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?plugin=ref serial=161 w=300 h=450 製作者 ソラまめ 出場大会 第四回大会 罪状:故意に526人殺したことによる殺人罪 刑期:634年(実質終身刑) 黒瀬は科学タワーに勤める一研究員であった。 気が弱く、強く出られると言い返せず、人の顔色を伺いながら暮らしていた。 その性格が災いしてか、同研究所の上司にはこき使われ、 鬱屈とした日々をすごしていた。 ある日、個人的に研究していた案件の資料がなくなっていた。 黒瀬は狼狽し、自分の机や棚をひっくり返して探すも、見つからない。 だが、上司に押し付けられた仕事も山とある。みつかるまで探したいが、そうもいかない。 きっとどこかにあるはずと自分に言い聞かせ、 その日はそのまま別の仕事にとりかかった。 翌日、研究所は上司が新しい発見をしたと盛り上がっていた。 黒瀬は我が目を疑った。 それは、確かに自分の研究だった。 事態が飲み込めず呆然と立ち尽くす黒瀬。 それをみつけた上司は、にたりと笑ったのだ。 上司の表情を見て確信した。 こいつが自分の資料を盗んだのだと。 黒瀬の中でどす黒い何かが頭をもたげる。 そのときだった。 轟音と凄まじい光、突き上げられるような衝撃。 科学タワーに膨大なエネルギーをもつ雷が落ちたのだ。 あまりの衝撃に、一瞬気を失っていたようだった。 気がついてはじめに目に飛び込んできたのは、金切り声を上げる上司。 何事かと思っていると、突然舌を噛み切り絶命した。 一体何が起こっているのか、必死に思考を巡らす黒瀬。 思い当たったのは、あの時自分が心の中で上司に向けて強く叫んだ、呪詛のような言葉。 『 死んでしまえ 』 と。 黒瀬は人を意のままに操る能力を手に入れたのだ。 それはずっと顔色を伺い、跪くしかなかった抑圧された黒瀬にとって快感だった。 自分を抑圧してきたすべてを、跪かせてやる――― 黒瀬は混乱に乗じて、科学タワーより姿を消した。 それから黒瀬は、対能力者部隊によって特殊収容所に収監されるまで 気に入らなかった者を操り殺害し続け、仕舞いには気分で殺人を続けた。 能力は黒瀬の性格を歪め、手のつけられない殺戮者となっていた。 だが、黒瀬の能力もスーパーコンクリートXの前では無力であり 全面スーパーコンクリートXに覆われた個室に押し込められてからは大人しくしていた。 この独房に押し込められてから、一度も開いたことのない扉の鍵が開いた。 外がどうも騒がしい。 扉を開け様子を伺うと、看守たちは殺され、囚人たちであふれかえっていた。 「なるほど、面白そうなことになってるじゃないか。」 黒瀬はにやあと笑い、囚人たちの波にまぎれこんだ。 【能力】 半径7m以内にいる人を思い通りに操ることができる。複数人可。 相手に対してこうなれ、こうしろと念じた時点で即発動。 操った相手自身は思考できなくなり、木偶人形のようになる。 操った相手を盾にしたり、攻撃させたりも可。 間に障害物があっても能力に問題はない。 ただし、スーパーコンクリートXに全面囲われた部屋から外へは能力を発揮できない。 収監当時から個室にいたため、能力や能力の及ぶ範囲などは他囚人には知られていない。 【武器】 看守から奪った型違いのリボルバー二丁 【弱点】 身を守ることが自分ではできないこと。 護身術程度はできるが、銃弾などが飛んできた場合は周りの人間を操り盾にするくらいしかできない。 普段は攻撃される前に操る。攻撃が最大の防御となる。 【性格】 以前は気弱だったが、能力を手に入れたことにより豹変。 すべてを見下し、気に入らなければおもちゃを壊すように人を殺す。 自分以外の人間は、すべて自分の操り人形になってしまえばいいと考えている。 神経質で、服装は黒を好む。
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陸奥国 会津郡 高久組 下吉田村 大日本地誌大系第31巻 35コマ目 府城の西北に当り行程1里26町。 家数8軒、東西26間・南北42間。 四方田圃(たんぼ)なり。 東10間・南2町27間、共に上吉田村の界に至る。その村は巳(南南東)に当り5町4間。 西・北、共に村際にて界沢村に界ふ。その村は戌(西北西)に当り7町余。 寺院 善福寺 村中にあり。 真言宗雷電山と號す。 本寺村恵日寺の末山なり。 文明の頃(1469年~1487年)隆空という僧草創せり。 その後衰廃せしを慶長中(1596年~1615年)宥秀という僧中興せり。 本尊地蔵客殿に安ず。
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陸奥国 会津郡 高久組 上高野村 大日本地誌大系第31巻 36コマ目 府城の西北に当り行程1里。 家数39軒、東西1町59間・南北3町56間。 米沢街道の左右に住し、四方田圃(たんぼ)なり。 東3町18間沼木村の界に至る。その村まで5町20間余。 西2町57間中地村の界に至る。その村まで5町20間余。 南4町21間府下西黒川達磨分の地に界ふ。 北4町42間鶴沼村の界に至る。その村まで8町余。 また 巳(南南東)の方4町13間中明村の界に至る。その村まで11町40間余。 未(南南西)の方の1町36間平沢村の界に至る。その村まで7町20間余。 亥(北北西)の方5町50間下高野村の界に至る。その村まで8町40間余。 神社 丘降神社 祭神 不明 倉稲魂命? 相殿 伊勢宮 稲荷神 山王神 明神 鎮座 不明 村の戌亥(北西)の方1町20間にあり。 祭神及び鎮座の始を詳にせず。 或云。倉稲魂命祭れりと。 鳥居幣殿拝殿あり。高久村黒沢縫殿之助が司なり。 ※読み方は「丘降(おかふり)神社」。 寺院 西方寺 村中にあり。 曹洞宗無量山と號す。 天文8年(1580年)浄土宗の僧傳長という者開基せり。 文禄元年(1593年)寒首座という僧住してより今の宗に改め、天寧村天寧寺の末寺となる。 本尊地蔵客殿に安ず。 Google Map高野地区 高野神社(丘降神社) 西方寺 大天白神社 メモ 大天白神社と聞きなれない神社ですが、軽く調べてみると埼玉県羽生市にも同名の神社があるようです。 関連は分かりませんが、羽生市にある大天白神社では大山祇命・大己貴命・少彦名命の三柱を祭っています。 追加 上高野地区について詳しい説明を見つけたので引用します。 永和の暮らしと歴史(会津若松市) 幕末、会津藩主の松平容保が京都守護職時代、禁門の変で亡くなった「上高野村伊藤伝助」の墓が京都黒谷の光明寺にあります。村東にある西方寺は、天文8年(1539)に建てられています。高野神社は、『会津鑑』によると、「里老の伝に、この神社、天文(てんぶん)年中の洪水にて、神の祠が漂い来て、この丘に留まる故に、丘降(おかふり)神社」という」と書かれています。そのことから、天文年間の大洪水、『会津旧事雑考』にある天文5年(1536)6月28日にあった「白鬚(しらひげ)大水」をさすもので、会津最大の洪水とされ、大川の流れが、それまで本郷から新鶴方面に流れていものが、本郷から塩川方面へ北に流れを変えた他大洪水のことです。集落の中心部には、「湯殿山」の石碑があります。明治2年(1867)に、会津藩の名書家だった星研堂によって書かれ建てられたものです。星研堂は、会津戦争で若松城に籠城し、息子は戦死しています。その後、開城後に塩川送りとなり、塩川代官所・現在の塩川小学校にいて、学問所として設置された「日新館」で書を教えていました。若松と塩川との往復時に、米沢街道の本街道が通る上高野では、村人が会津戦争の慰霊のためにと頼み込んだものです。星研堂は、その年亡くなり、墓が塩川町の阿弥陀寺にあります。 ※引用元ですが下高野の説明文が上高野の中に混ざってしまっています。担当の方、気づいて! 丘降神社は高野神社に合祀されているようです。
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陸奥国 会津郡 高久組 上吉田村 大日本地誌大系第31巻 35コマ目 府城の西北に当り行程1里24町。 家数18軒、東西1町18間・南北1町30間。 四方田圃(たんぼ)なり。 東は村際・北5町、共に下高野村に界ふ。その村は寅(東北東)に当り7町20間余。 西7町33間横沼村に界ひ黒川を限りとす。その村まで12町10間。 南3町37間中地村の界に至る。その村は巳(南南東)に当り8町20間。 また未(南南西)の方4町23間神指村の界に至る。その村まで11町10間余。 亥(北北西)の方5町33間下吉田村の界に至る。その村まで5町40間余。 山川 黒川 村の申(西南西)の方3町余にあり。 神指村の界より来り、屈曲して西北に流るること8町30間、界沢村の境内に入る。 水利 吉田堰 中地村の方より来り田地に注ぎ下高野村の方に注ぐ。 清水堰 村西にて黒川を引き界沢村の方に注ぐ。 Google Map地蔵尊 稲荷神社及び末社熊野神社
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皆私たちの事を恐れ敬い称え奉っているんだよっ! よっ! んなわけねーだろうが・・・。 【名前】 黒瀬朱里・朱利(くろせしゅり) 【容姿】 二人ともにダークオレンジの髪、ブラックレッドの双眸 姉の朱里は背中まで伸ばしたロング、妹の朱莉は肩に掛かる程度のショートヘア 髪飾り一つつけず、髪型以外の違いは分かり辛い 小学校の制服のようなスカートとシャツを着ており 胸元には大きく括られた紅色のリボン 黄色い帽子とランドセルが無くとも、姉妹が幼い少女であることは一目瞭然だろう 常にお互いの右手と左手を握り合っており、二心同体のような印象を与える どうやら双方利き手の方では握り合っていないようだ 【能力】 ・能力名:皇合成(スペース・オア・オールチェンジャー) 彼女たちは二人いるが、二人合わせて一つの能力しか使用することは出来ない これは創作者自身も意外だったようだ(双子を“創作”したので、当然の結果ともいえるが) つまりどちらかが欠けたりすると使用不可能になると思われる ただし、“状況に変化が訪れる”事が類稀なる為、断言は不可能 能力は、“お互いの利き手の掌で触っている物を合成させる能力” 往々にしてこの合成には物理法則は届かず、合成されたものにのみ物理法則は影響される 掌が触れてさえ居れば、どんな大きなものでも可能だが、意思を持った生物“同士”では不可能(生物x無機物は可能) 合成されたものは、元と成るもののお互いの長所(と、姉妹たちが考えているもの)を お互い発揮できるようになる合成であり、短所は出来る限り小さくなる様に成っている また、合わさりえないものである場合、長所の優先が優先される(パンと電池だと、電流が通うパン、ちゃんと食べられます) ただし、作り出したものを姉妹が“知っている”訳ではなく、ただ“出来た”だけであるため 想像を遥かに超える物体になったり、突然液体と化したりすることも有り得る 戦闘には余り向いていないが、合成速度は創作者のそれを越える一瞬であるため 銃弾などは不可能でも、遅い魔法程度なら“合成”されて勢いを消すことも可能 姉妹たちによって作られるものは、もっぱら未知物質である為 研究に重宝される 【概要】 姉妹たちはお互いに非常に仲がよく、また年頃ゆえ誰とでも懐く 好奇心を何よりも筆頭に考え、作り、造り、創る 姉妹の行動力には創作者も一目置くものがあり、高い評価を得ている また、組織内を和ませるムードメーカーとしても程よく活躍している その性格が実験の効率を上げているとともに、計画などでは足を引っ張る要因となるが なんだかんだ言って、皆が彼女たちの事を鬱陶しく思わないのは やはりそれも性格ゆえのことだろう ついでに、二人とも当然のように頭がいい なのに組織内では馬鹿と呼ばれ、本人たちもそれで良いと考えている つまり誰も本気で彼女たちを馬鹿だとは思っていないのであろう 【組織内地位】 化学実習班最高権力者および錬金術課最高顧問 理由は実験において最高の結果、未知の結果を起こし続ける為 【口癖】 同時発言、口癖ではないが 【絡み履歴】 無し
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陸奥国 会津郡 高久組 天満村 大日本地誌大系第31巻 32コマ目 この村にもと天満宮あり。村名これに因れりという。 府城の西北に当り行程24町。 家数23軒、東西48間・南北1町39間。 南は西城戸村に続き三方田圃(たんぼ)なり。 東は村際にて西城戸村に界ふ。 西1町20間小見村の界に至る。その村まで3町。 北4町6間高瀬村の界に至る。その村まで10町40間余。 また丑寅(北東)の方2町48間東城戸村の界に至る。その村まで7町20間。 山川 応湖川 村の丑寅(北東)の方20間にあり。 東城戸村の境内より来り、北に流るること1町30間余、高瀬村の界に入る。 土産 晒木綿 この村にて製するもの佳なり。 俗に天満晒という。 水利 天満堰 西城戸村の方より数派となり田地に灌ぐ。 神社 十二天神社 祭神 天神地神十二代の神 相殿 伊勢宮 鎮座 不明 村の戌亥(北西)の方1町50間にあり。 この社は天神・地神12代を祭れり。 相伝て、久壽2年(1155年)三浦大輔義明、下野国那須郡の狐退治の時祈誓しその功成りしかば、報賽のためにこの社を建立せりという。 鳥居あり。五之町修験常蓮院これを司る。 Google Map十二天神社 余談 那須郡の狐退治の狐とは玉藻前(たまものまえ)の事かと思われます。 詳しい説明はwikipediaの玉藻前の記事に任せますが、メンバーの一人に三浦介義明の名前が挙げられています。 河沼郡野沢組縄沢村の寶物の中に彼が狐退治に使った脇指「狐丸」が伝わっています。
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陸奥国 会津郡 高久組 平沢村 大日本地誌大系第31巻 33コマ目 往古は村居の地高く前に広き沢ありて水湛えし故(ゆえ)広沢村という。また月を賞するに佳なりし故月見の里とも名けしとぞ。いつの頃よりか沢埋み平地となりしにより今の名に改めしという。 旧村西2町40間にあり。何の頃にか洪水を患てここに移せり。 府城の西北に当り行程28町余。 家数23軒、東西1町・南北2町、四方田圃(たんぼ)なり。 東1町54間府下西黒川達磨分の地に界ふ。 西3町16間高瀬村の界に至る。その村まで8町30間余。 南5町31間西黒川小黒川分の地に界ふ。 北5町上高野村の界に至る。その村は丑(北北東)に当り7町20間余。 また亥(北北西)の方2町39間中地村の界に至る。その村まで7町10間余。 端村 新田 本村の未(南南西)の方1町10間余にあり。 家数2軒、東西50間・南北22間。 西は黒川に臨み三方田圃なり。 山川 黒川 端村新田の西にあり。 小黒川分の境内より来り、高瀬村の地を経て北に流れ、中地村の界に入る。 この村の境内を経ること10町40間。 応湖川 村西2町30間にあり。 高瀬村の境内より来り、北に流るること5町20間余、村西にて黒川に入る。 広2間。 土産 甜瓜(てんか) この村より産するもの味美なり。 会津郡橋爪組栢原村の産につく。 水利 平沢堰 達磨分より来り田地に灌ぎ上高野村の方に注ぐ。 中地堰 端村新田の西にて黒川を引き中地村の方に注ぐ。 寺院 国姓寺 村中にあり。 広沢山と號す。 文禄元年(1593年)林廓という僧草創す。 本郡南青木組天寧村天寧寺の末山曹洞宗なり。 本尊釈迦客殿に安ず。 観音堂 境内にあり。 会津三十三所順禮の一なり。 古蹟 館跡 村より寅(東北東)の方2町10間余のあり。 35間四方、隍の形遺れり。 元亀(1570年~1573年)・天正(1573年~1593年)の頃には二国若狭實国という者居りしという。 今田圃を開けり。 Google Map広沢山国姓寺(平沢観音)
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【ポジション】 … 二塁手 【所持金】 … 100円 【評価】 スカウト … 監督 … 【持ち物】 【所持カード】 【備考】
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陸奥国 会津郡 高久組 如来堂村 大日本地誌大系第31巻 29コマ目 昔村南に阿弥陀堂あり。村名これに因りしという。 旧本郡中荒井組下荒井村の端村にて鶴沼川の西にあり。何の頃にか格村となり、寛永13年(1636年)洪水を患て今の地に移せりという。 府城の北西に当り行程30町。 家数18軒、東西1町29間・南北1町29間。 神指城迹の中未申(南西)の隅にあり。 東1町30間高瀬村の界に至る。その村は丑寅(北東)に当り7町20間。 西1町40間本郡中荒井組蟹川村の界に至る。その村は未申(南西)に当り10町余。 南50間小見村の界に至る。その村まで4町50間余。 北2町20間神指村の界に至る。その村まで7町30間余。 水利 小見堰 小見村の方より来り、数派となり田地に灌ぐ。 神社 八幡宮 祭神 八幡宮? 鎮座 不明 村南30間経にあり。 鳥居あり。村民の持なり。 寺院 観音堂 八幡宮の東にあり。 創建の始を知らず。 昔は弥陀を安ず。 村民の持なり。 Google Map八幡神社 神指町如来堂 新選組殉難の地 斉藤一本陣跡(如来堂)
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陸奥国 会津郡 高久組 西城戸村 大日本地誌大系第31巻 32コマ目 府城の西北に当り行程24町。 家数23軒、東西1町15間・南北1町10間。 北は天満村に続き三方田圃(たんぼ)なり。 東8町9間府下西黒川小黒川分の地に界ふ。 西6間・南46間、共に天満村に界ふ。 また丑寅(北東)の方4町18間東城戸村の界に至る。その村まで8町。 巳(南南東)の方1町12間西柳原村の界に至る。その村まで8町40間余。 山川 応湖川 村東2町50間にあり。 西柳原村の境内より来り、北に流るること2町50間余、東城戸村の界に入る。 水利 西城戸堰 西柳原村の方より来り、田地を潤し天満村の方に注ぎ、天満堰という。 東城戸堰 村より東の方にて応湖川を引き、小黒川分の地を経て東城戸村の方に注ぐ。 神社 稲荷神社 祭神 天満宮? 相殿 伊勢宮 鎮座 不明 村の丑寅(北東)の方40間にあり。 鳥居拝殿あり。諏訪神社の神職笠原幸之丞が司なり 寺院 延命寺 村中にあり。 天台宗、開基詳ならず、昔は浄土宗なりしという。 天文21年(1552年)天台の僧春玄という者住せり。 時に村東に小沼あり夜毎に光明を発す。怪しみ行て見れば地蔵の銅像出現せり。即霊瑞に因て本尊とし地蔵山延命寺と號し春玄を中興の祖とす。 郭内延壽寺の門徒なり。 本尊地蔵、長1尺5寸、客殿に安ず 観音堂 境内にあり。 Google Map稲荷神社 延命寺 稲神社(小さい!)