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目次 1.『学問のすすめ』は二百万部のベストセラー 2.私は身分制度を脱皮するため、学歴主義の物差を採った 3.学問は有用性のみでなく、魂の進化を促進させる 4.教育制度の改革、能力促進教育について 5.問題点一についての考察 6.問題点二についての考察 7.教育制度の改革により雇用制度の変化発展が可能 8.いま教育界には第一級の人物が出ていない 9.特色ある私塾の展開に期待 10.「松下政経塾」は本来のすがた 11.衆議院議員は「政治家専門学校」卒業者に限る 12.参議院議員は「賢人会議」の推薦者とする 13.あなた方は新時代への総論創り、各論はこれから生まれてくる (1986年1月2日の霊示) 1.『学問のすすめ』は二百万部のベストセラー ―― 福沢諭吉先生の招霊を行う。―― 福沢 ――福沢です。 善川 ああ福沢先生ですか、先生は明治の元勲として数々の功績を残されましたが、特に先生は、わが国国民の教育ということに非常にお力をそそがれたお方だとうけたまわっておりますが、まあ今日わが国も明治、大正を経まして昭和も今年は既に六十一年を迎えるに至りました。この間いろいろのことがありましたが、第二次大戦後四十年にしてわが国の経済は非常な隆昌をみるに至りましたが、教育、科学、文化の面でもそれなりの進展はしてまいったとは思いますが、ただ今日いささか案ぜられますことは、その理念において正しい把握がなされておらず、とかく、すべての分野において唯物志向に傾いている如くにみられるのであります。 先生は現在高い霊域に在られて、高邁なる思想識見を往時からお持ちになられたお方ですが、今日のわが国政治、教育文化のあり方と、将来の方向について何かお教え賜わらば幸いと存じますが。 福沢 私は、このような場に呼ばれたのは初めてでございますから、あなた方に十分なことを申しあげることができるかどうか内心いささか不安ではありますけれども、あなた方の期待を裏切らない程度に何らかの話をしてみたいと思います。――あまり慣れない話し方かも知れませんが、その点についてはご容赦を願いたいものです。まずどのようなことから話していきましょうか。 善川 まあ先生の生い立ち、ご経歴等については史書により明らかにされているところでありますが、まず、私どものこの度の企画というものは既にご高承のことと存じますが、これが書物として著わされた場合、果たしてこのお話が真の福沢先生のご霊訓であるかどうかという不必要な不安を無くするためにも、明治初期における先生のわが国文明文化開発にご努力されたご苦心の一端なりとお聴かせ願えれば幸甚と存じますが。 福沢 わたくしが主として力をそそいだのはやはり人々の啓蒙、あるいは学問の普及、教育という問題でした。 誰もが知っている私の書物としては、『学問のすすめ』というのがありますでしょう。この書物は、当時としては、大変な、今でいうベストセラーとなりました。≪天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらずと言えり≫そのようなことから書き始めたこの文章でありますが、これがなぜか明治の時代において、当時としては、百万部も二百万部も売れたわけです。あなた方の時代においても、百万部も売れるような書物というのは、そうざらにはないはずです。 当時の人口からいくならば、百万人以上ということは、知識人はすべてということです。では、なぜこの書物がそのように多くの人びとに読まれたのでしょうか。これは単に作家として私が書いて、それが面白いから人びとに読まれたわけではないのです。当時、私としては、このような霊的な指導というものが、行われるということについては、私自身は、不覚にも、不明にも、何も知らなかったのでありますけれども、『学問のすすめ』という書物でさえ、やはり霊天上界からの指導によって書かれていた本なのです。 当時の日本は、幕藩体制を脱し、新たな近代国日本を造ろうとしていました。こういったときにおいて、何らかの精神的な原動力が必要であったのです。明治維新の志士たちは、政治的な変革ということにおいて活躍をされました。しかし私の活躍の舞台は、それとは違ったものでした。彼らはいわば手荒い大工であり、手荒い作業人であったわけですけれども、私はその彼らがやった土台づくりの上に、新たな草花の種を蒔くような仕事が私の仕事でもあったわけです。 私は、当時、これは私個人の考えではなくて、既に私がこの日本という国に生まれる前に計画をしていたことではあるのですけれど、やはり精神的な水準を高めるということによって、近代国家を造っていくべきではなかろうかと思ったのです。――そういう意味において新生日本、明治の国において、何らかの精神的な指導者として、私は自らの役割を果たしたいと思ったのです。ですから当時の私としては、あなた方のような宗数的な自覚もなく、また宗教者的な指導も私はやりませんでした。 私はそういうことではなくて、非常に文明開化的な、合理的な考えに基づいて、精神的な指導というものをなしたのです。それはまた、そうした時代であったからこそ、そのような指導が必要であったわけです。むしろ私などは、神仏などは平気で批判し、無視していたようなことが多かったわけです。それはいまとなってみれば、非常に大人気ない恥ずかしいことでありましたけれども、しかし、時代の要請というものはいつもあるわけです。時代の要請としてそういった宗教を説くよりも、むしろ人びとを啓蒙するといった方向に進んだ方が、いい場合もあるということです。 そのような時には、神仏は必ずしも、光の指導者達にも、そのような変った形での役割を果たさせようとされるのです。ですから科学者の中で、優れた科学者であって宗教的なことに対して関心を持たない人も居ります。それはそうした方面が、ある意味においてもとより塞がれているのです。余りそちらに関心がいくよりは、科学的な方向でその興味、関心を伸ばしていった方が世の中のためになるという意味において、その方面が塞がれているのです。私も明治維新のあの時代において、人びとを開明していくという、いわば、古い因習とか、伝統から脱するための原動力を、私自身が発見し、それを広めるというような役割であったわけです。 ですから、今あなた方の時代においては、あなた方はまた霊的なこと、神仏のことを、新たな角度から人びとに広めようとしていますが、それもまた一つの啓蒙の手段でありますけれども、当時私達としては、その前段階として、やはり、科学的、合理的な近代主義というものを、つくっていく必要があったということです。ですから、例えば私の『学問のすすめ』自体は、決して宗教的な本でもないし、いわゆる過去からいわれているような道徳的な本でもないのです。あくまでも、自分というものをつくるということを教えた書物なのです。 2.私は身分制度を脱皮するため、学歴主義の物差を採った 人間はみな平等に作られています。平等に作られているということは、可能性において平等だということなのです。自らを錬えていくことによって、どのような人間にもなっていくこともできます。これは古い身分制度社会からの脱出、脱皮であります。まず人間に身分の差があるというような意識が当時としては大半であったわけです。 あなた方はいま、そういった身分意識が日本の国においてはないでしょう。まあ皇族というようなのはありますが、あなた方のうちで皇族として生まれたかったなんて思う人は今はいないはずです。ほとんど居ないでしょう。恐らく居ないはずです。それで極端なお金持ちが居るかというと、そんな極端なお金持ちも今の日本には居ません。まああなた方のうち大部分の日本人が、今望むこととしたら何であろうかというと、非常にやはり優秀な人間として生まれたいということだと思うんですね。いまの日本においては、優秀であれば、頭脳明晰、学力優秀であれば、どのような方面にでも自分の個性を伸ばしていくことができるようになっていると思います。それは例えば、どのような、たとえば言葉は悪いですが百姓の子供であったとしても、あるいは漁師の子供であったとしても、石工の伜(せがれ)であったとしてもですね、学問を積めば一国の総理大臣にもなれれば、優秀な科学者にもなれるし、外国で活躍することもできると、このような機会が与えられているということですね。 いま、日本の国では学歴批判、あるいは学力重視というのは疑問であるという言葉が投げかけられていると思います。この批判を真向から受け止めねばならないのは、実は、この福沢なのです。――この学力、学校学歴主義の原因となったのは、他ならぬこの私であります。これは私が長年にわたって考えて編み出したものなのであります。今までの身分制社会に代るものは何であろうか、生まれをもってその人の貴賤が決ったのでは努力のしがいがないではないか、何のために人間が生まれてくるのか分らないではないか、人間はその生まれによるのではなく、門地に依るのでなく、その人の努力によってその人の値打ちが決められるべきである。そういうことを私は考えました。それでは近代日本、新生日本において、その努力は如何なる方向に向けられねばならないのでしょうか――。 それを私は考えたのです。決して古い宗教家的な努力、山の中に篭ったり、滝に打たれたり、そういった努力で優れた人間が選ばれるわけではあり得ません。当時は西欧合理主義が入って来た時代です。やはり先生は西欧でありました。西欧的な近代化ということを考えていたために、ある意味でその西欧主義、西欧的なものの考え方、これを学ぶ必要があったわけです。それをうまく学んだ人間が、人の上に立てるような世の中、こういった世の中になっていったわけです。ですから私は学問ということによって、身を立てるということを人びとに説きました。そしてそれは、その後百年間の日本の、日本人の行動指針となったはずです。 私は必ずしもこれはすべてとは思わないです。これが総てとは思いません。ただ百年間、その後百年間の日本の動きを見ていると、私の説いたことも八割は正しかったと思っています。その高度な学力、教育によって日本人は、優秀な人びとを、人材を世の中に送り出し、それが各産業界での活躍となり、また諸外国へも現在影響を与えるようになってきているのではないでしょうか。そういう意味で現在強く批判されて来ては居りますけれども、私はまだこれも、次に新たな物差が見つかるまでは、しばらくの間は有用な物差、規準であると思うのです。 この点に関してあなたの方から疑問なり質問があれば聴きます。お伺い致します。 3.学問は有用性のみでなく、魂の進化を促進させる 善川 勿論現在まで、また今日でも学問を修めた者が、社会に出て用いられるチャンスがあるし、またそのうえ学校格差によって実社会での地位、身分獲得の規準ともなっているということが強いわけでありますが、そういうことのために今日ではすべての子弟が、一流会社での採用度の高い有名校、もしくはこれに次ぐ知名校を目指しているのでありますが、それ自体は今日までは当然なことでありますが、人はすべてそのような好ましい状態を望むのではありますが、しかしながら、またその反面においては、人には等しくそのような才能なり経済的環境が与えられているものではありませんために、この局面にのみ人の価値基準が据えられると、そこに今日問題化してきた落ちこぼれによる子供自身の失意、劣等感から生じる不良化、あるいは社会悲劇や、家庭破壊を引き起こしているというのが一面の実情であります。 こういう現状からして、そのような不安定要素を改善するためにも、これからの教育制度というものは、一律平均的な各科主義に固執するのではなく、能力に応じた科目の単科重点型というものに視座を転換すべきだとの意見も出ております。換言すると、才能教育、あるいは職能教育というものの道を開き、不得意科目からの解放を図り、無駄なエネルギーの消耗を防ぐべきだと思うのです。またこういう子弟についての将来の職場保証については国において、しかるべき助成がなさるべきだとの見解もありますが、私どもといたしましてはこの道の専門でもありませんために、しかとした教育制度についてのシステムというようなものは未だ見出し得てはおりません。これは今後の課題になろうと思います。 福沢 ただいまあなたが申された社会的問題ですね、学力学歴偏重の問題ということをあなたは申されましたが、これについて私の意見を言って置きたいと思います。問題はむしろね、学力や学歴を偏重することではなくて、人びとが結果主義に陥入っているということなんです。結果成功すればよいのだけれども、結果成功しなければもともこもないという考えが裏にあると思うのです。けれどもね、そんなものではないのです。この世の中において、人間が努力したことは、決して報われないことはないんです。無駄というものはないのです。たとえば一生懸命受験勉強したとしましょう。希望の第一志望の大学に入れなかったかも知れない。第二志望にも入れなかったかも知れない。その結果、その人は、世の人びとが羨むような職業にはつけなかったかも知れない。けれども、その人が一生懸命勉強したことというのは、決して無駄にはなっていないのです。結果主義でものごとをみるからこそ、無駄に思えるだけであって、ではそういった第一志望、第二志望の大学に入らないからといってね、当初からじゃあそういう希望を持たない、だから勉強しないで現在あるがままの自分になっていたとして、努力した結果、駄目で現在の自分があると、努力しかいで現在の自分があるということ、出ているものとしては一緒かも知れない、結果としては一緒かも知れないけれども、別な観点からみるとこれは非常に違うのです。無駄というものは何もないのです。学習においては――いわんや魂の学習においておやです。人びとが学問に励むということは、その学問的な達成度によって、世の中の道を切り拓いていける人も居るでしょう。それは成功者です。しかし成功者でない方も多いと思います。けれどもね、そうした知識を得るということは、永い転生輪廻の過程の中において魂の学修としては非常な意味を持っているのです。大部分の人間はね、これまでというものは、大抵農業とかですね、あるいは武士のようなものとか、あるいは漁師とか、そういった非常に原始的な職業をやって来た人達が殆どなのです。このような方々が近代の文明国に生まれてはじめて学問というものをやり、新しい世界観を得ることができたんです。 学問というのはある意味において世界観の獲得なんです。この地球、この地球の中にある様々な国、様々な人種、その中にどのような思想があり、どのような学問があるかということを、みんなが学べるような時代になったということなんです。これはね、結果としてはそういったことを勉強して大臣になれなかったり、医者になれなかったりするけれども、それを学んだということ自体は、非常に素晴しいことなんです。 過去何回か生まれ変って得ることができなかったようなものを一回の人生において得ることができたということなんです。ですからね、私は今の学力、学歴偏重に対する批判に対する反批判としてはね、結果主義に陥ってはならないということを言いたいと思います。人生において無駄というものはないのです。それは何もないのです。ではね、英語なら英語の勉強一生懸命して何かの試験に通らなかったからといってね、では、その英語の勉強をしたことが、果たして無駄になるでしょうか。そういった学問、新たな外国の学問をやることによって、様々なことを見聞することもできるようになったろうし、その人間無駄なことは何もないのです。学修するということについて、無駄は一つもないし、その結果本当の意味における結果において落伍者は一人も居ないということなのです――。 これに対し、またあなたの方から疑問があれば続けて下さい。 4.教育制度の改革、能力促進教育について 善川 まあ現代の社会というものは経済生活の水準が非常に高くなって来ておりますから、一応の目標は中流もしくはそれ以上の経済生活の確立ということになって来ていると思うのですが、そういう中で、先程申された第一志望、第二志望というものを希(ねが)っている若者達の窮極的な目標といいますか、それは職業即生活の安定がそこに約束されるような状況、そういう状況をねらっているわけですが、それが達せられないということ、つまり平均的な学力成績が得られなければそれが達せられないということで、それでは困るということとなると思うのであります。 たとえば数学においてはその才能に殆ど恵まれていない者でも、絵画においては、あるいは音楽においてはずば抜けた才能の持ち主が居るといたしますと、そういう人達の進むべき道というものは、それはそれなりの方向なり職業というものが与えられるべきであろうと思うのであります。ところが、ここに自己の才能を生かすその出発点において、その不得意とする科目の得点によって既に篩(ふるい)にかけられ、志望校への入学が不可能となるということは、矛盾があるのではないかと思うのであります。まあ一例を申しあげるとこういうことになるのですが、これらについての入試制度の見直し、あるいは改善策というものについてはどのようなものがございましょうか。 5.問題点一についての考察 福沢 今のあなたのご意見に関しては、二つの面から検討ができると思うのです。一つは擁護論ですけれども、例えば美術の学生としましてもですね、非常にたとえば今までは好きな活動だけをやっておれば、それでよいという考えがあったかと思いますけれども、例えばこれからの画家というものを考えてみると、舞台は非常に広がっていくわけです。日本の中でも、画家でも一流になってきますと、各界の人とも話をしなければいけない。また海外に行って絵を描いたり、展覧会に絵を出す機会も増えてくるわけです。そうするとね、この時代における常識はやはり身につけておく必要があると思うのです。 受験勉強というようなことになると非常にレべルが落ちるようにも聞こえるかも知れないけれども、ある意味においてはこれは今の時代における常識の獲得、ということなんですね、ですからまず優れた人間である前に、常識人であれといった考えもあるわけです。絵だけ描いてね、絵がうまくなりましたと、では次ぎにはパリの何とか祭に出てですね、絵についての議論しましょう。芸術論をやりましょうといった時にですね、『私は職人ですと、絵は描けますけどほかのことはわかりません』と、これだけでは通用しない世の中になって来ていることも事実なんです。そういう意味において傑出した人物になる前に、まず常識人として自分を確立しなさいと、方法論としてはこれは正しいことであると私は思います。 6.問題点二についての考察 福沢 もう一点、これは別の観点から申しあげます。これはいま私が言ったことに対して反論のような形になりますけれども、自分の説に対する反論のように聴こえるかも知れませんが、今の日本に欠けているものは逆に何かといいますと、天才教育です。それはあなたの仰しゃる通りなんです。私は平等ということを説きましたけれども、人間の能力において差がないという意味では本当はないのです。しかし、そういった差を強調することはね、新たな人びとの間の不平等ということを生み出すもととなりますから、やはりスタートラインということはね、仕切り直す必要があったということです。特に明治のような新たな学問が入って来たような時代においてはね、誰もがそれを学んでなかったわけですね、ある特定の家に生まれたから学問が進んでいるということはないわけですね。新たな学問が西洋から入って来たわけですから、皆さんが同じスタートラインに立ったというわけですね。そういう意味においてはまあ能力的に賢い人が居たにしてもですね、新たな学問を吸収しなければ何もならないわけです。能力的に劣っていたにしても新たな学問を吸収することに努力すれば、他の人が達し得ないような知識を得ることができたという時代だったわけですね。ところが今ではかなり学歴化も進みまして教育環境も変ってきました。そして能力の差というのは非常に出て来たと思うんですね、で必ずしもこの能力の差というものは否定いたしません。あるでしょう。それで今の日本の教育では逆にね、この平等主義ということが非常な弊害になっているかと思います。文部省というところがあってすべて同じような教育内容で人びとに教育しているわけですね、けれどもね、まあそれは三歳や四歳の時、あるいは七歳、八歳の時、にはそれ程各人の能力に差はないかも知れません。けれどもね、十代の後半になると、その差は非常に甚だしいものとなっているんです。その百万人なら百万人、百五十万人なら百五十万人が、同じ年齢であるということにおいてね、同じ学習内容をするということにおいては、これは本当は理に適ったことではないのです。やはり各人、遅い早いはあると思いますよ、どちらが優れているとは申しません。ただその内容に差はあると思うんですね、そういう意味において現在の六、三、三、四割ですか、こういうものは見直さなければならない時期にきていると思うんですね。 これは年齢によってですね、年齢、ある意味での平等観ですね、十八歳にならねば大学に入れないようになっていますね。十八歳以降なら入れるけれども十八歳までは入れない。これはある意味においておかしいと私は思うんです。昔には、たとえばあなた方のところに「吉田松陰先生」のような方が出られたと思いますけども、こうした天才肌の人というのはね、もう十代においてもね、普通の大人がやらないような知識を得ることができるんです。こういった天才を見逃すような世の中になっているということです。天才を生めないんです。そういう意味においては十割の人には当てはまらないけど、ごく一部の人のために、天才を磨くための道というのが開かれなければならないと思います。そういう意味においてはあなたが先程言われたようにね、絵が描ける人ということの本当の天才みたいな人がですね、たとえば高校三年間を了えて数学も、英語も、理科も、社会もね、なにもかも出来ないとね、美術大学に入れないと、いうのであればね、それは惜しいといえば惜しいんですよ。そういうことにおいて。 たとえば絵の天才が居れば、もう中学校からでもね、もう大学に入ってね、専門の絵の勉強がやれるようなね、時代であれば面白いと思うし、音楽の天才ならもっと早くてもいいですね。もう十代の前半で大学でね、音楽の勉強できるような、専門の勉強ができるような、そういう素地があればいいと思いますよ。その人が音楽の天才であるにも拘らずね、たとえば田舎の町に生まれたとしましょう。田舎の町の子供として生まれたとしましょう。小学校や中学校の音楽の先生では大した能力も才能もありません。彼らは天才を開発するだけの力はありません。じゃあその田舎の町なり村にそれだけ優れた音楽的施設があるかといえば、ありません。その家が金持ちであればまた別の道もあるでしょうが、普通の家の子であるならば、その才能は適当な時期が来るまでどうすることもできません。こういったことは惜しいと思うのです。ですからね、逆の方法も一つ考えていいと思うのです。そういう特殊な能力で天才的なものを持っている人はね、一気に専門教育に入っちゃうわけですね、早期に、年齢にかかわらず。で、例えばその代り逆にするわけですね、そういう専門教育をやって、後、補習の形で一般常識というものを、身につけて頂くようにするわけです。 十代なら十代でもう十代の前半で大学に入れる。美術大学に入れる。それで専門の勉強ができます。ただし、大学に居る何年かの間にですね、そういう一般常識を、高校で習うような課程もですよ、併せて補習を得るような形で段々に単位をとっていく、こういった勉強の方法ですね。これ大事なんじゃあないでしょうか。で、それをとったら大学は卒業できると、しかし専門教育は早朝に開始する。 あるいは大学の年限もね、そういう天才のためにはね、今の四年制じゃなくて、十代前半に入った天才のためには大学も七年でもいいと思うんです。芸術教育、専門領域の教育をやって残り卒業までの間ですね、自分の腕を磨きながら一般常識を獲得していく、こういった方法でもいいんじゃないですか。 今は前提条件が満たされなければ、後の部分が出来ないというような形、けれども逆でもいいんじゃないかと思うんです。専門領域をまず伸ばしてそれを勉強する。そして後順番にですね、補習の形でとっていく。あるいはね、大学の四年間で専門の勉強して、それから高校時代のカリキュラムのような、そういった学習科目をとり損ねたかも知れません、卒業させて了って、卒業後にですね、そういった数学でも国語でも何んでもいいです。科目をね、生涯教育ということで少しずつ埋めていくわけですね。取っていく、こういうことによって後から追加的にですね、ちゃんと卒業の資格が得られるようなこういったものでもいいです。 今、私が二つの異なる意見言いましたけれども、一般論としては優れた人である前に、常識人であれ、ということです。これは説かれなければいけません。大抵はね、あなたの言っているような議論というのは勉強嫌いな人によく使われる議論なのです。ほかに才能があってもね、こんなに学校に縛られていちゃあ何んにも出来ないと言っている人が多いのですが、大抵の場合は勉強をするのが嫌いなのです。それだけのことなんです。じゃあ他のことをやらせば、それだけの才能があるかといえば、まあそういった根気もない人が多いんです。そういった人が、言訳けでね、よく言っているんです。こんな詰め込み教育じゃあね、才能が開かないなんて言っているのは大抵は言訳けなんです。ですからそういった大部分の人に対してはね、まず優れた人になるよりは、常識人となれということです。 ただし、本当に天才的な人が居ますから、そういった人に対してはですね、年齢制限なしでですね、自由に能力を引き出せるような制度もつくって置く必要がある。これは国家の義務です。今の六、三、三、四割は、必ずしも万人に適用させる制度ではないということです。 7.教育制度の改革により雇用制度の変化発展が可能 福沢 また、今一つの観点から別なことを申しましょう。これはあなたの疑問でもあると思うのですで、問題は十八の春、あるいは二十そこそこの段階でね、人生の道筋が決ってしまうようなのがどうかという考えがあると思うのです。比較的若い年齢において、学問学修を了えて有利な道に乗ればですね、昇進していける。あるいは大会社へあるいは社会の重鎮へと進んでいけるというような道筋がありますが、これに対しあなたは疑問を持っておられると思うのです。 人間は早咲きの人もあれば、遅咲きの人もあると、こういったことに関してどう思うのかと、たとえば、経済的な不幸などはいま少なくなってきているかもしれないけれども、家庭環境において、子供を必ずしも大学に出せないような家庭もないとは言えません。そういう人が働いている。働いているうちにやはりもう一回勉強して出直したいなと思った時にですね、勇気を奮い起こして大学に入り直して、じゃあ就職できるかというと、もうほとんどできやしない。こういった問題があるわけでしょう。恐らくそうですね。 いま、三十代半ばで発心して何処かの学校へ行って学び直してもそれを生かす道がないということが現状ではないでしょうか。こういったことに対して社会はもう少し寛容でなければならないと思うのです。新卒、大学の新卒だけを採用するという今の企業のやり方、二十二、三で採用して後、定年まで同じところに止まっているという考え方ですね、これを改め直さねばならぬと思います。いま、定年まで居るということが段々少なくなってきて、途中で転職するなり独立するということが増えてきていますが、やはり人口においては、採用ということにおいては、いまだにその線が守られていると思うのです。まあ高校卒で採用する場合には十八歳ですね、短大卒は二十歳、大卒は二十二、三と、いうことで線引きがされていてそれを逃がすと、たとえどんな優秀な人であっても就職の道は厳しくなっております。これは日本的な年功序列の制度があるために、年を取った人を新しく雇い入れるということは、非常にその社会の中でですね、会社の中で使いにくいというようなことが基因していると思うのです。 これに関して、やはりもう少し多様な世の中というものを考えていかねばなりません。人間は、年齢だけで決っていくものではありません。だから年齢で採っているけれども新卒で入っていると新卒と同じように扱うのはむっかしいということでありましょうが、そうではなくて、もう少しその人が持っている知識なり、技能なりに対して一定の認定をしてあげねばいけないと思います。専門家として雇い入れるというわけですね。こういったことをも少しやって企業というものが、寛容というものを持たねばなりません。 社会に対してもそうです。公務員もそうですよ、四十歳、五十歳から公務員にはなれません。けれど考えてみなさい。民間会社でまあ四十歳、課長さんなら課長さんを勤めたとしましょう。非常な経験を積んでいます。役所では積めない様な経験を積んでいるわけです。様々なね、業種において、そういった方が、やはり私は公僕として国のために、あるいは地方公共団体のために尽したいと、たとえば四十歳で思った時に、それが実現できない世の中ですね、今は、――こういったことがいけないと思うのですね、例えば四十歳なら四十歳で、公務員の試験なら公務員の試験があってもいいと思うのです。それで受けて受かればですね、同じような地位で採用する。例えば公務員として課長職で採用できる。こういった新しい血を入れるということは役所の中においても決して無駄なことではないはずです。こういった制度が段々出て来なければいけないと思います。そうあなたは思いませんか。やはりその人の達成度に応じた処遇ができるような世の中になっていかねばなりません。
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目次 1.『学問のすすめ』は二百万部のベストセラー 2.私は身分制度を脱皮するため、学歴主義の物差を採った 3.学問は有用性のみでなく、魂の進化を促進させる 4.教育制度の改革、能力促進教育について 5.問題点一についての考察 6.問題点二についての考察 7.教育制度の改革により雇用制度の変化発展が可能 8.いま教育界には第一級の人物が出ていない 9.特色ある私塾の展開に期待 10.「松下政経塾」は本来のすがた 11.衆議院議員は「政治家専門学校」卒業者に限る 12.参議院議員は「賢人会議」の推薦者とする 13.あなた方は新時代への総論創り、各論はこれから生まれてくる 8.いま教育界には第一級の人物が出ていない 善川 なかなか理想は理想で議論は議論として結構ですが、これを改良、あるいは制度化していくということについては、かなりむつかしい問題がそこにあろうと思いますけれども、この現行制度を改革するのはまず政治家の仕事であり、理想としては大変結構なのですがこれが改革の具現化ということになると、その前提条件としては、やはり政治、経済、教育、社会全般の総合的な新理念確立と申しましょうか、国造りの基本的な゛発想゛が醸し出されて来なければならないのではないでしょうか……。 福沢 と、いうふうな制度的なものに基因する考えもありますが、やはり私が思うに、今の日本の教育家の中に第一級の人物が少ないということが大きいのではないでしょうか。優秀な方々というのは他の方面でほとんど活躍されて居られるのです。残念ながら教育界においては第一級の人物が少ないということなのですね、ですからそういった教育に関してですね、国民的な基盤を揺がすようなそういった影響力を持った教育家というのが今後でて来なければいけないということなのです。 その人の意見ならば、成程と、確かにそうであると、そういった方向に動かねば世の中は間違っていると、こういったことですね。専門家ですからね、教育に関しての専門家なんですから、専門家の意見が国民をして頷かせるようなものでなければいけないのです。そういう意味においては、今ね、たとえば教育学部というのが大学にあるはずです。それは国立の大学にも、私立の大学にも教育学部というのがあります。ではね、今の青年達において教育学部に行っている人達は、一番優秀な人達が行っているでしょうか、果たして行っているでしょうか。私はそうは思いません――。 今の世の中においては、理科の人においては、あるいは医学部に行ったり、あるいは工学関係に進んだりしています。文科の人に関してはほとんど優秀な方は法、経、法学部、経済学部の方向へ行っております。文学部というのはほとんど女性とか、あるいは就職はほとんど考えていない人が行っております。このようなことでは駄目なのです。世の中を変えていこうと考えている人が、教育学の方向へ進んでいってくれる方が望ましいのです。 そういった世に立っても、事業やっても、第一級の人間として活躍できるような人が、教育の現場で頑張ってはじめて世の中が変わってくるのです。要は、そういった人を引きつけるだけの魅力が今の教育者達にないということなのです。それは教育の中で人格教育というのが言われなくなって久しいこととまだ関係するのです。教育者の中で本当に日本人すべてを啓蒙するような、尊敬されるような方が出てくると、後に続く人達も出てくるのです。ですから私が言いたいのは、要は政治とかそういうようなものによる制度ではなくて、人なのです。優れた教育家が出てくること、第一線の教育家が出てくることです。 善川 今日わが国の教育の現場は、左翼の思想集団によって何か教師の基本姿勢が歪められてきているように思いますが。 福沢 それはね、もう一つ今言ったことに私は付加して置きますけれども、教師というものは、人を教える人というものは、真理を獲得していなければいけないのです。真実のものを掴んでいなければいけないのです。いまあなた方が考えて、一部狂信的な左真の方々の思想は果たして真実を掴んでいると思いますか、私にはそうは思えません。一部左翼の人々は社会に対する不平不満のはけ口がないために、共産主義とか、マルクス主義とかいった名前を冠したものに事寄せて不平、不満を吐き出しているということに過ぎないのではないでしょうか。 自分がそうした不平、不満の塊りでありながら純真な子供達を果たしてどのようにして教育することができましょうか、それは非常にむつかしいことであります。教師を単なる労働者までにおとしめたその責任は大きいということです。もしそのような方々が私の言っている言葉を聴いてくださるのであるならば、私はこの場を借りて言って置きます。 教師はやはり聖職であります。聖職という言葉は響きが悪いかも知れませんけれども、やはり人を導くべき人というのはただの人間であってはいけないのです。神を目指す人でなければいけない、神と言ってはいけない、では天と言ってもいい、宇宙といってもいい、そういった宇宙の進化、創造の法則のもとに、自らの使命を果たす人でなければいけない。単なる労働者なんかではない。教師というものは自分の使命を果たしている人である。神より与えられた使命である。教育という大きな使命、人びとを啓蒙教化するというような使命、これは大きな人扶けということです。人作りということです。このような使命は゛聖使命゛であります。聖なる使命であります。聖なる使命を果たさずして賃金上げのストライキばかりやっているようであるならば、あなた方は職を辞しなさい。プライドを捨てる人間であるならば、そのような職は辞しなさい。あなた方は職業選択を間違っているのです。職業を変えなさい。その方が世の中のためになります。よろしいですか。人権というものはそんな薄っぺらなものではないのです。人権という名を借りて自分のエゴを振りかざしているようでは、教師たる資格はないのです。そのような人は直ちに教師を辞めなさい。私はこの場を借りてはっきり言って置きます。 善川 お説のとおりであると思いますけれども、私がここに彼らの心情を代弁して申しあげてみますならば、彼らは教師とはいえ、実は教職員であります。現代のように高度に発達した管理社会のもとにあっては、国公立であれば国、県、市、私立であれば経営者たる理事会、こういうそれぞれの機関との雇傭契約を結んでおり、われらは教師たる以前に労働者であるという意識のもとに働いているという感じを持っている者が多いということです。そこで彼らの姿勢を問うという国またはこれに準ずる管理者があるとすれば、彼らはかえってその管理者自身の教育管理方針なり日常の姿勢行動を難詰するという相互の不信感に立っているというのが実情であるように思われるのですが、この両者の間にできた溝を埋める手段(てだて)というものはないものでしょうか。 福沢 そのようなことではなくてね、先程私が申しましたけれども、昔は百年前、二百年前、三百年前、江戸時代でも結構です。教師となるべき人は、今の教師となっている人達よりも遙かに優れた人達であったのです。よろしいですか、昔においてはね、教師になった人というものは、誰もかれもが勉強する時代ではなかったのですよ。そういった時代においてですよ、自ら克苦勉励して学問を積んではじめてその得たものを人びとに分け与えようとした姿が教師であったわけです。そのようなのが元々の教師であった、ところが今は一定の資格試験をとれば後は月給をもらえるという生活です。要するに教師の中において真情が足りないんです。どのようなことが本当の教師であるかということですね。水は高きから低きに流れていくのです。高い所から低所へ流れていくのです。低い所から高い所に流そうとしてもそれは無理です。教師というものは自ら得たものを後に続くものに分け与えていかねばならないのです。そういう意味において優れたる人物でなければいけないのです。 先程、第一級の人々が教師となろうとしていないと私は申しました。正(まさ)しくそこが問題であるのです。教師というのは第一級の人物が教えてはじめて生きてくるのです。ところが今の教育界においては教師というのは一つの何んといいますか専門職なのですね、たかだか英語を知っている。たかだか数学ということを知っている。そういった知識をですね、そうした専門知識を得てそれを受け売り切り売りしているというのが教師の姿ではないでしょうか、そうではなくて本当の意味において学問の魂に推参することができるような人がはじめて人を教導することができるということなのです。 ですから政治家がどうこうとか、いろいろ言われますけれども、また賃金が低いというような意見もあるでしょう。賃金が低いのはあたりまえです。私の言葉はきついかも知れないけれども、あたりまえです。なぜなら教職についている人達が第一級の人達でないからです。彼らは、彼らがもし第一級の人達であるなら、もっと収入のある道を選んでいるのです。現代においては、大会社なり、自由業なり、もっと収入のある道を選んでいるんです。そういった方々は教職についていないのです。教職員になっている人達は、もう他にするべき仕事がなくてやむを得ず教師をやっている人が多いのです。生活の安定だけのために、このようなことであるからこそ安月給で働いているのだと私は申して置きます。よろしいか――。 彼らに言って置きなさい。あなた方が生活環境に不平不満があるのは当然です。なぜならば、あなた方は他の選択肢があるにもかかわらず教師を選んだのでないからです。一流会社で重役になれるかも知れない、大学教授になれるかも知れない、あるいは科学者になれるかも知れない。そのような豊富な能力を持ちながら教師を選んだのではなかったはずです。よく自分の胸に自問自答してみなさい。他に選ぶべき道がなくて仕方がない、教師でもやるか、と言って選んだ方が大半であるはずです。どれだけの使命感に燃えて今の職業を選んだかどうかをよく考えてみなさい。自分らの職業が悪いのであるならばあなた方が第一級の人物でなかったか、あるいは現在の職業を選んで以降、第一級の人物たるべく努力をしなかったということです。 教師というのは振り当てられた時間割の中で科目を教えているだけでは駄目なのです。それ以外にあなた方に一体何があるかということです。プラスアルファがあるかということです。あなた方が教えている科目をはずして、それ以外に人間的にあなた方が一体どれだけのものを獲得しているかです。授業を離れてあなた方は、一体何をやっておるか、どれだけの人間修行をやっているか、修養をやっているか、どれだけのそれ以外のことは語れるのか、どれだけの人生観、宇宙観があるのか、よくよく自問自答してみなさい。そういった時に如何に自分らが薄っぺらな人間であるかということに気がつくはずです。――要は教育の問題は、第一級の人物が今教師になっていないということであり、教師が職業に不平不満を持ち、また給料や処遇に対して日教組が言うように不平不満を持つのは、彼らが一級の人物でないからです。彼らが優れた人物であるならば、社会の他の方面で活躍している人達が、教職につくような現状であるならば、給与も待遇も良くなるのはあたりまえです。それだけ遇しなければそれだけの人物は集っては来ません。よく自分の脚下を見直しなさい。そう言いなさい。彼らにそう言って置きなさい。 9.特色ある私塾の展開に期待 善川 いま一つお伺いしたいのですが、日本の教育問題につきまして、外国、特にアメリカあたりでは日本のこの私塾という問題、塾の発達というものを大きな関心をもってみているようですけれども、これはどういう現象でしょうか、やはり義務教育なり学校教育というものに対する欠陥を補完する形として自然的な要望として現われたものでしょうか――。 福沢 まあ必ずしもその通りとはいえません。やはり進学競争によってうち勝ったものが優位な地位を築けるというようなことで欲得がからんで発達している面も多いと思います。ただし私はそのいまあなたの言われた私塾の中に一つ可能性を見出すものであります。この中においてまた個性ある人達が様々な新しい教育を、人物教育なり、人格教育なり、あるいは才能教育などをやってくれるような時代になってくるならば、新たな展開が出て来るのではないかと期待しています。 ただそのような時代においては、そういった特色ある私塾において学んだことが何らかの意味において、社会においてその人の肩書というかプラス要因ですね、勲章になるような世の中でなければ意味は少ないと思います。あるところで、例えば人格教育塾をやっているとします。そこに小中高生が通っているとします。そこに居たということがですね、少なくとも世の中から評価されるような、そういったものでなければ意味はありません。またこれもさきほどの教師の例と一緒ですけれども、塾をやる人ですね、塾を経営している人達というのは、どちらかというと、社会から落伍した人達が多いように思います。社会の組織からはみ出してきて、やることがなくて塾をやっている人が多いように思います。これもまた一つの問題があります。ここに第一級の人物が私塾を開いたならば、その声号は非常に高いものとなるでありましょう。 こういったことにおいて古代のギリシャ時代のソクラテス達が開いた私塾のようなもの、あるいは吉田松陰先生が開いたような私塾のようなもの、こういった原点に帰る塾というものが必要かも知れません。それはそこに居た教師が、また超一流であったということです。人が人を求めるのです。人物が人物を呼ぶのです。要は塾という形体自体が優れたかどうかというのではなくて、やはりそこにおいて教鞭をとる者が、如何に優れた人物であるかということです。それならば人々は引き寄せられてくるはずです。 今の学校教育においても問題点の一つはそこだと思うのです。どこの学校にはああいった立派な先生が居るからあの学校に行って勉強しようという声が聴こえないはずです。そうではないでしょうか、高校選びにしてもそうですね、進学率が高いとか、どうとか、そういったことはあるかも知れません。けれどもあの学校だと、ああいった先生が居るからあの学校で学びたい。大学選びもそうです。弟子は師を選ぶのです。弟子は師を選び、師は弟子を選ぶというのが、本来の学問のすがたです。ですから、今ですね、あの先生の下で学びたいからというような先生が果たして居るかどうか、そしてあの先生の下で学びたいというような学生が居るかどうかです。教育の原点を忘れているのです。大量生産ではないのです、教育は。やはり人から人へと伝わっていくのが教育であります。ですから学校においてね、学校教育において今、あの先生の下で勉強したいという人が減っているのであるならば、組織的にそういったことが無埋なのであるならば、私塾なら私塾でもよろしい、あの先生の下で学んでみたいというような、学生を集め得るような私塾を開くということです。そういった先生になるということです――。 10.「松下政経塾」は本来のすがた 福沢 今、私は聴いております。松下幸之助さんが、一つの塾、学校を造られたと聴いております。「松下政経塾」というのですか、それで政治家とか、将来嘱望される若者達を、資金援助しながら教育をしている。第一線の講師を選び呼んで教育をやっているはずです。ああいうのが本来の塾、本来の学問のすがたなのです。本来こういった人の下で学びたい。こういった趣旨のもとで学びたいという人が集まって学び、またそういうやる気のある学生が集まって、またそういった学生が居るからこそ、よし、俺が行って教えてやろうと、第一線の方々が教えると、これが本来の学問のすがたなのです。こういった形の私塾、あるいは私学というものが今後益々発展してくることを私は祈ってやみません。 善川 まあ教育については先生の専門であったと存じますが、現在日本の社会を見渡したところ、まず第一級の方々が活躍されているというのは経済界であろうと思います。教育界につきましては、先生も仰せられたように未だそういう第一級の人物は現われていないというような現状であろうかと思いますし、一方政界においてもそのような一級の人物は現われていないということを聴く現状でありますが、これはやはり天上界におけるご計画もあろうかと思いますが、やはり次ぎの段階におきましては、一級の人物が現われるというのは、政界でしょうか、それとも教育界でしょうか……。 福沢 両方共、第一級の人物が出て来る必要がありますし、私も出そうと思っています。私の居る世界から第一級の教育者を送り出そうと思っています。 善川 これはしかし、教育者だけではなくてそういったことが理解できる政治家も同時に必要なのではないでしょうか。 11.衆議院議員は「政治家専門学校」卒業者に限る 福沢 政治家も必要かも知れません。――それとね、今さきほどのことに関して追加いたしますと、「松下政経塾」ですか、そういったことに対して私は意見を述べましたけれども大事なことだと思うのです。今の政治家も、経歴みてみなさい。まあ様々な経歴をして居りますけれども、やはりね、思うに政治家となるべき資質を開花するための教育というものはないわけです。そうでしょう。皆勝手勝手に様々なことやってきて、たまたま当選して代議士をやっているというのがほとんどだと思うのですが、そうでないでしょうか、ですからもう少しね、例えば政治家養成のための学校があってもおかしくないのじゃないでしょうか。私はそう思いますよ。それは私塾でもいいし、官学でもよろしいし、政治家養成のための学校があっていいじゃないですか。一般教育を二年か三年やってですね、その後政治の専門家ですね、専門家として養成する必要があると思います。三年か五年、特にやりたい人、国家が選抜して一学年、五十人か百人で結構です。小数でいいと思います。そういった大学を創ればいいのです。そして二年間ぐらいは一般教養なり教育をする。その後ね、世界の政治なり、経済なり、教育なり様々な分野のこと、科学技術のこと、いろんなこと勉強してもらうわけです。そうしてはじめて政治家になるためのたとえば国家資格ですね、政治家になるのに国家資格を設けるというのも面白いと思います。そういった政治家となるべき資質ですね、そういう教育を得てはじめて資格を得るということです。一定の資格をとったものは政治家になれる。そして政治家になる条件は、勿論国民による選挙ということですね。今は誰でも立候補したら通りますが、こういうことを言って名指しになっては失礼になるかもしれませんが、テレビなんかでですね、名前の知られている、顔を知られているというだけで大臣になったとは言いませんがね、少なくともある分野の政治のトップになったりすることはできるわけです。彼らはそれだけの知識なり技能なり能力を持っているかと言うと、私にはそうは思えません。人気投票みたいなところがあるわけです、多分に今の政治には――。 ですから、こういったことに関してね、プロの政治家というのも必要ではないでしょうか。ですから、国家資格みたいなのがあってもいいかも知れません。全員そうであれとは言いません。けれども政治家となるべき基礎知識は今の時代には必要ですよ。これだけ社会が進みですね、全世界を股にかけている世の中においてね、たまたま土地のですね何処かと癒着したり、あるいは大地主であったり、お金持ちであったりするだけで、政治家になれるようでは困るんです。あるいは隠居仕事で政治やられたんじゃあ困るんです。国家資格にすればよろしい。これも、政治家になるための資格ですね、その大学を先程言いましたように、十八歳で入学して二十二で卒業するだけである必要はありません。三十代でも四十代でもいいと思うんです。 例えば会社に勤めておりました。貿易をやって居ました。例えば公務員をやっていました。例えばですね、自由業をやっていました。これでいいんです。医者でもいいですよ、例えば医者をやっていました。四十歳まで医者をやっていたけれども自分の適業は、やはり医者ではないみたいだ、国の政治というものに参加してみたいと、例えばこういうことを思ったとします。それで今の世の中であれば、たとえばその知名度が高くて立候補して当選すればそれで政治家になれるんです。そうですね、けどね、これをやはりそれなら「政治家養成学校」に四十なら四十で入れるようにしておくわけです。それで一定のですね、政治家となるべき基礎科目ですね、これを修得してはじめて資格を得られるようにしておくわけです。そうすればですね、日本の政治家のレベルがある程度上がると思います。今、レペル低いでしょう。国会の場というの見れば分るように、本当にレベルが低い発言ばかりが飛んでいます。権力集団であります。ある意味では、猿山の勢力争いのようにみえるはずです。ヤジが飛びます。ああいったもので国民は果たして尊敬の念、信頼の念を持つでしょうか、それは政治家としての基礎学修ができていないのです。それは学問でもそうですし、それ以外に例えばですね、政治家としての基礎とはスピーチの仕方、話し方の教育も必要です。また礼儀作法についても必要です。こういった様々の世の常識というものを身につけておく必要があります。こういった教育やってもいいじゃないですか。どうですか、欠けていると思いませんか。……全員とはいいませんが少くなくとも何割かはそういうプロの、養成された政治家であっていいはずです。 善川 先般お見えになられました、天照大神様なり、聖徳太子様あたりのご意見も既に発表させて戴いておりますように、現在のわが国の政治に対する批判が出されているわけですが、全員とはいわんが少くなくともその半数なりそこらの人は「賢人会議」の推せんによって立候補できるようなそういうようなシステムにすべきであると、こういうご意見でありましたが、このようなことを何とか考えていかねばならぬ時機ではなかろうかと思われます。 福沢 そうです。ですから今あなたは「賢人会議」の推せんを受けるというようなことを言いましたが、私は専門家教育ということを言いましたが、趣旨は一緒だと思うのです。底を上げなければいけないということなのです。政治家のね、政治家たるべき資格要件というのは今何もないでしょう。年齢だけですね、何歳以上になったら衆議院議員になり、参議院議員に出られると、年齢条件だけしかないでしょう。それ以上何んにもないでしょう。日本人である限り、これではおかしいというんです。 やはり世の上に立つべき人であるならば、それなりのものを備えていなければいけないということです。ですからいま言ったようなことでもいいと思うんですね、たとえば五割の人がそういった政治家養成の学問所、大学ですね、これは若い人でなくても勿論途中から入り直した人でも結構です。そういったもので一定年間勉強する。三年なり四年なりですね。政治、経済、世界のこと、教育界のこと、様々なことを勉強して頂く、哲学のことも勉強して頂く三年四年ね、それを出て、で、資格を得て、まあそのうちの何割かは例えばそのまま当選してもいいし、あるいは投票によって当選しても結構です。そういう方式をとる。例えば残りの五割なら五割はそういったものを経なくとも、「賢人会議」なら賢人会議、というものによって推せんされた人が、立候補する。そして一定数の得票を得れば政治家になれる。こういうふうにすれば、それはレペルは物凄く上ります。 特に若い人はね、比較的若い人はそういった政治家養成学校で勉強されたらいいし、一定の社会的な地位を得られている方、もう五十代、六十代になってその道においてひとかどの人物としてね、世に認められている人々をもう一回教育し直すというのもこれも考えものです。これはかなり無駄が多いでしょう。こういった人に対してはいわゆる「賢人会議」の人達が推せんをして、推せん受けたならば立候補できると、こういう形にすれば、非常にレペルは上って来ます。政治家のね、それで政治家達もいわゆる哲人政治家に近づいて行くでありましょう。 また政治家になるということが国民達にとってね、政治家というものは非常に信頼と尊敬の的になってくるでしょう。政治家になるためには、やはり優れた人達の推せんもいるのだな、あるいは特別勉強をちゃんと経てですね、常識を得ていなければならないのだな、となると政治家になっている人達というのは本当に選ばれた人達です。投票の数が多いというのではなくてね。――ですから量でね、投票の票数によって当選するというのではなくてね、ある程度、資質によって資格要件が絞れるという理想的なものに近づけると思うのです。今のように高学歴化、高学歴社会においては一定の教育を課するということも無理辺ではないと思うし、たとえば生活に対してですね、不安があるんであるならば、その政治家養成の学校に入るにはですね、入学試験さえ通れば、費用はすべて国持ちでいいと思います。給料を支給していいと思うのです。今のたとえば司法試験というのがありますが、それを合格して判事、検事になる人、あるいは弁護士になるために、「司法研修所」というところへ入れ給料を払って研修を受けさせるようになっていますね、で、司決の方は研修所があって、なんで政治の方にはないのですか、おかしいと思いませんか。司法研修所があるならば、「政治家研修所」があっていいんです。そうですね。やはり専門ですから、そういったものを今の優れた政治家から教わってもいいし、各界の人に教わってもいいです。「政治家研修所」というものを設けなさい。 12.参議院議員は「賢人会議」の推薦者とする 善川 それから現在のわが国の二院制については、ご意見は如何でしょうか。 福沢 これははっきり言って、現在においては参議院というのが良識の府としての機能を殆ど果たしていないということですね。これも問題ですね。参議院というのは良識の府でありますからこれはおかしいですね、今のままでは。衆議院では解散が多くて収入も不安定だというので参議院に居たりですね、参議院に居るのはどうもやはり知名度が高いだけのような人が多いように思います。ですから先程私が言ったこと、あるいは聖徳太子方が言ったことを組み合すとするならば、こういったものでもいいわけです。衆議院議員は当選するには、いわゆる「政治家研修所」の卒業生である必要がある。ところが、参議院議員に当選するにはいわゆる「賢人会議」で推薦受けた人でなければならない。こういったふうにするならば違った質の人達が集まることになると思います。これでもいいじゃないですか。例えば「賢人会議」なら賢人会議から推せんを受ける。例えば科学者なら優れた科学者が居るとする。あなた方の囲りにも居ますね、あるいは数学者でもいい、そういった人達は政治家になろうと思わないでしょう。世界的な数学者居ますね、「広中平祐」さんとか、こういった人居ますね、こういった人に政治家になろうとはしないはずです。けれども賢人会議ではそういう人を推せんするわけです。政治の中では教育問題も大きいから、こういう人達にも入ってもらおうと推せんするわけですね、そしてたとえば一定数なら一定数とれたら参議院議員になれるようにしておけばね、彼らは苦しい投票ね、票集めのための運動なんかやりたくないですよ。そんなことは、そういったことはしなくとも済むようになりますよ。――こういったことでいいと思いますね、それで、衆議院の府というのは民意を反映しなければいけませんからやはり一定の資格を持った人達が選挙で競って投票される。こういったことでいいと思うんです、私はね、――どうでしょうか。 善川 そうですね、そのような方法が将来もっとも望ましい方決であろうと思います。現在においてもコメディアンほかテレビタレントなどが進出して、もう参議院無用論とか議員定数の半減とかいろんなことが論議されているような状況でありますが、心ある人達は何か新しい方向を模索しかけているようでありますが、ここに福沢先生のご意見を私たちを通じて陳べさせて頂くということは大きな刺激になるのではないかと存じます。 福沢 私達のような時代離れした人間からね、意見を聴くとまた違った角度での考えというものができますから、それは今のあなた方にとっては、意外、予想外の考え方になるわけで参考になることも多いと思うのです。 善川 いま、教育の問題、政治の問題についての本来あるべき゛相(すがた)゛というものについての先生のご高見を拝聴いたしましたのですけれども如何でしょうか、その他に、日本人のこれから進むべき道というものについてのご意見がございましたら――。 13.あなた方は新時代への総論創り、各論はこれから生まれてくる 福沢 今一つだけ私は申しときます。この百年間、明治以後の百年間は、どちらかといえば、西洋文明の輸入ということ、輸入してそれを消化して発展させるということに日本および日本国民は努力して来たと思うのです。ですから外国の優れた文化人のことについては非常に日本人はよく知っています。ところが日本の文化人に対しては、例えば、イギリスの人は殆ど知らないというようなのがまだまだ現状であろうと思います。経済力だけが重視されながら、日本の経済が強いということは知りながら、日本にどれだけ優れた人が居るかということは、世界の人びとはまだまだ分っていないと思います。ですから今後私が望むこととして、やはり世界の指導者、世界を啓蒙できるような人、こういった人にどんどん日本から出て来て欲しいと思うのです。「精神修養の書」でもいいです。精神的指導者、日本の精神的指導者がね、アメリカや、イギリスや、フランスや、ドイツにも影響を与えるような人であって欲しいと思います。またそういった書物をどんどん出して行って頂きたいと思います。 恐らくあなた方がやっている活動が、そういった方々を出すための゛肥(こやし)゛になるであろうと思います。日本には日本独自のものが少な過ぎたんです。まあかつてはあったにしても伝統としてしか残っていないのです。日本で独自なものがでてきてそこから、その雰囲気の中から、その醸し出された雰囲気の中からまた日本独自の様々な思想家達が出ていくことを私は望んでいるものであります。 そういう意味において、あなた方がいまやっておられるこのスピリチュアリズムというようなもの、これは一つの宗教ではないはずです。ご存知のように宗教であるならば私が出て来て語る必要などないわけです。私が出て来て教育問題や政治問題を語っているわけです。既にあなた方がいまやっていることは、宗教の枠はもう越えているんです。宗教の枠を越えてね、新たな精神運動、精神波動、新世紀へ向けての精神文明建設へ向けての新たな動きだということです。あなた方の仕事は具体論ではありません。゛各論゛ではありません。あなた方は、この日本という国を中心として、『総論』を創らねばならないのです。これからさまざまな人達が出て来ます。あなた方の教えの裾野からね、いろんな政治家達とか、教育家達とか、科学者とか、また宗教家も出て来るでしょう。いろんな人たち、経済界の人達も出てくるでしょう。あなた方の「総論」を基礎としてね、「各論」はこれから今後何十年にもわたって出ていくのです。今その゛総論創り゛をしているのです。 どうかね、私からもお願いですが、宗教というような一宗一派を起こすような、そういった偏狭な考えではなくてね、日本なり世界の精神を創り変えていくという、塗り変えていくという大きな仕事ということで、大きな「器(いれもの)」を造って下さい。それをお願いしたいと思います。 善川 わかりました。今後、私たちも現在の力だけではどれ程のこともできないと思いますけれども、さらに同志が相集って来ましたならばそのような方向へと進んでいかねばならぬと考えております。特にこれ以上のお教えもなかろうかと思いますが、何か他に私どもへのアドバイスを戴けるものがございましたらお願いいたします。 福沢 あなた自身に関してもね、特にあなたは「霊言集」というものを出しておられますが、この努力は今後共続けられるとよいと思いますのですが、あなた自身もですね、人びとの心の糧となるようなものをご自分でもやがて出して行かれるように、それは長いものである必要はありません。短い文章で、書物であって結構だと思います。私の『学問のすすめ』が、明治という時代を風靡して人びとを教化したように、あんな小冊子なのです。それでも人びとを動かす力はあるんです。当時は゛学問のすすめ゛ということによって、百年のね、日本百年の計を著わしたのであります。それではこれから日本百年の計は一体何であるか、そういったものの簡単なものをね、「導きの書」を出していく必要があると思います。 それにまたこの世の人達は現状に立って物事を考えており、未来のことは分らないのです。あなたおよびあなた方は、私達霊たちのいろんな話を聴いております。私達はある意味において、未来の社会がどうなってくるかということを、予見しているわけです。観ているわけです。それに基づいていろんなことを言っているわけですから、私達の言葉の端々から洩れてくるものを吸収してまとめたならば、今後の社会がどのようなものを要求しており、どのような精神的指導が必要なのかということが、そこはかとなく見えてくるわけであります――。 善川 本日は、われわれに対するご指導のみならず、広く日本国民、特に政治家、教育界の人びとに対しても警醒のお言葉を賜わりまことにありがとうございました。私としては御教訓に基づき誠心誠意努める覚悟でございます。 福沢 よろしいですか、それでは今日はこれで帰らせて頂きます――。 善川 まことにありがとうございました。
https://w.atwiki.jp/fyukiti-katei/pages/60.html
以下は、http //life8.2ch.net/test/read.cgi/live/1185153405/から引用 ◎◎福沢諭吉的家庭論・2◎◎ 13 :中上川彦次郎(諭吉の甥) 2007/08/02(木) 00 56 19 0 情交と肉交との要用は男女の天性に存在するものである。 しかしその区別が明らかであるにもかかわらず、古今の学者は これを軽々しく見過ごしてかつて一度もこの件に論及したことが なかった。 14 :中上川彦次郎(諭吉の甥) 2007/08/02(木) 00 57 43 0 その所見はただ肉交の部内にとじこめられて、他を顧みる余裕もなかった。 昔の聖賢な人物が「男女の間柄を正しくせよ」と教えたのを聞き伝えて、 また読み伝えて、「男女の間柄というのは肉交のことだ。 これを正しくしろということは淫乱を防げとのことだ、 それならばつまり男女は近づき合ってはならない。 夫婦であっても外面では親しくしてはならない」などといって、 学者たちはさまざまな言葉を口にして、また書き記していったのだ。 15 :中上川彦次郎(諭吉の甥) 2007/08/02(木) 01 02 06 0 しかし、その実際は大切なはずの情交の発達を妨げることであり、 これを世の中一般の主義であるとして、 それは国の政治にあたっては法律となり、民間に伝えては風俗習慣となっていった。 なおその上にも男尊女卑の弊害がある中に堂々と居座って、 その教えの矛先はただ婦人の方へ向かい、 婦人をひとり憂鬱の苦しみの中に沈ませることになっていった。 そればかりではなく、男子も共に情交の快楽を失い、 それで今日の無情・殺風景に立ち至り、文明開新の歩みを遅々とさせ原因にもなったのである。 16 :中上川彦次郎(諭吉の甥) 2007/08/02(木) 01 05 01 0 その原因は、つまり学者の不勉強によって情交と肉交との区別を知らなかったために、 男女の関係を論ずる際には全て肉交を根本にして立言してきた罪なのである。 学者の一言一論は、千年もの歳月の歴史を誤らせる。 私は、返す返すも和漢の古学の間違いに不平を言うしかないのである。 19 :中上川彦次郎(諭吉の甥) 2007/08/10(金) 01 04 03 0 情交と肉交とでは互いが独立していて、それそれの働きがあるわけだが、 甲者は必ずしも乙者を伴わないという事実は、開明の人民において最も明白である。 しかし、細かく動物の性情を視察してみると、いかなる野蛮な人物であっても、 肉交を別にして情交の見るべきものもあるし、獣の中でもなおかつ情交の存在することがある。 20 :中上川彦次郎(諭吉の甥) 2007/08/10(金) 01 08 27 0 家畜や野生の別なく、雄と雌の牛が睦まじいのはよく見られることであるが、その理由は彼らが結局は互いに交わって肉欲をたくましくするのだからその快楽のために自然と親睦の情を生ずるためだという人がいる。 この言葉は確かにその通りだろうが、また違う一方から考えることもできる。 それは、獣には発情期に定時があるということだ。 その定時でないときには全く肉欲の発することはない。 21 :中上川彦次郎(諭吉の甥) 2007/08/10(金) 01 14 29 0 また、厩の中に2、3頭の牡馬を同居させたときには必ず喧嘩になるが、 牡と牝を一緒にしたときにはたとえ発情しなくても常に和して実に楽しそうである。 雄雌の親しみ方を見ると、仮に単に肉交の愛のみであるとするならば、発情期以外はその親愛も衰え、厩に同居する牝牡馬も殺伐なること牡馬同士のようになるはずだが、そうならないのは獣の和合が必ずしも肉欲のみに由来しないことを示しているわけだ。ただその性が違うことで自然と情感に相通じるものがあることを知っておくべきである。 これを獣の情交ということもできるだろう。 24 :中上川彦次郎(諭吉の甥) 2007/08/16(木) 23 04 11 0 また、獣でも野蛮な人間でも、肉交を通じる際に両性が互いに その相手を選ばないということはない。人類においては姿形の 醜美を選ぶのが普通であるが、また必ずしも姿形だけではなく、 双方の気風について言い表せないところに微妙な引力が働き合う。 例えば夫婦においても、醜男が美人をめとったり、醜婦が美男子と 結婚することがあるが、諺はこれを「縁は異なもの」などと いう。 25 :中上川彦次郎(諭吉の甥) 2007/08/16(木) 23 10 50 0 思うに、獣の醜美や気風は我々人類が細かく想像できることではないが、 おそらく一種の好悪があるのは事実として明白である。俗にこれを 「毛惚れ毛嫌い」という。今、「人類の男女、獣の雄雌が互いに親しみ 合うのはただ一片の肉欲である」というならば、その相手を求める のに何か醜美、気風がどうのということがあるだろうか。何か毛惚れ 毛嫌いの好悪があるだろうか。 だから、実際にはその反対である。人畜ともにこの一点に敏感なのは どうしてか。両性が互いに引き合うという親和力は、ひとえに肉欲 に由来するわけではないという証拠としてみるべきである。 27 :中上川彦次郎(諭吉の甥) 2007/08/20(月) 00 57 34 0 以上は人畜における普通の事実であるが、単に人類だけについて 見ればさらに著しい者がいる。前に述べたように、獣の肉欲が 発するのは年に時期があって、人類にはこれがない。思うに、 人身の本来をよく考えてみれば発欲に時期がないわけではない。 ただ、獣の場合は年に定まった時があるのに対し、人間は月に 定まった時があるという違いがあるだけだ。 28 :中上川彦次郎(諭吉の甥) 2007/08/20(月) 01 02 33 0 婦人の月経は排卵する際の現象であり、毎月定期的に起きる。 胚胎はそれに伴って行われることになっているから、つまり これが発欲の定期ということになるわけだが、人類の知覚の 発達は非常に特別であるから、その情もまたそれに従って 複雑になっている。 獣が単純に自然に支配されるようなものではなく、ときには その自然に反し、またその自然を制することも自由自在である。 こういった人間の習慣の積み重ねが性質となり、肉欲の発生の 定期性が破られ、今のように乱れているということだ。 29 :中上川彦次郎(諭吉の甥) 2007/08/20(月) 01 14 52 0 以上は進化学の説であるが、この説は無謀であり、人類の力は 既に自然の摂理を制して発欲の定期を破っている。 破る力のある者なら、これを忘れる力もあるはずである。 取ることが自由ならば、捨てることもまた自由なはずである。 だから、裏面から言えば、肉欲の力は獣を制するには十分であるが、 人類にとってはそうではないと言わざるを得なくなる。 人類の肉欲の炎は獣に比べて穏やかなものであるというならば、 その男女の関係もひとえに肉交の関係だけではなく、情交の 働きを許すに綽々然として余地があるべきなのは、簡単な道理 ではないか。これはつまり人類が特に獣と異なる点であり、これを 名づけて「万物の霊」というのも、また偶然ではないだろう。 31 :中上川彦次郎(諭吉の甥) 2007/08/24(金) 06 43 43 0 これを実際に証してみると、古来、支那の帝室には宮女が三千人いた といい、日本でも封建の時代には大名や高家では多くの婦人を養って いた。主人一人の周囲には幾十幾百の妾や侍女がいたが、肉欲を 慰めるという一段になると、その婦人らの大数はほとんど無用の ものになるといわざるを得なかった。 また、今の世間の若い男子が芸妓を買って愉快になったり、女子が 俳優や芸人を愛する場合でも、少数を除いては、必ずしも直接の 肉欲を促すには至らない。 32 :中上川彦次郎(諭吉の甥) 2007/08/24(金) 06 48 55 0 だから、古来、和漢の王公貴人が無用の婦人を養い、世間の少年や 女子が肉欲を求めないにもかかわらず、男は女を近づけ女は男を 愛するという現象は、両性固有の天賦、異性が互いに引き合うという 性質を持つゆえであり、これが情交の実際であると明言することが できるだろう。 草木の花は見ているだけで十分に目を喜ばせるが、ましては男女が 互いに見あうということについては、言うまでもない。 その愛すべきは花でありながら微笑み語るものであるに等しい。 36 :中上川彦次郎(諭吉の甥) 2007/08/31(金) 23 08 38 0 解語の花(人情の機微のわかる立派な人物)とは、男子が美婦人を 評したときの言葉であるが、婦人の目から男子を見れば、同様に 解語の花でなければ有情の松柏といえるだろう。ゆえに両性が お互いに引き合ってよろこびあうという情は、天然の紅花緑葉を 観て喜ぶという情のさらに上を行くものであり、その軽重や厚薄 こそ違っていても、その趣は同じである。 37 :中上川彦次郎(諭吉の甥) 2007/08/31(金) 23 10 14 0 つまり、情交の妙なさまはここにある。情交が肉交に関係ないのは、 世の中の人が口に出しては言わないが少し考えれば明らかに気づく ことであろう。 38 :中上川彦次郎(諭吉の甥) 2007/08/31(金) 23 14 10 0 男女の情交は肉交とは離れて独立すべきだということは前節に 記したとおりであり、道理のおいても事実においても争うことが できないものだ。しかし、古人がひとたび貞節などという教えを 立ててからは、後世の学者がただその教えの文字にこだわり続け、 開け行く時代になっても変通の方法を知ることがなく、古い教えを 世の中の実情に適応させることを研究してこなかったのはよく なかった。 39 :中上川彦次郎(諭吉の甥) 2007/08/31(金) 23 18 47 0 貞節と対照的なものとして淫乱の二文字をあて、貞でないものは 必ず淫である、淫を防ぐ方法はこれこれこうである、といって、 その間に少しの余裕も許さず、ますます両性の関係を窮屈にして、 双方にその区域を限り、男女は互いに近づくべからず、語るべからず、 触れるべからず、見るべからずと言ってきたのである。 人々の事情を考えることもなく、一切その主義で通して世の中を 組織させ、数千百年来既にその習慣が続いてきた。 40 :中上川彦次郎(諭吉の甥) 2007/08/31(金) 23 22 23 0 特に徳川の政治の太平にあった250余年のその間に、人々の心は 次第に萎縮して用心堅固を旨とするようになり、男女の交際に ついても臆病になり、進んで危険をおかすよりもむしろ退いて 安全でいようという気風を醸してきた。婦人を人間交際の外に 排除し、あってないような存在の地位に陥らせたのは、わが国の 一大不幸というべきものだ。 42 :中上川彦次郎(諭吉の甥) 2007/09/05(水) 22 53 24 0 習俗というものは、一度人の心に染み付いた以上は、天下をも支配し、 また天下を圧制して、いかなる有力者といえどもこれに抵抗する ことはできなくなる。これを「社会の圧制(慣例の専制)」と呼ぶ。 政府の法律は厳格なものであるが、実際に接するのは非常に稀なため、 たとえ圧制であってもなお堪えることができるが、社会の圧制は 朝々暮々、人の心身の自由を犯して片時も止まることがない。 そればかりではなく、その勢力の増大もまた法律の比ではない。 男女近づくべからず、男子は外を務め婦人は内にあるべしとは、 古い教えの大きな主義、習俗によるものであり、社会の圧制は 厳にこの一主義を守って少しも容赦することがないのだ。 44 :中上川彦次郎(諭吉の甥) 2007/09/11(火) 00 12 53 0 これを実際に象徴しているものがある。それは、古来、日本国において 朋友と称した交際が行われているのは男子だけである。婦人に朋友の ある者はいない。朋友がいないということは交際もない。 そのため、婦人が人に接する機会といえば親戚くらいのものであり、 その交際もまた、ただ親戚の間に音信があるだけである。 稀に、あるいは夫や父、兄に従って他人が集まる場所へ出席することが あっても、ただ出るというだけで、談笑も飲食もせず、あたかも 座末に男子に加わって、他の者をただ見ているだけである。 45 :中上川彦次郎(諭吉の甥) 2007/09/11(火) 00 19 50 0 まさに、社会の圧制によって、もともと内にあるべき者が外へ 出たためである様子は怪しむに足らない。では家にいればどうかと いうと、婦人に朋友がないなら、訪ね来る人もいないだろう。 夫や父、兄の朋友が訪ねてくることがあっても、もともとその 家の婦人、女子を知らないのだから、面会することもない。 たとえ知っていても、男子が留守のときには客に「面会は不都合だ」 といい、客もまた不都合だと思ってあえて面会を求めることは しない。 このように、日本の婦人が内を治めるといっても、その内なる ものは一家の内のそのまたその奥の内であり、表へは力を及ぼす ことができない者のようである。
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備品名 個数 持ち主 備考 福沢諭吉 100人 はちみつ yyyyyyyyyyyyyyyyyyy 福沢諭吉 100人 はちみつ 福沢諭吉 100人 はちみつ 福沢諭吉 100人 はちみつ 福沢諭吉 100人 はちみつ 寝袋 3 鈴木 現在、paint_bbsプラグインはご利用いただけません。
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ふくざわぎじゅくだいがく【福沢義塾大学】[名詞] 慶應義塾大学の愛称。言わずと知れた福沢諭吉氏が創立。
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脱亜論(だつあろん)とは、明治18年(1885年)3月16日、「時事新報」紙上に掲載された社説を指す。 「脱亜論」は福澤諭吉が執筆したとされているが、原文は無署名の社説である。昭和8年(1933年)に慶應義塾編『続福澤全集〈第2巻〉』(岩波書店)に「脱亜論」が収録されたため、「脱亜論」は福澤が執筆した社説と考えられるようになった ref name= seiyorikai 平山洋 「福沢諭吉の西洋理解と「脱亜論」」『西洋思想の日本的展開—福沢諭吉からジョン・ロールズまで』西洋思想受容研究会、慶應義塾大学出版会、2002年 ISBN 978-4766409512 を参照。。 概要 以下、「脱亜論」の原文脱亜論からの引用を含む。 第1段落より まず、執筆者は交通手段の発達による西洋文明の伝播を「文明は猶麻疹の流行の如し」と表現する。それに対し、これを防ぐのではなく「其蔓延を助け、国民をして早く其気風に浴せしむる」ことこそが重要であると唱える。 その点において日本は文明化を受け入れ、「独リ日本の旧套を脱したるのみならず、亜細亜全洲の中に在て新に一機軸を出し」、アジア的価値観から抜け出した、つまり脱亜を果たした唯一の国だと評する。 第2段落より その上で、「不幸なるは近隣に国あり」として、支那(清)と朝鮮(李氏朝鮮)を挙げ、両者が近代化を拒否して儒教など旧態依然とした体制にのみ汲々とする点を指摘し「今の文明東漸の風潮に際し、迚も其独立を維持するの道ある可らず」と論じる。 そして、甲申政変を念頭に置きつつ ref name= seiyorikai / 両国に志士が出て明治維新のように政治体制を変革できればよいが、そうでなければ両国は「今より数年を出でずして亡国と為り」、西洋諸国に分割されてしまうだろう、と予測する。 その上で、甲申政変における清軍の市民への乱暴狼藉を暗に挙げ ref name= seiyorikai / 、このままでは西洋人は清・朝鮮両国と日本を同一視してしまうだろう、それは「我日本国の一大不幸」であると危惧する。 そして、「悪友を親しむ者は共に悪名を免かる可らず。我は心に於て亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり」といい、両国とは縁を切り、日本一国で近代化することが望ましいと結んでいる。 「脱亜論」掲載前後の論説 「脱亜論」掲載前の論説 「脱亜論」の約3週間前の明治18年(1885年)2月23日と2月26日に掲載された論説に、「朝鮮独立党の処刑(前・後)]」「朝鮮独立党の処刑(前・後)」がある。 静岡県立大学国際関係学部助教の平山洋は『福沢諭吉の真実』(文春新書、文藝春秋)、200-203ページ、において、「脱亜論」がこの論説(後編)の要約になっていることに注意している。 そこでは、次の記述が「脱亜論」にも影響を与えたのではないかと指摘している(201ページ)。 人間娑婆世界の地獄は朝鮮の京城に出現したり。我輩は此国を目して野蛮と評せんよりも、寧ろ妖魔悪鬼の地獄国と云わんと欲する者なり。而して此地獄国の当局者は誰ぞと尋るに、事大党政府の官吏にして、其後見の実力を有する者は即ち支那人なり。我輩は千里遠隔の隣国に居り、固より其国事に縁なき者なれども、此事情を聞いて唯悲哀に堪えず、今この文を草するにも涙落ちて原稿紙を潤おすを覚えざるなり。 「脱亜論」掲載後の論説 「脱亜論」の5ヶ月後に掲載された論説に、「朝鮮人民のためにその国の滅亡を賀す」「朝鮮人民のためにその国の滅亡を賀す」がある。 政府による「私有財産と生命、一国民としての栄誉の保護」が行われない朝鮮の国民であるよりも、各地で支配力を有するようになっていたイギリス人やロシア人に支配される方が、朝鮮の人々(朝鮮人民)にとっては幸福ではないかと強い語気で主張している。この論説の結尾はこの通りである。 「故に我輩は朝鮮の滅亡、其期遠からざるを察して、一応は政府のために之を弔し、顧みて其国民の為には之を賀せんと欲する者なり。」 脱亜論を巡る議論 中国・韓国での評価 中国・韓国では、「脱亜論」は「アジア蔑視および侵略肯定論」であり、福澤諭吉は侵略主義者として批判的に取り上げられている。一例として、下記の林思雲の論文中で言及されている中国内での理解、そして韓国の新聞中央日報に掲載された金永熙(キム・ヨンヒ)国際問題大記者執筆の2005年11月25日のコラム「日本よアジアに帰れ」「日本よアジアに帰れ」がある。 なお、下記の林思雲の論文によれば、現在では氏による「脱亜論」全文の中国語訳が公開されている。 日本での評価 日本の初等・中等教育の歴史教科書においても、「脱亜論」を「日本が欧米列強に近づくためにアジアからの脱却を唱えた物で、日本がアジアの1ヵ国であることを否定している」と定義付け、「日本人がアジアを蔑視する元となった論文」と教えていることが多い。が、この論文に至った甲申事変や当時の歴史背景を教えてない事も多く、「脱亜論」の一部だけを取り上げて、「脱亜論」を正しく解釈していない、と言う意見も存在する。 これにつき『福沢諭吉書簡集』の編集委員であった西川俊作は「この短い(およそ2,000字の)論説一篇をもって、彼を脱亜入欧の「はしり」であると見るのは短絡であり、当時の東アジア三国のあいだの相互関連を適切に理解していない見方である」と指摘する。『福沢諭吉著作集〈第8巻〉』、慶應義塾大学出版会、2003年、402ページ、ISBN 978-4766408843。395ページからの西川による解説のうち、特に401ページ「福沢諭吉にとっての朝鮮問題」以降を参照。「脱亜論」前後の時事新報諸論説がコンパクトに解説されている。 また、坂本多加雄元学習院大学法学部教授は、甲申政変の失敗と清国の強大な軍事力を背景にして、「「脱亜論」は、日本が西洋諸国と同等の優位の立場でアジア諸国に臨むような状況を前提にしているのではなく、むしろ逆に、朝鮮の一件に対する深い失望と、強大な清国への憂慮の念に駆られて記された文章ではないか」と説明する。坂本多加雄 『新しい福沢諭吉』 講談社〈講談社現代新書〉、1997年、216ページ、ISBN 978-4061493827。214ページから217ページまでの「「脱亜論」をどう読むか」を参照。 さらに、政治学者の丸山眞男は、甲申事変が三日天下に終わったことの挫折感と、日本・清国政府・李氏政権がそれぞれの立場から甲申事変の結果を傍観・利用したことに対する不満から、「「脱亜論」の社説はこうした福沢の挫折感と憤激の爆発として読まれねばならない」と説明する。 丸山眞男 「『福沢諭吉と日本の近代化』序」『福沢諭吉の哲学 他六篇』 岩波書店〈岩波文庫〉、2001年。ISBN 978-4003810415 282 - 283ページを参照。 そして、東京大学名誉教授の坂野潤治は、福澤の状況的発言は当時の国際状況、国内経済などの状況的認識と対応していることを強調し、甲申事変が失敗したことにより状況的認識が変化して「脱亜論」が書かれたと説明して、「これを要するに、明治十四年初頭から十七年の末までの福沢の東アジア政策論には、朝鮮国内における改革派の援助という点での一貫性があり、「脱亜論」はこの福沢の主張の敗北宣言にすぎないのである。福沢の「脱亜論」をもって彼のアジア蔑視観の開始であるとか、彼のアジア侵略論の開始であるとかいう評論ほど見当違いなものはない」と喝破している。坂野潤治 「解説」『福沢諭吉選集〈第7巻〉』 富田正文編、岩波書店、1981年、337-338頁、ISBN 978-4001006773。331-335頁の4章における「アジア改造論」の解説と、336-338頁の5章における「脱亜論」の解説を参照。 他には、興亜論へのアンチ・テーゼとして「脱亜論」が発表されたとの考えもある。 林思雲 「福沢諭吉の「脱亜論」を読んで」の第六段落、第七段落、第八段落、第九段落に、興亜論の簡易な説明が掲載されている。そして、当時の考えに当たるのであれば、樽井藤吉著『大東合邦論』が良い。アジア主義も参照。 また、名古屋大学名誉教授の安川寿之輔は、初期の福澤の思想にも国権論的立場を見出し得るのであるから、「脱亜論」がそれ以前の福澤の考えと比較して特段異なるものとはいえないと指摘する。 ちなみに、小説家の清水義範は、小説中の文学探偵が「脱亜論」を読んだ感想として、次のように語らせている。清水義範 『福沢諭吉は謎だらけ。心訓小説』 小学館、2006年、229頁、ISBN 978-4093861670。「八、ついに福沢諭吉の最大の謎にぶつかる章」の224-235頁を参照。「日本は文明国だから、中国、朝鮮を支配していい、なんて考えておらず、当然のことながらそんなことは書いていない。むしろ、西洋列強の野望渦巻く苛烈な国際情勢下で、ひとり先に文明開化した日本が独立をまっとうせんがためには致し方なく中国、朝鮮と袂(たもと)を分かたなければいけない……それが脱亜という選択肢である」 なお、最近の研究では、「脱亜論」が時事新報に掲載された無署名論説であることに着目した論説執筆者判定が展開されている。 井田進也『歴史とテクスト―西鶴から諭吉まで』、光芒社、2001年、ISBN 978-4895421898を参照。高橋義雄起草・福沢諭吉加筆または福沢諭吉単独執筆が展開されている。 また、福澤が「脱亜 b 入欧 /b 」という語句を一度も使用していないことに注意する必要がある。 丸山眞男は次のように言及する。(「『福沢諭吉と日本の近代化』序」『福沢諭吉の哲学 他六篇』 岩波書店〈岩波文庫〉、2001年。ISBN 978-4003810415 282ページから引用。)「「入欧」という言葉にいたっては(したがって「脱亜入欧」という成句もまた)、福沢はかつて一度も用いたことがなかった。」 別の解釈 Template 独自研究? 「亜細亜東方」と言う表現は「支那」、「朝鮮」の二国のみを指す解釈が一般的に浸透しているが、文中で「支那」、「朝鮮」の二国は「支韓」又は「支那、朝鮮」と表現しており「我日本の国土は亜細亜の東辺に在りといえども」とある様に日本は亜細亜の中の東に位置すると文中で執筆者が記述をしているため「亜細亜東方」と言う表現は「日本」も含めて解釈すべき表現である。 「脱亜」と言う表現も「独り日本の旧套を脱したるのみならず、亜細亜全洲の中に在て新に一機軸を出し、主義とする所はただ脱亜の二字に在るのみ。」と日本だけが近代化をするのではなく日本は亜細亜の一員として新たな文化、文明を発信すべき国と記述をしており、その上で旧態依然の亜細亜を変えて行く事を「脱亜」と表現している。 「我国は隣国の開明を待て、共に亜細亜を興すの猶予あるべからず、むしろ、その伍を脱して西洋の文明国と進退を共にし、」に関しては「支那」、「朝鮮」と近代化の足並みが揃うのを待って共に亜細亜を近代化するのではなく、さらに日本は発展をすべく、まず西洋文明国と足並みを揃えるべきだとある。 儒教に関して儒教を否定する様な解釈もあるが「この文明日新の活劇場に教育の事を論ずれば儒教主義と云い、学校の教旨は仁義礼智と称し、一より十に至るまで外見の虚飾のみを事として、その実際に於ては真理原則の知見なきのみか、」と執筆者は儒教自体を否定するのではなく、旧態依然の体制の中でよくある「論語読みの論語知らず」の状態が長い間続いており、儒教の思想自体があまり機能していない事を指摘している。 執筆者が「支那・朝鮮が劣っている」と述べていない事にも着目し、文明化を拒否し旧態依然の体制にのみ汲々とする両国政府の問題点を挙げ、近代化の遅れによる列強国の干渉や日本への影響も懸念しており、そのため両国に志士が出て政治体制を改革することを期待さえしているのであるとする見解もある。 隣国との挨拶に関しては「その支那、朝鮮に接するの法も、隣国なるが故にとて特別の会釈に及ばず、まさに西洋人がこれに接するの風に従て処分すべきのみ。」と当時、礼儀作法として行われていたひざまずく様な挨拶ではなく、西洋人の挨拶である握手や軽い抱擁程度でお互いの挨拶を済ませるべきだと記述されている。 「悪友」は文中の「稀にその町村内の一家人が正当の人事に注意するも、他の醜におおわれて埋没するものに異ならず。その影響の事実に現われて、間接に我外交上の故障を成すことは実に少々ならず、我日本国の一大不幸と云うべし。」から来ており、「日本」、「支那」、「朝鮮」の三国の外交を阻害する者達を指す。「悪友を親しむ者は、共に悪名を免かるべからず。」に関してはその後の東アジアの状況を予言したものとなる。 その上で「我は心に於て亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり」と三国の外交を阻害する者達とは今後謝絶をすると結んでいる。 歴史と影響 以下、静岡県立大学国際関係学部助教の平山洋による『福沢諭吉の真実』(文春新書、ISBN 4-16-660394-9)、pp.82-85、pp.193-239 からの情報を要約する。 1885年3月16日に脱亜論は新聞『時事新報』の社説として掲載された。原文は無署名の社説で、本文はカタカナ漢字表記、長さは400字詰原稿用紙で約6枚である。(pp.195-196) 1885年には、「脱亜論」に対するコメントは見つかっていない。平山の調査によると、1885年3月16日以後の『時事新報』には、「脱亜論」に関する引用は発見されていない。また、1885年3月17日から3月27日にかけて、新聞『東京横浜毎日新聞』、『郵便報知新聞』、『朝野新聞』にもコメントが発見されていない。その結果、平山は1885年には「脱亜論」は何の反響も引き起こさなかったと推定している。(p.203) その後、1885年から1933年まで「脱亜論」に関するコメントは発見されていない。そのため、平山は、「脱亜論」は48年間、忘れられていたと推定している。(p.203) 1933年7月、「脱亜論」が慶應義塾編『続福澤全集』(岩波書店)に収録された。1933年から1951年までの間、「脱亜論」に関するコメントは見つかっていない。(pp.204-208) 平山の調査によると、「脱亜論」に関する最初のコメントは、1951年11月に掲載された、歴史学者の遠山茂樹による「日清戦争と福沢諭吉」(『福沢研究〈第6号〉』)の中に発見された。遠山は、「脱亜論」を日本帝国主義のアジア侵略論と紹介した。(pp.209-210) 2番目のコメントは、1952年5月に発行された、歴史学者の服部之総による「東洋における日本の位置」(『近代日本文学講座』、河出書房)の中に発見された。(p.214) 3番目のコメントは、1953年8月に発行された、歴史学者の服部之総による「文明開化」(『現代歴史講座』、創文社)の中に発見された。(p.217) 4番目のコメントは、1956年6月に発行された、歴史学者の鹿野政直による『日本近代思想の形成』(新評論社)の中に発見された。(p.218) 1960年6月に、富田正文・土橋俊一編纂の『福澤諭吉全集〈第10巻〉』(岩波書店)に「脱亜論」が収録された。 5番目のコメントは、1960年6月に発行された、地理学者の飯塚浩二による「アジアと日本」(『アジアのなかの日本』、中央公論社)の中に発見された。(pp.219-220) 6番目のコメントは、1961年6月に発行された、政治学者の岡義武による「国民的独立と国家理性」および中国文学者の竹内好による「日本とアジア」(『近代日本思想史講座』、筑摩書房)の中に発見された。(pp.220-224) 1963年8月に、竹内は『現代日本思想大系〈第9巻〉』(筑摩書房)の解説「アジア主義の展望」に「脱亜論」の全文を引用している。(pp.221-222) 1967年4月に、西洋思想史研究者河野健二の『福沢諭吉——生きつづける思想家』(講談社)が発行された。1967年12月に、鹿野政直による『福沢諭吉』(清水書院)が発行された。両書は「脱亜論」へのコメントを含む新書版であったため、以来、「脱亜論」は日本帝国主義の理論として有名になった。(pp.224-225) 1970年代には同様なコメントをつけた論説が多く発行された。(pp.226-227) 1981年3月に、政治学者の坂野潤治は『福沢諭吉選集〈第7巻〉』(岩波書店、ISBN 4-001-00677-4)の解説で、「脱亜論」の新しい解釈を提示した。坂野は「脱亜論」を朝鮮近代化の挫折に対する敗北宣言と解釈した。(p.227) 1996年、比較文学者の井田進也は文体と語彙による起筆者判定方法(井田メソッド)を開発した。井田は『時事新報』の無署名論説に井田メソッドを適用して起筆者を判定している。(p.239、pp.82-85) 脚注 Template Wikisource? 外部リンク 平山洋氏の仕事(平山洋) 「脱亜論」 東谷暁インタビュー: 平山洋 福沢諭吉「脱亜論」の真実 福澤諭吉の西洋理解と「脱亜論」 「脱亜論」紹介年表 脱亜論 脱亜論 (縦書き) isa訳『福澤諭吉の「脱亜論」』 (縦書き) ウェブでしか読めない|時事新報史 第16回:朝鮮問題② 「脱亜論」の周辺(都倉武之) 〈記憶をつくるもの〉独り歩きする「脱亜論」(朝日新聞) 林思雲「福沢諭吉の「脱亜論」を読んで」 林思雲の「脱亜論」中国語訳 Template lang? Template lang? Template lang? 参考文献 井田進也 『歴史とテクスト―西鶴から諭吉まで』 光芒社、2001年。ISBN 978-4895421898 杵淵信雄 『福沢諭吉と朝鮮―時事新報社説を中心に』 彩流社、1997年。ISBN 978-4882025603 坂本多加雄 『新しい福沢諭吉』 講談社〈講談社現代新書〉、1997年。ISBN 978-4061493827 清水義範 『福沢諭吉は謎だらけ。心訓小説』 小学館、2006年。ISBN 978-4093861670 西川俊作 「解説」『福沢諭吉著作集〈第8巻〉時事小言・通俗外交論』 慶應義塾大学出版会、2003年。ISBN 978-4766408843 坂野潤治 「解説」『福沢諭吉選集〈第7巻〉』 富田正文編、岩波書店、1981年。ISBN 978-4001006773 平山洋 『福沢諭吉の真実』 文藝春秋〈文春新書〉、2004年。ISBN 978-4166603947 平山洋 「福沢諭吉の西洋理解と「脱亜論」」『西洋思想の日本的展開―福沢諭吉からジョン・ロールズまで』、西洋思想受容研究会、慶應義塾大学出版会、2002年。ISBN 978-4766409512 平山洋 「中国に「福沢諭吉は『アジア侵略論』者だ」と言われたら」『歴史の嘘を見破る―日中近現代史の争点35』、中嶋嶺雄編、文藝春秋〈文春新書〉、2006年。ISBN 978-4166605040 丸山眞男 『福沢諭吉の哲学 他六篇』 岩波書店〈岩波文庫〉、2001年。ISBN 978-4003810415 安川寿之輔 『福沢諭吉のアジア認識―日本近代史像をとらえ返す』 高文研、2000年。ISBN 978-4874982501 安川寿之輔 『福沢諭吉の戦争論と天皇制論―新たな福沢美化論を批判する』 高文研、2006年。ISBN 978-4874983669 関連項目 高橋義雄 福澤諭吉 井田進也 坂野潤治 遠山茂樹 西川俊作 服部之総 平山洋 丸山眞男 安川寿之輔 清水義範 脱亜思想 脱亜入欧 日本帝国主義 特定アジア 嫌韓・嫌中・反中 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年5月28日 (水) 20 23。
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【福翁百話26】 子に対して多を求むるなかれ 子として親に孝行すべきなのは言うまでもない。 母の胎内を出たそのときから、父母が心身を尽くして養育につとめ、千辛万苦、 一点も自分のためでないのだから、その恩に報いるには孝養を 以ってするのが当然の義務であり、不孝者は人にあらざる者である。 孝行といっても、特にほめられるほどのことではないが、 私はここで世の中の父母に向かっていささか注意を述べたいことがある。 それは、その子供に求めるものが、ちょっと多すぎるのではないか、ということである。 子供を産んで養い、教えるのは父母の愛情であるばかりではなく、 今の社会の組織において逃れることのできない義務である。 ならば、その義務に従い、愛情を尽くして自分の子供を養育し、その心身を純良活発に導いて、 孝行の道に従わせるのは当然のことである。 もし子供がそれに従わないのであれば子供を責めても よいし、叱咤してもよいし、全て父母の権利に属するところである。 しかし、一歩を進めて親自身が自分の肉体の保養を子供に促すことにいたっては、 いささか望みとしてはその区域を脱しているだろう。 そもそも人生独立の原則からいえば、生まれて父母に養われて身分相応の教育を受けたあとは、 死にいたるまで自活の覚悟がなくてはならない。 つまり、心身が丈夫であるうちに懸命に働いて衣食するのと同時に、老後の用意をしておくのが肝要である。 老後の用意があるならば、一切他人を煩わせることがないのはもちろんのこと、 たとえ一番親しいであろう子供に対しても、 ただその情を厚くして優しく愛するだけで、他に求めることはないだろう。 534 名前:諭吉[] 投稿日:2006/12/11(月) 00 25 27 中には子供として父母を思う情が高まって、老後を楽に過ごして もらおうとして、子供が財物を与えることもある。その場合には 他人行儀に辞退する必要はないが、この財物を受けて楽に過ごす といっても、広い世間の中には往々にして勘違いを起こし、私たちは 父母だ、お前は子供だ、子供が父母を養うのは当然の義務だといって、 一切の生計を子供に負担させる者もいないではない。また、ひどい 者になると心身がまだ丈夫であるにもかかわらず隠居などと称して ひたすら子供に頼り、そればかりか子供に多くを求め、苦しめて、 自分は度を越えた贅沢をする者もいないではない。これはまことに 苦々しい風俗であり、下等社会において娘の身を売って家計の足しに するような大悪事が行われるのも、この風俗の余波であろう。 535 名前:諭吉[] 投稿日:2006/12/11(月) 00 41 52 また、中流以上の家においても、子供を教育することを父母の義務で あるとは思わないで、密かに経済上の予算を設け、この子が教育を 受ければ父母の身は安楽であるといって、少々の学問を受けたばかりで 年齢的にはまだ小さい子供を働かせて生活費を稼がせようとする者 もいる。事柄の醜美こそ異なるが、子供を犠牲にするのは娘を売るのと 全く違いがない。父母の無慈悲といってよい。 このように、父母は慈愛深くして子は孝行を尽くし、互いの間に 隔意なしとはいいながら、その子供が成長して独立した男女となったら、 父母が求めることにも自然と制限が必要となってくる。 ましてや、親子の間に財物の争いが起こって、かえって大切な情を 壊すことさえもあるのだから、よくよく注意すべきである。
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ひとこと! なにかございましたらぜひどうぞ。 まとめwiki立ち上げてくれた人ありがとう諭吉先生の話はあまりにも長過ぎて更新するたびに心がくじけそうですが、改めて読み返してみるとやはり面白いですね -- 更新手伝いA (2007-05-01 15 05 11) Aさんありがとうございます。このままDAT落ちしたらものすごくもったいないと思い立ち上げました。手伝ってくださってありがとうございます。今後もよろしくお願いします -- 管理人 (2007-05-24 20 41 21) 名前 コメント テスト -- てすと (2007-04-26 00 48 06)