約 609 件
https://w.atwiki.jp/kansangokushi/pages/79.html
編集 屯騎校尉は、前漢武帝期以降に置かれた朝廷の職官。いわゆる武帝八校尉、北軍五校尉の一。 前漢では騎士を掌って京師(首都)に駐屯した。 後漢に到ると光武帝が再び置き、北軍に組み込まれた。 後漢以降は宮中に宿直する宿衛兵を掌ったため、外征に出る官ではないが、後漢外戚諸氏や魏の曹氏、司馬氏の有力者が任官した例が多い。 目次 目次 歴史 位 職掌 属吏 所属項目(タグ) 関連項目・人物 歴史 武帝が置く。 中興して驍騎校尉と改める。 光武帝建武十五年、再び屯騎校尉とする。 位 (前漢) 一人、秩二千石。 (後漢) 一人、秩比二千石。 (魏・西晋) 一人。 秩比二千石、四品官か。(宋書より) 職掌 (前漢) 騎士を掌る。 (後漢) 宿衛兵を掌る。 (魏・西晋) 営兵を領す。 属吏 (後漢) 司馬 一人、秩千石。 員吏 七十三人 領士 七百人。 (魏・西晋) 司馬 功曹 主簿 営兵 所属項目(タグ) 二千石 北軍五校尉 宿衛 屯騎校尉 校尉 武官 武帝八校尉 比二千石 職官 騎士 関連項目・人物 屯騎校尉 編集 -
https://w.atwiki.jp/kansangokushi/pages/54.html
編集 将作大匠(將作大匠)とは、朝廷の職官である。宮室や宗廟、陵園の建築、造成を司る。 目次 目次 歴史 位 職掌 属吏丞(将作丞か、或いは大匠丞か) 左候 右候 中候 属官石庫 東園主章 左校 (両漢) 右校 (両漢) 前校 後校 中校 所属項目(タグ) 関連項目・人物 詳説 歴史 将作少府は故の秦官。漢これを継ぐ。 景帝中六年、更名して将作大匠。 光武中元二年、省き、将作謁者がこれを領す。 章帝建初元年、また置く。 位 (前漢) 一人、二千石。 (後漢) 一人、二千石。 位、河南尹に次ぐ(*1)。 職掌 (前漢) 宮室の治を掌る。 (後漢) 宗廟、路寢(*2)、宮室、陵園木土の功の修作を掌る。 并せて樹、桐梓の類を道側に列す。その樹は、栗、漆(椅)、梓、桐である。 古くは、樹を列して以って道を表わし、並べて以って林囿を為す。四者はみな木の名、宮室を治めること並んでこれを主とす。 属吏 丞(将作丞か、或いは大匠丞か) (前漢) 二人、六百石。 (後漢) 一人、六百石。 左候 後漢に名は見えず。 右候 後漢に名は見えず。 中候 成帝陽朔三年、省く。 後漢に名は見えず。 属官 石庫 後漢に名は見えず。 石庫令 一人。 丞 一人。 東園主章 大材を掌り、以て少府東園匠に供す。 章は大材を謂う。古くは材を主る吏の名を章曹掾と言った。 武帝太初元年、更名して木工と為す。 唐初の謂う木鍾である。 後漢に名は見えず。 東園主章令 一人。 東園主章丞 一人。 左校 (両漢) (前漢) 令 一人。 丞 一人。 成帝陽朔三年、丞を省く。 (後漢) 左工徒を掌る。安帝が復す。 令 一人、六百石。 丞一人。 右校 (両漢) 令 一人。 丞 一人。 成帝陽朔三年、丞を省く。 (後漢) 右工徒を掌る。安帝が復す。 令 一人、六百石。 丞一人。 前校 (前漢) 後漢に名は見えず。 令 一人。 丞 一人。 成帝陽朔三年、丞を省く。 後校 (前漢) 後漢に名は見えず。 令 一人。 丞 一人。 成帝陽朔三年、丞を省く。 中校 令 一人。 丞 一人。 成帝陽朔三年、丞を省く。 所属項目(タグ) 二千石 将作大匠 将作少府 東園 職官 関連項目・人物 将作大匠 詳説 編集 -
https://w.atwiki.jp/worldhistory20/pages/16.html
インドの古典文明 東南アジアの諸文明 中国の古典文明 南北アメリカ文明 [部分編集] インドの古典文明 インダス文明 インド古典文明 アーリア人の移動 西側(大移動開始)→カイバル峠→インド東の順に 前2000→前1500→前1000年の順で隔500年。 案外適当。カイバルを"中"と考えるとイメージしやすい ウパニシャッド ブラ(ブラフマン)ボー(梵)! 私(我)はart(アートマン) バルダマーナ 勝者のジャイアン(ジャイナ)、ダルマになる ※釈迦に近い経歴(30歳で出家)を送った インド古代国家の変遷 ヴァルダナ朝 ヴァルダナ朝(606~) ムレムレするぜヴァルダナ朝 南インドの王朝 [部分編集] 東南アジアの諸文明 インド・中国文明の受容と東南アジア世界の形成 パガン朝 破顔しながら十一発目。上に座って陰部をスリスリ。 パガン朝 十一世紀 上座部仏教 スリランカから伝わる チャンパー ①二発目ベトベト、中出しちゃったー! 二世紀ベトナム中部 チャンパー ②いい国作ろうチャンパーだ! 1 92 192~ in 東南アジアのヴェトナム 扶南 こうし(孔子)ろ あーしろってウルサイよ。今までいい子(性善)だったけど、もうし(孟子)らない。ジュンコ(筍子)、グレてやる(性悪)から。 アンコール=ワット 六発直後にクンニで舐めーる。あん? こーれは……っと、貧乳陥没じゃん! 六世紀 クメール人 アンコールワット造営 ヒンドゥー教 カンボジア [部分編集] 中国・朝鮮の古典文明 中国文明の発生 殷と周 中国の王朝 ①ドングリころころに合わせて いん→しゅう→しん→かん→さんごく→しん→なんぼくちょう→ずい→とう→ごだい→そう→げん→みん→しん→ちゅうかみんこく→ ちゅうかじんみんきょうわこく ②「アルプス一万尺」(アルプス一万尺、小槍の上で♪) 殷 周 東周 春秋 戦国 秦 前漢 新 後漢♪ 魏 蜀 呉 西晋 東晋 宋 斉 梁 陳 隋っ♪ 五胡十六(国) 北魏 東魏 西魏 北斎 北周♪(ここで息辛くなるかも) 隋 唐 五代十国 宋 金 南宋 元 明 清♪ 西晋から二手にわかれて、隋で合流ってこと ニコニコ動画に歌ってる動画がある 「初音ミクがネギを振り振り世界史を教えるよ」 ttp //www.nicovideo.jp/watch/sm1617371 (普通に、いんしゅうしんかんぎごしょくしんそうさいりょうちんずいとう って感じで呪文っぽく覚えたほうが早いかもしれません) ③殷周秦漢三国晋 (もしもし亀よ亀さんよ) 南北隋唐五代宋 (世界のうちにお前ほど) 元明清中華民国 (あゆみののろいものはない) 中華人民共和国 (どうしてそんなにのろいのか) ④いしぐぬむふぁぐちゅれいおます かぐついうぶりふまおぺれやじゅ くばづついかすきおじゃぱめんなにがしろじょそん ⑤淫乱行為は楽遊なら寛容!超安心! (殷墟)(鎬京)は(洛邑)なら(咸陽)!(長安)しん! 殷~前漢までの都、多少強引か・・。 ⑥飲 酒運転 瞬間銃殺 死んだ かさなった。 殷 周 春秋戦国 秦 漢 出典(②):実況中継シリ-ズ 春秋・戦国時代 社会変動と新思想 戦国の七雄 ①戦国の七雄 斉 楚 秦 燕 韓 魏 趙 催促新年歓喜の朝(お年玉もらうイメージで) ②新議長 関西 疎遠 秦魏趙 韓斉 楚燕 ③まず秦楚斉燕趙魏韓を反復音読! これ左からクルンと 半時計回りの順番(∨) (適当だから地図で確認を) ④清楚な秦と官議長が援交 斉、楚、秦、韓、魏、趙、燕 戦国の七雄 清楚な晋の感想文 斉→桓公 楚→荘王 晋→文公 覇者 ⑤斉楚韓趙(チョウ)魏燕秦 清楚な人にかんちょうしたら「ギエン!」って言って死んだ ⑥先生、粗チンで感じちゃう! 燕斉 楚秦 韓魏趙 (中国、戦国時代、戦国七雄) 孔子誕生 孤高に生きるぜ孔子さん (552魯で孔子誕生) 五経 ①将来駅で思春期に 書経、礼記、易経、詩経、春秋 ②『来週師匠が優しくなる』 礼記 春秋 書経 詩経 書経 易経 ③シショエキシュンライ ④五経 駅(易経)で詩(詩経)を書(書経)く、春秋・礼記 四書 孟子が大学で論語を教えてるっちゅーよう(中庸) 諸子百家 仁を実行し(じっ孔子)。 生前(性善)を申し(孟子)上げます。 性格悪いので(性悪)、殉死(荀子)した。 儒家 こうし(孔子)ろ あーしろってウルサイよ。今までいい子(性善)だったけど、もうし(孟子)らない。ジュンコ(筍子)、グレてやる(性悪)から。 道家 ①童貞 早漏 夢精する 道家 荘子老子 無為自然 ②どうか(道家)と思うが、浪死(老子)したけりゃそうし(荘子)なよ。 無為自然 道 路 掃除 道教 老子 荘子 掃除したら自然がキレイになるから 「無為自然」 法家 放火(法家)したってしょう(商鞅)がないから かんぴょう(韓非)たべて立志(李斯)しろ。 助言した法家・儒家 「高尚な尻で舞踏会♪」 高尚…孝公 商鞅 尻…始皇帝 李斯 舞踏…武帝 董仲舒 合従・連衝 早朝(蘇張)から合唱(合従)して連勝(連衝) 秦の統一 始皇帝の秦統一 ①全身でふうふういって中国統一、始皇帝 前 2 2 1 (秦の統一) ②フーフー言ってしこってる BC221 始皇帝が即位 ③筒井紀前(のりまえ)が語る「真の四股って?」 221紀元前 秦の始始皇帝即位 ④じじいの始皇帝 前2 2 1年 皇帝 ⑤突いたら死んじゃった 221 秦 焚書・坑儒 にッ……にいさん何してんの?!焚書坑儒 (221始皇帝の焚書坑儒 儒家v.s.法家) 陳勝・呉広の乱 辛くとも闘え陳勝・呉広 (209陳勝・呉広の乱、しかし咸陽陥落ならず) 前漢 前漢 ①フレッツ光で前漢建てろ! (202劉邦が項羽に勝利し前漢建てる 都は長安) ②劉邦は誰より前ににわかに興す漢王朝 前 20 2 (劉邦(高祖)が前漢を興す) 前漢と後漢 ①カンチョー娯楽(ブスッ!!) 前漢:長安 後漢:洛陽 ②前漢後漢は超楽よ! 前漢→長安 後漢→洛陽 ③前漢・後漢は超楽よう 前漢 後漢 長安 洛陽 出典:『世界史でるとこ攻略法(文英堂)』 秦と漢の制度 真剣な韓国 【秦】→郡【県】制 【漢】→郡【国】制 ※ただし武帝の時代から中央集権化が進み郡県制に再び戻り始める 呉楚七国の乱 ①いこーよ郡県制つぶしに呉楚七国 (154呉楚七国の乱、しかし鎮圧) ②引越しごそごそ 154 呉楚七国の乱 ③154 呉楚七国の乱 (ひっこしごそごそ) 漢の全盛期 ①いよいよ来たよ武帝の時代 (141漢の全盛期はじまり、郷挙里選など実施) ②前漢の武帝(141~87) →いよいよやな(´,_ゝ`)フッ ③BC141 武帝の在位年代 BC87 (いよいよ武帝のはなみち) 前漢の匈奴討伐 前129年 前漢、衛青や霍去病の匈奴討伐 男:言いにくいんだけど…今日どう?(129 匈奴) 女:衛生的なら…病は今日平気よ(衛生 霍去病) 武帝朝鮮侵略 BC108年 テンパの武帝朝鮮侵略 張騫と甘英の区別 全部頂戴、五歳半にゃ甘いマロンもしょっぱい 前漢:武帝、張騫を大月氏に派遣 後漢:西域都護の班超が甘英をローマへ派遣→失敗 マロン→ローマは無理やりだけど… ちなみに張ケンが派遣されたところが烏孫(ウソン) 新 ①やぁ兄さん!新しいホモがいい性器? 8~23 新 王莽 外戚 ②前漢滅ぼし王莽やっと新起こす 8 後漢 後漢 光武帝、にっこり笑い後漢を興す 2 5 甘英 97 甘英、条支(シリア)に到着 甘英、こっちくんな! ※シリア派遣後に、大海の航海が困難な事を聞き、引き返したと『後漢書』西域伝にある。 黄巾の乱 ①184年 いやよ黄巾の乱 黄巾‥後漢 黄巣‥唐 ②太平かつみ、黄頭巾チョーかっくいー。(太平道・黄巾の乱・張角) ③一発返済高金利。 黄巾の乱 ④日はしずむ、後漢を揺るがす黄布の乱 184 ⑤いやよ後漢黄巾の乱 184年 黄巾の乱 黄巾の乱と紅巾の乱の区別 「黄色は嫌よ、紅はいざ来い」 184年 黄巾の乱 1351年 紅巾の乱 漢代の文化 蔡倫 強姦星人、再臨ッ! 後漢 製紙法 蔡倫
https://w.atwiki.jp/kansangokushi/pages/22.html
編集 扶は、助なり。風は、化なり。(張晏) とは、前漢中期以降に置かれた地方長官(府知事)に相当する職官、またその管轄する郡相当規模の地域である。長安の所在する京兆尹の右地(西方)に位置し、左馮翊と共に首都圏三輔の一角を担って、特に前漢では一般の郡太守を越えた地位と職責を有した。史書では扶風と呼称される事も多い。 漢代には司隷に属し、魏以降は雍州に属した。 目次 目次 歴史 位 職掌 属吏右扶風丞 属官(前漢)右輔都尉 掌畜 右都水 鉄官 廐 [廱厨 属官(後漢)扶風都尉 属県(前漢) 属県(後漢) 属県(晋) 所属項目(タグ) 関連項目・人物 詳説 歴史 故秦官の主爵中尉を漢が継いで置く。 景帝中六年、更名して主爵都尉と為す。 武帝太初元年、主爵都尉を右扶風と更名し、右内史の西部を分けて管轄とする。その治所は長安城内に置く。 中興し洛陽に遷都すると、槐里県に治所を置くも、陵廟を有すことから独特の号を保つ。 魏晋はその号を廃して扶風郡とする。 位 (前漢) 一人、秩二千石(百官志では中二千石)。 (後漢) 一人、秩二千石。 職掌 (前漢) 長安城内に府を構え、諸県を分治する。右扶風を治すことは、太守と同じく。 牧畜の所在する地であり、苑師(馬牧、騎兵)を有すため、畜官に擬えられた。 また、朝請に奉じ(奉朝請)、朝議に参与する(*1)。 (後漢) 民を治め、賢を進め、功を勸め、訟を決し、姦を検めることを掌る。 他太守と同じく。 属吏 右扶風丞 (前漢) 二人、秩六百石。 (後漢) 一人、秩六百石。 属官(前漢) 右輔都尉 一人、秩比二千石。 郿県に治す。武帝元鼎四年に置く。元帝建昭三年、秩二千石に増す。 掌畜 右扶風の牧苑を管理する官であろう。 後漢での置廃は不明。 尹翁歸伝には、翁歸が罪の決した 豪強を掌畜の官に輸り、使して莝(まぐさ)を斫らせ、その行程の数を以って責とする刑に下したことが記される。翁歸は代人を許さず、程に当たらずば笞によって督した。極めつけにはその鈇(なた・まさかり)を以って自剄る者もいた。 掌畜令 一人。 掌畜丞。 有り。 右都水 都水が京兆尹に、左都水が左馮翊に属す。 右都水長 右都水丞 鉄官 鉄官長 鉄官丞 廐 廐長 廐丞 [廱厨 五畤、廱(雍県)に在り。故に厨有り。 廱厨長 廱厨丞 属官(後漢) 扶風都尉 一人、秩比二千石。 安帝永初四年、置く。治所は雍県。 涼州は羌に近く、しばしば三輔を犯したことから、将兵が園陵を衛護した。その治所から俗に雍営と称される。 献帝中平六年に省き、漢安都護に替わられる。 扶風都尉丞 一人。 属県(前漢) 戸21万6377、口83万6070。 二十一城 渭城県 槐里県 鄠県 盩厔県 斄県 郁夷県 美陽県 郿県 雍県 漆県 栒邑県 隃麋県 陳倉県 杜陽県 汧県 好畤県 虢県 安陵県 茂陵県 平陵県 武功県 属県(後漢) 戸1万7352、口9万3091。 十五城 槐里県 安陵県 平陵県 茂陵県 鄠県 郿県 武功県 陳倉県 汧県 渝麋侯國 雍県 栒邑県 美陽県 漆県 杜陽県 属県(晋) 戸2万3000。 六城 池陽県 郿県 雍県 汧県 陳倉県 美陽県 所属項目(タグ) 三輔 主爵中尉 卿 右内史 右扶風 司隷 職官 郡国 関連項目・人物 右扶風 詳説 編集 -
https://w.atwiki.jp/kansangokushi/pages/18.html
編集 「常は、典である、三礼を掌典するものである」(応劭) 「太常は、 王の旌なりて、ここに日月を画す。王に大事有れば、即ち行いを以って建て、礼官はこれを奉持するを主る。故に曰く奉常なり。後に改めて曰く太常、尊大の義なり」(顔師古) 太常は、朝廷の職官である。九卿の一つに数えられ、現代の大臣に相当する。宮廷及び帝室の礼儀、祭祀、宗廟、陵墓、暦法などを司り、九卿の首座にあった。 目次 目次 歴史 位 職掌 属吏太常丞 員吏 属官大楽 太祝 太宰 太史 太卜 太医 祠祀 均官 都水 博士(前漢)五経博士 博士(後漢)博士祭酒 博士 秘書監 贊饗 高廟(後漢) 世祖廟(後漢) 諸陵県(前漢) 先帝陵(後漢) 廱 他 所属項目(タグ) 関連項目・人物 詳説 歴史 奉常は、秦官。 漢はこれを継ぎ、景帝中六年、更名して太常とする。 王莽改めて秩宗とする。 光武帝中興して太常に復す。 位 (前漢) 卿、一人、秩中二千石。 (後漢) 九卿、一人、秩中二千石。 職掌 (前漢) 宗廟・礼儀を掌る。 (後漢) 礼儀・祭祀を掌り、祭祀ごと、先んじてその礼儀を奉ず。行事に及んでは、天子を贊すことを掌る。 「大楽正の如く。」(盧植) 博士を選試するたび、その能否を奏す。大射・養老・大喪、皆その礼儀を奏す。每月晦を前に、陵廟を察行す。 属吏 太常丞 (前漢) 一人、秩千石 (後漢) 一人、秩比千石。 小樂正の如く。 凡そ、礼を行い、及び祭祀の小事を掌る、曹事を全て署す。また、廟中の非法を挙げる。 署曹に曹掾・史が有り、隨事員と為す、諸卿皆然り。 員吏 八十五人。 そのうち十二人は四科、十五人が佐、五人が假佐、十三人が百石、十五人が騎吏、九人が学事、十六人が守学事。(漢官儀) 属官 大楽 (前漢) 大楽令 一人。 大楽丞 有り。 (後漢) 大予楽令 一人、秩六百石 伎楽を掌る。およそ国の祭祀、奏楽を請うことを掌り、及び大饗の楽を用い、その陳序を掌る。 古の大胥の如く。 明帝永平三年、大楽から大予楽と改める。 大予楽丞 一人。 古の小胥の如く。 員吏 二十五人。 その二人は百石、二人が斗食、七人が佐、十人が学事、四人が守学事。楽人八佾舞、三百八十人。」 漢の大楽律は、卑者の子を宗廟の酎の舞に得ず。吏二千石から六百石に至るまで、及び関内侯から五大夫の子に至るまでを除す。適子の高五尺已上を取り、年十二から三十に到るまで、顏色は和、身体の修治し者、以て舞人と為す。 太祝 (前漢) 太祝令 丞有り。 景帝中六年、更名して祠祀、武帝太初元年、また更めて廟祀。 太祝丞 有り。 (後漢) 太祝令 一人、六百石。 およそ国の祭祀に、読祝を掌る、及び神を迎送す。廟祭にて、席酒を主る。 太祝丞 一人。小神の事を祝し掌る。 員吏 四十一人。その二人百石、二人斗食、二十二人佐、二人学事、四人守学事、九人有秩。 百五十人祝人、宰二百四十二人、屠者六十人。 太宰 (前漢) 太宰令 食を具える官、『周礼』の饔人に当たる。 太宰丞 有り。 (後漢) 太宰令 一人、六百石。 鼎俎、饌具の物を宰工(工宰?)することを掌る。およそ国の祭祀に、饌具を陳すことを掌る。 太宰丞 一人。 明堂丞 一人、二百石。 員吏 四十二人、その二人は百石、二人が斗食、二十三人が佐、九人が有秩、二人が学事、四人が守学事。宰が二四百四十二人、屠者が七十三人、衛士が一十五人。」 太史 (前漢) 太史令 一人。 太史丞 有り。 (後漢) 太史令 六百石。 天時、星曆を掌る。凡そ歲の将に終るとき、新年曆を奏す。凡そ国の祭祀、喪、娶の事には、良日及び時節の禁忌を奏すことを掌る。凡そ国の瑞応、災異、有りてはこれを記すことを掌る。 太史丞 一人。二百石。 待詔 三十七人。その六人は治曆、三人が龜卜、三人が廬宅、四人が日時、三人(二人)が易筮、二人が典禳。籍氏・許氏・典昌氏が各三人。嘉法、請雨、解事が各二人。医一人(二人)。 明堂丞 一人。 靈臺丞 一人。 日月星氣を候うことを掌る。 靈臺待詔 四十一人。そのうち十四人が候星、二人が候日、三人が候風、十二人が候氣、三人が候晷景、七人が候鍾律。一人が舍人。 太卜 (前漢) 武帝太初元年、初めて置く 太卜令 一人。 太卜丞 有り。 (後漢) 後に省き、太史に併せる。 太卜令 一人、六百石。 太卜丞 不明。 太医 (前漢) 太医令 一人。 太医丞 有り。 (後漢) 少府に属す。 祠祀 (前漢) 祠祀令 一人。 祠祀丞 有り。 (後漢) 章帝また祀令、丞を置く。延平元年に省く。 後に少府に転属す。 均官 (前漢) 均官長 一人。 山陵を主り 槀(藁)の輸入を上す官。 均官丞 有り。 (後漢) 中興以来、省く。 都水 (前漢) 都水長 渠隄・水門を治める。『三輔黄図』に云う、三輔はみな都水を有すと。 都水丞 有り。 (後漢) 中興以来、省く。 博士(前漢) 多きは数十人に至る。秩、もとは四百石。宣帝、比六百石に増。 古今に掌通す。故は秦官。漢が継ぐ。博士僕射が有り、これを領す。 五経博士 武帝建元五年、初めて置く。弟子員を開き、射策を設け科す。初め、書は歐陽氏、禮は后氏、易は楊氏、春秋は公羊氏の学があるのみであった。漸次増員し、大戴禮、小戴禮、施易、孟易が立てられた。 宣帝黄龍元年に梁丘易、大夏侯尚書、小夏侯尚書、穀梁春秋の四学が立てられて、合わせて十二人となった。 元帝の世にまた京氏易が立ち、平帝時にまた左氏春秋、毛詩、逸禮、古文尚書が立てられた。 博士(後漢) 博士祭酒 一人、六百石。 太常が聰明、威重の者一人を差選し祭酒と為す。綱紀を総領する。 もとは博士僕射であった。 博士 一経各一人、合わせて十四人。比六百石。 弟子を教えることを掌り、国に疑事有れば、問対を承ることを掌る。 前漢平帝に立てられた古文学系の諸学は廃止され、後漢において学官に立てられた十四の学は以下の通りである。 施氏易、孟氏易、梁丘易、京氏易。 歐陽尚書、大夏侯尚書、小夏侯尚書。 魯詩、齊詩、韓詩。 大戴礼、小戴礼(礼記)。 公羊嚴氏春秋、公羊顏氏春秋。 秘書監 桓帝延熹二年、置く。 贊饗 一人、秩六百石。 天子を賛すことを掌る。 高廟(後漢) 高廟令 一人、六百石。 廟を守り、案行掃除を掌る。丞無し。 員吏 四人。 衛士 一十五人。 世祖廟(後漢) 世祖廟令 一人、六百石。 高廟の如く。 員吏 六人。 衛士 二十人。 諸陵県(前漢) 県令・県長 太常に属す。太常は郡守の如く、察挙の権も持つ。 元帝永光元年、諸陵邑を分けて三輔に属す。 先帝陵(後漢) 先帝陵園令 各陵園一人、六百石。 陵園を守り、案行(巡視)、掃除を掌る。 先帝陵園丞 各陵園一人。 「丞皆選孝廉郎年少薄伐者、遷補府長史、都官令、候司、馬。」 校長 一人。 兵戎・盜賊の事を主る。 先帝陵食官令 各一人、六百石。 望・晦時節の祭祀を掌る。 食監とも号す。 先帝陵食官丞 一人、三百石。 中黄門八人 從官二人。 廱 廱は雍であり、右扶風雍県の雍五畤に特に太宰以下諸官を置いたものである。 中興以来、省く。 廱太宰令 一人。 廱太宰丞 有り。 廱太祝令 一人。 廱太祝丞 有り。 五畤尉 各一人。 他 諸々の廟・寢園・食官にそれぞれの大小に合わせて令、長、丞が有った。 所属項目(タグ) 九卿 卿 太常 職官 関連項目・人物 「タグ名」をタグに含むページは1つもありません。 詳説 編集 -
https://w.atwiki.jp/kansangokushi/pages/47.html
編集 少は、小なり。小故に少府と称す。(応劭) 少府は、朝廷の職官である。九卿の一つに数えられ、現代の大臣に相当する。前漢においては、天子及び宗室を養う、言わば帝室財政を司り、それによって賄われる諸々の衣、食、医や庶務、側近の官署を置いた。 後漢に到ると、財政機能は失われ、側近の官は天子の直属に近くなり、衣食等を司るのみとなる。 目次 目次 歴史 位 職掌 属吏丞 員吏 属官(職属・両漢)太医(前漢) (後漢) 太官(前漢) (後漢) 守宮 上林宛(前漢) (後漢) 若盧獄 属官(後漢に置かれる)鴻徳苑 属官(後漢・文属)侍中 鉤盾果園 永安宮 鴻池 南園 顯陽苑 濯龍園 直里園 胡熟 中蔵府 御府 内者 尚方 祠祀 尚書 符節 御史中丞 蘭臺令史 中常侍 黄門 永巷 掖庭 属官(前漢のみ)湯官 導官 楽府 考工室 左弋 居室 甘泉居室 左司空 右司空 東織 西織 東園匠 胞人 都水 均官 中書謁者令 宦者 所属項目(タグ) 関連項目・人物 詳説 歴史 故の秦官。漢もそれを継ぐ。 王莽新は改めて共工。 中興して名を少府に復す。天子の私用の財源(禁銭)の管理は大司農に移される。 位 (前漢) 卿、一人。秩中二千石。 (後漢) 九卿、一人。秩中二千石。 職掌 (前漢) 山海池澤の税を掌り、以て天子の奉養銭を給共する。その銭を曰く禁銭。以て私養に給し、別れてより藏を為す。古くはみな小府と作る。少は、小なり、故に少府と称す。大司農は軍国の用を給し、少府は以て天子を養うなり。 (後漢) 光武帝、禁銭を大司農に属す。 中服、御諸物を掌る。衣服・宝貨・珍膳の属。 或いは云う、田租・芻稾は以て經用(常用)に供し、凶年、山澤魚塩市の税、少府以て私用に給すなりと。 属吏 丞 (前漢) 六人、秩千石。 (後漢) 一人、 比千石。 員吏 (後漢) 三十四人。 その一人は四科、一人は二百石、五人は百石、四人は斗食、三人は佐、六人は騎吏、十三人は学事、一人は官医。 属官(職属・両漢) 以下四署は、前漢・後漢の双方で少府に直属する。 太医 (前漢) 太医令 一人。 太医丞 一人。 (後漢) 諸医を掌る。 太医令 六百石。 薬丞 一人。 薬を主る 方丞 一人。 藥方を主る。 員吏 十九人。 員医 二百九十三人。 太官 (前漢) 膳食を主る。 太官令 太官丞 七人。 献丞 貢献物を主る。(張延寿伝) (後漢) 御飲食を掌る。 太官令 一人、六百石。(別説に秩千石とも) 太官左丞 一人、秩四百石。 飲食を主る。 太官甘丞 一人、秩四百石。 膳具を主る。また別説に諸甘肥を掌る。 湯官丞 一人、秩四百石。 酒を主る。前漢の湯官令か。 太官果丞 一人、秩四百石。 果を主る。 また一説に、別に外に在って諸果、菜茹を掌るともいう。 員吏 六十九人。 衛士 三十八人。 守宮 守宮令 一人、六百石。 御紙筆墨、及び尚書財用諸物、及び封泥を主る。 守宮丞 一人。 守宮外官丞 二百石。 公府の吏府である(公府の府吏?)。 員吏 六十九人。 上林宛 (前漢) 池監 十人。 別説に籞所の数五とも言う。詳らかではない。 中興して省く。 (後漢) 苑中の禽獣を主る。民居、頗る有り、皆これを主る。その獣を捕え、太官に送る。 上林苑令 一人、秩六百石。 上林苑丞 一人。 上林苑尉 一人。 員吏 五十八人。 若盧獄 (前漢) 兵器を藏し、弩射を主る。詔獄の一つ。庫兵を治め、将相大臣を鞫(きた)むことを主る。 黄門内に寺があり。蠶室を有す。 若盧獄令 若盧獄丞 一人。 若盧郎中 二十人。 (後漢) 中興後省くも、和帝永初九年、また置く。 一説に黄門北寺獄と同一のものとも言う。竇武伝では両者は都内獄と並んで別のものとされる。 また一説に洛陽に二獄有り、一つは若盧、親戚婦女を受けると主るという。 属官(後漢に置かれる) 鴻徳苑 桓帝が置く。少府の属かは不明だが、職は上林苑と相似か。 鴻徳苑令 属官(後漢・文属) 後漢において、ただ文書上のみ少府に属す。 侍中 前漢に於いては加官であり、皇帝に親近する中朝官で、九卿には属さなかった。 (後漢) 無員、秩比二千石。(別説に秩千石)。 『周礼』の太僕は、漢の侍中のごとく、という。 左右に侍し、衆事を贊導し、顧問応対を掌る。 駕の出に法り、則ち多識者一人が参乗し、余はみな乗輿車の後に騎在す。 もとは僕射が一人有り、中興して転じて祭酒と為し、或いは置かず。 鉤盾 (前漢) 近苑囿を主る。 鉤盾令 一人。 鉤盾丞 一人(五人とも)。 鉤盾尉。 二人。 鉤盾僕射 署長 中黄門 (後漢) 諸近池・苑囿・遊觀の処を典す。 鉤盾令 宦者。一人、六百石。 鉤盾丞 一人、三百石。 吏從官 四十人、 員吏 四十八人。 苑中丞 一人、二百石。 苑中離宮を主る。 有署 一人 果園 果丞 一人、二百石。 果園を主る。 永安宮 北宮東北の別小宮の名。園觀を有す。 永安丞 一人、三百石。 鴻池 鴻池、池名。雒陽東二十里に在。 鴻池丞 一人、二百石。 南園 雒水南に在。 南園丞 一人、二百石。 顯陽苑 桓帝延熹二年、置く。 顯陽苑丞 有り。 濯龍園 園の名、北宮に近し。 濯龍監 一人、秩六百石。 直里園 園の名、雒陽城の西南角に在。 直里監 一人、秩四百石。 胡熟 園名か。不詳。 胡熟監 一人。 中蔵府 中興後置く。 中の幣、帛、金銀、諸貨物を掌る。 中蔵府令 一人、六百石。 中蔵府丞 一人。 員吏 十三人。 吏従官 六人。 御府 (前漢) 天子の衣服を主る。 御府令 一人。 御府丞 一人。 御府僕射 署長 中黄門 (後漢) 官婢の作る中衣服、及び補浣の属を典ず。 御府令 宦者。一人、六百石。 御府丞(右丞?) 宦者。一人。 織室丞 宦者。一人。 員吏 七人 吏從官 三十人。 内者 (前漢) 内者令 一人。 内者丞 一人。 内者僕射 署長 中黄門 (後漢) 宮中の布張、諸衣褻物を掌る。 内者令 一人、六百石。 左丞 一人。 右丞 一人。 録事(禄士?) 一人。 員吏 十九人。 尚方 (前漢) 禁の器物を作るを主る。 尚方令 一人。 尚方丞 一人。 尚方僕射 署長 中黄門 (後漢) 上の手工の御刀剣、諸好器物を作るを掌る。 尚方令 一人、六百石。 尚方丞 一人。 員吏 十三人 吏従官 六人。 祠祀 (後漢) 中の諸小祠祀を典ず。 祠祀令 宦者。一人、六百石。 祠祀丞 一人。 従官吏 八人。 騶僕射 一人。 家巫 八人。 尚書 (後漢) 尚書令 一人、千石。 凡そ選署し、及び尚書、曹文書の衆事を奏下することを掌る。 故は公がこれを為し、朝会で下陛奏事する。増秩二千石、故の銅印墨綬を佩くより。 尚書僕射 一人、六百石。 尚書事を署す。令の不在にして則ち衆事を奏下す。封門を主り、廩仮銭穀を授けることを掌る。 献帝、左、右僕射を分け置く。建安四年、榮邵を以って尚書左僕射に為すとの記事が見える。 尚書 六人、六百石。 武帝は、初め尚書四人を置き、分けて四曹と為す。 成帝、尚書を復して三公曹を加え、五人と為す。別説に、加えたのは僕射一人だとも云う。 世祖光武帝、分けて六曹と為し、令一人、僕射一人と合わせてこれを八座と謂う。 三公曹尚書 (前漢) 成帝が立てる。 断獄を主る。 (後漢) 二人。 三公の文書を典す。吏曹尚書を主る。 天下歳尽きれば、集課の事を典す。 常侍曹尚書 (前漢) 公卿の事を主す。 別説で、丞相、御史の事を主るとも、常侍、黄門、御史の事を主るとも。 吏曹尚書 (後漢) 世祖、常侍曹尚書を更名す。 選挙・齋祀を典じ、三公曹に属す。 霊帝末,梁鵠を選部尚書に為すという記事が有る。 二千石曹尚書 (前漢) 郡国、二千石の事を主る。また刺史を主るとも云う。 (後漢) 中都官の水火、盜賊、辭訟、罪眚を掌る。 民曹尚書(前漢では戶曹尚書?) 凡そ吏の上書の事を主る。 功作を繕い治め、監池、苑、囿、盜賊の事を典す。 客曹尚書(前漢では主客尚書?) (前漢) 外国、四夷狄の事を主る。 後に南主客曹尚書と北主客曹尚書に分ける。 (後漢) 天子が猟、駕にいづれば、、御府曹郎これに属す。 尚書左丞 一人、四百石。 文書の期会を掌録する。 吏民の章報及び騶伯史を主る。 臺中の綱紀を総典し,統べざる所無し。 尚書右丞 一人、四百石。 印綬を仮し署し、及び紙筆墨の諸財を庫蔵に用いる。 右丞と僕射は、廩借銭穀を授けることを対掌する。 尚書侍郎 三十六人、四百石。一曹ごとに六人有り。 文書を作り起草を主る。 尚書郎 故事には、尚書郎は、令史を以って久しくこれの欠を補う。世祖、改めて孝廉を用い郎と為すことを始める。 尚書郎は、初め三署に従い臺試に詣で、初めて上臺し守尚書郎を称す、中に歳満みちて尚書郎を称し、三年、侍郎を称す。 客曹郎 羌胡の事を治めるを主る。(その治績が)劇なれば二千石、或いは刺史に遷り、その公なれば遷って県令と為る。秩満ちれば占県より去る。詔書あれば銭三万と三臺祖銭を賜い、余官は則ち否。治めること厳かにして一月、公卿、陵廟に準謁して発する。 令史 十八人、二百石。 書を主す。 一曹に三人有り。後(恐らくは和帝永元三年七月)に増やして曹に三人、合わせて二十一人となる。 蘭臺、符節の書簡の精練した能吏から選び為す。 功滿ち未だ嘗て禁を犯さぬ者、以て小県,墨綬に補す。 符節 (前漢) 符節令 一人。 符節丞 一人。 (後漢) 符節臺の率を為し、符節の事を主る。凡そ使を遣わし授節を掌る。 符節令 一人、六百石。 尚符璽郎中 四人。 古くは二人が中に在り、璽及び虎符、竹符の半を主る。 法律に明らかな郎を得るに当たる。 『周礼』掌節に「虎節、龍節が有り、みな金なり。漢の銅虎符、則ちその制なり。」 『周礼』又曰く:「英簜を以てこれに輔す。」干寶曰:「英は、刻書也。蕩は、竹箭也。刻而して書、その使する所の事、以て三節の信を助ける、則ち漢の竹使符者、また則た故事に於いて取る也。」 符節令史 二百石。 書を掌る。 御史中丞 (後漢) 一人、千石。 前漢には御史大夫の属。 中興後、少府に属す。 御史を監し、密かに非法を挙げる。 献帝建安、御史大夫を復し、長史一人を置くも、中丞を領さず。 治書侍御史 二人、六百石。 法律に明るき者を選びこれに為す。凡そ天下諸讞(裁判)の疑事、法律を以ってその是非に当たることを掌る。 侍御史 十五人、六百石。 非法を察挙するを掌る。公卿・羣吏の奏事を受け、違失が有ればこれを挙劾す。凡そ郊廟の祠及び大朝会、大封拜にては、則ち二人が威儀を監し、違失有れば則ち劾奏す。 また、二人が更直(当直)する。 省中に執法し皆百官を糾察し、州郡を督す。 公法府の掾属の高第をこれに補す。初め守を称し、満歳で真を拜す。出でては治劇なれば刺史、二千石と為り、平なれば令に遷補す。 尚書、御史臺、皆、官蒼頭を以て吏と為し、賦舎(賊舍?)を主る。凡そその門戸を守るなり。 蘭臺令史 六人、百石。 書、劾、奏、及び印を掌り、文書を主る。 中常侍 (後漢) 無員、秩千石。後に増秩比二千石。 宦者、左右に侍し、内宮に従いて入り、內衆事を贊導して、顧問応対するを掌る。 黄門 (前漢) 黄門令 黄門丞 一人。 黄門僕射 署長 中黄門 (後漢) 黄門令 宦者、一人、六百石。 省中の諸宦者を主る。禁門を曰く黄闥、中人を以てこれを主らせる、故に號して曰く黄門令。 黄門丞 宦者。一人。 黄門従丞 宦者。一人。 出入の従を主る。 員吏 十八人。 給事黄門侍郎 無員。六百石。 左右に侍従し、給事中を掌る。中外を関通す。及び諸王が殿上(中)に朝見すれば、王を引いて座に就かしめる。 日暮に入り対し、青瑣門に拜す、名を曰く夕郎。 青瑣門は南宮に在す。青瑣とは、戸邊が青鏤也。一曰く、天子門内には眉が有り、格再重、裏青画を曰く瑣。 少帝中平六年、宦人の誅を以て侍中侍郎と改める。士人を置き、禁闈に出入したため。機事頗る露わとなる。王允の奏によりその出入を尚書に比し、賓客を通さず。 小黄門 宦者、無員。六百石。 左右に侍し、尚書の事を受け、上が内宮に在れば、中外を関通し、及び中宮已下の衆事を掌る。諸公主及び王太妃らが疾苦有れば、則ち使してこれを問う。 黄門署長 宦者。一人、四百石。黄綬。 画室署長 宦者。一人、四百石。黄綬。 玉堂署長 宦者。一人、四百石。黄綬。 丙署長 宦者。七人。四百石。黄綬。 以上の署長、おのおの中宮の別処を主る。 中黄門冗従僕射 宦者。一人、六百石。 中黄門の冗従を主る。居して則ち宿衛し、門戸を直守す。出れば則ち騎従し乗輿車を夾む。 宂(冗)は、散なり。散従の官である。 中黄門 (前漢) 奄人(宦者)。禁中に居り、黄門の内に在りて給事する者なり。 (後漢) 宦者、無員、比百石。後に増、比三百石。 禁中の給事を掌る。 永巷 (前漢) 武帝太初元年に、更名して掖廷。 永巷令 永巷丞 一人? 永巷僕射 署長 中黄門 (後漢) 掖廷とは別に置く。官婢、侍、吏を典ず。 永巷令 宦舎、六百石。 右丞 一人。 暴室丞 一人。 員吏 六人。 吏従官 三十四人。 掖庭 (前漢) 武帝太初元年、永巷より更名する。 掖庭令 掖庭丞 八人。 掖庭僕射 署長 中黄門 (後漢) 後宮の貴人、采女の事を掌る。 掖庭令 宦者。一人、六百石。 掖庭左丞 一人 掖庭右丞 一人 暴室丞 一人。 中婦人の疾病者がこの室の治に就くことを主る。その皇后、貴人が罪有れば、またこの室に就く。 吏従官 百六十七人。 待詔 五人。 員吏 十人。 属官(前漢のみ) 前漢にて少府に属しながら、後漢に省、または他へ移動となった部署。 湯官 (前漢) 餅餌を主る。 湯官令 一人。 湯官丞 一人。 (後漢) 太官の下に移り、ただ丞のみと為る。 導官 (前漢) 擇米を主る。 導官令 一人。 導官丞 一人。 (後漢) 中興後、少府の属には無し。大司農の属に導官令が置かれる。 楽府 哀帝綏和二年、省く。 後漢には置かれず。 楽府令 楽府丞 三人。 考工室 作器械を作るを主る。「冬官、考工と為す。」 武帝太初元年、更名して考工。 中興して太僕に転ず。 考工室令 一人。 考工室丞 一人。 左弋 弋射を掌る。 左弋は、地名。 武帝太初元年、更名して佽飛と為す。 中興して省く。 左弋令 一人。 左弋丞 九人。 左弋尉 二人。 居室 武帝太初元年、更名して保宮と為す。 後漢には名が見られず。 居室令 一人。 居室丞 一人。 甘泉居室 武帝太初元年、更名して昆臺と為す。 中興して省く。 甘泉居室令 一人。 甘泉居室丞 五人。 左司空 後漢には名が見られず。 左司空令 一人。 左司空丞 一人。 右司空 後漢には名が見られず。 右司空令 一人。 右司空丞 一人。 東織 成帝河平元年、省く。 東織令 一人。 東織丞 一人。 西織 成帝河平元年、東織を省くに伴い、更名して織室と為る。 中興して御府令の下に移り、ただ丞のみとなる。 西織令 一人。 西織丞 一人。 東園匠 陵内の器物を作るを主る。それは凶器である故に、秘器と称す。 将作大匠下の東園より木材を得る。 後漢には官名が見られず、『礼儀志』下の大喪には「守宮令が東園匠を兼ね」とする。 東園匠令 一人。 東園匠丞 一人。 胞人 胞は庖に同じ。 宰割者(犠牲の肉を切る者)を主掌する。 後漢にて省く。 胞人長 一人。 胞人丞 一人。 都水 『三輔黃圖』は云う、「三輔、みな都水を有すなり」と。 都水長 一人。 都水丞 一人 均官 太僕にも同名の官があり。 均官長 一人。 均官丞 一人。 中書謁者令 漢初、中人には中謁者令があり、武帝が中書謁者令と改め、宦人を当てる。 成帝建始四年、中書の事から宦人を罷め、中謁者令に復し、僕射を省く。 丞 一人。 中書謁者僕射 署長 中黄門 (後漢) 中謁者があるが、祭礼と天子の使者としてのみ名が見える。おそらくは少府に属さず。令長は見られず、僕射がある。 宦者 中興して省く。 宦者令 一人。 宦者丞 七人。 宦者僕射 署長 中黄門 所属項目(タグ) 九卿 卿 少府 禁銭 職官 関連項目・人物 耿紀 待詔 少府 詳説 編集 -
https://w.atwiki.jp/kansangokushi/pages/80.html
編集 歩兵校尉(步兵校尉)は、前漢武帝期以降に置かれた朝廷の職官。いわゆる武帝八校尉、北軍五校尉の一。 前漢では上林苑門の屯兵を司った。 後漢に到ると光武帝が再び置き、北軍に組み込まれた。 後漢以降は宮中に宿直する宿衛兵を掌った。後漢代で征伐に従った記録はみえないが、はしばしば外戚諸氏の有力者が任官した。 目次 目次 歴史 位 職掌 属吏 所属項目(タグ) 関連項目・人物 詳説 歴史 武帝が置く。 以後、漢魏晋ともに置き続ける。 位 (前漢) 一人、秩二千石。 (後漢) 一人、秩比二千石。 (魏・西晋) 一人。 秩比二千石、四品官か。(宋志より) 職掌 (前漢) 上林苑門の屯兵を掌る。 (後漢) 宿衛兵を掌る。 (魏・西晋) 営兵を領す。 属吏 (後漢) 司馬 一人、秩千石。 員吏 七十三人。 領士 七百人。 (魏・西晋) 司馬 功曹 主簿 営兵 所属項目(タグ) 上林苑 二千石 北軍五校尉 宿衛 校尉 武官 武帝八校尉 歩兵校尉 比二千石 職官 関連項目・人物 步兵校尉 詳説 後漢では、宿衛兵を掌る地位から、外戚の与党が就任して皇帝を守護したり、儒士が宮中に出入りするための官として多く記録に残る。 外戚としては馬豫、梁冀、竇紹。また竇憲の与党として鄧磊が任官している。 儒士としては桓焉、劉愷(*1)の名が見える。 編集 -
https://w.atwiki.jp/kansangokushi/pages/83.html
編集 長水校尉は、前漢武帝期以降に置かれた朝廷の職官。いわゆる武帝八校尉、北軍五校尉の一。 前漢では宣曲観を屯営とする長水胡の騎兵を司った。 後漢に到ると光武帝が再び置き、北軍に組み込まれた。 後漢以降は宮中に宿直する宿衛兵を掌り、外征に出る官ではないが、後漢ではしばしば外戚諸氏の有力者が任官した。 目次 目次 歴史 位 職掌 属吏 所属項目(タグ) 関連項目・人物 詳説 歴史 武帝が置く。 中興してまた置き、胡騎校尉を併せる。 光武帝建武七年、省く。 建武十五年、また置く。 以後、漢魏晋ともに置き続ける。 位 (前漢) 一人、秩二千石。 (後漢) 一人、秩比二千石。 (魏・西晋) 一人。 秩比二千石、四品官か。(宋志より) 職掌 (前漢) 長水宣曲胡騎を掌る。 長水は胡の部落の名。宣曲は、上林苑昆明池の西に所在した宣曲宮の観。 (後漢) 宿衛兵を掌り、烏桓騎を主る。 (魏・西晋) 営兵を領す。 属吏 (後漢) 司馬 一人、秩千石。 胡騎司馬 一人、秩千石。 員吏 百五十七人。 烏桓胡騎 七百三十六人。 領士 千三百六十七人(*1)。 (魏・西晋) 司馬 功曹 主簿 営兵 所属項目(タグ) 二千石 北軍五校尉 宣曲観 宿衛 校尉 武官 武帝八校尉 比二千石 烏桓 職官 胡騎 長水 長水校尉 騎士 関連項目・人物 長水校尉 詳説 長水校尉は宣曲観を屯営とする長水胡の騎兵を率いた将である。 後漢に入ると、率いる騎兵は烏桓騎に移ると共に、宿衛を担って北軍五校尉の一つとなった。 その性質から、宮廷では外戚中の有力者が任じられてその権力維持に寄与し、征伐では上級の将軍らの副将として付き従った。また、その上言が白虎観議の開かれる契機となった樊鯈のように儒士の任官も目立つ。 編集 -
https://w.atwiki.jp/kansangokushi/pages/15.html
編集 職官/九卿/衛尉 衛尉(衞尉)は、朝廷の職官である。九卿の一つに数えられ、現代の大臣に相当する。未央宮や洛陽宮など、宮門の守衛、宮中の警邏を担う衛士を司った。 目次 目次 歴史 位 職掌 属吏衛尉丞 員吏 属官殿司馬門 衛士(前漢)南宮衛士(後漢) 北宮衛士(後漢) 旅賁(前漢) 左都候(後漢) 右都候(後漢) 宮掖門司馬(後漢)南宮南屯 南宮蒼龍門 南宮玄武門 南宮北屯 北宮朱爵門 北宮東明門 北宮朔平門 他(前漢) 所属項目(タグ) 関連項目、人物 詳説 歴史 衛尉は、故の秦官。漢もこれを受け継ぐ。 景帝初めに更名して中大夫令とし、後元年にまた衛尉と為す。 後漢、魏、蜀漢、孫呉も前制を継ぐ。 位 (前漢) 卿、秩[中二千石。 (後漢) 卿、一人、秩中二千石。 職掌 (前漢) 未央宮の宮門・衛屯兵を掌る。 長楽衛尉、建章衛尉、甘泉衛尉、皆その宮を掌る。職はおおよそ同じ、常には置かず。 (後漢) 宮門衛士、宮中徼循(巡警)の事を掌る。 属吏 衛尉丞 (前漢) 一人、秩千石。 (後漢) 一人、秩比千石。 員吏 (後漢) 四十一人。 その九人が四科、二人が二百石、文学が三人百石、十二人が斗食、二人が佐、十二人が学事、一人が官医。衛士が六十人。 属官 殿司馬門 (前漢) 公車司馬令 一人、秩六百石。 殿司馬門を掌り、宮中を夜徼する。 殿司馬門は天下の上書者の詣でる所であり、上書の事及び、闕下の凡そ徴召する所、皆これを総領する。 (後漢) 公車司馬令 一人、秩六百石。 宮南の闕門、およそ吏民の上章、四方の貢獻、及び徴詣公車を掌る。 建安八年、議郎の衛林を公車司馬令と為し、位は将・大夫に随(したが)う。公車令・都官・長史の位が将・大夫に従うのは、林より始まるという。 公車司馬丞 一人。 諱を選び曉(あきら)かにし、非法を知るを掌る。 公車司馬尉 一人。 闕門、兵禁を主り、非常に戒す。諸門部、各陳屯、来道、その旁の兵に当たり、以て威武を示し、戟を交わし、以って妄りな出入を遮る。 衛士(前漢) 後漢には南北宮に別れる。 衛士令 一人。 衛士丞 三人。 南宮衛士(後漢) 南宮衛士令 一人、六百石。 南宮衛士を掌る。 南宮衛士丞 一人。 員吏 九十五人 衛士 五百三十七人。 北宮衛士(後漢) 北宮衛士令 一人、六百石。 北宮衛士を掌る。 北宮衛士丞 一人。 員吏 七十二人。 衞士 四百七十二人。 旅賁(前漢) 旅賁令 旅は、衆なり。賁は、奔と同じ、奔走の任を為すと言う。 中興後省く。 旅賁丞 有。 左都候(後漢) 一人、六百石。 『周礼』に司寤氏、夜士が有り、今の都候の属である。 剣戟の士を主り、宮を徼循し、及び天子の収考(捕縛し罪状を取り調べる)す所を有す。 宮中のもろもの罪の劾奏が有れば、左都候が戲車にて戟を執り、縛りて詔獄に送付する。 員吏 二十八人。 衛士 三百八十三人。 右都候(後漢) 一人、六百石。 剣戟の士を主り、宮を徼循し、及び天子の収考(捕縛し罪状を取り調べる)す所を有す。 員吏 二十二人。 衛士 四百一十六人。 宮掖門司馬(後漢) 以下七門は後漢洛陽のもの。 およそ員吏皆、隊長の佐である。 およそ宮中に居る者は、皆門の所属に於いて口籍が有り。宮名二字で鉄印文符と為す。案ずるにこの符乃内を省る。 符用の木は、長尺二寸、鉄印以てこれを符とす。もし外の人が事を以て入るに当たれば、本官長史、棨傳(通行凭証符信)を封して為す。その官位が有れば、出入の令をして、御者がその官を言う。 南宮南屯 南屯司馬 一人、秩比千石。 平城門を主る。 光武帝建武十三年九月、初めてこの門を開く。 員吏 九人。 衛士 百二人。 南宮蒼龍門 蒼龍司馬 一人、秩比千石。 南宮の東門を主る。 員吏 六人。 衛士 四十人。 南宮玄武門 玄武司馬 一人、秩比千石。 南宮の玄武門を主る。 員吏 二人。 衛士 三十八人。 南宮北屯 北屯司馬 一人、秩比千石。 南宮の北門を主る。 員吏 二人。 衛士 三十八人。 北宮朱爵門 朱爵司馬 一人、秩比千石。 北宮の南掖門を主る 明帝永平二年十一月、初めて北宮朱爵南司馬門を作る。 員吏 四人。 衛士 百二十四人。 北宮東明門 東明司馬 一人、秩比千石。 北宮の東門を主る。 員吏 十三人。 衛士 百八十人。 北宮朔平門 朔平司馬 一人、秩比千石。 北宮の北門を主る。 員吏 五人。 衛士 百十七人。 他(前漢) 諸屯の衛候、衛司馬二十二官署はみな皆衛尉に属した。 衛尉八屯は衛司馬のことである。 所属項目(タグ) 中二千石 中大夫令 九卿 卿 尉 未央宮 洛陽宮 職官 衛尉 関連項目、人物 衛尉 衛将軍 衛士 詳説 編集 -
https://w.atwiki.jp/kansangokushi/pages/51.html
編集 「吾は、禦なり、金革を執り、以て非常に禦すを掌るなり。」(応劭) 「金吾は、鳥名なり、不祥を辟けるを主る。天子出行、職は先導を主り、以て非常に禦す、故にこの鳥の象を執り、因りて以て名官とす。」 執金吾とは、朝廷の職官である。京師(京城、首都)とその周辺を警邏し、盗賊に備え、これを捕らえることを司る。 宮中を巡回する衛尉と表裏を為すとされる。前漢初期には中尉と呼ばれた。名実共に、諸郡の群尉の任を中央において果たした職と言える。 目次 目次 歴史 位 職掌 属吏(前漢)丞 候 司馬 千人 属吏(後漢)丞 宮司馬 都候 員吏 持戟伍伯 緹騎 屬官武庫 式道 中壘 寺互 都船 京輔都尉 左輔都尉 右輔都尉 所属項目(タグ) 関連項目・人物 詳説 歴史 中尉は、秦官。漢初これを承ける。 武帝太初元年、更名して執金吾。 位 (前漢) 卿、一人。秩中二千石。 (後漢) 九卿、一人。秩中二千石(或いは比二千石(*1)。) 職掌 (前漢) 京師を徼循(巡回警邏)するを掌る。 徼は遮繞を謂うなり。いわゆる遊徼。徼循して盗賊を禁じ備えるなり。 (後漢) 宮外の非常・水火の事の戒司を掌る。月三、宮外を繞行す。及び兵器を主す。 衛尉、宮中に巡行し、則金吾、外に徼す。表裏相為し、以て姦を擒じ猾を討つ。 属吏(前漢) 丞 二人、千石。 候 司馬 千人 それぞれ部隊を率いる。 将軍制等に従えば、編成の上級単位である部を率いるのが部司馬。その下の単位である曲を率いるのが候、千人という順序となる。 属吏(後漢) 丞 一人、比秩千石(六百石とも(*2)。) 宮司馬 都候 (*3) 員吏 二十九人。 その十人は四科、一人は二百石、文学は三人で百石、二人は斗食。十三人は佐学事で緹騎を主る。 持戟伍伯 二十人。 緹騎 二百人。 秩無し、食奉は吏に比す。 屬官 武庫 (前漢) 武庫令 一人。 武庫丞 三人。 (後漢) 兵器を主る。 武庫令 一人、六百石。 武庫丞 一人。 式道 式、表也。(顔師古) (前漢) 車駕が出づれば前に在りて道を清めることを掌る。還れば麾を持ち宮門に至り、門乃ち開く。 式道中候 秩六百石。 丞、一人。 式道左候 秩六百石。 丞、一人。 式道右候 秩六百石。 丞、一人。 (後漢) 中興しては一人式道候があるのみ。常には置かれず、出づるごとに郎を以て兼ね、事おわれば罷める。執金吾に属さず。 中壘 中興して省く。 中壘令 一人。 中壘尉 二人。 寺互 獄令、治水の官なり。 初め、寺互は少府に属し、中ばは主爵に属し、後に中尉に属す。 中興して省く。 寺互令 一人。 寺互丞 一人。 都船 獄令治水の官なり。 中興して省く。 都船令 一人。 都船丞 三人。 京輔都尉 諸郡都尉の如く。京兆尹の武職甲卒を典(つかさど)る。 治所は京兆尹華陰県灌北。 尉、丞、兵卒が有り 中興して省く。 左輔都尉 諸郡都尉の如く。左馮翊の武職甲卒を典(つかさど)る。 治所は左馮翊高陵県。 尉、丞、兵卒が有り 中興して省く。 右輔都尉 諸郡都尉の如く。右扶風の武職甲卒を典(つかさど)る。 治所は右扶風郿県。 尉、丞、兵卒が有り 中興して省く。 所属項目(タグ) 中尉 卿 執金吾 尉 職官 諸郡都尉 関連項目・人物 執金吾 中尉 詳説 編集 -