約 8,778 件
https://w.atwiki.jp/teitoku_bbs/pages/2406.html
247 :ひゅうが:2013/12/15(日) 00 25 27 大陸日本ネタSS――大陸日本の戦間期 「ヴェルサイユ体制成立」 ――ヴェルサイユ体制成立 【猖獗の中の悔悛】 西暦1918年7月7日、フランスはパリ近郊のヴェルサイユにおいてドイツ帝国軍と日英軍(仏軍はパリ陥落により単独で休戦協定に調印していた)の間で停戦協定に署名が行われた。 とはいっても独仏休戦成立に伴いすでに前線では自然休戦状態となっており、「あくまでも人道と万国公法の精神に則り」救護活動が開始されているため、その確認の意味が強かった。 調印場所がヴェルサイユとなったのも、ドイツ軍が疫病で苦しむパリ前面の救護指揮所として接収していたこの宮殿を活用しようと言い出し、なし崩し的に連絡会合場所となっていたために過ぎない。 この休戦協定調印には大きなサプライズがあった。 それまでベルリンを動かなかった皇帝ウィルヘルム2世がこの地を訪れたのだ。 それまでパリを訪れたことがなかったウィルヘルム2世にとり、皇帝権限をたてに(危険であるとの側近の意見を無視して飛び出した)この旅は当初は自己の威厳確保のための手段でしかなかったようだったがこの地に到着したとき彼は大きく変わっていた。 パリで救護活動に参加していた三国の軍を見たからとも、あるいは自分もインフルエンザにかかり生死の境をさまよったからであるともいわれているが、この旅において彼は大きな決心をしたのだという。 「常設された国際紛争仲裁・調停組織の建設」 それが彼の構想だった。 欧州派遣軍のもたらしてしまった惨禍の衝撃から執務不能状態になってしまっていた米国のウィルソン大統領が密書に認めていたアイデアであるとも、あるいは国際赤十字社にヒントを得たともいわれるこの構想は、現地で活動していた連合軍臨時総司令官乃木希典元帥の賛意もあって各国の本国に提唱が行われた。 時のロイド・ジョージ内閣と山本権兵衛内閣は一拍を置いて賛意を表明。 実質的に政府が崩壊していたフランスも、第四共和政最初の大統領といわれることになるクレマンソー臨時大統領がいみじくも語ったように 「フランスはもはや戦い疲れた。今は平和が必要だ。」 としてこれに賛同。 イタリアとの休戦と同時に再編への議論が沸騰しつつあったオーストリア帝国(ハンガリーは革命政権が成立しており帝国から離脱するか否かで大混乱となっていた)もこれに続き、疫病禍の終息を待って講和の方針が確認されることになった。 歴史はこれを「やや遅きに失したながら価値ある決断」として評価している。 なぜなら、戦い疲れた列強諸国に加え体制再編の必要を認めた大英帝国と日本帝国ほどこうした機関の存在を希望していた人々はいなかったためである。 【講和の概略】 1919年7月、アメリカかぜの第3次大流行が終息してから4か月後、再びヴェルサイユ宮殿に連合国と同盟国、およびその他の列強各国の全権団が参集した。 この会議に日本帝国は首相山本権兵衛をはじめ元老伊藤博文や西園寺公望までもが参加するという異例の態勢で臨み、休戦期間中につながりをもったヴィルヘルム2世やドイツ軍首脳、そして名実ともに「戦友」となった大英帝国とともにその主導権を発揮することになる。 冒頭において会議の基本は、「国家間は基本的に無賠償無割譲による『平和の再構築』」と定められた。 実質的に敗れ去ったフランスはアルザス・ロレーヌの帰属を問う住民投票をねじこむのがやっとであり、実質的にこの一事をもって「戦勝」を強弁することとなる。 しかし条約において「戦勝国なき平和」がうたわれているあたりそれは強弁以上のものでもないといえるだろう。 (ただしいわゆる「背後からの一撃論」においてこれは大きな意味を持った) ただし例外ともいえる人々もいる。 戦争の発端となったセルビア王国の人々がそれだ。 248 :ひゅうが:2013/12/15(日) 00 26 32 最後の最後で敗れ去ったフランスとは違い、1916年中に全土を制圧状態におかれていたこの国は「このままいけば戦争となることを知りつつも連合軍側の助力を念頭に司法判断を捻じ曲げた」と激しく糾弾され「バルカン問題の解決」の美名のもとでその処理が断行される。 結果、 首都ベオグラードをはじめとする北部を新設される列強諸国間の常設会議(国際連盟安全保障関係国会議 通称サミット)が独立を保証する仮称「ベオグラード自由領」に割譲し、係争地であったボスニア=ヘルツェゴビナおよびコソヴォの領有権を放棄。 マケドニア地方をギリシアに割譲。 軍備は25年間合計10万人以下に制限。連盟諸国による監視部隊が駐留する。 この代償として係争地におけるセルビア系住民の自由を連盟諸国は保障する。 という苛烈な戦後処理が施されることとなった。 これらの処置の結果、300万とも500万ともいわれる同国系住民はギリシアおよびイタリア軍(当事国ではなかったために選ばれた)によって7分の2に縮小した国土へと移送され、その過程において多くの犠牲者を出すことになった。 男子人口の6割近くにあたる127万名を失っていた同国に抵抗のすべはなく、また移送を担当したイタリア軍はイストリアを獲得できなかった戦争の恨みを持っていたためにその扱いは多くの場合で適当とは言い難かったという。 同国がマケドニアを奪い長期にわたりコソヴォを占領したギリシア、そしてフランスとならんでイタリアに怨念を向けるのはそのためである。 一方、イタリアに対する処理もまた彼らにとっては満足とは言い難かった。 オーストリア帝国領であったヴェネツィアなどのイタリア半島内の領土を「返還」されたものの、ドイツ軍が最後のあがきとばかりに行ったオーストリア援兵によってアルプスを越えることは叶わず、イストリアやダルマチアはおろかトリエステ全土の奪還すらならなかったのだ。 オーストリア領ロンバルディアのイタリアへの返還。 イリリア地方の分割と緩衝地帯としての「トリエステ自由市」の設置。 これがすべてだった。 いわゆる「未回収のイタリア」問題はこの後「統領」ムッソリーニの登場までドナウ連邦諸国とイタリアの政治問題であり続けたのであった。 セルビアが敗者であるのなら、オーストリア=ハンガリー帝国は限りなく勝者に近い敗者であったといえよう。 なぜなら、講和成立時においてオーストリア=ハンガリー帝国は存在しておらず、独立した諸国が外交・国防・税制を共有する「ドナウ連邦」が成立していたためである。 とはいっても中核となったオーストリア帝国は健在であり、ハプスブルグ家も連邦統合の「象徴」として君臨を続けていた。 一時は共産主義政権が支配していたハンガリーも、シシィことエリーザベト皇太后が馬に乗ってハンガリー議会に乗り込むというマリア・テレジアもかくやというやり方で説得を行ったこともあり連邦内の有力国として残ることとなり、イタリアやポーランドで失った分だけバルカン半島では若干ではあるが領土も増えている。 だがその代償はドイツ人にとっては大きい。ドイツ帝国との合邦禁止という条件がつけられたのである。 ただしドナウ連邦を構成することになった諸国にとってはそれはあまり問題にならなかった。 ハプスブルグ家は皇帝による専制を行うことができなくなったものの、それでも諸民族統合の象徴であり続けることになったのだ。 オーストリア=ハンガリー帝国の解体とドナウ連邦の設置。 ドイツとの合邦禁止。 これが停滞していたオーストリア周辺を再度活性化させる結果となるとはだれも予想はしていなかったものの、それでもまず不満の方が少ない結果といったところだろう。 当事国たる独仏両国にとっては大きく不満の残る結末となった。 ドイツは「辛うじて勝利し」、フランスは「最後の最後で押し負けた」。 その大きな要因の一つとなったアメリカ合衆国に対する不満はさておき、彼らが得られたのは「勝者」と「敗者」の烙印のみ。 しかも、圧倒的に国力を残している日英という他の列強諸国による介入と再編は彼らから少なからぬものを奪っていた。 ドイツ租借地山東半島の仮称「満州自治領」への編入と駐兵権放棄。 ドイツ領ニューギニアおよび周辺諸島の日本帝国領南洋諸島(1901年スペインより買収)およびオーストラリア・アメリカ合衆国への売却。 英独海軍協定への参加(英国海軍の30パーセント程度に艦隊戦力を限る)。 アルザス=ロレーヌ問題の解決のため現地住民による住民投票の実施。 249 :ひゅうが:2013/12/15(日) 00 27 20 必ずしも勝者につく条件とは言い難い。 しかし、すでにドイツ国内に休戦中とはいえ多くの日英軍が存在していることや赤い国家との国境線の不穏化が彼らの妥協を急いでいた。 しかし得られたものも大きかった。 山東半島を失ったかわりに、ドイツも満州自治領および北東アジア市場への参入がかなうことになったのだ。 このことは英国が西欧によるドイツの地域覇権をある程度容認したことを意味しており、ビスマルク以来の宿願がかなったことをも意味している。 さらにはこの後に勃発した第一次ソ連・ポーランド戦争による日英との劇的な和解もあり、ドイツは名実ともに「戦勝国」としての地位を確立していくことになるのである。 当初はフランスの猛抗議もあって大きくもめた会議であったものの、ドイツ皇帝ウィルヘルム2世が「責任を全うすべく退位する」ことを表明したこともあり連合国側はこれで矛をおさめることになった。 一方のフランスは、大きく領土を失うことはなかった。 しか政治的混乱の中でし第3共和政が一度消滅したと自ら宣言したこと、そして大戦の引き金を実質的に引いたのがフランスとベルギーによる総動員令と中立侵犯であったことから賠償金をとるなどということは叶うはずもない。 道義的なもの以外の賠償請求権の放棄。 アルザス=ロレーヌ問題の解決のための住民投票の実施。 これが彼らが得られたもののすべてだった。 抗議するフランス大統領クレマンソーに対し、「普仏戦争の復讐のために戦争をはじめられた貴国は『何も失っていない』のですよ?」としたり顔でロイド・ジョージは告げたという。 だが、彼らはあまりに大きなものを失っていた。 聖地エルサレムにおけるキリスト教住民保護権の放棄。 第二帝政フランス以来のフランスの誇りは、アメリカ合衆国にくれてやる参戦への対価として新設される国際連盟へ移管されることになったのだ。 代償として債務棒引きがあったとはいえ、この後も債務と引き換えにスエズ運河会社への独占出資権をアメリカへ譲渡することになるなどフランスにとっての苦難は続くことになる。 なお、普仏戦争の復讐を叫んだ国民は、その鬱憤を晴らすかのように大戦勃発の原因であるサラエヴォ事件の責任追及に走り怨念を買うことになる。 ――さて、ここまで語り続けて避けて通れないのは米国とその周辺たる日英およびロシアである。 ことに米国の処理は問題となっていた。 莫大な出資により連合軍が「負けない」ことに貢献したものの、そのかわりに列強諸国がいない間のアジアで日本帝国の制止を無視して軍事介入を繰り返していた彼らは、ロシア革命への干渉を理由としてシベリアにも20万あまりの大軍を派遣。 東シベリアからオホーツク海一帯にかけて「極東共和国」という傀儡国家を建国するに及んでいたのだ。 付き合う羽目になった日本軍によりロマノフ朝のニコライ2世一家が救出されていなければ、中華民国臨時政府と極東共和国という二大傀儡国家を成立させてこれを既成事実化する動きすらあったのだ。 これは、当時のウィルソン大統領が職務不能状態にあったにも関わらず大統領職務継承順位に関する法整備が行われていなかったために現地軍の統制が大きく緩んでおり、欧州派遣軍に比べて多分に義勇軍的な風潮の強かった「民主義勇軍(当初の派遣米軍の名前)」とその後押しをする諸資本家たちの独走を許してしまっていたことが理由である。 もちろん、経済活動を事実上放任状態においていた当時の自由主義的な風潮も理由であるがこれがいきすぎであることは誰の目にも明らかだった。 さらには、欧州派遣の際の不手際から近代史上初の「全地球的感染爆発(パンデミック)」を引き起こしてしまっていたことは、欧州におけるアメリカの名誉を致命的なまでにおとしめていた。 悪い意味で鈍感であったアメリカ国民は、講和会議に同行した記者たちの手によって欧州や中国大陸、そしてシベリアからの毒のたっぷり入った怨念を叩きつけられ茫然自失することになるのである。 250 :ひゅうが:2013/12/15(日) 00 28 16 中国大陸およびシベリア地域からの可及的速やかな撤兵。 極東共和国におけるアメリカ軍政の廃止。 英仏両国の債務の「99年間凍結」および「超長期債」への借り換え。 これらの代償としてアメリカ合衆国はエルサレム自由自治領運営理事会への理事派遣権およびスエズ運河会社株の10パーセントを得る。 米中間で取り決められた諸協定および民間協定はこれを尊重する。 これが、大統領代行としてヴェルサイユへ派遣されたトーマス・マーシャル副大統領が突き付けられた条件だった。 これに感情的に反発したマーシャルおよびアメリカ国民は、全世界からの轟轟たる非難にさらされた。 助けに入ったはずの、当のフランス人および中国人からすら石を投げられ、彼らははじめて自分たちがどのような感情を向けられているかということに気が付いたのである。 史上初の弾劾を受けて大統領が失職しようとする混乱の中で、アメリカはこれらの条件を丸のみする羽目になる。 しかしながら、大戦の影響を受けていた欧州諸国にとってアメリカの資金は必要とされており、大戦中に結ばれた有利な協定はそのままとされた。 感情はともかくとして、権力基盤としての米国が必要となっていた孫文率いる中華民国臨時政府も同様で、結果的には大戦は米国の商業圏を全世界にまで拡大することとなった。 また「債務は棒引きされたものはわずかであり、残りは借り換えられただけだ」として金融業界がこれを担保としてさらに過剰投資を継続。 「米国は政治的には敗北したが経済的には勝利しつつある」 とのちにハーバード・フーヴァー大統領が述べるように米国の経済拡大は続いたのであった。 話を戻そう。 講和会議の結果、米軍により制圧されていた極東共和国および中華民国からは無条件の撤兵が確約された。 ただし満州地方やフランスと米国の共同租借地となった広州湾および天津・北京・南京租界には兵力駐留権が維持されておりのちにこれは大きな意味を持つことになる。 このかわりに、傀儡国家となるはずであった極東共和国へは喧々諤々の議論の末に、ハプスブルグ家からの提案で「ロマノフ家を統合の象徴とする」緩衝国家として極東合衆国が置かれることとなる。 非公式にではあったがロマノフ朝の復帰を阻止したことでソヴィエト政府は勝利宣言を行い、またアメリカ国民の溜飲を下げさせることにもなった。 「兵は引いたがアジアの門戸を開かせた。今こそ新たなるフロンティアへ!」 それが彼らの合言葉となった。 繰り返すが、悪い意味で鈍感であったアメリカ国民はこの「成果」が何を呼び起こしたのかを理解していなかった。 さて、最後に残った日英について語ることにしょう。 日英は、大戦で多くの人命を失ったものの、まず勝利といっていい成果を上げている。 「同盟国を救援し、あと一歩のところまで迫った」のであるから。 また、新世代の戦争ドクトリンを実践した結果として彼らの戦死者数は英国37万人および日本10万人。これはフランスの約200万人と比べると雲泥の差である。 だからこそ彼らは、経済破たん状態でインフレにあえぐフランスや痛手に苦しむドイツに比べてマシな状態で戦後の勢力圏再編を実施することができたのだ。 とはいえ、パンデミックの影響は甚大である。 全世界で7800万~8000万名が死亡した惨禍の多くは彼らの勢力圏となるアジアにもふりかかっていたのだから。 ドイツ領ニューギニアおよび周辺諸島の分割。 アメリカのユーラシア大陸からの撤兵。 英独両陣営間での相互門戸開放。 これが日英が勝ち取った成果だった。 これにより全地球の7分の3の陸地と人口の6割を有する巨大な商業圏が誕生。 日英両国はこの後のさらなる接近を遂げていくことになるのである。 251 :ひゅうが:2013/12/15(日) 00 29 02 【国際連盟 あるいは列強連合の成立】 勢力圏の再編が済んだ後に議題となったのは、常設される列強諸国間の紛争を仲裁する機関の設置についてだった。 当初はアメリカの提案で全世界各国を平等に扱う理想主義的な組織として構想されたものの、現実的にそれは不可能である。 必然的に、この国際機関は列強諸国が「安全保障理事会 常任理事国」として組織運営に責任を持つとされ、紛争当事国間の調停機関としての役割が強くなることになる。 基本的には提訴権は加盟国すべてがもつものの会議は多数決により解決策が探られることとされ、さらには「常任理事国会合」はこれらの上位組織として議案差し戻し権を掌握していた。 また、常任理事国への新規昇格については3分の2以上の賛成が必要とされているなど、列強諸国は彼ら曰く「安全策」をとっていた。 全会一致の原則などを主張する米国はここでも孤立し、のちに多大な影響を歴史に与えることとなった。 彼らのいう「列強の世界分割構造を固定しようとするものだ」という批判はその通りであるものの、しかし下部機関として常設国際司法裁判所や難民機関、そして日英米独が出資した世界銀行や、平和執行機関としての国際連盟緊急軍の設立などこの国際連盟が備えた機能は画期的であった。 その構想が間違っていないことは、連盟が現在においても組織改革を経つつもその機能を果たし続けていることからも明らかであろう。 ヴェルサイユ講和会議における議論の半分は、この機関の設立のために費やされたといっても過言ではない。 そして、講和条約の締結国にして原加盟国となった列強諸国――日本・英国・ドイツ・フランス・ドナウ連邦・イタリア・トルコ、そして加盟国とはならなかったもののオブザーバーとして参加するアメリカの9か国のことを、はるかな高みにそびえる山にたとえて「サミット」と呼称するようになる。 実質的な列強連合の成立であり、国際連盟の設立とヴェルサイユ講和条約の締結をもって構築された第一次世界大戦後の世界体制は、軍縮条約や第二次世界大戦後のそれと区別する意味で「ヴェルサイユ体制」と呼ばれることになるのである。 設立から間もない1920年、この新体制は最初から大きな挑戦を受けることになる。 1920年、第一次ソ連・ポーランド戦争の勃発がそれである。 この戦争において実質的にジュネーヴ体制といわれる体制が構築される――すなわち、列強諸国によるアメリカ合衆国包囲網が構築され、日英独三国の接近が果たされることになるのであるが、その内容については別の機会にゆずり、今は筆をおくことにしたい。 252 :ひゅうが:2013/12/15(日) 00 31 50 【あとがき】――というわけで、ヴェルサイユ体制ネタでした。 この世界では国際連盟はヴィルヘルム2世陛下の発案にしてみました(爆) しかし欧州的な安全策から史実の国連安保理と史実常任理事国の中間的な権限を持つ「列強連合」みたいなものになっています。 ですので「勝者の世界分割」であることに間違いはないのです。 しかし…あー長かった…真面目に想定するとかなり疲れます(汗
https://w.atwiki.jp/monosepia/pages/7830.html
昭和時代 / 戦後史 ーーー 大東亜戦争 +クチコミ検索 #bf +ブログサーチ #blogsearch +ニュースサーチ 小田原史談会 昭和の小田原を一冊に 『片岡日記』を発刊 | 小田原・箱根・湯河原・真鶴 | タウンニュース - タウンニュース 複眼的アプローチ認められ喜び 正論大賞「受賞の言葉」平川祐弘氏 秦郁彦氏から「お祝いの言葉」 - 産経ニュース 高貴なる人々も避けては通れない“縁談”…『李王家の縁談』林真理子さんインタビュー - ダ・ヴィンチニュース 『カムカム』で圧巻の歌声! 世良公則以外に適任者がいなかったと思わせる喫茶店マスター(リアルサウンド) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 論点:開戦80年、平和への思い継承 - 毎日新聞 12・11開幕「東京ドキュメンタリー映画祭2021」全57作品を紹介 - MOVIE Collection [ムビコレ] 主張/対米英開戦80年/「戦争する国」への道を許さず - しんぶん赤旗 [寄稿]太平洋戦争における米国と日本の決定的な違い(ハンギョレ新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 「夢は『美 少年』を高野山米國別院の舞台に立たせること」LAでブロマイドを売っていたジャニー喜多川の青春時代《真珠湾攻撃から80年》 - ニフティニュース 昼時に姿を消した「ハス子さん」-太平洋戦争と細倉鉱山の朝鮮長屋(上) - 河北新報オンライン 昭和天皇は「覚悟あらせられる様子」 太平洋戦争直前、側近が日記(朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 全国高校サッカー選手権100回 県代表の歩み(上)8校が46度の夢舞台に - 四国新聞 歴史学者はいかに過去を捏造するのか:呉座勇一氏の日文研「解職」訴訟から考える⑩ - アゴラ 「日本国紀」の悲しみ 単行本で修正繰り返したが…文庫版も誤り続々 - 毎日新聞 - 毎日新聞 室町の兄妹・流れ公方と忘れられた尼:/12 郷土史の偉人が探求 丹後の英雄は実在する /京都 - 毎日新聞 【日曜に書く】論説委員・森田景史 カツカレーと「猛牛」哀歌 - 産経ニュース 【追う!マイ・カナガワ】横須賀の海岸に謎のコンクリ製構造物…戦争遺構?いけす?正体を調べてみた(カナロコ by 神奈川新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 横浜銀蝿40thのJohnnyが語る“最後の晩餐” 「人生最後に食べたいのはこの店の『うな重』」(おとなの週末) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 極秘文書から見えた 新しい“山本五十六” - NHK NEWS WEB 評論家で慶應義塾大学教授の片山杜秀さんに聴く「戦争」と「怪獣」。幼い時の興味から始まった何でもござれの怪物人生とは - PR TIMES 【国立映画アーカイブ】上映企画「香港映画発展史探究」上映作品のお知らせ - PR TIMES 時代の空気を切り取る川勝徳重の漫画道 「個人的な悩みや苦しみを描くことにはあまり興味がない」(リアルサウンド) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 申込み(無料) オンライン対談「よみがえる戦前~治安維持法から見る土地規制法」荻野富士夫さん × 海渡雄一さん(12/8 19 00~、Zoom) - レイバーネット日本 【門井慶喜の史々周国】「ラッパ吹き」が支えた戦後復興 那覇・国際通り - 産経ニュース 「卓球王国」継承誓う 青森県卓球連盟100周年記念式典(Web東奥) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース <書評>『蓬莱の海へ 台湾二・二八事件 失踪した父と家族の軌跡』 父の足跡追うドキュメンタリー - 琉球新報デジタル 東博と九博で特別展「琉球」が開催。琉球文化を過去最大規模、400点近い展示物でたどる(美術手帖) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース ネッシーはいる!かつてネス湖を探索した仕掛け人が明かす舞台裏、大物政治家も後方支援していた(よろず~ニュース) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 細野晴臣、集大成のライブ・ドキュメンタリー『SAYONARA AMERICA』は何を映し出しているか?(GQ JAPAN) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース これが「本当の中国領土」? 「国恥地図」を見れば、中国人の頭の中が分かる(レビュー)(Book Bang) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 安倍前首相の「改憲は立党以来の党是」は完全に間違い(ニュースソクラ) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 上白石萌音、深津絵里、川栄李奈『カムカムエヴリバディ』ヒロインが『紅白』で歌う可能性 “歌うま”で繋がる3人の共通点(リアルサウンド) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 昭和の小学校に必ずあった「視聴覚室」「LL教室」が知らぬ間に姿を消したワケ(アーバン ライフ メトロ) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 開戦理由の石油備蓄量 実は誰も数字を知らなかった|保阪正康 日本史縦横無尽 - 日刊ゲンダイ 世代の昭和史:/54 太平洋戦争に至るまでを記録した真摯な報告書=保阪正康 - 毎日新聞 彼女の名は「セラス」|クラシックカーコレクターが救い出した、水上の貴婦人(octane.jp) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 執権義時に消された13人 - ウェッジブックス - - WEDGE Infinity 「岸田政権から見えてくるのは1930年代の日本社会」(ハンギョレ新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース コンピューティングは どこに向かうのか? 米国史から考える未来 - MITテクノロジーレビュー ゴッホ展:ファン・ゴッホがたどった土地を旅したことを思い出した。|鈴木芳雄の「本と展覧会」(Casa BRUTUS.com) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 日比野さん死去 包容力と情熱の指揮官 早大で日本一3度 - 毎日新聞 〈カムカムエヴリバディ〉はなぜこんなに満足度が高いのか。ささやかな出来事をじっくり描くわけ(木俣冬) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 【本郷和人の日本史ナナメ読み】古文書学と破格文書㊦忘却の学者、平泉澄の「大発見」 - 産経ニュース 天皇家の“万世”はいつから始まったのか…? 文献からひも解く「日本の形成史」 - 文春オンライン 隊員の無残な姿に涙が止まらず 県警OB宮城さん (2021年11月11日) - エキサイトニュース 台湾陶磁器のルーツは砥部焼 戦前に輸出・技術導入 - 産経ニュース “国定教科書化でわい曲が促進”/来年度導入の「歴史総合」 | 朝鮮新報 - 朝鮮新報 中国「国恥地図」の謎を解き、領土的野心の根源に迫る | 南シナ海の領有権主張に深くつながる地図 - courrier.jp 初代市役所、ごぼう天うどん…戦前の名残とどめる「1丁目」北ブロック - 西日本新聞 【書評】『団体旅行の文化史 旅の大衆化とその系譜』山本志乃著 参詣・親睦・修養 名分立てる - 産経ニュース 竜王戦前にいわき巡る 豊島竜王・藤井三冠 第3局きょう、あす - 読売新聞 電力王・松永安左エ門足跡たどる書籍刊行 近現代史研究家の益田さん - 西日本新聞 尼崎の戦前教育史が完成 「若い教育者に」元校長が私費で製本 - 毎日新聞 - 毎日新聞 書評:日本写真史における「スナップの美学」とは何か。『ありのままのイメージ』(美術手帖) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 戦前の気動車が国の重文に…九州鉄道記念館のキハ07 41 - レスポンス 草彅洋平が「日本サウナ史」に込めた思い - Time Out Tokyo 故金子兜太さん出身地、埼玉・皆野の俳句史をたどる企画展 生家から見つかった俳誌など30点 - 東京新聞 【鬼滅のグルメ】大正時代の浅草では、すでに子どもが自分の小遣いでカレーライスを食べていた!(アーバン ライフ メトロ) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース “ミラクル・シェリフ”がCL史に残る大金星! マドリーは相手守護神の驚愕パフォーマンスを前に屈辱の敗戦…《CL》(超WORLDサッカー!) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 構想・執筆に9年 伊那北高百年史完成 – Nagano Nippo Web - 長野日報 【鬼滅のグルメ】炭治郎も食べた? 大正時代の浅草は「串かつ屋台」が並び、「2度漬け禁止」ルールは東京で生まれていた!(アーバン ライフ メトロ) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 住友最後の総理事・古田俊之助が述懐する「事業は人なり」の財閥史 - ダイヤモンド・オンライン Topics:『東京古書組合百年史』刊行 4年がかり歴史刻む 業界の未来も見据え - 毎日新聞 開運!なんでも鑑定団 世界史に登場<幻の本>超絶値&幕末秘宝一斉鑑定 | TVO テレビ大阪 - tv-osaka.co.jp 戦前政党内閣史から見た菅内閣の失敗とは 井上寿一教授の視点 - 毎日新聞 - 毎日新聞 三菱財閥の戦前戦後を支えた石黒俊夫の「岩崎小弥太と財閥解体」秘話 - ダイヤモンド・オンライン 自動車の大衆化に貢献したオースティンセブンは、ビギナーもベテランも虜にする、魔性の魅力をたたえたモデルである──戦前車を21世紀に愉しむという、魅惑の自動車趣味世界 Vol.02 - GQ JAPAN 阪急百貨店を伸ばしたアイデアマン、清水雅の「百貨店今昔物語」 - ダイヤモンド・オンライン ケプラーとガリレオ、刺激し合い「真理」に挑戦した2人の科学者 - JBpress 歴史学者の色川大吉さん死去 「ある昭和史」で自分史ブーム(共同通信) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース (フロントランナー)藤原岳史さん 「先人が紡いできた日本の暮らしを残したい」:朝日新聞デジタル - 朝日新聞デジタル 予算なく書籍化できず19年… 尼崎市の戦前教育史 元小学校長が私費で発行 - 神戸新聞 サラ金の歴史が物語る日本経済の裏面史 - Nippon.com 「近衛声明」直前まで涙の訴え...“日中戦争”を止めようとした陸軍中将の実像(PHPオンライン衆知(歴史街道)) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 崩れゆく戦前の「奉安殿」 保存に課題、学術的価値も―福岡 - 時事通信ニュース <ヒューマンいばらき>茨城の近現代史に光 県立歴史館主任研究員・石井裕(いしい・ゆたか)さん(44) - 東京新聞 戦時下に、娯楽の検閲官は一体何をしていたか?知られざる権力の実態(金子 龍司) - 現代ビジネス 中国の最新鋭国家運営システム「律令制」はなぜ日本で消滅した 【連載】ビジネスに効く! 世界史最前線(第72回)(1/8) - JBpress 女らしく、敵性競技…途切れた女子サッカー史、明らかに - 朝日新聞デジタル 画家・難波田龍起、史男親子の国内屈指となる作品群など故・寺田小太郎氏のコレクション受贈を記念した展覧会を開催 - PR TIMES 社会党と共産党、違いを説明できますか?ーー戦後左派の源流を探る(池上彰×佐藤優) - 現代ビジネス 父が主謀、母が殺害、妹が協力…一家で息子を惨殺した日大生保険金殺人事件とは【厳選再公開】 - 文春オンライン 名著『戦争の日本近現代史』に見る「良書としての新書」の条件(佐々木 雄一) - 現代ビジネス 高津の長坂伝八さん コロナ対策 「戦前型の反憲法思考だ」 あす1周年「憲法武蔵懇話会・憲法堂々」 - 東京新聞 国際協力の新潮流と日本が行うべき「質の援助」 - 東洋経済オンライン 那覇市100年 戦争で消えた港町のにぎわいと洋風建築 - 朝日新聞デジタル 日本が本当の「日本」だった時代の、最後の国史教科書『復刻版・高等科国史』増刷決定 - PR TIMES 消えたモダンガール、昭和恐慌と戦争で頓挫した戦前の消費文化 - JBpress 【話の肖像画】龍谷大学教授・李相哲(61)(14)敬愛する恩師の母校、上智大へ - 産経ニュース きょう憲法記念日 戦前の日独から考える 学術会議問題 撤回求める署名運動呼び掛け人・山根徹也 横浜市立大教授 - 東京新聞 戦前製造、最古車両の修繕に協力を…阪堺電車がクラウドファンディング - 読売新聞 忠臣/奸臣論が見落としてきたもの 呉座勇一「戦国武将、虚像と実像」 - カドブン 昭和史研究の第一人者が語る「総理大臣の格」 - 東洋経済オンライン 常夏通信:その81 戦没者遺骨の戦後史(27) 戦前の硫黄島にあった豊かな暮らし - 毎日新聞 - 毎日新聞 優しかった独身女性たちの記憶、背景を知り瞠目する――『ひとり暮しの戦後史』重版に寄せて - iwanamishinsho80.com 半藤一利さんと昭和史――のこす言葉『半藤一利 橋をつくる人』より|じんぶん堂 - 朝日新聞デジタル 戦前は寛容だった?「浮気とお金」の奥深い歴史 - 東洋経済オンライン 東大教授が教える「日本史上最もやばい人物」ベスト3 - ダイヤモンド・オンライン 戦前・戦後の最初の総長【第2回】 - waseda.jp 最終回 「日本国憲法」|日本思想史の名著を読む|苅部 直|webちくま - webちくま ● 昭和史論争〔Wikipedia〕 ● 昭和史 ● #昭和史の検索結果〔Twitter〕 +半藤 一利の著書 ● 半藤 一利の著書〔Amazon〕 1930年、東京・向島生まれ。東京大学文学部卒業後、文藝春秋入社。松本清張、司馬遼太郎らの担当編集者をつとめる。「週刊文春」「文藝春秋」編集長、取締役などをへて作家。「歴史探偵」を名乗り、おもに近現代史に関する著作を発表。著書は『日本の一番長い日』、『漱石先生ぞな、もし』(正続、新田次郎文学賞)、『ノモンハンの夏』(山本七平賞)、『幕末史』など多数。『昭和史 1926-1945』『昭和史 戦後篇 1945-1989』で毎日出版文化賞特別賞を受賞。 ■ 半藤一利批判 「西尾幹二のインターネット日録(2010.1.19)」より/西尾氏が批判を加えている半藤一利氏についてですが、最近、「秘録・日本国防軍クーデター計画」(講談社)という本を読んだところ、改めて西尾氏の言うことに納得しました。参謀本部の作戦課長を務めた服部卓四郎氏を、半藤氏は指導力のない人だと批判していましたが、「秘録・日本国防軍クーデwター計画」によれば、そうではありません。そんな人が作戦課長に就くかどうか、考えてみただけでわかります。たとえば出版界を知らない人でも、半藤氏に企画力があったから、「文芸春秋」の編集長を務め、社の役員となったのでしょう。それを、半藤氏には企画力がなかったなどと言うのと同じです。こうなると、半藤氏の著書は、まゆつばですね。コメント by 高明 — 2013/9/12 木曜日 @ 16 45 01 ◆ 【昭和史の語り部】半藤一利【詐話師か?】 「2ch」より ● 昭和時代(戦前) - [1926年 ~ 1945年] 「にほんのれきし」より ● 昭和時代(GHQ占領期) - [1945年 ~ 1952年] 「にほんのれきし」より ● 昭和時代(戦後) - [1953年 ~ 1986年] 「にほんのれきし」より ◆ ブログ『国際情勢の分析と予測』のコメント欄より / 戦前日本は、世界唯一道義的に正しい国家だった (Unknown) 2017-05-17 04 04 05 歪んだ世界のメディアは、戦前の日本は酷かったと結論する。 だが当時、それでは日本以外の国はどうだったのか。 阿呆メディアは日本以外は良かったという認識なのかも知れないが、例えば当時のアメリカでは黒人差別が酷く奴隷制が続いてるも同じであった。 イギリスもインド人を人間扱いしなかった。 ドイツではユダヤ人を弾圧。イタリアはリビアやエチオピアで原住民を虐殺していた。 そしてスターリンは自国民をシベリア送りにしていた。 悉く狂気の国家が林立する中、国連でも人種平等を説く日本のみが、唯一希望の光を持つ正義の国家だった。 にも関わらずメディアは全く逆で、戦前日本に重罪があるかのように嘘を定着させようとする。その認識は完全に犯罪的である。 事実を言えば、戦前日本は、世界中で只一つの良い国家だったのだ。日本以外は悪の国家でしかなかった。 その善の国家日本が、悪の国々によって敗北させられ、東京裁判で冤罪を着せられたところに歴史の悲劇がある。 それが今日、全世界の悲劇を招いているのである。 その事を正しく理解しなければ世界は良くならないのだ。 日本人は、その認識が無いから、悪の国家である中国に主導権を取られたり、韓国の嘘に翻弄されたりしてしまうのである。 日本のみんなは、もっと自信を持ちたまえ! .
https://w.atwiki.jp/politik/pages/1605.html
清水市一をお気に入りに追加 清水市一のリンク #blogsearch2 Amazon.co.jp ウィジェット 清水市一の報道 【速報】新型コロナ 高知県の新規感染者27日連続ゼロ【高知】 - www.fnn.jp 水道支える橋が“崩落” リスクはなぜ見落とされた - NHK NEWS WEB 人生が変わるほどの年越しを。Dot Glampingアシズリテルメがお届けする『パーフェクト・リトリート』~高知県の大自然の中、グランピングで迎える年越し・お正月。これまでにない年末年始の体験を~ - PR TIMES 静岡人インタビュー「この人」 杉山明美さん 農福連携を進める「Grand Farm」社長|あなたの静岡新聞 - @S[アットエス] by 静岡新聞 命名「春しずか」 静岡県開発ミカン、春先出荷に期待 - 47NEWS 命名「春しずか」 静岡県開発ミカン、春先出荷に期待(あなたの静岡新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 新東名トラック出火原因 静岡・港北消防署究明お手柄 製造側と見解相違も粘り強く交渉、リコールにつなげる(あなたの静岡新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 小中一貫教育「静岡型」始動 2021年春から静岡市(あなたの静岡新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 「ホラー苦手な人も楽しんで」 坪野鉱泉が舞台、映画「牛首村」清水監督インタビュー |文化|富山のニュース|富山新聞 - 北國新聞デジタル 教育資源生かし連携へ 安藤雅之・常葉大大学院教授【教育改革 核心を問う】|あなたの静岡新聞 - @S[アットエス] by 静岡新聞 西蒲区巻甲にある『清水フードセンター巻店』内に『100円ショップWatts with 巻清水フードセンター店(ワッツウィズ)』がオープンするらしい。 - 株式会社ユニークワン 自宅にあった現金5500万円をだまし取られる 今年最大被害額 狙われる“タンス預金”警戒を(静岡県)(静岡放送(SBS)) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 名古屋、長谷川健太氏が新監督就任の見通し フィッカデンティ監督と交渉決裂…条件面で合意ならず(スポーツ報知) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 京都サンガ12年ぶりJ1昇格、サポータと心一つ - 産経ニュース 牧野植物園の「新研究棟」起工式 子供たちが体験できる実験室に景色が楽しめるレストラン 【高知】 - www.fnn.jp 強烈な引き、マダイにワラサ 大型ぞろい 三保-由比沖・船釣り【魚影を追って】|あなたの静岡新聞 - @S[アットエス] by 静岡新聞 【大阪初!期間限定】全国9エリアのご当地限定グッズが大阪城下に大集合!ミライザ大阪城「本陣」にて「すみっコぐらし堂」「りらっくま茶房」「おみやげどころりらっくまの湯」グッズ販売。現地でしか食べられないテイクアウトフードも! - アットプレス(プレスリリース) 今年は節目の第100回!全国高校サッカー選手権の歴代優勝校、準優勝校(高校サッカードットコム) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 【新型コロナ】静岡市の小学校で学級閉鎖(静岡県)(静岡放送(SBS)) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 「次回は私を選ばなくていいです」激戦を終えてリーダー・西山朋佳さんに告げた理由 | 観る将棋、読む将棋 - 文春オンライン パリ五輪監督に大岩氏 鹿島でアジア制覇―サッカー男子 - 時事通信ニュース 静岡からの誘客強化 長野県富士見町が2大リゾート一部無料開放へ(長野日報) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 市と住民側との溝が埋まらず…桜ヶ丘病院の移転先の公園でシンボルの撤去作業 反対派住民「あきらめない」 静岡市(静岡朝日テレビ) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 売れるか?! 高校生が「食べる宝石」開発 地元商店で商品企画から販売まで - www.fnn.jp 【速報】香南市の清藤真司市長(56)が辞職へ 逮捕業者から献金受領「道義的責任は大きい」【高知】 - www.fnn.jp 全国高校サッカー選手権 静岡学園選手紹介 DF清水和馬 6年間の集大成は3度目の日本一(スポーツ報知) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース マグロ料理味わう 解体ショー、冷蔵庫体験も JR清水駅東口周辺|あなたの静岡新聞 - @S[アットエス] by 静岡新聞 クリスマスは「函館湯の川温泉」で舌鼓! 特別会席メニュー「聖夜会席」が登場(BCN) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 「富士山に見守られながら暮らしている」ささやかな幸せを作品に写し込む写真家・鈴木賢武〈dot.〉(AERA dot.) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース その名も「コア化した、団地」。アオシマがエヴァ展限定のプラモを発売!(Impress Watch) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 将棋・12月6日週の主な対局 多忙で奔放・佐藤康光会長、2局に登場 独特な指し回しが見られるか(ABEMA TIMES) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 「息子は帰ってこない」病院へのタクシー突入事故5年、父の涙(西日本新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 札幌・野々村芳和社長、Jリーグ新チェアマンに内定…初のJリーガー&歴代最年少で就任(スポーツ報知) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 「仲間を支え合う社会を」 清水エスパルス2選手が「人権週間」でトークショー 静岡市(静岡朝日テレビ) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 清水エスパルスJ1残留決定 最終節勝利 セレッソ大阪に2-1(あなたの静岡新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 輸送効率化へ 清水港岸壁延伸着工式 2025年度完了目指す(Daiichi-TV(静岡第一テレビ)) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 静岡県市町対抗駅伝 タイムライン速報|あなたの静岡新聞 - @S[アットエス] by 静岡新聞 2021年 読者が選ぶ高知県内10大ニュース募集 記憶に残る出来事は?12/23締め切り 30人に賞金 | 高知新聞 - 高知新聞 阪神・青柳、一足早いサンタになる!横浜市鶴見区内の小学校&保育園に130万円相当の絵本など寄贈へ(スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 飲食店&タクシー代がお得!高知市独自「食べタククーポン」5日販売「おまちで飲むきっかけに」【高知】 - www.fnn.jp 東海大静岡翔洋陸上部Wエース、兵藤ジュダと北川凱は五輪目指し東海大へ(日刊スポーツ) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 【地震】山梨県で震度5弱 静岡県内も小山町で震度3など広く揺れを観測(テレビ静岡NEWS) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 山梨県東部・富士五湖で震度5弱の地震 小山町で震度3(静岡県)(静岡放送(SBS)) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース スマホ決済、街のお店にも浸透 行政キャンペーンが後押し|あなたの静岡新聞 - @S[アットエス] by 静岡新聞 きゃりーぱみゅぱみゅ、新曲「メイビ―ベイビー」がアニメ『ニンジャラ』OPに決定(BARKS) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 袴田厳さん支援のクラウドファンディング開始 日本プロボクシング協会とrscがコラボ(スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 学校に迷い込み保護されたフクロウ死ぬ 1週間以上エサを食べていなかったか 静岡・清水区(静岡朝日テレビ) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 世代を超えて~五・七・五・七・七でつながる~ 言葉を預り「歌」にする大学生【静岡発】(テレビ静岡NEWS) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 茨城県南部で地震 静岡県東部、伊豆で震度1(静岡放送(SBS)) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 【速報】静岡県内で震度1の地震(Daiichi-TV(静岡第一テレビ)) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 強風被害か イチゴハウス倒壊し出荷できず 農家「精神的にきつい」 静岡市(テレビ静岡NEWS) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 静岡市長 清水港に水族館など複合施設作る計画早期再開へ|NHK 静岡県のニュース - NHK NEWS WEB 書籍9冊など万引きした中学校教諭が失職…有罪が確定し「欠格条項」に該当 静岡市(静岡朝日テレビ) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 県内でも3回目のワクチン接種が医療従事者を対象に始まる|NHK 静岡県のニュース - NHK NEWS WEB 死亡事故多発 交通事故防止へ一斉街頭指導(静岡県)(静岡放送(SBS)) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 共に未来へ 鈴与の底力を探る (上) 物流センター増設に積極投資 21年8月期で過去最高決算 運輸・倉庫事業最適化を目指す(中部経済新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 「事故が忘れ去られていくことに不安と疑問が…」 中学1年生用水路転落死裁判で母親が訴え 静岡県は争う構え(静岡朝日テレビ) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 【密着】海上保安部の新人潜水士 過酷!限界ぎりぎりの初訓練 悔しさにじませ「先輩たちについていけない」 静岡・清水海保(静岡朝日テレビ) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 【袴田事件と世界一の姉】巖さんに名誉チャンピオンベルト 30年支援したボクシング界の功績 - goo.ne.jp 富士山ハザードマップ 改定ポイント共有 富士で住民説明会|あなたの静岡新聞 - @S[アットエス] by 静岡新聞 藤井聡太竜王は19歳にして「序列1位」で名実ともにトップ棋士に 将棋界における序列とは何か | 観る将棋、読む将棋 - 文春オンライン 清水港にすみ着いたイルカの群れ 滞在1年以上「例のない現象」(あなたの静岡新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 中日清水達也が退寮「不安」初めての1人暮らしも柳のアドバイスで勇気百倍 - ニッカンスポーツ 幻想的な劇場型水族館にうっとり、“飲むサラダ”が話題「世界一の朝食」を堪能…女子アナ2人で行く1泊2日の神戸旅(FNNプライムオンライン) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 春風亭昇太 客員教授が初講義「興味のないことをやってみたら、きっといいことがある」 学生たちへエール(日本テレビ系(NNN)) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 田辺静岡市長 市職員相次ぐ逮捕に謝罪 桜ヶ丘病院工事は進める(静岡県)(静岡放送(SBS)) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 「クール・チョイス」啓発かるたが完成 静岡市〔地域〕(時事通信) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 原油高騰続く 枝豆農家も打撃「例年通りの栽培厳しい」(静岡朝日テレビ) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 清水DF片山瑛一「1つになって戦うことが大事」27日アウェー浦和戦 - ニッカンスポーツ 大駱駝艦12/4土佐清水市で公演「クレイジーキャメル」思春期の内面、舞踏で表現 - 47NEWS 清水エスパルス 脱炭素プロクラブ宣言 ごみ削減、啓発推進(あなたの静岡新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 灯台も一般開放 足摺岬をイルミで彩る 高知・土佐清水市(テレビ高知) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 静岡県民限定の運賃半額割引などの効果か 静岡市と伊豆を結ぶ駿河湾フェリーが今年度初めて1万人超(静岡朝日テレビ) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 「ワクチン証明席」で収容観客上乗せ J1清水が静岡県内初導入(あなたの静岡新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース サクラエビ価格急落 不漁前の水準に 需要減反映、店頭も廉価(あなたの静岡新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 乗用車と貨物列車が踏切で衝突 酒気帯び運転か…車の20歳の運転手を現行犯逮捕 静岡市(静岡朝日テレビ) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 【地震速報】東京都23区で地震 伊豆市、東伊豆町で震度3など(静岡放送(SBS)) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 【高校野球】清水桜が丘高が初回に8得点と大学生相手に奮闘 引き分けで終わるも「選手がよく頑張った」(スポーツ報知) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 「ゆるキャン 」聖地巡り!スタンプラリー。NEXCO中日本沿線28スポットで11月26日から(くるくら) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 沼津港にすし店 駿河湾の地魚使った料理と「エンタメ」提供(みんなの経済新聞ネットワーク) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 開店前から行列できる 1年8カ月ぶりに営業再開したサクラエビかき揚げ店 静岡市清水区(静岡朝日テレビ) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース ぶりっ子ポーズも得意戦術?清水市代女流七段、猫耳つきで「頑張るにゃ 」ファンは絶賛「市代先生の優勝」(ABEMA TIMES) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 【春高バレー2022】男子 清水桜が丘、女子 静岡県富士見が優勝【静岡県予選】(月刊バレーボール&月刊バスケットボール) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 神奈川県西部で地震 沼津市、熱海市、富士宮市、東伊豆町、小山町で震度2(静岡放送(SBS)) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 「手話は1つの言語です」 小学生が手話体験 自分にも何かできると学ぶ 静岡市・清水区(テレビ静岡NEWS) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 感染者激減の理由は? 新型コロナのなぜ【NEXT特捜隊】(あなたの静岡新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 静岡学園GK生嶋健太郎「旋風巻き起こす」初戦は徳島商 全国高校サッカー選手権組み合わせ決定(スポーツ報知) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 男子・浜松細江 女子・浜松北浜 ともに初優勝 静岡県中学駅伝(あなたの静岡新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 400メートルを20本のホースつなぎ放水 林野火災想定し訓練 静岡市(静岡朝日テレビ) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース スピードの藤枝東か技巧派の静岡学園か 全国高校サッカー静岡県大会13日決勝 サイドの攻防が鍵に(あなたの静岡新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 早くもマフラー・コート“冬の装い” 静岡県内各地で今シーズン一番の冷え込み 氷点下24℃以下寒気の影響あすも続く(静岡朝日テレビ) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 静岡県内各地で今シーズン一番の寒さ 寒気の影響で13日朝は更に冷え込みも(静岡朝日テレビ) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 「静岡で最も注目されている街」ランキングNo.1が決定! 2位は「静岡市」!(ねとらぼ) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 月と2つの惑星が接近!週末は今季一番の冷え込みに【ただいま天気 11/11】(テレビ静岡NEWS) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 福島で合同イベント「フルギとコーヒーとカグとオスシ」 市内4店出店(みんなの経済新聞ネットワーク) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 静岡県の高校、大学と東京六大学が19日から「交流戦」 清原氏長男、慶大の正吾内野手出場か(スポーツ報知) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース カトリック清水教会 取り壊し決定から1年 地域と所有者の対話重要【解説・主張しずおか】|あなたの静岡新聞 - @S[アットエス] by 静岡新聞 まぐろ類缶詰生産量全国1位静岡県の「清水かんづめ市場」がリニューアルオープン!ツナ缶50種類他計120種類以上の品揃え - アットプレス(プレスリリース) 静岡(沼津 焼津 清水)のおすすめ海鮮丼・漁港飯12選!地元でも大人気のグルメで鮮度バツグン! - るるぶNEWS どんぶりからあふれる本マグロ丼も 静岡が誇る“全国ナンバーワン”(前編) - 朝日新聞デジタル 清水市一とは 清水市一の57%は乙女心で出来ています。清水市一の31%は呪詛で出来ています。清水市一の7%は覚悟で出来ています。清水市一の5%は黒インクで出来ています。 清水市一@ウィキペディア 清水市一 掲示板 名前(HN) カキコミ すべてのコメントを見る ページ先頭へ 清水市一 このページについて このページは清水市一のインターネット上の情報を集めたリンク集のようなものです。ブックマークしておけば、日々更新される清水市一に関連する最新情報にアクセスすることができます。 情報収集はプログラムで行っているため、名前が同じであるが異なるカテゴリーの情報が掲載される場合があります。ご了承ください。 リンク先の内容を保証するものではありません。ご自身の責任でクリックしてください。
https://w.atwiki.jp/zeitvertreib/pages/52.html
ルーマン/社会の理論の革命 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/shutaro47/pages/7.html
円安には賛成だが、日銀の大型金融緩和がまだ実行されていないのになぜ今円安? このままでは、日銀の介入は実行できなくなるのでは? 円安には賛成である。アベノミクスの理論も正しいと思う。安倍総理の毅然としたスピーチや姿勢にいささか感動と言えるようなものを感じながら、この人だったら間違いないという思いにとらわれそうになりながらも、一抹の不安が心の片隅をよぎる。日本を取り巻く諸外国(特にアメリカ)の圧力は予想を超えて大きいのではないか。一市民が心配してもしかたがないのかもしれないが、とてつもない何かが日本の首を絞めようと虎視眈々と窺っている。そんな不安である。 私は金融・経済の専門家でもなければ、歴史家でもない。数学がちょっと好きな理系の学者もどきである。ちょっとばかし統計をかじったり、プログラムを作って喜んだりしているアホ人間である。この素人丸出しの私から見ても日本の金融は近年おかしくなっていると思っていた。おそらく、多くの人がなんか変だと思っていてもそれが何か解らなかったと思う。ネットやマスコミさらに様々な書物を眺めたりしても、言っていることがそれぞれ全く違う。何が真実なのか調べれば調べるほど解らなくなってしまった。誰かが大嘘をつき、真実から目を逸らすための撹乱を組織的に行っているのではないかと思うようになってしまった。とにかく、これでは埒があかない。自分できちんと調べてみよう。そう決心し、リーマンショック以降のアメリカを中心とする世界の歴史を辿りながら、真実は何かを探ってみることをこれから行っていこうと思う。ただし、先ほど述べたように、私はこの方面の素人なので、間違っている可能性は非常に高いことを最初にお詫びしておく。これから述べる私の推論(もしくは単なる想像)を信じる信じないは読者の勝手であり、それによって被害を被っても、私に何の責任もないことをここで申し述べておく。 1.リーマンショックの経緯と世界同時不況からの各国の対応 2007年頃、アメリカの住宅ローンの中でサブプライムローンと呼ばれる信用のやや落ちる貸付制度が突然破たんする騒ぎが起きた。そして、2008年アメリカニューヨークに本拠を置くリーマンブラザースと言う大手投資銀行が倒産した。そしてこれが引き金となって世界中を震撼させたリーマンショックとよばれる世界同時不況が勃発した。世界同時不況の原因はリーマンの倒産ではなく、その後のアメリカの取った政策にあるという意見もあるが、引き金になったのはサブプライムローン問題である。この問題がアメリカだけの問題であればよかったのであるが、リーマンブラザースを中心に(本当にリーマンが中心であったのかどうかはいささか疑問があるが)アメリカの大手証券会社や大手投資銀行らが、サブプライムローンの貸付リスクを細かく分割し、リスクが小さい他の有望証券と抱き合わせた新しい証券を世界中に売りさばいたために、問題が世界中に広がってしまったのが事の発端である。(このリスク回避の手法を編み出したのが新自由主義と呼ばれる人たちであったと思うがこの辺はかなり曖昧である。ともかく、新自由主義と聞くと私は恐怖してしまう。)このサブプライムを含んだ証券が暴落し、続いて株の大暴落が起きた。世界中の多くの銀行が倒産したり、その煽りを食って多くの企業が連鎖倒産という事態となった。幸いにも、日本はバブル崩壊後の病気だったのでこの悪魔の証券を購入した企業は少く、影響は小さかった。(世界同時不況の影響は後になって日本にもダメージを与えたが、)実はここに落とし穴があったとみるべきである。日本はリーマンショックの影響が少なかったため、この時点でアメリカを中心とするリーマンショック被害国同士の共同作業に参加できなかった。日本だけつんぼ桟敷に置かれてしまったと見るべきではなかろうか。アメリカを含む被害国は何を計画したかである。バブル崩壊後に日本が行ったように、多くの銀行を救済するべく各国政府が膨大な量の資金を投下した。しかし、日本は税金を投下したため赤字国債を発行したが、各国政府の資金投下は税金ではなかったのではないか。見せかけ赤字国債を発行したかのようにして、その国債を各国政府が購入するふりをしながら、銀行が抱える膨大な借金を単にリセットしただけではないかと思われる。これには、関連する国々の暗黙の了解があったと見るべきである。この方法は道義的に許されるものではない?ので、通貨不安を煽らないよう細心の注意を払いながら、粛々と執り行われてきたものと思われる。リセットという言い方は語弊があるかも知れないので、もっと具体的に言えば、莫大な量の不良債権を中央銀行(日本における日銀やアメリカにおけるFRB)が買い取り、銀行を救済したのである。中央銀行は従業員が沢山いるわけではないので、不良債権を取り立てに行く人員はほとんどいないと考えれば、実質、国が紙幣を印刷して借金だらけの銀行に与え、借金をチャラにしたことになる。当然、市場に出回る通貨の量が増えたことになるので、為替レートが下がっていくことになり、インフレになりながら輸出産業が活性化し、被害国の経済は急速に回復できてきたわけである。おそらく多くの日本における経済の専門家はそのことがわかっていたはずであるが、世界中の国々からの要請で他言できないようになっていたのではないかと思われる。しかし、日本だけ置いてきぼりにされてしまったのは、悲劇としか言いようがない。被害国は、リーマンショックからの脱却のために関係のない他国や自国の国民にも知られないよう緘口令を布きながら、目立たないようにひっそりと自国の民間銀行を救済してきただけなのである。通貨安戦争を引き起こそうとして行ってきたわけではない。しかしながら、アメリカをはじめとする多くの国々が自国の経済の立て直しのため、中央銀行が不良債権を買い取る形で流通通貨量を増やしたため、実質的に世界的通貨安になってしまった。ユーロ圏ではギリシャ危機などのさらなる問題が発生し、追い打ちをかける金融緩和策が講じられ、ユーロ安に拍車をかけた。日銀は、それがわかっていても、名目無き救済策を実行するわけにもいかず、民主党政権時代のゴタゴタ劇や大震災、放射能などの悲劇に見舞われ、なすすべもなく現在に至ってしまった。または、何もしなかった?こうなってしまったからには、日本も通貨安戦争に参入していくしかない。今アメリカウォール街では、日本が通貨安戦争を仕掛けてきたと騒がれている。韓国や中国もアベノミクスに反対する立場を表明し、アベノミクスに対する脅威が喧伝されている。まるで、日本が経済の世界で真珠湾攻撃を仕掛けた悪者のような言われようである。どうしてこのようになってしまっているのか、日本に対する世界の風当たりが大変強い。今頃のこのこ出てきて、世界全面通貨安に日本も参入すると言うのはけしからんというわけである。本来ならば、もっと早くに日銀が手を打っておくべきであった。世界中が経済危機と称して自国の不良債権処理を大々的に行っているときに、日本も何らかの対策を行ってこなければならなかった。もちろんあからさまに通貨安にするなどとは一言も言わず、粛々と政府と日銀が一体になって金融緩和を大規模に行わなければならなかったのである。さて、どうしたものか、対外的にも国内的にも円安を断固として実現するとアベノミクスで言ってしまった。これは正しい判断であるが、関係のない国まで通貨安戦争に巻き込む世界通貨安戦争の勃発を招いてしまったかも知れない。この混乱を回避するための日本の説明責任は大きいが、通貨に対する信用不安が拡大したそもそもの原因はサブプライムローン問題であることは明白である。それゆえ、必ずしも日本にばかり責任を押し付けることができない世界の事情があることもはっきりしている。今後の日本の立場は、「現在の円高は適正ではないので、これを適正にするための最大限の努力を日本政府は行う。」(すでにこのようなことを麻生財務大臣が述べているが、)を最後まで押し通すことであろう。決して、紙幣を印刷するなどとは言わないことである。真実を解りやすく国民に説明すると、逆に通貨に対する隠された裏の部分が露呈し、通貨不安を増長する結果になりかねない。通貨は信用でのみ成り立っている概念であり、実態は見えないほうがよいのだ。 2.通貨の流通量と為替レートの関係 現在、1ドル90円台が為替レートとなっているが、さらに円安が進むと言われている。昨年は、1ドル70円台後半まで円高となり、大手電機メーカーの赤字予想が次々と報告されリストラ騒ぎとなったが、今はかなり落ち着いてきたようである。アメリカドルの流通量(マネーストックやマネーサプライとも呼ばれる尺度があり、M1、M2、M3などがある。どの尺度が実体経済の流通量を表すのかは明確に言えない)はリーマンショック以来M3基準で約1.5倍程度に膨れ上がっている。必ずしも通貨の流通量と為替レートが連動していないが、やはり、通貨の流通量が増大すれば為替レートは下がると考えるのが自然であろう。実際には信用という目に見えない要因が大きく影響し、信用不安が大きい国の通貨ほど為替レートは大きく変動するが、需要と供給のバランスを維持するために、流通量が増大した通貨ほど為替レートが安くなるのは基本である。この基本を無視した議論は、小手先の現象を表すだけのものとなり、真実を見えなくするためのものとなるであろう。ところで、通貨の流通量を表す指標がたくさんあるので、ここでそれぞれの指標を学習しておくことにする。 (日本) M1 = 現金通貨+預金通貨(定期および外貨預金などは含まない)-小切手・手形 M2 = M1 +小切手・手形 M3 = M2 +準通貨(定期預金など)+CD(譲渡性預金) と、おおざっぱであるが、日本の場合の定義となっている。(マネーサプライ:ウィキペディア参) 実は、国によって定義がかなり異なっており、国家間における金融システムの違いがあるためと思われる。アメリカの場合は、 (アメリカ) M1 = 現金+当座預金 M2 = M1 +普通預金+小額定期預金(10万ドル以下) M3 = M2 +高額定期預金(NCDを含む)+ユーロドル預金など (M3は2006年に公表中止) となっているが、M3は2006年春から公表されていない。(Jhon WilliamsのShadowstats.comによりM3データは現在も発表されているが、政府発表ではないので信頼性は不明である。) NCDは無記名の譲渡性定期預金で、アメリカではよく使われているようである。逆に日本におけるCDは5000万円以上となっており、大企業以外ではほとんど使われることはない。 このように、定義がかなり異なっており、しかもアメリカのM3の公式発表が現在はなされていない現状を考えると、通貨の流通量を示す指標としてどれを採用したらよいのか頭を抱えてしまう状況である。ところで、Monetary Base(マネタリーベース)とは何であろう。 Monetary Base(マネタリーベース) = 現金通貨+民間金融機関の法定準備預金(日銀当座預金)の合計 となっている。これは日本での定義であるが、世界各国ほとんど同じようである。民間金融機関は何らかの資産を担保に中央銀行から現金通貨を借りるが、使わない部分は法定準備預金として中央銀行の当座預金に組み込まれる。中央銀行はこの準備預金の上限を操作することで市場に流通する通貨の量を操作できるとされている。実際には、法定準備預金の残高を増やしても、それが市場に反映されなければ市場における通貨流通量は増えないわけであるが、民間金融機関の中央銀行に預けている分を含めて民間金融機関が所有する金融資産と見なせば、通貨流通量が増えたと考えることもできる。通貨流通量をどの観点で見るかの問題で、M1、M2、M3、そしてMonetary Baseの考慮などの様々な観点から市場を見る必要があろう。実際の市場がどう反応するかは、複雑であり、心理的な面も大きい。(あるネットによる論評でアメリカドルの流通量が3倍に膨れ上がっているという話があったが、M3では1.5倍程度にしかなっていない。Monetary Baseは確かに3倍になっているが、M3の約1/5であり、市場に対する影響力はそれほど大きくない。恐らく、誰かが勘違いしたことがネットで広まったようである。) 昨年1ドル80円付近から、今年の2月になるまで、円はどんどん安くなり、現在94円付近であるがさらに安くなる様相を示している。しかしながら、日銀はこれまで何もしておらず、円の流通量を増やすための大幅緩和を実行していないにも関わらず、10円以上の円安が起きている。おそらく、海外での円売りがメインの原因で、日本国内での円売りドル買いは大した原因でないと思われる。これは、何を物語っているのであろう。この数カ月の間に日本国内の円によって保持されている通貨資産がなにもせずに相当額減ってしまったことになる。日本国内における円の流通量はM3ベースで1138.4兆円(2013年1月現在)であるが、これの2割近い価値の低下が起き、200~300兆円レベルの資産を失ったことになる。本来なら、日銀が大幅金融緩和策としての不良債権などの買取などにより、円の流通量を増やした後、円で保持される流通資産総額があまり変わらないような形で円の下落が起きるのであれば、総資産が目減りすることなく円安を導入できたことになるのであるが、実際には円の下落だけが起きた。このまま、日銀の大幅金融緩和が実行されないまま、円安が進むと、相対的に日本が保持する円ベースの金融資産はどんどんと目減りすることになる。国際社会における日本の財政面での力がどんどん弱くなっていくことになり、これが長期化し定着してしまうと、もう取り戻すことはできなくなる。アベノミクスを発表した直後には、またはその直前には、大幅金融緩和が実行されていなければならなかったと言える。現在の円安は、日本政府が円安にするという意思表示だけを受けて市場が円安を予想したために起きた実態を伴わない円安だが、日本の損失は計り知れない。円安になることで、輸出関連企業が好調になることはとても良いことであり、ひいては日本経済の活性化を促し、雇用の安定確保にも繋がる、と思うのであるが、今回の円安騒動は莫大な資産の損失を招いているだけに、日銀が追加援護を早急にしないと損失が定着してしまうことになる危険性が高い。これは通貨の信用が毀損され、通貨そのものの信用がなくなることによる円の下落を起こしたことになる。政府と日銀が共同歩調を取りながら、きちんと通貨政策を実行していればこんなことは起こらなかったはずである。日銀が独自性を謳い、政府の方針に真っ向から反対することそのことが、円の信用を棄損することにつながり、国益を損なう結果となったと思われる。どちらの言い分が正しいのかどうかではない。日銀も政府も相互に歩み寄らなければならないのに、それがなされてなかったことが原因であると私は分析する。新たな日銀総裁を決めた後では、もう遅すぎるのではないであろうか。おそらくそのころには1ドル110円付近(東日本大震災が起きる前の状態)になっているものと思われるが、もう日銀の大幅金融緩和を行うことの意味は失われていると思われる。そして、円の信用が毀損されたままとなり、国内の円による流通資産の総額は3割から4割の価値の損失を招いただけに終わる可能性が高い。一度失った信用を取り戻すことが大変難しいことは多くの人が知ることである。 さて、ドルの流通量はリーマンショック後どのようになったのであろうか?そして円およびユーロの流通量はどのようになったのであろうか? ⇒アベノミクスに内包する隠れた危機②
https://w.atwiki.jp/chaina_battle/pages/179.html
Template 日本の内閣総理大臣? 原 敬(はら たかし、安政3年2月9日(1856年3月15日) -大正10年(1921年)11月4日)は、日本の政治家。幼名は健次郎。立憲政友会第3代総裁。第19代内閣総理大臣(在任1918年9月29日 - 1921年11月4日)。正二位大勲位。 概説 郵便報知新聞記者を経て外務省に入省。後に農商務省に移って陸奥宗光や井上馨からの信頼を得た。陸奥外務大臣時代には外務官僚として重用されたが、陸奥の死後退官。その後、発足時から立憲政友会に参加。政界に進出し、大正7年(1918年)に内閣総理大臣に就任。爵位の受け取りを固辞し続けたため「平民宰相」と言われている。 大正10年(1921年)11月4日、東京駅丸の内南口コンコースにて、右翼青年中岡艮一に襲撃され、即死した。満Template 没年齢?。 なお、通称名である「はら けい」が用いられるケースもある(原敬記念館、原敬日記など)。 生涯 生い立ち 原敬は、安政3年(1856年)2月9日、盛岡藩盛岡城外の本宮村(現在の盛岡市本宮)で盛岡藩士原直治の次男として生まれた。後に「平民宰相」と呼ばれる原だが、原家は祖父・直記が家老職にあったほどの上級武士の家柄で、敬は20歳のときに分家して戸主となり、平民籍に編入された。徴兵制度の戸主は兵役義務から免除される規定を受けるため分籍した。彼は家柄についての誇りが強く、いつの場合も自らを卑しくするような言動をとったことがなかったとされる。また、後年、号を「一山」あるいは「逸山」と称したが、それは原の薩長藩閥への根深い対抗心を窺わせる。戊辰戦争で「朝敵」となった東北諸藩の出身者が、「白河以北一山百文」と薩長出身者から嘲笑、侮蔑されたことへの反発に基づいているからである(白河とは福島県白河市のことで、古来より「白河関」がみちのくへの入り口であった)。 陸奥宗光の引き立て 明治3年(1870年)、原は再開された藩校「作人館」に入り、さらに翌年、上京して南部家が盛岡藩の青年のために設立した「共慣義塾」に入学したが、途中で学費が途絶えて数ヶ月で辞めてしまった。そこで、明治5年には費用のかからないカトリック神学校に入学した。翌明治6年には横浜に移って神父宅に寄寓し、ここで受洗して「ダビデ」の洗礼名を受けている。明治9年(1876年)、司法省法学校を受験したところ、受験者中2番の成績で合格したが、学業途中で寄宿舎の待遇改善行動に関係したという理由で退校処分にあっている。法学校を追放された原は、中江兆民の仏学塾に在学の後、明治12年(1879年)、郷里の先輩のつてで、郵便報知新聞社に入社した。入社当初はフランス語新聞の翻訳を担当していたが、次第に論文も執筆するようになった。しかし、明治十四年の政変をきっかけに大隈重信の一派が同社に乗り込んでくると、彼らと反りが合わず退社した。 郵便報知新聞社を辞めた原に藩閥政府の高官が目をつけ、御用政党の機関紙「大東日報」の主筆とした。しかし、経営不振のため8ヶ月目で同社を離れた。この「大東日報」が縁で藩閥に接する機会を得た原は明治15年(1882年)、外務省に採用され、入省の翌年、天津領事に任命されて同地に赴いた。次いで明治18年(1885年)には外務書記官に任ぜられてパリ駐在を命じられた。そして、およそ3年余りパリ公使館に勤務し、帰国後農商務省参事官、大臣秘書官となった。駐米公使だった陸奥宗光が明治23年(1890年)に農商務大臣になると、陸奥の引きで原の運命が拓けることになる。すなわち、第2次伊藤内閣が発足すると陸奥は外相に就任し、彼の意向で原は通商局長として再び外務省に戻った。さらに日清戦争後の明治28年(1895年)には、外務次官に抜擢された。当時、陸奥外相は病気療養中であったため、西園寺公望文部大臣が外相臨時代理を兼任したが、実務は原がとることとなった。翌・明治29年(1896年)、陸奥が病気のため外相を辞任すると、原も朝鮮駐在公使に転じた。しかし、間もなく第2次伊藤内閣が崩壊し、第2次松方内閣が成立すると、大隈が外相となって入閣したため、大隈嫌いの原は見切りをつけて帰国し、外務省も辞めた。明治30年(1897年)には大阪毎日新聞社に入社し、翌・明治31年(1898年)には社長に就任した。 政党政治家として 明治33年(1900年)に伊藤博文が立憲政友会を組織すると、原は伊藤と井上馨の勧めでこれに入党し、幹事長となった。同年12月、汚職事件で逓信大臣を辞職した星亨に代わって伊藤内閣の逓信大臣として初入閣する。原は政友会の結党前と直後の2度、貴族院議員になろうとして井上馨に推薦を要請している。一般には原は生涯爵位などを辞退し続け、その身を最期まで衆議院に置いてきたとされている。また、後年には貴族院議員を指して「錦を着た乞食」とまで酷評している。その原が貴族院議員を目指したのは、恐らく無官でいることからくる党内の影響力低下を懸念してのことだろう。結局、星亨の後任となって入閣したため、貴族院入り問題は立ち消えになってしまった。また、爵位授与に関しても実はこの時期に何度か働きかけを行っていた事実も明らかになっている(原自身が「平民政治家」を意識して行動するようになり、爵位辞退を一貫して表明するようになるのは、原が政友会幹部として自信を深めていった明治末期以後である)。現実主義者原敬の一端が垣間見える逸話である。 明治34年(1901年)6月、桂太郎が組閣し原は閣外へ去るが同月星が暗殺され、その後は、第1次桂内閣に対する方針を巡る党内分裂の危機を防ぎ、松田正久とともに政友会の党務を担った。また、地方政策では星の積極主義(鉄道敷設などの利益誘導と引換に、支持獲得を目指す集票手法)を引き継ぎ、政友会の党勢を拡大した。党内を掌握した原は、伊藤や西園寺を時には叱咤しながら、融和と対決を使い分ける路線を採って党分裂を辛うじて防いだ。 しかし、原の積極主義は「我田引鉄」と呼ばれる利益誘導政治を生み出し、現代につながる日本の政党政治と利益誘導の構造をつくりあげることとなった。明治末期には原のこうした手法を嫌う西園寺との間で確執が生じている。 明治35年(1902年)に行われた第7回衆議院総選挙で、盛岡市選挙区から立候補して衆議院議員に初当選。 日露戦争が始まった明治37年(1904年)12月、桂太郎首相は政局の安定を図るため、政友会との提携を希望して原と交渉を行った。政権授受の密約である。翌・明治38年(1905年)、桂内閣は総辞職し、明治39年(1906年)になって約束通りに西園寺公望に組閣の大命が下ると、原は内務大臣として加わった。これ以降、桂と政友会との間で政権授受が行われ、「情意投合の時代」とか「桂園時代」と呼ばれる政治的安定期を迎えることになるが、原は出来る限り山縣有朋との関係を調整することに努力する一方で、徐々に山県閥の基盤を切り崩して、政友会の勢力を拡大することも忘れなかった。 なお、原は後に第2次西園寺内閣と第1次山本内閣でも内相を務めている(原の出身は佐幕派の南部藩であり、藩閥政治は出世のさまたげになった。だから自由な選挙により議会の多数を占める政党、藩閥と関係ない近代的官僚機構をつくった。内務大臣時代、藩閥によって任命された当時の都道府県知事を集めてテストを実施し、東京帝国大学卒の学歴を持つエリートに変えていった)。大正3年(1914年)6月18日には大正政変の道義的責任を取るとして辞任した西園寺の後任として第3代立憲政友会総裁に就任した。 首相就任 Template See also? シベリア出兵に端を発した米騒動への対応を誤った寺内内閣が内閣総辞職に追い込まれると、ついに政党嫌いの山縣も原を後継首班として認めざるをえなくなった。こうして、大正7年(1918年)に成立した原内閣は、日本初の本格的政党内閣とされる。それは、原が初めて衆議院に議席を持つ政党の党首という資格で首相に任命されたことによるものであり、また閣僚も、陸軍大臣・海軍大臣・外務大臣の3相以外はすべて政友会員が充てられたためであった。 原内閣の政策は、外交における対英米協調主義と内政における積極政策、それに統治機構内部への政党の影響力拡大強化をその特徴とする。原は政権につくと、直ちにそれまでの外交政策の転換を図った。まず、対華21ヶ条要求などで悪化していた中華民国との関係改善を通じて、英米との協調をも図ろうというものである。そこで、原は寺内内閣の援段政策(中国国内の軍閥・段祺瑞を援護する政策)を組閣後早々に打ち切った。 さらに、アメリカから提起されていた日本・アメリカ・イギリス・フランス4ヶ国による新4国借款団(日本の支那への独占的進出を抑制する対中国国際借款団)への加入を、対英米協調の観点から決定した。第一次世界大戦の後始末をするパリ講和会議が開かれたのも、原内閣の時代だった。この会議では、アメリカ大統領ウッドロウ・ウィルソンの提唱によって国際連盟の設置が決められ、日本は常任理事国となった。しかし、シベリア出兵についてはなかなか撤兵が進まず、結局撤兵を完了するのは、原没後の大正11年(1922年)、加藤友三郎内閣時代のこととなった。 内政については、かねてから政友会の掲げていた積極政策、すなわち、教育制度の改善、交通機関の整備、産業及び通商貿易の振興、国防の充実の4大政綱を推進した。とりわけ交通機関の整備、中でも地方の鉄道建設のためには公債を発行するなど極めて熱心であった。 また、教育政策では高等教育の拡張に力を入れた。大正7年(1918年)、原内閣の下で「高等諸学校創設及拡張計画」が、4450万円の莫大な追加予算を伴って帝国議会に提出され可決された。その計画では官立旧制高等学校10校、官立高等工業学校6校、官立高等農業学校4校、官立高等商業学校7校、外国語学校1校、薬学専門学校1校の新設、帝国大学4学部の設置、医科大学5校の昇格、商科大学1校の昇格であり、その後この計画はほぼ実現された。これらの官立高等教育機関の大半は、地方都市に分散設置された。 また私立大学では大正9年(1920年)に大学令の厳しい要件にも関わらず、慶應義塾大学、早稲田大学、明治大学・法政大学・中央大学・日本大学・國學院大學・同志社大学の旧制大学への昇格が認可され、その後も多くの私立大学が昇格した。 この高等教育拡張政策は第一次世界大戦の好景気を背景とした高等教育への、求人需要、志願需要の激増に応えたものである。そして高等教育拡散は皇室への危険思想につながるとしてこれを反対した山縣有朋を説得したものであった。 さらに、軍事費にも多額の予算を配分し、1921年予算は1917年度予算の2倍を超える15億8000万円にまで膨れ上がった。多額の公債発行を前提とする予算案には野党憲政会、貴族院から多くの反対意見が上がった。 また原は、地方への利益還元を図って政友会の地盤を培養する一方で、同党の支持層に見合った規模での選挙権拡張を行っている。大正8年(1919年)には衆議院議員選挙法を改正し、小選挙区制を導入すると同時に、それまで直接国税10円以上が選挙人の資格要件だったのを3円以上に引き下げた。翌年の第42帝国議会で、憲政会や立憲国民党から男子普通選挙制度導入を求める選挙法改正案が提出されると、原はこれに反対して衆議院を解散し、小選挙区制を採用した有利な条件の下で総選挙を行い、単独過半数の大勝利を収めた。 首相就任前の民衆の原への期待は大きいものだったが、就任後の積極政策とされるもののうちのほとんどが政商、財閥向けのものであった。また、度重なる疑獄事件の発生や民衆の大望である普通選挙法の施行に否定的であったことなど、就任前後の評価は少なからず差がある。普通選挙法の実現は憲政会を率いた加藤高明内閣を待つこととなる。 thumb|200px|原首相遭難現場プレート([[東京駅)]] さらに、原は政友会の政治的支配力を強化するために、官僚派の拠点であった貴族院の分断工作を進め、同院の最大会派である「研究会」を与党化させた。このほか、高級官僚の自由任用制の拡大や、官僚派の拠点であった郡制の廃止、植民地官制の改正による武官総督制の廃止などを実施し、反政党勢力の基盤を次第に切り崩していった。しかし、一方で原は反政党勢力の頂点に立つ山縣有朋との正面衝突は注意深く避け、彼らへの根回しも忘れなかった。このように、原は卓越した政治感覚と指導力を有する政治家であった。 その原は、大正10年(1921年)11月4日、国鉄大塚駅転轍手であった中岡艮一によって東京駅で刺殺されてしまった(原敬暗殺事件)。65年の生涯であった。 彼の政治力が余りに卓抜していたために、原亡き後の政党政治はバランスを失ってしまうことになる。 原敬日記 当時の政治の裏側を知るには、原の残した『原敬日記』(はらけいにっき)が格好の史料である。『原敬日記』は、一般には1875年に帰省した際の日記から、暗殺直前の1921年10月25日までに書かれた日記の総称であるが、原が暗殺を予期して認めた遺書の中で「当分世間に出すべからず」と厳命(宮中某重大事件や大正天皇の病状問題が関連していると考えられている)しており、公開されたのは1950年のことである。近年では、原が大正天皇と近かったことから、大正天皇と『原敬日記』の関係についても研究されている。 林茂、原奎一郎編 『原敬日記』全6卷 福村出版 新版2000年 一個人としての原敬の実像を知るには、原の養子である原圭一郎(本名、原貢)の回想録『ふだん着の原敬』が格好の資料である。この回想録では、養父である原とその妻原浅子と生活をともにした青少年期の思い出を中心に綴られている。以下は他と併せた参考文献。 原奎一郎 『ふだん着の原敬』毎日新聞社、1971年 原敬遺徳顕彰会 『原敬 歿後五十年その生涯』 毎日新聞社、1970年 原奎一郎 『原敬』上下、盛岡大慈会・原敬遺徳顕彰会、1998-99年、抄版2002年 原敬文書研究会編 『原敬関係文書』全10巻別巻1 日本放送出版協会 1984-89年 原奎一郎、山本四郎編 『原敬をめぐる人びと』正続、NHKブックス 日本放送出版協会 1982年 山本四郎 『評伝原敬』上下 東京創元社 1997年 玉井清 『原敬と立憲政友会』 慶應義塾大学出版会 1999年 川田稔 『原敬と山県有朋 国家構想をめぐる外交と内政』中公新書 1998年 テツオ・ナジタ、安田志郎訳 『原敬 政治技術の巨匠』読売選書・読売新聞社1974年 前田蓮山 『原敬』日本宰相列伝7・時事通信社1985年 、初版1958年 栄典 大正9年9月7日 勲一等旭日桐花大綬章 大正10年11月4日 大勲位菊花大綬章 家族 親族 先妻・貞子(旧薩摩藩士 中井弘長女) 後妻・浅(あさ、岩手県・菅野弥太郎の娘、東京新橋の芸者) 系譜 原家の始祖三田村平兵衛は浅井新左衛門(浅井長政と同族)の二男三田村左衛門太夫定元の末流と伝える三田村太郎右衛門の二男として筑後で誕生した 三田村平兵衛政澄(後に原氏に改める) - 平兵衛政舫 - 十蔵政直 - 茂平政親 - 平兵衛政芳 - 直記芳忠 - 平兵衛芳武 - 直記芳隆 - 直治政中 - 敬 … 貢 関連人物 平岡定太郎 中岡艮一 中村弥六 関連項目 Template Commonscat? 浅井氏 原内閣 士族 平民 鉄道と政治 - 原のとった積極政策は「我田引鉄」と揶揄された。 鉄道敷設法 日本の改軌論争 脚注 外部リンク 原敬肖像写真(国立国会図書館) 原敬 遺徳顕彰事業団 (財)大慈会 原敬事典 原敬記念館 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2009年2月18日 (水) 03 47。
https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/23294.html
登録日:2011/03/02 Wed 17 17 59 更新日:2023/12/01 Fri 18 34 31 所要時間:約 7 分で読めます ▽タグ一覧 ごひ エゴイズム ズール皇帝 哲学 正義 正義のためなら人間はどこまでも残酷になれるんです 正義の反対はまた違う正義 正義の味方 正義の定義なんて、立ち位置で変わるもんでしょ? 正義はあっても正解はない 正義はそう 涙の数だけ 正義を説く 特撮 精神コマンド 道徳 「ほほぉ、いい性能だな。キサマの作戦目的とIDは!?」 「正義。仮面ライダー2号」 正しいすじみち、人がふみ行うべき正しい道。 正しい意義、または注解。 (justice) 社会全体の幸福を保障する秩序を実現し維持すること。プラトンは国家の各成員がそれぞれの責務を果たし、国家全体として調和があることを正義とし、アリストテレスは能力に応じた公平な分配を正義とした。 近代では社会の成員の自由と平等が正義の観念の中心となり、自由主義的民主主義社会は各人の法的な平等を実現した。それを単に形式的なものと見るマルクス主義は真の正義は社会主義によって初めて実現されると主張する。 現代ではロールズが社会契約説に基づき、基本的自由と不平等の是正とを軸とした「公正としての正義」を提唱。 社会の正義にかなった行為をなしうるような個人の徳性。 web広辞苑より。 ここでいう正義は「社会全体を通しての秩序と安寧」であり、そこに個人単位での思想は含まれていない。 例えるならば、社会に不安定をもたらすもの、テロリスト等は正義に反するとして撲滅すべきである、ということになる。テロリストに正義はなく、悪とみなされる。 だが逆に、ここからは社会正義ではなく、単純に「正義」とはなにか?ということについて特筆することにする。 正義という言葉を聞くと、正義の味方、正義のヒーローといった、勧善懲悪を題材にした作品の主役が思い浮かばれるだろう。 彼らは「悪」を滅ぼし、「正義」を実現する。あるいは正義の名のもとに悪を成敗する。最終的に悪は殲滅され、めでたしで終わる。 なぜそうなるかと言えば、地球を征服する等といった明確な悪意があるからであり、 それに伴い非戦闘員や全く関係のない人間達を巻き込みその生活や生命に甚大な被害を出すから、と理解して差し支えはない。 だがその征服の目的がおのが利益の為でなく、別のところにあるとしたらどうだろう。 人類を地球物資を食い荒らす害虫であると判断し、人類を排除することによってのみ地球の救済が完了する、といった状態であらば、 上記の正義の味方は所謂悪役に成り代わる。 自らのやり方を変えずにそれを行い続ける為だけに敵対するのは、限りなく利己的な行為だ。 規模は変わるが、アメリカがテロとの戦いと称してイラクに戦争を吹っ掛けたことと似ている。 逆に言えば正義を守る為には敵の殲滅もやむを得ない、ということだろうか。 そうすると正義は国家の数だけ存在し、また個人の数だけ存在しうる。同じ正義を掲げていながら内部分裂が起こるのは、そのせいだろう。 もっとも正義らしい正義を掲げているのはおそらく宗教の類だろう。 モノによって内容は様々だが、ある宗教においてそれに反するものは悪と見なされることはなんら珍しいことではない。 つまり自動的にその宗教は正義と化し、それを受け入れるならば、正義は敵を抹殺することによって正義を成す。 もっとも、正義を掲げる際はどの集団も敵の殲滅が前提にあるのだから、正義によって悪を滅すということは共通の理解なのかもしれない。 逆に言えばそういった目的が先に立つ場合も、それを為すために後付けで正義を掲げるのが効果的であることもある。 ここでひとつ、例を挙げる。 ◆あなたは特殊部隊の一人だとしよう。そして今、四人のグループの一人として敵国に潜入、密偵をしている。 そのうち、一人の少年に出会った。羊を飼い慣らし、自宅にでも帰るのであろう非戦闘員だ。その少年にライフルを向け、地面に伏せさせ、仲間と話をする。 「我々がここに潜入していることを敵に報告されてはまずい。我々は任務の為の行動であらばその行動は保障されている。この少年は射殺すべきだ」 「この少年はまだ若い。それに敵に通じているとも思えない。見逃してやるべきだ」 一人は射殺に、一人は解放に、そして一人は投票を棄権した。あなたはどちらに決定するだろうか。 任務達成を前提にしている特殊部隊である以上、見逃すなどは愚の骨頂である。 しかし射殺するとなれば、単に歩いていただけで不運な事故では片付けにくい死が少年に訪れる。 あなたの正義がどちらになるかは分からないが、これは実話であり、実際のところ少年は解放された。 だがその結果特殊部隊は敵兵に包囲され、決定票を入れた兵士以外は死亡し、救助に来たヘリも撃墜され、結果16名が死亡した。 正義に従った結果仲間が何人も殺されました、では泣くに泣けない。 殺された隊員全てが少しも後悔していなければそれでいいのかもしれないが、この判断が間違いではないと自信を持って言い張れる人は多くないだろう。 仲間の一人は少年を殺すことを提唱したのだから。 では仮に任務を完遂するという正義に従ったとしても、それが間違いでないとは到底言えない。道義的なわだかまりは必ず残る。 また、特殊部隊に侵入された国の立場なら、少年が解放されたことで侵入者の存在を察知し、事前に被害を防ぐことに成功したことになる。 つまりこの国では、少年を解放した兵士は「正義の兵士」と評価されるかもしれないのだ。事実少年は命を救われた。 因みに上記の話は『ローン・サバイバー』というタイトルで2014年に映画化されている。興味のある人は観てみると良いだろう。 上記の事件を『正義に則った結果』として考えてみると、正義は必ずしもよい結果をもたらさない、といえる。 真っ直ぐなのは大いに結構だがそれだけじゃ世界に…即ち人間社会では通用しないという一例でもあろう。 だからと言って、安直に罵倒していいわけでもないが。 要はこういう悲劇を避けたいのなら時として曲がることも覚えておいた方がいいということである。 さらに言えば、絶対的正義はなく、正義に絶対的な意味が持たせられないのであらば、相対的な正義もまたありえない。 華撃団の大神一郎や、ONE PIECEの海軍は「絶対正義」を理念に掲げるがそれは本来有り得ない思想である。 万人が正義を同様に理解できるのであらば、今度は正義という名の宗教が発足するのではないだろうか。 正義は自らの行動を正当化してくれる。 その為便利な言葉として用いられることさえある。 特に、他者を巻き込んでかつ非難されかねない行動を「正義」と呼べば、その行動は正当なものであると評価されてしまうこともある 当然それはそれが出来るだけの力を行使するが故でもあり、勝てば官軍の言葉のようにそれがまかり通ってしまった場合の事である サブカルチャー等で道理に反する行為をする輩が「力こそが正義」と宣う事の元はこうした事象である。 正義ほど万人に好印象を与え、またあやふやな理念は他にはないだろう。 しかし不完全な人間が考えだしたものである以上完璧な正義は存在しえないとも言える。 我々含め、幼少期に『正義の味方』に憧れたことがある人も多くいる。 しかし最近の風潮では正義という言葉には風当たりが強い。本当に強い。信じられないほど強いのだ。 悪役が主人公となる作品も珍しくなくなり、勧善懲悪否定作品も数多く作られている。 これはネット上のSSでも同様の傾向が見られる。 今の時代に勧善懲悪のSSなど書こうものなら、100%の確率で親の仇のごとく批判されまくる。 あるいは嘲笑的な感想が来るだけである。 もはや正義の味方は嘲笑と罵倒の対象でしかなくなったと言える。 昔は『正義の味方』とは我々「弱者」の味方である為に、極めて身近な存在に感じられた。 しかし成長するに従い人間はどうしても己の負の面ばかり見えるようになり、上述した「力こそ正義」を初めとした正義によって齎される世界の歪みが露わとなっていくことで、正義の味方にギャップと疑念を覚えるようになる。 さらに近年では情報社会の発達によってそうした正義の暗黒面が多いに知れ渡ってしまい、社会情勢、特に人間関係の不和が増加し、悪役陣もドラマ性を持たせる為重たい背景を背負う設定が増えた結果、 本来『悪役』と言われる存在である彼らの方が共感を得るようになってきたのだ。悪役は本来は弱者に対する理不尽としての象徴である。 が、己の負の面と照らし悪役に共感する事でギャップを感じた正義は違和感となる。 勿論本来負の面に負い目を感じたり罪悪感を感じる時点で善良な魂の持ち主ではあるのだが、その罪悪感から自分は悪役側だと思うものも増えた。 それは例えば過去の行いに罪悪感を得たり自分の言動に罪悪感を得たり自分の行動に嫌悪感を得たりする事であり、 もしかしたら仕事や性癖等の根強く覆し難いモノに罪悪感を持つ人もいるかもしれない。 そうなると正義の味方という存在は、身近では無く違和感しかないギャップの固まりとなってしまうのだ。 だが近年でもテレビをつければ正義の味方を題材にした作品は根強く多い。 それはやはり正義のヒーローが子ども達の倫理感へ与える影響が凄まじいからでもあり、同時に大人が『正義』の大切さを分かっているからである。 しかし正義の価値観は上述のように一人一人で違うはずである。 ところが、『正義の味方といえば誰が思い浮かぶか』を問えば思い当たる人物やキャラクターは驚く程共通点が多い。 連想された人物の多くはやはり『自分より力が無く善良な誰かの為に行動する事が自分の為になっている』という思想の者が多いのではないかと思う。 実際の所はどうかは分からないが、人々が 『正義』 という言葉に求めるモノに大差はないように見える。 正義の『味方』と言う言葉を胡散臭く感じるのなら、モラル/道徳を大切にする人、と言い換えて考えてみるのもいいかも知れない。 ◆「正義」のタロット タロットにおける正義とは、「中庸」を意味する。正しさではないのである。ちなみに、メインデザインは裁定を司る女神と天秤であり、弁護士バッジに天秤が描かれているのも同じ理由。 これは、信念・覚悟・責任といったゆるぎない柱と判断基準を以て如何なる判断を下すことを意味する。正しくなかろうともどんな結果になろうとも、己の選択から逃げず向き合うことが求められる。 要は、上記の「誰もそんなこと頼んでねぇよ、バカ」に対して「俺がやると決めたからやるんだ、バカ」と躊躇なく切り返せてこそが正義である。勿論、その行いに一定以上の正しさがあってこそだが。 ◆最悪の正義 ここである種の戒めとして、筆者の知る限り最悪の正義の存在を記させてもらう。正義の究極系にして、絶対に目指してはいけないその名前はマザーグース・システム。出典はゲーム『カルネージハートEXA』。 名前の通り機械によるシステムなのだが、その目的は「可能な限り確実のできるだけ多くの人間を少しでも幸せにする」というもの。一応言っておくと、自我に目覚めて暴走とかしてはいない。 手法はともかく、その在り様は間違く正義だろう。手法はともかくとして。 実際、このシステムは最終的に主人公の手で破壊されてしまうが、大衆にその是非を問えば間違いなく「是(存在してもいい)」が過半数を超えるだろう。かといって、正しいかと問えば確実に否であるはずである。 というのも、このシステムはその理想的で清すぎる目標を達成するため、あまりに現実的で悍ましい手段をとるのである。 ゼロサムゲームというものをご存じだろうか。普通ゲームにおいてリソース(金やアイテム)などは無制限に供給される前提であるが、このゲームルールの場合はそのリソースがゲーム途中で底をつくようになっており、それ以降はプレイヤー間でやり取りしなければならない。 これは現実でも当てはまることだが、マザーグースシステムはあろうことか行動規範の中心に据えてしまった。 考えてみてほしい。上記の目的を達成するにはどうしたらいいかを。間違いなく、効率などを突き詰めるとただ一つの答えにたどり着くだろう。 「一人のプレイヤーをそれ以外の全員で集中攻撃してリタイアさせ、その所有物を分け合う」 システムはゲームマスターで、実際にプレイしている人間に実行を命じる、という形でこれをやるのである。 作中では、ある企業のワントップ状態による発展の停滞を解消するため、事故を引き起こして数百人を死に追いやり、その企業の信頼を失墜させた。ちなみに、拒否すると殺人マシンをけしかけられる。 無力な一市民に武力は、とか甘いことはよぎりもしない。文字通り血も涙もなく、人の存在を有意義か否かで判定するシステムだからこその所業である。 ついでに、「強大な力に強いられて、みんなでやっている」という建前があるので責任の意識も希薄になりやすい。 このシステムは世間には知られておらず、知らず知らずに恩恵を受ける形になっているが、例え公にしたとしても「99%の人間が儲かるシステム」とでも説明に追加されれば納得しかねないのが最高に質の悪い所。 はっきり言って、どこか遠い場所で何の繋がりもない数百人が死んだという情報を知ったとして、それに本気で涙を流せる人間などまずいない。 さらに、その結果それ以外の人に1万円が支給されると言われて「いるか、そんなもの!」とぶん投げられる人間なんて多くはない。後ろめたく感じても、「もらったからには」とでも言って懐に収めてしまうだろう。 その金額の桁が増えればどんどん文句を言う人数も減るのは間違いない。 あるいは募金箱にでも入れるだろうか。そんなことをしても失われた死者の命も傷つけられた遺族の心も何も救われず、システムの狙い通り金が世界を巡るだけだが。 そして、自分に何もできないとして本気で止めはしないだろう。システムに飼われたその他大勢にはそんな大それたことはできはしないし、しない方のメリットが圧倒的に多いならやろうともしない。 間違いなくアウトなシステムであると言い切れる存在でありながら、根元から否定しきれない。下手に破壊すれば上記の「余計な(ry」と言われかねない非常に厄介な存在である。 ◆戦争の正義についての名言 ドラえもん「どっちも自分が正しいと思ってるよ。戦争なんてそんなもんだよ」 黒野鉄斎「正義の反対は、別の“正義”あるいは“慈悲・寛容”なんじゃよ」 森次玲二「正義なんてものは時代、国家、人種、思想ーーーそれらの複合によって生まれる価値観でしかない。故に正義が普遍になるコトは無い。忘れるな、正義の反対は“悪”ではなく“敵”だ」 ドフラミンゴ「海賊が悪?海軍が正義?そんなものはいくらでも塗り替えられてきた!平和を知らねェガキ共と戦争を知らねェガキ共との価値観は違う!頂点に立つ者が善悪の序列を塗り替える!今この場所こそが中立だ!正義は必ず勝つって?そりゃそうだろ?勝者だけが正義だ!」 火野映司「誰が正しくて誰が間違ってるって、とっても難しいことだと思います。自分が正しいと思うと、周りが見えなくなって正義のためなら何をしていいと思ったり…きっと、戦争もそうやって起こっていくんです」 「誰かを守りたいっていう気持ちが、自分達の正義がどんどんエスカレートすることがある」 「正義のためなら人は何処までも残酷になれるんだ」 古美門研介「君が正義とか抜かしてるものは上から目線の同情に過ぎない。その都度目の前の可哀想な人間を憐れんでいるだけだ」 「正義は特撮ヒーローものと少年ジャンプの中にしかないものと思え」 「依頼人の利益のためだけに全力を尽くして戦う…我々弁護士にできるのはそれだけでありそれ以上のことをするべきでもない。わかったか、朝ドラ!」 追記修正は自分の心の中の正義に則ってお願いします。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] コメント欄がなかったので修正。なんらかの理由で撤去したのであればその旨告知されたし。 -- 名無しさん (2022-05-07 20 46 25) どんな正義も根底には悪(不利益)の排除があると思ってる。その悪が他の正義の別側面なのか、災害や病魔等の人意が介在しない現象なのかは様々だろうけど -- 名無しさん (2022-06-21 20 46 35) 創作物の正義を否定する人って単なる厨二病なだけな気がする -- 名無しさん (2023-01-18 08 36 21) 法の正義と言ったら相棒の右京さんが真っ先に浮かぶ。 -- 名無しさん (2023-01-18 08 47 13) ↑4 荒れに荒れすぎて撤去されたって話があるらしい -- 名無しさん (2023-03-03 07 15 28) 自己正当化のために軽々しく口に出す輩がいるけど、余計なことをした結果、弱い立場の人達が報復されても誰も責任を取らないんだよね。 -- 名無しさん (2023-06-19 12 26 27) ↑5 人間が集団生活をする生物である以上、悪を制裁して集団の利益を守るのは本能なんだよな -- 名無しさん (2023-06-19 13 38 47) 『まさよし』……?誰?と素でこの項目を開いてしまった…… -- 名無しさん (2023-06-19 14 57 51) 鰤の東仙の「確信した正義とは悪である」も名言にいれてえな -- 名無しさん (2023-06-19 17 57 38) 「己の正道」は生きるのに必要だとは思う。正義は複雑すぎるし言葉として強すぎる。これを組織未満の集団で主題に掲げられてるとなんか怖い狂信のイメージが湧く。何故だろ -- 名無しさん (2023-06-19 18 26 31) 「多数の人達を守る為に少数の人達を捨てる事」や「悪を裁く為に悪を利用する」事は正義の行動に該当するのか気になるけどどうなんだろ? -- 名無しさん (2023-11-20 15 24 56) ↑そういうのはダークヒーローの役割だな -- 名無しさん (2023-12-01 18 34 31) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/gcmatome/pages/2961.html
「修正依頼」が出ています。『大冒険Deluxe 遥かなる海』の評価点・問題点を追記できる方はご協力をお願いします。 このページでは『大冒険 セントエルモスの奇跡』『大冒険デラックス 遥かなる海』併せて紹介しています。 大冒険 セントエルモスの奇跡 概要 ストーリー 特徴(というか問題点) システム面など 大味なゲームバランス ヘッポコな演出面 賛否両論点 評価点 総評 余談 大冒険Deluxe 遥かなる海 概要(PS) SS版からの主な変更点 SS版からあまり変わってない点 総評(PS) 余談(PS) 大冒険 セントエルモスの奇跡 【だいぼうけん せんとえるもすのきせき】 ジャンル 海洋冒険シミュレーションロープレ 対応機種 セガサターン 発売元 パイ 開発元 ソフトオフィス、FAB 発売日 1996年4月19日 定価 6,800円(税別) プレイ人数 1人 レーティング セガ審査 全年齢推奨 判定 クソゲー ポイント 通称「超 魔 海 王」「これは ひどい」大航海シリーズの劣化パクリ狂った台詞とデザインで迫るモンスター短すぎるBGM非常につまらない戦闘 行方不明の父をさがすため、少年は果てしない大海原へと旅立った…… 概要 仲間や装備を整えながら船で世界各地の港を回る航海RPG。 ところがその実態はセガサターンにおけるトップクラスのクソゲーとして悪名高い代物であり、『デスクリムゾン』が登場するまで当時のセガサターンマガジン(後のゲーマガ)の読者評価ランキングでは最下位を独走しており、「超魔海王」の通称が付けられたほどである。 ストーリー 時は中世。主人公・リオンの住むバルセロナに、父親・ファルの船が無人で漂着した。 リオンは女王に呼び出され、「あなたの一族にはモンスターを倒せる特殊能力があるので、モンスターの根源を絶ってほしい」と父親の代わりに魔物退治を依頼される。 リオンは、父親を捜す目的も含め、友人のトレビールと共に船で旅立つことになった。 なお、最初に"プレイヤーの"名前を入力するにもかかわらず主人公の名はリオンで固定である。 特徴(というか問題点) 開幕 オープニングがものすごく唐突。 主人公がベッドで目覚める→父の乗っていた船が大破して流れ着いている→「これは ひどい」 + 「これは ひどい」 シンプルなタイトル画面 本当にひどい システム面など 根本的なシステム面 RPGにも拘らずイベントは全編通して3つ(+ボス戦)しかなく、とにかく何も起こらない。 パケ絵にはヒロインらしき女の子が描かれているが、冒頭で一言喋るだけでセリフはラストまで全く変化なし。もちろん付いてきたりもしない。 なお3つの内訳は「ゲーム開始直後」「ラスボス戦前」「ラスボス撃破後」の3つ。すなわち、ゲーム開始直後からラスボス戦までの間に1つもイベントが無い。 前記の通りイベントが無いので、60以上ある街(最初の町以外全部モンスターに占拠されている)をひとつひとつモンスターを全滅させて解放していく、という作業がこのゲームの殆どを占める。 BGMが全体的に短く、殆ど(あるいは全て)が10秒足らずでループする。 戦闘のBGMも終盤ボスとラスボスを除いて1種類(しかも4小節程度のもののループ)しかなく、もはや途中からはゲームというより苦行のような有様になってくる。 台詞を中心に、全体的に誤字脱字が目立つ。 宿屋の主人による「いらしゃいませ」などぱっと見でおかしいと分かるものも少なくない。 モンスターの台詞にも誤字と思しき箇所が多数見受けられるが、こちらは本当に誤字なのかの判別は難しい(後述)。 フィールドマップは海域しか移動できないので、大陸の内陸部はマップを埋められない。 パクリ疑惑 ゲーム自体がコーエーの『大航海時代II』に酷似している上、劣化どころかほとんど意味がない。 コマンドの並び、名称、行える内容などが『大航海時代II』とほとんど同じ。インターフェースデザインに著作権が認められるかは置いておくとしても、道義的にそれでいいのか? ちなみにコーエーの方も認知していたのか、『大航海時代外伝』には本作の主人公をモデルにしたキャラが存在する(*1)。 海戦もあるが、海賊から逃げても追ってこないので全く戦わなくてもクリア可能。 物価がとてつもなくおかしい。交易品や船員の給料に比べて武器の値段は極端に高い。この点も『大航海時代II』と一緒。 + 参考画像 噛んだ店員 大航海時代 大味なゲームバランス 実質進行順固定のバランス ゲーム当初から世界のどこにでも行ける。そのため自由度は高い……と思いきや順番を踏んで攻略していかないと敵が強すぎて即死するので、やっぱり自由度は皆無。しかも攻略する道順についての情報はどこにもない。 しかも敵のレベルが適切であっても、HP7割は持っていかれる程の凄まじい攻撃を繰り出す事も多く、頑丈な敵も多い。 特に中盤は後述の通り演出の長い指輪で弱点属性を突いたり、さらに終盤は後述する「必殺技」頼みになってくる。 限られているレベル上げの機会 レベルが上がるのは、主人公リオンとそのパートナーのトレビールのみ。酒場で募った傭兵はレベルが上がらない。 しかも敵の数は限られている。リオンは海戦で「一騎打ち」を挑む事で無制限に経験値を稼ぐ事が出来るが、トレビールは倒れたまま戦闘終了するとその分レベル上げの機会を失ってしまう。 傭兵は雇ってみないと能力値がわからない。また、説明書では「リオンとトレビールはレベルが上がる」とだけ表記されているが、「傭兵は上がらない」と明記した方が良かったのでは…。 使い勝手の悪すぎる特技攻撃や道具 主人公の特殊攻撃の名前も「必殺技(1)」「必殺技(2)」などと、設定忘れを疑う代物。しかもどのレベルの必殺技が出るかはランダム。一応主人公のレベルが上がるほど高レベルの必殺技が出やすくなる設定のようだが、運が悪いとラスボス相手に「必殺技(1)」を連発してしまうこともしばしばある。 道具や、本作の魔法に当たる「指輪」を使ったときの演出が無駄に長く、テンポが悪い。 単調すぎる戦闘 モンスターはすべて単体でしか出現せず、行動も単体攻撃のみ。ラスボスですら例外ではなく、攻撃モーションこそ複数あるもののすべて単体攻撃である。 先述した適正レベルでも最大HPの半分以上のダメージを受けるゲームバランスが合わさり、本作の戦闘は「同じキャラクターに攻撃が連続で来たら負け、そうでなければ勝ち」という非常に大味なものとなっている。もちろん「被ダメージを減らす魔法」のようなものは存在しないし、攻撃先も恐らくランダムなので隊列で攻撃先をコントロールするなどの戦略も組めない。 ダメージの振れ幅が大きく、同じ攻撃力での攻撃でも最大値と最小値で倍近くの差がある。また、ダメージの乱数に偏りがあるようで、「最大値に近いダメージ」と「最小値に近いダメージ」が頻出する。 ヘッポコな演出面 低質なリアルタイムグラフィック グラフィックはスーファミ、メガドラ初期レベル。もしくはそれ以下。 しかし、OPなどで見られるCGのムービーだけは結構出来がいい。CGだけは...。 街は地域によってグラフィックや構造が数種類異なるが、どの街もほとんど同じ構成。建物はお店等の施設のみで普通の民家は1つもない。 役立たずのNPC 町の人の会話はストーリーと関係ない話が殆ど。 会話のほとんどは「町が解放された事への感謝」か「その町の交易品の情報」であり、クソゲーにありがちな「ゲームと関係のない無意味な小ネタを話すNPC」はほとんど存在しないので、その意味では一応、ストーリーに関係しているとは言える。 しかし、聞いたからと言って何が起こる訳でもなく、どこに行っても変わり映えしないので、聞く必要性は限りなく薄い。(*2) エンディングも悪い意味で衝撃的 + 一応ネタバレ注意 ラスボスを倒した後主人公が自宅のベッドで目覚め、外に出るとまた父の船が大破して漂着している……というこれまでの努力をあっさり全否定する最悪なオチ。真相はというと「夢オチ」ではなく所謂メタフィクションなのだが、こんなゲームとプレイヤーをリンクさせられても…… 伏線自体は各街のボスや村人のセリフで存在しており、それらを元に成された考察も存在する。 母親に起こされた主人公が何故かゲーム内で手に入れた指輪を持っていることが描写されており、それまでの冒険は実際に存在していたことが読み取れる。そしてこの後冒頭のシーンが繰り返されるところでエンドロールとなるループオチなのだが、各地のボスや村人、そしてラスボスのセリフから推測出来るメタ設定を念頭に置くと、「プレイヤーもゲーム世界に取り込まれてしまった」というホラーオチを意図したものだと思われる。 …もっとも、本作の希薄極まりないシナリオ相手にそんな考察をした所で、こんなげーむにまじになっちゃってどうするのという結論にしか至らないが。 要するに理解できなければ電波、理解したところでただの超展開、考察したところでこんなげーむに(ryにしかならない。どちらにしても本作に対するクソゲーという評価を覆せないことに変わりない。 結局タイトルである「セントエルモスの奇跡」についてもゲーム内では最後まで全く触れられない。 皮肉込みで「このゲームが発売されたのが奇跡」という解釈もある。 賛否両論点 狂気に満ちたモンスター モンスターのデザインや台詞が狂気に満ちている。 受け入れがたいと批判する人も少なくない一方、本作独自の持ち味として評価する声も意外に多く聞かれている。 + 参考画像 個性的なデザインのモンスター達 ぴぴるぴるぴるぴぴるぴー♪ モンスターのグラフィックデザインは迫力や恐怖よりも狂気を感じさせる造形で、強烈な個性を放つ。 上記画像のマウラもかなり独特な造形だが、本作ではこれでもまだ可愛い方。更にキモいモンスターはいくらでもいる。異様にグロく直視するのが躊躇われるほどのモンスターも…。 そんなモンスターが戦闘画面では画面内を動き回ったり、攻撃時にはグラフィックが変化するなどの無駄な作り込みもある。 ただ、解像度がモンスターだけ他のグラフィックに比べ異様に低解像度で、ドットの使い方も主人公やフィールドのデザインと違って明らかに浮いているのは残念な点。 各町ごとにいる中ボスの台詞が、尋常ではない内容。 以下はほんの一例。これが70近くある各町の中ボスごとに個別に用意されている…。 「体の中から何かがぶえええ ぐえええええ」「うげっ うげっ うげっ 気分悪いぞ! うげげげげげっ」「あの草 食べて…あの 赤黒いあの草 食べて…食べて…」 書こうと思ってもなかなか書けないような強烈な電波台詞や錯乱文章は他ではなかなかお目にかかれないクオリティで、ある意味必見。 そして、そのような台詞を言うようになった伏線が意外にもちゃんと張られ、回収されている。 「きもちわるよなぁ お前 気持ち悪いよなぁ」など誤字脱字と思しき箇所が散見されるが、これが真の誤字なのか狙ったものなのかはもはや判別不能である。 奇っ怪なグラフィックと台詞とが相まって、ボスモンスターの憎しみ・妬み・怒りなどの負の感情を強烈なインパクトでプレイヤーに刻みつけており、演出としては狙い通りの成功と言えよう。 約70個も同じように港を開放していくだけで作業感の強い本作において、ボスを見て回るのは人によっては唯一に近い楽しみ所となっている。 なおザコモンスターは最終盤まで「ぴきぴき」「きいいいいー」「がるるるるー」の3種類の定型文しか喋らず、明らかに手抜きである。 モンスターのネーミングに関しても、「クリビルピル」「ベンチバブ」など、何に由来するのか見当も付かない謎の名前ばかり。これも持ち味と言えば持ち味である。 評価点 CGムービー 前述の通り、プリレンダによるCGで描かれたムービーシーンは割と良く出来ている。 特別綺麗とはいいがたいが、16bit初期時代に逆戻りしたかの様な2Dグラフィックの本編よりは遥かにまともである。 因みにOPムービーも壮大な世界を舞台に冒険する雰囲気が出ているが、その後に セガサターンソフトとは思えない超ショボイタイトル画面が表示される ので、「OP詐欺」と言われてしまう事も。 総評 『大航海時代II』を意識した(パクった)作りではあるが、本作はそれの足下にも及ばぬ最悪のクソゲーであった。 数だけやたらと多い作業に希薄過ぎるストーリー性、ショボいグラフィックとBGM、そこから浮きまくりなキモい敵キャラ等、クソゲーとしての要素を手堅く抑えている。こんな所を並べられても誰も得をしない訳だが……。 ただ「つまらない」というだけにとどまらず、プレイヤーの心証に著しい悪影響を及ぼしかねない絶大なインパクトを持つ伝説級のゲームであり、後々まで(ネタとして)愛されるゲームとなった。 どこをどう見ても、どう贔屓目に見ようとほぼ美点が無い内容に、購入者は誰もが思ったであろう 「 これは ひどい 」と。 余談 ゲーム内での第一声「これは ひどい」は、プレイヤーの評価を完璧に代弁するものとして受け止められ、当時の2ちゃんねるで瞬く間に慣用句として定着した。 無論、それ以前から普通に日本語として使用されていた言い回しであるのは言うまでもないが、現在のような使われ方をされるようになったのもひとえにこのゲームの香ばしさ故か。定着したのはNHK教育のニャンちゅうが放った台詞「これはひどい」の方との説もある。 セガサターンマガジンの読者レビューでは「このゲームを買うこと自体が大冒険だ!!!」という迷言が生み出された。 あまり知られていないが、本作は購入者に向けたキーホルダーのプレゼントキャンペーンを行なっていた。 説明書の最後のページにある応募券を切り取って期間内(1996年8月1日まで)に有限会社パイに送ることで、抽選で300名に本作限定デザインのキーホルダーが当たると言うもの。デザインはベルや操舵輪、双眼鏡など5種類の中からランダム。 キーホルダーの出来自体は悪いどころかむしろ良い部類で、どれも普通にかっこいい。しいて言えば、でかでかと「大冒険」と書かれた旗のような装飾が気になる程度か。 なおこのキャンペーン、応募する際にはがきに書く要項の中に「『大冒険』の感想」と言う項目がある。果たしてどんな感想が寄せられたのやら…。 大冒険Deluxe 遥かなる海 【だいぼうけんでらっくす はるかなるうみ】 ジャンル シミュレーションRPG 対応機種 プレイステーション 発売元 ソフトオフィス 開発元 ソフトオフィス、FAB 発売日 1997年4月18日 定価 5,800円(税別) 判定 なし ポイント SS版の不具合を大幅改善しもはや別ゲー化「これは ひどい」を撤回しかし微妙にSS版の名残は残っている 概要(PS) サターン版の悪評にも拘らず、約1年後にプレイステーション版が移植発売された。発売元はSS版のパイから、開発担当のソフトオフィスに変更されている。 SS版からの主な変更点 グラフィックがSS版とは比較にならない位に進化。CGムービーもさらに豪華になっている。 SS版はストーリー性が殆ど無く、意味不明な進行を余儀なくされたが、本作はちゃんとしたシナリオの上で進行する。 街や海ではRPGらしく多くのイベントが追加されている。 エンディングがSS版の驚愕オチでは無く、SS版よりは納得のいく結末となっている。 ゲームバランスの改善、アイテムの物価が妥当なものに変更、必殺技に名前が付き任意で出せるようになった、街とモンスターの巣が分けられた。 モンスターの巣の強さが数値化された。 取引という新システムの追加。 SS版のオープニングの神セリフ「これは ひどい」や、敵が放つ狂気な電波セリフといった、香ばしい発言がことごとく削除された。但し、遭遇時の「ぴきぴき」といった表示など、前作の名残は少し残っている。 敵グラフィックはファンタジーらしいものに全面的に書き換えられている。前作の面影は一切ない。 SS版からあまり変わってない点 相変わらずBGMは手抜き感がすごい。 メインストーリーやシナリオ上やることはほとんど変わっていない。 戦闘システムも変わってない。 総評(PS) 以上のように、RPGとしては無難に遊べるまで進化を遂げ、もはやクソゲーとしての地位はほぼ完全に消滅したと言っていい内容となっている。 しかしそれでも、外見が同期のPSソフトに比べるとショボい、シナリオが無難にまとまりすぎて面白みが薄い、エンディングは驚愕オチではないにしろ普通すぎて別の意味で唖然、など良作としては幾分か物足りないゲームではあるのだが。 更に、それによってマイナスにとはいえ特徴があったSS版と比べ、本当に「無難なだけの凡百なゲーム」なってしまった感も否めない。シミュレーションにしてもRPGにしても、数多の良作・意欲作が輩出されたPSゲーの中からあえてこれをプレイする必要性は薄いだろう…。 余談(PS) コーエー刊行の『月刊Da・Gama』では本作の紹介記事、広告、プレイレポート(序盤の一部だが)が掲載された号があった。
https://w.atwiki.jp/teitoku_bbs/pages/4285.html
602: yukikaze :2017/01/25(水) 13 07 27 取りあえずできたで。題名は『龍馬』ですかねえ。 『志士』という言葉がある。 天下国家のため正しいと信じたことを、生命をかけて貫く人物像を示した言葉であり、史実の世界ではどちらかというと好意的に使われる事が多いのだが、この世界においては、世間一般では『ゴロツキ』と同義語にまで落ちぶれていた。 そしてそうなった理由はと言えば、 「どれもこれも水戸の老害が余計な事さえしなければ・・・」 と、坂本龍馬は、現在の苦境の要因に対して、罵詈雑言を浴びせずにはいられなかった。 現状を龍馬が嘆くのも無理はなかった。 龍馬自身はどちらかというと行動の人であり、出来うるなれば尊王攘夷の志士達を糾合しての一大決起という案に未練を残していたのだが、現実がそれを許さなかった。 何しろ尊王攘夷の志士として衆望を集めた筈の面子の悉くが鬼籍に入ってしまったのである。 何故か? それは井伊の安政の大獄もそうだが、それ以上に影響のあったのが、龍馬の罵倒の対象である、徳川斉昭の最晩年の狂気にあった。 安政の大獄が、水戸の浪士による井伊の暗殺で終了した時、幕府上層部が取ったのは、徳川斉昭の名誉回復及び政権への復帰であった。 後世の視点からみると、まさに大悪手と言っていい手段ではあったのだが、白昼堂々大老が暗殺されるなどという状況に直面すれば、幕府上層部が、井伊をトカゲの尻尾きりにして、事態の収拾に当たろうとするのも無理はなかった。誰だって自分の命は惜しいのだ。 だが、彼らはすぐに自分達の決定を後悔することになった。 そう。二度にわたり自分に対して屈辱を味あわせた幕府上層部に対する、斉昭の恨みは既に理性で抑えられる状況をとっくに超えていたのであった。 そして彼の苛烈すぎる報復は、井伊の安政の大獄がかわいく見えるレベルの代物であった。 まず、南紀派の中心人物達は、悉くが「神州を汚した大俗物」であるとして、悪ければ斬首、良くても永蟄居という処罰を受けることになる。 特に井伊家に対する処罰は凄まじく、長野主膳を始めとする井伊のブレーン達は、過酷な拷問を受けた後、一族郎党老若男女構わず獄門にされ、井伊家自体も問答無用で取り潰されている。 そのあまりの苛烈さに、諌めた老中の安藤信正は即日罷免され、将軍後見人でもあった徳川慶頼は、徳川姓を剥奪されたうえで、異母兄の松平春嶽に座敷牢に閉じ込めさせよと命じられている。 当時の常識からしても「水戸は狂ったか」と、完全に匙を投げられる状況であったが、この老人の暴走は留まるところを知らず、自分を嫌いきっていた大奥に対しては、問答無用で取り潰しを行い、権勢を振るっていた面子も、罪状を並びたてられた上での遠島、派手好きだった家茂の実母の実成院ですら、派手好きであったことが祟って「疫病神は出て行け」と、紀州に着の身着のままで追い出されるまでになっていた。 この時期の大奥で生き残っていたのは、それこそ天璋院とその御付の面子位で、それも「天璋院に仇なした場合、島津は黙っておらんぞ」という、島津の本気の恫喝に、他の幕府上層部が必死になってとりなした結果であった。 603: yukikaze :2017/01/25(水) 13 08 42 もっとも、ここまで書いた内容も、水戸の粛正に比べればまだ穏当なものと言えた。 斉昭自身が最も憎悪を抱いていたのは、自分の藩において自分を裏切った面子にほかならず、斉昭自身復帰した最初の言葉が「明智や陶のような当家の賊臣共は、一片の肉片すら残さず滅してくれるわ」だったのだから、その恨みの程がうかがい知れるものである。 そしてこうした状況を受ければ、幕府に恭順していた面子も覚悟を決めざるを得ず(何しろ、この老人が一度復帰した時の苛烈な報復を覚えている面々が多いのだ)、諸生党の面々は蜂起するや否や、水戸城に籠城して、決死の覚悟で防戦に努めると共に、斉昭の与党である天狗党の粛清を行っている。 この報に激怒した斉昭は、ただちに水戸藩の軍勢を集めるが、水戸城を抑えられているのと、安政の大獄等で斉昭派が大打撃を受けていることが祟って、兵力は思うように集まらず、業を煮やした斉昭は「藩兵が役に立たぬのなら、草莽の志士達がおるわ」と、全国の尊王攘夷の浪士たちに向けて檄文を掲げ、「尊王攘夷を果たすために、まずは異国に同心する愚者どもを討滅する。草莽の志士達よ、須らく我が旗に参集し、以て攘夷の第一歩を成さん」という呼びかけに、各地の生き残りの志士達が集結し、最終的には数千人近い規模にまで膨れ上がっている。 これに気をよくした斉昭は、彼らを『尽忠報国の士』と讃え、水戸藩に仕官させることを即決し、水戸城に攻め入り、2か月に渡る攻城戦の末、諸生党を壊滅させている。 だが、この出来事は、斉昭の一生においても最悪事として記録されることになる。 苛烈なる城攻めもそうだが、その後の陰惨なる残党狩りに使われたのはこの志士達であり、志士達も攘夷大名の雄である斉昭の覚えを得る為や、幕臣として攘夷ができるという未来に目が眩んだものも多く結果、「諸生党の生き残りをかくまったという嫌疑」だけで、村を焼打ちにしたり、周辺の諸藩の領内に立ち入るや、「諸事改め」と称して、高圧的な態度で臨検するだけならまだマシで、酷いものにおいては「諸生党を匿った」というでっち上げで、略奪の限りを尽くした挙句、激怒して捕縛しようとした藩の役人が斬り殺されるという事態すら頻発するようになっていた。 この事態を憂えた武田耕雲斎が、決死の覚悟で諫言をするが、すでに斉昭の耳には入らず、武田は諌死。 そして最後の歯止めも消えた事で、水戸は完全に浪士たちによる地獄へと変貌していた。 この地獄が終わるのは斉昭が死んでからであるが、それまでに受けた被害への周辺諸藩の怒りは凄まじく、幕府に対して連名で「水戸に巣食う盗賊たちの殲滅を求める」と申請。 そして斉昭の粛正に恨みを持っていた面々が動いた結果、遂に幕府軍(総予備で旗本一個連隊有り)が、老中の指揮のもと出陣し、数の優劣差もあって、浪士の面々を悉く殲滅するまでになっていた。 この軍勢の中には、旧南紀派も数多く含まれており、当然、彼らの報復は凄まじいものであったのだが、彼らの口から、浪士たちの水戸藩における所業が大きく宣伝されるに及んで、彼らの評判は地の底にまで下落することになっていた。 何しろ「尽忠報国」を叫んでいた面々が、酒色に溺れ、賂の多寡で判決を決めるなど、むちゃくちゃな政を行っていれば、誰だって愛想を尽かす。 当時の水戸藩主が「もはや藩の存立は不可なり」と、自主的に藩を返上しようとしたのも、主要な家臣団は壊滅してしまい、農村も疲弊し、おまけに内乱での住民対立が酷くなった状況を考えれば、藩の存立など考えるだけ無駄であると判断するのも無理はなかった。 結果的には「徳川親藩であるが故に」ということで、捨扶持を与えられることで家名だけは存続し、数少ない生き残った面子は、ちゃっかりこの騒動から足抜け出来ていた一橋慶喜が自分の家臣団として再編したりもしていたのだが、この時点で政治勢力としての水戸藩並びに尊王攘夷の志士は消滅したに等しかった。 そしてそれが、龍馬の行動を縛ることになった。 既に志士達が政治勢力としては消滅したことによって、武市半平太による「全藩あげての攘夷路線統一」でなければどうにもならないという意見に真実味をもたらせることになったからだ。 「組織の力を以て事に当たらなければ何にもならん」という武市の主張には、さしもの龍馬ですら反論することはできず、彼は今なお土佐藩士という立場のままで、各藩への折衝を行っている。 604: yukikaze :2017/01/25(水) 13 09 35 「半平太の意見は分かるが・・・しかし、歯がゆい」 長州藩との会談の内容を思い出しながら、龍馬は顔を歪める。 土佐藩と同様、尊王攘夷派が政権を握っていた長州藩は「君側の奸である薩摩や越後を排除し、帝に攘夷の大号令を発してもらうことこそ、尊王の道である」と藩論をほぼ統一させ、龍馬に対して「土佐藩はこの義挙に加わるのか否か」と、問い詰める有様であった。 無論、龍馬としてはこの義挙に一も二もなく賛同しており、彼らの面前で、武市に対して「この尊王の義挙に加わらぬは、不忠の極みなり」と、激烈な言葉で決起を促した書状を作成し、更に長州代表に対し「もし仮に土佐が動かぬのならば、この不肖坂本は、藩を抜け、一草莽の剣士として長州の義挙に加わり、戦場で華々しく死ぬものなり」と、啖呵を切り、長州側から「土佐の坂本さんの赤心を疑った我らが恥ずかしい」と、大いに見直されることになるのだが、武市の良く言えば慎重、悪く言えば考えすぎて決断できない性格を知っている龍馬にしてみれば、先程の書状ですら土佐が動くかは望み薄であった。 「とにかく今は動くべきなんじゃ。動かねば始まらん。薩摩や越後のバカどもはアヘン戦争やアロー号事件を見ても危機感を覚えん連中だし、幕府はそれに引きずられるだけの腰砕けじゃ。儂らが動くことで、この国を清国の二の舞にさせないようにせんといかんのじゃ」 清国の状況を聞くたびに、龍馬の焦燥感は強くなる一方であった。 彼の根底にあるのは「洋夷は信用ならん」という、欧米への不信感であった。 金の為ならば御禁制のアヘンを売りとばし、清国がそれに抗議するや、いちゃもんをつけての戦争。 そしてなすすべもなく敗れた清国は、国土を蚕食されつつあるのが現状であった。 もし仮に、越後や薩摩のように「和親」を目的にするならば、何故麻薬なんぞを売りつける、それこそ礼に則って付き合うのが筋じゃろうがというのが、坂本や「攘夷」を叫ぶ面々の主張であり、そしてそれはある種の正しさを持っていることがこの問題をややこしいことにしていた。 (ちなみにアヘン戦争については、幕府もかなりの不快感を持っており、平戸のイギリス館長に対して、イギリス本国政府からの事情の説明を求めると共に、内容いかんによってはイギリスとの通商廃止を求めることもありえると通達している。この一件は、イギリス本国でも野党の格好の攻撃材料になり、イギリス首相は、「アヘン貿易は民間貿易によるものであり、政府は関知していない。イギリスが清と戦争をしたのはアヘンの没収を認めたのに対し、清国側はアヘンと無関係の一般イギリス人を虐殺しようと行動したためである」と、嘘ではないが事実を正確には記していない(イギリス側は「アヘンを持ちこんだら死刑」という清の誓約書にサインをしておらず、道義的には完全にクロである)答弁を行い、幕府に対しても、あくまで非があるのは清国側であり、日本には絶対に迷惑をかけないという確約状を出している。彼らがここまで気を使ったのは、日本が綿製品の良い取引相手であったことと、ナポレオン戦争時に、イギリス側の立場にたって、ナポレオンの大陸封鎖令を無視し(これにはフランスと国交を樹立していなかったという側面もある)、オランダとイギリスの仲介をするなど、友好的な関係が続いていた事もあった) その為、坂本にしてみれば「和親」という言葉に騙されている越後や薩摩は『愚物』でしかなく、「攻め込まれたら戦うなんて悠長なことをいうよりも、信用できん異国なんぞ追い出せ」というのは当然であった。 605: yukikaze :2017/01/25(水) 13 10 15 もっとも、坂本は気付いていなかったが、この時代の攘夷論者の一大欠点は「思想ありきで行動し、手段や結果を充分に考えていない」点にあった。 彼らは「異国の排除」を目論んでいたが、それを実行した後については「永遠にそれを続ければいい」程度しか考えておらず、具体的な中身等については全くのゼロであった。 当然のことながら、越後や薩摩からは「書生論」「責任感が全くないバカ程極論を吐く」と、相手にされず、吉田松陰も「海外の横暴は許される事ではなく、それに日本は屈してはならない。だが海外の技術力は我が国よりも優れている部分はあり、彼らの力の源泉はそこにある。彼らの技術力が高いのは、優れたものを他国に売らなければならないという自由貿易競争によるものであり、仮に国を閉ざした場合、我が国はその競争に後れを取ることになり、技術的な差が広がる可能性が高い」と、安易な鎖国論を戒める書状を、かつての塾生に送っている。(なお、上層部の周布に対して「異国の知識も学ばせてこそ、我が国の知識はさらに発展する」という意見書を送り、周布も史実の長州ファイブだけでなく、高杉や山縣、山田、品川と言った面々を送っている。 なお松陰は、吉田稔麿を名指しで望んでいたが、過激派を抑えられるのが桂と吉田であったことから、吉田は残ることになる) ここら辺は「欧米への警戒感」を持ちつつも、手段・結果まで見据えているか否かの違いとも言えるが、この手の強硬論は、叫べば叫ぶほど先鋭化され、構成員が過激化するのも事実であり、この場合でも例外ではなかった。 「まずは、奸賊達を土佐の人間が討たんといかん。福太郎も賛同する筈じゃ」 同志である中岡の性格を思い浮かべながら、龍馬は一人ごちる。 土佐藩の人間が京都で義挙を行えば行うほど、腰の重い半平太も覚悟を決めるであろうし、長州藩に残っている土佐への不信も完全に消えるであろう。 「土佐勤皇党から身分の低い連中を選抜し、併せて畿内の志士の生き残りを糾合。長州も利がある以上は予算を出すことに異存はあるまいし、場合によっては向こうも人員を出す。これで土長同盟が動き出す」 そう言って、翌朝、深夜までかけて纏め上げた構想を、同志に披露する龍馬。 勿論、中岡や吉村と言った面子が、その構想に賛同こそすれ否定することはなかった。 「どうせなら名をつけてはどうじゃ。そちらの方がしまりがある」 中岡のこのセリフに、龍馬はそうじゃのうと考えていると、吉村が「これはどうじゃろう」と提案をする。 「ほう。成程いい名じゃ」 「うむ。名は体を表すというからの。寅太郎は学があるわ」 よほど気に入ったのだろう。龍馬と中岡はしきりに満足の意を示し続けていた。 「『天誅組』この義挙を行うのに最もふさわしい名ではないか」 後に、新撰組との激闘によって壊滅するまで、幕末京都をテロによって恐怖のどん底に陥れることになり、明治維新時に、土佐藩が、越後に亡命していた後藤象二郎と板垣退助以外は全くと言っていいほど重用されない原因となる組織の誕生であった。 606: yukikaze :2017/01/25(水) 13 22 21 これにて投下終了。 もはや歴史の変更により、多くの人間が人生狂わされることになります。 水戸藩の凄惨な内戦ですが、これは前述もしましたが、史実の天狗党事件以降の水戸藩を見れば、この位の粛正が容易に起きると予想されてしまいます。 実際、史実でも、水戸藩出身で、新政府の要人にほとんどいないのは、この凄惨な内戦で、主要メンバーが悉く殺され、残っていたのは3流以下。 本来ならば、幕末の政治勢力の一角として、ある程度は考慮されていないといけない水戸がまるで考慮されていないのも無理ないんですわ。 恐らく賛否両論あるであろう坂本の扱いですが、この時期だとこうならざるを得ないです。 彼が開国論に転換したのは、勝に会ってからであり、この時点では勝に会っておらず長州との関係を深めている以上、過激な攘夷志士のままです。 そして、ネゴシエーターとしての才と、一応組織作りも出来ているということ、更には土佐勤皇党でも有力者であることを考えると「土佐の藩論を攘夷に固める」ことに、龍馬なりに行動すると判断しました。(この人が行動力あることは誰にも否定できないです) この世界の龍馬は「勝に出会わなかった場合」のifルートと思っていただければと思います。 まあ最大の被害を受けるのが土佐になるのですが・・・ 反論を藩論に修正
https://w.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/1132.html
第3 座間味島における隊長命令の不在(3) 第3 座間味島における隊長命令の不在(3)4 宮城晴美証言について(1)証言の概要 (2)「軍命令」について (3)「隊長命令」との評価あるいは原告梅澤の責任論 (4)「隊長命令」についての住民の証言について (5)宮平春子の証言について (6)まとめ 4 宮城晴美証言について (1)証言の概要 宮城晴美は、法廷で座間味島での集団自決は「軍命令」によるものだと明確に証言した(宮城調書 p52)。 しかし、その「軍命令」とは、「梅澤隊長の直接的な自決命令」(隊長命令)とは区別されたものであり(宮城調書 p42、51、52、54等)、「軍官民共生共死の一体化」の方針、皇民化教育や皇祭によりすり込まれた「皇国」への忠誠心、米軍への恐怖の喧伝、軍の隊長の訓示や兵士による手榴弾の交付、投降を指示しなかった不作為、そして軍の存在自体といった、いわば住民を導いた《軍の行為の総体》をいうものであり(宮城調書 p25、56、57)、「隊長命令」については、「あったかなかったかわからない」旨述べ、証言を避けた(宮城調書 p30、34、35、37、58等)。 しかも、宮城晴美により「あったかなかったわからない」と証言された隊長命令については、これまで宮城晴美は『母の遺言』(甲B92)や『母の遺したもの』(甲B5)の中で完全に否定してきたものであるが、その考えが変わった理由について、宮城晴美は、平成19年7月27日の証言のわずか1か月前の同年6月24月に宮平春子の新証言に接したことを挙げた(宮城調書 p13、43)。 また、『母の遺したもの』でその内容を公表した『ノート』(それは、梅澤が保持していたノート〈甲B32〉そのものである)の内容は真実であると証言し、それまで《梅沢隊長命令説》の唯一の根拠とされてきた『悲劇の座間味島 沖縄敗戦秘録』(乙6)に収められた宮城初枝手記『血塗られた座間味島』の内容は、「事実でない」ということ(宮城調書 p35)、そして昭和20年3月25日に村の幹部らが原告梅澤に会い「住民が自決するための弾薬等を下さい」などと求めたが、原告梅澤がこれを断ったことも事実であること(宮城調書 p5)が、そこに「その後のことはわからない」としてあることを理由に、梅澤隊長が住民の求めを拒んだ前後に、命令が出された可能性は否定できないとし(宮城調書 p8、35)、更に、『母の遺したもの』で明確にうち出された、助役宮里盛秀こそが住民の「玉砕」を決断し宮平恵達を伝令として走らせたという《盛秀助役命令説》については、「実はそれは間違ってたというふうに今後悔しています」と述べた(宮城調書 p13)。 (2)「軍命令」について 宮城晴美は、「隊長命令」と区別された「軍命令」の内容につき、「軍官民共生共死の一体化」方針が座間味島にも具体化されていたこと、島の秘密基地化と島民に対する投降やスパイの禁止、日本軍の隊長や兵士らの「玉砕」の訓示や「いざというときの玉砕」の示唆、助役の忠魂碑前集合玉砕伝令などの状況を総合したものとの趣旨で説明する(乙63 p7~9)。 また、証言においては、「軍の論理あるいは国家の論理というものを内面化させた誰かが引き金を引いたら、それは軍の命令である。それが軍による玉砕(自決)命令ということの本質である」との目取真俊の見解(甲B74 p159上段)に賛同するのかとの原告代理人の質問に対し、「ええ」と肯定し、「引き金を引いたのは助役であるが、そう助役を仕向けた軍の駐留と合わせて考えると、助役だけが独走して引き金を引いたものではないと考えられる」との旨証言する(宮城調書p54、55)。 しかし、それらのように、「状況を総合した結果の評価」としての「軍命令」や、著しく抽象化された「軍命令」は、通常の意味における「軍命令の事実」そのものをいうものではなく、様々な解釈が可能な諸事実に対する宮城晴美の意見論評であり、しかも客観的に正当な論評とはとてもいえないものである。 「軍官民共生共死の一体化」方針等々の状況が総合されると、集団自決についての「軍命令」と評価できるというのは、明らかに飛躍のある解釈である。「玉砕訓示」も、まだ米軍来襲も想定されていない平時に(慶良間列島を米軍が攻撃すると日本軍が予想していなかったことは既に述べてきたとおり)、「軍民ともに死をも恐れず戦い抜こう」という意味の戦意高揚のスローガンに過ぎない。「直ちに自決せよ」との命令とはほど遠い内容である。 「軍の論理を内在化した誰かが引き金を引いたら軍の命令」という主張も、これもまた一般人が想起する「軍命令」のイメージとは甚だ乖離したものであることは明かであり、事実としての「軍命令」が言われているのではなく、あくまでも目取真俊や宮城晴美の論評としての「軍命令」であることが明かになっている。 もともと、慶良間列島の集団自決において問題にされてきた「軍命令」は「隊長命令」を内容とするものであり、沖縄においても両者は別個の観念とは捉えられてこなかった。例えば、「隊長は命令を出さなかった」と書かれている『母の遺したもの』(甲B5)が沖縄タイムス出版文化賞を取ったときの記事も、書籍の内容紹介として「実は軍命はなかった、と母は著者に明かす」などとされている(甲B93の1)し、琉球新報が宮城晴美の講演を紹介した平成17年8月28日の記事でも「軍命はなかったが、住民の気持ちはじわりじわりと戦争に向けられていった」と宮城晴美の講演要旨を紹介している。 これまで通常の記事や報道では、「軍命令」と「隊長命令」とを区別して論じるようなことはなかったのであり、今回の宮城晴美証言や同人の目取真俊との対談(甲B74)でうち出された皇民化教育や祭礼での訓示を含め軍の関与した諸事実をもとに、助役が発した命令を「軍命令」とよぶのは、一定の政治的な意図をもった論評といわざるをえず、歴史家のとる態度ではない。 いうまでもなく、この裁判で座間味島の集団自決について問題になっているのは、あくまで原告梅澤が「老人・こどもは村の忠魂碑前で自決せよ」(『太平洋戦争』)、あるいは、「住民は、部隊の行動をさまたげないためにまた食糧を部隊に提供するため、いさぎよく自決せよ」(『沖縄ノート』)などという無慈悲な自決命令を出したという《隊長命令説》が事実かどうかという一事であり、隊長命令と区別された抽象的な「軍命令」という論評の当否ではない。 冷静になれば分かるように、法廷で宮城晴美が「軍命令」と呼んだものは、「集団自決の背景には広い意味での軍の関与があった」というものに過ぎない。「軍の論理を内在化したものの命令というところに軍命令の本質がある」という言説は、まさにそのことを裏付けるものである。それを敢えて「軍命令」と論評するのは、事態を曖昧にするばかりか、事実としての「隊長命令」や「軍命令」との混同を誘発し、「じわりじわり追い詰められた」という晴美の認識そのものも裏切ることになる。教科書検定問題が大きく取り上げられている最中での証言であることを考えるとき、その証言が沖縄のマスコミが演出した沖縄世論の圧力によって政治的に偏向したものであることが推認される。 (3)「隊長命令」との評価あるいは原告梅澤の責任論 宮城晴美は、「状況」だけを材料に、解釈や論評により「軍命令」を認めたうえ、「原告梅澤は部隊長で島に駐留した部隊の最高責任者なのだから」という理屈で、「命令の主体は原告梅澤と解することができる」かのような証言をしたり(宮城調書p58)、「原告梅澤に『責任』がある」との旨の証言をなしたりもした(宮城調書p56)。 しかし、主観的な解釈により無理に認めたためにただでさえ曖昧模糊とした「軍命令」に、またもう一段階「評価」を加えて「隊長命令があったといえる」などと主張するのは、完全に事実から離れてさらに詭弁的である。隊長が現に発した命令が「隊長命令」なのであって(『太平洋戦争』や『沖縄ノート』に書かれているのはまさにそれである)、解釈や論評により「隊長命令」があらわれてくるというようなものではない。 「責任がある」というのもまた、完全に議論のすり替えである。「責任の有無」が意味するところは、極めて広く多義的なしたものであり、《梅澤命令説》の存否とはほど遠い問題設定である。そもそも原告梅澤にあるという「責任」とは、何らか法的な責任なのか、単に道義的な責任なのか、不明である。また、この「責任」が、救おうと思ったら救えたのに住民を救えなかった「過失」の責任なのか、救えることが分かっていたのに見殺しにした「不作為」の責任なのか、積極的に死を促進した責任なのか、あるいは、住民の死を止めようがなかったとしても関わった以上心情的に感じるべき「責任」なのか、「日本軍が配置されたから島が米軍に攻撃されてしまった」責任なのか、そのあたりを被告らも宮城晴美も明らかにしようともしない。 「責任」というな極めて茫漠とした言葉を盾に、あたかも「住民多数に自決を命令したと書かれても仕方ないだろう」というかのような主張がされるのは、法的にみて論外というだけでなく、倫理的にも到底容認されるものではない。 (4)「隊長命令」についての住民の証言について 宮城晴美は、「隊長命令」については、「あったかなかったかわからない」旨証言した(宮城調書 p30、34、35、37、58等)。 そして、宮城初枝が助役らと一緒に原告梅澤を訪ねた場面では自決命令は原告梅澤から出されなかったが、「その前後」には自決命令が出されたことも「あり得る」かのようにも述べる(宮城調書p8)。しかし、それは結局「ひとつの可能性」の指摘に過ぎず、「その前後」の時期に原告梅澤からの自決命令が現に出たとの住民証言があったとは、晴美も証言することはできなかった。 反対尋問で確認されたとおり、宮城晴美はこれまで、彼女が自ら取り組んできた住民の聞き取り調査の結果から、そして母初枝の体験談と初枝から託されたノートから、隊長命令が存在しなかったことを明確にしてきたのだった。 証言にもあるように、隊長命令があることを前提に書かれた『座間味島の集団自決』(乙64『沖縄戦-県民の証言』所収)は、初枝が晴美に告白する5年も前の昭和47(1972)年の著述であり、それを「命令はあったと信じていた」に過ぎない宮平初子らからの聞き取りに基づいて書いたものに過ぎない(宮城調書p2)。 宮城晴美は、母の告白を受け、『沖縄県史第10巻』(乙9)の住民手記をまとめる作業のなか、住民の証言内容から伝聞や根拠のあやふやなものを削除するなどの歴史家としておこなうべき資料吟味を行なって、中立公正な歴史家、研究者としての立場から、住民証言をまとめたのである(甲B5p258、259)。 晴美が証言しているように、『沖縄県史第10巻』の座間味村の住民21人分の手記も、『座間味村史』下巻(乙50)の住民21人分の手記も、更には『母の遺したもの』に収められた住民の証言もすべて宮城晴美が直接聞き取りあるいは確認して作成されたものである。そうして収集された住民の証言のなかに、《隊長命令説》を裏付ける内容のものは一切なかったことは、宮城晴美も明確に認めている(調書p51)。 宮城晴美は、宮平春子についても、過去に綿密な取材を行い、『母が遺したもの』にその体験を記述している。宮城晴美は、盛永の『自叙伝』に書かれている命令の場面のことを、作業中の聞き取りであったことや自らの多忙を理由に聞き忘れたかのごとき証言を行なったが、後述するように俄に措信し難いものである。 そして本件訴訟において重要な点は、今回の証言において、これまでの主張を曲げ、集団自決が「軍命」によるものであるという、その定義を曖昧にしたまま祭礼の教訓や個々の兵士の諸言動を含めた抽象的な「軍命」を持ち出し、教科書検定問題を意識し、そうした「軍命」が原因であったという立場に立つという政治的な姿勢と偏向を明らかにしたのであるが、その宮城晴美であっても、隊長命令については、「あったかなかったかわからなかった」と証言していることは重要である。 結局のところ、宮平春子の証言は、それのみをもって隊長命令の存在を立証するまでの証拠価値をもっていないのである。「隊長命令があった」とは言わず、「あったかわかったかわからない」とした宮城晴美の証言は、沖縄の世論と政治に翻弄されつつも苦悩する彼女の歴史家としての良心のあらわれであったということができようか。 (5)宮平春子の証言について 宮城晴美は、これまで隊長命令については、証拠上も自らの直感においても存在しなかったという立場を明確にしてきたのだったが、平成19年6月に宮平春子の新証言なるものに接した後に「あったかなかったわからない」との認識に変わったと証言した。 しかし、宮城晴美の証言は、宮平春子の新証言なるものに対する根本的な疑問を提起することになった。 すなわち、前記のとおり宮城晴美は、過去にも宮平春子から綿密な聞き取りを行い、これに基づいて『母の遺したもの』の白眉ともいうべき場面を記述している。自決の覚悟を固めた助役の盛秀が、幼い子供達を膝間付いて抱擁し、盛永に、十分な親孝行ができなかったことを詫び、水杯を交わして壕の外に出て、忠魂碑前に向うも途中で引き返し、結局、自決を免れたシーン(甲B5 p216~219)は、宮平春子の証言に基づくものである(調書p43~47)。 これだけの場面を描くのには、相当の聞き取りを要することが推測される。しかも、その場面には、盛永の『自叙伝』から「今晩、忠魂碑前で皆玉砕せよとの命令があるから、着物を着換えて集合しなさい」との盛秀の言葉が挿入されており、そこから宮城晴美が、予め『自叙伝』を読み込み、そこに記載された盛秀の言葉を強く意識していたことが推認できるのであり、宮平春子からの聞き取るにあたっては、このことについて宮城晴美が質問するのを忘れていたなどということはありえない。 晴美は、この点を問う反対尋問に対し、聞き取りが春子の作業中になされたとか、他の仕事に追われて忙しかったと陳弁するが、『母の遺したもの』の白眉ともいうべき感動的場面、しかも《盛秀助役命令説》をうち出すにあたって最も重要な場面を書くにあたってなされた取材が、そうした杜撰なものであったとは到底信用できるものではない。 すなわち、『母の遺したもの』に書かれた盛秀が壕に戻ってきてから盛永と水杯を交わし、壕を出て忠魂碑前に向う場面が、宮平春子に対する取材に基づくものであるという晴美の証言は、相当の時間をかけて綿密になされたはずの取材のなかで宮平春子は、陳述書に記述された「軍の命令がすでにでた」との内容の発言はしなかったことを意味しており、春子の新証言なるものの信用性に対する最大の弾劾である。 更に、その証拠価値については、盛永の『自叙伝』(乙28)における盛秀の言葉との齟齬のことを吟味しなければならない。『自叙伝』では、「軍」という主体がなく、盛秀の「今晩 -中略- 命令があるから」という予想を語ったにすぎない(結局、その後、出る予定だった命令が、現に出されたという記述はない)。春子の陳述書(乙51)では、「軍から」、既に「命令で -中略- 言われている」とされている。 そのときの言葉は、盛永は盛秀から直接告げられており、春子はそれを傍観していたに過ぎない。そのときの盛秀の言葉が、春子のいうようなものであったとすれば、そのことを直接聞いていた盛永が書き漏らすはずがないのである。 軍命令があったとする春子の新証言は、60年もたった後に突如出てきたものであり、しかも盛秀が盛永に語るのを傍観したというものである。しかも、これまで晴美の綿密な取材のなかでも一言も話されたことがなかったのであるから、春子の証言自体、その信用性は甚だ疑わしいといわざるをえない。 さらに指摘すれば、宮城晴美は、盛秀の言ったという言葉についての盛永の『自叙伝』の記述も、宮平春子の新証言も「同じことが基本的に言われている」との旨証言した(宮城調書p49)。 そうなのである。宮平春子の新証言に新味はないというべきであろう。 宮城晴美は、『母の遺したもの』において「今晩、忠魂碑前で皆玉砕せよとの命令があるから」という盛永の言葉を引用しており、その言葉を踏まえたうえで、原告梅澤が自決命令を出したことを否定し、かつ、命令を出したのは助役の盛秀だったと判断したのである。 春子の新証言なるものは、その信用性においてもその証拠価値においても甚だ問題を抱えるものであり、それをもって軍命の証拠だということができないことは明かである。 (6)まとめ 結局、宮城晴美の証言は、彼女が丹念に積み重ねてきたライフワークともいうべき調査研究の成果や、秘められた真実を世に広く明らかにし社会的にも非常に評価の高い自著『母の遺したもの』の歴史的意義、周囲を敵に回してでも原告梅澤の社会的名誉を回復せねばならないと決意した母初枝の遺志などを、ことごとく否定するものであった。 種々の政治的圧力に屈しての不本意な証言であったろうとは想像するが、近年までの、宮城晴美の歴史家としての誠実な足跡、業績を顧みるとき、その価値を、今回の証言をもって自ら貶める結果となったことは、強く惜しまれるところである。 もどる