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745 :ヒナヒナ:2012/01/22(日) 18 45 37 ○『故郷に帰りたい』 大西洋大津波、日本との戦争、欧州各国の移り気などによって、 分割統治されることになった旧アメリカ合衆国。 特に日本の支配するカリフォルニア共和国を中心とする西側と、 欧州各国が分割支配する中東部では、そのありようが全く違った。 後に「ロッキーの分水嶺」と呼ばれるといわれる文化の断崖だった。 西側は日本に対して敵対行為を取らなければ、比較的自由があり、表向きは人種差別も無かった。 ただし、火事場泥棒的侵略行為を行ったメキシコ人については、 日本人、旧アメリカ人ともに嫌われており、特にアメリカ人の鬱憤の捌け口として、 虐待されるという悲惨な事件が後を絶たなかった。 中東部は欧州各国の勢力範囲が入り乱れ、その版図はモザイク状になっていた。 もっとも勢力が強いのがドイツ帝国であり、イタリアが政策上は追従していた。 ユダヤ系は言うに及ばず、有色人種やそれらの混血人種も表立って迫害されていた。 大英帝国などは直接的な迫害は野蛮だとしていたが、 (もちろん、イギリスでも有色人種を下等とする風潮はあった) 欧州で最も強い勢力を誇るドイツには強く出られないため、 自国の植民地で害にならない有色人種ならば無視をする(保護ではない)といった程度だった。 この様な事情から「ロッキーの分水嶺は運命の分かれ目」といわれる事となった。 さて、戦争で外地に動員されていた兵士達が帰還するに従って少なからず混乱が起こった。 日本では元兵士による治安の悪化を懸念し、彼らを生まれ故郷の各州に送り戻すこととなったが、 政府中枢が失われ各州も戦闘が頻発している状態では、もちろん完全に行われることはなかった。 技術者として買われて、カリフォルニア共和国に戸籍を手に入れるもの。 アメリカ風邪への恐怖から、危険を承知で西部へ侵入するもの。 合衆国陸海軍のうちカリフォルニア共和国軍として吸収された将兵。 ドイツ支配地域から命からがら逃げのびて、西部までたどり着いた幸運なユダヤ人。 もちろん、逆のケースもある。 大声で話せば強制送還ではあるが、戦争が終わったばかりのアメリカ大陸では、 そんな話は酒場へいけばどこにでも転がっていた。 そんな中、故郷を失った彼ら間でいつからか流行った歌があった。 『Take Me Home, Country Roads』。 旧合衆国東部の州、ウエストヴァージニア州の事を歌った歌で、 かの州の風景、思い出を歌い、故郷に帰ろうと誘う。 ウエストヴァージニア出身の人間でなくとも、故郷を永久に失った者にとって、 故郷への思慕を語る歌詞と、旅愁を呼び起こす曲調は涙を誘った。 この歌はカリフォルニア共和国のパブが発祥とされ、瞬く間に彼らの間に広がった。 残念ながら誰の作曲かも作詞かもわからないが、 後に肉付けされた話では、ウエストヴァージニア州のハーパーズ・フェリーという町の (歌詞にある風景描写からこの町の出身者であるということになった) ジョン・デンバーという男が流行らせたという事になっていた。 その曲調がアメリカ人だけでなく日本人などの心をとらえたことから、 戦後直ぐにカリフォルニア共和国に広まり、 流しのミュージシャンら(多くは難民で酒場廻りをしている)が決まって歌う曲となった。 50年代に入ると徐々に東側にも浸透し始め、 我が物顔している支配者たちの目を避けて歌われて、 やがては旧アメリカ人共通の民族歌の様になり、 後にはアメリカ合衆国民謡というジャンルに分類されるまでになる。 これが『故郷に帰りたい』(邦訳)という名で呼ばれる曲の、巷で言われている来歴だった。 逆行者であるなら『カントリーロード』という名前の方が通りがよいかもしれない。 つまり、逆行者の一人がアメリカといったらこの曲だろうという事で、 カリフォルニア共和国のどこかの酒場で歌った事が原因だったのだ。 それを聞いた人間がそれを他の酒場で演奏し、適当にしゃべった事で、 尾ひれが付き、勝手に来歴が改変され、それらしい話になっていった。 ジョン・デンバーは史実でこの曲を歌った歌手であるが、 これはもちろん、曲が広まる過程でジョン・デンバーの曲であるという 史実での事実を逆行者の一人が語った結果であった。 ちなみに、この歌に影響されたのか、 デンバーという姓の家ではジョンという名前を付ける事がまま起こったため、 本物のジョン・デンバー(1943年生まれ)が誰なのか全く分からなくなってしまった。 しかし、彼の歌はアメリカを代表する最後の歌として、 その悲劇とともに語り継がれる事となった。 (了)
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846 :①:2012/02/12(日) 11 44 06 →845 ジャッキー・ロビンソンとかウィリー・メイズとか新人さんたちがw ヨギ・ベラやテッド・ウィリアムズとかダメでしょうね… そして40年後くらいにキンセラが「そこに作れば彼が来る」で アイオワのトウモロコシ畑に彼らが… 848 :ヒナヒナ:2012/02/12(日) 16 19 43 野球はあまり詳しくないが→846を読んでは書かざるを得ないww ○フィールド・オブ・ドリームス ―アイオワ州 キンセラ農園 “If you build it, they will come.” 「誰だっ!」 家族と共にアイオワの田舎でトウモロコシ農場を営むレイ・キンセラは、 ある日不思議な声を聞いた。 「それを作れば彼が来る」 何を作るのか、誰が来るのか全く分からず、悪戯かと思って怒っていると、 突然、歓声に沸く野球場の白昼夢を見る。 そして、彼は何かに取りつかれたのかのように大切な収入源であるトウモロコシ畑を潰し、 自ら球場を作り始めてしまう。 周囲の人間はキンセラが狂ったと笑ったり、奇妙に思ったりして距離を取ったが、 キンセラは家族だけを理解者にトウモロコシ畑の中に球場を作り上げてしまう。 ―中略― キンセラと球場計画の同士となった作家のマンが、 途中で拾った若い野球選手とともに、 キンセラ農場に帰ってくると不思議な光景を見た。 球場に誰かが居るのだ。 志半ばで野球人生を絶たれた選手、 大津波で死んでしまった選手、 戦争からついに帰ってくることのなかった選手達が 煌々と明かりのついた球場に集まっていたのだ。 「見て、お父さん。みんな野球をしに来たのよ!」 駆け寄ってきたキンセラの娘が言うと、ハッとするキンセラ達。 よく見るとそこには八百長で野球界を追われたシューレス・ジョーや、 ニューヨークで津波に飲まれたヨギ・ベラ、 大戦時に空軍に所属し、空から帰ることのなかったテッド・ウィリアムズ…… 他にもそのまま野球をつづけていれば、数々の記録を残したであろう選手達が集まっていた。 そして、キンセラが農場に帰ってくる途中で拾った若い野球選手 ―ムーンライト・グラハム―がその中に歩みだすと、ちょうど人数がそろった。 そして、夢の試合が始まった。 あとがき 感動的なラストシーンは映画でどうぞw
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900 :ヒナヒナ(携帯):2012/03/27(火) 20 37 46 引っ越しでネット禁断症状が酷いです。 →886-888グアンタナモの人氏のボリビア海軍の話を読んで支援 ○チューニョの花が咲く頃に 「南米の国が一等国になる?黄色人種の国が何を言う。チューニョの花が咲くような物だ。」 チューニョはジャガイモを干したアンデス地域の保存食であり、 植えたところで花どころか芽も出ない。チューニョの花とは不可能のたとえだ。 ペルーなど南米各国はアメリカ合衆国の裏庭である。そう言われてきた。 アメリカに実権を握られ経済的には搾取される。 そんな経済植民地では自ら覇を唱えることは一笑に付される程度の夢物語だった。 しかし、大西洋大津波と日米戦争が全てを変えた。 欧州列強が被害を受け、アメリカは崩壊した。 独ソは激しく消耗しており、軍備はともかく、その国力を減じていた。 そして、アメリカを降し、太平洋の覇者となった大日本帝国が接触してきた。 南米の太平洋側に長大な海岸線を有するチリ共和国と、 同じくその北側に海岸線を持つペルー共和国、 そして、豊富な鉱山資源を排出するボリビア共和国は、 環太平洋諸国として戦後は大日本帝国の影響下に入っていた。 当初はメキシコ戦における日本軍の精強さを見たが故の恭順であったが、 傘下に入って暫くすると、各国は悪い選択ではなかったと思い直した。 彼らから自由と誇りを奪い去っていったスペインや、 富を搾り取っていたアメリカよりもよほど付き合いやすい相手であったと。 少なくとも誠意を持って接すれば、誠意を返してくるし、 基本的には此方側に全く益のない案を強要してくることも無い。 日本側はODAと言っていたが、投資を行い利益を落としてくれたし、 技術もある程度は分け与えてもらった。 その分、自主関税と称して小規模の海賊行為を行っていた賊が 停止命令を無視したとたんに乗船ごと海の藻屑となったり、 地元有力者が支配し、半ば公然と存在したマフィアが壊滅するはめになったりと、 犯罪などへの対処は苛烈であった。 901 :ヒナヒナ(携帯):2012/03/27(火) 20 39 39 さて、現在、没落気味とはいえ世界の富裕層の大多数を占める白人の意識上では 人類は4種類に分けられていた。 白人、黒人、黄色人種、そして日本人。 これは有色人種の優越を認めたくないがゆえに、 有色人種と日本人を別視することで、自分達白人の名誉を守ろうとしたのだ。 一方、前述の南米3カ国では少し違うわけ方をしていた。 白人、黒人、黄色人種、そしてカパック・ケリュ(偉大なる黄)だ。 このカパック・ケリュなる言葉は大戦後にペルーで作られたものであった。 南米の人々は大躍進を遂げた日本人と自分達を黄色人種という人種上で同一視した。 ただし、この戦争で評価を大いに下げた中国系やメキシコ人とは区別するため、 新しい呼び名を作り出したのだ。 ペルーなど南米諸国はスペインが統治してより、白人の地位が非常に高い国であったが、 先住のカンペシーノ(先住民)の間では民族主義 (と本人達は言っていたが実際には反転した人種差別的発想であることが多かった) に目覚める人間も出始めた。 日本人という黄色人種の躍進を見てきたからだ。 「白人を追い出しの我らの国を!」 「カパック・ケリュの再興を」 「アメリカ・スペインは日暮れの国だ。太陽の帝国(インカ)には相応しくない。 我々のパートナーはアジアの太陽の帝国である日本だ。」 過激な者はインカ帝国の復興などという夢物語まで口にするほど、南米3国は沸いていた。 何せ、今まで頭を押さえていたアメリカが消えてなくなったのだ。 民衆は単純に新しい時代を喜び、湧いていた。 支配者層である白人は白人排斥運動を抑えながら、 新たなビジネスパートナーとして日本と結んだ。 結果から言うと、先住人の優越は起こらなかった。 日本側が懸念を示し、事態の沈静化を図ったからだ。 南米では教育を受けたエリート層は白人であることが絶対的に多いし、 近代化を行う上で、エリート層の確保は絶対なのだ。 そもそも、スペイン支配が長かったため白人と先住人の混血が進んでおり、 閉鎖的な山間部はともかく、都市部ではすでに人種が不可分となりつつあったこともある。 ただ日本人が南米を闊歩しだすと、白人が露骨に黄色人種を差別する向きは少なくなった。 「南米エリート層は殆ど白人系なのに、追い出したら半世紀は文明が後退するぞ。」 「民族主義は先鋭化しやすいし、危なっかしいしな。」 「そもそも、この期に及んで政治混乱なんてもっての他だ。経済成長に力入れろよ。」 「教育方針として人種差別の不毛さを教えるようにすればいいでしょう。 (南米系の美少女というのもなかなかですし)インテリの購買層を育てなくては。 教育への直接介入は難しいですが手は色々あります。」 「帝国製品の市場にするにも、一定レベルの生活水準でないと需要がないですしね。」 なんて会話が日本側ではあったりもする。 太平洋岸で日本海軍の潜水艦基地を持ち、南米航路の安全を負担し、 それに対する援助によって火の車の財政からなんとか脱出した チリ共和国とペルー共和国。 日本との交易により次第に市井にもお金が回り始めるボリビア共和国。 これら三国は決して仲が良いわけでもないが、 確実に数字になって現れる経済成長が、互いの矛先を逸らしていた。 再び力をつけた列強各国の経済・軍事力の波に飲まれないためには、 この戦後の列強が息切れしている今を逃すわけにはいかなかった。 チャンスは待ってくれないのだ。 ペルー首都リマ。 ポンチョ姿のカンペシーノ(先住民)が行き来する街中に、 サンポーニャとチャランゴの音が響き、 カルナバリートのリズムに乗って歌が聞こえてくる。 昼には人目を憚ることなくマテ茶を飲みながら休み、 スペイン語に混じってケチュア語が話されている。 午後になって市をたたみ始めた人々の群れに混じって、 労働者はコカの葉を噛みながら午後の仕事に向う。 南米の新たな興隆を感じさせる、活気に満ちた光景ではあったが、 これを維持し更に豊かにしていけるかは彼ら次第だ。 チューニョの花は未だ咲く兆しは見せないが、 芽くらいは出てきたのかもしれない。 (了)
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813 :ヒナヒナ:2012/02/15(水) 20 14 35 ○巣立ち ―新たなる調べ― 夢幻会には海軍や陸軍、官僚などの縦の派閥だけでなく、多くの横断的組織が存在する。 これは縦割り行政の非効率さを嘆いた夢幻会が、 会内部においても横の繋がりを強化しようとして、 明治後期に研究会的集まりを作ることを推奨したことから始まった。 ちなみに、この横断組織の最大派閥はMMJである。 ―1944年 ある日の夢幻会中下層部 「ここに集まってもらったのは他でもない。今の音楽業界の現状を改めるためだ。」 「アニソン派や特撮派が力を持っているからなぁ……。」 「クラシック派や歌謡曲派が集まっても足元にも及ばないし。」 どこぞの公民館に集まっているのは主流派から外れたために 肩身の狭い思いをしている「正統音楽を保存する会」であった。 この微妙な名称は複数の組織が合併したために適当につけられたためだ。 「昭和歌謡ファンクラブ」「演歌で痺れる会」など特定の嗜好を持った少数派や、 「クラシック同好会」「吹奏楽会」「Jazz club」など、 かなりまともな組織も含んでいた。 ちなみに、彼らの共通の敵は「アニメ音楽派」だ。 奴らは萌を探求するMMJや、燃えを信奉する特撮、戦闘アニメ信者と 強固に結びついて勢力を保っている。 「特に軍は酷い。兵の慰安のためとはいえアニメ音楽とは…… アニメ音楽ばかり演奏するのが軍楽隊だと思われては困る。」 「自衛隊ェ……」 「この前、海軍の軍楽隊が 観艦式で『宇宙船艦ヤマト』を演奏すると言っていたぞ。」 「アニオタどもが……それで、まさか本当に演奏するんじゃないだろうな?」 「いや、本物の戦艦大和が出来るまで、お預けだそうだ。」 「……。」 軍人の会員らが現状をぼやく。 夢幻会上層部にオタクが多いことと、オタク気質の逆行者は自己主張が激しいため、 ノーマルな趣向を持つ者は何故か肩身の狭い思いをしているのだ。 もっとも彼らとしても趣味が一般的なだけで特定分野においては、 自重を忘れるコトもしばしばなので、あまり人のことは言えない。 「軍楽隊も本当にどうにかしてくれよ。 日本には未だ器楽を聴くという文化が根付いていないのだ。 音楽学校のエリートの歩む道は軍楽隊が多いのだから。」 「日本は常設の楽団が少ないからなぁ。音楽じゃ喰っていけないよな。 ミニコンサートも欧米ほど活発じゃないから、ソロ活動も難しいし。」 「常設は吹奏だと結局軍か一部企業の持ち楽団。 一応、フルオーケストラは東京フィルがあるが、大きなのはそんなもんだな。」 「西洋音楽が一番とは言わないが、文化的に音楽は重要な指標だからなぁ。」 「戦争が終わったし日本各地を回って演奏会をして、そういう文化の芽を育てよう。」 「全国を回ってって、ハードスケジュールになりそうだな。 陸自の某音楽隊みたいにヘリ降下のできる音楽隊とか作る気か?」 クラシック同好会所属の三菱の中堅社員がぼやくと、 クラシック同好会と吹奏楽会は、史実に劣る民間のコンサート数を思いだして嘆く。 ちなみに史実では、音大出身のエリート達にとって自衛隊の音楽隊は 憧れの就職先だったりする。(ただし弦を除く) 練習時間や演奏場所を確約されており、福利厚生も良し。 器楽で暮らして生きたい者にとって、就職先としては破格の条件なのだ。 もちろん技量が劣れば、後から入った者に追い落とされるシビアな世界だが。 そんな演奏家の受け皿である軍楽隊の汚染は、ぜひとも食い止めなければならない。 814 :ヒナヒナ:2012/02/15(水) 20 15 08 「アメリカも崩壊してJazzはオワコンですかそうですか。」 「マジョリティの世界からマイノリティの世界にようこそ。 でもJazzは世界中に種が播かれているから大丈夫だろ。畜生。 それに比べてゴスペルは……」 「ゴスペル派はそもそも会員が3人しかいないからな。」 「南北アメリカ大陸が沈降したし、フォルクローレ(中南米の音楽)はどうなるのだ。」 「ロシア音楽も俺達側だったのに、裏切りやがって。」 一部の人間は、既にマイノリティ根性が染み付き通常運行であった。 それを横目に、演歌で痺れる会のメンバーが言う。 「演歌、史実通りに出てくるかな? ある意味日本の伝統的音楽なのに……」 「指導者層が粗方アニメ・ゲーム音楽に汚染されているからな。」 「その点、雅楽関係者は税金補助があるから恵まれているよな。」 「そりゃあ、1000年以上雅楽をやってきた東義家とか潰れたら困る。文化的な損失だ。」 「昭和歌謡は隠れファン層は多そうだが、史実のアイドルが確保できるか問題だ。」 「アイドルはキャラも重要だからな。他の道を歩む前に青田買いするか…… いや、昭和後期ともなると歴史が変わってアイドル達が生まれてくるかも分からんぞ。」 どのような行動を取ったら史実音楽が保たれるかについて、終わらない議論が続いた。 既存の音楽が霞んでしまうほどにアニメ・ゲームなど新たな音楽の風は強かったのだ。 中には政治的力(良識派と呼ばれる一部勢力)を担ぎ出そうとする者まで現れた。 それを聞いて、今まで口を噤んできた一人の学生服を着た出席者が制した。 「音楽は文化だ。守るだけでは古くなり忘れられ取って代わられる。 我々がすべきは、伝統の血を汲んだ新たな音楽を作ることだ。 かつての名曲・名演が消えてしまうことを恐れる気持ちも分かるが、 史実に無い新たな音楽が生まれる土壌を奪ってはならない。」 年齢差を物ともせず、そう言ったのは自身の過去に憑依した作曲家、武満徹だった。 和楽器と洋楽器を組み合わせた楽曲ノーヴェンバー・ステップスを作曲し、 世界的な作曲家として知られていた人物だ。 「音楽はその作曲家・演奏者・歌手の精神から出るものだ。 政治的力を使って歪めるのは、音楽の精神に反する。全ての芸術は自由であるべきだ。」 見た目こそ中学生だが、その精神は70を超えた作曲家の言に出席者は反論できない。 この稀代の作曲家が、かつての自らの代表作を再び作らないことを 夢幻会内で公言したことを知っているからだ。 新たな時代の前に、過去の作品にしがみ付くのは相応しくないとする意見。 ある意味正論である武光の言葉を、正面から否定できる人間はここにはいなかった。 ――――――――――――――――――――――――――――――― 上層部がこれからの国の舵取りのために、地図の無い航海に乗り出しているころ、 中下層部では、日本の文化などについて、小さくも大きな議論を行っていた。 それは音楽だけでなく、スポーツ、芸術、文壇など多くの分野で、 自然に、そして同時多発的に起きていた。 史実でいう第二次世界大戦が終結し、その結果が大きく変化していたことで、 逆行者達は、ここが自分達の知っている日本国でないと改めて気付かされたのだ。 もう、史実知識という便利なチートだけを頼る事はできない。 ここからはこの時代の人達と同じように、手探りで歩いていくことになる、と。 彼らの未来が見知った史実に近づいていくのか、 それとも、全く新しい文化・歴史を生み出していくのか、 それはもはや誰にも分からないことだった。 しかし、それはこれまで国を子守り、育ててきた夢幻会という親元から、 やっと自らの足で立とうとしている大日本帝国の姿なのかもしれなかった。 (了)
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847 :ヒナヒナ:2012/02/28(火) 21 01 17 ○“He Was A Hero.” アリゾナと旧ニューメキシコの州境付近の砂漠地帯。 何も無い荒野に見えるが、ここは交通の要所になっている場所であった。 近くにある小高い丘という名の礫山に這いつくばって、 薄汚れた軍服の男が双眼鏡を覗いていた。 腹ばいの男の背後から手が伸びてくる…… 「おい、ビリー交代の時間だってよ。遅飯喰って来い。」 「やっとかジェス。で、今日のメニューは?」 「チリコンカン(南部の州テキサスで有名な煮豆料理)」 「またか、昨日物資届いたんだろ?」 「トラック一杯の豆とケチャップがな。小麦は上だけしか食えないさ。」 「……まだ昼飯を食べられるだけマシと思うことにするよ。」 「今日の成果は?」 「コヨーテの群れが一群、以上」 「まぁ、何もないのはいいことだ。お前明日は朝番だから早く寝て置けよ。」 そういって、丘で見張りについていた男ビリーは、 仲間のジェスに持ち場を任せて遅い昼食をとる為に丘を下って、 少し離れた所にある前線基地に戻った。 アリゾナでは国境を巡る争いが続いている。 アリゾナは、南端がメキシコと国境を接しており 西では日本の保護国扱いのカリフォルニア共和国、 東は欧州支配地域と接しているという地勢的に不安定な地域だ。 カリフォルニアの電力源であるダムの守りに必要という理由もあり、 カリフォルニア共和国とは同盟を組んでいる。 そして、同国を通して日本の支援がある分、東部州などよりは恵まれていたが、 欧州支配地域との緩衝地帯としての役割を求められていた。 要は西部地域の外壁として血を流す役割を担ったともいえる。 メキシコからは難民や麻薬関係の密輸の取り締まり。 東部側からは本格攻勢こそ無いが、頻繁にドイツ軍などから嫌がらせがある。 カリフォルニア共和国は日本がバックに居るため、 よもや同盟関係にある国を裏切ったりはしないだろうが、 全面的に頼ろうとすれば、経済的に奴隷にされかねない。 (もっとも日本としては便利な壁が壊れてもらっては困るのでその気は無い) そのため、アリゾナでは常に全方位を警戒していなければならず その少ない軍事力のために、常にギリギリの戦いを強いられていた。 一応徴兵制を強いていたが、国土を巡る戦いではあるので比較的士気は高かった。 ビリーも徴兵で取られて、この東部防衛線に投入された若者の一人だ。 若くて健康な男性は例外なく数年間の兵役がある。 何かと大変な戦場ではあったが、下っ端兵士はみな似たような境遇だし、 武力で守らなくては日々の暮らしすら守れない事は知っている。 まあ、今のところビリーの隊の管轄の地域は安定している。問題は無い。 「小隊長殿。ハチンソン二等兵戻りました。問題は特にありません。」 「お疲れだ。ビリー、飯喰って来い。」 「はっ」 ビリーは隊が張っているテントに戻り報告を済ませると、 最近嗅ぎ飽きたケチャップの匂いのする方向へと向う。 食糧の配給は量こそ許せるが、見事に豆ばかりであった。 オマケに隊の炊事係がテキサスかぶれなので、このムカつく煮豆が毎日続くのだ。 実際には、他に作れる物がないというのが現状なのだが。 「また、このテキサスビーンズか。」 「おう、ビリー辛気臭い顔するなよ。量が喰えるだけ東部の奴らよりマシさ。」 「おう、ハンツ。せめて肉を入れてくれよ。」 「お偉いさんはビーンズに栄養分があるから肉がなくても大丈夫と言っていたらしいぞ。」 「自分達は肉とパン食ってるクセにな。」 「全くだ。」 848 :ヒナヒナ:2012/02/28(火) 21 01 55 不平を叩き合うのは隊内のコミュニケーションだ。 不満はあるし恐怖だってあるが、大戦時のような末期じみた雰囲気ではない。 数ヶ月に一度は、各部隊を後方に下げてくれて、その間は帰宅もできる。 少なくとも外地にいた東部の兵たちが感じたような、焦燥感ではない。 実際、ビリーには帰る家はあるし、徴兵前に約束した婚約者だっている。 実家は主要道路などから離れた田舎なので、滅多なことじゃ危険はない。 それに、食料と一緒に手紙だって送られてくることもある。 ビリーが豆ばかりの昼食をかっ込んでいると、別の兵が寄ってくる。 「おう、ビリー、昨日の夜の便で、またお前の嫁さんから手紙が来ていたぞ。」 「嫁じゃなくて、婚約者だよ。」 「親公認でやったかそうでないかだろ? 何が違うんだ。」 夢もない直接的な物言いに、食べながら器用に肩をすくめて応えるビリー。 ボール一杯の豆を食べ終わると、食器を片付けてテントに向う。 もちろん、手紙を受け取るのも忘れない。 テントに戻ってから封を切って中身を読む。村に置いてきた婚約者の字があった。 “愛しのビリーへ、 あなたが帰ってきてくれる日を思いながらこれを書いているわ。 どんなときでも自分の身を守ることを真っ先に考えてね。 頭を低くして、じっと息を殺して、決して目立とうとしちゃダメよ。 ビリー、英雄に何てならなくていいから、帰ってきてあたしをお嫁さんにして。 あなたのお母さんと一緒に待っているから絶対に迎えに来てね。 手紙なんかじゃなくて、本物のあなたに会いたいわ。 あなたの婚約者より” ジェスに言われた通りに、明日は早番だから手紙を読んで早く寝よう。 返信は明日でもいいだろう。どうせ次の輸送車が来ないと持って行ってくれない。 この昼はクソ暑くて、夜はクソ寒い砂漠でも今日は夢見がよさそうだ。 ビリーはテントで眠りについた。 「ビリー!起きろ! 奴らが攻めてきたぞ!」 そんな叫び声の様なセリフで飛び起きたビリーは辺りを見回す。 半分開けっ放しになったテントの入り口からは、 外で慌しく戦闘準備をする隊の仲間達が見える。 ビリーは急いで上着を着て、靴を履いて外に飛び出る。 既に皆集まっていた。小隊長が大きな声を上げる。 「見張りについていたジェスがドイツ軍部隊を見つけた。 嫌がらせにしては数が多い。やつらは綻びを見つければ、一気に押しかけてくる。 現在、北の丘でジェスとラウリーが孤立しているが、我々はそこを死守せねばならん! 北の丘を抜かれて安全な道を確保されたら一気に西まで食い込まれる可能性がある。 自動車は二台。一台は囮で、もう一台は裏手からジェスとラウリーに合流、救出する。 囮部隊は危険なので志願制とする。誰か囮部隊に立候補する者は?」 小隊長の言葉を聞きながら、ビリーは責任感の前に、罪悪感があった。 時間が半日ずれていればそこにいるのは自分だった。 友人のジェスを身代わりに差し出した気がして気がとがめたのだ。 そして、おずおずとビリーの手が挙った。 “ジェニファー・ハチンソン様 貴方の息子であるビリー・ハチンソン上等兵の戦死を謹んでお伝えします。 ハチンソン上等兵は東部戦線最前線にて戦死しました。 国のために勇敢に戦い、戦友を助けるために任務に志願し凶弾に倒れました。 彼はまさに英雄でした。 彼は亡くなりましたが、彼の意志はこのアリゾナの大地を守る礎になるでしょう。 そして、あなたは国に尽くし亡くなった彼を誇りに思ってください。 アリゾナ共和国陸軍東部第二大隊” (了)
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164 :ヒナヒナ:2012/06/25(月) 20 38 11 ○防疫官達の憂鬱 防疫とは港湾や空港にて、感染症の発生・流行を予防すること。感染症患者の早期発見・隔離、消毒や媒介動物の駆除、予防接種などを行う。大戦後の世界情勢では、これらの役割は大きく、特に主要国では空港、港、主要道路(ドイツ)に検疫所を置き国内へのアメリカ風邪の侵入に神経を尖らせていた。 余談ではあるが、急遽、防疫官は需要が増大した職種であるので専門知識が無い者が臨時でこの役割を振られてしまうこともあった。特に「人権っておいしいの?」状態のドイツではアメリカ風邪への国内(本土)侵入を絶対に阻止すべく、罹患が疑われる人間に(現世から)お引取り願うといった話も良く聞かれた。 さて、人間についてはかなり神経質な措置が取られていたのだが、その他の病害については影が薄く知られていなかった。植物防疫だ。外来病害虫を抑えるべく各港に配置されているのだがいまいち知名度が低く認知されづらい彼らだった。 「やばい。中国大陸からの輸入食料は大量だ。あれの中に害虫が混じっていたら見逃しかねん」 「中国にそこまでの重要害虫いたか?」 「いる。中国にいなくても、あそこは検疫があってないようなものだから、どんな害虫がまぎれていないとも限らないよ」 「それよりカリフォルニアだ。アメリカシロヒトリだけは徹底して駆除しろ。史実の様にアメリカからの軍需物資はないが、日本から援助物資の流れがあるから帰ってくる船の荷について持ち込まれないとも限らない」 「アメリカといえばコナジラミ類は地味にやばい。あれは植物ウイルスを媒介するから進入されると面倒だ。あと、イネミズゾウムシも今なら防げる」 逆行者の植物検疫官達が頭を悩ましていた。彼らの中には元農業従事者や植物学者などもおり、外来動植物に苦労してきた前世がこうした活動を後押ししていた。しかし、植物防疫が市民権を得ていない時代背景から、彼らの苦労は並大抵ではなかった。何せ、未だに一般では動植物は資源として輸出・輸入するものであるといった意識であり、規制するものというイメージはなかったのだ。そして、船主達はできる限り船荷を遊ばしておきたくは無い。船荷の調査をするとなれば港で時間を食われる。そればかりか陸揚げ禁止となれば更に燃料代を掛けて他所に持ち込むか、更に時間と金の掛かる徹底的な消毒を行わなければならない。場合によっては違約金が発生しかねない。反発は非常に大きいものとなった。それでも彼らを突き動かしたのは前世で流した血涙のためだった。 「動物防疫にも注意入れて置けよ。結構船員がペットとして動物を持ち込むから」 「アライグマとかは禁輸措置にすべきだろう。史実ではラス○ルなんてものを放映するから……フジテレビめ」 「海洋自然学者らは大変だぞ。日本が史実より貿易が活発化したから、バラスト水由来の外来水生生物がすでに進入しているらしい。」 「有害動物・植物に関してはやく移動制限が掛けてくれ」 「ああ、外国から見たら日本は輸出先としていい客だからな。輸入条項を周知するのも一苦労だ。」 「中国の毒食物みたいなのは勘弁だが、現段階だと輸入食料へのポストハーベストは必須だ。そのままなんて害虫が怖すぎて輸入できない」 「「「「はぁ」」」」 ため息の漏れる植物検疫官達だった。 日本侵入を阻むために夜も昼も無い仕事ぶりで、防疫体制の確立に躍起になっていた植物防疫官達であった。彼らの地味な活躍のおかげで帰化病害虫被害の一部は回避することが出来た。そして、船主や輸入関係事業者の間で、日本は輸入規則の非常に厳しい国であるという意識が共有され、日本向けの物資に関しては事前に防疫措置を行うようになった。 しかし、後年、日本は生態系侵略を行っているといった誤ったイメージが諸外国で普及した。 戦前に外国に輸出された強害雑草である葛やイタドリ、畑地の害虫であるマメコガネが諸外国で無双しているのが取り上げられ、日本産の害虫、雑草が外国に侵略するといったイメージを持たれることとなった。もっともこれらの雑草、害虫に関しては、侵入したのは19世紀や20世紀初頭に持ち込まれたものであるので、決して日本の防疫官が外国輸出用の防疫を軽視したわけではないのだが、軍帽を被ったコガネムシが他国へ侵略するといった風刺画が描かれることとなり、植物防疫の関係者の頬を引きつらせることとなる。 ○あとがき もうやめてー、トマトのライフはゼロよ。 まじ、コナジラミとサビダニは勘弁(;ω;)
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234 :ヒナヒナ:2012/08/28(火) 19 34 46 クロスssですので、お嫌いな方は注意してください。 ○嗚呼、我ら地球防衛ぐ……あれ? 「私はさっきまで議長デスクに座っていたはずだ」 連日連夜の会議にうっかり統合参謀本部長席のデスクに伏して居眠り、というか半ば失神したのは、記憶系列上ではつい先ほどのこと。机に伏していたという無理な体勢で寝て居ても節々が痛まないことを考えると、半日以上経過しているということは考えにくい。かつて参謀としてガミラス帝国の手から地球を救い、その後の戦役でも事務屋として功績を挙げて議長へとランクアップし、事務職の頂点を極めた男はぶつぶつと「誘拐?いやそれにしても妙だ。机周りが微妙にアナログだし……」と呟いていたが、ふと気がつく。 席の後ろには旗が二棹。一つは風も無く垂れ下がった状態でも見間違えようのない旗、日の丸。議長はもう一つの薄い青地の旗の縁を摘んでよく見えるように広げてみる。旗の中央にはエンブレムの様な意匠、中央に正射図法で描かれた円形の地球地図、周囲は柏葉で囲われており、EDF(Earth Defense Force)の文字が…… 「……地球防衛軍違いかよ」 怒声とともにサイドボードをひっくり返し、錯乱したとして部下達に取り押さえられる1分前のことだった。 * 「2013年に地球外生命体と接触、便宜的にフォーリナーと呼称。今は西暦2015年、今年の4月に地球防衛軍、EDFが設立されました」 「ペイルウイングは開発された形跡がありません。ペリ子の黒いパンツが……」 「北米支部で決戦要塞の開発が始まっています。その他、日本支部の開発班では二足歩行バトルマシンの開発が進んでいます」 「このままいけば2017年にフォーリナーのマザーシップとの接触が予想されます」 「つまり此処は『地球防衛軍3』の世界ということか」 部下たちの言葉を、議長、改めEDF日本支部のトップである司令はそうまとめた。司令がこの世界にログインした3時間後、部長の行動はオーバーワークのための一時的な錯乱と判断され、事なきを得た。そして、同じくヤマト世界に転生してから、さらにこの世界の人物に再び憑依(?)したであろう戦友たちが、話を聞きつけて集まってきたのだ。 235 :ヒナヒナ:2012/08/28(火) 19 35 39 「皆とこの世界でも会えた事は非常に心強い。……が、なんで事務職ばかりなんだ! そこは空気を読んで技術屋とかが来るべきだろ」 「前世補正です」 「私は戦闘職だったぞ、死亡フラグ満載のヤマト艦長を全うしたのに……なんでまたEDFの空軍指揮官とか!」 「議長……じゃなかった司令良かったですね。こままいけば現場指揮のできますよ」 「本部は現場じゃないだろJK。でも現場リーダーは第三艦橋より死亡率が高いし、若返ったといっても年齢的にきついし、まあ支部司令でも無線指揮はできるんだよな。前の一兵も指揮できない立場に比べたら……」 ぶつぶつと前世からの未練を未だに引きずっている司令であったが、自分を納得させると顔を上げる。黒い渋めのコートではなく白を基調とした赤いラインの入ったどちらかというと特撮的な格好であったが、もうこの際見栄えは諦めよう、と割り切りだした。 「というかヤマト世界のオリジナルキャラは来ていないのですね」 「真田さんがいれば、フォーリナーのマザーシップなんて一撃だったのに……」 「彼が居なくなったらヤマト世界が滅ぶぞ」 愚痴とも取れる話し合いが持たれ、現状の把握と今後の方針を決定していく。ベガルタをゲーム通りに開発させ、主砲しか武装のない戦車「ギガンテス」に機銃をつけたり、訓練計画の見直しと、次々に対策を立てていく。巨大蟻に溶かされたり、巨大蜘蛛の糸に巻かれて死ぬのは誰だって御免だ。 「空軍どうするよ。もうあれ要らないよな」 「一応私は空軍指揮官なのだが。さすがに空の守りを無くすわけにはいかないだろう」 「でもEJ24戦闘機とかかませだからな。いっそその予算でバゼラート編隊を……」 「ガラスの装甲にあの操作性だぞ。使いこなせるだけの練度の部隊を用意できるのか?」 「陸戦兵に持たせる携行装備どうする?」 「何気に携行武器も超兵器ばっかりだからな。この世界」 「フォーリナー技術がないと、ライサンダーもGGその他も不可能です」 「実はGGって波動砲なんじゃないか? きっと波動砲を振り回したらあんな感じになるんじゃないか?」 「携行波動砲って怖すぎる」 「津川海岸を要塞化できるように整備だけでもできないか?」 「戦時体制になってないのでEDFの一存ではできません。司令が日本政府と掛け合ってください。」 「ああ、あと緊急時の市民の避難経路を確保とか、その辺の主導権とかも詰めないとな。市民の避難先にヤマトの地下都市的なものが欲しいな」 「巨大蟻の巣穴になるフラグですね、分かります」 一通り現段階で出来る方策を決定した後、司令が気付く。 「そういえば、本部黒幕説があったが大丈夫なんだろうな」 「今のところ内通はありません。というかフォーリナーに通信・接触ともにできません」 「もしかして、あれは本部の罠というより、真面目に本部が無能だったのか」 「それはそれで恐ろしいのですが、日本的にはありそうで」 「ま、まあ、組織改善や他の支部との交流は円滑にしておこう」 司令らは地下司令部から中核となる陸戦兵の志願を募り(ストーム1探し)、開発班のケツを叩き、まともに戦える体制の構築を急ぐストーム1が活躍できる場を整えつつ、最後には主役頼りにする気満々であった。結局のところ彼らはモブの枠を出ないのだ。彼らは開き直り、いかに現場をサポートできるかに力を注ぐことにした。 地球の明日はどっちだ!? (了)
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669 :ヒナヒナ:2012/02/21(火) 21 45 22 ○「ヘタリア」から「イタリア」へ 風聞というのほど行き渡るのが早く、制御するのが難しい物はない。 列強中でその勢力を保ち、それなりの覇を得たイタリアだが、 そのDNAに染み付いたとでも表現すべき彼らの習性が発揮され、 歴史が変わってもやはり列強ダメ国家の代名詞となりつつあった。 曰く、女と食事にしか興味のない奴ら 曰く、小隊は最強クラスだが、規模が大きくなるほど弱くなる 曰く、ナチスドイツ最大の敵(総統の胃とか血管に負担を掛ける的な意味で) 曰く、パスタが無いと死ぬ 結局、歴史が変わっても、ヘタリアはヘタリアだった。 イタリア首脳部も日本帝国の主流派から(その他列強も各国の言葉で皮肉っている) 「ヘタリア」呼ばわりされていることは知っていた。 それをなんとかしたいと考えていたが、彼らが取る行動は何故か批判されるのだ。 アメリカ大陸で難民にパスタを渡し、旧米国人の敵対感情を緩和したり、 (→ドゥーチェのパスタby名無し三流さま) 騎士道精神に基づいて、女性に対しては一段と失礼のない対応をしたり、 卑劣にも女性を人質にして立て篭もった敵兵相手に1/3の人数の小隊で完勝したり、 兵士の士気を保つために、暖かいパスタを前線の兵士に行き渡るようにしたり、 同じく士気を保つために、5時になったら攻撃を一時停止して休息を取ったり…… 首脳部から見て、問題ないか、多少行き過ぎた程度の事であっても、 世界は彼らを指して、驚愕したり、嗤ったり、怒ったり、諦めの表情を見せるのだ。 問題意識を持つ将兵もいたのだが、それは少数派の意見として埋もれていた。 そして、少数派の彼らはその他無残な称号を雪ぐべく機会を待っていたのだ。 そのときは比較的早く来た。 同盟国であるドイツ帝国とソ連が独ソ戦で共に息切れを起こし、 ドイツは国力を回復するために、アメリカ再開拓よりも手っ取り早い方法である 覇権国家日本との関係緩和を望んでいるとの情報が入ったのだ。 しかし、日本とドイツは険悪な関係にある。 そこで、イタリア首脳部は考えた。 ドイツと日本の手引きをできるのは誰であろうか? ヴィシーフランス? 日本国民の中で、ヴィシー=ドイツという公式になっているのは想像に難くない。 それより、ヴィシーは絶賛英国敵視中で英国と手を組んでいる日本まで恨みかねない。 英国? イギリス自体は日本にラブコールを送っているが、裏切りの代償は大きく、 一部の日本人からは、下手をするとドイツより嫌われているのではないか。 フィンランド? 日本と非常に親密な関係にある北欧諸国が、 日本の意に沿わない講和を持ちかけるだろうか。 カリフォルニア共和国? 狡いアメリカ人の残党である彼らは、益になるなら仲を取り持つくらいはするだろうが、 そんなことが可能な外交ルートは、未だかの国にはない。 そこでイタリアだ。 イタリアはドイツと共同歩調を取り枢軸の中核を担ってきたが、 日本に決定的な敵愾心をもたれるような行為は行っていない。 ここでドイツと日本の関係緩和を取り持てば、勢力の減少が著しい西欧列強の中で、 頭一つ飛び出る(様な気がする)。 それは英雄的行動を好むイタリア人にとって非常に誘惑的な案だった。 同盟国ドイツや仮想敵国日本の不興を買うことなく、名声を上げられる。 そして、最も重要なこととして、誰かの下に付くことなく孤高の存在で居られる。 そんな、会話がイタリア首脳部で話された。(→俺のバルボが…by名無し三流さま) 670 :ヒナヒナ:2012/02/21(火) 21 45 52 イタリア首脳部は日本への接近を開始した。 しかし、日本とはドイツよりマシな程度の国交しかない。 まずは日本人の心を溶かすことからはじめよう。そう考えた。 人間というのは、同じ価値観を持つ物に共感を持ちやすいのだ。 そして、イタリア首脳部はいくつかの日本文化をひそかに国内に持ち込んだ。 刺激が少なく万人に好かれるタイプのアニメや、 娯楽映画、日本人が書いた書籍、書画の類、 また、日本の創作パスタ料理である‘ナポリタン’などをひそかに輸入させ始めた。 もともと、娯楽には目が無い国民性の性もあり、 これら日本文化の一端は、割りと素早くかつ好意的にイタリア国民に迎えられ、 日本人、日本帝国に対する興味を引き立て、対日国民感情の改善が見られた。 もちろん日本でもこの動きはキャッチされていた。 またイタリアがおかしな事を始めやがった、という呆れに似た認識であったが。 まぁ、日本としても、カリフォルニアを挟んでお付き合いするはめに なるかもしれない国のヘイトを下げておくのは好ましい。 敵意を持たれるよりは良いという結論になった。 日本からは警戒しながらも、イタリアに対して生暖かい目線が注がれることとなった。 この結果に気を良くしたイタリアは更に日本との関係改善を進めた。 仕事(軍務)よりも私生活の充実を好むお国柄であることもあり、 娯楽関係の浸透は思ったより早く、軍人でさえ日本文化を好む物が現れた。 米国という異郷の地で戦うイタリア人には、 女性とパスタと新しい刺激が必要だったのだ。 そしてある時、同盟国であるドイツ人は、イタリアとの米国共同作戦で、 支援にやってきたイタリア軍機を見て驚愕することとなる。 そこには、「ヘタリア」から「痛リア」に生まれ変わったイタリア軍が……!? (了)
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803 :ヒナヒナ:2012/02/09(木) 23 06 36 ○おまけ ―数学者チューリング― ―1945年×月×日 大日本帝国 「ここが日本か……。数学会ではあまり目立った活躍は無いが、暗号解読を先んじたし、 黄昏の中に居るわが大英帝国の変わりに、この国が新たな世界帝国となるのだろうか。」 数学の学会に出席するために、日本に来ることとなったアラン・チューリングは、 そう船上で呟いた。 彼は史実ではイギリスの暗号解読機関のリーダーであったが、 この世界ではイギリスが財政難から人材を囲い損なったため、 まっとうな数学者としての人生を送っていた。 もっとも、大学という自由な環境は彼の自重を綻ばせ、 史実では晩年まで隠していた同性愛傾向について噂されるようになっていた。 そんな嘲笑を含んだ視線から逃げるために、(大英帝国では同性愛は犯罪であった) 遠く日本の学会に参加することにしたのだ。 この遠くは慣れた異郷の地なら自分の噂を知るものは居まい。 そんなことを考えながらチューリングは東京帝国大学の赤門をくぐった。 学会初日を終えたチューリングは、日本に1週間程度滞在する予定となっていたため、 首都東京の散策に出た。 外に出てしまえば白人であること以外はそんなに気にされないし、 (一般人から見れば、フィンランド人もイギリス人もみな白人であった。) イギリスの大学の様にクスクスと陰口を叩かれることも無い。 たまに、職務質問してくる警官に、ビザとパスポートを見せるだけで済んだ。 そんな感じでチューリングは日本滞在をしていたのだが、 なにかポップな絵柄が書かれたポスターを掲げる書店を見つけ、 物珍しさから寄ってみることにした。多くは春画であったが 店の奥の小さなコーナーにある本を見つける。 「こ、これは……」 ―一週間後 チューリングが帰国する前日、彼に張り付いていた日本の防諜組織は、 彼が学会に参加している間に、彼の下宿に忍び込み荷物を調査していた。 夢幻会では彼が暗号解読者(史実)と言うことを知っていたので、 チューリングはマーク対象としてリストアップされていたのだ。 暗号関係のデータを持ち出されていないか、などを その手のプロが探していたが、ある人員が不審な物を発見した。 大型の旅行カバンの底が素人細工で二重底になっており、 そこにカバーを被せられた書籍がしまいこまれていたのだ。 これは大変な物を見つけたとばかりに、小さい声で同僚に声を掛けて、 その書籍を手に取り、痕跡を残さないように開いてみた。 「……。」 防諜関係者達は何も言わずにきれいにカバーをかけ直し、 元あった場所に戻した。 部屋の主が戻る前に、無く立ち去る防諜人員達は何故か非常に疲れた顔をしていた。
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826 :ヒナヒナ:2012/06/18(月) 20 34 53 ○明日天気になあれ! 蒸し暑い日本の夏、妙にそわそわしているオフィスがあった。内務省管轄の組織、かつての中央気象台、つまりは気象庁の本局だ。日本一、明日のことを本気で考える官公庁だ。ちなみに戦後に手にした支配地域であるアラスカやハワイ、その他の主要な島や地域に、大なり小なり観測所を置く羽目になったため、人手を取られて慢性的な人手不足だった。 気象庁は戦争も終わり、気象情報が軍事機密を離れたことで、一般に広く情報を提供するようになった。さすがに気象衛星が無いため、精度は平成ほど確度ではないが、各地の気象台の観測員からの情報や、ラジオゾンデを飛ばしての情報を元に、予報を出し続けていた。 彼らはここ数日間気が気でなかった。何故なら各省庁高官や企業、軍高官からの問い合わせがひっきりなしに来ていたからだ。電話を取る方としては胃が削れる日々だ。気象庁職員の気を病ませるイベント。それはコミケと呼ばれていた。 まあ、主催者側としては、当日の天気は重要項目なのだ。来場者数の多寡、警備体制にも変更が出るためだ。ついでに高温であったり、高湿度であったりすると熱中症が多発するし、雨であれば足を滑らせて怪我をする者が多い。来場者にかなりいる軍事関係者でさえもダウンさせる魔境、それが夏の祭典だ。 日本列島の天候は気まぐれで、予測が難しい。だが、気象庁職員運動会の当日が雨だったなどという笑い話はこの世界ではいらないのだ。観測所の面子に掛けて的確な予想を立てねばならない。それは圧力となって彼らにのしかかっていた。 多雨傾向にあると長期予報を出し、農家が普段より多めに作付けをした年に、四国で渇水に陥り、四国4県の知事が神社に公式に雨乞いを依頼したり、「怨念は天気を変える」とばかりに、祭典前に各基地の兵舎に大量にてるてる坊主が下がっている光景は無くさねばならない。 「おいみんな! 予報が出たぞ」 「当日天気はどうなってる!」 「予報読み上げします。一日目、南東の風、晴れ。降水確率06-12 0%、12-18 0%……。二日目、南の風、晴れ昼過ぎからくもり、降水確率06-12 0%、12-18 20%……。三日目、南の風後やや強く、くもり、降水確率06-12 20%、12-18 40%……」 「よし、ギリギリ天気は持つか。すぐに実行本部に通知、各省庁にも連絡を入れて置け。」 まるで晴れたのが自分たちの功績だとでも言うように、晴れやかな笑みを浮かべる職員達。彼らはこの時かつてない連帯感を味わっていた。まるで青春時代に帰ったかのような感情だった。が、コミケ当日、二日目午後から三日目に掛けて降水が続き、気象庁長官が胃を傷めることとなった。 (了) ○あとがき オチがないですが、台風が来ているのでこんな小話でもと思いました。一応、内務省が残っているので内務省管轄としておきました。あと、いつ気象庁が発足するのか分からないので、時期については不明と言うことで。