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柿崎景家 京極高次 河野通宣 小西行長 小早川秀秋 柿崎景家 柿崎景家 越後柿崎城主。長尾為景・上杉謙信親子に仕える。 上杉定実の養子問題の際に伊達家に外交で赴いたという。 弘治二年村山美作守が武田晴信に内通した際にはその間者を捕らえ、謙信に注進。 美作守は直ちに誅殺された。 永禄元年からは春日山城の留守居役を務めた。 元亀元年北条氏との和議が成立した際には、子の晴家を人質に送った。 その他北陸の勢力との外交交渉も担い、奉行として行政にも手腕を発揮するなど 直江景綱らと共に重臣として重きをなした。 なお川中島の合戦にも参加しているが、飯富虎昌の攻撃を支えきれず危機に陥ったところを 色部勝長に救われたという。 京極高次 京極高次 京極氏はばさら大名として有名な宇多源氏佐々木道誉の子孫であり、 室町幕府の四職を務める名門である。高次はその京極氏の当主として戦国時代後期に その名を馳せた名将として知られ、領地や地位よりも戦場における派手派手しさや 楽しさを追及し、一方で妻を愛でた、戦国随一のばさら者でもある。 秀吉や家康よりも一世代下になる高次は最初信長の元に人質として出されそのまま仕えるが、 若干20歳のころに本能寺の変に遭遇する。この時高次は信長の薫陶を受けて得た戦略眼で 光秀の敗れを予見したが、義兄弟の武田元明が旧領回復のため光秀に付いたのと、 何よりただ勝ち馬に乗るのは詰まらない、という理由からあえて劣勢な光秀側に付き、 秀吉の本拠、長浜城を攻めて武名をあげる。 戦後、秀吉は高次を敵に回すのは得策でないと考え、武田元明は処断しつつも高次の姉 (妹とも)竜子を側室に迎えて懐柔した。秀吉がここまで腰を低くしたのは他に家康程度であり、 高次に海道一の弓取りと同等の評価を与えていたことがうかがえる。 しかし、ばさら者の高次にとっては世間の評価もさほど気にならなかったと思われ、 それを秀吉も感じて改めて、お市の方の次女、お初を妻にさせる。 長女のお茶々は秀吉の側室であり、三女のお江は秀忠の正室であることからも、 秀吉が高次に気を使っていることは明らかである。 秀吉政権下では美貌の妻を愛でつつ、秀吉の戦は物量で押すだけなので詰まらぬ、 とばかりにさしたる働きもせずに呆けていた高次だが、関ヶ原の戦いが起こるに至って 要衝近江大津城を押さえる高次のところに東西両軍から誘いが掛かる。 当初、高次はこの戦は家康の勝ちと見て、本能寺の変のときと同じように三成方へ付こう とするが、家康が会津征伐に行き、上方を打ち捨てると知って俄然考えを変えて家康方に付く。 これは家康が説得したのが奏功したともいえるが、ばさら者の高次が三成方の軍勢を受けて 戦を楽しもうとした、と理解するのが正しいと言える。 実際、関ヶ原の戦いでは伏見城の鳥居元忠が玉砕、丹後田辺城の細川藤孝が1万5千の兵に 攻められて和議となり、大津城に立花勢ら4万ともいう大軍を引き受けた高次は 後詰もない中で城兵をよく掌握して奮戦した。 己の身に矢傷を負っても城を抜かせないの高次の勇猛ぶりは京にまで伝わり、 ばさら者高次の雄姿を一目見ようという民衆が集まったほどである。 10日間に渡って城を守りぬいた高次はそろそろ家康と三成との決戦が付くと読み、 関ヶ原での両軍激突の前日に北政所の敬意を表する形で開城するが、 これは決戦の時まで守り抜くのは名を誇示する行為であり、かえって己の身を 危うくする元となる、と考えた高次なりの出処進退であったと思われる。 なお、余談であるが、近年戦国時代を舞台に大名が先陣をきって大軍を打ち破っていく アクションゲームの中に、「戦国BASARA」なるゲームがあるがこのタイトルは 戦国時代のばさら者、京極高次の大津城攻防戦での活躍をモチーフにした、という説が 有力である。 河野通宣 河野通宣(こうの-みちのぶ)?-1581 別名通賢。通称宗三郎、四郎。官位伊予守、左京大夫。 1543年、兄晴通の早世により家督を継ぐ。 この頃の河野氏は先々代通直(弾正少弼)により引き起こされた後継問題による 統率力の低下、細川(三好)、大友、大内、長宗我部等外敵の進入に悩まされていた。 また通直も後見人として権力の座には残っており、これも通宣を苦しめる事となる。 通宣は内訌に対しては名将平岡房実を起用する事で鎮圧に成功。 また対外関係においては大内、尼子を滅ぼす前の毛利元就と手を結ぶ事を決断し 厳島の戦いにに来島水軍を派遣。これにより毛利氏と河野氏の間に友好関係が 築かれる事となり、この関係は以後自慢の海軍力共々外敵を退ける大きな力となる。 更に低下した権威の強化にも着手、朝廷から左京太夫を受任する。 1568年病に冒される。万一没した場合混乱しない為、また再び継承問題にならぬ為 家督を妾腹の子ではなく一族の牛福丸(通直、伊予守)に譲る事を決断。 なお後見人に悩まされた経験からかこののち通宣が主だった動きをすることは無くなる。 1581年死去。数年の後に半ば騙されるような形で河野氏は滅ぶ事となる。 仮にもう数年長く生きる事が出来たならば河野氏は滅亡をまぬかれたかもしれない。 小西行長 小西行長 関ヶ原、多くの義将達が咲き乱れ、散っていった大戦。 幼い秀頼、心から尊敬した天下人秀吉、運命に苦悩する一人の女性「淀」を守るために戦った石田三成。 親友のため、自ら盾になった。命を燃やした討死…大谷吉継。 数多の名将たちの最後…彼は夕焼けに何を見つけたのだろうか… 義の名将 小西 行長 彼は切支丹大名として有名である。九州の一部を豊臣に任された将であった。 島津家、立花家、黒田家、加藤家、小早川家、名将たちの激戦区…九州。 東軍と西軍に二分され謀略と裏切りが覆い尽くした。 そんな時代を生きた彼の出自は商人であった。生まれたのは京都である。 このころから、商人である父の影響で切支丹となる。 最初に仕えたのは裏切りの将と言われる、宇喜多直家。行長は主に外交の仕事を任された。 だが、圧倒的な勢力を持った織田家には逆らう事は出来ず、ついに降伏することとなった。 その時、活躍したのが小西行長である。羽柴秀吉との交渉により戦をすることなく降伏できた。 その後、小西行長の実力を見抜いた秀吉は行長を自軍に取り入れる。 九州征伐では国人を敗退させ24万石の城主となる。 秀吉は朝鮮を攻める際に先鋒として行長を派遣する。加藤清正にも劣らない大きな武功を立てた。交渉だけでなく、戦でも力を発揮した。 朝鮮攻めが不利になると得意の交渉で切り抜けた。 そして、運命の関ヶ原…激動の人生の終わり…。 戦は東軍の圧勝。義将として戦いぬいた行長は三成、安国寺と共にに処刑される。 そうして、名将「小西行長」の人生は終わりを迎えた。 正義を貫いた彼は天界で永遠の幸福を手に入れたのだろう… 小早川秀秋 小早川秀秋 太閤秀吉の甥であり、幼い頃から後継者として期待され、またふさわしい将の片鱗を見せていた。 しかし秀頼が生まれると冷遇され、厄介払いの如く小早川家に養子に出される。 しかし秀秋は腐ることなく鍛錬を重ね、朝鮮出兵では総大将として出陣、自ら数多くの首級を上げる活躍を見せる しかし秀秋の存在を疎ましく思う三成(一説には秀頼の実父が三成であり、秀頼の強力なライバルである秀秋に恐怖していたと言われる) によって戦果は捏造され、秀秋は秀吉の逆鱗に触れることとなる。 このとき秀秋は三成の策謀に気づいていたが、秀頼を自分の子供と信じて疑わない養父秀吉のことを思い、 自分が犠牲になるだけならばと自ら身を引いたといわれている。 関ヶ原合戦においては1万6千の兵力もさることながらそれ以上にその絶大な将器を広く知られていた秀秋を味方につけたほうが勝ちであろう と雑兵に至るまで噂されるほどであり、両軍から破格の条件を持って誘われることとなる。 しかし家康、三成とも私利私欲の兵であることを見抜いていた秀秋は双方どちらにも味方せず中立を保っていた。 こんなつまらぬ戦で大事な家臣たちを一人でも殺すことは出来ないと考えての勇気ある決断であった。 しかし劣勢になり恐慌をきたした家康軍が秀秋軍に発砲するという暴挙に出る。これを受けて兵士たちは 「西方にお味方すべし。家康軍に突撃すべし」といきり立ち、もはや中立の維持は不可能な状態であった これを受けて秀秋は咄嗟に「三成とその操り人形である秀頼ではこの日の本は持たぬ、まだ家康であればなんとかなるであろう」 と判断し、家臣を一喝し石田方に突撃。秀秋軍の獅子奮迅の奮戦により総崩れ寸前であった東軍は大逆転勝利を収める。 戦後戦功第一であった秀秋は関白職を打診されるが、もはやいたずらに天下を乱したくないとしてこれを固辞する。 戦後は領土経営に尽力していたが、1602年に急死。秀秋の将器を恐れた家康の暗殺と言われる。 小早川 秀秋 1582-1602 官位は従二位、権中納言。左衛門督を兼ねたことから、小早川金吾、 金吾中納言とも称された。 幼少から文武に優れ、豊臣家から厄介払いされて小早川家の養子になったにも かかわらず、秀吉、隆景の後ろ盾がなくなっても1万近い兵卒は、この時14歳の 秀秋につき従っている事から見てもその非凡・名将ぶりがうかがえる。 慶長の役の蔚山城の戦いでは、明の大軍に包囲された蔚山倭城の救援に向かった。 初陣で自ら槍を手に敵将を生け捕りにするなど活躍した。 関ヶ原の戦いでは徳川家康の内通工作があったが、西軍に属した。 西軍勝利の暁には豊臣秀頼が成人するまでの間、関白職への就任と、 上方2ヶ国の加増を秀秋に約束され、 また、宇喜多秀家隊が福島正則隊を撃破し、また大谷吉継隊も藤堂高虎隊 を敗走させるなど西軍優位の展開の中、 焦った徳川家康は小早川秀秋の陣へ威嚇発砲した。 この期に及び松野重元ら豊臣恩顧の秀秋重臣は西軍への参戦、東軍への攻撃 を確信したが、石田三成らに約束された関白就任を空手形だと見破った 小早川秀秋は西軍・大谷吉継への攻撃を命令。 これにより東軍の勝利となったが、その際秀吉から強い恩顧を受けていた 松野重元は、関ヶ原の戦いにおいて、東軍へと寝返った秀秋に反発し、 戦線を離脱する。 小早川秀秋が大谷吉継攻撃を命じた際発した松野重元の「そっちかよ!!」 は今も吉本芸人に愛されている基本的突込みである。
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【元ネタ】三国志 晋書 【CLASS】キャスター 【マスター】 【真名】陳寿 承祚 【性別】男性 【身長・体重】152cm・48kg 【属性】中立・悪 【ステータス】筋力E 耐久E 敏捷E 魔力C 幸運C 宝具A+ 【クラス別スキル】 陣地作成:C 魔術師として、自らに有利な陣地を作り上げる。 が、性格的に向いていないらしく、“工房”の形成すら難しい。 道具作成:C 魔術により様々な道具を作り上げる能力。 宝具を応用することで多少の作成はできるようだ。 【固有スキル】 伝承発掘:A 対象の知名度補正を上昇させる。ただし自身は対象にできない。 このスキルによって起こりうる効果は、 パラメータやスキルのランク上昇、新たなスキルや宝具の獲得などである。 埋もれた伝承を拾い上げ、歴史に残した者が得るスキル。 Aランクともなると、無名の英雄にも大英雄並の知名度を与えられる。 高速詠唱:C 魔術詠唱を早める技術。 彼の場合、魔術ではなく原稿の進みに恩恵があるようだ。 反骨の相:E 儒教道徳を軽視する態度。また、恨みがましい気性。 同ランクの「カリスマ」を無効化する。 【宝具】 『叙事直筆』 ランク:A+ 種別:対史宝具 レンジ:- 最大捕捉:1人 信憑性の低い史料を排し、信頼に足る史実のみを拾い上げた「三国志」の歴史記述が宝具となったもの。 対象が英霊となる事で獲得した能力・スキル・宝具を全て消失させ、生前以下の状態に弱体化させる。 また、歴史上に実在しなかった英霊(神話体系など)ならば存在そのものを抹消する。 対象の知名度が高ければ高いほどに、この宝具の成功率は上昇する。 伝説によって強大になった英霊には最強のカウンターとなる宝具だが、生前から強かった英霊には十分な効果を発揮できない。 『叙事曲筆』 ランク:C 種別:対人宝具 レンジ:- 最大捕捉:1人 私怨で記述をねじ曲げたとされる悪評が宝具となったもの。一種の過去改竄。 対象から魔力を受け取り、その代価として新たな伝承を付与する。 ただし、発動にはお互いの合意が必要となる。また、自身やサーヴァント以外の対象に発動しても効果がない。 捏造した伝承を対象に付与する事で、新たなスキル・宝具を獲得させることができるが、 その規模が大きいほどに、対象が支払わなければならない魔力の量も増大する。 【解説】 三国時代、蜀漢、西晋に仕えた人物。字は承祚。三国志の著者として知られる。 はじめ蜀漢の家臣であったが、黄皓と対立し左遷され、国家の滅亡を迎える。 蜀漢の滅亡後は、かつて父の服喪を怠ったという不名誉により、しばらく任官されなかったが、 羅憲の推挙で西晋に仕えると、歴史家として実績を挙げ、重臣の張華や、皇帝の司馬炎に高く評価された。 しかしながら、張華の政敵である荀勗により左遷されたり、杜預の推薦によって栄転したりと、地位の変遷が激しかった。 また、些細な事で関係がこじれた友人の任官活動を妨害したり、 父母の葬儀や服喪で儒教道徳に反する行動を取り、自身の地位や名誉を失墜させるなど破天荒な人物だったようである。 最期は、太子中庶子に任命されるが、拝命しないまま死去した。 陳寿が若いころ、師匠の譙周は 「君は必ず学才をもって名を上げる。挫折の憂き目に遭うだろうがそれも不幸ではない。慎むように」と言っていたという。 陳寿が記述した史書の中でも最も有名な「三国志」は魏・呉・蜀の三国の歴史を記述したもので、 魏を正当としながらも、かつて仕えた蜀に敬意を払った内容となっている。 その出来栄えは、夏侯湛が自身の「魏書」を破り捨て断筆してしまうほどのものだったという。 一方で、後世からは曲筆を疑われており、 伝を立てる際、その人物の子孫に原稿料を要求し、断られると記述を取りやめたという逸話や、 私怨で記述の内容を歪めたという逸話がある。 さらに蜀漢正統論が広がると、陳寿に対する非難は勢いを増し、 史料によっては「史筆を弄ぶ鬼魅(ばけもの)」とまで称されている。 もっとも、曲筆の噂の元になった逸話の大半は信憑性が低く、 陳寿に対する非難も当時の状況を鑑みれば的を射ているとは言い難い。 【コメント】 伝承発掘 → 『叙事直筆』の鬼畜コンボが全て。非実在英雄キラー。 一方で本人の戦闘能力は低いため、『叙事直筆』で弱体化させても他の鯖には敵わない。 バフを売りに同盟し、的確に実在英雄を落とさなければ勝ち抜けない鯖。
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【元ネタ】戦国時代 【CLASS】アサシン 【マスター】 【真名】陶晴賢 【性別】男性 【身長・体重】158cm・46kg 【属性】混沌・善 【ステータス】筋力B 耐久C 敏捷C 魔力D 幸運C 宝具C 【クラス別スキル】 気配遮断:D サーヴァントとしての気配を絶つ。隠密行動に適している。 ただし、自らが攻撃態勢に移ると気配遮断は解ける。 【固有スキル】 加虐体質:C 戦闘において、自己の攻撃性にプラス補正がかかるスキル。 プラススキルのように思われがちだが、これを持つ者は戦闘が長引けば長引くほど加虐性を増し、普段の冷静さを失ってしまう。 バーサーカー一歩手前の暴走スキルと言える。 攻めれば攻めるほど強くなるが、反面、防御力が低下てしまう。 紅顔の美少年:D 人を惹き付ける美少年としての性質。 男女を問わずに魅了の魔術的効果として働くが、抵抗の意思があれば軽減出来る。 対魔力スキルで完全回避が可能。 【宝具】 『大寧寺の変(てんどうのはからい)』 ランク:C 種別:対人宝具 レンジ:1~50 最大捕捉:10人 本能寺の変と並ぶ『下克上』の代名詞たる逸話が宝具になったもの。 特殊結界『大寧寺』を対象の周囲に形成。 結界内にいる全ての者に対し、1ターン毎に精神干渉による自害判定を強いる。 自害判定の成功率は、アサシンが対象に諫言した回数が多ければ多いほどに上昇する。 精神干渉に対する耐性で回避可能。 【Weapon】 『若楓』 薩摩波平の作刀。刃渡り一尺五寸。 煎海鼠酒を大量に飲んだ帰りに、乳兄弟の伊加賀采女が揶揄するような冗談を口にしているのを聞いて激怒し、 その首を切り落とした時に用いられた。 【解説】 戦国時代の武将。大内家に仕えた。西国無双の侍大将の異名を持つ。吉川元春と義兄弟だったとも。 彼が起こした『大寧寺の変』は『本能寺の変』と並ぶ下克上の例として挙げられる。 大内家の重臣にして名将・陶興房の次男として生まれる。 美貌の持ち主であったことから主君・大内義隆に寵童として夜な夜な通われるほどに寵愛された。 (戦国時代、衆道――すなわち同性愛は珍しいことではなかったが義隆は重度であった) 当時、大内家の傘下にあった毛利元就が尼子晴久に攻め寄せられた時には 若干21歳で救援軍の総大将となり、元就とともに尼子軍を撃退することに成功している。 しかし、続いて尼子攻めの全権を託された際には、意図せぬ長期戦の末に国人衆が次々と寝返り大敗。 義隆の養嗣子である大内晴持も帰路で溺死し、以後、軍事は控えるようになっていった。 この失態によって晴賢(当時の名は隆房)ら武断派は中枢から遠ざけられ、大内家は文治派に牛耳られることとなる。 義隆は公家や寺社の保護や芸事に没頭し「末世の道者」として対外的には名君と讃えられたが、 一方で重税により民や土豪は苦しんでいたとも言われる。 晴賢(当時の名は隆房)は幾度となく義隆に諫言するが退けられ、 文治派の重鎮・相良武任を除くべく暗殺を計画するも事前に発覚。 窮地に陥った晴賢(当時の名は隆房)は軍事力を背景にクーデターを決行し、義隆を大寧寺に追い詰め自刃させた。 以後、大内晴英(後に大内義長に改名)を大内家の当主として担ぎあげ実権を握った晴賢だったが、 対外的には名君として通っていた義隆を除いたことで大逆人となり、明との貿易も停止させられてしまう。 (これにより銅銭の輸入が止まり、戦国の経済は通貨ではなく米を対価に用いる石高制へ以降したという。 また南蛮貿易の隆盛の遠因ともなっている) また、性急すぎる改革が傘下の勢力の反発を生み、吉見正頼や毛利元就の裏切りを招いてしまった。 毛利の裏切りに激怒した晴賢は3万とも5万とも称される大軍を率いて毛利討伐に向かうが、 元就の策略により、死地である厳島へと誘引されてしまう。(これを諌める家臣もいたが、晴賢はこれを処断してしまった) 厳島の戦いでは、毛利軍の奇襲による混乱に加え、村上水軍の包囲により退路も無くしてしまい、晴賢は敗北を悟って自刃した。 実質的な支配者を失った大内家は外敵の侵略と内乱の末に滅亡した。 『大寧寺の変』については毛利家は非難する一方で、大友家の名将・立花道雪は 「思慮を欠いた義隆が、道理を説いている陶隆房より、無道を企てた相良武任を贔屓した」結果であると述べている。
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■アイマス戦記『秀吉』 - 『信長の野望・天下創世PK』 ●登場キャラ:アイマスキャラ水瀬伊織 高槻やよい 秋月律子 三浦あずさ 星井美希 如月千早(山本千早) 音無小鳥 天海春香 菊地真 萩原雪歩 双海亜美・真美 ●登場キャラ:織田家・那古野衆→木下家織田信長 木下藤吉郎秀吉 木下小一郎秀長 前田利家 前田慶次さん(前田利益) 丹羽長秀 池田恒興 森可成 村井貞勝 蜂須賀正勝 前野長康 増田長盛 佐久間信盛(のワのさん) へいはちろーとこへーた 竹中半兵衛 九鬼嘉隆 那古野勝泰 関盛信 本多正信 ●登場キャラ:織田家・清洲衆→反木下派林秀貞 柴田勝家 滝川一益 佐々成政 河尻秀隆 ●登場キャラ:川中島編武田信玄 長尾景虎 山本勘助 武田勝頼 真田昌幸 宇佐美定満 矢崎平蔵 ●登場キャラ:その他史実キャラ松永久秀 松平元康 石川数正 本多重次 今川義元 庵原之政 長野稙藤 下間頼廉 北条氏康 北条氏政 足利義輝 鈴木重秀 ■アイマス戦記『秀吉』 - 『信長の野望・天下創世PK』 時は戦国 これは戦乱の時代を 己が命を燃やし駆け抜けた 群雄たちの物語である 人をたらすが女もたらす、我らが紳士にして名君・木下秀吉の天下統一物語。 ベースはタイトルにもある通り「信長の野望 天下創世PK」。 ただしゲームプレイ場面は少なく(あっても静止画)、大部分はノベル形式で展開される。 コメディ部分も多々あるが根本はシリアス。 戦場の展開図の分かりやすさや状況説明の丁寧さは視聴者に好評を博している。 「おまけ劇場」も人気が高く、「おまけが本編」になることもあるとかないとか……。 (というか、実際におまけだけの回もありました) 作者の日吉丸Pは、この作品がデビュー作となるが、 硬軟の織り交ぜが絶妙なストーリーや、新作うpの速さなどで今後も期待が持てるPである。 アイマス戦記「秀吉」第1話 アイマス戦記「秀吉」 マイリスト ここでは「アイマス戦記『秀吉』」におけるアイマスキャラおよび史実に存在する武将の解説をしています。 オリジナルキャラおよび作中に登場する用語については其の弐を、主要な合戦については其の壱を参照してください。 ●登場キャラ:アイマスキャラ 水瀬伊織 織田家中で代々重臣を務めた水瀬家当主。足軽組頭→侍大将 木下藤吉郎と同格なのが気に入らないのか、初登場の際は馬で跳ね飛ばした上に罵詈雑言を浴びせまくる……のだが、ツンデレっぽいそぶりも見せている。 前田慶次からは「デコ助」と呼ばれる。 当初清洲では無役だったが(柴田勝家や林秀貞ら重臣の嫌がらせとも)、秀吉の機転により編成中だった旗本大将として表舞台に立つ事になる。 的確かつ、柔軟な用兵は親譲り。 清洲の反乱鎮圧後は旧柴田勢を預かり、一軍の大将として木下家の中核となる。三河攻略後は清洲における総責任者に就任。 強気な態度は取るもののおだてには弱いため、操縦されやすい一面も。 合戦においては先鋒を任されることが多く、当人もその事を誇りにしている。故に、他の武将が先鋒を任されたり、真っ先に活躍したりすると途端に不機嫌になる。 本多正信の建言を受けて、諜報網を整備する事を決定する。 実は家中において、秀吉と半兵衛の実力を一番理解している存在。秀吉の神速振りを正確に計測したり、主従の変態言語が、実はかなり後ろ暗いことの相談も含まれていることなどを洞察している。 ◆能力 政治:60 統率:78 知略:74 教養:85 特技:鼓舞 挑発 突撃弐 高槻やよい 尾張中村の土豪・高槻茂弥志之介の娘。 木下藤吉郎のことを「日吉お兄ちゃん」、小一郎のことを「小竹お兄ちゃん」と幼名で呼ぶ。改名したことを伝えても、呼び方は変わらなかった。 藤吉郎に付いて、見識を広めることになった。 大名になった秀吉の小姓となるが、「日吉お兄ちゃん」は変わらず。 その後、伊織と並んで那古野城守備隊の指揮を執ることとなる。 指揮はまだまだ拙いが、戦果を上げる事より生存を重要視する堅実派。 戦場以外でも簡単に命を散らそうする者には、たとえ相手が秀吉であっても異を唱える。 やよいの放つ「やよ癒しゾーン」の前では、これまで敵対してきた者ですら癒してのける力がある。 慶次に礼法を習っている。後に利家から軍学を学ぶ。軍学はやや苦手で、軍議でも三行で解説してもらう場面がよく出てくる。 さり気に物凄い人材ホイホイ。ある意味秀吉の資質を受け継いでいる。 清洲反乱後、伊織の後を受け旗本大将に抜擢される。 秋月律子 足利将軍家家臣。 おまけ劇場「慶次さん言行録」にて初登場。尾張領内で野武士に絡まれたところを慶次に助けられた。 慶次の器量を見込み、足利家に務めるよう説得している。 その後、秀吉一行が上洛した際に本編にも登場。小一郎とは苦労人同士で何かと気が合う模様。さり気に旗が立ちまくってるようなw いつの間にか皆に「りっちゃん」と呼ばれるようになってしまった。この名が後世に残ることは嫌な様子。 対三好包囲網を作成すべく努力するが、三好の謀将、松永久秀に察知され、永禄の変を引き起こすことになる。 永禄の変以降、武田家に仕官。今川と木下家の争いの結末を最初から見抜いており、信玄を唸らせる。 現在の武田を、「人材的には最も優れた家だが、地政学的に見てジリ貧状態」であることを見抜き、状況を打開できる唯一の方策である駿河侵攻を行わない場合、退転する事も視野に入れている。 結局、武田家が天下取りを達成する事が不可能であると判断し、本願寺との盟約を成立させる事を条件に退転する許可を得た。 美濃に寄った途中、朝倉家が戦略の一貫性がないことに着目して、朝倉家による三好討伐を執り行うべく方策を練ることになる。 三浦あずさ 足利将軍家家臣。公家の名門・三条家につながる三浦家の娘。 没落貴族から将軍家に取り立ててもらったため、公家としての特別扱いを嫌っている。 秀吉が上洛した際は、小一郎たちの案内役を任されたが……どうみても人選ミスです。本当に(ry 将軍義輝とは相思相愛の仲であり、義輝の役に立つべく尽力したが、それが三好の怒りを買い、結果、義輝と死別すると言う悲劇にあう。 永禄の変の後、実家が信玄の正室である三条家と所縁があったことから、武田家の客将となり、文武に励んでいる。 武田家退転後、尾張木下家に仕官する予定であったが、様々な事情から、美濃斉藤家家臣の安藤守就の客分となっている。 木曽川の合戦では、客将として進言をするも、悉くが半兵衛の読みの内であり、斉藤家の衰運を止める事はできなかった。 星井美希 旅芸人一座の鉄砲使い。 おまけ劇場「信長さま黒日記」に登場。 一町(約110m)先のサイコロを狙撃できる凄腕の鉄砲使いだが、体術もこなせる。 本作での外見はいわゆる「覚醒美希」。ただし怒りが頂点に達すると、逆覚醒する。 必殺技に「火滅覇目波(実際は種子島での狙撃。ただし、逆覚醒時はエネルギー波を撃てる)」などがある。 逆覚醒以来、はにー(信長)に首ったけ。 信長いわく「魔眼の射手」 如月千早(山本千早) 武田家家臣・山本勘助の養女。武田四郎(勝頼)の近習。 赤子の時に両親を喪っていた所を勘助(美化)に「摩利支天の子」だと解釈され、以後彼の娘として育てられる。 小さい時から兵法書や木刀などが遊び道具で、孫子を子守唄にして、木刀持つと泣き止む。 気が付いてみたら男勝りの姫武将になってましたw 尾張の内乱の結果を正確に言い当て、勘助や謀将真田幸隆を驚愕させる。 勝頼のことを第一に想い、勝頼も千早を大いに信頼し、互いに兄妹(精神的には姉弟?)のような絆を持つ。 川中島合戦では勝頼の勇と千早の智が見事に噛み合い、劣勢からの逆転に成功する。 口調が厳しく、味方家臣にも容赦ない言葉をかける。信玄曰く「抜き身の名刀」とは言い得て妙。 勝頼の成長を喜ぶ反面、同時に勝頼との結び付きが弱まっているように感じて不安を覚えている。 対長尾戦での戦略の一環として蘆名・本願寺とでの包囲網を提案するなど、武田の戦略に影響力を発揮させているが、そのことが一部重臣層から警戒される事になる。 父である山本勘助の進言により、1年間勝頼の下を離れ、信玄の下で学びながら、山本家の次期当主としての研鑽を積む事になる。 1年後、山本家当主となり勝頼の下に向かうが、千早の代わりに付き従っていた真田昌幸と、嫉妬心から対立してしまう。 音無小鳥 三好家家臣・松永久秀の部下。 元々は三好家の家臣だったが、主君・長慶の前で妄想を繰り広げて罷免。才能を惜しむ久秀に召抱えられた。 実力はあるが、仕事中にもあらぬ妄想を繰り広げるのが欠点。しかも、ボンバーマン曰く日増しに悪化しているらしい。久秀も、もはや「ダメ無し」としか呼ばない。 婿取りにかける執念は凄まじく、サイガ人・鈴木重秀でさえ小鳥に目を付けられたときにビビってしまったほど。 信長いわく「沈黙の災厄」 おまけ劇場を跳び越えて本編にも登場している。 天海春香 おまけ劇場「信長さま黒日記」に登場。元大和筒井家の重臣の娘。「お嬢」と呼ばれる。 父が一向宗に帰依したことで背信を疑われ追放される。 謀反人とされてしまった農民や小坊主たちと共に石山本願寺に向かおうとしていた。 一向宗の教えを真摯に受け、いたって前向きな事から多くの人に慕われている。 油断すると、名前が「モブ春香さん」になってしまう。 歌を嗜むが、その実力は「勢いで歌ってみた」や「音程が来い」の札(タグ)がつくレベル。 +以下ネタバレ注意 後に豊臣家五大将に就任することになる。後世の評価として「将に将足る器を持つ」とされる。どこの高祖ですかw 菊地真 越後長尾家家臣。宇佐美定満の配下。 明朗快活で、定満などの他の家臣からも可愛がられている。武力に長け脳筋、という安心の真スペック。 川中島合戦にて初陣を飾る。 定満を討たんとする武田勝頼に立ちはだかるも、勝頼に口説か…もとい、勝頼の説得に戦気を削がれてしまう。この件で大いに勝頼に興味を持ち、敵なのに「勝頼様」と呼んでしまう。天然ジゴロが天然ジゴロにやられたんですね、わかります。 川中島合戦後、定満に「将としての器がある」と買われ、宇佐美勢五十騎の将となる。 萩原雪歩 北条家家臣。 内向的、自虐的な性格は変わらずだが、内政や外交の手腕は北条氏康も認めている。 元々は武蔵にいたが、長尾家の侵攻があった際に山賊に追われていたところを氏康に保護された。 お茶のことには真剣で、雪歩の淹れるお茶(通称「ゆきぽ茶」)は家中はおろか武田家でも評判が高い。 長尾家の真とは面識あり。しかし現状では敵同士であるため、戦う覚悟がある旨を(無理した様子だが)氏康に告白している。 双海亜美・真美 伊勢と伊賀の国境沿いを根拠地とする、賊を退治する集団「とかち党」の党首、唐嘉智坊の養女。 元々、赤子の頃に山中に捨てられたのだが、唐嘉智坊に拾われて、以来、養女として過ごしている。 相変わらずのネーミングセンスで、五郎左を「ゴロちん」那古屋を「ウホッち」呼ばわりである。 丹羽の説得に応じて木下家に雇われる事に。尚この時、変態主従は幼女加入の気配を察知した狂喜乱舞したが・・・ ●登場キャラ:織田家・那古野衆→木下家 織田信長 織田家当主→旅芸人一座の看板芸人? ちゅうに病という不治の病のため、弟(にでっち上げた秀吉)に家督を継がせ、出奔。 後におまけ劇場「信長さま黒日記」の主人公として再登場する。 必殺技として「覇王炎殺黒龍波(実際は種子島での狙撃)」などがある。 本願寺の坊官・下間頼廉との闘いを経て、一時的に本願寺に協力をすることに。 自称「覇に征く黒天の孤王」。そのため美希から「はにー」と呼ばれる。 木下藤吉郎秀吉 織田家家臣→織田(木下)家当主。足軽組頭→大名。口が上手く、人たらしの名人。 伊織の罵倒に過剰反応するM紳士。 やよいの一挙手一投足にも過剰反応を見せ、「旗が立った」とのたまう。 かと思いきや、嫌われている・嫌っている相手であっても悪い所より良い部分を持ち出す人間が出来た人物でもある。 思わぬ出来事で信長から家督を譲られ、尾張太守として戦国大名としての一歩を踏み出すことになる。 女性に対しての発言は痛いが、戦国の世を終わらせる理想に燃え、政治・戦略・人心掌握に確かな手腕を発揮する。 +以下ネタバレ注意 理想である「正義の軍」を木下家全体に理解させるため、北伊勢攻めで軍法を破った小一郎を敢えて諸将の面前で面罵し罰しようとする。その後小一郎の元を訪れ、号泣する。史実どおり家族想いの一面も見せる。 木下小一郎秀長 藤吉郎の弟。織田家に仕官した兄藤吉郎の強引な勧めで故郷・中村を離れて兄と行動を共にする。 いささか女心に疎く、「旗潰し」の異名を持つ。 地味な風貌から、伊織にはそのまま「地味男」と呼ばれる。一応当人も気にしているようでイメチェン(顔グラは革新グラ)したりもしたが、やよいと小姓組以外気付いてもらえなかった。 やよいに変な虫(おもに兄貴)がつかないよう、目を光らせている。 大名になろうとする秀吉の決意を知り、一生付き従う事を決心する。 ……が、秀吉が自重しない場合は鉄拳制裁も辞さない。後に「ゲージ溜め」を会得し、ゲージMAXになると超必殺技(ex.龍虎乱舞)を炸裂させる。ゲージが溜まり始めると流石に秀吉も自重する様子。 村井さん、丹羽さんと並ぶ木下家の良識トリオの一人。 初陣では寡勢ながら、滝川一益等の猛将相手に奮戦。清洲勢の鎮圧後、清洲城主として旧林勢を預けられ木下家筆頭格になる。 天下を目指し明確な指標を持つ兄の姿に自らの不甲斐なさを痛感し、伊勢攻めでは当初留守居だったが出陣を申し出る。 掴み所が無い秀吉の心中を把握している数少ない一人で、自らの宣言に迷う兄に献策する賢弟の鑑。 +以下ネタバレ注意 北伊勢攻めでは、先に秀吉が出した略奪、焼き討ちの禁を破り国境の橋を焼き落とす。 その際評定の面前で秀吉に面罵や轟打され、手討ちにされる所をやよいの助命嘆願により橋の修復と謹慎処分になる。だが、実際は秀吉が理想とする「正義の軍」、すなわち上下関係無く軍規を護り、天下万民の軍勢を喧伝するための苦肉の策であった。 史実同様、かなりの仕事を抱えており、利家からもその点で秀吉に苦言をするが、それは、どこか自分に自信が持てないでいる秀長に自信を持たせ、最終的には自らの後事を託せるだけの存在になって欲しいとする秀吉の期待によるものであった。 現状を打破する為に、尾甲相新三国同盟を構想し、塩と火薬の優先販売を手土産として、武田との相互不可侵の交渉を成立させた。 木曽川の戦いでは、偶然にもあずさと対峙することになり、追撃戦の機会をみすみす失う行動を取る。 北条家との外交交渉では、その誠実さ洞察力。何より息のあったツープラントン攻撃を成功させた事から、氏康の信頼を得、尾甲相新三国同盟締結を成功させるに至る。 前田利家 藤吉郎の親友。前田家当主。 『槍の又左』の異名を持つ。幼名が犬千代なので、伊織からは「バカ犬」と呼ばれる。 織田家家臣だったが、信長の勘気に触れ、寺院に逼塞している。 某少年雑誌での「算盤親父」やBASARAなゲームの「裸の野生児」のイメージは皆無で、若輩ながらある種の威厳を漂わせている。史実では若かりし頃は自尊心が強い派手好きの傾奇者であり、後世の遺品等にある黄金色の鎧兜はその名に相応しい。 秀吉の覚悟を目の当たりにし、親友として共にあろうと決意。前田家一同で助勢する。 反乱鎮圧後、伊織と並ぶ家臣団の中核となる。面倒見が良く家中でも人気者。 調練後、佐久間信盛とこへーたの組み合いを見て少年二人に確かな資質を見出し、やよいとへいはちろーとこへーたの師を買って出る。 木下家では秀長らと並んで良識派の代表格として、新規採用の竹中半兵衛の寵愛振りを危惧して諫言もしている。 戦場においては、木下軍中核として重きを成している。村井貞勝がいない場合は、彼に代って「うぉっほん!」の役を務める。 普段は重臣として秀吉に接しているが、2人きりの時は『親友』として秀吉に忠告をするのを惜しまない好人物である。 三河攻略後、秀吉の命を受け、元康切腹の介錯を勤めた。 前田慶次さん(前田利益) 織田家家臣。前田利家の兄・前田利久の養子。そのため利家の甥に当たる。 謙虚な黄金の鉄の塊の傾奇者。人の話を全く聞かない上、独特な話し方をする。「おいィ?」が口癖。 キャプションや自称では常に「(前田)慶次さん」。当項目でも「さん」付けだがどこもおかしくない。キャプションが「前田利益」のときは「さん」付けなし。だが自称は「慶次さん」のまま。 言動はアレだが基本的には好漢。傾奇者に絡まれていた伊織とやよいを助けた。 おまけ劇場「慶次さん言行録」では、野武士に絡まれていた律子を助けた。 自信過剰な物言いだが、その言動に相応しい実力も持ち合わせる。 また本来は誰よりも自由を愛する性格ながら、養父利久を大切に想っている事から窮屈な家臣務めをしている非常に義理堅い面を併せ持つ。 清洲の反乱時には前田勢先陣として正に漫画さながらの活躍を見せる。あっちと違い叔父の利家とも仲は悪くない。 秀吉の護衛として上洛した際、京の空で信長とバトルを繰り広げ、互いをライバルとして認め合った。 利家配下である友人・奥村助右衛門を訪ねた際、ひょんなことから荒くれ者部隊の大将に祭り上げられる。ただ、大将にも拘らず一騎がけの武者の気分が抜けていない為、利家から反省を促される。 信長いわく「血に彩られし魔槍」 丹羽長秀 織田家家臣。那古野城城代。那古野城の家臣のまとめ役であり、戦力の差がある清洲との対立に悩んでいる。 当初から木下兄弟のことは評価しており、特に(上司に苦労している意味で)境遇の近い小一郎に肩入れしている。 秀吉本人から中立を保って欲しいとの願いを受けるが、彼こそ尾張の未来を託するに値すると確信、池田恒興・森可成と共に木下家に忠誠を誓う。 以後も上洛や遠征をする秀吉の名代として、家中の重鎮として尾張の統治に精を出す。 木下家の良識トリオの一人。 伊勢攻略後、秀吉の命により伊勢統治の最高責任者に抜擢される。 池田恒興 織田家家臣。信長とは乳兄弟。 旗本大将になった伊織の模擬戦を見学していたが、彼女の副官になったことで釘宮病に感染した模様。 清洲勢との戦いで当初中立だったが、秀吉に助勢。 時が経つほどに釘宮病が悪化している。その酷さは、池田家家臣団が完全に匙を投げてしまったほど。 森可成 織田家家臣。 やよいの要領を得ない命令に放って置けなくなる。 清洲勢との戦いでは当初中立だったが、秀吉に助勢。 その後やよいに傾倒して彼女の言葉が「我が天命」とまでなる。 村井貞勝 織田家家臣。織田家きっての能吏で、秀吉を主として認める一人。 公私をキッチリ分ける厳しい人柄で同時にやよいの才能を認める大人な人。 自由人が多い木下家において「うぉっほん!」「…困ったものだ」が口癖。口癖や苗字、木下家での役割から「銀河英雄伝説」のムライ参謀長をイメージする視聴者が多数。 木下家の良識トリオの一人。咳払い一つで場の空気を変えるスキルを持つ。ただしやよいが絡むと、その良識に疑問符がついているような・・・ 能吏としても外交官としても前線で戦う武将以上の胆力でこなす武士(もののふ)。 蜂須賀正勝 蜂須賀党頭領。 一時期、秀吉を配下としていたことがある。 講談や太閤記では野盗の親分とされているが、実際は蜂須賀郷を拠点とする国人領主である。 清洲反乱時には後方撹乱や奇襲による滝川勢の撃破で勲功第一となる。 伊織からは「不良中年」と呼ばれている。 どっかの骸骨を部隊章にしている大酒呑みな人の声がするが、気のせいである(CV:神谷明)と思いきや、日吉丸Pもコメントで言っている通り「超時空要塞マクロス」のロイ・フォッカー少佐がキャラのモチーフになっている。 前野長康 正勝の義弟。秀吉とは顔見知り。 言動は荒っぽいが気はいい男。改まった場や敬語はちょっと苦手。 秀吉の伊勢攻略の傍ら、対三河戦での調略を実行に移していた。 増田長盛 清洲城下にいた浪人。力仕事はからっきしだが、事務や計算は自信あり。というか、史実じゃ五奉行だものねぇ… やよいの助けもあって、村井貞勝の補佐役を務めることになった。 まだまだ若輩で経験不足なせいか敵地での使者は慣れていない。 最近は信盛と組む事が多く、結構ストレスを溜めている。 上司である村井さんが三河に行ったので「これで楽になれる」と思ったのもつかの間、伊織が総責任者として赴任した事で、彼の淡い目論見はもろくも崩れ去った。 正信曰く「独創性はないが実務能力は合格」「怠け癖と向上心がないのが欠点」と、実に的確な評価を下している。 佐久間信盛(のワのさん) 織田家家臣。元清洲衆。本来は同格の柴田勝家に顎で使われる。 「信盛は黙ってて!」 清洲反乱時には城で留守居を命じられていたが、事前の蜂須賀党による諜略で木下家に寝返る。 名前が時折(のワの)になり、秀吉ややよいから「のの……信盛(さん)」と呼ばれることもしばしば。 一応空気が読める。 モブキャラ扱いされたり、槍の稽古でこへーたに吹っ飛ばされたり、碌な目に合わない。 撤退戦における防御は、伊織が認めるほどの粘り強さを見せるが、それ以外は機動が遅く、伊織との模擬戦でも連戦連敗している。 木曽川の戦いの前哨戦では、見事な遅滞防御戦を展開し、木下家勝利の立役者となったのだが、活躍は見事に割愛されたw へいはちろーとこへーた 三河の浮浪少年。半ば追い剥ぎまがいの事をしていたが、やよいの「お姉ちゃんの家(木下家)に来る?」との誘いでやよいに付いていく。 その際、やよいの主である秀吉にも忠誠を誓う。何故か顔グラが柴犬。 やよいに連れられ、清洲城の見学に来ていた所で調練をしていた利家からの申し出を受け、彼を師匠としてやよいと共に武芸や軍学を学ぶ事になる。 以後秀吉の小姓として評定にも顔を出す。 真面目モードのときは、口調や顔グラも猛々しい武者のものになる。だが「やよいお姉ちゃん」は変わらず。 +以下ネタバレ注意 その正体は徳川四天王の本多平八郎忠勝と榊原小平太康政。家康マジで涙目w史実では忠勝(へいはちろー)は秀吉の再三の勧誘でも固辞し、康政(こへーた)は秀吉を弾劾する檄文を書いて10万石の懸賞(米1石=現在の約10万円で換算すると100億円д ゜゜)を掛けられるほど、双方とも秀吉と因縁がある。ある意味凄いタナボタw その後、利家の弟子として「いずれは木下家の柱になる」と太鼓判を推される。10年以上も遅い入りの賤ヶ岳七本槍マジに涙目w 竹中半兵衛 元斎藤家家臣。 「麒麟児」と称されるほどの智略に秀でるものの実績がなく、当主・斎藤義龍との折り合いも悪いため不遇を囲わされていた。 安藤守就からは目をかけられ、縁談を持ちかけられているがすげなく断っていた。 秀吉が半兵衛に興味を持ち、自ら赴いたところお互いの器量(笑)を見抜き意気投合。木下家の家臣となる。 本人の性格にも問題あり。登用前はセリフの雰囲気から、新たなるちゅうに病患者かと思われたが……? +果たしてその実態は? 残念ながら、秀吉とタメを張る変態紳士でした。しかも美○女萌え。半兵衛オワタwしかも時が経つごとに、秀吉と手話で変態(もののふ)会話をしたり、やよいの3行説明の役を狙ったりと、もはや末期である。 裸足袋や超ミニ浴衣などの萌え衣装を伊織ややよいに着せようと苦心中。まさに才能の無駄遣い! 池田恒興、森可成に目をつけられている(某のいおりんorやよいタンに手を出すな!的な意味で)。 ただし、乱世を終結させたいという願いも持っており、本来の軍師としての役目も怠りはない。 前線に出るのではなく「前線の将兵が全力を出せる状況を創る」という軍師の本分を忘れていない。 戦略、戦術面において縦横にその才覚を振るう傍ら、同僚のスキルアップをさり気なくお膳立てするなど、人材育成にも余念がない。 松平元康の事を「天の時さえあれば天下を取れた人物」と評価する傍ら、元康の存在が木下家にとって災いでしかないとして、斬首を進言した。 当人曰く「戦は副業」。お前はどこの中日の左腕だw 九鬼嘉隆 元長野家家臣。九鬼水軍頭領。 世渡り上手であり、秀吉の北伊勢攻めの際にも長野家の敗北を予感し、その後の身の振り方を考えて行動していた。 自分や配下の家族を人質に取られており、長野家を裏切ることはできなかった。 長野家滅亡後、秀吉に自らと水軍を売り込む気満々であったが、逆に秀吉からの「海の諸事すべてを任す」「実力を示せるなら人質不要」という破格の条件に感じ入り木下家に下る。 那古野勝泰 元尾張斯波家家臣→QSH(急に斯波家が滅んだので)浪人→元長野家家臣。 「ウホッ」という口癖から分かるとおり、男色の紳士。利家に心ときめかせている。 長野家滅亡後は木下家に下るも、利家の隣の席はまだまだ遠い様子。(´・ω・`)ウホーン 又左一途かと思いきや、最近は五郎左にも胸をときめかせる辺り、紳士道に磨きをかけている。ピヨ助と話し合いそうだな、こいつ。 関盛信 元長野家家臣。 当家の不利を承知でありながら、最後の最後まで木下家に抵抗した忠臣。 滅亡後も木下家に下ることを良しとせず斬首を望んだが、やよいの一喝により助命放免された。 その後、南伊勢の北畠家を頼る。しかし木下家の脅威を説いても受け入れられずに悩むこととなる。 北畠家滅亡後に、やっと木下家家臣に。そしてあっさりと、やよいゾーンにハマってしまうのであった。しかしハマり方が尋常でなかったため、同じく北畠家から木下家家臣となった鳥屋尾満栄とともに、村井貞勝にきつくマークされてしまう。 本多正信 元松平家家臣。 武辺者の多い松平家において唯一と言っても良い謀将であり、また主君元康とは君臣の間柄を超えた「友」。 今川に従属している状況には終始否定的であり、主君の才知を生かすためにも木下家との同盟を元康に進言するも否決される。元康や主だった重臣の妻子が人質になっているため、元康が躊躇した。 その為、単身木下家に使者として赴き、木下家から同盟許諾の回答を持って、元康や家臣団を説得するよう目論むも、秀吉から「家臣団の意思統一→元康の意思決定→木下家への交渉」でなければ、絶対に纏まらないと拒絶され、このまま戻っても裏切り者として処断される為、木下家に留まる事になる。正信自身は元康を説得できれば何とかなると考えたのだが、秀吉は「元康の威を借りたもの」として感情的な反発しか生まれず、結果的に失敗に終わると判断した。 また秀吉も正信の投降理由に疑念を抱いており、秀長に身柄を預けている。 実際、正信の投降理由はあくまで木下家の中で松平家を残すためのものであった。 主君元康を自害させてしまった自責から、酒びたりの毎日を過ごしていたが、伊織の言葉を受け、伊織付きの参謀として手腕を振るう事になる。 清洲赴任後は、斉藤と今川の同盟を見抜いたり、諜報網作成を伊織に進言したりと、その才を無駄なく発揮している。 ●登場キャラ:織田家・清洲衆→反木下派 林秀貞 織田家家臣。筆頭家老で清洲奉行。 反秀吉派で、清洲の土豪の協力を仰ごうとするが…… 話が進むほどに人望も立場も無くしてしまっている。まぁ自業自得なわけですがw 柴田勝家 織田家家臣。清洲奉行。 史実通り反秀吉派の筆頭。 清洲反乱で首謀者になるが、秀吉の戦略に一日で破れ一族郎党揃って尾張追放となった。 その後伊勢長野家に迎えられるが、警戒されて客分としての扱いしかも監視付きである。 秀吉の北伊勢への調略で伊勢を追われる。 林秀貞に比べると、滝川一益たちからの人望も得ている 伊勢より放浪後は、明智光秀共々松永久秀配下となっている。 滝川一益 織田家家臣。 佐々成政 織田家家臣。 伊勢より放浪した後は武田家に仕官。鉄砲に詳しい事から重用されている。 一方で、空気が読めないのは相変わらずで、伊織が武田に使者に赴いた時は空気の読めない発言を連発。信玄の怒りを買って謹慎させられることになる。 河尻秀隆 織田家家臣。 ●登場キャラ:川中島編 武田信玄 武田家当主。ご存知御館様。 チート的采配はここでも健在。女好きな面もあるが、木下家の紳士に比べたらまだまともな武将。信玄の紳士分はしっかりと遺伝されており、勝頼のフェミニストぶり、五郎のショタ紳士ぶりにそれがうかがえる。 日吉丸Pは「重度の武田贔屓」と語っており、武田家全体にプラス補正がかかっている……かもしれない。 律子をして「万全の体制を敷いてから行動に移す」と評され、大怪我をすることはないが、その代償として一気の飛躍はないと判断される。 今川家の凋落振りに、もはや盟友になり得ないとして見切りをつけ、木下家と結ぶ事を今後の方針として決定した。 長尾景虎 越後長尾家当主。ご存知軍神。「上杉謙信」を名乗る前での登場。 敵の闘気が見える、自らを毘沙門天と名乗る、など常人離れした感覚の持ち主。そこ、「ちゅうに病っぽい」て言わないw しかし毘沙門天の自称はハッタリではなく、並の兵では近づくこともままならない凄まじいオーラを持つ。 山本勘助 武田家家臣。武田軍の軍師を務める。 両親を喪った千早を養女として育てる。姫武将となった千早には「悪いところばかり似てしまった」と少し後悔。 川中島合戦では濃霧を利用した「啄木鳥戦法」を進言。しかし、宇佐美定満に策を読まれピンチを招くことになる。 信玄と諏訪御料人の子である勝頼を、信玄の後継ぎに、と願っている。 義信派の策謀をかわす為、わざと義信派の意見を受諾しつつ、裏では真田家との盟約を為し得たり、娘である千早に自身の知りえる能力を伝授させようとするなど、数々の布石を打っている。 武田勝頼 信玄の庶子。通称は「四郎」。 近習の千早に大いなる信頼を寄せており、その様は兄妹(精神的には姉弟?)のよう。しかし、このことで視聴者に死亡旗を立てられてしまう。勝頼を案じて思いつめる千早には「自分のために死ぬのではなく、自分とともに生きよ」と諭す。それ、何てプロポーズ? 義信派の策謀で千早と分けられそうになった時は、「人は城」の故事を出して断り、面目を上げることになる。 初陣となった川中島合戦では千早の進言で別働隊からの単独行動をとる。結果、見事に敵の側背から陣を突き崩し、一躍勇名を挙げた。その一方で、長尾景虎の威圧に一歩も動けず、現在の自分では遠く及ばない事を悟った。 その後、かの長野業正が待ち構える上州箕輪城も攻略成功。 攻めるだけでなく引き際も弁え、千早の諫言にも素直に耳を傾ける、器量の大きい若武者。太郎義信マジ涙目。 一発で真を女子と見抜き、「女子は慈しむべきもの」と語る(本来の意味での)紳士でもある。 真に対して美しいというなど、まさかの天然ジゴロの気もあり。ちーちゃんとの修羅場旗が立った? 上述の通り見事な若大将振りを発揮し、信濃衆はおろか、甲斐衆の中でも人気が高いのだが、このことで義信派や、信濃衆の台頭を喜ばない甲斐衆から敵意の的となっており、奥信濃戦線に飛ばされる事になる。 真田昌幸 幸隆の三男。ご存知チートパパ。若いけど。 信玄の近習として初登場。川中島の合戦でも戦況を的確に読み、才能の片鱗を見せる。 信玄の近習となる千早に代わって、勝頼に付き従って奥信濃戦線へ赴く。 この動画でも相変わらずの頭の冴えを見せ、千早の出番を奪うことも。 千早いじりに目覚めており、勝頼と千早の関係を眺め2828している。その一方で、勝頼の信頼を一身に受ける千早に嫉妬し、そんな自分もまた千早に惹かれている素振りを見せるなど、内心複雑なようだ。 宇佐美定満 長尾家家臣。長尾軍の軍師を務める。 勘助を終生のライバルと目し、信玄・勘助の打倒に燃える。 川中島合戦では濃霧を用いた勘助の策を逆手にとり、序盤からの猛攻に成功。しかし…… 余命がないことを悟り、次代への種を撒くことを使命と感じている。 武田の越後包囲網を見破り、それへの対処策を講じるが、全ては信玄の想定範囲内であった。 矢崎平蔵 長尾家家臣。宇佐美定満の配下。 真の良き兄貴分。先輩として真に助言をする。語尾に「ごんす」をつけている。 元々は甲斐の農民だが、武田信虎に想い人を殺され、武田への復讐心で長尾家に仕えた。 真の天然な行動によってまっこまこにされてしまっている。 定満には「将器なし」とされるも、兵としての経験の豊富さを買われ真の副将を務めることに。がんばれ平蔵P! ●登場キャラ:その他史実キャラ 松永久秀 三好家家臣。 108式ある焙烙球の使い手。 主君・長慶に対する思いは複雑な模様。 信長と美希を手下にしようとする。 三好三人衆をけしかけて、将軍義輝を謀殺する事に成功するが、重臣達の離脱を防ぐ事はできなかった。 三好三人衆の無能さに完全に匙を投げており、勝家と光秀と言う良将が配下に加わったことも相まって、三将に代わって石山攻めの総責任者になることを目論んでいる。 松平元康 今川家家臣。史実では後に「徳川家康」を名乗る。 アイマス架空戦記ではネタキャラとして描かれることが多いが、ここでは至ってまともなキャラ。日吉丸Pは「アンチ家康」と語っており、彼の扱いに苦慮した様子であった。 今川家においては、彼を謀反人視する勢力も多く、忍従の日々を過ごしている。 おまけに木下家に青田買いまでされてしまい、その上謀略神まで木下家に降ってしまい史実以上に踏んだり蹴ったりである。 木下家との戦では、目付け役の今川勢の無能さに徹頭徹尾振り回され、大敗を喫してしまう。 駿河に残してきた人質達の命を守る為、敢えて徹底抗戦の道を選ぶが、同時に、どれだけ多くの家臣たちを生き延びさせる事ができるかが自分に残された役割であると判断している。 岡崎城で決死の防戦をするが、劣勢は覆らず、自分を慕ってくれる家臣たちのために、自らの命と引き換えの降伏条件を受諾した。 戦後、秀吉に『三河の宝』である家臣団を託した後、自刃。 石川数正 松平家家臣。西三河衆の旗頭。 主家を守ろうとする為に、敢えて木下家と通じていたが、結果的には西三河衆の大半が秀吉の調略にかかってしまい、木下家と松平家との和平どころか、情勢を悪化させる事になってしまった。 当人もそのことを気にしており、対尾張攻めでは、秀吉から貰った金で編成した鉄砲隊で交戦するも、伊織の騎馬隊に手もなく打ち破られた。 合戦終了後、本多正信とともに元康への降伏の使者として説得したが、受け入れられる事はなかった。 本多重次 松平家家臣。 めんどくさい三河武士団の中でも、最もめんどくさい男。鬼作左の異名を持ち、史実のエピソード見ればどれもこれもが・・・ そのあまりのめんどくささは、やよ癒しゾーンですら、殆ど効果がないという、驚きのめんどくささである。もっとも、二回目のやよ癒しゾーンの前には屈する事になったが・・・ 二度と三河の者が大国に翻弄されない為に、秀吉の直臣となって、元康の遺言を守るか監視すると宣言。旗本の副将となりやよいを補佐する事になる。 今川義元 今川家当主。 天下取りの野望に燃え、近々上洛の軍を起こすことを考えている。 息子である氏真に経験を積ませる為に、わざと評定にも顔を出さないなど、後継者育成にも余念がない。 師であり頼れる右手でもあった雪斎が病没したことに愚痴を零している。 家中の火種になっている松平家については、既に切り捨てる事を決意しており、松平大敗の報にも眉1つ動かさなかった。 半兵衛をして「構想力に関しては海道一の弓取りにふさわしき存在だが、惜しむらくはそれを実行できるに足る人材が現在の今川家中にはない」と評された。事実、木下家の三河侵攻で後手後手に回った家臣団に嘆きの連続であった。 結局、自らが陣頭指揮にたって木下家への調略を開始し、秀吉・半兵衛と互角の戦いをするが、部下の無能ぶりに足を引っ張られてしまい、最早凋落振りに歯止めがかからない状況である。 庵原之政 今川家家臣。 国営放送の某番組で一躍有名になった人。当然、何かあるたんびに身体が震える。 松平勢の軍監として派遣されるが、徹底的に松平勢の足を引っ張り、ぶちぎれた元康に殴り飛ばされる。 その後、木下勢の侵攻に慌てた鵜殿に見捨てられる形で岡崎城に留め置かれたが、このことで覚醒し、以後、元康に協力的な態度をとる。 木下勢の降伏勧告が行われた時は、「自分達は松平勢には迷惑をかけない」として、元康の判断に制約をつけるようなことはしなかった。 長野稙藤 元長野家当主。名前の読みは「たねふじ」。 木下家の電撃の北伊勢攻めに全く対応できず、わずか13日で敗戦。長野家を滅亡させてしまった。 滅亡後は息子の藤定共々、南伊勢の北畠家に逃げ落ちた。 下間頼廉 本願寺坊官。 京を追われた旅芸人一座を呼び寄せた際、一向宗を信じて来訪した春香たちを快く迎える。 その際、どんな逆境でも前向きな春香に「感動した!!」と保護を申し出る。 美希には「つるりん」とあだ名されてしまう。ハゲちゃうわ! +以下ネタバレ注意 旅芸人一座を招待したその真意は鉄砲の扱いに長ける信長と美希を引き入れるためとも取れる発言が・・・ 旅芸人一座を人質として、信長と美希を招聘せんとするも失敗。信長との直接対決を申し出る。 彼もまた、気を攻防に巧みに使う「力」の持ち主であった。 信長との対決は引き分けに終わり、一時的であるが彼らの協力を得ることに成功する。 信長いわく「厳格なる破壊者」 北条氏康 北条家当主。 軍略は信玄らに一歩譲るものの、内政のチートぶりで関東の雄として君臨。が、雪歩がらみになると、常識人枠から一気にお笑い枠に転落する事に。 ゆっくりでも着実な成果を挙げることを良しとしている。戦乱を忌み乱世の終結を目指す。 真面目で苦労人だが、雪歩の淹れたお茶にほっこりする様子も見せている。 「雪歩はわしが育てた」というのを自慢している。 北条氏政 氏康の次男。 北条家の残念な息子。雪歩に自重せず、その度に氏康の制裁を食らい画面外に駆逐されている。最終的には、氏康と秀長によるクロスボンバーをまともに食らうことになった。 名前とセリフの枠があるのに顔グラがない、という放置のされっぷりに定評がある。 足利義輝 足利十三代将軍。剣豪将軍とも呼ばれる。 地に落ちた幕府の権威を復活するべく、三好包囲網の作成を指示するなど、精力的な活動家。 その一方で、律子を「りっちゃん」と呼んでみたり、あずさの事を大切に思うなど、(本当の意味での)紳士ぶりも見せる。 前述した三好包囲網によって、三好の怒りを買ってしまい(中心人物は松永久秀)、30倍の戦力差で御所に攻めいれられることになる。剣豪将軍の名にふさわしく、50名以上を斬り捨てるも、戦力差は圧倒的であり、最後はあずさの笑顔を思いながら、燃え盛る御所の奥深くで自刃して果てた。 鈴木重秀 鉄砲を駆使する傭兵集団・雑賀衆の中心人物。他作品では「鈴木孫一」「雑賀孫市」と呼ばれることもある。 雑賀衆は好戦的且つ戦いに関してはシビアで、下間頼廉などからは「戦闘民族・サイガ人」呼ばわりされるほど。ちなみに秀重以外のサイガ人の画像はかなりアウト(ト○ヤマ先生的な意味で)。 自称「サイガの誇り高き王子」……なのだが、美希には「玉子」と呼ばれている。 うっうー、サイズが満杯になりました。分割しなくちゃですが、「史実キャラ」と「オリキャラ&用語集」でいいでしょうか? -- 木下家編集衆其の壱(仮) (2009-08-28 23 29 27) それでよろしいのではと思います。(分割作業下手なんでお願い致す) -- 木下家編集衆祖の弐(仮) (2009-08-29 00 12 19) 本文、メニューともに分割・修正(ついでに加筆)しました。不足や間違いがありましたら指摘よろ→に候 -- 木下家編集衆其の壱(仮) (2009-08-29 00 47 19) またサイズが一杯になりそうです。分割作業は下手なので、誰かお願い出来ませんか? -- 木下家編集衆其の参(仮) (2010-09-26 13 38 58) 名前 コメント
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ウォーラウォンサーティラートアユタヤ朝タイ????~1548統率:C 武力:C 政治:C 知力:B 文化:C 魅力:E--------------------------------------------------------------------------------アユタヤ王朝第17代国王。クメール人。国王チャイヤラーチャーティラートの妃シースダーチャンと通じ、徐々に権力を握り、夫と子を殺させ、自らが王位に就いた。しかし、重臣らには受け入れられず、クン・ピレーントーンテープ(後のマハータンマラーチャーティラート)らによって象狩りと称して暗殺された。 サンペット1世(マハータンマラーチャーティラート、クン・ピレーントーンテープ)アユタヤ朝タイ????~1590統率:B 武力:B 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------アユタヤ王朝第20代国王。スコータイ王家の末裔。クメール人のブンシーがウォーラウォンサーティラートとして国王に就くと、クーデターを起こしてチャクラパットを王位につけた。この功績でピサヌロークの知事となった。ビルマのタウングー王朝の侵攻でアユタヤ朝が崩壊した時、アユタヤの統治を任された。 シーシンアユタヤ朝タイ????~????(16世紀)統率:D 武力:D 政治:D 知力:D 文化:D 魅力:D--------------------------------------------------------------------------------アユタヤ王朝第16代国王。ロッブリー家出身。チャイヤラーチャーティラートとシースダーチャンの子で、ヨートファーの弟。兄王の死後、王位に就くが、間もなくブンシーが王位に就くために廃された。 シースダーチャンアユタヤ朝タイ????~????(16世紀)統率:B 武力:C 政治:C 知力:D 文化:D 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------チャイヤラーチャーティラートの王妃。ヨートファーの母。クメール人のブンシーと通じ、夫と子を殺し、ブンシーを王位に就けた。 チャイヤラーチャーティラート(チャイラーチャー)アユタヤ朝タイ????~1574統率:B 武力:C 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------アユタヤ王朝第14代国王。ロッブリー家出身。ラーマーティボーディー2世の息子。ピサヌロークの国主だったが、クーデターを起こし、ラッサダーティラートクマーンを廃して国王に即位する。潜水と火渡りによる裁判制度をつくり、来朝したポルトガル人から鉄砲傭兵部隊を編成した。後に妻のシースダーチャンに毒殺される。 チャクラパットアユタヤ朝タイ1512~1569統率:C 武力:C 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------アユタヤ王朝第18代国王。ロッブリー家出身。僧籍にあったが、還俗して国王に即位する。ビルマのタウングー王朝の侵攻を受け、妻のシースリヨータイを亡くしてしまう。その後、戦を見越して象狩りを行ない、白象を4頭捕らえ、『白象王』と呼ばれた。しかし、再び、ビルマの侵攻を受け、アユタヤ朝は属国と化してしまう。 ボーロマラーチャーマハープッターンクーン(アーティッタヤウォン)アユタヤ朝タイ????~1533統率:D 武力:D 政治:D 知力:D 文化:D 魅力:D--------------------------------------------------------------------------------アユタヤ王朝第12代国王。ロッブリー家出身。ラーマーティボーディー2世の息子。 マヒンタラーティラート(マヒン)アユタヤ朝タイ????~1569統率:C 武力:D 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------アユタヤ王朝第19代国王。ロッブリー家出身。チャクラパットの次男。アユタヤ王朝はビルマ・タウングー王朝の属国となっていたが、再び攻撃を受けて完全に陥落した。ビルマに連行される途中で不審な病死をする。 ヨートファー(ケーオファー)アユタヤ朝タイ1536~1548統率:D 武力:E 政治:D 知力:E 文化:D 魅力:D--------------------------------------------------------------------------------アユタヤ王朝第15代国王。ロッブリー家出身。チャイヤラーチャーティラートの子。父王が母であるシースダーチャンに毒殺されると国王に即位する。母が、小姓のブンシー(後のウォーラウォンサーティラート)と通じていることを知り、排除しようとするが、逆に処刑されてしまった。 ラーマーティボーディー2世アユタヤ朝タイ1472~1529統率:C 武力:B 政治:D 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------アユタヤ王朝第11代国王。ロッブリー家出身。ボーロマトライローカナートの息子。チエンマイ北伐に加わり、『リリット・ユワンパーイ』を作詩したと。ポルトガル人にマラッカを占領される。 ラッサダーティラートクマーン(ラッサダー)アユタヤ朝タイ1528~????統率:E 武力:E 政治:E 知力:E 文化:E 魅力:E--------------------------------------------------------------------------------アユタヤ王朝第13代国王。ロッブリー家出身。ボーロマラーチャーマハープッターンクーンの息子。父王の死後、僅か6歳で国王に即位するが、チャイヤラーチャーティラートのクーデターによって王位を廃された。
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南北朝時代、「独狐を得たものが天下を得る」というお告げを受けた北魏の孝武(こうぶ)帝は将軍・独狐信(どっこしん)の支持の下、長安に都を構えるが、重臣の宇文泰(うぶんたい)に実権を奪われた。それから時が流れ、北周を建国した宇文覚(うぶんかく)が独狐家の狩場を訪れる。彼は権力を増す従兄の宇文護(うぶんご)に対抗すべく、柱国大将軍・独狐信を味方につけようとしていたが……。 政権交代が激しい乱世の南北朝時代。「独孤天下」という予言に、翻弄されていく三姉妹を中心に物語が進む 中国ドラマ 独孤伽羅~皇后の願い~ DVD 。 主人公の三女・伽羅(から)は、姉や周囲の男たちの策略に振り回されながらも成長し、やがて政略結婚した楊堅(ようけん)を隋の初代皇帝へと押し上げ皇后の座に上り詰めていく。長女の般若(はんじゃく)は予言を実現させるため皇后になるべく、心から愛した人を捨て北周の皇室に嫁ぐも、悲しい運命が待ち受けていた。次女の曼陀(ばんた)は自分の母が庶民の出身であることに引け目を感じ、権力と金に執着しており、一度は心を通じ合わせた楊堅とではなく、唐国公に嫁ぐが……。 三姉妹のそれぞれの選択から目が離せない。 ヒロイン伽羅を演じるのは、「ときめき旋風ガール」のヒロイン役で注目された若手女優フー・ビンチン。活気のある少女時代から、賢さと強い根気を持ち合わせた覇気のある皇后になるまでを、多彩な表情で好演し、新たな魅力を開花させている。 果敢でユーモアのある楊堅を演じるのは、「花千骨(はなせんこつ)~舞い散る運命、永遠の誓い~」で注目を集めたチャン・ダンフォン。本作でもその注目度はさらに上昇し、今後活躍が期待される俳優の一人となった。 楊堅と伽羅は愛のない政略結婚だったが、次第に心を通わせ、彼女に支えられた楊堅は隋の初代皇帝となっていく。伽羅とその周囲で繰り広げられる、一筋縄ではいかない愛の行方、そして波乱万丈で予測不可能なストーリー展開に注目独孤伽羅~皇后の願い~ DVD! 本作に出演するためにヒロインのオファーを何本も断ったというアン・アンは、今までの作品で演じてきた健気なヒロイン像とは一変し、皇后になるために愛した人さえも捨ててしまう、一見冷徹で悪女にも見える三姉妹の長女・般若を完璧な演技力を持って熱演。般若は実は家族を守るために自身の愛情やプライドを犠牲にしている、という複雑なキャラクターで、アン・アンの好演とカリスマあふれる存在感から、多くの視聴者を惹きつけた。そして、そんな般若の元恋人役・宇文護(うぶんご)を演じたシュー・ジェンシーも、横暴で恨まれるべき悪役でありながら、一途に般若を想う姿や、彼女に向けた甘いセリフの数々により、視聴者の間で「胸が痛くなる史上一番の悪役」と呼ばれ、大きな話題に。愛しているからこそ、お互いに傷つけ合ってしまう、切ない恋人同士の愛に涙すること必至だ。 北周の優秀な臣下であった独孤信(どっこしん)の娘として生まれる。14歳で大将軍の息子・楊堅と結婚。北周の第4代皇帝・宣帝が亡くなると、朝廷の実権を掌握した楊堅は皇帝として即位し「隋」を建国、伽羅は皇后となった。 北周から皇位を奪うことを迷っていた楊堅を叱咤し、決断させたのは伽羅であったという。建国後は朝政にも深く関わり、皇帝である楊堅と並んで「二聖」と称された。また、中国の歴史において初めて一夫一婦制を提唱したことでも知られており、夫に側室を持つことを許さず自分以外の女に子を生ませぬよう約束させ、2人の間には5男5女の子供がいたという。彼女は602年にこの世を去るが、楊堅の死後に皇帝となった息子の楊広(煬帝)が暴政を極めたことで618年に隋は滅亡した独孤伽羅~皇后の願い~ 日語字幕。 動乱の三国時代を統一した晋(西晋)であったが、わずかな安定期の後に滅亡。華北は5つの異民族による五胡十六国時代に突入し、それらを北魏が統一した。その後、孝文帝の洛陽遷都を機に北魏は東魏・西魏に分裂し、それぞれ北周・北斉に引き継がれる。 北周の外戚であった楊堅(文帝)は、北斉を滅ぼして華北を統一した北周を奪い、隋を建国。さらに、西晋滅亡後に建国された東晋から、宋、斉、梁、陳と続いていた南朝を滅ぼし、およそ300年ぶりに再び中国を統一した。 しかし、その隋も2代皇帝・煬帝(楊広)の暴政によりわずか37年で滅亡。その後は唐がおよそ290年にわたり中国を支配した。
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874: クー&ミー :2018/04/07(土) 23 47 58 大内氏in夢幻会8 注意事項 憂鬱本編で寺内寿一に転生した人物の出身地は不明ですが、この世界においては山口県出身者が寺内寿一に転生したと云う事にしています。 転生した際に付いてきたチート 自分が見た人物が転生者かどうか見分けられる。(ぱっと見ではなくしっかり見る事が前提) 転生者が知っている夢幻会メンバーであれば、当該人物の仕草から中身が誰であるかも見分けられる。 夢幻会の中堅メンバーと邂逅した時の経緯で辻~んの指摘通りの能力を転生チートで貰ったとほぼ確信するに至った。 ~1524年(大永4年)4月~ 「そう言えば、そろそろ鏡山城の戦いが起きますがどうされるので?」 「正直言うと介入したい。が、鏡山城の戦いとほぼ同時期に義興公が桜尾城を、自分は陶興房たちと共に佐東銀山城を攻めなければならないから兵力が足りない。後、お前たちも一緒に戦場へ来てもらうぞ。」 「分かりました。我々も前世(憂鬱世界)憑依後は帝国陸軍軍人として生き抜きましたし、この際、重臣連中に顔を憶えられる位に奮戦して見せましょう。ただ、佐東銀山城の方は毛利元就が尼子方の救援として来ますから気を付けないといけませんな。」 「まぁ、史実通りであれば私が率いる別動隊の士気も私の初陣になるとあって高くなるだろう。それに、伊賀忍を含めた大内方の忍びも連れて行くから夜襲に対する対策も怠るつもりはない。」 「事前に夜襲の可能性が有るのを興房殿たちにも伝えておくもの有りでしょうな。」 「うむ。まぁ、こちらについては大角さんからも伝えておいて欲しい。何しろ、大角さんは興房の嫡男だしな。」 「分かった、私からも言ってみよう。」 「それと、試作の木砲が完成したからこの戦に持って行くぞ。木砲も私と同様に初陣を飾ってもらうつもりだ。砲弾はキャニスター弾だから射程は短くともそれなりの打撃と動揺は与えられるだろう。一応、練習用の木砲で試験は済んでいる。」 「木砲ですか?しかし、硝石丘法は硝石が取れるのに最低でも5年は掛かる筈ですが…硝石は何処から?」 「硝石についてはこっそりと私貿易で手に入れた。とは言え、値段的に大量輸入は出来なかったから50発撃てれば良い方だろうな。本当は焙烙火矢も作って投入したかったが、硝石の量的に諦めた。」 「なるほど、密貿易ですか。まぁ、木砲自体が使い捨てですからこの戦いの分だけであれば何とかなりそうですね。」 「取り敢えず、武田勢が出てきた所に打ち込めば出鼻は挫けるだろう。一番の理想は安芸武田氏当主の武田光和をそのままキャニスター弾で倒す事だが…、そう都合良くは行かないだろう。」 「それでも、木砲で混乱させてから突撃させれば可能性は大いにありそうですね。」 「まぁ、武田光和さえ討ち取ればこの戦は勝てるだろう。後は、尼子救援軍と毛利元就率いる安芸国人衆に負けなければ安芸の支配はほぼ確実だろう。」 「ですな。では、我々も寺内さんの為にも武芸の稽古に励むとしましょう。」 「頼もしいな。では、私が戦う相手になろう。」 875: クー&ミー :2018/04/07(土) 23 49 31 投稿は以上です。 まとめwikiへの転載は自由です。 あとがき ようやく義隆(in寿一)さんは初陣を飾る所まで近づいてきました。 ちなみに、史実義隆もこの戦いが初陣です。 なお、史実興昌もこの戦いが初陣だったので…興昌(in大角)さんも初陣となります。 硝石を私貿易で購入した事にして木砲をデビューさせる事にしました。 焙烙火矢も出そうかと悩みましたが、ここは将来的な大砲導入への足掛かりとして木砲に全ての火薬を使います。 今回登場していない武任(in辻~ん)や製塩担当の中堅メンバーも武士なので内政担当の有無関係なく出陣します。 と云うより、或る程度武功も上げないと出世させるにも弊害が出そうというね…。 まぁ、史実の動員兵力を考えると無勢ながらも粘った安芸武田氏方もそれなりに凄いと思う今日この頃。 流石は甲斐武田氏の血が流れている事は有るなぁ。 876: クー&ミー :2018/04/07(土) 23 59 12 今回の内容はインターバル的な感じです。 次回、やっと出陣です。 現在登場している夢幻会ネームドメンバー 大内義隆:寺内寿一 大内弘興:寺内毅雄(憂鬱世界では史実より長生きし、夢幻会の事も知っている設定) 相良武任:辻政信 陶興昌 :大角岑生 中堅メンバー:陸軍出身者3人(義隆の直参になっている)、製塩業関係者1人(商人ではなく武士に転生) 中堅メンバーの1人は追々名有りキャラになる模様。
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818 :ひゅうが:2016/07/13(水) 23 22 39 幕間「内閣総理大臣の憂鬱」 ――1937(昭和12)年2月27日 首相官邸 執務室 「御裁可があった。神崎提督。昭和12年勅令第100号により、君の鎮守府は、内府管轄下における総督府扱いとなる。 律令制上の鎮守府と同様に、軍事はもちろんのこと域内での政治・国境および通商において無制限の権限を有する。 君は親任官としての総督扱いだな。 行政府としては『大宰府』が君たちの名称となる。 軍事組織としての鎮守府と、行政府としての大宰府を分離しておかないと諸外国がうるさいのでな。こらえてくれるとありがたい。」 廣田総理大臣が一気に述べた。 「お受けします。」 神崎は一礼し、御名御璽の押された勅令を受け取る。 大日本帝国においては、通常の法律と共に天皇の名で制定され、内閣の副署にて効力を発揮する勅令が存在する。 裏を返せば、議会を経ずに施行できる法律的なものが存在するのだ。 加えて、行政組織などの制度設計は勅令によってなされた。 今回の勅令は、要は現状の追認。 しかし、制度上は一から行政・軍事組織を設置したことになる。 手続き上の詐欺のようなものだったが、それでも鎮守府は公式の行政組織へと移行するのだ。 「君のところの大淀君だったか。あれには参ったよ…土壇場でひっくり返そうと詰めかけた内務官僚を一言で切って捨てたのだから。」 「総理。選挙のたびに人事を左右されている今では、ほかに地盤を求めるのも当然です。」 「耳が痛いな。」 廣田は、苦い顔をした。 帝国内務省は、選挙のたびに時の政権により、警察組織を管轄するがゆえに選挙干渉を行っていた。 それに加担した官僚たちは、派閥によって勝者と敗者に分かれ、選挙のたびに左遷や栄達が繰り返される。 ことに大正期から続く政争は熾烈を極め、これに対する反発と大恐慌が重なったことから彼らの中から「革新官僚」という国家社会主義者を生み出すことになる。 革新官僚たちが頼ったのは、同じくシベリア出兵の失敗によって日陰者となっていた軍の改革派。 身分保障のなかった官僚たちにとり、統帥権の独立から政界から離れて独自の勢力を保っていた軍の後ろ盾は大きな魅力だったのだ。 かくて、彼らのエネルギーは満州という外地で開放された。 それは、日本の病根そのものだった。 「君は親任式を経た後は、陛下にのみ責任を負うことになる。政府としてはうらやましい限りだ。超然政治のようなものだからね。」 皮肉交じりに返す。 明治半ば、黒田内閣がとった議会無視での勅令乱発を例に挙げたのだ。 「しかしながら、そのかわりにわが鎮守府は帝国政府に全力で協力する所存です。」 実際、その通りだった。 すでに鎮守府側から提供された資源地図と探査機器を用いた地震探鉱法によって、満州内に複数個所の油田地帯が発見されていた。 さらに彼らの話が本当なら、九州南部には極めて高品位な金鉱山が眠っているという。 軍事的にはそれ以上。 すでに性能を見せつけられている航空機に加え、海軍では高性能なボイラーも早々に導入を決めているという。 帝国の未来のためには、この差し伸べられた手をとる以外の選択はない。 だが。 「政府の文民統制のもとに外征を目的とせず運用される防衛的軍隊。自衛隊だったか。その実現のためにとられた手段が統帥権を盾にした『幕府』いや『総督府』の設置というのはなんという皮肉なのか…」 外交官上がりの廣田はいかにも無念そうだった。 「むしろ明治維新からこれまでよく踏ん張ったものかと。 新興の列強としては、とても立派なものだと思いますよ。」 「外部から見ると、帝国は新興列強か。」 そうだなぁ、と廣田は呟く。 御一新から70年。 たった70年なのだ。 徳川の武断統治が文治政治にかわるまでの年月、3世代をしか経ていない。 してみると、あの青年将校とやらは、京都の町で暴れていた浪士たちの当代版か。 急速な近代化は、結局のところ―― 「閣下。」 内心の虚無感を見透かしたかのように神崎がいった。 「我々が変えられるのは、未来だけです。」 819 :ひゅうが:2016/07/13(水) 23 24 18 ちょこっと追加。 820 :ひゅうが:2016/07/13(水) 23 31 27 【補足】 内府――内大臣のこと。天皇を常時輔弼するのがその役割とされるが、特殊で曖昧な地位から、元老が次々に世を去る中で重臣会議の主催者として徐々に実権を持ち始める。 とりわけ後継首相の推奏にあたっては中心的な役割を果たすことになっている。史実ではそのあいまいさゆえに、宮中での終戦工作に威力を発揮した。
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【種別】 役職、神の眷属 【初出】 V巻 【解説】 盟主の下で[仮装舞踏会]を取り仕切る、三柱の強大なる“紅世の王”。 通常、組織に属する“徒”たちは、組織の目的への賛同、自身の目的のための利用、個人的感情からの協力、またはそれらの複合など、人間と同じようにそれぞれの事情によって組織に所属する。 しかし、『三柱臣』はそのような通常の“徒”とは違い、「成り立ちから属することを宿命付けられている」という特異な存在である。 その正体は、『盟主』たる創造神“祭礼の蛇”伏羲によって生み出された、“祭礼の蛇”を護り輔ける眷属である。 それぞれに盟約が課されていたようだ(シュドナイは八つ)。たとえ死亡しても、機が来れば再び同一人物として“祭礼の蛇”の力で新生することが出来る。 生みの親にして盟主たる“祭礼の蛇”に絶大な忠義を尽くす一方で、“祭礼の蛇”をただ盲信するだけでなく、それぞれの立場からも『大命』の実現に邁進していた。 彼らの本義は、用心を使命とするベルペオルが見晴らして図る、対処を使命とするシュドナイが戦って払う、そうして均した道をヘカテーが定め往くというものであった。 ダンタリオン教授曰く、「自ら守り謀り起動する、完成されたシステム」で、そこに余人が入り込む席はない。 それぞれに、専用の『大命』遂行用宝具を持ち、『大命』に関わる事態の時にだけ使用を許された。 役職、該当する“王”、『大命』遂行用宝具は、次の通り。 『参謀』: “逆理の裁者” ベルペオル :拘鎖型宝具『タルタロス』 『将軍』: “千変” シュドナイ :剛槍型宝具『神鉄如意』 『巫女』: “頂の座” ヘカテー :錫杖型宝具『トライゴン』 ベルペオルは最初は『審神者(さにわ)』であったが『軍師』に変更し、近代における組織の改組にあたって、旧称の『軍師』を『参謀』に変更した。しかし、“祭礼の蛇”本人や巡回士オルゴンなどの古株は、いまだに『軍師』の呼称を用いていた。 最も多くの尊崇を受けるヘカテーは、『大御巫(おおみかんなぎ)』の尊称で呼ばれることも多かった。 『大命』が成就したとき、生き残って新世界『無何有鏡』へ旅立ったのはベルペオル一人だけだった(ヘカテーは生贄となって死亡。シュドナイは坂井悠二に付き合って御崎市に残り、マージョリー・ドーと死闘を繰り広げ、半ば自殺同然の戦死)。 【由来・元ネタ】 三つで一組になったもののこと。頭文字が大文字(the Trinity)の場合は、キリスト教の父と子と聖霊による三位一体を意味する。 キャラクター造形のモデルは、ヘカテーが地蔵菩薩、シュドナイが明王、ベルペオルが観世音菩薩とのこと。 ただの敵役でないのも納得のイメージである。 【コメント】 ☆アニメ版から登場していた。 ☆組織を支える「柱」の臣と「忠臣」をかけているのだろうか? ☆三柱の忠臣、かもな。「柱」は神や遺骨を数えるのに使う。 ☆最新刊では“祭礼の蛇”が「三柱の眷属」と「渡り来た」となってたけど、この「三柱の眷属」は『三柱臣』のことである。「創造神」の眷属というくらいだから、ただの“王”とも違うような気がするな・・。 ☆眷属には単なる配下って意味もあるし、当時は何も言えなかった。シュドナイなんかは態度を見る限り、利害で付き従ってる感じに見えたしな。 ☆XVI巻の口絵では、ヘカテーとベルペオルのことを「三柱臣の一柱」という言い方してるんだよな。他の“徒”で「柱」で数えられてる奴っていたっけか? ☆天罰神には眷属はいない。 ☆創造神“祭礼の蛇”が手ずから生み出したなら、彼の子供たちという捉え方も出来るはずだが、そうした面は見られなかった(“徒”の生まれ方自体、ひとつの謎ではある)。 ☆↑ヘカテーには「親を恋い慕う」という文があった。まぁ義理の父みたいに、直接の子というわけでもないのかもしれないけどな。 ☆[とむらいの鐘]の『両翼』や『九垓天秤』より凄かったかもな。 ☆[巌楹院]のゴグマゴーグや[とむらいの鐘]の“棺の織手”アシズや『九垓天秤』ニヌルタやフワワやソカルやウルリクムミやチェルノボーグや[宝石の一味]のコヨーテやフックスやトンサーイとも絡んでいたら面白そうだったのにな。 ☆番外編『しんでれらのしゃな』でも、三人の重臣として登場している。 ☆番外編『かぐやひめのしゃな』でも、天人として登場している。 ☆番外編『おじょうさまのしゃな』でも、[黒い蛇団]の幹部として登場している。 ☆番外編『さんじゅうしのしゃな』でも、三銃士として登場している。
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【元ネタ】三国志 【CLASS】キャスター 【マスター】 【真名】魯粛 子敬 【性別】男性 【身長・体重】167cm・59kg 【属性】混沌・善 【ステータス】筋力C 耐久E 敏捷D 魔力A 幸運B 宝具C 【クラス別スキル】 陣地作成:C 魔術師として、自らに有利な陣地を作り上げる。 が、どうも性格的に向いていないらしく、工房を作る事さえ難しい。 道具作成:C 魔術的な道具を作成する技能。 道術系のマジックアイテムを多少、作成可能。 【固有スキル】 軍師の忠言:A 軍師系サーヴァントに与えられるスキル。 状況を把握、分析することにより味方側に正しい助言を与えることができる。 ランクが上がれば上がるほどその助言の正しい確率は向上し、Aランクであれば不測の事態がなければ100%的中する。 これに対抗するには、あらゆる分析を打破するレベルの幸運、あるいはスキルを持つことが求められる。 軍師の指揮:C 軍師系サーヴァントに与えられるスキル。自己を含めた軍としての力を最大限に引き出す。 Cランクであれば、十分に訓練を積んだ鋭兵に相当する力を発揮できる。 曰く「軍の指揮に当たっては、等閑なところがなく、禁令は誤りなく行なわれた」とか。 友誼の証明:B 敵対サーヴァントが精神汚染スキルを保有していない場合、相手の戦意をある程度抑制し、話し合いに持ち込むことが出来る。 聖杯戦争においては、一時的な同盟を組む際に有利な判定を得る。 黄金律:C 身体の黄金比ではなく、人生において金銭がどれほどついて回るかの宿命。 道術:A 仙人の業を簡易化させた道教系の魔術。 最終的に仙人となり、仙道仙術に達することを理想とする。 三国志平話においては魯粛は道士として描かれる。 【宝具】 『単刀赴会(いざ、りひをたださん)』 ランク:C 種別:対人宝具 レンジ:1~5 最大捕捉:1人 戦闘能力ではなく、頭脳と舌鋒によって争う論争空間を展開する。 真名を開放することで、自身と対象者を戦闘不可能の強制力を伴う異空間へと引きずり込み、お互いに関係のある事柄を議題として舌戦を行う。 この舌戦で勝利した側は、敗北した側に令呪以上の強制力を伴う命令を一度下すことができる。 キャスターの道術の粋を極めて作り上げた、固有結界に近い大魔術。 【解説】 三国時代、呉の武将・政治家。字は子敬。 赤壁の戦いでは主戦論を唱え、劉備との同盟を確立。 呉の名将・周瑜の死後はその後任を努めた。 富貴の身の上だったが、戦乱を予測し、大業を為す志を持っていたという。 家財を傾けて武芸や兵法の取得に励む様を見て、郷里の人々は「魯家に狂児が生まれた」と評したが、 呉の名将・周瑜は彼を高く評価し、言葉を尽くして孫権の下へと招き入れた。 孫権と対面した魯粛は「漢室再興は不可能であり、長江流域に拠って孫権自身が帝王となるべし」という大胆な戦略を提言。 その洞察力と不敵さが気に入られ、孫権の信任を得る。 曹操の軍勢が南進を始めると、多くの者は曹操への降伏を進言したが、魯粛は周瑜らと共に徹底抗戦を進言。 当時荊州にいた劉備との同盟を成功させ、赤壁の戦いにおける勝利の一助となった。 その後、魯粛は、あえて劉備に荊州を領地として貸し与え、曹操の敵を増やすべきだと進言。 これを孫権は受け入れ、以後、孫呉は劉備と同盟しつつ曹操と当たるという戦略を取る。 また、周瑜の遺言によって彼の後任を務めることとなり、孫呉で随一の重臣という立場を得た。 劉備軍と孫呉の関係は上手く行かないことも多く、 荊州の領有権を巡ってしばしば衝突が起こったが、魯粛は常に友好的な態度を崩さずにこれを宥めたという。 劉備が益州を得た後には大規模な軍事的衝突も起きたが、魯粛は単身で劉備の股肱の臣である関羽と面会し、 この争いを鎮めるのみならず、荊州南部の二群を返還させることに成功している。 魯粛の死後、劉備(蜀)と孫呉の対立は決定的なものとなり、 劉禅に代替わりして諸葛亮が再度、同盟を打診するまで敵対関係が続いた。 その間に曹操が地盤を築いた魏の勢力は確固たるものとなり、以後、三国時代は魏の一強が続くこととなる。 正史では意外にも剣術や馬術、弓術に長じており、特に弓術は立てかけた盾を貫いたという逸話がある。 演義においては能力的には優れた側にあるものの、諸葛亮などトップクラスの知略家には及ばないという形で描かれる。 また、平話においては魯粛は道士として紹介される。