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千葉・房総沖で、海上自衛隊のイージス艦「あたご」がマグロはえ縄漁船「清徳丸」と衝突、漁船の父子2人が行方不明となっている事故で、第3管区海上保安本部は20日、「あたご」の船体下部を潜水調査するなど本格捜査を始めた。ただ、3管の調べや僚船の証言から、「あたご」の乗員が二重三重のミスを重ねた末の“人災”だった疑いが強まっている。 「あたご」の船体下部調査は午前9時半すぎから、海上保安庁特殊救難隊所属の潜水士が、船の喫水線下に潜って実施。船体の損傷部位や範囲、程度、塗料など付着片の有無を調べた。海上保安官も艦内で当直員の配置を再現させ、舩渡健艦長や見張り要員らの事情聴取を進めた。 事故原因のひとつと考えられているのは、「あたご」の見張り役の乗員の認識ミス。横須賀海上保安部などによると、この乗員は衝突の2分前、他船の存在を視認し、同時に清徳丸のものとみられる緑色の灯火にも気付いた。だが、乗員は即座に行動をとらず、清徳丸と認識した約1分後、ようやく全力で後進をかけたが間に合わなかった。 海保は灯火の確認遅れが事故につながった可能性があるとして、業務上過失往来危険容疑で捜査を進める。 「あたご」は漁船確認後の回避行動にも問題があった可能性が高い。 3管によると、衝突の際、「あたご」の右舷艦首付近に付いた傷は喫水線上で広がっていた。損傷状況から「あたご」は清徳丸とほぼ直角に激しく衝突したとみられる。 事故の様子を間近で見た「金平丸」の船長、市原義次さん(55)は19日夕の記者会見で、衝突前のイージス艦の様子を「レーダーに映ってくる感覚では、減速はしていなかった」と証言した。 これに対し、防衛省側は、後進をかけて減速したのは衝突の1分前だったと説明。石破茂防衛相も「乗員が右方向からの漁船接近の視認を認めていた」と説明しており、「あたご」側が海上衝突予防法が定める回避義務をとらなければならなかった可能性が高い。 市原さんは「相手が10ノットだったら普通に回避できている。それ以上の速度が出ていたとしか考えられない。衝突間際に後進をかけたと言ったが、それも信じられない」と、「あたご」の過失を指摘している。 一方、海保や海自、漁船などは20日、計約100隻と航空機で、行方不明となっている清徳丸船長の吉清治夫さん(58)と長男の哲大さん(23)の捜索を続けたが、行方は分からなかった。 清徳丸の船体は曳航(えいこう)され、20日午後、館山湾内に到着。台船に載せた上で実況見分する。 [ 2008年2月20日16時43分 ]
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イージス艦「あたご」と漁船「清徳丸」の衝突事故のように、漁船やプレジャーボートなど小型の船舶と、自衛隊の艦船や大型の貨物船が接近した場合、小回りが利く小型船の方が状況を判断し、動作が重い大型船をよけるケースが多いことが22日、海事関係者の話で分かった。今回の場合、あたご側が清徳丸の方がよけてくれると思い込み、ぎりぎりまでかじを切るなどの回避操作をしなかった可能性もある。 [ 2008年2月22日7時58分 ]
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石破茂防衛相は21日午後、海上自衛隊イージス艦「あたご」と漁船「清徳丸」が衝突した事故後初めて千葉県勝浦市を訪れ、行方不明となった清徳丸船長の吉清治夫さん(58)と長男哲大さん(23)の親族らと面会した。石破氏は「あってはならない事故が起きて本当に申し訳ない」と謝罪。2人の捜索や原因究明、再発防止に全力を挙げる考えを強調した。 これに対し、親族側からは「いろんな情報が出て来るが、(自らを)正当化しているのではないか」「うそをついているのではないか」「(イージス艦の)見張りがでたらめだ」などと、防衛省の対応に不信感を示す声が出た。 石破氏はまた、事故の状況について「調査中で何も分かりません、という対応はしてはならない。自己正当化、情報操作も当然あってはならない」と述べ、情報開示を急ぐ考えを示した。 [時事通信社] [ 2008年2月21日18時35分 ]
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吉川栄治・海上幕僚長は午後1時から記者会見し、「イージス艦は漁船の存在に気付き、回避動作を取ったと聞いている。しかし、どの時点でどのように取ったかは調査中」と述べた。 [ 2008年2月19日15時32分 ]
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海上自衛隊のイージス艦「あたご」とマグロはえ縄漁船「清徳丸」の衝突事故で行方不明となっている吉清治夫さん(58)と長男哲大さん(23)の捜索が22日早朝、現場海域で再開された。 千葉県勝浦市の川津漁港には、午前3時前から僚船の乗組員らが次々と集まり、吉清さんの親族から「2人を見つけてやってくれ。頼むよ」と声を掛けられると黙ってうなずき漁船に乗り込んだ。出港の際、親族らは手を合わせて生還を祈り、父子の名前を呼んだ。現場海域では、周辺漁港の所属船など計57隻計約220人態勢で捜索している。【駒木智一】 [毎日新聞2月22日] [ 2008年2月22日10時54分 ]
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海上自衛隊のイージス艦「あたご」とマグロはえ縄漁船「清徳丸」の衝突事故で、あたごの見張り員が衝突2分前にも前方を横切る別の漁船を視認、約2.8キロ以内に接近していたにもかかわらず、進路を変えられない自動操舵(そうだ)のまま速度を維持し航行を続けていたことが分かった。衝突12分前にも清徳丸らしき漁船の灯火を視認しており、少なくとも2回は自動操舵を解除して回避措置に移る機会があったことになる。一方、21日会見した新勝浦市漁協側は、遅くとも30分前にはあたごのレーダーが清徳丸を含む漁船をとらえていた可能性が強いと指摘した。 防衛省によると、漁船があたご前方を通過したのは、清徳丸らしき漁船の灯火を確認してから10分後の19日午前4時5分ごろ。右方向から進路前方を横切ったという。同じ時間帯には漁船と確認できなかったものの緑の灯火も視認していた。 あたごの前を横切ったとみられる勝浦漁協所属の「幸運丸」(堀川賢史船長)の舵輪を操っていた堀川船長の父宣明さん(51)によると、午前3時半ごろ、幸運丸から見て「10~11時の方向」に、あたごの灯火を確認した。 6カイリ(約11.1キロ)まで近付いた地点では、レーダーに船影がはっきりと映し出されたが、2隻はそのまま接近。1.5カイリ(約2.8キロ)まで迫ったため、時速14ノット(約26キロ)で右にかじを切り、あたごを左舷に見る格好で、前方を通過した。あたごは速度を維持したまま、直進したという。 この時、宣明さんは1.5~3カイリ(約2.8~5.6キロ)後方に3隻の僚船が続いているのを、レーダーで確認。直後に「何の船だ、危ない」「ライトを当てた、軍艦だ」などと交信する無線を聞いた。このやり取り中、清徳丸の応答はなかった。 この直後、あたごの前を同様に通過しようとする複数の船影がレーダーに映り、あたごのライトが海上を強く照らした。宣明さんは「あの時に事故が起きたのだと思う」と推測した。 また、あたご側が確認していたかは明らかではないが、午前4時過ぎには僚船の「金平丸」が正面から近づくあたごに気づき、右左に回避行動をとった際もあたごはそのまま航行を続けたという。 横須賀海上保安部は幸運丸などの僚船に搭載されている全地球測位システム(GPS)も調べて航路を確認するとともに、船員らからも事情を聴く方針。【浅野翔太郎、駒木智一、佐々木洋】 [ 2008年2月21日15時00分 ]
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19日午前4時23分ごろ、海上自衛隊のイージス艦「あたご」(7700トン)から、「漁船と衝突し、漁船の船体が2つに割れて浮いている」と第3管区海上保安本部(横浜)に連絡があった。 同本部によると、衝突地点は千葉県南房総市の野島崎の南約40キロの海上で、漁船は勝浦市の新勝浦市漁協所属の「清徳丸」(長さ12メートル、7.3トン)で、乗組員2人が行方不明になっている。同本部は巡視船などを派遣し、詳しい状況を調べるとともに、不明者の捜索を行う。 新勝浦市漁協によると、清徳丸に乗っているのは船主の吉清治夫さん(58)と、その息子とみられる。 [時事通信社] [ 2008年2月19日6時46分 ]
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二つに折れた清徳丸の船体は、前部は立った状態、船尾は赤い船体を上に向けて海面に浮かんでいた。離れたところに衝突直後に捜索を始めたイージス艦「あたご」がおり、咆水(きっすい)線より下の部分に衝突した時の跡とみられる白い筋があった。デッキでは乗組員らが並んで海上を見つめていた。 新勝浦市漁協の男性職員(42)は「こんな好天で衝突事故が起きるなんて考えにくい」。今朝未明からアジ釣りに出た勝浦港の釣船「八幡丸」の船主、平山節子さん(64)は「なぎで風が全然なかったのに」と驚いていた。 [毎日新聞2月19日]
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海上自衛隊のイージス艦「あたご」とマグロはえ縄漁船「清徳丸」の衝突事故で、衝突の12分前に清徳丸のものとみられる灯火を確認したという見張り員の情報が、レーダーを監視する宿直員に伝わっていなかったことが分かった。見張り員はこの直前に当直勤務を交代したばかりだった。この見張り員を含む艦橋の当直10人はこの前後に順次交代しており、横須賀海上保安部などは、情報伝達の状況などを詳しく調べている。 関係者によると、見張り員は19日午前4時の交代に合わせ、他の当直員とともにいったん艦橋内に集合。その後、持ち場で引き継ぎをし前任者と交代。同3時55分ごろ、清徳丸のものとみられるマストの白い灯火と、右から左に航行していることを示す左舷の赤い灯火を目視で確認した。 見張り員の情報は艦橋の伝令を通して、レーダーを監視する宿直員に伝わるシステムになっている。危険な情報が艦橋内に伝達されないことは通常考えにくいことから、横須賀海保などは、交代時間だったことが情報伝達に影響を与えた可能性もあるとみて調べる。 [毎日新聞2月21日] [ 2008年2月21日15時00分 ]
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千葉・房総沖で19日未明に起きた、海上自衛隊のイージス艦「あたご」とはえ縄漁船の衝突事故。海上に真っ二つになった漁船の残骸(ざんがい)が浮かび、周辺で海上や空から行方不明になった漁師の親子の捜索が続いた。現場海域は黒潮が通る漁場だが、普段から自衛艦を含め大型船が通る場所だったという。なぜ、最新鋭のハイテク艦が事故を起こしたのか。海域には不安と怒りが渦巻いた。 「とおちゃん」「あんちゃん」――。吉清(きちせい)さん親子はこう呼び合い、近所では働き者で仲のいい親子として知られていた。「うちのあんちゃんが」。父親の治夫(はるお)さん(58)は普段から、うれしそうに話していた。自慢の息子だった。漁ができない日には、港の小屋で一緒に楽しそうにはえ縄の手入れなどをしていた。 治夫さんは漁師歴約40年。中学を出てすぐに漁師になった。素潜りであわびを取るのが得意だったが、数年前に脳梗塞(こうそく)になり、船の漁だけになった。カツオやイカ漁をしていたが、最近、沿岸まで来るマグロを追って漁をしていたという。 長男の哲大(てつひろ)さんは小さいころから漁師にあこがれていて、県立勝浦高(現・勝浦若潮高)を1年の途中で中退して漁師になったという。約5年前から治夫さんと漁に出掛けていた。 川津港で釣り船店を経営する女性は「治夫さんは普段は物静かだが、船に乗ると厳しい人だった。哲大さんは『てっちゃん』と呼ばれ、おとなしいが、漁師の仕事に一生懸命だった。泳げないと聞いているので心配だ」と話した。 川津港には、同漁船80隻が所属しているが、マグロ漁のはえ縄漁船は8隻。港周辺には治夫さんの同級生ら8人が訪れ、「私たちは見守るだけ。生きて帰って来てほしい」とすがるような表情。「それまで1人だったのが息子が加わり、父親としてうれしそうだった。なんで自衛隊がぶつかるんだ。職務怠慢だ」と怒りをあらわにした。 哲大さんと同級生の息子がいる川津港の漁師、吉清繁夫さん(52)は「息子が幼なじみで昨日も話をしたばかりと聞いた。心配だ」と話し、テレビのニュースを見ながら2人の安否を気遣った。2人は仲間の漁船数隻とマグロ漁に出たといい、「三宅島周辺でエサであるサバを取った後、八丈島方向へ向かったのかもしれない。イージス艦は最新鋭なのにどうして」と憤りをあらわにした。 吉清さんの自宅では事故を知った親類や漁協の関係者が慌ただしく出入りした。治夫さんの叔母で近くに住む板橋よし子さん(76)は午前6時ごろに連絡を受けた。「2人とも家族思いで仕事熱心。船の端っこにでもつかまって、無事でいてくれないかと思う。2人がいなくなったらこの家は暗闇になってしまう」と、涙を浮かべて生存を祈った。 [毎日新聞2月19日] [ 2008年2月19日12時39分 ]