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「沖縄集団自決裁判」
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http //www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/opinion/105168/ 【正論】藤岡信勝 再論・沖縄集団自決 配信元 05 10更新 ■検定再審を渡海文科相に問う ■制度否定の記述訂正を認めるな ≪歴史に汚名を残すのか≫ 拝啓 渡海紀三朗・文部科学大臣殿 【正論】藤岡信勝 再論・沖縄集団自決≪歴史に汚名を残すのか≫ ≪異例ずくめの展開≫ ≪見識ある人物を入れよ≫ 率直に申し上げます。このまま推移するなら、福田首相と渡海文科大臣はあの悪名高い「近隣諸国条項」を推進した宮沢官房長官と同じ、拭(ぬぐ)いがたい汚点の刻印を文教行政に刻んだ政治家としてその名前を後世に記憶されることになります。 渡海大臣は「9・29沖縄県民大会」直後に方針を大転換し、高校日本史教科書に「沖縄集団自決」で日本軍の「命令・強制」があったとの記述を回復しようとする教科書会社の訂正申請があればこれを「真摯(しんし)に検討」すると言い出しました。 教科書会社各社は早速、検定意見をつけられた5社7冊のみならず検定意見をつけられなかった1社1冊までもが便乗して、11月上旬までに訂正申請を提出しました。 例えば実教出版は、【検定前】「日本軍のくばった手榴弾(しゅりゅうだん)で集団自害と殺し合いをさせ」→【検定後】「日本軍のくばった手榴弾で集団自害と殺し合いがおこった。」→【訂正申請】「日本軍は、住民に手榴弾をくばって集団自害と殺し合いを強制した。」と変遷しています。 この訂正申請が承認されるなら、文科省が一度つけた「沖縄戦の実態について誤解を与える表現である」という検定意見は完全に否定され、検定前よりもさらにあくどい反軍イデオロギーに基づく歴史の虚構が教科書に載ることになります。目の前でこのような歴史の再偽造が行われ子供に提供されるのを見るのは到底耐えられません。 ≪異例ずくめの展開≫ 大臣もよくご存じのとおり、「軍の命令」とは「司令官の命令」にほかなりません。下士官や兵士が何を言おうとそれは「軍の命令」ではありません。そして、慶良間諸島の集団自決で司令官たる2人の隊長が命令を出したという確かな証拠は何一つありません。教科書記述から「軍の命令・強制」の要素を取り除いた検定意見と検定実務には何一つ瑕疵(かし)はないのです。それなのにこれまでの事態は異例ずくめの展開です。 第1に、実数2万人以下の沖縄県民大会が「11万人」と誤報された直後に方針転換したことです。「集会で歴史を書き換えさせる」という前例をつくることは法治国家の基礎を揺るがす最悪の「政治介入」です。 第2に、沖縄戦については昭和57年にも日本軍による住民の「虐殺」の記述に検定意見がつき、今回と同じ撤回運動が起こって文部大臣が妥協した前例がありますが、その時でも、次期検定で県民感情に配慮すると答弁したのであって、今回のように同一検定期間内に検定意見の事実上の撤回に踏み切ったのは初めてです。 第3に、文科省は訂正申請を出させる際、その理由を「学習をすすめる上に支障となる記載」とするよう教科書会社に示唆しました。しかし、教科用図書検定規則第13条に定められた訂正申請制度の趣旨は、検定終了時点から使用開始にいたる約1年の間に発見された誤記・誤植・脱字などについて教科書会社からの訂正申請を認めるもので、検定意見を否定するような訂正は認められていません。ところが、今回は文科省みずから教科書会社をたきつけて「学習上の支障」というこじつけで検定意見を否定する訂正申請をさせているのです。 ≪見識ある人物を入れよ≫ 第4に、訂正申請を受けて教科用図書検定調査審議会が開催されたことです。本来、訂正申請の審査はあくまで検定意見の範囲内で行われるべきものであり、検定審議会を開催する必要はありません。それなのに、11月5日には、この問題を審議する日本史小委員会が開催され、集団自決に関して沖縄戦の専門家から意見を聞くこと、人選はこれから詰めることなどを決めたとされています。 これでは、検定意見撤回運動を推進してきた特定勢力の4つの目標、すなわち、(1)検定意見の撤回(2)「軍の命令・強制」記述の復活(3)沖縄条項の制定(4)検定審議会の改組-のすべてに対して全面的に屈服・容認することになります。 そこで具体的な提言をさせていただきます。日本史小委員会の特別委員またはヒアリングに少なくとも秦郁彦、中村粲、曽野綾子の諸氏など集団自決問題に見識と実績のある学者・研究者・作家をくわえねばなりません。そして、年内に結論を出すなどという無謀な拙速主義はやめて、結論を次回検定以降に持ち越し、時間をかけた検証と公開の討論を組織すべきです。国民の歴史認識の成熟を甘く見た対応をなさらないよう切にご忠告申し上げておきます。敬具 (ふじおか のぶかつ=拓殖大学教授)
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沖縄集団自決訴訟第3審 上告状兼上告受理申立書
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訪問者(昨日 - 今日 - ) 沖縄集団自決訴訟第2審 平成20年(ネ)第1226号 出版差止等請求控訴事件 大阪高裁第4民事部ハ係 裁判長 小田耕治 控訴人 梅澤 裕 外1名 被控訴人 大江健三郎 外1名 判決の要旨(全文) 読める控訴審判決「集団自決」 2校Up完了。12/5 ニュース:控訴棄却 第2審判決をめぐって ★映画「それは島─集団自決の一つの考察」見てきました ★【資料】曽野綾子における大江健三郎批判は、「ある神話の背景」の出版動機ではあっても執筆動機ではなかった ★「新しい歴史教科書をつくる会」会長の訴えを棄却 藤岡信勝氏同日2敗訴 ★izaリンク ★計画されていた『玉砕』=「軍官民共生共死」のための壕堀り 島尾敏雄『那覇に感ず』より ★大江・岩波裁判の一審判決報告 外間明美 沖縄「集団自決」の大阪高等裁判所の判決日は、もう間もない10月31日です。そこで第1審判決の意味を反芻してみたいと思い、外間明美さんの論考を転載しました。 ★宮平貞子『死んではいけない』座間味村史より {宮平秀幸・母の証言} 速報『藤岡意見書の訂正』 New 沖縄集団自決訴訟第2審・結審 New 控訴審予定 2008.6.25第1回口頭弁論の報道 参考宮平秀幸証言とは 参考諸君2月号秦論文 参考WILL11月号藤岡論文 参考正論12月号藤岡論文 公判資料 原告側控訴 控訴にあたって2008.4.2 ★大江・岩波沖縄戦裁判勝利の意義2008.6 ★答弁書:控訴の趣旨に対する答弁2008.6.12 ★被控訴人準備書面(1):控訴人らの「控訴理由の骨子」に対する反論等2008.6.16 第1回口頭弁論 2008.6.25 控訴人:控訴理由要旨 2008.6.25 ★被控訴人:口頭陳述要旨(2008.6.25) ★傍聴記:大江・岩波沖縄戦裁判の控訴審始まる!(2008.6.25) 第1回口頭弁論が開かれました2008.06.30 名誉毀損文書=大江よ。おまえはもう死んでいる!2008.7.19 藤岡意見書(大阪高裁提出資料)1/32008.7.28 藤岡による私的公開10.20 藤岡意見書(大阪高裁提出資料)2/32008.7.28 藤岡による私的公開10.20 藤岡意見書(大阪高裁提出資料)3/32008.7.28 藤岡による私的公開10.20 ★被控訴人準備書面(2):控訴理由書のうち「第4 宮平秀幸証言」に対する反論2008.7.31 宮平秀幸陳述書(1)2008.8.7 藤岡による私的公開10.30 ★被控訴人準備書面(3)1/3:控訴人らの「控訴理由書」に対する反論等2008.8.22 ★被控訴人準備書面(3)2/3:控訴人らの「控訴理由書」に対する反論等2008.8.22 ★被控訴人準備書面(3)3/3:控訴人らの「控訴理由書」に対する反論等2008.8.22 ★被控訴人準備書面(4)1/2:名誉毀損・出版の差止めに対する反論2008.8.28 ★被控訴人準備書面(4)2/2:名誉毀損・出版の差止めに対する反論2008.8.28 藤岡意見書2(大阪高裁提出資料)1/22008.8.28 藤岡意見書2(大阪高裁提出資料)2/22008.8.28 宮平秀幸陳述書(2)2008.9.1 藤岡による私的公開10.30 控訴人準備書面(1)1/32008.9.5 控訴人準備書面(1)2/32008.9.5 控訴人準備書面(1)3/32008.9.5 控訴人準備書面(2)1/22008.9.8 控訴人準備書面(2)2/22008.9.8 ★被控訴人準備書面(5):藤岡意見書及び宮平秀幸証言の信用性2008.9.9 第2回口頭弁論(結審)2008.9.9 大阪高裁で沖縄集団自決冤罪訴訟控訴審第2回(結審)2008.9.10 準備書面の要旨(口頭陳述)2008.9.9 控訴人準備書面(3)2008.9.9 ★大江・岩波沖縄戦裁判控訴審が結審しました!2008.9.9 藤岡意見書2の訂正(未作成)2008.10.15 藤岡による私的公開10.20 判決公判2008.10.31 沖縄「集団自決」控訴審判決の要旨2008.10.31 原告側サイト 沖縄集団自決冤罪訴訟を支援する会 http //blog.zaq.ne.jp/osjes/ 南木の資料室南別館(第2審資料はなし) http //minaki1.seesaa.net/ ★被告側サイト 大江健三郎・岩波書店沖縄戦裁判支援連絡会 http //okinawasen.web5.jp/ 大江・岩波沖縄戦裁判を支援し沖縄の真実を広める首都圏の会 http //okinawasen.blogspot.com/ 沖縄戦の歴史歪曲を許さず、沖縄から平和教育をすすめる会 http //susumerukai.web.fc2.com/ 沖縄戦裁判
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平成21年6月15日【沖縄集団自決】「軍命令はなかった」-『うらそえ文藝』会見・後半 <目次> 1.集団自決「軍命令は創作」初証言 元琉球政府の照屋昇雄さん(平成18年8月) 2.沖縄抗議集会に11万人も参加したのか(平成19年9月) 3.「沖縄戦集団自決命令問題」に立ちはだかる「バカの壁」 4.関連動画:小林よしのり『沖縄論』(宮台氏・萱野氏との鼎談) 5.抗議集会を冷ややかに見ていた沖縄県民も多い 6.沖縄左翼活動家が「軍命令はなかった」と事実認める(平成21年6月) 7.沖縄の最悪の反戦平和活動家は北朝鮮と繋がっている 8.関連ブログ 9.沖縄教科書検定の撤回を求める集会のTV報道(保存庫) その他動画 1.集団自決「軍命令は創作」初証言 元琉球政府の照屋昇雄さん(平成18年8月) (産経2006/8/27) 「集団自決」削除抗議と沖縄サヨク1 of 2 「集団自決」削除抗議と沖縄サヨク2 of 2 第二次大戦末期(昭和20年)の沖縄戦の際、渡嘉敷島で起きた住民の集団自決について、戦後の琉球政府で軍人・軍属や遺族の援護業務に携わった照屋昇雄さん(82)=那覇市=が、産経新聞の取材に応じ「遺族たちに戦傷病者戦没者遺族等援護法を適用するため、軍による命令ということにし、自分たちで書類を作った。当時、軍命令とする住民は1人もいなかった」と証言した。渡嘉敷島の集団自決は、現在も多くの歴史教科書で「強制」とされているが、信憑(しんぴょう)性が薄いとする説が有力。琉球政府の当局者が実名で証言するのは初めてで、軍命令説が覆る決定的な材料になりそうだ。 照屋さんは、昭和20年代後半から琉球政府社会局援護課で旧軍人軍属資格審査委員会委員を務めた。当時、援護法に基づく年金や弔慰金の支給対象者を調べるため、渡嘉敷島で聞き取りを実施。この際、琉球政府関係者や渡嘉敷村村長、日本政府南方連絡事務所の担当者らで、集団自決の犠牲者らに援護法を適用する方法を検討したという。 同法は、軍人や軍属ではない一般住民は適用外となっていたため、軍命令で行動していたことにして「準軍属」扱いとする案が浮上。村長らが、終戦時に海上挺進(ていしん)隊第3戦隊長として島にいた赤松嘉次元大尉(故人)に連絡し、「命令を出したことにしてほしい」と依頼、同意を得たという。 照屋さんらは、赤松元大尉が住民たちに自決を命じたとする書類を作成し、日本政府の厚生省(当時)に提出。これにより集団自決の犠牲者は準軍属とみなされ、遺族や負傷者が弔慰金や年金を受け取れるようになったという。 照屋さんは「うそをつき通してきたが、もう真実を話さなければならないと思った。赤松隊長の悪口を書かれるたびに、心が張り裂かれる思いだった」と話している。 300人以上が亡くなった渡嘉敷島の集団自決は、昭和25年に沖縄タイムス社から発刊された沖縄戦記「鉄の暴風」などに軍命令で行われたと記されたことで知られるようになった。作家の大江健三郎さんの「沖縄ノート」(岩波書店)では、赤松元大尉が「『命令された』集団自殺をひきおこす結果をまねいたことのはっきりしている守備隊長」と書かれている。 その後、作家の曽野綾子さんが詳細な調査やインタビューを基にした著書「ある神話の背景」(文芸春秋)で軍命令説への疑問を提示。平成17年8月には、赤松元大尉の弟らが岩波書店と大江さんを相手取り、損害賠償や書物の出版・販売の差し止め、謝罪広告の掲載を求める訴えを大阪地裁に起こしている。(豊吉広英) ◇ 【用語解説】渡嘉敷島の集団自決 沖縄戦開始直後の昭和20年3月28日、渡嘉敷島に上陸した米軍から逃げた多数の住民が、島北部の山中の谷間で手榴(しゅりゅう)弾のほか、鎌(かま)、鍬(くわ)などを使い自決した。武器や刃物を持っていない者は、縄で首を絞め、肉親を殺害した後に自分も命を絶つ者が出るなど悲惨を極めた。渡嘉敷村によると、現在までに判明している集団自決の死者は315人。 【用語解説】戦傷病者戦没者遺族等援護法 日中戦争や第二次大戦で戦死、負傷した軍人や軍属、遺族らを援護するため昭和27年4月に施行。法の目的に「国家補償の精神に基づく」と明記され、障害年金や遺族年金、弔慰金などを国が支給する。サイパン島などの南方諸島や沖縄で日本軍の命を受けて行動し、戦闘により死傷した日本人についても戦闘参加者として援護対象とされている。 ◇ ≪「大尉は自ら十字架背負った」≫ 「大尉は、自ら十字架を背負ってくれた」。沖縄戦の渡嘉敷島で起きた集団自決の「軍命令」を新証言で否定した元琉球政府職員、照屋昇雄さん(82)。島民が年金や弔慰金を受け取れるようにするために名前を使われた赤松嘉次元大尉は、一部マスコミなどから残虐な指揮官というレッテルを張られてきた。照屋さんは、自分のついた「うそ」で、赤松元大尉が長年非難され続けてきたことがつらかったという。 赤松元大尉は昭和19年9月、海上挺身隊第3戦隊の隊長として渡嘉敷島に赴任した。任務は120キロ爆雷を積んだベニヤ製特攻艇を使った米艦船への体当たり攻撃。ところが、20年3月の米軍主力部隊上陸前、作戦秘匿を理由に出撃前に特攻艇の自沈を命じられ、終戦まで島内にとどまった。 戦傷病者戦没者遺族等援護法では、日本軍の命令での行動中に死傷した、沖縄やサイパンの一般住民は「戦闘参加者」として準軍属として扱うことになっている。厚生労働省によると、集団自決も、軍の命令なら戦闘参加者にあたるという。 照屋さんは、本来なら渡嘉敷島で命を落とす運命だった赤松元大尉が、戦後苦しい生活を送る島民の状況に同情し、自ら十字架を背負うことを受け入れたとみている。 こうして照屋さんらが赤松元大尉が自決を命じたとする書類を作成した結果、厚生省(当時)は32年5月、集団自決した島民を「戦闘参加者」として認定。遺族や負傷者の援護法適用が決まった。 ただ、赤松元大尉の思いは、歴史の流れのなかで踏みにじられてきた。 45年3月、集団自決慰霊祭出席のため渡嘉敷島に赴いた赤松元大尉は、島で抗議集会が開かれたため、慰霊祭に出席できなかった。中学の教科書ではいまだに「『集団自決』を強制されたりした人々もあった」「軍は民間人の降伏も許さず、手榴弾をくばるなどして集団的な自殺を強制した」(日本書籍)、「なかには、強制されて集団自決した人もいた」(清水書院)と記述されている。 渡嘉敷村によると、集団自決で亡くなったと確認されているのは315人。平成5年、渡嘉敷島北部の集団自決跡地に建てられた碑には、「軍命令」とは一切刻まれていない。渡嘉敷村の関係者が議論を重ねた末の文章だという。村歴史民俗資料館には、赤松元大尉が陸軍士官学校卒業時に受け取った恩賜の銀時計も飾られている。 同村の担当者は「命令があったかどうかは、いろいろな問題があるので、はっきりとは言えない。しかし、命令があったという人に実際に確認するとあやふやなことが多いのは事実。島民としては、『命令はなかった』というのが、本当のところではないか」と話した。 今回の照屋さんの証言について、「沖縄集団自決冤罪(えんざい)訴訟を支援する会」の松本藤一弁護士は「虚偽の自決命令がなぜ広がったのか長らく疑問だったが、援護法申請のためであったことが明らかになった。決定的な事実だ。赤松隊長の同意については初めて聞く話なので、さらに調査したい」とコメント。昨年、匿名を条件に照屋さんから話を聞いていた自由主義史観研究会の代表、藤岡信勝拓殖大教授は「名前を明かしたら沖縄では生きていけないと口止めされていたが、今回全面的に証言することを決断されたことに感動している。また一つ歴史の真実が明らかになったことを喜びたい」と話している。 照屋さんは、CS放送「日本文化チャンネル桜」でも同様の内容を証言。その様子は同社ホームページで視聴することができる。(下の動画参照) 「軍命令はなかった」4-3(H19.4.5) 軍命令は創作!沖縄集団自決 ◇ ≪「真実はっきりさせようと思った≫ 照屋昇雄さんへの一問一答は次の通り。 --なぜ今になって当時のことを話すことにしたのか 「今まで隠し通してきたが、もう私は年。いつ死ぬかわからない。真実をはっきりさせようと思った」 --当時の立場は 「琉球政府社会局援護課で旧軍人軍属資格審査委員会委員の立場にあった。以前は新聞記者をしていたが、政府関係者から『援護法ができて、軍人関係の調査を行うからこないか』と言われ審査委員になった。私は、島民にアンケートを出したり、直接聞き取り調査を行うことで、援護法の適用を受ける資格があるかどうかを調べた」 --渡嘉敷ではどれぐらい聞き取り調査をしたのか 「1週間ほど滞在し、100人以上から話を聞いた」 --その中に、集団自決が軍の命令だと証言した住民はいるのか 「1人もいなかった。これは断言する。女も男も集めて調査した」 --ではなぜ集団自決をしたのか 「民間人から召集して作った防衛隊の隊員には手榴(しゅりゅう)弾が渡されており、隊員が家族のところに逃げ、そこで爆発させた。隊長が(自決用の手榴弾を住民に)渡したというのもうそ。座間味島で先に集団自決があったが、それを聞いた島民は混乱していた。沖縄には、一門で同じ墓に入ろう、どうせ死ぬのなら、家族みんなで死のうという考えがあった。さらに、軍国主義のうちてしやまん、1人殺して死のう、という雰囲気があるなか、隣の島で住民全員が自決したといううわさが流れ、どうしようかというとき、自決しようという声が上がり、みんなが自決していった」 --集団自決を軍命令とした経緯は 「何とか援護金を取らせようと調査し、(厚生省の)援護課に社会局長もわれわれも『この島は貧困にあえいでいるから出してくれないか』と頼んだ。南方連絡事務所の人は泣きながらお願いしていた。でも厚生省が『だめだ。日本にはたくさん(自決した人が)いる』と突っぱねた。『軍隊の隊長の命令なら救うことはできるのか』と聞くと、厚生省も『いいですよ』と認めてくれた」 --赤松元大尉の反応は 「厚生省の課長から『赤松さんが村を救うため、十字架を背負うと言ってくれた』と言われた。喜んだ(当時の)玉井喜八村長が赤松さんに会いに行ったら『隊長命令とする命令書を作ってくれ。そしたら判を押してサインする』と言ってくれたそうだ。赤松隊長は、重い十字架を背負ってくれた」 「私が資料を読み、もう一人の担当が『住民に告ぐ』とする自決を命令した形にする文書を作った。『死して国のためにご奉公せよ』といったようなことを書いたと思う。しかし、金を取るためにこんなことをやったなんてことが出たら大変なことになってしまう。私、もう一人の担当者、さらに玉井村長とともに『この話は墓場まで持っていこう』と誓った」 --住民は、このことを知っていたのか 「住民は分かっていた。だから、どんな人が来ても(真相は)絶対言わなかった」 --あらためて、なぜ、今証言するのか 「赤松隊長が余命3カ月となったとき、玉井村長に『私は3カ月しか命がない。だから、私が命令したという部分は訂正してくれないか』と要請があったそうだ。でも、(明らかにして)消したら、お金を受け取っている人がどうなるか分からない。赤松隊長が新聞や本に『鬼だ』などと書かれるのを見るたび『悪いことをしました』と手を合わせていた。赤松隊長の悪口を書かれるたびに、心が張り裂ける思い、胸に短刀を刺される思いだった。玉井村長も亡くなった。赤松隊長や玉井村長に安らかに眠ってもらうためには、私が言わなきゃいけない」 <産経新聞> ■沖縄集団自決 軍命令の虚構まとめ ・集団自決を命じる軍の命令書、公文書等が一通も出てこない。 ・『鉄の暴風』の執筆者は現地取材をしていない。 ・那覇で証言の聞き取りをしたが、その証言者は渡嘉敷島の住民ではなく「渡嘉敷島の住民から話を聞いた人」だった。 ・『鉄の暴風』が発売されたときは、GHQの情報統制下だった。 ・GHQは日本にWGIP(“War Guilt Information Program戦争の罪悪感を日本人に植えつけるための宣伝計画)をやった。 ・『沖縄ノート』の著者、大江健三郎氏も現地取材を一度も行っていない。 ・伝聞だけで赤松大尉を悪逆非道の人物として報道し、著書に描いたことが判明している。 ・昭和32年に初めて現地住民が集団自決命令を証言した。 ・その年に戦傷病者戦没者遺族等援護法が成立し、その後厚生省援護局の聞き取りが行われた。 ・そのとき初めて現地住民が「日本軍による集団自決命令があった」と証言した。 ・ちなみに、集団自決が軍命令の場合、軍属の遺族としてもらえる遺族年金は年額196万2500円。 ・子供だけでなく孫にも受給資格があり、戦後62年経った今でも支給され続けている。 ・約3000人の沖縄県民がこの恩給を受けており、本土復帰後35年間で一人あたり約7000万円を手にしている。 体験者が語る集団自決の真実―沖縄県民は潔く戦った① 体験者が語る集団自決の真実―沖縄県民は潔く戦った② 体験者が語る集団自決の真実―沖縄県民は潔く戦った③ 日本文化チャンネル桜防人の道 今日の自衛隊 -10月12日号ゲスト:皆本義博(元陸軍海上挺進第3戦隊中隊長・陸軍海上挺進第3戦隊戦友会会長)沖縄戦での集団自決をめぐる「沖縄集団自決冤罪訴訟」や教科書記述をめぐる様々な動きについて、"あの時"渦中の渡嘉敷島で戦った皆本氏をスタジオにお招きし、現地証言者のVTRを見ながらお話をお聞きします。 2.沖縄抗議集会に11万人も参加したのか(平成19年9月) 【沖縄】なぜ2万人が11万人になるのか元共産党員が暴露 http //www.nicovideo.jp/watch/sm1307900 (コメントを非表示にする場合は、右隅のヒヨコマークをクリック)左の動画をご覧ください。要約すると、-熊本大学の学生が航空写真を拡大して、人数を一人一人数えたところ、1万3037人だった。-ところが集会主催団体の人数の計算方法は、集会に参加した各政治団体が個別に発表した人数を足し算する方法だった。-この方法では、一人の人間が、○○党・××の会という複数の団体に所属していたら、一人の同じ人間が複数勘定される。そのせいで11万人になった。 自由主義史観研究所 公式ホームページ 教科書が教えない歴史 せと弘幸BIOG「日本よ何処へ」 「文科省前で左翼プロ市民」と対決!① せと弘幸BIOG「日本よ何処へ」 「文科省前で左翼プロ市民」と対決!②動画 せと弘幸BIOG「日本よ何処へ」 「文科省前で左翼プロ市民」と対決!③勝利の一瞬 嘘つき左翼の破綻 せと弘幸BIOG「日本よ何処へ」 「文科省前で左翼プロ市民」と対決!④真実への検証・曾野綾子・テイケイ高花会長 反日議員を落選させる会 文部省前 左翼プロ市民と激突!① 反日議員を落選させる会 文部省前 左翼プロ市民と激突!② よーめんのブログ 左翼・在日・極左・お花畑が大同団結!ここに極まる! 「軍命令」はなかった! 沖縄「集団自決」をめぐる顛末① 「軍命令」はなかった! 沖縄「集団自決」をめぐる顛末② 「軍命令」はなかった! 沖縄「集団自決」をめぐる顛末③ 日本文化チャンネル桜防人の道 今日の自衛隊 -10月15日号ゲスト:奥 茂治(南西諸島安全保障研究所 副理事長)沖縄集団自決に「軍命令」があったとする言説や主張を巡る様々な動きについて、現地の情勢に詳しい氏にお聞きします 議論に負けた沖縄タイムス某記者、コソコソ船に乗り逃げ ■普通の国にしたいだけなのだ(totopapa氏ブログ) 九月二十九日の沖縄県民集会の参加者数十一万人の報道におびえて、福田首相、渡海文科相は高校教科書の検定の修正を事実上容認した。実際の数字については色々の説は出たが、警備会社の「テイケイ」が航空写真を拡大して綿密に数えた所、一八、一七九人とのことである。これは、昭和五十七年、高校教科書の検定で「侵略を進出に書き換えさせた」というマスコミの誤報の元に、当時の宮沢官房長官が「近隣諸国条項」を発表したことにも類似している。 沖縄集団自決問題とは、昭和二十年三月末に米軍が沖縄に上陸した時、沖縄本島の南西に位置する座間味島で一七二名、渡嘉敷島で三一五名の住民が集団自決したといわれることである。 これが問題となったのは占領中の厳しい言論統制下で、沖縄タイムスが「日本軍により集団自決が強制された」と記し、昭和二十五年に「鉄の暴風」として出版した事に始まる。この裏には米軍の占領政策である「ウオー・ギルト・インフォメーション・プログラム」の沖縄版である「ニミッツ布告」がある。即ち沖縄住民の恨みを米軍から日本軍に振り向けるために、住民自決を軍の命令によるものと宣伝したのである。これも原爆投下、日本の主要都市爆撃による一般住民虐殺という米軍の戦争犯罪を糊塗するために、エドガー・スノーの「アジアの戦争」を読んだマッカーサーが「南京大虐殺」を極東国際軍事裁判で宣伝したことと同様である。 3.「沖縄戦集団自決命令問題」に立ちはだかる「バカの壁」 ウチナンチュー(沖縄県人)が知らない、太平洋戦争(大東亜戦争)での沖縄 沖縄は今も英霊に守られている(沖縄県民斯ク戦ヘリ内) まずは上記リンク・「新ゴーマニズム宣言SPECIAL 沖縄論 (単行本)」を参照。沖縄の真実が盛り込まれています。 沖縄県は太平洋戦争(大東亜戦争)において戦場となった地です。 戦後間もなく沖縄県はアメリカの配下にありました。その当時の沖縄県の学校は日本のことを正しく教えていました。しかし本土復帰とともに一転、日本の悪口を言いたい放題になってしまいました。これにより、ヤマトンチュー(大和人)とウチナンチュー(沖縄人)との間で分断が発生してしまいました。これはとても空恐ろしいことです。これがこの戦争における認識に大きな差を生んでしまったのです。そこに赤い勢力がうまく入り込んでしまったものですから、世にも恐ろしいことです。(瀬長は共産主義者だ日本のために尽くした愛国者である。必ずしも共産主義が進んでるとはいいにくい) 考えても見てください。たとえば大阪の学校で東京の悪口を言いたい放題やって、大阪人が東京人を徹底的に憎み放題となったらどうでしょうか?これを考えるにつけ、このような分断が発生することは国の乱れのもとです。日本は地政学的に見てこういう分断が発生することは、主権侵害につながるもとです。実際インド・パキスタンの間で、カシミールをめぐってもめているわきで、中国がアクサイチンを分捕ったのです。 そこに民主党が沖縄に対して「一国二制度」を提唱しています。先述のとおり分断=主権侵害という特殊な地政学が発生しているところへこんな制度を作ることは、実質「沖縄を中国に売り飛ばす法案」となってしまうのです。幸い上記リンクに掲載されている論文を発表した沖縄人少年が現れたことは、分断を生み出した「バカの壁」をぶち破る第一歩と言えましょう。ぜひ当サイトに沖縄に関する情報をどしどし盛り込んでいただきたいものです。 4.関連動画:小林よしのり『沖縄論』(宮台氏・萱野氏との鼎談) 左翼イデオロギーに感染していった在日コリアンと沖縄 <推奨図書>新ゴーマニズム宣言SPECIAL 沖縄論 (単行本) 【右翼と左翼】小林よしのり 現在の沖縄 【右翼と左翼】小林よしのり 沖縄論について ※動画のコメント欄にあるが、小林よしのり氏も「米軍基地の78%は沖縄にある」などの間違った情報をまだ信じ込んでいるので注意(下の「基地78%は大嘘、沖縄の実態」参照) ※また、小林よしのり氏・宮台真司氏の立場はいわゆる「反米保守」であり、昨年の参院選で安倍首相を大敗させ、結果的に福田売国政権誕生に一役買ったことに留意が必要。 【沖縄の空気】小林よしのり氏招聘のその後-高里洋介氏に聞く 小林よしのり氏を沖縄に招聘したために、職場などで理不尽な逆風に遭われたという高里洋介氏に、沖縄の言語空間や社会の現状についてお聞きします。左翼ファシズムが跋扈する沖縄 5.抗議集会を冷ややかに見ていた沖縄県民も多い 【集団自決】9.29教科書検定撤回を求める県民大会1.(沖縄県民の掲示板より) 1 名前: ちゅらさん 投稿日: 2007/08/24(金) 01 01 36 ID GSqXhNmk 知事までも出席するという来月29日の県民大会について語りましょう。 因みに当初は「23日・糸満」の予定でしたが、「29日・宜野湾」に変更する方針となりました。 2 名前: ちゅらさん 投稿日: 2007/08/24(金) 01 13 55 ID oT.PFCpY 知事も大変ダナァ 3 名前: ちゅらさん 投稿日: 2007/08/24(金) 01 20 46 ID 8aZCy4M2 かなりショボイ集会になると容易に想像出来てしまう。 4 名前: ちゅらさん 投稿日: 2007/08/24(金) 01 21 15 ID yoi5H7cI 俺の予想 「県民は実はそこまで興味は無い」 =29日は、実行委員会の予想を大きく下回る人の少なさになるものと思われ。 少女暴行事件の時は、「基地うんぬん」じゃなくて、それ以前にショッキングすぎる事件だったし、「親として」「一県民として」思うところがあったし他人事じゃなかったのであんだけ集まった。 だけど、その集会は、バカが国旗燃やしたりとか、勝手な声明文を読んだりだとかで、左翼とかが全共闘時代よろしくで自己満足に酔ってるだけで、集まった県民に対して何のフォローも無く解散した感じだったので「肩透かし」をくらった感じで帰った人も多かったと思う。 あれを覚えてるヤツは間違いなく来ないね。 5 名前: ちゅらさん 投稿日: 2007/08/24(金) 08 59 30 ID cK2JkAKk まぁ、お得意の水増し主催者発表でお茶を濁し、各テレビ局が協力して放映! バカアナがヒステリックに的外れなコメントをして終了! 6 名前: ちゅらさん 投稿日: 2007/08/24(金) 12 52 46 ID SDdVqUB. 結局、テレビ用なんだよな。 そんなスポット映像のためにわざわざ集まるかっつーの。 「行かざるをえない空気」を作ってる事のほうがむしろ軍国時代みたいで違和感を感じるのだが。 「行かない」という選択肢も尊重してくれる社会に戻してくれ。 知事も大変ね・・・ 7 名前: ちゅらさん 投稿日: 2007/08/24(金) 13 22 47 ID CccHQPHw こう何か起きるたびに何度も県民大会を開催すると、 重要性というか、重みがなくなるような気がする・・・ ああ、またか。みたいな、軽い扱いに。 8 名前: ちゅらさん 投稿日: 2007/08/24(金) 18 44 33 ID 8aZCy4M2 今日の昼頃、県庁周辺で毎日・シュプレヒコールをあげてる市役所・県庁の組合員が 「日曜の県民集会を成功させよう!」と叫んでいたが・・・ それに続けて「安保条約破棄!」とか叫んでた。 こんな連中と一緒じゃ、与党が参加を渋るのは仕方が無いね。 続き 2.、3.、4.、5.、6.、7.、8.、9.、10.、11.、12. 6.沖縄左翼活動家が「軍命令はなかった」と事実認める(平成21年6月) 【直言極言】沖縄集団自決・動き始めた沖縄の言論界 「住民に自決を強いた『軍命令』はなかった」と、決定的な証言や検証を元にチャンネル 桜でもたびたび取り上げてきた沖縄集団自決問題。現地・沖縄では今なお、『鉄の暴風』 『沖縄ノート』の内容が真実とされているが、その空気に抗うかのように、『うらそえ文 藝』編集長・星雅彦氏と、「1フィート運動」創始者でもある上原正稔氏が、地道な取材 や調査の結果、「軍命令はなかった」と勇気ある主張を明らかにした会見の模様をお送り します。沖縄二紙の開き直り 記者会見の動画(狼魔人日記) 【沖縄集団自決】「軍命令はなかった」-『うらそえ文藝』会見・前半 【沖縄集団自決】「軍命令はなかった」-『うらそえ文藝』会見・後半 7.沖縄の最悪の反戦平和活動家は北朝鮮と繋がっている 狼魔人日記:分裂!沖縄平和運動が 全駐労が今回脱退した沖縄平和運動センターの方が、実にいかがわしい政治色を感じる。 率直に言ってここは平和運動の名を借りた、左翼革命運動団体である。 あの日教組と似た性格の売国組織である。 このセンターに関係する人間は北朝鮮とのつながりも深い。 例えば平良研一沖縄キムジョンイル著作研究会会長(沖縄大教授)、 有銘政夫沖縄軍用地違憲訴訟支援県民共闘会議議長、 佐久川政一沖縄主体思想研究会会長、島袋宗康参院議員、 米盛裕二沖縄大教授、下地玄栄・同、 仲宗根義一沖縄平和運動センター事務局長、金城睦弁護士など 沖縄の左翼運動のそうそうたるメンバーがいる。 これらのメンバーはキム総書記推戴1周年、朝鮮民主主義人民共和国創建50周年で祝賀宴にも参加している。 さらにこのセンターは北朝鮮の利権擁護とその民族的関係者の多い社民党主導の団体でもある。 センター議長の崎山嗣幸も社民党県会議員である。 そういえば元沖縄県知事で現参院議員の大田昌秀も社民党の議員であり、かつての知事時代には百何十名もの北朝鮮ファンを率いて、ピョンヤンに詣でていた。この人もセンターとかかわりが深い。 さらに沖縄平和運動センターの支持団体は、自治労、沖教祖それに沖縄タイムス、琉球新報などとくれば、この団体の素性はおのずと明らかだろう。 沖縄県の反戦平和活動家は北朝鮮の工作員である。 実情を見るとそう思われても仕方のない言動の人たちばかりである。 また未確認だが沖縄には成りすましの在日朝鮮人が多数入り込んでいるという。 彼らは通名(日本人名)を自由に幾通りにも使えるので、沖縄では地域特有の通名、例えば金城、島袋、儀間、平良・・・などを名乗るという。 また朝鮮総連のHPでは沖縄支部は福岡県となっているが、実際には沖縄県内にあり、 牧志○丁目にある城○共○住宅に朝鮮総連の秘密の支部があるという。 なぜ沖縄支部を秘密扱いにせねばならないのか? 沖縄平和運動センターとそれに関係する人びと、さらに北朝鮮とのつながり。朝鮮総連の非公開・疑惑の沖縄支部の存在など、何かきな臭いものを感じないだろうか。 しかし沖縄は日本の縮図ではないかと時々思う。政界からマスゴミに平和団体などがほぼ中国、朝鮮に支配されているような気がするのは私の考えすぎ、被害妄想なのだろうか・・・・・・・ 8.関連ブログ 沖縄県民斯ク戦ヘリ 狼魔人日記 9.沖縄教科書検定の撤回を求める集会のTV報道(保存庫) +... NHK総合071001沖縄教科書検定の撤回を求める集会11万の参加と表現(本当は2万) http //www.veoh.com/browse/videos/category/news/watch/v20685512CmHa3F3P NHK総合071016沖縄教科書検定問題 http //www.veoh.com/browse/videos/category/news/watch/v20685605ZSQPk6rB NHK総合071101高校の教科書日本軍関与記述復活求め訂正申請 http //www.veoh.com/browse/videos/category/news/watch/v20685532etYCbBhp NHK総合071101高校の教科書日本軍関与記述復活求め訂正申請2 http //www.veoh.com/browse/videos/category/news/watch/v20685542dJhdqqeM NHK総合071102高校の教科書日本軍関与記述復活求め訂正申請 http //www.veoh.com/browse/videos/category/news/watch/v20685555Cjk2pPD2 NHK総合071224高校の教科書日本軍関与記述削除から再修正に http //www.veoh.com/browse/videos/category/news/watch/v20685563jdR2DEEd NHK総合071226高校の教科書日本軍関与記述2 http //www.veoh.com/browse/videos/category/news/watch/v20685573tz3Xtbdk TBS 070420(イブニングニュース)安部首相VS管代表教科書検定沖縄戦をめぐり対立 http //www.veoh.com/browse/videos/category/news/watch/v20217701tPK4Z5CA TBS 070929教科書検定沖縄で11万人反対集会(本当は2万くらい) http //www.veoh.com/browse/videos/category/news/watch/v20685618tdAnszJQ TBS 071007(サンデーモーニング)沖縄教科書検定問題 TBS 071207-1100沖縄の集団自決歴史教科書問題で文部省軍強制の断定的資料は無し TBS 071226(イブニングニュース)沖縄集団自決で日本軍が強制したとの表現は無いが軍の関与は認められる http //www.veoh.com/browse/videos/category/news/watch/v206856242pr6nhq4 TBS 071226-2254沖縄集団自決で日本軍が強制したとの表現は無いが軍の関与は認められる(ニュース23) http //www.veoh.com/browse/videos/category/news/watch/v20685650DeQQ7FMw TBS 071227沖縄集団自決で日本軍が強制したとの表現は無いが軍の関与は認められる(朝ズバ) http //www.veoh.com/browse/videos/category/news/watch/v20685667HXfs7fw8 TBS 071227(イブニングニュース)沖縄戦の集団自決に関する歴史教科書検定問題教科書執筆者抗議 http //www.veoh.com/browse/videos/category/news/watch/v20685664KFMMAB7m TBS 071230沖縄集団自決で日本軍が強制したとの表現は無いが軍の関与は認められる(サンデーモーニング) http //www.veoh.com/browse/videos/category/news/watch/v206857423nQcMSzm テレ朝 071001(報道ステーション)歴史教科書検定で沖縄に11万人のデモ報道 テレ朝071004(報道ステーション)沖縄教科書検定集会古館「仮に2万人だったとして、なにがいけないんですかねぇ」との発言 テレ朝 071015(報道ステーション)沖縄教科書検定沖縄代表団「検定撤回」要求 http //www.veoh.com/browse/videos/category/news/watch/v20176284tnGzwKSf# 検定撤回要求者(公明党 遠山清彦)(民主党 川内博史)(沖縄県議 比嘉京子)(自民党 仲里利信) 検定撤回反対の集会も(新しい歴史教科書を作る会)11万人県民大会について言及、藤岡会長「政治介入だ」と批判 テレ朝 080328(報道ステーション)大江健三郎沖縄ノート訴訟集団自決大阪地裁軍の関与を認定 Online Videos by Veoh.com その他動画 『日本軍の強制による集団自決はあった!』証言 沖縄集団自決 旧日本兵の証言 NHK 沖縄 慰霊の日特集「“集団自決” 戦後64年の告白~沖縄・渡嘉敷-20090622 オークラ出版 反日マスコミの真実2010 ページ118や 小林よしのり ゴーマニズム宣言 「集団自決」NHK捏造番組(サピオ2009 7/22号)など参照 日テレ 080818NNNドキュメント08証言集団自決を語り継ぐ沖縄戦(頭欠け) Online Videos by Veoh.com 【関連】沖縄米軍基地問題 社民党の正体
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櫻井よしこ 「 沖縄集団自決、梅澤隊長の濡れ衣 」 http //f00-006.060.183.203.fs-user.net/index.php/archives/552 『週刊新潮』 07年1月4日・11日号 日本ルネッサンス 第246回 2006年も多くの取材をした。そのなかでも、10月18日に東京市谷で会った梅澤裕氏は今後の日本のあるべき姿を物語るうえでも、印象深い人だった。 氏は12月21日で90歳になった。祖父、一直は日清戦争の騎兵、父、英彦は日露戦争の軍人だった。父は陸軍士官学校16期生で、板垣征四郎、土肥原賢二、永田鉄山らとは自宅を訪れ合う仲だった。 「本当にすばらしい軍人ばかりで、私は幼い頃から、父たちのような立派な軍人になることを夢見ていたのです」と梅澤氏は語る。 その声は力強く、椅子にかけた背はまっすぐだ。鍛錬を重ねたであろう往時の軍人の姿が思われる。 第二次世界大戦中の昭和19年9月、氏は少佐として沖縄慶良間列島の座間味(ざまみ)島守備隊長に着任した。 「沖縄に到着し、軍司令官の牛島満中将に挨拶し、座間味島に向かいました。敵が泊地にするのに適った地形の島で、私は山の側面に穴を掘り、壕の中に船、爆雷、兵器、食糧を隠させました。島の人たちは純真そのもので、若い兵隊たちを大事にしてくれました」と氏。 戦局は激しくなり、米軍の日本攻撃は熾烈さを増す。沖縄への艦砲射撃も同様だ。梅澤隊長は彼我の圧倒的な戦力の差を実感、「ベテランの軍人」として日本の敗北を悟った。 いよいよ明日にも敵が上陸という翌20年3月24日夜10時頃、司令本部の基地隊に、村民代表5名が訪ねてきた。助役、役場の者、小学校の校長、警察官、女子青年団長だった。 助役の宮里盛秀氏が言った。 「いよいよ敵が上陸しそうです。長い間、御苦労様でしたが、お別れに来ました。私たちは前から、年寄り、女子供、赤ん坊は軍の足手まといになるため、死ぬと決めています」 梅澤氏は本当に驚いた。「戦国時代の物語として聞いたようなことを、まさか、沖縄の人が言うとは思いませんでした」と語る。 だが、宮里助役は続けた。 「自決の方法がわかりません。我々皆が集まって円陣を作ります。その真ん中で爆薬を爆破させて下さい」 「そんなことは出来ない」と梅澤氏。 「それなら役場に小銃が3丁ありますから弾を下さい。手榴弾を下さい」と宮里助役。 「馬鹿なことを言うな! 死ぬんじゃない。今まで何のために戦闘準備をしたのか。みんなあなた方を守り日本を守るためじゃないか。あなたたちは部隊のずっと後ろの方、島の反対側に避難していれば良いのだ」 梅澤氏は諭して、5人に言った。 「食糧も山中の壕に一杯蓄えてある。そこに避難しなさい。死ぬなど馬鹿な考えを起こしてはいけないよ」 翌日、文字どおり地獄の戦闘が始まった。梅澤氏は部下の6割を失って、遂に敗北した。戦闘に没頭していた氏らは、住民たちのその後の動き、約800名中172名が集団自決した事実を知らなかった。 汚名を着せられた人生 寝耳に水の報道が梅澤氏を襲ったのは、戦後暫く経ってからだった。 「昭和33年の『週刊朝日』を読んで、私も家内も仰天しました。座間味島の住民は梅澤隊長の命令で自決させられたとの記事が、無残な写真と共に報じられていました。家内は精神的にどん底に落ち、私は同期生や軍人の団体にも連絡して、報道が事実無根であることを訴えました。しかし、時代は全て、軍が悪い、軍人が悪いという見方に塗り潰されていましたから、私の反論は誰もとりあげてくれませんでした」 “梅澤隊長命による住民の集団自決”は、家永三郎氏の『太平洋戦争』、中野好夫・新崎盛暉両氏の『沖縄問題二十年』、大江健三郎氏の『沖縄ノート』などによって喧伝され、「梅澤=集団自決命令=軍国主義の悪」の構図が強調された。ノーベル平和賞を受賞した大江氏の『沖縄ノート』は1970年の出版以来、49版を重ねている。 この間、氏の家族は、濡れ衣に苦しんだ。梅澤氏は幾度か職場を変え、夫人は息をひそめて暮らし、子息は都会に住むのを嫌い、人と会わなくて済む地方に移り住んだ。 だが、転機はやってきた。戦後40年目の昭和60年7月30日、「神戸新聞」が「絶望の島民悲劇の決断」「日本軍の命令はなかった」と報じたのだ。大江氏ら“権威”が植えつけた悪しき軍人のイメージが全面否定されたわけではなかったが、それでもこのどんでん返しが梅澤氏にとってどれほど嬉しかったか。それにしてもなぜ、真実は語られ始めたか。梅澤氏が驚くべき経緯を語った。 戦後、全ての日本人がそうであったように、沖縄の住民も食べるに困った。特に沖縄は烈しい戦闘で焼き尽くされ、多数が亡くなった。国の援助を申請したとき、自決というだけでは、軍人でもない一般住民への援助は無理だとされた。そこで考えられたのが、軍によって自決命令が下されたという理由づけだった。 生きるために事実無根の話が創られ、梅澤氏への根拠なき非難が一人歩きを始めたのだ。それを調査せずに喧伝したのが大江氏らである。 歴史の真実を語った女性 一方、梅澤氏は昭和34年以来、沖縄への慰霊の旅を続けてきた。その度に住民らは氏をあたたかく迎えた。そして昭和62年の慰霊のとき、一人の女性が訪ねてきて言った。 「梅澤さん、本当のことを話します。昭和32年、座間味で行われた厚生省の調査で、隊長に集団自決を命じられたかと問われ、『はい』と答えました。そう言わなければならなかったために、そう言いました。けれど、それは真実ではありません」 梅澤氏はなぜ、この女性がそんなことを知っているのかと一瞬考えた。すると女性は言った。 「あの夜、5人が隊長に会いに行きました。4人は亡くなりました。私はたった1人の生き残りです。5人の中に女性が1人、女子青年団長がいましたでしょう。それが私です」 彼女は宮城初枝氏である。初枝さんはこのあと、「国の補償金がとまったら、弁償しろ」などの非難を浴びた。が、彼女が再び発言を変えることは、もはやなかった。幾人かの住民も真実を語り始め、自決命令は宮里助役が下したと判明した。そして梅澤氏は「一番気の毒なのは故里が戦場になった沖縄県民」だと語る。 その後梅澤氏は、大江氏らの著作の出版・販売・頒布の禁止を求める訴えをおこしたが、大江氏はまだ一度も出廷していないそうだ。 日本人は戦後、戦争を反省する余り、軍に関するもの全てを悪と見做してきた。その偏った心理のなかで、梅澤氏の悲劇が生まれた。この歪んだ戦後体制からの脱却を目指すというのが安倍晋三首相である。真に戦後体制から脱却し、新しい日本を創るために、より多くの真実を探り出し、虚心坦懐、歴史の真実と向き合いたい。そして一日も早く、高齢の梅澤氏の訴えに正しい判決が出てほしいと願うものだ。 歴史 投稿者 ikeda 2007年01月11日 16 08 トラックバック このエントリーのトラックバックURL http //blog.yoshiko-sakurai.jp/ys-blog-tb.cgi/150 この一覧は、次のエントリーを参照しています 「 沖縄集団自決、梅澤隊長の濡れ衣 」 » 宮中歌会始と「しきしまの道」の伝統 | 草莽崛起 ーPRIDE OF JAPAN 15日、皇居にて「宮中歌会始」が行われた。「歌」とは、57577の31文字による短歌(和歌)のことで、今年の題は「月」でした。天皇皇后両陛下をはじめとす... [詳しくはこちら] トラックバック時刻 2007年01月19日 10 15 » 日本の理論武装は大丈夫か~歴史の改変には実証的研究で対抗を~ | クルトの葉隠な日々 日中外相会談 歴史共同研究は08年中の成果目指す (産経新聞) 麻生太郎外相は16日午前(日本時間同日昼)、中国の李肇星外相とハノイで... [詳しくはこちら] トラックバック時刻 2007年01月19日 20 26 » 部落解放同盟の反対で国旗を揚げられない学校 | なめ猫♪ 『極右評論』、『きち@石根』、『老兵の独り言』など多くのブログで福岡県の不公正乱脈同和行政を取り上げていただきまして有り難うございました。 筑紫... [詳しくはこちら] トラックバック時刻 2007年01月19日 20 27 » 愛国的投資とは何か(3)〜外人投資家の手口と対策 | 草莽崛起 ーPRIDE OF JAPAN 日華(台)親善友好慰霊訪問団東京支部長 藤田 達男 関連記事「愛国的投資とは何か(1)〜祖国の繁栄に賭けよう」(http //pri... [詳しくはこちら] トラックバック時刻 2007年01月20日 09 58 » 沖縄の声を騙る被告らの自滅〜「そこにあるのは愛であった。」(渡嘉敷戦跡碑文より) | 草莽崛起 ーPRIDE OF JAPAN 沖縄集団自決冤罪訴訟第7回口頭弁論(1月19日)原告準備書面(6)の要旨をお送りします。 もとの準備書面は今回も51ページに及ぶ膨大なものです。 ... [詳しくはこちら] トラックバック時刻 2007年01月21日 09 53 » マスコミ報道は自民党・日本叩きが目的なのか | なめ猫♪ 最近、事務所費の問題等が話題になっていましたが、朝鮮総連と民主党、旧社会党との結びつきはあまりマスコミは大きく報じませんね。 要は自民党を叩くと... [詳しくはこちら] トラックバック時刻 2007年01月22日 11 29 » そのまんま東が東国原英夫宮崎県知事になった | 訳わからん このシャバは 【筆者記】選挙は勝ってなんぼ、負けてはこれからの戦(いくさ)が出来ません。本日はこの宮崎県知事選について書きたいと思います。もしかするとと思っていました... [詳しくはこちら] トラックバック時刻 2007年01月22日 19 22 » いじめ調査に非協力指令を出した北海道教組 | なめ猫♪ 今朝の「朝ズバッ」をご覧になられた方は多いかと思いますが、読売新聞がスクープしたいじめ問題への北海道教組の調査拒否戦術はさすがの左翼よりのTBSでさえ、... [詳しくはこちら] トラックバック時刻 2007年01月24日 10 03 » 北海道日教組の反国家運動 | 訳わからん このシャバは がんばれ山谷内閣総理大臣補佐官(教育再生担当) 【筆者記】子供が親より先に天国に逝ってしまう、親としてこんなむごいことはあ... [詳しくはこちら] トラックバック時刻 2007年01月24日 18 57 » 教育再生会議の1次案答申 | 無党派日本人の本音 教育再生会議の1次案答申の発表された。案の定各方面からの反対、批判、冷やかな反応が新聞紙上で報道されている。<<答申に対する関係者の反応>>自民党の文教族... [詳しくはこちら] トラックバック時刻 2007年01月26日 05 37 » 62年間捏造(つまみ食い)報道され続けた戦陣訓の真実 | 真実史観 軍人が敵の捕虜になる場合は、投降(戦時下の降伏と、終戦のための降伏)と負傷(戦時下)により捕虜になる。 気を失ったり、動けない負傷者までもが捕虜にならず... [詳しくはこちら] トラックバック時刻 2007年02月19日 00 03 » 3月31日 『沖縄集団自決』論 - 教科書検定 | 社説読み比べ 【 朝日新聞 】 集団自決―軍は無関係というのかイラク特措法―派遣の延長に反対する【 産経新聞 】 沖縄戦 新検定方針を評価したい自衛隊派遣延長 イ... [詳しくはこちら] トラックバック時刻 2007年03月31日 06 37 » 沖縄集団自決は軍の命令だったのか?座間味島の場合−1 | 考察NIPPON 慰安婦の一連のエントリーが一段落したので、しばらくは「やまとことば」など、まったりとしたエントリーを書こうかなぁー、と思っていたのですが、沖縄集団自決につ... [詳しくはこちら] トラックバック時刻 2007年04月02日 03 25 » 沖縄集団自決は軍の命令だったのか?座間味島の場合−2 | 考察NIPPON 昨日のエントリーでは、朝日新聞の記事が印象操作的だったことに触れましたが、今回からは、「母の遺したもの―沖縄・座間味島「集団自決」の新しい証言」から引用し... [詳しくはこちら] トラックバック時刻 2007年04月03日 07 42 » 沖縄集団自決は軍の命令だったのか?座間味島の場合−3 | 考察NIPPON 前回のエントリーは、勉強しながら今までブログに書いてきたことを、全部ひっくるめたような内容となり、書くのにかなり力を入れた内容となりました。そのせいか、ア... [詳しくはこちら] トラックバック時刻 2007年04月05日 13 44 » 沖縄集団自決は軍の命令だったのか?座間味島の場合−5 | 考察NIPPON このエントリーは、以下の続編となります。- 沖縄集団自決は軍の命令だったのか?座間味島の場合−1- 沖縄集団自決は軍の命令だったのか?座間味島の場合−2-... [詳しくはこちら] トラックバック時刻 2007年04月08日 23 27 » おきなわ情報検索[なんくるないさ] | おきなわ情報検索「なんくるないさ」 沖縄関連ブログを検索しました、私のサイト→沖縄の情報検索サイト【 http //okinawa.logomoco.com/ 】です、是非TBしていただけな... [詳しくはこちら] トラックバック時刻 2007年07月11日 04 21
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沖縄集団自決訴訟第2審・9・9結審 原告(戦隊長側)傍聴動員広告 沖縄タイムス:「集団自決」訴訟 控訴審第2回弁論/きょう結審の可能性 朝日大阪:沖縄ノート訴訟、控訴審が結審 判決は10月31日 時事:控訴審判決は10月31日=沖縄戦自決訴訟が結審-大阪高裁 琉球新報:判決は来月31日 岩波訴訟控訴審2008年9月10日 沖縄タイムス:「集団自決」訴訟結審/「玉砕命令」で新証言 沖縄タイムス:軍命記述へ決意新た/支援者集会 沖縄集団自決訴訟第2審
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http //www.jiyuu-shikan.org/tokushu2.html 特集 沖縄集団自決:虚構の軍命令 自決命令は本当にあったのか?沖縄集団自決冤罪訴訟 の行方が注目される中、今こそ真実を再検証する時が… ‘日本軍の非情・残酷’を際だたせる話 戦争末期の昭和20年3月、米軍が沖縄本島の西の海上にある慶良間列島に攻め込んできたとき、座間味島と渡嘉敷島では数百人の追いつめられた住民が家族どうしで殺し合うなどして集団自決するという痛ましい出来事があった。 ところが、戦後、それは日本軍の将校の命令により強制されたものであったと言われるようになった。私がその話を初めて読んだのは今から30年近くも前、確か中公新書の一冊だったように思う。そのとき感じた日本軍の非情さ、残酷さに対する嫌悪感を今でもはっきり思い出すことができる。それは軍隊一般に対する反感、軍事一般に対する拒否感に間違いなくつながるものだった。 沖縄戦関係のおびただしい数の書物に書かれているこの話は、元をたどると一冊の書物にたどり着く。昭和25年に沖縄タイムス社から発刊された『沖縄戦記 鉄の暴風』である。 しかし、昭和48年に曽野綾子氏の『ある神話の背景』が出版され、渡嘉敷島のケースについて、軍が命令したという従来の「定説」に決定的な疑問を投げかけた。それ以来、「沖縄集団自決軍命令説」は次第にその虚構性が明らかになってきた。 藤岡信勝/自由主義史観研究会代表・拓殖大学教授 新しい歴史教科書をつくる会『史』平成18年9月号(通巻58号)より一部抜粋
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今日の訪問者 - 沖縄集団自決訴訟第1審 平成17年(ワ)第7696号 出版停止等請求事件 平成20年3月28日判決言渡 口頭弁論終結日 平成19年12月21日 原 告 梅澤 裕 外1名 被 告 大江健三郎 外1名 Index 沖縄集団自決訴訟第1審第一審判決 大江氏論考 裁判経過 関連 第一審判決 読める判決「集団自決」新着! 新着!★集団自決訴訟 元守備隊長らの請求を棄却 新着!★3・28大阪地裁判決内容 新着!★大阪地裁判決後の記者会見 新着!★大阪地裁判決に対する各紙論評など 大江氏論考 人間をおとしめるとはどういうことか 裁判経過 原告側訴状2005年8月5日 原告弁護団意見陳述書2005年10月28日 第1回口頭弁論 原告梅澤裕意見陳述書2005年10月28日 第1回口頭弁論 原告赤松秀一意見陳述書2005年10月28日 第1回口頭弁論 ★被告準備書面(1)要旨2005年12月27日その1 ★被告準備書面(1)要旨2005年12月27日その2 原告準備書面(1)要旨2006年1月27日第2回口頭弁論 ★被告準備書面(2)要旨2006年3月15日 原告準備書面(2)全文2006年3月24日その1第3回口頭弁論 原告準備書面(2)全文2006年3月24日その2 原告準備書面(2)全文2006年3月24日その3 原告準備書面(2)全文2006年3月24日その4 ★被告準備書面(3)要旨2006年6月2日その1 ★被告準備書面(3)要旨2006年6月2日その2 原告準備書面(3)全文2006年6月9日第4回口頭弁論 ★被告準備書面(4)要旨2006年8月28日 原告準備書面(4)全文2006年9月1日第5回口頭弁論 ★被告準備書面(5)要旨2006年9月1日 原告準備書面(5)要旨2006年11月10日第6回口頭弁論 ★被告準備書面(6)要旨2006年11月10日 原告準備書面(6)要旨2007年1月19日第7回口頭弁論 ★被告準備書面(7)要旨2007年1月19日その1 ★被告準備書面(7)要旨2007年1月19日その2 ★被告準備書面(8)要旨2007年1月19日 原告準備書面(7)全文2007年03月30日その1第8回口頭弁論 原告準備書面(7)全文2007年03月30日その2 原告準備書面(7)全文2007年03月30日その3 原告準備書面(7)全文2007年03月30日その4 ★被告準備書面(9)要旨2007年3月30日その1 ★被告準備書面(9)要旨2007年3月30日その2 原告準備書面(8)全文2007年05月25日その1第9回口頭弁論 原告準備書面(8)全文2007年05月25日その2 ★被告準備書面(10)要旨2007年5月25日 ★被告準備書面(11)要旨2007年5月25日(未作成) ★宮城晴美氏陳述書2007年6月27日 ★安仁屋政昭氏陳述書2007年7月12日 原告準備書面(9)全文2007年07月25日 皆本義博氏 証人尋問2007年07月27日第10回口頭弁論第1回証人尋問 知念朝睦氏 証人尋問2007年07月27日 ★宮城晴美氏 証人尋問2007年07月27日 原告支援の会傍聴報告2007年07月28日 ★金城重明氏証言要旨2007年9月10日第2回証人尋問at福岡高裁那覇支部 第3回証人尋問 ★11月9日の本人尋問詳報 産経新聞の法廷内録音(or速記?)2007年11月9日 第3回証人尋問の沖縄紙詳報 第3回証人尋問の本土紙報 大江さんの証言(陳述書と尋問)要旨 ★被告側小括:11.9沖縄戦裁判本人尋問報告集会の弁護団報告 原告側小括:第3回証人尋問の報告と資料 ★被告側:大江・岩波沖縄戦裁判 本人尋問の報告 ★被告側 大江・岩波沖縄戦裁判報告と日本史教科書訂正申請の経緯報告 ★大江健三郎陳述書(本論部分)上 ★大江健三郎陳述書(本論部分)下 原告最終準備書面・目次 ★被告最終準備書面・要旨 第一審判決 第二審 大阪高裁 控訴審予定 関連 沖縄裁判教科書関係資料 ワタクシ的分析「沖縄戦裁判」 沖縄戦裁判
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「沖縄集団自決論争」資料文庫へようこそ。ここは、沖縄集団自決裁判」資料文庫です。只今p製作中。よろしくお願いします。(from-山崎行太郎) ★山崎行太郎「沖縄集団自決裁判」過去エントリーより。 font size="-2" ★【沖縄論・曽野綾子論資料1(過去エントリー)】 曽野綾子誤字誤読事件 ■大江健三郎を擁護する。http //d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071110/p1 ■誰も読んでいない『沖縄ノート』。http //d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071111/p1 ■梅沢は、朝鮮人慰安婦と…。http //d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071113/p2 ■大江健三郎は集団自決をどう記述したか? http //d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071113/p1 ■曽野綾子の誤読から始まった。http //d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071118 ■曽野綾子と宮城晴美 http //d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071124 ■曽野綾子の「誤字」「誤読」の歴史を検証するhttp //d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071127 ■「無名のネット・イナゴ=池田信夫君」の「恥の上塗り」発言http //d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071129 ■「曽野綾子誤字・誤読事件」のてんまつ。曽野綾子が逃げた? http //d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071130 ■曽野綾子の「マサダ集団自決」と「沖縄集団自決」を比較することの愚かさについて。http //d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071201 ■曽野綾子の「差別発言」を総括する。 http //d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071202 ■曽野綾子の「誤字」は最新号(次号)で、こっそり訂正されていた(続)http //d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071206 ★「宮平秀幸新証言」批判のまとめ…… ■現場にいなかった新証言者……宮平秀幸が本田靖春に語った「座間味島集団自決の真実」 http //d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20080310 ■「宮平秀幸新証言」はガセネタのだった? 宮平秀幸は「マリリンに会いたい」の飼い主だった。 http //d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20080309 ■「宮平秀幸新証言」はヤラセか自作自演か。http //d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20080307/ ■自決か玉砕か……http //d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20080306/ ■毎日新聞ですでに証言していた……昔から宮平秀幸は「語り部」だった。http //d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20080305/ ■アエラよ、お前もか……勉強不足の「アエラ」記者は「保守派沖縄ツアー」に同行していた。http //d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20080304/ ■世界日報記者よ、もつと沖縄史を勉強せよ。http //d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20080302/ ■アエラ記者よ、もっと沖縄史を勉強せよ。http //d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20080301/ /font *大見出し 中見出し 小見出し リスト 番号リスト テーブルは 縦棒で くぎります リンク名 半角 で始めると引用文になります。