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太平洋戦記攻略メモ ( GS ジェネラルサポート ) ☆新兵器開発 連合国の最大の驚異は何と言っても潜水艦。 故に、まずは3式1型探信義を開発すべきである。 後は対空・対潜のいずれかをその時々で早期開発可能な方に 重点開発を行うといいだろう。 対艦の誘導爆弾に素敵マインドをくすぐられるが、多分間に合わない。 ☆海軍航空機 試作機完成時点で開発を中止するのに比べて 開発を完了した場合は133%の期間を要する。 つまり開発期間の短い機体を開発した方が無駄が少ないと言う事は、 一応考慮して置くべきであろう。 爆撃機の練度は気にしなくて結構。 反面、太平洋方面に進行すると大量のB17を相手にせねばならず、 戦闘機練度がどんどん下がる。 B17は仕方ないが、P39やF6F等とは極力戦闘せぬ様に。 烈風開発まで待つか陸軍のキ83にお願いしよう。 艦戦 行動半径1200kmを誇る零戦21の使い勝手は最高。 が、44年中には敵艦戦、F6F(機動力10)に勝てる機体を 得ねばならない。 故に開発期間短縮のため、烈風(機動力11)以前の機体の導入は控えたい (導入した所で航続距離が短くて使えない)。 対爆用に52丙は開発してもいいかもしれない。開発期間も短いし。 って言うか是非作れ。海軍戦闘機練度の低下が目に見えて抑えられる。 陸戦 陸軍機との兼ね合いから、震電以前の機体は不要であろう。 烈風改は対爆用に是非生産したいが、 これの開発完了までゲームが続いている様では多分負けである(笑)。 双戦 基本的に迎撃機としてしか用いない。航続距離が短すぎて・・・。 高高度・夜間爆撃は、工場以外には行われない為、不要。 本土を爆撃される様では、かなり負け負けに近い。 故に特に生産の必要は無いが、連合艦爆に夜間仕様の物が有る為、 適当に生産してもいいだろう。 水上機 2式大艇は量産の価値有り。圧倒的な航続力も去ることながら、 同機数のP-38と互角に戦える戦闘力も魅力。高いけど。 水上戦闘機はどうせ対戦には使用出来ない。 故に機動力の低さはそれ程問題にならない。 対爆用として適当に開発・生産しよう。主力じゃない。飽くまで適当。 偵察 使えない様で実は使えるこの機体。 重爆では迎撃された時の偵察遂行が難しい。 取り合えず偵察用として彩雲辺りは適宜配備して置きたい。 重爆 必要な物は対地用に急降下爆撃可能な機体、対艦用に雷撃可能な機体。 となれば、何がなんでも早期に銀河であるが、 陸軍の4式重爆飛龍が先に開発されている筈なので、火急ではない。 飛龍より戦闘力が劣り、航続力が優る。一応の生産の価値は有るだろう。 それまでは96陸攻を対艦用に生産して置く。 一式陸攻より固く、小型爆弾を装備出来るので対地攻撃も幾分マシである 艦爆 まず中型爆弾を装備可能な彗星11を開発する。 故障率の高いのが気になる所であるが。 筆者は天山は開発しなかった。 ま、いづれかを型を開発して置くのも一興であろうか。 が、流星がとにかく強い。これを早期に開発する為に、 他の機体の開発は極力控えたいと言える。 もっとも多分間に合わないけど(笑)。 烈風の方が重要なので、重点開発はそちらに回すべきだ。 海軍機開発計画 マニュアルの記述では少々分かりにくいが、 開発開始から終了まで常に重点開発を指定して置けば、 通常の半分の期間で開発可能だと言う事。 海軍は海軍にしか持てない・・・つまり、 艦上機を重点的に開発・生産すべきである。 艦爆は彗星11で取り合えず、艦攻は恐らく44年迄は不要、 となればとにもかくにも烈風を開発。 その後は陸戦の震電、艦爆の順序でどうだろうか。 それでなくとも爆撃機は、戦闘機程性能の差が顕著でないのだ。 急降下爆撃の可否は超重要だけど。 ☆陸軍航空機 航続距離の短い機体が多いが、序中盤は支那~印度侵攻が主眼となる。 だから、別段気にする必要は無い。ガンガン作ろう。 でもやっぱ600kmは欲しいけどね。 何より四式重爆とキ83だ。絶対に早期に配備すること。 陸戦 まず鐘馗2。この時期に機動力10は無敵、である。 火力8では対爆(特にB17)戦が心もとないが、仕方ない。 が、重点開発すればキ83が先に開発される。ううむ。 キ83でなく飛龍を先に開発するならば、配備して置こう。 疾風等を開発するよりは、P51と互角に戦えるキ94の開発を進めたい。 双戦 キ83以外は不要。 P51以外には無敵。火力も20。行動半径1100km。 故障率と整備性が気になるが、それ以外は理想的な機体である。陸軍の最優先開発候補その1。 故障率が高いと言う事は、レーダーが開発されていなければ 効果的な迎撃戦闘が行えないと言う事である。注意。 徹底した重点開発を行えば遅くとも43年初頭には開発完了となる。 軽爆 中型爆弾で急降下爆撃可能な99双軽1。 初期からあるコレだけで十分である。 開発するなら99双軽2だが、飛龍が間に合うので不要であろう。 キ66の硬さは魅力ではあるが、足が短く、当然太平洋戦域では使用出来ない。 これの開発迄に大陸部を制圧出来ていない様では先行きは暗い。 最悪の場合の本土防衛用ってのが存在意義。 もしくは史実通りビルマでウダウダやってるなら。 重爆 4式重爆飛龍。これ以外の機体は生産も開発も不要である。 急降下爆撃・雷撃可能にして、 戦闘力・爆弾搭載量・コスト・航続距離・いづれも合格。最優先開発候補その2。 偵察機 扱いは海軍と同様である。その時に暇な方が生産すればいい訳だ。 つまり前半は陸軍、後半は海軍が生産する。 開発計画 初期の生産は鐘馗1と99双軽を基幹に、 鐘馗2(重点開発は別段不要)、キ83、4式重爆(飛龍) の順に開発すればいいだろう。 キ83の配備時期が重要な点。 初期に行わぬならこの機体が配備されるまで、太平洋方面への侵攻は絶対に避けたい物。 が、飛龍かキ83、どちらを先か・・・と言うのが難しい。 飛龍が先なら有ればインドが楽勝、だが太平洋への進行は遅れる。 キ83ならインド作戦完遂と同時に太平洋の攻略へ移れるが インド作戦完遂まで強すぎて無駄すぎ、と言った感じ。 イギリスなんて零で十分だしー。うーん。 ☆戦闘艦 当然ながら、初期に建造中の艦は、全て対空型に改装して置く。 改装は一通りの艦船が揃い、余裕が出来てから行うべきであろう。 何よりドックのキャパシティ的に空母・海防艦の建造を優先したい。 連合国最大の驚異は、潜水艦である。 たった一本の魚雷で10000tの鉄を費やし建造した商船が 沈められてしまうのである。いやはやなんとも。 となれば先ず海防艦の建造が急務。 速度・爆雷装備に優れた御蔵を3戦隊、60~70隻、 いや、最終的には100隻程度配備したい。 2箇所の造船所を専属にしてしまうといいだろう。 海防艦の量産にメドが立ったら、対米戦に秋月の量産も考えよう。 予備も含め20~40隻有ればいい。 追撃戦は有っても「決戦」は起こりづらいので、 魚雷を発射する機会に恵まれない駆逐艦はかなり「不要」である。 日本の駆逐艦は基本的に高角砲を持たないので尚更の事。 御蔵に対する駆逐艦は戦艦に対する巡洋戦艦の位置づけ以下である。 海防艦の充実に従い、段階的に53cm発射管搭載艦から解体しよう。 解体した鉄で海防艦を建造すると言う訳だ。 当然防空駆逐艦秋月以外は建造の必要は無い。 中盤まで、連合国艦隊は駆逐艦を護衛とした小規模な物が多い為、 それの迎撃用として軽巡洋艦の存在意義は、それなりに大きい。 敵の攻めて来そうな所に一歩引いて配備して置くとよいだろう。 つまり沖縄・サイパン・タウイタウイ・札幌辺り。 意外とホロムシロが狙われる。 もっとも筆者は全てスクラップにした(笑)。結構鉄になるんだこれが。 やはり建造の必要は無いだろう。 重巡はかなり中途半端。艦砲射撃が行えない(陸上砲台に負ける)のはどうにも。 とは言え解体も勿体ないので、移動対空砲台扱いがいい。空母随伴。 或いは軽巡と同様に扱う。 これも建造は不要。 目立たないけど結構使える艦船である。 戦艦は艦砲射撃専用である。 大和以外の艦は被害が馬鹿らしくてそうそう艦隊決戦には使えないだろう。 が、無いと無いでとても困る。リプレイの後半参照。だから解体は、しない。 建造・・・完成する頃にはゲームは終わっている。 するなら大和型以外は不要である。絶対に。 潜水艦は主に「目」として用いる。 シンガポール・コロンボ・ハワイ辺りに忍ばせる。 筆者は潜水艦に余り価値を見いだせなかった。 連合国に対する通商破壊戦自体が無意味に思えるのだが、如何か。 無力化した基地への輸送船を狙うと言う意味では結構使えるかも。 むしろ温存して置き艦隊決戦に投入するのもよいかもしれない。 やはり主力は空母である。 バランスの良い飛龍・対空型を最初から量産する。 4発の魚雷に耐えられる点がポイントだ。 44年中には合計で3艦隊(18隻)と予備数艦を揃えたい。 開始時に建造中の軽空母は 取り合えずの戦力として建造を続けるべきであろうが、 水上機母艦はわざわざ改装するよりとっとと解体してしまい、 その分のドック及び鉄を飛龍・対空型に充てたい。 飛龍型の配備が進むにつれ軽空母を解体し、 今度は翔鶴辺りを建造するといい。 いや、それ以前に既存空母の対空改装か。 開始時に建造中の大和型4隻は、全て戦艦として建造しよう。 信濃は是非完成させたいが、尾張は・・・間に合わないだろう。 何にせよ「固いだけ」の信濃型にしてしまうなど、愚の骨頂である。 戦闘力(つまり搭載機数)・コスト共に飛龍・翔鶴に譲る。 信濃型を建造するならするで、6隻まとめて建造しないと余り意味が無い。 そう。殴り込み作戦用だ。ハワイに止めを刺す時とかね(笑)。 少々の中型爆弾なんかモノともしないぞ。 商船は別段増やす必要はない。数隻のタンカーが有れば便利だが。 被害分を適宜補充する程度でいい。 とどの詰まり、生産するのは海防艦と秋月と空母だけでよい。 まさしく実戦の通り。何ともリアルなゲームだ。 ☆動員 支那戦線を整理出来れば、攻撃部隊は余る程である。 つまり攻撃・防衛部隊の動員は基本的には不要。 整備・設営。特に整備部隊は万難を排して毎月必ず動員する事。絶対だ。 ☆工場増築 航空機工場は当然毎回増築する。 海軍工厰も増築を行うべきだが、民間造船所は不要であろう。 バクリパパン・パレンバンは燃料の現地供給と言う見地から是非増築したい。 シンガポールの精錬所も増築しておけば、輸送船が1/20で済む。お勧め。 鞍山も増築する。支那~朝鮮の鉄鉱石はここに集める。鉄に変えれば輸送が楽になる。 後は別段不要であるので、適当に。 ☆陸戦 行わない(笑)。 爆撃で敵兵を0にしてから攻め込むのが肝要且つ基本。 勿論携行弾薬は1~5程度でOK。攻め込まれたら速攻で退却、と。 そして占領直後のまだ防御陣地の構築さえおぼつかない敵陸軍を 空爆で消し炭にしてやり、再占領。うーん鬼畜。 ☆基地攻略1 B-17は固い。 直俺の零戦を物ともせず、空母を悉く沈めてくれる。 しかも航続距離の長さと言ったら・・・・・・。 マニュアルによると、彼我共に基地の哨戒範囲は最大1200kmである。 故に要塞化された基地の攻略法は次の様になる。 基地より1220~1300km辺りに艦戦を満載した機動部隊を配置。 基地より1200km以内且つ機動部隊から160km以内に 戦艦・重巡・秋月を基幹とした、囮艦隊を配置。 攻撃を受けるまでマニュアルの哨戒距離表を参照し、 段階的に基地に近づいていく。 零戦21を積載しているのであれば、勿論敵飛行場を攻撃し、 敵航空機が弱体化したと思えば一気に距離を詰めるのである。 この方法、空母での迎撃は可能にして、敵に発見されているのは 打たれ強く対空兵装の強力な戦艦部隊だけだと言うのがミソ。 これで空母が危険に晒される事なく敵航空機を撃滅出来る。 2艦隊12隻の空母を動員し、戦闘機艦隊の後詰として艦爆艦隊を用意。 もしくは周りの基地に配備して置き、入れ替える。 が、在泊艦の存在が予想される時は別途対艦支援出来る機動部隊・基地を用意したい。 ☆基地攻略2 上陸した瞬間にB17が飛来すると言うのは良く有る話。 周囲の基地を無力化してから上陸するのが理想ではあるが、 上陸前に有りったけの空母に艦戦を搭載して基地に横付けし、 飛行場設営迄の直俺に当てる手もある。 燃料・弾薬・整備部隊・設営部隊・燃料は占領と同ターンに上陸させ、 特に設営部隊は100大隊程度は動員し、一気に飛行場を完成させたい。 敵は艦隊より基地を攻撃して来る傾向があるので、 戦艦部隊は入港し、高射砲となる手も有効である。 ☆基地攻略3 故に後半の極度に要塞化された基地を攻略するには 上陸艦隊(商船×2)×1 (攻撃部隊10~40、弾薬1000程度) 輸送艦隊(商船適宜)×1 (整備60、設営100、燃料3000程度) 対空艦隊(戦艦基幹)×1 (囮とも言う) 直俺艦隊(空母6隻)×1~2(数艦づつ分散配置するのがベターか) 空撃艦隊(空母6隻)×0~1 (周囲の基地で代用化) 艦攻艦隊(空母6隻)×0~1 (同上) 艦戦補給基地(艦戦100機以上) 程度が理想である。 やはり主力は空母である。せいぜい量産する事だ。新規に10隻は欲しい。 ☆リプレイ1 ターンは40とする。これなら足りない事はない。 配置は南方艦隊を高雄にまとめるのがいいかと思う。 ☆初期の生産 海軍は先ず零戦21を量産し、台湾・仏印に配備。 後、99艦爆(400機程度)~96/1式陸攻と配備して行く。 陸軍は99双軽を基幹とし、適当に鐘馗1を交える。 ☆基本戦略 当然ながら二方面作戦は避けるべきである。 南方作戦の完遂は長期戦に不可欠であるので、 今回のプレイでは比島~蘭印~支那 ビルマ~インドと侵攻し、 太平洋戦域は持久戦を取る事とする。 いざ太平洋に侵攻する時に米航空機の圧倒的な戦力に 青息吐息となりかねないと言う問題もあるが、 史実通りの運命を辿るよりは幾分マシであろう。 ☆開戦1 まず真珠湾を一撃。99艦爆には小型艦を攻撃させる。 撃ち漏らした戦艦が出撃してくるので、一撃したらすぐに逃げる事。 その後は本土艦隊と協力してグァムを陥落せしめ、 高雄に向けて針路を取る。 ウェーク~ハワイ間に空母が存在する筈であるが、 手を出さない方が無難か。周辺基地に配備されたB-17の後続力 防御力が怖い。 ☆本土 全ての空母・戦艦は高雄へ移動させる。 燃料・弾薬・整備部隊・設営部隊・攻撃部隊も順次移送する。 ☆比島・マレー その後はフィリピン・マレーの航空戦力を撃滅する。 下手な色気を出さず、とにかく飛行場を徹底的に攻撃。 でないと高雄や近辺の艦隊が攻撃されるぞ。 大型爆弾ではなく、中/小型爆弾を装備した方が効率がいい。 在泊の商船は台北へ退避させた方がよいだろう。 香港は今の所無視。 生産された零戦21型はこの高雄・サンジャックへ重点的に配備する。 英東洋艦隊を発見したら、最優先で攻撃するのは言う迄もない。 開戦直後にいきなりシンガポールを空襲すれば、 これが停泊している。見逃すなかれ。 ☆仏印 マレー航空撃滅戦に参加出来ない軽爆等は、バンコクを攻撃する。 陸上部隊を撃滅したら、兵力・弾薬1で侵攻・占領する。 当然直後に奪還されるが、陣地構築前の敵部隊を 航空機で徹底的に叩く事が出来る。 この作戦で現状兵力での持久が可能。 ☆満州 全ての航空機・整備部隊・設営部隊は速やかに漢口へ南下させる。 現状の攻撃部隊の引き抜きさえ行わなければ、イワン共(ソ連)の心配は不要である。 ☆支那 取り合えず手駒が足りない。暫くは無用な攻撃は避けた方がいいだろう。 99双軽の配備を待つ。 ☆リプレイ2 航空撃滅作戦が終了し、機動艦隊が高雄に到着した後の作戦である。 機動艦隊には対潜用に駆逐艦を必ず最大数の20隻随伴させ、 同時に駆逐艦隊を数艦隊用意し、哨戒に当たらせる。 これを徹底しないと悲しい運命が君を待っている。 輸送艦隊に軽空母等を加えておくと、先制攻撃の機会が増える上に 輸送船に対する囮とする事が出来る。戦艦にやらせるのもいいかんぢだ。 ☆空母機動艦隊 搭載されている97艦攻を極力99艦爆に積み替える。 対地攻撃には急降下爆撃が向いているが故だ。命中率が4倍以上である。 比島~香港~ブルネイ~クチン~リンガ~シンガポールと攻撃していく。 陸上基地と違い、空母からの航空攻撃は弾薬を一切消費しない。 故に空母はコキ使ってやらねばソンと言う物だろう。 孤立する事は絶対に避け、周囲に駆逐艦隊を配置して置く事。 下手な所に移動すると、潜水艦の集中攻撃を食らう。 因みに敵潜水艦の移動は毎ターン必ず航路フェイズに行われ、 日本基地間を直線で移動する様である。 ☆戦艦部隊 機動艦隊のフォローとして艦砲射撃を行うのもいいが、 爆撃に比べて非常に弾薬消費が激しい。 敵基地に同程度の被害を与える為には、7~8倍の弾薬が必要となる。 大和型など、主砲を撃ち尽くすと1艦800tもの弾薬を消費する。 弾薬の生産が軌道に載るまでは、無駄遣いは避けたい物だ。 蘭印~比島に敵巡洋艦隊が存在しているので 艦爆しか搭載していない空母に代わってこれを仕留める事と、 「囮」としての役割を主眼とする。 英東洋艦隊さえ沈めればインドorソロモン戦までヒマなので 空きドックで対空改装・・・したいがドックも忙しいんだな、これが。 兵法の邪道なれど、遊ばせて置くより無さそうである。 戦術的にはともかく戦略的に見た場合の「戦艦」と言う物が 空母に比べてどれ程非効率的かと言う事を 良くシミュレートしているゲームであると言えよう。多分。 ☆上陸戦 機動部隊に追従し、各基地を占領していく艦隊が当然必要である。 占領・採掘資源だけが目的ならば、上陸時の兵員・弾薬は「1」でいい。 ☆基地航空隊 占領につれ、高雄の海軍航空隊主力はマニラ~レイテ~ダバオと転進。 ☆基地占領 陸上部隊を壊滅させた基地はほぼ無力である。特に占領する必要はない。 最終的にバンコク~メダン~バリ~ハルマヘラ~高雄のラインを確保。 攻撃範囲内の敵基地は無力化しておく。 余裕が有れば輸送船を近づけぬ様、潜水艦を監視役として置けばよい。 それが叶わずとも哨戒範囲内であれば取り合えずは安心。 月に一度偵察して置けば完璧である。要塞化される前に叩き潰す事だ。 ☆太平洋方面 B17からの完全なる防衛は不可能であろう。 たまの奇襲で整備兵をやられるわ補給しようと入港した途端に 輸送船が沈められるわ戦闘機練度は下がるわロクな事が無い。 パラオも含め、全ての兵力は速やかに引き上げる事だ。特に整備部隊。 上陸艦隊を発見したら97大艇で叩く。極力占領されない様に。 トラックは絶好のロケーション。捨てるには少々惜しいか。 #実際の日本軍はトラックの確保の為にニューギニア #(ソロン~ラバウル間)を占領した事を述べて置く。 基本的にはグァム サイパンに2式大艇及び整備部隊を配備し、 攻撃圏内は絶対死守・・・と言う感じでいいだろう。 保険としてサイパンに巡洋艦を停泊させて置くと安心。 ☆本土 空母から下ろした97艦攻は主に本土~ダバオに配備する。 敵基地からの爆撃は無く、驚異は敵空母だけである上に 97艦攻は敵艦爆より航続距離に優る。つまり、これで十分である。 ☆リプレイ3 ☆輸送 敵潜水艦の驚異を避ける為、輸送は極力一度に行う事だ。 出航時は駆逐艦か海防艦の1隻を先行させ、万全の哨戒を行い、 駆逐艦や海防艦を20隻づつ横須賀・高雄・リンガに配備して置き、 発見次第速やかに攻撃に向かう。 潜水艦が増えると手が付けられなくなるので、発見したら確実に撃沈しよう。 こちらの損害は余り気にするな。 南方の拠点は大泊地を持ち、燃料自給可能なリンガ。 本土方面は同様の理由から横須賀。 中継基地は高雄がいいだろう。 支那方面の鉄鉱石は鞍山で、南方のボーキサイトはシンガポールで 加工してから輸送すると輸送回数自体が少なくなり、 結果として商船の被害が抑えられる。 ☆航空機 バクリパパン・高雄・マニラ・沖縄・上海辺りを中継基地とする。 海に面している為、燃料等の補給が容易だからだ。 仏印の海軍攻撃機は太平洋に転進。 急降下爆撃の不可能な機体は、大陸戦には不要なのだ。 命中率が低いので弾薬がもったいない。 ☆リプレイ4 ☆大陸作戦 南方作戦のメドが付き、99双軽の数が揃ってきたら 蘭州の攻略にかかる。 42年の春頃か。 空母からはともかく、基地からの爆撃は晴・時化以外には行わない。 急降下爆撃が不可能だからである。弾薬がもったいない(本当に補給に苦労するゲームだ)。 その間、ビルマ方面は持久作戦を取る事になる。 蘭州攻略後は、鉄の輸送の為に一応鉄道を建設して置くといい。 大陸侵攻に支障をきたさない程度の動員で、気長にね。 次は当然成都である。 この2基地は弾薬の現地供給基地として重宝する筈だ。 航空戦力に余裕が出てくれば、バンコクからの侵攻も開始する。 四式重爆・飛龍が配備されれば、侵攻速度に拍車がかかる。 太平洋戦域にP51が配備されれば、侵攻は絶望となるので、 とにかく急いで、最悪でも43年中には攻めきりたい。 飽くまで主眼はインドの敵重要拠点を占領する事であるので、 ここでもやはり飛び石作戦が有効である。 防衛用の陸上部隊が必要ではあるが、侵攻速度を優先させたい。 1つの基地を無視すれば、恐らく3~4ターン、侵攻が早まる。 勿論大方の基地は、警備兵すら不要。 民兵は基地から動けないので、孤立させれば完全に無視出来る。 ☆航空機 2方面で1000機規模の軍になる為、 整備部隊は他所から引き抜いて集中的に配備する。 設営部隊も、最低1方面60は欲しい。 飛行場完成までの安全の確保の為、前進以前に零戦21にて 手の届く範囲全ての基地の航空機を壊滅せしめて置くのがコツだ。 燃料・弾薬の補給はくれぐれも滞り無き様。 旧型機はどんどんスクラップにして本土に戻そう。 この時点で最も貴重な弾薬を浪費せぬ様に、戦艦部隊は暫く使わない。 それにしてもヒマだ。戦艦。 44年までは敵さんの方からは中々出てきてくれない。 ☆鉄道 建設してもいいが、定期輸送が20迄と言うタコな仕様なので 建設したとて、どの道輸送は面倒である(笑)。ま、安全なんだけど。 好みでどうぞ、としか言いようがない。 南京~鞍山のラインは確保して置くと便利だ。筆者はそうしている。 ☆空母 大陸侵攻部隊がインドに到達するまでは結構ヒマである。 他基地からの支援の無いポートダーウィン辺りなら占領可能であろう。 でもかなり危険。やるなら事前に2式大艇の編隊で偵察して置こう。 ☆インド まず間違いなく戦艦部隊がどこかに在泊している。 空母が揃っていれば艦隊にて攻撃してもよいが(それでも危険)、 陸軍だけでも十分に攻略は可能だろう。 叩いても叩いても増援されるコロンボとアッズの攻略には 艦隊の支援が欲しい所だが、 それでもマドラスに配備した重爆で敵艦隊を完全に沈黙せしめてから 出張るべきであろう。 ☆リプレイ5 43年中にインド攻略を完了させ、キ83が配備されれば ニューギニア方面の侵攻に取りかかる。 筆者は42年中にインド作戦を終了した。 烈風の開発のメドが立つならば、それまで待ってもよい。 終始重点開発を行い、且つ無駄な開発をしていないならば 43年初頭には生産可能となる筈だ。 ☆空母 常に戦艦艦隊・基地航空隊の支援下で行動する為、艦攻は不要。 戦闘機だけを積めばいいだろう。 基地航空隊で陣地破壊・航空機撃滅を行い、 空母は前進時の対空警戒と、せいぜい丸裸の敵陸軍を叩く程度に止める。 日が暮れるかもしれないが、160kmづつ「ずりずり」と前進すれば 艦隊同士の直俺支援が可能なので非常に安全だ。 弾薬が余って仕方ないなら高高度爆撃で飛行場を叩くのもいい感じ。 ☆基地攻略 これまで手つかずだった為、敵基地には場所によっては 500~1000機の航空機が居ると考えてよい。 が、この時点ではどの航空機もキ83の敵ではない。 まずはペリリューを要塞化し、キ83と飛龍を配備、 慎重に慎重を重ねて前進する。 基地を前進させる時は、必ず空母に因る護衛も付ける。 烈風が配備されていればB17もかなり落とせるだろう。 この調子でタウンズビルまで攻め込む。重要根拠地は9つ占領、後1つ。 ☆リプレイ6 さて、問題となるのはニューカレドニア。 かなりの確率で敵主力艦隊が在泊している。 空母・戦艦共に10隻以上は覚悟されたし。 と言う事で主にガ島近辺で起こる艦隊決戦についての項目である。 リプレイ風ではあるが、艦隊決戦のコツを読み取って貰いたい。 基本戦略は、敵航空戦力を予想し、且つ敵哨戒範囲を把握し、 極力リスクの少ない場所で(自軍基地航空機の攻撃圏内と言うのが絶対条件) 故意に敵に発見され、敵艦隊をおびき寄せる事となる。 2式大艇の50機や100機は失う覚悟で敵飛行場の偵察を徹底する事だ。 まずラバウル辺りに大規模な航空基地を設営。 配備する攻撃機は飛龍・一式陸攻・96式陸攻・銀河(有れば)辺り。 1機種を800機よりは4機種×200機を心得たい。 これなら200機毎に攻撃目標を指定出来る為、非常に効率が良い。 同一機種800機では1度の出撃で10隻以上の撃沈は システム的に絶対に見込めないのだ。上記編成なら36隻の撃沈も可能。 基本的に戦艦部隊は全艦集中運用。 これに秋月の護衛を付けて、敵哨戒範囲に突っ込む。巡洋艦は別艦隊とする。 さすればまず、敵の爆撃機が飛んでくるであろう。 これは、祈るよりない。極力周囲の航空基地が離陸不能な時を狙うといい。 戦場が時化なれば(こちらの直俺も期待出来ないが) 敵空母が発着不能となる為、非常に楽だ。 航空攻撃に暫く耐えると敵主力艦隊との決戦となる。 信濃を含めれば13隻の戦艦群。 突っ込んで来たはいいが、敵さんは恐れをなして退避を選択する、ってのがミソである。 敵戦艦が3隻以下ならば大和型3隻の先制攻撃で無力化出来るので、この場合は「積極」を選択する。 でなければ退避すればいい。これなら戦闘は起こらない。 どっちにせよ、これで被害無くしてこちらの攻撃圏内に敵主力艦隊をおびき出す事に成功した。 上記判断(敵戦艦三隻以下)により「積極」を選択した場合・・・ 基本的に戦艦には戦艦の砲撃又は雷撃以外でダメージを与える事は不可能。 が、こちらの「追撃戦」の為、敵艦隊は魚雷発射距離まで接近できない。 発射前に戦闘が終了してしまうのだ。 つまり、戦艦さえ沈黙せしめればこちらも戦艦は全く無傷のまま 敵を蹂躪出来る訳だ。護衛の秋月は壊滅するだろうが。 #戦艦艦隊に巡洋艦を編入しないのは無用な被害を避ける為 、って事。 次はこちらのフェイズ。基地からの航空攻撃を敢行。 この際、キ83の行動半径内に戦場を設定しておかねば、 敵空母にF6Fが配備されていた場合にドツボるので注意。 #いや 、ニューカレドニアが戦場となる時期、まず間違いなく配備済だ。 #この点で 「初期に進行すべきはインドではなく太平洋では?との疑問が #持たれる訳である 。が、攻めるなら必要最小限、つまりニューカレドニアと #豪州2箇所のみに止め 、やはり支那・印度を主戦場にしたい。 #最終目標である敵重要根拠地10カ所占領はかなりの長期戦 、資源確保は不可欠なのだから。 #それにしても初期に正規空母6隻 軽空母のみ、しかも99艦爆での基地攻略は #かなりの困難を伴いそうだ 。補給維持も非常に困難である。 #どちらにしてもP51の配備までには絶対に終わらせたい物だ 。 飛龍等の急降下爆撃隊は空母を「中破」させる事を目指す。発艦不能になれば沈める必要はない。 雷撃隊は戦艦を撃沈するのがいいだろう。 誘導爆弾が開発されていればむしろ大型爆弾で武装を破壊したい。 敵は恐らく数艦隊有る筈なので、余力を残し必要量だけ出撃させる事。 この調子で何艦隊かが突っ込んで来るだろうが、 第一陣程の戦力では無いので余裕で対処出来るだろう。 艦隊戦闘時は、戦艦の次には空母を狙う。 この場合は攻撃目標を「無指定」とすると空母に当たる確率が高い。 当然ながら艦攻・艦爆を満載した機動艦隊も用意して置く。 敵艦隊が全て出尽くしたと判断すれば、次ターンに備えて 戦艦艦隊の直俺可能範囲内に戦闘機を満載した機動艦隊を進出させる。 敵艦隊の砲撃を受ける事も大いに有るだろうが、それまでの戦闘で 戦艦は壊滅の上、残存艦隊の艦隊速力も落ちている為、 余裕で逃げきれるだろう。20cmを数発食らった所で問題は無い。 次ターンにはまず航空攻撃から開始する。 敵戦艦を全滅させれば重巡・駆逐艦隊の出番だ。 速力の衰えた敵艦隊に高速で肉薄して雷撃で死命を制・・・・・・せずとも 戦艦空母を全滅させればそれで十分である。 後はニューカレドニアを落とすだけなのだから。 因みにセイロン辺りでの艦隊決戦時は敵の40cm砲も無ければ 空母も少なく敵戦闘機も弱いので、 悪天候を狙い且つ空母が前に出なければ簡単な物である(あくまで比較的)。 戦艦の数だけは凄い物が有るが。 ☆リプレイ7 ニューカレドニアを占領すれば めでたく重要根拠地を10箇所占領した事になる。 これでコンプリートである。 烈風が開発されていれば、この時点では日本軍がかなり有利であるので 敵のP51の開発まで、敵残存兵力を蹂躪しまくるのも一興であろう。 余興でハワイをも攻略する場合、震電ではなく流星の方の配備を急ぐ。 もしどうしても「あと一つ」が取れない時はソ連と一戦交えるのも一つの手。 基地間の距離が短いので、各種新型戦闘機が大活躍だ。 他にも印度攻略戦に使用した機体をそのまま使えるので楽勝かもしれない。 ただし宣戦直後に本土が夜間爆撃の洗礼を受ける。 夜間戦闘機の配備を忘れずに。 爆撃機の練度は戦闘機の練度に比べ、それ程重要ではない。 被害を気にせずにあらゆる所からかき集めた2式隊艇を飛ばせば かなりの敵戦闘機を打ち落としてくれる筈である(笑)。 この様な強引な事前工作も有効かと思う。どーせ最後だし。 攻撃部隊760×2艦隊でハワイに強引に上陸するのも素敵だ。 故意にサイパン・硫黄島・沖縄を捨て、押し寄せるB29を 震電と秋水で叩き落とす快感も、日本男児なれば是非味わって頂きたい。 鬼畜米英何するものぞ!(結論)
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太平洋戦争の日米対決を題材にしたシナリオ。 あらすじ 明治維新により近代国家へと変貌した大日本帝国は 二度の国家の危機を乗りきり、第一次世界大戦に勝利することで その版図を拡大していった。 — しかし後発帝国主義国家であった日本は欧米国家群との軋轢を深めていく。 孤立を深めていく日本は欧州の同盟国ドイツの躍進に乗じ南進を開始する。 — 対する欧米諸国は対日包囲網を形成し対抗。 — 道を断たれた日本は、世界を相手に戦端を開く決意を固める。 — そして1941年12月8日 — 南雲忠一率いる航空機動部隊はアメリカ太平洋艦隊根拠地、 ハワイ真珠湾を奇襲した。 (OPより) 入手先 戦国史旧作シナリオ復興委員会 備考 シナリオデータ シナリオ名: 太平洋戦史(仮) 作者: 名無し軍ヲタ 現バージョン: - 最終更新: 2002年5月22日更新 動作環境: SE○ FE◎ 旧◎ 規模: 環太平洋地域 開始年月: 1941年12月 大名家数: 14 城数: 138 武将数: 255 攻略難易度表(難 S ~ F 易) S A B C D E F アメリカ合衆国、大日本帝国 キャプチャ画像 リプレイサイト 関連項目 以下、加筆求む
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前半は太平洋戦争参照 連合軍の攻勢(1944年) ビルマ方面では日本陸軍とイギリス陸軍との地上での戦いが続いていた。3月、インド北東部アッサム地方の都市でインドに駐留する英印軍の主要拠点であるインパールの攻略を目指したインパール作戦とそれを支援する第二次アキャブ作戦が開始された。スバス・チャンドラ・ボース率いるインド国民軍まで投入し、劣勢に回りつつあった戦況を打開せんとする9万人近い将兵を投入した大規模な作戦であった。しかし、補給線を無死した無謀・杜撰な作戦により約3万人以上が命を失う(大半が餓死によるもの)など、日本陸軍にとって歴史的な敗北となった。これ以降、ビルマ方面での日本軍は壊滅状態となる。 5月頃には、米軍による通商破壊などで南方からの補給が途絶えていた中国戦線で日本軍の一大攻勢が開始される(大陸打通作戦)。作戦自体は成功し、中国北部とインドシナ方面の陸路での連絡が可能となったが、中国方面での攻勢はこれが限界であった。6月からは中国・成都を基地とするB-29による北九州爆撃が始まった。 連合国軍に対し各地で劣勢に回りつつあった日本の陸海軍は、本土防衛のためおよび戦争継続のために必要不可欠である領土・地点を定め、防衛を命じた地点・地域である絶対国防圏を設けた。 しかし、6月にその最重要地点であったマリアナ諸島にアメリカ軍が来襲する。日本海軍機動部隊はこれに対し反撃すべくマリアナ沖海戦を起こす。日本機動部隊は空母9隻という日本海軍史上最大規模の艦隊を編成し、米機動部隊を迎撃したものの、圧倒的な工業力を基に空母を多数竣工させていたアメリカ側は15隻もの空母を基幹とし、更に日本の倍近い艦船を護衛につけるという磐石ぶりであった。航空機の質や防空システムでも遅れをとっていた日本機動部隊はアメリカ海軍の機動部隊に惨敗を喫することとなる。旗艦であった大鳳以下空母3隻、その他多くの艦載機と熟練搭乗員を失った日本機動部隊は文字通り壊滅した。しかし、戦艦部隊はほぼ無傷であったため、10月末のレイテ沖海戦では戦艦部隊を基軸とした艦隊が編成されることになる。 陸上では、猛烈な艦砲射撃、航空支援を受けたアメリカ海兵隊の大部隊がサイパン島、テニアン島、グアム島に次々に上陸。7月に海軍南雲忠一中将の守るサイパン島では3万の日本軍守備隊が玉砕し、多くの非戦闘員が両軍の戦闘の中死亡した。続いて8月にはテニアン島とグアム島が連合軍に占領され、即座にアメリカ軍は日本軍が使用していた基地を改修し、大型爆撃機の発着が可能な滑走路の建設を開始した。このことにより日本の東北地方の大部分と北海道を除くほぼ全土がB-29の航続距離内に入り、本格的な本土空襲の脅威を受けるようになる。実際、この年の暮れには、サイパン島に設けられた基地から飛び立ったアメリカ空軍のB-29が東京にある中島飛行機の武蔵野製作所を爆撃するなど、本土への空爆が本格化する。 これに対して、アメリカやイギリスのような大型爆撃機の開発を行っていなかった日本軍は、この頃急ピッチで6発エンジンを持つ大型爆撃機「富嶽」の開発を進めるものの、当時の日本の工業力では完成は夢のまた夢であった。そこで日本軍は、当時日本の研究員だけが発見していたジェット気流を利用し、大型気球に爆弾をつけて高高度に飛ばしアメリカ本土まで運ばせるといういわゆる風船爆弾を開発し、実際にアメリカ本土へ向けて数千個を飛来させた。しかし人的、物的被害は数名の市民が死亡し、ところどころに山火事を起こす程度の微々たるものでしかなかった。また、日本海軍は、この年に進水した艦内に攻撃機を搭載した潜水空母「伊四〇〇型潜水艦」により、当時アメリカが実質管理していたパナマ運河を搭載機の水上攻撃機「晴嵐」で攻撃するという作戦を考案したが、戦況の悪化により中止された。 各地で劣勢が伝えられる中、それに反してますます軍国主義的な独裁体制を強化する東条英機首相兼陸軍大臣に対する反発は強く、この年の春頃には、中野正剛などの政治家や、海軍将校などを中心とした倒閣運動が盛んに行われた。それだけでなく、近衛文麿元首相の秘書官であった細川護貞の大戦後の証言によると、当時現役の海軍将校で和平派であった高松宮宣仁親王黙認の上での具体的な暗殺計画もあったと言われている。しかしその計画が実行に移されるより早く、サイパン島陥落の責任を取る形で東条英機首相兼陸軍大臣率いる内閣は総辞職に追い込まれた。 この頃日本は、相次ぐ敗北により航空および海軍兵力の多くを失ない、その上、大量生産設備が整っていなかったこともあり武器弾薬の増産が思うように行かず、その生産力は連合軍諸国の総計どころかイギリスやアメリカ一国のそれをも大きく下回っていた。しかも本土における資源が少ないため鉄鉱石や石油などの資源をほぼ外国や勢力圏からの輸入に頼っていた上に、連合国軍による通商破壊戦により外地から資源を運んでくる船舶の多くを失っていたために、戦闘機に積む純度の高い航空燃料や空母、戦艦を動かす重油の供給すらままならない状況であった。 10月には、アメリカ軍はフィリピンのレイテ島への進攻を開始した。日本軍はこれを阻止するために艦隊を出撃させ、レイテ沖海戦が発生した。日本海軍は空母瑞鶴を主力とする機動部隊を米機動部隊をひきつける囮に使い、戦艦大和、武蔵を主力とする戦艦部隊(栗田艦隊)でのレイテ島への上陸部隊を乗せた輸送船隊の殲滅を期した。この作戦は成功の兆しも見えたものの、結局栗田艦隊はレイテ湾目前で反転し、失敗に終わった。この海戦で日本海軍は空母4隻と武蔵以下主力戦艦3隻、重巡6隻など多数の艦艇を失い事実上壊滅し、組織的な作戦能力を喪失した。また、この戦いにおいて初めて神風特別攻撃隊が組織され、米海軍の護衛空母撃沈などの戦果を上げている。 レイテ沖海戦に勝利したアメリカ軍は、大部隊をフィリピン本土へ上陸させ、日本陸軍との間で激戦が繰り広げられた。戦争準備が整っていなかった開戦当初とは違い、M4中戦車や火炎放射器など、圧倒的な火力かつ大戦力で押し寄せるアメリカ軍に対し、日本軍はなすすべも無く敗走した。 レイテ沖海戦で日本海軍はほぼ壊滅状態となり、以後は組織的な作戦行動は出来なくなった。一方、特攻は過大評価され、そのまま日本海軍の重要作戦として位置づけられ終戦まで続けられることになる。この神風特攻はアメリカ海軍の乗組員達を恐怖に陥れはしたが、戦局を変えるには至らなかった。 最終局面(1945年) アメリカ軍はレイテ島の戦いに勝利を収め、1月にはルソン島に上陸した(マッカーサーは1月9日にリンガエン湾に上陸)。フィリピン全土はほぼ連合軍の手に渡ることになり、日本は南方の要所であるフィリピンを失ったことにより、マレー半島やインドシナなどの日本の勢力圏にある南方から日本本土への船艇による資源輸送の安全確保はほぼ不可能となり、自国の資源が乏しい日本の戦争継続能力が途切れるのは時間の問題となった。 日本軍は、1940年のドイツによるフランス占領より、親枢軸的中立国のヴィシー政権との協定をもとにフランス領インドシナに駐留し続けていたが、前年の連合軍によるフランス解放ならびに、フランス新政権(フランス共和国臨時政府)を率いるシャルル・ド・ゴールによるヴィシー政権と日本の間の協定の無効宣言が行われたことを受け、駐留していた日本軍は3月9日に「明号作戦」を発動してフランス植民地政府および同政府軍を武力によって解体し、ベトナム帝国、ラオス王国、カンボジア王国をそれぞれ独立させた。なお、この頃においてもインドシナに駐留する日本軍は戦闘状態に置かれることが少なかったため、かなりの戦力を維持していたので、連合国軍も目立った攻撃を行わず、また日本軍も兵力温存のために目立った戦闘行為を行なわなかった。 2月から3月後半にかけて硫黄島の戦いが行われた。圧倒的戦力を有する米海兵隊と島を要塞化した日本軍守備隊の間で太平洋戦争中最大規模の激戦が繰り広げられ、両軍合わせて5万名近くの死傷者を出した(米軍の死傷者が日本軍のそれを上回った唯一の地上戦)。最終的に日本は硫黄島を失い、アメリカ軍は硫黄島をB-29爆撃機の護衛のP-51D戦闘機の基地、また日本本土への爆撃に際して損傷・故障したB-29の不時着地として整備することになる。この結果、サイパン島に築かれた基地から飛び立ったB-29への戦闘機による迎撃は極めて困難となった。 3月10日には大規模な無差別爆撃である東京大空襲が行われ、10万人もの尊い命が失われた。それまでは高高度からの軍需工場を狙った精密爆撃が中心であったが、カーチス・ルメイ少将が在マリアナ空軍総司令官に就任すると、民間人の殺傷を第一目的とした無差別爆撃が連夜のように行われるようになった。あわせて連合軍による潜水艦攻撃や、機雷の敷設により制海権も失っていく中、東京、横浜、大阪、名古屋、福岡、富山、徳島、熊本など、東北地方と北海道を除く多くの地域が空襲にさらされることになる。室蘭では、製鉄所を持ちながらも、迎撃用の航空機や大型艦の配備が皆無に等しいことを察知していたアメリカ軍は、艦砲射撃による対地攻撃を行う。 迎撃する戦闘機も、熟練した操縦士も、度重なる敗北で底を突いていた日本軍は、十分な反撃もできぬまま、本土の制空権さえも失っていく。日本軍は練習機さえ動員し、特攻による必死の反撃を行うが、この頃になると特攻への対策法を編み出していた米軍に対し、あまり戦果を挙げられなくなっていた。 この頃満州国は、日本軍がアメリカ軍やイギリス軍、オーストラリア軍と戦っていた南方戦線からは遠かった上、日ソ中立条約が存在していたため、ソ連との間は戦闘状態にならず、開戦以来平静が続いていたが、この年に入ると、昭和製鋼所(鞍山製鉄所)などの重要な工業基地が、中華民国領内から飛び立った連合軍機の空襲を受け始めるようになった。 同じく日本軍の勢力下にあったビルマにおいては、開戦以来、元の宗主国であるイギリス軍を放逐した日本軍と協力関係にあったビルマ国民軍の一部が、日本軍に対し決起した。3月下旬には「決起した反乱軍に対抗するため」との名目で、指導者であるアウン・サンはビルマ国民軍をラングーンに集結させ、即座に日本軍に対しての攻撃を開始した。同時に他の勢力も一斉に蜂起し、イギリス軍に呼応した抗日運動が開始された。最終的には5月にラングーンから日本軍を放逐した。 4月、連合軍は沖縄諸島に戦線を進め、沖縄本島へ上陸し、沖縄戦が開始される。多数の民間人をも動員した凄惨な地上戦が行われた結果、両軍と民間人に死傷者数十万人を出した。なお、沖縄戦は日本国内での降伏前における唯一の民間人を巻き込んだ地上戦となった。日本軍の軍民を総動員した反撃にも拘らず、連合軍側は6月23日までに戦域の大半を占領するにいたり、すでに濃厚であった敗戦の見通しを決定づけた。また、支援の名目のもと、沖縄に向かった連合艦隊第2艦隊の旗艦である戦艦大和も、4月7日に撃沈され、残るは燃料にも事欠いた、わずかな空母や戦艦のみとなり、ここに日本海軍が誇った連合艦隊は完全に壊滅した。 5月、有力な同盟国であったドイツが連合国に降伏し、ついに日本はたった一国でイギリス、アメリカ、フランス、オランダ、中華民国、オーストラリアなどの連合国と対峙して行くことになる。このような状況下で連合国との和平工作に努力する政党政治家も多かったものの、この期におよび、敗北による責任を回避しつづける大本営の議論は迷走を繰り返すばかりであった。一方、「神洲不敗」を信奉する軍の強硬派はなおも本土決戦を掲げて、「日本国民が全滅するまで、一人残らず抵抗を続けるべきだ。」と唱えた。日本政府は当時日ソ中立条約によって国交のあったソビエト社会主義共和国連邦による和平仲介に期待したが、黙殺される。 既に一国のみでの孤独な戦いを続ける日本の降伏は、もはや時間の問題となった。この前後には、ヤルタ会談での他の連合国との密約、ヤルタ協約に基づくソビエト連邦軍の北方からの上陸作戦にあわせ、アメリカ軍を中心とした連合国軍による、九州上陸「オリンピック作戦」と、その後に行われる本土上陸作戦が計画されたものの、日本軍の軍民を結集した強固な反撃により、双方に数十万人から百万人単位の犠牲者が出ることが予想され、計画の実行はされることがなかった。11月に計画されていた「オリンピック作戦」には、福岡、長崎の市街戦において、アメリカ軍としては初めてとなる、化学兵器(毒ガス)の使用が予定されていた。 アメリカのハリー・S・トルーマン大統領は、最終的に、本土決戦による自国軍の犠牲者を減らすという名目と、日本の分割占領を主張するソビエト連邦の牽制目的、さらに非白人種への人種差別意識の影響、且つ人体実験を目的とした放射能による影響計測のため、史上初の原子爆弾の使用を決定する。8月6日に広島へ投下、次いで8月9日に長崎への投下が行われ、投下直後に死亡した百万人弱にあわせ、その後の放射能汚染などで、現在までにあわせて百万人以上の死亡者を出した。なお、日本でも原子爆弾の開発を行っていたものの、制海権を失ったことなどに起因する開発に必要な原料の調達が捗らなかったことなどから、ドイツやイタリアからの亡命科学者を中心に開発を行っていたアメリカに先を越されることになった。 その直後に、1941年4月より日ソ中立条約を結んでいた共産主義国であるソビエト連邦も、上記のヤルタ会談での密約(ヤルタ協約)を元に、締結後5年後の1946年4月まで有効である日ソ中立条約を破棄し、8月8日に対日宣戦布告をし、満州国へ侵攻を開始した(8月の嵐作戦)。ソ連による調停の望みはここに絶たれる。 ソ連軍の侵攻に対して、当時、満州国に駐留していた日本の関東軍は、主力部隊を南方戦線へ派遣し、弱体化していたため総崩れとなり、敗退した。 逃げ遅れた多数の日本人開拓民のうち、多くがソ連軍に殺害され、強姦された女性も多数存在した。また、日本への引揚の混乱の中で家族と生き別れ、中国人に拾われた子供は、中国残留孤児として残ることとなった。 このソビエト参戦により、満州と南樺太などで行われた戦いで、日本軍の約60万人が捕虜として捕らえられ、シベリアに抑留された。その後この約60万人は、過酷な環境とソ連政府による強制労働や私刑の犠牲となり、6万人を超える死者を出した。 このような事態に至ってもなお、日本軍上層部は降伏を回避しようとし、御前会議での議論は迷走した。しかし鈴木貫太郎首相が天皇に発言を促し、昭和天皇自身が和平を望んでいることを直接口にした事(いわゆる「御聖断」)により、議論は収束した。これを受け1945年8月10日、日本政府は同盟通信社及び日本放送協会の短波を利用して、「天皇の大権が侵されない」ことを条件に、ポツダム宣言の受諾を全世界に通告、8月14日に御前会議において宣言の受諾を正式に決定し、8月15日、昭和天皇の声明を録音したレコードで、全国に同宣言の受諾を国民に知らせる玉音放送が行なわれた。この後鈴木貫太郎内閣は総辞職した。 敗戦と玉音放送の実施を知った一部の将校グループが、玉音放送が録音されたレコードの奪還をもくろみ、8月15日未明に宮内省などを襲撃(宮城事件)し、鈴木首相の私邸も襲われる事件があったものの、玉音放送の後には、厚木海軍飛行場にあった第三〇二海軍航空隊の小園安名大佐率いる将兵が徹底抗戦を呼びかけるビラを撒いたり、停戦連絡機を破壊するなどの他には大きな反乱は起こらず(同反乱も8月22日に終息)、日本軍は戦闘を停止した。 翌16日には、連合国軍が中立国のスイスを通じて、占領軍の日本本土への受け入れや、各地に展開する日本軍の武装解除を進めるための停戦連絡機の派遣を依頼し、19日には日本側の停戦全権委員が一式陸上攻撃機でフィリピンのマニラへと向かう(8月21日に帰還、26日・28日の米軍厚木基地到着の文書をもたらす)等、イギリス軍やアメリカ軍に対する停戦と、武装解除は順調に遂行された。しかし、少しでも多くの日本領土の略奪を画策していたスターリンの命令により、ソ連軍は8月末に至るまで南樺太・千島・満州国への攻撃を継続した。そのような中で、8月22日には樺太からの引き揚げ船「小笠原丸」、「第二新興丸」、「泰東丸」がソ連潜水艦の雷撃・砲撃を受け大破、沈没し、多数の犠牲者を出した。 また、日本の後ろ盾を失った満州国は事実上崩壊し、8月18日に退位した、皇帝の、愛新覚羅溥儀ら満州国首脳は、日本への逃命を図るも、侵攻したソ連軍によって身柄を拘束された。その後8月28日には、連合国軍による日本占領部隊の第一弾として、アメリカ軍の先遣部隊が厚木海軍飛行場に到着し、8月30日には、後に連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)の総司令官として連合国による日本占領の指揮に当たることになる、アメリカ陸軍のダグラス・マッカーサー大将も同基地に到着、続いてイギリス軍やオーストラリア軍などの日本占領部隊も到着した。 9月2日には、東京湾内に停泊したアメリカ海軍の戦艦ミズーリにおいて、イギリスやアメリカ、中華民国やオーストラリア、フランスやオランダなどの連合諸国17カ国の代表団の臨席の元、日本政府全権重光葵外務大臣と、大本営全権梅津美治郎参謀総長による対連合国降伏文書への調印がなされ、ここに、太平洋戦争はついに終結した。しかし、沖縄や南洋諸島においては、兵士達による局所的な戦闘が散発的に続けられ、南樺太と千島列島では、9月4日までソ連軍との戦闘が行われた。 日系人の強制収容 戦争中にアメリカ、ペルーをはじめ南米13カ国日系移民をアメリカ本国や自国の強制収容所に強制移動させられた。詳しくは日系人の強制収容を参照。 戦後処理 right|200px|thumb|昭和天皇との会見(1945年[[9月27日フェレイス撮影3枚のうち29日新聞掲載された写真]] 戦後、東京にアメリカ陸軍の元帥であるダグラス・マッカーサーを総司令官とする連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)が置かれた。沖縄、奄美諸島、小笠原諸島、トカラ列島は日本本土から切り離されアメリカ統治下におかれた。千島、樺太、歯舞、色丹はソ連に軍事占領されたが、未だに日本固有の領土であることを認められていない。 戦争裁判 まず初めに戦争責任を追及する東京裁判が開かれ、元総理の東条英機陸軍大将、外交官で元総理の広田弘毅らが連合国により戦犯として裁かれ、7名がA級戦犯として死刑(絞首)に処されたほか、元内大臣の木戸幸一、元陸軍大臣の荒木貞夫らが終身刑、元外相の東郷茂徳は禁固20年、元外相の重光葵は禁固7年となった。なお、昭和天皇は裁判を免れたほか、岸信介、児玉誉士夫、笹川良一、正力松太郎らは不起訴となった。また、フィリピンや中華民国など各地で同じように戦争裁判(B、C級戦犯)が行われた。一部の人々は、これらの裁判に対して、裁判の体を成していないものも多く、多くの無実の人も罪に問われ処刑されたと、批判している。その理由は全てが事後法による裁きのためである。また、連合軍は無差別攻撃(東京大空襲等や原爆投下)等の国際法違反行為に対する裁きを受けておらず、勝者による一方的な裁判であるとの批判もある。 改革 GHQは大規模な国家改造を行い、大日本帝国の国家体制(国体)を壊滅した上で、新たに連合国(特にアメリカ)の庇護の下での国家体制(戦後体制)を確立するために、治安維持法の廃止や日本国憲法の制定を行った。また、内務省の廃止や財閥解体、農地改革など矢継ぎ早に民主化と称し、日本の国力をなくし米国への抵抗力をなくすための改革を行ったが、民主化政策はその後の冷戦体制のため変更され、警察予備隊の設置や共産党員の公職追放(レッドパージ)が行われた。その後締結された1952年のサンフランシスコ講和条約により連合国総司令部は廃止となり、戦後処理は終了した。 戦争の評価(日本) 太平洋戦争の評価については、これの戦後以来ずっと歴史家だけでなく知識人、作家、一般市民などを巻き込んだ議論の的となっており、さまざまである。 もともとアジア圏は欧米諸国に植民地されていた歴史を持ち、日本がこの体制を解放させる立場なのか、それとも新たな植民地政策国として居座ることを目したものかという、相反する見方によって議論が引き起こされる。 加害者としての見方 加害者としての見方は、日本がアジアの近隣諸外国に対して行った侵略や植民地化などの行為を、誤った政策とし、太平洋戦争を否定的にとらえるものである。 この見地にたつ人々の一部は、日本が太平洋戦争の被害者の立場(長崎市・広島市の被った原子爆弾投下など)を強調し過ぎるものとし、侵略者=加害者としての立場からの反省が足りないと、主張している。 これに関連して、中華人民共和国、韓国、アメリカを中心とした日本に対する戦争責任の追及については、単なる反日教育によるアジテーションという見方は皮相的で、実際はアジア諸国に見られた閉鎖的で抑圧的な独裁体制の下にあって、権利を主張することができなかった当事国の民衆が、権利意識の高まりによって戦争の当事国である日本に国家、権力者の過ちによる戦争での被害の権利回復を求める運動の一環と主張する人が多い。 近年になって日本の加害責任の追及の声が大きくなっていることについては、こうした点が背景にあるとの意見が加害責任を追及する人々を中心に主張されている。 解放者・自衛戦としての見方 解放者としての見方は、アジア諸国が太平洋戦後に独立を果たせたのは、アメリカやイギリスなどの植民地化政策を行った国々との間での戦争であることが要因の一つであるとし、太平洋戦争そのものを肯定的に評価する立場である。この見地にたてば、日本は加害者であるという戦争理解や、近隣アジア諸国に対する謝罪への要求といった事態は、自虐的過ぎるということになる。 また、自衛戦としての見方は、ABCD包囲網によって日本が圧迫され、これを打開するために対英米蘭戦に踏み切ったとするものである。また、アメリカが日本の大陸利権を否定することで圧力を加え、併せて人種的偏見による移民規制や、日系アメリカ人に対して人種差別的な政策を行ったことが、日本人の反米感情を刺激し、対米戦へと踏み切らせたとの考えもある。 だが、どの資料を見てもABCD包囲網やそれに類する条約が結ばれたと言う証拠はない。故に、旧帝国が戦争を正当化するために恣意的に使用したとも考えられる。 両方の面があるとする見方 この戦争には「2つの側面」があるという研究者がいる。きっかけは中華民国への侵略や勢力拡張を目的とした仏印への進出だが、結果としてそれを理由にした米国の石油をはじめとする対日全面禁輸は、日本を予想だにしていなかった国家崩壊の危機に直面させた。すなわち、貿易全依存国である日本は石油がなければ船舶を動かすことはできず、船舶が動かなければ工業材料はおろか、食糧まで一切輸入することはできず、そうなれば産業崩壊はもちろんのこと餓死者さえ出かねないのである。また動かなくても排水の為に常に石油を消費する海軍は当然のことながら壊滅してしまい、もし日本が事態を放置して無抵抗状態になった時に、米西戦争の時のように、米国が何らかの口実で日本に宣戦布告をしてきた場合、日本は満足に戦闘さえできないことが懸念された。 そのうえ、米国の最後通牒と呼ばれたハルノートには日本との交渉再開の条件として中国からの撤退(原案では満州を除くという但し書きがあったが、米国側は手交前に敢えて削除した。)というおよそ短期間には実現不可能な条件が記されており、しかもその見返りは「交渉を再開する」というだけであり、禁輸解除は記されていなかった。したがって、ハルノート受諾を含む外交による事態打開を目指しても、日本が破滅的な状況に直面する公算は極めて高いと予想され、進退窮まった日本は強行策として欧米植民地の資源地帯の軍事力による強制奪取とその防衛を目的とした東南アジア・太平洋地域への戦争を開始した。 このようにアヘン戦争やアロー戦争と似たような構造の侵略戦争である日中戦争と、米国や米国が指導した全面的な経済制裁に対する自衛が目的としての対米英蘭戦争という、目的・性質の異なった二つの戦争が併存していたのが太平洋戦争であるという見方である。 戦争の評価(アジア) 実際に日本が侵略した中国(当時は中華民国、現在は中華人民共和国)や、日本に併合されていた朝鮮半島(現韓国・北朝鮮)(以下これらを特定アジアと称す。)においては日本の責任を厳しく問う意見が強い。しかし、かつて植民地・占領地でありながらも日本から直接被害を受けていない特定アジア以外のアジア諸国からは、日本を加害者とする評価だけではなく、それ以外の評価を見ることができる。加害者とする以外の評価があるのは、アジアには多民族国家が多く各集団によって世界観が大きく異なるためであるとも言われている。そのうち、直接に被害を受けていない地域では日本を評価する声があるとも、実際のところは少数派であるとも言われている。これには、当地の人々にしてみれば独立は主として自分たちの力で達成したものという意識が反映していることに加えて、すでにそれぞれが以前に比べて国民国家化していることも関係する。 一部のアジア諸国で日本の責任を厳しく問う意見が弱い理由については、純粋に日本の侵攻が独立に貢献したと評価されているケース、建国の功労者に、日本の後押しで権力の座に就いた者がいるケース、戦後の独立戦争において旧日本軍人が指導・協力したケース、また単純に反米的なイデオロギーを持っていたケース、あるいは軍事政権の雛形として評価せざるを得ないケースなど様々であり、その理由を一概にまとめることは難しい。日本の責任を厳しく問う意見が弱い理由として、日本の支配が強圧的であれども旧宗主国のそれに比べれば相対的にマシなものであったからという説もある。また、そもそも旧宗主国の植民地支配によって蒙った被害があまりに甚大であるが故に支配期間においては圧倒的に短い日本による被害が問題にされにくいという面もある。これとは逆に、日本の支配ののちに侵入してきた支配者への反感から日本への責任を問う声が比較的厳しくないという地域もある。 また、日本に協力する人々がいた一方、宗主国に協力して日本と敵対する人々もいた。この場合は、戦争が終わったのち、親日派も宗主国協力派も独立のために戦ったケースが多い。 台湾島における評価が相対的に高い理由 当時は日本による統治下であった台湾島では戦時中、アメリカ合衆国軍による空襲等はあったが、地上戦は行われなかった。また、台湾自体が兵站基地であったため、食糧など物資の欠乏もそれほど深刻ではなかった。 戦後になって大陸から入ってきて強権政治を行った過去のある中国国民党に対する批判により、相対的に日本の植民地政策を評価する人もいる。(「犬(煩いかわりに役には立つ)の代わりに豚(食べるばかりで役たたず)が来た」と言われている)また、それらの大日本帝国を評価する勢力の一部には太平洋戦争についても「解放戦争」であったと位置付けている人もいる。 台湾は中華民国ないし中華人民共和国の一部であると主張する勢力の中には、日本の支配を中華民国への侵略行為に過ぎないと評し、太平洋戦争も侵略であったと評する意見がある。 戦時には台湾でも徴兵制や志願兵制度などによる動員が行われ、多くの台湾人が戦地へと赴いた。これについての評価も分かれている。当時は日本国民であったのだから当然とする人もいれば、不当な強制連行であったと批判する人々もいる。「当時は日本国民であったのに死後靖国神社に祀られないのは差別である」と批判をする人もいれば、その反対に「靖国神社への合祀は宗教的人格権の侵害である」として日本政府を提訴している人々もいる。また、戦後、軍人恩給の支給などについて日本人の軍人軍属と差別的な取り扱いがなされたことに対する批判もある。 また、中華民国にも大韓民国、フィリピン共和国、オランダ王国などと同様従軍慰安婦になることを強いられた女性達がいるとして、日本国政府を相手に損害賠償を求める動きも出ている。なお「従軍慰安婦」という言葉自体、議論の対象になっている。つまり自発的にそれになったもしくは怪しげな業者にだまされたりしたものであり、日本軍が強制連行したなどの資料は一切見つかっていない。一例として当時のいわゆる従軍慰安婦は軍票の簿価の総計だけのみで換算して「当時の日本の総理大臣をはるかに上回る収入を得ていた」とする試算もある。現在台湾では、太平洋戦争・その前段階の日本統治時代についてどう評価するかについては政治的な論点のひとつとなっている。日本の支配に対する評価についての詳細は、日本統治時代 (台湾)にある戦後の評価の項を参照。 (なお、台湾島での戦争観を語る際に、台湾本省人が親日であり日本支配肯定論、外省人が反日抗日的であるとの見方があるが、実際はそれほど単純ではない。省籍矛盾については特定の政治家が選挙運動で煽ることによって起こる面も否定できず、そうした背景を理解しないで台湾の戦争観を論じると誤解が生じるおそれがある。本省人には、福建系と客家系がいること、また台湾人を語る際には台湾先住民の問題が欠けている傾向が見られること、省籍については近年外省人、福建系をはじめとした本省人の垣根が解消される傾向にあること、外省人はエリートと低所得層との格差が激しく多様であること、低所得層の外省人と台湾先住民との婚姻のケースが多いなど単純ではない、という意見もあるが、そのように詳細に見て行けばおよそ概説は不可能であり、つまるところ学問的考察は不可能になる)。 脚注 参考文献 『太平洋戦争の謎 魔性の歴史=日米対決の真相に迫る』佐治芳彦 大日本帝国文芸社 ISBN 4-537-25080-1 斎藤充功『昭和史発掘 開戦通告はなぜ遅れたか 』新潮新書 新潮社 ISBN 4-106-10076-2 『八月十五日の神話 終戦記念日のメディア学』佐藤卓己 筑摩書房 ISBN 4-480-06244-0 関連項目 第二次世界大戦に関連する人物の一覧 戦史叢書 大東亜戦争 アジア・太平洋戦争 極東戦争 十五年戦争 外部リンク 宣戦の詔勅 開戦と終戦 開戦の臨時ニュースと、終戦の詔勅(玉音放送)を、文字と音声で確認できる。 American Rhetoric アメリカ合衆国史上の有名な演説を集めたサイト(英語)。フランクリン・ルーズヴェルト大統領が議会で行った真珠湾攻撃の報告 Pearl Harbor Address to the Nation を文字と音声で確認できる(Top 100 Speeches → All Speeches by Decade → 08 Dec 1941)。 日米開戦を回避せよ~新資料が明かす最後の和平交渉~ 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年1月22日 (火) 00 28。
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太平洋戦線 上段はユニット名、下段はどのタイミングで解禁されるかです。 枢軸軍 レイ ナナ てんざん やまと 太平洋戦線「初出撃!中国での攻防」 太平洋戦線「戦闘!鹿児島湾演習」 太平洋戦線ノーマル「マリアナ沖海戦 ~猛特訓~」(if不可) 太平洋戦線ノーマル「マリアナ沖海戦 ~猛特訓~」(if不可) あかぎ ふがく ゆきかぜ エーリヒ 太平洋戦線「セイロン島沖海戦 前半戦」 太平洋戦線トゥルー「サモア・フィジー攻略戦」 ゆきかぜ編「スラバヤ沖海戦」 欧州戦線「航空戦前哨戦」 ルーデル レント フェイ ミハエル 欧州戦線「航空戦前哨戦」 欧州戦線「航空戦前哨戦」 欧州戦線「トーチ作戦 ~上陸~」 欧州戦線「クルセイダー作戦」(if不可) ベローチェ 欧州戦線「ガザラの戦い」 連合軍 クレア ネコ ハイネ ルリ 太平洋戦線「真珠湾攻撃」 太平洋戦線「珊瑚海海戦」 太平洋戦線「珊瑚海海戦」 太平洋戦線「ミッドウェー海戦 ~艦隊上空戦~」 エイミー チハ クラレンス アリス 連合軍戦線「北アフリカの戦い ~初戦~」 連合軍戦線「フィリピン攻撃 ~孤立~」 連合軍戦線「珊瑚海海戦」 連合軍戦線「珊瑚海海戦」 フェアリー マーリン ラン マチルダ 欧州戦線「激闘 マルタ島の攻防」 欧州戦線「航空戦前哨戦」 欧州戦線ノーマル「総国民夜間迎撃戦」 欧州戦線「クルセイダー作戦」(if不可) シン ロジーナ 燕 欧州戦線「ライトフット作戦」 欧州戦線「ハリコフ前線での戦闘」 欧州戦線「北アフリカ決着 ~撤退~」
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日中歴史共同研究 第1期「日中歴史共同研究」報告書 目次 第2部 戦争の時代 第3章 日中戦争と太平洋戦争 日中戦争と太平洋戦争 波多野澄雄<その1> 波多野澄雄:筑波大学大学院人文社会科学研究科教授(委員会委員) http //www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/pdfs/rekishi_kk_j-2.pdf 目次 日中戦争と太平洋戦争 波多野澄雄<その1>はじめに―開戦と中国戦線 第1 節 太平洋戦争下の中国戦場1)重慶攻略作戦構想の挫折と浙〓作戦 2)ビルマ攻略作戦とCBI 戦線 3)華北の戦い 4)一号作戦(豫湘桂戦役) 第2節 日本占領地域の状況1)汪政権下の政治と経済 2)通貨戦争 3)「対華新政策」とその破綻 日中戦争と太平洋戦争 波多野澄雄<その2> はじめに―開戦と中国戦線 日米開戦時に日本軍は20 個師団、21 独立混成旅団を中国戦線に展開していたが、作戦を積極化させたわけではなかった。開戦直前に政府は米英蘭と開戦の場合には「出来得る限り支那に於ける消耗を避け、以て長期世界戦に対処すべき帝国綜合戦力の確保に資する」ことを確認していた 1。現地軍の再三の要請によって、緒戦期には四川侵攻作戦(五号作戦)などが計画されるものの、後半期の「一号作戦」を除けば、太平洋戦争期を通じて大規模な軍事作戦は抑制されていた。他方、事変の外交的・政治的手段も失われ、軍事的にも政治的にも解決策が見出せないまま精鋭部隊の南方転用が図られる。 一方、蒋介石政府(重慶国民政府)は、12 月9 日、日本に宣戦を布告し、42 年1 月には連合国共同宣言に「4 大国」の一員として署名した。蒋介石は宣戦布告のなかで「今次の戦争は必ず全体として解決されなければならない」と述べたように、中国は米英ソと並ぶ連合国陣営の「4 強」の一つとなった 2。他方、中国共産党も開戦直後の「解放日報」において、抗日のための国際的統一戦線の必要性を訴え、英米との提携強化を主張した 3。しかし、蒋介石が切望していたソ連の対日参戦が拒絶され 4、近代的戦力に不足するなかで対日戦を有利に戦うためには、経済的・軍事的にはアメリカからの援助に頼らざるを得なかった。 アメリカにとって中国戦線の意義は二つであった。第1 は、太平洋における戦いを有利に運ぶため、日本軍の地上戦力を中国戦線に拘束すること、第2 は、重慶政府の支配地域に日本本土と日本の占領地に対する戦略爆撃のための航空基地を設定することであった。第2 の中国における航空基地の建設は、ソ連が対日中立関係を維持しており、沿海州やカムチャッカ半島を対日爆撃基地として米国に提供する可能性が低かったため、とくに重視された。これらの目的を達するため、いかに効果的に中国を支援するかがアメリカの課題であった 5。 第1 節 太平洋戦争下の中国戦場 1)重慶攻略作戦構想の挫折と浙〓作戦 ※ 〓は 支那派遣軍は、開戦と同時に上海、漢口、広東、天津等の租界に進駐し、英米軍の武装解除、権益接収を実施した。香港攻略を任務とする第23 軍は、12 月8 日に国境を突破し、13 日には九竜半島の掃討を終了した。香港要塞に対する降伏勧告を英軍が拒否したため同軍は、18 日に香港 1 「対米、英、蘭開戦ノ場合ニ於ケル帝国ノ対支方策」(1941 年11 月10 日)外務省記録A7.0.0.9-51「大東亜戦争関係一件 開戦関係重要事項集」。 2 家近亮子「蒋介石と日米開戦」(『東アジア近代史』第12 号、2009 年3 月)。 3 日本国際問題研究所『中国共産党資料集 第10 巻』(資料84、85、87)。 4 U.S.Dept.of State,Foreign Relations of the United States,1941,vol.4.,p.747. 5 等松春夫「日中戦争と太平洋戦争の戦略的関係」(波多野澄雄・戸部良一編『日中戦争の軍事的展開』慶応義塾大学出版会、2006 年)391-92 頁。 2 島を占領した。 この香港作戦を支援し、広東方面に移動した中国軍を牽制するための陽動作戦として、武漢地区の第11 軍による第2 次長沙作戦が実施された。第11 軍は、3 個師団約6 万の兵力をもって、12月下旬から攻勢作戦を開始し、第九戦区軍22 個師団約19 万名を擁する中国軍と激闘を展開し42年1 月初旬には長沙に侵入したが、まもなく長沙を放棄して漢口へ撤収した。日本軍の戦死者は約1500 名、戦傷4400 名、中国第九戦区軍は死傷28000 名以上を数えた6。蒋介石は「我が抗戦の、世界に対する貢献の大なることは各国も一致して認めざるをえまい」と自負し、敗北続きの連合国陣営の中にあって唯一日本軍の進攻を撃退した「勝利」として宣伝された 7。 日本軍の東南アジア侵攻が一段落した42 年春、参謀本部は支那派遣軍の要請に応え、中国における大規模作戦の研究に着手した。4 月上旬、杉山元参謀総長は、畑俊六総軍司令官に適当な機会に重慶攻略作戦を実行するよう指示した。 ところが、4 月18 日に米軍機が日本本土を空襲して中国基地中国の浙江占領区に不時着したことから、急遽、浙〓作戦が実行される。本土空襲が国民や兵士の士気の低下をもたらす影響を考慮したものであった。上海の第13 軍は、華中と華北から集めた兵力をもって5 月中旬から浙〓線に沿って西進し、他方、漢口の第11 軍の一部が東進して7 月初旬に両軍の連絡に成功した。しかし、補給計画が充分ではなく、4000 人以上の死傷者を出し、沿線確保は行われることなく撤退した。重慶攻略作戦の準備が優先されたことも撤退の要因であった。いくつかの飛行場の破壊が成果であったが、その後、中国の航空基地は各地に建設されたため作戦の意義は疑問であった8。 ※ 〓は この間、重慶攻略作戦構想の本格的準備が進捗し、9 月3 日、杉山参謀総長は「五号作戦」(四川作戦)の準備を派遣軍に指示した。そのねらいは、太平洋方面における英米の反攻に備えるため、大陸方面の兵備を軽減して対英米正面に転用する条件を作り出すことにあった。在満兵備の軽減が対ソ関係上、不可能であったことから中国方面がその対象となり、兵力節減の前提として「重慶政権の抗戦力の源泉を覆滅」をはかることにあった。他方、政略的には、重慶政権の足元である四川省の軍事的圧迫によって、同政権を「屈伏和平」に導くという効果が期待されていた9。 作戦計画では、南方から6 万、内地から12 万、満洲・朝鮮から18 万の兵力を増派し、主力は西安方面から、一部は武漢方面から 四川省に進攻するというものであった。ところが、42 年8月からのガダルカナル島(南東太平洋方面)をめぐる激しい攻防戦は、五号作戦に必要な物的基 6 防衛庁防衛研修所戦史部『戦史叢書47 香港・長沙作戦』〔以下、「戦史叢書」〕朝雲新聞社、1971 年、535 頁。 7 蒋中正『中国之命運』1943 年(日本語翻訳版、96 頁) 。 8 浙.作戦の支作戦であった衢州攻略戦において第13 軍司令部は化学戦資材の使用を奨励し、第22 師団は42 年6 月初旬、大洲鎮付近における遊撃戦で「あか弾」を使用し、大きな効果を挙げたといわれる(第13軍司令部「セ号(浙.)作戦経過概要」、及び「支那事変ニ於ケル化学戦例証集」陸軍習志野学校案、粟屋健太郎『未決の戦争責任』柏書房、1994 年、122、148 頁)。吉見義明・松野誠也編『毒ガス戦関係資料Ⅱ』(不二出版、1989 年)、資料56。 9 「甲谷悦雄大佐回想録」(厚生省引揚援護局調整、1954 年)、伊藤隆ほか編『続・現代史資料(4)陸軍・畑俊六日誌』〔以下、「畑日誌」〕みすず書房、1983 年、1942 年9 月6 日、11 月15 日の条。 3 礎を奪って行く。作戦には30 万トンを超える船舶が必要とされ、海軍との折衝が行われるが、太平洋重視の海軍は南太平洋の制空権の確保に全力を挙げることを主張して譲らず、また船舶の消耗も予想を上回るものであった10。かくて、42 年11 月初旬には事実上の中止(43 年内は行わず)が内示される。その理由は「主として輸送に充当すべき船舶の欠乏」にあった11。こうして内地から中国への兵力増派は不可能となり、12 月10 日に中止される。 ガタルカナル攻防戦による国力(船舶)消耗と、それに連動した「5 号作戦」計画の挫折は、日中戦争解決方策の根本的な再検討を促すことになり、大規模軍事作戦はしばらく見合わせ、「政謀略」を重視する方向転換が図られる。戦争指導班長・甲谷悦雄大佐によれば、「戦略的な積極方策は国家戦力の現状から見込薄となり、政略的に積極的方策を講ずることで戦局に一大転換を図らんとする希望が政府、統帥部に表面化」してきたという12。その政略の重要な一環が「対華新政策」(後述)であった。 2)ビルマ攻略作戦とCBI 戦線 開戦当初の中国にとって中国内陸よりも西からの脅威への対処が急務であった。日本軍による香港の占領に加えて、日本軍のビルマからの進撃によるビルマ・ルートの遮断、さらに昆明、重慶への進撃が危惧されたのである。42 年1 月、タイに進駐した日本軍は、ラングーンの攻略によって援助物資の揚陸を阻止するため、1 月20 日、国境を越えてビルマに侵入した。3 月7 日、ラングーンを占領した。 ビルマ駐留のイギリス軍は兵力不足と戦闘意欲の欠如のため、中国に派兵を求めざるを得なかった。国民政府は、在中国米軍最高司令官兼蒋介石の参謀長となったスティルウェル(JosephW.Stilwell)中将の指揮のもとで、雲南省西部に集結していた中国軍をもって遠征軍を編成し、英軍との協同作戦に当たらせた。3 月下旬、日本軍(第15 軍)はトングー〔同古〕の南方で中国軍の精鋭第5 軍と激しい戦火を交え、3 月末にトングーを陥落させ、5 月末までに北部ビルマを占領し、ビルマ・ルートの完全遮断に成功した。一方、中国軍はインド方面と雲南方面に分散退却してしまう。 日本軍が中北部ビルマの占領に成功したことで、中国への補給路遮断は陸のみならず、空においても一定の効果を発揮し始めた。北ビルマのミキナ〔蜜支那〕には第18 師団の師団司令部と哨戒・戦闘用の飛行場を置き、中国への補給路を陸上のみならず航空方面でも大きく制約したため連合軍はヒマラヤ山脈越えの困難な航空輸送ルート(Hump 空輸)を選択せざるを得なくなった13。 42 年3 月、スティルウェル中将は、中国陸軍の近代化計画を中米両政府に提案し、当時300 個以上あった中国軍師団数の整理縮小計画を示すと共に、ビルマ戦敗北後にインドに脱出してラーンガルに逃れた中国軍の再編成、雲南省に集結した中国軍部隊の改編に着手した。これらの計画 10 前掲「甲谷悦雄大佐回想録」。戦史叢書63『大本営陸軍部(5)』朝雲新聞社、1973 年、76-80、185-92、419-27 頁。 11 『畑日誌』1942 年9 月23 日、10 月5 日、11 月9 日、12 月13 日の条。 12 前掲「甲谷悦雄大佐回想録」。 13 バンプ空輸量はビルマ公路のそれを大きく上回り、1945 年まで在華米空軍の活動を支えた(西澤敦「対中軍事援助とヒラマヤ越え空輸作戦」(軍事史学会編『日中戦争再論』錦正社、2008 年)275-95 頁。 4 遂行とビルマ奪還に必要な軍需物資を恒常的に中国の輸送するためにはインドから中国までの補給路が必要であったが日本軍よって遮断されていた。そこで雲南省・北ビルマからインドまでの陸路を打通するために形成されたのがCBI(中国・ビルマ・インド)戦線であった。 ビルマ奪還はイギリスの分担であったが、そのイギリスはヨーロッパ、中東戦線とインド防衛を優先せざるをえず、ビルマ奪還に貴重な戦力を割くことはできなかった。アメリカも太平洋における反攻準備および英ソ支援を優先してCBI 戦線(ビルマ奪還)を低位においていた。また、蒋介石もビルマの奪回作戦に消極的で、代わりに蒋介石の顧問として中国空軍の育成に従事してきた米空軍シェンノート(Claire L. Chennault)少将の中国空軍強化プランを支持し、スティルウェルとの間に軋轢をひきおこし、両者の関係は42 年半ばから悪化した。 しかし、スティルウエルは中国やイギリスの反対をおして、42 年夏、北ビルマを通るレド公路の開発のため、インドのランガルーで米式の装備と訓練を施された中国新軍の建設に着手し、同年秋からは雲南から中国軍3 万2000 名が空輸によって合流し、訓練に加わった。43 年4 月からは、雲南省昆明において陳誠将軍の指揮下に新軍の訓練に着手し、8 月までに5 個軍15 個師団の改編が完成した。 この間、アメリカは中国戦線における対日戦略を陸軍近代化から戦略爆撃へと重点を移動させていったが、この背景には高性能ボーイングB29 爆撃機の実用化がある。高性能のB29 による日本本土の生産中枢への組織的爆撃は、日本の抗戦能力を破壊するもっとも能率的な戦略と考えられた。43 年5 月のワシントンにおける米英合同参謀会議(トライデント)での論議を経て、同年11 月の米英中首脳のカイロ会談において、中国戦線における連合軍の対日戦略の重点を戦略爆撃におくことが決定された。蒋介石自身は当初、陸軍の近代化にも熱意を持っていたが、やがてローズヴェルト大統領の説得もあって中国を基地とする対日戦略爆撃を支持するようになる。中国戦線の米軍のみならず中国軍の指揮権をも要求するスティルウェルとの関係悪化、さらに、中国陸軍の大幅な整理縮小に対する軍閥系勢力からの頑強な抵抗なども蒋が陸軍近代化に消極的になった要因であった14。 カイロ会談ではビルマ作戦が対日戦略において優先権が与えられ、蒋介石もランガルーと雲南の中国遠征軍を北ビルマに進攻させことを約束した。しかし、43 年11 月のテヘラン会談におけるスターリンの対日参戦の約束はビルマ作戦の意義を弱めた。蒋介石はテヘラン会談の情報から、雲南の新軍のビルマ作戦使用を拒否し、その代償としてスティルウエルにランガルーの中国軍に対する指揮権を与えた。スティルウェルは前年の浙.作戦に鑑み、強力な中国地上軍なしには、航空基地が日本軍の地上攻撃で失われる危険を説いたが、太平洋戦線で苦戦する日本が中国戦線で新たな大攻勢を行う可能性は低い、と顧みられなかった15。 43 年12 月、スティルウエルは中国新軍を率いてインドから北ビルマ入口のフーコン河谷に侵入していたが、44 年5 月上旬、連合軍は、インパール作戦の発動によって防備が手薄となった北ビルマ、雲南に総反攻を開始した。日本軍第18 師団を優勢な火力によって粉砕し、7 月までにフー 14 前掲、等松「日中戦争と太平洋戦争の戦略的関係」396-400 頁。 15 Tang Tsou, American Failure in China (Chicago University of Chicago Press, 1963), p. 82. 5 コンを占領した。また、北ビルマの要地ミチナ(蜜支那)を急襲し、8 月にはミチナ飛行場を奪回した。中国軍も同じころ、ビルマ国境のサルウイン河(怒江)の強行渡河を開始した。こうして北ビルマ・雲南方面で米軍により近代的軍隊に改編された中国軍が戦果を挙げているとき、中国本部では日本軍の大陸打通作戦(一号作戦、後述)によって国民政府軍は苦戦を強いられていた16。 3)華北の戦い 40 年後半の百団大戦によって、日本軍は華北の抗日根拠地を基盤とする共産軍の実力と脅威を認識することになり、華北の治安粛正作戦において国民政府軍に対しては「帰順」を求めるが、「警戒監視にとどめ攻撃せず」とされ、共産軍対策が重点目標となる17。41 年3 月から42 年末にかけて、北支那方面軍は、華北全域を治安区(占領区)、准治安区(遊撃区)、未治安区(抗日根拠地)に区分し、未治安区に対して組織的な「掃蕩」作戦を展開するとともに、王克敏ら旧軍閥の有力者を指導者として樹立させた華北政務委員会(40 年3 月成立)と協力して組織的な「治安強化運動」を展開した。治安区では、華北政務委員会を利用した宣伝など清郷工作、遊撃隊の活動する地域の住民を「治安区」に強制的に移住させ、遮断壕を構築する「無人区」の設定、「未治安区に対しては、経済封鎖、商品流通の分断などを実施した。「准治安区」でも共産党支配地域への経済的締め付けが強化され、遮断戦を越えて「未治安区」の市場を襲い、農産物の収奪や没収、強制買い上げ等、その規模は大きくなっていった。 こうした治安強化運動や掃蕩作戦の強化は、抗日根拠地に大きな打撃を与え、根拠地は縮小を余儀なくされる。しかし、この未曾有の根拠地の危機は、共産党の指導による、農民大衆の経済的基盤の確立のための「減租減息」(小作料と利子の減額)運動の全面的展開や「大生産運動」などによって克服され、43 年以降、根拠地は徐々に再生・拡大をたどることになる18。 他方、北支那方面軍は華北への共産勢力の伸長を食い止めるために、43 年9 月、対ゲリラ戦専門部隊として北支那特別警備隊(北特警)を設置したが、結局、都市部でしか目立った戦果を挙げることができなかった。北特警の戦闘詳報によれば、43 年後半には、共産党軍が「治安地区」にも浸透し、「治安地区」の拡大という当初の方面軍の計画とは逆の結果を招いてしまっていた19。こうした情勢のなかで、共産軍は勢力を盛り返し、根拠地は44 年末までには40 年の状態まで回復し、45 年6 月、共産軍は河北省で一斉に攻勢に出るのである。 ところで、42 年初頭、北支那方面軍参謀は政務将校の会同で、食糧と物資確保の緊急性を説き、「討伐作戦に伴ひ大規模なる物資獲得の手段を講ずるか、或は更に物資獲得の為に討伐を実施する」等の「創意工夫を要すべし」と説いている20。現地軍の「現地自活」という要求が強まるなかで、 16 一号作戦と北ビルマ・雲南作戦の関係については、浅野豊美「北ビルマ・雲南作戦と日中戦争」(前掲、波多野・戸部編『日中戦争の軍事的展開』)、297-338 頁。 17「第1 軍作戦経過の概要」第1 軍参謀部(1942 年1 月15 日)(『現代史資料(38) 太平洋戦争4』みすず書房、1974 年)〔以下『現代史資料』〕177 頁。馬場毅「華北における中共の軍事活動、1939-1945」(前掲、波多野・戸部編『日中戦争の軍事的展開』)232-34 頁。 18西村茂雄『20 世紀中国の政治空間』青木書店、2004 年、135-77 頁。 19 山本昌弘「華北の対ゲリラ戦、1939-1945」(前掲、波多野・戸部編『日中戦争の軍事的展開』)209-11頁。 20 「政務関係将校会同席上方面軍参謀副長口演要旨」(1942 年1 月15 日)(『現代史資料(13) 日中戦争5』みすず書房、1966 年、524 頁)。 6 物資と食糧の確保のために手段を選ばない討伐作戦は、中国側が「三光作戦」と呼ぶ非違行為の背景となっていた21。すでに、40 年秋には、百団大戦に対する報復的な山西省中部での反撃作戦として、共産軍の根拠地とみなされた村落を焼き払う、という「燼滅(じんめつ)作戦」が強行されていた22。「燼滅」の一つの手段が化学弾薬(毒ガス)の使用であり、北支那方面軍司令部が各部隊に配布した『粛正討伐ノ参考』(1943 年5 月)によれば、化学弾薬は遊撃戦法をとる共産軍に対抗するために有効であるとして推奨されている。こうした「未治安区」における非違行為は、他の戦線への兵力抽出や部隊の改編によって補充兵の比率が増し、兵士の質が低下していたことが主な原因であった23。 また、満洲や日本への労働力の提供のため、華北において強制的な労働力の動員が42 年から実施され、その業務は日本軍と華北政務委員会の統制下にあった華北労工協会が一元的に請け負っていた。200 万人を超える労働者が華北から満洲、蒙彊に提供された。44 年以降は華北政務委員会が表面に乗り出し、重要労力緊急動員の秘密命のもとに日本軍が出動して「浮浪遊民」を逮捕徴発して日本や満洲に送り込んだ。日本全土への強制連行は43 年9 月から試行的に始まり、45年5 月までに約3 万9000 人の中国人が移送され、過酷な労働に従事し、秋田県の花岡鉱山事件のように中国人労働者の大規模な蜂起事件も起こっている24。 4)一号作戦(豫湘桂戦役) 南東太平洋戦線で大きく戦力を消耗した日本軍は、43 年9 月、戦略の転換を図り、ビルマ、蘭印、西部ニューギニア、マリアナ諸島、千島列島、満州を結ぶ防衛ラインの内側を「絶対国防圏」と定めた。この「絶対国防圏」の防備強化のため、中国戦線から10 個師団の兵力(1.5 万-ママ)、馬1.5万頭、自動車2000 両などを絶対防衛圏の防備強化に転用する計画が策定されるが、一号作戦(「大陸打通作戦」)計画の浮上はこの転用計画を大幅に縮小させる25。 44 年4 月中旬から翌年の2 月上旬の間、派遣軍総兵力の約8 割にあたる約50 万人(延20 個師団)を動員し、一号作戦と呼ばれる日本陸軍史上最大の作戦が京漢・粤漢・湘桂の各沿線地域で 21 前掲、山本「華北の対ゲリラ戦、1939-1945」204-05 頁。なお、「三光」は、殺光(殺し尽くす)・焼光(焼き尽くす)・槍光(奪い尽くす)の意味。 22 晉中第一期作戦(1940 年8 月30 日~9 月8 日)では、「徹底的に敵根拠地を燼滅掃蕩し、敵をして将来生存し能はざるに至らしむ」方針のもと、「敵性ありと認むる住民中15 才以上、60 才までの男子」は「殺戮」の対象となり、「敵性部落」は徹底的に焼き払われた(独立混成第4 旅団「第一期晉中作戦戦闘詳報」)(前掲、吉見・松野編『毒ガス戦関係資料Ⅱ』、資料53、54)。 23例えば、第36 師団司令部「昭和十七年度粛正建設計画」(1942 年4 月15 日)(『現代史資料(13)』572-88頁)、前掲、山本「華北のゲリラ戦、1937-1945」209-11 頁。 24 各事業場の「華人労務者就労顛末報告書」に基づく研究として、西成田豊『中国人強制連行』(東京大学出版会、2002 年)がある。臼井勝美『新版 日中戦争』中央公論社、2000 年、207-10 頁。花岡事件については西成田『中国人強制連行』、363-402 頁を参照。 25 戦史叢書67『大本営陸軍部(7)』朝雲新聞社、1973 年、179-215 頁。中国戦線からの兵力抽出について同545-48 頁。 7 実行された。河南省黄河から広東・仏印国境まで約1500 粁にわたる大作戦の目的は、日本本土空襲の恐れがある西南地区(桂林、柳州)に散在する航空基地の奪取、インド、ビルマ、雲南方面からの反攻阻止、南方資源の輸送のための仏印から中国、朝鮮にいたる交通路の確保であった26。一号作戦の決定と遂行には、真田穣一郎少将と服部卓四郎大佐が最も重要な役割を果たした。 真田は42 年12 月に作戦課長、43 年10 月には作戦部長となっている。ガダルカナル島からの撤退決定に中心的役割を果たした真田大佐は、太平洋戦線における軍事的劣勢を補い、長期戦に耐える戦略体制を築くため、中国大陸の派遣軍と東南アジアの南方軍を連携させることが必要と考えた。服部は41 年7 月に作戦課長として開戦を迎え、前述の5 号作戦の立案の中心となったが、作戦が中止されたことから中国における攻勢作戦の機会をねらっていた27。服部は42 年12 月に陸相秘書官に転出し、43 年10 月に再び作戦課長となると真田作戦部長とともに本格的に一号作戦計画を実行に移そうとした。「太平洋における頽勢を大陸作戦によって補おうとする狙い」が両者に共通していた28。 作戦部が起案した最初の作戦計画は、敵航空基地の覆滅、南方軍との陸上連絡通路の確保、重慶政権の壊滅などを列挙していた。この作戦計画について、東条陸相は作戦目的を航空基地の覆滅一本に徹底することを条件にこの案に同意し、天皇も作戦目的を敵の航空基地覆滅に絞った作戦の実施について裁可した29。 しかし、44 年1 月24 日、杉山参謀総長から支那派遣軍に指示された「一号作戦要網」では、南方軍との連絡や重慶政権の継戦企図の破砕といった目的も含まれていた30。真田や服部の強い意思と派遣軍の積極的姿勢が反映したものと考えられる。一号作戦計画を参謀本部が積極的に取り上げたことは士気が沈滞気味であった派遣軍の幕僚たちを活気づけていた31。 一号作戦の前段である湘桂作戦は順調に進展したが、衡陽の攻略に際しては重慶軍の抵抗が激しくなり、しかも補給ラインが米軍機の攻撃を受けて日本軍は苦戦に陥ったが8 月初旬、衡陽を占領した。この衡陽占領は、一号作戦の重要な転機であった。 太平洋の戦局も重大な転機にさしかかっていた。44 年6 月末、中部太平洋のサイパン島の陥落によって「絶対国防圏」の一角が崩された日本軍は、太平洋戦線で劣勢に立たされ、さらに、北部ビルマからインド進攻をねらったインパール作戦でも敗退していた。こうした戦局の悪化は、近衛文麿ら重臣を中心に国内の「反東條勢力」の結集を促し、7 月の東條内閣総辞職の要因となった。 参謀本部は全般的な戦略を見直し、日本本土、沖縄、台湾、フィリピンを連ねる線を防衛し、 26 原剛「一号作戦―実施に至る経緯とその成果」(前掲『日中戦争の軍事的展開』)283-95 頁。 27 戦史叢書67『大本営陸軍部(7)』548-53 頁。 28 井本熊男『作戦日誌で綴る大東亜戦争』芙蓉書房、1978 年、499 頁。 29 前掲、原「一号作戦」287-88 頁。 30 この「要綱」によれば、「近き将来に於て米英が化学戦を行使するの公算大」と判断され、米英の毒ガス攻撃を恐れ、桂林、柳州など米軍基地付近での米軍に対する化学兵器の使用を避けるよう命じている。実際、中国戦線では44 年半ばから毒ガスなど化学兵器の実戦使用が禁じられ(前掲、吉見・松野編『毒ガス戦関係資料Ⅱ』(不二出版、1989 年、30-31 頁)、使用回数は減少したものの使用を放棄したわけではなかった。 31 戦史叢書4『一号作戦(1)河南会戦』朝雲新聞社、1967 年、16-39 頁。 8 この防衛ラインで敵の進攻を迎え撃つという基本戦略を決定した。これを「捷号」作戦と名づけた。問題はこの「捷号」作戦構想との関連で、継続中の一号作戦をどのように位置付けるかにあった。具体的には、一号作戦を計画通りに進め、桂林、柳州攻略を実施するか、あるいは中止するかという選択であった32。 陸軍省首脳部や参謀総長は、桂林、柳州への進攻についてインパール作戦のように補給物資が続かないことを恐れて中止すべきとの意見であったが、作戦部は一号作戦を計画通り実行する方針であった。派遣軍も作戦部の続行方針を支持していた。とくに真田作戦部長と服部作戦課長は、フィリピン作戦と一号作戦とは表裏一体であり、日本本土と東南アジアの交通連絡が遮断されないためには作戦の続行が必要と説いた33。この間、44 年9 月には、陸軍次官・柴山兼四郎中将が陸軍上層部を代表して、粤漢打通作戦のみを実施したうえ中止するよう畑総司令官に意見具申したが、畑は補給の検討は約束したものの中止には同意しなかった34。 こうして一号作戦は続行され、44 年11 月までに桂林、柳州の航空基地を占領し、45 年1 月には大陸縦貫交通路の確保をほぼ達成したが、すでに当初の戦略構想は意味をなくしていた。すなわち、重爆撃機B-29 は四川省の成都に集結して九州爆撃を開始しており、またマリアナ基地の完成に伴い、44 年末から同基地から東京など本土全域への戦略爆撃が始まっていたからである。アメリカのアジア太平洋にとって中国戦線の意味は低下して行くが、米軍指導部は、中国戦線の危機を憂慮した蒋介石やスティルウエルの要求に応じ、主要都市爆撃を許可し、44 年12 月18 日、B-29 によって華中の日本軍拠点であった漢口爆撃が実施され、市街の9 割が灰燼となり、派遣軍に大きな打撃を与えた。 一号作戦における国民政府軍の敗退の原因は、兵士に対する劣悪な処遇、将校の腐敗などによって戦意が著しく低下していたこと、命令系統の混乱、情報不足などであった。中国側の損害はきわめて大きく、60~70 万の兵士が犠牲となり、河南、胡南、広西、広東、福建の各省の大部分の領土を失った。他方、国民政府軍の敗退は、共産軍の対日反抗に有利な条件を作り出した。すでに44 年から、共産党軍は華北、華中の抗日根拠地を中心に活動が活発化していたが、日本軍が一号作戦で大兵力を動員したため、華北の治安警備能力が大幅に低下したことによって、共産勢力の反攻を助長し、日本軍の占拠地域を侵食していった35。 44 年末、新たに派遣軍総司令官に就任した岡村寧次大将は、一号作戦の余勢をかって重慶進攻を参謀本部に進言したが、太平洋戦線の戦局悪化から承認されなかった36。その代替案として浮上したのが、老河口と〓江作戦である(〓は草かんむりに止)。一号作戦の結果、航空基地を喪失した在華米空軍は老河口、〓江(〓は草かんむりに止)に戦闘機、中型爆撃機用の基地を造成した。派遣軍は、45 年3 月から4 月にかけて第12 軍は 32 前掲、井本『作戦日誌で綴る大東亜戦争』570-72 頁。 33 前掲、原「一号作戦」290-91 頁。『畑日誌』1944 年10 月6 日の条。 34 前掲、『畑日誌』1944 年9 月13 日の条。 35 石島紀之『中国抗日戦争史』青木書店、1983 年、182-85 頁。 36 軍事史学会編『大本営陸軍部戦争指導班 機密戦争日誌(下)』錦正社、1998 年〔以下『機密戦争日誌』〕、643-44 頁。 9 3 個師団など6 万名を投入して、老河口基地の破壊に成功した37。他方、〓江(〓は草かんむりに止)をめざした第20 軍約5 万に対し、中国軍約60 万と米空軍機が迎え撃った。中国軍には、スティルウェルの後任者ウェデマイヤー中将による陸軍近代化計画によって育成された近代化師団が加わっていた。この最後の大作戦は日本軍の惨憺たる敗北に終わり、第20 軍は45 年5 月下旬に撤収した38。 第2節 日本占領地域の状況 1)汪政権下の政治と経済 重慶を脱出した汪兆銘は、40 年3 月、重慶からの遷都という形をとって南京に中華民国国民政府を樹立し、40 年11 月、日本は満州国地域を除く中国全土に統治権を有する中央政府として承認した。しかし、汪の意思に反して多数の日本人顧問が就任し、満州国の経験を生かした「内面指導」方式が貫かれ、日本の実質的な統制下におかれ、その統制は戦後も継続することが想定され、畑総司令官と会見した汪は「第二の満洲国となること」を憂いた39。こうした汪政権に国民党の有力な反蒋介石勢力が参加することはなく、基礎となる軍事力を欠き、和平陣営に参加した軍隊は「名ばかりで寧ろ土匪団」であった40。 経済面でも日本による物流支配と経済封鎖は深刻な産業不振と物価の騰貴をもたらした。汪政権のもとで中支那振興会社傘下の基幹産業は、形式の上では中国側の出資比率を51%とする日中合弁企業なったが、実権は日本側が握り続けた。たとえば汪は、上海、南京地区を含む江蘇省など三省で200 を超える軍管理工場の返還を要求して日本軍と交渉するが、日本軍は、小規模な工場の返還には同意したが、その他は買収ないし日中合弁を強要した。周仏海によれば「原則のうえでは統制権を放棄しているが、制限を無限に加えているので返還していないに等しい」状況であった41。軍用とは無関係な商品についても「厳格な制限を受け、その結果、和平地区内の商工業は疲弊し、物価は暴騰し政府の財源また枯渇に瀕する」状況であった。41 年8 月、日本は中央、地方に物資統制委員会を設置し、占領地域内の物資の移動制限緩和に乗り出したが、効果はなかった。 2)通貨戦争 日本は日中戦争期間を通じて、物資の安定的獲得を目的として、占領地に中国聯合準備銀行、中央儲備銀行(41 年1 月発足)などを設立し聯銀券や儲備券を発行し、国民政府の旧法幣と通貨戦争を展開した。また陸軍は39 年には「杉機関」によって通貨謀略や法幣の偽造を行い、物資取得に投入し、軍票は国民政府の法幣を追いつめて行く。太平洋戦争の勃発と租界占領によって上海の法幣は弱体化し、汪政権は軍票の新規発行を停止し、旧法幣の流通禁止、43 年には儲備券による統一を実現した。儲備銀行は東京を含め38 支店をもつ大銀行となった。 37 前掲、等松「日中戦争と太平洋戦争の戦略的関係」406-07 頁。戦史叢書64『昭和二十年の支那派遣軍(2)』朝雲新聞社、1973 年、379-432 頁。 38 前掲、『昭和二十年の支那派遣軍(2)』353-78 頁。 39 前掲、『畑日誌』1941 年4 月19 日の条。 40 前掲、『現代史資料(13)』39 頁。 41 蔡徳金編(村田忠禮訳)『周仏海日記』みすず書房、1992 年(1940 年5 月5 日の条)。 10 しかし、旧法幣が急落する一方で、蒋政権の発行する統一公債は、開戦後も相変わらず上海で取引され、42 年1 月には開戦前の相場を上回り、新旧法幣の交換によって新法幣建てに改定されるとさらに高騰した。占領地で重慶政権の公債が流通し、額面を上回る価格で取引される事実は、中国国民の蒋介石政権に対する信頼が揺らいでいないことを示している。 元来、日本側通貨の流通範囲は都市と鉄道沿線の占領地に限られていたが、共産軍が「日本軍が重慶軍を放逐したる跡を占領し、所謂廉潔政治を行ひて華北華中方面に着々地歩を固め来り」という状況となると、聯銀券や儲備券の流通範囲はさらに縮小した。さらに通貨を増発して悪性インフレに見舞われた。占領地における物価騰貴は物資取得のために通貨を乱発した結果であり、それは軍票価格の下落を意味した。こうして「在支60 万の日本人社会の外に於ては全然別の価格体系が存在する」状況となる42。 南京政府治下の華中・華北では、南京政府の発行する儲備券(新法幣)が旧法幣に対し弱体性を克服できなかったこと、日本軍による軍票の乱発などが原因で、通貨の混乱、物価高騰、激しい物資不足に見舞われ、日本側の要請に応えることは不可能な状況にあった。インフレの進行を抑えて通貨価値を中国側通貨(旧法幣)より優位に維持し、購買手段として通貨機能の安定は最後まで実現できなかった。 3)「対華新政策」とその破綻 ガダルカナル島(南東太平洋方面)をめぐる攻防戦が重大局面に差しかかっていた42 年12 月、御前会議は新たな中国政策(「大東亜戦争完遂の為の対支処理根本方針」)を決定した。その骨子は、南京国民政府の「自発的活動」の促進、蒙疆・華北などの「特殊地域化」方針の是正、治外法権や租界の撤廃、日華基本条約(1940 年11 月)の修正、経済施策における「日本側の独占」の抑制などを通じて、「国民政府の政治力を強化」をはかるというものであった43。それまで汪政府に対する基本政策であった「支那事変処理要綱」(40 年11 月)の根本的改定であった。 この「新政策」を浮上させた背景は、42 年後半の太平洋戦線における激しい消耗戦が経済力の低下を招いたため、日本側の関与を緩め、中国側の自発的活動に委ねて中国における統治の負担を軽減することにあった。もう一つの背景は、双十節(42 年10 月10 日)における重慶政権に対する英米の治外法権撤廃の声明であった。英米は戦後に治外法権の撤廃を行う意思を表明していたが、アジア太平洋の軍事情勢の改善や重慶政権の強い希望によって、実施を早めたものである44。中国共産党も、中国人民の100 年来の独立と解放のための闘争の結果であり、「中英、中米間の新たな関係と新たな団結」として歓迎した45。中国の「民心把握」と「協力強化」という観点では、治外法権の撤廃など不平等条約の廃棄が有効な手段と考えられたことは、連合国側も日本側も同様であり、両者は競うように租界返還・治外法権撤廃の具体化を急いだ。 しかし、中国における多くの権益を失うことになる「新政策」の決定とその実施には、強力な 42 『続・現代史資料(11) 占領地通貨工作』、みすず書房、1983 年、937、836 頁。 43 参謀本部編『杉山メモ(下)』原書房、1989 年、321-23 頁。 44 Christopher Thorne,Allies of a Kind The United States,Britain,and the War against Japan,1941-1945(New York;Oxford University Press,1978.),pp.178-79.,195-97. 45 前掲、『中国共産党史資料集 第11 巻』資料46。 11 推進力が必要であったが、その中心となったのが重光葵(42 年1 月汪政府大使、43 年4 月外相)であった。重光にとって「新政策」は、日本の対中国政策の「根本的更正」や「誤れる方向に指導した軍部の策謀を矯正」して、日本民族の「公正なる精神を支那民族に明瞭に示す」という意味があり46、日華基本条約の根本的改定による中国の主権回復の必要性を天皇や政軍指導者に懸命に説き、軍の反対を抑えた。 新政策の決定により、政治面では、治外法権の撤廃、租界の返還などが順次実施され、43 年8月には日華基本条約に代わって日華同盟条約が新たに締結され、汪政権は日本との関係においては、形式的にせよ平等な関係を築いた。 しかし、新政策には元来、戦争遂行上の必要物資の獲得という主目標が含まれ、経済面では、「上は日本軍人に牛耳られ、下は日本商人に独占されたまま、特殊化は日本の敗戦まで続けられた」47 というのが実情であった。南京政府治下の人民にとって、物価高騰による経済的逼迫の解決こそが切実な問題であり、「新政策」を歓迎する雰囲気にはなかった48。日本側はこうした経済的逼迫を打開するために、軍票の新規発行停止と儲備銀行券への移行、さらに、日本軍による物流統制システムを廃止し、南京政府側の一元的な物資統制機関として43 年3 月に設立された全国商業統制総会(商統総会)に移行などの措置をとる。これらの措置は、南京政権の自立化促進の一環とされたが、現実的なねらいは、重要物資の内地送還-対日供給物資の確保のためであった49。 南京政府側にも、「商統会」(全国商業統制総会)を結成して統制権を中国側の手にとりもどし、統制を緩和させるならば、物価の高騰は抑制できるという見通しが存在したが、商統総会の機能は弱体であり、上海を中心に重要物資の隠匿が横行し始め、43 年夏には物価高は「破局的様相」となった。その原因は、南京政権と日本に対する人民の信頼が動揺し、儲備券の価値に疑念が生まれてきたことにあった。南京政府は「隠匿取締に関する国民政府令」(43 年4 月)などを公布して対応したが、成果は挙がらなかった50。 こうした破局的状況を日本政府も放置しえず、43 年7 月の大本営政府連絡会議は「対支経済施策に関する件」を審議し、金塊25 トンを華中、華北に現送し、これを市場に売却して通貨回収に充てるとともに隠遁の激しかった綿糸布の強制買い上げに用いる緊急措置を決定した。この措置は物資隠遁の風潮と物価高騰を一時的に抑制する効果があったが長くは続かなかった51。 開戦後、大蔵省の上海財務官室に勤務していた渡辺誠は、43 年12 月、新政策の混迷を打開する方策として、 1)「経済問題に関しては国民政府に頼らず支那経済人を相手とすべし」、 2)「官治統制」の廃止、 3)「軍官は経済問題に関しては表面に立つべからず」 と3 点を指摘する大胆な意見を提出している。渡辺によれば、上海財界と中国民衆の信頼を失っている汪政府に新政策の実施 46 重光葵『昭和の動乱(下)』中央公論社、1952 年、167、172 頁。 47 陳公博(岡田酉次訳)『中国国民党秘史―苦笑録・八年来の回顧』1980 年、講談社、334 頁。 48 前掲、『周仏海日記』、1943 年2 月23 日の条。 49 古厩忠夫「日中戦争と占領地経済」(中央大学人文科学研究所編『日中戦争―日本・中国・アメリカ』中央大学出版会、1993 年)344-59 頁。 50 岡田酉次『日中戦争裏方記』東洋経済新報社、1974 年、261-67 頁。 51 同上、267-68 頁。 12 を期待するのではなく、「〔上海〕経済人の自主的活動」を直接支援すべきであった。さらに、渡辺によれば、新経済政策の真のねらいは、「日華両経済圏を融合」することで「新しき自給自足的新経済秩序を建設」することにあるが、日本側の軍需物資の調達のための「便宜手段」と化している点に混迷の真の原因があった。汪政権と日本の関係の本質を見抜いた渡辺の提案が考慮されることはなかった52。 日本軍の侵略に対する抗戦を通じて、中国はナショナリズムを農村や奥地まで浸透させ、戦後の国家建設にむけ社会変革と民族的統合の基盤を築いた。一方、日本は戦争を通じて日中提携協力や「新秩序建設」を目標にかかげ、経済的な先進地域を占領し、新興政権を樹立したが、軍事優先の「新政策」が住民の信頼を得ることも、戦時中国の建設に寄与することもなかった。 52 「対華新政策の経済面に関する管見」(1943 年12 月20 日)『続・現代史資料(11)』829-37 頁。 日中戦争と太平洋戦争 波多野澄雄<その2> 第1期「日中歴史共同研究」報告書 目次 日中歴史共同研究
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チャンドラ・ボースのインド国民軍のだいたいの人数を教えてください 太平洋の島嶼戦を眺めていると日本軍の沿岸砲は要塞に配された砲を除くと大体、駆逐艦クラスの主砲転用、あるいは戦艦の副砲、高角砲の転用が目立ちますが 朝鮮人で中将になった人以外で活躍した人っていますか? 旧日本軍はなぜガダルカナルにこだわったのでしょうか。 第二次世界大戦当時の蘭印の陸上戦力は何個師団程度だったのでしょうか? 硫黄島の攻防で、3日間で延べ800機、推定5000トンの爆撃、艦砲射撃を受けたものの、日本軍の死傷は60名程だったと聞きました。 韓国軍のWWⅡにおける活躍を教えて アメリカの大学で米人相手に太平洋戦争についての話をしなければいけなくなったのですが、 サンダカン死の行進って本当に有ったの? 戦時中、日本軍は東南アジアの各地域に進攻しましたが、それらの国にはどれほどの工業設備があったのでしょうか? 米軍がダウンフォール作戦で、接収したV1,V2号の余剰を使うという案はあったようです。 サリンを使う、という話も聞くのですが 大戦当時のシンガポール港はどれほどの設備があったのでしょうか? 映画「1941」で潜水艦イ-19がアメリカ西海岸の都市を砲撃していますが、実際にあったことなのでしょうか。 米豪遮断に意味なんてありますかね? 太平洋戦争において真珠湾攻撃など緒戦でアメリカを強く叩けば,すぐ講和してくるとの読みが旧日本軍にはあったと言われていますが,読み通り本当に講和してきた場合,その後の日本はどういう軍事戦略を取る予定だったんですか? 戦時中日本軍はアメリカ本土への上陸作戦を考えてた事はあるのでしょうか? 太平洋戦争中、アメリカ本土には日本のスパイは1人も居なかったんですか? 西亜打通作戦について教えてください。 太平洋戦争での米軍は、マッカーサのわがままで大きく南回りしたって本当? 日本軍がインドネシアを統治したときインドネシア人を奴隷にしましたか? 旧日本軍はマダガスカルの攻略を考えていた…ってかいてあったんですけど、マジですか? 太平洋戦争の時,日本はインドネシアを直轄領としようとしていた,と聞いていたのですが,どうなんでしょうか? 何で日本の豪州脱落計画は破綻したんですか? 太平洋戦争中、何故、日本軍はグアム・サイパン・テニアン島を硫黄島みたいに要塞化しなかったんですか? 1945年の8月15日当時、アジア各国の民衆は日本の敗戦をどの様に受け止めたのでしょうか? 日本本土への艦砲射撃の際、日本本土の要塞や砲台は交戦しなかったんですか? ラバウルなんか占領する必要はなかったのでは? 日本軍はラバウル攻略を第二段でなく第一段作戦に組み込み、開戦前からの明確な方針としたけど、その後の絶対国防圏で外たんですよね? 海軍は短期決戦の戦略だったんですよね? 緒戦で優勢に立てば、アメリカはすぐ講和してくるとの読みが旧日本軍にはあったと言われていますが、 もし日本が英蘭のみ攻撃してたら、アメリカは参戦するつもりだったの? サイパンの戦いにおける日本軍が守備隊をもっと早くサイパンに配置しなかった・出来なかった理由はなんでしょうか? 「太陽の帝国」で中国駐在の欧米民間人が収容所で使役されてました。あんなこと実際あったんですか? 1942年ごろのタイ海軍の戦力を教えて下さい 日本統治下のグアム(大宮島)について、統治内容等を知りたいのですが 旧日本軍は米軍の暗号通信をどの程度解読していたんでしょうか? 日本軍はアメリカ軍の本格的反抗は1943年以降と考えていたとのことですが、何を根拠にそう考えたのでしょうか? 泰緬鉄道の建設では多くの現地人と捕虜が死亡したそうですが、そんなに価値ある鉄道だったんでしょうか? 日ソ中立条約があったころ、満ソ国境ではどんな諜報活動が行われていたんですか? 真珠湾攻撃から珊瑚海海戦まで半年近く大規模な海戦がおきなかったのはなぜですか? チャンドラ・ボースのインド国民軍のだいたいの人数を教えてください それはともかくインド国内軍(INA)はモハン・シンが 5万人のインド人捕虜から選抜した部隊で1万5千人だそうです。 あとマレーに住むインド人の娘による史上初の婦人正規部隊(600人)も結成されたそうです。 (34 バッチ3) チャンドラ・ボースですね。 インド国民軍として編成されたのは三個師団分、約13000名とのことです。 岩波より、「インド国民軍・もう一つの太平洋戦争」と言う新書が1985年に出さ れています。 ちなみにインパールに参戦後、かれらは2000人に減ったそうです。 (34 眠い人 ◆ikaJHtf2) 太平洋の島嶼戦を眺めていると日本軍の沿岸砲は要塞に配された砲を除くと大体、駆逐艦クラスの主砲転用、あるいは戦艦の副砲、高角砲の転用が目立ちますが 太平洋方面の連合軍の沿岸砲はどうだったのでしょうか? 英軍がシンガポール要塞に配備した沿岸砲のうち、15インチ砲(38㌢砲)5門は 艦砲を流用したものです。その他6インチ砲(15㌢砲)も14門、9.2インチ砲(23㌢砲) 2門配備されていました。 余談ですが、島の南西部に配置された15インチ砲は上陸した第六戦車連隊に対して 発砲し、吹き飛ばされた戦車があったとか…。 米軍の海岸砲としては、隠顕式砲架の14インチ砲が有名ですが、これが艦砲の流用かどうかは ちょっと判りませんでした。 沿岸砲に艦載砲の転用が多いのは、用途が限られているのと軍艦と砲撃戦をやるためには 同等の威力の砲が必要だからです。 (37 名無し軍曹) 朝鮮人で中将になった人以外で活躍した人っていますか? 洪思翔中将、李王垠中将など、あと李鍵公が中佐で陸軍大学教授になってます。 後に1944年に朝鮮人の官僚、議員への登用が解禁されたので、 そういう世界で活躍した人もいたようです。 (39 眠い人 ◆ikaJHtf2) あとパクヒョンヒも大陸打通作戦で名を馳せたな (39 432) 旧日本軍はなぜガダルカナルにこだわったのでしょうか。 東南に進出するための足がかりを築くのが目的だといわれてます。 ガダルカナル島に航空基地を建設し、制空権を確保してニューギニア島を制圧したかったと。 ミッドウェー海戦の大敗北でそんな余裕は無かったはずで、ガダルカナルに こだわる理由は薄かったんですが…。 むしろ米軍のほうがガダルカナル島の戦略的価値を重視していたと思います。 奪回にこだわったのはひたすら軍の面子を立てるためのように思えます。 (39 名無し軍曹) 第二次世界大戦当時の蘭印の陸上戦力は何個師団程度だったのでしょうか? 装甲車14両(アルヴィス・ストラウスラー)、カーデンロイドM1936×24両、M3A1スカウトカーと、 マーモンハリントンCTLS-4TAC軽戦車240両(これは未着)、CTMS-1TB1、MTLS-1G14中戦車 (これも未着)。 で、装甲車の配置は以下の通り。 Cav 1 West Group, West Java (Batavia) Cav 2 Bandoeng Group, West Java (Kadipaten) Cav 3 3rd Division, East Java (Toeban) Cav 4 2nd Division, Central Java (Rembang) Cav LW 2nd Division, Central Java (Magelang) (39 眠い人 ◆ikaJHtf2) 硫黄島の攻防で、3日間で延べ800機、推定5000トンの爆撃、艦砲射撃を受けたものの、日本軍の死傷は60名程だったと聞きました。 これでは、事前砲撃してもしなくても変わらない気がするんですが? 「事前砲撃」を何のためにするかを考えてくださいな。 島嶼戦ともなると、守備側には圧倒的な地の利があるわけで 常識的に考えれば水際には防衛陣地、ちょっと奥地には照準ずみの火力支援が用意され そこを突破しても二重三重の陣地が上陸軍を待ち受ける……という状況が容易に想定されます。 事前砲撃でこの敵側の準備を少しでも崩しておくことは、戦術的に非常に大きな意味を持ちます。 ……とはいえ硫黄島攻防戦の場合、上陸部隊が要求しただけの事前砲撃はさまざまな理由で満たされず 不十分な準備のままで部隊は栗林兵団がまちうける硫黄島に突入することになり 案の定、巧妙に構築された日本軍の陣地、そしてそこからの濃密な砲火の前に大損害を出すことになりました。 (41 665) それは分かるのですが、死傷者が60人程だったという事は、陣地をほとんど破壊出来なかったという事じゃないの? 事前砲撃をもっとやるべきだったってのならわかるが、なんでそこで 事前砲撃はなくてもいいって考えになるのかがわからん。 硫黄島では事前砲撃での死者は60人にすぎんが海岸付近の砲の50%と 銃座の25%が破壊または損傷を受けている。 もしなにもやらなかったら少なくとも史実以上の損害は受けただろうな。 敵兵を直接殺すためだけに事前砲撃やってるわけじゃないんだよ。 (41 687) 韓国軍のWWⅡにおける活躍を教えて 半島は戦時中は日本だったんです。日本軍の一部として従軍はしており 当時の韓国人将校が、戦後の韓国軍創生期の基礎となりました。 (45 一等自営業 ◆JYO8gZHKO.) アメリカの大学で米人相手に太平洋戦争についての話をしなければいけなくなったのですが、 これは必須って言うエピソードといえば、何がお勧めですか? 開戦への経緯、なぜ日本はそのような意思決定を下したかという プロセスの提示は必要不可欠だと思います。 あの時点では、日本の状況はこうで、こういう情報が入ってきていて、世論がこうで、 ゆえに日本は開戦を決意したのだということを論理的に説明できれば、 そこからパールハーバーやヒロシマの感情を超えた論議ができるのではないでしょうか。 (45 ロンメル太郎 ◆syPANZERpE) サンダカン死の行進って本当に有ったの? ありません。サンダカンにあったのは八番娼館です。 死の行進はバターンです。 (53 286) サンダカンの話は聞いた事無いが大戦中日本軍に捕らえられた連合軍捕虜が 大勢犠牲になったのは事実だわな。とはいえ日本人が人命軽視というか好き好んで 捕虜を殺して楽しんでた残酷な軍隊とかいう事は無いでしょう。 バターン死の行進にしても炎天下を延々と40km歩くなんて「普通の行軍」だった 日本陸軍歩兵の感覚で米・比軍捕虜を歩かせたらバタバタ死んじゃったって話ですし。 297でも「日本兵もたくさん犠牲になっているが」と書いてるようにその頃は日本兵 ですら満足な扱いは受けてなかったわけですから、捕虜を虐待したというより日本兵 と同じ待遇してやってもも米英の兵隊にしてみれば虐待と映ったんでしょうね。 (53 302) 戦時中、日本軍は東南アジアの各地域に進攻しましたが、それらの国にはどれほどの工業設備があったのでしょうか? ドイツは占領したフランスやチェコの工業設備を大いに活用したそうですが、日本はどうだったのでしょうか? インドネシアの油田を活用したぐらいしか分かりません。 本来なら、経済的な統計が示せればいいのだけど、取りあえず一般論で話をすれば、 モノカルチャーという言葉を知ってる?に尽きるかと。 要は、一般的に言って、植民地に対しては積極的な工業投資はなされていない、ということです。 植民地に期待されるのは、農業、林業、鉱業、そしてそれらの産業に対する労働人口の供給。 第一次産業の極めて限られた品目の産出を期待されている産業構造に編成されちゃているわけです。 工業資本の蓄積はせいぜい繊維や日用品を主とする軽工業くらいであり、重工業はほとんど形成されていない。 AA諸国が独立した際には、そうした重工業関係の民族資本の形成を産業政策の目標に掲げていますが、 それに成功した例は極めて少ない。今もって植民地時代の遺産を引きずっている状況ですから、 第2次世界大戦当時なんて何をか言わんやな状況のわけです。 要するに、ほとんどない…と言って良いかと思います。 しかも、日本は大東亜共栄圏、八紘一宇というスローガンを掲げながら、 東南アジア諸国の経済的実態を十分には掴んでいませんでした。 戦前の東南アジア研究の書誌を大きな図書館で調べればわかりますが、 満鉄の調査局やごくごく少数の学者がやった極めて少数なものしかありません。 それも社会学的な基礎調査が多い。 いくつかの国ではナショナリストたちとの接触を行っており、特務機関が軍事教練などもやってはいるのですが、 結局は、それぞれの国情に応じて、欧米の勢力を追い出したあとに具体的にどうするかという方法を伴ったビジョンは欠如していました。 占領地行政はインフラの整備では成果を上げた所もありましたが、 概ねは経済政策において稚拙なもので、現地経済の自律化にせよ、日本の戦争遂行のための収奪にせよ、 経済構造を一転させるものではありませんでした。 総じて言えば、占領地における日本の産業経済政策は、お粗末の極みとしか言いようがありませんでした。 (609 243) 米軍がダウンフォール作戦で、接収したV1,V2号の余剰を使うという案はあったようです。 サリンを使う、という話も聞くのですが 世界文化社の『ビッグマンスペシャル 連合艦隊 日米決戦編』で 栗田尚弥氏がダウンフォール作戦について米軍側の計画を詳しく説明していますが その中で米軍側がサリンの使用を検討していたことが紹介されているので 参照してみるといいですよ。 (608 960) 大戦当時のシンガポール港はどれほどの設備があったのでしょうか? シンガポールにはセレター軍港というイギリス海軍の基地がありました。 当時の表現なら http //www.lib.kobe-u.ac.jp/das/ContentViewServlet?METAID=00501975 TYPE=HTML_FILE POS=1 LANG=JA シンガポール軍港が最も誇りとするものは浮ドックと乾ドックであった、浮ドックはイギリス本国で建造され、 一九二八年ロンドンから数隻の軍艦に牽かれ廻航されたという代物で、運送史上に一話題を□しているが、 わが荒鷲数次の爆撃により大損傷を受け既にセレター軍港の水底深く沈没してしまった 乾ドックはキング・ジョージ六世と命名されロドネー、ネルソン級のイギリス最大の軍艦も容易に入渠することが出来る超□級ドックである、 シンガポール島とジョホールバルを結ぶ陸橋の東にセレター軍港があるが、この軍港は商港シンガポールの反対側に位置しており、 海峡の東端は□の口のように狭く、前面にはテコンベザル島があって軍港の入口を扼し天然の防塞を築いている、 軍港地帯にはテンガー、センバワン両航空基地があり更に西部には海峡に面して五哩に亘る石造の大埠頭が建設され、 優に数隻の軍艦を横づけにすることが出来る、前記の浮乾ドックの外に 海軍工厰、兵器庫、爆弾庫、糧食庫をはじめ貯蔵百万トンといわれる貯油タンクが地下深く埋設され、重油タンクに至っては島内三百を数えるという、 (609 246) 映画「1941」で潜水艦イ-19がアメリカ西海岸の都市を砲撃していますが、実際にあったことなのでしょうか。 1942年中に3回実施されました。 嫌がらせ以上の意味はなし (33 449) あと、イ-19はドイツ製なのでしょうか? 巡潜乙型というタイプで、れっきとした日本製なので違います。 実際に砲撃実施した潜水艦は伊17、伊25、伊26の三隻で、これらも また日本製です。 (33 452) 米豪遮断に意味なんてありますかね? オーストラリアは当時自給自足ができず、輸入物資の殆どをアメリカに依存してたからな。 米豪遮断は遮断ラインのこっちにいるアメリカ軍のみならず、 国家としてのオーストラリアまで兵糧攻めにするプランなのよ。 遮断に成功すれば、世論に突き上げられてオーストラリアは手を挙げるかもしれない。 手を挙げて軍門に降ってくれれば言う事無し。 中立に戻るだけでも、連合国が一枚岩でない事のアピールになるし、 アメリカ軍の侵攻経路の選択肢から南太平洋が除外される。 アメリカ軍としても、イギリスの手前、オーストラリア侵攻する訳にもいかんからな。 つー訳で、米豪遮断てのは旨くいけば実に有意義な作戦なのよ。 (302 140) 太平洋戦争において真珠湾攻撃など緒戦でアメリカを強く叩けば,すぐ講和してくるとの読みが旧日本軍にはあったと言われていますが,読み通り本当に講和してきた場合,その後の日本はどういう軍事戦略を取る予定だったんですか? ほとんど何も考えてなかったというのが結論. ただ,陸海軍はアメリカさえ相手にしなくていいなら,東南アジアから欧州勢力を駆逐することは可能だと考えていた(実際それは達成できた). なので,アメリカと講和し,東アジア地域から英仏欄を排除した後は,占領地を維持,防衛する・・・という戦略がとられた筈. ただ,「大東亜共栄圏」がなんで「”大”東亜」なのかと言えば,これには「インドも含みます」という意味が込められているから. なので,東南アジアを制圧して各地の傀儡政権を設立するのが一段落したら,こんどは英領インドへの侵攻作戦が行なわれた可能性が高い. あくまでも予測だが. また,オーストラリアに対しては,一応北東部~東部への侵攻計画が考えられていたが,あまり積極的に行う計画ではなかった. ニューギニア南岸とサモア,ソロモン諸島を制圧してアメリカとの連絡を絶ち,インド,中東(+アフリカ)方面とも断絶させて英連邦から離脱させ,親日中立を強要する・・・というのが目標にされていた. ポートモレスビー攻撃やガダルカナルへの基地設営などは,この戦略に基づいて行なわれている. 戦時中日本軍はアメリカ本土への上陸作戦を考えてた事はあるのでしょうか? 計画レベルであったのかまたは主張していた軍人などはいたのでしょうか? 「上陸作戦」と呼べるかどうかは知らんが、 日本海軍は、通称「S特」と呼ばれる特殊部隊を昭和19年初頭に創設。 このS特を潜水艦で米本土に運び、破壊工作を行う計画はあった。 しかし戦局の悪化に伴い計画は中止。 米本土に行き損ねたS特は、翌昭和20年8月、サイパンのB-29飛行場に 強行着陸してB-29を焼き払う「剣」作戦に投入される事になったが 作戦実行前に日本が無条件降伏した。 (362 381) ちなみにS特は、米本土上陸後には、現地に潜伏する事になっており、 隊員は髪を伸ばして長髪にし、潜伏用の背広などの私服も用意されていた。 (362 384) 太平洋戦争中、アメリカ本土には日本のスパイは1人も居なかったんですか? FBIが数百人単位で逮捕しまくってる 日本は日系人組織以外に黒人組織やら欧州人組織やらマフィアやらのスパイ網を運用してたんよ もっともキングオブスパイ、スパイ網の元締の大使館員が完全監視されていて、全部FBIにばれていたらしい 書名は失念したが、大使館員の未亡人が保管していた文書をもとにした本が前世紀末ぐらいに出版されている (495 690,695) 西亜打通作戦について教えてください。 インド、中東へ進撃して、ドイツイタリアと手を結ぼうという作戦。 陸軍が提案したが、あの東条英機に寝言を言うなとけられた。 (619 55) 太平洋戦争での米軍は、マッカーサのわがままで大きく南回りしたって本当? 本当はサイパンとか、少し北の方から来るはずだったのが、陸軍の見せ場を作るためにわざわざ、 インドネシアとかフィリピンで頑張った。ってゆうのはデマ? 陸軍は、というかマッカーサーはなんとしてもフィリピンを陥とすことにこだわった。 理由はいうまでもなし。 一方ニミッツは、というか海軍は太平洋を西進してトラックを、そしてマリアナを 陥として直接日本本土を衝く戦略にこだわった。それが戦前からの海軍の対日戦計画 だったから。 結局大統領自らが両者を仲介して、どっちもやるが極力相手の作戦に協力すること、 という装束案に。 ただ、日本側から見るとアメリカの戦略が統一されず場当たり的に攻撃してくるように 見えるので対応の混乱を招き、アメリカの二軸侵攻計画は結果的には良い方に作用した。 因みマッカーサーはにニューギニア→フィリピンルートを採用させる為に 海軍に根回しを行なって採用させたと言うエピソードがある。 キング提督はそんな彼を「海軍戦争の原理を全く理解していない愚か者」 と評しています。 (317 777,779) 日本軍がインドネシアを統治したときインドネシア人を奴隷にしましたか? また 戦争のあと独立させようとしてたんですか? 少なくとも建前上は民族自決と独立を支援した。その軍事的な拠り所として地元人の郷土防衛義勇軍(PETA)を育成 大東亜共栄圏を前提にしてるので日本に従属しての独立ですな それでも、オランダ統治時代は本当に奴隷同然だったのでそれよりはマシかと PETA幹部もオランダの愚民化政策下では決して得られなかった集団行動や軍事技術を得れたのは奇貨であったと回想してる (627 モッティ ◆uSDglizB3o) PETAは、インドネシアから他へ兵力が転用されて、占領兵力が不足したために それを補う目的で作られたものだよ。 だから戦局が悪化した戦争後期以降の話。 (627 571) 旧日本軍はマダガスカルの攻略を考えていた…ってかいてあったんですけど、マジですか? マダカスカル攻略…っつーか、当時のマダカスカルは枢軸側。 (もともとフランスの植民地だったのがヴィシーフランス政権誕生時にそのまま下に入った) そして、ここを拠点に通商破壊をやられると、インドの連合軍が干上がりかねない状況だったので、 連合軍がマダカスカル攻略戦を開始。 ヴィシーフランス軍(大半はマダカスカル総督によって編成された現地住民)が予想以上の善戦をし、 日本もこれを支援するために潜水艦を派遣。 連合軍の戦艦を一隻大破、タンカーを一隻撃沈という戦果をあげたが、 いかんせんそれ以上の支援は不可能で、ジリ貧になったマダカスカル軍は敗北しましたとさ。 つまり、日本が攻略するというよりは、ヴィシー政権にマダカスカルを保持してもらうために、 そこまで進出せざるを得なかったということ。 (310 812) 太平洋戦争の時,日本はインドネシアを直轄領としようとしていた,と聞いていたのですが,どうなんでしょうか? 「海上護衛戦」文庫版P84以降(第二章6)にこんな記述が。以下抜粋。大意だけ 昭和十七年海軍省 太平洋協会・西方氏(以下西方)「新占領地に日本名付けるから参加して下さい」 大井篤氏(以下大井)「過早ではないか。昭南なんてピンとこない。支那は同じ名前では?」 西方「全部変えるわけではなく、講和時に当然日本領になるところだけ研究。支那は友邦だから無し」 大井「シンガポールでいいじゃないか。日本軍がこれ以上進むのが心配だ」 西方「ハワイや豪州まで占領するそうじゃないですか。西太平洋全域を豪亜地中海にする案も既に」 (以下大井氏の攻勢限界点主張論) (195 509) 1941年11月20日の第70回大本営政府連絡会議に於いて、「南方占領地行政実施要領」を決定しています。 この時に、陸海軍の軍政主担任地域を決定しています。 陸軍は、香港、フィリピン、マレー、スマトラ、英領ボルネオ、ビルマを、海軍はオランダ領ボルネオ、セレベス、 モルッカ群島、小スンダ列島、ニューギニア、ビスマルク諸島、グァム島を担当しました。 その後、1943年1月14日に開かれた第128回大本営政府連絡会議で、ビルマ、フィリピンの独立、マレー、ジャワ、 スマトラ、ボルネオ、セレベスの日本領土編入を決めましたが、実際には領土主権を変更するのであれば、 講和後に編入しないと国際法上違法となる懸念が生じ、領土編入は行われていません。 (195 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 何で日本の豪州脱落計画は破綻したんですか? 方針がはっきりと定まっていなかったから、てのが大きい 第一段作戦(マレー・フィリピン・蘭印攻略作戦でラバウルが終点)が予想をはるかに超えて順調に進み、 第二段作戦でどこをどう目指すかがろくに決まらないうちに作戦が終わっちゃったのだ んで大方針が決まってないもんだからあそこを目指すどこを攻略する、が噴出しまくってしっちゃかめっちゃかになった 最終的に大きく三つに絞られたが、それをさらに一つに絞り切れずになんと三つ全てに手をつけちゃった。 すなわち 印度洋方面 米豪分断 ハワイ直行 印度洋はセイロン攻略はさすがに諦められたが陸軍がかなり戦力を割いてしまった。 米豪分断が本質問の主題だが、海軍はハワイ直行をやりたくてあまり乗り気じゃなかった なもんで中途半端な戦力を出して珊瑚海海戦‐MO作戦が頓挫。 ド本命に推していたMI作戦は大敗北。 ガダルカナルが脚光を浴びたのはミッドウェー作戦の敗北でハワイ方面への攻撃が不可能になったため 再び米豪分断を主軸に据えようとし、そうなると空母が足りないこともあって基地航空隊の比重が高まったためだ。 (646 239) 太平洋戦争中、何故、日本軍はグアム・サイパン・テニアン島を硫黄島みたいに要塞化しなかったんですか? 間に合わなかった… 南海で負けが確定してくる ↓ 怒濤の如く押し寄せるアメリカ ↓ 戦線の縮小が極めて難しい軍上層部の体勢 ↓ 時間切れ そこまで資材運ぶのもいっぱいいっぱいだったし。 あと、サイパンは地質の関係でかなり土を掘りにくかったらしい。 (295 9-14) 1945年の8月15日当時、アジア各国の民衆は日本の敗戦をどの様に受け止めたのでしょうか? 韓国が主張する様に、アジア各国が日本の敗戦に狂喜してお祭り騒ぎだったんでしょうか? 占領の程度、占領中の行政官の手腕によって印象は異なります。 例えば、中国や韓国では、旗がはためいたことは確かです。 一方で、Philippinesなんかではずっと戦闘中でしたし、仏印の様に再び旧宗主国が舞い戻ることも ありましたし、Indonesiaのように、日本の敗戦後即座に独立宣言をした国もあります。 (295 眠い人@まだまだ規制中) 日本本土への艦砲射撃の際、日本本土の要塞や砲台は交戦しなかったんですか? 本土への艦砲射撃というと、終戦間際の昭和20年7/14と8/9の岩手県釜石市と7/15の北海道室蘭市の事例て事だわな。 釜石市も室蘭市も鉄鋼の町で製鉄所が狙われた訳だが、まずはそこに要塞や砲台があるか調べてみよう。 室蘭臨時要塞は建設中だったが、15㎝砲では戦艦の40.6㎝砲による遠距離射撃には太刀打ちできん。 つか戦艦の主砲に対抗できる要塞砲なんて、対馬や壱岐にしかない。 (俺初質スレ431 716) ラバウルなんか占領する必要はなかったのでは? ラバウル攻略は第一段作戦の締めくくりとして、 トラックや蘭印方面への連合軍の反攻の策源地を排除し、占領地域を守る「城門」として絶対に必要な場所であり 攻略には赤城以下正規空母まで出撃しています。 ラバウルの奪取は戦前からの既定戦略です。 ラバウルが敵手にあればそこからの連合軍の浸透は蘭印東部や内南洋にまで及び、 長期持久はおろか短期決戦さえままなりませんでした 「策源地を排除し、占領地域を守る「城門」として絶対に必要な場所であり 」が誤った考えなのでした。 次は「ラバウルを保持するにはソロモン諸島全域をカバーできるガダルカナル島に飛行場建設を計画」となりました。 止め処が無くなったのです。 http //ww31.tiki.ne.jp/~isao-o/battleplane-14seiron.htm ラバウルが敵手にあった場合、蘭印東部~内南洋に至る広大な地域が前線と化します 防衛に要する負担はトラック~ラバウルに至る補給線の維持など児戯と思えるほど悪化します ラバウルはわずかな補給線の延伸によって防御リソースを集中し、トータルでの補給負担を減らせる絶好に位置にあり しかも戦前からの空港さえあります。 だからこそ日本軍はラバウルの攻略を第二段ではなく、第一段作戦に組み込み、開戦前からの明確な方針としていたのです。 そして南方への進出はラバウルで留める案もあったのです というより連合艦隊はラバウルからさらに南進してモレスビー攻略~米豪分断の大戦略にはもともと消極的でした だいたいそのHPは認識を誤っています ガダルカナルへの飛行場建設はラバウル保持とは直接関係ありません 防衛ではなく攻勢的な目的によるものです (673 ゆうか ◆u8WC078ef5ch) 日本軍はラバウル攻略を第二段でなく第一段作戦に組み込み、開戦前からの明確な方針としたけど、その後の絶対国防圏で外たんですよね? だからラバウルを占領したことが間違いだったのです。 http //www.h2.dion.ne.jp/~sws6225/jiten/kokubouken.html 完全な結果論です、しかも間違いだらけの。 戦前から連合軍はモレスビー=ラバウルを反攻の拠点とする構想があり、開戦後速やかに増援部隊を派遣する構想でした。 日本軍の進撃は連合軍のもくろみを遥かに上回る順調さで推移し、構想を実現する余裕がなくなってしまっただけです。 日本が「開戦90日で第一段作戦にケリをつける」ほど急いだのは、まさに連合軍特にアメリカ軍が航空戦力中心の増援を送り込んで 攻略が困難ないし不可能になる前に作戦を終結させる切実な必要があったからです。 絶対国防圏設定後、ラバウルは無力な拠点と化しましたが、それでも日本がここを確保しておく意味はありました。 大兵力を要するラバウルが日本側の手に残されていたからこそ、ニューギニア方面への連合軍の攻勢は激烈なものとはならず、 資源地帯が直接脅かされるまでに至らなかったのです。 連合軍はラバウルを攻略して資源地帯に襲いかかる道ではなく、もっと手っ取り早く効果が あがる(そして多分に政治的な意図を含んだ)フィリピン攻略の道を選びます。 そこにはニミッツと張り合うマッカーサーという、アメリカ陸海軍側のわりと一方的な都合があります。 資源地帯への浸透で時間を食い、対日攻勢の主導権を海軍側に握られることを嫌うという、 理性とは少々ずれた道筋を経て、資源地帯はスルーされた、ともいえます。 (673 ゆうか ◆u8WC078ef5ch) 海軍は短期決戦の戦略だったんですよね? 1944年には、アメリカ海軍には大艦隊が出現します。開戦前から艦隊法成立で分かっていました。 そうなれば、日本海軍に勝ち目はありません。その前に、勝たねばなりませんでした。 ミッドウェー敗戦後の日本海軍は積極的攻勢に出る力を失ったため、 インド洋ではじめようとしていたトン数戦争を本格化させる道を選びました。 そのための兵力移動もはじまっており、ガ島攻防戦が生起しなかった場合、南雲機動部隊は再びインド洋で暴れる予定でした。 1943年中を耐え忍び、徹底的にインド洋の通商を遮断してしまえば英国に何らかの政変が起きる可能性は高いと踏んでいたのです。 実のところ、この期に及んでもなお日本軍の戦略は一本化されてなかったのです。 ガ島への進出は空母を使えなくなったため基地航空戦力を主体としたFS作戦の一環、その準備行動でした。 これが連合軍の反攻を呼び込み、敗戦への一里塚となったのは御存じの通り。 (673 ゆうか ◆u8WC078ef5ch) 緒戦で優勢に立てば、アメリカはすぐ講和してくるとの読みが旧日本軍にはあったと言われていますが、 本当に講和してきた場合、その後の日本はどういう軍事戦略を取る予定だったんですか? ほとんど何も考えてなかったというのが結論。 ただ、陸海軍はアメリカさえ相手にしなくていいなら、 東南アジアから欧州勢力を駆逐することは可能だと考えていた (実際それは達成できた)。 なので、アメリカと講和し、東アジア地域から英仏欄を排除した後は、 占領地を維持、防衛する・・・という戦略がとられた筈。 ただ、「大東亜共栄圏」がなんで「”大”東亜」なのかと言えば、これには 「インドも含みます」という意味が込められているから。 なので、東南アジアを制圧して各地の傀儡政権を設立するのが一段落したら、 こんどは英領インドへの侵攻作戦が行なわれた可能性が高い。 あくまでも予測だが。 補足するとオーストラリアに対しては、一応北東部~東部への侵攻計画が 考えられていたがあまり積極的に行う計画ではなかった。 ニューギニア南岸とサモア、ソロモン諸島を制圧してアメリカとの連絡を絶ち、 インド、中東(+アフリカ)方面とも断絶させて英連邦から離脱させ、親日中立 を強要する・・・というのが目標にされていた。 ポートモレスビー攻撃やガダルカナルへの基地設営などはこの戦略に基づいて 行なわれている。 (289 879-880) もし日本が英蘭のみ攻撃してたら、アメリカは参戦するつもりだったの? 計画だけはありました。 http //www.h2.dion.ne.jp/~sws6225/wtable/194105.html 交渉内容としては以下の内容。 http //www.kokubou.com/document_room/rance/rekishi/seiji/nichibei_kousyou/daitoua5-3.htm さて、上記9番目の参謀会議についてであるが、昭和16年1月末より米国軍令部と参謀本部を代表とする米国参謀委員会と 英国統帥部を代表する英国代表団との間で計14回にわたる会談がワシントンに於いて行われた。 これはフランス戦線がドイツ軍によりあっけなく突破され焦った英国側が米側に熱望して実現したものである。 ここでは作戦計画「ABC-1」及び「ABC-2」が報告され、これを踏まえて「レインボー5号作戦計画」が策定されるに至った。 本計画は米英での事実上の承認を受けてこれをもとに枢軸側に対する綿密な作戦協定の制定に乗り出した。 特に我が国に対する基本戦略の骨子は、 1) 日本が参戦した場合極東における軍事戦略は防勢をとる。 2) 米国は極東に対し現在以上に軍事力を増強する意向はない。 3) 英国の極東における地位、なかんずくその象徴たるシンガポールは「英連邦の結合と安全並びにその戦争努力の保持を確保する」見地 において、防衛を強化しなければならないが、それは英連邦の自力によるものとし、米国はそのかわり大西洋及び地中海方面に兵力を増強する。 4) 但し日本の南進作戦を牽制するため、米国太平洋艦隊を機宜攻勢的に使用する。 最後にこう書いてある。 「英国との参謀会談は終わり、合同米英戦争計画は作成された。この報告はマーシャル将軍と私によって承認された。 そして適当な時に大統領の承認を得ると期待される」 あくまで制服組のシミュレーションであって大統領が承認した正式な作戦計画ではない。 (687 159-162) サイパンの戦いにおける日本軍が守備隊をもっと早くサイパンに配置しなかった・出来なかった理由はなんでしょうか? 一言でいえば危機感のなさ。手をつけるのが遅すぎた ただ現実的な問題として南方への部隊輸送で結構いっぱいいっぱいだったんで サイパンへの増強を手掛けられたかというとかなり疑問符がつく 開戦時からマリアナが戦場になると予想して少しずつでも強化してれば要塞に仕立てることはできたろうけど そこまで予見しろってのは神の視点になるしね ニューギニアや、ラバウル、ソロモン方面への輸送に手一杯で、 マリアナはその中継点でしかなく、部隊や、物資を集積する余裕がなかった。 ただ、交通の中継点のため、米軍襲来時に南方向けの武器や、部隊が、 留まってたりしたので、守備軍に編入して、つかってる。 (689 363-365) 「太陽の帝国」で中国駐在の欧米民間人が収容所で使役されてました。あんなこと実際あったんですか? 映画ですよ、映画。 軍人以外は戦争勃発時敵国人になった場合は、軟禁状態となり、交換船で帰国と いうことになります。 それでも残った人には漏れなく特高の監視なんぞが付いて、居住地が定められます。 また、加えて帝国臣民の義務は課せられる可能性はあります。 (279 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 1942年ごろのタイ海軍の戦力を教えて下さい 砲艦:Ratanakosindra(英国製)、Sri Ayuthia(日本製) 駆逐艦:Phra Ruang(旧英国R級駆逐艦) 水雷艇:Puket級7隻(イタリア製) スループ:Tachin級2隻(日本製) 魚雷艇:Kantan級3隻(日本製) 敷設艇:Bangrachan(イタリア製) 潜水艇:Sinsamudar級4隻(日本製) 砲艇:Chow Phraya(旧英国Hunt級) 哨戒艇:CMB-6~9(英国製) 漁業保護艇:Sarasindhu級3隻(国産)、Sriya Monthon 王室ヨット:Maha Chakri (269 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 日本統治下のグアム(大宮島)について、統治内容等を知りたいのですが 南洋群島は、Versailles条約で日本の国際連盟C式委任統治区域となりました。 これは、土着人民の利益の為に一定の保証を与えることが要件となりますが、受任国領土の構成部分として、 その国法の下に施政を行なうものです。 但し、地域の詳細情報、施政諸般の措置は国際連盟理事会に報告する義務があります。 (これは、日本の連盟脱退後も継続されています。) 1922年の勅令第107号南洋庁官制により、パラオ諸島コロール島に南洋庁を設置、南洋庁長官は、一般行政は 拓務大臣の指揮監督を受け、他に一部の行政に関しては逓信、大蔵、商工の各大臣の監督を受けます。 1942年、拓務省廃止の後は、大東亜省所管となります。 南洋庁の組織としては、最初は課制でしたが、後に内務部、経済部、交通部、そして各島に支庁を設置、大きな島 には法院を置いています。 支庁は警察を兼ね、法院の無い島であれば、民事裁判を行うほか、軽微な刑事事件も即決裁判を開催します。 法院は1922年の勅令第133号南洋群島裁判令によって設置され、高等法院、地方法院の二審制となっています。 教育は内地人については、内地と同様とし、島民に対しては、初等教育機関として本科三年、補習科二年の公学校を 設置します。 授業の半分は日本語の習得に充てられましたが、五年でも平仮名が書ける程度でした。 自治体は1931年に、南洋庁令第七号南洋群島部落規定により、部落と言う自治体が置かれ、総代を長官が任命し、 総代の諮問機関として、協議会を置きます。 協議会員は、独立の生計を営む25歳以上の男子からの完全普通公選制です。(但し、選挙民は内地人のみ) 島民に対しては、1922年の南洋庁令第三四号南洋群島島民村吏規程により、島民を村吏に任命、カナカ族は総村長、 村長、チャロモ族は区長、助役を設置しています。 1938年には勅令第224号南洋群島地方費令が公布、南洋群島は一つの自治体となりますが、諮問機関、議決権は設け られていません。 (123 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 旧日本軍は米軍の暗号通信をどの程度解読していたんでしょうか? 日本海軍は米海軍の戦略レベルの暗号通信を終戦まで解読することが出来ず、 通信解析と呼ばれる方法で米海軍の動向を探っていました。 通信解析とは、敵の通信量を統計的に分析して動向を判断する方法で、 通信系図と呼ばれる通信の着信先や通報先を整理した系図を作成して その変化によって敵の作戦規模や内容を判断していました。 こうして、米海軍の戦略企図をほぼ正確に予知できるようになりましたが、 その頃にはすでに彼我の戦力差はどうしようもなく広がっており、戦いに活かすことは 出来ませんでした。 一方米海軍が日本海軍の暗号解析に取り掛かったのが1941年の初夏のあたりで、 米軍海軍情報部はD暗号(JN-25)と呼ばれた重要暗号の解読にミッドウェー作戦直前の 5月26日までにほぼ成功しています。 細かい話はこちらで。 http //www.page.sannet.ne.jp/mori-y/nihon2.html (146 名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE) 日本軍はアメリカ軍の本格的反抗は1943年以降と考えていたとのことですが、何を根拠にそう考えたのでしょうか? 米国が開戦後に戦時体制に入って、戦力の動員と兵器の大量生産を 軌道に乗せるまでに1年半程度の時間が必要で、 反攻はこうした準備が整ってからであろうと予測していました。 実際に米軍が大量の空母と航空機、そして兵員を投入可能になったのは、 1943年半ばですので、日本軍の米軍戦力整備に関する予測は、 実は誤ってはいませんでした。 問題は、米軍がミッドウェーにおける勝利と前後して、 戦力不十分なままで早期反攻に出るという事態に対して、 これを予測していなかったり、あるいは十分な対策を検討し、 準備しておかなかったということだといえると思います。 (170 80) 海軍の場合ですと、 昭和15年に成立した第3次ヴィンソン計画による艦艇・航空機の増強が 昭和17年度に完了することが判明しています。 これでロンドン条約のアメリカ側の制限枠が満たされますが、 ヴィンソン計画成立から半年後に、制限枠にとらわれないスターク計画が追加され これには幻のモンタナ級・アラスカ級・エセックス級・ボルチモア級・クリーブランド級など 大反攻の主力艦が含まれています。 真珠湾にしろミッドウェーにしろ、ヴィンソン計画艦を叩くのが精一杯で 18年度以降に就役するスターク計画艦までは手が回らないのが実情でした。 このスターク計画によってアメリカの陸軍戦備も予算的になかなか整わず イギリス支援に忙殺されてもいたために、対日戦備も後手に回っていました。 それに希望的観測もあって、18年度からの反攻が想定されたわけです。 (170 鷂 ◆Kr61cmWkkQ) 泰緬鉄道の建設では多くの現地人と捕虜が死亡したそうですが、そんなに価値ある鉄道だったんでしょうか? タイとビルマの間を海上輸送するとなると、大きくマレー半島を迂回しなければ なりませんし、その間、通商破壊により、船舶が撃沈されてしまうリスクも大きい です。 また、船舶輸送は大きな輸送力がある反面、速度が余り出ませんから、時間が 掛かります。 従って、タイとビルマを短絡する鉄道を敷設した方が、マレー半島大回りより時間が 短縮出来ますし、戦闘に対する被害も貨車、機関車はある程度現地調達出来ますし、 機構的に複雑なものでもありません。 総合的に見て、効果があると認められた訳です。 勿論、戦時中という時代相もあったのでしょうが。 (178 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 日ソ中立条約があったころ、満ソ国境ではどんな諜報活動が行われていたんですか? お互いにばんばん偵察機を飛ばしたりしてたのでしょうか? 国境の監視所からの定点観察(向地偵察)でも十分情報を得られたのですが、 日本側がソ連奥地の情報を得るためにはクーリエを利用していました。 クーリエ(外交伝書使)とは、日本からモスクワの日本大使館に連絡を付けるための 外務省の特使便です。 モスクワへの往復の旅は、シベリア鉄道を利用して約一ヶ月かかりました。 この間に沿線の情報を可能な限り収集し、持ち帰って分析するのが彼らの真の任務で、 外務省仕立てではありますが、実際は偽名を使った軍人が赴いていました。 当然真の目的はソ連側も承知している危険な任務で、20年4月には二人のクーリエが GPUによって毒を盛られて一人が死亡し、機密文章が盗み見られるという事件が 起こっています。 かの瀬島龍三参謀も19年12月~20年1月にクーリエとしてソ連に赴いています。 (192 名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE) 真珠湾攻撃から珊瑚海海戦まで半年近く大規模な海戦がおきなかったのはなぜですか? この期間海軍はインド洋であまり意味のないような?作戦をチマチマとやっていたように見えるんですが。 太平洋戦争の目的は、あくまでもインドネシアの地下資源を手に入れることです。 とにかくインドネシアを手に入れるために、間に立ちはだかるマレーとフィリピンから米英軍を追い出すのが第1段階。 そしてインドネシアを手に入れるのが第2段階。 この3箇所を制圧することが大本営の思惑であり、ビルマやソロモンはオプションに過ぎません。 (そのオプションに力を入れすぎて自滅したわけですが) したがって、無駄に艦隊が出て行く必要性はないです。 真珠湾攻撃というのは、単に山本さんの博打に過ぎません。 ただし、成功すれば米軍はフィリピンの支援はできなくなるし、失敗してもマレー・フィリピン攻略準備はできてるし 山本さんのギャンブルはどう転んでも大本営の損にはならないので認められただけです。 (220 鷂 ◆Kr61cmWkkQ) インド洋作戦てのはセイロン島の在英海軍を叩く為の物だったのだけど 英海軍がアフリカ東岸まで後退させたので機会がなっかたのです。 ちなみに 1月初頭、柱島→中旬、ビスマルク諸島、ラバウル→末、トラック 2月初頭、米マーシャル諸島空襲に対応して出撃(中止→中旬、ポートダーウィン空襲 3月ケレベス島スターリング湾を拠点に行動、各地を空襲。 4月インド洋作戦 (220 589)
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萌え萌え2次大戦(略)2[chu~♪]☆ウルトラデラックス 項目数:40 総ポイント:1000 難易度:★☆☆☆☆(~860)(サバイバル、チャレンジ以外) ★★☆☆☆(~910) (chu~♪のサバイバル) ★★★☆☆(~1000)(UDXのサバイバルとチャレンジ) シリーズ未経験者&SLG不得意の人はそれぞれに+0.5★くらい 萌え萌え2次大戦(略)☆ウルトラデラックス まとめ http //www40.atwiki.jp/moemoe2udx/ 萌え萌え2次大戦(略)2[chu~♪] @wiki http //www24.atwiki.jp/moemoe2chu/ 特に複雑な条件をこなす必要も無く、書いてある内容通りのプレイで解除可能。 ただし、SLGの得意不得意にもよりますがそこそこ時間がかかるので実績目当ての購入はオススメしない。 初プレイでスキップ無しで普通に読み進めてコンプを目指した場合は200時間オーバーになるかも。 PC版経験者がXbox360版で一日平均7時間のプレイで丁度2週間で実績全解除、最短なら60時間程度で全解除可能。 シナリオとサバイバルは無双プレイでクリアできるので比較的楽ですが、チャレンジモードだけはマップ制作者の意図を読んである程度決まった答えを見つけなければクリアは困難です。 太平洋戦線 初戦勝利(UDX) 『萌え萌え2次大戦(略)☆ウルトラデラックス』太平洋戦線の最初の戦闘に勝利する 10 欧州戦線 初戦勝利(UDX) 『萌え萌え2次大戦(略)☆ウルトラデラックス』欧州戦線の最初の戦闘に勝利する 10 連合軍戦線 初戦勝利(UDX) 『萌え萌え2次大戦(略)☆ウルトラデラックス』連合軍戦線の最初の戦闘に勝利する 10 ゆきかぜ編 初戦勝利(UDX) 『萌え萌え2次大戦(略)☆ウルトラデラックス』ゆきかぜ編の最初の戦闘に勝利する 10 太平洋戦線 10マップクリア(UDX) 『萌え萌え2次大戦(略)☆ウルトラデラックス』太平洋戦線のマップを10個クリアする 20 欧州戦線 10マップクリア(UDX) 『萌え萌え2次大戦(略)☆ウルトラデラックス』欧州戦線のマップを10個クリアする 20 連合軍戦線 10マップクリア(UDX) 『萌え萌え2次大戦(略)☆ウルトラデラックス』連合軍戦線のマップを10個クリアする 20 ゆきかぜ編 5マップクリア(UDX) 『萌え萌え2次大戦(略)☆ウルトラデラックス』ゆきかぜ編のマップを5個クリアする 20 太平洋戦線 ノーマルクリア(UDX) 『萌え萌え2次大戦(略)☆ウルトラデラックス』太平洋戦線ノーマルルートの最終戦に勝利する 30 欧州戦線 ノーマルクリア(UDX) 『萌え萌え2次大戦(略)☆ウルトラデラックス』欧州戦線ノーマルルートの最終戦に勝利する 30 連合軍戦線 ノーマルクリア(UDX) 『萌え萌え2次大戦(略)☆ウルトラデラックス』連合軍戦線ノーマルルートの最終戦に勝利する 30 太平洋戦線 トゥルークリア(UDX) 『萌え萌え2次大戦(略)☆ウルトラデラックス』太平洋戦線トゥルールートの最終戦に勝利する 30 欧州戦線 トゥルークリア(UDX) 『萌え萌え2次大戦(略)☆ウルトラデラックス』欧州戦線トゥルールートの最終戦に勝利する 30 連合軍戦線 トゥルークリア(UDX) 『萌え萌え2次大戦(略)☆ウルトラデラックス』連合軍戦線トゥルールートの最終戦に勝利する 30 ゆきかぜ編 クリア(UDX) 『萌え萌え2次大戦(略)☆ウルトラデラックス』ゆきかぜ編の最終戦に勝利する 30 難易度ノーマル クリア(UDX) 『萌え萌え2次大戦(略)☆ウルトラデラックス』難易度ノーマルでいずれか1つのシナリオの最終戦に勝利する 20 難易度ハード クリア(UDX) 『萌え萌え2次大戦(略)☆ウルトラデラックス』難易度ハードでいずれか1つのシナリオの最終戦に勝利する 20 難易度ベリーハード クリア(UDX) 『萌え萌え2次大戦(略)☆ウルトラデラックス』難易度ベリーハードでいずれか1つのシナリオの最終戦に勝利する 30 難易度ゴッド クリア(UDX) 『萌え萌え2次大戦(略)☆ウルトラデラックス』難易度ゴッドでいずれか1つのシナリオの最終戦に勝利する 30 図鑑コンプリート(UDX) 『萌え萌え2次大戦(略)☆ウルトラデラックス』全ての鋼の乙女の兵器図鑑を閲覧可能にする 30 チャレンジモード オールクリア(UDX) 『萌え萌え2次大戦(略)☆ウルトラデラックス』チャレンジモードの全マップをクリアする 40 サバイバルモード オールクリア(UDX) 『萌え萌え2次大戦(略)☆ウルトラデラックス』サバイバルモードの全マップをクリアする 50 太平洋戦線 日本海軍編 初戦勝利(CHU) 『萌え萌え2次大戦(略)2[chu〜♪]』太平洋戦線の最初の戦闘に勝利する 10 欧州西部戦線 初戦勝利(CHU) 『萌え萌え2次大戦(略)2[chu〜♪]』欧州戦線の最初の戦闘に勝利する 10 北アフリカ戦線 初戦勝利(CHU) 『萌え萌え2次大戦(略)2[chu〜♪]』連合軍戦線の最初の戦闘に勝利する 10 太平洋戦線 日本海軍編 5マップクリア(CHU) 『萌え萌え2次大戦(略)2[chu〜♪]』太平洋戦線 日本海軍編のマップを5個クリアする 20 欧州西部戦線 5マップクリア(CHU) 『萌え萌え2次大戦(略)2[chu〜♪]』欧州西部戦線のマップを5個クリアする 20 北アフリカ戦線 5マップクリア(CHU) 『萌え萌え2次大戦(略)2[chu〜♪]』北アフリカ戦線のマップを5個クリアする 20 太平洋戦線 日本海軍編 ノーマルクリア(CHU) 『萌え萌え2次大戦(略)2[chu〜♪]』太平洋戦線 日本海軍編ノーマルルートの最終戦に勝利する 30 欧州西部戦線 ノーマルクリア(CHU) 『萌え萌え2次大戦(略)2[chu〜♪]』欧州西部戦線ノーマルルートの最終戦に勝利する 30 北アフリカ戦線 ノーマルクリア(CHU) 『萌え萌え2次大戦(略)2[chu〜♪]』北アフリカ戦線ノーマルルートの最終戦に勝利する 30 太平洋戦線 日本海軍編 トゥルークリア(CHU) 『萌え萌え2次大戦(略)2[chu〜♪]』太平洋戦線 日本海軍編トゥルールートの最終戦に勝利する 30 欧州西部戦線 トゥルークリア(CHU) 『萌え萌え2次大戦(略)2[chu〜♪]』欧州西部戦線トゥルールートの最終戦に勝利する 30 北アフリカ戦線 トゥルークリア(CHU) 『萌え萌え2次大戦(略)2[chu〜♪]』北アフリカ戦線トゥルールートの最終戦に勝利する 30 難易度ノーマル クリア(CHU) 『萌え萌え2次大戦(略)2[chu〜♪]』難易度ノーマルでいずれか1つのシナリオの最終戦に勝利する 20 難易度ハード クリア(CHU) 『萌え萌え2次大戦(略)2[chu〜♪]』難易度ハードでいずれか1つのシナリオの最終戦に勝利する 20 難易度ベリーハード クリア(CHU) 『萌え萌え2次大戦(略)2[chu〜♪]』難易度ベリーハードでいずれか1つのシナリオの最終戦に勝利する 30 難易度ゴッド クリア(CHU) 『萌え萌え2次大戦(略)2[chu〜♪]』難易度ゴッドでいずれか1つのシナリオの最終戦に勝利する 30 図鑑コンプリート(CHU) 『萌え萌え2次大戦(略)2[chu〜♪]』全ての鋼の乙女の兵器図鑑を閲覧可能にする 30 サバイバルモード オールクリア(CHU) 『萌え萌え2次大戦(略)2[chu〜♪]』サバイバルモードの全マップをクリアする 50 UDXとCHUはキャラこそ同じだが、ゲームシステムはほとんど別ゲームのため、 実績解除をするならどちらかを集中プレイした方がいい。 UDXはクリアまでのMAP数が多く平均20MAP、CHUはクリアまで平均10MAP ノーマルかトゥルールートかは戦績の評価で決まるため 味方がやられない様にプレイしていけばよいA評価になりそうにない場合 自滅でゲームオーバーになりリトライするとレベルもそのままでプレイできるため楽になっていく。 ■UDX(ウルトラデラックス)関連 ストーリーモードで難しいと思ったらサバイバルモードでレベル上げをしてから進むこと。 基本的にどのキャラもレベル20まではサバイバルモードでレベル上げ。育て方に困ったらHPとEPが増える火力→火力強化にしとけばいいかと。 ところどころバグがあるためセーブデータは複数に分けて取ることを推奨。 欧州戦線編はシナリオでバグはないようなので、高難易度プレイ実績を取るなら欧州戦線編でやった方が無難。 ※どのシナリオにも発生するバグ。 各シナリオで最終戦をクリアしたあと、スタッフロール後のセーブ画面でセーブが出来ないバグが発生する。 回避するには最終戦クリア → ADVパート → スタッフロールのADVパートのときにセーブをし、 そこからADVパートとスタッフロールをスキップする。念のため別枠にセーブすることを推奨。 中にはこのときのセーブを失敗したせいで全キャラのレベルが1に戻ったとの報告もあり。 (こまめな中断データの複製で難易度GODまでのクリアを確認。ある程度ゲームを理解した立ち回りが必要、 ゆきかぜ編のみ敵のLVが最大30程しかないのでエンガノ岬沖海戦を突破出来れば一応クリア可能) 複製するデータは SLGデータ ■CHU(2)関連 基本的なゲームの進め方はUDXと同じ、最初にサバイバルでユニットを強化しておけば大分楽になります。 また配下ユニットの仕様が変わっている為育成の仕方に注意。 配下ユニットの経験値はサバイバルでは貯まらないので、本編にて貯めるように。 本編で鋼の乙女秘密図鑑を見る際能力のアップグレードが出来ますが、サバイバルには適用されません ■太平洋戦線編関連(UDX) 太平洋戦線のノーマルルートを高難易度でクリアしても、 難易度系の実績が解除されない可能性があることに注意。 難易度ゴッドノーマルルートクリアで実績が解除されなかった報告があるが、 筆者の場合は難易度ハードで同様の現象が起きた。 ■太平洋戦線ゆきかぜ編関連(UDX) 太平洋戦線編をクリアするとプレイ可能になる。 バグなのかストーリー上の演出なのかは不明だが、中盤でゆきかぜが出撃せずに レイ+αの完全ゲストキャラのみのステージが存在する。 このことからレベルを上げたゆきかぜが使用不可能のため、ハード以上でクリアするのはおそらく不可能 ■各難易度クリア実績関連(CHU) トゥルールートの突入条件を満たしている場合、 最終マップ1個前のマップをクリアした時点で実績が解除される。 太平洋戦線 ノーマルクリア(UDX) ノーマルルートで解除できないためトゥルールートに入る必要がある。 12MAP目「ミッドウェー海戦 艦隊上空戦」クリア時に☆20個獲得している事。 5回以上戦闘省略するとトゥルールート不可 14MAP目「ソロモン沖海戦~殲滅~」クリア時に解除される 連合軍戦線編 ノーマルクリア(UDX) 太平洋戦線編同様、トゥルールートに入ると同時にノーマルルートのクリア実績が解除される場合あり。 太平洋戦線編と違いノーマルルートでクリアした場合でもちゃんと解除はされる。 難易度ハード クリア(UDX) 連合軍戦線で行った場合17MAP目(硫黄島の戦い~追撃~)をクリアした時点で解除される。 難易度ゴッド クリア(UDX) 難易度ベリーハードでどれかのシナリオをトゥルールートでクリアすると選択できる。 太平洋戦線編は上記のバグ、連合軍戦線編はラスボスが手強いこともあり、欧州戦線編が一番楽かと思われる。 追記:太平洋戦線を難易度GODノーマルルートで実績解除できないことを確認。 図鑑コンプリート(UDX) 全てのルートをクリアすれば自然と解除される。 しかし途中でifシナリオ(例:太平洋戦線編でドイツユニットがゲストに来るステージなど)を選択すると 解除されない乙女がいるので注意。 チャレンジモード オールクリア(UDX) レベル固定、ユニット固定のため、戦い方さえ合っていればクリアは出来るはず。 難易度はノーマルとハードがあるが両難易度の全マップをクリアする必要はなく どちらか一方の難易度の全マップをクリアすればよい。 なお孤軍奮闘では最初の増援前(5ターン目?)に敵を全滅させると以降増援が出なくなり クリア条件の19ターン目を迎えてもクリア不可能になるので速攻で全滅させないこと。 サバイバルモード オールクリア(UDX) 全乙女のレベル50は基本中の基本、雑魚ユニットも難易度ゴッドで通常シナリオをやれば簡単にレベルがあがる。 本格的に悩むのは最後の2ステージくらいなもので、あとはユニットによってはまるで攻撃されなかったりする (火力強化ルーデル、火力特化やまとなど) 後半はあかぎ必須、万が一途中であかぎを撃破されたら素直にやり直した方がいい。 サバイバルモードはセーブ不可能ではあるが中断セーブは可能。 中断セーブをしたらダッシュボードに戻り、本体のメモリから「SLGデータ」をUSBメモリなどにコピーをする。 途中で失敗しても、USBメモリなどにコピーした中断セーブを再び本体にコピーすることでやり直せる。 太平洋戦線 日本海軍編 ノーマルクリア(CHU) 難易度はノーマル UDX同様トゥルールートに入った瞬間上記実績が解除されます。 トゥルールートに入るタイミングは「ミッドウェー攻略戦」が終了した時点です。 ※難易度実績(ノーマル)を解除していない場合は同時に解除されます 欧州西部戦線 ノーマルクリア(CHU) 難易度はノーマル トゥルールートに入った瞬間上記実績が解除されます。 トゥルールートに入るタイミングは「急襲!パスタパワーの戦士たち」が終了した時点です。 ※難易度実績(ノーマル)を解除していない場合は同時に解除されます 北アフリカ戦線 ノーマルクリア(CHU) 難易度はノーマル トゥルールートに入った瞬間上記実績が解除されます。 トゥルールートに入るタイミングは「アラム・ハルファの戦い~後半戦~」が終了した時点です。 ※難易度実績(ノーマル)を解除していない場合は同時に解除されます 上記の各シナリオバグを利用すれば、1週でノーマル・トゥルークリアの実績の解除が可能です。 サバイバルモード オールクリア(CHU) UDX程難しくはなく、全ての鋼の乙女をレベル50にする必要もありません。 配下ユニットは1度出撃すると次のマップでは出撃できない為要注意。経験値を貯めてストックを 増やしておけば少しは楽になります。 またUDX同様中断データのバックアップ技が使えるので、難しいと感じた方はそちらを使用のこと。 chuの中断データは、「_2_SLGデータ」となります。 ※UDXであった、スタッフロールを飛ばさないとセーブ出来ない不具合はchuの方ではありません。 セーブデータが初期化されるバグには遭遇していませんが、セーブする際は何個かに分けて進める 方が安全だと思います。
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科学の軍事化、軍学共同に反対する科学者の運動は、市民各界との連携を広げて発展している。そのなかで原爆の開発と投下をめぐって、科学者が果たした役割について深め反省する意義が論議になっている。昨年7月、東京の江戸東京博物館で開催されたシンポジウム「タブーに踏み込む科学・科学者--軍事研究、遺伝子操作について考える」(主催・ゲノム問題検討会議)で、特別ゲストとして報告に立ったアーサー・ビナード(詩人)の発言が、反響を広げている。 + 続き ビナードは日本語で詩を書くアメリカ人である。このシンポでは、言葉たくみに世論を操作する広告代理店が原爆投下に果たした役割にふれて、科学者と文学者が共通の課題を掲げてともに進む意義、さらに第2次世界大戦の歴史認識にかかわって、あらまし次のように語った。 経済の必要から科学を奴隷のように使って、亡びていくのを見つめるか、歯止めをかけるのか。科学(サイエンス)は、現実の自然界を知れば知るほどおもしろくなる、発見につながるからおもしろいというのが元の意味だ。だが、軍事研究や命をいじくるゲノム編集など現代の科学が抱える問題は、知れば知るほどつまらなくなっている。おもしろさ、大切さを大事にしながら知っていくのが科学の進む道ではないか。 だれよりも先になにかを発見して、研究としても科学者としても輝いてノーベル賞をもらえるように、という花のある方向がもてはやされる。しかし、福島第一原発をどうするかという方向にはいかない。金は出すが、そのような方向は見捨てられる。そこに向かおうとする人は長期的な視点、良心の欠片(かけら)のある人だ。今だけ、金だけ、自分だけ、あとは野となれ山となれとなっている。 科学を使って歴史的に世界の庶民の命がどれだけ失われたか。それは計算できない。そのことが正確に伝わっていれば、正確に認識できていれば、事態は大きく変わっていただろう。マンハッタン計画(アメリカの原爆開発)に比べればナチスなどは、かわいいものだ。 子どもたちに科学博物館で夢を語るが、子どもたちの未来を考えるなら同時に、科学がどのような損害をもたらしたか、冷静に認識できるようにすることだ。なぜそうならないのか。そこには広告代理店の存在がある。 19世紀末から20世紀にかけて、広告代理店はアメリカの言論空間に大きな存在をもたらした。第1次世界大戦で、ウィルソン大統領は軍需産業と企業の利益のために、多くの若者を戦場に送り出して殺した。それなのに、なぜ謝罪もせずにいられたのか。広告代理店の仕業だ。 ウィルソンは軍需産業の利益のためであることを隠して、「民主主義が機能するため、安心、安全のための戦争、世界を安全にするための戦争だ。そのための最後の戦争だ」といった。そのときはウィルソンにだまされたが、「これで終わりだ」といったのに次の戦争に入っていくから、広告代理店の力でいくら宣伝文句を並べても国民は企業だけがいい目にあったと、ウィルソンのペテンを見抜いた。 それが第2次世界大戦にいく歯止めになっていた。ルーズベルトが巧みにキャンペーンをはってもだまされなかった。アメリカ憲法では、宣戦布告がなければ戦争ができない。また、議会が承認しなければ宣戦布告はできない。 アメリカ政府は12・8(日本の真珠湾攻撃)まで、宣戦布告が出せなかった。ルーズベルトは「マンハッタン計画が始まっているのに、どうしよう」と困った。1940年にはプルトニウムが生産される。手ぐすね引いて戦争しようとするのだが、アメリカ国民がなびかない。 ルーズベルトの判断だけでは戦争はできない。やりたい世界制覇のプロジェクトがやれない。そのためのPRが必要だ。そのときに下請の「第2米軍」に頼んだのだ。それが「飛んで火に入る日の丸の虫」だった。 当時、日本帝国は破綻していた。1937年に中国の八路軍と蒋介石は犬猿の仲だったが、抗日統一戦線を形成した。10年はかかるかもしれないが、37年の時点では日本が勝てないことは明確だった。 38年になると、日本政府は36年に東京に誘致し、やるやると大宣伝していたオリンピックをドタキャンした。行き詰まって運動会の開催ができない組織が、その3年後にアメリカとどうして戦争したのか。最初から勝つつもりはない。負ける相手を選んでいたのだ。支配層は、中国に負けたら殺処分にされる。ソ連だったら千代田区ゼロ番地に再就職はできない。 アメリカがこの日本との戦争で最後まで守ったルールが一つある。最後の最後まで貫いた最大の鉄則は、爆弾を千代田区ゼロ番地に落としてはならないということだった。1発も落としていない。日本の津津浦浦の都市を空襲し、広島に古いウラン弾を投下し、長崎にプルトニウム爆弾を投下し、日本の庶民が想像を絶する被害を受けた。東京大空襲は権力の中枢を殺処分するものではなく、そこには1発も落としてはいない。 日本は竹槍だ。1942年のミッドウェー海戦の時点で、戦争はとっくに終わっていた。鈴木貫太郎はポツダム宣言の受諾を出さない。天皇の決定をあおげない。もしも、7月のポツダム宣言を受けて、日本が戦争を止めたとなったとき、トルーマンは一歩間違えば処刑される身だった。ルーズベルトは憲法を踏みにじって、膨大な利益を得ようとしていた。 軍産複合体の巨大な構造のもとで、戦争省と共謀してアメリカ国民にはなにも知らせず人類史上の最大の金額を費やして、核兵器をつくっていた。憲法では、戦争の予算はすべてすみやかに国民に提供しなければならないとされている。国民監視のもとでは、マンハッタン計画は本来できない。この犯罪は死刑に値する。 巨額の金を注ぎ込んで綱渡りしながら、飛び道具を手に入れてしかけることに賭ける。大きな犯罪を犯しながら、あとは野となれ山となれの話だ。 ルーズベルトはそれが「必要だったから」としかいえない。そこで、広告代理店だ。世界を制覇するために、どこより早くプルトニウム爆弾を先につくって使い、その成功例を示して、「皆さんの命を守るために、安全安心のためにやりました」というキャンペーンをはった。 そのために、日本をターゲットにして、広島と長崎に投下した。ドイツやヨーロッパではなく、従順に従う民族を選んだ。日本政府は、国民が焼夷弾で殺されても、政府は再就職できる。どこかで降伏しなければならないが、みんなに「最後の最後までたたかう」「1億火の玉」「ほしがりません勝つまでは」といっているのに、やめるとはいえない。それでは、トップが殺処分される。国民のしもじもの想像しないことが起きなければならない。 それをクリアできるのは新型爆弾だ。これがないと、降伏する宣言受諾の発表ができない。終戦の詔書に「敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ頻リニ無辜ヲ殺傷シ……」とある。私は詩人の嗅覚だが、原稿は英語だと思う。アメリカとグルになっていたとしか考えられない。日米合同詐欺で原爆を落としたのだ。 日本国民もアメリカ国民も「原爆で第2次世界大戦を終わらせた」という、同じところでだまされてきた。歴史上、核兵器が役に立った事例はない。それを認めると、大前提が崩れる。核開発を進めてきた科学の力がうさんくさいペテンとして化けの皮が破れる。そうならないように、核開発の隠れ蓑として「平和利用」を持ち込んできた。 人類の言葉の技術を倫理観のないもののために、広告代理店が使っている。同じ技術を、現実と歴史をつなげて、科学の役割とそれが果たした役割を明らかにしていかねばならない。 ■ 歴史戦争の勝利者は日本だ(^^)/ 「刮目天(かつもくてん)のブログだ!(2016.12.10)」より (※mono....前後大幅に略、詳細はブログ記事で) / しかし大東亜戦争の真相は違う(≧◇≦) 平和を追求したのはアメリカではなく日本だった! 真珠湾攻撃は卑怯な奇襲攻撃ではなく、蒋介石軍に軍事援助し、石油その他の資源の日本への輸出を禁止し、米国内の日本人の資産凍結まですれば宣戦布告したことになる! それでも日本はギリギリまで和平交渉を行っていた! それなのに、日本を日露戦争以前の状態に後退させる最後通牒のハルノートを日本に突きつけたから、日本が開戦に踏み込まざる得ない状況に追い込まれた! これが日米開戦の真相だ! ■ 「日本を殺せ」が米国で大ヒット、東京だった次の原爆 「JB-press(2016.12.8)」より (※mono....前後大幅に略、詳細はサイト記事で) / ベストセラー「Killing」シリーズに「大日本帝国」が登場 今、米国で「Killing the Rising Sun」(昇る太陽を殺す)というおどろおどろしいタイトルの本が売れている。 「ライジング・サン」とは、日本のこと。 著者は当初ずばり「Killing Japan」(日本を殺す)というタイトルを考えていたという。ストレートすぎて批判を招くとの危惧からタイトルを変更したらしい。 著者は、テレビに著書に大活躍の保守派ジャーナリストのビル・オライリー氏(67)だ。近年「Killing」シリーズを手がけ、本書はその6冊目だ。 これまでに「Killing Abraham Linclon」(エイブラハム・リンカーン第16代大統領の暗殺)を皮切りにジョンF・ケネディ第35代大統領の暗殺、イエス・キリストの処刑、ジョージ・パットン将軍の謎の死、ロナルド・レーガン第40代大統領の暗殺未遂などをテーマにしている。 【ハル・ノート】 ★■ 太平洋戦争は本当に避けることができなかったのか 「ダイヤモンド書籍オンライン(2016.8.15)」より / 近刊『日本会議 戦前回帰への情念』(集英社新書)が発売4日でたちまち重版・4万5000部突破の気鋭の戦史・紛争史研究の山崎雅弘による新連載です。日本の近現代史を世界からの視点を交えつつ「自慢」でも「自虐」でもない歴史として見つめ直します。『5つの戦争から読みとく日本近現代史』からそのエッセンスを紹介しています。第7回は経済的には相互依存をしていた日米が開戦に至るまでの道程を解説します。 対日宥和か、対日強硬か?揺れ続けたアメリカ (※mono....詳細略、サイト記事で) / 実は最後通牒ではなかった「ハル・ノート」 1941年11月の時点で、米政府は「全面協定案」(「ハル・ノート」の原型)と「暫定協定案」という2つの提案のいずれかを日本に提示する検討を進めており、後者は日米双方の譲歩を前提とする事態打開の方策を列記した内容でした。しかし、11月26日の朝、陸軍長官スティムソンから、日本軍の輸送船団が上海を出発し、台湾南方を航行中であるとの誤った情報を知らされたルーズベルトは、「(中国での)休戦と撤兵の交渉をしている最中に、新たな軍事侵攻の準備に着手するとは、明らかな背信行為だ」と激怒して、日本に対する態度を一挙に硬化させました。 その結果、同日午後5時にハルが日本側代表へと手渡した文書は、相互譲歩を前提とする「暫定協定案」ではなく、日本に対する一方的な撤兵要求を書き連ねた「日米間総括的基礎提案」(いわゆる「ハル・ノート」)でした。ハルが日本側に提示した「ハル・ノート」の内容は、日本軍の中国からの撤兵、汪兆銘政権(南京政府)の否認、日独伊三国同盟の空文化に加えて、全ての国家の領土および主権の尊重、内政不干渉、通商上の機会均等、紛争の平和的解決などで、その多くは日本側がそれまで進めてきた対外政策をことごとく否定するものでした。 そのため、日本軍上層部は「わが国が決して受け入れられない条件ばかり突きつけてきた」と激しく反発し、対米開戦はもはや不可避だとの意見が大勢を占めました。しかし実際には、「ハル・ノート」はアメリカ政府から日本政府への正式な要求文書ではなく、単にハル国務長官の覚書に過ぎず、書類の冒頭には「一時的かつ拘束力なし」との文言が記されており、戦争を前提とした「最後通牒」ではありませんでした。 それゆえ、例えば「中国からの撤退」という項目には満洲国が含まれないとの解釈も可能であり、日本軍上層部の意向を無視して考えれば、この「ノート」を土台にして、さらに日米交渉を続けるという選択肢もあり得たはずでした。また、もし日本軍上層部に「今までの日中戦争の進め方は誤りだった」と反省する合理的な思考力があったなら、この「ハル・ノート」を逆に利用して、中国からの撤退の口実にするのと同時に、「我々も言うことを聞いたのだからアメリカ側も他の分野(石油禁輸の撤回など)で譲歩せよ」との要求を突きつけ、日中戦争終結と対米戦回避の両方を実現できたかもしれません。 (※mono....以下略、詳細はサイト記事で) .
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日米開戦を止められなかった「海軍の誤算」(PHPオンライン衆知(歴史街道)) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 「太平洋戦争開戦」に関する記事一覧 | AERA - アエラドット 朝日新聞出版 なぜか根深い「真珠湾攻撃神話」払拭を 太平洋戦争80年 時代の正体 歴史に向き合う | カナロコ by 神奈川新聞 - カナロコ(神奈川新聞) 軍拡・改憲許さない/アジア・太平洋戦争開戦80年 きょう各地で行動 - しんぶん赤旗 [寄稿]太平洋戦争における米国と日本の決定的な違い(ハンギョレ新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 開戦の日の思い|雷鳴抄|下野新聞 SOON(スーン) - 下野新聞 太平洋戦争が勃発/原子炉もんじゅが火災事故/スタイリッシュな軽乗用車スバルR2デビュー!【今日は何の日?12月8日】 | clicccar.com - clicccar.com(クリッカー) 日米開戦の日、「悲惨な敗北」予期していた近衛文麿 終戦工作重ねた末の「A級戦犯」:朝日新聞GLOBE+ - GLOBE+ 馬場あき子「1941年12月8日、真珠湾攻撃の日の思い出。同級生とそっと地球儀を回して恐ろしさを感じた」(婦人公論.jp) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 日本の与野党議員99人、靖国神社を参拝…2年2カ月ぶりに参拝再開(ハンギョレ新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 本当に「棺箱」? 真珠湾で活躍も超不名誉な称号 ダラリ脚艦上機「九九艦爆」実際の所(乗りものニュース) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 太平洋戦争開戦から80年 消える記憶、継承に執念 陸軍幼年学校出身者 公文書収集、資料集に /宮城 - 毎日新聞 真珠湾攻撃80年 101歳元整備兵「戦争防ぐには対話大切」 - NHK NEWS WEB あの日、真珠湾で・日米開戦80年:/3 「日系人、スパイと疑われた」 埋もれた強制収容所 - 毎日新聞 毎日ことば:第156回 解説 - 毎日新聞 父の苦難語る軍歴証明 きょう8日 太平洋戦争開戦80年 富山市の小泉さん|北日本新聞ウェブ[webun ウェブン] - webun.jp 真珠湾攻撃、8日で80年 太平洋戦争開戦、日本側310万人犠牲(毎日新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 77年前の今日、南海トラフで起きた「消された地震」 被害はなぜ、隠されたのか(BuzzFeed Japan) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 外相・防衛相、日米同盟の重要性に言及 太平洋戦争開戦80年で - 毎日新聞 - 毎日新聞 「加害」含めて戦争と向き合う大学生 ハワイ訪問きっかけに(毎日新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース エゴドキュメントから見えるリアルな太平洋戦争 - NHK NEWS WEB 「青い目の人形」守った校長 戦時に処分指示も「罪ない」 熊本県氷川町・宮原小(熊本日日新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 「事実を正確に後世へ、そうすることでしか」ミッドウェー海戦を生き延びた100歳の願い(withnews) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 太平洋戦争開戦80年 反戦の心継承へ試み続く 子ども平和絵画コン 県平和祈念館、手応え 東近江 /滋賀 - 毎日新聞 〈太平洋戦争開戦80年〉1945年4月 鹿屋を攻撃した米機、帰還途上で旧海軍種子島基地を空襲 ロケット弾、機銃掃射…米の映像公開 大分の市民団体「沖縄に近い離島標的に」 - 47NEWS 米軍 真珠湾攻撃で沈没 戦艦乗組員の遺骨特定作業 打ち切りへ - NHK NEWS WEB 【つなぐ戦争の記憶】崩れゆくトーチカ アートで次世代へ|NHK 北海道のニュース - nhk.or.jp 京都・宇治のウトロで放火容疑、無職22歳男逮捕 7棟被害「動機糾明を」(京都新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 太平洋戦争開戦80年 女性作家ら27人がつづる「当時」 「少女たちの戦争」刊行 - 東京新聞 8日に太平洋戦争開戦80年 長崎で平和を考えるつどい 改憲や核禁条約の現状説明 - 47NEWS 中国包囲に再結集する「アングロサクソン帝国」の賞味期限(Yahoo!ニュース オリジナル THE PAGE) - Yahoo!ニュース 米軍撮影 太平洋戦争の新たな映像を公開 大分県の市民グループ - NHK NEWS WEB 太平洋戦争開戦80年を前に“富山大空襲”の体験者たちが講演|NHK 富山県のニュース - nhk.or.jp 「戦時中は小学生も読んでいた」終戦後にGHQが真っ先に禁書にした ある書籍 (プレジデントオンライン) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 日米開戦80年-プレミアムA:朝日新聞デジタル - 朝日新聞デジタル フェイクをうんだ大本営とメディア いま向き合うべき「報道責任」(朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 太平洋戦争の激戦地・ペリリュー島 中川大佐の姪が遺骨のDNA鑑定を申請(熊本) - www.fnn.jp 香取慎吾さん主演 太平洋戦争80年・特集ドラマ「倫敦ノ山本五十六」追加キャスト発表&メインビジュアル公開! - nhk.or.jp 太平洋戦争末期の沖縄県知事・島田叡 故郷神戸に広場整備 - 神戸新聞 [ピックアップ]NHKスペシャル「新・ドキュメント太平洋戦争」…日記や記録から「本音」探る エンタメ・文化 ニュース - 読売新聞 太平洋戦争開戦80年前に小学生が平和学習 神奈川 愛川町|NHK 首都圏のニュース - NHK NEWS WEB 旧陸軍「登戸研究所」跡を現地調査|NHK 長野県のニュース - nhk.or.jp 硫黄島の戦没者追悼式 栗林中将の孫が参列(テレビ朝日系(ANN)) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 太平洋戦争開戦80年に考える「戦争とメディアと言論人 日清・日露戦争から今日」(12/4 14 00~、大阪・高槻市) - レイバーネット日本 世界最強の格闘戦戦闘機:九七式戦闘機(中島キ27)(歴史人) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 「安くてまずい」低価格プライベートブランド商品が日本に定着したヤバすぎる事情(サンデー毎日×週刊エコノミストOnline) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 戦争を生き抜いた唯一の戦艦 巨大で俊足「長門」が竣工した日(乗りものニュース) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 戦地からの絵手紙で平和について学ぶ 中学生が感じたことは(FBS福岡放送) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 語り残す:戦争の記憶 白木の箱に振り分けた 学徒動員で戦死兵の遺骨整理した 広島・三原霜子さん(92) /徳島 - 毎日新聞 予科練の記憶伝える板島橋 宇和島で欄干親柱の移設式典(愛媛)(愛媛新聞ONLINE) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 江藤淳とジョン・ダワー――思想的立場の違いを超えて彼らが見た「近代日本」(新潮社 フォーサイト) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 【新刊紹介】日米開戦をスクープした記者が書いた内幕:後藤基治著『開戦と新聞』(nippon.com) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 大麻取締法に使用罪が存在しない理由(3完)(園田寿) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース グレーゾーンの囁き オキナワの夜に語られるべき沈黙(レビュー)(Book Bang) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 世代の昭和史:/54 太平洋戦争に至るまでを記録した真摯な報告書=保阪正康 - 毎日新聞 大林監督が遺した『海辺の映画館-キネマの玉手箱』(JBpress) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 【NHK朝ドラ「カムカムエヴリバディ」今週は】戦争が勃発。安子と稔との関係にも大きく影を落とす(中日スポーツ) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 香取慎吾さん主演 太平洋戦争80年・特集ドラマ「倫敦ノ山本五十六」制作開始! - nhk.or.jp 【限定公開】太平洋戦争への道程 軍部独走だけでは語れない - WEDGE Infinity 太平洋戦争開戦直前 昭和天皇の心情 侍従長の日記で明らかに - NHK NEWS WEB 【独自入手】太平洋戦争で精神疾患 元日本兵の追跡調査資料 - NHK NEWS WEB 太平洋戦争は避けられなかったのか?「日米開戦もやむなし」に至らせた“極秘会議”とは(PHPオンライン衆知(歴史街道)) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 150トンで「引き金」に? 太平洋戦争前夜 小型すぎる米武装ヨットの危険な任務とは - 乗りものニュース ■ ニュース2 「戦争と平和」対談に学ぶ!池上彰さん増田ユリヤさん平和への願い:12月8日真珠湾攻撃から80年(ハルメクWEB) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 太平洋戦争時の日本の財政、巨額の軍事費をどうやって捻出したのか(久保田博幸) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 開戦80年…爆撃された中学校 生徒を守り息絶えた教頭 HBCの2人のアナウンサーを結ぶ秘話 本別町 (HBCニュース) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 本国帰還、「決死の覚悟」で引率-太平洋戦争と細倉鉱山の朝鮮長屋(下) - 河北新報オンライン 集団引き揚げ75年 樺太の記憶、映像で残す 稚内の大学生 証言や手記基に奮闘 /北海道 - 毎日新聞 太平洋戦争「アジア栄えさせるため」 元議員の学長、高校講演で発言(朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 76年前の映像を発見 観音寺市の特攻隊訓練飛行場 米軍が攻撃の際に撮影 惨劇を伝える【香川】(OHK岡山放送) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 太平洋戦争開戦から80年 92歳の被爆者の思い 広島(RCC中国放送) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 開戦の日、フィリピン空襲に向かう大編隊目撃 91歳元台湾少年工「戦争は嫌、永遠の平和祈る」(カナロコ by 神奈川新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 「今日は太平洋戦争が始まった日!」「岸田首相は所信表明演説で『敵基地攻撃能力』の保有、憲法改正を言った!」「絶対に戦争しない政治を社民党は全力でやる!」~12.8社会民主党 福島瑞穂党首 定例会見 - IWJ インディペンデント・ウェブ・ジャーナル 〈開戦80年〉事故死を「覚悟の自爆攻撃」と美談に。新聞は「肉弾3勇士」に対する県民の熱狂を連日のように伝えた(南日本新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 80年経っても変わらない日本の兵站軽視の危険性(JBpress) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 戦争の悲惨さ「赤紙」で訴え 太平洋戦争開戦80年、甲府駅で市民ら - 朝日新聞デジタル 「なぜ戦争なんかした」 ソロモン諸島で戦死 父の足跡に触れ、悔しさ込み上げ 佐世保の椎葉さん(長崎新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース チャーチルと近衛・東条 明暗分けた組織力とスピード感|日経BizGate - 日経BizGate 昭和天皇の「声」で迫る日中戦争と太平洋戦争(Wedge) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 太平洋戦争開戦80年 戦時供出の鐘、平和の象徴に 軍需品転用免れ、栃木に帰郷30年 /群馬 - 毎日新聞 御真影と教育勅語の謄本を厳重に守る「奉安庫」 GHQが撤去指令、「金庫に使いたい」で今に残る(神戸新聞NEXT) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 鎮魂の白菊打ち上げ・長岡 太平洋戦争開戦80年 - 47NEWS 鎮魂の白菊打ち上げ・長岡 太平洋戦争開戦80年 - 新潟日報 真珠湾攻撃から80年 各地で平和への思い 新たに - NHK NEWS WEB 太平洋戦争末期に造成のトーチカ 広尾町で新たに4基確認|NHK 北海道のニュース - nhk.or.jp 太平洋戦争の開戦から80年 史料や証言が明かす軽井沢町に疎開した外国人の歴史(SBC信越放送) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース MBCニュース | 太平洋戦争開戦80年 鹿児島への空襲 映像公開 - 南日本放送 80年前の12月8日は太平洋戦争の開戦日 平和の大切さを訴える街頭活動 山梨(UTYテレビ山梨) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 「仙台空襲」伝える銘板設置 太平洋戦争 開戦から80年(tbc東北放送) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 爆心地公園でナガサキ不戦の集い 太平洋戦争開戦から80年【長崎市】 - www.fnn.jp 戦争の記憶と「イノチ」 次世代に伝える~“12月8日”開戦から80年 福岡(RKB毎日放送) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 知られざる偽札工作と登戸研究所 資料で学ぶ太平洋戦争 平和つなぐ - カナロコ(神奈川新聞) 太平洋戦争開戦80年 旧海軍施設で犠牲者に祈り 佐世保|NHK 長崎県のニュース - nhk.or.jp <W解説>「強制徴用」と「厚生年金」の矛盾=韓国の元勤労挺身隊員ハルモニの「死ぬ前に聞きたい一言」(WoW!Korea) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 太平洋戦争は「不決断」と「空気」によって始まった~猪瀬直樹が問う「12月8日」とコロナ危機 - 論座 【今日は何の日】12月8日は太平洋戦争開戦記念日!太平洋戦争をテーマにしたゲーム作品といえば! - ゲームドライブ キャラバンが反戦や平和訴え(山口県)(tysテレビ山口) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 惨禍繰り返さぬ決意の機会 真珠湾攻撃80年で松野官房長官(時事通信) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 開戦80年 「シベリア抑留」を伝え継ぐ展示会 東京 稲城|NHK 首都圏のニュース - NHK NEWS WEB 【真珠湾攻撃80年】1941年12月8日、天気予報が消えた 元気象台職員の98歳男性が振り返る「異常な体制」(福井新聞ONLINE) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース アメリカはあくまで仮想敵だった? 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