約 18,978 件
https://w.atwiki.jp/battler/pages/1899.html
黄金期、第二次黄金期に活躍したプレイヤー。 作者名がヒーローになったり、特命80号になったり色々変わるが、勝利台詞などですぐにわかる。 第二次黄金期になってからは「tokumei80@yahoo.co.jp ←秘密のメアドだぞ。」 などと宣伝行為が激しかったり、キャラのセリフに下ネタなど使ったりしてることから、 過去のケータイ騎手ほどではないが、一部のプレイヤーに嫌われている。 現在はめったに現れない。引退したと思われる。 作成したキャラ 噛めんライダー 卸値で買える
https://w.atwiki.jp/bokuchu777/pages/207.html
「でも、俺達は三人で、助けられるのは二人だけだ」 「……はい、その通りです」 「そのことを二人に話したらさ……どっちも、自分を候補から除外しようとしたんだよ」 「……そうですか」 「やっぱり、家族の考えって似るもんだな。俺もそうしようとしていた」 「…………」 「そこでさ、わかったんだ。俺たちは三人で一つだから、誰か一人でも欠けたら幸せになれないと思う。だから――」 「…………」 「――俺たちは、ここに残るよ」 しばらく間を置いて、美優が言葉を継ぐ。 「きっと、普通の人だったら自分の命を優先すると思います……。それが、当たり前です」 次に美羽が――。 「でも、きっと私達は頭のネジが何本も飛んじゃってて、おかしくなってるんだと思う。だから、こんな選択しかできなかった」 そして再び俺が口を開き、締めくくる。 「……俺達のことは、ハズレくじを引いたとでも思って。もっと自分の命を大事に出来る人を、助けてあげてくれ」 ユリアは、その白魚のように細い指をぐっと手のひらに食い込ませるようにして拳を握りこんでいる。 そして、その仕草とは対照的な花の咲くような笑顔で言う。 「じょ、冗談はよし子さんっ」 「ユリア」 ごまかさないでほしい。 「……ちょっと聞こえなかったので、もう一度言っていただけませんか?」 必死に笑顔を作るユリアの目尻には、うっすらと涙が浮かんでいた。 「もう、いいだろ?」 「良くありません、その提案は受け入れられません」 ユリアは俯いてしまい、表情が窺えなくなる。 ただ、小刻みに震える拳から静かな怒りと悲しみが感じ取れた。 「何故? ユリアは誰かを助けたくてこの世界に来たんだろう?」 河川敷で聞いた彼女の言葉を、今でも俺は覚えている。 「何もしないまま、後悔したくはないんだろう?」 「……そんなの、仕方ないじゃないですか。命の価値は平等じゃないんですから」 「平等じゃないって……そんなわけないでしょ!?」 美羽が罵るように叫ぶ。 「では、ミウさんは動物の肉を食べないと言うのですか? 養豚場の豚一匹を屠殺する度に断罪される気があるのですか? ……人間と動物は違う。そう仰る方もいるでしょうね。ですが例えそうだったとしても、人間が恣意的に物を見る以上命が等価値になることなどありえません」 「…………」 「そんな考え方がまずありえないっての!」 俺と美優は黙ってユリアの言葉を聞くが、美羽だけは食ってかかるように激昂している。 そう、美羽は直情型な正義感の強い人間だから。……少なくとも、表面上はそれを演じようとしているから。 「でしたらわかりやすくこう質問しましょう。他人……他人です、袖を振り合う縁もゆかりもない他人と大切な家族、どちらかしか助けられないと言われたら、美羽さんはどちらを選びますか?」 ユリアは美羽がそこまで深く考えてないとわかっていて、勢いを削ぐ言葉を選んでいる。 美羽は多少躊躇うように歯噛みするが、まだその気勢は失われていない。 「そんなの、どっちも助けるっ!」 「前提条件を守ってください。どちらかしか助けられないと私は言いました」 「……っ」 「揺らいでますね、ミウさんの正義が。……わかっています。貴方は絶対に家族を選ぶに決まっている。 ですがそれは悪いことではありません、人の命に順位がつけられるのは必然、仕方ないことなのですから」 「仕方ないも糞もないでしょうが! そんな状況に直面する可能性自体が皆無に等しいんだからっ!」 その言葉を聞いて、ユリアの口の端がくっとつり上がった。何をまぬけなことをと、嘲笑を隠さない人を見下しきった顔。 「ミウさんは、自分の兄が置かれている状況も忘れているのですね?」 「……あ……」 完全に周りを見る目を失い、死角から突き崩されてしまっている。 俺への反骨で組み上げられた正義なんて、脆いに決まっているだろう……。 「で、でも私達は……この世界に残るから……他人を選んだことになるじゃない……!」 「良く考えてみることですね。他人に権利を譲る前に、貴方達は三人でしか物事を考えていなかった。 ヒロトさんはミウさんとミユさんを助けようとし、ミウさんはミユさんとヒロトさんを助けようとし、ミユさんはヒロトさんとミウさんを助けようとした。 そうして互いに身動きがとれなくなり、権利を放棄した。……他人を助けたことにはなりません、それはただの結果論ですから。 結局ミウさんも家族のことしか考えていないということですよ」 「そんな……そんなの……!」 「ユリア」 俺は、美羽の脆い正義――偽善とも置き換えられる――が完全に崩れ落ちる前に、二人の会話を止める。 怒りと悲しみに打ち震える美羽の頭に優しく手を置き、少しだけ抱き寄せる様にして囁きかける。 「もういいから、下がってろ」 「……私は……間違ってない……!」 蚊の鳴くような呟きに、俺は「ああ、お前は間違ってないから。今は俺に任せろ」と割と適当にやりこめる。 美羽は弱々しく頷いて、俺の影に隠れるようにユリアに背を向けた。 美優がすっかりしおらしくなった姉をよしよしと慰めている。いつもこんな風におとなしければいいんだけどな、なんて。 そんなどうでもいい思考を追い出して、俺はユリアと向き合う。 「ユリア、美羽をいじめたって何にもならないだろう?」 「……そうですね、その通りです。でしたらヒロトさんをいじめさせてもらえますか?」 「いや、そういうことじゃなくてね」 今のユリアは、どこかキレてる。 いや、実際に怒るという方の意味あいで完全にキレているのかもしれない。 「そもそも、今日のデートは一体なんだったのですか? 一日ご機嫌をとれば、私に受け入れてもらえるとでも思っていたのですか?」 「……っ、そうじゃない、そうじゃないよ。俺は、本当にユリアのことをもっと知りたかっただけだ」 ――言い訳だ。 確かに俺は、ユリアの言う通り打算的な考えも持ってこのデートに臨んでいた。だけれど、先ほど口にした理由だって無いわけじゃない。 最も、本当の目的はレンがついてこないよう牽制することだったのだが。 ……ことを円滑に進める為だったんだけど、どうやら逆効果だったらしい。 「私のことをわかろうとしてくださるのなら、私達の気持ちも汲んでくださってもいいじゃないですか」 「……ユリアの、気持ち?」 「他人よりも、家族が大事。それは私達にも同じことです。……私は、貴方達を家族同然に大切に思っているのですよ?」 「それは、俺達も同じだよ」 「だったら、なんで――」 「……?」 「――なんで、貴方達を助けさせてくれないんですかっ!!!!」 「っ!!」 巨大な質量を持つかのような衝撃的な叫びに、圧倒される。 木々がざわめき、生命力に満ちた葉が数枚散った。蝉は飛び上がり、野良猫は走り去っていく、公園内に俺達以外の音をたてる生き物がいなくなり、場に静謐がもたらされた。 「…………」 「…………」 俺も、美羽も、美優も、何も口を引き結ばれたみたいに何もいえなくなってしまう。 乾いた地面にぽつりぽつりと落ちるユリアの涙だけが、この場で唯一、心の奥底から溢れ出る悲しみを主張していた。 それから、どれだけの時間が経っただろう。 夕日は既に沈みかけていて、反対側の空から夜が運ばれてこようとしている。 このまま時の流れに身を任せて全てが解決すればいいのだけれど、そんなうまいことが起きるわけがなかった。 「ユリア」 誰も口を開かないなら、俺がやるしかないだろう。 ……早くネタをばらして、ユリアを解放してやりたい。 これは俺の仕向けた茶番なんだから。 「少し、二人だけで話をしよう」 「……?」 唐突な提案に、三人ともが戸惑いを見せた。 「悪いけど、美羽と美優は先に帰っててくれ」 「……何で?」 美羽は、急にことを進めようとする俺の意図を見抜こうと、じっとこちらの目を見つめてくる。 こいつは嘘を見抜く力には長けているけれど、俺だって一度覚悟を決めてしまえば鉄面皮だって装える。 兄として精神的な面までも妹に負けるなんて、情けないからな。 「後は俺が一人で俺が説得してみるから。……もう暗くなるしな。夕食の準備でもしててくれよ」 「夕食の準備は美優一人でもできるでしょ、レンさんもいるだろうし」 レンは料理が下手だから駄目だ……じゃなくて。 「お前はかわいー妹を一人で帰らせる気か?」 「え? わ、私なら大丈夫だよ?」 ぶんぶんと手を振り、俺達に気を遣わせまいと振舞う美優だったが、美羽の方はそうはいかない。 「……ひきょーもの」 美優をダシにするのは少し気が咎めるけれど、こうする以外にこの頑固者は動かせないだろうから。 「ああ、ひきょーなんだ俺は。昔から変わらないだろ?」 「変わってよ、そんな兄貴、嫌いだから」 そっぽを向いて不貞腐れる美羽に俺は苦笑するしかない、しかしそれが余計に美羽を苛立たせたのか、美優の腕をつかんで「行こう!」と強引に引っ張って行ってしまった。 美優は何か言いたげな目で何度もこちらを振り向いていたが、結局美羽の怪力には逆らえずにつれていかれてしまった。 端から見れば微笑ましいけれど、美羽はもうはらわたが煮えくりかえる一歩手前、MK5といったとこだろうな……死語か……そうか……。 「じゃ、改めて話をしようか」 「……は?」 呆気にとられていたユリアに再び話題を振ると、「あ、ええ」と姿勢を直す。 「ですが、これ以上話し合う余地は……」 「俺さ」 ユリアの言葉を遮って、俺は語りだす。 くだらない昔話、取るに足らないトラウマの話を――。 「小学校二年くらいの頃だったかな……図書館で変な絵本を見つけたんだよ」 「…………」 自分の話を遮られたことには特に感想もないようで、今はただこちらの意図を測りかねているのか黙って聞いてくれようとしている。 「『死んだ子供たちのABC』ってタイトルの本だった。今思えば学校の図書館にあんな本置いてたのが驚きなんだけど、その頃勤勉な読書家だった俺はついつい手にとってしまったんだよ」 その内容は――。 「酷いもんだった。中身はさ、ただ子供たちが淡々と殺されていくだけの話なんだ、しかもすげー不気味な絵がついてて妙な恐怖を演出してたよ。 俺はもう内心ガクガクブルブルしてたんだが、やめときゃいいのに怖いもの見たさで全部読んじまったんだ」 まだ本当の恐怖を知らない年頃だったから。 恐怖の動悸をも期待の鼓動にすり替えてしまっていたのかもしれない。 「読み終えた後は不思議な虚無感に包まれてた……何を伝えないのかわからなかったし……後味も悪い。 とにかく『理不尽』だった。まあ当時はそのりの字も知らなかったし、ガキだから切り替えも早かったんで美羽達とサッカーしてる内に記憶の隅に追いやられたけどな」 多分、その時に俺は、言葉では知らなくても『どうしようもならないこともある』ということを理解させられたのかもしれない。 だけれど俺は物語に干渉出来ないのだから、殺されていく子供達を助けることなんて出来ない。 例え絵本を破り捨てたとしても、完成してそこにあった話がなくなるわけではない……。 それは、一度完成してしまった以上一読者にはどうしようもないこと。 「何か、今もそんな感じだよな」 「……そうかもしれませんね」 今は俺が、物語の中の登場人物になってるわけだ。 だとしたら、もしも俺が『登場人物の一人』なのだとしたら、どうしようも無いストーリーから『他の登場人物』を救済することだってできる。 「昨日は、まだ本当に何も決めてなかった」 逃げてきた分のツケが回ってきたみたいに頭の中をぐちゃぐちゃにかき回そうとする思考を必死に追いだして、平成を保とうとした。 もう、俺の心はそれだけで限界で……答えを出すことなんて出来そうになかった。 「でも、美羽と美優に相談してその答えを聞いた時にさ、こう思ったんだよ。『やっぱりこいつらを死なせるわけにはいかない』ってさ」 元より俺は、他人のことなんて考えていなかった。 家族や友人のことだけしか考えていなかった。そんな、エゴに塗り固められた考えの先にあった答え。 それは……。 「俺が、この世界に残る」 自己犠牲――自己満足。 どう言ってもいいけれど、結局は同じこと。 俺の言葉にユリアは今日二度めの衝撃を受けていたようだった。 「そう……そんな、じゃあ……さっきの答えは?」 「敵を騙すにはまず味方からって言うだろ? ま、ユリアは敵じゃないけど。自然なリアクションが欲しかったから言わなかったんだ。ごめんな」 「演技には、見えませんでしたが」 「嘘をつくのはうまい方なんだ」 演技をする際には、ただ騙そうと思うのではなく、目前で起こったことについてだけを考えるようにしていた。 余計なことを考えると顔に出てしまうからだ。 「美羽さんや美優さんだけでなく、私も一緒に騙したということですか……」 一種の感動を覚えたかのような、ぼーっとした表情で薄暗い空を見上げるユリア。 「怒った?」 「いえ……それよりも、美羽さんが怒るのではないですか?」 「ユリアが言ったじゃないか、ばれなければ嘘じゃないって」 この嘘が露見する時は、全てが終わった時だ。 「私は、嬉しいです。望んでいた答えが返ってきたんでから……」 魂のこもらない虚ろな口調で、ユリアは呟くように話す。 「……嬉しいはずなのに……貴方は助けられないから……それを考えると、涙が出そうで……」 涙が流れないように、空を見上げている。 だったら、その流れそうになる涙くらいは拭ってあげよう。ゆっくりとユリアに近づこうとしたその時、彼女の後ろの植え込みががさりと揺れたのを俺は見逃さなかった。 「――!」 そして、次の瞬間にそこから現れた二つの影。 「誰!?」 ユリアが、突然の人の気配に驚きながら振り返る。 そこには……。 美羽と美優が、それぞれに怒りと悲しみを瞳に宿して立っていた。 「お前ら、戻ってきてたのか!?」 「ごめんね、兄貴。どうしても気になってさ……」 そう話す美羽の顔は、怒るのでなければ、許しを請うような笑顔でもない。 ひたすらに、無表情。 美優は黙って俯き、口を出すつもりはないように見える。 「でも兄貴、また裏切ったんだ?」 ……鎌をかけているのかもしれない、まだ表には出すな。 「何のことだ? 何を聞いたのかしらんがどーせ聞き違いでもしたんだろ。俺はただユリアと……っ!!」 鉄球をぶつけられた。 そう錯覚する程の速さで、美羽の硬い拳が鳩尾に叩き込まれていた。 「ぐぅっ……」 鍛えることもやめたこの体にはあまりにも強すぎる衝撃。 それは俺の頭の中を痛みという言葉で埋め尽くすのに十分なものだった。 腹を押さえてのたうつ俺に、容赦なく足を振りおろそうとする美羽の姿が目に入る。 「ミウさんっ! やめてください!」 その足が振り下ろされる前に、ユリアが美羽の肩を掴んで止めていた。 「いいんだよ、ユリアさん。私は兄貴と昔約束したの」 「約束?」 「『もう絶対に裏切ったりしない、もしそんなことがあった時には俺に何をしてもいい』ってさ」 ……それは、幼少の頃の記憶。 「だけどね、兄貴はまた裏切った。ずっと一緒だって言ったのに! 自己犠牲なんて全然嬉しくない! したり顔で私達のことを騙しやがって! 自己満足のオナニー野郎!!!」 ユリアの静止を振りきり、狙い澄ましたかのような蹴りが、先ほどと同じ個所に叩き込まれた。 「ぎゃ……ぁっ……!」 痛い……! 騙して悪かっただとか、どうすれば怒りを抑えられるかだとか、考えるべきことはたくさんある筈なのに何も言えない。 ただ今は、惨めに公園の地べたに転がりのたうつしかなかった。 「だ、だからって暴力を振るっていいわけがないでしょう! ミユさんも止めてくださいっ!」 美優の返事はない。 「ユリアさん、ごめん。……貴女まで殴りたくないから、離して」 「いいえ、離しません!」 「っ……離してっ!」 ――何が起きたのか。 俺は痛みに反応して流れ出る涙のせいで、潤んだ視界でしかそれを捉えることができなかった。 美羽が振り上げた平手を受け止めたユリアが、逆にカウンターで頬を張ったのだ。 「確かに、嘘をついたヒロトさんが悪かったのかもしれません、ですが、ここまで苦しませなくても良いでしょう!」 「……そんなの……何も知らないくせに……! 私のことなんて、何も知らない癖に! 横から口出さないでよ!!!」 「っ、み、ミウさんっ!」 美羽が、ユリアの手を振り払って脱兎のごとく駆け出す。 夜の闇に溶けるみたいに、すぐにその姿は見えなくなってしまう。 「……美……羽……!」 あの馬鹿、一人じゃ何もできない癖に! 早く追いかけないといけない、腹部に残る疼痛を歯をくいしばって抑え込んで立ち上がる。 「ヒロトさん、大丈夫ですか!?」 「あ、ああ、大丈夫……。それよりも、あいつを早く追わないと!」 額に浮き上がる脂汗が気持ち悪いけれど、今はそんなことにかまっていられない。 「ヒロトさん、無茶です! もう少し休んでからでないと……!」 「駄目だ」 「ヒロトさんっ!!」 「あいつはっ、一人じゃ何も出来ないんだよっ!!」 そう、美羽は一人では行動出来ない。 俺か美優のどちらかが傍についていてやらないと、泣き出したり、癇癪を起したりする。 ――恐怖症、厳密にはそう言うらしい。 学校でも、親しい友人などに囲まれている時には問題が無いのだ。 だが、登下校などには必ず美優か俺を付き添わなければいけない。 「だから、早く追いかけてやらないと……!」 あれは、いつのことだっただろうか。 まだ美優もいなくて、小学校にも入って無かった頃だったか。 家族で少し遠出して夏祭りに出かけたんだ。 車の中で何をして遊ぶか夢想して、期待で胸ははち切れん程だった。 でも、実際に行って見れば、あの頃の俺達では満足に動くことが出来ないほどの人ゴミばかりがそこにはあって、親父なんかはげんなりしていたと思う。 だけどずっと祭りを楽しみにしていた美羽は、俺の腕を引っ張って急に駆け出したんだ。 母さんも止めたけれど、すぐに群衆のざわめきにかき消された。 俺は止めようとは思わなかったな。だって、俺もずっと楽しみにしていたから。少しくらいならいいだろうって。 だけれど、俺達はすぐに迷子になった。人ゴミにもまれている内に自分がどこにいるのかもわからなくなり、見えるのは人と空だけ。 正直物凄く怖かったけれど、ただ涙目で手を握りしめている妹を見るとそんな泣きごとも言っていられなくなる。 「ぜったいにはなすなよ」 「……うん」 絶対に、離さない。 自分の中では絶対の約束だと思っていた。 だけれど、約束というのはそれを成し遂げるする力があってこそ履行されるもの。 今の美羽にとっては、俺だけが唯一の指針だったのに。 俺だけが唯一の『世界』だったのに。 どっと、真正面から大人にぶつかって転んだ。 ただそれだけのことで――美羽の手を離してしまったんだ。 「あ……」 魔物の口に飲み込まれるみたいに、美羽が人の波に紛れてゆく。 ――すぐに、その姿は見えなくなった。 俺はその後、すぐに親父達と合流することが出来た。 ただ運が良かったんだ。俺はいいから、美羽にその加護があれば良かったのに。 それから皆で必死に美羽を探したけれど、見つけることは出来なかった。 結局祭りが終わるまで探しても見つからずに、後は警察に任せることになる。 親父なんか動物園のトラみたいに家の中をうろうろ動き回って、母さんはひたすら心配そうに俯いていた。 俺も次の日は学校を休んだ。 その一日の間にも、美羽は見つからなかった。 家族の一人が欠けただけで家が妙に広く感じて、それ以上に心に大きな穴が開いた気がした。 幼心に、恐怖を感じる。 もし、このまま見つからなかったら――。 喚いて、泣いて、暴れた。 そんなことをしてもどうにもならないって、当時の俺にはわからなくて。 「みう……もう、ぜったいはなさないから……もどってきて……」 そんなことを、呟いたような覚えがある。 その祈りが届いたのかどうかわからないけれど。 その翌日の夜、美羽は見つかったんだ。 どこで見つかったのか、とかそんな話はまるで聞いていない。 俺はただ、病院で衰弱した美羽を抱きしめただけ。 「ごめんな、みう……もうずっといっしょだからな」 「……うん……」 これで、めでたしめでたし。 この事件はこれで終わって、十年後くらいに『あの時は大変だったよな』と語られて、それで終わる……そんな程度の話。 だった筈なのに……。 二日にも渡る孤独は、美羽の足跡一つない雪原のような心に深い傷を残すには、十分過ぎる時間だった。 それ以降、美羽は『一人で何かをする』ことが出来なくなる。 信頼している人間。俺や親が傍にいないと、泣き喚いてどうにもならなくなってしまうのだ。 本当に、最初は常に手を握ってやらないと駄目な程だった。 寝つかせる時も、ずっとだ。やっと寝たと思って部屋を離れると、ぱっと目を覚まして泣きだすこともあった。 その内に、仲の良い友人とでも一緒にいられるようになった。 そのおかげで学校などでの心配はなくなる。 俺だって、一人だけ下級生の教室で授業を受けるわけにはいかないから。 「それから、もう十年以上経つんだどさ。……まだあいつ、誰かが一緒にいてやらないと駄目なんだ」 一度だけ、克服させようとしたことがあった。 だけれどその作戦は失敗し、俺は死にかけた。 あいつ、それから嘘を嫌うようになった癖に……自分は結構平気で嘘をつくんだよな。 「そんな、ことが……」 一年間一緒に暮らしていても、そうそう気付けることでは無いだろう。 成長する内に、部屋の中などでなら一人でいられるようになったらし。 学校でも友人がいるから問題ない。 外出中は必ず俺か美優が傍にいる。 余程のことが無い限り、美羽の障害が表に出ることはない。 「だから、俺は行くよ」 「……わかりました」 ユリアの手がすっと離れて、俺は駆け出す。 だがその前に声をかけておくべき人物がいた。 「美優」 俺の呼びかけに、美優がびくりと肩を震わせる。 「……ごめんな。あのことは、また後で話すから」 ユリアに美優のことを任せて、俺は夜の街に向かう。 「美優…………どこ…………?」 美羽は、失った自分の半身を求めるかのように夜の街を歩き回っていた。 夜でも光が消えることは無く、道を歩く人の層ががらりと変わる。 柄の悪い人間もだいぶ多くなってきていて、それが美羽の精神を一層追い込むことになっていく。 「泣いちゃ、駄目……!」 普段の強気な彼女の面影も、今は無い。 いつもなら何でも無い人ごみも、今では気持ち悪いものでしかないのだ。 「美優……あに……っ……!」 兄貴、そう口に出してしまいそうになって、咄嗟に口をつぐんだ。 あんな奴、もう知るもんか。美羽はそう心の中で繰り返す。 だけど、いつだって美羽の傍には誰かがいた。 それは時には大翔で、時には美優で、時には他の友人だった。 だけれど、今は誰もいない。 「ぅ……」 今は動いてくれているこの足も、必死に恐怖を抑え込んで、ゆっくり一歩一歩踏みしめるようにして何とか保っているのだ。 本当は、もう泣いて叫んで助けを呼びたい。 携帯で美優を呼ぼうと思ったけれど、運悪く充電が切れていた。 「もう、やだ……」 大翔に、また裏切られた。 それが美羽の怒りの原因。 (全部、兄貴が悪いんだ……!) ずっと一緒だと大翔は言った。 破られることのない約束だって思っていた。 世界の崩壊だって、信じてあげたのに。そんな意趣返しのようなことをされるだなんて予想もしていなかった。 そんな思いやりは、美羽には微塵もうれしくない。 「……うう……うぁ……ぁぁぁぁぁぁぁああああっ!」 コンビニの前で膝を抱えてうずくまり、誰にも見られないように涙を流す美羽。 みっともなく喚いているその姿に、周りの人間は奇人を見るような目を向けるだけ。 (傍にいてよ……! 手を、握っててよ……!) 孤独に押しつぶされ、既にまともな思考は働かない。 そんな哀れな姿を、駐車場に入ってきた車のハイビームが照らし上げる。 「……なんだ、結城姉。そんな山南と別れた明里のように泣いてどうした」 「ノア、先生?」 真紅のエリーゼからカツンと足音を響かせて降りたったのは、ノア・アメスタシアその人だった。
https://w.atwiki.jp/houkeiwiki/pages/29.html
ABCクリニック ABCクリニックは、他院からの乗り換え率95.7%の実績を誇る人気の包茎手術クリニックです。 こだわりの設備環境と高度な技術を兼ね備えており、安全できれいな仕上がりを実現。 気になる治療費用は公式サイト上でも明確に掲載されており、誤解のない明朗会計を実践しています。 中でもお得な料金で施術を受けられる『3,30,3プロジェクト』は治療実績3000人を超える人気プロジェクトとなっており、コストを抑えながら良質な治療を受けることが可能となっています。 感染を防ぐ最新設備 ABCクリニックでは、雑菌や細菌による感染症を防ぐため、最新の設備環境を整えています。 院内には限外ろ過と紫外線殺菌の2つの殺菌方法を同時に取り込んだ殺菌水の洗浄性と安全性の高い手洗い装置を完備。 さらに、手術室には除菌効果の高い空調機を導入しており、雑菌・細菌の侵入を防ぐ無菌室状態を保っています。 また、手術に使用する器具についても、最新のエコパルサー滅菌機を導入。充分な安全性を確保できる環境を整えることで、感染症リスクを最小限に抑えています。 3万円~の包茎手術 ABCクリニックの特徴は、独自に開発した『3,30,3プロジェクト』を採用しているところです。 3,30,3プロジェクトでは、より手軽に治療を行ってもらえる条件を取りそろえており、3日前までに予約を入れれば通常5.25万円の包茎治療を3万円で受けることが可能。 また、他の治療に関しても、すべて30%オフで受けられるサービスを実施しており、下半身コンプレックスの治療費を大きく節約することができます。 もちろん、提示費用は固定化されており、手術中や術後に料金が上がる心配はなし。予算の範囲内で施術できるので、費用の負担を抑えたい方にぴったりです。
https://w.atwiki.jp/bokuchu777/pages/164.html
「なんだ、それ……」 「……いや、驚いたねえ~」 「ああ、まさかこんな事態になるとは……あの話は一体なんだったんだ……」 少し必死になって考えてしまった自分が馬鹿みたいじゃないか。 ……いや、あの話はただの前置きでは無いとは思うのだけれど、ノア先生の仕事を放棄してまでやりたいことというのが気になって仕方がなかった。 「……ん、そだねぇ~」 自習とは言え、他のクラスから注意などはされないようにある程度の静けさは保たれている。 その中で陽菜は一心不乱に何かをノートに書き込みながら俺の言葉に生返事だ。 「なにやってんだ? 宿題は終わったんだろ?」 「ん……ちょっちゅね、ちょっちゅねぇ」 「どこの具志堅だ」 俺がひょいと中身を盗み見ようとしたら、「肉のカーテーン!」と体で覆い隠されてしまった。 そんなに見られたくないならこんな所で書くなよと思う。 しかし……必死に文面を考えているその顔は意外と真面目で、あまり茶化すのも可哀そうな気がしてくるので、 「こっちの方が肉ついてるんじゃないか?」 ――脇腹をつつくだけで済ませておいてあげた。 「わきゃああああっ!」 絹を裂いたかのような悲鳴と共に陽菜の腕が上がってへぶぉぁっ!! 「もうっ、何するのっ!! ヒロくんの馬鹿っ! 最近おなかのおにく気にしてるのにっ、女の子にそういうことするの最低だよっ!」 「う……うぅ……すまんのう……すまんのう……」 なんて強烈なビンタだ……。 腕の振りが全く見えなかった。幼馴染にとってビンタというのは最強の組み合わせではあるが、陽菜は至高の域までそれを高めているに違いない。 イチローのスイングだってあそこまで速くないよ……。 「何ぶつぶつ言ってるのっ!」 「わ……悪かった、本当悪かった。俺はレンのとこ行くから、存分に何か知らんが書いててくれ……」 「あ、う……うー……うん……」 少々躊躇うような陽菜のつぶやきが気になりはしたものの、陽菜の近くにいたらまた自然といじってしまいかねない。(陽菜は徹底的にいじられキャラだ) 今は、陽菜の怒りが収まるまでレンとユリアのところに避難させてもらおう。 「よっす、レン、ユリア」 隅の席で椅子を逆にして向かい合うレンと、何をするわけでもなく手持無沙汰なユリアに挨拶をする。 そういえば、今日ユリアと顔を合わせたのは今が初めてだな。 「おはようございます、ヒロトさん。今朝はレンのこと、どうもありがとうございました」 「ああ、いや……。俺は何もしてない、レンが全部自分でやったんだよ」 これは謙遜でも何でもなく、純度百パーの事実だ。 俺は逆に陽菜につけられて秘密を漏えいさせてしまった役立たずな協力者になってしまったわけだし。 「いや、ヒロト殿が近くにいてくれているというだけでも……支えになったさ」 レンがいつもとは微妙に異なる柔和な笑みを浮かべて言った。 ……いつものレンとは、纏っている空気が違う。 今朝は少し弱々しかったものの、いつものように凛々しくあったのに、離れていた一時間の間に何かがあったのだろうか? 「いや、まあ、俺が支えになったっつーなら、幸いなんだけどね……」 「ああ、ありがとう。……本当に、感謝している」 素直なお礼の言葉に、自分の顔が少し紅潮したのが良くわかってしまった。 レンがこんな風に優しく話してくれることなんて滅多になかったんだよ! わかってくれ! 「…………」 ユリアはそんなやり取りを見ていつも通りにこにことしている。 頭の中がぬくぬくな人だからいつものことだ、そう流してしまえばそれで終わりな気もするが。判で押したようなその顔が妙に心を圧迫した。 「ヒロトさん」 不意に、ユリアが口を開く。 「ん、何?」 「私達、少々調べ物があるんです。失礼させて頂いてもよろしいですか?」 調べ物? 今この世界で調べることなど、何があるのだろう……なんて思ったが、あまり突っ込んだことをこんな人が多いとこで訊かれても困るだろう。 俺は「ああ、わかった」とだけ答える。 レンは事前にそのことを聞かされていなかったのか、微妙に戸惑っている。ユリアはそんなレンをドナドナの牛のように引きずって教室を出て行った。 ……なんつーか、レンを引きずるユリアってのはかなり珍しい構図だな。 また教室からエスケープした者が出たわけだが、皆が皆それぞれの会話や勉強に忙しいようで、ユリア達が出て行ったことなど誰も気にしてはいないようだった。 ――こちらを見ていた陽菜以外は。 話し相手もいなくなったので必然的に自分の席に戻ることになり、そうしたら自動的に隣の陽菜がこちらに話しかけてくる。 「レンちゃん達、どこに行ったの?」 「……さあ、調べ物があるとか言ってた」 「調べ物って?」 「そこまではしらね……」 俺にとってはあまり都合のいいことではなさそうなのは確かだ。 陽菜は「なんだぁ」とつまらなさそうに呟いて、ポケットに入れていたテープを取り出し、ケースをぱかぱかと開いたり閉じたりしていじっている。 どうやら先ほど書いていた手紙? はくしゃくしゃにされて机の中に突っ込まれたらしい。 陽菜は文才が無いからな……前略を全略とか書くような奴だし……。 「違うよっ! 周りが騒がしいから集中できなかったんだよっ!」 言い訳を聞き流して、犬みたいにう~う~こちらを威嚇する陽菜の視線を右から左に受け流す。 陽菜の場合犬といってもチワワみたいな感じなのでかわいいものだ。 「ふぅ……」 陽菜もやがて無意味だと悟ったのか、一つ溜息をついて椅子をがたがたしだしたと思えば、くっとこちらに身を折って顔を覗き込んでくる。 「……何?」 「また悩んでる」 「……悩んでない」 「嘘ばっかり。とっても大事なことだって、顔みればわかるよ」 ……だから、お前はエスパーか? 今だってぼーっとしていただけで、特に顔の筋肉は動かしてないはずだ。微細動さえも見逃さない気がこいつは。 「だからさー、付き合いの長さわかってるー? ヒロくんのことなら晩御飯の献立のことまでわかっちゃうよ!」 そんなことを知ってどうするのかわからないが、とにかく無い胸を張ってみる陽菜だった。 「……って、何でヒロくんちの晩御飯のことを話さなきゃいけないのさ?」 いや、そちらから振った話であって俺には関係ない。 陽菜は一転「ん……」と眉をハの字にして真面目に心配していそうな表情を作る。 「本当、気にしてるんだよ? 私が気付くくらいだもん、美優ちゃんや美羽ちゃんだってわかってるだろうし……あんまり心配かけたら可哀想だよ」 「………………心配、か」 俺のせいで皆が笑えなくなるなんて、考えたくも無い。 残り少ない、消費されてゆく有限の日常を、どんなものにも変えられない「平穏」という環境を、そこから来る「幸せ」と感じる心を。 ……曇らせてしまうのは、あまりにも忍びないんだ。 だから、いつも通り明るく振舞おうとしているというのに、何で皆気付いてしまうのだろう。 「ほら、またトリップしてる」 「……ああ。確かに悩みはあるけどさ、誰かに言えることじゃないって前に言っただろ? 自分で考えなきゃいけないことなんだよ」 「ふーん。ま、そういうこともあるかもねぇ……。でも、本当に辛くなったらいつでも相談にのるよ? そんな時の為に友達っているんだからさっ」 「ああ、ありがとな……。その時は、よろしく頼むよ」 「わかれば、よろしぃ~」 うんうんと満足そうに頷いて、陽菜はまたぱかぱかとビデオテープのケースをいじる作業に戻る。 俺は窓際から四角く区切られた世界をぼーっと見据えて、遠く青空を飛ぶ豆粒みたいな飛行機の姿を見つけたり、だらだらとグラウンドを走っている体育の風景を眺めたりで。 当たり前の中にある、大切なものについて自分なりに考えたりしていたのだけれど……。 「……美羽だ」 美羽が、見ていて気持ち良くなる程軽快なスピードでトラックを駆け抜けていた。 他の生徒のほとんどは、こんな日に長距離走なんざやってられるかとだらだらしているというのに。 空から降り注ぐ日差しも、地面からせり上がってくる熱気もものともせずに、美羽はツインテールをたなびかせて走り続ける。 既に周回の差をつけているようだ。……逆に浮いてるぞ、あれじゃあ。 「運動神経はいいからな……あいつ」 美羽の運動能力にはとにかく目を見張るものがあり、集中して一つのことをやれば恐らく簡単に全国レベルまで成長するのではないかと言われている。 入学当初は引く手数多の部活からの勧誘で大変だったようだが。結局、美羽は未だに部活には入っていない。 その理由は今までに何度も聞いたが、「兄貴には関係ないっしょ?」の一言で済まされている。 「にしても、一生懸命走るね……」 たかだか授業のマラソンに、そこまで熱心になることは無いだろうに。 ……まあ、美羽は何でもかんでもやると決めれば全力で力を注ぐ奴だからな。例え、それがどんなに小さく取るに足らないことだろうとも、だ。 正直言うと、俺にはあまり理解できない思考だった。 無駄なことは避けるべき、それが俺の常だったから。 ――まあ、この考えはどうしようもなくくだらない考えだってことを後から思い知らされるのだけれど、それはまた後のこと。 「何見てるんだい? ワトスン君」 隣から、迷探偵が肩越しににょきっと顔を出した。 「……下級生の頑張りを見てただけだよ」 「下級生全体を見てたような言い方だねぇ~……」 「何だよ」 含みを持たせた言い方に、ニヤニヤといやらしい笑みがやたらと神経を逆撫でする。 「美羽ちゃんだけを見てたんでしょ? ヒ・ロ・くん♪」 ふっと生暖かい息が耳に吹きかけられて、全身が総毛だってしまった。 「っ……! 気色悪いことするなって!」 耳は弱いんだよ耳は! 「きゃわっ、あっはは、やっぱり昔っから耳は弱いね~」 とんとんと数歩後ずさって、陽菜は相変わらずの能天気な笑顔をこちらに向ける。 「……昔……?」 ……確かに、昔はよく耳をいじられてた気がするけど……それは……。 頭の中にぽっと浮かんだイメージを、俺はかき消す。自分の記憶はあまり信用できない、陽菜にちゃんと訊いておくべきだろう。 「なあ、陽菜」 「なーに?」 「その、昔のことについて……聞かせて欲しいんだ」 陽菜は少し訝しむように首を傾げて、「昔のこと?」と聞き返してくる。 「……その、五歳くらいの時のこととかさ、あんまり覚えてないんだ」 「ん……んー……」 すっと、俺の顔から手に持つビデオテープに視線を移す。 逃げる意味で目を逸らしたわけではないだろうけれど、どこか残念そうな感情を込めた眼差しではあったと思う。 「んー」 そして、陽菜の答えは。 「駄目らめでっす!」 ナイムネの前で大きく×印が作られる。 「……何で?」 「恥ずかしいからでっす! それに、私じゃなくても誰かが覚えてるよ、たぶんきっといつかきみとっ!」 畳みかけるように言って、「そいじゃあ私は寝るから~」と腕を枕にして突っ伏し、動かなくなってしまう。 ……何だか、機嫌を損ねてしまったらしい。妙に胸がもやもやする。 謝るか? でも、何もわからないのにただ謝っても意味ないだろうし……。 1:それでも謝っておく 好感度 1 2:何も言わない 変化無し 1 「……ごめん。昔のこと、あんまり覚えてなくてさ」 「…………」 寝ると言って30秒で寝つける人間ではない、まだ聞いているだろう。 「少し、不安だっただけなんだ。……もうこの話は、やめるよ」 陽菜の腕がぴくりと動いた気がした。だけれど、あくまで気がしただけだ。 俺は残りの自習時間をひたすら答えの出ない思索に費やした。 2 やめておこう。 機嫌を損ねているように見えたのも、俺の主観だ。 だったら妙なことを言って混乱させるより、睡眠を邪魔しないように黙っているほうがいいだろう。 俺はそう考え、また窓の外に意識を向けた。 合流 結局、ユリア達は授業が終わるまで帰ってくることは無かった。 教師達は、この一年真面目すぎる程に授業をしっかりと受けてきたユリア達がまさかサボるとは考えず、体長不良か何かで連絡を忘れたんだろうなんて自分で合点をつけていた。 俺にとっては、ユリアの不在にはただただ嫌な予感しかしなかった。 ……そして、今も尚その予感は増長し、俺の精神的余裕のある領域を侵食している。 「校舎裏、か……」 目的地を確認するみたいに一言呟いて、西日の差す階段をゆっくりと一段一段降りて行く。 既に時刻は放課後、ユリア達と同じく貴俊も教室に一度も顔を見せなかったし、陽菜とは微妙な空気のままだった。 不純物が浮いているかのようなにごった空気に少し辟易していた頃、体育から戻ってきた俺は机の中に、差出人の名が無い手紙――というよりは、書き置きと言うのが正しいか――が入っているのに気付いた。 まあ、その手紙に指示されてほいほいと行ってしまうわけだ俺は。 修理工が待ってても知らないぞ、と。 「あ、兄貴!」 「お兄ちゃん」 「お?」 2パターンの呼び声に伏せた視線を上げれば、階段を下りてすぐの教室から妹達が出てきたところだった。 二人はぱたぱたとこちらに近寄って来て、両サイドからがっしりと俺の腕を掴む。 ……え? 何? 宇宙人連行? 「買い物いくよっ、兄貴」 「今日は買うものいっぱいあるから、お兄ちゃんにも来てほしいな……」 ああ、荷物持ちに刈りだそうというわけか。 我が家の財布の紐は美羽と美優が協力して握っているから、買い物などは二人に任せっきりなわけではあるが、力仕事となれば俺の領分だ。 ……まあ、美羽の場合最近は俺よりも力がいたいいたいいたいいたい!!! 「い、痛いって、美羽!」 腕の骨が万力みたいな力で圧迫されてるっ! 「今さぁ、何か失礼なことを考えなかった?」 流石に長い間兄妹をやっていると微弱なテレパシーが宿るという、いつか貴俊が力説していた学説は真実だったのだろうか。 レクター博士も裸足で逃げ出すだろう凶悪な目つきに口の奥にきらりと光る犬歯、正直言うと、怖い。 「か、考えってないっすよ。いやだなぁー、美羽。俺はいつでもやさしい兄だぞ?」 「……きもいよ。言っておくけど、噂が勝手に収まっても、機嫌までは勝手に直ったりしないんだからね?」 むっと眉を顰める美羽とは対照的に、美優がどんな罪でさえも許してしまえそうになるほどの優しい笑顔を俺と美羽に向けた。 「あはは、お姉ちゃん嘘つき。あのねお兄ちゃん、今日お姉ちゃんね……」 「ちょ、ちょっと美優! 何を……!」 赤面して美優を取り押さえようとする美羽に、やけにハイテンションで逃げ回る美優。 はしゃぐ二人は可愛くて、じゃれ合う子犬を眺めるような気持ちで二人を見ていた。 ……だけれど、もう行かないといけない。 俺は、握られた両手をすっと離して立ち止まる。 美羽と美優は、突然になくなった手の感触に少し驚いたようで、数歩先まで歩いて同時にふり返る。 「……ごめん、今日はいけないんだ」 「え……?」 美優の笑顔に影が差す。 美羽の眉がぴくりと動く。 「何、それ? 用事でもあるの?」 「ああ、実はさ、ノア先生にちょっと呼ばれてるんだ」 「……そうなんだ、それなら仕方ない……ね」 美優には悪いことをしたと思う、だけれど誰かも確かめないうちに放置しておくわけにもいかない。 「あ、でもさ、用事がすぐに終われば追いつけるから。いつものスーパーだろ?」 「兄貴、嘘はやめて」 虚飾を貫く刃のような言葉が、俺に向けられた。 「ノア先生なら、最後の授業が終わる前に帰ったよ。……挨拶だってした、間違いない」 「………………」 「美優も、何で言わないの? あんたも一緒にいたでしょ」 美優は、「あ……」とうろたえて、腕の前で手を組んで俯いてしまう。 「で、でも、お兄ちゃんが、用事あるっていうなら……仕方ないよ」 「………………兄貴」 これ以上美優に何か言っても仕方ないと判断したのだろう。美羽がきっとこちらを睨む。 「別にね、一緒に買い物に行けないくらいで私達は怒らない。でも嘘は嫌い。わかるでしょ?」 「……悪い、嘘をついてたのは謝る。でも、言うだろ? 我儘は男の罪ってさ」 「それを許さないのは女の罪だとか言いたいわけ? やめてよくだらない。早く本当のことを言って」 有無を言わさぬ口調。ここで素人ならば素直にゲロるのだろうけれど、俺は兄として17年付き合っているんだ、慣れはしないまでも少しは耐性がついている。 「貴俊に呼ばれてたんだよ。……どうも、人に言えないことに巻き込まれたらしくてさ」 「………………ふーん」 美羽は顎に手を当て、表情から心を読もうとじっとこちらを見つめるが、すぐに飽きて。 「ま、そう言うんならいいけどね。校舎裏にでも呼び出されてカツアゲされそうになってるんじゃないか、とか考えちゃった」 どんな想像だよとは思ったが、場所は合ってるので敢えて何も言わなかった。 「……お兄ちゃん、早く帰ってきてね?」 「ああ」 「何かに絡まれたらすぐ呼びなよ? 兄貴をぶっ飛ばしていいのは私だけなんだからさ」 「……ああ」 「そだ、久し振りにこれ貸したげる」 美羽が鞄に手を入れ、何かをごそごそと取り出している。 そして、手に握った物を俺の手のひらの上に置き、ぎゅっと拳を丸めさせられた。 「これか……」 「そ、久し振りにお守りね」 「急にどうしたんだ? 最近はずっと貸してくれなかったのに」 「ん……なんでだろ……。嫌な予感がするっていうか……。毎日ぶっ飛ばしといてなんだけどさ、とにかく気をつけてよ」 それじゃあね、美羽はそう残して踵を返し、美優の手を取り「行こう」と走り出す。 名残惜しむかのような美優の視線に手を振って答え、俺は一人人気の無い廊下に残された。 手に握った小熊のキーホルダーと共に。
https://w.atwiki.jp/bokuchu777/pages/172.html
「そうなの? ヒロくん」 「…………」 ノア先生は、今の時点で俺や教師である自分だけが知っていて、その内すぐに公表されるだろう事柄を選んだのだろう。 だが冷静に考えれば「国に帰る」というのは不自然ではない、もうすぐこの世界は崩壊するのだから、上辺だけの手続きとは言えノア先生に説明は必要だったのだろう。(そもそも、身元不明の人間を面白がって受け入れたのはノア先生だ) 「ヒロくん?」 「ああ、そうみたいだ」 「……ふーん」 今はそのことで悩んでいるわけじゃないのだけれど、いい具合に深刻そうな表情に見えたのか陽菜はそれ以上突っ込んだことは訊いてこない。 「それではな、私はそろそろお暇するとしよう。実は作業の休憩中だったのだよ。思わぬことに時間を取られはしたが……ね」 煙草を携帯灰皿に突っ込んだノア先生は、少し皮肉っぽく残して踵を返す。 「早く帰れよ、少年少女。吸血鬼にでも襲われたくなければな」 ノア先生の姿が、外灯の光からはずれ闇の中に消えていく。 「先生……」 最後に見たノア先生の目。 ――淀みなく一つの結果を見据えているような、迷いの無い目だった。 あれは、何かとんでもないことをやらかそうとしている人間の目に見えたけれど、俺にはそれを知る術は無い。 それに、この滅びゆく世界でノア先生が何をしようとしているのか、到底俺に関係があるようには思えない。 「……ヒロくん」 残された陽菜が、少しだけ遠慮するように口を開いた。 「……何?」 「隣、座っていい?」 別に無下に断ることも無いかと思って俺は首肯する。 「えへへ、ありがと」 無邪気に笑って陽菜がベンチに腰掛ける。 心なしかノア先生よりも距離が近く感じた。 「あー、喉かわいちった。このコーヒーもらっていい?」 「ああ、いいよ」 というか、陽菜は俺が返事する前に既にプルタブを引いていた。 そのまま銭湯で牛乳を飲みほすかのようにごくごくとコーヒーで喉を潤す。 「うえ、微糖はだめだめー。やっぱカフェオレじゃないとねー」 「……甘すぎだろ、あれは糖分の塊だよ」 微糖も実際それほど変わったもんじゃないのかもしれないけれど。 「あはは、まあコーヒー自体あんま飲まないんだけどね……」 足をパタパタさせながら、コーヒーの苦みに感化されたかのように苦笑する陽菜。 そしてすぐに沈黙が俺達の間を支配した。 だが、陽菜とは長い友人だ。沈黙はそれほど気まずい事では無いし、そもそも俺には他に考えるべきことがあった。 ……でもそれは俺にとってはという話で、陽菜にはそうではない。必死に間を繕うように話を始めた。 「あ、あのさー」 「ん……?」 「ヒロくんの悩み事って……ユリアちゃん達のことだったんだね、ずっと気になってたんだけど……」 「ああ……まあ、そんなところ」 俺の気の抜けた返事に、陽菜は何故か納得できないような顔をした。……けれど、俺にはまだあのことを話す決断が出来ない。 何を持って間を繋げばいいのかもわからずに黙るしかない。 「……でも、一年前くらいから変なのは、説明つかないよね……」 「ん?」 口先だけで呟いた言葉が聞き取れなくて、「何か言ったか?」とだけ聞き返したのだけれど、陽菜は首を小さく横に振るだけで答えた。 そして突然に勢いをつけて立ち上がり、バレエみたいにくるりと回ってこちらに向き直る。 「ねえ、お散歩しない?」 「え……?」 「いいでしょ? 夜のお散歩」 夜に昇った太陽みたいな笑顔と共に、陽菜の小さな手が差し出される。 少し逡巡する。俺には考えなければいけないことがあるからだ、だけれど一人でいたって何が出来るわけでもないし、陽菜の気持ちを理解するのにいいかもしれない。 「ああ、行こうか」 舞踏会でダンスに誘われた時のように、優しく手を取る。 手の甲にキスなんていうキザな真似は流石に出来ないけれど、スポットライトみたいに俺達を照らしている外灯が、それなりにいい雰囲気を出してくれていた。 「あ、その前に」 「?」 「ちょっと、トイレ……」 ぶち壊しだ! 公園の隅にあるトイレは、相応に小さく、そして……お世辞にも奇麗とは言い難い。 男子トイレの方を覗いて見たが、床や壁はカビだか何だかで所々黒ずんでいて、便器は黄ばんでいる。 更に明かりが無いのでかなり不気味だ。幽霊の一匹や二匹でそうな雰囲気は十分兼ね備えている。 だが俺がついて行くわけにもいかずに「早く行けよ」と促しても陽菜は動こうとせずにもじもじしている。 「う……うー……」 「どうした?」 「こ、怖いよ! 暗いし! ひ、ヒロ君近くで待っててよ……!」 「……っ」 袖の端を弱々しく掴まれ、上目づかいで懇願される。 やばい、かなり可愛く感じてしまった……。あまりそんな目で見たことが無かっただけに不覚だ。 「わ、わかった。前で待っててやるから早く行ってこい!」 女子トイレの入り口の前で待つ。それが俺の出来る最大限の妥協だった。 こんな時間にこのトイレにやってくる人なんて他にいないだろうとは思ったけれど、中に入るのは流石に気が咎める。 「ヒロくん、いるー?」 陽菜の震えた声が個室の中からとどいて、俺はなるべくやさしい声音で「いるよ」と答えた。 「ほんとにほんとー?」 「ほんとにほんと」 返事してる時点でいるのはわかってるだろうに。 ……まあ、確認しないと不安だっていう気持ちは、わからないでもないけれどな。 「ほんとにほんとにほん……わきゃあああああああああああああっ!!」 耳をつんざく程の悲鳴が狭いトイレの中に響いて、心臓が口から飛び出しそうな程に驚いてしまった。 頭の中が一瞬真白になったもののすぐに陽菜のことを思い出し、中に駆け込……む前に声をかけて確かめる。 「何があった!?」 「で……でたぁ……」 「何が!?」 もしかして、霊とか物の怪の類か!? 俺の頭の中にかつて祖母の家かで聞いた般若心経が駆け巡る。ぎゃーてーぎゃーてー……! 「ひああぁぁー!」 って、お経唱えてる場合じゃないな。 「ひ、陽菜! 今行く!」 「だ、だめ!! 今パンツおろしてるからだめえええええっ!」 「うっ……!」 だ、だめだ。想像するな……! 体の一部に終結しようとしそうになる血を分散させるんだ。……全裸の細木数子を妄想しろ! 「……ふぅー」 何とか収まった。 「陽菜! 何が出たんだ?」 「く、蜘蛛ー!!」 「……は?」 く、蜘蛛って、あの糸を吐いたりするあれか? 「なあ、陽菜。その蜘蛛ってのは節足動物門鋏角亜門クモ綱クモ目(真性クモ目)に属する動物の総称の蜘蛛のことか?」 「そんな辞書から引っ張ってきたみたいな説明いらないー! ……うー……やっと行ってくれたよぉ……」 どうやら陽菜に迫る危機は俺が何もせずとも去って行ったようだ。 陽菜の声からはまだ恐怖が抜けないようだったが、俺としては早く用を済ませてほしい。 しかしそんな俺の期待は真っ向から裏切られることになる。 「……緊張しちゃって、出ないかも……」 「あのな」 「ごめーん、後ちょっと待ってー……」 正直、ここに立っているだけでも染みついたアンモニア臭がして気持ちのいいものでは無い、中にいる陽菜はもっと辛い筈なんだがな。 「あはは、でも、こんなこと昔もあったよねー」 「昔……?」 俺の疑問を持つような反応から、少しの間が生まれた。 しばらくして陽菜は、「五歳くらいの時だったかな」と前置きをして、お婆さんが孫に話を聞かせるように穏やかな口調で話しだす。 「……んー、うちの両親が旅行にいってて、ヒロくんちにお泊りした時のことかなぁ……。確か、学校の七不思議~みたいな怖いテレビがやっててさ……。 私が夜に一人でトイレ行けなくなっちゃった時、ヒロくんがついてきてくれたんだよ? あはは、あの時のヒロくん、照れてたなあ……『早くしろよ』なーんて……」 「…………」 陽菜が言うことを、俺は正直覚えていなかった。 ……そんなことがあった記憶は無いでもないが、それが陽菜だったかどうかは何故か思い出せないのだ。 陽菜は俺の沈黙から、何を考えているか悟ってしまったのだろう。 「そっか、覚えてないよね……」 さびしげに、そう呟いた。 「…………ごめん」 俺は誰にも聞こえない程小さく言って、後は沈黙に身を任せる。 何故覚えていないのか、そんなこと俺にはわからない。ただ単純に記憶力の問題という可能性もあるだろう。 ……わからないものは、仕方ない。陽菜に悪いとは思うけれど。 しばらくするとトイレの中から水が流れる音がして、陽菜が「待たせてごめんね」と愛想笑いを浮かべながら出てきた。 「陽菜……あのさ……」 俺が改めて謝罪の言葉を口にしようとした時、陽菜の人差し指がぴっと唇に押し当てられた。 ……前もこんなこと、あったような。 「今のことは忘れてねっ、水に流そう? トイレだけにっ!」 つまらないギャグを言って、陽菜がお茶を濁す。 無理をさせているみたいで、男として情けなかった。 「あ、手洗ってなかった」 「うえええええええっ!!」 一々雰囲気を壊すのがうまいやつだなあ! まず散歩と言って向かった先は陽菜の家だった。何やら持っていきたい物があるらしく、俺は門の前で待たされている。 俺は手持無沙汰に明かりの点いた陽菜の家を眺める。最近は全然来たことが無いな。……最後に来たのはいつだっただろうか。
https://w.atwiki.jp/bokuchu777/pages/159.html
1 学校に行く =ノアもしくは陽菜ルート ……まあ、休んで部屋に引きこもってもいい考えなんて浮かぶわけないよな。 そもそも何を持って「いい考え」なのかわからないし。 この問題に正しい答えなんてないに決まっている。 後一人、誰を選ぶか……なんて。 「……みんな行っちゃったか」 まあ、今からでは走らないと遅刻しそうな時間帯だし当たり前だ。 だけれど俺はその状況に反逆するかのごとくゆっくりと時速2kmの鈍足で歩き出す。 学校には行くけれど遅刻くらいはしてもいいだろう、なんて考える辺り。 やっぱり少し捨て鉢になってるよな、そうならないように意識はしてるんだけど。 ま、ノア先生ならそこら辺結構寛大だったりするしな……。 「とってったーん。とてったーん。おいーっす!」 「ん? ってうおぁぇっ!!」 背後からの飛んできた力士の張り手のような衝撃に押し飛ばされ、危うくアスファルトに頭から突っ込みそうになる。 「おおう? 吹っ飛びすぎだよー。胆力が足りんよ胆力が」 「……陽菜、お前何すんだよ」 振り向けば、そこにはやたらとてかてか輝く太陽みたいな笑みを浮かべた陽菜が立っていた……が、俺はそんな陽菜と対照的に陰気な目で睨みつける。 「そんなの挨拶に決まってるよ」 お前の挨拶とは友人を地面にキスさせようとすることを言うのか? 「というか今日はユリアちゃんとかユリアちゃんはいないの?」 ユリアだけしか頭の中にいないのか。 「時間帯考えればわかるだろ? 今歩いてるのはたぶん俺達くらいのもんだよ」 「うえ、そういやそうじゃんそうじゃんやばいじゃん! ほら、ダッシュしないと!」 今さっきまで忘れていたのか知らないが、とたんに青い顔をして俺の腕を掴もうとする陽菜。 だが俺はその腕をすっと引いてかわした。 「ちょ、ちょっとっ、走らないと遅刻するよっ!」 「あー、いーや。遅刻しても……」 何だか、一度気を抜くとなかなかやる気が出ないもんだな。 風船の空気を抜くのは簡単だが入れるのはその何倍も労力がいる。 「ん? んー……?」 「な、なんだ?」 陽菜が俺の様子を変に思ったのか、ぬっと顔を寄せてこちらを覗き見てくる。 ……顔が近い、後数センチ前に動かせばキス出来てしまう程に。 「なんか、ヒロ君さ……前々から思ってたけど……変わったよね」 「変わったって、何が?」 どもらずに答えることはできたけれど、内心少し焦った。 陽菜に何かを見透かされた気がして、急いで心の内を悟られないよう取り繕う。 「ん……結構前から思ってたんだけど、さ」 陽菜が少し言葉を選んでいる隙に、会話の流れを変えるべく俺は言った。 「別に何も変わらないよ、変なこと言うとキスするぞ?」 する気なんて全くなかった。 ただ陽菜はぼっと顔を赤くして、「ばかっ」とでも言いだしながら逃げ出す……と思ったのだけど。 「ん? してもいーよっ」 「なっ……」 「んちゃってー! じゃあねっ! 適当に代返頼んどいてあげるよーっ」 陽菜が急加速して俺の目前から離脱し、ぶんぶんと手を振りながら曲り角を曲がって視界から消えていく。 ……やられた。 いつもは俺が主導権をとれているのに、今日は完全にからかわれたな。 いつもならあそこで逃げ出すのが陽菜らしい反応だと思ったのに、何というか、あいつも変わった……のか? 「ちっ……ん?」 ちょっとした悔しさを胸の内に収め歩き出そうと足を動かしたら、かつんとつま先に何かが当たる。 陽菜の落し物かと思い拾い上げてみれば、それはなんとも懐かしさを感じさせる代物だった。 「カセットテープ、か?」 いや、それより一回り小さい。 こういうの、何に使うんだっけなあ。昔見たことある気がするんだけどどうも思い出せない。 「うーん……」 ちょっとした時間の流れにショックを受けながら、まあこれは後で陽菜に渡しておくかと鞄にしまっておき、再び学校への道を歩き出した。 学校に来たのはいい、いいのだけれど教室についた時には誰もいなかった。 どうやら教室移動で皆化学室に行っているらしい。 「…………丁度俺が嫌いな授業か」 モルとかコサインとか見てると体がむずむずするんだよな……。 そういうわけで、俺はサボリ学生にも寛大な購買のおばちゃんに感謝しながら、屋上への踊り場へ向かうことにした。 ちなみに屋上へは入ることは出来ない。……いや一ヶ月くらい前までは入れたのに、何故か急に閉鎖されたのだ。 美羽達なんかと結構一緒にお昼を食べたりしていた憩いの場だったのに、まあ夏は暑いからあまり利用しないのだが。 「え」 しかし、踊り場についてみれば、何故か扉がほんの少しだけの隙間を残して開いていた。 誰かのいたずらか、管理者の怠慢か。 どちらにせよこれは入らないわけにはいかない。俺は躊躇うことなくノブに手をかけて扉を押す。 「……でかっ!!」 屋上自体は、何も変わらない。ちゃんとフェンスがあって、ベンチがあって、どこかが壊れたりして閉鎖されたわけじゃあない。 恐らく、というか絶対に、原因はこれだ。 屋上の面積の半分以上を占める巨大な物体。全体にブルーシートがかけられているために何かはわからないがとにかくでかい。 「なんだ、これ」 良くわからないが好奇心を刺激する、隠されたら見たくなる。それが人間というものだ。 だけれど、それは一枚の紙きれによって阻止された。 『見たら殺す』 まるで俺がここからめくってみるとわかっていたかのような位置に、そう毒々しい筆致で書かれた紙が貼ってあった。 「……二枚あるな……」 ぺらりとめくってみる。 『見たら→→→→→→↓』 「…………」 思わず矢印の方向を見てしまう……が、その先にはフェンスとその向こうに広がる青い空しかない。 つまり、見たら紐無しバンジーさせるぞこのファッキン野郎ということ、か。 見たかどうかの証拠なんて残らないと思うが、こんな紙を残すくらいだから何かトラップが仕掛けられていても不思議じゃないな。 「やめておくか……」 まあサボるのに不都合はないしこのままにしておこう。 ……『最後の日』に見てみるのもいいかもしれないけどな。 「……あーあ」 ベンチにぐたっと腰をかけ、まるで生き甲斐だった会社でリストラされ公園で呆然とするサラリーマンのようにもそもそと飯を食い始める。 昼休みの争奪戦に巻き込まれていたら確実に手に入らなかっただろうヤキソバパンだ。ありがたく頂くとしよう。 パクリと一口。 「うめぇ!」 芳醇なソースの香りと紅ショウガが絶妙なハーモニーを生み出し、一度食べ出したらその勢いが止まらない。 こんなにうまかったのかよ、入学してからずっと諦めてたから知らなかったよ、購買のレベル超えてるよこれ。 もう余計な比喩とか必要ないな、ただ「美味しい」という一言だけがすべてだ。 これから毎日さぼってこれを買おうかなんて邪な考えが脳裏を過ったが、流石にそれは無いわな……。 「ん? 開いてる……ってなんじゃこりゃあああああ!」 今朝の妹ばりにGパンな叫びに入口の方を見てみれば、悪友の貴俊が謎の物体を目の前して固まっていた。 「これはツンツンと好奇心が刺激されるな……中身はなんだ?」 ブルーシートに手をかけた所で、一応は止めておいたとやるかと声をかける。 次の日の新聞の隅に、『アホ高校生転落死』なんて記事が載ったら後味が悪い。 「やめとけよ、貴俊」 「あ? お、おお! お前は……! …………お前じゃないか!」 「……帰るわ」 「やーめーろーよー冗談だよー大翔ー、でゅくし! でゅくし!」 「小学生かお前は」 ええい鬱陶しいと、やたらと絡んでくる貴俊を振り払う。 「冷たいなあ、大翔は。サボリか?」 どかっと隣に座る貴俊、その右手にはやたらと膨れ上がった鞄が握られている。 ……なんか異様な膨張率を見せているが、少し怖いので触れないでおこう。 「まあ、サボリだな。ただちょっと大人な事情の考えごとがあってさ」 「大人な事情か、それよりあのでかいのなんだろうな?」 華麗にスルーしやがった。 まあ突っ込まれた所まで訊かれても困るだけなんだけど、無視されるのは結構むかつく。 人間ってのは自分勝手な生き物だなあ。 「さあな、わかんないけど。見たら殺されるらしいぞ」 ちょっとした苛立ちを胸の内に収めながら言う。 貴俊は、もう興味を失ったのか「ふーん」と適当に返しながら鞄から五本のちくわを取り出した。 「ってちくわ!? 何故ちくわ!?」 「昼飯……かなあ?」 「かなあって」 疑問形で言われても。 しかも貴俊はその五本のちくわを食べるのかと思いきやお手玉し始めた。 いや、物凄いジャグリング技術で普段なら褒めてやりたいところだけどそれは食べ物だ、粗末にしちゃいけない。 「おい、ちくわで遊ぶなよ」 「ちくわって投げる為にあるんだぜ?」 お前のちくわの使い方、イエスだね! ……とか言うわけがないし、もうこの行為の意味自体わからない。 「ここで鉄アレイ入りまーす」 「やめろこのファミコン忍者野郎!」 最近レトロゲーにはまってるとか言ってた気がしてたけど、リアルに影響を及ぼすなこのゲーム脳が。 お前みたいな奴のせいで規制がどんどんと厳しく「あ」……って『あ』って何だ『あ』って。 貴俊の上空を見上げる視線を追えば、ゆっくりと空に舞い上がった鉄アレイが背面跳びでフェンスを乗り越えようとしていた。 力加減を間違えたのか知らないがちくわもそれに追随して舞い散った。 「お……おおおおおいっ!」 落ちてゆく鉄アレイ、そしてちくわ。焦ってフェンスに張り付くも、真下までは見えないので目で追うことはできなかった。 「…………」 「…………」 隣で冷や汗をたらたら掻いている貴俊と眼が合う。 「ニコッ」 「ニコじゃねえよ! 下に人がいたらどうすんだよ!」 「それでもちくわなら……ちくわなら何とかしてくれる……!」 してくれないし、出来るわけもない。 とりあえずお前は反省の色を見せておけ、不祥事起こして逆切れする会社役員じゃあるまいし。 「ま、まあ何も声は聞こえないし、大丈夫だって!」 「……そうだったらいいけどな」 気になりはしたが、ここから下まで全力疾走するのも面倒くさい。 まあ今は体育の授業はどこもやってないようだし、大丈夫だろう……大丈夫だよね? うん、大丈夫。無理やり自分を納得させた。 「はあ、いい天気だなぁ」 お前は都合良く切り替えが早いよな。 自分にとって都合が悪いことは三歩歩けば忘れる男、黒須貴俊。 ……だけれどそんな奴のせいで疲れるのも癪だし、俺は適当に流してペースを合わせることにする。 「暑いな……」 流石に夏の日差しがこたえてきて、汗で少し蒸れてくる。 そろそろ中に戻ろうかなと思ったが、結局サボリ場所が思い当たらずに動けない。 そんな風に思考をぐるぐるとさせている内に貴俊が口を開いた。 「大人な事情って、なんだ?」 「え?」 「言ってなかったか? 悩んでるとかさ」 「……ああ」 急に話題を巻き戻すものだから少し戸惑ってしまった。 しかし、悩みを相談できてこその友人とはいえ世界の崩壊について話すわけにはいかない。 真面目に話せば吹聴することもないだろうけれど、普通に話して信じてもらえることではないからな。 (姫に口止めもされてるし……) だけれど、例え話なら止められてはいない。レンあたりは屁理屈だとごねそうだけれど。 「……あのさ」 「うむ」 「もしさ、明日、地球に隕石がぶつかるってわかってしまったら、どうする?」 「どうするって……」 あまりにもぶっとんだ話だったからか、貴俊が少し間の抜けた表情で驚いていた。 「地球がぶっ壊れて、皆死んじゃうんだよ。お前だったらそんな状況で何をして過ごす?」 「…………それは、真面目に考えなきゃならん話か?」 「ああ、一応考でいいから考えてみてくれないか?」 「……………………」 貴俊は俺の頼み通りに考えてくれているらしい。 普段はふざけてはいるが、友人の頼みとあらば無碍にはしない。こいつはそういう奴だ。 だからこそいつまでも友人でいたいと思っていられる。 「はあ……」 貴俊の返事を青空を見上げながら待っていると、「多分……」と貴俊が呟き始める。 「多分、何もしないな」 「え?」 それはどうとでもとれるような言葉であって、俺にとっては少し意外な科白だった。 「……その最後の日はさ、皆で遊びに出掛けるんだよ。そんで皆で腹が破裂するくらいにうまいもん食ってさ、海なんかで泳ぎまくって、恥も外聞も無く路上で歌いまくって、 疲れたら家に帰って『おやすみ』って言って眠って……皆と一緒に死ぬだろうな」 「………………」 それは、全てを受け入れるということ。 今までの積み重ねてきた人生が、これから先ある筈の未来が、理不尽に全てが奪われるという絶望に直面しても尚……嫌、直面したからこそ、なのか。 「多分、最後に犯罪とかする奴もめっちゃくちゃ多いんだろうな、そんな日が来たら。でも俺は他人に迷惑をかけないように静かに死にたいね」 まあリアルにあるわけないから。ただの妄想だけどな。と貴俊は付け足した。 「誰かと一緒にいたい、とかないのか?」 「どうせ皆死ぬなら、同じだろ?」 ……なるほどな。 「そっか。参考になったよ……ありがとう」 一つの判断材料として、貴俊の言葉を心の中に刻み込む。 「で、この質問に何の意味があったんだ? 中二病度計測か?」 「んー……多分、意味なんてない……かな」 そう、意味なんて無い。 いくら考えた所で、結局俺の胸先三寸で全てが決まってしまうのだから。 ……言うならば、これはただの自己満足。自分は悪くないと、擁護するための保険。 「なるほど、やおいか!」 何を血迷い事を。 「やおい?」 「やまなし、おちなし、いみなし。……つまり……うほっ……」 即座に傍を離れようとして飛びのけば、少し逃げ遅れた左腕ががっちりと掴まれて……。 「アッーーーー」 「……じゃねえよ! キメエよ!!」 散乱したちくわを五本くらい一気に貴俊の口の中に突っ込んで逃げた。 「ふもが」 白目を剥いて口から何本ものちくわを生やした様はまさにモンスターで、そのまま校舎内を30分間ほど追い回された時は死の恐怖を感じた。 「ふもがぁー」 噛み切れよ、ちくわ……。 後日授業中の廊下を走り回るちくわ男の噂がたつことになるのだが、それはまた別の話。 「はあ」 30分の全力疾走は、最近運動不足気味だった俺には多少堪えた。一年前の運動不足から回復したと思えば、すっかり元に戻ってしまって情けない。 「疲れた……」 今はどこぞの不良みたいに校舎裏でうんこ座り中だ。 ここは絵に描いた不良のような人々はいないので安心して休むことができる。 「どうするかな……」 そろそろ教室にもどるか、しばらくここにいるか。 さして重要な選択でもないように思えるが、時間は残り少ない。 無駄な時間なんて無かった、そう思えるように行動しなければいけない……。 1 教室に戻る 陽菜ルート 2 ここにいる ノアルート そろそろ昼休みの時間帯だし、教室に戻るか。 昼休みの教室は相変わらずの喧噪につつまれていて、その中にユリアやレンの姿を捜したけれど見つけることはできなかった。 いつも二人は美優の作った弁当を二人で食べているはずなんだけれど、今日は主に一人のせいで時間をとられて作ることが出来なかったのだ。 ……はいはい、俺のせい俺のせい。 せっかくさぼったんだから、二人の分のパンも買っといてやれば良かったな。 まあ、俺はもう昼飯を食い終わっているわけだし。 次の授業が始まるまで、この喧噪を子守唄にしながら惰眠を貪ろうとしたのだけれど、 「ひっろっとっー!」 やたらと元気すぎる幼馴染の存在がそれを許してはくれないようだった。 「と、トロツキー」 「お? き、キユ!」 ロケットで駆け抜けろ!? 「ユンカース」 「煤!」 「す、すき……」 「えっ」 「すめきときす……」 「なにそれー?」 「知るか、というか何でしりとりなんだよ」 「そんなの、私に訊かれても困るかも……」 …………。 少し前の記憶を掘り起こしてみる。 ああ、確かに俺から始まってるな。 「つーか結局遅刻どころかサボりまくってるし! 何でサボったの?」 何でと言われても困るな。特に意味なんてないのかもしれないし、敢えて言うのなら『考え事がしたかったから』だろうか。 だけれどそんなことをこの久しぶりにやってきた孫に接するお婆ちゃんみたいなお節介さを秘めている幼馴染に話せばどういうことになるかわからない。 「空が、あまりにも青かったから……かな」 「RI・FU・JI・N」 無駄にローマ字で怒られた(?) 「もう……朝も言ったけどさ。やっぱりちょっと変じゃない? 前は理由も無くサボったりはしなかったのにさ?」 「べ、別に変じゃない」 「心当たりがない人はどもったりしないよ?」 なんて的確な指摘だ……。 こ、ここは右から左に受け流して方向転換するしかない。 えーと……ま、マホカンタ! 「それを言うなら、陽菜の方だっておかしいだろ?」 「……え?」 「いや、今朝からやけにハイテンション過ぎだろ。前はそんなことなかった」 正直に言えば、これはただの苦し紛れだった。 陽菜がハイテンションになることなんてたまにあることだったし、ただその場の話を逸らすことができればそれで良かったんだ。 だけれど……。 「い、いやぁ、そんなことないって……。あはは、あははははははははは」 お前の方がよっぽど顔に出てるじゃないか。 推理小説で「私が犯人です」って名乗り出ちゃって、でもあまりにも怪しすぎるから逆に容疑から外される。 わかり易いようでわかりにくい、そんな感じだ。 「あ、あのさ……実は……」 「ヒロト殿!」 陽菜が何か口を開きかけたところで、城に打ちいられたことを告げる伝令のように必死な様相のレンが、どどっと教室になだれ込んできた。 「は、話がある! 来てくれ!」 「レン!? ど、どうした?」 ま、まさか……崩壊について何かが!? 荒々しく席を立ってレンの方に向かおうとすれば、陽菜が「あ、ヒロ君……」蚊の鳴くような声で何かを呟く。 その瞳には迷いを秘めた鈍い光があったように思えたけれど、今は構っている暇がない。 「悪い、陽菜。後にしてくれ!」 悪いとは思いつつ、俺は陽菜に背を向けた。 「レン、何があったんだ?」 なるべく人気の無い場所まで行きたかったらしいが、屋上まで行くにはあまりに時間が足りない。 まあ、今はどこでも騒がしいし、小さめの声で話せば余程注意して聞き耳をたてられない限り聞かれることはないだろう。 「その……なんだ……」 「え?」 レンにしては珍しいそのぼそぼそとした喋りに、紅潮した顔。 学ラン姿のまま目の前でそんな顔をされると、思わず変な方向に目覚めてしまいそうになる。 「だから……私……ホモ……んだ」 「ええっ!? レン、ホモだったのか!?」 ざわっ……。 一瞬にして、廊下の喧噪がピタリと止んだ。 そして、皆が皆、奇異な物を見る視線を俺とレンの二人に向けている。 レンは金魚みたいにぱくぱくと口を開いて呆然としているし。 俺もあまりに迂闊な発言をしすぎたことに焦っていると。 「……でさー……」 「あはは……」 このまま視線に晒され続けるかと思いきや。 止まっていた時が動き出したかのように、再び廊下に喧噪が戻る。 ……いや、きっとそれは表向きだけの話だ。きっと、既に裏のネットワークには情報が出回りまくっているに違いない。 「きっさまあああああああああ!」 完熟トマトなんか目じゃない、太陽のプロミネンス並に熱くなってそうな顔をしたレンに胸倉を掴まれる。 「うわ!」 流石に基礎体力から違う。見た目は俺の腕の半分くらいの細さなのに、軽々と足が持ち上がってしまった。 「く、くるしいよ……」 「う、うるさい! いきなり妙なことを言い出すせいで……!」 ………………。 ………………? 流れ出した時が、また止まっている? 苦しいながらも周りを見渡せば、先ほどまでと同じように、周囲の人間みんなが穴を開けそうな程にこちらを凝視していた。 こ、このままではまた妙な噂が伝播してしまう! きっとこんな感じだ。 レンと俺がホモだとかなんとか言っていた。 ↓ レンと俺がホモでアッーな関係だ。 ↓ レンが俺の胸倉を掴んでいた。 ↓ 俺が別の男になびいて修羅場な状態だ。 こんな漫画的展開になってしまうに違いない! ……違いない、のか? いや、つーかレンが女って皆わかってるはずだよな!? ならないよな!? レンもようやく二度も視線を集めてしまっていることに気付いて、今は逆に一周して青ざめている。 「こ、こいっ!!」 びゅーん そんな擬音が配置されそうなくらいのスピードで、廊下を駆け抜けるレン。 ……俺の胸倉を掴んで引き摺りながら、だ。 その物凄い握力や腕力に感心したくなったり、抵抗出来ない自分が情けなくなったりした。 「はぁ……はぁ……」 人気に無い場所を探しまわって校舎内を駆け回っていた俺達は、ようやく体育館の器具倉庫の中で落ち着いた。 朝は誰もいなかった踊り場にいってみればそこには濃厚なキスを交わしながら乳繰り合うカップルがいたり。 校舎裏で謎のちくわ怪人に遭遇してレンが一瞬で蹴倒したりいろいろあって、ようやく、だ。 「あーあー……」 学ランの前ボタンがバラバラと取れてしまっている。 これじゃあまた美優と美羽に怒られるな……。 そんな心配をしている内に、すっと息を整えたレンが真面目な顔でこちらを睨みつけてくる。 ……多少、いやかなり怒りが混じっているけれど。 「紆余曲折あったな。……いや、はっきり言わなかった私が悪いともわかっている。だからもうこの件は忘れよう」 俺も、出来るならばそうしたいところだ。 「いや、忘れてくれ。忘れたい。忘れさせてくれ……」 「お、おい、レン?」 ずんずんと沈んでいくレンに声をかけると、「はっ」と大切なことを思い出すかのように顔を上げた。 「そ、そうだ。とんでもないことが起きたのだ!」 「な……ま、まさか、崩壊について何か……!?」 「いや、そういうわけではないのだが」 えー。 レンはこほんとわざとらしい咳をして、心して聴いて欲しいと前置きをしてからしゃべりだした。 「……私はな、その……所謂ホモという人種の男に告白されてしまったのだ!」 「ぶえーっ!?」 唐突に地球がひっくりかえるような衝撃的告白を受けたせいで、ギャグ的な声で驚きを表現してしまった。 ……いや世界崩壊の一週間前にこんなイベントってあーた。 「どういうこと? 順を追って説明して欲しいんだけど」 「ああ、簡単に話すとだな……」 レンが恥ずかしそうに話す内容をまとめると、大体こうなる。 昼休み。 姫は職員室に用事があり、その間レンは購買でパンを買う役目を仰せつかったそうだ。 まあ、あのぽわんとしたお姫様じゃあ購買前の戦争には勝てないだろうし、ポテンシャルの高いレンに任せるのはいい采配だと言えるだろう。 だが、いくら身体能力が常人より並はずれて高いレンとはいえ、人海戦術と慣れない戦場の前には完全な目的達成は不可能だった。 姫が名前に興味を持った三色パンは変えなかったのだ。 まあ、あの姫様は「名前からして奇麗そうなパンですね!」とか言い出しそうではある。 レンは良く頑張ったし、どう考えても姫がそんなことで怒るとは思えなかったが、このままでは合わせる顔がないと校庭をしょぼんとした顔で歩いていた。 そして、そこに問題の人物が現れたのだ。 「あ、あの。レン・ロバインさん!」 「ん? 初対面のようではあるが、何か用か?」 「ぼ、僕と付き合ってください!!」 「はあ!?」 「僕、あなたのような強い人が好きなんです!」 「い……いや、そう言われても、だな」 「確かに、軽蔑されても仕方ないです。同性愛なんて、気持ち悪いと思う人がほとんどですし……」 「どうせい、あい?」 「でも、そんな性別の壁なんてどうでもよくなるくらい、僕はあなたみたいな素敵な男性が好きなんです!!」 「ぇ、えええぇぇぇぇえええええっ!?」 「あ、あの。明日の朝校舎裏に来てください! 返事はその時にっ!!」 レンが、「私は女だ」と釈明する暇も無くその男は去っていったのだという。 幸い周りに人はいなかった為に誰かに聞かれることはなかったが、どうしていいかもわからなかったレンは姫様にパンを全て預けて俺のところにやってきた。 「……というわけか」 「ああ……」 俺は何か座れそうなものを探したけれど、マットもあまり奇麗そうではないしこのまま立っていよう。 「あのさ、レンは……どうしたいの?」 相談に乗ってくれと言われても、まずそこがわからないと俺にもアドバイスのしようが無い。 まあ、そもそも恋愛経験すらほぼ無いと言っていい俺にまともなアドバイスが出来るかどうかは甚だ疑問なのだが。 しかし願う者には救いの手を与えなければいけないのが当然だ。出来る限りのことはしよう。 「どうしたい、とは?」 「その人の告白を受けるのか、受けないのか」 まあ、火を見るより明らかっつーかわかりきっていることだけれど、一応訊いておく。 「受けるわけ、無いだろう」 「……? ま、まあそうだよね」 俺は、かっとなったレンに「受けるわけないだろう!」ってな感じで言われるかと思ったのだけれど、予想していたよりも勢いが無い。 「彼が求めているのは男の恋人なんだ。私が女である以上彼の期待を裏切ってしまうことになるからな……」 どうやら、レンはかなり真面目に考えてしまっているらしい。 いや、レンは男女問わず今までかなりの告白をされている筈だけれど、それは全てレンを女として見ている人からだ。 男扱いされての告白は初めてだから戸惑っているのだろうな。 もうレンが学校に通い始めて半年以上経つのに、レンが女であることを知らない人なんて既にいないと思ったんだけど……。 まあ、自分達の知っている目線だけで世界が回っているわけではない、そういうこともあるか。 「出来れば、後腐れのないように断ってやりたいのだ。崩壊まであと一週間……。なるべく傷つかないように……」 ……ああ、そっちの理由もあったか。 あまり、こちらの世界に禍根を残したくはないんだな。 「だったら……やっぱり、誤解を解いてあげるしかないんじゃないかな」 「自分から『私は女だ』と告げるのか? ……自分の告白を断ろうとついている嘘ではないか、という取られ方をするかもしれないだろう……」 「深く考えすぎじゃないか?」 もう少し肩の力を抜いて考えてみたらどうだ? と言ってみるけれど、レンは「難しいものだな」と呟いて俯いてしまう。 「ここに来ていろんな人々と新しく知り合った。こんな私にもたくさんの友人が出来た。 だけれど私はこの世界を出て行って……彼らはみんな何も知らないままに滅びる。 告白してきた者も、知らない者も、ひとしく。そう考えると………………、この先は、どう言葉にして良いかわからんな…………。 とにかく難しくて、私にはどうしたらよいのかわからなくなる」 それは、きっと俺と姫が抱えているであろう悩みとほぼ同じものだろう。 崩壊を知るが故の孤独。 助けることが出来ないという絶望。 だけれど……いや、だからこそ最後まで考えなくちゃあいけないんだよな。 「でも、言うしかない。……俺にいい考えがあるから、家に帰ったら話すよ」 「何故だ? ここで話せばいいだろう」 「もうすぐ、六時間目の授業始まるからさ」 まあ、何があっても訥々と過ぎていく時間のおかげで、俺は結局五時間目までの連続サボリ記録を更新してしまった。 最後の授業だけ出たところで何をしに来たと言われるかもしれないが、出ないよりはマシだろう。 「ああ……そうか」 レンも必死で気付かなかったんだろう。 責めることなど出来ない。 「じゃあ、行こうぜ」 正直に言えば、この薄暗くて埃っぽい倉庫からは早く出てしまいたかった。 少々建付けの悪い戸を何度かガンガンと蹴ってから開いて――体育の授業にやってきた生徒の集団と目が合った。 「……え?」 俺はしばらく口を開いたまま唖然としてしまい、レンは青ざめるどころか土気色にまで染まっている。 やばい、死の色だ。 待て、冷静になれ結城大翔。 荒々しくボタンが全て引きちぎられた学ラン……休み時間から授業をさぼって、二人で入っていた体育倉庫……。 二つの符合から導き出される答えは、一つ……! 「あ、悪夢だああああああああああああああああっ!」 レンの悲痛な叫びが、体育館に木霊した。 「無駄に疲れた……」 夕日が赤々と燃えあがり、影を前に伸ばしながらの帰り道。 今は一人で歩いている。レンはユリアを探してから一緒に帰るということだ。あんな状態でも使命を忘れないとは、全くメイドの鑑ってやつだ。 ……しかしまあ、噂については我が愛すべきクラスメイト達が聡明であることを祈るしかないな。 「…………!」 「ん?」 どこかで誰かが俺を呼ぶ。 ヒロトイヤーに頼ってみれば、それは後方100m程から俺を呼ぶ美羽だとわかった。 一応説明しておくと、ヒロトイヤーとは半径100mからの妹達の声を識別できるのだ。(誰でも出来そうで出来るわけではない) 「つーか、やけに元気だなあいつ」 ちぎれそうなくらいぶんぶんと手を振りながら走ってくる。 夕日を背負っているので表情は見えないけれど、その眼はくりぬかれたかのように光ってまるでハンターだ。 はははっ、そんな兄に会いたかったのか妹よ! さあ、抱擁してやるから胸に飛び込んでこい! 「こんの馬鹿兄貴Take2!!!!!!!! WRYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYっ!!!!!!!」 グッパオン! 「あじゃぱああああああああああっ!」 こちらが構えを取る前にゴングが鳴った。 試合開始零秒 結城大翔【×-○】結城美羽 決め技 ウォールオブシスター(ツインテールの壁) い、いきなり大技すぎやしませんか、マイシスター……がくり。 俺の意識は夕日と共にゆっくりと沈んでいくのだった。 「…………ん」 誰かが、俺を呼んでいる。 奈落の底に落ちた俺の意識を、優しく手を差し伸べるかのように引き上げてくれる。 「お兄ちゃん……」 ああ、わかってる。 もうそろそろ、起きなくちゃいけないよな。 「陽菜……」 「え?」 瞬間、ライトに直接照らされたみたいな白色が視界を支配する。 急に目に飛び込んできた刺激を腕で遮断し、段々と目を慣らしていって見たものは、俺の部屋の天井だった。 「…………あれ?」 何で、俺はこんな所で寝てるんだ? 「お兄ちゃん、起きた?」 首を横に捻ると、ベッドの横に椅子を運んでちょこんと座っていた美優がいた。 「頭におっきいこぶできちゃってたから、心配したよ……」 「ああ、そうか……。美羽のせいで……」 くそ、あの生意気ツインテールめ、成敗してやらねば。 思い立ったが吉日、有言実行即執行。 美羽にリベンジを挑もうとベッドから降りると、頭をピストルで撃ち抜かれたかのような衝撃と共に痛みが走り抜けた。 「っ……!」 おいおい、ここまで強烈にやってくれたのかよ、美羽の奴。 「お、おにいちゃん! じっとしてなくちゃ駄目だよ、思ったより重傷みたいだし……」 膝をついて崩れ落ちた俺の体を支え、ベッドの上まで押し戻してくれる美優。 その表情には、俺を心配する以外にも何かを怪訝に思う不安さがにじみ出ているように思える。 「ありがと、美優……」 「あ、あのね、お兄ちゃん……」 「何だ?」 「さっき……陽菜さんの名前を呼んだのは……何故?」 え? 俺が陽菜の名前を……呼んだ? 「いや、そんなこと、無い……と思うけど……」 寝ぼけてたのだろうか、じっくり思い返せばそんなことが無いでも無かったような気もするけれど。 「う、ううん。思い出せないならいいの。……それより、他に訊きたいこともあるし」 妙に焦った様子でぱたぱたと手を振り、ふーっと深呼吸をして一端間を作る。 そして、少々怒っているかのような顔をして言った。 「お兄ちゃん、どうして今日は……学校をサボったの?」 「……あー」 やっぱりそっちもくるかー……。 俺がバツが悪そうに頭をぽりぽりと掻いていると、美優は慌てて。 「べ、別に怒っているわけじゃないんだよ? お兄ちゃん」 と、取り繕い、「ただ」と続けた。 「お兄ちゃんが……理由もなく丸一日サボるだなんて、思えないし……。何かあったんじゃないかって、思って……」 美優は、心から俺を心配してくれている。 だけれど俺はその理由を話すことができなくて、正面から心を向き合わせることができなくて、悲しくなってくる。 「それに、ずっと前から、何か悩んでる……みたいだし」 「え? な、なんで?」 俺、そんなに顔に出してたのか? ずっと気取られないようにってがんばってきたのに、無駄だったのか? そういえば、陽菜にも何か感付かれそうになったし……、俺は隠し事をするのが滅茶苦茶下手なのかもしれない。 「ずっと一緒に暮らしてるもん……お兄ちゃんの、ちょっとした変化とか……すぐに気付くよ……」 目は口程に物を言う。 血は水よりも濃い。 美優とは血の繋がりは無いけれど、それでも、敵わないな……。 土壇場で強いのは、実は美羽じゃなくて美優みたいに普段は大人しいタイプなのかもしれない。 でも。 「……そっか、でも大丈夫。これは俺が考えなくちゃいけないことだから……」 「そう、なの。……でも、私に手伝えることがあったら何でもするから。遠慮せずに、言ってね?」 「ああ、ありがとう」 美優の頭をぽんぽんと撫でる。 多少躊躇するかのようにそれを受け入れた美優は、しばらく撫でまわされるのに身を任せて目を細めていた。 「それじゃ、晩ごはん出来たら呼びにくるから……それまで休んでてね?」 「ああ、わかった」
https://w.atwiki.jp/bokuchu777/pages/167.html
1 逃げる バッドエンドルート 「記憶を、消してくれ……」 そう告げた瞬間、ユリアは心底落胆したかのような表情を見せた。 「……わかりました。後悔は………………いえ、意味が無い質問はやめましょうか」 ユリアが、影の中をひたひたとこちらに向かってくる。 端から見れば、今の姿勢は姫に跪く従者のように見えるだろうか? ……いや、見えないだろうな。 今の俺なんて、乞食以下の卑しく弱い存在なのだから。 「では、これから記憶を消去する魔法をかけますが……何か言いたいことは?」 「………………厚かましいけど、妹達を……連れて行ってやってくれ。二人が、寝ている間にでも」 人のことを自分勝手だなんて言っておきながらこんなことが言えてしまう自分が、最後の最後で死にたくなる程嫌いになった。 「……わかりました。ヒロトさんがそう言うのなら、そうしましょう」 ユリアの白い手が俺の額にかざされて――。 ジリリリリリ。 「うおあっ!?」 夏にしてはさわやかな朝、俺はセットした覚えのない目ざましに叩き起された。 ……なんだか嫌な夢を見ていたような気がするけれど、あくまでも気がするだけという話。 光のエネルギーを充填しようとカーテンを開き、眩しさに目を細めながらも日光を全身に浴びて力をチャージする。 「いよしっ!」 今ならソーラービームも撃てそうだなんて考えながら制服に着替える。 時間を確認すれば七時ぴったりで、無意味にうれしくなったりした。 「よっす!! 皆おはようっ!!」 どたどたと地響きを響かせながら階段を降り、無駄はりきりながらリビングに入った――が。 「……あれ?」 そこには、誰もいない。 朝食を用意する為にキッチンに立っているはずのエプロン姿の美優も、遅いよ兄貴と俺を叱る美羽も、剣の鍛練を終え少し汗をかいているレンも、そんな皆を見てあらあらと笑っているユリアも。 誰も、いなかった。 「先に学校行ったのか……?」 その可能性は限りなく低いし、すぐに否定された。 まだ、美羽と美優の靴は残っていたのだ。レンとユリアは確かでは無いが、妹達は家を出ていない。 「……何だ?」 胸に、言い様の無い不安が募る。 シャツを裏返しで着ているみたいに気持ち悪くて、歯車がずれて軋み、全てが崩れてしまいそうな錯覚を覚える。 ……いや、ただの錯覚だ。朝からはしゃぎすぎて調子がずれているのかもな。 「…………」 そう合点をつけようと思ったけれど、不安は拭いきれない。 俺の足は自然と美羽の部屋に向かった。 「美羽、起きてるか?」 控え目なノックをして、返事を待たずにドアを開ける。 ――誰もいない。 ベッドのシーツにも乱れた様子は無く、熱も籠っていない。 ……つまり、誰も寝ていないということだ。 最初から、誰もいなかったとでも言うのか? 夜に出かけて朝帰り? あの美羽がそんなことをするとは思えない……。 「美優……!」 焦りを隠しきれずに、駆け足で美優の部屋に向かう。 今度はノックもせずに中に転がり込むように入り――結果は、同じだった。 「なんで……! 何で誰もいないんだよ!?」 そして誰もいなくなった。 そんな小説のタイトルを思い浮かべた。内容なんか知らないけれど、名前だけは知っている。 でも、人間が急に消えるわけがないんだ! 俺はポケットから携帯を取り出して二人の番号にかけようとして、すぐにそれが無駄だとわかった。 机の上に、二人の携帯電話が仲良く並んで置かれていたのだ。 「どこに……!」 どこに行ったんだ!? 気がつけば、俺は外に飛び出していた。 警察を呼ぼうかとも思ったのだけれど、それはまだ早計だとも思った。 「そうだ、陽菜にも探すのを手伝ってもらえば……」 寝起きは悪い奴だけれど、事情を説明すれば飛び起きてきてくれるだろう。 友達のピンチは必ず助けてくれる。あいつはそういう奴だ。 アドレス帳から陽菜の携帯に電話をかける、早く出てくれとだけ願いを込めて携帯を握りしめ……。 プツッ 「陽菜か!?」 1コールもしない内に電話が取られたかと思えば、返ってきたのは絶望だった。 「お掛けになられた電話番号は、現在使われておりません――」 「な……」 予想外の事態に、膝を折る。 陽菜も、いなくなった……!? 俺の大切な家族や友人ばかりが消え去り、わけがわからずに混乱だけが重なり、意識していないのに涙が零れた。 何で、何で何で何で何で何で……! 役に立たない携帯を放り出し、街を駆けずり回る。 助けを呼ぼうだなんてもう思えなかった、これ以上他に誰かがいなくなっていたらだなんて考えたくない。 「がっぁっ……!」 そして、無様に転んだ。 ……運動不足だったから、足がもつれたんだ。 痛い。 ……体以上に、心が。 『最も後悔する道だと思われますけど』 ふと、そんな言葉が心の中に浮かびあがった。 誰が言ったのかわからない、いつ言われたのかもわからない。 もしかしたらどこか本で読んだ文章の一部かもしれない。 でも、そんなのどうでもいい……どうでもいいから……! 「後悔してるかどうかなんて、わかんねえよ……! どこにいるんだよ……! 美羽!!! 美優!!! 陽菜ぁぁぁぁぁーーーーーーっ!!」 叫びに反応するかのように、目の前に黒点が浮かびあがった。 「……え?」 虚空に穴を空けたかのように、ぽつんと球体のような穴が浮いているのだ。 「なんだ、こ――」 れ。 最後まで言い切ることも出来ずに、全てが消滅した。
https://w.atwiki.jp/bokuchu777/pages/182.html
(そういや……陽菜の家ってあんまり来たことが無いな。……最後に来たのはいつだったか……) 「……わからん」 記憶のパズルは半分程完成しているんだと思う、だけれど何故か重要な部分ばかりが抜け落ちてしまっている。 後1ピースでも正しい記憶を当てはめれば、残りは芋づる式に引っ張り出せる、そんな気もするのだけれど……。 「ぐーてんもるもるー、おまたせヒロ君!」 「……おう」 ドイツなのか化学なのかも良くわからない挨拶と共に戻ってきた陽菜が右手に持っていたのは、今ではあまり見ない程大きい家庭用のビデオカメラだった。 ずんぐりとしていて随分と重そうではあるのだが、陽菜が言うには「見た目ほど重くはない」そうだ。 「それ、持って歩くのか?」 「んー、夜景とかも撮っておきたいじゃん? まあ物が物だしあんまり奇麗には映らないんだけどね……」 新しいものに買い替えればいいのにと進言したのだが、陽菜にそれは無粋だよと駄目だしされた。 「新しければそれでいいってわけでもないよ? ……ま、そんなこと言ってもしょうがないって! 早く行こう?」 陽菜が俺の手を取って歩き出す。 夏の夜とは思えない程に涼しい風が吹く闇の中を、純真な子供のような好奇心を抱えて進んだ。 元は、陽菜のおかしな様子が気になって付き合っていた散歩だった。 だけれど、今俺は全てを笑い飛ばせるくらいに楽しんでいる。 陽菜との取り止めの無い会話だったり、俺が制服姿だったせいで警察に追いかけられたり、ゲーセンの格ゲーで陽菜に惨敗したり。 いつの間にか、陽菜を心配する立場から一転して共に笑ってしまっていた。 ……これほど笑ったのは久しぶりだ。 陽菜と遊ぶことがこれほどまでに楽しいなんてな……。(まあ、崩壊を目前にして精神のタガが外れていたと言うのもかなりの要因を占めると思うが) でも、このまま崩壊を迎えても、笑って死ねるかもしれないと少し思える程には、心が至福に満たされたんだ。 「はぁ~……つっかれたー……」 そしてまたあの公園に戻ってきている。 互いに息が上がっていて、二人してベンチに座って天を仰いでいた。 「いやぁー、でも、いい絵が撮れたさー」 「……そうかぁ? ずっとぎゃーぎゃー騒いでただけで、夜景やらなんかは全然撮ってなかっただろ?」 「ぎゃーぎゃー騒ぐからいいんじゃない!」 撮影のポリシーについて自分に酔いながら熱弁を振るう陽菜に生暖かい視線を送っておく。 「というわけでかの伊丹十三がねぇ~……ヒロ君聞いてる?」 聞いてはいる。だけれど俺の興味というか指向は別の所に向いているのであまり意味はなく。 俺は撮影に関するポリシーとは全く関係ない話を陽菜に振った。 「こうやって二人っきりで遊ぶのって、いつ以来だっけ?」 「…………」 別に自分の話を中断されたことに不快を覚えてはいないようだったけれど、変わりに答えにくいと言う表情を浮かべて黙ってしまった。 「……陽菜?」 「初めて、かな」 「え……?」 「だから、初めてだよ、多分……」 …………確かに、記憶がしっかりと残っている中学からは、陽菜と二人で遊んだ記憶なんてまるでない。 だけれど俺がまるで覚えていない幼少の頃でさえも、無かったというのか? 幼馴染なのに? 「昔っから、ヒロ君は美羽ちゃんとずーーーっと一緒だったでしょ? 私がヒロ君を誘えば、オプションみたいにいつもついてきてた」 「……ああ」 確かに、そうだったかもしれない。 「それに、途中から美優ちゃんもやってきたじゃない。すっかりお兄ちゃんだったからさ、ヒロ君は……。私と二人っきりで遊ぶなんて、無かったんだよ」 古傷を自分で抉るかのように苦い顔で、陽菜は語る。 その言葉にはどこか自嘲が感じられ、鬱めいた空気が陽菜の周りに漂っていた。 「……陽菜」 突然の豹変にどう反応していいか分からずに言い淀んでいると、陽菜はポケットからビデオテープを取り出した。 「…………これ、見る?」 『兄貴待ってよーーっ!』 『うるせーっ! 追いつける奴だけついてこーーい!』 『ヒロ兄ちゃん、早すぎーっ!』 子供が四人いた。 どこかの高原にピクニックに来た時の映像らしく、俺(らしき少年)は他の少女達を置いて風の如く走り回っている。 その後から、俺を兄貴と呼んでついてくるツインテールと呼ぶには短いちょこんとはねた髪型の女の子と。 俺をヒロ兄ちゃんと呼ぶ活発そうな女の子が必死についてきている。 一人だけ、その様子を距離を置いて見守るように立っていた。 『…………』 石象のように動かないその女の子は、ただ距離的なことだけでなく精神的にも間を置いているように見える。 「この兄貴って呼んでるのが美羽ちゃん、一歩離れて見てるのが美優ちゃん、ヒロ兄ちゃんって追いかけてるのが、私」 陽菜がスクリーンを指差しながら解説を入れる。 「……ヒロ兄ちゃん……って呼んでた……っけ」 「うん。私この頃は背が小さかったし、ヒロ君は頼りになる兄貴分って感じだったもん」 その時、記憶のピースが一つ、指先にかすった気がした。 後少し、何かきっかけがあればそれを取り戻すことも可能だったかもしれない。だが陽菜はビデオカメラの再生を止めてしまう。 「本当のこと言うと……美羽ちゃんに嫉妬してた」 「嫉妬?」 「私はヒロ君と二人っきりで遊びたかったのに、いっつもヒロ君の隣には美羽ちゃんがいたから」 「…………」 そして陽菜は。 「ねえ、ヒロ君」 「ん?」 呼吸するように自然と、朝におはようと挨拶するくらい平然と、 「好きだよ」 告白をした。 「…………」 瞬時にその言葉を理解できずに、まるで脳が全ての言語を忘れ去ったかのごとく何も言えなくなる。 陽菜は俺が呆気にとられている間に続けた。 「でもね、返事はいいの」 「……え」 ようやく絞り出せたまともな返事とは言えないその反応に、陽菜は笑った。 「私、明日引っ越すから」 「……!」 衝撃的な発言が二つ重なって、俺は更に絶句させられる。 また自嘲するような笑みを浮かべて陽菜が呟く。 「本当はね、言うつもりなんて無かった。……ヒロ君はずっと悩んでるみたいだったし、私なんかが更に悩み事を増やしちゃったらって思ったら、言えなかったの。 ほんっとーに真剣で大事なことだって、ヒロ君を見てわかったから……黙って引っ越して、後でお手紙だけ出すつもりだったのに……」 「卑怯で、中途半端だよね……私って」 力無く項垂れて、懺悔するかのように陽菜は話す。 「だから、返事は貰わなくてもいいの。これはただの自己満足だから、ヒロ君が今悩んでる問題が解決して、私がもっといい女になれたら……また、告白するから」 ――そんな時間なんて、もう無い。 でも、陽菜は陽菜で真剣に悩んでいるんだ。 引っ越しなんて世界の崩壊に比べたら大した問題じゃない? そういうことじゃないだろう。 問題の大きい小さいじゃない。 俺は、自分だけがとんでもなく苦しんでいると思いこんで傲慢になっていた。 ノア先生やレンのおかげで少しは目が覚めたけれど、だけれど、陽菜は……。 「何で、そんなこと……?」 「だって、好きな人を困らせたくないもん。私なんかがヒロ君の悩みにすらなるかもわからなかったけど……ね」 「…………」 「いつだって、私はヒロ君の為に何かしてあげたくって……でも、逆に迷惑かけちゃったり……失敗してきて……それに、今も……」 ――本当に、ごめんね。 謝る顔としては不釣り合いな笑顔。 ああ……俺は以前にも、こんなことがあった。 それは、無くしていた記憶の欠片だ。 一度キーになるピースが当て嵌められてしまえば、後は子供用のパズルよりも簡単だった。 ビデオが上映されるかのように、記憶が再生されていく。 ピクニックに出かけたことがあった。 美優がどうしても懐いてくれなくて落ち込んでいた時、陽菜が一緒に苦心してくれた。 陽菜が家に泊まりに来たことがあった。 怖がる陽菜の為に、一緒にトイレについていった。 兄妹喧嘩をしたことがあった。 陽菜が二人の仲裁をしてくれた。 親に怒られて、陽菜に八つ当たりをしたことがあった。 陽菜は 怒るどころか、笑って諭してくれた。 何故俺は、陽菜に関する記憶ばかり忘れていたんだろう? こんなにも一緒にいたのに、一緒にいてくれたのに。 ……俺は……。 「陽菜のことが、好きだった……」 「え……!?」 「ずっと一緒にいてくれたんだ。……思い出してみたら、陽菜はいつも俺の為に行動してくれていた……」 一晩かけても、恩は語りきれないだろう。 二人きりで遊んだことはなかったけれど、それでも一緒にいてつまらないことなんてなかった。 ……いつも明るい陽菜を、俺は好きになっていた。 美羽や美優のことももちろん好きではあるけれど、陽菜は特別だった。 それだけの魅力と、思い出が、陽菜にはある。 「こんな大事なこと、何で忘れてたのか、俺にもわからない……。疑うかもしれないけれど、この気持ちは本当だ」 「ほんとに、ほんと?」 「ああ、本当だ」 俺は、世界の崩壊の前に、ようやく大事なものを取り戻すことが出来た。 陽菜の手を取って、じっと目を見つめる。 段々と、トマトが熟していくみたいに陽菜の顔が赤くなっていく。 「ヒ、ヒロ君……」 二人の距離が縮まって……。 「兄貴ーーーーーーーーっ!!!!」 「!?」 美羽の叫びが聞こえて、慌てて距離を取る。 暗くてもわかる、声だけじゃない。あの炯々とくりぬかれて光る目は美羽だ。 殺意の塊が闇にまぎれて近づいてくる……身構えなければ! 「こんの馬鹿兄貴Take4! WANABEEEEEEEE!」 「ぎゃひいいいいいいっ!!」 事前の身構えなど、B29に立ち向かう竹やりを持った兵士より簡単に蹴散らされた。 結城美羽○―×結城大翔 決め技 七年殺し 「う……うう……美羽……なんでここに……」 「私だけじゃないわよ、美優もいる」 地面に倒れ伏しながら顔だけあげてみれば、ふんぞり返る美羽の後ろに、俯いたままの美優が立っていた。 ……外灯の範囲から外れているので表情までは見えないけれど。 「ごめんね、ヒロ君……。私がトイレに入ってた時メールしたんだ。この時間に公園に来てって」 いや、ごめんねとジェスチャーされましてもこの痛みはどうしようもありません。 「……何で、呼んだんだ……?」 美羽は厭味ったらしくかぶりを振って、俺を怒鳴りつける。 「あのさあ! 貴俊さんの家に泊まりに行くとか言っといて、電話したら来てないって言われるし、しかも携帯切ってて行先がわからないともなれば気になりもするに決まってんでしょ!?」 「ば……ばれてたの?」 「ばれてたもクソも無いっての、陽菜さんはずっと兄貴のこと探してくれてたんだよ!?」 「え……」 陽菜の方を向くと、「連絡受けてさ……。そういうことだったんだ」と恥ずかしそうに言った。 だから、ノア先生と一緒に会った時にあんなに息切れしてたんだな。 俺のせいで、走り回っていたから……。 「美優なんて、警察呼ばなきゃなんてうろたえて……本当に何やってたわけ!?」 「……ごめん。ただ、ぶらぶらしてただけなんだけど」 服についた砂を払って立ち上がり、頭を下げる。 それでも美羽は攻勢を緩めない。 「たく、もし危ない人とかに絡まれたりしてたらどうすんのよ? お守りの意味、無いじゃない!」 「……あ……」 お守りの言葉を聞いた途端に俯いた俺に、何か後ろ暗いところがあると判断したのだろう。 美羽が顔を寄せて問い詰めてくる。 「何かあったの? 言って」 「お守り……壊しちゃってさ」 「………………どうして?」 火山の噴火のごとく激怒すると予想したのだけれど、美羽の対応は思ったより相当に冷静だった。 「その、転んだ拍子に、ぐちゃっと」 「…………怪我は」 「……してない」 「じゃあ、いいでしょ! お守りなんだから、持ち主を怪我から立派に守ったんじゃない!」 本当はレンに壊されたのだけど、このことは言わないほうがいいだろう。 「じゃなくて、兄貴は周りの人にどれだけ心配かけてるかわかってないって言いたいの! それでなくても、ずっと前から様子が変だったのに……!」 「…………」 「嫌な予感がしたの。ふらって消えて、そのままどこかに行っちゃいそうで……」 「…………」 「とにかく馬鹿! 世界一の馬鹿! アンドロメダ級の銀河馬鹿!」 「…………ごめん」 もう一度、深い反省をこめて頭を下げた。 「ま、まあまあ、美羽ちゃん。そのくらいにしてあげよう? ヒロ君だって悪気があったわけじゃないんだからさ」 陽菜が慌ててフォローを入れてくれる、いつもならそれは美優の役目だったのだけれど、今はただ輪から外れてじっとしていた。 「でもね、美羽ちゃんがいっちばんヒロ君のこと心配してたんだよ?」 「ちょっ、陽菜さん……!」 途端慌てだす美羽をからかうように陽菜が続ける。 「私に連絡してきた時もねぇ、ほんっとーに慌ててさ、『あ、兄貴そっちに行ってませんか!?』なんていきなり大きな声で言われたもんだから耳にキンキン響いて……」 「陽菜さんっ! いくらなんでも怒りますよっ!」 美羽が怒声を張り上げて陽菜を追いかけ、陽菜は踊るようにそれを避けて逃げ回る。 昔に戻ったかのような追いかけっこに少し和みながらも、俺は先ほどから無言の美優に歩み寄った。 「美優」 「っ……!」 ただ一言声をかけただけなのに、美優は暴力に怯える小動物のように身を竦める。 その仕草に驚いて、少し腫れものに触るような対応にならざるをえなかった。 「……えっと、悪かったな」 「ううん……お兄ちゃんが、大丈夫なら、よかった……」 美優は何故か俺の顔を見ようとせず、その眼尻には涙が溜まっているように見える。 「何か、あったのか?」 「私……私が……今まで……お兄ちゃんの、き……おくを……ぅ……うぅ……」 「な。なんだ? なんで泣いてるんだ? ほ、ほんとにごめんな! 心配かけて……!」 「ち、違う……お兄ちゃんは、悪くないの……。私が……全部わるいの……」 「美優……?」 しゃくり上げながら涙をぼろぼろ零し、もはや言葉にならないままに喋り続ける。 「わだじ……おにいちゃんを、どられたくないからって……ひっぐ……」 そんな姿を見ていられなくて、俺はいつの間にか美優を抱きしめていた。 「……お、お兄ちゃん!?」 「美優、辛いなら言わなくていいんだ。……美優も、何か大事なことで悩んでたんだよな? そこで、何かを間違ったのかもしれない。 だけれど、それは俺も同じなんだ。誰だって間違ってしまうことがある、でもそこで、ちゃんと後悔して反省できるのなら……まだ大丈夫。 それに……わかってるから、美優はいつも俺や美羽、皆のことを考えてくれてるって。 ありがとう、美優。本当に感謝してるんだ、だから……泣かないでほしい」 「お兄ちゃん……」 「い、いだいいだいいだい! 美羽ちゃん痛いぃ!」 「お仕置きですから痛いんですっ……って兄貴っ、美優に何してんの!?」 うるさい二人に見つかったが関係無いね……とか思っていたのだが、美優の方は恥ずかしかったらしく俺からゆっくりと離れる。 「ひ、ヒロ君さっそく浮気かー!?」 「は? 浮気って何のこと?」 陽菜が自ら地雷原に突っ込んでいた。 俺が下手にフォロ―すると余計にまずいことになりかねないので、口を出すことはできない。 「あ、あー……? ぐ、ぐわしだよ、ぐわし! ヒロ君がいきなり美優ちゃんをぐわしと……!」 「…………いいですけど」 微妙に怪しむような目をしながらも美羽は身を引く。 勘のいいやつだ何か気付いてるかもしれないが、確信が無い限りは言えないんだろう。 「まあ、とにかく兄貴は離れて! いい? 今は何となく吹っ切れてるみたいだからいいけどね、いつ死んでもおかしくないような顔してふらふらするのはもう絶対にやめてよね!」 「あ、ああ、わかった」 そこまでひどかったんだな、俺の顔。 「わかったなら良し! それじゃ、帰るわよ」 美羽が美優をつれて歩き出し、その後ろから陽菜と後についていく。 『自分の周りにどれだけ素晴らしい人間がいるのか、思い返してみることだ』 ……本当ですね、ノア先生。 俺は幸せ者だ。こんなにも他人に思ってもらえて、心配してもらえて……優しさに包まれてる。 俺だけが悩んでいるわけじゃない、皆が悩みを抱えている。 それでも、自分が悩みを抱えていても、家族や友人が悩んでいるのを放っておけないんだ。 こんな俺のことを本気で気にかけてくれるんだ。 ……なのに、俺は自分の頭の中でばかりぐるぐると思考して、他人のことをわかったつもりになってた。 本当に向けられた優しさに気付こうともせずに、何でこんなにも辛いんだろうだなんて戯けたことを考えてた。 「……ああ」 そして唐突に気付いた。 何で俺はあの時、レンを責めてばかりいたんだろう。 元々の原因は俺だった。 考える振りをしてごまかして、結局周りに心配ばかりをかけて、逃げ続けて答えを避ける。 そんなことばかりをしてきた罰が与えられたんじゃないか。 自分だけが辛いみたいな自己満足に浸って、ユリアの気持ちなんてほとんど考えたことが無かった。 レンも、ユリアのことばかりを考えているわけじゃない、その割合が大きいのは確かだろうけれど。 今朝のレンはとても優しい目をしていた、……あの告白について、真剣に考えていたじゃないか。 ユリアのことになると見境がつかないだけで、とても優しい人間だってことはわかっていたはずだ。 本当に、自己満足の為だけに助けたいと言うのならば問答無用で連れていけばいい。 レンならそれも可能だろう、だけれどそれはしなかった。姫を悲しませるなとだけ言い残した。 結局判断を俺に任せたということは、自分が後悔しないような道を選べというのが本音なのだと思う。 自分が後悔しない道は、皆と共に歩いた先にしかない。 こんな素晴らしい世界で、素晴らしい人々に囲まれて生きているんだ。 みんなの気持ちがやっと少しだけ理解できて、俺はその上でどんな道を選ぶのか……。 もう、一人で考える必要はないだろう。 「……陽菜」 前を歩く二人には聞こえないように、陽菜の名を呼ぶ。 「ん? ん――っ!」 そして、陽菜が何か言葉を発する前に、唇を重ねた。 ふとした拍子に二人が振り向かないとも限らなかったけれど、何となく今がいいタイミングだと思えたから。 舌を入れたりはしない、初々しく短いキスだ。 それでも陽菜は脳内に麻薬でも垂れ流されたかのように呆然とし、ぱくぱくと口を開いたり閉じたりするだけになった。 「ごめんな、でもお互い様だ」 多分陽菜にしかわからないだろうことを囁いた後、 「なあ、美羽、美優」 帰り道の途中、前を歩く二人を呼びとめる。 「明日のことなんだけど……さ」 SFの短編にあった気がするな、『たった一つの冴えたやり方』って。 本当に、冴えたやり方は一つだけしかないのだろうか? 家に帰る際に俺の精神は戦々恐々で、ユリアやレンとどんな顔をして会うかと考えていたのだが、二人はおらずに拍子ぬけさせられた。 美羽が言うには、二人とも出かけるべき場所があるらしい。 兄貴と違ってユリアさんとレンさんならしっかりしてるから大丈夫だろうと判断したようだ。 失墜した兄の威厳に縋ってむせび泣いていると、最初から威厳なんて無いだろうと美優の言。 いつもなら喧嘩になるだろうが(そして俺が負けるだろうが)、その時は抑えた。 『贈り物』の用意をしなければいけなかったからだ。 この世界を別れ行く異邦人への、贈り物。 翌日、俺は一人で学校に来ていた。 美羽や美優、陽菜は家にいて準備を進めているはずだ、俺は姫とメイドをエスコートする役を仰せつかっている。 「来てるよな……?」 来るだろう。来てほしい。 もうすぐ滅びる世界で、虚飾にまみれた別れの言葉を贈る意味など無いとユリア達が判断する可能性も0では無い。 だけれど、それでも、この世界に少しでも愛着があるのならば……二人は来る。 そう思っていたのだが、朝の教室に二人の姿はなかった。 いや、まだ来ていないだけかもしれないと考えて席につく。教室はいつも通り騒がしくて、街には人が溢れていて、地球は変わらず回っている。 後数時間か――十数時間、どのくらいかはわからないが、世界はもうすぐ滅びる。 だけど皆、明日があるのが当たり前だって思っている。未来に希望を抱いて進む人も、この世の中に絶望している人も、夜布団に入れば誰でも明日を手に入れられると思い込んでいる。 そのことを思うと少しだけ悲しくなった。 それでも、少しだけだ。 今の俺はは自分でも驚く程に落ち着いている。それは、今の行動の根幹には俺の確固たる意志があるからだろう。 ――ガラッ しばらく経ってゆっくりと開いた扉から入って来たのは、学校のスクールカラーには合わない格好をした人物。 先生が入って来たのだと思い皆が雑談をやめたクラスメイトは、すぐに別の意味で絶句させられていた。 メイド服を着たレンが、凛とした雰囲気を纏って教壇に立ったのだ。 俺は見慣れてはいるが、学校での学ランしかみていない人にとっては女性的な服装のレンは新鮮というより衝撃的だったのだろう。 目を丸くしてレンを見ている。 レンはそんな好奇の視線にも気後れすることなく――不意に一瞬だけこちらを見て――教室全体に響き渡る声で言った。 「教諭はまだ来ていないようだが、先に話をさせて頂く。突然なことではあるが、私とユリア様は今日この時を持ってこの学校を去り、国に帰ることとなった」 教室内がざわめき始める。 何人かの視線が俺の方にも向けられ、俺はそれにかぶりを振って知らないと嘘をついて答えた。(皆は俺の家にユリア達が泊まっていたことを知っている) 「ユリア様は多忙の為この場に来ることは出来ないが、感謝の言葉を承っている。 『皆様と共に過ごした一年間は、私の中で大切な、代え難い宝となりました。皆様のことは絶対に忘れません』とのことだ。 無論、私も姫様と同じく貴殿らには感謝している、この場で過ごした日々は一生忘れられることなく、精神の糧として私の中に生き続けるだろう」 真に迫る何かを感じ取ったのだろう。 演説にも似たその話に、皆が聞き入っていた。 心の底からの言葉で無ければ、ここまで人を惹きつけることはできないだろう。 ――ああ、レンは、やはり優しい人間だ。 レンは一度壁にかけてある時計に目をやり、続ける。 「もう時間が無い。名残惜しくはあるが、私達はもう行かねばならなくなった。再び見えることがあれば、その時はまた懇意にして欲しい。……さらばだ」 微量に憂いを孕んだ瞳で最後の一言を終え、レンが迷いなく教室を出て行こうとする。 皆が無言でそれを見送った、まるで強制されているかのように。 別れの挨拶はいらない、レンの背中がそう語っていたから。 そして教室の扉が閉じられる。 しばらくは皆が静謐に沈んでいた。 だけれどその内俺にも質問などが向けられるだろうということを予想し、俺は皆に気付かれないように教室を出た。 「レン!」 心地よい足音を立てて廊下を歩くレンの背中に呼びかける。 レンは最初から呼び止められることをわかっていたかのようにゆっくりと振り向いた。 「……よっ」 「ああ」 すまなさそうに目を伏せる。あの時のことを少しは後悔しているのだろうか。 だが俺はレンを責めるつもりなど毛頭無い。不自然にならないよう笑顔を浮かべて言った。 「ユリアは、どこにいるんだ?」 レンは自分が憎まれていると思い、必要ならばまた冷徹を装う仮面をつけて俺と向かい合うつもりだったのだろう。 あまりにも拍子ぬけな態度に少し毒気を抜かれたようだった。 「……ユリア様はある場所に陣を張っていた」 「陣?」 「転移魔法には莫大な消費量の魔力と念入りな準備が必要だ。姫様は昨日からの準備をようやく終え、今は休んでおられる」 俺には魔法のことは良くわからない。とりあえず俺は自分の役割を果たさなければいけないんだ。 「あのさ、レン。これからユリアを連れて家に来てくれないか?」 レンは少し驚くように目を丸くして、平静を装って言った。 「何故だ。何か用があるのか? 私達には時間が――」 「正確には、後何時間くらいだ?」 三秒ほど考える間を置いて、「五時間と言ったところか」とレンは答えた。 ――五時間、それがこの世界の残りの寿命か。 五時間あれば何ができるだろう? 世界を救うには足りないだろう、何よりも俺には力が無い、魔法が無い。 だから、無力なりに出来ることだけをしよう。 「五時間あれば十分さ、ユリアを連れて家に来てくれよ。出来れば、今すぐがいい」 多少不躾な物言いだったからか、レンは眉を顰めて短く言った。 「何の意味がある? それよりもヒロト殿には考えるべきことがあるだろう」 冷たい視線を受け止め、俺は肩を揺らして答えた。 「答えは、もう出てる」 「本当か」 「ああ、本当だ。……レン達が家に来てくれるなら、伝えるよ」 レンはしばらく俺の目をじっと見つめ続けた。 俺も物怖じせずに見つめ返す。やがて俺の目から何かを感じ取ったのか、レンはすいと離れて言った。 「どうやら本当のようだ。今すぐ聞こう」 「だ、だから後で――」 「今だ」 有無を言わさぬその視線、今言えば家でのイベントを素直に楽しんではくれないだろう。 「何を躊躇うことがある?」 「……この答えを聞いても、ユリアや美羽達にはいつも通り接して欲しい」 「場合によるな」 都合の良い返答に少し困りながらも、俺は端的に答えを述べた。 「俺は、この世界に残る。……誰もそちらの世界には行かない」 「――そうか」 レンは、最初からその可能性もあると考慮していたのだろう。 多少驚きはしたものの、あまり表には出さずにそのまま言った。 「認めるわけにはいかない」 地獄の底から響くような声。 背筋が震えて足が動かない、目の前には姫に仕える従者のレンではなく、人を容赦なく斬り伏せることができる剣士のレンがいる。 「ついてくるといい、決着をつけよう」 レンにつれてこられた場所は、武道場だった。 今の時間、授業で使われてはいないようで誰もいない。 俺も一年生の時に少しだけ柔道をやりはしたが、その授業以外で立ち入ったことはない。 気合の入った掛声だとか、飛び散る汗のにおいだとか……いろいろ耐えられないし、興味が無かったからだ。 だがレンが良く剣道部に寄っているのは知っていた、剣士としていろいろ見ておきたいものがあったのだろう。 レンはすたすたと用具が置いてあるだろう倉庫に近づいて行く。 扉に手をかけて――鍵がかかっていることに気が付いていた。 「……どうするんだ」 「言っただろう。不可能を可能にするのが魔法だと」 一年前に聞いた台詞と共に鍵穴に手をかざす。数秒集中するように目をすっと閉じ、すぐにかちりと鍵が落ちる音がした。 まるで最初からそうだったように、扉はからりと開く。 「ここで待っているといい」レンはそう残して用具室の中に入り、すぐに竹刀を二本持って出てきた。内一本をこちらにぞんざいに投げ渡す。 「……これでどうしようって?」 「勝負だ」 レンは決然と言い放った。 「ただの勝負では無い。私が勝てば貴様の答えを変えてもらう。ヒロト殿が勝てば……先ほどの答えを甘んじて受け入れよう」 「……そう言われてもな。レンは俺に答えを任せてくれたんじゃないのか?」 「だが私はユリア様を悲しませることは出来ない。これが私にできる最大限の譲歩だ。――言っておくが、手加減はしない」 すっと、武道場内の空気が変わった。 レンは竹刀を足の横に添えるようにして両手で握る。 「私は、このシナイと言う剣を今までに何本も折ってしまった。私の力には合わない」 「…………」 「防具も無く受ければ間違いなく怪我は免れない。降参するならば認めよう」 「でも、降参したら俺は答えを変えなくちゃいけないんだろ?」 「無論だ」 「じゃあ、駄目だな」 のらりくらりと答える俺に、レンは少し苛立ちながら言った。 「何故だ。わざわざ死ぬ為に怪我を負うと言うのか? 助かる為に負う怪我ならばまだわかる、だがその逆など……理解できない」 「俺には、俺の考えがあるよ」 俺は、いつかテレビや漫画での見よう見まねで竹刀を握り、構える。 ……勝てないだろう、だがやるしかない。 「ルールは、俺が一撃を入れれば勝ち、レンは俺を再起不能にするか参ったと言わせれば勝ち。……それでいいか?」 俺の問いに、レンは仏像のごとく穏やかに目を閉じ頷いた。 「そのくらいのハンデはくれてやる」 空気が張り詰めていた。 誰かが少しでも音を立てれば、破裂してしまいそうな雰囲気の中、結城大翔とレン・ロバインは向かい合う。 間刃の間、二人の間には一度の打ち込みでは詰らない隔たりがあった。 「…………」 大翔は思考する。 まともに戦って勝ち目はない、自分が相手に勝つには策を考える他に無い。 だから、ある程度の距離を保ち、剣先でレンを牽制するようにしながら考える時間を作ろうと試みていた。 だが、しかし。 「っ!」 レンの身体能力の前には、大翔の甘い算用など取るに足らないものとなる。 一瞬というにもまだ遅い、刹那の足捌きでレンは大翔に肉迫する。 「はっ!!」 バシッ 「ぐぅ……!」 大翔はそれを目で追うのが精一杯であり、肩へ打ち込まれた竹刀を防ぐなど夢のまた夢といった様相だ。 思わず竹刀を取り落とし、右肩に走る焼けるような痛みに膝をつく。 「私の勝ちだ」 レンが構えを解いて膝をつく俺を見下ろした。 その眼は憐みに満ちていて――この勝負を早く終わらせてしまいたい――そんな気持ちが感じ取れた。 「まだ、だ」 苦痛に顔を歪めながら、左手で竹刀を取る。 「……ふーっ」 深呼吸と共に立ち上がる、肩に籠るような痛みを必死に抑え込んでいるのだろう。 その額には脂汗が浮かんでいる。 「痛かっただろう? 進んでそんな痛みを味わう必要など無いのだ。……降参し、考えを改めろ」 レンは少し距離を置いてそう言った。 「嫌だ……」 だが、大翔はそれを受け入れない。 レンの心をひたすらに困惑が支配した。 勝負を始める前に放った言葉とは裏腹に、レンは迷っている。 「……っ」 頭を振って纏わりつく迷いを払う。 再び竹刀を構えなおし、痛みをこらえながらも尚笑いを浮かべる大翔と向かい合った。 ――理解出来ない。 理解しようとも、思えない。 レンは再び距離を詰め、大翔の体に竹刀を打ちつけた。 そこから先は、酷いものだ。 レンは努めて表情を消し、痛みを持って大翔を屈服させようと体の到る所に竹刀を打ちつける。 大翔は嵐のように襲いかかるレンの攻撃を満足に防ぐことも出来ずに、全身に打撲や切り傷を負っていた。 制服の各所に血が滲み、足は震え、立っているのがやっと。 満身創痍、それが大翔の現状だ。 だが、目は死んでいない。 自ら死に向かおうとしているのに、これ程までに生きた目をしているのは何故だ? 「……っ」 大翔の体を傷つけていく度に、レンは自分の心を削り取られていた。 これは、最初から大翔が勝てる筈の無い勝負、レンはそれを理解したうえで大翔に竹刀を握らせた。 (私は、卑怯者だ。だが……) 実のところ、ここまで傷つける予定なんてなかった。 ただ大翔は血迷っているだけで、数度打ちつければ正気を取り戻し考えを改めるだろうと考えていたのだ。 だが、時間の経過と共にそうでは無いことを否応なく理解させられる。 理解できない大翔の心。良心の呵責。 二つの要因に押し出されるように、レンは震える声で言った。 「いい加減にしろ! ヒロト殿が私に勝てないことなどわかっているだろう!」 「ああ、わかってるよ」 「だったら、何故降参しない! 何故生き残る権利を放棄する!?」 「……不可能なことを可能にするくらいの気概を見せないと……レン達にわかってもらえることはできない……そう、思ったから……」 「…………!」 その言葉を聞いてレンは沈黙する。 前髪で目が隠れる程に俯いて、構えをといて腕をだらりと垂らした。 「レン?」 大翔がその様子を訝しんで声をかける。 「ヒロト殿は、私達の気持ちなど、どうでもいいのだな……」 「え?」 武道場の板の間に、ぽたりと水滴が落ちた。 それがレンの目から流された涙なのか、ただ激しい運動からくる汗なのか、前髪で隠れている今では知ることはできない。 「――来い、次で勝負を決める」 レンが竹刀を握り直すと同時に、総毛立つ程の殺気を全身に浴びせられる。 ……いや、これは怒りだ。悲しくて仕方ないのだけれど、泣くのは悔しいから怒る。 ただの勘だけれど、先ほどレンが流したのはやはり涙だったのだろう。 「勝負を決める、って?」 「これ以上無駄に怪我を負わせる必要は無い。ならば、気絶させて無理やりに連れて行くまでということだ」 「…………そうか。だったら、俺も次で決めるよ」 「ほざけ」 レンの口元がわずかに歪み、つり上がる。竹刀は高々と掲げられ、大上段の構えを取った。 大翔はその構えから頭を狙ってくるのではないかと身構える――が、すぐに考え直す。 (守れば、負ける) 今までに大翔は一度もレンの攻撃を防げてはいない。 レンの剣は変幻自在、竹刀にいつかみた鍛練のように重い実剣のような重量は無いのだ。 ただでさえ速い剣は上から来ると思えば右から、右からくると思えば左から襲いかかってくる。 (……だったら、あれしかない) もう一度深呼吸をして、大翔は覚悟を決めた。 「行くぞ……!」 震える足を板張りに叩きつけ、傷だらけの体に鞭を打ちレンに突進する! 竹刀は両手の親指と人差し指の間に構え、頭への打ち込みだけはだけはとにかく防ごうとしている。 つまり、その他の部位はどう打ちつけられようとも構わない。 ――どんな手段を使ってでも、勝つ。痛みさえ我慢して前に進めば、勝てる! だが、レンは少しも焦った様子を見せず。 「はああああっ!!」 切迫した気合と共に、雷の如く竹刀を振りおろす! メキッ 大翔の竹刀が真ん中から折れる。 大翔の防御や覚悟など、刃物を前にした紙のように脆い。 レンは目でそう訴え、大翔の竹刀を折った勢いを殺さずに竹刀を頭部に打ち付ける。 「……終わりだ」 これで脳震盪でも起こし、大翔は気絶するだろう。 傷は、後で魔法で治せばいい。空間転移に使う魔力さえ残しておけばいいのだ。 レンはそう考え目を閉じた。 ――最後の最後に起こした慢心。 自分の剣の威力の前に、膝をつかない者などいないと思い込んでいた。 「……まだだっ」 「!?」 そして、それが間違いであることに気付いた時には、もう遅い。 はっと瞼を開けば、額から幾筋もの血を流した大翔が目の前にまで迫っていた。 竹刀は折れても、大翔の心までは折ることはできなかったのだ。 「うああああああああっ!」 大翔は、ラグビーを彷彿とさせる体当たりでレンを押し倒す。 「がっ……!」 枯れ葉のように軽く吹っ飛んだレンの体は、大翔と床の板挟みとなり、強烈な衝撃からしばらく身動きがとれなくなってしまう。 大翔はそんなレンに馬乗りになるようにして、右手で折れた竹刀を振り上げ……。 「俺の勝ちだ」 こつんと、その額を柄で小突いた。 「……え?」 呆気にとられるレンの顔を見て、大翔は満足そうな笑みを浮かべる。 「一本、だな――」 そして、大翔の意識は途切れた。
https://w.atwiki.jp/bokuchu777/pages/197.html
……痛い。 体の節々が痛んで、起きあがることが出来ない。 だが、俺は勝った筈だ。拳を握ることすら出来ない右手には、確かに勝利の記憶が残っている。 「勝った」 無意識の内に、そう呟いていた。 俺はまだ寝ている、だからこれは夢だ。そう思っていたから言った言葉なのに。 「ああ、ヒロト殿の勝利だ」 ぶっきらぼうなレンの口調に、自然と頬が緩む。 「じゃあ、レン……ユリアと……うちに……。お別れのパーティー……開くんだ……」 「断る」 「え……」 「ヒロト殿の顔など二度と見たくない」 「…………」 その言葉には、怒りも悲しみも憎しみもこめられていない。 「貴様のように自己中心的で、死にたがりで、頑固で、独善的で、往生際が悪くて、水虫持ちで、スケベで……」 酷いな……しかも水虫とか持ってないし・・・…。 「そんな……ヒロト殿がそんな人間だとしても、死に別れるとわかっている者と一緒にいて辛くならないわけがないだろう!」 レンの姿は見えないけれど、激昂している時の顔が目に浮かぶようだ。 俺はまた、大変な勘違いをしていたんだな……。 「ああ……俺は……また……」 断片的にしか言葉を紡げない俺を差し置いて、レンは続けた。 「それに、私には理解できない。いつもあれ程に大事にしていた妹すらも……見殺しにすると言うのだから」 「それはちが……」 「何も違わない。私は、最後の最後にヒロト殿を軽蔑する」 一旦厳しく突き放し、そして自ら救い上げるようにレンは口調を変える。 「……そして、僅かな敬意を捧げよう。納得などできはしない、だが私は勝負に負けた。姫様には私から伝えておいてやる。――そして」 さらばだ。 淡泊な別れの言葉、それが俺の聞いたレンの最後の言葉だった。 そして、俺の意識は再び闇に沈んでいく。 ぼやける視界に、まともに回らない頭、腹部に残る疼痛。 それが目覚めてすぐの俺の状態だった。 「……っ」 一分程経ってようやく目が正常な機能を取り戻す。 まだ体の感覚が完全に戻っていないのでわからなかったのだが、俺はどうやら板の間に仰向けになっているらしい。 ふに 「?」 そして、数秒経ちようやく体の感覚が戻ってから、後頭部に柔らかいものが当たっていることに気がついた。 そが何かと答えを探す前に、天井と俺を繋ぐ視線を遮るように、陽菜が顔を出した。 「ヒロ君、大丈夫?」 「陽菜……?」 陽菜が膝枕をしてくれている。 まるで暖かい海の中に浮いているように気持ちいい。 「うん、陽菜だよ」 「なんで……ここに……」 虚ろな問いに、陽菜は答えない。 俺の言葉を、心を、全てを包み込むような笑みを浮かべて、小さな手で俺の頭を優しく撫でた。 「全部聞いたよ。お疲れ様、ヒロ君」 「俺……パーティーの準備……無駄にしちまった……。俺のせいで……」 「もういいよ。美羽ちゃんも美優ちゃんも、絶対にヒロ君を責めたりしないから」 「……」 「あーあ、ヒロ君ともうちょっといちゃいちゃしたかったな」 陽菜が自嘲するように軽く笑って言った。 「俺もだよ」 皆、死にたくなんてない。 納得なんてしていない。 だが、陽菜も美優も美羽も、誰もが他人を助けることを優先した。 自分が生き残ったとしても、誰かが死んでいたら意味がない。そう言った。 罪悪感で互いを縛りつけているだけ、厳しく言えばそうなってしまう。 でも俺は、やっと幸せを手に入れられたことが、優しさに包まれて穏やかに過ごせることがとても嬉しかった――。 だからこそ、俺はこの選択をしたんだ。 今なら、貴俊が言っていたことがよくわかる。 どうせ死んでしまうのだとしたら、最後まで楽しんで消えていきたい。 悟っているわけじゃない、迫る恐怖を必死にかき消そうとしてるだけ。 ぽたりと、俺の頬に涙が落ちた。 「もう、ヒロ君と一緒に通学路を歩けない……お父さんとお母さんに、お帰りなさいって言ってもらえない……やだな」 少し指を動かすだけでも軋んで痛い腕を、陽菜の頬に向けて伸ばす。 再び零れそうになる涙を、拭った。 「涙は、良くない。陽菜には、笑って欲しい」 無理な注文かもしれないけれど。 「じゃあ、面白いこと言ってほしいな」 「…………」 俺は数秒考えて、 「熊さん、今から銭湯に行くっていうのに銃なんかもって……」 「これから戦闘に行くからさ」 渾身のオチを言われた。 「クス……ヒロ君……つまんないよ……」 「笑ってくれたね、陽菜」 魔法も何もできない、レンやユリアの気持ちも考えられない、そんな俺でも陽菜を笑わせることが出来た。 もう、それだけで十分だ。 全てが始まり、世界の終りが始まったあの河川敷に、ユリアとレンはいた。 「そう、大翔さん達はお残りになるのですね」 「申し訳ありません、姫様。私の力が到らないばかりに……」 二人の表情は決して明るくない、だがユリアはそれでも無理に笑顔を作ろうとして、逆に滑稽な顔になってしまっている。 レンは、そんな痛々しいユリアの姿を直視出来ず、自分の無力さを噛みしめるようにただ地面を穴が空くほどに見つめていた。 「私は結局、何がしたかったのでしょう」 「姫様?」 レンがふと顔を上げた。 「私は誰も助けられない……そもそも私は本当に誰かを助けたかったのか……ううん。 本当に助けたかったのは自分。私はこんな褒められるべき行動をしたんだっていう自己を満たす為の……」 「姫!」 ユリアの心は瓦解寸前にまで追い詰められている、不安定な笑顔のままにぼそぼそと呟き続けるその姿は傍目から見れば不気味なものでしかない。 だがレンは決して気味悪がったりすることはなく、ただユリアのことを純粋に思い、彼女を支えようと傍にかけより肩をゆする。 「ヒロトさんはそのことをわかってた……。だから残るなんて言い出した……私のエゴにまみれた助けの手なんて、誰も手に取ろうとしてくれない……」 「姫様!!」 そしてレンは。 従者として、決してしてはならないことをした。 パン! 「……っ!」 「姫様、申し訳ありません」 レンが、ユリアの頬を平手打ちしたのだ。 多少手加減はしている、だが温室の蘭のように大切に育てられたユリアには、それでもかなりの衝撃だっただろう。 「罰は後ほどいくらでも受けましょう。ですが今はどうか心をしっかりと持ってください」 「レンも、私を見放すのですか?」 「姫様!!」 ユリアはレンの言葉を聞いていない。 平手打ちをただの敵意として受け取り、ネガティブな思考から抜け出せないでいる。 「姫様っ! 私は姫様を見捨てたり致しません! この度のことは本人が覚悟した上で決めたこと、仕方が無かったのです!」 「仕方が無かった? そんな一言で全てが終わってしまうのですか?」 「そう、終わるのよ」 ユリアに誰に言ったかもしれぬ問いに答えたのはレンでは無い。 「美羽?」 「私だけじゃない、美優もいる」 「あ、あの……はい」 いつも通りに控え目な美優を従えるように、不遜を態度で表わすように美羽は立っていた。 世界の崩壊など知ったことでは無い、美羽の目はそう語っている。 「もしかして、私達と共に来てくれるのですか?」 わずかな希望に縋るようにユリアが顔を上げる。 だが美羽はその希望を手を振るだけで否定した。 「行かないよ。私には兄貴を見捨てるなんて出来ない」 「あの……すいません、私も……です」 「……そう、ですか」 再び与えられた絶望に打ちひしがれ、ユリアは膝から崩れ落ちる。 レンはその肩を支えながら多少の敵意をこめて二人を睨んだ。 「だったら、何をしに来た。そもそもこの場所を何故……」 「お兄ちゃんから聞いたんです……きっと、帰るならここからだろうって……」 「私達は兄貴の頼みで、これを私に来ただけ」 大翔の言う所の『贈り物』を、美羽は持ってきていたのだ。 それは、陽菜が思い出を残す為に使っていたビデオカメラだった。 「……これは?」 レンが腫れものを触るようにそっと受取る。 うっかり力を入れて壊してしまわないかと気を使っているのだろう。 過去にレンは、この世界に来たばかりの頃テレビのリモコンを握りつぶしたり電話のボタンを押し込みすぎて壊したりということをしていた。 「ビデオカメラ、ユリアなら……機械の操作とかは大体教えたことあるし、再生するくらいならわかるでしょ?」 ユリアは糸の切れた人形のようにぐったりとして、反応しない。 美羽はそこに苛立ちを覚えたようで、呆れて相手を小馬鹿にするような溜息をついてみせる。 「というか、私は世界の崩壊なんて信じてませんよ」 「お姉ちゃん……?」 「はん、ただのコスプレ趣味の二人が垂れ流してる妄想を真面目に受け取るほど私は聡明じゃないんです。 そもそもいきなりホームステイだのわけわからなかったし。兄貴が言うから我慢してたけど、もし私がセガールだったらこの一年間に十回は首ぽっきりやってたわ」 「お姉ちゃんっ!」 諌めようとする美優を無理やりに自分の背後に追いやって、美羽は続ける。 「帰るなら私達のことなんてどうぞ気になさらないでさっさとどうぞ。私達は死にませんから」 「美羽っ、言わせておけばのうのうと……!」 レンが剣を抜き放とうとして、柄にかけた手を細い指が押さえつける。 「姫様……!?」 「良いのです、レン」 美羽の言葉に命を吹き込まれたようにユリアは立ち上がり、決然と言い放った。 「美羽さん、美優さん。用事が済んだのならば、早々に立ち去っていただけませんか?」 「ええ、最初からそのつもり。行こう、美優」 さっさと踵を返すして歩いて行く美羽。その足取りに躊躇いは無い。 美優はおろおろと美羽とユリアに何度も視線を往復させ、最後に二人に向けてきちんとした一礼をして走り去っていく。 レンはやっと美羽の気遣いを理解した。 ユリアが先に気付いてからは、予定調和のお芝居。別れを悲しませない為の儀礼に過ぎなかったのだ。 本気で頭に血を昇らせていた自分を恥じ入り、涙をのんで空を見上げた。 恨めしいほどに、青い。 この世界そのものが、理不尽な運命を受け入れているかのようだ。 「……レン」 「はい」 不意に。ユリアが名前を呼ぶ。 名を呼ばれればレンは畏まって跪き、次の言葉を待つ。それは従者として決められた動作だ。 「……帰りましょう」 「はい」 レンは迷うことなく答えた。 主人が出した答えを従者のせいで有耶無耶にすることはできない、常にレンはユリアの傍にあり、ユリアを助け続ける。 大翔が自分を取り巻く世界を優先したように、レンも自分の生きる目的を、自分の生きる世界を守り続けよう、そう決めたのだ。 数分後、世界全体を一瞬の閃光が覆い尽くした。 この世界の人間の内の半分は、陽光の下太陽の光などと思い過しただろう。 幾分かは室内にいて気付かなかったかもしれない。 しかし、光を認識していようがいまいが同じこと。 その意味を理解していたのは、この世界に四人だけしかいない。 「あ、兄貴」 「お兄ちゃん……陽菜さん……」 「……おう」 「やっほ」 四人は偶然に出会った。 だけれど予め打ち合わせていたかのように美羽と美優が土手に座り、陽菜に肩を貸してもらっていた大翔も同じようにする。 緑の匂いが薄い川辺で、四人肩を並べる。 そのことに意味なんてなく、ただ誰も言葉を発さずに前を見ていた。 蒼穹の彼方に輝く世界の中で、人々の見る世界はそれぞれに違うものを柱として成り立っている。 だけれどこの四人は、皆で一つの世界を成り立たせていた。 誰にも踏み入ることが出来ない幸福の領域を、確かに存在させていた。 ――例えば世界が滅ぶ直前にも。 「……終わるな」 「本当に終わるのかな?」 「たぶん」 「兄貴の言うことなんて信用できないって」 「お兄ちゃんは……どう思う?」 「俺は、理解してるから」 「どゆこと?」 「魔法は凄いってこと」 「わけわかんない」 「兄とはそういうもんだ」 「お兄ちゃんらしいね」 「兄とはそういうもんだ」 「ヒロ君のノリは時々わからないよね……」 「兄とはそういうもんだからなあ」 「ほんっと、わけわかんない……」 誰かがふと涙を流した。 学校の屋上にて、ノア・アメスタシアは倦怠期の夫婦のような気だるい空気を身にまといながら煙草を吸っていた。 「サイ・ミッシングか、はたまた私の力不足か……どちらにせよ、私には復讐も出来ないということか」 屋上の半分を占拠していた巨大な物体には未だに青いビニールシートがかけられたままとなっている。 というよりも、最早希望が無いと判断したノアが再びかけ直したのだが。 「ちーくーわー、ちーはちーくびーのちー。くーはクリ……うおあっ!」 珍妙な歌(?)と共に気のいい不良学生、黒須貴俊が屋上に乱入してくる。 彼はサボりに来た場所で教師と出会った驚愕と不運に目を見開いてたじろぎ、「失礼しましたー!」と回れ右をしようとしたところを「待て」とノアに呼び止められる。 「黒須、もうすぐ世界が滅びるぞ」 「……?」 貴俊はノアが何を言い出したのか理解できずに首を傾げる。 「もうすぐ、皆死ぬということさ」 ノアは棄てばちにそう言って煙草の灰を落とす。 だけれど貴俊は平然と「そーなんですか」と鷹揚に頷いて焼きそばパンを鞄から取り出した。 「冷静だな」 「だって、どうしようもないじゃないですか。どうしようもないならうまいもん食って死にますよ」 「……そうか」 空を仰いで煙を吐く。 ノアは誰にも聞こえないよう呟いた。 「時よ止まれ、この世界は美しい」 余談として、ユリアとレンが再生したビデオテープの中身についての話がある。 『…………あー、マイクテストマイクテスト』 『マイクとかないし、もうカメラ回ってるよ、ヒロ君』 (大翔、大げさに驚いてしどろもどろに話だす) 『まじか!? ……あー、何から言うべきか……多分このビデオを渡すってことは、ろくにちゃんと別れることもできなかったんだと思う。ごめんなさい!! ………………えっと、言うこと終わったかな?』 『早いよ! まだ30分くらい残ってるよ!!』 『あー、じゃあ……どうしよう。一曲歌うか?』 (小指を立てながらマイクを握るジェスチャー) 『おっけー』 『じゃあ、アリスのチャンピオンで』 『却下』 『なんでだよ?』 『せっかくこのテープをつぶして撮ってるんだから、もうちょっとマシな歌にしてよー』 『チャンピオンがマシな歌じゃないっていうのかよ……。そもそも陽菜がテープをそれ以外持ってないから悪いんだろうが……』 『むう、だったら土下座一本締めでいいよ、もう』 『え、土下座すんの?』 『うん』 『いや……いいや。レン、ユリア、じゃあな! 泣くなよ!』 『良くわかんないけど、まあいっか、パーティーの準備しよっか』 『ああ』 (しばらく大翔はフェードアウト、彼の妹なども交えたパーティーの準備をする様子が音だけで伝わってくる) 『あ、ビデオ回りっぱなしだー!』 (ここでこの映像は終わっている)
https://w.atwiki.jp/gakko_test1/pages/4.html