約 4,284,068 件
https://w.atwiki.jp/lwetoho/pages/517.html
大阪プロレス 実在のプロレス団体 用語集トップへ戻る 1999年にみちのくプロレスを退団したスペル・デルフィンが創立したプロレス団体。 日本プロレス以降、プロレス団体としては初めて団体専用の常設会場を持つ団体である。 ルチャリブレをベースに、地元大阪ならではのキャラクターレスラー達による、漫才のようなコメディ色の強い試合や、 正規軍とルード軍によるストーリー重視の試合がメインとなっている。 なお、老若男女の皆が楽しめるように流血、危険な凶器攻撃は禁止されているため、 姫様の難題シリーズやにとりの発明品、妖夢の愛刀は使いどころを考えなければならない。 こまっちゃんの商売道具は完全にアウトです。 経営難や選手の離脱等もあり、団体存続の危機を迎えたが、2007年には一度決別したみちのくプロレスとの団体抗争戦も行い、 2008年には子会社として「沖縄プロレス」を設立。デルフィンを初め、一部選手は沖縄に主軸を移す。 2009年に設立10周年を迎えた。 参考動画 http //www.nicovideo.jp/watch/sm7311852 http //www.nicovideo.jp/watch/sm7311920 プロレスラーが真剣にふざけると、こうなります。 このページを編集
https://w.atwiki.jp/fireprowrestling00/pages/5.html
ファイヤープロレスリング年表 各種ファイヤープロレスリングシリーズの発売日・タイトル・ハード機種を明記しました。 発売日 タイトル 機種 1989年06月22日 ファイヤープロレリング コンビネーションタッグ PCエンジン 1990年09月14日 プロレス ゲームボーイ 1991年08月30日 ファイヤープロレスリング2nd BOUT PCエンジン 1991年12月20日 スーパーファイヤープロレスリング スーパーファミコン 1992年03月27日 サンダープロレスリング列伝 メガドライブ 1992年11月13日 ファイヤープロレスリング3 LegendBout PCエンジン 1992年12月25日 スーパーファイヤープロレスリング2 スーパーファミコン 1993年12月29日 スーパーファイヤープロレスリング3 FinalBout スーパーファミコン 1994年02月04日 スーパーファイヤープロレスリング3 イージータイプ スーパーファミコン 1994年07月22日 ファイプロ女子ALL STAR DREAMSLAM スーパーファミコン 1994年12月22日 スーパーファイヤープロレスリングSPECIAL スーパーファミコン 1995年 ファイプロ外伝 ブレイジングトルネード アーケード 1995年02月03日 ファイプロ女子 憧夢超女大戦 全女vsJWP PCエンジン 1995年06月30日 スーパーファイヤープロレスリング クイーンズスペシャル スーパーファミコン 1995年08月25日 ファイプロ外伝 ブレイジングトルネード セガサターン 1995年12月02日 スーパーファイヤープロレスリングX スーパーファミコン 1996年03月15日 ファイヤープロレスリング アイアンスラム 96 プレイステーション 1996年03月29日 スーパーファイヤープロレスリングX プレミアム スーパーファミコン 1996年12月27日 ファイヤープロレスリングS シックスメン・スクランブル セガサターン 1999年06月24日 ファイヤープロレスリングG プレイステーション 2000年 ファイヤープロレスリングCB カードゲーム 2000年06月01日 ファイヤープロレスリングG スパイクライブラリー版 プレイステーション 2000年08月31日 ファイヤープロレスリング for Wonder Swan ワンダースワン 2001年01月22日 ファイヤープロレスリングi 携帯コンテンツ 2001年03月01日 ファイヤープロレスリングD ドリームキャスト 2001年03月21日 ファイヤープロレスリングA ゲームボーイアドバンス 2001年03月21日 Fire Pro Wrestling ゲームボーイアドバンス 2002年02月04日 ファイヤープロレスリングJ 携帯コンテンツ 2002年07月19日 ファイナルファイヤープロレスリング~夢の団体運営!~ ゲームボーイアドバンス 2002年07月19日 Fire Pro Wrestling 2 ゲームボーイアドバンス 2003年06月05日 ファイヤープロレスリングZ プレイステーション2 2005年09月05日 ファイプロ・リターンズ プレイステーション2 2006年07月13日 ファイプロ・リターンズ Best プレイステーション2 2011年11月 ファイヤープロレスリング in Mobage 携帯コンテンツ 2012年09月21日 Fire Pro Wrestling Xbox 360 Etc…
https://w.atwiki.jp/lwetoho/pages/14.html
東方プロレスとは 東方Projectのキャラクターがプロレスの試合を行う二次創作動画である。 動画の正式名称は『東方プロレス~東方闘魂記~』。 概要 2008年3月4日の旗揚げ戦から週1回5~7試合のペースで開催されており、 動画内での東方プロレスとは、興業と団体名両方のことを指す。 キャラ作成と試合中継にはファイプロリターンズのレスラーエディットモードを使用しており、 動画アップ後には投稿者コメントを利用した実況・解説もつく (旗揚げからしばらくの間は視聴者有志が実況コメントをつけていた)。 主な実況アナウンサーは射命丸文、主な解説者は小野塚小町。 旗揚げ時のエースは博麗霊夢と霧雨魔理沙。 東方プロレスはエンターテインメント団体で、 軍団抗争とベルトの争奪戦を軸にストーリーが展開していく。 試合だけでなく、アメプロを意識したマイクアピールや実況も大きな特徴である。 所属選手たちは、スペルカードの名を冠した得意技・必殺技を持っており、 これらの技の攻防は弾幕STGならぬ肉弾幕戦と呼ばれることもある。 (←射命丸文の実況から) 選手の入場テーマには東方ファンおなじみの曲が使われ、試合を盛り上げるのに一役買っている。 また視聴者はフィルター機能を利用した選手コールやブーイングをすることが可能。 ~以上、ニコニコ大百科『東方プロレス』の項目より。 メリハリ鳥さんの記述です。この方無くして東プロWikiはありません 概要追記 基本的に、動画内容はリアルのプロレス中継そのものに準拠している。つまり、普通の中継では触れられない 選手のプライベートなどについては動画内でも一切触れられないので注意されたし。 また、数多くのゲームプレイ動画がそうであるように、 脳内変換能力 が必要である。 もっとも、この動画を見ようという諸兄には当然、既に 脳内フィルターは完備 されているであろう。 諸事情により、2008年秋の興行は月に一度のペースになっている。 訓練された東プロファンの諸兄は、じっくりと公開を待たれたい。 (2008/11/23 第34回興行前) 追記2 2009年春以降、(顕界では)約半年の間興行(の放映)が中断しており、ファンからも心配する声が上がっていたが、 2009年10月になって再開され、待ち望んでいたファンから喝采を浴びた。 以後しばらくは月に1試合のペースで公開されるとのことである。 なお、幻想郷での興行が中断されていたわけではなく、あくまでもこちらの世界への公開が 中断されていたに過ぎないとのこと。 (2009/10/29 追記) 視聴方法 東方プロレスをご欄になりたい方は最寄の幻想郷放送局受信契約或いは ニコニコ動画での定期契約がお得です。 幻想郷放送局 (受信のためには受像機と契約が必要です。また別途宴会費等が必要の場合もございます) 2ヶ月払い 6ヶ月前払い 12ヶ月前払い 訪問集金のみ 2,790円 7,950円 15,490円 ニコニコ動画(多くの番組コンテンツと一括契約が可能です) 月額支払い 525円(税込) 各種クレジットカード チケット支払い 1,680円(税込) Webmoneyかケータイお支払い,90日間契約 なお、技術的理由により、中継音声が遅延することがございます。 もし、中継音声が途切れる、聞こえない、等の状況が起こりましたら、 しばらくお待ちいただいてから、もう一度お試しください。 ってけーねが言ってた。 団体企業情報 種類 無限会社 市場情報 非上場 略称 東プロ 本社所在地 楽園内? 電話番号 あるの? 設立 2008年3月 業種 その他の興行団 代表者(共同経営者) 四季映姫・ヤマザナドゥ 比那名居 天子 資本金 300まんえんくらい 従業員数 50人くらい 関係者 saki 外部リンク http //www.nicovideo.jp/mylist/5402271 協賛企業一覧 香霖堂 夜雀八目鰻屋 稲田青果 ⑨製氷 薬の永遠亭 博麗神社 守矢神社 紅魔館 白玉楼観光財団 河城家具・工務店 プリズムリバー楽団 ボーダー商事(株) (敬称略)
https://w.atwiki.jp/lwetoho/pages/188.html
女子プロレス 基本用語 用語集トップへ戻る。 今日までのプロレスを語る上で、 かつ出場選手から東方プロレスを語る上で 念頭に置かなければならない重要な用語。 所謂今日のプロレスがあったのは様々な選手とそれを取り巻く環境 多くのファンがあったことに他ならないが、 『その選手が男性でなければならない』といった定説など一度として存在したことはない。 日本においても、世界においても性差なく活躍できる場として存在しています。 ただし、その興行形態が如何とする事に関しては割愛する。 東方プロレスでは、そういった考え方を完全に粉砕しており、 完全なスポーツエンターテインメントになっております。 現実でもそうであると言え、名選手は性別・時代問わず名選手であります。 ファンに求められること、それは 『一選手を全力で応援する事』 に他ならない。 参考動画 http //www.nicovideo.jp/watch/sm2040417 マイク、試合の魅せ方、会場の盛り上がり方。全てがある意味神試合。 http //www.nicovideo.jp/watch/sm1606576 http //www.nicovideo.jp/watch/sm1606718 WWEのDIVA(女子組)で一時代を築いたトップ2人の対決。 長年の双方の因縁、ブック展開、そして トリッシュ・ストラタスの引退試合と言うこともあり、試合終盤への超加速は必見。 このページを編集
https://w.atwiki.jp/lwetoho/pages/515.html
全日本プロレス 実在のプロレス団体 用語集トップへ戻る 1972年にジャイアント馬場が創立した老舗プロレス団体。 初期は馬場がアメリカ時代に培った人脈を生かし、海外スター選手を招聘。力道山の日本プロレス時代伝統の 「日本人レスラーVS外国人レスラー」の系譜を受け継いだ、純プロレスを行う。 その後、天龍源一郎、ジャンボ鶴田の台頭、長州力等ジャパンプロレスの参戦もあり、 「明るく、楽しく、激しいプロレス」をメインコンセプトに掲げ、日本人選手同士の対決をメインにシフトし、 馬場は高年齢等の理由もあってじょじょに、前座試合やフロント業に専念する。 1990年に、天龍を初めとする多くの選手の大量離脱により、存続危機となるが絶対エースと君臨していた鶴田に、 2代目タイガーマスクから素顔に戻った三沢光晴率いる「超世代軍」が挑む形となり、大きなムーヴメントとなる。 後、鶴田が病気のため一線を退くと、三沢・小橋健太・川田利明・田上明ら「四天王」が中心となり、 「相手の全ての技を受けきり、その上で勝つ」という馬場の「受けの美学」が底流にあると言われる、 王道プロレス・四天王プロレスと呼ばれる危険度の高い技の応酬や激しい消耗戦が主流スタイルとなった。 だが、1999年に創立者である馬場が逝去。2000年5月には鶴田も逝く。 同月には三沢が社長に就任していたが、フロント等との対立があり再度選手の大量離脱が発生。 三沢はプロレスリング・ノアを創立し、移籍。川田等、一部のレスラーのみが残留した。 その後、天龍の復帰やフリーランスの選手、馬場時代からの外国人レスラー達の参戦により運営していたが、 今まで対極と言われ続けた新日本プロレスへと参戦。新日との対決が行われる。 その後、武藤敬司が三冠ヘビー級王者となり、2002年には新日を退団した選手達と共に入団、社長となる。 「明るく、楽しく、激しく、新しいプロレス」をメインコンセプトに、今までのプロレスを踏襲しつつ、新しいカラーとして、 ヒールユニットとの対決・他団体との交流戦、物真似芸能人とのコラボレーションによる、コミカルさをメインに打ち出した 興行等を行い、武藤が提唱する「パッケージプロレス」が行われている。 また、若手選手育成を目的とした若手VSベテランの「試練の○番勝負」シリーズを何度か行い、 鶴田を初め、多くのトップレスラーはこの戦いをくぐり抜けている。 東方プロレスでの紅美鈴の美鈴五番勝負や魂魄妖夢の魂魄妖夢の斬撃五番勝負!は これがモデルと思われる。 このページを編集
https://w.atwiki.jp/gakuseipuroresu/pages/5.html
関東 F.F.F.(帝京平成大学プロレスサークル) HWWA(一橋大学世界プロレス同盟) NKW(貫井草レスリング) NUWA(日本大学プロレス研究会) RoW(立教大学プロレス愛好会) RWF(立正大学プロレス研究会) SWS(三多摩学生プロレス同盟) UWF(関東学生プロレス連盟) YCW(横浜市立大学プロレス研究会) SWF(上智大学プロレス連盟) KWA(慶應義塾大学プロレス研究会) 関西 DWA(同志社プロレス同盟) OWF RWF(立命館プロレス同好会) W-CROSS(佛教大学プロレス格闘技研究会) 豆乳門JAPAN 地方 IMWA?(いわき明星プロレス同盟) KWF(九州産業大学プロレス) RWA(琉球大学プロレス同好会) SWA(熊本学園大学プロレス研究会) ☆全て50音順です
https://w.atwiki.jp/lwetoho/pages/532.html
新日本プロレス 実在のプロレス団体 用語集トップへ戻る 新日本プロレスとは日本のプロレス団体で、略称は新日、新日本など。 現存している日本の団体で1番の歴史を持つ団体で、アントニオ猪木によって1972年の3月に旗揚げされた。(ロゴデザインは故・山本小鉄) ストロングスタイルと呼ばれる強さを前面に押し出したファイトスタイルを掲げており、 キャッチフレーズのKING of SPORTSとともに有名な対モハメド・アリなどの異種格闘技戦なども行った。 その後は色々な抗争を経る中で、タイガーマスクや闘魂三銃士などプロレスを語る上で重要な存在を生み出したり、 G1 CLIMAXやBEST OF THE SUPER Jrなどプロレスの最高峰の大会なども作っている。 新日本を毎週土曜深夜に放送している「ワールドプロレスリング」は現在地上波でプロレス中継をする最後の番組となっている。 現在では行われてないが、昔はWWFやWCWなどと提携しており、今では見れない勝負なども繰り広げていた。 http //www.nicovideo.jp/watch/sm2672021 WCW時代のジェリコとエル・サムライの試合 http //www.nicovideo.jp/watch/sm2672021 このページを編集
https://w.atwiki.jp/lwetoho/pages/131.html
四天王プロレス プロレス用語 用語集トップへ戻る 東プロ本放送でも一部の試合で見受けられるこの言葉。 元は二時期に分けられ、 昭和期では ジャイアント馬場,アントニオ猪木,大木金太郎,吉村道明 世代交代が進んでからは 全日本プロレス時代にジャイアント馬場選手の愛弟子であった 三沢光晴,川田利明,田上明,小橋健太と 例外的に秋山準選手を川田利明選手に置き換えて表現したもの。 両時期の中でのトップとも言える選出であり、 『四天王プロレスだ』は即ち王道プロレスの頂点試合をみているかのような 凄まじい試合になっている、という意味になる。 外部リンク (Wikipedia) プロレス四天王 王道プロレス このページを編集
https://w.atwiki.jp/xgygame/pages/21.html
ゲーム一覧(新着順) ???????? -???????? ?月?日(?) ?月?日(?) オプション 新着順で一覧表示 新着ゲームのみ表示 カレンダー形式で表示
https://w.atwiki.jp/lwetoho/pages/516.html
みちのくプロレス 実在のプロレス団体 用語集トップへ戻る 1992年にザ・グレート・サスケが創立したプロレス団体。 「地域密着型プロレス団体」を謳い東北をメインに興行を行っている。 ルチャリブレ色が強く、アクロバティックな飛び技の使い手や、マスクマン、軽量級の選手が多い。 他の特色として、 「メキシコ同様、場外に衝撃吸収用のマットがない」 「タッグマッチにおいて自分のパートナーが場外に出た場合に控えの選手はタッチしなくても試合権利を得てリングに入り 試合に加わることができる」 等がある。 初の「地域密着団体」として奇異な目で見られていたが、サスケが新日本プロレスでのトーナメントで準優勝。 他、新日に参戦した選手達の活躍により、人気が高まる。 自団体でも正規軍とKAIENTAIの原点ともいえるヒールユニット「海援隊DX」との抗争で盛り上がっていた。 しかし、TAKAみちのくのWWE(当時WWF)の移籍を初め、「海援隊DX」のメンバーが海外へ流出。 主軸であるサスケの膝の手術による長期離脱等で混迷期を迎える。 1999年にはスペル・デルフィン等の選手・スタッフが退団。後に大阪プロレスを立ち上げる。 この経営危機によりTAKAみちのく等、元選手達のスポット参戦やDRAGON GATEの前身である 「闘龍門」の選手がメキシコからの逆上陸という形で参戦した。 後に、サスケが岩手県議員に当選し、新崎人生に社長が交代。 袂を分かった大阪プロレスとの団体抗争戦やハッスルとのコラボレーション試合、 女子部とも言える「センダイガールズプロレスリング」の設立等を行い、 2008年には15周年を記念した興行ツアーを行い、縁のある選手達が集合した。 2009年10月現在は県議員を辞任していた、サスケが再度社長へ就任(人生はコミッショナーに就任) 若手選手や元プロレスリングElDorado所属選手を中心に興行が行われている。 参考動画 http //www.nicovideo.jp/watch/sm8553034 このページを編集