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「沖縄集団自決論争」資料文庫へようこそ。ここは、沖縄集団自決裁判」資料文庫です。只今p製作中。よろしくお願いします。(from-山崎行太郎) ★山崎行太郎「沖縄集団自決裁判」過去エントリーより。 font size="-2" ★【沖縄論・曽野綾子論資料1(過去エントリー)】 曽野綾子誤字誤読事件 ■大江健三郎を擁護する。http //d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071110/p1 ■誰も読んでいない『沖縄ノート』。http //d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071111/p1 ■梅沢は、朝鮮人慰安婦と…。http //d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071113/p2 ■大江健三郎は集団自決をどう記述したか? http //d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071113/p1 ■曽野綾子の誤読から始まった。http //d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071118 ■曽野綾子と宮城晴美 http //d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071124 ■曽野綾子の「誤字」「誤読」の歴史を検証するhttp //d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071127 ■「無名のネット・イナゴ=池田信夫君」の「恥の上塗り」発言http //d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071129 ■「曽野綾子誤字・誤読事件」のてんまつ。曽野綾子が逃げた? http //d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071130 ■曽野綾子の「マサダ集団自決」と「沖縄集団自決」を比較することの愚かさについて。http //d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071201 ■曽野綾子の「差別発言」を総括する。 http //d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071202 ■曽野綾子の「誤字」は最新号(次号)で、こっそり訂正されていた(続)http //d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071206 ★「宮平秀幸新証言」批判のまとめ…… ■現場にいなかった新証言者……宮平秀幸が本田靖春に語った「座間味島集団自決の真実」 http //d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20080310 ■「宮平秀幸新証言」はガセネタのだった? 宮平秀幸は「マリリンに会いたい」の飼い主だった。 http //d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20080309 ■「宮平秀幸新証言」はヤラセか自作自演か。http //d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20080307/ ■自決か玉砕か……http //d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20080306/ ■毎日新聞ですでに証言していた……昔から宮平秀幸は「語り部」だった。http //d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20080305/ ■アエラよ、お前もか……勉強不足の「アエラ」記者は「保守派沖縄ツアー」に同行していた。http //d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20080304/ ■世界日報記者よ、もつと沖縄史を勉強せよ。http //d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20080302/ ■アエラ記者よ、もっと沖縄史を勉強せよ。http //d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20080301/ /font *大見出し 中見出し 小見出し リスト 番号リスト テーブルは 縦棒で くぎります リンク名 半角 で始めると引用文になります。
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『あばかれた「神話」の正体』 沖縄「集団自決」裁判で何が明らかになっているのか 鴨野 守 著 1,680円 ・「大江健三郎氏たちへの断罪を岩盤に刻み、 赤松・梅澤両氏の潔白を末代まで伝える本」 ・「自決するな」と隊長は厳命した! ・「軍による強制」という神話は、いつ、誰によって、 いかにして作られたか。 ・続々と重い口を開きはじめた当事者たちが語る事件の真相とは? そして、いまこそ真実が明かに! 渡部昇一氏推薦 推薦の辞 アメリカの日本占領政策の基本の一つに、「軍民分断」があった。 それをいつの間にか忘れさせられて、日本国民と日本軍は相反する立場にあったという史観が蔓延してしまった。 支配階級と民衆を分断して論ずるやり方―これは左翼の特徴的論法である。 われわれの的は日本軍閥であり、日本民衆でない」という発言は、中国共産党からもよく言われていたことを記憶している人もあるだろう。 そもそも大陸で日本軍が動かざるをえなくなったのは、そこにいた普通の日本人の生命財産が犯されたからであることをかくして、アメリカの占領軍も、これと同じ手を使ったのである。 元来、日本軍の将校も兵士も、同じ村や町の出身の普通の人たちであり、「兵隊さん」は親しいものだった。二、二六事件の時も、普通の人たちが見物に出かけても、こわくなかったぐらいである。 これではアメリカが困るのだ。日本軍は民衆と隔絶した鬼畜の如きものでなければならない。この使い易い材料として沖縄の二つの小さい島が利用された。 つまり「集団自決」は、島民の自発的意思ではなく、「軍の命令だった」ということにされたのである。そして軍民分断は左翼の最も好むところであるから、朝日新聞をはじめとして、この沖縄の「神話」―本当は「詐話」―を徹底的に利用した。 戦前の日本軍を知る者の中には「本当だろうか」と疑うノーマルな人もいた。 曽野綾子さんが実地で聞き取りをして、『ある神話の背景』を書いたら、彼女は右翼にされてしまった観があった。 しかし真実は強い、その後も続々と重要な証言が出てきた。証拠も出てきた。 それなのに、詐話を堅持しようという勢力は大江健三郎氏をはじめとして反省の色を見せない。 著者の鴨野氏は、日本共産党の機関紙「赤旗」に連載され、その後単行本としてベストセラーとなった森村誠一氏の『悪魔の飽食』(正・続)の写真や記述の重大な間違いを指摘し、また広島県の校長自殺問題でも、最も大胆な、また最も信頼できる正確な本を書いた人である。氏が「沖縄集団自決」という話に、最も信頼できる本を書いてくれたことを、日本人の一人として感謝したいと思う。 真実は強い、裁判における判決はどのようであっても、大江健三郎氏たちに対する断罪は永久に、岩盤に刻まれた碑文の如く残るであろうし、守備隊長だった赤松、梅澤両氏の潔白も子孫に伝えられるであろう。 内容紹介 沖縄戦の初期、慶良間諸島の渡嘉敷島と座間味島で住民の集団自決が起こった。従来自決は「日本軍による強制」によるものというのが定説だったが、その後生存者や関係者の新たな証言が明らかになるにつれ、それが事実無根である可能性が高まっている。そのため出版物や教科書でも従来の記述を改めつつあるが、一方でその記述を一貫して改めようとしないのが、大江健三郎氏の『沖縄ノート』である。今回、その命令を下したと名指しされた本人とその家族が、大江氏と出版元の岩波書店を相手取り、記述の訂正を求める訴えを起こした。本書は、裁判の経緯を追うとともに、「軍の強制」が、いつ誰によって、いかなる思惑をもって作られていったのか、なぜ、それがいままで明かされて来なかったのかを、丹念な取材を通して解き明かす。 渡部昇一氏が推薦の辞を寄せ、その中で「本書の著者である鴨野氏は、ベストセラーとなった森村誠一氏の『悪魔の飽食』(正・続)の写真や記述の重大な間違いを指摘し、また広島県の校長自殺問題でも、最も大胆な、また最も正確な本を書いた人である。氏が沖縄集団自決という話に、最も信頼できる本を書いてくれたことを、日本人の一人として感謝したいと思う」と述べている。 著者について 昭和30年富山県生まれ。金沢大学教育学部卒業。ジャーナリスト。「世界日報」編集委員。校長自殺で国会でも議論となった広島の教育問題を2年半にわたって丹念に取材し、『広島の公教育はなぜ崩壊したか』『広島の公教育に再生の道はあるか』(いずれも世界日報社刊)にまとめて、大きな反響を呼ぶ。「戸塚ヨットスクール」に2カ月体験入校して取材に当たるなど、体当たりの現場取材を信条とする。 あばかれた「神話」の正体 鴨野 守 祥伝社 このアイテムの詳細を見る 沖縄の皆様は、琉球新報に28日の広告をご覧下さい、この一冊で半5段で広告の予定と聞いています。 全国紙では、30日に朝日で、半5で同時新刊の本と一緒に掲載と聞いております。
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index11 沖縄集団自決訴訟大阪地裁判決・別紙 (原告側訴状添付)原告ら訴訟代理人弁護士目録-----p214 (被告側書面添付)被告ら訴訟代理人弁護士目録-----p216 (原告側訴状添付)書籍目録-----p217 (原告側訴状添付別紙1)謝罪広告-----p218 (原告側訴状添付別紙2)謝罪広告-----p219 読める判決「集団自決」
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http //www.nhk.or.jp/news/k10015107661000.html 沖縄集団自決訴訟 2審も棄却 10月31日 23時34分 沖縄戦について記述した作家の大江健三郎さんの本などをめぐって、当時の日本軍の守備隊長らが「集団自決を命じたかのように書かれ名誉を傷つけられた」と訴えた裁判で、2審の大阪高等裁判所は「命令の真実性が揺らいだといえるが、真実でないと明白になったとまではいえない」として1審と同じく訴えを退けました。 この裁判は、作家の大江健三郎さんが書いた「沖縄ノート」などをめぐって、太平洋戦争末期に沖縄の座間味島の守備隊長だった梅澤裕さん(91)と渡嘉敷島の守備隊長の弟の赤松秀一さん(75)が「集団自決を命じたかのように書かれ、名誉を傷つけられた」として、大江さんと出版元の岩波書店に、出版の中止と損害賠償などを求めたものです。ことし3月、1審の大阪地方裁判所は「集団自決を命じたと信じる相当の理由がある」として、2人の訴えを退けましたが、2人は判決を不服として控訴していました。31日の2審の判決で、大阪高等裁判所の小田耕治裁判長は「本が最初に出版されて以降、新たな資料などで守備隊長が直接、自決を命じたことの真実性が揺らいだといえるが、真実でないと明白になったとまではいえず、2人が重大な不利益を受け続けているとは認められない」として、1審と同じく2人の訴えを退けました。文部科学省の教科書検定では、この裁判などを理由に、集団自決への軍の関与についての記述が削除され、その後、復活した経緯がありますが、31日の判決は「集団自決に軍が深くかかわっていることは否定できない」と指摘しました。 沖縄戦ニュース
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http //www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/opinion/61191/ 【正論】秦郁彦 沖縄集団自決をめぐる理と情 07/06 06 53 トラックバックURL: http //www.iza.ne.jp/news/newsarticle/61191/TrackBack/ ■報道は冷静な検証の姿勢忘れずに ≪情緒過剰な記事が並ぶ≫ 6月23日は、62年前に沖縄本島南端の摩文仁(まぶに)の洞穴で、牛島軍司令官が自決、沖縄戦における日本軍の組織的抵抗が終わった日である。 沖縄県は、この日を「慰霊の日」と定め、軍人・軍属、一般住民がそれぞれ9万余人、米兵をふくめると20万人の全戦没者を追悼する式典を挙行してきた。しかし今年は、住民の集団自決をめぐる高校用日本史教科書の検定で「軍命令による強制」が削除されたことについて、県議会が検定意見の撤回を求める意見書を採択したこともあり、騒然とした「慰霊の日」となった。 ほぼ全面無視した読売新聞を除き、主要各紙は社説や社会面記事で大々的にこの問題をとりあげた。これまでは「沖縄の心」という目に見えぬ壁への配慮が働き、マスコミも識者もハレものにさわるような扱いをしてきたが、今年も同じトーンで生き残りの体験談を軸に情緒過剰な詠嘆調の記事が並んだ。今や生き残りといっても、当時は10歳前後だった人たちが主だから、要領をえないあやふやな証言ばかりになってしまった。 たとえば、県の意見書のまとめ役になった当時8歳だった議員の体験談は「200人ほどの住民と壕に隠れていたところ、3人の日本兵が来て、泣き続けていた3歳の妹といとこに毒入りのおむすびを食べさせるよう迫った。敵に気づかれるのを恐れたため」(6月23日付朝日)というのだが、記者は不自然さに気づかなかったのだろうか。 激戦のさなかに毒入りおむすびを作る余裕があるのか、毒と告げて親が食べさせるものか、食べたとしても、苦悶(くもん)の泣き声に変わるだけではないのか、そんなことをしなくても、200人も入っている広い洞穴なら奥へ移ればすむのではないか、と疑問の種はつきない。問題はそうした検証をいっさい放棄して、記事に仕立てた記者の資質にある。 ≪攻撃用武器の手投げ弾≫ ついでに記すと、県議会では「集団自決の軍命令はあったはず」と主張する野党と「なかったらしい」と主張する与党の議員が対立、妥協のすえ意見書は「日本軍による関与なしに起こり得なかった」という争点を外した表現におちついたとのこと。 「関与」とは一部で日本軍の手投げ弾が自決用に使われたのを指しているらしいが、兵器不足に悩み、兵士に竹槍まで持たせていた日本軍にとって、手投げ弾は貴重な攻撃用武器だった。現地召集の防衛隊員(軍人)に持たせていたものが家族の自決に流用されたのに、16歳だった語り部の元短大学長が「手投げ弾は自決命令を現実化したものだ」と語るのを、朝日が社説(6月23日付)で「悲惨な証言」と信じ込み、引用しているのはいかがなものか。 ≪軍命令見つからない理由≫ さすがに社説ともなると冷静なタッチが多いなかで、朝日だけは突出した情緒論で終始している。他にも日本軍は住民が捕虜になることを許さず、「敵に投降するものはスパイとみなして射殺する」と警告し実行していったとか、捕らえられれば「女性は辱めを受け、男性は残忍な方法で殺される。日本軍はそう住民に信じ込ませた」と書いているが、いずれも事実無根に近い。 牛島軍は、県当局と協議して住民を予想戦場から遠ざけるため本土や本島北部への疎開を命じ、戦闘末期には米軍の保護に委ねるふくみで戦場外の知念半島への避難を指示している。 その結果、米軍記録によると28万余人の住民が投降した。そのなかには日本軍陣地へ投降勧告に出向く志願者がいて、スパイと疑われ処刑された例もあったが、例外的事件にすぎない。 そのころ12歳の軍国少年だった筆者も「鬼畜米英」への憎しみと恐怖を抱いていた記憶はあるが、誰が吹きこんだのか覚えていない。親や先生ではなかったと思うし、ひょっとすると、わが家で取っていた朝日新聞か主婦の友かもと考えたりもするが、少なくともこの種の流言、浮説を記した政府・軍の公文書はなかったと思う。 ところが、研究者でも集団自決や慰安婦の強制連行を証する軍命令が見つからないのは、終戦時に焼却したからだとか、個々の命令はなくても戦前期の天皇制や軍国主義教育に起因すると強弁する人が少なくない。 集団自決が起きたのに「いまさら『日本軍は無関係』と言うのなら、それは沖縄をもう一度裏切ることになる」としめくくった朝日社説も同類項なのだろうか。(はた いくひこ=現代史家)
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http //www.47news.jp/CN/200803/CN2008032801000259.html 元守備隊長らの請求棄却 沖縄集団自決訴訟 太平洋戦争末期の沖縄戦で軍指揮官が「集団自決」を命じたとする本の記述をめぐり、沖縄・慶良間諸島の当時の守備隊長らが、岩波書店と作家大江健三郎さん(73)に出版差し止めや計2000万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、大阪地裁(深見敏正裁判長)は28日、請求を棄却した。 この訴訟は、軍の「強制」の記述削除を求めた教科書検定意見の根拠の1つともされたほか、ノーベル賞作家の大江さん本人が出廷し証言するなど司法判断が注目を集めていた。 座間味島の元守備隊長梅沢裕さん(91)と、渡嘉敷島の元守備隊長の弟赤松秀一さん(75)は2005年8月、大江さんの「沖縄ノート」、故家永三郎さんの「太平洋戦争」の集団自決に関する部分をめぐり「誤った記述で非道な人物と認識される」として提訴した。 梅沢さんらは「命令はしていない。本の記述は個人としての『事件の責任者』を批判し、個人を非難している」と主張。 2008/03/28 10 24 【共同通信】
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正論2006年9月号(産経新聞社・扶桑社) 靖国特集 沖縄集団自決冤罪訴訟が光を当てた日本人の真実 弁護士 徳永信一 《リード》 その戦いは、平成17年10月28日大阪地裁202号法廷で始まった。《沖縄集団自決冤罪訴訟》と命名された裁判である。壇上に3人の裁判官が座り、開廷が宣言され、やがて弁護団の岩原義則弁護士が立ち上がり、満員の傍聴人が見守るなか、訴状の要旨を朗読し、最後にこうまとめた。 「以上のとおり、被告大江健三郎が著した『沖縄ノート』を含む被告岩波書店発行の書籍は、沖縄戦のさなか、慶良間列島において行われた住民の集団自決が、原告梅澤裕元少佐あるいは原告赤松秀一の兄である亡き赤松嘉次元大尉の命令によるものだという虚偽の事実を摘示することにより原告らの名誉を含む人格権を侵害したものである。よって、原告らは、被害の回復と拡大を防止するため、それらの出版停止、謝罪広告及び慰謝料の支払いを求めるものである」 これがこの裁判の骨子である。虚偽の事実を摘示して人の名誉や人格権を傷つけたものは、刑事、民事の責任を負う。この裁判は、言葉の力を信じることで成り立つ民主主義社会の出発点となるべきこの普遍的ルールに則り、虚偽をふれ回った者に対して謝罪広告等の責任を求める民事訴訟である。そしてそれは沖縄戦のさなか慶良間列島で起きた集団自決という悲劇の責任を「自決命令」という全くの虚構をもって2人の守傭隊長に押し付け、沖縄戦の実相から目をそらしてきた「戦後」という奢った時代の偽善と欺瞞を問うものである。 標的としたのは「戦後」の言論をリードしてきた岩波書店が出版した3冊の書籍。昭和40年に発行された中野好男・新崎盛暉『沖縄問題二十年』、昭和42年に初版本が発行され昭和61年発行の第二版を文庫化した家永三郎著『太平洋戦争』、そして昭和45年に出版された大江健三郎著『沖縄ノート』である。 『鉄の暴風』―――発端 覆された「神話」 訂正された家永著作 梅澤元少佐の意見陳述 歴史の「拡大解釈」 教科書と「偽りの記憶」 提訴の決意 大江健三郎と戦後民主主義 『石に泳ぐ魚』事件判決 政治的強弁の手法 こじつけの手法 死者への<しっと> 『泣いた赤鬼」と靖國の心。 徳永信一氏 昭和三十三年(一九五八年)大阪府生まれ。六十年に京都大学法学 部卒業、司法試験 合格。六十三年、弁護士登録。大阪HIV(薬害エ イズ)訴訟弁護団、小泉純一郎首相 の靖國神社参拝をめぐって起こ された訴訟のうち、大阪訴訟で被告とされた靖国神 社を守るため に結成された「靖國応援団」の中心メンバー。編著書に『薬害エイズ 国際会議』(彩流社)、共著『新世紀の靖國神杜』(近代出版社)。
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http //sankei.jp.msn.com/life/education/090610/edc0906102117005-n1.htm 沖縄集団自決「軍の命令ではない」 地元誌が特集記事 2009.6.10 21 15 第2次大戦末期の沖縄戦で守備隊長が住民に自決を強いたとされる「沖縄集団自決」について「軍命による自決ではなく、切羽詰まった住民が自殺した悲惨な事件だった」とする特集記事が沖縄県浦添市文化協会発刊の「うらそえ文藝」第14号に掲載され、波紋を広げている。特集には、自決現場を目撃した当時の米軍の報告書や住民の証言などが収録され、問題の発端となった地元紙、沖縄タイムス発刊の「鉄の暴風」こそが訂正すべきと結論づけている。 「鉄の暴風」で自決を強いたと名指しされた守備隊長や遺族らは、この記述を元に書かれた大江健三郎氏の「沖縄ノート」に対し出版差し止めなどを求めているが、昨年秋の2審判決では訴えが退けられ、現在、最高裁で争われている。 この特集記事を書いたのは同誌編集長で沖縄県文化協会長の星雅彦氏と沖縄戦ドキュメンタリー作家として知られる上原正稔氏の2人。 http //sankei.jp.msn.com/life/education/090610/edc0906102117005-n2.htm 上原氏は長く「鉄の暴風」を疑ったことがなく、現地調査した作家の曽野綾子氏が1973年に「ある神話の背景」で疑問を呈したさいも、軍命による集団自決を事実として信じて疑わなかった。ところが、沖縄タイムスや琉球新報などで沖縄戦に関連した連載記事を書くうちに、新たな住民の証言や米軍の報告書などを入手、「(『鉄の暴風』は)現地調査しないまま軍命による集団自決をでっち上げたという結論に達した」という。 上原氏によると、こうした結論を2年前に琉球新報で長期連載中の沖縄戦をめぐる記事に盛り込もうとしたところ、「新聞社側の圧力で断念せざるを得ず、『うらそえ文藝』での発表に踏み切った」と説明している。 また、星氏も沖縄県史編纂(へんさん)で40年ほど前に、集団自決事件の起きた渡嘉敷島を訪問した際、住民の話から軍命の存在に疑問を抱いたが、「鉄の暴風」が沖縄県民の間で定着し、疑問を差し挟めない状況だった。しかし、「今回は勇気を持って真実を知らせるべきと決心した」と、話している。 富田詢一・琉球新報社編集局長の話「上原氏への圧力はありません」 「集団自決」問題について補足 「集団自決」問題について(また)産経と世界日報が華麗なコンボ 沖縄戦ニュース
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【正論】集団自決と検定 作家・曽野綾子 それでも「命令」の実証なし 2007.10.23 03 42 このニュースのトピックス:沖縄集団自決 ■戦争責任と曖昧な現実に耐えること ≪大江氏の『沖縄ノート』≫ 1945年、アメリカ軍の激しい艦砲射撃を浴びた沖縄県慶良間列島の幾つかの島で、敵の上陸を予感した島民たちが集団自決するという悲劇が起きた。渡嘉敷島では、300人を超える島民たちが、アメリカの捕虜になるよりは、という思いで、中には息子が親に手をかけるという形で自決した。そうした事件は、当時島にいた海上挺進第3戦隊隊長・赤松嘉次大尉(当時)から、住民に対して自決命令が出された結果だということに、長い間なっていたのである。 1970年、終戦から25年経った時、赤松隊の生き残りや遺族が、島の人たちの招きで慰霊のために島を訪れようとして、赤松元隊長だけは抗議団によって追い返されたのだが、その時、私は初めてこの事件に無責任な興味を持った。赤松元隊長は、人には死を要求して、自分の身の安全を計った、という記述もあった。作家の大江健三郎氏は、その年の9月に出版した『沖縄ノート』の中で、赤松元隊長の行為を「罪の巨塊」と書いていることもますます私の関心を引きつけた。 作家になるくらいだから、私は女々しい性格で、人を怨みもし憎みもした。しかし「罪の巨塊」だと思えた人物には会ったことがなかった。人を罪と断定できるのはすべて隠れたことを知っている神だけが可能な認識だからである。それでも私は、それほど悪い人がいるなら、この世で会っておきたいと思ったのである。たとえは悪いが戦前のサーカスには「さぁ、珍しい人魚だよ。生きている人魚だよ!」という呼び込み屋がいた。半分嘘(うそ)と知りつつも子供は好奇心にかられて見たかったのである。それと同じ気持ちだった。 ≪ないことを証明する困難さ≫ これも慎みのない言い方だが、私はその赤松元隊長なる人と一切の知己関係になかった。ましてや親戚(しんせき)でも肉親でもなく、恋人でもない。その人物が善人であっても悪人であっても、どちらでもよかったのである。 私はそれから、一人で取材を始めた。連載は文藝春秋から発行されていた『諸君!』が引き受けてくれたが、私はノン・フィクションを手掛ける場合の私なりの原則に従ってやった。それは次のようなものである。 (1)愚直なまでに現場に当たって関係者から直接談話を聴き、その通りに書くこと。その場合、矛盾した供述があっても、話の辻褄(つじつま)を合わせない。 (2)取材者を怯(おび)えさせないため、また発言と思考の自由を確保するため、できるだけ一人ずつ会う機会をつくること。 (3)報告書の真実を確保するため、取材の費用はすべて自費。 今日はその結果だけを述べる。 私は、当時実際に、赤松元隊長と接触のあった村長、駐在巡査、島民、沖縄県人の副官、赤松隊員たちから、赤松元隊長が出したと世間が言う自決命令なるものを、書き付けの形であれ、口頭であれ、見た、読んだ、聞いた、伝えた、という人に一人も会わなかったのである。 そもそも人生では、「こうであった」という証明を出すことは比較的簡単である。しかしそのことがなかったと証明することは非常にむずかしい。しかしこの場合は、隊長から自決命令を聞いたと言った人は一人もいなかった稀(まれ)な例である。 ≪もし手榴弾を渡されたら≫ この私の調査は『集団自決の真相』(WAC社刊)として現在も出されているが(初版の題名は『或る神話の背景』)、出版後の或る時、私は連載中も散々苛(いじ)められた沖縄に行った。私は沖縄のどのマスコミにも会うつもりはなかったが、たまたま私を探して来た地元の記者は、「赤松が自決命令を出したという神話は、これで否定されたことになりましたが」と言った。私は「そんなことはないでしょう。今にも新しい資料が出てくるかもしれませんよ。しかし今日まで赤松が自決命令を出したという証拠がなかったということなんです。私たちは現世で、曖昧(あいまい)さに冷静に耐えなきゃならないんです」と答えた。この答えは今も全く変わっていない。 戦争中の日本の空気を私はよく覚えている。私は13歳で軍需工場の女子工員として働いた。軍国主義的空気に責任があるのは、軍部や文部省だけではない。当時のマスコミは大本営のお先棒を担いだ張本人であった。幼い私も、本土決戦になれば、国土防衛を担う国民の一人として、2発の手榴弾(しゅりゅうだん)を配られれば、1発をまず敵に向かって投げ、残りの1発で自決するというシナリオを納得していた。 政治家も教科書会社も、戦争責任を感じるなら、現実を冷静に受け止める最低の義務がある。(その あやこ)
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http //sankei.jp.msn.com/life/education/071121/edc0711210331001-n1.htm 【正論】再論・沖縄集団自決 現代史家・秦郁彦 良心の欠けた不誠実な弁明 2007.11.21 03 31 ≪2年超の裁判に初出廷≫ 秋晴れの好日となった11月9日、大阪地裁の「沖縄集団自決訴訟」(出版停止等請求)を傍聴してきた。 午前中は原告で座間味島の守備隊長だった梅沢裕元少佐(90歳)、午後は渡嘉敷島の守備隊長、赤松嘉次元少佐の遺族と、被告の作家、大江健三郎氏が出廷して証言した。別名を大江裁判と呼ばれているように、この日のハイライトは2年を超える裁判で初めて法廷に姿を見せた大江氏への尋問シーンだった。 1945年3月の米軍侵攻に際し、沖縄本島沖の周囲十数キロメートルしかない2つの離島で起きた住民400余人の集団自決が守備隊長の命令(軍命)によるのか、米軍の無差別砲撃を浴びパニック状態となった住民が自死を選んだのかが裁判の主要な争点となっている。 大江氏は著書『沖縄ノート』(初版は1970年、現在は第50刷)で、沖縄タイムス社が1950年に刊行した『鉄の暴風』などに依拠して、守備隊長が出した軍命によって集団自決が起きたと断じ、「イスラエル法廷におけるアイヒマンのように、沖縄法廷で裁かれてしかるべき」と論じた。アイヒマンとは、アウシュビッツで200万人のユダヤ人を殺害した責任者として絞首刑に処せられた男だが、守備隊長を「屠殺(とさつ)者」と呼んだ著者は同様の刑を望んだのであろう。 しかし渡嘉敷で現地調査した結果をふまえて書かれた曽野綾子『ある神話の背景』(1973年)で、自決命令がなかったどころか、隊長は島民に「自決するな」と制止していたこと、座間味でも同様だった事実が明らかになるにつれ、『鉄の暴風』に依拠して書かれた『沖縄県史』も家永三郎『太平洋戦争』も、改訂版で軍命説を取り消す。沖縄戦の専門家である林博史教授さえ著書の『沖縄戦と民衆』(2001年)で「赤松隊長から自決せよという形の自決命令は出されていない」と、座間味でも「島の指導者たちが…忠魂碑の前で玉砕するので弾薬をくださいと頼んだが、部隊長(梅沢)は断った」と記述するようになった。 ≪自説撤回の期待裏切る≫ このように、軍命がなかったことはかなり前から専門家の間では定説となっていた。文部科学省が今年春の検定意見で軍命説を排し、教科書会社や執筆者も抗議ひとつせず従ったのもそのためだが、2人の「名誉回復」が遅れたのには秘められた事情があった。 軍命があった形にすれば厚生省の援護法が適用され、自決者の遺族に年金(1人200万円)が支給されるので、村当局に頼み込まれた2人の隊長は世間の悪罵(あくば)に耐え沈黙を守ってきた。だが死の直前に名誉回復を訴えた赤松氏の遺志もあり、今回の訴訟となったのである。事情を知る両島の村民たちが、貧しい村の経済を助けてくれた2人の隊長を「恩人」として遇しているのも当然といえよう。 こうした「美談」を知る大江氏が法廷で自説を撤回、原告の2人に謝罪するハプニングを私は予期しないでもなかったのだが、淡い期待は裏切られた。 ≪まるで「異界人」の説話≫ 大江氏は提訴直後の朝日新聞紙上で「私自身、証言に立ち…その際、私は中学生たちにもよく理解してもらえる語り方を工夫するつもり」と述べていたが、当日の尋問の相当部分は日本語の語義解説に費やされた。「ペテンとは」と聞かれて「人をだますことです」とか、「罪の巨塊」とは「英語のミステリーから借用したが、語源は他殺死体のこと。ラテン語では…(聴きとれず)」といったぐあいで、私の知力を総動員しても理解不能に終わった。 反対尋問での要点を翌日の新聞の見出しから拾うと「訂正の必要ない」(朝日)、「軍の構造体の命令」(毎日)、「論点すり替え」(読売、産経)といったところ。「構造体」とは大本営-第32軍-守備隊というタテの系列を指し、その中で「すでに装置された時限爆弾としての〈命令〉」が実行されたのだという。 さらに「隊長の持っていたはずの夢想、幻想を、私の想像力をつうじて描く小説の手法」だとか、曽野氏以下の大江批判はすべて「誤読」に起因する、と言い張ったときには国語の通じない「異界」の人から説話されている気がした。 もしこうした語り口が法廷戦術の一環だとしても、これほど非常識で不誠実、一片の良心も感じとれない長広舌に接した経験は私にはない。 梅沢氏は「死ぬなと言ったのに集団自決が起きた責任は米軍にある」と述べた。やや舌足らずではあるが、その通りだと私も思う。(はた いくひこ)