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http //www.youtube.com/watch?v=kt5ex3gZtRI -- 名無し (2011-11-01 15 23 00) 誹謗の発言はやめた方がいいのでは?幼稚しか思えないのです。 -- あんまりでございます (2012-01-14 23 58 19) ↑具体的に誹謗している場所を教え下さい。内容によっては訂正しますよ。 -- ある編集部員 (2012-01-15 13 33 28) 訂正の箇所無し 彼らが自国の歴史を理解しようとしない限り戦後から続く対日外交策はかわらないでしょう それをすると国が崩壊するのか? -- 日本人 (2012-11-14 22 26 00) 今ある日本の古楽器・文字も中国の恩恵です。下に見すぎているのでは? -- たか (2012-12-07 05 21 49) ↑中国の恩恵なんてない。隋、漢、唐、宋の間違いじゃないかな。 -- Ronald (2013-01-12 12 00 06) 中国4000年の歴史、すなわち迷惑4000年の歴史 -- 国際平和の為に (2013-04-30 10 35 15) 任侠はヤクザ思想という展開が論理的に弱いと感じる。私としては関羽みたいな真の意味での任侠が先にあり、ヤクザの方が勝手にそれを言い出したのではないかと疑っている所だ -- 名無しさん (2013-05-15 11 32 01) 中華ってのは国家の文化ではなく地域の文化だろ?それを -- 名無しさん (2013-09-04 05 00 05) 現中国が建国63年だから中国4000年の歴史はおかしいとかいうのはナンセンスだろ -- 名無しさん (2013-09-04 05 04 57) さらに言えば地域でなく国ごとに歴史を考えるなら、日本も時代ごとに主権者は変わっており実質的に「~時代」毎に国が変わってるようなもんなんだから最後に主権者が変わった時から数えて日本も70年弱の歴史ってことにしないとおかしいことになる -- 名無しさん (2013-09-04 05 06 30) 上の意見には全く同感で、60数年のうちに中華人民共和国民が全く0の所から漢字など中国語を考案し、万里の長城を築き、孔子が儒教を説いて・・・とした訳ではないから63年しか歴史が無いとするのは無理がある -- 名無しさん (2013-09-28 17 55 57) 陳恵運 野村旗守 共著の「中国は崩壊しない…」に、現在中国で使われている二字熟語の7割が日本からの輸入だとある。中華も人民も共和国も、日本人が考案した単語だそうだ。 -- 漢字? (2013-10-11 16 39 56) 彼らは所謂反日感情とやらで日本製品を破壊しテロを行う。ならば北京空港と浦東空港を破壊すれば良い。全額日本のお金で作られたものなのだから。 -- 日本製品 (2013-10-11 16 47 47) 「中国史の真実」に関しては、様々な本が出ているようですが、わざわざ本を購入する程の重要性を感じない、私のような人間には、手軽に読めるこのサイトは、大変助かります。漢籍から受ける中国と中国人に対する印象が如何に的はずれなものであるかを、実感させてもらいました。中国古典古代の文化を引き継いでいるのは、むしろ日本と言えるのかもしれませんね。今後、このような視点での議論も期待します。 -- 周梨槃特 (2013-10-27 19 58 08) 日本は皇紀2600年以上とういうのは歴史学的にみてどうかと。はっきりと2600年前から続いてることを示す資料・遺跡ってありましたか? -- liiu (2014-02-05 23 46 57) あと中国文化史で女性が全く登場しないような書き方していますが居ることにはいますよ(班昭など)。編集し直したほうがいいかと。 -- liu (2014-02-06 00 08 25) 該当箇所を修正。ご意見ありがとう。 -- maron (2014-02-06 19 29 01) 生物学的な意味での -- 名無しさん (2014-04-09 21 07 22) 生物学的な意味での漢民族は存在しない。中原の支配者となった民族が歴代漢民族を自称した。漢民族を自称していないのはモンゴル人と女真族だけ。従って中国〇千年の歴史なんて連続したものは存在しない。 -- 名無しさん (2014-04-09 21 10 34) 支那がおかしいのは誹謗でも何でもない事実。誹謗とする指摘が誹謗である。 -- 名無しさん (2014-06-26 02 23 33) 4000年の歴史が可笑しいというのは、王朝も文化も断続してきたのに、新たな支配者の正当性としてそれを利用しているに過ぎないから可笑しいのだといってるのでは? -- 名無しさん (2014-09-20 18 52 43) こんな勝手な歴史解釈を日本人だけでやっていてもしょうがない。世界に世界の歴史家がどう判断するかだな。 -- 名無しさん (2014-11-15 23 21 22) 日本は今、西暦で2014年、紀元前も存在するとしても日本の歴史は精々2500年ちょっと。今日本は、国として人口が減少し、国自体が存亡の危機にある。中国は日本や米国に付随し、これから発展しているってことは最近国として潰れたって事か?産業が発展していないのに4000年も国家が存在した? -- 名無しさん (2014-11-18 14 22 20) アメリカはヨーロッパの人間によって植民地にされた。それで原住民は迫害され、様々な植民地が合体してアメリカという国家が作られ経済的に進化を遂げてきた。そんな状況を中国という4000年前からあった国家が存亡を繰り返しつつ、指を銜えて眺めてたってことか?おかしくないか? -- 名無しさん (2014-11-18 14 42 06) 結局中華民族・漢民族の定義は中華文明を受け継いだ者だし、人口が激減したのも戸籍逃れ、小作人、浮浪者が増えただけだから -- 名無しさん (2014-12-10 10 26 04) いろいろ穴のある理論だが、少なくとも明が統一でなかったとする論が支持されることはないだろうな -- 名無しさん (2014-12-13 16 29 12) 2年間見ないうちに、工作員の手がここにも来ていたか・・・ -- 名無しさん (2015-01-06 19 46 59) モンゴルによって支配されてるのに中国4000年はやっぱりおかしい。 - 名無しさん 2015-06-17 00 38 23 中国(一応)4000年(笑) - 名無しさん 2015-07-30 11 31 34 中国の民族問題に満州族と雲南の少数民族が入っていない。 - 名無し 2015-08-16 22 01 26 面白いですね。 - 名無しさん 2016-03-17 21 04 06 中国は中華思想というものがあるから 小中華朝鮮は2番目で日本は3番目という事になりますが。 反日サヨクはそれを実行する為に日本が中国と同等であるとした聖徳太子などが実は居なかった、或は皇室制度を廃止して 中華共産主義を実現させ日本を特亜に組み込み 長男中国 次男朝鮮 三男日本と3国社会主義の中で日本を最も下のとする、中華思想を認めた日本人ということになりますな。それは皇室という日本が中国と同等かそれ以上である、が邪魔なので何が何でも皇室廃止を行うとする。小林よしのりもその先兵 - 中華思想と共産主義 2016-03-17 21 08 28 為になりました、今度は中華思想についてもしりたいですね。 - 名無しさん 2016-09-24 23 38 41 香港も独立するべき - 名無しさん (2020-07-18 10 25 44)
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目次 ■1.単純明快 中国史◆「統一⇔分裂サイクル説」に沿って中国史を単純化 ◆要点 ◆王朝の滅亡原因 ■2.中国文明考I:女性的感性の欠落(跛行性) ■3.中国文明考II:騎士道精神(あるいは日本風に言えば武士道精神)の欠落 ■4.中国文明考Ⅲ:遵法精神・正義感の欠落、詐術・謀略の横行 ■5.中国文明考IV:支配者や自分の都合によって変わる独善的な歴史認識 ■6.中国文明考V:誠・和の精神の欠如(欲望最大・自己中心・道徳最低)、意味不明(相手によって意味の変わる)な仁、「詐」の文化 ■7.中華人民共和国の歴史◆毛沢東の中国:大いなる実験 ◆天安門事件(第二次天安門事件、1989年6月4日) ◆中国共産党の正体(九評共産党)・・・中国共産党とは何者なのか?「大紀元」(法輪功製作) ■8.参考サイト ■9.補講1.「中国4000年の歴史」というのは真っ赤な嘘。国が連続していない。 2.「国」が始ったのは1912年。それ以前は「国」の概念もない、点の歴史のみ。 3.中国は歴史が真っ直ぐ続いていない。少数民族の歴史を乗っ取って偉そうにしているだけ。 4.乗っ取り潰して入れ替る、そしてそれを繰り返す野蛮王朝。 5.日本文化と中国文化の関係 6.残虐思想の歴史、食人文化、儒教と官僚制度、中華思想 共産党 7.中国は国家としてまとまってない。2つに分かれている。 ■10.ご意見、情報提供 ■1.単純明快 中国史 ◆「統一⇔分裂サイクル説」に沿って中国史を単純化 1. 統一期I 夏~殷~西周 2. 分裂期I 春秋~戦国時代 3. 統一期II 秦~漢 4. 分裂期II 六朝時代:三国~西晋~東晋・五胡~南北朝 5. 統一期III 隋~唐 隋・唐は本来は鮮卑系(五胡の一 モンゴル系またはトルコ系) 6. 分裂期III 五代・遼~北宋・遼~南宋・金 遼は契丹(モンゴル系)、金は女真(ツングース系=満州族) 断絶 7. 統一期IV 元 元はモンゴル族 8. 分裂期IV 明・北元(タタール) 北元(タタール、明では韃靼と蔑称した)は漠北に帰還後の元朝明は規模的に元・清の半分で北元との南北分裂期と見るのが妥当 9. 統一期V 清 清は満州族で、北元よりモンゴル族の大汗位を継承 断絶 10. 分裂期V 中華民国 実態は軍閥・革命勢力・独立派諸民族が割拠 11. 統一期VI 中華人民共和国 「5.中華人民共和国の歴史」参照 ◆要点 分裂期から次の統一期に入る時に「中華」の範囲が拡大している。 大きな断絶が2回ある。 一回目 元朝(モンゴル族)による征服(漢族王朝の完全消滅)「有徳者への禅譲」または「有徳者による放伐」という王朝変遷の建前もここで完全に消滅し、以降は"腕力[または財力]が全て(=モラル欠落)の社会"となる 二回目 王朝制度そのものの崩壊~共産主義中国の出現(文化大革命に代表される過去の文明の否定) 漢族のアイディンティティは、統一期IIの秦~漢時代にある。 しかし実際には、唐滅亡以降~清滅亡迄の千年間は、漢族は北方民族に圧迫され、また支配されていた期間が圧倒的に長い。 | ⇒唐代までに形成され、日本でも幅広く受容された古典思想が、弱体だった宋朝以降に著しく歪んでいった原因(朱子学イデオロギー:理念先行=現実から遊離した空理空論を弄する欺瞞的国家体質が形成される)。 ⇒20世紀には、これに更に共産主義イデオロギーが加味(中華思想+共産主義=欺瞞的・暴力的国家体質が形成される)。 ◆王朝の滅亡原因 1 内乱型(貴族や宦官の専横・党争等で国が乱れ、農民が匪賊化し大乱が発生、豪族や鎮圧軍が各地で軍閥化して内部崩壊)⇒秦(陳勝呉広の乱)・漢(黄巾の乱)・隋・唐(黄巣の乱)・元(紅巾の乱…厳密には北帰で滅亡ではない)・明(李自成の乱)・清(辛亥革命) 2 異民族侵入型⇒西周(犬戎の侵入で東遷)・西晋(五胡の侵入で南遷)・北宋(金の圧迫で南遷)・・・厳密には、これらは滅亡ではない。 3 従って厳密な異民族侵入型(異民族征服型)は、次の一件のみ⇒南宋(元に征服されて滅亡)※なお清は征服王朝だが、明を直接征服した訳ではなく、明を滅ぼした李自成(農民反乱)を討伐して漢土の支配を確立。 ■2.中国文明考I:女性的感性の欠落(跛行性) 日本と中国の精神文化には強い共通性があり、その殆どは中国起源だとする刷り込みが、マスコミ・教育を通じて頻繁に行われている。 しかし最近のチベット虐殺や毒入り餃子事件の件で分かる様に、中国の精神文化は、実は日本とは決定的に違う事を、この際しっかり認識しておこう。 神話の時代からそうだが、日本や欧州の文明では社会や人間の精神的発達に於いて当然ながら「女性」の貢献が極めて大きい。 (1)日本の場合 日本神話 天照大神、神功皇后など 日本文化史 額田王、紫式部、清少納言、菅原考標娘、樋口一葉、与謝野晶子など 日本政治史 卑弥呼、推古女帝、光明皇后、北条政子など (2)欧州の場合 欧州神話 ヘラ、アフォロディテ、アテナ(希)など。あるいは北欧神話のオンディーヌ、聖書のイブ・マリア 欧州文化史 エレオノール=ダキテーヌ(仏)、マリアンナ=アルカフォラド(葡)、ラ=ファイエット夫人(仏)、J.オースティン(英)、ブロンテ姉妹(英)など 欧州政治史 イザベル女王(西)、エリザベス女王(英)、ビクトリア女帝(英)、ポンパドォール夫人(仏)、エカテリーナ女帝(露)、マリア=テレサ(墺)など これに対して中国はどうか。 (3)中国の場合 中国神話 ホウジ、ダッキ(艶女・暴君タイプ) 中国文化史 無し 中国政治史 呂后、武則天(則天武后)、西大后(暴君タイプ)虞美人、楊貴妃、陳円円(艶女タイプ) つまり、神話・実在を問わず、中国史に登場する女性は、男を凌ぐほど残虐な暴君タイプか、男の都合のままに流されて生きる艶女タイプしかない。 おそらく今に至るも男尊女卑の風習が強烈なために(それを儒教的伝統と言うのだが)、中国は自称4000年近い長い歴史を誇るにもかかわらず、日本や欧州のように女性の感性を核とする柔構造の文化をついぞ生み出し発展させることが出来ず、それゆえ弱者への優しさを欠いた跛行的な文明となってしまった、と結論づけられる。 20世紀初頭に至っても、魯迅「阿Q正伝」の精神世界に留まっていたのである(そしてそれは、本質的には今も変わっていない)。 残虐・好色・貪欲の3つに特徴づけられ、女性的感性を欠く跛行した文明が中国文明の本質である。 最近のチベット虐殺や四川省大地震に対する偏向報道は以上の根拠を益々強めるものである。 ■3.中国文明考II:騎士道精神(あるいは日本風に言えば武士道精神)の欠落 漢から六朝を経て隋唐へと連綿と続いた中国の古代貴族制社会は、中唐期の節度使の勢力強大・分立をもって動揺し、晩唐の黄巣の乱を期に崩壊する。 その後、五代十国の時代を経て北宋による統一を迎えるまでの約一世紀(870-980頃)を、中国史上の「武人の時代」と呼ぶ。 同時期に、日本では武士階級の興起があり、西欧でも騎士階級による封建社会の形成の動きがあった。 しかし中国の場合は、おそらく北方民族からの圧力が強力であったために、日本や西欧のように封建諸侯が分立したまま国家を存続させることが困難で、本来は武人勢力の一角に過ぎなかった宋朝による統一が促進され、統一の達成後は、再び国を分裂させないために、唯一絶対の皇帝権の下で武人階級の抑圧が起こってしまった。 結局、中国は中世的封建制社会を形成するに至らないまま、近世的な官僚制皇帝専制国家に移行してしまった。 つまり、日本的な武士道精神や西欧的な騎士道精神が後の世代が頼り・誇りとする精神的遺産として形成されなかったのである。 では、中国社会に存在する武士道(騎士道)に替わる精神的遺産とは何か? それは、私の見るところ「任侠道」である。 楚漢抗争の物語を読んでも、三国史演義を見ても、あるいは後世の水滸伝の世界を観察しても、そこにあるのは義兄弟の誓い等の「任侠道」すなわち「ヤクザの精神世界」である。 これは、武士道や騎士道を特徴づける死や犠牲を超越した精神的美学・美意識が欠落した、自己保存と利益万能を特徴とするご都合主義の精神文化といえる。 台湾を民主化した李登輝前総統が、中国を「土匪国家」と形容したことがあるが、まさに「任侠道」にもとづくヤクザ(匪賊)が成り上がって国家権力を掌握して出発したのが今の中国である、と言うと言い過ぎであろうか。 しかし、中国の国家の成立を見ると、由緒ある古代王朝の系統は、B.C.2世紀の秦の滅亡で完全に絶たれ、それ以降は、 (1) 外来民族による征服国家 (鮮卑系の北魏・隋・唐、モンゴル系の遼・元、満州族の金・清)もしくは (2) 土匪の成り上がり国家 (漢、五代の後梁、明、共産党支配化の現中国) ばかりである(なお、宋は五代の軍閥出身、中華民国も軍閥及び国民党の連合政権)。 多くの日本人が持つ疑問「中国は何故近代に乗り遅れたのか?」の答えが、I.(女性的感性の欠如)、II.(武士道精神の欠落)にある。 ■4.中国文明考Ⅲ:遵法精神・正義感の欠落、詐術・謀略の横行 現代では政府の正統性は、選挙などを通して自由に表明される国民の信認によって付与される。それは国土の大小や人口の寡多や経済力・政治力などの強弱には制約されない世界共通の認識といってよいだろう。 中共政府は自国民の人権を不当に制約する言い訳として、自国が人口過剰な発展途上国であることを挙げるが、それでは「世界最大の民主主義国家」を自認するインドの発展振りはどう説明するのか。中国が直ちに民主化できない理由は一切ないのである。 中国が民主化しない理由は、今や特権階級となった共産党上層部が圧倒的多数の人民を支配する体制を維持するためであって、現在の中共政府に国家統治の正統性があるとは、とても言えない。そして、 政府に正統性がない所では、国民が遵法精神を持ちようがないのである。 加えて、中国の場合は、国家自体が何度も途絶しており歴代王朝の正統性が元々怪しく、日本や西欧のように長期にわたって国家と国民の信頼関係が醸成されるという発展過程が乏しかった、という背景もある (「1.単純明快 中国史」参照)。 中国の庶民に最も人気のある歴史上の人物といえば、南宋初期の武人"精忠報国"岳飛である。 日本で言えば楠木正成に相当する、南宋皇帝高宗に最後まで忠義を尽くした人物だが、彼の場合、実に悲劇的なのは、金朝(女真族)との戦闘自体には勝利目前だったのに、自分が忠義を尽くしている筈の南宋宮廷の謀略に嵌められて、無実の罪で一族もろとも刑死させられた事である。(ただし、中国の忠義は日本の公と異なり、皇帝や宮廷といった絶対的な権力者のためのもの。) 中国の歴史には、このような著しいモラル・ハザードが、枚挙にいとまない。 日本人にも親しみのある例で言えば、忠孝を尽くした劉備・孔明の側ではなく、権勢欲と謀略の権化であった曹操・司馬仲達の側が勝ち続けて栄華を手にするのが中国の常態であり、そのような社会では、美辞麗句を連ねる儒教などの建前とは裏腹に「正義感や信義誠実を尊ぶ精神が育ちようがない」のは当然である。 尚、中華民国・中華人民共和国時代は曹操・司馬仲達が中国人に好まれ国の元首から庶民まで生き方の手本となった。また、劉備にも戦乱の逃亡時の際、漁師の劉安の妻を食べた食人の要素や孔明にも孟獲を自称「徳」で征服した南蛮征伐、劉備が息子の劉禅(阿斗)が無能ならば孔明が政権を奪っていいと言った遺言など中国的な要素が強く日本人の考える忠孝とは大きく逸脱する残酷な話が多い。 ※なお、岳飛については朱子学に基づく中華国粋的傾向が見られ、彼と対立した礼部尚書(文部大臣)・秦檜(皇帝高宗と南宋宮廷の謀略の側面もあり)が金に対して和平交渉を試みたのに対し、岳飛一党が軍事的に弱体でありながら無駄な局地戦を続けたために国や民衆が疲弊し、南宋の滅亡を早める結果となったとする指摘もある。秦檜の行動により両国の戦乱が治まり南宋は繁栄したのも事実である。 岳飛の上司であり局地戦の指揮官であった韓世忠などについても同様である。漢人の岳飛信仰の根底には、中華思想による異民族国家(女真(ツングース系 満州族)金朝への蔑視があり、相手と屈辱的な和平を結ぶよりも、実状を無視して徹底抗戦し敵を虐殺する岳飛を、正当化し美化・信仰してきた側面がある。 これは後に南宋を滅ぼしたモンゴル帝国こと後の元朝(モンゴル族)に対しても同様である。日本のような「死ねば神仏になる」考え(山川草木愁皆成仏)とは真逆の中国の「死者の墓を暴き、骨や遺体を徹底的に痛めつけ魂まで食らい未来永劫呪う」強烈な独善思考=鞭屍、恨み骨髄までは、岳飛に対抗して和平交渉を行った秦檜とその妻王氏(他に張俊、万俊などの5奸族)の墓や像に、現在でも観光客が唾を吐きかける、小便をするなどという徹底的な侮蔑を伴っており、このため三国志などと違い、岳飛の物語が日本ではあまり受け入れられない要因となっている。秦檜と同様に扱われる者に明末の清に合流した呉三桂、岳飛と同様に扱われる南宋の史可法、明末の文天祥がそれぞれ奸族(漢奸)、英雄とされる。 また、仇敵(=異民族、外国人、またはそれと組んだ者)を未来永劫許さずその肉(屍肉)を食らう思想は岳飛を描いた「隔簾花影」でも揚州市民が漢奸(金人)を食らう描写を岳飛が賛美したものも見られる。この岳飛の「満江紅」の詞は今でも中国人の間で詠われている。 ■5.中国文明考IV:支配者や自分の都合によって変わる独善的な歴史認識 中国における歴史観は、日本人のそれとは大きく異なり、歴史人物の評価が時の権力者や時勢により大きく変貌・逆転し、突如大悪人=漢奸が大善人・英雄となったり、逆に大善人・英雄が大悪人=漢奸となる現象が度々起こる。 中共政府も鄧小平政権時代には文化大革命を礼賛する文化人が切り捨てられる結果となった。これは中華思想・事大主義に端を発する側面もあり韓国はなぜ反日か?と共通する点も多い。 前述の岳飛も当時は大罪人にあり秦檜の方が評価されたにも関わらず、後世になると以上のように逆転している。 暴君と詠われる秦の始皇帝(政)も文革時代は最大の名君であり、儒教の開祖・孔子(孔丘)は五四運動の際は封建主義の元凶に文革時代には「批林批孔」のスローガンと共に反動派の頭領とされた。 反動的・封建的人物と言われる西太后(慈禧太后)や曾国藩や袁世凱も改革者や愛国者に変わった。近年では共産党と対立した国民党の蒋介石や彼と対立し、死後秦檜夫婦のような弾圧を受ける汪兆銘(汪精衛)は共に売国奴と愛国者の間に見解が変動している。 彼は秦檜同様、当時の日本政府や日本軍と和平交渉や協力を行ったため、売国奴と呼ばれるようになった。 このように中国は外国人・異民族と徹底抗戦することを望む好戦的で残忍な性格が顕著である。 また、英雄と呼ばれた鄭成功は分裂主義者に変わる。このように独善的で朝令暮改で変動的なのが中国の伝統的な歴史観である。 ■6.中国文明考V:誠・和の精神の欠如(欲望最大・自己中心・道徳最低)、意味不明(相手によって意味の変わる)な仁、「詐」の文化 上に挙げる「遵法精神・正義感の欠落、詐術・謀略の横行」とも共通する。孔子(孔丘)の論語の五倫(仁・義・礼・智・信)は日本に伝来した時、聖徳太子により「和・義・礼・智・信」に変更されている。 武士道の代表とされる誠も取り入れられ、「誠・義・礼・智・信」とも後世には呼ばれた。長年、仁は意味不明の徳目とされ、強盗(匪族)には強盗の仁があるとまで言われ、時代ごとにその意味は変更された。仁は日本でもヤクザ(任侠)が好んで用いる物とされる。 中国では詐術・謀略の横行や大虐殺、匪賊の跋扈などにより誠心誠意に代表される『誠』(まごごろ・いつわりのない心)やみんな仲良く手を取り合う『和』(穏やかさ・なごやかさ・のどかさ)が欠如しており、嘘をつくことや人を騙すことが当然とされ、現在でも台湾などでは「詐」の国と呼ばれる。 詐以外にも争・盗・乱・穢の性質を持つ。 ■7.中華人民共和国の歴史 ◆毛沢東の中国:大いなる実験 ◇1 (1950年代まで) 貧困に苦しむ農民、蒋介石の国民党政府(1928)、中産階級と農民の格差、共産党の台頭と国民党による弾圧、抗日戦争と国共合作(1937-1945)、毛沢東・共産党と農民、国共内戦(1945-1949)、国民党の敗北・台湾へ逃避、中華人民共和国の成立(1949)、プロパガンダと思想教育 ◇2 (1958年頃まで) 農地改革と農民、地主の告発集会と処刑、実業家から実質的資産没収、女性の権利拡充、教育、プロパガンダと国民総動員体制、雀撲滅運動、反革命分子告発キャンペーン ◇3 (大躍進政策1958-1960) 人民公社への統合、農工業の大増産政策、人民への厳しいノルマと水増しされた成果、無茶な粗鉄増産、飢饉による大量の餓死者、劉少奇、農民の土地私有復活、生活の正常化 ◇4 (文化大革命1 1966-1967) 毛沢東語録、長江遊泳、伝統文化の破壊、プロレタリア文化大革命、江青女史ら四人組と毛沢東への個人崇拝、原理主義的学生と紅衛兵、劉少奇ら実権派への中傷キャンペーン、 知識層・管理者層のつるしあげ・暴行、走資派レッテルと告発集会 ◇5 (文化大革命2 1967-1989) 過激化する紅衛兵、リンチを受けた女性校長、大量の処刑と自殺、内部抗争する紅衛兵、 学校・病院・工場閉鎖、無政府状態、秩序回復のため人民解放軍の投入、紅衛兵運動停止(1968)、上山下郷運動、毛沢東の死(1976)、四人組逮捕、鄧小平の経済改革 、天安門事件(1989) ◆天安門事件(第二次天安門事件、1989年6月4日) 天安門事件 2/3 天安門事件 3/3 http //www.nicovideo.jp/watch/sm7258151 http //www.nicovideo.jp/watch/sm2129074 天安門事件関係ニュースが流れると放送を止められる瞬間 六四事件(天安門事件)を忘れてはならない 毋忘六四 ※一部グロテスクな画像があります。ご注意下さい。解説⇒ぼやきくっくり様HP ※ところが、NHKクローズアップ現代は「大規模な虐殺はなかった」と中国を庇う捏造報道⇒NHKの正体 ◆中国共産党の正体(九評共産党)・・・中国共産党とは何者なのか?「大紀元」(法輪功製作) 中国共産党の正体(九評共産党)① 中国共産党の正体(九評共産党)② 中国共産党の正体(九評共産党)③ 中国共産党の正体(九評共産党)④ ※大紀元社説シリーズ『共産党についての九つの論評』 【第一評】共産党とは一体何ものか 暴力による恐怖によって政権を奪取し維持する 虚言を以って暴力の潤滑剤と成す 絶えず変化する立場と原則 党性(党是)が人間性に取って代わり、人間性を消滅させる 自然に反し、人間性に反する邪悪な生命体 邪悪な憑き物の特性 自己を反省し、中国共産党の憑き物から逃れる ■8.参考サイト 丸幸亭老人のシナにつける薬 ■9.補講 1.「中国4000年の歴史」というのは真っ赤な嘘。国が連続していない。 中華人民共和国は63年の歴史。(前の中華民国は100年) 国がきれたのは、13世紀後半のモンゴル人による植民地支配(大モンゴル国時代)。中国人最大のトラウマ。 4000年というのは、中華思想によって漢民族・モンゴル・満州民族なども混ぜた上での考え方。チベットが中国というのと同じ。支那の語源・秦でも2000年ほどの歴史をブツ切りにしたものでしかない。存在すら疑わしい伝説上の「夏」などの古代王朝も含めて4000年とされた。 ちなみに、パンダは中国がチベットから盗んだもの。 一方、日本は、日本書紀による讖緯説に基づく紀元の過大な引き伸ばしがあるとはいえ、考古学的にも巻向遺跡に代表される古代ヤマト王権の祭祀が少なくとも3世紀初めには始まっており、かつそれが現在まで宮中や伊勢神宮などの大社で連綿と受け継がれている、すなわち国家祭祀が少なくとも1600年以上連続している奇跡的な国家である。 2.「国」が始ったのは1912年。それ以前は「国」の概念もない、点の歴史のみ。 国という観念はなかった。広い場所に要塞で囲った町、王朝名があったのみ。 単品の王朝の歴史は古いが国全体の歴史は浅く、それらが都合良く書き換えられている。 「日本人は、自分達と同じように連続した歴史の中にある」と勘違いしている。 それを現代の中国が「国」という概念に歴史を書き直している。 1907年の早稲田大学の清国留学生62人は、自分の国籍について、支那18人、清国12人、中華&中国7人、残り25人は自分が何国人かも書けなかった。 漢人の歴史トラウマ 3.中国は歴史が真っ直ぐ続いていない。少数民族の歴史を乗っ取って偉そうにしているだけ。 漢民族は、どんどん他の民族を乗っ取り搾取して成立してきた国。 「漢字を使うのは、中国のもの」という思想の元、都合の良い時には乗っ取り、いらない時は切り捨てる。 土地の6割は元少数民族。(中国の土地ではなかった) 4割の土地の持ち主の漢民族が、人口の9割をしめて乗っ取っている! どうして乗っ取るかというと、資源が欲しいから。チベット(水や空気)ウイグル(石炭石油・ガス)モンゴル(油田)→これらはみんな中国のものだから、と共産党が奪う 台湾、沖縄も取りにくるだろう。 4.乗っ取り潰して入れ替る、そしてそれを繰り返す野蛮王朝。 独裁者が王朝が支配、謀反人や狂信集団がそれを潰して新しい独裁者となり、それを繰り返す。 独裁者は自分の正当性を言うために、前の独裁者に関わる物を皆殺し、文化を吐かして歴史を書き換える。 王朝が変わるために文化財を破壊するから、墓しか残らない。その墓も盗掘が多い。 王朝が変わるたびに人口が大きく減る。飢饉や大量殺戮、人を食わせて全滅させたりが日常茶飯事の国→だから中国人は、生きるために他人を信用しない。幸災楽禍=他人の不幸を喜ぶ精神を持つ。 日本は、殺し尽くさないで調和する考え方(島国だから 許し、水に流す&死者を冒涜しない) 天皇の部下としての武士達が戦う事はあっても、武士は天皇に手を出さないし、武士同士で戦っても皆殺しにはしない。 5.日本文化と中国文化の関係 中国は自分の文化を自分で潰しまくった(文化大革命では孔子孟子を否定し、本は焼かれた) 日本は、どんどん研究していく文化があり、独自の文化になった(漢字など)。 中国共産党は孔子を否定していたが、急に持ち上げ孔子学院(語学学校)を世界2000カ所に設立。 江戸時代以来、論語の本家は日本に移った(実行と解釈の深さ) 唐などの中国の歴代王朝は陸禁・海禁といった徹底した閉鎖的な世界を築いており中華思想で夷狄とみなし見下す外国から文化を取り入れたり、朝貢貿易の分以上に外に出すことはしなかった。諸外国は中国の歴代王朝から高額な金や臣下の礼を強制される屈辱的な外交でぼられたといえる。 他人や国のために生命を投げ出す「玉砕」は.日本文化、中国文化は時の権力者の趨勢で他人を裏切り、新たな支配者の奴隷になる「瓦全」。(これは朝鮮/韓国人も同じ) 日本と中国は理解しあえない 著者 日下公人,石平 6.残虐思想の歴史、食人文化、儒教と官僚制度、中華思想 共産党 中国残虐史、人肉料理文化 儒教には万人平等という思想がない。少数のエリートが多くの愚かな民衆を統治するべきという官尊民卑の思想。 7.中国は国家としてまとまってない。2つに分かれている。 支配階級(搾取する側)と被搾取階級(田舎、農民) これらはとても仲が悪い。内部をまとめるだけで大変。マスコミや中国は隠しているが、そのうちボロがでる。 ■10.ご意見、情報提供 日本は皇紀2600年以上とういうのは歴史学的にみてどうかと。はっきりと2600年前から続いてることを示す資料・遺跡ってありましたか? -- liiu (2014-02-05 23 46 57) あと中国文化史で女性が全く登場しないような書き方していますが居ることにはいますよ(班昭など)。編集し直したほうがいいかと。 -- liu (2014-02-06 00 08 25) 該当箇所を修正。ご意見ありがとう。 -- maron (2014-02-06 19 29 01) 生物学的な意味での -- 名無しさん (2014-04-09 21 07 22) 生物学的な意味での漢民族は存在しない。中原の支配者となった民族が歴代漢民族を自称した。漢民族を自称していないのはモンゴル人と女真族だけ。従って中国〇千年の歴史なんて連続したものは存在しない。 -- 名無しさん (2014-04-09 21 10 34) 支那がおかしいのは誹謗でも何でもない事実。誹謗とする指摘が誹謗である。 -- 名無しさん (2014-06-26 02 23 33) 4000年の歴史が可笑しいというのは、王朝も文化も断続してきたのに、新たな支配者の正当性としてそれを利用しているに過ぎないから可笑しいのだといってるのでは? -- 名無しさん (2014-09-20 18 52 43) こんな勝手な歴史解釈を日本人だけでやっていてもしょうがない。世界に世界の歴史家がどう判断するかだな。 -- 名無しさん (2014-11-15 23 21 22) 日本は今、西暦で2014年、紀元前も存在するとしても日本の歴史は精々2500年ちょっと。今日本は、国として人口が減少し、国自体が存亡の危機にある。中国は日本や米国に付随し、これから発展しているってことは最近国として潰れたって事か?産業が発展していないのに4000年も国家が存在した? -- 名無しさん (2014-11-18 14 22 20) アメリカはヨーロッパの人間によって植民地にされた。それで原住民は迫害され、様々な植民地が合体してアメリカという国家が作られ経済的に進化を遂げてきた。そんな状況を中国という4000年前からあった国家が存亡を繰り返しつつ、指を銜えて眺めてたってことか?おかしくないか? -- 名無しさん (2014-11-18 14 42 06) 結局中華民族・漢民族の定義は中華文明を受け継いだ者だし、人口が激減したのも戸籍逃れ、小作人、浮浪者が増えただけだから -- 名無しさん (2014-12-10 10 26 04) いろいろ穴のある理論だが、少なくとも明が統一でなかったとする論が支持されることはないだろうな -- 名無しさん (2014-12-13 16 29 12) 2年間見ないうちに、工作員の手がここにも来ていたか・・・ -- 名無しさん (2015-01-06 19 46 59) モンゴルによって支配されてるのに中国4000年はやっぱりおかしい。 - 名無しさん 2015-06-17 00 38 23 中国(一応)4000年(笑) - 名無しさん 2015-07-30 11 31 34 中国の民族問題に満州族と雲南の少数民族が入っていない。 - 名無し 2015-08-16 22 01 26 面白いですね。 - 名無しさん 2016-03-17 21 04 06 中国は中華思想というものがあるから 小中華朝鮮は2番目で日本は3番目という事になりますが。 反日サヨクはそれを実行する為に日本が中国と同等であるとした聖徳太子などが実は居なかった、或は皇室制度を廃止して 中華共産主義を実現させ日本を特亜に組み込み 長男中国 次男朝鮮 三男日本と3国社会主義の中で日本を最も下のとする、中華思想を認めた日本人ということになりますな。それは皇室という日本が中国と同等かそれ以上である、が邪魔なので何が何でも皇室廃止を行うとする。小林よしのりもその先兵 - 中華思想と共産主義 2016-03-17 21 08 28 為になりました、今度は中華思想についてもしりたいですね。 - 名無しさん 2016-09-24 23 38 41 香港も独立するべき - 名無しさん (2020-07-18 10 25 44) 名前 ■自虐史観から完全に目覚めるために!セットで読む歴史問題・解説ページ 中国の歴史・中国文明 辛亥革命~中国近代化運動の実際 中国はなぜ反日か? 自虐史観の正体 GHQの占領政策と影響 大東亜戦争への経緯 南京大虐殺の正体 沖縄戦集団自決命令問題 韓国はなぜ反日か? 日韓併合の真実 偏向教科書の正体 NHKの正体 靖國神社と英霊の御心 教育勅語とその精神 右翼・左翼の歴史 戦後レジームの正体 マルクス主義と天皇制ファシズム論 丸山眞男「天皇制ファシズム論」、村上重良「国家神道論」の検証 政治の基礎知識 歴史問題の基礎知識 ブログランキング応援クリックをお願いいたします(一日一回有効)。 人気ブログランキングへ 当サイトは、日本人の自虐史観(東京裁判史観)からの完全脱却を応援します。 ブログランキング応援クリックをお願いいたします(一日一回有効)。 ⇒ 当サイトは日本唯一の愛国放送・チャンネル桜を応援しています! ■セットで読む中国の民族問題解説ページ■東トルキスタン侵略の正体チベット侵略の正体南モンゴル侵略の正体台湾の真実中国の歴史・中国文明辛亥革命~中国近代化運動の実際
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日本ファシズム 満州事変以降第2次世界大戦までの十五年戦争の期間における、日本の国家の形態を指す言葉。 ①中国における革命運動の進行や、②1929年世界大恐慌の影響による社会的・経済的危機の増大、③階級矛盾の激化を、(1)軍部独裁による民族排外主義の鼓舞と、(2)国民の強権的統制による侵略戦争への動員によって乗り切ろうとした一連の動きを支えたイデオロギーであり、 天皇制ファシズムとも呼ばれる。その背景には、政党内閣の無力による国家的展望の喪失があった。次のような特色をもつ。(1) ヨーロッパのように小ブルジョワの民間における独自な組織化とそれによる権力の奪取として進行したのではなく、上からの再編としてなされていったこと、 (2) 天皇制をイデオロギー的支柱とし、天皇制を支える伝統的社会集団・統治機構をファシズム的に再編したものであること。 従って民間・在野における右翼・国粋主義の活動も、大衆を組織することはできず、五・一五、二・二六事件などの青年将校によるクーデターもそれ自身の展望を持つものではなく、上からの再編への圧力に過ぎなかった。 (補足説明) 見取り図で示したように、コミンテルン32年テーゼは日本の現状を「絶対主義的天皇制」と規定し、日本に来るべき革命は「ブルジョア民主主義革命」と断定しており、 日本共産党はこれを遵守して、戦前日本の国家体制を「ファシズム体制」と規定することには否定的であった(スターリンに最も忠実な理論家とされた神山茂夫が否定論の代表者)。 しかし、1940年から46年1月まで中国で毛沢東に従って行動した野坂参三は、戦前に早くも『日本の共産主義者への手紙』の中で「軍部ファシスト独裁」という言葉を使用しており、 更に戦時中に獄中で非転向を貫いてGHQによって出獄した志賀義雄が、1946年末頃から「日本ファシズム肯定論」を提起して、日本共産党内で以降長期に渡って「神山-志賀論争」と呼ばれる最初の「日本ファシズム論争」が展開された。 一方、非共産党員で東大で政治思想史を研究していた丸山眞男は、1946年5月に岩波書店の雑誌『世界』に論文「超国家主義の論理と心理」を発表し、戦前日本のイデオロギーを「超国家主義(ウルトラ・ナショナリズム)」と断じたのを皮切りに、 翌47年6月に東大で行った講演(のちに論文「日本ファシズムの思想と行動」として発表)で、戦前日本の国家体制を「ファシズム体制」であると断定して、当時の言論界に大きな衝撃を与えた。 以降、丸山眞男の「日本ファシズム(天皇制ファシズム)論」は、「進歩的文化人」と呼称された隠れマルクス主義者と労農派マルクス主義者に広く受容され、それをベースとして様々な追加研究が発表されるようになった。 こうして「日本ファシズム論」は、1980年代までに歴史教科書や憲法解説書さらには宗教解説その他様々の分野の著作物に現れる国家観・歴史観のベースをなす概念として広く普及していった。 しかし、その一方で1980年代に入ると旧ソ連・東欧など社会主義国の経済的・社会的低迷が目立つようになり、やがて1990年前後にこれらの体制が崩壊・解体するに及んで、 日本ファシズム論の元となったマルクス主義の体制論・革命論の枠組み自体が疑問視されるようになり、日本人研究者による追加的研究は下火になって行った。 現在では、戦前日本の国家体制を「天皇制ファシズム(日本ファシズム)」などと呼称するのは、姜尚中(東大政治学教授)など在日系の学者か、中国・韓国の研究者ばかりである。 上記の日本語版ブリタニカ百科事典の「日本ファシズム」の説明も、「十五年戦争」という日本では通常は使われない用語が使用されていることに注意。 (※1931年9月の満州事変勃発から1945年8月の日本敗戦までの期間の日中の対立関係を、中国では「十五年戦争」と称しているが、厳密には途中に塘沽協定に基づく約3年の和平期間があり、これを連続した「戦争」と呼ぶのは、日本人の感覚では些か誇張された表現である。特に中国に迎合した研究者でない限り普通は、この用語は用いられない)
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人間とその社会を、理性によって意図的に制御し得る対象であると考える、構成的合理主義や、また、人間とその社会についての知識を、客観的な事実によって確証し得る言明であると考える、実証主義やは、我々の社会のほとんど自明な前提となっている。 しかし、果たして社会は、意図的に制御し得る対象であり得るのか。 あるいは、社会についての知識は、客観的に確証し得る言明であり得るのか。 ハイエクの問いは、ここから始まる。 ハイエクによれば、社会は、目的を達成すべく意図的に構成された秩序、すなわち彼の言う組織には留まり得ない。 社会には、意識的な目的を持たず、また、意図的に設計された訳でもない秩序が、必ず存在しているのである。 言い換えれば、社会には、差し当たり何に役立つのか(当の本人達にも)分からない、自然発生的(spontaneous)に生成された秩序が、常に存在しているのである。 ハイエクは、このような秩序を、自生的秩序(spontaneous order)あるいはコスモス(cosmos)と呼ぶ。 ハイエクによれば、自生的秩序は、通常の個体の行為はもとより、組織それ自体の行為をも含んだ秩序として、社会全域を覆っている。 すなわち、構成的合理主義の、社会全域を一個の組織によって覆い尽くし得るとする考え方に対して、ハイエクは、社会とは、一個の組織によってはついに覆い尽くせない、(組織をその要素として含み得る)自生的秩序に外ならないと主張するのである。 自生的秩序は、自然発生的に生成された秩序である。 しかし、言うまでもなく、自生的秩序は、人間の行為から独立した、自然と同様の、客観的な事実ではあり得ない。 すなわち、自生的秩序とは、行為の持続的な遂行が、(意図せざる)結果として秩序を生成しているという事態に外ならないのである。 しかし、自生的秩序が、行為の遂行的な結果に外ならないからと言って、必ずしも、それが、行為の主観的な意図に還元され得る訳ではない。 自生的秩序は、それを結果する行為の主観的な意図を超越し、それに先行するのみならず、行為を規範的に拘束しさえするのである。 しかし、自生的秩序のこの側面については、次章で詳しく検討したい。 この章では、自生的秩序の、行為の持続的な遂行の(意図せざる)結果として生成されるという特徴から導かれる、もう一つの側面のみに、議論を限定したい。 自生的秩序のこの側面こそ、構成的合理主義さらには実証主義との闘いに際して、最も有力な橋頭堡となり得るからである。 行為の持続的な遂行の(意図せざる)結果として生成される秩序を、手短に、遂行的(performative)な秩序と呼ぶことにしょう。 すなわち、自生的秩序は、遂行的な秩序として特徴付けられるのである。 遂行的な秩序としての自生的秩序には、たとえば、市場、貨幣、法、権威、社交、言語、技能、偏見、儀礼、流行、慣習、伝統などといった社会秩序が含まれる。 これらの社会秩序は、それぞれの領域における人々の行為の持続的な遂行が、結果的に、それらの行為の従うべき何等かのルールを生成し、従ってルールに従う行為の集合としての秩序を生成するという意味において、明らかに遂行的な秩序となっている。 さらに、これらの社会秩序は、それぞれの領域において秩序を形成するルールに、人々が従うべき理由あるいは根拠が、人々がそれらのルールに従うという行為を持続的に遂行していること以外には、(究極的には)存在し得ないという意味においても、紛れもなく遂行的である。 言い換えれば、こられの社会秩序は、(それらの秩序を形成する)ルールに従う行為の持続的な遂行によって、ルール(あるいはそれが形成する秩序)それ自体が繰り返し生成されているという事態のみを、ルール(あるいはそれが形成する秩序)の存立する究極的な根拠としているという意味において、まさに遂行的な秩序と呼ぶべきなのである。 すなわち、自生的秩序とは、行為の持続的な遂行の結果として生成されるのみならず、行為の持続的な遂行をその究極の根拠として存立する社会秩序なのである。 このような遂行的秩序としての自生的秩序が、いわゆる自然と同じ意味における客観的実在性、あるいは、理性によっては疑い得ない絶対的確実性を持ち得ないことは言うまでもない。 自生的秩序は、そのような秩序を生成する行為が繰り返し遂行されているという事態以外の何ものであもないのであって、遂行されている行為が変化すればそれに伴って変化する、行為の遂行に相対的なものである。 すなわち、自生的秩序は、歴史的あるいは地域的な行為の遂行に相対的な秩序なのである。 (このことから、必ずしも価値相対主義が帰結される訳ではないことは、次章に詳しく述べるが、さらに、このことから、いわゆる文化相対主義が帰結される訳ではないことも、次章以降に述べる機会があると思われる。) 従って、このような自生的秩序に、自然法則と同じ意味における、客観的、普遍的な法則を見い出そうとする試みの、挫折せざるを得ないことは、もはや旧聞に属そう。 ところで、遂行的秩序においては、行為の遂行によって生成される秩序が、いかなるものであるかについて、行為者自身が意識している必要は些かもない。 自生的秩序は、行為遂行の意図せざる結果として生成されるのであって、行為主体は、そのような結果について意識し得る筈もないのである。 さらに、自生的秩序においては、行為の遂行において事実上従われているルールが、いかなるものであるかについても、行為者自身が意識している必要は些かもない。 自生的秩序を形成するルールは、その遂行において実践的、経験的に従われているのであって、行為主体が意識的、合理的に従っている訳ではないのである。 言い換えれば、自生的秩序のルールは、言葉(あるいは意識的な理性)によっては語り得ぬ、行為において示し得るのみの、暗黙的(tacit)な事態なのである。 たとえば、典型的な自生的秩序である言語について見るならば、我々は、言語のルールについてほとんど意識せず、またその総てを語り得ないとしても、正しいルールに従った発話を遂行し得るのであり、ましてや、我々の遂行する個々の発話が、言語総体にいかなる結果をもたらすかなどということは、通常全く意識しておらず、またし得るものでもない。 このことは、その他の典型的な自生的秩序である技能や慣習においても、全く同様である。 技能とは、言葉によっては遂に説明し得ず、実践的(遂行的)にのみ従い得る、従って、実践的(遂行的)にのみ学び得るルールに外ならないし、慣習とは、まさに暗黙的、遂行的な事態そのものであって、それを繰り返し生成する行為が、そもそも如何なる意図の下に為されたものであったかが忘却されることによって、益々その安定を強めるといった代物である。 すなわち、行為の遂行によって繰り返し生成される、遂行的な秩序とは、取りも直さず、言葉(あるいは意識的な理性)によってはその全体をついに把握し得ない、暗黙的な秩序に外ならないのである。 従って、我々は、言語によっては分節し得ないが、行為においては遂行し得るルールを知っていることになる。 この意味において、我々は、語り得る以上のことを知っているのである。 この語り得ぬ、ただ示されるのみの、暗黙的あるいは遂行的な知識は、意識的あるいは理性的な認識のみによっては獲得し得ない。 何故なら、意識的、理性的な認識といえども、人間の行為には違いないのであるから、何等かの自生的秩序(あるいはそのルール)を繰り返し生成している筈である。 このことは、意識的、理性的な認識も、他の行為と同様に、自生的秩序のルールに遂行的に従っていることを意味する。 すなわち、意識的、理性的な認識もまた、自生的秩序(あるいはそのルール)に規範的に拘束されているのである。(この点については、次章で改めて述べる。) 従って、ある特定の自生的秩序とそのルールが、意識的、理性的な認識によってたとえ分節され得たとしても、当の意識的、理性的な認識それ自身の従うルールは、分節され得ないままにただ遂行されるものとして残ることになる。 すなわち、自生的秩序とそのルールを、意識的、理性的に認識し尽くそうとする試みは、いかなる認識といえども、自分自身が遂行的に従っているルールを(自分自身によっては)ついに分節し得ないという事情によって、挫折せざるを得ないのである。 言い換えれば、ある特定の自生的秩序とそのルールならいざ知らず、総ての自生的秩序とそのルールを、意識的な理性によって分節し尽くすことは原理的に不可能なのである。 このような訳で、自生的秩序とそのルールは、(究極的には)語り得ぬ、ただ示されるのみの事態であらざるを得ない。 遂行的な秩序は、暗黙的な秩序であらざるを得ないのである。 ハイエクは、このような自生的秩序として、社会を捉える。 自生的秩序としての社会が、構成的合理主義やあるいは実証主義やの対象となり得ないことは、容易に理解し得よう。 自生的秩序としての社会は、理性によって意図的に制御し得る対象ともなり得ないし、また、それについての言明を客観的に確証し得る対象ともなり得ないのである。 何故なら、自生的秩序とは、語り得ぬ、暗黙的な秩序なのであって、それ(その全体)を意図的に制御するための情報を、制御主体が獲得することは、原理的に不可能だからであり、ましてや、それ(その全体)についての言明を、客観的に確証することなど、ほとんど形容矛盾だからである。 あるいは、意図的、合理的な制御もまた、人間の行為には違いないのであって、何等かのルールに遂行的に従っている筈なのであるから、意識的、理性的な認識の場合と全く同様に、自生的秩序(あるいはそのルール)の全体を、意図的、合理的に制御し尽くすことは、原理的に不可能なのである。 自生的秩序としての社会は、遂行的あるいは暗黙的な秩序であるがゆえに、構成的合理主義やあるいは実証主義やといった客観主義の対象には、決してなり得ないのである。 このようなハイエクの自生的秩序論が、ウィトゲンシュタインの言語ゲーム論に極めて接近していることは、注目に値する。 ウィトゲンシュタインの言う言語ゲームは、ここで言う遂行的あるいは暗黙的な事態と、ほとんど過不足なく重なり合っている。 すなわち、言語ゲームは、そのようなゲームが遂行されているという事態以外のいかなる根拠も持ち得ず、また、その全体を対象にして言及する可能性を原理的に拒否しているのである。 さらに、言語ゲームは、人間のあらゆる行為は、何等かの言語ゲームの遂行とならざるを得ないという特徴を、自生的秩序と分け持っている。 すなわち、自生的秩序もまた、人間のあらゆる行為は、何等かの(自生的秩序を形成する)ルールの遂行とならざるを得ないという特徴を持っているのである。 自生的秩序のこの特徴は、その規範的(normative)な側面と呼ばれる。(この側面の検討は次章の課題である。) この意味において、言語ゲームは、また、規範的な事態とも重なり合っているのである。 このように、ハイエクの自生的秩序論と、ウィトゲンシュタインの言語ゲーム論は、家族的類似と言い得る程度にも親しい関係にある。 ハイエクとウィトゲンシュタインは、その思想圏における最も中心的な領域を、ほとんど同じくしているのである。 しかし、ハイエクとウィトゲンシュタインの思想圏は、必ずしも完全に重なり合っている訳ではない。 彼らの思想圏は、その周辺的な領域において、かなりのずれを見せている。 わけても、このずれは、ハイエクの、進化への傾斜において著しい。 ハイエクによれば、自生的秩序としての社会を形成するルールは、変化する環境への適応や、他のルールの形成する(自生的秩序としての)社会との競合やを通じて、淘汰され選択される。 すなわち、ルールは、それが形成する(自生的秩序としての)社会に、勝利と繁栄をもたらすか否かによって、淘汰され選択されるのである。 ハイエクは、このような淘汰と選択を経て、ルールとそれが形成する(自生的秩序としての)社会が、進化し発展すると主張する。 ルールを遺伝子に置き換え、(自生的秩序としての)社会をそれによって形成される生命体に置き換えれば、この主張は、生命進化論とほとんど異ならない。 ハイエクの社会進化論とは、およそこのようなものである。 しかし、社会進化論を主張するからといって、ハイエクは、社会を意図的に進化させ得ると考えている訳では些かもない。 あるルールに従うことが、その社会にいかなる帰結をもたらすかは、自生的秩序としての社会においては原理的に不可知である。 すなわち、あるルールが、社会にとって何の役に立つかは、事前には知り得ないのである。 従って、あるルールに従うことが、社会に成功をもたらすか否かは、そのルールを暗黙的に遂行した結果として始めて知られ得ることになる。 言い換えれば、ルールは、それに従う社会が成功することによってはじめて、その進化論的な優位を証明し得るのであって、進化論的な優位が予知されることによって、それに従う社会が成功する訳ではないのである。 それゆえに、あるルールの採否を、それが社会にもたらす得失の予測に基づいて決定するといった、(たとえばルール功利主義のような)意図的な社会進化の試みは、不可避的に失敗するのである。 もっとも、ハイエクは、ある特定のルールを意図的に改良する可能性までも否定する訳ではない。 ある特定のルールに限るのであれば、それを対象として意識的に言及したり、意図的に改良したりすることは、もちろん可能である。 むしろ、何が従うべきルールであるのかをめぐって紛争が生じた場合など、遂行的に従われているルールを意識的に分節し、その不確定な部分を確定すべく、新しいルールを意図的に設定すべきでさえある。 しかし、このような分節や設定やが可能なのは、あくまで、ある特定のルールについてのみであって、決して、ルールの全体についてではあり得ない。 ルールを分節し設定する行為もまた、何等かのルールに従っているのであって、分節あるいは設定行為自体の従うルールを、当の行為者自身が分節しあるいは設定することは不可能だからである。 (あるいは、そのようなルールの分節/設定は、また別のルールに従っているのであって、いずれにせよ、すべてのルールを分節/設定し尽くすことは不可能なのである。) 言い換えれば、ある特定のルールを意識的に分節し意図的に設定する行為は、その他の総てのルールを暗黙的、遂行的に前提して始めて可能になるのである。 すなわち、ルールのあらゆる改良は、遂行的に従われているルールの全体を、無批判的に受け容れることによって始めて可能になるのである。 さらに、ルールの改良は、それが(自生的秩序としての)社会にいかなる帰結をもたらすかを予測しつつ為されるものでは、決してあり得ない。 そんなことが不可能であることは、既に述べた通りである。 ここで言うルールの改良とは、何が従うべきルールであるかを巡って紛争が生じた場合に、そのような紛争を解決すべく、ルールの不確定な部分を確定するということ以上のものではない。 このようなルールの境界確定において考慮されるのは、それが社会全体にもたらすであろう便益の予測ではなく、たとえばそれが現行のルールの総体と整合するか否かといった原理である。 すなわち、ルールの改良において考慮されるのは、その社会的な帰結ではあり得ず、その内在的な整合なのである。 なるほど、その社会的な効果に配慮しつつ、ルールを改定することもあるには違いない。 しかし、そのルールがいかなる意図によって設定されたかということと、果たしてそれがいかなる自生的秩序を形成するのかということは、(自生的秩序は意図的には構成し得ないのであるから)実は全く無関係なのであって、むしろ、その設定の意図が忘却されることによって始めて、ルールは安定した自生的秩序を形成し得るとも言い得るのである。 従って、ルールの改良は、遂行的に前提されているルールの総体との、内在的な整合性のみを考慮しつつ、言わば(社会的な)結果を顧みずに為されざるを得ないのである。 これが、ハイエクの言う、ルールの意図的な改良における整合性(coherency)の原理に外ならない。
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佐藤優氏によれば、「『国体の本義』は、欧米のキリスト教文化圏の人々にも理解できる記述をしている。西欧思想、哲学の伝統を踏まえた上で書かれた水準の高い思想書である。このレベルの思想を理解していれば、二十一世紀の日本人が、アメリカ人、イギリス人、ドイツ人、ロシア人、中国人などと議論しても、決して負けることはない。」 また、新田均氏によれば、「『国体の本義』の編纂過程で、編纂委員の一人であった和辻哲郎から「特に根本的規定等に於て現代の日本インテリゲンチャを納得せしめる様論述し得るか否かは相当重大なる問題と存候、この点特にご配慮願上候」といった意見が表明された」等、当時の日本を代表する学識者の意見を広く聴取して内容が練り上げられている、とのことであり、私見でもやはり、なかなか文句の付けようのない内容であると思う。 ※サイズが合わない場合はこちらをクリック。
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阪本昌成『憲法1 国制クラシック 全訂第三版』(2011年刊) 第Ⅱ部 日本国憲法の基礎理論 第1章 日本国憲法における立憲主義 本文 p.111以下 <目次> [74] (1) 立憲主義の意義 [75] (2) 日本国憲法の特異さ [75続き] (3) 日本国憲法と法の支配 ■用語集、関連ページ ■要約・解説・研究ノート ■ご意見、情報提供 [74] (1) 立憲主義の意義 立憲主義は、大きく、「近代立憲主義」と「現代立憲主義」に区別することが出来る。 前者の近代立憲主義は、また大きく、「立憲君主制」と「立憲民主制」とに分けることが出来る(但し、私自身は、「立憲民主制」というタームは避けることにしている。なぜなら、既に [22] でふれたように、近代立憲主義の狙いは、民主制の実現にはなかったからである。立憲民主制なる用語は、「君主制でも、貴族制でもなく、僭主制でも寡頭制でもない立憲主義」を表そうとして選択されたのだろう。が、それは、立憲主義の本来のニュアンスである《憲法によって統治権を制限すること》を表し切れていない、と私は確信している)。 体系書または教科書は、上のような幾つかの立憲主義を念頭に置いたうえで、「近代立憲主義から現代立憲主義へ」の展開に言及することが多い(⇒[24]~[25])。 このふたつの違いと展開は、通常、こう説明される。 近代立憲主義とは、 自由権(国家からの自由)の保障を第一義とするために「制限された権力をもっての統治」を目指す憲法体制のことをいう。これに対して 現代立憲主義とは、 「社会国家の樹立を目指すために権力を積極的に行使する統治」を容認する憲法体制をいう。現代立憲主義は、近代立憲主義のもたらした負の遺産、すなわち、貧富の差、経済恐慌、失業等に有効に対処するために20世紀当初以降立ち現れたのだ(⇒[24])。 ところが、不思議なことに、「社会国家」の真の意味は明確にされたことがない。 私の推察するところ、それは、「ブルジョア(市民)/労働者または弱者(社会)」という亀裂を念頭に置いて(⇒[8])、“社会権(社会保障)を充実させることが国家の任務だ”という国家観をいう(「社会」の意味は、「市民法秩序/社会法秩序」といわれるとき、最も明確に浮かび上がる。この点については [25] をみよ)。 社会国家の原型は、ヴァイマルそして今のドイツにあり、思想的論拠は「社会民主主義」にあり、その最大の特徴は所得再分配政策である。 ドイツ理論の影響を受けて、我が国の憲法学者の相当数が、“日本国憲法は、社会国家原理を採用してきた”と論じてきた。 が、私は、この理解に大いに批判的である(社会権や社会保障については、『憲法2 基本権クラシック』において、私は既に私見を披瀝した)。《日本国憲法は、想像以上に、古典的な種類の立憲主義憲法に属している》と私は診断しているからである。 日本国憲法が採用している、法の支配、権力分立、議会制、議員の地位、条約締結、普通選挙制、自由権保障等々は、近代立憲主義に忠実である。 また、議会(国会)について二院制を採用していること、各院に強い自律権を保障していること、執政府について内閣制を採用していること、司法府について自律権を保障しアメリカ型司法審査権まで付与していること(司法審査制はアメリカ建国時に既に気づかれていた)、硬性憲法としていること等も、日本国憲法が近代立憲主義、なかでも古典的な種類のそれに属していることの反映だといえる。 社会権はこの例外だ、と考えたほうがいいだろう([80]もみよ)。 [75] (2) 日本国憲法の特異さ もっとも、日本国憲法における統治構造には、主要立憲主義国の現行憲法には見出し難い、独自の特徴が見出される(基本権保障については、ここではふれない)。 第一は、 かつての君主であった天皇につき、世界でも稀な象徴天皇制(*注1)としている点である。天皇が元首かどうか論議があるとはいえ、憲法の全体構造のなかで天皇制を考えれば、日本国憲法が立憲君主制によっていないことは明らかである(この点については、後の [84] 参照)。象徴天皇制は、社会国家とか現代立憲主義とかに特徴づけられる日本国憲法にあって、いかにも古色蒼然とした色合いをみせている。これは、現代立憲主義から大きくズレており、内閣(宮内庁)の天皇に対する処遇は、明治憲法の臭いすら感じさせるところがある。 第二は、 日本国憲法には、自衛戦争まで放棄する決意まで読みとれる、徹底した「平和主義」が謳われている点である(9条は天皇制の存続と引き替えとしてGHQから提案されたと指摘する論者もいる。この視点からすればこの第二点も第一点と絡んでいる)。9条の解釈論争については後の [95] でふれるとしても、その文理を一読したとき、主要立憲主義国家の憲法を「抜け出ている」との印象は免れない([89]もみよ)。この特異さを“現代立憲主義の一要素だ”と考えてよいか、それとも、“普通の立憲国家からの逸脱だ”と考えてよいか、この評価の違いが9条の解釈に反映されるだろう。 我が国の憲法学界は、明治憲法に否定的な評価を与え、他方で、日本国憲法を“民主的に”解釈すればするほど正しい姿勢である、といてきたところがある。 確かに、現実の統治過程には、明治憲法におけるプラクティスまたは習律が、時々顔を覗かせており、私にとっても気になるところがある。 上にふれた天皇の処遇以外について、少しばかり例を挙げると、 (1) 予算を法律の形式で審議議決しないこと、 (2) 閣議に全員一致を要するとしてきたこと、 (3) 院の自律権よりも、国会の議決(法律)を優位としてきたこと、 (4) 地方公共団体を国家の下位機関であるかのように扱ってきたこと、 (5) 法の支配を法治主義と同じものであるかのように意味づけてきたこと 等である。 なかでも(5)は、統治の要であるはずの法の支配が我が国に根付かないことの原因となっている。 (*注1)象徴天皇制についてアメリカのある論者は、“象徴天皇制は談合オリエンタリズムだ”と、それが日米の妥協の産物だったことを絶妙な表現で象徴天皇制の由来を指摘した。いわゆる国旗・国歌法の制定(平成11年)にあたって小渕総理大臣は「君が代の『』は日本国および日本国民統合の象徴であり、その地位が日本国民の総意に基づき、天皇を日本国及び日本国民統合の象徴とする我が国のことを指しており・・・・・・」との解釈を示した(平成11年6月29日衆院本会議)。この芒洋とした一文は、天皇制と国民主権との不整合さを浮かび上がらせている。 [75続き] (3) 日本国憲法と法の支配 以下では、近代立憲主義が法の支配とセットとなって歩んできたことの重要な意味に留意しながら、日本国憲法の統治構造を概観していこう。 その基本的な構造を理解するには、第Ⅰ部でみた基礎理論を応用すればいい。 そのままのかたちで応用できない箇所があれば、その理由を考えればいいのだ。 もっとも、「基礎理論を応用する」といっても、その応用の仕方には、論者それぞれの選好が反映される。 先にふれたように、我が国の多くの憲法学者であれば、“民主的に”応用することを好むだろう。 それに対して、私のように、“自由主義的に”応用することを好む研究者もいるだろう(民主主義、自由主義の意義については、既に [26]~[29] でふれた)。 この本の筆者として正直にいえば、基礎理論の部分を私は既に“自由主義的”に語ってきた。 この第Ⅱ部では、自由主義的に構成された基礎理論をさらに自由主義的に日本国憲法へ刻み込もうと私は努めるだろう。 ※以上で、この章の本文終了。 ※全体目次は阪本昌成『憲法1 国制クラシック 全訂第三版』(2011年刊)へ。 ■用語集、関連ページ 阪本昌成『憲法理論Ⅰ 第三版』(1999年刊) 第一部 第四章 立憲主義と法の支配 第五章 立憲主義の展開 ■要約・解説・研究ノート ■ご意見、情報提供 名前 コメント
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阪本昌成『憲法1 国制クラシック 全訂第三版』(2011年刊) 第Ⅰ部 統治と憲法 第3章 「憲法」の意義 - 正確には「国制」 本文 p.11以下 <目次> ■1.国制の意義と類型[9] (1) 憲法の意義 [10] (2) 国制の類型 ■2.基本法としての憲法(国制)[11] (1) 憲法(規範的意味の国制)の特性 [11続き] (2) 憲法の手続・実体的特徴 ■用語集、関連ページ ■要約・解説・研究ノート ■ご意見、情報提供 ■1.国制の意義と類型 [9] (1) 憲法の意義 英語で constitution、ドイツ語で Verfassung といわれるとき、それらは、我々が日常において「憲法」と呼ぶものとはニュアンスを異にする。 我々が「憲法」という言葉を聞いたとき、第一に、“それは法の一種だろう”と直感し、第二に、“日本国憲法のように、成文化された法のことだろう”とイメージするだろう(因みに、“憲法とは法律の一種だ”と貴方がもし考えているとすれば、それは大いに不正確である。その理由は、本書を読み続けていれば判明するはずだ)。 Constitution, Verfassung は、大きく、二つの意味をもつ。 第一は、 国家統治の根本構造のことである。この場合、constitution, Verfassung は、《そこにある、事実としての国家構造》を指している。 第二は、 国家統治の根本構造とその作用を決定するルールのことである。この場合、constitution, Verfassung は、国家の根本構造と作用を一定の枠に閉じ込めるための設計図を指している。この場合には、そこにある国家の根本構造を記述・描写しているわけではなく、《あるべきものとしての国家構造とその作用》をいっているのである。 「かくあるべし」という命題を「規範的」という。 「記述/規範」は、哲学でお馴染みの「認識/価値判断」と同じ区別だ、と考えればよい。 この区別を利用して、 第一の憲法を 「記述的意味の国制」、 第二の憲法を 「規範的意味の国制」 と呼ぶことにしよう。 constitution, Verfassung は、これら二つの意味を同時に持っている。 どちらにせよ、日本語としてそれらは「国制」と訳出されるべきだった。 にも拘わらず、それらが「憲法」と訳されてきたために、本章の冒頭でふれたような感覚を我々は持ってしまうのだ。 本書では、規範的意味の国制だけを「憲法」と呼ぶことにしよう。 いうまでもなく、ここでいう「憲法」は、成文化されているとは限らない。 [10] (2) 国制の類型 規範的意味の国制、すなわち「憲法」が、 慣習に依拠しているとき 「不文憲法」と呼ばれ、 文書化され編・章等に整序されているとき 「成文憲法」と呼ばれる。 憲法は、成文の部分と不文の部分とから成る。 そのことは、「不文憲法の国、イギリス」においても、「成文憲法の国、日本」においても、変わらない。 国家の根本構造とその作用に係るルール全体が憲法なのだ。 この憲法は、ときに「実質的意味の憲法」と呼ばれることがある。 この場合の憲法には、憲法典、憲法慣習法、憲法習律、重要法律(内閣法、国会法、裁判所法等)が含まれる。 なお、不文のルールを人の意思で《語り得るもの》にすることを、《実定化する=ポジティヴとする》という。 legal positivism, positivist が、それぞれ“法実証主義”“法実証主義者”といわれるのは、そのためなのだ。 実定化された国制のうち、法律(すなわち、議会制定法)の改廃と同じ手続によって改正されるものは「軟性憲法」と呼ばれ、法律の場合よりも加重された改正手続を要するとされているものは「硬性憲法」と呼ばれる。 ■2.基本法としての憲法(国制) [11] (1) 憲法(規範的意味の国制)の特性 この硬性と似て非なるものに、「基本法 fundamental law」という概念がある。 これは、《憲法とは、成文化されているか否かに拘わらず、法令を制定し執行する者を拘束する根本的ルールだ》という属性を示す言葉である。 私はこのことを《憲法は、強制力を発動しようとする全ての国家機関の活動を統制するルールだ》、《統治を先導するルールだ》ということにしている。 こえが、先にふれた「規範的意味の国制」のことである。 何を以って fundamental だと考えるか、憲法の「基本」の内容は歴史上多様だった(その歴史的展開については、すぐ後に述べる)。 このうち歴史を転回させたのは、近代啓蒙主義者の説いた自然法思想だった。 その「自然」とは、その時代の人間中心の世界観を反映して、人間の本性(nature)を指した。 これが近代自然法思想である(因みに、私は natural law を「自然法」と訳すことに疑問をもっている。「人間本性の法則」とでも訳すほうが真のニュアンスを伝えるだろう)。 ある啓蒙思想家は、《憲法は自然権を保全する基本法だからこそ、主権者といえども、憲法に従って統治しなければならない》と主張した。 また別の啓蒙思想家は、《憲法は、この世の基本単位である個々人が社会契約という始源的な契約を締結することに合意したのだから、基本法だ》と主張した。 ここでいう「基本」とは《人間の理性によって選択されたもの》または《全員が合意しうるもの》を指している。 これは、これまで君主がもっていた絶対権を打ち破る狙いをもっていた。 君主という存在が影を薄くし、さらには歴史から姿を消して、身分制議会が統治の中心点となった後は、「基本」という属性は、実体(中身)ではなく、手続の側面でも活かされていった。 つまり、こうである。 ① 憲法は、議会を含めた統治者から被治者の権利を守る基本法である以上、身分制議会が立法権の一環として憲法を制定すべきではない。 ② 憲法改正も、身分制議会の法改正と同じように為されてはならない。 この主張は、 《国制を成文化する作業は議会ではなく憲法制定会議という特別の機関が担当しなければならない》、 《改正に当たっても、法律を改廃するが如くに議会が取り扱ってはならない》 と、制定・改廃の手続に活かされた(この理論は「憲法制定権力論」と絡んでいる。これについては、また後の [46] でふれる)。 [11続き] (2) 憲法の手続・実体的特徴 「基本法としての国制」は、上のように、手続的な装置を内臓している。国制が法律とは別の手続によって制定されて憲法典となったとき、“憲法の効力は、他の様々な国法形式(法律、命令、規則等)よりも、優位する”と表現されることもある。硬性憲法は、法の存在形式においても、他の国法に優位している、というわけである。 硬性憲法の場合、単に手続面や形式的効力において特異であるのみならず、《この憲法は、他の国法形式よりも、実体的な価値において優位する》と、実体的な統制力(基本法に相応しい中味の法力)を組み込むよう工夫されることが多い。例えば、「この憲法は、国家の最高法規である」「ここに保障する事柄は、将来に亘って永久に保障されねばならない」「ここに保障されている重要事項は、改正の対象としてはならない」等々を、憲法が、自らの内部で宣明するのである。もっとも、憲法自らが「この憲法は、最高法規であって、これに反する条規は無効なり」と述べても、それは有名な「自己言及のパラドックス(*注1)」に過ぎない。そこで憲法は、その最高の効力規定が自己言及に終わらないよう、その規定に執行力を付与すべく、国法の効力関係を審判する権限を特定の国家機関に与えることもある(その典型例が違憲審査制である。違憲審査制、司法審査制、違憲審査制の限界については、後の [15] [16] でふれる)。 このように、憲法は、手続的にも実体的にも、他の国法とは違った特性をもつことによって「国家の基本法」となるのである(この点については、法の支配にふれる際、再びふれるだろう)。 憲法は「国家の基本法」であるため、国家の統治にとっての大綱をその規律対象として取り込むものと成らざるを得ない。 そのため、憲法は、国家統治の詳細部分を「法律によって定める」よう議会に授権するのが通例である。 (*注1)「自己言及のパラドックス」についてある本の表紙に「この書籍に書かれていること、妥当せず」と見出しに書かれているとしよう。この見出しが妥当するとすれば、書籍に書かれていることは、まさに妥当しない。が、自ら「書かれていることは妥当しない」というのだから、見出し自身が妥当しないだろう。となると、この本に書かれている事柄は????? ※以上で、この章の本文終了。 ※全体目次は阪本昌成『憲法1 国制クラシック 全訂第三版』(2011年刊)へ。 ■用語集、関連ページ 阪本昌成『憲法理論Ⅰ 第三版』(1999年刊) 第一部 第三章 憲法(典)の存在理由とその特性 ■要約・解説・研究ノート ■ご意見、情報提供 名前 コメント
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阪本昌成『憲法1 国制クラシック 全訂第三版』(2011年刊) 第Ⅱ部 日本国憲法の基礎理論 第2章 現行憲法制定の法理 本文 p.115以下 <目次> ■1.大日本帝国憲法の制定とその特質[76] (1) 明治維新と大日本帝国憲法の制定 [76続き] (2) 明治憲法の特質 [77] (3) 明治憲法の病理 ■2.明治憲法から新憲法へ[77] (1) 全面改正までの経緯 [78] (2) 「改正」論争 ■用語集、関連ページ ■要約・解説・研究ノート ■ご意見、情報提供 ■1.大日本帝国憲法の制定とその特質 [76] (1) 明治維新と大日本帝国憲法の制定 明治維新は、復古の名のもとで国民国家を樹立した(「維新」は、グローバル・スタンダードでいえば、市民革命または王政復古のいずれかである。明治維新は市民革命ではない、と私はみている。我が国の維新期の指導者たちが「国民国家」を市民革命によらずして樹立したことこそ、まさに、革命だった)。 国民国家の樹立は、それまでの藩体制(日本版等族国家)を否定し中央政府を作り上げることから始まった(そのための施策としては、廃藩置県が最重要だった。これによって初めて、国民国家の基礎である租税徴収体制を全国一律に張り巡らせることが可能となったのだ)。 議会の開設を約束した明治政府の課題は、何よりも国制(憲法)を整備することにあった。 先進国における憲法事情調査のために、伊藤博文等の憲法調査団が、明治15年、ヨーロッパに派遣された。 伊藤等は、主としてプロイセン、オーストリアにおいて、憲法を制定することの意義についてL. シュタインやグナイスト等から修得して帰国した。 憲法制定の狙いは、復古の体制を堅固とすることにあり、そのために、まず、貴族院への布石として華族令が(明治17年)、内閣への布石として内閣官制が制定された(明治22年)。 憲法典の起草に着手されたのは明治19年になってからだった。 [76続き] (2) 明治憲法の特質 憲法典を起草するにあたっては、プロイセンの範に倣って、 (ア) 欽定憲法とすること、 (イ) 漸進的性格とすること、 (ウ) 議会の権限を希釈すること、 (エ) 天皇の地位を不可侵とすること、 等が前提とされていた。 が、プロイセン憲法とは別の特異さも準備された。 明治維新が復古の形式をとった関係上、大日本帝国憲法(以下、「明治憲法」という)は、「国体」を宣言することを目的とした。 「国体」とは、発布勅語にいう「祖宗ノ遺烈ヲ承ケ」た主権(統治権および制憲権)が天皇に帰属することのみならず、天皇家や天皇の身体について国民またはその代表者が容喙すべきでないことを意味した。 そこでまず明治憲法は、その告文で、「皇室典範及憲法ヲ制定」する目的は「皇祖皇宗ノ後裔ニ胎シタマヘル統治ノ洪範ヲ紹述スル」ことにある点が明らかにされた(平易にいえば、「先祖代々と天皇の子孫に伝えられた統治の手本を受け継ぎ、これによる」こと)。 続いて、発布勅語に、「朕カ祖宗ニ承クルノ大権」という天照大神にまで遡る神勅による制憲権を謳ったうえで、「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」(1条)と定めた。 神権主義的天皇制の採用である。 また、「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」(3条)との定めは、天皇の政治的・刑事的無答責のみならず、不敬の禁止、廃立の禁止を含意していた。 これらは後知恵からいえば、西洋の王権神授説を遥かに超えた、自らを神としようとする選択を近代憲法の中で敢えて謳う無謀な国制だった。 しかしながら、当時の指導者の立場に立ったとき、それは国民国家を人為的に樹立するためには止むを得ざる選択だったように思われる。 とはいえ、その神秘的色合いが、皇室による無数の神道儀式、教育勅語、軍人勅諭、戦陣訓等々、憲法周辺のプラクティスの中で次第に増幅されてしまった。 この点が現行の憲法と比較されたとき、負の部分として浮かび上がり、「昭和維新」以後、民主主義論者による批判の対象となった。 現行憲法との比較や後知恵の助けなしに明治憲法をみたとき、それは誕生したばかりの国民国家に立憲主義を平和裡に植え付けたのであり、まさに革命的な事柄だった。 このことは、フランス革命やアメリカ革命が流血の惨事を掻い潜った後に立憲主義を誕生させたことと対照すればよく分かるだろう。 「明治憲法が立憲主義を我が国に植え付けた」といっても、それは、立憲君主制を限定的に採用したことを指す。 立憲主義よりも国体を優先させる憲法は西洋の立憲君主制からはズレていた。 明治憲法は、近代立憲主義の核心である法の支配、権力分立、さらには「行政の法律適合性原則」等の理論を、理論どおりには実現しなかった。 そのことを以って後世は、明治憲法典が「外見的」立憲主義を採用したにとどまった、と評価することになる。 明治憲法が立憲君主制的な色合いを持っていることは、 ① 天皇は統治権の総攬者であること(4条)、 ② 天皇は議会の協賛をもって立法権を行使し(5条)、法律の裁可権を有すること(6条)、 ③ 天皇の輔弼機関として大臣が置かれること(55条)、 ④ 憲法典の明文保障する基本権を制約するには「法律の留保(*注1)」原則を満たさねばならないが、それ以外の利益は勅令や命令により得るとされていること、 に典型的に表れている([56]もみよ)。 ところがそれでも、明治憲法における立憲君主制の基調は、憲法発布勅語にみられるように、「此ノ憲法ノ条章ニ循ヒ」統治することを約する「主権者の自己拘束の理論」にあった。 そればかりか、告文や発布勅語にみられる神権主義は、立憲君主制にも、西洋の王権神授的絶対主義にもみられない要素だった。 (*注1)法律の留保の意義について法律の留保といわれるものにも、ふたつの用法がある。第一は、本文に述べた用法である。第二は、“基本権は法律の範囲内で保障される”という用法である。後者においては、この言葉が基本権規定に使われているとき、“議会は法律によって基本権を制限できる”ことを意味している。 [77] (3) 明治憲法の病理 「此ノ憲法ノ条章」の間隙に現れたのが「統帥権の独立」というマジカル・タームだった。 明治憲法は、「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」(11条)と定めていた。 統帥事項は、陸海軍の編成・兵額の決定(12条)とは違って、議会や内閣の関与を許さない事項だ、との解釈が幅を利かせ、ガン細胞のごとく増殖し、日本という国を蝕んでいったのである。 その病巣は、明治憲法の抱えていた神権主義的憲法観が立憲君主制思想に打ち勝つうちに、ますます転移していった。 それが、我が国特有の「国体」護持として、太平洋戦争の敗戦後まで国家の哲学とされてしまった。 ■2.明治憲法から新憲法へ [77] (1) 全面改正までの経緯 アメリカ、イギリス、ソ連、中国が発したポツダム宣言は、「平和的傾向ヲ有シ且責任アル政府」が「日本国国民ノ自由ニ表明セル意思ニ従ヒ」樹立されること(12項)、その実現まで占領軍が支配力をもち、日本国の独立性は否定されること、等を明らかにしていた。 日本政府は、同宣言が「国体」の変更まで要求していないことを確認しようとしたものの、連合国側の拒否を受けたまま、昭和20年8月14日、同宣言を受諾した。 この受諾は、決して無条件降伏の承認ではなかった。 にもかかわらず、連合軍による日本の占領が開始された後、無条件降伏であることが前提了解であったかのように、占領政策が進められた。 占領政策の最重要課題が明治憲法の「改正」だった。 連合軍最高司令官D. マッカーサーは、ポツダム宣言にいう「日本国国民ノ自由ニ表明セル意思ニ従」う、民主的な憲法制定を当時の幣原内閣に指示した。 松本蒸治を委員長とする憲法問題調査委員会が憲法の改正作業に入った。 同調査会は、国体に変更を加えない方針だった。 これを知った連合国軍総司令部は、 (ア) 元首たる地位におかれる天皇の権限は、憲法に基づいて行使されること、 (イ) 国家の主権的権利としての戦争を、紛争解決のためであれ自衛のためであれ、放棄すること、 (ウ) 日本の封建制を廃止し、予算のタイプを英国の制度に倣うこと、 の三原則を内閣に示した。 「マッカーサー三原則」である。 マッカーサーは総司令部民生局に憲法草案の検討を命じ、9日間で作成された「マッカーサー草案」が昭和21年2月に政府に提示された。 これを拒絶することは許されない雰囲気のなかで、政府はこれを基礎にして憲法改正草案要綱を作成した(昭和21年3月)。 同要綱に若干の修正を加えた帝国憲法改正案が、枢密顧問の諮詢を経て、明治憲法73条所定の改正手続に従って第90帝国議会に附議された(昭和21年6月)。 その際の勅書は、「朕・・・・・・国民の自由に表明した意思による憲法の全面改正を意図し、・・・・・・」と述べた(頭点は阪本)。 この全面改正案は、衆議院による若干の修正の後可決され、貴族院によっても若干の修正のうえ可決された後、枢密顧問の諮詢さらに天皇の裁可を経て、公式令3条により、日本国憲法として昭和21年11月3日に公布された(施行は昭和22年5月3日)。 [78] (2) 「改正」論争 このように、日本国憲法は、明治憲法73条の改正手続に従って、国家における主権(制憲権)の所在を天皇から国民へと転換せしめた。 これは、改正という名のもとでの新憲法の制定であっただけに、“法理上、あり得ない事態ではなかったか?”との疑問が生じてくる。 これが、先に憲法改正の限界を論じた際にふれた、制憲権と改正権との繋がり如何、という論点である(⇒[46])。 今日まで日本国憲法の素性の正当性に疑問を抱く人たちがいるのは、日本国憲法が「明治憲法の改正」として成立したこの事情も絡んでいる。 上のような日本国憲法「制定」の経緯は、通説的な憲法改正限界説に立つとき、一貫性をもって解明することは困難である。通説的な憲法改正限界説は、《改正権は制憲権に変更を加えられない》という前提に出ることは既にふれた(⇒[46])。そうなると、明治憲法の「改正」手続で国家の根本構造を変更することは法理上不能だ、ということになる。しかし、だからといって、“改正権の限界を超えて制定された日本国憲法は無効だ”と結論することは避けたい(無効だ、と主張する少数説もないわけではない)。そう考えた論者は、国家の根本構造が変わったという契機を明治憲法の改正という国内の事情に求めないで、ポツダム宣言の受諾という国際的な事情に求めた。つまり、同宣言の受諾にあたって寄せられた連合国の回答(バーンズ回答)にいう「日本国国民ノ自由ニ表明セル意思ニ依リ決定セラルヘキモノ」との条件を日本国が受諾した時点で(昭和20年8月11日)、“我が国は国民主権へと主権原理を転換していたのだ”というわけである。この説の提唱者は、これを「8月革命」と名付けた。8月革命説は、数々の弱点を持っていた。たとえば、ポツダム宣言とそれに基づく降伏文書のごとき国際法上の法文書が国内における主権の転換をもたらすことはあり得ないはずだった。が、それでも、改正限界説を前提とする限り、これ以外に説得的な論理がなかったために8月革命説は世に受け入れられていったようだ。 憲法改正無限界説にでる論者であれば、欽定から民定へと制憲権帰属をまったく異にする新たな憲法が「改正」によって誕生すると説くことは、容易なはずだった。実際、ある学者は、“日本国憲法は明治憲法の改正によって成立した欽定憲法だ”と論じてみせた。ところが、学界では、主権在民を謳う新憲法(民定憲法)護持の立場が圧倒的で、改正無限界説からの分析は精緻にされることはなかった。 ※以上で、この章の本文終了。 ※全体目次は阪本昌成『憲法1 国制クラシック 全訂第三版』(2011年刊)へ。 ■用語集、関連ページ 阪本昌成『憲法理論Ⅰ 第三版』(1999年刊) 第ニ部 第一章 現行憲法制定の法理 ■要約・解説・研究ノート ■ご意見、情報提供 名前 コメント
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言葉は、つまるところ、何等かの事実を記述している。 あるいは、言葉の意味は、それが記述する対象である、さらには、言葉は、それが記述する事実の存否によって、その真偽を確定しうる、あるいは、言葉は、その真偽の確定し得る場合にのみ、有意味である、といった記述主義の言語観を、オースティンは批判する。 オースティンの用語系によれば、記述主義とは、差し当たり、言葉を発すること、すなわち発言(発話)の総ては、事実を記述し、真偽を確定し得る、事実確認的(constattive)発言に還元されるか、さもなくば、ナンセンスに帰着するという主張に外ならない。 しかし、あらゆる発言を、事実確認的発言に還元し尽くすことは、果たして可能なのだろうか。 たとえば、何等かの権能に基づいて指図する場合の指図や、あるいは、何等かの判定理由を明らかにして審判する場合の審判の発言や、さらには、何等かの行為の履歴を約束する場合の約束の発言やは、事実を記述している訳でもないし、また、その真偽が問題となっている訳でもない。 しかし、これらの発言が、社会生活において、極めて重要な種類の発言であることは論を俟たない。 財産権や人格権の行使や、契約や、あるいは、それらを巡る裁判やは、社会生活の根幹を成している。 記述主義は、このような指図や審判や約束やの発言を、その焦点から外してしまっているのである。 (もちろん、記述主義が、これらの発言に、何の位置付けも与えていない訳ではない。前章で述べたように、記述主義から見れば、これらの発言は、主観的な意図の表出に外ならないことになる。しかし、この点についての検討は、次章の課題である。) 指図や審判や約束やの発言は、その発言を遂行することそれ自体が、指図や審判や約束やといった、社会的行為そのものを遂行することになる種類の発言である。 たとえば、「~を約束します」と発言することは、取りも直さず、約束という社会的行為を遂行することに外ならない。 すなわち、これらの発言においては、言うことが、行うこととなっているのである。 このように、発言することが、(発言という行為とは区別される)社会的行為を遂行することになる種類の発言を、オースティンは、差し当たり、行為遂行的(performative)発言と呼ぶ。 事実確認的発言に焦点を合わせている記述主義は、この行為遂行的発言を捕捉し得ないのである。 行為遂行的発言は、もとより、事実を記述している訳ではなく、従って、その真偽も確定し得ない。 行為遂行的発言は、真偽いずれでもないのである。 しかし、行為遂行的発言であれば、いかなるものでも、社会的行為として効力を発揮するという訳でもない。 たとえば、指図する権限のない者による指図や、判定理由を示し得ない審判は無効であり、約束された行為が履行されない約束は不実である。 すなわち、行為遂行的発言は、何等かの条件を充たすことによって始めて、社会的行為としての効力を獲得するのである。 オースティンは、この、行為遂行的発言を社会的行為として発効させる条件を、行為遂行的発言の適切性(felicity)の条件あるいはルールと呼んでいる。 従って、行為遂行的発言は、それを発効させるルールを根拠として、適切あるいは不適切のいずれかに判定されるのである。 しかし、いかなる行為遂行的発言が適切であるかを決定するルールの検討は、次章に委ねられる。 ここでは、事実確認的発言と対比される意味での行為遂行的発言の検討に議論を限定したい。 行為遂行的発言の概念こそが、記述主義の批判に対して、最も有力な手掛かりを与え得るからである。 この行為遂行的発言の概念と、言語行為(speech act)の一般理論との関係は、オースティン本人においても、かなり微妙である。 もちろん、行為遂行的発言の発見なしには、言語行為の一般理論が構想され得なかったであろうことは言うまでもない。 しかし、言語行為の一般理論が構成されるに及んで、行為遂行的発言の概念が後景に退けられたこともまた明らかである。 行為遂行的発言と言語行為とは、果たして、如何なる関係に置かれているのであろうか。 前章で述べたように、オースティンによれば、言葉を発すること、すなわち発言(発話、発語)することは、以下の三種の行為を同時に遂行することに外ならない。 言い換えれば、言うことは、以下の三種の位相において、行うことなのである。 その第一は、発語という行為それ自体が、何等かの事態を意味する、すなわち何等かの事態を指示する行為に外ならないという発語行為(簡単のために、ここでは、音声行為および用語行為を捨象して、発語行為を意味行為あるいは指示行為に限定している)の位相であり、 第二は、発語することが、何等かの社会的な効力を持つ(発語それ自身とは区別される)行為を遂行することになるという発語内行為の位相であり、 第三は、発語することを手段として、発語主体の意図する、何等かの結果を達成することが目指されるという発語媒介行為(ここでは、発語主体の意図せざる結果を捨象している)の位相である。 オースティンは、以上の三種の行為を総称して、言語行為と呼んでいる。 すなわち、言語を発話することは、以上の三種の位相において、行為を遂行することなのである。 行為遂行的発言と発語内行為、さらには、事実確認的発言と発語行為が密接に関連していることは一見して明らかであろう。 しかし、両者は同じものではあり得ない。 何故なら、行為遂行的発言と事実確認的発言との区別は、ある一つの発言をいずれかのカテゴリーに分類するための区別であるのに対して、発語内行為と発語行為との区別は、ある一つの発言を幾つかの(行為の)位相に分解するための区別だからである。 すなわち、ある一つの発言が、行為遂行的発言あるいは事実確認的発言のいずれに分類されたとしても、その発言には、発語内行為および発語行為(さらには発語媒介行為)の位相が常に存在し得るのである。 従って、行為遂行的発言も、発語行為の位相を持つという意味において、何等かの事実を指し示していることになるし、また、事実確認的発言も発語内行為の位相を持つという意味において、何等かの行為を遂行していることになる。 このような、行為遂行的発言あるいは事実確認的発言と発語内行為あるいは発語行為との関係を、つぶさに検討することによって、記述主義を乗り越える言語行為論の射程が、詳(つまび)らかにされるのである。 ところで、何等かの社会的効果を帰結する点においては共通している、発語内行為と発語媒介行為との相違は、前章で述べたように、発語内行為の効力が、そのような効力を発生させる根拠となる、何等かの慣習によって支えられているのに対して、発語媒介行為の結果は、そのような慣習に支えられなくとも達成され得るという点にある。 言い換えれば、発語内行為は、慣習に従う限りにおいて、その社会的な効力を発揮し得る言語行為の位相であるのに対して、発語媒介行為は、慣習に従うか否かに拘わらず、その(発語主体の意図する)社会的な結果を達成し得る言語行為の位相なのである。 ここに言う慣習が、すでに述べた、行為遂行的発言にちての適切性のルールと同じものであることは、確認されねばならない。 すなわち、発語内行為の効力の存否を判定する根拠は、(行為遂行的発言についての)適切性のルールなのである。 従って、発語媒介行為は、発語行為のように、それが指示する事実に基づいて、その真偽を判定し得る訳ではなく、また、発語内行為のようにそれが従うルールに基づいて、その当否(適切・不適切)を判定し得る訳でもない、言語行為の第三の位相ということになる。(実は、発語媒介行為は、それが達成しようとする発語主体の意図に基づいて、その成否を判定し得るのであるが、この点についてはここでは触れない。) しかし、発語内行為の当否を判定し、また、発語内行為と発語媒介行為とを区別する、慣習あるいは適切性のルールについての検討は、次章の課題である。 ここでは、発語内行為と行為遂行的発言との関連、および、発語内行為と発語行為との区別に議論を限定したい。 それでは、行為遂行的発言あるいは事実確認的発言と発語内行為および発語行為とは、いかなる関係に置かれているのであろうか。 まず、事実確認的発言は、言うまでもなく、事実を記述し、その真偽を、それが記述する事実の存否に基づいて判定し得る種類の発言なのであるから、紛れもなく、発語行為の位相を保有している。 このような事実確認的発言は、果たして、発語内行為の位相をも保有しているのであろうか。 たとえば、「現在のフランス国王は禿である。」という発言を考えてみよう。 この発言は、典型的な記述命題であって、明らかに事実確認的発言である。 しかし、現在のフランスに国王など存在しないのであるから、その国王が禿であるか否か、言い換えれば、この発言の真偽を、事実に基づいて判定することは不可能である。 それでは、この発言は、無意味であろうか。 否である。 この発言の指示する対象は(それが事実として存在しているか否かに拘わらず)明瞭である。 この発言が奇異な感じを与えるのは、それが無意味だからではなく、むしろ、事実として存在していない対象についての記述命題が、発言として不適切だからである。 すなわち、記述命題という事実確認的発言は、それが術定する対象(ここでは現在のフランス国王)が、事実として存在し得るという条件を充たすことによって始めて、有効あるいは適切な発言として遂行されるのである。 これは、たとえば指図という行為遂行的発言が、指図する権能が存在するという条件を充たすことによって始めて、社会的な効力を有する適切な発言として遂行されるという場合に類似している。 言い換えれば、事実確認的発言と言えども、その真偽が問題とされる以前に、事実確認あるいは記述という社会的行為を遂行する発言として、有効/適切であるか否かが問題とされるのである。 従って、事実確認的発言においても、行為遂行的発言と同様に、その発言が、社会的な効力を持つか否か、あるいは、適切であるか否かが問われる位相が存在することになる。 すなわち、事実確認的発言にも、発語内行為の位相が、確かに存在するのである。 また、「現在のフランス国王は禿である。」という発言は、「禿でないならば現在のフランス国王ではない。」という発言を論理的に帰結する。 従って、ひとたび前者の発言を遂行したならば、後者の発言を拒否することは、論理のルールに違反することになる。 これは、ある行為の履行を約束する発言を遂行したならば、その行為を履行しないことは、約束のルールに違反することになる場合に類似している。 すなわち、いずれの場合においても、ある発言の遂行が、何等かの行為の遂行を義務付け、その行為の遂行を拒否した場合、何等かのルール違反に問われるのである。 言い換えれば、約束と言う行為遂行的発言が、その目的あるいは帰結としての行為の履行されなかった場合に、不誠実あるいは不適切(ルール違反)になるのと同様に、記述という事実確認的発言もまた、その(論理的な)帰結としての行為の履行されなかった場合、不適切(ルール違反)になるのである。 従って、ここでもまた、事実確認的発言は、その真偽を問われる以前に、社会的行為を遂行する発言として、適切であるか否かを問われることになる。 すなわち、事実確認的発言には、発語内行為の位相が、確かに存在しているのである。 続いて、行為遂行的発言を取り上げよう。 行為遂行的発言に、発語内行為の位相が存在していることは、言うまでもなかろう。 それでは、行為遂行的発言に、果たして、発語行為の位相は存在するのであろうか。 たとえば、判決という行為遂行的発言を考えてみよう。 判決という発言は、言うまでもなく、ある行為の当否を、潜在的には明示し得る判定理由に基づいて判定するという社会的行為の遂行である。 通常の場合、この判決理由は、あるカテゴリーに属する行為の当否を規定している一般ルールと、問題となっている行為がそのカテゴリーに属するか否かについての判断から構成されている。 すなわち、当該行為は、ある一般的なルールの違反に該当する故に、妥当ではないと判決するといった具合である。 このとき、問題となっている行為が、一般的なルールに違反するカテゴリーの行為に該当するか否かについての判断は、記述命題の真偽についての判断と極めて類似している。 いずれの判断も、それが指示する事実に基づいて、その分類が決定されるからである。 因みに、前者の判断は、後者の判断と同じく、事前判断と呼ばれることも多い。 従って、判決という行為遂行的発言は、その社会的な効力を根拠付ける判定理由の核心において、事実確認的発言あるいは発語行為を常に前提せざるを得ないのである。 また、判決という行為遂行的発言は、たとえば、「甲は乙に損害賠償を支払うべし。」といった当為命題であることが多い。 このような当為命題は、「甲は乙に損害賠償を支払う。」という記述的あるいは指示的(phrastic)と、「~すべし」という指図的あるいは承認的部分(neustic)とに分解することが常に可能である。 ここで言う記述的あるいは指示的部分が、発語行為の位相を持っていることは明らかであろう。 すなわち、当為命題という行為遂行的発言は、その記述的あるいは指示的部分が常に存在するが故に、発語行為の位相を必ず内包しているのである。 行為遂行的発言における発語行為の位相の存在についてのこのような説明は、オースティン本人のそれと言うよりも、むしろ、ヘアあるいはサールによるものである。 他の点はいざ知らず、この点に関しては、ヘアあるいはサールの議論は、オースティンの言語行為論の理解にとって、極めて有効な視座を提供していると思われる。 行為遂行的発言を、記述的あるいは指示的部分という発語行為の意味を指定する核心部分と、指図的あるいは承認的部分という発語内行為の効力を指定する境界部分に分解して理解することは、ある一つの言語行為には、常に三種類の(行為の)位相が存在していると考える、言語行為論の着眼を、より明晰な分析枠組みに高めるものである。 記述主義は、このような分析枠組みの獲得によって、ようやく乗り越えられることになるのである。 これまで述べてきたように、事実確認的発言もあるいは行為遂行的発言も、発語内行為および発語行為の位相を同時に保有していることが明らかになった。 従って、事実確認的発言と行為遂行的発言との区別は、実は相対的なものであって、むしろ、両者は、発語行為の位相をその核心部分に持ち、各々に種類の異なる発語内行為の位相をその境界部分に持つ、一連の言語行為の二つの種類であると考えられるのである。 言い換えれば、事実確認的発言は、記述(言明解説)という発語内行為を遂行する言語行為なのであり、行為遂行的発言は、指図(権能行使)や判決(判定宣告)や約束(行為拘束)やという発語内行為を遂行する言語行為なのであって、また、いずれも、何等かの事態を指示する部分として発語行為を内包する言語行為なのである。 このような言語行為論の視点から見れば、記述行為は、言語行為という多元的な現実を、その記述的あるいは指示的な部分のみに一元化して把握しようとする、対象指示一元論あるいは意味行為一元論であることが明らかになる。 記述主義は、言語行為の唯一つの位相しか捉えていないのである。 しかし、我々の言語の現実の在り方である言語行為は、対象指示に還元し尽くされる筈もない。 如何なる対象指示と言えども、発語内行為の種類が指定されることによって始めて、言語行為、すなわち、発話として社会的に発効するのである。 従って、記述の発話と言えども、それが社会的な効力を有する適切な発話であるためには、何等かのルールに従っていなければならないことになる。 しかし、言語行為の従うルールについての検討は、次章の課題である。
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合衆国憲法修正箇条 (アメリカ合衆国憲法第五条に準拠して、連邦議会が発議し、各州の議会が承 認した同憲法の追加条項ならびに修正条項) (修正第1ないし第10は基本的人権に関する規定であり、一般に権利章典と呼ばれ、1989年第一連邦議会で提案され、1791年12月実施されたものである) 修正第一条 説明 連邦議会は、国教を樹立し、あるいは信教上の自由な行為を禁止する法律、または言論あるいは出版の自由を制限し、または人民が平穏に集会し、また苦痛の救済を求めるため政府に請願する権利を侵す法律を制定してはならない。 信教・言論・出版・集会の自由・請願権 修正第二条 説明 規律ある民兵は、自由な国家の安全にとって必要であるから、人民が武器を保有しまた携帯する権利は、これを侵してはならない。 武装の権利 修正第三条 説明 平時においては、所有者の承諾なしには、何人の住居にも兵士を宿営させてはならない。戦時においても、法律に定める方法によるのでなければ、宿営させてはならない。 軍隊の宿営に対する制限 修正第四条 説明 不合理な捜索および逮捕押収に対し、身体、住居、書類および所有物の安全を保障される人民の権利は、これを侵害してはならない。令状はすべて、宣誓あるいは確約によって支持される相当な根拠に基づいていない限り、また捜索する場所および逮捕押収する人または物が明示されていない限り、これを発してはならない。 不合理な押収・捜索・逮捕の禁止 修正第五条 説明 何人も、大陪審の告発または起訴によるのでなければ、死刑または自由刑を科せられる犯罪の責を負わされることはない。ただし、陸海軍または戦時あるいは公共の危険に際し、現役の民兵の問に起こった事件については、この限りでない。何人も同一の犯罪について、再度生命身体の危険に臨まされることはない。また何人も刑事事件において、自己に不利な供述を強制されない。また正当な法の手続きによらないで、生命、自由または財産を奪われることはない。また正当な賠償なしに、私有財産を公共の用途のために徴収されることはない。 裁判に関する権利の保障(1)・公用徴収、正当手続条項 修正第六条 説明 すべての刑事上の訴追において、被告人は、犯罪が行われた州および、あらかじめ法律で定められる地区の公平な陪審によって行われる、迅速な公開裁判を受け、また公訴事実の性質と原因とについて告知を受ける権利を有する。被告人はまた、自己に不利な証人との対審を求め、自己に有利な証人を得るために強制的な手続きを取り、また自己の弁護のために弁護人の援助を受ける権利を有する。 裁判に関する権利の保障(2) 修正第七条 説明 普通法上の訴訟において、係争の価額が二十ドルを超える時は、陪審による審理の権利を認められるべきものとする。陪審により審理された事実は、普通法の規則によるほか、合衆国のいずれの裁判所においても再審されることはない。 民事陪審 修正第八条 説明 過大な額の保釈金を要求し、または過重な罰金を科してはならない。また残酷で異常な刑罰を科してはならない。 過大な保釈保証金、と残酷な刑罰の禁止 修正第九条 説明 本憲法中に特定の権利を列挙した事実をもって、人民の保有する他の諸権利を否定あるいは軽視するものと解釈してはならない。 基本的人権の保障 修正第十条 説明 本憲法によって合衆国に委任されず、また州に対して禁止されなかった権限は、それぞれの州または人民に留保される。 州と人民の留保する権利 修正第十一条 〔一七九五年確定〕 説明 合衆国の司法権は、その一州に対し、他州の市民、または外国の市民あるいは臣民によって提起あるいは訴追された普通法あるいは衡平法上のいかなる訴訟にも及ぶものと解釈してはならない。 連邦司法権の制限 第3条第2節第1条項 修正第十二条 〔一八〇四年確定〕 説明 選挙人は各々その州に会合し、秘密投票によって、大統領および副大統領を決定する。この二人の内、少なくとも一人は、選挙人と同じ州の住民であってはならない。選挙人は、その投票において大統領として投票する者を指名し、別の投票において副大統領として投票する者を指名する。また選挙人は、大統領として投票されたすべての者あるいは副大統領として投票されたすべての者の表ならびに各人の得票数の表を作成し、これらの表に署名し証明した上、封印をして上院議長に宛て、合衆国政府の所在地に送付しなければならない。上院議長は、上下両院議員出席の下に、すべての証書を開封し、次いで投票が計算される。大統領として最多得票を獲得した者を大統領とする。ただし、その数は任命された選挙人総数の過半数でなければならない。もし何人も右の過半数を得なかった時は、大統領として投票された者の内、三名を超えない最高得票者の中から、下院が直ちに秘密投票により大統領を選任しなければならない。大統領の選任に際して、各州の下院議員団は一票を有するものとし、投票は州を単位として行う。この目的のための定足数は、全州の三分の二の州から一名またはそれ以上の議員が出席することによって成立し、また選任のためには全州の過半数が必要である。もし右の選任権が下院に委譲された場合に、下院が〈次の三月四日まで〉大統領を選任しない時は、大統領の死亡またはその他の憲法上の不能力を生じた場合と同様に、副大統領が大統領の職務を遂行する。副大統領として最多得票をした者を、副大統領とする。ただし、その数は任命された選挙人総数の過半数でなければならない。もし何人も右の過半数を得なかった時は、右の表の内、二名の最高得票者の中から、上院が副大統領を選任しなければならない。この目的のための定足数は、上院議員の総数の三分の二とし、また選任のためには総数の過半数が必要である。しかし何人といえども、憲法上大統領職に就く資格のない者は、合衆国副大統領の職に就くことができない。〔〈 〉内は修正第二十条で改正〕 大統領の選挙方法の改正 第2条第1節第3条項 修正第十三条 〔一八六五年確定〕 説明 第一節 奴隷および本人の意に反する労役は、当事者が犯罪に対する刑罰として正当に有罪の宣告を受けた場合以外は、合衆国内またはその管轄に属するいかなる地域内にも存在してはならない。 奴隷制の廃止 第二節 連邦議会は、適当な法律の制定によって、本条の規定を施行する権限を有する。 修正第十四条 〔一八六八年確定〕 説明 第一節 合衆国において出生し、またはこれに帰化し、その管轄権に服するすべての者は、合衆国およびその居住する州の市民である。いかなる州も合衆国市民の特権または免除を制限する法律を制定あるいは施行してはならない。またいかなる州も、正当な法の手続きによらないで、何人からも生命、自由または財産を奪ってはならない。またその管轄内にある何人に対しても法律の平等な保護を拒んではならない。 市民権・法の平等な保護、正当手続条項、平等保護条項 第二節 下院議員は、各州の人口に応じて、各州の間に配分される。各州の人口は、納税義務のないインディアンを除いた総人口とする。しかし、もし合衆国大統領および副大統領の選挙人の選任、連邦下院議員、各州の行政官および司法官、またはその州議会の議員の選挙に際して、いずれかの州が自州の住民である男子の内、二十一歳に達しかつ合衆国市民である者に対して、反乱の参与またはその他の犯罪以外の理由で、投票の権利を拒み、またはなんらかの形で制限する場合には、その州より選出される下院議員の数は、これらの男子市民の数がその州における二十一歳以上の男子市民の総数に占める割合に応じて、減少される。 黒人に選挙権を与えない州の下院議員の数が減ること 第三節 かつて連邦議会の議員、合衆国の公務員、州議会の議員、または州の行政官あるいは司法官として、合衆国憲法の擁護を宣誓したのちに合衆国に対する暴動または反乱に参与し、または合衆国の敵に援助あるいは便宜を与えた者は、何人も連邦議会の議員、大統領および副大統領の選挙人となり、または合衆国あるいは各州の下において文武の官職に就くことはできない。しかし、連邦議会はそれぞれの議院の三分の二の表決によってこの欠格を解除することができる。 南軍に加わった者の追放 第四節 暴動または反乱を鎮圧するための軍務に対する恩給および賜金を支払う目的で起債された公債を含め、合衆国の法律で認められた国債の効力は、これを争うことができない。しかし、合衆国に対する暴動あるいは反乱を援助するために生じた負債あるいは債務に対し、または奴隷の喪失あるいは解放を理由とする請求に対しては、合衆国あるいはいかなる州もこれを負担あるいは支弁してはならない。すべてこれらの負債、債務および請求は、違法にして無効である。 南軍の債務の無効 第五節 連邦議会は、適当な法律の制定によって、本条の規定を施行する権限を有する。 修正第十五条 〔一八七〇年確定〕 説明 第一節 合衆国市民の投票権は、人種、体色または過去における労役の状態を理由として、合衆国または州によって拒否または制限されることはない。 黒人の選挙権 第二節 連邦議会は、適当な法律の規定によって、本条の規定を施行する権限を有する。 修正第十六条 〔一九一三年確定〕 説明 連邦議会は、いかなる源泉から生ずる所得に対しても、各州の問に配分することなく、また国勢調査あるいは人口算定に準拠することなしに、所得税を賦課徴収する権限を有する。 所得税修正 第1章第2条第3項 修正第十七条 〔一九一三年確定〕 説明 第一節 合衆国の上院は、各州から二名ずつ六年を任期として、その州の人民によって選挙される上院議員で組織される。各上院議員は、一票の投票権を有する。各州における選挙人は、州議会の議員数の多い一院の選挙人に必要な資格を備えていなければならない。 上院議員の直接選挙制 第1章第3条第1項 第二節 上院における州の代表に欠員を生じた場合には、その州の行政府は、これを補充するため選挙施行の命令を発しなければならない。ただし、州議会は、人民が州議会の定めるところに従って、選挙により右の欠員を補うまでの間、その州の行政府に臨時の任命をする権限を与えることができる。 第三節 この修正は、本憲法の一部として効力を発する以前に選出されたいかなる上院議員の選挙または任期にも、影響を及ぼすものと解釈されてはならない。 修正第十八条 〔一九一九年確定〕 説明 第一節 本条の承認から一年を経たのちは、合衆国およびその管轄権に従属するすべての領土において、飲用の目的で酒精飲料を醸造、販売あるいは運搬し、またはその輸入あるいは輸出を行うことを禁止する。 禁酒修正 修正第21 第二節 連邦議会と各州とは、適当な法律の制定によって、本条を施行する権限を共に有する。 第三節 本条は、連邦議会がこれを各州に提議した日から七年以内に、本憲法の規定に従って各州の議会により、本憲法の修正として承認されない場合は、その効力を生じない。 修正第十九条 〔一九二〇年確定〕 説明 第一節 合衆国市民の投票権は、性別を理由として、合衆国またはいかなる州によっても、これを拒否または制限されてはならない。 婦人参政権修正 第二節 連邦議会は、適当な法律の制定によって、本条を施行する権限を有する。 修正第二十条 〔一九三三年確定〕 説明 第一節 大統領および副大統領の任期は、もし本修正箇条が承認されていなかった場合の任期が終了する年の一月二十日の正午に終了し、上下両院議員の任期はそれぞれの任期が終わる年の一月三日の正午に終了する。その後任者の任期はその時に開始する。 跛行任期修正 第二節 連邦議会は少なくとも毎年一回集会する。その集会は、同議会が法律で別の日を定めない限り、一月三日の正午に開始する。 第三節 大統領の任期の開始期と定められた時点で、次期大統領として当選した者が死亡している場合には、次期副大統領として当選した者が大統領となる。大統領の任期の開始期と定められた時までに大統領が選出されていない場合、または大統領の当選者がその資格を備えるにいたらない場合には、副大統領の当選者は、大統領がその資格を備えるにいたるまで大統領の職務を行う。連邦議会は、大統領の当選者および副大統領の当選者が共にその資格を備えるにいたらない場合に、何人が大統領の職務を行うか、あるいはいかなる方法でその職務を行う者を選出するかを法律で定めることができる。この場合には、その者は、大統領または副大統領がその資格を備えるにいたるまで大統領の職務を行う。 第四節 連邦議会は、下院が大統領の選出権を持つにいたった時に、同議院が大統領を選定すべき者の中に死亡者の生じた場合、および上院が副大統領の選出権を持つにいたった時に、同議院が副大統領を選定すべき者の中に死亡者の生じた場合について、法律で規定することができる。 第五節 第一節および第二節は本条が承認された後の最初の十月十五日に効力を生ずる。 第六節 本条は、その提出日から七年以内に、全州の四分の三の議会によって本憲法の修正として承認されない場合は、その効力を生じない。 修正第二十一条 〔一九三三年確定〕 説明 第一節 合衆国憲法修正第十八条は、ここにこれを廃止する。 禁酒法廃止 修正第18 第二節 合衆国の州、領土または属領の法律に違反して、それらの地域において引き渡しまたは使用するために、酒精飲料をその地域に輸送または移入することは、ここに禁止する。 第三節 本条は、連邦議会がこれを各州に提出した日から七年以内に、本憲法の規定に従って各州の憲法会議により本憲法の修正として承認されない場合は、その効力を生じない。 修正第二十二条 〔一九五一年確定〕 説明 第一節 何人も、二回を超えて大統領の職に選出されてはならない。他の者が大統領として選出された場合、その任期内に二年以上にわたって大統領の職にあった者または大統領の職務を行った者は、何人であれ一回を超えて大統領の職に選任されてはならない。ただし、本条の規定は、本条が連邦議会によって発議された時に大統領の職にある者に対しては適用されない。また、本条の規定は、それが効力を生ずる時に任期中の大統領の職にある者またはその大統領の職務を行う者が、その任期の残余期間中大統領の職にあり、または大統領の職務を行うことを妨げるものではない。 大統領の3選禁止 第二節 本条は、連邦議会がこれを各州に提出した日から七年以内に、全州の四分の三の議会によって憲法の修正として承認されない場合は、その効力を生じない。 修正第二十三条 〔一九六一年確定〕 説明 第一節 合衆国政府の所在地を構成する地区は、連邦議会の定める方法により、もし同地区が州であると仮定すれば連邦議会に送ることのできる上院および下院の議員総数と等しい数の選挙人を選任する。ただし、その数は、いかなる場合にも、人口の最も少ない州の選任する選挙人の数を超えてはならない。同地区任命の選挙人は、各州任命の選挙人に加えられ、大統領および副大統領の選挙の目的のためには、各州選任の選挙人とみなされ、同地区に会合して、修正第十二条の規定する義務を履行するものとする。 コロンビア地区における大統領選挙人の選挙 第二節 連邦議会は、適当な法律の制定によって、本条を施行する権限を有する。 修正第二十四条 〔一九六四年確定〕 説明 第一節 大統領あるいは副大統領、大統領あるいは副大統領の選挙人、または連邦議会の上院議員あるいは下院議員のための、予備選挙その他の選挙に対する合衆国市民の投票権は、合衆国またはいかなる州も、人頭税その他の租税を支払わないことを理由として、これを拒否または制限してはならない。 人頭税修正 修正第15 第二節 連邦議会は、適当な法律の制定によって、本条を施行する権限を有する。 修正第二十五条 〔一九六七年確定〕 説明 第一節 大統領の免職、死亡、辞職の場合には、副大統領が大統領となる。 大統領の地位の承継等 第2章第1条第6項 第二節 副大統領職が欠員の時は、大統領は副大統領を指名し、指名された者は連邦議会両院の過半数の承認を経て、副大統領職に就任する。 第三節 大統領が、その職務上の権限と義務の遂行が不可能であるという文書による申し立てを、上院の臨時議長および下院議長に送付する時は、大統領がそれと反対の申し立てを文書により、それらの者に送付するまで、副大統領が大統領代理として大統領職の権限と義務を遂行する。 第四節 副大統領および行政各部の長官の過半数または連邦議会が法律で定める他の機関の長の過半数が、上院の臨時議長および下院議長に対し、大統領がその職務上の権限と義務を遂行することができないという文書による申し立てを送付する時には、副大統領は直ちに大統領代理として、大統領職の権限と義務を遂行するものとする。その後、大統領が上院の臨時議長および下院議長に対し、不能が存在しないという文書による申し立てを送付する時には、大統領はその職務上の権限と義務を再び遂行する。ただし副大統領および行政各部の長官の過半数、または連邦議会が法律で定める他の機関の長の過半数が、上院の臨時議長および下院議長に対し、大統領がその職務上の権限と義務の遂行ができないという文書による申し立てを四日以内に送付する時は、この限りでない。この場合、連邦議会は、開会中でない時には、四十八時間以内にその目的のために会議を招集し、問題を決定する。もし、連邦議会が後者の文書による申し立てを受理してから二十一日以内に、または議会が開会中でない時は会議招集の要求があってから二十一日以内に、両議院の三分の二の投票により、大統領がその職務上の権限と義務を遂行することができないと決定する場合は、副大統領が大統領代理としてその職務を継続する。その反対の場合には、大統領はその職務上の権限と義務を再び行うものとする。 修正第二十六条 〔一九七一年確定〕 説明 第一節 十八歳またはそれ以上の合衆国市民の投票権は、年齢を理由として、合衆国またはいかなる州もこれを拒否または制限してはならない。 18歳以上の市民の投票権 第二節 連邦議会は、適当な法律の制定によって、本条を施行する権限を有する。 修正第二十七条 〔一九九二年確定〕 説明 上院議員および下院議員の役務に対する報酬を変更する法律は、下院議員の選挙が施行されるまで、その効力を生じない。