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6.各地の慰安所 ■をクリック→この稿の該当個所へ 資料名をクリック→資料の概要(予定)へ 6.各地の慰安所南支■ 政務月報[遠藤兵団政務都](昭16・2)(未作成) ■ 香港ノ警備並ニ軍政実施ニ関スル香港占領地総督第二遣支艦隊司令長官間協定覚書(昭17・5・4)(未作成) ■ 金原節三業務日誌(未作成) フィリピン・マニラ■ 尋問調書(Interrogation Peport) № 28(未作成) ■ 尋問調書(Interrogation Peport) № 573(未作成) ■ 調査報告書(Research Report) № 120(1)(未作成) フィリピン・ルソン島■ 陸軍軍人軍属非行表(一〇月、一一月)[パヨンボン憲兵分隊](昭19・10・11)(未作成) ■ 軍人倶樂部規定[マスバテ島守備隊長](昭17・8・16)(未作成) ■ 検微成績ノ件通報[イロイロ患者診療所](昭17・5・12~12・27)(未作成) ■ バナイ島接客業組合骨子[バナイ島接客業組合](昭17.12)(未作成) ■ 軍慰安所並娯楽状況調査ノ件(回答)[タクロバン憲兵分隊長](昭18・8・14)(未作成) ■ 調査報告書(Research Report) № 120(1)(未作成) フィリピン・ミンダナオ島■ 状況報告[プツアン警備隊長〕(昭17・6・16)(未作成) ■ 独立守備歩兵第三五大隊陣中日誌(昭18・2・14)(未作成) ■ 独立守備歩兵第三五大隊陣中日誌(昭17・10・5)(未作成) ■ 尋問調書(Interrogation Peport) № 31(未作成) ビルマ・マンダレー■ 「マンダレー」駐屯地業務規定[第5野戦輸送司令部〕(昭18・10・20)(未作成) ■ 「マンダレー」駐屯地動務規定[第5野戦輸送司令部](昭20・1・2)(未作成) ビルマ・メイミョー■ 調査報告書(Research Report) № 120(1)(未作成) ビルマ・ミッチーナー■ 心理戦作戦班報告書(Japanese Prisoner of War Informatron Report) 49号(未作成) ■ 調査報告書(Research Report) № 120(1)(未作成) ビルマ・キャウタン■ 輜重兵第四九連隊第一中隊陣中日誌(昭20・2・1)(未作成) マレー半島■ 第二五軍情報記録[富集団司令部〕(昭17・8・25)(未作成) ■ 歩兵第一一連隊第七中隊陣中日誌(昭17・3・23、4・3)(未作成) ■ クワラビラ・バハウ駐留規定〔クワラピラ警備隊長](昭17・4・25)(未作成) ■ 歩兵第一一連隊第一大隊砲小隊陣中日誌(昭17・3・20、27)(未作成) ■ 歩兵第一一連隊第一大隊砲小隊陣中日誌(昭17・9・8)(未作成) ■ 軍政規定集第三号[馬来軍政監部](昭18・11・11)(未作成) スマトラ島■ 調査報告書(Research Report) № 120(1)(未作成) ジャワ島・スラバヤ市■ 野戦高射砲第四五大隊第一中隊陣中日誌(昭17・4・3、5・14)(未作成) ■ 野戦高射砲第四五大隊第一中隊陣中日誌(昭17・5・13、16)(未作成) ■ 野戦高射砲第四五大隊第一中隊陣中日誌(昭17・4・3、5・14)(未作成) ■ 野戦高射砲第四五大隊第一中隊陣中日誌(昭17・5・13、16)(未作成) ジャワ島・スマラン ジャワ島・バタヴィヤ市■ 独立自動車第三九大隊第四中隊陣中日誌(昭17・8・18、24)(未作成) スムバワ島・ロボック■ 第四八師団戦史資料並終戦状況[師団長](昭21・7・5)(未作成) セレベス島■ 南部セレペス賣淫施設(慰安所)調書〔セレペス民政部第2復員班長](昭21・6・20)(未作成) ボルネオ島 合わせると 南海方面 ソロモン諸島■ 尋問調書(Interrogation Peport) № 25(未作成) ■ 捕虜尋問調書(PriSoner of war Interrogation Report)(未作成) ■ 尋問調書(Interrogation Peport) № 60(未作成) ■ 時事翻訳(Current Translations) № 100(未作成) ■ 金原節三業務日誌(未作成) 沖縄■ 石兵団会報第五六号(昭19・9・17)(未作成) ■ 石兵団会報第九○号(昭19・12・4)(未作成) ■ 石兵団会報第五七号(昭19・9・19)(未作成) ■ 独立歩兵第一五連隊本部陣中日誌(昭20・1・2、13)(未作成) ■ 独立混成第一五連隊連隊砲中隊陣中日誌(昭19・10・4)(未作成) ■ 独五混成第一五連隊第一大隊本部陣中日誌(昭19・11・7、15、17、26)(未作成) ■ 独立混成第一五連隊第二機関銃中隊陣中日誌(昭19・11・4)(未作成) ■ 独立重砲兵第一〇〇大隊平山隊作命綴[中隊長](昭20・2・10)(未作成) ■ 要塞建築勤務第六中隊北飛行場五六飛大派遺、重信班陣中日誌(昭19・12・24~31)(未作成) ■ 独立混成第一五連隊本部隊陣中日誌(昭19・12・28、31)(未作成) ■ 独立混成第四四旅団第二歩兵隊第二大隊機関銃中隊日命会報録(昭20・1・15)(未作成) ■ 要塞建築勤務第六中隊陣中日誌(昭19・5・24、26、27。31)(未作成) ■ 要塞建築勤務第六中隊陣中日誌(昭19・6・4、5、9)(未作成) 南支 ■ 政務月報[遠藤兵団政務都](昭16・2)(未作成) ■ 香港ノ警備並ニ軍政実施ニ関スル香港占領地総督第二遣支艦隊司令長官間協定覚書(昭17・5・4)(未作成) ■ 金原節三業務日誌(未作成) 領事館のないところでは、華中のような資料がなく、もっぱら軍の陣中日誌が資料となる。南支方面では、まず広東である。広東市とその周辺については、すでにみた波集団、21軍の資料がある。昭和14年4月にこの軍慰安所にいる慰安婦数は1000名だと報告されている。しかし、金原節三業務日誌によれば、昭和14年4月15日の課長会議で、松村波集団軍医長が兵100名に女1名の割合で、「慰安隊ヲ輸入」し、「一、四○○~一、六○○」人にのぼるとしている*2。となれば、こちらの数字の方が正しいのだろう。 汕頭には昭和16年慰安所は3であった(2巻、116頁)。香港には、昭和17年5月の海軍用の慰安施設として、海軍会館(旧英京飯店)、海軍将校倶楽部(六国飯店)、海軍慰安所4軒、海軍指定食堂5軒があったという(同、224頁)。この他に陸軍の慰安所があったのである。 金原節三業務日誌の昭和17年の数字では、南支の「慰安施設」は40とされている*3。 フィリピン・マニラ ■ 尋問調書(Interrogation Peport) № 28(未作成) ■ 尋問調書(Interrogation Peport) № 573(未作成) ■ 調査報告書(Research Report) № 120(1)(未作成) ビルマ・ミッチーナー資料B 「大東亜戦争」開戦後、南方諸地域にも、慰安所がつくられた。フィリピンでは、マニラに慰安所があったという供述を米軍の捕虜になった兵士がしている。朝鮮人、フィリピン人、中国人の女性が10人いる慰安所が5ないし6軒あったとの供述がある(5巻、英文、32頁)。マニラの慰安所のうち、いくつかは軍の管轄下にあり、そこには日本人と朝鮮人がいたという供述もある(同、111頁)。このような供述は部分的な印象に基づくもので、軒数については信頼度が低い。より重要な資料としては、連合軍翻訳通訳局調査報告120(1)「日本軍における娯楽」の付録として、1944年2月7日付けのマニラ慰安所にかんする警察報告が収録されている。そこでは25軒があげられている。そのうち慰安所12軒、兵下士官用5軒、将校用特別クラブ4軒、兵下士官用料理店3軒、不明1軒である。女性がいないのは、将校用特別クラブ1軒と兵下士官用料理店3軒である。慰安所は2号から8号まであるが、慰安所というものはみな軍慰安所であろう。兵士下士官用5軒も慰安所であろう。マネージャーは日本名のもの22、朝鮮名のもの2である(同、163-166頁)。 フィリピン・ルソン島 ■ 陸軍軍人軍属非行表(一〇月、一一月)[パヨンボン憲兵分隊](昭19・10・11)(未作成) ■ 軍人倶樂部規定[マスバテ島守備隊長](昭17・8・16)(未作成) ■ 検微成績ノ件通報[イロイロ患者診療所](昭17・5・12~12・27)(未作成) ■ バナイ島接客業組合骨子[バナイ島接客業組合](昭17.12)(未作成) ■ 軍慰安所並娯楽状況調査ノ件(回答)[タクロバン憲兵分隊長](昭18・8・14)(未作成) ■ 調査報告書(Research Report) № 120(1)(未作成) 《SEAT1C尋間時報第2号》ビルマ・ミッチーナー資料B 北部ルソン島では、バヨンボンに慰安所があった(3巻、285-286頁)。中部ビサヤ地方では、マスバテ島に軍人倶楽部という慰安所があった(同、149-151頁)。パナイ島のイロイロ市に、第1慰安所と第2慰安所の2つの慰安所があった。昭和17年の後半に、前者には12人から16人、後者には10人から11人の慰安婦がいた。前者には16歳の者が3名、17歳の者が1名、18歳の者が3名含まれていた(同、45-103頁)。同島のセブには、慰安所を経営する日本人業者が1名いた(同、202頁)。レイテ島のタクロバンには、慰安所が1軒あったが、経営者はフィリピン人の女性で、慰安婦9名は全員フィリピン人であった(同、248頁)。同島のブラウエンにも慰安所が開設された。慰安所規則が昭和19年8月付けでできているので、そのころの開設と思われる(5巻、英文、150頁)。 フィリピン・ミンダナオ島 ■ 状況報告[プツアン警備隊長〕(昭17・6・16)(未作成) ■ 独立守備歩兵第三五大隊陣中日誌(昭18・2・14)(未作成) ■ 独立守備歩兵第三五大隊陣中日誌(昭17・10・5)(未作成) ■ 尋問調書(Interrogation Peport) № 31(未作成) 南部ミンダナオ島のブツアンに昭和17年6月フィリピン女性3名で 慰安所ヲ開設シ兵ノ慰安ニ供シツヽ在リ将来女ノ増員ヲ計圃シツヽ在リ と報告されている(3巻、131頁)。 また同島のカガヤンには、昭和18年2月14日に下士官、兵用として 第三慰安所ヲ開業セシム とある。 比島人慰安所ノ料金ニ関シテハ従前通リトス とあるが(同、234-235頁)、これはフィリピン人女性、またはフィリピン人経営の慰安所の意味であろう。おそらく第1、第2慰安所が軍慰安所としてすでにあるのであろう。同島中央のラナオ湖のほとりのダンサランにも慰安所があった(同、184,186頁)。また同島のダヴァオについては、慰安所は軍の内部に設置されていて、朝鮮人、台湾人、それにフィリピン人の慰安婦がいたとの日本軍捕虜の供述がある(5巻、英文、42頁)。 以上からフィリピンの慰安所として知りうるのは、30である。フィリピンの慰安所はマニラをのぞけぱフィリピン人の慰安婦が多いようである。 ビルマ・マンダレー ■ 「マンダレー」駐屯地業務規定[第5野戦輸送司令部〕(昭18・10・20)(未作成) ■ 「マンダレー」駐屯地動務規定[第5野戦輸送司令部](昭20・1・2)(未作成) ビルマでは、中部の要衝マンダレーについてくわしい文書資料がある。昭和18年10月31日の駐屯地業務規定の別表によると、慰安所は芬乃家、北海楼、ビルマ舘、楽天地、喜楽荘の4軒あった(4巻、317-318頁)。ところが昭和20年1月2日の駐屯地勤務規定の別紙11号によると、軍指定慰安所が5、軍准指定慰安所が4となって、倍増している。軍指定慰安所は、梅乃家(内地人、将校慰安所)、万来家(広東人)、東亜倶楽部(「半島人」)、朝日倶楽部(「半島人」)、菊園(「半島人」)である。5軒のうち3軒が朝鮮人である。軍准指定慰安所は、楽天地(ビルマ人)、ビルマ舘(ビルマ人)、喜楽荘(ビルマ人)、新緬舘(ビルマ人、ビルマ兵補専用)であり、すべてビルマ人である(同、332-333頁)。 ビルマ・メイミョー ■ 調査報告書(Research Report) № 120(1)(未作成) 《SEAT1C尋間時報第2号》ビルマ・ミッチーナー資料B マンダレーのすぐ北のメイミョーについては、米軍資料の中にある報告に記述がある。そこには昭和17年末に8軒の慰安所があった。うち2軒、「第1フルサ」と「スイコーエン」は日本人女性からなる慰安所であった。後者は将校慰安所であった(5巻、英文、152頁)。 ビルマ・ミッチーナー ■ 心理戦作戦班報告書(Japanese Prisoner of War Informatron Report) 49号(未作成) 《日本人捕虜尋問報告第49号》ビルマ・ミッチーナー資料A ■ 調査報告書(Research Report) № 120(1)(未作成) 《SEAT1C尋間時報第2号》ビルマ・ミッチーナー資料B マンダレーから北部前線のミッチーナーまでの鉄道沿線の日本軍駐屯地のほとんどすべてに慰安所があり、通常朝鮮人と中国人の慰安婦がいたとの捕虜供述がある(同、英文、174頁)。 ミッチーナーの状況については、同じ報告がくわしい。昭和18年1月には、ここに2つの慰安所があったが、あらたに朝鮮から到着した一行が第3の慰安所を開いた。この段階で22人の朝鮮人女性のいる「キョーエイ」、20人の朝鮮人女性のいる「キンスイ」、広東から集められた中国人女性21人がいた「モモヤ」の3つの慰安所が存在するようになったのである(同上、これは資料Bである)。慰安婦たちの供述では、他に「バクシンロウ」という慰安所があり、のちに「キンスイ」に合併されたという(同、英文、204,207頁。こちらは資料Aである)。そうなれば4つの慰安所ということになる。慰安婦の総数は63人とされる。前線には日本人女性はいなかったとの証言があるが、浅野豊美氏の調査によれば、ミッチーナーからさらに奥地の中国領内の2つの前線基地拉孟と騰越にも慰安所があり、前者には朝鮮人を含む24人の慰安婦がいて、後者では日本人13人、台湾人3人、朝鮮人2人、計18人の慰安婦が玉砕後に保護されたのである*4。 先の資料Bには、昭和17年8月20日にラングーンに上陸した703人の朝鮮人女性が20人から30人のグループに分かれて、ビルマの各地に向かったとの記述がある(同、英文、151頁)。各グルーブが1軒の慰安所を開くことになるのだから、23軒から35軒までの慰安所が開かれたということになる。この17年8月到着組はマンダレーには行っていない。メイミョーでは一時慰安所を開いたグループがあった。ということになれぱ、マンダレーの8軒、メイミョーの7軒、ミッチーナーの2軒をかりに30軒に加えただけでも47軒で、ビルマの慰安所総数は50軒を越していることは疑いない。 ビルマ・キャウタン ■ 輜重兵第四九連隊第一中隊陣中日誌(昭20・2・1)(未作成) なおキャウタンには昭和20年2月に慰安所がつくられている。同時に斬込戦闘の訓練がおこなわれている。(3巻、472頁)。 ビルマの慰安所には朝鮮人が多く送り込まれているように想われる。 マレー半島 ■ 第二五軍情報記録[富集団司令部〕(昭17・8・25)(未作成) ■ 歩兵第一一連隊第七中隊陣中日誌(昭17・3・23、4・3)(未作成) ■ クワラビラ・バハウ駐留規定〔クワラピラ警備隊長](昭17・4・25)(未作成) ■ 歩兵第一一連隊第一大隊砲小隊陣中日誌(昭17・3・20、27)(未作成) ■ 歩兵第一一連隊第一大隊砲小隊陣中日誌(昭17・9・8)(未作成) ■ 軍政規定集第三号[馬来軍政監部](昭18・11・11)(未作成) マレー半島では、昭南市と改称されたシンガポール、その背後のジョホール州、ネグリセンビラン州には、昭和17年8月25日当時、慰安婦194人がいた(3巻、168頁)。ネグリセンビラン州のセレンバンについては、慰安所が昭和17年4月3日に開設されたという記述がある(2巻、384頁)。同州のクワラピラ・バハウにも昭和17年4月慰安所があったことが知られる(同、417頁)。さらにマラッカにも昭和17年3月に慰安所があったことが知られ(同、369,371頁)、そのうちの1つマラッカ軍人倶楽部(倫敦倶楽部)が同年9月8日閉鎖されたことが知られた(3巻、177頁)。マレー半島の日本軍は昭和I8年11月11日に馬来軍政監部名で「慰安施設及旅館営業取締規程」を定めているが、慰安施設の経営者は邦人に限定するが、 従業員ハ為シ得ル限リ現地人ヲ活用シ邦人ノ使用ハ最少限度ニ止ムルモノトス と規定している(同、22頁)。軍当局として、現地人の慰安婦を主とする方針であったことが分かる*5。 スマトラ島 ■ 調査報告書(Research Report) № 120(1)(未作成) 《SEAT1C尋間時報第2号》 スマトラ島では、北部のベラーワンに慰安所があり、現地の女性2名と中国人6名がいたとの捕虜の供述がある(5巻、英文、153頁)。 ジャワ島・スラバヤ市 ■ 野戦高射砲第四五大隊第一中隊陣中日誌(昭17・4・3、5・14)(未作成) ■ 野戦高射砲第四五大隊第一中隊陣中日誌(昭17・5・13、16)(未作成) ■ 野戦高射砲第四五大隊第一中隊陣中日誌(昭17・4・3、5・14)(未作成) ■ 野戦高射砲第四五大隊第一中隊陣中日誌(昭17・5・13、16)(未作成) ジャワ島では、スラバヤ市について資料がある。昭和17年4月4日より歩兵第47連隊南兵営東側に「慰安場」が開設される、「慰安公娼」総数は「目下四○名」であるとある(2巻、387頁)。このとき北慰安所がすでに開設されていたと考えられる(同、390頁)。慰安婦の中には朝鮮人がいたとの記述がある(3巻、109頁)。5月14,15日に南慰安所が一時閉鎖されたあと(2巻、389頁)、5月16日、南慰安所には「日本慰安婦」13名が配置され、再開された。同時に第2将校倶楽部にも「日本慰安婦」10名が配置されている。後者の慰安婦は日本人と「現住民」とからなっていた(3巻、111頁)。このような閉鎖と再開は慰安婦の性病が問題となったためである。慰安所は3カ所である。 ジャワ島・スマラン ジャワ島中部のスマランには、日本軍がオランダ人抑留女性を強制して慰安所を開設したことが知られている。昭和19年2月軍関係者は35人のオランダ人女性を集め、4つの慰安所を開設した、この関係者は戦後戦犯裁判で裁かれ、1人が処刑された*6。 ジャワ島・バタヴィヤ市 ■ 独立自動車第三九大隊第四中隊陣中日誌(昭17・8・18、24)(未作成) バタヴィヤ市(現在のジャカルタ)には、昭和17年8月16日第6慰安所が開業している。これまでに5つの慰安所がすでにあるということである。この新しい慰安所の慰安婦は朝鮮人7名であった(3巻、156頁)。 スムバワ島・ロボック ■ 第四八師団戦史資料並終戦状況[師団長](昭21・7・5)(未作成) ジャワ島につながるスムバワ島のロボックには慰安所があり、朝鮮人の業者と慰安婦あわせて、終戦時に約50人がいたと第48師団長の報告にある(同、502頁)。 セレベス島 ■ 南部セレペス賣淫施設(慰安所)調書〔セレペス民政部第2復員班長](昭21・6・20)(未作成) セレベス島の慰安所についてはオランダ軍軍法会議検察官が要求した結果作成された「南部セレベス売淫施設(慰安所)調書」がくわしい。マカッサル市内の第1施設から第3施設までの他、全部で21の慰安所があったことが報告されている。市内の慰安所の慰安婦数は約30,40,20人と報告されている。この3ヶ所については「種族」別が書かれていず、朝鮮人、台湾人、日本人がいたことが想像される。のこりの18施設のうち14は慰安婦が10人以下のものであるが、18施設すべてセレベス島住民を慰安婦にしているものである。慰安婦総数は224人である。慰安所の中には責任者として陸軍中佐、海軍大尉があげられ、 部隊ニ於テ経営ス、 責任者が 募集シ経営セリ というものと、 経営者ハー般邦人トシ軍司令部ニ於テ監督ス 原住民…ノ経営ニ依ルモノニシテ警備隊長之ヲ監督ス というものがあった。報告書は、ひとしく 売淫婦ハ本人ノ希望ニ依リ営業セシム とか、 希望者ヲ募集シ とか述べているが、これは軍法会議の追及を逃れるための弁解であった可能性が高い(4巻、354-360頁)。 ボルネオ島 ボルネオ島には、すでに述べたように、昭和17年3-6月に台湾から慰安婦70名が南方軍の要請で送り込まれている。 オランダ領インド地方、のちのインドネシアには、40以上の慰安所があったと数えることが出来る。 合わせると こうしてフィリピン、ビルマ、オランダ領インド地方を合わせると、120の慰安所の存在が知られる。金原節三業務日誌の昭和17年の数字では南方100ヶ所となっている*7。 南海方面 ソロモン諸島 ■ 尋問調書(Interrogation Peport) № 25(未作成) ■ 捕虜尋問調書(PriSoner of war Interrogation Report)(未作成) ■ 尋問調書(Interrogation Peport) № 60(未作成) ■ 時事翻訳(Current Translations) № 100(未作成) ■ 金原節三業務日誌(未作成) 南海方面ではソロモン諸島のラバウルについて、多くの捕虜の供述がある。慰安所の数については2とか、3とかいう者(5巻、英文、23,113頁)と20という者(同、英文、78頁)に分かれている。慰安婦の民族別では、日本人と朝鮮人からなるという者と中国人、朝鮮人、インドネシア人からなるという者がいて、20という者は全員日本人だと言っている。供述は暖昧であり、かつ部分的な印象である。ラバウルの海軍慰安所についてはかなり詳細な資料がある。東ラシュン荘、タケイシ隊、北ラシュン荘、第1トキワ荘、第2トキワ荘、第3トキワ荘という6の慰安所があった。うちタケイシ隊と第2トキワ荘には日本人と朝鮮人の慰安婦がいたのである(同、123頁)。となれば、当然ながら、海軍の慰安所の他に陸軍の慰安所があるのであり、総数は20という方が正しいだろう。金原節三業務日誌の数字では、南海は10ヶ所となっている*8。 沖縄 ■ 石兵団会報第五六号(昭19・9・17)(未作成) ■ 石兵団会報第九○号(昭19・12・4)(未作成) ■ 石兵団会報第五七号(昭19・9・19)(未作成) ■ 独立歩兵第一五連隊本部陣中日誌(昭20・1・2、13)(未作成) ■ 独立混成第一五連隊連隊砲中隊陣中日誌(昭19・10・4)(未作成) ■ 独五混成第一五連隊第一大隊本部陣中日誌(昭19・11・7、15、17、26)(未作成) ■ 独立混成第一五連隊第二機関銃中隊陣中日誌(昭19・11・4)(未作成) ■ 独立重砲兵第一〇〇大隊平山隊作命綴[中隊長](昭20・2・10)(未作成) ■ 要塞建築勤務第六中隊北飛行場五六飛大派遺、重信班陣中日誌(昭19・12・24~31)(未作成) ■ 独立混成第一五連隊本部隊陣中日誌(昭19・12・28、31)(未作成) ■ 独立混成第四四旅団第二歩兵隊第二大隊機関銃中隊日命会報録(昭20・1・15)(未作成) ■ 要塞建築勤務第六中隊陣中日誌(昭19・5・24、26、27。31)(未作成) ■ 要塞建築勤務第六中隊陣中日誌(昭19・6・4、5、9)(未作成) 『資料集成』には、沖縄の慰安所についても資料がある。石兵団会報には司令部のある浦添町仲間に「後方施設」として昭和19年9月20日より開業したもの、見晴亭、観月亭、軍人会館の3つがあったことが記録されている(3巻、352頁)。12月5日からは、第3慰安所を開設したとある(同、374頁)。しかし、 各部隊ハ慰安所開設ニ当リ左記事項ヲ速ニ報告セラレ度 という通達(同、352-353頁)からは、各部隊毎に慰安所開設が行われていたことをうかがわせる。その後北部の島尻郡玉城へ司令部を移した石兵団は昭和20年1月8日現在大和会館、敷島会館という2つの「後方施設」を開設した(同、418-419頁)。富里にある慰安所を利用する部隊もあった(同、423-424頁)。 北部の本部町渡久地には昭和19年10月5日より慰安所が開業した(同、396頁)。同町謝花には11月26日慰安所の設備が完了した(同、406頁)。さらにその北の国頭郡今帰仁村にも昭和19年11月4日慰安所が開設された(同、399頁)。国頭支隊は昭和20年1月に真部山陣地内に兵寮をつくり慰安所をあらたに設置した(同、457頁)。 昭和19年12月北飛行場の整備にあたっている要塞建設勤務第6中隊の派遺班は56飛行大隊軍人倶楽部の改築と第427部隊軍人倶楽部の改築を同時に行っている(同、440頁)。 南部では、中頭郡北谷町の桑江に19年12月に慰安所があった(同、410頁)。20年1月2日慰安所が開設された(同、413頁)。20年1月首里にも慰安所があった(同、463頁)。 伊江島には昭和19年6月軍の手で慰安所が建設されている(同、307-325頁)。沖縄では部隊毎に、部隊の力で建物つくりから慰安所をつくったようである。慰安所の数について、相当に多かったと考えられる*9。金原節三業務日誌の数字は、昭和17年段階の数字であり、昭和19年以降設置された沖縄の慰安所は含められていない。 太平洋戦争の過程で南方につくられた慰安所には、朝鮮人が相当数送り込まれ、現地住民も相当に集められているが、日本人も後方の将校用にかなり送られていると言える。 :北支、中支は前項 :原注(23)本論集の波多野澄雄論文による。 :原注(24)同上。 :原注(25)本論集の浅野豊美論文による。 :原注(26)吉見・林編、前掲書、120頁。 :原注(27)平成4年7月6日の政府調査結果の発表のさい、バタビア臨時軍法会議の審理の内容を述べた法務省提出報告が含められた。『資料集成』には、この報告は含まれていない。 :原注(28)本論集の波多野澄雄論文による。 :原注(29)同上。 :原注(30)沖縄の人々の研究によると、130ヶ所という集計が出ている。吉見・林編、前掲書、129頁。 和田論文index
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383 :石人:2013/06/09(日) 21 57 34 「のらくろ」という漫画をご存じだろうか。 野良の黒犬(野良犬黒吉)が猛犬連隊に入営、活躍する話である。 原作者の田河水泡が元軍属だったこともあり、当時の日本の状況を取り扱った作品でもある。 憂鬱世界においてもその人気は変わらず、夢幻会の介入で話の内容は大きく変化していたが独特の作風はそのままに連載されていた。 さて、後に映画化される本作であるが、漫画と違い多くの困難が待っていた。 提督たちの憂鬱 支援SS のらくろ小隊長 ―1936年某日 田河邸― その日、彼の家にはある来客が来ていた。 「わざわざ家にまでお越しいただき申し訳ございません、閣下」 「いやいや。こちらから用があると無理を言ったのだ、逆に礼を言いたいくらいだよ」 そこにいたのは二人の人間。 一人は田河水泡。 もう一人は、夢幻会の一員であり陸軍大将の本庄繁である。 「今日は君に、頼みがあってきたのだ」 「頼みですか?」 これから話す内容に本庄はげんなりとしながらも、説明をしていく。 意外な繋がり(※1)があるとはいえ、今回のような役目は通常近衛もしくは伏見宮がやることになっている。 だが、彼らは今東宝にいるので本庄にその役割が回ってきた。 「上海事変を題材に、のらくろを映画化ですか」 この世界の「のらくろ」は兵役中の軍隊の生活を主に描いており、連載から1年後に発生した上海事変については全く触れられていなかった。 「ああ。君にとっては不本意かもしれないがな。だがもしやるなら陸軍も協力させてもらうぞ?…最終的には君の判断次第なんだがな」 「僕次第ですか…」 384 :石人:2013/06/09(日) 21 58 28 この提案は田河に願ってもない好機でもあった。 「のらくろ」は前述の通り日常生活が主体ゆえに 戦闘描写は時々現れる山猿かゴリラとの小競り合いしかなく、読者から 「もっと戦うのらくろが見たい」 といった要望書が多数寄せられていたのだ。 自身の鏡とも呼べるのらくろが軍の宣伝に利用される― あまり気持ちの良いものではないが、軍隊での経験があったからこの作品は生まれ、 今なお多くの子供たちに愛されている。 普段はドジでマヌケなのらくろがいざ戦争となれば皆を引っ張り所狭しと活躍する―― 田川含め誰もが夢見た光景だった。 更に目の前の人物 ―連載当初から陸軍の基礎知識をまとめた資料等、「のらくろ」の土台となる情報を送っている― に、彼の成長を見届けてもらいたい思いが勝った。 「閣下」 「どうした?」 少しの間黙りこんだと思いきや真顔になった田河に本庄は面食らう。 「映画化の件、お引き受けいたします。ですが」 「ですが?」 「のらくろは漫画です。映画になっても子供が楽しめて、あまり残酷な表現は抑えた作品を希望しますが、構いませんね?」 「わかった。こちらとしては願ってもない話だよ」 本庄は大きく安堵する。下手をすればMMJからの追及があったからだ。 「もしよければ、君も制作に加わってみないか?黒兵衛や八ちゃんが出てくれば面白いと思うが」 「それは面白いですね!できるのであればやってみたい所です。 ですがどこで制作するのです?やるからには信頼できる会社でなければ」 「まだ確定していないが候補はある、安心したまえ。信頼できる人たちだし、 君も企画に加わりたがっていることを聞けばすぐに了承してくれるさ。 また後日連絡するからその時詳しく話そう」 「?」 385 :石人:2013/06/09(日) 21 59 20 ―数日後 帝都東京 松竹キネマ株式会社― 「この企画…本当ですか?」 社長室にて本庄が持ち込んだ書類を見て、同社社長の白井松次郎が質問する。 彼の隣りには、資料を一心不乱に読む山本善次郎と政岡憲三が同席している。 蛇の道は蛇と言ったところか、すでに白井は東宝が近衛公と海軍の協力の元、 大がかりな映画を撮影している情報をつかんでいた。 ちょうどその対抗馬となる映画を企画中のこの訪問。渡りに船だった。 陸軍も協力して原作者の田河水泡も制作協力に乗り気。 千載一遇のチャンスである。 「ええ、本当です。田河君とも話しましたが、子供が楽しめて残酷な表現を抑えることが彼の条件です。 こちらとしては軍の過度な賛美や批判は控えること、 漫画とはいえ過激な創作は入れないことです。いかがです、白井社長?」 「…むしろこちらがお願いしたいくらいですよ本庄さん。あなたが友人で、義息殿が田河先生の知り合いとは 本当に幸運です」 「ははは(いや、あいつが色々やらかしたお陰で俺の気苦労は増えているのだが。今は喜ぶべきか?)…」 終始和やかな二人に対し、資料を読み終えたであろう山本と政岡の反応は正反対であった。 「のらくろですか!私も一度撮ってみたいと思っていたのですよ。政岡君はどうです?」 「私には…少し合わんかもなあ。瀬尾(=瀬尾光世)なら去年同じモノ作ってたし、あいつに任せよう。 今回は裏方に回るよ」 同じモノ(作品)と聞いたとき、本庄はあることを思いついた。 「白井さん、横シネ(=横浜シネマ協会)も確かのらくろを撮った人たちがいますよね? いっそのこと今回は提携してやってみたら面白くありませんか?」 「やりましょう!あ、兄にも連絡してみます! ああ、四郎(=城戸四郎)にも話してスケジュールを組み立てねば。これは忙しくなりますな。 本庄さん申し訳ありません、これから緊急で会議をするので、田河先生へ連絡はお願いします!」 俄然張り切りだし社長室を飛び出す白井とその後を追う二人を見て、この作品は絶対に人気出ると感じた本庄であった。 ―後日 帝都東京― 「…」 「と、いう訳で田河君。松竹さんが受けてくれたよ、これで大丈夫だな」 「えっ、冗談ですよね?」 まさか東宝と勢力を二分する映画会社が制作を担当してくれるとは思わず田河はしばし呆然とした。 386 :石人:2013/06/09(日) 22 00 28 さて、この後行われた制作過程に紆余曲折があり、 その間に東宝が「地中海の守り人」を上映しその出来栄えに嫉妬しながらも 1938年の上旬に当作品の予告が公開された。 当時のアニメーション映画はまだまだ発展途上の時期で上映時間は10分程度。つまり一般映画の前座にすぎなかった。 ましてや「のらくろ」はここ数年で何本か作品化されているがいまひとつな出来だったので、 いくら大手の松竹といえども無謀、と当初は考えられていたが 制作に原作者である田河と陸軍が協力、スタッフに瀬尾光世・村田安司といった過去ののらくろ作品の監督や 山本・政岡を筆頭に松竹アニメの総力を挙げていることが分かり、 加えてアジア初の長編アニメーションということで時間がたつごとに期待が高まっていった。。 そしてついに、1938年中旬 「のらくろ小隊長」 が公開された。 オープニングは近年作られた「勇敢なる水兵」の替え歌、「のらくろの歌」。 時系列はのらくろが士官学校を卒業する直前―史実の恐竜退治辺り―で、事実上の本編に当たる。 のらくろやハンブル達が猛犬士官学校で勉強中の頃、海の向こうの大陸では 赤い熊に援助を受けた豚勝将軍が配下の豚たちと共に国際都市下山へ進出し始める。 迎撃のため犬の国からは、精鋭と名高い猛犬連隊が所属する師団が派遣されることになった。 それに伴いテキサス大佐に卒業試験として 「少尉待遇で原隊に復帰し、生還の後正式に任官する(訳 実地試験して来い)」 の辞令を受け、のらくろが猛犬連隊に戻ってくる。 いつものようにデカと一緒にドジをしてブル連隊長やモール中隊長に怒られるといういつもの光景の後、豚の国へ向かう。 その頃、先発隊として下山に到着し、豚軍とにらみ合いをしていた那智大尉の部隊。 ある日、彼の部下のくしゃみを銃声と勘違いした豚軍の一兵士が発砲。それをきっかけに武力衝突が起きる。 数に劣る犬軍が徐々に劣勢に立たされ那智大尉が敗走を覚悟した時、猛犬連隊を筆頭に本軍が到着。 熾烈な戦闘の末結果は犬軍の大勝利(※2)におわり、のらくろは常に先頭に立って奮闘(※3)した功績から勲章を授与。 帰国後無事士官学校を卒業し正式に少尉に進級するも、同期の友犬達との卒業祝いで好物の豆大福を食べすぎて 腹痛を起こし、上官たちに呆れられるシーンで幕が下りる。 当時の人気連載漫画、なおかつ原作者公認である本作は青少年の心を鷲掴みにするどころか 陸軍の協力により再現された当時の装備(※4)や最新鋭の演出により、漫画やアニメを軽視していた人たちの度肝を抜いた。 (一部では誰だよ猫の○1号作ろうとした奴といった声が挙がっていたが) 結果、松竹が大予算をかけ、史実の日本アニメの基礎を作ったスタッフたちによる本作は 後にアジア初のフルセル長編アニメーション映画として映画史に名を残すことになるが、 この時はある化け物の所為で脇役にならざるを得なかった。 その正体は ウォルト・ディズニー・カンパニー制作 「白雪姫」 史実以上の不景気にもかかわらずディズニ―の執念が形になったのか、既に公開されていた。 上層部はともかく、史実以上に親日感情が高まっていたアメリカは1938年10月末にこの映画を輸出。 日本のアニメ業界に黒船のごとく殴りこんだ。 これに衝撃を受けた松竹のスタッフは以後「打倒ディズニー」をスローガンにアニメを作るようになる。 387 :石人:2013/06/09(日) 22 02 49 ―???― 「いや―2度目の人生、こんなこともあるから悪くない。本庄さんが彼らの知り合いで本当に良かった」 「私や宮様は東宝に出向いていたから手が回らなかったものでね。だが、我々の目指す場所はまだ遠い」 「そこは時間をかけるしかないだろう。幸い軍部は文化祭で種をまいてある。今回も我々の大いなる一歩にすぎぬ」 「萌えと燃え、そしてリアルの融合。多少の規制は必要ですが、悪書追放運動などという愚行を防ぐには早めの対策が必要です」 「共産主義へのカウンター・教育・宣伝。これらに対しても有効なのは実証済みですがやはり娯楽を忘れてはいけません」 「前世には存在しなかった作品を見るのもまた醍醐味といえますからね」 「その通りだ。すべては日本・陛下の為。帝国臣民の生活と安寧の為。そして――」 『我ら、MMJの為に!』 [余談] (※1) 史実で第19師団歩兵第73連隊に入営したが、韓国併合もなく、第一次世界大戦で消耗し、軍縮した憂鬱陸軍は 田河を第1師団歩兵第1連隊へ招いている。 その当時の上官の一人が本庄の娘婿の山口一太郎。 非番となればカメラを持ってどこかに行く山口の本性を知った田河は、「のらくろ」でものらくろが入隊した頃の教官役 として同じ趣味を持って登場させている。 当時連載中の雑誌を買っていた本庄が確認のため手紙を送りやり取りを続け、今の間柄になっている。 彼も猛犬連隊が所属する師団の長「沢庵師団長」として登場している。 (※2) 憂鬱世界の上海事変は、史実以上に軍の質が上がった影響か「爆弾三勇士」は誕生していない。 その代わりに生田乃木次を凌ぐ空の英雄が生まれた。 (※3) 作中を代表するシーンとして豚軍を撃破後「豚京まで進撃すべき」との声が高まるも、 ブル連隊長が「私は貴様らを無駄死にさせるために育てた覚えはない。猛犬連隊は野蛮な軍隊ではないし 武器を持たぬ者を守るために来たのだ。世の中が平和でおいしい飯を食えれば結構ではないか」と一喝。 静まり返ったときに沢庵師団長が差し入れを持ってきて、それを食べた後すぐに元の顔に戻り 「ほれほれ、早くしないとみんな食べてしまうぞ」と語る場面は、 ブル連隊長が皆をどう思っているかわかるエピソードである。 (※4) この頃陸軍は装備更新中であり、上海事変時最新だったものは多くが旧式化していた。 輸出されたものも多かったが、下手にそれができないもの(八九式中戦車、昭五式小銃の初期型等) は国内で再利用されている。 388 :石人:2013/06/09(日) 22 13 33 [あとがき] 色々考えてはみたのですが、自分の文章構成能力の低さに泣きます。 これ以上は今は思い浮かばないです。戦闘描写?無理です。 元々のらくろは「犬の戦争ごっこ」がモチーフで生まれて、戦争を風刺していたようなので大分内容は変わると思います。 本編5話、9話でも言及されているのでアニメ化はまだ無理でも映画化は可能かと。 技術・資本が史実以上の憂鬱世界では「桃太郎の海鷲(1942年制作、1943年公開)」より5年以上早まってしまいましたが。 この時期に松竹にいない人物もなぜかいることについては、お許しください。 ただ 「この時期にのらくろ劇場版を総力を挙げて作ったらどうなるか」を考えて書いてみたかっただけなんです。 純粋な娯楽映画があってもいいだろうということです。
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#ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (a.jpg) 国章 #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (b.png) 情報 国家 モルチゲン連邦 略号 FRM 元首 -Non- 首班 -Non- 国防相 -Non- 首都 メールト(暫定首都:ブロスト) 人口 推定2510万人(暫定政府推定) 通貨 -Non- 言語 モル語 宗教 東方基督教・イスラム教・無神派 建国記念日 -Non- 国標 -Non- 国歌 国歌:Non 概要 モルチゲン連邦は中欧の地中海に面する国歌である。 先の大戦前にはメーリア連合王国という王国である、第二次世界大戦中にポルシアの占領を受け民主主義を掲げた議会派がパルチザンとして活躍、これにより戦後の体制に影響する。 現在は3つの派閥によって内戦が繰り広げられ国家元首・内閣構成員・首都すらも決まらずに無政府状態となる。 歴史 大戦の後1847年に議会派と王党派による「第一次モルチ内戦」が勃発する。議会派の勝利により連邦制へ移行した。 1852年に議会派が共産主義派閥によるクーデター未遂により内戦が勃発「第二次モルチ内戦」が勃発する。 1854年、民族主義派と国防軍残存戦力により暫定政府「国民評議会」(議会派・共産主義派はどちらも認めず)を設立 1861年に国家社会主義派により北域政府が占拠され「国家治安委員会」を設立(どこの国家からも認められず)。 1863年、暫定政府及び議会派内のイスラム教徒により「救国戦線」を設立(イスラム教国家から承認) 1869年、国連の安全保障理事会の監視団25名が国民評議会へ派遣される。 1872年、北域地域における国連監視団の視察で国家治安委員会と衝突。監視団員3名と現地の護衛兵10名現地人5名、国家治安委員会側21名が死亡。 東部地域において国連監視団の視察で共産ゲリラにおいて惨殺される事件が起きる。監視団員8名がホテルで殺害される。 国連監視団の引き上げを表明 1875年、国連安全保障理事会での決議が決まらなかったためGATOが治安維持の為、介入部隊を派遣を検討。これに対しVCOが共産ゲリラに軍事支援を開始する。 1876年、桜花国が治安維持活動の為、第二即応派遣師団・第五即応派遣師団の各派遣部隊、輸送及び補給・援護部隊として第一外洋艦隊を派遣。(国民評議会・議会派・共産派・救国戦線へ通告) 桜花国の行為に対してルテニア共和国連邦も部隊派遣を検討 1878年、国民評議会・議会派・救国戦線により「連邦暫定政府」を設立。 現在まで内戦が継続している。 現行派閥 連邦暫定政府 旧政府機構及び民族民主主義派閥による連邦内最大の統治機構。 国際社会の半数が政府承認しておりGaTO諸国から支援を受けている。現行で3個師団程度の兵員と4個師団程度の民兵を要している。 国家治安委員会 北域地方政府と警察・国家社会主義党により設立された北域地域における統治機構。世界のどこからも承認はされていない。各国の国粋主義勢力などから支援を受けている。 2個師団の武装党員1個師団程度の旧国防軍の兵士、国外からの義勇兵が3個師団、4個師団の民兵を要している 共産主義派(共産ゲリラ) 東部域や連邦内の共産主義者によって設立された組織である。 9個師団程度のゲリラとルテニアの4個師団を要している。 派閥地図 多国籍派遣要員 +GaTO軍 多国籍治安維持活動(GaTO地域介入部隊) 国連監視団で殺害された人員の内8名がGaTO所属でありGaTO機構内で各国の利権保護、地域の治安維持のために第六次要員まで派遣されている。 最も多くの死者を出している桜花国がGaTO各国へ呼びかけ派遣を実施している。 第一次要員:1876年6月 桜花国は第一外洋艦隊により第二即応派遣師団の第二派遣機甲連隊、第二派遣装甲歩兵大隊、第三派遣支援大隊をモルチ南部へ治安維持と現地人の復興支援を行うために派遣。 GaTO機構と桜花国・ノルドランドによって受け入れ体制を整えていく。 桜花国:第一外洋艦隊 第一空母艦群 第三外洋遠征艦群 第四外洋遠征艦群 :第二派遣機甲連隊 :第二派遣装甲歩兵大隊 :第三派遣支援大隊 GaTO機構:国際調整局派遣要員調整員64名 第二次要員:1876年12月 桜花国とブリテン連合王国の合同派遣部隊。桜花国先遣部隊への補充兵力として第五即応派遣師団第五派遣支援大隊とブリテン連合王国第14師団・第15師団の派遣を開始する。 桜花国:第一外洋艦隊 第二空母艦群 第三外洋遠征艦群 第四外洋遠征艦群 :補助艦隊 第一輸送艦群 第二輸送艦群 第三輸送艦群 :第五即応派遣師団 第五派遣支援大隊 ブリテン連合王国:第14師団 : GaTO機構:治安局警察支援員197名 第三次要員1877年3月 桜花国とノルドランド王国の合同派遣部隊。桜花国の重派遣要員 第二・五即応派遣師団の全部隊の派遣とノルドランド王国二個旅団の派遣。 桜花国:第一外洋艦隊 第一空母艦群 第三外洋遠征艦群 第四外洋遠征艦群 :補助艦隊 第一輸送艦群 第二輸送艦群 :第二派遣機甲連隊 :第二・五即応派遣師団の全部隊 ノルドランド王国:第201ハンター旅団戦闘団 :第202機動歩兵旅団戦闘団 :第203機甲旅団戦闘団 GaTO機構:統合軍局司令部要員354名 第四次要員1877年6月 桜花国の定期補給と同時にラビエ王国の臨時派遣要員。 ラビエ王国:第一五工兵大隊 :第七衛生大隊 :第二航空輸送大隊 第五次要員1877年11月 ヴェルスラント王国とサズガディナ共和国連邦の陸路遠征派遣部隊。桜花国及びノルドランド合同部隊の支援を受け現地入りを果たす。 ヴェルスラント王国:派遣部隊司令部中隊 :第393戦車大隊 :第242装甲擲弾兵大隊(機械化歩兵) :第243偵察大隊 :第290装甲砲兵大隊 :第400装甲工兵中隊 :第401作戦支援大隊 サズガディナ共和国連邦:第四機械化旅団 :第八衛生大隊 第六次要員1877年12月 桜花国・鈴仙民国・やしま連邦の合同派遣部隊。輸送部隊を援助協定によって鈴仙民国が桜花国から受けやしま連邦と合同船団を派遣することとなる。 桜花国:第五輸送艦群 やしま連邦:陸軍一個旅団・三個歩兵連隊・一個施設隊・一個後方支援隊・一個通信隊 :輸送揚陸艦三隻、駆逐艦二隻 鈴仙民国:鈴仙民国遣西部隊2個自動車化狙撃連隊「勇虎」「高虎」 第七次要員1878年1月 ディアマリス公国の派遣要員。海上の補給支援要員と陸上要員 ディアマリス公国:モルチンゲ派遣海上支援部隊 ずいりゅう型航空母艦 一隻 むつき型防空駆逐艦 五隻 :陸軍第332工兵中隊 :陸軍第46歩兵連隊 :陸軍第47機甲師団
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龍然封軍(りゅうぜんほうぐん、英語 Ryuzen Guard:RG)は、龍然封が独自に保有する軍事組織である。 龍然や日本では一般的に封軍と略称される。陸上部門の陸戦群、海上部門の海戦群、航空部門の空戦群の3群と各群管区により構成される。 龍然封軍 Ryuzen Guard 創設 2012年11月27日 指揮官 最高司令官 初代明奉 日向時雨 兵部処代 初代兵部処代 中川善次郎 参謀総長 初代参謀総長 斉藤義則初代海戦群奥座 総人員 徴兵制度 なし 概要 那覇協定により日本から派遣されていた自衛隊大東地方支援団に代わり、龍然封における有事に迅速に行動・対処する為の部隊として2012年11月27日に創設された。 陸戦群、海戦群、空戦群の3群と各群管区(方面群)により構成される。行政組織上は龍然封兵部の管轄下にあり、封から補助金や装備の供与を受ける。 高度な情報管理体制下におかれており、編成や装備、訓練内容・想定任務については一部の情報を除き、大部分が明らかになっていない。 現在、公式に人工生体兵器を保有・運用しており、世界で唯一対核戦力を保有している。最先端の装備や独自の軍運用法などから、世界で最も防衛力の高い軍隊の一つだと評価されている。 軍事アナリストらは規模・錬度・訓練時間等の全てにおいて未だ発展途上であるとの見方を示しているが、 初代海戦群奥座の斉藤義則は、訓練や練度は部外者が知り得ない防衛秘密であり、守秘義務に抵触するとして言及を避けている。 階級 日本の自衛隊などで用いられる将・尉・曹・士の階級序列は用いられず、龍然独自の階級が用いられる。 区分 陸戦群 海戦群 空戦群 士官相当 (将官) 大将軍※1 奥座 奥座 奥座 弐奥 弐奥 弐奥 参奥 参奥 参奥 (佐官) 一佐 一佐 一佐 弐佐 弐佐 弐佐 参佐 参佐 参佐 准士官相当 (尉官) 一騎 一騎 一騎 弐騎 弐騎 弐騎 参騎 参騎 参騎 下士官相当 (曹士) 一勢 一勢 一勢 弐勢 弐勢 弐勢 参勢 参勢 参勢 一士 一士 一士 弐士 弐士 弐士 参士 参士 参士 ※1 明奉の軍事上の階級。 部隊の単位 一般的な単位は用いられず、独自の編制単位が使用されている。 名称 指揮官 陸軍相当 海軍相当 空軍相当 群 大将軍から奥座 総軍 海軍 空軍 連 2等から3等将官相当階級 師団 艦隊 団 衆 1等から2等佐官相当階級 連隊 戦闘艦隊 群 隊 2等から3等佐官相当階級 中隊 任務群 隊 組 1等から3等尉官相当階級 小隊 戦隊 中隊 勢 下士官(士を除く) 分隊 小艦隊 小隊 手 一士 組 分隊 分隊 陸戦群 龍然封軍事作戦群の陸上部門で、他国の陸軍に相当する。総兵力約2600人。 編制 第一隠密機動衆(3個隠密機動隊基幹、畿群管区) 第弐隠密機動衆(3個隠密機動隊基幹、東群管区) 第参隠密機動衆(3個隠密機動隊基幹、西群管区) 第一対戦車生隊(3個対戦車飛生衆基幹、畿群管区) 第弐対戦車生隊(3個対戦車飛生衆基幹、東群管区) 第参対戦車生隊(4個対戦車飛生衆基幹、西群管区) 第一索敵隊 第一対空飛生隊 第弐対空飛生隊 第一飛行隊 第一飛生隊 第一工兵隊 第一後方支援隊 第一通信隊 第一武器隊 第一需品隊 第一輸送隊 第一化学隊 第一衛生隊 海戦群 龍然封軍事作戦群の海上部門で、他国の海軍に相当する。総兵力約1500人。 編制 第一対艦飛生連(4個対艦攻生衆隊基幹、太平洋方面群管区) 第弐対艦飛生連(4個対艦攻生衆基幹、太平洋方面群管区) 第参対艦飛生連(4個対艦攻生衆基幹、南海方面群管区) 第四対艦飛生連(4個対艦攻生衆基幹、南海方面群管区) 第1海上訓練指導隊 第1海上訓練支援隊 第1輸送隊 第1航空団(太平洋方面群管区) 航空隊 航空飛生師団(4個航空攻生連隊基幹、太平洋方面群管区) 整備補給隊 航空基地隊 航空修理隊 航空管制隊 機動施設隊※ 第2航空団(フィリピン海方面群管区) 航空隊 航空飛生小隊(4個航空攻生連隊基幹、フィリピン海方面群管区) 整備補給隊 航空基地隊 航空修理隊 航空管制隊 機動施設隊※ 第1対潜生師団(4個対潜攻生連隊基幹、太平洋方面群管区) 第2対潜生師団(4個対潜攻生連隊基幹、太平洋方面群管区) 第3対潜生師団(4個対潜攻生連隊基幹、フィリピン海方面群管区) 第4対潜生師団(4個対潜攻生連隊基幹、フィリピン海方面群管区) 第1潜水基地隊 第1掃海生中隊 第1掃海業務支援隊 第1情報業務支援隊 第1海洋業務支援隊 空戦群 龍然封軍事作戦群の航空部門で、他国の空軍に相当する。総兵力約900人。 編制 第1航空団 - (葛城基地) 第1航空攻生師団(4個飛行攻生団基幹、東方群管区、葛城基地) 第2航空攻生師団(4個飛行攻生団基幹、東方群管区、葛城基地) 第3航空攻生師団(4個飛行攻生団基幹、西方群管区、屋島基地) 第4航空攻生師団(4個飛行攻生団基幹、西方群管区、屋島基地) 龍然航空警戒管制隊 - (葛城基地) 第1高射群 - (葛城基地) 龍然航空施設隊 - (葛城基地) 龍然航空音楽隊 - (葛城基地) 装備および軍事技術 装備品にはI/F-00戦闘機、AH-1攻撃ヘリコプター、軍用人工生体「国家防衛支援生体」など龍然独自に開発および製造した兵器が多く存在する。 中でも国家防衛支援生体の繁殖には力を注いでおり、周辺の離島を軍事施設として現在5000体を超える国家防衛支援生体の繁殖に成功している。 また、人員確保が難しい龍然において人的資源の損耗を防ぐために無人兵器を積極的に研究している。 兵器開発 封軍が持つ兵器の中で有名なものは、軍用人工生体、無人戦闘機、無人攻撃ヘリなどである。 乗員の生存性や兵器の装甲防御力を第一とするコンセプトから、爆発反応装甲(ERA)や中空装甲(スペースドアーマー)、 アクティブ防護システム(APS)などの開発・導入が積極的に進められている。 龍然の兵器は防衛支援生体を除き、原則として濃紺色の単色塗装に統一されている。全ての車体には固有の車輌番号が記されており、近年は番号をプレスしたプレートにする事で、 撃破炎上した車輌でも確認可能な様に配慮されている。
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マタニカウ川の攻勢 陣営情報 陣営 軍事費 都市収入 国家収入 都市 空港 港 最大数 兵力 大日本帝国 5000 400 0 4 3 1 16 1 青葉隊 20000 700 400 7 0 0 24 23 第1海兵連隊 10000 300 1200 3 4 0 40 31 第5海兵連隊 10000 300 1200 3 0 0 32 31 マップ詳細 担当国 大日本帝国 参戦国 青葉隊(日本)、第1海兵連隊(アメリカ)、第5海兵連隊(アメリカ) 作戦期間 42年9月11日~9月30日 勝利条件 大勝利 15ターン以内に全敵司令部を破壊する 勝利 全敵司令部の破壊 勝利の鍵 1.マタニカウ川近辺に野砲を設置し、海兵隊の進軍を阻む 2.青葉隊の支援は橋の破壊にとどめて、本隊を進軍させる 3.血染めの丘の鬱憤を晴らすように空軍を行使する 戦勝ボーナス 結果 訓練値 経験値 資金 大勝利 +40 +150 +6000 勝利 +15 +75 +3000 攻略 [簡単なマップ説明] 詳しい説明は血染めの丘参照。プレイヤーの担当する部隊が舞鶴隊に変わり、空軍と 海軍を行使できるようになっている。このため、同じマップでも難易度は段違いに低い。 [大勝利を狙うパターン] まず最初にマタニカウ川東側の都市に海兵隊除けとして、野砲または対空砲を設置。 これで海兵隊は勝手にやって来ては自滅していく。 並行して九七式重爆を二式飛行艇に進化させる。 爆撃で海兵隊とスチュアートIを排除して行路を確保しながら、近衛兵を西へ進軍させよう。 アメリカ側は航空機を生産できないので、ブファロー対策は零式艦戦21型や鍾馗が2部隊もあれば十分だ。 零戦なら軽空母(日)とセットで出せば非常に楽になるので、鍾馗が育成済みなら零戦がお勧め。 海軍は日駆逐艦を2隻も出せば充分足りるが、あるなら日軽巡洋艦を出して地上部隊を攻撃させる。 友軍の青葉隊の支援だが、二式飛行艇にB爆弾を装備させて東の橋を破壊するだけでよい。 これによりスチュアートIが川を渡れなくなり、必然的に歩兵同士の撃ちあいになって有利な状態に持っていけるからだ。 もう一つの方法としては橋近辺に日駆逐艦、または日軽巡洋艦を待機させて足止めしてしまうという方法もある。 またこのマップは最大配置数が16、司令部が既に配置されているので実質15となり非常に少ない。 無駄なユニットを置かないように気をつけよう。 特に進化予定の九七式重爆を数多く所持している場合は、軽空母以外の海軍を設置する必要もないだろう。 補足: 何度も言うが、アスペクトの某攻略本に書いてある隼2型を配置するのは原則ボツ。 地上攻撃だけなら二式飛行艇のほうが、ヤーボでも鍾馗のほうがずっと実用的だ。 [経験値を稼ぐパターン] せっかく空軍海軍を行使して破竹の勢いで大勝を取りに行きたいところだが、このマップは大勝/勝利だとインパール攻略に進み、 引き分けならインパールをスキップしてニューギニア防衛戦に進むのは血染めの丘と同じだ。 血染めの丘に書いた理由と同じで、手持ち兵器の育成、進化が目的ならば、インパールを経由するメリットはない。 なので引き分けを目指すとなった場合、序盤のブファローさえ排除すればあとは二式飛行艇で片っ端から殲滅していけばOKだ。 もし次マップ(ニューギニア)で飛龍(爆撃機)が欲しければ、進化予定の二式飛行艇に多めに経験値が渡るよう工夫したい。 具体的には、進化予定でない部隊で最初に叩き、進化予定の部隊でとどめを刺すと効率よく稼げるだろう。 コメント 攻略等に関して意見のある方はコメントをお寄せください。 また誤字脱字以外で特に攻略内容に変更を加えた場合は、変更箇所とその理由をコメントするようにしましょう。 名前 コメント 軽空母1隻派遣して艦爆で攻撃。守備は88mm砲1門で充分。 -- ねこ (2021-05-05 22 48 07) 前マップを勝利で終わらせると軍事費8000でスタートできます。二式大艇2部隊生産しても補充予算を確保できます。 -- いもはむ (2018-10-06 12 54 46) 最初にぶつかるアメリカは経験値MAX零戦3~4機の機銃で指令部を破壊すると楽です。対空兵器無いので内陸から飛べます。 -- 久々プレーヤー (2013-08-14 17 41 16)
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サルナ Pt.5 傭兵部隊評価:9レベル 場所:リャオ領内中心領域 サルナ 雇用主:ダヴィオン家 敵対勢力:リャオ家 ミッションタイプ:破壊 難易度:?? トン数制限:320 リチャード・ウェストリック大佐 「司令官、話の経緯は分かった。ダム大尉が機兵連隊の生き残りを集めたことは喜ばしいが、ハートストンが俺たちにやったことを考えるとあっちの苦境には同情できん。 さっき見た通り、惑星に着いた時俺たち傭兵隊も巻き添えを喰らってあのざまだからな。マクシミリアン・リャオが公爵を殺したと聞いたハートストン将軍は第5シルティス騎兵連隊に2日間計画を早めて高速で進行するよう命じた。2日早く地表に到着して、すぐにでも公爵の仇を討とうとしたんだ。だが実際のところ、その命令は機兵連隊全員を破滅の罠へ真っ向から突っ込ませるようなものだった。こっちの船があと1日とちょっとで惑星に到着するって時に通信機から流れた悲鳴はまだ耳に残ってるよ。 そこで荷物を纏めて家に帰れば命は助かったのかもしれんが、スクリーミング・イーグルとうちの部隊は協議して、与えられた侵攻計画をそのまま継続することに決めたんだ。ここで依頼を放棄したら傭兵審査委員会からの仕事は二度と回ってこないだろうからな。両隊で協議した結果、惑星に降下してマッカロン装甲機兵団と長期間のゲリラ戦を行い、その間に恒星連邦軍へ増援要請をし援軍を待つ計画に決まった。 惑星内は敵が妨害電波を出しててこっちの遠距離通信を阻害してるなんてことを知ってればよかったんだが。悪趣味なカペラ人どもはこっちの降下時に妨害電波をオフにして機兵連隊の命乞いを聞かせた後、こっちが大気圏に突入したタイミングでまた電波妨害を仕掛けてきたんだ。それ以来ずっとジャンプポイントにメッセージを送る方法を考えていたわけさ。 司令官、俺たちは何カ月もかけて、カペラ人が妨害電波を出している施設を発見することに成功した。だが、この人数で施設を攻撃するのはリスクが高すぎると思ってな、躊躇してた。そんな時にあんたらが来た、これならうまくいくかもしれん。敵がこっちをねっらっているのは分かっている。もしマッカロン隊の注意を妨害装置から引き離せれば、防衛力が十分薄くなる、そうすればピンポイントで標的を攻撃し妨害装置を破壊できるだろう。ガラハッド作戦の時のようにな。うちの隊は敵を目標から引き離す、あんたらは目標を撃破してくれ。 司令官、率直に言ってこのミッションの成否で惑星外へ増援要請を発信できるかが決まる。いつまでここにいられるか分らんが、使節への攻撃計画を立てるのに1カ月程度かかるだろう。その間、作戦中に何があってもいいよう部隊を準備してくれ。マッカロン隊の対応次第じゃ連続したミッションに突入するかもしれない。このミッションを開始する前に、予備機の修理と再装備も万全にな。戦友よ、神のご加護があらんことを。互いの健闘を祈る。」 ミッション達成後 リチャード・ウェストリック大佐 「司令官、また会えて嬉しいよ。もっと良い状況で会えればなお良かったがな。ともあれそちらの尽力のお陰でまともな状態で明日を迎えることができそうだ。予備の装備は用意できないが、最近の戦闘でメックを失くしたパイロットがいる。メックさせ用意出来れば、きっと戦力になるはずだ。そっちのドロップシップに異動させておく。 まあ、こっちのテントで酒でも飲みながら話そう、なんでこんなところに居るのか理由を聞かせてくれ。」 達成報酬 1,504,825 C-Bill 250評判 ミラ・セレーナ大尉(スキル 38/47)
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317: 加賀 :2020/02/26(水) 20 31 19 HOST softbank126209005237.bbtec.net 「……やはり八百万の神々は衝号作戦を許してはくれないようだな」 1936年1月、1日には同盟通信社の開業。15日にはロンドン海軍軍縮会議から日本が脱退をする時期である。 その中で大日本帝国海軍の第20駆逐隊司令の橋本信太郎大佐は乗艦する駆逐艦『吹雪』の艦長室で溜め息を吐いた。橋本は先程までは戦後の世界を過ごしていた筈であった。しかし、気付けば1936年の日本に橋本信太郎に再び憑依していたのである。 「前回は39年で今回は36年か……3年の違いは何だろうか……」 橋本はそう思いつつも再び同志集めを始めるのであった。前回は五藤と松田が接触してきたが今回は橋本自らが接触をした。 五藤とは橋本が憑依して一週間以内に接触が成功したのである。二人は密かに料亭で会う事にした。 「そうか、やはり橋本君もまた来ていたか」 「えぇ。八百万の神々は許してはくれないようです」 「俺はむしろ神々は楽しんでいるように思えるよ」 橋本の言葉に五藤は肩を竦める。 「松田君は確かこの時期は支那方面艦隊の参謀だったな」 「えぇ。まぁ松田に関しては瑞雲の開発を出してきたら本人だと認識しましょう」 「松田だしな」 憐れとは思えない松田の処遇である。 「暫くは水面下で同志探しでしょうな」 「うむ。ロンドン軍縮脱退は決定だし覆せんしな」 「問題は二・二六事件ではないですか?」 「と言っても陸さんの同志は分からんぞ?」 「デスヨネー」 結果として二・二六事件は史実通りに発生、高橋是清等史実の面々が中堅・青年将校に率いられた歩兵第一連隊、歩兵第三連隊、近衛歩兵第三連隊等々の下士官兵ら1483名は首相官邸、陸軍省等を占拠して昭和維新断行を図るも投降等の呼び掛けにより史実通りに終息しクーデターは未遂に終わるのであった。 だが橋本はこの時、ある人物の意外な行動に目を見張った。 「近藤少将は此方側かもしれません」 「前回の時は憑依していなかったぞ?」 「ですが二・二六事件が発生する前日、横鎮に陸戦隊を海軍省への派遣要請を出しているんです」 「何?」 「それに対応したのが近藤少将を酷評する井上少将でしてね……」 「あっ(察し)」 橋本の言葉に五藤は直ぐに察した。 「派遣要請を無視したと?」 「当初は無視したようですが忌み嫌う近藤少将からの連絡に井上少将は陸戦隊を史実より早い当日午前中までに海軍省に派遣したようです」 「成る程……。ならば一度近藤少将と接触してみようか」 「はい。ですが合言葉はどうしますか?」 「ふむ……ならカナリア諸島としよう。衝号作戦を我々を知っているなら直ぐに反応するだろう」 「成る程。やってみましょう」 橋本は直ぐに行動に移した。幸いにも第20駆逐隊は前年度に発生した第四艦隊事件の影響で改装中であり橋本は休暇と称して上京して近藤少将と水面下で接触したのである。 「ハハハ、カナリア諸島と言われたら衝号作戦だろうな」 「やはり近藤少将も……」 「うん。俺も気付いたら……というわけだよ。気付いたのは二・二六事件が発生する少し前だった」 二人は神楽坂の小さな料亭で飲んでいた。 「横鎮の井上に連絡したが来るかは微妙だったよ。史実より早くに来てくれたのは嬉しいが事件は史実通りになってしまったから何も出来なかった」 「ですが我々はこうして接触する事が出来ました」 「良しとするしかないかな……それで目標は敗戦の出来る限りの回避だね?」 「はい。嶋田さんがいないので今のところはどうしようもありませんが現時点でやれるところから行っていき敗戦の出来る限りの回避です」 「分かった、ならば私も協力しよう。幸い、私は軍令部第一部長の身だから何かしらの事は出来るだろう。そこは任せてくれ」 「分かりました」 これで橋本と五藤は近藤という強力なカードを保有する事に成功したのである。 そして近藤は行動を開始した。というのもこの時、軍令部内では電探の研究が提案されていたのだ。(提案自体は1936年)近藤は水面下で電探研究を根回しを行い11月には研究が開始されるのである。 同年12月、橋本は第20駆逐隊司令から第7駆逐隊司令へ転任する。また五藤も1日付で甲巡『愛宕』艦長に就任していた。そして近藤は軍令部内で新たな憑依者を発見したのである。 「新見少将もお仲間でしたか」 「ハハハ。私も1月に気付いたばかりでしてね、何も出来ずに二・二六事件をただ見ていただけですよ」 二人は前回、橋本と近藤が会談をした神楽坂の小さな料亭で飲んでいた。 「実は来年の1月8日、ジョージ六世の戴冠式に随行する事になっています」 「ほぅ」 「帰路はドイツ等を来訪して戻ってくる事になっています。……今のうちにドイツの企業とかに目をつけておこうと思います」 「無茶はしないでくれ」 「分かりました」 そして新見は史実通りに戴冠式へ随行するのであるが成果は芳しくなかったようである。その間、12月31日にはワシントン海軍軍縮条約が失効する事になった。 318: 加賀 :2020/02/26(水) 20 33 20 HOST softbank126209005237.bbtec.net 1937年2月2日、『何もせんじゅうろう内閣』こと林内閣が組閣されるが同年5月31日は総辞職する羽目になる。 そして同年7月7日、その日は七夕だった。七夕という日に北京南西方向に存在する盧溝橋という橋の付近で一発の銃声が響いたのである。 「中国軍側からの発砲だと!?」 「兵士一人が行方不明です!!」(後に無事と判明) 「直ちに戦闘行動に移行し一文字山を占領せよ!! 夜明けと共に交渉に移れ!!」 支那駐屯軍は直ちに行動を開始した。所謂『盧溝橋事件』の始まりであった。その中で第二師団長の岡村寧次中将は通州防衛を強く主張した。 「通州には多くの邦人が生活をしており万が一、中国軍が通州を攻めれば尼港事件の再来になるやもしれません」 支那駐屯軍は第二師団を回すのはどうかと難色を示したが岡村の粘り強い説得により通州の邦人が退避するまで駐屯する事が決まったのである。 (よし、通州事件は防がれる可能性は出てきた) 憑依者である岡村中将は虐殺事件でも通州事件は何としても防ぐ方針だった。なお、この時通州は日本が政治的目的のため北支五省で行った華北分離工作の結果、冀東防共自治政府が置かれていた。 岡村は通州に精鋭歩兵第四連隊を急行、臨時駐屯とさせたのである。岡村の行動に梅津陸軍次官は難色を示したが結果としては通州の邦人を救う事に成功するのである。 そして日付が丁度代わり始めた7月29日0010頃、冀東防共自治政府保安隊が史実よりも二時間程早くに通州へ攻撃を開始したのである。 「我々の計画がバレたかもしれん。ならば予定より早くに攻撃する」 保安隊長の張慶余らはそう判断をしての攻撃だった。しかし、通州は歩兵第四連隊が到着したばかりで歩兵第四連隊は保安隊を迎え撃ったのである。 「撃て撃て!! 奴等を生かして帰すな!!」 歩兵第四連隊長の酒井直次大佐が叫ぶ。戦闘を開始して16分、保安隊は敗走を開始していた。向こうは精鋭、此方は素人に毛が生えた程度なのである。保安隊はあっという間に崩れたのである。 「よし、これで悲劇は防げれたな」 報告を受けた岡村は安堵の息を吐いたのである。なお、これが切っ掛けとなり陸軍内でも憑依者達が徐々に合流を行っていくのであった。 319: 加賀 :2020/02/26(水) 20 35 10 HOST softbank126209005237.bbtec.net というわけで以前にネタで考えていた橋本達の二回目の戦後夢幻会√になります。 今回は1936年からのスタートという事で日米開戦までにどれだけの準備が出来て開戦後からどれだけの事がやれるかが焦点になると思います
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河野仁『<玉砕>の軍隊、<生還>の軍隊――日米兵士が見た太平洋戦争』(講談社選書メチエ) 目次 目次 関連ページ 関連リンク “玉砕”の軍隊、“生還”の軍隊―日米兵士が見た太平洋戦争 (講談社選書メチエ) 河野仁|防衛大学校人文社会科学群公共政策学科 目次 はしがき 序章 戦争と死「戦争の世紀」 戦争の産業化 総力戦と徴兵制 「人間としての兵士」 戦闘の社会学と「戦闘意欲」の問題 第一次集団説(プライマリー・グループ・セオリー) 「アメリカの兵士」 分析的二元主義(analytical dualism) 戦闘の歴史社会学 第一章 軍隊と社会1 「動員社会ニッポン」の成立対外的脅威と軍事的合理性の追及 近代的動員システムへの転換過程 海防論と「国家防衛」 幕末諸隊と身分制の崩壊 洋式兵制と動員社会化の進展 四民平等と「国民皆兵」 動員社会化の進展 動員システムと青年教育の統合 青年訓練所から青年学校へ 青年学校の誕生 2 志願社会アメリカ「志願社会」成立の歴史的経路 「自由」か「平等」か 民兵制の伝統 南北戦争時の徴兵制 第一次世界大戦と選抜徴兵制 市民主導の「軍事教練運動」 国防法の制定と予備兵力動員体制の整備 志願社会と選抜徴兵制 第二次世界大戦と平時徴兵制 第二章 市民から兵士へ1 日本兵の誕生──入営までの社会過程徴兵検査以前の「社会化」過程 学校教育と動員の制度化 入隊前の職歴と徴兵期間の生活保障 徴兵検査 籖外志願 志願兵 村民総出の入営祝い 「入営」の社会過程 陰膳をして待つ母 入営・出征儀礼と象徴的相互作用 2 日本兵の兵営生活と訓練兵営生活の構造 内務斑生活──兵営生活のインフォーマルな構造 規律と制裁 私的制裁の機能 員数主義と「規範の逆転」 一期の検閲 幹部候補生 甲種幹部候補生(甲幹) 乙種幹部候補生(乙幹) 下士官候補生 「一選抜の上等兵」と満期除隊 「兵長」新設 3 アメリカ兵の誕生──入営までの社会過程「1ドル」欲しさに州兵志願 州兵への志願と大恐慌 州兵志願と「移民社会」の背景 ROTCへの志願 海兵隊への志願 徴兵 戦時の徴兵と結婚ラッシュ 4 アメリカ兵の兵営生活と訓練州兵部隊の兵営生活 164連隊将兵の兵営生活と訓練 132連隊将兵の兵営生活と訓練 ルイジアナ大演習 海兵隊員の兵営生活と訓練 規律 兵営生活のインフォーマルな構造 米兵の兵営家族主義 戦場へ 第三章 戦場の日本軍兵士たち1 戦闘動員戦闘動員の過程 中国戦線への戦闘動員 砲火の洗礼 ニセ「一等兵」の戦闘 輸送船の撃沈 第38師団の戦闘動員 一木支隊の戦闘動員 2 戦闘組織と戦術戦闘組織 戦闘組織の変化 戦術 3 戦闘意欲戦闘意欲を構成するさまざまな要因 「天皇制イデオロギー」と戦闘意欲 家族愛・郷土愛と名誉 「殺すか殺されるか」──自己保存の欲求 復讐心と人種的偏見 連帯感 戦闘意欲の重層性と二元モデル 恐怖心への対処 心理的防衛機制と戦場への適応 恐怖心への積極的な対処法 「バンザイ突撃」の実相 熊大隊の「バンザイ突撃」 「玉砕思想」の潜在的機能 4 指揮と統率「第一次集団の絆」形成とリーダーシップ 「印象操作」の重要性 統率の失敗と「第一次集団の絆」 権威の葛藤 直接的反抗戦略 関節的反抗戦略 服従戦略 玉砕行動とリーダーシップ 5 「玉砕」の思想捕虜観 POW(Prisoners of War) 「生きるため」の戦い 玉砕「神話」の崩壊 第四章 戦場の米軍兵士たち1 戦闘動員164連隊の戦闘動員 132連隊の戦闘動員 海兵隊の戦闘動員 砲火の洗礼 親友の戦死 上陸初日の「長い一日」 2 戦闘最初の戦闘 戦場への適応 実践的訓練 戦場への心理的適応と「バック・フィーバー」 道徳的葛藤 発砲率「25%」 戦場での将校任命 防御陣地戦術 偵察 食事 夜間行動禁止 暗号と合言葉 「コフィン・コーナー」の戦闘と「バンザイ突撃」 舌戦 3 戦闘意欲米軍兵士の戦闘意欲 『アメリカの兵士』研究の知見 復讐心 連帯感 任務の達成 愛する家族や恋人への思い イデオロギー 4 指揮と統率統率の原則 統率の失敗 権威の葛藤 その他の戦略と「移譲」戦略 恐怖心への対処 恐怖心への受動的対処と能動的対処 5 生還の思想捕虜観 生死観 第五章 玉砕の軍隊と生還の軍隊1 玉砕と生還の思想と行動玉砕の思想と行動 玉砕規範の確立 「投降」──玉砕規範からの逸脱 「人命軽視」の思想 平等な軍隊と自由な軍隊 3 帰還兵の共通点「命の大切さ」の認識 PTSD(心的外傷後ストレス症候群) 回顧録と心的外傷の「癒し」 戦友会の「セラピー」機能 文化衝突と文化融合 あとがき 参考文献 関連ページ 戦争を読む 関連リンク
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そりゃなんの証明にもならない 2) 2006/ 5/ 1 9 03 [No.35859/39216 ] 投稿者 ja2047 幕府山の捕虜に関しては、研究成果の「最大公約数」に立脚すれば逃亡阻止・暴動鎮圧の為という戦時国際法で認められた殺害です。 これも同じですね。 そういう説もあるが、おおかたの認めるところとはなっていない。捕虜解放の根拠は「両角手記」のみであり、他の資料はこれを支持していない。 唯一まともな不法殺害の疑いがある歩兵第66聯隊の捕虜処分は、12月13日のまだ城外で実質的な戦闘が継続している最中のことで、兵力の不足が切実な「軍事上の必要」を構成している時点です。 これですか? 第114師団 歩兵第127旅団 第66連隊 第1大隊戦闘詳報 (12月13日) 八、午後二時零分連隊長より左の命令を受く左記イ、旅団命令により捕虜は全部殺すへし 其の方法は十数名を捕縛し逐次銃殺しては如何 ロ、兵器は集積の上別に指示する迄監視を附し置くへし ハ、連隊は旅団命令に依り主力を以て城内を掃蕩中なり 貴大隊の任務は前通り九、右命令に基き兵器は第一第四中隊に命し整理集積せしめ監視兵を附す 午後三時三十分各中隊長を集め捕虜の処分に附意見の交換をなしたる結果各中隊(第一第三第四中隊)に等分に分配し監禁室より五十名宛連れ出し、第一中隊は露営地南方谷地第三中隊は露営地西南方凹地第四中隊は露営地東南谷地附近に於て刺殺せしむることとせり 但し監禁室の周囲は厳重に警戒兵を配置し連れ出す際絶対に感知させさる如く注意す 各隊共に午後五時準備終り刺殺を開始し概ね午後七時三十分刺殺を終り連隊長に報告す 第一中隊は当初の予定を変更して一気に監禁し焼かんとして失敗せり 捕虜は観念し恐れす軍刀の前に首を差し伸ふるもの銃剣の前に乗り出し従容とし居るものありたるも中には泣き喚き救助を嘆願せるものあり特に隊長巡視の際は各所に其の声起れり 攻略戦の帰趨はあきらかなのだし、組織的な交戦は行われていない状況ですから、 これで軍事的必要を認めていたら、捕虜は殺し放題ですよ。 南京大虐殺は、南京における日本軍兵士の不法行為を指す言葉ではありません。兵士の不法行為は「大虐殺」でも「虐殺」でも「atrocity」でもありません。南京大虐殺とは、30万人の中国人を不法に虐殺した事件です。 南京大虐殺とは、日本軍が南京を完全に掌握してから6週間続いた強姦、殺害、拷問、劫掠の狂宴です。最初の数日間に2万人以上が日本軍によって処刑され、6週間に南京城内及びその周辺において殺戮された者26万人~30万人、日本兵に強姦された婦女子2万人以上、これが南京大虐殺です。 他にも色々と定義の揺れは見られますが、「南京大虐殺」と言うとき、一部の虐殺派の著述家を除けば、その意味するところはこのように極めて大規模な不法行為であり、それは軍ぐるみで行われなければ到底不可能な性質のものです。 ↑ この理屈で行くと、「東京裁判は 南京大虐殺がなかったことを立証した」 という ことになるね よかったね (^^ そもそも貴方の言っていることは日本軍が悪事を働いたという前提に立つもので、 相手の述べていることは理解してから批判して欲しいですね。 世間に発覚した不祥事なるものを国際社会が事実と認識していなかったことは、国際連盟決議が無かったことにより他所で既に立証済みですが。 あのね、 1.ある事件があった 2.ある事件が世間に知られていた 3.国際的機関で非難決議があった これ、全部別のことなんです。 ある事件があっても、その時には知られていないこともある。 世間に知られていたにもかかわらず、非難決議がないこともある。 非難決議がないから事実はないという理屈が全く成立しないことは ホロコーストやカンボジア虐殺のケースを考えてもらえば分かることです。 国連がチベット虐殺の非難決議をしないから全く何もないということには なりません。 返信 これは メッセージ 35858 ja2047 さんに対する返信です もどる
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連隊トップ | 連隊一覧 | 検証依頼 | 局中法度 | 公式ルール | 通信兵 | 交流戦 | トーナメント 旅団交流戦概要 交流戦運営の流れ 交流戦参加資格 間近の交流戦 過去の交流戦結果第一回交流戦 テンプレ概要 第?戦 ツール等Webジャンケンのやり方 メモ コメント欄 旅団交流戦 各連隊が持ち回りで主催をおこなうプチイベント戦です. イベント戦ルールは主催する連隊におまかせ.各連隊の独自色が出せると良いですね.もちろん旅団公式のルールを用いても構いません. 概要 負担にならない頻度(隔週程度)で旅団内交流戦を行う. 主催・運営は 連隊持ち回り で行う. ルール(お題)は 主催者の自由 とする. 開催時間は 週末の22~24時 を目安とする. 参加・出撃は連隊単位ではなく,当日ごった煮でシャッフル・椅子取り等により陣営決定を行う. 交流戦運営の流れ 次回主催者を連隊持ち回りで決定する.連隊内のどなたが中心となるかは連隊内で決めてもらう. 開催1週間前を目安として 「お題」 を攻略Wikiの専用ページに掲示する. 参加希望者は攻略Wikiの専用ページに参加の旨を伝える投票システムを使うかコメント欄を使うかは未定. 事前登録無しの飛び入りもOK.部隊タグ無しの浪人もOK.攻略Wiki利用者の飛び入りは条件付きで検討(旅団員のフレンド等) 希望者数を鑑みて部屋を複数用意するかどうかを意志決定する. 当日マッタリプレイする 簡単な結果を専用ページに伝える(参加人数,各試合のルール,マップ,リザルト等) 場合によってはリザルトなどからMVPを決定するのもありかもしれません. 交流戦参加資格 参加資格は以下の通りとする. セカンド攻略Wiki独立旅団員 旅団員フレンドの飛び入りもOK 間近の交流戦 主催 浅葱連隊 日時 8月22日 21 00~23 00 総参加人数 最大15名ぐらい 旅団テキストチャットその1(バトオペクラン&野良交流室)、その2(バトオペクラン&野良交流第2室)に集合頂いた参加希望者を、ホスト係がルームを立てた後、全員に一括招待しますので、好きな陣営に早いもの勝ちで入室します。 ルームを立ち上げ直した後、2戦目を同じ流れで行います。 みなさんの熱い要望を汲み取り、2チーム制とします。テキチャその1、その2にホスト係が1名ずついるので、13名以上集まった場合は少ない人数のテキチャに移動してください。両方の参加は厳禁! バトル 第1戦 第2戦 ルール ベーシック マップ 軍事基地 廃墟都市 コスト 250 500 ルール縛り 低階級も高階級も頑張ろう! 少将01以上はLV2,大尉01以上はLV3,中尉10以下はLV4 その他縛り 勲章コスト0,同位賞賛 ルーム人数 66 スコア 第1試合 ジオン勝利第2試合 連邦勝利 備考 延長戦第1試合 連邦勝利延長戦第2試合 連邦勝利 MVP いれば 交流戦日誌 第1戦 6vs6 軍事基地です。 連邦は、ジムコマ デザジム 犬ジム スナカス 素ジム ストライカー。ジオンは、ギガン ゲム ザクキャ Sザク グフ ゾゴック 結果はジオン大勝利。 ジオンは珍しい支援2という編成が思わぬ結果を生むことになりました。相手を転ばせることが勝利の鍵となったか?このコスト帯だと転倒祭りになりますね! 10750P対5985P でした。 第2戦 6vs6 廃墟都市Rです。カメラの画像がぼやけて一部MSの編成不明。ジオンは、ケンプ 高ドム ガトゲル Jゲル 指揮ゲルM ガル 連邦は、ガンダム 重ガンキャ 犬ジム ピクシー その他MSが2体。結果は連邦勝利。 連邦は支援2のいつもの編成。なんとかジオンのMSを足止めして勝利を掴みたいところだったが、BR装備の多いジオンがやっぱり突撃して押し切られた結果に。高ドムに戦車で戦う猛者も現る!自分はガンダムで出撃しましたが、待機時間が長すぎる!やっぱり私も戦車に乗ることになりましたとさ。 10825P対12305P でした。 総評 予定通り2時間以内に終えることができたのはいいことでした。21時開始で1試合目が始められたのは21時半からなので、少し待機時間が長かったかも?当日は土曜日でしたが、この時間帯では前回の半分くらいの集客率でした。招待用に交流室を使ったのはよかったです。おそらくルールをもっとシンプルにすれば2時間で3回回すことも十分可能ですね。チャットルームを交流室のみに絞ったことで、開催者側としては楽でした。 過去の交流戦結果 第一回交流戦 +... 主催 桔梗連隊 日時 2015年6月10日(水) 22 30~ 総参加人数 22名 旅団テキストチャットに集合頂いた参加希望者を、案内係がフレンド登録させて頂いて、偶数になるように調整しながら、当日専用の使い捨てテキストチャットに案内します。(フレンドは後で解除頂いても問題有りません) ホスト係がルームを立てた後、全員に一括招待しますので、好きな陣営に早いもの勝ちで入室します。 ルームを立ち上げ直した後、2戦目を同じ流れで行います。 交流戦結果 バトル 第1戦 第2戦 ルール エースマッチ ベーシック マップ ランダム 都市 コスト 350 250 ルール縛り 無し 機体レベル2or3限定 その他縛り 勲章コスト0,同位賞賛 ルーム人数 Aルーム55Bルーム44 Aルーム55Bルーム66 リザルト Aルーム:ジオン勝利Bルーム:ジオン勝利 Aルーム:ジオン勝利Bルーム:ジオン勝利 1戦目 2戦目 MVP投票所 自薦他薦を問いません! 順位 選択肢 得票数 得票率 投票 1 sari副隊長 6 (40%) 2 kokさん(BD1) 3 (20%) 3 motさん(ゾゴ)上手く追撃してくれました 2 (13%) 4 ギガンでがんばったブロさん 2 (13%) 5 緊急回避のないレイスをジュアッグでフルから溶かし尽くしたHISさん 2 (13%) その他 投票総数 15 交流戦日誌 第1戦 Aルーム 5v5 地下基地でした。 陸ガン ジム頭×2 凶悪夜鹿 ガンキャⅡ と カモフ ラムちゃん ドム×3 ジオン勝利。 接戦でしたね! 一回すっころぶととんでもないことに! 12465Pと12915P 450P差でした~(^o^) Bルーム 4v4 廃墟 常磐areさんドムトロ 紫紺alpさんグフカス 桔梗JDの素ゲル HISのジュアッグ と 瑠璃matさんレイス 翡翠Doaさんジム頭 桔梗のkokのBD1 同じくkikのSPⅡWD となりました。 みなさん好きそうなの乗ってますねえ。 戦いは廃墟らしく遠距離戦と乱戦の繰り返し、よく見ると連邦支援機いないじゃん! ピカーが飛び交う戦場は当分の間拮抗してましたがareさん大暴れで最後はジオンが押し切りました。 matさんのレイスが集中砲火で即死するシーンが私から見た面白ポイントでしたごめんなさい。 第2戦 Aルーム 5v5 陣営は早い者勝ち(^o^) まだ夜か;; 素ゲルちゃん グフカス ドム×2 指揮砂 と アクア デジム しのびん 陸ガン コマ ジオン勝利。 またまた接戦でしたね! 5810Pと5150P 650P差でした。なんか暗闇から痛いのがボコスカ飛んでくると思ったら^^ Bルーム 6v6 こんなの育ててねえ!と言わせるためのルール恐ろしい。 araさんドム重 深緋burさんギガン Doaさん素ゲル 紫紺motさんゾゴ 桔梗がドムとグフカス と matさんザクF2 alpさん夜鹿 瑠璃AO_さんEz8 桔梗がWRに鹿ⅡにSMLだったな! alpさんの爆弾発言により流れる不穏な空気、やっぱりやりやがった! とはいえ双方爆破を成功させ戦いは振り出しに。 みんなハンガーが足らないのかよく落ちる落ちる、最後はB拠点通路内で大乱闘スマッシュブラザーズ 皆さんの活躍を書きたいのですが自分自身必死にタックルを繰り出していたのでさっぱりでした。割と僅差でジオン勝利。 たった2戦ですが、やはり人が違うと機体も流れも違って新鮮な気分で楽しいですね。 第一回交流戦総括 平日にも関わらず、続々と集まる参加者、桔梗部隊も出席率高め。やっぱり皆んなバトオペ好きですね! エンジョイ勢でも、ガチバトル勢でも、結局は楽しくバトルがやりたいんじゃー! 進行の手間を極力省いて、時間が遅くならないように気をつけたのですが、振分けの時点で30分程予定オーバー。 まだ工夫が足りなかったです、今後の改善注力点はここですね。 今回はホストも桔梗部隊で対応して、テキチャ2部屋に別れて進行しましたが、週末などでもっと規模が大きくなる時は 有志ホストを積極的に採用して行く必要がありそうです。 一方で、テキチャ振分けが終わってからの、陣営の一括招待・早いもの勝ち制度は、滞りなく進行したので効果が有りました。 最後に、参加者の皆さん、おかげ様でやって良かったと思える交流戦になりました、ありがとうございました! テンプレ +... 概要 主催 ??連隊 日時 2015年?月?日(土) 22 00~ 総参加人数 約?名 第?戦 ルール ベーシック,エースマッチ マップ ランダム,山岳地帯,砂漠地帯,無人都市,採掘所,軍事基地,峡谷,補給基地,北極基地,地下基地,廃墟都市,鉱山都市 コスト 250,350,無制限 ルール縛り 機体レベル?,カスパ脚部のみ等 その他縛り 勲章コスト0,同位賞賛 ルーム人数 66,55,44,33 スコア 連邦? vs ジオン? 備考 なにかあれば MVP いれば ツール等 Webジャンケン http //roshambo.me/ スケジュール調整サービス「伝助」/http //densuke.biz/?http //densuke.biz/ 紅白戦振り分けスクリプト http //wearezaku.web.fc2.com/intrasquad_script_clan.html Webジャンケンのやり方 どちらか1人が Webジャンケン のページにアクセス 自分と対戦相手の名前を入力後「GO!」ボタンを押す「Go」ボタンを押すことでジャンケンのセッションが生成されます 表示されたURLを対戦相手に連絡するセッションを作成したブラウザの画面が「あなたの画面」で,URL先が「相手の画面です」 自分のジャンケン手札を決定してボタンを押す 対戦相手がURL先にアクセスして手札を決定.ボタンを押す 結果が表示される注意:作成後同時にアクセスして手札を決定することが望ましい。もし別々にアクセスする場合は、作ったほうが後から選択しないともう片方の手札が表示されないことがあるので注意すること。 メモ 投稿できる文字数は 1000文字まで のため、ご利用は計画的に! コメント欄 過去ログ 1 名前 昨晩はフルで参加できず、すいません。また機会があれば参加したいと思います。 - 名無しさん 2015-08-23 11 34 21 昨日は遅れてしまって延長戦だけに参加というかたちになりましたが楽しかったです。2戦目は夜鹿Ⅱで暴れさせていただきましたwまた機会がああればお願いします~ - たくま 2015-08-23 10 13 54 交流戦に参加して頂いた皆さん、ありがとうございました!ワッパがあんなに話題になるとは(^_^;)またお会いできるのを楽しみにしています。 - tri@SS4 2015-08-23 03 16 22 りぷさん、浅葱の皆さん今日はありがとうございました。フルで参戦させて頂きました。楽しかったです。次こそは絶対ジオンで勝ちます!(1戦目の250はジオンで勝ってました(汗) ) - アルファ@紫紺 2015-08-23 01 01 37 お久しぶりです。良ければ参加してもよろしいですか?流石に誰かを退けてはできないので、あいてればですが - たくま 2015-08-22 17 24 12 何人参加するかわかりませんが、枠が空いてたらどーぞ!21時10分ぐらいにテキチャ1や2に入れたら出撃しちゃっていいのでは。 - りぷ 2015-08-22 19 51 37 イベントとぶつかっちゃったけど,大丈夫かな? - 伏流 2015-08-22 03 37 46 そこ不安ですが、集まり具合で臨機応変にいこうと思います。 - tri@SS4 2015-08-22 10 03 24 参加したかったぁ、残念ながらその日のその時間は予定が・・・ - るし 2015-08-16 00 47 06 大盛況の気配がはやくも!ホスト足りなくなったら協力しますねー - sta@SS6 2015-08-14 00 23 01 sta隊長、ありがとうございます!よろしくお願いします。 - tri@SS4 2015-08-14 08 07 02 これ絶対に2チーム制にしないと回らないよね…。しかし2チーム制にすると当日バタバタするというジレンマ。うーん(´・ω・`) - りぷ 2015-08-15 21 30 05 うちは平日にやって2部屋でしたからねー、3部屋は覚悟したほうが・・・。各ホストごとに、事前に展開した専用のテキチャで散ってもらって、開始前から10人か12人になるように、参加希望者も自分で見ながら部屋を渡ってもらっておいた方が進行しやすくなるかもですねー。 - sta@SS6 2015-08-16 02 31 46 うちは時間まで普段のテキチャで雑談やら、ルール確認やらしていて、時間になってから自分が各テキチャ見ながら割り振ったのですが、開始まで30分くらいかかっちゃったので。もし次やるなら↑のように、参加希望者が勝手にある程度専用チャットに移動しておいてもらった方が、入れ替え等の手間が減るかなーと温めておりました。結局は仕切る誰かが全部屋確認しなきゃいけませんが・・・ - sta@SS6 2015-08-16 02 36 30 チャットルームはフレンドにしか招待できなって縛りが厄介ですね。ちょっと隊長と相談して考えたのは、交流戦の時間隊のみ、交流室1,2を貸切させてもらう。というのはどうでしょうか。基本的に交流室1,2はwikiメンバーなら知っているはずなので新しくチャットルーム作ったり周知する手間は省けます。さらに伏流さんに交流室3を作っていただけると、2部屋制であぶれる人も救えるのでは、と考えています。この辺の話は編集板で伏流さんに相談すべきですかね…?? - りぷ 2015-08-19 22 23 19 交流室3ですが、一旦今回の交流戦では無視してください。今回は6vs6の2チーム制でなんとか乗り切ります。もし参加者があぶれるようであれば、次回開催時に向けて検討材料として提出します。なので、交流戦で交流室1,2の使用許可をください→伏流さん - りぷ 2015-08-19 22 36 59 了解です.自由に使って下さい.また,必要なら交流戦専用チャットルーム案内を別途出しても構いません.メールと違ってそれほど手間ではないので. - 伏流 2015-08-20 00 18 31 伏流さんありがとうございます。当日お騒がせしますか許してね(ゝω・)vキャピ - りぷ 2015-08-20 22 23 02 Wikiの旅団員の参加は可能でしょうか? - 名無しさん 2015-08-11 23 35 17 名前入れ忘れました 雷電です 第2のテキチャ持ってないかも… - 名無しさん 2015-08-11 23 36 41 雷電さん、お久しぶりです。もちろん可能です! - tri@SS4 2015-08-12 19 31 33 チャットルームを持っていなければ伏流さんから案内を貰うか、当日案内します。 - りぷ 2015-08-13 08 52 55 チラッ。フレンドも参加していいそうですので、もしも当日になって枠が足りない~なんて場合になれば気軽に使って下さいな。 - cccc 2015-08-11 06 05 57 枠は増やせばリプさんが頑張ってくれるはずです!せっかくですから楽しんじゃいましょうよ!(外野の暴論) - sta@SS6 2015-08-16 02 44 11 8月に行う交流戦の集合場所を、「バトオペクラン&野良交流第2室」に変更しました。 - りぷ 2015-08-06 21 29 16 https //youtu.be/rI4OqptQFX0 交流戦の1戦目の動画です~なぜに1戦目を後に出したww - たくま@瑠璃 2015-06-17 22 05 06 ありがとうございます! - sta@SS6 2015-06-18 00 15 52 https //www.youtube.com/watch?v=5HnhAFcbv-k 交流戦の動画アップしました~ - たくま@瑠璃 2015-06-16 22 26 46 ありがとうございます。試しに埋め込んでみました! - sta@SS6 2015-06-17 00 20 14 明日以降にまとめて反映させます! - sta@SS6 2015-06-11 00 37 50 MVPとか備考とかは無理して載っけなくてもいいですよ~.負担にならない程度で結構です. - 伏流 2015-06-11 19 45 43 ありがとうございます、ほどほど程度で、もうちょいやってみます!こういうの好きな方なのでw - sta 2015-06-12 00 10 56 投票設置したけど、ちゃんと動いてなかった!修正しましたすみません - sta@SS6 2015-06-13 00 09 00 間に合わなくて申し訳ありません。 - ペロ@SS9 2015-06-10 22 53 34 また次の機会に! - sta 2015-06-12 00 11 26 作成中. - 伏流 2015-06-10 20 38 20 ページの体裁のみですが専用ページを作りました.試合当日は 参加人数 , リザルト 等を記録頂き,後日こちらにご報告頂ければ幸いです.備考欄に大会レポートなどを書き込んで頂いても構いません. - 伏流 2015-06-10 21 05 56 最新の20件を表示しています.全てのコメントを見る ▲トップに戻ります▲