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601:陣龍:2022/08/08(月) 20 50 29 HOST 124-241-072-209.pool.fctv.ne.jp 【ソ連本土絶対防衛線 スターリン・ライン】…東部戦線に集結した国際連盟軍の調整が終わり、改めてソ連軍と向き合ったドイツ軍であったが、正直に言ってそれなりに慢心をしていた。 総統閣下による諫めが有っても、軍隊の根幹である将校の殆どと大多数の佐官、一定数の熟練兵士が包囲網を逃れていたと言っても、結局は『第二次ヴィスワ川会戦はドイツ軍の大勝利』と言う意識は強く有った。空の方はもう少し酷く、対フランス・ベルギー空軍を文字通り一蹴し、ポーランドに攻め込んで来たソ連軍も旧式機の割合が多かった事も有って多数の『エース』をこの時点で出して居た程に活躍していた。慢心と言うより驕りを出しても、人間の心理としては致し方ない面も有るだろう。 そして特に、この時点でのドイツ空軍の驕りを裏付けた要因として、戦闘機が新鋭の『Fw190D』への更新が完了していた事も大きかった。旧式化が進んだBf109シリーズは退役や供与向けへと格落ちし、前代のFw190Aも性能の陳腐化が見えつつある時に現れたこの改良機は、歴戦のドイツ空軍パイロットたちを満足させる性能を発揮していた。『ソ連空軍何するものぞ、例え如何なる【新型レシプロ戦闘機】が出て来ようとも、全て撃墜してくれるわ』と言う、ポーランドの酒場にて若手パイロットが酔っぱらいつつ大言壮語を語っていたと言う逸話が、この時のドイツ空軍の現場の雰囲気を分かり易く語っているだろう。尚、この大言壮語のパイロットはソ連空軍の【新型ジェット戦闘機】により呆気なく撃墜され、墜落時に額を装置に叩き付けて流血するも何とかそれ以上の大怪我も無く帰還していたが、その後全ての事柄に置いて大口を叩く事は一生無かったと言う。 そしてこの若手パイロットの様に、何処かソ連空軍を侮った心理を抱えつつも始まった、『スターリン・ライン』への攻撃に置いて、中央部へ勇んで飛び込んだドイツ空軍のFw190D部隊は、【未知の新型機】に真っ先に遭遇し、一航過にておおよそ二割近くが反撃もままならず撃墜・撃破されると言う大損害を被った。 慌てて【未知の新型機】を追いかけようとしたフォッケウルフも、あっと言う間も無く掛け離れた空域へ離脱して行った為に歯がゆくも見送るしか無く、それ以前に空から逆落としを仕掛けて来たソ連空軍の新鋭レシプロ戦闘機『ラボーチキン La-5』『ヤコブレフ Yak-7』が強襲を仕掛けて来た事で、それどころでは無くなっていた。純粋なカタログスペックでは『Fw190D』に劣る 両ソ連機であったが、ソ連お得意である局所的物量差に加えて、低空から中空域が主であった実際の空戦に置いては劣位は劣位でも完全に手も足も出ない圧倒的劣位と言う程の性能差では無かった事で、局所的数の優位も活かしてドイツ空軍へ次々と食らい付き、想定外の苦戦を強いる奮闘を見せた。 この時のソ連空軍のパイロットの練度も、促成栽培の低練度パイロットが激増する以前の頃で平均的に高く、彼ら熟練パイロットやソ連空軍のエースがかき乱した隙に促成栽培のパイロットが数を頼んで圧し潰しに掛かる戦闘形式が成立していた事も、傍目からでは少し分かり辛い事柄ながらに大きく戦局を左右していた。 602:陣龍:2022/08/08(月) 20 52 11 HOST 124-241-072-209.pool.fctv.ne.jp 無論ドイツ空軍側も唯無様に撃墜されて行くだけでは無く、【未知の新型機】の正体をジェット戦闘機と即座に看破して後方へ情報を伝え、そして直ちに本腰を入れて空戦へ突入したのだが、戦闘初期段階の主導権をソ連側に奪われてしまった失点は少なくなく、また返す刀で再び戦闘空域へ突入して来た【未知の新型機】こと『Mig-13』戦闘機の戦闘力は、整備兵が『このブルジョワ戦闘機が』と揶揄するだけの『ワガママ高貴』な機体で有るが故に、最善のパフォーマンスを発揮した場合は全期間の大戦機の中でも屈指の高性能を、如何なる状況であろうとも発揮していた。 全力発揮可能な時間が僅か20分と言う欠陥と言うか欠点も、混合動力型の特徴の一つでも有るもう一つの搭載レシプロエンジンによって、空戦中にジェットエンジンの駆動可能時間が切れたとしても、ドイツ側が投入していた『Fw190D』相手でも戦えるだけの性能を『Mig-13』へ与えていた。 もし仮にこの時のドイツ空軍の主力戦闘機が、メッサーシュミット『Bf109』系統のままで更新が未了だったとしたら、『Mig-13』による初撃と他ソ連戦闘機による追撃で、更にドイツ空軍が被る被害は甚大となっていただろう。 想定外のソ連空軍による力戦敢闘にて存外に苦戦し、自ずと対地支援の為の襲撃機や爆撃機の出撃を、制空権が確保出来ないが為に及び腰になっていた頃、同じくドイツ陸軍もソ連赤軍による『後手の一撃』によって大きな被害を被っていた。開戦後からの戦果と快進撃にて能天気だったドイツ空軍を他所に、ドイツ陸軍はソ連戦車の『T-34』『KV-2』によって、ドイツ自慢の主力戦車である『Ⅴ号戦車パンター』『Ⅵ号戦車ティーガー』が集中射撃にて撃破された事例を重く見ており、それへの解答として更に強化した『Ⅴ号戦車パンターⅡ』『Ⅵ号戦車ティーガーⅡ』を投入する予定であったが、偵察の結果ソ連軍が構築した『スターリン・ライン』は思いの外強固であり、その為馬鹿正直に真正面から吶喊するのではなく、電撃戦での常套手段にして鉄則である『強固な地点は迂回して迅速に進撃・包囲』する為に迂回機動を試みた。 ソ連の誇る人的資源の量に任せた人海戦術も想定して、随伴車両には旧式化したⅢ号戦車、Ⅳ号戦車の車体を流用した対空戦車も複数存在していた為、今回も苦戦はしても突破は可能だと思われていた。 そして迂回機動を仕掛けたドイツ軍機甲軍は、カウンターを仕掛けて来たソ連軍の別機動隊と遭遇。 直ちに戦車戦に突入するも、既に見慣れたも同然だった『T-34』『KV-2』に加えて、【未知の重戦車】と遭遇。 出会い頭の一発にて『パンターⅡ』の側面装甲を難なく叩き割り、続けざまに『T-34』の改良型『T-34-85』を引き連れてドイツ軍の前に現れたのは、余りの重装甲と変貌ぶりからドイツ兵に【新型重戦車】と本気で誤認された『KV-3』重戦車だった。元々『KV-2』『T-34』の時点でソ連工業が生んだ最優秀戦車であったが、その最優秀戦車であってもドイツの新鋭戦車に劣勢であった衝撃は、その昔『KV-1ショック』の恐怖で暴走した日本と殆ど同質であった。そして恐怖に駆られるがままに『二式戦車』と言う怪物を生み出した日本と同じように急いで新型戦車を開発しようとしたソ連であったが、日本にはドイツとイギリスと言う頼もしい友人が居た事と、開発開始時期が冬戦争後からのスタートだったのに対して、ソ連は戦争中での開発に時間的余裕は少なく、そして日本にとってのドイツやイギリスと言う『頼もしい友人』は、ソ連には存在しなかった。 厄災ばかり擦り付けて来るアメリカは『利用するべき相手』であり、その他の傀儡カナダや離反した旧英連邦二か国は『禿山の枯れ木』に過ぎなかった。要は眼中に無かった。 603:陣龍:2022/08/08(月) 20 54 03 HOST 124-241-072-209.pool.fctv.ne.jp 無い物ねだりしても欲しいモノが地から湧いて出て来る訳でも無いので頭を抱えたソ連の戦車開発陣であったが、不幸中の幸いな事に、その『利用すべき相手』から少数が入国していたアメリカ人の戦車技師の存在と、半ば強引に実用化された重野砲級の口径を誇る『ZiS-6 107mm砲』の存在によって【戦時急造の間に合わせ戦車】の開発立案が立てられた。本命の、後に『JS-2』と名付けられる新時代の重戦車の開発は未だ先の話であるが、その本命が開発されるまでの間に合わせとして考案されたのが、既存の『KV-2』の生産ラインを流用し、そして極限まで重装甲を施した【移動トーチカ戦車】だった。 『T-34』で実用化された傾斜装甲も、一刻も早い量産が求められる状況の為に諦めて古臭い垂直装甲となり、そしてその古臭い設計を補う為に装甲を極端に厚くし、機動性は重戦車と言う事で殆ど最初から放棄すると言う割り切って開き直った設計の重戦車だったが、いざ製作して見ると確かに今では鋳潰されたり練習用に回される様な、旧世代戦車並に低速で有るのは事実だったが、思ったより足回りの動きは良く、足を止めての撃ち合いでは滅法強いと言う、今のソ連軍が最も求めていた戦車に昇華していた。 視察したソ連赤軍の高官は喜びの余り開発者の手を取って振り回す位に、豪快な握手を交わしたと言う逸話が残された程である。 本来足回りが脆弱である筈の重戦車でありながら、予想外の機動力を保有する事になった主な要因として、『利用すべき相手』の国から来た『客人』ことアメリカ人戦車技師たちであったが、彼らは元々本国で航空機部門と同じく、極端な戦艦傾注の政府姿勢の煽りを受けて冷遇されており、その為少人数ながら所属企業の命を受けたり、又はソ連側からの要請を受けて新型戦車開発の為にソ連に入国していた。明け透けに言えば航空機と同じく、ソ連のカネで技術開発するつもりだったのだ。ただ航空機と違い、ソ連技術の結晶でも有る戦車開発に関してはそこまで深く関わる事は出来なかったが、それでも自動車大国にして耐久性の有る機械製品に知見の深いアメリカ人技術者の存在は、多数輸入されたアメリカ製工作機械と共に珍重された。 正しこのソ連戦車開発で得られた知見は、当のアメリカでは日本の攻勢による敗退にて荒れ狂う混乱によって長期間活かされなかったと言う皮肉な結果になったが。 開発に関する経緯は兎も角、後に『JS-2』と命名される最新鋭戦車の開発にソ連戦車技術の過半が回され、残った人員による『KV-3』の開発では様々なすったもんだとロシア戦車開発時の半ば伝統芸能となった、開発者たちによるウオッカの飲み合いと酒瓶のド付き合いを経て、最終的にスターリン書記長の目の前でお披露目された量産型の『KV-3』は、先の『KV-2』の改良型と聞いていた書記長の両眼を丸くさせ、そして久しぶりの喜びによる微笑みと拍手を以て歓迎された。改良型と言いつつ『KV-2』の面影は大して残っていない程に巨体化と重装甲の塊とされたが、それだけしただけの甲斐は有り、ソ連戦車特有の居住性を無視した内部構造も、巨大化とアメリカ人戦車技師の助言にて多少は改良され、重戦車に共通する足回りの弱さも、アメリカ製工作機械を用い、アメリカ規格の部品を多用した事で想定以上の堅固さで機動力が発揮出来た様に、アメリカ由来の影響は随所に見え隠れしていた事がどうでも良くなる位に、『KV-3』は速度を殆ど放棄した代償に、既存戦車より一段上の攻撃力と、ソ連最強の重防御を誇る新型戦車となっていた。足を止めた撃ち合いに置いて、ドイツが誇る重戦車と渡り合えたのも当然であった。 604:陣龍:2022/08/08(月) 20 55 45 HOST 124-241-072-209.pool.fctv.ne.jp 量産するのは生産ラインの強化や工員の習熟度等により多少時間が掛かったが、 元々の基本設計が既に生産が行われていた『KV-2』であった事から大きなトラブルも無く順調に進み、今回ドイツ軍の迂回した機動部隊に殴りかかった『KV-3』は先行量産型等は混ざっていない全て制式採用された戦車であり、ドイツ軍へ叩き付けられた破壊力と衝突力を大きくさせる結果を呼び込んだ。 『中身』の練度も、対仏・対白、そしてポーランド戦役にて経験を積んだドイツ機甲部隊にこそ若干劣るも、十分に訓練を積んだソ連戦車兵が揃っていた事から、この点でのドイツ側の優位もそこまで大きくは無かった。 開戦当初は準備不足と生産力の兼ね合いで、無線を搭載した戦車が少なかったソ連軍も、この頃にはある程度の無線の量産が進み、『KV-3』の全車両には安定のアメリカ規格の無線が搭載され、集団戦と足を止めた殴り合いに置いては、ソ連戦車はドイツ軍に引けを取らない戦いぶりを見せつけた。 そして性能が凡そ同格となれば後は数の潰し合いであり、物量戦はソ連軍の真骨頂であった。 余談だが、『KV-3』を緊急投入している間に開発される予定であった『JS-2』の開発進捗についてだが、ポーランド戦役にて首都ワルシャワの包囲が解かれ、そしてソ連軍が決死の脱出を遮二無二遂行して居る最中に、後の『JS-2』の原型となる『JS-1』の試作型が開発され、一部が実戦試験に投入されたのが救いとなった。 投入された『JS-1』は数が少ないのに加えて、射撃戦をする前に『Ⅵ号戦車ティーガーⅠ』に射程外から撃破された事で量産は見送られたが、基本設計を流用する形での開発にて『Ⅵ号戦車ティーガーⅠ』と互角、乃至優位に戦える重戦車開発の目算は付けられた。後に『Ⅵ号戦車ティーガーⅠ』を超える改良型の『Ⅵ号戦車ティーガーⅡ』の出現で開発に混乱が発生して量産開始が更に後ろ倒しにずれ込むも、その分各種戦訓を盛り込み、ソ連技術を基盤にアメリカ由来の工業技術、そして戦場で鹵獲し一部リバースエンジニアリングに成功した国際連盟側の英独伊ら各国戦車技術も次ぎ込まれた、第二次世界大戦最強戦車候補の一角にのし上がって来るのであるが、それは未だ先の話である。 想定外の大苦戦を強いられたドイツ軍であったが、増援として国際連盟側の二カ国の軍隊が派遣されており、ドイツ軍苦戦の情報を聞く成り援軍として戦場に突撃して来た事で、状況は更なる回天を始めた。 戦域中央部でソ連空軍と乱戦に巻き込まれたドイツ空軍に対して、未だ後方基地に屯っていたイタリア空軍が横合いから突入。自国産の最新鋭機『マッキ MC.205V ヴェルトロ』と共に、また日本から支援として送られて来た『三式戦闘機 飛燕』が雪崩れ込んだ事で、空域は完全に混沌の渦と化した。『三式戦闘機 飛燕』に関しては最早説明も不要だが、フィリピンに逃れた旧アメリカ系航空企業と航空技師達の多大な影響や技術も有り、生産が簡便(工数がWW2型戦闘機で最も少ない)なのに反比例するように高性能を誇っており、後にオスマン帝国にてライセンス生産された程に世界各地で使用された『国際連盟空軍標準戦闘機』であり、イタリア国産の『マッキ MC.205V ヴェルトロ』は、日英独から流れて来た各種技術をイタリア成りに纏め上げて開発された戦闘機であり、戦後この『ヴェルトロ』に搭乗した歴戦の日本海軍パイロットが「これ程までに操って飛ぶ事が楽しく、思い通りに機動出来る戦闘機に乗ったのは96艦戦以来だ」と、興奮のあまり呂律が変に成りつつも熱弁した程に優秀な戦闘機で、後世イタリア最優秀戦闘機と評されるのも当然の優秀機だった。そんな両機種が殴り掛かって来たのだから、ソ連空軍に取って溜まったものではなかった。 605:陣龍:2022/08/08(月) 20 58 07 HOST 124-241-072-209.pool.fctv.ne.jp 間の悪い事に、つい先程圧倒的戦闘力を示した『Mig-13』も、既にジェットエンジンの駆動可能時間は切れ、また弾薬欠乏や燃料切れ、若しくは巧みに建て直したドイツ側戦闘機により少数機が撃墜される等して既に撤退しており、その他のレシプロ戦闘機勢もドイツ空軍との戦闘で疲労していた所に新鋭の戦闘機が横合いから強襲して来た為、応戦もそこそこに撤収。イタリア機もドイツ空軍の救援を最優先事項としていた為に深追いはしなかった為、ソ連側の一部が命令無視して交戦を継続してイタリア人に撃墜機数を献上した以外はあっけなく終結した。そして撤収後に被害を纏めると、新鋭の『Fw190D』に更新済みであったがかなりの被弾機や帰投後修理不可能とされた廃棄機、そして未帰還機を出しており、開戦前散々侮っていたドイツ空軍の面々は揃ってお通夜の如き心持ちだった。 ヒトラー総統の演説にて感化・再認識され、自軍の驕慢具合に警告を発していたドイツ空軍の将軍たちも、後方から補充が来るとは言え無視できない損害を受けた事に胃痛の日々が来たるのであった。 一方ドイツ陸軍別機動隊とソ連赤軍による激戦の方だが、『Mig-13』はエンジン等の備蓄部品や整備された飛行場、航続距離等の関係で此方の戦場には来ていなかったが、その代わりのソ連空軍による襲撃機や戦闘機はそれなりに飛来しており、兎に角足が遅い『KV-3』の支援を『T-34-85』と共に行っていた。 ソ連軍恐怖の象徴であった『ティーガー』戦車の主砲も平然と弾き返す化け物戦車も、余りにも足が遅すぎる為に錬達のドイツ戦車兵に速度の差で後ろに回り込まれて爆砕される事例が既にみられており、空からの目で補う事を目論んでいた。そんな戦場にもドイツ側の同盟軍が救援にやってきており、此方にはイギリス空軍部隊が多数到来。対地爆撃の優秀さが最大のアピールポイントである『ランカスター』重爆撃機を主体とした長距離爆撃部隊は、御供にこちらも日本から来た『三式戦闘機 飛燕』と共に、イギリス最新鋭長距離戦闘機である『ホーカー テンペスト』と、基礎設計を同じくしつつも此方は対地襲撃向けに改修された『ホーカー タイフーン』を投入。機動性は良くとも根本的に低速である『KV-3』に取って、豊富な搭載量を誇る重爆撃機による絨毯爆撃は相性が悪く、またソ連空軍の『シュトルモビク』とはまた趣が違う襲撃機の『ホーカー タイフーン』の攻撃力も高く、濁流の如く射撃される弾幕はソ連戦車のみならず、立ち向かったソ連空軍の戦闘機も射竦めた。対戦闘機戦闘が本職である『ホーカー テンペスト』と『三式戦闘機 飛燕』は言うまでもなく、ソ連空軍の戦闘機を相手取って活躍した。 イギリス空軍に混じり、ドイツ空軍の使用する『一式艦上爆撃機 彗星』も複数機対地襲撃にて活躍し、その中に『彗星』の開発者チームが「これを運用できるパイロットは天才的な狂人」と呆れ顔で言ったほどに、設計上の限界を超えるハードポイントを戦地改造にて爆弾と共に搭載し、被撃墜されるその瞬間までソ連戦車を狩りまくった挙句ソ連の対空砲火で撃墜されても五体満足の無傷でドイツ陸軍兵士と共に基地に帰還し、翌日当たり前に牛乳を飲んで体操して再出撃した『ソ連人民最大の敵』にして『東部戦線の魔王』が暴れ回った末に両者撤退したが、結果的には戦車の撃破台数が独ソ共に互角に近くは有ったが、戦略目標を達成出来ずに引き下がったドイツ側の歴然たる敗北が印象付けられてしまった。 付け加えると、この撃破台数には空襲によるものも加算されている為、純粋な戦車戦では、圧倒的重装甲を誇る『KV-3』に過剰にドイツ側戦車の攻撃が吸い取られ、その隙に撃たれている側の 『KV-3』による反撃の一射や、集団戦で回り込んだ『T-34-85』の集中射撃にて撃破されたドイツ戦車の方が多かった。 勿論圧倒的な差では無いし総合的に見るとドイツ側優位な面が多い事に変わりは無いが、憂慮の種としては無視できない問題であった。アメリカ製の無線機を搭載したソ連戦車の連携能力は、歴戦のドイツ戦車部隊でも無視出来ない領域にまで昇華されていたのだ。 606:陣龍:2022/08/08(月) 21 01 58 HOST 124-241-072-209.pool.fctv.ne.jp |д゚) と言う事でソ連側の戦略的奇襲効果で色々酷い目に遭ったドイツ軍でした。まぁ損害補充は十分短時間で出来る程度ですが |д゚) 飛燕がマスタング染みた戦闘機になってたり、テンペストとタイフーンが兄弟機っぽい仕様になってたりしますが、大陸日本付き転生者なしルートだとちょっとイギリスの方は挑戦してる感が有りますが大丈夫じゃろ多分 |д゚) 改修は大丈夫だと思いますが表現等にズレが生じておりましたら気にしないでください()
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登録日:2015/03/07 (土) 15 39 39 更新日:2024/01/03 Wed 22 14 06NEW! 所要時間:約 6 分で読めます ▽タグ一覧 He111 どうしてこうなった ドイツ軍 ナチス ネタ機 爆撃機 第二次世界大戦 ドイツを代表する爆撃機。果たしてその内容は He111とは、1935年から運用が開始されたナチス・ドイツの双発爆撃機である。 ◆本機の開発 第二次世界大戦が始まる前のドイツでのお話。 当時、ヴェルサイユ条約の影響で軍事兵器の開発がほとんど出来なかった。しかし、政権を握ったナチ党により下積みという形で再軍備が行われた。 戦車が農業用トラクターという名前で開発されていたように、軍用機もまた民間機として開発が始まった。 そして、ハインケル社は民間輸送機名目で爆撃機の開発を決行。こうして開発されたのがHe111である。 世間からは民間機に見えるように、先に輸送型のC型が作られたのである。 1935年2月24日に初飛行した機体は、貨物輸送にフル活用され、世間は物資を運んで飛び続けるHe111を輸送機と見るようになった。 その後、爆撃機タイプであるA型が開発され、裏でこそこそと飛行研究を始めた。 が、輸送機より重量が増加したため巡航速度が遅くなる始末。これでは敵機に捕捉されれば逃げ切れず、「爆撃機を高速で飛ばせ。戦闘機を振り切れ!」というドイツ空軍の要求を満たせない。 そこで新たに開発されたB型にはダイムラーベンツ社が新開発した1000馬力級のDB600Aエンジンが搭載され、優秀な成績を収めるとどうにか軍に正式採用されたのである。 ◆ドイツ空軍の爆撃機事情 ドイツ空軍の要求通りにHe111は当時の爆撃機としては非常に速く、空軍の要求を満たした双発(エンジンが二つ)爆撃機である。しかししばしば、以下のような批判を浴びる。 なぜドイツ空軍は主力爆撃機を大型の4発機にしなかったのか。 しかし、まずHe 111が初飛行した直後は、双発機でもなんら問題視されていなかった。 翌年1936年には、ドルニエ社が大型爆撃機開発計画である「ウラル爆撃機計画」に則ったDo19が初飛行を済ませ、その翌年には競合機のJu89やFw 200コンドルが完成しており、既に4発機の枠は埋められていたのだ。 He 111はこれらの後に続く形で爆撃を行う予定だったのであり、無茶な使われ方などされるはずがなかったのだ。 ……その予定だったのだが、ドイツの事情はソレを許さなかった。 例えばDo19やFw200が採用したエンジンは出力800馬力のBf132。つまりDB600Aの8割程度の出力しかない。 これじゃいかん、とFw200は途中から1000馬力級のブラモ323(*1)に採用したのだがコレがまた燃費の悪さで知られていたり……と、とにかく(He111も没にしかけた)ドイツ製エンジンの非力さは、4発爆撃機開発にあたり大きな制約であったのだ。 また当時のドイツにとって最大の脅威とされたポーランドやフランス相手ならば、4発機よりも安価で数を揃えやすく、一機当たりの資材も少なく済む双発機の数を揃えたほうがよい、と考えられた。 おまけにドイツ空軍ははどっちかといえば「地上軍を援護するための『戦術空軍』」としての能力を整えるように求められ、「爆撃機が長距離疾駆し敵の拠点や都市を爆撃する『戦略空軍』」としての能力に特化することが出来なかった。 なにしろドイツは平地続きで陸軍の展開はた易い。たとえ相手の都市をフルボッコにしても、その効果が出る前に敵陸軍がドイツ国内を荒らしまわってしまっては意味が無い。ついでにウーデットとかいう急降下爆撃機バカもいたし。 そして止めとばかりに大型爆撃機に熱心であったヴァルター・ヴェーファー将軍の事故死によってウラル爆撃機計画は棚上げされ、後についたアルベルト・ケッセルリンクは双発戦術爆撃機の量産化が優先、この様な大型機は製造されなくなったのである。 Fw200もそんな具合だったので空軍からの反応は芳しくなく、戦争が始まってから慌てて軍用機へ転用される始末であった。 そんなこんなで、He111は双発のまま戦力化されてしまい、この様な遠くまで飛べない機体をもってドイツは戦争を始めることとなる。 ◆初陣 早速、このHe111は1937年のスペイン内戦で初めて投入された。 この戦いは西班牙人同士の内乱であるが、共和国側と反政府側に分かれており、それぞれの陣営を前者がソビエトやメキシコが、後者をイタリア、ドイツ、ポルトガルが支援しており第二次大戦の前哨戦ともいえる状況だった。 しかし、支援する側は新兵器の実験場という色合いが濃く、ドイツ側はHe111と共にBf109、Ju87も進出させている。これらの軍用機で構成された軍団は「コンドル」と呼ばれた。He111は、優れた運動性と速度で共和国側を一掃したのである。 まあ、反政府側に対して迎撃に上がってきた機体と言えば、I-15やI-16、I-153といったそんなに強力な武装を持っていない機体であり、特に穴だらけになっても墜落した機体は少なかったという。更に、Bf109が本気を出して一撃離脱戦法を実施したため共和国側の航空戦力はすり減らされていった。 こうして、地上での支援により共和国側はどんどん戦意を落としていき反政府側は勝利を収めたのである。 ◆第二次世界大戦 そして、第二次世界大戦を迎えたのである。 当初よりポーランド軍を駆逐するために電撃戦の一環として投入された。主な任務は地上軍を支援することである。その身軽な機体であることを利用して敵の迎撃をしのいだり相手の陣地を爆撃するのに用いられた。まあ相手がそんな高性能な機体を持っていなかったのが不幸中の幸いでしたけどね。 その後、返す刀でフランスにも勝利し、いよいよ1940年にイギリスへと照準を合わせたのである。これを「バトル・オブ・ブリテン」と呼ぶ。 しかし、ここでHe111は双発機ゆえの限界を露呈する 敵地を叩くHe111の爆弾の搭載量は最大でも2.5t。これはドイツ本土への爆撃に使用される連合軍のB-17の3.6tやアヴロ ランカスターの6.4tよりも少ないのである。 よって、敵陣を完全に叩くには複数の機体で何十回も攻撃を繰り返さなければならないのである。当然、出撃回数が増えれば機体の損失も搭乗員の疲弊も計り知れない。最大の売りである高速飛行も時期と共に大型化し重くなる爆弾によって殺された状態になった。 一応、前述のFw200はこの地点でもあるにはあったが、バトル・オブ・ブリテンの地点でも生産数は50機に満たなかった。 護衛するBf109にしても、燃料搭載量が少なく、引き返す分の燃料を考えれば護衛するための滞空時間が短くなる。護衛機ならBf110双発爆撃機もあるじゃなかって?加速性能も旋回性もお察しな時点でどうしろと。 こうしてHe111は長距離飛行を何十回も続けねばならなくなったのだ。人にたとえるなら、短距離走の選手が、長い距離でシャトルランをやらされるようなものである。 最初の内は、ドーバー海峡沿岸部の基地を叩くために用いられており、護衛に必要なBf109の航続距離も問題視されなかった。 が、次第にイギリス軍も迎撃態勢を整えると損害が急増。さすがに後のワンショットライターほどではないが、防護銃座の死角を狙うスピットファイアによって次々と撃墜され火達磨に。特に、Bf109が離れた隙を突いてスピットファイアが乱闘するようになり、さすがのHe111も1~3機は撃墜できても多数機で迫るスピットファイアには対処のしようがなかったのだ。 そして、He111は遂に重大なことをやらかしたのである。ドイツ空軍による搭乗員のことを無視した連続した攻撃にイギリス空軍も引き始めていた頃、1機のHe111が航法ミスによりロンドン市内を誤爆してしまう。 よってイギリス側は仕返しに爆撃隊を出動させ夜間にベルリンを空爆。突然首都を爆撃されたことにより戦争の指揮官であるヒトラーも空軍司令官であるゲーリングも顔面蒼白に。 そして我に返るやいなやブチ切れたヒトラーの手で爆撃目標は敵の基地から市街地に切り替えられてしまった。 これによって連日のドイツ空軍によるフルボッコで麻痺していたイギリス空軍に回復の時間を与えてしまい、以後の戦局に重大な影を落とすようになった。 まあ、なぜここまでドイツ空軍が苦悩したかと言えば、勢いと和平の失敗でイギリスを叩きのめそうとしたヒトラーとドーバー海峡という幅の狭い海域に制空権を見いだそうとした上層部にあるんですけどね。 ◆その後 イギリスを空爆した後、ドイツ軍はその兵力をソビエト連邦に向けた。これが独ソ戦の始まりである。 開戦直後のソ連空軍は練度も低ければ機体をカムフラージュしていないというのが当たり前だったので好き放題に攻撃できた。よって、バトル・オブ・ブリテンのような損害は少なく済んだのである。 42年のスターリングラード攻防戦では友軍への空中補給任務を行っている。が、ユンカースが開発したJu88が戦績を伸ばすようになり、He111は次第に夜間爆撃やミサイル母機、偵察や雷撃といった方向に使われるようになる。これは東部戦線も同じで1943年から任務を夜間爆撃に切り替えたという。 ◆余談 対艦ミサイルを発射したり魚雷を投下したりする型など、主力機だけあって様々な派生型が存在するが、その中でMe321とよばれるグライダーを牽引するための「Z型」がある。これは、2機の機体を中央主翼で横に繋ぎ合わせて5発のエンジンを装備する機体にしたというもの。まあ言うまでもないが、その姿を遠くから見た連合軍のパイロットは、見たこともない機影だったこともあって恐怖のあまり逃げ回ったという。しかし、そのグライダーが動力を持った以後は引っ張る必要がなくなったため、地味な存在になってしまった。 まあ4発機で爆撃できなかったけどこの地点で面目は保たれたかな・・・・。 また、本機は一度Ju87に続いて、日本に輸出される可能性があった。 ちょうど日本は支那事変を迎えており、重爆撃機として九三式を保有していたが、これは旧式化しており配備が遅れている九七式重爆までの埋め合わせとして、He111の購入をドイツに打信していたが、なんとドイツ軍側から購入を拒否されてしまった。結局この空白はイタリアのイ式重爆で賄われることになる。 He111の後継機はHe117であるが、こちらは稼働率が低くHe111が終戦まで使われ続けるようになった。その結果、本機は最高7,603機という生産量を記録している。 ◆戦後 終戦後も海外でライセンス生産されたものが配備された。これがCASA 2.111と呼ばれる型式で、バトル・オブ・ブリテンを題材にした映画「空軍大戦略」にも出演している。今でもドイツ空軍の中枢であり、その中で本国が東西に分裂したり第三次大戦の危機があったりと波乱の人生を送ったが、今でも元気な彼らが国を守り続けている。まあJu88やJu390より機数は少ないでしょうけどね。 追記・修正は4発機にしてからお願いします。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] なんかわかってるようでわかってない。He111が四発だったら電撃戦は成立してないぞ。当時のドイツに四発重爆は不要どころか有害なんだよ。 -- 名無しさん (2015-03-07 18 58 37) 四発機なんてそれこそ持てる国じゃないと満足に扱えない。稼働率や生産性のハードルが高い -- 名無しさん (2015-03-07 21 04 35) 戦中日本は四発機を作ったが試作段階で終了。ドイツは確かにFw200を投入したが、生産数は200機程度、他の機体も大して造られず、ソ連も似たり寄ったり。米英、特に米は四発機を多数作ったが、これは技術と生産力が十分にあったから。四発重爆は他の戦闘機等を作りながら作れるだけの工業力が必要。だから日独は四発機は無理 -- 名無しさん (2015-03-08 01 17 02) He111の4発機化をしなかったことを失策のように書いてるけど、4発機が欲しいならDo19の開発を続けるだけでよくね?その場合ポーランドとフランスがどうなるかは知らんけど -- 名無しさん (2016-04-07 23 52 49) 流石に4発贔屓だったので前半を中心に弄ってみた。とりあえずこんな感じでどうだろ…… -- 名無しさん (2016-04-26 20 36 37) 名前 コメント
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登録日:2012/11/13 Tue 11 09 26 更新日:2024/05/08 Wed 01 23 16NEW! 所要時間:約 1 分で読めます ▽タグ一覧 イギリス エース ジェームズ・エドガー・ジョンソン 内容があまりに短すぎる項目 所要時間2分未満の項目 故人 文字数1000文字未満の項目 英国空軍 被弾率ほぼ0 軍事 軍人 現在この項目は加筆・修正依頼が出されています。 依頼内容は「項目内容の強化」です。 加筆・修正できる方は協力をお願いします。 英国空軍に所属していた実在の人物。 英国空軍のエースパイロットで愛称はジヨニー・ジョンソン。 1915年3月9日 - 2001年1月30日 最終階級 少将 撃墜数 38 コールサイン「グレイキャップ」 撃墜数を見れば、ソ連の大軍を相手に活躍した、フィンランドやドイツの軍人には激しく劣るものの、 それでも、連合軍側としてはトップレベルの撃墜数を誇り、またその相手の殆どが、化け物揃いのドイツ空軍を相手にした戦果である。 またスコアの全てが、戦闘機相手であり、戦闘機のみのスコアで見れば、ソ連も含めて連合軍トップ。 しかし、彼が最も凄いのは、撃墜数ではなく、被弾率。 出撃回数515回にして被弾回数は1発のみ。 被弾率は限りなく0に近い。 あれ? フィンランド空軍にも似たようなお方が居たような…? 残念ながら、バトル・オブ・ブリテンにこそ参戦していないが、 ドイツ空軍よりロンドンを死守したとして有名な戦闘機軍団第11戦闘機群の義勇パイロットの一人として活躍している。 追記・修正宜しくお願いします。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 名前 コメント
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初めに 〇ドイツ軍 〇日本軍 初めに このページは各種陸海空軍のサンプルへのリンクページです。 各ページにサンプルがありますので、目的のページに移動してください。 〇ドイツ軍 マスコンバット・ドイツ陸軍サンプル マスコンバット・ドイツ海軍サンプル マスコンバット・ドイツ空軍サンプル 〇日本軍 マスコンバット・日本陸軍サンプル マスコンバット・日本海軍サンプル
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GUNDULA RALL 所属カールスラント空軍第52戦闘航空団第8中隊(時期不明) カールスラント空軍第52戦闘航空団第3飛行隊司令(1944年末) 階級中尉(JG52所属時) 大尉(1944年末) 少佐(1944年末の第502統合戦闘航空団所属時) 身長 169cm 年齢 18歳 誕生日 3月10日 使い魔 狼 使用機材メッサーシャルフ Bf109G-2(黒の13号機) メッサーシャルフ Bf109K-4 使用武器MG42 その他優れた統率力と技量を持ち、ハルトマン、バルクホルンに次ぐカールスラント空軍第三位(=人類三位)撃墜記録を持つグレートエース。250機撃墜を達成したのはこの2人よりも早く、全世界で2番目である。 空戦においては見越し射撃の名手で、芸術的な空戦技能を持つ。 カールスラント撤退戦において、撃破したネウロイの破片で視界を遮られるという不運から被弾し脊髄骨折の重傷を負う。再び空を飛ぶのは不可能と言われたが、治療ウィッチの手を借りた懸命の治療と不屈の闘志によるリハビリで、9ヶ月後原隊に復帰。 この入院期間中、後に第31統合戦闘飛行隊「アフリカ」隊長となる加東圭子の取材を受けている。(アフリカの魔女) 完治したとはいえ空戦時のGは身体に堪える為、古傷を保護するように魔法繊維で編まれたコルセットを着用している。 復帰時、原隊はバルバロッサ作戦に参加してペテルブルグ方面で戦闘を続けていたが、そこで他のエースに負けないよう出撃を繰り返し、撃墜数を急速に伸ばしていった。 同作戦の中止後、同地に第502統合戦闘航空団が設立される際に、優れた指揮能力を買われて司令に任命された。現場指揮は戦闘隊長のポクルイーシキン大尉に丸投げしており、責任は自分が取るが、行動は部下の意見を尊重するという方針を明確にしている。 鋭い人物観察眼を持つ。問題児扱いされていたマルセイユの才能を逸早く見抜いた。 第502統合戦闘航空団結成にあたり、クルピンスキー、管野直枝、カタヤイネンの「クラッシャー3人組」を招聘。 性格はさばさばした姉御肌で、どんなに厳しい状況でも笑みを忘れずに周囲を安心させる豪胆さを持っている。 声優 佐藤利奈 イメージモデル ギュンター・ラル (1918-2009)撃墜数 275(ドイツ空軍第三位) その他見越し射撃の名手。 空戦で2度の重傷を負い、それぞれ長期の入院生活を強いられ、その間前線からの離脱を余儀なくされた。そして、これらの負傷の影響により第一線の戦闘機パイロットとしての寿命を縮めた。なお、1度目の重傷で背骨を3ヶ所も折る怪我を負った際に治療してくれた医師が後の妻のヘルタ。 戦後は再結成されたドイツ空軍に入隊して中将まで昇進。ドイツ空軍総監も務めた。 出典 アフリカの星/第五〇一統合戦闘航空団全記録 第六集/next world witches/第五〇一統合戦闘航空団要略増補記録集/第五〇一統合戦闘航空団全記録弐 第六集/TVアニメ『ブレイブウィッチーズ』(2016年)
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BF1918の航空兵器 目次 戦闘機 爆撃機 飛行艇・水上機 飛行船 その他 戦闘機 ニューポール 11 ベベ Nieuport 11 "Bébé" スパッド S.VIISPAD S.VII エアコー DH.2Airco DH.2 ロイヤル・エアクラフト・ファクトリー S.E.5aRoyal Aircraft Factory S.E.5a ソッピース キャメル F.1Sopwith Camel F.1 ソッピース キャメル F.1イギリス空軍 アーサー・ロイ・ブラウン搭乗機仕様Sopwith Camel F.1 (Arthur Roy Brown) アルバトロス D.VAlbatros D.V ハルバーシュタット D.VHalberstadt D.V フォッカー Dr.IFokker Dr.I フォッカー Dr.Iドイツ空軍 マンフレート・アルブレヒト・フォン・リヒトホーフェン "レッド・バロン" 搭乗機仕様Fokker Dr.I (Manfred Albrecht Freiherr von Richthofen "Red Baron") フォッカー Dr.Iドイツ空軍 フリッツ・ケンプ搭乗機仕様Fokker Dr.I (Fritz Kempf) フォッカー D.VIIFokker D.VII 爆撃機 ブレゲー 14B.2Breguet 14B.2 エアコー DH.4Airco DH.4 アルバトロス C.IIIAlbatros C.III コードロン G.4Caudron G.4 ハンドレ・ページ O/100Handley Page O/100 ゴータ G.IVGotha G.IV 飛行艇・水上機 フェリックストー F.2AFelixstowe F.2A ハンザ・ブランデンブルク W.29Hansa-Brandenburg W.29 飛行船 ルボーディ ラ・レピュブリックLebaudy La République ツェッペリン L30Zeppelin L 30 その他 エトリッヒ タウベEtrich Taube 観測気球Observation Balloons
https://w.atwiki.jp/yam2001/pages/79.html
専務 アメリカ合衆国大統領 マイケル・ウィルソン・Jr. 駐日ロシア大使 ザンギエフ 碇シンジ 楼禅蒼星石 海軍憲兵中尉 ドイツ空軍総監 ベルフェクティ 中将 入速出秀吉 瑞雲師匠 球磨川禊 静かなる狼 蛇
https://w.atwiki.jp/skygirls/pages/35.html
メカニック/ソニックダイバー/バッハシュテルツェV-1 Bachstelze V-1 ドイツ空軍から派遣された青灰色のソニックダイバー。 エリーゼの搭乗機。 Bachstelze とはドイツ語で「セキレイ(鳥)」のこと。 日本の技術開発本部の基本設計資料を元に、ドイツ空軍を含む八カ国からなる西ヨーロッパ方面軍の独自の機体としてアンダーシュテルツェの開発が進められていたが、鉱物資源の不足、コストの削減から、汎用性の高い量産機として大幅に設計が見直されたものがバッハシュテルツェである。 基本フレームは日本のGシリーズと同様のものを採用している。 しかし、西ヨーロッパ基地の壊滅により、生産工場も打撃を受け、再建が数年は不可能になったため、制式量産モデルながらたった一機のエリーゼ専用機として扱われることになった。 制式モデルなだけに、試作機(Gシリーズは量産試作機である)よりも完成度は高いらしい。 量産機なだけに、各パイロットに合わせて調整されている試作機よりも汎用的で、調整がしやすい。 武装は標準で腕部に可変出力レーザー砲を装備している。 肩部に補助エンジンを積んでおり、全体の出力不足を補っている。 マニピュレーターは量産型ということもあるが、日本ほど「手」の形にこだわらなかったためシンプルな形状となっている。 日本に到着後、対ワーム実戦運用は遅れたが攻龍内で最終調整、デルタロック戦術システムが搭載され、ソニックダイバー隊はより大きいワームに対抗できる4機によるクアドラロックが可能になった。 日本の試作量産機Gシリーズよりも角張ったフォルム、短い主翼が特徴的である。 国籍マークはドイツ機を表すバルケンクロイツ(棒十字、桁十字)。 通称バッハ。 武装 腕部 可変出力レーザー砲×2 脚部ハードポイント(MVランス・MVソード・アンチマテリアルライフル・ミサイルポッド等) 島田フミカネ氏による説明と非公式設定 http //humikane.asablo.jp/blog/2007/09/07/1779022
https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/10888.html
登録日:2010/04/30 (金) 21 11 58 更新日:2020/10/07 Wed 23 43 05 所要時間:約 2 分で読めます ▽タグ一覧 Ju88 ドイツ ルフトヴァッフェ ロンメル 兵器 爆撃機 第二次世界大戦 航空機 軍事 Ju88は、第二次世界大戦前から終戦までドイツ空軍で使用された中型双発爆撃機。 ドイツ空軍の主力爆撃機・主力攻撃機・夜間戦闘機の他、偵察や無人特攻機にも使用された。 ■概要 ドイツ航空省は、1935年に「戦闘機より早い爆撃機を」のコンセプトで、800Kg爆弾を搭載でき、500Km/h以上の速度を出せる爆撃機の開発を航空各社に要請した。 1936年12月に初飛行したJu88は、設計時点から多用途性を考慮されていたため、爆撃・護衛・対地対艦攻撃・偵察・輸送・ミサイル誘導母機等の任務をこなすことになった。 当初製造された4座爆撃機型は、1800Kgの爆弾を搭載できたが、燃料が少なく、航続距離が短かったため、後に燃料タンクを増やす改造が行われている。 大戦初頭から各種任務に従事しており、前線では必ずしも満足いく機体ではなかったが、それなりに優秀な能力があり、ある程度の戦果を上げていたことから、特に大戦中期以降He111が一線を退いてからはその穴を埋める活躍を見せた。 ■機体データ 『Ju88A-4』 全長 14.40m 全高 4.85m 全幅 20.00m 翼面積 54.50㎡ 自重 9860Kg 最高速度 470Km/h 細大重量 14000Kg 上昇限界 8200m 航続距離 2700Km 巡航速度 300Km/h エンジン ユモ211J-1×2 武装 7.92mm機銃×6(爆弾最大2000Kg) 追記・修正は偵察してお願いします。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 良い機体だと思うんだが、Ju87に比べると知名度はどうしても下になるかなぁ -- 名無しさん (2014-04-04 23 55 21) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/skygirls/pages/30.html
組織・地名 藍沖島 一条艦隊(北方戦爆艦隊) 追浜基地 階級 春日基地 技術開発本部 呉 整備班 ソニックダイバー隊 ソニックダイバーレスキュー隊 第十三航空団 大本営 丹沢 ドイツ空軍 統合人類軍 西ヨーロッパ基地 日本海軍 ビックバイパー隊 横浜基地