約 252,893 件
https://w.atwiki.jp/uhyo/pages/105.html
出 典 【愛と哀しみのエスパーマン】p.209 種 別 【台詞 - 兵器】 発言者 【金剛地小五郎】 解説 Me163、通称コメート(Komet)は、第二次世界大戦時にドイツ空軍が開発・運用した航空機史上唯一の実用ロケット推進戦闘機。 ロケット推進である為、燃料が尽きれば只のグライダーであり、帰路は敵機の格好の的であったと言う。この燃料も非常に不安定で常に爆発の危険があり、操縦席に漏れると乗組員が溶けてしまうと云う前代未聞の戦闘機であった。また、高度1万mまで約3分で到達する上昇速度から、操縦者に掛かる負担は物凄まじいものがある。総撃墜数は6機(wikipediaより)。
https://w.atwiki.jp/strike_witches/pages/538.html
ADOLFINE GALLAND 所属 カールスラント空軍ウィッチ隊総監第44戦闘団司令欧州奪還作戦用に、自ら皇帝に申請して新設。 階級少将 身長 170cm 年齢 23歳(1944年末) 誕生日 3月19日 使い魔 ネコ系のなにか(来歴不明) 固有魔法 『魔眼』坂本美緒と同様のものだが、発動の際には首から提げた小銃用照準眼鏡GwZF4を使用。「のぞき込む」事で視界を限定、精神集中の補助となり精度が向上する。 パーソナルマーク マジックキャット(飛行服を着て葉巻を咥えた猫が、手にした銃でネウロイに見立てたネズミを撃っている) 使用機材メッサーシャルフ Bf109E扶桑海事変時に運用された、新型エンジンDB-601搭載の先行試作型。 メッサーシャルフ Bf109F-2スペシャル(W.Nr5750号機)ガランド中佐(当時)用に各種改造が行なわれた専用機。 メッサーシャルフ Me262A-1a(白の3号機) 使用武器MG42S その他撃墜数103機を誇る優秀なウィッチだが、それ以上に兵器開発や生産、ウィッチ隊や基地の組織化と運営指導、各国司令部との調整をこなす有能な指揮官。 カールスラント皇帝フリードリヒ4世から厚い信任を受け、カールスラント奪還の為の部隊編成の自由許可を得ている。この権限を利用し、ロマーニャでの第501統合戦闘航空団再結成を速やかに実現。(秘め録CD 上) また、前任者(トレヴァー・マロニー)が更迭された事で上官不在となっていた第501統合戦闘航空団を新たに自身の指揮下に置いている。 カールスラント北西、ライン川とヴェーザー川に挟まれたヴェスターホルト出身。 ヒスパニアで怪異が発生した折、カールスラントから送られたコンドル軍団の一員として参戦。本人の希望と異なり、専ら地上攻撃に駆り出された。 この後、扶桑海事変に観戦武官として送られたが、当地で飛行型ネウロイと新型ストライカーユニットの戦いを目撃すると自らも戦闘に参加、航空ウィッチへの憧れを強める。 帰国後に空軍への転属申請を出すが、対地攻撃で多数の戦果を挙げていた事が徒となり却下され、対地支援部隊設立の乗員訓練と組織作りを任された。 諦めず戦闘部隊への転属を繰り返し進言、これが実りJG27に転属。少佐に進級の後はJG26航空団司令に任命される。 後に中将に昇進、直属部隊として新型ストライカーユニットを使用する第44戦闘団を設立。カールスラント奪回作戦において多大な戦果を挙げる。この時、既にシールドを失っているにもかかわらず出撃し、ネウロイを撃退している。 皇帝からは出撃を禁じられているが、上記のような事もあり実際の撃墜数は公称より多いと思われる。 現役ウィッチ時代のカールスラント撤退戦の際、空軍大将に向かって、(ブリタニア製の)スピットファイアが欲しいと言い放つなど、歯に衣着せぬ言動でも有名。 軍上層部に欲しい物を問われた際、第501統合戦闘航空団のリネット・ビショップの名を上げた事がある。(島田フミカネTwitter) イメージモデル アドルフ・ガランド (1912-1996)フルネーム アドルフ・ヨーゼフ・フェルディナント・ガランド 愛称 「ドルフォ(Dolfo)」 撃墜数 104 その他ヴェルナー・メルダースやヘルムート・ヴィックと共に、第二次世界大戦初期のドイツ空軍を代表するエース。 バトル・オブ・ブリテンにおいてドイツ空軍が劣勢になる中、ドイツ空軍総司令官でもあったヘルマン・ゲーリング国家元帥に希望する物資を問われた際、敵のイギリス空軍の主力であるスピットファイアと言い放ち、ゲーリングを絶句させた。 事故死したメルダースの後をうけて戦闘機隊総監に就任し、第二次世界大戦中の3年の長きに渡り同職を務める。 30歳の若さで将官(少将)に昇進。最終階級は中将。また、将官時に撃墜記録を持つ数少ない一人。 早い段階でMe262の戦闘機としての優位性を確信し、これを爆撃機として運用しようとするヒトラーと折衝しながらも開発・生産に奔走。試験飛行でその乗り心地を「まるで天使に押されているような」と表現。 欧州における第二次世界大戦末期には、ジェット戦闘機隊の第44戦闘団(JV44)の司令官に任命され、自らもMe262で出撃して7機撃墜。第44戦闘団は騎士鉄十字章以上の授章者や戦闘航空団の司令や飛行隊長クラスが数多く所属し「騎士鉄十字章が部隊の徽章」とも言われたエリート部隊。ヨハネス・シュタインホフ、ギュンター・リュッツオウ、ゲルハルト・バルクホルン、ハインツ・ベーア、ヴァルター・クルピンスキー、ハインツ・ザクセンベルクといった名だたるエースが公式・非公式問わず集い名を連ねた。 戦後はイギリス空軍、アルゼンチン空軍に務め、民間に下った後は航空会社へのコンサルタント事業で成功を収めると、世界各地を飛び回り連合軍パイロット等と友好を深めた。特にダグラス・バーダーとの友情は深かった。 2度の離婚と3度の結婚を経験し、1996年2月9日に83歳で没。 海パンにゴーグル、マフラーと言ういでたちで出撃をくり返しており、普通にウィッチ化すると元ネタの人の方が露出度が多くなってしまうため、アドルフィーネは逆に厚着にされた。 出典 コンプエース/next world witches/小説版『ストライクウィッチーズ2』/秘メ録手牒 上巻/第五〇一統合戦闘航空団全記録弐 第二集/第五〇一統合戦闘航空団全記録弐 第六集
https://w.atwiki.jp/mazyugaku/pages/125.html
個人情報 【氏名】イリス・アルティーヒ 【年齢】24 【顔写真】川*゚ー゚) 【階級】二等技術海兵 【所属】通信科/整備科 【性別】女 【身長】157cm 【体重】43kg 【血液型】A(RH-) 【髪型】セミロング 【髪の色】明るい茶色 【瞳の色】オリーブグリーン 【好きなもの】ビーフストロガノフ、甘い物 【嫌いなもの】ビール 【免許・資格】航空機操縦士・ヘリ操縦士 設定 ハーメルン生まれ、ベルリン育ちのドイツ人。 天真爛漫で、明るく前向きな言動が目立つ。 その背の小ささと明るさから、昔に所属していた部隊では マスコットのような扱いを受け、愛されていた。 身長のことは、かなり気にしているよう。 昔はドイツ空軍のアーデルハイトの部隊に 電子戦士官として所属していたが、訓練中の事故で重傷を負い、自主除隊。 クラウディアに誘われて、空母シベリアの技術クルーとなった。 自室保管銃器 ベネリ スーパーM4
https://w.atwiki.jp/1942_fhsw/pages/489.html
名称 Fw 190D 略称 fw,190D 武装 D-9型 プライマリ セカンダリ MG131 13mm機関砲(機首2門) MG151/20 20mm機関砲(翼内2門) 関連 FW 190 FW 190D A D-9 G F-8 概要 ドイツ軍の戦闘機。Bf109とともにドイツ空軍の主力を担った。大戦後半より登場する。 D型は従来のFw190とは違い、液冷エンジンが搭載されているため見分けがつきやすい。 コメント 速度は出るが全然回らない機体 下手に巴戦を持ち込むと撃墜されかねない -- 名無しさん (2014-02-06 03 30 40) 巴戦に弱いので対戦闘機は実力が上回る相手に勝つのが難しい、しかしその安定性の良さから対攻・爆撃機迎撃の入門用として優秀な機体である。 -- 名無しさん (2014-02-08 14 11 15) 火力が低下しているうえに旋回性能が変わってないのでぶっちゃけFw190の下位互換。扱いやすくはなっている -- Shokaku (2021-04-01 20 31 15) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/sgsr/pages/65.html
クラス:エース 実在したモデル:ルーマニア空軍 IAR-80(Wikipedia)および IAR-81(Wikipedia) IAR80 ノーマル型 武装 主武装:軽機関銃 副武装:キャノン 属性 武器:7.6 防御手段:5.0 航空力学:5.0 信頼性:5.1 その他の性能 最大速度(ブースト時):340MPH(440MPH) ブースト制限:10.51秒 上昇限度:33000FT IAR80 D D(Damage)=武装強化型 武装 主武装:軽機関銃 副武装:マルチミサイル 属性 武器:8.9 防御手段:4.7 航空力学:4.7 信頼性:3.9 その他の性能 最大速度(ブースト時):410MPH(510MPH) ブースト制限:11.03秒 上昇限度:33000FT IAR80 A A(Armor)=装甲強化型 武装 主武装:ワイドMACHINEGUN 副武装:キャノン 属性 武器:6.5 防御手段:5.4 航空力学:4.7 信頼性:7.0 その他の性能 最大速度(ブースト時):310MPH(410MPH) ブースト制限:9.45秒 上昇限度:33000FT おまけ IAR80無印の塗装について: 垂直尾翼の左側面に勝利マークが13個見える"白の42"は、実在した機体の1941年8月当時の姿がモデルになっている。IPMS Stockholm.orgの下記の記事によれば、ルーマニア空軍のエース、イオアン・ミク中尉(当時)の乗機とのことだが、下記『第二次大戦のルーマニア空軍エース』によると当時IAR-80で13勝利(詳しくは割愛するが単純に13機撃墜ではない)を挙げているパイロットは居らず、飛行隊の勝利数の合計か或はこの機の搭乗者全員の勝利数の合計を書いたものかも知れないとの事。 (尚、イオアン・ミク(最終勝利時は大尉)は1941年の戦いでIAR-80では最多の11勝利を挙げており、10回の空戦で8機を撃墜している。1944年にP-38を一機撃墜し(搭乗機はBf109か?)最終的に13勝利を獲得した。) 機体右側面の文言は、同IPMS Stockholm.orgの記事によると操縦に関する指示書きとの事で、"白の84"の塗装例として掲載されている。訓練生はまずこの指示を大声で繰り返し読み上げ、それからコクピットへ乗り込んでいった。内容は"降着装置のレバーは一杯に引け、それから押せ。左足でペダルを踏め。" "白の42"に実際この指示書きがされたかは分からないが(たぶんRevoのアレンジ?)、同機はソ連軍・連合軍・そしてドイツ軍との戦いを生き抜き、後に操縦学校へ送られた。 同IPMS Stockholm.orgの記事にIAR-80についてのドイツ空軍のレポートが紹介されているのを以下に引用する。 Here is the report of the Luftwaffe major that tested the IAR 80 in March 1941 "Take-off and landing is very good. The aircraft is 20-30 km/h slower than the Bf 109E. The climb to 5,000 meters is equivalent. In a dogfight, the turns are also equivalent, although the long nose reduces the visibility. In a dive it is outclassed by the Bf 109E, because it lacks an automated propeller pitch regulator. It's a fighter adequate to modern needs." 1941年3月のドイツ空軍のレポート:"離着陸性能は良好。Bf109Eに比して速度は20~30km/h遅く、5,000メートルまでの上昇は同等、格闘戦においては長い機首が視界を損ねるものの旋回力は同等。プロペラピッチ自動調整が無いため急降下性能はBf109Eに劣る。時代の要求に十分適合する戦闘機である。" IAR-81Cについて: IAR-80の派生型には急降下爆撃機型のIAR-81があり、専用の爆弾架を装備の他、武装およびコクピット防弾の強化が施されている。IAR-80/81シリーズの最終型、1943年にロールアウトしたIAR-81Cは、MG151/20 x2門 + FN製ブローニング7.92mm x4門に強化され、爆弾架は装備されず対爆撃機用の迎撃戦闘機として用いられた。また、既存の機も同様の仕様に改装されている。これらはドイツ空軍と共にルーマニアの防空任務に就き、Bf109の護衛のもと連合軍のB-17やB-24に対して少なくない戦果を挙げた。 (本作Sky Gamblers Storm RaidersでのIAR80の武装と防御力がやけに強いのはこのIAR-81Cのスペックをイメージしているのだろう。) しかし1943年当時、既に一線級の戦闘機としての限界を迎えていたIAR-81Cは同年中に生産終了し、代わりにBf109Gのライセンス生産が始まっている。そのBf109GもまたP-51やYak-9等の新鋭機に対しては苦戦を強いられていった。 1944年8月、クーデターを経て米英ソと講和したルーマニアはドイツとハンガリーに対し宣戦布告した。主力の座をBf109Gに譲ったものの、一部のIAR-81Cは尚も戦闘任務に駆り出され、昨日までの戦友であったドイツ/ハンガリー空軍と最後まで戦い続けた。 戦後ルーマニア空軍機はソ連機に更新され、IAR-80/IAR-81は訓練用途などに使用されたが、1950年代初頭これらの機は"ファシスト的"として全機が廃棄処分された。 参考文献: IPMS Stockholm.org Camouflage Markings IAR 80/81 - Romania's Best Fighter http //www.ipmsstockholm.org/magazine/2005/01/stuff_eng_profile_iar80.htm オスプレイ軍用機シリーズ45 第二次大戦のルーマニア空軍エース https //www.kaiga.co.jp/shop/products/detail.php?product_id=4921 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/leerertraumurakamix/pages/45.html
August 27 A continuous cannonade on all sides. We are slowly advancing. Less than twenty miles to go to Stalingrad. In the daytime we can see the smoke of fires, at nighttime the bright glow. They say that the city is on fire; on the Führer s orders our Luftwaffe has sent it up in flames. That s what the Russians need, to stop them from resisting... 全面から連続砲撃がされている。俺たちはゆっくりと進軍している。スターリングラードまで20マイルもないところだ。昼は煙と炎が、夜は閃光が見える。総統の命令によって我がLuftwaffe*が爆撃を仕掛けて街が炎に包まれている。あれはやつらの抵抗を停めさせるのに必要なんだ。 *ドイツ空軍(国防軍) 前 戻 次
https://w.atwiki.jp/teitoku_bbs/pages/1760.html
833 :New ◆QTlJyklQpI:2013/05/04(土) 02 26 19 ※これはearth氏作品と違い夢幻会の日本掌握が早期に達成された設定です。 ※本編準拠の流れです。 大陸ネタSS ~チャーチルの憂鬱~ 1941年の中頃、大英帝国の首都ロンドンの官邸では今日も大英帝国宰相であるウィンストン・チャーチルは執務をこなしていた。 何時間か前の空襲のサイレンと爆撃の振動も今は無く、葉巻を咥えて空襲時に放置した決済途中の書類と睨めっこしていたが 部下が被害報告を伝えに来たので一時中断となった。 「ふむ、被害はそれほどでもないか・・・・流石はRAFと言ったところか」 「はい、日本製のレーダーと日本製の戦闘機、それに日本人パイロットがいればこそですが」 大まかながら被害をまとめた書類をパラパラと捲りながら自国の空軍を称賛するチャーチルであったが 部下が苦笑しながら放った自軍の状態を示す言葉にチャーチルも同じく苦笑で返すしかなかった。 ドイツのポーランド侵攻で始まった第二次世界大戦。一応警告しておいた夢幻会の願いも虚しく 英仏連合軍はドイツ軍の電撃戦に対処できず大陸から叩きだされフランスも敵に回したことにより 切羽詰まった英国は英日安保条約に基づいて日本に支援を要請した。 夢幻会は”一度目”の反省に基づき「兵力・物資の出し惜しみはなし」として前倒しで開発した烈風・飛燕など最新鋭機で構成した 飛行隊を派遣、大陸国家と化したことで手に入れた膨大な生産力にものを言わせての物資供給を実行した。 その結果、バトル・オブ・ブリテンにおいてドイツ空軍に凄まじい損害を与える事となる。 ドイツ空軍の主力であるBf109Eでは烈風や飛燕に速度で100km/h以上の差を付けられ易々と護衛対象である 爆撃機を餌食にされ、帰還しようとしても速度差から追いつかれ、それでも何とか逃れようと激しい機動をすれば 元々少ない搭載燃料を消費して不時着することとなった。 ドイツ海軍相手でもそれは同様で十分な護衛のついた輸送船団への攻撃を行った独仏伊の潜水艦部隊の損耗は著しく、 余裕があった日本の空母機動部隊にジブラルタルなどの港湾施設を爆撃されると活動自体も徐々に鈍化していった。 カナリア沖での海戦に続く日本軍の活躍は英国の士気を更に上げたがチャーチルはこの戦果によって新たな問題に 直面し頭を悩ませていた。 「(確かに極東の同盟国のおかげで持ちこたえている。だが、それが我が国に亀裂を生むことになるとは)」 出し惜しみなしとして全力で英国を支援をしている日本であったが欧米の基準を遥かに上回る兵器の性能と アメリカには劣るものの英国よりも遥かに強大な物量により、あれほど手こずっていたドイツ軍が目と鼻の先でボコボコ にされていくのを見た英国内の一部から黄禍論じみた日本脅威論が噴出、そして東南アジアを中心とする植民地では 日本軍の活躍が徐々に知れ渡り一時は大人しくなっていた独立運動が再燃し始めていた。 「(植民地人共のこともある。うまく立ち回らないといけないというのに馬鹿どもが)」 今のところ大英帝国が戦争を続行できるのはアメリカと日本という2つの大国の支援があるからといっても過言ではない。 だが、この両国は中国市場や太平洋を巡って対立しており、この両国の間を上手く保ちつつ対独戦を勝てねばならない チャーチルには綱渡り的なバランス感覚が要求されていた。 「(日米、どちらかがもう少し弱体であれば良かったのだが・・・・いや、我が帝国が凋落していなければこんな ことにはならなかったはずだ。大英帝国も落ちたということか・・・・・・・)」 チャーチルの自嘲しながらも帝国内外の問題の解決法を思案し続ける。 大英帝国が栄光ある勝利を手に入れるその日まで。
https://w.atwiki.jp/kerberos-saga/pages/31.html
第5部 巨砲吼ゆ編 第2話「アイゼンバーンラフェッテ」 2006年12月29日 放送 概要 アイゼンバーンラフェッテ 1853年 クルップ社 17cm列車砲サミュエル 21cm列車砲ペーターアダベルト 38cm列車砲マックス ヴェルダン ダンケルク パリ砲 再軍備宣言 心理的衝迫力 戦場において煙草をすう 38cm列車砲 ジークフリード 80cm列車砲 グスタフ 80cm列車砲 ドーラ 「砲兵士官のくせに耳のいい奴だ」 面罵 88mm高射砲 「噂では開発中の重戦車の主砲に転換中」 艦隊現存主義 デーニッツ メッサーシュミット フォッケウルフ ハインケル ユンカース 3号 4号 「戦車のラインを変更するには莫大な費用がかかる」 ロケット砲 無反動砲 高低圧砲 無旋条砲 ラムジェット推進砲 ラインメタル ハインケル111 ウラルボマー ドゥーエ ミッチェル クラウゼヴィッツ 急降下爆撃・水平爆撃 新鋭の四発重爆 マンシュタイン アイゼンバーンラフェッテ ドイツ語で「列車砲架」のこと。 レールの上を走る台車上に砲身を支持し照準をつけるための駐退機や仰角機構もろもろの総称。 1853年 時期的に見てクリミア戦争のこととも思えるが、この時期鉄道網は英国外では普及していなかったので、1850年代にイギリスのある人物がパンフレット「National Defense」で提案した装甲列車の構想を指していると思われる。 クルップ社 当時は戦車や砲などを製造していた、ドイツの重工業企業。 現在(2006年)のティッセンクルップ社は、鉄鋼・造船・重機産業などを抱える世界有数のメガコーポレーションである。 17cm列車砲サミュエル 21cm列車砲ペーターアダベルト 38cm列車砲マックス いずれもドイツが第一次大戦中に開発した列車砲。 17cm、21cm砲は巡洋艦、38cm砲は戦艦の主砲と同等で、38cm砲弾では砲弾重量は800kg近くに達し、一発で地上に巨大なクレーターを築く威力がある。 ヴェルダン 第一次世界大戦における主要な戦いの一つであるドイツとフランスのヴェルダンの戦い(1916年)のこと 2000万発以上の砲弾が消費され毒ガスも使用された9ヶ月にわたるこの激戦は、両軍合わせて70万人近い死傷者を出した第一次大戦最大の戦いとなった。 ダンケルク ベルギー国境近くのフランスの港湾都市 第一次大戦においてはスイス国境から北海まで続く長大な西部戦線の最北端となり、ベルギー国内からのドイツ軍による砲撃を受けた。 第二次大戦のフランス戦において、ここから英軍が脱出に成功した[ダンケルクの奇跡」で有名。 パリ砲 第一次大戦時にドイツ軍がパリ砲撃のために開発した超長射程列車砲。 口径210mm、砲身長は28m。 あまりに長い砲身が自重でたわむため、砲身中央部に支柱が立てられそこからケーブルでつり橋のように砲身を支える構造になっていた。 最大射程は130kmに達したといわれるが、発射に当たっては地球自転によって発生するコリオリの力も考慮に入れなければならず、弾着のばらつきが大きいため命中率も高いものではなかった。 また重量を軽減するために砲身厚は薄くなっていたので、60発も撃つと砲身内は磨耗して口径は30mm近く広がり、砲身の寿命も極端に短いものだった。 再軍備宣言 1935年3月にヒトラーが行ったヴェルサイユ条約における軍備制限条項の一方的破棄宣言。 これを機に条約によって上限10万人と制限されていた兵員数の大幅増強、義務兵役制の復活、参謀本部の復活、軍用機、潜水艦、戦車など禁止されていた兵器の製造開発など、ドイツの再軍備が公然と行われることとなった。 心理的衝迫力 調べがつかなかったが綴りは上記のとおりと思われる。 火砲による砲撃は爆風や飛散する弾片、降り注ぐ多量の土砂といった直接的な殺傷効果だけではなく、爆音や爆煙による感覚面での衝撃、砲弾の落下が目に見えないことから次は自分の所に落ちてくるかもしれないという心理的な恐怖感を与える効果を持つ。 第一次大戦において砲撃を受けた後、肉体的な負傷を蒙らなかったにも関わらず戦意の喪失、あるいは精神に異常をきたし、緊張症やチック症状、ヒステリー症状などを起こす兵士が続出し、「シェルショック(戦闘神経症}」という名で知られるようになった。 戦場において煙草をすう 多くの軍隊では煙草は緊張を和らげる嗜好品として糧食と共に配給され、若い兵士たちの多くは軍隊生活で喫煙を覚えた。 また戦場においては常に不足していたため、煙草が一種の通貨として部隊内で流通したり、補給路の途上で闇物資として民間に横流しされるケースも多かった。 38cm列車砲 ジークフリード 作中で説明されているとおり、戦艦(ビスマルク級)の主砲を流用して開発された列車砲。 砲身長20m、車体も含めた重量394t、最大射程約56km。 80cm列車砲 グスタフ 80cmカノン砲を備えた、巨大列車砲の1号機。 1941年に製造された要塞攻略用の兵器であり、諸元については作中参照。 「グスタフ」の名前は当時のクルップ会長から取ったとされるが、ドイツのフォネティックコード(アルファベット1文字に固有の呼び名をつけること)における「G」でもある。 80cm列車砲 ドーラ 80cm列車砲2号機。 性能については、グスタフと同じ。 「ドーラ」の名前は開発者の妻から取ったとされるが、ドイツのフォネティックコード(アルファベット1文字に固有の呼び名をつけること)における「D」でもある。 「砲兵士官のくせに耳のいい奴だ」 常に爆音にさらされる砲兵にとって難聴は職業病のようなものである。 面罵 面と向かってののしること。 88mm高射砲 アハトアハトのこと Flak 18/36/37 88mm砲。アハトアハトはドイツ語で88。 第二次世界大戦にドイツで使用された高射砲で最大射程は約2km。 対空砲として開発された88mm砲であったが、同時に優れた対戦車砲としての能力も有している。 長い射程と正確な砲撃で絶大な威力を発揮し、第二次世界大戦では、ヨーロッパにおける東西戦線及び北アフリカ戦線で使用された。 汎用性は高く、対地、対空などさまざまな用途に使用できる多用途砲として絶大な威力を発揮した。 野戦において約1.5km先の100mm以上の装甲板を貫徹する能力を有する 独特な発射音から、ドイツ軍将兵はその音を聞くと「アハト・アハトだ!」と沸いたという。 「噂では開発中の重戦車の主砲に転換中」 ソ連軍のT-34戦車に対抗するために、VI号戦車ティーガーの主砲として88mm高射砲を対戦車砲として戦車に搭載した。 艦隊現存主義 艦隊はそこに存在している限り、たとえ出撃しなくても敵はそれに備えてその数倍の戦力を控置せざるを得ず、それだけで敵戦力の積極的な運用を阻むことができるという考え方。 第一次および第二次世界大戦において常に米英よりも少ない海軍戦力しか保有できなかったドイツ海軍はこの戦術を取り続けたが、その一方で艦隊兵員の練度と士気の低下、動かない艦隊に対する国民の無理解といった問題が発生する。 第一次大戦ではユトランド海戦後ドイツ海軍はこの戦術をとったが、1919年に出された艦隊出撃命令に水兵が反抗して反乱を起こし、これが革命と戦争の終結に繋がった。 第二次大戦においてもめぼしい戦果を挙げられないドイツ海軍に対し、激怒したヒトラーによって水上艦の解体と兵員の陸上兵力への転用命令が出され、海軍首脳とシュペーア軍需大臣のとりなしによって危うく撤回される事件が起きている。 デーニッツ カール・デーニッツ ドイツ海軍の軍人。最終階級は元帥。 ヒトラー死後の大統領を務めた。 潜水艦作戦の第一人者で戦史研究家からは『海のロンメル』と評価された。 ドイツ海軍の潜水艦隊司令としてUボート作戦を指揮。 群狼作戦というUボートが協同して敵輸送船団を攻撃する通商破壊戦術にてイギリスを苦しめた。 メッサーシュミット メッサーシュミットBf109 第二次世界大戦におけるナチスドイツ空軍の主力戦闘機。Me 109とも呼ばれる。 Bfはメッサーシュミット社の旧社名「バイエルン航空機製造会社」の略。 メッサーシュミットMe262は生産開始が1944年なので、この場合はBf109の方。 単葉・全金属・引込脚など、当時の標準形態を備えたドイツ初の単座戦闘機。 列強各国機に対抗できなかった旧型機に替わり、急遽スペイン動乱に投入されてデビュー、以後、第二次大戦終了まで実質的な主力戦闘機の座を保った。 新人には難しい操縦も、慣れると良好な飛行特性・性能で多くのパイロットに信頼され愛された。 フォッケウルフ フォッケウルフFw190 メッサーシュミットBf109とならんで第二次世界大戦におけるドイツ空軍の主力を担った単発のレシプロ戦闘機。 主力戦闘機メッサーシュミットBf109は高性能ではあったものの、操縦が難しかったため着陸事故が急増していた。 その為にバックアップ用の機体として開発された。 空戦性能のみならず、パイロットには操縦しやすく、最前線でも容易に修理が可能、さらに大量生産しやすい構造という、まさに理想的な兵器であった。 このため改良が続けられ、初期のA型と最後に作られたD9型では別物にしか見えないくらい形状が変化している。 設計者は天才と名高いクルト・タンク博士で、実質的にはFw190の最終形態であるTa-152はレシプロ戦闘機の極限といえる性能を持っていた。 ハインケル エルンスト・ハインケル博士によって設立されたハインケル航空機製造会社。 第二次世界大戦中にドイツ空軍のために爆撃機を始め数多くの航空機を製造した。 世界初の試作ジェット戦闘機He-280、射出座席を備えた夜間戦闘機He-219「ウーフー」など先進的な航空機を作ったが、ハインケル博士と空軍首脳部の折合いが悪かったため、試作や少数生産にとどまったものが多かった。 ユンカース ヒューゴー・ユンカースが設立したドイツの航空機・エンジンメーカー。 第二次世界大戦中、ルフトヴァッフェにJu 87 シュトゥーカなどの軍用機を供給したことで知られる。 3号 Ⅲ号戦車 きたるべき戦車戦術を考慮して主力戦車とすべく製造した中戦車である。 開戦当初は数がそろわなかったが、対フランス戦時にはその数も増え、独ソ戦の頃には主力戦車となる。 しかしソ連のT-34には50mm砲は力不足であった。 史実では大戦後半には主力としては用いられず、代わってシャーシを流用して砲塔を廃して長砲身の75mm砲を搭載した三号突撃砲が生産されるようになった 4号 Ⅳ号戦車 本来は敵の陣地を攻略する為に短砲身24口径75mm砲が搭載されたが、ソビエト連邦軍のT-34戦車に対抗するべく、F型の生産途中から長砲身43口径75mm砲(後に48口径75mm砲)が搭載された。 Ⅲ号戦車に比べより大口径の主砲を収容する余裕のあるIV号戦車は、軍が求めるさまざまな要求に応じることが出来た。 そのため軍馬と呼ばれ、多種多様な派生型を生み出すこととなった。 「戦車のラインを変更するには莫大な費用がかかる」 戦車に限らず工業製品の製造ラインの変更には工場建屋の建設。クレーン、冶具などの工作機械の更新、製造用資材の調達、工員の教育など膨大な資源と時間を要する。 さらに変更作業中はその施設を使えないため、短期的には製造量の減少を招く。 このため史実でも主力戦車となるはずだったV号戦車パンターの増産は遅々として進まず、戦前に開発されたIV号戦車は大戦末期に至るまで改造を重ねて生産が行われた。 ロケット砲 ロケット弾を撃ち出す兵器のこと。 火薬の燃焼ガスを噴出すことによって推進するロケット弾は通常の火砲に比べて命中精度は低いが複雑で重量のかさむ反動軽減機構が不要なため、発射装置の多連装化が容易である。 このため簡単な発射装置を並べて一度に大量にロケットを撃ち出し、目標となる地域を広範囲に叩く面制圧に向いている。 ドイツ軍のネーベルヴェルファーやソ連軍のカチューシャが有名。 無反動砲 砲弾を撃ち出すと同時に、後方に火薬の燃焼ガスの放出やカウンターマスの射出を行うことで反動を軽減する火砲。 駐退機や駐鋤などの重くて複雑な機構が不要なために火砲全体の重量を軽くすることができる。 しかし初速が遅いため、榴弾砲や速度関係なく効果を発揮する成形炸薬を使用した対戦車砲などとして使用されている。 史実で大戦後期にドイツ軍が使用したパンツァーファウストは無反動砲の一種で一人で構えて発射が可能だが、発射筒の後端から高熱の火薬ガスが放出されるため、後方20m以内にいるとこのガスを浴びる危険性があった・ 高低圧砲 砲弾を撃ち出す装薬を収めた薬室と砲弾の間に低圧室という小空間を設けた火砲。 装薬の燃焼ガスは低圧室内に導かれそこで圧力が下がるために砲身に過大な圧力がかからず、砲身の厚さを薄くしてその重量を軽減でき、しかも砲弾の初速は低下しないというメリットがある。 史実ではドイツ軍は大戦後半に対戦車砲として実用化したほか、高低圧砲二門を搭載したルッチャーという小型駆逐戦車の開発も行われていた。 無旋条砲 滑腔砲(スムースボア)ともいう。 砲身内にらせん状のみぞ(ライフリング)を切らない火砲のこと。 ライフリングが磨耗しないため寿命が長く、溝と砲弾の隙間からガスが漏出しないというメリットがあった。 しかしその一方ライフリングによって砲弾に回転が与えられないためジャイロ効果が発生せず、弾道が安定しないというデメリットもある。 このため砲弾に小翼をつけるなどの必要がある。 現在の戦車砲はほぼ全て無旋条で、発射直後に分離脱落するサボに包まれた小翼付のダーツ状の高速飛翔体撃ち出すタイプとなっている。 ラムジェット推進砲 おそらくはRAP弾(ロケット補助推進弾)の一種であるラムジェット弾のこと。 構造が簡単で高速時に最大推力を出すラムジェットエンジンを砲弾に組み込み、その推力によって200km近い射程距離を持つ。 ラインメタル ドイツを代表する火砲メーカー、ラインメタル・ボルジヒ社のこと 戦後も存続し、ラインメタル社が開発した120mm滑腔砲は西欧の戦車砲のスタンダードとなっている。 ハインケル111 He111爆撃機 第二次世界大戦前から大戦終了までドイツ空軍が使用していたレシプロ双発爆撃機。 大戦を通じて使用された主力機で、使い勝手の良さから多くの派生機が誕生した。 大戦当初は主力機として活躍したが、爆弾の大型化に伴い速度が低下し、また防御力も低かったため、イギリス戦では大損害を被った。 ウラルボマー ドイツ空軍のヴァルター・ヴェーファー将軍が提唱していた長距離爆撃機の通称。 ドイツ国内から発進してロシアのウラル山脈東方の工業地帯を爆撃する能力が求められた。 四発爆撃機のユンカースJu-89、ドルニエDo-17が試作されたが、ヴェーファー将軍が飛行機事故で死亡後、地上部隊を支援する戦術空軍をめざすドイツ空軍内にこの構想を支持するものはなく、ゲーリングによって開発計画はキャンセルされた。 この後ドイツ空軍は爆弾搭載量も航続距離も短い双発爆撃機で英国に爆撃を仕掛け、大損害をこうむることとなる。 ドゥーエ 第一次大戦中のイタリア陸軍軍人ジュリオ・ドゥーエ少将 開戦と同時に大量の爆撃機によって敵の都市や産業施設を爆撃し、その戦争遂行能力を奪うことによって勝利するという爆撃機万能論を提唱した。 航空戦力が勝利の鍵を握るというこの思想は戦間期の西欧諸国の航空部隊の軍人たちに広く支持され、英仏は長距離爆撃機の開発に力を入れた。 ミッチェル 第一次大戦時のアメリカ陸軍軍人ウィリアム・”ビリー”・ミッチェル准将 第一次大戦時に航空部隊を指揮してドイツ軍に爆撃を行った経験から、戦後に次代は戦艦ではなく爆撃機が戦争の勝敗を決すると主張。 実際に爆撃により退役戦艦を撃沈してみせた。 また1920年代には日本軍による真珠湾攻撃の可能性を指摘している。 その後海軍の飛行船墜落事故に関して軍を批判する発言を行ったことから処罰され、早期退役を余儀なくされた。 しかし後にその先見性は認められ、彼の名は東京を初空襲した双発爆撃機B-25「ミッチェル」に名づけられることとなった。 クラウゼヴィッツ プロイセン王国の軍人カール・フォン・クラウゼヴィッツ(1780-1831)の戦争論 (クラウゼヴィッツ)のこと。 近代国民国家における戦争の本質を鋭く突いた古典的名著。 「戦争とは他の手段をもってする政治の継続である」 急降下爆撃・水平爆撃 爆撃は通常、地表に水平に飛行しながら目標へ向けて爆弾を投弾する水平爆撃で行うが、急降下爆撃では目標に対して急降下しつつ投弾して爆撃を行う。 水平爆撃の場合、低空飛行で爆撃すると敵の対空砲火などによる攻撃で撃墜されたり、進路が狂って爆撃に失敗する可能性がある。高高度から爆撃を行なう場合には、地上などの固定された目標に対しても命中率は高くなく、まして艦船など移動する目標に対しては投弾から着弾までの時間が長くなり目標に退避する時間の余裕を与えるため命中率が極めて低くなるものである。 それに対し、急降下爆撃の場合、降下する機体のベクトルと爆弾の落下するベクトルが近いために命中率を高めることが可能となる。 史実でもドイツと日本への爆撃では初期には高空からの水平・精密爆撃が行われたが効果ははかばかしくなく、米陸軍のルメイ少将、英空軍のハリス中将は都市部への低空無差別爆撃を実行し、東京やドレスデンに代表される惨禍を日独にもたらした。 この無差別爆撃による都市破壊が戦争の趨勢に大きな影響を与えたかどうかは今なお議論の対象となっている。 新鋭の四発重爆 史実では1942年頃から配備が始まったイギリス空軍のアブロ・ランカスターのことと思われる。 それまでのイギリス空軍の双発・四発爆撃機に比して格段に優れた速度、爆弾搭載量を持っていたが、エッフェンブルクが作中で語っているように、ドイツへの爆撃作戦では対空砲火と戦闘機の迎撃により数万人の戦死者を出している。 マンシュタイン エーリッヒ・フォン・マンシュタイン ドイツの第二次世界大戦中の陸軍元帥であり、最も有能な戦略家の一人。 この時点では上級大将でセヴァストポリを攻略する第11軍司令官。
https://w.atwiki.jp/sgcw/pages/17.html
クラス:第二次世界大戦時代 モデルっぽい飛行機:ドイツ空軍 Me262 シュヴァルベ(Wikipedia) Me 262 ノーマル型 属性 武器:3.4 防御手段:4.9 航空力学:1.9 信頼性:8.3 その他の性能 最大速度(ブースト時):559MPH(648MPH) ブースト制限:7.2秒 上昇限度:42500FT Me 262 D D(Damage)=武装強化型 属性 武器:4.3 防御手段:4.7 航空力学:1.4 信頼性:8.1 その他の性能 最大速度(ブースト時):581MPH(671MPH) ブースト制限:6.8秒 上昇限度:41000FT Me 262 A A(Armor)=装甲強化型 属性 武器:2.9 防御手段:5.5 航空力学:1.4 信頼性:8.7 その他の性能 最大速度(ブースト時):536MPH(626MPH) ブースト制限:6.8秒 上昇限度:41000FT 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/strike_witches/pages/501.html
HEINRIKE PRINZESSIN ZU SAYN WITTGENSTEIN 所属 カールスラント空軍第5夜間戦闘航空団第4飛行隊司令 階級大尉 少佐 身長 163cm 年齢 16歳(1944年末) 誕生日 8月14日 使い魔 黒猫 愛称 「姫様」 固有魔法 使用機材ユングフラウ Ju88C-6(C9+DE号機) 使用武器MG151/20 ピストルグリップや電気発火式のトリガー、サブグリップ等を現地改修で装着し手持ち式に改修した爆撃機の防御銃座。 最精鋭である第501統合戦闘航空団にすらなかなか行き渡らない、大威力の薄殻魔法榴弾(マインゲショス)を優先的に配備されている。 その他オラーシャに起原を持ち、カールスラントに移住した名門貴族の家系の出自で、王女(プリンツェシン)の称号を持つ王族。欧州各国に影響力を持ち、一族の中にはバルトランド王室とも深い繋がりを持つ者もいる名家。 幼い頃より貴族として、ウィッチとしての使命を厳しく躾けられて育つ。 正義感が強く、弱者を守る事を使命と心得る一方、出自からやや世間知らずで幼く激し易い一面もある。 無自覚に、自分に出来る事を他人に要求する困ったタイプの天才だが、自己にも厳しい平等さと、生来のカリスマ性や立ち振る舞いから、周囲には一種独特の信者・親衛隊とでもいうべき集団が形成されている。部下や整備班に対し妥協のない態度で臨む一方で、功あったものに対しては柔らかい態度を見せるなど、人心の掌握に関して天賦の才がある。 整備班員の談『リカバーできる程度の整備ミスをして、ぐりぐり踏まれるところをローアングルで観察するだけのお仕事です でもやり過ぎるとクビにされるので、その加減の駆け引きが俺を熱くする』 積極果敢な攻撃重視のスタイルで撃墜数を伸ばし、カールスラント3位(=人類3位)の夜間戦闘エースとなった。ペテルブルグ防衛任務に就いていた1943年6月24日夜に4機連続撃墜、同7月24日夜に6機連続撃墜を記録している。 第5夜間戦闘航空団第4飛行隊での40機撃墜超の戦果を称え、同部隊は第100夜間戦闘航空団第1飛行隊と改称されたが、直後にロンドン防衛任務に引き抜かれ西部戦線に移動、翌年少佐進級の上で第2夜間戦闘航空団司令に任命された。 年齢や戦功の近いシュナウファー大尉を一方的にライバル視していたが、彼女の生い立ちや苦労を知るとを態度を軟化させ、今では一方的に心の友に認定し陰日向に助けを惜しまない。シュナウファーからの評『基本コワイ人。時々親切にしてくれるけど、なんでそうされるのかわからない』 ナイトウィッチの無線通信コミュニティを「子供の遊び」と当初は軽んじていたが、シュナウファー大尉の影響もあって、こっそり参加してみようかと画策中である。 声優 川澄綾子 イメージモデル ハインリヒ・プリンツ・ツー・ザイン=ヴィトゲンシュタイン (1916-1944)撃墜数 83(ドイツ空軍夜間第三位) 通称 「王子」 その他デンマーク貴族ザイン=ヴィトゲンシュタイン家の生まれで、三人兄弟の次男。ナポレオン戦争時代のロシア帝国陸軍指揮官陸軍元帥、ペーター・フリスチャノヴィチ・ツー・ザイン=ヴィトゲンシュタイン・バーレブルクの子孫。 幼少期は欧州各地の様々な学校で学ぶが、1932年にヒトラーユーゲントに入隊すると、翌年にはグループ長となり指導部隊、実践隊等を統率し、地域リーダー学校で更なる準軍事スポーツ訓練を受けた。 1937年にバンベルクの第17騎兵連隊に入隊、同年ドイツ空軍に転籍し戦闘訓練学校に入校、翌年将校に任官し少尉に昇進、様々な飛行場での勤務を経て翌年KG54に配属。 1939年、第二次世界大戦が勃発するとフランス侵攻の西部戦線で最初の実戦を経験し、続いてバトル・オブ・ブリテンにKG1所属の観測員として参加。この間に一旦パイロット訓練学校に戻り、夜間飛行任務に必須の盲目飛行に習熟している事を認定した「 C2 -免許」として知られる「空軍高等パイロット2種免許(Erweiterter Luftwaffen-Flugzeugführerschein 2)」を取得、復帰後は幾つかの作戦を経て夜間戦闘機部隊へ転属。 NJG2に所属し、初戦果を挙げた1942年からNJG5での東部戦線等でスコアを重ね、NJG3を経て1944年1月1日には古巣のNJG2に戻り戦闘航空団司令に任命されるが、1月21日に戦死。乗機はJu88を好み、Bf109への改変命令が発せられた後も、最初の飛行で技術的問題を起こした事もあり改編に応じなかった。 遺骸は一旦埋葬された後に改葬され、現在はオランダ・エイセルスタインで同じく貴族出身のドイツ空軍夜間エースであるエグモント・プリンツ・ツール・リッペ=ヴァイセンフェルトの隣に埋葬されている。 天性のレーダー感覚や射撃センスから戦闘機パイロットとしては極めて優秀ではあったが、完璧主義者の王子気質で、指揮官・将校の器ではないと評された。作戦中にレーダー探知した敵機を見失ったという理由で、無線士/レーダー操作員に機内で直立不動の姿勢をとらせた上、三日間の兵舎内禁固処分にした。 年功と階級を振りかざし、出撃を遅らせた上で自身の到着前に既に他の戦闘機が敵機を捕捉していると、無線通信で名乗りを上げ、戦場を譲るよう通達。 その反面、周囲から「王子」と呼ばれることを嫌っており、あくまで一パイロットであろうとした。 ヒトラーに失望し、その暗殺を考えていたが果される事は無かった。 出典 next world witches/第五〇一統合戦闘航空団全記録弐 第五集/ワールドウィッチーズ ヨーロッパ版Vol.2/ストライクウィッチーズ 劇場版/ストライクウィッチーズ 劇場版 オフィシャルファンブック コンプリートファイル