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「是非もない」 プロフィール 名前:黒瀬恭介 身長:179cm 体重:77kg 年齢:30歳 家族構成:なし(天涯孤独) 趣味:なし 職業:殺し屋 流派:和澄流剣術 武器:中型メタルブレード+脇差「八葉」 異名:「黒装束」 好きな事:バイク 嫌いな事:酒 一人称:俺 + ストーリー 政府お抱えの3人の殺し屋「仮面」「白装束」そして「黒装束」の恭介。 3人居た内、初老の殺し屋「仮面」が引退直前に始末したターゲットから2つの情報が得られる。 1つは長年追っていた少年少女拉致集団の特定。 もう1つはその拉致集団との繋がりがある、人体改造組織の発見だった。 表向きでは義手義足といった医療義肢メーカー「ジェミニ義肢製作所」となっていたが、 調べてみると裏で出回ってる物は義肢を名乗るには過剰とも言える強力な出力を誇る物であり、 それを用いて人体を機械化した、所謂サイボーグを産み出していた。 今回ターゲットになった相手は、拉致集団の一員でありながら人体の大半を機械化した人物。 これほどまでに凶悪な組織が今まで判明しなかったのは、 サイボーグや強化人間と化した拉致集団が露払いをしていたからであった。 「殺し屋」という物騒な仕事を政府が抱えてる、なんて事は世界的に見ても当然少ない事例であり、 今回「仮面」が担当した仕事も海外からの依頼任務であった。 引退後の「仮面」にも暫くの間監視が続いていたが、ある日彼は4本腕のサイボーグの襲撃を受け殺されてしまう。 サイボーグの男は監視の者にも気付いており、警告をした後にその場から去る。 こちらが情報を掴んだのと同じように、相手側にもこちらの情報を掴まれていたのだった。 残った殺し屋2人にはそれぞれチームを割り振られる。 「白装束」はジェミニ義肢製作所の調査及びトップの人物の制圧、必要に応じて殺害。 そして「黒装束」の恭介は拉致集団の無力化。 これまでにない強大な相手に、これまでにない大仕事。 だからと言って、彼の仕事に変わりはない。 + 裏設定 和澄流剣術は元々は政府要人の護衛の為に編み出された剣術。 比較的新しい剣術で、恭介の2代前の人物「和澄啓吾」が開祖。 恭介は3代目師範代。 啓吾の娘であり、2代目師範代でもある「和澄美沙」という女性の元で、恭介は剣術を学ぶ。 成人となり、数々の技を体得した恭介は、美沙の仕事のサポート役として働く事となる。 しかし数年が過ぎたある時、政府要人の暗殺を仕掛けてきた相手を返り討ちにした所、暗殺者は小型爆弾による自爆を決行。 爆弾にいち早く気付いた美沙は要人と恭介を庇い、爆発に巻き込まれて死亡する。 美沙の死を啓吾に報告すると、啓吾は恭介に技の全てを伝授する。 美沙には子供がおらず、血筋での継承者は居ない。 更に啓吾は年齢的に肉体の衰えも自覚しており、技を伝授できるタイミングは今しかなかった。 啓吾は美沙にも教えていなかった技、和澄流剣術の中でも「暗殺剣」に属する技を恭介に教える。 こうして恭介は和澄流剣術を継承する事となった。 美沙に命を救われた要人「九鬼重正」は恭介を「外道となった者を外道の法を以って殺す」為の機構にスカウトする。 そこは誰にも知られないように裏に潜む機構「外法局」。 暗殺術を用いて世の様々な外道を地獄に送る為の組織であった。 美沙が守っていた重正こそ、啓吾に武術や暗殺術を伝授した本人だった。 啓吾はこの技術の中でも刀剣技術を磨き、彼を護衛する為の流派にしたのだ。 しかし重正も、自身が殺し屋として暗殺技術を振るうには歳を重ねすぎていた。 現在の殺し屋は仮面をつけた初老の男1人だった。 恭介は外法局の「実動課」に配属され、殺し屋として活動する事となった。 性質上、仕事中は本来の名を隠し、クライアント側もまた恭介の名を呼ばない取り決めとなっている。 恭介は自身の苗字にある「黒」の文字から、「黒装束」と名乗る事となり、黒い衣服に身を包む。 + その他設定・性格など 表向きはバイトを転々としている優男を演じている。 ただしバイト先としている職場も外法局の息のかかった場所であり、 ガソリンスタンドの店員から漁師、風俗店の受付まで、一見関連の無い職場だが、 クライアントも客を装って殺しの仕事を依頼する事が多い。 転々としている都合上、非常に多くの免許を持っており、工事用特殊車両からセスナまで、 あらゆる乗り物を運転できる。 美沙とは師弟を超えた恋人同士であり、婚約関係にあった、 もし彼女が生きていれば、2人の子が和澄流を継いだかもしれない。 外法局には実動課の他に、 武器等の装備を用意する「武装支援課」 ターゲットの情報を調査する「情報課」 死体処理を行う「始末課」 暗殺術の指導を行う「指導課」等がある。 重正は指導課の人間、実質ただ1人の指導者。 指導は基本1対1で行い、他の立会人は居ない。 裏切りや精神崩壊による暴走等で、殺しの技術を持つ人間が敵に回った場合を想定して、 殺し屋同士に手の内を明かさない為である。 元々はエウロが産まれた研究所の前身である非合法組織の強化人間研究所、通称「開発室」の被検体。 非検体は孤児やホームレス等を拉致したものであり、恭介は日本人の拉致被害者で当時15歳。 肉体強化の際に過去の記憶は全て失っており、殺戮マシーンとして日本の犯罪組織に売られる。 恭介はこの時点では記憶の無いだけの少年であり、技術は組織に入ってから教え込む予定だった。 その取引のタイミングで、当時まだ現役の暗殺者であった重正の手によって取引人は全滅させられる。 敵意も戦力もない恭介は一旦放置され、重正はそのまま組織の本拠地に入り込み全員殺害 (組織の本拠地が相手だったので、当時の他の殺し屋と組んで実行)。 ここで強化人間の事、先の少年が肉体強化された人間である事、仮の戸籍として用意された「黒瀬恭介」という名を知る。 重正は少年にトドメを刺すか否かで迷ったが、最終的に用意されていた仮の戸籍をそのまま与え、啓吾に預ける事となる。 皮肉にも恭介はその身体能力を駆使して剣を振るう殺し屋となってしまった。 ここから「開発室」、現在に於ける「ジェミニ義肢製作所」との因縁が始まる (エウロの情報をいち早く掴んだのも、ここを調査していた為)。 拉致される前の本名は不明。 強化人間である恭介は強靭な筋肉を持ち、更にかなり絞られた肉体として改造されている (開発室での肉体改造は成長期である十代半ばに施され、成人する頃に身体が完成していく仕組み)。 重正曰く「恭介が殺し屋として10点としたら、全盛期の私でも8点が限度」との話である。 しかし同時に、雪絵に対しては「10点でも5点でも0点でもない、底知れぬ何かを感じる」とも語っている。 確かに身体能力としては間違いなく恭介の方が高いはずである。 殺しの仕事と平穏な日常との切り替え能力、ターゲットへの容赦の無さ、それでいて殺しに個人の感情を持ち込まない点等。 甲乙つけがたい部分はあるが、雪絵が恭介や重正と比べても圧倒的に発達している部分が、「嗅覚」とも言えるセンスである。 凶器・麻薬・盗聴器といった犯罪道具や、凶悪な思考の持ち主に対しては特に敏感。 ただし、これに関して重正が雪絵に聞いても「私が敏感なのは精液の臭いだけですね」とはぐらかされている。 酒を嫌ってるわけではないが、肉体改造の過程でアルコールを含めた毒類に対して耐性を得てしまっており、酔う事ができない。 酒の美味い不味いの判断こそできるものの、酒に対して楽しみを見出せないので好きではない。 概要 azu氏のオリジナルキャラクター第10弾。2021年12月Ver.1.00公開。 ボイスは宇龍東助氏。 闇社会に生きる政府お抱えの殺し屋の内の1人で、林雪絵の同僚である「黒装束」その人。 「男の娘」「ゴリラエルフ」「落ちこぼれ魔人」「マゾ神父」「無気力」に続く、政府公認の殺し屋という設定の初のまともな男性キャラ (もっともazu氏のオリキャラは総じてイロモノ成分高めなのもあるが)。 性能 裏回りや三角飛び、ワープなど相手を攪乱する戦術に特化した忍者タイプ。 飛び道具は持たず、ダウン追い打ちもできないため一撃離脱が基本となる。 雪絵とは同業者と言う事もあって同じような挙動が可能。 つまり速めのランタイプのダッシュ、大小ジャンプを使える。 またYを押しながらジャンプすると大ジャンプ、Zを押しながらジャンプすると中ジャンプを出せるようになっている(雪絵も同システムが実装された)。 地上中段こそないものの、中ジャンプからの強襲が安定して出せる他、 豊富な攪乱方法や空対地投げでどんどん崩していける。 反面、コンボ能力として見ると地上チェーンがあるくらいで、その点は壁運びから連続コンボを狙える雪絵には若干劣る。 必殺技の殆どが相手に近付くタイプの技なので、グレルやエルヴィンのように遠くで自発的にゲージを稼ぐといった手段も取れない。 ただし6Aの裏拳に飛び道具打ち消し効果があり、打ち消した際のゲージ回収量が高めに設定してあるようで、相手次第ではガッツリ稼ぐ事も可能。 + 必殺技 朧薙 前進しながら斬り付け、ヒットすると追撃を放つ突進技。 B版とC版があり、B版はコンボに組み込める早さ。 C版は遅いが、相手が移動距離内に居る場合は裏に回ってから斬る。 月断 飛び上がる対空攻撃。 雪絵の技と似通った性能だが、武器サイズの分判定は強め。 霞移 一瞬で相手の手前上空までワープする技。 いかにも奇襲用だが無敵は無く、ワープ後も一瞬だけ行動できないタイミングがあるので、読まれないように出したい。 雲斬 空中から地上の相手を掴んで背面を斬る技。崩しのメイン。 上記の霞移や三角飛びの他、小・中ジャンプから出すのも強力。 ただし小・中ジャンプからの場合、頂点付近で出さないと掴めないようなので、少々慣れが必要か。 + 超必殺技 虎牙 突進から連続攻撃を繰り出す、B版朧薙の強化版のような技。1ゲージ消費。 相手を斬り抜けた後に蹴り上げ、首折り、斬り下ろしといった流れ。 彼自身は忍者ではなく殺し屋・暗殺者のカテゴリになるのだが、 闇に紛れて少ない手数で仕留める様は、忍者よりも忍者している。 鷲爪 空中の相手を掴む空中投げ。1ゲージ消費。 壁に叩きつけブレードを突き刺し、蹴り上げて吹っ飛ばした後に飛んできたブレードをキャッチ。 失敗時は即暗転が入るが、成立時は掴んで画面から消えたタイミングで暗転が入るといったニクい演出も。 黄泉路 やや斜め上方向に飛び上がる空中ガード不能技。2ゲージ消費。 月をバックにしながら、セルザード以来となる画面前面に移動してくるような演出。 目を見開き、脇差を抜き、地面を踏み抜くといった3弾カットの後に、一瞬で近付き両断する。 月ごと斬っているような力の入った演出が格好いい。 AIは未搭載だが、カサイ氏による外部AIが公開中。 付録として専用ステージ「芹沢邸」も付属している。 カサイ氏AI&ステージ プレイヤー操作 「…ここまでだ。残念だったな」 出場大会 ○○限定 IKEMEN対戦会 【MUGEN大祭】特盛りシングルトーナメント プレイヤー操作 実況付きP操作 Tarie配信(164キャラ目操作キャラ)
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黒瀬真奈美をお気に入りに追加 黒瀬真奈美とは 黒瀬真奈美の52%は成功の鍵で出来ています。黒瀬真奈美の36%は度胸で出来ています。黒瀬真奈美の12%は運で出来ています。 黒瀬真奈美@ウィキペディア 黒瀬真奈美 黒瀬真奈美の報道 【東宝シンデレラ】人気ランキングTOP8! 第1位は沢口靖子さんに決定!【2021年最新投票結果】(1/2) | ねとらぼ調査隊 - ねとらぼ 長澤まさみと上白石姉妹の決定的な違い…「東宝シンデレラ」が2分化した理由 - 現代ビジネス 開催は1984年からたった8回、「東宝シンデレラ」オーディション出身女優が一流であり続けるワケ - 現代ビジネス 東宝シンデレラの黒瀬真奈美が活動休止 学業優先で - ORICON STYLE 黒瀬真奈美、16歳限定イベントで可憐な歌声を初披露 - ナタリー 黒瀬真奈美、『16才』を記念して16歳を御招待 - BARKS 黒瀬真奈美、アニメ『ヤッターマン』で声優に初挑戦 - BARKS 黒瀬真奈美、「不器用で素直になれない恋心を詩に」 - BARKS 東宝シンデレラ 黒瀬真奈美 デビューシングル「オモイデ星/笑って」 2008年8月13日発売!! - PR TIMES (プレスリリース) 東宝シンデレラ“黒瀬真奈美”、この夏CDデビュー! - BARKS 東宝シンデレラの黒瀬真奈美が上海で初々しくレッドカーペットデビュー - シネマトゥデイ 長澤まさみに続け!14歳の東宝シンデレラ黒瀬真奈美独占告白 - シネマトゥデイ 黒瀬真奈美をキャッシュ サイト名 URL 黒瀬真奈美の掲示板 名前(HN) カキコミ すべてのコメントを見る 黒瀬真奈美のリンク #blogsearch2 ページ先頭へ 黒瀬真奈美 このページについて このページは黒瀬真奈美のインターネット上の情報を時系列に網羅したリンク集のようなものです。ブックマークしておけば、日々更新される黒瀬真奈美に関連する最新情報にアクセスすることができます。 情報収集はプログラムで行っているため、名前が同じであるが異なるカテゴリーの情報が掲載される場合があります。ご了承ください。 リンク先の内容を保証するものではありません。ご自身の責任でクリックしてください。
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[部分編集] 【黒瀬 ゆうこ(くろせ ゆうこ)】 プロフィール リンク 関連グッズ ▼レビュー +... ・ 【黒瀬 ゆうこさんの出演作品】 私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!
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2度目の参加。 初参加で引き裂かれたカッパのリベンジなるか!?
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安芸西条(黒瀬)郵便局 郵便番号:〒739-26・〒739-27(元は安芸西条(下黒瀬)郵便局が集配) 集配地域:広島県東広島(ひがしひろしま)市の旧・賀茂(かも)郡黒瀬(くろせ)町のうち旧々・賀茂郡中黒瀬(なかくろせ)村域、旧々・賀茂郡乃美尾(のみのお)村域、旧々・賀茂郡下黒瀬(しもくろせ)村域および旧々・賀茂郡上黒瀬(かみくろせ)村のうち黒瀬町南方(賀茂精神医療センター)域。 1.jpg 黒瀬郵便局局舎 2.jpg 黒瀬郵便局取集時刻掲示 達成状況[20**年*月**日現在] 普通のポスト ●マッピング済**本。撤去**本。 コンビニポスト ●マッピング済**本。撤去**本。 ポスト考察 ●編集中 ポスト番号考察 ●編集中 設置傾向考察 ●編集中 取集時刻考察 ●編集中 取集ルート考察 ●編集中 時刻などの掲示 ●編集中
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陸奥国 会津郡 高久組 鶴沼村 大日本地誌大系第31巻 35コマ目 昔この邊に鶴沼という沼あり。村名これに因るという。 府城の西北に当り行程1里19町余。 家数15軒、東西1町2間・南北1町15間、四方田圃(たんぼ)なり。 東1町36間沼木村の界に至る。その村は辰(東南東)に当り11町50間余。 西6町10間下高野村の界に至る。その村まで4町余。 南4町42間上高野村の界に至る。その村まで8町余。 北1町51間余木流村の界に至る。その村まで8町10間余。 また 戌亥(北西)の方4町12間東森台村の界に至る。その村まで6町10間余。 水利 平沢堰 上高野村の方より来り数派となり田地に灌ぐ。 寺院 松明寺 村中にあり。 曹洞宗鶴沼山と號す。府下材木町秀長寺の末寺なり。 元和2年(1616年)行脚の僧来て一宇を草創せしという。 後無住となりしを葉山という僧中興し地蔵を本尊とし客殿に安ず。 Google Map松明寺 鬼渡神社
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陸奥国 会津郡 高久組 深川村 大日本地誌大系第31巻 30コマ目 府城の西に当り行程26町余。 家数23軒、東西1町・南北44間。 四方田圃(たんぼ)なり。 東29間・北4町13間、共に西柳原村の界に至る。その村は東に当り5町10間余。 南は村際・西1町2間余、共に幕内村の界ふ。その村は巳(南南東)に当り4町余。 また戌亥(北西)の方4町10間鍛治屋敷村に隣り、その村際を界とす。 水利 飯寺堰(にひでらせき) 幕内村の方より来り、数派となり田地に灌ぐ。 神社 伊佐須美神社 祭神 伊弉諾尊・伊弉冊尊 相殿 伊勢宮 稲荷神 鎮座 不明 村中にあり。 土人子安神と称して産婦の安全を祈る者多し。 もとは村北2町余にありしが、承應2年(1653年)今の地に移しき。 社跡に橡樹(とちのき)あり。囲1丈4尺・高8丈計。枝葉繁茂(はんも)して方20間の地を蔽(おお)う。 鳥居幣殿拝殿あり。 神職 高野石見 延享2年(1745年)内膳秀富という者この社の神職となりき。 今の石見秀道が父なり。 Google Map深川 村社 伊佐須美神社
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陸奥国 会津郡 高久組 神指(かうざし)村 大日本地誌大系第31巻 27コマ目 昔融大臣に仕えし秦何某という者故(ゆえ)ありてこの地に来り。住所を定めんことを山王権現に祈りしに、一老翁夢中にあらはれ指示て言う。ここより北の林中に異香(いきょう)(*1)の樹あるべし、これ村民を開き耕耘(こううん)の起すべき地なり、といい終わて夢さめぬ。行て見るに果て異香樹あり。よりて田圃(たんぼ)を開き一村をたつ。故に初めは香指村と書しに何の頃よりか今の字に改めしといい伝う。今も田圃の字に山王権鳥居田などいう所あり。 この村もと上神指より亥(北北西)の方6町にあり、正保3年(1646年)3区に分る。 府城の北西に当り行程1里。 南を上神指という。家数28軒、東西2町10間・南北2町15間。四方田圃にて西は鶴沼川に近し。 ここより2町10間北を東神指という。家数27軒(内2軒上神指の民居に雑はる)、東西55間・南北2町20間。四方田圃なり。 ここより8町30間余戌(西北西)の方を下神指(寛文の頃(1661年~1673年)までは中丸神指という)という。家数17軒、東西1町18間・南北1町32間。西は鶴沼川に傍(そ)ひ三方田圃なり。 東5町10間中地村の界に至る。その村まで9町30間。 西11町6間本郡中荒井組真渡村に界ふ。 南5町12間如来堂村の界に至る。その村まで7町30間余。 北は村際にて横沼村に界ふ。その村まで40間余。 また亥(北北西)の方6町32間高久村の界に至る。その村まで8町30間余。 端村 横沼 下神指の丑(北北東)の方1町20間余にあり。 家数3軒、東西35間・南北20間。 東南は田圃にて、西北は横沼村に続く。 榎壇新田(えのきだんしんでん) 東神指の寅(東北東)の方2町10間にあり。 家数17軒、東西48間・南北1町12間、越後街道の左右にあり四方田圃なり。 寛永2年(1625年)開けり。 この村の北壇上に榎の古木あり、因て名けり。 山川 鶴沼川 俗に大川という。下同 上神指より申(西南西)の方3町50間にあり。 本郡中荒井組蟹川村の境内より来り、北に流れ真渡村の界に入る。 この村の境内を流ること24町30間。 黒川 端村榎壇新田の東2町にあり。 中地村の境内より来り、北に流るること5町10間余、上吉田村の界に入る。 水利 神指堰(かうざしせき) 上神指の申(西南西)の方にて鶴沼川を引き数派となり田地に灌ぐ。 高久堰 上神指の申(西南西)の方にて鶴沼川を引き高久村の方に注ぐ。 神社 住吉神社 祭神 住吉神? 鎮座 不明 東神指の東1町30間余にあり。 昔は社頭もやや大なりしが、漸々に破壊して今は小社となれり。 鳥居拝殿あり。正法寺司る 稲荷神社 祭神 稲荷神? 勧請 不明 上神指の亥(北北西)の方3町20間にあり。 鳥居あり。照明寺司なり 寺院 極楽寺 下神指にあり。 蓮台山と号す。府下道場小路の末寺真言宗なり。開基の年月を詳にせず。 慶長の初め(1596年~)火災に罹り院宇燒亡す。 後何の頃にか春覺という僧住してより相続いて今に至る。 本尊大日客殿に安ず。 漏泉碑 境内にあり。高5尺5寸余。 享和2年(1802年)洪水ありて居民の墓を決し、髑髏許多(あまた)を漂流せり。水復して後索(もと)め聚めてここに埋め、府金を出し碑を立てこれを表せしむ。篆額(てんがく)に漏泉碑の三字、その下に左の運を彫れり。 正法寺 東神指にあり。 吉禮山と号す。真言宗なり。草創の初を伝えず。 昔は住吉神社の社僧なりしという。元和中(1615年~1624年)府下大町弥勒寺の末寺となりし。 本尊弥陀客殿に安ず。 照明寺 上神指にあり。 曹洞宗福聚山と号す。本郡南青木組小田村寶積寺の末山なり。 開基詳ならず。 慶長元年(1596年)雲室という僧中興せり。 客殿に観音を安じ本尊とす。 文殊堂 客殿の西にあり。 墳墓 石塔 村西2町計にあり。 高2尺。 『法德女天正十五丁亥六月十二日死 延享二丑年迄百五十九年』と彫付あり。 皆川掃部介某という者の母の墓なりという。 ※天正15年=1587年、延享2年=1745年。159歳?? 古蹟 いたみ堂 上神指の北6町余にあり。何の頃にか彼堂社と出羽国米沢下永井小松という処に移し「御いたみ」と云いしとぞ。ここに高8尺余・周13間の檀あり。何の謂れを知らず。陶器のかけたるを得ることあり。 この南に八坊趾(はりはうし)という字あり。これも昔堂社ありし時坊中八宇ありし故(ゆえ)によれりという。 法然原(ほうねんはら) 東神指の東にあり。 数村に亘りて濶狭量るべからず。 相伝う。藤原秀衡深く法然を慕しかば、法然自らその像を摹(も)せしめ相賜りしに、負者ここにいたりて奇特のことありければ、遂に一宇を建立し来迎院と号しこの像を安置せり。その後衰廃せしを、永禄中(1558年~1570年)京師百萬遍の住僧岌州爰(ここ)に来り時、盛氏に告て像を府下五之町高巌寺に移せり(高巌寺の条下を併見るべし)。 城跡 上神指の辰巳(南東)の法2町10間にあり。 この城は上杉景勝慶長3年(1598年)にこの地に封ぜられ府城を移さんとて、始は河沼郡北田の墟(あと)に築かんとせしが地勢心に協(かな)はざりしにや。同5年(1600年)2月10日よりこの地を経営せり。総奉行直江山城守、小奉行小国但馬・甘糟備後・山田喜右衛門・清水権右衛門、割奉行島倉孫左衛門、材木奉行満願寺仙右衛門等その事を任じ、本丸は3月18日より6月朔日まで日数72日の内に家中の人夫を以てこれを築き、二丸は5月10日より6月朔日まで日数20日の内にに越後・仙道・米沢及び会津4郡の人夫120万余の着到にて壘(とりで)池の形大概備われり。この時慶山村の山中より大石を切出し人夫立ち並び手繰にしてここに運送せしとぞ。 然るに景勝陰謀の聞えあり。東照宮小山まで御動座あればその功を果さざりしという。 いまは田畠となれどもその構尚(なお)残れり。 本丸 東西1町40間・南北2町50間。 壘趾、10間・高3丈5尺・周9町。 回に堀あり。広23間。 東西3方に口あり。 四方に石垣もありしが、今は半崩れぬ。 二丸 東西4町50間・南北4町50間。 壘趾、9丈・高2丈5尺・周16町14間。 堀、広20間。 四方に門を構えし所ありしが、寛永中(1624年~1645年)如来堂村この城跡西南の隅に移り土居を毀(こぼ)ち村居とせし故、東北はその形あれども西南は欠て土居形なり。 今百姓作兵衛という者の家に当時石工の宿せしとて竹籠1箇・大網13尋程あり。外に竹竿数本、首に孔を穿ち麻索を引遠し3又とし5寸釘を屈て鉤(かぎ)とせしものあり。炊器を懸けて食を作りしものという。 ここの堀より鰕(えび)を産す。美味なり。土人景勝と唱ふ。 さきに景勝御征伐の事起り御馬を出されし頃までも猶(なお)普請の最中にて、萬願寺仙右衛門柿色の手拭をもて鉢巻し毎日馬上にて七日町を通り普請の事を沙汰し府下の匇劇(そうげき)大かたならず。されば士民等の言にも会津退治御諱が江戸まで来なされたと言えども爰(ここ)へ来なされたらその儘(まま)をつころされなさるべいとて女童まで騒ぐ気色もなかりしとぞ。 この頃のざれ言に、また萬願寺仙右衛門殿の二十ばたらき大八日(おおはちにち)かとて笑いしことあり。これは初め景勝関東勢を防んため人数を駆催(かけもよお)して、この二十八日には大働あるべしと言うを言誤りて、二十ばたらき大八日に候間(そうろうあいだ)鑓ない人は借てもおでやれ、とふれ廻りける故(ゆえ)なりと民間に記せしものあれば伝わるままにここに付す。 蛇足 二十八日大働あるべし 二十働大八日あるべし Google Map住吉神社(東神指) 稲荷神社(上神指) 極楽寺(下神指) 正法寺(東神指) 昭明寺(上神指) 神指城跡 北田城跡(佐原広盛の居城) 神指城跡(会津観光ナビ)
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陸奥国 会津郡 高久組 木流(きながし)村 大日本地誌大系第31巻 38コマ目 この村橋本木流・平塚木流・西木流とて3区に分る。 相伝う。昔河沼郡代田組藤倉村に二階堂を建立せし、材木の余れるを川に流し来りこの村に観音堂を造立す。故に村名としその川も大工川と名けしとぞ(日橋堰の分水なり)。 府城の北に当り行程1里6町。 橋本木流は家数15軒、東西55間・南北3町15間、渠川の両岸にあり。 西木流はここより西4町10間余にあり。家数11軒、東西36間・南北1町40間。 平塚木流は橋本木流の辰巳(南東)の方8町10間にあり。家数9軒、東西1町・南北1町。 共に四方田圃(たんぼ)なり。 東2町藤倉村の界に至る。その村まで8町。 西3町16間河沼郡笈川組竹内村の界に至る。その村まで8町40間余。 南6町44間余鶴沼村の界に至る。その村まで8町10間余。 北2町36間代田組高畠村の界に至る。その村まで12町。 また 寅(東北東)の方56間代田組新屋敷新田村の界に至る。その村まで10町。 辰巳(南東)の方5町30間笈川組八日町村の界に至る。その村まで9町40間。 この村の肝煎穴澤武右衛門という者の家に慶長4年(1599年)の免目録を蔵む。 小名 上沼(うはぬま) 平塚木流の北2町10間にあり。 家数7軒、東西50間・南北38間、四方田圃なり。 端村 屋敷 平塚木流の戌(西北西)の方2町40間にあり。 家数7軒、東西1町・南北50間、四方田圃なり。 山川 渠川 中前田村の境内より来り、西に流れ北に転じ橋本木流を過ぎ、また戌亥(北西)の方に流れて八日町村の界に入る。 境内を流るること18町30間。 大工川 槻橋村の境内より来り、平須賀木流を過ぎ西に流るること7町30間、橋本木流の東にて渠川に入る。 広2間。 関梁 橋2 共に渠川に架す。 一は橋本木流にあり。 長8間・幅2間、勾欄あり。 一は平塚木流の未(南南西)の方2町30間にあり。 長6間。沼木村の通路、土橋なり。 水利 高畠堰(たかばたけせき) 橋本木流にて渠川を引き代田組郡山村の方に注ぐ。 八日町新堰 西木流の北にて渠川を引き八日町村の方に注ぎ、その村の田地を潤す。 神社 稲荷神社 祭神 稲荷神? 相殿 稲荷神 3座 熊野宮 2座 伊勢宮 伊豆神 諏訪神 山神 雷神 鎮座 不明 橋本木流の東2町30間余、丘の上にあり。 鳥居あり。高久村黒沢縫殿之助が司なり。 諏訪神社 祭神 諏訪神? 相殿 宗像神 鎮座 不明 西木流の北にあり。 観音寺司る。 寺院 観音堂 橋本木流の丑(北北東)の方1町50間余、丘の上にあり。 馬頭観音木像を安ず。 耶麻郡川西組本寺村厩嶽観音の前立なり。厩嶽の観音秘像なりしかば、別にこの像を刻て前立とす。されども彼山は道嶮(けわ)しければ、参詣の便をはかり大同の頃(806年~810年)ここに移す。 天文の頃(1532年~1555年)聖護院宮この堂に遊宴ありしという。 別当 観音寺 橋本木流にあり。 真言宗福壽山と號す。草創の年月を知らず。 天文9年(1540年)良秀という僧中興せり。 本寺村恵日寺の末山なり。 本尊馬頭観音客殿に安ず。 薬師堂 平塚木流の南20間余にあり。草創の年月を知らず。 寛文中(1661年~1673年)までは『應永二十二年大檀那五郎左衛門』等と記せる薬師の像ありしという。 ※應永22年=1415年 別当 薬師寺 平塚木流にあり。慈念山と號す。 府下大和町金剛寺の末山真言宗なり。 草創の年代詳詳ならず。 天正中(1573年~1593年)保仙という僧中興せり。 本尊地蔵客殿に安ず。 古蹟 館跡 平塚木流にあり。 20間四方。 いつの頃にか平塚四郎某という者住せりという。 土居堀の形遺れり。 Google Map橋本木流 - 元は大工川の両岸との事なので現在は狭くなっている 西木流 - 現在の木流地区か? 平塚木流 上沼 屋敷 - 平塚屋敷稲荷神社付近? 子育稲荷神社(橋本木流) 諏訪神社(西木流) 高野山馬頭観世音(橋本木流) 観音寺(橋本木流) 薬師堂?(平塚木流) 平塚館跡 ?(平塚木流) 平塚稲荷神社(平塚木流)
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陸奥国 会津郡 高久組 高瀬村 大日本地誌大系第31巻 29コマ目 昔村東に川あり。石高く流れ急なる故(ゆえ)に高瀬村と名けりという。 府城の北西に当り行程30町余。 家数38軒、東西52間・南北2町32間。 四方田圃(たんぼ)なり。 東3町44間平沢村の界に至る。その村まで8町30間余。 西3町54間神指村に隣りその村際を界とす。 南6町天満村の界に至る。その村まで10町40間余。 北4町神指村に界ふ。 また 丑寅(北東)の方4町10間中地村の界に至る。その村まで8町30間。 辰巳(南東)の方6町6間東城戸村の界に至る。その村まで7町40間。 端村 新田 本村の東2町にあり。 家数22軒、東西42間・南北2町14間。 越後街道の左右に住し四方田圃(たんぼ)なり。 山川 黒川 端村新田の丑(北北東)の方3町30間にあり。 平沢村の境内より北に流るること1町計また平沢村の界に入る。 応湖川(おほこかわ) 村の辰巳(南東)の方5町30間にあり。 天満村の境内より来り、北に流るること5町平沢村の界に入る。 広6間。 神社 八幡宮 祭神 八幡宮? 相殿 稲荷神 2座 伊勢宮 明神 鎮座 不明 村中にあり。 鳥居幣殿拝殿あり。高久村黒沢縫殿之助が司なり 寺院 観音堂 村中にあり。 2間四面東向。 観音立像、長4尺5寸、作者を知らず。 相伝う。承安(1171年~1175年)安元(1175年~1177年)の頃本州の金売吉次・吉内・吉六という者常に都鄙(とひ)(*1)の間に往来し、ここを過ぎ村東の川を渡りしに水俄(にわか)に漲り舟忽(たちま)ち壊れ吉六溺死せり。その冥福を祈らん為この堂を草立し黄金を観音の躯中に納め後来修理の用に備えしに、永禄(1558年~1570年)元亀(1570年~1573年)の頃住僧像を破り金を盗みさりしという。 会津三十三所順禮の一なり。 別当 福昌寺 境内にあり。 吉高山と号す。 本郡南青木組北青木村恵倫寺の末寺曹洞宗なり。 開基の年代詳ならず。 金売吉六・吉高が位牌なりとて『福昌寺殿源宗了淵居士 承安二辰天三月二十日』と記せるあり(承安2年壬辰=1172年)。 永禄7年(1564年)道谷という僧再興せり。 本尊薬師客殿に安ず。 石塔 境内にあり。 高3尺。『當寺開基福昌寺殿源宗了淵大居士 承安二壬辰天三月二十日』と彫付あり。 金売吉六の墓なりという。 後人の建しものと見ゆ。 古蹟 革袋田(かはふくろた) 村南にある字なり。 この村より卯辰(東~東南東の間)の方1町に葛籠田(つづらた)という字あり。昔吉六溺死せし時黄金を入れし革袋及び葛籠等の漂流せしを得し所故(ゆえ)この名遺るという。 Google Map八幡神社 福昌寺 高瀬の大木(大ケヤキ) 稲荷神社 余談:金売兄弟について 金売兄弟の墓は白河市にも伝わっています。 金を入れた革袋とか葛籠とか、似たようなエピソードが残っているようです。 金売吉次兄弟の墓(日本伝承大鑑) 金売吉次の墓→Google Map 栃木県壬生町にも金売り吉次の墓があるんですね。 金売り吉次の墓(伝説)(Monumento(モニュメント)) 金売吉次の墓→Google Map