約 6,764 件
https://w.atwiki.jp/hosyoku/pages/147.html
果てのない虚空を進む一機の宇宙船。 その中で船員達は船を目的地へ進めるべく自分達の職務を果たしていた。 そうした船員達の中に、一人の女性と、男がいた。 「ねぇ、あたしを食べてみたいと思ったこと、ある?」 目の前で計器をいじっている男に彼女は声をかけた 「まさか。昔の俺達の種族ならともかく、今の俺達はそんなことがないように訓練されている。 そうでなくても他に食べるものもあるしな」 宇宙服に身を包む男は彼女の倍近い身長と巨大な口を持っていた。 男は、異星人であった。 数世紀前、地球にやってきた宇宙人の子孫。 彼らはさまざまな偶然で地球に流れ着いたあと、失われた自分達の食料に代わる食糧として 地球人を捕食し始めた。 彼らにとって地球人はそれまでに出会ったことのないほどの美味であった。 最初はこっそりと行われた非常食程度のものだった。 しかし、、地球という星とそこに住む人間という生物の美味が語られた後、 彼らはその美味を求めて大挙して地球へと押しかけた。 彼らは地球人を超越する化学力でしばらく地球を「食糧基地」へと変えてしまったのだ。 それが、数世紀前の話。 その後、地球人が彼らと同じ「知的生命体」としての権利を獲得するまでの苦闘も 彼らと「地球人を捕食しない」旨が記された宇宙条約を締結するまでの数え切れないトラブルも 彼らにとっては教科書で学ぶ歴史に過ぎなかった。 彼らは現在生活している地球人に代わって、クローン培養された脳を持たない「人間」 を食糧として獲得、今の彼らにとってはそれが主食の位置にあったのだ。 そうはいっても、彼らの嗜好が変わったわけではなく人間への食欲自体は依然としてあり、 しばらくのあいだは「密猟」が絶えることはなかった。 そこで、そうしたクローン培養された肉に人間への食欲を抑える薬品を混ぜることで、 地球人を食べたくなることがないようにしていた。 そうなったあとの地球人は彼らにとって食糧ではなく、文明を共有する仲間となり、 お互いの間での異種族間結婚すら常態化するほどになっていた。 「…ねぇ、聞いてる?」 しばらく計器に気をとられていた男はようやく彼女の声に気がついた 「あ、ああ、すまん。ちょっと計器の調子がおかしくてな。」 男は彼女のほうを振り向いて言った。 「もう。だからさ、この航海が終わったら、結婚しようって言ってたじゃない。それってさ…」 男は彼女の不貞腐れた声すら愛しく思えていた。 この航海が終わったら、結婚しよう。 それは、男の彼女への愛と、大きな決意の表れだった。 やがて、たわいのない会話も終わり、彼女も男も目の前の任務を続けることにした。 宇宙船の計器異常はトラブルの域に達しようとしていた。 そして、数時間後。 トラブルは致命的なものへと拡大した。 宇宙船はコントロールを失い、手近な星へと漂着した。 「…だめだわ。誰もいないみたい」 「脱出できたのは俺達だけか」 男と彼女は、残骸と化した宇宙船を見つめていた。 不時着の衝撃で炎上した宇宙船から救命艇で脱出できたのは彼らだけだった。 「大気の成分は俺達の星と同じくらい。生活だけは出来そうだ。ないのは…」 救命艇に積んでいた機器で大気を計測した男は周囲を見回した。 あるのは、植物だけだった。 「食糧になりそうな動物は見当たらないな。植物はこれから調べてみないとわからないが…」 動くもの一つない星に彼らは居たのだ。 「ダメだ。食糧につかえそうな植物はどこにもない。今、救命艇にある食糧がすべてということらしい」 救命艇には非常用の食糧が積まれていたが、それはすべて地球人の彼女の嗜好にのみあわせられていた。 「あたしのこの食糧はあなたには食べられないのね」 「とはいっても、食いだめはきくからしばらくは大丈夫だけどな。 なぜ、救命艇の中に俺達にも通用する食糧を入れないんだ!」 男は毒づいた。 一週間後 「たのむ、救助が来るまで俺の前に出ないでくれ」 そういって男は救命艇の中に閉じこもった。 「なぜなの?…まさか…」 彼女は絶句した。 「そうなんだ。あの薬が切れ始めた。今、君を見ると食べてしまいたくて仕方がない。 空腹のせいもあるんだんろうけど、君の体が、今の俺には食べ物にしか見えないんだ」 彼女の目の前には残りわずかな食糧があった。 しかし、それは男が食べることの出来ない食糧。 今の男が食べることが出来るのは、結婚を誓った彼女だけだったのだ。 救命艇の中で、彼女を守るために飢えと闘う男の姿があった。 男は、救命艇の中にこもりながら窓からのぞく彼女の姿から必死に目をそらし、 時折、必死に食欲を抑えようと喚き声をあげる。 その声が、徐々に弱まってきているのが救命艇の外からでもわかるようになっていく。 彼女は救命艇のほうを見ないようにした。 やがて、最後の食糧がなくなるときが来た 「これで、あたしももう食べるものがなくなるのね…」 最後の食糧の封を開けたとき、ある決意をした。 俺は、おかしくなっちまったんだ。 食糧がきれてから、徐々に、彼女を見る目が変わり始めた自分を認識していた。 彼女のはちきれそうな胸、丸みを帯びた尻、肉の締まった太腿。 それらが、途方もなく食べたくなってくる。 その欲求は空腹とともに日増しに強まっていた。 しかし、たとえ飢え死にしても、彼女を食べることなど出来ない。 しかし、体の欲求は、徐々にそれを上書きしていく。 彼女を食べたい… 彼女を食べたい… 不意に、救命艇の外から声が聞こえた 「ねぇ…」 もはや、その声すら食欲を誘う 「やめてくれ!今の俺は君を食べたくなってしようがないんだ。 君の体が、今まで食べた何よりおいしそうな食べものにしか見えないんだ。 だから…」 「いいの…あたしを…食べて…」 その言葉に俺は耳を疑った。 「そ、そんな…」 「もう、あたしの分の食べ物もなくなっちゃったの。 このままだと二人とも死んじゃう。だから、あたしを食べて、あなただけでも生き延びて…」 彼女のほうを振り向いた。 彼女の決意に満ちた瞳は、彼女への食欲を隠せなくなった俺の瞳からまったくそらさず 俺に訴えかけてきた。 俺は、救命艇を出て、彼女を抱きしめた。 お互いに、生まれたままの姿を晒し、お互いに違う体を重ねあう。 必死に湧き上がる食欲を抑えながら、彼女を抱いていた。 彼に抱かれるのはこれが初めてではなかったが、 これほど激しいことはいままでなかった。 食欲を押さえつけながらの激しい抽送はあたしの体を容赦なく突き上げる。 あたしも、最後の女の喜びを全身で受け止めて誰にも遠慮することなく乱れ狂う。 「いい、いいの…あたしの体…もっとあじわってぇ…あぁぁっ!」 やがて、体の奥深くに熱い衝動を注ぎ込まれたことを自覚するとともに、 あたしもこれまでに感じたことのない快感を感じながら達した。 朦朧とする意識の中、あたしの視界が急激に暗くなっていく。 ぼやけた視界が、彼の口の中で埋め尽くされてゆく。 これから、あたし、食べられるんだ。 あたしの首から上が彼の口にくわえられた。 ぬるぬるして、温かい彼の口の中で、彼の舌はあたしの顔や頭を舐めつけてゆく。 生暖かい唾液で顔中を絡めとられ、舌の動きとあわせてあたしの顔がしゃぶりつくされる。 まるで、キャンデーでも舐めるように彼の舌があたしを舐めつくす。 あたしを味わってくれてるんだ。 達した余韻の赴くままあたしは彼に聞いてみた 「ねぇ、あたしって…美味しい?」 誰ひとり見ていない原野の中で獣と化した俺の前に裸身を晒す彼女の姿 目の前にある彼女の顔を、彼はくわえこんだ。 せめて、苦しまないまま、彼女を食糧に変えてあげたかった。 彼女を頭からくわえ込んだ俺は、それでも噛み千切る勇気が持てず、 少しずつ彼女の味を味わおうと舌でしゃぶり始めていた やがて、口の中から聞こえる声 「ねぇ、あたしって…美味しい?」 それが、俺の心の何かに火をつけた 「ああ、とってもうまい…このまま、一思いにかぶりつきたくてしようがないんだ」 「いいよ…このまま食べられるんだね。あたし、とっても幸せ… このまま、残さず綺麗に食べちゃってね。あたしの体…」 首の部分に、彼の歯があたる。徐々に、それに力が加わり始めていた。 あたし、いよいよ食べられるんだ。 あたしは目を閉じて、その瞬間を待った。 一瞬、抵抗を失った彼女の体を抱きしめながら、俺は口の中の彼女の首を一気に噛み切った。 刹那、体が大きく痙攣し、噴出すように口の中を血が埋め尽くす。 その血を飲み干しながら、口の中の彼女の首を咀嚼する。 彼女の首は、男の口の中で幸せな表情を浮かべたまま食べられてゆく。 脳も、舌も、目も、一緒になって、彼の中へ消えていった。 やがて、男は動きを止めた彼女の胸の双丘にむしゃぶりつく。 彼女の胸は、男の口の中ではじけるような弾力を伝える。 口の中で噛みちぎったとき、彼女の甘い味がした。 彼女の胸は柔らかな風味と、乳首のこりこりした食感がたまらなかった。 男は、彼女の肋骨と、それについている肉、そして、その中の内臓を食べ始めた。 彼女の体を形作っていた肉は、骨と一緒に噛み砕かれ、男の口の中に消える。 残骸と化した胸の大きな空洞から心臓や肺が引きずり出される プリプリした内臓は、濃厚な味わいとむっちりした食感があった。 これが…彼女だったんだ… 胸を食べつくし、両腕が切り離された残骸を見て、人心地ついた男は思った。 ゴクリとのみこまれる内臓の味が、男の食欲を刺激した。 そして、頭の中にリフレインする彼女の声 「残さず綺麗に食べちゃってね。あたしの体…」 それが、自らの押さえつけられた食欲と結びつき、さらに男を突き動かす 噛み千切られたくびれの下、艶やかで濃厚な味わいの内臓、先刻の営みの結果 白濁した液を垂れ流す性器、そして、むっちりとした尻の肉を一気に食べ進む。 さっきまで、必死で俺を受け止めてくれた彼女の体が、今、俺の口の中で 最高の美味を伝えてくれる。 愛した女の肉の風味は、クローン培養された「肉」とはまったく異なるものだった。 白濁した液がソースのように絡みつく性器を口に入れた瞬間、 ガツガツと彼女の名残を食べつくす男の目に涙が浮かんだ。 しかし、男は彼女を食べるのをやめることは出来なかった。 既に抵抗することもなく、少しずつ男の腹の中に消えてゆく彼女の体。 もう、止められない。彼女がほしい、愛する彼女のすべてを食べたい。 それだけだった。 肉付きの良い太腿、すらりとした両手足を食べつくし、そこに残るのは垂れ流された血だけだった。 「ねぇ、ちょっと、どこみてるのよ」 男の頭の中で声が聞こえる 「なんだよ、ちょっとよそみしただけじゃないか」 「もう、あの女の人を変な目で見てたじゃない。あたしにはわかるんだからね」 俺の頭の中で、彼女の声が聞こえるようになったのは、あの日のすぐ後だった。 「まさか、脳を一緒に食べるとこんなことになるとは思わなかったな」 「え~?あたしを食べておいて、その言い草何?責任とってずっと一緒に居てよ」 生きた地球人に代わって脳のないクローン肉を食べるようになった理由がよくわかった。 既に歴史の中に消えてしまった事実。 生きた地球人を食べると、その記憶が吸収されて、自分の記憶の中に残ることがあるという。 つまり、今の俺のように、俺の頭の中に、彼女がいるような状態になるのだ。 かくして、文字通りひとつになった俺達は救助された後、こうして永遠に一緒の生活を送ることになったのだ 「ねぇ、その娘、あたしの体より美味しい?」 クローン肉を食べるたびに、彼女にこういわれながら… 名前 コメント すべてのコメントを見る
https://w.atwiki.jp/kuizu/pages/3109.html
そうなん 自作 名古屋市にある大盛りで有名な喫茶店「マウンテン」で、出された料理を食べきることは「登頂」といいますが、 食べている途中で気持ち悪くなったりして残してしまうことを俗に何という? (2013年10月18日 死にかけの蜩みたいな発情期 ) タグ:生活 Quizwiki 索引 さ~と
https://w.atwiki.jp/wiki8_shota/pages/280.html
「しまったなぁ」 寒風吹きすさぶ中、僕は一人つぶやいた。 家の鍵を忘れてきて、締め出されてしまったんだ。 お母さんが帰ってくるのは遅いし、それまでどうしようかととぼとぼ歩いていると、 道のど真ん中で突っ立っているきーちゃんに出会った。 「きーちゃん、何してるの?」 ぼんやり空を見上げていたきーちゃんに声をかける。 「ん、ゆーちゃんか。雲の形が変わってくのを見てたんだ」 「こんなところで…寒くないの?」 「小松フォークリフト型だった雲が、豊田自動織機のフォークリフトに変わっていくのが面白かったものでつい」 「そ、そう…」 幼稚園の頃からの付き合いだけど、いまだにきーちゃんが分からないときがある。 「確かに寒くなってきた。風もきついし」 「あ、雪だ」 頭の上は晴れているのに、ちらちらと雪が舞い始めた。遠くの空に広がってる雲から風で飛んできたのかな。 「まずい。吹雪いてきた」 きーちゃんが深刻そうな顔で言う。……吹雪いて? 「このままだと遭難してしまう」 「こんなとこで遭難なんてしないよー」 「雪山を舐めるなー!」 「ええー?」 どうやらきーちゃんは、雪山遭難ごっこを始めたみたいだった。唐突になりきりごっこを始めるのはきーちゃんの癖だ。 「縦走路から外れたのかもしれない。窪地の積雪は危険だ。早くビバークするところを見つけないと」 やけに設定が凝っている。 「ぐずぐずしてると死んじゃうよ」 そう言ってきーちゃんはとっとこ歩き出した。仕方なく後をついていく。
https://w.atwiki.jp/rockmanzx2ch/pages/25.html
エリアF・遭難者の探索 (B-3→F-1) (ゲーム中:ソウナンシャのたんさく) ショートカットが可能になるため、モデルFX入手後に来るのが望ましい。 クリアでLXが取得できるがアイテム回収における重要性は低い。 このエリアFとここクリアで入れるようになるエリアJにはそれぞれライフアップ(エリアFのは氷ブロックを破壊する必要があるので、先にイレギュラーの撃退をクリアする必要がある)がある(が、これを重要視するかどうか)。 エリアFへはB-1の背景が岩山のところで上方の洞窟からB-3を通ってF-1という経路。 来る機会が少ないであろうエリアBの探索もこの際ついでに済ませておくと効率が良いだろう(要モデルHX)。 行き方 A-2森トランスサーバーから右へ→A-2に出るので上右に進む→B-1、途中にあるライフ大が置いてある扉から上右に進む→B-3→F-1 B-3は馬鹿正直に進むより、HXで壁をひたすら上へ登って頂点から「ダッシュジャンプ→エアダッシュ→ホバリング」でF-1に入るシャッターの手前に着地すると楽。 エリア別攻略 F-1:普段大活躍であろうHXも、このステージでは属性の都合もありかなり分が悪い。 エアダッシュの封じられる水中では射撃が無い分不利なので、出来る限り他モデル(FX推奨)で対応しよう。 上にいけそうなところ一番手前はトラップ。特にアイテムも無いのでスルーすべし。 F-2:水中戦。本作ではLX以外で水に入ると大きく機動力がそがれる。このステージでは仕方ないが注意されたい。 途中LX利用で明らかになにかありそうな箇所があるがそこはクエスト関連、ここでは無視で。 またFXのチャージ攻撃で別ルートが開ける。ショートカットが出来るほかライフアップもこっち。 ライフアップはLXのチャージを使うのが正統だが、無敵利用で突破してしまっても良い。 HXのヴァリアブルエアダッシュとホバーを使って進んでも届く。LX所得前ならこの方法が確実。 F-3:入ってすぐ上の扉は今は関係無い。後で使うので存在だけは一応覚えておこう。 最上部の部屋が目的地。途中FXバスターエディット使用で入れる隠し部屋があるのでこちらもチェック。 目的の部屋に入ると中ボス戦。見た目はエリアEのと同じだが、向こうと違いコンベアでの巻き込みがメイン。 壁に張り付いてバスターが有効。先の部屋に入るとイベント。その後はさきほどの意味ありげな扉へ。 F-4:再び水中。次エリア手前のディスクだけは回収にLXがいるので、ボス撃破後に少し戻ってこよう。 F-5:当然水中。ボス戦。奥に完備型トランスサーバ有り。 ボス ルアール・ジ・アビスロイド
https://w.atwiki.jp/soltlake/pages/122.html
旅行2日目、伏見稲荷大社で事件は起こった。 高まるテンションに任せて先行していた一二三とバロンが頂上まで上ってさあ降りようと少し歩いたところで分かれ道を見つける。 「地図ではこっち」という会話をしたにも関わらず、面白いという理由で敢えて分岐に入ってみたところ、伏見稲荷大社で配られた地図には載っていない末廣の滝に辿り着き、そこから戻る際に遭難した。 関連項目 山姥 地図などなかった
https://w.atwiki.jp/xzx1qk5/pages/74.html
937 名前: 774RR [sage] 投稿日: 2008/01/22(火) 04 59 10 ID LoW6fpeF 四国にDS4でツーリング行った時、日帰りで帰ろうとした。 そして問題は帰る時に起こった。 「ちょっと違う道から帰るか」と思い、別の山道に入った この頃の俺は若く、無知で初心者であった 整備点検せずにガソリンだけ気にし、おまけに地図なんか見ないし持っても行かなかった。 そして気付いた時には遅かった。「ここ…どこ?」 いくら走っても国道に出ない!? 「アホやってしまった」 仕方なく来た道を引き返そうとしたが辺りはもう真っ暗。 なんとか国道に出ようとするが、どんどん辺りがおかしくなってゆく。 いつの間にかボロ道走ってた。 場所は全く不明。 山奥の小道を夜中にアメリカンで走ってる奴見たことあるか? アホだ アホの極みだ。 そして一旦停車し、家に連絡しようと携帯に目をやるが、アンテナ一本もない。 辺りは暗黒。 幽霊や獣出てきてもおかしくない。 事故ってもおかしくない。 俺は恐怖と沈黙に耐えきれなくなりとうとう発狂して大声で叫び、 フカシながら走った。 顔はもう涙でグシャグシャ。 二時間ぐらい走ってたらやっと国道らしく道に出れててオーボケコボケ(だったかな、確か)とかいう所の前走ってたよ。 翌日無事家に帰れたがあれほど泣いた事なかった。 940 名前: 774RR [sage] 投稿日: 2008/01/23(水) 01 50 51 ID xJfK21Z4 俺もあるなぁ、ツーリングの帰り、いい加減日も落ちてきた時分で早く帰りたかったんで 知らない道だけど、ここ近道できんじゃね?ってとこ入ったらそのうち幅1.5メートルの砂利道に。 しかも周りは草木のトンネル状態。 暗い寒い怖い、そのうえ長いんだこれが 抜けた時はこの世の全てに感謝した 941 名前: 774RR [sage] 投稿日: 2008/01/23(水) 02 11 16 ID FxcQKCsn 山道で思い出した。 以前、山形で蔵王の山中走ったとき道に迷ったんだが、地図にはその道らしき場所 は空白で何も乗ってないのよ。 一本道だったから走ってたらどこか地図に出てる道に着くだろうとそのまま走って たら民家の玄関先に出た事があった。 その家の私道だったw 一キロ近く続く私道なんて東京じゃ想像もできんよ。 その家の人に道聞いて引き返した。 事情を話したら大笑いされたな。 947 名前: 774RR [sage] 投稿日: 2008/01/24(木) 00 11 09 ID Zv1FncMu 遭難ネタで俺も。 日帰りで原付ツーリングに行くことになり、ウキウキで走っていると、本州と四国を繋ぐしまなみ海道近くまでいったんだ。 せっかくだし行ってみてもいいかなと軽い気持ちで橋を渡ったんだ。 しまなみ海道を原付で行った人ならわかると思うんだ。原付の通行料金の安さw(たしか50円やら100円やら) そして橋をわたったら引き返すのもなんだし、予定変更して本州まで行ってみるかと予定変更したんだが、、それがあだになった。 もともと所持金も給油一回分の小銭しかなく、橋を渡るたびにどんどん小銭が減っていく。 はじめは楽しんでいたツーリングも、本州に近づくにつれ不安がよぎってきた。 「本州いけても帰りのガスがもつのか?」と 本州に着いても喜べず、原付で本州まで行ったという証拠写真を撮ってすぐさまUターン。 そのときに残金の計算をしたのだが、帰りの通行料金を支払うと財布のなかには一銭も残らないことを知り愕然。 そこからはもうただただ不安との戦いw たぶん人生で一番エコロジーな運転を試み、じわりじわりと四国に近づく。 それでも頭のなかには不安やら焦燥やらが次から次へと浮かんで・・・。 もしガス欠になったら郡みたいに押して帰るのか?そしたら一日では帰ってこれないなぁとか、ご飯どうしようかなぁとか、 今考えてみるとくだらないことばかり考えつつ四国に到着。 そして四国着いたあたりでリザーブに変更。 とにかく帰れることだけを考え、休憩を挟まずひたすら家にむけエコロジー運転をしてました。 家についたときは涙が自然にボロボロでてきたww やっぱり、安心できる場所があるといいね。 つくづく思いました。 後日給油してみると、ガス欠一歩手前まできてたみたいです。ww 948 名前: 774RR [sage] 投稿日: 2008/01/24(木) 01 17 27 ID 1f3FOfFJ 高速走ってて給油所のあるパーキングのすぐ手前でガス欠寸前なのに気がつき 急減速してスタンドに直行、給油しようとキーをオフにする寸前にエンストw そのまま走ってたら逆走して押して歩くハメになるとこだった 949 名前: 774RR [sage] 投稿日: 2008/01/24(木) 01 17 51 ID SHkUIEkC ≫947 郡の体力は異常ww 俺も地図持たずに出掛けて迷った揚句に アクセルワイヤー切れて涙目(´;ω;`) 国道迄押して歩いたな…… モトコンポをwww 952 名前: 774RR [sage] 投稿日: 2008/01/24(木) 11 46 39 ID kEQBLkJa 俺はやたら坂が多い街に住んでる。 ちょうど坂を降りきったとこで謎のエンスト。 初心者だった俺はガス欠だと思った。(リザーブに切り替えたばかりだったからありえないけど) ここから一番近いスタンドまで押すかーと意気込んだんだけど よくよく考えてみると一番近いスタンドは坂の頂上にある。 息を切らし、冬なのに汗だくになって押すこと1時間ようやく着いたらそこには明かりの灯っていないエネオスが・・・ 結局、坂の上り下りを繰り返し家まで押すのに5時間かかった。 普段は20分の距離なのに・・・ 957 名前: 774RR 投稿日: 2008/01/24(木) 23 26 12 ID O//9eS6i 新車買って一週間。 慣らしで富士山までウキウキドライブ しかし帰りに小田原で事故。 ギリギリ自走出来る状態だったので乗って帰る。 しかし途中に厚木で走行不能に。 JAF会員以外は駄目だと思いレッカー呼ばない馬鹿な俺。 厚木から世田谷まで押して歩いた・・・本当に辛かった。 しかも次の日、前日の疲労で仕事に遅刻して怒られるわ。 あの時は本当に辛くて涙がでた。修理代30万でさらに泣いた。
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip2/pages/4771.html
『長門有希の密度』 『長門有希の夏色』 を踏まえています。 ======== 『長門有希の遭難』 九月、今年は無事に二学期を迎えることができた。 教室に入ると、七月以来会うことがなかった連中の懐かしい顔がちらほらと見える。夏練に明け暮れた運動部連中は真っ黒に日に焼け、それ以外の連中でも遊びまくったのか真っ黒に焼けているやつもいる。 「おはよ、キョン、久しぶり!」 「おいおい、三日前にも夏休み最後の虫取りとやらで一緒だったじゃないか」 「え、そうだっけ?」 ふん、何をすっとぼけたことを……。なんだかんだで夏休みの半分以上はSOS団の連中と顔を合わせていたかもしれない、何が、久しぶり、だよ。 「ま、いいじゃない」 そう言って窓の外を眺めるハルヒの前の席に俺は腰を下ろした。 そうだよな、今年の夏もいろいろあった。特に今年の夏は、情報統合思念体の働きにより、胸のサイズを二カップ分ほど増量した長門とプールや海で遊んだっけ。 俺は、机の上の程よく日に焼けた自分の腕を見ながら、長門と海に行った時のことを思い出していた。 ……………… ………… …… 妹と出かけた市民プールで、長門とたまたま出会ってから四・五日後のことだ。 長門からのメールに『海にでも行くか?』と返事をしたことをきっかけに、俺と長門は本当に二人で海に行くことになった。SOS団の公式イベントにしてしまえば、古泉がどこかのプライベートビーチでも手配してくれるに違いない。その方が俺的にも黙ってついていけばいいだけなので気は楽なのだが、なぜか長門とメールをやり取りしているうちに、普段いろいろと苦労しているはずの長門に少し息抜きさせてやりたい気になったので、公式イベントにすることはなく二人だけで行くことにした。 妹に見つからないように朝早くに家を出た俺は、長門と待ち合わせしている駅に向かった。 待ち合わせ時間の少し前に駅に到着した時には長門はすでにそこに立っていた。ノースリーブの白いブラウスに膝上丈のデニムのパンツ、少しつばの広い麦藁帽まで被っている。どこかのお嬢様というほどでもないが、清楚な感じがいかにも長門らしい。 「よお」 「……」 よかった、『遅い、罰金』とでも言われたら俺は立ち直れないところだったが、長門は普段どおりの無言で俺を迎えてくれた。 「じゃ、行くか」 そう言いながらふとブラウスの胸元が視野に入った。あいかわらず増量中らしい胸が存在を主張していて、俺は慌てて視線をそらした。 「……引き続き、有機情報因子は増量中」 長門は俺の方へ振り向くことなくそっとつぶやいた。 何回か電車を乗り継いで一時間以上かかって到着した海は、ほどほどに賑わっていた。さすがにここまで来ると、近くのメジャーな海水浴場のように芋の子を洗う状態ではないし、海の水もそこそこきれいだった。 先に水着に着替え終わった俺が、海の家の前で待っていると、長門がやってきた。先日プールで見たものと同じ水色のワンピースにパレオを巻いていて、白い花がついたビーチサンダルを履いて、手にはさっきの麦藁帽と小さなかばんを持っていた。すらりと伸びた手足の白さがまぶしいぐらいだ。 「んじゃ、パラソル借りるか」 海の家のパラソルは一日千円だった。うーむ、こんな傘ひとつで千円とはいい商売だね。その分、希望の場所まで持ってきて、砂にぐっと差し込むまではやってくれたが。 パラソルを立ててくれたバイトのにぃちゃんが去って言った後、持ってきたレジャーシートを広げて座り、俺はとりあえず一息ついた。隣に腰を下ろした長門は、もって来たかばんから文庫本を取り出して早速読み始めた。 うーん、まぁなんだ、せっかくここまで来たんだから、まずは海を見て、「わぁ、きれい」とか「気持ちいいわねー」とか言って欲しいところだが、長門には無理な注文であることは重々承知だ。 「なぁ、日焼け止め、いるか?」 長門は文庫本から顔を上げると、小さく首をかしげた。たぶん長門は日焼けなんかすることは無いんだろう。 「すまんが、背中とか塗って欲しいんだが」 俺は持ってきた日焼け止めクリームを自分の腕に塗りながら長門に話しかけた。実は子供の頃に一気に日に焼きすぎて、軽いやけど状態になったことがあって、それ以来、一日海にいるときには日焼け止めを塗るようになった。ただし、多少は黒く焼けたほうが健康的なので、SPF的にはゆるい目の日焼け止めにしている。 長門は文庫本を置くと、すっと右手を差し出してきたので、俺はその手のひらににょろーんと少しばかりクリームを出した。 「頼むわ」 後ろを向いた俺の背中に、長門の小さな手が当たる。この暑いのに相変わらず少しひんやりしていて心地よい。やがてその手が俺の背中を規則正しく動き出した。まず、肩口を横にクリームを伸ばすように動き、次に縦方向に上から下へと右側から左側へと順々に進んで行く。 見えないのでわからないが、長門のことだから、おそらく背中一面にミクロン単位で均等になるようにクリームを伸ばしてくれているんだろう。そんな気がする手の動きだった。 「ありがとう、長門」 俺が自分の胸あたりに塗っていると、いきなり長門の手がおへその辺りに回りこんできてクリームをすりこみ始めた。 「な、な、なっ、そ、そこはいいって……」 あまりの急な長門の攻撃で俺は度肝を抜かれてしまった。あわてて振り向くと、長門はキョトンとして首をかしげている。 「前は自分でやるからいいよ、ありがとう」 そういうと、長門はほとんどクリームが残っていない自分の手のひらを眺めて、 「わたしにも塗って欲しい」 と、ぽつりと言った。 「えっ、塗るの?」 コクンと肯く長門。 「そうか、わかった、ちょっと待ってくれよ」 俺は足回りとかの残りの部分への塗りこみをさっさと済ますと、長門の背後に回った。 長門のワンピースの水着はそれほど大きく背中が露出していないタイプだったので、俺はその小さな背中に必要と思われる量のクリームを手のひらに乗せて、そっと長門の背中に塗り始めた。 まるで作り物のように、きめ細やかでつるつるの肌だった。まぁ、宇宙人製の有機アンドロイドなんだから当然といえば当然か。 うちの妹に塗るときには、水着の隙間にも少し手を突っ込んで塗ってやるんだが、さすがに同級生の女子である長門にそこまでするのは気が引けるし、下手すりゃセクハラなので見える範囲だけにしておいた。 一通り背中に塗った後、ショートヘアの髪を少し上げて首筋あたりにも忘れずにクリームを塗りこんだ。 「よし、できたぞ」 「ありがとう」 その時、長門はパレオを少しはだけて足にクリームを塗っていた。こんな至近距離で長門の生足を見たのは初めてだが、背中同様につややかで輝いている。俺は見ないような振りをしながらしっかりと記憶に残しておいた。 その後は、少し海で泳いだり、パラソルの下に戻ってきて俺は睡眠、長門は読書とそれぞれに夏の一日を満喫していた。長門と二人だと、とてもまったりと過ごすことができる。ここにハルヒでもいれば、やれ競争だ、勝負だ、あれを食う、これを飲む、と忙しいことだったろう。 昼飯に海の家の思いっきりレトルトっぽいカレーを食った後、午後はしばらく二人してパラソルの下で昼寝をしていた。 結局一時間ほど寝ていただろうか、俺が目を覚ますと長門はすでに文庫本を読んでいた。俺はゆっくりと体を起こしつつ、長門に声をかけた。 「お、おはよう」 「……今は十四時前、『おはよう』は変」 「……そうか、それはすまない」 「いい」 こんなやり取りを楽しむことができるようになってどれぐらい経っただろうね。我ながら感心するよ、まったく。 「なぁ、カキ氷食うか?」 パラソルの下とはいえ炎天下で寝ていたのでのどが渇いた。 「食べる」 「買ってくるけど、何味がいい?」 長門は少し考えた後、 「イチゴミルク」 「わかった、ちょっと待っててくれ」 俺はそう言い残すと小銭入れを持って海の家に向かった。 ちょうどみんなカキ氷が欲しくなる時間帯だったようで、海の家のカキ氷には五人ばかりの行列ができていた。三つ、四つと買う人もいたので、俺がイチゴミルクとブルーハワイを手にするまで、七、八分は待たされただろうか。 あっという間に溶けていくカキ氷のカップを両手に一つずつ持って、長門の待つパラソルに向かっていくと、本を読む長門の前で、茶色い髪をしたヤツが二人ほどしゃがみこんで長門に何か話しかけていた。 お、ナンパだな。 こんな海岸でもナンパ野郎はいるようだ。しかし奴らは知らないだろうが相手が悪いぞ。あの情報統合思念体が銀河に誇るスーパー無口キャラをナンパで落とすとのは不可能に違いない。 俺は少し歩みを遅くして、どんなことになるのかそっと観察しながら近づいていった。 連中は、なにやら身振り手振りで長門に話しかけているようだが、長門は身動き一つせず、じっと不思議な生き物でも観察するような様子で目の前の二人を見つめていた。 やがて二人はあきらめたように、向こうの方を指差して去って行こうとしたが、その時、長門も立ち上がって、ついて行こうとしたように見えた。 お、おい、長門、お前……! あの長門がナンパ野郎の誘いに乗ったのか!? びっくりした俺は慌てて駆け寄った。 「長門!」 俺の声に気づいて振り向いた長門は、えっ、というような表情で俺のことを見つめると、 「おかえり」 と、言って立ち止まった。俺は、できるだけ冷静を装った。 「どこ行くの?」 「……あなたが遅いので様子を見に行こうと思った」 長門はごく当たり前のように答えた。 あらためて周囲を見渡すと、さっきの二人組はもう次の獲物を求めて遠ざかって行くところだった。どうやら、俺の早とちりだったようだ。やはり長門は長門だ、安心した。 すっかり溶けて水っぽくなったカキ氷をかきこみながら、俺は長門にさっきの出来事について尋ねた。 「連中、なんて言ってきたんだ?」 「『ひとり?』と聞いてきたので、『そう』、と答えると彼らはいろいろ話し始めた」 「おいおい、今日は俺と一緒に来たじゃないか」 「質問された時点ではわたしは一人でいた」 「う……」 「彼らが私に話した内容は、どれをとっても論旨が不明瞭で何を主張したいのかよくわからなかった」 あははは、やはりあのナンパ野郎には荷が重すぎたようだな。長門をナンパするつもりなら、論理的に何一つ矛盾することない言い回しを用意しないといけないようだ。 それにしても長門はあの状況を正しく理解しているのか俺はちょっと不安になったので確認してみることにした。 「お前、あいつらにナンパされたんだぜ」 「今日は風も波も穏やか。彼らが船に乗る予定があったのかは不明だが、乗ったとしても海上で遭難する恐れは低いと思われる」 ………… えっと、長門さん、このベタな展開を踏まえて俺にどうしろと言うのでしょうか。俺はどのようなアクションを取ればよろしいのでしょうか? 「その難破とナンパが違うだろ!」と突っ込むべきなのか、素直にナンパの定義についてレクチャーするべきなのか、俺はすっかり返答に窮してしまった。 戸惑う俺をよそに、長門はイチゴミルクのカキ氷を飲み干すと、うーんと一つ背伸びをして青空を見上げていた。ナンパ野郎を引き寄せる魔力を備えた二カップ増量した胸が水色の水着の下で少し窮屈そうに感じられた。 夕方四時近くになると、海の家のおばちゃん達は早々に片づけを始めた。確かにすっかりパラソルの数も減っている。海水浴シーズンも終盤だし、今年の夏の分はもう十分稼いだと見えて、今日はもう店じまいするらしい。 俺たちもなんだかんだで十二分に海を堪能することができたので、パラソルをたたみ、帰ることにした。 帰りの電車では運よくクロスシートの席に二人で並んで座ることができた。俺は窓側に長門を座らせると、網棚の上に荷物と麦藁帽を乗せて、発車の時間を待つ間に缶コーヒーを二本買ってきた。 電車が動き出すまでの間、俺は缶コーヒーを飲みながら、今日一日でうっすらと赤く日に焼けた腕を見ていた。日焼け止めのおかげで、程よく焼けているようだ。 「少し焼けたかな」 「わたしは……」 そういって長門は自らの腕を動かしてチェックしていたが、どこをどう見ても相変わらず白い肌のままだった。 「わたしも少し日に焼けたほうがいい?」 長門は両手で大事そうに缶コーヒーを持ちながら、俺のことを覗き込むようにして見上げている。俺は即答した。 「いや、日に焼かない白い肌の方がいいよ」 長門は一つ瞬きをすると小さくコクンとうなずいて缶コーヒーを口にした。 そうだよ、長門、お前はその名前のように白い肌が似合うんだ、間違いない。 しばらくすると電車が動き出した。海岸線を走る電車の窓からは、遠く水平線の向こうに沈む夕陽がとてもきれいに見えていた。窓の外を眺める長門の横顔越しに刻一刻と沈んでくオレンジ色の太陽を見ていると、長門が俺の方に振り返った。 「きれい」 「そうだな」 その後も俺たちは太陽が沈みきるまで黙って窓の外を見つめていた。 …… ………… ……………… 俺が、ささやかな夏の思い出に浸っているうちに、あっという間に放課後になった。始業式だというのに掃除当番に当たってぶつぶつ文句を言っているハルヒを残して、俺は一足先に部室へと向かった。 念のためにノックしたあと部室の扉を開けると、そこには長門がいつものように窓辺で本を読んでいるだけだった。 「よお、元気だったか」 そう言いながら定位置のパイプ椅子に腰を下ろして制服姿の長門に目を向けると、すぐにある一点に気付いた。 あれっ、ひょっとして、元に戻ったのか? 制服の胸元が夏休み中の増量サイズと比べるとすっかり元通りになっているように見えた。二カップ分が一カップ分かひょっとすると元のサイズまで戻っているかもしれない。 そんな俺の視線に気づいたのか、本を閉じた長門は静かに話し始めた。 「昨日、情報統合思念体に要請し、胸の有機情報因子の量を減らしてもらった。あの胸の増量はあなたの要望に基づくもので試験的・限定的なもの」 ほう、やっぱりそうだったのか。しかし、俺の要望というのはちょっと違うと前も言ったと思うのだが……。 「あのまま増量し続けることも検討したが、先日のように、どこかの海に出かけた時に海上で遭難する可能性が高いと思われるため、少し減量することにした。どう?」 「…………」 こいつ、またまじめな顔でこんなことを言ってやがる。しかし今度は確実に状況を理解した上で言っているな。百パーセント確信犯的な回答だ。じゃあ、俺もその話に乗っておこうか。 「万が一でもお前が遭難するようなことがあったら、俺が何としてでも助けに行ってやるよ」 俺の言葉を聞くと、長門は少し安心したように小さく肯いた。 まだまだ残暑は厳しいが、部室の中には少しだけ涼しげな風が吹き込んで、俺を見つめる長門のショートカットの髪を、白い頬をそっとなでるように揺らしている。 そうだな、今年もいい夏だった。 Fin.
https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/7706.html
登録日:2011/08/19 Fri 20 18 00 更新日:2024/01/09 Tue 13 27 39NEW! 所要時間:約 3 分で読めます ▽タグ一覧 ダイナマイト ダイナマイトな林檎は俺の嫁 ダイナマイトマジダイナマイト 名曲 心 教育 東京事変 椎名林檎 楽曲 遭難 音楽 曲 名:遭難 発売日:2004/10/20 収録曲:1.遭難 2.ダイナマイト 3.心 遭難とは東京事変が発表した2曲目のシングル。群青日和から僅か1ヶ月という当時の林檎にはあまり見られなかった珍しい傾向である。 またこの翌月には1stアルバム「教育」をリリースし、この3枚を三部作と読んでいる。 が、12月には事変初のPV集「tokyo incidents vol.1」がリリースされているので実質四部作だろう。 CMやテレビ番組とのタイアップは無かったが最高順位は貫禄の2位。 初回限定版は三部作インデックス仕様。 他の曲同様この作品も3分23秒、2分02秒、4分04秒というシンメトリーで編成されている。 また、群青日和と一緒に収録された「群青日和/遭難」というアナログ盤も存在する。 1.遭難 危うい関係を歌った内容に不倫の歌では?と憶測が飛び交う曲。東京事変の曲の中でも評価が高い。 PVは紫みを帯びた照明の中、林檎は周囲と対照的に赤を基調としたドレスと髪飾りを付け白いギターを手に歌い、他の四人は黒いタキシードを着ている。 くるくると回転しながら移動する演出が非常に印象的である。 tokyo incidentsには2番のサビを各メンバーが個別に歌う別バージョンがシークレットとして収録されてるが、 中でも殆ど表情を変えない晝海幹音と、力の入りすぎている亀田誠治師匠の顔アップは必見。 1曲単体のものと、ダイナマイトのPVへと繋がっている2パターンが存在している。 1stalbum「教育」に収録。 2.ダイナマイト カバー曲だがアンコンディショナル・ラブのように誰のアレンジを林檎が聞いてきたかは明言されていない。 PVは映画「シカゴ」などを彷彿とさせる演出で、ここでの林檎もまあダイナマイト。 大勢の女性ダンサーが踊るなか、男性メンバーは白いタキシードで演奏し、林檎は最初赤いドレスで歌っている。 が、後半では一転してボンデージを思わせる黒い衣装にチェンジ。 爆発頭に小さなシルクハット、網タイツにハイヒールと非常に過激である。 遭難での物憂げな林檎もいいが、ダンサーを引き連れ踊る林檎も素敵である。 あとH是都M、そこ代われ このダンサー達は04年にミュージックステーションで事変が林檎の唄と共にダイナマイトを披露した時にも登場。 この迫力に圧されたのかこの回で共演した平井堅(大の林檎ファン)は、 同番組の年末スペシャルで「今年印象に残った歌手は?」という話題に事変をあげ、タモリさんも同調していた。 この2曲のPVメイキングはtokyo Incidents vol.1に収録されているので興味のある方は是非ご覧あれ。 3.心 まさに隠れた名曲。 03年に開かれた椎名林檎のバースデーパーティーで、林檎自身が参加者に聞かせるために1日で作り上げたというエピソードがあり、 作詞作曲の所に日付を表記してるのはそのため。 林檎はデビュー当時から「心が何か分からないから分からないまま使いたくない」とインタビューで言ってきたので、 これがどれだけ特別な曲かはお分かりになるだろう。 「東京事変live tour 2007 Spa Treatment」ではアンコールでこの曲と、キラーチューン収録のカップリング曲「体」のどちらが良いかを観客に聞き、 片方のみを演奏するという事変らしいユニークな演出があった。 追記・修正は目の前に置かれたバラを取りながらお願いします。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 一瞬歴史項目かと勘違いした -- 名無しさん (2013-11-10 21 36 42) 恋愛とは無縁なので歌詞はどうでもいいけどそんな俺でも単純に楽曲としての完成度で惹き付けられる一曲 -- 名無しさん (2016-02-29 16 35 08) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/pam-iwate/pages/1962.html
八甲田山雪中行軍遭難資料館 八甲田は、四季を通じて美しく豊かな自然に恵まれています。また、同時に厳しい自然の脅威も持っています。その事実をまざまざと見せつけてくれた八甲田山雪中行軍遭難事件。今からおよそ100年前に起こったこの事件を歴史の記憶にとどめ、その教訓を次世代に語り継ぐ新しい資料館ができました。事件が現代にもたらしてくれるものをあらためて問い直すとともに、八甲田の魅力とその奥深さを、再認識、再発見してください。また、ロビーには観光案内コーナーがあり、八甲田や青森市内の観光情報を検索できます。 〈八甲田山雪中行軍遭難資料館公式サイトより引用〉 八甲田山雪中行軍遭難資料館 〒 青森県青森市幸畑字阿部野163−4 TEL:017−728−7063 FAX: パンフレット ※画像をクリックするとパンフレットが開きます。 imageプラグインエラー ご指定のURLはサポートしていません。png, jpg, gif などの画像URLを指定してください。 ホームページ http //www.moyahills.jp/hakkoda/index.html 〈ブログ〉 秋旅行PART4(十和田湖〜八甲田) http //blogs.yahoo.co.jp/jmsdfmyoukou/20141347.html 八甲田山雪中行軍遭難資料館 http //blogs.yahoo.co.jp/mika00707/24305240.html 八甲田山雪中行軍遭難資料館 http //blogs.yahoo.co.jp/souichiroussugihara/20487815.html 新田次郎、『八甲田山死の彷徨』 http //blogs.yahoo.co.jp/seiyakuman/36120451.html 幸畑陸軍墓地 http //blogs.yahoo.co.jp/alohajyabara/44513666.html 本日青森最終日。 http //blogs.yahoo.co.jp/tetsusin_616/40136024.html 携帯サイト 最新のチラシ imageプラグインエラー ご指定のURLはサポートしていません。png, jpg, gif などの画像URLを指定してください。 《周辺情報》 〈ブログ2〉 #blogsearch /
https://w.atwiki.jp/chaina_battle/pages/309.html
thumb|right|200px|後藤房之助伍長の像]の台座にある文面 八甲田雪中行軍遭難事件(はっこうだせっちゅうこうぐんそうなんじけん)は、Template 和暦?1月に日本陸軍第8師団の歩兵第5連隊が八甲田山で冬季訓練中に遭難した事件。訓練への参加者210名中199名が死亡する、日本の冬山登山史上もっとも多くの遭難者が発生する事件となった。 事件の背景 事件の背景には、日本陸軍が冬季訓練を緊急の課題としてすすめていたことが挙げられる。日本陸軍はTemplate 和暦?の日清戦争で冬季寒冷地での戦いに苦戦し、そしてさらなる厳寒地での戦いとなる対ロシア戦を想定し、準備していた。こうした想定は、事件から2年後のTemplate 和暦?に日露戦争として現実のものとなった。 この演習の目的は、ロシア海軍の艦隊が津軽海峡(北海道と青森との間)に入り、青森の海岸沿いの列車が動かなくなった際に、日本海側と太平洋側から、それぞれ移動するための演習であった。そのルートは「弘前~十和田湖畔~三本木~田代~青森」と「青森~田代~三本木~八戸」の2ルートが考えられ、弘前ルートは弘前第31連隊が、八戸ルートは青森5連隊がそれぞれ受持つ形となった。このような形になったのは全くの偶然であり、弘前第31連隊は「雪中行軍に関する服装、行軍方法等・・」の全般に渡る研究が目的だったのに対し、青森第5連隊は「雪中における軍の展開、物資の輸送の可否……」が目的だったとされている。 遭難部隊 遭難したのは、青森を衛戍地とする歩兵第5連隊第2大隊である。部隊の指揮を執っていたのは、中隊長で陸軍歩兵大尉の神成文吉(かんなりぶんきち)である。但し、大隊長で陸軍歩兵少佐の山口鋠が指揮に関与したとされている。神成文吉大尉は、秋田県の出身で、陸軍教導団を経て陸軍歩兵二等軍曹に任官し、順次昇進して陸軍歩兵大尉となった人物である。 神成大尉の命を受けて危急を知らせる途上で仮死状態となっていた後藤房之助伍長が1月27日に捜索隊に発見されたことから、遭難の詳細が判明した。5月28日に全遺体が収容された。 最終的に生存したのは、倉石一大尉(山形)、伊藤格明中尉(山形)、長谷川貞三特務曹長(秋田)、後藤房之助伍長(宮城)、小原忠三郎伍長(岩手)、及川平助伍長(岩手)、村松文哉伍長(宮城)、阿部卯吉一等卒(岩手)、後藤惣助一等卒(岩手)、山本徳次郎一等卒(青森)、阿部寿松一等卒(岩手)、の11人のみであった。 生存した将兵も、倉石大尉、伊藤中尉、長谷川特務曹長以外の、そのほとんどが凍傷により足や手の切断を余儀なくされた。軽症な方では、及川平助はアキレス腱と指3本、山本徳次郎は左足を切断した。その他は四肢切断であった。また、一番元気だった倉石大尉は日露戦争の黒溝台会戦で1月27日に戦死した。伊藤中尉、長谷川特務曹長も重傷を負った。 Template 和暦?、銅像が立てられたが、後藤房之助本人は当時の連隊長に「よく見ろ」と言われたが、照れくさくなかなか見ることができなかったという。彼は遭難の話はあまり話したがらず、また、後藤伍長は同じく生き残りの村松伍長と仲が良かった。後述するが岩手と宮城の兵士たちにとっては凄まじい惨劇となった。 後藤伍長は銅像のほか、現在青森県道40号青森田代十和田線の路上に「後藤伍長発見の地」という板が立っている。ただし、発見の地は銅像よりも数キロ青森よりの場所である。銅像の場所は馬立場付近で、第二露営地と第三露営地の間である。 こちら側に向かうスキーのコースは銅像コースと言われる。同コースでは、Template 和暦?2月14日に、死者2人・重軽傷者8人を出す雪崩事故が発生した。 遭難経緯 第1日(1月23日) 午前6時に青森連隊駐屯地を出発。田茂木野において地元村民が案内役を買ってでるが、これを断り地図とコンパスのみで厳寒期の八甲田山走破を行うことになる。 途中小峠まで差したる障害もなく進軍。大峠付近にて天候が悪化。ソリ隊も遅れ、ここで大休止を取る。携帯した食料類は凍りつき食事を取らぬ兵士が大多数を占める事態となる。装備の不安と天候がさらに悪化することを恐れ、駐屯地への一時帰営を協議するが下士官などの反対により、行軍を続行することになる。 風雪をやり過ごしながら馬立場(大峠より2km)まで進軍。ここより積雪量が格段に深くなり、行軍速度が落ち、食料と燃料などを積んだソリ部隊は本隊より1時間以上遅れる。神成大尉は第2、第3小隊計88名をソリ隊の応援に向かわせると同時に、設営隊15名を田代方面に斥候を兼ねた先遣隊として先行させる。 夜6時、鳴沢付近でソリの放棄を決定。ソリの荷物を各隊員に分散して持たせる。このとき炊飯用の銅釜を持たされた兵士が一番悲惨だったという。設営隊が本隊と合流。設営隊も進路を発見できず、道に迷っていたところを偶然にも本隊と合流する形であった。 夜8時過ぎに田代元湯まであと1.5kmの平沢の森まで進出するが、日没により前後不覚となり田代方面への進路も発見できず、これ以上の行軍は不可能と判断。雪濠を掘って露営することとなる。 第2日(1月24日) 前日の強行軍が災いし、寒さと疲労を訴える者が続出。暖を取ろうにも炭火などの燃料が用を成さず、部隊は遭難に近い状態となる。午前2時頃、この事態を重く見た行軍指導部は部隊の帰営を決定する。 部隊は馬立場を目指すが午前3時半ごろに鳴沢付近でゴルジュに迷い込み、崖をよじ登ることになる。ここで崖を登れず落伍する兵がでる。雪中行軍における最初の犠牲者であるが、猛吹雪でほとんど誰も確認ができなかったという。 途中、午前8時半ごろに佐藤特務曹長が田代元湯に至る道を発見したと上層部に進言。山口少佐の独断により、佐藤特務曹長の言を採用。佐藤特務曹長に教導を任せた上、進路を再び田代に変更。 駒込川の沢に到達。その頃の進軍は全員疲労困憊しており、隊列も整わず統制に支障が出始める。駒込川に至って佐藤特務曹長の進言が誤りだったことに気付くが、もと来た道は吹雪により完全に消されており部隊は完全に前後不覚の状態になり遭難となる。 再び断崖を登るが、ここでも転落落伍者を出す。駒込川の沢を脱出する際、第4小隊の水野中尉が従卒と共に卒倒の上凍死し、部隊の士気が下がる。 夕方頃に鳴沢付近にて凹地を発見。ここを露営地とする。部隊は統制が取れない上、雪濠を掘ろうにもそれらの道具を所持していた隊員は全員落伍して行方不明となっており、文字通り吹曝しの露天に露営する状態となる。吹雪で体感温度が-50℃近く、また前日よりほとんど不眠不休で絶食状態であるため、ここで多くの将兵が昏倒し、凍死していった。 一方、青森では帰営予定日時になっても帰営しない行軍隊を迎えに行くため、川和田少尉以下40名が田茂木野まで出迎えに行く。24時まで待ったが消息なし。この日は弘前連隊へ転出する松木中尉の送別会を催していたが、出席者は「この場で行軍隊が戻ってきたらうれしい話だな」と話し合っていた。 第3日(1月25日) 午前3時頃、部隊は馬立場方面を目指して出発。この時点で死者、行方不明者合わせて40名を超えていた。その他の兵士も多くは凍傷にかかっていた。コンパスは凍りついて用を成さず、地図を頼りに、ほぼ勘に頼っての行軍となる。 途中道を見失う。先頭で教導していた神成大尉は誰ともなく命令する。「ここで部隊を解散する。各自勝手に青森へ帰るように。」それまで何とか落伍せずに頑張っていた多くの兵士が、この一言により箍が外れ、発狂して服を脱ぎ始める者、「この崖を降りれば青森だ!」と叫び川に飛び込む者、「筏を作って川下りをして帰るぞ」と叫び樹に向かって行きそのまま倒れこむ者と、この一言で倒れこんで凍死する者が続出した。 この彷徨で興津大尉以下約30名が凍死。昨晩の夕方から興津大尉は凍傷にかかっており軽石三蔵らが手当てしていた。2月12日の発見時には軽石二等卒は興津大尉を覆うように倒れていた。さらに、長谷川特務曹長など後に生存者として発見される兵士を含む兵士十数名が行方不明となる。長谷川特務曹長は滑落し道に迷っており、彼に従った数名は午後2時頃平沢の炭小屋を発見しそこに滞在していた。長谷川特務曹長が持っていたマッチで火を起し暖を取ったが全員疲労が激しく翌26日午前3時頃に火事になる可能性を恐れ炭火を消し、その後は暖を取ることは無かった。本隊が午前5時30分頃に露営地に戻った頃には山口少佐が人事不省となる。倉石大尉は少佐に遺言を求め、後藤伍長には少佐はこの時死んだものと思われた。 午前7時頃、比較的冷静だった倉石大尉は斥候隊を募り、比較的元気な15名が馬立場方面への斥候へ向かう。これにより部隊は少なからずも平静を取り戻す。しかしその状況も長くは続かず、午前10時頃には木が揺れるのを見た1人の兵士が「救助隊が来た!」と叫ぶと、他の者も「本当に来た!」「母ちゃ~ん!」と叫び始める。皆、集団幻覚を見ていたのだ。倉石大尉は、その状況になる度に春日林太夫喇叭卒に喇叭を吹かせて冷静さを取り戻したという。春日喇叭卒は喇叭が凍結していたため、唇がはがれ翌日凍死した。 佐々木霜吉一等卒が帰路を発見。午前11時30分頃高橋斥候長が自ら戻ってきて帰路を発見し田茂木方面へ進軍中との報告をし、戻ってきた斥候隊に付いて行き、馬立場に到着する。ここで渡辺幸之助軍曹らの残りの斥候隊からの報告を待つが、残りの部隊はついに戻らなかった。また、馬立場付近で帰路を発見した佐々木一等卒と高橋伍長は重なり合うようにして凍死した。夜5時頃倉石大尉が気づいた時には大橋中尉、永井軍医が行方不明となっていた。永井軍医や桜井龍造看護長といった医療班は、兵の看護を無理をしてやり続けていたが、その結果本人達も斃れてしまった。この頃には完全に部隊はばらばらになっていた。 夜12時頃に、倉石大尉の一隊は山口少佐の一行と合流。この日は馬立場北方の中の森にて露営する。この日の露営は寒さに堪えかねて、凍死した将兵の背嚢を燃やすなどして何とか寒さを凌ぐものの、それでも大多数の兵士が凍死して行った。 青森では天候が前日よりも良かったので今日こそは帰ってくるだろうと思い、小関中尉以下40名は炊飯具を携行して幸畑で粥を作って待っていた。その一部は田茂木野村の南端でかがり火を作って夜まで待った。22時になって屯営では行軍隊が三本木方面に抜けているのでは考え、三本木警察に電報を出したが確認がとれず、翌日から救援隊を派遣することを決定する。 第4日(1月26日) 明け方頃に出発。この時点で生存している将兵は60~70名。部隊の人数は1/3までに減っていた。前日の露営で山口少佐が人事不省となり、少佐は兵卒に担がれる状態で行軍する。隊列は乱れに乱れ、先頭は神成大尉、倉石大尉と自然に決まっていたが、それ以外は所属も階級も関係なく、将兵が後から続く形で行軍する。神成大尉らは前方高地を偵察する形で前方を行き、倉石大尉は後方を進んでいた。 後藤房之助伍長は目覚めたとき、昨夜自分と共に寝た者が1人もいなかった。1人で青森に向かう途中、神成大尉、鈴木少尉、及川伍長らと出会う。夕方までに、中の森~賽の河原の間(所在不明)に到着。露営をするが、暖を取る事も叶わず、将校を中心に周りを兵卒が囲む形で立ったまま休む状態で露営をする。 村上一等軍医、三神少尉、下士卒60名の救援隊は屯営を出発。大峠まで捜索活動を行ったが、この日の気温は-14℃。風雪も厳しく、捜索を断念。田茂木野へ引き返す。 第5日(1月27日) 倉石大尉は目の前の道が二手に分かれる場所で神成大尉、今泉見習士官、中野中尉、鈴木少尉らと合流する。談合し、隊は二手に別れて行動する事になる(四日目とも言われるが倉石大尉は五日目と証言しており恐らくこちらの方が正しい)。真夜中(午前3時頃と推定)に出発。この時点で生存者は30名。倉石大尉と山口少佐を中心とするグループと、神成大尉を中心とするグループに分かれる。倉石大尉のグループは駒込川方面を進むが、中野中尉をはじめ数名が倒れる。途中青岩付近で沢にはまってしまい、進むことも戻ることもできなくなる。 神成大尉のグループは、道自体は比較的正確に進んでいたが、倉石大尉らと異なり猛吹雪をまともに受けたため落伍者が続出する。残り4人の中から鈴木少尉が高地を見に行くと言い、そのまま帰ってこない。3人となりしばらく留まるが、及川篤三郎が危篤となり手当ての甲斐なく死亡。神成大尉と後藤房之助伍長の2人が残り、雪中を進むが神成大尉が倒れる。神成大尉は後藤伍長に「田茂木に行って住民を雇い、連隊への連絡を依頼せよ」と命令。後藤伍長は1人で朦朧とした意識の中で田茂木へ歩き続ける。 救援隊は捜索活動を再開。今日こそは何としてでも雪中行軍隊と接触しようと、案内人を何とか説得して、大滝平に進む。午前10時頃、三上中尉率いる小隊が大滝平付近で雪中に立つ後藤伍長を発見。本人はこのときのことを「其距離等も詳かに知る能はず、所謂夢中に前進中救援隊のために救われたり」と述べている。発見時の様子を東奥日報は「直立せしまま身動きもせずキョロキョロせしのみ」と報じる。また、「遭難始末」では仮死状態で歩哨の如く直立していたと述べられている。ここで初めて遭難したことが判明する。 伍長が「神成大尉」と微かに語ったため、付近を捜索するとすぐ先に神成大尉が倒れていた。大尉は全身凍っていた。腕に気付け薬を注射したが、皮膚まで凍っていたので針が折れた。その後口を開けさせ口腔内に針を刺した。何か語ったように見えたが、蘇生せず凍死。及川篤三郎の遺体も発見される。19時40分、三上少尉が連隊長官舎に駆け込み大滝平で後藤伍長を発見したことと雪中行軍が「全滅の模様」であることと、2時間の捜索で「救助隊60余名中、約半数が凍傷で行動不可」となったことを知らせる。津川青森歩兵第五連隊長中佐はこの報告を聞いて青くなった。 その後 1月27日の夜、倉石大尉らの一隊では今泉三太郎見習士官が下士1名を伴い周りが制止するのも聞かず川に飛び込んだ。倉石大尉は「川を下っていった」と述べているが、他の生存者の証言から飛び込んだのは間違いない。3月9日に彼は下流で遺体となって発見された。 1月28日には倉石大尉らの一隊では、問題となった佐藤特務曹長が下士兵卒を連れ川に飛び込んだが、そのまま凍死。これに関しても倉石大尉は「連隊に連絡しようとして行ったまま行方不明」と述べている。倉石大尉ら4名は崖穴に入る。山口鋠少佐がいる川岸の場所と、倉石大尉らのいる場所の二つに別れて兵士がいたが、どちらかといえば倉石大尉らのいる所の方が場所的には良かった。倉石大尉は山口鋠少佐にこちらに来るよう勧めたが、「吾は此処に死せん」として拒否。この際、比較的動けた山本徳次郎が山口少佐に水を与えていた。 1月29日に救助部隊は神成大尉の遺体を収容する。各哨所も完成する。弘前隊は青森に到着。 1月30日には賽の河原で中野中尉ら36名の遺体発見。この場所は倉石大尉らが駒込川の沢に降りていった道に当たる。「賽の河原」の名前は、以前にもここで凍死した村の人が多くいたために付けられていたといわれる。後藤惣介が倉石大尉らの場所に行く。 1月31日午前9時頃、鳴沢北方の炭焼き小屋にいた三浦武雄伍長と阿部卯吉一等卒の2人が救出されるが三浦伍長は救出後に死亡した。小屋で朝まで生きていたというもう1人の遺体も発見。3日目に出発したところまでは覚えているが、それ以降は分からず、気づいたら小屋に飛び込んでいたという内容の証言をしている。小屋周辺では16名の遺体発見。この際田村少佐は陸軍省に「生存者12名」と誤電報を送るがすぐさま「生存兵卒2、遺体10」だったと訂正。 午前9時頃、倉石大尉らが崖をよじ登りだす。15時頃、250メートルほど進んだところで倉石大尉、伊藤中尉ら4人が発見され、生存者計9人が発見された。だが、高橋房治伍長、紺野市次郎二等卒は救出後死亡。この際に救出された山口鋠少佐も病院に収容されたが2月2日に死亡した。公式発表では心臓麻痺であるが、ピストル自殺説(小笠原孤酒及び彼に取材した新田次郎が採っている)、また現代では「凍傷の指で銃の操作は不可能」として新たな背景を探る松木明知の研究もあり、更なる検証・進展が望まれる。 1月31日には鳴沢で水野忠宜中尉(紀伊新宮藩10代藩主水野忠幹の長男)以下33名の遺体発見。また、大滝平付近で鈴木少尉の遺体発見。 2月1日には賽の河原付近にて数名の遺体発見。按ノ木森から中ノ森にかけ十数名の遺体発見。 2月2日11時頃地震が発生し、その際平沢の炭小屋で屋根が崩れその中にいた長谷川特務曹長、阿部寿松一等卒、佐々木正教二等卒、小野寺佐平二等卒の4人の生存者が発見される。だが、佐々木二等卒、小野寺二等卒は救出後死亡。15時頃には3日目に隊列を離れていた最後の生存者村松伍長が古館要吉一等卒の遺体と共に田代元湯で発見された。村松伍長は四肢切断の上、一時危篤状態となったがかろうじて回復した。 救助活動 救助活動は青森連隊、弘前連隊、更には仙台5砲兵隊も出動した大掛かりな体制になり、延べ1万人が投入された。その後、生存者の収容の完了と捜索方法の確立と共に青森連隊独自で行った。 救助拠点は、幸畑に資材集散基地、田茂木に捜索本部を置き、そこから哨戒所と呼ばれるベースキャンプを構築、前進させる方法が取られた。哨戒所は大滝平から最初の遭難地点の鳴沢まで合計15箇所設営された。 捜索方法は、生存者の証言と行軍計画を参照して行軍ルートを割出し、そのルートを重点として、横幅30m(およそ30人一列)になって、其々が所持する長さ10m程の竹棒を雪中に突き刺しながら前進し、少しでも違和感がある手応えを感知するとその下を掘削し、遺体を発見した。この作業を構築した哨戒所を拠点として、日中を6時間程かけて行い、遺体は哨戒所に一旦収容してから、捜索本部に集積した。1ヵ月も経過すると、雪面は捜索隊員によって雪が踏み固められたり、気温の変化で雪がシャーベット状になり、かなり固くなってしまった。そのため、鉄棒を以って代用とした。 また、捜索活動初期の頃、北海道からアイヌ人一行を招き、彼等と彼等が所有する猟犬と共に捜索活動を行い、遺体発見でかなりの成果を挙げた。 発見された遺体は、1体に数人程度をかけて掘り出して哨戒所に運搬した。余りに凍りついていたため、下手に扱うと遺体が関節の部分から粉々に砕けるからであった。哨戒所にて衣服を剥いだ後、直火にて遺体を解凍。棺に収容して本部まで運搬した。 水中に没した遺体は引揚げ作業が難航し、そのまま流される者が多数であった。そのため、幸畑村を流れる駒込川に流出防止の柵を構築し、そこに引っ掛かった遺体から順次収容して行った。 こうして発見された遺体は、最終的に5連隊駐屯所に運ばれ、そこで遺族と面会、確認の後、そこで荼毘に付されるか故郷へ帰っていった。 最後の遭難者が発見されたのは6月上旬である。 原因 原因は諸説あるが、決定的な原因ははっきりしていない。それを踏まえて、現在唱えられている原因を列挙する。 気象条件 雪中行軍が行われたのは、冬季によく見られる典型的な西高東低の気圧配置で、未曾有の寒気団が日本列島を襲っていた時で、日本各地で観測史上における最低気温を更新した日でもある(旭川で1月25日、日本最低記録である-41.0℃を記録した)。青森の気温にしても例年より8~10℃程低かった。行軍隊の遭難した山中の気温は、観測係であった看護兵が記録も残せず死亡したため定かでないが、-20℃以下だったとの推測を青森5連隊が報告書の中で残している。この過酷な気象条件が遭難の一大要因と考えられる。 稚拙な装備 雪中行軍時、将兵の装備は、特務曹長(准士官)以上が「毛糸の外套1着」「毛糸の軍帽」「ネル生地の冬軍服」「軍手1足」「長脚型軍靴」「長靴型雪沓」、下士卒が「毛糸の外套2着重ね着」「フェルト地の普通軍帽」「小倉生地の普通軍服」「軍手1足」「短脚型軍靴」と、冬山登山の防寒に対応しているとは言い難い装備であった。とくに下士官兵卒の防寒装備に至っては、毛糸の外套2枚を渡されただけである(当時の日本陸軍の軍装については日本陸軍の軍服も参照)。倉石大尉はゴム靴を持っていたことが結果として凍傷を防いだと言われるが、これは正月に東京に行った際にたまたま買っていたものであった。 指揮系統の混乱 雪中行軍隊の総指揮者は行軍隊隊長の神成大尉であるが、これに山口少佐と若干名の大尉が行軍隊付きとして同行する形になった。責任者は神成大尉ではあるが、階級と本来の職務の関係から行くと山口少佐は上司にあたり、同行してきた大尉達は神成大尉と同格の指揮官になる。これが結果として情報伝達の不備、意思決定の不統一になった。 極端な情報不足 神成大尉が雪中行軍隊の指揮を任されることになったのは、行軍実施の直前である。それまでの担当者は夫人出産の立会いのため、任を解かれる形となる。その為、実際の雪中行軍に対して神成大尉は何も予備知識を持たないまま準備作業に入るが、準備作業としては、予行演習の日帰り行軍を小峠まで小隊編成で行ったのみである。その行軍自体が晴天下で行われた事もあり、冬山登山や雪中行動の基本的リスクの抽出が結果として行われなかったことになる。 知識不足 雪中行軍参加者のほとんどは岩手県、宮城県の農家の出身者であり、普段冬山などに接する機会がない者たちであった。冬の八甲田山のことなど知る由もなかった。そのため、防寒の知識は皆無に等しく、雪中行軍をトレッキングと同列に考えている者がほとんどだった。第5連隊では、出発の前日に壮行会が開かれており、深夜まで宴会が行われていた。長谷川特務曹長は「田代といっても僅かに5里ばかりで、湯に入りに行くつもりで、たった手ぬぐい1本を持っただけだった」と語っている。なお、長谷川は軍銃の皮を足に巻き凍傷を防いでいた。 遭難始末によれば、“山登り”という事で履物を普段の皮製の軍靴から地下足袋に換えて参加した兵士も何名かいたことが確認されている(氏名までは不詳)。生存者の小原伍長の証言によれば、誰も予備の手袋、靴下を用意しておらず、装備が濡れてしまったら換えはなく、そこから凍傷が始まり、体温と体力を奪われ凍死していったという。小原伍長自身も「もしあの時、予備の軍手、靴下の一組でも余計にあれば自分は足や指を失わなかっただろうし、半分の兵士が助かっただろう」と後年、供述している。 兵卒の生存者は全員山間部の出身で、普段はマタギの手伝いや炭焼きに従事している者達だった。彼等は冬山での行動にある程度習熟しており、「足に唐辛子を擦り付けて、足温を安定させる」「足に油紙を巻いて水分の浸入を防ぐ」「肌着と衣服の間に新聞紙を仕込んで、体温の安定化、寒気の遮断をする」「食料(握り飯)に油紙を巻いて凍結を防ぐ」等の独自の耐寒装備をしていた。将校の生存確率が高いのも、兵卒より防寒機能が高い装備が一因と言われている。 階級別生存率 階級参加者数生存者数生存率 将校・同相当官(軍医)11218.2% 見習士官200% 准士官4125% 下士(看護長含む)4548.9% 兵卒(看護手含む)14842.7% 合計210115.2% その他 事件は新田次郎により『八甲田山死の彷徨』としてTemplate 和暦?に小説化され、さらにこの小説を原作としたTemplate 和暦?の映画『八甲田山』で一般に広く知られることになった。 Template 和暦?1月。第2次雪中行軍を敢行。参加者全員無事に八甲田山走破に成功した。 Template 和暦?1月に青森駐屯の第5普通科連隊(陸上自衛隊第9師団)が近代装備を用い八甲田山の雪中行軍に成功した。 この事件から95年後の1997年(平成9年)7月、レンジャー養成訓練中だった青森駐屯第5普通科連隊の訓練生15人、教官ら8人の計23人が、八甲田温泉近くの田代平牧場入口付近のくぼ地で相次いでガス中毒様の症状で倒れ、12人が病院に運ばれ内3名が死亡する惨事が起きている。 近年、その死因について多くの説が立てられている山口鋠少佐(大隊長)だが、その出自・経歴については広く知られているとは言い難い。 山口(旧姓成澤、養子のため改姓)は安政3年に幕臣の子として生まれ、義兄の英学者・翻訳家の渡部温(『イソップ物語』の翻訳等で名高い)が沼津兵学校教授を務めていたため、幼時を沼津で過ごす(年少のため入学はせず)。後に東京外国語学校(やはり渡部が校長だったことがある)でフランス語を専攻し、そして陸軍士官学校から陸軍戸山学校に進む。日清戦争に従軍した後、青森の前任地は山形(歩兵第32聯隊)だった。なお、謎の多い山口の最期を看取った軍医は山形衛戍病院からの応援者、中原貞衛であり、この点も単なる偶然と言い切れない一面がある。いずれにせよ、今後の研究進展によって、既存の小説や映画とは異なった人物像が浮かび上がって来る可能性がある。 この八甲田山雪中行軍遭難事件を聴いた、ノルウェー王国のホーコン7世国王が、Template 和暦?、お見舞いとして明治天皇宛にスキー二台を進呈した。 関連項目 八甲田山(遭難地) 八甲田山死の彷徨(小説) 八甲田山(映画) 八甲田山(テレビドラマ) 参考文献 新田次郎『八甲田山死の彷徨』(新潮社文庫、1978) ISBN 4-10-112214-8 陸上自衛隊第5普通科連隊『陸奥の吹雪』(陸上自衛隊第9師団、非売品 青森県立図書館蔵) 小笠原孤酒『吹雪の惨劇』上、下(銅像茶屋、私家本、1970) 百足登『青森聯隊遭難 雪中行軍』(明治35年有千閣書店刊復刻版、銅像茶屋にて入手可能) 三上悦雄『八甲田 死の雪中行軍 真実を追う』(河北新報出版センター、2004年) ISBN 4-87341-185-8 松木明知『八甲田山雪中行軍事件の謎は解明されたか』(津軽書房、2007年) ISBN 978-4-8066-0204-0 外部リンク 個人サイト 八甲田山雪中行軍遭難事件サイト 八甲田山 雪中行軍遭難秘話 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年11月12日 (水) 03 42。