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エンジェルフェザー - エンジェル グレード〈2〉 ノーマルユニット (ツインドライブ!!) パワー 8000 / シールド 5000 / クリティカル 1 起【V/R】:[CB2]あなたのカード名に「黒翼天使」を含むヴァンガードがいるなら、コストを払ってよい。払ったら、そのターン中、相手はダメージゾーンからカードを移動させることはできない。 フレーバー:お気の毒様、あなたはもう助からないよ。 黒翼の死天使 順位 選択肢 得票数 得票率 投票 1 使ってみたいと思う 0 (0%) 2 弱いと思う 0 (0%) 3 強いと思う 0 (0%) 4 面白いと思う 0 (0%) その他 投票総数 0 名称指定を追加しました。by作者 (2014-03-21 23 16 13) コメント
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- 【中谷一郎】 日記 2004年 04月 02日(金曜日) 新聞もテレビも、中谷一郎死去は“風車の弥七”死す、として報道しているようである。まあ、確かに新劇の役者さんというのは地味だから、お茶の間に弥七として顔と名を知られるというのは、舞台(こっちが本業)に客を呼ぶ上でもいいことだったのかもしれない。実際、そうでもなければ一般人は新劇役者の顔など覚えない。イッセー尾形の“バーテン”の一人芝居のバージョンのひとつに、バーテンが、店に来た中谷一郎にチップを貰った、ということを自慢にしている、というのがあって、 「ホラ、あるじゃん、『水戸黄門』のヨ、アレ。風車ピューって飛ばす役、やってるあの俳優。アレ、アレ、何つったっけ。……エ? 鈴木やすし? 違うよ、バーカ」 という台詞に爆笑した。日常での会話の中によくある、役者の名前と顔が結びつかないという例に中谷一郎を持ってきたあたりのセンスが、中谷氏には失礼であるが大 変に結構であった。 まあ、顔と名前が結びつく人たちの間であっても、中谷一郎と言えば風車の弥七、というイメージがどれくらい定着していたかは、 http //www.jmdb.ne.jp/person/p0277290.htm ↑ここのサイトで、『ああ爆弾』での氏の役名“矢東弥三郎”を“矢車弥三郎”と誤記していることでもわかる。弥七に似た弥三郎という役名の連想で、リスト作成者 がつい、矢東を矢車と誤記してしまったのではないか、と思うのだが。 しかし、本来の役者としての持ち味からすれば、絶対にあの風車の弥七はミスキャストであったと思う。ミスキャストであったからこそ代表作になったのかも知れぬ。ああいう、ニヒルなヒーローの似合う役者ではないのだ。もっと人間味、それも土着のバイタリティあふれた、時にヒステリカルに、また時に高圧的にもなる、弱さも嫌らしさも全部ひっくるめた人間味が芬々と漂ってくる、そんな役者さんだった。前記の矢東弥三郎の、事務所から向いの床屋に行くにも、両側に部下をズラリと並べて柵を作り、その中を(暴漢の襲撃を恐れて)腰をかがめてキョロキョロあたりを伺いながらヒョコヒョコ歩く議員候補者の演技など最高だったし、出番こそ短いが、『日本の一番長い日』で森師団長を斬殺する航空隊の黒田大尉(何故か他の人々は実名なのに彼だけ仮名で、本当は上原大尉)の、斬殺の後、極度の緊張のあまりこわばってしまい、血刀を離すことが出来なくなった手を、机にガンガンと叩きつけて外す演技の凄かったこと。とても『ああ爆弾』と同じ監督の作品とは思えなかった。さらに、山本薩夫の『金環触』での、田中角栄がモデルの、民政党の斎藤幹事長役。チョビ髭をたくわえた顔で扇子をパタパタさせながらダミ声で政治記者たちを手玉にとるその姿は、思わず笑ってしまうほどソックリな役作りであった。逆に言えば、これだけ多様な役が出来る器用さが、本来ミスキャストのはずの役も楽々と演じさせてしまい、それが役者としての幅をかえってせばめることになったのかもしれない。人生の皮肉を思う。 【鷺沢萠】 日記 2004年 04月 15日(木曜日) 新聞に鷺沢萠死去の報。わっ、と少し大げさに驚いた。数日前の朝日新聞の “萌え”に関するインタビュー中、萌えの語源説のひとつとして、NHKのアニメ恐竜惑星のヒロイン鷺沢萌の名をあげ、この名前のオリジンであるところの彼女のサイトも、下調べの際にちょっとのぞいてみたばかりだったのである。風邪がなかなか抜けず、ルルAをひとビン、のんでしまったなどと、どう考えても身体に悪そうなことが最後に書いてあったけれど。 【横山光輝】 日記 2004年 04月 15日(木曜日) 横山光輝氏、寝タバコが原因でベッドが燃え、全身やけどで重傷の報。焼かれるはずの人質がいまだ焼かれず、なぜ横山光輝のような人が焼かれねばならないのか、と世を不条理に思う。この人の名もつい数日前、デビュー前の原稿がネットオークションで売りに出されたことに対し不愉快を表明しておられるという記事で目にし、あ、体調を崩しているとは聞いたが、まだ大丈夫なんだな、と思っていたばかり。寝たきり状態で仕方ないとはいえ寝タバコはいけない。妹さんが看病していたということだが、脳卒中で倒れた段階で、煙草だけはなんとしてもやめさせるべきであった。しかし、横山氏と言えば酒豪であり、ヘビースモーカーであり、かつ麻雀はプロ級、競馬は好きが高じて馬主にまでなったほどで、およそ男の快楽というものをトコトン追求するタイプであった。オタク的趣味人のエピソードにはことかかないが、そっちの分野での武勇伝がまずない(酒ではちょっとあるか)手塚治虫とは、こんなところまで 好対照である。 横山先生もとうとうお亡くなりに。悲痛な事故ではあるが、漫画家としてはすでに描きたいものは全て描いたという気持ちだったのではなかったかと思うし、鉄人をはじめ影丸、サリー、バビル2世等という彼の生み出したキャラクターは、これからも(ひょっとしたら鉄腕アトムやレオなどより長く)繰り返し、日本の娯楽作品の中でリメイクされて受け継がれ、生き続けることだろう。娯楽派・大衆派作家の評価というのは遅すぎることがまま、あるが、横山作品評価は晩年になるほど高まってきた。何とか間に合った。悲しみよりも、そういう安堵の気持ちがまず、正直なところだ。『B級学』(海拓舎)の中でも指摘したが、日本の漫画史というのは、手塚治虫をあまりに過度に評価してきた歴史と、横山光輝をあまりに過度に閑却してきた歴史の両面を持つ。後者の方の責任を今後、日本の漫画史は問われていくことになるだろう。ともあれ、偉大なるアルチザン、偉大なるエンタテイナーの死に改めて黙祷。 日記 2004年 04月 16日(金曜日) 横山光輝氏死去の報、どうもその業績に比して、扱いが小さいように思う。人質帰国のニュースと一緒なのが原因か。思えば、手塚治虫氏死去のときは、マニラ誘拐事件の被害者である若王子氏の死去と重なって、やはり記事の位置や大きさで少しソンをしていた。鉄人とアトム、日本二大ロボット漫画の作者の死の報道に、どちらも誘拐事件関連の記事がからむというのも一奇と言えるかも知れない。 日記 2004年 12月 20日(月曜日) とはいえ、手塚と違い横山光輝を語って“きれいにまとめる”のは極めて難しい。ひとつの要素に収斂しないのである。 【竹内均】 日記 2004年 04月 22日(木曜日) 昨日、竹内均氏死去。映画『日本沈没』で、奇妙なイントネーションでマントル対流の説明をしていた先生、というのが第一印象で、その後この人が世界的地球物理学者であることを知って驚いた。この人を、日本に科学教育を根付かせた大恩人、と評価する人は多いが、私にはどうも、そうとは思えない。この人の教育論のモトというのは、著書である『修身のすすめ』(講談社)という本のタイトルからもわかるように修身教育である。その中で竹内先生は、勤勉、貯蓄、正直、中庸、感謝、報恩、修身、斉家、思いやりといった徳目を実行することにより、人は磨かれ、家は修まり、国は栄えると説いている。確かにこれは、秀才は生むかも知れない方針である。しかし、同時に、こういった堅苦しいワクから外れる天才をオミットしてしまう教育でもあるのだ(自分は『数学の天才列伝』〜ニュートンプレス〜なんて本を書いて、天才を礼賛しているのに)。…… 私は、科学という分野は(いや、科学でなくどんな分野にしてもそうだが)100人の秀才を育てあげるより1人の天才を見つけだした方がよほど効率のいい学問である、と思っている。東大名誉教授から代々木ゼミナール校長という、日本的秀才教育システムを何の疑問もなく渡り歩いたエリート学者の教育論では、わが国に天才は生まれない。それが、80〜90年代を通しての、日本の科学がパッとしなかった理由のひとつではないか? と勘ぐってしまうのだが。 【桃井真】 日記 2004年 04月 22日(木曜日) 今日は国際政治評論家桃井真氏死去。桃井かおりの父親。軍事アナリストとして有能な人だったが、ただ、この人、“海底戦車”説というトンデモ説に固執して、著書でいろいろ語っていた。二十年くらい前、この人の著書(手元にないが、確かカッパの『戦略なき国家は挫折する』だったと思う。後にサラ・ブックスからそのものズバリ『国籍不明・海底戦車の謎』という本も出した)で、北朝鮮は日本海の底を、水陸両用の海底戦車で蹂躙しており、それが時折新潟や青森の海岸から上がってきては、歩いている人間を拉致して行く。津軽海峡の海中写真には、海底の砂の上に、巨大なキャタピラの後が歴々として残っている……とか書かれているのを読んで、ガッチャマンの世界かこれは、とオドロキ、“そんなものが残っていれば北朝鮮にいくらでも証拠として突きつけられるだろうが”と心の中でツッコミを入れたものである。で、そのことを、その後『パンチザウルス』のエッセイコミックに書いたのであるが、それがいつの間にか、“唐沢俊一は昔、北朝鮮による拉致をデマであると書き、後に拉致が確定したとたんに、その作品を絶版にして知らぬ顔をしている”というあらぬ噂になって広まり、苦笑したものである。デマであると言ったのは海底戦車について、であり、絶版どころか、ちゃんと単行本『脳天気教養図鑑』にも入れ、文庫にして、今でも堂々と書店に並んでいるのである。そういう意味では、私ともご縁のあった人 であった。 【三塚博】 日記 2004年 04月 26日(月曜日) 三塚博元蔵相、死去。地味な政治家であったが、この人は前世がお釈迦様の父親であり、さらには加藤清正であったという。いや、私でない、『幸福の科学』の人たち がソウ言っていたのである。 http //www.melma.com/mag/30/m00019630/a00000057.html ↑ ここの2003年10/30の項目参照。そう言えば96年当時“三塚博を総理大臣にしよう!”というチラシ、メール類がやたらに送られてきた。すぐに幸福の科学が後押しをしているということがわかり、“あ、政治センスないな”と思ったものである。カリスマがないから自分たちが自由に操れる、という目算だったのかも知れないが、総裁選というのは普通選挙と違い、いかに周囲で持ち上げても、議院内でパワーがなければ勝てるものではない。宮沢喜一、渡辺美智雄といったライバルに比べれば二段、三段の格落ちで、とても最初から目はなかった。だいぶ金を使ったのだろうが、ドブに落とした形になったわけだ。しかも、その後に橋本内閣で蔵相となったが、当時勃発した証券不祥事の責を負って辞任。まあ、ここらは加藤清正が前世らしく、毒まんじゅうでも食わされたのかも知れない。上記メルマガでは、最後の方で、英雄を待望しなくちゃいけないから、次の選挙では田中真紀子さんに……などと言っている。つくづく、政治家を見る目だけはない宗教団体だと思う。 【ジョゼ・ジョバンニ】 日記 2004年 04月 28日(水曜日) 26日に作家で映画監督のジョゼ・ジョバンニが死去していたことを知る。80歳。いわゆるトラウマ映画として有名な『暗黒街のふたり』の監督である。アラン・ドロンとジャン・ギャバンの顔合わせでこのタイトルなのだから、人はたいてい、『地下室のメロディ』みたいな、小粋なフィルム・ノワールと思うだろうし、実際、ドロンは出所したばかりの銀行強盗犯の役だ。『地下室の……』の方ではギャバンが出所したばかりのギャングの役であり、その立ち位置を変えた設定で、こんどはどんな犯罪を……と 観る方は期待する。 ところが、これは全然違う映画なのであった。ドロンは犯した罪を悔い、細々ながらも平凡な幸せをつむいで行こうとする。ギャバンはそれを暖かく見守る保護監察司の役だ。しかし、ドロンの目の前には、かつてのギャング仲間が新たな犯罪を誘いに現れ、かつ、以前彼を逮捕した刑事ゴワトローが、彼が再び犯罪を犯すはずと決めつけて、執拗にその周囲をうろつく。ギャバンは何とか彼を救おうと努力するが、全ての運命の鍵が、ドロンに対し不幸な方へと働いていく……。そして、最後にこの映画は、あらゆる希望をうち砕かれたドロンが、ギロチンに首をはねられて終わるのである。この映画が製作された1973年には、まだフランスでは死刑はギロチンで行わ れていたのである(廃止は81年)。 ドロンが処刑されるのは、自分の恋人に暴力をふるおうとしたゴワトローを、ついカッとして殺してしまったためなのだが、このゴワトローを演ずるミシェル・ブーケが、これ以上ないというくらい、執拗で陰湿で強引な刑事役を演じている。こういう役や、それを演じる役者が大好きな私が、映画館で観ていて“もうやめてくれ、これ以上出て来ないでくれ”と心の中で思ったくらいなのだから、相当なものである。監督の頭の中には、絶対にこの役のモデルに、すでにフランスでも放映されていて人気だった、『刑事コロンボ』のイメージがあったろう。ああいう男がヒーロー足りうるのは、あの世界では最初から狙われるのが真犯人である、という前提があるからだ。しかし、もし、あの性格を持った刑事が、無実の男をつけ回したとしたら? その恐怖をこの映画はサディスティックなまでにこちらに見せつける。 聞くところではこの映画は刑法史上でも重要な映画だそうで、公開処刑だった時代はともかく、非公開となってからのギロチン処刑がどのようにして行われるかをリアルに再現してくれた、貴重な作品なのだそうである。規則を淡々と消化する、という感じで聖書が読み上げられ、ワイシャツの襟が大鋏で切り取られ、後ろ手に縛られたまま、最後のタバコとワインが与えられる。そして、両脇を執行人がしっかりと抱えて、ギロチンへと囚人をひきずっていくのである。全ての希望を失ったドロンが、最後にこちらを振り向き、何かを訴えようとするあの目が忘れられない。忘れられないが二度と観ようとは思わない(結局ビデオも手に入れてしまったけど)、そんな映画 であった。 【小鹿番】 日記 2004年 04月 30日(金曜日) 30日に俳優、小鹿番氏死去。その名の通り小柄な体躯を十二分に活かした役者さんだったが、名付け親が倉本聰で、“子鹿のバンビ”から、というのはどういう連想か。どう見てもバンビというイメージではない。“江戸っ子は華奢で小柄が身上”と以前この日記に書いたが、この小鹿氏こそまさに“江戸っ子”の体型、キャラクターであった(浅草出身、正真正銘の江戸っ子)。もっとも、決して伝法だったり鯔背であったりするのではない、小市民的軽薄さを持つ江戸っ子であって、そういう役をやらせれば、右に出る役者はいなかった、と言っていい。 私がこの人の名前を覚えたのは74年のNHK大河ドラマ『勝海舟』の中の、三公という長屋の住人役で、この作品、主要キャストにあてられた尾上松禄や岩井半四郎など歌舞伎畑の人たちがもっさりしていて江戸っ子という感じではなく、むしろその周囲の古今亭志ん朝やこの小鹿番が、江戸らしさを体現していた。俳優、ことに脇役俳優は演出家や脚本家にかわいがられることが、出世のひとつのきっかけになるが、彼の場合、役者人生の前半が菊田一夫、後半が倉本聰という大物の庇護者に恵まれたことが何よりの幸運だったろう。その、庇護者の切替わりの境目にあったのが、出演中に菊田一夫の死に会った上記の『勝海舟』で、この脚本家(もっとも途中で降板)が倉本聰。菊田生前の小鹿敦という名前(本名)が、放映途中で小鹿番に改名されたことを、中学三年だった私はありありと記憶に残している。とは言え、菊田の恩を忘れたわけではなく、師である菊田一夫役を、森光子主演の舞台『放浪記』で長年演じ続けたのは、役者にとりなによりの恩返しであったろう。とにかく大好きな俳優さんで、『コンドールマン』なんていう変身ものにも律儀につきあい、いつも通りの小市民を見事に演じていたのに大喜びしていたものだ。まだまだ活躍してほしかった人で あった。黙祷。 【戸川幸夫】 日記 2004年 05月 03日(月曜日) 戸川幸夫氏死去、92歳。この人の名前を初めて見たのは石川球太氏の動物マンガの原作者として、だった。『牙王』『熊犬シロ』『野生犬サボ』といった作品は、類似の作品が他にそうないこともあって、まずまず読めるな、という程度の印象だったが、昭和44年に『少年マガジン』に短期連載された『人喰鉄道』という作品がスゴかった。アフリカのツァボで鉄道を建設する人々と、人喰いライオンの、本当に息詰まるようなギリギリの戦いを描いた作品で、それまで、『狼少年ケン』とか『ジャングル大帝』といったアニメで、ライオンと言えば少年マンガにおいてはあまり悪く描かれない存在、と認識していたこちらに、悪鬼の如きライオンの恐怖をこれでもか、と突きつけてきて(こういうモノをごく普通に掲載していた当時の少年マガジンの編集方針の斬新性を思うと、いくらロートルの繰り言と嗤われようと“昔はよかった”と言わざるを得ぬ)、ちょっとないトラウマを与えられた。その後、原作を手に入れて読んでみたのだが、いや、これがまたマンガ以上の凄まじい傑作、日本にもこういう小説を書く人がいたのか、と、その頃少し、そのスケールの小ささに失望していた 日本小説を見直したほどだった。いま、『人喰鉄道』はネットで読める。 http //www.papy.co.jp/act/books/1-1670/ ↑日本における最高レベルのハードボイルド小説である。読まないとソンするよ。 【三橋達也】 日記 2004年 05月 18日(火曜日) ついこのあいだ、『CASSHERN』で80才とは思えぬ姿を見せていた三橋達也氏、死去の報。あのときも、演技(セリフ回しとか)が若い頃とほとんど変わっていなかったのに、いい意味でも悪い意味でも驚いたものだが、この人の演技には、当時の役者さんの中でも際だった、“日常性の無さ”というものがあった。天本英世のような“非日常性”ではない。あくまで“日常性の無さ”なのである。日本の演劇人というのがどうしても日常性をべったりと演技にも、セリフにもまといつかせている中で、その、日常からの遊離は貴重な財産だったかも知れない。なればこそ、海外での彼の評価は非常に高く、当時の日本の俳優の中では三船敏郎に次ぐ国際スターの地位を確保し、『トラ! トラ! トラ!』やフランク・シナトラの『勇者のみ』などに出演出来たのだろう。ロシアとの合作の『甦れ魔女』なんて(魔女といってもオカルトでなく、バレーボールの“東洋の魔女”のこと)映画もあったし、ああ、それから『国際秘密警察・鍵の鍵』をウディ・アレンが徹底改作した『いったいどったの?タイガー・リリー』なんて珍作も、一応は海外での公開作品である。上記『トラ! トラ! トラ!』での、日常性皆無の三橋達也と、どっぷり日常性につかった田村高廣の演技合戦は、見るたびに笑い出してしまう奇場面であった。ウディ・アレンのは輸入ビデオ屋でビデオを見つけて、喜びいさんで買って見ては見たものの、こちらの乏しい英語力ではとてもギャグまで理解できず悔しい思いをしたものだ。この作品の字幕版、どこかで出してくれないか。 【トニー・ランドール】 日記 2004年 05月 20日(木曜日) 映画俳優トニー・ランドール死去とかや。最後にスクリーンで見た、いや声を聞いたのは『グレムリン2・新種誕生』の、メガネをかけたグレムリンのリーダー“ブレイン”のアテレコであった。アテレコではあったが、こういう役に、同じSFもの映画『ラオ博士の七つの顔』の主役で知られているランドールを持ってくるところが、スピルバーグもジョー・ダンテもわかっているなあ、と嬉しくなったのを覚えている。 代表作はテレビ版『おかしな二人』の潔癖性男フェリックス(映画版でジャック・レモンが演じた)ということになるらしい。オデコとしかめっつらがトレードマークのランドールには実にはまり役だった。もうひとつ、彼はアレック・ギネスと並ぶメイキャップに凝る俳優としても知られており、前記『ラオ博士の七つの顔』ではまさしく七変化を見せる。タイトル・ロールのラオ博士を演じるために、バリカンで髪を剃られ坊主にされているシーンのスチルがあるが、本人曰く、 「あれは撮影に入ってから撮った宣伝用スチルで、もうあのとき、僕は髪を全部そり落としてしまってたんだ。だから、坊主頭の上に髪の生えたカツラをかぶって、それを剃ってるところを撮ったんだよ」 とか。まさにメイキャップ俳優の名にふさわしいエピソードだ。未公開なのがなんとも惜しい『アルファベット殺人事件』(ちゃんとタイトルに“アガサ・クリスティ原作『ABC殺人事件』より”と断り書きが出るので、邦題のついていない状態でこの映画を『ABC殺人事件』と表記するのは誤りである)で主人公のエルキュール・ポアロを演じたときも、原作通りに禿げ上がった頭のメイクで演じており、最初に素顔の(髪のある)ランドール自身が登場して、“こんにちは、トニー・ランドールです。MGMが皆様に送る私主演の……”で場面が切り替わり、メイキャップ後の姿になって、セリフも露骨なフランス語訛りになり、 “ベルギー人探偵エルキュール・ポワロの活躍をお楽しみください!”と始まる、いかにも60年代ハリウッド映画らしい、洒落た作品だった。監督がマーチン&ルイス作品を多く撮った喜劇映画畑のフランク・タシュリンなので、あまりミステリ映画として評価されないのが残念なのであるが、共演がアニタ・エクバーグ、ロバート・モーレイというA級作品なのだ。 【ロナルド・レーガン】 日記 2004年 06月 07日(月曜日) ロナルド・レーガンもと大統領死去、93歳。産経新聞で中曽根元首相が 「お互いが尊敬し合える同志がなくなった」 と語っていたが、レーガンは中曽根を尊敬していたのかね。ロン・ヤス関係などと中曽根氏は二人の親密さを強調していたが、大統領をやめてから出たレーガン自伝には、中曽根氏の名前はホンの数行しか出て来なかった、というではないか。まあ、とはいえ彼が身もフタもなくレーガンにスリ寄り、不沈空母発言などという上っすべり発言までしてアメリカの腰巾着に徹したことが、ソビエト政権が末期に到り、戦後の国際政治情勢が大きく変わろうとしていた時期に日本の国際的な立場を固めたことは動かしがたい事実である(サミットなどでの記念写真のときなども、中曽根氏はスッとレーガン氏の脇に入っていって、常に隣り合って写るように心がけていたとか)。弱小国家の外交とはいかなるものか、中曽根氏は身を以て知っていたと言えよう。これくらいの発言はまあ、大目に見るべきか。 レーガン氏の大統領就任時、日本のマスコミはこの右傾大統領を徹底して嫌い、悪の権化のように書いていた。いまだに覚えているが、84年のレーガン・グロムイコ会談に際し、毎日新聞はその予想を述べて“レーガン氏がまだB級映画俳優だった当時、すでにグロムイコ氏はソ連の外相を務めていた”と、あきらかにソ連びいきの書き方をしていて、当時、すでにマンガ雑誌でもソ連の物資のなさや政治システムの末期症状がギャグになっていたというのに、新聞というのはこうまで世界情勢が見えないのか、と呆れたものだ。結果、この会談はあきらかにレーガンがSDIなどの開発という軍事力をバックにソ連を交渉の場に引き出して成果を上げたと評価されることになる。所詮、外交というのは軍事力が背景にあって初めて行えるものだ、というこ とをあれくらい如実に示したものはなかった。 ついでに言うと、当時の“B級映画”という用語は、現在のような、チープでカルトな映画秘宝的作品、という意味ではなかった。映画黄金時代に、制作費や製作期間に特別ワクを設けて作られる超特作映画を“A級”と称し、定期上映される、通常のワクで制作された映画をB級と言ったのである。B級映画にはシリーズものやジャンルものが多く、たまの大作映画にしか出演しない大スターよりも、むしろ大衆人気はB級の西部劇や戦争映画、コメディに常に顔を見せていた俳優の方にあった。50本以上のB級作品に出演していたレーガン氏は確かにアメリカ人にとって“人気俳優”であり、だからこそ、映画俳優組合の委員長に推挙され、そこから政治の道を歩きはじめたのである。決して、当時各マスコミで揶揄されていたように、“売れない映画俳優”だったわけではないのだ。 【コロムビア・トップ】 日記 2004年 06月 08日(火曜日) コロムビア・トップ(下村泰)氏死去、82歳。私が子供の頃、東京漫才が第一期ブームを迎え、青空千夜・一夜、リーガル天才・秀才、晴乃ピーチク・パーチク、獅子てんや・瀬戸わんや、Wけんじ、若手で晴乃チック・タックなどといった人気者が輩出して黄金時代を築いたが、その時点で別格の扱いをトップ・ライトのコンビは受けており、東京漫才の頂点に立っていた。……つまりは、あまり面白くはなかった、ということだ。政治風刺をネタにした漫才は子供にはわかりにくかった、ということもあるだろうが、動きとキャラクターとテンポのいいリズムで笑わせるてんや・わんややチック・タック、それに大阪から出張してきていたやすし・きよしなどに比べて世代がひとつ、古い芸であることはあきらかだった。なんでお笑い芸人なのに、あんなにエラそうなんだ、というのも反発のひとつだった(同じエラぶり芸でも、若い立川談志のツッパリと違い、自分たちが風刺している対象の政治家と同じいばり方であるのが気にくわなかった。子供でもそこらは直感でわかるのである)。後に政治家に転向したときも、どうも庶民派なのに庶民派っぽくないなあ、という感じで、青島幸夫や横山ノックなど、同じ二院クラブのタレント議員中でも、一般大衆人気を得ることはあまりなかったのではないか。国会でもどこでも和服で押し通すというのも、どうも大衆へのアピール的にどうかなというイメージだった。そう言えば別れた相棒のライト(今回、彼へのインタビューがテレビでもひとつもないのが寂しい)が、声帯模写でピンで寄席に出て(もともと声帯模写をやっていたのを、最初の相棒に死に別 れたトップにスカウトされたというから元に戻ったということになるが)、 「日本語教育は大事だよ。いまの国民がみんな漢字書くのめんどくさがって、投票用紙にトップだのノックだのしか書かないからこっちが迷惑するんだ」 と言っていたのはいいギャグだった。 とはいえ、唯一、彼に大いに楽しませてもらったのは、チンパンジーたちを主役にしたスパイもの番組『チンパン探偵ムッシュバラバラ』で、国際陰謀組織『デッドキラー』の親玉、ゲバルト大佐の声を楽しそうにアテていたのがまことにハマリ役だった。白いスーツにモノクルをかけて、粗暴にいばり散らすサル、という役柄がそのダミ声の声質にピッタリで、しかもこの親分の弱点が“サンタをまだ信じている”という幼児性であるあたり、ナンセンスとしても傑作だった。由利徹、海野かつお、三笑亭夢楽といったお笑い系を多用していたキャスティングは、『チキチキマシン猛レース』などでおなじみの高桑慎一郎プロデューサーの趣味だろう。こういう役が合うということは要するに、野党にいるより自民党で活動した方が、案外ニンにあっていたのではないかな、ということなのだが。まあ、それでも死ぬまで政治活動は続け、ラジオなどにも出続けて芸人としての生涯もまっとうし、ライバルであった晴乃タックやてんや・わんや、横山やすしなどよりも長く生きた。まず充実はしていた一生じゃなかったか、と思う。
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- 【あだち勉】 日記 2004年 07月 01日(木曜日) あだち充の兄でマネージャーだったあだち勉氏、18日に癌で死去していた由。赤塚不二夫のチーフアシスタントを経て、自分もかつてはギャグマンガ家として活躍していた。と、いうか、充の方はマンガ家になっても、絵柄がおとなしすぎてなかなかヒットに恵まれず、原作つき作品ばかり描かされていた。デビューが昭和45年で、初めてのヒット作『陽当たり良好!』の連載開始が昭和55年。芽が出るのに十年もかかっている。それに比べると勉の方は第一回のジャンプ新人賞出身という華々しい登場の仕方であった。二人兄弟の関係ではよくあることだが、兄は努力家というより天才肌、弟はコツコツとマイペースの努力家肌、というやつだったように思う。そして、天才肌の人間というのは気分屋で、自分の興味あることがコロコロと変わる。全盛期の赤塚不二夫につきあって山下洋輔やタモリなどと遊び回っているうちに、マンガよりそっちの方が面白くなってしまったのではないか。そのうち弟が『タッチ』、『みゆき』で大ヒットマンガ家になると、一時期広告代理店勤めをしていた経験を生かして、さっさと自分はマンガ家を廃業、弟のマネージャーとして有能ぶりを発揮する。だいぶ前のことだが、スポーツ新聞に連載されていた赤塚不二夫の交友録エッセイで、この勉氏が登場、スーツにネクタイをしめて弟のプロダクションの名刺を差し 出す姿に、赤塚は 「彼は彼なりに大変充実した毎日をおくっているようだ」 と書き、 「だが、本当にそれで満足なのか」 と、首を傾げていた。赤塚の世代には理解できないことだろうが、後の世代であるあだち勉にとっては、マンガによる自己表現は、自分の人生と等価にはなり得なかったのであろう。そして、ついでに言うと、デビュー前後が好調すぎた人というのは、どうしても、その後のねばりというものが不足しがちなのである。マンガ家としてたぶん最後の仕事は、弟の姿を描いた『実録・あだち充物語』だろうが、実録ドラマとしての人生でいえば、勉氏の方がずっと興味深い一生だった気がする。 【マーロン・ブランド】 日記 2004年 07月 03日(土曜日) マーロン・ブランド死去の報あり、80歳。母はどちらかというとケイリー・グラントのような、クラシックな美男が好みであり、ブランドのような肉のついた、ぬめっとした男は気味が悪いと敬遠していたが、『波止場』を観ていっぺんで参ってしまったそうである。演技している俳優の背中からオーラが立ち上っている、という感覚を覚えたのは私もこのブランドが最初である。もっとも、アクターズ・スタジオ出身者の多くがそうであるように、映画全体のイメージをぶちこわすほどのオーバー・アクトに凝る傾向がある(なにしろロバート・デ・ニーロ、クリストファー・ウォーケン、ハーヴェイ・カイテル、デニス・ホッパー、ジョン・マルコビッチ等々を生んだワークショップである)俳優であり、記憶に残るその演技の多くは好演とか熱演でなく、“怪演”だった気がする。代表作『ゴッドファーザー』のドン・コルレオーネ自体、もうぬいぐるみ演技みたいな大怪演だったし、私にとっての代表作『ミズーリ・ブレイク』の“整理屋”クレイトンのキャラクターの異様さは、ブランドでなければ演じられない、アクが強いどころかアクだけで本体がないような役であった。日本にも案外縁がある人で、代表作に『八月十五日の茶屋』『サヨナラ』と、二本も日本を舞台にした作品があるし(前者ではなんと“日本人の”役をやっている)、椿八千代とかいう日本女性と同棲していた、という話もあるのだが、彼女はどうなったのかな。 【鈴木義司】 日記 2004年 07月 17日(土曜日) 朝刊にマンガ家・鈴木義司氏死去の報。悪性リンパ腫、75歳。夕刊をほとんど読まなくなったので、『サンワ リ君』休載を知らないでいたため、驚く。 『サンワリ君』はなをきがどこだかで、意味のない趣味の例として “サンワリ君のスクラップ”というのを挙げてギャグにしていたくらい、現代の漫画読者の目から見ると、トンガったところのない四コマ漫画だった。たぶん、これでしか鈴木氏を知らない若い読者にとっては、氏は“つまらないマンガ家”の代表、でしかなかったのではあるまいか。だが、それを言うなら、今の新聞の他の四コマ、例えば『アサッテ君』や『サラリ君』がどれだけ面白いか。新聞の四コマはマンガファンのために描かれているものではないのだ。むしろ、ナンセンスギャグ受容の“文法の基礎”を読者に求める『地球防衛家のヒトビト』よりも、『サンワリ君』は決して優れているとは言えないまでも、親切なマンガ(殊に年輩層に)ではあった。 私の世代にとっては、鈴木氏は若者雑誌の代表であった『平凡パンチ』に『CVゼニー・青い目の熊さん』などという社会戯評マンガを連載していて、それなりに鋭い風刺眼を見せていたし、もう少し時代が前の『漫画読本』では、やはり風刺ナンセンス漫画を描いていて、同誌の代表作家の一人だった。……では、これらの作品を今、例えば筑摩書房の『現代漫画・鈴木義司集』などで読み返してみて、その才能のきらめきが再現性を持つかというと、かなり怪しい。 長くレギュラーであった『お笑い漫画道場』の宿敵(?)富永一朗の代表作『チンコロねえちゃん』が、現代の目で読み返してもナンセンス性が高い、笑える作品なのに比べて、鈴木氏の作品がどれも再読に耐えないのは、エロという不変のものをテーマにした富永氏に比べ、時事ネタのような移ろいゆくものを追いかけて描き続けていた創作家の、一種の宿命のようなものだろう。それらの作品は、あくまで“現代という時間”を共有している読者に対し発せられたもので、年月と共に色あせ、忘れられていく。逆に言うと、常に時代の最前線に留まることを目的とする者にとり、むしろ それは勲章なのではないか。後世に残る作品ばかりが名作なのではない。 『サンワリ君』は、『サザエさん』や『コボちゃん』と違い、家庭を持っていない主人公である。キャラクター設定自体ハッキリしない。いったいどういうところに住んでいて、勤める会社がどういう職種のところで、人間関係などがどうなっているのかはまるで描かれない。あくまで、一平均的庶民の代表として、時代のトピックスに対し、ややズレた意見を述べたり、ズレた体験をしたりする彼を描くことで、社会の末端において、ニュースというものが如何に受容されているか、を描くことをテーマにしていた作品であった。鈴木氏が功成り名遂げ、平均的庶民の視線から徐々に離れていった時点で、その切り口が鈍っていくのは当然のことだったろう。 それ以降の鈴木氏の本領は、むしろ多趣味多才な文化人としての、豊富な知識を駆使しての雑学エッセイの方に発揮されていたと思う。報知新聞社から平成8年に出ている『おしゃべり胃袋』は、雑学グルメエッセイマンガとして、読んで“これがあのサンワリ君の作者の書いたものか”と驚き、蒙を恥じたほどの面白さだった。こちらの方に主軸を移して活動していたならば、晩年のマンガ家・鈴木義司の評価はかなり変わっていたのではあるまいかとさえ思える。いまだ絶版ではないようなので(在庫切れの可能性はあるが)、興味を持った方はぜひ、この本、また他の旅行エッセイなどを探して手にとっていただきたい。 http //jp.tultur.com/-/4831901164/ 【湯浅憲明】 日記 2004年 07月 18日(日曜日) 開田さんから電話、湯浅憲明監督が先月、死去されていたらしいという話を聞いて仰天する。監督協会の月報に出ただけで他に何の情報もなく、みなあわてているらしい。私もこの春に一本、葉書のやりとりをしたきりで、それからはご無沙汰であった。すぐ確認をとることを約す。とはいえ、休日 のことであり、出版・映像関係者のほとんどとは連絡がとれない。 【星セント】 日記 2004年 07月 23日(金曜日) 漫才セント・ルイスの星セント氏死去、56歳。一日60本以上のヘビースモーカーだったそうだから、肺ガンというのもこれは自己責任であろう。普通、お笑い畑の人間が目指す“愛されるキャラクター”を否定し、知性でも肉体でも劣っている相方を徹底してイビりつくす、という現代風な笑いを漫才に持ち込んだ先駆者であった。だが、その基本はきちんと作り込んだネタで勝負する東京漫才の伝統の上に乗っており、いわゆるキャラクター勝負のMANZAIブームには相容れないタイプだった。ビートたけしがセントを批判して、テレビのお笑い番組の収録の際、セントがゴネて自分たちの出番のときだけ客を入れ替え、自分のファンクラブの連中を入れさせた、俺たちと勝負するのが怖かったからだ、とどこかに書いていた。確かにそんなことをすれば逃げたと思われても仕方ない。しかし、B&Bやザ・ぼんちなどが出てきただけで、若い女の子が“かわいーい!”と叫んで、ろくにネタも聞かずにキャアキャア騒ぐような、そんな客の前でセントは漫才をしたくなかったのではないか。 今からでは信じられないが、漫才ブーム当初はツービートよりもセント・ルイスの方があきらかに評価は高かった。立川談志も楽屋で声高に“ツービートなんかはすぐ消える、セント・ルイスとは比較にならない”と言っていたし、高信太郎も同意見であった。通が聞けばそうだったのかもしれない。だが、テレビだけで彼らを見聞きしていた私には、ツービートの、漫才という概念そのものを破壊してしまうような言葉の奔流に比べると、セント・ルイスのやりとりは古くて仕方ないものだった。テレビではたけしのように、思いつきでどんどんと言葉を発していく人の方が断然、光るのである。とにかくこの人の悲劇は、“漫才の天才”に過ぎなかったことで、同時期にビートたけしという、“天才が漫才をたまたまやっていたに過ぎない”人間がいて、それと比較されてしまったことだろう。時代が違っていたなら……と思う。黙祷。 【ジェリー・ゴールドスミス】 日記 2004年 07月 25日(日曜日) 昨日、映画音楽の大家ジェリー・ゴールドスミスが死去のニュースがあった。アクションであれ戦争映画であれSFであれオカルトであれ感動の名作であれ何でもござれの万能作曲家で、殊にSF映画好きなら彼の曲を聴かない年はなかったくらいに手がけていた。『スター・トレック』のテーマは、テレビシリーズから映画にスピンアウトした作品のテーマとして作曲されて、またそれがテレビの新シリーズにスピンアウトして使用されたくらい“燃える”名曲であるし、燃えるという点では『カプリコン・1』のテーマも隠れた名曲。映画はカスだったが『グレムリン』のエンディングも個人的には印象に残る映画音楽ベスト10の中に入る。もちろん、これだけ作曲数が多いと、中には珍曲・奇曲もあるわけで、大作『トラ! トラ! トラ!』の“日本風”テーマは『元禄花見踊』を荘重にオーケストラが演奏しているような、実に何 とも不思議な曲であった。 【パット・ローチ】 日記 2004年 07月 25日(日曜日) 映画人では他に英俳優であり、来日したレスラーでもあるパット・ローチが17日に死去、67歳。『インディ・ジョーンズ』シリーズにレギュラー(ただし、役は毎回違う)出演していて、ことに第一作『失われたアーク』では、冒頭のチベット人の悪党と、怪力自慢のドイツ人の整備士(格闘ではインディを圧倒するが、動き出した飛行機のプロペラに巻き込まれて死んでしまう)との二役を演じており、後者は人気キャラだったようだ。確かにあの整備士、なんでこんな強いやつを兵隊でなく整備士なんかにしておくんだ、ナチスは? という感じだった。 【中島らも】 日記 2004年 07月 28日(水曜日) 新聞で中島らも死去の報。昨日ネットで緊急情報が走ったし、夜のニュースでもやっていたが何か実感がなかった。あまりにこういう死が似合いすぎる人だったので、逆にフィクションくさく感じてしまったのかもしれない。また、私の中で最も強烈にイメージされていた中島らもは、学生時代、『ぴあ』で読んでいた『啓蒙かまぼこ新聞』の4コマの人、なので、それ以降の作家・中島らもと、イメージがつながらないままでいた せいかもしれない。 なぜイメージがつながらなかったかというと、いわゆる全国進出を果たした後のこの人の発言や行動などのすべてが、私には演劇的に感じられていたからだ。和製ハードボイルド映画の主人公みたいに、そこに実体感がなかった。いや、なかったからこそまことにカッコよかったのではあるが。演劇畑の人によくあるタイプで、作り上げられた虚像を自分で見事に演じてしまっていたのではないか、そんな感じがした。しかし、例の逮捕以来(これも、ファンにとっては全く意外ではなかったであろう、とその逮捕のとき日記には書いた)、その彼の演技には、どこか実体との齟齬感がつきまといはじめた。空回りというか、痛々しさがそこかしこに見え隠れしはじめた。それでも必死で、周囲に彼は “いかにも「らしい」中島らも”像をサービスしていたのではなかったか。大阪人の、ひとつの典型的なパターンのように思える。70・80になり、老衰してなお、中島らもであり続けるこの人を、ファンとして見てみたかった気もするが、今は何か、やっとそういう演技から解放されたのだな、よかったな、という、不思議な安堵感すらただよう。そんな死であった。黙祷。 【下条正巳】 日記 2004年 07月 29日(木曜日) 新聞・テレビで下条正巳死去の報、88歳。どのニュースも『男はつらいよ』のおいちゃん、と紹介しているが、私にとっては日活アクションものの、“いい方の”牧場主とか、親分とか、あるいは医者とかの役(大抵ヒロインの父親)をやっていた人というイメージであった。70年代はじめにテレビ放映されていた岡崎友紀主演の『だから大好き!』というコメディドラマは、アジアの某国のお姫様が、敵国の国王との政略結婚を嫌がって日本に亡命してドタバタを巻き起こすという少女マンガチックな話だったが、彼女の父親の国王がこの下条正巳、彼女に結婚を申し込む相手国の王が金子信雄、日本に逃げた彼女を追う金子の部下の諜報員が深江章喜という配役で、今思うにこれは日活アクションの定番の配役の布陣であった。お遊び好きなキャスティングスタッフがいたのだろう。映画では常識人を演ずることの多かった人だが、本人はやはり役者らしく、変わった人だったのではあるまいか。なにしろ、実の息子に“アトム”と平気で名前をつける(もちろん、手塚治虫があのアトムを創造するより前である)人なのである。 【朱里エイコ】 日記 2004年 08月 03日(火曜日) 朱里エイコ死去の報。歌手としての最盛期を見ているはずなのだが、何故か私の記憶の中にははっきりしたイメージがわかない。『アニマル1』の主題歌を歌っているというのも、かなり後になってから知った。ちょっと調べると、少女歌手田辺エイコとして『アニマル1』を歌ったのが昭和43(1968)年、その吹き込みを最後の仕事にして渡米し、ラスベガスのショーなどでトップスター朱里エイコに華麗な変身を遂げて帰国したということらしい。その後の奇行・病気などもあって、晩年はほとんど引退状態だったが、同棲していた男性(死去を通知した人)がいた、ということで、孤独な死ではなかったことがわかっただけ、救いかもしれない。 【畑農照雄】 日記 2004年 08月 03日(火曜日) もう一人、挿絵画家の畑農照雄死去、69歳。私の書棚の一角に常備本として置かれている『ユーモア・スケッチ傑作選』(浅倉久志・編)の装丁・イラストの人である。名前を覚えたのは、SFマガジンにおける半村良とのコンビネーションによる仕事だと思う。いまだに記憶に焼き付いているのは、『庄ノ内民話考』の挿絵で、いわゆる人面犬のイラストを版画タッチで描いたものだったが、イラストから伝わってくる“不気味さ”をあれほど感じたことはちょっとなかった。とにかくミステリやSF畑では空気のようにいつも身近にこの人の作品があった。辰巳四郎氏に続き、子供の頃から親しんできたイラスト・装丁家が亡くなっていく。とても寂しい。 【渡辺文雄】 日記 2004年 08月 04日(水曜日) ネットチェックしていたら、渡辺文雄死去の報が流れていた。ショックであった。が、意外ではない。最近の『遠くへ行きたい』(6月6日の放送が最後になった)での老け方を見て、何か病気なのではないか、と思っていたのだ。この番組に限らず、旅番組、グルメ番組のレポーターとして知られた人であったが、映画ファンとしては、知性派悪役の最高峰として数々の銀幕作品を彩った名キャラクター・アクターであった。東大から電通勤務を経て俳優へ、という(最初の映画出演は電通社員としてのスポンサーの松竹への出向扱い、であったそうな。ここらへん、同じく東大〜アサヒビールの宣伝部員からの転職組の三國一朗氏と同様である)経歴だからというわけではないが、やはり悪役を演じても、新しい時代の、頭で悪事を働くタイプが多いのである。もっとも、この人の名前と顔を初めて一致させて認識したのは(ウルトラQのカネゴンの回のヒゲオヤジはつけヒゲで素顔がわからなかった)悪役ではなく、テレビ『バンパイヤ』での手塚治虫担当の編集者役だったと思う。原作には手塚治虫本人が出てきて狂言回しとなり、テレビでも本人が本人役で登場するのだが、まさかに手塚治虫を役者にするわけにはいかず“先生は原稿を書いていてください!”と言って、渡辺文雄の編集者・森村が事件に顔をつっこむのである。渡辺文雄と言えば、大島渚と松竹を退社、『創造社』を作った同志だが、この『バンパイヤ』には他にも戸浦六宏、佐藤博など、創造社がらみの人たちが多く出演して怪演しており、比較的まともな役のこの人のことはあまり印象に残らないでいた。 そんな彼を、いっぺんで個性派俳優として記憶したのがウルトラセブン『円盤が来た』(実相寺昭雄監督)の、板金屋の源さん役。最初は円盤を見た、と騒ぐ天文マニアのフクシン青年(冷泉公裕)をいじめ抜くが、自分も円盤を目撃してからは意気投合、真面目に扱ってくれないウルトラ警備隊へのグチを、フクシンくんと酔っぱらって肩を組みながらわめき散らし、寿司屋の親父(ミッキー安川!)に“どういう風の吹き回しだい?”と呆れられ、最後にフクシンくんの報告で地球攻撃計画が未然に防がれ、彼がウルトラ警備隊から表彰状を貰うほどのスターになると、周囲の群衆に混じって、“いやー、いい青年だよ、俺ア前から大好きなんだ”と、東京っ子独特の軽薄な善人ぶりを発揮。ここらへんの役作りはうまいなあ、と思っていたら、この人、本当に神田の生まれで、町の鉄工場のせがれだったとか。地でいけたわけですね。 映画の方での役は気に入ったのが多すぎてひとつと特定できないが、敢えて選べばやはり大島渚『絞死刑』の教育部長だろう。絞死刑から生き返り、自らの犯罪を否定する在日朝鮮人・Rに対し、必死に“なあ、Rくん、そんな強情を言わずに罪を認めて死んでくれよ、私の立場も考えてくれないと。私たちはこれまで、とてもいい関係でいたじゃあないか”と説得する、気の弱い初老の公務員の滑稽さを徹底して戯画化して演じていた。その他の作品は『女囚さそり』での、梶芽衣子を犯そうとして片目にガラスのデカい破片を突き立てられ、それを突き立てたままの姿で、部下に“何をしている! 追えーッ”と命令するエキセントリックな刑務所長、『日本の首領』での、にしきのあきらに目をつけるホモの銀行頭取、『徳川セックス禁止令』の転びバテレンの悪徳商人というなんだかよくわからない役など、この時代の映画を見まくっていたものにとっては、完全なカルト男優であった。彼がこういう役を演じるのをやめて、旅番組、グルメ番組のキャスターになったのは、まあ映画そのものが斜陽産業になっていった、ということもあるが、悪役ばかり演じて娘たちが学校でいじめられたからだという話を以前にどこかで読んだ。娘のことを想う父の情愛はまことに美しいが、しかし、日本映画界は実に惜しい怪優をそれで失ったわけである。 【フェイ・レイ】 日記 2004年 08月 11日(水曜日) 『キング・コング』のヒロイン、フェイ・レイ死去。96歳。生涯に120本を越す映画やテレビに出演した売れっ子スターだったが、『キング・コング』一本で、たぶん地球上からこの人類文明が消滅する日まで、その名を記憶される伝説の人 となった。 http //www.einsiders.com/features/columns/aug04obituaries.php ↑ここなどを見ると、銀幕上での華やかさと異なり、私生活では三人の夫と全て死別するなど、不幸な人生だったようだが、それゆえに作品の中での彼女は美しく、魅力的である。黄金時代の女優の多くが、私生活のみじめさと反比例してその存在が光り 輝いているのは何故だろう? 【エルマー・バーンスタイン】 日記 2004年 08月 19日(木曜日) 映画音楽の大家エルマー・バーンスタインが18日に死去、82歳。死因不明ということだが、睡眠中の死去ということだから加齢による衰弱の結果の、おだやかな心臓停止だったのだろう。ついこのあいだ観た『華氏911』で、マイケル・ムーアが皮肉っぽく、アメリカの侵略行為のテーマ曲のような使い方で彼の代表作『荒野の7人』のテーマを流していた。たぶん、見てはいなかったと思うがバーンスタイン、いい気持ちはしなかったに違いない。しかしこればかりでなく、マルボロのCMソングとか、この曲はあまりの耳への親しみやすさのために、あっと言うまにありとあらゆるメディアに転用されて使われ(『007/ムーンレイカー』でもボンドが荒野を馬に乗って走るシーンでこの曲が流れ、マネーペニーが“マグニフィシェント・ダブル・オー・セブンね”とシャレていた)、そのせいか、この映画自体のサウンドトラックは1998年まで出なかったのだとか。みんな(ひょっとして作曲者御本人も)、とっくに出ているとばかり思っていたのだろう。ハリウッド映画音楽最後の大巨匠という感じだが、実は下積みも経験している苦労人で、かのサイテーSF映画として好き者諸氏には著名なアル・ジンバリスト製作の『ロボット・モンスター』、『月のキャット・ウーマン』の音楽も担当しているの である。 http //www5b.biglobe.ne.jp/~madison/worst/spaceman/robot.html 【山本迪夫】 日記 2004年 08月 28日(土曜日) 新聞に映画監督山本迪夫死去の報。岸田森が日本版ドラキュラを演じた『血を吸う』シリーズは日本映画史の中で特異な位置を保つのだが、アサヒ・コムの記事ではそういうものに全く触れぬどころか、“黒澤明監督らの助手につく”などと書いてある。黒澤についたこともあるかもしれないが、演出助手(チーフ助監督)として山本迪夫が見事な手腕を見せたのは岡本喜八監督作品においてであり、どちらが業界での仕事として重いか、は明らかであろうに。また、アサヒ・コムは“映画監督の”と肩書きをつけていながら代表作をテレビ『太陽にほえろ!』にしている。呆れて、ニフティ・ニュースの方を見てみたら、さすがに岡本喜八の名前と、『血を吸う薔薇』などの吸血鬼シリーズを手がけた、ということなど、ちゃんと書いてあって感心。 それにしても、6本しかない監督作品のうち、3本がホラー、2本がスリラーというのは、1970年代の日本の映画人としては異彩と言える。昨今のホラー映画ブームをどう見ていたのだろう。誰か、この日本のホラー映画ジャンルを一時、たった一人で支えていた功労者に、もう一度メガホンをとらせてみよう、と考えるプロデューサーはいなかったのだろうか。ところで、私ももちろん岸田森の“ウー!”と吠えまくる吸血鬼は好きであるが、それ以上に酒井和歌子主演のスリラー『悪魔が呼んでいる』の大リスペクターで、ここらへん、この映画をクサす快楽亭ブラックとは意見を異にしている。北林谷栄が(ネタバレにつき自粛)というのもたぶん、この映画だけであろうし、その最後のセリフにいたっては、映画館から出るお客さんたちが全員、それを口ずさみながら出るに違いない名セリフ。大滝秀治、西沢利明、藤木敬という濃すぎる怪優たちがまた、悪ノリ全開でベストの怪演をしており、運命と悪意に振り回される酒井和歌子の可憐さが嫌が上にも際立つようになっているのである。『血を吸う……』シリーズはビデオになっているが、この作品、まだソフト化はされていないはず。是非とも東宝はこれを出すべし。 【種村季弘】 日記 2004年 09月 01日(水曜日) 植木さんから、種村季弘氏死去のニュースを聞いて驚く。澁澤・種村に古書への泥沼に引きずり込まれた世代として感慨なきを得ず。そう言えば初めて古書店めぐりをして探して買った本が、この人の編著『ドラキュラ・ドラキュラ』(1973/薔薇十字社)だった。あの辛口批評の“風”こと百目鬼恭三郎ですら、種村の『パラケルススの世界』は大評価していて、せいぜいが“彼ら(種村や澁澤)とて日本物を書いたらとてもこう厚手な味にはなるまい”とイヤミを述べ るにとどまっているのである。 【水上勉】 日記 2004年 09月 08日(水曜日) ネットで作家の水上勉氏死去の報。映画『飢餓海峡』を大学時代初めて見たときのショックは忘れられない人生の思い出の一コマだが、これは映画に関する話である。作家・水上勉で覚えているエピソードは、日本ペンクラブの講演旅行で、売れっ子作家たちがスケジュールを合わせるため、徹夜で原稿を書き上げたりして、疲れ果てて旅館入りすると、地元の人たちが次々とそこの名物を持っては“センセイ方に食べていただきたい”と旅館に持ってくる。たいていの作家は編集者に応対をまかせて会わないのに、水上氏だけはいちいち自分が出て、その場で一口食べて、“ほう、これはおいしい。まことに結構なものを……”と礼を言っていた。この様子を見ていた柴田錬三郎が“こらあ、ベン、お前もっと作家としての矜持を持て。いくら行商あがりだからといって、そこまで腰を低くしないでもいいんだ”と説教した、というもの。昔は柴錬の言うことにもっとも、とうなづいていたが、最近は水上氏の態度の方に無限 の共感を覚える。 もうひとつ、これは記憶がちょっとあやふやだが、辛口評論で知られた百目鬼恭三郎が朝日新聞の記者時代、水上勉の連載小説の担当をしていたが、一年の連載という予定で始めた作品が、そろそろ終わりに近づいたので、編集部では次の連載を山本周五郎氏に依頼し、氏も張り切って他の仕事を整理して新連載の準備をしていた。ところが、ある日水上氏が百目鬼氏に電話で、実は小説が当初の予想よりふくらんでしまい、予定通りに終わりそうにない、と打ち明け、連載延期を依頼してきた。百目鬼氏は仕方なく文芸部の部長と共に菓子折を持って山本邸を訪れ、実はこれこれで、と事情を説明すると、山本氏はかえって上機嫌で、 「いや、わかります。小説とはこちらの思い通りに始めたり終わらせたりいくものではない。周五郎、そこは心得ております。水上さんに、どうぞ充分にお書き尽くしくださいとお伝えくださいますよう」 と了承し、二人に酒までふるまってくれた。百目鬼氏もホッとしていると、酒席の 途中で山本氏が、なにげない風に 「……ところで、延びるというのは、どれくらい?」 と訊いてきた。百目鬼氏が 「……半年くらいと聞いております」 と答えると、山本氏は小さく“キャッ”と叫び、そのあと、自分の醜態を恥じるように、自分に言い聞かせるように、下をうつむき、 「いい。これでいいのだ、周五郎」 とつぶやきながら、膝を叩き続けていたという。どうも山本氏は、延びると行っても一、二回と思っていたらしい。作家にとって、予定していた原稿料収入が半年延びるというのは大変な計算違いになる。このエピソードも、最初は山本氏の“キャッ”が面白くて笑いながら読んだが、文筆業となった今、ここでこうして書いていて、自分がもし山本周五郎の立場だとしたら、スンナリ受け入れられるかと思うとちょっとおぼつかない。自作をゆるがせにせず、予定だからと尻切れトンボで終わらせてしま うようなことをしない水上氏の作家的態度は立派だと思いはするにせよ。 【伊藤彦造】 日記 2004年 09月 11日(土曜日) 新聞に伊藤彦造死去の報。100歳ちょうど。すでにして日本文化史中の人物なので、“ああ、亡くなったか”というような悲しみは薄い。とはいえ、いまだ存命であったという事実に、感慨はかなり深いものがある。あれは私の古本コレクター人生のかなり初期だったが、山口将吉郎や高畠華宵など、昭和戦前のイラストレーターの画集や挿絵の載った本を集めようとしていた中で、最も好きだったのが、伊藤幾久造と伊藤彦造という、かなりややこしいまでに似た名前の二人の画家だった。幾久造の方は『火星兵団』や『魔城の鉄仮面』などというオドロオドロしい科学と妖気の世界を見事に描き出しながらも、全体として健康な精神を感じさせ、一方の彦造は、正義の剣士や勇気ある少年などという真っ当な人物を描きながらも、その表情や構図のどこかに病的なものを漂わせていた。凄惨なまでに美しい青年や少年たちの乱舞する『豹(ジャガー)の眼』『天兵童子』といった作品の挿絵は、どれも主人公にしてはきつすぎる目、削げすぎた鼻梁、そして時にSMチックな構図で、一目でわかる異常性を有していた絵であった。こういう絵を掲載していた当時の 少年雑誌というのも、また凄いものがあったと思う。 【小田部通麿】 日記 2004年 09月 17日(金曜日) 新聞に小田部通麿氏死去の報。俳優にして住職であり、亡くなったのは京都の自坊において、とある。東映京都における、最も怖い顔をした役者さんで、怖い顔をした役者さんというのは歳をとると、実にいい好々爺になる(吉田義男とか)例が多いから、この人が袈裟を来て法話などをしているところは絵になったろうな、と思う。最も、実際に見たら“卍党が化 けているのではないか”とか思ってしまったろうが。 そんな怖い顔の悪党専門といった人の前職が法務省教官で少年院の指導係、というところが世の中というのは面白い。あの顔でにらまれたら、いかな不良少年どももビビりまくったろう。役者に転じてからはその卍党(『仮面の忍者赤影』の不知火典馬役が代表作)をはじめ悪侍、悪岡っ引き、悪徳商人などで映画、テレビと縦横に黄金時代の東映で活躍、後半生は僧籍をとって(奥さんの実家がお寺で、ここに婿養子に入った。あの顔で婿養子というところがまた凄い)悠々自適暮らすというのはある意味理想の一生かもしれない、と、ふと思う。俳優としては大部屋のままで終わった人だが、昭和三十年代の映画界においては、なまじ浮き沈みがあるスターよりも、コンスタントに仕事が来る大部屋俳優の方がずっと安定した“職業”だった。ましてや小田部氏のように顔で仕事が来る人ならなおのこと。どんな大人気スターでも、大部屋をないがしろにしたら、仕事など出来なかったのである。大部屋というと必ず下積みとか、悲哀とかというイメージで語ろうとする人がいるが、それは現在の目で見た、勝手な感想でしかない。当時は大部屋とはいえスターと脇役とは、住む世界が違うというほどに区分けされていたから、上をうらやんで卑下するなどということもかえってなかった。“世が世なら自分も……”と思える時代の方が、人は悲哀や焦燥、妬みの感を抱き、不幸にしか生きられないのではないか、とふと思う。 http //www.psymage.com/kei/tvkagelist1.html ↑不知火典馬の顔が見たい人は。 【荻島真一】 日記 2004年 11月 17日(水曜日) 荻島真一死去の報。58歳。役者としてはマスクも演技力もなかなかあったと思うが、いかんせん、線の細い人だった。60年代に大瀬康一主演で大ヒットした伝説の番組『隠密剣士』が70年代はじめにこの人主演でリメイクされたが、雑誌の取材はほとんど、リメイクでも同じ霧の遁兵衛を演じる牧冬吉の方に集中していたくらいだった。
https://w.atwiki.jp/karasawafan/pages/23.html
- 【中谷一郎】 日記 2004年 04月 02日(金曜日) 新聞もテレビも、中谷一郎死去は“風車の弥七”死す、として報道しているようである。まあ、確かに新劇の役者さんというのは地味だから、お茶の間に弥七として顔と名を知られるというのは、舞台(こっちが本業)に客を呼ぶ上でもいいことだったのかもしれない。実際、そうでもなければ一般人は新劇役者の顔など覚えない。イッセー尾形の“バーテン”の一人芝居のバージョンのひとつに、バーテンが、店に来た中谷一郎にチップを貰った、ということを自慢にしている、というのがあって、 「ホラ、あるじゃん、『水戸黄門』のヨ、アレ。風車ピューって飛ばす役、やってるあの俳優。アレ、アレ、何つったっけ。……エ? 鈴木やすし? 違うよ、バーカ」 という台詞に爆笑した。日常での会話の中によくある、役者の名前と顔が結びつかないという例に中谷一郎を持ってきたあたりのセンスが、中谷氏には失礼であるが大 変に結構であった。 まあ、顔と名前が結びつく人たちの間であっても、中谷一郎と言えば風車の弥七、というイメージがどれくらい定着していたかは、 http //www.jmdb.ne.jp/person/p0277290.htm ↑ここのサイトで、『ああ爆弾』での氏の役名“矢東弥三郎”を“矢車弥三郎”と誤記していることでもわかる。弥七に似た弥三郎という役名の連想で、リスト作成者 がつい、矢東を矢車と誤記してしまったのではないか、と思うのだが。 しかし、本来の役者としての持ち味からすれば、絶対にあの風車の弥七はミスキャストであったと思う。ミスキャストであったからこそ代表作になったのかも知れぬ。ああいう、ニヒルなヒーローの似合う役者ではないのだ。もっと人間味、それも土着のバイタリティあふれた、時にヒステリカルに、また時に高圧的にもなる、弱さも嫌らしさも全部ひっくるめた人間味が芬々と漂ってくる、そんな役者さんだった。前記の矢東弥三郎の、事務所から向いの床屋に行くにも、両側に部下をズラリと並べて柵を作り、その中を(暴漢の襲撃を恐れて)腰をかがめてキョロキョロあたりを伺いながらヒョコヒョコ歩く議員候補者の演技など最高だったし、出番こそ短いが、『日本の一番長い日』で森師団長を斬殺する航空隊の黒田大尉(何故か他の人々は実名なのに彼だけ仮名で、本当は上原大尉)の、斬殺の後、極度の緊張のあまりこわばってしまい、血刀を離すことが出来なくなった手を、机にガンガンと叩きつけて外す演技の凄かったこと。とても『ああ爆弾』と同じ監督の作品とは思えなかった。さらに、山本薩夫の『金環触』での、田中角栄がモデルの、民政党の斎藤幹事長役。チョビ髭をたくわえた顔で扇子をパタパタさせながらダミ声で政治記者たちを手玉にとるその姿は、思わず笑ってしまうほどソックリな役作りであった。逆に言えば、これだけ多様な役が出来る器用さが、本来ミスキャストのはずの役も楽々と演じさせてしまい、それが役者としての幅をかえってせばめることになったのかもしれない。人生の皮肉を思う。 【鷺沢萠】 日記 2004年 04月 15日(木曜日) 新聞に鷺沢萠死去の報。わっ、と少し大げさに驚いた。数日前の朝日新聞の “萌え”に関するインタビュー中、萌えの語源説のひとつとして、NHKのアニメ恐竜惑星のヒロイン鷺沢萌の名をあげ、この名前のオリジンであるところの彼女のサイトも、下調べの際にちょっとのぞいてみたばかりだったのである。風邪がなかなか抜けず、ルルAをひとビン、のんでしまったなどと、どう考えても身体に悪そうなことが最後に書いてあったけれど。 【横山光輝】 日記 2004年 04月 15日(木曜日) 横山光輝氏、寝タバコが原因でベッドが燃え、全身やけどで重傷の報。焼かれるはずの人質がいまだ焼かれず、なぜ横山光輝のような人が焼かれねばならないのか、と世を不条理に思う。この人の名もつい数日前、デビュー前の原稿がネットオークションで売りに出されたことに対し不愉快を表明しておられるという記事で目にし、あ、体調を崩しているとは聞いたが、まだ大丈夫なんだな、と思っていたばかり。寝たきり状態で仕方ないとはいえ寝タバコはいけない。妹さんが看病していたということだが、脳卒中で倒れた段階で、煙草だけはなんとしてもやめさせるべきであった。しかし、横山氏と言えば酒豪であり、ヘビースモーカーであり、かつ麻雀はプロ級、競馬は好きが高じて馬主にまでなったほどで、およそ男の快楽というものをトコトン追求するタイプであった。オタク的趣味人のエピソードにはことかかないが、そっちの分野での武勇伝がまずない(酒ではちょっとあるか)手塚治虫とは、こんなところまで 好対照である。 横山先生もとうとうお亡くなりに。悲痛な事故ではあるが、漫画家としてはすでに描きたいものは全て描いたという気持ちだったのではなかったかと思うし、鉄人をはじめ影丸、サリー、バビル2世等という彼の生み出したキャラクターは、これからも(ひょっとしたら鉄腕アトムやレオなどより長く)繰り返し、日本の娯楽作品の中でリメイクされて受け継がれ、生き続けることだろう。娯楽派・大衆派作家の評価というのは遅すぎることがまま、あるが、横山作品評価は晩年になるほど高まってきた。何とか間に合った。悲しみよりも、そういう安堵の気持ちがまず、正直なところだ。『B級学』(海拓舎)の中でも指摘したが、日本の漫画史というのは、手塚治虫をあまりに過度に評価してきた歴史と、横山光輝をあまりに過度に閑却してきた歴史の両面を持つ。後者の方の責任を今後、日本の漫画史は問われていくことになるだろう。ともあれ、偉大なるアルチザン、偉大なるエンタテイナーの死に改めて黙祷。 日記 2004年 04月 16日(金曜日) 横山光輝氏死去の報、どうもその業績に比して、扱いが小さいように思う。人質帰国のニュースと一緒なのが原因か。思えば、手塚治虫氏死去のときは、マニラ誘拐事件の被害者である若王子氏の死去と重なって、やはり記事の位置や大きさで少しソンをしていた。鉄人とアトム、日本二大ロボット漫画の作者の死の報道に、どちらも誘拐事件関連の記事がからむというのも一奇と言えるかも知れない。 日記 2004年 12月 20日(月曜日) とはいえ、手塚と違い横山光輝を語って“きれいにまとめる”のは極めて難しい。ひとつの要素に収斂しないのである。 【竹内均】 日記 2004年 04月 22日(木曜日) 昨日、竹内均氏死去。映画『日本沈没』で、奇妙なイントネーションでマントル対流の説明をしていた先生、というのが第一印象で、その後この人が世界的地球物理学者であることを知って驚いた。この人を、日本に科学教育を根付かせた大恩人、と評価する人は多いが、私にはどうも、そうとは思えない。この人の教育論のモトというのは、著書である『修身のすすめ』(講談社)という本のタイトルからもわかるように修身教育である。その中で竹内先生は、勤勉、貯蓄、正直、中庸、感謝、報恩、修身、斉家、思いやりといった徳目を実行することにより、人は磨かれ、家は修まり、国は栄えると説いている。確かにこれは、秀才は生むかも知れない方針である。しかし、同時に、こういった堅苦しいワクから外れる天才をオミットしてしまう教育でもあるのだ(自分は『数学の天才列伝』〜ニュートンプレス〜なんて本を書いて、天才を礼賛しているのに)。…… 私は、科学という分野は(いや、科学でなくどんな分野にしてもそうだが)100人の秀才を育てあげるより1人の天才を見つけだした方がよほど効率のいい学問である、と思っている。東大名誉教授から代々木ゼミナール校長という、日本的秀才教育システムを何の疑問もなく渡り歩いたエリート学者の教育論では、わが国に天才は生まれない。それが、80〜90年代を通しての、日本の科学がパッとしなかった理由のひとつではないか? と勘ぐってしまうのだが。 【桃井真】 日記 2004年 04月 22日(木曜日) 今日は国際政治評論家桃井真氏死去。桃井かおりの父親。軍事アナリストとして有能な人だったが、ただ、この人、“海底戦車”説というトンデモ説に固執して、著書でいろいろ語っていた。二十年くらい前、この人の著書(手元にないが、確かカッパの『戦略なき国家は挫折する』だったと思う。後にサラ・ブックスからそのものズバリ『国籍不明・海底戦車の謎』という本も出した)で、北朝鮮は日本海の底を、水陸両用の海底戦車で蹂躙しており、それが時折新潟や青森の海岸から上がってきては、歩いている人間を拉致して行く。津軽海峡の海中写真には、海底の砂の上に、巨大なキャタピラの後が歴々として残っている……とか書かれているのを読んで、ガッチャマンの世界かこれは、とオドロキ、“そんなものが残っていれば北朝鮮にいくらでも証拠として突きつけられるだろうが”と心の中でツッコミを入れたものである。で、そのことを、その後『パンチザウルス』のエッセイコミックに書いたのであるが、それがいつの間にか、“唐沢俊一は昔、北朝鮮による拉致をデマであると書き、後に拉致が確定したとたんに、その作品を絶版にして知らぬ顔をしている”というあらぬ噂になって広まり、苦笑したものである。デマであると言ったのは海底戦車について、であり、絶版どころか、ちゃんと単行本『脳天気教養図鑑』にも入れ、文庫にして、今でも堂々と書店に並んでいるのである。そういう意味では、私ともご縁のあった人 であった。 【三塚博】 日記 2004年 04月 26日(月曜日) 三塚博元蔵相、死去。地味な政治家であったが、この人は前世がお釈迦様の父親であり、さらには加藤清正であったという。いや、私でない、『幸福の科学』の人たち がソウ言っていたのである。 http //www.melma.com/mag/30/m00019630/a00000057.html ↑ ここの2003年10/30の項目参照。そう言えば96年当時“三塚博を総理大臣にしよう!”というチラシ、メール類がやたらに送られてきた。すぐに幸福の科学が後押しをしているということがわかり、“あ、政治センスないな”と思ったものである。カリスマがないから自分たちが自由に操れる、という目算だったのかも知れないが、総裁選というのは普通選挙と違い、いかに周囲で持ち上げても、議院内でパワーがなければ勝てるものではない。宮沢喜一、渡辺美智雄といったライバルに比べれば二段、三段の格落ちで、とても最初から目はなかった。だいぶ金を使ったのだろうが、ドブに落とした形になったわけだ。しかも、その後に橋本内閣で蔵相となったが、当時勃発した証券不祥事の責を負って辞任。まあ、ここらは加藤清正が前世らしく、毒まんじゅうでも食わされたのかも知れない。上記メルマガでは、最後の方で、英雄を待望しなくちゃいけないから、次の選挙では田中真紀子さんに……などと言っている。つくづく、政治家を見る目だけはない宗教団体だと思う。 【ジョゼ・ジョバンニ】 日記 2004年 04月 28日(水曜日) 26日に作家で映画監督のジョゼ・ジョバンニが死去していたことを知る。80歳。いわゆるトラウマ映画として有名な『暗黒街のふたり』の監督である。アラン・ドロンとジャン・ギャバンの顔合わせでこのタイトルなのだから、人はたいてい、『地下室のメロディ』みたいな、小粋なフィルム・ノワールと思うだろうし、実際、ドロンは出所したばかりの銀行強盗犯の役だ。『地下室の……』の方ではギャバンが出所したばかりのギャングの役であり、その立ち位置を変えた設定で、こんどはどんな犯罪を……と 観る方は期待する。 ところが、これは全然違う映画なのであった。ドロンは犯した罪を悔い、細々ながらも平凡な幸せをつむいで行こうとする。ギャバンはそれを暖かく見守る保護監察司の役だ。しかし、ドロンの目の前には、かつてのギャング仲間が新たな犯罪を誘いに現れ、かつ、以前彼を逮捕した刑事ゴワトローが、彼が再び犯罪を犯すはずと決めつけて、執拗にその周囲をうろつく。ギャバンは何とか彼を救おうと努力するが、全ての運命の鍵が、ドロンに対し不幸な方へと働いていく……。そして、最後にこの映画は、あらゆる希望をうち砕かれたドロンが、ギロチンに首をはねられて終わるのである。この映画が製作された1973年には、まだフランスでは死刑はギロチンで行わ れていたのである(廃止は81年)。 ドロンが処刑されるのは、自分の恋人に暴力をふるおうとしたゴワトローを、ついカッとして殺してしまったためなのだが、このゴワトローを演ずるミシェル・ブーケが、これ以上ないというくらい、執拗で陰湿で強引な刑事役を演じている。こういう役や、それを演じる役者が大好きな私が、映画館で観ていて“もうやめてくれ、これ以上出て来ないでくれ”と心の中で思ったくらいなのだから、相当なものである。監督の頭の中には、絶対にこの役のモデルに、すでにフランスでも放映されていて人気だった、『刑事コロンボ』のイメージがあったろう。ああいう男がヒーロー足りうるのは、あの世界では最初から狙われるのが真犯人である、という前提があるからだ。しかし、もし、あの性格を持った刑事が、無実の男をつけ回したとしたら? その恐怖をこの映画はサディスティックなまでにこちらに見せつける。 聞くところではこの映画は刑法史上でも重要な映画だそうで、公開処刑だった時代はともかく、非公開となってからのギロチン処刑がどのようにして行われるかをリアルに再現してくれた、貴重な作品なのだそうである。規則を淡々と消化する、という感じで聖書が読み上げられ、ワイシャツの襟が大鋏で切り取られ、後ろ手に縛られたまま、最後のタバコとワインが与えられる。そして、両脇を執行人がしっかりと抱えて、ギロチンへと囚人をひきずっていくのである。全ての希望を失ったドロンが、最後にこちらを振り向き、何かを訴えようとするあの目が忘れられない。忘れられないが二度と観ようとは思わない(結局ビデオも手に入れてしまったけど)、そんな映画 であった。 【小鹿番】 日記 2004年 04月 30日(金曜日) 30日に俳優、小鹿番氏死去。その名の通り小柄な体躯を十二分に活かした役者さんだったが、名付け親が倉本聰で、“子鹿のバンビ”から、というのはどういう連想か。どう見てもバンビというイメージではない。“江戸っ子は華奢で小柄が身上”と以前この日記に書いたが、この小鹿氏こそまさに“江戸っ子”の体型、キャラクターであった(浅草出身、正真正銘の江戸っ子)。もっとも、決して伝法だったり鯔背であったりするのではない、小市民的軽薄さを持つ江戸っ子であって、そういう役をやらせれば、右に出る役者はいなかった、と言っていい。 私がこの人の名前を覚えたのは74年のNHK大河ドラマ『勝海舟』の中の、三公という長屋の住人役で、この作品、主要キャストにあてられた尾上松禄や岩井半四郎など歌舞伎畑の人たちがもっさりしていて江戸っ子という感じではなく、むしろその周囲の古今亭志ん朝やこの小鹿番が、江戸らしさを体現していた。俳優、ことに脇役俳優は演出家や脚本家にかわいがられることが、出世のひとつのきっかけになるが、彼の場合、役者人生の前半が菊田一夫、後半が倉本聰という大物の庇護者に恵まれたことが何よりの幸運だったろう。その、庇護者の切替わりの境目にあったのが、出演中に菊田一夫の死に会った上記の『勝海舟』で、この脚本家(もっとも途中で降板)が倉本聰。菊田生前の小鹿敦という名前(本名)が、放映途中で小鹿番に改名されたことを、中学三年だった私はありありと記憶に残している。とは言え、菊田の恩を忘れたわけではなく、師である菊田一夫役を、森光子主演の舞台『放浪記』で長年演じ続けたのは、役者にとりなによりの恩返しであったろう。とにかく大好きな俳優さんで、『コンドールマン』なんていう変身ものにも律儀につきあい、いつも通りの小市民を見事に演じていたのに大喜びしていたものだ。まだまだ活躍してほしかった人で あった。黙祷。 【戸川幸夫】 日記 2004年 05月 03日(月曜日) 戸川幸夫氏死去、92歳。この人の名前を初めて見たのは石川球太氏の動物マンガの原作者として、だった。『牙王』『熊犬シロ』『野生犬サボ』といった作品は、類似の作品が他にそうないこともあって、まずまず読めるな、という程度の印象だったが、昭和44年に『少年マガジン』に短期連載された『人喰鉄道』という作品がスゴかった。アフリカのツァボで鉄道を建設する人々と、人喰いライオンの、本当に息詰まるようなギリギリの戦いを描いた作品で、それまで、『狼少年ケン』とか『ジャングル大帝』といったアニメで、ライオンと言えば少年マンガにおいてはあまり悪く描かれない存在、と認識していたこちらに、悪鬼の如きライオンの恐怖をこれでもか、と突きつけてきて(こういうモノをごく普通に掲載していた当時の少年マガジンの編集方針の斬新性を思うと、いくらロートルの繰り言と嗤われようと“昔はよかった”と言わざるを得ぬ)、ちょっとないトラウマを与えられた。その後、原作を手に入れて読んでみたのだが、いや、これがまたマンガ以上の凄まじい傑作、日本にもこういう小説を書く人がいたのか、と、その頃少し、そのスケールの小ささに失望していた 日本小説を見直したほどだった。いま、『人喰鉄道』はネットで読める。 http //www.papy.co.jp/act/books/1-1670/ ↑日本における最高レベルのハードボイルド小説である。読まないとソンするよ。 【三橋達也】 日記 2004年 05月 18日(火曜日) ついこのあいだ、『CASSHERN』で80才とは思えぬ姿を見せていた三橋達也氏、死去の報。あのときも、演技(セリフ回しとか)が若い頃とほとんど変わっていなかったのに、いい意味でも悪い意味でも驚いたものだが、この人の演技には、当時の役者さんの中でも際だった、“日常性の無さ”というものがあった。天本英世のような“非日常性”ではない。あくまで“日常性の無さ”なのである。日本の演劇人というのがどうしても日常性をべったりと演技にも、セリフにもまといつかせている中で、その、日常からの遊離は貴重な財産だったかも知れない。なればこそ、海外での彼の評価は非常に高く、当時の日本の俳優の中では三船敏郎に次ぐ国際スターの地位を確保し、『トラ! トラ! トラ!』やフランク・シナトラの『勇者のみ』などに出演出来たのだろう。ロシアとの合作の『甦れ魔女』なんて(魔女といってもオカルトでなく、バレーボールの“東洋の魔女”のこと)映画もあったし、ああ、それから『国際秘密警察・鍵の鍵』をウディ・アレンが徹底改作した『いったいどったの?タイガー・リリー』なんて珍作も、一応は海外での公開作品である。上記『トラ! トラ! トラ!』での、日常性皆無の三橋達也と、どっぷり日常性につかった田村高廣の演技合戦は、見るたびに笑い出してしまう奇場面であった。ウディ・アレンのは輸入ビデオ屋でビデオを見つけて、喜びいさんで買って見ては見たものの、こちらの乏しい英語力ではとてもギャグまで理解できず悔しい思いをしたものだ。この作品の字幕版、どこかで出してくれないか。 【トニー・ランドール】 日記 2004年 05月 20日(木曜日) 映画俳優トニー・ランドール死去とかや。最後にスクリーンで見た、いや声を聞いたのは『グレムリン2・新種誕生』の、メガネをかけたグレムリンのリーダー“ブレイン”のアテレコであった。アテレコではあったが、こういう役に、同じSFもの映画『ラオ博士の七つの顔』の主役で知られているランドールを持ってくるところが、スピルバーグもジョー・ダンテもわかっているなあ、と嬉しくなったのを覚えている。 代表作はテレビ版『おかしな二人』の潔癖性男フェリックス(映画版でジャック・レモンが演じた)ということになるらしい。オデコとしかめっつらがトレードマークのランドールには実にはまり役だった。もうひとつ、彼はアレック・ギネスと並ぶメイキャップに凝る俳優としても知られており、前記『ラオ博士の七つの顔』ではまさしく七変化を見せる。タイトル・ロールのラオ博士を演じるために、バリカンで髪を剃られ坊主にされているシーンのスチルがあるが、本人曰く、 「あれは撮影に入ってから撮った宣伝用スチルで、もうあのとき、僕は髪を全部そり落としてしまってたんだ。だから、坊主頭の上に髪の生えたカツラをかぶって、それを剃ってるところを撮ったんだよ」 とか。まさにメイキャップ俳優の名にふさわしいエピソードだ。未公開なのがなんとも惜しい『アルファベット殺人事件』(ちゃんとタイトルに“アガサ・クリスティ原作『ABC殺人事件』より”と断り書きが出るので、邦題のついていない状態でこの映画を『ABC殺人事件』と表記するのは誤りである)で主人公のエルキュール・ポアロを演じたときも、原作通りに禿げ上がった頭のメイクで演じており、最初に素顔の(髪のある)ランドール自身が登場して、“こんにちは、トニー・ランドールです。MGMが皆様に送る私主演の……”で場面が切り替わり、メイキャップ後の姿になって、セリフも露骨なフランス語訛りになり、 “ベルギー人探偵エルキュール・ポワロの活躍をお楽しみください!”と始まる、いかにも60年代ハリウッド映画らしい、洒落た作品だった。監督がマーチン&ルイス作品を多く撮った喜劇映画畑のフランク・タシュリンなので、あまりミステリ映画として評価されないのが残念なのであるが、共演がアニタ・エクバーグ、ロバート・モーレイというA級作品なのだ。 【ロナルド・レーガン】 日記 2004年 06月 07日(月曜日) ロナルド・レーガンもと大統領死去、93歳。産経新聞で中曽根元首相が 「お互いが尊敬し合える同志がなくなった」 と語っていたが、レーガンは中曽根を尊敬していたのかね。ロン・ヤス関係などと中曽根氏は二人の親密さを強調していたが、大統領をやめてから出たレーガン自伝には、中曽根氏の名前はホンの数行しか出て来なかった、というではないか。まあ、とはいえ彼が身もフタもなくレーガンにスリ寄り、不沈空母発言などという上っすべり発言までしてアメリカの腰巾着に徹したことが、ソビエト政権が末期に到り、戦後の国際政治情勢が大きく変わろうとしていた時期に日本の国際的な立場を固めたことは動かしがたい事実である(サミットなどでの記念写真のときなども、中曽根氏はスッとレーガン氏の脇に入っていって、常に隣り合って写るように心がけていたとか)。弱小国家の外交とはいかなるものか、中曽根氏は身を以て知っていたと言えよう。これくらいの発言はまあ、大目に見るべきか。 レーガン氏の大統領就任時、日本のマスコミはこの右傾大統領を徹底して嫌い、悪の権化のように書いていた。いまだに覚えているが、84年のレーガン・グロムイコ会談に際し、毎日新聞はその予想を述べて“レーガン氏がまだB級映画俳優だった当時、すでにグロムイコ氏はソ連の外相を務めていた”と、あきらかにソ連びいきの書き方をしていて、当時、すでにマンガ雑誌でもソ連の物資のなさや政治システムの末期症状がギャグになっていたというのに、新聞というのはこうまで世界情勢が見えないのか、と呆れたものだ。結果、この会談はあきらかにレーガンがSDIなどの開発という軍事力をバックにソ連を交渉の場に引き出して成果を上げたと評価されることになる。所詮、外交というのは軍事力が背景にあって初めて行えるものだ、というこ とをあれくらい如実に示したものはなかった。 ついでに言うと、当時の“B級映画”という用語は、現在のような、チープでカルトな映画秘宝的作品、という意味ではなかった。映画黄金時代に、制作費や製作期間に特別ワクを設けて作られる超特作映画を“A級”と称し、定期上映される、通常のワクで制作された映画をB級と言ったのである。B級映画にはシリーズものやジャンルものが多く、たまの大作映画にしか出演しない大スターよりも、むしろ大衆人気はB級の西部劇や戦争映画、コメディに常に顔を見せていた俳優の方にあった。50本以上のB級作品に出演していたレーガン氏は確かにアメリカ人にとって“人気俳優”であり、だからこそ、映画俳優組合の委員長に推挙され、そこから政治の道を歩きはじめたのである。決して、当時各マスコミで揶揄されていたように、“売れない映画俳優”だったわけではないのだ。 【コロムビア・トップ】 日記 2004年 06月 08日(火曜日) コロムビア・トップ(下村泰)氏死去、82歳。私が子供の頃、東京漫才が第一期ブームを迎え、青空千夜・一夜、リーガル天才・秀才、晴乃ピーチク・パーチク、獅子てんや・瀬戸わんや、Wけんじ、若手で晴乃チック・タックなどといった人気者が輩出して黄金時代を築いたが、その時点で別格の扱いをトップ・ライトのコンビは受けており、東京漫才の頂点に立っていた。……つまりは、あまり面白くはなかった、ということだ。政治風刺をネタにした漫才は子供にはわかりにくかった、ということもあるだろうが、動きとキャラクターとテンポのいいリズムで笑わせるてんや・わんややチック・タック、それに大阪から出張してきていたやすし・きよしなどに比べて世代がひとつ、古い芸であることはあきらかだった。なんでお笑い芸人なのに、あんなにエラそうなんだ、というのも反発のひとつだった(同じエラぶり芸でも、若い立川談志のツッパリと違い、自分たちが風刺している対象の政治家と同じいばり方であるのが気にくわなかった。子供でもそこらは直感でわかるのである)。後に政治家に転向したときも、どうも庶民派なのに庶民派っぽくないなあ、という感じで、青島幸夫や横山ノックなど、同じ二院クラブのタレント議員中でも、一般大衆人気を得ることはあまりなかったのではないか。国会でもどこでも和服で押し通すというのも、どうも大衆へのアピール的にどうかなというイメージだった。そう言えば別れた相棒のライト(今回、彼へのインタビューがテレビでもひとつもないのが寂しい)が、声帯模写でピンで寄席に出て(もともと声帯模写をやっていたのを、最初の相棒に死に別 れたトップにスカウトされたというから元に戻ったということになるが)、 「日本語教育は大事だよ。いまの国民がみんな漢字書くのめんどくさがって、投票用紙にトップだのノックだのしか書かないからこっちが迷惑するんだ」 と言っていたのはいいギャグだった。 とはいえ、唯一、彼に大いに楽しませてもらったのは、チンパンジーたちを主役にしたスパイもの番組『チンパン探偵ムッシュバラバラ』で、国際陰謀組織『デッドキラー』の親玉、ゲバルト大佐の声を楽しそうにアテていたのがまことにハマリ役だった。白いスーツにモノクルをかけて、粗暴にいばり散らすサル、という役柄がそのダミ声の声質にピッタリで、しかもこの親分の弱点が“サンタをまだ信じている”という幼児性であるあたり、ナンセンスとしても傑作だった。由利徹、海野かつお、三笑亭夢楽といったお笑い系を多用していたキャスティングは、『チキチキマシン猛レース』などでおなじみの高桑慎一郎プロデューサーの趣味だろう。こういう役が合うということは要するに、野党にいるより自民党で活動した方が、案外ニンにあっていたのではないかな、ということなのだが。まあ、それでも死ぬまで政治活動は続け、ラジオなどにも出続けて芸人としての生涯もまっとうし、ライバルであった晴乃タックやてんや・わんや、横山やすしなどよりも長く生きた。まず充実はしていた一生じゃなかったか、と思う。
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ニュース速報板のログ ZARD 坂井泉水 死亡!!! http //news23.2ch.net/test/read.cgi/news/1180317388/ ZARD 坂井泉水 死亡!!!2 http //news23.2ch.net/test/read.cgi/news/1180318068/ ZARD 坂井泉水 死亡!!! 3 http //news23.2ch.net/test/read.cgi/news/1180318228/ ZARDの坂井泉水が脳挫傷で死去 ★4 http //news23.2ch.net/test/read.cgi/news/1180319335/ ZARD 坂井泉水 死亡!!!5 http //news23.2ch.net/test/read.cgi/news/1180319863/ 芸スポ速報+板 【訃報】ZARDの坂井泉水が急死 http //news21.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1180317567/ 【訃報】ZARDの坂井泉水さんが病院の階段から転落死★2 http //news21.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1180318362/ 【訃報】ZARDの坂井泉水さん、脳挫傷のため死去 40歳 入院先の病院で階段から転落★3 http //news21.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1180319160/ 【訃報】ZARDの坂井泉水さん死去、40歳 入院先の病院で階段から転落…子宮頸がんで闘病中★4 http //news21.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1180319909/ 【訃報】ZARDの坂井泉水さん死去、40歳 入院先の病院で階段から転落…子宮頸がんで闘病中★5 http //news21.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1180320655/ 【訃報】ZARDの坂井泉水さん死去、40歳 入院先の病院で階段から転落…がんで闘病中★6 http //news21.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1180321455/ 【訃報】ZARDの坂井泉水さん死去、40歳 入院先の病院で階段から転落…がんで闘病中★7 http //news21.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1180322419/ 【訃報】ZARDの坂井泉水さん死去、40歳 入院先の病院で階段から転落…がんで闘病中★8 http //news21.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1180323461/ ニュース速報vip ZARD死んだ http //wwwww.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1180317228/ 入院中のZARD坂井泉水さん、階段から転落し死亡 http //wwwww.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1180318292/
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目次 【時事】ニュース鬼神童子 ZENKI RSS鬼神童子 ZENKI 口コミ鬼神童子 ZENKI 【参考】ブックマーク 関連項目 タグ 最終更新日時 【時事】 ニュース 鬼神童子 名古屋発のアクションエンターテインメント!30-DELUX NAGOYA アクションクラブ MIX 「ナナシ 2021」名古屋・大阪・東京3都市ツアーが開幕! | ガジェット通信 GetNews - ガジェット通信 「ジャンプ」打ち切り最終回あるある 本当に「俺たちの戦いはこれからだ!」で終わった作品(マグミクス) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 【訃報】アニメ「EDENS ZERO」監督の鈴木勇士さん死去 - GIGAZINE 【訃報】「ベルセルク」作者の三浦建太郎さん死去 - GIGAZINE 「鬼マンガ」50年史<下>役小角は、鬼を正義のヒーローにした - 読売新聞 黒岩よしひろ氏の死に思う 描き切れぬ漫画家の苦悩 - スポニチアネックス Sponichi Annex 「鬼神童子ZENKI」の黒岩よしひろが心筋梗塞のため死去 - マイナビニュース 『鬼神童子ZENKI』漫画家の黒岩よしひろが心筋梗塞で逝去、55歳 - CINRA.NET(シンラドットネット) 【訃報】「鬼神童子ZENKI」「変幻戦忍アスカ」の漫画家・黒岩よしひろさん死去 - GIGAZINE 【訃報】『鬼神童子ZENKI』の黒岩よしひろ先生が死去 / 死の2日前にはブログ更新「仕事してた」 - ロケットニュース24 漫画家・黒岩よしひろさん心筋梗塞で死去 55歳 「鬼神童子ZENKI」など - シネマトゥデイ ZENKI 「鬼マンガ」50年史<下>役小角は、鬼を正義のヒーローにした - 読売新聞 【shaken(車検)やtouge(峠)】日本の「クルマ用語」なぜ海外でそのまま使われる? 三菱車、例外も - http //www.autocar.jp/ 黒岩よしひろ氏の死に思う 描き切れぬ漫画家の苦悩 - スポニチアネックス Sponichi Annex 「鬼神童子ZENKI」の黒岩よしひろが心筋梗塞のため死去 - マイナビニュース 『鬼神童子ZENKI』漫画家の黒岩よしひろが心筋梗塞で逝去、55歳 - CINRA.NET(シンラドットネット) 【訃報】「鬼神童子ZENKI」「変幻戦忍アスカ」の漫画家・黒岩よしひろさん死去 - GIGAZINE 【訃報】『鬼神童子ZENKI』の黒岩よしひろ先生が死去 / 死の2日前にはブログ更新「仕事してた」 - ロケットニュース24 漫画家・黒岩よしひろさん心筋梗塞で死去 55歳 「鬼神童子ZENKI」など - シネマトゥデイ RSS 鬼神童子 名古屋発のアクションエンターテインメント!30-DELUX NAGOYA アクションクラブ MIX 「ナナシ 2021」名古屋・大阪・東京3都市ツアーが開幕! | ガジェット通信 GetNews - ガジェット通信 「ジャンプ」打ち切り最終回あるある 本当に「俺たちの戦いはこれからだ!」で終わった作品(マグミクス) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 【訃報】アニメ「EDENS ZERO」監督の鈴木勇士さん死去 - GIGAZINE 【訃報】「ベルセルク」作者の三浦建太郎さん死去 - GIGAZINE 「鬼マンガ」50年史<下>役小角は、鬼を正義のヒーローにした - 読売新聞 黒岩よしひろ氏の死に思う 描き切れぬ漫画家の苦悩 - スポニチアネックス Sponichi Annex 「鬼神童子ZENKI」の黒岩よしひろが心筋梗塞のため死去 - マイナビニュース 『鬼神童子ZENKI』漫画家の黒岩よしひろが心筋梗塞で逝去、55歳 - CINRA.NET(シンラドットネット) 【訃報】「鬼神童子ZENKI」「変幻戦忍アスカ」の漫画家・黒岩よしひろさん死去 - GIGAZINE 【訃報】『鬼神童子ZENKI』の黒岩よしひろ先生が死去 / 死の2日前にはブログ更新「仕事してた」 - ロケットニュース24 漫画家・黒岩よしひろさん心筋梗塞で死去 55歳 「鬼神童子ZENKI」など - シネマトゥデイ ZENKI #gnews plugin Error gnewsは1ページに3つまでしか使えません。別ページでご利用ください。 口コミ 鬼神童子 #bf ZENKI #bf 【参考】 ブックマーク サイト名 関連度 備考 Wikipedia ★★ 関連項目 項目名 関連度 備考 参考/谷菊秀 ★★★★ 原作 参考/黒岩よしひろ ★★★★ 漫画作画 参考/月刊少年ジャンプ ★★★ 漫画掲載誌 参考/ジャンプコミックス ★★★ レーベル 参考/バンブーコミックス ★★★ 参考/スタジオディーン ★★★ アニメ制作 参考/テレビ東京 ★★★ 放送局 参考/役小明 ★★★★ 登場人物 タグ 作品 最終更新日時 2013-01-22 冒頭へ
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- 2009年12月←●→2010年02月 2010年01月 登場人名 仕事 お出掛け 登場作品等 2010年01月01日(金) ビルの街にガショー ママン 新年の挨拶などサイトにアップ 母の室ビックカメラ(新宿) 懐し系歌謡曲番組NHK教育でクラシック『麗しのサブリナ』 2010年01月02日(土) あなたのけしてオバマはしないから ママン佐藤歩別府明華岡田竜二乾恭子(新年会 松明けに出す企画を少々 母の室 中野美代子『西遊記XYZ』トーマス・マンの『魔の山』NHK教育で『おかあさんといっしょ』50周年記念番組談之助(年末の話前田隣先生(手紙整理志水一夫さん(手紙整理真理ヨシコ桐生祐狩 2010年01月03日(日) 赤線はやと オノ・マド夫妻&息子R社のTくんママン 9月の芝居のストーリィを練る 『ゴッドファーザー』『寄宿舎の殺人』(訃報)成川哲夫 2010年01月04日(月) シームレス高校生 ゆめすけさんIPPANさんアオキングシヴヲさん夕幾子ちゃんT田くんしら〜さんはれつさん木原さん(出演者中野監督(出演者宮古さんQPさん鍋さん朝日新聞某さんハッシー 某メールマガジン 新宿ロフトプラスワンジンギスカン料理『霧島』青葉(打ち上げ NC赤英(死去の報 2010年01月05日(火) 村田英雄『押尾』 K子(昨夜オノ(メール佐藤歩(メール麻衣夢(メールハッシー B社から電話(次回のテーマS社の書評 早川ミステリでレックス・スタウトのネロ・ウルフ 2010年01月06日(水) ぐわし451度 小林麻耶(年賀状 NCの葬儀の打ち合わせA社原稿催促電話年賀状書き 母の室 読書しばらく刑事モノビデオ一〜二本 2010年01月07日(木) スンドゥブ・サイレンス ハッシー(明日の打合せ編集Tさん(ラジオライフ佐藤歩 ラジオライフの基礎原稿 池袋駅東口(待ち合わせサンシャインシティスワロウテイルズ(執事喫茶ワンダーパーラー(メイド喫茶北口の中華屋 NHKの『とめはねっ!』 2010年01月08日(金) 0120・お通夜・お通夜 (NC赤英葬儀、列席者)ハッシー、松下あゆみ、早さん、八木橋くん、じゅんじゅん、テリー、舞ちゃん、菊ちゃん、琴ちゃん、Oさん、岡っち、いぬきょん、エリック、一哉、シヴさん、本多慎一郎さん、三宅くん、浜崎くん、麻衣夢、佐藤歩、鈴木希依子、松原由賀、中村容子ちゃん、里中くん、トツゲキ倶楽部の横森さん、松山幸次、久保、親川 K子(メール フィギュア王原稿(三日遅れ 母の室中野駅→東京駅→小田原駅→静岡駅エルネット千代田(斎場 2010年01月09日(土) 三度目の葬式 (NC赤英葬儀、列席者)三宅くん、別府ちゃん、由美子ちゃん、助川くん、樋口かずえ、芝崎くん、やまぐちさん、アーバンの魚健さん、恵理ちゃん、橋沢進一 静岡→品川→新宿→中野 彼の出演のトンデモホラーDVD(私のプロデュース) 2010年01月10日(日) きっといつか白馬に乗ったオージー様が 琴純子ハッシー 朝日新聞社(コメント依頼 母の室天沼会議室二階和室(ルナの年頭会議『恋物語』で軽く食事と酒 講談社メチエ『日露戦争と新聞』片山慶隆 登場人名 仕事 お出掛け 登場作品等 2010年01月11日(月) 悪態の肉魔 水谷紹さん(会食 一月中に原稿アゲる予定の本3冊企画関係で連絡一本 西麻布→六本木の店に変更六本木の隠れ家的おでんや 2010年01月12日(火) 動物化するホストモダン メガフォース隊長さん(メール 『社会派くん』原稿チェック『パチスロNEO』原稿(白夜書房9月の芝居のキャスティング再考 サントクに買い物 (訃報)俳優・奥村公延 2010年01月13日(水) 滝川クローシテル 朝日新聞文化部から電話コメント書き下ろし原稿ちょこちょこ 病院 (訃報)アート・クローキー 2010年01月14日(木) 月とサスペンス ハッシー(電話数回札幌のでんたるさん(メール 某社から電話(企画通った打ち合わせ調整2件ほど年賀状書き資料読書 チャップリン『独裁者』メイキング映像 2010年01月15日(金) ウイ、鬼太郎! 編集Aさん(K社.元S社の編集長Taka@モナぽさん(メール K社打ち合わせ 喫茶『らんぶる』(新宿.K社打ち合わせ紀伊國屋(買い物.普通の鯨カツ弁当購入 (訃報)映画評論家・双葉十三郎(訃報)声優・田の中勇さんDVD『ハリウッドランド』 2010年01月16日(土) 紺屋貴雄 立川談慶立川談笑はこはるポカスカジャンの大久保ノブオさん風間やんわりさん仲野茂さん(アナーキー 新宿・京王(また鯨カツ弁当丸ノ内線で赤坂見附国立演芸場(永田町独演会“ダンケシェーンの会” 2010年01月17日(日) 怒りのブードゥー 渡辺シヴヲさん鳥越夕幾子ちゃん菊田貴公ちゃん T社原稿(おそらく東京三世社「熱写ボーイ」 母の室 (訃報)SF作家・翻訳家 柴野拓美 2010年01月18日(月) ガテン落語 某社から電話(原稿の一部に被り2時間45分で原稿用紙10枚書き直し 新中野駅方面に歩くローソン(西新宿:チケットを受け取る佐藤歩出演の『悪の娘〜戦慄のジェミニ』京王デパ地下(買い物 100回は見たようなコロンボ(訃報)小林繁(訃報)浅川マキ(訃報)郷里大輔訃報立て続け、とても追討記事、追いつけるものにあらず。 2010年01月19日(火) どうぞまたがってください 某誌に掲載の広告原稿原稿、書き直し書き足し NHK教育『あの人に会いたい』三遊亭円楽/柳家金語楼(訃報)ロバート・B・パーカー(訃報)ミッキー安川 2010年01月20日(水) anan忠臣蔵 メール連絡、間近のトンデモ本大賞実行委員会議の議題について原稿書き、不捗年賀状の返事、書き続け 赤かぶ検事の再放送 登場人名 仕事 お出掛け 登場作品等 2010年01月21日(木) 鳩山いくら 自室で原稿数社の担当さんメール 予定だけで4冊、申し出あったもの(企画の復活)入れると5冊年賀状の残りの返信突如思いついて某原稿の一部分をダッシュで書き上げ芝居の台本の、書いた部分を読み返す 衆院予算委員会での党首対決をテレビ岩波新書カラー版『浮世絵』大久保純一 2010年01月22日(金) 紀信暗鬼 岡っち(電話/来訪ママン 雑原稿 『守貞謾稿』 2010年01月23日(土) 駒込、アバター、西日暮里 IPPANさん木原さんOさんぎじんさんしら〜さん新田五郎さんアオキング銀河万丈さん(客 病院中野芸能小劇場(某シークレットイベント金竜門/レトロ酒場/満員とらじ (訃報)ジーン・シモンズ(訃報)徳南晴一郎 2010年01月24日(日) 名護かわいいよ名護 と学会13人 トンデモ本大賞打ち合わせ(と学会 ルノアール(新宿/区役所脇スタミナホルモンはなけん 2010年01月25日(月) 命の電マ 川上史津子さん鈴木ちえさん立川談奈くんマイミクのT-182さん 新宿→山手線で日暮里b−倉庫なる劇場劇団レッド・フェイス『爾汝の社』観劇 2010年01月26日(火) 坂東英二・ファッション 原稿書きカリカリ メル・ブルックス『プロデューサーズ』 2010年01月27日(水) アダルト評判の占い師 某テレビ局から取材の電話 サントクに8時半 (訃報)夏夕介『赤かぶ検事京都篇』 2010年01月28日(木) 審議なき戦い 原稿、そろそろ全体の俯瞰マップを 一方で某所、展開が早すぎて… 落ち着こうよ、みんな。古いアニメのDVD 2010年01月29日(金) 予定地 原稿書き 2010年01月30日(土) 予定地 唐沢なをき 母の室阿佐谷ロフトA(ルナ新年会坐・和民 新年会:やまぐちさん、しら〜さん、Oさん、アオキング、カラーチャイルドの里中さん、麻見さん、由賀ちゃん、ノーコンタクツ関係の人々、鈴木ちえさん、中澤隆範さん、原田さん、はるちゃん、それに鳥越夕幾子ちゃん、グレート義太夫さん、アーバンのシヴさん、魚健さん、大友恵理ちゃん、さらにオダさん、親川、麻衣夢、早さん 2010年01月31日(日) 浅田毛(マオ) 別府さやかちゃん佐藤歩 母の室新宿→山手線で池袋芸術劇場小ホール前 X-QUEST『悪ノ娘〜残虐のジェミニ』観劇 2009年12月←●→2010年02月