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FateMINASABA 23th 00ver とりあえず、一筋の希望は見えた。 イリヤともう一度、今夜捜索する前に彼女ともう一度会わなければ。 公園での話で聞いた郊外の森に、日が暮れる前に赴かなければいけない。 慎二「へえ、アンタの意志じゃなく仕事ってワケね。それで僕たちを呼びつけたって事か。 いいね、ビジネスライク大いに結構。安っぽい正義感より何倍もいい。 ……で、そのアインツベルンが何も知らなかったらどうするんだ? お茶でも飲んで帰るのか?」 唐突に今まで沈黙を保っていた慎二は口を開いて言峰に問いただす。 言峰「仮に、彼女が手段を持ち合わせておらずとも、手はある。だが半々というところだ。 聖杯が降臨すれば、間桐桜という人格は消え去るだろう。 だが、聖杯から放たれる呪いに彼女の精神が少しでも耐えられるのなら―――その僅かな時間が希望になる おそらく、保って数秒。 その合間に聖杯を制御し、その力を以って彼女の内部に巣食うものを排除する。 要は力ずくだ。間桐桜を蝕む刻印虫も、彼女の肉体を依り代にするモノも、聖杯の力で『殺して』しまえばよい。 汚染されたとは言え、聖杯は願望機としての機能を保っている。 その用途が『殺害』に関する事ならば、それこそ殺せぬ命はない」 士郎「――――結局聖杯(それ)か。初めから、この戦いは」 言峰「そう、聖杯を手に入れる事に集約される。 だが注意しろ。聖杯の力を聖杯そのものに向けるのだ。 並大抵の魔術師では魔力を制御できず、しくじれば十年前の惨劇を繰り返す事になる。 それだけではない。わずか数秒で聖杯を制御するなど狂気の沙汰だ。 おまえ一人では、どうあっても成しえない奇跡だぞ」 士郎「……ふん。けどそれしかないんだろう。ならやってやるさ。それにそういう事なら、こっちだって少しはアテがある」 言峰「なるほど、おまえには凛とキャスターがいたな。 凛は間桐桜の姉だ。妹の精神に同調し、聖杯からの反動を和らげる事も容易だろうし、 キャスターがつくとあれば、成功の確率もあながち悲観するほどではないだろう」 凛 「分が悪い賭けになるでしょうけど、他に手はない、か……。 キャスター、契約を一方的に破る事になってしまうかもしれないけど…… それでも力を貸してくれるかしら?」 「――――――――」 キャスターは聖杯を手に入れる事だけを目的にして戦ってきた。 その迷い、未練は、そう簡単に断ち切れる物じゃない。 それでも、 キャスター「―――承知。 聖杯が貴様の言う通りの物ならば、それはこの世にあってはならない物だ」 そう、自らの願いを殺して頷いてくれた。 やるべき事は決まっている。 桜を追う。 桜を連れ戻す。 好きな相手を守りきる。 闘いはまだ終わっていない。 俺にはまだ戦う力が残っている。 言峰「ふむ。では場所はわかるか? ―――結構、では諸君らの健闘に期待する。」 士郎「―――――よし!」 椅子から腰を上げる。 時間がない。 家に戻って武器を見繕う時間も惜しい。 すぐにここを発って郊外の森のイリヤの下へ行かないと――― 士郎「あっ――と、そうだ慎二、」 そうだ。 ずっと疑問を残したままだったが、慎二もマスターとしてこの教会に召集されてここにいるのだった。 魔術師としては衰退している家系で、その直系の慎二は魔術回路を持たない、一般人と変わらない 普通の人間で、マスターとしての資格はないだろうと遠坂から聞いていたが 現にこうしているのだ。 本来ならば敵同士だが、先の話から共同戦線を張ることができ、無用な争いは控えることができる。 ましてや、桜は大切な妹だ。 普段はあまり良い当たりをしていないようだが、今回は彼女のために力を貸してくれることだろう。 慎二「……なんだよ、その露骨な物乞い顔は。言いたい事があるならはっきり言えよ。」 士郎「その、慎二がマスターだったなんて正直驚いた。 慎二がなにを願って聖杯を求めてるか知らないけど、さっきの話を聞いたろ? 俺たちじゃ厳しいかもしれない。桜を助けるって事は、 ……情けないのはわかってる。けどなりふり構っていられない。 俺に出来る事は少なくて、その中で一番いい方法がこれなんだと思う。 だから慎二と敵同士にはなれない。 ―――慎二とは休戦するんじゃなくて、協力者として助力してほしいんだ」 慎二「ぼ…ぼくを引き込めば…ぼくが協力すれば…ほ…ほんとに…桜の「命」…は…助けてくれるのか?」 士郎「…?あ、ああ。当たり前だろ。俺たちは桜を助けるために闘っているんだ。 慎二……それじゃあ、力を貸して……!」 慎二「だが断る」 慎二「―――なんだよ、何か文句あるのかよ、おまえ」 士郎「ああ、その、いいさ。 それで、慎二、俺たちと一緒に―――」 慎二「だから断るって言ってるだろ。 正直、あの愚図が無闇やたらと人喰らいを行っているのには憤りを感じているけど だからといってお前たちと組む理由にはならない」 士郎「なっ!?どうしてだよ慎二!? 俺たちの事が信用できないってことなのか?」 慎二「それもあるけど、衛宮たちとは第一に目的が食い違っている。 そっちは桜を救うためと言ってたが、こっちはそんな事はどうでもいい。 あいつはただの予備臓器にすぎないし、魔術は秘蹟しなければならない鉄則を侵し続けている。 ……ったく。あんなトロい女は正しい魔道を進むなんてことこれっぽっちも念頭に置いちゃいない。 これほどの愚行を行っているんだ、もう間桐への損害は致命的になっちまった。 しかし、僕にも魔術師としての矜持がある。 身内の悪行は自身の手で片付けなければならない。 いっそこの手で引導を渡してやるのが慈悲、と……そう思う僕は、やはり悪鬼なのかい?」 「――――――――」 反論したい言葉を呑み込む。 ……俺には理解できないが、遠坂のように魔術師としての鉄則(ルール)に則って行動しようとしている。 だけど 士郎「そんなの駄目だ慎二。 だって桜はたった一人の妹だろう?まだ助けられるかもしれないのに諦めちゃいけない。」 慎二「ふーん。なら、もし万が一、桜を救えたとしよう。 だが、おまえはそれでいいのかな衛宮。桜が人喰いでなくなったとしても、 あいつが既に“人喰い”である事に変わりはない。その罪人を、おまえは擁護するっていうの?」 「――――――――」 止まった。 今度こそ、心臓が凍りついた。 慎二「耐えられないのはおまえたちだけじゃない。 あの愚図は多くの人間を殺してる。桜自身、そんな自分を許容できるとは思えないけど」 士郎「――――――それは」 慎二「罪を犯して、償えぬまま生き続けるのは辛いぜ?だったら一思いに殺してやった方が幸せなんじゃない? その方が楽だし、奪われた者たちや遺された遺族への謝罪にもなる」 士郎「――――――――」 ……そうだ。 連鎖はそれで終わる。 本人の意思でなかろうと関係ない。 どんな理由があろうと、加害者は罰せられなくてはならない。 命を奪ったのなら―――それと等価のモノを返さなければ、奪われた者は静まらない。 だから殺せと。 失われた者にすまないという気持ちがあるのなら、当事者である桜を殺せと、あらゆる常識が訴え続ける。 それだけじゃない。 結局桜を救えず、桜が怪物になってしまえば、もう歯止めは効かなくなる。 今よりもっと、何十倍もの命が失われる。 あの日と同じ。 無関係な人間が、死の意味も判らぬまま、一方的に死んでいくのだ。 せり上がった胃液を飲み下す。 充血する眼。 眼球から血液さえこぼれだしそう。 ―――その圧迫を、それこそ、何千という剣で切り殺して、 士郎「――――ああ。けど、それは償いじゃない 全ての咎は、桜と共に背負い続ける」 それでも、桜を守ると告白した。 その言葉に、なにを感じたのかはわからないけど 慎二は少し眩しそうに目を細めると 慎二「―――ふざけんな。ふざけるな、ふざけるな、ふざけるなこの――――!」 気が違ったように、友人である少年を殴り始めた。 士郎「がっ!?慎二なにを!?」 頬を殴られた士郎は、突然の蛮行に驚き戸惑い たまらず、セイバーとキャスターが慎二の前に立ちふさがり、ランサーが主を守るために彼らの前に立つ。 慎二「諦めるな……!? 背負い続ける……!? 勘違いするな、おまえにそんな権利なんかない! 何も知らない癖に偽善者ぶった口を叩くな……!」 手加減などしない。 つい先ほど、自分の苦悩、今までの人生を根底から覆された男には、まともな理性など残ってはいない。 ランサーに押し留められながらも、なお掴みかかろうと息を荒く拳をあげる。 凛 「ちょっと、さっきからなんなのよ。あったまくるわね、 何に憤ってるのか知らないけどここは中立域の教会よ、殺し合いたいなら外に出なさい。 その癇に障るにやけ面、恥ずかしくて外に出られないように歪ませてあげるから。」 その瞳は強い意志を以って、圧し掛かろうとする男を咎めている。 「っ……!」 それが最後のスイッチを押した。 少年の言葉があまりにも憎たらしかった。 少女の目があまりにも腹だたしかった。 自分をまっすぐに見つめてくる目がイヤだった。 だから、 慎二「―――そうかよ。そんなに助けたいんなら好きにしろ。 ……けどさあ衛宮。それなら、あいつは本当に助けてやるほどの価値なんかあるのかな?」 少女たちが一番触れられたくないコトを、何もかも明かしてやる事にした。 慎二「あいつはお前が思っているほど良い子ちゃんなんかじゃないぜ。 知ってるか?あの淫売は男を見ると途端に発情してケツを振るふしだらな女だ。 そっちの家で談笑して家に帰れば、淫らにアヘ顔晒して蟲を咥えこんでキマってるんだぜ?」 凛 「慎二、アンタ……!」 睨み付ける声。 慎二「いや、何があったかしらないけどさ、あんな不気味な姿に変貌しちゃってさ よっぽどバカ喰いしたのか目もイッてて、今では冬木を恐怖のどん底に陥れる怪人になっちまった。 はーあ。死ぬなら迷惑かけないで目の届かない遠くで逝ってくれよな。 タンスの裏で薄汚い蛆虫が潰れてるとか、くくっ、ホント最悪だよ」 士郎「慎二!おまえ!!」 それに反応したのか。 士郎は怒声をあげて、前に出る。 凛 「―――言い訳はきかないわよ。アンタが言った事の代償は、修正して払わせてやるから」 慎二に詰め寄ろうとする遠坂。 それを 慎二「ふん。いい顔つきになったじゃん。 そうだ、“僕たち”を哀れむなんて絶対に許さない。偽善じみた博愛なんて不快すぎて吐き気がする。」 慎二は破顔して答えた。 士郎「―――慎二?」 慎二「お前たちと組む気になんかなれないが、あの愚図が癇癪を起こしている内は けしかけないでいてやる。まあ、せいぜい……」 がんばれよ、と告げて踵を返して入り口へと去っていく。 そして、ランサーも警戒を解くと、やれやれだ、なんて言いながら後について二人は去っていった。 士郎 「あいつ……」 凛 「まったくなんなのかしら彼? 分相応な力を得て舞い上がってるのか、命の奪い合いに竦みあがって気が触れ始めてるのかしら?」 キャスター「……ふむ。生まれつきの強者である君には理解できないのかもしれないな」 凛の言葉に呼応して、キャスターはそう言った。 凛 「え……? どういう事?」 キャスター「―――なに、天才には凡人の悩みは判らない、というヤツだ。 凛は優等生すぎるから、落ちこぼれである彼の苦悩に気がつかない。 まあ、彼自身も偏屈な変わり者のようだから、あまり気にすることではないだろう」 あの短いやり取りに何を見たのか、意味ありげに呟くと いや、なんでもないと言いながら首を横に振る。 士郎「……、慎二……。」 居なくなった相手に向かって、ぼそりと文句を言う。 答えなど返ってこない。 やけに頭に残る慎二の言葉を反芻しながら、俺たちも入り口に向かっていく。 言峰「待て。私からも一つ訊きたい事がある」 士郎「――――――――」 去ろうとした足を止める。 士郎「なんだよ。手短に済ませてくれ」 言峰「先ほどの彼に対して言った言葉は本当か? 多くの罪なき人々を殺めた少女一人を救うというのは? 彼女の罪も全て背負い、擁護するのか?」 士郎「―――ああ。もう決めたことだ」 言峰「―――そうか。衛宮切嗣の跡は継がないという訳か」 淡々とした声。 話を聞いていた神父は失望したように、つまらなげに俺を見る。 士郎「切嗣(オヤジ)の、跡だと……?」 言峰「そうだ。おまえの父親は、人間を愛していた。 より高く、より遠く、より広く。際限なく自らの限界を切り開く人間を愛し、その為に、自身を絶対の悪とした。 あの男ならば――――やはり、間桐桜を殺していただろう。 ヤツは正義とやらの為に、人間らしい感情を切り捨てた男だからな」 士郎「……それは、アンタとは違うのか。 正義の為に―――多くの幸福の為に、一人の人間の幸福を切り捨てると」 言峰「―――いや。おまえたちが幸福と呼ぶものでは、私に喜びを与えなかった」 士郎「え……?」 返答になっていない。 いや、そもそも。 淡々と語る神父は、俺を見てさえいなかった。 言峰「そう、違ったな。 ヤツは初めからあったモノを切り捨て、私には初めから、切り捨てられるモノがなかった。 結果は同じながら、その過程があまりにも違ったのだ。 ヤツの存在はあまりにも不愉快だった。ヤツの苦悩は明らかに不快だった。 そこまでして切り捨てるというのなら、初めから持たねばよい。だというのにヤツは苦悩を持ち、 切り捨てた後でさえ拾い上げた。それが人間の正しい営みだというように」 独白は続く。 言峰「その違いこそが決定的だった。そう。初めから持ち得ないのなら。何故、私はこの世に生を受けたのか」 神父の独白は、誰に宛てられたものでもない。 ……ただ、今の言葉には怒りがあった。 この男にはないと思っていた、本当の感情が込められていた。 言峰「……ふん。それを思えば、おまえに切嗣の跡など継げる筈もなかった。 ヤツは切り捨てる事で実行したが、おまえは両立する事しか実行できない。 おまえと私は似ている。 おまえは一度死に、蘇生する時に故障した。後天的ではあるが、私と同じ“生まれついての欠陥品”だ」 士郎「な……故障って、どこが壊れてるっていうんだ」 言峰「気付いていないだけだ。 おまえには自分という概念がない。だがそのおまえが、まさか一つの命に拘るとはな。いや、それとも―――」 多くの命に拘る、のではなく。 一つの命に拘るが如く、全ての命に拘ったのか。 ――――そう。 どこか羨むように、言峰綺礼は独白した。 言峰「―――まあいい。その上で間桐桜だけを救うのなら止めはしない。背負いたいだけ罪業を背負うがいい。 最後に忠告をしよう。 これは私見だがな。間桐桜の精神は存外に強く、聖杯の“呪い”に適合しすぎている。 凛が陽性だとしたらアレは陰性なのだろう。間桐臓硯に落ち度があったとしたらそこだ。 あの黒い影は、臓硯の予想を超えて間桐桜を成長させてしまった。 臓硯(アレ)がおまえに手を出してきたのはその為だろう。 ―――間桐桜を守るがいい。 羽化に耐えられるのであらば、母胎とて死にはすまい」 言葉は返さず、頷くだけで応える。 士郎「言っとくが、アンタの出番はない。そんな得体の知れないモノを羽化なんてさせるものか」 言峰「その意気だ。決して、間桐桜は殺すな。」 ふん、と鼻を鳴らして背を向ける。 ―――この場所に用はない。 早く、イリヤの元に行かないと。 ◇◇◇ 客人は去った。 礼拝堂は元の静寂に戻り、神父はただ一人偶像を見上げる。 ??「――――いいのかね、彼らを逃がして」 その声は背後から。 今まで何処に潜んでいたのか、茶髪の男は愉しむように神父へ問い掛ける。 言峰「かまわん。初めから執着があった訳ではない。彼らが聖杯を求めるのなら止めはしない」 ??「そうだったな。もとより私に望みはない――――その言(げん)が偽りでないのなら、彼らを押し止めるのは道理に合わない」 くつくつと男は笑う。 神父の言葉。 望みはない、と告げた言葉をからかうように。 「――――――――」 無論、それは偽りではない。 もとよりこの男に望みなどないのだ。 聖杯の力など、真実、言峰綺礼は必要としない。 彼にあるのは、ただ徹底した快楽への“追究”のみ。 聖杯は己が望みに応えるだけのもの。 自らに生じる疑問に、自らが良しとする答えしか生み出さない願望機だ。 そのような“自分が望んだ答え”になど、果たして何の意味があるのか。 言峰 「“アサシン”そういうお前こそ、前キャスターや間桐兄妹への干渉など、直接動いているとは 消極的なおまえにしてはらしくないな」 アサシン「雇い主への配慮だ。不確定要素により事が大きくなっていくのは、私としても好ましくない。 君に雇われた側として、悪評を立てないよう努力したつもりだが」 言峰 「それは礼を述べなければならないな。 ……だが、そうなると先の要請については悪いことをしたな。 お前はアレに興味を抱いていたが」 アサシン「ああ。だがそれはもういい。 聖杯のサンプルとして生きたまま捕まえたかったが、 少しばかり特殊すぎる。扱いやすいサンプルとは言えないし ―――憎しみにかられて、いずれは手に負えなくなる 破壊によって生まれた人間は、憎しみを武器とし、 私と君の虚ろさは、それに焼き尽くされる結末を迎えるだろうからな。」 それは発端を同じくするもの。 一つの地より生まれ、一つの解を得て、まったく違うものに別れた蛇。 血の繋がりはない、だが誰よりも虚ろな欠陥を共有する者たち。 憎しみはない。 聖杯に託す願望もない。 だが、それより強い快楽のために立ち上がる。 言峰 「10年前からの求道に新たな答えがこの闘いの果てに得られるかもしれん。 それが一体どのようなものなのか……問わねばならん。探さねばならん。 この命を費やして、私はそれを理解しなければ」 残滓のような微笑の兆しは綺礼の顔に張り付いたまま残った。 それは己と世界の有り様を受け入れ、それを是とする者だけが浮かべうる、悠然たる悟道の笑みだった。 アサシン「ふっ、……それでいい。神すら侮蔑してしまいかねん君の愉悦の解は、 この私、ギュゲースが最後まで見届けてやろう」 歪んだ笑みを顔に貼りつかせたまま、アサシンは神父と共に眼前の偶像を眺めていた。 ◇◇◇ ランサー「お前さ、さっきから変だぜ」 ランサーはフェンスを乗り越えながら、フェンスの手前で待つ慎二に言った。 昼はとうに過ぎていた。 ランサー「ほら」 ランサーはフェンスの上から下にいる慎二に手を差し出す。慎二がその手を掴むと軽々と引き上げられる。 ランサー「軽いな、お前」 フェンスを乗り越えると、慎二はランサーの手を払う。 ランサー「なんだよ」 慎二 「ほっとけよ」 慎二が先に立って歩きだす。 ランサー「あーあ、やっちまったなぁ」 そう言って慎二の顔を見る。 ランサー「まあ、あれだけ言われりゃ、手も出るけどな。まっ、このままほっといてもあのヘボパンチだ。気にはしねぇだろ」 慎二は、ようやく自分が何をしたのか理解した。 肩にぽんと手が置かれる。 慎二は思わず、その手を振り払う。見ると、驚いたランサーの顔があった。 ランサー「なんだよ、人が心配してやってるってのに」 慎二 「ほっといてくれよっ」 ランサー「なんだよ、むかつくなあ。お前さ、自分の置かれてる立場考えてみろよ。 マスター殴ったら、よくて交戦、悪けりや土に御帰りだ。お前、友達いないんだろ。 だったら明日にでも謝って、闘っても見逃してもらえるように仲直り――」 慎二 「お前に僕がわかるわけないだろ」 慎二はランサーの言葉を遮り強く拒絶し、家への帰路を歩く。 部屋に戻るなり、明かりも点けずに慎二はベッドに横たわり、天井をただじっと見つめる。 ――最悪だ。 この苛立ちの原因が何なのか、わからないでいた。 夢酔いのせいで気分が悪いからそうなるのか。 衛宮の馴れ馴れしさがそう思わせるのか。 遠坂の威張りくさった態度に腹が立つのか。 教会で、あの怪しい男に会ってしまったことが原因なのか。 間桐家に適応できなかった自分の過去が、そう思わせるのか。 沸々と沸きだす感情に慎二は身悶える。 消えてしまいたい。 慎二はそう思う。 目に飛び込むすべての視覚情報が邪魔だった。 耳に飛び込むすべての聴覚情報が邪魔だった。 匂いも、味も、触感も、すべてが今の自分には必要ないものだった。 目を閉じてみる。 耳を塞いでみる。 息を止めてみる。 心を閉ざしてしまいたかった。 慎二は感覚神経のボリュームを絞るイメージを思い描く。 次第にすべての器官が痺れるようで、どこか深いところに体が沈んでいく感覚があった。 どこまでも沈んでいく感覚。 ひたすら深い海の底へと沈んでいく――そうした感触に似ていると思った。 事実、そうしたことを体感したことはないのだが、なぜかそう思うことで納得できたのだ。 二度と浮かび上がれないような恐怖が訪れ、そこでボリュームを絞るのを止めた。 代わりに頭の中に思い浮かんだのは、夢の中に現れた青年だった。 確かに、あの青年だった。 そう慎二は確信していた。 青年は慎二に手を差し伸べている。手を伸ばせばすぐにでも届きそうに思えた。 青年のいる世界が眩しく感じられる。堅く目を閉じているのに、さらに目を閉じようとする。 瞼に力が入り、眉間に痛みを覚える。 これは夢なのだ。記憶の中の心象にすぎないのだ――と慎二の理性が叫ぶ。 だがあの世界に行きたいと、慎二の意識が叫んでいた。 慎二はどこかでこうした体験をした記憶があるのを感じていた。 届きそうで届かないもの。 彼の記憶の底に沈めてあるはずの記憶が浮上し始める。 ――ああ、これはあのときの夢の続きなんだ。 ただ荒れ果てた草地を延々と長い歳月進んで行く。 セツリ酋長たちはとうとう軍隊を返して、 低い地方の旅へと上り、一年の月日も終わろうという頃、 大平野を真下に見下ろすとある山脈へと来た。 広々とした大平原のここかしこにトウモロコシ畑に囲まれた大きな町々が見え、 幾千幾万の牡牛が低い丘の上で啼いている声を聞き、喜び騒ぐ全軍を押し鎮めて、 町からは見えない、とある大きな谷間に陣取る。 「酋長、酋長どちらへおられますか?」 そこは、簡素な陣の中だった。 谷間に吹きすさぶ風が声なき咆吼を放ち、掛け棚には様々な武器が雄渾に躍る。 かそけき明かりすら電気ではなく、松明に火を灯す灯である。 内装から調度品といったものは一切ない、その陣は必要最低限な物で統一されていた。 藁の隙間から忍び込むのは、はるか頂上たる山を渡って届いた風。 だが運び込まれたその夜気は、火煙と炭の匂いを孕み、過ぎし日の開豁(かいかつ)な爽気はない。 「酋長、酋長どちらへおられるんですか? 出てきてくださーい。ううっ、早く見つけないと…… 私、怒られてしまいますよ~。ひーん。」 そこをあちらこちらと探しているのは、まだ幼さを残す見目麗しい少女だ。 外を歩けば、血気盛んな男たちの目を惹きつけるその可愛らしい顔も 今はどうしたことか不安そうに目を潤ませ曇っている。 「酋長、うえーん。どこなんですか~。 ほんとにほんとに泣いちゃいますよ。うう、また怒られちゃう~。 ぐすっ、ひっく。」 今にも泣き出しそうなこの子は、酋長の身の回りの世話を任されている一人である。 といっても、別に大した仕事はしていない。 普段は部隊の食事の炊き出しや、装備の手入れといった仕事をこなしている。 男は狩りと戦を、女は食事作りと雑事といった役割分担が主な基本であり この子もその例に漏れない。 ただ、かなりのドジで、度々失敗をしては皆に怒られ煙たがられてしまっており、 それを見かねた酋長がこうして自分の側に置いて、別の仕事も兼用させるという建前を作って面倒を見ているという訳だ。 「うわああああああんわんわん!うええええええんえんえん!!」 「あー、ここだここだ。泣くな泣くな」 とうとうガチ泣きしはじめた子を見かねて、セツリは声をかける。 「どこですか?どこ?いないです!わあああああああああんわんわん」 「はあ、わかったわかった、いま姿を現すから、泣き止んでくれ」 すると陣の奥からにじみ出るようにセツリが姿を現し、今だ泣き続ける女の子の頭を撫で付ける。 「あれ?ひっく、酋長どこにいたんですか? 私、鳥のように辺りをくまなく見渡し捜していたんですけど、ぐすっ、全然見つからなかったですよ?」 「ああ、そうだろうな。これを飲んでいたからお前の目には映らなかっただろうよ」 そう話すと、セツリは右手から小さな木でできた容器を彼女の前に見せる。 「ぐすっ、これはなんですか?」 「姿を見えなくする薬だ。 兄君が新しく作った魔法の薬でな、斥候の調査用に調合したものなのだ。 俺も試しに使って、薬の効用を確かめていたんだが、どうやら効果はバッチリのようだな」 くくくっと喉を鳴らし、満足げに笑みを浮かべて女の子をあやす姿は 遊び戯れる父と子のような仲睦まじさである。 「ぐすっ、ひどいですよ~。またいじわるするなんて」 「はははっ悪い悪い。で、どうした?急ぎの用でも俺にあったのか?」 「あっ、そうなんです!なんか斥候さんが帰ってきて至急お伝えしたいことがあります~って みんな捜してたんですよ酋長!」 「ほう?そうか、わかった。急ぎ此処に来るよう伝えに行ってきてくれ」 「あっはい!わかりましたです!」 ほにゃっと笑顔を見せて小走りで、その場を女の子は後にする。 「やれやれ、慌しいヤツだまったく」 ため息をつきながら、酋長の座に腰を下ろし斥候を待っていると 程なくして息を切らせた男たちが、どかどかと酋長の陣の中に入ってくる。 「はあ……捜しましたぞ酋長……」 「うむ、ご苦労だったな。で、なにがあった?」 威厳を込めて、色青ざめた男に聞きただすと 息を整えぬまま男は早口で話し始める。 「た、たいへんです酋長!町が……町の人々が魔物にやられてしまいました!」
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* * * 少女の身体を屈伸させて穴へ収め、手で掬った土を上から乗せる。 彼女の綺麗な長髪の上に、それはぱらぱらと音を立てて落ちた。 黙々とその行為を続けていたネスが、ふと何かに気付いて動かしていた手を止めた。 背後から、茂みを分けて歩く足音が聞こえたのだ。おそらくは二人分の。 ネスがそちらへ振り返ると、丁度、森の終わりの辺りから姿を現すところだった二人の少女が見えた。 彼女ら二人に、ネスは思わず目を奪われる。 二人のうちピンク色の髪をした少女は、先刻ネスが交戦し見失った少女に間違いなく、それだけでも驚きだった。 だが、しかしネスがより気になったのは、その隣にいるポニーテールのもう一人のほうだった。 彼女は手に余るほどの長大な剣を脇に携え――、そしてその刀身にはべっとりとついた赤い血ともう一つ。 一本の、長い緑色の髪が、必死にその存在を訴えるように絡み付いていた。 ネスは、彼女から視線を逸らすことができない。 鼓動が逸りを増していき、全身の血液が沸騰したように熱く温度を上げた。 どういうことなのだろう。あの子の剣に絡まっている、あの髪の毛は誰のものなのだろう。 ネスは咄嗟に、もう半分近く埋まっていた穴を掘り返し、土に塗れた少女の遺体を引き上げた。 ――――長い、緑色の、髪だった。 彼は激情に身体を震わせながら、拳を握り締めた。 「犯人は現場に戻る」だなんて、お話の中だけだと思っていたけれど。 ネスは気付いた。彼女を殺したのは、あの子だ、と。そう思ったら居ても立ってもいられなくなって。 彼は近づいてくる彼女らに向け、呟いた。 「……人殺し」 握った拳を緩め、伸ばした指先で少女の長髪をゆるゆると梳く。 髪は柔らかく艶々していて、触れていると心地よかった。 ネスはその感触を指に覚えさせ、そして心にも刻み込もうと誓いながら、心配しないでというように囁く。 「仇はとってあげる。君の大切な人も、それに勿論君の分も」 * * * イエローは、自分が殺してしまった少女の元へ早足で駆け寄った。 否、駆け寄ろうとして、しかし、鬼の形相で立つ少年の瞳に身体を射抜かれた。 それが、先ほど『ころす』の札を携えていた少年であるのに気付き、イエローは息を呑む。 彼がそこに残っているのは、自分を糾弾し罰するためであるように思われたからだ。 細木にもたれて佇んでいた彼はイエローを憎そうに見やると、ぽつりと彼女に尋ねた。 「止めを刺すために戻ってきたの?。その必要は無いよ。……あの子は、もう死んでしまったから」 「……っ」 「君の、その剣のせいで。…………だよね?」 少年がダイレクを指差して、再度そう質問する。 イエローは何事か口にしようと一瞬唇を開きかけ、――だが結局、抗弁の言葉は生まれなかった。 彼女は項垂れたように視線を足元へ落とし、叫びたくなる衝動を堪えた。 彼の言葉はナイフのようにイエローの心に刺さり、そして奥深くを貫く。 それが紛れも無い事実であるがゆえに、救われがたかった 何も、言えなかった。本意でなかったと伝えたところで自分が許されるとは思えなかったし、許されてはいけないと思った。 本当は「違う」と、そう言いたかった。「それは違う。そんなつもりじゃなかったんだ」と。 だがもしそれを言ってしまったら、きっと自分の中の大切なものが汚れてしまうだろう。 だからイエローは悲しみに泣き叫ぶ心を振り絞り、眼前の少年に答えた。 「そうだよ。……その人は、ボクが殺した」 イエローの言葉に頷く間もなく、ネスは片手を持ち上げて叫んだ。 空を切り裂くような声が静寂の中に響き、そして念動力を生み出す。 「PKひっさつ!」 ネスは容赦しなかった。彼が放った呪文は、先ほどは使用を自制していた全体攻撃だ。 緑の髪の少女を殺したポニーテールの女の子。その子と一緒にいる、ギーグの手下らしき子。 ネスにとってはそのどちらもが敵であり、倒すべき相手であった。 ……もしかしたら二人とも、ギーグの部下なのかもしれない。 そうなら、ちょうどいいさ。遠慮はいらないもの。 二人の少女を狙い撃たれた彼の念力は、激しい威力を持って襲い掛かった。 だが彼女らは動じない。見れば、ポニーテールの少女が周囲に起こした風で、念動力を散らしているらしい。 多少は効いているのか、着衣の所々に切り裂き跡ができ白い肌が露出していたが、攻撃が皮膚まで到達している様子はない。 あちらの表情にも、苦痛は見られなかった。 ネスは舌打ちする。彼女のバリアは自分のシールドとは原理が違うようだが、それでも十分な防御力だ。 粘って相手のPP切れを待つ作戦もあるが、見たところあのバリアは彼女の着ているフードに備わった特殊効果のようだ。 ならば――――。 ネスは素早く足元に落ちていた小石を拾い上げると、それを少女に向けて投擲した。 当然その程度の攻撃など当たるはずもなく、フードの巻き起こす風によって蹴散らされる。 だがネスはそれを気にせず、更に続けて一つ、二つと石を投げ飛した。 瞬間だけでも、気を逸らせればそれでいい。 あのフード自体は殆ど自動的に防御が出来るようだけれど、人の意識の方はそうもいかない。 石が近づいてくれば、ついそっちに視線がいってしまうものだ。その一瞬一瞬をついて、僅かずつ走る。 ネスは投石を続けながら「ころす」の立て札を剣のように振りかぶり、少女へ走り寄った。 徐々に接近するネスに、ロボットの少女があの電撃を発しようと立てた人差し指をこちらに構える。 それをガードしようと手にした立て札を顔の前に掲げ、電撃を待つ。しかし。 「ダメ、リルルさん!」 仲間割れだろうか? ポニーテールの少女の一喝に、リルルと呼ばれた彼女は不思議そうに首を傾ぐ。 「どうして?」と言いたげに首を横に振るリルルに、尚も少女は告げる。 「攻撃しちゃ、だめだよ。……絶対に何もしないで」 なんだ、それ。それじゃ僕の方が悪者みたいじゃないか。 ネスは憮然としながら、それでも足を止めない。 自分の最大PPは、なぜかここでは制限されている上に、さっきかなりの量を消費してしまったので無駄撃ちは出来ない。 おまけにこちらにはろくな武器がない。精精が今もっている立て札くらいのものだ。 向こうの二人がそれぞれ手にする切れ味のよさそうな剣とは、雲泥の差だ。 ネスはポニーテールの少女へまた一歩接近する。 そしてそこでふと、何故向こうはあの剣で自分へ攻撃してこないのだろうと疑問に思った。 どうして防御に徹しているのか。どうして、あちらからは攻撃を仕掛けてこないのか。 さっきも感じたその奇怪さに、だがそれ以上深く考えることはなく、ネスは再び石を投げつけた。 その石が偶然、フードの起こした風を逸れて飛距離を伸ばし、少女の左のこめかみに当たる。 尖った先で切れたのか、瞼の上がぱっくりと開き、そこからだらりと血が落ちる。 目に入った血に視界を奪われたのか一瞬よろけた彼女に、ネスは駆け寄って相手ごと倒れ込む。 両腕で少女の身体を抱え、その半身を纏っているフードを力任せに引き裂いた。 ほの白い身体と薄っすらとした膨らみがネスの視界をぼんやりと犯し――――、それと同時に、風が止んだ。 先ほどまで唸りをあげていた強風が嘘のように治まり、ネスはこくんと息を呑む。 身体の下には、あの子を殺した憎い相手。 握っているのは、木製とはいえ確かな強度を誇る立て札。 ネスは覚悟を決めてそれを振り下げようとし――――、視線に射抜かれた。 「気分が、済んだ……?」 押し倒された少女は、それでも強靭な意志の感じられる瞳でネスに訊いた。 血で顔面を濡らし、所々に傷を負った彼女はそれでもはっとするほど真摯な顔で。 その声音には羞恥も恐怖もなく、許しを請うような媚もなかった。 彼女は仰向けのままネスを見上げ、そして淡々と告げた。 「その子を殺してしまったのがボクなのは事実だよ。……言い訳はしない。 それに、キミがそのせいでボクを憎んでるんだろうってことも分かる。敵討ちをしたいんだろうって。 ……でもボクは、ここでキミに殺されるつもりはない」 「なんだよ、それ」 ネスは少女の言葉に反論しようとした。 それは虫が良すぎるんじゃないかと、自分勝手に過ぎるんじゃないかとそう言おうとした。 だがネスがそう言おうとする前に、彼女は再び口を開き、言葉を続けた。 「だってボクは、やらなきゃいけないことがあるから。だから、まだ死ねないんだ。 丈さんやベルカナさんのためにも、ボクはまだ生きてなきゃいけないんだ。…………だから、ごめん」 その言葉は重くて、苦しくて、それなのになぜか真っ直ぐだった。 夜の海を照らす一筋の灯台の明かりのように、彼女の言葉は眩しい光となってネスに突き刺さった。 ネスにとって彼女はやっぱり許せる相手ではなく、今も腹立たしい思いのほうが勝っていたのだけれど。 それでも今更、握っている立て札を振り下ろす気にはなれなかった。 誰かが誰かを殺して、それを悲しんだ誰かがその誰かを殺して、それを悲しんだ誰かがまたその誰かを殺して。 そんな『誰か』の連鎖を、きっと、彼女は止めたがっているのだ。 それが単に自身の命惜しさから来た詭弁だというのなら、ネスは手加減なく彼女を殺めたことだろう。 けれどどうしてか、彼女の瞳に宿る意思にはそんな自己保身が一切感じられず。 ――――ただ、強い想いだけが在った。 ネスは握っていた立て札を逆の手に持ち替え、精一杯右手を振りかぶると、彼女の頬を叩いた。 パン!と小気味良い音がして、打たれたそこが赤く色づく。 驚いたような表情で目を見開く少女に、ネスは少々ぶっきらぼうに言った。 「これで……許すよ」 割り切れない思いも、やりきれない思いもまだたくさん残っている。 でも、多分これでいんだとネスは思った。 だって、今彼女を叩いた自分の右掌は、じんじんと痺れるような鈍痛がしたから。 叩いたほうも叩かれたたほうも同様に痛いのなら、きっと、殺したほうも殺されたほうも痛いんだろう。 緑の髪が綺麗だった、名前も知らない女の子のことを思い浮かべる。 ごめんね。君の命を奪った子に復讐することは、出来なかった。 ……でも、きっと分かってくれるよね。 【E-3/城の外堀を臨む平地/1日目/真昼】 【ネス@MOTHER2】 [状態]:やや疲労/PP消耗(大) 、顔に軽い火傷、ホームシックにかかりそう [装備]:立て札(こ ろす)@一休さん、ウサギずきん@ゼルダの伝説 時のオカリナ [道具]:ひろしの靴 靴下(各一足)@クレヨンしんちゃん、基本支給品 [服装]:普通の現代服 [思考]:…………ごめんね、敵を討てなくて。 第一行動方針:リディアの仇(白い女の子)を討つ?(するべきかどうか、少々迷い) 第二行動方針:PPを回復する 第三行動方針:リルルに話を聞く 第四行動方針:役立つものを探す 基本行動方針:ゲームに乗らない [備考]:「ヒーリング」の威力が大幅に落とされているのを認識しました。 【リルル@ドラえもん】 [状態]:左手溶解、故障有(一応動くが、やや支障あり)、人間への強い興味 [装備]:長曾禰虎徹@るろうに剣心 (※レッドの体液でべっとりと汚れ、切れ味がほとんどなくなっている) [道具]:基本支給品×2、命の水(アクア・ウイタエ)一人分@からくりサーカス さくらの杖@カードキャプターさくら、クロウカード(花、灯、跳)@カードキャプターさくら [服装]:機械部分の露出している要所や左手を巻いたシーツで隠した上から、服を着ている [思考]:イエローさんって、不思議な人だわ 第一行動方針:とりあえずイエローに同行、手伝い。 第二行動方針:人間に興味。「友達」になれそうな人間を探す 第三行動方針:ネスを追い、その記憶を消去する? (どうすべきか少々戸惑い) 第四行動方針:強い参加者のいる可能性を考え、より慎重に行動する。 第五行動方針:兵団との連絡手段を探す。 第六行動方針:のび太を見つけたら、一緒に行動する(利用する) 基本行動方針:このゲームを脱出し(手段は問わない)、人間についてのデータを集めて帰還する 参戦時期:映画「のび太と鉄人兵団」 中盤 (しずかに匿われ、手当てを受ける前。次元震に巻き込まれた直後からの参戦) * * * じんじんと痛む頬に意識をやりながら、これでよかったのかな、とイエローは思った。 『やりたいことがあるから』『やらなきゃいけないことがあるから』生かしてほしいなんて、すごく身勝手だと自分でも思う。 それを言ったらあの子だって、やりたいこともやらなきゃいけないことも、たくさんあっただろうに。 でも、どんなに勝手だって分かっていても、ボクはまだ、生きてなきゃいけないんだ。 丈さんの遺した言葉を、丈さんの友達に伝えなきゃいけない。 ベルカナさんに、必ずもう一度会わなきゃいけない。 ブルーさんやグリーンさんを探さなきゃいけない。 そして何より、この殺し合いをとめるため、出来る限りのことをしなきゃいけない。 ……ごめんね。やっぱり、勝手だよね。 ボクが言ってることは結局ただの言い訳に過ぎないのかもしれない。ううん、きっと言い訳なんだ。 本当に罪悪感があるなら死んで償えって、そう言われたら、ボクは何も言い返せない。 でも、やっぱりボクはどうしても死ねないんだ。……絶対に、絶対に。 【E-3/城の外堀を臨む平地/1日目/真昼】 【イエロー・デ・トキワグローブ@ポケットモンスターSPECIAL】 [状態]:全身に擦り傷と打撲(行動にやや支障)、左目蓋に大きく切り傷、シーツ一枚きりを纏ったほとんど全裸姿、深い悲しみ、精神不安定 [装備]:魔剣ダイレク@ヴァンパイアセイヴァー、レッドのグローブ、おみやげのコイン@MOTHER2 [道具]:シルフェのフード@ベルセルク、スケッチブック、基本支給品、首輪@城戸丈、 [思考]:……ごめんね。 第一行動方針:リディアの埋葬をする 第二行動方針:グリーンやブルーと合流し、このゲームを破る方法を考える 第三行動方針:丈の友人と合流し伝言を伝え、協力を仰ぐ 第四行動方針:丈の首輪を調べる。または調べる事の出来る人間を探す。 基本行動方針:絶対にゲームに乗らない。生きてマサラに帰る。 参戦時期:2章終了時点(四天王との最終決戦後。まだレッドに自分の正体を明かしていない) [備考]:魔剣ダイレクのソードエレメンタル系は魔力を必要とするため使用不可 シルフェのフードを脱がされ、引き裂かれました。フードがまだ使えるかどうかは不明です。 * * * 木々の間から半身を覗かせ、トリエラは銃口を構えている。 物音に気付いて走って来てみれば、そこに広がっていたのは予想していた光景。 またか、と言いたくなる。全くこの島は危険人物だらけだ。 人使いの荒い公社だって、一度任務を終えたらそのあとには休暇期間が用意されているものなのに。 そう思いながら、彼女は視界の先の光景に眉を顰める。 視線の先にあるのは、ひん剥かれた半裸の女の子と彼女へ馬乗りになっている少年。 そしてその手には――――よくよく目を凝らせば「ころす」の三文字。 真っ当な常識を持つ人間なら、それを見て何が行われているのか、想像することはたやすい。 手の中の拳銃を目深に構え、その銃口を少年へ向けて狙い定める。 普通の人間なら、少し難しい距離の狙撃。でも、義体の自分になら必ず出来る。やってみせる。 唇を舌でぺろりと濡らし、トリエラは呼吸を落ち着かせる。 掛けた指先に力を込め、瞬間、どうしてか感じたのは違和感と嫌な予感。 何か間違っているような気がする。でも、それが何なのかは分からない。 もう少し、様子を見てから判断しようかとも思った。 あれが双方同意の行為なら、別に私がテロリストとして排除する必要はないのだし。 ……まさか、こんな状況と場所(なにせ屋外だ)でコトに及ぶような色ボケした馬鹿がいるとも思えなかったが、念のため。 だが、トリエラが様子を見ようかと判断した直後、事態が動いた。 少年が突如、少女の頬を思い切り強く叩いたのだ。 それに対し反撃することもなく、少女はしんとされるがままに大人しくしている。 ……いくらなんでも、これはもう決定だろう。 トリエラは、少年を紛うことなきテロリスト――即ち危険人物として認定する。 あんなのを放って置いて、あとで自分が襲われることにでもなったら大迷惑だ。 友人のヘンリエッタと違い、自分にはまだ、一応体内器官としての子宮が残っているのだし。 先ほど感じた嫌な予感をただの気のせいだと振り絞り、彼女は再度、少年の心臓へと狙いを付ける。 惨劇の二幕目。少女がその引き金を引くまで、――――後、五秒。 【E-3/森/1日目/真昼】 【トリエラ@GUNSLINGER GIRL】 [状態]:胴体に重度の打撲傷、中程度の疲労 [装備]:拳銃(SIG P230)@GUNSLINGER GIRL(残段数3) ベンズナイフ(中期型)@HUNTER×HUNTER、 トマ手作りのナイフホルダー [道具]:基本支給品、回復アイテムセット@FF4(乙女のキッス×1、金の針×1、うちでの小槌×1、 十字架×1、ダイエットフード×1、目薬×1、山彦草×1) 首輪@ネギ、金糸雀の右腕(コチョコチョ手袋が片方だけついている)、血塗れの拡声器 [思考]:あいつを殺そう。女の子達は、いざとなったら巻き込んでもいいや。 第一行動方針:少年(ネス)を殺す 第二行動方針:安全な場所まで移動して休息。 第三行動方針:好戦的な参加者は倒す。 第四行動方針:トマとその仲間たちに微かな期待。トマと再会できた場合、首輪と人形の腕を検分してもらう。 基本行動方針:最後まで生き延びる(当面、マーダーキラー路線。具体的な脱出の策があれば乗る?) * * * あうあう言っている赤ん坊を抱きかかえて、ククリはどうしようと溜息をついた。 その首には確かに、参加者としての証である銀鈍色の首輪が嵌められている。 襟に刺繍された文字で分かった「ひまわり」という名前についても、同様に名簿に載っている。 こんなに小さな、戦いの手段なんて何にもなさそうな赤ちゃんまで参加者に入れるなんて。 そう思って改めて、ジェダに対する怒りが増した。 だが、当のひまわり本人はそんなククリの思いなど露知らず、彼女の腕の中で丸まっている。 尤もこれでも、出会ったときは泣いたり喚いたり大変だったのだ。 何で泣いているのかも、どうすればいいのかも全然分からなかった。 それでもオムツを森の中の湧き水で洗って替えてやったり、水を飲ませてやったりしたことで、何とか笑顔が戻り大人しくなってくれた。 今ではすっかり安心しきったように、ククリの服にしがみ付いている。 「うー、たぅ」 赤ん坊らしい高い体温を温かく感じながら、ククリは恐々、ひまわりの頭を撫でた。 ふわふわした柔らかい髪が、指先に気持ちいい。 ついでにりんごのようなほっぺにも触ってみると、こちらもぷにぷにっとした感触が心地よかった。 先ほどロボットに抱えられていたのとは全く違う、そうした人間特有の触感に、心がほっと休まる。 撫でるククリの手つきに呼応するように、ひまわりもまた、気持ちよさそうに目を閉じていた。 静かで平穏な光景だった。きっとこの一瞬だけを切り取ったなら、誰も殺し合いの最中だとは思わなかったろう。 ククリとひまわりは森の中、大木の根元に腰掛けて、暫しの休息を取っていた。 だがその静寂は、突如聞こえた叫び声によって中断を余儀なくされた。 南方から聞こえたその声に、ククリがはっとして耳を澄ませる。 また、誰か危険人物だったらどうしよう。でももしかしたら、今度こそ勇者さまやトマ君かもしれない。 ククリは木陰に身体を隠したまま立ち上がり、声の主を見ようと茂る葉の間から顔を出した。 視線の向こうにいた眼鏡を掛けた少年は、残念なことに彼女の知る人間ではなかった。 落胆して肩を落とす。いい人か悪い人か分からないなら、このまま隠れていようかな、とも思う。しかし。 「ひまわり~、どこ行っちゃったんだよ!!」 少年の叫んだその言葉に、ククリは驚いて、思わず自分が抱えているひまわりの顔を見た。 あの人は、どうしてひまわりちゃんを探しているんだろう? そう不思議に思って、一つ、思いついたことがあった。 さっき名簿を開いたとき、ひまわりちゃんの上にあった「野原しんのすけ」という名前。 苗字が同じということはもしかしたら、しんのすけ君とひまわりちゃんは兄弟や親戚なのかもしれない。 あの人はその「野原しんのすけ」君で、だからあんなに必死にひまわりちゃんを探しているのかも。 ククリはそう思い、腕の中のひまわりに「違うかな?」とでも言うように、顔を向けた。 「うー、あぅっ!!」 それに対し何か言いたげな顔でククリを見上げると、ひまわりは「あう、あう~っ!!」と大声で訴える。 ばたばたと両足をめったやたらにばたつかせ、ククリの腕の拘束から逃れると、ひまわりは怒ったように口を尖らせた。 その姿を不審に思い、ククリは膝を屈ませてひまわりに尋ねた。 「どうしたの? ひまわりちゃん。あれがひまわりちゃんのお兄さんじゃないの?」 「たう、たーっ!」 ひまわりが、そんなわけあるかと言うように両手両足を更にばたばたさせる あんなのとしんのすけを一緒にするなとでも言いたげに、その顔は真っ赤だ。 ――――だが、隣のククリにその内容は伝わらない。 ひまわりが何を言いたいのか、何を教えようとしているのか、彼女には全く判断できない。 だからまさか、思わなかったのだ。 すぐ側にいるその少年が、幼児のひまわりさえも殺そうとした、危険な人物であるなんて。 【D-3/森/1日目/真昼】 【ククリ@魔法陣グルグル】 [状態]:「なみだ」 [装備]:ベホイミの杖@ぱにぽに [道具]:基本支給品、インデックスの0円ケータイ@とある魔術の禁書目録、目覚まし時計@せんせいのお時間 [服装]:ファンタジーに普通のローブ姿? [思考]:……ひまわりちゃん、何が言いたいのかな? 第一行動方針:声の主の前に姿を現すか現すまいか迷っている。 第二行動方針:ひまわりの保護とお世話 第三行動方針:できれば、間に合わなくてもゴンくんとフランドールちゃんの所に…… 第四行動方針:勇者さまとジュジュちゃんとトマくんを探す。 第五行動方針:リルルやイエローのことが、少し気になっている 基本行動方針:勇者さまと合流してジェダを倒す [備考]:ゴンに対する誤解は解けた。ゴンとフランドールの戦いを自分のせいだと思っている。 [備考]:気絶したまま運ばれていたことにより、地図上の現在位置を知らない(森の中、ということしかわからない)。また、ネスを見ていない。 【野原ひまわり@クレヨンしんちゃん】 [状態] 健康 [装備] ガードグラブ@SW [道具] ピンクの貝がら、基本支給品 [思考] たう!!(あのおにいさんはあぶないんだよ!) 第一行動方針:(おねえさんといっしょに、おにいさんからにげる) 第二行動方針:(おにいさん(グリーン)を待つ) 第三行動方針:(しんのすけに会いたい) 基本行動方針:(おうちに帰る) 【野比のび太@ドラえもん】 [状態]:心身ともに疲労 [装備]:なし [道具]:グリーンのランドセル(金属探知チョーク@ドラえもん、基本支給品(水とパンを一つずつ消費)、 アーティファクト『落書帝国』@ネギま!(残ページ3))、ひまわりのランドセル(基本支給品×1) [服装]:いつもの黄色いシャツと半ズボン(失禁の染み付き。ほぼ乾いている) [思考] :ひまわりはどこだろう……? 第一行動方針:ひまわりを探して殺す 第二行動方針:子豚≠ジャイアンだと確信するために、ジャイアンを探す 第三行動方針:出会う人には警戒し、基本的に信用しない。 だが、自分を守ってくれそうな人・脱出する方法を知ってそうな人なら考える 基本行動方針:死にたくない [備考]:「子豚=ジャイアン?」の思い込みは、今のところ半信半疑の状態。 ≪132 his sin, his crossroads(前編) 時系列順に読む 136 嘘とブラフは言葉、意識させれば力≫ ≪133 海の見える街 投下順に読む 135 隠密少女Ⅱ≫ ≪118 迷走 ネスの登場SSを読む 148 MOTHER/2発の銃弾/金糸雀の逆襲≫ ≪118 迷走 リルルの登場SSを読む 148 MOTHER/2発の銃弾/金糸雀の逆襲≫ ≪118 迷走 イエローの登場SSを読む 148 MOTHER/2発の銃弾/金糸雀の逆襲≫ ≪122 カナリアの啼く頃に トリエラの登場SSを読む 148 MOTHER/2発の銃弾/金糸雀の逆襲≫ ≪118 迷走 ククリの登場SSを読む 153 ゆとり教育の弊害?≫ ≪132 his sin, his crossroads(前編) 野原ひまわりの登場SSを読む 153 ゆとり教育の弊害?≫ ≪132 his sin, his crossroads(前編) 野比のび太の登場SSを読む 153 ゆとり教育の弊害?≫
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「ゆはーゆはー……おちびちゃん、いそぐんだぜ!」 「ゆびゃぁぁん!つかれちゃよー!もうはしれないのじぇー!」 「とおくににげないと、にんげんさんにつかまっちゃうのぜ!」 まりさ親子は必死に跳ねていた。 定期的に行われる野良ゆっくりの一斉駆除。 住み慣れた公園の一角から、人気のない路地に向かってひたすら逃げ回った。 このまりさは比較的頭が良かった。 狩りと称するゴミ漁りをする傍らで人目に付かない道を探し覚えていたのだ。 「おちびちゃん、がんばるのぜ!あのかどをまがれば、にんげんさんがおってこれない、ぬけあながあるのぜ!」 「ゆひぃ…ゆひぃ…ゆっくち…がんばるのじぇ…」 まりさ達が目指している十字路の角、そこを曲がると行き止まりになっている。 ただしそれは人間の場合であって、壁にゆっくりがやっと通れるほどの穴が開いていたのだ。 壁の向うは長い間放置してある空き地で、まりさは何度かそこで食べられる雑草を取っていた。 まりさ親子はゆっくりにしては速い速度で路地を駆け抜けていった。 やっとの思いで目指していた角を曲がる… しかしそこには新しく塗り固められた壁が無常に立ち塞がってた。 「ど…どうしてなのぜ……かべさん…いじわるしないでほしいのぜ…」 「おちょーしゃん…ここまでくれば…あんぜんなの…じぇ?」 賢いまりさには解っていた、壁が意地悪している訳ではない事を。 しかし言わずにはいられなかった。 今までまりさは良い事がなかった、それは今回も同じだった。 まるで誰かが意地悪をしているかのように… だから、そんな一言が口から出てしまったのだ。 「どうしちゃの、おちょーしゃん?ここまでくれば、ゆっくちできるんじゃないのじぇ?」 「…ゆん…そうだったのぜ………おちびちゃん、ゆっくりしていってね…」 「ゆっくちしちぇっちぇね♪」 遠くから足音が聞こえる。 まりさは覚悟を決める事にした。 おそらく自分達は人間に捕らえられてしまうのだろう。 野良達の話で聞いていた「かこうじょ」という場所に連れて行かれ、ゆっくり出来なくなってしまうのだろう。 悔しくて涙が溢れそうになった。 「おちょーしゃん?どうしたのじぇ?」 「…ゆぅ…なんでもないのぜ!」 『おっと、こんな所に逃げ込んでたか…さっさと回収するか』 「ゆびゃぁぁぁぁん!にんげんしゃんなのじぇぇぇぇぇ!ゆっくちできにゃいよぉぉぉぉぉ!!」 「おちびちゃん、おちつくんだぜ!このにんげんさんはだいじょうぶなんだぜ!!ゆっくりしてね!」 突然姿を現した人間を見たとたんに泣き叫ぶ子まりさ。 それもそのはずだろう、まりさが散々人間はゆっくり出来ないと教えてきたからだ。 まりさは慌てて子まりさをなだめる、このままでは子まりさが殺されると思ったからだ。 捕獲される再に騒いだり暴れたりして潰されてきたゆっくり達を、まりさは沢山見てきたからだ。 「びぇぇぇ……ゆぅ…おとーしゃ……ほんとうなのじぇ?」 「ほんとうなのぜ!だからあんしんするのぜ!………にんげんさん、さわいでごめんなさいなのぜ…」 子まりさはまりさ程頭は良くなかったが、まりさの躾が良かったのか聞き訳が良かった。 もっとも、子まりさがまりさの事をそれだけ信頼していたからなのかも知れない。 さっきまで泣いていたかと思ったら、まりさの一声ですぐに泣き止んだ。 そんなまりさ親子の様子を作業服姿の男は関心したように見つめていた。 そして、男はポケットから何か取り出すと、ブツブツと喋りだした。 「…回収班の……はい…面白い親子を見つけまして……ええ…では、そのようにいたします…はい…」 そんな男の様子を不安そうに見つめるまりさと対称的に子まりさはすっかり安心しきっていた。 まりさももう少しお馬鹿だったのなら、要らぬ心配や不安を抱える事無く楽に慣れたのかもしれない。 しかしかつて飼いゆっくりだった頃は、金バッチまで手が届くほどの優秀さがあった。 そんな賢さが仇となり、余計な思考で自らゆっくり出来なくなっていた。 そんなまりさ親子を作業服の男は丁寧に抱え上げると、回収車に向かった。 回収車の中では薄汚れた様々な野良ゆっくり達が金網の中でひしめき合っていた。 「ゆふふ…また、ばかなまりさがつかまったよ!いいきみだね!とくべつなれいむをみてしっとしてね!」 「むきゅー!ぱちゅはこうえんのけんじゃなのよ!さっさとここからだしなさい!」 「れいむはしんぐる(以下略」 「ゆがぁぁぁぁ!ここはせまいのぜぇぇぇ!ごみゆっくりどもは、まりささまにさわるんじゃないのぜ!」 「かこうじょさんはとかいはじゃないわ……」 そんな中で他の野良達とは別に、透明なケースに入れられたゆっくり達が居た。 まりさ親子はそのケースの中に丁寧に納められる。 ケースの中に居たれいむは、まりさ親子を見下すような目で見つめてきた。 「なんなの?まりさたちも、えらばれたゆっくりだったの?でも、きたないまりさたちは、れいむのそばにこないでね!」 「ゆゆ!しんいりさんなのぜ~♪よろしくなのぜ~♪ゆっくりしていくのぜ!」 「ゆふふふ…けっこうとかいはなまりさね!このあほまりさとは、おおちがいね」 「どおしてそんなこというのぜぇぇぇぇぇ?!」 まりさにも自分達の扱いが別なのは解った。 箱の外からはゆっくり達が嫉妬のような、軽蔑のような、複雑な視線でまりさ親子を眺めていた。 「とくべつあつかいだらかって、いいきにならないでね!れいむのほうがびゆっくりだよ!」 「あわれなのぜ…あのゆっくりたちはまりさたちより、ひどいめにあってしぬのぜ…」 「むきゅー!こうえんのけんじゃより、この、きたないゆっくりをえらぶなんて…」 しかし、どうしてもここに居る者達の様に安心は出来なかった。 そんなまりさを尻目に、子まりさは楽しそうにしていた。 せっかくニコニコしている我が子を不安がらせる訳にはいかない。 そう思ったまりさは周りのお気楽なゆっくり達にあわせる事にした。 「おちびちゃん、おとうさんのいったとおりなのぜ?まりさたちはえらばれたのぜ!」 「ゆーん♪さすがおとーしゃんだね!まりしゃたちが、ゆっくちしていたごほうびなのじぇ?」 「…そ、そうなのぜ!だから、これからもっとゆっくりするのぜ!」 「ゆっくちー♪」 まりさの言葉を聞くと、子まりさは嬉しそうに体を揺らした。 まりさは不安を、子まりさは希望を抱きならが回収車は加工所に向かっていった。 加工所に運び込まれたまりさ達は金網のゆっくり達と分けられ、程よい暖かさの水で洗浄された。 「ゆびゃぁぁぁん!あめしゃんは、ゆっくちできないのじぇぇぇぇぇ!!」 「おちびちゃん、ゆっくりしてね!このあめさんはだいじょうぶなのぜ!からだが、きれいきれいになるのぜ」 「ゆ…ゆぅ…ほんちょー?…ゆっくちー♪」 子まりさは怯え嫌がったが、まりさが汚れた体を綺麗にしてくれているのだと言い聞かせた。 濡れた体を丁寧に乾かされたまりさ親子と、透明ケース御一行は再度透明なケースに入れらた。 そしてケースはカートに乗せられ、そのまま何処かへ運ばれて行く。 「おちびちゃん、これからにんげんさんたちが、おちびちゃんをゆっくりさせてくれるのぜ」 「ゆゆ?!ほんちょー?ゆわーい♪にんげんしゃん、ゆっくちありがちょー♪」 幸せそうな我が子を見ると少しだけゆっくり出来たまりさだった。 まりさのつく嘘は、何時しか子まりさの為だけでなく、自分の為にもなっていた。 しばらくすると、ゆっくり達を乗せたカートが大きな扉の前で止まる。 実際には人間にしてみれば普通サイズの扉なのだが、不安を抱えたまりさには地獄の入り口に見えていた。 ゆっくりと扉が開かれると、そこには目が痛くなるほど真っ白い部屋が広がっていた。 中には白い服を着た人間が一人居て、まりさ達を品定めするかのように眺めていた。 「ゆふふ!これがれいむのどれいなんだね!さすがれいむは、えらばれたゆっくりだね!」 「ゆふふ~ん?まっしろなにんげんさんなのぜ~♪」 「しろはせいけつでいいわね、とかいはなかんじよ!ゆっくりできるわ」 「ゆわーい!にんげんしゃんこんにちはー♪ゆっくりしていってね!」 「ゆぅ…にんげんさん…よろしくなのぜ……ゆっくりしていってね」 白服の人間はゆっくりの多様な反応に満足したようにニコニコ笑っていた。 子まりさを含む他のゆっくり達はその姿を見てゆっくり出来る人間だとか、良い奴隷だと騒いでいた。 だがまりさには、どうしてもその笑顔に潜む物が気になっていた。 白服の人間は、まりさ親子、れいむ、アホまりさとありす、といった感じで透明ケースにゆっくり達を入れるとケースに蓋をした。 ゆっくりの入った透明ケースは棚に収められると、敷居をされお互いのケースが見えない様になった。 「おちびちゃん、まりさたちは、これからここで、ゆっくりくらすんだぜ!ここはいいところなのぜ!!」 「ゆわーい!まりちゃ、うれしいのじぇー♪しあわせでごめーんにぇ♪」 更に不安が募るまりさだったが、自分の不安を誤魔化す様に子まりさに嘘をつくのだった。 「むーちゃ、むーちゃ、しあわしぇ~♪にんげんしゃん、ゆっちありがちょー♪」 「にんげんさん、いつもごはんをくれてありがとうなのぜ、おかげでゆっくりできるのぜ」 この部屋にまりさ親子が運び込まれて数日たった。 まりさ親子は何時ものようにご飯をくれた白服人間にお礼を言う。 実際のところ、まりさにはこの食事はあまり美味しく感じられなかった。 多少の甘みがあるもののパサパサした触感のそれは、飼いゆっくりだった頃に食べなれた味。 それでも野良生活しか知らない子まりさにとっては、それは貴重なあまあまだった。 しかし何時毒が盛られるかを心配して、まりさはゆっくり食べられないで居た。 実際に野良生活時代に毒餌を食べて死んでいったゆっくり達を沢山見てきた。 自分と無理やり番になったれいむと、その間に出来た赤れいむ二匹も、 まりさが見つけてきた貴重なあまあまを、強引に奪い食べたせいで死んでいった。 そんな過去の経験から人間の食べ物に、不信感を抱くようになったのだ。 わざと目立つように捨ててある、あまあまは毒。 あまあまをあげると近づいてくる人間の持っている物は毒。 この人間の持って来るあまあまも毒ではないのか? そんな思考がまりさをゆっくりさせないでいた。 まりさの気持ちなど露知らず、子まりさは幸せをいっぱいに噛締めていた。 おそらくこの子まりさは今が一番幸せなのかもしれない。 そんなまりさ親子に気が付いているのか、白服は面白そうに笑みを浮かべるのだった。 実際にここに来てからの生活はそう悪いものではなかった。 ご飯は一日三食与えられ、定期的に体を洗ってもらえた。 寝床にはふかふかのタオルも用意され、水もいつも新鮮な物を用意してもらった。 うんうん、しーしー場もちゃんと用意されており、元飼いまりさと躾のいい子まりさはそこで用を足した。 白服がそれらを毎日綺麗にしてくれるので、いつも清潔な生活を送ることが出来た。 不満な点を上げるとすれば、毎日の様に白服が自分達の体を隅々まで見回す事だった。 「ゆわーい!おしょらをとんでりゅのじぇ~♪…ゆ~ん、はなしちぇほしいのじぇー」 「おちびちゃん、じっとしているのぜ!にんげんさんのめいわくになるのぜ!」 「ゆ…ゆぅ…ゆっくちりかいしちゃのじぇ…」 白服に持ち上げられ、お決まりのセリフを言いながら喜ぶ子まりさ。 しかしすぐに不快感に襲われ、白服の手から逃れようと必死にブリブリ尻を振る。 そんな様子を興味なさそうに見つめていた人間ではあるが、まりさは大人しくするように言い聞かせる。 聞き分けの良い子まりさは、それに従い大人しくする。 「ゆわーい!おそらをとんで………ゆぅ……」 子まりさを見終わると、今度はまりさの番だった。 まりさも不快で堪らなかったが、人間を怒らせたくない一心で大人しくしていた。 まりさはこの白服の視線が苦手だった。 それともう一つは、この透明ケースはそれほど小さくもないが、まりさが動き回るには少々狭かった。 それでも子まりさが遊び回ることが出来るだけの広さはある。 「おなかぎゃいっぱいになっちゃから、まりちゃはこーろ、こーろ、するのじぇ!」 「おちょーしゃん、みちぇみちぇ~♪まりちゃ、のーび、のーび、しゅるのじぇ~♪」 「ゆっくちつかれちゃから、まりちゃはすーや、すーや、しゅるのじぇ!」 食事の時間以外は子まりさは狭い箱の中を自由に遊びまわっていた。 無邪気に遊び回る我が子を見つめ、幸せそうに笑うまりさ。 ゆっくりが良く口にする、「あかちゃんはゆっくりできる」、「おちびちゃんはゆっくりできる」というのは、 まさにこの事だろう。 「おちょーしゃん、ここはとーってもゆっくちできるのじぇ~♪」 「ゆふふ…そうだねおちびちゃん…」 「まりちゃはとーってもしあわしぇなのじぇ~~♪ゆっくち~~♪」 子まりさにとってはまさに楽園だった。 まりさの嘘の影響もあり今が一番ゆっくり出来ているのだと思っていた。 そんな子まりさを見ている時だけ、まりさは不安を忘れゆっくり出来ていた。 「おちょーしゃん、ゆっくちおはよー!きょうもゆっくりしていってね♪」 「…おちびちゃん…ゆっくりしていってね…」 「ゆゆ?おちょーしゃんげんきないのじぇ?どこか、ぐあいがわるいのじぇ?」 「…そ、そんなことないのぜ!おちびちゃんはきにしすぎなのぜ!きょうもゆっくりしていくのぜ!」 「のじぇ~♪」 それから更に数日たった。 相変わらず何時もと同じ平坦な生活。 ただ、食べて出して寝るだけの生活。 まりさにはそれが苦痛になってきていた。 何時、無常に殺されるのか。 何時、野良生活に戻されるのか。 この平坦ではあるが安定した生活が何時終わりを告げるのか。 する事のないまりさは、ただ不安を思い描くだけだった。 子まりさの方は相変わらず楽しそうにしていた。 毎日ご飯を食べられる事が、毎日父親と居られる事が嬉しかった。 遊んで、父親とお喋りをして、ゆっくりお昼寝を楽しんで、 毎日がとてもゆっくりした生活だった。 そんな生活でもけして子まりさは増徴する事がなかった。 それも、まりさが人間に対しての感謝を忘れないように教育してきたためである。 人間の機嫌を損ねてひどい目に合った野良達をまりさは沢山見てきた。 理不尽に人間に殺されていったゆっくり達を沢山見てきた。 だからまりさは何よりも人間を恐れていた。 故に、人間対してまりさは常に低姿勢でいることに勤めた。 子まりさも父に習い、皮肉な事に飼いゆっくりの理想というべき態度で人間に接した。 退屈な生活の中でまりさにとって、唯一の救いは子まりさだけになっていた。 「おちょーしゃん、またおちょーしゃんのおはなしを、きかせちぇほしいのじぇ~♪」 「ゆふふふ…わかったのぜ…あれはかりにいったときのことなのぜ…」 まりさはせがまれるままに、子まりさに色々な話を聞かせた。 自分が飼いゆっくりだった頃の話。 金バッチ試験を受けた時の話。 試験に落ちてショックを受けていた時に、飼い主に優しくしてもらった事の話。 突然捨てられた時の話。 母れいむとの出会いの話。 野良生活をしてた頃の仲間の話。 子まりさが生まれるまでの話。 実際のところ、それらの話はけして楽しい物ではなかった。 だがまりさは、暗い部分は適当な嘘で誤魔化して話した。 そんな話を聞いた子まりさには、どんなに辛くても輝かしい希望があるものだと信じきってしまった。 「ゆ~ん♪おちょーしゃんのおはなしは、どれもゆっくちできるのじぇ~♪ゆっくちありがちょ~なのじぇ~♪」 お話を聞き終えた子まりさは、幸せそうに体を揺らしていた。 まりさのおかげで子まりさは、いつもゆっくりニコニコ暮らせていた。 また、そんな子まりさを見ていると、まりさも安らぐ事が出来た。 まりさの唯一のゆっくりは子まりさだけだった。 「おちょーしゃん、おはよーなのじぇ~♪きょうはなんだきゃ、あんよしゃんがむじゅむじゅするのじぇ~」 「おはよーおちびちゃん…どこがむずむずするのぜ?あんよさんをみせてみるのぜ」 まりさは心配そうに子まりさのあんよの様子を見る。 今ののところ何も起こってない様に見えるが、子まりさはむずがゆそうに、あんよをずーりずーりさせていた。 まりさは湧き上がる不安を必死に抑えて、子まりさにまた嘘をつく。 「ゆん…きっとおちびちゃんは、これからおおきくなるから、あんよがむずむずするのぜ。きにしないでおくのぜ」 「ゆーん?そうなのじぇ?おちょーしゃんがいうからまちがいないのじぇ~♪」 まりさの嘘に幸せそうに答える子まりさ。 時折あんよをずーりずーりさせながらも、その日は何時ものように楽しく遊んでいた。 「ゆ~~ん…おちょーしゃん、きょうもあんよしゃんがむじゅむじゅするのじぇ~」 その日も子まりさはあんよの不調を訴えた。 まりさがあんよの様子を見ると、昨日は見られなかった緑の染みの様な物が見つかった。 不安が頭をよぎる。 この染みはゆっくり出来ない物ではないのか? そう考えれば考えるほど、不安の芽はどんどん育っていく。 だが、子まりさを不安がらせる訳にはいかない。 子まりさが笑わなくなってしまったら、自分の唯一のゆっくりが消えてなくなってしまう。 そんな思いが頭を巡り、またしても嘘で誤魔化してしまう。 「ゆぅ…きょうもなんともないのぜ?おちびちゃんは、きにしないでゆっくりするのぜ!」 「ゆゆぅ?しょーなのかじぇ?…おちょーしゃんがいうなら、まちがいないのじぇ~♪ゆっくち~♪」 まりさの笑顔は不安で引き攣ってしまっていたが、能天気な子まりさはそんな事には気が付かなかった。 昨日の様にあんよをずーり、ずーりしながらも元気に遊びまわった。 まりさはそんな姿を見ても、何時もよりゆっくり出来ないでいた。 その日は白服がいつも以上に子まりさのあんよを観察していた。 まりさはその様子をみて更に不安を募らせたが、子まりさの前ではそんな様子を見せないようにしていた。 それから日を追う事に、子まりさのあんよの染みは大きくなっていった。 染みが大きくなるにつれ、まりさの不安も大きくなっていった。 まりさはこの染みに心当たりがあった。 公園にいたぱちゅりーから聞いた話にこれに似た病気があったのを思い出したのだ。 これはおそらく「かびさん」という物ではないのか? 話では、これにかかると大抵のゆっくりは成すすべもなく死んでしまうそうだ。 ぱちゅりーによれば、「かびさん」に対抗するには毎日体を洗い綺麗にする事、 濡れた体をしっかり乾かす事が予防になるそうだ。 野良生活をしていた時は、公園の噴水で体を洗っていた。 そんな事を思い出し、まりさは嫌な事に気が付いた。 そういえば、数日前から体を洗って貰っていない。 そんな考えが頭をよぎると、今まであえて気にしないで置いた事がどんどん不安になっていく。 この透明ケースに入れられてから、他のゆっくりの声を聞いていない。 数日前から水の味が変わった気がする。 こうなると、まりさは疑心暗鬼に陥り子まりさの笑顔ですら不安に感じるようになった。 本当はおちびちゃんは具合が悪いのを隠して、元気に振舞っているのではないのか? ついに不安を抑えきれず、まりさは行動に出てしまった。 その日も何時ものように白服がやってきて子まりさのあんよをじろじろ眺めていた。 まりさの番が来て持ち上げられると、機会を伺っていたかのように白服に話しかけた。 「にんげんさん…おはなしがあるのぜ…」 「どうしたんだい?まりさくん?」 「まりさのおちびちゃんは…かびさんに…かかっているんじゃないのかぜ?」 恐る恐るまりさが白服に話しかける。 白服は少し面白そうな顔をしてまりさを眺める。 まりさは本能的にその視線にゆっくり出来ないものを感じた。 「ひょっとして…あのあんよの緑の物の事を言っているのかい?」 「そ、そうなんだぜ!あれは『かびさん』じゃないのかぜ?このままだとおちびちゃんは…しんでしまうのぜ?」 白服は更に面白そうに目を細めた。 まりさは思わずビクッと体を縮めてしまった。 「そんなに怯えなくても良いよ、あれはね…ドスや胴付に進化する前段階なんだよ」 「ゆぅ?それはほんとうなのぜ?」 「私が嘘をついているとでも?」 「…ならきくのぜ?どうしてさいきんは、まりさたちのおからだをあらってくれないのぜ? きれいにしてないと、かびさんになるってぱちゅりーがいってたのぜ?」 白服は一瞬眉をしかめるが、すぐに何時も通りにニコニコしだす。 まりさはその一瞬の表情の変化を見逃さなかったが、白服のにやけ面が不気味で目を背けてしまう。 「それはそのぱちゅりーが嘘をついていたんだろう?他のゆっくりがドスや胴付になるのが気に入らないんだろう?」 「ぱちゅりーはうそはつかないのぜ!!そんなのはしんじないのぜ!!」 「何ってるんだい?君だって嘘つきじゃないか、それなのにどうして他のゆっくりを信じるんだい?」 まりさは何も言い返せなかった。 とりあえずは、この白服の言葉を信じる事にした。 不安から目を逸らしたかったのである。 「おはよーおちょーしゃ……ゆびゃぁぁぁぁん!おちょーしゃん!まりちゃのあんよが、みどりいろなのじぇーー!!」 「ゆわぁ………おちびちゃん、それはおちびちゃんが、どすになるからみどりいろなのぜ… おめでとうおちびちゃん…だからあんしんして、ゆっくりするのぜ」 「ゆぅ?…それほんちょー?…ゆわ~い♪まりちゃ、どしゅなのじぇ~♪ゆっくち~♪」 まりさは嘘をつくのが心苦しかった、だか今更後には引けなかった。 何よりこの子まりさが笑わなくなる事が怖かった。 まりさの唯一のゆっくりだったから。 その日は白服が子まりさの緑色の物を少し採取していた。 まりさはそれを不安そうに見ていた。 白服はまりさの背中(?)をやらたと調べまわしていた。 まりさは不快で堪らなかったが、白服はお構いなしだった。 それから更に数日たった。 子まりさの緑色の物はどんどん増えていった。 それは今では子まりさの髪や帽子にまで広がっていった。 「おちょーしゃ……きもちがわりゅいのじぇ…くるちーのじぇ…」 「…どすになるには…くるしかったり、きもちわるかったりするのぜ…だからがんばって…ゆっくりしてね」 「ゆぅぅ……まりちゃ…がんばるのじぇ…ゆっく……ち♪」 緑が広がるにつれ、子まりさは弱っていった。 子まりさも自分の体の不調を訴えた。 だが、それを誤魔化すためにまりさはまた嘘をつく。 子まりさは、父の言うことを信じ懸命に耐えていた。 「おちょーしゃ……まりちゃがどしゅにな…っちゃら…こんどは…まりちゃが…おちょーしゃ…をゆっくちしゃ…」 「おちびちゃん、ゆっくりありがとうなのぜ…おとうさんはたのしみにまっているのぜ」 「ゆふ…ふ…ゆっくち……」 子まりさはどんどん弱っていき食事の量も減っていった。 まりさはそんな子まりさをぺーろ、ぺーろしてあげると子まりさはニッコリ微笑むのだった。 その内まりさの目にまで緑色の物が覆い被さってきた。 「おちょー…しゃ…どこなの……まりちゃ…なにも…みえないじょ…じぇ…」 「おちびちゃん、おとうさんはここだよ!すーり、すーりしてあげるのぜ!」 「ゆふふ…ゆっくち…」 白服はそんな様子を楽しそうに見守っていた。 「にんげんさん…おちびちゃんはどうなるのぜ?…このまましんじゃうのぜ?」 「ん?」 その日、白服に持ち上げられた時にまりさが問い掛けた。 白服は静かに笑っていた。 「あぁ…そうだね……実はもう君達は用済みなんだ…だからこれから焼却処分されるんだよ」 「ゆ?……それはどういうことなのぜ?」 「あぁ…頭が良いと思ってたけど所詮ゆっくりか……簡単に言うとね、君達はゴミだから燃やすんだよ」 「ゆ?!」 「君ら親子の命は今日限りだよ…まあ、また得意の嘘で子まりさを誤魔化してあげてね♪」 まりさは頭が真っ白になった。 以前から抱えていた不安が現実となった。 しかしまりさは子まりさが弱り始めてからゆっくり出来なくてその事をすっかり忘れていたのだ。 カビの生えた帽子がまりさの頭からずり落ちる。 まりさの体も大分前からカビに侵食されいた。 白服はそれを拾うと、まりさの頭にそっとかぶせてケースに戻した。 「おちょ……しゃ……しゃむい……こわい……ゆっくち…できにゃ……のじぇ…」 まりさの頭は空っぽになっていた。 まりさにはもう嘘が思いつかなくなっていた。 まりさは嘘をつく事が出来なくなっていた。 まりさは我が子を見つめ涙をこぼした。 「…おちびちゃん……ゆっくり…していってね……」 完 徒然あき
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登場人物&能力一覧(第55話) 第56話 第54話 ※登場人物は名前が作品中に明記されておらず 類推に拠るものも含みます ※能力名は作品中のものではなくテンプレのものに統一してあります 『I have a dream』 ※リンリン:発火 ☆高橋愛:光使い 『深夜放送』 ☆亀井絵里 ☆新垣里沙 ☆その他全オリメンリゾナンター 『お花見』 ☆全リゾナンター ※喫茶リゾナントの常連客 『■ アブダクション -譜久村聖- ■』 ☆譜久村聖 『■ グッドスリープ -スマイレージ- ■』 ※和田彩花:「目」を使った何らかの能力 ※前田憂佳 ※福田花音 ※小川紗季:蘇生? 『■ サクリファイスフレンド -スマイレージ- ■』 ※和田彩花 ※前田憂佳 ※福田花音 ※小川紗季 ☆譜久村聖 ☆光井愛佳:予知 『妄想コワルスキー・Full throttle』(中) ☆新垣里沙:精神干渉 ☆高橋愛:精神感応 ☆道重さゆみ:精神感応 予知 ☆田中れいな 『(55) 216 名無し募集中(自由詩)』 『たなかれいにゃの災にゃん』 ☆田中れいな ★飯田圭織:予知 『孤立無援の名誉』 ★久住小春:発電 ★ダークネス久住部隊・副官 ★中年戦闘員 『mizuki―――』 ☆譜久村聖:接触感応 『妄想コワルスキー・Full throttle』(後) ☆新垣里沙:精神干渉 ☆田中れいな:発火 ☆高橋愛 ☆道重さゆみ:精神感応 ★カジノ客を装った強盗団員:催眠 ★強盗団たち 『ダークブルー・ナイトメア~6.』 ☆高橋愛:精神感応 光使い ★紺野あさ美 ★i914:瞬間移動 光使い 『止み、病み、闇』 ☆亀井絵里:風使い ☆道重さゆみ ☆譜久村聖 ☆高橋愛:瞬間移動 ☆光井愛佳 ★久住小春:発電 『妄想コワルスキー・Full throttle』(後)【枕を三度叩いた・END】 ☆新垣里沙:精神干渉 ☆田中れいな ☆高橋愛 『妄想コワルスキー・Full throttle』(後)-3 ☆新垣里沙:精神干渉 ☆高橋愛 ☆田中れいな 『妄想コワルスキー・Full throttle』(後)-4 ☆新垣里沙 ☆高橋愛 ☆田中れいな ★安倍なつみ 『妄想コワルスキー・Full throttle』 【コワルスキーEND】 ☆新垣里沙 ☆田中れいな ☆高橋愛:精神感応 ☆ジュンジュン:獣化 ※れいなの父(仮想人格)
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フェーズごとのWHO予想 WHOフェーズを参照してください。 現在のフェーズ(5)を確認して、それに応じた対策をとりましょう。 国内の対策 新型インフルエンザ対策行動計画を参照してください。 現在の段階は第二段階 (国内発生早期)です。 感染の疑いがある場合 厚生労働省の臨時相談室および、(海外渡航者の場合は)全国の検疫所、(国内在住者の場合は)保健所に相談してください。 【注意】いきなり病院や診療所などに、事前の連絡も無しに行くのはやめましょう。二次感染の恐れがあります。 厚生労働省 特別電話相談窓口(03-3501-9031) 全国相談窓口一覧 都道府県による新型インフルエンザ相談窓口 http //www.mhlw.go.jp/kinkyu/kenkou/influenza/090430-02.html 全国検疫所一覧 http //www.mhlw.go.jp/general/sosiki/sisetu/ken-eki.html 全国保健所一覧 http //www.phcd.jp/HClist/HClist-top.html 飛まつ感染の予防 咳・くしゃみは2m飛散するので、それ以内に近づかない。 マスクの着用。 咳やくしゃみ等の症状のある人には必ずマスクを着けてもらう。 接触感染 感染者が咳・くしゃみを手で覆った時、その手で触れた物に接触することで感染する。 目や鼻などを手でこすらない。 ドアノブやつり革など、共用物に触れた後は手洗いをする。 正しい手洗い法 石鹸を泡立てて、爪・指の間・親指の周り・手首なども忘れずに、30秒を目安に手洗いを行う。 清潔なタオルで乾かす。 外出自粛 人の多い場所を避ける。 外出時間をずらす。 咳エチケット 咳・くしゃみが出たらマスクを着用。 他人から1m以上離れる。 使用したティッシュなどはすぐに蓋のついたゴミ箱に捨てる。 手で覆ったら、すぐに手洗いをする。 備蓄した方が良いもの 詳しくは備蓄品リスト参照
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ESP 接触感応 サイコメトリー Psychometry 物体感応 オブジェクトリーディング Object-Reading 透視 クレアボヤンス Clairvoyance 遠隔視 リモートビューイング Remote-Viewing 遠隔聴覚 クレアオーディエンス Clairaudience 精神感応 テレパシー Telepathy 遠隔知覚 テレパス Telepath 予知 プレコグニション Precognition 後知 ポストコグニション Postcognition 催眠 ヒュプノシス Hypnosis 物体探索 ダウジング Dowsing 幻覚 ハルシネイション Hallucination 知識獲得 リーディング Reading 洗脳能力 マリオネッテ Marionette 記憶操作 マインドハウンド Mind-hound 肉体変化 メタモルフォーゼ Metamorphose PK 念力 サイコキネシス Psychokinesis 遠隔念動力 テレキネシス Telekinesis 瞬間移動 テレポート Teleportation 物体転送 アポート Apport 物体消去 デポート Deport 時間移動 タイムリープ Time-Leap 物体時間移動 テレテンポレーション Teletemporation 念写 サイコグラフィー Psychography 電操能力 エレクトロキネシス Electrokinesis 発火能力 パイロキネシス Pyrokinesis 冷却能力 クライオキネシス Cryokinesis 治癒能力 ヒーリング Healing 空中浮揚 レビテーション Levitation その他(管理人が考えました。) 完全再生 レフォーム Reform 魂握 ソウルハウンド Soulhound 方向転換 チェンジディレクション Changedirection 無効化 オールルース All-Lose 絶対領域 マイテリトリー Maieterretory 世界 ワールドネッテ Worldnette 精神掌握 メンタルハウンド mentaru hound 臨時更新します。
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IDdata Name 紫々守 兎熊(ししもり とぐま) Alias 【シエスタロット(昼寝大量生産)】 Class サイキッカー Rank ロード Money 289,200,984,000W¢ Point 2614769144pt Ranking 26/6473226 OOPARTS Link ロックンロールロックスター所属 Age 19 学年 四五年度入学 予科程四年修了 本科七年目 職業 ロックンロールロックスター副支配人 人種 純日系 所在地 サウスヤードのアパートメント 連帯保証人 狗刀 宿彌 PROFILE ABILITY テレパシー(接触感応力)とヒュプノシス(催眠能力)の両属性を併せた超能力を持つ。 自分の眠気を対象者に移送する能力である。この能力の関係上か、兎熊は普段から酷い眠気に悩まされたおり、日中は眠たくて仕方ない。 使用条件は容易く、触れた相手に自分が抱える眠気を一瞬にして送り込むことができる。更に、量の調節も任意に可能である。 かなり弱い能力に感じられるが、彼女が普段抱えている眠気は驚異的なものであり、即効性の睡眠薬を致死量近く投薬された場合と同程度の感覚だとされる。 当然、この状態で日常生活を営めるのは、兎熊ただ一人だ。 相当の修練を積み、精神的に強固な人物であっても、兎熊の眠気に抗うことは困難である。 常人が相手であれば、すべての眠気を流し込んだ場合、その瞬間に永眠してもおかしくないという。 使用に際して消費される精神力は微量だが、一度眠気を流し込むと、相手に与えた分の眠気は、次の日(一回眠って起きるまで)まで失われるため、流し込む眠気を節約しながら使うことは可能だろうが、連続して使い続けることは難しい。 むしろ、せっかく眠気を抜いたのに、次の日また眠気が回復する彼女の身体に同情を禁じえないのだが。 使用状況が限られる能力だが、流し込んだ分だけ兎熊自身は覚醒することができる。 眠気をすべて移送し、完全覚醒を果たした際の兎熊の実力は、ランキングにして現状に比べ、優に十位は上の能力を発揮し、戦闘力、知力、判断力、行動力、すべての実力が跳ね上がるという。 これは、能力の恩恵ではなく、彼女が本来持つ実力のようだが、普段は眠すぎてそれを発揮するどころではないようだ。
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一瞬、幻を見ているような錯覚に襲われた。 書斎へ向かう途中に通りかかった吹き抜けの渡り廊下からは、中庭がよく見渡せる。 中庭の入り口付近には小さいが精巧な仕掛けの噴水があり、 その正面に置かれた長椅子にはふたつの人影が寄り添うように座っていた。 噴水のしぶきが宙に生み出す虹を愛でているのだろうか、ときどきかろやかな歓声が上がっている。 緑陰にて夏の朝の清涼を楽しむふたりの貴婦人。それは宮中ではありふれた風景である。 だが、ふたりの顔かたちが鏡に映したように同じであるということだけが尋常ではなかった。 頭上に広がるポプラの枝葉から零れ落ちる陽光を散りばめた黒髪と、ときおりまぶしそうに細められる漆黒の瞳。 余人が彼女たちを目にしたら、その寸分違わぬ精緻な美しさに、 地上に降りた一対の守護天使のようだと評する者もいるかもしれない。 だがアランを襲ったのは何か軽い眩暈のようなものだった。 しかし一瞬後、彼はすぐ事態を了解する。 あれは妻と妻の妹だ。何もおかしなことはない。一方が他方の分身などであるものか。 そして考えてみれば自分はここのところふたりと顔を合わせるたびに こんな錯覚に襲われているのだということに思い至り、ひとり苦笑いをする。 ことの起こりはまったくの偶然だった。 夏の盛りを迎えたのを機に、王太子夫妻は例年どおり国土の東北に位置する山間部レマナを訪れた。 ここは辺境州としてガルィアの版図に組みこまれてから日は浅いものの、 穏やかな気候とたぐいまれな景勝、そして豊かな鉱水により国際的にも名高い保養地であり、 ガルィア王室の離宮が構えられているのはもちろん、諸外国の上流人士の所有になる別荘も多々点在していた。 自国がガルィアと政治的緊張状態に陥らない限り、彼らも毎年のようにここを訪れては英気を養い帰ってゆくのである。 猛暑の訪れとともに久方ぶりに公務から解放されたアランとエレノールの夫妻も、 宮廷の喧騒から離れたこの清涼な土地で、一昨年生まれた女児ルイーズを伴いながら静謐閑雅な暮らしを数週間楽しむつもりだった。 だが、レマナに到着したその日の夕方、ある隣人の噂を離宮の廷臣から伝え聞くと王太子妃はかつてない喜色に頬を染めた。 ごくわずかな供回りを連れただけの貴婦人が身元を隠すようにして数日前から近隣の城館に滞在しているが、 呼吸器の軽い疾患のために静養に来たというその佳人は 黒髪に黒い瞳ばかりか顔立ちの隅々までがエレノールに瓜二つだというのである。 奏聞が終わるやいなやエレノールはアランに口を挟む暇も暇も与えずに浮き足立つようにして離宮を出てゆき、 数時間後まさにその貴婦人を連れて戻ってきた。 それが彼女の妹エマニュエルだった。 嫁ぎ先の呼称ではエマヌエーラとなるそうだが、エレノールだけは母国語風にマヌエラと呼んでいる。 スパニヤ王国第三王女エマニュエルはエレノールからすれば年子の妹にあたる。 芳紀十八にして陽光とオリーブの香りあふれる母国よりさらに南方のヴァネシア公国に嫁ぎ、今年二十一になるという。 南海の翡翠。斜陽を知らぬ都。神の恩寵に護られし地。 あまたの形容で古歌にも誉れ高く謳われる都市国家ヴァネシアは、 地形的には限りなく島嶼に近い小半島であり、 異教徒たちが割拠する東大陸から突き出た西南端の半島を 自らの属する文化圏である西大陸に海峡を隔てながらかろうじて結びつける危うい楔のような位置を占めている。 そして支配領域からいえば三方を海に囲まれた首都とその周辺の岩がちな沿岸線に限られ、 徹底した重商主義と人口寡小のため、自国の防衛は伝統的に外国人の傭兵に一任してきたというのが実情である。 しかしながら、地の利を最大限に生かして東西中継貿易路を最初に開拓し、 商業上の競争相手たる近隣諸都市を同盟の名のもとに次々と服属させ、 古来より一貫して独占的に繁栄を謳歌してきたのもやはりヴァネシアであった。 造船技術の向上と火薬の伝播により、ガルィアを始めとする諸大国も 軍事的・経済的に有利な陸路海路の開拓に勤しむようになって久しいが、 それでもやはり、この大陸に東方異教徒の国々から目の覚めるような精巧な文物をもたらすとともに 関税や専売制によって各国の重要財源をも提供している大陸間通商 ―――いわゆる南海交易は、ヴァネシアの中継なしでは依然として成りたたないといわれている。 他にめぼしい産業もなく専ら交易に拠って立つ小さな都市国家の常として、 ヴァネシアにおいても政治的発言力は貴族議会より主要商会のほうに重みがあることは動かしがたい事実であり、 恣意的な法令でもって大商人たちの利権を侵害した君主が玉座を追われたことも過去に一度や二度ではない。 そのように、王侯貴族にとってはある意味屈辱的ともいえる国情がつづいており、 かつ地理的関係上、常に大陸間の戦火に巻き込まれる危惧を抱いて暮らさざるを得ないことから、 その統治者たる公に嫁ぐのは、いくら莫大な富に囲まれた生活が約束されるとはいえやはり相応の諦観と胆力が必要であろう、 と諸外国の王室からは縁組を敬遠される傾向があるのも否めない事実だった。 アランはこれまで義妹に一度も会ったことがないが、 エレノールとはひとつ離れているというのに並の双子以上によく似た妹姫だという旨は侍女たちから仄聞していた。 そのうえ子沢山なスパニヤ王室のなかでも最も仲がよい姉妹だといい、 未婚時代のふたりはいつも一緒にいるがゆえに、それぞれの従者は常々己が主人の識別に心を砕かねばならなかったという話である。 ただしエレノール自身はと言えば、妹に言及するときは必ず 「あの子はわたくしよりずっと綺麗だから、あなたがお会いになったら心を奪われないかと心配だわ」と、 冗談とも本気ともつかない声で付け足すものだから、アランも若干興味を惹かれないでもなかった。 むろん、おおよそは妻の罪のない誇張というか身びいきであろうと思いながら。 何しろ、もともとが肉親に対し情の深いたちだとはいえ、 エレノールがすぐ下の妹について語るときの愛情の込め方には、いつもひとからならぬものがあった。 小さなときからとても愛らしくて、聡明で、努力家で、思いやりがあるのだと。 その幸せそうな語り口を聞くにつけても、すぐ下の弟ののらくらぶりに自分は幼い頃からどれだけ気を揉まされてきたかを思い出し、 何かこう、世の不公平を感じるアランでもあった。 エレノールが妹を連れ帰ってきたその晩、急ごしらえの宴席にてヴァネシア公妃エマニュエルと初めて対面してみたところ、 容姿においては妻と伯仲であろうという予想は間違っていなかった。 華奢ながら女性らしく優美な体格は言うまでもなく、 飴菓子のように滑らかで柔らかそうな小麦色の肌も雨上がりのように潤いを含んだ黒髪も、 そして大粒の宝玉と見紛うばかりの漆黒の瞳も、たしかにエレノールと寸分変わらぬ造形というべきであり、 真珠や珊瑚を贅沢に散りばめたヴァネシア風の髪飾りや装束さえまとっていなければ アランでさえ一瞬妻と見間違えかねないほどの危うさがあった。 しかしながら彼は、無難な時候の挨拶を美しき義妹と交わしながら、 そんな誤りは実際には起こり得ないとじきに確信をもつに至った。 そしてそれこそ、エレノールが「あの子はわたくしよりずっと綺麗だから」と評する理由に違いない、とも彼は思った。 姉姫がそうであるのと同様、エマニュエルも温和で気品に満ちた婦人であるが、 万事におっとりとして他人を信じ込みやすい姉姫に比べ、 彼女のほうは穏やかな態度のなかにも他者に馴れ合いや阿諛を許さない確固とした線引きのようなものが感じられた。 王侯貴族の社交の要であり人物評価の基準にもなりうる会話術はといえば、 若い女性の常として主題の定まらない話をとりとめなく語りつづける傾向のあるエレノールに比べ、 エマニュエルのほうは整然として機知に溢れる会話を主導しなおかつ聞き上手なので、 アラン自身俺はこれほど話術に巧みだったのかと幾度も錯覚を覚えるほどであった。 そして何より姉妹の区別を印象づけるものとして、エマニュエルの瞳には力があった。 石膏に刻みつけられたかのようにくっきりとした二重まぶたも 密林のように濃く長いまつげも森の奥深くで湧きいづる泉のように黒く濡れた虹彩も、 器官としてのつくり自体はエレノールとほとんど変わるところがないというのに、その発する気配が彼女とは全く異質なのだった。 使い古された言い回しではあるが、わが妻が万物に柔和な光を注ぐ月ならこの娘は太陽だな、とアランは思った。 それも炎夏の朝、一日の生命力を燃やし始めたばかりの太陽である。 義妹の美しい瞳にはそれほどの鋭気が潜んでいた。 しかしだからといって、彼女は見るからに気性の激しさを感じさせるというわけでは全くない。 ともに食卓を囲んでいるときの挙措や表情、ことばづかいは、姉姫ほどの打ち解けた人好きさには欠けるとはいえ、 二十歳を過ぎたばかりの年若い娘にはそぐわぬほどの落ち着きと余裕があり、 いまここには同席していないものの、 対面を果たしたおりには幼いルイーズもすぐにこの美しい叔母に懐くことであろうとアランには容易に想像がついた。 そして同時に、この義妹は自身の明敏さをごく自然に糊塗できるほどの知性に恵まれており、 しかしその知性をもってしても覆い隠せないほどの情熱を内側に秘めているのだろう、とふと感ぜられた。 (たしかに、エレノールが冗談でも不安を口にするだけのことはある) 静かに酒杯を傾けつつ妻とその妹の顔をそれとなく見比べながら、アランは少し酔いの回った頭でぼんやりと思った。 彼女たちは同席するアランに遠慮してガルィア語で話を続けているが、 その歓談の盛り上がりようから察するに、彼が席を外すのさえ待てずに今にも母国語で互いの愛称を呼び合いたいに違いなかった。 それにしてもエマニュエル妃はわが国語に長けている。アランは密かに感心した。 自他ともに認める随一の文化国家という位置付けから、ガルィアはその国語さえもがこの大陸の優越者たる地位を占めて久しかった。 いわゆる国際公用語である。 むろん各国とも何よりまず自国語での文芸振興を標榜しているものの、いずれの国であれ上流社会に属する者たちは、 ガルィア語をいかに流暢に使いこなせるかということに貴種としての沽券を賭ける風潮が強かった。 そのような教育方針を何代もとり続けた結果として、 彼らの子女には自国語で手紙を書けない者さえいるというのだからアランなどは失笑してしまうが、 彼が義妹に感服したのは、彼女は母国語や嫁ぎ先の言語は言うに及ばず ガルィア語も古典語も実に不足なく習得しているからだった。 姉妹それぞれ婚約者が定まっている身ながら十五六ごろには天性の美貌が鮮やかに色づき始め、 スパニヤの宮廷人たちの注視を浴びずにはいられなかったであろうことは想像に難くないが、 聞くところによれば、エマニュエルに懸想する貴公子の数は常に姉姫の倍はあったという。 さもありなん、とアランは思う。 それほどに、温和な物腰と明朗な瞳の裏側に暗い情炎を秘めた、どこか深淵を感じさせる娘なのだ。 この姫が隠そうとしている情熱を引き出せた暁にはどんな悩ましい表情を見せてくれることだろう。 周囲の男の気概をしてそう駆り立てずにはおかない何かが、この娘にはあるのだった。 そしてそれだけに、惜しいことだ、ともアランは思った。 不憫なことだ、と言ったほうが正しいだろうか。 大陸屈指の由緒ある血統はむろんのこと、美貌も知性も社交性もあまねく兼ね揃えたこの娘、 これ以上何も望むことなどあるまいと傍からは思われる年若い貴婦人は、 結婚生活に関してはその美質にふさわしい待遇を与えられているとは言いがたかった。 もとより遠く離れた異国の宮廷の内情であり、アランとてそれほど確信をもって把握しているわけではないが、 南海東部方面の諸国に放っている間諜たちからの定期報告によれば、 ―――むろん彼らの第一の任務は当該国の政治経済および軍事上の動向を探ることであり、 君主の私生活に言及するとしたらあくまで備考という域に留めるのみではあるのだが――― 彼女の夫である現在のヴァネシア公はくたびれた初老の男であり、 先君である兄の跡目は本来その一人息子が継ぐはずであったのが、 当時東方からもたらされたばかりの流行り病で夭逝してしまったがために、 五十も過ぎてから急遽公位継承権が転がりこんできたのだという。 皮肉なことに、エマニュエルが本来婚約していたのは英名高き公太子のほうであり、 ヴァネシア公は玉座と同時に若く美しい許嫁を手に入れたことになる。 しかしながら彼の評判は将来を嘱望された甥に遠く及ばず、 即位の話がもたらされるまでは諸国の富が集まるヴァネシアの豊かさを享受しながら日がな安穏と暮らしていたためであろうか、 政治家としての手腕もまるで未熟だという話だった。 実際、エレノールに聞いたところでは、彼女たちの父であるスパニヤ国王も、 このような「再嫁」を図ることに若干の躊躇を覚えたというが、それでも結局踏み切るに至ったのは、 中継貿易地としてのヴァネシアの重みゆえであったろう。 それはヴァネシア以北のどの国においても変わらぬ事情ではあるとはいえ、 殊に南海貿易による利潤が歳入の小さからぬ割合を占める海洋国家スパニヤにおいては、 かの公室との紐帯を維持することはまさに喫緊の課題であった。 一度も顔を合わせたことのない夭折した婚約者に対しエマニュエルがどれほどの思い入れを持っていたかは知る由もないが、 エレノール及びその上のエスメラルダといった姉姫たちが年相応の青年貴公子たちに嫁いでゆく一方で、 父親より年上の男のもとに嫁がされることになった運命を一度も嘆くことはなかった、 と推し量るならあまりに美談でありすぎるだろう。 それでも夫が家庭人として思いやりのある年長者であったなら救いはあったかもしれないが、 現実はといえば、ヴァネシア公はエマニュエルを娶ってからも宮中のそこかしこに愛人を侍らせて憚らないのだという。 間諜からの報告を引用すれば、「スパニヤの貴婦人独特の謹厳さに公はついに馴染むことができなかった」 ということである。 経済的な余裕さえあれば王侯貴族が蓄妾に励むことなどガルィアを始めどこの国でも珍しくなく、 何もヴァネシア公室に限った陋習ではないが、 同一の信教、同一の戒律を奉ずるこの大陸の人間はみな少なくとも法の上では一夫一妻制に服しており、 それは王侯貴族も同じことであって、公式の寵妃といえど神の前で誓約を交わした正妻に対しては顔を伏せるのが当然である。 それだけに、夫の愛人たちが我が物顔で闊歩する宮廷に正妃として起居しなければならない屈辱は余人には図りしれないものがあり、 またそれだけに、今こうして目の前にいる当の娘が常に温顔で他者に心地よい物腰を保っていられるというのは賞賛に値する、 とアランにはひそかに思われた。 (これも衿持の高さゆえか) 内心の苦痛や葛藤を露わにすること、そして他者の憐れみを向けられることだけは何があっても忌避しようと、 公妃エマニュエルは習慣的に自分を厳しく律しつづけているのだろう。 そのきわめて自制的な態度は堅牢の域にさえ達しているが、 一方では確かに姉姫エレノールの芯の強さに通じるものを感じさせ、アランは初対面の席から総じて義妹を好ましく思った。 が、彼女は彼女でよくできた貴婦人だと判明したが、 アランをやや困惑させたのは、妹に対するエレノールの度を越した愛着ぶりであった。 レマナ離宮に到着した晩、つまりエマニュエルのために宴席を張ったその晩、 エレノールは夫婦の寝台で珍しく上目遣いになって夫に嘆願したのである。 「ねえアラン、妹がこの地に滞在する間、いま居る城館からこちらの離宮に呼び寄せてもよろしいでしょう? 私事ですから、従者たちも含めた応接費はすべてわたくしの資産からまかないますわ」 「一個連隊を養うわけでもなし、別にそこまで気を遣わずともよい。 姉が妹との再会を祝すのに、どうして妨げる理由があろう」 「ではあの子をこちらに迎えてよろしいのですね?ありがとうございます、アラン」 夫の肩に頬を寄せながら、エレノールは濃いまつげに縁取られた大きな黒い瞳を弧のように細めた。 もともとが表情ゆたかな彼女は満面の笑みをこぼすのに吝嗇であったことはないが、 それでもこの笑顔を見るためなら何でもしてやりたい、とアランに思わせるには十分な明るさだった。 「もうひとつ、お願いしてもよろしいでしょうか」 「なんだ」 「あの子がこちらにいる期間は限られますから、朝晩できるだけ同じ空間で過ごしたいのです。 食事もお化粧も、眠るのも一緒に」 「つまり妹御を優先して、俺は独居の身か」 「申し訳ございません。―――お許しいただけましょうか」 エレノ―ルの声は幾分か小さくなっていた。 そもそもこのたび都からはるばる離宮に足を運んだのは、 単に避暑だけではなく公務に邪魔されない休暇をふたりで楽しむためでもあったのだ。 童女でもあるまいし夜ぐらいは夫婦の寝台に戻って来い、とアランはよほど説得したかったが、 妻の黒く潤いある瞳に不安げに見つめられるとその強気もだいぶ失せてしまい、しばらく考えをめぐらすほかなかった。 「―――まあいい。妹御が滞在する間だけ、という約束だ」 「うれしい。ありがとうございます、アラン」 エレノールはふたたび笑顔になって夫に抱きつき、頬や顎に感謝の接吻を降らせた。 「だがその前に」 「え?」 「条件がある。いや、ものごとの理と言ったほうが正しいか」 囁きかけながら、アランは妻の首筋に唇を這わせた。 「しばらくの間そなたは自ら神聖な夫婦の義務を放棄するのだ。その代償は大きいぞ」 「代償」 「今夜は誠意を尽くしてもらわねばな」 「誠意だなんて、……だめ、お待ち下さい……っ」 夫の手が強引に寝衣を剥ぎ取ろうとするのをエレノールは阻止しようとしたが、むろん果たされず、 それどころか裸身を軽々と持ち上げられて彼の腿の上にまたがる姿態をとらされるに至った。 下から無遠慮に見上げてくる夫のまなざしに耐えられず乳房を両手で隠しながらうつむくと、 すでに大樹のように屹立した雄が彼女の視界に堂々と映る。 「アラン、もう、こんなに……」 「そなたのせいだ。明日からは長らく見捨てられる境遇なのだからな。 せいぜい慰撫してやろうとは思わんか」 「も、もちろん、申し訳なく思ってはおりますけれど」 「思うだけでは同じことだ。行為で示せ」 「でも……」 「そなたの敬愛する聖アルトゥールも『教書』後篇第二節で同じことを述べているだろう」 こんなときに聖人を引き合いに出すなんて、とエレノールは本気でアランに腹を立てかけたが、もはや拒む術はなかった。 準備万端に反り返る逞しい彼自身を眼前にして、 己の花芯もひそやかに火照り潤い始めていることを認めないわけにはいかなかったからだ。 (この淫らな身体をどうか、お許し下さい) 世のあらゆる聖者たちに許しを請いながら、彼女は祈るようにこうべを垂れ、 硬直した雄の先端をその紅唇で挟み、いとおしむように優しく吸った。 妻がようやく「誠意」を見せる気になったことをここに確認し、アランは深い満足の吐息を漏らした。 エマニュエルとの共同生活はそのようにして始まった。 共同生活とは言っても実質は広壮な離宮の一角でのエレノールと彼女との閉ざされた蜜月であり、 しかも詩の朗読やらレース編みやら鉱水への入浴やらルイーズのための人形選びやら、 朝から晩まで女子どもが好きな営みに終始しているので、 アランなどは食事の席を除けばほとんど義妹との接点もないほどだった。 それはいいのだが、妻ともめったにふたりきりになれる場がないとなるとやはり不満は募ってくる。 たまにその機会をとらえると、彼はつい揶揄のひとつも言いたくなるのだった。 「よくもまあ、四六時中一緒にいて飽きないものだな」 「ごめんなさい。―――妬いていらっしゃる?」 申し訳なさそうに、だがほんのりと可笑しそうにエレノールが言う。 まったくはずれでもないだけに、アランの口調は却って無愛想になった。 「妻の実妹になど誰が妬くものか。 ただ、生まれてからずっと一緒に育ってきた年子の妹とこれ以上何を話すことがあるのかと訝しく思うだけだ。 寝台まで共にしてな。女はよく分からん」 「こちらに嫁いで以来ずっと離れ離れだったのですもの、積もる話は山とございます。 あなただってマテュー殿ご帰京のおりは、ご兄弟ふたり水入らずで同衾なさりたかったらお止めしませんわ」 「気色悪いことを言うな」 本気で眉をしかめた夫を尻目に、エレノールは口元を押さえつつ笑いを噛み殺しきれぬまま妹の待つほうに歩き去ってしまった。 やれやれ、と小さく息を吐きながらアランはその背を見送る。 (朝から晩までマヌエラ、マヌエラか) しかし自分で許諾した以上、それは受け入れるより仕方のないことだった。 エマニュエル妃を離宮に迎えて以来、アランは夜を書斎で過ごすことが多くなった。 都の王宮に劣らぬほど広い夫婦の寝室をひとりきりで使うのは当初は新鮮な気もしたが、 次第次第に侘しさがつのってきたからだ。 一年に数週間しか滞在しないとはいえ、離宮の書斎もなかなかの蔵書を誇っており、 なおかつチーク材を贅沢に用いた部屋全体が涼やかで過ごしやすいため、 書棚の間に置かれた長椅子で夜を明かすことは、徐々に慕わしくさえ思えるようになってきた。 (あと何日だったか) エレノールに悪いとは思いつつも、義妹の出立までに残された日数をひそかに数えつつ、 アランは日干しの匂いがする古書の頁をくくるのだった。 その晩もやはり同様に過ごすつもりだった。 最後の衛兵に見送られて回廊の角を曲がったそのとき、アランはふと足を止めた。 あと数歩でたどり着くはずの書斎の扉から、生糸のように微かながら一条の明かりが漏れている。 決して小規模ではないレマナ離宮とはいえ、 衛兵の咎めを受けずに王太子の私的空間へ立ち入れるのはひとりしかいようはずがない。 彼女がこんな時刻にこんな場所で己を待ち受けようとする意図は掴みかねたものの、 アランはついつい早まる足取りを抑えることができなかった。 敲く暇さえ惜しまれて扉を一息に開けると、彼の視界をまず覆ったのは部屋の中央から円心状に広がるほのかな光だった。 暗がりによく目を凝らせば、その源は樫の文机の上に置かれた三叉の燭台であり、 さらによく見ればそのうちの中央の枝のみに立てられた小さな蝋燭である。 そしてその傍らには華奢な人影が佇み、慎ましい静寂のうちにこの部屋の主人を迎えいれた。 アランも何も言わなかった。 厚く敷かれた絨毯に足音を沈み込ませて近づくと、ただ彼女をゆったりと抱擁し、そのままそこに立ち尽くした。 湯浴みを終えたばかりなのだろう、艶めかしいほどに潤いを含んだ黒髪にゆっくり顔をうずめると、 焚きしめられてまもない白檀の香りがいつにも増してかぐわしく鼻孔を突いた。 こうして二人きりで触れ合うのはたかだか数日ぶりのことだというのに、 アランにはなぜか、かつて政務のため都を数週間から一月ほど留守にした折よりもさらに胸が満たされる思いがした。 誠に大人気ないことではあるが、この静閑な離宮に到着してからというもの、 妻の注意が専ら久方ぶりに再会した妹と慣れない環境にむずかりがちな幼い娘に向けられていることに、 自分が思う以上に寂寥を募らせていたのかもしれない。 そう思い至るとアランはひとり微苦笑し、腕のなかのやわらかな頬に手を当てて顔を上げさせると、 彼女の側の意向を確かめるようにそっとその双眸を覗きこんだ。 エレノールの美貌の中心をなす大きな瞳は儚げな蝋燭の光を宿しつつもますます深みのある黒さを帯び、 夫のあらゆる望みに応える用意があると告げるかのように、従順なまなざしで彼の視線を受け止めていた。 だがその瞳の奥には、どこか緊張を孕んでもいた。 その事実に気づくとアランは、訝しさよりもむしろ愛おしさと情欲とが累乗的に募ってくるのを感じた。 生娘のそぶりとは初々しいことだ、と戯れかかりたくなるのを堪えつつ、手すさびに黒髪を梳いてみる。 エレノール、と初めて名を囁くと、抱きすくめられたままのしなやかな肢体はまなざしと同様にかすかな硬直を示した。 だがそれさえも夫の目には違和感となりえず、彼女の貞淑さゆえのためらいと恥じらいの結実と映った。 ふたたび妻に顔を近づけ、今度はゆっくりと唇を重ねる。 最初はいくらか強張りを感じたが、じきに彼女の唇からも力が抜け、 喘ぐような吐息とともに無防備な口腔が明け渡された。 愛撫に対してひたすら従順で受け身がちな態度は以前と変わるところがなかったが、それさえもかえってアランの満足を促した。 けれど、妹姫に勧められてエレノールは就寝前に東方産の茶でも嗜むようになったのであろうか、 久しぶりに絡めあった柔らかな舌は、ほんのりとジャスミンの香りがした。 ごく自然な流れで妻の寝衣の帯に手をかけると、彼女は一瞬だがはっきりと身震いをみせた。 それはアランには理不尽な翻意としか思えぬものだった。 「寝室以外の場で営むのはそれほど嫌か。そのつもりでここを訪うたのだろうに」 エレノールは答えなかった。 妙だな、とアランは初めて動きを止めた。 いつもなら妻は必ずこのあたりで、己の羞恥心を嬲りものにせんとする夫の非礼に顔を赤らめながら憤りの声を上げるものなのだ。 アランのなかでふいに不安が芽生えた。 たしかにエレノールは、妹姫と再会を果たしたその晩、 ここレマナ離宮に滞在する間はエマニュエルとの時間を優先させていただきたいとアランに請い願い、彼もそれを了承したのだ。 夫婦の間の口約束とはいえ、それを忘れてはいけなかった。 「寝室で待つ妹御のことがやはり気になるか。 無理もないことだが、―――だが、俺はやはりそなたが欲しい。 しばしのあいだ肌を許してはくれぬか。情事の跡は極力残さぬように気をつけると約束する。 そなたとて、接吻だけで満たされるわけではあるまい。 それとも、就寝前のくちづけのためだけに俺に会いに来たのか」 それでも妻から返事はなく、広々とした書斎は彼自身のことばの余韻を漂わせるだけだった。 どこかに苛立たしさと不明瞭感が残ったが、アランはついに折れた。 ただ肉の欲望に突き動かされて交合を求めている、そのように思いなされるのは決して望むところではない。 「―――そなたが厭うことはするまい」 短くそう呟くと、今はこれで満足しよう、とでも告げるかのようにふたたび彼女の華奢な腰を強く抱き寄せ、 その黒髪や首筋や肩にゆっくりと接吻を降らせた。 そのときふいに、エレノールが面をあげた。彼女は依然として無言だった。 ただしその煌々たる瞳にはもはや緊張の色はなく、 既に連れ添って四年になるアランをして思わず瞠目させるほど、挑発的なまでの艶めかしさを怖じることなく放っていた。 エレノール、と呼びかけるその前に、アランは既に細い指先が自らの頬を這い、唇を優しくなぞるのを感じていた。 いらして、と聞こえたような気がした。 それは後で考えれば、彼のなかで情動の舫が解かれるのと全く時を同じくしていた。 妻に手を引かれて促されるがまま、アランは文机と対になった樫製の椅子に腰を下ろし、膝の上に彼女を横向きに座らせた。 見た目はごく華奢だとはいえ、彼に重みを預けた臀部の丸みと触感は、改めて子をなした女を感じさせた。 肩を抱き寄せて唇を重ねると、ついで頬、耳たぶ、顎、首筋、鎖骨へと徐々に軌道を下げてゆく。 妹姫の侍女に手伝わせたものなのか、珍しい結い方をしている帯を解き胸元の紐を解いて肌着まですっかり剥ぎ取ってしまっても、 彼女はもはや夫の手から逃れようとするそぶりも見せなかった。 淡い灯火のなかで目を細めれば、小ぶりながら形のよい乳房の頂点が屹立していることははっきりと分かった。 両手の親指をあててそこをこね回してみると、花弁のような唇からはジャスミンのかぐわしい吐息が漏れた。 「触れる前からずいぶん硬いようだ。そなたも欲していたのだな、そうだろう?」 「アラン……あ、い、いやっ」 「ここも確かめねば意味がなかろう。 やはりすっかり濡れている。もう指を二本もくわえ込んでいるぞ。分かるか?」 「だめぇ……かきまぜないで……っ」 「つぼみも大きくなってきたな。ふだんよりさらに敏感なのではないか? ほら、望みどおり剥いてやる」 「い、いやぁっ!そこは、だめぇっ!」 「なんという濡れようだ。もうまもなく達しそうだな。どうだ、指だけで果てたいか」 「い、いいえ……指だけでは、だめ……」 「ならばどうしてほしい。今度こそ黙るのではないぞ」 「あ、あなたの、……ものが、ほしいです」 「大きくて硬いものが、だろう?この間の晩は涙ぐみながら何度となく俺にそうねだったではないか」 あなたがわたくしにそう言わせたのです、という憤慨に満ちた返事が返ってくるかと思ったが、そうではなかった。 愉悦に流されまいとする恥じらいに満ちた表情は予想通りだが、唇のほうは何かを言いかけてはまた閉じ、 しかし結局、夫の耳元で素直に問いに答えた。 「はい、……あの晩のように、あなたの大きくて硬いものを、わたくしのなかに、ください」 「今夜はずいぶん素直ではないか。よほど飢えを募らせていたのだな」 「飢えだなんて……」 「そなたの本性が牝犬と変わらぬことはよく分かっている。 ひとたび欲情すれば前から後ろから責められないかぎり我慢できない女だ。そうだな?」 「はい、―――わ、わたくしは、あなたの牝犬です。ですから指だけではなく、どうか、―――はあぁっ!」 「いい子だ。今夜は驚くほど素直だな」 「は、はい、―――ご褒美がいただけて、うれしゅうございます」 とぎれとぎれの熱い息を漏らしながら、エレノールは夫の肩にしがみついた。 たったいま一瞬のうちに身体を持ち上げられ、屹立した陽根の先端を濡れそぼった秘裂に押し付けられたのだ。 これ以上深いところまで欲しかったら自分でまたがれ、といわんばかりの残酷な仕打ちに 彼女は慄くように瞳を閉じたものの、火照りきった肉体のほうはごく素直に夫の要求に従い、 自ら腰を動かしては淫猥な蜜音を書斎中に響かせつつ、彼自身をゆっくりと根元まで飲み込んだ。 アランもこのころにはさすがに呼吸を乱さないわけにはいかなかった。 柔らかく温かい襞の中に自分自身が深く迎え入れられていくという触感的な愉悦ももちろんだが、 数日ぶりに肌を重ねる目の前の妻が羞恥心と戦いながら細い腰を前後に激しく揺らし、 それに伴い愛らしい乳房と硬いままの乳首を悩ましく上下させては 高まりゆく快感に涙ぐむのをじっとこらえているという光景そのものが、彼の興奮を否がおうにも煽り立てるのだった。 「今夜の腰使いは、また大したものだな。玄人女にでも教えられたのか」 「ち、ちが……何もかも、あなたにお喜びいただくために、わたくし……あ、あぁ……っ」 「可愛い女だ。だが俺のためと言わず、そなた自身の満足のためにいくらでも貪るがいい。この淫乱め。 俺も貢献してやる」 荒い息でそう言うと、アランは妻の細腰を両手でしっかりとつかみなおし、下から猛然と突き上げ始めた。 「あ、あぁっ……いやっ、そんなに激しく、だめぇっ!」 「激しく責められるのが好きなのだと、今まで何度となく身をもって告白したではないか。 いまさら隠そうとして何になる」 「い、いやっ、許して、もう……あ、あぁっ…そんなに、奥まで…… あ、ああぁっ!そこ、です……っ……もっと、もっと突いて……」 「この辺りも感じるようになったのか」 女はいくらでも目覚めてゆくものだな、と嬲るように囁きかけたとき、アランはふと動きを止めた。 腰の反復運動だけでなく、表情や呼吸さえも彫像のように凍りつく。 彼の視線の先にあるのはエレノールの首、正確には顎の裏側だった。後ろにのけぞったときに初めて人目に触れる部位である。 そこはほかと変わらず滑らかで艶のある肌に覆われている。だが一点だけ彼には見慣れぬ符号―――大きめのほくろがあった。 最初は黒の顔料がこぼれたものかと思われたが、それが気休めの考えであることは自分自身で分かっていた。 これはほくろだ。そしてエレノールにはこのほくろはない。 アランは目をつぶった。 これが数分前ならまだ中断できたが、楔のように深いところまで結ばれた今になっては 引き返そうと続行しようと犯した過ちの重さは同じだ、と彼には思われた。 肝要なのは、最後まで「気づかなかった」ことにすることだ。今はそれしかない。 動作を停止してから一瞬のうちに対処を決めると、 彼はもはや呼吸が乱れすぎて何も言えないというかのように、ただ無言で『妻』のきつく締まった花芯を突き上げ始めた。 彼の背中にまわされた細腕の力が強くなった。 胸の中の美しい牝は、ここで息絶えようと惜しくないとばかりに彼から与えられる愉楽をただただ素直に享受し、 自らもいっそう激しく腰を前後に揺さぶっている。 そしてある瞬間、アランは『妻』の身体を持ち上げて荒々しく引き剥がした。 彼女はひどく切なげな声を上げてその無情に抵抗したが、 やがて自らの平らな腹部に放たれた白濁液をいとおしげに指先にとり、 まだ熱いままのそれを舌先で上品に舐めるようすが、薄れゆくアランの視界にもはっきりと映った。 「どうして、離れてしまわれたの?」 書斎に横たわる静謐を最初に破ったのはその声だった。 アランは顔を向けず、何も答えなかった。 ほのかな微笑とともに紅唇から漏らされた吐息がすぐそばで聞こえたような気がした。 彼の未だ収まらぬ呼吸の間を縫うようにして、ひそやかなことばは続けられた。 それはもはや妻どころか義妹の声でさえなく、己の魂を獲物と定めた地中に潜む死霊からの呼びかけのようであった。 「何をためらわれたのです」 「ためらってなどいない。普段、―――普段からずっとこうしているではないか。 そうだろう。そなたを一年中身重にしたくはない」 ほとんど自分に言い聞かせるようにして、アランはゆっくりと答えた。 そうだ、これが真実なのだ、とひとり胸中に繰り返しながら。 自分で自分の言を真実だと思わなければ、この女に信じ込ませられるはずがない。 そうだ、こちらが彼女の思惑に攪乱されるのではなく、こちらの思惑に彼女を従わせなければならない。 エマニュエルにどんな動機があってこんな所行に及んだのかは分からないが、 エレノールへの罪悪感を―――少なくとも後ろめたさを感じているのは彼女とて同じはずであり、 ならばこちらが「最後まで気づかなかった」ことにしておくのが双方にとって最善の処置なのだ。 それしかない、とアランは思った。 自らの服装を正し帯を締めなおしながら、彼は極力自然に、 情事のあとで夫が妻にかけることばとしては冷たすぎず熱すぎもしない程度の温度を込めて、できるだけ淡々と話しかけた。 「早く寝室に戻ったほうがいい。妹御がふいに目を覚まして、そなたの不在を不審に思っているかもしれん」 「『今夜は』冷たくていらっしゃるのね。 ことが済んだら抱擁さえくださらないのですか?いつものように、慈しんでくださいませ」 「―――悪かった。そなたが気を急いているかと思ったのだ」 ますます膨れ上がる戸惑いと不可解さを押し隠しながら、アランは再び「妻」に近づき、未だ火照り鎮まらぬ細い肩を抱き寄せた。 彼女の願いに背かぬよう、すなわち彼女に疑念を抱かせぬよう「いつものように」額から首筋、肩へと接吻を降らせ、 エレノールとの親密な後戯を再現しながら、 なぜこの娘はわれわれの房事についてかくも審らかに知悉しているのだろう、とアランはふと栗然とするものを感じた。 いくら仲の良い姉妹だとはいえ、果たしてあの謹厳なエレノールが多少なりとも淫靡さを孕んだ話を妹に打ち明けるだろうか。 あるいは単なる推測に基づいて俺をけしかけているだけかもしれない。むしろそのほうが自然だった。 だが、そもそもこの娘は、この作為を通じて俺に何を望んでいるのか。 「わたくしの名を呼んで」 首筋への接吻を受けながら、エマニュエルが囁いた。 「あなたの声を聴きたいの。いつものように呼んで」 「妙なことを」 アランはできるだけ自然に微笑を浮かべようとした。 「これだけ近くにいてまだ不安か。―――エレノール。エル」 ふたりきりのときに妻に呼びかける愛称を、アランは初めて他人の前で口にした。 周囲の人間に情愛を示すことに全くためらいのないエレノール自身は、 公務の場でもない限りいつでもそう呼んで下さればいいのにと言うが、 弟妹たちをさえ愛称で呼ぶ習慣を持たずにきた彼にしてみればそんな昵懇は論外のきわみである。 だが今だけは、とアランは思った。 今だけは固執を捨ててこの娘の望みに応えるが吉であろう。 もっと、と腕のなかからひそやかな懇願が聞こえた。 「もっと、ある限りの名でわたくしを呼んで。あなたがいつもそうなされるように」 「エレノール。ルゥ。エラ。エレナ。レネ。ノーラ」 「うれしいわ、お義兄様」 天井が真冬の湖面と化したかのように、部屋の空気が一瞬にして凍結した。 少なくともアランにとってはそうだった。 「いつもこうして、姉様にお呼びかけなさるのね。夜毎こうして、姉様をいとおしまれるのね」 その声音は誰のものでもない木霊のように虚な響きだった。 アランは反射的に「妻」から身体を離した。 エマニュエルはもはやそれを制止しようとはしなかった。 ひとり文机の前の椅子に―――たったいま情事を交わしたばかりの椅子に腰掛けると、 何とか動悸を落ち着かせようとしている義兄とは対照的に、 奏者の手を離れたリュートの弦のように静謐なまなざしでただ彼を見つめている。 「やはりわたしだとお気づきだったのね。どうか怯まないで下さいませ、お義兄様」 「―――貴女は」 アランは深く息を呑んだ。 「何を考えている。一体何を企図してこんなことを」 「あなたをお慕いしているから、というのではいけない?」 「それはあるまい」 アランは間を置かずに答えた。 いくら自負心の強い彼だとはいえ、義妹の日頃の挙動には自分への特別な思慕を窺わせるものなど何もないことはよく分かっていた。 「世辞や韜晦は聞きたくない。貴女の真意が知りたい。なぜだ?」 「なぜかしらね。自分でもはっきりとは分かりませんの。強いて言えば、欲望を感じたからかしら」 「欲望だと」 「姉様の伴侶と寝ることに」 書斎の外から小さく物音が聞こえた。 廊下に詰めている衛兵たちの交代時間なのだろう。 エマニュエルはその雑音に乗じて義兄から目をそらすわけでもなく、きつく凝視するわけでもなく、 机の上の瑠璃杯のようにただそこにある静物として彼を眺めていた。 それはアランには侮辱的ともとれる視線だった。 そして同時に、彼女が姉への裏切りに対して何の後悔も抱いていないことを語るものでもあった。 「一体なぜだ。昼間は水が滴り落ちる隙間もないほどふたり仲睦まじく過ごしているではないか。 エレノールが貴女に何をしたというのだ。あれは貴女を誰よりも愛している」 「存じておりますわ。そしてわたしも心の底から姉を愛しております。 あなたなど及びもつかないくらいに。 十年後二十年後にあなたのご寵愛がどれほど保たれているかは疑わしいものだけれど、 姉様が老いようとわたしに冷たくなろうと、わたしは姉様を愛します」 「ならばなぜだ」 「お分かりにならないのね」 幸せなかた、とでも嘯くかのようにエマニュエルはまたほのかに笑った。 「こんなにも深く愛しているからこそ、こんなにも強く憎むことができるのですわ。 あなたには及びもつかぬほどに」 アランは視界が揺らぐような思いで義妹を見た。 妻に瓜二つであったはずのその美貌は、いまや悪魔の手になる彫琢としか見えなかった。 「―――分からん。俺には分からん。今夜のことは何もかも計画していたというのか」 「いいえ、全くの弾みでしたわ」 穏やかにそう呟くと、エマニュエルは憐れむようなまなざしで義兄を見返した。 「あなたのせいですのよ、お義兄様」 「何を言う、―――貴女が最初に人違いだと拒みさえすれば、あんなことは決して」 「ええ、そのつもりでしたわ。 最初はほんの戯れだったのです。 真夜中に目が覚めて、隣では姉様がまだ眠っていて、ふとお義兄様はどうしておいでかと思いましたの。 わたしがこちらに参って以来独り寝をかこっておられるがために、 最近は夜遅くまで書斎にお籠もりになられているという話はかねてより伺っておりました。 今日はとりわけ行く先々で姉様と取り違えられたせいかしら、 もし衛兵たちにも見咎められることがなければ、書斎にお邪魔してあなたを試してみようと思いついたのです。 あなたが入室なさったとき、衛兵たちと同じようにあなたも全くわたしを見破れないと知って、 とても可笑しい気持ちでしたわ。 互いの唇が触れる寸前、わたしが自ら打ち明けるまでお義兄様は一片たりともお気づきにならなかったと、 明日の朝姉様にお聞かせしたらずいぶん面白がって下さろうかと、そればかりを考えておりました」 「なぜ、戯れに留めておかなかった」 絞り出すような声でアランは言った。 「あなたがいけないのですわ、お義兄様。わたしは本当にあのときやめるつもりでした。 次の瞬間にでも笑い出して、かつがれたお義兄様にも笑っていただこうと、そう思っておりましたのに。 あんなふうにわたしを、―――姉様を抱擁なさるから」 エマニュエルの声から最後の和らぎが消えた。 「確かめずにはいられなかったのです。姉様は夜毎どのように求められ、どのようにいとおしまれているのかと」 「馬鹿な」 「荒唐だとお思いになる?けれどこれが真実ですわ。わたしはどうしても確かめたかった。知りたかったの」 「分からん。なぜだ?エレノールを取り返しのつかないほど傷つけると知っていてなぜそんな衝動に身を任せた」 「申し上げましたでしょう、憎んでいるからよ。 あなたが悪いのです、お義兄様。姉様があなたのもとで不幸でさえあれば、わたしは彼女を許したわ。 国に残してきた恋人を想いながら日々泣き崩れて、好きでもない男に夜毎玩具にされていたなら許せたのに、そうではなかった。 姉様は自分が心から愛し、自分を心から愛する伴侶と暮らしている。 あなたの愛撫と囁きで、はっきりそれが分かったの。 だからわたしは拒まなかった。拒めなかったのです。 『わたし』を愛するひとに抱かれるというのがどんなことなのか、それを知りたかったの」 書斎に長い沈黙が降りた。 窓から吹き込む微風にインク壷に立てられた羽根ペンが揺れ、後にはまた静けさが戻った。 筋肉の疲労を覚えるほどの長い静止のあと、アランはついに自ら一歩前に踏み出し、義妹の目を見て話しかけた。 「エマニュエル殿、提案がある。いや、懇願だ。あなたが望むなら床に跪きもしよう。 こうしようではないか。 今夜、我々はこの書斎でもどこででも会うことはなかった。 ふたりきりになることは一度たりともなかった。そしてこれからも永劫にない。 繰り返す。今夜、我々の間には何もなかった。よろしいか」 「あなたがそうお思いになりたいのなら」 エマニュエルは柔らかい笑みを浮かべながら応じた。 「わたしにどうして反駁することができましょう?義理とはいえわたしの兄君ですもの」 「感謝する。では―――」 「ただし」 同じ笑みを浮かべたまま、エマニュエルは静かに彼を制した。 「わたしにはわたしの主張がありますわ。 お義兄様が今夜は何もなかったと思いこまれても、わたしが姉様に事実を告げたらどうなりましょう」 「まさか」 「戯れではありませんわ。わたしは今、目の前にありありと思い描いておりますの。 愛する夫に裏切られ、しかも裏切らせたのが妹だと知ったときの姉様の顔を。 あのいつもおっとりとした表情が、どれほどの苦痛に歪むことかしら」 「まさか、本気で言っているのではなかろう。 貴女はそんなことはしない。そんなことは、―――それだけはやめてくれ」 エマニュエルは答えなかった。 椅子にゆったりと腰掛けたまま、何も語らないまなざしで義兄の顔を眺めている。 「俺が裏切ったとどうしてもエレノールに告げたいのなら、酔った勢いで女官にでも手を出したことにしていただきたい。 あれは間違いなく怒り狂うことだろうが、それでもまだその事実には耐えられよう。 これまでのわが素行を省みれば、あれが俺の貞操に全幅の信頼を置いていないことはもとより分かっている。 だが、貴女は違う。エレノールにとって貴女は己が半身のようなものだ。 それほどまで信じ抜いている相手から裏切られたと知れば、あれは下手をすれば精神の均衡を危うくしよう。 それだけは避けねばならん。 エレノールに俺の悪評を吹き込むのはいい。だが貴女自身が悪意を体現するのだけはやめてくれ」 「分かっていらっしゃらないのね、お義兄様」 「何のことだ」 「あなたが姉様の心の安寧を思っておことばを尽くせば尽くされるほど、わたしは姉様が憎くなりますの。 もっと無慈悲に傷つける術を、どこまでも追い求めたくなります」 アランはことばを失ったように義妹を見た。 ふたつの黒い瞳は相変わらず宝玉のような輝きを保ち、なんの翳りも不穏も見当たらなかった。 だがひとつだけ、彼に分かったことがあった。 初めてエマニュエルと対面した宴席で、彼女とエレノールを決定的に分かつものと思われた瞳に宿る力 ―――秘した情熱だと彼が見なしたものは、正しくは憎悪の炎だったのだと、いまようやく気づいたのだった。 憎しみや怒りをもつことは誰にでもできるが、その衝動を維持し対象物を追いつづけることには力が要る。 それはエマニュエルのような聡明で自制心のある人間にしかできないことだ。 だが、とアランは思った。 彼女がいま述べたことが本当に動機のすべてなのか。 彼女が怒りを向けている相手は、理不尽な復讐を遂げたいと願っている相手は本当にエレノールなのか。 彼には分からなかった。 しかし自分の要請が受け入れられなかった以上、アランには言わねばならぬことがあった。 それは王室の秩序を守る国王の長子としての義務でもあった。 「それでは、まことに残念だが、エマニュエル殿」 アランはわずかに唇を噛んだ。 妹を溺愛しているエレノールの心中を思えば、これは間違いなく残念な選択だと思いながら。 「明朝までに貴女にはこの離宮を退去していただく。 そして一週間以内にわが国を去るように。 これはガルィアの王太子としての命令だ。わが領土内においては、主権は常にこちらにある。 レマナから最も近い国境の関門までは護衛隊をつけよう。一週間は猶予期限としては十分なはずだ」 「冷酷なかたね。姉様のお気持ちを考えないの?」 「エレノールには、貴女が俺に対して礼を失したとだけ言っておく。 弁護の機会くらい与えてほしかったとあれは抗議するかもしれんが、それぐらいの衝突はやむをえまい」 「礼を失した、ね。言い得て妙ですこと。その後のことは思いを巡らしていらっしゃる?」 「貴女は貴女の家庭に戻り、俺たちはまた俺たちの生活に戻る。それだけのことだ」 「それだけでなかったら?」 エマニュエルは相変わらず平坦な声で問いかけた。 だがその裏側には奇妙な軽やかさが感じられ、アランは思わず義妹の顔を凝視した。 「俺がそれだけと言えば、それだけだ。すべてはそこで終わる」 「ヴァネシアに帰った後、わたしが夫に泣きついたらどうなりましょう。 レマナでの静養中、招かれた先のガルィアの王太子に関係を迫られた挙句乱暴をはたらかれたと。 そして姉様にも文を送り、あなたがどうしてわたしを早急に追い払いたがったのかを説いたなら」 「馬鹿な、―――何の証拠がある」 「あなたがつけていらっしゃる指輪」 エマニュエルは思わせぶりに義兄の左右の手に目を転じた。 「ひとつだけ、少なくなっていると思われませんか。 ガルィア王室の紋章が小さく刻まれた、黄金の指輪ですわ」 このような、と言う代わりにエマニュエルは彼の眼前に実物をかざして見せた。 アランの顔は怒りのために紅潮を通り越して青白くなった。 「この指輪を代償として差し出しがてら、わたしに同衾をお求めになったというのはどうかしら。 恋文を作成してもいいわね。 わたしを離宮に呼び寄せるために発行してくださった正式な招待状のおかげであなたの筆跡も存じておりますし」 「貴様、―――貴様は盗賊にももとる下郎だ」 「窃盗に当たると思われるなら、お借りしている間の代価は金貨でお支払いしますわ。 ですがあなたもいささかご注意に欠けておいでではありますまいか、お義兄様。 すばらしいご愛撫に感謝を示してわたしがあなたの指を吸っている間、 指への圧迫が少しだけ軽くなったことに気づかれぬのですもの」 「黙れ。何が代価だ。早くそれをよこせ。 返さぬというなら力に訴えるまでだ」 「動かないで。そこから一歩でもわたしに近づいてこられたら、渾身の叫びをあげますわ。 いくら王太子殿下の書斎とはいえ、王太子妃と思われる女の悲鳴がなかから聞こえたら、 衛兵たちとて手をこまねいているわけにはいかぬでしょう。 そして今夜起こったすべての事実が白日にさらされるのですわ」 「貴様、―――」 「それにお義兄様、よくお考えくださいませ。 たとえ何の証拠がなくとも、世間はこのような場合女の声に耳を傾けるものでございます。 一生の汚点、一族の不名誉になると分かっていて、わざわざ捏造してまで陵辱されたと訴えたがる人妻がいるものでしょうか。 しかもそれが一国の主の妃なのですもの。 よほど『本物の』屈辱感に突き動かされない限りそんな挙には出ないものだと、みなが考えるはずですわ」 アランは口を開きかけて、また呑み込んだ。 義兄の思慮を推し量ろうとするかのように、エマニュエルは椅子を降りて自ら彼に近づき、 その涼やかな褐色の瞳を下から覗き込みながらゆっくりと囁いた。 「あなたはこうお考えかしら。 わたしが帰国して夫に誹謗中傷を吹き込んだところで、さすがにそれが戦火を招くということはない。 ガルィアとヴァネシアはこれまで敵対したことはないし、 いくら東西の富が集まる地とはいえ、傭兵をかき集めて国を守備させている一都市国家のヴァネシアが ガルィアのような大国に戦を仕掛けるなど無謀な振る舞いに出るはずがない」 「―――違うというのか」 「いいえ、そのとおりですわ。ことに我が夫は火薬の匂いを嗅いだだけで気分が悪くなるほど怯懦な ―――いえ、『平和的な』と申しておきましょうか、そのような人物ですから、 まちがっても妻の名誉のためだけに国運を賭けるような真似はいたしますまい。 けれど、あなたご自身の名誉はどうかしら」 義兄の胸に指を這わせながら、エマニュエルはかすかに微笑みを浮べた。 それはすでに答えを知っている者の問いかけだった。 「もちろん、あなたはそれにこそ思いを馳せておいでですわね。 わたしが帰国してから姉様に出す手紙は、ガルィアの宮廷内で厳重な検閲体制を布いておけば 姉様の手に届く前にことごとく焼却処理できるかもしれません。 けれど、東西貿易の要たるわが国から発せられた風聞は、どうしても諸国に流布されずにはいないのです。 それが王侯たちの醜聞であればなおのこと。 遠からぬうちにヴァネシアの民はもとよりガルィアの貿易商の耳にも届きましょうし、 やがてはスパニヤ王家にも伝奏されましょう。 言うまでもなく、わが生国は貴国とは数代にわたる友邦です。 このようなつまらぬことであなたの人品に対するわが父王の疑惑を招き、同盟関係に亀裂を入れたくはありませぬでしょう。 さらに言えば、スパニヤに届いた風聞はどうあってもいずれは姉様の耳に届きます。 生国と密書を交わすのは、異国に嫁いだ王女の宿命ですもの」 エマニュエルはふと脇を向いた。 ひとりでつづけざまに語りすぎたからか、執務机の上に置かれていた水差しを取って一対の瑠璃杯に注ぎ、 ひとつをアランの前に置いてからもうひとつを口元に運ぶと、こくんと小さな音をたててこの土地特有の名水を飲み干した。 その小さな咽喉元がわずかに動くさまを見ながら、アランは同じ場所から一歩も動けずにいた。 「何が望みだ」 かすれきった義兄の声を案ずるように、エマニュエルはさらに一杯ついで器を差し出したが、 当然のごとく彼はそれを押しのけた。 「言え。一体俺に何を望んでいる」 「難しいことではありませんわ。 まして、貴国の国益を害する陰謀などではありません」 つまり」 エマニュエルは瑠璃杯を机に置き、ふたたび義兄に顔を近づけた。 その可憐な唇からは、やはり甘美なジャスミンの香りがした。 「姉様に対する共犯関係を結んでいただきたいということですわ。わたしがここにいる間じゅう。 出立の前夜には、指輪は必ずお返しいたします」 アランは目を閉じた。 これ以上妻に瓜二つな悪鬼の顔を見つめていたら、文字通り正気が失われるかもしれないと思った。 その危惧を知ってか知らずか、エマニュエルはいっそう顔を近づけ、とうとう唇が彼の耳たぶに触れんばかりになった。 そして神託のように告げた。 「慰み者に、おなりなさいませ」 (続)
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IDdata Name 御神本 揺蘭李(みかもと ゆらり) Alias 【ドリームタイム(神様が夢見る時間】 Class サイキッカー Rank マスター Money 471,954,736,312W¢ Point 749967855pt Ranking 233/6473226 OOPARTS Link 四十物谷調査事務所所属 Age 17 学年 四十九年度入学 予科程四年終了 本科三年目 職業 四十物谷調査事務所所員 人種 純日系 所在地 イーストヤード 四十物谷調査事務所 連帯保証人 大豆生田 桜夜楽 PROFILE いつもどこでも、転寝をしている女の子。たまに話している途中でも寝てしまう。 常にマイペースで「そ……う、ですね」などとぎれとぎれの台詞しか基本的に言わない。馬鹿っぽく見えるが、サイキッカーとしては優秀で、外見からはそうは見えないが白兵戦でも割と強い。 本心が見えないという意味では、四十物谷調査事務所の中でもっとも正体不明の人物の一人。学園に来る前の素性もはっきりしないが、本人いわく、両親は毒にも薬にもならない平凡な管理職とのこと。その両親とそりが合わず、ある日家の金を持ち逃げして学園にやってきたらしい。なお、その時持ち逃げした金は出世した今全額返済している。ついでに親子の縁も切っている。のんびりした外見に似合わずシビア。 ある日道を歩いていて急な眠気に襲われ、道の端で眠りこんだところに、たまたま四十物谷 宗谷が通りかかったことが縁となって、四十物谷調査事務所に入ることになった。 揺蘭李が寝ていたのは、丁度粗大ゴミが捨ててあるゴミ捨て場で、宗谷は一瞬、揺蘭李を精巧な人形かと思ったらしい。しかし、よく見ると呼吸をしていたので生きた人間の女の子と認識し、『ゴミ捨て場に捨ててあるものなら、持ってかえっても構わないよね』と判断して連れて帰った。 事務所に着いても揺蘭李はなかなか目を覚まさなかったらしい。それを見た宗谷は、『このゴミ捨て場に捨ててあった女の子、意外と大物かもしれないよ。ここまで無防備にぐうぐう寝ていてこの学園で生き残っているなんてすごいと思わないかい?』と言ってリンクに入れることを決めた。 四十物谷調査事務所の所員の大部分はこうやってどこかで拾われてきた人間である。そんな理由で調査事務所のくせに、調査向きの能力の持ち主が全体の六割しかいない。その中で揺蘭李は、珍しくきちんと調査系の能力をもつ。 揺蘭李は、リンクに入ってからもマイペースに眠り続けている。同僚のジョフや緋葬架とは仲良しだが、すぐに眠り込むため、あまり遊びに行ったりはしない。だが唯一、ウロボロスのライブに行ったときだけは必死で起きていた。気に入ったらしい。 眠り続けているのは病気ではない。脳の使用領域を最低ラインにまで落とし、その分のエネルギーをサイキック能力に集中させているため、常に眠い。能力を完全にストップすればきちんと起きるが、周囲の状態が五感でしか分からない状態では不安だと言って、特に何もないときでもあえて能力を使い続けている。だから、いつも眠い。 普段は仕事場の二階に寝泊りしている。だがまれに、バイトと称して唐突に姿を消す。どんなバイトをしているのかは誰も知らない。しかし、宗谷が拾ってくる前はフリーの傭兵や工作員として重宝されていたらしいので、おそらくはその関係の仕事を今でも続けているのだろう。バックアップに適した能力であるため、現役時代はあちこちの戦場で引っ張りだこだったらしい。そのため、調査会社に入った今でもその筋での知名度は高い。 ABILITY 【プリンセスオーロラ(眠り姫のお告げ)】 クレヤボヤンス(遠視・透視)とサイコメトリー(接触感応)の二つの能力を持つ。半分眠っている状態になることで、遠視・透視・接触感応を組み合わせてより鮮明なビジョンを見ることができる。 遠視・透視は、最大5キロ先まで見ることができる。遠いほど精神力を消耗するが、そもそもほとんど眠っている人間なので他のサイキッカーと比べて燃費がよく長時間の使用が可能である。2~3時間なら余裕で続けられる。 使用中は完全に無防備になるので個人での戦闘には利用できない能力だが、複数対複数の集団戦においては敵の動きを読み取って、リアルタイムで寝言として伝えることができる。しかし、あくまでも寝言なのでたまに意味の分からない(意味がない)言葉が混じることがある。 ある時など『東北方向231メートルに男二人…………細胞分裂』と呟いて、動揺した同僚たちにたたき起こされた。 起きてから見えたことを伝える場合には、正確な言葉で伝えてくれる。しかし、起きて伝えるまでの間にタイムラグが出来てしまうので、リアルタイムでとはいかない。 四十物谷調査事務所では、この能力が仕事の際に重宝されている。しかし、すぐに眠り込んでいまって中々現場まで行ってくれないので、仕事のときはジョフ・フリーマンや他の所員が背負って連れて行くことが多い。場合によっては、所長自らが抱えて連れて行くこともある。
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気まぐれに打ち始めた物語は佳境に入った。そこで、指が止まる。プロットなんてない、展開も決めていない。無心でただ、場面場面を繋ぐように文を補足していけば、どうしたって、ラストに近付くにつれ進捗は下がっていった。とにかく先へ進める為にキーを押そうとしても、指は思う様に軽快に動いてはくれない。至って当然の話だ。だってわたしは白雪姫がどうなるのかをまだ、決めかねている。毒林檎を食べて伏せてしまった哀れな白雪姫が、王子様に出遭えず仕舞いで、どんな結末を迎えるのか。 「愛しいひと」にも巡り合えぬままに、生涯を閉じようとする、薄幸の少女。 ――ハッピーエンドに、してあげたいのに。 「長門さんどうしたの?こんな時間まで居残りなんて、珍しいわね」 「あ……」 部室の扉を開けて、堂々と踏み込んできたのは、朝倉涼子――朝倉さん。セミロングの綺麗な髪。優等生らしく背筋の伸びた、頼れる女性を思わせる温和な微笑。クラスでもリーダーシップのある才女で、泰然自若としていて人望も厚い。わたしとは何もかもが違うのに、あなたはそれでいいと笑ってくれる、密かにわたしの憧れの人。 「どうして」 「もし帰るのなら、一緒にどうかと思って捜してたの。まだ下駄箱に靴があったから……ああ、それ。書き掛けの小説ね?前に話してた」 「……そう」 PCの前からウィンドウを覗き込むようにした彼女は、ワード文書の打ち掛けのファイルに眼を落とした。白地の上に点滅する、一向に右へ走り出さないカーソル。 「ふうん。途中までよく書けてるじゃない。何か悩んでるの?」 わたしは、素直に打ち明けることにした。幸せな終わり方にしたいけれど、毒林檎を食べてしまった白雪姫がどうすれば幸せになれるのかが分からないのだと。発想が貧困なのか、辻褄合わせが苦手なのか、どうしても思い浮かばない物語の結び。 彼女は、そんなことで悩んでたの、と暗がりを吹き飛ばすように一笑した。 「それなら、書き直しちゃえばいいじゃない」 「え……」 「だってこれは、長門さんの物語なのよ?不都合を消しちゃえ、とまで乱暴なことは言わないけど。どんな風にだって物語は変えられるわ。例えば――」 彼女はにこりと大勢の男子生徒を恋に落としそうな微笑みを浮かべて、 「白雪姫が林檎を食べる前に、急にお妃様に娘を愛しいって想う気持ちが沸いて止めに入ってくるかもしれない。王様がお妃さまが追い詰められているのに気付いて、兵を差し向けて、王様の愛に触れたお妃さまが改心するかもしれないわ。林檎を食べた白雪姫も、王子様のキスじゃなきゃ目覚めないなんて決まってることでもないし。――そうね、他に……もしかしたら目覚めないままの終わりもあるかもね」 「それが、ハッピーエンド?」 「だって、そうじゃない。何がハッピーエンドで何がハッピーエンドじゃないって、誰が決められるの?幸福の道なんて、きっと幾らだってある。それに大概の人が気付かないだけよ。そういう全部を、ご都合主義で片付けちゃうのは寂しいと思うの」 けれど、白雪姫が目覚めない結末は、わたしにはハッピーエンドには成り得ないような気がした。お妃様は、白雪姫を屠って、空っぽの心を胸に埋めて生き続けていく。 ――林檎を食べた白雪姫は硝子の棺の中で眠り続ける。小人は王子の現れない白雪姫の傍で、ずっと、白雪姫を護り続ける……。 「でも、それは……」 「長門さんがそんな小人を不憫だと思うなら、それはハッピーエンドじゃないと思うなら、きっとそれも正解。あなたのハッピーエンドを書けばいいの。姫を蘇らせるのは王子様?誰がそれを決めたの?」 わたしのハッピーエンド。 朝倉さんは、微笑っている。独り立ちする子を見護る親のような――そんな喩えを持ち出したら、流石に、叱られてしまうだろうか。彼女は誇り高く、勇ましく、それでいて愛情深い姉のような人だ。 彼女の助言に、胸の支えが取れたような気がした。わたしの望むように、願うように、物語を紡げばいい。その結末に責務はあるだろうけれど、それがわたしの選んだ最終章ならば。 「……やってみる」 わたしはそっと、キータッチを、再開した。 --------------------------- 白雪姫は王子と出遭いはしませんでしたが、小人と共に幸せになりました。 お妃様は白雪姫に赦され、白雪姫を赦して、心から笑えるようになりました。 もう誰も白雪姫を傷つけず、お妃様の心を蝕みません。 皆が皆、――幸せに。 幸せになるために、生きられるのです。 --------------------------- 雪解けの水から、掬い上げられたような穏やかな覚醒。 蕗の薹が溶け込んでいた夢から覚めた、――比喩を用いるなら、そんな静かな目覚め。古泉は眠りっ放しで上手く機能しない頭を小さく傾ける。夕暮れの陽に彩られたくすんだクリーム色の天井。枕に沈んだ後頭部を持ち上げると、「よお」、と随分と懐かしいような気もする声を聞く。 「やっとお目覚めか」 仏頂面の少年の、それでも安堵感を散りばめた、帰還を教示する一言。古泉が遣った視線の先に、椅子に腰掛け慣れた手つきで林檎を剥いている少年の姿が反転して眼に入る。 現実感を取り戻すのに、長くはかからなかった。――戻ってきた。彼等の居ない封鎖世界から。その安心感が、どんな感慨より先に立って、古泉が初めにした事といえば腹底に貯めこんでいた溜息を自由にする事だった。知らずのうちにシーツを掴んでいた指の端から力が抜ける。 数日間顔を合わせなかっただけのことで大袈裟なことだ、と笑う者もあるかもしれないが。古泉にとってのSOS団は、もう、そうやって笑い飛ばせる程度のものではなかった。 「なんだ、まだ夢見心地か?ここは何処、私は誰とか言い出すんじゃないだろうな」 今一に反応の鈍い古泉を訝しむ少年――キョンに、古泉は苦笑を返す。 「はは、それはそれで中々面白い観測が出来そうですね。いえ、冗談です。意識の方ははっきりしていますよ。機関の……病院ですか、此処は」 「ああ。俺が前に運ばれた時と同じ処だ。その減らず口なら心配は要らなそうだな」 キョンは一端手を止めたナイフを軽く上下に振りながら、疲れた顔を窓の外に向ける。古泉は、上体を起こして彼と視線の先を同じくした。 窓辺は夕暮れ時の光の明澄さに染められている。 数羽の鴉が山なりに並び、夕闇の果てに優艶に飛び去ってゆく、日常の風景。眼に痛いほどに赤い。――古泉が神人を狩ることで護り続け、キョンが昨年にエンターキーを押し込んで明確に選んだ、それは彼等の生きる世界だった。 「……先程の仰り様から察するに、僕が意識を途切れさせてから、何日か経過しているようですが」 「お前と長門が一緒に階段から落ちて、っていう、何処かで聞いたようなシチュエーションでな。意識不明に突入して今日で七日目だ。外傷もゼロなのにお前も長門も眼が覚めないってんで医師もお手上げ状態だった」 「長門さん」 僅かに力の制御が効かずに跳ね上がった声を、聞き咎めた少年が意味ありげに古泉を見る。だが間もなく俺は何も察知しちゃいないと素知らぬふりをする老人のように惚けた表情に戻ると、彼はナイフの切っ先を垂直に立てて、壁面を示した。 「長門なら隣の病室だ。今はハルヒと朝比奈さんが付き添ってる。まだ目覚めちゃいないがな。 お前はともかく、長門が階段から足を滑らせて意識を失うなんてドジっ娘みたいなポカをやらかすとは到底思えん。というか、有り得んだろ。――何があった?」 「それは、……」 語ろうと思えば幾らでもできる。大本の原因から顛末まで。ただそれは、長門の内面を無遠慮に彼に晒すことだ。 「追々、説明します。ですが今はまだ、諸々の整理がついていませんので。……待っていて下さいませんか。長門さんのためにも」 「やっぱり、長門も纏わってのことなのか」 少年は気難しい思案顔になり、けれどすぐに、「分かったよ」と嘆息して応じた。 「俺はどうやら、今度ばかりは蚊帳の外だったみたいだからな。何があったか知らんが、当人同士の話し合いなら任せる。ただ、事後報告はしろよ」 「了承しました」 「ま、お前の目が覚めて長門が覚めないなんてことはないだろうからな」 その言葉には大いに、古泉も同感だった。大丈夫の筈だ。浄化されてゆく空間で彼女に与えられた声は今も、古泉の耳に残っている。 キョンはやれやれと肩を落とすと、林檎の皮むきを再開した。赤皮がピューレを利用するよりずっと綺麗に、くるくると回転しながら解けるように剥けていく。露になる白い果実を手にとって眺めると、彼は剥き終えたそれを躊躇いなく自分で齧り付いた。汁が少し飛んで、瑞々しい果肉の芳香が漂う。 「おや、僕に剥いて下さっていたのではないのですか」 「其処に積んであるから、食いたいなら自分で剥け」 つれなく突っ撥ねてから、言い訳のように一声。 「……お前が去年のあの時、俺が起きるまで林檎剥いてた理由がよく分かった」 ベッド横に、編み籠にこれでもかとジェンガの如く積まれた林檎の山から、古泉は一つを手に取った。よく熟れた赤い林檎だ。 彼の遠回しの小言が、酷く可笑しかった。 「物を考えたくないときに、手作業が一つでもあるとなかなか便利でしょう?」 「森さんが大量に届けてくれたから、何をするかに悩むことはなかったな。……お前が寝てる内に何個食ったか分からん。今の俺はお袋より早剥きできる自信があるぞ」 「早剥き勝負でもしてみますか」 「いらん。一生分は食ったから、当分林檎は見たくもないな」 少年の目許には、黒い隈が浮いている。 少年の裏表のない悪態は、古泉には何より薬だった。有難いと思う。長ったらしい謝辞を彼が不要としていることは分かったので、古泉は声を抑えながらも笑って、手元の林檎を皮上から齧った。皮の少量の苦さと新鮮な果実の甘酸っぱさが、口の中に広がる。 古泉は思う。 ――毒でない林檎の方が、世の中にはきっと、多いのだ。 人の感情の擦れ違いなんて、それに気づくか気づかないかの差でしかないのだろう、と。 「古泉くん……!眼が覚めたのね!」 長門の病室を訪ねた古泉を、沈黙の支配する一室にて椅子に腰掛けていたハルヒとみくるが、立ち上がって出迎えた。何所かしらに困憊の有様が見て取れて、古泉はやつれた二人の姿に胸を痛めた。――七日間に及ぶ団員二人の欠落。少女たちに、この上ない無理を強いたことは間違いない。 古泉の心境を露知らぬ、二人娘の驚愕は笑顔に取って代わった。ハルヒの歓声は悲鳴じみていたし、みくるに至っては笑顔が半泣きへと移り変わって、「よ、かっ…!もう眼を覚まさないんじゃないかって、ふ、ふぇえ」と、ぼろぼろと玉の涙を零れさせる。 「お二人とも、ご心配をおかけして申し訳ありませんでした。僕の方はもう、大丈夫ですから」 「うん、でも、まだ安静にしてなきゃ駄目よ!再検査してみなきゃ、何所が悪いのかだって――キョン!古泉くんが起きたら真っ先に知らせなさいって言ったでしょ!」 「だから、真っ先に連れてきたろうが。あと声量を落とせ、此処は病院だ」 「僕が無理を言って連れてきて頂いたんですよ。――長門さんの様子が気になったものですから」 あ、とハルヒが口を噤む。傍らで眠りに就いたきりの長門のことを思い出したのだろう。ハルヒは肩を竦め、少女を振り返った。 「有希は……まだ眠ってるわ。ちょっとやかましいぐらいで起きてくれるなら、寧ろ願ったり叶ったりなんだけどね」 「で、でも!古泉くんが…起きてくれたんなら、きっと長門さんも起きてくれます」 みくるが涙を服の袖で拭って、そう綺麗に笑う。ハルヒも同調して、「そうよ!そうに決まってるわ!」と吊り上げた眼差しに力強く頷いた。 古泉は、長門に眼を移す。個室のベッド、あたりは見舞いに持ち寄られた色とりどりの花で溢れ返っていた。長門有希は寝息さえ微弱で、呼吸をしているのかすら一見しては分からない。白皙の姫君のような、静謐な眠り姿。まるで氷の棺に横たえられたかのような。 ベッド横に立つと、古泉は囁くようにそっと、眠り姫に呼び掛ける。 「――長門さん」 世界は戻りましたよ。 これから、また、始めましょう。 ――あなたの、恋する一人の少女としての生を。 長門を注視する古泉の眼前で、変化は克明だった。 ハルヒが息を呑み、みくるが掌で口を抑え、キョンは瞠目して、ただその光景を見つめていた。 少女の瞼が、まるで悪しき魔法が魔法使いの手によって解呪されたように、宝石箱がやっとぴったり口に合う鍵を差し入れられたように、―――ぱちりと、開く。 少女は、冷や水のように凛と、雪の柔らかな触感に覚えるような優しさで応えた。確かに、古泉一樹に合わせた双眸を瞬かせて。 「―――おはよう」 「はい。……おはようございます」 お帰りなさい、という言葉は彼等の眼を憚って告げなかったけれど。古泉はただ愛しさだけで、そんなありふれた小さなやり取りさえ、心に刻み付けられるような思いがした。 白雪姫でもお妃様でもない、 『長門有希』は、微かに、古泉の意図するところを汲んで、笑ったようだった。 /// 『身体検査』の名目で、もう一晩の病院の滞在を命じられた古泉と長門を残し、SOS団の面々は帰宅の途に付いた。ハルヒなどはまだ心配だから最後まで付き添う、とまで言い放っていたのだが、キョンと古泉による渾身の宥めで渋々ながらも引き下がった。 医師が、恐らく大事はないだろうから間もなく退院できると、彼女に太鼓判を押したことも功を奏したようだ。珍しく立場を逆転させてキョンに引き摺られるように仲睦まじく去っていくハルヒを見送る、長門の感情の読めない瞳が、古泉には気懸かりではあったのだが。 みくるは愛らしい笑みを添えて小さく手を振り、二人の後を追って小走りに駆け出していく。早いうちに彼女が淹れるお茶が飲みたいですね、漏らした言葉には長門も相槌を打った。 実質、検査のし直しは形式的なものに留まった。古泉と長門の意識が一週間に渡って昏迷していた事は、古泉の証言で身体的な異常が原因でなかったことがより瞭然としたものになったからだ。森、新川、多丸兄弟らの訪問もあった。二人が昏睡中の折、閉鎖空間が発生の兆しを見せることもあったが、本格的に展開されるまでには至らなかったという報告に古泉は安堵の息を深めた。どうやらキョンが気を遣い、ハルヒを励まして発生を寸でのところで食い止めていてくれたらしい。それでいて古泉と長門を見舞い、当人は表層では平気な顔を貫いてみせていたのだから、「彼」も随分と豪胆になったものだ。 感謝状の贈呈式を「機関」で演出してもいいわね、と本気混じりの冗談を吐いた森に、古泉はひとしきり笑って同意した。 やがて上司等も去り、独りきりになった病室を脱け出して、古泉は長門に誘いを掛ける。 ――夜、二人は屋上にいた。 「少し夜風が冷たいですね。……長門さん、大丈夫ですか」 「平気。あなたは」 「僕も大丈夫ですよ。『病み上がり』扱いとはいえ、身体の方は何ら問題ありません。――今晩は、星が綺麗ですね」 夜天に煌々と星屑。一度にはとても掴み切れない、無限の空の宝玉。 昨年夏に行った天体観測の記憶を蘇らせて、古泉は感慨に耽った。エンドレスサマーに翻弄された暑い暑い、夏休み。あの頃は、こんな思慕の情に振り回されるようになるとは、思っても見なかった。世界の安寧を何より願いながら、傍らに控える少女に堆積したエラーのことなど、僅かにも、思い馳せたことはなかった。 それが此処まで来てしまうのだから、人というものは分からないものだ。日夜、その考えは流転し、消長し、移り染まる。確かなものなど無いのかもしれないと思いながら、それでも「確かさ」を得ようとして苦しむ。 ――それがきっと、長門有希の抱え始めた、面倒な人間の在り方でもあるのだろう。 人故に、持ち続けねばならないもの。長門は着実に「人」に近付き始めている。 「……依然として、エラーはある。『わたし』は統合され元に戻ったに過ぎない。わたしはいつか、また同じ事態を引き起こすかもしれない」 口を暫し閉ざしていた長門が、不意に、忠告のように古泉に投げ掛ける。 「そのとき――」 「それが、どうかしましたか?」 古泉は不遜な調子で、何を敵に回そうとも決してたじろがぬ不敵さで笑った。古泉一樹が垣間見せた笑い方としては初出の、彼の本質を一端覗かせた微笑だった。 「あなたが何度エラーによって世界を改変したとしても、僕が、『彼』が、朝比奈さんが、涼宮さんが――必ず救いに行きます。あなたを取り戻す為に走ります。先程も言いましたが、長門さんの生きたいように生きればいい。己の能力を疎ましく想うなら捨て去っても構いません。その分だけ、僕等があなたを護ります。あなたの想いが均衡を崩すほどSOS団は柔じゃありませんよ」 あなたの力になりたい、手助けを、させて下さい。 どうか僕の傍に居てください。 ――最後の一句を、古泉は飲み込んだ。 僕等の、じゃない僕の傍に――などと、気障極まりない台詞を素面で吐けるほど、古泉一樹もまだ心情整理は出来ていない。 彼の上司の森園生くらいの人生経験を積めば、それくらいの積極性も生まれるのかもしれないが。 「わたしは以前から、あなたの視線を知っていた」 「……」 「『わたし』があなたを召還した、それも、恐らく理由の一つだった」 唐突に随分な爆弾発言だ、と思ったのは意識し過ぎだろうか?古泉は格好付けた笑みは何処へやら、少々赤らんだ頬を誤魔化すように咳払いを一つした。 「そ、うなんですか」 「そう」 「では、僕の気持ちなんて、とっくの昔に知られていたということですか」 「そう」 「……そうですか」 どうしよう、気まずい。 古泉は余所見をする振りをして、何時になく激しい音を立てる心臓を押さえつけた。――落ち着け鼓動。 けれども今回の騒動で、大いに吹っ切れていたこともある。古泉は息を吸う。 「『彼』には、どのように話しますか」 「……今回の改変についてはわたしから、説明をする。……わたしの、想いについても決着をつける」 「それは、『彼』に告白をする、ということですか」 直球に直球を返す。長門有希は首を、はっきりと横に振った。「違う」 「そう、ですか。――もしそうなったとしても僕はあなたを応援できませんから、少しほっとしてしまいました」 無機質だった黒の瞳が、コーヒーにホットチョコレートを溶かしたような、ゆるい温度を宿して渦を巻いている。古泉はその瞳に訳もなく口付けたい、という衝動にかられた。触れれば、五臓六腑を丸ごと溶かし尽くすくらいの激しい感情に心が水没 するに違いない。古泉は一握りの勇気を、日常会話するような気軽さに溶け込ませて、 「僕は、長門さんが好きですから」 「……そう」 古泉は気恥ずかしさから逃れるように天を仰ぎ、少女は、煽られる風に任せて髪を遊ばせながら、微かに何事かを呟いた。 古泉の耳にまでは入らなかったその極小の言葉は、白く曇った吐息に混ざる。 「そう」 ――それはとても、静かな夜だった。 /// 退院から数日。 取り戻したごく真っ当な学生生活に、身体はすぐに馴染み、何事もなかったように古泉と長門は復帰した。当時はちょっとした騒ぎであったというが、古泉の目には特にそんな雰囲気を引き摺る様子もない、懐かしい日常だ。 「なあ、古泉。頼んどいたアレできたか?」 昼休み時間。拝むような仕草でやって来たクラスメートに、古泉がしれっとプリントアウトされた紙束を差し出すと、文化祭の劇作家担当である少年は「おー、サンキュ。やっぱ出来る奴に頼むと違うよな!」と調子の良い声を上げ口笛を吹き、古泉 の背を痛めつけるのが目的かと疑うほど激しく叩き、古泉の制止が入るまでそうしていた。クラスのムードメーカーとしての役回りを心得た彼は、一年時から古泉とは見知った仲で、持ち前のテンションの高さで委員長役を務めている。今度の文化祭劇でも誰もやりたがらなかった脚本作業を一手に引き受ける形になり、お陰であちこちで奔走しているようだ。 翻訳を任されていた『Snow White』原版。退院後、数日の間に纏めて翻訳作業を仕上げ、字が汚いとよく指摘されることも考慮してわざわざPCに打ち直した古泉だ。英語は不得手ではない古泉も古い活字を相手に苦戦したが、約束は約束と、期日通りに纏め上げてきたのだった。 「構成の方は出来上がったんですか?」 「いんや、まだまだ。やっぱ原書の方も合わせてみないとなあ。そういうわけで、これから読む。煮詰まってたからマジ助かったぜ」 「……まだ脚本の下敷きが出来ていない状況なのなら、少し、提案があるんですが」 少年は受け取って読み掛けていた紙を捲る手を止めた。 「なんだ、お前から改まって提案なんて珍しいじゃん。――何?」 「この『Snow White』なんですが……優しい話に、出来ないかと」 言葉を区切って、古泉は真摯に語る。 「原書そのまま、でも勿論いいとは思いますが、物語が酷に成り過ぎるのではないかと思いまして。文化祭という場で公表する演目ならば、見終わった人が微笑ってくれるようなものを望みたいのです」 昨年演じたものは、そういう意味では失敗だったと思いますから、と付け加えると、少年は「はーん」と悩んでいるような感心しているような妙な奇声を出した。 「……なんか、あったみたいだなあ。先週の入院から様子変わったなー、とは思ってたけど」 「そう……ですか?余り自覚はないのですが」 「おう。俺の目は確かだね!まあでも、言ってることは最もだ。今度の話し合いんときに議題に出すから、意見提示してくれれば俺も支持するわ。脚本書いてて思ったけど、やっぱ暗い話は性に合わないっていうかさ」 陽気な少年はそうやって翻訳文書を抱えて何処へか、やはり何か打ち合わせがあるのだろう、慌しく去っていった。古泉はほっと一息をつき、腕時計を見遣る。 昼休みは、まだ時間があった。 部室へ寄ってみようかという気まぐれを起こしたのは、古泉自身、錯綜した感情の行く果てを見届けていないからだ。 古泉はあれから、長門とキョンの間にどんなやり取りがあったのかを知らない。事後報告も少女が請け負い、それきりだ。彼の態度にも一見変化はなく、総てが元の鞘に収まったような、そんな日々が続いていた。 変わったのだろうか。あの一連の事件に、幾らか変わることが出来たのだろうか。 少年の、おどけたような言葉が耳に痛い。 ――ただ古泉は、優しい話を、少女に見せてあげたかった。裏方担当だろうと何だろうと。文化祭の日に、「どうぞ、見に来てください」と微笑んで長門を招待できる、そんな物語を、彼女に贈りたかったのだ。 ――文芸部室の読書愛好家の少女は、其の日、稀なことに書物を手にしては居なかった。 「……何をして居られるんですか?」 「執筆活動」 珍しい――少女は、普段は隅に仕舞われて見向きもされないノートパソコンを立ち上げて、人並みの調子でタイピングをしていた。ホワイトボードに赤い水性ペンで走り書きをされているのを古泉は目敏く見つけ、事態を理解する。「締切・来週まで !ジャンル自由、原稿20枚分」と、かなりの達筆で大きく書かれているそれは、見慣れた団長涼宮ハルヒの直筆。 「これは……もしかして文化祭にも、機関誌の発行をすることになったんですか」 事前にハルヒから聞き及んでいなかった古泉の当然の疑問を、長門があっさりと回答する。 「今朝涼宮ハルヒに遭遇し、わたしが提案した」 「……長門さんが?」 益々予想外だ。ハルヒが独断専行してのことなら、キョンを始めとした面々も言い訳を交えつつ抗議する所だが、それが長門有希たっての提起。古泉が眼を丸くすると、少女は人らしい印象を強めた柔らかな瞬きをして、「書きたいものがあった」と古泉に告げた。 書きたいもの。その察しがつかないほど、古泉は愚鈍でもなければ不敏でもない。 零れ落ちた古泉のその笑みは、古泉も己で意識が追いついていない、ただ、蕩けるように甘やかなものだった。ミーハーな女子ならば、黄色い悲鳴を上げたかもしれない。唇を綻ばせた古泉が、そっと長門に囁く。 「――タイトルを、お聞かせ願えますか」 長門は、淡々と打ち進めていた指を止めると、既に印字されていた一枚の原稿を摘み上げて、ひらりと古泉に翳した。窓から差し込む射光に浮かび上がる、黒インクで刻まれた一文。 題名のみがプリントされた、原稿の表紙を飾る一枚。 「これが、わたしの決着」 わたしのあなたへの答え、と。 その声が何処か満足気に、強く胸を打つような感情を湛えて響いたのは―― 多分、気の所為ではないのだろう。 --------------------------- 白雪姫は王子と出遭いはしませんでしたが、小人と共に幸せになりました。 お妃様は白雪姫に赦され、白雪姫を赦して、心から笑えるようになりました。 もう誰も白雪姫を傷つけず、お妃様の心を蝕みません。 皆が皆、――幸せに。 幸せになるために、生きられるのです。 レクイエムは要りません。 白雪姫は、小人と笑い合って、最後にそうお妃様に告げました。 「わたしを葬るための歌も、お義母様を葬るための歌も、今は必要ありません」 何故なら皆が皆、生きて、泣いて、恨んで、――恋をして、誰かを愛して。 幸福を選び取って、わたしのためにあなたのために生きてゆくのだから。 Snow White Restart. ――この物語終わりが、わたしたちの、お義母様の、始まりになりますように。 --------------------------- ―――Snow white Requiem. 賑やかな人の群れを縫って、古泉が紛れて消えてしまいそうな小さな少女に大声を張り上げる。鮮やかなビラが撒かれ、ポップが至る所に立ち並ぶ、活力に漲った高校生たちの祭典。一般客も含め、笑い声が、談笑が、そこかしこ溢れる中、波に揉まれながらも彼女の元に辿り着いた演劇衣装を身に纏った古泉。 その格好は、彼の容姿にはそぐわない、道化師のようにカラフルな小人の衣装。 古泉はそっと少女に、何処から持ち出したのか手土産の林檎を差し出し、 「――とても、よく似合う」 窓際にて立ち止まった少女は、仄かに首を傾けて、少年に微笑んだ。