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白銅 本店:東京都千代田区丸の内二丁目5番2号 【商号履歴】 白銅株式会社(1992年4月1日~) 銅金株式会社(1967年3月1日~1992年4月1日) 株式会社国光地銅店(1949年10月7日~1967年3月1日) 【株式上場履歴】 <東証1部>2005年9月1日~ <東証2部>2004年10月29日~2005年8月31日(1部に指定替え) <店頭>2000年3月9日~2004年10月28日(東証2部に上場) 【合併履歴】 1992年1月23日 廣成株式会社 【沿革】 当社(昭和24年10月7日 株式会社国光地銅店として設立、昭和42年3月1日銅金株式会社に商号変更、本店所在地東京都中央区、株式額面50円)は、廣成株式会社(白銅株式会社(現廣成株式会社)が平成3年10月9日に金属事業に関する不動産を保有する目的で全額出資して設立、本店所在地東京都中央区、株式額面50,000円)の株式の額面金額を変更するため、平成4年1月23日を合併期日として同社を吸収合併し、平成4年4月1日付で白銅株式会社(株式会社白銅商店として昭和24年11月1日設立、本店所在地東京都中央区)から金属事業に関する営業を全面的に譲り受けるとともに商号を白銅株式会社に変更(同時に白銅株式会社は廣成株式会社に商号変更)し、旧白銅株式会社の金属事業に関する営業を実質的に引き継ぎました。従いまして、実質上の存続会社は旧白銅株式会社であり、以下の事項につきましては、特段の記述がない限り、営業の譲り受けまでは旧白銅株式会社について記載しております。 昭和7年2月 白銅商店として東京市京橋区(現 中央区八丁堀)にて個人創業 昭和24年11月 非鉄金属の販売を目的として株式会社白銅商店設立 昭和42年5月 商号を白銅株式会社に変更 昭和43年2月 第一世代ホストコンピューターシステム導入 昭和49年10月 神奈川県厚木市田村町で厚木倉庫稼動 昭和53年6月 アルミ・伸銅在庫品の翌日配達販売システム開始 昭和53年9月 アルミ板切断販売開始 昭和54年10月 ステンレス在庫品販売開始 昭和58年6月 大阪市東淀川区に大阪営業所(現 西部支社)を開設 昭和63年12月 神奈川県厚木市戸田に厚木戸田工場(現 厚木工場)を竣工 昭和64年1月 第二世代ホストコンピューターシステム導入 平成2年3月 滋賀県蒲生郡日野町に滋賀事業所(現 滋賀工場)を竣工 平成3年10月 金属事業に関する不動産を保有する目的で廣成株式会社を設立 平成3年12月 廣成株式会社に対し特定資産変態現物出資 平成4年1月 銅金株式会社は廣成株式会社を吸収合併 平成4年4月 旧白銅株式会社(現 廣成株式会社)より金属事業に関する営業を譲受、同時に商号を銅金株式会社から白銅株式会社に変更 平成12年3月 日本証券業協会に株式を店頭登録 平成15年5月 上海白銅精密材料有限公司(中国 上海市松江区)を設立 平成16年3月 東京都千代田区(丸の内)に本社を移転 平成16年3月 東京都千代田区(猿楽町)に営業本部を移転 平成16年5月 分散処理方式による総合情報システム導入 平成16年10月 東京証券取引所市場第二部に上場 平成17年9月 東京証券取引所市場第一部に上場 平成18年2月 福島県郡山市待池台に郡山工場を竣工
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りらいあコミュニケーションズ 本店:東京都渋谷区代々木二丁目6番5号 【商号履歴】 りらいあコミュニケーションズ株式会社(2015年10月1日~) 株式会社もしもしホットライン(1998年4月~2015年10月1日) 株式会社チェスコム神奈川(1981年5月27日~1998年4月) 【株式上場履歴】 <東証1部>2002年3月1日~ <東証2部>2000年11月15日~2002年2月28日(1部指定) <店頭>1998年10月2日~2000年11月14日(東証2部に上場) 【合併履歴】 1999年10月 日 テレガイド日本株式会社 1998年4月 日 株式会社もしもしホットライン 【沿革】 昭和62年6月 東京都文京区関口において株式会社もしもしホットライン設立。 昭和62年8月 営業及びオペレーション業務開始。 昭和62年12月 大阪支店を大阪市北区に開設。 昭和63年6月 電話オペレーションに連動したデータエントリー業務開始。 平成元年1月 調査業務開始。 平成元年12月 名古屋支店を名古屋市中村区に開設。 平成4年4月 福岡支店を福岡市博多区に開設。 平成6年4月 本社を東京都渋谷区代々木に移転。 平成6年10月 広島支店を広島市中区に開設。名古屋支店を名古屋市中村区に拡張移転。 平成7年4月 横浜支店を横浜市西区に開設。 平成7年5月 大阪支店を大阪市西区に拡張移転。テレマーケティング商品販売業務開始。 平成7年10月 仙台支店を仙台市青葉区に開設。 平成7年11月 福岡支店を福岡市中央区に拡張移転。 平成8年9月 広島支店を広島市中区に拡張移転。横浜支店を閉鎖し、業務を本店に統合。 平成8年10月 顧客管理センター運営業務開始。 平成9年5月 名古屋支店を名古屋市中区に拡張移転。 平成10年4月 株式の額面変更のため、㈱チェスコム神奈川(形式上の存続会社、本社所在地:東京都渋谷区)と合併。 平成10年5月 仙台支店を仙台市青葉区に拡張移転。 平成10年10月 株式を日本証券業協会へ店頭銘柄として登録。 平成11年8月 株式の売買単位を1,000株から100株に変更。 平成11年10月 テレガイド日本株式会社(本社所在地:札幌市中央区)と合併し、札幌支店を開設。 平成12年4月 みなとみらい支店を横浜市西区に開設。 平成12年11月 東京証券取引所市場第二部に株式を上場。 平成13年8月 株式の売買単位を100株から50株に変更。 平成14年3月 東京証券取引所市場第一部に指定変更。 平成15年3月 ㈱マックスコム(旧日本テレコムマックス㈱)の全株式を取得。(現連結子会社) 平成15年4月 沖縄支店を那覇市に開設。みなとみらい支店をみなとみらい事業所に機能縮小。 平成15年6月 ㈱マックスコム本社を東京都渋谷区代々木に移転。 平成15年9月 大阪支店を大阪市浪速区に拡張移転。 平成16年7月 執行役員制度を導入。 平成16年10月 福岡支店を福岡市中央区に拡張移転。 平成17年4月 札幌支店を北海道支社へ、仙台支店を東北支店へ、名古屋支店を中部支店へ、大阪支店を関西支社へ、福岡支店を九州支店へ、沖縄支店を沖縄支社へと名称変更。 平成18年4月 株式を1対3の割合にて分割。又、株式分割に伴い、発行可能株式総数を63,288,000株に変更。 平成18年9月 広島支店を広島市中区内において移転。
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朝日工業社 本店:東京都港区浜松町一丁目25番7号 【商号履歴】 株式会社朝日工業社(1940年8月8日~) 【株式上場履歴】 <東証1部>1979年3月1日~ <大証1部>1979年3月1日~2013年7月15日(東証に統合) <東証2部>1971年4月1日~1979年2月28日(1部指定) <大証2部>1972年4月1日~1979年2月28日(1部指定) 【連結子会社】 北海道アサヒ冷熱工事㈱ 札幌市中央区 100% 旭栄興産㈱ 東京都港区 100% 亞太朝日股份有限公司 中華民国台北市 100% 【沿革】 大正14年4月 紡績会社の温湿度調整、噴霧給湿、除塵装置等の施工の目的をもって大阪市北区において、合資会社朝日工業社を設立 昭和3年10月 東京出張所開設(昭和9年7月支店に昇格、現本店) 昭和15年8月 合資会社より株式会社に改組 昭和23年1月 北海道出張所開設(昭和36年3月支店に昇格) 昭和27年6月 名古屋出張所開設(昭和36年3月支店に昇格)。福岡出張所開設(昭和36年3月支店に昇格、現九州支店) 昭和28年3月 仙台出張所開設(昭和36年3月支店に昇格、現東北支店) 昭和29年3月 広島出張所開設(昭和36年3月支店に昇格、現中国支店) 昭和38年12月 本社ビル(現大阪支社ビル)完成 昭和42年10月 機構上の本社を東京へ移設 昭和45年4月 本社を大阪より東京へ移転登記 昭和46年4月 東京証券取引所市場第2部へ上場 昭和47年4月 大阪証券取引所市場第2部へ上場 昭和51年7月 東京アサヒ冷熱工事株式会社、大阪アサヒ冷熱工事株式会社(平成9年4月関西アサヒ冷熱工事株式会社に商号変更)および東北アサヒ冷熱工事株式会社を設立 昭和54年3月 東京・大阪両証券取引所市場第1部へ指定替え 昭和57年3月 現本社ビル(東京都港区)完成 昭和58年4月 技術研究所(千葉県習志野市)を開設 昭和59年2月 機器事業部市川工場(千葉県市川市)を開設 昭和61年10月 北海道アサヒ冷熱工事株式会社(現連結子会社)を設立 昭和63年10月 名古屋アサヒ冷熱工事株式会社、九州アサヒ冷熱工事株式会社を設立 昭和63年10月 横浜営業所を横浜支店へ昇格 平成2年7月 機器事業部船橋工場(千葉県船橋市)を開設、市川工場閉鎖 平成2年10月 埼玉営業所を北関東支店へ昇格 平成6年4月 横浜アサヒ冷熱工事株式会社を設立 平成7年3月 旭栄興産株式会社(現連結子会社)の株式(100%)を取得 平成7年4月 神戸営業所を神戸支店へ昇格 平成8年5月 中華民国台北市に現地企業との合弁により、亞太朝日股份有限公司(現連結子会社)を設立 平成14年10月 千葉営業所を東関東支店へ昇格 平成15年9月 東京アサヒ冷熱工事株式会社、関西アサヒ冷熱工事株式会社、東北アサヒ冷熱工事株式会社、横浜アサヒ冷熱工事株式会社、名古屋アサヒ冷熱工事株式会社および九州アサヒ冷熱工事株式会社の清算手続き結了 平成15年9月 現地企業との合弁を解消し亞太朝日股份有限公司(現連結子会社)の株式(100%)を取得 平成18年4月 神戸支店を大阪支社の営業所として統合 平成19年5月 機器事業部豊富工場(千葉県船橋市)を開設、船橋工場閉鎖
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山一電機 本店:東京都大田区中馬込三丁目28番7号 【商号履歴】 山一電機株式会社(1991年1月~) 山一電機工業株式会社(1956年11月1日~1991年1月) 【株式上場履歴】 <東証1部>2001年3月1日~ <東証2部>2000年3月10日~2001年2月28日(1部に指定替え) <店頭>1988年12月12日~2000年3月9日(東証2部に上場) 【合併履歴】 2004年4月 日 東日本山一電機株式会社 1993年4月 日 ファインモールド株式会社 【沿革】 昭和31年11月 東京都品川区大井立会町に山一電機工業㈱を設立、真空管用ソケットの製造販売を開始。 昭和33年12月 トランジスタ用ソケットの製造販売を開始。 昭和41年1月 集積回路(IC)用ソケットの製造販売を開始。 昭和48年12月 フラットケーブル用圧接コネクタの製造販売を開始。 昭和49年2月 東京都品川区東大井(旧住居表示 大井立会町)から大田区山王へ本社を移転。 昭和54年1月 山中一孝が代表取締役社長に就任。 昭和56年12月 大阪営業所を開設。 昭和57年12月 東京都大田区千鳥に本社ビルを移転。 昭和60年11月 ヤマイチエレクトロニクスINC.(現 ヤマイチエレクトロニクスU.S.A.,INC.)(米国)の全株式を取得。 昭和61年12月 千葉県佐倉市に生産技術センターとして佐倉事業所を開設。 昭和62年2月 九州営業所(現 大分営業所)を開設。 昭和62年4月 大韓民国ソウル市に亜洲山一電機工業㈱を設立。 昭和63年4月 富山県魚津市に㈱ハイエンプラを設立。 昭和63年12月 社団法人日本証券業協会に登録、株式を店頭公開。 平成元年6月 ヤムコエレクトロニクス(シンガポール)PTE LTD(現 ヤマイチエレクトロニクス シンガポール PTE LTD)の全株式を取得。 平成元年12月 東京都大田区中馬込に本社を移転。 平成2年3月 コネクタサービスGmbH(現 ヤマイチエレクトロニクスドイッチェランドGmbH)(ドイツ)の経営権を取得。 平成3年1月 商号を山一電機㈱に変更。 平成4年3月 岡山県浅口郡鴨方町にマティ㈱を設立。 平成4年5月 名古屋営業所を開設。 平成5年4月 ファインモールド㈱(東京都大田区)を合併。東京都大田区大森南に㈱ヤマイチロジスティックス(現 ㈱ワイ・エル・シー)を設立。 平成5年6月 香港に山一電機(香港)有限公司を設立。 平成5年7月 九州営業所熊本出張所(現 熊本営業所)を開設。 平成6年6月 中国廣東省深圳市に山一電子(深圳)有限公司を設立。 平成6年9月 プライコンマイクロエレクトロニクスINC.(フィリピン)の経営権を取得。 平成7年2月 国際品質保証規格「ISO 9001」認証を取得。 平成8年10月 台湾台北市に台湾山一電子股份有限公司を設立。 平成8年12月 プライコンマイクロエレクトロニクスINC.(フィリピン)の部品生産工場(カーメルレイ工業団地内)が竣工。 平成10年11月 国際環境マネージメントシステム規格「ISO 14001」認証を取得。 平成12年3月 東京証券取引所市場第二部に上場。 平成13年3月 東京証券取引所市場第一部に上場。 平成13年12月 千葉県佐倉市に佐倉新工場を建設。 平成14年4月 マティ㈱の計測器事業を営業譲渡。 平成14年4月 光伸光学工業㈱(神奈川県秦野市)の全株式を取得。 平成15年6月 古賀慎一郎が代表取締役社長に就任。 平成16年4月 東日本山一電機㈱(千葉県佐倉市)を合併。 平成17年2月 ㈱アドバンセル(神奈川県相模原市)の全株式を取得。
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三城ホールディングス 本店:東京都中央区銀座二丁目7番17号 【商号履歴】 株式会社三城ホールディングス(2009年4月1日~) 株式会社三城(1988年3月~2009年4月1日) 株式会社メガネの三城(1960年3月~1988年3月) 株式会社三城時計店(1950年1月27日~1960年3月) 【株式上場履歴】 <東証1部>1998年8月3日~ <東証2部>1996年12月17日~1998年8月2日(1部に指定替え) <店頭>1995年8月9日~1996年12月16日(東証2部に上場) 【合併履歴】 1988年3月 日 株式会社パリーミキ 1988年3月 日 株式会社パリーミキ技研 【沿革】 昭和25年1月 兵庫県姫路市伊伝居において㈱三城時計店設立、創業社長多根良尾(故人)が時計・貴金属・眼鏡の販売及び修繕を行う小売店を開業する。 昭和35年3月 本社を姫路市直養町に移転し、社名を㈱メガネの三城に改め、眼鏡専門の小売店へ移行する。 昭和48年3月 当社初めての海外進出として、フランスに眼鏡小売を目的とする現地法人MIKI PARIS S.A.R.L.を設立し、パリ市オペラ通りにパリ店をオープンする。 昭和49年1月 関東地区以東の本格的な出店を図る拠点作りのため、㈱パリーミキ(東京都中央区日本橋)を設立する。 昭和49年7月 シンガポールに眼鏡小売を目的とする現地法人 OPTIQUE PARIS-MIKI (S) PTE.LTD.を設立し、プラザ・シンガプーラ店をオープンする。 昭和53年7月 お客様一人ひとりに合わせた新しい眼鏡創りの研究開発を始めるため、三城光学研究所(岡山県岡山市)を開設する。 昭和55年5月 眼鏡光学機器の技術研究及び開発を主な目的とした㈱パリーミキ技研(兵庫県姫路市駅前町)を設立する。 昭和63年3月 ㈱パリーミキと㈱パリーミキ技研を吸収合併し、社名を㈱三城に改め、本社を東京都中央区日本橋室町に移転する。 昭和63年4月 オーストラリアに眼鏡小売を目的とする合弁企業 VISION EXPRESS OF AUSTRALIA Pty.LTD.(現在のオーストラリア現地法人 PARIS MIKI AUSTRALIA PTY.LTD.)を設立する。 平成2年2月 顧客へのサービスの充実と、販売・商品・人事・会計管理業務の効率化を目的として、POSシステムを全店に導入する。 平成5年8月 中国に眼鏡レンズ製造及び眼鏡小売を目的とする現地法人上海巴黎三城光学有限公司を設立する。 平成6年1月 MIKI PARIS S.A.R.L.が、人工知能を搭載したコンピュータ・グラフィックスを用いて顧客一人ひとりに合わせたメガネをデザインする「ミキシム・デザインシステム」を駆使した近未来型店舗ルーヴル・ミキシム店をオープンする。 平成6年9月 「ミキシム・デザインシステム」の国内店舗への導入を開始する。 平成7年8月 日本証券業協会に店頭登録 平成8年12月 東京証券取引所市場第二部上場 平成9年7月 兵庫県姫路市に新流通センターを開設する。 平成10年8月 東京証券取引所市場第一部指定 平成10年9月 のれん自立店1号店をオープンする。 平成12年10月 中国における眼鏡小売事業の拡大のため、現地法人上海巴黎三城眼鏡有限公司を設立する。 平成16年5月 本社を東京都中央区銀座に移転
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ナック 本店:東京都新宿区西新宿一丁目25番1号 【商号履歴】 株式会社ナック(1977年8月~) 株式会社ダスキン鶴川(1971年5月20日~1977年8月) 【株式上場履歴】 <東証1部>1999年9月1日~ <東証2部>1997年1月28日~1999年8月31日(1部に指定替え) <店頭>1995年9月8日~1997年1月27日(東証2部に上場) 【合併履歴】 2006年4月 日 株式会社まるはら 2003年10月 日 株式会社富士テック 2001年10月 日 株式会社ダイコー 1992年10月 日 株式会社ナックチェーン本部 【沿革】 昭和46年5月 清掃用具のレンタル及び販売を目的として、東京都町田市小野路町1334番地に株式会社ダスキン鶴川を設立 昭和52年8月 商号を株式会社ナックに変更すると同時に、本社を東京都町田市小野路町1811番地に変更 昭和55年8月 本社を、東京都新宿区西新宿1丁目25番1号新宿センタービル(現住所)に変更 昭和61年4月 ベンディング事業(自動販売機の設置及び缶飲料の販売)を開始 平成4年10月 データベースマーケティング業務(建築コンサルティング事業)を開始 平成4年10月 親子会社の一体化を図るために、株式会社ナックチェーン本部を吸収合併(合併比率1:1) 平成6年6月 株式会社アキュラホームと「アキュラ・システム」(ローコスト木造注文2階建及びローコスト木造注文3階建施工ノウハウ)の総販売元となる販売受託契約を締結 平成7年4月 株式会社鈴木工務店と「KISCOシステム」(ローコストRCマンション施工ノウハウ)の総販売元となる販売受託契約を締結 平成7年9月 日本証券業協会に株式を店頭登録 平成9年1月 東京証券取引所市場第二部へ株式を上場 平成10年12月 株式会社スズケン工業と「スーパーメディカルビルドシステム」(医療施設建築支援ソフト)の総販売元となる販売受託契約を締結 平成11年4月 連結子会社 株式会社ダイコー(屋号ダスキン博多)の株式取得 平成11年9月 東京証券取引所市場第一部へ指定替え 平成13年9月 株式会社エルハウスと「アドエキスパートシステム」(販売促進支援ソフト)の独占出版権・販売権に関する業務提携契約を締結 平成13年10月 連結子会社 株式会社ダイコーを吸収合併 平成13年12月 ボトルウォーター事業に進出 平成14年2月 現連結子会社 タマキューホーム株式会社設立 平成14年4月 大賀建設株式会社と「グランピア・システム」(木造注文住宅のローコスト施工ノウハウ)の宣伝・販売を目的に技術等提携契約を締結 平成14年12月 持分法適用会社 株式会社富士テックの株式を取得 平成15年5月 株式会社富士テックの全株式を取得 平成15年10月 連結子会社 株式会社富士テックを吸収合併 平成17年2月 ボトルウォーター事業 「クリスタル・クララ」のチェーン本部設立 平成17年2月 株式交換により、株式会社まるはら(屋号ダスキンまるはら)を完全子会社化 平成17年4月 株式交換により、現連結子会社 株式会社ダスキン境(屋号ダスキン境)を完全子会社化 平成18年4月 非連結子会社 株式会社まるはらを吸収合併 平成18年10月 現連結子会社 株式会社レオハウス設立
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藤久 本店:名古屋市名東区高社一丁目210番地 【商号履歴】 藤久株式会社(1961年3月1日~) 【株式上場履歴】 <東証1部>2013年5月30日~ <名証1部>2013年5月30日~ <東証2部>2003年8月8日~2013年5月29日(1部指定) <名証2部>2003年8月8日~2013年5月29日(1部指定) <店頭>1994年4月8日~2003年8月7日(東証2部に上場) 【沿革】 当社は、昭和27年4月、創業者の故後藤久一が名古屋市中村区において、絹糸類の加工販売を主要業務とする「後藤縫糸」を創業したのに始まり、昭和36年3月、「藤久株式会社」に組織変更いたしました。 昭和36年3月 絹糸類の加工及び販売を目的とする藤久株式会社を愛知県名古屋市西区替地町(現名古屋市西区那古野)に資本金1,800千円で設立。 昭和43年6月 本社を愛知県名古屋市中区千郷町(現名古屋市中区新栄)に移転。 昭和43年7月 手芸専門店のチェーン展開を開始。「手芸のすずらん」直営1号店を愛知県安城市のショッピングセンター西川屋安城店(現ユニー安城駅前店)内に開店。 昭和45年1月 手芸のすずらんフランチャイズ加盟店(以下「FC店」という。)第1号店を石川県江沼郡山中町に開店。 昭和50年12月 本社ビルを愛知県名古屋市名東区高社一丁目210番地(現本店所在地)に新設し、移転。 昭和55年9月 通信販売で籐工芸材料・籐工芸用品の取扱いを開始。 昭和57年8月 第2ビルを愛知県名古屋市名東区猪高町(現名古屋市名東区猪子石)に新設。 昭和58年6月 「手芸センタートーカイ」第1号店を愛知県名古屋市千種区今池に開店。 昭和60年7月 第3ビルを愛知県名古屋市守山区白山に新設。 昭和62年8月 東名センター(現長久手ビル)を愛知県愛知郡長久手町に新設。 昭和63年2月 通信販売で衣料品の取扱いを開始。 昭和63年8月 東海手芸株式会社(解散)から4店舗の営業を譲受ける。 平成元年9月 POSレジを直営店全店舗に設置し、ホストコンピュータ連動のPOS(販売時点情報管理)システムの導入。 平成4年10月 店舗運営における商品管理・販売情報管理の充実及び発注業務省力化のための「FIT―SYSTEM」(当社独自のEOSシステム)の導入。 平成5年1月 店舗運営における販売委託制オーナーシステムを発足し、加盟者の募集開始。 平成5年7月 「手芸センタートーカイ」オーナーシステム制販売委託店(以下「OS店」という。)6店舗で開始。 平成6年4月 日本証券業協会に登録、店頭登録銘柄として株式公開。 平成9年9月 「サントレーム」第1号店を岐阜県各務原市鵜沼西町に開店。 平成13年8月 「ビーズハウスマミー」第1号店を愛知県名古屋市中区栄に開店。 平成14年2月 「手芸センタートーカイ」のショップブランド名を「クラフトハートトーカイ」に刷新し富津店、荒尾店の新規開設店舗より展開開始。 平成15年8月 東京証券取引所市場第二部及び名古屋証券取引所市場第二部に株式を上場。 平成15年9月 「クラフトワールド」第1号店を埼玉県さいたま市大宮区に開店。 平成16年3月 「クラフトパーク」第1号店を静岡県島田市宝来町に開店。 平成17年3月 「クラフトループ」第1号店を千葉県四街道市に開店。 平成19年6月 平成19年6月30日現在、店舗総数400店(うちOS店174店)。
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エコス 本店:東京都昭島市中神町1160番地1 【商号履歴】 株式会社エコス(1999年9月~) 株式会社たいらや(1991年3月~1999年9月) 株式会社トーワマート(?~1991年3月) 【株式上場履歴】 <東証1部>2005年2月1日~ <東証2部>2004年3月31日~2005年1月31日(1部指定) <店頭>1996年10月24日~2004年3月30日(東証2部に上場) 【合併履歴】 1999年9月 日 株式会社ハイマート 1992年3月 日 株式会社味好屋 1991年3月 日 株式会社スーパーたいらや 【沿革】 昭和40年12月 青果物販売を業とする個人商店八百元を、業容拡大を目的として改組し、有限会社たいらや商店を設立。 昭和54年12月 東京都青梅市に吉野店を開店。 昭和59年9月 有限会社たいらや商店を組織変更し、株式会社スーパーたいらやを設立。 平成2年3月 共同仕入等を事業とするボランタリーチェーン、協同組合セルコチェーンに加盟。 平成3年3月 株式の額面金額を変更するため、株式会社トーワマート(形式上の存続会社)と合併。株式会社たいらや(現・株式会社エコス)に商号変更。 平成4年3月 株式会社味好屋(本社埼玉県鶴ヶ島市 店舗数14店)と合併。 平成8年10月 日本証券業協会に株式を店頭登録。 平成9年6月 株式会社たいらや北関東(本社:栃木県宇都宮市 連結子会社、現・株式会社たいらや)は、「株式会社エーリスウエノ」より食品スーパーマーケットチェーンの営業権を譲り受け、営業を開始。 平成10年6月 株式会社ウエルセーブから店舗譲受(3店舗)。 平成11年3月 株式会社ハイマート(本社:茨城県下館市 現・茨城県筑西市)と合併契約書締結。 平成11年9月 「株式会社ハイマート」と合併し商号を「株式会社エコス」に変更。 平成13年8月 株式会社たいらや北関東(現・株式会社たいらや)は、株式会社うえのユーマートを子会社化し、3店舗の営業を開始。 平成13年8月 株式会社スーパー・トップから店舗譲受(2店舗)。 平成13年9月 株式会社コマバから店舗譲受(3店舗)。 平成14年3月 株式会社たいらや北関東(現・株式会社たいらや)は、株式会社うえのユーマートを吸収合併。 平成15年2月 松菱商事株式会社(本社:静岡県浜松市 現・株式会社シーズンセレクト)の株式を取得して連結子会社化。 平成16年3月 東京証券取引所市場第二部に株式を上場。 平成16年7月 松菱商事株式会社(本社:静岡県浜松市 連結子会社、現・株式会社シーズンセレクト)の民事再生手続終結。 平成16年8月 株式会社マスダ(本社:茨城県常総市)の株式を取得し、連結子会社化。 平成16年11月 株式会社やまうち(本社:茨城県石岡市)の株式を取得し、連結子会社化。 平成17年2月 東京証券取引所市場第一部に株式を上場。 平成17年3月 連結子会社株式会社たいらや北関東は、株式会社たいらやに商号変更。 平成17年10月 株式会社マスダ(本社:茨城県常総市 連結子会社)の民事再生手続終結。 平成17年12月 財団法人日本情報処理開発協会よりプライバシーマークの認定承認 平成18年10月 連結子会社松菱商事株式会社は、株式会社シーズンセレクトに商号変更。
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バンダイビジュアル 本店:東京都港区東新橋一丁目9番2号 【商号履歴】 バンダイビジュアル株式会社(1991年8月~) バンダイビジュアル販売株式会社(1989年3月~1991年8月) 株式会社エィ・イー企画(1983年8月~1989年3月) 【株式上場履歴】 <東証1部>2006年2月1日~2008年2月15日(株式会社バンダイナムコホールディングスと株式交換) <東証2部>2003年12月12日~2006年1月31日(1部に指定替え) <店頭>2001年11月28日~2003年12月11日(東証2部上場) 【合併履歴】 2009年4月1日 株式会社アニメチャンネル 【沿革】 昭和58年8月 映像パッケージソフトの販売を目的として、東京都千代田区麹町一丁目6番4号に㈱エィ・イー企画を設立。㈱バンダイが企画製作する映像パッケージソフトの販売代理店となる 昭和58年11月 ビデオカセット(VC)を発売開始 昭和58年12月 本社を東京都港区六本木五丁目11番38号に移転。世界初のオリジナルビデオアニメーション(OVA)「ダロス」をビデオカセットで発売 昭和59年6月 本社を東京都港区六本木五丁目16番3号に移転 昭和59年10月 レーザーディスク(LD)を発売開始 昭和60年5月 本社を東京都渋谷区神山町10番3号に移転 昭和63年3月 大阪府大阪市北区に関西事業部(現大阪営業所)を開設 昭和63年7月 日本で初めてのセルスルー方式(販売専用の低価格商品)ビデオカセットを発売開始 平成元年3月 バンダイビジュアル販売㈱に商号を変更。愛知県名古屋市昭和区に名古屋営業所を開設 平成2年3月 本社を東京都新宿区新宿一丁目26番6号に移転 平成3年8月 バンダイビジュアル㈱に商号を変更。本社を東京都台東区駒形二丁目4番11号に移転 平成4年10月 バンダイグループにおける映像事業の企画、製作、販売の一元化を目的として、㈱バンダイメディア事業部の営業を譲受ける 平成6年3月 本社を東京都台東区松が谷一丁目3番5号に移転 平成7年3月 マルチメディア事業に対する融資及び投資を目的とし、子会社マルチメディアファイナンス㈱を設立(平成10年11月解散) 平成8年7月 ゲームソフトの企画・製作部門の強化等を目的とし、子会社㈱ビー・ファクトリーを設立(平成12年12月に売却) 平成8年12月 TVアニメーションの企画・製作部門の強化等を目的とし、子会社㈱ビースタックを設立(平成13年2月に売却) 平成9年7月 東京都杉並区にデジタルエンジン研究所(現 荻窪スタジオ)を設置。DVDビデオを発売開始 平成13年11月 日本証券業協会に株式店頭登録(平成15年12月登録廃止) 平成15年1月 音楽事業の拡大を目的とし、㈱エモーションミュージックを子会社化 平成15年12月 東京証券取引所市場第二部に株式上場 平成16年9月 本社を東京都港区東新橋一丁目9番2号に移転 平成17年1月 海外事業の強化を目的とし、子会社BANDAI VISUAL USA INC. を設立 平成18年2月 東京証券取引所市場第一部に指定 平成18年3月 子会社㈱エモーションミュージックから㈱エモーションに商号変更 平成18年5月 音楽事業の拡大を目的とし、㈱ランティスを子会社化 平成18年7月 映像及び音楽配信やEコマース等の事業を目的とし、子会社㈱アニメチャンネルを設立
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ケ ー タ イ よ り 自 分 を 充 電 し ま せ ん か ? 予 約 は 簡 単 楽 天 ト ラ ベ ル 楽 天 ト ラ ベ ル 【2時間で行ける欧州・極東ロシアの旅】 第5話)遊びじゃないぞ、子供鉄道 《シベリア・サハリン旅行記||ウラジオストク|ハバロフスク|ユジノサハリンスク》 サハリンを後にし、今度は内陸のハバロフスクに飛ぶ。着陸態勢に入った機内の窓にはアムール川の姿が映し出される。その広大さは想像を絶するもので、巨大な河川敷の中に何本もの川が蛇行し、その川の集団が一本の広大な塊となって大地を貫いているとでも表現すればいいのだろうか。 広大なアムール川とハバロフスクの街並み 本物の大河とはこういうもので、アムール川に比べたら、日本最長の利根川ですら赤ん坊の小指の先に思えてしまう。 そのアムール川のほとりの丘に開けた街がハバロフスクだ。欧州ならではのしっとりした佇まいの通りに、時折ノスタルジックな路面電車がギィーと音を立てて行き交う。 ハバロフスク市内 そんなハバロフスクの郊外には、夏の間だけ子供が運営を行っている「子供鉄道」なるものが存在する。 子供鉄道 ― なんとも奇妙な存在である。調べてみると全長2.5kmの路線に1日8本の列車が夏季のみ運行されてるのだが、それだけの営業で採算が取れるのだろうか? ま、ともかく行ってみよう。 市内バスで「子供鉄道」乗り場に向かう。ガイドブックにあるロシア語表記を車掌に指差し確認すると、「ここで降りろ」とちゃんと教えてくれたのはありがたかった。 動物園の門のような扉をくぐると小さな駅舎があった。キップ売り場に行くと、そこには子供と言うには少し無理のある兄ちゃんがキップを販売していた。本当はこの鉄道、子供鉄道と訳すより青少年鉄道と翻訳するのが実態にふさわしい。 ホームに向かうと、小さな客車に機関車を連結する作業が行われていた。一般のロシア国鉄に比べたら二周り程小さい車両だが、それでも本物の機関車を運転しているのは少年だ。そしてちゃんと連結出来たかどうか、教官らしき大人がチェックを入れている。そうだ、この鉄道は将来の鉄道員を養成する訓練施設だという話を思い出した。それを一般に開放しているというわけだ。 子供鉄道 では僕の他にここを訪れる一般客とはどんな人たちだろうと周りを見てみる。親子連れが何組かとお転婆娘3人組がいた。 そして、いざ列車が発車するぞというその瞬間、僕は自分の観察力の欠如に笑ってしまった。 一般人乗客と思っていた少女3人組。その少女たちがひとりずつ3両の客車の前に立って車掌ごっこを始めたのだ。そして旗を持って出発前の安全確認の手旗信号まで送っている。随分と 鉄 分の濃いマニアだなぁ、と思ったら、そうではない。彼女たちもまた訓練生であった。 ついさっきまでくっちゃべっていたカジュアルな格好のお転婆たちが、いざ仕事となると真剣モードになる、その気持ちの切り替えの早さは見事だ。 列車が動き出すと、見習い少女車掌が乗客のキップをチェックしにくる。続いて教官のオバサンの前で車内アナウンスの発声練習をこなす。子供鉄道だからといって、遊びでやってるわけではないのだ。 子供鉄道で修行中の若者たち そんな光景を見ているうち、僕はあるたくらみを閃いてしまった。 ちょっと前に日本の某S武鉄道がメイド列車を企画して大盛況だったという話を思い出した。これを応用して、この子供鉄道の少女車掌にメイドの格好をさせるのだ。子供xメイド=ロリータ。これに鉄道とくれば、マニアな旅行者が日本から大挙してやって来ること間違いなし。やあ、ビッグアイデアだ。 でもこの企画、どこに持ち込んだらオイラにお金が落ちるのだろう? (続く) もどる < 5 > つぎへ なんちゃって世界旅行-海外旅行記|中東|アフリカ|中南米|アジア|タイ|欧州|沖縄| なんちゃって世界旅行ブログ-新着情報&雑談