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シングルバトル(Battle) スペイン内戦 ヨーロッパ戦域 ポーランド侵攻 冬戦争・継続戦争・ラップランド戦争 ヴェーザー演習作戦 西部戦線 前半(ダンケルクの戦い以前) 後半(ノルマンディー上陸作戦以降) バルカン戦線 北アフリカ戦線 東部戦線 イタリア戦線 太平洋戦域 中国戦線 東南アジア戦線 太平洋戦線 南太平洋戦線 架空戦域
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ジェネレイテッドキャンペーン(Generated campaign) スペイン内戦 ヨーロッパ戦域 ポーランド侵攻 冬戦争・継続戦争・ラップランド戦争 ヴェーザー演習作戦 西部戦線 前半(ダンケルクの戦い以前) 後半(ノルマンディー上陸作戦以降) バルカン戦線 北アフリカ戦線 東部戦線 イタリア戦線 太平洋戦域 中国戦線 東南アジア戦線 太平洋戦線 南太平洋戦線 架空戦域
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萌え萌え2次大戦(略)2[chu~♪] システムソフト・アルファー 2009.9.25 PC 萌え萌え2次大戦(略)の続編 戦艦や戦闘機など擬人化された、萌えな女の子達が戦う大戦略ライクなSLG ダメージを受けると、女の子達の服がはだけていきます 移植 2010.2.4 PS2.PSP PS2版は太平洋戦線"連合海軍編"、欧州東部戦線"ドイツ軍編"、ビルマ戦線"日本陸軍編"、そして外伝"あかぎ編"の4つ PSP版は太平洋戦線"日本海軍編"、欧州東部戦線"ソ連軍編"、ビルマ戦線"日本陸軍編"の3つが収録 萌え萌え2次大戦(略)2[chu~♪]☆ヤマトナデシコ 2010.3.18 DS [429] Client error `POST https //webservices.amazon.co.jp/paapi5/getitems` resulted in a `429 Too Many Requests` response { __type com.amazon.paapi5#TooManyRequestsException , Errors [{ Code TooManyRequests , Message The request was de (truncated...) DSへの移植版で、"日本海軍編"太平洋戦線や、"日本陸軍編"ビルマ戦線、 外伝の「てんざん編」を収録 関連 萌え萌え2次大戦(略)2☆ウルトラデラックス Xb360で発売された、1とのカップリング 萌え萌え大戦争☆げんだいばーん ま行 エロエロなゲーム ニンテンドウDS パソコン 萌え萌え2次大戦(略)2☆ウルトラデラックス 萌え萌え2次大戦(略)
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目次 C・ソーン『太平洋戦争とは何だったのか』目次 関連記事 C・ソーン『太平洋戦争とは何だったのか』 普及版 太平洋戦争とは何だったのか クリストファー・ソーン(Christopher Thorne)著 原書:"THE ISSUE OF WAR -- States,Societies,and the Far Eastern Conflict of 194101945 -- ", 1985 目次 まえがき 第1部 迫り来る戦争第1章 最初の反応開戦の不安と混乱、恐慌状態 広がる安堵感、歓迎される戦争 第2章 国際的情況イギリスと日本の戦い 人種的偏見、帝国主義の戦争 「白色人種」と「黄色人種」 超大国アメリカの登場 第一次大戦後の不協和と混乱 第3章 国内的情況西洋と東洋、民主主義と全体主義 急激な近代化がもたらした軋み 「近代化」と「西欧化」 社会の多元性との直面 浮上する社会基盤の問題 自己批判と自信喪失 第2部 戦いのなかで第4章 敵に直面してイギリスの戦いからアメリカの戦いへ 大東亜会議とカイロ宣言 極東戦争への関心と無関心 歪められる強調される「敵」の姿 「生存」をかけた戦い 敗戦国日本の処理計画 第5章 友と未来の獲得―日本とアジア大東亜共栄圏と植民地解放 熱烈な歓迎から嫌悪、敵意へ イギリスへの幻滅、アメリカへの不安 インド民主主義の迷走 「アジア」という概念への意識 第6章 友と未来の獲得―西欧とアジア西アジア主義と「黄禍論」 アジア新秩序と中国の存在 植民地をめぐる欧米諸国の思惑 救世主としてのアメリカの任務 第7章 友との戦い突出するアメリカの経済力 国際関係における新しい秩序 極東におけるアメリカの影響力 脅威としてのソ連の存在 身内意識ゆえに反目する連合国 極端化される互いのイメージ 第8章 生と死と変化急速な工業化と疲弊する農村部 経済への政府介入と大企業の強化 戦死者、餓死者、インフレーション 労働者階級の進出、女性の地位の行方 宗教、階層、人種、強まる多元的性格 第9章 自己と未来を見つめて団結と分裂と改革 アメリカ人の国家意識 自覚と自信、懐疑と自己批判 「二つの文明」のジレンマ 近代西欧文明への疑念 極東戦争の皮肉な結果 あとがき 訳者あとがき 原註 参考文献 読書/特集/戦争を読む/連合軍視点で読む中国・ビルマ戦線 関連記事 クリストファー・ソーン (歴史家) - Wikipedia 極東戦争 - Wikipedia 米英にとっての太平洋戦争〈上巻〉 米英にとっての太平洋戦争〈下巻〉
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太平洋戦線 コンクエスト 日本 アメリカ 更新情報 無し 概要 特徴 架空の太平洋戦線のMAPであり、日本軍とアメリカ軍が衝突する。miniMAPの様子や1946年ということから既に太平洋戦争は終結していることが予想される。 戦闘の流れ Pushmapとなっており、アメリカ軍が攻め、日本軍が守るという形になっている。最初に浜の旗を奪取しない限り奥の3つの旗は奪取出来ないので注意しよう。ただし、浜の旗を最初に取ってしまえば奥の3つの旗の内どれでも取ることができるので日本軍は裏取りを警戒しよう。アメリカ軍はショットガンを持った兵科が初期兵科として存在しているため火力面ではかなり有利である。一方日本軍は初期兵科に短機関銃すらないのでかなり厳しい戦いを強いられる。日本軍はうまく待ち伏せをして米軍を待ち構えよう。 登場兵器(一部) 枢軸軍 +... 兵器名 兵器名 兵器名 連合軍 +... 兵器名 兵器名 兵器名 コメント ページを作成。 -- 名無しさん (2015-07-14 19 59 57) 名前 コメント
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彼らが戦争に飛び込んでいつた動機は、 大部分が安全保障の必要に迫られてのことだつたのです。 GHQ最高司令官 ダグラス・マッカーサー 米国上院軍事外交共同委員会にて さぁ、戦争のお話です。イヤな話ですね。 でも大事な話です。 なぜなら、日本がおかしくなってしまったのは、 この時代の歴史を知らない人が多いからなのです。 だって面倒ですもんね。 なので、例によってここでも簡単に、いえ、超カンタンにまとめていきたいと思います。 戦争の歴史が分かると、 なぜ国籍法改正、外国人参政権、人権擁護法案のような トンデモ法案の心配なんぞしなければならないかが、分かってきます。 はじめに断っておきます。 太平洋戦争という言い方は、 戦後アメリカに押し付けられた名前です。 いかにも、太平洋上で日本とアメリカが同じ立場から戦ったように聞こえますよね。 日本人ならば、大東亜戦争と言いましょう。 軍国主義っぽい?残虐日本軍の大義名分にすぎない? では、さっそく以下の内容にお目をお通しください。 ■あのころみんなワルだった 当時、イギリスをはじめとする欧米列強は植民地主義に走っていました。 学校で習ったものの詳しいことは覚えていないでしょうが、 インドがイギリスに、ベトナムがフランスに占領されていたことくらいは、 誰でも知っていることだと思います。 当時は「白人様が偉くて、有色人種は白人様の奴隷だ」というトンデモ論が 世界の常識だったのです。 アジアもアフリカも、欧米様によって占領されていました。 戦争の話をするときに一番忘れがちなことは、 当時の常識・法を前提に考えるということです。 今の常識や法に照らし合わせても意味がありません。 だって、今「白人様は一番エラい。有色人種は従え」なんて公の場で言ったら、 「人種差別反対!」という罵声やら石やら弾やら飛んできます。 しかし、当時では誰もそれに反対する人はいませんでした。常識ですから。 さて、こんなムチャクチャな世界情勢の中、日本が戦争しなかったらどうなっていたでしょう? 間違いなく、日本もどこかに占領されていました。 軍国化するしか、生き残る手段はなかったのです。 こういう事情だけを見ても、 「帝国主義日本は悪徳侵略国家だ!」とは言いづらくなります。 疑うべくもなく、 大東亜戦争は、自衛戦争でした。 ■日本 vs. 植民地主義+共産主義 詳しくは本家:「大東亜戦争への経緯」をご覧ください。 ものすごく単純に、流れをまとめてみます。 まず、当時の欧米には二つの大きな勢力がありました。 帝国主義と共産主義(社会主義)です。 日本はもう、四面楚歌ってやつでした。 ①ペリーによって日本は無理矢理開国させられる。 ②欧米のコワさを知る。明治は殖産興業・富国強兵で行こう!と考える。 ③ロシアが東アジアを植民地にしようとねらう。 日本としては、お隣の朝鮮が近代化して、東アジアの防衛をしてほしかったけど、 朝鮮を属国としていた清がこれに反対→日清戦争 ④日本、日清戦争に勝って、下関条約によって朝鮮を独立させる。 このとき、朝鮮は初めて日本・清と平等の立場になれた。 あと、遼東半島と台湾ももらう。 ⑤遼東半島はロシア・ドイツ・フランスに文句言われたので返す。 ⑥ロシア、モンゴルと満州を占領。朝鮮もねらう。 イギリスはロシアの南下(拡大)が気に入らないため、日本と手を組む→日英同盟 日本、イギリスの協力も頼りにロシアと開戦→日露戦争 ⑦日本、日露戦争に勝って、(ロシアから)満州南部をもらう。 財政破綻していた朝鮮は、日本に「併合してくれ」と望む。 大赤字だからイヤだったけど、仕方なく→韓国併合 ⑧中国、辛亥革命で清滅亡。中華民国成立。 ※まず日本にとって一番厄介だったのはロシアでした。 ここまでの日本は、とりあえずロシアに侵略されないよう、 朝鮮などの周辺から守ろうという姿勢ですね。 しかし、ロシアはこのあとさらに厄介な国になっていきます。 ⑨ロシア、ロシア革命によって共産化。 共産主義を世界に広めようと、コミンテルンという組織をつくる。 中国や日本にも、この共産主義が入り込み、 中国共産党や日本共産党ができる。 日本、共産化を防ぐために治安維持法や普通選挙法をつくる。 ※そもそも、共産主義とは単純に言えば極左体制です。 伝統や秩序、果ては国家そのものをぶっこわせ主義です。 なので、共産主義者は日本でも非常に危険視されていました。 ⑩アメリカ発世界恐慌。 イギリス・アメリカ→ブロック経済(=保護主義≒排他主義) ドイツ・イタリア→全体主義(=独裁) フランス→人民戦線内閣(左翼) 日本→翼賛体制(右翼) ※で、第二次世界大戦の時代に入っていくのです。 ⑪ソ連のコミンテルンが中国で工作活動。 満州から日本を追い払う作戦開始。 満州軍閥・張作霖を爆殺し、日本の関東軍に罪を着せる。 (のちに、これがソ連による犯行だったことを示す資料公表) ⑫張作霖の後継者・張学良は中国共産党につく。 また暴走され、濡れ衣を着せられちゃたまらない関東軍は、張学良を満州から追放。 満州全土を占領して、満州国建国。 ※満州国の皇帝は清の皇帝だった溥儀(ふぎ)です。 清はもともと異民族である満州民族の国で、漢民族に長年恨まれていました。 なので、清滅亡後は満州民族ピンチでした。 満州国は日本が作ったお人形国家に過ぎませんが、 満州民族としては助かった、という感じだったのです。 実際、現代満州民族はインディアンのごとく、絶滅寸前です。 ⑬張学良、中国国民党の蒋介石を捕まえて、 「日本を倒すために、共産党に金と武器を渡せ」と迫る→西安事件 ⑭日本軍に向かって、共産党が発砲→盧溝橋事件 中国人による、在中日本人の大虐殺→通州事件 さらに、上海事変 日本国民、「戦争しろ!中国やっつけろ!」 ※異国で罪のない日本人が虐殺された。 そりゃ、日本人は怒ります。そんな国はやっつけたいと思います。 一般庶民とは、いつの時代もそんなものです。 自分達が戦争をあおったくせに、戦後はすべて政治家と軍人のせいにするのです。 そして、通州事件のような在中日本人の虐殺を目の当たりにしていた日本軍は、 政府がなかなか戦争しようとしないため、 日本人を守るために自ら戦争を始めました。 ⑮近衛文麿首相は戦争したくなかったが、 日本に戦争させ、アメリカとの仲を裂き、 日本を弱体化させたいコミンテルンの工作員によって、 どんどん戦争へ流れていく。 ⑯アメリカにもコミンテルンの工作員がいたことが、のちに判明(ヴェノナ文書)。 ※中国を共産化させたいソ連のコミンテルンにとって、 それを阻止しようとする日本は邪魔だったのです。 つまり、アメリカはコミンテルンにはめられた、ということです。 ⑰日本、中国への援助ルートを絶つため、フランスと組む。 アメリカ・イギリス・中国・オランダは 「ABCD包囲網」によって、日本を経済的に追いつめる。 さらに、ハル・ノートを突きつける→日本、経済的に絶体絶命 ※「ABCD包囲網」とか「ハル・ノート」というのは、 ものすごく単純に言うと日本を囲い込んで武器とか輸入できないようにしようぜ作戦です。 資源のない日本にとって、これは痛い。 さらに、これって遠まわしにアメリカの属国になれってことでもあるんです。 戦争するか、一方的にやられるか。選択肢はその二つしかありませんでした。 (戦争しない=アメリカ様に従いますってことになったわけです) ⑱日本、仕方なくアメリカと開戦。 ⑲日本、敗戦。 ⑳アメリカ、日本を占領する。 まとめ アメリカに開国させられるわ、ロシアが東アジア攻めて来るわで ピンチだった日本は、 戦争する以外に国と国民を守る手段はありませんでした。 見方によってはコミンテルンとアメリカの罠にはまったともとれますが、 日本軍が開戦を決めた事情には、 日本と日本人を守るというものがありました。 日本軍や政治家本人たちは、決して領土欲にかられて暴走したわけでもなければ、 マヌケにも敵の罠にかかったというわけでもありません。 日本とアジアを守りたかった。植民地を解放したかった。それだけです。 また、戦争は政治家や軍が勝手にやったものではなく、 むしろサヨクに騙された一般国民に扇動された結果と言えます。 こんな中で、国と国民のために戦ってくれていた政治家や軍人の方々を、 現代の私たちは悪者呼ばわりしているのです。 ところでこんな状況、 現代とソックリですね。
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太平洋戦線 コンクエスト 日本 イギリス 更新情報 無し 概要 特徴 太平洋戦線における日本対イギリスのMAP。MAP全体が草木に覆われており、いかにも南方戦線のようなMAPとなっている。 戦闘の流れ Pushmapとなっており、イギリス軍が攻め、日本軍が守るという形になっている。2つの1旗は距離が結構離れているため戦力の分け方に注意しよう。このMAPは2旗で硬直することが多いが、歩戦共同はもちろん砲兵や攻撃機も協力し、歩兵の積極的な旗への突撃を中心に旗奪取を目指そう。その際には歩兵は砲撃要請を行ったり、何処に日本軍の戦車がいるかをチャットやラジオチャットで報告するようにしよう。戦車は歩兵が突撃しやすいように旗周辺の敵兵の排除を目指し、場合によっては旗本へ行き白旗の維持を行おう。 登場兵器(一部) 枢軸軍 +... 兵器名 兵器名 兵器名 連合軍 +... 兵器名 兵器名 兵器名 コメント 名前 コメント
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太平洋戦線 コンクエスト 日本 アメリカ 更新情報 無し 概要 特徴 太平洋戦線のMAP。史実では不死身の分隊長と呼ばれた船坂 弘が大きな戦果をあげたことで有名である。 戦闘の流れ Pushmapとなっており、アメリカ軍が攻め、日本軍が守るという形になっている。日本軍は3旗まで再奪取が不可能である。そのため1,2,3旗を取られたら速やかに後退しよう。アメリカ軍は3旗程度まで進んだらLST-1を移動させてあげると戦車隊が移動するのに必要な距離を短くすることが出来る。また5旗の南方には日本軍のリスポンラジオが存在する。このラジオからは兵士がリスポンできるためアメリカ軍は早めにラジオを壊しておくと良いかもしれない。 登場兵器(一部) 日本軍 +... 兵器名 兵器名 兵器名 アメリカ軍 +... 兵器名 兵器名 兵器名 コメント ページを作成。 -- 名無しさん (2015-07-14 22 42 03) 戦闘の流れにちょっとだけ加筆。 -- 名無しさん (2015-07-15 01 24 46) 名前 コメント
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太平洋戦線 コンクエスト 日本 オーストラリア 更新情報 無し 概要 特徴 太平洋戦線における日本対オーストラリアのMAP。パシルパンジャンはシンガポールの南東部に位置する。MAPの大半がジャングルで覆われている。 戦闘の流れ Pushmapとなっており、日本が攻め、オーストラリアが守るという形になっている。MAPの大半がジャングルであり歩兵が隠れることが出来るところが多くあるため戦車に乗っているからといって油断しているとすぐに撃破される。歩兵の場合も敵歩兵が何処に居てもおかしくないので慎重に進軍しよう。そしてこのMAPはPushmapであり、イギリス軍は1番2番旗の 再奪取が不可能なので旗を取られてしまったら速やかに後退しよう。また日本軍には最初から、オーストラリア軍には援軍としてリスポンAPCが湧く。歩兵戦が主体であるこのMAPにおいてリスポンAPCが長時間生存することは前線を維持することに繋がるため極力敵に見つからないように行動しよう。 登場兵器(一部) 枢軸軍 +... 兵器名 兵器名 兵器名 連合軍 +... 兵器名 兵器名 兵器名 コメント 名前 コメント
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『太平洋戦争とは何だったのか(The issue of war)』クリストファー・ソーン 年表 前書き 極東戦争という呼称の理由 太平洋戦争、では地理的・地政学的側面の性格付けがなされない 極東、であれば東アジア、東南アジア、西太平洋、オーストラリアを含むことができる(ほんとかね?) 第1章 最初の反応 特になし。開戦当時の世界の反応を述べている。 第2章 国際的状況 イギリスと日本の戦い 極東戦争の起点 いくつか説がある。1931年の満州事変、1937年の中国に対する日本の攻撃、1928年の張作霖爆殺事件 著者は明確な起点をあえて挙げず、衝突が不可避となったのは真珠湾攻撃までの2年間であったとだけ指摘 この間にナチスドイツがヨーロッパで軍事的勝利を挙げ、(このようなドイツの1870年代からの動きにより)ヨーロッパ体勢の均衡が完全に破壊された フランスが敗れ、極東の領土が本国の庇護を失い、日本軍が1940年9月北部仏印、1941年7月南部仏印に進駐した 南部仏印進駐が、戦略的情勢を大きく変えた。西欧諸国は日本に対し石油禁輸措置を行い、日本国内では権力バランスが変化し開戦派が力を握った 1940年9月に三国協商が成立 1941年4月 日ソ不可侵条約、6月 ドイツがソ連を攻撃 この時期の日本の動きが直接国益を損じたのは、アメリカではなくイギリスであった。 直接的な極東のイギリス領への攻撃だけでなく、インド・香港での投資・貿易の冷え込み、オーストラリア・ニュージーランドを含む各地域へ保護を保障できないという権威の低下がみられた イギリス政府はなんとかアメリカの援助を得ようとしており、既に世界帝国の面影はなかった 人種的偏見、帝国主義的戦争 開戦前、ヨーロッパではそれほど関心の高い事柄ではなかった また、開戦自体が可能性の低い事柄であると考えられていた→多くは人種的偏見による このように白人の人種差別主義者は一般に避戦論であったが、日本人の人種主義者は逆にきわめて好戦的だった 特に日本の差別観は中国に向けられ、おさまるものもおさまらない戦争の原因となっていた 真珠湾攻撃前に、誰もが明確な態度を示していたわけではなかった オランダは態度を保留し、共栄圏への加入も検討していた ネルーは1942年にはファシストとの戦争を強く支持したが、1940年にはイギリスの帝国主義戦争に巻き込まれることに強い反対を表明していた インドネシア、インドシナの民族主義者はオランダやフランスの植民地主義者が日本によって罰せられることを望んだ 東京はこの時期、特にイデオロギーに支配されていたわけではなく、生存のための戦争と捉えていた 1941年の秋ごろになると、日本はほぼ戦争に突入しようとしているだろうと認識されるようになった アジアでは、一部の民族主義者が日独のファシズムを批判する一方、イギリスは帝国主義にも重要な注文をつけた。一方一部の民族主義者は、日本の引き起こす戦争を歓迎した。それはヨーロッパ帝国主義の駆逐という意味だった。 そのような情勢の変化の中、アメリカの存在感はますます増大していった。 白色人種と黄色人種