約 8,787 件
https://w.atwiki.jp/keieigaku/pages/13.html
企業の組織形態のうち、最も一般的な形態で、購買部・製造部・販売部など、業務の内容別に部門が配置される形態である。 <長所> ①各業務が専門化されるため、知識や経験が用意に蓄積できる。 ②事業部制組織と違って、人や設備などの資源が二十投資されることがなく、規模の経済が生かされる <短所> ①部門同士の調整にコストがかかる ②トップに権限が集中し、権威主義的な経営になりやすい ③各部門がお互いに依存しあっているため、部門同士の業績比較・評価がしにくい。 ④セクショナリズムが生じる
https://w.atwiki.jp/nostradamus/pages/2021.html
『プロレタリア時代に関するノストラダムス・メッセージ』(Le Message de Nostradamus sur L ère prolétaire) は、1976年に刊行されたヴライク・イオネスクの最初の著書である。フランス語で書かれた800ページを超える自費出版であり、頒布をパリのデルヴィ=リーヴル社が請け負った。 当「大事典」で所蔵している版の背表紙には「1977」とあるので、翌年にも再版されていたようだ。この本の内容を大幅に加筆・再編したものが、『ノストラダムス 世界の秘史』(1987年)である。 内容 ジャン・フォールの序文に続く内容はかなり重厚であり、背景となる社会情勢や神秘思想の概説を踏まえて、歴史的諸事件についての予言解釈を行い、未来予測にも踏み込むものになっている。イオネスクが師と仰ぐアナトール・ル・ペルチエの『ミシェル・ド・ノートルダムの神託集』がそうであったように、未来予測部分が占める割合はきわめて限定的である。 目次は以下の通りである。 第一部 伝統的思考と近代世界1. 歴史的なものと超歴史的なもの 2. 身分制のドクトリンと諸時代の衰退 3. 聖なるものから俗なるものへ 4.エリートの文化と大衆の文化、あるいは質から量へ 5. プロレタリアの時代と共産主義 第二部 ノストラダムス現象1. 簡略な伝記的データ 2. ノストラダムスの占星術的テーマ 3. あるドクトリンを覆す文書 4. ノストラダムス的 「隠語」 の鍵を探して 5. ノストラダムスと「鳥の言語」 6. ヘルメス主義的カバラ 第三部 錬金術師としてのノストラダムス1. 近代思考以前の錬金術 2. ノストラダムスと錬金術 3. ヘルメス主義的テクスト 第四部 フランス革命から十月革命まで1. ノストラダムスはフランス革命の期日を正確に示している 2. 「第1のバビロン」に関する全般的考察 3. ルイ16世あるいは「カペティアン・エリュ」 4. 国民公会。「チエール・プルミエ」 5. ナポレオン・ボナパルト 6. ナポレオンから第一次世界大戦へ 第五部 第一次世界大戦と共産主義の出現1. 第一次世界大戦 2. 十月革命 ― 「ル・コマナヴェヌマン」 第六部 独裁者たちの時代と第二次世界大戦1. スペイン 2. 大戦までのスターリン体制下のソヴィエト連邦 3. 第二次世界大戦期の予言 4. ヒトラーと第二次世界大戦 5. ムッソリーニと古代ローマ復活の夢 6. 英国 7. アメリカ合衆国の介入 8. 虐げられた国々のはさまで 戦中・戦後のルーマニア 9. 日米戦争 第七部 第二次大戦から現在までの核保有超大国の時代1. 共産主義の新戦術 政府転覆、詐術、諜報 2. スターリンに支配された国々での抑圧と苦難 3. ソヴィエト外交政策上の4つの危機 4. ベトナム戦争 5. その他の現代的諸事件 第八部 科学史・技術史上の諸発見1.概説 2. 天文学・宇宙航空学的テーマ 3. 航空技術に関する展望 4. 輸送手段と陸海の兵器 5. エネルギーに関する現代的発見 ― 電力、原子力、E.S.P. 第九部 近未来のプロレタリア階級1. 全般的考察 2. 共産主義的ドクトリンは大衆の意識の中で場を失う 3. 1991年、ソヴィエト体制崩壊の年 4. 東西衝突あるいは第三次世界大戦 コメント 20世紀の信奉者側の著書としては、最も充実したものの一つといえるだろう。パトリス・ギナール(未作成)や竹本忠雄など、信奉者側にはイオネスク解釈の後継者を自認する者たちもいる。他方で、エリザベート・ベルクールはイオネスクの解釈を批判していた。 近未来の見通しの中で1991年を 「ソヴィエト体制崩壊の年」 と位置づけていたことは、実際にソ連解体が1991年に実現したことで、大いに注目されることになる。当「大事典」 としては、イオネスク解釈を支持するものでは全くないし、ソ連崩壊に関する解釈に対しても、彼の個人的体験(と、そこから導かれる願望)が投影された結果のまぐれ当たりに近いものと認識している。しかし、そのような立場の違いをこえて、圧制政治から逃れてアメリカに亡命してこの本を書き上げ、自分で活字を組み上げて公表にこぎつけたイオネスクの執念のようなものには、一定の敬意を払いたい。 改訂版など 1987年に刊行された『ノストラダムス 世界の秘史』は、この本の実質的な改訂新版と位置づけることができるだろう。 また、1991年に日本で刊行された『ノストラダムス・メッセージ』は、この本の抄訳に大幅な加筆が行われたものといえる。 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/vocaloidchly/pages/3403.html
作詞:kous 作曲:kous 編曲:kous 歌:巡音ルカ 翻譯:yanao 基於相互尊重,請取用翻譯者不要改動我的翻譯,感謝 意義虛假之刀 在人潮中推擠 行行走走的貘群 在坡間望著光芒 吃食明日的夢 如果能好好的灌溉夢 那應該也就不會枯吧 對騷動而起的正解 做出信號 刀子刺下的我的影子 雖然一點也不痛 但刀子刺下的 那地方 黑影附著染上 笑著而消失了 自黑暗中傳出聲你好 『我就是你自己』 用你刺下的這雙手 做出信號 刀子刺下的你的手中 溢出的彩虹色 藏起刀子不停啜泣 好好的灌溉下夢 夢連結為一 在已經沒了刀子的你的手中 是無意義的虛假 等再度迷路的 那時候 就到這裡打個信號 笑出來吧。我還會再來的
https://w.atwiki.jp/th_izime/pages/308.html
190 名前:名前が無い程度の能力 投稿日:2006/09/08(金) 13 48 48 [ 7UsKSob2 ] 労働者階級は必ず勝利する、ブルジョアジーは必ず敗北する!とか叫ぶもこと 処刑されても処刑されても元に戻って処刑されるてるよと 帝国主義者の狗として皆のおもちゃにされる咲夜・えーりんと ポルポト的には知識人は虐殺されるのでパチェとかけーねのおっぱいは国有財産で 魔法使いは社会主義の教義的には許されないのでやっぱり犯される側の魔理沙アリス それからそれから え?霊夢さんは空腹に耐えかねて革命に参加ですよ
https://w.atwiki.jp/rikken/
立憲民政党@Wikiへようこそ 党理念国民が、民主主義的かつ自発的に自分たちの将来を考える社会を創る。 我々は世界平和を、日本の国益から戦略的に考えかつ追求する。 我々は生活と社会の安定を考え、それを論理的かつ諸学問の成果を利用して行う。 情報の公開、集積を元に、腐敗・汚職の浄化を追求する。 リンク 立憲民政党公式サイト政策論議、意見の募集など フリーチャットどなたでもどうぞ。集合日時は最新の物をご確認下さい(閉鎖中) コミュニティページお知らせやメンバーの懇談 議事録党内規定に基づく情報公開
https://w.atwiki.jp/sakura398/pages/280.html
更に思ふ。我等は紛れもなき日本人として、桜咲く日本の国土の上に、幾千年の歴史の中より、生まれ出で、生ひ立ち来った。我等のあるは、日本あるによる。日本の歴史は、その幾千年養ひ来った力を以て今や我等を打出した。我等の人格は、日本の歴史の中に初めて可能である。同時に、日本の歴史は、我等日本の歴史より生れ出て、日本の歴史を相嗣せる日本人によって初めて成立する。・・・求むれば即ち之を得、捨つれば即ち之を失ふ。信ずれば影向し、疑へば消散する。日本の歴史を求め、信じ、復活せしむるものは即ち我等日本人でなければならない。 平泉澄(文学博士)『國史学の骨髄』(1927年(昭和2年)8月) 戦前「護憲」の降魔剣 ~ 「日本主義」 <目次> ■1.初めに ■2.日本主義とは何か◆1.辞書による説明1:「日本主義」 ◆2.辞書による説明2:「明治期の日本主義」 ◆3.辞書による説明3:「昭和期の日本主義」 ◆4.「昭和期の日本主義」参考図書 ◆5.革新右翼(国家社会主義者)と観念右翼(伝統保守) ◆6.辞書による説明4:「超国家主義」 ◆7.辞書による説明5:「アジア主義」 ◆8.まとめ ◆9.辞書による説明6:「京都学派」と「近代の超克」 ■3.近代日本の思想状況◆1.右翼・左翼学生運動関連年表(日本主義と東京大学―昭和期学生思想運動の系譜より引用) ◆2.近代日本の思想状況(まとめ) ■4.戦前日本の思想を考える様々な参考図書 ■5.ご意見、情報提供 ■1.初めに 明治以降~戦前の日本は「天皇制ファシズム」と呼ばれる異常な専制国家であり、特に戦前は暗黒の軍部独裁国家だったとする自虐史観は、GHQの占領期に実施されたW.G.I.P.(War Guilt Information Program,戦争贖罪洗脳計画)によって日本人に刷り込まれたものであると多くのサイトが指摘しています。 実際にW.G.I.P.という名称のプログラムが存在したか否かは別として、公職追放やGHQ焚書を通して米国の都合による一方的な情報工作が行われたことは事実でしょう。 しかし、GHQの占領期間終了から現在に至るまで、ジャーナリズム・思想・史学・法学を初めとする各分野でかくも強く自虐的論説が大勢を占め続けているという状況から、 ① 自虐的論説が蔓延している原因を、単にGHQの占領政策にだけ求めるのではなく、 ② 戦前期日本の思想状況の中にそれを受け入れる要因が内在していたのではないか、 と一度考えてみる必要があります。 このページでは「日本主義」という隠蔽されてきたキーワードを中心に戦前期日本の思想状況を概括し、 (1) GHQの占領政策・洗脳工作に呼応して戦後長く日本の言論界・思想界を汚染し続けているものの正体へと更に一歩深く迫ると共に (2) 日本型保守主義とナショナリズムの関係について考察します。 ■2.日本主義とは何か ◆1.辞書による説明1:「日本主義」 現時点で、wikipedia・広辞苑・デジタル大辞泉では「日本主義」の定義は以下の通り。 wikipedia 日本主義(にほんしゅぎ) 1.日本独自の伝統、文化、精神を基礎として国家の繁栄を目指すという主義。明治時代以降に急激に押し寄せてきた西洋化に対抗する事を目的として高山樗牛や井上哲次郎らによって主張された。2.白陽社から出版されている雑誌。 広辞苑(岩波書店) にほんしゅぎ【日本主義】 国粋主義思想の流れの一。日清戦争後、高山樗牛や井上哲次郎らが提唱。高山が個人主義に転じて以降、衰退。 デジタル大辞泉(小学館) 日本主義【ニホンシュギ】 明治中期、政府の欧化政策に対する反動として起こった国家主義思想。高山樗牛(たかやまちょぎゅう)・井上哲次郎らが雑誌「日本主義」を刊行、日本古来の伝統的精神を重視しようとしたもの。 ブリタニカ国際百科事典(ブリタニカ・ジャパン社)には、もう少しまともな説明があります。 ブリタニカ国際百科事典 にほんしゅぎ【日本主義】 明治から第二次世界大戦敗戦までにおける欧化主義・民主主義・社会主義などに反対し、日本古来の伝統や国粋を擁護しようとした思想や運動をいう。一定の思想体系をなしていたとはいえず、論者により内容が相違する。明治の支配層が推し進めた欧化主義への反発として三宅雪嶺や高山樗牛らによって唱えられ、政治的には欧米協調主義への反対、国権や対外的強硬策の強調となって現れた。大正や昭和になって日本の資本主義の高度化が階級対立を激化させ、社会主義やマルクス主義が流入すると、これら諸思想の対抗イデオロギーとして機能し、天皇を中心とする皇道や国体思想を強調した。(cf.神国思想) つまり日本主義には歴史的に見て以下の二段階があるが、広辞苑などメジャーな辞書は①だけを記述している(意図的に②を隠蔽している)。 ① 明治期の日本主義 政府の欧化主義に反発し、国粋主義/国権主義(特に政府の欧米協調路線に反対する攘夷主義)を主張した言論活動(政論的ジャーナリズム) 他国の侵略から自国・自民族を守る(解放的ナショナリズム)⇒即ち「右翼」思想 ② 昭和期の日本主義 皇道・国体思想を強調して、社会主義やマルクス主義の思想侵略の脅威への対抗イデオロギーとして機能した思想活動 全体主義の脅威から自国の歴史・伝統に根差した自由を守る(日本型保守主義)⇒即ち「保守」思想 ※「保守」と「右翼」の違いは ナショナリズムとは何か 参照 ◆2.辞書による説明2:「明治期の日本主義」 以下ブリタニカ国際百科事典より「明治期の日本主義」に関連する人名等の説明を引用します。 【高山樗牛】 たかやま・ちょぎゅう(1871-1902) 明治の評論家,思想家。本名は林次郎…(中略)…日清戦争後、井上哲次郎らとともに日本主義を唱え『日本主義』を『太陽』に掲載。ニーチェの死に際し大いに感化を受けニーチェ主義を主張した。1902年文学博士となり晩年は日蓮に傾倒。…(以下省略) 【井上哲次郎】 いのうえ・てつじろう(1855-1944) 哲学者。号は巽軒(そんけん)。東京大学教授。ドイツ観念論の移入に努めるとともに現象即実在論を説き、東西思想を包括する体系の樹立に努力。『勅語衍義』『教育と宗教の衝突』を発表。国民道徳を唱導しキリスト教を国体に反するものとして攻撃するなど国家主義を鼓吹した。多年、哲学界の大御所として君臨した。…(以下省略) 【三宅雪嶺】 みやけ・せつれい(1860-1945) ジャーナリスト。哲学者。本名雄二郎。1883年東京大学哲学科卒業。1888年井上円了・杉浦重剛・志賀重昂らの支持を得て政教社を組織し、雑誌『日本人』を発行。徳富蘇峰らの欧化主義に反対して日本主義を提唱した。1889年陸羯南が創刊した新聞『日本』にも主筆格で参加して国粋主義の立場から反政府的な評論活動を展開。1906年『日本』を退社し『日本人』を『日本及日本人』に改題。1923年その他の編集者と対立して同誌を去り、個人雑誌『我観』を創刊。1943年文化勲章受章。…(以下省略) 【陸羯南】 くが・かつなん(1857-1907) ジャーナリスト。本名は実。東奥義塾、司法省法学校を経て太政官の官吏となったが、伊藤博文らの皮相的な欧化主義に反対して辞任。1888年から『東京電報』(それまでの『東京商業電報』を改題した新聞)を主宰した。翌1889年2月11日帝国憲法発布の日に政論新聞『日本』を創刊。激しい弾圧を受けながらも日本主義と称した近代的ナショナリズムを勇敢に主張し続けた。★注釈:後述のように陸羯南は丸山眞男が自己の思想的源流の一人として高評価した人物のため、ブリタニカ百科事典でも異例に好意的な説明になっていると思われる。 【日本】にっぽん(1889創刊-1914廃刊) 陸羯南が1889年2月11日の帝国憲法発布の日に東京で創刊した政論新聞。『日本新聞』ともいう。国家主義的な中立系といわれた。谷干城・三浦悟桜らが資金的に援助し、記者には福本日南・三宅雪嶺・古島一雄・池辺三山・長谷川如是閑・ 丸山幹治 ・正岡子規らを集め、近代的ナショナリズムの立場から政府の欧化政策を厳しく批判。創刊後の8年間に30回も発行停止処分を受けた。日清戦争後は次第に経営困難となり、羯南も病に倒れ、1906年6月伊藤欽亮に譲渡された。やがて如是閑らの有力記者もこぞって退社し、政友会系の平凡な新聞に転落。14年末社屋の火災もあって廃刊。 【日本及日本人】にっぽんおよびにほんじん(1907改題-1923休刊) 1907年1月『日本人』を改題して発行された政教社の総合雑誌。陸羯南時代の『日本』新聞で活躍していた三宅雪嶺ら政教社の有力メンバーは伊藤欽亮に譲渡されたあとの『日本』の編集方針に不満で、こぞって退社し、1888年の創刊以来、機関誌的役割を持っていた『日本人』に『日本』の伝統を担わせるという意味で『日本及日本人』と改題した。1923年の関東大震災で政教社が焼失したことなどから休刊。 【池辺三山】 いけべ・さんざん(1864-1912) ジャーナリスト。本名吉太郎。陸羯南の『日本』を経て、1896年『大阪朝日新聞』に入社。主筆となり、すぐ転じて『東京朝日新聞』の主筆。彼に私淑していた鳥居素川が『大阪朝日新聞』の主筆を務めており、相呼応して『朝日新聞』の声価を高めた。 【長谷川如是閑】 はせがわ・にょぜかん(1875-1969) ジャーナリスト。文学者。思想家。幼名は万次郎。1898年東京法学院(中央大学の前身)を卒業し、1902年日本新聞社に入社。06年社長の陸羯南が隠退し、新社長が三宅雪嶺と古島一雄の退社を命じたので、如是閑ら十数人も抗議して退社。07年雪嶺のもとで『日本及日本人』の創刊に参加。08年鳥居素川のすすめで大阪朝日新聞社に入社。やがて小説や紀行文も発表しはじめた。14年社会部長になったが、18年の白虹事件で鳥居ら盟友とともに退社。19年大山郁夫らと雑誌『我等』を創刊した(軍国主義の波が強まった1930年に『批判』と改題し、34年廃刊)。第二次世界大戦中は沈黙がちであったが、戦後の46年貴族院議員、47年日本芸術院会員となり、48年文化勲章を受けた。『長谷川如是閑選集』(全7巻,69-70)に代表著作が収められている。 【大山郁夫】 おおやま・いくお(1880-1955) 社会運動家。早稲田大学卒業後、シカゴ大学に留学。早大教授。『朝日新聞』論説委員、労働農民党および労農党委員長を歴任。1932年より47年までアメリカに政治亡命。47年凱旋将軍のような歓迎を受けて帰国。50年参議院議員に当選。51年スターリン平和賞を受けた。主著『政治の社会的基礎』『現代日本の政治過程』。 【白虹事件】 はっこうじけん(1918年) 1918年『大阪朝日新聞』が政府権力と対立して存亡の危機に追い込まれた日本の新聞史上最大の筆禍事件。当時『大阪朝日』はシベリア出兵、米騒動などに関連して寺内内閣を弾劾する言論の一大拠点であった。8月26日付け夕刊の記事に兵乱の前兆をいう「白虹日を貫けり」の一句があったことが、新聞紙法第41条(安寧秩序紊乱)に違反するとして『大阪朝日』は告訴され、村山竜平社長は退陣、次いで鳥居素川、長谷川如是閑をはじめ大山郁夫、 丸山幹治 、花田大五郎らも社を去った。同紙がこの事件で「不偏不党公平穏健」に反する傾向があったと自己批判したことは、その後の日本の新聞のあり方に象徴的な影を落としている。 【丸山眞男】 まるやま・まさお(1914-1996) 政治学者。日本思想史家。東京大学法学部卒業後、同大助教授を経て1950年教授に就任し、71年退官。46年発表の「超国家主義の論理と心理」で、軍国主義日本の指導者の没主体性を鋭く指摘し、天皇制国家の無責任構造を批判する新視点を提起して論壇に一大衝撃を与えた。『日本政治思想史研究』(52)では、江戸期にさかのぼって日本の政治思想を検証し、政治思想史研究の方法論を確立した。第二次世界大戦直後の代表的論文をまとめた『増補版・現代政治の思想と行動』(64)は、「丸山政治学」のバイブルと呼ばれ、英訳されて海外でも評価を得ている。また、60年安保闘争(cf.安保改定問題)などを通じ、戦後民主主義運動の精神的支柱となったが、後年は日本思想の研究に専念した。日本思想の根本的な構造を明らかにした『日本の思想』(57)は思想界に大きな影響を与えた。そのほか『丸山眞男座談』9巻(96)がある。 ※要約すると「明治期の日本主義」には更に次の二系列があり、両者は余り関係がないと思われる。 (1) 高山樗牛・井上哲次郎らの刊行した文芸雑誌『日本主義』(1897年創刊) 広辞苑・大辞泉・wikipediaは、こちらの「日本主義」のみ記載している。 (2) 陸羯南が創刊し、三宅雪嶺・池辺三山・長谷川如是閑・丸山幹治らが執筆した政論新聞『日本』(1889-1906)→三宅が創刊した『日本人』を改題し、池辺・長谷川・丸山などが執筆した総合雑誌『日本及日本人』(1907-23)→更に、池辺・長谷川・丸山は白虹事件で退社するまで『大阪朝日新聞』に政論を執筆(1908-18) 近代的ナショナリズムの立場から政府の欧化政策を厳しく批判 ※戦後民主主義の代表的論者・丸山眞男は丸山幹治の二男であり、長谷川如是閑を叔父同様に慕い、また戦後に陸羯南について次のような評価を書いていることに注目。 羯南の日本主義は上述のように、ナショナリズムとデモクラシーの総合を意図した。それがいかに不徹底なものであったとはいえ、これは日本の近代化の方向に対する本質的に正しい見通しである。国際的な立遅れのために植民地ないし半植民地化の危機に曝されている民族の活路はいつもこの方向以外にない。不幸にして日本は過去においてその総合に失敗した。福沢諭吉から陸羯南へと連なる国民主義の最初からにひ弱い動向は、やがて国家主義の強力な支配の裡に吸いこまれていった。そのために下からの運動はむしろ国際主義いな世界市民的色彩をすら帯びざるをえなかった。長きにわたるウルトラ・ナショナリズムの支配を脱した現在こそ、正しい意味でのナショナリズム、正しい国民主義運動が民主主義革命と結合しなければならない。それは羯南の課題を継承しつつ、その中道にして止まった不徹底を排除することにほかならぬ。新聞『日本』は明治憲法発布の日に誕生した。…日本国民は羯南の警告にもかかわらず明治憲法に与えられた程度の貧弱な自由すら現実にまもり抜くことができなかった。改正憲法の公布にあたり、われわれは、国民に与えられた諸権利を現実に働くものたらしめ、進んでヨリ高度の自由を獲得するために、よほどの覚悟をもって、これまでに数倍する険峻をのりこえて進まなければならぬであろう。まさしく憲法祭に酔っているときではないのである。 丸山眞男「陸羯南-人と思想」(1947年) ⇒つまり戦後左翼の代表的思想家丸山眞男は、実は政府の欧化主義に抗して近代ナショナリズムを唱えた「明治期の日本主義」の直系の継承者である。 その丸山が、戦後に「ウルトラ・ナショナリズム(超国家主義…後述の「革新右翼」)」と勝手に同一視して糾弾したのが下記の「昭和の日本主義」であり、そのために広辞苑・大辞泉・wikipediaなどでは無視されたままになっていると考えられる。 ◆3.辞書による説明3:「昭和期の日本主義」 ブリタニカ国際百科事典より関連する項目の説明を引用します。 【安岡正篤】 やすおか・まさひろ(1898-1983) 陽明学者。思想家。幼少から漢籍に親しむ。東京大学法学部在学中に大正デモクラシーに抗して日本主義を唱え、早くから政・官・軍関係者にその名を知られる。1927年私塾・金鶏学院を設立して東洋思想の普及に努め、31年財界首脳をスポンサーに日本農士学校を設立する。第二次世界大戦中は小磯内閣の大東亜省顧問を務めたが終戦の詔勅の起草者の一人でもあった。49年全国師友協会を設立。指導者の教化に力を注ぐ。多くの政・財界人、文化人が師と仰ぎ、安岡の訓話を受けることが指導者の条件とまでいわれた。吉田茂・佐藤栄作・池田隼人ら官僚出身の歴代首相の求めに応じて指南役として助言したが、自らは生涯政治の表舞台に立つことはなかった。陽明学、東洋思想、人生論に関する多数の著書がある。 【紀平正美】 きひら・ただよし(1874-1947) 哲学者。帝国大学文化大学卒業。国学院大学・東洋大学講師を経て、1919年学習院大学教授。37年精神文化研究所の設立とともに所員となったが、研究所が43年教学錬成所に併合されたのちまもなく退職した。哲学思想としては、初めドイツ観念論を中心とした西欧哲学、特にヘーゲルの影響が強かったが、のち仏教思想を入れ、国民精神文化研究所時代は国家主義思想に傾斜していった。主著『行の哲学』(1931)、『知と行』(38)、『なるほどの哲学』(41)、『なるほどの論理学』(42)。 【国民精神文化研究所】 こくみんせいしんぶんか・けんきゅうじょ(1932年設置-1943年改組) 1932年「国民精神文化ニ関スル研究、指導及普及ヲ掌ル」(同官制1条)目的のもとに設置された文部大臣の直轄機関。前年に設けられた学生思想問題調査会の「我が国体、国民精神の原理を闡明し、国民文化を発揚し、外来思想を批判し、マルキシズムに対抗するに足る理論体系の建設を目的とする有力な研究機関」設置を求める答申を受けて設けられた。研究部、事業部、編集部、調査部、庶務部から成り、33年品川区上大崎に庁舎を新築した。『国民精神文化』(隔月刊)『国民精神文化研究』(半年刊)『国民精神文化月報』などの刊行、各種講習会・講演会などの開催を通じて国民思想政策の推進に寄与した。43年国民錬成所(1942設置)と統合して教学錬成所に改組された。 【国体の本義】 こくたいのほんぎ(1937年刊) 文部省編。1937年5月刊行。35年頃から高まった「国体明徴」「教学刷新」の意義を明らかにし、その精神を国民に徹底させることを企図した。神話と古典に依拠して、国史の諸過程を「肇国の精神の顕現」としてとらえるとともに、西洋近代思想を激しく排撃している。45年占領軍により『臣民の道』とともに発売禁止となったが、49年にはアメリカでJ.ガントレットの英訳が刊行され、今日にいたるまで研究材料とされている。 ※広辞苑・大辞泉などよりマシとはいえ、ブリタニカ百科事典でも「昭和期の日本主義」に関しては未だに肝心なこと(例として 原理日本社 、 蓑田胸喜 、 平泉澄 など)が記載されていません。 ※なお東欧民主化・ソ連邦解体(冷戦終結)後、既に20年が経過した現在では、戦後に左翼言論人によって激しく糾弾され、もしくは無視された蓑田胸喜など原理日本社同人や平泉澄など「昭和期の日本主義者」のマルクス主義批判・左翼容共思想批判は、論理的には、実に的を射た批判であったことが判明しています。 ◆4.「昭和期の日本主義」参考図書 ※西暦2000年代に入って漸く、戦後長く無視されてきた「昭和期の日本主義」に関する実証的な研究が本格化しました。 日本主義的教養の時代―大学批判の古層 竹内 洋 (編集), 佐藤 卓己 (編集) 2006.2刊内容(「BOOK」データベースより)戦前「護憲」の降魔剣“日本主義”を解明。「右翼」「反動」のレッテル貼りで忌避されてきた一九三〇年代“日本主義”の大学批判。マルクス主義的教養の機能的代替となった日本主義的教養の担い手たち。来るべき時代を読み解く画期的論集。目次第1章 帝大粛正運動の誕生・猛攻・蹉跌第2章 天皇機関説批判の「論理」―「官僚」批判者蓑田胸喜第3章 写生・随順・拝誦―三井甲之の思想圏第4章 英語学の日本主義―松田福松の戦前と戦後第5章 戦時期の右翼学生運動―東大小田村事件と日本学生協会第6章 日本主義的社会学の提唱―赤神良譲の学術論第7章 日本主義ジャーナリズムの曳光弾―『新聞と社会』の軌跡★未だに自虐史観どっぷりの東大・岩波系とは距離を置く京大系の学者達による昭和10年代日本の思想状況の共同研究プロジェクト全体のガイドライン的な位置づけの本。 日本主義と東京大学―昭和期学生思想運動の系譜 井上 義和 (著) 2008.6刊内容(「BOOK」データベースより)国家的危機の時代における大学の使命とは何か。欧化一辺倒の東京帝国大学に学風改革を迫り、高度国防国家を標傍する政府とも命がけの思想戦を繰り広げた東大生たち。戦時体制下で宿命的に挫折した“日本主義的教養”の逆説を読み解き、日本型保守主義の可能性を探る。目次第1章 「右翼」は頭が悪かったのか―文部省データの統計的分析第2章 政治学講義と国体論の出会い―『矢部貞治日記』を中心に第3章 学風改革か自治破壊か―東大小田村事件の衝撃第4章 若き日本主義者たちの登場―一高昭信会の系譜第5章 学生思想運動の全国展開―日本学生協会の設立第6章 逆風下の思想戦―精神科学研究所の設立第7章 「観念右翼」の逆説―戦時体制下の護憲運動第8章 昭和十六年の短期戦論―違勅論と軍政批判第9章 「観念右翼」は狂信的だったのか―日本型保守主義の可能性★現代の日本会議に繋がる国民文化研究会の母体となった昭和10年代の右翼学生運動の系譜を追い、左翼が壊滅した後、国家改造を進める革新右翼(国家社会主義者・アジア主義者)と激しく対立した観念右翼(伝統保守・日本主義者)の論理と実情を具体的に論証する好著 丸山眞男と平泉澄昭和期日本の政治主義 植村 和秀 (著) 2004.10刊内容(「MARC」データベースより)理性の民主派=丸山と、東大国史の歴史神学者=平泉。ともにマイネッケに感銘を受け、危機の時代に対峙した両者の思惟様式に論理的な共通性を見出し、戦前・戦後を貫通する日本ナショナリズムを再定位する。目次第1章 政論記者丸山眞男第2章 歴史神学者平泉澄第3章 正統の争い―平泉澄と丸山眞男第4章 平泉澄における忠誠と反逆第5章 丸山眞男にとっての忠誠と反逆第6章 昭和期日本の政治主義★昭和期日本主義を代表する歴史神学者・平泉澄と戦後民主主義の旗手・丸山眞男、昭和史を貫く両者の思想対立を鋭く分析した名著。 「日本」への問いをめぐる闘争―京都学派と原理日本社 植村 和秀 (著) 2007.12刊内容(「BOOK」データベースより)日本の危機を超克するための哲学は可能か。新世界秩序の創造を目指す、西田幾多郎ら京都学派。それを執拗に否定する、蓑田胸喜ら原理日本社。激しい思想戦から描き出す、斬新な近代日本思想史。目次第1章 西田幾多郎の哲学的挑戦―自己からの創造(西田幾多郎の「論理」、国家理由の問題―マイネッケへの苛立ち ほか)第2章 京都学派の世界史的挑戦―近代の超克(ヨーロッパ中心主義からの跳躍―鈴木成高、近代国家との訣別―西谷啓治 ほか)第3章 蓑田胸喜の西田幾多郎批判―禁忌としての日本(蓑田胸喜の執念、偶像を刻んではならない―カントとマルクスの「共通宿命」 ほか)第4章 蓑田胸喜の天皇機関説批判―原理日本社の公論(自我意識の極大化と絶対への欲求、「コトノハノミチ」という論理 ほか)第5章 京都学派対原理日本社―日本をめぐる闘争(絶対的なるものへの欲求、自己の責務 ほか)★東西文明の総合(止揚)としての「近代の超克」を説く西田幾多郎ら京都学派と、それを押しとどめ、あくまで日本の独自性に拘る蓑田胸喜ら原理日本社を対比して戦前・戦中期日本のもう一つの思想的可能性を描く。上3冊を読んだあとの+αとして。 ◆5.革新右翼(国家社会主義者)と観念右翼(伝統保守) 上記の 日本主義と東京大学―昭和期学生思想運動の系譜 によれば、左翼が一掃された昭和10年代の日本には、①革新右翼と②観念右翼の二大勢力があり、国内・国外の政策を巡って激しく対立したとされます。 ※ブリタニカ国際百科事典には「観念右翼」のみ項目があり、その中に「(国家社会主義者(組織右翼)」の説明があります(革新右翼を組織右翼とも呼んだ)。 【観念右翼】かんねん・うよく 特定の右翼党派ではなく、純粋な日本精神主義を思想や行動の原理とする諸団体。上杉慎吉をその源流とする。第二次世界大戦前の右翼運動を思想形態から分類すると、国家社会主義派(組織右翼)と日本精神主義派(観念右翼)に大別される。上杉の組織した桐花学園(1913創立)、蓑田胸喜、天野辰夫、菊池利房による興国同志会(19)、平沼騏一郎の国本社、興国同志会の流れをくむ七生社(25)などが観念右翼としてあげられる。 ※革新右翼と観念右翼の理念型( 日本主義と東京大学―昭和期学生思想運動の系譜 より引用) ①革新右翼 ②観念右翼 国家改造 国体明徴 高度国防国家 国民精神総動員 解釈改憲 護憲(不磨の大典) 指導者原理 臣道実践 統制経済 資本制擁護 親ソ・親独 反共・反独裁 世界史的な使命 日本史的な道統 陸軍統制派 陸軍皇道派 革新官僚 財界 無産政党 既成政党(現状維持派) 国家社会主義者 自由主義者 結論から言うと、この①革新右翼(国家社会主義+アジア主義)が日本を支那事変~大東亜戦争へと誘い込んだのであり、②観念右翼(伝統保守=昭和期の日本主義者)はそれに激しく抵抗したのだが、丸山眞男を始めとする所謂「戦後民主主義者(戦後市民派)」は、①・②を故意に同一視して「超国家主義者」「右翼」として貶め続けてきた(さらに言えば、橘孝三郎の一族の立花隆に典型的に見られるように①革新右翼が敗戦後たちまち「戦後市民派」に転向して②観念右翼を糾弾する側に回っている例が多々ある)。 ※以上の経緯は 右翼・左翼の歴史 を参照。 ※以下に、①革新右翼すなわち国家社会主義者の項目をブリタニカ百科事典より引用します。 ◆6.辞書による説明4:「超国家主義」 【北一輝】 きた・いっき(1893-1937) 国家社会主義運動の理論的指導者。本名輝次郎。1919年に執筆した『日本改造法案大綱』は陸軍青年将校の革命のバイブルとされた。1937年刑死。その他の著作『支那革命外史』(1915) 【大川周明】 おおかわ・しゅうめい(1886-1957) 日本国家主義運動の指導者。東京大学卒業後、満鉄入社。のち軍中央部と手を握り1931年の陸軍部内の一部青年将校が計画した三月事件、同年6月の満州事変を推進した。32年の五・一五事件に連座。第二次世界大戦後、極東国際裁判で連合軍によってA級戦犯として起訴されたが精神錯乱のため釈放された。 【橘孝三郎】 たちばな・こうさぶろう(1893-1974) 農本主義的国家主義者。第一高等学校を中退。郷里に帰って農耕のかたわら思索の生活を続け、大地主義、兄弟主義、勤労主義を三位一体とする農本主義精神に到達した。また長兄、次兄をはじめ一家一族のほとんどがともに同じ農場で働くことになり、兄弟村農場として世間の注目を集めた。1929年愛郷会を創設、31年には私塾愛郷塾を開いて農本主義的な運動を進め、血盟団の井上日召らと関係を結んで極右的・暴力的傾向を強めた。32年の五・一五事件では、愛郷塾生の多数が農民決死隊として参加、橘もこれに連座して無期懲役に処せられた。40年に出獄後、第二次世界大戦の敗戦を経て愛郷塾は「報本農場」として復活し、橘は再び農場経営を営むかたわら農民運動に関係した。 【井上日召】 いのうえ・にっしょう(1886-1967) 国家主義者。本名昭。血盟団を組織。一人一殺のテロを指導。血盟団事件により、1934年無期懲役確定。1940年恩赦で出獄。 ※以下に、①革新右翼すなわち国家社会主義者と親和的な「アジア主義」の関連項目をブリタニカ百科事典より引用します。 ◆7.辞書による説明5:「アジア主義」 【大アジア主義】 だい・アジア・しゅぎPan-Asianism 欧米列強のアジア侵略に抵抗するため、アジア諸民族は日本を盟主として団結すべきであるという考え方。明治初期以来、種々の視角から展開された。植木枝盛は自由平等の原理に基づきアジア諸民族が全く平等な立場で連帯すべきことを説き、樽井藤吉や大井健太郎は、アジア諸国が欧米列強に対抗するために連合する必要があり、日本はアジア諸国の民主化を援助すべき使命があると説いた。明治20年代になると、大アジア主義は明治政府の大陸侵略政策を隠蔽する役割をもつようになった。1901年に設立された黒龍会の綱領にもみられるように、その後の大アジア主義は天皇主義とともに、多くの右翼団体の主要なスローガンとされ、これに基づいて満蒙獲得を企図する政府・軍部の政策が推進された。日本人の大アジア主義的発想は、第二次世界大戦前・戦中の「大東亜共栄圏」構想を支えた。 【大東亜共栄圏】 第二次世界大戦を背景に1940年第二次近衛内閣以降45年敗戦まで唱えられた日本の対アジア政策構想。その建設は「大東亜戦争」の目的とされた。東条英機の表現によれば、大東亜共栄圏建設の根本方針は、「帝国を核心とする道義に基づく共存共栄の秩序を確立」しようとすることにあった。しかし実際は、東アジアにおける日本の軍事的・政治的・経済的支配の正当化を試みたものに他ならなかったといえる。第一次近衛内閣当時の「東亜新秩序」は日本・満州・中国を含むものに過ぎなかったが、南進論が強まるにつれて、インド・オセアニアにいたる大東亜共栄圏構想に拡大された。大東亜省の設置と大東亜会議の開催は、このような方針の具体化に他ならない。 ◆8.まとめ 運動の性格 ① 明治期の日本主義 政府の欧化主義に反発し、国粋主義/国権主義(特に政府の欧米協調路線に反対する攘夷主義)を主張した言論活動(政論的ジャーナリズム) 他国の侵略から自国・自民族を守る(解放的ナショナリズム) 右翼思想 当初は国粋主義的だった在野言論人の活動は、明治末・大正期に日本が大国化したのちも反骨精神は全く変わらず、今度は次第に左翼思想に理解を示す者が出てきた(左右等価気分説(※1))。更に彼らは、戦後は進歩派・市民派左翼文化人として活発に活動した(長谷川如是閑・丸山眞男etc.)。 ② 昭和期の日本主義 皇道・国体思想を強調して、社会主義やマルクス主義の思想侵略の脅威への対抗イデオロギーとして機能した思想活動 全体主義の脅威から自国の歴史・伝統に根差した自由を守る(日本型保守主義) 保守思想 日本精神主義派(観念右翼)。日本主義的教養を武器に学生・知識人の左傾化を防止し日本精神に目覚めさせると共に、革新右翼の狙う国家改造・解釈改憲・国家経済の社会主義化、更には戦争の長期化を「護憲」の立場から制止・抑制するために奔走。いざ戦争が激化すると国防のために生死を厭わず護国のために尽くした者が多い。 ③ アジア主義 アジア諸民族を白人支配から解放するという大義を掲げ、実際にも明治期の孫文を初めインドのB.ボース、フィリピンのアギナルドらの独立運動と連動しつつ遂行された日本の勢力拡張運動。 アジア諸民族の独立を支援する(排白人主義)(拡張的ナショナリズム) 極右思想 国家社会主義派(組織右翼=革新右翼)と重なる。代表的イデオローグとして5.15事件に関与した大川周明、2.26事件に連座した北一輝。革新右翼は2.26事件暴発後に勢力を急拡大し三木清など転向左翼の多数が近衛内閣のブレーン集団を形成して国策を左右した。※詳しくは 右翼・左翼の歴史 参照 ※「保守」「右翼」「極右」の違いは ナショナリズムとは何か 参照 ※1:左右等価気分説…右傾化も左傾化も既成勢力に対する反抗という意味で基本的に同じ心情に基づくものであり、状況が変化すれば左・右転換は容易とする説。 ◆9.辞書による説明6:「京都学派」と「近代の超克」 ※この他に、④として大東亜戦争開始後に「近代の超克」を唱えた西田幾多郎門下の「京都学派」があるのでブリタニカ百科事典から簡単に引用する。 【京都学派】きょうと・がくは 西田幾多郎および田辺元の哲学探究の伝統を引継いだ京都大学哲学科出身の哲学者たちのグループの総称。1919年田辺が西田によって京大に招聘されて以来両者はともに自己の哲学を創造し、「固体存在の論理」としての西田哲学に対し「社会存在の論理」としての田辺哲学は決定的に対立するようになるが、その真摯な相互批判を通して京大哲学科には活気に満ちた独自の学風が形成され三木清・戸坂潤らをはじめとする多くの哲学徒が参集した。三木・戸坂らはやがてマルクス主義に傾斜しこの学派から離れるが、次いで高坂正顕、西谷啓治、高山岩男、鈴木成高らのグループが現れ、第二次世界大戦期において世界新秩序論としての「世界史の哲学」を提唱し同戦争の合理化を行いこの学派の旗幟を鮮明にした。普通この高坂・西谷・高山・鈴木らのグループを指して狭義の京都学派と呼ぶことが多い。 【近代の超克】きんだいの・ちょうこく 太平洋戦争勃発直後の1942年、雑誌『中央公論』および『文学界』において論じられたテーマ。川上徹太郎、亀井勝一郎、小林秀雄、林房雄、吉満義彦らの文芸評論家が欧米文化の克服を論じたものである。西欧近代からのアジアの解放を標榜した大東亜戦争を肯定的に受け止めようとする知識人がそこに根拠を求めようとした。思想的には深められないまま終わったが、第二次世界大戦後竹内好がその意義をあらためて主張した。またソ連を頂点とした共産圏崩壊後、新しい国際関係が模索されるなかで、再びその意味を問う声もある。 ※以上で、「日本主義」および関連する「アジア主義」「近代の超克」など諸用語の辞書的な説明を終わります。 ※以下より、戦前日本の思想状況、特に左翼・右翼の両翼の思想運動についてまとめます。 ■3.近代日本の思想状況 ◆1.右翼・左翼学生運動関連年表( 日本主義と東京大学―昭和期学生思想運動の系譜 より引用) 和暦 西暦 出来事 藤島利郎による区分 丸山眞男による区分 右翼学生運動 左翼学生運動 日本ファシズム運動 明治元~ 1868~ 明治維新 第1期:萌芽期 大正7 1918~ 第一次世界大戦終結 第2期:台頭期(後半) 台頭期(前半)~全盛期(後半) 第1期:準備期 昭和5 1930 ロンドン海軍軍縮条約 第3期(第1小期):勃興期 潜行期 (民間における右翼運動の時代) 昭和6 1931 満州事変 第3期(第2小期):興隆期 凋落期 第2期:成熟期 昭和7 1932 五・一五事件 ↓ ↓ (急進ファシズムの全盛時代) 昭和8 1933 京大滝川事件 ↓ ↓ ↓ 昭和9 1934 ↓ ↓ ↓ 昭和10 1935 天皇機関説事件 ↓ ↓ ↓ 昭和11 1936 ニ・ニ六事件 ↓ ↓ 第3期:完成期 昭和12 1937 支那事変 第3期(第3小期):全盛期 準壊滅期 (日本ファシズムの完成時代) 昭和13 1938 ↓ ↓ ↓ 昭和14 1939 ↓ ↓ ↓ ¦ ↓ ↓ ↓ 昭和20 1945 第二次世界大戦終結 右翼学生団体創立ブーム 左翼学生運動台頭~全盛期 ※つまり戦前期の実証的な学生思想運動の研究によれば、大正期から昭和初期にかけて(1910年代の終わりから1920年代)の日本の大学は非常に自由な知的環境にあり、上の図の赤塗部分の通り左翼学生運動が隆盛していた(ロシア革命の影響→後期は経済恐慌の影響)。それが当局により問題視され弾圧を受け始めるのは1928年の三・一五事件以降である。 ※満州事変が勃発する1930年代になると今度は、右翼学生運動が盛んになり、天皇機関説事件からニ・ニ六事件の頃に、一時的に下火になるものの支那事変勃発でブームが再開した(その後、第二次近衛内閣の新体制運動による統制の強化により、学生右翼運動も下火になる)。 嘗て左翼学生運動の華やかなりし時代或人は謂った。学生には四種ある、①最も頭脳明晰な学生は社会科学を研究して結局左翼運動に奔り、②次に位する者は専心に学校の過程を勉強し、③次に位する者は映画演劇麻雀撞球等の享楽に奔り、④最も下級に在る者のみが右翼運動に参加するに至ると、然し是は今日の右翼運動に関する限りは当を得て居ない。 藤嶋利郎(司法官僚)『最近に於ける右翼学生運動について』(1940年(昭和15年)司法省刑事局刊) ※上は、大正期に大学時代を過ごした元左翼学生の司法官僚の昭和15年の回想である。これはまるで最近の団塊世代の言いそうな感想であり、戦前の日本が思想的に暗黒時代だった、という戦後左翼の刷り込みは全く根拠がないことが、これだけでも分かると思う。 ◆2.近代日本の思想状況(まとめ) 区分 時期 内容 (1) 復古主義v.s.文明開化の時代 明治維新~西南戦争終結(1867-1877) 復古主義的文教政策を推進する勢力(主に公家・薩摩閥)と開明政策を推進する勢力(主に長州閥)が拮抗したが、西南戦争の結果、開明派が勝利した。 (2) 欧化主義v.s.政論的ジャーナリズムの時代 鹿鳴館時代~日露戦争開始(1878-1904) 「殖産興業」「富国強兵」「和魂洋才」等をスローガンに政府による強力な欧化政策が遂行された。その一方で在野の不平士族などを中心に「有司専制」に反対する政論的ジャーナリズムが登場。自由民権運動として知られる初期の立憲デモクラシー要求や、欧化主義に反対する「(明治期の)日本主義」と呼ばれる国粋主義運動も勃興し一定の影響を及ぼした。明治憲法制定(1889)・帝国議会開設(1890)などはそれらのせめぎ合いの成果である。 (3) 大正教養主義の時代 ポーツマス条約締結~第一次大戦による好景気(1905-1917) 明治期の悲願であったロシアの脅威の排除と不平等条約改正という大目標を達成したこの時期の日本では、政治よりも(西欧産の)哲学・文学など文化的教養に重きをおく風潮が顕著になり(大正教養主義)、それが政治面にも作用して議会制デモクラシーの確立を目指す動きが強まった(大正デモクラシー)。第一次大戦によって日本の富強化は一段と進展した。 (4) マルクス主義的教養の時代 ロシア革命~4.16事件(共産党員の大量検挙)(1918-1930) 1917年10月にロシアで共産主義革命が起こり、また第一次大戦の敗戦の結果ドイツ・オーストリア・トルコなどの帝国が倒れて共和国化した影響で、「歴史の必然的な発展法則」を説くマルクス主義思想が折柄の大正期の自由な知的環境の中で急速に知識人・学生層に影響力を拡大した(1918年東大新人会発足・・・当初は吉野作造の民本思想などの研究が中心だったが急速にマルクス主義思想に傾斜。1928年解散)。「革命の輸出(世界革命)」を目論むロシア共産党は1919年コミンテルン(国際共産党組織)を作り、その下部組織として日本共産党が結党され27年テーゼ(綱領)では公然と「天皇制打倒」を掲げるに至ったため、3.15事件(1928年)・4.16事件(1929年)で治安維持法に基づく共産党員の一斉検挙が実施された。このとき将来の国家を担うべき東大京大を初めとする全国32大学148名の現役学生が検挙された事実は政府当局を震撼させ「思想国難」と認識されるようになった。この共産党員の一斉検挙後も東大・京大など有力大学にマルクス主義に染まった多数の教授が大正期以来の「学問の自由」「大学の自治」を盾に居座り続け、それが排除されるのはコム・アカデミー事件(1936年)・人民戦線事件(1938-39年)に至ってからであった。 (5) 日本主義的教養の時代 満州事変勃発~ポツダム宣言受諾(1931-1945) マルクス主義への対抗イデオロギーとしての役割が、日本主義(日本の歴史・伝統に則った精神的姿勢の追求)に担わされた。その一方で、実際の国策指導・戦争指導は、特に近衛文麿内閣の成立後は、日本主義を奉じる観念右翼(伝統保守)ではなく革新右翼(国家社会主義者・アジア主義者)によって実施される場合が多く、観念保守はその動きに「護憲」の立場から歯止めをかけるのに精一杯だった。 (6) 戦後民主主義(教養主義の没落)期 GHQの占領~冷戦終結(1945-1990) (4)マルクス主義的教養の時代に思想形成し、それゆえに(5)日本主義的教養の時代には思想弾圧を受けたと感じているアカデミズムやジャーナリズムの人士が、GHQの占領政策に乗じて、そうした恨みを存分に晴らす機会を得て跳梁跋扈し、その影響が現在も続いている。 (7) ポスト冷戦期 ソ連邦崩壊~現在まで(1991-) 上記の通り、西暦2000年代に入ってようやく戦前の政治思想の状況を実証的に見直す動きが顕在化してきた。 ■4.戦前日本の思想を考える様々な参考図書 #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (with) 歴史学 (ヒューマニティーズ) 佐藤 卓己 (著) 2009.5刊内容(「BOOK」データベースより)情報化、グローバル化が加速するメディア社会。公議輿論の足場として、歴史的教養の重要性はますます高まっている。しかし、こうした現実の課題に対して、「大きな物語」が失われたあと、これまでの歴史学は充分に応えてきただろうか。公共性の歴史学という視点から、理性的な討議を可能にする枠組みとして二一世紀歴史学を展望する。★評価著者は 日本主義的教養の時代―大学批判の古層 の中心的編集者で良くも悪くも現在の歴史学の水準を体現している人物。ヒューマニティ・シリーズの一冊として、敢えて従来の「(ゴリゴリの)自虐史観」からは距離を置くこのような著者の本が、あの(戦後一貫して自虐史観で真っ黒だった)岩波書店から出版されたこと(出版せざるを得なくなったこと?)は非常に意義深いことである。但し現在の歴史学の限界をも露呈する一冊とも読める。果たして次の世代は、この限界をどれだけ乗り越えられるのかに注目したい。 #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (with) 日本の思想 丸山眞男 (著) 1961.11刊内容(「BOOK」データベースより)現代日本の思想が当面する問題は何か。その日本的特質はどこにあり、何に由来するものなのか。日本人の内面生活における思想の入りこみかた、それらの相互関係を構造的な視角から追究していくことによって、新しい時代の思想を創造するために、いかなる方法意識が必要であるかを問う。日本の思想のありかたを浮き彫りにした文明論的考察。★評価その思想の偏り、事実関係の歪曲・捏造ぶりが散々に指摘される丸山眞男の代表的著作。よく読むと丸山と同時代人である蓑田胸喜や平泉博士や京都学派の高山岩男といった今では世間一般では忘れられた思想家、さらには「日本主義」「近代の超克」からエドマンド・バークやカール・ポパーにまで言及している箇所があり、そうした意味でも興味深い。 現代政治の思想と行動 増補版 丸山眞男 (著) 1964刊 1974増補出版社 / 著者からの内容紹介戦後日本を代表する政治学者・丸山眞男の『日本政治思想史研究』(東京大学出版会)にならぶ主著。「戦後日本社会科学の精神的起点の一つ」(道場親信)と評され、「丸山学派」とよばれる多くの学者に影響を与えた。三部に分けられ20本の論文が収録されている。各論文は、講演調、書簡体、対話体と、ヴァラエティにとんだ歯切れのよい文体でつづられており大変読みやすく、また著者自身による詳細な「追記および補註」も読者の理解を助けてくれる。第一部には「日本ファシズム」をめぐる論考がおさめられている。特に「超国家主義の論理と心理」の与えたインパクトは大きく、その後の天皇制分析の出発点となった。「軍国支配者の精神形態」では「無責任の体系」というキーワードで日本の支配機構を分析、戦争責任問題の分析への道をひらいた。第二部にはファシズムと同時に共産主義の問題も論じている。第三部では政治学の基本的な概念を整理した文章がならんでおり、著者自身の時代状況への対応も見ることができる。「現代における人間と政治」では、『独裁者』などチャップリンの映画からときおこし、知識人の役割についての考察を深めている。半世紀たった今も、全く色あせるどころかますます輝きをます政治学的考察の宝庫。★評価中共と毛沢東を激賞しスターリンの「功績」をも懸命に擁護して、日本とアメリカの「ファシズム化」に警鐘を鳴らし続けて「本物の知識人」たちを“啓蒙”した丸山眞男の主要論文集。怪番組NHK JAPANデビュー第二回:天皇と憲法の思想的な源流もここにある! 丸山眞男の時代 竹内 好 (著) 2005.11刊内容(「BOOK」データベースより)戦後の市民による政治参加に圧倒的な支配力を及ぼした丸山眞男。そのカリスマ的な存在感の背景には、意外なことに、戦前、東大法学部の助手時代に体験した、右翼によるヒステリックな恫喝というトラウマがあった。本書は、六〇年安保を思想的に指導したものの、六〇年代後半には学生から一斉に背を向けられる栄光と挫折の遍歴をたどり、丸山がその後のアカデミズムとジャーナリズムに与えた影響を検証する。★評価『日本主義的教養の時代―大学批判の古層』のもう一人の中心的編集者。1942年生まれの著者はまさしく学生時代に丸山眞男の強い影響を受けた世代だが、それだけに鋭く丸山氏の矛盾点・問題点を突いている。戦前から続く丸山と蓑田胸喜の浅からぬ因縁、戦後の学生運動への共産党の干渉、1960年の安保闘争、その後の全共闘など「丸山眞男の時代」を簡潔に描き出しており、読み易い。 自虐史観もうやめたい!―反日的日本人への告発状 谷沢永一 (著) 2005/06 内容もう中国・韓国に謝るな! いかにも禍々しい日本罪悪論をはじめて言い出した発頭人は誰なのか。日本の世論をミスリードしてきた「進歩的文化人」、日本罪悪論の火元12人を徹底批判。 <目次> こんな国家に誰がした ― 今も続く、スターリンの呪縛 「日本は第二次大戦の主犯」と言う歴史の偽造家 ― 戦後の学界、言論界の大ボス・大内兵衛への告発状 「ソ連はすべて善、日本はすべて悪」の煽動者 ― 日本罪悪論の海外宣伝マン・鶴見俊輔への告発状 国民を冷酷に二分する差別意識の権化 ― 戦後民主主義の理論的指導者・丸山眞男への告発状 栄達のため、法の精神を蹂躙した男 ― 反日的日本人の第一号・横田喜三郎への告発状 金日成に無条件降伏の似非出版人 ― 進歩的文化人の差配人・安江良介への告発状 恫喝が得意な権力意識の化身 ― 「進歩的インテリ」を自称する道化・久野収への告発状 祖国をソ連に売り渡す“A級戦犯” ― 進歩的文化人の麻酔担当医・加藤周一への告発状 その正体は、北京政府の忠実な代理人 ― 日本の伝統の徹底的な否定論者・竹内好への告発状 最も無責任な左翼・教条主義者 ― マスコミを左傾化させた放言家・向坂逸郎への告発状 日本を経済的侵略国家と断定する詭弁家 ― 現代の魔女狩り裁判人・坂本義和への告発状 国家間の原理を弁えない謝罪補償論者 ― ユスリ、タカリの共犯者・大江健三郎への告発状 近代日本を全否定した国賊 ― 進歩的文化人の原型・大塚久雄への告発状 ★評価書誌学者 故・谷沢永一氏による好著。青年時代に一時共産党員だった経歴を持つ著者だけに12人の国賊文化人たちへの批判が実に的確。目次だけでも読む価値あり。 #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (with) 日本とドイツ 二つの全体主義 「戦前思想」を書く 仲正 昌樹 (著) 2006.7刊出版社/著者からの内容紹介「戦後思想」があるとすれば、「戦前思想」もあっておかしくないような気がするが、あまり聞かない。しかし「日本とドイツ」に限って言えば、一八七〇年前後から、第二次大戦が本格化する一九四〇年前後までの約七十年間を取ると、結構、意味のある比較をすることができる。何故かというと、両国とも一八七〇年頃に、西欧的な意味での近代国家を形成し、(英国やフランスに比べて)遅ればせながら、[国民国家としての統合→帝国主義的拡張]のプロジェクトに乗り出し、最終的に「(西欧)近代の超克」を目指して全体主義体制を構築し、戦争へと突入していったからである。(「プロローグ」より) ★評価戦前日本の思想状況について通史的な図書が他に見当たらないため内容にはかなり問題があるもののこの本を薦めざるを得ない。著者は元統一教会信者であり、皇室に対する本質的敬意に欠け、かつ安倍元首相に対する敵意を剥き出しにする人物だが、これが現在の思想界の水準(および限界)と考えてよいと思う。次の世代がこれをどれだけ乗り越えられるか。 『昭和の思想』 植村和秀(著) 2011.11刊・内容説明昭和の思想を総体的に俯瞰する画期的論考。思想弾圧と戦争の暗さ。世界に挑戦する日本という明るさ。奇妙な時代=戦前昭和期を中心に、丸山眞男・平泉澄・西田幾多郎・簑田胸喜の思想から時代の本質を剔る・内容(「BOOK」データベースより)「戦前=戦後」だけでなく、昭和はつねに「二つの貌」を持っていた。皇国史観から安保・学生運動まで、相反する気分が対立しつつ同居する昭和の奇妙な精神風土の本質を、丸山眞男・平泉澄・西田幾多郎・蓑田胸喜らの思想を元に解読する。・目次第1章 日本思想は二つ以上ある第2章 思想史からの靖国神社問題―松平永芳・平泉澄第3章 思想史からの安保闘争・学生反乱―丸山眞男第4章 思想史からの終戦と昭和天皇―阿南惟幾・平泉澄第5章 思想史からの世界新秩序構想―西田幾多郎・京都学派6章 思想史からの言論迫害―蓑田胸喜第7章 二〇世紀思想史としての昭和思想史★評価2010年11月に出版された好著。戦前から戦後及ぶ昭和期日本の思想状況が、要点を絞って明瞭かつ簡潔にまとめられている。非常にお勧め。 ■5.ご意見、情報提供 日本主義・・・?なんか反欧米的な臭いがしますが。反欧米・アジア主義なんか掲げていると特亜と同類になるぞ。アジアの中でも西欧的で合理的な日本は愛するべきだが、アジア主義(そもそもアジアというものは地理的概念以上の意味などないのだが)に染まった日本などたまらんな。 -- 名無しさん (2011-06-27 03 59 33) ↑◆5.革新右翼(国家社会主義者)と観念右翼(伝統保守) の図表を見てください。昭和期の日本主義者はアジア主義や国家社会主義と対立的です。 -- 名無しさん (2011-06-28 21 48 21) 一時期、反抗期と記載するのを禁止された事がありましたが、誰が禁止したのでしょうか。 -- 定塚甫 (2011-10-23 01 48 32) 昭和期の日本主義の思想に英米保守主義を混ぜて大成したらすごい物ができる気がします -- 名無しさん (2012-03-03 00 33 39) 名前 コメント ■左翼や売国奴を論破する!セットで読む政治理論・解説ページ 政治の基礎知識 政治学の概念整理と、政治思想の対立軸 政治思想(用語集) リベラル・デモクラシー、国民主権、法の支配 デモクラシーと衆愚制 ~ 「民主主義」信仰を打ち破る ※別題「デモクラシーの真実」 リベラリズムと自由主義 ~ 自由の理論の二つの異なった系譜 ※別題「リベラリズムの真実」 保守主義とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ ナショナリズムとは何か ケインズvs.ハイエクから考える経済政策 国家解体思想(世界政府・地球市民)の正体 左派・左翼とは何か 右派・右翼とは何か 中間派に何を含めるか 「個人主義」と「集産主義」 ~ ハイエク『隷従への道』読解の手引き 最速!理論派保守☆養成プログラム 「皇国史観」と国体論~日本の保守思想を考える 日本主義とは何か ~ 日本型保守主義とナショナリズムの関係を考える 右翼・左翼の歴史 靖國神社と英霊の御心 マルクス主義と天皇制ファシズム論 丸山眞男「天皇制ファシズム論」、村上重良「国家神道論」の検証 国体とは何か① ~ 『国体の本義』と『臣民の道』(2つの公定「国体」解説書) 国体とは何か② ~ その他の論点 国体法(不文憲法)と憲法典(成文憲法) 歴史問題の基礎知識 戦後レジームの正体 「法の支配(rule of law)」とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ 立憲主義とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ 「正義」とは何か ~ 法価値論まとめ+「法の支配」との関係 正統性とは何か ~ legitimacy ・ orthodoxy の区別と、憲法の正統性問題 自然法と人権思想の関係、国体法との区別 「国民の権利・自由」と「人権」の区別 ~ 人権イデオロギー打破のために 日本国憲法改正問題(上級編) ※別題「憲法問題の基礎知識」 学者別《憲法理論-比較表》 政治的スタンス毎の「国民主権」論比較・評価 よくわかる現代左翼の憲法論Ⅰ(芦部信喜・撃墜編) よくわかる現代左翼の憲法論Ⅱ(長谷部恭男・追討編) ブログランキング応援クリックをお願いいたします(一日一回有効)。 人気ブログランキングへ
https://w.atwiki.jp/vocaloidchly/pages/2712.html
作詞:すんzりヴぇrP 作曲:すんzりヴぇrP 編曲:すんzりヴぇrP 歌:鏡音リン・レン 翻譯:kankan 吐著看不見的煙 講了點喪氣話 說想死 雖然只是個比喻 可是被罵得要死 就算拿99分還是 差一分的反省會 不拿滿分不能睡 不能好好睡 為了要我 閉嘴 大家 留了很多話 就像在吐看不見的煙 輕飄飄地漂浮著 無色的夢 就像在吐看不見的煙 被人保持距離 反而燒的更旺 雖然想跟你共處 沒法! 被叫到名字的話就有精神的 回答並到前面來 只是很規矩的依序 被搬走而已 Y/N=? 有問題嗎? 沒問題的話就到這裡結束 就像在吐看不見的煙 輕飄飄地漂浮著 沒意義的歌 就像在吐看不見的煙 被人保持距離 反而燒的更旺 沒辦法跟你共度 煙 沒法!
https://w.atwiki.jp/nekonade/pages/41.html
用語集(ネタバレ注意) あ行 意識のハード・プロブレム インターフェース 円環時間 エントロピー か行 ガンマ線バースト(未編集) 北大路魯山人 球電現象 クアレ(クオリア) さ行 自然主義的誤謬 重力赤方偏移 シュバルツシルト半径 シュレディンガーの猫 シンクロトロン スノーボールアース 世界卵(未編集) た行 タマゴテングダケ TALBO チューリングテスト 超対称性粒子 ディラックの海 デコヒーレンス時間(未編集) 哲学的ゾンビ な行 ニコラ・テスラ 鶏が先か、卵が先か は行 白紙状態 フィトンチッドの効果 フレーメン反応 ベレッタ ホーキング輻射 ま行 マクスウェルの悪魔 や行 ら行 理性の狡知 ロゴス(未編集)
https://w.atwiki.jp/medievalist/pages/18.html
〈出版社による紹介〉 強大なカリスマ性をもって、絶対主義政策・中央集権化を支持する官僚・公家・寺社勢力を操り、武家の身で天皇制度の改廃に着手した室町将軍足利義満は、祭祀権・叙任権などの諸権力を我が物にして対外的に〈国土〉の地位を得たが、その死によって天皇権力纂奪計画は挫折する。天皇制度の分岐点ともいうべき応永の時代に君臨した義満と、これに対抗した有力守護グループのせめぎあいの中に、天皇家存続の謎を解く鍵を模索する。 〈レビュー〉 足利義満の権力について新しい理解を示した。 Amazon.co.jp ウィジェット 〈目次構成〉 はしがき 天皇家権威の変化 一、親政・院政・治天の君 院政の成立 治天の君 承久の乱後の院政 権門体制 後光厳の践祚 二、改元・皇位継承・祭祀 天皇の世俗権喪失 改元 皇位継承 祭祀 足利義満の王権簒奪計画 一、最後の治天――後円融の焦慮 緊迫する公武関係 義満と後円融の関係 義満に肩入れをした宮中の有力者 追従する廷臣たち 後小松天皇即位問題 後円融の怒り 後円融の窮状 崇賢門院の収拾 治天の君の沈黙 二、叙任権闘争――廷臣・僧職の官位 室町期の官位制 武家の官位除目介入 義満の「仰」 「宸筆を申し出ずるに及ばず」 室町第で舞踏する公卿 武士の官職辞令の変化 僧職・神職の官位叙任 新儀の案出 三、祭祀権闘争――国家祈祷権の獲得 廻祈祷 北山第での「院政」 北山第に移された祭祀権 陰陽道祭 中国崇拝思想 攘敵祈祷 四、改元・皇位への干与 改元への干与 葬られた洪徳の年号 改元干与断念 皇位継承干与 天照大神以来の正統失墜 国王誕生 一、日本国王への道 出家素懐の動機 国王御教書の成立 日本国王源道義 二、上皇の礼遇 太政大臣拝賀 山門講堂供養 北山第の紫宸殿 書札礼 相国寺大塔供養 三、百王説の流布 百王とは 「野馬台詩」の謎 終末観的百王説と天皇家の盛衰 百王流竭と義満 四、准母と親王元服 乗っ取りへの階梯 准母冊立案 国母選定工作 天皇の准父 繧繝縁に座った義満 義満の急死とその後 一、義満の死と簒奪の挫折 義満の真意 尊号辞退 簒奪反対の勢力 ”万世一系”維持の動き 二、皇権の部分的復活 後小松の反撃 錦の御旗 綸旨頻発 天皇親政復活のきざし 三、戦国時代の天皇 式微説と没落説 高まった猟官運動 織豊政権と天皇 調停権の復活と封じ込め むすびにかえて 参考文献 html2 plugin Error このプラグインで利用できない命令または文字列が入っています。
https://w.atwiki.jp/saraswati/pages/466.html
《ポニーテール家》 ポニーテール家は15世紀前半のイギリス=ステュアート朝のジェントリ、ウィリアム・ポニーテール一世に始まる家系で、大規模な羊毛業や穀物栽培によって繁栄した一族。 その後曾孫にあたるジョージ・ポニーテール二世が産業革命期に更に莫大な利益を得て有数の工場主となったことは後の政界進出の基盤となった。 そして一年後に彼はホイッグ党(後の自由党)議員に当選したのであった。 ※ポニーテールは英語で馬の尾の意。 《ク=ドゥ=シュバル家》 ク=ドゥ=シュバル家はアンシャンレジーム時の身分制度で言うと第二身分、 つまり国王に仕える特権貴族であった。 曾祖父はフイヤン派の貴族議員であったがバスティーユ事件の前後に 農民たちの一揆により領主の館が次々に襲撃されている情報を聞き、一家全員で友人のいるオーストリアへ逃亡することを決意する。 ナポレオン戦争後に帰国。 七月王政の中で再びク=ドゥ=シュバル家は力を蓄えるのだった。 ※ク=ドゥ=シュバルはフランス語で馬の尾の意。 《コーダ=ディ=カヴァッロ家》 コーダ=ディ=カヴァッロ家は自由主義的貴族の一族である。 同じ自由主義的考えのカヴール(のち国王ヴィットーリオ=エマヌエーレ二世により首相に任命)とも親交があるとされる。 ※コーダ=ディ=カヴァッロはイタリア語で馬の尾の意。 《フェアデシュバンツ家》 フェアデシュヴァンツ家はユンカー(地主貴族)である。 祖父は上級官僚、父は軍隊将校というエリート家系。 ※フェアデシュバンツはドイツ語で馬の尾の意。 【ポニーテール卿】 【名前】 ソフィア=ポニーテール 【Sofia=Ponytail】 【年齢】 17 【身体的特徴】 155cm程度。出る所はそれなりに。 【服装的特徴】 金髪。肩までのポニーテール 【性格】 ポジティブ 【経歴】 【疑問点】 【名前】 アンリエッタ=ク=ドゥ=シュバル 【Henrietta=Queue de Cheval】 【年齢】 16 【身体的特徴】 色々平坦 【服装的特徴】 明るい金髪ゆるふわポニーテール 【表情的特徴】 喜怒哀楽が激しい 【性格】 わがまま 【経歴】 【疑問点】 【名前】 ヴィヴィアン=コーダ=ディ=カヴァッロ 【Viviane=Coda di Cavallo】 【年齢】 16 【身体的特徴】 そこそこ体力がある。 【服装的特徴】 茶髪右でサイドポニー 【性格】 おてんば 【経歴】 【疑問点】 【名前】 ツェツィーリア=フェアデシュヴァンツ 【Cecilia=PferdeSchwanz】 【年齢】 17 【身体的特徴】 切れ長の眼。 【服装的特徴】 銀髪腰まであるポニーテール 【性格】 冷静沈着。 【経歴】 【疑問点】