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ギザ十と幽霊少女とご先祖様と組織の狗 26 イッちゃんの命令通り、施設内の感情を持つ「黒服」達を潰していく ゾロゾロと、ボクの袖口から這い出る虫たちは、施設に乱立する「人型」を避けながら 意識を持つ「黒服」に群がると、穴という穴から体内へと進入し内部を掻き回し食い破り破壊する。 死滅した「黒服」達を、可愛い虫たちの眼を介して見ながらボクは呟いた。 「これで、イッちゃん許してくれるかなぁ…」 苦虫を噛みしめたようなイッちゃんの表情を思い出す、きっと怒っている、イッちゃんは怒ってないって言ったけど。 ボクのこと、嫌いになったかも……溜息を吐きながら、ふと、西区のエレベーターを監視していた虫から報告。 「え、神さまのお兄ちゃんが、進入してきた?」 突然姿を見せなくなった彼がどうして突然、この場に現れたのかは分からない、でも… 「神さまのお兄ちゃんを倒したら、きっとイッちゃんも褒めてくれるよね?」 幸いイッちゃんの命令は、「黒服を消すこと」、あのお兄ちゃんも、黒服化してるみたいだし命令違反にはならないよね。 周りの虫たちを集め、一つの塊を作り出す、一瞬ザワリと波打ったかと思うとボクそっくりの姿に擬態した虫の群体が完成した。 「じゃ、お願いね、もう一人のボク」 満面の笑顔を、ボクに返しながら、もう一人のボクが虫たちを従えて西区のエレベーターへと向かっていく。 それを見送りながら、北区を監視させていた虫たちに、さらなる命令をにボクは下す。 「さて、北区からも、いっぱい鼠さん達がやってくるね、ボクの可愛い「トゲアリトゲナシトゲトゲ」、あんな齧歯類なんかに負けちゃ駄目だよ―」 ゾワリゾワリと、群れを成して敵の元へと向かっていく虫たちに手を振る。 ボクが居る限り、イッちゃんには誰も手を触れさせない。 イッちゃんがボクの感情を消そうとしていることは分かってる、今回の事でイッちゃんがボクの事を嫌いになっちゃった事も。 それでも、かまわない、ボクはイッちゃんの為に、イッちゃんと一緒にいる為に、敵を排除する。 「だってねー、ボクはイッちゃんの事が大好きなんだもん」 仕方ないよねー にっこりと、ボクは周りで蠢く虫たちに笑いかけた。 前ページ次ページ連載 - ギザ十と幽霊少女とご先祖様と組織の狗
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前ページ次ページ上条さんと美琴のいちゃいちゃSS/わたしのヒーロー 6.お姉さま 普段は気さくに人と接しているようではあるけれど、その実、心の中では他者を頼ることのできないお姉さま。そんなお姉さまだからこそ基本的に他人の話をしない。 わたくしが聞いたことがある他人の話は、お母様とお父様のことくらい。 もっと他人を頼ってほしいですの…わたくしもお姉さまの心に刻まれる人間の一人になれているのでしょうか? しかし、ある日、お姉さまの口からご両親様以外の人物の名前が語られることとなった。その名は、上条当麻。 どう転んでもこれは男の名前…きーっ!異性には興味がないと思っていただけにこれは意外だった。 佐天さんや初春が流行の歌手、ひとついはじめ?そのことで盛り上がっていても、まるで意に介していないご様子だったので。 女子どうしのコイバナでも、適当な芸能人の名前をだしてコイツいいかも?とおっしゃられますものの、その表情から興味がないことがうかがえた。 お姉さまは、上条当麻の話をしている時だけは、いつもとキャラクターが違う。 常日頃から模範生、レベル5としてプレッシャーと戦っているためか常に自分を律して厳しく生きているお姉さま。 レベル5ともなると、力の制御を誤ると災害レベルの被害を周囲に及ぼす。自分を制御できる人間でなければならないのだ。 それが、彼の話を始めるとレベル5のイメージは崩壊をはじめ、キャッキャとはしゃぐただの一人のかわいい女の子になってしまう。 本人は「なに勘違いしてんのよ!」と、顔を赤くして否定するが、それは好意の他の何ものでもない。 わたくしの身も心も虜にするお姉さまを虜にする男…そんな男がどんな人物か、チェックするしかなかった。 わたくしがジャッジメントの仕事で目を離した隙にお姉さまはどこで何をしているのか? 仕事が早く終った日があったので、お姉さまのあとをつけてみた。公園の自販機前で誰かをそわそわと待っている… こ、これはまさか…しばらく待つと通学ルートなのか、特徴的な髪形の男子学生があらわれた。 その姿を認めるとお姉さまはそわそわとした態度を改め、いつもの何事にも物怖じしないような強気の態度に変わり、 「偶然会ったわね。今日こそ勝たせてもらう!」 と、元気な表情で男にくってかかっていった。待ち伏せしていたのに、偶然を装うとはこれまた… お姉さまは同年代の少女たちの間では大人びた「お姉さま」であり、相手のことを気遣い、模範的な人間として生きようとしている。 それが上条当麻の前では、歳相応にワガママで、自分の意見をおしつけ、ことあるごとにつっかかっていく。 お姉さまは、低レベルから最高レベル上り詰めた稀有な存在なので、低レベル者の気持ちがわかる。 だから、普段は初春や佐天さんと接する時も、そのことを組んで接している。 それが上条当麻に対してだけは、「レベル0の分際でわたしの電撃消してんじゃないわよ!」と、なりふり構っていられない子供のようだ。 口ではそうとうな憎まれ口を叩いているが、表情はそれと裏腹で、いつもと違った無邪気さと輝きを放っている。 その姿は大好きなお父さんに構ってよ!と、ジャレる子供を連想させる。 わたくしには見せたことのないお姉さまの姿を引き出す上条当麻に嫉妬の感情を覚える。 いえ!このような感情を持っては大能力者としてまだまだですわ…今日の上条チェックはここまでとしますの… しかし、8月15日からお姉さまの様子が変わられた… いつも自分を律しておられるお姉さま、わたくしが原始的な(ぐぇへへ)コミュニケーションで、心をほぐそうとしても、完全にはその壁を取り外してくださらないお姉さま。 それでも、いつもは美しい笑顔と、その清らかなお声でわたくしに活力をくださるお姉さまだったのに、その日からお姉さまの優しい笑顔が消えた。 口では「大丈夫だから気にしないで…」とおっしゃってましたが、そのご様子はただ事ではないことがお姉さまの身に起こったことを物語っていた。 もしかして、ご両親がなくなられた?上条当麻との間に確執ができた? 「アイツってね。わたしの電撃を消しちゃうのよ。きっとすごい能力者のはずなのに、俺はただの弱い善良な市民だってオドオドしちゃって…ふざけてるんじゃないっつーの!わたしに追っかけまわされるのが嫌だからって…あんな態度とって、ほんとムカツクわ。」 「アイツってね。見かけるとたいてい人助けやってるんだ。きっとわたしが近づくと、わたしのこと意識しちゃって、いいとこ見せようとしてあんなことやってんのよ!レベル5のお嬢様の気をひこうったって無駄なのよ!ムカツク!」 「アイツってね。すごい貧乏なんだ。いつもスーパーの特売だ、特売だって人のこと無視して…なんでそんなにお金に困ってるのよ、まったく…そのくせ、このお金持ちお嬢様のことをいつもバカにしておちょくってくるし、わけわかんない…ムカツクのよ!」 その愛情あふれる憎まれ口もその日からはきかれなくなった。 そのお惚気話にツッコミをいれ、「なに勘違いしてんのよ!」と顔を赤くされるおねえさまとのやり取りはその日からなくなった。 わたくしとしては、不本意なのだが、上条当麻の憎まれ口を叩かれているお姉さまのほうが、本当のお姉さまであって、最も自分らしくいられるお姉さまだと感じられた。 それが今は心を閉ざし、壊れた笑顔で「心配しないで…ごめんね…」としかおっしゃってくれない…わたくしの心も悲鳴をあげはじめ、制御がきかなくなり、ついお姉さまに激しい口調で息巻いてしまった。 黒子「お姉さま!どうしてわたくしに何もおっしゃってくださらないのですか?あの日からわたくしはお姉さまの為に生きると決めましたの。お姉さまがいなければ、小6の頃に失ったはずの命。もうわたくしはお姉さまと一心同体のつもりでおりますのに…!どうして、お姉さまは…!!!」 美琴「ごめん…これはわたしの問題なの…」 黒子「上条当麻が何かしましたのですね!あの猿め!」 美琴「えっ…!?アイツは何も関係ない…」 黒子「お姉さま!お姉さま!どうして、どうして…!!!なんでも一人で抱え込もうとするのはやめてくださいまし!もっとわたくしを頼ってくださいまし!!」 そう叫んで、美琴の胸に涙で濡れた顔をうずめた。「なにすんのよ!ヘンタイ」いつもの怒りと照れの混じった声とともに、パンチか電撃が飛んでくるのを期待して… いつもどおりの元気な反撃を待っていた。しかし、それはいつまで待ってもこなかった。かわりに戻ってきたのは意外な感謝の言葉。 美琴「黒子…いままでありがとう…アンタみたいな後輩ができてわたしは幸せだったよ。」 その言葉は、何かとの決別を表したかのようだった。 でも、優しく抱きしめてくれるお姉さまの柔らかさと温かさに包まれ、それに甘えてしまった黒子はその何かに対する暗い決意に気づくことができなかった。 初めてちゃんと抱きしめてくれたお姉さまの胸の中で黒子は心地よくなり、つい眠ってしまった。目を覚ますとそこに美琴の姿はなくなっていた。 前ページ次ページ上条さんと美琴のいちゃいちゃSS/わたしのヒーロー
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116 1 ◆3GcCm7z.d2 06/11/14 23 24 42.00 ID AB3fSBu9 1「どーなん がっこう」 おとうと「・・・・。 なんか なんにも なくなった けど めっちゃ 孤独」 1「まあ そうなるやろうなあ・・・・。」 おとうと「でも ぶっちゃけ 前から 孤独やったから 全然 楽やけどw」 1「・・・・。 でもまあ 学校 で 孤独だったら つらいんちがうか?」 おとうと「ああ たまに 辛いとき あるけど・・・。 でも なんも されんくなっただけ いい」 1「ホンマに なんも ちょっかい だされんくなったんか? やりすぎてないか?」 おとうと「一回 怪我させたかも・・・ っていうんが あったかな・・・。 ごめん」 1「気にすんな。 向こうが悪いんやから。 でも 無駄に暴力は振るうなよ」 おとうと「うん。」 1「じゃあな。おやすみ」 おとうと「おやすみ」 1「・・・・ううううーーーーん ともだちづくり の 世話まで したら あかんよなあ・・。」
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三木さんのコメント投稿回。 症例 鼻にかかった声で挨拶する。 低い体勢で滑り込むように接客する。 手を包み込むようにしてお釣りを渡す。 分析 語尾を伸ばすとちゃんと言ってる気がするので、「・・・っしゃいませー」となるのではないか。 (可愛い女性店員に多い)手を包み込むようにしてお釣りを渡す。「私は手を握って渡しても大丈夫なくらい可愛いです。いらっしゃいませー」という本音が透けて見える。このあざとさをトクマスさんは嫌いだが、手を握られると嬉しい。 レジ内で指先がどう見られているか意識したよな打ち方をしていると、モテようとしているのが見えて、イラっとする(ジョウデン)。 その他 「三木さんがコメントくれるかな」「いい感じでほめないと、くれないよ2通目」 はっきりと喋るのは恥ずかしい。例:「あい・・」「もっとはっきり言って」「あいしちゅう」 「イントネーションのイントネーションについてつっこむの結構めんどくさい」 コンビニで働いている人を「店員さん」と呼ぶジョウデンさん。 トクマスさんの先輩とおばさん店員とのカウンターを挟んだ無言の2分間の攻防 番組 第062回 どっちかっていうとまだペーペーなのに、こなれた感じ出そうとしちゃう病
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湯けむり温泉ハプニング 条件 ハロー、カムカム女神さまの2回目のイベント発生後、温泉にて発生 ラブラブ度が一番高い女の子が温泉に入ろうとしているのを目撃する。 一緒に温泉に入ることによってラブラブ度がアップする。 名前 コメント
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権現様の生れ所│和(陸中)│木部│ http //wakanmomomikan.yu-nagi.com/momomi3/maki-5265.htm
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2006.10-12 2006.12.31 詩篇150:1-6 浜野好邦師 感謝と賛美 一緒にイエス様を礼拝する仲間を与えられること、仲間が増えるということ、愛し合える人がひとりでも増えるということ、これが大きな恵みであると思います。YWAMの学校へ行った中上先生は、語らずにはいられない恵みがあったのではないでしょうか。 「献身の本当の意味、イエス様のために生きるという意味がよく分かりました。フィリピンから帰って、明るくなったね、と言われることが多いのですが、それは献身の意味がはっきりと分かり、自然にその喜びが溢れていたからだと思います。お祈りありがとうございました。」(中上師) けじめをつけること、それが一年の終わりにすることです。それが新しい年の心備えとなります。 私の父が死んだとき、私は父にあることを言い続けました。それは「ありがとう」です。お父さんお母さんを愛してくれてありがとう。私たち子どもを愛してくれてありがとう。そう、大きな声で叫びました。私たちを育ててくれてありがとう。感謝の言葉でピリオドを打ったわけです。 今日は心から感謝の祈りをささげたいと思います。私に与えていてくれる全ての物を感謝できたら良いですね。また、一年の終わりに「ごめんなさい」ができたら、すばらしいと思います。 マルコ1:15 「ごめんなさい」「ゆるします」のやり取りをして、一年のけじめをつけたいと思います。そのけじめがつけられたら、新しい年にまた、イエス様から信仰を与えられるでしょう。 決着がついていないことは、神様から助けをいただいて、きれいな心にしていただき、新しい年の新しい信仰に備えましょう。 2006.12.17 濱野好邦師 【ルカ1 26-38】 【救い主の誕生・この驚くべきこと】 聖書の中には信じられないことが3つあります。一つは神様がいるということ。もう一つは処女がみごもったと言うこと。そして、もう一つは死んだ人間が生き返ったと言うこと。この三つです。 クリスマスの話は信じられない出来事です。26節から読んでみましょう。神様は私たちのところへ自ら近づいてきて下さる方です。そして、「おめでとう」と祝福して下さる方です。誕生日におめでとうといわれることはあるでしょう。なぜおめでとうなのか、それは、生まれてくれてありがとうという気持ちを、おめでとうという言葉になります。 天使ガブリエルは、「恐れることはありません」とマリヤに声を掛けました。神様は、恐怖心を取り除いて下さる方です。イエスキリストは私たちの生活、心から不安を取り除き、大丈夫だという思いで満たして下さいます。 神にとって不可能なことは一つもありません。ルカ1:37 神が人となってこの世に現れた事実を厳粛に受け止め栄光の王として賛美しつつ謙遜に仕えていこう。 2006.12.10 濱野好枝師 【1テモテ2 4-6】 【全ての人を救う神の愛】 12月3日からアドベントです。クリスマスを待ち望む待降節です。日本ではお正月の方が「待ち望んでいる」ような雰囲気が強いですが、クリスマスを待ち望むこの時期は、とても大切な期間です。 神は唯一です。 また、神と人との間の仲介者も唯一であって、 それは人としてのキリスト・イエスです。 1テモテ2 5 人としてこの地上に来られたイエス・キリストの気持ちを考えて生活しよう。 2006.12.3 濱野好邦師 【創世記3 9-15】 【待降節】 イエスさまはなんのために降誕されたのか。それを考えて過ごすのが、待降節です。 隠れながら生きるのではなく、私を見て、と、堂々とする方がいいですよね。イエスキリストは私たちを隅で隠れるような生き方から解放してくださる方です。 アダムとエバは、罪を犯した後、神様の声を聞いて隠れました。 神様の声が聞こえたときに、「隠れる」とは、みじめなものです。見つかったら怒られる、という思いがあるから、隠れるわけです。 ここで、アダムとエバが犯した罪とはどのようなものでしょうか。神様がこの木を植えなければ罪を犯すことはなかったと思うかもしれません。しかし、この木の実を食べないことで、アダムとエバは神様の愛を実行することができたのです。ここに神様の愛による素晴らしい人間関係を築くことができたのです。反対に、隠れてしまったことで、神様の愛との断絶が起こりました。神様に会いたいという気持ちではなく、もし会ったら・・・というマイナスな思いに変わってしまいました。 また、罪を指摘されたとき、人のせいにするところに、大きな罪があります。 しかし、イエスキリストは私たちを隅で隠れるような生き方から解放してくださる方です。 なぜキリストが天からくだられたのかを考えてクリスマスに向け、心を備えておきましょう。 2006.11.26 濱野好邦師 【赦す人・赦さない人】 【マタイ18 21-35】 7度の70倍赦しなさい、と、イエスさまは言われています。70倍ということはどういう意味でしょうか。永遠に赦しなさい、という意味です。 いじめの問題が今多く報道されています。やられたらやり返せという報復合戦があったときは、子どもたちの中で死ぬものはなかったが、報復合戦がなくなったら子どもたちの中で自分で命を絶つものが出てきました。イエスキリストは私たちの罪を赦しているのと同時に、私たちに罪を犯す人の罪も赦していてくださってるのです。神さまが報復してくださるのだから、神様が私の敵と戦ってくださり、守ってくださるのだから、私たちは自分でやり返そうとしなくて良いのです。 どのようなときにイエスさまを信じられなくなるでしょうか。人にウソをつくとき、人を憎むとき、その状態は、イエスさまを信じられなくなっている状態です。自分の都合が悪くても良くても、正直に生きていく。それが、イエスさまを信じるということです。 23節からたとえ話がでています。借金を免除した主人はこの国の王様です。しかし、この借金を免除されて人は、自分が免除されたにもかかわらず、自分に借金している人を赦しませんでした。 私たちの負いめをお赦しください。 私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。 マタイ6 12 人を赦すこと、正直に生きること、それがイエスさまを信じると言うことです。イエスさまに赦されたことを忘れず、自分に迷惑をかける人を赦しましょう。 2006.11.19 濱野好枝師 【かたよらない方】 【ローマ9 1-18】 パウロは生粋のユダヤ人です。8日目の割礼を受けて、ベニヤ民族で、両親もユダヤ教、、それらに、パウロの誇りがありました。厳格なパリサイ派で細かい戒めを守ってきました。そして、イエスキリストを迫害する人にパウロはなりました。しかし、だますこの途上で、神さまに出逢い、劇的な改心をしました。イエスキリストのために命を投げ出してもいい程の熱い思いを与えられました。パウロは、心の醜さをイエスキリストによってきれいにされたのです。 私も今でも思い出しますが、父が召される前に、自分の心の醜さを思わされたことがあります。召される3週間ほど前、父が怪我をして入院をしました。私がお見舞いに行くと、いつも兄嫁の悪口ばかり言っている父が、「さっき○○子が来たんだよ。これを持ってきてくれて。」「おいしかった。」「うれしいよ。」と兄嫁への感謝の気持ちを言葉にしました。この父の感謝の気持ちは、悔い改めであったのでしょう。なぜかそれを聞きながら私の心の中は面白くありませんでした。父の兄嫁の悪口を聞く方が心地よいと感じる程、私の心は醜かったのです。 しかし、イエスさまを受け入れただけで、かつて持ったことのない新しい命の価値観を得ることができました。だますこの途上でパウロが受け取ったものと同じものです。 しかし、人よ。神に言い逆らうあなたは、いったい何ですか。形造られた者が形造った者に対して、「あなたはなぜ、私をこのようなものにしたのですか。」と言えるでしょうか。ローマ9 20 神さまの支配の中に私たちはいます。神さまの一方的な憐れみ、恵の中で生かされています。神の選びの計画は確かであることを信じ憐れみにすがるものになりましょう。 2006.11.12 浜野好枝師 【自分の姿を知ろう】 【ルカ18 9-14】 パリサイ人の祈りと取税人の祈りには違いがあります。この取税人はやっとの思いで神さまのところにたどり着きました。不安を持ったまま、汚れたままでです。「罪人の私をあわれんでください。」自分を罪人だと告白できると言うことは、神さまを信用していると言うことです。神さまはこの祈りを受け取られました。 一方パリサイ人はどうだったでしょう。人への非難の祈りです。神さまが与えたものなど全く意識がありません。自己中心的な考え方です。 長い間神さまの祝福を受けていると、その恵がどこからでているものなのか分からなくなることがあります。神さまが犠牲になったことを真に受け取るならばその様なことはありませんが、習慣になっているだけでは、神さまの愛にも無頓着になっていきます。心が固くなっていきます。 神の力、恵、憐れみをさらに深く知って、へりくだって行きよう。 私はあなたの噂を耳で聞いていました。しかし、今、この目であなたを見ました。それで私は自分をさげすみ、ちりと灰の中で悔い改めます。ヨブ42 5-6 2006.11.5 濱野好邦師 地引き網 マタイ13:47~50 九十九里浜でキャンプをしたとき、地引き網をしたことがあります。子どもたちだけでは、引けないぐらい、沢山の魚を取ることができました。網の中というのは、魚、貝、ごみ、棒、など、さまざまなものがありました。いわしが沢山あったので、丸干しにしたり、塩漬けにしたりしました。 地引き網の中にある天の御国の様子というのは、大収穫です。私たちが獲得しなければならない人生の収穫物とは、神様と出会うということ、神様と和解すること、神様と平和に暮らすこと、です。それをすでに得ている人は、巨万の富を手に入れているようなものです。 地引き網をすると、食べられないものも入ってきます。イスラエル人の中では、食べてはいけない種類がありました。うろこのない魚は食べてはいけないとされてます。たとえば、うなぎは食べないでしょう。 教会は一つの網のようなものです。多くの人がそこの中に入ります。良い人間も、悪い人間も入ってくる、それを承知しておきなさいということです。それをえり分けるのは、網の持ち主である神様です。良いというのは、すべて規則を守るという意味ではない。私たちは、みな悪いことをします。人の罪を赦せるかどうか、お互いの罪を赦しあえるかどうかが、そこに正しさがあります。正しい人間になりたいならば、人を赦すということです。愛は人を赦すことによって完結するともいえるでしょう。私に危害を与え、損をさせ、のろい、罵倒する、そういう人に対して「私はあなたを赦します」そのように言えたらすばらしいですね。 神の裁きの日に裁かれないために、人を裁いたり、決め付けたりしないように気をつけましょう。 2006.10.29 浜野好邦師 宝と真珠 マタイ13:44-46 イエス様はたとえ話をたくさんされました。「天の御国は、畑に隠された宝のようなものです。・・・」天の御国は、それほどすばらしいものだということを語っています。天の御国というのは、神の国という意味と、信仰生活という意味があります。 貧しい人がいたとします。毎日他人の畑で農作業します。そういう人を小作といいます。朝から晩まで働いてもあまり収穫はあがらない。自分の妻と子どももいるのに服をつくってやったり、おなかいっぱい食べさせてあげることができない。極端な貧乏生活。住んでいるとことは掘っ立て小屋。そういう人がいるとしましょう。今日もまた畑を耕さなきゃいけないと思い、畑へ行き、桑を打ち込むと鈍い音がする。石にでもあたったかな、と見てみると、宝を見つけた。「やったー」その人は見つからないようにそれを隠してから、宝が埋まってる部分の土地をありったけの金で買います。この農夫は見事に宝を掘り当てたんです。 次は真珠を探している商人です。この人は家には沢山の真珠がありますが、色々な真珠を探し回っています。そしてすばらしい真珠を見つけます。世界に一つしかないその真珠を買うために、この商人は、生涯掛けて集めた沢山の真珠すべてを売りました。そして、世界に一つしかないすばらしい真珠を手に入れました。 私は、長男として生まれましたが、神様を信じ、牧師となることと引き換えに相続権を放棄しました。今、弟が相続したわけですが、私は一度も後悔したことはありません。損した、儲かった、などといって人と争うよりも、神様の愛を受けて感謝する生活は、とてもすばらしいものです。何をなげうってでも、手に入れたい、そういう熱い気持ちを神様は与えてくださいました。 この物語には、まだすばらしい意味が隠されていると思います。見方を変えてみると、イエス様が私を見つけてくれた。そして、畑の中の宝を見つけて大喜びした農夫のように、イエス様も、私を見つけたとき、手を上げて大喜びしているのではないでしょうか。嬉しいから、嬉しすぎるから、何をなげうってでもあなたが欲しい。そういう気持ちで、実際、自分の命をささげたのではないでしょうか。購うとは買い取るという意味です。全部捨てて買い取るという意味です。今朝、読んでいて、この農夫や商人の姿が、イエス様の姿に見えました。 2006.1.22 濱野好邦師 【からし種とパン種】 【マタイ13 31-33】 「天のみ国は」というところに、「信仰生活は」と当てはめてみるとよく分かります。信仰生活は、からし種のようなものです。植物の世界で植物は、私たちが気付かないうちに成長し、実ります。いつの間にか花が咲き、受粉し、実がなる。これと照らし合わせて信仰生活のことを考えてみてください。私たちも自分で知らない間に、成長するんだということです。 キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです。エペソ4 16 蒔かれているみことばの種に力があるのです。種にいのちがあるのです。一粒の種に、いのちがあって、力を発揮するのです。信仰生活というものはそこに内側に力を持っている者なのです。私たちはいのちの種を、神さまから与えてくださっているのです。この種により力が与えられ、成長していくことが出来ます。成長はすぐには分からないかもしれません。しかし、植物が音もなく静かに着実に成長するように、必ず、成長します。 2006.10.15 浜野好枝師 ウソのない信仰者 Ⅰテモテ1:3-17 10月9日は、好邦先生の誕生日でした。本人が何年も前から楽しみにしていた還暦です。9日は、北朝鮮が核実験をしたということで、テレビではしきりに報道しており、私は忙しくもあったのですが、テレビを良く見ていた一日でした。 テモテという人は神様からの導きに忠実であった人です。テモテがいたエペソという街は、何でもあり、というような、まぜこぜの街で、偶像も沢山ありました。そして、多くの人が健全でない状態でした。その中で牧会していたテモテは多くの苦労があったでしょう。 4節、「果てしのない空想話と系図とに心を奪われたりしないように命じてください。」 み言葉からはなれることは問題です。私たちの教会では、説教を聞くだけでなく、礼拝後のお茶の時間も大切にしています。しかし、そのお茶の場面でさえ、空想話や系図に心を奪われていることがあるかもしれません。お茶の時間まで礼拝として、み言葉による話しができたら幸いです。 私たちの目指すところは、 5節「きよい心と正しい良心と偽りのない信仰とから出て来る愛」です。 私たちの歩みを神様は、このような目標を目指していきなさいと導いてくださっています。 自分が親に愛されている、そのような思いがあるからこそ、力が出てきます。私は、神様が自分のことを愛していてくださっていると分かったとき、両親からの愛もわかるようになりました。パウロは、「寛容な神様の力」で「あわれみを受け」ました。(16節) 私たちも、日々、神様が望んでおられることを聴きながらウソのない生活をしましょう。 2006.10.8 浜野好枝師 本物を見分ける力を養う 信仰と行いは一体である、行いのない宗教はむなしいものだ、とヤコブは主張しています。ヤコブとはイエスの兄弟です。紀元50年ごろヤコブの手紙はかかれました。その頃、イスラエルは散らされ、国がなくなっていました。その散らされた人々に書かれた手紙が、ヤコブの手紙です。 ヤコブはエルサレム教会の指導者で、大変祈る人でありました。祈りすぎて、ひざが変形して太くなった程です。最終的に、石打の刑で殉教しました。そのときイエスキリストと同じ祈り、「主よ。彼らをお赦し下さい。」をしました。 24,25節 “行いによって祝福されます“ 忘れない人になるためには、そのものをずっと見続けていくことが大切です。完全な律法を見つめて、たゆまない人になることの大切さをヤコブは知らせています。あっちもいいな、こっちもいいな、、としないで、一心に見続けていくこと。 していることに心をこめなさい。真心をこめて、忠実に行いなさい。、、と、マザーテレサも教えていますが、何を行うか、それはみ言葉にあります。 真に見つめていれば、偽者はすぐに見分けがつく、ということです。 本物を見つめて、目標(神の国)に向かって歩んでいきましょう。 2006.10.1 浜野好邦師 麦と毒麦 マタイ13:24-30 ここに麦と毒麦のたとえがあります。麦とは良いクリスチャンのこと、そして毒麦とは悪い人間のことです。私も悪い人間でした。人のもの盗んではいけないと思うようになるのに1年かかりました。きせるも平気でやっていました。そのような中で、イエス様を信じて教会に行って、1年間説教を聴き続けて、やっと、盗むことが悪いことなんだ、きせるも盗みと一緒なんだ、、と思うようになりました。 今日まで悪い人間だけど、悔い改めて明日から良いクリスチャンになる可能性もあるし、良いクリスチャンが悪い人間へと変貌してしまうことがあります。 「では、私たちが行ってそれを抜きましょうか。」と聞く人がいますが、その毒麦を抜こうとする人が毒麦の可能性もあるのです。この社会にはさまざまな悪があるということが事実なわけです。 神様は終末のときに、毒麦を束にすることのできる人、毒麦を見分ける人をたてます。 ローマ12:16-21 互いに一つ心になり、高ぶった思いを持たず、かえって身分の低いものに順応しなさい。自分こそ知者だなどと思ってはいけません。だれに対しても、悪に悪を報いることをせず、すべての人が良いと思うことを図りなさい。あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。 色々な対人関係の中で、神様が私を錬成させるために、へりくだることを教えるために、形成するために、色々な思いを経験させていてくださっている。そう思って生活したいものです。自分の独善で判断して、人をとがめたり、追い出したりすることのないように。悔しいなと思ったときは、み言葉を思い出して、神様の恵みを思い返してみると良いでしょう。
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227 :二二三:2013/04/12(金) 16 48 20 読みにくいけど幼児の主張でも書いてみた~ 超短いです わたしのおかあさんはつよくてかっこいいきしさまです わたしもおおきくなったらおかあさんみたいなりっぱなきしさまになりたいです おかあさんはとってもきれいでやさしいけど、ときどきすごくこわいです わたしがおかあさんみたいなきしさまになりたいっていうと、いつもにこにこわらってるおかあさんのおかおからえがおがなくなってしまいます おかあさんのおとうさんはこうしゃくっていうおしごとをしていて、おじいちゃんがていねんたいしょくしておしごとをやめたら、おかあさんがおじいちゃんのあとおついでこうしゃくになります おかあさんはいつかあなたもこうしゃくけをつぐのですよとおしえてくれました でもそのときのおかあさんのおかおはやっぱりこわくて、わたしはこうしゃくなんておしごとはしたくないなとおもいました でもわたしがこうしゃくなんかしたくないっていったら、もうきまってるからわがままおいってはいけませんとおこられました おとうさんにもいったらおとうさんはわらいかけのしっぱいみたいなおかおおしてなんにもいってくれませんでした おかあさんとおとうさんはなかよしさんだからおかあさんはおとうさんのいうことならきいてくれるとおもったけどやっぱりきいてくれないみたいです わたしはきしさまになりたいけどこうしゃくはしたくないです こうしゃくはしゃちょうさんみたいなおしごとだとおとうさんがおしえてくれました わたしははんちょうさんにもなれないからやっぱりできないとおもいました わたしはこうしゃくなんかになりたくないです
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登録日:2016/12/31(土) 00 44 08 更新日:2024/01/13 Sat 15 26 35NEW! 所要時間:約 10 分で読めます ▽タグ一覧 いなり、こんこん、恋いろは。 いなりずし お稲荷さま こっくりさん それは私のおいなりさんだ アニヲタ神様シリーズ 三狐神 京都 宇迦之御魂神 寿司 憑き物落とし 我が家のお稲荷さま。 日本神話 狐 狐憑き 神 神社 祟り 稲荷 稲荷神 荼枳尼天 豊穣神 農耕神 鬼灯の冷徹 鳥居 お稲荷さまとは日本の神である「正一位稲荷大明神(しょういちいいなりだいみょうじん)」、あるいはその神を祀る神社を指す言葉である。 またそれらへのお供え物から生まれたと言われる寿司の名前としても有名。これについてはこちらを参照。 あとお稲荷さまと関係の深い狐に関しては、こちらの項目も参照してほしい。 【概要】 「お稲荷さま」は神としては「稲荷神」を指す。稲荷神は本来、中国から渡来した神である。 その名の通り稲と稲作の神で、五穀豊穣の神ともされた。 神社としての「お稲荷さま」は稲荷神を中心として、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)など神道の神々や、密教の荼枳尼(ダキニ)天など仏教の神々らをともに祀っている。 神道・仏教の神々とともに祀られる「お稲荷さま」は、五穀豊穣からさらに発展して生産活動全般の守護者となり、 現代では日本で最も広く信仰されている神となっている。 【来歴】 「稲荷神社」は稲の神「稲荷神」を中心として、時代ごとにさまざまな神を取りこんできた。 ここではその神々とともに、お稲荷さまの来歴について説明する。 ○稲荷神 いまでこそ日本全土で信仰されている稲荷神だが、本来は渡来系の豪族秦氏(はたうじ)の氏神(*1)であった。 「イナリ」の名は「稲生り」から来ていると言われており、その姿を稲を荷(にな)う老人として表されたことから「稲荷」の字を当てられたという。(*2) 土木業や繊維業などの優れた技術と高い政治力を持った秦氏はめきめきと頭角を現し、和銅4年(711年)には自分たちの神・稲荷神を、山城国の山中に社を建てて祀った。 これが「伏見稲荷神社」であり、すべての稲荷神社のいしずえとなった最初の一社である。(*3) ○宇迦之御霊神 中国から渡来した人々に信仰されていた稲の神がいたように、瑞穂の国日本にももちろん稲の神がいた。 その代表的な一柱が宇迦之御霊神(うかのみたまのかみ)である。 宇迦之御魂神は伊弉諾命(いざなぎのみこと)と伊弉冉命(いざなみのみこと)の娘とも、素戔嗚命(すさのおのみこと)と神大市比売(かむおおいちひめ)の娘ともいわれ、 「倉稲魂命」とも書かれるように稲魂・稲倉の神であり五穀豊穣をもたらす神としてあがめられた。 その名の「ウカ」とは穀物・食物を表す言葉である。 人々の生きる糧である食べ物の神である宇迦之御霊神はしばしば女神とされ、また同じ意味の言葉である「ウケ」「ケ」を名に持つ神々・・・ 古事記、日本書紀によっても異なるが体内から取り出した食物で素戔嗚命(すさのおのみこと)をもてなそうとして斬られた大気津比売神(おおげつひめのかみ)をはじめ、 同じように月読命(つくよみのみこと)をもてなそうとしたら無礼討ちにされた保食神(うけもちのかみ)(*4)・豊宇気毘売神(とようけひめのかみ)・若宇迦乃売神(わかうかのめのかみ)ら食と食物の神々とともに 「御饌津神(みけつかみ)」(御食津神)として人々から信仰された。 そして彼ら御饌津神は、同じく稲の神である稲荷神と習合されともに稲荷神社内でまつられるようになったのだ。 ○三狐神 稲荷神は宇迦之御霊神をはじめとする御饌津神(みけつかみ)を取りこむことにより、 現代に至るまでの神性のもととなった決定的な変化を遂げることになる。 日本には記紀神話以前より、山の動物たちを信仰の対象とする汎霊説(アニミズム)的信仰が存在した。 そしてその中でも、稲荷神などと同じように稲の守護者として狐が崇拝されていた。 狐は米を食い荒らし田圃に穴を空ける稲と稲作の大敵ネズミたちを、直接狩るのはもちろんその強烈な体臭で追い払うこともできた。 それを知った古代人たちは、稲倉の周囲にキツネを餌付けしたりキツネの尿を撒いたりしていたのである。 さらに「狐」はもともと、その鳴き声から「ケツ」と呼ばれていた。(*5) そのため狐たちは「ケツ」の名と同じ音、そして狐と同じく稲に関わる神々「御饌津神(みけつかみ)」(御食津神)たちの遣いとされた。 特に狐たちが稲倉の守り神であったため、同じく稲倉の神である宇迦之御霊神と深く結びつき 宇迦之御霊神に限って「ミケツカミ」の名に「三狐神」の字が当てられるようになったのだ。 そしてそれはそのまま御饌津神(みけつかみ)らとともに稲荷神社にも取り入れられ、 狐信仰が盛んになった平安時代ころ(*6)には狐たちは稲荷神の眷族として定着したのである。 ○荼枳尼天 ○羅刹女から天女へ 都が平安京に移され平安時代の幕開けとなると、この地を地盤としていた秦氏はますます勢力を伸ばしそれに伴い稲荷社も日本各地に広まっていくこととなった。 そして政治的な才覚にもすぐれていた秦氏は、さらに自分たちの勢力を伸ばしていくために仏教勢力と手を結ぶことを思いたつのである。 その相手として選んだのは、唐の国から当時の最先端文化・技術を得て帰国し宗教的な分野にとどまらず教育や灌漑など多方面にわたって活躍し功績を残した 真言密教の祖であるスーパーエリート弘法大師こと空海であった。 秦氏は東寺建立の際、稲荷山から材木を切り出して供出するという形で協力した。 それに応えて空海は稲荷社側に本社の移転を勧めて援助するなど、互いに交流を図った。(*7) そして真言宗側は稲荷神を受け入れ、稲荷神社側では密教の神である荼枳尼(ダキニ)を受け入れて祀るようになったのである。 荼枳尼(ダキニ)は仏教の鬼神、羅刹女(ラクシャーシー)であり大黒天の眷族である。 人喰いの魔物であった荼枳尼(ダキニ)は大黒天に調伏されて仏道に帰依した。それでも人喰いの本能だけは変えられなかった彼女たちは、 死すべき運命にある人間の心臓のみを、持ち主を加護して彼が死すべき日まで何としてでも生きながらえさせるのを条件に喰らうことを許されたのである。 中国から空海により伝承された直後は人喰いの魔物としての性格が強かったが 稲荷社に取り入れられると白狐にまたがった美しい女性として描かれるようになり 一族名だった「荼枳尼(ダキニ)」からひとりの独立した神である「荼枳尼(ダキニ)天」として信仰されるようになったのである。 ●荼枳尼の光と闇 こうして真言宗とがっちりタッグを組んだ稲荷神社は、日本全国津々浦々までその勢力を伸ばした。 平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて日本仏道に世代交代の波が押し寄せ、古来からの多くの寺社が貴族たちの後ろ盾を失い廃れていくなか 稲荷神社もその影響は受けたものの、数多くの庶民からの信仰によって支えられ苦境を乗り切ったのである。 現世での利益をあらたかにもたらし、また「救う人を選ばない」とされた荼枳尼天は武家や商家はもちろん博徒や遊女といったアウトローにも篤く信仰された。 江戸時代には産業全体の守護者として商家を中心に信仰を集め、「流行神(はやりがみ)」「伊勢屋稲荷に犬の糞」なんていう言葉まで生まれた。 さらに稲荷の社は申請すれば比較的容易に建てることができたためどこの家でも守り神としてお稲荷さまを祀るようになったのである。 また荼枳尼天らとともに空海が唐よりもたらした密教の奥義の中には、狐の霊を使ったさまざまな秘術が存在した。 彼らは狐の霊を自らに憑りつかせることで神の声・神託を得ようとしたり、逆に人に憑りついた悪しき狐を落としたりしてきたのだ。 人々に恐れられた「狐憑き」に対抗できる存在として、密教そして稲荷神社は人々から大いに信仰を集めたのである。 しかし、この荼枳尼天との交わりが、後の「お稲荷さま」に暗い影を落とすことになる。 荼枳尼は本来鬼神であり、その説話にもある通り現世利益をもたらす力が強いかわりにその代償も大きく、扱いを間違えれば祟るとされていた神である。 また民間の密教の修行者である山伏(修験者)たちは悪しき狐を落とすことができると同時に、 やろうと思えば悪しき狐を相手に憑けることもできる存在として恐れられてもいた。 これら狐の悪しきイメージは「お稲荷さま」に影のようにつきまとい、 近代の政策である神仏分離により多くの稲荷社から荼枳尼天が切り離されてもなおその暗い一面はぬぐいきれなかったのである。 現代においても「お稲荷さま」は、狐の善なる面と悪しき面両方をイメージさせる存在となっている。 【現代の「お稲荷さま」】 現代日本で「お稲荷さま」という言葉は、宗教・文化の枠を完全にとびこえ日本人の生活と一心同体と言ってもいいほどになっている。 それはもちろん最もポピュラーな神社としてであり、また最も有名な寿司の名としてでもあるだろう。 ○神社としての「お稲荷さま」 今現在、「稲荷神」「宇迦之御霊神」らを祭神とする「お稲荷さま」は日本で最も分社数の多い神社である。 天照大御神や八幡神をも大きく上回り、企業や民家にあるものまで含めると文字通り無数にあるといって差し支えない。 そのご利益は本来の稲作や蚕業といった農業はもちろん、そこから発展して商業や産業、 また当然のように家内・交通などでの安全祈願や後述する浄瑠璃・歌舞伎との結びつきによる芸能分野といった 日本の生産活動全般に及ぶ。 とりあえず何か拝みたいことがあればここに来てしまえばだいたい間違いないだろう。 そんな稲荷神社だが、他の神社と大きく変わる点は基本ない。 参道を通って鳥居をくぐり、手水屋で身を清めて拝殿で二礼二拍一礼。 機会があれば本殿や奥宮・上宮にも参って、絵馬を納めておみくじを買う。 神社ごとに多少の差はあるが、境内のつくりも参拝の作法も他の神社とそう変わらない。 それでも目につく違いを挙げれば、以下のようになるだろうか。 ●赤い 他の神社全体でも多く用いられているが、稲荷神社はとにかく赤い色が目立つ。 鳥居や社屋などの建造物といった大きなものから、灯篭や狐の像・その装飾品など小さなものまでことごとく赤い。 「赤」は古来より魔除けの色とされており、また木材などの防腐剤として用いられていた丹(に)(*8)の色でもあった。 また稲荷社においてのこれらは特に、狐らが身につけている宝珠とともに炎の象徴であるとも言われている。 稲の神・米の神である稲荷が、米を飯に変える竈(かまど)の神と結び付けられたのであろうか。 あと稲荷神社では無数の赤鳥居が連なる風景、千本鳥居が印象的。 これは江戸時代ごろに広まった、願いが成就した折に赤鳥居を稲荷社にお供えする風習によるものである。 「鳥居」という言葉自体の由来が「通り入る」だという説があり、そこから発展して「(願いが)通る、通じる」ことを願ったものだと言われている。 ●狐 「お稲荷さま」自体が狐の代名詞であるように、稲荷神社は狐とは切っても切れない関係にある。 稲荷神社の狐は「白狐」という白毛の狐であり、これは人の目に見えざる存在であることを表現しているという。 白狐は二匹一組で向かい合うように立ち、稲荷神社の境内いたるところでにらみを利かせている。 阿形の獅子・吽形の狛犬代わりに出入口に据えられているのはもちろん絵馬の中にも描かれており、 また赤鳥居と同様稲荷神社に奉納する品としても二匹一組の白狐像がメジャー。 彼らは「宝珠」と呼ばれる玉を口にくわえたり尾を巻き付けたりしている。 これは鳥居と同じく炎の象徴だとされている。 また鍵をくわえていることもあり、これは富・財産の象徴だという。 さらに稲荷神社では、境内の構造もまた狐に関係するものとなっている。 稲荷神社はそれ自体が「お山」と呼ばれ、またその中に数多く点在する祠は「お塚」と呼ばれる。 また他の神社で奥宮・上宮とされる場所は「お穴」と呼ばれていることがあり、これはみな狐の生息域を示す言葉なのだ。 「山」は言うに及ばず、「塚」とは巣穴の前のうず高い土山、「穴」とはそのまま巣穴を指す。 特に稲荷社で「お穴」と呼ばれる場所では、かつて文字通りにそこで狐を餌付けして棲みつかせていた。 稲荷神社で行われる祭祀も、狐の生態と深く関わっている。 狐に限らず「田の神」と呼ばれるものたちは本来「山の神」であり、冬の間は山に住んでいる神だった。 彼らは春になると山から降りてきて里に住まい、収穫の秋をすぎると山に帰っていくとされた。 これはそのまま春になると田んぼの周りで巣をつくり子供を育て、秋になると山に帰っていって冬ごもりをするキツネの生態に符合する。 彼らキツネは田の神=山の神の来訪をいち早く知らせる先駆けの役割を担っているとされたのだ。 そのため田の神の遣いである狐たちは「ミサキ(御先)」とも呼ばれた。 稲荷神社で行われる祭祀も、この田の神・山の神、そしてその御先(みさき)である狐たちの行き来にあわせたものとなっている。 初春である2月最初の午の日は伏見稲荷大社に宇迦之御霊神が降りた日とされ、「初午祭り」が行われる。 旧暦の2月は現在の3月で、農作業の準備に取り掛かる時期であり同時に長い冬を越えたキツネたちが里へと下りてくる時期だった。 そして実りの秋になると抜穂(ぬきほ)祭、火焚(ひたき)祭、新嘗(にいなめ)祭が執り行われ一年の収穫に感謝が捧げられる。 落ち穂を拾い稲わらを燃して田んぼをきれいに片付けるのは、キツネたちの山帰りを促す意味合いもあったのだろう。 大寒になると寒施行(かんせぎょう)といって、キツネたちの巣穴や稲荷神社に彼らの餌となる小豆飯や油揚げを置く風習があった。 こうして人々は次の年もキツネたちがすこやかに里に下りてくることを願ったのである。 稲荷神社は稲と稲を作る人々、そしてそれらを守る狐らとともにありつづけてきた。 それは野生のキツネが人里から姿を消した現在でも変わらない。 「お稲荷さま」はそのたたずまいや執り行う祭祀の中に、いまなお彼らへの親愛と敬意を残し伝え続けているのだ。 ○神としての「お稲荷さま」 前述の通り、稲荷神社は日本で最も多くの分社数を誇る神社である。どこの街にも村にも、それこそ深山幽谷だろうが都会のど真ん中だろうが彼らはいる。 たとえ見慣れた街角にあろうとも、宝珠をくわえた狐がにらみをきかせる数々の赤い鳥居のなかをくぐっていけば、 そこにあるのはうっそうと茂る山林のただ中に鎮座する社である。 建物の中の小さな祠であっても、そこに祀られた赤い鳥居と二匹の狐の前で手を合わせ目を閉じれば、心中に広がるのは神の住まう森だろう。 日本の神でここまで人々とよりそいその暮らしとともにあるのは、あとはお地蔵さまか観音さましかいない。 インドにルーツを持つ「仏」である彼らと同じ位置に日本古来の「神」がいることの意味はけして小さくはない。 稲荷神は日本で最も身近な神なのだ。 しかし、稲荷神・・・というより「狐」にまつわる暗いイメージは、いまでもお稲荷さまにまとわりついている。 「一度拝んだら一生拝み続けないと祟る」というのもそのひとつだろう。 これは鬼神である荼枳尼天の性質でありかならずしも稲荷神とイコールではないのだが、 お稲荷さま自体をそういう「祟る神」と認識している人は多い。 また「狐憑き」をはじめとした「悪しき狐」のイメージも、いまだお稲荷さまにはつきまとっている。 一時期騒動となった「コックリさん」では、台紙の上にお稲荷さまの象徴である赤い鳥居が描かれた。 そしてこれで呼び出されるのは悪しき狐の霊であるとされた。 このイメージは子供たちの心の奥底に恐怖を呼び起こし、単なる迷信にとどまらない明らかな実害をもたらしたのである。 そういう悪しきものにしろ良きものにしろ「お稲荷さん」という存在は「身近な神秘」であるということは言えるだろう。 人から恐れられ、また畏れられもする人ならざる存在。 これらに初めて触れたのが「お稲荷さま」「コックリさん」という人は少なくないのではなかろうか。 二匹の狐と鳥居の奥にあるのは、人里に最も近しい神域であり異界なのである。 + ○余談 ●お稲荷さまは「お参りしづらい神さま」か? お稲荷さまは日本最もポピュラーな神社だが、同時によりつきづらいイメージも抱えている。 「一度拝んだら死ぬまで拝み続けないといけない」というのはその最たるものだろう。 ただこれは前述の通り密教の荼枳尼の性質であり、稲荷神そのものの性質とは考えづらい。 またその荼枳尼にしろ、密教の荼枳尼と日本の荼枳尼天は別物と考えてしまっていいだろう。 インドでは人食いの鬼女であった荼枳尼も、日本では美しい天女。日本と中国における日本鬼子ほどの差はある。 多少すねるくらいはあるかもしれないが、死ぬまで拝み続けなければいけないということは多分ない。 稲荷神の魅力は、いろいろな分野のさまざまな要素を肯定的に取り入れる融通無碍さにあるのだから。 【創作文化の中の「お稲荷さま」】 日本人にとってもっとも身近な神域であり異界である「お稲荷さま」は、当然のように創作の世界でも多々取り上げられている。 それこそはるか昔から物語の中に登場する「神社」といったらほとんど稲荷神社である。 身近・有名だというのはもちろん、狐や無数に連なる赤い鳥居といったビジュアル面で強い印象を残せるといった点もあるだろう。 なので稲荷神社は中世からすでに「葛ノ葉」や「義経千本桜」などといった 歌舞伎や浄瑠璃・能や神楽の演目のモチーフ、そしてそれらの主催者として重要な役割を果たしてきた。 それは現代の漫画・アニメなどでも変わりなく、それこそ背景として出てくるだけなら無数にあると言っても過言ではない。 ただお稲荷さまを主題とした現代の作品として特筆すべきものは「いなり、こんこん、恋いろは。」だろう。 ○いなり、こんこん、恋いろは。(よしだもろへ) 京都・伏見を舞台にした、人間の少女と神々との間で繰り広げられる哀しくも心温まるストーリー。 この作品において特筆すべきは、アニメ化にあたって伏見稲荷大社の全面的なバックアップを得られたということである。 伏見大社の監修のもと実現した緻密な描写は、観ている人をたやすくちょっとした京旅行に連れていってくれる。 伏見稲荷大社のこの姿勢は、影響力のある存在であればジャンルや新旧を問わず積極的に手を結んできたという 秦氏による設立以来一貫している稲荷神社のスタンスをそのまま示しているようで興味深い。 追記・修正はお稲荷さまへお参りしてからお願いします。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 いなりが入ってないやん! -- 名無しさん (2017-07-27 01 54 16) 母さんこのいなりずし食べても良かね? ムニャムニャ… -- 名無しさん (2017-07-27 02 41 03) そういえば、うちの家の納骨堂の隣にもお稲荷様あったなぁ。ところで、稲荷寿司とてもおいしいよね。うちでは時々食べてるむしゃむしゃ。 -- 名無しさん (2017-07-27 06 22 22) 逆 TOKIO -- 名無しさん (2017-07-27 08 09 31) よさぬかベイマックス -- 名無しさん (2017-07-29 00 07 15) 「御饌津神」の詳細について記述した部分を大気津比売神の項目へ移動しようかと考えています。ご意見などあればよろしくお願いします。 -- ページ作成者 (2017-07-29 08 34 21) ↑なぜ稲荷として祀られるのかって事だからサラッと書いて「詳しくはお稲荷さんの項目を参照」ってしてもいいんじゃないですか? -- 名無しさん (2017-07-29 09 52 12) ↑現在のところ、個々の伝承に関しては稲荷神のそれも含め意識的に極力カットしています。このページはお稲荷さまが「どのような存在でどんな歴史をたどってきたか」が主題なので、個々の伝承を詳細に載せるよりはそれを読み解いた結果のみを記載してもらえるとありがたいです。 なので「御饌津神」の詳細については脚注に移動しようかとも考えましたが、それだとかなり内容を削らないといけないので、相応しいページもあることだしいっそ丸丸移動させてしまえばいいのではと考えた次第です。 -- ページ作成者 (2017-07-29 10 34 21) ↑そういうことでしたか。では残すとすれば殺されたところは既に書かれているので体に五穀が実った、その功績で稲荷として祀られてたってとこを残して移動でしょうか。 -- ↑2 (2017-07-29 12 45 02) 明日あさってくらいにこちらからも、発祥や空海にまつわる伝承を脚注の形で載せてみます。とりあえずはそれを見てもらえるとありがたいです。 -- ページ作成者 (2017-07-29 15 56 54) うかのみたまちゃんがなんかすき -- 名無しさん (2017-07-31 14 15 00) ↑3 伝承などを書きこんでみました。こんな感じで脚注に書いてもらえるとありがたいです。書ききれないようであれば、別ページとのリンクも検討していただけると。 -- ページ作成者 (2017-08-01 20 03 44) 名前 コメント
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