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摘要 昭和45年1月低気圧は、1970年(昭和45年)1月30日から2月2日にかけて、「爆弾低気圧」となって日本列島を襲った温帯低気圧である。 災害の特徴・キーワード 爆弾低気圧 温帯低気圧 暴風 豪雪 高波 人的被害及び家屋被害等の内訳 犠牲者:14名 行方不明者:11名 家屋損壊:5,000棟以上 船舶被害:300隻 特記事項 現在に至るまで、気象庁によって唯一命名された温帯低気圧である。 いわゆる爆弾低気圧と呼ばれるもので、1月29日ごろ台湾付近で発生し、暖気の流入もあって瞬く間に勢力を強めながら北上、日本に上陸し、縦断した。 台風が根室海峡付近に達した2月1日9時における低気圧最低気圧は960hPaに至り、北海道・東北各地において最低気圧を記録し、現在でも地点の記録を維持しているところも多い。 この低気圧は、岩手県宮古市で最大瞬間風速36.7m/s、栃木県日光市で日降水量126mm、北海道札幌市で日降雪量63cmとなるなど、各地で大雨、大雪、暴風(一部では竜巻も)、高波、しけをもたらし、海陸問わず中日本以東で大きな被害を出した。 関連記事 なし。 出典 デジタル台風 - 1970年1月29日(金)の天気図リスト 同上 1月30日 / 1月31日 / 2月1日 / 2月2日 Wikipedia - 昭和45年1月低気圧 関連ツイート
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疾走高気圧サンクチュアリ 収録作品:魔神少女 -Chronicle 2D ACT-[3DS/PSV/Win] 作曲者:来兎 概要 ボスキャラ“クリンスィー”のステージである「天園図書館」で流れるBGM。 FM音源のような重量感のあるベースをバックに、キャッチーでノリの良いシンセ音が響き渡る。 ステージ前の薄暗い通路を抜けたプレイヤーを歓迎するようなアクセントのあるイントロや、オケヒを使ったサビが特に印象的。 「高気圧」というタイトルの通り、晴れ渡った青い空が続いていくステージの背景にもよく合った爽やかな曲。 このBGMはPVでも使われており、さらに本体が発売される前の体験版ではこのステージをプレイすることが出来た。 またステージ選択においても、このステージにカーソルが最初から合っているため、一番最初にプレイされやすい。 そのためよく聞かれることが多いため知名度及び人気は高い。魔神少女の代表曲の一つとして扱われている。 2018年と2019年に行われた『魔神少女シリーズ人気投票 BGM部門』ではどちらの年でも1位を獲得した。 続編の『魔神少女 エピソード2 -願いへの代価-』ではアレンジ版が収録され、ミニゲームのルディミカルで使用された。 過去ランキング順位 第9回みんなで決めるゲーム音楽ベスト100 674位 第10回みんなで決めるゲーム音楽ベスト100 510位 第11回みんなで決めるゲーム音楽ベスト100 574位 第13回みんなで決めるゲーム音楽ベスト100 614位 みんなで決める2014年の新曲ランキング 47位 サウンドトラック 魔神少女 オリジナルサウンドトラック 設定資料 動画 PV
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熱帯低気圧少女 キャラクター コメント 2007年10月25日にNine s foxより発売されたプレイステーション2用ゲームソフト。CEROレーティングB区分(12歳以上対象)。2008年5月30日には、H℃よりアダルトゲーム版PCソフトも発売された。H℃ブランドの作品としては『夢見師』(プリンセスソフト原作)に続く第2作となる。 キャラクター ソーナンス 大波高志 体力があること意外特に何も自慢できないってことでHPの種族値だけやけに高いコイツを採用してみた スターミー 嵐山ともえ 特性はっこう必須。高速スピンも必須。天候変化系の技を入れるとなお良し。性別不明だけど気にしない パッチール 霧谷まひる まあイメージですよイメージ。あばれる、さわぐ、てだすけ必須。 マニューラ 晴瑠夜天音 性格いじっぱり&ちょうはつ必須。高個体値推奨。 サマヨール 神風雲唯 色と見た目で。XD産のてだすけを使えるのが良い。運動が苦手なので素早さ、攻撃に振らないのが望ましい ポワルン 春日陽子 気象予報士なんだしポワルン択一だろう コメント 名前 コメント すべてのコメントを見る
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低気圧 徳田秋声 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)去年《きよねん》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)三|人《にん》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (数字は、JIS X 0213の面区点番号またはUnicode、底本のページと行数) (例)※[#「怨」の「心」に代えて「皿」、第3水準1-88-72] /\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号) (例)いろ/\ 濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」 去年《きよねん》の夏《なつ》の末《すゑ》、お美代《みよ》お広《ひろ》の妹姉《けうだい》の家《いへ》で親《した》しくなつた宗匠《そうせう》の高柳《たかやなぎ》から、「明日《あす》の夕刻《ゆふこく》三|人《にん》で行《い》く、宜《よろ》しく」と云《い》ふ電報《でんぽう》を受取《うけと》つたとき、村山《むらやま》はちよつと腹《はら》が立《た》つた。高柳《たかやなぎ》と高柳《たかやなぎ》の持《も》ちもののお広《ひろ》とが二人《ふたり》で来《く》るとか、それにお美代《みよ》がついて来《く》るとか、お美代《みよ》一人《ひとり》ははづれるとか、そんな事《こと》で可《か》なりごたついてゐたことは、しばらく村山《むらやま》のところへ来《き》て遊《あそ》んでゐた甥《おひ》の芳太郎《よしたろう》が帰《かへ》つてから村山《むらやま》が受取《うけと》つた芳太郎《よしたろう》の手紙《てがみ》でも様子《やうす》が能《よ》くわかるのであつた。芳太郎《よしたろう》が其妹婿《そのいもうとむこ》と一|緒《しよ》に来《き》たときですら、女達《をんなたち》が来《く》る来《こ》ないで、手紙《てがみ》が芳太郎《よしたろう》と村山《むらやま》のあひだに、数回往復《すうくわいおうふく》されたほどであつた。孰《いづれ》にしても、村山《むらやま》の方《ほう》では、三|人《にん》となると泊《と》めるのに困難《こんなん》であつた。女二人《をんなふたり》なら気楽《きらく》に東京見物《とうけうけんぶつ》をさせうるだけの自信《じしん》が、村山《むらやま》にあつた。彼《かれ》はそのやうに妻《つま》の諒解《れうかい》を得《え》ておいたのである。そして結局《けつきよく》は高柳宗匠《たかやなぎそうせう》とお広《ひろ》とが団体《だんたい》で東京附近《とうけうふきん》の見物《けんぶつ》に来《く》るので、お美代《みよ》は又《ま》た秋《あき》にすると言《い》つて芳太郎《よしたろう》から手紙《てがみ》が来《き》たけれど、内気《うちき》なお美代《みよ》が遠慮《えんりよ》してゐることが、村山《むらやま》には解《わか》りきつてゐた。彼《かれ》は折角《せつかく》思《おも》ひ立《た》つたお美代《みよ》を東京《とうけう》に迎《むか》へることのできないのが、物足《ものた》りなかつた。そこで彼《かれ》はまた折返《をりか》へし手紙《てがみ》を書《か》いて、お広《ひろ》が宗匠《そうせう》と方々《ほう/″\》あるいてゐるあひだ、家《うち》に泊《とま》つてゐて、団体《だんたい》の時日《じじつ》の都合《つごう》で、宗匠《そうせう》が帰《かへ》つてから、お広《ひろ》と二人《ふたり》で遊《あそ》んだら可《い》いだらうと、決定的《けつていてき》に言《い》つてやつたのであつた。 「……どつちにしても三|人《にん》は都合《つごう》がわるいから。」村山《むらやま》はその手紙《てがみ》でも念《ねん》を押《お》しておいた。 ところが宗匠自身《そうせうじしん》が「よろしく」と打電《だでん》して来《き》たので、村山《むらやま》は自分《じぶん》の思《おも》ひどほりにならないことを牾《もど》かしく感《かん》じた。 「宗匠《そうせう》も来《く》るさうだよ。どうか都合《つごう》つくだらうか。」村山《むらやま》は茶《ちや》の室《ま》にゐる妻《つま》のお加奈《かな》に一|応《おう》当《あた》つて見《み》た。 不仕合《ふしあは》せなことには、お加奈《かな》の機嫌《きげん》が昨日《きのふ》から遽《には》かに悪《わる》くなつてゐた。村山《むらやま》が昨年《さくねん》遣《や》りちらした貧弱《ひんじやく》な庭《には》を、いくらか気分《きぶん》の落着《おちつ》く程度《ていど》に弄《いぢ》り直《なほ》さうと思《おも》つて、少《すご》し高《たか》い木《き》などを約束《やくそく》して来《き》たことが、原因《げんいん》であつた。さうでなくとも彼《かれ》は自身《じしん》で可《か》なり気《き》がひけてゐたところへ、お加奈《かな》の文句《もんく》が出《で》たので、傷《きず》に触《さ》はられたやうに感《かん》じてつひ怒り出してしまつた。彼はそんな事を好《よ》い気《き》になつて遣《や》つてゐるのではなかつた。しかし弄《いぢ》りだした庭《には》は、弄《いぢ》れば弄《いぢ》るほど拙《まづ》くなるばかりであつた。彼《かれ》は毎日《まいにち》見《み》てゐるのが気持《きもち》がわるかつた。一|切《さい》を払拭《ふつしき》してしまひたかつた。お加奈《かな》もやるなら、一|層《そう》思《おも》ひきつてやつた方《ほう》が好《よ》いやうな気《き》もしてゐたが、村山《むらやま》が何《なに》も彼《か》も放擲《ほうてき》して夢中《むちう》になるのが、傍《はた》から見《み》ると狂気《けうき》じみてみえた。 「家《うち》がこんなに汚《きたな》いのに、極《きま》りがわるいぢやありませんか。それも何《なに》か身《み》につくものなら格別《かくべつ》ですけれど。」 「そんなものは何《なん》にも欲《ほ》しいとは思《おも》はない。」 さうは言《い》つても、村山《むらやま》も愁《なまじ》つか手《て》をつけたところで、思《おも》ひどほりに行《い》くか何《ど》うかは解《わか》らなかつたし、色々《いろ/\》の点《てん》で不満《ふまん》のある居所《きよしよ》なので、何《ど》んなことで此処《ここ》にゐるのが厭《いや》になるかも知《し》れないと思《おも》つた。小《ちひ》さな趣味《しゆみ》に囚《とら》へられて、彼此《かれこれ》と小細工《こざいく》を施《ほどこ》すよりも、一|層《そう》周囲《しうゐ》の広々《ひろ/″\》した郊外《こうぐわい》へでも行《い》つて、思《おも》ふさま野生《やせい》の木《き》を植《う》ゑて、せい/\した森《もり》のなかに住《すま》つてゐたいやうにも感《かん》じた。けれどさうするには又《ま》た余分《よぶん》な労力《ろうりよく》と時間《じかん》とを費《つひ》やさなければならなかつた。因襲《いんしう》を打破《だは》すると云《い》ふことだけでも、彼《かれ》の生活《せいくわつ》に取《と》つては、容易《ようい》なことではなかつた。行《い》つた先《さ》きに安定《あんてい》しうるか何《ど》うかも疑《うたが》はしかつた。寧《むし》ろ因襲《いんしう》に余儀《よぎ》なくされてゐる方《ほう》が、却《かへ》つて自由《じゆう》のやうな気《き》もするのであつた。些細《ささい》な木《き》とか石《いし》とかいふものも、いくらか彼《かれ》を宿命《しゆくめい》づけてくれる因縁《いんねん》とならないとも限《かぎ》らないのであつた。 彼《かれ》は乱《みだ》された頭脳《づのう》を静《しづ》めようと思《おも》つて、やがてふらりと家《いへ》を出《で》てしまつた。 彼《かれ》は町《まち》をふら/\歩《ある》いてゐた。何処《どこ》へ行《い》くと云《い》ふ当《あ》てもなかつたけれど、目的《もくてき》なしに歩《ある》く癖《くせ》を彼《かれ》は元《もと》から持《も》つてゐた。少《すこ》し遠《とほ》くへ出《で》るつもりで、その用意《ようい》もして来《き》たのであつたが、それも臆劫《おくくう》であつた。今夜《こんや》着《つ》く筈《はず》のお美代《みよ》やお広《ひろ》を突《つゝ》ぱづしてしまふのも悪《わる》いと思《おも》つた。彼《かれ》は為方《しかた》なし古本屋《ふるほんや》の店頭《みせさき》を覗《のぞ》いてみた。兼々《かね/″\》読《よ》みたく思《おも》つてゐた本《ほん》があるかと思《おも》つて、目《め》を配《くば》つてみたが見当《みあた》らなかつた。震災後《しんさいご》掻集《かきあつ》めたやうな埃々《ごみ/\》したものばかりであつた。彼《かれ》は手当《てあた》り次第《しだい》表紙《へうし》をまくつて見《み》た。俳句《はいく》の大《おほ》きな短冊帳《たんざくてう》などを、一|枚《まい》々々《/\》めくつて見《み》てゐた。名《な》の知《し》れた人《ひと》は一《ひと》つも見当《みあた》らなかつたけれど、しかし字《じ》はみな善《よ》く書《か》いてあつた。俳句《はいく》にも好《よ》いものがあつた。村山《むらやま》はそれを閉《と》ぢてしまふと、今度《こんど》は書簡《しよかん》を綴《つゞ》り貼《は》つた大《おほ》きな帖《でふ》を引寄《ひきよ》せて見《み》た。新古《しんこ》色々《いろ/\》のものが、それに貼《は》られてあつた。伊藤博文《いとうはくぶん》や、大山《おほやま》や、鉄斎《てつさい》や良寛《れうくわん》の弟子《でし》や、子規《しき》などのものが目《め》についた。 「これは幾許《いくら》です。」彼《かれ》は子規《しき》のちよつとした短《みじ》かい手紙《てがみ》の価《ね》をきいて見《み》た。 「それは二十五|円《えん》でございます。子規《しき》さんのものも当節《とうせつ》はなか/\少《すく》なうございまして。」細君《さいくん》が答《こた》へた。 「さうですかね。」 「永代倉《えいたいぐら》がございますが……。」神《かみ》さんは暫《しば》らくするとさう言《い》つて、永代倉《えいたいぐら》の綺麗《きれい》な本《ほん》を二|冊《さつ》出《だ》して見《み》せた。大阪版《おほさかばん》であつた。 「成程《なるほど》。」 「これも以前《いぜん》は時々《とき/″\》出《で》ましてすけれど、震災後《しんさいご》は珍《めづ》らしございまして、昨日《きのふ》手《て》にいれたばかりでございますよ。」 「さうですかね。」村山《むらやま》はさう言《い》つて絵《ゑ》なんか見《み》てゐた。 「高《たか》いんですか。」 「さいですね。四十|円《えん》くらゐはするさうで。」 「さうですかね。」 彼《かれ》は別《べつ》に欲《ほ》しいとも思《おも》はなかつた。四十|円《えん》あれば、相当《そうとう》な木《き》が一|本《ぽん》買《か》へると思《おも》つたくらゐであつた。 彼《かれ》は無気味《ぶきみ》に手《て》についた埃《ほこり》を紙《かみ》で拭《ふ》きながら、そこを辞《じ》した。外《そと》は何《なん》だか変《へん》な陽気《やうき》であつた。夏《なつ》とも秋《あき》ともつかないやうな慵《もの》うさであつた。彼《かれ》はさういふ時《とき》訪《たづ》ねるのに適当《てきとう》した人《ひと》を物色《ぶつしよく》しながら、切通《きりどほ》しの方《ほう》へぶらついた。そして暫《しば》らく顔《かほ》を見《み》ない野瀬《のせ》を思《おも》ひ出《だ》した。 野瀬《のせ》の店頭《みせさき》には、相変《あひかは》らず好《い》い加減《かげん》な古物《こぶつ》が並《なら》んでゐた。いくらか景気《けいき》が好《よ》いのか知《し》らと、彼《かれ》はシヨウウヰンドウにある水石《みづいし》や、河鹿《かじか》などを覗《のぞ》いた果《はて》に、硝子戸《ガラスど》を開《あ》けて奥《おく》へ声《こゑ》かけた。若《わか》い細君《さいくん》が出《で》て来《き》た。 「ゐないんですか。」 「をります。ちよつと呼《よ》んでまゐります。」 さう言《い》つてゐるうちに、野瀬《のせ》が向《むか》ふ横町《よこてう》から出《で》て来《き》て、店頭《みせさき》にゐる村山《むらやま》の顔《かほ》を見《み》ると、にや/\しながら寄《よ》つて来《き》た。 「どうも御無沙汰《ごぶさた》で……」 「景気《けいき》は何《ど》うですか。」 村山《むらやま》はさう言《い》つて店《みせ》へ上《あが》つて、上《うへ》と下《した》とへ目《め》を配《くば》つた。上《うへ》には額《がく》や懸軸《かけじく》があり、下《した》には茶器《ちやき》の箱《はこ》などかこて/\並《なら》んでゐた。 「何《なん》だか変《へん》な山水《さんすい》があるぢやないか。」 「うむ、これ大聖寺《だいせうじ》の人《ひと》ださうだが、何《ど》ういふ人《ひと》だか御存《ごぞん》じありませんか。」 「知《し》らないな。小顔《せうひん》もあるね。」 「うゝん。」野瀬《のせ》は顔《かほ》を背向《そむ》けた。 「あの壺《つぼ》は。」 「やつぱり土中《どちう》もんです。」 「当《あ》てにならないな。そこに水石《みずいし》があるね。好《い》いの。」 「好《よ》くはないが、まあちよつと。」野瀬《のせ》はさう言《い》つて、苔《こけ》の蒸《む》した石《いし》に小匙《こさじ》で水《みづ》を掬《すく》つてはかけてゐた。水《みづ》の小砂利《こじやり》の上《うへ》を目高《めだか》がすい/\と蓄音器《ちくおんき》の針《はり》のやうな形《かたち》をして泳《およ》いでゐた。 「もつと好《い》いのがある。」 「お見《み》せなさい。」 野瀬《のせ》は庭《には》の方《ほう》から、錆《さ》びついた鉄《てつ》の水盤《すいばん》に盛《も》られた可《か》なり大《おほ》きい石《いし》を運《はこ》んで来《き》た。そして彼《かれ》は水石《みずいし》について、「……ださうです」といふ調子《てうし》で通《つう》を言《い》つたが、瀬戸《せと》ものほどには解《わか》つてゐないやうであつた。 「庭《には》は何《ど》うしました。」 「壊《こわ》してしまつた。」 「おや/\。」 それから最近《さいきん》にあつた或《あ》る大華族《だいくわぞく》の売立《うりた》てへ話《はなし》が移《うつ》つて行《い》つた。買《か》ひ取《と》つたものが、数日《すうじつ》のうちに倍《ばい》にも三|倍《ばい》にもなつた話《はなし》などを、野瀬《のせ》が話《はな》して聞《き》かせた。 「面白《おもしろ》い……と言《い》つちや悪《わる》いが、この頃《ごろ》は脳溢血《のういつけつ》がこわくて/\。」野瀬《のせ》はまた話《はな》しだした。 「お国《くに》のお医者《いしや》で高野《たかの》といふ人《ひと》があつたでせう。あの人《ひと》も震災《しんさい》でひどくやられたところへ、婚期《こんき》の娘《むすめ》さんなんかあるので、以前《いぜん》拝領《はいれう》した手函《てばこ》をあのなかへ入《い》れて売《う》つて下《くだ》さいとお願《ねが》ひしたところ、素《もと》より××家《け》の古《ふる》い目録《もくろく》には載《の》つてゐるものだし、売《う》つてやらうといふので、その一品《ひとしな》を加《くは》へたんです。」野瀬《のせ》はさう言《い》つて、売立《うりたて》の目録《もくろく》を引張《ひつぱ》りだして来《き》て、頁《ページ》を繰《く》りながらその手函《てばこ》を示《しめ》しながら、 「本当《ほんとう》ならいくら安《やす》くも一|万《まん》五千|円《えん》くらゐのものだけれど、それでもまあ七千|円《えん》に売《う》れた。自分《じぶん》では買手《かひて》がつかないから、先生《せんせい》も大《おほ》きに悦《よろこ》んで、いくらか気《き》が弛《ゆる》んだものですかね、新聞《しんぶん》で御存《ごぞん》じでせう、取引《とりひ》きのあつた翌日《よくじつ》、不断《ふだん》のとほり患者《くわんじや》を診察《しんさつ》して、それから椅子《いす》にかけたまゝ死《し》んでしまつたんです。何《なん》ともお気《き》の毒《どく》な話《はなし》でね。」 「さうかね。」村山《むらやま》は空返事《そらへんじ》をしてゐたが、その医師《いし》がその頃《ころ》大学《だいがく》にゐた村山《むらやま》の友人達《ゆうじんたち》に色《いろ》々んな点《てん》で便宜《べんぎ》を与《あた》へてくれたことを、彼《かれ》は曾《かつ》て耳《みゝ》にしてゐたし、彼《かれ》の近所《きんじよ》でも徳望《とくぼう》のあつたことも知《し》つてゐた。 「とにかく七千|円《えん》あれば家《いへ》が建《た》ちますからね。」 「さうね。」 「年《とし》だつてまださう取《と》つてゐなかつたんですよ。」 村山《むらやま》は何《なん》となしに憂鬱《ゆううつ》になつた。野瀬《のせ》はそのあひだ蠅《はへ》を捕《と》つて河鹿《かじか》の籠《かご》のなかへ入《い》れてやつたりした。 「こんな処《ところ》で鳴《な》くかね。」 「鳴《な》くとも。こんなものでも結構《けつこう》時間《じかん》が潰《つぶ》せる。蟻《あり》を弄《いぢ》つて、半日《はんにち》怠屈《たいくつ》を凌《しの》いだことがあつたつけが……先帝陛下《せんていへいか》の御大葬《ごたいそう》の時《とき》さ。日比谷公園《ひびやこうゑん》の外《そと》で待《ま》つてゐるうちに、腹《はら》は減《へ》る、小便《せうべん》は出《で》たくなる。咽喉《のど》は乾《かは》く。為方《しかた》がないからステツキで蟻《あり》の穴《あな》をつゝいて、それで二|時間《じかん》も潰《つぶ》したことがある。」 「さうね、僕《ぼく》も六|時《じ》何《なん》十|分《ぷん》かに人《ひと》を迎《むか》へに上野《うへの》へ行《ゆ》くんだが、 もう何時《なんじ》かな。」 「六時半《じはん》に。それぢや未《ま》だ/\。」野瀬《のせ》はさう言《い》つて、俄《には》かに思《おも》ひ出《だ》したやうに、茶※[#「怨」の「心」に代えて「皿」、第3水準1-88-72]《ちやわん》を一《ひと》つ箱《はこ》から取出《とりだ》した。 「これは好《い》いんですよ。織部《おりべ》です。」 「呉器《ごき》に似《に》てゐるやうだ。」村山《むらやま》はさう言《い》つて、廻《まは》して見《み》てゐたが、好《い》いものを一|時《じ》に沢山《たくさん》見《み》たあとなので、何《なん》だか興味《けうみ》がなかつた。 村山《むらやま》がごろりと横《よこ》になつたので、野瀬《のせ》は終《しま》ひに竹《たけ》の花生《はない》けの一《ひと》つを棚《たな》から卸《おろ》して来《き》て、粉《こ》をつけて拭《ふ》きはじめた。 「ちよつと好《い》い竹《たけ》だね。」 「こいつ漏《も》るんで、漆《うるし》を塗《ぬ》つたんだけれど。」彼《かれ》はさう言《い》つて、こき/\磨《みが》いてゐた。野瀬《のせ》は色《いろ》々んな芸能《げいのう》と技術《ぎじゆつ》をもつてゐた。お茶《ちや》、長唄《ながうた》、漆《うるし》いぢり、飾《かざ》り屋《や》、それから歯科《しくわ》、一|番《ばん》堂《どう》に入《い》つたのが篆刻《てんこく》であつた。 「さあそろ/\出《で》かけて見《み》よう。」村山《むらやま》はさう言《い》つて、袴《はかま》を掻《か》き合《あは》した。 村山《むらやま》はさうして話《はな》してゐるうちも、今夜《こんや》の事《こと》が気《き》にかゝつた。何《ど》うせ旨《うま》くは行《い》かないだらうと思《おも》つた。今更《いまさ》ら加奈子《かなこ》と妥協《だけう》するのも業腹《ごうはら》だつた。費用《ひよう》は少《すこ》しかゝつても、とにかく三|人《にん》のために宿《やど》を決《き》めておかうと思《おも》つて、来《く》る途中《とちう》部屋《へや》を極《き》めて来《き》たのであつた。 仮建築《かりけんちく》のステイシヨンは相変《あひかは》らず震災当時《しんさいとうじ》のやうな気分《きぶん》であつた。村山《むらやま》はその人込《ひとご》みのなかに交《まじ》つて、時《とき》の来《く》るのを待《ま》つてゐたが、お美代《みよ》たちをそこに発見《はつけん》するのに、さう長《なが》くはかゝらなかつた。二|方口《ほうぐち》から出《で》て来《き》た多勢《おほぜい》の乗客《ぜうきやく》が、殆《ほと》んど出払《ではら》つた時分《じぶん》に、彼《かれ》はそこに立《た》つてゐる、先刻《さつき》から彼《かれ》に気《き》のついてゐたらしいお美代《みよ》の涼《すご》しい目《め》とばつたり出会《であ》つてしまつた。汽車《きしや》のなかで直《なほ》したらしい、つや/\した髪《かみ》も彼《かれ》の目《め》をひいた。彼女《かのぢよ》は手《て》に籠底《かごそこ》の更紗《さらさ》の袋《ふくろ》をもつて、そこに立《た》つた。 「お気《き》の毒《どく》な。」 「お広《ひろ》さんは。」さう言《い》つて村山《むらやま》は傍《かたはら》を振《ふり》かへると、そこに小作《こづく》りなお広《ひろ》が、姉《あね》よりもやゝ派手《はで》な姿《すがた》をして、荷物《にもつ》を下《した》におろして立《た》つてゐた。 「私《わたし》は又《ま》た今度《こんど》にしようと思《おも》ひましたけれど。」お美代《みよ》は言《い》つた。 そこへ高柳宗匠《たかやなぎそうせう》もやつて来《き》た。 「やあ先生《せんせい》。」 「どうも其《そ》の節《せつ》は。」 簡短《かんたん》な挨拶《あいさつ》を取《と》り交《かは》してゐるうち、村山《むらやま》は彼等《かれら》の照《て》れてくるのを恐《おそ》れて、急《いそ》いで乗物《のりもの》を慨《やと》つた。タキシイのなかで、彼《かれ》は自分《じぶん》の都合《つごう》については、何《なん》にも語《かた》らなかつた。 「とにかく宿《やど》を取《と》つておきましたからね。高柳《たかやなぎ》さんには少《すこ》しお気《き》の毒《どく》のやうな家《うち》なんで。」彼《かれ》は言《い》つた。 小心《せうしん》なお美代《みよ》は少《すこ》し困惑《こんわく》の色《いう》を眉《まゆ》のあたりに浮《うか》べたが、直《すぐ》に都会《とくわい》の光《ひか》りと人込《ひとご》みとに気《き》をとられて、窓《まど》から目《め》を放《はな》さなかつた。村山《むらやま》はお美代《みよ》を東京《とうけう》のなかに発見《はつけん》することを、夢《ゆめ》のやうに感《かん》じた。 直《じ》きに宿《やど》へついた。 「こゝなら静《しづ》かだからね。」部屋《へや》におちついてから村山《むらやま》が元気《げんき》づけるやうに言《い》つた。 「ほんたうに静《しづ》かだね。」お美代《みよ》もお広《ひろ》も不思議《ふしぎ》さうに言《い》つた。 それから夕飯《ゆふはん》を吩咐《いひつ》けたりした。そして宗匠《そうせう》とお広《ひろ》とが前後《ぜんご》して、風呂《ふろ》へ行《い》つてから、お美代《みよ》が今度《こんど》の上京《ぜうけう》について、少《すこ》しごた/\した様子《やうす》を仄《ほの》めかした。 「己《おれ》の言《い》ふとほりにしないんだからな。」 やがてお美代《みよ》も出《で》て行《い》つた。 彼等《かれら》は落着《おちつ》きなく食事《しよくじ》をすました。 「いや、家《うち》の方《ほう》も何《ど》うにかならんこともないかと思《おも》ふが、まあ 一|両日《れうじつ》。」 お美代《みよ》は着《つ》いたときから、先《ま》づお加奈《かな》に挨拶《あいさつ》に行《い》かうと言《い》つてゐた。 「翌朝《よくてう》でもいゝぢやないか。」村山《むらやま》が言《い》つた。 「もう九|時《じ》です。」宗匠《そうせう》は言《い》つた。 「でも悪《わる》いわ、今夜《こんや》のうちお伺《うかゞ》ひしておかないと。」 お美代《みよ》はさう言《い》つて、仕度《したく》に取《と》りかゝつた。 「ぢや汚《きたな》いところだけれど、高柳《たかやなぎ》さんもお広《ひろ》さんにも来《き》てもらひますか。そして都合《つごう》で何《ど》うにかなるでせう。」 外《そと》へ出《で》ると、雨《あめ》がぽち/\顔《かほ》に当《あた》つた。冷《つめ》たい風《かぜ》が吹《ふ》いてゐた。 彼等《かれら》を迎《むか》へたお加奈《かな》は、いつものやうに調子《てうし》づいてはゐなかつたけれど、形勢《けいせい》は村山《むらやま》に取《と》つてさう険悪《けんあく》ではなかつた。 「どうか都合《つごう》できるかい。」村山《むらやま》は一《ひ》とわたり挨拶《あいさつ》がすんでから、お加奈《かな》に言《い》つた。 「え、まあ何《ど》うにか。」 とにかく荷物《にもつ》を受取《うけと》りに、女中《ぢよちう》たちをやることにした。彼《かれ》は漸《やつ》といくらか安心《あんしん》した。[#地付き](大正14[#「14」は縦中横]年8月「女性」) 底本:「徳田秋聲全集第15巻」八木書店 1999(平成11)年3月18日初版発行 底本の親本:「女性」 1925(大正14)年8月 初出:「女性」 1925(大正14)年8月 入力:特定非営利活動法人はるかぜ
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きあつ 自作 天気予報でよく聞く「西高東低」「東高西低」の「高」「低」とは、 何が高かったり低かったりすることを表したものでしょう? タグ: Quizwiki 索引 あ~こ
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分類 道具 入手 エリア7? 重量 -- 形状 装備 -- 材料 -- 設備 -- 燃料 -- 用途 全アイテム
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分類 道具 入手 エリア7? 重量 -- 形状 装備 -- 材料 -- 設備 -- 燃料 -- 用途 全アイテム/確認用
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このページはこちらに移転しました 気圧湿度の急変で性器や肛門が痒くなる 作詞/タケノコムシ 母なる地球の気まぐれ催す 気圧湿度の急変で性器や肛門が痒くなる 俺の性器はじっとりと貼りついて 陰毛の絡んだ肛門はぴりぴりと疼き出す この激しい痒みに打ち勝つだけの精神力を 俺は持たないから 街の中、人の目を気にすることもなく 服の上からぼりぼりと掻きむしる 止めどなく掻きむしる 音を立て掻きむしる ひたすらに掻きむしる 本能のままに掻きむしる 左手はポケットに 右手は後ろに回し ぼりぼりぼりぼり 快感に酔いしれる
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【検索用 ちょうきあつstereowind 登録タグ 2009年 VOCALOID ち ケトラP 曲 曲た 鏡音レン】 + 目次 目次 曲紹介 歌詞 コメント 作詞:ケトラP 作曲:ケトラP 編曲:ケトラP 唄:鏡音レン 曲紹介 曲名:『超気圧-stereo wind-』(ちょうきあつ-ステレオ ウィンド-) 二十日の冬眠を経て発表された、自作イラスト付きのVOCAROCK ケトラP初のレンソロ曲でもある。 どうがをみるときは、へやをあかるくして、がめんからはなれてみてね! 歌詞 雨雲を蹴り太陽に宛てた 手紙が誰かの元に届き 目の前にある見慣れた景色も 彩を変えて通り過ぎる 「突貫工事半チャンラーメンは 3分簡単インスタントで」 「イッサイガッサイ 詰め込んでスタート!」 向かい風 駆け抜ける 彼方までひとっ跳び 揺らめいて見えたのは 桜咲く帰り道 思い出の中光る 花びらのように 歩き疲れて空を見上げれば まんまるな月が輝いてた 傷付けあった全ての命が 同時に言葉を失くすような 「ゴリゴリルートのパンクベースに ツンツンヘッドの変なやつが」 「トンチンカンな 最終兵器でメルト!」 空高く舞い上がれ 高気圧飛び乗って 行き先は風任せ 知らない街の何処か 出会いと別れ 繰り返す季節のように 向かい風 駆け抜ける 彼方までひとっ跳び 僕たちの行く先は いつか夢見たあたり どこまでも続いてる 自由な空の下で 時に待ちぼうけ そしてまた歩き出す... コメント 名前 コメント コメントを書き込む際の注意 コメント欄は匿名で使用できる性質上、荒れやすいので、 以下の条件に該当するようなコメントは削除されることがあります。 コメントする際は、絶対に目を通してください。 暴力的、または卑猥な表現・差別用語(Wiki利用者に著しく不快感を与えるような表現) 特定の個人・団体の宣伝または批判 (曲紹介ページにおいて)歌詞の独自解釈を展開するコメント、いわゆる“解釈コメ” 長すぎるコメント 『歌ってみた』系動画や、歌い手に関する話題 「カラオケで歌えた」「学校で流れた」などの曲に直接関係しない、本来日記に書くようなコメント カラオケ化、カラオケ配信等の話題 同一人物によると判断される連続・大量コメント Wikiの保守管理は有志によって行われています。 Wikiを気持ちよく利用するためにも、上記の注意事項は守って頂くようにお願いします。
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2012/5/3 【防災対策室】「5月3日低気圧による警報発令」まとめ続報。水位 (気仙川)竹駒町館地区3m73cm(4日3:00)、現在、災害対策本部設置中です。大雨警報発令予報基準100mm/24h、水防団待機水位 2m10cm(竹駒町館)、避難判断水位 3m90cm(竹駒町館) 【防災対策室】「5月3日低気圧による警報発令」まとめ。5月3日11:23「大雨、洪水、暴風、波浪警報発令」、3日7:40「土砂災害警戒情報発表」、最大瞬間風速:16.2m/s(4日1:00)、雨量(4日9:00現在):高田町鳴石201mm、矢作町信内234mm、同町的場190mm 陸前高田市twitterにて発表 低気圧被害まとめ 降水量は大船渡で232㍉、陸前高田で214・5㍉、住田で201・5㍉を観測 陸前高田4日午前1時に最大瞬間風速16・2㍍ 冠水(高田市内)被害 県道141号線 冠水全面通行止め 米崎町地竹沢普門寺前、冠水 米崎町沼田地内、軽トラックと乗用車の計2台水没状態 国道45号、高田町と気仙町で冠水 気仙沼陸前高田線、気仙沼側土砂崩れ、全面通行止 気仙町荒町道路冠水、自動車2台水没 崩落被害 気仙町福伏牧田線のり面3カ所崩壊 高田町鳴石地内小林電設付近、のり面崩落 倒木被害 農免道、高田町サンビレッジ前、倒木のため片側通行 停電被害 竹駒町 童子、新田、細根沢、赤畑、滝の里一部地域 最大436戸 高田町 大隅、西和野 計27戸 矢作町 堂前、清水川、二田野216戸 copyright © 2009-2012 陸前高田市探訪 all rights reserved.