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概要 冬型の気圧配置とは、日本では冬季によくみられるいわゆる「西高東低」の気圧配置のことで、地域の東に低気圧、西に高気圧が存在している気圧配置を指す。 冬型の気圧配置の一例(2018年1月27日09時) この日は南西諸島を除くほぼ全国で冬日であり、最低気温を更新したところも多かった。 (クリックで拡大表示:デジタル台風) 特徴 日本における冬型の気圧配置とは西高東低、すなわち日本の東に低気圧、西に高気圧が存在している状態で、天気図上では等圧線が南北に走っていることが特徴である。 西高東低の気圧配置になると、日本は北半球に位置することから、北よりの風(主として北西風)が吹きやすくなる。日本は北方にシベリア気団が存在するため、その強い寒気が流れ込むこととなる。 典型的なこの気圧配置の特徴としては、北よりの風が日本海で水蒸気を含み(筋状雲:下図参照)、日本海側では大雪(時に豪雪や風雪)となるが、瀬戸内海側や太平洋側においては一部地域(※)を除き、大雪に至ることは少ない。(※主に北方に高い山脈を持たない地域。例えば北よりの風が関門海峡を越えて大分県や愛媛県などで大雪となる例がある) また、一般的には等圧線の間隔が狭ければ狭いほど、「強い冬型の気圧配置」と呼ばれ、北よりの風が強くなり、日本に流れる寒気の量も多くなる。 なお、瀬戸内海沿岸や太平洋沿岸、中央高地などの地域においては、上注記内における関門海峡の例のように風向・風力によっては山脈を超えて、あるいは迂回して降水(降雪)があることがあるものの、そうでない場合は山を越えて乾燥した吹き下ろしの風(からっ風など) が強くなる。このため上記の地域では冬になると空気が乾燥し火災が起きやすくなることにも注意が必要。 冬型の気圧配置の際の気象衛星画像(可視:2018年1月26日15時) 上天気図の18時間前の画像。日本海及び黄海などでは大陸側から日本に向けて筋状雲が流れ込んでいる。 (日本気象協会) 実例 五九豪雪 日本史上最低気温記録の日 / 八甲田雪中行軍遭難事件 北海道天塩沖漁船集団遭難 対策 基本的に冬型の気圧配置で大雪になる地域では家屋その他の豪雪・冷害対策が行き届いている場合が多い。 例えば、急こう配の屋根を持つことで屋根に雪が積もりにくい構造の合掌造りや道路の消雪装置、スノーシェッド。あるいは二重窓や二重の玄関構造などであり、スタッドレスタイヤの装着率など、雪害に対する意識の高さも伺える。 また、上記で触れたとおり、山を越えて乾燥した吹きおろしの風が強くなる地域では空気が乾燥するため、火の取り扱いにはいつも以上に気を配る必要がある。 関連項目 シベリア気団 出典 デジタル台風 - 2018年1月27日(土)の天気図リスト 日本気象協会 - 日本付近の気象衛星(可視)(2018年01月26日) Wikipedia - 西高東低
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- ナイーブで天才肌の唐沢俊一先生はちょっとの気圧の変化でやる気を失ってしまいます。 日記 1999年 09月 20日(月曜日) 昨日は気圧状況が朝からひどい。午前中グダグダ。夕方からやっと調子出てきて、南原企画『月光』の原作書く。 日記 1999年 10月 06日(水曜日) また暑さぶり返し、気圧不安定。身体に何ケ所もメスが入っているせいか、気圧が低いとまるで頭も肉体も動かなくなってしまう。精神状態最悪で、午前中イラつきながら過ごしてしまう。特に今朝は掃除のおばさんが来ているのでドタバタし、まとまった仕事できず。 雨は降らないものの、気圧の不安定状態続き、帰ってきて、バタリと倒れるようにして1時間ほど寝る。電話数本あったが無視。ただ、明日の予定でひとつバッティングがあり、これはしぶしぶ出る。調整は簡単に済む。 日記 1999年 10月 07日(木曜日) 朝から蒸し暑く、ドンヨリ。とにかくもう低気圧で体がピクとも動かない。そんな状態で午前中、自分にムチうってフィギュア王原稿11枚イッキ書き。頭の中にモヤがかかっている状態だったが、それほど支離滅裂な内容にならなかったのが不思議。もっとも、正常な状態で読んでみれば支離滅裂なのかもしれない。 日記 1999年 11月 24日(水曜日) 朝から薄暗く、細雨冷たく降る。気圧も低く、体調スコブるふるわず。もっとも、週アス2ツ片付けてしまったし、今日は急場の原稿もなし。こういうときは雨もよいも情緒あり。・・・・・・などと思っていたのだが、週アスの前回の原稿、送る前に読み返してみたら、ネタがもうかなり古くなってしまっていた。大急ぎで手を入れるがどうもチグハグになり、仕方なく頭からほとんど書き直しとなる。早めに原稿アゲるのも考えものである。 日記 1999年 09月 20日(月曜日) 昨日は気圧状況が朝からひどい。午前中グダグダ。夕方からやっと調子出てきて、南原企画『月光』の原作書く。 日記 2000年 01月 25日(火曜日) 肩の調子良好なれど、午後の気圧の変化により、予断許さず。 日記 2000年 03月 06日(月曜日) 帰り、地下鉄の中で無暗に眠たくなる。気圧のせいならん。 日記 2000年 03月 16日(木曜日) 朝からシトシトと雨もよい。このごろ肩凝りはなくなったが、こういう春雨の日は気圧の関係で眠くて眠くてしょうがない。朝、週アス一本やって、それから週読書人原稿。書いているうちに気絶しそうなまでに眠くなった。 日記 2000年 04月 24日(月曜日) 奥歯をガリガリやられている最中にカミナリが響き、外は大雨。気圧の急低下にいきなり眠くなり、歯を削られながら何回か、ストンと落ちるように眠ってしまい、医者に注意された。 日記 2000年 05月 11日(木曜日) 原稿書き。気圧がどんどん下がっていくのが肌でわかってどうも進まず。昨日読んだ本に、こんなことが書いてあった。「びんの中に入れた蛙は、高気圧のとき梯子を登り、低気圧のとき降りる習性がありこれによって晴雨を判断できるところから、フォルタン(フランス人。一七五○〜一 八三一)は晴雨を予知する水銀気圧計を発明したと伝えられている」・・・・・・なんか、前半と後半のあいだにかなり深い断絶があるような気がするが違っているか。 日記 2000年 05月 15日(月曜日) このあたりから空雲ってきて、また気圧ぐんと下がる。もう梅雨かな。帰って原稿書かねばならんのだが、気圧のせいで体の自由が効かなくなる。 日記 2000年 05月 17日(水曜日) 食べたら急に眠くなり、バッタリ倒れるように寝てしまう。気圧のせいだと自分では思っていたが、札幌の豪貴(からさわ薬局養子)によると、漢方ではこういうのは小陰(唇、ではない)に病が入ったというそうで、体力気力全般が衰えているんだそうである。そうなのかなあ。 日記 2000年 05月 31日(水曜日) 午前中はよかったが、午後になり、低気圧と湿気が尋常一様でなくなる。いっそ降ってくれればまだ過ごしよくなるのだが、体がなにかモヤに包まれたような感じで、ピクリとも動かぬ状態が続く。原稿書こうとパソコンの前に坐っても、以前の原稿を読み返したり、ネット徘徊したりするばかり。6時過ぎになってやっと驟雨一過、体の自由が効くようになる。気のせいだとは思うんだが。 日記 2000年 06月 03日(土曜日) 湿気と気圧で飯食ったあと、やはり体調極端に低下。 日記 2000年 06月 10日(土曜日) 気圧 、梅雨入りで低め安定。かえってその方が調子はよし。気圧の変化ですぐ体調がくずれてダルくなるのは、久美沙織さんところの犬と同じなのだそうだ。 日記 2000年 06月 27日(火曜日) 今日は気圧乱れ、原稿書けないなとハナからあきらめ、『機械化の文化史』(鹿島出版会)など読む。 日記 2000年 06月 28日(水曜日) 朝から荒れ模様、気圧乱高下。後頭部がプクッとふくれて破裂するような、そんなイメージ。 日記 2000年 07月 02日(日曜日) 帰って幻冬舎のゲラチェックをやる。あまり進まず。雷あり、ワザッと驟雨。この気圧のせいか。早めに放擲して、若松若太夫(初代)の説教節『石童丸』などCDで聞きながら、メシの支度をする。 日記 2000年 07月 25日(火曜日) ゆうべはどうにも寝つかれず。朝起きると台風のような風雨。なるほど、この気圧の乱れのせいだったか。 昨日の続き、テープ起こし原稿チェック。気圧乱調か、やはり進まず。週プレのインタビュー原稿に手を入れて返送したり、週ポスの映画評まとめたり。『創』の新連載もWebマガジンの方も今週中にサンプル原稿アゲねばならず。考えると少し頭が痛い状況だ。 日記 2000年 08月 07日(月曜日) 夕方4時ころから気圧が急降下、体及びアタマがピクとも働かなくなり、ベッドに倒れ込んで読書。M・ハンチャー『アリスとテニエル』(東京書籍)、河合雅雄『森林がサルを生んだ』(講談社文庫)など読了。 日記 2000年 08月 16日(水曜日) 朝、週刊アスキー一本アゲ。数度書き直しをして、かなりヘバる。『男の部屋』や書き下ろし原稿などもやらねばならぬのだが、気圧に縛られていることもあり、体力低下。 日記 2000年 09月 03日(日曜日) 1時ころ、気圧か肩凝りか、急に体が動かなくなり、眠るというよりは意識を失ったまま一時間ほど寝転がっている。そのあと起き出して風呂入り、読書などするが、食欲わかず、昼は抜かした。夕方までずっとこんな調子。 日記 2000年 09月 05日(火曜日) 雨引続き、気圧の波が上空でグルグル渦を巻いているようで(あくまでイメージね)、体がピクリとも動かない。ベッドに寝転がって、なんとか回復をはかるが、電話のベルに起き上がるのもやっと。 日記 2000年 09月 06日(水曜日) しかも、今日は朝から晴れているとはいえ、気圧いまだ不安定、午前中はほとんど仕事が手につかず、ネットで資料など探索するのに費やす。 日記 2000年 09月 16日(土曜日) 台風が近付いているらしく、気圧無茶苦茶。12時に風呂入り、旅の荷などをほどいているうちに極端に体力が落ち、足もむくんでくる。新連載原稿のメモなどを見ながらベッドに横になるうち、グーと寝込んでしまい、気がつくと3時。昼飯は食いそこねとなる。 日記 2000年 09月 23日(土曜日) 日記つけ、フロ入ると、もう眠くなってダメ。どっと倒れるようにベッドに寝転がる。低気圧状態で気圧がグルグル変化しており、そのせいもある。 日記 2000年 09月 24日(日曜日) しかし、早朝から雷がゴロつく天気で、気圧極めて不安定、体も頭もピクとも動かぬ感じで、K子はずっと寝続け、私も朝食のあとまた寝て、結局10時起き。 日記 2000年 10月 02日(月曜日) ここ数日、体力は順調に回復傾向にあるのだが、気圧が変動甚だしく、動くことがタイギである。今日も雲ゆきがアヤシかったが、六本木から帰った途端、ポツポツと来だす。予定していた原稿執筆、全て投げ出してベッドに退避。 日記 2000年 10月 03日(火曜日) 気圧 の変動激しく、眩暈がしてきたので中断し、新宿へタクシー飛ばしてサウナ&マッサージ。今日のマッサージは指圧中心のセンセイ(エスパー伊東そっくり)で、気持ちよく、かけられながら眠ってしまう。 日記 2000年 10月 15日(日曜日) 『漂流街』批評、明日〆切。書き出すが、気圧のせいか、今いちノリ悪し。 日記 2000年 11月 16日(木曜日) 気圧 が低くなってきて、作業に立ち会っている途中からブッ倒れそうになり、引き上げた後、二十分ほど寝床で休む。 日記 2001年 01月 25日(木曜日) 海拓舎Fくんからはげまし(?)の催促メール、それから他の仕事メール多々。 Fくんには悪いが、雨繁く、気圧激変で、夜に入って頭が全然動かなくなる。中止して、新宿へ出て、官能倶楽部の面々と新宿鳥源で飲み会。 日記 2001年 02月 14日(水曜日) すっきりと晴れあがり、気圧が高く、非常にさわやか。能率がそうなると極端にあがり、K子に弁当(和風ハンバーグ)など作った後、午前中だけで対談本コラム五本、十二枚半、スラスラとアゲる。毎日このぺースで書ければあっという間に金が貯まるんだけどなあ。砂漠にでも行って書きたいくらいだ。 日記 2001年 02月 23日(金曜日) 小雨である。今回の旅行での関西は気味の悪いほど生暖かい気候であったが、急に気圧下がり、体力も連れてガックリ下がる。やはり気圧。アクビをひとつしたら、下アゴがつった。かなり全身に風邪が回っているのか、ノビをするとアバラがつり、階段をあがると股の上側がつる。家に帰って、日記などつけて時間つぶし、8時、花菜でソバ。風邪と気圧で食欲まるでなく、K子もサーロイン食い過ぎで食欲なく、ビール一杯とタヌキソバ一杯、食べただけで帰り、風邪関係のクスリだけガバガバと大量に飲み、倒れ込むようにして寝る。 日記 2001年 02月 24日(土曜日) 小雨。風邪はさのみ重っておらぬが、気圧のせいで体調極めて悪し。それでも朝食に札幌から送ってきたレバーペーストを塗ったトースト、半熟卵、ミカン(皇室御用達のものだとか)を食べる。クスリは小青竜湯、麻黄附子細辛湯、百草胃腸薬、アリナミンA。 日記 2001年 02月 28日(水曜日) 朝7時半起き。風邪か花粉か、クシャミ連発。おまけに気圧メチャ乱れで、ダルいダルい。 結局、今日は原稿チェックのみで終わる。みんな気圧が悪いのよ。 日記 2001年 03月 01日(木曜日) 帰って、資料等読み込みながら少し寝る。次第に調子は回復してくる。雨が本降りになって、気圧も底をついたせいだろう。起き出して、海拓舎原稿にかかる。 日記 2001年 04月 12日(木曜日) 早朝は晴れていたが、やがてぐーんと暗くなっていく。気圧がぐんぐん低くなっていくのがわかり、体が麻痺でもしたみたいに動かなくなる。 日記 2001年 04月 24日(火曜日) Web現代を1時か2時くらいまでに片付けて、それから海拓舎を……という皮算用でいたが、朝からどんより曇って気圧下降線、体がまるで動かなくなる。ひさしぶり。 日記 2001年 05月 05日(土曜日) 朝はいい天気だったが、午後に至り急速に気圧が低下、体力気力がスウスウと毛穴から抜けていく。胸もバクバク、酸素が足りないキンギョみたいになってきたので、近くの薬局で救心内服液でも買おうと立ち寄るが置いてない。東急ハンズで家具の転倒防止具買って帰る。 まあ、一ヶ月も立てばまたぞろ本の山に埋もれることになるのだろうが、ひさびさに“広いながらも楽しいわが家”を味わう。もっとも、そこらで気圧低下による眠気は絶頂に達しており、頭がどうにこうにも動かなくなる。 Fくんには、気圧のせい(と、いうことにしておこう)で今日渡すはずの原稿、書けずに了った。どうも調子が出ないな。皮肉なことに、夕方、メシ食いにいくころから天候、回復。 日記 2001年 05月 08日(火曜日) 食べ終わるころにはすでにシトシトと雨が降り出す。これは今日は気圧で仕事にならないな、と思い、気力あるうちに、と急いで海拓舎原稿のみ、仕上げてメールする。カンナをかけてない荒削りな文章だが、とりあえず出来たところまで。 日記 2001年 05月 11日(金曜日) やはり昼過ぎあたりから気圧低下、体がズンと重くなる。 日記 2001年 05月 29日(火曜日) 帰って少し仕事、雨小振りになったとはいえ、気圧の変化メチャ。新宿へもう一度出て、サウナ&マッサージ。これくらいの疲れの時に行った方がよく効くようだ。 日記 2001年 05月 30日(水曜日) 昼過ぎから気圧が大幅に乱れて、体が動かなくなり、倒れ込むように三十分ほど眠る。 日記 2001年 06月 21日(木曜日) 朝から雨で、雨もさわやかな雨ならいいが、気圧がグルグル変化する中での雨で、体調最悪。朝食、イチヂクとヨーグルト、スープスパ。仕事する気にならず、パソ通のパティオなど回ってみる。 日記 2001年 06月 24日(日曜日) 私もよくしゃべったが、体調がイマイチだったので(気圧のせいか?)中ノリ程度。このノリで客をつかんで大ノリに持っていく体力がなかった。 日記 2001年 07月 25日(水曜日) 岡田斗司夫に“また来月の『噂の真相』に唐沢俊一ホモ疑惑説が流れますよ!”と突っ込まれたが、実際、今日は自分でも何か変に思えるくらい、若者に甘くなっている。ひょっとして気圧の乱れせいで、私の頭の中の“オバサン脳” が活性化したせいなのかもしれない。 日記 2001年 08月 06日(月曜日) 夕方になってから気圧がぐるんぐるんと音を立てるように流動し、体が完全にコワれた感じになる。頭も何も正常に動かず。8時、K子の希望で『船山』で食事。刺身盛り合わせとタカベ塩焼き、あとかきあげでごはん。 日記 2001年 08月 07日(火曜日) 決して暑くはないが湿気のみはあり、気圧の変動も凄まじい。ときおり雷がぼごぼご、と遠くで響く。風呂から上がると汗、淋漓。Tシャツがすぐグショになるので、アロハで過ごす。 気圧 の変調で死にそうになりつつ、フィギュア王原稿ばりばりと書き進む。今回は既成の資料に手を加えたもので楽に仕上げよう、と思っていたら案外筆がノッて、ほぼオリジナルな書き下ろしになる。能率が上がったというべきか下がったというべきか。 日記 2001年 08月 21日(火曜日) 気圧 がぐうっと体全体を押しつぶしているような状態。企画書をまとめる案を練らねばならぬこともあり、その場で予約して、新宿のサウナ&マッサージ。汗は雨垂れのようで、一時間弱で体重2キロ分を絞った。休息室のテレビで台風情報見る。 日記 2001年 08月 22日(水曜日) 気圧 の乱れは大変なもので、一時間ほど気絶するような昼寝。寝るというよりやはり気絶で、寝転がりながら『見世物の人類学』(三省堂)という重い本を読んでいたのだが、それを顔の上にドサッと落として、そのままの姿で気を失っていた。出版社からの電話でハッと正気づく。 日記 2001年 08月 27日(月曜日) 仕事いくつか、どれもやりかけるが途中で放棄。昼ごろから気圧がメチャクチャに上下し、全身が重油につかったように重い。昼は昨日のトウモロコシごはんの残り。これを余った分(K子の弁当にもした)全部片付けるため、二ハイおかわりして腹がくちくなり、さらに体が重くなる。 日記 2001年 08月 29日(水曜日) まだ気圧乱れがち。ここ数日、それで体調不良、何か神経もイラだっていて、じっとしていてもロクなことを考えない。……しかし、人間、こういうときに、大きな決断というのができるのかもしれない、と思う。日常に満足している者は、飛躍は望まない。イラだちも摂理として素直に受け止めたい。 日記 2001年 09月 01日(土曜日) 空は雲が多いが空気はさわやかで、やっと気圧地獄から開放。なんで気圧でそんなにも体調が左右されるのか、私にも実はくわしいリクツはわからない。新田次郎の『梅雨将軍信長』や講談社現代新書の『気象で読む身体』などを見ると、昔から人間は気圧に体調や人生までをも左右されていたことがわかるが、こればかりは実体験のない人にはわかってもらえない。 日記 2001年 09月 04日(火曜日) 雨サワサワと降り、気圧変調甚だし。今日は仕事にならぬものとハナから諦める。 日記 2001年 09月 20日(木曜日) 帰宅後、原稿にかかるが、気圧の乱れで肩が張り目がくらみ、何も考えられなくなる。ウソのように思うかもしれないが、長年、これで私は苦しんでいるのである。 日記 2001年 10月 03日(水曜日) 気圧 が私の体に影響を与えていることは確かだが、それは別に天気が晴だとか雨だとかというレベルではないらしい。昨日は天気だったが心身共にタルく、今日は朝から快適そのもので、アスペクトの対談チェック、13本をイッキに片付ける。送り終えてから、葉書を一本書き、コンビニでK子の描いたイラストを講談社へ送付。それからカウンターのカレー屋さんサラームで、ナンとマトンカレー。K子にはおにぎりを買って帰る。 日記 2001年 10月 05日(金曜日) 帰宅して、気圧が乱れてきたのと食事して血が胃に集まりすぎたのとでしばらく横になる。今日は後楽園もあり、5時半には家を出なくてはならないし、アスペクト無理か、と思ったのだが、気力をふりしぼり、麻黄附子細辛湯とアリナミンのみ、奮起して執筆にかかる。5時までに、コラムとあとがき、あわせて10枚、書き上げる。フーッという感じ。 日記 2001年 10月 28日(日曜日) 蕭々と雨。気圧も変転、気力体力共に充実せず、何をするも億劫。新聞もテレビも、砂を噛むようにしか感じず。朝飯(アボカドとサーモン)食べて、風呂入ったあとはだらだら。
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- ナイーブで天才肌の唐沢俊一先生はちょっとの気圧の変化でやる気を失ってしまいます。 日記 1999年 09月 20日(月曜日) 昨日は気圧状況が朝からひどい。午前中グダグダ。夕方からやっと調子出てきて、南原企画『月光』の原作書く。 日記 1999年 10月 06日(水曜日) また暑さぶり返し、気圧不安定。身体に何ケ所もメスが入っているせいか、気圧が低いとまるで頭も肉体も動かなくなってしまう。精神状態最悪で、午前中イラつきながら過ごしてしまう。特に今朝は掃除のおばさんが来ているのでドタバタし、まとまった仕事できず。 雨は降らないものの、気圧の不安定状態続き、帰ってきて、バタリと倒れるようにして1時間ほど寝る。電話数本あったが無視。ただ、明日の予定でひとつバッティングがあり、これはしぶしぶ出る。調整は簡単に済む。 日記 1999年 10月 07日(木曜日) 朝から蒸し暑く、ドンヨリ。とにかくもう低気圧で体がピクとも動かない。そんな状態で午前中、自分にムチうってフィギュア王原稿11枚イッキ書き。頭の中にモヤがかかっている状態だったが、それほど支離滅裂な内容にならなかったのが不思議。もっとも、正常な状態で読んでみれば支離滅裂なのかもしれない。 日記 1999年 11月 24日(水曜日) 朝から薄暗く、細雨冷たく降る。気圧も低く、体調スコブるふるわず。もっとも、週アス2ツ片付けてしまったし、今日は急場の原稿もなし。こういうときは雨もよいも情緒あり。・・・・・・などと思っていたのだが、週アスの前回の原稿、送る前に読み返してみたら、ネタがもうかなり古くなってしまっていた。大急ぎで手を入れるがどうもチグハグになり、仕方なく頭からほとんど書き直しとなる。早めに原稿アゲるのも考えものである。 日記 1999年 09月 20日(月曜日) 昨日は気圧状況が朝からひどい。午前中グダグダ。夕方からやっと調子出てきて、南原企画『月光』の原作書く。 日記 2000年 01月 25日(火曜日) 肩の調子良好なれど、午後の気圧の変化により、予断許さず。 日記 2000年 03月 06日(月曜日) 帰り、地下鉄の中で無暗に眠たくなる。気圧のせいならん。 日記 2000年 03月 16日(木曜日) 朝からシトシトと雨もよい。このごろ肩凝りはなくなったが、こういう春雨の日は気圧の関係で眠くて眠くてしょうがない。朝、週アス一本やって、それから週読書人原稿。書いているうちに気絶しそうなまでに眠くなった。 日記 2000年 04月 24日(月曜日) 奥歯をガリガリやられている最中にカミナリが響き、外は大雨。気圧の急低下にいきなり眠くなり、歯を削られながら何回か、ストンと落ちるように眠ってしまい、医者に注意された。 日記 2000年 05月 11日(木曜日) 原稿書き。気圧がどんどん下がっていくのが肌でわかってどうも進まず。昨日読んだ本に、こんなことが書いてあった。「びんの中に入れた蛙は、高気圧のとき梯子を登り、低気圧のとき降りる習性がありこれによって晴雨を判断できるところから、フォルタン(フランス人。一七五○〜一 八三一)は晴雨を予知する水銀気圧計を発明したと伝えられている」・・・・・・なんか、前半と後半のあいだにかなり深い断絶があるような気がするが違っているか。 日記 2000年 05月 15日(月曜日) このあたりから空雲ってきて、また気圧ぐんと下がる。もう梅雨かな。帰って原稿書かねばならんのだが、気圧のせいで体の自由が効かなくなる。 日記 2000年 05月 17日(水曜日) 食べたら急に眠くなり、バッタリ倒れるように寝てしまう。気圧のせいだと自分では思っていたが、札幌の豪貴(からさわ薬局養子)によると、漢方ではこういうのは小陰(唇、ではない)に病が入ったというそうで、体力気力全般が衰えているんだそうである。そうなのかなあ。 日記 2000年 05月 31日(水曜日) 午前中はよかったが、午後になり、低気圧と湿気が尋常一様でなくなる。いっそ降ってくれればまだ過ごしよくなるのだが、体がなにかモヤに包まれたような感じで、ピクリとも動かぬ状態が続く。原稿書こうとパソコンの前に坐っても、以前の原稿を読み返したり、ネット徘徊したりするばかり。6時過ぎになってやっと驟雨一過、体の自由が効くようになる。気のせいだとは思うんだが。 日記 2000年 06月 03日(土曜日) 湿気と気圧で飯食ったあと、やはり体調極端に低下。 日記 2000年 06月 10日(土曜日) 気圧 、梅雨入りで低め安定。かえってその方が調子はよし。気圧の変化ですぐ体調がくずれてダルくなるのは、久美沙織さんところの犬と同じなのだそうだ。 日記 2000年 06月 27日(火曜日) 今日は気圧乱れ、原稿書けないなとハナからあきらめ、『機械化の文化史』(鹿島出版会)など読む。 日記 2000年 06月 28日(水曜日) 朝から荒れ模様、気圧乱高下。後頭部がプクッとふくれて破裂するような、そんなイメージ。 日記 2000年 07月 02日(日曜日) 帰って幻冬舎のゲラチェックをやる。あまり進まず。雷あり、ワザッと驟雨。この気圧のせいか。早めに放擲して、若松若太夫(初代)の説教節『石童丸』などCDで聞きながら、メシの支度をする。 日記 2000年 07月 25日(火曜日) ゆうべはどうにも寝つかれず。朝起きると台風のような風雨。なるほど、この気圧の乱れのせいだったか。 昨日の続き、テープ起こし原稿チェック。気圧乱調か、やはり進まず。週プレのインタビュー原稿に手を入れて返送したり、週ポスの映画評まとめたり。『創』の新連載もWebマガジンの方も今週中にサンプル原稿アゲねばならず。考えると少し頭が痛い状況だ。 日記 2000年 08月 07日(月曜日) 夕方4時ころから気圧が急降下、体及びアタマがピクとも働かなくなり、ベッドに倒れ込んで読書。M・ハンチャー『アリスとテニエル』(東京書籍)、河合雅雄『森林がサルを生んだ』(講談社文庫)など読了。 日記 2000年 08月 16日(水曜日) 朝、週刊アスキー一本アゲ。数度書き直しをして、かなりヘバる。『男の部屋』や書き下ろし原稿などもやらねばならぬのだが、気圧に縛られていることもあり、体力低下。 日記 2000年 09月 03日(日曜日) 1時ころ、気圧か肩凝りか、急に体が動かなくなり、眠るというよりは意識を失ったまま一時間ほど寝転がっている。そのあと起き出して風呂入り、読書などするが、食欲わかず、昼は抜かした。夕方までずっとこんな調子。 日記 2000年 09月 05日(火曜日) 雨引続き、気圧の波が上空でグルグル渦を巻いているようで(あくまでイメージね)、体がピクリとも動かない。ベッドに寝転がって、なんとか回復をはかるが、電話のベルに起き上がるのもやっと。 日記 2000年 09月 06日(水曜日) しかも、今日は朝から晴れているとはいえ、気圧いまだ不安定、午前中はほとんど仕事が手につかず、ネットで資料など探索するのに費やす。 日記 2000年 09月 16日(土曜日) 台風が近付いているらしく、気圧無茶苦茶。12時に風呂入り、旅の荷などをほどいているうちに極端に体力が落ち、足もむくんでくる。新連載原稿のメモなどを見ながらベッドに横になるうち、グーと寝込んでしまい、気がつくと3時。昼飯は食いそこねとなる。 日記 2000年 09月 23日(土曜日) 日記つけ、フロ入ると、もう眠くなってダメ。どっと倒れるようにベッドに寝転がる。低気圧状態で気圧がグルグル変化しており、そのせいもある。 日記 2000年 09月 24日(日曜日) しかし、早朝から雷がゴロつく天気で、気圧極めて不安定、体も頭もピクとも動かぬ感じで、K子はずっと寝続け、私も朝食のあとまた寝て、結局10時起き。 日記 2000年 10月 02日(月曜日) ここ数日、体力は順調に回復傾向にあるのだが、気圧が変動甚だしく、動くことがタイギである。今日も雲ゆきがアヤシかったが、六本木から帰った途端、ポツポツと来だす。予定していた原稿執筆、全て投げ出してベッドに退避。 日記 2000年 10月 03日(火曜日) 気圧 の変動激しく、眩暈がしてきたので中断し、新宿へタクシー飛ばしてサウナ&マッサージ。今日のマッサージは指圧中心のセンセイ(エスパー伊東そっくり)で、気持ちよく、かけられながら眠ってしまう。 日記 2000年 10月 15日(日曜日) 『漂流街』批評、明日〆切。書き出すが、気圧のせいか、今いちノリ悪し。 日記 2000年 11月 16日(木曜日) 気圧 が低くなってきて、作業に立ち会っている途中からブッ倒れそうになり、引き上げた後、二十分ほど寝床で休む。 日記 2001年 01月 25日(木曜日) 海拓舎Fくんからはげまし(?)の催促メール、それから他の仕事メール多々。 Fくんには悪いが、雨繁く、気圧激変で、夜に入って頭が全然動かなくなる。中止して、新宿へ出て、官能倶楽部の面々と新宿鳥源で飲み会。 日記 2001年 02月 14日(水曜日) すっきりと晴れあがり、気圧が高く、非常にさわやか。能率がそうなると極端にあがり、K子に弁当(和風ハンバーグ)など作った後、午前中だけで対談本コラム五本、十二枚半、スラスラとアゲる。毎日このぺースで書ければあっという間に金が貯まるんだけどなあ。砂漠にでも行って書きたいくらいだ。 日記 2001年 02月 23日(金曜日) 小雨である。今回の旅行での関西は気味の悪いほど生暖かい気候であったが、急に気圧下がり、体力も連れてガックリ下がる。やはり気圧。アクビをひとつしたら、下アゴがつった。かなり全身に風邪が回っているのか、ノビをするとアバラがつり、階段をあがると股の上側がつる。家に帰って、日記などつけて時間つぶし、8時、花菜でソバ。風邪と気圧で食欲まるでなく、K子もサーロイン食い過ぎで食欲なく、ビール一杯とタヌキソバ一杯、食べただけで帰り、風邪関係のクスリだけガバガバと大量に飲み、倒れ込むようにして寝る。 日記 2001年 02月 24日(土曜日) 小雨。風邪はさのみ重っておらぬが、気圧のせいで体調極めて悪し。それでも朝食に札幌から送ってきたレバーペーストを塗ったトースト、半熟卵、ミカン(皇室御用達のものだとか)を食べる。クスリは小青竜湯、麻黄附子細辛湯、百草胃腸薬、アリナミンA。 日記 2001年 02月 28日(水曜日) 朝7時半起き。風邪か花粉か、クシャミ連発。おまけに気圧メチャ乱れで、ダルいダルい。 結局、今日は原稿チェックのみで終わる。みんな気圧が悪いのよ。 日記 2001年 03月 01日(木曜日) 帰って、資料等読み込みながら少し寝る。次第に調子は回復してくる。雨が本降りになって、気圧も底をついたせいだろう。起き出して、海拓舎原稿にかかる。 日記 2001年 04月 12日(木曜日) 早朝は晴れていたが、やがてぐーんと暗くなっていく。気圧がぐんぐん低くなっていくのがわかり、体が麻痺でもしたみたいに動かなくなる。 日記 2001年 04月 24日(火曜日) Web現代を1時か2時くらいまでに片付けて、それから海拓舎を……という皮算用でいたが、朝からどんより曇って気圧下降線、体がまるで動かなくなる。ひさしぶり。 日記 2001年 05月 05日(土曜日) 朝はいい天気だったが、午後に至り急速に気圧が低下、体力気力がスウスウと毛穴から抜けていく。胸もバクバク、酸素が足りないキンギョみたいになってきたので、近くの薬局で救心内服液でも買おうと立ち寄るが置いてない。東急ハンズで家具の転倒防止具買って帰る。 まあ、一ヶ月も立てばまたぞろ本の山に埋もれることになるのだろうが、ひさびさに“広いながらも楽しいわが家”を味わう。もっとも、そこらで気圧低下による眠気は絶頂に達しており、頭がどうにこうにも動かなくなる。 Fくんには、気圧のせい(と、いうことにしておこう)で今日渡すはずの原稿、書けずに了った。どうも調子が出ないな。皮肉なことに、夕方、メシ食いにいくころから天候、回復。 日記 2001年 05月 08日(火曜日) 食べ終わるころにはすでにシトシトと雨が降り出す。これは今日は気圧で仕事にならないな、と思い、気力あるうちに、と急いで海拓舎原稿のみ、仕上げてメールする。カンナをかけてない荒削りな文章だが、とりあえず出来たところまで。 日記 2001年 05月 11日(金曜日) やはり昼過ぎあたりから気圧低下、体がズンと重くなる。 日記 2001年 05月 29日(火曜日) 帰って少し仕事、雨小振りになったとはいえ、気圧の変化メチャ。新宿へもう一度出て、サウナ&マッサージ。これくらいの疲れの時に行った方がよく効くようだ。 日記 2001年 05月 30日(水曜日) 昼過ぎから気圧が大幅に乱れて、体が動かなくなり、倒れ込むように三十分ほど眠る。 日記 2001年 06月 21日(木曜日) 朝から雨で、雨もさわやかな雨ならいいが、気圧がグルグル変化する中での雨で、体調最悪。朝食、イチヂクとヨーグルト、スープスパ。仕事する気にならず、パソ通のパティオなど回ってみる。 日記 2001年 06月 24日(日曜日) 私もよくしゃべったが、体調がイマイチだったので(気圧のせいか?)中ノリ程度。このノリで客をつかんで大ノリに持っていく体力がなかった。 日記 2001年 07月 25日(水曜日) 岡田斗司夫に“また来月の『噂の真相』に唐沢俊一ホモ疑惑説が流れますよ!”と突っ込まれたが、実際、今日は自分でも何か変に思えるくらい、若者に甘くなっている。ひょっとして気圧の乱れせいで、私の頭の中の“オバサン脳” が活性化したせいなのかもしれない。 日記 2001年 08月 06日(月曜日) 夕方になってから気圧がぐるんぐるんと音を立てるように流動し、体が完全にコワれた感じになる。頭も何も正常に動かず。8時、K子の希望で『船山』で食事。刺身盛り合わせとタカベ塩焼き、あとかきあげでごはん。 日記 2001年 08月 07日(火曜日) 決して暑くはないが湿気のみはあり、気圧の変動も凄まじい。ときおり雷がぼごぼご、と遠くで響く。風呂から上がると汗、淋漓。Tシャツがすぐグショになるので、アロハで過ごす。 気圧 の変調で死にそうになりつつ、フィギュア王原稿ばりばりと書き進む。今回は既成の資料に手を加えたもので楽に仕上げよう、と思っていたら案外筆がノッて、ほぼオリジナルな書き下ろしになる。能率が上がったというべきか下がったというべきか。 日記 2001年 08月 21日(火曜日) 気圧 がぐうっと体全体を押しつぶしているような状態。企画書をまとめる案を練らねばならぬこともあり、その場で予約して、新宿のサウナ&マッサージ。汗は雨垂れのようで、一時間弱で体重2キロ分を絞った。休息室のテレビで台風情報見る。 日記 2001年 08月 22日(水曜日) 気圧 の乱れは大変なもので、一時間ほど気絶するような昼寝。寝るというよりやはり気絶で、寝転がりながら『見世物の人類学』(三省堂)という重い本を読んでいたのだが、それを顔の上にドサッと落として、そのままの姿で気を失っていた。出版社からの電話でハッと正気づく。 日記 2001年 08月 27日(月曜日) 仕事いくつか、どれもやりかけるが途中で放棄。昼ごろから気圧がメチャクチャに上下し、全身が重油につかったように重い。昼は昨日のトウモロコシごはんの残り。これを余った分(K子の弁当にもした)全部片付けるため、二ハイおかわりして腹がくちくなり、さらに体が重くなる。 日記 2001年 08月 29日(水曜日) まだ気圧乱れがち。ここ数日、それで体調不良、何か神経もイラだっていて、じっとしていてもロクなことを考えない。……しかし、人間、こういうときに、大きな決断というのができるのかもしれない、と思う。日常に満足している者は、飛躍は望まない。イラだちも摂理として素直に受け止めたい。 日記 2001年 09月 01日(土曜日) 空は雲が多いが空気はさわやかで、やっと気圧地獄から開放。なんで気圧でそんなにも体調が左右されるのか、私にも実はくわしいリクツはわからない。新田次郎の『梅雨将軍信長』や講談社現代新書の『気象で読む身体』などを見ると、昔から人間は気圧に体調や人生までをも左右されていたことがわかるが、こればかりは実体験のない人にはわかってもらえない。 日記 2001年 09月 04日(火曜日) 雨サワサワと降り、気圧変調甚だし。今日は仕事にならぬものとハナから諦める。 日記 2001年 09月 20日(木曜日) 帰宅後、原稿にかかるが、気圧の乱れで肩が張り目がくらみ、何も考えられなくなる。ウソのように思うかもしれないが、長年、これで私は苦しんでいるのである。 日記 2001年 10月 03日(水曜日) 気圧 が私の体に影響を与えていることは確かだが、それは別に天気が晴だとか雨だとかというレベルではないらしい。昨日は天気だったが心身共にタルく、今日は朝から快適そのもので、アスペクトの対談チェック、13本をイッキに片付ける。送り終えてから、葉書を一本書き、コンビニでK子の描いたイラストを講談社へ送付。それからカウンターのカレー屋さんサラームで、ナンとマトンカレー。K子にはおにぎりを買って帰る。 日記 2001年 10月 05日(金曜日) 帰宅して、気圧が乱れてきたのと食事して血が胃に集まりすぎたのとでしばらく横になる。今日は後楽園もあり、5時半には家を出なくてはならないし、アスペクト無理か、と思ったのだが、気力をふりしぼり、麻黄附子細辛湯とアリナミンのみ、奮起して執筆にかかる。5時までに、コラムとあとがき、あわせて10枚、書き上げる。フーッという感じ。 日記 2001年 10月 28日(日曜日) 蕭々と雨。気圧も変転、気力体力共に充実せず、何をするも億劫。新聞もテレビも、砂を噛むようにしか感じず。朝飯(アボカドとサーモン)食べて、風呂入ったあとはだらだら。
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D 気圧による障害
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‐=≡ 天_天 ‐=≡ ( ´∀`)∩ ‐=≡ (つ 南岸 ノ ‐=≡ ( ) ‐=≡ ( ) ‐=≡ ( ) ‐=≡ )ノ 属性 弱点 耐性 氷 最大HP 最大MP 攻撃力 防御力 精神力 敏捷性 経験値 所持金 ドロップ 技名 消費MP 効果 備考 通常攻撃 0 ツンドル 単体氷属性ダメージ かまいたち 単体風属性ダメージ こなああああゆきいいいいい 全体氷属性ダメージ キャラクター 天文・気象板の関東大雪スレッドにて誕生。 時に関東に大雪をもたらす「南岸低気圧」のAA。 大雪祈願の住民によって貼られたが、誕生した01-02の冬は関東広範囲での大雪はなかった。
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爆弾低気圧2 ≪成績≫ 総対戦数 1120戦 勝利数 289勝 勝率 26% 累計BP 12820pt 最大連勝数 5 最大RP 2432 総合 戦績 5066戦 2525勝 2541敗 勝率 50% ナポ 戦績 1167戦 659勝 508敗 勝率 56% 副官 戦績 787戦 492勝 295敗 勝率 63% 連合 戦績 3112戦 1374勝 1738敗 勝率 44% ≪ギルド≫ ≪コメント欄≫ ≪受賞歴≫ ≪所有アカウント≫ 名前 ギルド 備考 吐蕃高気圧2 わがままなピッチャー 吐蕃高気圧3 ≪活動期間≫ ?~現在 ≪ログイン曜日/時間帯≫ ≪イクサーネーム由来≫ ≪サイト≫ ≪記事≫
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こいのきあつはいち【登録タグ こ もわもわP 巡音ルカ 曲】 作詞:もわもわP 作曲:もわもわP 編曲:もわもわP 唄:巡音ルカ 曲紹介 お天気お姉さんルカ、明日の予報は? 歌詞 (ピアプロより転載) 天気予報をお伝えします デュワデュワ デュワデュワ 熱い情熱の高気圧が デュワデュワ デュワデュワ 日本付近を覆って 全般に晴れるでしょう 明日も一日アツアツよ それなのに上空の寒気が デュワデュワ デュワデュワ 流れこんで大気の状態は デュワデュワ デュワデュワ 恋に悩む乙女の 揺れる心のように とてもゆらゆら不安定 恋の気圧配置はいつでも あなたの思い通りにいかないわ 突然涙雨に降られても あわてちゃダメダメ あわてちゃダメよ 週間予報いってみましょう デュワデュワ デュワデュワ 日に日に気温が下がるでしょう デュワデュワ デュワデュワ 胸熱き季節が過ぎ 秋風の吹く予感に なんだかとてもメランコリー 燃え上がる情熱のときは デュワデュワ デュワデュワ いつの日にか必ず終わるもの デュワデュワ デュワデュワ 実りと落ち着きの日に 上手に移り変わって うまく元気を保ちましょう 恋の気圧配置はいつでも 心の持ち方一つよ 季節の移ろい世の習い 明るく行きましょう 明るく行きましょう コメント 名前 コメント
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おんたいていきあつ【登録タグ お 囚人P 曲 鏡音リン 鏡音レン】 作詞:囚人P 作曲:囚人P 編曲:囚人P 唄:鏡音リン・レン 曲紹介 「温帯低気圧接近中 《二人》付近にお住まいの方は御注意ください」 たまには囚人の双子にだって『普通』に恋をして、幸せになっていただこう、がテーマです。(主コメより転載) 1stアルバム『それでも世界は廻っている』収録曲。 歌詞 しとり落ちた涙 夢が消えたよ そうなの?そうだよ ポツリ下る雫 あなたは雨に消えてく ユラユラと揺れた あなたとの運命 スラスラと言えた あなたとの公式 なのにどうして 何故か不安 振り向いたら あなたが居ないの いつか幻 手探りで大きくさせたのなら もう動けないよ? 人間に生まれるだけで 奇跡なんだ いつかは...分かってよ... しとり落ちる涙 俺が悪いんだろ そうだろ?そうかよ クルリ返す踵 君の雨に流した テルテル坊主が 嫌味に見てくる 「この雨は俺の所為じゃないから」 なのにどうした 何が不満? ここを出たら 振り向かないよ 一億の中 出会えたのはただ偶然で 運命じゃないよ? だけど愛を感じられた事は 奇跡なんだ それさえ...忘れていたのか...? いつか止まない雨は無いんだよ 終わらない愛もないんだよ? 雨に消えゆく あなたの背中が最後ならば 想いを...叫ばせて... この涙(あめ)が降る先にいるのなら いつまででも歌い続けられるよ たとえ涙にかき消されたって構わないわ 朽ち果てて...終わらなければ... コメント 英雄に引き続きつくってみました。足りない部分があれば修正お願いします。 -- ぺーじつくったひと (2010-05-24 16 40 10) 登録タグが空っぽでしたので追加。ついでに余計な改行を出来るだけ減らしました。 -- 名無しさん (2010-05-24 20 10 32) 囚人pさん愛してます大好きです!!!! -- 和夜 (2011-01-29 16 09 23) 切ない… 囚人P大好きだーーーーー!! -- 名無しさん (2011-08-16 16 20 51) 名前 コメント
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