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国王は女神パルテナの神託により認められた唯一最高の権威者である。 国王は、王都および各直轄領を直接統治し、それ以外の土地を貴族に委任している。 貴族は、その領地・領民の規模により、伯・子・男・準男爵に分かれる。 貴族は、6代王以前までに、国家建設に大功のあった豪族であり、領内の統治については一任されている。 ただし、神殿および併設される初等学校については、完全に独立した存在であり、干渉は許されていない。 貴族は、その世襲が認められており、一族の誰にでも継承することが許されているが、慣例として男の長子が大半である。 また、税率については、国家の定めた範囲内で自由に裁量を許されており、緊急時を除いて逸脱することは認められていない。 また、立法府の決めた法律を逸脱することも許されておらず、違反があった場合、立場を失うこともある。 男爵以上の貴族は、その妻子を王都に住まわせなければいけない。 ただし、申請を行って一定期間出ることは認められている。 また、貴族家当主自身が、1月毎に王都と任地を行き来することが義務付けられている。 王都にいる間は、任地での統治状況の報告を行政府地方行政監督所に報告し、重要課題について奏上することとなる。 貴族は、その任地から、4つの地方に区分けられており、それぞれの地方の諸侯集会でもって 地方の代表者を選定することになっている。 代表者は伯爵家当主から選出され、国王の承認を得て決定される。 地方の代表者は「公」と呼ばれる地位につき、貴族単独では解決の困難な事案に関して裁可を下している。 またこの四公と国王を含めた会議を「五人会議」と呼び、国家の重要政策について諮問する役目を持つ。 王都・直轄地の統治は、王都にある官僚機構である、行政府・立法府・司法府が実際の公務を行う。 各機関は、それぞれ専門の大学校を卒業したエリートにより構成されており、 この地位に自らの派閥の人間をどの程度送り込めるかも、貴族間での勢力争いの一つになっている。 ただし、最終的な決定権はすべて国王にゆだねられている。 また、それら三府とは別に、警察権力である近衛衛士隊・近衛騎士団が存在する。 衛士隊は常時2万人規模の人員を抱える組織で、王都・王宮の警備や、近衛騎士団指揮下での軍事訓練を行っている。 衛士隊は全国から腕の立つ者が、他者の推薦を受けて(あるいは自薦で)入隊する場合が多い。 毎月、武芸を披露する「御前試合」が開催されており その成績優秀者は、近衛騎士団武術士官として採用されている。定員はわずか68名の狭き門である。 一方で、将校は戦術士官と呼ばれる。 戦術士官は「軍士官学校」の卒業者および、北方戦線で実績を積んだ者から選ばれる。 所謂将軍格は「席官」と呼ばれる。 主席(団長とも言う)は近衛騎士団全軍の指揮権を、次席はその代行を可能とする立場にある。 三席~八席は定義上は同格で、王都・直轄地を6つに分けており、それぞれの区域の衛士隊・予備役兵・騎士の指揮官である。 「席官」以外は、「士官補」とよばれる「席官」の補佐役と、「予備士官」とよばれる無官の参謀がいる。 近衛騎士団員と呼べるのは、「席官」と「士官補」までで、この定員は32名である。 つまり、近衛騎士は100名のみ。なお騎士団員は全員爵位を贈与される地位にある。 北方騎士団 別名を北方軍閥系貴族とも言う。従来の貴族と異なる点が多々ある。 ①王都での隔月の滞在が免除されている。 ②血縁による相続は不可で、北方辺境領の士官たちの総意による選出を国王が承認する形で選ばれる。 ③常備軍の兵数が定められており、国境線の監視、軍事演習の義務を負っている。 五枝八葉の守り 北方辺境領全体に築かれた5つの支城を枝に、8つの要塞を葉に、本城~王城を幹に例えた、北方騎士団を指す慣用句。 各支城・要塞が連動して守ることで、これまで蛮族の突破を阻み続けている。 大規模侵攻が減るに従い、常備軍の保持にかかる費用負担が問題視されはじめ 「五枝八葉の守りは金食い虫のたかる木」などという揶揄も生まれている。 ちなみに、本城の城主が騎士団長で、本城の最大兵力が2万5千。各支城が5千。各要塞が1千。計5万8千もの戦力を有している。 近衛騎士団と北方騎士団の確執 前線を任される北方騎士団と、エリート軍団である近衛騎士団は仲が悪い。 そのため、小規模侵略戦では、北方騎士団単独で事に当たる場合がほとんど。近衛騎士団はあまり北方での戦闘経験がない。 その他地域で起こった有事は、逆に近衛騎士団しか動かない。 お互いに気に食わないと思っているが、共同で戦えないほど致命的ではない。 わずかだが、相互で人の異動もある。それよりは、官僚の方が嫌いらしい。 学校について 初等学校(いわゆる小学校)は、すべて神殿に所属する教師が教壇に立って基礎学問と神学を学ばせている。 完全に無償で、王国民は全員が受ける権利を有している。実際99%の国民が初等教育を受けているため、識字率が極めて高い。 6歳から4年間行われる。 初等学校卒業後は、大多数は何らかの職に就くが、進学先は下記の4つがある。 1高等学校…汎用的な高等教育。貴族や豪農・豪商ら裕福な家庭の子弟や、彼らをパトロンてして得られた秀才が通う。4年間。 2軍調練学校…唯一、北方辺境領にある高等学校。国費により学費が補助される。北方騎士団兵卒になるための調練を行う。4年間。 3職工芸人学校…年数はバラバラ。各職工芸ギルドがパトロンとなって開いており、才能重視。入学は難しい。 4神学校…初等学校教師や神官を目指す人が通う。神殿で働いてから学費を払うこともできる。6年。 などの高等・専門学校がある。それぞれ年数は異なる。 高等学校卒業後は、立法・司法・行政の三府の役人をめざす大学校。あるいは、軍士官学校、医師大学へ進学する。 大学校へ通うものは、一握りのエリートと金持ち。 三府の役人に採用されなかったものも、貴族領経営の官吏として採用される場合が多い。 貴族の当主子息も、領地経営のスキルを学ぶために、大学に行く。 なお、軍調練学校とごく一部の職工芸人学校を除く全ての高校・大学は王都にしか存在しない。 神学校は、上級神学校もあり、これは神殿内でもキャリア組になる人物が通う。必ずしも出生や身分、支援者の力では通えない。 神殿的な人物本位での選定となる。 神殿の役割 祭事の開催。初等学校の運営。お布施の収集と神殿施設の補修。 司法府の監視(宗教的観点から裁判に対して意見する権利がある、必ずしも強制ではない) 三府について 立法府につとめる役人は「博士」と呼ばれる。正確には「法学博士」。 行政府につとめる役人は「官」。多岐にわたる。財務官とか、書記官とかいろいろいる。もちろん財務官が一番つよい。 司法府につとめる役人は「裁判官」。 国家を運営する官僚組織集団。貴族と癒着してみたり、裏切ったり、軍を軽視したり忙しい。しかし、いないと国は立ち行かない。 そのうち、読みやすいように整理しようと思う。
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衆議院 科学技術・イノベーション推進特別委員会 平成23年5月20日 参考人(高木学校)(医学博士) 崎山比早子君 衆議院TV http //www.shugiintv.go.jp/jp/video_lib3.php?deli_id=41000 media_type= ○川内委員長 次に、崎山参考人にお願いいたします。 ○崎山参考人 皆さん、おはようございます。崎山です。よろしくお願いします。 私は、この絵を、二つかいてあるんですが、それを全部説明しますと時間がありませんので、体の設計図であるDNA、体に一番重要な分子のDNAに放射線がどう影響するかということをお話ししたいと思います。 私たちの体は、成人は約六十兆個の細胞からできています。この六十兆個の細胞も、初めは一つの受精卵から始まっているわけです。この受精卵が分裂して、分化して、最終的にいろいろな体の器官をつくる。この最終分化した細胞は、それぞれ形や機能も全然違いますけれども、この一番初めにあった受精卵と全く同じものを一分子だけ持っています。それがDNAなんですね。 DNAがなぜそのように変わらないかということを、次にお話ししたいと思います。 これは、DNAの模型図です。DNAというのは二重らせん構造をとっていて、このようにリボンのようにかいたバックボーンの真ん中に向けて塩基が飛び出しています。その塩基は、アデニン、チミン、グアニン、シトシンという四種類で、この対のつくり方としては、アデニンは必ずチミンと、グアニンは必ずシトシンとしか対をつくりません。 ですから、人間のDNAは三十二億塩基対ありますけれども、その対というのは、A―T、G―C、その二種類しかないわけです。それが延々と配列されているわけですけれども、この塩基の三つが一つのアミノ酸を決めるということになっています。 ですから、DNAというのは、どういうアミノ酸がどういう順序で並んでいるか、言いかえれば、どういうたんぱく質をつくるかという情報がDNAの中に組み込まれているわけです。 DNAは、細胞が分裂するときに必ず二倍になります。そのときに、この結合が切れて、これが一つの鋳型になって新しいものができるということになっていまして、これは巻き戻した図ですけれども、古いDNAの片一方が鋳型になって新しいものがここにできる。これもそうです。ですから、新しくできた二対のDNAは必ずもとのDNAと同じ配列を持っている。 次のスライドをお願いします。 こういうふうに複製が同じというか、正しくできるということが、何回DNAが複製されても、もともとの一代目のDNAと同じ配列を持っているということで、DNAが変わらない。六十兆個の細胞になってもDNAの配列は変わらないということです。そのDNAの配列が変わらないということが、体の恒常性を保つために非常に重要なことなんです。 次のスライドをお願いします。 こういう重要なDNAに放射線はどういう影響を与えるかということですけれども、まず、影響は放射線の量に比例してふえます。一ミリシーベルトというのを盛んにマスコミでも言われるようになりましたけれども、一ミリシーベルトを被曝するということは一体どういうことなのかということですが、一つ一つの体を構成する細胞の核、この中にDNAが入っているわけですけれども、平均して一本放射線が通る、そういうものが一ミリシーベルトです。ですから、皆さん、一ミリシーベルト被曝したということになりますと、全身の細胞の核に一本ずつ放射線が通ったことになります。千ミリシーベルト被曝しても、千本通るわけですが、一ミリシーベルトで起きたことが千倍になるだけです。その傷の質というのは変わりません。ですから、量的な差だということです。これが放射線に安全量がないと言われるもとなんですね。 次のスライドをお願いします。 これはDNAの化学構造をかいたものですけれども、ここに先ほどのリボンのような背骨、この五炭糖と燐酸がずっと延々続いているわけですけれども、その中心に向かって塩基が飛び出しています。相手方もそうです。この結合の仕方は、化学結合のエネルギーで結合しています。このエネルギーというのは弱いわけですけれども、例えば診断用エックス線のエネルギーといいますと、この結合のエネルギーの一万五千倍から二万倍ぐらいのエネルギーを持っています。 ですから、そういうものがDNAの上を通りますと、簡単にDNAは切れてしまいます。その切れ方が、エネルギーが大きいので、単純に切れるわけではなくて、DNAの周りにはたくさんの酵素があります、たんぱく質があります、そういうものも巻き込んで傷をつけますので、非常に複雑な傷になります。 自然にもDNAというのは毎日切れていますけれども、それを体は治しているわけです。ところが、放射線のような高エネルギーで切れた複雑な傷というのは、正しく治すことが難しい。間違えやすい傷が起きるわけです。そういうところでこの配列が変わって、違うアミノ酸がここへ入ると、ここに変異が起きるわけです。それが子孫に伝わって、がんの原因になっていくわけです。 次のスライドをお願いします。 がんになるのは低線量ですけれども、たくさんの放射線を一度に全身に浴びると、例えば六千から七千ミリシーベルトを一度に浴びると、ほとんど一〇〇%の人が死亡します。五〇%の人が死亡するのは、大体三千から四千ミリシーベルト浴びると五〇%が死にます。 こういう大量の放射線を一度に浴びた場合に、比較的短時間の間に、皮下出血とか脱毛とかいろいろな症状が出てきます。この症状は、時間的に急性なので、急性障害というふうにいいます。その急性障害は、放射線を浴びた人だれかれなしにあらわれるので、確定的影響とも呼ばれています。 この急性障害のあらわれる一番軽い症状というのは、リンパ球や白血球の一時的減少です。これが起こる線量というのは、百から二百五十ミリシーベルト。この線量以下ですと、直ちに健康に影響を与える量ではありませんという説明がよく出てきますけれども、そういう線量になるわけです。低線量域ですね。 この低線量域が安全、安心でないということは、これが原因になって、数年から数十年後にがんになる、発がんが起こるということで、それで安心、安全ではないということなんです。この発がんというのは、だれかれなしではなくて確率的に出てくるので、遅く出てくるから晩発障害、確率的影響ということで、確率的に出てくるのでそういう影響だということになっています。 次のスライドをお願いします。 がんは一つの遺伝子の変化によって起こるものではありません。たくさんの遺伝子が変化して、それでがんになるということ、これは、がん研究者の間でも定説となっているがんの多段階説です。 ここで放射線によるがん遺伝子の活性化がありますと、放射線によって遺伝子の不安定化ということも起こりますので、環境にあるほかの放射線とか化学物質なんかによって変化が起きて、だんだんこの階段を上っていくという感じで、ここには時間がかかりますから、老人にがんが多いというのは、この階段を上る時間が多いということなんですね。 次のスライドをお願いします。 それでは、どういう線量でどのぐらいの発がんが起こるかということなんですが、一ミリシーベルトを一万人の人が浴びると、その中で一人がんになる。十ミリシーベルトを浴びると十人ががんになる。百ミリだと百人。これは、これ以下の線量だと安全だ、がんが出ない、そういう閾値はないという閾値なし直線説です。 このモデルは国際放射線防護委員会が出しているわけですけれども、もとになったのは広島、長崎の被爆者です。その被爆者のリスクに二分の一を掛けたのが、この防護委員会のモデルです。 次、お願いします。 今の発がんの閾値なし直線説を採用している機関というのは米国科学アカデミーで、これから出ているBEIR7という報告書があります。それにもはっきり書いてあります。それから国連科学委員会、UNSCEARに書いてありますし、今の国際放射線防護委員会、ICRP、それから欧州の放射線リスク委員会、ECRRも、こういうところの機関は閾値なし直線説を採用しています。 ということは、放射線には安全量はないということが国際的な合意事項になっているということなんです。ですから、防護というのは、その前提に立って行わなければならないというのが国際放射線防護委員会の見解だと思いますので、これからも、防護のことについて、国会議員の皆さん、よろしくお願いいたします。 どうもありがとうございました。(拍手) ○川内委員長 崎山参考人、ありがとうございました。 衆議院 科学技術・イノベーション推進特別委員会 平成23年5月20日
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沖縄 / 中国 / 中国の対沖縄戦略 / 中国の対日戦略 ● 【続・留学生が見たリアル中国(3)完】中国人ショック、沖縄「日本でありたい」「台湾は好きだが中国は嫌い」…北京「沖縄帰属」講演会の赤裸々な議論 「msn.産経ニュース(2013.6.6)」より (※ 記事が消えたときに備えてサイト記事保護) ーーーーーーーーーーー 中国共産党機関紙、人民日報が「沖縄の帰属は未解決の問題」とする論文を掲載したことを受け、北京の某大学でこの問題をテーマにした講演が開かれたため、聞きに行った。会場からは「中国の自治区にしたらいい」という下心丸出しの意見も出る一方、「チベットやウイグルの帰属まで議論になる」と中国が抱える民族問題への“ブーメラン”を懸念する声も。若者たちの間に徹底していたのは、帰属の正当性そのものや沖縄県民の声よりも「中国にとって得か否か」だった。 「チベット、ウイグル問題を突かれる」 講演したのは、台湾中央研究院近代史研究所の林泉忠・副研究員。林氏は中国・アモイ生まれで香港育ち。東京大の法学博士号(国際政治学)を取得後、沖縄・琉球大の教員を約10年間務めたという経歴の持ち主。今回の人民日報の論文には批判的な立場であり、インターネット上で批判も浴びているようだ。 林氏は講演の初めに、200人以上が詰めかけた会場で挙手によるアンケートをとった。「琉球(の帰属)について再び議論すべきか?」。 結果は「賛成」85人、「賛成しない」24人、「なんともいえない」16人。約4割が意見を表明しなかったようだ。 林氏がそれぞれの意見について理由を説明するよう促す。 「私は琉球問題についてよく知らないので、議論を通じて皆がはっきり分かるようになればいい」と女子学生。続いてマイクを握った男子学生はこう言った。「現在の国際政治においては、米国の覇道を除けば、武力による民族への圧迫は少なくなっている。だから琉球の議論には賛成だ。小民族独立の潮流に適合する」 ほう、中国人がそれを言うか。と思ったら、やっぱり次のような意見が出た。 「私は反対だ。もし琉球の帰属を議論できるなら、チベットも(内)モンゴルも新疆(ウイグル自治区)も帰属について議論できる。中国はたちまち、この三つの問題について日本からたたかれることになる。これは受け入れられない」 一方、こんな理由で「賛成しない」とした男子学生もいた。 「今、琉球の帰属を議論しても中国の利益を最大化できない。今後もっと中国が強大になり、米国を追い越したころに議論するか、あるいは琉球を(中国の)自治区にしてしまえばいい」 ザワザワ…。この計算高い下心こそ、多くの中国人の本音なのかもしれない。 「琉球の議論は道具だ」 さてアンケートの第2問は、「琉球はどこに帰属すべきか」。 結果は「日本」14人、「中国」16人、「琉球、沖縄」94人。「日本に帰属」の少なさは予想通りだが、思ったより「中国に」が少ない。さすがにあつかましすぎることに気付いているのだろうか。 「私はさっき、議論をすることは賛成に回ったが、帰属は日本とした。実際に中国が琉球を手に入れることはできない。琉球の帰属の議論はてんびんの『分銅』のようなもので、日本に対して法外にふっかけるための道具だ」と男子学生がのたまった。 ここまできたら、チンピラの因縁と変わらない。 沖縄を「米国領に」 最後の質問は、「琉球の独立運動を支持すべきか」。これは「支持すべき」64人、「支持すべきでない」30人という結果が出た。そもそも本当に「運動」と呼べるほどの規模なのか。さっきから林氏が「沖縄」ではなくわざわざ「琉球」という言葉を使っていることも気になる。 「独立運動」を支持すべき理由として、ある男性が発言した。「中国の発展の利益にとって、台湾は大きな問題を引き起こしている。だからもし琉球が台湾のような存在になれば、日本にとって利益は最小となり、力をそぐことになる。中国の発展にとって、これはいいことだ」 日本にとってのマイナスは、中国のプラスというわけか。 こんな意見まで出た。「かつて琉球を米国が統治していたころは、アジアの平和を保つことができた。中国と日本の衝突を避けるため、琉球は米国に帰属するべきだ」 中国人学生のため息 講演で沖縄をめぐる歴史的経緯と国際状況を一通り説明した林氏は、結論として「沖縄の帰属について議論すべきだ」とする人民日報の論文については「賛同できない」と述べた。その理由として、沖縄の民意を無視していることや、中国政府が沖縄の帰属について立場を変更したわけではなく、そうした主張は発言者自身を不利にする危険性があることなどを挙げた。 林氏はいう。「私の17年におよぶ琉球とそのアイデンティティーに関する研究によれば、現在の沖縄社会の主流は、日本にとどまりたいと願っている」。近くの女子学生から「ふーん」と残念さをにじませたため息が漏れた。 沖縄の「左派の2大地元紙」(林氏)ですら、人民日報の論文を批判していることも紹介された。 講演後の会場との質疑応答でも、「もしあなたが中国政府の立場なら、琉球の帰属の議論を支持するか」と聞かれた林氏は、「私は支持しない。中国政府の立場がどうなのか説明を迫られるからだ」と述べた。 ただ、林氏は「学者の議論にタブーがあってはならないが、政府側のメディアがこうした主張をすることは慎重であるべきだ」とする一方で、こうも言う。 「もし議論するならば、日本にとって致命的なことは何か。あるいは琉球人に支持してもらえることはなにか。1879年に日本が琉球を『併呑』したこと、この正当性の問題についてだ。これは一方的に、武力で、琉球の同意を得ずにやったことだ」 これを聞くと、林氏が必ずしも真正面から沖縄の帰属についての議論を批判しているとは思えなくなってくる。このあいまいさは、中国という特殊な言論空間で発言する学者にとっての煙幕なのだろうか。 ところで林氏は、沖縄県が実施した県民の意識調査も紹介した。中国に良くない印象を持つ人が89%に達したのに対し、台湾に良い印象を持つ人は8割近くに上っている。これに中国人の自尊心が少し傷ついたのか、会場からは「なぜ台湾と比べて大陸(中国)への印象がそんなに悪いのか」という質問も出た。 日本人からみれば愚問でしかない。反日が国是で、資源と領土への野心をむき出しにし、日系の商店や工場を破壊して、果ては領海侵犯を繰り返す中国と、東日本大震災で世界最大級の支援をしてくれた親日の台湾を、同じ土俵に載せること自体に無理があるのだ。 .
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【人名】 【人名の現地語名】 首相時代 生年月日 【○○年○月○日】 出生地 【出生地の場所】 没年月日 【○○年○月○日】 死没地 【死没地の場所】 所属政党 ユエスレオネ共産党→ユエスレオネ社会党→ユエスレオネ社会党ステデラフ・イェスカ派 出身校 【出身校の名称】 配偶者 アルフィア・ド・スキュリオーティエ 親族 【親族の名前】 称号・勲章 下記参照 南サニス連合王国の国王(3代目) 次代 ラフォーリア・ド・スキュリオーティエ 前代 ターフ・ヴィール・エミリア 南サニス連合王国の国王(5代目) 次代 ラフォーリア・ド・スキュリオーティエ 前代 ラフォーリア・ド・スキュリオーティエ ユエスレオネ連邦の首相 次代 ウードヴャズネ・プロシュカナツァートイ・ドヴィニョーキア 先代 レシェール・アルヴェイユ 南サニス連合王国の摂政 国王 ターフ・ヴィール・エミリア 国王 ラフォーリア・ド・スキュリオーティエ ターフ・ヴィール・ウォルツァスカイユ(理 tarf virl woltsaskaiju)は、ユエスレオネの社会哲学者、連邦社会党員、理論的指導家。ユエスレオネ連邦外務省大臣や第4代首相、南サニス王(3代目、5代目)などを歴任した。ルティーセ学院大学准教授や南サニス王立アカデミーの教授も務めた経験を持つ。写真は女装しているもので、彼の生物学的性別は男性である。 家庭学博士号と法学博士号を保持。配偶者はアルフィア・ド・スキュリオーティエ・アリア。主な呼び名は「お菓子(lersene)」。 概要 phil.1980年にデーノ共和国のヒンゲンガードで生まれる。小さい頃から非常に優秀であり、ヴェフィス国立研究院大学の栄養家庭学科に15歳で飛び級で入学して2000年に修士課程を修了した。博士課程への進学も予定されていたが、折しも発生したエルフ熱の騒ぎで上空へ移住したことに伴って中止になる。 phil.2002年、親類のターフ・ヴィール・イェスカと縁があったことからユエスレオネ共産党に加わる。しかしユエスレオネという標高の高い地域に移住したことで虚弱体質が判明し車いす生活になったことでプロパガンダやイェスカ主義の紹介といった執筆活動を主とするようになる。内戦終結後は栄養学の博士課程に戻ろうとしたが、イェスカやユミリアの強い求めによりユエスレオネ中央大学の法学部へ入ることを余儀なくされる。 博士課程修了後は社会党に籍は残していたものの趣味の料理・製菓に没頭しており、ユエスレオネの家庭科教科書におけるお菓子のレシピは彼が監修している。 phil.2014年、ユミリア内閣で外務大臣として任命されたことで突如として政界に引き戻され、翌2015年に第三回連邦選挙に出馬し当選している。さらに、その次の年の2016年、タフターと南サニスの四年戦争の調停のためユエスレオネ全権大使として派遣され、そのまま大使兼国家顧問として数年間南サニスに在住することになる。 phil.2019年、社会党で権力を握ったアレス・デュイネル・エレンに反発してIDLTを結成、翌年の選挙で与党となる。初めは入閣する予定ではなかったが、第3代首相に就任したレシェール・アルヴェイユが頭痛で緊急入院したことに伴い南サニスから帰国、首相に就任し任期満了まで務めた初の首相となった。任期満了後は分断された社会党を統一するために「社会主義政党再統一の為の委員会」を結成、のちにユエスレオネ統一社会党としてまとめ上げることに成功する。 その後はルティーセ学院大学で栄養学の博士号を取り、そのまま数年間准教授として勤務してアルフィア・ド・スキュリオーティエ・アリアと出会う。2038年に結婚してヴェフィス大公の血筋スキュリオーティエ家の分家となり、南サニスで王となったあと王立アカデミーで教鞭をとることとなる。 お菓子作りが趣味であり、政治文書の他に多くの料理本を出版している。 経歴 青年期まで デーノ共和国のヒンゲンガードにて、リパラオネ系の父とリナエスト系の母の子としてphil.1980年に生まれ、リナエスト語のウォルツァスカにちなんだ名を与えられる。当時はリパラオネ・ナショナリズムによるリパライン語化が吹き荒れる時期ではあったものの[3]、育った地域が多くの言語が入り乱れる土地であったこともあり彼自身はリパライン語を母語とし、他の言語もヴェフィス語とリナエスト語をそれぞれ現世のCEFRでいうところのC1とをB1のレベルで修得している。 その優秀さから飛び級を繰り返して15歳にヴェフィス国立研究院大学(VIKK)に入り、在学中はVIKKの教授であったターフ・ヴィール・イェスカの授業を聴くのが趣味であったという。同時に飛び級の弊害として友人を作ることが難しく、周囲で遊び相手になれる年の近い人間が従姉妹のリーニアのみであった。このことが彼にリーニアへの異常とまでも言える愛情と、彼女以外の親しくない人間への深刻な不信を抱かせることにつながり、これらは後述するさまざまなウォルツァスカイユの特徴や行動に影響を及ぼすこっとなる。 大学では栄養学を専攻しており、将来の夢であった製菓店の開業に向け、栄養士等の資格所得に励んでおり、政治や思想哲学とは何の関係もない生活を送っている。 共産党が立ちあげられるとイェスカとの縁で入党することになるが、生活の場が突然高所になったことに適応できず車いす生活を送っていたため現場に出ることなどは出来ず、青年部でももっぱら後方で理論の組み立てやプロパガンダの文章書きを行っていた。『やさしい正しいイェスカ主義』や『高校生のためのイェスカ主義入門』といった初期著作はこの時期に書かれている。 内戦終結後 栄養学の博士課程に進もうとしていたが、ウォルツァスカイユの哲学思想への適性を高く見込んだイェスカとユミリアは彼に法学の博士号を取るようにしむけ、半ば強制的に法学部へ進むことになる。この時、彼は勉学に加えて当時盛り上がっていた新イェスカ主義や学生運動の監視の役目も帯びており、このためにプルシア・ド・バローティエ(Poulisia de Bellautie)という偽名を名乗っていた[5]。これがバローティエ家の人間に見つかって正体がばれ、在学中は主従の関係だったという[6]。また、第三世代レヴェン学派の筆頭とも目されるスカースナ・イヴァネ・ルディエシャファと在学中に知り合い、彼女の下で博士論文を書き上げている[1]。 政界復帰 phil.2014年、突如としてウォルツァスカイユはターフ・ヴィール・ユミリア政権に外務省大臣として入閣し、これを機に政界に戻る気が起きた彼は翌2015年には軽いノリで第三回連邦選挙に出馬し当選する。2016年にはユエスレオネの全権大使としてファールリューディア講和会議を任せられ、タフターと南サニスの四年戦争の調停を行うこととなる。これと同時に南サニスで暴政を行っていたターフ・ヴィール・タリェナフをファルトクノアへ追放し、その後は南サニスで国家顧問として財政が崩壊した南サニスを国家として立て直すことに尽力している。 phil.2018年、ユンカーの鐘によって実権を握ったアレス・デュイネル・エレンがウォルツァスカイユの従姉妹のリーニアにターフ・ヴィール・エレーナという偽名を名乗らせ傀儡として擁立、社会党の党首に据える。これは党内の穏健派のうち有力者であったウォルツァスカイユに対するエレンの懐柔策であったが、ウォルツァスカイユ自身はリーニアを守るために政治から遠ざけていたためこの行為に激怒し[8]、社会党を離脱して同じくらいの穏健派のレシェール・アルヴェイユらとともにユエスレオネ社会党ステデラフ・イェスカ派(IDLT)を設立し、翌年の第3回連邦選挙で社会党を与党の座から降ろすことに成功する。 首相就任 社会党が議席の過半数をとれなかったことに伴い、IDLTは右翼政党の国民党およびレヴェン主義政党のレヴェン統一党と連立政権を組んで内閣を作る。これによって第3代首相にはレアルが就任したが、持病の偏頭痛が悪化し、1か月で職を退いてしまう[9]。これによって政権内では首相職の押し付け合いが始まり、最終的にウォルツァスカイユが南サニスから呼び戻されて首相につけられることとなる。暗殺されたイェスカや失脚したユミリアの二の舞になることを極端に恐れていたが、しかし彼は任期満了まで務めた最初の首相となることとなった。 任期が終わった後は、分裂した社会党をもとに戻すため「社会主義政党再統一の為の委員会」を社会党のリーニアおよびデュイン官僚出身の政治家ウードヴャズネと結成し、のちに統一してユエスレオネ統一社会党を結成する。 アルフィアとの結婚 社会党の統一後はルティーセ学院大学で栄養学の博士号を取り、准教授として勤務する。phil.2030年には南サニスの王として推戴されている。ルティーセで教鞭をとっている時期にヴェフィス大公のスキュリオーティエ家前当主であるアルフィア・ド・スキュリオーティエ・アリアに見初められ[1]、2038年に結婚して南サニスに定住しスキュリオーティエ家南沙系統を開く[10]。 制作 連邦首相として 基本的には多言語文化の保全や教育の充実をはじめとする福祉を重視するユミリア政権の社会民主主義路線を引き継いではいるが大きな相違点として「大幅な軍縮」「介入を嫌う」の二点がある。軍縮については、連邦軍が革命期の武力革命的な思想が主流を占めていたことを嫌ってのことであり、同時に「軍の完全なる無党派化」が目指されている[11]。しかしこの時に職を失った兵士が、ウォルツァスカイユへの不満をあおるユミリアの呼びかけに答えてユミリア・クーデターの戦力になってしまったという面があり、この強行的な軍縮には批判が後世なされている[要出典]。介入を嫌う点については本人が武力行使を嫌っていたという理由もあるが当時の政権は3政党による連立内閣であったことに起因する不安定を抱えていたためである[12]。 南サニス国王として タリェナフおよび教会の軍国主義的宗教王政のもとで財政破綻に陥っていた[13]南サニスを再建するため、ウォルツァスカイユは連邦の軍事力を背景にして中央集権化を強力に推し進め、非常に苛烈な統治をおこなった[10][14]。 教会および貴族からの権力の取り上げ 神の代理人たる王による教会支配の宣言 軍の一元化 秘密警察の増量 信教の自由 教育の整備 経済の再建 を柱にして統治を進めたが、このうち信教の自由に関しては「どの方法で神を信じるかの自由」であり「神を信じない自由」はないとされた[15]。 称号・勲章 非常に多くの称号や勲章を持っている 称号 南サニス連合王国軍政評議会議長 ユエスレオネ連邦首相 南サニス連合王国摂政 南サニス連合王国国王 勲章 ユエスレオネ連邦 南サニス連合王国 その他 人物 昔話 人民解放戦線時代、執務室では一人もしくはエレーナと2人でいることが殆どであったため、執務室に来た人と話すことを楽しみにしていた。 気に入った相手に対しては昔話をすることもあった。 発言 「私の外務省での仕事はただ一つ。連邦の中にあるもう一つの国家を解体することである」――外務大臣就任演説において 「首相になるには首相になりたいと思わないことです。大体の首相はなりたいとは思っていないと思います。もちろん僕も」――小学生向けの講演会において。"首相になるにはどうしたらいいですか"という質問への回答 「ファルトクノアはあたかも自分が独立国家であるように連邦法を無視している。このような"もう一つの国家"は解体されなければならない」――参事会において 関連項目 三国戦記……南サニス国王時代のウォルツァスカイユが登場する
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なんかそういった名前のラノベを書いたら売れるのではないかと。 4人組で、1人は女の子。 (警告)このページを見たあなたは 鼻からスパゲッティを食べながら逆立ちして町内一周しないと死にます 4人組だと文系と理系二人ずつ?高校生でドクター持ってるってことは外国で飛び級で大学まで出てから日本に帰ってきたってことだよね。海外で大学を卒業して成功を収めつつあった若者がどうして日本に帰ってきて高校に通っているのかってとこにある程度真面目なバックボーンが設定できる。かもしれない。でも基本はドタバタ劇がいいな。 哲学博士:3年生。才女。お嬢様口調。って言うかいいとこのお嬢さん。一人称は「ワタクシ」がいいな。フワフワした、形而上学的な、地に足のつかないことをよく言っている。飄々とした愉快犯。4人組の中の中心的存在。面倒事を持ってくるのは大抵この人。悪化させるのも大抵この人。最終的に教訓めいたことを言ってまとめるのも大抵この人。研究生活に飽きて日本に帰ってきた(自称)。 文学博士:2年生。ハーフ。キザな二枚目。外国文学とか詩とかから台詞を引用して女の子を口説く。でも何故かモテない。実体験によって培われる実感がこもっていないから。机上の空論。包装は壮麗でも中身が伴っていない。薄っぺら。ペラペラ。和紙よりペラペラ。向こうが透けて見えるくらい。新天地で年相応の生活をして人間的に成熟しなさいという恩師の勧めで父の母国である日本にやってきた。 工学博士:1年生。まあ、発明家的な人がいると便利だよね。機械が友達。自分の発明が生み出す大金を巡る世俗的な争いに嫌気がさして厭世的な性格に。これまでしてきた発明の特許権を全部放棄して日本に帰ってきた。 数学博士:2年生。神経質。打たれよわい。会計係。暴走しがちな他の三人を諌めようとするけれども、結局は流されてサポートにまわってしまう的な。自分の才能の限界に突き当たって挫折して日本に帰ってきた。 主人公:2年生。転入生かつ(上記の連中に比べれば)普通人。しっかりものの少女がいいです。親の仕事の都合で転校を繰り返してきた。そういう意味では割と苦労人なんだけど、それを感じさせない快活さがある。ツインテールがいいな。ツンデレじゃない人がツインテールだと凄く萌える気がするのです。って言うかさ、ツインテールってのは本来はなかなかの萌え記号のはずなのにツンデレとセットで乱用されることによって、ツンデレの付属物に貶められていると思うんだよ。だから、ツンデレと切り離すことによって、人類は今一度ツインテールと無心で向きあう必要がある。 しかし哲工数学はともかく文学で高校生位の年齢の博士ってのはありえるのかね。 私立K陵学院高校には一般生徒から敬遠されている4人組がいて、主人公かつ普通人である新入生(or転入生)の少女(もしくは少年)がひょんなことから彼らと関わることになって云々。みたいなのを想像しました。 タイトルが博士団なのに主人公は博士じゃないじゃんみたいなツッコミをする人には三銃士を全巻投げつけます。 話としては、博士4人をメインにしたエピソード4話とまとめとして主人公をメインとした話の5話構成の連作短編。 5月か6月、年度の初めのほうの、転校にしては時期はずれの頃に主人公が転校してくる。新しい学校への期待と、また数カ月で転校しなければいけないという諦念を胸に抱きながら。で、その高校には天才4人組がいて、主人公はひょんなことから彼らと関わり合いになる。彼らはその圧倒的な才覚と奇矯な振る舞いにより周囲から敬遠されていたんだけれども、彼らと一般生徒の間を、持ち前の快活さと人当たりのよさで主人公が取り持つことによって、天才たちは一般生徒たちに学校に受け入れられていく。ちょっと変わって見えるけど、根はいい奴らなんですよ。主人公もそこでの学生生活に特別な愛着を持つようになる。ここまでが4話ね。各天才がメインのエピソード4つ。で、ラストエピソード。これまでは主人公が天才たちに居場所を作ってやってきたんだから、今度は天才たちが主人公に居場所を作ってやる番。家庭の事情でまた転校しないといけなくなった主人公。本心としては転校したくはない。けれども諦めるしか無い。と、繰り返される転校で否応なく積み重ねられてきた諦念思考をまた繰り返しそうになったところで、天才たちが頑張って何やかやでその事情を解決。転校しなくていいことに。これからもこの学校で皆と一緒に非日常的な日常を過ごせるね。次巻へつづく。みたいな。そういう割りと軽い感じの物語。 うーむ。フワフワしている。雑。ところでラノベ的に売れるためには女性比率が高いほうがいいだろうから、男女を入れ替えるのもアリなのかもね。 ←実態としては哲学博士とそれ以外の3人の構図。 表面的には哲学博士がヘンさの中心にいるように見えて、その実、一番まとも。変キャラになろうとしているごく普通の人。 逆に周囲の3人が、そこに乗ってくるorサポートするor諌めるようなサブ的な立場のようでいて、リアル奇人変人の一歩手前。心底、深い悩みを抱えていて、4人で馬鹿をやるのが唯一の救いとなっている。 みたいなシリアス設定をバックにすることでkeyに売る。 天才4人をキャラとして効果的に動かすためにはそれを相対化するために普通の人の視点を導入する必要があるはず。だからごくごく普通の少年or少女を読者の代行としての役割も込みで導入する。話を広げるためには天才たちと一般生徒たちの間のインターフェース役も必要だしね。そうでないと天才4人の閉じた世界の物語になってしまう。で、その役は個人的にしっかりものの女の子がいい。って言うか俺の中でこれは花男なんだよ。花男見たことないけど。要は浮世離れした連中の手綱をしっかりものの女の子がとるって話でしょ。違うの?ともかくそんな感じのドタバタ劇。天才4人に振り回されつつも彼らとともにエキセントリックな学園生活を楽しむ。そんな非日常な日常。 シリアスな話は主人公がそれぞれと交友を深める時のアクセントとしてあるいはキャラの人間的奥行きを想像させる要素としてちょっと出てくるぐらいでいいと思う。そもそも泣かせるための設定っていうのを俺はあまり好きではありません。いやまああってもいいんだけど、泣かせ設定を後半になって急にぶっこんでくるのは勘弁して欲しい。初めっからその設定がキャラのパーソナリティとして織り込まれてるのならともかく、普段はあんなに楽しそうに振舞っていた彼女が実は……みたいなのを急に明かされると人物としての連続性が絶たれる気がする。少なくとも俺はそういう印象を受けた。まあ、世界の秘密が分かったらまた違う印象をうけるのかもしれないけれども。って言うかいい加減アレをクリアしてしまわないといけない。 ともかく(「花男」+「有閑倶楽部」)÷2に天才キャラを突っ込んだみたいな感じ。どっちも読んだこと無いけどね!! ところで登場人物全員が天才って話は面白そうなんだけど、そういう小説とか漫画ってないのかね。ありそうなんだけど思いつかない。出てくる人出てくる人みんな才気煥発ってのはきちんと書ければ非常に面白いと思う。 しかし設定考えるのは楽しいなー。 ←確かに高校博士がどーのという設定の雰囲気的にはコミカルメインでシリアスはちょっとした小道具程度にする方がそれっぽいかもというのは思ってました。敢えて快活な雰囲気を荒ませてしまうのも面白いかなと思って言ってみた程度です。 花男っていう方向性はわりと素直で設定に合いそう。ただ花男では一般生徒があんま絡んでこない印象がある。その上で、4人が人気者じゃなくて浮いてるって所が花男との大きな違いで、かつプッシュするべき所だと思うわけで、じゃあ少し一般生徒サイドを格上げして、天才⇔主人公を描くんじゃなくて、天才⇔主人公⇔一般生徒を描いたらいいんではなかろうか。その場合は、一般生徒側の主要キャラを出すと良い気がする。ちなみに花男は俺も読んでません。 あと文学博士にはツッコミ役をつけてあげて下さい。でないと非常にかわいそうなことになりそうです。 連続性うんぬんだけども、そもそも人間、裏表作りたがる性質なので不連続なんて現実にも往々にしてありうること。ただ、じゃあ完全に二面はっきり分かれるのかというとそうではなくて、隠してるものが言動の端々に滲み出てきたり、あるいはそもそもその裏側に気付いて欲しいという感情があって当人が意識的に滲み出させていったりするということがあって、それが伏線としてバラ撒かれるというのが、わりとリアルに作られたお話の構造なんだろうと思います。アレは個々のルートに関しては後半で無理やり設定を突っ込んできてるけど、一番人気のメインルートに関しては結構しっかり伏線を張ってくれてると思う。だからとりあえずやれ。 てか、はよう書きなさい。 博士号持ち4人が高校にいるというのが俺の中でどうにもしっくりこない。作為的過ぎるというか違和感バリバリというか。まあでもそのギャップがミソなんだからそこを上手くスムーズに物語or設定の中に回収できるようにしなければならない。 そもそも博士号とは何のメタファーなのか。 ただの天才ではなく博士ってことは専門性があってかつ実績を持っているってことだよね。それを高校につっこむことの意味はどうすべきか。 try-NEET
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続裁判時代 山崎今朝彌 田中金造の売位売爵事件 田中金造君を知つてる者は恐らく一人もあるまいが、これは近藤憲二君の行司で、私と田中君と一騎打の薄気味悪い一本勝負をし、当時伯爵が負けた負けたと、近藤君が方々触れ回つた面白い話である。 ○ 当時近藤君が大学に寝泊まりして居たと思うから、頃は大正七八年社会主義同盟の前後であつたらう。金沢市だか石川県だかの、七尾町とか八尾町とか云つた町の某会社の、技師だか技手だかに田中金造と云ふ人があつた。此人が其頃私の総長をしてゐた、平民大学に百円だか寄附して、大学令第何条だかの学士位を請求して来た。規定に則り雑誌何月分かを送り学位を許した。其の年の学士大会には態々上京出席して又何百円かを寄附して帰つた。 其頃(だと思ふが)何か癪に障つた事があつたと見え私は大学令第何条かに基づいて山縣公土方宮内大臣(?)上杉慎吉博士を、国家又は本大学に功労あるものとして平民大学法律博士に推薦通告した。恰度各種無産政党や各無産団体が矢鱈に顧問や相談役を推薦するやうに、山縣公や上杉博士からは何の異議申立もなかつたが、土方伯からは平民病院長加治時次郎君を介し堺君を代理として抗議があり取消の申込みをした。私は推拠の拠つた、平民大学令の法条と共に辞退も亦自由である法理とを闡明して之れを『平民法律』か何かに発表した。之を読んだのか又規則を調べたのか、田中君が急に一萬円だか一千円だかを寄附し、これでも尚功労が足りないならイクラでも寄附するから、平民大学工学博士を許下してくれと請求して来た。少々薄気味は悪くなつたが河豚は喰ひたし生命は惜し、今更敗けるのは尚更業腹、真面目腐つて弁解するわけにも行かずどうしたらよいかと一寸困つてゐた、近藤君は此の勝敗見もの見ものと漸く騒ぎ立つ。 ○ 私が法令全書を繙て見ると平民大学令は小学校令にも刑法にも触れないよう上手に出来てる。先づ此点は安心だ。早速寄附金中から百円だか二百円だか奮発して私立探偵に本人の身元調べをさせる。 勤勉実直会社の信用厚し、詐欺師にも前科者にも又警察のスパイにもあらず、との報告。安心のようで不安は益々加はり一層気味が悪くなる。学位を必要とする理由如何、との質問には、大学令上陳述の要なしとの回答。エー儘よどうでもなれで許下してやると、折返して免状を呉れと来る。免状を出す規定はないと答へれば其れは形式論だ学位を出して免状を出さぬ法がないと来る。大学の判も総長の印も免状用紙もないと断れば、ソレナラ此方で拵へて上げると迫る、お勝手にと答へてやると、間もなく驚く程立派な免状謄と印と判とを送り届ける。兎角先づ之れで一安心と漸く安堵すると、意気揚々たる平民大学最初の工学博士を公正証書にしてくれと愚図る。どう始末したらよいか私も之れには閉口して全く困つて了つた。近藤君は面白い面白いと手を打つて頻りに喜ぶ。 ○ 萬事浮世は金と金。さうだ金で追つ払うよりほかはないと考へ『研究したら公正証書に出来ない事もあるまいが研究手数、公証費用等千円位は費るが承知か』と脅すと千円は安い二千円大学へ寄附しませうと来る。今度は此方が怖くなる研究中二三日ホテルに待つて貰ひ、知り合の公証役場へ行き法律行為に関する陳述録取公正証書-私から田中君に工学博士を授けた旨の公正証書-を作成してやつと鳬を付けた。 一難はさつたが一難がすぐやつて来た。田中君は一萬円出すから是非米国男爵を許してくれと頑強に強請するのである。既に心のドン底までおびへ切つてゐる私は、際限がないからここらが打ち切りところと信じ、『私の伯爵は一代かぎりであり、米国の法律では他人に男爵を許すことを許さない、平民大学令の爵位を許すことは認可されて居ない、仮令私が情実に囚はれ独断之れを君に許したところが、其れはどうせ無効のものであつて、畢竟潜称私称にほかならない、どうか之れだけは勘弁してくれ』と泣かんばかりに堅く断つた。田中君はではと悠々笑つて帰つてくれた。近藤君は、伯爵がばけの皮をはがれ、見す見す一萬円を逃し、小心翼々泣き面をして遂に許爵を許し得なかつたから全敗だと審判し、私は切上時がよく、上手に退陣したから全敗でないと物言ひをつけた。 ○ 秋去り冬来り、それから凡そ十年の年月が経過した。去年か一昨年かの新聞に田中金造君の学位売買詐欺事件が報導された。私は思はずギヨツとして全身肌へに粟を生じた。各新聞の報導を綜合すると、田中君は学士になると百円の俸給が百五十円に昇つた。工学博士をとるとすぐ公正証書を翻訳し米国の某大学から通信規則に基き工学博士を貰つた。茲に目出度日米工学博士が出来上り、技師長になつた。俸給は一躍五百円に昇進した。新に会社をおこし重役になつた。別に平民大学に倣つて新平民大学を設立し、米国の某大学と特約して盛んに各種日米の学位を売り巨萬の富を積んだ。が、中々法律的に上手に出来て居るから、一審は有罪になつたが二審広島控訴院では、犯罪を構成するものとして被告を有罪にするか否かは疑問で今や法曹界の大問題になつてると結んであつた。私は漸く胸を撫で下した。 其後田中君の消息は聞かない、注意して居つたが大審院へは田中君の事件は来なかつた。無罪になつたのか又は執行猶予にでもなつたのか。それにしても私が一回も引合に出されなかつたは何故か、平民大学の件だけは田中君が口を割らなかつたのか。こうなつて見ると結局私が勝つたのか、田中君が負けたのか、兎に角私も損をしなかつたが田中君も尚更損をしなかつたわけだから、此点では双方引分けと云つたところであらふ。が、藍より出て藍に勝る田中君の人物は、人を人とも思はぬ洒々としてイケ図々しい点に於ては確に私より役者が一枚上だつたらしい。 布施辰治君の懲戒裁判 世には悪弁護士が沢山ある。弁護士は全国で約四千人、其約一割が検事局のブラツクリストに載つてる。と新聞は報じてゐる。 ソレ程多い悪弁護士の裁判事件がナゼ滅多に社会に知れないだらふ。ソレは弁護士は紳士である、だから体面を重んじてやらなければならない。と云ふので裁判所も新聞社も極力事件を秘くすことに努力するからだ。刑事事件や犯罪事件とか云ふ程度に至らない、少々の悪徳事件、即懲戒裁判程度の事件は特に法律では秘密不公開ときめてある。 これまでして法律乃至裁判所が弁護士を保護贔屓して下さるに不拘、近頃屢々懲戒裁判を公開してくれ、事件を公表してくれと迫る図々しい悪弁護士の頻出するは大胆の至りである。 其図太い悪弁護士のトツプを切つたのが斯く申す筆者の私で続いて佐々木高木の両弁護士、最後に今回布施辰治君が控へて居る。 私のは上告状に、間違つた裁判を下した原審判事を罵つて『偉大なる低能児』と書いた所謂判事低能事件。佐々木弁護士のは雑誌に、近頃の判事の頭は石コロ同然だ、と書いた『石コロ判事』事件。高木弁護士のは法廷で判事を小僧と呶鳴つた所謂『小僧判事』事件。布施君のは、先般大阪共産党事件の公判廷で、『ソンナ裁判長がありますか、お控へ召され』と呶鳴つた『裁判長叱責』事件だ。 ○ 懲戒とは読んで字の如く懲らし戒しむことだ。ところが私でも、布施君でも、コンナ懲戒を、名誉とこそ思へ、少しも悪かつたとも損だつたとも思はないのだから、懲りもしなければ戒しめにもならない。然るにお上ではナゼ本気になつて糠に釘を打つたり、狂人に刃物を持たせたりするのだらう。 ソレはかうだ。私共は判事でも弁護士でも友人でも他人でも労働者でも金持でも、馬鹿は矢張りバカ、低能は矢張り低能、お控へ召されは誰にでもお控へ召されだ。と考へてるが、お上の者の考へは又別だ。長い物は何時でも長い、地頭は何時までも地頭だ。労働者風情が金持に楯突いたり、弁護士風情が判事を友達扱にしたりするのでは我日本の国は到底持つて行かれない。困つたものだ驚いたものだ呆れたものだ。早く何とかしなくてはならない、何とかと云つた処が、懲役に入れる法律もないから、懲戒にでもするより外はない。と、コンナ馬鹿堅い、糞真面目の考からで、毛頭塵芥程も悪心があるからではない。 ○ 懲戒は--一、叱り置き。二、罰金。三、一年以下の停職。四、極刑除名となつてる。除名は弁護士の登録取消又は資格剥奪でなく、加入弁護士会からの除名だ。日本には数十の弁護士会があつて一つの会に加入すれば全国で商売が出来る。懲戒裁判中又は除名裁判後に別の弁護士会に加入したら、除名や懲戒はどうなるだらう。除名より一段軽い停職なら、尚更今迄の弁護士会を退会して別の弁護士会へ加入すれば商売が出来さうだ。実験の為め私は今一度懲戒になつて見たい気もする。 ○ 私が自ら被告になつて法廷に立つこととなると色々面倒の問題がある。弁護士又は弁護士会と云つた類のものは、氏から云つても育から云つても、裁判所又は裁判官と同穴の狸だとは平素の、主張だ。で、第一これ等親しい人々に弁護の依頼が平気で出来るかどうか。いま時の懲戒は寧ろ名誉だと心得てるから、お上の御親切は飽くまで辞退して裁判の公開を要求しなくてはなるまい。われわれは検事被告対立論で検事論告の際に起立は出来まい。われわれは判事弁護士同等論から座席同等を要求せねばなるまい。忌避をせねばならず抗議運動を起さねばならず、曝露戦術を闘はねばならず、大衆運動を初めねばならない。要するに正面衝突だ、実力と実力との戦争だ。 ○ 私の喧嘩哲学はかうだ。喧嘩は戦争だ。損すりや敗けだ。腹立ちや損だ。喧嘩は和気靄々損して得取り、愉絶快絶、転んでも只では決して起きないことだ。ソコで私は敵の力と自分の力を計り、先の見通しを付け、先方は先方こつちはこつち、お互双方自由勝手、バカと気違には一切関り合はないで面白半分調戯半分の端書や手紙を出しツ放しにし、裁判所へは一回も顔を出さなかつた。お蔭で判決はアンナ事でも四ケ月の停職と云ふ素晴らしい。重刑だつたが、其代り働きかけて新聞雑誌が大に書いてくれたので、名声嘖々、商売は一世一代の繁昌振りであつた。 ○ 私の懲戒事件の問題は「若し之をして強ひて安寧秩序を破壊するものなりとせば、日毎日常の新聞雑誌は悉く秩序紊乱となり、之を不問に付する全国の司法官は、原審判事山浦武四郎江木清平西豊芳二郎三名を除く外皆偉大なる低能児の化石なりと云はざるを得ず、天下断じて豈斯くの如き理あらんや、原裁判は真に呆れて物が言へず」と云ふ上告理由書で、言はないでもよい余計の文句を書き、弁護士としては不謹慎の言を吐いたと云ふ理由で有罪になつた。が、之れも初めは原判決取消し被告は無罪、弁護士御構なしで無事に済んでるのを、私が新聞雑誌に自ら投書し無理に平地に波瀾を起したのが禍して、止むなく検事局の問題となつたのだ。 検事局の問題になつてからでも温和しくして居れば立消に請合の事件だつたが、占めたと計りに私が用紙や端書に、『追て小生懲戒の件、小生は、和気靄々の裡に厳しく懲戒され、電光石火寝耳に水で世間をアツと云はせるを唯一の楽しみに従来堅く秘密厳守の所、今回図らずも、事、検事局の洩らす所となり今は却つて迷惑を感じ候次第、此上は止むなく大勢を天下に発表して広く知己の裁判に訴へ、以て損して得するの外無之、就ては僭越ながら茲に拙著「懲戒になる迄」一冊(定価弐円近日発行)御購読被下度候』と刷り込んで方々へ配布したのが訴送を挑発したのだつた。 懲戒裁判開始決定後に於ても黙つて居つたら、叱り置位の処で、マサカ四ケ月の停職にはしなかつたらうが、今考へて見ると、今の牧野大審院長其他の係判事を忌避したり、其忌避申請書に、懲戒開始決定書を文字通りモジつて、『被申請人(牧野裁判長以下の判事)は東京控訴院に於ける懲戒裁判所の判事にして其職務に従事中、曩きに大正十一年四月十九日申請人(私)に対し懲戒裁判開始の決定を為すに当り云々との語句を羅列したるものなり。右の事実は本件懲戒裁判開始決定書に徴し之を認定するに充分なり、右は開始決定書として甚しく不謹慎なる有罰の予断を弄したるものと被認其行為は疑もなく明かに偏頗ある裁判を為すことを疑ふに足るも、毫も判事の体面を汚さざるものなるを以て云々右忌避申請に及びたる次第なり。追て申請人判示羅列の語句が頗る常套を越え多少矯激に走りたる傾きは之れを認むるも畢竟は之れ皆慨世の余憤遂に反省を促す警世の文字となりたるに過ぎざれば寧ろ其為め弁護士の地位を向上せしむる憂ひこそあれ毫も其体面を汚すべきものにあらずと信じ候。されど申請人は強ひて無罰を希望する者に無之候へば、五月十一日の裁判には出廷も仕らず、又一言の弁解も不仕候へば、判検事水入らずにて充分御勝手の御裁判呉々も奉願上候也』と書いたり『拝啓 明後日は拙者の大安吉日に付き例の懲戒第一号事件是非々々御進行相成度、忌避申請中並に拙者欠席中の裁判なれど、男子の面目に懸け絶対に異議苦情申間敷、後日の為め一書上申依て如件、大正十一年五月九日。追て小生は此処数日間重病に相也候条御承知置願上候』などと上申書を出したりして裁判所をカラカツタのが悪かつたのだつた。 停職四ケ月を言渡され其れがすぐ確定すると同時に当時の左傾新聞雑誌には一斉に左の広告が載つた。『今般所長の懲戒休養を利用し一般法律事務特に社会、労働、思想問題に関係ある事件を専門に取扱ふ。東京市芝区新桜田町十九(電銀二〇七七)平民法律所。所長弁護士法学博士山崎今朝彌。弁護士ドクトル徳田球一。弁護士弁理士藤原繁夫。弁護士法学士細迫兼光。』私は又自ら例に依て左の端書を配つた。『私は大審院で、全国の司法官は偉大なる低能児の化石なり、と喝破した為め第一、二審共重罪の被告を無罪とし、其の効能を以て休暇四ケ月の恩命に接しました。が病気も殆んど、全快人物払底の今日、悠々閑々休養之れ事とするは却て恩命にも背くものの依て当分は只平民大学総長法律博士米国伯爵の資格を以て、誓て、熱心激烈、取り敢へず一、悪家主悪差配の征伐、二、悪富豪悪会社悪官吏の問責、三、悪法律弾圧法規の即時撤廃、の実行に従事します。弁護士山崎今朝彌』マサカ懲戒ばかりのセイでもあるまいが、此時から大地震に焼けなかつた時までの期間が、私の弁護士商売繁昌の絶頂期で、一世一代の黄金時代であつた。どう考へても懲戒なんて詰らない、下らない、理窟に合はない、持つて来いの悪戯である。 ○ 人には各々流儀があり、性質がある。与太は与太、真面目家は真面目で行かなければならない。布施君は布施君流に愈愈正々堂々の法廷戦を今度の懲戒裁判で戦ひ抜くと宣言した。昭和四年十一月廿九日第一回からの裁判は、龍騰虎躍と云はふか、巨弾爆裂と云はふか、壮観痛快、奇策縦横其面白いこと例へんに言葉なしだ。 <以上は、山崎今朝弥氏が著作者である。> <旧仮名遣いはそのままとし、踊り字は修正した。旧漢字は適宜新漢字に直した。> <底本は、『世界の動き』(世界の動き社)第1巻2号14頁(昭和5年(1930年)2月発行)>
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2012年11月16日 Index ヨーロッパ諸国編(1)オランダ探偵小説の父が生んだ探偵ジェフリー・ギル ヨーロッパ諸国編(2)イタリア探偵小説の父が生んだ警察職員アーサー・ジェリング ヨーロッパ諸国編(1)オランダ探偵小説の父が生んだ探偵ジェフリー・ギル 邦訳なし 1910年代から20年代、オランダでは探偵作家のイファンスが生み出したイギリス人名探偵ジェフリー・ギルが人気を博していたようである。 さて、ここではまた、乱歩のもとに届いた海外の探偵作家からの手紙を参考にすることになる。乱歩は1957年、オランダの探偵作家のW・G・キエルドルフ(Wilhelm Gustave Kierdorff、1912-1984)と手紙のやり取りをしている。このときキエルドルフは自身がフランス語で書いたオランダ探偵小説略史を乱歩に送っており、それが雑誌『探偵倶楽部』の1958年7月号に「オランダの探偵小説」として訳載されている。それによれば、オランダ探偵小説の創始者はイファンス(Ivans、1866-1935)という筆名の作家。ファーストネームを省略しているわけではなく、この「イファンス」というのが筆名なのである。この特異な筆名は、本名の Jakob van Schevichaven から一部分を拾って作られたものだそうだ(J + van + S → Ivans)。以下に、「オランダの探偵小説」からイファンスに関係する部分を引用する。(なお「オランダの探偵小説」では筆名の表記は「イヴァンス」となっているが、後述するオランダの探偵作家の Havank は日本では「ハファンク」とカタカナ書きするのが普通なので、このページではそれに合わせて Ivans の表記も「イファンス」としておく) W・G・キエルドルフ「オランダの探偵小説」(『探偵倶楽部』1958年7月号、訳者名記載なし) 特に英文学の影響が圧倒的だったことは、筆名をイヴァンスという、探偵小説のジャンルにおけるオランダ最初の作家が、コナンドイルの典型(探偵とその伝記者)に拠ったばかりでなく、そのオランダ探偵文学最初の名探偵が、イギリス人になっていることでも判るだろう。驚くべきジョフリ・ギルは、シャーロック・ホームズそっくりなのである。 イヴァンスはI・ヴァン・シュヴィクハヴェン(IヴァンS)の変名で、ドイルよりやや遅れて一九一〇年にデビューし、一九三〇年までに、ジョフリ・ギルとその伝記者、オランダの法学博士ウィレム・ヘンドリクスは、オランダに十万の読者を獲得し、スカンジナヴィア諸国にも飜訳されて、読者を持った。イヴァンスはオランダ探偵小説の創始者であり、無鑑査級の作家である。 引用した記述によれば、イファンスの生み出した探偵はイギリス人のジェフリー・ギル(Geoffrey Gill)(オランダ語発音だと「ジェフリー・ギル」にはならないと思うが、イギリス人探偵だとのことなので日本では英語風に「ジェフリー・ギル」としておいて構わないだろう)。そしてそのワトソン役はオランダの法学博士ウィレム・ヘンドリクス(Willem Hendriks)。ジェフリー・ギルは「シャーロック・ホームズそっくり」だと書かれているが、何を指してそっくりといっているのかは明確ではない。ジェフリー・ギルの探偵譚はオランダで多くの読者を獲得し、スカンジナヴィア諸国の言語にも翻訳されたと書かれている。 私が目にすることの出来たイファンスおよびジェフリー・ギルについての日本語文献はこれだけである。ジェフリー・ギルの探偵譚の舞台がオランダだったのかイギリスだったのかということすら残念ながら分からない。ということで、うのみにしてしまうのも危険だが、オランダ語版とドイツ語版のイファンスのWikipedia記事やそこで示されているリンク先を見てみることにする(さらにそれを英語への機械翻訳で読んでいるので、二重の意味で不確かだということをご了解ください)。それによると、イファンスは1917年から1930年代のなかばにかけて40編ほどの探偵小説を書いたらしく、ジェフリー・ギルとは別のシリーズでオランダ人の素人探偵 Gerard van Panhuis や女性探偵の May O Neill を登場させたりもしていたようである。ジェフリー・ギル・シリーズの舞台は主に外国だったようだ。 W・G・キエルドルフは乱歩と手紙のやり取りをする前年の1956年にオランダの探偵作家クラブを創設しているが、その名称はジェフリー・ギル・クラブ(Geoffrey Gill Club)という。会員は約50名で、乱歩のもとにはこのクラブの機関誌『MYSTERIE-Detective』も送られてきている。このクラブがどれぐらい存続したのかは分からないが、とりあえず、現在のオランダの推理作家団体であるオランダ推理作家協会(Genootschap van Nederlandstalige Misdaadauteurs[略称 GNM]、1986年創設)とは無関係だろうと思う。 ちなみに、オランダでイファンスの後継者とみなされていたのが探偵作家のハファンク(Havank、1904-1964)である。この筆名はイファンスにならって、本名の一部を拾ってつけたものだ(Hendrikus Frederikus van der Kallen → H + van + K → Havank)。イファンスもハファンクも日本のミステリ読者の間では知名度は皆無に等しいと思うが、実はハファンクの方は、日本のある界隈ではよく知られた存在のようである。それは実際に「ハファンク」というカタカナ5文字を検索窓に打ち込んで検索してみるとよく分かる。 ハファンクの作品はオランダのブルーナ社という出版社が出していたのだが、実はこのブルーナ社、ミッフィーで有名なディック・ブルーナの父が経営していた出版社だった。そしてディック・ブルーナはブルーナ社が出版する推理小説のペーパーバックの表紙デザインを手掛けており、ハファンクのミステリの表紙にも愛らしいキャラクターを描いている。ということで、日本のディック・ブルーナファンの間では、オランダの探偵作家ハファンクと、ハファンクが生み出したシャドー(Schaduw、「影」という意味)というキャラクターは結構知られているようである。 オランダのオンライン書店 bol.com で検索してみると、ハファンクの作品は今でも多く流通しているようだが、イファンスの作品は1件もヒットしない。ディック・ブルーナのイラストとともに今でも愛されているハファンクに対して、その先輩格の作家であるイファンスの方は現在のオランダではほぼ忘れ去られてしまっているようである。 当サイト内の関連記事オランダ推理小説略史/日蘭ミステリ交流史 (2012年5月12日) ヨーロッパ諸国編(2)イタリア探偵小説の父が生んだ警察職員アーサー・ジェリング 邦訳予定はあったが実現せず 今まで述べてきたのよりやや時代が下るが、1940年代初頭のイタリアではジョルジョ・シェルバネンコが「ホームズ型」の探偵物であるアーサー・ジェリング・シリーズを発表している。 ジョルジョ・シェルバネンコ(Giorgio Scerbanenco、1911-1969)はイタリア探偵小説の父とされる人物で、その名は現在、「シェルバネンコ賞」(Premio Scerbanenco)としてイタリアのミステリ賞の名前にもなっている。邦訳のある作家では、カルロ・ルカレッリやマルチェロ・フォイスがこのシェルバネンコ賞を受賞している(日本では「シェルバネンコ・ミステリ大賞」と書く場合もある)。 ジョルジョ・シェルバネンコの代表作はイタリア人の元医師ドゥーカ・ランベルティを探偵役とするハードボイルドシリーズで、日本ではその第2長編『裏切者』(1966年)が早川書房の『世界ミステリ全集』第12巻(1972年)に収録されている。これがシェルバネンコ作品の唯一の邦訳である。ルドヴィコ・デンティーチェ『夜の刑事』(早川書房、1970年 / 2012年現在、ポケミス唯一のイタリア作品 *注)の訳者あとがきを見ると、どうやらポケミスでシェルバネンコ作品を翻訳紹介していく計画があったらしく、『世界ミステリ全集』第12巻の巻末に収録された座談会では、ドゥーカ・ランベルティ・シリーズの第1長編『ひとりだけのヴィーナス』(1966年)の翻訳権はすでにとっていると早川書房編集部が発言している。だが、結局『裏切者』以外の邦訳はでなかった。まあなんというか、『裏切者』があまり佳作とも言えない作品なので、そうなってしまったのも仕方がないような気もするが……(とはいえ、『裏切者』は1968年にフランス推理小説大賞を受賞した作品なので、人によっては楽しく読めるかもしれない)。なお、シェルバネンコの作品で英訳されているのも長い間『裏切者』だけだったが、2012年9月に『ひとりだけのヴィーナス』が初めて英訳されている。今後、英語圏ではシェルバネンコの再評価が進むかもしれない。 注:【追記】2013年1月10日にポケミスでドナート・カッリージ『六人目の少女』が刊行され、ルドヴィコ・デンティーチェ『夜の刑事』は「ポケミス唯一のイタリア作品」ではなくなった。その後2014年6月6日にはドナート・カッリージの『ローマで消えた女たち』もポケミスで刊行されている。 さて、シェルバネンコが生み出した代表的なキャラクターといえばドゥーカ・ランベルティなのだが、これは外国のミステリからの借り物ではない本当のイタリア型の探偵役というものを書いてみたいという思いのもとで、シェルバネンコが晩年に誕生させたキャラクターである(晩年といっても、シェルバネンコは58歳で亡くなっているので年齢的には50代だが)。ではそれ以前はどんな作品を書いていたのかというと、その全貌は分からないが、1940年発表のデビュー作ではホームズ型の探偵役を登場させていたそうである。 ローベール・ドゥルーズ『世界ミステリー百科』(JICC出版局、1992年10月)によると、シェルバネンコは1940年、長編探偵小説『解約のために予告された六日間』(Sei giorni di preavviso)(訳題も同書より)でデビューした。この作品では、ボストン警察で犯罪記録の保管係をしている地味な職員のアーサー・ジェリング(Arthur Jelling)と、そのワトソン役・語り手である精神病理学者のトンマーゾ・ベッラ(Tommaso Berra)を登場させているそうで、このアーサー・ジェリングというのが「ホームズ型」の探偵役であるらしい。ただ、「ホームズ型」というのが具体的に何を指しているのかは分からない。現在イタリアで流通しているアーサー・ジェリング・シリーズの書籍のあらすじを英語に機械翻訳して読んでみると(……また不確かな情報ですみません)、アーサー・ジェリングは穏やかな生活を送っている40歳のボストン警察職員。妻帯者であり、息子が一人いる。内気で臆病だが事件の調査については粘り強い。学生時代は薬学を学んでいた。ということで、そのキャラクター造型に関しては、ホームズとの共通点はあまりなさそうである。 アーサー・ジェリング・シリーズは1940年から1942年にかけて5編の長編が発表された。どれも未訳なのだが、乱歩の『幻影城』の「探偵小説叢書目録」を見ると、1946年11月に創刊された《世界傑作探偵小説集》(未来社)でシリーズ第2作の『盲目の人形』(La bambola cieca)の翻訳出版が予告されていたことが分かる(『幻影城』では著者名は「スケルバネンコ」という表記)。残念ながらこの叢書は2冊*注出たきりで中絶してしまい、シェルバネンコの作品は刊行されなかった。また、1947年1月に《現代欧米探偵小説傑作選集》(オリエント書房)という全30巻予定のミステリ叢書が創刊されており、こちらではシリーズ第1作『六日目の脅迫』(Sei giorni di preavviso)とシリーズ第4作『ルシアナ失踪』(L'antro dei filosofi)が予告ラインナップに入っていた(第4作はイタリア語原題から直訳すると『哲学者の洞窟』)。この叢書もカルロ・アンダーセン(デンマーク)の『遺書の誓ひ』(吉良運平訳)の1冊だけで中絶してしまっている。シェルバネンコはポケミスでの出版が立ち消えになっただけでなく、その20年前にもこうして出版計画が続けざまにぽしゃっていたのである。なんとも不遇な作家というしかない。【この段落、2012年12月8日に加筆修正。「現代欧米探偵小説傑作選集(オリエント書房、1947年)」の詳細は別ページに移しました】 注:《世界傑作探偵小説集》は1946年11月のエツィオ・デリコ(イタリア)『悪魔を見た処女』(江杉寛訳)、シュニツレル(アルトゥル・シュニッツラー、オーストリア)『愛慾の輪舞』(末吉寛訳)の2冊しか刊行されなかった。江戸川乱歩は『幻影城』の「探偵小説叢書目録」や『探偵小説四十年』で『愛慾の輪舞』を未刊行としている。『愛慾の輪舞』は不倫を扱った戯曲で、1950年代には『輪舞』というタイトルで岩波文庫、新潮文庫、角川文庫などに収録されている。 ところで、アーサー・ジェリング・シリーズは舞台がアメリカに設定されているが、なぜシェルバネンコは作品の舞台にアメリカを選んだのだろうか。その答えも『世界ミステリー百科』から伺うことができる。それによると、ファシスト政権下にあった当時のイタリアでは、ミステリ小説を書くにあたっては「殺人者はイタリア人ではなく外国人でなくてはならない」「イタリア人の登場人物に自殺は許されない」「殺人者が裁きから逃れることは許されない」など、さまざまな枷(かせ)があったそうである。このうち「殺人者はイタリア人ではなく外国人でなくてはならない」という条件をクリアするために、おそらくは舞台をアメリカにしたのだろう。イタリアを舞台にして、毎回犯人を外国人に設定するというのは非常に不自然だし、まともなフーダニットにならない。 アーサー・ジェリング・シリーズは最近になって幻の第6長編『天文台のスキャンダル』(Lo scandalo dell osservatorio astronomico)が発見され、2011年に出版されている。これがイタリア国内では、アルセーヌ・ルパン・シリーズの幻の最終作『ルパン、最後の恋』が出版されたのと同じぐらいの熱狂を生んだ――のかは寡聞にして知らない。 アーサー・ジェリング・シリーズはイタリアでは2008年から2011年にかけて復刊されている。イタリアamazonの該当ページを最後に貼っておく。 イタリアamazon1. Sei giorni di preavviso (予告邦題『六日目の脅迫』) 2. La bambola cieca (予告邦題『盲目の人形』) 3. Nessuno è colpevole 4. L'antro dei filosofi (予告邦題『ルシアナ失踪』) 5. Il cane che parla 6. Lo scandalo dell'osservatorio astronomico (未発表だった第6長編) 当サイト内の関連記事イタリア推理小説略史 (2012年7月1日) シャーロック・ホームズの異郷のライヴァルたち シャーロック・ホームズの異郷のライヴァルたち(1) ドイツ語圏編 シャーロック・ホームズの異郷のライヴァルたち(2) 北欧編 シャーロック・ホームズの異郷のライヴァルたち(3) ヨーロッパ諸国編 ※当ページ シャーロック・ホームズの異郷のライヴァルたち(4) 東南・南アジア編 シャーロック・ホームズの異郷のライヴァルたち(5) 東アジア編 シャーロック・ホームズの異郷のライヴァルたち(6) ラテンアメリカ編 シャーロック・ホームズの異郷のライヴァルたち(7) ソ連編 シャーロック・ホームズの異郷のライヴァルたち(番外編) 明智小五郎
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MazM ジキル&ハイド 【えむえーぜっとえむ じきるあんどはいど】 ジャンル ADV 対応機種 Windows(Steam)Nintendo Switch 発売元 シーエフケー 開発元 Growing Seeds 発売日 2020年4月2日 定価 1,650 円 プレイ人数 1人 レーティング CERO B (12歳以上対象) 判定 なし ポイント まともに遊べる「ジキルとハイド」他に類を見ない原作準拠へのこだわりゲーム性に残念なところあり 概要 システム 登場人物 評価点 賛否両論点 問題点 総評 余談 概要 古典的名作をアドベンチャーゲーム形式で体験する『MazM』シリーズの一作。 1886年に出版された怪奇小説『ジキル博士とハイド氏の奇妙な事件』(後発の映画などを含め『ジキル博士とハイド氏』の邦題が有名)を原作としており、弁護士アターソンと怪人ハイドの2つの視点で、ジキル博士の奇妙な晩年を追っていく物語となる。 ジキルとハイドのゲーム化といえば迷作『ジーキル博士の彷魔が刻』があるが、当然ながら全くの別物であり、原典に沿った内容となっている。 システム 基本的な進行 ゲームは「マップの探索」→「ストーリーの発見」の繰り返しで進む。 プレイヤーはアターソン、またはハイドを操作してクォータービューのマップ内を探索し、気になるところを調査する。 特定の箇所を調べるとストーリーが見つかるので、それを開始・進行することによってゲーム全体のシナリオフローを進めていく。 タイムライン ニューゲームからエンディングまでは一本道で、いつでもタイムライン画面で好きな時点の話から再開することができる。 一本道ではあるものの合間合間に追加シナリオがあり、そこでは主にアターソンの視点だけではわからないハイド側の行動が描かれている。 原作はアターソン視点での語りとジキル博士の手記による種明かしの二部構成となっており、ジキル博士側のパートですべての真実が一気に明かされる流れだが、それを分解してアターソンパートとまとめて時系列順に並べたような構造となっている。 ロンドン手帖 マップ内にはストーリー本筋に関係するものしないもの含め、調べた際に「ロンドン手帖」へと情報が蓄積される箇所がある。 これは攻略とは無関係な収集要素であり、19世紀後半当時の情勢や風俗を示す豆知識集となっている。 登場人物 アターソン 弁護士業を営む50代の紳士。 自制心が強く、ワインは祝いの席でしか飲まず、大好きな演劇も20年我慢しており周囲からは堅物と思われている。 ジキルから遺言状を預かっているが、その内容は「ハイド」なる人物に財産のほとんどを託す旨のものであったため訝しんでいる。 ジキル アターソンの古い友人であり、医学博士、民法学博士、法学博士でもある知識人。多大な名声を持つが、かつては快楽的に放蕩する遊び人気質な面もあった。 ハイド ロンドンに突如現れた怪人。商店街の先の路地で子供に怪我を負わせた際、示談金としてジキルのサインが入った小切手を出したことをきっかけに、アターソンと関わることになる。 その後も悪事を重ね、その度に人の目に触れながらも、容貌に関する証言は「不快」「不気味」といった主観的な印象ばかりという不思議な人相をしている。 エンフィールド アターソンの遠縁にあたる男性。日曜日にアターソンと路地を散歩することを趣味としており、その際にハイドとの出会いを話題にする。 ラニョン アターソンとジキルの共通の友人である高名な医者。現在ジキルとは科学に対する見解の違いから交流を絶っている。 カルー卿 下院議員である人当たりの良い老紳士。 映画では娘がジキルの婚約者(*1)であったり、ジキルが作中で行う研究のきっかけを作ったりと重要なキーマンとなっているが、本作では原作通り「ハイドに道を尋ねた直後撲殺される」だけの役である。 評価点 実は貴重な「原作準拠」指向 『ジキル博士とハイド氏』はこれまでに何度も映画化、舞台化、 ゲーム化 されているが、これらはほぼ全てでキャラ設定がアレンジされており、対して本作は原作に忠実であることを目指した内容となっている。 特筆すべき点として実質的な主人公であるアターソンをプレイアブルキャラに据えている点があり(*2)、更に映画にいたような「ジキル博士の婚約者」や「ハイドが自宅に連れ込んだショーガール」といった人物はおらず、せいぜい、ジキルの交友に立ち絵のないネームドキャラが追加されているか、あとは名無しのモブが複数存在する程度である。 また、原作で一行程度触れているだけの細かい点もゲームに取り込まれている。 例えばハイドの自宅に飾られた絵やハイドのステッキが落ちていた位置、ラニョンがジキルとの関係を古代ギリシャ伝承の「デイモンとピシアス」で例えるエピソードなどはまさに原作の地の文を拾ってきたそのままを流用しており、元となる物語をそのままゲームに起こそうとしたこだわりが感じられる。 無論、セリフの量やその一言一句まで同じということはなくオリジナルのシーンもあるが、それでもここまでの原作準拠は珍しく、映画、ラジオ、テレビ、舞台など各種媒体と比較してもかなり珍しい作りといえる。 親しみやすい絵柄 本作のマップは太めの輪郭線で描かれており、視認性が高く、またあえて崩されたパースからどこか絵本的な(物語的な)雰囲気を有している。そのため「古典的名作」とはいえ肩肘張らずとっつきやすさを感じられる。 一方各登場人物の年齢層は高めだが、立ち絵の頭身が高く、老け顔らしさもある程度描けているため、いわゆる漫画チックな軽薄さは少ないといえるだろう。 特に主人公のアターソンは黒髪に白いメッシュの入ったオールバックで、細面ながら肩幅もあり、俗に言う「イケオジ」に類する容姿となっている。 ちりばめられた当時のロンドン文化 マップにはポスターや新聞売りがおり、その内容は1880年代当時の流行や世相を感じられるものとなっている。 例えば「オペラ座の怪人」のポスター(初演:1886年)が路地に貼られていたり、新聞売りが隣国でのエッフェル塔建設(1887年建設開始)の見出しを叫んでいたりといったもので、一部はシステムで述べた「ロンドン手帖」にも記されるようになる。 これらの多くは原作とは無関係なオリジナル要素であり、ロンドン手帖の収集要素のためだけに配置されたNPCも多いが、19世紀ヨーロッパという雰囲気作りの一端を担っているといえる。 また主人公・アターソンには「自制心が強いため、普段はワインを我慢してジンを飲んでいる」という設定がある。現代の価値観で見ると全く意味不明な分別だが、これも当時ジンが安価で庶民的な酒であった背景が影響している。 ローカライズの質が良い 海外製インディーズゲームとしては非常に翻訳の質がよく、一部漢字が中国で使用される文字とはなっているものの全編通して物語の理解を妨げることがない。 誤字もないわけではないが、かなり少ない方である。 賛否両論点 ハイドの見た目が劇中の評価と合っていない 劇中のハイドは悪事を目撃されても「不快」や「身の毛もよだつような」といったぼんやりとした印象で語られるのみで、全く身体的特徴に触れられることがない。しかし一方でその立ち絵はボリュームのあるくせっ毛に色白痩躯、裂けるような笑みに白目の多い瞳……とビジュアル的にかなりキャラが立っており、目撃者たちの評価が大変不可解なものに感じられる。 一応これもまた原作に拠っており、外見的特徴より「見る者に不安を与える」という属性が勝るという設定があるのだが、本来「肌の青黒い毛むくじゃらの小男」だったところを「くせっ毛だが小奇麗ですらっとした若い男性」に変えてしまったこともあり、説得力のない描写になっている。 しかしマーケティングやゲーム的キャラクターデザインを踏まえると仕方ない面もある。実際本作のハイドは一部のプレイヤーに人気があり、少量ながらファンアートやコスプレの対象となっている。 問題点 シナリオに「新解釈」されたところがない 本作はオンラインストアにおいて「新たな観点で再解釈し誕生したアドベンチャーゲーム」との宣伝文句が書かれているが、既に記載の通りシナリオの本筋は概ね原典に沿っており、せいぜい想像可能な範囲で書き加えられたシーンや会話が枝葉に存在する程度である。 つまり、新しい観点も再解釈された登場人物の挙動も無いわけで、この売り文句に関して言えば誇大広告に近い。 さらに言えば上記で触れたオリジナルの会話も特別気の利いたものではなく、むしろハイドがカルー卿を殺害するシーンでは、両者にそれぞれ台詞を足したせいでハイドの行動に若干の違和感が生じている(*3)。 登場人物の動作や感情を描ききれていないシーンがある これまでに記載したような「原作準拠のこだわりポイント」がある一方で、うまく表現できていない場面もある。特に人物の一連の行動や感情表現のうち一部だけ抜けていることが多く、結果的に何が起きているのかわかりにくいことが多い。 例えば終盤、ジキルがアターソンやエンフィールドとの会話を一方的に切り上げるシーンは、原作にある「ジキルが前触れなく絶望的な表情をして窓を閉じたので、二人が驚いて路地を引き返した」という描写のうち「窓を閉じる」部分だけが抜け落ちているため、ジキルが突然変顔を見せつけて会話を終わらせたような印象になってしまっている。 序盤にも「アターソンが数日間の張り込みの末、ハイドに顔を観察させるよう迫る」というシーンがあるが、ジキルとハイドの関係性に対する不安や曖昧な人相情報から「夢に見るほどハイドへの好奇心を募らせた」といったエピソードがオミットされているため、プレイヤーからはわけもなく顔を凝視してくる無礼な中年ストーカーに見えてしまう。 他にも、原作の描写を中途半端に拾い上げているせいで結局そのシーンで伝えられるべき印象や空気感が損なわれている場面が複数あり、結果的に小説の世界観をゲーム表現へ落とし込みきれなかった感は強い。 ミニゲームのちぐはぐさと設定的矛盾 テキスト主体のアドベンチャーゲームにはありがちではあるが、途中途中で無駄なミニゲームが挿入されている。 主なものに「①物を破壊する」「②動き回るモブにぶつからないよう目的地を目指す」「③手紙を読む」があり、いずれも問題がある。 ①はハイドパートの序盤に頻出するミニゲームで、時間内に表示されたボタン入力をすると物品を破壊できるというもの。 15秒以内に「同じ入力を4回×3セット(*4)」程度の超スローペース、かつ、画面上には破壊対象が静止画で描かれているだけ(破壊途中の画はなくミニゲームに成功して初めて壊れる)のため全く迫力がないし、わざとでなければ失敗しようもない。 ②もハイドパートのミニゲームで「カルー卿を殺害するためモブ通行人をかわして追いかける」などのシーンで使われるが…… このカルー卿殺害事件は「たまたま月明りに誘われて外を眺めていたメイドが唯一の目撃者になる」という筋立てであるため、殺害直前までうろついている通行人など存在するはずがなく、設定矛盾を起こしている。 ③はアターソンパートのミニゲーム。でたらめな曲線で書かれた文面の上をカーソルが高速移動していき、カッコで括られた特定箇所でタイミングよくボタンを押すと単語を読み取ることができ、3~4個の単語が集まると手紙全文を読めるというもの。 拾い読みにも程がある。アターソンは遺言状であろうと晩餐会の招待状であろうと、友人が今際の際にしたためた秘密の暴露であろうと、全てこの「幾つかの目立つ単語をピックアップしないと全文を認識できない」スタイルで読むため、強い違和感を生じさせている。 即ち、いずれもミニゲームとしては「面白くない」「場面に合ってない」「そもそもミニゲーム仕立てにする必然性がない」ものであり、物語の進行に水を差すだけの要素となっている(*5)。 画面演出が陳腐 本作では会話の際に演出として画面全体がシェイクされることがあるが、重要でない台詞でも演出が発生するためいまいち感情移入しにくい。 特に序盤のエンフィールドとの会話で多く、ハイドのハの字も出ないうちに「ここでひどいことがあったんですよ!(シェイク)」「女の子が踏みつけられていたのです!(シェイク)」と何度も画面を震わせるため、上滑りを超えて天丼ギャグのような印象を受け得る。 シェイク演出の他に画面全体の色相を変えるパターンもあり、こちらも狙いを外していることがままある。一応終盤に向かい真実が明らかになるに連れて有効な演出となっていることもあるが…… 誤操作しやすいメニュー周り メニュー画面、特に「ロンドン手帖」上での操作が誤爆しやすい。 ロンドン手帖は最大で「大カテゴリ(*6)」>「ページタブ」>「項目見出し」>「詳細」の4階層で構成され、それらが横に並列して表示されている。しかし、明暗やカーソル表示などのメリハリが弱く、いまどの階層が操作対象となっているのかがわかりにくい。 加えて、大カテゴリが操作対象となっている際もそれ以降の階層でカーソルが表示されっぱなしなため、特にロンドン手帖を開いた直後は見出しを選んだつもりが大カテゴリが切り替わってしまうということがしばしば発生する。 また、ロンドン手帖を開く前段階のメニュー画面には、他に「場所移動」「実績確認」「ゲーム設定」などの機能があるが、いずれもそれら画面に遷移後キャンセルするとメニュー画面に戻るのではなく「メニュー画面ごと閉じられる」挙動となっている。 利便性が悪いと言うほどでもないが、段階的な画面遷移を経てからの「戻る」操作という認識に合わず、いまいち直感的ではない。 総評 「ジキルとハイド」という慣用句こそ一般的でありながら、いざ原作を知っているかと言われると現代ではほとんど読まれていないものである。 それをADVゲーム仕立てで、とっつきやすく体験できる形としたことについて評価できる一作。 うまく原作の雰囲気を出し切れていない惜しい点はややあるが、大筋ではきちんと沿っているため古典作品の理解の入門には向いているといえる。 余談 オンラインストア上では「美しいBGM」というのも売り文句になっているが、本作のBGMは全てフリー素材である。 場面には合っているし美しいのも確かなのだが、普通そういう場合セールスポイントにしないのでは……と思えなくもない。
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【名前】 アグモン博士 【読み方】 あぐもんはかせ 【世代】 成長期 【種族】 恐竜型 【タイプ】 ワクチン 【必殺技】 ハカセボウハカセボー 【所属】 ドラゴンズロアー 【詳細】 「デジタルワールド大学デジタルモンスター学博士号」の肩書きを持つ成長期の恐竜型デジモン。 博士号の証となるバッチを胸部に付け、上述の肩書きは自身によるものだが、デジモンの種類や生態には確かに詳しい。 「~ギャ」を口癖とし、その訛りは「遠方の出身ではないか」と考えられている。 必殺技 ハカセボウ 自身を賢く魅せたいため、頭部に被っている帽子。 ハカセボー 相手を説得したいため、片手に携えている棒。
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人物 / 安重根 ● 伊藤博文〔Wikipedia〕 アジア最初の立憲体制の生みの親であり、その立憲体制の上で政治家として活躍した最初の議会政治家として、高い評価を得ている。1909年、ハルビンで朝鮮民族主義活動家の安重根に暗殺された。 ● 【残念】”安重根”ではなかった!!伊藤博文暗殺の犯人はロシア特務機関!〔NAVERまとめ〕 ★■ 【ニッポンの新常識】英雄視する前に韓国人が知っておくべき安重根の真実 K・ギルバート氏 「zakzak(2015.2.18)」より / 韓国では、安重根(アン・ジュングン)が英雄視されている。彼は1909年に、日本の初代内閣総理大臣で、初代韓国統監である伊藤博文を暗殺した人物である。 韓国では「反日」が国是なので、日本の重要人物を暗殺した安重根は英雄とされる。一方、保守的な日本人はおそらく、「反日思想のテロリスト」として捉えている。 日本でも、幕末に数多くの暗殺を行った新選組を英雄視する人は多い。倫理面から、暗殺犯はすべてテロリストだと断じることも可能だ。だから、「安重根は英雄か、テロリストか?」という日韓対決に結論が出る見込みは永遠にない。 しかし、少し調べてみると、安重根は反日思想の持ち主ではないことが分かる。彼は平和を望んだクリスチャンであり、日本という国や明治天皇に敬意と感謝の念を持っていた。日韓問わず安重根を「反日の象徴」として捉えている人は、史実を調べていない。 +続き 例えば、安重根は暗殺事件の裁判で、日本が、大韓帝国(=李氏朝鮮が1897年から1910年まで使っていた国号)の皇太子、李垠(イ・ウン)の教育に尽力したことに触れ、国民が感謝していると述べている。日清・日露戦争を通じて、日本が朝鮮半島を含む東洋の平和を守ったことも評価している。明治天皇が韓国の独立をはかり、平和の維持に努めたことも理解している。 問題は、安重根が、伊藤のことを「明治天皇の意向に反した政策を朝鮮半島で行う逆臣」と思い込んだ点にある。現実には、伊藤こそが李垠を日本に招いて教育した張本人である。しかも日韓併合反対派の中心人物だった。 3発の銃弾を受けた後も、伊藤にはしばらく意識があり、犯人が朝鮮人であることを聞くと「バカな奴だ」とつぶやいた。日韓併合に反対ならば、伊藤暗殺は犯しうる最大の過ちだった。 日韓併合で朝鮮半島は日本の一部となり、朝鮮人は日本国籍となった。大日本帝国は国家の威信にかけて、朝鮮半島の衛生改善やインフラ整備、産業育成、教育レベル引き上げに取り組んだ。朝鮮民族の独自性も尊重し、ハングルを普及させた。 反日でも構わないが、歴史的事実は知るべきだ。結局、安重根による伊藤暗殺が日韓併合を招き、韓国近代化を加速させた。結果から見れば、皮肉にも彼は間違いなく韓国を救った英雄である。 安重根は何者かに嘘の情報を吹き込まれ、それをかたくなに信じたせいで、祖国の大恩人を暗殺する過ちを犯した。そして、韓国は今、安重根が犯したのとまったく同じ過ちを、国単位で行っている。 悪質な嘘を吹き込んだ「無責任な新聞」は、某船長のごとく見苦しく逃げ出した。韓国人は最新情報を調査し、各自が冷静に判断して行動しなければ、この先に待ち構えるのは悲劇のみである。 ■ケント・ギルバート 米カリフォルニア州弁護士、タレント。1952年、米アイダホ州生まれ。71年に初来日。80年、法学博士号・経営学修士号を取得し、国際法律事務所に就職。83年、テレビ番組「世界まるごとHOWマッチ」にレギュラー出演し、一躍人気タレントとなる。現在は講演活動や企業経営を行っている。最新刊は『不死鳥の国・ニッポン』(日新報道)。 ◆ 英雄視する前に韓国人が知っておくべき安重根の真実 K・ギルバート氏 「ネトウヨにゅーす(2015.2.18)」より / 2 名無しさん@おーぷん 2015/02/18(水)13 56 31 ID Ake ギルさんどんどん辛口になって行くなw 3 名無しさん@おーぷん 2015/02/18(水)14 22 48 ID HOm THE・真実 4 名無しさん@おーぷん 2015/02/18(水)14 29 29 ID bMk 英語でもお願いします。 19 名無しさん@おーぷん 2015/02/18(水)16 59 39 ID qiq K・ギルさん 朝日慰安婦問題 以降キレキレだな。 4 ホント英語で発信してほしい。 24 名無しさん@おーぷん 2015/02/18(水)17 20 05 ID Hsq 19 本人のブログで英語で書いてるね 大日本帝国の擁護を展開することは、 WW2における戦勝国すなわちアメリカの「正義」を否定することに繋がりかねないから いかに親日でもなかなか言いにくいもんだと思うけど それだけにありがたい話だね 5 名無しさん@おーぷん 2015/02/18(水)14 31 25 ID tlB ケントさんのおっしゃる通り。 ■ 伊藤博文と日韓併合 「池田信夫 blog(2013.11.19)」より / ニューズウィークの記事のおまけ。伊藤博文と朝鮮の関係については、テロリストの記念碑を建てようとする愚かな大統領は論外として、日本でも「伊藤は日韓併合に反対した」とか「暗殺事件が併合の引き金になった」とかいう話があるが、それも間違いである。 そもそも憲法を制定して初代の首相をつとめた伊藤のような「大物」が、問題ばかり多くてメリットのない韓国統監などという仕事を引き受けたのが奇妙である。1906年当時は、まだ国内でも立憲政友会を立ち上げたばかりで、山県有朋との権力闘争もあり、朝鮮などに行く状況ではなかったはずだ。 著者は、伊藤のねらいは「憲法改革」にあったという。藩閥政治の妥協によってできた明治憲法は、天皇と内閣の二元支配で分裂した統治機構を抱えていた。特に「天皇の軍隊」と自負する軍の自律性が強まり、それを基盤とする山県は二元支配を守ろうとした。これに対して伊藤は帝室制度調査局を創設し、憲法改正をはかる。 伊藤が改革のモデルケースとしたのが朝鮮だった。彼は文官でありながら軍を統括する統監に就任し、西洋でも中国でも当たり前の文民統制を初めて実行したのだ。これは現地軍の反発をまねき、日韓併合論が盛り上がったため、伊藤はハーグ密使事件をきっかけに大韓帝国の皇帝、高宗を退位させ、韓国の軍隊も解散して、1907年の第3次日韓協約で実質的に韓国を併合した。1910年の条約はそれを追認しただけだ。 これが抗日闘争の激化をまねいて暗殺事件に至るのだが、伊藤の真意は朝鮮半島の経営ではなく、朝鮮を足場にして満州侵略をねらう日本軍の阻止だった、というのが著者の見立てである。このため伊藤はロシアと和平を結び、国境を画定した。これによって軍は朝鮮半島に釘付けにされ、満州に出て行くまでにあと20年かかった。 (※mono.--以下略、詳細はブログ記事で) .