約 9,062 件
https://w.atwiki.jp/get5out/pages/722.html
浄土真宗一の会 教学テキスト 真宗学2号 問25 問 五つの不思議の中で最も不思議なのは仏法力不思議であると教えられ た親鸞聖人の御言葉とその出典を書きなさい。 答 「いつつの不思議を説くなかに 仏法不思議にしくぞなき 仏法不思議ということは 弥陀の弘誓に名づけたり」 (高僧和讃) 浄土真宗一の会 教学テキスト 真宗学3号 問1へ [get5out考察] get5out用画像フォーム 現在、paintプラグインはご利用いただけません。 【比較資料】 浄土真宗親鸞会 新教学聖典(3) 問(3) 問 「阿弥陀如来の本願以上の不思議はない」と言われ ている、親鸞聖人の『ご和讃』と、その根拠を示せ。 答 ○いつつの不思議をとくなかに 仏法不思議にしくぞなし 仏法不思議ということは 弥陀の弘誓になづけたり (高僧和讃) 解説 ・(大智度論) 衆生多少不可思議――衆生の生まれ尽きない不思議。 業力不可思議――四果の道理。 龍力不可思議。 禅定力不可思議――聖者が修行によって表す神通の不思議。 仏法力不可思議。 ・曇鸞和讃。 ツリー型コメントフォーム 名前 現在、paint_bbsプラグインはご利用いただけません。 浄土真宗一の会 教学テキスト 真宗学3号 問1へ このページのトップへ サイト内を and or タグで and or 2021-12-07 03 53 00 (Tue) 合計: - 本日: - 昨日: - #blogsearch link_pdfプラグインはご利用いただけなくなりました。
https://w.atwiki.jp/trebor/pages/583.html
元興寺奈良市中院町11【千手観音】 元興寺奈良市中院町11【瑠璃光】 興福寺奈良市登大路町48【中金堂】 興福寺奈良市登大路町48【今興福力】 興福寺奈良市登大路町48【東金堂】 興福寺奈良市登大路町48【千手観音】 興福寺奈良市登大路町48【一言観音】 新薬師寺奈良市高畑町1352 東大寺 大仏殿奈良市雑司町406-1 東大寺 不動堂奈良市雑司町406-1 東大寺 二月堂奈良市雑司町406-1 東大寺 三月堂奈良市雑司町406-1【法華】 東大寺 三月堂奈良市雑司町406-1【不空羂索観音】 東大寺 四月堂奈良市雑司町406-1【普賢菩薩】 東大寺 四月堂奈良市雑司町406-1【十一面観音】 東大寺 念仏堂奈良市雑司町406-1 東大寺 行基堂奈良市雑司町406-1 東大寺 俊乗堂奈良市雑司町406-1【重源上人】 東大寺 俊乗堂奈良市雑司町406-1【愛染明王】 東大寺奈良市雑司町406-1【阿弥陀如来】 東大寺 大梵鐘奈良市雑司町406-1 東大寺 戒壇院奈良市雑司町406-1 東大寺 指図堂奈良市雑司町406-1 璉珹寺奈良市西紀寺町45
https://w.atwiki.jp/negirowa2/pages/92.html
魂響 孤島の海岸線、北東部から東南東部にかけて緩やかに伸びる丘陵には、 かつて亜炭を産出していた横穴が至るところに穿たれており、 地図に記されている神社は、この丘陵の南端に鎮座している。 石畳の参道に掲げられた御由緒書きに拠るならば。 祭神に五十猛命(いたけるのみこと)。 配祀に大屋津姫命(おおやつひめのみこと)抓津姫命(つまつひめのみこと)。 海路、街道の安全を祈願される三柱の兄妹神を据えた、 佐渡に本宮を置く、度津神社の分社である。 =-=-=-=-= ・ =-=-=-=-= ・ =-=-=-=-= ・ =-=-=-=-= 【19 30】 その朱塗りの大鳥居の下に。 けふ、けふ。 空咳が響いていた。 「のう紫苑。行けるかの?」 式守伊吹の目線の先に伸びるのは祭殿へと続く石段。 彼女が大雑把に見当をつけた段数は、約80段。 夜風が厳しさを増すにつれ憔悴の色を濃く表す同行者に、 その石段を登ることが出来るか否か、問うたのだ。 「伊吹ちゃん、私を心配してくれるんですね! なんて優しくてちっちゃくて可愛いんでしょう!」 伊吹の頭部を両の腕で絡め取り、袂に抱くは十条紫苑。 心底嬉しげにかき抱く紫苑の思いは届かぬらしく、 伊吹は小さな四肢をばたつかせて愛玩の中断を要請している。 「だっ、黙りおれ紫苑。 私はそなたの心配などしておらん。 足手まといのそなたを心置き無く捨てるために、 仕方なく雨風をしのげる場所を探してやっているだけだ。 それと――― ちっちゃいは関係なかろうが!」 伊吹の乱雑な物言いに、しかし紫苑の表情は曇らない。 それどころか、ますます抱擁を強めることで答えた。 紫苑にはわかっているのだ。 伊吹は、自分を気遣っているのだと。 十条紫苑は、人を読む。 表情、仕草、呼吸、言葉、etc。 観察対象の様々な表れから得られた情報を一瞬にして統合し、 色彩情報として組み替えることで、視覚として人品や感情を把握する。 俗な言い方をするならば、紫苑は【オーラ】が見えるのだ。 それは既に異能と言って良い程の能力であり、 サーヴァントシステムを構築した魔術師たちであれば、 こう、分類するであろう。 【魔眼(直感視):ランクB】 その魔眼に、伊吹は如何に映ったのか? オーラは、黄味の強い橙色。 ―――大胆な行動力と論理的な知性と緻密な思考の同居。 立ち昇る範囲も大きく、揺らぎは少ない。 ―――責任感と矜持に満ち、自負心が強い。 ところどころに茶色が凝り固まっている。 ―――頑ななものを抱え、素直になれぬ性質。 紫苑に向けられる感情色は、時に黄色、時に若草色。 ―――戸惑いと、好意の同居。 それを、紫苑的に統合し翻訳すると、こうなる。 ―――背伸びしてる頭でっかちのカワイイ子。 故に紫苑は、伊吹を信頼し。 故に紫苑は、伊吹を構うのだ。 「で、行けるのか行けんのか!?」 ようやく紫苑の袂からの脱出を果たした伊吹が、 暴れているうちに落とした白い帽子を拾い上げつつ、 紫苑に再度問うた。 「このくらいなら大丈夫です」 伊吹からの空気に若干の苛立ちの色を認めた紫苑は、 それ以上ふざけることなく答え、階段を登り始める。 伊吹も無言でそれに倣った。 そうして二十段ほど登ったあたりから、 二人の表情に怪訝なものが表れ始めた。 歩みを進めながら、きょろきょろと左右を見回し始めた。 神社には似合わない、石材製の構造物が気になるからだ。 墓石である。 墓石が疎らに、並んでいるのである。 「……ここは神社であるよな?」 「そのはずです」 思わず振り返り、振り仰ぐ二人の視界には、 紛れも無い朱塗りの鳥居が存在感を示していた。 「まあ、そのようなこともあろう」 一拍置いて伊吹は、違和感を飲み込んで進むことに決めた。 歩み始めた伊吹に数歩遅れて、紫苑が後を追う。 =-=-=-=-= ・ =-=-=-=-= ・ =-=-=-=-= ・ =-=-=-=-= あの御由緒書きには続きが有った。 寺院の建立は不肖なれど、鎌倉以前の風土誌にその名が記されている。 神社の造営は明治三年。 大教宣布の発布前に、いち早く廃仏毀釈を予感した時の住職が、 知己有る度津神社よりの勧請を受け、造営。 島ぐるみで政府の目を欺き、法難をやり過ごした、と。 即ち。 ここは近代型の【神宮寺】である。 =-=-=-=-= ・ =-=-=-=-= ・ =-=-=-=-= ・ =-=-=-=-= 次なる違和感は聴覚にもたらされた。 五十段も登った頃からだろうか。 ―――不去不来 不起不住 聞こえてくるのである。 読経の声が。 目指す石段の向こうから、風に乗って、幽かに。 「妙な先客がおるようであるな」 「戻りましょうか?」 「いや、会ってみるとしよう」 経を唱えるということは、死者を悼んでいるということ。 であれば、殺し合いに乗っていない可能性が高かろう。 伊吹は己の分析をかいつまんで紫苑に説明し、紫苑は黙して頷いた。 ―――請観前古 佛道垂成 ついに二人は階段を登りきる。 正面に神楽殿。 その向こうに拝殿。 手前に手水鉢。 右手に鐘楼。 その奥に五輪塔。 左手には、寺院があった。 読経が聞こえてくるのは左手の寺院・本堂。 扉は大きく開かれ、最奥に鎮座する立木彫りの阿弥陀如来像が、 蝋燭の明かりに艶かしく照らし出されていた。 ―――射中百歩 箭鋒相値 如来像の手前に、僧衣一式を身に纏った男がいた。 読経は、この男の物であった。 中肉中背。やや長めのざんぎり頭。 後姿は若く見えるが、この堂に入った住職ぶりを見るに、 以外と年嵩なのやも知れぬ。 ―――巧力何預 木人方歌 伊吹が無言でコルト・パイソンのトリガーを握った。 銃身は痛いほど冷えていた。 出来れば撃たないで済ませたいが、撃つべきときは躊躇わず撃つ。 伊吹はとうに覚悟を持っている。 この島に召還される前から持っている。 ―――石女起舞 非情識到 伊吹は石畳を外れ、玉砂利の上を歩いた。力強く。 さすさすと、踏みしめる音が大きく響く。 近づく者の存在をあえて知らせ、相手の出方を窺う。 伊吹はそうして相手を見極めようとしている。 ―――寧容思慮 臣奉於君 しかし背を向けて座す堂内の何者かは、反応を示さなかった。 それとも、周りの音など耳に入らぬほど、読経に集中しているというのか。 ―――子順於父 不順不孝 緊張感に耐えかねてか、夜風がよほど障るのか。 紫苑が数度、咳き込んだ。 男の読経はそれでも止まず、乱れない。 ―――不奉非輔 潜行密用 伊吹がお堂の入口に立つ。 薄い月明かりに伸びる影が座したる男まで届く。 気付いていないはずがない。 はずがないが振り返らない。 ―――如愚如魯 只能相続 ――――――――名主中主。 遂に男は、宝鏡三昧を読み終える。 余韻、幾許か。 男は座したまま器用に反転し、伊吹と紫苑に正対した。 柳洞寺住職が次男、柳洞一成。 眼鏡の奥に理知的な光を宿らせた少年であった。 年齢不相応な落ち着きを感じさせる相であった。 「お待たせしました。どうぞお上がり下さい」 言葉と共に、深々と一礼。 少年は、読経時の張り詰めたそれとは違い、 深みと温かみを持った声で歓待の意を告げた。 (なんて澄んだ……) 紫苑は、少年のあまりに透明なオーラに嘆息する。 見惚れた、と言って良い。 雪解け水の如き清冽な透明感を伴った青色が、 空気まで清浄にしているような錯覚に囚われた。 「庫裏の方へ。お茶でも淹れましょう」 一成は静かに立ち上がり、伊吹と紫苑を本堂の奥へと手招いた。 =-=-=-=-= ・ =-=-=-=-= ・ =-=-=-=-= ・ =-=-=-=-= 【20 30】 伊吹と紫苑に、湯気の立つほうじ茶が沁みた。 夜風に冷えていた体に。 自覚せぬ緊張に昂ぶっていた心に。 一成は何を話すでもなく、二人が落ち着くのを待っていた。 その後、自己紹介は和やかに行われ、情報交換は滞りなく済まされ。 今後の行動に話が移る段で――― やにわに空気が硬直した。 「死なない為に生きる。死なない為に殺す。 己がその輪に入ることは無い。 坊主として。ただ坊主として。 終わりのくるその時まで生きてゆこうと思う」 きっかけは、一成のこの言葉であった。 噛み付いたのは、伊吹であった。 「ふん、逃げか」 眼差しは冷ややかに。物言いは吐き捨てるかの如く。 その態度とは裏腹に、伊吹は激怒していた。 何が伊吹の逆鱗に触れたのかは紫苑にも分からぬ。 しかしオーラは烈火の色と勢いを持って立ち昇っていた。 「……そのように受け取られるのも詮無きことではあるが、 俺は、生死より大切な物を優先しているだけなのだ」 「生死より大切な? ふざけるのも大概にせよ!」 伊吹が懐より抜き出したのはコルト・パイソン。 照準を合わせたのは一成の眉間。 「柳洞。そなたは己を傍観者と据えることで目を逸らしておるがな。 この銃口こそが、この島の現実であるぞ。 それでもまだそなたは、死ぬのが恐ろしくないと嘯くか?」 「いや、十二分に恐ろしい。 見てくれ、このみっともなく震える膝を。 気を張っていなければすぐにでも崩れ落ちてしまいそうだ」 一成は素直に認めた。 認めたが認めなかった。 「当然死ぬのは怖い。殺されるなら尚のことだ。 ただな、式守。 それでも、だ。 それでも、殺されることよりも怖いことがある」 公案、というものがある。 禅宗の一派の修行法の根幹であり、仏教の、 【信じる】のではなく【考える】宗教としての側面を 如実に顕している手法でもある。 ―――鳴かぬ烏はなんと鳴くか? ―――片手の音声とは如何なる音か? すなわち、問いだ。 理不尽で答えようの無い問いだ。 何日もの間、不眠不休で案じる問いだ。 己の全てを問いで満たす問いだ。 柳洞寺で修行僧と共に起居している一成は、 公案を日常として育ってきた。 そういう下地があったからなのだろう。 一成は、問うていた。 このゲームが始まってから今に至るまで自問していた。 死の予感を感じるからこそ、必死で思案していた。 ―――己とは、何か 茫洋として答えは出なかった。 状況に心乱され、ときに思案を中断もしたが、 それでも問いを諦めることは無かった。 転機は、18:00に訪れた。 第一回放送で死亡者の名が告げられるや――― 思考するより早く、一成の口を経文がついた。 無意識である。 無の中で、一成は弔ったのである。 黎明の直前に響き渡った烏の鳴き声の如く。 竹箒が小石と小石を打ち鳴らしたが如く。 一成は己の什麼生を、行動によって説破できたのである。 ―――己とは、僧職である 故に、伊吹への返答は迷い無く、淀み無い。 「僧職が、俺の本性なのだ。 それを恐怖心や生への執着で失うことこそ、最も恐ろしい」 一成は確かに生物として、生存競争から逃避しているやも知れぬ。 しかし確かに人間として、尊厳を失わぬよう立ち向かっている。 この少年のオーラがなぜこんなにも澄んでいるのか? 紫苑は、銃を前に引かぬ一成の覚悟に、その理由を理解する。 そして、その道行きの峻厳さを思う。 恐怖も殺意も、溢れそうになる感情を全て飲み込んで。 ゲームに乗らず、己を貫く。 それはある意味、ゲームに勝ち残ること以上に難しいことではなかろうか。 「うむ。見事な覚悟である。 そなたが逃げておるなどと侮辱したことを詫びよう」 伊吹はそれでも一成を認めない。 口先では詫びたが、その実、詫びてなどいない。 なぜならば伊吹は、未だ拳銃を下ろしてはいないのだから。 伊吹に認めさせるには、今ひとつの問いに答える必要があった。 「で、あるがな――― 死者は、そなたを許すかの?」 一成のみならず、紫苑にも伊吹の発言の意図が掴めない。 疑問符を浮かべる二人に、伊吹は補足する。 「読み上げる経文にどれほど鎮魂の意が備わっておる? 【俺が俺である】手段の為に、 【弔いの形】を利用しておるのではないか?」 伊吹の鋭き舌鋒に、紫苑は息を呑んだ。 お前は自己の完結のみが大事なのではないのかと。 お前の祈りは自慰と同義なのではないのかと。 伊吹は問いの形で、一成を断罪したのだ。 受ける一成は、断罪に無実を訴えた。 いや、訴えるという表現は適切ではない。 一成は一成のあるがままを開陳した。 「俺が俺である為の手段として、死者を弔うのではない。 死者を弔うものが俺なのだ、式守よ」 死者を悼む精神と送る儀式。 それに僧職という名がついているだけなのだと、一成は言い切った。 己にとっての僧職とはそういう存在なのだと、一成は言い切った。 眉間に銃を突きつけられながら、貫いた。 「だが式守。お前の思いは受け取った。 俺の心が乱れれば、確かに目的と手段がすり変わる懸念がある。 忠言として、深く心に刻もう」 一成は瞑目し、伊吹に深く頭を垂れた。 衷心からの感謝が溢れていた。 「ならば……」 呟きと共に、伊吹は銃の構えを解く。 底冷えのする怒りの感情が霧消していく。 「ならば…… 沙耶を弔ってやってくれんか?」 先程までの恫喝と傲岸不遜とは打って変わり。 震える声で、か細い声で。 伊吹は一成に、従者の鎮魂を請願した。 (それだったのですね―――) 紫苑の疑念が、すとん、と胃の腑に落ちる。 伊吹の激昂の根源は、死せる従者・上条沙耶であったのだ。 放送でその名が告げられたとき、伊吹は淡々と事実を受け入れていた。 涙のひとつも流さなかった。 しかし、今なら紫苑にもわかる。 本当は悲しかったのだ。 愛する身内の、死が。 殺戮者の影に気を配り緊張を強いる状況と、 式守の次期当主として強くあらねばならぬという意地が、 素直な感情に蓋を被せただけなのだ。 その伊吹の頑なさが、より頑なな一成に打ち砕かれた。 ただの片意地が本物の信念に触れて、その矮小さに気付かされた。 次期当主として、感情を露にするを否定していたとしても。 式守伊吹は悲しいのだと。 式守伊吹は泣きたいのだと。 伊吹は問答を通じて認めるに至ったのだ。 次期当主が、式守伊吹の本性なのではない。 式守伊吹が、式守伊吹の本性なのだ。 それが証拠に、紫苑の魔眼には、 伊吹が纏っているオーラの、凝り固まっている幾つかが、 溶けていく様が映し出されていた。 紫苑は知っている。 それは変化ではなく、成長なのだと。 ―――如是之法 仏祖密附 ひずみのない枕経が庫裏に朗々と響く。 伊吹は帽子を目深に、本当に目深に被って。 上を向いて。 時折鼻を啜りながら、立ち尽くしていた。 【場所:島東・神宮寺】 柳洞一成(№61) 【装備:S W M500 05/05、独鈷所(New)】 【所持品:S W予備弾 30/30、法具一式(New)、支給品一式】 【状態:健康】 【思考:鎮魂】 1)寺院に留まり、死者を弔う 2)不戦を貫く ※寺院にあった僧衣に着替えました ※独鈷所等も寺院の中から入手 式守伊吹(№32) 【装備:コルト・パイソン 06/06】 【所持品:パイソン予備弾 24/24、支給品一式】 【状態:健康】 【思考:対主催(寄り)】 1)沙耶の冥福を祈る 2)信哉と合流 3)この際すももたちでも構わん! 十条紫苑(№33) 【場所:島東・神宮寺】 【装備:ランダムアイテム(不明)】 【所持品:支給品一式】 【状態:病状やや悪化、激しい運動は不可】 【思考:戦闘回避(寄り)】 1)知人の冥福を祈る 2)しばし療養 3)瑞穂さんたちと早く合流したい 時系列順で読む 前話 彼女たちの流儀 次話 うちの妹のばあい 投下順で読む 前話 彼女たちの流儀 次話 うちの妹のばあい 銃声のする頃に ~暇つぶし編~ 柳洞一成 プリミティブリンク? ちっちゃな次期当主と大きなご令嬢 式守伊吹 プリミティブリンク? ちっちゃな次期当主と大きなご令嬢 十条紫苑 プリミティブリンク?
https://w.atwiki.jp/trebor/pages/443.html
霊場会 霊場会の名称 不詳 霊場会サイト 事務局所在地 事務局TEL そ の 他 気になること スペック 開 創 昭和53(1978)年?昭和54(1979)年? 専用納経帳 不詳 納 経 料 不詳 対応時間 不詳 注意事項 札所一覧 地図 札番 寺社名 所在地 電話番号 霊場本尊 宗派 納経所 第1番 法楽寺 大阪府大阪市東住吉区山坂1-18-30 06-6621-2103 不動明王 真言宗泉涌寺派 第2番 正圓寺 大阪府大阪市阿倍野区松虫通3-2-32 06-6651-2727 釈迦如来 東寺真言宗 第3番 家原寺 大阪府堺市西区家原寺町1-8-20 072-271-1505 文殊菩薩 高野山真言宗 第4番 四天王寺 大阪府大阪市天王寺区四天王寺1-11-18 06-6771-0066 普賢菩薩 和宗 第5番 常光寺 大阪府八尾市本町5-8-1 072-922-7749 地蔵菩薩 臨済宗南禅寺派 第6番 教興寺 大阪府八尾市教興寺7-21 072-941-7261 弥勒菩薩 真言律宗 第7番 全興寺 大阪府大阪市平野区平野本町4-12-21 06-6791-2680 薬師如来 高野山真言宗 第8番 太融寺 大阪府大阪市北区太融寺町3-7 06-6311-5480 観音菩薩 高野山真言宗 第9番 国分寺 大阪府大阪市北区国分寺1-6-18 06-6351-5637 勢至菩薩 真言宗国分寺派 第10番 大念仏寺 大阪府大阪市平野区平野上町1-7-26 06-6791-0026 阿弥陀如来 融通念佛宗 第11番 報恩院 大阪府大阪市中央区高津1-2-28 06-6761-0543 阿しゅく如来 真言宗醍醐派 第12番 青蓮寺 大阪府大阪市天王寺区生玉寺町3-19 06-6772-0979 大日如来 高野山真言宗 第13番 太平寺 大阪府大阪市天王寺区夕陽丘町1-1 06-6779-9133 虚空蔵菩薩 曹洞宗 ※平成24年10月現在のWikipediaさんのサイトの情報を基としています。 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/trebor/pages/381.html
霊場会 霊場会の名称 不詳 霊場会サイト 事務局所在地 事務局TEL そ の 他 気になること スペック 開 創 不詳 専用納経帳 不詳 納 経 料 不詳 対応時間 不詳 注意事項 札所一覧 地図 札番 寺社名 所在地 電話番号 霊場本尊 宗派 納経所 初願 日照山海禅寺 愛媛県今治市山方町2甲1167 0898-22-5957 修行大師 第1番 海松山真光寺 愛媛県今治市東村4-1-14 0898-48-7631 不動明王 第2番 百大山大雄寺 愛媛県今治市室屋町4-3-6 0898-23-3141 釋迦如来 第3番 霊樹山東禅寺 愛媛県今治市蔵敷町2-14-2 文殊菩薩 第4番 佛城寺 愛媛県今治市四村163 普賢菩薩 第5番 来島山附属寺 愛媛県今治市郷本町3-4-12 0898-32-1089 地蔵菩薩 第6番 高野山今治別院 愛媛県今治市別宮町2-4-14 0898-31-3840 彌勒菩薩 第7番 金光山國分寺 愛媛県今治市国分4-1-33 0898-48-0533 薬師如来 第8番 須彌山明積寺 愛媛県今治市北鳥生町3-2-8 0898-22-6090 観世音菩薩 第9番 杉生山寶蔵寺 愛媛県今治市玉川町桂甲21 勢至菩薩 第10番 補陀洛山法華寺 愛媛県今治市桜井甲243-3 0898-48-0251 阿弥陀如来 第11番 孤月山圓照寺 愛媛県今治市高橋甲992 0898-22-6888 阿閃如来 第12番 別宮山南光坊 愛媛県今治市別宮町3-1 0898-22-2916 大日如来 第13番 理観山龍岡寺 愛媛県今治市玉川町龍岡上甲407 0898-55-2501 虚空蔵菩薩 結願 摩尼山光林寺 愛媛県今治市玉川町畑寺甲530 0898-55-2438 入定大師 ※平成24年10月現在の木の村・コレクションさんのサイトの情報を基としています。 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/zsphere/pages/1094.html
東方浄瑠璃世界の教主とされる。 関連する主要な経典に、2~3世紀頃成立の「薬師如来本願経」(薬師経)がある。 一般に、薬師如来像は脇侍として右側に日光菩薩、左側に月光菩薩を配し、 外側に四天王、さらに眷属として十二神将を配す。 多く、左手に薬壺を持つ姿で表現される。 →薬師如来の薬壺 現存する日本最古の木造薬師如来像は奈良県法輪寺のものといわれる。 また日本最古の金銅像は法隆寺金銅のものという。いずれも止利仏師作。 参考文献 『くすりの小箱』湯之上隆・久木田直江 くすりの小箱 薬と医療の文化史 (静岡大学人文学部研究叢書)
https://w.atwiki.jp/th_seiti/pages/107.html
関係あるとみられるもの ルーミア 秋穣子 秋静葉 犬走椛 射命丸文 八坂神奈子 姫海棠はたて 八ヶ岳(やつがたけ) 守屋山山頂からみた八ヶ岳(蓼科山~編笠山) 長野県佐久地域(もしくは諏訪地域)から山梨県北杜市にまたがる、いくつかの山々の総称。日本百名山の一つに数えられているが、南北約20キロにわたって連なる2000メートル超の雄大な尾根の連続をもって「八ヶ岳」という一個の山体と見なされており、「八ヶ岳」という名の山は現在も過去も存在したことがない。ただし、古い文献や伝承の中では「八ヶ岳」が一個の山として描写されることも少なくないため、「八ヶ岳」の山体を構成する山々のうちの一つが単独で「八ヶ岳」とみなされたことも少なからずあったものと思われる。 どの山からどの山までを指して「八ヶ岳」と呼ぶのかは諸説があり、ともに「八ヶ岳」をおらが山としている諏訪地方・佐久地方(長野県)側の人々と甲斐地方(山梨)側の人々の間でも、かなりの見解の相違がある。北端に蓼科山(後述)を加えたり加えなかったり、ちょうど真ん中ら辺にある「夏沢峠」を境として「北八ヶ岳」と「南八ヶ岳」に分けたり、このうち「南八ヶ岳」だけを八ヶ岳と呼んだりすることもある。以下、「八ヶ岳」に含まれるとされる山を列記する。 北八ヶ岳 ①蓼科山(たてしなやま) 標高2,531m。日本百名山の一つ。詳細は後述する。 ②北横岳(きたよこだけ) 標高2,480m。三角点は標高2742mの南峰にある。正式名称は「横岳」だが、南八ヶ岳にも横岳があるため"北"横岳と呼ばれる。 ③縞枯山(しまがれやま) 標高2,403m。まるで巨大生物の爪跡のように針葉樹が直線状に枯れる"縞枯れ現象"が山名の由来にもなっている。 ④茶臼山(ちゃうすやま) 標高2,384m。北八ヶ岳を縦断する麦草峠(メルヘン街道)にほど近いため、初心者でも比較的容易に登ることが出来る。 ⑤丸山(まるやま) 標高2,330m。麦草峠を挟んで茶臼山の南。山頂に丸山神社という茅葺風味のミニ神社がある。 ⑥中山(なかやま) 標高2,496m。上述の丸山から縦走するほか、観光名所の白駒池・高見岩を経由してくるルートがある。山頂付近は樹林帯。 ⑦冷山(つめたやま) 標高2,193m。「れいざん」ともいう。山中のどこかに巨大な黒曜石の塊が存在する。現代でもひっそりと信仰されている。 ⑧天狗岳(でんぐだけ) 標高2,646m。山頂が東西に二峰ある。西暦888年に崩落したが、原因について噴火・地震いずれの痕跡も無く謎とされている。 ⑨根石岳(ねいしだけ) 標高2,603m。夏沢峠を境界として八ヶ岳を北と南に分けた場合、北八ヶ岳の最南端に位置する。 南八ヶ岳 ⑩硫黄岳(いおうだけ) 標高2,760m。奥まった所にあり、単独でアプローチされることはあまりない。巨大な火山壁を持つ。 ⑪横岳(よこたけ) 標高2,829m。なだらかで登りやすい北横岳と好対照に岩ばった峻厳な山。ともに南北八ヶ岳の山容の相違を象徴している。 ⑫赤岳(あかたけ) 標高2,899m。現在の八ヶ岳の最高峰。 ⑬中岳(なかたけ) 標高2,700m。赤岳と阿弥陀岳の中間にあり、いずれかから縦走するのが一般的。 ⑭阿弥陀岳(あみだたけ) 標高2,805m。現在は八ヶ岳第3位の高さだが、かつては八ヶ岳の最高峰だった。 ⑮権現岳(ごんげんだけ) 標高2,715m。「薬師ヶ岳」の古名をもつ。明治頃まで山梨側で「八ヶ岳」というと、この山を中心とした一帯を指した。 ⑯西岳(にしだけ) 標高2,398m。南八ヶ岳の中では標高が物足りず、登山道もほぼ樹林帯のためイマイチ人気が無い。 ⑰編笠山(あみかさやま) 標高2,524m。編笠を伏せたような美しい山容。八ヶ岳の最南端としてほぼ異論はない。 蓼科山(たてしなやま) 諏訪湖の南東、八ヶ岳の北に位置する山。八ヶ岳に加えられることもあり、八ヶ岳と蓼科山をあわせ「八ヶ岳連峰」と呼ばれることもある。諏訪富士(すわふじ)や「女神山」といった雅称でも知られ、非常に美しい山容を持つ。一方で峻厳な登山道には浮石や巨岩がゴロゴロしており、成層火山らしい豪快な顔も持ち合わせる。「蓼科」は「たてしな」と読むのが通例であり長野県立科(たてしな)町の由来にもなっているが、かつては「たでしな」と呼ばれることもあったらしい(『明治神社誌料』)。 古くは信仰の対象とされてきた山でもあり、「蓼科神」という女神として神格化された。余談だが、諏訪地方(厳密に言と諏訪湖の東方)は女神の記憶が極めて色濃く残る稀有な地方である。諏訪から美ヶ原・蓼科方面に伸びる有料道路(現在は無料)に「ビーナスライン」という名が選定されたり、農業用の溜池に「女神湖」の名が付けられていたりと、なにかと女神プッシュをしたがる風潮がある。長野県茅野市から国宝「縄文のビーナス」「仮面の女神」が発掘されていることなどから、遥か太古から女神を祀る風習があったのか、卑弥呼のような偉大な女首長の記憶が刻まれているのか、神奈子アンド諏訪子のような強大な女神が強権をもって君臨していたのか、そのいずれかであろう(確信)。民話の中で登場する蓼科山は富士山及び八ヶ岳の妹とされており、富士山に蹴飛ばされて小さくなってしまった八ヶ岳(後述参照)を憐れに思い声をあげて泣いたという。その涙が川となって流れだし、やがて諏訪湖を形成するようになった言うから、強権というよりはお姉さん(お兄さん)思いの非常にやさしい神様である。なお、八ヶ岳がそうであるのと同様に、蓼科山を霊山として信仰する風潮は現代までに衰退してしまったと言わざるを得ない。蓼科のふもとには「蓼科神社」、山頂には「蓼科神社本宮」が今でも残されているが、その主祭神は高皇産霊尊(タカミムスビ)や木花咲耶姫(コノハナサクヤビメ)にとって代わられており、名居神社と同様に古い神さまの名を留めるのみとなっている。 また、諏訪大社で7年に一度催される奇祭御柱祭(おんばしらさい)の御用木は、通常諏訪大社の社有林から選定することがならわしであるが、西暦2004年及び2011年の御柱祭では蓼科山の東麓のあたる箕輪平より選ばれて切り出されている。東方projectにおいて八坂神奈子ら守矢三神が幻想郷にやってきたのは2007年ごろの事なので、神奈子の背中にニョキニョキ生えているオンバシラあるいはスペルカード「エクスパンデットオンバシラ」で神奈子が投げつけてくる(『グリモワールオブマリサ』P79)オンバシラにはメイドイン蓼科がまぎれこんでいる…かもしれない。 このほか、蓼科にはビジンサマが住んでいると言う伝説がある。ビジンサマは山の神さまとも妖怪とも言われているが、伝承自体がほぼ口伝により出典も不明であるため、詳細は謎に包まれていると言わざるを得ない。ビジンサマという「イケメン君」ばりに恥ずかしい呼び名がかなりユニークだが、そんな名前がかすむほどに更にユニークなのがその見た目である。黒い雲に覆われた両手で抱えられないほどの大きさの球体で、その下に赤や青のビラビラしたものが下がっている。という。宙に浮く黒い球体と聞いてルーミアさんを、青や赤のビラビラと聞いてフランちゃんを想像できたら、諸兄も立派な東方クラスターであると言えよう。民俗学的に考えても、ここまでとんがった見た目と名前を持つ以上、ビジンサマには何らかの元ネタとなるような生物・現象があったと考えて然るべきところである。「ビジンサマを見ると雨が降る」「ビジンサマに遭ったらその日は仕事をしてはならない」というさらにまた一風変わった伝承もあるため、山を登って来る黒い雨雲や積乱雲の放電現象が未知の存在化された可能性もあるだろう。 背比べ神話 山の神さまたちが、元気に活動していたころの話。 富士山には木花咲耶姫(コノハナサクヤビメ)という女神がおり、浅間様(せんげんさま)とも呼ばれていた。 浅間様はとても気性の激しい神さまだった。普段より「我が富士山の標高は日本一ィィィィ!」といばりくさっていた。 そのころ富士山の北側にもう一つ高い山があった。そこには権現様(ごんげんさま)という男の神様がいた。 権現様も中々アレな性格で、浅間様がいばるたびに 「日本一高いのは、自分の山だ!」と烈火のごとく怒った。 二人の神さまには譲り合う心が皆無であったため、こうして言い合うたびに最後には実力行使のガチけんかに発展した。 山同士のけんかは、頭から溶岩を吹き出し、地面を揺らし、火山弾をまき散らす激しいものだった。元祖弾幕ごっこと言える。 迷惑したのは、山のふもとに住む人々や動物たちである。けんかが起こるたびになす術なく逃げ回るしかなかった。 そんなことが何百年も何千年も続いていた。 やがて二神は、この不毛すぎる争いに飽きたのか 「この際御嶽山の阿弥陀如来様にどちらが高いか見てもらい、白黒はっきりつけようず!」という結論に至った。 余談だが、一説において阿弥陀如来の垂迹神(権現。仏が神の姿をとってあらわれるもの)は八幡神とされている。 浅間様ことコノハナサクヤビメは言わずもがな天皇の祖先であるニニギの妻であり、 八幡神は(一般的に)に第15代天皇の応神天皇であると考えられている。つまり阿弥陀如来は浅間様の身内ということになる。 (この説が正しいとするなら、身内にジャッジさせるのは)いかんでしょ。 二神が阿弥陀如来のもとを訪れて事情を話すと、阿弥陀如来は長い長い、長すぎる樋(とい)を持ってきた。 そして樋の一方のはじを富士山の頭の上にのせ、もう一方のはじを権現の山の頭の上にのせた。 参考「樋(とい)」 「この樋のまん中から水を落す。水が流れていった方が低いということだろ。常識的に考えて。」 そう言うと、阿弥陀如来は樋のまん中から水を落した。水はスルスルと流れ、背の低い富士山の方へしたたり落ちた。 「これで権現様の山が日本一高い山と決まった。」 阿弥陀如来は高らかに宣言した。それを聞いた権現様は大喜びした後、長年の紛争が解決して安心したのか眠り込んでしまった。 一方、面目を丸つぶされた浅間様はくやしくて仕方ない。おもむろに権現の山に忍び寄ると、力いっぱい蹴飛ばした。 不意打ちでとてつもない衝撃を受けた権現の山は、哀れにも八つに割れて低くなってしまった。 こうして、今では富士山が日本一高い山として何くわぬ顔で君臨している。 頭を八つに割られてしまった権現の山は、その後「八ヶ岳」とよばれるようになった。 以上が現代でも諏訪・甲斐地方を中心に残る、「かつて八ヶ岳は富士山より高かった」神話の最もポピュラーなパターンである。 なお、公明正大なジャッジメンターとしての阿弥陀如来は一切登場しないパターンもあるし、浅間様はキックではなく競争に用いた樋あるいはこんなこともあろうかと用意しておいた丸太で八ヶ岳をフルスイングしてぶっこわしたという説もある。競争相手となった山の神はなんちゃら権現という男神だった(「八ヶ岳」になってしまう前の山の名前が伝わってないのと同様に男神の名も伝わってないのだ、という設定)とする一方で、「八ヶ岳」になる前の山の主で浅間様とけんかしたのは浅間様の姉の岩長姫(イワナガヒメ)であるというパターンもある。 このような「背比べ」伝説は八ヶ岳VS富士山の他にも、熊本の阿蘇山VS根子(ねこ)岳や島根の大山VS鷲峰山など全国で類似点の見られる伝説が残されている。伝説の形成にあたって、なぜ富士山の相手方に八ヶ岳が選ばれたのかは非常に興味深いテーマのひとつであるように思われるが、古くより八ヶ岳の威容あるいは火山としての破壊力が富士山のそれと比肩されながらリスペクトされてきたことにまず疑いはないだろう。ふもとの民が見た富士山が「超高層の摩天楼」だとするならば、八ヶ岳は「平屋の豪邸」のように見えたのかもしれない。 小説版の『東方儚月抄』においては、この神話が"史実"として上白沢慧音の口より藤原妹紅に語られている(91ページ)。 かつて富士山には妹の木花咲耶姫と姉の岩長姫が二人で住んでいた。岩長姫は不変を司る神であり、不尽の力によって富士山の火山活動をコントロールしていた。一方木花咲耶姫は、水や変化を司る神だった。すなわち、浅間(火山)の神と呼ぶべきなのは木花咲耶姫ではなく岩長姫の方だった。 木花咲耶姫は、上白沢慧音にも「性格に少し難がある」と評価されるような神さまで、ある時、権現の山と背比べをした挙句に破壊すると言う暴挙に出る。その件について『小説版 儚月抄』88ページ(妹紅の回想シーン中)中で木花咲耶姫自身が「その昔あの山とちょっと喧嘩しましてね・・・ま、そんな話は置いといて」とテヘペロ感覚で振り返っていることから、ほぼ反省の色は無いものと思われる。そんな木花咲耶姫の性格に嫌気のさした岩長姫は八ヶ岳へと移住してしまい、以後富士山の火山活動は木花咲耶姫が水の力で抑え込むことでコントロールするようになった。このようにして、いつからか木花咲耶姫が火山の神=浅間様と見なされるようになったという。 また、どのような曲折があったかは一切不明であるが、岩長姫の住むようになった八ヶ岳、しかも木花咲耶姫に破壊される前の本来の姿をもった八ヶ岳はその後妖怪の山と名前を変え、幻想郷に存在しているともされる(90ページ~91ページ)。①外界にあるはずで、②木花咲耶姫が破壊したはずの八ヶ岳が、なぜ①幻想郷にあって、②破壊される前の姿をしているのか。頑強な2つの矛盾が折り重なったこの問題は、『東方儚月抄』のみならず東方projectの世界観全般を見渡しても屈指の難題の一つであると言えよう。というわけでいくつか仮説を考えてみた。 ①木花咲耶姫に破壊された八ヶ岳は元の大きさに「復元」され、かつ幻想郷入りした説 現在外界に存在する八ヶ岳は、神話の「八ヶ岳」に比定されているだけの全く別の山。 ②復刻された八ヶ岳説 妹(木花咲耶姫)の罪をつぐなうとかそんな理由で、岩長姫が瓦礫等を集めて幻想郷に本来の姿をした八ヶ岳(レプリカ)を復刻した。 ③岩長姫あるいは岩長姫の分霊が、ありし日の八ヶ岳の山体に姿を変えている説 三輪山のように、妖怪の山自体が岩長姫のご神体である。岩長姫・ザ・ジャイアント。 ④けーね先生の表現のあや説 「本来の八ヶ岳と思われる」という予想自体が誤謬(ごびゅう)。幻想郷にあるのは木花咲耶姫に蹴散らされた後の八ヶ岳の一部又は別の山にすぎない。 ⑤蹴ると増える説 在りし日の妖怪の山が質量をもった残像として残り、かつ忘れ去られたために幻想郷に存在している。幻想郷では質量保存の法則に囚われてはいけないのですね! ※なお、全て根拠は一切ない。 余談 妖怪の山の標高について 東方projectに登場する妖怪の山は、明確に実在する場所をモチーフとしている。その点において、東方projectの世界観と現実とをつなぐ諸考察の上で非常に稀有な位置づけにあると言える。 まず、その所在地については 人間より昔からこの地に棲みついている妖怪が多く棲む場所が、妖怪の山だ。通常、山とだけ言った場合はこの妖怪の山の事を指す。ここに棲む妖怪達は、人間や麓の妖怪とは別の社会を築いており、幻想郷のパワーバランスの一角を担っている。特に天狗や河童は外の世界に匹敵するか、それ以上の技術力を持っている。 『東方求聞史紀』P141 危険区域案内「妖怪の山」の項よりばっすい とある。八雲紫が妖怪拡張計画によって幻想郷に移民を呼び込んだのが約500年前であることから、仮に地形としての「妖怪の山」が外界から移動してきたとするならば、(妖怪の山の自発的行動でない限り)これ以降ということになる。人間より古くからこの地(幻想郷)に存在していた妖怪が比較的最近(約500年前)になってやってきた妖怪の山にわざわざ移住しようとしたとはやや考えにくいことから、妖怪の山はもとより幻想郷にあった可能性が最も高いと考えられる。よって、古八ヶ岳(以下、「元の姿をした八ヶ岳」をこう呼ぶ)の位置を特定することは、幻想郷の位置を特定することと、かなり近い意味を持つと考えてよいだろう。 次に妖怪の山の標高については 「八ヶ岳は大昔、富士山と同じくらい高い山でした。」 『小説版 東方儚月抄』P91 上白沢慧音のセリフよりばっすい という表記から考え、富士山とほぼ同じと考えてよさそうである。よって、妖怪の山の標高は最大で3,800m前後ということになる。 他方で古八ヶ岳・富士山の両山の歴史を辿ってみると、今からおよそ1万年前頃までは、本当に古八ヶ岳の方が富士山より大きかったことも地質学的に明らかになっている。そもそも富士山は、最初「先御岳」という小さな山だったものが、30万年前の噴火により標高約2,300mの「先小御岳」に、10万年前の噴火により標高約2,700mの「古富士」となり、およそ1万年の噴火によって標高3,776mの「新富士(現在の姿)」になったものだと考えられている。言うなれば富士山は、同じ場所で何度も噴火を繰り返すことにより、周りの山を飲み込みながら「成長した山」である。対して八ヶ岳は、150万年前に北八ヶ岳が噴火したのを皮切りに南北20キロにわたり火口を移動させながら噴火を繰り返してきたと考えられている。言うなれば八ヶ岳は、噴火と崩落を随所で繰り返しながら山体が「拡大した山」である。約30万年前に標高3,400mにまで高度を上げ当時の八ヶ岳の主峰となった阿弥陀岳も、崩落を繰り返した後に10万年前には現在の山容に落ち着いたものと考えられている。 すなわち八ヶ岳と富士山の標高の逆転現象は、今から約1万年前に発生したものであり、その最もダイナミックな要因は「八ヶ岳が破砕して縮んだから」ではなく「富士山が噴火して成長したから」であるというのが「科学的事実」と言える。古八ヶ岳が浅間様に蹴っ飛ばされたと言う神話とは真逆である。しかし、八ヶ岳西側山麓地帯の大扇状台地(標高約1,050m)には、少なくとも5千年以上前から人類が生活していたことが判明している(尖石・与助尾根遺跡)ことから、「かつて八ヶ岳の方が富士山より高かった」ことは、約1万年前の逆転現象以前の山容に関する記憶が継承され、神話として形成された可能性も大いにあるだろう。富士山の噴火ではなく、それ以前に古八ヶ岳の崩落を受けて富士山が最も高い山となっていたのかもしれない。ともすれば、古八ヶ岳と富士山の背が最も伯仲していた時代の標高、すなわち約30万年前から約1万年前ごろまでの両山の標高=3,000m前後が、妖怪の山の標高の最小値として考えれられるだろう。 ※なお、上述の噴火年代とか推定標高とかは学者先生の研究の成果によって変わるかもしれません。と言うか変わると思う。 名前
https://w.atwiki.jp/gods/pages/1021.html
カンノンボサツ(観音菩薩) 仏教の菩薩の一つ。無限に変身し全ての衆生を救う。 アミダニョライ(阿弥陀如来)の慈悲の部門を司る。 六道に迷う衆生を救うという考えから生まれたロクカンノン(六観音)、あまねく衆生を救うという考えから生まれたサンジュウサンカンノン(三十三観音)に分類される。 ニジュウゴボサツ(二十五菩薩)の一人。 サンジュウニチヒブツ(三十日秘仏)の一人。 密号は正法金剛。 関連: ロクカンノン (六観音) サンジュウサンカンノン (三十三観音) その他の観音: グゼカンノン (救世観音) ビャクシンカンジザイボサツ (白身観自在菩薩) フンヌコウカンジザイボサツ (忿怒鉤観自在菩薩) フクウコウカンジザイボサツ (不空鉤観自在菩薩) ロクジゼジザイ (六字世自在) シシクカンジザイ (獅子吼観自在) 別名: カンゼオンボサツ (観世音菩薩) カンジザイボサツ (観自在菩薩) ゼジザイ (世自在) アバローキテイテーシュバラ アヴァローキテーシュヴァラ アヴァロキテスヴァラ アヴァローキタスヴァラ パドマパーニ ハヤグリーヴァ エカダムシャカ サハスラヴジャ シェンレーシク
https://w.atwiki.jp/trebor/pages/323.html
霊場会 霊場会の名称 不詳 霊場会サイト 事務局所在地 事務局TEL そ の 他 気になること スペック 開 創 不詳 専用納経帳 あり 納 経 料 不詳 対応時間 不詳 注意事項 札所一覧 地図 札番 寺社名 所在地 電話番号 霊場本尊 宗派 納経所 発願 観音寺 徳島県阿南市横見町願能地東91 0884-22-4973 弘法大師 第1番 萬福寺 徳島県阿南市桑野町岡元116 0884-26-1167 不動明王 第2番 東福寺 徳島県阿南市内原町山下21 0884-26-0850 釈迦如来 第3番 光明寺 徳島県阿南市橘町荒神ノ上38 0884-27-1047 文殊菩薩 第4番 普賢寺 徳島県阿南市黒津地町末広41 0884-22-1736 普賢菩薩 第5番 地蔵寺 徳島県阿南市津乃峰町西分143 0884-27-0322 地蔵菩薩 第6番 密蔵院 徳島県阿南市宝田町梅の本506 0884-22-7115 弥勒菩薩 第7番 千福寺 徳島県阿南市見能林町寺ノ前4 0884-22-7082 薬師如来 第8番 明谷寺 徳島県阿南市長生町北浦 0884-23-0425 観世音菩薩 第9番 真福寺 徳島県阿南市中林町林崎 0884-22-5130 勢至菩薩 第10番 浄土寺 徳島県阿南市富岡町第住町 0884-22-3060 阿弥陀如来 第11番 宝蔵院 徳島県阿南市上中町南島119-4 0884-22-7560 阿?如来 第12番 長善寺 徳島県阿南市才見町平野40 0884-22-2486 大日如来 第12番 吉祥寺 徳島県阿南市長生町西方 0884-22-7408 大日如来 第13番 梅谷寺 徳島県阿南市桑野町鳥居前5 0884-26-0708 虚空蔵菩薩 結願 正福寺 徳島県阿南市富岡町滝の下28 0884-22-1461 愛染明王 ※平成24年9月現在のPPMの気ままな 遍路旅さんのサイトの情報を基としています。 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/divine_revelation/pages/414.html
目次 1.「歎異抄」は親鸞聖人のすべての教えではなかった 2.唯円上人たちは悪のどん底から「回心」して救われる道を説いた 3.大強盗スター・デリーの回心 4.死刑囚が天国へ、政府高官が地獄へ、ということもある 5.「念仏」は免罪符ではない、要は、回心の深さによる 6.唯円上人の過去世は、十二弟子の一人マタイだった 7.現代の「悪人」病患者はインテリ層 8.純粋な信仰論に立ち返れば、各教、各宗派の小さな垣根は取り外すべきだ 9.今後の信仰の対象は、人格神ではなく、宇宙の「英知」への信仰となる 10.現代の「歎異抄」の 悪人 はインテリ層 11.現代の「異端」物質至上主義、霊は物質を生み、また消せる 12.他力門はキリスト教系の人びとの転生、阿弥陀仏はイエスの過去名 13.天上界の「総霊言」は二度とでない 10.現代の「歎異抄」の"悪人"はインテリ層 ―― 本日は、とくに「回心(えしん)」の対象はインテリ層になるのだということのお話であったということで……。 唯円 もちろん、それ以外の人もおりますよ。ただね、昔の"悪人"というのを現代にあてはめたらだれになるかというと、その辺ですよ、と。その辺の人たちにね、念仏ではない「宇宙の英知」を知ることによって救われるのだという原理を教えてあげねばいけませんよということです。 ですから、今、「歎異抄」を言うならね、田舎の爺さま、婆さまでも極楽往生できるのだから、ましてや論理的な教養を身につけた知識人たちは当然であるということになりましょうかね。 ―― これは非常によいお話であったと思います。現代の「歎異抄」というものをたとえれば、こういう人たちが当たるんだと、これが本当の「悪人正機説」に該当するんだということですね。 唯円 ですからまあ、「歎異抄」の原理でいけば、こうなります。すなわち、今、善人というのは、要するに素朴な信仰を持って生きている人たち、お百姓さんとか、田舎に住んでいる人たち、こういうのが善人です。そして、こういう素朴な人たちでさえ救われるのですから、ましてや、インテリの皆さんが、"悪人"の典型であるインテリの皆さんが救われないわけはありません、と。 神仏を認めようとしない"悪人"ではありますけれども、インテリということで、ずいぶん頭がいいから、きっかけさえつかめば、きっと救われるでしょう。田舎の人でも極楽往生するのです。単純な信仰心を持っている善人でさえ救われるのだから、ましてね、非常に知識のある、頭のいいインテリの皆さんですから、このことに気がつけば、当然救われるのは間違いなしです。地獄へは行きません。極楽往生、間違いなしです。 そこで、インテリの人たちに、これさえ気がつけばというきっかけですな、"契機"をあなた方が与えてあげねばいけない。こういうことですな……。インテリの人たちは、頭がいいのだから、極楽往生できることは間違いありません。ただし、これだけは知っておきなさいよとね。その点を伝える。「唯円」の霊言さえ読んでおけば、極楽往生間違いなしだと、こういうことをあなた方は言わなくてはいかんわけです。 理論としては、あっているでしょう。知識人は「悪人」、田舎の爺ちゃん、婆ちゃんは「善人」です。あんな何にも知らないね、この世の中を全然知らない、英語も知らない人でも、掌を合わせているなかで、極楽往生できる。ましてや、悪人の典型である知識人たちは、頭がいいのだから、いったん気がつけばすぐ救われますよ、と。極楽往生間違いなしとね……。こういうことです。 ですから、その「阿弥陀如来信仰」ね、『南無阿弥陀仏』が一体何にあたるのか、これをね、現代の南無阿弥陀仏を、あなた方は発見しなければいけない。あなた方の「霊言集」を読んで、気づくかもしれない。知識人たちは何百、何千冊もの本を読むわけですが、そんなに読まなくてけっこう、この本一冊読んで極楽往生してくださいと、これでもいいですよ。 すなわち、「霊言集」一冊が、昔の南無阿弥陀仏の念仏かもしれない。そういうことですね。ただ、知識人たちは、自分を悪人だとは思っていないから、彼らこそ「悪人」だということをもうちょっとわからせてやる必要があります。 まあ、真理を晦(くら)ましている人たちなのですから、これは悪人ですよ。神の目からみれば、神理を晦ましているのだから。一方田舎の人たちはね、お天道様(てんとうさま)のおかげですと、掌を合わせているのだから、こういう人たちが天国へ行くことは確実ですよ。ところが、何十年も学問やってた人たちが、「神様などあるもんか」と言っているのだから、これは馬鹿になるために学問したのと一緒です。ただ、そういう頭のいい人たちはね、きっかけさえ与えられれば、それを悟るのは早いはずです。 どうですか、他に現代の「異端」について、何か意見がありますか。あれば、私も言いますが……。 11.現代の「異端(いたん)」物質至上主義、霊は物質を生み、また消せる ―― 「異端」については、現在の科学者、あるいは一般知識人、こういう人たちのほとんどは、根元的な実在である「神」という宇宙の「大英知」の存在を信じておりません。「物質」がすべての根元なりとする"唯物論"を信じているということですね。それと、現代人のものごとの「価値基準」が、心とかその精神とかいう前に、金銭、あるいは物量の多寡ということが基準になるということですね。事業家はもとより、政治家になるのにも金、また芸術家の作品もその価格で価値が決められるということになってきています。 唯円 まあそれは、宗教を説く人にも金銭は関係しますのでね。これがないと三度の飯が食べられない。現代では、なかなか布教もできない。お布施だけで生きていくわけにはいかないのでね。現代では、宗教法人などでも、金銭と無縁でないことは周知のことです。ですから、この辺はむずかしい。非常にむずかしいところだと思います。ただ、物質というものだけをとってみるならば、あなた方の理論によって。 "物質"というものは、実は霊的な存在であるということです。霊的な想いの念が物質化することは、あなた方は理論としてすでに説いているはずです。こういうことは、物質万能主義者たちに対して、一つの衝撃であり、一喝になるであろうと思います。物質、物質と言っているようなものは、実はそうじゃないんだぞ、と。まあ、奇跡の原理ですね。 ですから、本当の法則からいえば、この地上に現われているものは、一瞬にして蒸発したように消すことができるのです。この世に現われているもの、石ころ一つ、空中に消してしまうことは簡単にできるのです。そして、空中からですね、パンの一個ぐらいだすのは簡単なことなのです。自由自在にできます。本来はね。ただ、そうすると、世の中が混乱するために、私たちはそういうことをしないことにしているのです。しかし、本来は、自由自在なのです。 そして、昔の世界は、天上界の霊たちが物質化して、肉体を持って地上にでて来たこともけっこうあったのです。昔はね。ですから、自分たちを物質化することぐらいは簡単なのです。別に男女、父母の縁ででて来なくとも、一時期物質化してでて来て、地上を歩き廻ることぐらいは簡単なのです。私たちは、幽霊よりももっとしっかりした体をつくれるのです。昔は、よくありました。ただ、それはやっぱり世の中を混乱させるので、やらなくなったのです。 昔はよくあったでしょう、天狗様が来て、人をさらって行ったという話が。あるいは、神隠しに遭(あ)ったとか。ああいうことは、実際にあった話なのです。"天狗"というのは、まあ、あの世の霊人ですが、そういうのが、物質化して肉体を持って現われ、この世の人を攫(さら)う。つまり、霊力でもって、この世の人を、あの世へ連れて行ってしまうのです。肉体を、物質を分解してしまうのです。実際、そういうことができるのです。しかし、そういうことをしていると、世の中が混乱する。だから、近代になってからは、そんなことはしないようにとの"禁止令"がでています。 12.他力門はキリスト教系の人びとの転生、阿弥陀仏はイエスの過去名 ―― ありがとうございました。お説の趣旨がわかったような気がいたします。なお、お説をとりまとめ、編集させていただき、「唯円上人の霊訓」として掲載させていただきたいと思います。 唯円 まあ、唯円は、どちらかというとマタイよりは少し知名度が落ちるようですから、内心、若干忸怩(じくじ)たるものが私にはあるのです。まあ、あなたにもあるでしょうが、私にも内心忸怩たるものがあるので、少し気は引けるのですけれども……。 ―― 霊訓者紹介の欄には、マタイ様のお名前も入れさせていただこうと思います。 唯円 それはけっこうです。事実、そのとおりなのですから。実は、鎌倉時代の他力信仰、他力門はね、キリスト教系の人たちの「転生」によって、一つの計画のもとに行なわれたのです。これは、天上界の秘密でもあるのですが、これは一つ知らしておく必要があるし、あなた方にとっても初めての発見であったと思うのです。 自力門と他力門とあるけれども、結局、他力門は、キリスト教系から多くきていたのです。話を聞いていても、喩え話のなかにキリスト教の話ばかりでてくるからどうもおかしいと思ったかもしれません。しかし、それもそのはずです。「阿弥陀如来信仰」というのは、すなわち、イエス・キリスト信仰なのです。 ―― しかし、唯円様たちも、ご在世中には、そのことに気がつかなかった……。 唯円 ま、それはそうです。ただね、信仰というのは魂の根深いところにありますから、なかなか抜けてこないですね。「阿弥陀如来」というのは、イエス様のまあ過去世、過去世の姿ですね。それへの信仰ですね。ですから、「釈迦」の時代にもね、「阿弥陀如来」という方が西方浄土にいらっしゃるということが言われていたのです。「阿弥陀如来」というのは、漢訳されていますけれども、に"阿弥陀"とは、「アミーダ」という西洋に生まれた光の大指導霊のことなのです。それは、すなわち、イエス様の過去世のことを言っておったということですね。 ―― まあ、そういう背景をもとに、ここに親鸞様、唯円様、それから、一遍様、蓮如様という方がたが……。 唯円 四人が四人頭を並べて、枕を並べて、日本のこの時代にでて来て、何をどうしたかは、皆様のご判断にまかせますけれどもね。ま、一つの大きな使命だったということです。ですから、昔はイエス様のような大きな方がでられたのですが、そうじゃなくてね、親鸞様あたりを頭にして、みんなでて来たわけです。 ―― いわゆる他力門の歴史的な背景というものが、この本によってあきらかに分かるということになりますね……。 唯円 そうですね、ですから、「真宗」系統の方が多いのでしょうが、一つキリスト教へも目を開いていただきたいと思います。そして、「親鸞聖人霊示集」を読んだら、「キリストの霊言」を続いて読んで、思想を深めていただきたいと、こう思います。一緒なんです。これしかないというものではないのです。 13.天上界の「総霊言」は二度とでない 唯円 あなた方も、これから大変ご苦労ですけども、一つ頑張っていただきたい。まだまだこういうのも、一つの神理の発見なのです。どういう人が、どういう考えを持っているというのも、一つの神理の発見でして、大変ご苦労ですけれども、天上界の皆様のお声を地上に伝えていくという仕事を続けていただきたいのです。そうしているうちに、いろんな問題点に気がついて、あなた方独自のものもでてくると思います。ただ、あなた方独自のものをだすにあたっては、そう焦る必要はありません。天上界の皆様の意見をご紹介するだけでも、一つの大きな力ですから。 今後、大いなる指導者がでても、こういうふうな「法」の集大成ということは、ちょっとむずかしいだろうと思います。あまりないと思います。まあ、こういう日がくるために、キリストの弟子であった私たちがまた日本に生まれて、そういう種を蒔いているし、そういう日本という国を、将来仏国土にするために、さまざまな霊がでて、日本という国を浄めるために、先触れとしてでてきたのです。 どうかこういう話を通じて、宗教は一つなんだと、すべて一つの神からでてきているのだということを教えていただきたいと思います。一つなのです。争いは間違っているよ、と。日本人と外国人が戦争するのも間違っているけれども、宗教同士で戦争するのも間違っています。ましてや同じ宗門のなかでね、派を争うのは大変な間違いですよ、と。これをしっかり知っていただいきたいと思います。 ―― はい、どうも大変ありがとうございました。