXワード>(05/19)西尾維新その40<さんくーいーちゃん(39+1=40)>(05/21) 『ファウスト』Vol.5 6月 戯言遣い―西尾維新 Part16(06/17) 西尾維新その41lt;狐に赤き征裁をgt;(06/06)西尾維新その42<もふもふフレンチクルーラー>(06/10)西尾維新その43<リストカットで気分スカッと>(06/17)西尾維新その44<四天王とかに4とけよ>(06/27) 『ネコソギラジカル(中)』(戯言シリーズ6作目) 7月 西尾維新その45<体は剣で出来ている>(07/13)西尾維新その45<4匠はいちいち5月病です>(07/13) 8月 西尾維新Part46(08/21) 『化物語』第一話「ひたぎクラブ」、『メフィスト』に掲載 9月 西尾維新 Part48(09/19) 『ニンギョウがニンギョウ』 10月 西尾維新その49(10/10)西尾維新その50~hollow ataraxia~(10/24) 11月 西尾維新その51(11/03)西尾維新その52~約束されし勝利の剣~(11/07)西尾維新その53(11/09)西尾維新その54(11/13)西尾維新その55(11/21) 『ネコソギラジカル(下)』(戯言シリーズ 完結)/『ファウスト』Vol.6A 12月 西尾維新その56(12/09)西尾維新その57(12/31) ◆『このラノ』で戯言シリーズが第1位、男性キャラクター部門でいーちゃんが第1位『ファウスト』Vol.6B/『化物語』第二話「まよいマイマイ」、『メフィスト』に掲載 2006年1月 58 戯言シリーズ、台湾で刊行開始(『斬首循環』)/『西尾維新クロニクル』 2月 戯言遣い―西尾維新 Part17(2006年2月~2009年7月) 59、60 3月 61 4月 62、63 『化物語』第三話「するがモンキー」、『メフィスト』に掲載 5月 64 6月 65 『ザレゴトディクショナル』 7月 66、67 8月 68、69 ノベライズ維新『DEATH NOTE』、『xxxHOLiC』 9月 70 10月 71、72 戯言シリーズ、韓国で刊行開始(『잘린머리 사이클』) 11月 73、74、75 講談社BOX創刊、『化物語(上)』/『零崎軋識の人間ノック』 12月 76、77 『化物語(下)』◆『このラノ』で戯言シリーズが第3位 2007年~現在は省略。『化物語』が刊行されておよそ4年が経った。ミステリー板では、2006年2月に立てられたPart17が2009年7月まで約3年半存続して落ちたのち、後続の西尾維新スレッドは立っていない。ライトノベル板では、2011年1月16日現在、「西尾維新その176」が立っている。 ライトノベル板では、53番目のスレッド以降は「西尾維新そのXX」でスレッドタイトルが統一されているため、2006年のものはタイトル(とスレッド開始の日付)を省略した。 右の「出来事」の欄では、短編の雑誌掲載などは省略している場合がある。 こうして見てみると、やはり最初は、西尾維新のスレッドはミステリー板に立っていることが分かる。メフィスト賞を受賞し講談社ノベルスから刊行される作品は、当時としてはやはりミステリとして語るのが自然の流れだったのである。 ミステリー板に遅れること2か月、戯言シリーズの2作目『クビシメロマンチスト』が刊行された月に、ライトノベル板に西尾維新のスレッドが立っている。その後、『メフィスト』に『きみとぼくの壊れた世界』の「もんだい編」が掲載された2003年4月頃(デビューから1年と2か月)までは、ミステリー板の方がやや速いペースでスレッドを消費している。 この頃は「本格ミステリ」の文脈で西尾維新が語られることが多く、1987年9月以降のミステリ小説を300冊紹介する『本格ミステリ・クロニクル300』(2002年9月、原書房)ではその1冊に『クビキリサイクル』が選出されている(ちなみに佐藤友哉『フリッカー式』も選出されている)。2001年11月に刊行されていた米澤穂信『氷菓』が300冊の内に入らず、『クビキリサイクル』が入っているのはやはり刊行レーベルの差だろう。講談社ノベルスから刊行されている、ということが当時それなりに重要な意味を持っていたのである。 2002年12月(デビューから10か月)刊行の『2003 本格ミステリ・ベスト10』では、西尾作品はランクインしなかったものの、「新人作家総まくり」と題された市川尚吾氏によるコラムでは以下のように紹介されている。 メフィスト賞で該当するのは『クビキリサイクル 青色サヴァンと戯言遣い』の西尾維新と『「クロック城」殺人事件』の北山猛邦の二人。両作ともマンガ等からの影響が強く感じられ、そういう部分では安直さも感じられるが、この二人には確実に本格ミステリ作家としてのセンスがあるし、すでに両者とも三作品を刊行して健筆ぶりを見せてくれているので、次代の本格を担う書き手として期待を寄せたい。 2003年4月の『本格ミステリこれがベストだ!2003』(東京創元社)では、2本のインタビューの内の1つが巽昌章氏による西尾維新インタビューだった。もう1つは『活字倶楽部』編集部へのインタビューであり、つまりは、ミステリがキャラクター小説との距離感を探っている時代だったのである。 ◆ 転機になっているのは、2003年7月(デビューから1年と5か月)刊行の戯言シリーズ5作目『ヒトクイマジカル』のようである。完全にミステリから離れ、異能バトルものと化した感のあるこの作品が刊行されて以降、ライトノベル板のスレッドは消費速度が急に上がり、2003年10月にはついにミステリー板に先んじてスレッドのPart10が立っている。ただし、翌2003年11月には『きみとぼくの壊れた世界』というミステリ作品が刊行されており、ミステリー板の方でも、この板では通常ありえない程の速度でスレッドが消費されていった。デビューから2年後の2004年2月には、ミステリー板のスレッドがPart13まで、ライトノベル板のスレッドがPart14まで進んでいる。 やや前後するが、『ヒトクイマジカル』が刊行された2か月後の2003年9月(デビューから1年と7か月)には、講談社から文芸誌『ファウスト』が創刊されており、西尾維新・舞城王太郎・佐藤友哉らは「ファウスト系」などとも呼ばれるようになる。 2004年、ライトノベル評論ブームにともなって、西尾維新をライトノベルとして評価する目に見える動きが多発するようになる。まず2004年5月、『Quick Japan』Vol.45でライトノベル特集が組まれ、「冲方丁×乙一によるライトノベル必読書一〇〇冊」の1冊に『クビシメロマンチスト』が選出される。『クビシメロマンチスト』を選んだのは乙一だが、冲方丁との話し合いの中で乙一は「広義のライトノベルに入ると思います」と発言している。また同月、インターネット上の有志により行われた企画「このライトノベルがすごい!」(注:当時は宝島社の『このライトノベルがすごい!』の刊行がまだ始まっていない)で、西尾維新が作家別ランキングの1位に選出される。作品のランキングでも、『きみとぼくの壊れた世界』が第6位、『ヒトクイマジカル』が第7位と好位置につけた。その2か月後、2004年7月に刊行されたライトノベル評論本の先駆け『ライトノベル完全読本』では、戯言シリーズが第5位となっている。 このような時期を経て、その5か月後の2004年12月(デビューから2年と10か月)に初めて刊行された『このライトノベルがすごい!』では、戯言シリーズが第2位(1位は涼宮ハルヒシリーズ)、男性キャラクター部門で戯言シリーズの語り手である「いーちゃん」が1位と好成績を収めている。つまりこの頃には、ライトノベル読者の間で、戯言シリーズは十分すぎるほどに知名度があったということになる。戯言シリーズは翌年に第1位に輝き、男性キャラクター部門では「いーちゃん」が連覇した。戯言シリーズはその翌年にも第3位となっている。3年連続でベスト3に入ったことで、「西尾維新の作品はライトノベルなのか」という議論をあざ笑うかのように、西尾維新作品は「ライトノベルとして評価された」という既成事実を手に入れたのである。 さて、このように、2004年には西尾維新のライトノベルとしての評価が目に見える形で広まったが、一方でミステリー板の西尾維新スレッドの方は、消費スピードが急激に落ち、やがては消滅することになった。 ◆ 2004年以前については、ライトノベル評論本の類が出ておらず、戯言シリーズが当時どのように評されていたのかは、ライトノベル読者の思い出を聞くしかなさそうである。ただ、スレッドの消費速度から見れば、やはり『ヒトクイマジカル』の頃、西尾維新はライトノベル読者の間で急激に知名度が高まったと言えそうである。 個人的な思い出を語れば、『クビキリサイクル』を読んだ当時(刊行の翌月)はライトノベルというものの存在すらおそらく知らなかった頃で、メフィスト賞作家のミステリを追いかけていた流れで、西尾作品もなんのためらいもなくミステリだと認識して読んでいた。3作目の『クビツリハイスクール』はミステリとは呼べないものだったが、この頃から、西尾維新の魅力は別のところにあるようだとやっと認識し始めた。それでも、4作目の『サイコロジカル』はミステリ作品だったし、2003年4月に『メフィスト』に掲載された『きみとぼくの壊れた世界』の「もんだい編」は、よく読み込んで、熱心に解答を考えたものだった。だから個人的には、西尾維新はミステリの流れをくむ、ライトノベルと一般文芸の中間にいる作家だというのが最もしっくりくる考え方である。 リンク 西尾維新@2ch カコログオキバ メフィスト賞と講談社ノベルスの愉快な仲間達@ミステリー板 過去ログメフィスト賞と講談社ノベルスの愉快な仲間達 (西尾維新デビュー時の講談社ノベルススレッド) 【ファウスト】【講談社BOX】【パンドラ】@ライトノベル板 過去ログ ライトノベル関連に戻る
https://w.atwiki.jp/nicoworld/pages/606.html
ミステリーとは、エンターテイメント作品のジャンルのひとつである。 探偵が事件の謎を解く推理物という意味で使われることが多いが、広義には、恐怖よりも好奇心が強調された怪奇物(UFO、UMAなど)も含まれることがある。 この項目では、第十幕で出てくる、前者に属するネタを解説する。 泉コナンタ → 漫画「名探偵コナン」が元ネタだとおもわれるが、これもまたホームズの作者コナン・ドイルからきている。 影の警察 → 小学生、とあるので漫画「秘密警察ホームズ」がもとであろう。 ミケネコ金田一 → 年齢を考慮すると、漫画「金田一少年の事件簿」と赤川次郎著の「三毛猫ホームズ」シリーズが元と考えられる。ただし、ホームズはメスなのだが。 ベーカリー街 → かのシャーロック・ホームズの住んでいたベーカー街より。 一介の修道士 → 修道士カドフェルが元……かもしれない。 灰色の脳細胞 → 有名な名探偵エルキュール・ポアロの口癖より。 極上の謎を喰らうことを求めて…… → 漫画「魔人探偵脳噛ネウロ」の設定である。 コカイン中毒 → かのシャーロック・ホームズはコカイン中毒である。 ミシシッピ川 → ホームズならぬチャールズ卿とワトソンが主人公のアドベンチャーゲーム「ミシシッピー殺人事件」より。船に仕掛けられた罠もこれが元ネタである。 こんや 12じ だれかが 犬 → ゲーム「かまいたちの夜」に出てくる予告状の文面「こんや 12じ だれかが しぬ」より。 ヤス → ゲームポートピア連続殺人事件におけるボス(主人公)の助手。
https://w.atwiki.jp/asianmystery/pages/109.html
2011年11月8日 「韓国ミステリ史」は、20世紀初頭から現代(2011年)までの韓国の探偵小説/推理小説/ミステリの歴史を、第一章から第五章(+特別編2ページ)の全7ページに分けて紹介するものである。 『韓国ミステリ史 第一章』では、そのうち20世紀初頭から1930年代までを扱っている。 目次 はじめに 第一章 20世紀初頭~1930年代:韓国ミステリ草創期第一節 韓国初の創作探偵小説は何か 第二節 イ・ヘジョ(李海朝)による韓国初の創作探偵小説『双玉笛(そう ぎょくてき)』 第三節 探偵小説専門作家不在の時代(1)黒岩涙香の翻案小説を再翻案した韓国の翻案小説 (2)その他の翻訳・翻案探偵小説 (3)1920年代~1930年代の創作探偵小説 第四節 邦訳された20世紀初頭~1930年代の韓国探偵小説 参考文献 はじめに 今から約10年前、早川書房の『ミステリマガジン』2000年10月号は「コリアン・ミステリ・ナウ」と題する韓国ミステリの特集を組んだ。その特集ページの扉に書かれた文を引用する。 かつては“近くて遠い国”といわれた韓国も、近年では映画「シュリ」(Wikipedia)が日本でも大ヒットしたり、日本のアイドルが韓国で人気を博すなど、しだいに身近な存在になりつつあります。しかし、ことミステリに関しては、日本の作品がいくつか輸出されているだけで、彼の地の現状はまだまだ未知数。そこで今月号は、ミステリを中心に、SF、映画、文学など、韓国の最新文化事情について探ってみます。(中略)これが日韓友好のささやかな一歩となりますように。 それから10年。引用中では「日本の作品がいくつか輸出されているだけ」とされているが、いまや韓国では日本のミステリが年間100タイトル近く翻訳刊行されている。しかし一方で、いまだに日本に住む多くの人にとって韓国ミステリ界は未知のものである。 このページでは、韓国で唯一のミステリ専門誌『季刊ミステリ』の編集長を務めるパク・クァンギュ(朴光奎/박광규)氏が書いたいくつかの記事を基礎資料として、韓国推理小説の100年の歴史を紹介する。 【注】 人名の表記について ここ数年は、韓国の人物の名前は【1】漢字で表記して現地の読みで振り仮名を振るか、または【2】漢字を使用せずに発音通りカタカナで書くかのどちらかが普通である。「読む」ということだけを考えればどちらでも問題ないが、「入力する」というときに前者は大いに問題になる。たとえば、2009年に邦訳が出ている韓国の推理作家に李垠(イ・ウン)がいる。仮に何かの紙媒体で彼の名前を見掛けて、気になってネット上で検索してみようとした時に、「垠」は読み方が分からないので入力できない(入力が面倒)という問題が発生する。ほかにも、韓国のミステリ作家の名前を見ていると、白恷、黄世鳶、鄭建燮、柳禹提など、入力の仕方が分からない文字が頻発する。 そのためこのページでは、作家の名前は基本的に現地の発音通りでカタカナ書きとし、補助的に後ろに漢字を付けることにする。ただし、日本ですでに漢字表記で知られている作家名についてはその限りではない。 第一章 20世紀初頭~1930年代:韓国ミステリ草創期 第一節 韓国初の創作探偵小説は何か 韓国ミステリの草創期については韓国でもまだ研究の途上にあり、ここ10年でも「韓国初の創作探偵小説」とされる作品は何度か変わっている。2011年現在、日本語で書かれた韓国ミステリ概説としてもっとも詳しいと考えられる3つの資料を見てみよう。 鄭泰原(チョン・テウォン)「韓国ミステリ事情」(早川書房『ミステリマガジン』2000年10月号) 金容権(キム・ヨングォン)「現代の韓国ミステリー事情」(光文社『ジャーロ』4号(2001年夏号)) 米津篤八「韓国ミステリー百年の現在」(李垠(イ・ウン)『アジア本格リーグ3 美術館の鼠』講談社、2009年11月、巻末解説) この中では、金容権(キム・ヨングォン)「現代の韓国ミステリー事情」(2001)が「韓国の推理小説は金来成(キム・ネソン)に始まる」という韓国での通説を紹介している。金来成(キム・ネソン)は1935年に日本の探偵雑誌『ぷろふいる』(Wikipedia)でデビューし、1937年からは韓国(朝鮮)で推理作家として活躍した人物である。単に紙幅の関係でそれ以前の歴史を省略しただけかもしれないが、この通説は、「韓国で最初に探偵小説を書いたのは金来成だ」と誤って拡大解釈される場合があるので注意が必要である。金来成(キム・ネソン)は日本でいえば江戸川乱歩に相当する人物であり、江戸川乱歩以前に黒岩涙香らの先達がいるのと同じように、金来成(キム・ネソン)以前にも推理小説を書いていた人物はいた。近年日本で刊行された『近代朝鮮文学日本語作品集』では、金来成が『ぷろふいる』で発表したデビュー作(日本語作品)「楕円形の鏡」(1935)が「朝鮮で最初の探偵小説である」(1901-1938 創作篇 第5巻)、「朝鮮人による最初の探偵小説である」(1901-1938 評論・随筆篇 第3巻)とされているが、これは誤りである。 次に、韓国推理作家協会の鄭泰原(チョン・テウォン)氏による「韓国ミステリ事情」(2000)を見てみよう。これは韓国でも屈指のミステリ評論家・翻訳家・収集家である氏の手によるものなので信頼が置けるが、これによれば韓国初の創作探偵小説は純文学作家のチェ・マンシク(蔡萬植)がソ・ドンサン(徐東山)という筆名で書いた1934年の新聞連載作品『艶魔(えんま)』だという。 上で見た2つの資料は2001年以前のものだが、その後2002年に韓国の新聞『中央日報』に「韓国初の推理小説『血の袈裟』発見」(2002年10月15日付け、リンク先韓国語)という記事が載っている。この記事では、1926年にパク・ピョンホ(朴秉鎬)(박병호)が発表した『血の袈裟』(原題漢字表記:『血袈裟』)という作品が発見されたと報じられている。これはチェ・マンシクの『艶魔』(1934)や、それ以前の初の探偵小説だとする議論が当時あったチェ・ドッキョン(최독견)の『死刑囚』(1931)よりもさらに古いことになる。この『血の袈裟』は、韓国唯一のミステリ専門誌『季刊ミステリ』に全文復刻されたが、中央日報にすぐさま別の説が提出されるなど、韓国初の創作探偵小説をめぐる議論は紛糾した(中央日報2002年10月23日付け記事「最初の推理小説 「迷宮」にはまる」(リンク先韓国語))。 東アジアのミステリは、中国を起源に日本や韓国などに広まった「裁判小説」にその源流の一端があり、それを基層にして欧米の「探偵小説」を受容することで東アジアの探偵小説が誕生した。そのため、韓国初の創作探偵小説を探る場合にも、作品が「裁判小説」の単なる発展形なのか、それとも欧米探偵小説の影響下に生まれた「探偵小説」なのかが議論になる。上記の記事「最初の推理小説 「迷宮」にはまる」では、イ・ヘジョ(李海朝)(1869-1927)が1908年末から1909年初めにかけて新聞連載した『双玉笛(そう ぎょくてき)』が最初の「探偵小説」と呼べるか否かが議論になっている。 そして2011年現在では、米津篤八「韓国ミステリー百年の現在」(2009)等で示されているように、この『双玉笛(そう ぎょくてき)』を韓国初の創作探偵小説だとするのが一般的のようである。 第二節 イ・ヘジョ(李海朝)による韓国初の創作探偵小説『双玉笛(そう ぎょくてき)』 韓国では「新小説」(Wikipedia)の担い手として知られるイ・ヘジョ(李海朝)(이해조)(韓国語版Wikipedia)は1869年生まれ(比較のために示すと、コナン・ドイルが1859年生まれ、黒岩涙香が1862年生まれである)。1907年に帝国新聞に入社し『帝国新聞』(제국신문)紙上で小説を次々と発表。1908年末から1909年初めにかけて、韓国初の探偵小説とされる『双玉笛(そう ぎょくてき)』(サン オクチョク/쌍옥적/雙玉笛)(写真)を連載した。鄭(チョン)刑事が、笛のうまい兄弟の強盗殺人犯を追うというストーリーの作品である。裁判小説の流れをくむものだが、「犯罪の発生 - 事件の捜査 - 解決」という構成を備えており、また探偵役が偶然ではない証拠と推理で事件を解決することから、韓国初の創作探偵小説だとされる。またこの作品は、タイトルの角書きとして「偵探小説」(정탐소설、偵探小說)ということばが添えられているので、そのことからも、この作品が従来の「裁判小説」とは一線を画す「探偵小説」として書かれたことが分かる。 イ・ヘジョはその後、1910年には毎日新報に入社し、『毎日新報』紙上で小説を発表。1912年には、探偵小説『九疑山』(きゅうぎ さん)(구의산)を連載している。新婚初夜、花嫁が目をさましてみると夫の首がなくなっている。妻は復讐を誓い男装の探偵となって犯人を捜索する――というストーリーである。 なおイ・ヘジョは、1908年、ジュール・ヴェルヌのSF小説"Les 500 Millions de la Bégum"(1879)(現在の邦題:インド王妃の遺産)の日本語訳(または中国語訳)を韓国語に翻案した『鉄世界』を発表しており、韓国でのSF小説の紹介にも貢献している。(1907年にヴェルヌの『海底二万里』が韓国語になっており、これが韓国に紹介された最初のSF小説とされている) 韓国を含む東アジアのミステリの源流の一つである裁判小説については、簡単にではあるが「東アジアミステリの源流」にまとめている。 韓国での最初のSF受容については、「韓国SFに関するネット上の2つの基本文献について」でごく簡単に紹介している。 同時代のアジアの動向 日本では、須藤南翠「殺人犯」(1888年)、または黒岩涙香「無惨」(1889年)が初の創作探偵小説だとされる。 中国では、1885年発行と推定される知非子「冤獄縁(えんごくえん)」が初の創作探偵小説だとされている。ただし、中国に初めて欧米の探偵小説が翻訳されるのよりも11年も早いことから、その発行年に関しては議論がある。 第三節 探偵小説専門作家不在の時代 前述の通り韓国ではイ・ヘジョが先駆的に創作探偵小説を発表したが、この時期にはまだ欧米の探偵小説の韓国語への翻訳はなされていなかった。その後、1910年代以降、欧米の探偵小説の韓国語への翻訳が少しずつ進み、創作探偵小説も次第に増えていく。 (1)黒岩涙香の翻案小説を再翻案した韓国の翻案小説 韓国(朝鮮)では1910年代から1920年代にかけて、日本の小説(翻案小説含む)を翻案した作品が人気を博していた。黒岩涙香の翻案小説もいくつか再翻案されている。主なものを以下に示す。 ※原著のタイトルおよび初出年、黒岩涙香の作品の初出年については、今のところWikipediaでざっと調べただけです。後に調べなおします。 再翻案 黒岩涙香による翻案 原著 ミン・テウォン 『哀史』(1910)(2008年版) 黒岩涙香 『噫無情(ああむじょう)』(1902) ヴィクトル・ユーゴー 『レ・ミゼラブル』(1862) イ・サンヒョプ 『貞婦怨』(1914)(2007年版 上巻、下巻) 黒岩涙香 『捨小舟』(1894) メアリー・エリザベス・ブラッドン 『Diavola』(1866) イ・サンヒョプ 『海王星』(1916)(2007年版 上巻、中巻、下巻) 黒岩涙香 『巌窟王』(1901) アレクサンドル・デュマ 『モンテクリスト伯』(1844) ミン・テウォン 『鉄仮面』(1922)(2008年版 上巻、下巻) 黒岩涙香 『鉄仮面』(1892) フォルチュネ・デュ・ボアゴベ 『サンマール氏の二羽のつぐみ』(1878) 以上の4作品は、2007年から2008年にかけて韓国で刊行された叢書「韓国の翻案小説」(한국의 번안 소설)(全10巻(6作品))で刊行されている【注1】。19世紀末から20世紀初頭にかけて、黒岩涙香の作品はほかに中国語にも翻訳されていた。この当時、黒岩涙香は日本のみならず東アジア中を席捲していたのである。 注1:同叢書で刊行された残りの2作品は、尾崎紅葉の『金色夜叉』を翻案したチョ・ジュンファン『長恨夢』(1913)(2007年版)と、菊池幽芳の『己が罪』(1899)を翻案したチョ・ジュンファン『双玉涙』(1910年代?)(2007年版)である。『金色夜叉』の登場人物「貫一とお宮」は有名だが、その翻案作品『長恨夢』の登場人物「イ・スイルとシム・スネ」(이수일 と 심순애)も、韓国では知らない人がいないぐらいの有名なキャラクターであるらしい。また、『金色夜叉』は未完作品だが、その翻案作品『長恨夢』はハッピーエンドで終わるとのこと。 (2)その他の翻訳・翻案探偵小説 初めて韓国語になった欧米の探偵小説は、1918年に『泰西(テソ)文芸新報』(태서문예신보)に掲載された「忠僕」(충복)だとされる。これはコナン・ドイルのホームズ物の短編"The Adventure of the Three Students"(邦題:三人の学生)の翻案である。ホームズの韓国での受容については、パク・チニョン(박진영)氏がブログの記事でまとめている。 셜록 홈스 시리즈 한국어 번역 연표(シャーロック・ホームズシリーズ韓国語翻訳年表)(2009年9月30日) この当時に紹介された欧米の探偵小説は、主に日本から入ってきたドイル、ポー、ルブラン、ヴァン・ダインなどだった。翻訳者にはヤン・ジュドン(梁柱東/양주동)(韓国語版Wikipedia)、キム・ユジョン(金裕貞/김유정)(Wikipedia)(『ベンスン殺人事件』を『도둑맞은 보석』として翻訳、死後に雑誌連載された)、ヨム・サンソプ(廉想渉/염상섭)(Wikipedia)など純文学界で活動していた人も見られる。 パク・チュンピョ(朴埈杓)(박준표)は1923年には探偵小説『飛行の美人』(비행의 미인)(韓興書林)を出している。これはパリを舞台にした「ジゴマもの」だという(李建志1994)。パク・チュンピョは1926年には探偵小説『黒い箱』(原題『黒箱子』(흑상자))(デジタルハングルミュージアム)を出した。この原作者はアメリカのFred Jacksonだというが、何者なのかはよく分からない。『飛行の美人』の方もおそらく翻案だろう。 この時期の韓国の翻訳・翻案小説についての研究にパク・チニョン(박진영)氏の『翻訳と翻案の時代』(번역과 번안의 시대)(2011年8月)があるが、未見。パク・チニョン氏は上で示した叢書「韓国の翻案小説」の編者でもある。 (3)1920年代~1930年代の創作探偵小説 この時期の探偵小説は翻訳・翻案が主流だったが、1920年代半ばから再び創作探偵小説が登場する。1926年にパク・ピョンホ(朴秉鎬)(박병호)が『血の袈裟』(血袈裟、혈가사)を刊行(最初の発表は雑誌で、1920年ごろ。ウルサン新聞2010年1月6日記事「韓国最初の探偵小説「血の袈裟」」(韓国語)参照)。しかしこれは警察にすぐに押収されてしまい、世に知られず埋もれてしまった。 児童文学作家のパン・ジョンファン(方定煥)(방정환)(1899-1931)(韓国語版Wikipedia)は、児童向けの探偵小説『妹を探しに』(동생을 찾으러)(1925)(2009年9月版)、『チルチル団の秘密』(칠칠단의 비밀)(1926)(1999年版、2002年版、2010年5月版、2010年8月版)、『少年三台星』(소년삼태성)、『少年四天王』(소년사천왕)を発表した。また、「怪男女二人組」(괴남녀 이인조)というコミカルな短編や、外国の短編を訳した「誰の罪?」(누구의 죄?)などの作品が大衆雑誌に掲載されている。探偵小説を発表する際には北極星(북극성)という筆名を使っている。 1930年代に入ると、1931年にチェ・ドッキョン(최독견)が『死刑囚』(사형수)を連載、1933年にはキム・ウンジョン(김운정)が『怪人』(괴인)を発表(連載??)している。 特筆すべきは、純文学作家として知られるチェ・マンシク(蔡萬植)(채만식)(1902 - 1950)(Wikipedia)がソ・ドンサン(徐東山)という筆名で、1934年に『朝鮮日報』に探偵小説『艶魔』(염마)(1987年の『채만식 전집 1 - 인형의 집을 나와서/염마』等に収録)を連載していることである。チェ・マンシクは早稲田大学英文科中退の純文学作家で、当時は『朝鮮日報』の記者。『艶魔』の連載当時、著者のソ・ドンサンがチェ・マンシクと同一人物だと知っていたのは一部の関係者だけで、この事実は1987年に初めて公になった。『艶魔』には名探偵ペク・ヨンホ(백영호)が登場。27歳の独身男性で、シャーロック・ホームズを思わせる設定がなされているという。 またほかに、キム・ドンイン(金東仁)(김동인)(1900-1951)(Wikipedia)などの韓国を代表する文学作家もペンネームでスパイ小説に近い作品を発表している。 最近の韓国では、今まで忘れ去られていた探偵作家の発掘が進んでいる。韓国のミステリ雑誌『季刊ミステリ』2010年秋号(第29号)の特集「戦前の忘れられた二人の作家」では、シン・ギョンスン(신경순)とチェ・ユボム(최유범)が取り上げられている。この号は入手できていないので詳細は分からないが、シン・ギョンスンには推理短編「巌窟の血闘」(암굴의 혈투)、「ミカドの地下室」(미까도의 지하실)、「血塗れの手帳」(피묻은 수첩)、「第二の密室」(제2의 밀실)、チェ・ユボムには推理短編「スナ惨殺事件」(순아 참살사건)、「嫉妬する悪魔」(질투하는 악마)(1933)、「K博士の名案」(K박사의 명안)、「婚約者の魔性」(약혼녀의 악마성)(1934)、「誰が殺したか!」(누가 죽였느냐!)がある。(チェ・ユボムについては http //churi4u.tistory.com/3 も参照) 1937年には金来成(キム・ネソン)が登場し、初の探偵小説専業作家として活躍を始める。金来成については別のページでまとめた。 韓国ミステリ史 特別編 - 金来成(キム・ネソン)(1909-1957)【1】 韓国ミステリ史 特別編 - 金来成(キム・ネソン)(1909-1957)【2】 戦前の韓国推理小説については、日本語の文献としては李建志(り けんじ)氏の東京大学大学院修士論文『京城の探偵小説』(1994)があるが、未見。また韓国語の文献では、オ・ヘジン(오혜진)氏の『1930年代韓国推理小説研究』(2009年)があるが、未見。 第四節 邦訳された20世紀初頭~1930年代の韓国探偵小説 この時期の韓国探偵小説で、一般流通の書籍・雑誌等に訳載された作品は見当たらない。金来成が韓国語で発表した短編変格探偵小説「霧魔」(1939)は拙い訳ではあるが当サイトで公開している。 金来成「霧魔」 (韓国語から翻訳) 金来成が日本語で発表した探偵小説2編を読む方法については、「韓国ミステリ史 特別編 - 金来成 第四章 読書案内」を参照のこと。なお、金来成が日本語で発表したユーモア掌編「綺譚・恋文往来」(1935)は当サイトで公開している。 金来成「綺譚・恋文往来」 (日本語作品) 参考文献 韓国ミステリ史 参考文献 (新しいウィンドウで開きます) 『韓国ミステリ史 第一章』(20世紀初頭~1930年代) ←今見ているページ 『韓国ミステリ史 特別編 - 金来成(キム・ネソン)(1909-1957)【1】』 『韓国ミステリ史 特別編 - 金来成(キム・ネソン)(1909-1957)【2】』 『韓国ミステリ史 第二章』(1940年代~1960年代) 『韓国ミステリ史 第三章』(1970年代) 『韓国ミステリ史 第四章』(1980年代~20世紀末) 『韓国ミステリ史 第五章』(1990年代末~21世紀初頭)(未公開) 『読書案内』
https://w.atwiki.jp/keroro00innovator/pages/4549.html
解決ミステリー 解決ミステリー アーティスト 和泉一織(増田俊樹)&七瀬陸(小野賢章) 発売日 2019年9月27日 レーベル ランティス DLデイリー最高順位 2位(2019年9月28日) 週間最高順位 32位(2019年10月1日) 月間最高順位 37位(2019年9月) 初動総合売上 4018 累計総合売上 4502 収録内容 曲名 タイアップ 視聴 1 解決ミステリー アイドリッシュセブン キャラソン 配信/総合ランキング 週 月日 デジタルシングル 総合シングル 順位 週/月間DL数 累計DL数 順位 週/月間枚数 累計枚数 1 10/1 4 10044 10044 9 4018 4018 2019年9月 13 10044 10044 37 4018 4018 2 10/8 1210 11254 36 484 4502