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虚無! 伝説の復活 その① 声がする。 「――! ――!!」 誰の声だろう。 「――様!」 誰に呼びかけているのかな。 「ギーシュ様! 目を覚ましてください!」 誰――。 ギーシュはゆっくりと瞼を開けた。疲労しきっているらしく、視界がぼやける。 「あっ……よかった、ご無事で……」 ぼやけた視界の中、誰かが泣いている。その涙が、ギーシュの唇に落ちた。 右手でそっと自分の唇を撫でて、ああ、あの水は夢でも幻でもなかったのかと理解する。 続いて自分の顔の上で泣いている彼女の涙を指で拭ってやる。 「やあ……シエスタ。草原を燃やしてしまってすまない……村は無事かい?」 「ええ! 無事です、みんな生きてます。ギーシュ様のおかげです!」 「そうか……」 どうやら自分はシエスタに半身を抱き起こされているらしい。 首を横に向けてみると、自分達の周囲を火が包んでいた。 「シエスタ、逃げるんだ。このままでは君まで焼け死んでしまう」 しかしシエスタは首を横に振り、ギーシュの両脇に後ろから腕を入れ、引きずり始める。 意外と大きいシエスタの胸がギーシュの後頭部に触れるが、それどころではなかった。 「駄目だ、女の子一人の力じゃ……僕の事はいいから、早く逃げ……」 「ジョータローさんのお友達を! タルブの村を守ってくれた恩人を! 平民の私とお友達になってくれたギーシュ様を、見捨てるなんてできません!」 頑としてギーシュを放そうとしないシエスタ。 火はますます強まり、煙が二人を包み始める。 「ゴホッ、ゴホッ……」 「し、シエスタ……もう、いいから……!」 「い、嫌です。死んじゃったら、もう会えないんですよ!」 煙が目に沁みて涙が出てくる。とても目を開けていられず、シエスタは転びかけた。 「キャッ!」 だが、そんな彼女を後ろから誰かが支える。 「大丈夫か、シエスタ!」 「えっ、お、お父さん!?」 煙で痛む目で何度もまばたきしながら、シエスタは振り返って父の姿を見た。 そして、父だけじゃない、タルブの村のみんなが向かってきている。 「あそこだ! シエスタと貴族様はあそこにいるぞ、早く助けるんだー!」 「火を消せ! 水をかけろ! 土をかけろ!」 「貴族様が怪我をしちまってる! 手当てだ、薬草と包帯の用意をさせろ!」 「火の周りの草を刈っちまえ! そうすりゃ火は広がらねえ! 農具をもってこい!」 何人もの無力な平民の村人が、力を合わせてギーシュを助けようとしている。 兵隊が逃げ出すような恐ろしいゴーレムを相手に、 たった一人で立ち向かった少年のメイジの姿に彼等は心を打たれていた。 だから、シエスタがギーシュを助けるために森から飛び出した後、 敵兵や草原の火事に恐怖しながらも、シエスタの父が村人に奮いをかけたのだ。 後はもう雪崩のように村の大人達がギーシュとシエスタの救助に向かった。 「貴族様、大丈夫ですか!?」 ギーシュはシエスタの父に背負われ、シエスタも父に寄り添って避難しているのを見ると、 ようやく安堵を感じて微笑む事ができた。 「……ありがとう」 「こちらこそ、村を守ってくれた貴族様にお礼を言いたいくらいでさ」 「僕が君達の恩人であるならば……君達も僕の恩人だ」 「き、貴族様にそこまで言っていただけるたあ……何だか無性に照れちまいます」 ギーシュと父の会話を聞いて、シエスタはとても嬉しくなった。 ついこの間まで、貴族と平民には決して越えられない壁があると信じていた。 けれどそれを承太郎が打ち破って、貴族の典型だったギーシュも態度を変えて。 同じ人間なのだから、解り合える、助け合える。 それはとても画期的な発想で、それはとても素敵なものに思えた。 そして――シエスタは空を見上げた。 日食が進む中、竜の羽衣と二匹の風竜が飛び回っている。 さらにレキシントン号が竜の羽衣目掛けて砲撃しているようだ。 「ジョータローさん……ギーシュ様はご無事です。だから、だから貴方も……!」 すでに錨を上げたレキシントン号は、後甲板を爆発させられた事に激怒し、 必要以上に謎の竜――ゼロ戦を狙い撃っていた。 いかに承太郎でも、ゼロ戦の中ではスタープラチナの能力を生かせない。 せいぜいガンダールヴの能力で得た情報を元にゼロ戦を精密操作する程度だ。 砲弾や魔法は回避できる。だが反撃はできない。逃げ回るだけだ。 シルフィードの上からタバサとキュルケが風と火の魔法で援護するが、 レキシントン号の相手はさすがに無理だし、 ワルドの操る風竜に当てるのも至難の業だった。 そして刻一刻と日食は進んでいる。このままではジリ貧だ。 「ジョータロー! 破壊の杖を持ってきてるんでしょ? それを使って何とかできないの!?」 「もう使っちまった。こいつも銃の一種、弾が切れちまったら役に立たねー」 「じゃあどうす――」 「しっかり掴まってろ!」 ワルドの放ったエア・スピアーが機体をかすめ、ガクンと揺れる。 膝の上にルイズが座っているため、下手に旋回などをするとルイズが危ない。 そのため先程から承太郎は戦場でありながら安全運転をしいられていた。 「大丈夫か?」 「痛たたた……だ、大丈夫」 機体が揺れたショックで、ルイズは頭を風防にぶつけたらしかった。 涙目になりながら頭をさすっていると、承太郎の足元に始祖の祈祷書が落ちていると気づく。 さっきの衝撃で落としてしまったらしいが、この竜の羽衣を動かすには、 何か足も使って変なの踏んだりしないといけないっぽいし、 邪魔になってはいけない――と、ルイズは祈祷書を拾った。 白紙のはずの祈祷書に文字が浮かんでいた。 「……はえ?」 「ん? ハエがいるのか?」 ルイズの呟きを聞き、コックピット内を見回す承太郎。無論ハエなど一匹もいない。 「ちょ、ちょっとしばらく竜の羽衣を揺らさないで!」 慌ててルイズは祈祷書を確認する。間違いなく文字、古代のルーン文字だ。 勉強家のルイズはそれを読む事ができた。 序文。 これより我が知りし真理をこの書に記す。 この世のすべての物質は、小さな粒より為る。 四の系統はその小さな粒に干渉し、影響を与え、かつ変化せしめる呪文なり。 その四つの系統は、『火』『水』『風』『土』と為す。 「じょ、ジョータロー。その、祈祷書に何か書いてある」 「……何の事だ? 文字なんて見当たらねーが……」 「で、でも、確かに……」 ルイズは困惑した。だって何回見ても白紙だったのに、何でいきなり古代ルーン文字? しかも承太郎には見えない? どうして自分には見える? ルイズは恐る恐るページをめくったて文章を読み上げた。 神は我にさらなる力を与えられた。 四の系統が影響を与えし小さな粒は、さらに小さな粒よりなる。 「って書いてあるんだけど……何の事かしら?」 それを聞いて承太郎は眉をひそめる。 「小さな粒? まさか原子や粒子の類か?」 「ゲンシ? リュウシ?」 「科学の話だ。だがそんな物が魔法の本に出てくるという事は……。 ルイズ、お前に文字が見えるんなら、それを全部読んでみろ。 口には出さなくていい、舌を噛まれると困るからな」 「う、うん」 何だかよく解らないが、とにかく読んでみよう。ルイズは始祖の祈祷書に視線を下ろした。 神が我に与えしその系統は、四のいずれにも属せず。 我が系統はさらなる小さき粒に干渉し、影響を与え、かつ変化せしめる呪文なり。 四にあらざれば零(ゼロ)。零すなわちこれ『虚無』。 我は神が我に与えし零を『虚無の系統』と名づけん。 「虚無の……ええっ!? きょ、虚無の系統って書いてある!」 「そいつはたまげた。しかしガンダールヴも伝説の虚無の使い魔らしいからな。 ほれ、とっとと続きを読みな。お前がそれを読みきるまで、ゼロ戦は沈ませねー」 これを読みし者は、我の行いと理想と目標を受け継ぐものなり。 またそのための力を担いしものなり。『虚無』を扱うものは心せよ。 志半ばで倒れし我とその同胞のため、 異教に奪われし『聖地』を取り戻すべく努力せよ。 『虚無』は強力なり。また、その詠唱は永きに渡り、多大な精神力を消耗する。 詠唱者は注意せよ。時として『虚無』はその強力により命を削る。 従って我はこの書の読み手を選ぶ。 例え資格無き者が指輪を嵌めても、この書は開かれぬ。 選ばれし読み手は『四の系統』の指輪を嵌めよ。 されば、この書は開かれん。 ブリミル・ル・ルミル・ユル・ヴィリ・ヴェー・ヴァルトリ 以下に、我が扱いし『虚無』の呪文を記す。 初歩の初歩の初歩。『エクスプロージョン(爆発)』 その後に続くルーン文字を見ながら、ルイズは全力で呆れた。 自分の右手の薬指に嵌められた水のルビーを見て、呟く。 「つまり――この指輪が無きゃ、宝の持ち腐れって事ね。 注意書きすら条件満たさないと読めないなんて、頭悪いんじゃないの?」 そして呆れがスッと引き、次に疑問と興奮が湧いてくる。 これってつまり、自分がその『虚無の担い手』って事なのだろうか? 昨晩承太郎とした話を思い出す。 伝説の虚無のメイジの自分と、伝説の虚無の使い魔のジョータロー。 とても素敵な夢に思えた。 でもそれは今、夢どころか、どうやら現実らしい。この始祖の祈祷書を信じるなら。 「……ジョータロー。祈祷書、読んだけど、どう説明したらいいか……」 「要点だけ掻い摘んで説明してみな」 「あー、その、祈祷書によれば、これを読めるのは、虚無の担い手だけなんだって。 つまり私は虚無の担い手で、その、初歩の初歩の初歩の虚無の魔法の詠唱が書いてある」 「ならさっそく詠唱を頼むぜ。注文があったら先に言いな」 「で、でも、私、一度も魔法成功してない……」 「サモン・サーヴァントは成功しただろう? せっかくだから虚無の魔法とやらも成功させちまいな。伝説の存在になれるぜ」 ルイズは思考を走らせ、何となく身体のうちから湧いてくる『確信』を掴み取る。 「……何とか、できると思う。ジョータロー! あの一番大きな戦艦に近づけて! 詠唱はすごく時間がかかるみたい。いつ発動できるか解らないから、よろしく!」 「アイアイサー。ちぃーとばかし無茶な注文だが、何とかしてみるか」 承太郎は機首をレキシントン号に向けた。 スタープラチナの目が、こちらに向けられる多数の砲門を確認する。 ルイズの詠唱の邪魔をしないよう無茶な回避はせず、 あの大量の砲門から発射される弾をすべて回避しながら、 追ってくるだろうワルドの魔法も回避しなくてはならない。 無茶な注文だ。だが、今の承太郎は不思議と無茶だと思っていなかった。 左手に刻まれたガンダールヴのルーンが光り輝く。 竜の羽衣がレキシントン号に向かうのを見て、ワルドは首を傾げた。 まさかレキシントン号に特攻でもかけるつもりだろうか? いや、あのガンダールヴなら一人で戦艦を制圧しかねない。 「させるものか」 ワルドは風竜をレキシントン号へ向けた。 竜の羽衣がレキシントン号に向かうのを見て、キュルケはヒステリックに叫んだ。 「ちょ、何考えてんのよ! 自殺する気!? タバサ、どうしよう!?」 「……あの機動力なら何とかなるかも。でも私達は無理、撃ち落とされる」 「だからって……黙って見ているなんてできないわ!」 「もちろん。だから、しっかり掴まってて」 「え?」 無理、撃ち落とされる。そう言ったタバサは、シルフィードをレキシントン号へと向けた。 竜の羽衣と二匹の風竜が近づいてきて、レキシントン号の乗組員達は困惑した。 だが何を企んでいようと、撃ち落とせば問題ない。すべての砲門が竜の羽衣を狙う。
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前ページ次ページゼロな提督 ガリア領、アーハンブラ城。 ハルケギニアとエルフ領の境界線上に位置する丘の上の城。城壁は細かい幾何学模様に 彩られている。現在は廃城となっており、軍事拠点としては機能していない。丘の麓にオ アシスがあり、城下町は交易地として栄えている。 炎天下の中、無人であるはずの城には沢山の人が立っていた。その中には背が高く耳が 尖った人々も多く見える。 エルフと人間が争いもせずに同じ場所に集まっていた。 彼等は巨大な鉄の塊を取り囲み、数名が鉄の塊の上によじ登っている。 よじ登っていたうちの一人が軽やかに飛び降りて、囲んでいた群衆の中で最も豪華な衣 装をまとった、30歳くらいの美貌と逞しい肉体の男性の前に駆けてきた。 「陛下!遺体と遺留品の回収、全て終了致しました!」 「うむ、ご苦労」 ガリア王ジョゼフは、目の前に並べられた物を一瞥した。 今、ジョゼフの目の前には巨大な鉄の塊がある。ただしそれは錆び付き、穴があいて、 あちこちに大きな歪みがある。右側のキャタピラも外れていた。そして穴からは塊の内部 を覗き見る事が出来た。沢山のコンソールとモニター、そして操縦桿やスイッチ類が見え ている。 30年前、ヨハネス・シュトラウスが操縦していた装甲輸送車だ。 第二十一話 神の手 そしてジョゼフの足下には車内に残されていた物が並んでいた。ほとんどは小型ヴィー クルに載せ替えられてシュトラウスが持ち去ったため、大した物は残っていない。残され たそれらも錆び付き、朽ちかけていた。 その横には砂の中でミイラ化した遺体も並べられていた。全員ハルケギニアの人間と同 じ人種だ。服装は銀河帝国軍人の軍服だが。 王は群衆の中の一人に声をかけた。 「ビダーシャルよ。確かお前の話では、エルフの死体もあるはずだが?」 長身のエルフは浮かない顔で振り返る。 「砂漠の地下から引き上げた際、先に回収させてもらった。お前達には必要なかろう」 ふん、と王はつまらなそうに鼻を鳴らした。 彼は目の前に並べられた器具の幾つかを手に取り、あちこちを触ってみる。だが、どれ も何の反応も示さない。 装甲車を見ると、穴から顔を出した騎士が首を横に振るのが見えた。「やはりダメだ。完 全に壊れているようだ。何の反応もしない」と他の騎士へ叫んでいる。 ビダーシャルが中を覗き込むと、一人のメイジがあちこちのボタンをカンカン叩いてい た。しかし、砂の中に30年埋もれていた装甲車は、もはや何の反応も示さなかった。 だが、反応を示さず幸いだった事は彼等には分からない。何しろ叩かれていたボタンの 一つは装甲車に搭載されたレールガン発射ボタンで、その銃身は折れ曲がっていたから。 エルフと人間に囲まれた装甲車は、30年の時を経て、既に単なる鉄屑と化していた。 ビダーシャルはジョゼフの正面に立った。 「これで例の蛮人が遺した品々は全て集まったはずだ。『生存者』の足取りも確認し終えて ある。お前の要求は全て満たした。交渉の権利を得たと解釈してよろしいか?」 「よかろう。お前の話が真実であると認めよう」 答えるジョゼフは手にした遺留品をジッと見つめたままだ。新しいオモチャを手にした 子供のように、しきりにあちこりいじくり回している。 「…言っておくが、それらが全て動かない事は確認済みだ。引き上げ時に我らエルフが総 掛かりで調べ上げたのだからな」 「ほう。で、どうであった?何か分かったか」 見上げる王に、ビダーシャルは沈痛な顔で首を横に振る。 「…信じがたい高度な技術、としか言いようがない。理解の範疇を超えた代物だ」 「そう、か…。エルフの技術すら大きく凌駕するとはな。やはり、分かるのは例のヤン・ ウェンリーという男だけか…」 ビダーシャルは頷いた。暗い顔で。 ジョゼフはいい加減、目の前のエルフが今にも溜め息をつきそうな程に陰鬱な顔をして いるのが気になった。 「さっきから気になっているのだが、一体お前は何をそんなに落ち込んでいるのだ?」 答えるエルフの舌は、まるで鉛の様に重そうだった。 「実は、『シャタイーンの門』の事だ」 「門?…聖地はどうなっているのだ。悪化の一途を辿ってるとのことだったが」 ビダーシャルの声も、あまりにも重苦しい。 「門が、閉まらないのだ」 「・・・何ぃ!?」 一瞬、ジョゼフは彼が何を言ったのか理解出来なかった。 「最近は門が開きっぱなしだ。連日連夜、休むことなく何かが飛び出そうとしている」 「何と…では、例の激しい嵐も、か」 「いや、それがそうではない。今までとは異なる、小さな爆発がひたすら延々と続いてい るのだ。大地の精霊が余裕を持って押さえ込める程度のものだ」 説明されたジョゼフは首を捻る。果たして門から生じる爆発の頻度と規模の変化が一体 何を現すのか、を。 「…召喚される物が、変化している?」 「恐らく、そうだ。今までは大きいものをたまに召喚していたのが、今は小さな物をひっ きりなしに召喚しているのだろう」 「何故、そうなるのだ?」 「わからん…。虚無に関する情報が少なすぎることもあるしな。 ともかく、協力を求めておいて悪いが、我々はすぐに再びネフテスへ戻らねばならん。 諸部族でも連日対応のため会議が開かれているのだ。 言っておくが、ヤン・ウェンリーという男に軽々しく手を出すな。彼にはいずれ老評議 会からの招待状を届けるだろうからな」 「おっと、それはこちらの台詞だ。下手にお前達に手を出されて、ロマリアに嗅ぎ付けら れるとやっかいだぞ。トリステインで教会が動くと、余の愛らしい姪だけでは手に余るだ ろうからな」 「言われるまでもない。では、そろそろ帰らせてもらう。今後の事は会議で諸部族の方針 が決まってから相談させて欲しい」 「そうか。まぁ、ご苦労だったな。また会おう」 エルフ達はビダーシャルに率いられ、砂漠の中へと消えていった。 その背を見送る王は、誰にも聞き取れぬ程に小さな声で呟く。 「…暇つぶしに世界を手の平の上に乗せて遊ぼうかと思っていたが、どうやらもっと面白 そうなモノが現れそうだな」 押し殺した笑い声が砂の中に吸い込まれていく。 砂漠の中の廃城。朽ちかけた装甲輸送車。 もはや干からびきった銀河帝国軍人達は、何も答える事はなかった。 所変わりトリステイン城のうららかな午後。 警護の騎士が数名控えるマザリーニの執務室では、ルイズが椅子に座る枢機卿に報告を していた。 「・・・以上、アルビオンでの調査結果です」 黙って話を聞き続けていたマザリーニは満足げに深く頷く。 「そうか…ご苦労。皇太子生存の件についてはド・ポワチエ将軍からも同様の調査報告が 示された。また、皇太子が公の場に姿を現さなかった件については君たちと同意見だ」 やせ細った枢機卿からの評価に、ルイズも緊張から解き放たれると同時に誇らしさで身 体が軽くなるかのようだ。後ろのヤンも、そんな主の姿を嬉しげに見つめていた。 村人達に手を振られ、セブランの風竜でルイズ一行はタルブを飛び去った。 学院にロングビルとシエスタを降ろし、荷物を部屋に放り込んだルイズとヤンは、即座 にトリステイン城へ報告に向かった。アルビオン行についての学院長への報告はロングビ ル、シエスタは学院の仕事をしにいった。ヴァリエール家のメイドになったハズなのだが、 この辺は結構いい加減なものらしい。 そして早速枢機卿にアルビオン調査報告を行った。内容については先日手紙に記したも のと変わりはないが。 一息ついたルイズが、少し躊躇った後に口を開いた。 「あの、差し出がましい事なのですが…皇太子の件、姫さまへは?」 とたんに、満足げだった枢機卿の顔は苦々しげに変わった。 「伝えずともよい…と言いたい所だったのだが、既に知られている。まったく、小雀達め が、余計な事を」 その言葉に、ルイズとヤンも顔を見合わせてしまう。 二人には、心労の果てにやせ細った枢機卿が、溜息と共に更に細くなった気がした。 ルイズの手紙は枢機卿とヴァリエール公爵に送ったが、彼等が軽々しく重要情報を口に するとは思えない。恐らくは慌てて情報収集に走った大使一行、機密を保てはしなかかっ たろう。 意に沿わぬ政略結婚を前にしてマリッジブルーに入ってるかもしれない若き姫。その心 を乱すような情報、出来るなら遮断したかった事だろう。 そしてジロリとルイズを睨んだ。 枢機卿としてはルイズを恨むのは筋違い承知しているだろうし、睨んでる気は無いのだ ろうが、やせ細った男の視線を真っ直ぐ向けられると、どうにも眼光鋭く思えてしまう。 「で、その件で姫はミス・ヴァリエールから報告を受けたい…との事だ。 まぁ、皇太子と直接会ったわけでもないのだし、今の報告以上の事はないだろうが。と りあえず心安らかに婚儀まで過ごして頂けるよう、姫に会って行かれてはくれまいか?」 「はい!承知致しました!」 ルイズにしてみれば渡りに船だ。姫から直接王家の秘宝について話を聞けるのだから。 「では、よろしく頼む。時間が良ければすぐにでも」 「もちろんですわ!すぐに姫さまの下へ参ります!」 というわけで、ルイズは侍女に案内されて執務室を後にした。 だがヤンは出て行かなかった。 まるで当然のように部屋に残ったヤンを見て、マザリーニは怪訝な顔をする 「主について行かぬのか?」 ヤンはコホンと小さく咳払いをする。 「私は平民です。故に、姫殿下のご尊顔を許しもなく拝謁する地位にありません」 「そうか。ではヤンよ、大義であった。学院への…」 ヤンに退室を命じようとした枢機卿の言葉を、ヤンの小さな咳払いが遮った。 「失礼。猊下、無礼を承知で伺いたい事があるのですが」 「ふむ?よかろう。手短に申してみよ」 ヤンは恭しく頭を垂れてから、少々演出を交えつつ話を切り出した。 「私が召喚され、時が過ぎました。良き主に恵まれ、仕事も友も得ました。帰郷の目処も 立ちません。ゆえに、この国にて一介の平民として暮らそうかと思うのです」 「ほう、そうか。それは目出度い事だ」 マザリーニは頬を綻ばせた。その表情に裏があるようには見えず、率直にヤンがトリス テインで生きる事を喜んでいるようだ。 「ただ…この国で生きるには、私には一つ足りない物があるのです」 「足りない物?」 「はい。ハルケギニアの民として、決定的に欠けた物があります。それ無しにはトリステ イン国民として生きる事が叶いません」 「ほう、それは?」 ヤンは、持てる最大限の演技力を駆使して仰々しく、かつ簡潔に一言で語った。 「始祖への、信仰」 その言葉に、マザリーニも威厳をもって答えた。 「なるほど、確かに始祖への信仰心無しにハルケギニアで生きていく事は、暗黒の洞窟を 目隠しで歩くに等しい」 「御意」 まるで立体TVの役者のような演技を心がけてるヤンだが、どうも自分のやってる安っ ぽい演技に気付いて嫌気がしてくる。 祈祷書の情報が欲しい。だが、ルイズが虚無の系統という可能性には気付かれるわけに はいかない。虚無の系統には安全装置がかけられており、これを解除する鍵が指輪と始祖 の秘宝であることにも。 ヤンは『始祖への信仰を司る教会の人間であるマザリーニは、虚無も秘宝も全て知って いる』という可能性は低いと見ている。もしそうなら、ルイズに始祖の秘宝を持たせ、テ ファのように虚無の系統を使えるようになるかどうか確かめるはずだ。だがルイズには、 そんな記憶は無いとの事だった。過去に試された事をルイズが忘れてるだけかも知れない が。 虚無の危険性を正確に知っているため、あえて虚無について黙殺しているという事もあ りえないわけではない。もしくはルイズは虚無の系統ではなく、本当にただ魔法が失敗し ているだけと早期に判断した、とも。 いずれにせよ、ヤンは虚無に言及する事なく祈祷書の情報を引き出す必要がある。その ためヤンは心にもない始祖への信仰を口にした。 アンリエッタの方は今頃ルイズが行っているだろうと期待して。 そんなヤンの企みを知ってか知らずか、かつて教皇の地位をすら争った男は顎に手を当 てて思考を巡らせる。 「そう言う事であれば、学院のある教区担当の司教に紹介状を書いておこう。始祖ブリミ ルの教義について落ち着いて学ぶと良いだろう」 「いえ、実は教義について、枢機卿より教えを賜りたく思うのです」 「ほう…私から、かね」 ヤンは胸一杯に大きく息を吸ってから、練習したかのように淀みないセリフを長々と語 り出した。 「無論、身の程を弁えぬ平民の過ぎた望みとは承知しています。 ですが、『忠誠は報いるところがあってこそ成り立つ』というのも事実です。なれば、ア ルビオン調査の褒美として、三年前に教皇選出会議から帰国要請すら受けた猊下より、始 祖について教えを賜りたく思うのです。 無論、猊下はトリステインの為に日々身を粉にしておられる身です。時間が無いのであ れば、諦める所存です」 言い終わったヤンは、自分の歯がフワフワと宙に舞っているのではなかろうかと苦笑い しそうになるのを、必死で我慢した。始祖について時期教皇と黙された人物から話を聞き たいのは嘘じゃない、と自分を必死で納得させながら。 マザリーニは警護の騎士のうち一人を呼び寄せ、小声で何事かを囁く。それを受けた騎 士は少し考えてから、同じく小声で返答する。 ほどなくして、騎士がヤンに向き直った。 「喜ぶがよい。猊下はお前のために後の予定を変更してくださるそうだ」 「恐悦至極。感謝の言葉も見つかりません」 いっそわざとらしいと言えるほど深々と礼をする。話を受けた騎士は予定変更を伝える ため退室した。 もともとヤンは士官学校時代の校長から「穏和な表情で辛辣な台詞を吐く」と言われた 人物。ある政治家の愛国的演説で、数万人の聴衆が起立して拍手と歓声の協奏曲を奏でて いる中、ただ一人黙々と座り続けた事も。 つまり、腹芸だの面従腹背だのは苦手…というか単純に少し大人げない。処世術はお世 辞にも長けていない。 そんなヤンの精一杯の演技。自分に自分で嘘をつくくらいしないと、とてもやり遂げら れそうにないと自覚していた。神への信仰心はおろか、「『こんな面倒臭い運命の糸を学院 に張り巡らさなくても、ルイズを城の宝物庫へ呼び寄せればいいだけだろ!』と、おバカ のブリミルに文句を言いたい」のが本音なのだから。 そんな始祖への恨み言は飲み込んで、あくまで始祖の教義について口にした。 「実は、私も始祖について学ぼうとオールド・オスマンに教えを請い、また学院の図書館 で本を漁ったりしました。ですが勉強不足のためか、どうにも始祖の教義について詳細が 分からないのです」 「ほう…さすが向学心旺盛だな。続けたまえ」 マザリーニは椅子に深く背を預け、ヤンの言葉を待つ。 祈祷書については、ヤンも学術的な観点のみから語れるので気が楽だ。なので、ヤンは 自分の考えを率直に示した。 そもそも始祖ブリミルの偉業とその教えは『始祖の祈祷書』に記されているはず。この ため始祖の教えを学ぶにあたり、まず祈祷書を読む事から考えた。だが、この点からいき なり躓いた。 オールド・オスマン曰く、『一冊しかないはずの祈祷書が各地に幾つも存在する。内容は、 それらしいルーン文字を並べ立てただけ、全て紛い物。貴族、司祭、それぞれが本物と主 張するが、内容が一致しない。各地の祈祷書を集めれば図書館が出来る』とのこと。この ため神官達が様々に教義解釈を導き、各地の寺院や貴族が都合良く治世に利用している。 腐敗の温床とすら言われる。 この点を批判し、『始祖の祈祷書』の解釈を忠実に行う『実践主義』運動がロマリアの一 司祭から始まった。こうした腐敗寺院の改革を目指す運動を行う人々を総称して、新教徒 と呼ぶ。この改革のうねりは国境を越え、市民や農村部に広まり、教会からは権力や荘園 が取り上げられつつある。 ちなみに現教皇である聖エイジス三十二世は『新教徒教皇』呼ばれることがある。だが これは現教皇が各宗派の荘園を大聖堂直轄にしたり、各寺院へ救貧院の設置を義務づけた り、免税の自由市を作るなど、腐敗一掃と教会改革に積極的なため。教義解釈とは無関係 と思われる。 実のところ、『実践主義』とか新教徒とは言っても、要約すれば利権の再分配を求めてい るだけでしかない。目先の利益に汲々としているのは、今の神官や修道士やレコン・キス タと変わる事はない。 いずれにせよ祈祷書の記述が不明なので、どの解釈が妥当なのか誰にも分からない。祈 祷書の解釈を忠実に行うべし、と唱える『実践主義』の新教徒にすらも。 「・・・結論として、『始祖の祈祷書』の正しい内容が不明という点が、そもそもの問題と 思われるのです」 聞いているマザリーニは黙ったまま、何も口を挟まなかった。目も閉じてヤンの話を聞 き続けている。この反応はヤンには意外だった。 ヤンが口にした内容は教会批判。これを口にしたのがヴァリエール家三女ルイズの使い 魔であり、始祖とは無縁な遙か異国から先月召喚されて、トリステイン王国に有意義な献 策や情報をもたらした人物という事情がなければ、異端審問という名の処刑もあり得ただ ろう。 マザリーニは、ゆっくりと目を、そして口を開いた。 「…トリステイン王家にも『始祖の祈祷書』が伝わっている」 やった!とヤンは心の中で拳を握りしめた。 「はい。ですが現在はクルデンホルフ大公国へ送られていると聞いています。確かベアト リス・イヴォンヌ・フォン・クルデンホルフ姫殿下が巫女に選ばれたとか」 「その通りだ。…まったく、貴公の聡明さと向学心には恐れ入る。僅か二ヶ月足らずで教 会の暗部と、その根本原因までも見抜くとはな」 「とんでもありません。日々自らの無知を思い知らされ、精進を重ねる毎日です」 ヤンは深く頭を下げる。 もっとも、ヤンはもちろん地球におけるキリスト教宗教改革初期の指導者ジャン・カル ヴァン(Jean Calvin、1509-1564)は知っている。聖書の内容が伝わってるキリスト教で すら、聖書に立ち返り、教会における権威の所在を「聖書のみ」とし、聖書を正しく解釈 すべきとするマルティン・ルター(Martin Luther、1483-1546)もいる。彼の教えを祖とする プロテスタントだの、ピューリタン革命(1642-1649、イングランド・スコットランド等で 起きた内戦・革命)だのが起きるのだから、教義の内容が伝わっているかどうかは主たる 問題ではないと理解している。 結局は祈祷書についての情報を得るための方便でしかない事をヤンは自覚していた。 「そして、貴公の望みは…真の祈祷書であるはずのトリステイン王家に伝わる『始祖の祈 祷書』。そこ記された教義内容の原文を知りたい、という事か?」 「御意」 頭を垂れたままのヤンを、マザリーニはジッと見つめる。 そして、ゆっくりと椅子から立ち上がり背を向けた。遠く窓の外に見えるトリスタニア へ目を向ける。姫の婚儀とパレードに向け準備が進み、既にお祭り騒ぎが始まっている城 下町の喧騒も城の執務室までは届かない。 しばし、重苦しい沈黙が流れる。 下げたままの頭を僅かに上げ、チラリと枢機卿を見る。だがやせ細った男は相変わらず 外を見つめたままだ。 ヤンの腰が痛み出した頃、ようやく返事が帰ってきた。苦々しげな、そして申し訳なさ そうな声で。 「済まぬが、貴公の願いには応えられそうにない」 その言葉に、ヤンは別に驚かなかった。幾つかの理由で予想した回答だったから。まず はそのうちの、主題から外れる理由について述べてみる。 「やはり、下賤な平民ごときが枢機卿から直接教えを賜るなど、恐れ多い…ということで しょうか?」 「そのような事はない。貴公の働きは報いるに値する。少なくとも私自身は伝えられるな らば伝えたいと思う」 「ならば、王権の基礎を為す始祖の秘宝ゆえ、軽々しく口の端に乗せるなど憚られる、と いうことでしょうか?」 「それもない。祈祷書自体は秘宝だが、その内容を隠す事は始祖の教えを広めるべき教会 の意義に反する。枢機卿という地位にある以上、そのような事はせぬ」 「なれば、何故に?」 尋ねるヤンの脳裏に残る選択肢は二つ。祈祷書が、真か…それとも、偽か。 答えを待つ彼に、老人のように髪も髭も白くなってしまった男は、更に老けてしまうか のごとき深い溜め息をついた。そして僅かに振り返り、警護の騎士達に退室を命じる。騎 士達は一礼して退室した。後に残るのはマザリーニとヤンのみ。 再び窓の外へ向き直ったマザリーニは、諦めたかのように淡々と語った。 「何故なら、貴公に伝えるべき内容が、無いからだ」 ヤンはゴクリとツバを飲み込み、恐る恐る再び尋ねる。 「それは、他の祈祷書と同じく、それらしいルーン文字を並べ立てただけの紛い物…とい うことでしょうか?」 「だったら、まだ良かったのだがな…」 「…もしや、白紙…?」 「聡明すぎるのも考え物だな。まったく、その通りだ」 「失礼ながら、インクが6千年の間に消えたとか、偽物とすり替えられたとか、そういう 事は?」 「無い。王家の記録上、最初から白紙なのだ」 沈痛な面持ちのマザリーニとは対照的に、ヤンは踊り出したい気分だった。 紛い物を通り越し白紙。それがヤンの求めた答え。トリステインの祈祷書が真たる証。 ティファニアが虚無の魔法を得たのは、音が鳴らないはずの古ぼけたオルゴールから。 始祖の秘宝自体も虚無の秘密を守るために、一見して鍵とは分からないように偽装してあ ると見ていた。それが書であれば、書として体裁を為していない、つまり白紙だろうと。 そしてこれこそが、紛い物の祈祷書が出回る理由でもある。オリジナルがオリジナルに 見えない、誰にも真贋が見分けられない。なら偽物は造り放題。 加えて、祈祷書の原本が白紙だとしたら、現在の教会の教えは捏造された大嘘というこ と。教会の権威を傷つけぬように解釈するには、トリステイン王家の祈祷書が偽物とする しかない。今度は王家の権威に傷が付く。 だが、ふとヤンの脳裏に今度は疑問が湧いてくる。 教皇の地位すら得る事の出来たマザリーニ枢機卿の信仰心は、何を拠り所とするのか… 「あまり残念そうに見えないが、全ては予想の範囲内かね?」 演技を忘れて推理に没頭していたヤンは慌てて我に返った。 「いえ、滅相もありません。ですが、祈祷書の内容が全く一致を見ない事から、可能性の 一つとして考えてはいました」 「そうか。では貴公は、こう考えたのではないかな?『教会が説く始祖の教えは、全て偽 りか』とな」 「いえ、そのような…」 やはり、虎の尾を踏んでしまったか、とマザリーニの顔を見たヤン。だが、マザリーニ は別に何の感情も現してはいなかった。彼の疑問は当然の事であり、それに対する答えは 用意してあるかのように。 「貴公の疑問は当然だ。 だが、重要なのはトリステインの祈祷書ではないのだ。祈祷書とは始祖の偉業と教えを 記した物だ。つまり、始祖の時代に生きた人が書いた、始祖の御言葉と偉業を記した全て が本物の『祈祷書』なのだよ。 白紙なのは残念であり不可解だ。だが始祖の聖遺物であることに変わりはないので、重 大な問題ではないのだ。あまり口外はして欲しくないがな」 「なるほど…」 ヤンは素直に感心したが、それは始祖の偉大さを実感したからではない。ものは言いよ うだという点についてだ。第一、記された時期が始祖と同時代でも、内容の真偽が不明な のは同じだ。 だが、次の言葉にはヤンも目が点になった。 「そして、教義にも信仰上のさしたる意味はないのだよ」 「教義に、意味がない?」 マザリーニは深く頷いた。 「何故なら、始祖が我らにもたらした系統魔法こそが、常に我らを守り導くからだ」 その言葉に、ヤンは一瞬唖然とした。ハルケギニアの宗教は魔法と深く結びついている 事に、今さらながら考えが至った。 「・・・つまり、系統魔法という奇跡が常に身近にあり、人々に祝福を授けている。だか ら始祖の偉大さと人々への加護を知るために、言葉に囚われる必要はない…ということで しょうか?」 「簡単に言うと、その通りだ。魔法を使えぬ平民の貴公には納得出来ぬ所もあるだろう。 だが、その貴公も魔法の恩恵は受けていよう?」 水魔法により一命を取り留めたヤンとしては反論しにくい。 ヤンは祈祷書に関する必要な情報は得たので、それ以上疑問をぶつける事はなかった。 枢機卿はヤンに、ある司祭への紹介状を手渡してくれた。教会の教義についての細かな 成立の経緯や、解釈の変遷等は彼が詳しいので教えを請うとよい、とのことだった。 それでも彼の脳裏には抑えの効かない推理と考察が飛び交う。 ブリミル教はキリスト教のような唯一神信仰の様に見えるが、その真実は魔法そのもの という自然崇拝に近いのだろうか。だが古代エジプトのアテン信仰やペルシアのゾロアス ター教、また地球教徒のような純粋な自然崇拝ではないように思える。いや、地球教は信 徒を麻薬で洗脳して自爆攻撃に使用するテロ集団だ。ブリミル教は自然崇拝というより、 科学信仰に近い性格を持つのかも知れない。科学が人間の意思に従って恩恵も災いも等し くもたらすように、同じく魔法も人間の意思に従って恩恵も災いも等しくもたらす。これ は人の力が及ばない大自然を崇め恐れる自然崇拝とは大きく性格を異にする。人智の及ば ぬ絶対的存在である虚無とブリミルを畏怖すると同時に、生活の役に立つ系統魔法への感 謝を忘れない…という事だろうか?単に魔法万能主義の象徴としてブリミルが存在するの かも知れない。 どうであれ、ブリミルへの畏怖と魔法の利用価値を統治に都合良く利用しているのは間 違いない。統治そのものの矛盾と腐敗が新教徒という形で噴出しているのか…。 「この辺は研究の価値があるなぁ…いずれじっくり調べてみようかな」 退室するヤンの呟きは誰にも聞かれる事はなかった。単なる情報収集の素材として口に したブリミル教だったが、意外に灰色の脳細胞を刺激する題材と気付かされた。 枢機卿の執務室を出て、警備の騎士からデルフリンガーを受け取ると、アンリエッタと の話が終わったばかりのルイズがワルドに警護されて戻ってきた。 小さな主に、ヤンは胸に手を当て大仰にお辞儀する。 「お疲れ様でございます、お嬢様。姫殿下のご機嫌はいかがでしたか?」 ルイズも胸を張り澄まし顔で応じる。その手は優雅に窓へと伸ばされた。 「些か気が晴れぬご様子。ですが婚儀の日には、あの空のように晴れ渡る笑顔を下々に示 して下さるでしょう」 それを横で見ているワルドはクスクス笑い出した。 「君たち、演技過剰だよ」 「今さら気持ちわりーんだよ!二人とも」 ヤンの背中のデルフリンガーもきつい突っ込みを入れる。照れるヤンとコロコロ朗らか に笑うルイズ。 そんな二人を見てるワルドもついつい頬が緩んでしまう。 「二人とも、アルビオンでは中々の活躍だったじゃないか!ウェールズ皇太子生存の情報 は貴重だよ。いや、時間さえあればアルビオンでの話を君たちからじっくり聞きたいね」 「あら、子爵様。私はいつでも構いませんわよ。ねぇ?ヤン」 「ええ、もちろんです」 二人の返事を聞いたワルドは素直に残念そうな顔をした。 「うーん、すぐにでも話を聞きたいところなんだが、何しろ姫さまの婚儀が近いからね。 元々の姫殿下護衛任務に加えて、式典警護に衛兵の訓練にと、てんてこ舞いなんだ。 だけど、近いうちに必ずまとまった時間を取るよ。ヤン君とは是非とも天下国家につい て語り合いたいと思ってたんだ。それに…」 鷹のように鋭い目が、ルイズに向けて陽気なウィンクをする。 「姫殿下の婚儀が済んだら、次は僕らの婚儀だからね」 「そ!そんなワルド様!私は、まだ、そんな…」 ルイズは頬を染めて俯いてしまう。 「ははは!ゴメンゴメン、別に急ぐ話じゃないよ。公爵とも話をしないといけないしね。 それじゃ、また!」 城の正門でヴァリエール家のいつもの馬車に乗り込み、ワルドと別れた。 ヴァリエール家のトリスタニア別邸へ向かう道中、ヤンは枢機卿との話をルイズとデル フリンガーに語った。 「…というわけで、祈祷書は恐らく本物だよ。あとは指輪だね」 「指輪も大丈夫よ!姫さまが右手薬指に『水のルビー』を着けてらしたの!なんでも、古 くから王家に伝わる秘宝だそうよ!」 「ほほー!おでれーたな!これで、虚無の封印が解除出来るわけだな!?」 床に置かれた長剣の言葉にヤンは頷く。 「可能性は十分だよ。あとは婚儀の後に適当な理由を付けて借りて試せば良いだけだ」 「やったわ!あぁ~、早く祈祷書を見たいなぁ~」 ルイズは舞い上がらんばかりに大喜びだ。ヤンの手を取ってブンブン上下に振り回し、 勢い余って足下のデルフリンガーがガンガン蹴られる。 狭い車内で大はしゃぎしていると、馬車が停まった。 飛び降りてきた御者のヤコブが扉を開けると、二人の目の前には別邸。それを見たとた んに二人とも、盛大な溜息とともにカクッと肩が落ちた。 その有様にヤコブも困ってしまう。 「あの、お嬢様…ヤンも、ほら、公爵様が待っておられるんだからよ!」 せめて公爵の機嫌を取ろうとルイズが買ってきたタルブのヴィンテージワインをヤンが カゴに入れ、長剣を背負う。二人は判決を受ける被告人のようにトボトボと別邸の門をく ぐっていった。 「おお!ルイズよ、無事に帰ってきたか!うむ、手紙は読んだぞ!立派な功をあげたでは ないか!城でもお前のこれまでの働きと合わせ、大変な話題になっていたぞ! ウェンリーも、よく娘を守りきってくれた!大義であった、礼を言うぞ!」 公爵の部屋に入るやいなや、公爵は満面の笑みでルイズを抱きしめて再会を喜んだ。 二人とも、公爵はすっかり激怒しているものと思っていたので、驚いて言葉がしばらく 出てこなかった。 ようやく父君の抱擁から解放されたルイズが、目を白黒させながら尋ねる。 「あ、あの、父さま。怒っていたのでは、なかったのですか?」 今度は尋ねられた公爵が目を白黒させた。 「何?…あ、ああ、無論だ!怒っているとも!まったく、学業もあるというのに何を遊び 回っておるか!任務が終わったのなら早くもどらんか! ウェンリー、貴様が付いていながら何たる失態か。今後このような事は無いようにな!」 慌ててルイズから離れて背筋を伸ばし、二人を叱責する公爵。が、その顔は明らかにニ ヤけていた。 ヤンの背で長剣が小声で呟く。 「おでれーたな。どーやらルイズが手柄あげて帰ってきたのが相当嬉しかったらしいぜ。 早く褒めたかったのか」 二人も慌てて直立不動で公爵のお叱りを受けるが、チラリと横目で互いを見て、クスリ と笑ってしまった。 結局その日は二人とも別邸に泊まる事となった。 晩餐ではルイズから聞かされるアルビオンの旅に公爵は感心しきりだ。特にサウスゴー タの酒場で聞いた兵士達の話には思うところが多かったようだ。ちなみにヤンは執事らし く、他の執事やメイド達と共にデルフリンガーを立てかけた壁に控えている。 「そうか…四年前の、モード大公の一件が…」 神妙な顔のルイズがチラリとヤンを見た。 「ええ…ヤンに言われましたわ。『魔法で戦争は出来ても、政治は出来ない』と。目から鱗 が落ちる思いでした」 「ほう、そうか…ウェンリーよ、そのような事をルイズに言ったのか?」 問われたヤンは小さく頷く。 大公は深くゆっくりと頷く。 「そうか…ウェンリーよ」 「はい」 「これからもルイズにお主の知恵を授けてやってくれ」 「御意」 ヤンは、今度は深々と礼をした。横のメイドや執事からは不審・好奇・嫉妬その他の視 線が向けられる。 そのやりとりを見たルイズが、ふと呟く。 「お抱え学者みたいね」 「執事より適職であろう」 公爵は当然のように答えた。 その後も公爵は愛娘の話に頬が緩みっぱなしだった。 次の日の早朝、ヤコブの馬車に乗って二人は学院への帰路についていた。 ヤンは学院までの話のネタにと、ふと気になった事を聞いてみた。 「ところでルイズ、姫様の様子はどうだったんだい?」 「うん、それなんだけど…どうみても憂鬱なご様子だったわねぇ」 ルイズは宙を見上げながら、姫との謁見の様子を語り出した。 「――以上が、アルビオンでの事です」 「それでは、ウェールズ様には会えなかったのですね?」 「はい。残念ながら」 「そうですか。ご苦労様でした」 そう言ってルイズの労をねぎらうアンリエッタだが、どこか虚ろな表情をしている。心 ここにあらずといった感じだ。 「あの…姫さま?」 声をかけられて急に我に返る。 「あ、あら、いやだわ。私とした事が」 といった姫だが、すぐに再び視線が宙を彷徨い出す。 さすがにルイズも怪訝そうに姫殿下の顔を覗き込んでしまう。 「…姫さま。もしかして、ウェールズ様とお会いになりたいのですか?」 とたんにアンリエッタの目が見開かれ、そして寂しげに俯いた。 「今も、愛しておいでなのですね」 憂いを含んだ青い瞳が、ゆっくりと鳶色の瞳へと向けられる。 「私はトリステインの姫です。好きな相手との結婚など、最初から有り得ないのです。私 がゲルマニアに嫁ぐ事で同盟は結ばれ、トリステインの平和が保たれるのですから。 第一、私たちが愛を誓い合ったのは、昔の話なのですよ…」 そう言ってアンリエッタは哀しげに微笑んだ。姫の言葉は、まるで自分に言い聞かせる かの様だった―― 「・・・というワケなの」 ヤンは黙ってルイズの話を聞いていた。代わりに床に置かれていたデルフリンガーが口 を開いた。 「ふーん。やっぱ姫さんは政略結婚なんて、したくないわけだ。おまけに皇太子への未練 タラタラなわけかね」 「何て事いうのよ!」 ルイズはガシャッと長剣を踏んづけた。 「考えてみれば、アンリエッタ姫も不憫だよね…」 ヤンがようやく口を開いた。 「愛した人に会う事も許されず、政治の道具にされ、好きでもない皇帝の下へと嫁がされ るんだから。王家の定めとはいえなぁ…」 「確かに、ね。でも、私達のような貴族だって家の為に結婚をするのは当然の事よ。町娘 みたいに気楽な人生は送れないわ」 ルイズの言葉に、ヤンは頭をボリボリかいてしまう。 「そうだねぇ…貴族制度に自由を奪われるのは平民だけじゃなく、貴族もなんだねぇ」 「へへ、おでれーたな、ヤンよ。おめーにも分からねー事があんだな」 「デル君、そんなの当たり前だよ。知らない事の方が遙かに多いに決まってるさ」 「んで、娘ッコよ。おめーの方はどうなんだ?あのワルドって貴族との婚約だけどよ」 長剣から話を振られたルイズは目を白黒させてから、頬を染めて顔を伏せる。 「そんな、その…そりゃ、昔は憧れてたわよ。今も素敵だと思うし…でも、すぐに結婚な んて言われても…今は虚無の事で頭が一杯だし…」 その言葉に、ヤンもちょっと困った顔だ。 「まぁ、子爵も言ってたけど、公爵に話を聞かないといけないし、まだ学生の身だしね。 ゆっくり考えてからで良いと思うよ」 そんな話をしつつ、馬車は学院へ向けて進んでいた。 お昼前に学院に着くと、馬車を降りたルイズもヤンも、うにゅぅ~っと伸びをした。 ルイズが感慨深げに校舎を見上げる。 「ふぅ~、とにもかくにも、これでアルビオン潜入任務は全て完了よ!」 「そうだねぇ。いやー楽しかったなぁ」 そんな二人の後ろで荷を降ろし終えたヤコブが手綱を繰り、馬車を方向転換させた。 「それではお嬢様、失礼致します。ヤンも元気でなー!」 「ご苦労でした」「毎回ありがとぉ~」 手を振るヤンに見送られ、ヤコブの馬車は去っていった。 ヤンが大荷物とデルフリンガーを背負ってルイズの後をついていく。 学院のそこかしこから「おー!久しぶりじゃねーか!」というマルトーの威勢の良い声 や、「あらぁ、ルイズも使い魔さんも、ようやく帰ってきたのねぇ」というキュルケの甘っ たるい挨拶、「やぁやぁ、二人とも無事で何よりだねぇ。早速アルビオンでの話を聞かせて くれないか?」というギーシュの声など、二人を出迎える様々な声が響いてきた。 その日の深夜。 トリステイン城では、薄い肌着のみを身につけたアンリエッタが、巨大な天蓋付きベッ ドで眠れぬ夜を過ごすしていた。 そんな彼女の耳に、コツコツ…と何かを叩く音が届く。 身体を起こして窓の方を見ると誰もいない。だが、窓に何か紙片が張り付いている。 ふと気になり、ベッドを降りて窓に寄ってみる。よく見ると、その紙片には短い文章が 書き殴ってあった。 「風吹く…夜、に!?」 紙片に書かれた文章を読み上げたとたん、王女の目は驚愕のあまり大きく見開かれた。 慌てて窓を開け放ち、窓に張り付いていた紙片を手に取ってみる。 それは、蝋封に花押が押された手紙だった。 第二十一話 神の手 END 前ページ次ページゼロな提督
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前ページ次ページデュープリズムゼロ 第二十六話『虚無のルイズ』 静寂… そう…それはまさに静寂… 戦場にいた全ての人間の視線を釘付けにする眩い閃光が残したのは唯、絶句と静寂だけだった… どれ程その静寂が続いたのだろうか?ミントはライトニングクラウドをも飲み込んで空を走った雷光に焼き尽くされ、跡形も無く消滅したワルドがつい先程までいた空間を見つめてツインテールの髪を掻き上げ、風に遊ばせる。 「アルビオンじゃルイズが近くにいたから使わなかったけど。これがこのミント様の切り札よ。」 『黄色』の魔法タイプ『ハイパー』『まばゆき閃光』と呼ばれるそれはミントの習得している魔法の中でまさに切り札と呼ぶに相応しい、ミントを中心として優に半径100メイルを軽く超える凶悪なまでの破壊力を誇る雷の魔法。 消費する魔力はそれに伴い、掛け値無しの残魔力の全放出という極端な仕様… 「………流石に疲れたわね…一旦下がろうかしら…」 疲労を顔に浮かべ、げんなりとした表情でミントは呟くと背中のリュックから飲料水の入った瓶を取り出してそれを口につけると一つ安堵の溜息を漏らしたのだった… 一息ついてミントはヘクサゴンを戦域からゆっくりと後退させることにした。 そしてその直後…ミントの目の前で戦域全てを包み込むとてつもなく巨大な爆発が起きたかと思うとそれはレキシントン含むアルビオン艦隊を一瞬の内に焼き尽くしたのだった。 ____ それは遡る事数分前… ルイズはとにかく馬を走らせていた。 「ミント…」 勢いよくアンリエッタの元から飛び出したのは良いが情けない事に空を行くヘクサゴンにルイズは辿り着く術を持ち合わせていなかった。すぐにその事には気が付いたのだがルイズはそれでも愚直にミントの直下目指して馬を走らせていたのだった。 と、そこへまるで導かれるように上空から何かがルイズ目掛けて一直線に落下してきた。 「ぎゃあぁぁぁぁぁーーーーーーー!!!!!」 「………………え?」 それは太陽光を反射しながら絶叫を上げるデルフリンガーに間違いなかった… デルフリンガーはそのままルイズの駆る馬の脇を掠めるように地面に突き刺さり、馬はその事に驚き嘶きを上げると取り乱したように暴れ始める。 「ちょっ…ちょっと、良い子だから落ち着いて!!……って、あっ!!!」 ルイズは慌てて手綱を捌き、馬を落ち着かせようと奮闘するがその最中懐からポロリと『始祖の祈祷書』が地面に転がり落ちた… ルイズは慌てながらもある程度馬を落ち着かせるとその背から軽やかに飛び降り、始祖の祈祷書を拾い上げると自然とその視線は地面に突き刺さったままのデルフリンガーへと向けられる。 「あ~…よう、嬢ちゃん元気にしてた?」 「元気と言えば元気よ…残念ながら空から飛び降りる程じゃ無いけど…」 「ま、それ位が丁度良いぜ…」 「ところであんたがここに居るって事はやっぱりあれは…」 「あぁ、相棒だぜ、今はワルドの野郎と戦ってるが…まぁ心配ねぇだろうな…」 ルイズは開口一番に軽口を叩くそんなデルフリンガーに呆れたた様子でやり取りを行いながら始祖の祈祷書に付着した土汚れを払って、中身が無事かとパラパラとそのページを適当にめくる。 「ワルドとですって……ん?何これ?」 と、ここでルイズは白紙であった筈の祈祷書に何やら長ったらしく文章が綴られている事に気が付いた。 何とは無しにその文章に視線をむける。間違いなくさっきまでこんな文章は存在していなかった筈だ… 序文。 これより我が知りし真理をこの書に記す。 この世のすべての存在は、虚ろを宿る。 四の系統はその虚ろに干渉し、影響を与え、かつ変化せしめる呪文なり。 その四つの系統は、『火』『水』『風』『土』と為す。 ルイズはその祈祷書に記された文章が何であるかを理解するとその文章を食い入るように熟読し始める。 神は我にさらなる力を与えられた。 四の系統が影響を与えし虚ろは、虚ろなる闇より為る。 神が我に与えしその系統は、四の何れにも属せず。 我が系統は虚ろなる闇に干渉し、影響を与え、かつ変化せしめる呪文なり 。 四にあらざれば零。 零すなわちこれ『虚無』。 我は神が我に与えし零を『虚無の系統』と名づけん。 「おい、嬢ちゃんどうした?」 デルフリンガーはそのルイズの様子が明らかにおかしい事に気が付いて、ルイズに声をかけるがとうのルイズは祈祷書から視線を外す事無くデルフに震える声で答えた… 「…デルフ…どうしよう…私選ばれちゃったみたい…」 「何だそりゃ?」 ルイズの物言いに疑問符を浮かべたデルフがそう言った次の瞬間、上空でとてつもない轟音と雷光が発生した。と同時にルイズの馬が怯えたように何処かへ走り去る。 「何だ?何だ!?」 突然の事に困惑しながらデルフリンガーがルイズを見るとどういう事だろうか?ルイズは先程の雷光と雷鳴にまるで気が付いていないかの様に祈祷書を見つめたまま小さく唇を動かし、ひたすらに長い長い詠唱を行っていた… これを読みし者は、我の行いと贖罪と器を受け継ぐ者なり。 またそのための力を担いし者なり。 志半ばで倒れし我とその同胞のため、『異界の亡霊』を『聖地』に封じるべき努力せよ。 『虚無』は強力なり。 また、その詠唱は永きにわたり、多大な精神力を消耗する。 詠唱者は注意せよ。 時として『虚無』はその強力により命を削り、器に潜みし虚ろなる闇を増幅させる。 したがって我はこの読み手を選ぶ。 たとえ資格なきものが指輪を嵌めても、この書は開かれぬ。 選ばれし読み手は『四の系統』の指輪を嵌めよ。 されば、この書は開かれん。 ブリミル・ル・ルミル・ユル・ヴィリ・ヴェー・ヴァルトリ 以下に、我が扱いし『虚無』の呪文を記す。 初歩の初歩の初歩。『エクスプロージョン』 祈祷書の持つ魔性に取り込まれでもしたのか…そのうつろな瞳からは輝きが失われており、ルイズがある種のトランス状態である事がデルフには読み取る事が出来る… 「おいっ!おいっ嬢ちゃん!!………クソッ駄目か…それにしてもこの呪文は一体…?聞き覚えがあるのか?俺様に…」 そして…ルイズの歌うようなその詠唱は未だ錆び付いたままのデルフリンガーの記憶を激しく揺さぶった…そうそれは確かに遙か昔、何処かで聞いた事がある不思議な詠唱だった。 その詠唱の完了と共にルイズは意識を覚醒させると自身の中に眠る『虚無』の力を理解する…同時にこんな非合理的な封印を施していたブリミルへの不満も湧いたのだが… 淀みなく練り上げられた桁違いの魔力の奔流、ルイズはそれを完全に制御する術をしる。 (すごい…解る、狙える…これなら!!) 魔法の射程は視界の全て、対象はルイズの意識一つで取捨選択さえできる。後は魔力の解放の為、呪文と共に杖を振るうだけ… ルイズは狙う…対象は上空に群がるアルビオン艦隊。その動力たる風石と船体を支える竜骨とマストのみを焼き尽くす。 ルイズは瞳を閉じると大きく一度深呼吸を行い大きくその瞳を見開いてその小さな肺に収まった空気を身体に渦巻く魔力と共に一息に吐き出すように…全身全霊、万感の思いを込めて『虚無』を解き放った… 「エクスッ…プローーーージョンッッ!!!!!!!」 レキシントン号を中心に、ルイズの解き放った魔力は光となって艦隊を包み込む、それはさながら突然太陽が現れたかのようで…音の無い爆発と閃光が再び空を覆った。 全てが終わった後の光景は、艦隊の全てが炎上する姿。 それら全部が、火の玉となって一斉に地上へと墜落していく。途中、小型の脱出艇が戦艦から統率など一切取れぬ様子で幾つも飛び出してはいた。 その光景はまるでこの世の物とは思えぬ大惨事でありながら、だがしかし、トリステインにとっては何よりもの奇跡の光景だった… 「フヘヘ……ざまぁみなさい…」 スッカラカンになった精神力で辛うじてルイズは言ってほくそ笑むと草原に受け身も取らず清々しい勢いで大の字に倒れる… 「ミント…は…無事かしら…」 今まで生きてきて魔法が使えないというコンプレックスから溜まり続けていた膿を全て吐き出したかのような晴れやかな気分のままルイズはその意識をゆっくりとまどろみの中へと落としていった… ____ 「何よアレ…?」 ミントは口を開いたまま閉口出来ず、唯々先程目の前で起きたデタラメな威力の爆発の後を見つめていた… 魔力の回復の為と落下したデルフリンガー回収の為、戦域を離れ高度を落としていたミントは何とか爆発を免れていたがあのままあの場に留まっていたと思うとゾッとする。 「誰の仕業か知らないけど、このミント様もろとも吹き飛ばそうだなんて…見つけたら唯じゃ置かないわ…」 無論、ヘクサゴンはエクスプロージョンの対象から外れていたのだがミントはそれを知るよしも無い。 そんな事を考えながらもミントは取り敢えず恐らくはデルフリンガーが落ちているであろう場所へと向かうのであった… 大爆発を引き起こした犯人兼、ご主人様が満足そうに倒れているその場所へと… 数日後____________ トリステイン城下町、ブルドンネ街では派手に戦勝記念パレードが行われていた。 狭い街路にはいっぱいの観衆が詰めかけている。 聖獣ユニコーンにひかれた馬車から覗く王女アンリエッタの姿を一目見ようと人々は通り沿いの窓や屋上からパレードを見つめ、口々に歓声を投げかけた。 「アンリエッタ王女万歳!」 「トリステイン万歳!」 群衆達は熱狂していた。 あの後、奇跡の戦勝を飾ったトリステインはゲルマニアとの婚姻を伴った条約を白紙へと戻し、新たに同盟協定を結ぶ運びとなった… 理由は言わずもながらアルビオンがトリステインへと攻め入った際、ゲルマニアは未だ条約が不締結であったとはいえまるでトリステインを見捨てるかのように軍を動かさなかった… 故に、ゲルマニアは強硬には出られずまたトリステインとの同盟は絶対不可欠であった。アルビオンの脅威に怯えるゲルマニアにとって、トリステインはいまやなくてはならぬ強国であるのだから。 馬車の中でマザリーニはアンリエッタの民達へと笑顔を向けるその姿に内心驚いていた… ウェールズの死を伝え聞いて以来悲しみに暮れていたアンリエッタ…ほんの二月前まで蝶よ花よと愛でられるだけの『王女様』。それがマザリーニの知るアンリエッタだった。 それが何か今までとは全く違う…そう…それは一言で表すならば… 「お強く…なられましたな。」 アンリエッタは観衆に手を振りながら、マザリーニに答える。 「いいえ、わたくしは未だ弱く情けない小娘です。しかしわたくしは彼女達の友人として恥じる事無く生きる為に戦う事を決めました。ですからマザリーニ、これからもこの無知で愚かな『女王』を支えて下さい。」 「…御意に。」 マザリーニはアンリエッタの覚悟の言葉に喜色を浮かべて傅いた… 未だ次の戦乱を感じさせぬ程トリステインは勝利に湧いていた。 前ページ次ページデュープリズムゼロ
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前ページ次ページナイトメイジ ルイズが絶望と悲嘆に暮れ、頭を抱えて床に跪き、おまけにごろごろ転がって、やけ食いもちょっとばかりした何日か後のこと。 この日もルイズは自室で始祖の祈祷書を広げて 「うーん、うーん」 唸っていた。 別に何回も見ていれば読めるページが増加してくれるんじゃないかと期待しているわけではない。 とゆーか、それはもう済ませて無駄だとわかった。 では、何をしているかというと詔を作ろうとしているのだ。 トリステインの王室には結婚式の際、1人の巫女を選出し、その巫女に始祖の祈祷書を手に詔を唱えさせるという伝統がある。 そのためアンリエッタの結婚が迫った今の時期、祈祷書は誰にでも貸してよいというものではない。 そこでルイズを巫女に指名した上で、彼女に祈祷書を貸与したのである。 さて、この祈祷書、ルイズ以外の誰が見ても白紙である。 なら詔はどうするかというと、選出された巫女、すなわちルイズが作らなければならない。 そういうわけでルイズは失意のどん底に一度はたたき込まれた精神状態の中で祝いの詔を考えているわけである。 「ぬーーうぐぐぐぐぐ」 と言っても、そんなもの簡単に作れるものではない。 勉学において優秀なルイズはハルケギニアでも有名な詩をいくつも諳んじることができる。 だが、残念ながらルイズのクリエイティブな才能は詩歌を作ると言う方向性においては全く発揮されなかった。 「ねー、ベル。なんかいいのない?」 「そうねー」 全く気のない返事である。 「どうもこうピンと来ないのよね」 「そうねー」 「うまく表現できないのよ」 「そうねー」 ルイズは首を捻ってベッドの上を見る。 ベルはさっきからそこに寝っ転がって全く同じ調子で同じ返事を繰り返していた。 「ねえ、人の話聞いてる?」 「そうねー」 「ところで、この前モンモランシーのカエルの伴奏でキュルケのサラマンダーと学院長のネズミがダンスを披露したんですって」 「そうねー」 「全然聞いて無いじゃないの!」 手近にあった鞄を思い切りぶん投げるが、ベルは寝返りであっさりよける 「危ないわね」 「主人の話はしっかり聞きなさいよ」 「聞いてるわよ。で、なに?」 「あーんーたーわー」 今度はベルに爆発を一発お見舞いするが、それもまた回避されてしまう。 もう一発はベッドのクッションが木っ端微塵になりそうなのでやめた。 「罰よ!何か詔が思いつきそうなこと言いなさい」 「どんなことよ、それ」 「うーん、じゃあ、私が知らない詩を教えてよ。ベルは遠いとこからきたんでしょ。そこの詩で良いわよ」 やる気になったのか、考え始めている。 珍しい。 「四大系統に関する感謝の詩がいいわね」 「そうねー」 また、気のない返事が出てきた。 長引きそうなのでルイズは手を叩いてベルの意識を引き戻す。 「じゃあ、何でも良いわ。とにかく一つずつ行くから。まずは水に関する詩ね」 手を叩くリズムを早くして急す。 10回ほど叩くと首を捻っていたベルがようやく答えた。 「古池や蛙飛びこむ水の音」 確かに詩だ。 詩には違いない。 「あんた、モンモランシーと仲良かったっけ?」 「べつに」 まあ、そういうものなのだろう。 「じゃあ次、土ね」 「朝露や撫でて涼しき瓜の土」 なんかまた短いのを答えてきた。 「じゃあ、火」 「文ならぬいろはもかきて火中哉」 「風!」 「やれ打つな蝿が手をする足をする」 「えっと……」 なんというか、かわされたというか、はぐらかされたというか、すかされたというか。 とにかく予想外なのが出てきた。 「馬鹿にされた気がするわね」 「たぶん気のせいね」 たぶん、である。 「それって詩?」 「分類としては詩ね」 「韻、ふんでないじゃない」 「韻律ならあるでしょ」 「……」 とりあえず黙ってみる。 「変な詩ね。もっと言葉を美しく飾るのが詩ってものでしょ」 「変で良いじゃない。知らない詩がいいと言ったのはルイズよ」 「……」 どう言えばいいかわからなくなってきた。 「だいたい、そんなのどこで聞いてきたのよ」 「試験があったのよ」 期末とか、中間とか、抜き打ちとか、模試とかとはベルは決して言わない。 どっかの学園に潜入する時にはこういう事も押さえておかないといけないのだ。 最悪、下がる男には勝っておかなければならない。 「火といえば……」 そこにシエスタが口を挟んでくる。 この日も今までなにも言わなかったので気付いていなかったが、洗濯したルイズとベルの服を籠に詰めて持ってきていたのだ。 「お芋の用意できそうですよ」 「そう、後はルイズを待つだけね」 「楽しみですね」 「楽しみね。赤外線」 やたらニコニコ笑顔を振りまく2人にルイズもまた笑顔を見せる。 ただし、オーク鬼も裸足で逃げ出しそうな代物ではあったが。 「ふーたーりーとーもー」 おまけに湯気のごとくオーラみたいなものも立ち上ぼらせているし。 「でてってよーーーっ!」 いつ唱えたのかわからないが魔法は失敗する。 5回ほど連続で爆破音が起こり、部屋にはもうもうとした煙が充満してなにも見えない。 いつの間にか開いた窓から煙が抜ける頃には、ベルもシエスタもどこかに逃げた後だった。 籠を抱えて後ろを振り返るシエスタはルイズの部屋から立ち上る煙を見てほっと一息ついた。 とにかくびっくりした。 ベルに教えられて部屋の窓から飛び下りたはいいが、なんで爆発を起こすほどルイズが怒ってしまったのかさっぱりわからなかったのだ。 でも、怒らせてしまったことには変わりない。 次からはもっと気をつけようと決心したシエスタは籠を抱えなおして次の洗濯物を取りに行こうとした。 「シエスタ」 女子寮の出入り口から声がする。 走っていくと、ベルが扉の段差に腰をかけて待っていた。 「用意はできてる?」 「はい。いつでも出発できますよ」 「じゃあ今から行きましょう」 「今からですか?」 「そう。今から」 急な話たが、できないことはない。 少し同僚に説明しないといけないだろうけど。 「でも、ミス・ヴァリエールは良いんですか?」 「そうね……じゃ、言ってきてちょうだい。でかけるって」 さっき爆裂させたすぐ後だ。 実のところちょっと怖い。 「では、言ってきますね」 シエスタはぱたぱた足音を立てて、さっき上ったばかりの階段をもう一度上っていく。 その足音を聞きながらベルはどことも知れない場所に顔を向けた。 「そこの、青い髪のメイジさん。あなたも一緒にどう?」 2人を追い出したルイズは再び机に向かう。 ──これで静かになった とはいえ、静かになったところでひょいひょい良い詩が浮かんでくるものではない。 状況としては最初に戻ったも同然でルイズはまたもや額に青筋の一つくらい立てそうになりながらうんうん唸り始めた。 「あの、ミス・ヴァリエール……」 扉が少しだけ開いて、シエスタの声が聞こえてきた。 煮えたぎった頭で集中をしているルイズはそちらに顔を向ける余裕もない。 白紙の祈祷書を睨みつけたまま 「なに?」 とだけ答えた。 「ベル……………………………ブに行くんです。あ、タル……………………な…………で、………リエールはどうします?」 頭の中が詔で一杯になっているルイズにはシエスタの言っていることが全部頭に入らない。 どうするかと聞いているようだが、とにかく今は邪魔されたくない。 なのでルイズは適当に答えることにした。 「いいわー」 「わかりました。そう伝えますね」 扉の留め金がカチリと音を立て、足音が少しずつ遠ざかっていく。 それが消えても良いフレーズは一つも浮かんでこなかった。 前ページ次ページナイトメイジ
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前ページ次ページナイトメイジ 洞窟の中は静かに、ただひたすらに静かだった。 死者はなにも語らず、死者と語らう姫君はなにも口にせず、それを見下ろす少女もまた沈黙を守っていた。 それを破るのはベール・ゼファー。 全てを知っているような声がルイズとアンリエッタの耳に滑り込む。 「終わったみたいね」 「どこ行ってたのよ」 「ちょっと、ね」 戻ってきたベルは1人でない。 「なんで、王党派の王子が?この方は本当にトリステインの王女様なんですか?いったい何が起こってたんですか?」 と、うろたえる竜騎士の少年を連れていた。 ベルはその少年を下から──少年の背はベルより頭2つ弱ほど高い──小突いて黙らせる。 「足を調達して来たのよ。空の上からトリステインに帰るには必要でしょ」 「そうだけど……」 「それなら帰りましょう。行き先はトリスタニアでいいわよね?」 何か言いくるめられたような気がしたが、ここにいつまでもは居られない。 文句を言ってやりたいのをぐっと押さえたルイズの了承はアンリエッタの声で遮られた。 「まずラグドリアン湖に行ってください」 風竜が雲を突き破ると視界は一気に開ける。 前には少し陰った空、下には広がる雲。 このままアルビオンに残し、再びクロムウェルの手で蹂躙させたくない。 そのアンリエッタのたっての願いによりウェールズ王子の遺骸は風竜に乗せられ、別れを惜しむ彼女の手に抱かれている。 強く吹く風が周りの雲を掃き散らかし、遙か後ろの巨大なアルビオン大陸の姿を明らかにした。 だが絶えず霧に包まれる大陸がそのベールを外すのはわずかの間。 アンリエッタが見つめるうちに再び雲は折り重なり、大陸をその中に飲み込んでいった。 ルイズはそんなアンリエッタの姿を彼女が再びウェールズの遺骸に目を移すまでじっと見つめ続けていた。 どこまでも広い水面を持つラグドリアン湖は、どこまでも静かにどこまでも続く夜空を鏡のように映していた。 この静けさと空から見下ろす二つの月と同様に、この地はアンリエッタとウェールズがかつて愛を誓いあった時のままのように見えた。 ──本当に? 変わってしまったのかも知れない。 ルイズには知らないうちに世界が変わってしまったように思えた。 そう、変わらないものなどない。 太古の昔からあるはずのラグドリアン湖も姿を変えているではないか。 三年前、湖のこの畔に来たときには岸からほど近いところに大きな岩があった。 今はその岩はもう姿が無く、かわりに沖合に以前はなかった岩が小さく頭を見せている。 アンリエッタはその岩と青い月の重なる水面にウェールズを横たえた。 既にその体には温かみは欠片も残っておらず、冷たい湖水の一部になったよう。 杖とルーンにより紡がれたアンリエッタの魔法は無数の波紋を作る。 やがて波紋は波となり、その中にあるウェールズの遺骸を湖の底深くに連れ去った。 「これでもう誰もあなたを操ることはできません」 アンリエッタは濡れた片手を空に掲げる。 「誓約を聞き届けるというラグドリアン湖の水の精霊、そして水のルビーに誓います」 その指にある水のルビーが蒼月の光を受け、青く輝いた。 「ルイズ、あなたも証人になってください」 ルイズは頷き、アンリエッタの声を一つも聞き逃すまいと耳を澄ませる。 「私はいずれ再びアルビオンに戻りります」 アンリエッタは口をつぐみ、下唇を噛む。 その痛みを持って心に深く誓いを刻み込んだ。 「そして、簒奪者クロムウェルに報いを与えましょう」 「姫様」 ルイズもまたアンリエッタの誓いを心に刻む。 「私も手伝わせていただきます」 それはルイズ自身の誓いとなった。 その夜もトリステインの王宮は平穏の中にあった。 近々戦争が起こるという噂が流れ、衛士による警備は以前に比べ厳しくはなっていたものの静かであることには変わりない。 ただ残念なことに彼らは密かに城内に侵入した者達に気づいておらず、しかもその侵入者達は事もあろうに彼らが守るべき王女の寝所にいた。 もっとも、その侵入者達とは王女自身であったのだが。 「そういえばルイズ、一つ聞きたいんだけど」 「なに?」 無事、戻ってこれた。 この部屋に着いてやっとそれを実感する。 同時に体に積み重なった疲れが一気に吹き出した。 体が重くて床に座り込んでしまったしいるし、変わり身をしていたシエスタに手伝わせてメイド服から王女としての服に着替えているアンリエッタの足下もどことなくおぼつかない。 そこに話しかけてきたのが一緒に戻ってきたはずなのにまだまだ元気なベルだ。 「ルイズって魔法が使えなかったんでしょ」 「そうよ」 「いつの間に使えるようになったの?」 「いつの間にって……」 「ほら、何かきっかけがあったんじゃない?」 「きっかけ……」 最初にディスペル・マジックを使った時にルイズはアンリエッタと供にニューカッスル城にいた。 その前に何があっただろうか。 ルイズはそれを思い出そうと目をつぶった。 まぶたが瞳を覆い、闇が訪れる。 そう、あの時ルイズは闇に似たものの中にいた。 その中でルイズにルーンをもたらしたものがあった。 目を閉じたままルイズはゆっくり考える。 ──あれは確か…… 「オルゴール」 「オルゴール?」 「そう、オルゴールの音が聞こえてきたの。それと一緒にルーンが聞こえてきて、それで使えたの」 「オルゴール……ね」 今度はベルが考える番だった。 組み直した足に蹴られたスカートがばさりと音を立てた。 「そんなの聞こえなかったわよ」 「聞こえてたわよ。そうよ、歌も聞こえてたわ」 「歌?」 「そう、こんなの」 神の左手ガンダールヴ。勇猛果敢な神の盾。左に握った大剣と、右につかんだ長槍で、導きし我を守りきる。 神の右手がヴィンダールヴ。心優しき神の笛。あらゆる獣を操りて、導きし我を運ぶは地海空。 神の頭脳はミュズニトニルン。知恵のかたまり神の本。あらゆる知恵をため込みて、導きし我に助言を呈す。 そして最後にもう1人……。記すことさえはばかれる……。 四人の僕を従えて、我はこの地にやってきた……。 その歌は一度しか聞いたことがないはずなのに思いの外すらすらと思い出せた。 いや、本当は何度も何度も聞いていたのかも知れない。 魔法で心を縛られている間、ルイズに目覚めろ、起きろと何度も何度も。 「それなら」 ベルが窓に駆け寄る。 大きく開けると冷たい風が吹き込んだ。 「行きましょう」 「どこへ?」 「もちろんアルビオンへ」 「ちょっと!待ちなさいよ」 ルイズは慌ててベルを止める。 冗談ではない。 本当に冗談ではないのかもしれない。 この使い魔は冗談のようなことを言う時ほど本気のことがある。 「今からアルビオンへ?無茶言わないでよ。危ないわ」 「いいじゃない。そのルイズには聞こえて、私には聞こえない音を出すオルゴールはルイズが魔法を使えるようになった鍵なのよ。持ってきてないんでしょ」 「そうだけど、前よりずっと危なくなっているわ」 「そのくらい何とかなるわよ」 「そのくらいって!」 そのくらいをどのくらいと思っているのかはルイズにはわからないが、とにかく今のアルビオンは以前とは比べものにならないくらい危険になっているはずだ。 しかし無謀にもこの使い魔はそんなものはお構いなし。 必死で止めるのも聞かず、それどころかルイズの手を掴んで窓から飛び降りようとまでする。 「お待ちください」 アンリエッタが止めなければ強引なベルは本当にルイズをアルビオンに連れ去っていたかも知れない。 「ベール・ゼファー様。今、アルビオンに行くことは私も反対です」 「でもね、ルイズの魔法に関わるのよ。使い魔の私としては……ね」 「なによ」 「べつに」 横目で見られてルイズは何となく嫌な気分がした。 「オルゴールの変わりのものがあります」 「……へえ」 目の色を少しだけ変えたベルが窓から離れ、机のそばの椅子を引っ張ってそこに座る。 手を離されたルイズは座る場所もなく、そのまま立っていた。 「音のでないオルゴールには心当たりがあります。おそらくそれは始祖のオルゴールです」 「それで?」 「実物は私も見たことがありません。ただアルビオン王家に伝わる壊れたオルゴールが始祖のオルゴールとして伝わっているという話を聞いただけです」 「で、そのオルゴールがトリステインにもあるの?」 「いいえ。ですがそれによく似たものがあります。始祖の祈祷書です」 「でも、姫様。それは……本当に本物なのですか?」 始祖の祈祷書。それはハルケギニアで最も多い始祖の秘宝とも言われているものだ。 一冊しかないはずの始祖が記したとされる祈祷書は、その実ハルケギニア各地に存在し、それを所有する貴族、寺院、王室、果ては詐欺師までもが自らの持つ祈祷書こそ本物であると主張している。 「多くの専門家はトリステイン王室に伝わる祈祷書は間違いなく偽物であると言っています」 「それじゃ意味ないわね」 「私もそう思っていました。ですが今のルイズとベール・ゼファー様の話を聞いて確信しました。我が王家に伝わる祈祷書こそ本物です」 「なぜ?」 「トリステイン王室の祈祷書が偽物と断定された理由は全てのページに何一つ書き記されていない事なのです」 「音の聞こえない壊れたオルゴール、誰も読めない白紙の祈祷書……そういうわけね。それで、その祈祷書は見せてもらえるの?」 アンリエッタは頷きながら答える。 「ですが、すぐにというわけには……。祈祷書は代々、王室の結婚式において使われたという意味において価値を持っています。ですから、それなりの理由で後日ルイズに貸し出すことになります」 「いいわ。それからもう一つ欲しいものがあるわ」 怪訝な顔をするアンリエッタを見ながらベルは言葉を続ける。 「ルイズがつけている指輪が欲しいの」 「指輪って、これ?」 ルイズの指にはニューカッスル城の教会からずっと風のルビーが嵌っていた。 「ねえ、ルイズ。クロムウェルが虚無の魔法を使った時のことを思いだしてみて。忘れてないわよね」 もちろん忘れるはずがない。 ウェールズを蘇らせた時も、心を操る魔法を使った時もクロムウェルの指にあった指輪が妖しく輝いていた。 「あの指輪も虚無の魔法の鍵ね。で、ルイズが魔法を使った時にもその指輪が手にあった。持ってた方がいいでしょ」 「でも、これってウェールズ様の形見よ。それなら姫様に渡した方が……」 「アンリエッタ、どう?」 アンリエッタの指にあるのは誓いと願いをかけた証の水のルビー。 それをきつく握りしめる。 「ルイズ、あなたが持っていてください」 「……預からせていただきます」 ルイズもまた重みを増したようにすら思える風のルビーを握りしめた。 「さてと」 ベルは笑みを浮かべながら窓から夜空を見上げる。 「次のゲームはどうなるのかしら」 人がいかなる事を思おうとも素知らぬふうに、月と星がそこにあった。 月に照らされる巨大な宮殿。 ここはガリアの王宮グラン・トロワ。 その最も奥の部屋に作られたハルケギニアを模した箱庭の前に座る男こそガリア王ジョゼフである。 「ほう、ほう。なるほど。よく教えてくれたミューズよ。そのような者がいるとはな」 ジョゼフが話しかけるのは人間ではない。 さりとて知恵のある他の生き物でもない。 黒髪の女性を模した人形に話しかけ、その言葉に耳を傾けているのだ。 「さて、ならばいかにするか」 ジョゼフは人形を箱庭に戻し、椅子に深く座り直す。 「サイを振りなさい」 そばに控えていた小姓がサイコロを二つ降る。 「ナイトメイジか。ベール・ゼファーとやら。このハルケギニアというゲーム盤は既に私が使っているのだよ。そこに割り込みたいのであれば、ふさわしい指し手であることを証明してもらわねばな。まずはこの目を持って試させてもらおう」 二つのサイコロはやがて動きを止め、その目を合計した一つの数字を出す。 「ほほう、11。そうかそうか。それなら……」 王の声を聞き、動き出す者が闇にいる。 それを称して人は暗躍という。 ラグドリアン湖。 ここにも夜の闇に躍る者がいた。 「まだ死に切れていないようね。あの魔法の力?それとも愛の力?執念と言った方がいいかしら。 でも嫌いじゃないわそういうの。だから、あなたにチャンスを与えてあげる。あなたが望むなら彼女を守らせてあげてもいいわ。ただし、ただじゃないわ。けど悪い話じゃないでしょ。クロムウェルと違って取引なんだから。それでもいい?そう、なら変わりなさい。私の力で」 叫び声を上げたワルドは悪夢にうなされた自らの声で目を覚ました自分に気づいた ベッドに寝かされ、上を向く目にはロウソクの光に照らされた天井が見える。 光をたどり巡らせた視線が扉にむくと、それは耳障りな音を立てて開いた。 「目がさめたみたいだね」 揺らめく炎を映す眼鏡をかけたその顔にワルドは見覚えがあった。 元のサウスゴータ太守の娘というマチルダという女だ。 「どうなったのだ?俺は」 「ベール・ゼファーにやられたのさ。ひどい傷だったみたいだけど手加減してもらったみたいだね。明日には動けるようになるって話だよ」 「ぐっ!」 ワルドは悪夢を思い出す。 そうだ、ベール・ゼファーだ。 俺を打ちのめし、母の肖像を消した女。 「おのれ……必ず倒してくれる」 そばに立つマチルダがコップに水をくむ コップと一緒に差し出した彼女の声はやけにさめていた。 「まだやる気なのかい?」 「無論だ。このまま終わりはしない」 「そうかい」 ワルドはその声に何か含むものがあるような気がした。 ただ何となくではあったが。 「やつを知っているのか?」 「まあね」 マチルダは部屋に置かれている花瓶から花の一輪を取り上げ、指先でもてあそぶ。 「あんたがもう一度あいつと戦って、それでも生きていたら教えてやるさ」 花弁の一つ床に落ちた。 それは何かを暗示しているのだろうか。 マントと金髪を風になびかせ、その目を遠くに向ける男が崖に立つ。 その者は赤い月を背負うラ・ロシェールの大樹を見上げ、手に持つ薔薇の一輪にキスをした口で呟いた。 「遅いな……みんな。まだかな。早く帰ってこないかな。おーい」 その者の名はギーシュ・ド・グラモンと言った。 その頃のアンリエッタ 「何か忘れているような……」 その頃のちょっとお出かけしていたベル 「忘れているってことはたいしたことじゃないわよね」 その頃のシエスタ 「何かあったんですか」 その頃のルイズ 「どうでもいいことね。きっと」 前ページ次ページナイトメイジ
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ルイズがルイズを召喚した。 何の冗談と思われるかもしれないが事実だ。 サモン・サーヴァントの直後、召喚したルイズと召喚されたルイズは凄まじい舌戦を始め、周りの人間を呆れさせた。 曰く、私が召喚したんだから、あんたが使い魔になりなさい! 曰く、私だって召喚してたらあなたが前にいたの。そっちが使い魔になりなさい! 『うるさいうるさいうるさい!』 喧々囂々、余りの勢いにクラスメイトも流石に引いた。 結局、教師の取り成しで何とか契約までこぎつけたものの、二人の仲は最悪だった。 まさに近親憎悪である。 召喚以来毎日喧嘩の絶えなかった二人のルイズだが、ある出来事を境にそれも止んだ。 青銅のギーシュとの決闘である。 二股を働いたギーシュを咎めた召喚主ルイズに対し、「ゼロ」と暴言を吐いたギーシュ。 怒り狂う主を目にした使い魔ルイズも、文字通り他人事ではないため同調する。 この時、二人のルイズの心は一つになった。 結局使い魔の方がギーシュに決闘を申し込んだ。 貴族同士の決闘は禁止されているのだが 使い魔は「ここには私が貴族として帰る家が無い。つまり今の私は貴族とはいえない」 そう苦渋の表情で語り、ならばと勝負する事になる。 青銅のゴーレムに苦戦するも、土壇場でガンダールヴの力を発揮し、ギーシュを下した使い魔。 それを機に、二人はどんどん仲が良くなっていった。 やはり同一人物ということもあるのか、彼女らの息はぴったりだった。 それ以降、二人は次々と難事件を解決していくが、婚約者ワルドが裏切った時点で使い魔の様子がおかしくなってきた。 日に日に口数の少なくなっていく使い魔。 仲の良かった使用人の少女にはこう漏らしていたらしい。 私の世界は今どうなっているのだろうか、と。 使い魔の不安は開戦直後より決定的なものとなった。 アルビオンの旗艦をダブル・エクスプロージョンで破壊し、大喜びする主とは裏腹に使い魔の表情は暗い。 どうしたのかと問う主にも、何でもないとしか答えない使い魔。 その時、運命は分かたれた。 ★☆★☆★ 「大人しく始祖の祈祷書を渡しなさい」 ある日突然、使い魔が主に魔剣デルフリンガーの切っ先を向けた。 主には何が起こったか分からない。 「私は私の世界に戻らなければならないの。一刻も早く。 戦争で皆が死ぬ前に。家族を守るために」 悲壮な表情で、しかし全く迷いの見れない様子で使い魔は言い放つ。 「帰る方法は私が探してあげるわ!」 「一体それはいつ? 祈祷書は持ち主が必要としたときにしか呪文が現れない。 もし帰る方法が虚無にあったとしたら、今のままでは帰れない。あなたは私を必要としているもの。 そして漸く『ここ』の問題を解決して、私を帰してもいいとあなたが思った頃には、私の世界は滅びているかもしれない。 だから、帰るためには私が祈祷書を使う必要があるの。 虚無で帰れなかったとしても、私は別の方法を探しにここを出るわ。もう、あなたの都合なんて知らない」 決意を胸に秘めた使い魔と、覚悟を持つ事が出来ない主。 二人の未来や如何に。 ~嘘予告~ 二人はルイキュア
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前ページ次ページ鋼の使い魔 「『正拳』!『裏拳』!」 硬く握り込まれたアニエスの拳が縦横に伸びた。取り巻く敵兵の顎を石榴に砕き、肋骨が小枝のようにへし折れる。 二つ折りになって斃れようとする敵兵を蹴り飛ばし、押し迫る兵士を前に視界を切り開くと、腕を引いて構えを作る。そして軽く息を吐いた。 「『鬼走り』!」 口述し技のイメージを明確にする。そして引いた拳を素早く突き出した。空を切った拳の拳圧が大気を貫いて、大砲で薙いだように前方にいた兵士達を打ち散らす。 「ぐっ!」 「げあっ!」 「げおるぐっ!」 拳圧を受けて兵士の身体は破裂音と共に弾かれる。斃れて吐き出す血は内蔵を潰されて黒々としていた。 斯く、アニエス率いる銀狼旅団はトリスタニアの軍人…いや、ブリミル以来の四国に根差した軍人の想像すらしなかった戦法と戦力で、押し迫るアルビオン軍を好く防いだ。しかし銀狼旅団全員がアニエスと同等の戦闘力を有しているわけではない。アニエス自身も突出しすぎないように味方の位置を把握し、徐々に後退しながら戦っていた。 「擲弾!擲弾!」 アニエスは号令を飛ばしてから首に提げた竹笛を吹く。笛の音を聞いて戦っていた銀狼旅団員は懐の金属球を敵陣に向かって投げた。 投げた金属球には火のついた紐がついており、紐の先は球の中に詰められた火薬に繋がっていた。 数拍後、敵兵集団の内部数箇所で爆発が起きる。爆発の範囲内にいたアルビオン兵は爆風と飛散する破片を受けて悲鳴を上げて斃れた。 その隙を突いて銀狼旅団が素早く後退すると、今度はアストン伯の部隊が前方に出て素早く練金【アルケミー】を使った。 「あぁっ!」 擲弾に気をとられていたアルビオン軍は、地面の揺れに前方を見直して驚いた。 それまであった開けた街道に、草の生えるように地面から石板が持ち上がったかと思うと、一瞬の内に巨石を並べたような『砦』が出来上がっていたのである。 地上のアルビオン軍はその時知らなかったが、この砦はアルビオン軍側に見えるほんの一部だけが砦として機能するようになっている。 土の工作に長けた専門のメイジではないアストン伯達が、アニエスらと図って創り出した張りぼての砦だった。 張りぼてとはいえ砦は砦。銀狼旅団の切り込みを受けて体勢の崩れていたアルビオン軍は、あとわずかで村に入れる位置まで進みながらその足を止めざるを得なかった。 「ロベルト大爺ちゃーん!」 村の方々に火の手が上がっている中、ヴィクトリア・ナイツ『シエスタ』はロベルトの宿『北の門』亭へ避難者の中にいなかったロベルト老人を探しに来ていた。 『北の門』亭は奇跡的に火災を免れていた。――村の火災の多くは避難の時の混乱でおざなりになった火始末が原因のようだった――宿は中に居た人が大急ぎで出て行ったせいか、普段より幾分か散らかっていた。 「大爺ちゃーん!!」 「そんなに大声を出さなくても、聞こえてるよヴィクトリア」 シエスタの声に応じ、のっそりと店の奥からロベルトが出てくる。その背格好から怪我をしている様子もなく、シエスタは安堵した。 「大爺ちゃん!無事だったのね。…その弓は?」 ロベルトの節くれた手には弓矢が握られていた。腰には矢筒も提げている。 「ふふ。賊が来ると聞いて血が騒いでな。一丁この『静弦の弓』で追っ払ってやろうと思ってね。物置から引っ張り出すのに苦労したよ」 ロベルト老は不敵に笑いながら弦の張り具合を見るように弓を引いては戻しを繰り返している。 「もう、駄目だよ!早く森に避難しないと…」 シエスタはロベルト老の手を引いて『北の門』亭を後にすると、西の森へを行く道へ足を戻した。 と、北の方から慌しい足音と共に、手に銃器や剣、槍を持った者達が広場の方へと駆け込んできた。皆、血と泥に濡れた格好の中、一人煌く銀のコートの者が勇ましく号令を掛けた。 「編成を変えるぞ!バッカス、シェリーは長銃【ハークィバス】、ドロシー、エリーは槍を持て。槍がなければ剣だ」 銃杖を支えに広場のあちこちで兵士達が武器を準備するのを呆然と見ていると、号令を出していた人物はシエスタたちを発見して声を上げた。 「…そこにいるのは誰だ?」 「!!」 コートの人物はシエスタたちを見止めると駆け寄って、老人と少女を見比べて聞く。 「…住人は全員避難したと聞いていたのだが」 「あ、あの…その…」 「敵軍再編成して突撃してきます!」 陣に張り付いていた部下からの報告に、コートの人物は踵を返して再び最前線に舞い戻っていった。 「お、大爺ちゃん。早く逃げるよ!」 ロベルトの手を引いてシエスタは懸命に走ろうとするが、既に背後から猛ったアルビオン兵の怒号が響いていた。 「おおおおぉ!」 「殺せー!切り倒せー!」 無形の殺意が漲る声が聞こえ、すくみ上がってしまったシエスタをロベルトは手を引いてその場から退散するのだった。 『タルブ戦役・四―誘う魔卵ー』 タルブが王軍を一日千秋で待っている最中、王都トリスタニアのノーブルタウン(貴族邸宅街)の一角に建てられたラ・ヴァリエール公爵家別邸の一室。 エレオノールとルイズの二人は父ラ・ヴァリエール公に言われた通り、荷物を纏めて別邸に移っていたが、エレオノールが使用人達に事態の始終を調べるように配り、今エレオノールの手には王宮に残していた使用人から届いた簡素な手紙が握られている。 ルイズは椅子の上で不安と猜疑に縮み上がっていた。一方エレオノールはそんな妹を思いながらも、事態を理解しようと努めて神経の糸を張らせていた。 「…読むわよ」 ルイズは首を振らなかった。それを無視してエレオノールは手紙を読み上げる。 エレオノールは静かに手紙を読んだ。それは伝聞推定の域を出ないものだったが、タルブがアルビオンの軍勢から侵攻を受けているらしいこと。それに向けて王政府が急いで王軍の準備を始めているらしいことが書かれていた。 手紙を読み終わった時、エレオノールは憤りと焦りが混ざり合った顔で手紙をテーブルに投げ捨てた。 ルイズは膝を抱える。上質の皮と綿の打たれた椅子に華奢な体が沈み、顔色がチェリーブロンドの髪に隠れた。 「…アルビオンと戦争になるのかしら」 「…多分ね」 「こんな時の為に姫殿下は輿入れするはずなのに、ね…婚儀前じゃゲルマニアも味方なんてしないわね…」 「そうね…」 エレオノールはルイズの言葉に相槌を打つのが精一杯だった。 しかし目の前の妹は、せっかくの晴れの舞台が沙汰止みになって自失状態なのは明白で、できれば傍にいてやりたかったが、かといって傍でなんて声をかけていいのか分からない。 (ここにギュスターヴ殿がいてくれたら任せられるのだけど…) そうエレオノールが思案に耽ろうとした時、静かに使用人が傍にやって来て礼をする。 「お嬢様。アカデミーの方が面会を希望しております」 「今日は休暇を貰ってるのよ。後にして頂戴」 正直今はアカデミーよりルイズが大事だった。それくらいの甲斐性はエレオノールにも、ある。 「しかし至急エレオノールお嬢様に会わせてほしいと先方が申しております。なんでも、予算の決済がどうとか…」 それを聞いて一層にエレオノールは不愉快な顔をした。世間がざわつき始めているというのに、研究員の連中は自分の研究に使える予算の取り合いの方が大事らしい。 「…姉さま」 それまで黙っていたルイズが顔を上げる。 「お仕事の用事が出来たんでしょう?私は大丈夫だから、そっちに行って」 「で、でも貴女…その…」 「いいの。私は大丈夫だから」 ルイズは笑ってエレオノールに手を振る。 「大丈夫。そりゃあ、せっかく作った祝詞も、賜った巫女役も、全部ご破算になっちゃいそうだけど。…それだけ。それ以外はいつもの私と、なにも変わらないわ」 そう、いつもの…『ゼロのルイズ』に戻るだけ。 「ほら、待たせちゃいけないわ。行ってらして、姉さま」 そう念を押されると、エレオノールも抗弁してやれなくなってくる。どこか脱力気味に使用人へ「私の部屋に案内しなさい。そこで話を聞くから」とだけ言って、ルイズの前を辞していく。 そして部屋にはルイズと、部屋つきの使用人が一人だけになった。 使用人から話しかけるはずもなく、ルイズは陽光の入り込む窓から遠い椅子に座ってあらぬ彼方を眺めていた。 「……ねぇ、貴方」 暫くの無言の後に、ルイズは使用人に声をかけた。 「一人になりたいの」 不気味なほどに無感情な声で、そう言った。 使用人が困惑しながらも部屋を出て行くのを確認して、ルイズはテーブルに突っ伏して、啼いた。 声は出ない。呻きも無い。使用人を下がらせた時と変わりない無表情、無感情のままとろとろと透明なものが溢れて毀れる。 一方で、そんな涙を流す自分を冷たく見透かす自分がいることも気付いていた。 (何を泣いているの?貴族らしい証が立てられるはずだったのに、それが立ち消えになったから?国難に何も出来ない無力な自分だから?ちゃんちゃら可笑しいわ。私は『お前は』魔法の使えないオチコボレ。泣くほどの資格も価値もないわ…) 冷ややかに自分を詰っても、涙は止め処なく流れる。どうしようもないという自覚が、神経をがさがさと引っかいて、小さな胸がギリギリと軋んだ。 「……」 ふと、ルイズは立ち上がり、部屋の隅にある机に投げ置いた自分の鞄を手に取った。 (ゲルマニアの加勢が無い以上、トリステインは勝てないわ。負けなくても、もうボロボロ。婚儀の為に作った祝詞も、もう要らないわね…) 塗りこめた黒い洞のような気分が心を覆っていく。何日もかけて作った祝詞が、熱心に心砕いていた過去の自分を思い出させて不快だった。 ルイズは祝詞を書いた原稿を破り捨てようと鞄を開け、中をまさぐった。すると、手先に不自然な温もりを感じた。日向に置かれていたわけではないのに、手の触れる箇所は犬の腹を撫でたような暖かさがある。 「……『始祖の祈祷書』」 それは鞄の中に入っていた始祖の祈祷書だった。古ぼけた装丁の古書を引き抜くと、間違いなくそれはルイズの両腕の中で小動物の体温のような暖かさをルイズに感じさせたのである。目を閉じると、本自体が脈を打っているような錯覚さえ与えた。 ぼんやりとルイズは、特に理由もなく『祈祷書を開いてみたくなった』。手は吸い付くように祈祷書の表紙を掴み、僅かな重みもなく本が開かれる。 「…ッ!」 開かれた面を視界に収めた瞬間、ルイズは背筋を蟻が這い回るような戦慄と、同時に少し前に食べたパイが身体を逆流するほどの嘔吐感に襲われた。それでもルイズの視線は開かれた祈祷書に釘付けにされたように動かない。いや…動けなかった。 「字が…浮かび上がっている…?」 それはかろうじてルイズにも『字』なのだろうと分かった。白紙とされ、現に昨日まで真更だった祈祷書のページを、インクで書いた真新しい文章が端から端まで埋め尽くしていたのだ。 だが、それはルイズにとって『字』として認識できても意味が読み取れるものではなかった。祈祷書に浮かんだ文章はルイズの知るハルケギニア文字の、いかなる文体とも異なる、まったく未知の文字で綴られていたのだ。しかもそれは、肉の如き温度を持つ祈祷書に合せるかのようにうねり、ページの上を這い回り、刻一刻と文章の構成を変え続けるのだ。 「なに…これ…?!」 ルイズの視線は揺れ動いた。ルイズの眼球は本人の意思を無視して、ページを覆う蠢く文字列を舐めるように読み続けるのだ。 しかもルイズは不思議なことに、文章の『意味』が分からないのに『理解』していた。それは文章の読解というより、見えたままが頭の中に焼きついていくような感覚だった。 (『異界に…混ざる…吾らの血…ふたたび……これを…開いて…始まりの…荒野に…赴くべし…』) 感覚が針のように研がれていく。意識が徐々に遠くなるのに、五感に感じられる全てがどんどん広がっていく。 祈祷書の文章を読む度に、ルイズの身体は意思を離れて勝手に動く。ページがめくられ、またうねる文章を見せられる。ページを捲る指にあった『水のルビー』が視界の端で眩しいほど輝いていた。 (『…命…集め…旅立つ…』) そこまで読んだ瞬間、ルイズは視界が真っ黒になった、と感じた。視界だけではなく、研いだように鋭くなっていた五感も、何もかもが覆い隠されたように感じなくなる。その何もない感覚の中で、ルイズの意識は次第に遠く、薄らいでいった……。 「お嬢様…?」 ルイズに部屋を追い出されていた使用人は暫くして、気晴らしをしてもらおうとお菓子を持って部屋に戻ってきた。 部屋に入ると、ルイズは窓を向いて立ち尽くし、その左手では大きな古書を広げていた。 「気晴らしにでもと、お菓子をお持ちしま…!?」 ルイズが使用人の声に振り向く。使用人は『それ』を見た驚きに、菓子を乗せた盆を大きく揺すらせた。ルイズの特徴的な鳶色の瞳が、妖しく透ける金色に変わっていたのだ。 ぱくぱくと驚きで声が出ない使用人を、ルイズは小首をかしげて眺めたかと思うと、ニコッと嗤って呟いた。 「『吸収【サクション】』」 「ッ!?」 ルイズの声を聞いた使用人は落雷に打たれたように身体を痙攣させた。そして口や耳、身体の穴という穴から青白い気体の様なものが漏れ出し始め、それは目の前のルイズに向かって流れていった。 「ぁ…ぁ…ぅ…」 気体が漏れ出て行くと同時に使用人は倒れた。顔面を蒼白にし、呼吸がか細くヒューヒューと鳴っている。 「『やはり一人じゃ足りないわね。もっとたくさん要るわ』」 倒れた使用人を、ルイズは変貌した金の瞳で見下ろしていた。 「『タルブが戦場になるって、姉さまが言っていたわね』」 手の上では『水のルビー』を填めた指が抱えるほどある『始祖の祈祷書』をくるくると回していた。 「『この者の記憶の中に、何故かあれがあるらしいことが残っているわね。丁度いいわ。持って行きましょう』」 名案を思いついた、と言わんばかりにぱぁっと明るい表情で、ルイズはさらにくるくると祈祷書を回す。 いや、ルイズ自身が回しているわけではなかった。祈祷書自体が高速でルイズの指先で回っているのだ。祈祷書は徐々に回転の速度を上げると、ある速度でぐにゃりと粘土のように潰れた。祈祷書はぐにぐにと内側へ曲がっていく。 祈祷書は最後、ルイズの片手に収まる大きさの、『卵』に変貌した。 『飛翔機』による初飛行を成功させたギュスターヴは、上機嫌で地下厨房にやってくると、普段よろしくマルトーの賄いを食べていた。 「おお、そうだ。ギュス、お前さんにさっき早馬で手紙が届いてたぜ」 「手紙…?」 パンにペーストを塗っていたギュスターヴの手が止まる。 「商売を始めて手紙を貰う数が増えたみたいだな」 「まぁ、そう頻繁に王都に出られないからな…」 マルトーの懐から出された封筒を見て、ギュスターヴの眉間が寄った。 「…マルトー。これは本当に俺宛なんだな」 「え?あ、ああ。そう聞いてるが」 ギュスターヴは神妙な面持ちで封筒を見た。封筒は朱色の紙で作られたものだ。封は切られていないが、蝋止めの部分に三つ葉の印が入っている。 (ジェシカからだな。緊急の知らせか…) 無造作に封を開いて中身を読む。急いで書いたらしく、誤脱字を訂正する横線が各所にあり、また文体もあまり綺麗ではない。 しかしギュスターヴの目はそんなことよりも書かれている内容に向けられた。脳裏に電撃が走る。 (アルビオンと開戦だと…!しかも、タルブが戦場になるなど…!!) 手紙を見た瞬間様子の変わったギュスターヴにマルトーが不安げな声をかける。 「お、おい。一体どうしちまったんだよ…」 「マルトー、悪い。用事が出来た…」 そう言ってギュスターヴは地下厨房を飛び出した。行き先は、コルベール研究塔…。 研究塔前で『飛翔機』の整備をしていたコルベールに、ギュスターヴはトリステインがアルビオンと戦争状態に入ったらしい事を伝えた。 コルベールは一瞬暗い顔をしたが、すぐに平静を装った。 「おそらく王軍が直ちに編成されてタルブに向かうでしょう。もしくはアルビオン側と交渉の場を用意しようと準備しているかもしれません」 「交渉?占領行動をとろうとしている連中と交渉などできんでしょう」 椅子に腰掛けてギュスターヴは頭を抱えた。抱えた影の顔で脳裏に思い描く。 (王軍が出立するまでにタルブはかなりの被害を受けるだろう。こちらの軍事は完全に把握できているわけじゃないが、おそらく空軍による地上攻撃はされる。盆地になっているタルブで、万一避難し損ねたとしたら……) 一家の世話にはなりたくない、と言っていたロベルト老の言葉がよぎる。 「…そういえば、シエスタと言いましたか。あの子の故郷がタルブでしたな…」 コルベールも彼なりに見知った少女の身を案じているらしい。 不安な面持ちでギュスターヴが顔を上げたその時、学院の連なる塔から爆発音が轟いた。 「「!!?」」 音は間近ではなく、もう少し遠くからのようであった。見上げると、何処からか上がった煙が空に細く垂れていた。 「女子生徒寮からのようですな……っ?!」 コルベールは我が目を疑った。遠くに見える女子生徒寮の窓から何かが飛び出したのである。 しかもその飛び出したものは地面に落ちるかに見えたが、落下の途中でフッ、と音もなく消えた。 「『ただいまギュスターヴ』」 「!」 コルベールとギュスターヴの背後から聞き慣れた、だがどこか雰囲気の変わった声が聞こえる。 振り向けば、そこにはルイズが居た。その手には卵のような物体と、暴き出された『灼熱に光る』ファイアブランドが、握られていた 「ルイ…ズ…?」 唐突に現れたルイズの豹変は、ギュスターヴへ無意識の内に警戒感を感じさせるほどだった。 「『ええ、私よ。ちょっと色々あって、これからタルブまで出かけなきゃいけないの』」 透けるほど綺麗で不気味な金の瞳が二人を見ていた。 「み、ミス・ヴァリエール…その姿は、一体…」 「『コルベール先生、お力をお借りしますわ』」 「は?」 コルベールの返事を待たず、ルイズは卵を握る手をコルベールに向けて呟いた。 「『吸収【サクション】』」 「っ?!」 その瞬間、コルベールの身体が磔にされたように固まり、体中を雷撃で打たれたかのような痙攣が襲う。 「がぁっ…ぁぁッ……っ?!」 痙攣するコルベールの身体から漏れ出した青白い気体が、どんどんとルイズの身体に吸い込まれていく。 「ルイズ……何を…」 目の前の出来事にギュスターヴも追従できずに唖然としていた。一方ルイズは、どこか満足げに痙攣するコルベールを眺めていた。 「『あぁ、素晴らしいわコルベール先生。貴方のアニマは鍛えられていて充実しているわ』」 「何をやっているんだと聞いているんだルイズ!コルベール師に何をしている!アニマとはどういうことだ!その手のファイアブランドは一体」 「『煩いわよ』」 ルイズの声と同時にギュスターヴの目の前に炎の壁が押し寄せた。炎の壁はルイズの手にあるファイアブランドが振られたことで発生した『炎の術』の固まりだった。 「ぐっ?!」 不意打ちを食らったギュスターヴは火達磨になって地面に叩きつけられた。そうしている間にも、コルベールの体から抜け出た青白い気体はあらかたルイズに吸い込まれてしまう。 「がふっ」 「『ご馳走様でしたコルベール先生。これでタルブまで行けそう…』」 うっとりと空を見上げるルイズ。手の卵がどくり、と脈打った。 「タルブで…何を……するつもりだ…」 「『あら、生きてたのねギュスターヴ』」 倒れていたギュスターヴは、身に着けている衣服こそぶすぶすと焼け焦げていたが、身体自体には殆ど傷を受けていなかった。どうにか立ち上がり、変貌したルイズを睨みつけた。 「『もっと沢山のアニマが要るわ。命を煌かせる場所に行きたいの。そう、例えば戦場にね』」 冷ややかな金瞳は、ギュスターヴを果たして見ているのだろうか。 「『ギュスターヴ。あんたに用はないわ。あんたって空っぽなのね。コルベール先生にはあんなに満ち足りたアニマが入っていたのに』」 「人を入れ物のように言うんじゃない」 軽薄に話すルイズに渇して叫ぶギュスターヴ。だが、ルイズは興味を無くしたのか、空を見た。 「『行くわ。さようならギュスターヴ』」 そう言うと、ルイズの身体は真っ黒な影のようになって消えてしまった。 トリスタニア北西5リーグの地点では、急遽編成された王軍総勢3000人の兵士達が整列していた。 居並ぶ兵士達を前に立つのはアンリエッタだ。拵えたきりで長らく袖を通していなかった戦装束に身を固めている。 「我がトリステイン王国の名を与えられた兵士一同。私達はこれよりタルブに入り、アルビオンの軍勢と戦います。彼の者を吾らの国土から追い落とすのです」 歓声で兵士達は応え、トリステイン王国軍は一路、タルブに向かって進軍を開始した。 前ページ次ページ鋼の使い魔
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ガラシア祈祷書 佐々木小次郎?の遺児。父譲りの長身と長い手足を持ち、巌流の門弟たちに仕込まれた太刀を振るう。朱鷺の警護役を以て任じており、同時に彼女を深く愛している。ゴロリア善馬とは親友であり剣の師弟の間柄。
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【種別】 マジックアイテム 【解説】 トリステイン、ガリア、アルビオン、ロマリアの四つの国に伝わる秘宝。 始祖の祈祷書、始祖の香炉、始祖のオルゴールが現在において判明している。 虚無の素質が有るものが始祖のルビーをはめることによって虚無の呪文を体得することが出来る。
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「で、私達は、今タバサの風竜にのってタルブの村に行く途中なんだけど……」 「そのとおりだね、キュルケ。でもなんで、そんなに説明口調なんだい?」 「なんであなたまで一緒に乗っているの? ギーシュ?」 「この竜は僕くらい簡単に乗せられるだろう? なんで僕が責められるのさ? 逆に、ヴェルダンデを泣く泣く学院に残していった僕に同情してくれてもいいくらいさ!」 「きゅ、きゅい~」(そ、それは私でもキツイのね~) 「そのような問題ではない」 ルイズはたまらずに口を挟む。 「あのね、タバサやキュルケが言いたいのは、『なんであなたまでついてくるのか』ってことよ。 今度の旅は、ブチャラティのためにピッツァを食べに行くだけなんだからね!」 「いいじゃないか、ちょっとくらい! 僕だってたまにはおいしいものが食べたいんだ! 君達には、モンモン特製の魔法文カード巻きはしばみ草とか、特製香水入り石鹸 を食べさせられる苦悩なんてわからないだろうさ!」 「あなたたち…ラヴラヴなんじゃなかった?いつの間にそんな大人の関係に…」 「ええ、間違った意味で……」 「頼むから、僕のことはほっといてくれたまえ……」 唖然としたルイズは、気を取り直し、改めて風竜の背に座りなおして体勢を整え、 学院から持ってきた一冊の本を手にとった。 「あら? ルイズ、あなた読書? 太陽の光で本の文字を読むと、目を悪くするわよ」 「読書じゃないのよ」 そういったルイズは、手に持った本をキュルケたちに開いて見せた。 「なにこれ。真っ白じゃない」 「トリステイン王家に伝わる『始祖の祈祷書』らしいわ」 「それじゃ、すごいお宝じゃないの!……と思ったけど。どう考えてもまがい物ね、これは」 キュルケたちは知っていた。 ハルケギニアには、始祖ブリミルが残したという遺物が幾千万も保管されているこ とを。 だが、その中で真正といえるものはほとんどなく、ほぼすべてが贋物、という有様 であった。 その収蔵物の有様は、各王家の所蔵品とて例外ではない。 伝承では一冊しかないはずの『始祖の祈祷書』も、ご他聞にもれず。各地に、それ こそ多量に伝わっていた。 実際に、以前キュルケは、ゲルマニアに伝わる『始祖の祈祷書』を二冊ほど見せて もらったことがある。 だが、それにしても。 この祈祷書はいい加減すぎるわ、とキュルケは思った。 キュルケが見せてもらったゲルマニアのそれは、まがりなりにもそれらしき古代ル ーン文字が書かれていた。 「私だってこれが本物だとは思っていないわよ」 ルイズがむくれたようになった。 「で、なんであなたがそれを持っているわけ? いくらまがい物の出来損ないといっても、一応は王家の宝物でしょう?」 ルイズは説明した。 アンリエッタ王女がゲルマニア皇帝と結婚すること。 それが正式に発表されるのが明日だということ。 その発表と同時に、トリステインはゲルマニアと軍事同盟を結ぶこと。 「トリステイン王家の伝統では、結婚式にはこの『始祖の祈祷書』を手にもって式 の詔を詠みあげる習わしになっているのよ。今回アンリエッタ姫様の結婚式では、 詔を詠みあげる巫女に、私が選ばれたってわけ」 「よみあげるって……なにも書かれていないじゃあないか!」 ギーシュが素っ頓狂な口を出した。 「そうよ。だから、私がこれの本を手にとって感じたことを適当に考えてでっち上げ なくちゃいけないのよ」 「ふ~ん。変わっているわ。トリステインの伝統とやらは大変ねえ、タバサ」 キュルケの母国、ゲルマニアはそのような形式ばった行事はあまりない。 なぜなら、そのような面倒くさいことは片っ端から廃止してしまうのがゲルマニア 貴族の風潮なのだ。 「ガリアも同じ。変わっているのはゲルマニアのほう」 タバサが無表情に、キュルケの発言をとがめた。 「ところで、なんかいい詔は考え付いたのかい?」 この男、のんきなものである。 「一応は考えてみたんだけれど……なかなか良い詔にならないのよ」 「へえ、あなたもう考えているんだ。ルイズ、私たちに聞かせてくれない?」 「いいけど……」 まず、四大元素に感謝の祈りをささげるの。 ルイズはそういいながら、目を閉じ、ためらいがちに詩を口ずさみ始めた。 『風は強者だけが真理』 『炎は分裂、Yes,I am!』 『水はクラゲに吸い取らせる』 『砂だったのに音だった、いつのまにかぁ~!』 ふう、とルイズは目を開ける。 「どう?」 「まあ、こ、個性的でいいんじゃあないかしら……」 「……ユニーク」 「なに言ってるんだい君らは? 僕にはちっともわからないよ! 詩ですらないとこのギーシュは思うn……ゴブァ……」 「あら、どうしたのギーシュ?」 ひじでなにやら妙な動作をするキュルケを見て、ルイズは何をしているのかしら、と思った。 「な、なんでもないです……そうだ! この本、トリステイン王室に伝わるんだろう?」 「ええ、そうね。だから何?」 キュルケとタバサの冷たい目線にもめげず、ギーシュはルイズに話しかけた。 「この祈祷書こそが、本物ということはないだろうか?」 「まずないわね。第一、真っ白なのよ? 祈祷書ですらないのよ!」 ギーシュはう~んと悩み始めたが、一瞬の後、満面の笑みを浮かべて一同を見回した。 「わ、わかったぞ!」 「なに?ギーシュ?」 「どうしたっていうのよ?」 「この本の題名は『始祖の祈祷書』だ…」 「みんなも知ってのとおり始祖ブリミルは『虚無』の使い手だ…」 「そしてこの本の内容は『空白』。つまり『虚無』だ!」 「「な、なんだってー!!」」 みなが驚く。 ギーシュの人気株が急上昇だ。 「そ、それでどうなるの?」 「詳細が知りたい」 「教えて、ギーシュ!」 「それで……どうなるんだろうな……」 ギーシュの株価がブラックマンデー到来。この日が月曜かどうかは定かではないが。 「僕にだって……わからないことぐらい……あるさ……」 ギーシュは、この発言を最後に、キュルケのひじの動きによって、気絶させられた。 彼の意識が戻るのは、風竜がタルブ村へ到着して後のことであった。 アルビオンの港町、ロサイスでは。 この日、クロムウェルが共を引き連れて、改装中の軍船、『レキシントン』を視察 していた。 ロサイスはアルビオンが王国時代であったころから軍港として使用されてきた港で ある。 そこには赤レンガで造られた、巨大な造船施設が所狭しと軒を連ねていた。 また、その建物の傍らには、石炭や風石が所狭しと山積みにされていた。 出迎えた『レキシントン』艦長、ボーウッドに案内を頼みながら、クロムウェルは 得意そうに、『レキシントン』を見上げた。 「すばらしいじゃあないか。 みろ、アレを! あの新型の砲を。なんともうつくしいじゃないか」 「あの砲の射程に匹敵する砲を、トリステインとゲルマニアは持っていないはずです」 「そのとおり。すべては、ミスタ・シェフィールド。君のおかげだ」 クロムウェルはそういいながら、彼の傍らにいる、フードをかぶった少年に語りかけた。 「君のもたらした東方の最新技術によって、わが王国の技術力は世界一、あいや、 ガリアについで世界二になることができましたぞ!」 クロムウェルのそのような賛辞を聞き流した少年は、ふと、思い出したように語りだした。 「そのようなことより。我々が貸与した『マンダム』を、君はなくしてしまったそう ですね」 「そうなのだ。本当にすまない。ワルド君によると、ニューカッスル城でなくしたら しいから、探させて入るのだが……」 クロムウェルはすまなそうに、その少年に頭を下げた。 その様子を見て、ボーウッドは驚いた。 今をときめく『皇帝』に頭を下げさせるなど。この少年はいったい何者だ? 彼は政治には関連せず、ひたすら職務を全うすべしと感じた空軍将校である。 そのため、内戦にはどちらにも参加しなかった。 で、あるから、平民にもかかわらず、処刑も去れずに、艦長という重職につくことが できていた。 そのような彼であるから、アルビオンの政治には全くといっていいほど詳しくない。 クロムウェルにお辞儀をされた少年は、当然という風にその礼を受けた。 「それはいいとしましょう、ミスタ・クロムウェル。 ロハンとブチャラティに、それだけの能力を温存していたということですから」 「おお、許してくれるのかね!」 「それはそうと、ミスタ・ワルドの意見を聞きたいのですが」 少年はそういって、クロムウェルに傅くワルドに向かい合った。 「奇妙なことを聞くようですが…… ブチャラティは、『スタンド』を使っていましたか?」 「ああ、使っていたよ。 彼の『ジッパー』のせいで僕のウェールズ公暗殺は失敗したのだからね」 「そうですか……ありがとうございます」 その後、クロムウェル一行はシェフィールドと分かれた後、『レキシントン』の指揮 所に足を運んだ。 「さて、今回貴公にトリステインに向かってもらうわけであるが」 「はっ。トリステインとの親善を深めてまいります」 直情を理念とするボーウッドは敬礼を返した。 それにたいし、クロムウェルはフルフルと首を左右に振った。 「残念ながら、違うのだ。君には詳細を教えていなかったね」 「どういうことですか?」 「君には戦争をしてもらう」 「何ですと!?」 ボーウッドは驚愕した。 今回の親善訪問は、トリステインに対する砲艦外交でもあった。 しかし、だからこそ、交戦などは忌避されるべきものであるはずだ。 ボーウッドはそう信じて疑っていなかった。少なくとも、この瞬間までは。 「違うのだ。アルビオン帝国は卑劣にも奇襲してきたトリステインに対し、いやいや ながらも戦争を行うのだ。戦争を終わらせるための戦争だよ、君」 そういって、クロムウェルはボーウッドに近寄り、一言二言、耳打ちをした。 ボーウッドは憤りのあまり、体の震えが止まらない。 「あなたは、この国まで裏切られるおつもりですか!『アルビオンは背徳国家』と、 他国にののしられますぞ!」 「確かにそうだろう。まったくもって君の言うとおりだ。 だがね、ハルケギニアに、わが国家しかないとしたら? その場合、どの国が我々をののしるのかね?」 その言葉に、ボーウッドは絶句した。 呆然とする彼を知ってかしらずか、クロムウェルは一人の男を彼の前に立たせた。 「さて、ボーウッド君。随伴させる竜騎士部隊に、ひとり、役者をくわえたい」 「ワルドです。よろしく」 やけに凛凛しい姿なりをした男が、気障に礼をして見せていた。 シェフィールドと名乗った男は辺りをうかがうと、ロサイスの町のうらぶれた暗がり に、人知れず消え去っていった。 その方向から、わずかに声が聞きだされる。 「『ブチャラティは能力を失っていない』か……」 「ええ。彼は死んでからこの世界に召喚されたはずなので、スタンドを失っている可 能性もあるかと思ったのですが……」 「いや、なんでも前例を参考にするのは良くない。前回死んだものは『スタンド』を 失った。ブチャラティの場合は死んでも『スタンド』を失わなかった…… ただ、それだけのことだ……」 To Be Continued...