約 534,186 件
https://w.atwiki.jp/jutsuden/pages/262.html
累積: - ___ 昨日: - ___今日: - 術伝流一本鍼no.74 (術伝流・体得篇(14)) 型を持つ 1.はじめに 2.習ったことはできるけど 3.型を持って対処する 4.見立ての型から養生(慢性期)の型 5.先急(応急処置)の型 6.型を身に付けよう 7.おわりに お知らせとお願い術伝流鍼灸操体講座で患者さん役を募集 感想・間違いなど 「術伝」症例相談用メーリングリストの参加者募集 1.はじめに このごろ思うのは、「型を持つ」ということが重要なのではな いかなということです。単に技術を習っただけではなく、その技 術が体にしっかり身に付いたかどうかが重要です。 そして、その上で、それが、初めて診る種類の症状にも応用で きる型にまでなっていることが大切だと思います。 2.習ったことはできるけど 鍼灸などの伝統医学的臨床技術は、ただ知識があるだけでは、 使いこなせません。講習会などで習っても、初めは講習生相手に は効果が出せても、講習生以外では効果が出せなかったりします。 講習生以外で効果が出せるようになっても、初めのうちは、講 習会で習った通りのことしかできないことが、しばらく続いたり します。目の前の患者さんのその時の状態に合わせるためのちょっ とした応用もできなかったりします。 初めのうちは仕方ないとしても、そのままでは、臨床家として 自立することはできないと思います。 3.型を持って対処する そういう段階を越えるには、「型を持つ」ことと思います。相 撲の解説などでも、「横綱は、自分の型に持ち込むのが上手い」 とかいう話が出てきますね。 幕末の北辰一刀流の千葉周作も近い感じがします。 幕末江戸三大道場の中でも「技の千葉(玄武館)」と呼ばれ、 「…神秘性に偏らない合理的な指導が好評を博し、他の流派にお いては10年かかる修行が5年で完成してしまうと言われた。周作 の剣術指導法は現代剣道に大きな影響を与え、剣道家からの評価 が高い…」(ウィキペディア) とか。稽古法にも優れていたようです。 漢方の分野では、吉益東洞が近い感じがします。『類聚方』、 『薬徴』などは、漢方の型を書いたもののように思います。 私は、大学は数学科で、数学基礎論数理論理学ゼミでした。そ のため、 20数年前になりますが、 鍼灸学校進学前の会社員時代 には、エキスパートシステムの勉強などもしていました。 鍼灸学校在学中に医師の方々との漢方の勉強会で、『類聚方』、 『薬徴』を読みました。初めて『薬徴』を読んだ時に、びっくり しました。まるでエキスパートシステムの知識ベースのような書 き方の文章が並んでいたからです。 エキスパートシステムは、推論エンジンと知識ベースの2つの 組み合わせで構成されていました。推論エンジンは、色々な分野 に共通の推論をするプログラムです。知識ベースは、各分野毎の 知識を推論エンジンで取り扱いやすい形でデータベース化したも のです。 推論エンジンの方は、私が所属したゼミの恩師の廣瀬健先生等 も加わり、結構使えるものができていました。ただ、知識ベース の方は、エキスパートから聞き出した情報(経験則)を知識ベー スに作り上げるのが難しかったようです。 それで、当時は、成功したエキスパートシステムが余り出てこ ないで、ブームは終わったように思います。私達は、研究会の後 の飲み会で、「エキスパートシステムじゃなくて、エキスパート のアシスタント代わりのアシスタントシステムの段階だね」など と言っていました。 知識ベースが全て数学的に書き出せる数学の分野では、当時も マセマティカというソフトが有り、方程式や微積分が自動で解け るものが出ていました。 余談になりますが、当時のその分野の研究は、今のグーグル検 索などに生かされているそうです。また、知識やルールの量が少 なく形が明確な分野では、実用に耐えるものが出ています。 20世紀末には、人間のチェスの世界チャンピオンにコンピュー タソフトが勝ちました。将棋では、今年(2014年)、将棋のプロ棋 士5人と5つのコンピュータ将棋ソフトが対決する団体戦『第3回 将棋電王戦』で、将棋ソフトの4勝1敗でした。 早慶MARCHレベルなら合格できる大学入試ソフト(東ロボく ん)もできつつあり、2020年に東大合格レベルを目指して開発 中のようです。 話を戻しますと、そんなわけで、知識ベースを作る難しさをあ る程度は知っていたので、『薬徴』の文章に驚いたのです。江戸 時代の日本に、知識ベースみたいな文章を書く人がいたのかと。 『薬徴』は、幕末に出た尾台榕堂が『重校薬徴』に再編成し、 それが現代でも日本の漢方の基礎になっているそうです。漢方の 知識ベースとして良くできていたからのように思います。 追記:「東ロボくん」の成果についてーーーーーーーーーーーー 「東大くん」の成果に付いては、以下の文章が面白いです。AIの 現状の説明としても、AIの時代の子供の教育で大切なことは何か の解説としても、両方の意味で、納得が出来る内容でした。私も、 ほぼ同意見です。 プログラミング教育なんてやっている場合ではない (…高校までに必要な本当の学力…) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 4.見立ての型から養生(慢性期)の型 術伝流の腹診は、前にも書いたと思いますが、漢方古法派由来 と言われるものをベースにしています。 この漢方古法派由来の腹診の良い所は、「目で見て、手で触っ て、感じ取ったことから、患者さんのその時の慢性期状態を見立 てることができる」ことです。 そして、治療では、その見立てを元に、腹と相関が深い背中側 と、手足の経絡(特に足の脹脛の辺り)を使って、腹の古いツボ を改善していくことで、慢性期の養生をしています。 鍼灸という技術、現代という時代に合わせて少し工夫していま すが、少しの工夫でそれができてしまったことに、元の漢方古法 派由来の腹診の凄さを感じています。腹診による見立てから鍼灸 の手順が導きやすいのも良い点と思います。 5.先急(応急処置)の型 慢性期の腹診から鍼灸手順への流れを元に、鍼灸諸流派の手順 も参考に、患者さんの意見も取り入れ、先急(急性期)の型も作っ てみました。 この過程でも、『薬徴』の「桂枝は上衝を主治す」の一文と、 桂枝が殆どの処方に入っている基本薬であることも、大変参考に なりました。また、どこに上衝しているか言える敏感な患者さん 達の意見も大変参考になりました。 6.型を身に付けよう 筆者は、現在、紹介してきた、先急(急性期)の型と、養生 (慢性期)の型の2つで、出会う患者さん全てに対処しています。 患者さん一人一人、同じ患者さんでもその時その時の状態に合わ せる工夫はしますが、型としては同じことをしています。 「…鍼は万病一邪と心得べし。 何の病にても、我が手の内の術さえ至れば、 一愈を刺して癒ゆべし、別の法を用ゆることなし」(『鍼道発秘』) というのは、本当だなと実感しています。 術伝の講座に来ている人達を見ていて、単に知識や技術だけに 目が向いている人よりも、型への意識がある人の方が上達するよ うに思います。 型が身に付く段階にならないと、臨床家としても自立は難しい ようにも感じています。特に、初めの見立てから手順、終わりの 後始末といった部分が決め手のように思います。 そのため通し稽古ということもしています。武術の十人組手と かを参考にしたものです。各期の最後に、先急(応急処置)では 一人20分5人通し、養生(慢性期)では一人40分3人通しをして います。 応用の段階では、一人20分10人通しをします。通し稽古は、 型が身に付いたかどうかのチェックです。単に知識や技術を持っ ているだけでは、一人20分10人連続して鍼灸臨床するのは難し いからです。 それと、通し稽古自体が型を身に付ける良い練習法でもあると 思います。 4人目までドタバタまごついている感じで、患者さんの評価も 低かった人が、5人目から開眼したのか、私から見てもスムーズ になったなと感じられ、患者さんの評価も高くなった…という ようなことも起きます。 臨床家として自立するには、10人位連続して鍼灸臨床できる ことは必要と思いますし。 7.おわりに 吉益東洞の『薬徴』を見て驚いた時に、鍼灸でこういうことが できないかなと思いました。そして、操体の橋本敬三先生が東洋 的物療の自然法則を見付け操体という型にしていったことも面白 いなと思っていました。 それで、鍼灸学校3年の秋に、それまで学んできた諸流派の共 通点をまとめて「鍼術覚書」という文章を書きました(術伝 HPに、その改訂版を掲載)。いつか鍼灸の知識ベースへと発展さ せたいという願いを込めながら。術伝流の原点かなと思います。 次へ>>>術伝流一本鍼no.75 >>>目次へ・・・・・・・・・術伝流一本鍼(あ) >>>このページのトップヘ・・術伝流一本鍼no.74 >>>術伝HPトップへ ・・・・トップページ 術伝HP内検索:上の@wikiメニューの「wiki内検索」 お知らせとお願い 術伝流鍼灸操体講座で患者さん役を募集 術伝流鍼灸操体講座は、実践面を重視しています。実際に症状が出て いる方の治療を見たほうが勉強になります。そこで、講座で患者さん役 をしてくださる方を募集しています。 くわしくは、術伝流のモデルをみてください。 よろしくお願いします。 感想・間違いなど 感想などあったり、間違いなど見つけた方は、術伝事務局あてにメールをください。 よろしくお願いします。 「術伝」症例相談用メーリングリストの参加者募集 「術伝」では症例相談用メーリングリストの参加者を募集しています。 参加希望の方は、術伝事務局あてにメールをください。 よろしくお願いします。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 >>>術伝HPトップへ ・・・・トップページ
https://w.atwiki.jp/movefrom09/pages/29.html
北海道・千葉・山形・東海大学の医学部生からの意見です。 医学部教育は変わり得るか 医師になる志を抱き、医学部の門を叩いて5年。 講義といえば医学知識や研究成果について学ぶことがほとんどであり、 病院実習といえば検査や治療のプロセスに参加しない見学主体となっている。 また、教員の教育に対するインセンティブがないため、 系統的でない個人の厚意により成り立っており学ぶ内容の量質は各医師のやる気次第である。 もちろん最先端のトピックスや研究手法を学ぶことは医学の専門家となる上で意味があり 大切なことだと思うが、それが大半を占める現在の大学教育体制には疑問を感じる。 職能集団として例えば外科手技の習得のように「俺の背をみて育て」 という教育が重要となる場面はあると思うが、多感な学生期にはカリキュラムを柔軟に組むことで より多くのことを学べるのではないだろうか。 さしあたって一学生として3つの問題点を提起したい。 第1 教養教育 医師は自身の医学知識のみで患者を診るわけではなく、患者の病気のとらえ方、 社会的・経済的背景、家族との関わり方などを総合的にみていく。 また社会情勢に応じた倫理観も時にして求められる。 朝から晩まで医学漬けとなってしまう臨床教育時に政治・経済・哲学・宗教・語学など 幅広く教養を学べる柔軟なカリキュラム、発展途上国でボランティアを行ったり 国際保健に携われる機会などを通じて幅の広い人間性を養うのはどうだろうか。 第2 座学の知識偏重教育 患者は例えば「急性膵炎」という病名を掲げて消化器内科に来院するわけではないし、 典型的な症候を呈してやってくる患者の方がむしろ少ない。 それよりも例えば「腹痛」を訴えてきた患者を前にしたとき、 どういう問診や検査をしたらいいか、さしあたって苦しんでいる患者を前に 心身のサポートとして何をしたらいいかということを学ぶことが重要ではないだろうか。 もちろん知識無くして知識を活用する議論はできないから、 従来学んできた内容を軽視するものではないが、そこは自己学習できることではないか。 医学知識自体の詰め込み教育はやめて知識は自己学習とし試験で厳しく評価をすればいい。 知識を実際の臨床にどう活用させるかという体系的トレーニングをほんの少し入れるだけで 学ぶモチベーションも上がるのではないか。 第3 病院実習における受動的な教育環境 手術やカンファレンスの参加・講義などに終始し、実際に鑑別のための検査過程や 治療計画の立案に携わることは全くない。手技を経験させてもらえる機会も少なく、 見学者やお客様扱いされている感は否めない。 教育をするということが評価される環境にないので多忙な各医師を責めるものではないが、 CBTやOSCEといった評価試験を突破した学生には仮免許のような形で 診療行為を実際に経験させていただけないものだろうか。 もちろん患者の心身の不利益となることを強いることを意図するものではないが、 監督者の監視のもとで医療チームの一員として働くことで 将来の人材育成につながるのではないだろうか。 座学でも病院実習でも臨床思考のトレーニングや診察手技の実践、聞く技術・伝える技術、 患者を総合的に診るトレーニングを主体にすることが大切ではないだろうか。 医師国家試験を通過したら研修医という形ではあるものの 社会的使命を帯びた一医師として働くことを考えると、 知識や手技の面、患者さんとの関わり方、などなど不安は尽きない。 【お詫び】 書き方に悩んでしまったため非常に不遜な言い方となっている点、また多忙な各医師のご厚意で成り立っている教育に対して 一方的な言い方をしてしまった点がございます。ご容赦ください。 【要望】 (共同提出者の意見をまとめて書きました。) ベッドサイドで受けられる教育に幅を持たせて欲しい。 臨床実習の現状は手術やカンファレンス、手技の見学、患者さんから話を聞いて模擬カルテをつけるといった形だけのものであり、教員からのフィードバックをきちんと受ける体制が整っていない。 そこで、臨床実習では学べないと見切りをつけ実習を早く切り上げて国家試験の勉強にはげむ学生も増えている。 メディカルスクールという性質の違いはあるが、米国の医学生は学校卒業時点で日本の初期研修医ができる行為はできるようになっているという話を聞く機会が増えてきた。 このことも日本の医学生が現在モチベーションが上げられない理由の一つとして挙がる。 アメリカでの臨床実習は、ただそこにいるだけの日本の実習とは異なり、ラウンドやカンファレンスが学生との質疑応答の多い教育的なものであるという話を聞く。 すると、学生はどうしても心が焦ってしまい、実際に何も実践できない実習は軽視し、自主勉強に走ってしまうことになる。 4年間医学を学んできた医学生であるにも関わらず、患者さんに侵襲のない行為をする以外に、医師としての仕事をできない現状。 学ぶことに主眼をおけなくなる卒後ではなく、「学ぶ」ということに最大限の時間を割くことが出来る卒前に 現在の初期研修医が行う行為を行えるようにして教育の機会を増やしてもらいたい。 具体的には、先生が取った問診、身体診察を改めて取り直すだけの現状から「カルテ記載」「検査オーダー」「採血やルート確保」と責任がある行為も行いたいこと、各先生の自由にゆだねるのではなく経験すべきことを数で規定(例えば監督下、自分で取るエコー検査を○人のように)し、経験していない学生は進級させないなどの処置をすること、などが希望としてある。 教員・生徒に双方に対し、しっかりとした評価システムを整備する。 良い教育は評価され、悪い教育は淘汰されるようにフィードバックシステムを構築してほしい。 受動的な教育環境ではなく、少人数で討論できるような主体的に学べる教育環境を作って欲しい。 教養や社会のことを学ぶことができるように学生に時間のゆとりを持たせて欲しい。 【提案】学生同士の学び会いをカリキュラムの一部に →実際に自身が4年生時に経験しました(3年生2人、4年生3人、5年生3人、大学院生1人)。 症例問題を考えていく形式で個々が担当を持ちながら毎週各自1症例に関する問答、 解説をしていきました。お互いが教える側となったときには、説明上の不備が起こらないよう 病態生理に基づいた理由の追究を行ったり、鑑別の仕方を考えたりすることができ、 上の学年からそれに対するフィードバックを受けることで思考のトレーニングができました。 (調べても解決できなかった問題点はお世話になっていた講座の教授よりご指導いただきました) 例「5年生のボランティアを募り、4年生5人グループに対して1人の5年生を当てる。 (以下4年生1人が3年生5人、などと順々にまわしていく) 「循環器」ならば循環器範囲の、「生化学」ならば生化学範囲の、知識と 臨床を結びつけられるような症例を用いながら行う。 総責任者として教官が1人相談にのれる体制(その場にいなくても)を作っておき、 上の学年が解決できなかった内容については質問して解決できるようにする。 個々のグループの学んだ内容や質疑応答の内容は、プリントとして配布するような形で グループ毎もフィードバックしあえるようにする。 鑑別診断や問診・検査をどういう順番で行っていくか、 病態生理的背景はどうなっているのかを中心の症例学習とする。 実際に臨床実習をまわっている学年だからこそ、 患者さんからの視点や診察手技などのアドバイスもいれられるとなおよい。 教えるということは最大の教育となると思います。 近い学年だからこそ悩みや疑問を共有しやすいと思います。 ボランティアの教育的インセンティブとしてアンケートなどで ベストチューター賞などを用意するのも面白いかもしれません。 現教官の負担や大学の金銭的負担(チューター室に相当する部屋がない場合には 必要になるかもしれませんが、自習室や図書室のグループ学習室などを利用する形にしても いいかもしれません)を極力上げることなく、学生自身にとっても勉強になると思います。 現状15コマの授業の1コマだけでもこういった形の自主学習にあてることはできないものでしょうか。
https://w.atwiki.jp/info_fukushima/pages/68.html
食べる:食品の放射線検査の実際 福島県産米の予備調査、本調査についての電話で調べたこと(メモ) 福島県 水田畑作課のT氏(名前はここでは伏せる)に質問し、説明した内容。 聞き取りであるので、聞き間違いがあるかもしれません。詳細については要確認。 予備調査、本調査の検出下限値について 予備調査、本調査の検出下限値は5から10Bq/kg ※5 or 10ではない。 厚労省の原子力災害対策基本法(要確認)の基準「ゲルマニウム半導体検査機器で2000秒」を用いた。 関連メモ:福島コメの緊急調査についてのメモ ※以下参考: 緊急時における食品の放射能測定マニュアル 厚生労働省医薬局食品保健部監視安全課http //www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r9852000001558e-img/2r98520000015cfn.pdf 「ゲルマニウム検出器による放射能の測定」 http //katukawa.com/?p=4778 食品の放射能測定で、一般的に利用されるのがゲルマニウム検出器。 ゲルマニウム検出器は、時間をかけて、正確な数字を出すのに適した機材であり、少ないサンプルを、抜き取り検査をすることになる。 定量限界が50Bq/kgで10分。一桁で数字を出そうと思うと、数時間もの検査が必要。高価なゲルマニウム検出器を所有している機関は限られている。 測定精度が高く、核種の判別が可能。ベクレル換算の精度が高い。 1) 検査時間がかかる(10分~数時間) 2) 費用の問題(1500~2000万円+設置費用+液体窒素などの運用コスト) 3) ミキサーで均一化する必要がある(準備の手間暇が必要、抜き取り調査はできても、スクリーニングはできない) 4) 検体の量が2kg程度必要
https://w.atwiki.jp/jutsuden/pages/167.html
累積: - ___ 昨日: - ___今日: - 鍼灸を独習 1.はじめに自分の不調や軽い病気は、鍼灸独習のチャンス 軽い症状を改善できると信頼されやすい 達人の先生の症例を参考にしよう 2.具体的な独習法 3.「術伝流一本鍼」体得編も参考に お知らせとお願い術伝流鍼灸操体講座で患者さん役を募集 1.はじめに 自分の不調や軽い病気は、鍼灸独習のチャンス 自分が不調になったり、軽い病気になったときに、自分 の体を調べて、出ているツボを見付け、そのツボに鍼灸し てみましょう! 不調や軽い病気の時は、鍼灸の独習のチャンスです! 自分の体の中の動きが分からないと、他人の体の中の動 きは分かりません。 自分の軽い病気が改善できなければ、他人の病気は改善 できません。 自分の体で何度も試したら、周りの人にも鍼灸させても らいましょう!同じ症状を数回改善できたら、周りの人の 同じ症状は改善できることが多いです。 軽い症状を改善できると信頼されやすい 患者さんやご家族の軽い症状や辛さを、その場で改善で きると信用されやすいです。 重い慢性症状(ガンや不妊など)を半年かけて改善でき たとして、その間の患者さんやご家族の、腰痛、肩こり、 カゼ、頭痛などが改善できないと、時間が経ったので自然 に改善したのでは?と、周りから助言される可能性も有り 得るということ。 達人の先生の症例を参考にしよう 症例が沢山載っている達人の先生の本を読んで、参考に しよう! 例えば、 『経穴活用宝典』 深谷伊三郎著 鍼灸の世界社 『取穴法の全て』 深谷伊三郎著 鍼灸の世界社 (「奇穴・無名穴・変動穴の活用」掲載 指のツボなどに詳しい) 『漢方養生談』 荒木正胤著 大法輪閣 『特効針灸治療法』 福島聡著 壮神社 『東洋医学見聞録』 西田皓一著 医道の日本 『図説東洋医学 鍼灸治療編』学研 『針灸治療の実際』代田文誌著 創元社(治験例を主とした) 他のは、参考文献を見てください。 2.具体的な独習法 1.鍼灸を独習no.1 指を反らしたり押したりして、ツボ探し 2.鍼灸を独習no.2 手甲にパイオネックス 3.鍼灸を独習no.3 足の爪の上で間接灸 腹痛、生理痛などの慢性期の養生に、足拇指爪上 4.鍼灸を独習no.4 手の指にマグレイン カゼ(発熱)にも>>>カゼかな?1日目 カゼかな?2日目 5.鍼灸を独習no.5 片手刺し 利き手でない方の手などに刺鍼可能 利き手でない方の手でできれば、利き手の治療も可能 6.鍼灸を独習no.6 足の甲に灸点紙で灸 水虫、内臓系の色々な慢性症状に 7.鍼灸を独習no.7 手足甲のツボで運動鍼>>>術伝流一本鍼no.3 → 術伝流一本鍼no.63 術伝流一本鍼no.64 手は、片手刺しをして運動鍼。八邪でも可 >>>前腕の重だるいシビれ 運動しなくて患部の刺鍼と組み合わせても良い)} >>>むずむず足、膝の痛み 8.鍼灸を独習no.8 手足指のツボに糸状灸:指の痛み、顔の症状、慢性期の養生 → 術伝流一本鍼no.65 術伝流一本鍼no.66 指の痛み>>>術伝流一本鍼no.14、no.15 顔の症状(炎症など)>>>目が痛い、小鼻の腫れ 慢性期の養生 足指のツボ(全身の経絡変動調整) 9.鍼灸を独習no.9 引き鍼のコツ、痛くない刺鍼のための練習 → 術伝流一本鍼no.67 (私は、銀の霞鍼〜30番まで刺せるようになりました) 10.鍼灸を独習no.10 『経穴活用法典』に各流派の症状別特効穴を書込 → 術伝流一本鍼no.68 11.鍼灸を独習no.11 各流派の共通点を見付けていく → 自然則と型 3.「術伝流一本鍼」体得編も参考に より詳しい内容は、「術伝流一本鍼」体得編を参考にし てください。 「術伝流一本鍼」体得編…鍼灸技術を身に付けるコツ (講座に来られない人にも参考になるかも) 術伝流一本鍼no.61 体得(1)礼と姿勢 術伝流一本鍼no.62 体得(2)鍼灸で自己養生、「指を細く使え」 術伝流一本鍼no.63 体得(3)肩こりに片手刺しで操体鍼 術伝流一本鍼no.64 体得(4)腰痛などに手足甲に刺鍼して操体鍼 術伝流一本鍼no.65 体得(5)手指への灸:顔面部の炎症、カゼの初期 術伝流一本鍼no.66 体得(6)足指への灸:腹痛、生理痛、爪水虫、全身バランスの調整 術伝流一本鍼no.67 体得(7)引き鍼のコツ、痛くない刺鍼のための練習 術伝流一本鍼no.68 体得(8)症例を読み、ツボを分類する 術伝流一本鍼no.69 体得(9)周りの人に鍼灸してみよう 術伝流一本鍼no.70 体得(10)自分が悪化したら 術伝流一本鍼no.71 体得(11)漢方の勉強もしてみよう 術伝流一本鍼no.72 体得(12)治療中の変化に合わせる勘をみがく 術伝流一本鍼no.73 体得(13)呼吸の深さを読む 術伝流一本鍼no.74 体得(14)型を持つ 術伝流一本鍼no.75 体得(15)「見立ての型」と自然法則 術伝流一本鍼no.76 体得(16)「見立ての型」から手順へ 術伝流一本鍼no.77 体得(17)1回の刺鍼中に起こる兆しと合わせ方 術伝流一本鍼no.78 体得(18)真気を呼んで巡らすための鍼の動かし方 術伝流一本鍼no.79 体得(19)邪気や真気の気配を感じる 術伝流一本鍼no.80 体得(20)小さな工夫の積み重ねを楽しめるか 術伝流一本鍼no.81 体得(21)体という自然との対話を楽しめるか >>>このページのトップヘ・・鍼灸を独習 >>>術伝HPトップへ ・・・・トップページ 術伝HP内検索:上の@wikiメニューの「wiki内検索」 お知らせとお願い 術伝流鍼灸操体講座で患者さん役を募集 術伝流鍼灸操体講座は、実践面を重視しています。実際に症状が出て いる方の治療を見たほうが勉強になります。そこで、講座で患者さん役 をしてくださる方を募集しています。 くわしくは、術伝流のモデルをみてください。 よろしくお願いします。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 >>>術伝HPトップへ ・・・・トップページ
https://w.atwiki.jp/jutsuden/pages/308.html
累積: - ___ 昨日: - ___今日: - 術伝流一本鍼no.81 (術伝流・体得篇(21)) 体という自然との対話を楽しめるか 1.はじめに 2.知之者不如好之者、 好之者不如楽之者 3.鍼灸の本質は、体という自然との対話 4.鍼灸で体との対話を楽しむ 5.「指に任せよ」との関係 6.おわりに お知らせとお願い術伝流鍼灸操体講座で患者さん役を募集 感想・間違いなど 「術伝」症例相談用メーリングリストの参加者募集 1.はじめに 先回は、鍼灸を身に付けていくコツとして「小さな工夫の積み 重ねを楽しめるか」どうかが大切と書きました。そして、「努力 可能な段階にまで課題を小さくすることができるか」ということ も大切とも書きました。 そういうことに夢中になれる人の方が上達しやすいと思います。 今回は、そもそも、体のような自然のものの要望を読み、対応 していく、その対応に対する反応を読み、また、対応していく、 そういうことを楽しめるかということを書いていきます。 2.知之者不如好之者、 好之者不如楽之者 論語に「知之者不如好之者、好之者不如楽之者」とあります。 気功太極拳の師である楊名時先生に付いた時に初めに「稽古を 楽しみなさい」と言われました。そして、しばらくして稽古の前 の話で「私は、道家に近く、儒家ではないが、論語の、この言葉 は良いと思う」という前置きの後で、紹介されました。 和訓は、 「之を知る者は、之を好む者に如かず。 之を好む者は、之を楽しむ者に如かず」。 「知る者は、好む者には及ばない。好む者は楽しむものには及 ばない」ということですね。「及ばない」は「敵わない」でも良 いですね。 鍼灸の体得にも、この言葉は当てはまるように思います。 3.鍼灸の本質は、体という自然との対話 体得篇で繰り返し書いてきたように、「鍼灸の本質は、体とい う自然との対話」です。鍼灸だけでなく、操体、按摩、指圧など 東洋的物理療法による臨床は、体という自然との対話だと思いま す。 四診し、体という自然がその時に要望していることを読み、見 立て、治療方針を決め、治療中も刻一刻と変化する体の要望に合 わせて、リアルタイムに対応し(即時即応)、仕上げていく。そ ういう「体という自然との対話」が、鍼灸臨床の本質と思います。 4.鍼灸で体との対話を楽しむ 2.と3.を合わせると、鍼灸の臨床は、「鍼灸という手段を 使って、体という自然との対話を楽しむ」、短く書けば、「鍼灸 で体との対話を楽しむ」ことが一番の目標です。 鍼灸に関する知識、体という自然に関する知識を知っているだ けの人は、鍼灸術が好きで、体との対話が好きな人には及ばない (敵わない)。 鍼灸術が好きで、体との対話が好きなだけの人は、鍼灸術で体 との対話を楽しんでいる人には、及ばない(敵わない)。 そういうことだと思います。 5.「指に任せよ」との関係 杉山和一検校の作とされる和歌に、以下のものがあるそうです ね。 「鍼刺すに 心で刺すな 手で引くな 引くも引かぬも 指に任せよ」 今回紹介した論語の言葉との対応を考えると、以下に成るよう に思います。 心で刺す レベル:知っている 手で引く レベル:好き 指に任せるレベル:楽しむ 皆さんは、どう思われますか? 6.おわりに そういうわけで、鍼灸を体得していく目標は、「鍼灸で体との 対話を楽しむ」ことができるようなレベルを目指していくという ことだと思います。 それには、先回書いたような、「小さな工夫の積み重ねを楽し めるか」、そして、そういう「工夫を積み重ねることに夢中にな れるか」ということも大切になってくると思います。 そういう、「鍼灸で体との対話を楽しむ」工夫、極々小さなも のでも良いから、そういうものを伝え残していきたいと思って、 この連載をしてきました。 皆さんも何か面白い工夫を見付けたら紹介してください。互い に工夫を伝え合って、「鍼灸で体との対話を楽しむ」レベルを目 指していきましょう。そういうレベルの人を増やしていきましょ う。 そして、日本や世界に、和方鍼灸の良さを伝え残していきましょ う。 次へ>>>術伝流一本鍼no.82 >>>目次へ・・・・・・・・・術伝流一本鍼(あ) >>>このページのトップヘ・・術伝流一本鍼no.81 >>>術伝HPトップへ ・・・・トップページ 術伝HP内検索:上の@wikiメニューの「wiki内検索」 お知らせとお願い 術伝流鍼灸操体講座で患者さん役を募集 術伝流鍼灸操体講座は、実践面を重視しています。実際に症状が出て いる方の治療を見たほうが勉強になります。そこで、講座で患者さん役 をしてくださる方を募集しています。 くわしくは、術伝流のモデルをみてください。 よろしくお願いします。 感想・間違いなど 感想などあったり、間違いなど見つけた方は、術伝事務局あてにメールをください。 よろしくお願いします。 「術伝」症例相談用メーリングリストの参加者募集 「術伝」では症例相談用メーリングリストの参加者を募集しています。 参加希望の方は、術伝事務局あてにメールをください。 よろしくお願いします。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 >>>術伝HPトップへ ・・・・トップページ
https://w.atwiki.jp/acupuncturedoctor/pages/15.html
鍼灸師は医者である。鍼灸師は医者でないというのは誤りである。 よく勘違いしている者がいるが、医者と医師は異なる。 もしこれらが全く同じ意味の単語なら、ふたつ別々の単語がある必要がそもそもなかろう。 医者は医師や鍼灸師を含めた上位概念である。 医師は鍼灸師と同じ階層の言葉である。 医師は医師免許という国家資格を持った者である。 鍼灸師は鍼灸師免許という国家資格を持った者である。鍼灸医ともいう。 どちらも国家資格を有する医者である。 医師は鍼灸師ではなく、鍼灸師は医師でない。それだけの話だ。 英語では鍼灸師をacupuncturistやacupuncture doctorという。doctorとあるので医者である。 韓国や中国でも鍼灸師は医者の扱いである。 文明後進国の日本でだけ異様に鍼灸師の扱いが低い。 鍼灸師が医者であるという明確な根拠は、鍼灸治療に健康保険が適応される点である。 また、鍼灸師による治療は療養費だが、街角のリラクゼーションと違って医療費として計上できる。 この点も鍼灸師が医者であることの傍証である。 さて、鍼灸師は医者であるが、こんな当たり前のことが正しく認知されていないのは、医師の特権意識が原因である。 医師は自分たちが持っている特権階級を絶対に手放したくないのだ。 医師が「俺様は医者だ!」と威張っているためには、自分たちだけが「医者」であるほうが好都合だ。色んな人に医者になられたら、希少価値が減ってしまう。 別の記事でも述べるが、日本では強大な力を持った医師会が既得権益を離すまいと必死になっていて、鍼灸師は常に医師会に虐げられている。 そういうこともあって、日本では医師が「医者は医師だけだ」と嘯いて、自分たちの特権階級を作って、それにしがみつこうとしているのである。
https://w.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/1426.html
様相と概要の異同の実際(続) 迫手門学院大手前中・高等学校 紀要第五号 1986年3月30日 『渡嘉敷島における戦争の様相』と 『慶良間列島渡嘉敷島の戦闘概要』の異同 伊敷 清太郎 段落ごとに『様相』を黒字で、その下に『概要』を青字で記しました。 ( )付き小見出しは原論文にはなく、転載者が付けたものです。 伊敷論文「はじめに」に戻る 様相と概要の異同の実際へまえがき (軍部隊の進駐) (10・10空襲以降) (3・23~26米軍襲来、出撃か?) (3・27~玉砕場) 様相と概要の異同の実際(続)(3・31~食糧難と残虐行為) (5月・刳舟脱出行) (米軍再上陸と住民処刑) (住民離脱と処刑、降伏) 注 (3・31~食糧難と残虐行為) 【様相】同三十一日米軍は赤松隊の兵力を見くぴったか夜半島を徹ママ退した。空襲も止み生き延びた住民は張りつめた気力を失ひ五日間の空腹に夢遊病の如くさまよい歩む足どりもふらヽヽと浮いていた。死場所を失った住民は迷い歩いた揚句僅かな食糧を残して置いたもとの避難地恩納河原へ集った。 【概要】昭和二十年三月三十一日米軍は赤松隊の無低ママ抗を見くぴったか夜半島を徹ママ退した 砲弾の音も止み生きた自らをうたがひ 張りつめた気力を失い五日間の空腹を夢遊病の如くさまよい乍ら死場所を失った住民は迷い歩いた揚句 僅少な食糧を残して置いたもとの避難地恩納川方面へと移動した、 【様相】赤松隊も持久態勢に入り食糧確保に奔走した。 間もなく赤松隊長からの命令が伝達された。我々軍隊は島に残って凡ゆる食糧を確保し持久態勢を整へ上陸軍と一戦を交えねぱならぬ、事態はこの島に住むすべての人間に死を要求していると主張し住民に家畜屠殺禁止の隊長命令が出され違反者は銃殺といふ厳しい示達である。直ちに住民監視の前哨線が設けられ多里少尉がその任についた。 【概要】赤松隊も持久態勢に入る為に食糧確保に奔走した 間もなく赤松隊長から命令が伝達された 「(※23)我々軍隊は島に残ったすべての食糧を確保し持久戦の準備を整へ上陸軍と一戦を交えねぱならない事態はこの島に住む人々に死を要求していると主張し」住民に家畜屠殺禁止の命が出され違反者は銃殺といふ厳しい示達である 直ちに住民監視の前哨戦が設けられ多里少尉がその任務についた。 【様相】住民の座間味盛和にスパイの嫌疑をかけ、無実の罪におとし入れ斬り殺したのも多里少尉である。 亦家族の全部を失って山をさまよい歩く古波蔵樽を之敵に通ずる恐れありと高橋伍長の軍刀にかける等住民に対する残虐行為がはじまった。 【概要】住民の座間味盛和にスパイ嫌疑を問い無実の罪に陥れて斬り殺したのも多里少尉である その他家族全員を失ひ山をさまよい歩く古波蔵樽を捉え敵に通ずるおそれありと高橋伍長の軍刀にかける等住民に対する残虐行為が始まった、 【様相】海峡には敵飛行艇百五十隻が常駐、駆逐艦十数隻、小型空母等が周辺に停泊していた。その他艦船を含む船舶の数は三〇〇隻を下ったことはない。 時々友軍特攻隊の攻撃もあったが敵対空砲火には抗し難く火を吐き海中に落下する尊い姿も見られた。 【概要】慶良間海峡には常に敵輸送艦や駆逐艦、小型空母等が停泊しその散およそ(※24)三〇〇隻を下ったことはない。 時々友軍特攻隊の攻撃もあったが 敵の対空砲火には坑し難く火を吐き海中に落下する尊い姿も見受けられた。 【様相】同 四月下旬頃から軍民共に飢饉にひんし、蘇鉄の切干に野草を混じた代用食で露命をつないだ。 元気の者は監視の眼を逃れて島の各所から蘇鉄を集めた。生き残った防衛隊員は軍の命により防衛隊長屋比久孟祥の指揮で軍の食糧獲得に努力した。 【概要】昭和二十年四月下旬頃から軍民共に飢饉にひんし 蘇鉄の切干に野草を混じた代用食で露命をつなぐ状況となった。 元気の者は監視の眼を逃れて蘇鉄を集めた 生き残った防衛隊員は命令によって防衛隊長屋比久孟祥氏の指揮で軍の食糧獲保に努力した。 (5月・刳舟脱出行) 【様相】同五月初旬軍は遂に住民の保有している僅かな非常食糧の供出を強要し朝鮮人軍夫をして食糧を徴集せしめた。住民は急激に老、幼男女の栄養失調が続出し生き延ぴて無甲斐さを感ずる者もあった。気力ある者は夜間海岸に出で、米艦船から捨てられた肉切れや、果物の標流物を探し求めて食糧の足しにした。座間味島を逃れて赤松大尉と行動を共にした三宅少佐は危険の多いこの島を脱出し沖縄本島へ抜け出すことを考へ絶えず機会をねらっていた。防衛隊員の中から刳舟に経験のある者の調査が行われた。この時の白羽の矢が防衛隊員小嶺賀牛、玉城定夫の両名に当った。本人達は希望する所でなかったが軍命であれぱ致し方なく決死行の意を固めた。 刳船は三宅少佐外三名の軍人を乗せ漕手の糸満漁夫二名と共に渡嘉敦港を出発した。 静かな海峡を敵艦艇の監視綱をくぐり、四哩の海路を見事前島部落へ辿りついた。 【概要】昭和二十年五月初の軍は遂に住民の保有する僅かな非常食糧の供出を強要し朝鮮人軍夫をして食糧徴収が行われた。 住民は急激に老、幼男女の栄養失調が続出し生き延ぴてゐることの不甲斐さを嘆くものもあった。 気力ある者は夜間海岸に出て米艦船から捨てられた肉切れや果物等の標流物を求めて食糧の足しにした。 座間味島を逃れて赤松隊と行動を共にした三宅少佐は危険の多いこの島を脱出し沖縄本島へ渡る機会を絶えずねらっていたのであろう 防衛隊員の中から刳舟に経験のある者の調査が行われた、 この時の白羽の矢が隊員小嶺賀牛玉城定夫の両名に当った. 本人達は希望するところか軍命であれぱ致し方なく決死行の意固めた。 刳船は三宅少佐外三名の軍人を乗せ漕手に糸満漁夫二名を補強し渡嘉敷港を出発した 静かな海峡を敵艦艇の監視綱をくぐり四哩の海路を無事前島部落へ辿り着いた. 【様相】前島北方海岸に刳舟をかくし上陸して見ると住民の姿は見受けられない。その夜も沖縄本島への砲撃は寸時も止まぬ照明弾の合間に砲声は十六哩の海をこえて耳をつんざく有様である。夜は明けて昼の沖縄本島を望めぱ無事目的を達することは到底望めない。然し少佐は万難を排して決行せよとのことである。宵暗と共に前島を出発したが掃海艇の讐戒厳しく二回、三回と失敗を操り返し命からヾヽ引返した。鈴木少佐は舟長小嶺賀牛を呼ぴ出し言葉厳しくなじった。小嶺は慎重を期せねぱ目的達成はおぼつかないと答へると少佐は激昂し軍刀を握って睨んでいる。切るなら切れと前に迫ると少佐は何を考えてか平静に返った。今こヽで切っては勿論目的達成が出来ないことを知ったのであらう。漕き手は疲れ切って精一杯だった。遂に最後の決死行に意を決し再ぴ前島を後にした。輻輳する艦船の横腹を手操りつヽスクリューの波に巻込まれながら遂に神山島北方へ出た。暗夜に乗じて那覇へ向けたが掃海厳しく接岸不能である。合議の上、舟首を糸満港へ向けた。東天は既に夜明けを知らせつヽあり島伝ひに力漕し糸満港は目前に迫った。夜明けにあせりながら必死に力漕し遂に糸満港についた。一人の負傷者もいない全員無事を喜びながら疲れも忘れて真玉橋の部隊本部へと急いだ。 【概要】前島北方海岸に刳舟をかくし 島に上陸して見ると住民の姿は全く見受けられない. その夜も沖縄本島への砲撃は寸時も止まず 照明弾の合間を伝って砲声は十六哩の海をこえて耳をつんざく有様である 一夜明けて昼の沖縄本島を望めぱ無事目的を達成することは到底望むべくもない。 然し少佐は万難を排して決行せよとの事である 宵闇と共に前島を出発したのであるが掃海艇の讐戒厳しく二、三回失敗を操り返し命からヾヽ引返した.三宅少佐は艇長小嶺賀牛を呼ぴ出し言葉厳しくなじった. 小嶺は慎重を期せねぱ 目的達成はおぼつかないと答へると少佐は激昂し軍刀を握ってにらんでいた。 切るなら切れと前に迫ると少佐は何を考へたか平静に返った。 今こヽで切っては目的が達成出来ないことを知ったのてあらう、 漕手は疲れ切って精一杯だった.遂に最後の決死行である. 再ぴ前島を後にした. 輻輳する艦船の横腹を手探りつスクリウの波にまき込れながら遂に神山島北方へ出た。 暗夜に乗じて那覇へ向かったが掃海厳しく接岸不能である、 全員合議の上 舟首を糸満港へ向けた 東天はすでに夜明けを知らせつヽあるので島伝いに必死の力漕を続け遂に糸満港に着くことができた まさに天佑である全員無事を喜び合いながら疲れを忘れて真玉橋の方面隊本部へと急いだ (米軍再上陸と住民処刑) 同五月初旬米軍は再び渡嘉敷を占領した。赤松隊へ備へて各高地に砲陣地が構築された。間もなく伊江島住民が渡嘉敷部落へ移動され、米軍の保護下で収容された。赤松隊は極度に食糧欠乏し若い下士官や将校は夜間切り込みと称して米軍食料集積所を襲ひ食料、煙草等を確保する様になった。そのために米軍は各要所に地雷を施設した。鈴木、小松原両少尉はその犠牲となった。 伊江島住民は米軍の保護を受けつヽ渡嘉敷部落の焼け残った家屋で生活していた。 【概要】昭和二十年五月初旬米軍は再度渡嘉敷に上陸した。 赤松隊の急襲に備へるため各高地には砲陣地が構築された. 間もなく伊江島住民が渡嘉敷部落へ移動せしめられ米軍の保護の下に収容されていた 赤松隊は極度の食糧欠乏が目立ってきた。 若い下士官や将校は夜間切り込みと称して米軍の食糧集積所を襲い食料や煙草等を確保する様になった.その為に米軍は各要所ヽヽに地雷施設をし友軍の侵入に備えた。鈴木、小松原両少尉はその犠牲となった 伊江島住民は米軍の保護を受け乍ら渡嘉敷部落の焼け残った家屋で生活している。 【様相】米軍の要求により伊江島住民から選ぱれた若き青年男女六名が赤松隊へ派遣された。それは戦争が既に日本の不利であり降伏することが最も賢明な策であることを伝へるためであったが赤松隊長は頑固として聞き入れず六名の者を斬殺した。亦集団自決に重傷を負ひ米軍に収容された十六才の少年小嶺武則金城幸二郎の両名は米軍の治療を受け、やうやく依復したので米軍の指示に従い、渡嘉敷住民への連絡のため避難地へ遺けられた。目的は住民へ早く下山する様伝へるためであったが途中赤松隊の将士は二人を捕へ米軍に通じた理由のもとに之は処刑した。 【概要】まもなく米軍からの要求で伊江島住民から選ぱれた若き青年男女六名が赤松隊へ派遣された。 戦争がすでに日本に不利であり降伏することが最も賢明な策であることを伝へる為の軍使であるが 赤松隊長は頑固として聞き入れず六名の青年男女を斬殺したのである。 また集団自決場で重傷を負い米軍に収容され(※25)座間味の米軍病院で治療を受けやうやく快復し米軍の使者として渡嘉敷住民へ連絡のために住民避難地へ派遣された十六才の少年小嶺武則金城幸次郎の両人は不幸にも途中赤松隊将兵二人に捕えられ米軍に通じた理由の下に直ちに処刑された。 【様相】渡嘉敷小学校訓導大城徳安氏は敵に通ずるおそれありと斬首された。かくして住民は日々欠乏する食糧と赤松隊の恐喝に益々くたぱるのみであった。食ふに糧なく下山に方途なく栄養失調は続出する有様である。 飢餓と戦ひつヽ六月、七月のニケ月を過し八月を迎へたが食糧は欠乏の極に達し住民は死の寸前にさらされた。 【概要】渡嘉敷小学校訓導大城徳安氏が敵に通ずるおそれありと斬首される等 住民は日々欠乏する食糧難と赤松隊の恐喝に益々くたぱり食ふに糧なく下山するにもその方途なく栄養失調が続出するのみ 飢餓と戦いつヽ六月、七月とニケ月を過し八月を迎えたが食糧はますヽヽ欠乏の極に達し今日まで生き長らへた住民は死の寸前に晒され玉砕した同僚を羨む者さへあった、 (住民離脱と処刑、降伏) 【様相】同八月十二日、午前自決場で妻を失ひ幼児二人を抱へた郵便局長徳平秀雄氏は長女を背負い、長男の手を引き住民十五名と共に食を求めて山谷を移動中、米軍の潜伏斥侯四十数名に包囲され拉致された。これが住民下山の第一歩となった。 【概要】昭和二十年八月十二日午前 自決場で妻を失い幼児二人を抱へた郵便局長徳平秀雄氏は長女を背負い 長男の手を引き住民十五名と共に食を求めて山野を移動中 米軍の潜伏斥侯数名に包囲され拉致された これが住民下山の第一歩となった. 【様相】同八月十五日米軍機から赤松隊陣地ヘビラが撒かれた。ボツダム宣言の要旨が述べられ降伏は矢つき刀折れたる者のとるべき賢明な途だと勧告してあった。住民は集団投降の意を固め代表者を選んで村長古波蔵惟好氏と相談した。村長も民意の趣むく所止むなくこれを許し住民は八月十五日迄に殆んど下山した。 【概要】昭和二十年八月十五日米軍機から赤松隊陣地ヘビラが撒布された。 ボツダム宣言の要旨が記され降伏は矢尽き刀折れたる者のとるべき賢明な途であることを勧告(※26)してあった. 住民は集団投降の意を決し代表者をして村長古波蔵惟好氏と相談した.村長も民意に随ふことを許しぞくヾヽ白旗を掲げて下山した 【様相】同八月十六日防衛隊員と残った一部住民が下山したが赤松隊は依然として投降せず米軍の指示により渡嘉敷住民の中から軍使として出すことになり、新垣重吉、古波蔵利惟、与那嶺徳、大城牛の四名が選ぱれた。軍使としての任は勿論赤松隊への投降勧告であるが一旦見付かれぱ死を覚悟せねぱならない。新垣、古波蔵は軍隊生活の経験あるため、勧告文を木の枝に縛り付け密に任を果した。与那嶺、大城の両名は要領得ずして、赤松隊に捕へられ即座に切り捨てられた。 【概要】八月十六日防衛隊員と共に残った住民の一部が下山したが赤松隊は依然として投降せず 米軍指示により渡嘉敷住民の中から軍使として出すことになり 新垣重吉、古波蔵利雄、与那嶺徳、大城牛の四名が選ぱれた その任務は赤松隊への投降勧告であるが一旦見付けられると死を覚悟しなければならない 新垣、古波蔵はよく状況察知し軍隊生活の経験ある為(※27)歓告文を木の枝に縛り付け密に任を果して帰ったが与那嶺、大城の両氏は要領得ずして赤松隊に捕らわれ即座に切り捨てられた、 【様相】同八月十八日赤松隊知念副官が軍使として米軍に投降の交渉に当った。 【概要】昭和二十年八月十八日赤松隊知念副官が軍使として投降の交渉に当った、 【様相】同八月十九日赤松隊長、知念副官、外将校一名が米軍本部へ到着、渡嘉敷小学校々庭に於て武装を解除され、降伏文に調印した。次いで西村大尉の率いた赤松隊将兵は戦死した戦友の遺骨を先頭に二十二日渡嘉敷校々庭に集合し武装を解除され間もなく沖縄本島へと出発した。 【概要】昭和二十年八月十九日赤松隊長知念副官外将校一名が米軍本部へ到着渡嘉敷小学校々庭において武装を解除され降伏文書に調印した、 次いで西村大尉の率いる赤松隊将兵が戦友の遺骨を先頭に 八月二十二日渡嘉敷小学校々庭に集合武装を解除され直ちに沖縄本島へ連れ去られた 【様相】総べての力を結集し、あらゆる食糧を確保し持久態勢を整へ米軍と一戦を交へ、皇国のために全員玉砕渡嘉敷島に屍を曝すと剛語した赤松隊も米軍の鉄量には抗すべくもなく牧牛の如く連れ去られたかと思ふと一掬の涙を催すものがあった。 斯くして本島作戦と切り離されていた島の戦線は独得の様相と経路を辿りつヽ沖縄本島の降伏に遅れること一ケ月昭和二十年八月二十三日その幕を閉じた。 【概要】あらゆる力を結集し持久態勢を整へ米軍と一戦を交へ皇国の為全員玉砕渡嘉敷島に屍をさらすと剛語した赤松隊も米軍の鉄量には(※28)坑すべきすべもなく牧牛の如く連れ去られたこと思ふ時一掬の涙をさそうものがあった. 斯様に沖縄本島と切り離された島の戦線は独特の様相と経路を辿りつヽ沖縄本島降伏に遅れること一ケ月昭和二十年八月二十三日その幕を閉じたのである 【様相】最後に特筆すべきは三月二十七日渡嘉志久道路上で米軍と遭遇し激戦の後、伊芸山山頂で護国の花と散った佐藤小隊の一事である。(完) 【概要】尚最後に特筆すべきは三月二十七日渡嘉志久路上で米軍と遭遇し激戦の末、伊芸山の山頂に護国の華と散った佐藤小隊の一こまである (完) 注 1(役)『概要』「あるかを」の「か」の上に、ベンで「こと」と直してある。 2(役)『概要』「いた」の「た」の上に、ペンで「る」と直してある。 3 (山)『概要』には、「驚いたことは」とある。(役)『概要』は「驚いたことには、」という具合に、「に」と「、」が加えられている。 4(役)『概要』では、「を」をペンで消して、「が」に直してある。 た 5(役)『概要』では、「見られたかと恩ふと」というように、「た」がペンで傍書されている。 6(役)『概要』では「底」をペンで消し、「低」に直してある。 7 『概要』は「左」文字を「在」に書き誤り、右方に「左」と訂正。 8(役)『概要』では「充」を消し、「当」に直してある。 9(役)『概要』では点をほどこしているが、後人が「か」と読みとったからであろう。 10『概要』は、「一部」の次に「を残」と書き誤り、==で消してある。 11(役)『概要』では、「じ」となっている。 12(役)『概要』には「できないものがある」というふうに、「い」文字がペンで書き加えられている。 13『概要』では「六」と書き誤っており、ペンで「五」に書き直してある。 14(役)『概要』では、「待った」の「た」をペンで「て」に直してある。 15 9に同じ。 16(役)『概要』では、「〓」の「廾」をペンで消してある。「獄」の謂であろう。 17『概要』では「友軍陣陣地」と書き、上の「陣」を斜線で消してある。 地 18(役)『概要』では、鉛筆で「友軍陣地北方」と「地」文字を書き加えてある。 19「死なう」の、な」は、(役)『概要』において、「の」とペンで書き直してある。 20『概要』では、「ら」を==線で消し、「と」に直してある。 21(役)『概要』では、鉛筆で「三六ニ」に直してある。 22(役)『概要』では、ペンで「郊」を消し、「軍陣地附近」と直してある。 23『概要』のカギのとじの部分は正しくない。 24『概要』は「おそよそ」と書き誤り、最初の「そ」を==で消してある。 25(役)『概要』では「小嶺武則次金城幸次太郎」というふうに、鉛筆で訂正してある。 26(役)『概要』は、焦け跡よって判読不能。煙草によるものと思われる。 27(役)『概要』「歓」の「欠」部を消し、右方に「力」とペソで直してある。 28(役)『概要』では「土」を「才」に直してある。 戻る
https://w.atwiki.jp/tghr2008/pages/20.html
「数をこなせばできる」といわれるものの、できる二年目になるには数々の工夫が有るはず。 できない人間にしか分からないブレイクスルーを共有すれば、全員が早く上手くなるし、患者さんも痛い思いをしなくて住みます。 というわけで、一年目が気がついた、手技のちょっとしたポイントをおしえてください!! ガス ルート NG 気切チューブ交換 ブロンコ麻酔
https://w.atwiki.jp/acupuncturedoctor/pages/19.html
鍼灸師は儲からない 鍼灸師は一般に稼ぎが悪い。 コイズミ改革の規制緩和以降、脱サラして鍼灸師になる人も多いが、ほとんどが食えないので大人しくサラリーマンをしているほうが無難である。 鍼灸師になるくらいなら看護師のほうがよっぽど引く手あまただし、稼ぎも良い。 月収が10万以下の鍼灸師も多い。 3-500万の学費を払って免許を取ってもそれしか取れないなら、まだフリーターのほうがマシである。 職歴のないニートや高齢フリーターが「どこにも雇ってもらえないから」と一念発起して頑張ったところでどうにもならないので、どうせ資格を取るなら看護師にでもなったほうがマシというものである。
https://w.atwiki.jp/acupuncturedoctor/pages/22.html
鍼灸師は聖職者である。 金儲け主義の鍼灸師や柔整や医師は医療業界に必要ない。そんな医者、患者が望んでいないからだ。 医療に携わるものは清貧でいなければならない。 金を儲けるより人を善意で助けることを目指さねばならない。 食える食えないなど二の次だ。 医師は儲かるから食えないことはあまりない。鍼灸師はふつう食えない。 だからなおさら鍼灸師は貧しくても人を助ける意気込みがないとやってられない。 そういう意味で鍼灸師は聖職者である。