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. + ⊂ニ⊃ ,-、,-、 + λ '' ‐- , /`゚`ii´゚ヽ , -‐ '' フ ゝ ヽ( ⊂ ⊃ )ノ ノ ヒ ト の 子 の生 に 限 り は あ れ ど 、 ゙''‐-‐'γ´ `ヽ'‐-‐''゙ * / ,イ i、. `, + ./ / | / \ \ * き の た け は 永 遠 な り 。 + ./ / | / ヽ \ し'゙ l / ゝ ノ ./ / / / ,, -‐ 、 + + ./ / / ,‐'' ~ヾ , / ./ .i / o.i | / / i + // / / ○ /," ━DB教神父━ ここは戦死をとげたきのたけの兵士が眠り、その名誉を称える場所。 清らかな気持ちで各兵士を偲びましょう(きのたけ神父) 戦死については、wiki内用語集「戦死」を参照 戦死者一覧 上巳戦役(2011,2,26)にて クルトン、黒砂糖、竹内、軍隊蟻、Tejas、Ω ここだけきのこたけのこ大戦 コンマ00で必殺技発動(2011,4,9)にて 山本 ここだけきのこたけのこ大戦 皐月戦役(2011,5,29)にて 斑虎 ここだけきのこたけのこ大戦 水無月戦役(2011,6,11)にて ¢ ここだけきのこたけのこ大戦 水無月戦役(2011,6,18)にて 竹内、黒砂糖 ここだけきのこたけのこ大戦 文月戦役(2011,7,2)にて 山本 ここだけきのこたけのこ大戦 長月戦役(2011,9,3)にて 山本 ここだけきのこたけのこ大戦 クリスマス戦役(2011,12,24)にて 斑虎、95黒、埼玉、筍魂 ここだけきのこたけのこ大戦 クリスマス戦役(2013,12,25)にて 埼玉
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原田敬一「日清・日露戦争」 シリーズ日本近現代史3 岩波新書 http //www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_kkn/kkn0702/sin_k341.html 書評日記 http //plaza.rakuten.co.jp/boushiyak/diary/200704270000/ 第1章 初期議会 1 憲法実施の一挙 2 第一議会の攻防 3 積極主義への転換 第2章 条約改正 1 シベリア鉄道と日本 2 引き続く議会との対立 3 伊藤博文と自由党の模索 4 条約改正と帝国議会 第3章 日清戦争 1 協調からの離脱 2 朝鮮と日本の民衆 3 開戦へ 4 戦争の実相 5 終戦から戦後へ 第4章 台湾征服戦争 1 過酷な征服 2 「外地」の誕生 3 膨張の逆流 第5章 日清戦後と国民統合 1 「戦後経営」の出発 2 近代法体系 3 「戦後経営」の政治 4 国民統合の進展 第6章 民友社と平民社 1 戦争と底辺 2 文学と社会 3 ジャーナリズムの成熟 第7章 日露戦争と韓国併合 1 押し開けられた扉 2 日露戦争 3 講和への動き 4 戦争の記憶 5 韓国併合へ おわりに――「輝かしい明治」論とナショナリズム あとがき 参考文献/略年表/索引 台湾の歴史・日台関係史
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戦死者の獣:A+ (スルト) 取り込んだフェンリルの力を発揮されるスキル。 本来スルトが有してる対神特攻の性能がさらに跳ね上がる。
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75 :yukikaze:2013/12/21(土) 00 53 59 日清戦争史 第五章 北の斗星 黄海海戦での完全敗北は、紫禁城に激震をもたらした。 大敗の第一報を聞いた皇帝は、一瞬顔を青ざめるも、次の瞬間、戦死した丁司令官の一族を直ちに族滅するよう金切声をあげたとされる。 さすがにこれは、李や西太后が止めたものの、皇帝の丁に対する怒りは凄まじく、財産没収と官職剥奪、更には葬儀すら許さぬという苛烈ぶりであった。 また、大敗に対する怒りからか、海軍残存部隊への扱いは冷たく、海軍基地に残留していた兵は、悉く陸戦隊として最前線に配属されることになる。 当然のことながら、彼らの士気や規律は最悪レベルであり、陸軍からは「弾除けにもならない」と罵倒され、それが更に規律の悪化につながるという悪循環振りであった。 こうした実績からか、これ以降の大陸の政府は基本的に海軍を信用することはなく、唯一、日本の影響が大きい福建共和国を除けば、今なお海軍は河川艦隊レベルしかない。 閑話休題。 海軍の大敗と皇帝の海軍への侮蔑感は、同時に海軍推進派であった李の政治基盤を揺るがせるのに十分であった。 無論、清国内において精鋭の陸軍を有していたことから、海軍壊滅即失脚にはならなかったが、それでも彼に対する風当たりは強くなり、反対に皇帝の側近や塞防派の勢いが増すことになる。 そしてそれは、老練な政治家である李に代り、感情的な思考しかない側近と、功名心に逸る塞防派が戦略を練るということであり、このことは清国の戦争指導が、極めて近視眼的なものへと陥らせることになる。 さて、北洋水師大敗によって制海権を完全に牛耳られた清国であったが、彼らは(しぶしぶながら)日本侵攻の戦略を諦め、代わりに朝鮮半島で遅滞防御戦を行いつつ疲労の極にある日本陸軍を、塞防派の精鋭部隊によって完膚なきまでに叩き潰すという戦略を策定する。 彼らにしてみれば、海でついたケチは、陸での大勝利によって取り戻せることができ、そして自分達にはそれだけの実力があると確信をしていたからであったが、問題は、朝鮮半島での遅滞防御は李の部隊に任せるとして、主力部隊をどこに置くかであった。 76 :yukikaze:2013/12/21(土) 00 55 06 塞防派が主張したのは奉天であった。 東北部有数の要衝であるこの地は、大軍を養う事も可能であり、且つ半島にも近かった。 故に迅速に行動に移すのであれば奉天に陣取るのが一番良いのだが、皇帝側近から「蛮夷どもが天津に上陸した場合どうするのだ」という意見が出るに及んで、事はそう簡単にはいかなくなる。 皇帝側近にしてみれば、まず重要なのは自分の生命財産でありそれ以外の事象は全くの無価値であった。 そして彼らは、蛮夷の総大将ともいうべき人間が、天津から一気に北京を突く策に賛同しているという事を漏れ聞いて、自らの権益を守るために、北京防衛を主張したのである。 勿論、名目上は「蛮夷どもに帝都を犯させるなどあってはならない」という、誰もが表立っては反論できない理由を押し立てていたが。 塞防派は、側近たちの真意を理解し、苦々しい気分でいたが、皇帝側近の「蛮夷の兵など楽に叩き潰せるといったではないか」という発言の前に、当初奉天に集中するはずだった兵力を2分せざるを得なくなる。 結果、後世の目から見れば、当初案ですら日本陸軍に劣勢だった清国満州方面部隊は、この決定によって勝利は絶望的なものになっていく。 このように清国軍は、主だった軍勢を3分割するという決定を行ったのだが、これは日本にとっては好機以外の何物でもなかった。 日本にとって最も嫌だったのが、北京に全軍を集結させての持久戦であった。 補給の問題もさることながら、直隷決戦で負けるとは言わないが、仮に皇帝が西安かどこかに落ち延びてしまった場合、泥沼の長期戦という悪夢が待っているのである。 朝鮮侵攻派にとっても、天津侵攻派にとっても、そのシナリオだけは避けたいというのは一致しており、清国側がわざわざ自らの防備を捨て去ってくれたことは天佑と言っても良かった。 陸軍元帥である西郷は「これこそ天の与えた好機である」として、なお一層天津攻略からの北京制圧案を主張し、清国政府の崩壊による列強の干渉の危険性を訴える大久保や伊藤と激論を交わすことになる。 結局この議論は、明治天皇の「武器を持たぬ一般の民への被害をなくすように」という言葉により、今後の戦略は、敵野戦軍の完全な撃滅によって、清国宮廷の戦意を喪失させるという目標が決定され、一般市民の犠牲が膨大になりかねない北京侵攻は立ち消えになる。 もっとも、西郷は、北京への一気呵成の侵攻は諦めたものの、清国陸軍の分断を固定化しその上での各個撃破を行うための方策として、一つの作戦案を提示することになる。 それは制海権を握っているからこそ可能な戦略であり、同時に決まれば確実に清国陸軍を分断させることに成功するのだが、反面、輸送面の問題から、安定した補給を行うには動員兵力は2個師団が限界であった。 もっとも、西郷はこの男が総大将ならば10倍の兵力が相手であっても十分にしのげると主張し、大多数の将官もそれに何の異論もなく賛同をしている。 かくして黄海海戦の傷も癒えた日本海軍の護衛の元、9月初旬に、日本陸軍の第二師団(仙台)と第13師団(会津若松。史実では高田)の二個師団が錦州に上陸。 清国駐留兵を鎧袖一触で蹴散らすと、堅固な防衛陣地を建設し、北京~満州・朝鮮方面部隊の連絡を遮断することに成功する。 清国側にとってはまさかの一撃であったが、それ以上に彼らにとって不幸だったのは、この2個師団を率いる男が、戊辰戦争において幕府軍で気を吐いた闘将であったという事だった。 山川浩陸軍中将 戊辰戦争で甲府城に籠城し、新政府軍の攻勢を最後まで耐え続け、その武勇と知略から故郷の人から「斗星(北斗七星)の北天に在るにさも似たり」と絶賛されることになるこの男は、日清戦争において戊辰戦争と同様、縦横無尽に活躍することになる。
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992 :yukikaze:2013/12/14(土) 02 21 05 日清戦争第4章投下。なお、松島型装甲巡洋艦の設定をちょっと改編。 日清戦争史 第四章 黄海海戦 海軍とは何か? この命題に対し、日本海軍の主張は首尾一貫していた。 「自国の商船が安全に航海できるようにする存在である」 後世、数多の海軍が、ややもすると「決戦」を主目的とする悪癖に捉われがちであったが、日本海軍においては「決戦」はあくまで「手段」であって「目的」ではなかった。 彼らの主目的はあくまで「自国商船の保護」であった。 故に彼らは巡洋艦の建造に熱心であった。 初の防護型巡洋艦というべき秋津洲型防護巡洋艦(史実新高型防護巡洋艦)の性能にほれ込んだ日本海軍は、破格と言っていい12隻もの量産を開始する。 当時の軍艦の常識からすれば、あまり強力でない武装であったが速力と航洋性能、そして何より堅牢で実用的な面は、通商路防衛を重要視する日本海軍にとって必要不可欠な艦であった。 無論、万が一決戦を行うための巡洋艦整備も怠りなく、高速巡洋艦といっていい吉野型防護巡洋艦(史実と同様)を4隻、更に世界初といっていい装甲巡洋艦である松島型巡洋艦(史実デュプレクス級装甲巡洋艦相当の艦。ただし連装砲塔形式が間に合わず、19.4cm単装砲2門である)も4隻というラインナップを整えている。 そして日本海軍は、可能な限り兵装と速力を統一し、艦隊運用がやりやすいように整えている。 そう。彼らは艦隊を「ユニット」として捉えており、艦隊を如何に有機的に運用できるかを重視していたのであった。 この日本海軍の整備計画は、日本海軍に講師として招かれた英国海軍の関係者も高く評価し(「サムライ達は海軍という物をよく理解している」)これが日英同盟を結ぶ際の有力な根拠になったとされている。 これと対極的なのが清国海軍であった。 確かに彼らは、当時アジアで最大の艦である定遠級を2隻配備することに成功したが、彼らは定遠級の強大さに幻惑され、「定遠級さえあれば無敵」という誤った価値観を信仰することになる。 結果的に彼らは、定遠級の幻想に胡坐をかき、「ユニット」としての海軍戦力の維持発展を取りやめてしまったため、日清戦争開戦時には、艦隊の実戦力において、日本海軍に大きく後塵を拝することになっていた。 もっとも、彼らは、日本海軍に定遠級を打ち破れる感が存在しなかったため、そうした事実に全く気付くことはなかった。 むしろ、定遠に匹敵する艦を建造せず、それほど攻防能力が高くない巡洋艦ばかり揃えていた日本海軍を馬鹿にし「定遠級の衝角で、奴らの泥船を引き裂いてくれる」と、豪語する程であった。 当然のことながら、黄海で日本海軍と接触した時、彼らの士気は高く、ややもすると慢心の域に達していた。 993 :yukikaze:2013/12/14(土) 02 21 39 だが、彼らの自信は、無残にも打ち砕かれることになる。 この時日本海軍は、本隊(松島型4隻、秋津洲型4隻)と遊撃隊(吉野型4隻、秋津洲型4隻)に分かれていたのだが、北洋艦隊は連合艦隊本隊に対して衝角戦に持ち込むべく接近を試みるが、速力で勝る日本海軍に取り付くことが出来ず、本隊と遊撃隊の連携による十字砲火を受け、砲撃開始から15分で、清国艦隊の右翼部隊は戦力を喪失することになる。 無論、この時点では定遠級は多数の被弾を受けながらも航行可能の状態であり、左翼部隊と連携し、連合艦隊本体への肉薄を試みるのだが、厳島から放たれた19.4cm砲弾が、定遠の艦橋に直撃し、丁汝昌提督を始めとして、艦隊の主要メンバーを負傷させることになる。 悪いことに、丁は、旗艦が指揮不能状態に陥った際の権限委譲の手順を決めていなかったため、北洋艦隊の各艦は、命令系統の喪失を受けて大混乱に陥り、統一した運用はほぼ不可能になる。 結果的に北洋艦隊は、連合艦隊によって各個撃破され、逃亡を図った部隊も吉野型の追撃を受けて海の底へと誘われることになる。 日本海軍の圧倒的な大勝利であった。 なお、清国側が多大な期待を抱いていた定遠型は、確かに砲撃によって沈むことはなかった。 しかしながら、日本海軍が逃走を始めた清国海軍残存艦隊を追撃し始めた時、両艦は機関が停止し、多数の被弾により、上部構造物や船体は廃墟と化し、燃え盛る炎によって、落城する間際の城といわんばかりの状況に陥っていた。 1部の海軍士官からは「火を消し止めて日本海軍の物にすれば」という意見も出されたが、連合艦隊司令長官である伊東祐亨中将は「あんなもの貰っても始末に困る」と一顧だにせず、連携機雷によって撃沈させるよう命令すると、後は追撃戦に集中するだけであった。 そう。日本海軍上層部にとっては、定遠級は「あんなもの」程度でしかなかったのだ。 個艦の強さを海軍の強さであると勘違いした清国海軍の悲劇を示すエピソードと言えるであろう。
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日清・日露戦争 第3章 日清戦争 4 戦争の実相 4 戦争の実相不潔とにおい 猛暑から酷寒へ 旅順虐殺事件 兵士と軍夫 黄海海戦の「完勝」 主カを逃した失敗 不潔とにおい 兵士たちが上陸して感じたのは、まず「不潔」と「におい」だった。「におい」が、生活文化を背景にした異なったものとして認識されることは、時代を超えて異文化に遭遇した際の共通体験といえる。「におい」や「不潔」という第一印象記録は、日露戦争やアジア・太平洋戦争など多くの従軍日記にしばしば見られるものである。松山市駐屯の歩兵第二二聯隊の一士官も、八月五日朝鮮国の元山(ウォンサン)港に上陸した印象を記した。 さらに驚きは、聞きしに勝る不潔である。道路は塵糞にておおわれ、不潔の大王をもって自ら任ずる豚先生、鼓舞を引き連れ、人間どもを横目で睨みつつ道路を横行する。臭気鼻をつき、嘔吐をもよおすなり。(濱本利三郎『日清戦争従軍秘録』) と、「塵糞」に覆われ、家畜が右往左往する街に驚いている。 日清戦争の兵士は、一八七二年の学制発布後に生まれている。彼らは、学校と軍隊という二つの教育により、「衛生」や「清潔」について、念入りにたたき込まれるという経験を、理念的にも(「衛生的であることが近代人である」)、身体的にも(「まず手を洗い、食事をしよう」)経てきている第一世代である。兵士たちは、克服すべき対象の欠陥に最も敏感であり、「不潔」と「におい」の向こうに、必ず「遅れた文化」を見据えている。平壌を占領した後備歩兵聯隊の軍曹は「朝鮮と申す処は御承知の通り野蛮も甚だしき処に御座侯」と故郷への手紙の冒頭に記した(『東北新聞』一八九五年一月九日)。 「文明の義戦」なるイデオロギーは、そのままでは浸透しないが、自分の生活文化と異なったものを自覚した時、優劣を腑分けし、戦闘と殺戮を正当化する意識操作を開始する。これが商業や観光のために外国へ赴く人々と兵士の大きな相違である。日清戦争は異文化衝突を大量に生み出した最初の国民的体験であった。衛生に対する完全な知識が兵士たちに装備されていたのか、といえば、「不潔」を第一印象とする多くの兵士にあって、そうではなかった。日 73 清.日露戦争を通じて、多数の戦病死者が出るが、その多くは赤痢やコレラなど消化器系の罹病であった。補給の不備という条件から、腐敗した食物や水を口にしていたのである。 猛暑から酷寒へ もう一つの敵は夏であった。最初の混成第九旅団を除き、多くの部隊が出兵したのは七月から八月。動員過程でも死者が出ていた。 八月四日・充員召集の命を受けた歩丘一第七聯隊は、金沢市から官営鉄道の駅である福井県敦賀まで一六〇キロを陸行せよとの旅団命令を受領、二八日午前六時三〇分に金沢城を出発する。九月一日、敦賀に到着するまでに日射病患者一二五九名、死者五名(翌二日に一名)という惨事となった。これに材を取った泉鏡花は、「予備兵」という最初の本格的現代小説を、同年一〇月の『読売新聞』に連載している。 この年の夏は朝鮮でも暑かった。先の濱本少尉は、「この不潔よりいっそう驚いたこと、吾々がいまだかって体験せざるのはその暑さである。日中、華氏の百二十五度ないし三十度、軍人は冬衣夏袴という秋季の服装でこの大暑を過ごすこと、実に釜中に座し、火中を歩行すると同様である」と猛暑を記録している。華氏一二五度は摂氏五一・七度。濱本少尉は、別の所で「華氏百二十五度乃至三十度という金燻の暑中」と表現している。華氏一三度は摂氏五四・四度で、体感温度としても相当な暑さである。兵士らが肩に担う背嚢は五貫(一八キロ)、それに小銃や弾帯など相当な重さを装備して猛暑の中の行軍となった。日本の軍隊は、日清戦争から 74 アジア・太平洋戦争終了まで五〇年問、アジアを歩き続けたと言っても過言ではない。その始まりである。アジアを歩き続けて私たちは何を見てきたのか、歴史を問う意味がここにもある。 七月の緒戦で、牙山に進駐していた清国軍を敗走させた後は、朝鮮国北部の平壌に集結している北洋陸軍の潰滅が目標となった。第一軍による平壌攻略戦(九月一五日)が終わると、次の戦略目標は、首都北京をめざす直隷決戦である。一〇月二五日、鴨緑江を渡河し、清国に入った歩兵第二二聯隊は、遼陽方面に向かって進んだ。一一月二五日の草家嶺(そうかれい)の戦闘最中に初雪が降り、一時間で三センチ積もった。二九日の退却行では「三時間余り、雪中に両足を没した」ので「急ぎ焚火で暖めたが足は膨張して赤く、これぞ最も恐るべき凍傷の発生である」と、部隊で「凍傷にかからぬ者は、実に十人中二、三人であった」という(濱本利三郎)。 旅順虐殺事件 一八九四年九月、大本営は旅順半島攻略のため第二軍を編成した。第一師団と混成第一二旅団(第六師団所属)で編成し、一一月二一日未明から旅順攻撃を始め、正午頃には周囲の砲台等を占領した。午後以降市街と付近の掃討作戦が始まる。 そこで捕虜や、婦女子や老人を含む市民を虐殺する事件が起きた。二五日頃まで市街の掃討が続き、同時に旅順から金州方面に脱出しようとする敗残兵の掃討も行われた。これらを「旅順虐殺事件」と捉えるのは、戦闘と掃討戦の両方で、捕虜を取る意志がほとんどなく(計二三二人のみ、『戦役統計』)、軍人と民間人を無差別に殺害する例が多く、捕虜や負傷兵の殺害もあり、 75 敗残兵捜索のための村落焼き討ちも行われるなど、容赦ない残酷な戦闘であったことが、参加した兵士らや内外のジャーナリスト、観戦武官などにより明らかであることによる。 一一月二八日の英紙『タイムズ』による「〔旅順での〕戦闘後二〇〇名の中国人が、日本人捕虜を扱った際の冷酷な暴行に対する報復として虐殺された、という噂があるので確認が必要だ」という報道から事件は広がる。翌日にも「両軍が残虐な行為を行ったという報告が確認された。多くの日本人捕虜が首を切られ、手足を切断されて発見された。それゆえに日本軍は住民を一掃した。無差別の虐殺である」という旅順に上陸した英国人将校の情報を掲載した。一二月には、米国の新聞『ワールド』に「日本軍の大虐殺」と題し、「三日間にわたる殺人」「無防備で非武装の住民は家の中で殺された」などの記事が掲載され、欧米各地の新聞に転載された。 欧米新聞の報道に接した参謀総長熾仁親王は、第二軍の虐殺や掠奪という風説に答えよ、という親書を持たせた使者を大山第二軍司令官のもとに急いで派遣した。二週問後に大山は「旅順市街の兵士人民を混一して殺戮したるは実に免れ難き実況」と明確に認めつつ、市街戦が薄暮で行われたことなどを挙げて弁解した。 事件はイギリスに続く条約改正の実現の妨げになる可能性もあった。栗野慎一郎駐米公使は、国務長官から、事実であれば条約改正が困難になる、と警告され、陸奥に対処を仰いだ。陸奥 76 は栗野に「旅順口の一件は風説ほどに夸大(こだい)ならずといえども、多少無益の殺戮ありしならん」と認めた上で、戦闘の混乱の中での行き過ぎた行為、という論法で突破しようとした。「被殺者の多数は無辜の平民にあらずして清兵の軍服を脱したるものなりという」と新情報を付け加え、こうした「許多(きょた)の流説を傍生せざる内に」新条約が上院を通過するよう「敏捷の手段を執」れと厳しく命じた(『蹇蹇録』)。事件は曖昧のうちに終わるが、旅順には今でも旅順虐殺被害者の集団墓が、一〇〇年問の修復・再建・新設を経て維持されている。 兵士と軍夫 参謀本部編『明治廿七八年日清戦史』によれば、全動員兵力は二四万〇六一六名で、うち一七万四〇一七名が戦場に派遣された。それ以外に、日本人軍夫一五万四〇〇〇名が集められ、数千人の国内使役のほかは戦場に派遣された。日本人軍夫は事実上武装し、日露戦争での輜重輸卒(しちょうゆそつ)の機能を果たしたのだから、合計三九万五〇〇〇名が日清戦争での兵力と考えるべきである。一〇〇万人を動員した日露戦争での約四割の戦争動員がすでにあった。 大行李(食糧・衣服等)・小行李(弾薬等)を輸送するのは、輜重輸卒の仕事だが、日清戦争では輜重輸卒が十分育てられておらず、必要数だけの動員ができなかった。陸軍は各地の口入業者に依頼し、人夫を大量に集めさせた。一八九四年一二月初旬の束京では、不況に困惑した人力車夫たちが「軍夫蒐集に際し、我れ先きと争うてこの募集に応じ」、東京市内で軍夫にな 77 った車夫は四万人を超えたという(『国民新聞』一二月九日)。人夫一人一日四〇銭、廿人長五〇銭、百人長七〇銭、千人長一円五〇銭の日当で、出征中は一〇銭増しというもので、貯金できた。軍夫の送金実態から試算すると、一年間で五〇円から一四〇円を故郷に送金したり貯金していると思われる。 軍夫の比重は高かった。野戦師団二万人に対し、軍夫は二~四〇〇〇人を伴っており、全体の一〇~二〇%を占める。兵站部ではその比率が圧倒的となり軍人八○○人ほどに軍夫が三~四〇〇〇となり、彼らがいなければ動かない構造となっていた(表3-1)。軍夫は、笠をかぶり、浅黄木綿の筒袖の上に○○組と染められた法被と股引を着、草鞋履きという異相で陣地を往来している。彼らは、物資を自らの肩で運ぶか(背負子)、「徒歩車輛」と呼ばれる一輪車(猫車)か大八車で運ぶか、いずれかだった。兵士と異なり、防寒具は自己調達とされたから、病気治療も含め困難な事態に追い込まれた軍夫も多かった。 79 軍夫たちは歴史にほとんど記録されなかった。戦病死した軍夫たちも、政府の『官報』に掲載されることはなかった。また参謀本部が戦史を編纂する際に、軍夫の調査をした形跡はあるが、戦病死の数は不明となった。軍夫丸木力蔵の『明治二十七八年戦役日誌』は、『官報』掲載の日本軍死亡者数に「もし是に軍夫を加うればその数又数千人まさん」と述べている。物資輸送の根幹を担った軍夫が、戦後忘れさられた状況への異議申し立てであろう。おそらく七〇〇〇人以上の軍夫が戦死・戦病死したと推定される。 黄海海戦の「完勝」 平壌陥落の翌一七日、朝鮮半島の西、黄海で日清の艦隊による黄海海戦が戦われた(中国では大東溝海戦と呼ぶ)。海戦前の予想では、両海軍の力は同等か、定遠・鎮遠の巨大戦艦二隻を持つ清国の方が有利であると考えられていた。午後零時五〇分、清国一二隻、日本一二隻で海戦が始まる。戦闘が始まると、北洋水師は、横梯陣を組み、前正面砲撃と艦首水雷発射を続けて近接し、喫水線下に装備されている衝角(ラム)衝突で沈めるという、帆船時代以来の戦法を採用したのに対し、日本の連合艦隊は、単縦陣で高速移動しつつ、砲撃戦で艦上などに打撃を与え、戦闘能力を奪うという新しい戦術を採った。欧米海軍の主流は、前者であったが、日本海軍は新戦術をどこから学んだのか。それはジョン・イングルス英国海軍大佐を介してである。イングルスは、海軍大臣直属の月給一〇六三円という破格の条件で雇用され、一八八九年から一八九二年にかけて計四期の海軍大学生(現役の将校中から選抜 80 された提督・参謀侯補者)に対し、蒸気船時代の艦隊戦術は、信号も不要な「前に倣え(フォロー・ザ・リーダー)」主義を採用して高速の艦隊運動を展開するのが、彼の教えであった。 五時間後の午後五時四五分に終わった時、清国巡洋艦四隻が砲撃で撃沈、一隻が戦場離脱の後擱座(かくざ)破壊と、清国は軍艦一二隻中五隻を失うという敗北となった。ほかに定遠・鎮遠・巡洋艦一隻も大破した。日本は、二隻大破(旗艦松島、砲艦一隻)、損壊一隻で、撃沈された艦はなかった。黄海海戦が終わった直後、山県は井上馨に宛てて、「平壌陥落は実に意外の結果」で、「引続海戦大捷是亦予想の外」と率直に予想外の勝利であったと伝えている。 主カを逃した失敗 黄海海戦で、清国は巡洋艦五隻が沈められたが、まだ主力艦で装甲砲塔艦である定遠・鎮遠をはじめ、巡洋艦靖遠・来遠・平遠・威遠などが残存しており、根拠地である旅順港か威海衛を拠点に、再び三たび黄海海上に現れる可能性があった。北洋水師も温存作戦を採り、威海衛から動かなくなる。冬季の港湾封鎖は困難で、北洋水師の水雷艇等が、黄海・渤海湾に出没し、輸送船を攻撃することは十分考えられ、陸軍に新たな作戦が強要されることとなった。一二月一四日、大本営は、旅順攻略を終えた第二軍に、対岸の山東省・威海衛攻略を命じた。第二軍に、内地に留保していた第二師団と第六師団の残部が加わり、一八九五年二月二日、威海衛要塞を占領したが、この戦闘で大寺安純陸軍少将が戦死する。日清戦争で戦死した唯一の将官だった。北洋水師は一二日遂に降伏し、潰滅した。 81 (後略) 日清・日露戦争
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222: yukikaze :2017/02/11(土) 00 45 35 日清戦争史 第二幕の修正が完了しましたので投下しますね。 日清戦争史 第二章 戦争計画 驚くべきことではあるが、日清戦争が勃発した時、日清両国においては軍事戦略は固まってはいなかった。 と・・・言っても、その内実はだいぶ異なる。 まず清国側であるが、皇帝とその取り巻き達は、清国軍の精強さに幻想を抱いていたせいか、日本は無条件で自分達の条件を受け入れると、半ば本気で考えていた。 そうであるが故に、日本が戦端を開くというのは予想の範囲外であったし、仮に戦端を開いたとしても「鎧袖一触だろう」という根拠のない楽観論しか口からは出なかった。 その為、彼らからまともな戦略が出ることは戦争中一度もなかった。 彼らが口に出すのは「蛮夷の国を早く征伐しろ」の一点だけだった。 無知であるが故に彼らは好戦的であり、そしてその根拠のない自信が叩き潰されたことで極めて見苦しい態度を後に示すのであるが、少なくともこの時の彼らには、そういった未来は考慮の外であった。 勿論、皇帝やその取り巻きとは違い、李鴻章は現実的であった。 彼は、皇帝たちが安易に開戦を選んだことに内心罵倒をしていたが、彼がそう思うのも無理はなかった。 皇帝たちは日本を簡単に占領できると考えていたのだが、その兵士たちを運ぶ輸送船が絶対的に足りず、また遠征軍の重要な補給地である朝鮮半島は、李王朝の統治能力の低さから、大軍が駐屯するだけの余力などどこにもない事が、袁世凱の報告で明らかになると、ますます皇帝たちの楽観論に嫌気を覚えることになる。 正直、李としては、こんなバカな戦争に関わることなど願い下げであったのだが、既に皇帝が高らかに宣戦を布告した以上はどうしようもなく、嫌々ながら関わることになる。 さて・・・李の考えた戦略だが、残念ながら彼に与えられた選択肢は非常に少なかった。 彼としては、日本側が朝鮮半島から北上しても、あるいは黄海から一気に渤海を突っ切り直隷決戦を行うにしても対応できるように、錦州府付近に主力軍を駐屯させ、朝鮮半島から北上した場合は、焦土戦術で日本軍を疲弊させつつ、主力軍で迎撃。 直隷決戦の場合でも、持久戦を取りつつ、日本の海上兵站線を痛撃して、彼らの疲弊を待つという戦略を取りたかった。 彼の力の源泉が、彼の子飼いである北洋軍閥であることを考えるならば、わざわざこんな戦で疲弊して馬鹿を見るよりは、とにかく相手を疲弊させて楽に勝った方が遥かに得なのである。 もっとも、政治的状況が、彼にそのような手段を取ることを許さなかった。 皇帝とその取り巻きが望んでいるのは、速やかなる日本占領(且つ北洋軍閥の消耗)であり李の戦略は「退嬰的」として一蹴されるのがオチであったし、また上記戦略を採用した場合、国土が戦場になる可能性が強く、国土が悲惨な目に合うこと確定の朝鮮側も飲める話ではなかった。 事実、朝鮮側は「偉大なる清国皇帝陛下が有する世界最強の艦隊が出撃すれば、倭奴の泥船は波を受けるだけで溶けて崩れ、倭奴の首魁の住むあばら家を火の海にするでしょう」と、徹底的に北洋水師を持ち上げることによって、清側が日本大陸に侵攻することを煽りに煽っていた。 彼らにとっては、農民や浮民が何人死のうが知った事ではないが、自分達が不利益になることだけは敏感だったのだ。 223: yukikaze :2017/02/11(土) 00 46 23 こうした現状に、李はますますやる気を失っていくのだが、皇帝の指示通りに半島に大軍を集結させた場合、こちらの方が兵站の貧弱さで困窮する可能性が高いことから、次善の策として北洋水師を積極的に動かすことによって、日本近辺の制海権を奪取しようと考えたのである。 李の所にもたらされた情報でも、日本海軍の保有する艦船は、巡洋艦が大小合わせて20隻近く保有されていたが、そのどれもが15センチ程度の主砲であり、最新鋭且つ最大の巡洋艦でもある富士型巡洋艦ですら20センチ程度であった。 李にしてみれば「日本は何で15センチ砲を大量に積んだ船なんか作るんだ? 商船には有効かも知れんが軍艦には通用せんだろ」と、心底理解できない気分であったとされるが、これは李が海軍に疎いのではなく、リッサ沖海戦の戦訓等を見れば、むしろ常識的な判断ではあった。 この時代において艦艇の主兵装と言えば、衝角か、命中率は悪いが当たれば強力な少数の大口径砲であり、そのどちらも有さない日本の艦艇はあまりにも異端すぎた。 そしてそうであるが故に、李は当時の常識から判断して「日本海軍の戦闘能力は低い」と判断しまともにぶつかればこちらが優位であると判断していた。(逆に李が恐れていたのは、日本が数の差を活かして、自国の沿岸で海賊行為をする事であった。軍船には通用しなくても、商船相手には15センチ程度の砲でも十分であるし、更に衝角も必要ないからだ。これは李だけでなく北洋水師に雇われていた独英等の海軍軍人も同一意見であった) ここにおいて、李の戦略は、北洋水師による艦隊決戦を第一義とし、艦隊決戦勝利後、制海権を奪取したことでの、通商破壊作戦及び日本本土上陸作戦を上奏することになる。 皇帝自身は、なおも早期の日本本土進攻に拘ってはいたものの、彼自慢の艦隊が大活躍することへの誘惑と、李が報告した朝鮮側の準備が何もできていないことを知って、かなり恩ぎせがましく李の戦略を許可している。 勿論、彼は、李に対して重ねて早期の日本本土進攻を命じると共に、征東行省を設立。 先に日本に全権使節として派遣し、日本からおちょくられて帰国した男を「功によって恥をすすげ」と、ソウルに派遣し、征東行省長官に指名。彼を通じ、李氏朝鮮に対し、日本侵攻の為の軍需物資や兵を集めるように厳命を下している。 件の男も、恥をかかせた日本への恨みを晴らすことに異存はなく、朝鮮国王以下に対して、極めて高圧的に命令を下し、同時に、日本の新聞雑誌におちょくられた朝鮮側の使節全員を捕えると問答無用で首をはね「我が大清の威信を汚した者の末路はこのようになる」と宣言。 こうなると、朝鮮上層部も、己の命の惜しさと、目の前の実質的な半島の王への媚から、情け容赦のない収奪を行い、ただでさえ疲弊している朝鮮は、文字通りの飢餓地獄へと変貌していた。 無論、各地で反乱が勃発することになるのだが、件の男は「大清に逆らう逆徒」として、蜂起した面々を徹底的に武力で鎮圧してのけ、ますます恐怖政治を推進することになる。 なお、状況を聞いた李は「あの愚か者が・・・」と、天を仰いだとされるが、李にした所で、ある程度の物資を確保した以上は、半島に対する役割は、もはや北進するであろう日本軍の足を引っ張るだけのものでしかなく、この事実上の焦土作戦を黙認することになる。 翻って日本側はどうであったか。 彼らは清国との戦争については、清国側と違い、常日頃から真面目に考察をしていたのだが、その戦略で対立が生じていた。 224: yukikaze :2017/02/11(土) 00 46 55 まず第1案としては、史実と同様、朝鮮半島に攻め込み、同地を制圧した後、遼東半島に上陸した別働隊と合流し、最終的には直隷決戦により清国を屈服させるというものであった。 敵の策源地である朝鮮半島を制圧することで、本土防衛を確かなものにした上で直隷決戦の根拠地として旅順を占領し、第1軍と第2軍を併せて、決戦を行うという戦略は、堅実な詰将棋というものであり、軍の大多数が賛意を示していた。 一方、もう1案は極めて野心的なものであった。 同案では朝鮮半島の貧弱なインフラや軍備の劣悪さから、同方面の戦力は、案山子以上の何物でもなく、清側の渡海戦力も考えるならば、無視しても構わないと割り切る一方で、旅順及び清国海軍根拠地である威海衛を占領することで、渤海の制海権を完全に掌握し併せて、主力部隊を天津に上陸させて、北京を一気に制圧するというものであった。 一気に敵首都を制圧するというこのプランは、成功すれば戦争を短期で終結させ且つ被害も僅少になるというメリットはあるものの、失敗すれば、主戦力を北京近郊で消耗させるだけでなく、がら空きになった本土を敵の戦力に蹂躙されかねない危険性を有していたのだが、同問題をややこしくしていたのが、このプランを推進していたのが日本で唯一の元帥であった西郷隆盛であったという事であった。 戊辰戦争で、江戸や奥州、北海道を無血開城させた立役者であり、その縁から旧幕府関係者との関係も深く、実直且つ真っ直ぐな性根から、明治天皇から絶大な信頼を得ているこの男は、明治天皇から特に請われて現役復帰し(それ以前は皇太子御養育掛兼枢密院顧問官兼学習院院長。皇太子の養育係については、明治天皇が特にそれを望み、西郷も「臣下にとってこれほどの栄誉なし」と、全力を尽くしている。老齢で人物もかなり丸くなったせいか、礼儀や人倫の道には厳しかったものの、それ以外では鷹揚だった西郷の教育は、大正天皇にもあっていたようで、大正天皇からも「先生」と呼ばれていた。)侍従武官長として、天皇の軍事上の相談役になっていたのだが、この事実に、兵部省大臣である大山巌、統帥本部長山田顕義は、心底慌てて、西郷の元に駆け込むことになる。 2人にしてみれば心血注ぎ込んで作り上げた戦略をひっくり返されかねないことに、慌てるなという方が無理な話ではあるが、同時に大山にとっては西郷は従兄弟であり、山田も西郷が目をかけ「あいは戦上手やっで、おいに免じて、陸軍におさせっくいやい」と、山田と仲が良くなかった山縣に対して深々と頭を下げ、西郷のお蔭で首がつながっていた山縣も、「西郷閣下が言われるならば」と、山田を主に軍の法務関係につけさせて昇進させていたので、これまた西郷の行動を言下に撥ね付けられるなど、とてもではないが不可能であった。 さて、血相を変えた2人を出迎えた西郷は、2人が来るのを予想していたのか、いつもの紋付袴ではなく陸軍元帥服で出迎えたのだが、彼ら2人の意見を云々と頷きながら聞くと、徐にこう答えた。 「おまんさあらの戦略は分かりもした。ところで、この戦はどいくらいで終りもすか」 その言葉に、2人は「まあ長くても1年は見ております」と、答えたのだが、西郷から帰ってきたのは失望の溜息であった。 「おまんさあらは、そげんなあまか見積もりで戦をかんがえちょっとな」 並みの人間が言えば反発を覚えるであろうが、目の前の人間は、戊辰の役を完勝に導いた立役者でありまず間違いなくこの国でも有数の戦略家でもあるのだ。 自分達に見えない何かが見えているのかもしれないのだ。 「おまんさあらの戦略でも確かに勝てるじゃろ。清国兵でも骨があっとは北洋軍だけじゃっでな。 そやつらをうったおせば、後は有象無象じゃ」 そう言って西郷は、2人の戦略が間違っていないことは認めてはいた。 だが、そこから後はある意味辛辣であった。 225: yukikaze :2017/02/11(土) 00 47 27 曰く、朝鮮半島から進撃するとあるが、重装備の我らが、道路の貧弱な半島を縦断するのにどれだけ時間がかかるか。 曰く、清朝に忠誠を誓う朝鮮は、我らの兵がいるときは大人しいが、いなくなるとすぐに騒ぐ。 曰く、我らが清軍を追っている間に、兵站線を朝鮮に脅かされる可能性大。重装備且つ大軍の我らにとって兵站線を断たれるのは死活問題。 曰く、それらを抑えるには、それなりの兵力をはりつけざるをえず、決戦兵力が目減りする。 曰く、そうなると朝鮮国境沿いで膠着状態か、首尾よく決戦して勝っても、どこまで完勝できるか不明。 曰く、更に言えば皇帝が、北京から脱出して中国の奥地で抗戦を叫んだ時はどうするのか。 曰く、ここまで来ると完全に列強が介入する。特にロシア。 この西郷の質問に、2人はぐうの音も出なかった。 無論、彼らは兵站を軽視している訳ではなく、朝鮮王室を実質的に抑えることによって、彼らの反抗の芽を断とうと計画していたのだが、西郷は「そもそもそれが甘すぎる」と、見なしたのである。 そして西郷の戦略は、大量の輸送船が必要になるとはいえ、北洋水師さえ撃滅すれば、少なくとも天津までは海上輸送によって賄われ、朝鮮半島からの兵站ルートよりも、天津からの方が、格段に北京に近く、兵站面での距離の問題は、まだマシになるという事。 更に言えば、天津からの強襲で混乱している敵首都を陥落させ、皇帝を城下の盟に引きずり出せば、短期間で終わることで、列強の介入も恐れることはないという点が、彼らの戦略の問題点を十分にリカバリーしているのである。 当初、何とかして西郷に自説をひっこめさせようと考えていた2人は、気付いたら「元帥閣下の案を持ち帰り現計画との問題点の解消に役立てます」と、引き下がる有様であった。 勿論、現計画を進めていた兵部省や統帥本部の担当者は、両名の行動に激怒することになるのだが、西郷の理路整然とした意見を目にした瞬間、彼らもまた自身のプライドを粉々にされるだけであった。 (なお一部の人間は、西郷の行動を止めてもらおうと、首相であり西郷の親友である大久保利通の元に駆け込んだが、「おまんさあらも軍人なら、吉之助さあの軍略の問題点を挙げ、その改善点を数字で示してから、吉之助さあに言わんか。吉之助さあは筋を通しているのに、おまんさあらはないをしよっか」と、一喝を食らい、這う這うの体で逃げることになる。) 結果的に、兵部省及び統帥本部は、現行案の修正をせざるを得なくなる訳だが、西郷の推すプランをそのまま採用するには、修正の度合いがあまりにも大きすぎた。 明治維新以降、鉄道路だけでなく、海運においても積極的に従来の帆船から、蒸気機関を備えた輸送船の代替を進めていたのだが、西郷が望むような大軍の兵站を賄うためだけの規模の商船部隊は、流石にこの時期の日本には存在しなかった。(総ざらいすればできなくもないが、確実に日本経済にダメージが来る) 西郷自身は「船がなければ雇えばよかわいよ」と、海外の商船に対して、時期を区切っての傭船契約をすることで、問題の解決策を提示してはいたものの、海外の商船会社は二の足を踏むか、法外な費用を求めるかの二択であり、簡単にできるものではなかった。 その為、日本側は、まずは黄海の制海権を確保する必要があるとして、連合艦隊を出撃させ、北洋水師を撃滅することで、日本有利を世界に向けてアピールすると共に、上陸する地の選択肢を増やそうと考えたのである。 かくして艦隊決戦の舞台は整った。決戦場は黄海。 228: yukikaze :2017/02/11(土) 01 03 07 これにて投下終了。 何このgdgdとみられるかもしれませんが、ここら辺は「急速に進んでいる大陸日本のインフラをベースにしがちな現役の面々」に対して「インフラがあまり進んでいない時代を理解しているが故に、その危険性を指摘した老将」 という立ち位置の違いですね。 ぶっちゃけ、ここら辺の一件は、次の日露戦争の為の教訓として繋げていきたい側面がありましたので、敢えて指摘させてもいます。 何気に「兵部省」「統帥本部」としていますが、ここら辺は、日露前にいた夢幻会の一員が山縣なんかに「合理的に軍備を整えるのならば、今は陸海軍の行政対立なんかするよりも、一つの組織で対応した方が遥かにマシ」と吹き込んだことや、大久保に対しては「軍令と軍政が並立した場合、仮に軍令と軍政が対立した時には、どうにもならなくなる」と、国家運営の観点から、史実のような状況を防いだりしています。 ただまあ、夢幻会の介入がなければ、史実みたいな形になっていたでしょうねえ・・・ しかも国力がある分「陸海の対立? 国力でカバーできるじゃん」と、致命的な問題点が改善されないまま何とか乗り越えてしまって、失敗した時のダメージがとんでもないレベルになるおまけつきで。
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目次 それでも、日本人は「戦争」を選んだ目次 関連リンク水野広徳 関連 関連特集 それでも、日本人は「戦争」を選んだ それでも、日本人は「戦争」を選んだ 目次 序章 日本近現代史を考える戦争から見る近代、その面白さ9・11テロの意味 歴史は暗記? 人民の、人民による、人民のための南北戦争の途中で なにが日本国憲法をつくったのか 戦争と社会契約国民の力を総動員するために 戦争相手の憲法を変える 日本の憲法原理とはなんだろう 「なぜ二十年しか平和は続かなかったのか」変人カー先生 大戦直前に書かれた本 まちがっていたのは連盟のほうだ! 特殊のなかに一般を見る 過去の歴史が現在に影響を与えた例とは 歴史の誤用なぜベスト・アンド・ブライテストが誤ったのか 無条件降伏方式が選ばれた理由 戦争を止められなくなった理由 1章 日清戦争 ―「侵略・被侵略」では見えてこないもの列強にとってなにが最も大切だったのか日本と中国が競い合う物語 貿易を支える制度とは? 華夷秩序という安全保障 日清戦争まで中国の変化 山県有朋の警戒 福沢先生の登場 シュタイン先生の登場 民権論者は世界をどう見ていたのかまずは国の独立が大事 それでは国会の意味とはなにか 「無気無力の奴隷根性!」 藩閥政治と対抗するために 戦費をつくったのは我々だ 日清戦争はなぜ起きたのか強い外務大臣 中国側の反論 日清戦争の国際環境 普選運動が起こる理由 2章 日露戦争 ―朝鮮か満州か、それが問題日清戦後戦争の「効用」 なにが新しい戦争だったのか 「二十億の蓄財と二十万の生霊」 シュタインの預言が現実に 日英同盟と清の変化ロシアの対満州政策と中国の変化 開戦への慎重論 ロシア史料からなにがわかったか 戦わなければならなかった理由日露交渉の争点 韓国問題では戦えない 日露戦争がもたらしたもの日本とアメリカの共同歩調 戦場における中国の協力 戦争はなにを変えたのか 3章 第一次世界大戦 ―日本が抱いた主観的な挫折植民地を持てた時代、持てなくなった時代世界が総力戦に直面して 日本が一貫して追及したもの 日米のウォー・スケア 西太平洋の島々 山東半島の戦略的な意味 なぜ国家改造論が生じるのか変わらなければ国が滅びる 将来の戦争 危機感の三つの要因 開戦にいたる過程での英米とのやりとり加藤高明とエドワード・グレイ イギリスが怖れたこと アメリカの覚書 パリ講和会議で批判された日本松岡洋右の手紙 近衛文麿の憤慨 三・一独立運動 参加者の横顔と日本が負った傷空前の外交戦 若き日のケインズ 霊媒師・ロイド=ジョージ 批判の口実に利用される 4章 満州事変と日中戦争 ―日本切腹、中国介錯論当時の人々の意識謀略で始まった作戦と偶発的な事件と 満州事変と東大生の感覚 戦争ではなく「革命」 満州事変はなぜ起こされたのか満蒙は我が国の生命線 条約のグレーゾーン 陸軍と外務省と商社 国家関連が大部分 事件を計画した主体石原莞爾の最終戦論 ずれている意図 独断専行と閣議の追認 蒋介石の選択 リットン調査団と報告書の内容 吉野作造の嘆き 連盟脱退まで帝国議会での強硬論の裏側 松岡洋右全権の嘆き すべての連盟国の敵!! 戦争の時代へ陸軍のスローガンに魅せられた国民 ドイツ敗北の理由から 暗澹たる覚悟 汪兆銘の選択 5章 太平洋戦争 ―戦死者の死に場所を教えられなかった国太平洋戦争へのいろいろな見方「歴史は作られた」 天皇の疑念 数値のマジック 戦争拡大の理由激しかった上海戦 南進の主観的理由 中国の要求 チャーチルのぼやき 七月二日の御前会議決定の舞台裏 なぜ、緒戦の戦勝に賭けようとしたのか特別会計 奇襲による先制攻撃 真珠湾はなぜ無防備なままだったのか 速戦即決以外に道はあったのか 日本は戦争をやる資格のない国 戦争の諸相必死の戦い それでも日本人は必勝を信じていたのか 戦死者の死に場所を教えられない国 満州の記憶 捕虜の扱い あの戦争をどう見るか おわりに 参考文献 謝辞 関連リンク 水野広徳 関連 水野広徳ミュージアム NHKアーカイブス 保存番組検索: その時 歴史が動いた 軍服を脱いだジャーナリスト 水野広徳が残したメッセージ 「軍服を脱いだジャーナリスト」水野広徳 考察NIPPON 水野廣徳 (みずの ひろのり) 水野広徳小特集 関連特集 旧日本軍の反省を読む 旧日本軍の反省を読む失敗の本質―日本軍の組織論的研究-中公文庫-関連記事 証言録-海軍反省会-関連記事 日本海軍の終戦工作 日中戦争を読む 日中戦争を読む日中戦争-殲滅戦から消耗戦へ-講談社現代新書- 中国抗日軍事史-1937-1945- 抗日戦争中、中国共産党は何をしていたか―覆い隠された歴史の真実-謝- 日中戦争の全貌-河出文庫- 連合軍視点で読む中国・ビルマ戦線 連合軍視点で読む中国・ビルマ戦線太平洋戦争とは何だったのか ビルマ 遠い戦場 第二次大戦に勝者なし~ウェデマイヤー回想録~ 失敗したアメリカの中国政策~ビルマ戦線のスティルウェル将軍~ ふたつの「FORTUNE」―1936年の日米関係に何を学ぶか-関連記事 ガンジーの危険な平和憲法案 (集英社新書 505A)
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戦死者の墓について 配置モンスター一般モンスター MVPモンスター 戦死者の墓について テレポート不可のため、MVPを狩るならボスの巣窟Ⅱがおすすめ。 配置モンスター 一般モンスター 強調表示はMVP 一般モンスターは、銀貨の袋・死の櫃・研究記録・思念体の心臓・ブラディウム・カルニウム・思念の残滓を共通ドロップする。 名前 セイレン=ウィンザー 種族 人間 Lv 206 ATK ????~???? 画像 属性 火4 HP 699,785 DEF 216 サイズ 中 種類 MDEF 212 ドロップアイテム [衣装] ルーンサークレット / ルーンナイトセイレンカード 使用スキル ???? / ???? 備考 名前 エレメス=ガイル 種族 人間 Lv 205 ATK ????~???? 画像 属性 毒4 HP 509,619 DEF 172 サイズ 中 種類 MDEF 212 ドロップアイテム [衣装] 沈黙の執行者 / [衣装] ボーンサークレット / ギロチンクロスエレメスカード 使用スキル ???? / ???? 備考 名前 マーガレッタ=ソリン 種族 人間 Lv 203 ATK ????~???? 画像 属性 聖4 HP 685,979 DEF 208 サイズ 中 種類 MDEF 293 ドロップアイテム [衣装] ミトラ / アークビショップマーガレッタカード 使用スキル ???? / ???? 備考 名前 カトリーヌ=ケイロン 種族 人間 Lv 202 ATK ????~???? 画像 属性 念4 HP 513,024 DEF 127 サイズ 中 種類 MDEF 382 ドロップアイテム [衣装] 魔力石の帽子 / ウォーロックカトリーヌカード 使用スキル ???? / ???? 備考 名前 セシル=ディモン 種族 人間 Lv 204 ATK ????~???? 画像 属性 風4 HP 564,969 DEF 126 サイズ 中 種類 MDEF 215 ドロップアイテム [衣装] 迷彩ウサギフード / [衣装] スナイパーゴーグル / レンジャーセシルカード 使用スキル ???? / ???? 備考 名前 ハワード=アルトアイゼン 種族 人間 Lv 207 ATK 13,988 画像 属性 水4 HP 846,696 DEF 280 サイズ 中 種類 MDEF 210 ドロップアイテム [衣装] ドライバーバンド(赤) / [衣装] ドライバーバンド(黄) / メカニックハワードカード 使用スキル ???? / ???? 備考 名前 ランデル=ロレンス 種族 人間 Lv 206 ATK ????~???? 画像 属性 聖4 HP 1,236,475 DEF 228 サイズ 中 種類 MDEF 156 ドロップアイテム [衣装] 守護の冠 / [衣装] シュミッツのヘルム / ロイヤルガードランデルカード 使用スキル ???? / ???? 備考 名前 ガーティー=ウー 種族 人間 Lv 205 ATK ????~???? 画像 属性 毒4 HP 530,140 DEF 158 サイズ 中 種類 MDEF 200 ドロップアイテム [衣装] シャドウクラウン / シャドウチェイサーガーティーカード 使用スキル ???? / ???? 備考 名前 チェン=リウ 種族 人間 Lv 203 ATK ????~???? 画像 属性 水4 HP 642,980 DEF 75 サイズ 中 種類 MDEF 156 ドロップアイテム [衣装] ブレイジングソウル / 修羅チェンカード 使用スキル ???? / ???? 備考 名前 セリア=アルデ 種族 人間 Lv 202 ATK ????~???? 画像 属性 念4 HP 556,527 DEF 124 サイズ 中 種類 MDEF 371 ドロップアイテム [衣装] 風のささやき / ソーサラーセリアカード 使用スキル ???? / ???? 備考 名前 アルフォシオ=バジル 種族 人間 Lv 204 ATK ????~???? 画像 属性 風4 HP 607,426 DEF 134 サイズ 中 種類 MDEF 215 ドロップアイテム [衣装] ミンストレルソングの帽子 / ミンストレルアルフォシオカード 使用スキル ???? / ???? 備考 名前 トレンティーニ 種族 人間 Lv 204 ATK ????~???? 画像 属性 風4 HP 586,113 DEF 120 サイズ 中 種類 MDEF 212 ドロップアイテム [衣装] バレリーナの髪飾り / ワンダラートレンティーニカード 使用スキル ???? / ???? 備考 名前 エミュール=プラメール 種族 人間 Lv 207 ATK ????~???? 画像 属性 火4 HP 836,808 DEF 136 サイズ 中 種類 MDEF 212 ドロップアイテム [衣装] ミダスのささやき / ジェネティックエミュールカード 使用スキル ???? / ???? 備考 MVPモンスター MVPモンスターは、銀貨の袋・金貨・交換チケット・魔力が込められた古いカード帖・宝石箱・古いカード帖を共通ドロップする。 名前 セイレン=ウィンザー 種族 人間 Lv 206 ATK ????~???? 画像 属性 火4 HP 3,673,871 DEF 216 サイズ 中 種類 MDEF 212 ドロップアイテム ソードマンの魂 / ルーンナイトセイレン(MVP)カード 使用スキル ???? / ???? 備考 名前 エレメス=ガイル 種族 人間 Lv 205 ATK ????~???? 画像 属性 毒4 HP 2,675,499 DEF 172 サイズ 中 種類 MDEF 212 ドロップアイテム シーフの魂 / ギロチンクロスエレメス(MVP)カード 使用スキル ???? / ???? 備考 名前 マーガレッタ=ソリン 種族 人間 Lv 203 ATK ????~???? 画像 属性 聖4 HP 3,601,389 DEF 208 サイズ 中 種類 MDEF 293 ドロップアイテム アコライトの魂 / アークビショップマーガレッタ(MVP)カード 使用スキル ???? / ???? 備考 名前 カトリーヌ=ケイロン 種族 人間 Lv 202 ATK ????~???? 画像 属性 念4 HP 2,693,376 DEF 127 サイズ 中 種類 MDEF 382 ドロップアイテム マジシャンの魂 / ウォーロックカトリーヌ(MVP)カード 使用スキル ???? / ???? 備考 名前 セシル=ディモン 種族 人間 Lv 204 ATK ????~???? 画像 属性 風4 HP 2,966,087 DEF 126 サイズ 中 種類 MDEF 215 ドロップアイテム アーチャーの魂 / レンジャーセシル(MVP)カード 使用スキル ???? / ???? 備考 名前 ハワード=アルトアイゼン 種族 人間 Lv 207 ATK ????~???? 画像 属性 水4 HP 4,233,484 DEF 280 サイズ 中 種類 MDEF 210 ドロップアイテム マーチャントの魂 / メカニックハワード(MVP)カード 使用スキル ???? / ???? 備考 名前 ランデル=ロレンス 種族 人間 Lv 206 ATK ????~???? 画像 属性 聖4 HP 6,182,379 DEF 228 サイズ 中 種類 MDEF 156 ドロップアイテム ソードマンの魂 / ロイヤルガードランデル(MVP)カード 使用スキル ???? / ???? 備考 名前 ガーティー=ウー 種族 人間 Lv 205 ATK ????~???? 画像 属性 毒4 HP 2,783235 DEF 158 サイズ 中 種類 MDEF 200 ドロップアイテム シーフの魂 / シャドウチェイサーガーティー(MVP)カード 使用スキル ???? / ???? 備考 名前 チェン=リウ 種族 人間 Lv 203 ATK ????~???? 画像 属性 水4 HP 3,214,900 DEF 75 サイズ 中 種類 MDEF 156 ドロップアイテム アコライトの魂 / 修羅チェン(MVP)カード 使用スキル ???? / ???? 備考 名前 セリア=アルデ 種族 人間 Lv 202 ATK ????~???? 画像 属性 念4 HP 2,797,635 DEF 124 サイズ 中 種類 MDEF 371 ドロップアイテム マジシャンの魂 / ソーサラーセリア(MVP)カード 使用スキル ???? / ???? 備考 名前 アルフォシオ=バジル 種族 人間 Lv 204 ATK ????~???? 画像 属性 風4 HP 3,037,130 DEF 134 サイズ 中 種類 MDEF 215 ドロップアイテム アーチャーの魂 / ミンストレルアルフォシオ(MVP)カード 使用スキル ???? / ???? 備考 名前 トレンティーニ 種族 人間 Lv 204 ATK ????~???? 画像 属性 風4 HP 2,930,565 DEF 120 サイズ 中 種類 MDEF 212 ドロップアイテム アーチャーの魂 / ワンダラートレンティーニ(MVP)カード 使用スキル ???? / ???? 備考 名前 エミュール=プラメール 種族 人間 Lv 207 ATK ????~???? 画像 属性 火4 HP 4,184,040 DEF 136 サイズ 中 種類 MDEF 212 ドロップアイテム マーチャントの魂 / ジェネティックエミュール(MVP)カード 使用スキル ???? / ???? 備考 コメント
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245: yukikaze :2017/02/25(土) 22 34 42 それでは投下します。題名は『講和と一時の平和』 日清戦争史 第六章 講和と一時の平和 「皇太后陛下、李閣下が謁見を求めています」 「苦しゅうない。通せ」 「はい」 深々とお辞儀をする宦官が去ってしばらくの後、御簾越しに、李鴻章が完璧な動作で拝礼をしたのが見えた。 平伏しているが故に表情は見えないが、その姿を見るに、疲労を隠すことすら困難なようだ。 「御苦労である。直答を許すとともに、特に椅子に座りて話すことを許す」 謁見の礼儀からすると異例ではあったが、敢えてそれには目を瞑ることにした。 何とも情けないことではあるが、今の清王朝を守れるかどうかは、目の前の男にかかっているのだ。 少なくとも、正論だけしか叫ばない翁同和や李鴻藻等は、期待するだけ無駄である。 この半年近い戦争において、西太后は嫌というほどそれを学んでいた。 李は、その言葉に対しても恐れ多いとして謝絶していたが、西太后が、扇子を自らの椅子の肘掛に強く叩きつける音を聞いて、恐懼しながらその言葉に従った。 精神が幼い皇帝よりも、宮中という化物の巣で長年権勢を誇っていたこの女帝を怒らせる方が、李にとっては何倍も危険であるからだ。 「で・・・首尾はどうじゃ」 「休戦協定は締結できました。東夷の軍勢は、約束通り、城壁から30里(1万5千メートル)の距離まで軍勢を引き、都への物流も回復できました」 「それは重畳。東夷の蛮将も、中華の皇帝の都を攻めることの非礼は知っていたと見える」 にこやかに笑う西太后だが、李はそれに唱和せず浮かない顔を崩していない。 幾分機嫌を悪くした西太后だが、それは表情には出さず、李の存念を聞いてみる。 「恐らくは・・・こちらへの誘いの手かと」 「どのような?」 「恐れながら、この一件に気を大きくした粗忽者達が、相手が引いたのを狙って・・・」 「あり得ぬ・・・と、言い切れないのが残念じゃの」 そうなった場合どうなるか。西太后には苦い思い出があった。 アロー号事件において、清国は屈辱的な天津条約を結ばされたが、英仏連合軍がいなくなると、途端に強硬派の意見が強くなり、条約締結を白紙撤回しようとしたことで、却って英仏の介入理由を作り悲惨な目にあったのである。 東夷の者達が、同じことを狙う可能性は大いにあり得ることであった。 「東夷の蛮将、侮ってはなりませぬ。きゃつめは、安禄山にも比肩する体格を有し、蛮夷の将兵須らく彼の将の威に服しております。一切の油断はないかと」 「大清も堕ちたものよ。蛮将どころか、その配下にすら無残に負けるのじゃからな」 思えば、センゲリンチンが敗死した時が分かれ目であったかと、西太后は心中嘆息する。 あのモンゴルの勇将は、太平天国の賊徒共や、英仏相手にも一歩も引かない程の豪胆さを発揮し流石は偉大なモンゴルの騎馬民族の末よ、八旗の栄光を守る者よと絶賛されていたが、彼の死後、彼の衣鉢を継ぐ者は、満州にもモンゴルにもついぞ出なかった。 かつてこの大陸全てを縦横無尽に駆け巡った騎馬民族の末裔がこのざまとは、太祖や、かの伝説のチンギス・ハーンが見たら、なんと嘆くであろうか。 「もはやこの戦は利がありません。これ以上続ければ、それこそ国の根幹が崩れましょう」 「分かっておる」 そう。これ以上敗北を積み重ねればどうなるのか、西太后は痛いほど理解していた。 仮に首都が落とされ、自分達が都落ちされたが最後、漢民族は掌を反して、東夷の者達に次々と膝を折るであろうことを。 これが漢民族の王朝であるならばまだ抵抗を期待できるが、清の王族は漢民族ではないのだ。 漢民族にとっては、新たな異民族が主に代わるだけであり、後はどちらが自分達の利益になるのか両天秤をかけるだけであろう。 残念なことに、あの幼き息子はそのことに思い至ろうともしない。 「和を結ぶ。しかして敗北したとは思わせぬ。難しいがやらねばなるまい」 「臣も全力を尽くしまする。但し・・・」 「分かっておる。退くべきところは退け。大清の面子さえ維持できればそれでよい」 そうして西太后は一人ごちる。 全く・・・都にまで攻められなければ何とかなったものを。 246: yukikaze :2017/02/25(土) 22 35 48 清の面子さえ保てればよいと発言した西太后であるが、現実は、彼女の希望を叶えることすら困難であった。 まあ当然と言えば当然な話で、半ば強引に開戦に持ち込んだはいいが、陸でも海でも徹底的に叩き潰され、遂に首都まで包囲されるという有様。 しかも、首都から迎撃した防衛部隊があっけなく撃ち倒されるのを、首都の住民が見ているというおまけつきである。 誰が見ても「清の大敗北」であり、既にもう「面子を保つ」どころの騒ぎではなかった。 それでもなお、李の奮闘は、交渉相手である伊藤博文自身が、内心「流石は大清の宰相よ」と賛辞する程の代物であった。 「何ですかこの条件は!! 清は和平を結ぶ気があるのですか!!」 外務副大臣である陸奥宗光は、清国から回答のあった和平案を見て、本気で激怒していた。 国内では『カミソリ陸奥』と評価され、この戦争でも強硬派の一角として名の知られていた彼にしてみれば、清側の対応は現実をまるで無視していた内容であった。 「東亜の安定の為に、日本側は大人の対応をしてほしい? 清の連中はどこまで我らを愚弄すればいいのですか!! それほどまでに大人の対応を望むというのならば、合戦による懲罰で事を決めればいい。清人など殴れば言う事を聞く」 テーブルを、どん、と叩いて力説する陸奥を、全権大使である伊藤は醒めた目で見つめる。 この男、もう少しばかり使える男だと思っていたのだが、この程度の田舎芝居しかできないのならば、大事を任せるには困難と言っていい。 最近は、陸軍の川上操六や政党の強硬派とも気脈を通じているようだが、そのことが元老の怒りに触れているということに気付いてもいないようだしな。 合戦による懲罰? 仮にも外交を司るものがホイホイ使っていい言葉ではない。 坂本に私淑したというが、土佐のあの男は、この男にいったいどんな教育をしたのやら。 もっとも、陸奥の怒り(半ば強硬派の関心を得るためのパフォーマンスだろうが)にも一分の理はあった。 さしもの李も、陸海共に大敗北で且つ首都まで囲まれたという状況においては、賠償金及び領土割譲要求を受け入れる姿勢は見せていた。 だが、そこから先は、彼は徹底抗戦の構えを崩さなかった。 まず、李は賠償金として日本が求めていた5億両(純金)については「あまりにも過大であり且つ清国は銀本位制である」として、2億両の銀ならば受け入れるとしている。 そして領土についても、「台湾と澎湖諸島は認めるが、遼東半島は、清王朝の故地である満州の玄関口であり、ここを日本が征服するのは極東安定の妨げである。即刻返還されたい」と、強硬に主張し、暗に列強もそれを支持していることを匂わせていた。 更に言えば、日本側が名目的とはいえ求めていた皇帝の謝罪については、即座に拒絶し日本のマスメディアが大いに問題視している有様であった。 (ブンヤのゴミ共が。自分達の売り上げの為には国すら売るか) 当人達は「社会正義の代弁者」を気取っているようだが、その実態は悪質な瓦版売りのそれと全く変わってはいない。 そもそもあのバカども、ジャーナリストの本義を理解しているのか? ジャーナリストの最大の使命は「事実をありのまま伝える」ことであって、世論を自分の思いのままに操ることではない。 自分の女性関係での醜聞程度ならば笑って許してもやるが、こと国の方針にかかることに対して幼稚なアジテーションをするというのならば、政府としても考えはある。 まあ、俺が出る幕もないか、と、伊藤は心中嗤う。 あのバカども。無邪気に世論を煽ってはいるが、お蔭で薩摩の両巨頭を本気で怒らせているのである。 特に西郷元帥は「戦を知らん馬鹿どもが戦を煽るのか」と、怒り心頭だそうな。 維新三傑筆頭にして、明治帝の信頼がことのほか厚い西郷を敵に回したらどうなるか、考えるまでもない。 さぞや盛大な大掃除になることであろう。 「散々恩ぎせがましく言っているが、そもそも朝鮮半島を連中が統治できないから放棄しただけなのを何が『皇帝陛下からの恩賜』だ」 吐き捨てるように言う陸奥だが、伊藤はこれを「李は、なかなかの商売人だな」と評価していた。 既に国土は荒れ果て、外壁としての用を満たさない朝鮮半島など、清にとっては不要でしかない。 それならば、さっさと宗主権を放棄することで、朝鮮を独立国扱いとすることで、半島との交渉を日本に押し付けようとする魂胆であろう。 247: yukikaze :2017/02/25(土) 22 36 25 無論、国土防衛且つ開戦前の舐めた態度からくる感情的な反発も合わさって、日本側の態度は厳しいものになるが(すでに国内では済州島以下いくつかの島の割譲、釜山から平壌までの鉄道敷設権とその周辺地域への警察権、鉱山の優先的採掘権を突きつけることを決定していた) それに対する半島側の恨みは、全てこちらに来ることも織り込み済だろう。 まあ清も半島から恨まれるだろうが、どうせ恨まれているだろうから、日本にもそれを押し付けてやれという判断は間違ってはいない。 いやはや、流石は清国の政界で長年君臨してきた傑物だ。 よくもまあここまで、ぬけぬけと交渉できるものだと、苦笑を浮かべざるを得なかった。 全く、こういう相手ならば、それこそ大久保侯爵がでれば、狐と狸の化かし合いを生で見物できたものを、全くもったいないことをした。 「軍としてはどう考えているのかな」 ヒートアップする陸奥を尻目に、伊藤は随行員としてきている2人の佐官に話を振る。 どちらも統帥本部では切れ者と評されているが、どの程度の者なのか。 2人は、お互い軽く頷くと、まずは陸軍の制服を着た男から話をしだす。 「上原です。陸軍としては、遼東半島を確保していた方が、大陸での有事の際の橋頭保になると判断しています」 「斉藤です。海軍としては、旅順港を抑えることで、渤海の制海権確保に大きく貢献し、且つ列強の領有を防ぐことで、我が国近海の制海権確保にもつながると判断しています」 「つまり、軍としては遼東半島領有を望むということか」 2人は軽く会釈することで、伊藤の発言を是認していた。 「ちなみに君達の個人的な意見としてはどうかね? 心配しなくていい、ここだけの話だ。他言はしないしさせない。した者は私が責任を持って罰する。このレベルのことすらぺらぺらしゃべる人間が、機密保持などできる筈もないからな」 上原と斉藤は少しばかり困った顔をする。 政治家の「ここだけの話」程、信用のおけない言葉もないのだが、何しろ伊藤は長州閥筆頭の実力者である。この男の発言を無視しても碌なことにはならない。 ついでに言えば「軍の総意」を話して尚、個人的意見を聞かれるということは、伊藤は軍の総意に否定的であると言えた。 ややあって、上原と斉藤が言葉を発した。 「有体に申し上げれば、本土防衛の為には、朝鮮半島の確保の必要があり、そしてロシアからの防衛の為には、望むならば沿海州までは確保したいというのが本音です。勿論、国家戦略に基づいて軍事戦略が練られる訳ですので、陸軍軍人として職務を全うしますが」 「私としては、遼東半島領有をあくまで維持したいのであれば、旅順港は絶対確保しないといけませんが、列強に渡さなくてすむ方法があれば、遼東半島の領有にはこだわりません。勿論、遼東半島に代わる代替地ないしはそれに類するものは必要となるでしょうが」 実に対照的ではあった。 陸軍軍人としては、今回のように対日侵攻の橋頭保になりかねない半島を確保し、更にその半島を安定させるためには、満州及び沿海州を確保して、ロシアに備えよというのが一般的。 逆に海軍軍人は、台湾を取れている以上、後は大陸のどこかに列強の根拠地さえ作らなければ両シナ海までの内海化が進むので、旅順半島領有までは絶対視しないと。 予想されていた事ではあるが、陸と海での戦略方針の違いは、何も手当をしておかないと、致命的な亀裂を生み出しかねない。 成程。連中が口を酸っぱくして、陸軍省と海軍省の分裂を阻止した訳だ。 少なくとも教育機関において、最低でも2年間は陸軍士官候補生も海軍士官候補生も関係なく一般教養を一緒に学ばせることで繋がりを持たせ、更に交流派遣もさせるなどして、つまらないセクショナリズムを生み出さないように努力しないととんでもないことになりかねない。 248: yukikaze :2017/02/25(土) 22 37 06 「大蔵省はどうかね」 今度は大蔵省から連れてきたのに話を振る。 「私としては、今後、内地や台湾の発展に予算が必要であるという観点から、賠償金の上乗せがあれば遼東半島には拘りませんな。軍備拡張をするにも元手がないと無い袖は振れません」 阪谷芳郎の発言に、上原は幾分むっとした顔になったが、『軍備拡張』という言葉を耳にする事で何も言わないことにしたらしい。 「次に経済産業省は?」 「はっきり申し上げれば、満州の資源にアクセスできるのならば、遼東半島は確保すべきでしょうがそれができないのならば無理して取るよりも、鉄鋼資源の豊富な海南島に替えるべきでしょう。 鉄は産業の米です。鉄道路線も砲弾も軍艦も、鉄がないとできません」 何とも分かり易い理論であった。流石は狂介の養子である。 狂介は戦はお世辞にもうまいとは言わんが、内政全般には見識のある男だから、その養子もその薫陶を受けていて当然か。 上原や斉藤と言った面々も、これには深く頷いている。 「釜石の鉄山じゃ足りんのかい」 「国力が上がれば上がる程、鉄と石油の消費は上がる一方です。資源の確保は多ければ多いほどいい」 「意味は分かる。だが海南島は少しばかり拙くないか。あれは越南の近くだ。フランスを刺激する」 内務省から呼んだ小松原英太郎の指摘に、伊藤は内心、ほうっという感情を浮かべた。 確かこいつは最初は聞多の奴に認められて外務省の役人として登用されたか。 海外の視点から問題提起するのと、とかく仲の悪い内務省と経済産業省だが、そんなくだらない対立から出た発言でないというのがなお良い。 しかしまあ内務省も、権限を集めたはいいが、あまりにも規模が大きくなりすぎて、完全に機能不全に陥っていたからなあ。大久保侯爵や狂介ですら最終的には根を上げて「分割するしか手はない」として産業全般の経済産業省、土木及び交通インフラの国土交通省、警察行政は司法省に移管され、内務省の権能は、各行政機関の機構・定員・運営や各行政機関に対する監察、恩給、国勢調査並びに『地方行財政の調整』にまで縮小されて以降、これまで羽振りの良かった連中が逆恨みして、政府の機密情報とかを暴露するなんて下手うったお蔭で、情報関係の法整備ができたんだったか。 なお、他人事のように思っている伊藤だが、彼が外務畑に異動したのも、こうしたゴタゴタに匙を投げて内務省に見切りをつけた結果であることを付け加えておく。 「仮に海南島を獲得した場合、防衛体制はどうなるかね?」 その言葉に、上原と斉藤は顔を見合わせる。 彼らにしてみれば、海南島の場所すらあいまいであり、正直、防衛体制をどうとるかなど想像の範囲外であったのだ。無論、それを以て「給料泥棒」などと発言する程、伊藤は馬鹿ではない。 「山縣君。海南島については、あくまで代替案の一つとして考えた方がよさそうだな。陸海軍にしても本土防衛や、朝鮮及び満州での戦争計画を考えるのが主任務だ。海南島といきなり振られても、直に答えを出すのは難しかろうし、小松原君の指摘通り、フランスの出方については予想がつかない」 まあ、我が国の国土が小さければフランスもそれほどまでに気にはしないだろうが、我が国の図体もそれなりに大きいからね。フランスも巨漢が隣に引っ越ししたら気にするだろうよ、と、冗談交じりにいうことで、部屋の雰囲気は先程と比べれば大分マシにはなっていた。 「では、当初の叩き台案を強硬に主張しましょう。それが一番マシなようです」 どこか勝ち誇ったような顔でそう宣言する陸奥に、伊藤の心は完全に白けきっていた。 この男は今までの議論を聞いていなかったのか? 日本と清国の二国間だけで考えるならばそれでも構わないだろうが、列強がどういう反応を示すか陸奥の判断には、その視点が完全に欠落していた。 陸奥に強硬意見を吐かせることで、国内のガス抜きと清国に対する圧力をかける役を任せていたが、いい加減、邪魔になりつつなっていた。 249: yukikaze :2017/02/25(土) 22 37 45 「そうだなあ。所で陸奥君。君はかなり顔色が悪いようだが、体調が悪いのかね?」 「いえ。そんなことは・・・」 「いやいや。儂にはわかる。異国の地で相当無理をしたんだ。誰だって体調が悪くなる。 君の損失は日本の損失でもある。坂本君にも叱られる。大臣として君には本土での休養を命じる」 「!?・・・大臣、それは!!」 交渉から外されかねない事実に、陸奥はそれまで以上に顔面を蒼白して、自らの体調の良さをアピールしたのだが、そんな言葉に心を動かされるほど甘い伊藤ではなかった。 彼は、陸奥の抗議にも柳に風と受け流し、表面上は穏やかに、しかし断固とした姿勢で、彼に帰国命令を告げることになる。副大臣職はそのままの状態にしたことが、伊藤の唯一の優しさとも言えるであろう。 愕然とした表情で棒立ちになる陸奥を尻目に、伊藤は葉巻を燻らせながら、心中呟く。 全く大久保侯爵も恐ろしい人だよ。 あの人の頭の中では『清との戦争の決着』なんざとっくの昔に終わっていて、『戦争を通じて、今後の日本で使えるか使えないかの篩にかける』を目的としているのだから。 既にあの人の頭の中では、引き立てる奴と見切りをつける奴とで分類が終わっているんだろうなあ。 勿論、自分もここでへまをすれば、粛清リストに名前が載るのは間違いない。 現時点において、桐野達老害や、内務省にまだ残っていたバカども。それに外務官僚でも情報部や大使連中を中心に更迭の嵐が吹き荒れるであろう。 ロシアとの戦争が避けられない可能性が高い以上、こちらも10年の期間をかけての国内組織の再構築を図らないといけないのだ。 そんな大事な時に、視野の狭いバカなど不要である。 3日後、日清両国で締結された北京条約で決められた内容は次のとおりである。 1 清国は、朝鮮半島での宗主権を放棄する 2 清国は、今回の日本に対する侵略行為を認め、推進した者を処罰する 3 清国は、日本と朝鮮との間の交渉において一切口を挟まない 4 清国は、沙市、重慶、蘇州、杭州を日本に開放する。また清国は、日本に最恵国待遇を認める。 5 清国は、台湾及び澎湖諸島を日本の領土として永久に認める。 6 清国は、日本に賠償金として6億両支払う。なお支払いは英ポンド金貨とする。 7 日本は、賠償金支払いの確認の後、遼東半島から撤兵する。 8 清国は、日本側が求める「遼東半島を列強に永久に租借させない」ことへの制約を順守すると共に違約した場合は、更に1億両を6と同様に追加で支払うこととする。 9 清国は、満州における各種鉱山からの資源の輸出の優先権を日本に与える。 後世の目から見れば、日本の外交的勝利と言っても過言でもないのだが、日本国内では不平たらたらであった。 賠償金が6億両という点は、まだ実際にかかった戦費を考えれば黒字であった為に、日本国内でもそこまで問題視されなかったが、2と5、それに7については強硬派やマスメディアを中心に伊藤への猛バッシングが展開されることになる。 彼らにしてみれば「清の都を包囲している圧倒的有利な状況で、何でここまで譲歩しないといかんのだ。遼東半島はもちろんのこと、満州までぶんどれ」という気分であり、しかも領土問題で清側が海南島を代替地として提案したのを、伊藤がそれを拒絶して8と9の条件に代えさせたと知られた時は、『国賊伊藤を斬れ』『伊藤は清の女に尻毛までむしられた』などと発言する者多数であった。 列強において『伊藤外相は誠に外交常識を弁えられておられる』と、好意的に報道されたのとは対照的であったのだが、当時の日本の外交的視野の狭さを如実に表しているといえよう。 250: yukikaze :2017/02/25(土) 22 38 35 もっともこうした批判は、比較的あっさりと消滅することになる。 伊藤が帰国する前に戻ってきた西郷に対し、桐野達や玄洋社と言った政治団体、それにマスコミ関係者が襲来し、口々に今回の条約が国の為にならないことを力説し、直ちに条約を破棄するよう政府に求めそして政府が拒絶した場合は、西郷によって政界を浄化すべきと口々に唱えたのである。 西郷たちを出迎えに来た大勢の面前の前でクーデターを使嗾する発言をしでかす辺り、彼らの粗雑さをこれ以上ない程示していたのであるが、この集団の代表役であった桐野退役中将が『不肖桐野が、奸賊である大久保や伊藤を斬り、軍を率いて清の皇帝を捕えますので、どうか先生は、我らの義挙を支持していただくようお願いします』と言った直後、凄まじい勢いで殴り飛ばされることになる。 「おまんさあらの目は節穴か。一体どこに目をつけちょっか!!」 後に実業家に転身した頭山満が「あんな凄まじい声は生涯聞いたことはなかった。ブンヤの中には恐怖で失禁したり、パニックで地面を這いながら逃げ出す者もいた」と、背筋を震わせながら語っているが西郷の怒声に凍り付いた面々に対し、西郷は彼らを睨みつけながら言葉を続けた。 「よかか。清国から過分に領土を奪った場合、列強からの干渉が確実に発生する。既に独仏露は講和交渉が始まる前に遼東半島の割譲に異を唱えるような論調が見られ、海南島を取れば、越南のフランスを刺激する。 だからこそ一蔵さあも伊藤どんも、列強複数と戦をすることへの愚を避ける為に、悔しか思いを我慢して少しでもこの国の利益になるために尽力したたっど。おまんさあらは、二言目には威勢のよかことや文句ばっか言うが、あん2人の百分の一も思慮もなければ分別もなか」 維新の大英雄のこれ以上もない痛罵に、桐野以下は全く声を上げることはできなかった。 何人かの政治団体の面子が声を出そうとしようにも、西郷からじろりと睨まれた瞬間、へなへなと腰を抜かすだけであり、同じく喧しい新聞記者達も、震えあがっているだけである。 「はっきりと言うておく。この条約に西郷は大賛成である。不満があるというなら、おいが何時間でんかけていっきかす。但し心せよ。浅薄な意見を以てこの西郷の心を動かすことなど何人にもでけん」 後日、西郷のこの発言を知った伊藤は、涙を流して西郷のいる方角に向けて頭を下げ、大久保は「吉之助さあの言葉は百万の援軍を得たも当然じゃ。あいがとさげもす」と、親友の援護射撃に感謝をしたという。 マスメディアの論調も、下手なことを書けばそれこそ西郷の言う「思慮もなければ分別もない」部類に見られることを嫌った故か一気にトーンダウンし(宮武外骨が、持ち前の反骨精神と大久保と伊藤嫌いから西郷宅に乗り込み、2日後に疲労困憊の姿で『もうこの件では何も言わん。あんな化物相手に立ち向かえるか』と、這う這うの体で辞去したのが知られてからは猶更) 強硬派であった川上操六は、西郷上京時に全力で土下座して自らの不明を詫びることで、何とか許してもらう有様であった。(なお西郷の元に行った将軍達は、クーデターを使嗾したという事実により、爵位を剥奪されると共に、階級も佐官レベルに落とされる(大久保の本音としては軍籍すら剥奪したかったのだが、西郷の『あまり追いつめると暴発するだけ』という言葉に、大久保も妥協をした)など、完全に政治生命を失う羽目になる) かくして日本は日清戦争を勝利で迎えた。 だが彼らの平和は10年しか続かなかったのである。 251: yukikaze :2017/02/25(土) 22 48 15 これにて投下終了。 いや何とも戦記的な盛り上がりの欠片もない代物になりました。 講和条件で、憂鬱本編と違い、海南島を除く代わりに賠償金の増額と資源アクセス権を獲得しましたが、大陸日本の国力を考えた場合、海南島を領有すればフランスを刺激しかねない可能性がありますので、大陸日本世界では、領有を割愛させてもらいました。 陸奥がだいぶ小人物になっていますが、遼東半島問題は既に2月の段階で列強が介入する可能性が出てきており、それに対して陸奥が有効な手を打っていないなど外交的な粗雑さが浮き彫りになっています。 日清戦争開戦前の条約改正交渉での見通しの甘さとか見ても、評価を下に修正せざるを得ないかなあと。日清戦争で勝てたから名外相扱いになっていますが。 西郷のこの一喝は、今後の布石となります。 ただ、西郷自身、史実では強硬論唱えたりもしているので、この変化については史実よりも大分生きた斉彬の薫陶が良かったことにしてください。 これで日清戦争史は終りますが、次回以降は『この世界での日露戦争』or『豊臣家が生き残った場合での日露戦争』のどちらかを考えています。 年度末が近くなってきているんで、スローペースでの投稿になると思いますが、差支えなければ投稿させてもらおうと思います。 273: yukikaze :2017/02/26(日) 00 09 16 ゴメン。今気付いた。七章ではなくて六章ですね。失礼しました。 誤字修正